学生出産、看護師を経て48歳で出家…“駆け込み寺”の庵主さん「自分を好きになる方法」
「そうだ。“手に職”で、看護師の資格を取ろう」
働きながら准看護師の資格が取れる看護学校へ入学し、午前中は見習い看護師として働き、夜勤もあるハードな日々が始まった。
直後に学校の図書館で出合うのが、当時、上智大学教授だったアルフォンス・デーケン氏らが編者となった『生と死を考える』。
「生だけでなく死を考えることがよりよい人生につながるという内容に出合った瞬間、頭が真っ白になるくらいの衝撃でした。すぐに東京のデーケン先生の勉強会にも通うようになりました」
さらに同じころ、憧れていたマザー・テレサがインドのコルカタで運営していた慈善施設「死を待つ人々の家」でのボランティアも敢行。
「インドでは、マラリア、エイズなどで重篤な患者さんも多かった。2週間ほどの滞在でしたが、多くの死の現場に立ち会うなかで、死に関しては誰も平等なんだと知ったことは、その後の私の生き方のひとつの軸となりました」
30歳で准看護師となって、3年ほどが過ぎたときだった。
「激しい倦怠感と微熱が続き、結核性胸膜炎との診断で即入院。
この病床で、自分の魂をあの世に持っていかれそうな体験をします。病状よりショックだったのは、いざ死と直面したとき頭に浮かんだのが、家族の心配より『まだ死にとうない』という恐怖だったこと。