“推し”の急逝を機に、44歳から韓国語勉強→51歳で字幕監修者になった女性「やりたいと思ったら、どんどんやっていい」
そのためには韓国語を話せるようにならなければならない。悲しみに暮れる自分の背中を押してくれたのも、やはりヨンハだった。
そして、この悲劇は人生を大きく変えるきっかけとなった。
まず、家の近所の韓国語教室に通い、ハングルを学ぶことから始めた。すると、うつ状態でも、韓国語の音に癒される自分がいた。
「勉強が面白いというよりも、音そのものを聞いているだけで気持ちよかった。少しずつ文章が読めるようになってくると、学習も楽しくなっていきました」
あえて高い目標を掲げることなく、無理しないようにすることで、不思議と学習意欲が湧いた。
「音楽やドラマの観賞でもいいから、1分でも韓国語に触れたら勉強したことにする。
それだけ決めて、毎日続けました。とにかく、継続から生まれる自信が何よりも大事だと感じるようになりました」
もともと韓国嫌いだった夫は、ドラマを見ているだけで「また韓国か!」と嫌みを言った。家計をやりくりして教科書を買い、夫に隠れて勉強を続けていたとき、ある一冊の本に出合った。
「そこには、“自分に許可を出しなさい”と書かれていたんです。当時の私にとって、まさに目からウロコでした」