2018年6月2日 16:00
アルコール依存症からの回復「自分をすきになれてよかった」
「いま思うと、彼女との関係も過剰に依存し合う“共依存”。覚醒剤を体験するのもクラブでは自然の流れで、違法と知るころには、もうやめられなくなっていました」
中学卒業後は、競技スキーの推薦で商業高校へ進学。
「簿記の試験前には、覚醒剤で眠気を覚ましたりも。スキー部は退部しても夜のクラブ通いは続き、すでに摂食障害も始まっていました」
1つの転機は、親友の裏切りだった。自傷行為でリストカットなどを繰り返す容子さんから女友達が離れていったことで、かつてない深い孤独を感じるようになる。
「“死にたい”と“死ねない”の葛藤の繰り返しが半年ほど続いた末に、ずっと音信不通だったYさんに、すがるように連絡しました」
すると、彼女も依存症に苦しんだ末に地元の自助グループに通っており、そこへ容子さんを連れていったのだ。
集団ミーティングで、「死にたい。学校に行くのがつらい」と訴える容子さんに、同じ悩みを持つ人たちは、「学校なんて、行かなくていいんだよ。