発達ナビユーザー200名以上が回答!『バックインウォレット』『透ける収納ボックス』どんな風だったらもっと使いやすい?2022年6月に発達ナビユーザーのみなさま200名以上にご回答いただいた詳細アンケート結果を参考に、2アイテムをフェリシモCCPで企画スタート。応募いただいたユーザーさまへモニター実施中です。商品化候補決定!「物忘れ、片づけをサポート」するグッズをつくりたい!ご意見大募集【発達ナビ×フェリシモCCP】発達障害フレンドリーなグッズづくり第4弾 モニター募集もUpload By 発達ナビ編集部「財布やかぎなど、外出に必要なものを何かと忘れがち」というアンケートのお声から、必要なものをひとまとめにし、さらに中が見える『バッグインウォレット』を企画しています。【商品の特徴】・メッシュ素材なので中身が見やすく管理がしやすい・開けるとじゃばらに開くポケットで、小銭や鍵などすっきり収納できて取り出しやすい・キーリールをつけられるループやマチつきポケットで、かぎや交通カードをスムーズに取り出せるストラップをバッグの持ち手につけたいかどうかのアンケート結果回答は同じくらいの比率でした。特に、つけなくてもいいとの回答には「お子さまが使う(小学校以上)」とされていた方が多かったですUpload By 発達ナビ編集部ハンカチ、ティッシュが入るオープンポケットについてのアンケート結果コロナ禍でハンカチを使う機会が増え、バッグの中からハンカチを探し出すのが大変というお声も多くありました。定位置をつくったうえで、取り出しやすいポケットをと考えています。Upload By 発達ナビ編集部また、アンケートに答えてくださった方々の内、使用するならどなたですか?という質問に対して本人…69.0%、子ども…69.0%、父親・母親…8.5%、配偶者…5.4%という結果になりました。(複数回答有り)Upload By 発達ナビ編集部「自分の視界から消えるとその存在を忘れてしまう」というお困りごとを解決するために、メッシュ生地で中が透けて見える「収納ボックス」を企画開発中です。目に入る場所に置いておくことで「忘れない習慣」を目指しています。〈商品の特徴〉・中身が透けて見えるメッシュ生地・中身が飛び出ないようにお薬袋を立てたまま入れられるサイズ感・間仕切りは、量に合わせて面ファスナーで位置を自由に調整できる・アイコンカードを入れられ、何が入っているか誰の物かが分かりやすい収納ボックスの中の間仕切りについてのアンケート結果固定されているもの…35%、面ファスナーなどで位置調整ができるもの…65%と、位置調整ができるものに票が多く入りました。Upload By 発達ナビ編集部また、アンケートに答えてくださった方々の内、使用するならどなたですか?という質問に対して子ども…69.2%、本人…49.6%、父親・母親…8.5%、配偶者…6.8%、その他…1.7%という結果になりました。(複数回答有り)そのほか寄せられたお声・間仕切りは複数枚欲しい・薬を袋ごと入れて使うとしたら、三姉妹分(可能なら夫の分も)個人で仕切れたら助かる。しかもこのボックス一つで納まると助かる・大きいものを入れたりしたいから、仕切りは調整できる方が良いアンケートにご参加いただいたみなさま、ありがとうございました。アンケート結果からよりよいアイテムになるよう検討を重ねていきます!発売は2023年3月中旬ごろを予定。完成を楽しみにお待ちください!また欲しい!の声が続出、2つの完売アイテムがリニューアルしてこの秋に再登場!発達ナビとフェリシモCCPがコラボし、完成した商品の中でも大人気なアイテム2つが、パワーアップして登場!コラボ第1弾で登場し、再販リクエストが非常に多かったリュックインナーが大人なカラーリングになってかえってきました。リュックを開いたときに中身が一目瞭然で見えるつくりにこだわっていることはもちろん、出し入れ時に迷わないアイコンカードが便利です。整理整とんがしやすいリュックで、忘れんぼうさんも快適に過ごせるようになるはず!Upload By 発達ナビ編集部※ボタンをクリックすると発達ナビのサイトから株式会社フェリシモのサイトに遷移しますコラボ第2弾で開発されたタスクチェッカー。こんなのが欲しかった!というお声が続出したアイテム。いつものルーティンを見える化して、「できたこと」をその都度確認できるチェッカーです。今回のリニューアルでは、紙からプラスティックへの素材変更で、より丈夫になりました。これで不器用さんも安心。鞄の中に入れるなどしても何度でも使えます!Upload By 発達ナビ編集部※ボタンをクリックすると発達ナビのサイトから株式会社フェリシモのサイトに遷移します今回発売リニューアルした商品以外にもさまざまなコラボ商品があります。ぜひご覧ください!※ボタンをクリックすると発達ナビのサイトから株式会社フェリシモのサイトに遷移します
2022年09月10日成長の早い4歳娘、外出時に夫と男子トイレに入ったら…わが家の6歳娘は読書家で図鑑が大好き。おしゃべりで人見知りしないけどちょっぴり臆病な女の子です。成長が早く、同年代の子と比べても昔から身長が大きいほうでした。今は年長ですが、身長がすでに125センチあることもあって、小学2年生くらいに間違われることもあります。そんな娘が4歳のときに外出先で夫とトイレに行ったときのお話です。私が仕事ということもあり、土日は夫と娘の2人で出かけることの多いわが家。その日も夫と娘は近所のショッピングセンターに遊びに行っていました。おむつが外れたとはいえ、まだトイレの介助が必要な年齢。夫は娘のトイレ介助のため、一緒に男子トイレへ入りました。すると、トイレにいた小学生くらいの男の子が娘のことを不思議そうに見たあと、一緒にいたお父さんに「なんであの子は男子トイレを使っているの?」と質問をしたそうです。その男の子のお父さんは「親が良いって言ってるんだからいいんじゃない?」と言っていたそうですが、そのとき初めて夫は娘がほかの子どもより成長が早いことに気づき、ハッとしたようです。4歳でも小学生に間違われることもあった娘。そんな娘が男子トイレを使っている様子は、ほかの人から見たら違和感があったのでしょう。Upload By ユーザー体験談言われて気づいた、娘が男子トイレに入る「違和感」娘が通っている保育園は、新設されたばかりで娘が1番上のクラス。そして娘のクラスは2人しかいないという環境でした。そのため、夫も私も娘の成長が早いことを理解しているつもりでしたが、周りからどう思われているかまで自覚できていませんでした。Upload By ユーザー体験談私と夫はようやく危機感を覚え、夫と娘だけのお出かけでお店で使うトイレは多目的トイレを使うことに決めました。娘にも「服に隠れている部分は人前で見せてはいけないし、男子トイレに入るのもやめたほうがいい。自分の身を守るためにも、これからは多目的トイレを使おうね」と伝えました。Upload By ユーザー体験談5歳で思春期早発症疑いと言われた娘。身体の成長についてどう話す?娘は5歳のときに保育園の内科検診で思春期早発症疑いと言われ病院で検査を受けました。結果は診断できず(異常点はない)でしたが、それから半年に1回の検査を受けています。娘は人体や臓器の本が好きなところがあります。図鑑などから、子宮や卵巣などの働きや赤ちゃんがどうやって育つかなどの知識も得ています。普段から、娘から身体についてのことや、本を見ていて疑問点を質問されたときにはしっかり答えようと努力しています。思春期早発症は早ければ小学1年生から生理が来ると聞きました。生理について教えるのも早いほうがいいだろうと考えていますが、娘は臆病なところがあるためタイミングを見極めており、まだちゃんと話せてはいません。胸が大きくなっていく変化の話はお風呂に入っているときに「なんで私とお母さんの体は違うの?」という質問をされたときに話しました。娘はその話だけで怖がっていたので(胸が大きくなりはじめる時期にはシコリができて、ぶつかると痛みが出るときもある…と話をしたら怖くなってしまったようです)怖いことではないんだよ、ということをゆっくり伝えていきたいと思っています。まだまだ今後も起こるたくさんの第二次性徴。いろいろな変化を怖がらずに、些細なことでも相談してもらえる親子関係を築いていきたいです。また、今後娘自身が適切な行動を取れるような価値観や習慣を育てていくためにも「自分のプライベートなところは隠す必要がある」「隠すことが身の安全を守る」ことの重要性についても教えていかなければならないと強く思いました。Upload By ユーザー体験談イラスト/keikoエピソード参考/つむつむママ(監修:井上先生)第二次性徴が訪れる時期は一人ひとり異なります。学校でも性教育の授業はありますが、 一人ひとりの身体の変化の自覚は異なるため、理解や受け止め方もさまざまになりがちです。同性の親が女の子であれば身体の変化や、生理の知識や対応方法、年齢に応じた異性との接し方などオープンに話せるようにしておくと良いですね。つむつむママさんのように一緒にお風呂に入るような習慣があると話題もふりやすいかもしれません。あまり先取りしすぎて親子で不安になるのも良くないので焦る必要はありませんが、先輩の親御さんの話を聞いてみるのも良いかもしれません。あなたのエピソードもコラムになるかも?体験談募集中!保護者の方が日々子育てをする中で「こんなトラブルがあった」「こんなハプニングがあった」など悩みはつきないと思います。そんな発達ナビユーザーのみなさんの「困った」エピソードを募集しています。テーマは新たに「パートナー(夫婦関係)」「進学、受験」などを追加しました!その他「祖父母や親戚関係(帰省含)」「ゲーム」「不器用」「ママ友・保護者」「ご近所トラブル」「自傷」「学習」「不登校」なども引き続き募集中です。パートナーなどとの意見の相違、受験や進学での予期せぬトラブル、反抗期による親との言い争い、癇癪を起こして自分の頭を叩く、地団太を踏むなどの自傷行為…読み書きや計算の困りはもちろん、授業を落ち着いて受けられないなどの学習の悩み…行き渋りや不登校などの悩み…いろいろなお悩みエピソード、お待ちしております。お寄せいただいたエピソードの中から数作品、発達ナビの連載ライターさんにコラムとしてコミックマンガエッセイ化していただき、発達ナビで公開いたします!あるあるのエピソードからヒヤリとしたエピソード、SNSなどではなかなか言えないような家族やママ友とのトラブルまで。いろいろな「困った」エピソードをぜひ教えてください。
2022年09月10日いたたまれなかった入園式幼稚園のホールで行われた入園式では座っていることができた娘。しかしながら、式典のあと保育室に移動すると、絵本が大好きな娘は本棚へと一目散。担任の先生が翌日の持ち物などを保護者に伝えている間、ほかの子どもたちが大人しく椅子に座っているのをしりめに、娘は本棚から持ってきた絵本を読んでいました。読み終わって次の本を取りに本棚へ向かおうとする娘に、私がじっとしているよう促しても聞くわけもなく…。先生が娘を注意することはありませんでしたが、室内をウロウロする娘の姿を見て、私はいたたまれない気持ちになりました。Upload By 荒木まち子通園が始まると娘の通う幼稚園には通園バスがなかったので、園児は徒歩や自転車などで通園していました。朝の送りのあと、幼稚園に慣れているお母さんはすぐに帰っていましたが、年少クラスの保護者はすぐには帰らず、よく幼稚園の生垣のそばで立ち話をしていました。そこには15cm四方の隙間がある木が1本あって、年少クラスの保育室の様子を垣間見ることができました(誰が最初にその場所を発見したかは不明)。そこは室内からは死角になっていて子どもたちからは見えないので、その穴から自分の子どもが部屋に入ったのを確認してから帰る保護者がほとんどでした。しばしば行列ができ順番で譲り合うのが暗黙のルールになっているほどの人気スポット“覗ケル穴”を私もちょくちょく利用していました。“穴”から見た光景はプレ幼稚園に通っていて場所慣れしていたせいもあってか、娘は昇降口で私と別れたあと、先生に促されるとぐずることもなく一人で保育室に入っていきました。でもほかの子どもたちは入園式のときとは打って変わって阿鼻叫喚の大騒ぎ。親と別れてからずぅっと泣いている子、おもちゃを取り合ってけんかしている子などなど、そこはまるで動物園のようでした。Upload By 荒木まち子「送り」があるということは「お迎え」もある!お迎えは保護者が保育室に入り、お帰りの会で一斉にサヨナラのあいさつをしてから子どもを連れて帰る、というスタイルでした。その日、子どもに何事もなければそのまま帰れるのですが、何か連絡事項がある場合は先生に個別に呼び止められます。入園後しばらくはすぐに帰れたのですが、徐々に先生に呼び止められる回数が多くなっていきました。「お母さん、ちょっとすみません…」「今日こんなことがあって…」あまりにも頻繁に呼び止められるので、声を掛けられる前に帰ろうとすると…Upload By 荒木まち子不調はあとからやってくる入園一ヶ月を過ぎたころには、周りの子どもたちは園生活にも慣れ、保育室はもう動物園ではなくなりました。それに伴い“覗ケル穴”の人気もピークアウト、穴ユーザーは私のほかに2、3人といった感じになりました。周りの子どもたちが落ち着いていく一方、娘はよく腹痛を訴えるようになっていきました。発達障害の娘は初めての集団生活にストレスを感じていたのだと思います。便秘や下痢はなかったので、病院では整腸剤が処方されました。私は「このお薬を飲むとお腹が痛いのがなくなるよ」と言って娘を安心させることを心掛けました。近くに親戚もいなく、主人は単身赴任で娘と二人きりで暮らしていた私。初めての子育てはどうしたら良いのか分からないことだらけでした。担任の先生からのうれしい提案そんなある日、担任の先生が連絡帳に『ご家庭の様子と園での様子との連絡を密にして、お子さんにとって良い方向に向かっていけるよう関わっていきたいと思います。何かありましたらお知らせください。』と書いてくださいました。それまで幼稚園の連絡帳には欠席などの連絡事項だけしか書いていませんでしたが、この日から私は連絡帳に・家での娘の様子・自分が行っている娘への声掛けの方法・療育の先生に言われたことなどを書き始めました。先生も園での様子を書いてくださり、私は『家庭での娘』と『幼稚園での娘』の違いを知ることができました。“覗ケル穴”から見ただけでは分からない娘の様子や変化、お迎えのときだけでは伝えきれない娘の情報を私たちは連絡帳を通して共有しました。幼稚園の先生が娘への対処法を一緒に模索してくれることを私はうれしく、そして心強く感じました。Upload By 荒木まち子担任の先生との連絡帳でのやり取りは年少~年中~年長と、担任の先生が変わっても、卒園するまで続きました。このやり取りは、私たち親子と支援者との『つながり』の原点となったのでした。執筆/荒木まち子(監修:井上先生より)親として園での子どもの様子はとても気になるものだと思います。うまく適応しているように見えても、無理をしているかも…と心配になるかもしれません。荒木さんのように、お子さんが腹痛を訴えたりする場合、園の先生との連携が必要になると思います。登園渋りもある場合は、登園して最初の活動を本人が好きで落ち着けるような活動にしてあげたり、苦手な活動に対して個別の支援を考えたりすることも必要かもしれません。連絡帳は連携の手段のひとつとして有効かと思いますが、場合によっては電話や面談と組み合わせるとお互いに負担が少なくて済むでしょう。
2022年09月09日5年前、迷いに迷った在籍クラス。広汎性発達障害(自閉スペクトラム症)のある娘は、小学6年生。来年の春には、中学校に進学します。現在、特別支援学級に在籍している娘ですが、特別支援学級へ籍を置くようになるまで、いろいろありました。小学1年生のときは、通常学級に在籍していたのですが、友達とのトラブル、授業についていけない、担任からのできないことに対する指摘など、本当にいろいろありました。2年生からの進級先をどうするか決めるときは、親としてたくさん悩んだし、考えて考えて、迷って迷って…頭を抱えました。Upload By SAKURAもうこれ以上考えようがないというところまで考え尽くし、結局最後は「娘が笑顔でいられる道」にしようと思い、2年生から、特別支援学級に在籍することにしました。Upload By SAKURA高学年になったら、通常学級に・・・そう思っていたけれど。当初私は、特別支援学級の在籍は一時的にして、「5、6年生ぐらいまでに通常学級に戻れたらいいな」と考えていました。もちろん絶対そうしよう!と決めていたわけではありませんが、目標があったほうが、私も娘も具体的な療育に取り組みやすいと思っていました。そのため、中学校からの特別支援学級は、あまり考えていませんでした。Upload By SAKURAしかし、2年生、3年生、4年生と特別支援学級で過ごしていくうちに…私の考えは変化していきました。娘にぴったりだった特別支援学級の学習方法。娘は、2年生からずっと、国語と算数だけ特別支援学級で受けています。勉強する場所は違いますが、授業内容は通常学級と同じ内容です。発表などの授業のときは、通常学級でみんなと一緒に行いますし、テストも通常学級と同じものを受け、同じ判断基準で成績表もつけられます。特別支援学級で受ける授業は、娘に合っていたようで、成績はどんどん上がり続け…Upload By SAKURAテストはほとんどが90点台。100点を取ってくることもよくありました。クラスで上位の成績になり、みんなの前で点数を褒められることもありました。娘は、視覚優位で、耳から情報収集は苦手という特性があり、大勢の中で授業を受けると、先生の指示や授業内容をしっかり聞き取ることができません。しかし、特別支援学級で先生と一対一の授業をすると、先生の言ったことがしっかり頭に入ってくるようで、テスト前に特に勉強をしなくても、しっかり答えられるのです。Upload By SAKURA5年生のときの面談で、特別支援学級の先生に…「あーさんは本当に素直に教えたことが響く子です。目を見て、面と向かって教えれば、とても理解も早いです」と言われました。私はこの話を聞いて、「娘の理解しやすい授業スタイルをわざわざ崩すことはないのではないか」と思いました。Upload By SAKURA娘の希望は・・・?念のため、娘に中学校から在籍クラスをどうするか聞いてみると…Upload By SAKURA娘は中学校からも特別支援学級の在籍を希望しました。小学1年生のときは娘は特別支援学級の意味もよく理解しておらず、本心は聞けず…結局、私たち親が決めました。しかし、今回はしっかりとした希望を聞くことができました。もう…自分の意志もしっかりある。今の娘を見ながら、1年生のころの娘を思い出していると感慨深いものがありました。Upload By SAKURA発達テストを受け、診断書も書いてもらえた!中学校からの特別支援学級は、6年生の夏までに決めなければなりません。私はさっそく、動き始めました。判断基準にするため、そして発達外来で診断書をもらうため、発達テストを受けました。Upload By SAKURA結果、IQは平均値で正常でしたが、言語理解(言葉を理解して伝える力)は、平均値より低く、ワーキングメモリー(記憶する力)は、かなり低く、「特に耳で聞いて覚えることが苦手で、口頭の指示で複数のことを言われると、混乱する」ということでした。私たちの認識している通りでした。発達外来の先生からも「少人数制の授業はふさわしい」という診断書をもらい、学校に提出。まだ決定までいっていませんが、少しずつ動いています。Upload By SAKURA娘にとって、一番いい選択。今回の娘の進学先の決定に、迷いはなく、5年前のように、「通常学級のほうがいいのではないか」という考えは全くありませんでした。それは、特別支援学級で過ごした5年間が娘を成長させてくれたことを実感していたからでした。在籍場所にこだわる必要はない。どこで学ぶかではなく、どう過ごし、どう成長するか。そして、そこが楽しいかどうか。娘が笑顔で過ごせるように、中学も引き続きサポートしていきたいと思います。執筆/SAKURA(監修:井上先生より)あーさんが在籍されていたのは自閉症・情緒障害特別支援学級で、基本的には通常学級と同じ内容で進んでいきます。SAKURAさんの書かれていたように、集団の場では学びにくい教科や単元を特別支援学級で、それ以外を通常の学級で学ぶことによって、勉強は分かりやすくなり達成感も得られると思います。中学校は小学校とは異なり、特別支援学級でも教科ごとに先生が変わります。特別支援学級の担任の先生と、各教科を担当する先生との連携を良くして頂いたり、通常学級の方で受ける教科の先生との連携など、連携は複雑になりますが学期ごとに「個別の指導計画」や「個別の教育支援計画」を見直すようにしていくとよいかと思います。中学になると部活もはじまりますね。好奇心旺盛で積極的なあーさんはきっと素敵な中学生になれると思います。
2022年09月07日家庭での教科学習まずはわが家の学習について…なのですが「学習」と言ってもさまざまな「学習」があり、子どもは何をしても学びに繋がると私は考えているので、ここでは少し言い方を変えて「教科学習」についての話をしてみようかと思います。わが家は学校へ行かない選択をした当初から家庭での教科学習を続けています。子どもの心の状態によって教科学習を家庭で続けるかどうか、慎重な判断が必要なケースもあるかと思うのですが、むっくんの場合は教科学習を続けたいという本人の強い希望があったこと。また教科学習を続けることが本人の安心感に繋がると判断できたことから、毎日短時間ですがゆる~く母と一緒に学習を続けることに決めました。しかし親子での教科学習はただでさえ難しいものです。その上、むっくんにはもともと得意と苦手の大きな差、感情のコントロールの難しさ、完ぺき主義などのこだわりもあり、間違えるとキレる、難しいとキレる、苦手だとキレる。初めて習う事に対しては不安からキレる。私がイラっとすれば共鳴してキレる!これは本当のほんとうに難しい!!学習支援に関して私は素人なので、家庭教師など外部の力に頼りたいものの「先生」に対してよいイメージがないむっくんは外部の人を怖がって絶対に嫌だと拒否。仕方がないので私が頑張るのですが、当然うまくできず、何度もぶつかり、やめたくなることもありました、投げ出したこともあります。それでもむっくんは泣きながら、キレながら、おれは絶対勉強する!と頑張ろうとするのです。あるとき「おれがキレても暴れても、お母さんだけは諦めないで!」と言われ私も腹をくくりました。Upload By ウチノコ本気で教科学習と向き合ってみると、本人のWISCなどから見えてくる数値の凸凹、聴覚や視覚言語などの認知特性、同時処理や継次処理などの認知処理様式、情報の入出力方法の情報処理過程など、さまざまなことを考慮して行う必要があることが見えてきました。そういった視点を私が持てたことで、最近では教科や単元の得手不得手に合わせて教材を変えるなどの工夫ができるようになりました。さらにその日の調子で変わる取り組める分量の見極めや苦手な部分をカバーするさまざまな方法や道具。それらを考えて学習プログラムを組めるようになったことで、2年目にしてようやく学習ペースが安定しキレることも減ってきたように感じています。当初の教科学習の目的は「むっくんの心の安定」でしたが、元気になった今は「本人の特性を考慮した学習スタイルの確立」に変わりました。学びたい気持ちが強いのに、自分に合う方法が多数のあり方と違うことがむっくんの苦しさの一つだと私は感じています。だからむっくんに合う学習方法を見つけ出すこと。そしてむっくん自身が自分に合う学習方法を模索する力をつけること。それがとても大切なことのように思うのです。むっくんはそれさえ確立できれば一人で歩いていける子だから、その日まで私がそばで伴走を続けていけたらと考えています。Upload By ウチノコ家庭外との繋がり私たちの場合、学校へ行かない選択後も本が好きなむっくんの希望で図書の授業に私と一緒に参加する学校の部分利用をしていました。それなりに楽しく通っていましたが、一年経ったころからむっくんが「不登校を選んだ友達が欲しい」と言うようになり、フリースクールの利用を開始。そこではいろいろな経験ができるうえ私の付き添いも不要だったので、むっくんと少し離れる時間が欲しい私の気持ちも考慮して、完全不登校に切り替えてフリースクールを優先することに決めました。現在は週に1~2日楽しそうに通っています。あまりに楽しそうなので「もっと通う?」と聞くと「おれは毎日行くと疲れてしまって楽しいとこも楽しくなくなっちゃうから、今のペースがちょうどいい」と話してくれて。彼の想いを尊重しながらちょうどいいペースを模索しています。Upload By ウチノコまた、1度離れた学校ですが今年度の先生が熱心な方だったことから、現在は週に1度担任の先生とタブレット通話の時間を取って繋がりを保っています。むっくんが学校へ行きたいと言うことはありませんが、現在の先生との信頼関係が育っている様子が見られ親以外の大人との関係性が作られていくことをとてもうれしく感じています。さらに、オンラインで好きなことの習い事も始めました。怖がっていた外部の人から学ぶことになり私はハラハラしましたが、こちらも理解ある先生と繋がることができ、とても楽しそうに取り組んでいます。むっくんが不登校を選んだ最終的なきっかけが運動会の練習への不信感だったこともあり、むっくんは「先生」に対して良いイメージを持っていませんでした。それが今、さまざまな大人と関わる中で「先生」にもいろんな人がいること、いろんな教え方があり、いろんな学び方ができることを体験することができています。この経験は今後、彼の視野を広げることに繋がっていくようにも感じています。Upload By ウチノコ過去を振り返って現在、私たちはとても穏やかな日々を送っています。家庭という安全基地に身を置き、頑張れそうなときに自分のタイミングで外の世界と繋がるホームエデュケーションを選択したことで、これまでの私やむっくんの困り感やしんどさが噓のようになくなりました。むっくんに集団生活を強いていたころの困り感は、フィットしない環境に無理に適応させようとしたために起こった部分もあったのだと痛感しています。合わない場にどうやってフィットさせるかばかりではなく、何故フィットしない環境に身を置かねばならないのかという視点の転換も大切なことなのかもしれません。毎日楽しそうに生き生きと暮らすむっくんを見ていると、決まったカリキュラムで、年齢に合わせて一律に進めていくよりも、本人の成長を待ち、本人が進めると感じたタイミングで次のステップに進んでいく現在のスタイルの方がむっくんは幸せを感じられることがよく分かります。関わりに難しさのある子どもだからこそ、これからもたくさんの人の手を借り、たくさんの場所へ行き、彼のペースや気持ちを尊重しながら大切に関わっていこうと思っています。執筆/ウチノコ(監修:初川先生より)ホームエデュケーションを組み立てるまでの試行錯誤、工夫、そして穏やかな生活に至ったプロセスのシェアをありがとうございます。家庭で教科学習を進めるのはなかなか難しいものです。保護者が教えると、お子さんも学習と日頃の仲良しな関係との切り替えも難しく、「分からないからやりたくない」となり、一生懸命教えてくれる保護者からすると「せっかく頑張って教えてるのに!」となり、もめてしまう話を相談場面でもよく聞きます。ウチノコさんがそうされたように、知能検査などで認知発達の特徴が分かっている場合にはそれを活かすのがまずは得策だと思います。検査を施行した心理士などに、検査結果を学習に活かす方法をぜひ聞いてみてください。図書の時間やフリースクールなど、むっくんの意見を聞きながら柔軟に体制を変化させたのも素敵ですね。そして担任の先生とのやりとりや、オンラインでの習い事など、当初では考えられなかったような展開も起きているようですね。人との出会いが何かを変えることがある、「好き」は苦手を超えることがある(興味のあるものなら「先生」に習うことも耐えられる)。これはむっくんだけではなく、いろいろなお子さんにも通じるところですね。さまざまな経験を通じて、むっくんが「いろいろな大人がいる」など世界が広がっていること、何よりだなと感じます。
2022年09月06日たどたどしいひらがなを書いていたゆいゆいがひらがなを書き始めたのは確か4歳ごろでした。たどたどしいひらがながとてもかわいくて、当時ゆいが書いたノートは今でも大切に保管しています。小学1年生になって担任になった先生は、文字をきれいに書くことを大切にされていました。ゆいがたどたどしく書いた国語のノートはいつも真っ赤に書き直されていて、ゆいはいつもしょんぼりしていました。私はまだ1年生だし、そのうちきれいに書けるようになるだろうとのん気に構えていたので、ゆいを励ましはしましたが、文字をもっと練習させようとは考えていませんでした。Upload By 吉田いらこ小学2年生になり、去年の担任の先生がそのまま持ち上がりました。そしてあいかわらず国語のノートは真っ赤に添削されていました。このころはまだ障害があるとは気づいていなかったのですが、今思い返すとゆいの描く文字は力が入っておらずフニャフニャしていて、まっすぐ強い線を引くことができていなかったのです。私はゆいの書く文字が「やる気を感じられない字」に見えて、まだ低学年だけどやはり文字をきれいに書くということが必要なのではと思うようになりました。ゆいに言わせると「文字なんて読めたらそれでいいじゃない。どうしてきれいに書く必要があるの?」ということなのですが、一般マナーとして美文字または読みやすい文字であるに越したことはありません。Upload By 吉田いらこそして小学2年生のときに、大手書道教室の硬筆のレッスンを受けさせるようにしました。一人では嫌がるかなと思い、私も一緒に受講しました。隣で見ていると、ゆいは練習にまったく身が入っておらず「これではお金をドブに捨てているのでは?」と思ってしまいました。なにより本人がやりたくないことを親のエゴでやらせていることに気づき反省したのです。その後、ゆいの書き文字は全く上達せず硬筆レッスンは終了しました。Upload By 吉田いらこ漢字が複雑になると対応できなくなってきて…スクールカウンセラーに言われた言葉それから学年が上がるにつれ習う漢字が増えて複雑になってくると、ゆいは対応することが難しくなってきます。漢字を読むことはできますが、書くことと覚えることにとても苦労していました。私は焦ってお勉強系の習い事を増やしましたが、これは今振り返ると間違っていたように思います。ゆいは学校でも放課後も「自分はできない子なのだ」と思い込むようになり、本人を追い詰めてしまいました。そこから数年してゆいの障害判定が下りるのですが、そのころにスクールカウンセラーの先生に言われたことがあります。「文字を書くことが苦手?まあ、社会に出たら文字を書く機会は減りますしそんなに気にすることはありませんよ。漢字が分からなければスマホで検索すればいいだけなのですから」Upload By 吉田いらこ先生の言葉を聞いて、そういう対処方法もありなのだと気持ちが楽になりました。人よりちょっと覚えることが苦手ならどんどん便利な道具を使えばいいのです。これはゆいにも伝えてお互い気楽にいこうと話し合いました。というわけで小学6年生の現在、相変わらず漢字の書き取りテストはさんさんたる結果ではありますが、ゆい本人は低学年のころのような自分をダメだと思い落ち込むことはなくなりました。これから先はどうなるのか分かりませんが、今のところはゆいの笑顔が見られてうれしく思っています。執筆/吉田いらこ(監修:千村先生より)吉田いらこさんのこのコラムは、私たちに大切なことを教えてくれます。ゆいちゃんは、字を書くのが苦手なんですね。手を動かすこと、筆圧を調節することなどが上手にできないのかもしれません。もしかしたら、身体の動かし方を練習したら上手に書けるようになるかも知れませんが、私は、もっと大切なことがあるのだと思います。漢字の書き取りに苦労するゆいちゃんとお母さんへのスクールカウンセラーの先生の言葉に、ゆいちゃんもお母さんも気持ちが楽になったことと思います。できないことをできるようになるために頑張ることも大切ですが、できないことは無理せず、楽しく取り組めることに頑張れることはもっと大切です。楽しい体験があるからこそ、ちょっと楽しくないこと、つらいことでも頑張れるのではないでしょうか。楽しい体験は頑張る原動力です。それでは、ちょっと楽しくないこと、つらいことを頑張るためにはどうしたら良いか考えてみましょう。モチベーションという言葉があります。「○○をするモチベーションを高める」などと言いますね。モチベーションには「外発的動機付け」と「内発的動機付け」の二つがあります。「外発的動機付け」は、例えば、頑張って何かに取り組んだときや、何かを達成した時にご褒美が与えられること。ご褒美がもらえることが、さらに頑張るきっかけになるというものです。一方、「内発的動機付け」は、何かに取り組むこと自体、何かを達成すること自体が喜びにつながるというものです。このような動機付けがあるからこそ、私たちは頑張って何かに取り組もうとするのです。最初は外発的動機付けも大切ですが、自発的に継続して頑張ろうとできるためには、内発的動機付けが欠かせません。できないことを厳しく指摘されて頑張れる人もいるかも知れませんが、厳し過ぎると頑張れなくなってしまいますね。何かを達成しようとするときに成果を焦らないことも大切です。頑張って取り組んでもすぐに良い成果が得られるとは限りません。最初は、頑張ろうとするだけで良いでしょう。モチベーションを持ち続けられることが大切ですね。ゆいちゃんも、漢字の書取りに楽しく取り組めるようになると頑張れるかな。
2022年09月05日重度の知的障害がある娘は水が大好き!ある冬の日…重度知的障害がある娘には「水が大好き」という特性があります。水が好きすぎて水を見ると引き寄せられていってしまうけれど、危険の予知が難しいので、溺れてしまう事故にも気をつけなくてはいけません。Upload By ユーザー体験談まだ娘が3歳ぐらいだった、冬のある日のことです。そのころとても忙しい仕事に就いていた私は、帰りが深夜になってしまいました。その日は夫に子守を頼んでいました。午前0時過ぎ、自宅のドアをそっと開けると、ただならぬ気配を感じました…。わが家は玄関をあけると階段があり、2階の廊下に続いています。その廊下に、人の気配が…!?Upload By ユーザー体験談なんとそこにはずぶ濡れの娘が…!娘にはかなりの睡眠障害もあるので、おそらくうまく寝つけなかったのでしょう。パパもきょうだいも寝てしまい、一人で起きていた娘はつまらなくなって、大好きな水があるトイレに行ってしまったのです。そして、大好きなタブレットと大好きな水のコラボでうれしくなってしまったのでしょう。頭をトイレに突っ込んでみたり、タブレットを水に浸けて遊んでみたりしたのだろうと思います。Upload By ユーザー体験談身体が冷え切っていた娘。申し訳ない気持ちでいっぱいに真冬の夜中です。きっと1時間以上水遊びをしていただろう娘の体は冷え切っていました。急いで風呂場に連れていき、熱いシャワーをかけてよく洗いました。そして、「事故にならなくてほんとうによかった」「早く帰ってこられなくてごめんね」と娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。夫に翌朝その出来事を話したらびっくり。まったく気づかなかったそうです…。Upload By ユーザー体験談もうこのようなことを起こさないように…それ以来、自信をなくした夫は娘を夜見てくれることはなくなってしまいました(頑張っても睡魔に負けて、娘より先に寝てしまうので)。私はその後、深夜残業にならない仕事に転職をしました。そして家を建てることになったときは、もう絶対事故が起きないように!と、鍵も動線も工夫した、安全対策を考え抜いた設計にこだわったのは言うまでもありません。イラスト/SAKURAエピソード参考/あっきー(監修:三木先生より)気をつけていても、思いがけない事故は起こってしまうものです。鍵や動線を工夫されるなど、システム面を整えることも重要ですね。あなたのエピソードもコラムになるかも?体験談募集中!保護者の方が日々子育てをする中で「こんなトラブルがあった」「こんなハプニングがあった」など悩みはつきないと思います。そんな発達ナビユーザーのみなさんの「困った」エピソードを募集しています。テーマは「反抗期・思春期」「自傷」「学習」「不登校」「ゲーム」「不器用」「ママ友・保護者」「ご近所トラブル」などに加え、今回より「パートナーや両親(義両親)、親族間トラブル」「冠婚葬祭」のお悩みも追加募集!パートナーなどとの意見の相違、冠婚葬祭でのルールが分からない、反抗期による親との言い争い、癇癪を起こして自分の頭を叩く、地団太を踏むなどの自傷行為…読み書きや計算の困りはもちろん、授業を落ち着いて受けられないなどの学習の悩み…行き渋りや不登校などの悩み…いろいろなお悩みエピソード、お待ちしております。お寄せいただいたエピソードの中から数作品、発達ナビの連載ライターさんにコラムとしてコミックマンガエッセイ化していただき、発達ナビで公開いたします!あるあるのエピソードからヒヤリとしたエピソード、SNSなどではなかなか言えないような家族やママ友とのトラブルまで。いろいろな「困った」エピソードをぜひ教えてください。
2022年09月04日悩ましい…学校・学級選び親御さんと学校・学級の選び方について話をしていると、「通常学級にするか、通級指導教室や特別支援学級にするかを迷っています」と言われることがよくあります。小学校入学前に受ける就学相談で「通級指導教室や特別支援学級が適当」という判断が出た場合に、決断に悩む人が非常に多いのです。判断は難しいのですが、私は基本的に、発達障害・知的障害のあるお子さんは、特別支援学校・特別支援学級・通級指導教室といった「特別な場」を利用したほうがよいと思っています。学校・学級選びについては、「一人ひとりの教育的ニーズ」によって、次のように大きく4タイプに分けられます。1.特別支援学校障害のある子どもを対象として、学習面・生活面の困難の解消を目指した教育が実施されている学校。一般の学校とは別に設置されていて、多くは小学部から高等部まであります(一部、幼稚部も設置されています)。一般の学校とは教育課程が異なり、生活面の学習が充実しています。2.特別支援学級(支援級)一般の小・中学校の中に設置されている学級。一般的に「支援級」とも呼ばれます。特別支援学校と同様に、障害のある子に対して学習面・生活面の教育が行われています。特別支援学級では、在籍している子どもが通常学級の授業に交流という形で参加することもあります。3.通級指導教室(通級)一般の小学校や中学校、高校の中に設置されている教室。一般的に「通級」とも呼ばれます。通級指導教室は、通常学級に在籍している子どもが一定時間利用する教室です。子どもは普段は通常学級で授業を受け、週に数時間程度、通級指導教室に通います。通級では学習面・生活面のさまざまな課題の中で、本人が個別の指導を必要としている部分の教育が実施されます。4.通常学級(通常級、一般級)一般の学校に設置されている通常の学級です。一般的に「通常級」「一般級」などとも呼ばれます。通常学級でも、子どもの障害に配慮した支援が行われています。ただし、通常学級は子どもの人数が多いため、特別支援学校や特別支援学級、通級指導教室などの少人数教育に比べると、支援は少なくなりがちです。「小1の4月」から支援を受けるのがいいと思う理由通級指導教室でも特別支援学級、特別支援学校、いずれかの形で、個別の支援を受けられるようにしておくことをおすすめします。なぜなら、支援の選択肢を増やしておくことが、子どもにとって「保険」になるからです。こうした場を利用しないという判断をする場合は、通常学級の中でどのような合理的配慮がしてもらえるかを確かめておきましょう。親御さんや学校の先生の中には、「最初は特別な配慮をせずに通常学級に通ってみて、支援が足りないと感じたら、通級指導教室や特別支援学級を検討すればよいのでは」と考える人もいます。そのように対応することもできるのですが、私はおすすめしていません。理由は2つあります。1.子どもの自己肯定感を損なう可能性があるまず一つは、子どもに一度失敗させてから環境を調整する方法では、「子どもの自己肯定感を損なう」ということがあります。あとから検討するのでは遅いということです。発達障害のある子どもの中には記憶力が強く、つらい体験を鮮明に覚えてしまう子どももいます。そういう子どもにとっては、小1のときの挫折がトラウマ体験のようになってしまうこともあります。子どもにわざわざトラウマ体験を植えつけるようなことは、避けたほうがよいと考えます。2.特別な場の調整は簡単ではないそしてもう一つの理由は、「特別な場の調整は簡単ではない」ということです。通常学級に通わせてから、やはり難しいと判断した場合、年度の途中で特別な場の利用を検討することになります。しかし学校側は、年度始めにスタッフの配置を決めています(通級指導教室には「児童13人に先生1人」、特別支援学級には「児童8人に先生1人」など)。いまは各地の学校が人員不足に悩んでいることもあり、子どもに対して先生の人数がギリギリというケースも多いです。そのため、先生の人数が足りなくて、すぐには支援を受けられないという場合もあるのです。早く支援を受けた子どもは「その後」の社会適応がよい傾向にある発達障害や知的障害の専門家の間では、何十年も前から「教育的な支援を受けた人のほうが、社会に出たときの適応がよい」と言われています。子どもたちを見ると、小学校から特別支援学校や特別支援学級に通って支援を受けていた子どもは、身のまわりのことなどを行う生活スキルが高いことが多いです。着替え、片づけ、掃除、家事などを自分なりのやり方で、一人でできたりします。これは、特別な場での教育によって、その子どもに合った方法で身辺自立が身につくように学べているからでしょう。それに対して、小・中学校ともに通常学級だけで過ごしてきた子どもには、生活スキルが十分に身についていない子どもが多い印象があります。勉強はある程度してきているけれど、生活に即した知識やスキルが十分ではないという場合が多いのです。また、メンタルヘルスが損なわれていて、自己肯定感が低いという子どもも見られます。子どものその後をどう考えるかという二択特別支援教育を受けるかどうかという二択は、子どものその後をどう考えるかという二択でもあると、私は思っています。きつい言い方になってしまいますが、それは次のような二択です。1.小学校で特別扱いせず、たくさんの友達の中に入っていい思い出をつくらせたいと親が願い、その代わりに、子どもはその後の人生で生活する力をうまく身につけられず、つらい思いをする可能性がある。2.小学校で特別な教育の場を確保し、将来、社会人として地域でしっかり生活できるようにしていく。子どもの学校生活の「その後」を見越して、社会に出ていくための土台づくりができる環境を選ぶのか。それとも、とにかく学校生活を標準的に送っていけるようにするのか。そのどちらを選ぶのが、子どもの長い人生にとってよい選択になるのかを、考えてほしいと思います。
2022年09月04日心の中に常にある悲しみ40代となった今、数は少ないですが理解者もでき、幸せに暮らしている私。それでも根底には常に、「私は絶対的なマイノリティだ」「自分が自分であるだけで周囲から排除されがちなのは事実だ」という思いがあります。この思いは簡単な言葉で言えば悲しみです。しかし、「マジョリティとしての人生を喪(うしな)いつづける状態」に焦点をあてれば、私は長い人生にわたって喪失体験の中にあり、私はそうした喪失の「悲嘆」を感じているのだ、と言えるのかもしれません。※悲嘆とは、グリーフケアの文脈で使われる、親密な人や慣れ親しんだ環境など、何か非常に大切な対象を喪失したときの感情的な反応のことです。多くは死別による強い悲しみの反応に使われます。私が本当に頻繁に、最低でも週に1回は見る悪夢に、「みんなと同じように振る舞えないことへの恥」が表されていると思われるものがあります。私は中学高校時代の制服を着ていて、複数の友達から囲まれて怒られていたり、電車に乗り遅れて遅刻したり、道に迷ったり、持ち物をなくしてしまったり、自分だけちょっと違った制服を着ていたりするのです。制服は「皆と同じように振る舞うプレッシャー」の象徴なのでしょう。上記のような夢の中で起こることは実際には経験していないことばかりですが、いつもリアルに身に迫ってきます。定型発達の同級生の中で浮いていた学生時代学校の中で、私は常に浮いていました。地元の公立校に通っていた小学校時代は、常にいじめのターゲット。担任教師からも冷遇されていると感じていました。私はクラスで一番ぐらい身体が小さく、動作はスローモーなのに座学の教科は常にトップクラスの成績。児童・教員問わず、相手が間違っていると思ったら徹底的に理屈で追い詰めました。こうした私が、横並びが求められる公立小学校コミュニティでうまくやっていけるはずがありませんでした。あるとき、いじめについて父に相談したところ、「お前をいじめるようなやつらは軽蔑して、お前の知識と論理で論破してやれ。学級会で『憲法違反だ』と演説すればいい」と言います。今思えばこれは不適切なアドバイスですが、幼かったうえになんでも字義どおりに解釈する傾向のある発達障害児だった私は、父のアドバイスを鵜呑みにして実行しました。「憲法違反」とか、「いつか実名で被害を公表してやる」という強い言葉に恐怖した同級生は、表面的にはいじめの手をやや緩めました。しかし私はこの日以来、完全に同級生の「敵」になってしまったのです。当時、父も私も気づいていなかったのは、多くの人は「何を言うか」よりも「(どんな立場の)誰が言うか」に着目しているということです。父は何か理不尽な目に遭ったときには理詰めで反論して成功してきたのでしょうが、それは彼が迫力のある体躯の、運動神経抜群な、クラスのボス的な立ち位置の存在だったからでしょう。私のように、身体がひょろひょろで小さく運動も苦手、普段から浮いた言動ばかりしている、スクールカーストの低い女の子が父と同じ方法で戦おうとしたから、残念ながら「分不相応な振る舞い」とされ、マイナスのジャッジをされたのかもしれません。※周囲の反応が正しいと言う意図はありません。私や父の所属していたコミュニティには残念ながらこういう傾向があったという事実を言っています。小学校時代のいじめは勉強ができることへの嫉妬もあったと思います。いじめから逃れるために中高を私立の女子進学校にしたところ、あからさまないじめはなくなりました。しかし「なぜかなんとなく浮く」傾向はなくならず、グループの中でうっすら除け者にされることはよくありました。おとなしくて控えめな子が大半の女子同属コミュニティの中で、なんでも歯に衣着せずものを言い、教員ともすぐに口喧嘩を始めて激怒させてしまうような私は、なんとなく敬遠されました。お互いに距離を置いてはいましたが、特にグループ内での強い同調圧力の中で絆を確認しあっているタイプとは反りが合いません。自分にはまったく面白さの分からないことでやたらと盛り上がってきゃあきゃあと騒ぎ、笑い転げているので「何が面白いの? うるさいんだけど。少しは静かにしてくれない?」と言い放ったことも何度もありました。私としては、彼女たちの騒ぐ声が聴覚過敏の耳をつんざくように聞こえ、頭痛が起きそうになるほど苦痛だったからもあるのですが、彼女たちにとっては、せっかくの仲間うちの楽しみに絡んできて台無しにしようとする悪意の者に見えたことでしょう。たまたまこの中のボス格の子と同じ大学に進学したのですが、高校のときのことを根に持っていたようで、彼女の周囲の友人を巻き込んで集団で執ように嫌がらせしてきたことがあります。必死に定型発達に擬態しようと失敗を繰り返した20代中高でぼんやりと感じていたコミュニケーション上の不全感は、大学以降どんどん膨らんでいきました。職場でもしょっちゅう先輩や上司と衝突して、反抗的だとか変わってるとか言われるし、同僚の中ではやはり浮いてしまう。当時まだ自分が発達障害だと気づいていなかった私なりに、どうしたら「みんなと同じ」に周囲とつきあえるのか試行錯誤していましたが、どうしてもうまくいきませんでした。20代半ばで関わった職場では、古参の人たちの中に私が新しく入った形のところがありました。古参の人たちの中で、ある「いじられキャラ」の人をからかって皆が楽しそうにしているので、私も同じようにすれば皆と同じようになれると思い、その人を皆と同じようにからかってみたら、その場の全員が明らかに引いた反応をしました。ここでも私は、先にも書いた「何を言うかよりも誰が言うかが重要」ということを分かっていませんでした。当時は「どうして同じことをやっているのに私がやると歓迎されないんだろう」と全く理解できず、ずっとモヤモヤ…。発達障害を自覚、なぜ周囲と違うのかがわかるようになった30代以降ずっとモヤモヤしていた私にも、ついに自分がなぜ「皆と同じにできない」のかを理解できる日がきました。30歳になって発達障害を自覚したときです。自分は発達障害というもので、その特性のひとつのコミュニケーション障害によって、私は周囲とうまくなじめなかったんだ。私のコミュニケーションの仕方は、定型発達といわれる人たちのコミュニケーションの仕方は違うんだ。長いこと暗闇の中を進んできた自分の道が、初めて1本のライトで照らし出されたかのように、「自分は発達障害者だった」という発見は、私に自分の苦しかった人生経験を「コミュニケーション障害」という観点から把握し直す視点を与えてくれました。あれ以来10年間、自分と定型発達の違いについて考え続けています。擬態がうまくなった面もあり、必要なときには最大限擬態しますが、そのぶん非常に強いストレスを感じ、疲労困ぱいしてしまいます。困るのが、ASDによくある、喋り方や表情が平坦になりがちな傾向を私も持っているということです。「あれは言わない、これはこう言う」と特定のやりとりの内容をいくら訓練しても、普段から無意識に出る喋り方や表情まではコントロールできません。私はこれを女性のASDに多い苦労ではないかと考えているのですが、ASDのある人の喋り方の平坦さや無表情は、女性にジェンダー的に求められる理想像と相反するものなので、どうしても「(女のくせに)冷淡で傲慢でけしからん」→「性格が悪い」という印象を与えてしまいがちのようです。一般的には、ある発言について「誰が言ったか」が重要であることが多い、という法則に基づくと、たとえば、私が私である限り、何か褒められた瞬間にいくら「とんでもない!」と精一杯謙遜したとしても、「なんだかすかしていた。感じが悪い」などと受け取られる可能性があるということだと思います。私は年々、定型発達的コミュニティに入るのが怖くなってしまっています。最近は私を理解してくれる友人も増えてきたので少し心強くはありますが、世間に無防備に出ていったときに、まずは排除される可能性のほうが高いというのはとても心細いことです。結果、本当に不可欠な場合以外は不用意に入っていかず、少数の友人・理解者の中だけで暮らすように心がけるようになりました。子どもの頃はなかなか所属するコミュニティを選びづらいですね。しかし、大人になるとかなり自由に選べ、周囲を自分の理解者だけで固めることもできるようになるので、それはひとつの大きな救いかなと思います。文/宇樹義子(監修・鈴木先生より)お父様も、交友関係において宇樹さんと同じような悩みがあったのかもしれません。「憲法違反」という言葉もやや飛躍しており、それを律儀に受け取り学級会で言ってしまった宇樹さんに、結果的に周りが引いてしまったと思われます。IQの高い高機能ASDの人は成績がいいので診断はスルーされるケースが多く、私立中学へ進学する人も多くいらっしゃるようです。似たような人が選抜されて入学してくることもあり、初めはあまり目立たなくなります。音過敏も手伝って言わなくてもいいことをついつい口走ってしまい、周りから敬遠されることもみられます。まだまだ世間ではASDに関して周知されていないことが多いので、自分を理解してくれる友人(または職場)とだけ付き合えばいいのではないでしょうか。いじめのターゲットにするような人たち(または職場)はあなたのことを理解しずらい人たち(または職場)なのですから。
2022年09月03日ある日突然、ASDのある長男・ミミの前髪がなくなって…ASDの特性がある、わが家の長男ミミ。3年生になって、クラスも変わり2か月が経ったころ、担任の先生との初めての面談がありました。時間は15分間と限られていたので、焦らないように聞きたいことをあらかじめ紙に書いておくことに。・普段のクラスでの様子はどうか?・誰と遊んでいることが多いか?・先生から見て心配なことはないか?などを聞いていきます。実際の面談も、途中まではスムーズに進んでいったのですが…。Upload By taeko「ミミのことで、最近何か気になることはありませんか?」その質問をしたときに、先生がふと思い出したように言いました。「気になること…そうだミミくんの前髪、なくなりましたよね?」前髪といえば、それは昨日の朝の出来事でした。Upload By taeko自宅の庭から部屋に戻ってきたミミが、ニコニコしながら「見て!」と前髪をアピールしてきたんです。よく見てみると、前髪がざっくりと不自然になくなっていてびっくり!「ミミ、その前髪どうしたの?」「ハサミで切った!女の子がやってるでしょ?」と、笑いながら教えてくれるミミ。女の子が前髪を結んでおでこが出ている感じにしたかったみたいなのは分かったけど…。もしかしたら、学校で笑いを取ろうとしたのかな?私が「学校で笑われるかもしれないよ?」と言っても、ニコニコ・ヘラヘラしていてうれしそうなミミ。それでも、親バカな私は「ちょっと不自然な前髪だけど、ミミはかわいいから変に見えないよ」と伝えました。これって抜毛症?虐待!?と思われてしまう?そんな風に、あまり心に留めることもなかったのですが、ただ見方を変えると話は変わってくるようで。先生と、そしてパパの視点から見ると、同じ出来事でもちょっと心配になってしまったそうなんです。Upload By taekoまず先生は、「自分で髪を抜いたのかな?」と気にかけてくれていた様子でした。それを聞いて私はハッとしたんです。ASDのあるミミは周りから理解されず、ストレスで自分の毛を抜いたり、自傷行為が出始める年ごろなのかもしれない…と少し不安な気持ちになりました。「抜毛症」についてネットで見たことがあったからです。そしてパパ。帰宅後に面談での話を共有すると、「虐待と思われてしまわないかな」と思ったそう。「虐待!?」そのことについてまったく思い浮かばなかった私は驚きました。「発達障害の特性で周りに理解されず、怒られることが多くて二次障害として抜毛症が出る場合」を考えた私。「親などからの虐待によるストレスで抜毛症になる場合」を考えたパパ。なるほど、想像していませんでしたが、確かに人によって見え方が異なるようです。Upload By taekoもちろん私は虐待をしていないけど、子どもの変化に対する周りの受け取り方一つで、心配させてしまうことがあると気付きました。自分が見えている子どもの姿だけが全てだとは限らない、だからこそ先生やパパとの会話を通して、複数の視点を持って成長に寄り添っていきたいなと感じたんです。そんなことを考えていた、面談のあった日の夜。お風呂場でミミと2人になった私は、その不自然に切られた短い前髪に似合うように、ちょっとだけ髪の毛を整えました。髪が短くなったミミもやっぱり、かわいかったです。Upload By taeko執筆/taeko(監修:初川先生より)「自ら髪を切る」を一種の自傷行為としてするお子さんもいます。抜毛であれ、自分で髪を切ることであれ、お子さんが何らかのSOSサインとして出していることがあり、気に掛けるべきポイント(それをきっかけに子どもとそうしたことを話題にして話をすべき機会)なので、それにご両親や先生がすぐ気づいていたのはよかったと思います。ただ、今回のミミくんはどうやらそういう文脈で切ったのではなく、女の子の前髪(ポンパドール)をまねたようですね。こうした機会に、いろいろなことを教えてあげるのもいいかなと思いました。女の子の前髪は短く切っているのではなくて、折りたたんでいること(結ぶ、ピンで留めるならすぐに元に戻るけれど、切ってしまうとしばらく元には戻らないこと)。自分で髪を切るのは危ないから、お母さんやお父さんにまずは相談すること。自分で(自発的に)髪を切ると、「何か嫌なことがあったのかな?」など心配するということ。かわいいと思ったからやった、注目を集めたかったなど、ミミくんなりの思いはあると思いますが、周りがそうではない受け取り方をするということもあると伝えておくと良いと思います。taekoさんが今回前髪の件でパパ、先生の意見を聞いて視野が広がったように、対話によって視野が広がるということを、ぜひミミくんにも折々に感じてもらえたらと思います。
2022年09月02日「自己肯定感が大事」とはよく聞くけれど…?Upload By 丸山さとこ神経発達症(発達障害)の有無にかかわらず、子どもを育てる上で「自己肯定感を持たせ損なわないようにすることが大事」という話はよく聞きます。それらの重要さには同意するものの、日々息子と暮らしていると、どこか『わが子の自己肯定感』を人質に取られているような気持ちになることもあります。そんな息子の自己肯定感は親の手の届かないところで傷ついていくこともあるようで、何とも難しいものだなと感じます。保育園年少から小学校1年生まではマイペースに集団生活を送っていたコウでしたが、そこから小学校中学年までの間に彼の自己肯定感はどんどん低下していきました。Upload By 丸山さとこ学年が進むごとに、学校や趣味の場など「家庭の外」での活動時間は増えていきます。それに伴い心の中にも「親の手の届かないところ」が増えていくのは健全な成長の現れだと考えられ、それ自体は喜ばしいことだと感じます。一方、家庭の外で傷つくことが多くなったころには、家で休むだけでは回復が追いつかなくなってゆくのも感じていました。神経発達症(発達障害)があるコウは、意図や空気が読めなかったり、周りが見えずに自分の感情や都合のみを優先して動いてしまったりすることがしばしばあります。特に小学校の1年から3年にかけては周囲の児童とのトラブルが多発していました。トラブルの度にクラスメイトからできないことや身勝手さを責められていたそのころのコウは、自己評価も自己肯定感もひどく落ち込んでいました。自分に対してのネガティブな言動が目立ち、作文やプリントなどで自分のことを表現するときは、いつも「ダメな自分」に焦点が合っている状態でした。Upload By 丸山さとこコウ本人や先生の話を総合して聞くと、「周囲の児童が責めたくなるのは分かるな」と思うことは多くありました。コウの事情はよく分かるけれど、それは周囲の児童には関係ないのだということもよく分かります。余計な一言を口にするなど「やってしまうこと」が問題になるときもあれば、係や役割分担を忘れるなど「やらないこと」が問題になるときもありました。自己肯定感はどうして上がってきたのか?そんな風に「自分は嫌われてる」「ダメなやつだ」「僕なんてどうせ…」と沈んだ表情になることの多かったコウでしたが、現在では「毎日なんだかんだ楽しいよ!」とニコニコ過ごしています。Upload By 丸山さとこ以前は「凄いな・いいな」と思う他人を見るたびに凹んだりやる気をなくしていたコウですが、今では以前のように落ち込むことがなくなり「刺激を受けた!」「あこがれるな~」「自分もそうなりたいよ」と言うようになってきました。「部活の他校との合同練習で凄いプレーを見た。あこがれるよ!たくさん練習したら、僕も少し近づけるかな?」と、前向きに語り練習に打ち込む彼を見ると、その変化の大きさに驚かされます。どうして自己肯定感が上がってきたんだと思う?と聞くと、「うーん。なんでだろう…?」とコウは首をかしげました。特別に大きな転機があったわけではないようです。傍から見ていると小学4年生辺りから少しずつ自己肯定感が上がってきたような気がします。そのことをコウに伝えると、「うーん。担任のK先生かなぁ」とコウ。小学4年生は、K先生のサポートのお陰で忘れ物が減り、職員室内でも「丸山(コウ)君しっかりしてきたね」と話題になった年でした。Upload By 丸山さとこまた、K先生はコウの話をよく聞いてくれる先生でもありました。それまではクラスメイトとトラブルが起きたときには「コウ君もはっきり嫌だと伝えないと」と注意を促されることも多く、コウは「結局自分が悪いってことになる」と思うこともあったようです。K先生は「こんなことされたら嫌だよな、悲しいよな」と、まずコウの気持ちを受け止めた上で解決策を考えてくれることが多く、学校から帰ってきたコウが「先生は僕の気持ちを分かってくれる」とホッとした表情で話してくれたこともありました。Upload By 丸山さとこ当時のコウは、自分なりの事情や動機を伝えようとしては「言い訳するな!」とさらに責められることも多かったため、自分の言動をたしなめる前にまず一旦耳を傾けてもらえることは、かなりうれしいことだったようです。それらのことを振り返ったコウは「人から肯定されるのが大きいんじゃない?」と言いました。私はそれを聞いて「なるほど、確かにそうかも」と納得しました。Upload By 丸山さとこ人から否定され続けたことで下がったらしいコウの自己肯定感。それが人から肯定されたことで再び上がってきたのだろうと考えると、シンプルで理にかなった流れだなと感じました。「自己評価」は低いままでも「自己肯定感」は高くなる(コウ談)コウが言うには、現在でも『自己評価』は以前とそう大きく変わらないのだそうです。「ダメなところもあるけど、それはそれとして前みたいに自分のことを嫌だなって思うことはない」とサッパリした調子で言うコウは、一時期に比べてずいぶん落ち着いたように見えます。周囲の人に受け入れられた経験がコウの自己肯定感を高め、自己肯定感が高まったことが周囲の人との関係を和らげるという、よいサイクルに入ったのかもしれません。Upload By 丸山さとこ今はたまたま周囲に恵まれよいサイクルに入っているコウですが、今後はどうなるか分かりません。例年のパターンとして、コウは2学期から崩れやすい傾向があります。もしそうなれば、また周囲から非難を浴びることもあるかもしれません。それでも、こうして繰り返し「周囲の人から受け入れられた」と感じる経験をしていくことで、少しずつ他者への信頼や自己肯定感の土台ができていくといいなと思います。執筆/丸山さとこ(監修:初川先生より)「人から肯定されたから」自己肯定感が上がったかも、と考察するコウくん。素晴らしいですね!私もそう考えています。自分と近しい人に認めてもらえる、自分の気持ちを理解してもらえるなどの経験によって、自己肯定感は高まる面があります。ただ、それは単に褒められればいいというものでもないのだろうなと私は感じています。おそらく、小学校での苦戦が続いていた時期も、さとこさんやご家族からは褒められていることもあったのではないでしょうか。それが自己肯定感(というか、良い自己認識)に直結しなかったかもしれないのは、トラブルが多くてそちらにコウくん自身、目が向きがちだったことが大きいと思います。ですが、その間も褒められたり認められたりしながら、うまくいかない、心の黒いシミのようなもの自体は消えたり小さくなったりしなくても、それ以外の白い、シミのない部分が広がっていったのでしょう。相対的に心にゆとりを地道に作っていたともいえます。そうして、K先生との出会いで、苦戦している際のそのつらい気持ちをわかってもらえた、苦戦そのものはすぐにはなくならずとも気持ちをわかってもらうとこんなに心強いことなのかと知った、そういう経験。そして、その経験が何であるかを知る知的な発達もあったのだと思います。そういうことから、自分へのまなざしが柔らかくなり、ダメなところだけでなく、いいところなど多角的に見ることができたように感じました。
2022年09月02日母にほめてもらえなかった子ども時代の私私が子どものころの経験をお話しします。小学校3年生の図画工作の時間の出来事です。黄色い画用紙に赤い着物を着たお雛様を描きました。めったにほめてはくれない厳しい担任の先生でしたが、私の絵をみんなに見せて「背景が黄色で、着物が赤、お雛様が映えますね。上手にできています」と言ってくれました。私は有頂天になり、小走りで家に帰り、「お母さん、見て見て、先生にほめられたんだよ」と伝えました。ところが、母から出た一言は「これは絵だから目立つからいいかもしれないけれど、実際に赤いブラウスを着て、黄色いスカートを履いたら、色がちぐはぐになってしまい似合わないから気をつけなさいよ」でした。何気なく出た一言だとは思いますが、「もう、二度と母には報告するのは止めよう、きっとダメ出しされるから」と思いました。きっと母は「良かれと思って」言ったのだと思いますが、ほめてもらえずダメだしだけされて傷ついたのでした。現在、母は80歳をこえています。娘である私も還暦をこえました。しかし娘のことが未だに心配なのか、実家に行く予定があったとき、風邪を引いてしまい行けないことを伝えると、「普段の衣服の調節、自己管理ができていないからだ」と言われました。体調のことを心配してくれていたのかもしれませんが、いまだに過干渉、そしてダメ出し母さんです。夏休みの自由研究私は小学校5年生のときの夏休みの自由研究として、「お母さんの怒り方折れ線グラフ」をつくりました。しかし、母に見つかりこっぴどく叱られました。そして、学校には提出できませんでした。しかし、もしかしたら「ちゃんとしなさい」は何回、午前午後など分析するなどして、データにして見せたら気づいてくれたかもしれません。気づいてくれなくても、叱られている自分が「親は夕方叱る回数が多くなる。気をつけよう」と叱られないコツが分かったかもしれないなと、今振り返って感じます。できていないことに着目する子どもがおもちゃを散らかしているときだけ「なんで片付けないの!」と叱り、片付けているときは何も言わない。子どもがグズグズしているときだけ「早くしなさい!」と叱り、時間通り動いたときは無言。子どもがおもちゃを散らかしているときだけ「なんで片付けないの!」と叱り、片付けているときは何も言わない。これって、赤ペンでテストのできていないところだけチェックする添削先生によく似ています。Upload By 立石美津子Upload By 立石美津子食事中に「手づかみしないで」「こぼさないで」「正しく箸を持って」「よくかんで食べなさい」「よそ見しないで」「好き嫌いしないで」とダメ出しされたら、食欲が減退し、食べる楽しみがなくなってしまいそうです。Upload By 立石美津子そんなときは「嫌いなブロッコリーを一口食べたね」「お箸、昨日よりも上手に持てるようになったね」と、まず成長した点をほめてから課題を出すようにした方がよいと思います。できていることに着目しよう片付けない場合NG例「なんで散らかすの!」「どうして片付けないの!」と、おもちゃを片付けないことばかりにスポットを当てて叱る。OK例たまたま片付いている状態をすかさず見つけて「わあ、片付いている、頑張って片付けたね」と声をかける。おもちゃの奪い合いで兄弟や友達と喧嘩ばかりしている場合NG例「どうしてお友達と仲良くできないの!」「貸してあげなさい!お兄ちゃんでしょ!」OK例一緒に静かに遊んでいる瞬間を捉えて、「お友達と譲り合って仲良く遊べているね」とほめる。最初から最後までずっと喧嘩しているわけではありません。できている瞬間を見逃さないことがポイントだと思います。グズグスしている場合NG例「グズグズしていたら幼稚園に遅刻しちゃうでしょ!」OK例さっと靴下を履いた瞬間を捉えて「わあ、あっという間に履けたね」と声をかける。行動でも、文字の書き取りでも、必要以上に細かく添削をされることは子どもにとっては嫌なことです。それに、親も先生も大変です。良い行動にスポットを当てて強化する方法の方が楽だと思います。親としてはなかなか難しいかもしれませんが、その方がきっと上手く行くような気がします。(監修・鈴木先生より)相手の立場に立って考えることが苦手で空気を読まずに思ったことをストレートに言うのは自閉スペクトラム症の特性の一つです。「Not unable, but able」の考えが重要です。子どもに何ができないかではなく、何ができたかを見ることが大切です。できたところをほめてあげればいいのです。多動だった子どもが椅子に座っているだけでも「よく座っていられたね」と言ってあげれば自信がつきます。ほかの子どもには当たり前のことでもその子は努力をして座っているからです。自閉スペクトラム症のある方には優しく・丁寧に・具体的に・肯定文で接してあげてください。トークン法の一つとして「できたよカード(がんばりカード)」の使用が効果的です。
2022年09月01日シャフリングベビーとは?Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンシャフリングベビーとは、四つ這いのハイハイの代わりにお座りの姿勢で移動をする赤ちゃんのことです。シャフリングベビーの語源は「足を引きずって歩く」という意味の英語“shuffle”に由来しています。座ったままの姿勢で移動するというこのユニークな動きは、「いざりばい*注」「尻ばい」と呼ばれることもあります。シャフリングをする赤ちゃんを「シャッフラー」と呼ぶこともあります。赤ちゃんは生後半年~10ヶ月ごろまでにずりばい、腰すわり、四つ這い、高這いの順で移動手段を獲得するのが一般的ですが、シャフリングベビーはオーソドックスなハイハイをせず、お座り姿勢での移動を経てつかまり立ち、一人歩きへと進むことが多いです。シャフリングベビーは医学的には一般的ではないが珍しくはなく、個性的ではあるが異常ではない、と考えられています。*「いざる」は現在では差別用語とされていますが、乳幼児の動作を表す言葉として慣習的に使われてきた背景を説明するため、本記事内では部分的に使用しました。シャフリングベビーの特徴は?シャフリングベビーには座った姿勢で移動をしたがる以外にも、以下のような特徴があるそうです。1. 首すわりから腰すわりまでの神経発達は定型的2. 寝返りを始める時期が遅い、もしくは寝返りをしない3. うつぶせの姿勢を嫌う4. 足を床につけるのを嫌がる(足の裏を触られるのを嫌がる)5. 脇を支えて持ちあげても脚は伸ばさず、お座り姿勢のまま6. 一般的なハイハイはしないシャフリングは腰がすわってからつたい歩きを習得するまでの期間に発生します。シャフリングをしている期間は1~5ヶ月強と赤ちゃんごとに幅があり、短期間のシャフリングのあとハイハイに移行する赤ちゃんと、数ヶ月間のシャフリング後につかまり立ち、つたい歩きに移行する赤ちゃんがいるそうです。参考:1歳6カ月児健診におけるshuffling babyの疫学的調査(P41より)シャフリングベビーになる原因、発達障害などとの関係は?シャフリングベビーになる原因は現在の医学では解明されていません。ほとんどのシャフリングベビーは、遅くとも2歳までに歩き始め、その後の発達は定型発達児と変わりなく成長していくのは前述の通りです。シャフリングベビーの中には、ごくまれに発達障害や神経系の疾患がシャフリングの原因となっているケースがあります。定型発達のバリエーションとしてシャフリングする赤ちゃんと、障害や疾患を由来としてシャフリングをしている赤ちゃんを見分けるには、まず以下の4点にあてはまるかを観察する必要があります。(1)ミルクの飲みが悪い(2)泣き方が弱い(3)首のすわりが悪く抱っこするとぐらぐらする(4)手指の発達が遅いこれら4つの特徴は「低緊張」と呼ばれる状態の赤ちゃんに見られるものですが、低緊張のためシャフリングをしていると推測される赤ちゃんでも、ただちに疾患や障害があるという診断はできません。なぜなら低緊張の状態は、時間の経過や日々の運動遊びでも改善できることがあり、一過性の場合もあるからです。■日々の運動遊びなどでできる対策・うつ伏せ抱っこ(仰向けになった親御さんのお腹の上に、赤ちゃんをうつ伏せに寝かせて抱っこします。顔をあわせて、うつぶせの状態にならしていきます)・うつ伏せ遊び(赤ちゃんをうつ伏せにして、目の前にお気に入りのおもちゃをみせたり、顔を見合わせてはなしかけます)・足の裏をタッチング(足の裏の過敏さを和らげる効果があります)・手押し車(赤ちゃんの腰や両足をさあさえて、赤ちゃんが腕を伸ばして、上半身を支えるようにうながします)低緊張と見られる状態でシャフリングをする赤ちゃんは、さらに以下の3点についても注意しながら見ていきます。・言葉の理解が遅い・手指の発達が遅い・表情の発達が乏しいこの中の1つ以上思い当たることがあれば、脳性麻痺(まひ)、自閉スペクトラム症などの発達障害や疾患に由来するシャフリングである可能性があります。この場合はまず冷静に専門家に相談し、診断や支援を求めることをおすすめします。受診のきっかけがつかめない場合は、予防接種や乳幼児健診の機会を利用して、まずは小児科医に相談してみてはいかがでしょうか?シャフリングベビーの不安を相談するには?乳幼児の発達は特に個人差が大きく、スピードも経過も十人十色とはいうものの、ユニークな赤ちゃんの育児に不安を感じるのは親心としては自然なことかもしれません。育児書の目安とは異なるシャフリングベビーとの暮らしに疑問や迷いが生じたときは、以下に紹介する相談窓口を利用してみてはいかがでしょうか?小児科地域子育て支援センター児童相談所(こども相談所)保健福祉センターもし住居の近くに上記のような機関があるか分からない、相談するタイミングがつかめないというときは、自治体主催の乳幼児健康診査(乳幼児健診)を利用しても、同様の相談ができます。まとめシャフリングベビーとは、お座り姿勢のまま移動する個性的な赤ちゃんの呼び方です。シャフリングベビーは歩き始めるのは遅めでも、その後の発達に問題はないという統計データがあるので、その赤ちゃんなりの運動発達の道筋として温かく見守ってあげてください。もしユニークな移動方法に不安を覚えた場合でも、シャフリングを卒業するためにできる工夫はいろいろあります。赤ちゃんの体の状態や生活環境を理解し、遊びの中でハイハイやつかまり立ちを促すことも工夫の一つですし、小児科医や地域子育てセンターに相談し、支援してもらうのも、保護者だからこそできることではないでしょうか?赤ちゃんはその子らしいペース、方法で必ず成長していくものです。保護者の前向きな言葉かけや笑顔も赤ちゃんのハイハイやつかまり立ちの意欲をひき出します。動作のバリエーションを数多く体験をさせてあげることがシャフリングの卒業につながります。
2022年08月31日愛知県児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報てらぴぁぽけっと名古屋名城公園教室は「お子さん一人ひとりの発達段階を把握し、本当に必要なサポートを見極め、その子がその子らしく成長していけるよう支援していく」という思いを持ったさまざまな資格を持ったスタッフがチームで療育を提供している施設です。個別療育ではマンツーマンで療育支援セラピー、小集団療育では就学に向けてお子さん同士で「楽しく遊べた!」といった経験を積み上げていく機会を提供し、希望される方にはホームセラピーや保育所などでお子さんの訪問支援を行います。愛知県の児童発達支援事業所をもっとみる大阪府放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報2022年9月に開所予定の児童発達支援と放課後等デイサービスを提供する多機能型事業所COLLE COLOR(コレカラ)は、あたま(考えること)、こころ(チャレンジする心)、からだ(基礎体力を養う)を中心に、一人ひとりの「できた」という思い出を色(color)に例え、たくさんの色を集められるように(collect)という想いを持つ施設です。経験豊富で専門知識を備えた職員が在籍しており、発達検査などからABAやPECSを参考に、一人ひとりに合わせた支援・療育を提供できる体制を整えています。大阪府の放課後等デイサービスをもっとみる大阪府児童発達支援事業所Upload By 発達ナビ施設情報COLLE COLOR(コレカラ)は2022年9月に開所予定の児童発達支援と放課後等デイサービスを提供する多機能型事業所です。読む・話す・聞く力を養う言語療育や、粗大運動から微細運動まで必要な体力を養う運動療育、就学へ向けた読み書きの学習支援やコミュニケーション支援、生活動作などを学ぶSST・LST(ソーシャルスキル・トレーニング、ライフスキル・トレーニング)を提供する予定です。食育やクッキング・外出支援など、五感で楽しめるイベントなども準備を進めています。準備の様子がブログで公開されています。Upload By 発達ナビ施設情報poppy fam(ポピーファム)は2022年10月にオープン予定の児童発達支援と放課後等デイサービスの多機能型事業所です。理学療法士、作業療法士、言語聴覚士による専門的な療育を行い、言葉の発達や語彙、体の動かし方や体幹、手先の動かし方や衣服の着脱など、お子さんの日常生活における「苦手」を「できた!」に変えるサポートを行う予定です。専門療育だけではなく、職員、お友達との集団での関わりを通し、お片づけ、整理整頓といった「身辺自立」、おもちゃの貸し借りや、気持ちを言葉で伝えるなど「社会性」を育むサポートを行います。大阪府の児童発達支援事業所をもっとみる鹿児島県放課後等デイサービスUpload By 発達ナビ施設情報ブロッサムジュニア玉里教室は2022年4月に開所した、児童発達支援と放課後等デイサービスを提供する多機能型事業所です。ソーシャルスキル、知育、感覚統合など、お子さんに合った多様な療育プログラムを提供しています。集団療育では「遊び心満載」のプログラムを通して、不得意に取り組み得意を伸ばせるような支援を、個別療育ではお子さんの特性に応じて、オーダーメイドのプログラムをマンツーマンで行い、「心身機能面・行動面・生活面」のサポートをしながら、小さな自信の積み重ねにつながるようなきめ細やかな支援を行っています。鹿児島県の放課後等デイサービスをもっとみる「もっと施設の情報を詳しく知りたい!」「見学をしてみたい!」と思ったら、WEBからもお問い合わせが可能です。施設情報ページでは、掲載されている施設の情報を地域ごとに検索して見ることができますよ。
2022年08月31日クリニックを受診するまでUpload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。ADHDとASDがある息子リュウ太は、小学校4年生のときに発達障害の診断を受けました。きっかけは、担任の先生の勧めで教育相談所に行ったことでした。教育相談所の相談員さんから「心配でしたら、一度発達障害の検査を受けてみてはどうですか?」と促されて、地域のクリニックを受診することになったのです。小さいときから息子の子育てに手を焼いていたものの、私には育てにくいことが当たり前になっていたので、何に悩んでいてどう困っているのか、自分でもよく分からなくなっていました。そのため、「発達障害の検査を受けて何が変わるのだろう?」と少し疑問でした。診断を受けても病気ではないのだから治らないだろうし、この先も何も変わらないんじゃないか、と思っていたのです。Upload By かなしろにゃんこ。でも、クリニックで医師と一緒に検査を担当してくれた心理士さんが「育て方次第で大きく変わりますから、あきらめないでくださいね」と声をかけてくれたことで、「え?変わるの?」と、息子の子育てに希望を持つことができました。また、検査のためにクリニックへ通ううちに、診断はあくまでもスタートであって、発達障害がある子が育てやすくなるペアレント・トレーニングや、療育が必要なのだということも分かりました。子育てに対する私の意識が変わるようになるきっかけが、クリニックの受診だったのです。「検査は無駄じゃなかった!前に進むために重要なイベントだったんだ」と気がつきました。診断結果を受けて…Upload By かなしろにゃんこ。Upload By かなしろにゃんこ。※以前は「注意欠陥」という診断名でしたが、2013年に刊行された「DSM-5」で「注意欠如」に変更されましたクリニックでの5回の検査を経て、息子は重度のADHDがあると診断されました。しかし、私はさほど驚きませんでした。「あぁやっぱりそうだったんだな。思っていた通りだったな~、ハッキリ分かってよかった」なんて思いました。だって、検査のたびにクリニックにずらりと置いてある発達障害の専門書を読んでいたら、息子と同じ特性がいっぱい書いてあるのですから…。この診断に間違いはないと感じました。そして、私自身にも幼かったときに同じような特性が少なからずあったことも分かりました。夫も同じように思っていたようで「俺にはアスペルガー症候群(ASD)の特性があるな~」「私は衝動性があるからADHDの傾向があるのかな?」などと話し合っていました(私たちに関しては自己診断でしかありませんが…)。息子が診断を受けたことで、発達障害がなんなのか、未知の扉を開けて少しだけ理解ができるようになりました。Upload By かなしろにゃんこ。予期せぬ息子の質問に焦った母は…?Upload By かなしろにゃんこ。そして小学校4年生の息子は、クリニックに行くたびに、診察室にあるたくさんのおもちゃで無邪気に遊んでいましたが、彼なりに「ぼくはナゼ毎回ここに来るのだろう?ここは病院なのか?ぼくは病気なのかな?」と不安に思っていたようです。診断が出た日の帰り、コンサータを処方してもらうために薬局へ寄ったとき「ぼくは病気なの?」「あそこは病院なの?」といろいろ質問してきました。私は聞かれる準備を全くしていなかったので「あわわ、どうしよう」と焦ってしまいました。本当のことを言うのはまだ早いし、かといって嘘をつくのもな~…と数秒悩み、出た答えは…Upload By かなしろにゃんこ。「リュウ太、前から学校でお腹痛くなるって言ってたよね。気持ちが落ち込んだりイライラしてもお腹が痛くなったりするよね、だからその検査なんだよ」でした。腹痛があることも検査を受けようと決断した理由の一つでしたから嘘ではありません。でも発達障害と診断されたこと、処方された薬は腹痛に効く薬ではないことは言えませんでした。うまく説明できたかな?親を疑ったりしないかな?と心配だったので、帰りに息子が食べたがったアイスを買ってあげて、そのときは誤魔化してしまいました。でも一年半後には息子に障害告知をして、クリニックで受けたのはその検査だったと伝えたのでした。以前、告知に関するコラムも書いたので、是非読んでいただけるとうれしいです。執筆/かなしろにゃんこ。小5での告知、早すぎた…!?ADHD息子に障害について伝えた日を振り返って(監修:藤井先生より)育てにくいことが当たり前で、何に悩んで、困っていることか分からない状態だったとのこと、かなしろにゃんこ。さんが、試行錯誤しながら、お子さんと向き合って育ててこられたんだなと思いました。疑問を感じながらも、クリニックに受診して、診断を受けられ、お子さん自身の特性の理解につながったのはとてもよかったですね。「病気なの?」という突然の問いに驚いたのかもしれませんが、「一緒に先生に話を聞いてみようか」と、主治医の先生の相談することも一つの方法かもしれません。コンサータなどの薬を使用する前には、診断名までは伝えなくても、どのような症状に対して使っている薬かを、主治医の先生から説明してもらう方法もあります。
2022年08月31日新生児によく見られる「モロー反射」とは?Upload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンUpload By マンガで分かる発達障害のキホンモロー反射とは、新生児に見られる原始反射の一つで、大きな音や明るい光、身体がグラッと傾いたときなど、外から大きな刺激が与えられたときに、手足をビクッとさせ、ゆっくりと万歳をするように腕を広げ、何かにしがみつくような姿勢のように見える様子のことです。子どもの発達が進むスピードは個人差があるので、モロー反射が活発に見られる時期や消失する時期は子どもによって変わってきます。おおよそモロー反射は0~4ヶ月の間に見られる原始反射です。生後4ヶ月を過ぎると大体の子どもはモロー反射が見られなくなります。原始反射とは?モロー反射のように、赤ちゃんが生まれたときから備えている反射的な運動のことを原始反射と言います。原始反射は足や指、口など赤ちゃんの身体のさまざまな部位で見られます。既に挙げたモロー反射のほかにも、以下のような原始反射があります。◇自動歩行赤ちゃんを立たせるように支え、足を床につけてあげると、まるで歩いているかのように足を交互に屈伸させる動き◇把握反射手のひらや足の裏にほかの人の指などが触れたとき、反射的に握りしめる動き◇吸てつ反射赤ちゃんが口に入ったものに反射的に吸いつく動き◇バビンスキー反射足の裏をかかとからつま先に向けてゆっくりこすると、足指が反射的に開く動きなど原始反射は平均的には生後0~3ヶ月の間で活発に表れ、生後4~5ヶ月ころを目安にだんだんと消えていきます。原始反射が消失することで、自分の意志で身体を動かすこと(随意運動)ができるようになります。原始反射は脳幹によってコントロールされている動きです。そのため原始反射の出現と消失を確認することは、脳や脊髄をつかさどる中枢神経の発達が順調であるかどうかの指標となります。モロー反射をはじめとする原始反射は、左右差がないか、長い期間認めていないかなどを、健診で確認します。モロー反射と点頭てんかん(West症候群)の違いとは?一見可愛らしい動きに見えるモロー反射。しかしモロー反射の中でも赤ちゃんの動き方や程度、消失時期によっては何かしらの疾患のサインになることがあります。ここではモロー反射の動きととてもよく似ている点頭てんかん(West症候群)についてご紹介します。モロー反射と一番区別をすることが困難な疾患として、「点頭てんかん」があります。点頭てんかんとは、乳児期に起こる発達に影響を及ぼす可能性のあるてんかん症候群です。生後3~11ヶ月時に発症することが多く、その背景には重篤な脳障害があります。乳児期難治てんかんの中では最も多く発症するてんかんです。点頭てんかんの約80%は、生まれる前あるいは出生直後に起こった脳障害の合併症として起こり、症候性West症候群と呼ばれます。一方残りの約20%は、発症までの発達も正常で、かつさまざまな検査でも異常なしであるため潜因性West症候群と呼ばれます。点頭てんかん自体は遺伝性の疾患ではありません。しかし、遺伝性の脳障害の合併症として点頭てんかんが発症した場合は遺伝する可能性があります。点頭てんかんの具体的な症状として、生後3~11ヶ月時に以下のような発作、様子が表れます。・眠いときや目覚めの前後で、突然頭部が前にガクッと動く・手足を一瞬縮めたり伸ばしたりする・このような動きが5秒~40秒毎に繰り返し続き、またこの一連の発作が一日に何回も見られる・運動や認知の発達が停滞・後退する(発作が出現前後より患児は笑わなくなったり、不機嫌になったりする。また今までできていた首のすわりやお座りができなくなる)診断には、症状の詳細な問診、症状の動画の確認、脳波、血液検査、頭部画像検査などを行います。モロー反射の動きと、点頭てんかんで見られる動き(発作)はよく似ています。それゆえ、保護者にとって子どもの動きがモロー反射なのか、点頭てんかんなのか判断することはとても難しいことが多いです。違いを見分けるには、赤ちゃんがどのようなタイミングやきっかけでその動きをしているのかを見ることがポイントとなります。モロー反射は赤ちゃんに大きな刺激を与えられたときに表れる反射的な運動です。一方で、点頭てんかんの場合は刺激の有無にかかわらずそういった動きが見られることがあります。また、点頭てんかんでは、一定時間ごとに発作的な動きとして表れるほか、一日に何回も見られることもあります。赤ちゃんの様子を見て、もし何か気がかりなことがあったら、気になる症状の様子を動画にとった上で、かかりつけの小児科に一度相談してみるとよいでしょう。モロー反射の動きと点頭てんかんの動きは一般の人にはなかなか判断が難しいものです。「こんなことで相談するのは気が引ける...」などと遠慮せずに、少しでも気になったことはお医者さんに聞いて、子育ての不安を減らしていきましょう。モロー反射が疾患に気づくきっかけになることもモロー反射がきっかけで、子どもが発症している疾患に気づくきっかけになることもあります。その疾患の代表例が、脳性麻痺(まひ)です。脳性麻痺とモロー反射は、モロー反射の続く期間と密接な関係があります。脳性麻痺は、妊娠中や出産前後、生後4週間以内で起きた、赤ちゃんの脳の損傷が原因となって発症します。目に見える症状としては、身体が反り返る、手足がこわばって硬くなるといった症状があります。また、このような症状がなくても、首のすわりや寝返り、はいはいなどの運動機能の発達が著しく遅いことから脳性麻痺が発覚することもあります。モロー反射をはじめとする原始反射が本来消えている月齢を過ぎ、1歳近くになっても表れている場合、脳性麻痺の可能性があります。ただ、子どもの発達は子どもそれぞれによってかなり差があるので、神経質になりすぎる必要はありません。ですが、モロー反射が消えていくおおよその期間を知っているだけで、子どもの抱えている疾患に早く気づくことができる可能性もあります。また、モロー反射があまりに弱い、全く見られないという場合も脳性麻痺につながる「核黄疸」であるケースも考えられます。黄疸とは、新生児期に起こる、皮膚や眼球が黄色を帯びる現象のことです。通常生後数日で赤ちゃんには黄疸が表れますが、ほとんどの場合これは生理的なものであるため遅くとも生後3週間以内に消えていきます。しかし、中には生理的なものではなく、「病的黄疸」と呼ばれる黄疸もあります。この病的黄疸の一種である核黄疸は、治療が遅くなると脳性麻痺につながることがあります。核黄疸は生理的黄疸よりも強力で、ただ皮膚が黄色を帯びるだけにとどまらず、脳機能や運動機能・筋力に大きな影響を及ぼすことがあります。モロー反射が極めて弱い、全く見られないときは核黄疸の初期症状による、運動機能や筋力の減弱である可能性があります。心配な場合はかかりつけのお医者さんに診てもらいましょう。発達障害とモロー反射の関連は?先ほどもご紹介したように、モロー反射をはじめとする原始反射は発達状態のバロメーターです。この点から、原始反射が強く残存している場合、脳機能への問題が考えられます。そしてそれが発達障害の兆候である可能性もあるのです。モロー反射が長く続くということは、外からの刺激に毎回反応してしまう、つまり刺激に対して敏感な状態が続くと解釈できます。そのため、以下の発達障害のような傾向が見られることがあります。・音や光をはじめとする刺激に対する感覚過敏・社会的未熟さ(新しい状況・環境への参加対応が難しい)必ずしもモロー反射が長く続く=発達障害である、というわけではありません。しかし、モロー反射をはじめとする原始反射が長く続けば続くほど何らかの問題がある可能性が高まります。いざというときのために、日頃から子どもの動作をよく観察したり、場合によっては記録したりすることが大切です。モロー反射が激しいときはどうすればいいの?では、子どものモロー反射で不安を感じる場合、どうすればよいのでしょうか。多くの保護者が子どものモロー反射に不安を感じることとして、モロー反射が激しく、子どもが泣きだすというケースが挙げられます。これは、大きな刺激に対して大きな動きで反応した赤ちゃんが、刺激と自分の動きに対してびっくりしてしまい、その衝撃で泣く、というメカニズムで起こります。モロー反射は刺激に対する無意識の反応のため、保護者にできることとしては赤ちゃんに不要な刺激を与えないように環境を整えてあげることが必要です。・大きな音をなるべく立てない・赤ちゃんが極端な熱さ、冷たさに触れないようにする(冷たい風や指でも赤ちゃんはびっくりしてモロー反射を起こすことがあります)・こまめなスキンシップで赤ちゃんを安心させてあげるまた、寝かしつけの際に赤ちゃんがモロー反射を起こし、なかなか寝てくれなくて悩んでいる…という保護者もいるかもしれません。この場合、寝かしつけるとき、特に赤ちゃんをだっこしている腕の中からベッドへ移すときがポイントです。赤ちゃんにとって刺激となる要因をできるだけ少なくする、以下のような工夫をすることが大切です。・ベビーベッド・赤ちゃんの寝具を、だっこされている腕の中の体温くらいにあたためておく・だっこから腕を抜くときに、赤ちゃんの首の角度や体勢が大きく変わらないようにする・扇風機の風やヒーターの光が赤ちゃんに直接当たらないようにするこのように、モロー反射が激しく、一度起こるとしばらく泣き続けてしまうなどという場合、まずは子どもに余計な刺激を与えないような環境づくりをすることが重要です。また、モロー反射から泣きだす子どもの大半はびっくりして泣いています。保護者がこまめにスキンシップをとることで赤ちゃんを安心させてあげることも一つの方法です。まとめモロー反射とは0~4ヶ月で見られる原始反射の一種です。大きな刺激を受けたときに身体をびくっとさせ、両手を広げてしがみつくようにする動作は赤ちゃんならではのとても可愛らしい動作です。また、ただかわいい動作であるだけでなく、モロー反射をはじめとした原始反射は子どもの発達状態の一つの重要な指標となります。原始反射の始まりと終わりの時期や動作の特徴などで子どもの発達状態に問題がないか気づくきっかけになることがあります。モロー反射とさまざまな疾患・発達障害との関係についてもご紹介しましたが、実際保護者にとって、モロー反射とほかの疾患の症状を区別することは難しいケースが多いです。モロー反射などの原始反射を通して、少しでも不安を感じたときは乳幼児健診の際に保健士や医師に相談したり、行きつけの小児科へ相談したりすることをおすすめします。
2022年08月30日いつも家族の中心にいた母が別人になってしまったときのお話私は15歳のときに、人生の大きな壁に遭遇することになりました。当時45歳だった母が、統合失調症という精神疾患になったのです。優しい笑顔が印象的だった母は、ある日から別人のように変わっていきました。Upload By スガカズ母は、感情鈍麻によってだんだんと喜怒哀楽の表情が乏しくなり、他者に共感することが減っていきました。私が話しかけても反応が遅かったり、内容の理解ができず 、会話のキャッチボールが困難になりました。また、物事を進める意欲がなくなり日常生活を送ることが困難になりました。そのうちに、妄想、幻覚(幻聴、幻視)に怯えたり、思考障害によって会話に一貫性がなくなるようになりました。まるで別人のように変わってしまった母…。そのころ15歳だったまだ人生経験の乏しい私は、どのように母と向き合えばいいのか分からず、ただただ困惑しました。その後、自殺未遂や危険を伴う行動など、いろいろありました。その際に、母自らの強い意思により父と離婚することになりました。そして母は、重度の自閉スペクトラム症と知的障害がある7歳上の兄(当時22歳)だけを連れていくと決めて出ていくことになりました。母が動けないので、母方の親戚が代わりに母と兄が暮らせるための手続きなどほとんどおこなってくれました。残された私たち(父、姉、私)はというと、母が統合失調症の幻覚、妄想によって父と関わることを拒否してしまい、父の落ち込みも相当だったため、黙って見守るしかありませんでした。思春期だった私が感じたこと。「手のかからない“きょうだい児”だったから、私は母に捨てられた」Upload By スガカズ母が重度障害のある兄を連れていったという事実は、当時思春期だった私にとってショックでした。なぜなら、3人きょうだいのうちの、兄だけを連れていくということは、私たち(私、姉)からすると「きょうだい児である私(たち)を選ばない」という意味にもなるからです。姉はもう成人していたので、落ち着いてはいましたが…。私はそれまで、親から「我慢して」などと言われた記憶はありません(全くない訳ではないと思いますが、記憶にないので、私にとって悩むほどの内容ではなかったのだろうと思います)。ですが、自分自身で選んでしていたこととして、「重度障害のある兄への対応が優先されるのは重々承知しているから、自分が我慢すれば良い」「母が助かるだろうから、私は手のかからない子でいよう」と思って自分なりに頑張ってきたつもりでした。それなのに、母は離婚する際に私を連れていかない選択をしました。私にとっては、「手のかからない子になった結果、重要な場面で母に捨てられた」と思えてなりませんでした。それでも、今まで「手のかからない子」になる道を選んでいたので、今さら「親を困らせる子」にはなれませんでした。母のことが大好きだっただけに、裏切られたような気がして、本当にショックでした。「生きているだけで良かった」と割り切ることができれば良かったのですが…。両親が離婚した2週間後に私は、公立高校の受験本番を迎えました。そのときの受験した高校には無事合格したのですが、あまりのショックからか受験当日の記憶が全くありません。表面上は、母と穏やかな関係だけど、私自身の心の中は複雑…母と父が離婚してからも私はときどき母と兄の住む家に遊びにいったり、泊まりにいったりしました。兄の様子を見て、一緒に住んでいたころと変わらない様子に安心したのを覚えています。兄が通う作業所での仕事の様子や、家での様子についても母から聞くことができました。自分の中でわだかまりがありつつも、母と私の関係は穏やかでした。1年ほどすると、母に合った薬が見つかったようで、統合失調症の症状が緩和され、母に少しずつ笑顔が戻りました。ただ、いつどんなきっかけで症状が悪化するか分からないのと、「自分は母に選んでもらえなかった」という感情がどうしても消えず、表面上は穏やかな関係でも、私自身の心の中は複雑で、腫物に触れるかのような関係でした。大人になってからだんだんと理解ができるようになった、母のやさしい選択あれから25年が経ちました。今なら重度障害のある兄だけを連れていった母の気もちが分かる気がします。母はできる限り家族それぞれがその人らしく暮らせる選択をしたのだと思います。もし仮に母が私たち(姉と私)を連れて出ていってしまったのなら、姉は自分のために働くのではなく家族を養うために働かなくてはなりませんし、私は高校生という立場の中、ヤングケアラーとなり、外での生活(学校や交友関係など)を楽しむことも、その先の進路などを見据えることも難しかったのではないかと思います。大人になって、母の感じた重圧や不安に気づき思う「十分頑張ってくれた」母はきっと寂しかったのだろうと思います。障害児育児、他人との関わり、自分の体(足に持病があります)が以前より思うようにいかないもどかしさ、寄り添ってほしい身近なパートナー(父)とのコミュニケーションの難しさ(父は生まれつき片耳が聞こえません)。ライフステージが変化する中で、持病がある中さまざまな重圧や不安を日々感じながら3人の子どもを育てていたという事実を想像しました。それは、現在の私とは比べることもできないくらい大変だったことだろうと、今なら簡単に想像がつきます。母が家を出てからの20年間は、紆余曲折ありました。(兄は今から18年ほど前から障害者支援施設に入居することができたため、兄の生活が安定しました)。その20年の間に、母の統合失調症が悪化し、入院したことは何度もあります。そして、現在は母が脳梗塞でなくなって5年が経ちました。Upload By スガカズ母のことを思い出すと、「幸せな人生を送れていたのだろうか?」といまだに思ってしまいます。私自身答えはきっとこの先も出せないだろうと思います。ただ、きょうだい児だった私の立場として、母から得たものはたくさんあります。自分のことは優先してもらえることはなかった気がしますが、母は私を一方的に叱ったりする人ではなかったし、私の人生を否定することは一度もありませんでした。もし私がきょうだい児として、兄と違った関わり方を母に強要されていたのなら、私は自分の人生の意義を見出せなかったり、兄のことも今のように、大事に思えなかったのかもしれません。結婚もしていなかったのかもしれませんし、そうすると、主人や子どもたちに出会えていなかったことでしょう。今の自分はおそらく、発達障害のある子どもたちとさまざまなことに遭遇しながらも、楽しく暮らせている気がします。それは、幼少期より私の母が暖かく見守ってくれていた賜物ではないかと思うのです。母が十分、頑張って私たちを育ててくれた。そんな母が、もし仮に「自分のキャパを越えて頑張り過ぎた(もしくは、我慢しすぎた)結果、心を病んでしまった」のであれば、私はこの母の経験をもとに、自分の人生では、「自分がもっている能力以上に頑張る必要はない」という答えにたどり着きました。今まさに、障害児育児を頑張っている方に、私と母の経験から、「頑張りすぎないで」「自分を大事にして」と心から伝えたいです。執筆/スガカズ(監修:三木先生より)つらいことがあったとき、子どもは結果から理由を類推するしかありません。スガカズさんのように「いい子だったからいけないんだ」という解釈になってしまうことがよくあります。でも大人になって初めて「自分は悪くない」ということが分かることもあります。それもきっと、お母さまがお母さまなりの見守り方をしてくださったからなのでしょうね。
2022年08月30日Q.言語聴覚士(ST)の方に相談する際、準備しておくと良いものはありますか?A.お子さんのコミュニケーション場面を撮影した動画があると良いです。言語聴覚士に相談したいと思っても、すぐに相談できないことがあると思います。また、日常とは異なる療育の現場では、環境の変化もありお子さんの様子が普段と異なるという場合もあります。一つの方法として、スマートフォンなどでお子さんの普段の生活の様子やコミュニケーション場面、困っている時の様子など動画を撮影しておいていただけると、実際に療育で関わるときに、ご家族と一緒に確認しながらアセスメントしやすくなります。口頭でご説明いただくのでも大丈夫なのですが、イメージにずれが出てしまう可能性がありますので、動画があるとより伝わりやすくて良いです。Upload By 専門家インタビューQ.言語聴覚療法を受けるとき、保護者がどのようなことを意識すれば家庭療育にも活かせるでしょうか?A.「言語聴覚士の行動を予測してみる」ことをおすすめしています。たとえば言語聴覚士が「りんご」の絵カードをお子さんに見せたとき、お子さんが「りんご」と言ったとします。そのとき、言語聴覚士はなんと答えるのか?「りんご」と返すのか、「あかいりんごだね」と返すのか、それとも「真っ赤でおいしそうだね」と返すのか。どういう声かけや反応をするんだろうと予測することで、保護者の方にとっても関わり方のヒントになります。ちなみにこの場合、声かけの工夫として下記のようなものがあります。1.「りんご」の場合、子どものことばを真似することで、子ども自身が「りんご」と言ったことを確認できることと、共感していることを伝えることで相互作用のきっかけとしてコミュニケーションの成立を図ります。2.「あかいりんご(だね)」の場合、子どもの「りんご」のことばに、「あかい」を加えることで、子ども自身の発話内容や意図を大人が理解していることを示しながら、発話意欲を促すことと、子どものことばを意味、文法的に広げていくことでことばには結びつきがあることを学習するきっかけとしています。3.「真っ赤でおいしそうだね」の場合、やり取りを通じての役割交代や、子どものことばを使わずに新しいことばのモデルを提示します。Upload By 専門家インタビューQ.子どもに吃音があるのですが、小学校と同じように中学校の先生にも事前に伝えたほうが良いでしょうか?配慮は受けられますか?A. 学校生活に支障が出る前に、事前に伝えることをおすすめします。小学校と中学校では、先生のお子さんへの関わり方が変わることが多いです。何かあった場合、当人同士で解決することが前提となり介入が難しいこともあるかもしれません。だからこそ、はじめに文書や動画をもとにお子さんの症状や、SOSの出し方について相談しておくことが大切です。吃音であれば、発達支援を受ける場合と同じように、動画などがあると視覚的に理解してもらいやすくなります。伝え方が難しい場合は、吃音に関する啓発資料等もありますので、言語聴覚士に相談していただけたらと思います。Upload By 専門家インタビューQ.子どもに障害告知をしたほうが良いでしょうか?A. 保護者の方がどう思うのか、お子さんがどう受け止めるのかが大切です。一般的に良い・悪いではなく、まず保護者の方は告知したいのかしたくないのか。次に、誰がするのか。いつするのか。お子さんが障害を受け入れる過程をどのようにつくっていくのか。順番に考えることが大切です。例えば構音障害や発達障害がある場合、お子さんが小学校高学年や中学生ぐらいになったときに、本人に対して障害の説明をする保護者の方が多くいらっしゃいます。「私ってこうなんだ」と受け止めるお子さんもいれば、「調べてみよう」と思うお子さん、「先生に詳しく聞いてみたい」と思うお子さん…さまざまです。これまで、お子さんが自分の困り感をどのように受け止めてきたかを振り返ってみましょう。発表会でうまく話せなかったとき、「もっと練習しよう」と前向きに取り組めたのか、「私はダメなんだ」と落ち込んでしまったのか。今までのその子ども自身の受け入れ方が、告知の方法を考える上で重要なヒントになります。お子さんが一人で悩んでしまうこともあるかもしれません。まずは主治医の先生に相談していただき、言語聴覚士も一緒に考えていけたらと思います。Upload By 専門家インタビューQ.言語聴覚士の方と子どもの相性のようなものはあるのでしょうか?A.言語聴覚士も経験や得意領域、コミュニケーションの取り方などさまざまですので、相性の違いはあると思います。お子さんと相性が良く、保護者の方も安心して任せられるのが理想ですね。言語聴覚士はまだまだ少ないので、担当者以外に相談するというのが難しいこともあるかもしれません。各都道府県の言語聴覚士会などに相談していただけたらと思います。子どもの成長を応援している言語聴覚士と出会えることを願っています。そして、私たち言語聴覚士も、子どもと家族のミカタであり続けたいと思います。Upload By 専門家インタビュー
2022年08月29日診断が出るまでの状況わが家の場合は、次女は学校でいくつか困っていることがありましたが、それが表面化することは少なく、担任の先生に理解を得ることが難しかったです。例えば、「じっとしていられない」「勉強に明らかな遅れがある」などであれば、先生からしても分かりやすいと思います。ただ、次女のような場面緘黙のある子の場合は、困っていることがあっても先生などには言えないため、分かりにくいです。(私自身も場面緘黙の本を読んで「こんなことに困っているのか」と学ぶこともありました…)本当は、本人が通常の日常生活を送るのに多大な努力を必要としているものの、なんとか過ごせてしまっているために「特に問題ありません」「見守りましょう」という感じになってしまうのかなと思っていました。Upload By まりまり診断が出て良かったか最初に児童精神科にかかったときに、学校での現状を先生に話しました。そのときに「今の学校って診断が無いと何も支援してくれないんですか?」と言われて、次女がこれまでに通ってきた2つの学校での対応の違いを思い出しました。Upload By まりまり次女は、小学2年生になるときに引っ越しと転校をしています。小学1年生のときの学校では、まだ診断はなかったのですが、「場面緘黙の疑い」ということで、担任の先生やスクールカウンセラーからの対応がありました。ただ、転校してからの学校では、次女自身の緘黙症状は同じ状況でしたが、「特に問題ありません」「見守りましょう」と学校での対応はありませんでした。なので、このとき診断が出たことで、やっと今の学校と、次女のことについて話し合えるスタートラインに立てたように感じました。Upload By まりまりわが家の場合は、今まで学校で次女のことを話した際に、場面緘黙については知らない先生が多かったので、疾患名から、分かりにくい困り感や次女の気持ちを分かってもらいやすくなったという点で、診断があったことが助けになりました。カウンセリングを続けて良かったか?Upload By まりまり診断が出てから、病院の臨床心理士さんによるカウンセリングも続けてきました。最初のころの次女は、カウンセリング室に入る、ということですらハードルが高かったようでした。カウンセリング室に入った瞬間に、サッと表情がなくなって、動きがぎこちなくなり、全く話さなくなってしまう次女を見るのはつらかったです。ただ、回数を重ねていくことで、カウンセリング室でも少しリラックスしていられるようになってきました。ジェスチャーで意思をはっきり伝えられるようになり、筆談もわりとスムーズにできるようになり(最初は字も小さくしか書けなかった)、相変わらず話せなくても、心理士さんとは以前より円滑にコミュニケーションがとれるようになりました。次女に、カウンセリングに行っていることに対してどうだったか聞いてみたところ、Upload By まりまりとのことでした。最初は嫌だったらしいですが、慣れてきてリラックスしていられるようになったという変化の実感はあるようでした!親として近くで見ていて、場面緘黙への配慮って必要なんだなーと思うと同時に、本人の力を伸ばす場や機会が欲しいよなーとも思っています。そういう意味で、次女にとっては、カウンセリングの場が良い挑戦の場になったのかなと思います。執筆/まりまり(監修:井上先生より)まりまりさんの体験にあるように、診断がなくても対応してくれる学校とそうでない学校があります。合理的配慮などの個別的な配慮が必要な場合には、診断とまではいかなくても、医師や専門機関の意見書などが有効な場合もあります。病院の臨床心理士によるカウンセリングは、場面緘黙のある子どもにとって最初はハードルが高かったかもしれません。場合によっては遊びや作業を取り入れたり、親御さんを同席したりすることが必要な場合もありますが、よく頑張られたと思います。学校の中で少しずつコミュニケーションできる大人や場面を増やしていくファーストステップになるのではないでしょうか。
2022年08月29日通常学級入学後、勉強につまずくことが多くなった娘わが家の小2娘。普段は明るくてお友達も多いのですが、小学校の通常学級に入学し、ほどなくして勉強でつまずくようになってきました。その内容はと言うと…まずは書きとり。書きとりの内容が間違っている、丁寧に書けていない…など最高で5回程学校で訂正をさせられたそうです。次に算数。ケアレスミスでなどでひっ算を10の位から先に引いてしまったりして間違えることが多かったようでした。娘は自分が思い描いている字がかけなかったり、回答が間違っていて指摘されたりなどが重なりいつもイライラしているようでした。担任の先生に相談をしたところ、丁寧に指導はしてくれてましたが少し内容を簡単にしてほしいとお願いしても、特別扱いはできませんの一点張りでした。なので、宿題などは家で回答を確認し、間違えを修正していたのですがそれもまた娘の癇癪の引き金となり…。Upload By ユーザー体験談宿題の間違い訂正が娘の癇癪の引き金となり…宿題は私の母(娘にとっての祖母)が見てくれていたのですがここ間違ってるよと言うと、鉛筆を折り、泣いて寝転がり、母を蹴飛ばすようになってしまいました。3歳の妹に他害も見られるようになり…。基本は力加減を見て落ち着くのを待っているようにしていたのですが、あまりにに酷いときは仲裁に入り、少し別の部屋でクールダウンさせたり、頓服を飲ませたりしました。親としてもそんな娘を見るのはとてもつらく、癇癪を起こして暴れる娘を見るたびに穏やかだったころの娘はもう戻ってこないのかなと思い悲しい気もちになりました。Upload By ユーザー体験談癇癪は酷くなる一方…児童精神科受診を決意して娘の癇癪は酷くなる一方…とうとう毎日祖母を叩くようになったのを見て、私は娘を児童精神科へ受診させることを決めました。幼稚園や学校では指摘されることはなかったのですが、元々落ち着きがなく娘が小さなころからADHDがあるのではないかと思っていたこと、あとは診断が出ないと、担任も変わってくれないだろうという思いがありました。診断の結果、娘にはASDとADHD、反抗挑発性症、統合失調症(疑い)の診断がおりました。ASDは想定外だったので正直驚きました。ただIQが高いので10歳代で落ち着いてくるだろうと言われました。その後私は教育委員会が行っている相談機関に相談し、学校との間に入っていただき、先生に宿題の緩和や、過度の書き直しや間違い訂正などはなるべく控えてもらうようになどの対応ををお願いしました。相談したのは市が運営している子ども支援室。担当の方が学校まで出向き、担任と校長とにお話をしてくださり、難航はしましたが学校も診断がおりたことも加味して対応をしてくれました。Upload By ユーザー体験談ASD、ADHDなどの診断がおりた娘。宿題問題はどうなった?娘も小2になり、担任も変わったということもあり、書き取りは漢字だけを書くプリントと送り仮名だけを書くプリントのどちらかを選べるようにしてくれました。算数は、計算カードなどの場合はカードだけでなくプリントに計算を印刷してくれたものも渡してくれて、どちらかを選べるようになり、どうしても気分が乗らず、宿題が途中になってるときは免除してもらえるようになりました。家での宿題は相変わらず癇癪が起きますが、同時期に通いだした放課後等デイサービスでは、量を少なくしたりなどの配慮をしてもらいながらですが、少しずつ宿題ができるようになりました。放課後等デイサービスは娘に合っているらしく、今は週に4回楽しく通っており、娘の心の安定にも繋がっているのか親としてもとても安心しています。また、学習障害の疑いもあるとのことで、近々詳しく診断をしてくれる病院を受診する予定です。娘の件で担任とも何度も面談を行い、たくさん話をし、とにかく娘にいい方法を一緒に考えていきましょうという話になりました。学校、放課後等デイサービス、家庭と連携をして娘の特性に寄り添っていけるような環境をつくっていければと思っています。Upload By ユーザー体験談イラスト/taekoエピソード参考/みんみ(監修:三木先生より)お子さんに合った対応をしてもらえるようになるまで、いろんなご苦労をされたのですね。学校とも緻密なコミュニケーションが取れるようになって、過ごしやすくなったのではないでしょうか。環境調整をするためにしないといけないことが多くて大変かもしれませんが、その努力が実を結んで良かったです。あなたのエピソードもコラムになるかも?体験談募集中!保護者の方が日々子育てをする中で「こんなトラブルがあった」「こんなハプニングがあった」など悩みはつきないと思います。そんな発達ナビユーザーのみなさんの「困った」エピソードを募集しています。テーマは「反抗期・思春期」「自傷」「学習」「不登校」「ゲーム」「不器用」「ママ友・保護者」「ご近所トラブル」などに加え、今回より「パートナーや両親(義両親)、親族間トラブル」「冠婚葬祭」のお悩みも追加募集!パートナーなどとの意見の相違、冠婚葬祭でのルールが分からない、反抗期による親との言い争い、癇癪を起こして自分の頭を叩く、地団太を踏むなどの自傷行為…読み書きや計算の困りはもちろん、授業を落ち着いて受けられないなどの学習の悩み…行き渋りや不登校などの悩み…いろいろなお悩みエピソード、お待ちしております。お寄せいただいたエピソードの中から数作品、発達ナビの連載ライターさんにコラムとしてコミックマンガエッセイ化していただき、発達ナビで公開いたします!あるあるのエピソードからヒヤリとしたエピソード、SNSなどではなかなか言えないような家族やママ友とのトラブルまで。いろいろな「困った」エピソードをぜひ教えてください。
2022年08月28日夏休み明けに増えると言われている不登校や行き渋り。子どもにどう寄り添う?一般的に不登校とは、児童が病気やケガなど特別な事情がないのに長期間学校を休み続ける状態を指します。不登校になる原因やきっかけは子どもによってさまざまですが、早期解決できるか長期化させてしまうかは周囲の対処法によって大きく左右されると言われています。夏休み明けに増えるといわれている不登校や行き渋り。子どもに「学校へ行きたくない」と言われたら、保護者としてどんな言葉をかけて、どのように寄り添ってあげれば良いか悩んでしまう方も多いと思います。今回はそんな「不登校、行き渋り」について発達ナビの連載ライターさんやユーザー体験談などを集めました。腹痛、不眠…ADHD息子、夏休み明けの登校渋り。解決したのは意外なきっかけで…ADHDと広汎性発達障害(ASD)があるリュウ太さん。2学期がスタートすると、夏の疲れや、生活サイクルをなかなか戻せないせいか朝から気分が憂うつそうでお母親のかなしろにゃんこ。さんも悩んでいました。しかしある日、母の寝坊で事態が好転して…!「学校は怖い」と言う不登校息子。家庭でどう過ごしていたの…?本人の語る当時の心境などもADHDと自閉スペクトラム症の診断のある小学3年生のむっくんは小学1年生の秋から不登校を選び、この秋で丸二年になります。不登校を選んだときの簡単な経緯と、現在の心境、不登校直後の様子や家庭での体験学習などを紹介します。悪口、仲間外れ、いじめのストレスで自傷ーー不登校を選んだわが家12歳のころに自閉スペクトラム症の診断を受けており、相手の気持ちを考えたりすることが苦手な娘さん。正義感が強いこともあり、友達相手にしなくてもよい指摘をしてしまいトラブルなども度々…年齢が上がるごとにそれがいじめへと発展してしまい…。不登校の子どものサポート方法が分かる保護者向け無料セミナー!【9/10開催】休み明けで登校渋りがある、1学期は頑張って学校へ行くことができていたけれど、2学期からバテてしまっている…。そのようなお子さまもいらっしゃるのではないでしょうか。不登校のお子さまの心の状態から、家庭でどう向き合ったらいいのか?今後どうしたらいいのか?専門家などから詳しい情報を得られ、さらにその場で質問もできるオンラインセミナーを【9/10】に開催します!そのほか不登校、行き渋り関連コラムはこちら!
2022年08月27日静かな多動Upload By まる息子リュウの発達障害が分かったころから「これは多動なんだな」と思うような動きが見えてきた。座っていられない、大人の静止を聞かずに動き回る、興味の移り変わりが激しく次から次へと興味の対象に向かって動いてしまう。「多動」というとドタバタと足音うるさく走り回ったりするイメージがあったが、息子は静かにフラフラといなくなる。言葉も遅く穏やかな息子は周りからも「静かな多動」と言われてており、「気づいたらいなくなっているので気をつけています」と保育園から言われたことも。初めての新幹線Upload By まる電車や新幹線が大好きな息子。新幹線に乗せてあげたい!と思い、友人親子と新幹線に乗って旅行に行くことになった。ただ多動なことが分かっているのでポータブルDVDやお菓子、ちょっとしたおもちゃなどたくさんアイテムを持参して行くことにした。新幹線のホームに着き、息子はうれしそうに行き来する新幹線を眺める。今まで新幹線は見るだけで乗ったことはなかったので、しばらくして到着した新幹線に「これに乗るよ」と伝え乗り込むととてもうれしそうな顔をしたことが印象的だった。新幹線に乗り込みそこから到着まで約3時間。思っていたより大変だった。その3時間、ほとんど座席に座っていられず歩き回りデッキで過ごすことになったのだ。お菓子もすぐに食べ尽くされ、お気に入りのDVDもおもちゃも興味なし、座席に戻ってもすぐに抜け出してしまう。座席横の通路をひたすらウロウロするのもほかの人に迷惑なのであまり人が来ないデッキにいるのは良かったのだが、移動時間が長かったので付き添っていた私がぐったりしてしまった。私は旅行好きなので全国いろんなところに連れて行きたいけど、飛行機に乗れるのはまだ先だなと実感した。ホームでグルグルUpload By まる息子は現在4歳。休みのたびに電車を見に駅に連れて行くのだが、駅のホームでもひたすら歩き回っている。1ヶ所でじっくり見ることはなく、ちょっと座ったと思えば歩き出し、自動販売機に興味をもったと思えば到着した電車に喜び、反対方向へ歩いたり、階段を登って別のホームへ行ったり「こっちーこっちー」と電車に乗りたいと訴えたり。私としては電車を見たいならベンチに座ってゆっくり見ればいいのに…と思うが仕方なくついて回っている。特に目的がないときは息子が行きたい方向へ電車に乗って行ってみることもよくある。このように飽きるのが早いので、少し電車を見たら電車に乗る → 降りる → また電車を見る → 駅を出るなどと忙しない(ただ息子自ら駅から出たいというのは行き慣れている駅のみ)。1日一緒に出かけると息子について回るのでヘトヘトになってしまう。目的地へGO!Upload By まるところが最近、ちゃんとそれに目的があることが分かった。よく行く数駅先の駅で改札を出て、どこに行くのかと思いながらついて行くと好きなアイスやさんに向かっていってお店の前でうれしそうにしていたり、じぃじの住んでいる駅に降りて自分でじぃじの家の前まで迷わずに行き入りたいと言ったり(仕事で不在だったので会えず、息子は泣いていた)。乗り換えもあるなかなか遠い駅に息子の先導で連れて行かれて、まさかと思ったらたまに行くお店の電車の模型を見たかったようでちゃんとたどり着いたことも。途中でいろいろと寄り道はするけども、息子なりに好きなものにたどり着く道順が分かっているようだ。多動の息子と出かけると一瞬目を離した隙にいなくなるし、ママの買い物に付き合うことがものすごくイヤなようで逃げ回ってしまい、ゆっくり買い物もできずイライラすることも多い。でも息子がきっちり乗り換えをして目的の駅で降り、自ら方向を決めて歩きたどり着いた先に「あっ、これが目的だったのか…」というものがあると息子の「好き」が分かってうれしくなる。それまであっち行くこっち行くと散々振り回されて疲れていても、よくここまでの道を覚えていたね、そんなに好きなんだねと笑顔になってしまう。執筆/まる(監修:藤井先生より)「静かな多動」の動きの中には、リュウさんの目的があったことに気がついたのですね。まるさんが、リュウさんのペースを大事にしながら、見守ってきたからこその発見ですね。一日中お出かけするとヘトヘトになるとのこと、リュウさんの好きを大事にしながらも、まるさんが無理しすぎないように、第三者(療育やクリニックや園など)とも連携しながら、リュウさんの成長を見守っていけるといいですね。リュウさんの「好き」を一緒に楽しむことがこれからもできますように。
2022年08月26日学校大好きなのに…突然の行き渋りUpload By ゆきみ自閉スペクトラム症と診断を受けている長男けんとは、今年度より小学校の特別支援学級1年生。本人の希望により、大好きな算数は必ず、ほかの科目もほとんどの授業を交流級で受けています。7月のある日の朝、急に「学校に行きたくありません」と言い出しました。初めての学校行き渋りにビックリ。話を聞いてみると「体育したくないんだ」「算数もイヤ!」とのことでした。体育に関しては思い当たることがあったので驚きはしなかったのですが、数字と共に生きてきたといってもいいほど数字が大好きで、毎日、算数の授業を楽しみにしていた子だったので驚きました。さらにじっくり理由を聞いてみると「待つんだー」と。構音障害があって上手く言葉で説明できないので、詳しい状況がつかめません。あとで先生にお聞きすることにしました。そして学校は様子見でお休みさせていただくことに。体調は良く、元気だし、お休みだからといって家で好きに遊んでいたら「家は遊べて楽しい」と思うかも…と思い、学校の時間割通りに、ママと少しずつ家庭学習をしました。数日前の予兆!まさかの行き渋りの原因Upload By ゆきみこの数日前の朝「今日は体育はありますか?」と、悲しそうな顔で質問してきました。理由を聞くと「保健室の前の貼り紙が怖くて、前を通れないから、その先にある体育館やプールに行きたくない」とのこと。学校に到着して先生にお伝えすると、実際の貼り紙を見せてくださいました。その内容は…まさかのニコちゃんマーク。「これが怖いの?」とビックリ。自分の感覚では全く怖いと感じないけれど、前を通りたくないほど怖いと感じるのだと分かりました。授業のときに自分で「前を通りたくない」と訴えたらしく、ご配慮くださり、すでに保健の先生が貼り紙を外してくださったとのこと。けんとも貼り紙がないのは分かっているけれど、トラウマで怖がってしまっている様子でした。行き渋りの理由の1つは、この話だろうなと思いました。もう1つの「算数を待つのがイヤ」について電話で先生にお聞きしたら…「算数のプリントなど、解くスピードが速く、すぐに終わるので、みんなが終わるまで待つのがつらいのかもしれない」とのこと。確かに「待つ」のが苦手なので、理由が判明しました。回避方法を選択式で質問してみましたUpload By ゆきみほかの人からすると小さなことかもしれないけれど、きっとけんとにとっては大きなことに感じて行き渋りをしたのだなと思い、回避策・解決策を考えることにしました。「貼り紙が怖い」は先生がすでに取ってくださり、本人も貼り紙がないことを分かっているので、時間をかけて安心感を得ていくしかないだろうなと思い、回避する案をけんとに提案してみました。1.外を通って(保健室の前を通らないで)体育館やプールへ行く2.ママが体育の時間に学校へ行かせていただいて、抱っこして保健室の前を通るけんとは、2を選択。その後、先生に相談させていただいたら、サポートの先生が抱っこしてくださることになりました(けんとも了承してくれました)。続いては「算数の待つ時間」。こちらは先生にご相談する前に私だけで考えられる選択肢を提案してみました。1.特別支援教室で勉強する2.交流級で勉強して、我慢して待つこれは1を選ぶのかな?と予想しましたが、けんとは2を選択。どうしても交流級でお勉強したかったようです。学校側の配慮に感謝待つ時間の過ごし方Upload By ゆきみけんとには「先生とお話をさせてもらうね」と約束をして「明日は学校に行く?」と質問してみると「行く!」と元気いっぱいのお返事が聞けました。少しでも解決策があることが分かり、自分でも納得してくれたのか…理由は分かりませんが「行く」と言ってくれて少し安心しました。その後、保健室の前を無事、歩いて通れるようになったそうです。そして「算数の待つ」問題は…以前からミニホワイトボードを持参させていただいているのですが、先生の提案により待ち時間はそれにお絵描きをさせてくださっているそうです。初めての行き渋りにビックリしましたが、学校もできる範囲の中で対応してくださり、子どもだけでなく私も心強く感じました。始まったばかりの小学校生活。これからも、けんとにとっての困りごとが出てくると思いますが、その都度、学校の先生方やけんととも相談しつつ、行き渋りや不登校、家庭学習することも視野に入れ、受け入れる心の準備もしていこうかなと思っています。執筆/ゆきみ(監修:三木先生より)ご本人がうまく説明できないなか、タイミングを待ちつつも生活を崩さないように対応されたのはとても良い方法だったと思います。また学校の対応も柔軟かつ丁寧で素晴らしいですね。引き続き楽しい学校生活が送れると良いですね。
2022年08月26日子どものころからずば抜けた記憶力をみせていたわが家の長男タケル(ASD・22歳)は、子どものころから物覚えが良く、一度聞いたことは忘れません。平仮名はもちろん、一般的に使われる漢字も、4歳になったころには完璧に読めるようになってしまい、大人たちを驚かせました。小学校でも、授業で聞いたことはほとんど丸覚えしており、しばしばほかの子に先生のように教えるほど。先生方も「タケルくんは本当に頭が良いね」と、ほめて(おだてて?)くれていました。さぞかしテストもできるだろう…と思いきや小学校の6年生になり、タケルは中高一貫校を受験することになりました。学校ではお勉強のできる子のタケル。受験用勉強は学校の勉強とは違うとはいいますが、タケルなら結構良い線いくんじゃないか?そう思いつつ、12月に初めて有名予備校の模試を受けました。…ですが!結果は惨憺たるものだったのです…。Upload By 寺島ヒロどの科目もまんべんなく点数が低く、特に後半の文章題になると全部の科目で落としていました。やはり受験向けの勉強をしてないと難しいというのは本当なんだ…。と思いつつ、タケルを見ると…あれ?なんだか納得いかない顔…?Upload By 寺島ヒロなんと、タケルは「問題は難しくなかった。答えは読んだところは全部わかってた。」と、言うのです。ん??「読んだところ」とは?「問題数が多すぎて、全部読む前に終わっちゃったんだよ!答えも文字が多くて、枠の中にきっちり書ききれなくて、何度も書き直したの!」「タケル不器用なんだよ…。」悔しさを滲ませながら、タケルはそう言いました。実は隠れLDだった?タケルの言い分詳しく聞いていくと、タケルは漫画のセリフのような数行の文字なら問題ないが、小説のような長い文章になると、今読んでいたところがしばしばわからなくなったり、ほかの行に視線が飛んでしまうことがあるのだそう。しばらく読んで「ん?意味が通らないな?」と思うと読み直すので、普段はあまり問題にならないのですが、入試問題など時間内に読んで、答えを書かないといけないようなものだと時間が足りなくなります。また、タケルには文字を書く欄にぎっちり余白なく文字を書きたいというこだわりがあり、うまく収まらないと何度も書き直したくなり、時間が足りなくなるのだそう。そういえば、タケルのノートは余白がなく、びっしりと文字で埋まってます。あれはそういうこだわりだったのか…!特性はすぐにはなくならない!タケルの作戦とは?そうはいっても受験はもう目の前。できることで勝負をしていくしかありません。解答欄にはぎっちりと文字を入れたいこだわりのあるタケルでしたが、枠の中に均等に文字が入っている必要はないと説得。解答欄になるべく先詰めで答えを書く練習をすることにしました。Upload By 寺島ヒロまた、文字を読むときには、定規を当てながら読んでみるなど、本人も自分なりにいろいろ考えて工夫していたようです。特別扱いじゃない!実力を発揮するために必要なこと細かい工夫が功を奏し、タケルは希望の中学校に合格することができました。しかし、22歳の今でも、文字を読むのは遅く、書くのも苦手です。18歳で大学受験をしたときも、答えを書くまでの時間が足りず大変苦労しました。大学入試センター試験では、合理的配慮の範囲で時間延長をお願いできないかと相談もしたのですが、当時は「肢体不自由でペンが握れない」というような明らかな障害でなければ認められないと、適用されなかったのです。ちなみに、現在(2022年)では、センター試験が大学入学共通テストに変わると共に見直しが行われ、条件が緩和されているようです(※)。最近タケルが受けたTOEICでは、合理的配慮の申請フォームに既にASDの項目が用意されており、時間延長措置が選べるようになっていました。こういうところは、さすがアメリカ発祥の資格試験だな〜!と感心しました。「特別扱い」「下駄を履かせてる」という声が聞こえてくることもある合理的配慮ですが、障害がある子が実力を発揮する大きな助けになることですので、もっと理解が進んで、広がっていくといいなと思います。執筆/寺島ヒロ(※)合理的配慮の内容や条件はこちらをご覧ください。参考:令和5年度 受験上の配慮案内| 大学入試センター(監修:井上先生より)近年、LDを含む発達障害のある学生に対して、試験などでの合理的配慮が認められるようになってきました。合理的配慮の種類によっては、個別の教育支援計画の中に記載されていたり、日ごろの学校での配慮の実績などが問われる場合もあります。また、年齢が上がれば、配慮を受けたい/受けたくないといった本人の意思も関係してきます。大人になって合理的配慮を行う場合は、本人の申し出が必要になってきます。本人の自己理解やプライドなど、さまざまな段階や葛藤もあるかと思いますが、相談しやすい環境づくりとともに、合理的配慮に対する知識を学ぶ場が望まれています。
2022年08月25日音楽を聴く女子高生の姿が…Upload By 荒木まち子Upload By 荒木まち子カラフルレンジャー16話Upload By 荒木まち子執筆後記今回で本当に最後です(笑)連載中には新型コロナの流行や娘の休職など、想像していなかったさまざまな出来事がありました。3年の間に私の体重は右肩上がりw老眼も始まりましたw抗ってみたり、やり過ごしたり、時には流れに身を任せたりした数年間でした。以前も書きましたが、カラフルレンジャーは私から娘へのラブレター(笑)なので、ラストまで娘の好きそうなものを詰め込みました。気を抜くとすぐに昭和の絵柄に戻ってしまうオカン絵を、最終話まで娘がグループホームからのリモートで指導(?)してくれましたm(__)mいままで子育てや障害について、目上の方々から教えてもらったり学ばせていただいたりしてきました。でもいつの間にか周りには自分よりずっとしっかりして頼もしい年若の方々が!うれしい限りです^^カラフルレンジャーにはモデルさんがいます。漫画内にはリアルエピソードもいくつか織り交ぜています。エピソード使用を快諾してくださった方々にこの場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました!!親も当事者も支援者も、楽しくなければ息切れしてしまうと思うので「うちの子はイエロータイプ」とか「自分はブラックとピンクのミックス」はたまた「マスタータイプ(!)」など、当てはめたりして楽しんでみてくださいね^^漫画には描いていない真(シン)ママやトミーの生い立ちなど未発表の設定もあったりします。こちらもいろいろと想像して楽しんでみてくださいませ♪では、またいつか、レンジャーたちに会えることを願いつつ...執筆/荒木まち子
2022年08月24日言語聴覚士(ST)の役割の一つとして子どもの発達支援がある発達障害のあるお子さんは、発語の遅れやコミュニケーションが難しい場合があります。そんなときに相談したいのが、コミュニケーションと聴こえ、摂食嚥下の専門家である言語聴覚士(ST)です。今回は日本言語聴覚士協会理事の西野将太さんに、言語聴覚士の役割や支援内容を伺いました。ーー初めに、言語聴覚士の担う役割について教えてください。西野:言語聴覚士は、コミュニケーションや聴こえ、食べ物や飲み物を飲み込む嚥下機能に障害がある方、高次脳機能の低下がある方をサポートする専門家です。生まれたばかりの赤ちゃんの聴こえや哺乳、言葉や発音の発達に課題があるお子さん、事故や病気で高次脳機能障害になった方のリハビリ、高齢者の聴こえの支援や摂食嚥下機能の回復のサポートなど、幅広い世代が支援の対象です。現在、日本には3万8,000人を超える国家資格保有者がおり、主に医療機関、福祉施設、保健所、教育機関などで仕事に当たっています。ーー子どもの発達支援分野を中心に活動する方はどれくらいでしょうか?西野:子どもの支援をメインにする言語聴覚士は日本言語聴覚士協会に属する会員を対象領域ごとにまとめると、全体の8%ほどです。言語聴覚療法を必要とする子どもたちが、早期にサポートを受けられる体制をつくるためにも、発達障害分野への知見を持つ言語聴覚士を養成していくことや、医療に加え福祉や学校教育の場でも言語聴覚士とつながれるように整備していくことが課題です。現在、子どもを対象とする言語聴覚士が働いているのは下記のような機関です。療育センター、医療機関児童発達支援事業所・放課後等デイサービス保健所・保健センター教育機関近年では、医療分野や福祉分野との学校連携に加え、言語聴覚士として学校に勤務している言語聴覚士や教員として学校に勤務する言語聴覚士も少しずつ増えてきています。言語聴覚士(ST)は、家族のように子どもの成長に関わる存在ーー子どもの発達支援では、どんな障害や困りごとが多いですか?西野:新生児期では聴こえの問題に対し、早期から医師や他職種と連携していきます。哺乳の問題についても医師や他職種と連携します。口唇口蓋裂といって、まだ唇や上顎が十分に形成されていない状態で生まれてきたお子さんは、おっぱいやミルクを吸うことが難しい状況です。赤ちゃんの吸う力に合わせ、哺乳瓶の乳首の形、かたさを調整するところにも、言語聴覚士は関わっています。そして、幼児期になると多くなってくるのが、「言葉が出ない」という相談です。赤ちゃんが意味のある言葉を話し始めるのは、だいたい1歳〜1歳6ヶ月ごろが目安になります。そのころから「目が合わない」「コミュニケーションがうまくとれない」といった心配から、相談に来られる方が増えますね。ーー1歳すぎになると保育園に行き始める子も多く、周りのお友達と比べる機会も増えますね。西野:そうですね。さらに3歳、4歳、5歳と年齢があがってくると、発音の相談も増えてきます。たとえば「サ行やカ行がうまく発音できない」「発音が不明瞭で何を言っているか分からない」といった悩みです。そして小学校入学のころには、読み書きに困難を感じるお子さんも。言葉、発音、読み書きや学習と、子どもの年齢、成長に合わせて、言語聴覚士が支援する内容も少しずつ変わっていきます。ーー保護者は療育の必要性を感じていなくても、保育園や幼稚園の先生から問題を指摘されることもあるようです。西野:私も保育園、幼稚園を訪問したときに、園の先生方から相談を受けることがあります。このときに大事なポイントは、「先生が困っているのか、子どもが困っているのか」を整理することです。先生は困っているけれど、子ども自身は困っていないのであれば、それはどのような状況でどのような行動がみられるのか整理していくことで対応を一緒に考える機会になります。たとえば「先生に伝えたいことがあるのに、言葉がうまくでないイライラから手が出てしまう」という子どもがいたとしたら、それは先生も困るし、子どもも困っている状況です。園での生活や活動といった集団生活への適応の難しさがあるときは、療育での支援も一つの選択肢になりうると考えます。保護者は普段の保育園や幼稚園での生活を実際にみることは少ないでしょうし、突然の報告に驚くことも多くあります。子どもの行動の形だけでなく、それに対して先生はどのように考え、関わったのかを知ることは、ご家庭での関わりや園での様子を知るきっかけになるかもしれません。ーー1歳半児健診、3歳児健診などで言葉の遅れを指摘された、という声も聞かれます。発語や発達に遅れがみられる場合、早めに療育を始めたほうがいいのでしょうか?西野:早期療育には、子どもの発達をサポートし、できることや子ども自身の「できた」を実感できる機会を増やしていくという目的のほかに、保護者のケアという意味合いも大きいと考えています。療育の場につながることで、わが子を客観的に見る時間がつくれたり、新しい視点での関わり方に気づけたり、そして何より悩みを打ち明ける場所ができますね。保護者の笑顔で、子どもも安心します。核家族化や家族の形が多様化している現代だからこそ、家族以外にも子どもを一緒に見る人、子育てを共にできる人がいることが安心につながります。私たち言語聴覚士も、子育てを一緒にお手伝いする立場。心配ごとがあれば、遠慮なく相談してほしいと思います。ーー保護者が安心して子育てができるようになることも、早期療育のメリットの一つなんですね。西野:その通りです。また就学などの節目を迎えたあとも、移行支援といった継ぎ目のない支援を受けられる、ということも早期療育のポイントです。療育に関わってきた言語聴覚士は、就学前からのお子さんの成長を見守ってきていますから、その成長過程を学校の先生にもしっかり伝えることができる。言語聴覚士には、なるべく早く支援体制をつくって、新しい環境に適応できるようにと支えていく「橋渡し」の役割もあると考えています。ステップを踏みながら発達支援を行い、コミュニケーションの幅を広げる出典 : ーー発達障害の可能性を感じながらも診断を受けていないご家庭や、グレーゾーンと診断されたお子さんなど、家族だけで困りごとを抱えてしまっているケースもあります。療育を受ける目安となる症状や困りごとはありますか?西野:以下のような困りごとがあったら、一度、各都道府県にある言語聴覚士会に相談してみてください。言葉が出ない・遅れている発音がはっきりしない吃音があるコミュニケーションが成立しにくい聞こえていないかもしれない読み書きが難しい食べ物や飲み物をうまく飲み込めない医療の分野ではまず医師による診断が必要ですが、療育に関しては必ずしも医師の診断は必須ではない自治体もありますし、医師による診断や支援の見立てを必要とする自治体もあります。診断の有無にかかわらず、子どもの行動や困りごとに対してスピーデイに対応できるのが、療育をはじめとした福祉、教育分野の強みでもあります。ーー療育では、どんなことを行うのですか?西野:まずは、検査と行動観察によって、子どもの力がどのくらいあるかを見ていきます。これらは、「アセスメント」とも言われますね。その子に合った療育プランを立てるためには、まず一人ひとりのお子さんのことをより深く知ることが大切です。たとえば「どんな遊びが好きなのか」「どんな遊び方をするのか」、その子自身を見ることが最初のステップです。ーーいきなりテストをされると、戸惑ってしまうお子さんもいますよね。遊び方などを見ながら、お子さんの様子を観察していくんですね。西野:ええ。そのうえで言語聴覚士の専門分野であるコミュニケーションについて、その子がどんな手段をもっているか、どんな場面でどんなコミュニケーション方法をとるか、ということに着目します。たとえばASD(自閉スペクトラム症)のあるお子さんのコミュニケーションの特徴の一つに、「クレーン現象」があります。言葉が出ないので、動作で自分の気持ちを伝えようとするんですね。ジュースがほしかったら、お母さんの手をとって冷蔵庫を開けさせる、というような行動です。クレーン現象が見られるということは、そのお子さんは「手がやってくれる」ということは理解し、自身の目的を達成するための手段として学習していると考えます。次のステップは、手が単独でやってくれるのではなく、人がやってくれるんだ、ということを認識し、コミュニケーション手段として使用することです。ーーASDのある子どもは、目を合わせたがらず、保護者もコミュニケーションに困難を感じることが多いですね。西野:そうですね。だからこそ、大人が意識して、自分の顔を子どもの視界に入れることが大切!たとえばおもちゃを渡すときをイメージしてみてください。お母さんが立ったまま「はい」と手渡すのでは、子どもには手とおもちゃしか見えていないかもしれません。それをお母さんが子どもの目線にしゃがんで、自分の顔の近くで、「はい、ミニカーだよ」と渡したら、おもちゃといっしょにお母さんの目が見え、また口が動くのが見えます。目は動くものに注目する習性がありますから、自然と口の動きが目に入る。これが、言葉の理解の第一歩になり、模倣にもつながっていきます。ーー発語の前には、目や口を認識するというステップが重要なんですね。西野:その通りです。「指差し」もコミュニケーションとして重要な意味を持ちます。定型発達の子どもも、初語が出る前の9ヶ月ごろから指差しをするようになります。ここで大事なのが、目と手の協調と共同注意。たとえば、子どもに何かを見てもらいたいとき、お母さんの指に子どもの手を重ねて動かしてみるんです。「あ、パトカーが止まってるよ」というときにも、お子さんといっしょに指差しをしてみる。すると、手が動くほうに目も動くので、自然と子どもは指が指し示すモノを一緒に見る。これが共同注意が成立するきっかけになります。こうして、指差しでもいろいろなコミュニケーションがとれることを学んでいくんですね。「言葉が出ない」ということで、保護者自身も発達が遅れているのではないか?と考えてしまうことが多いです。それによって不安も大きくなります。そこで、まず知っておきたいこととして、言葉はたくさんあるコミュニケーション手段のうちの一つ。言葉のほかにも、指差し、ジェスチャー、絵カードなど、さまざまなコミュニケーション手段がある。まずはお子さんとコミュニケーションができている手段や、楽しさを共有している手段はなんだろう?と考えてみることもよいと思います。コミュニケーションが育つことは言葉も育てていくことにつながります。言語聴覚療法の効果を上げるための親の関わりのポイントは?ーーまずお子さんとコミュニケーションができた、ということが親にとっては大きな喜びになりますね。西野:療育をスタートした保護者の方からは、「子どもの要求が分かるようになった」「気持ちが通じ合えた」という喜びの声をたくさんいただきます。指差しができるようになると、次は単語が出て、そして二語文が出てと、言葉の発達も徐々に進んでいくことを実感しています。ーー療育の場でのやりとりには、家庭でも応用できるものがたくさんありそうですね!西野:ええ。ぜひ保護者の方には、療育中の言語聴覚士を観察して、「どんな目的があるのか」「何のためにやっているのか」をどしどし質問してほしいです。「なんでカードを使っているんだろう?」「どうしておもちゃを渡すとき、顔の近くにおもちゃを持っていくんだろう?」など、きっと不思議に思うことがたくさんあると思うんです。私たちも保護者のかたへのていねいな説明を心がけていますが、つい目の前のお子さんに集中してしまうこともあると思うんですね。言語聴覚士の視点や行動の「根拠」を知ると、きっとご自宅でも応用できると思います。ーーほかにも、療育の際に保護者が意識するとよいことはありますか?西野:言語聴覚士からのアドバイスを家庭で実践してみたら、ぜひそのフィードバックを伝えてみてください。おうちでもうまくいったなら、方向性は間違っていなかったということになりますし、もし思ったような効果が出ないようなら、別の方法を考えたほうがいいということになります。家庭での様子を教えてもらえると、よりお子さんのリアルな日常生活に即したセッションにもつなげていけると思います。ーー最後に、発達ナビの読者のみなさんに向けてのメッセージをお願いします。西野:子育てのサポート役としての言語聴覚士がもっと身近になり、保護者の方が笑顔で子育てができる環境をつくっていきたいと考えています。日本言語聴覚士協会では、全国の教育委員会や小中学校にむけてリーフレットをつくるなど、啓発活動にも力を入れています。学校教育啓発用リーフレット「言語聴覚士にご相談ください」※クリックすると発達ナビのサイトから日本言語聴覚士協会のサイトに遷移します。また、発達障害をはじめとした現代のニーズに寄り添える、質の高い言語聴覚士を輩出していくために、言語聴覚士養成に関するカリキュラムの改定が検討されています。言語聴覚療法に興味をもった方は、各都道府県の言語聴覚士会や、地域の言語聴覚士の養成校などに問い合わせをしてみてください。ーーありがとうございました。Upload By 専門家インタビュー重度の知的障害と自閉スペクトラム症のある弟の「きょうだい児」として、小学生のころから率先して弟の世話をしてきた経験から、言語聴覚士に。医療機関での勤務をへて、訪問リハビリ、幼稚園や保育園、小中学校、児童養護施設などへの訪問、療育などに携わる。一般社団法人 日本言語聴覚士協会※クリックすると発達ナビのサイトから日本言語聴覚士協会のサイトに遷移します。
2022年08月23日息子が通った地方の療育、どんな所だった?Upload By べっこうあめアマミ私は、知的障害を伴う自閉スペクトラム症がある現在7歳の息子と、きょうだい児の3歳の娘の母です。娘を出産するとき、私は里帰り出産のため、少し長めに5ヶ月ほど実家で過ごしました。その間、息子は療育のため、私の実家がある地方自治体の発達支援施設に、里帰り期間限定で通いました。私の実家があるのは比較的田舎で、交通の便はよくないけれど、車で少し走れば山や川があり、自然といっぱい触れ合える場所です。息子が通った施設も、敷地がとても広く、施設の中でも園庭でも、子どもたちが思いっきり走り回れるスペースがありました。周りはのどかな景観で、広い田んぼや畑、山などに囲まれています。そして、東京などの都市部ではなかなかありえないことですが、広い駐車場もありました。保護者も職員も、みんなが車で来ていても埋まらないほどの広さの駐車場には驚きました。5ヶ月の療育期間で息子に変化が!たくましく成長した息子Upload By べっこうあめアマミ息子が通っていたのは親子分離の療育だったので、主に私の母が実家から息子を送迎してくれました。こうして息子は、週4日から5日、朝から夕方くらいまでの時間を、発達支援施設で先生やお友だちと一緒に過ごしたのです。息子はもともと内向的な性格で、外に出るのもそれほど好きな子ではありませんでした。里帰りする前はなかなかベビーカー移動をやめられず、歩くこともよく嫌がりました。公園に行ってもどの遊具にもあまり興味を示さず、ただ座っているか、階段を上り下りするだけで帰ってくることがほとんどだったのです。それが、こちらの療育に通い出してからは変化が見られるようになりました。息子は毎日砂遊びをして、泥だらけ砂だらけで帰ってくるようになったのです。滑り台や大型の室内遊具も豊富にある施設だったので、そういったものを日常的に見慣れていくうちに、大型遊具にも取り組めるようになりました。里帰り中の夏の期間は、毎日プールの時間がありました。施設には2種類くらいのプールがあり、とても恵まれた環境でしたが、息子はしばらくの間、たらいにしか入れませんでした。息子はとても慎重な性格なので、海やプールに極端な苦手意識があるようです。しかし、そんな息子も毎日プールに誘われていくうちに、プールに入れるようになりました。このように、こちらの療育に通ってから、内向的でインドアな性格だった息子の世界が、大きく広がったように思います。良いことばかりではない、地方の発達支援の現実Upload By べっこうあめアマミ息子を大きく成長させてくれた里帰り先の発達支援施設は、施設の環境としては、非常に恵まれていたと思います。先生方も気さくで話しやすく、私も息子も母も、気持ちよく通うことができました。ただ、もともと東京で療育に通わせていた私は、地方の発達支援施設を利用してみたことで、都市部と地方の発達支援をとりまく状況の違いをまざまざと感じることにもなりました。その一つが、療育やリハビリに関する専門職スタッフの人数の、圧倒的な差です。息子が通っていた施設で働く先生方は、ほとんどが保育士の先生でした。看護師資格のある先生は常駐していましたが、リハビリの専門職の先生は、数ヶ月に一度訪問がある程度だと聞きました。そのためか、療育というよりは「手厚い保育園」という印象が強かったです。それでも、クラスの人数は少なく、先生も十分な配置でついて下さるので、安心して息子をお願いすることができました。必ずしも、専門的な療育スケジュールが組まれた施設が良い施設、とも言い切れないと思うので、この辺りは子どもによって適性が分かれるのかなと思います。ただ、東京の療育では、何人もの臨床心理士、作業療法士、理学療法士などの資格を持っている先生が常駐している発達支援施設も数多くあります。個別にリハビリや言語療法の指導を受けられる場合もあり、このような専門職の先生からの指導の受けやすさという意味では、地域差は大きいと感じました。また、都内に比べて療育を受けられる施設が圧倒的に少ないのも衝撃でした。もちろん地方でも施設が充実しているところもあり、その逆で都市部でも施設が少ない地域もあるとは思います。しかし私が過ごした地域では、市内に発達支援施設は1ヶ所しかなかったため、「選択肢が少ない」という地方の実情を知ることにもなりました。かけがえのない思い出をくれた先生たちに感謝、そして次の療育へUpload By べっこうあめアマミ息子が里帰り先の発達支援施設で過ごしたのは短い期間でしたが、私と息子にとってはかけがえのない大切な思い出となりました。東京ではなかなかできなかった経験をさせていただき、息子の発達過程において貴重な時間だったと思います。私たち家族の状況を理解し、限られた期間でも快く受け入れてくれた先生方にはとても感謝していますし、お別れの日にみんなで門の前まで来て見送ってくれたことも忘れません。そして、息子の成育歴をまとめるファイルを用意してくださったことにも感謝しています。入園した時に、「関わる支援者や施設が変わっても、情報を共有できるように」と、園長先生から手渡されたのです。Upload By べっこうあめアマミそのファイルには、息子が生まれてから、どのタイミングでどんな施設や病院に関わったかという記録、それぞれの施設での個別支援計画や、その後受けた発達検査や診断書などをまとめています。療育を受け始める際に、まずはそれまでの情報をファイルにまとめて息子の状況を共有しました。そしてそのファイルは、その後東京に戻ってからも、新たに利用することになった施設や幼稚園に持っていき、重宝されました。こうして、息子が積み上げていった一つひとつの経験は、次の場所に引き継がれていったのです。療育や発達支援をとりまく環境は、過ごす場所によって大きく異なるけれど、どの経験も息子にとって必要不可欠なものだったと思います。自分の言葉で思い出を語ることはできない息子ですが、きっと当時の先生たちとの思い出も、今の息子の心に残っていると信じています。執筆/べっこうあめアマミ(監修:井上先生より)都会と里帰り先の地方、両方の支援機関を利用された貴重な経験談だと思います。地方と言ってもかなり差があるとは思いますが、施設や事業所の選択肢の多さは都会の有利な点かもしれません。専門家の数は地方でも都会でも各々の施設の特性によって違います。べっこうあめさんが通われたような施設は、さまざまな障害のある子どもたちを保育し比較的長時間見て頂けるところだったのではないかと思います。選択肢があれば、療育に特化したところと、預かり重視のところと、その時々のニーズに応じて選べるとよいですね。
2022年08月23日クルクル回ったり綺麗に並べることが大好き娘は、2歳ごろから4歳になる手前までクルクル回ることが大好きでした。まだ娘の発達を気にかけてないときは子どもってクルクル回るの好きだよね~、くらいにしか思っていませんでした。なぜなら私が幼少期にクルクル回ることが好きだったからです。当時は回ることでアトラクションに乗ったようなスリル感を楽しんでいました。むしろ小学生低学年まで回っていたと思います。しかし、娘の発達が気になってからいろいろ調べると自閉スペクトラム症のあるお子さんに見られる行動の一つだと知りました(クルクル回ることが必ずしも自閉スペクトラム症だというわけではありません)。また、娘はおもちゃやカードなど綺麗に並べることが度々ありました。まだうまく話せず、手先も不器用だった3歳のとき。ふと気づくと娘がカードを真っ直ぐ綺麗に並べていました。発達がゆっくりでほかの子よりできないことが多かった娘。そんな娘が大人が並べたかのように綺麗に並べてる姿になんだか違和感を覚えるというか、不思議に思ったことを今でも覚えています。少しずれると繊細に微調整をしていてまるで職人かのようでした(笑)。Upload By とまぱん緊張したり不安が強いとチックが出るように娘は3歳ごろ不安や緊張を感じると目をぎゅっとつむったり、首を横に振る行動が見られました。娘が年少の夏、幼稚園の夏祭りがありました。一時的に子どもたちが親と離れてやぐらの前で踊る場面がありました。娘は私と離れて強く不安を感じたのでしょう。ほかの子は楽しそうに踊っている中、娘は首を横に振っていました。癇癪を起こしたり言葉が出るのが遅かったりと娘の発達に不安を沢山感じていましたが、首を一心に振っている娘の姿に正直一番ショックを受ける自分がいました。同時にほかのお母さん方に変に思われるのでは…と人目を気にすると情けない自分もいました。娘が首を横に振っている中、同じクラスの女の子が娘に笑いかけながら「踊ろう」と誘い出してくれました。Upload By とまぱんUpload By とまぱん娘は徐々に不安が取れたのか踊り始め...。そんな娘の様子を見て女の子はうれしそうにし、最後は2人仲良く踊っていました。私は入園前、先生に助けられることはあっても子どもたちに助けられることは想像もしてませんでした。子どもの純粋な気持ちに私たち親子は何度も助けられたと思います。靴も靴下も脱がないとやだ!!娘の困ったトイレでのこだわり娘の困ったこだわりはいくつもありましたが、その中でも特に厄介だったのはトイレでのこだわり。娘は用をたすとき、上の服以外は全部脱がないと気が済まなかったのです。家にいるときはいつも肌着にパンツ一丁だったのでトイレに行くときはパンツだけ脱げばそれでよかったのですが外のトイレだと厄介。靴、靴下など下はすっぽんぽんの状態にならないと便器に座ってくれませんでした。Upload By とまぱんUpload By とまぱんたまーにお着替えボードがあるトイレがありますが、ほとんどのトイレには備えつけられていません。トイレの床に裸足で娘を立たせたくなかったので私の膝の上に座らせながら脱がせ...。いつも汗水垂らしながらトイレに行かせていました。4歳になった今は靴も靴下も履いたまま用をたせるようになったので本当に楽になりました。4歳の今、チックやこだわりは…?4歳になった今、クルクル回ることはほとんどなくチックのような行動も一切見られないようになりました。今年の盆踊りは私と離れても不安がらずに踊っていて、一心に首を横に振ることはここ1年ないように思います。だけど今も娘なりのこだわりはあります。例えば最近だとお店でジェラートを頼んだときのこと。Upload By とまぱんUpload By とまぱん自分が選んだバニラと夫の選んだイチゴがくっついているのがとてつもなく嫌だったのでしょう。娘は大きな声で怒り、近くにいた子どもが心配して見にくるほどでした。子どもが見にきたことでさらに娘はパニック。私には娘を説得させる体力は残っておらず、結局もう一つバニラを買いました。ある程度娘のこだわりは把握しているつもりですが、ときどき急に謎のこだわりを発揮することがあります。こだわりというのは本人も好きでこだわっているわけではないので否定することも直すこともできません。今も娘のこだわりに困ることは度々ありますが、長い目で気長に付き合っていこうと思います。執筆/とまぱん(監修:初川先生より)娘さんの幼いころのエピソードのシェアをありがとうございます。クルクル回る、綺麗に並べる、不安なときの行動、こだわり。読者の方の中には、「うちもそうだったー!」と感じる方もいらっしゃるだろうなぁと思います。娘さんのそうした行動に困ったり、ショックを受けたり、さまざま思われたことと思いますが、娘さん自身の成長、そしてとまぱんさんはじめ、ご家族の方の対応が上手になることで、今はそうしたエピソードを過去のこととして語れるということですね。そして、当時は困ったという気持ちが第一の気持ちだったとしても、今はそのまなざしも変化していることもあります。過去の様子や当時の思いをふりかえることで、そうした成長や眼差し・理解の変化にも気づくことができますね。
2022年08月22日自閉スペクトラム症のある娘、友達トラブルからのいじめが発覚!?現在21歳の娘。12歳のころに自閉スペクトラム症の診断を受けています。相手の気持ちを考えたりすることが苦手な娘。正義感が強いこともあり、友達相手に指摘しすぎてしまい、友達から反論されると言い返せず、パニックや癇癪を起こす、というトラブルを度々起こしていました。娘の小学校はクラス替えもない小さな学校です。しかもクラスの半分程は幼稚園から一緒で長いと8年間一緒に過ごすことになります。小さいころからトラブルをよく起こしていた娘は幼稚園でも仲間外れになることも多くありました。年齢が低いときはそれでも翌日には仲良く遊べていたりしていたのですが、年齢が上がるにつれ、だんたんといじめへと変わっていきました。先生のいるところでは仲のいいふり、いないところで娘1人に対し、複数の生徒から娘の行動や言動を責め立てられたり、気づくように陰口をたたくなどされていたようです。私がそれに気づいたのは娘が小5のとき。夜中にすすり泣く娘に気づきいじめられていることが発覚したのです。Upload By ユーザー体験談娘がいじめられていることを学校に話したけれど私は急いで学校へ出向き話をし、担任に相談をしました。クラスみんなで仲良くしようと伝えてもらい、お互いさまだと仲直りの場をつくってもらい、一見すると大丈夫なように感じていました。一旦は解決したようにも思いましたが、小6のときに再発しました。当時、小6と小5の生徒同士の仲がよくありませんでした。しかし、娘は近所の小5の女の子と仲良く、よく一緒に過ごしていました。それが気に入らなかったのでしょう、朝登校するときに同級生に取り囲まれ嫌がらせを受けることが続いたようです。Upload By ユーザー体験談いじめはどんどんエスカレートしていきました。仲直りをするふりをしてメールで3人(娘、Aちゃん、Bちゃん)で遊ぼうと連絡が来たと思ったら、Aちゃんから「その日行けなくなったから、Bちゃんと2人で遊んで」と連絡、それならBちゃんと2人で遊ぼうと思ったらすぐにBちゃんからも「行けなくなった」と連絡が。結局「やっぱり娘ちゃん抜きで2人で遊ぶね」と言われ、娘がショックを受けている様子をAちゃんとBちゃんは一緒に見て楽しんでいるようでした。Upload By ユーザー体験談いじめのストレスでとうとう学校から呼び出しがこのようなことが続き、とうとう娘も参ってしまい、ある日学校で自分のお腹を殴ってしまったようです。スクールカウンセラーの先生の話だと、キャンプのためのジャガイモの収穫をしていたときに、娘の触った芋は汚いから嫌だと悪口を言われた直後に、自分のお腹を殴り始めたとのことでした。Upload By ユーザー体験談そのようなことがあり、私は再度学校へ。何度も話し合いをしましたが学校側からは「担任も病んでしまっています」「あまり話を大きくするとお母さんも保護者間でやりづらくなりますよ」などと言われました。解決する道筋も見えず、落胆しました。これ以上通わせられない!不登校を選択このまま登校を続けさせたら娘は潰れてしまうかもしれないと思い、私は無理して登校させることをやめました。そして、市がやっている教育支援センターに通わせることを決めました。支援センターでは簡単な勉強、ゲーム、工作などを行い、また夏休みにはキャンプもありました。娘は学校へのしがらみがなくなり、とてもホッとした様子でした。結局いじめ問題は解決しないまま娘は小学校を卒業しました。地元の公立中学へ行くことはやめ、私立中学を受験をし、環境を変えた娘。元気に登校はできましたが、やはり友達関係は難しく、中学に行っても度々友達トラブルを起こすことはありました。娘は小さいころからとても感情的で私自身、「なんで…」と、娘を気持ちの面で突き放してしまうことがありました。娘との関係をどうにかしたいと思う反面、向き合い方に悩んでもいたことも事実です。もう少し違う関わり方もできたのではないかと、今なら思います。それでもやはり、小学校へ無理して行かなくていいと判断したこと、中学受験をさせたことは、間違ってはいなかったと思っています。現在の娘に当時の心境を聞いてみて現在娘は21歳。やっと娘と向き合うことができ、当時の話などもするようになりました。やはりいじめは娘にとってもとてもつらかったようです。「お母さんに学校に行くことを止めてもらったことで、とても気持ちが楽になった」「教育支援センターはとても楽しかったけれど、本音としてはやっぱり普通に小学校に通って、卒業したかったな」となどと話してくれました。今でも全てを吐き出せている訳ではないようですが、その後高校生になり、いじめていた子たちに偶然会ったときも、当の本人たちは全く娘のことを覚えておらず、「苦しんでいるのは自分だけ?」と、とても複雑な気分になったようでした。今の娘との関係も、あのとき無理に学校に行かせずに教育支援センターで安心して過ごせる居場所をつくってもらい、しんどい中をなんとか乗り越えてきたからこそあるものなのかな?そうだったらいいな、と感じています。イラスト/SAKURAエピソード参考/るみちゃん(監修:井上先生より)2013年に政府はいじめ防止対策推進法を制定しました。娘さんのいじめに関する問題が起きたちょうどそのころではないでしょうか。学校の対応はこの法律に照らせば全くよくないもので、学校の協力なしにこのまま通学させても娘さんにとって良くないという判断は適切だったと思います。学校でのつらい出来事を誰かに相談できることがいじめの防止のための第一歩となります。思春期の時期は、親を苛立だてるような言動をしてしまうことも多いと思いますが、家庭で子どもが先生や友達の愚痴を言ったり、弱音をはいたりできるように聞いてあげることが大切です。あなたのエピソードもコラムになるかも?体験談募集中!保護者の方が日々子育てをする中で「こんなトラブルがあった」「こんなハプニングがあった」など悩みはつきないと思います。そんな発達ナビユーザーのみなさんの「困った」エピソードを募集しています。テーマは「反抗期・思春期」「自傷」「学習」「不登校」「ゲーム」「不器用」「ママ友・保護者」「ご近所トラブル」などに加え、今回より「パートナーや両親(義両親)、親族間トラブル」「冠婚葬祭」のお悩みも追加募集!パートナーなどとの意見の相違、冠婚葬祭でのルールが分からない、反抗期による親との言い争い、癇癪を起こして自分の頭を叩く、地団太を踏むなどの自傷行為…読み書きや計算の困りはもちろん、授業を落ち着いて受けられないなどの学習の悩み…行き渋りや不登校などの悩み…いろいろなお悩みエピソード、お待ちしております。お寄せいただいたエピソードの中から数作品、発達ナビの連載ライターさんにコラムとしてコミックマンガエッセイ化していただき、発達ナビで公開いたします!あるあるのエピソードからヒヤリとしたエピソード、SNSなどではなかなか言えないような家族やママ友とのトラブルまで。いろいろな「困った」エピソードをぜひ教えてください。
2022年08月21日「反抗期になったらどうしよう!」Upload By 丸山さとこ息子コウは小学校の中学年ごろ、しばしば「反抗期になったらどうしよう…」と心配していました。周囲の変化や図鑑などの本の情報から反抗期の存在を知ったそうです。『思春期の身体的な変化は特に抵抗ないものの、ホルモンの精神的な影響により自分は変貌してしまうのでは?と心配になる。親にはいつもお世話になっているのに、酷い態度をとるようになるかもしれない』と不安げな様子です。「お母さんに日ごろよくしてもらっているのに、突然乱暴な態度をとるようになってしまうのでは…?」と言うコウに「親の方も思春期に起こりうる変化は織り込み済みだから大丈夫」と説明すると、「そっか~!気が軽くなったよ!」とコウは安心していました。そんなコウも現在中学生。思春期や反抗期の真っ只中な年齢になった彼に「そろそろ思春期に入り反抗期も起こりがちな年齢ですが、どうでしょう?」と聞いてみると、「なんか、思春期に入って情緒が安定してきた感じがある」とのこと。Upload By 丸山さとこ特に不安定だった小学校中学年から今までの間、彼の中にどういう変化があったのか、改めて過去を振り返りつつ本人に聞いてみました。白黒思考に周囲も自分も振り回されて今よりもずっと何事においても「0か100か」の白黒思考が強かったころのコウ。「絶対!」と言い切る思い込みの強さや融通の利かなさがあり、パニックになることも多くありました。そんなコウの不安定で極端な言動に、周囲の人のみならずコウ本人も振り回されていました。Upload By 丸山さとこ今のコウは、当時の自分を振り返って「今でもそうなんだけど…あのころはもっと、本当に自分絶対主義だった。自分以外の存在がよく分かってなかったと思う」と言います。「今は、『人からどう見られるかな?』とか、『人はどう思うかな?』とか考えるようになってきたし、前より気にするようになったと思う」とうなずくコウは、もう思春期に入っているのだろうと思います。Upload By 丸山さとこまた、コウが自分のことを表現した「自分絶対主義」は、他者が認識の中にいない結果として起こっていることなのかもしれないなと感じます。「見えているのに無視しているのではなく、見えていないから無視していると感じられてしまう状態だったのだろうな」と思いました。コウとしては自然にふるまっているつもりの言動に対して、「自己中だ!」と周りから非難を浴びる状況は、とてもつらかっただろうと思います。周りがよく見えていなかった小学校中学年までのコウは登下校の「いってきます」も「ただいま」も憂うつそうで、よく「家が一番いい」「家にいるのが落ち着くし楽しいしリラックスできる」と言っていました。Upload By 丸山さとこ小学校高学年に入り少しずつ他者の存在に気づき始めたコウ。6年生のころには担任の先生からも「クラスメイトとぶつかることが少なくなりました」と言われ、中学生になった今では「学校は楽しい!」と毎日元気いっぱい登下校しています。中学校では気をつかうことや頑張ることは多いそうで、ほぼ毎日「疲れた~!」と言いながら帰ってきていますが、その声と顔は明るく喜びが感じられます。そのことをうれしく思いつつ、「『相手からどう見られるか・相手がどう思うか』を気にするようになったコウは、以前のように学校生活がつらくなったとしても、それをそのまま家族など周囲にストレートに表現していないだけかもしれないな…」とも思っています。「産まれてからずっと反抗期みたいな状態」と言うコウの今かつては「僕は産まれてからずっと反抗期みたいな状態だよね。反抗的な気持ちはないんだけど、やってることが反抗期」と言っていたコウも、思春期に入り他者が少し見えるようになってきたことで、以前よりも他者の言葉や心情が入りやすくなったなと感じます。Upload By 丸山さとこ毎日明るくニコニコといろいろな話をするコウですが、親に見せない面や言わない話の方がきっとたくさんあるのだろうと思います。そして、そここそが、今の彼の世界の中心なのだろうなと思います。それを無理に探ろうとしないことと同時に、「コウが話しやすい関係を(できる範囲で)つくること」「それとなく調子を見ておくこと」が大切なのだろうなと感じるこのごろです。Upload By 丸山さとこ『突然驚くような話が出てくる覚悟もしつつやっていこう…』と改めて思う、突然驚くような話を聞きがちな私でした。執筆/丸山さとこ(監修:初川先生より)思春期になったら「ホルモンの影響で精神的に大きく変わってしまうのでは」と不安になる。コウくんには申し訳ないですが、とても面白い不安の持ち方だなと感じました。なるほど、そういう不安を感じることもあるのかと勉強になりました。さて、世間一般的には、思春期とは第二次性徴が来て、精神面では反抗期に突入する、そんな風に思われています。実際そうなのですが、脳の発達として、多くの場合だいたい11歳ごろより、客観視できるようになるという面もあります(もちろん個人差あり)。客観視できるようになることで、大人の言うことの理不尽さなどに気がつくことで反抗的な態度になる面もあります。コウくんの場合には、イライラする、反抗的になるという面よりも、客観視できるようになる、もっとざっくばらんに言えば、周りが見えるようになってきた、そういった側面が強く感じられたのかもしれませんね。自分を中心に物事を考えること、それは幼ければ当然の側面ですが、そのことによって、コウくんはイライラさせられていた色合いが強そうなので、視野が広がったり、客観視できるようになったことで、そうしたイライラとは距離ができてきたように感じました。丸山さんも書かれているように、思春期になり、周りがよく見えるようになると、自分の気持ちを語らなくなるお子さんもいます。また、親に言って悲しませることになるなら言わないでおこう、といった考え方をしたり、恥ずかしいから言わないとしたり、思春期になると自分の気持ち・出来事をなんでも語るわけではないフェーズに入ることが多いです。それも成長の一過程ではありますが、とはいえ保護者としては心配になることもあるでしょう。さとこさんが心がけていらっしゃるように、「話したいと思ったときに話せる関係をつくっておく」、「それとなく調子を見ておく」はとても素晴らしい対応です。私も相談場面でそのように助言することが多いです。
2022年08月21日