初めての育児と家事の両立に悩んでいたママ。そんなある日、パパに言われたのは「息子をサボる言い訳にしたらダメだよ」という心ない言葉でした。そのときの気持ちやその後の夫婦関係の変化など、体験談をご紹介します。息子が生後6カ月のころのお話です。当時、私は育休中。息子の育児、家事をすべてひとりでおこなっていました。夫の帰りが遅いため、入浴も私ひとりで。「夜中に目が覚めると翌日の仕事がきつい」と言う夫と寝室を分けていたので、夜泣きの対応も私がしていました。 当時息子は私が視界からいなくなると泣き出すので、トイレも落ち着いて入れない状態で、今振り返ると許容量を超えたストレスを抱えていたように思います。 思わず悔し涙が……私が涙ながらに話したことを、夫は黙って聞いていました。そして、しばらく沈黙のあと「知らなかった、ごめん」と頭を下げてくれたのです。 夫は私が日中のことを何も伝えてこないことで、何も問題はないと判断していたのだと言いました。そして、何も問題がないのに家事が片づいていないのはサボっているからと思い込んでいたのだとも。なのであえて、傷つく物言いで指摘したのだそうです。 たしかに私はこれまでのことを伝えてきていませんでしたが、状況の確認もせず、息子を言い訳にして家事をサボっていると一方的に言われたことが、私は悲しくて悔しくて仕方ありませんでした。 「知らなかったからではなく、知ろうとしなかったからでは?」……私は夫に尋ねました。夫は何も返事をしませんでした。結局、この日はそのまま会話がなくなってしまい、約1週間、私と夫は最低限の会話しか交わしませんでした。 金曜日の夜。夫が1枚の紙を私に渡してきました。「土日に家のことや息子の面倒をみるから、流れを書き出してほしい」とのこと。そして「1週間考えてみた。お前の言うとおり、知ろうとしてなかったんだと思う。ごめん」と、再び頭を下げてくれたのです。 私としては夫のその姿勢がうれしいと感じた反面、本当にやれるのかな? と不安でもありましたが、まずは流れを書き出し、実際はこの通りには進まないことがあると説明をしました。そして夫は、実際に私の書き出した流れを参考に育児と家事に挑戦した結果、私のこれまでの状況を身をもって理解したのでした。 「息子をサボる言い訳にする」という言葉は今でも忘れられません。それほど私にとっては悔しかったのです。しかし、それを言わせたのは自分でもあります。きちんと夫と普段の状況を話して、無理に我慢せず手伝ってほしいと言えていたら、夫もこの言葉を言うことはなかったと思います。 この一件以来、私はこまめに状況を伝えるようになり、夫も私に「手伝えることはある?」と聞いてくれるようになりました。おかげで、今はストレスを溜めすぎることもなく、穏やかに日々を過ごせています。 著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2024年03月12日現在、私には4歳の長男と2歳の長女がいます。2人とも保育園へ通っていて、毎月のように長男、長女のどちらかが体調を崩している日々です。そんなある日、長女が40度の熱を出し、検査を受けるとアデノウイルス感染症であることが判明。その後、長女が良くなったころ、長男がアデノウイルスに感染……。ブルブル震える長男を看病する日々になりました。ところがその後、まさかのことが起こったのです。 まずは長女がアデノウイルスに感染!ある日、「熱があるのでお迎えにきてください」と急きょ保育園から連絡が入りました。病院で検査を受けると、長女はアデノウイルス感染症であることが判明。特効薬がないようで、熱が下がるのを待つしかないと言われました。長女はその日の夜、40度まで熱が上がり、喉も痛かったようです。解熱剤で様子を見ていましたが、一時的に熱が下がるだけで再び熱が上がる毎日……。 ごはんもろくに食べられず、つらそうな長女を見ていると私もつらかったです。そんな中、長女の熱は5日ほどで下がり、その2日後にやっと登園ができるように。ようやく仕事に取りかかれるとホッとした矢先、今度は長男が熱を出してしまったのです。 長男に続いて私も高熱でダウン…検査を受けると、長男も案の定アデノウイルス感染症とのこと。長女と同じように解熱剤で様子を見ていましたが、なかなか熱は下がらず、いつも元気いっぱいな長男もつらそうな様子でした。「寒い寒い」とブルブル震えて寝つきも悪く、夜中も長男の看病が続きました。 ところが、長男がアデノウイルス感染症と診断されてから3日が経ったころ、母親の私も39度の熱を出してしまったのです。翌日病院へ行くと、なんと私までもがアデノウイルス感染症であることが判明! 勝手にアデノウイルス感染症は子どもがなる病気だと思い込んでいたので、「まさか大人も感染するなんて……」と驚きました。 高熱があっても母親は休めない…私はフリーランスなので基本的に在宅勤務。子どもがいつ体調を崩しても看病できるのは、在宅勤務の良いところです。とはいえ、すでに長女の看病で1週間ほど仕事が滞っていて、さらに長男の看病で思うように仕事が進まない日々。39度の熱があっても家事や長男の看病をしなくてはなりませんでした。 仕事再開のめどが立たず、「なんで私が……?」とイライラしたことも。夫は仕事の帰りが遅く、同居中の両親にはアデノウイルスを感染させるわけにもいかなかったので、長男の看病は極力私がおこなっていました。なんとか長男はアデノウイルス感染症と診断を受けてから1週間で熱が下がり、私も4日ほどで熱が下がりました。 私までもが体調を崩したことで、長男に対してしっかり寄り添った看病ができず、「私が元気だったら……」と思う瞬間がたくさんありました。子どもたちがつらいときには、私がしっかりとサポートをしてあげたいです。子どもたちが体調を崩したときは、大人にも感染する可能性があることを踏まえ、大人も体調管理の徹底を意識しなければならないと感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/大福著者:華彩 あんず
2024年02月22日初めての妊娠。妊娠するまで1年かかったので、妊娠したことがわかったときはとてもうれしかったです。待望の赤ちゃんともうすぐ会えるなぁと、ドキドキワクワクの妊娠後期のころ。ちょうど新しい家も購入し、産休に入ってからも新居の内装計画や出産準備に忙しく過ごしていました。しかし、あることをきっかけにどん底の毎日を送ることになるとは、このときは思いもしませんでした。出産に向けてワクワクの日々当時、営業会社の事務として働いていた私は、11月の出産のために10月から産休に入りました。おなかもだいぶ大きくなり、歩くのもひと苦労。初めての赤ちゃんと会えるんだ、と出産の準備をしながら、新築の家の準備もして、忙しくも楽しい日々を過ごしていました。 そんな10月後半のある日、夫から会社の同僚と飲み会があると告げられました。臨月の私は心配で反対しましたが、どうしても行くというので仕方なく行かせました。というのも、夫は酒癖が悪く、酔うと終電で乗り過ごしたり携帯を落としたりして大変なのです。 夫の携帯を見て絶句飲み会当日。案の定、夫は終電を逃しタクシーで帰ってきました。いつものように酔っ払って廊下に寝る夫。「何か、嫌な予感がする……」と、夫の手から携帯を取りました。LINEを見ると、「今度はチューさせてね」と夫から送った痕跡が。相手は夫と同じ部署で働く事務の子。私と夫は職場結婚だったので、私が知っている子でした。 怒りを抑えながら、「これは何?」と聞きました。目が覚めた夫は、「冗談だよ」と答えましたが、信じられません。飲み会の前からやりとりをしていたようで、仕事とは関係ないトークばかり。とりあえずこのLINEをやめてほしいと伝え、もう連絡を取らないようにブロックをして連絡先を消させました。 幸せから一気にどん底へしかし、数日後また携帯を見ると、ショートメールでまた連絡を取っているようでした。夫を問い詰めると、「どうしても連絡を取りたい、このやりとりがなくなるのは嫌だ」と言ってきたのです。 「この人は何がしたいんだろう?」と疑問と怒りが込み上げました。臨月で大事なときに、私たち2人の赤ちゃんが生まれる前なのに、何をしているんだと。そのあとも話し合いましたが、連絡をしていないと言いながらこそこそやりとりを続けており、夫はその彼女に「会って話したい」「自分のことどう思っている?」と聞く始末。 ある日、彼女に会いに出かけようとする夫を止めようと、おなかも張りながら必死で追いかけました。すると、「○○(私)のことが好きかわからない、彼女のことが気になる」と言い出したのです! 私は外で泣きました。幸せな時間を過ごすはずだったのに、こんなにつらくて悲しいことがあるのかとどん底に落ちました。同時に、夫のことが気持ち悪くなりました。 思い切って相手の子に連絡出産日前日。予定帝王切開だったので、出産日は決まっていました。「明日はついに出産。でも、こんな不安を抱えたまま出産したくない……」とそう思った私は、相手の子に連絡を取ることにしました。 それを夫に伝えると、「彼女に迷惑をかけるな」と言われましたが、迷惑をかけられているのはこっちです。私は夫に構わずLINEを送りました。 「夫はあなたに好意を持っているが、どういうつもりで連絡をしているのか。出産を控えているので今後やりとりはやめてほしい」と送りました。すると、「迷惑をかけて申し訳ない。今まで自分からは送らなかったが今後は返信しない」と返ってきました。 出産当日を迎え、夫は……出産当日の朝のことです。手術は午後からでしたが、午前中から入院と手術の準備をしていました。いろいろと不安はあるけれど、赤ちゃんに笑顔で会いたい気持ちで一心でした。 オペ室へ向かう途中、コンタクトレンズを外し忘れたことに気づいて病室へ戻ると、夫がなぜか泣いていました。すぐに出なくてはいけなかったので、「行ってくるね」とだけ言ってオペ室に向かいました。手術は順調に進み、無事に長男を出産しました。そのときは、かわいいわが子を見て本当に幸せな気持ちになりました。 出産を終え病室に戻ってから、夫になぜ泣いていたのかを聞いてみると、「申し訳ないことをした、手術でこんなに大変なのに」と、自分を責めているようでした。ですが、私は素直に「いいよ」とは言えませんでした。それなら最初から不安にさせるようなことをしないでほしかった。もう以前みたいに純粋な気持ちにはなれないし、今後ずっと疑い続けるかもしれない。そんな気持ちでした。 産後の入院生活でもまた不安が襲ってきて、毎日夫に彼女と連絡を取っていないか聞いてしまいました。夫が本当のことを言うはずがないとわかっていたのに……。実際、夫は彼女に連絡していたようですが断られたようです。あのときの病室の涙は、もしかしたら振られたことで泣いていたのではないかと今では思っています。 この経験から、やっぱり女の勘は当たるんだなと思いました。夫の携帯を見てしまったことは反省していますが、もしこのやりとりが続いたらどうなっていたのか……。今では夫のことは同居人として見ているので、同じことが起きてもここまで悩まないかもしれません。でもきっと出産時の恨みは持ち続けることでしょう。 著者:ねこ猫好きな1歳男の子のママ。近々職場復帰予定。
2024年02月04日私は息子が生後8カ月のとき、シングルマザーになりました。息子に父親がいなくなることがつらくて申し訳なくて、たくさん泣きました。どうやって生きていけばわからなくなりました。でも……!! 息子の生後まもなくシングルマザーに息子が生後8カ月のときに私はシングルマザーになりました。できる限りのことはしましたが、離婚は避けられませんでした。今となっては離婚を選んだことは、私にとっても息子にとっても良いことだったと胸を張って言えます。 しかし、シングルマザーになった当時は「息子に父親がいなくなる」という申し訳なさで、どうやって生きていけばいいのかわからなくなり、私は毎日泣いてばかりでした。 私が笑顔でいなくちゃ!!毎日泣いていましたが、離婚した事実はもう変えようのないことで、ひとり親として息子を幸せにするために、たくさんの育児書を読みました。また、先輩シングルマザーに子育てについてたくさん相談しました。そこで得た結論が、「私がいつも笑顔でいることが何よりも一番息子のためになる」でした。 私が離婚したことを悔やんで悲しんで暗く生きることよりも、いつもニコニコ笑って明るく胸を張って生きることが、息子のためになることに気づいたのです。実際に今のところ、私がいつも笑顔でいることで息子も楽しそうに元気にすくすく育ってくれています。 息子と生きていく決意息子は今2歳です。自分に父親がいないことにまだ気づいていません。離婚後一度も面会交流はしていませんし、これからもしないことになりそうです。ただ、遅かれ早かれ息子が自分に父親がいないことに気づくときがくると思います。 そのときがくるのが怖いという気持ちも私にはあります。息子も自分に父親がいないということが原因で悩むこともあると思います。息子が悩んだら、息子の気持ちを受け止めて、誠心誠意向き合いたいと思います。けれども普段は明るく、元気よく、幸せそうに生きている母親の姿を息子に見せたいと思っています。 離婚というのは本当につらいことで、子どもへの影響があると思うとなおさら責任は重く、私はどうしても暗い気持ちになってしまいました。けれども子どものためにもきちんと前を向いて明るく日々を過ごすことが大事だと気づき、今は幸せに過ごしています。シングルマザーということでつらいことや嫌なこともありますが、胸を張って元気に生きていきたいと思います。 作画/はたこ監修/助産師 松田玲子著者:岩谷ともこ2歳男児を持つシングルマザー。社会人をしながら博士号取得中。育児・離婚・資産運用について執筆中。
2024年01月15日1月19日(金) より1カ月間「新国デジタルシアター」にて、演劇『どん底』が無料配信されることが決定した。「新国デジタルシアター」は、時や場所を選ばずに新国立劇場の舞台芸術を鑑賞することができる映像配信プラットフォームだ。『どん底』は、日本では1910年(明治43年) に『夜の宿』と題して初演されて以来、百年を経た現在でもたびたび上演されるロシアの作家ゴーリキーの名作。本作は、新国立劇場2019/2020 シーズンに「一人の人間と一つの集合体」の関係をテーマとしたシリーズ「ことぜん」の第一弾として、安達紀子による新訳で上演された。演出にあたったのは、2023年に新国立劇場『貴婦人の来訪』ほかの演出で第30回読売演劇大賞 最優秀演出家賞も受賞した五戸真理枝。五戸は、本作に「社会と人間」というテーマを見出し、新しい視点で描き出した。<配信情報>演劇『どん底』無料配信■配信期間1月19日(金) 12:00~2月19日(月) 12:00■配信メディア新国立劇場ウェブサイト内 新国デジタルシアター※新国立劇場YouTubeチャンネルからもご視聴いただけます。■配信内容2019/2020 シーズン演劇『どん底』日本語上演収録日:2019年10月16日(水)詳細はこちら:
2024年01月13日息子が1歳半のときのこと、初めて経験する大変な育児に限界を感じ、心身の不調をきたし始めた私。そんなときに差し伸べられた救いの手は、子育てが苦しかった私にとって大きな心の支えとなりました。他人のやさしさに感謝感激した体験談を紹介します。大変過ぎた初めての育児息子は生まれてすぐから睡眠時間が短く、起きている時間はずっと泣いている子でした。1歳半を過ぎても状況は変わらず、さらには離乳食も順調に進まなかったため、育児は大変になる一方。 なかなか寝ない息子に付き添う私は常に寝不足、しょっちゅう泣く息子をあやし続け、離乳食にも神経をすり減らす生活で、心身ともに疲れ果てていたと思います。やがて私は無気力や物忘れ、食欲不振の症状が出始め、日々の家事もこなせなくなりました。 心配した夫が呼んだ救世主私の現状に危機感を抱いた夫は、息子を遊びに行かせたことのある子育て応援拠点施設に電話で相談しました。すると電話の2日後には、子育て応援拠点から50代くらいの女性スタッフさんが自宅にかけつけてくださり、私のつらい気持ちを聞くだけでなく、夕飯の用意や掃除の手伝いまでしてくださったのです。 また、その子育て応援拠点では一時預かり保育もおこなっていたため、すぐに緊急枠での一時預かり保育を手配してもらえました。私が感謝の気持ちを伝えると、「子育てはまだまだ先が長いのよ。楽しく子育てをするためにも、人に頼って息抜きしなきゃダメ。まずは少しでも睡眠を取ろう! 私たちがいつでも力になるから、なんでも相談してね」とスタッフさんに言われ、私は張り詰めていた緊張の糸が切れて大号泣してしまいました。 子育て応援拠点のスタッフさんのやさしさと支援に救われ、私は子育てが苦しい時期でもなんとか気持ちを前向きに保つことができました。心身ともに私を支えてくださった子育て応援拠点のスタッフさんには、本当に感謝しています。 ※産後3~10日のママが発症する「マタニティブルーズ」は産褥期の生理的な現象で、症状は産後2週間ほどで自然に治まると言われていますが、マタニティブルーズが悪化し、産後うつ病に移行するケースも少なくありません。産後うつ病の予防には早期対策が重要です。気になる症状や育児に関する不安がある場合は、早めに医師に相談しましょう。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子イラスト/ミロチ著者:佐藤 葉月
2023年10月15日現在、6歳と3歳のやんちゃな男の子2人を育てています。長男がまだ生後3カ月のころ、ベビールームで見知らぬママに怒られたことがありました。ショックでしばらく外に出られないほど落ち込んだ体験談を紹介します。初めてのベビールーム長男が生まれ、3カ月の里帰りも終わり自宅に帰ったころです。自宅近くの駅ビルに長男と買い物に行きました。途中で長男がぐずってしまい、授乳室のあるベビールームに行くことに。ベビールームは初めてだったので、少し緊張していました。 入ると、すでに他のママとママの子どもと思われる子が3人遊んでいました。私は会釈後にそのまま奥にある授乳室に行き、長男の授乳を終わらせました。しかし授乳室から出ると、突然そのママが怒りだしたのです! 「あいさつしてから入るように! 」と怒られる「ここには『こんにちは! 』とあいさつしてから入るように! 」と突然言われ、びっくり。そのママは「親のくせに、あいさつもできないなんて子どもがかわいそうだね! 」と言い放つと、子どもたちを連れてベビールームを出て行ったのです。今思えば、ベビールームは共有スペースなので、もしかするとそのママは会釈だけではなく声掛けをしてから入ってほしかったのかもしれません。 また、注意された際も謝らずに、つい無言になってしまったことも印象が悪かったのかもしれません。ただ、当時はこのできごとが本当にショックで眠れませんでした。特に「子どもがかわいそう」という言葉は、今思い出しても悲しくなります。 外出が怖い…またあのママに会うかもしれないと思うと、外出ができなくなりました。特に相手は3人のママだったこともあり、「きっと私が悪かったんだ……」とクヨクヨ悩む日々。しかし、夫や先輩ママに相談しているうちに、自分の中で何とか消化することができました。もしかしたら、怒り出したママは育児に疲れて少しイライラしていたのかもしれません。 また、私が入ったときに子どもたちがテーブルやおむつ台に乗って遊んでいたので、少しバツが悪かったのかな、私も素直に「すみません。次から気を付けます」とにこやかに答えればよかったかな……とも思いました。当時、産後間もなかったこともあり、精神的に参っていたことも落ち込んだ原因かもしれません。 結局、そのママとはその後、一度も会うことはありませんでした。この経験を踏まえ、次男出産時は「出産後は落ち込みやすいけど、産後だから仕方ない」と思い、あまりクヨクヨ悩まないように心がけることができました。しかし、知らないママに突然怒られた出来事は、今思い出してもなかなか衝撃的な体験でした。 監修/助産師 松田玲子著者:竹内優実6歳と3歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2023年08月09日皆さんはご近所トラブルに悩んだことはありますか? 今回は「子どもに空き缶を投げつける女」について紹介します。イラスト:モナ・リザの戯言突然不幸のどん底主人公は一軒家を建て、妻と子どもたちと幸せに暮らしていました。しかし、ある日突然、主人公の会社が倒産。妻も家を出ていってしまい、主人公は一気に不幸のどん底に…。そんな主人公を見て、人の不幸が大好きな近所の女性は大爆笑。するとその様子を見ていた隣人の女性が声をかけてくれました。そして主人公の話を聞き、主人公が忙しい間は子どもたちを預かることを提案してくれたのです。さらに隣人の女性の夫が、主人公家族を思ってボランティア活動へも誘ってくれました。主人公たちは積極的にボランティアに参加するように。ある日も、清掃ボランティアをしていたのですが…。笑顔を取り戻した主人公家族が気に食わなかった近所の女性が近づいてきて、イヤミを言い放ったのです。すると隣人の夫婦が主人公をかばってくれ、近所の女性に「他人の事情を話して最低だ!」と言い返してくれたのです。いたたまれなくなった近所の女性は逆上して…。子どもに空き缶を投げつける女出典:エトラちゃんは見た!なんと子どもに空き缶を投げつけてきたのです。その行為を通報された近所の女性は、警察へ連行されたのでした。他人の不幸を嘲笑った女性の末路主人公の不幸を笑い、イヤミまで言ってきた近所の女性。行きすぎた行動をした結果、警察沙汰にまで発展したエピソードでした。※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点のものになります。※この物語はフィクションです。
2023年08月08日私は9歳と4歳の2児の母です。やさしい夫と家族4人で仲良く暮らしていましたが、ある日突然夫から「好きな人ができた。その人と再婚したいから離婚してほしい」と言われてしまったのです。すっかり人が変わった夫とはもう一緒にいたいとは思えませんが、離婚に承諾したら相手の思うツボ!と離婚を拒んでいました。すると、夫と不倫相手から嫌がらせをされるようになったのです。 夫の愛人の正体は…不貞の事実と離婚の意思を告げられたあと、夫とは別居しました。ショックで頭がおかしくなりそうでしたが、証拠集めのため探偵に調査を依頼すると、相手はわが子と同じくらいの幼い子どもがいるシングルマザーでした。夫に問いただすと、その人は妻子がいることを知ったうえで夫との再婚を望んでいるとのこと。 同じ母親として、幼い子どもたちから父親を奪い取ろうとする気持ちが理解できないですし、許せません。弁護士に相談して慰謝料請求することにしたのですが、離婚前提ではない場合、慰謝料請求の額は大きくないとのことでした。そのうえ、相手に慰謝料請求を無視されたのです。人の心、家庭を壊しておいてなぜ?と悔しくて涙しました。 非通知の番号から謎の電話慰謝料請求のあとから、嫌なことが立て続けに起こるようになりました。まず、夫からは経済的に追い詰められていきました。またある日、私の携帯に非通知で電話がかかってきました。そして、過去に夫の不倫相手だったと名乗る人から、私の知らない、夫の過去に関する嫌な話を聞かされたのです。電話番号は夫婦共通の知人から聞いたとのことでしたが、夫婦共通の知人は少なく、私の番号を知っている人もほとんどいないのです。 話の真偽はわかりませんが、つじつまが合わないことがいくつもあったので、なんだか怪しい……と思った私は、「不貞が事実なら訴えます」と毅然と対応。すると相手は慌てたようにすぐに電話を切り、それから電話をかけてくることはありませんでした。ただ、無言電話は度々ありました。 SNSに不正ログイン、自宅前に怪しげな女さらに、不倫相手の名前が登録されたパソコンから私のLINEのアカウントに何度かログインを試みた形跡が……。他のSNSでも私のアカウントにログインを試みる通知が相次いでおり、弁護士に相談したところ、警察に届け出ることになりました。警察から夫に連絡が行きホッとしたのも束の間、今度は明らかに変装した感じの怪しげな女の人が自宅の前に立っていたのです。 近づいたら去っていきましたが、怖くなって引っ越しも考えました。ただ、子どもたちはこの家の学区の小学校と幼稚園に通っており、家も気に入っています。家の鍵を変え、防犯カメラを設置。盗聴器の探査も依頼して、引っ越しはしないことにしました。 嫌がらせから気づいたこと今回の件での出費は相当なものです。このお金を子どもたちのために使いたかった……と考えると悔しくて仕方ないです。数々の嫌がらせも、私を追い詰め、弱らせ、離婚に同意させようとするためでしょう。実際、相当なダメージを受けました。でも、気づいたことがあるのです。 これまで、夫と不倫相手に仕返しをしたいと思ってあれこれ考えても、何1つ実行できないでいました。悔しいけれど、人としてはそれが正しかったかもしれない、と。私は人として恥ずかしいこと、間違ったことは何1つしていないですし、誰も傷つけていません。そのことに気づいたとき、なんだかホッとしてしまいました。 悪には屈しない! 離婚は断固拒否!と頑なでしたが、友人から「復讐に生きてちゃもったいないよ。復讐は、幸せになることだよ」と言われ、だんだんとその通りだと思えるようになってきました。現在、夫とは離婚協議中です。ただし子どもたちのために、離婚の条件は譲る気はありません。私と子どもたちの笑顔のために、凛として生きていきたいと思います。 イラスト/きょこ著者:山本舞花自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年07月26日実家が遠く土地勘もなし、知り合いもいない夫の地元での敷地内同居。仕事が忙しく家事をほとんどしない夫に不安がある中での妊娠~出産。何もしない夫と、自分が正義という支配型の義両親との付き合い方には頭を悩ませていました。その一方、義母は産後の訪問ボランティアをしていたこともあり、産後の不安を払拭するサポートをしてくれるのではと心強く思っていました。ですが、いざ出産すると私の淡い期待を裏切る、なんとも頼りない義母でした。マイペースな義母との暮らし退院後は赤ちゃんのリズムに合わせる生活のため、明け方にやっと寝られるということもありましたし、授乳して服がめくれたままソファで寝てしまうこともありました。わが家と義実家は、完全分離型の二世帯住宅ですが、両家を行き来できるドアで繋がっています。そのため、私たちの生活スタイルにはお構いなしに自分のペースでわが家にやってくる義母。 勝手にカーテンや窓を開けたり、室内干しの洗濯物を外に出したり……。ありがたいと思いつつも、夕方に開いたカーテンや窓を探して閉める手間、天気や時間を見ながら取り込む洗濯物、足音が聞こえると勝手にドアを開けられるのではという恐怖など、心休まらない日々。小さな物音でも起きてしまう敏感な時期だったこともあり、私の家なのに落ち着ける場所ではないように感じていきました。 期待とは裏腹に何もできない義母そんな生活が10日ほど続いたある日。孫とのふれあいの場を設けようと思い、義母に沐浴のお手伝いをしてほしいと頼みました。義母は快く引き受けてくれたので、お湯張り中のお湯に入れた温度計が38度であるかを見てもらうようお願いし、私はその間に子どもの準備をして連れて行きました。 温度を確認しようと肘を入れると、いつもより熱い! 熱いことに驚きながらも子どもを片手に抱き調整していると、義母は「温度計の数字が見えなかった」と言いました。沐浴中も、義母はせっけんやタオルを用意するなどのサポートをしてくれることはなく、ただただ「かわいいわねぇ」と眺めているのみで、最後まで手伝ってもらえませんでした。 頼りたくても頼れない日々に限界が…乳児湿疹で悩んでいた生後0カ月のとき、近くに良い病院があるか義母に尋ねましたが、わからないとのことだったので、とりあえずネットで探した一番近くの皮膚科へ。後日、義母に湿疹が治まらない話をすると、「あそこの病院の薬は効かないの」「なんであそこの病院に行ったのかと思った」と言われ、「じゃあ最初からダメな病院は教えてくれ……」と思ってしまいました。 他にも、義母にサポートしてもらおうと夜泣きがつらいと話をしても、日課の晩酌は欠かさないので夜中の一番つらい時間に見ていてもらうことができない、日中はいつもお出かけしているのでいざというときに頼れない、おむつ替えも覚えようとしないので預けるのは不安、などモヤモヤする点が多々……。私が期待しすぎてしまったのかもしれませんが、裏切られたような残念な気持ちになり、心も体も限界に近づいていきました。 夫にも助けを求めましたが、「仕事が忙しい」や「わからない・できない」ばかりで頼りにならず。1カ月健診まではなんとかワンオペで頑張り、このままの状態では私が限界を超えてしまいそうだったので、1カ月健診後すぐに実家に里帰りしました。実家では両親が子どもの対応はもちろん、私を休ませようと気づかってくれて、安心感から涙が出てきました。夫や義父母の寂しいという言葉は無視して早く帰ればよかったと思いましたし、産後1カ月間のつらさは今でも忘れられません。 著者:斎藤なおみ4歳のひとりっ子園児の母。知人のいない夫の地元で、義実家と敷地内同居をしながら子育てに励む。好きな言葉は「大丈夫」「しょうがない」。
2023年07月06日義父母と同居して約10年が経ちます。正直同居がいいと思ったことは一度もありませんが、あまり干渉しないタイプの義父母なので、自由にさせてもらってありがたいなとも思っていましたし、慣れもあり同居が不快とそこまで感じてはいませんでした。家のリフォームの予定がありますが、完全に分けていいものかと迷うくらい、私自身義父母に心を開きかけてはいたのです。ある時期までは……。 義母が定年退職して状況が変化夫が単身赴任になっても、時には助けてくれる義父母への感謝とともに、夫がいなくてもできると自分に自信もついてきたころのことでした。4人きょうだいの育児を経験している義母が、フルタイムで働いていた職を定年退職して家にいるようになったのです。 義母は今までしてこなかった家の掃除や片付けをし始めました。家がきれいになるのはよかったのですが、だんだんと私や子どもたちが散らかすのも気になるようになったのか、今まで指摘されなかったことまで義母はあれこれ干渉してくるようになりました。 子どものしつけにまで干渉してくるように父親不在なので、父親代わりになるべきだと勝手に思ったらしい義父が、子どもに説教することは以前から気になることではありましたが、今度は義母までもが参戦してきたのです。 義母は子どもに説教をし、そして私にも「育て方が甘い」など、事あるごとに「昔のお父さんはもっと厳しかった」などと言うように。反論できない私は黙りこむしかありませんでした。 子どもへの影響と自信喪失もちろん、義父母がいることでいろいろな価値観が学べていいとは思います。しかしながら今の義父母を見ていると、上からの押しつけにすぎない気がします。私はもっとのびのびと安心して子どもに育ってほしいのに、私が義父母の顔色をうかがっているせいか長男も少しビクビクしていることがあり、少し心配になります。 私は思うように育児ができず、やっぱりここは自分の家ではないと思う気持ちが強くなったり、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱いたりしてしまいました。 義父母とは適度な距離感が大切だと改めて感じた体験でした。だからといって今すぐ別に住むこともできません。甘えすぎないように気をつけながら、なるべく家の中でも距離を保つ工夫をしていきたいと思います。また、子どもにとっては大事な祖父母だということは忘れないようにしなければと、自分に言い聞かせています。 作画/はたこ著者:岡本花自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2023年06月21日スカッと系人気YouTubeチャンネル『パニコレ』から、「結婚記念日が離婚決定記念日に。反抗期の息子たちからの愛」を紹介します。パニ子は43歳の兼業主婦。夫の一郎と四兄弟・18歳の春男、17歳の夏男、16歳の秋男、15歳の冬男の5人暮らしです。子どもたちは全員柔道部に所属し、体格も大きく食欲も旺盛! そして反抗期に差し掛かり、パニ子に対する態度も冷たくなってきました。 結婚20周年の記念日に、夫からまさかの言葉結婚20周年の記念日の出来事。急に一郎がパニ子に離婚を申し出て、部下の早苗と再婚すると言い始めたのです。「俺はここにいる早苗と一緒に暮らそうと思う。親権はお前にやるから。これからの人生、一番好きな相手と生きていく!」と。こうして、結婚20周年の記念すべき日に、離婚することが決まりました。 息子たちの密かな反逆一郎は慰謝料と財産分与の代わりに自宅を差し出すと言ってきましたが、これはパニ子自身が働き住宅ローンを返済してきた家。さらに、養育費について話し合っても一郎は協力的ではありません。 その話を聞いていた息子たちは、「俺ら父さんについてくしw」と言い始めたのです。子どもたちとは一緒に住めると思っていたパニ子は涙が出るほどのショックを受けましたが、長男の春男が「大丈夫。俺らにまかせな」とこっそり囁いてきたのです。 そして、息子たちは親権を父親にすることを要求し、全員ついていくことに。一郎は困惑しながらも、これを受け入れざるを得ませんでした。 「全ては父への仕返しのため」4人息子の真意とは予想通り、一郎と早苗の新婚生活は、4人の息子たちにより大混乱。一郎から息子たちを引き取るよう求められました。パニ子がアパートに行くと、息子たちにより散らかり果てており、早苗も疲弊しきっていました。 一郎は「息子たちを引き取ってくれるなら……」と、一般的な養育費の5倍の金額を支払うことに同意。その後、息子たちはパニ子のもとに戻り、一郎からは約束通りの金額が振り込まれました。 息子たちは慰謝料と養育費をパニ子が取りっぱぐれないように、密かに結託して一郎についていったのです。また、父親と浮気相手に制裁する意図もあったのでしょう。 夫の不倫で知った、子どもたちからの愛情一郎は、借金をして息子たちにお金を捻出。家計が火の車となり、早苗は出て行ったそう。一郎は昼夜働き詰めて、借金の返済に追われているとのこと。因果応報ですね。 反抗期であっても、パニ子からの愛情をきちんと受け取っていたのでしょう。そっけない態度をとっていても、親のことをしっかり見て守ってくれる子どもたち。これからも5人で助け合いながら、仲良く過ごしていくことでしょう。著者:ライター パニコレ
2023年06月07日結婚4年目に夫の不倫が発覚して、どん底に突き落とされた妻のリナ。親友に電話で相談すると…!?■夫の不倫を知り戸惑うリナ親友から夫を「まだ好きな気持ちはある?」と聞かれたリナでしたが、あまりピンときませんでした。冷静さを取り戻し、夫が重ねてきた「ウソ」と「ホント」を振り返ったところ、一刻も早く離婚したいと思っている自分に気づいたリナ。親友からの激励により、夫に慰謝料を請求する決意を固めます。■弁護士に相談した結果…!?ベテラン弁護士からどのようにしたら有利に離婚できて、慰謝料を請求できるのか聞いたリナ。「大切なのはスピード感」という弁護士からのアドバイスを胸に、さっそく兄と親友に協力をお願いします。夫の不倫の詳細を伝えたところ、兄は協力してくれることになりました。そして、親友もホテルのフレンチコースを奢るという条件で、無事協力してくれることに。いよいよ夫の不倫の真実に迫ることになったリナでしたが、果たして慰謝料をいくら請求することができたのでしょうか?こちらは、作者の人間まおさんに寄せられたエピソードを元に2021年11月6日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に集まった読者からのコメントをご紹介します。■慰謝料の請求額について読者は?リナが夫とその不倫相手に請求した慰謝料の請求額について、読者からは賛否両論のコメントが集まりました。・慰謝料もらえていいなぁと思った。こでじゃ辛いのもすごくわかるし、プツンとキレるのもわかる。・うらやましいです。私は50万円だけ。でも、弁護士料払って手元に残ったのは10万円くらい。別居資金にしたかったけど、アパートの敷金にもならない。この物語の主人公のようにもっと私が強ければ、もっと取れたかもと今でも悔やまれた。・お気持ち十分にお察し致します。人に裏切られる辛さは言葉では表せない事と思います。相談した弁護士がベテランであったことをはじめ、しっかりとした不倫の証拠が残っていた、スムーズに周りの協力が得られたなど、ある意味、良い条件がそろっていたからこそリナはこれほどの慰謝料を請求できたのかもしれませんね。続いて、リナの夫わたるに対する読者のコメントです。・わたるは結婚してはいけない人種ですね。破綻するしかないでしょう。・浮気する人の習性が分かりやすく描かれていた。意志が弱いのではなく自分本位で欲に忠実な生き方の人。結婚後も妻以外と関係を持ちたいのなら、結婚すべきではないですよね。たとえ、結婚後にそのような気持ちが芽生えたとしても、それを抑えられるだけの自制心を持ってほしいものです。最後は、夫に不倫された読者の体験談をご紹介します。・このお話はとても勉強になりました。まさにうちの夫も去年浮気していました。しかも50歳を過ぎてから…! 本人にあまり悪気がなく、発覚して妻の私が夫を追及して、それから夫の顔面蒼白を見ました。バレないとでも思っていたのか?と呆れました。私は別れたいとはっきり言ったのに夫は離婚は嫌とかましやがったのには呆れました。覚悟もないのに浮気するな!と怒りたくなりましたが、離婚の難しさを学びました。夫婦だけでなく、カップルみんな何かしら山あり谷ありなのでしょうか?私は穏やかに過ごしたいので、ただただ面倒でした。相手の女にもくぎを思いっきり刺しとかないと今後のこともあるし、疲れました〜。こんなことするなら結婚しないでほしい。今はただただ関わりたくないです。そして、夫が退職した時に私は自由になりたい。今はその準備中。子どももいるので 彼等に迷惑をできる限りかけないようにしないとね。夫婦の縁は切れるけど親子の縁は切りたくても切れないからですね。困っている皆さま、ファイト!・去年夫の不倫が発覚。3年でした。夫は不倫相手と別れたかったけど、別れられなかった。ズルズルと関係が続いてしまったと土下座して謝ってきました。危機は今でも続いています。メールの内容を突然思い出したり、相手と行った場所など見るたびに辛いです。「不倫する人は繰り返す」とよく聞きますが、そもそも不倫に対する倫理観が異なるのかもしれませんね。結婚前にそれが分かればいいのですが、なかなか難しいものです。もし相手の不倫を疑うようなことがあったら、自分の生活を守るためにも、できる限り周囲からの協力を仰ぎ、証拠をきっちりと集めておきたいですね。▼漫画「不倫され慰謝料◯◯◯万円ゲットした妻の話」
2022年12月20日私は3児の母です。子育ての中で私自身が1番大変で、毎日のように怒鳴ったり泣いたりが多かった時期は、長男が5歳、次男が2歳のイヤイヤ期でした。世間では、「魔の2歳」「5歳児の反抗期」と呼ばれていますが、そう言われているだけのことはあると実感できたほどつらかったです。それを乗り越えられたきっかけや大変だったことについてご紹介します。 兄弟喧嘩の対応でつらかったこと息子たちはヒーローものが好きで、兄弟で遊ぶときは戦いごっごをよくしていました。喧嘩になる原因は、変身するおもちゃの奪い合い。長男は順番や貸し借りが守れますが、次男はうまくできず、待てない次男が長男を叩いたり、長男の「貸して」に次男は貸せなかったりして、私も「譲ってあげなさい」と長男を叱ることが増えていきました。 そんな日々が続いて、長男は次男におもちゃを貸さずおもちゃをぶつけるように……。さらに、次男もまねしておもちゃを投げるようになり、私はまた怒る……。そういった負の連鎖が続いて育児がつらく感じていたとき、長男は怒る私に対して「ママなんか嫌いっ!」 っと言ったのです。そのひと言で、もっとつらくなりました。 育児のつらい想いを私の母と姉に相談育児がつらいことばかりで楽しいと思えなかった日が続く中、私も精神的につらくなって母や育児中の姉に相談。母からは、長男をしっかり見守ってあげなさいとアドバイス。姉からは、男の子の意地はたててあげたほうがいいよとのことでした。 私は長男ばかりに怒ることが多かったので、母と姉のアドバイスは胸にささりました。兄弟が仲良くいられるためには、長男の次男に対する関わり方を叱るのではなくて、私が長男に対しての関わり方を変えることが必要なんだと気づかされました。 長男・次男との関わり方で工夫したこと物の取り合いになったり、遊びから喧嘩に発展したりしたとき、長男に怒ることが多かったので、叱り方から変えようと思いました。叱るときは、私と子どもたちと座って向かい合い、なぜ喧嘩になってしまったのかを話し合うように。 すると、長男なりの理由がそこにはあることを知り、「これは長男の思いをたてるとき」と感じた場合には、次男に我慢してもらう声かけをするように工夫しました。 また、喧嘩を止めるのに怒鳴り声をあげていましたが、「もうそろそろやめないとママ本気で怒るよ」 とやさしく、それでもダメなときは「あ~ママもうカンカンだな、ママ、鬼になるかな~」 と強めな声で叱るようにしました。 関わり方を工夫してよかったこと子どもたちに段階をつけて私が怒っていることを伝えると、いきなり怒鳴るよりお互いに喧嘩をやめようとしていくのがわかり、効果あるかも!と感じました。 一旦、私も子どもたちも冷静になって話すことで、長男・次男の言い分をお互いに知り、仲介役として私が入ることで、穏やかに解決法を見つけられるように。長男の思いをたててあげることで、おもちゃを投げるという行為も少なくなりました。 私は育児において、子どもたちに言うことを聞かせるという関わり方をしてきたように思います。次男が長男と同じように遊べるようになって初めて、私自身の関わり方を変えないと何も変わってはいかないということに気が付くことができました。これからも子どもの年齢に応じて関わり方を工夫していこうと思っています。 イラスト/塩り監修/助産師 REIKO著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2022年11月29日私は息子が生後8カ月のとき、シングルマザーになりました。息子に父親がいなくなることがつらくて申し訳なくて、たくさん泣きました。どうやって生きていけばわからなくなりました。でも……!! 息子の生後まもなくシングルマザーに息子が生後8カ月のときに私はシングルマザーになりました。できる限りのことはしましたが、離婚は避けられませんでした。今となっては離婚を選んだことは、私にとっても息子にとっても良いことだったと胸を張って言えます。 しかし、シングルマザーになった当時は「息子に父親がいなくなる」という申し訳なさで、どうやって生きていけばいいのかわからなくなり、私は毎日泣いてばかりでした。 私が笑顔でいなくちゃ!!毎日泣いていましたが、離婚した事実はもう変えようのないことで、ひとり親として息子を幸せにするために、たくさんの育児書を読みました。また、先輩シングルマザーに子育てについてたくさん相談しました。そこで得た結論が、「私がいつも笑顔でいることが何よりも一番息子のためになる」でした。 私が離婚したことを悔やんで悲しんで暗く生きることよりも、いつもニコニコ笑って明るく胸を張って生きることが、息子のためになることに気づいたのです。実際に今のところ、私がいつも笑顔でいることで息子も楽しそうに元気にすくすく育ってくれています。 息子と生きていく決意息子は今2歳です。自分に父親がいないことにまだ気づいていません。離婚後一度も面会交流はしていませんし、これからもしないことになりそうです。ただ、遅かれ早かれ息子が自分に父親がいないことに気づくときがくると思います。 そのときがくるのが怖いという気持ちも私にはあります。息子も自分に父親がいないということが原因で悩むこともあると思います。息子が悩んだら、息子の気持ちを受け止めて、誠心誠意向き合いたいと思います。けれども普段は明るく、元気よく、幸せそうに生きている母親の姿を息子に見せたいと思っています。 離婚というのは本当につらいことで、子どもへの影響があると思うとなおさら責任は重く、私はどうしても暗い気持ちになってしまいました。けれども子どものためにもきちんと前を向いて明るく日々を過ごすことが大事だと気づき、今は幸せに過ごしています。シングルマザーということでつらいことや嫌なこともありますが、胸を張って元気に生きていきたいと思います。 作画/はたこ監修/助産師 松田玲子著者:岩谷ともこ2歳男児を持つシングルマザー。社会人をしながら博士号取得中。育児・離婚・資産運用について執筆中。
2022年11月27日映画『マッシブ・タレント』が、2023年3月24日(金)に公開される。主演はニコラス・ケイジ。ニコラス・ケイジが“どん底俳優”に!映画『マッシブ・タレント』は、ハリウッドの“頂点”と“どん底”を経験したニコラス・ケイジが、彼の分身とも言える俳優ニック・ケイジ役を演じた作品。世界67カ国で初登場TOP10入りのヒットを飛ばした『マッシブ・タレント』が、日本に上陸する。ニコラス・ケイジのカムバック作主演のニコラス・ケイジは、言わずと知れたハリウッドの大スター。『リービング・ラスベガス』でアカデミー賞主演男優賞を受賞し、アクション超大作にも出演を果たして、ハリウッドスターとしての地位を確立していく。ところがその後、出演作の興行的失敗が続き、ハリウッドからのオファーが途絶え、多額の負債を抱えることに...。それでもあきらめなかった彼は、「働きすぎ」と周囲から揶揄されながらも何十本もの低予算映画へ出演し、ついに借金を完済。そんな時に舞い込んだのが、今回のオファーだ。『マッシブ・タレント』は世界でヒットを飛ばし、ニコラス・ケイジは見事にカムバックを果たした。登場人物■主人公・ニック・ケイジ...ニコラス・ケイジニコラス・ケイジの分身のような俳優。多額の借金を抱え、心から望んでいた役は得られず、妻とは別れ、娘からは愛想をつかされているという、まさに“どん底”状態。大富豪のハビと友情を深めていくが、CIAのエージェントから「ハビの正体は国際的な犯罪組織の首領」と聞かされ、彼の動向をスパイするように頼まれる。劇中には、中国武術の挨拶・抱拳礼を披露するニック、髪ふさふさの若かかりし頃のニック、鬚髯をたくわえた現代のニック、イタリアの名門サッカーチーム・ナポリのジャージを着てはしゃぐニック...が登場。1998年に日本でもヒットを記録したアクション映画『フェイス/オフ』の名場面を再現したニコラス・ケイジの蝋人形も登場する。■ハビ...ペドロ・パスカルニック・ケイジに心酔するスペインの大富豪。ニックの熱狂的なファン&コレクターであるだけでなく、ニックと好きな映画の趣味も合い意気投合するが……。「ゲーム・オブ・スローンズ」「マンダロリアン」のペドロ・パスカルが演じる。<映画『マッシブ・タレント』あらすじ>ハリウッドスター、ニック・ケイジは悩んでいた。多額の借金を抱え、心から望んでいた役は得られず、妻とは別れ、娘からは愛想をつかされていた。「かつて栄華を極めた俺の人生はもう取り戻せないのか――。」悲観する彼の下に、スペインの大富豪の誕生日パーティーに参加するだけで100万ドルが得られる高額のオファーが舞い込む。借金返済のため渋々受け入れ、スペインへ飛んだニックを、彼の熱狂的なファンだという大富豪ハビが待ち受けていた。最初は乗り気ではなかったニックだが、映画の趣味が合うハビと意気投合し、友情を深めていく。ところがある日、CIAのエージェントがニックに接近する。ハビの正体は国際的な犯罪組織の首領で、彼の動向をスパイしてほしいというのだ。ハビとの友情をとるか、それとも国家のために働くのか。ニック・ケイジの俳優人生を懸けた一世一代の大仕事(ミッション)の幕が上がる。【詳細】映画『マッシブ・タレント』公開日:2023年3月24日(金)出演:ニコラス・ケイジ、ペドロ・パスカル、シャロン・ホーガン、アイク・バリンホルツ、アレッサンドラ・マストロナルディ、ジェイコブ・スキーピオ、ニール・パトリック・ハリス、ティファニー・ハディッシュ監督:トム・ゴーミカン脚本:トム・ゴーミカン、ケヴィン・エッテン製作:ニコラス・ケイジ、マイケル・ニーロン、クリスティン・バー、ケヴィン・トゥーレン製作総指揮:サムソン・ムク、ケヴィン・エッテン撮影:ナイジェル・ブラック音楽:マーク・アイシャム編集:メリッサ・ブレザートン衣装:パコ・デルガドプロダクションデザイン:ケヴィン・カヴァナー®, TM & © 2022 Lions Gate Ent. Inc. All Rights Reserved.
2022年11月24日初めての育児と家事の両立に悩んでいたママ。そんなある日、パパに言われたのは「息子をサボる言い訳にしたらダメだよ」という心ない言葉でした。そのときの気持ちやその後の夫婦関係の変化など、体験談をご紹介します。息子が生後6カ月のころのお話です。当時、私は育休中。息子の育児、家事をすべてひとりでおこなっていました。夫の帰りが遅いため、入浴も私ひとりで。「夜中に目が覚めると翌日の仕事がきつい」と言う夫と寝室を分けていたので、夜泣きの対応も私がしていました。 当時息子は私が視界からいなくなると泣き出すので、トイレも落ち着いて入れない状態で、今振り返ると許容量を超えたストレスを抱えていたように思います。 思わず悔し涙が……私が涙ながらに話したことを、夫は黙って聞いていました。そして、しばらく沈黙のあと「知らなかった、ごめん」と頭を下げてくれたのです。 夫は私が日中のことを何も伝えてこないことで、何も問題はないと判断していたのだと言いました。そして、何も問題がないのに家事が片づいていないのはサボっているからと思い込んでいたのだとも。なのであえて、傷つく物言いで指摘したのだそうです。 たしかに私はこれまでのことを伝えてきていませんでしたが、状況の確認もせず、息子を言い訳にして家事をサボっていると一方的に言われたことが、私は悲しくて悔しくて仕方ありませんでした。 「知らなかったからではなく、知ろうとしなかったからでは?」……私は夫に尋ねました。夫は何も返事をしませんでした。結局、この日はそのまま会話がなくなってしまい、約1週間、私と夫は最低限の会話しか交わしませんでした。 金曜日の夜。夫が1枚の紙を私に渡してきました。「土日に家のことや息子の面倒をみるから、流れを書き出してほしい」とのこと。そして「1週間考えてみた。お前の言うとおり、知ろうとしてなかったんだと思う。ごめん」と、再び頭を下げてくれたのです。 私としては夫のその姿勢がうれしいと感じた反面、本当にやれるのかな? と不安でもありましたが、まずは流れを書き出し、実際はこの通りには進まないことがあると説明をしました。そして夫は、実際に私の書き出した流れを参考に育児と家事に挑戦した結果、私のこれまでの状況を身をもって理解したのでした。 「息子をサボる言い訳にする」という言葉は今でも忘れられません。それほど私にとっては悔しかったのです。しかし、それを言わせたのは自分でもあります。きちんと夫と普段の状況を話して、無理に我慢せず手伝ってほしいと言えていたら、夫もこの言葉を言うことはなかったと思います。 この一件以来、私はこまめに状況を伝えるようになり、夫も私に「手伝えることはある?」と聞いてくれるようになりました。おかげで、今はストレスを溜めすぎることもなく、穏やかに日々を過ごせています。 著者:山田甜子夫と1歳の息子と3人暮らし。元アロマセラピスト。介護福祉士として福祉関連職でフルタイム勤務をしている。自身の経験や知識、体験を元にした記事を執筆している。
2022年11月14日2人目と3人目を年子で出産した私。しかし、夫は仕事が忙しくて平日は子どもが寝た後に帰宅し、どちらの両親にも頼れないため、週5日は完全にワンオペ育児でした。ひとりで5歳と1歳、生後0カ月の子どもたちのお世話をした、ワンオペ年子育児を乗り切った方法をお伝えします。現在妊娠・出産・子育てをする多くのママたちが直面している「孤育て(孤独な子育て)」。ベビーカレンダーでは、新型コロナウイルス流行により人と関わることができず、各家庭だけで子どもと向き合う子育てを強いられ、閉塞感や孤独感を抱えながら子育てをしている、今の子育ての実態を特集でご紹介します。 時間と心に余裕がなくてイライラする日々3人目を出産したとき、2人目は1歳1カ月になっていましたが、まだ1人歩きができない抱っこが必要な赤ちゃんでした。2人目が泣いたら3人目もつられて泣き、3人目が抱っこを求めると2人目も抱っこを求めるような状態でした。 さらに、5歳の長男も甘えん坊なので、ママに相手をしてもらえなくてぐずぐずしがち。おねしょをする回数も増えました。生後0カ月児と1歳児を1日中抱っこし続け、長男もぐずぐずしているなかで、私は時間にも心にも余裕がなくイライラしてばかりでした。 いつまで“孤育て”しないといけないの?ちょうど同じ時期に年子の子どもを出産した友だちがいましたが、どちらの両親も徒歩圏内に住み、旦那さんは育休を取っているようでした。友だちの恵まれた家庭環境を聞いて、うらやましい気持ちになり、余計にストレスを感じたことも……。 日中の家事・育児が一段落しても、すぐに年子の2人の夜泣きが始まる日々。いつまでこんな生活を送らないといけないのか……と、絶望した気持ちになったこともありました。仕事ばかりしている夫は、一応話は聞いてくれますが、どこか他人事のようでした。 一時保育の利用を決意「余裕のない日々を少しでもラクにしたい」という一心で頼ったのが、一時保育でした。一時保育を利用したのは、自治体が運営する子育て支援サービスのなかで一番家から近かったためです。それまで一時保育へ預けることに後ろめたさがありましたが、自分の心が壊れる前に利用しようと決意し、3人目が生後4カ月のときに利用登録の申し込みをしました。 昼間は1人目と2人目は保育園へ通っていたので、3人目だけ一時保育に連れて行きました。一時保育の先生は「赤ちゃんは癒やされる」と言って、快く預かってくれるので、こちらも後ろめたい気持ちにならずに済みました。たった2時間でしたが、自分のペースで生活できるひとときはすごく貴重で、リフレッシュできました。 頼れる家族がいないからこそ、子育て支援サービスに助けを求めるのはとても大切だと思いました。利用するまでに電話したり、面談したりと手間がかかりますが、登録さえすれば子育ての負担が軽減し、心と体が解放されたような気持ちになりました。同じようにワンオペで育児している方に、子育て支援サービスの良さを伝えたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じてお住いの保育課や子育て支援施設に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:花野あやせ3児のワーキングマザー。幼児をワンオペ育児しながら会社勤めをする難しさに悩み、会社員からフリーランスに転向。現在はライターとして活動中している。企業のブログや育児、恋愛コラムなどを執筆。
2022年09月24日これは日中元気に遊んでいた、当時4歳だった息子の身に起きた出来事です。私たち夫婦にとっては初めての体験でとても驚きました。それは私たち夫婦の未熟さによって引き起こされたため、とても反省した出来事でもあります。 夕方からの散歩この日わが家には、待ちに待った子ども乗せ電動自転車が届きました。息子も「早く乗りたい」と大はしゃぎ。夕方仕事から帰宅した夫に「自転車でお散歩に連れて行って」とおねだりしていました。 その期待にこたえ、夫は息子を自転車の後ろに乗せて2人で「レッツゴー!! 」と言いながら元気よく出発していきました。この日は梅雨入り前。日中暖かくても日が暮れてくると、グッと気温が下がる季節でした。 なかなか帰って来ない2人夕方からの出発だったため「すぐに帰ってくるだろう」と思っていましたが、30分たっても2人は帰ってきません。私は「たしか上着を着ていなかった。大丈夫かな……」と心配になりました。結局1時間ほどたって「楽しかった」とご満悦な様子で2人は帰ってきました。しかし「暑い暑い」と言う夫とは対照的に息子の体は冷え切っています。 「どうしてこんなに帰宅が遅かったの?」と聞くと、「楽しくて、息子にもっと行こうとせがまれ、つい遠くまで行ってしまった。自転車をこいでいる自分は暑くて、息子の体が冷えていることに気付くことができなかった」と言います。幸いにも、息子はとても元気で夫の言う通り「遠くまで行けて楽しかった」と喜んでいたので、今後は気を付ける約束をして、終わりました。 夜中突然夜眠っていたときのこと。突然息子の声が聞こえ、見ると、不思議そうに一点を見つめ何か喋っています。「どうしたの」と聞くと、「へんな虫が」と言い不安そうな表情に。電気をつけて虫を探しますが見当たりません。さらに息子は「どんどん増えてくるよ! ママの手! へんな虫いっぱい出てきた!」と怯えた顔に。その声に夫も起き、私は事情を説明。そのうえ「ぎゃー! 僕の腕にも虫がー! 」息子は大きな叫び声を出し、両腕をバタバタとふり大泣き。 思わず抱きしめた息子の体がとても熱い! 「幻覚だ。熱で息子は幻覚が見えてるんだ」と夫に伝え、息子には「大丈夫。ママがいるよ」と落ち着かせようとしましたが、足をバタバタさせ泣いています。すると夫が息子の体を包み込むように抱っこ。「ほら。これでぜんぶ隠れた。虫出てこないよ。パパが守ってあげる」と夫が声をかけると、息子もだんだん落ち着いた様子に。 反省熱は39度近くあり、幻覚が見えたものの、話の受け答えはできました。そして解熱剤とお水を飲み、息子は再び眠ることができました。私は夫と、今回のことについて話し合いました。「子どもは大人よりも外気の影響をうけやすく、体温調節もしにくい」このことを私たちは理解していたはずなのに、今回は息子に上着も持たせず、寒くなる時間に散歩をしてしまいました。 息子は4歳で自分のことを話せる年齢ではありましたが、息子は「暑い、寒い」という感覚よりも「楽しい」気持ちが上回っていたのだと思います。そんな息子の気持ちを理解しながら、「息子につらい思いをさせてしまった」と2人でとても反省しました。体調に影響が出る前に自宅に帰っていれば、幻覚を見るほどの熱はでなかったかもしれません。 「幻覚」というものを、私たち夫婦は今まで体験したことがありませんでした。今回幻覚により、恐ろしい思いをしている息子の姿をみて、私たちも恐ろしい思いをしました。そして、それが私たちの不注意によって引き起こされてしまいました。「同じことをくりかえさないようにしよう。もう二度とこんな体験を息子にさせたくない! 」夫婦ともに強く反省する出来事でした。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 REIKO著者:山下亜衣10歳と7歳のサッカー小僧の母。子どもたちを応援するため、アスリートフードマイスターを取得。転勤族で現在は地方での生活を満喫中。趣味はキャンプ。
2022年09月13日長男が3歳、次男が生後半年のときのこと。息子たちの寝かしつけを終えた私は、別室にいる夫のもとへ向かいました。すると夫はベッドの上で携帯を持ちながら寝てしまっている様子。ふと夫の携帯画面を覗くと、なんとそこには出会い系サイトのアプリが表示されていたのです。出会い系サイトに登録した夫まだ長男が3歳、次男が生後半年のときのこと。夫は仕事が忙しく、私はワンオペで育児や家事に追われる毎日を過ごしていました。大変ではあるけれども充実していて、夫との関係もうまくいっていると私は思っていました。 ある日の夜、子どもたちの寝かしつけを終えた私は、夫に用があったため夫の寝室へと向かいました。すると夫は手に携帯を持ったまま、ベッドの上で眠ってしまっている様子。私は夫の携帯を充電器に挿そうとし、携帯の画面に目をやりました。するとそこには出会い系サイトのアプリが表示されていました。 出会い系サイトのやりとり夫が出会い系サイトに登録していることに、私はかなりショックを受けました。しかも画面には、女性とのやりとりが表示されている状態。見てはいけないと思いながらも、私は表示されているやりとりを見てしまいました。 夫の登録名はもちろん仮名、プロフィール写真もネットで拾ってきたのか、知らない男性の顔写真を登録していました。女性とのやりとりの内容は、「直接連絡を取り合いませんか?」といった内容。ワンオペ育児を必死に頑張っていた私は、この女性とのやりとりに、どんどん怒りが湧いてきました。 夫を問い詰める怒り心頭の私は、すぐさま夫を起こし、どういうつもりなのか問いただしました。すると夫は、「〇〇(私の名前)がキツイ言い方をしてくるから、どうしたら夫婦関係がうまくいくか出会い系で相談してた」とのこと。夫いわく、知り合いに相談するより、まったく知らない人に客観的な意見を聞きたかったと言うのです。 私は腹が立つやら悲しいやらで、涙があふれてきました。夫は断じて不倫目的ではなくやましいことは何もないと言い張るので、納得はいかないながらも、そのまま揉めていても仕方ないので、その場は許すことに。 その後、特に夫の行動に怪しさを感じたことはありません。今でも正直、出会い系サイトに登録したのはやはり不倫目的なのでは?と夫を信じきれていない部分もあります。ですが当時、私もワンオペで精神的に追い詰められており、夫にキツく当たったのも事実。今は夫にも思いやりを持って接することができるよう、心がけています。 著者:森井さやか小学生と幼稚園児の男児2人を子育て中。育児の経験やアパレル販売員をしていた経験を生かして、子育て体験談やファッション記事を執筆している。
2022年09月12日初めての子育てで、わからないことだらけの状態だった0〜1歳の時期。実家は遠方、夫は激務のため、ワンオペ育児だった私は頼れる相手がいませんでした。そして、心配性な私は何かあればすぐネットで検索をしては不安になり、体調も崩しがちに。そんなときに、救世主が現れたのです!わからないことは、とにかく検索待望の第1子を授かり、無事出産。そして病院を退院し、初めての育児が始まりました。赤ちゃんは泣くのが仕事と言いますが、何をしても息子が泣き止まないとき、心配性な私は「もしかしてどこか痛いのでは? それか病気かもしれない」とすぐ心配に……。息子が寝たあと、その都度スマホで泣き止まない原因を検索していました。 今考えると、そのとき息子と一緒に寝ておけばよかったのですが、眠らずにネットで検索ばかりしていました。そのころの私は夜間授乳も伴い、常に寝不足な状態でした。 体調を崩した私に夫が…そんな生活は、息子が1歳を迎えてからも続いていました。発語がなく、離乳食を拒否したり、とにかく泣き続けたりする息子を見ては、「この子はもしかしたら発達に問題があるのかも……」と不安になり、またネットで検索する毎日。どの検索結果が正しいのかわからず、さらに悩みました。 当時はワンオペ育児だったこともあり、私は体調を崩しがちになってしまいました。すると、そんな私を心配した夫が私の母親に連絡し、1カ月ほど家に来てもらうよう頼んでくれたのです。 母親の対応を見て母親は私と真逆で、良い意味で適当な性格の持ち主で、息子が離乳食をあまり食べなかったときにも「まぁ今はおっぱい飲んでるし、大丈夫大丈夫!」と特に気にせず。 そして、日中は「〇〇くん(息子)は見ているから、あなたはとにかく寝なさい」と言ってくれたので、私は久々にひとりでゆっくり寝ることができるようになりました。その後、だんだん体調が良くなってきた私は、母親のおおらかな育児方法を見ては、あんまり心配しすぎなくてもいいのかも……と思えるようになっていったのです。 息子は現在5歳になり、元気に幼稚園へ通っています。最近は育児の悩みを過剰に検索することはやめて、病気などでない限り、これもこの子なりの成長なのかなと思うようになりました。あのときヘルプに来てくれた母親と、母親を呼んでくれた夫にとても感謝しています。 監修/助産師 松田玲子著者:小野 美穂5歳の幼稚園男児のママ。乳児期に産後うつになり、治療をおこなう。現在は趣味のイラストを活かした仕事をしている。
2022年08月12日現在、6歳と3歳のやんちゃな男の子2人を育てています。長男がまだ生後3カ月のころ、ベビールームで見知らぬママに怒られたことがありました。ショックでしばらく外に出られないほど落ち込んだ体験談を紹介します。初めてのベビールーム長男が生まれ、3カ月の里帰りも終わり自宅に帰ったころです。自宅近くの駅ビルに長男と買い物に行きました。途中で長男がぐずってしまい、授乳室のあるベビールームに行くことに。ベビールームは初めてだったので、少し緊張していました。 入ると、すでに他のママとママの子どもと思われる子が3人遊んでいました。私は会釈後にそのまま奥にある授乳室に行き、長男の授乳を終わらせました。しかし授乳室から出ると、突然そのママが怒りだしたのです! 「あいさつしてから入るように! 」と怒られる「ここには『こんにちは! 』とあいさつしてから入るように! 」と突然言われ、びっくり。そのママは「親のくせに、あいさつもできないなんて子どもがかわいそうだね! 」と言い放つと、子どもたちを連れてベビールームを出て行ったのです。今思えば、ベビールームは共有スペースなので、もしかするとそのママは会釈だけではなく声掛けをしてから入ってほしかったのかもしれません。 また、注意された際も謝らずに、つい無言になってしまったことも印象が悪かったのかもしれません。ただ、当時はこのできごとが本当にショックで眠れませんでした。特に「子どもがかわいそう」という言葉は、今思い出しても悲しくなります。 外出が怖い…またあのママに会うかもしれないと思うと、外出ができなくなりました。特に相手は3人のママだったこともあり、「きっと私が悪かったんだ……」とクヨクヨ悩む日々。しかし、夫や先輩ママに相談しているうちに、自分の中で何とか消化することができました。もしかしたら、怒り出したママは育児に疲れて少しイライラしていたのかもしれません。 また、私が入ったときに子どもたちがテーブルやおむつ台に乗って遊んでいたので、少しバツが悪かったのかな、私も素直に「すみません。次から気を付けます」とにこやかに答えればよかったかな……とも思いました。当時、産後間もなかったこともあり、精神的に参っていたことも落ち込んだ原因かもしれません。 結局、そのママとはその後、一度も会うことはありませんでした。この経験を踏まえ、次男出産時は「出産後は落ち込みやすいけど、産後だから仕方ない」と思い、あまりクヨクヨ悩まないように心がけることができました。しかし、知らないママに突然怒られた出来事は、今思い出してもなかなか衝撃的な体験でした。 監修/助産師 松田玲子著者:竹内優実6歳と3歳の男児を育児中。時短と節約が大好きなアラフォー母。簿記2級・MOSマスター・初級シスアド取得。パソコンを活かした育児グッズの作成が得意。夫は激務の為、ほぼ一人育児中。
2022年08月02日実家が遠く土地勘もなし、知り合いもいない夫の地元での敷地内同居。仕事が忙しく家事をほとんどしない夫に不安がある中での妊娠~出産。何もしない夫と、自分が正義という支配型の義両親との付き合い方には頭を悩ませていました。その一方、義母は産後の訪問ボランティアをしていたこともあり、産後の不安を払拭するサポートをしてくれるのではと心強く思っていました。ですが、いざ出産すると私の淡い期待を裏切る、なんとも頼りない義母でした。マイペースな義母との暮らし退院後は赤ちゃんのリズムに合わせる生活のため、明け方にやっと寝られるということもありましたし、授乳して服がめくれたままソファで寝てしまうこともありました。わが家と義実家は、完全分離型の二世帯住宅ですが、両家を行き来できるドアで繋がっています。そのため、私たちの生活スタイルにはお構いなしに自分のペースでわが家にやってくる義母。 勝手にカーテンや窓を開けたり、室内干しの洗濯物を外に出したり……。ありがたいと思いつつも、夕方に開いたカーテンや窓を探して閉める手間、天気や時間を見ながら取り込む洗濯物、足音が聞こえると勝手にドアを開けられるのではという恐怖など、心休まらない日々。小さな物音でも起きてしまう敏感な時期だったこともあり、私の家なのに落ち着ける場所ではないように感じていきました。 期待とは裏腹に何もできない義母そんな生活が10日ほど続いたある日。孫とのふれあいの場を設けようと思い、義母に沐浴のお手伝いをしてほしいと頼みました。義母は快く引き受けてくれたので、お湯張り中のお湯に入れた温度計が38度であるかを見てもらうようお願いし、私はその間に子どもの準備をして連れて行きました。 温度を確認しようと肘を入れると、いつもより熱い! 熱いことに驚きながらも子どもを片手に抱き調整していると、義母は「温度計の数字が見えなかった」と言いました。沐浴中も、義母はせっけんやタオルを用意するなどのサポートをしてくれることはなく、ただただ「かわいいわねぇ」と眺めているのみで、最後まで手伝ってもらえませんでした。 頼りたくても頼れない日々に限界が…乳児湿疹で悩んでいた生後0カ月のとき、近くに良い病院があるか義母に尋ねましたが、わからないとのことだったので、とりあえずネットで探した一番近くの皮膚科へ。後日、義母に湿疹が治まらない話をすると、「あそこの病院の薬は効かないの」「なんであそこの病院に行ったのかと思った」と言われ、「じゃあ最初からダメな病院は教えてくれ……」と思ってしまいました。 他にも、義母にサポートしてもらおうと夜泣きがつらいと話をしても、日課の晩酌は欠かさないので夜中の一番つらい時間に見ていてもらうことができない、日中はいつもお出かけしているのでいざというときに頼れない、おむつ替えも覚えようとしないので預けるのは不安、などモヤモヤする点が多々……。私が期待しすぎてしまったのかもしれませんが、裏切られたような残念な気持ちになり、心も体も限界に近づいていきました。 夫にも助けを求めましたが、「仕事が忙しい」や「わからない・できない」ばかりで頼りにならず。1カ月健診まではなんとかワンオペで頑張り、このままの状態では私が限界を超えてしまいそうだったので、1カ月健診後すぐに実家に里帰りしました。実家では両親が子どもの対応はもちろん、私を休ませようと気づかってくれて、安心感から涙が出てきました。夫や義父母の寂しいという言葉は無視して早く帰ればよかったと思いましたし、産後1カ月間のつらさは今でも忘れられません。 著者:斎藤なおみ4歳のひとりっ子園児の母。知人のいない夫の地元で、義実家と敷地内同居をしながら子育てに励む。好きな言葉は「大丈夫」「しょうがない」。
2022年07月28日私の子育て人生の始まりは2011年でした。この年は東日本大震災など、世間的にもたくさんのことがありましたが、私のどん底は長男を出産した2日後にやってきたのです……。マッサージを受けて授乳の準備はバッチリ帝王切開での出産。その翌日まで点滴を受けていたので、授乳がスタートしたのは産後2日目からでした。 それまでは助産師さんたちが作ってくださった育児用ミルクを、言われるままに飲ませていました。病院のスケージュールのなかで、おっぱいがよく出るようにおっぱいマッサージをしてもらい、たくさん出ていたので授乳の準備は完璧のつもりでいたのです。 幸せな授乳タイムの始まり…?いよいよおっぱいでの授乳がスタートしました。私が出産した病院では、ママと赤ちゃんが授乳室に集合しておっぱいを飲ませていました。赤ちゃんの体重を測って、おっぱいをくわえさせて飲ませて、また体重を測って。 みんながどんどん授乳を終わらせていくなか、私はなかなかうまく飲ませることができず、じょうずに飲ませられない不安と孤独でいっぱいでした。 孤独と不安で毎日涙…個室に戻っては、「帝王切開で産んだからちゃんと飲んでもらえないのかな」「おっぱいが大きすぎるから飲みにくいのかもしれない」「ミルクのほうがおいしいのかも……」と自分を責め、ひとりで大泣きしては寝られない夜を過ごしていました。 赤ちゃんは母乳で育てるのがいいからと周りに言われ、誰にも相談できずにいました。そして朝が来るとまた恐怖の授乳教室が始まり、挫折して個室に帰り、泣きながら搾乳する。そんな入院生活でした。 あんなに涙にくれながらおっぱいをくわえさせて頑張っていましたが、その後は搾乳して哺乳びんで飲ませたり、夜中は育児用ミルクにしたりと、負担の少ない授乳に移行していきました。生後3カ月ごろからは完全ミルク生活にしたことで、苦しみから解放されて、楽しく子育てができるようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 舟橋海央4歳差の男子2人の母。同じ男の子でも性格の違う2人からいろいろ学びながら子育てを満喫中。自身の子育て体験をもとに記事を執筆している。
2022年07月23日義姉と同じ年齢の子どもがいる私。会うたびに、保育士の義姉と私の子育てについて比較と評価をしてくる義父に戸惑うことに……。しかし、義父の立場を理解し、気持ちを切り替えた体験談をご紹介します。初めての子育てに不安はつきものだけど…義姉は保育士として働き始めて3年ほど。決してベテランとは言えない経歴ですが、「〇〇(義姉)は育児のプロだ!」と誇らしげな義父。一方、私は一般企業に勤めており、保育・育児経験はゼロ。 そんな中、お互い子どもが同学年ということもあり、親戚の集まりでは子どもの話をする機会が増えました。最初は気に留めていなかったものの、義父が義姉と私の子育てについて比較と評価をし始めて……。会うたびに私は複雑な思いをすることが多くなりました。 子どもの前で言わないでほしい…義父の子育て比較は食事や遊び、教育などさまざまです。ある日義父が「〇〇(義姉)はチョコレートを与えていないけど、△△(私)さんは食べさせているんじゃないか~。プロはおやつを与える時期を細かく理解している!」と言ったのにはビックリ。 娘もまだ幼いのでチョコレートはまだ食べさせていないのですが、実際に私がしていないことまで憶測で言われてしまったのです。夫や私が、わが家の子育てについて義父へ伝えても、そこは記憶に残らないようです。特につらかったのは、子どもたちの前で比較と評価をされることでした……。 義父の立場になってみる義父は常に両方の家庭について把握しているわけではないので、私は気にしないように意識しました。しかし、私の気持ちはモンモンとするばかりで、義父に会うのがだんだんつらくなってきました……。これではいけないと、私自身の気持ちを整理して、義父の立場を考えてみることに。 義父は親戚と疎遠だった時期があり、交流できることがうれしいのではないか。そして、義姉の職業を誇らしく思う気持ちが強いのだと思うように。また、義父なりに私へ何かしらのアドバイスをしたいのだろう……と私自身を納得させるよう努めたのです。 義父なりに私たちを心配し、孫の存在やみんなで集まって会話できる環境に喜んでいるのだ……と気持ちを整理しました。ただ、子どもたちの前で言われるのはつらいので、やんわりとかわしていくつもりです。そして、心にかけてくれているとプラスに捉え、義父の明るく楽しい性格など好きなところに目を向けていこうと思いました! 著者:佐々木詩織自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年07月10日私は24歳で結婚し、同年に男の子を出産しました。赤ちゃんが生後5カ月になったころ、夫から義母家族との同居の相談を受けました。私たちは4LDKの賃貸の戸建てに住んでいて、使っていない部屋もあるので同居することに同意。義母家族と同居してから、義母が巻き起こすトラブルに巻き込まれた体験談をお話ししていきます。義母家族との同居で一気に大家族へと義母家族は義母・夫の弟(18歳)・妹(17歳)・妹の子ども(2歳) の4人で、私たち家族を含めて7人の大家族になりました。同居の理由は、義母が勤める会社の倒産や義妹の元交際相手がストーカー行為をすることなどが重なり、義弟の高校卒業を期に同居してお互いの生活費をラクにしようという考えからです。 大家族で育った私は、正直なところ人数は気にはならず、長男と遊べる従姉がそばにきてうれしく思いました。 日に日に現れる義母の本性同居のはじめは、義母家族の楽しい笑い声がドアごしに聞こえていました。しかし、日が経つにつれて義母は義妹の子どもを怒鳴りつけ、義妹にも「しつけはダメなものはダメと厳しく怒らないと」と言って喧嘩するようになり、怒鳴り声と子どもの泣き声が増えていきました。 義妹は逃げるように夜中に家を抜け出し、朝帰りをする生活に。義母は怒ると怖く、人間関係のトラブルはあるほうだと夫から聞いてはいましたが、義妹やお孫さんに対して怒るときの怒鳴り声は私でも威圧感を感じ、怒らせてはいけない相手だと察知できるほどでした。 義母はついに隣人とトラブルを!私が住んでいる地域は雪の多い地域ですので、朝晩の雪はねが必要になります。義母と同居した最初の冬、義母は深夜帯のパートに勤めていたこともあり、早朝の雪はねをしてくれていました。 雪を捨てる場所は限られるため、隣家との境界線もマナーとして必要です。でも、マナーを守らない方もいて、隣人と口論し義母は警察に通報……。 その隣人だけじゃなく、違う隣人とも時折り雪を巡って口論するように。義母だけが悪いわけではないのですが、罵声を聞くたびに事件が起きる気がして怖かったです。 義母の愚痴を聞くようになって…義母から隣人の揉めごとの愚痴を聞くようにり、段々と義妹についても話してくれることが増えました。義母の言い分も正論に聞こえるため、共感する返答をしていましたが、このままでは義母と義妹の親子関係が悪化すると感じた私。 部屋から出てこなくて、あまり話せていなかった義妹とも少しずつ話すように。義妹は「義母に子どものしつけに関して怒られる」「子どもを叱りつけられたりしてつらい」「義母に母子手当金を当てにされすぎて家を出ようにも出られない」という問題を抱えていました。 どちらに対しても聞くことしかできない私はなすすべがなく、その後義妹は養ってくれる人を見つけ、子どもを連れて出て行ってしまったのです。 夫から義母は怒らせないほうがいいとは聞いていましたが、揉めごとに巻き込まれるとは思っていませんでした。しかし、義母は家族のために誰よりも先に炊事や雪はねなどに動いてくれます。義母も義妹を心配するあまり、介入しすぎてしまっているのでしょう。義妹と離れて暮らしてから親子関係は修復し、今は平穏に暮らせています。 作画/やましたともこ著者:古谷きょうこ2男1女の母。正看護師免許資格あり。育児休暇や隙間時間を利用し、ライターとして活動中。主に妊娠・育児や健康についてのジャンルを執筆している。
2022年07月06日義父母と同居して約10年が経ちます。正直同居がいいと思ったことは一度もありませんが、あまり干渉しないタイプの義父母なので、自由にさせてもらってありがたいなとも思っていましたし、慣れもあり同居が不快とそこまで感じてはいませんでした。家のリフォームの予定がありますが、完全に分けていいものかと迷うくらい、私自身義父母に心を開きかけてはいたのです。ある時期までは……。 義母が定年退職して状況が変化夫が単身赴任になっても、時には助けてくれる義父母への感謝とともに、夫がいなくてもできると自分に自信もついてきたころのことでした。4人きょうだいの育児を経験している義母が、フルタイムで働いていた職を定年退職して家にいるようになったのです。 義母は今までしてこなかった家の掃除や片付けをし始めました。家がきれいになるのはよかったのですが、だんだんと私や子どもたちが散らかすのも気になるようになったのか、今まで指摘されなかったことまで義母はあれこれ干渉してくるようになりました。 子どものしつけにまで干渉してくるように父親不在なので、父親代わりになるべきだと勝手に思ったらしい義父が、子どもに説教することは以前から気になることではありましたが、今度は義母までもが参戦してきたのです。 義母は子どもに説教をし、そして私にも「育て方が甘い」など、事あるごとに「昔のお父さんはもっと厳しかった」などと言うように。反論できない私は黙りこむしかありませんでした。 子どもへの影響と自信喪失もちろん、義父母がいることでいろいろな価値観が学べていいとは思います。しかしながら今の義父母を見ていると、上からの押しつけにすぎない気がします。私はもっとのびのびと安心して子どもに育ってほしいのに、私が義父母の顔色をうかがっているせいか長男も少しビクビクしていることがあり、少し心配になります。 私は思うように育児ができず、やっぱりここは自分の家ではないと思う気持ちが強くなったり、そんなことを考えてしまう自分に嫌悪感を抱いたりしてしまいました。 義父母とは適度な距離感が大切だと改めて感じた体験でした。だからといって今すぐ別に住むこともできません。甘えすぎないように気をつけながら、なるべく家の中でも距離を保つ工夫をしていきたいと思います。また、子どもにとっては大事な祖父母だということは忘れないようにしなければと、自分に言い聞かせています。 作画/はたこ著者:岡本花自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年06月27日初めての妊娠。妊娠するまで1年かかったので、妊娠したことがわかったときはとてもうれしかったです。待望の赤ちゃんともうすぐ会えるなぁと、ドキドキワクワクの妊娠後期のころ。ちょうど新しい家も購入し、産休に入ってからも新居の内装計画や出産準備に忙しく過ごしていました。しかし、あることをきっかけにどん底の毎日を送ることになるとは、このときは思いもしませんでした。出産に向けてワクワクの日々当時、営業会社の事務として働いていた私は、11月の出産のために10月から産休に入りました。おなかもだいぶ大きくなり、歩くのもひと苦労。初めての赤ちゃんと会えるんだ、と出産の準備をしながら、新築の家の準備もして、忙しくも楽しい日々を過ごしていました。 そんな10月後半のある日、夫から会社の同僚と飲み会があると告げられました。臨月の私は心配で反対しましたが、どうしても行くというので仕方なく行かせました。というのも、夫は酒癖が悪く、酔うと終電で乗り過ごしたり携帯を落としたりして大変なのです。 夫の携帯を見て絶句飲み会当日。案の定、夫は終電を逃しタクシーで帰ってきました。いつものように酔っ払って廊下に寝る夫。「何か、嫌な予感がする……」と、夫の手から携帯を取りました。LINEを見ると、「今度はチューさせてね」と夫から送った痕跡が。相手は夫と同じ部署で働く事務の子。私と夫は職場結婚だったので、私が知っている子でした。 怒りを抑えながら、「これは何?」と聞きました。目が覚めた夫は、「冗談だよ」と答えましたが、信じられません。飲み会の前からやりとりをしていたようで、仕事とは関係ないトークばかり。とりあえずこのLINEをやめてほしいと伝え、もう連絡を取らないようにブロックをして連絡先を消させました。 幸せから一気にどん底へしかし、数日後また携帯を見ると、ショートメールでまた連絡を取っているようでした。夫を問い詰めると、「どうしても連絡を取りたい、このやりとりがなくなるのは嫌だ」と言ってきたのです。 「この人は何がしたいんだろう?」と疑問と怒りが込み上げました。臨月で大事なときに、私たち2人の赤ちゃんが生まれる前なのに、何をしているんだと。そのあとも話し合いましたが、連絡をしていないと言いながらこそこそやりとりを続けており、夫はその彼女に「会って話したい」「自分のことどう思っている?」と聞く始末。 ある日、彼女に会いに出かけようとする夫を止めようと、おなかも張りながら必死で追いかけました。すると、「○○(私)のことが好きかわからない、彼女のことが気になる」と言い出したのです! 私は外で泣きました。幸せな時間を過ごすはずだったのに、こんなにつらくて悲しいことがあるのかとどん底に落ちました。同時に、夫のことが気持ち悪くなりました。 思い切って相手の子に連絡出産日前日。予定帝王切開だったので、出産日は決まっていました。「明日はついに出産。でも、こんな不安を抱えたまま出産したくない……」とそう思った私は、相手の子に連絡を取ることにしました。 それを夫に伝えると、「彼女に迷惑をかけるな」と言われましたが、迷惑をかけられているのはこっちです。私は夫に構わずLINEを送りました。 「夫はあなたに好意を持っているが、どういうつもりで連絡をしているのか。出産を控えているので今後やりとりはやめてほしい」と送りました。すると、「迷惑をかけて申し訳ない。今まで自分からは送らなかったが今後は返信しない」と返ってきました。 出産当日を迎え、夫は……出産当日の朝のことです。手術は午後からでしたが、午前中から入院と手術の準備をしていました。いろいろと不安はあるけれど、赤ちゃんに笑顔で会いたい気持ちで一心でした。 オペ室へ向かう途中、コンタクトレンズを外し忘れたことに気づいて病室へ戻ると、夫がなぜか泣いていました。すぐに出なくてはいけなかったので、「行ってくるね」とだけ言ってオペ室に向かいました。手術は順調に進み、無事に長男を出産しました。そのときは、かわいいわが子を見て本当に幸せな気持ちになりました。 出産を終え病室に戻ってから、夫になぜ泣いていたのかを聞いてみると、「申し訳ないことをした、手術でこんなに大変なのに」と、自分を責めているようでした。ですが、私は素直に「いいよ」とは言えませんでした。それなら最初から不安にさせるようなことをしないでほしかった。もう以前みたいに純粋な気持ちにはなれないし、今後ずっと疑い続けるかもしれない。そんな気持ちでした。 産後の入院生活でもまた不安が襲ってきて、毎日夫に彼女と連絡を取っていないか聞いてしまいました。夫が本当のことを言うはずがないとわかっていたのに……。実際、夫は彼女に連絡していたようですが断られたようです。あのときの病室の涙は、もしかしたら振られたことで泣いていたのではないかと今では思っています。 この経験から、やっぱり女の勘は当たるんだなと思いました。夫の携帯を見てしまったことは反省していますが、もしこのやりとりが続いたらどうなっていたのか……。今では夫のことは同居人として見ているので、同じことが起きてもここまで悩まないかもしれません。でもきっと出産時の恨みは持ち続けることでしょう。 著者:ねこ猫好きな1歳男の子のママ。近々職場復帰予定。
2022年06月24日現在、私には4歳の長男と2歳の長女がいます。2人とも保育園へ通っていて、毎月のように長男、長女のどちらかが体調を崩している日々です。そんなある日、長女が40度の熱を出し、検査を受けるとアデノウイルス感染症であることが判明。その後、長女が良くなったころ、長男がアデノウイルスに感染……。ブルブル震える長男を看病する日々になりました。ところがその後、まさかのことが起こったのです。 まずは長女がアデノウイルスに感染!ある日、「熱があるのでお迎えにきてください」と急きょ保育園から連絡が入りました。病院で検査を受けると、長女はアデノウイルス感染症であることが判明。特効薬がないようで、熱が下がるのを待つしかないと言われました。長女はその日の夜、40度まで熱が上がり、喉も痛かったようです。解熱剤で様子を見ていましたが、一時的に熱が下がるだけで再び熱が上がる毎日……。 ごはんもろくに食べられず、つらそうな長女を見ていると私もつらかったです。そんな中、長女の熱は5日ほどで下がり、その2日後にやっと登園ができるように。ようやく仕事に取りかかれるとホッとした矢先、今度は長男が熱を出してしまったのです。 長男に続いて私も高熱でダウン…検査を受けると、長男も案の定アデノウイルス感染症とのこと。長女と同じように解熱剤で様子を見ていましたが、なかなか熱は下がらず、いつも元気いっぱいな長男もつらそうな様子でした。「寒い寒い」とブルブル震えて寝つきも悪く、夜中も長男の看病が続きました。 ところが、長男がアデノウイルス感染症と診断されてから3日が経ったころ、母親の私も39度の熱を出してしまったのです。翌日病院へ行くと、なんと私までもがアデノウイルス感染症であることが判明! 勝手にアデノウイルス感染症は子どもがなる病気だと思い込んでいたので、「まさか大人も感染するなんて……」と驚きました。 高熱があっても母親は休めない…私はフリーランスなので基本的に在宅勤務。子どもがいつ体調を崩しても看病できるのは、在宅勤務の良いところです。とはいえ、すでに長女の看病で1週間ほど仕事が滞っていて、さらに長男の看病で思うように仕事が進まない日々。39度の熱があっても家事や長男の看病をしなくてはなりませんでした。 仕事再開のめどが立たず、「なんで私が……?」とイライラしたことも。夫は仕事の帰りが遅く、同居中の両親にはアデノウイルスを感染させるわけにもいかなかったので、長男の看病は極力私がおこなっていました。なんとか長男はアデノウイルス感染症と診断を受けてから1週間で熱が下がり、私も4日ほどで熱が下がりました。 私までもが体調を崩したことで、長男に対してしっかり寄り添った看病ができず、「私が元気だったら……」と思う瞬間がたくさんありました。子どもたちがつらいときには、私がしっかりとサポートをしてあげたいです。子どもたちが体調を崩したときは、大人にも感染する可能性があることを踏まえ、大人も体調管理の徹底を意識しなければならないと感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ベビーカレンダーでは、赤ちゃん時代を卒業して自己主張を始めた2~6歳までの子どもの力を伸ばし、親子の生活がもっと楽しくなる【キッズライフ記事】を強化配信中。今よりもっと笑顔が増えてハッピーな毎日になりますように! 監修/助産師 松田玲子イラストレーター/大福著者:華彩 あんず4歳男児と2歳女児の母。婿入り婚で、両親と同居中。趣味は美容やコスメ集め。最近は2歳の娘もオシャレに興味を持ちはじめ、「早く一緒にショッピングを楽しみたい」と期待を膨らませる日々。美容や育児をはじめ、ブライダルや暮らしなど幅広いジャンルを執筆中。
2022年06月01日私は9歳と4歳の2児の母です。やさしい夫と家族4人で仲良く暮らしていましたが、ある日突然夫から「好きな人ができた。その人と再婚したいから離婚してほしい」と言われてしまったのです。すっかり人が変わった夫とはもう一緒にいたいとは思えませんが、離婚に承諾したら相手の思うツボ!と離婚を拒んでいました。すると、夫と不倫相手から嫌がらせをされるようになったのです。 夫の愛人の正体は…不貞の事実と離婚の意思を告げられたあと、夫とは別居しました。ショックで頭がおかしくなりそうでしたが、証拠集めのため探偵に調査を依頼すると、相手はわが子と同じくらいの幼い子どもがいるシングルマザーでした。夫に問いただすと、その人は妻子がいることを知ったうえで夫との再婚を望んでいるとのこと。 同じ母親として、幼い子どもたちから父親を奪い取ろうとする気持ちが理解できないですし、許せません。弁護士に相談して慰謝料請求することにしたのですが、離婚前提ではない場合、慰謝料請求の額は大きくないとのことでした。そのうえ、相手に慰謝料請求を無視されたのです。人の心、家庭を壊しておいてなぜ?と悔しくて涙しました。 非通知の番号から謎の電話慰謝料請求のあとから、嫌なことが立て続けに起こるようになりました。まず、夫からは経済的に追い詰められていきました。またある日、私の携帯に非通知で電話がかかってきました。そして、過去に夫の不倫相手だったと名乗る人から、私の知らない、夫の過去に関する嫌な話を聞かされたのです。電話番号は夫婦共通の知人から聞いたとのことでしたが、夫婦共通の知人は少なく、私の番号を知っている人もほとんどいないのです。 話の真偽はわかりませんが、つじつまが合わないことがいくつもあったので、なんだか怪しい……と思った私は、「不貞が事実なら訴えます」と毅然と対応。すると相手は慌てたようにすぐに電話を切り、それから電話をかけてくることはありませんでした。ただ、無言電話は度々ありました。 SNSに不正ログイン、自宅前に怪しげな女さらに、不倫相手の名前が登録されたパソコンから私のLINEのアカウントに何度かログインを試みた形跡が……。他のSNSでも私のアカウントにログインを試みる通知が相次いでおり、弁護士に相談したところ、警察に届け出ることになりました。警察から夫に連絡が行きホッとしたのも束の間、今度は明らかに変装した感じの怪しげな女の人が自宅の前に立っていたのです。 近づいたら去っていきましたが、怖くなって引っ越しも考えました。ただ、子どもたちはこの家の学区の小学校と幼稚園に通っており、家も気に入っています。家の鍵を変え、防犯カメラを設置。盗聴器の探査も依頼して、引っ越しはしないことにしました。 嫌がらせから気づいたこと今回の件での出費は相当なものです。このお金を子どもたちのために使いたかった……と考えると悔しくて仕方ないです。数々の嫌がらせも、私を追い詰め、弱らせ、離婚に同意させようとするためでしょう。実際、相当なダメージを受けました。でも、気づいたことがあるのです。 これまで、夫と不倫相手に仕返しをしたいと思ってあれこれ考えても、何1つ実行できないでいました。悔しいけれど、人としてはそれが正しかったかもしれない、と。私は人として恥ずかしいこと、間違ったことは何1つしていないですし、誰も傷つけていません。そのことに気づいたとき、なんだかホッとしてしまいました。 悪には屈しない! 離婚は断固拒否!と頑なでしたが、友人から「復讐に生きてちゃもったいないよ。復讐は、幸せになることだよ」と言われ、だんだんとその通りだと思えるようになってきました。現在、夫とは離婚協議中です。ただし子どもたちのために、離婚の条件は譲る気はありません。私と子どもたちの笑顔のために、凛として生きていきたいと思います。 イラスト/きょこ著者:山本舞花自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2022年04月07日