前回 の記事子どもや先輩ママに話を聞くと、なんと前の年も問題になっていたというB先生…問題がある先生だということはどうやら校長先生も知っているらしい!?…ということで、今度は校長先生のところに行ってみました。正直…驚きました…!つまりB先生の暴言は注意しても直らない…しそしてそのような先生と知っていながら、この対応?!校長先生がおっしゃるには、問題が起きて指導をすると、その時は本当に反省しているようなのですがまた繰り返してしまうとのこと。そして以前は該当児童の親御さんと数回話し合いの場を設けたようですが、可愛いわが子を先生によって傷付けられているので、怒りの感情が大きく冷静な話し合いができないことも多かったので、今回は、第三者の私たちが直接B先生と話をし、多くの人たちが関わることで見守っていきたい…ということでした。もちろん学校側も改めてしっかり指導をしてまいりますとのこと。B先生のこれまでの人生がどうだったかは知る由もないですが、先生を続ける以上言葉の暴力は言語道断。学校側に危機感があまりないように感じられ気になりましたが、私ができることって、該当児童の親御さんに知らせることか、先生と話をするか、静観…この3つしかないなら私は…次回へ続きます。
2020年07月25日前回 の記事担任の先生が問題のある言動をしているらしい…それは想像を超えた内容でした…小学校でわが子の担任の先生が暴言を使っている噂を耳にしました。でも噂は噂。担任の人柄も分からない状態。情報収集ということで、まずはわが子に話を聞いてみることに。(こちらから先生怖い? とか誘導するような聞き方にならないように注意しました)わが子の話はクラスメイトのママさんたちから聞いた話とほぼ同じでした。子どもの話からも、これは言葉の暴力だし、どうも解決に向けて進んでいる気がしないと思った私は、ボランティアなどで学校に行った時に先輩ママ(B先生が去年受け持っていた)にも聞いてみましたなんと前の年も暴言問題を起こしていたということで、その時も問題になり親御さんたちと数回話し合いの場を持ったことがあるというではありませんか!しかも、そのことは校長先生らもご存じとのこと…これはどうやら根が深そうな問題。でも、そんな経緯があるのに今も暴言を使っているって一体どういうこと…!?B先生ってどんな人なんだろう…。次回に続きます
2020年07月24日わが子の学校の担任の先生がどんな人なのかというのは、とても気になりますよね。しかも、問題がある先生だったら…今回は、息子が小学校2年生の時のお話です。先生の酷い発言ってなんだろう。言葉遣いが悪いのかな?…くらいに最初は思っていたのですがクラスメイトのお母さんたちがお子さんから聞いたのは想像を超えた内容でした…「バカ」「アホ」「なんでこんなことができないの?」「何度も同じこと言わせるな!」「お前は障がい者か!」などなど…。先生というより人として問題があるレベルのものでした。これが事実であれば放っておくわけにいかないと思った私は「職員室へ話に行こう」と言ったのですが、他のお母さんたちのいうこともごもっともで。該当児童の親御さんが話しあうべきだろうし、もしかしたらもうすでに話し合いが進んでいるかもしれない。私たち第三者が首を突っ込んでさらに問題が大きくなるのは良くないですよね。とはいえこの話はあまりにも衝撃でした…もしこれが真実で、それを該当児童の親御さんが知らなかったら!?早く知らせないと、お子さんの心が傷ついて耐えられなくなってしまうかも…。まずは情報を集めて改めて考えようとこの時は解散したのでした。次回に続きます
2020年07月23日学校が再開され、楽しんで通っている子も多いと思いますが、中には学校へ通う足取りが重くなっている子もいるかもしれません。この春に入学した小学校1年生のみなさんはいかがでしょうか。私は元小学校教諭で、小学1年生の担任を務めたことがあります。小学1年生のこの時期は、学校生活にも慣れ、友達もできてくる頃です。それと同時に、勉強も少しずつ難しくなって思うようにいかないこともでてきます。緊張から解放されてきて自分を出しやすくなる子がいる一方で、自分の思いを伝えられないで困っている子も。ちょっとしたきっかけで「学校へ行きたくない」と言い出すことがあるかもしれません。特に2020年は新型コロナウイルスの影響もあり、自粛中に自由に過ごしてきた反動もあって学校で楽しさが見つけられず、家にいたいと言い出す子もいるのではないでしょうか。子どもが学校に行くのを嫌がったとき、どうすればいいのかはその子の抱えている問題や思い、シチュエーションによってさまざまです。今回は、保護者の相談から解決までの4つの事例をお伝えしたいと思います。話を聞いて、解決策を一緒に探る1年生が行き渋る原因は本当に些細なことが多いです。「今日の給食が好きなメニューじゃないから」「昨日、先生に怒られたから」「叩いてくるお友達がいるから」「体育で走るのが疲れちゃうから」「国語の教科書をなくしちゃったから」。大人から見れば、「え!?そんなことで!?」と思うようなことも多いですが、子どもにとっては大事件です。どうしよう、どうしようと不安でいっぱいなのです。わが子が「学校に行きたくない」と言ったら、まずはじっくり話を聞いてあげてください。いろいろ根掘り葉掘り聞きだそうとするのではなく、子どもが話したいことを話したいように話してもらいます。話したがらないこともあると思いますが、時間をおいたり、違う場面で聞いたりするとぽろっと言ってくれることも。親子2人では話さなかったことも、先生を交えると話してくれることもあります。「学校の大きなプールが怖い」と話せたことで「子どもが学校に行きたくないと言っているのですが」という保護者と本人とで三者面談をしたことがあります。学校に来られたお母さんはとても話を聞くのが上手な方でした。お母さんと私で、子どもの話をうんうんと相づちを打ちながら聞いていきました。いろいろ話を聞いているうちにその子は「学校の大きなプールが怖い」というのが原因のようだとわかりました。「最初はこんなに少ない(おへその下くらい)お水から入るんだよ」「怖かったら先生も一緒に入るから、先生のところにきてもいいよ」「最初は足だけでもいいんだよ」などと話をしたら、安心してくれたようです。その子は、お母さんも先生も自分の話を聞いてくれて、思いを受け止めてくれたということが安心につながったようでした。学校生活は自分の思い通りになることだけではありません。ガマンしなければいけないこと、頑張らなければいけないこともたくさんあります。そのたびにこうしたらいい、ああしたらいいと先回りしてアドバイスをしたくなりますが、自分で乗り越える力をつけていくことも大切です。話をじっくり聞いて、どうしたらいいのかな?と一緒に考え、やってみる経験をたくさん積んでいく。そして乗り越えられたことを一緒に喜んでいくことで子どもは安心し、自信を持ち、一歩が踏み出せるのかなと思います。「子どもはウソをつく」ことを知っておく子どもの話を聞くうえで気をつけてほしいのが、子どもは多かれ少なかれ「ウソをつく」ということです。お母さんに怒られたくない、嫌われたくない、カッコ悪いところを見せたくない…。自分が悪かったところは隠したり、自分のよいように事実を曲げてしまったりするのは当たり前です。ウソだと分かって言っていることもありますが、それが事実だと思い込んでいて、ウソをついている自覚がないこともあります。記憶違い、勘違いが起こることも多いです。この時期、自分のことをよく見せたいと思うのは当然のことなので、あまり問い詰めずに、話を聞いてあげればいいと思います。ただ、子どもの話すことを全面的に信じるだけでなく、いろいろな方面から話を聞いて、多角的に冷静に判断することで大きなトラブルになることを防げます。「教科書をお友達にとられた」と話していたけれど「〇〇ちゃんに教科書をとられてしまって、学校に行きたくないと子どもが言っている。うちの子はいじめられているのか!?」と、保護者がとても怒って、学校に来られたことがあります。翌日、本人に話を聞いてみるとどうしても教科書が見つからず、かといってなくしたとお母さんに言うと怒られそうで怖くて、ウソをついてしまったということがわかりました。その後、みんなで探してみると隣の席の子が間違えて持っていました。なんでウソをつくの!と怒ってしまうと、ウソにウソを重ねていく…ということになりかねないので、子どもにも子どもなりの事情があるのだなと思いつつ判断するように心がけるのがよいと思います。親の不安は子どもにうつることを意識して入学当初、いつも自信がなさそうにおどおどしていて、困ったことがあるとすぐに泣いてしまう子がいました。勉強も学校生活も問題があるわけでもないのに、いつも不安そうにしていました。お母さん自身の不安な気持ちを取り除くことで個人面談の時期になり、その子のお母さんと話をしました。お母さんは、「娘はちゃんとやっていますか?何もできないのではないですか?」と、とても心配されていました。実は、保護者が必要以上に不安がっていると、子どもも不安でいっぱいになります。また、保護者が学校や先生に対して怒ったり文句を言ってばかりいると、子どもも学校や先生に不満をもちやすくなります。逆になにがあっても大丈夫!とドーンと構えているお母さんの子どもは安定しておだやかに過ごせていることが多かったです。この不安が大きかったお母さんには、折を見て学校生活では問題なく楽しそうに過ごしていること、勉強も積極的にしていることをお話しし、学校公開などで実際に見てもらうことで少しずつ不安を取り除いていきました。するとその子にも少しずつ変化が。小学2年生になるころには、ニコニコ元気いっぱい学校で過ごせるようになったのです。子どもの能力を信じて、あまり心配しすぎないことも大切です。些細なことでも先生に相談してOK学校は親の目の届かないところでの生活です。幼稚園や保育園と違って担任の先生と会う機会はそれほどなく、子どもが話してくれないと学校生活が見えてこないことが多いです。そのため不安に思うこともたくさんあると思います。ですので、心配なことがあったら些細なことでも先生に相談してみるとよいと思います。先生がその子の状態を知っていると、気にかけて見たり、声かけしたりしやすくなります。毎朝の声掛けで子どもに変化が学校ではとても楽しく過ごしているように見える子どものお母さんから「学校へ行きたくないと言っている」と相談されたことがありました。学校生活の中では行き渋りがあるようにはまったく見えなかったので、とても驚きました。私は、相談された日から、登校時に「おはよう!今日も会えてうれしいよ!」「頑張ってきてくれたんだね。ありがとう」と声をかけるようにしました。最後の保護者会の日にお母さんから、「毎日、喜んで学校に行くようになった」と言ってもらえてホッとしました。「1年生は1年間かけて小学生になる」を心に私が勤めていた学校の校長先生は「1年生は1年間かけて小学生になるんだ。1年生の一番大事な勉強は学校が楽しい、勉強が楽しいと思えるようになることなんだよ。そんな学級経営をしなさい」と言っていました。ランドセルを背負えば誰でもすぐに小学生!というわけではありません。焦らず1年かけて学校生活に慣れ、勉強することに慣れ、お友達をつくり、学校の中での自分の居場所を見つけていければ大丈夫です。子どもたちみんながにこにこ楽しく学校に通えるように、保護者と先生が手を取り合って支えていけるといいなと思っています。<文:ライターHIDE>
2020年06月19日長年社会問題化しているにもかかわらず、一向に減ることのないいじめ。最近は暴力に加え、ネットでの誹謗中傷や金銭の巻き上げなど凶悪化しています。由々しき問題が減っていかない要因の1つに、学校側の不誠実な対応があります。「表沙汰にしたくない」「学校の評価を下げたくない」などの理由で、「なかったことにする」ことも、少なくありません。 教師や学校がいじめを隠匿とくに2011年に発生した大津いじめ事件では、一部報道で被害者の男子生徒が加害者3人から執拗ないじめを受けている様子を見ているにもかかわらず、「やりすぎるなよ」と発言し、黙認していたと報じられています。また、学校側も生徒から寄せられたいじめの報告を取り合わなかったほか、教育委員会までもが被害生徒の自殺といじめの因果関係を記者会見で明確に否定し、世間から猛批判を受けました。結局高まる批判に態度を一変させることになりますが、現在でも学校教師や教育委員会は、このような「隠匿体質」にあるようです。 慰謝料請求は可能か仮に子供がいじめを受け不登校になり、学校が黙認するなど対応を怠った場合、親としては加害者とともに、学校側など関係者に慰謝料を請求したいもの。そのようなことは可能なのでしょうか?銀座さいとう法律経済事務所の齋藤健博弁護士に聞いてみました。齋藤弁護士:「暴行などの刑事事件はもとより、恐喝など財産的な被害に結び付いているのであれば、子といえども立派な犯罪です。加害者が未成年者である場合には、親権者、学校への不法行為・監督者責任・担当教諭への責任追及は視野に入りますし、実際に権利行使することも多くあります」 金額の判断基準は?いじめ被害者とその家族が、加害者や学校側に慰謝料請求を行うことができる可能性が高いことがわかりました。そうなると気になるのは金額の判断基準。もちろんお金の問題ではありませんが、制裁として支払ってもらいたいと考えるのは当然のことです。そのあたりを銀座さいとう法律経済事務所の齋藤健博弁護士に解説してもらいました。齋藤弁護士:「金額は、どのような行為があったのか、また、それに対してどんな権利や利益が侵害されたのかによって決定されていきます。暴行・脅迫などは立派な刑法犯に該当していますから、問題なく慰謝料請求の余地があります」 泣き寝入りせず立ち上がろう「いじめ」と聞くと軽いイメージを持ちますが、内容は暴行や恐喝であり、凶悪犯罪です。泣き寝入りせず、そのようなことをする子供、育てた親、そして黙認する学校や教師に立ち向かっていくべきではないでしょうか。 *取材協力弁護士: 銀座さいとう法律経済事務所齋藤健博弁護士(弁護士登録以降、某大手弁護士検索サイトで1位を獲得。LINEでも連絡がとれる、超迅速弁護士としてさまざまな相談に対応。特に離婚・男女問題には解決に定評。今日も多くの依頼者の相談に乗っている。)*取材・文:櫻井哲夫(本サイトでは弁護士様の回答をわかりやすく伝えるために日々奮闘し、丁寧な記事執筆を心がけております。仕事依頼も随時受け付けています)凶悪化の一途をたどる「いじめ」問題被害者が加害者や隠匿する学校を訴えることは可能?はシェアしたくなる法律相談所で公開された投稿です。凶悪化の一途をたどる「いじめ」問題被害者が加害者や隠匿する学校を訴えることは可能?はシェアしたくなる法律相談所で公開された投稿です。
2020年03月02日幼稚園から毎日遅刻...原因は睡眠障害…!?わが家のASD兄妹は、2人とも幼い頃から睡眠に問題がありました。Upload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロUpload By 寺島ヒロ現場の先生方のご協力と家族の送迎で、何とか休みながらも登校していた兄タケルでしたが、8歳のとき「アスペルガー症候群」の診断がつき、小学3年生から気持ちを安定させる薬を飲み始めました。夕方の気分の落ち込みを防いで20時〜21時には眠ってもらい、十分な睡眠をとることができるようにするのが目的でした。直接的な影響がどのくらいあったのかは不明ですが、結果的にタケルは21時台には眠るようになり、朝早く起きてくるようになりました。服薬は1年程でやめたのですが、タケルに限って言えばこれ以降もそのリズムを崩すことなく過ごせるようになり、日常生活への支障が少なくなりました。その結果、季節による不調などはありつつも中学・高校も何とか通い切ることができました。現在中学1年生の妹いっちゃん。睡眠の問題を抱えながら、学校生活は体調優先でUpload By 寺島ヒロ「キタキタキターー!!」って思いました。なぜなら私もこのタイプだから。概日リズム睡眠障害といって、寝る時刻と起きる時刻が毎日少しずつ遅れていく症状があります。私自身もこの症状があるため、私の生活時間につられて子どもたちが生活リズムを壊すことを恐れ、実は私は子どもたちが幼い頃は睡眠薬を飲んで生活リズムを無理やり朝型にしていました。でも、ちょっとした風邪でも寝込むほど体調を崩してしまってとてもきつかった上に、朝型の生活リズムが習慣化することもなく、睡眠薬を飲まなければ翌日からまた1時間ずつ体内時間がずれていく…。私にはこの方法はあっていないことに気づき、妹いっちゃんの睡眠傾向がはっきりしてきたあたりで、私自身も朝型の生活にこだわることはやめました。参考:概日リズム睡眠障害 |厚生労働省 e-ヘルスネットUpload By 寺島ヒロ中学1年生になったいっちゃんですが、今でも起きられた時に登校するスタイルは変わっていません。毎朝決まった時間に起きようと試みて体調を崩した自分自身の経験からも、1時間目から登校することにこだわるあまりに健康を損ねては本末転倒…。中学校の先生にもご理解いただいています。ただ、月の3分の2は学校に行けておらず、不登校状態になっているいっちゃん。授業を受けられなかった分の全ての勉強を家庭や支援教室でカバーできるわけではないので、今後の進学などのことも考えると睡眠をはじめとした生活リズムについてはフォローしていかなければならないですよね。その辺りが今後の課題だと思っています。
2019年07月12日フランスの“いま”をエリート教師と問題だらけの生徒の交流を通してユーモアたっぷりに描いた『12か月の未来図』。この度、予告編&場面写真が解禁となった。■ストーリーフランスが誇る名門アンリ4世高校の教師フランソワはある日、パリ郊外の教育困難中学に送り込まれる。フランソワにとって、移民をはじめ様々なルーツを持つ生徒たちの名前を読み上げるのもひと苦労。カルチャーショックに打ちのめされながらも、ベテラン教師の意地で問題児たちと格闘していく。そんな中、お調子者のセドゥが遠足で訪れたベルサイユ宮殿でトラブルを起こし、退学処分に。フランソワはこれまで感じたことのなかった使命感から、彼の未来を守るための戦いに挑む…。フランスで現在、大きな社会問題となっているのは、移民の子どもたちが直面する学力低下と教育の不平等。日本でもこうした教育問題は度々報道されている。監督のオリヴィエ・アヤシュ=ヴィダルは、よりリアルな教育現場を描くために中学校に2年間通い、500名の生徒と40名の教師と共に学校生活を送り、本作を完成させた。監督の入念な取材の結果、教育問題という難しいテーマを扱いながら、トラブルだらけの生徒たちと堅物なフランソワの交流と成長がリアルに描かれる感動作が誕生した。この度解禁された予告編では、名門校で教えるエリート教師フランソワが、様々な問題を抱える生徒が集まる郊外の学校への異動で、あらゆる壁にぶつかる様子が描かれる。少し威圧的すぎるのでは?と感じる名門校での授業風景から一転、赴任した学校では生徒の名前を覚えるにもひと苦労のフランソワ。赴任先の学校は、移民・貧困・学力低下など、フランス社会が抱える問題のまさに真っただ中にいる子どもたちばかりで、「生徒の半分は役立たずだ」と半ば諦めている教師さえ少なくない。そんな中、フランソワは決して諦めず、生徒一人一人と真剣に向き合う。勉強を教える“教師”である前に“人”として生徒たちに接し、時にはぶつかるフランソワの姿にこそ焦点を当てたことで、生徒たちが次第に心を開いていき、笑顔をのぞかせるシーンは強く胸に迫る。『12か月の未来図』は4月6日(土)より岩波ホールほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2019年01月24日ペルルユーザーのみなさんの中にも、小学生以上のお子さまをお持ちの方も多いのでは?と思いまして、、今回、小学校の子どもを持つ母として、みなさんと共有できたらいいなと思いPTAコラムを設けさせていただきました。 ファッションツールやお洒落雑貨など、こだわりアイテムに目がないペルルユーザーにとってもしかしたら全然興味ないわー、っていう人もわかるわー、っていう人もきっといらっしゃるかなと思うのですが、小学生以上のお子さまのいるご家庭なら恐らく共感して頂けると思う、また大人女子ならいつかはぶち当たる人も多いであろう壁?!話題のPTA問題を取り上げさせていただきました! ペルルは、別に社会派のウェブサイトでもなければ、いわゆる女性のための生き方マガジンでもない。カジュアル系ファッションやライフスタイルを取り上げるモノマガジン系サイトなのですが、母になってもお洒落を楽しみたいと思う女性が多いペルルで、働く母向けに、ちょっとだけ共有して頂けたら、、ありがたいです。 Parent-Teacher Association、略してPTA。保護者と教職員(児童を含まない)による社会教育関係団体のことなのですが、これが戦後アメリカから持ち込まれた組織のことで、基本的にPTAは任意です。が、ほとんどの学校の保護者は小学校、中学校に入るやいなやそのPTAにほぼ強制的に参加することになります。全員参加することが暗黙の了解になっているのです。学校によってはそのPTA役員をジャンケンで決めたり、アンケートで自薦他薦の枠を設け全家庭数に配布。どちらにも記入しなかったらアンケートを提出した本人が自薦とみなします、といった文面のもので次期PTA役員を選出する、いわばパワハラアンケートが夏休み明けで配られている学校もあります。このアンケート決めは、俗にいわれている推薦委員さんたちが配布したアンケートで、その中の自選者さん、表の多かった多選者さんに、次期役員さんのお願いをするかたちになります。じゃんけんで決めるのはもう本当に悪夢としか言いようがありません。。もちろん、PTAは任意ですので、加入しない手段もあるようで、各学校にある用紙にPTAの加入はしません、という書類を提出したらこのような役員決めには入らずに済む方法もあるようですが。。そんな方はほとんど1割にも満たないようです。。やっぱりないとないで困る活動なのかな?とも思いますもの。みなさん。 それでも大多数、恐らく7〜8割方の働く母たちはそんなPTA役員に関して、なるべく触れないように、やらなくても良いようになんとか逃げ切れるようにと考えている感じがします。なぜならば、その拘束時間の長さや業務量の多さ、また人間関係も大変だったり。。活動内容も入学式に始まり、親子行事、季節の学校行事、夏休みのプール監視、道徳時間の読み聞かせ、PTA新聞製作、備品管理などなど、まだまだたっくさんの細かな仕事があります。。開校100周年やら110周年ならという周年度では、他校との交流会など、プラスアルファの業務が課せられたりします。廃止してる学校もちょこちょこ見受けられるのですが、結局は、PTAとは言わずに「運動会係」「登校班係」「ベルマーク係」などといった具合で、PTA的な業務をやらざるを得ない状況なのです。 うーん。。PTAってとても大事な業務があるのだとは思うんです。でももっと簡略化して、このネット時代にプリントを配布して、集めてという作業も紙の無駄で労力の無駄もあったりするのでは?と思ってみたり。。いや、でも無くしてしまってはいけない気もするんです。運動会ではの受付や敬老席を設けたり、交通整備を行ったり、学校の特別授業、謝恩会の準備や卒業制作などもPTAさんがいなくてはならない場面も多くあると思います。いや、それを全部無償でやろうってのがやっぱり無理あると思うんです!今現在活動されているようなPTA業務は、やはりフルタイムのワーキングマザーにはかなり無理がある、というよりもできない。ちなみに私の子供の通う小学校では、1・2年生の半分以上が共働きで、学童はもうパンパン状態で午後の下校時間には学童ルームは子どもたちで溢れかえり監視の役員さんもアップアップしています。 となると必然的にPTA役員さんたちは、基本的に専業主婦の方々か融通の利くパートタイムの方などが担うことが多くなります。。専業主婦の方もパートタイムの方も全然ヒマなんかではないのに。兄弟姉妹が居たら尚更忙しい。。毎日の家事に、塾や下の子のお迎え、毎日の宿題&持っていくものチェック、学校行事、、それにプラスしてPTAって。。いやなかなかのハードワークですよ。しかも無償の。 アメリカなど、海外のようにシッターさんにちょっと子供の面倒をお願いできたりお迎え行ってもらえたりというのがスタンダードに行われていればなんとかなるのかも知れませんが、芸能人でもあるまいし、そんなお金使うくらいなら自分で行くよ!といいたくなるくらいシッターって手軽にお願いできる金額でないと思う。文頭にも触れてますが、PTAは戦後アメリカからやってきたものです。昭和の古き良き時代は、恐らく機能的にはまっていて、専業主婦の方々も多く、おじいちゃんおばあちゃんも同居したりした家庭も多く、町ぐるみで子育てしていたのではないかと思います。でも今平成も終わろうとしている現代で、PTAって、、この先も今の小学生が大人になる頃もまだこのかたちで残ってるの?えー大丈夫?!と心配になります。未来は今よりも少子化って進んでますもんね。。当然。 いや何度も書いてしまうのですが、PTA自体はあった方が良いと思う部分も多々あるんです。無償って言うのがほんとに意味がわからないんです。大切な保護者一人一人のかなりの時間を割いて、無償でやらなければいけないと言うのが。ちょっと思うんです。。PTA役員さんは有償化するべきなんじゃないかと。。 とても大変で大事な業務だからこそ、プライドと責任を持ってぜひ有償化で行って欲しいし、もし自分の子どもたちが大きくなった時にこんな風に学校のPTA問題で悩んで欲しくないな、と心から想うんです!そうしたらフルタイムで働いている人もPTA役員さんは物理的にできないけど、その分役員さんたちに業務料をお支払いしたいと思われる方々、わりといらっしゃるのでは?と思うんです! PTAは、全国の各土地土地にPTA連合会というしっかりとした組織が束ねているようです。戦争中から戦後の子どもたちを支えるべく、組織の方々が学校と保護者の間を取り持って活動されていて、産めよ育てよの時代の子どもたちの数も、現在とはまるで違っている状況だったと思います。 平成も終わる今日この頃、PTAがスタートされた昭和の時代に比べてどんどん子どもの数が減って少子化になり、働く人材がどんどん少なくなっている、だから政治家の方は主婦の方々がもっと社会に出て働いて税金を少しでも多く納入して、、などと思ってるようですが、いやいや、それであればちょっと制度を見直してもらえないかなあと、、思いますよね。。 政治家の方々がなんとかできる問題なのかわかりませんが。。「保育園問題」と合わせて、ワーキングママのお悩み「小学生の壁となるPTA問題」をもう少し取り上げて頂きたいですよね。女性はスーパーマンでないですよ。と、ちょっとした怒りの入った演説みたいになってしまいましたが(笑)、結構ググってみると、いろんなブログに吐き出している方も多くいるものですね。仕事もおしゃれもしたい、でも家事も子育てもPTAもある働く母たちの負担を少しでも軽くして頂きたい。。 くたばれPTA、されどPTA。。有償化や他の方法?で春の役員決めをスムーズにするのは恐らく平成をまたいだ新年号になるのでしょうか? 桜を素直に綺麗だなと思って春を迎えたいですよね。桜を見て、あー、PTA・係決めの時期だーと思いたくない。。働く母たちの切なる願いです。みなさんたちのお子さまの学校はいかがですか? txt:ymst
2018年12月20日最近ニュースで見かける「小中学校のカバンやランドセルが重すぎる問題」。量ってみたところ、我が子のカバンの重さは10キロオーバーでした!なんでそんなに重いのか?母が、中1息子のカバンを「大解剖」してみました。きっとみなさんも、帰ってきたお子さんのカバンを覗きたくなっちゃいますよ。■ 往復4キロを歩く息子の体は大丈夫なの?息子は毎日学校から帰ってくると「だぁぁ~!」っと大きく息を吐いて、カバンごと後ろ向きにソファ倒れ込みます。「カバンが重い」「学校までの距離が長すぎる」と毎日文句を連発。学校までの距離が長いのは諦めるとして、なんでそんなにカバンが重いのか?少し前に、夕方のニュースで「小中学生のカバンが重すぎる問題」が取り上げられているのを見ました。子どもが肩こりや腰痛を訴えるので、整骨院に通っている小学生もいるとか。とはいえ、「重いのはしょうがないんでしょ?」と、母は軽く受け流していたのです。■ 10キロオーバーのカバンの中には何が入ってるの?「だぁぁ~!」いつものようにソファになだれ込む息子のカバンを、さっそく拝借。体重計にのせてみました。カバン自体がかなりの大きさ。大人の胴体と同じくらいの大きさです。10キロオーバーの「11.2キロ!!」驚く母に「いつもはもっと重いんだよ!」と、自分の苦労をアピールする息子。どんなアイテムが入っているのか、さっそく中身をチェックしてみました。教科書や部活道具など。一見、何の問題もなさそうに見えますが、ひとつずつ、チェックを入れてみます!ジャージと運動靴総重量:1.6キロ。全体の14%。息子の学校は基本、制服登校なので部活で着るジャージを毎日持参します。サッカーをしているので、スパイクは必須。これらのアイテムは特に問題なさそうです。筆箱・本・リコーダー・折り畳み傘総重量:1キロ。全体の約9%折り畳み傘は、急な雨用に入れっぱなしのアイテムですが、絶対雨が降らないような晴天の日も入れたまま。備えるに越したことはないですが、ただでさえ重いので、常に持ち歩くリスクの方が高い気がします。実際に雨が降った日は、別の傘を差して折り畳み傘をカバンに入れたままという、無意味さが不憫でなりません。朝読書用の本は2冊ありました。なぜ2冊必要なのでしょうか?息子「前に読み終わったの、そのまま入れてた~」だそうです。リコーダーも必要ないのに入れっぱなし……。無駄がいくつも見つかりました。はち切れそうな筆箱をチェック。中には黒ボールペンが4本も入っていました。教科書・ノート・資料ほか総重量:8.6キロ。全体の約77%積み上げた高さが20センチに届きそうな教科書類が「重すぎるカバン問題」の一番の原因です。教科書がデカい!自分が小学生低学年だった頃のサイズと同じです。そして全ページがカラー刷り!イラストが多く図解が多い!ページ数が増えてしまうのもわかります。教科書の厚みは平均1センチ。紙質もしっかりしているので、重いのも当然です。特に社会は副教材が多く、地図帳やワークなど教科書以外に持参するものが多く、カバンが重くなってしまう教科です。この日のカバンには「歴史」と「地理」の両方が入っていました。これは両方持っていかなければならないのでしょうか?息子「いや、間違えたら嫌だから一応入れておいてるー」ですって……。毎日、ちゃんと時間割を確認しましょうね。他にもプリント類や、ちょっとした参考教材のような冊子類。入れっぱなしの物を、複数発見しました。下の写真は、その日には必要ないはずだった教科書類です。このほかリコーダーや折りたたみ傘など、削減できたトータル重量は2.2キロ!約20%を削減できました!とはいえ残り9キロです。それでもまだ十分に重いですよね。■ ダイソーの「カバン用ショルダーパッド」が使える!肩紐が細く薄いカバンだと、ヒモが肩に食い込んでしまい、痛みや重みを感じます。100均ダイソーで、すぐに問題を軽減してくれそうな、いい商品を見つけました。「かばん用リバーシブルパッド(滑り止め付き)」です。カバンの肩紐にくるりと巻いて、ボタンを2か所留めるだけ。これで肩への負担が軽減されて、ベルトのズレ落ちを防ぐという商品です。息子に感想を聞いてみたところ、ベルトにクッションが付いているので食い込みが和らいで、肩があまり痛くないそうですよ。いかがでしたか?学校で使うもののせいで、お子さんが腰痛や肩こりになってしまっては大変です。「重いカバンを背負う子どもが不憫だわ……」と思っているお母さん!ぜひ一度、お子さんのカバンをじっくりチェックするところから始めてみてはいかがでしょうか。
2018年08月27日「正直、もう学校と波風立てたくない…」そんな私に喝を入れたパパの一言8月。進級問題に悩んだわが家でしたが、無事、主治医の先生から診断書を受け取り、学校に提出しました。次年度からの特別支援学級希望の手続きに移り、ようやく終わりが見えてきた時…主人が「最後にこっちの気持ちを話すから、先生に時間取ってもらって」と、担任の先生との面談を希望しました。「こっちがモヤモヤする思いは伝えないとダメ。それを先生たちがどうとらえるかは、わからないけど、 こういうことは言ってほしくない…ってことは伝えるべき」 と言う主人に私は、「え!言うの!? 波風立てないようにして!うまくやっていきたいもん!」 と猛反対。それを聞いた主人は呆れながら「あのなぁ…そういう問題じゃないの!これからあーさんのような子がきっと入学してくる。 その子たちのため、その子たちの親のためにも…言わなきゃいけないこともある。 俺たちがもうこれでいいから、いいや! 波風立てないように…じゃないんだぞ?俺たちが通った道は、後から通る人のために、少しでも歩きやすくするのが俺たちの役目だ!」と言いました。Upload By SAKURAこの時、私は主人の思いに胸をうたれました。同時に、自分のことしか考えてなかった自分が、とても恥ずかしくなりました。「嫌なら、俺だけでもいいよ?」と主人は言ってくれましたが、その思いに、納得した私は腹を決めました。そして、進級問題最後の面談に向かったのです。私の代わりに学校に伝えてくれた、モヤモヤするけど言いにくい気持ち面談では初め、担任の先生、同席した養護の先生から、決定事項の確認や次年度の説明がありました。話が終わると主人は、 「僕たちから、ちょっとお話してもいいですか?」 と言い、落ち着いた口調で、それでいてストレートに、今まで私が学校に対して思っていたことを話していきました。「夏休みの宿題の件ですが…やる前から、 "やらなくてもいい"というのは言わないでほしかったです。良かれと思っての気持ちも分かりますし、気にかけてもらってありがたいのですが…母親が頑張って必死にやってくれていますから、今のところ大丈夫です。 本当にできなかったときに、こちらから言いますので、その時は甘えさせてください」などと、私たちが今までモヤモヤしたこと、疑問に思っていたことを一つひとつ丁寧に伝えていきました。そして、最後に…「これから、発達障害のある子は増えていくと思います。今のクラスの子たちもきっと、中学、高校と進学して大人になっていく過程で、必ず出会うと思います。その時、あぁ、そういえば小学校の時にいたな?って、僕たちが今大人になって思うように思い出す。娘が、同級生たちの…経験の一つになれば嬉しいです。 娘は本当に純粋ないい子です。 あの子の良さを尊重しつつ、社会に出ていけるような状態にするのが、 僕たち親の役目だと思っています。先生もたくさんの子どもたちを一人で見られて、 本当に大変と思いますが、残りの1年生の間と、特別支援学級在籍になってから… 娘のこれからの成長のため、できる範囲で構いませんので、どうかご協力をお願いします」そう言うと、頭を下げました。そして、9月…特別支援学級進級の手続きはすべて終了しました。Upload By SAKURA進級問題は私たちだけじゃない!他の親子も通る凸凹道を歩きやすくこの主人の行動と言葉に驚きました。「わが子のためにできることはやる」だけではなく、これからの子どもたちのことを考える主人は、私の何歩も先を行っていたのです。今回の進級問題、振り返って見ると、一つひとつに大騒ぎして動揺していた私とは違い、いつも状況把握は、聞いた話のみだった主人。そんな主人は、一緒に考えてくれていても、きっと私の話を100%理解してはくれないだろうと内心思っていました。しかし、私のモヤモヤする思いも代わりに伝えてくれ、これから入学してくるだろう発達障害のある子と、その親御さんのことまで考える姿勢に、感動しました。今回の進級のことで、私たちの通ってきた道は…Upload By SAKURAもちろん、わが子の進路を決めるのに、簡単な道はないと思います。でも、少し距離の短くなる橋や、登りやすい階段…私たちが通っただけではそんな立派なものはできないかもしれないけど、川があったときに橋に使う材料ぐらいは、置いてあげられていたら嬉しいな(笑)辛かった進級・進学問題から学んだ今、できること偉そうかもしれませんが、娘の小学校入学、1年生、進級…と、経験した私たちが、進学・進級問題において今、振り返って言えることは、以下の4つです。「自分が(子どものために)どうしたいのかという思いを大切に」「子どもとそして自分が、笑顔になれる道を一番に考える」「周りの意見に流されない」「学校、地域のリサーチはしっかりと」周りの意見をたくさん聞くことも大事ですが、聞きすぎると自分の意見が消えてしまいます。そして、周りはそれぞれの立場で違うことを言うものだということも…「良かれと思って…」と、色んなことを言ってくる人がいるかもしれません。でも、「みんなが納得する答え」や「絶対に誰にも何も言われない判断」なんてないのではないでしょうか?もし、そんな場面に出会い迷ったら、自分がどうしたいのか…それを大切にしてほしいと思います。親御さんが悩んで悩んで、苦しみながら決めたことです。 その決断は「誰よりも優先されるものであってほしい」。少なくとも私は、そう思います。…と言っている私ですが、今選んだ道が、正解だったか、正解じゃなかったか、分かりません。それが分かるのは、ずーっと後だと思います。今信じることを、今できることを、選択する。 結局それしかないと思います。Upload By SAKURAこれで、私たちと娘が経験した進級問題はひとまず終わりです。このコラムが、少しでもお役に立てたら嬉しいです。最後まで読んでくれてありがとうございました。
2018年05月16日小学生になると出てくるのが男子トイレの個室問題。個室に入るとからかわれるなどの理由から、学校で大ができず、便秘の原因になっているとも言われています。また最近では、性同一性障害への配慮などからも一部の自治体で、小中学校での男子トイレの完全個室化が進められているそうです。Q.小中学校での男子トイレ完全個室化、どう思う?1.賛成 33.4%2.どちらかといえば賛成 29.8%3.どちらかといえば反対 12.0%4.反対 4.3%5.わからない・どちらとも言えない 20.5%賛成とどちらかといえば賛成を合計すると63.2%と半分以上という結果になりました。学校に限らず男子トイレの個室が少ないこと、一方で今では家のトイレが洋式化されていることなど、現代のトイレ事情の矛盾が明らかになりました。■学校でも我慢しなくていいように個室化賛成!やはり学校ではからかわれるから我慢しているという子どもも多いようです。実際に完全個室化をした神奈川県大和市では、男子児童・生徒へのアンケートを実施し、全体の55%が「よかった」と回答していることもわかっています。「からかわれないように学校では我慢すると言っています。体に良くないので改善してほしい」(東京都 30代女性)「からかわれることを心配して我慢するよりは、個室があった方がいいと思います」(鳥取県 40代女性)「息子は学校では大をせず、6年間過ごしていました。帰宅するとトイレに直行。そんな子もいますから完全個室化に賛成です」(神奈川県 40代女性)「昔と時代がかわってきているので、個室トイレでもいいと思います! その方がいじめにあわないのでは」(東京都 30台女性)「学校に限らず男子トイレには個室が少ないです。恥ずかしいからとかからかうとか関係なく、個室は増やしてほしい。洋式トイレが多くなってきて、男性でも座ってする人もいますし、清掃や衛生面からも予算でできるのなら、個室を増やしてもいいと思います」(鹿児島県 40代男性)■最近、子どもを過保護にしすぎじゃない?からかわれるからトイレの完全個室化なんて、子どもを甘やかし過ぎという人もいました。人間誰でも大便はするものだという教育こそ必要なのではないでしょうか。「からかう、からかわれるとかの前に、人間が生きていく上で必要な生理現象だということを教育する方が先だと思います。最近何かと子どもに対して、過保護になりすぎてないかと感じることが多い気がしています」(埼玉県 40代男性)「もう、こういう大人が先回りして何でもかんでもガードするのやめませんか? これからどんどんグローバル化が進むのに、温室育ちに甘やかしてどうすんの? 大切なのは自分に非がないときに、相手に主張し、説き伏せることができるように教育することじゃないの?」(神奈川県 30代女性)■完全個室化は根本的な解決になならないトイレを完全個室化したところで、大便をしているかしていないかはわかってしまうこともあります。結局はからかわれる子とからかう子をなくす、根本的な解決にはならないという意見もありました。「大便って恥ずかしいものなの? そんな対策で対応すれば、大便=恥ずかしいという価値観を決定づけるようなもんじゃないの? 学校なのに教えなきゃいえないことを逆行してる。『アイツのあとトイレ入ったらさー、スッゲー臭いの!』結局はこうなるんじゃないのかな」(神奈川県 40代女性)Q.小中学校での男子トイレ完全個室化、どう思う?アンケート回答数:9908件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2017年11月03日みなさんの中で、子どもに間違ったことをしたときに、自分から子どもに謝ることができる人はいるでしょうか?「誰でも絶対間違うことがある」と話すのは、子どもたちとのたったひとつの約束「自分がされていやなことは、人にしない、言わない」を実践し、教師はもちろん保護者とも一緒に「学ぶ」ことを実践した小学校の校長を務めた木村泰子先生です。木村先生が校長を務めた大空小学校の姿がドキュメンタリー映画『みんなの学校』となって公開され、2年がたちました。そしていまなお自主上映会が開催され続けています。この映画の中で木村先生は、「やり直し第1号はわたし」と話しています。木村先生は、自分が間違ったと感じたとき、どうしたのでしょうか?そして、問題が起こる学校現場で、親はどうしていけばいいのか。親が学校の先生に意見をすると嫌な顔になったときに、一発で効く印籠を木村先生は授けてくれました。はたして守りに入った先生に効く印籠とは…。※本連載は、木村先生との「学びの会」を抜粋したものです。記事内に登場する参加者は、「学びの会」に出席した方々となります。■「一生懸命やっている」価値観は大人失格木村:私は思ったことしか言わないので、「バカやろ」「バカたれ」と、子どもたちによく怒りました。でも、「4つの力(※)」を大切にしながら関わっていれば、子どもは絶対に離れないんです。自分の想いが相手に通じないと、「これだけ一生懸命やっているのに、何で通じないの?」と言う大人もいます。そういう人は、大人をやめた方がいい。そんな気持ちと態度でいたら、「子どもの前に立つ大人」としては失格です。なぜなら、「これだけ一生懸命やって、なんで通じへんの?」というのは、100%大人サイドの物の見方だからです。子どもの立場になってみることが、何よりも重要なんです。「自分が子どもやったら、どうかな?」。これは、「人を大切にする力」です。「子どもやったら、どうかな?」と思ってみると、「大人が勝手にやってことに対して、何で言うこと聞かなあかんの?」という気持ちになるのではないでしょうか? 「本当に大人は、勝手やな」という気持ちに子どもがなるような行為を大人がしているのです。参加者:でも、なかなか、そんな気持ちで子どもと関わることができません。※4つのちから:「人を大切にする力」、「自分の考えを持つ力」、「自分を表現する力」、「チャレンジする力」のこと。この4つの力があれば、子どもたちは、これからの多様な国際社会で「なりたい自分になっていけるよ」と、木村先生は話します。■大人サイドで物事を考える教員はアウト木村:もちろん、そういう現実はあります。ここで、みなさんに質問させてください。子どもに対して間違えた行動をとってしまったとき、「ごめんなぁ。どうしたらよかったと思う?」と、すぐ言えますか? そんな自分を確立できていると思う人。では、そういう自分を、まだ確立できていない人は? どうもありがとうございます。確立できていない人が大半ですね。問題は、そこなんです。教員はお給料をいただいているから、大人サイドで物事を考えていたら、本来はアウトです。けれども、アウトであることを伝えれば伝えるほど、学校現場では、守りに入る教員が多いのが現実です。守りに入ってしまった教員をどう変えるか。自分の4つの力を使って、その教員に対して「教師も学校も子どもから学んでほしい」と表現するんです。それは理屈じゃありません。■保護者が意見をして機嫌が悪くなる教師への対応は?参加者:私は、小学校の支援学級(通級)の教員をしています。学校現場にいる者として発言させていただくと、教員の専門性を、教科指導(国語・算数・理科・社会といった「勉強」を教えること)だと思っている教員は多いのです。そんな教員に対して、通級指導の教員である私たちですら食い込むのが難しいのに、保護者が食い込むのは、もっと難しいと思うのです。木村:保護者が意見をすると機嫌が悪くなる先生は、たくさんいます。残念なことですが、それが現実です。その現実に対しては、水戸黄門の印籠を出すんです。「これが目に入らぬか!」と(笑)。そのセリフを、今日はお伝えしましょう。私は、文部科学省の上層部の方から、「教員の仕事は、教科を教えることではない。教員の仕事は、その子が学びたいと思う学びを、その子が安心して学べる、そのための学ぶ力をつけることです」と教えてもらってきました。いまは、このセリフ(言葉)を知らない教員が多すぎます。ですから、これからの社会に役立つような資質を持った子が、いまの学校現場では、排除されてしまうことも、現実的には多いんです。いまの学校は、4つの力を使わない方が、居場所を作ることができるからです。たとえば、自分の考えを持ちさえしなければ、先生に文句を言うことはないでしょう。自分を表現しなければ、先生に怒られることもありません。自分の意見を言う、文句を言う、「イヤという」、こういった自分を表現するということは、教員側から見ると「自分の好きなようにわがまま言っている」と見えることも多いわけです。人を大切にするといっても、子ども本人が大切にされていないのに、どうやって人を大切にできますか? そんな環境で、どうしてチャレンジをしようなんて気持ちになれますか? でも、悲しいことに、いま、学校現場は、そんな場所になっているのです。■学校が「すべての子どもに規則を守らせる」場となる恐ろしさ参加者:でも、子どもに好き勝手なことをさせていたら、現実的には、困ることも多いのではないかと思うのですが…。木村:その発想が、最初から大人が子どもを信用していない発想だと思うんです。「子どもは、悪いことをする」と思っている大人がいるから、そんなふうに期待されてしまった子ども(悪いことをするだろうと思われた子ども)は、悪いことをするんです。学校が「子どもに規則を守らせる」場になってしまうのは、ありえないと思いませんか?参加者:だから、うちの子は悪いことするのか…(笑)。大空小では校則はなくて、「自分がされてイヤなことは、人にしない」という、たったひとつの約束があるだけ、と聞きました。それを破ったときは、みずから校長室にやり直しをしに行くと。木村:校長とやり直しをするのではないんです。やり直しをする場所が、校長室なだけです。これも、子どもたちが決めたことです。みなさん、「校長にざんげに行く」と思っていらっしゃるようですが、私にざんげに来られても、どうしたらいいかわかりません(笑)。なぜなら、大空小でいちばん最初にやり直しをしたのは、私だからです。そんな人間にざんげされても、困ります。■「この子さえいなければ」木村先生が、大空小で「やり直し第1号」になるシーンを、ご著書の中からご紹介します。大阪市立大空小学校は、新設の小学校として2006年4月に開校しました。その、開校初日、始業式のシーンです。「絶対、良い学校にしよう」始業式の朝。私はもちろん、教職員の誰もが意欲をかき立てられました。引き継ぐ伝統も何もないゼロからのスタートです。(中略) 「わーっ、ぎゃーっ」ひとりの男の子が講堂に入ってくるなり、大声を出しながら走り始めました。転校してきたばかりの6年生でした。始業式に転校を知らされたばかりで、私たちも会ったのはこの日が初めてでした。(中略)「良い学校をつくろうと思っているのに、なんでこんなすさまじい子が入ってくるんや」「この子さえいなければ、良い学校をつくれるのに」(中略)そう思ったのです。開校当初は、とてもいやな校長として、私は子どもたちの前に立っていました。校長という立場以前に、大人として失格です。出典: 『大人がいつも子どもに寄り添い、子どもに学ぶ!「みんなの学校」流 自ら学ぶ子の育て方』 (木村泰子/小学館)この彼は、その後も、教職員を振り回し続けますが、ある日、彼を追いかけて足をすべらせ尻もちをついた女性教師のそばに寄りそうようにしゃがみ込みました。そのときに彼が取った行動を木村先生は、黙って見守ったあと、全校朝会で、こう切り出します。「彼な、逃げられたのに、戻ってきて、痛いね、痛いねって先生をさすってあげたんやで。私はそんな彼のことをちっともわかってへんかってん」出典: 『大人がいつも子どもに寄り添い、子どもに学ぶ!「みんなの学校」流 自ら学ぶ子の育て方』 (木村泰子/小学館)【『みんなの学校』流「生き抜く力」まとめ】●「一生懸命やっているのに、何で通じないの?」と言う大人は、「子どもの前に立つ大人」として失格●子どもに対して間違えた行動をとってしまったとき、謝ることができない教師はアウト●自分の考えを持たなければ、先生に何か意見を言うこともない。自分を表現しなければ、先生に怒られない。本人が大切にされていないのに、人を大切にできない。そんな環境でチャレンジしようという気にはならない木村先生の言葉には迫力があって、毎回、痛快なドラマを見たときのような気持ちになります。けれども、一方で、あまりに斬新な発想(言われてみれば『本当にそうだ』と思うのですが…)に、まだ気持ちがついていかない部分もあります。 ドキュメンタリー映画『みんなの学校』を作った真鍋俊永監督は、映画のパンフレットでの中で、こんなふうに言っています。この映画の「みんな」が指しているものは、「児童と教職員と地域の人」を飛び越えた「すべての人」の事であり、私たち一人一人にとっての学校である「社会」を、「みんなで一緒に作り上げていきませんか」という、そんな思いを込めた作品を作り上げたので、映画を見られる方たちも自由に何かを感じ取ってほしい出典: 映画『みんなの学校』 (パンフレットより) この記事がひとつのキッカケとなり、社会にみんなで学び合えるような雰囲気が広がっていくことを心から願っています。■今回取材にご協力いただいた木村 泰子先生の著書『 不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる 21世紀を生きる力 』木村 泰子,出口 汪/ 水王舎 ¥1,400(税別)
2017年07月28日いまの学校教育が抱えた問題によって、学校に通えなくなってしまう子どもがいるという現実。そんな現実に、ごく普通の公立小学校が「不登校0」を実現して、世間に衝撃を与えました。その模様はドキュメンタリー映画『みんなの学校』で描かれ、現在でも自主上映会が全国で開催されています。その学校の初代校長を務めた木村泰子先生。マニュアルを見ながら、子どもに関わろうとする大人を、子どもは信用しないといいきります。そんな中、子育て中のママの「あるある」ネタにも、木村先生は「ママがマニュアルで考えている」と、厳しい言葉がかけられました。※本連載は、木村先生との「学びの会」を抜粋したものです。記事内に登場する参加者は、「学びの会」に出席した方々となります。■どうしてもマニュアルを探してしまう大人木村:「子どもに関わるとき、『過保護や過干渉』なのか? それとも『教育』なのか?」がわからなくなってしまったとき。それは、「自分が大人として目の前にいる子どもに、どう関われば良いのか?」を迷っているときです。そういうとき、大人は、何かしらのマニュアルを見ながら判断しようとします。大人がマニュアルを探しながら、「どっちかな?」といった態度で関わると、子どもは信用してくれません。マニュアルを見ないで、「目の前の子どもだけを見て関わろう」とする大人の態度は、子どもにもちゃんと伝わります。もちろん、結果として「やっぱり、あなたに対して過保護、過干渉だった」と反省することもあるでしょう。でも、その反省は、すべて未来につながります。「あなたに対して過保護、過干渉だった。ごめんなさい」と、きちんと謝ることができる大人が、子どもは大好きです■子どもの気持ちまでマニュアルで見ている木村:ここで大切なのは、子どもと関わるときに、「マニュアルを見ないで、目の前の子どもだけ見て関わろう」と自分で決めることです。参加者:子どもは「イヤだ!」としか表現できないとしても、そこにある気持ち、モヤモヤしている気持ち、そういうものを、大人が感じてあげるということですか?木村:それは、大人の嗜みですね。子どもに関わるときに、大切なのは「教えること」ではないんです。その子の心の中をわかろうと努力する。それが、大人の嗜みです。参加者:たとえば、お友だちと一緒のとき、うちの子がわがままを言ったとします。「わが子の心の中をわかろうとする」という行為は、そのとき、その場で、お友だちがいる前でした方が良いのでしょうか? それとも家に帰ってきてから、ゆっくりした方が良いのでしょうか?木村:そう考えてしまうこと自体、マニュアルを見ようとしているのかもしれませんね。キツい言い方かもしれませんが、「みんなの中でやった方が良いのだろうか? それとも家に帰ってきてからの方が良いのだろうか?」と考えるのは、その子だけを見ていない行為です。その場、その場、その子、その子によって、状況はすべて違います。■大人は、成功を狙って子どもに関わろうとする木村:「友だちの前で注意したことを後悔した」と思うことも、絶対あるでしょう。そんなことは、誰にでも絶対にある。でも、失敗したら、やり直せばいいんです(※)。子どもに、「ごめんね、みんなの前で言わない方が良かったね」と言えば、子どもは「いーよ、別に」と言ってくれるかもしれない。けれども、「あなたが間違ったことをするのを、注意してあげたんだから!」という気持ちでいたら、子どもは、心を開くことはないでしょう。「絶対、もう俺の気持ちなんて言わない」と思います。子どもが間違ったことをしたときに、大人は、「もう二度と失敗が起こらないためにどうしたらよいか?」を、自分(大人側の論理)で考えて「これが上手くいく方法よ」というものを提示しようとします。でも、本当のところを言えば、親は、「(提示した方法が)成功する可能性なんて、100%ない」と思っておいた方が良いくらいの話なのです。※やり直し:木村先生の教育観の大きな柱のひとつ。「人が生きていれば、必ず間違いは起こる。そのときに素直に謝って、やり直せばいい」と、木村先生。■「大人サイドの価値観」で物事を考えないようにするには参加者:「100%ない」というのは、1%すらないってことですか?木村:そうですね(笑)。「うまくいったら、めっけもん」くらいの気持ちで、子どもと関わるということです。そう思って、関わらないと、うまくいかなかったときの落ち込みも激しくなってしまう。大人に勝手に関わられて、勝手に落ち込まれていたら、子どもは、やっていられませんよね。親も教員も、よっぽど気をつけていないと、常に「大人サイドの価値観」で考えてしまうものなのです。私も相当なダメ教員でしたが、子どもたちにズタズタに鍛えてもらったことで、随分と変えてもらいました。子どもとの関わりを、大人サイドで考えない。これを実行できるようになるには、ある一定の訓練と、失敗経験が必要だと思います。【『みんなの学校』流「生き抜く力」まとめ】●大人が目の前の子どもをマニュアルで判断しようとすると、子どもにも伝わる●大人も絶対間違う。でも間違ったときに謝る大人を子どもは大好きだ●叱って二度とトラブルが起きないという「成功」を狙って子どもに関わっても、100%成功しない●大人サイドの価値観で物事を考えないためには訓練が必要次回は、「自分を表現すると嫌われる学校の現実。守りに入る教員をどう変える?」です。■今回取材にご協力いただいた木村 泰子先生の著書『 不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる 21世紀を生きる力 』木村 泰子,出口 汪/ 水王舎 ¥1,400(税別)
2017年07月27日大ヒットしたドキュメンタリー映画『みんなの学校』。「人を大切にする力」、「自分の考えを持つ力」、「自分を表現する力」、「チャレンジする力」の4つの力を育てることに尽力をしたのが、初代校長を務めた木村泰子先生です。木村先生は、この「4つの力があれば、子どもたちは未来を生きていける」と言います。しかし、いまの学校現場では、見過ごせない問題が起きているとも…。不登校になってしまった娘を抱えるママからの話をもとに、どうして学校に通うことに苦しむ子どもが出てしまうのかを考えます。※本連載は、木村先生との「学びの会」を抜粋したものです。記事内に登場する参加者は、「学びの会」に出席した方々となります。■子どもが育つ学校現場で見過ごせないことが起こっている木村:大空小が地域の新しい学校として開校したのは、2006年4月1日です。いまから約10年前に、「10年後って、どんな世の中になっているのかな? いまより、もっと日本には入り混じった人たちがたくさんいる。そんな世の中で生きていくために、子どもたちが身につけなければいけない力って、何だろうね?」と、考えました。あれから10年たったいま、映画『みんなの学校』に注目してもらえるのは、10年先取りでやってきてことが、いまになって、ニーズを感じていただいているのかな? と、思っています。いまの学校現場では、「子どもが育つ環境」という視点でみると、「見過ごしてはいけない」ということがたくさん起こっているのが現実です。でも、そんな地元の学校に行かざるを得ない子がたくさんいる。そして、学校にどうしても行けなくなってしまう。そんな苦しんでいる子、保護者は、たくさんいます。■「不登校」が増えている理由は?木村:ここ2、3年で、学校現場は「いかに子どもに規則を守らせるか」という方向に、急速に傾いています。その結果、どんなことが起こっているか?たとえば、ある都道府県では、ここ2,3年で「学校に行けなくなった子」の数が2倍強に増えたという報告がありました。それは、その地域に限った話ではなくて、全国的にその傾向が強まっています。参加者:4年生の娘が不登校です。どうして学校に行けなくなったかというと、担任の先生が「○○しなさい」「○○、しなくてはいけない」という先生なんです。過保護な母親のように、手とり足とり教えてくれることが、うちの子にとっては窮屈だったみたいで。娘のクラスでは、娘が不登校になっただけではなく暴力的になってしまう子など、いろいろな「症状」が出始めています。木村:一教員が、急激に意識を変えるというのは、現実的には難しいかもしれませんね。もし、それで変われる資質がある先生なら、もともと、そうはなりませんからね。ある意味、その担任の先生の姿は、典型的ないまの学校の姿です。参加者: 正直言って、「過保護や過干渉」と、「教育をきちんとする」の線引きがわかりません。どうやって見極めたらよいのでしょうか?■「過保護や過干渉」なのか? それとも「教育」なのか?木村:子どものある行為に対して、「これについて干渉することは『過保護や過干渉』となるのか? それとも『教育』なのか? 大人として、目の前にいる子どもに、どう関われば良いのか?」。大空小でもやまほど悩みました。たとえば、子どもが「イヤ!」と言って、いうことを聞かない。「このイヤは、この子のわがままなのか? イヤということを認めたらいいのか? イヤというのを、やめさせないといけないのか?」。大人は、そこで選択したくなるものです。でも、それを決めるのは子どもです。大人は「言うことをきかせるべきか」とか、「甘えさせるべきか」と考えてしまう。けれども、その視点でモノを考えている大人は、子どもに関わる場合に、自分の法則で考えようとしているんです。言ってみれば、子どもを、「どうにかしなければいけない」というリーダー性を大人が持たないといけないと思っている。■何で、この子は「イヤ!」と言っているのか参加者: 「どうにかしなければいけないというリーダー性」とは、どういうことですか?木村:たとえば、「これを、やりましょう!」と言って、「イヤ!」と言う子は、いくらでもいます。「イヤ!」という子に対して、大人がまず考えるのは、「どうやって、『イヤ!(NO)』を『YES』に変えようか?」ということではないでしょうか?ここで、先にお話した4つの力のうち、ひとつの大事な力が抜けています。この子が、「イヤ!」と言ったら、大人は4つの力の中の、「人を大切にする力」を使ってほしいのです。大人が「この子の、『イヤ!』をやめさせよう」と思うのは、上から目線の関わり(どうにかしなければいけないと考えるリーダー性)なんですよね。「やめさせることが、この子にとって幸せにつながる」と、思っているんでしょうけれど、それは、子どもにとっては、おおきなお節介です。「これについて干渉することは『過保護や過干渉』となるのか? それとも『教育』なのか?」。この問が自分の中に生まれたら、まず、「この話に、唯一無二の正解などない。ケースバイケースで、答えはそれぞれにまったく異なる」ということを思い出して欲しいのです。子どもの「イヤ」に対して、「過干渉なのか過保護なのか、それとも教育なのか」と考える前に、まずは目の前の子どもを「感じてみる」ということが大切なのだと思います。「学校に行きたくない」という子がいたとしたら、「なんで、『学校に行きたくない』って言っているか?」を、まずは考えてみるんです。「なんで、この子はイヤと思うのだろうか?」ということを、大人がきちんと考えてみるということです。【『みんなの学校』流「生き抜く力」まとめ】●いまの学校現場では、不登校の増加など、見過ごせない問題がたくさん起きている●子どもが「イヤ」と言ったときに、「いうことをきかせる」のは大人が上から目線になっている●子どもの「イヤ!」の理由は、子どもなりの「自分の意見」。大人はその気持ちを大切にする力を持つ必要がある次回は、「マニュアル子育ては見抜かれる! 大人の論理「あなたのため」は通じない」です。■今回取材にご協力いただいた木村 泰子先生の著書『 不登校ゼロ、モンスターペアレンツゼロの小学校が育てる 21世紀を生きる力 』木村 泰子,出口 汪/ 水王舎 ¥1,400(税別)
2017年07月26日学校によって異なりますが、持ち込んではいけないものを定められている学校も多く、中には携帯電話の持ち込みを禁止している学校も存在します。最近では、防犯のために携帯電話を持たせるべきだといった議論もあるようで、持ち込みはOKだけれども使用は禁止にしているといった学校もあるようです。さて、このような持ち込み禁止のものですが、生徒の持ち込みが発覚した場合、先生がその物品を没収することもあるようですが、先生には生徒の持ち物を没収する権利はあるのでしょうか?今回は先生にはどんな権利があるのかについて解説していきたいと思います。*画像はイメージです:■先生の懲戒権で可能学校教育法11条は、校長及び教員が児童、生徒、学生に懲戒を行うことができると定めています。法律では、懲戒権としてどこまで具体的な行為が可能かまでは明記されていません。しかし、生徒らの権利を制限する結果をもたらす懲戒権を認めた法律の趣旨は、校内秩序を維持し、教育目的の実現を図ることにあるので、このような懲戒権の存在目的からすれば、当然、教師の懲戒権には一定の限界があることになります。例えば、生徒の身体に対する懲戒行為については、特に禁止される体罰との区別の関係で、文科省が許される範囲についてガイドラインを示しています。これに対し、生徒の所有物を没収するという懲戒行為は、特にガイドラインなどがないようですが、懲戒権の存在趣旨から、学校教育指導に必要な範囲で、かつ、没収の態様、生徒の不利益等を勘案して相当な範囲に限り適法と考えられます。 ■処分はNGの可能性あり学校現場で行われる持ち物没収は、ほとんどの場合、在学中もしくは登校中に一時的に教師が取り上げて預かることをしているのみで、預かった生徒の所有物を学校側が勝手に処分することはありません。校則で持ち込み使用を禁止しているものを没収(一時預かり)することは、少なくとも在学中もしくは登校中に限っては、教育指導に必要であり、生徒の被る不利益も校則違反の制裁としてやむを得ない範囲にとどまっているといえ、懲戒権の行使として適法と考えられます。これに対し、例えば持ち込み禁止・使用禁止の生徒の携帯やゲーム機を預かるだけでなく、学校側が勝手に処分してしまうことは、生活指導として過剰といえ、懲戒権の範囲を超える可能性があります。ただし、タバコやお酒といった未成年禁制品は、学校外でも法律で禁止されている以上、教育指導として処分まで許されると考えてもよいでしょう。下校時間になったから返還、というわけにはいきません。また、没収の態様は、生徒にきちんと告知して取り上げるのが原則です。体育の授業中に生徒不在の教室の荷物の中からこっそり抜き取ることは、そうしないと校則違反の物を発見できない特段の事情がない限り、懲戒権行使の方法として相当性を欠き、違法とされる可能性があります。 ■懲戒権を超えた場合の責任懲戒権を超える没収があった場合は、損害賠償の他、窃盗罪の責任に問われる可能性があります。ただし、教育現場で行われている没収(一時預かり)が懲戒権の範囲を超える事例はほとんどありませんので、生徒学生の皆さんは若気の至りで先生に向かって無駄な抵抗を試みるのではなく、将来のためにも先生のいうことを素直に聞きましょう。 *この記事は2015年2月に掲載されたものを再編集しています。*著者:弁護士 星野宏明(星野法律事務所。不貞による慰謝料請求、外国人の離婚事件、国際案件、中国法務、中小企業の法律相談、ペット訴訟等が専門。)【画像】イメージです*よっし / PIXTA(ピクスタ)
2017年03月26日*画像はイメージです:埼玉県熊谷市にある中学校で、問題行動・非行を繰り返す生徒の情報を地域に共有するため、13人の生徒の名前が記載された資料を自治会長などに配布していたこと、また、配布された資料がインターネット上に流出していたことが明らかになりました。この件では、(1)非行生徒のリストを教育委員会や学校内で共有すること自体の問題、(2)リストを自治会長らに外部提供することの問題、(3)配布された資料を流出させたことの問題の3点が問題となり得ますので、順番に解説していきたいと思います。 ■非行生徒のリストを教育委員会や学校内で共有することは可能熊谷市条例(以下、「市条例」といいます。)の実施機関に当たる教育委員会、中学校は、生徒の個人情報を、学校の秩序維持・非行防止等の目的のために利用することができますから、非行生徒のリストを作成・共有することは可能です。 ■リストを自治会長らに対して外部提供することは市条例違反の疑い熊谷市条例では、個人情報の目的外利用や市以外の第三者に対する外部提供を原則として禁止し、相当の理由があるときや、公益上の必要があるときなどの要件を充たすときに目的外利用ないし外部提供を行うことができることとされています(市条例12条等)。しかし、今回のケースでは、外部提供に当たり審議会への諮問や市長への届出などを行っておらず、上記の市条例12条の要件を充たしていないと思われますので、市条例違反の疑いがあります。なお、本件は、埼玉県条例及び個人情報保護法の規定を見ますと市条例のほうが外部提供の要件が厳格と考えられ、「都道府県条例と市区町村条例の優劣」という難しい論点がありますが、紙幅の関係上割愛します。 ■配布された資料を流出させた者の責任まず、今回のケースでは流出者が誰かは特定されていないようですので、流出させた人を外部からの出席者である個人だと仮定してお話しします。この場合、流出させた個人は個人情報保護法上の罰則は科されません。そのため、流出させたことによる生徒本人のプライバシー侵害に当たり、損害賠償義務を負い得るにとどまります。今回のケースは、地域で連携して非行防止に取り組むという目的に対して、手続違反や情報の取扱いに不注意があったところに問題があったといえるでしょう。改正個人情報保護法が平成29年5月30日に施行されるように、個人情報の取扱いにはより一層の注意を必要とする時代になっていますので、とくに企業や自治体は個人情報が流出しないよう対策を取ることが大事ですね。 *著者:弁護士 木川雅博 (星野法律事務所。通信会社法務・安全衛生部門勤務を経て、星野法律事務所に所属。破産・再生・債務整理を得意とする。趣味は料理、ランニング)【画像】イメージです*Yasu / PIXTA(ピクスタ)
2017年03月22日学校とのトラブル、たくさんの家庭からの相談から見えてきた法則は?出典 : こんにちは、國學院大學教授の池田行伸です。私はこれまで、高等学校のスクールカウンセラーとして、定期的に学校の教育相談室に勤務し、カウンセリングにあたってきました。また、小児科外来の心理担当としても、医師が診る範囲外であると判断があった場合、患者さん・親御さんの相談にあたるという職務も経験してきました。心理担当に回ってくるのは、不登校など学校と家庭と子どもとの関係が入り組んでいるケースなどで、場合によっては学校に直接出向いて糸口を探ることもあります。担当中、受診していた子どもが学校に行けるようになり、それと同時に健康を取り戻すという嬉しい出来事もありました。解決したケースを振り返ると、筋道をたてて根拠に基づいてタイミングを図りながら間を取り持ち、コミュニケーションが成立した場合がほとんどです。これまで経験したエピソードをお伝えするとともに、問題に直面した場合、どんな解決策が考えられるのか一緒に探っていきましょう。「私たちは学校にいじめられてきた」 − 高校でのカウンセリングで出会った事件出典 : 週に1日の出校日、教育相談室に着くなり、教育相談担当教員から「今日、生徒と親を呼んでいます。もうすぐ来られると思いますので対応お願いします。」と告げられました。教育相談担当教員から手短にその生徒の状況を聞き出しますと、その生徒に忘れ物が多く生徒指導の教員から苦情が来ているというのです。その生徒は入学したての1年生の女子で、制服に付けなければならない蝶ネクタイを頻繁に忘れ、生徒指導部に借りに来ていたとのこと。きつく叱って指導し、家を出るときにも確認するよう何度も注意したが改善しない、と怒り気味に訴えてきました。このような話が聞き終わるか終らないかののち、生徒とその両親がやってきました。出典 : <span><a class="linkclass" href="">善良そうな会社員風の父親と少しうつむき加減の母親、そしてその女子生徒です。椅子に座らせ、こちらが名乗ってあいさつした次の瞬間、やさしそうな父親が口を開きました。「この子が小学校に入ってからずっと私たち親子は学校にいじめられてきました。私たちがいったい何をしたというのでしょうか」。決して悪意を持って攻撃するような言い方ではなく、むしろやさしく問いかけるような語り口でした。娘さんは高校に入り電車通学時にたびたび乗り間違えをし、遅刻したり帰りが遅くなったりすることがあったようです。「お聞きしたことを学校教育での指導に活かさせていただきます」と伝え、まずはその日の相談が終わりました教育相談担当教員に、この生徒には注意障害があるかもしれないこと、それゆえ忘れ物をきつく叱ると心が傷つき逆効果になることなどの一般的なことがらを話し、注意障害の対応に従って指導するほうが良いと告げました。その後、生徒はきつく叱られることなく普通に過ごしていると報告を受けました。その生徒に注意障害の可能性があるかもしれないことが生徒指導教員に伝えられ、蝶ネクタイの忘れ物があってもきつく叱らずただ貸し出せばよいことが伝えられたのです。このことが学校で共有され、職務上厳しく生徒指導をしなければならないと思っていた教員の意識が変わったのでした。ただあの時の父親の「私たち親子はずっと学校にいじめられてきた」という言葉が今も脳裏に焼き付いています。学校にその子の特性を理解してもらえず、子どもの奇妙な行動を指摘され続け、親のしつけの甘さなどを暗に批判され、長年親子で悩み苦しんできたであろうことを思うと、申し訳ない気持ちになりました。母親と学校の間に募る不信感 − 小児科外来の心理相談にて出典 : 附属病院の小児科外来で心理相談をしているときにも、子どもの盾となって学校と対峙する親に出会いました。母親に連れられて、男子中学生が私の部屋に訪れました。母親は、現在子どもが中学校に行けなくなり家にいること、そうなった原因は中学教師が自分の子だけ理不尽に叱ったからであり、その後の学校の対応に誠意がないと訴えました。小児科を不登校で受診したのですが、医師として行うような治療はないので、心理で話を聞いて欲しいと、私のところへ相談が回ってきたのでした。このような場合、安易に「それは学校にも問題がありますね。」と言うと、親は「やっぱりそうだ、学校が悪い」と、学校批判を強めて火に油を注ぐ結果になりかねません。小児科医局の研修会では「それは学校が悪い」の一言は問題をさらに複雑にするので、苦しまぎれにそのような言葉を吐かないようにとスタッフに注意してきました。母親から話を聞いた後、私が学校に行って直接話を聞いてきても良いかと親子に尋ねました。二人ともけげんな顔をしていましたが、「お母さんが学校に伝えたいと思っていることを伝えてきます。担任に会ってどうしたら学校に行きやすくなるか話してきます。」と言うと「お願いします」と言って承知してくれました。この問題は、小児科外来で定期的に話しても解決するようなものではないと思ったので、そのような提案をしたのです。出典 : <span><a class="linkclass" href="">親と学校が険悪な状態に陥っているこのような場合、子どもにとって学校に行くことは一人で敵地に乗り込むことにほかなりません。登校したくなってもできないでしょう。この時私は地方の大学の教育学部の教員でしたので学校に行くことにさほど抵抗がありませんでした。先方の中学校に電話すると話し合いの場を設定してくれ、教頭、担任、学年主任など数人の先生方と話しをすることができました。学校側のその母親に対する認識はやはり「モンスターペアレント」でした。母親が学校に抗議に来るので母親からの電話には、教職員がいつもピリピリしているとのことでした。小児科での見立てを説明し、母親も一生懸命なのだが言葉が足りないのかもしれないとも話し、なんとか母親と学校の溝を埋めようとしました。学校も何とかしなくてはいけないと考えていたところだと言いました。その子の特性として級友と共同歩調をとりにくい面があるかもしれないと言い、このことは母親にも伝えてあるが、そこだけに着目した指導はしないほうがいいのではないかと意見も述べました。教員は、「分かってはいるが、ついつい目が行き、叱りつけていた。今後はあらためて指導方法を練り直したい」と言ってくれました。また、「母親の子どもを思う気持ちは分かったので何とかして生徒と接触できるようにしたい」とも言ってくれました。その後母親から、自分が働きに出ているときに、担任が何度か家庭訪問してくれた、誘われて子どもが数回登校したと、小児科外来受診時に報告を受けました。私との面談の時、母親は思いのたけをぶつけてきましたが、回を重ねるごとに学校に対する攻撃が鳴りを潜めました。同時に子どもの表情にも明るさが出てきました。このような経過を経て生徒は登校するようになりました。ずいぶん後になって子どもが専門学校に進学でき元気に通っていると母親から連絡をいただきました。非難、批判合戦から科学的教育へ出典 : 親が子どものことで一生懸命になり過ぎるあまり担任とぶつかり、間に入った学年主任や教頭とも険悪になり、家庭対学校の対立の図式が出来上がることがしばしばあります。上記の例以外にもたくさん経験しました。特に発達障害などの疑いのある子どもの場合、容易には対立が解消されない傾向にあるように思います。学校でいじめられた、教師にひどいことを言われたなどと子どもから聞いた親は、学校はなんてひどいところだと怒りの感情が先に出てしまうでしょう。一方教師は、一人だけ別なことをする子に手を焼いていて授業ができない、他の生徒の被教育権が奪われる、などとといきり立つことでしょう。そんな両者が穏やかに話し合うことは理想ではあっても困難なことだと思います。平静さを保っているように見えても、心の底ではお互い分かり合えない複雑な感情を抱いている。そんな状態では、学校は家庭がもっとしっかりやるべきだと考えるし、家庭は学校が悪いから自分の子がおかしくなったと考えるわけで、お互いの不信感がつのるばかりです。さらに母親は、「子どもがおかしくなったのはお前の育て方が悪かったからだ」と夫や義理の両親からなじられている場合もあります。子どもの回りにはこのような批判や非難が渦巻いているのです。このような状況をどのように解決すれば良いのでしょうか。今のところの解決法は、親が発達支援センターや小児科等の専門医を訪れて子どもの状態を客観的に観察してもらい、それらの情報をスクールカウンセラー等を経由して学校に伝えてもらい、その子の特性に応じた指導をするようお願いすることだと思います。学校は、必要に応じて専門家の派遣を教育委員会等の管轄組織にお願いし、そこからアドバイスを受けることもできます。ただし現在のところ第三者的存在が十分機能しているとは言えません。上記のような枠組みの中で何度も挑戦しながら経験を積み、新たな教育体制を作り出さない限り家庭と学校の非難合戦は無くならないと思います。自分の子どもが学校で正しく教育を受けていないと感じる親は、学校に対する不満や怒りをぶつけるだけでなく、客観的データ、科学的根拠に基づいた教育を行うよう学校に申し出るべきだと思います。その時には、ぜひスクールカウンセラーを有効活用してください。
2016年10月22日学校生活を楽しんでいるかに見えた息子。ある日から登校を渋るように出典 : 学期が始まり2週間ほど経ったころ、アスペルガー症候群を持つ小学1年生の息子・ハルが、「学校へ行きたくない」と登校を渋りました。勉強も運動も得意で、コミュニケーション能力が高く友人が多い息子が、そんなことを言い出すのは、私にとって意外なこと。しかし、「夏休み明けに疲れが出て休みたがる子は多い。大抵の子はすぐにまた学校へ行きたがるから心配ない」というような話をどこかで聞いたことがあった私は、さして気にはしませんでした。ただ、何かしらの問題を抱えていて言い出せない、という可能性も危惧し、念のため理由を聞いてみることに。すると、「何かあったわけじゃない。でもうまく言えない」と言い、困ったような表情を浮かべました。同じアスペルガー症候群の私自身にもあることなのですが、自分の感情をすぐさま理解できなかったり、心の中にある思いを上手く言語化できないことが、息子にはしばしばあるのです。ですからここで無理に聞こうとしても、ますます困るのが目に見えているので、「整理がついたら教えてね」とだけ伝え、私は息子の要望を聞き入れ、欠席する旨を学校に連絡しました。3日後に学校から電話が。一方的に話を展開する先生についカーッときた私は…出典 : そんな調子で3日休んだとある週末、担任の先生から電話がかかってきました。先生「このままですと、息子さんは不登校になる危険がありますよ」私「危険?何が危険なんですか?しかも、たかだか3日で…」先生「きっとハルさんは“こう言えば学校を休める、嫌なことから逃げられる”ってパターンがわかってるんですよ。休み癖が付いてきてるんじゃないですか?」私「休みぐせ?何ですかそれ?息子は息子なりの理由があるのかもしれなくて、今は言葉にまとめられないと申し上げたじゃないですか!!」先生「だってそうとしか考えられませんよ、この状況は」冷静に話さなければならないのはわかっていましたが、息子なりに理由を整理しようとする姿を見ていた私。先生とのやり取りですっかり頭に血が上ってしまいました。結局その日は、状況の確認はおろか何の解決策も見出せず、水掛け論のまま終わってしまったのでした。ようやく出てきた本音。そこには、息子なりに学校と向き合おうとしている姿が出典 : しかし、土日を挟んだ週明け、息子は何事もなかったかのように学校へと向かいました。「やっぱり一時的なものだったのか…」と安心していたら、2日通ったその翌日、また登校を渋りだしたのです。これはやはりはっきりとした理由があるのだなと思い、「何か嫌なことがあるの?説明できる?」と再度質問してみたのです。ハル「授業中、早く終わった他の教室から、ザワザワした声が聞こえてくるのが辛い。不安になる」聴覚過敏を持つ息子は、小学校に上がる前から多人数の声がザワザワ響くのが大の苦手です。ハル「あとね、絵を描くのが辛い。先生は『こうやって描けばいい』って教えてくれるけど、それを描くのが辛くて怖い」アスペルガーならではの、セルフイメージの高さもあるのかもしれませんが、文字はともかく、絵に関しては同年代の子と同じように認識し、描画することに強いプレッシャーを感じているようでした。私「そっか…ところでさ、ハルはそういうのを学校の先生に言ってる?言えないのだとしたら、それはどうして?」ハル「だってさ、先生には正しいこと(先生が喜ぶこと、納得しやすいこと)を言わないと、先生が悲しむでしょ?」その言葉は息子が入学以来、何度も口にしてきたものでした。相手の期待を優先し、自分の辛さを抑え続けたら、疲れも溜まるし学校にも行きたくなくなるはずです。私「わかったよ。じゃあ私がそのことをE先生(発達障害専門医)に相談して、そこで聞いたことを学校の先生方に伝えてみる。そうすればハルの辛い気持ちが先生方にも伝わって、対策が見つかるかもしれないね」専門医からのアドバイスを踏まえ、改めて先生に状況を伝えるものの…出典 : 翌日私は、発達障害専門クリニックの先生に相談しに行きました。先生からは「行事はできれば部分参加、できなければ無理強いの必要はない。」とのアドバイスを頂き、それを息子自身の言葉と併せ、担任の先生に伝えることにしました。ところが、私が息子と同じ障害を持っていることが災いしたのか、「息子はこのように申しています」と伝えても、「それでハルさんはどう言っていますか?」「お母さんはそのようにおっしゃいますけど…」と、まるで私が勝手な代弁をしているかのように思われ、話が一向に進まなかったのです。これではらちがあかないと、主治医の先生の言葉を伝えました。すると今度は、「絵だって、“こういうふうに描きましょう”とお手本を見せれば上手にできるし、感覚過敏に関してもさほど辛いようには見えませんよ。そうやって嫌なものを避けさせて、学ぶ機会を失ってしまってもいいんですか?」と返ってきました。強いプレッシャーや感覚過敏に耐えていると息子が発言していたことは、全くと言っていいほど信じていない様子です。ただ、私も学校での姿を見ているわけではありません。とはいえ息子のことを疑いたくもないし…。このようなやりとりが連日続き、発達障害に関して普段は楽天的に捉えている私も、さすがに疲弊してしまいました。改めてこのことを、主治医の先生に相談すると「教育支援センターに相談し、学校との間に入ってもらうこと」を、勧められたのでした。実はこの問題は現在も相談中で、まだ解決していません。子どもの選択に親がどこまで介入すべきか?正解は無いけれど、大切にしたいのは出典 : その後10日ほど欠席をし、息子は学校に行き始めました。今でも楽しい日々の報告と合わせ、感覚過敏の辛さ等について私に話してくれますが、登校を拒否するまでには至っていません。しかし、このまま何事もなく学校に通い続けるのかといえば、それは私にも、息子自身にもわからないことです。とはいえ、息子が本当に辛い思いをしているのだとしたら、学校に行かなくても済む環境作りをしたいと思っています。でも、そもそも私は「学校なんかに行かなくてもいい!」と主張したい訳ではないのです。学校でしか学べないこと、できない体験はたくさんあります。それを親である私が奪う権利はありませんし、奪いたいとも思いません。しかし同時に、学校に行かなかったからこそ学べること、できる体験もあるように思えるのです。どちらが優れているのかなどは簡単に比べられるものではなく、私には判断できません。出典 : 以前コラムでもお伝えしましたが、息子自身、感覚過敏や環境の変化の辛さを堪えて行事等に参加すること、あるいは欠席すること、双方のメリットとデメリットを体験しています。このため、私はそれを元に自身で判断するように促してきました。メリットとデメリットの境目は息子の成長によって変わるかもしれませんし、体調や気分でも変化するかもしれません。何より息子の辛さは息子にしかわからないので、何かと難しいことがあるのですが…。学校には引き続き、努力で乗り越えられない辛さがあることを、ご理解いただけるように伝えていくつもりです。学校と支援センター、そして息子と私で協力し合いながら、息子にとって最善の判断、「これで良かった!」と思える選択ができるように、サポートしていきたいと思います。
2016年10月19日どうしてわかってくれないの…親を困らせる子どもの行動私の息子には発達障害があります。その特性から、学校に行くと周りの先生やお友達を困らせてしまうような行動ばかりしていました。友達のものを壊してしまったり、教室から飛び出してしまったり…それは忘れ物やなくし物などは、まだ良い方だと思ってしまうほどの威力でした。そんな息子が入学した当時の私は、問題を起こし続ける息子への対応に、身も心も疲れ果てる毎日。独りになるとその辛さから、どっと涙があふれてきました。この子はどうして問題を起こすのだろう。何度も言って聞かせているのに、どうしてわかってくれないのだろう。いくら私が息子を叱っても、息子の行動は一向に良くなっていきませんでした。子どもの行動が変わらないのはなぜ?出典 : いくら言い聞かせてもなかなか息子の行動が変わらないのはなぜだろう?そう考えていたとき、「問題は本人にあるのではなく、叱るだけの大人にあるのでは」ということに気づきました。私は、いつも何か問題が起こると、息子のことを叱ってばかりで「言い聞かせる」ことで解決しようと考えていました。ですが、それは間違いでした。発達障害と診断されてから気づいた事ではありますが、注意するだけではなく、そもそも問題を起こさずに済むような工夫が必要だったのです。それは大人からの関わり方や、授業の参加の仕方など、いわゆる「子どもの周辺環境を整える」という視点でした。子どもが変わるために周りの大人ができること。出典 : 一方的に叱るだけでは解決しない、と気づいてからは、「なぜ問題を起こすの?」ではなく「どうすれば防げるだろう」と考えるようになりました。子どもは、自分の過ごす環境が居心地が悪いと、その辛さを何かの行動で示してくると感じています。それは、泣きわめく場合もあれば、友達とのトラブル、学校の行き渋りで現れる場合もあります。「困った子は、困っている子」というフレーズがあるように、子ども本人も何かに困っているのです。それを大人が一方的に叱ってしまうと、子どもの気持ちは置いてけぼりなまま根本的な解決はできません。ですから、「問題」に直面したときは叱り言い聞かせるのではなく、そもそも問題を起こさずに済む工夫を考える必要があるのです。問題を違う視点から見てみよう。子どもの行動に悩む人たちへ。出典 : 息子は中学生になりました。発達障害はそもそも外から見るとわかりにくく、理解されにくい障害です。しかし中学にもなると今までの療育や支援の効果もあり、ますます障害の存在が見えにくくなったように感じます。障害の存在が見えにくくなることは、親としては喜ばしい限りです。本人が困ることが減り、周りにも迷惑をかけることが少なくなっているのですから。一方で問題を起こさなくなり障害が見えにくくなった分、今でも本当は抱えている問題に対して、支援や配慮を受けにくくなったな、と感じます。最近では、時折訪れる「学校を休みたい」という発言に、ほっとすることさえあるのです。なぜなら休むことで、先生たちに「まだまだサポートが必要なんだな」と認識してもらえる機会になるからです。問題が起こるたびに、どうにかしようと振り回されていた私ですが、今では問題は「子どもからのSOS」と考えられるようになりました。子どもの問題にぶつかった時、少し視点を変えてみましょう。「どうしたら?問題を防げるのだろう?」子どものせいにする前に一度、周りの大人の行動を振り返ってみるのです。そうするだけで見えてくるものがあるのではないでしょうか。
2016年08月04日夫婦が離婚に至る、理由というのは様々ですが、女性側で言うと、どこかで男性と戦うという心理を持っています。根っこはみんな男に勝ちたいという心理。そういう女性は男性に頼る事は一切せずに、とにかく自分で物事をなんとかしようとしています。旦那さんは当てにならない、だから自分が頑張らねば!こんな男はこちらから捨ててやる!となる場合もあります。反対にご主人側から離婚したいと言われる場合、妻側は夫の言う事は何でも聞きます、従順でいます、何でもやってあげますタイプだったりするのです。自分は尽くしているつもりかもしれませんが、逆に浮気されやすくなるケースも。男性側の心理としては『コイツ、何やっても文句いわねーんだろ?』となるのです。バカにされるというかなんというか。家の中で、旦那さんの役割がほとんどないと大抵面白くなくなって、オレいなくても良いじゃん的になります。そうなると、帰ってこなくなります。このケース、一見勝っているように見えないけど、旦那さんの役割を奪う事で、『あなたは何も出来ないでしょ』って暗に言っている事になります。だから私がいないとダメよねって相手を蔑んでいる。そこに旦那さんへの尊敬のかけらもない。でも、自分はしおらしいと思っています。ご主人とあからさまに戦っている場合も、ご主人に尽くしている場合も、どちらも自分が正しいと思っています。どちらも奥底で、旦那はダメな奴だと思っているのです。何も出来ないからとやってあげるのか、何も出来ないからと見捨てるのか、ただその違いでしかありません。両方とも幸せからは遠ざかる。旦那がこんなんだし!という理由で始めたものは、ほぼ思い通りにはなりません。他に助けを求めても、自分で自分に向き合わない限りただの現実逃避になります。自分が選んだパートナーをダメにしているのは自分かもしれない、という視点が必要になります。その視点がなく、最初から相手をダメだと決めつけているなら、どの人がパートナーになったとしても、結局は同じになるでしょう。(もしくは自分のために最初からダメなのを選んでいる)自分が相手をダメにしているのかもしれない。旦那さんを主観で『コイツはこうだ!』と決めて付けているのは他でもない自分自身だったりするのです。夫婦は元々が他人です。元々違う価値観の中で生きて来た者同士が、何かのきっかけで家族になりました。そこに必要なのは相互理解です。相手への理解、そして自分を理解してもらう努力。それをせずに、相手が悪いと決めつけるのは、横暴ではないかなと思うのです。長い結婚生活、時に離婚したい!と思う日があるでしょう。それは否定しませんし、あって当然だと思います。ただ、その気持ちに流されて、すぐに結論を出そうとするのは早いかなと思います。自分が作り出した現実かもしれないと、ひと呼吸おいて、自分自身を振り返ってみてください。
2016年07月19日3月13日、Apple Store銀座にて、「Teacher’s Night:iPadが変える学び『コラボレーションと問題解決』」と題されたイベントが開催された。本イベントでは、筑波大学附属桐が丘特別支援学校の生徒向けに、筑波大学情報科学類の学生が開発したiPadアプリを紹介しつつ、学生、児童生徒と先生が共同開発をはじめた想いや歩み、今後の取り組みについてなどが語られた。イベントにはまず、筑波大学附属桐が丘特別支援学校の白石利夫教諭が登壇。桐が丘特別支援学校でどのようにiPadが利用されているかの説明があった。肢体不自由のある生徒にとっては、教科書のページを捲る、文字を書く、荷物を運ぶといったがことが困難であることが多いのだが、iPadを使うことで、そういった局面での問題を解決できるのである。生徒達の学習や生活の幅を広げるのに一役買っているというわけだ。白石教諭がiPadの導入について、持ち運びのしやすさ、すぐに起動して使えるという手軽さ、ユーザーインターフェースのデザインが統一されているので、シンプルで直感的に操作できる点、セキュリティ面での信頼性、そして、さまざまな障碍に対応するアクセシビリティが豊富に備わっているという5つのメリットを指摘したのち、特別支援学校の生徒が登壇。iPad使用前の困難な点と使用後の変化を解説してくれた。生徒は教科書とプリントを同時に使う授業では、教科書を押さえながらプリントに書き込むという作業が難しいことを最初に挙げた。これがiPadに教科書を取り込むことで、簡単にページ送りが可能になったという。続いて、Apple TVを使ってAirPlay経由で液晶ディスプレイにiPadのノートを見せられるようになったので、積極的な発言ができるようになったと打ち明けた。学習意欲の向上にもiPadは貢献しているようだ。また、プレゼンしてくれた生徒の場合、疲労を軽減するために、一日のうちに、何度か横になる必要があるとのことだったが、これもiPadのおかげで、横臥した状態でも教科書を読んだり、板書したりといったことができるようになったと報告してくれた。しかしながら、アプリを利用する上で問題が二点あったと訴える。一つは、一般的なアプリでは、ボタンやキーが小さかったり近付きあいすぎたりして、押し間違えることが多くなるという点。二つ目は、文字の拡大に際して、長押しでルーペを表示させるの操作が難しいという点だ。こういった問題を解決するために、筑波大学情報科学類の学生との協同作業がスタートしたのである。ここで、筑波大学情報科学類の櫻井鉄也教授が登壇。大学についての簡単な説明のち、今回の共同開発がスタートした経緯を述べた。80年代にMacintosh Plusを購入し、アルゴリズムの記述や計算ができる「MathGUIde」というアプリを開発した経験もあるとのことだったが、ここ数年はiPadアプリの開発にも携わっており、そんな中で、白石教諭からコンタクトがあったと、その時の状況を櫻井教授は振り返る。これを受け、白石教諭は、桐が丘の生徒はiPadで文字を入力することはできるが、分数などの数式を書くのが厳しいということがあるので、入力しやすくルールが複雑でないツールはないかとリサーチを続けていたと、述懐した。そこで筑波大学の学生が公開している動画を見つけたのがコラボレーションのきっかけになった、と白石教諭。共同開発の展開に関しては、筑波大学情報科学類の学生が案内。「COINS-Project」という計画を立て、肢体不自由者向けのアプリ開発を行う「COINS-Project AID」、筑波大学の公式アプリ「iTsukuba」の開発、学内向けのプログラミングの勉強会などの実施など、活動を詳説した。COINS-Project AIDにおいては、桐が丘の生徒のアイディアや筑波大学の学生の閃きからアプリを開発、その後、実際に桐が丘の生徒にアプリを使用してもらい、彼らからのフィードバックを得、機能を改善というサイクルを経て、適当なタイミングでApp Storeに公開するというプロセスを踏んでいるそうだ。その中で生まれた「iPolyFactor」という因数分解を解くためのアプリを紹介。最初のバージョンでは、ボタンのミスタッチが多い、操作部と表示部が左右に分かれているので、利き腕によっては上手く使えないといった問題が出てきたのだが、ボタンの大きさを可変に、操作部と表示部を入れ替えられるようにするという機能が追加された。このように相互の対話があった上で、作業は進められていく。続けて「Planner」と命名されたスケジュール管理アプリを紹介。スケジュールの管理と書字が苦手という桐が丘の生徒は、このアプリを使うようになってからの劇的な変化について触れた。生徒は、書字に時間がかかるので、これまで予定表を作るのは母親に作成を依頼し、学習が終わったら、その表のマスを塗りつぶしてもらうという作業を繰り返していたと話す。苦手な科目はやらない、など、勉強する教科は偏ってしまいがちだが、予定表を作ることで、やらなければならないことの整理がしやすくなると生徒は省察する。「Planner」では、現在の進捗状況を一瞥しただけで分かるようにでき、簡単な操作のみで計画表を作成、入力できるようになっているが、これも生徒が使用していたものに似せてUIをデザインし、マスの数とタイトルを決めるだけで表が構成できるようにしたと、フィードバックから仕様が決まっていったことを強調した。生徒は、これまで出来なかったことが出来るようになったと喜びをあらわし、さらに、今まで自分で出来ることも他者に頼んでいたところがあったと反省しつつ、自分で出来ることは自分でやるようになったと、前向きな気持ちを伝えた。iPadとアプリを使うことで、勉強が捗るようになっただけではなく、人間的な成長にも繋がっているということには感銘を禁じえない。イベントの締めくくりに、この三年間の取り組みに関して、感じたもの得られたもののヒアリングが。コラボレーションの効果として、学習上の課題を克服することで、生徒全体の学習能力がアップしたことが挙げられ、適切なコンテンツにより、さまざまな問題を解決できるiPadの素晴らしさを感じ取ることができたこと、ICTと人材が組み合わさることで、障碍を克服する新しい手段を獲得できるようになるといったことが指摘された。しかしながら、全ての問題が片付いたというわけではない。桐が丘の生徒からは、文字入力や音声認機能への要望が寄せられた。ソフトウェアキーボードでは、画面の半分が隠れ、作業スペースが狭くなってしまうという現象が起こる。外部キーボードを使うにも、そもそも彼らにとっては、運ぶのが一苦労で、導入にも躊躇いを覚えるのだ。作業スペースへの不満は実感として非常によく分かる。自分が書いたものを一瞬で全て把握できないのはかなりのストレスであるのに違いない。これに対して、iPhoneをiPadのキーボードとして使えないかというアイディアが提出された。着想として面白いだけでなく、実用性も高そうなので、アクセシビリティの機能向上として、iOS側で是非取り入れていただきたいところだ。また、構音障碍のある生徒からは、Siriの認識率を上げてほしいというリクエストが寄せられた。生徒は、「Siriは、本当は私たちにこそ必要な機能」と力説したが、これも間違いなくその通りである。肢体不自由がある場合、体の可動域に大きな制約があり、たとえそれがiPadのような使いやすいデバイスだったとしても、支援ツールなくしては道具として利用できないこともあるからだ。最後に、印象に残った筑波大学の学生のコメントを紹介しよう。学生は「今回のコラボレーションを通じて、大学で学んだことが実際に人の役に立っていると実感を得ることができ、それらがプログラミングを続けるモチベーションになったし、ただ意見を貰ってアプリの開発にあたるのではなく、そこから本当に必要な技術とは何かを考えるようになった」と述告したが、これは、障碍者支援のあるべき形を端的に言い表しているように感じられた。続けて「一般の企業には出来ないような局所的なニーズに応えていきたい」と意気込んだが、この発言は高く評価してしかるべきである。マーケットの論理が支配的な世界においては、金にならなければやらないし、コストが高くつきすぎれば研究の支援はできない、となるのが当たり前だが、彼らは学術機関としての大学の責務をきっちり果たそうとしているからだ。最高学府としてあるべき姿とは何かということを筑波大学と学生達はしっかりと理解している。障碍者向けの支援ツールは、往々にして世代が変わるとボタンなどの配置が変更されてしまい、一から使い方を覚え直さなければならないが、iPadならそれはない。開発に携わった学生が卒業してプロジェクトを離れてしまったとしても、コラボレーションは問題なく継続可能だろう。また、プロジェクトの関係者や教員、家族だけでなく、たまたま通りかかった人でも、iPadなら皆が使っているものであるから簡単にサポートできる。障碍者と健常者の間に橋を渡すという役割を彼らは担ってくれた。また、障碍者支援ツールとしてのiPadの可能性を、彼らは大きく切り拓いたのである。
2016年03月18日カドカワはこのほど、同社が2016年4月に開校を予定している「N高等学校」学校説明会・個別相談会の臨時開催を発表した。○KADOKAWA 中経出版のオリジナル教材を使用以前にマイナビニュースでも紹介した「N高等学校」は、現在のネット社会に対応した新しい高校。授業やレポート提出をネットで行うため、生徒は時間を問わず自身のペースで授業を受けたり、ネットを通じて講師に質問することができる。同校では、大学進学を目指すためのオリジナルカリキュラム授業をネットを通して行う。学習参考書の出版社として約30年の歴史を持つ KADOKAWA 中経出版の全面協力によるオリジナル教材を用いて、大学受験に必要な実力を養う。また、「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」の著者で坪田塾塾長の坪田信貴氏がスペシャルサポーターを務める講師陣の指導も実施。これまでのネット授業にはなかった双方向性のある授業のため、同級生と一緒に教室で授業を受けている感覚で受講できるのも特徴だという。通常科目だけでなく、業界のプロフェッショナルから、多種多様な「課外授業」をネットで受講することも可能。ドワンゴのトップエンジニア陣から学ぶ「プログラミング授業」や、KADOKAWAから作品を出版する作家が教える「文芸小説創作授業」のほか、ゲーム、アニメなど、希望に沿ったカリキュラムを選択できる。○ネットオープンキャンパスも実施開校に先立ち、同社は11月1日にフクラシア東京ステーション、11月3日に梅田阪急ビルオフィスタワー26階で学校説明会を行うと発表していたが、東京開催の相談会が早期に定員に達したため、東京での臨時追加開催が決まった。追加開催日は11月7日、10時半~11時半に学校説明会、12時以降は個別相談会を行う。場所は1日と同じフクラシア東京ステーションを予定している。また、会場に来られない人のためにネットオープンキャンパスを開催。11月より月1回のペースでニコニコ生放送で配信する。初回となる11月9日21時配信分の講師は、Ruby開発者 まつもとゆきひろ氏。自身の高校生活、Ruby開発の発端、現在の取組み、開発中の新言語Streemについての課外授業を放送予定となっている。
2015年10月22日ヘアメイク:JunJun 人気ヘアメイクアーティストの「JunJun」さんが、学校で男女共に評判なっちゃうキュートメイクを教えてくれました! 学校にピッタリのメイクやつけま選びって? コスメはもちろん、JunJunテクに注目です!!小梛準子メイク前メイク後メイクのコツ・ポイント眉はナチュラルに仕上がるため、毛のない部分をパウダーで埋める程度でピンクシャドウををアイホール全体と下まぶたに入れるピンクは目元のくすみを飛ばしてくれるので、明るい印象にペンシルアイライナーで粘膜部分のに埋め、表面にラインが見えないようにすることで、後からつけるつけまつげとのバランスをとるこのビューラーは、1プッシュで3段階カールができてまつ毛に優しいのでオススメです黒色のグルーは白浮きしないので、つけま初心者さんも使いやすいです目尻の長いタイプのつけまつげを平行に少し目尻をオーバーめにした状態でつけるつけたら、目を開けて、目尻の毛を少しタレ気味になるように調整するまつ毛をつけたら、隙間をリキッドアイライナーで埋めるチークはコーラルピンクをこのメイク動画のノーカット版と使用コスメ詳細を見る
2015年01月27日男女別学校。学校にいけば異性がいたという共学校の出身者がいる一方で、あえて異性との関係を断ち切り、同性のみの学校へ通っていたという方もいると思います。共学校出身者からは謎のベールに包まれたあの塀の中では、いったいどんな日常が繰り広げられていたのでしょうか。マイナビニュース読者の男女別学校出身者にアンケートで、在学中のエピソードをお聞きしました。調査期間:2011/12/28~2012/1/5アンケート対象:マイナビニュース会員有効回答数 1,000件(ウェブログイン式)■女子高エピソード編「学校でエロ本を回し読み。いいところのページになぜかハローキティの付せんが……」(25歳/女性)ハローキティの付せんというところに女子力を感じます。でも、もっと根底の部分から女子を磨いた方がいいような……。「夏に使った水着が冬になってもロッカーに放置されたまま。女子だけだと、いろいろと気を抜きすぎる」(24歳/女性)使用済み水着というワードにドキドキ。でも半年前に使った水着って……。「卒業記念品が口紅を塗るためのブラシだった」(26歳/女性)女性らしい身だしなみまで教えるというのは、なかなか女子校らしいエピソード。■男子校エピソード編「女人禁制の寺に泊まる行事があった」(22歳/男性)そこまでして何を鍛えていたのでしょうか。「ジャージを持ち帰らず、ロッカーに放置していたら悪臭騒ぎが……」(25歳/男性)このほかにも「洗い立てのジャージを着ているやつを見ると、『今日何かあるの?』と声をかけてしまう」(28歳/男性)という方も。ジャージを洗っている人の方がマイノリティー……?「異性に飢え、出会いを求め、塾に通う」(23歳/男性)さぞかし勉強が身に入らなかったことと思います。「妹や姉のいるクラスメイトの家に行くことが流行る。かわいい姉妹がいるやつはヒーロー扱い」(27歳/男性)家に友達を招き入れていた当人はどんな気持ちだったんでしょうか……。異性と隔離された数年間を過ごした皆さん。一見寂しい学生生活だったのかと思いきや、学校生活は、「派閥もいじめもなく快適な3年間」(30歳/男性)、「女子だけのあの楽しさは二度とないと思う」(28歳/女性)と、その状況を楽しんでいた方も多く見受けられました。社会に出てから同姓だけで数年を過ごす経験なんてなかなかできないもの。思春期を特別な環境で過ごすということは、人生に二度とない貴重な経験だったのかもしれません。(山本莉会/プレスラボ)
2012年02月26日