女優・山本美月の展覧会「魔法少女 山本美月」が、2020年10月16日(金)から11月3日(火・祝)まで池袋パルコで、11月13日(金)から11月30日(月)まで福岡パルコで開催される。女優・山本美月が創造する“魔法少女”の世界を体感プライベートでアニメやマンガをこよなく愛し、幼い頃から憧れていたという“魔法少女”をテーマに、その独特な感性で彩られた世界観を最大限に表現した書籍「魔法少女 山本美月」を作り出した女優・山本美月。本展は、二次創作ではなく原作になり、唯一無二のキャラクターを生み出したいと願う山本が作り上げたこの書籍の内容を具現化したものだ。描き下ろしコミックでは絵からストーリーまで、写真では衣装から髪型、小物まで手がけるなど、とことん“オリジナル”に拘った山本の創作活動を、現実世界で実際に体感出来る。“魔法少女”誕生の秘密に迫る企画や描き下ろしコミック例えば「山本美月の部屋」は、山本美月の内面を表現したメインの展示企画の一つ。ここでは、魔法やファッション、植物、動物、虫に鉱物と、様々なものを愛する山本美月のユニークな感性に触れながら、“魔法少女 山本美月”というキャラクターが生まれた秘密に迫る。そのほか、自らをモデルに、全てを本人が自作したオリジナルコミックを紹介する「魔法少女になりたいみづき」、全体の原案や着用ドレス、魔法ステッキなどの小物を通して、自らが演じた魔法少女の真髄に触れる「Mizuki the Magical Girl」など、様々な企画が用意されている。特別アイテム付きの限定版書籍&展覧会オリジナルグッズ展覧会会場では、通常版書籍の販売に先駆けて数量限定の限定版書籍を発売。限定版はカバーが通常のものから変更されているほか、メディコム・トイ社製のアクリルスタンド、オリジナル刺繍入りのマスク、卓上カレンダーが特別アイテムとして付属する。また、フォトTシャツやロゴトートバッグ、ポストカードのセットなど、山本美月が作り出した作品をデザインに落とし込んだ展覧会オリジナルグッズも販売される。山本美月コメント女の子なら、幼い頃に一度はあこがれる"魔法少女"。空を飛びたい、変身してみたい、そんな子どもの頃の夢をそのまま形にしてみました。こだわりのツインテールで、魔法のステッキを抱えた"魔法少女 山本美月"は私の大好きなものをギュッと詰め込んだ、まさしく理想の集合体です。私は二次創作じゃなくて、原作になりたい。唯一無二のキャラクターを生み出したくて、コミックでは絵やストーリーまですべてを自分で作り、写真では衣装から髪型、小物までこだわり抜きました。この本で、魔法少女にあこがれていたあの頃を思い出してもらえたらと思います。また、今好きなものを好きと大声で言えず悩んでいる人にとって、この本が少しでも勇気を出すきっかけになってくれたら嬉しいです。開催概要■展覧会「魔法少女 山本美月」〈池袋会場〉会期:2020年10月16日(金)〜11月3日(火・祝)時間:11:00〜21:00※入場受付は閉場の30分前/初日12:00開場/最終日18:00閉場/会期中無休会場:PARCO FACTORY(池袋 PARCO 本館7F)住所:東京都豊島区南池袋 1-28-2TEL:03-5391-8686入場料:500円(税込)、小学生以下無料〈福岡会場〉会期:2020年11月13日(金)〜11月30日(月)時間:10:00〜20:30※入場受付は閉場の30分前/最終日18:00閉場/会期中無休会場:PARCO FACTORY(福岡 PARCO 本館 5F)住所:福岡県福岡市中央区天神 2-11-1TEL:092-235-7000(代表)入場料:500円(税込)、小学生以下無料※両会場とも、スケジュール及び内容が都合により変更になる場合あり。■書籍『魔法少女 山本美月』発売日:2020年11月4日(水)定価:2,200円+税仕様:B5判/ソフトカバー(並製)/カバー・帯つき/128ページ内容:・30ページ超のオリジナルコミック・本人のアイデアが満載、自ら演じた魔法少女フォト・内面世界を深く探る約1万4000字のインタビュー・他、未公開イラストなどを収録©2020 INCENT Co., Ltd., TAC PUBLISHING Group
2020年10月09日ものまねタレントの岡田聖子(おかだ・せいこ)さんが、2020年9月17日にブログを更新。公園で出会った母親たちの行動に、苦言を呈しています。岡田聖子の「ママ友にはなれんわ」発言に共感の声子供と一緒に公園に出かけた岡田聖子さんは、食べ散らかされた菓子のゴミを発見。風でどんどん散乱していく様子を見て、もやもやしてしまったようです。最近行く公園お菓子のゴミがすごい、、、。子供たちが食べてる最中なら拾って帰るのだろうと思っていた日もあるが。今日はそこで食べていただろう子供達はいなくて荷物とお菓子のゴミが置き去り。岡田聖子オフィシャルブログーより引用そんな中、岡田聖子さんはさらに残念な光景を目の当たりに…。その時の気持ちを爆発させています。元々散乱していた上に風で広範囲に散乱していくゴミ達。そこには、自分の子供達のゴミじゃないから知りません顔のママが4、5人。ゴミと認識はあるようで避けながら自分の子供を遊ばせている。、、、、この人達とママ友にはなれんわー。岡田聖子オフィシャルブログーより引用岡田聖子さんは「自分の子供がしたことじゃないから関係ない」という考えを持つ母親たちに対して、不満を募らせた様子。「きれいなのは見かけだけかいな!」と心の中でツッコミを入れています。その後、岡田聖子さんは自分の子供に目を配りつつ、散乱したゴミを回収。そんな岡田聖子さんにファンは「素晴らしいです」「見習いたい」と称賛や共感のコメントを送っています。・岡田さんのいう通り、そんなママたちとは関わり合いたくないかも。・同じ母親として見習いたいです。応援します!・私も見て見ぬ振りをするかもって反省しました。これからは人として素敵な姿を目指します!そもそも、ゴミを出した人が持ち帰るのが当然のマナー。それは子供であろうと大人であろうと関係ありません。他人が出したゴミをひろわないことを責められませんが、岡田聖子さんのように「それでも…」と考える姿勢は、とても学ぶところがあるのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2020年09月24日女優の山本美月が、11月4日に書籍『魔法少女 山本美月』(TAC出版)を発売し、10月16日から展覧会『魔法少女 山本美月』を開催する。アニメやマンガをこよなく愛していることで知られる山本。今回の書籍は、幼い頃から憧れていたという“魔法少女”をテーマに、“山本美月ワールド”を最大限に表現する。「高校生の時以来」という描き下ろしマンガは、画からストーリーに至るまで30ページにわたって自作。自ら演じた「魔法少女フォト」では、全体の原案、着用するドレス、手にする魔法ステッキなどの小物のほか、“ツインテールの角度”までこだわり抜いた。1万4,000字のインタビューは、「全貌が見えることはなかった山本美月の内面世界」を凝縮。そこからは、「これまで絶対に語られてこなかった、真の山本美月の姿」が浮かび上がる。展覧会は、同書の世界観に触れられるようにその内容を立体化。10月16日から11月3日まで東京・PARCO FACTORY(池袋PARCO本館7F)、11月13日から30日まで地元・福岡のPARCO FACTORY(福岡PARCO本館5F)で開催される。入場料は500円で、小学生以下は無料。山本は同書について、「女の子なら、幼い頃に一度はあこがれる“魔法少女”。空を飛びたい、変身してみたい、そんな子どもの頃の夢をそのまま形にしてみました。こだわりのツインテールで、魔法のステッキを抱えた“魔法少女 山本美月”は私の大好きなものをギュッと詰め込んだ、まさしく理想の集合体です」と説明。「私は二次創作じゃなくて、原作になりたい。唯一無二のキャラクターを生み出したくて、コミックでは絵やストーリーまですべてを自分で作り、写真では衣装から髪型、小物までこだわり抜きました。この本で、魔法少女にあこがれていたあの頃を思い出してもらえたらと思います。また、今好きなものを好きと大声で言えず悩んでいる人にとって、この本が少しでも勇気を出すきっかけになってくれたら嬉しいです」とコメントを寄せている。(C)2020 INCENT Co., Ltd., TAC PUBLISHING Group
2020年09月10日モデルで女優の山本美月が、幼い頃から憧れていたという“魔法少女”をテーマにした書籍「魔法少女 山本美月」の発売が決定。オリジナルコミックや魔法少女フォト、インタビューなどが収められている。プライベートでは、アニメやマンガをこよなく愛する山本さん。今回の書籍では、独特な感性で彩られた“山本美月ワールド”を最大限に表現。高校生以来だという、画や話まで全てが本人自作のストーリーマンガや、全体の原案や着用するドレス、手にする魔法ステッキなどの小物まで自らアイディアを出し、自ら演じた魔法少女のフォト。内面世界を深く探る約1万4000字のインタビュー、未公開イラストなどが本書に収録される。コミックでは、これまで語られてこなかった思いを知り、写真の魔法少女には憧れの心を抱き、インタビューでは自分と似ているところに気づくかも。山本さんは「こだわりのツインテールで、魔法のステッキを抱えた"魔法少女 山本美月"は私の大好きなものをギュッと詰め込んだ、まさしく理想の集合体です。私は二次創作じゃなくて、原作になりたい。唯一無二のキャラクターを生み出したくて、コミックでは絵やストーリーまですべてを自分で作り、写真では衣装から髪型、小物までこだわり抜きました。この本で、魔法少女にあこがれていたあの頃を思い出してもらえたらと思います」と語り、「また、今好きなものを好きと大声で言えず悩んでいる人にとって、この本が少しでも勇気を出すきっかけになってくれたら嬉しいです」とコメントしている。また、書籍発売に加え、東京と山本さんの地元である福岡で展覧会の開催も決定。書籍の内容を立体化する。会場では、通常版書籍の販売に先駆け、特別なアイテムがついた限定版(※数量限定)が販売される。書籍「魔法少女 山本美月」は11月4日(水)発売。展覧会「魔法少女 山本美月」は10月16日(金)~11月3日(火・祝)PARCO FACTORY(池袋 PARCO 本館 7F)にて、11月13日(金)~30日(月)PARCO FACTORY(福岡 PARCO 本館 5F)にて開催。(cinemacafe.net)
2020年09月10日グラビアアイドルの山本ゆうが、最新イメージDVD『U like』(発売中 4,180円税込 発売元:ラインコミュニケーションズ)をリリースした。2019年4月に1stDVD『ミルキー・グラマー』でグラドルデビューを飾った山本ゆうは、ショートカットと95cmのHカップバストが魅力の22歳。その圧倒的なスタイルが話題を呼び、昨年のデビュー作からリリースラッシュが続くなど人気も急上昇だ。通算6枚目となる最新作は、上司とのイケない行為に興じるセクシーなOLに扮し、フェロモンたっぷりの誘惑ポーズを連発している。上からB95・W60・H90というスリーサイズの数値が示す通り、抜群のスタイルを誇る山本。本作ではシールブラや眼帯水着、さらには超過激なY字形ハイレグ水着など際どい衣装や水着を着用しており、どれもHカップのバストや自慢のプロポーションを楽しむことができる。シーン的には夜のベッドのシーンが見どころだ。着用した黒いセクシーな下着風水着は露出度も抜群でメイクも派手めと夜の雰囲気を漂わせており、山本の魅力が凝縮されている。
2020年08月29日2020年8月13日、お笑いコンビ『極楽とんぼ』の山本圭壱さんが新型コロナウイルス感染症に感染したことを公表しました。『軍団山本』の生配信、「感染対策が不十分」と批判が殺到山本さんは同月8日、自身が率いる『軍団山本』のYouTubeチャンネルにて、数名で生配信を行っていました。互いに2mの距離を取ることもなく1つのテーブルを囲み、全員がマスクをしていない状態で約1時間ほど撮影。生配信中には、歌を歌ったり席替えをしたりするなども行われていました。しかしその後、配信に参加していたお笑いコンビ『ココリコ』の遠藤章造さん、お笑いコンビ『品川庄司』の庄司智春さん、お笑いタレントのじゃぴょん桑折さんの感染が次々と発覚。「生配信時の感染対策が不十分だったのでは」と批判が相次いでいます。また、その動画は山本さんが所属する事務所『吉本興業』の判断により削除されました。山本さんら4人は、それぞれのTwitterアカウントなどで「感染予防が不十分だった」と謝罪しています。加藤浩次が苦言「動画を見たけど、感染対策していない」一連の騒動について、お笑いコンビ『極楽とんぼ』の加藤浩次さんは、朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)にて、相方に対し苦言を呈しています。実際に映像を見たけど、感染対策してないですよ。そこはやっぱりダメだと思う。仲のいいメンバーだからそれが普通になっていたのかもしれないけど、まったく距離もとっていない、マスクもしていない。感染対策がまったく見えなかった。スッキリーより引用また、当の動画を削除したことについても「ダメだと思う」とコメントしました。映像を見て、この場合はクラスターになるんだということを世の中にしっかり伝えるためにも、吉本興業はYouTubeの動画は削除しちゃいけなかったと思う。スッキリーより引用加藤さんの苦言に、ネットからは「その通り!」という声が上がっています。・本当に、ごもっともな意見!たくさんの人や番組が感染対策を徹底している中、山本さんたちの軽率な行動にがっかりした。・生配信でクラスターを起こしちゃだめでしょ。加藤さんも「なにやってんだよ」って、叱りたい気持ちだろうな。・確かに削除された動画は、どういう状態だとクラスターになるのか、分かりやすいサンプルになるはずだったよね。今からでも公開するべき。山本さんたちの「自分たちなら大丈夫」という気持ちが、今回の感染を引き起こしてしまったのかもしれません。いつ誰が感染するか分からないということを念頭に、引き続き感染対策を徹底したいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年08月17日俳優の瀬戸康史(32)と女優の山本美月(29)が7日、結婚したことを発表した。2人は連名でコメントを発表。「応援してくださっている皆様関係者の皆様私事で大変恐縮ですが、私共、瀬戸康史と山本美月はこの度結婚致しました事をご報告させて頂きます」と報告した。そして、「現在、このような状況で自分と向き合う時間が増え、その中でお互いに失いたくない、大切な存在なのだと確信しました。共通の趣味や似た感覚を持つ私達なりの、優しさで溢れた、穏やかな家庭を築いていきたいと思います」とつづった。また、「これまで以上に仕事も邁進して参りますので、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します」と呼びかけ、「最後に、新型コロナウイルスの感染拡大の終息、そして私達の故郷でもある、九州地方を含めた『令和2年7月豪雨』による被害の1日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます」と記した。
2020年08月07日世界的なファッションデザイナーの山本寛斎さんが急性骨髄性白血病のため亡くなったと7月27日に発表された。76歳だった。娘の山本未來(45)は自身のInstagramで寛斎さんの訃報を伝え、《私にとって、父はエネルギッシュで明るいことはもとより、穏やかで、寛大で、人懐っこく、コミュニケーションを大切にし、無償の愛を与えてくれた存在でした》と追悼した。71年、日本人として初めてロンドンでファッションショーを開催した寛斎さん。74年にパリ、そして79年にはニューヨークにも進出。93年以降はファッションの枠を超えた「KANSAI SUPER SHOW」を開催し、イベント演出も評判を呼んでいた。「学生時代、応援団長だった寛斎さんはファッションを通して誰かを応援したり元気づけたりすることをモットーとしていました。そして『前例のないことで人を猛烈に喜ばせる』ということを生きがいにしていました。その独創性あふれるファッションやイベント演出で世界を股にかけていたため『世界で暴れ回った男と呼んでほしい』と笑顔で語っていました」(スポーツ紙記者)日本の価値を再発見し新たな元気を生み出すという「日本元気プロジェクト」など、寛斎さんといえば“元気”というイメージが強かった。しかし、それは酸いも甘いもかみ分けたからこそのようだ。「寛斎さんは7歳のときに両親が離婚し、父親に引き取られました。しかしその後、児童養護施設に。以降も父親に振り回されてきたといいます。金銭的にも苦難があり、67年に『装苑賞』を受賞した後も日雇い労働を掛け持ち。さらにロンドンでのショーが話題となったものの、直後に行われたパリでのショーは酷評の嵐。ビジネスも不振となり、借金を抱えたこともあったそうです」(ファッション関係者)しかし山本さんは“自分らしく、やりたいことを追求する”ことで復活していった。「ビジネスの面で立て直したものの、満足できずにいた寛斎さん。悩んだ末に『もっと人を元気にしたい』という寛斎さんらしい本心に気づきました。そこで、ド派手で明るい“スーパーショー”を計画。当初は反対する人もいましたが、結果的には大評判。評価されたこと以上に、自分を信じて意志を貫いたことでさらに自信がついたそうです」(前出・ファッション関係者)そんな苦労の連続だった寛斎さんは、晩年には“元気のシンボル”と呼ばれることもあった。今年3月、Instagramで急性骨髄性白血病を公表した際にも満面の笑みを浮かべた自身の写真をアップ。当時、寛斎さんのもとには《ご静養なさって、元気にご活躍を楽しみにしています》《元気でずっといて下さい》といったエールが届いていた。「寛斎さんは、晩年でも野望を語っていました。好奇心が尽きず、昨年3月には北極へ。過酷な状況でも楽しんでいたそうです。その1年後に白血病と診断されましたが、最後までいきいきとした人生を送っていました」(前出・スポーツ紙記者)寛斎さんは天国でも明るい笑顔を見せているだろうーー。
2020年07月27日ファッションデザイナーの山本寛斎さんが、2020年7月21日に、亡くなっていたことが分かりました。76歳でした。娘で女優の山本未來さんが、自身のInstagramで父・山本寛斎さんの写真とともに報告しています。 View this post on Instagram A post shared by Mirai Yamamoto 山本未來 (@miraiyamamoto_official) on Jul 26, 2020 at 8:35pm PDT父、山本寛齋は去る7月21日、 私を含め家族が看取る中、安らかに76歳にてこの世を旅立ちました。私にとって、父はエネルギッシュで明るいことはもとより、穏やかで、寛大で、人懐っこく、コミュニケーションを大切にし、無償の愛を与えてくれた存在でした。また人生を通して「時に折れることがあろうと、常に前向きに、果敢に挑戦し続けることが明るい未来に繋がる」ということを教えてくれました。生前中の父・山本寛齋と関わってくださった関係者の皆さま、医療関係者の皆さま、応援してくださった皆さまへ心より感謝を申し上げます。今後も女優業を継続する傍ら、2020年、年初より加わりました山本寛齋率いる「KANSAI SUPER STUDIO」にて父・寛齋の「元気」をスタッフと共に継承していきたいと思っておりますので、よろしくお願い申し上げます。2020年7月27日山本未來miraiyamamoto_officialーより引用ファッションデザイナーとして活躍するかたわら、イベントプロデューサーとしても活動してた山本寛斎さん。同月31日には、『日本元気プロジェクト』と題して、初のオンラインイベントを開催予定だったこともあり、突然の訃報に悲しみの声が寄せられています。【ネットの声】・エネルギッシュで個性的なアーティストでした。ご冥福をお祈りします。・元気なおじいさんのイメージだっただけに、ショック…。・現在も山本寛斎さんデザインのスーツを着ています。山本寛斎さんは、1971年当時、日本人として初めてロンドンでファッションショーを行ったことで知られています。翌年には、ロック歌手のデヴィッド・ボウイさんが行った全米ツアーの衣装デザインを担当し、一躍時の人に。日本ファッション業界に大きな功績を残した山本寛斎さんの死に、「またひとつの時代が終わった」との声も上がりました。ご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2020年07月27日女優の山本舞香(やまもと・まいか)さんが、2020年7月15日にインスタグラムを更新。お嬢さま感満載の写真を公開し、ファンを魅了しています。山本舞香の花柄ワンピース姿に「エモい…」山本舞香さんは花柄のワンピースを着用し、ソファーの上に座った姿や犬とたわむれる様子など、たくさんの写真を公開しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by 山本舞香 (@yamamotomaika_official) on Jul 14, 2020 at 9:48pm PDT View this post on Instagram A post shared by 山本舞香 (@yamamotomaika_official) on Jul 14, 2020 at 10:47pm PDT View this post on Instagram A post shared by 山本舞香 (@yamamotomaika_official) on Jul 14, 2020 at 9:41pm PDT View this post on Instagram A post shared by 山本舞香 (@yamamotomaika_official) on Jul 14, 2020 at 9:38pm PDT黒髪に花柄ワンピースというキュートな出で立ちの山本舞香さんは、まるで本物のお嬢さまのようです。写真のレトロ感と普段よりナチュラルさを感じるメイクに、ファンからは「美少女がいる」「こんな舞香ちゃんも素敵」といった称賛の声が寄せられました。・レトロさを感じる写真ですね!素敵です!!・花柄と舞香ちゃんの組み合わせは最強にかわいい…。・なんかエモい…。お嬢さまって感じがする。・どこの美少女だよと思った。かわいい。メイクや撮影する場面によって、がらりと雰囲気を変える山本舞香さん。これからも、新しい魅力を見せてくれるのではないでしょうか。山本舞香の素顔をマツコが「ほぼヤンキー」と暴露兄について語ったことが衝撃的だった…[文・構成/grape編集部]
2020年07月15日俳優・山本裕典の主演舞台『THE★JINRO-イケメン人狼アイドルは誰だ!!-』で新型コロナウイルスのクラスターが発生。山本らキャストやスタッフ、観客の感染が発表され、12日にはキャストの榊原徹士の感染が明らかになった。榊原について、吉本興業が公式サイトで「当社グループ会社(株)Showtitle所属の榊原徹士が、7月12日(日)に新型コロナウイルスに感染していることを確認いたしましたので報告申し上げます」と発表。「榊原徹士は、7月3日(金)に舞台『THE★JINRO-イケメン人狼アイドルは誰だ!!-』に出演、保健所より濃厚接触者との認定を受け、PCR検査を受診した結果、陽性判定となりました。現在、保健所の指導に従い、隔離生活・治療を行っております」と報告し、「また、7月10日(金)に濃厚接触者認定後、榊原徹士に接触した者はおりません」と伝えた。同舞台は、6月30日から7月5日まで東京・新宿シアターモリエールで上演された。
2020年07月13日女優・山本舞香(やまもと・まいか)さんのインスタグラムで、17歳の頃の本人の写真が公開され、話題になっています。山本舞香のあどけない表情に「かわいい」の声殺到この日、「ちょっとずつ、過去の出演作品のオフショットを出していけたら」と予告し、その第1弾として17歳の山本舞香さんの写真を投稿しています。 View this post on Instagram A post shared by 山本舞香スタッフ公式インスタ [official] (@yamamotomaika_staff) on May 6, 2020 at 1:06am PDTこれは2015年に放送されたドラマ『南くんの恋人~my little lover』(フジテレビ系)に出演していた時のもの。お茶目な表情をカメラに向ける山本舞香さんは、今よりもずっと幼い印象です。投稿の最後には「載せてほしい作品があれば、ぜひコメントで教えてください」と呼びかけが。すると、絶賛の声とともに多くのファンがリクエストを寄せています。・かわいすぎる!『幽かな彼女』のオフショットみたいです!!・『南くんの恋人』を見てました!大好きです。・これからのオフショット、楽しみだ。『暗殺教室』をお願いします!投稿から2日後の2020年5月8日に、スタッフはさっそく第2弾を投稿。女優・永野芽郁(ながの・めい)さんと共演していた2017年公開の映画『ひるなかの流星』のオフショットを投稿しています。 View this post on Instagram 前回の投稿、とても反響があって驚いています。 皆さんありがとうございます☺︎ * 今回は過去のオフショット第二弾です! リクエストが多かった、 映画「ひるなかの流星」から すずめとゆゆかです! 2017年公開映画なので、19歳くらいです。 作中の2人の関係性がまたいいんですよね。 ゆゆかの鋭いツッコミ、笑えます #山本舞香 #ひるなかの流星 #永野芽郁 さん #すずめとゆゆか #すずゆゆ? #めいまい? #ひるなか第二弾もお楽しみに A post shared by 山本舞香スタッフ公式インスタ [official] (@yamamotomaika_staff) on May 8, 2020 at 5:39am PDT※画像上の矢印をクリックすると、ほかの写真も見ることができます。19歳になった山本舞香さんは、第1弾よりもグッと大人っぽい雰囲気に。「芽郁ちゃんとのツーショット、待ってました!」とファンを歓喜させています。第3弾にも期待ですね!山本舞香の素顔をマツコが「ほぼヤンキー」と暴露兄について語ったことが衝撃的だった…[文・構成/grape編集部]
2020年05月11日時代を代表するトップスターのヒット曲を次々と手がけ、旋風を巻き起こした希代の作詞家・松本隆(70)。松田聖子(57)も近藤真彦(55)も薬師丸ひろ子(55)も、彼らがデビューするや否や、その姿を見つけ、「詞を書きたい」と願った。そして「縁はないかな」と思っていても、その後、不思議とオファーが舞い込むのだという。今年、作詞家生活50周年を迎える松本がインタビューに応じてくれた。「聖子ちゃんはCMでデビュー曲を聴いて、声だけで『いいなぁ』と感じた。薬師丸ひろ子さんは映画『野生の証明』で、父親役の高倉健さんに『お父さ〜ん』って駆け寄るシーンを見てね。マッチはドラマ『3年B組金八先生』だったな」(松本・以下同)松本は松田聖子をトップアイドルに押し上げた立役者としても知られる。当時、CBS・ソニーレコードのディレクターだった若松宗雄氏から、アルバム収録曲へのオファーが舞い込んだときのことを「テストされたのかな?」と振り返る。最初に手がけた『白い貝のブローチ』が評価されて、6曲目のシングル『白いパラソル』から本格的に松田聖子を担当することに。自身の人脈でもある、松任谷由実(66)、細野晴臣(72)、大瀧詠一(享年65)ら一流アーティストを作曲家陣として迎えた功績も大きい。「聖子ちゃんとはピークのころはほぼ毎日会っていた。いろいろ話をしているからもう改めて取材する必要がなかった。できあがった詞を彼女が見て、『どうして私の思っていることがわかるの?』っていつも驚かれていたんです」“前髪を1ミリ切りすぎたら、恋人に会うのが怖い”“恋人が時計をちらりと見ると、泣きそうな気分になる”といった少女の繊細な気持ちを描いた歌が多く、この歌詞を男性がつづっていることに驚いたファンも多かった。「『こんな感じかな?』って、適当でした(笑)。会っているときに腕時計を露骨に見ると相手が傷つくかも、と思ったのは僕の経験。『おじさんが書いていてすみません』という気持ちでした」聖子の楽曲作りでタッグを組んだ松任谷由実とは、薬師丸ひろ子の傑作『Woman“Wの悲劇”より』も生み出した。「きれいな不倫の歌を書きたいなと思ったんだけど、『死んでしまった人を歌っているのでは?』と質問されることが多かった。表現って極めれば極めるほど霊界に近づいてしまうんだよね。薬師丸さんの作品では、学業で休んでいた後の復帰作となった『探偵物語』も僕はかなりいいと思う」そうして、もうひとり忘れてならないのは「この人は僕の母親にいちばん近い」と松本がいう斉藤由貴(53)。「僕を甘くみていて、強くてへこたれない人」と評する。「僕、へこたれない人が好きで。斉藤さんもそうだよね。才能があるからクドカン(宮藤官九郎・49)や是枝(裕和・57)監督などからも評価されている。そういう人は何があっても、いなくならない」そういえば、幾多のスキャンダルに負けず、芸能界に君臨し続ける松田聖子もそんな存在だ。そして、「僕の歌で大ヒットした人は、一生歌えるの」とさらりとつぶやく松本ーー。確かに、聖子、薬師丸、斉藤はそれぞれ進学、結婚、子育てといった転機を乗り越え、今も歌い続けている。「今の時代、一度休んでも、また歌いたくなったら出てくればいい。そうするとみんな受け入れるから。僕の歌は貯金のようなもので、彼女たちは預けていた財産をいつでも引き出すことができる。そんな感覚でもいいと思う」廃れることのない松本ソングの数々は、さらに50年後、100年たったときにはどうなっているだろうか。「それは時代が決めること。でも、きっと古くはならないと思う。僕はそれを見届けることができないけれど、希望的観測としては、古典になっていくんじゃないかな」「女性自身」2020年3月17日号 掲載
2020年03月18日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー前から知る人物に話を聞いた。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー後は瞬く間に大ブレークした松田聖子。一過性で終わらせてなるものかと、松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは2つのコンセプトを掲げる。そして、デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用していった。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」(若松さん)そんな松田聖子の代表曲のなかから、“大ヒット曲”の秘話を若松さんに教えてもらった。■『裸足の季節』(’80年4月)資生堂の「エクボ洗顔フォーム」とタイアップしたデビュー曲。作詞・三浦徳子、作曲・小田裕一郎のコンビが担当。「担当者に一度、聖子は『エクボが出ない』と外されかけたが、博報堂のプロデューサーの『ダメになるのはもったいないコだから』というプッシュがあり、CMソングに起用。女性向けの雑誌をヒントに、当時のタイトルはほぼ私が考えていました」(若松さん・以下同)■『青い珊瑚礁』(’80年7月)2枚目のシングル。オリコン最高2位。『ザ・ベストテン』で1位を獲得し、スタジオから久留米に電話して「お母さ〜ん」と大泣きした場面は有名。「『青い珊瑚礁』は、当時大人気のブルック・シールズの映画から。このころから聖子の売り出しに気乗りしていなかった社内(CBS・ソニー)のムードも一変、『若松さん、売れるコなんだってもっとちゃんと言っといて』なんて言われるくらいでした」■『チェリーブラッサム(’81年1月)4枚目のシングル。「年明けに出すにふさわしい楽曲と思ったが、レコーディング直前に『なんとなく、あまり好きじゃない』と聖子。財津和夫さんの作曲で曲調が変わり、違和感があったようで、その場は一度解散し、再度集合。気合を入れ直してのレコーディングは無事終了し、苦労しましたが、楽曲は大ヒット。大村雅朗くんのアレンジが、さらに曲のよさを際立たせてくれました」■『白いパラソル』(’81年7月)6曲目で作詞を松本隆に依頼。「アルバムに提供してもらった『白い貝のブローチ』が秀逸だったから。5作目までの三浦徳子さんも素晴らしく、『なんで私ではだめなの?』と責められたが、決断。仕上げはエンジニアと一緒に悪戦苦闘しながら完成させました。聖子からは『(当時の所属事務所・サンミュージック/故人)相沢社長からこれは地味だから早く次の曲を作ってもらえと言われました』と(笑)。もちろん大ヒットしました」■『赤いスイートピー』(’82年1月)作詞・松本隆、作曲は呉田軽穂(松任谷由実)の黄金コンビによる代表曲。「ユーミンはすでに大スターでしたが、失礼ながら直してもらいました。彼女は謙虚で、私の『尾瀬に春が来たような感じにしたいので、あまり弾まないように。だが、最後は上がる感じに』などの抽象的な要望に『わかりました』と。私は音楽家ではないので、『なんか違う』と言うと『じゃ、こんな感じ?』とまた直してくれて。でも後日、ユーミンは『私、リテーク依頼は初めてよ』とほほ笑んでくれました」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“大ブレーク期”を知る人物に話を聞いた。「当時の私のチーフマネージャーが、かつて聖子さんを担当した人で、いつも『聖子は事務所のイチオシではなかったけど、才能がすごかった』と言っていました」聖子の3期後輩である桑田靖子さん(52)は、出身も同じ福岡県。芸能事務所も、憧れの先輩と同じサンミュージックに入所した。「私がデビューしたころ、聖子さんは圧倒的なトップアイドル。でもデビュー当時は、聖子さんもカセットデッキを抱えて全国のレコード店周りをして苦労したと聞いています」(桑田さん・以下同)桑田さんは地元の音楽祭で優勝し、13歳で上京。「(故・相澤秀禎)社長宅で下宿を始めたときは、残念ながら聖子さんとは入れ違いでした」というが、同じ事務所ということで楽屋が一緒のときも多かった。「武道館での公開収録のときだったかな。聖子さんが『靖子、おいで〜』って、私を隣に座らせて『チークはもう少しハッキリとね』とか『靖子は私と同じ一重だから、ラインの描き方はこうしたら?』とメークを施してくださった。正直、『濃いかも?』と思いましたが、テレビ画面だと映えるんです。さすが魅せ方がお上手だなって」当時“ぶりっこ”と揶揄された聖子だったが、「男前でサバサバした性格なのに、テレビに出た途端に輝いてかわいくなる」というのが桑田さんの印象。いつの時代も聖子は「セルフプロデュース力にたけている」と評されるが、こんな逸話も教えてくれた。「『聖子は本当に着たい衣装を着ているから、内側から輝いている』と教えてくれたのも(前出の)マネージャーさんでした。聖子さんは自ら衣装さんにアイデア出しもしていた。しかも、どのタイミングで髪を切ると新鮮で話題になるかも考えていたそうなんです」スタッフも「じゃあ聖子、次はどんなアイデアがあるの?」と、その意見を採用していたのだそう。「40年間、ファンの期待を裏切らないってすごいですよね」桑田さんは15歳で歌手デビューし、20歳までサンミュージックに在籍し、円満退所。その後は渡米して音楽修行をするなど人生経験を重ね、’90年に復帰。地元の福岡でレポーターの仕事に就き、歌を離れた時期もあったが、10年前にシンガーとして再始動した。昨年11月には同期の’83年組と「お神セブン」として集合し、ライブを敢行。ソロライブも定期的に開催している。「昨年かな?聖子さんの歌ばかり歌いたいと思った時期があります。けれど『瞳はダイヤモンド』を歌おうとしたら、難しい!聖子さんが歌うとサラッと聖子節になるんですよね」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月27日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“デビュー直前”を知る人物に話を聞いた。「『絶対、スターになる!』と決意して上京してきた法子(松田聖子の本名)ちゃんと比べて、私は根性不足だったかも」甘くハスキーな声で語りだしたのは、松田聖子の2カ月前にデビューした中山圭以子さん(55)。父は俳優、母方の祖父も映画監督という芸能一家に生まれ、当時の所属事務所は聖子と同じサンミュージック。2人はデビューに向けてレッスンをし、中山さんは3歳下だったが、お姉さん的存在だった。「法子ちゃんが下宿していた社長(故・相澤秀禎さん)の家も、私の自宅も同じ成城で、帰り道は毎日一緒でした。彼女はレッスン後、事務所から地元の友達に1~2時間、電話をかけていましたが、久留米弁なので何を話しているかはわかりませんでした。電車のなかでは、ファンだった郷ひろみさんの話をよくしていましたね」(中山さん・以下同)このときデビューが決まっていたのは、圧倒的な歌唱力の持ち主である中山さんのほう。相澤社長が直々にスカウトに出向いたほどの期待を背負っていた。「法子ちゃんは『圭以子さんのデビュー曲を聴いて、涙が出ちゃった。いい歌だね』って。彼女のデビューは未定で、私がデビューの準備でレッスンに行かなくなってから、よく泣いていたみたいですね」しかし、中山さんのデビュー直前、タイアップ予定だったシャンプーに、日本では無認可の成分が入っていることが判明。デビューはしたものの、当時、ヒット曲には必須だったタイアップCMは中止に。事務所は急きょ、松田聖子のデビューを決めた。「運命的ですよね。彼女からデビュー曲『裸足の季節』のカセットテープと、タイアップCMの『エクボ洗顔フォーム』を手渡されました。私は彼女に対してライバル意識はなかったので、『法子ちゃんもがんばって』って言えましたね」中山さんは1年半後に事務所を退所。もう一度イチから歌い方を学ぶため、音大へ進学した。「一度再会したとき、大スターになっていた法子ちゃんが『大学に通っているのね、うらやましい』と言ってくれました」その後、中山さんは30代で結婚。’08年に長男を授かるが、’11年に悪性リンパ腫を発症してしまう。さらに’13年に再発するも、奇跡的に寛解。今は子育て真っ最中だが、ライブでも歌い続ける。「聖子さんは私の知っている法子ちゃんとは違う人ではと思うくらいに、遠い存在になりました。私たちの世代にとっては、夜空に輝く一番星です。私もせめてその星を眺めながら、命の大切さを自らの経験をもとに伝え、時代を超えて歌い継がれていく歌を届けていきたいです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、“オーディション時代”を知る人物に話を聞いた。「デモテープでワンフレーズ聴いただけで、半端じゃなくいい声だと思い、これは大スターになるぞと確信しました」松田聖子を見いだしたプロデューサーの若松宗雄さんは、初めて彼女の声を聴いた瞬間をこう語る。その後、父親の猛反対に遭いながらも芸能界を夢見続けた聖子が上京するまで、若松さんは1年半にわたり、説得を続けたという。「聖子からは毎週のように『私は歌手になりたい』と切々とつづられた手紙が届きました。最後には『お父さんが許してくれなければ家を出ます』と言い切った。それでようやく親父さんも『若松さんに預ける』と決断してくれたんです。そのあとは所属事務所探しに奔走。サンミュージックの相沢秀禎社長(当時/故人)には『うちはイチオシの中山圭子がいるから』と渋られたが、なんとか食い下がって承諾してもらったんです」(若松さん・以下同)そして若松さんの確信どおり、デビュー後は瞬く間に大ブレーク。一過性で終わらせてなるものかと若松さんは思案したという。「『文学的なイメージを打ち出し、音楽的に見せよう』という2つのコンセプトを掲げました。聖子は物覚えが早く、勘もいい。根性は並外れてあり、作品を自分のものにする力も持っていました」デビュー曲のイメージに満足せず、楽曲は松本隆、松任谷由実、佐野元春ら、才能あるアーティストを次々と起用。デビュー当時は「結婚したら、かわいいお嫁さんになりたいから引退」と語っていた聖子だったが、ママドルの先駆者となり、日本の女性の生き方を変えたといわれる存在に。「最初から聖子が意図していたというより、歌い続けるなかで生き方が変わってきたのでしょう」若松さんはその後、CBS・ソニーを退社して独立。再びタッグを組んだ時期もあったが、結局、また袂を分かつことになった。「聖子と離れた理由には、一時期、(神田)沙也加を担当したこともあります。彼女を『歌手デビューさせよう』と私が提案したあたりから距離ができたかな。方針の行き違いがあり、聖子も譲れなかったのでしょう。でも、それが大スターというもの。松田聖子という存在は、常に嵐のなかで生きているような特別なものですから」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月26日’80年にデビューして以来、常に女性の新しい生き方を提示し続けてきた松田聖子(57)が今年、40周年を迎える。そこで、読者世代の“一番星”と言うべき存在の素顔に迫るべく、デビュー当時を知る人物に話を聞いた。「松田聖子の成功の秘密は、実は久留米人の気質にあるんです」そう語るのは、松田聖子の出身地、福岡県久留米市の人なら誰もが知るタウン誌(「月刊くるめ」改め)『gekkle』プロデューサー・天野周一さん(67)。35年続く同誌主催の「いちご姫コンテスト」で注目を集めた女子高生・蒲池法子(松田聖子の本名)は、その勢いのままミス・セブンティーンコンテストに出場し、一躍スターダムに。デビュー直後には同誌の編集部を訪問もしている。このとき、まだ初々しい聖子から、「地元にはもう戻らない」という強い決意を感じたという。さらに、聖子ファミリーとも親交の深い天野さんは、40年間スターであり続ける聖子の負けん気と根性についてこう明かす。「成功者に対し、地元を挙げて応援するのが普通ですが、久留米には“あっしゃ文化”と言われる独特の風土があります」(天野さん・以下同)これは、他人と協調しない独立独歩の久留米商人の気質を継承する文化で、成功者に対して「何を格好つけているんだ」と足を引っ張る傾向にあるのだという。「成功したければ“自分で自分をプロデュース”するしかすべがないのです。浮き沈みの激しい芸能界であれだけの大スターになり、40年間君臨できたのは、けたはずれの反骨精神があってこそ。地元で生まれ育った私から見ると、松田聖子は紛れもなく、久留米商人そのものなんです」「女性自身」2020年2月4日号 掲載
2020年01月25日「聖子さんは、娘の沙也加さんから離婚のことについて『何も聞いていなかった』と周囲に漏らしているそうです」(音楽関係者)12月4日に俳優の村田充(42)と離婚していたことを発表した神田沙也加(33)。2人はブログで、主な離婚理由について子どもを巡る価値観の相違が原因と発表。しかし5日、一部週刊誌によって沙也加が離婚直後からジャニーズJr.の秋山大河(27)と交際していると報道されていた。こうした沙也加の行動に対して、一部からは数々の男性と浮き名を流した母・松田聖子(57)と“同じ道を辿りつつあるのでは?”という声も。母娘関係改善カウンセラーの横山真香さんは、そんな沙也加の行動をこう分析する。「沙也加さんは聖子さんの男性遍歴で嫌な思いをしていたから、『自分だけはそうなるまい』と思っていたことでしょう。しかし、嫌なことをイメージしすぎることで、同じような状況に陥ってしまうという傾向があるといわれています」そんな沙也加に対して聖子は何を思うのか。「口では言いませんが、心の中では『だからママが言ったでしょ』という思いがあるのではないでしょうか。聖子さんは“2人が合わない”と感じていて、こうなることも予測していたのかもしれません。いっぽうで母として心配する気持ちもあるはずです」(横山さん)実際に聖子には、沙也加への“親心”もあるという。「聖子さんは心のどこかで、子育てより仕事や恋愛に夢中になってしまった過去を、後悔している面もあると思います。沙也加さんの離婚についても、『私の育て方が悪かったのかもしれない……』と感じているのではないでしょうか」(聖子の知人)しかし、今回の離婚で2人の溝はより深まることになりそうだ。「比較されることを嫌がる沙也加さんは、今まで声優や舞台といった聖子さんとは違う分野で努力してきました。しかし、今回の離婚で『やっぱり聖子の子どもだね……』という言い方をする人もいるようです。自由に恋愛をしているつもりなのに、母の名前を出されることでさらに反発し、母娘関係の修復はより難しくなることでしょう」(音楽関係者)沈黙を守り続ける聖子。母娘の距離はこのまま広がってしまうのか――。「女性自身」2019年12月24日号 掲載
2019年12月13日#list {width:90%;margin:0 auto 20px auto;padding: 10px; border:1px solid #dbdbdb;border-radius:4px;background-color:#ffffff;}#list h3 {font-size: 16px; border-bottom: 1px solid rgb(219, 219, 219);}.str {font-size:16px;} 2019年11月に出産を発表した芸能人や有名人をリストにしてご紹介! 今月も、女優、スポーツ選手、お笑いタレントなど、8名の出産のニュースをお届けします。 出産発表川栄李奈(24歳)女優 妊娠発表:2019年5月17日(1人目) 出産発表日:2019年11月9日 ブログ・SNS:川栄李奈オフィシャルブログ高城亜樹(26歳)元AKB48 出産日:2019年11月7日(1人目)男児 ブログ・SNS:Instagram(@akiii_takajo)山本聖子(39歳)元レスリング世界女王 出産日:2019年11月12日(4人目)女児 #list {width:90%;margin:0 auto 20px auto;padding: 10px; border:1px solid #dbdbdb;border-radius:4px;background-color:#ffffff;}#list h3 {font-size: 16px; border-bottom: 1px solid rgb(219, 219, 219);}.str {font-size:16px;}木下あゆ美(31歳)女優 妊娠発表:2019年6月19日(3人目) 出産発表日:2019年11月11日 女児2,600g ブログ・SNS:「若ayu」柳原可奈子(33歳)お笑いタレント 妊娠発表:2019年3月30日(1人目) 出産日:2019年11月18日 女児霜月はるか(33歳)シンガー・ソングライター 妊娠発表:2019年6月8日(1人目) 出産発表日:2019年11月19日 男児3,409g ブログ・SNS:霜月はるかofficial web site白石美帆(41歳)女優 妊娠発表:2019年6月(2人目) 出産発表日:2019年11月22日 女児 ブログ・SNS:白石美帆オフィシャルブログ金藤理絵(31歳)元競泳選手 妊娠発表:2019年5月18日(1人目) 出産日:2019年11月22日 女児今月、気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか?わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー
2019年11月30日劇団☆新感線の高田聖子が、“劇団とは違う新しい試みに挑戦する”をテーマに、活動を続ける演劇ユニット「月影番外地」。その6度目の上演が決定、共演者の竹井亮介とともに話を聞いた。【チケット情報はこちら】竹井が月影に参加するのは、その4『つんざき行路、されるがまま』以来2度目。高田は、「俳優さんって、正直面倒くさい人が多いんです(笑)。でも竹井さんにはそれがない。これはとても重要なこと!」と、竹井に独自の観点から信頼を置く。一方の竹井は、それまで“新感線=怖い人”というイメージを抱いていたようで…。「でも実際はものすごく物腰が柔らかい方だったので、それにギャップ萌えというか(笑)。すごく驚いたのと同時に、すごく面白いと思いました」と明かす。小劇場を舞台に、バカバカしくも濃密な人間ドラマを生み出してきた月影。これまで脚本を手がけてきたのは、千葉雅子が3作(前ユニット「月影十番勝負」含む)、福原充則が3作。そして今回、「どんなに好きな作家さんでも、逢瀬は3度までかしら (笑)」という高田のこだわりから、新たに「はえぎわ」のノゾエ征爾に白羽の矢が立った。「ノゾエさんの作品って、肌ざわりが独特で、吸引力がすごいんです。脚本だけ読むのと、舞台を観た感じがまた違うというか。だから今回木野(花)さんが演出することで、今までのノゾエさん作品とはまた違うものになるんじゃないかという期待をしています」ノゾエの脚本を初めて木野が演出する。それこそ月影ならではの取り合わせ。竹井は「木野さんってすごくダイナミックな演出をされるイメージがあるんですけど、逆に緻密な匂いがするのがノゾエさん作品。それを木野さんがどう立体化されるのか、すごく楽しみです」と期待を寄せる。さらに高田は「福原さんには木野さんと近いものを感じていましたが、ノゾエさんはまた違うタイプ。きっと今回は木野さんにとっても新しい挑戦になると思います」と続ける。詳しい内容についてはまだノゾエのみぞ知るところだが、「とりあえず車が出てきます!」と高田。竹井の役どころに関しては、「いろいろ活躍する人ですけど、なぜそうなんだろうということがポイントで…」と言葉を濁す。すると「それは初めて聞いたので、また楽しみが増えました!」と竹井。共演者には入江雅人、大鶴佐助、川上友里、池谷のぶえが名を連ねる。この組み合わせも月影ならではなだけに、何とも幕開けが待ち遠しい。公演は12月3日(火)から12日(木)まで、東京 ザ・スズナリにて。チケット一般発売は10月5日(土)10時より。取材・文:野上瑠美子
2019年09月20日「参議院議員で入閣できる人数は数人程度です。橋本聖子さんと三原じゅん子さんは2人とも参院議員で、しかも女性。選ばれるのは、どちらか1人だけと予測されていました」と語るのは、ジャーナリストの安積明子さん。9月11日に第4次安倍再改造内閣が発足。五輪兼女性活躍担当相として、橋本聖子議員(54)が初入閣を果たした。9月6日には“三原じゅん子議員の初入閣に向け調整中”といった報道もあったのだが、大臣争奪戦の勝者は橋本議員だったのだ。「2人は五輪相を巡ってのライバルという報道もありました。当選5回の橋本議員と当選2回の三原議員はキャリアに大きな差がありますが、2人とも64年生まれの“同級生”です。橋本議員は冬季と夏季で計7回も五輪に出場しているレジェンドアスリート。結婚相手の連れ子も含めて、6人の母でもあります。いっぽうの三原議員は、安倍首相のお気に入りと目されていました。今年6月の参院本会議で安倍首相の問責決議案を提出した野党に対し『愚か者の所業』『恥を知りなさい』と演説して話題を集めたのです」(全国紙・政治部記者)三原議員はドラマ『3年B組金八先生』では不良少女役を演じたこともあり、いまも元スケバンのイメージが残っている。しかし“女番長=スケ番”ぶりでは橋本議員も負けていないという。「“敵を作らない人柄”とも評されていますが、根は体育会。本人もお父さんから、厳しい教育を受けたと語っており、また自分の子供たちへもスパルタ教育で臨んだそうです」(前出・政治部記者)インタビューでは次のように語っている。《子どものお尻や頭、ほっぺたも叩きますし、泣き止むまで怒り続けたり、直立不動にさせて怒ったり。善悪を教えるには、「ヤキを入れるしかない」》(『読売ウイークリー』’07年4月15日)また橋本議員を知るスポーツ関係者は言う。「ソチ五輪閉会式終了後の打ち上げパーティで高橋大輔選手とダンスをし、キスまでしたとして、猛批判を受けました。まずアルコールの持ち込みが禁止されている選手村で酒席を設けたのは、日本選手団団長として問題でした。また自身も取り組んでいたスケート競技の選手たちを招集したことも、個人的に権力をふるったと指摘されても仕方がないことでした」自民党スケ番対決を制した橋本議員の今後について、政治評論家の有馬晴海さんはこう語る。「橋本さんは東京五輪の組織委員会会長・森喜朗元首相の秘蔵っ子です。5期目で無事に入閣も果たし、順調にいけば6期目ごろには、参議院を代表する要職・参議院議長を務めるのではないでしょうか。ゆくゆくはスポーツ界で絶大な影響力をふるう森元首相と同じような立場になると思われます」女番長から女帝へ……、橋本議員の出世スピードは加速し続けている。
2019年09月20日7月の参議院選挙で躍進した山本太郎氏率いる「れいわ新選組」。支持者の切実な声に応えて、山本代表は政権奪取を宣言した。その目的を緊急インタビュー。「早ければ衆議院選挙が1年以内、3年後に参議院選挙があります。なるべく早く与野党をひっくり返したい。生活が苦しくて日々クビが絞まっていっている人たちを、もう放っておけません。国が壊れていくスピードは待ってくれない。だから政権をとりにいきたいんです。そのためには、次の衆院選で100人の擁立を目指します」そう決意を語るのは、「れいわ新選組」の代表で前参議院議員の山本太郎氏(44)。秋から、全国を2カ月くらいかけて回り、候補者選びにつなげたいと意気込む。山本代表は、俳優だった’13年、参議院選で東京選挙区から無所属で出馬し、初当選。その後、「自由党」の共同代表として活動してきたが、今年4月1日、政権をとるため、たった一人でれいわ新選組(以下、れいわ)を旗揚げした。7月の参議院議員選挙では、派遣切りにあったシングルマザーなど、さまざまな問題の当事者9人の候補者を擁立。〈消費税の廃止〉〈最低賃金1,500円〉など社会的弱者に寄り添う政策を打ち出し、2議席を得る大躍進をとげた。「生産性で人の価値を測られない社会にしたい」という思いから、政党が優先して当選者を決められる特定枠に、筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の舩後靖彦さん(61)と、重度障害者の木村英子さん(54)の2人を指定。両名とも当選を果たした。結果的に「れいわ」は、得票率4.55%で政党要件を満たす。ネットを中心に支持を集め、4月から約3カ月間で4億円を超える寄付も集めた。山本代表は比例で99万票を得ながら議席を失ったが、党代表として活動することに。“れいわ旋風”を巻き起こし、政権を取ると宣言した山本代表は、何を目指すのだろうか。「6年前に議員になってから、街頭で話すことをずっとやってきました。いちばん興味を持って聞いてもらえたのが、生活に直結する“雇用”や“税金”の話だった。反応が、飛び抜けてちがうんです。それだけ厳しい状況に置かれている人が多いんだ、と実感しました」(山本代表・以下同)最終的には、首相になって実現したいことがある。「まず消費税を廃止します。日本は、デフレが続いた結果、経済規模が縮小し、そのしわ寄せは労働者に。この負のスパイラルから抜け出すには、消費税をゼロにして消費を喚起し、景気を上向かせるしかありません。そうすれば賃金も上がってきます」財源はどうするのか。「国は、所得税と法人税を下げて、足りなくなった財源を補填するために消費税を上げました。これを元に戻せばいいだけ。税金はあるところから取れって話なんです」しかし、現実には、「そんなの夢物語」という声も聞こえてくる。「自分の生活もままならない状況に置かれていたら、『自分が世の中を変える力を持っている』ってことを忘れてしまいますよね。なぜ、法人税が下がったかというと、大企業は組織票を固め、自分たちの言うことを聞いてくれる議員を当選させて、政治を動かしてきたからです。でもこの国のオーナーはこの国に生きる人。おかしいと思ったら、皆さんの力でこんな社会は変えていけるんです」貯蓄ゼロ世帯が20代から50代まで40%を超えているというデータもある(金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査金融資産の有無」より。’18年に調査の際の聞き方を変えたので、山本代表は’17年のデータを使用している)。「これだけ数が多いということは、本人の努力不足とかっていう問題じゃない。国の経済政策に翻弄されてきた人が、それだけ多かったということ」山本代表も、国の政策に翻弄された当事者だという思いは強い。「そこそこ順調だった役者人生が180度変わりましたからね。原発事故でおかしなことがたくさんあることに気づいて発信したら、仕事がどんどん減っていって」当時は明日の生活がどうなるかわからない不安を感じたという。「自業自得だという向きもありました。しかし、なんでも自己責任だという社会は地獄です。首相になったら、『生きているだけで価値がある』って思える社会にしたいですね。そういう自己肯定感と経済状況は密接にかかわっています。やはり消費税を廃止にして、すべての人の暮らしを底上げすることが大事だと強く思います」
2019年08月08日7月21日の参議院議員選挙を前に、れいわ新選組の山本太郎氏(44)が注目を集めている。山本氏が演説をすると人だかりができ、その様子はSNSを中心に拡散されるのだ。20日の産経ニュースによると、立憲民主党の関係者が「枝野幸男代表の10倍以上の聴衆が集まっている」と語るほどだという。YouTubeにアップされた山本氏の演説動画を見ると、その熱量がうかがえる。Twitterでもこんな感想が上がっている。《選挙なんか行っても変わらんから適当でいいって考えやったけど、それが変わったのは山本太郎さんの演説見たから》《山本太郎の街頭演説がすごく盛り上がってる。田中角栄の演説も聴衆がすごく集まったらしいけど、こんな感じなのかな》《れいわ新撰組に大きなうねりを感じる。これだけ心に響く演説は聞いたことがなかったし、山本太郎にかけてみたいと思う。ウソやごまかしはもうたくさん》れいわ新選組の擁立する候補者が個性豊かな点も、人々を惹きつけているようだ。元拉致被害者家族会副代表の蓮池透氏(64)や元派遣社員の渡辺照子氏(60)、また難病であるALSの当事者・舩後靖彦氏(61)や脳性まひで重度障害者である木村英子氏(54)といった顔ぶれが揃っている。れいわ新選組はホームページに「政権とったらすぐやります」「今、日本に必要な緊急政策」とつづり、政策を紹介。「安い家賃の住まい」「奨学金チャラ」「最低賃金1,500円」など17個の政策が並んでいる。そのなかで特に注目を集めるのは、他の野党が10月に予定されている消費税率10%への引き上げに「反対」「凍結」といった姿勢を示すなか、「廃止」を打ち出している点だ。5月、山本氏は本誌に登場。安倍晋三首相(64)について「深刻なデフレ下で、消費税を増税するなど、経済オンチでしかありません」と揶揄。「景気が低迷している今、まず手をつけるべきは人々の生活を底上げすること。そのために、消費税廃止を目指し、まずは5%に減税すべき」と話していた。続けて山本氏は「消費税は、89年に3%で始まって以来、97年、14年の2回、上がりました。そのたびに、法人税や所得税は減税されています」と指摘する。かつて消費税が導入された89年には19兆円あった法人税の税収だが、16年には10.3兆円に。89年を基準とする法人税の減収額は累計192.5兆円にのぼる。そのいっぽうで、消費税の税収の累計は263兆円だ。「この2つの数字を比較すると、消費税収の73%が、法人税の減少分に割り当てられていると見ることができます」(山本氏)つまり、法人税の減税で足りなくなる税収を消費税で穴埋めしている形となる。山本氏は「法人税は利益に対してかかりますが、消費税は家計が赤字であっても、消費をする限り払わなければならない“罰金”です。金持ちを、もっと金持ちにするために消費税がある」と語り、こう続けていた。「税金は“ないところから取るな、あるところから取れ”が基本です。日々の生活に苦しむ人たちが犠牲になっていいわけはありません」14年4月、消費税を3%増税する際に政府は「引き上げ分は、全額、社会保障の充実と安定化に使われます」と約束した。しかし山本氏は「完全な形で“社会保障の充実”に使われたのは、3%の増税で増えた約8兆円の税収のうち16%ほどに過ぎません。残り84%の使途について、詳細を要求しても、『出しません』の一点張り。説明責任を果たす気もない」と批判。そして、こう結んでいる。「しかも、この7年で社会保障費は4兆円以上カットされています。消費税は社会保障のため?だまされてはいけません」果たして、有権者はどんな結論を出すのだろうか。
2019年07月21日松田聖子が、本日7月5日から7日までの3日間、東京・日本武道館にてワンマンライブ「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」を開催する。歌手としては、1980年にデビューして以来、40以上の音楽賞を受賞、シングルチャート24曲連続1位という記録を持つ松田聖子。 海外でも早くから活動し、全米ビルボードのダンスチャートの上位にランクインしたことも。 アジアの国々でも名を知られており、2005年には、台湾で発売された北京語のアルバム『愛的禮物』で台湾のアルバムチャート初登場1位を獲得。 2007年には、中国で開催された『アジア芸術祭』に参加するなど、国内外問わず活躍中だ。 日本では、2007年発売のアルバム『Baby’s breath』、2008年発売のアルバム『my pure melody』から、作詞作曲、プロデュースを手がけ、歌手としてだけでなく作家、プロデューサーとしての才能も発揮している。日本では“聖子ちゃんカット”が大流行するなど、一大ムーブメントも巻き起こした松田聖子が、本日5日から3日間行う「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」は、シングル曲だけで構成されるスペシャルコンサートツアー。今年6月8日の埼玉・さいたまスーパーアリーナを皮切りに全国12公演の開催を予定しており、本日5日は追加公演となる。松田聖子にとってもファンにとっても、忘れられない3日間になることだろう。来年ついにデビュー40周年を迎える松田聖子。今後も彼女の歌声と活躍から目が離せない。■公演情報「Pre 40th Anniversary Seiko Matsuda Concert Tour 2019」会場:日本武道館7月5日(金)開場 17:30 / 開演 18:30※追加公演7月6日(土)開場 16:00 / 開演 17:007月7日(日)開場 14:00 / 開演 15:00
2019年07月05日「日本映画ではなかなかないキャスティングで、合作ならではの味わいがあります。聖子さんと同じ作品で芝居ができるなんて、そんな未来は描いてなかった(笑)」こう語るのは、3月9日公開の映画『家族のレシピ』で主演を務める斎藤工(37)。監督にアジアの巨匠エリック・クーを迎えた日仏シンガポール合作で松田聖子(56)と共演した。「エリックは尊敬するアジアのクリエーターです。2年ほど前、彼が日本人を探しているという情報を得て、スカイプオーディションを受けたのがこの映画との出合い。聖子さんもエリックとの仕事を望んでいらっしゃったそうです。日本で見られるエリックの作品はまだ限られているのに、彼にアンテナが向いていた聖子さんは先を見る目がある方だと、改めて思いました。ベルリンなどの国際映画祭にご一緒したときも英語を滑らかに話されていたし、すべてにおいてプロフェッショナルな方だと思いました」(斎藤・以下同)斎藤が演じるのは日本人の父とシンガポール人の母の間に生まれた主人公・真人。ラーメン店を営む父のもとで働いていたが、父の死をきっかけに両親の足跡をたどってシンガポールへ。そこでガイド役を担うのが松田扮する美樹だ。「聖子さんは偉大すぎますから、最初は戸惑いました。でも、自分のなかの松田聖子像を持ちながら演じるのは失礼にあたる、と。そう自分に言い聞かせて。本読みで聖子さんの第一声を聞いたとたん、ハッと心を奪われたというか、『この人なら、真人の心のよりどころになってくれる!』という安堵感がありました。撮影中も全方位に輝いていてまぶしかったです(笑)」食がつなぐ人の絆を描いた本作。ラーメン、バクテー、チキンライス……。日本とシンガポールのソウルフードが次々に登場する。「食事のシーンはほぼ素のリアクションです。どれもおいしかったし、現場に来るケータリングも麺が7種類くらいあって。『うまいね』とスタッフとわいわい言いながら食べる時間が楽しかったです」斎藤自身の家族のレシピは?「餃子です。餃子のときだけは家族4人全員で作りました。みんな大食漢なので1人100個くらい作るんです(笑)。僕は欲張っていっぱいあんを詰めるので皮がずれてしまって。一人ずつの癖が出るんです。4人それぞれ違う形を見ながら、うちの家族の縮図だな、と。そんな食卓の景色を思い出します」
2019年03月04日「最近の聖子さんは、いつも以上に精力的に活動しています。ジャズライブでは“本物を届けたい”とこだわり抜いていましたし、出演予定の映画も話題を集めています。それを支えているのが、母の一子さん(86)なんです」と語るのは、松田聖子(56)の知人だ。たしかに、今年の聖子は多忙をきわめてきた。6月から行われたツアーでは全国8都市をまわり、11月には「PREMIUM SEIKO JAZZ LIVE 2018」を開催。さらに毎年恒例のクリスマスディナーショーも完売。大晦日は22回目となる紅白歌合戦への出場が決定している。そして、来年3月には映画「家族のレシピ」が公開予定。主演はラーメン店で働く青年役を演じる斎藤工(37)。聖子は、現地のフードブロガーを熱演しているという。このプロモーションが3月にシンガポールで行われたが、現地では“意外な光景”が目撃されていた。「聖子さんのそばには、いつも母の一子さんの姿がありました。80歳をすぎている彼女が、ずっと娘の聖子さんに日傘をさしているんです。最初は『あの人は付き人かな?』と思っていたのですが、後で聖子さんのお母さんだと聞いて驚きました」(前出・聖子の知人)聖子と一子さんといえば、長きにわたり断絶が伝えられてきた。発端はある事件だった。「愛人とも報じられたマネージャーをめぐり、関係に亀裂が走ったのは5年前。14年2月、聖子さんは一子さんが取締役を務める事務所『ファンティック』を退所。マネージャーと新事務所を立ち上げたのです。その後、一子さんは家を出ました」(音楽関係者)衝突したままずっとすれ違い続けてきた母と娘。そんな家族の関係に変化が見られたのが、今年3月。一子さんが『ファンティック』取締役を退任したのだ。「一子さんは86歳になり、生前整理の一環として退任を決意したそうです。後任を長男に任せ、自身の“終活”に着手。最後に考えたのは、やはり娘である聖子さんのことでした。一子さんは『最後に、私があの子を守りたい』と申し出たそうです」(前出・音楽関係者)前出のシンガポールでの“付き人献身”ぶりは、一子さんが「ファンティック」の取締役を退任したころと重なる。長時間の海外渡航に加え、常にそばで支えるのは86歳の女性にとって簡単ではなかっただろう。それでも母は、笑顔で聖子に寄り添っていたという。母の優しさに触れていくうちに、聖子さんの心も動いた。8月には、本誌が“母娘の二世帯同居開始”をスクープしている。聖子は一子さんを招き入れるべく、自宅リフォームに乗り出していたのだ。前出のシンガポールでも、聖子は“親孝行”に精を出していたという。「聖子さんはあらかじめ用意された高級ホテルには宿泊せず、旦那さんとお母さんと一軒家を借りて滞在していました。少しでも、家族でいっしょにいる時間が欲しかったようです。現地での聖子さんは、とにかく上機嫌。“変化”の理由はもちろん、お母さんがそばにいてくれるからでしょうね」(前出・芸能関係者)そんな“付き人姿勢”で支えてくれる母の存在が、聖子をさらに変えていた。「ジャズ挑戦もお母さんの影響が大きいそうです。50歳をすぎて違う分野に挑む娘に、一子さんは『好きなことをすればいい』と後押ししたといいます。それもあって、来年2月には全国7カ所でジャズツアーを行うことになりました。また紅白出場が決まったことで、いつも以上に張り切っていると聞いています。母と娘が和解した、特別な1年でしたからね。お母さんも、応援に駆けつけてくれるのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)
2018年12月20日「豪華ディナー付きのいちばん良い席では約9万円という、聖子史上最高値のチケット代。一部報道では“ぼったくり”と批判されていましたが、聖子さんとしては“本物のジャズを届けたい”と、こだわり抜いたゆえの料金だったのでしょう」(芸能リポーターの城下尊之さん)11月4日に開催された、松田聖子(56)のジャズライブ『PREMIUM SEIKO JAZZ LIVE 2018』。料金もさることながら、ファンクラブ会員300人限定×2公演と超プレミアム。だが、そんな“お宝ライブ”のお土産はなんと900円のワイン!「来場者全員にフルボトルワインが付いてきたのですが、その中身はイタリア・セッテカーニ社の赤の微発泡ワイン『ランブルスコ』だったと聞いています。数々の賞を受賞した“通好み”のワインで、900円前後で販売されています。聖子さんのオリジナルラベル付きなので、もちろん製作費はかなりかかっていると思いますが……」(ワインに詳しいライター)実際に来場したファンたちはどう思っているのか――。《(当日の歌声は)CDの数倍良かったです!大枚叩いて良かった》《今日は最上級にエレガントな聖子ちゃんでした》ネット上には、満足したファンたちの声が続々と……。聖子ファンを公言する歌手の高山璃奈さん(26)もこう絶賛する。「『トークの内容はしゃべらないでね』というファンクラブの規約があるので差支えない範囲でしか教えられませんが、客席に向けて『みんなお水飲んでね』『私も緊張してるから大丈夫だよ』と優しく気遣ってくれていましたね。ジャズライブは今回が2回目で、聖子さんは前回も今回も『挑戦できることが楽しい!』と言っていました。もうすぐ40周年を迎える大ベテランなのに、いつまでもチャレンジ精神を忘れない姿勢が素敵だなって」“900円の聖子ワイン”は、オークションサイトに1万4,000円で出品され、すでに落札されていた。元値の15倍以上で取り引きされてしまう“聖子ブランド”。そう思えば、9万円も高くない!?
2018年11月16日NMB48の山本彩が、17日深夜(25:00~)に放送されるニッポン放送『NMB48山本彩のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務める。27日にNMB48卒業コンサートを控える山本にとって、NMB48メンバーとして最後の『オールナイトニッポン』となる。27日は大阪城ホールでの『NMB48 8th Anniversary LIVE』があり、ライブ直後に大阪市内から生放送される。番組では、山本と同じ1期生の現役メンバー(川上礼奈・白間美瑠・吉田朱里)、そして、山本と交流が深い2期から4期のメンバー(谷川愛梨・太田夢莉・渋谷凪咲)が1時台と2時台に時間を分けてゲストに登場する。この他、NMB48のメンバーが問題を作った「クイズ!山本彩!!」コーナーも。さらに番組の最後にはリスナーとファンに感謝を込めて、山本による弾き語りで自身がセンターを務めた「365日の紙飛行機」が生演奏される予定だ。
2018年10月16日現在、全国ツアー真っ只中の松田聖子(56)。閑静な住宅街に佇む豪邸を、1人の女性が出入りしていた――。聖子の実母・一子さん(86)だ。「ここ1年くらいはほぼ毎日、聖子さんのご自宅へお母さんが通われているようですね。つい先日も、お母さんと前後してリフォーム会社の業者さんが来ていました。それで『聖子さんはお母さんのためにお家をリフォームされるのかしら』って、ご近所では噂になっているんです」(近所に住む主婦)聖子と一子さんとの関係に亀裂が走ったのは4年半前のこと。もともとは冒頭の自宅で娘の沙也加(31)と聖子、そして一子さんの3世代が同居していたが、“ある事件”が原因でそれぞれが離れて暮らすことに――。「聖子さんと一子さんの不仲の原因は、聖子さんのマネージャーで愛人とも報じられたことのあるA氏の存在です。現在の夫との再婚を機にA氏との関係を清算するよう、一子さんは聖子さんを何度も説得したのですが、聖子さんは聞く耳を持たなかったのだとか。それどころか聖子さんは一子さんが役員を務めている事務所『ファンティック』を14年2月に飛び出し、A氏と新事務所を立ち上げたのです。それ以来、聖子さんと沙也加さんは断絶状態が続いており、一子さんも聖子さんの自宅を出て行ったといいます」(音楽関係者)そして自宅から少し離れたところに、聖子が数年前に新築した一軒家で、一子さんは1人暮らしを始めたのだった。だが、そんな修復困難にも思えた関係に少しずつ変化が――。「実は今年の3月、一子さんは事務所『ファンティック』の取締役を退任しました。86歳という年齢を考えて“生前整理”を始めたのだと聞いています。残りの人生を見つめ直しているお母さんを見て、聖子さんの気持ちもだんだん変わってきたのでしょう。いまは『私がお母さんを支えなきゃ!』と、聖子さんは一子さんの“終活”をサポートしているそうです」(別の音楽関係者)高齢の母と過ごす時間を増やすなかで、聖子は“新たな決意”をしたという。「聖子さんはもう一度お母さんを自宅に招き入れようと、二世帯同居の準備を進めているそうです。今回のリフォームも、準備の一環でしょう」(前出・音楽関係者)4年半の“断絶”を乗り越え、2人は本当に和解したのだろうか。8月初旬の朝9時過ぎ、聖子の自宅近くで一子さんを直撃した。――聖子さんと間もなく二世帯同居を始めると聞きましたが?「娘とは一緒に住んでいますよ!」関係が良好になっているとは聞いていたが、なんとすでに同居生活を始めていたようだ。――親子関係が悪化して数年前から別居されていたと聞いています。いまはもう仲直りを?「あはは、娘とはもともと仲悪くないですよ!」長年の不仲説が嘘のように、笑い飛ばしてみせた一子さん。最後に、一子さんの“終活”についても聞いてみた。――3月に「ファンティック」の取締役を退任されましたよね。「ええ、私ももう86歳なのでね。そんな私を娘(聖子)はいつも心配して『そばにいないと何があるか分からないから、1人でいたらダメ!』って言ってくれて。だから全然、大丈夫なんですよ」娘の気遣いが嬉しくて仕方ないのだろう。一子さんは聖子そっくりの目を細めながら、優しく微笑んでいた――。
2018年08月07日