学習院女子高等科ご卒業まであと3カ月、ついに愛子さまのご進学先が判明!関係者を驚かせた“意外な選択”の陰には、自らの宿命と真摯に向き合われてきた日々があった――。1月1日、宮中での新年行事に出席するために、天皇皇后両陛下をはじめ、皇族方が乗られた車が次々と半蔵門を通過した。集まっていた人々や報道陣に向かってペコリと頭を下げられたのは、天皇家の長女・愛子さま。現場で取材していたカメラマンは言う。「愛子さまは深く頭を下げられた後、満面の笑みを見せてくださいました。新年の始まりにふさわしい晴れ晴れとしたお顔に、思わず報道陣のなかから、『本当におかわいらしいですね!』という感嘆の声が上がっていたほどです」この日の愛子さまは制服をお召しだったが、4月には大学へ進学予定だ。「12月末に愛子さまが『文学部日本語日本文学科』に内定されたと聞き、とても意外に思いました。文学部の史学科は候補の一つとして報じられることがありましたが、これまで一度たりとも日本語日本文学科の名前が挙がることはなかったからです」そう語るのは学習院関係者。皇室ジャーナリストも、驚いた様子で語る。「愛子さまは国際社会科学部を志望されていると聞いていました。ご進学先については、天皇陛下と雅子さま、そして愛子さまの3人で相談されていたそうです。雅子さまは皇室にお輿入れする前から国際親善に尽力することを希望されていて、とくに昨年はトランプ大統領夫妻やマクロン大統領夫妻を、語学力を生かして見事におもてなしされ話題になりました。両陛下は愛子さまにも皇族として国際親善の担い手になることを期待されています。“お母さまと同じ道を歩む”という意味でも国際社会科学部という志望先は、3人で検討されたうえでの結論なのではないかと考えていました」しかし、愛子さまが選ばれたのは文学部日本語文学科だった。実は愛子さまは、6年も前から日本古典文学への思いを静かに温めていらした。本誌は’14年3月、初等科卒業直前に書かれたレポートについて報じている。タイトルは「藤原道長」。執筆理由について愛子さまは次のようにつづられていた。《授業で藤原道長について学習している時に、「御堂関白記」(※道長の日記)に少し触れ、また、学習する前にも新聞で「御堂関白記」がユネスコの記憶遺産に登録されたという記事を見たので、一度実物を見てみたいと思った。それで、夏休みに、東京国立博物館で開催された特別展「和様の書」に行き、「御堂関白記」を見て、これほど古い日記がよく残っているものだと驚いた》レポートでは天皇家と藤原家の姻戚関係や、当時の天皇の政治的役割についても言及されている。愛子さまにとって藤原道長について調べることは、ご自身のルーツにふれられることでもあったのだ。宮内庁関係者は言う。「成長されるなかで愛子さまは“天皇の娘”とはどのような存在なのか、どんな役割を果たすべきなのか、それらについてご両親に尋ねられるとともに、自問自答も繰り返してこられたに違いありません。その結論が、大学で日本の古典を学び、ご自身のルーツを探求されることだったのでしょう。また雅子さまもハーバード大学在籍中には、日本文化をほかの学生たちに紹介されていたそうです。真の国際親善のためには、相手の文化に理解を示すだけではなく、自国の文化を知る必要があります。愛子さまも日本古来の文化を学ぶことで、より深い国際親善を目指し始められたのだと思います」愛子さまの“進路変更宣言”に、天皇陛下も雅子さまも感無量だったことだろう。1月1日の愛子さまの満面の笑みには、ご自分で選ばれた未来への希望が秘められていたのだ。「女性自身」2020年1月21日号 掲載
2020年01月10日残すところあと少しとなった’19年。5月1日に天皇陛下が即位され、元号も「平成」から「令和」へと変わり、皇室にとっても激動の1年だった。本誌が目撃した驚きのスクープから、とくに反響の大きかったものを今一度お届けしたい。「今の愛子さまだよね!?めっちゃラッキーなんだけど!」若い女性の声が上がる。その視線先にあるバスの車窓からは、愛子さまがほほ笑んでいた。(以下、2019年9月17日号掲載記事)夏休みも終盤の『那須どうぶつ王国』園内で思いがけず天皇ご一家の姿を目にした人々は、興奮した様子を隠さなかった。ご静養のために8月19~28日の間、栃木県の那須御用邸に滞在された天皇ご一家。8月26日、那須どうぶつ王国に足を運ばれた。あいにく小雨混じりの空模様だったが、愛子さまのお友だち5人とその保護者が合流して動物たちとの触れ合いを楽しまれたのだ。“プライベート”なお出かけにもかかわらず、愛子さまは王国内を歩きながら居合わせた人々に笑顔でお手振りされる“神対応”。80代の男性は愛子さまと握手をしたという。「緊張して何も話せませんでしたが、かわいらしく、とても賢そうなお顔をされていました」那須どうぶつ王国の目玉イベントである「バードパフォーマンスショー」は、みんなで並んで観覧。上空から観覧席すれすれにワシやタカ、インコやミミズクが飛んでくると、愛子さまたちは「わー!」「すごく近い!」と歓声を上げて大喜び。そのままぶつかってきそうな迫力に、陛下と愛子さまがそろって頭を抱えられる場面もあった。客席から指名された小3の男の子の腕にタカをとまらせるパフォーマンスでは「これから〇〇くんの腕にタカの爪が食い込んでいくからね~」という司会の男性のブラックジョークに、愛子さまとご友人ばかりか、陛下と雅子さまからも笑い声が漏れた。こうして愛子さまは、高校最後となる夏休みをご友人たちと一緒に満喫されたのだった。
2019年12月30日残すところあと少しとなった’19年。5月1日に天皇陛下が即位され、元号も「平成」から「令和」へと変わり、皇室にとっても激動の1年だった。本誌が目撃した驚きのスクープから、とくに反響の大きかったものを今一度お届けしたい。那須で夏休みを過ごされた天皇ご一家。愛子さまの笑顔を輝かせたのは、本誌がかつて報じた“ボーイフレンド”だった!“のび太似”だった少年は、驚くべき成長を遂げていた。(以下、2019年9月17日号掲載記事)ご静養のために8月19~28日の間、栃木県の那須御用邸に滞在された天皇ご一家。8月26日には「那須どうぶつ王国」に足を運ばれた。あいにく小雨混じりの空模様だったが、愛子さまのお友だち5人とその保護者が合流して、動物たちとの触れ合いを楽しまれたのだ。5人のご友人のうち4人は普通の背丈の女子。しかし、グループのなかにひときわ目立つ長身の男子が1人いた。がっしりとした体格で身長は185cm近くありそうだ。この時期には毎年のように那須を訪れるという雅子さまファンの女性はこう語る。「愛子さまが小学生でいらした10年ほど前から、那須で合流される“ご学友”はずっと同じメンバーです。そのなかに愛子さまのお気に入りの男の子がいて、『ドラえもん』の“のび太”に似た優しい顔立ちが印象的でした。今年来ていたのも、その彼です。今ではすっかり背も高くなって、俳優の東出昌大さんに似た感じのイケメンになりましたね」実は本誌も’10年と’11年に、愛子さまとAくんの仲むつまじい姿をキャッチしていた。当時を知る本誌皇室担当記者が振り返る。「愛子さまは小学3年生だった’10年の夏、陛下や雅子さまと那須の茶臼岳を登山されているのですが、Aくんと彼のお母さんやお姉さんも同行していたのです。Aくんは愛子さまのすぐ後ろについて、愛子さまがよろけるとすぐに支えてあげていました。無事に登頂されて、みなさんご一緒に下山されたのですが、登山口から駐車場に向かう道では愛子さまがしっかりとAくんの手を握られていたのです」その3日後、愛子さまとAくんの姿は「りんどう湖ファミリー牧場」にあった。目撃した女性は本誌にこう語っていた。「愛子さまと男の子(Aくん)はボートに乗るときも、メリーゴーラウンドでも隣同士でした。愛子さまから積極的に男の子に話しかけられているように見えました。手をつなぎ、腕を組み、ハグされるシーンもありました」翌’11年には、今年と同じ「那須どうぶつ王国」の「バードパフォーマンスショー」でもそんな“アツアツ”ぶりを見ることができた。皇室担当記者が明かす。「司会者が参加希望の子を募ると、Aくんが愛子さまの手を取って挙げさせようとしました。すると今度は“お返し”とばかりに愛子さまがAくんの手を挙げさせようとして……。まるで恋人同士がふざけ合っているように見えました」愛子さまはそのころ、乱暴な男子児童に対する恐怖心からの“不登校問題”が取りざたされている時期だった。ご静養の際にもほとんど笑顔を見せることがなくなっていた愛子さまだったが、Aくんと一緒のときには満面の笑みが戻っていたのだ。「天皇ご一家とAくん一家は、家族ぐるみのお付き合いなのです。那須に来るメンバーのなかで男子はAくん1人。しかも彼は中等部から外部受験し、いまは学習院の生徒でさえありません。それでもご静養先に招かれるのですから、愛子さまとAくんにはよほど強い絆があるのでしょう。雅子さまも“公認の仲”と言っても過言ではありません」そう語るのは学習院関係者。さらに、Aくんが進学した名門私立高校は都内でも屈指の難関校だと話す。「大手学習塾の算出した偏差値は74ですから、Aくんはかなりの秀才。愛子さまとは、歴史が好きという共通点もあります。また、彼は水泳やマリンスポーツにも打ち込んだ経験があるスポーツマンという一面も。まさに文武両道の好青年です」さすがに今年の那須では、高校3年生となった2人が小学生のときのような“スキンシップ”を人前でとることはなかった。しかし、ときおり愛子さまと視線が合うと、Aくんがうれしそうに笑顔を送り、愛子さまもやさしい笑みをお返しになっていた。一歩一歩、大人への階段をのぼられている愛子さま。那須での「ときめきの夏」もきっと、大切な思い出となることだろう――。
2019年12月30日乳がん手術の経過が心配されていた美智子さまに、さらなるご体調の不安――。発症から3カ月間にわたる“沈黙”にあった悲痛と、雅子さまへの思いとは……。「上皇侍従次長の説明によれば、美智子さまは今年に入ってから体調を崩されていました。御代替わりを直前に控えた4月ごろから急激に体重が減少し、現在も体重は戻らないまま。ただ、美智子さまは薬による治療を行った結果、ここ1カ月ほどは嘔吐の症状はみられないといいます。上皇職の見解では、詳しい原因はわからないものの精神的なストレスが原因になった可能性が高いとのことでした」美智子さまを苦しめた“精神的ストレス”の原因となったのは、いったい何だったのだろうか。皇室ジャーナリストは、美智子さまは孫である眞子さまと小室圭さんの長引く結婚問題を憂慮されているのではないかと語る。「やはり眞子さまの結婚問題については、美智子さまもたいへん心配されているようです。秋篠宮ご夫妻が結婚に反対する一方、佳子さまは眞子さまを応援する姿勢を示されています。“小室さん問題”をめぐって秋篠宮家が分裂してしまう――。そういった危惧を、美智子さまもお持ちなのではないでしょうか」しかし宮内庁関係者は、ストレスの原因はほかにもあるとの見解を語った。「美智子さまは毎朝、新聞に目を通されます。その際に週刊誌の新聞広告をご覧になったり、気になった記事は取り寄せてお読みになったりすることもあるのです。上皇侍従次長は今回の会見でも、詳しい原因はわからないものの、週刊誌報道にストレスを感じられた結果として、胃に負担がかかった可能性があると説明しています」上皇ご夫妻はこれまで、お体の不調に関してもなるべく公表されてきた。だが、嘔吐の症状が出始めたのは9月のことだというのに、美智子さまはなぜ12月中旬までずっと沈黙を守られていたのだろうか?前出の宮内庁関係者は、皇后となられた雅子さまへの配慮があるのではないかと語る。「9月から12月上旬にかけて、天皇皇后両陛下はたいへんな過密日程でした。適応障害からの快復途上にある雅子さまは、即位に関連する一連の儀式に臨まれることに、大きなプレッシャーがおありだったはずです。すべての儀式が終わったのが12月4日、そして雅子さま56歳の誕生日が9日でした。雅子さまが皇后としてのお務めに集中できるように――。美智子さまはそうお考えになって、症状の公表を遅らせたのではないでしょうか」深く傷つかれ、嘔吐に耐え続けながらも、美智子さまは新皇后を思いやり続けられていたのだ。「女性自身」2020年1月1日・7日・14日号 掲載
2019年12月19日《少しばかり大人びた雰囲気になったなという感じがします》長男の悠仁さまについて、秋篠宮さまは54歳のお誕生日会見でそう述べられた。そして今後の教育方針については《いろいろな所に行って、実際に見て、話を聞くということをしてほしいなと思っています》と語られた。これらのお言葉が公表されたのは誕生日当日の11月30日。それからわずか8日後、悠仁さまは次姉の佳子さまとお二人でご公務にお出ましになった。12月8日に開催された「第41回少年の主張全国大会」である。大会では、約48万人の応募者から選ばれた12人が発表。終了後、悠仁さまは同年代の中学生と交流し、「どのような思いでスピーチされたのですか」などと尋ねられたという。佳子さまがご一緒とはいえ、13歳にして早くも両親ご不在のなかご公務に臨まれるのは、かなり異例のこと。象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんはこう話す。「おそらく秋篠宮さまと紀子さまは、早くから悠仁さまにご公務を担わせることで将来に向けての“経験”を積ませようとお考えなのだと思います」今年8月にも、秋篠宮ご夫妻はブータンご訪問に悠仁さまを同伴された。悠仁さまにとって素晴らしい経験になったことだろう。皇室ジャーナリストはこう話す。「紀子さまは試行錯誤しながら悠仁さまに“帝王教育”を施されてきましたが、最近は焦燥をつのらせていらっしゃるようです。なぜなら『愛子さまを次の天皇に』との待望論が日に日に高まっているからです。皇后となられた雅子さまのご活躍もあり、天皇ご一家への国民の期待は膨らむばかりです」2年ほど前から、紀子さまは全国各地に悠仁さまをお連れになるようになった。一昨年は小笠原諸島をご旅行。昨年は夏の槍ヶ岳で本格的な登山をされ、広島の平和記念公園もご訪問。秋篠宮さまとお忍びで築地市場を見学されたこともあった。前出の河西さんはこう語る。「将来の天皇として、まさに実地の訓練をされているのだと思います。日本各地への訪問などは、上皇ご夫妻が平成になされていたことの踏襲だと感じます。また、今の象徴天皇制のもとでは、いかに人柄や人物像を国民に知ってもらうかが重要な意味を持ちます。悠仁さまの姿がもっとメディアを通じて伝えられることを望んでいるのではないでしょうか」さらに悠仁さまの場合は、上皇陛下や天皇陛下がお育ちになった環境とは異なる“ハードル”があるという。「直接的に父から天皇・皇太子としてのあり方を伝えられた現在の天皇とは異なり、悠仁さまは“天皇の甥”です。天皇からの直接的な“口伝”ではなく、父である秋篠宮さまや母の紀子さまが伝えなければなりません。天皇と生活や行動を共にすることで伝えられる側面も、今までの皇位継承にはあったわけですが、それがないぶん、将来の天皇としての心構えを肌で感じる場面が少ないと思います。悠仁さまは、そういったハードルも乗り越えていかなければなりません」(前出・河西さん)今回の13歳でのご公務も、その経験が悠仁さまの将来に役立ってほしいという親心から、紀子さまが秋篠宮さまとご相談のうえで演出されたのだろう。
2019年12月10日「どのような思いでスピーチされたのですか」秋篠宮家の長男・悠仁さまは、発表者の中学生たちにそう質問されたという。悠仁さまは12月8日、佳子さまとご一緒に「第41回少年の主張全国大会」に出席された。きょうだいお二人だけでのご公務は初めてだった。これまでは、悠仁さまがご公務に臨まれるときは、必ず秋篠宮さまか紀子さまがご一緒だったのだ。「秋篠宮さまは先日の誕生日会見で《いろいろな所に行って、実際に見て、話を聞くということをしてほしいなと思っています》と語られました。今回のお二人だけのご公務も、悠仁さまにこれまでにない経験を積んでほしいという思いがあったのではないでしょうか」(皇室担当記者)ただ、これまで多数の公務を担ってきた長姉の眞子さまではなく、次姉の佳子さまに同行される形となったのはなぜなのだろうか?象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは、2つの理由が考えられると語る。「まず、眞子さまは小室さんと結婚する可能性があります。女性宮家問題についての政府の議論が進まなければ、眞子さまは結婚に伴って皇室を離れます。そうなれば、今後の公務は佳子さまと悠仁さまが担っていくことになります。その二人だけで大会に出席することで、次世代の秋篠宮家を担う二人の存在を示す意味があるように感じます。また、佳子さまに、弟の悠仁さまの“後見役”としての自覚を持たせたいという意図もあるのではないでしょうか。成人の女性皇族として公務を担うだけでなく、悠仁さまのそばで支え続ける姉としての役割も求めているのだと感じられます」また前出の皇室担当記者は、悠仁さまの後見役に佳子さまが選ばれた背景には、紀子さまの眞子さまに対する“諦念”があると語る。「紀子さまはこの半年あまり、結婚の意志を曲げようとしない眞子さまをなんとか説得するべく努力を続けていらっしゃいました。しかし最近になって、もはや眞子さまの気持ちを変えることはできないと、説得を断念されてしまったようなのです」実は紀子さまは、半年ほど前には母娘二人でのお出ましを増やされていた。5月11日から1泊で京都を訪れ「大聖寺文化・護友会」の総会にご出席。6月2日には横浜能楽堂で『大典奉祝の芸能』を鑑賞されている。さらに紀子さまはご一家での展覧会やコンサートに積極的に眞子さまを誘われ、お話しになる機会を作られていたという。「秋篠宮ご夫妻は、小室さんとの結婚には強く反対していましたが、眞子さまの『婚姻の自由』までは侵せないとお考えでした。つまり、眞子さまご本人のお気持ちに反して結婚延期をいつまでも長引かせることはできないと認識されていたのです。眞子さまは2年前にご結婚延期が決定して以来、結婚についてはかたくなに口を閉ざしていましたが、ご公務についての相談であればご両親とも比較的素直に会話をされていました。そのため紀子さまは、眞子さまと2人きりでのご公務を増やして会話の機会を増やされながら、小室さんとの結婚を考え直すよう説得を試みていたのです。ところが眞子さまは、結婚についてはいっさい話さないという線引きを崩されることはありませんでした。つまり紀子さまの“説得作戦”は失敗に終わったのです」(前出・皇室担当記者)宮内庁関係者は、秋篠宮ご夫妻は皇族としての活動について「眞子さまにたいへん期待されていた」と明かす。逆に佳子さまは、紀子さまに大学のダンスサークル入会を止められたこともあり、しばしば対立していたといわれる。「しかし、最近では紀子さまも、佳子さまのダンスには口を出さないようにされているそうです。そのおかげか、紀子さまと佳子さまの母娘関係は以前に比べてかなり良好になっているといいます」(前出・宮内庁関係者)ついに悠仁さまの“帝王教育”に本格着手された紀子さま。頼りにしてきた眞子さまではなく、佳子さまを頼りにされた背景には、やはり小室さん問題があったのか――。
2019年12月10日秋篠宮家の長女・眞子さまと次女の佳子さまは12月10日、映画『アナと雪の女王2』チャリティー上映会にご臨席になる。『アナ雪』といえば、運命に引き裂かれた王家の美しい姉妹・エルサとアナを主人公に、凍った王国を救う“姉妹の絆”と“真実の愛”を描いたファンタジー。その続編となる今作は、観客動員数が約466万人(12月8日時点)に達し、前作を上回る勢いで大ヒットを記録している。チャリティー上映会は前作が公開された’14年3月にも開催されており、その際には紀子さまと眞子さまがお二人で上映会に臨席されていたが……。「眞子さまと小室圭さんの結婚が延期となってから、来年2月で丸2年が経ちます。いまも眞子さまは、ご結婚に関して紀子さまには決して口を開かないそうです」(皇室担当記者)一方で佳子さまは今年3月、眞子さまと小室さんの結婚について《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と記され、眞子さまを応援する姿勢を示されている。そんな状況で、姉妹での“意味深”な『アナ雪2』ご鑑賞となる。前作で妹のアナが姉のエルサを命がけで守ったように、佳子さまが、小室さんとの結婚が阻まれている眞子さまに手を差し伸べられるということだろうか――。しかし映画関係者は、異なる見解を語る。「『アナ雪』には、これまでのディズニープリンセス作品とは一線を画すメッセージがこめられています。従来の作品は最後に王子様と結ばれて幸せになるのが基本でしたが、『アナ雪』はそんなストーリーを裏切ってしまうのです。王子様に助けてもらわなくても、少女が自分の力で幸せを掴み取れるというメッセージともいえます。『アナ雪』はむしろ、小室さんという“王子様”は必要ないという結論を導いてしまう可能性もあると思います」『アナ雪2』をご鑑賞後、眞子さまと佳子さまはどのような感想を交わされるのだろうか――。
2019年12月10日眞子さまと小室圭さんの結婚が「再来年に延期」と発表されてから、来年2月で丸2年がたつ。大きな節目を前に、秋篠宮さまからは意外なメッセージが――。《この次の2月で2年たつわけですね。やはりその、昨年の2月に今の気持ちというのを発表しているわけですので、何らかのことは発表する必要があると私は思っております》秋篠宮さまは11月30日に54歳となられ、誕生日に際しての記者会見でそう述べられた。’18年の2月、眞子さまと小室さんは「私たち」という主語を使って、お気持ちを記した文書を発表された。秋篠宮さまは、2年前と同じように眞子さまご自身が“今のお気持ち”を発表するように促したのだ。宮内庁関係者が声を潜める。「秋篠宮さまは本心では、この結婚に強く反対されています。眞子さまが『結婚を諦める』と発表してくれることを願っておられるでしょうが、眞子さまのお気持ちはまったく変わっていないようです。2年前の文書以後、結婚問題に沈黙を貫かれてきた眞子さまが、変わらぬ思いを“肉声”で発表されるとしたら、この結婚は、一気に実現の方向に動きだす可能性が高いと思います」2年前の眞子さまの文書には、このように記されていた。《皇室にとって重要な一連のお儀式が滞りなく終了した後の再来年に延期し、充分な時間をとって必要な準備を行うのが適切であるとの判断に至りました》つまり、ご自分たちの意思で延期を決めたと表明していたのだ。その“再来年”となるのが’20年だ。延期から2年、眞子さまが「充分な準備を行った」「小室さんと結婚したい、これ以上延期したくない」という強い意志を明らかにされたとしたら、秋篠宮さまが結婚を“阻止”することは、はたしてできるのだろうか?象徴天皇制を研究する名古屋大学大学院准教授の河西秀哉さんは「大変難しい」と話す。「平成の天皇によって、結婚への『裁可』が出ている以上、秋篠宮さまがそれを『NO』と言うことは難しいのです。ですから、当時も破談のような形ではなく、延期という形態を取るしかなかったのだと思います。眞子さまが結婚の意思を公式に表明された場合、秋篠宮さまがそれを妨げるような働きかけをされたら、眞子さまの自由な意思を阻害することにもなります。恋愛や結婚においても皇族の自由を尊重してきた皇室の歩みとも、齟齬が生じてしまいます」日本国憲法第24条には《婚姻は、両性の合意のみに基いて成立》と記されており、秋篠宮さまご自身も憲法を尊重する姿勢を示されてきた。「会見や文書の公表を阻止するどころか、眞子さまのお気持ちに結論を委ねたということは、秋篠宮さまが小室さんとの結婚問題について“白旗”を上げられたものといっても過言ではないと思います」(前出・宮内庁関係者)
2019年12月04日天皇皇后両陛下の長女・愛子さまは12月1日に18歳の誕生日を迎えられる。報道各社が実施した最新の世論調査では、女性天皇を認めることに賛成との回答は、軒並み7~8割台の高水準。「愛子さまを天皇に」という期待の声も少なくない。一方で現在の皇室典範では、女性皇族は結婚と同時に皇籍を離脱することになっている。愛子さまは天皇になられるどころか、数年以内に皇室を離れてしまう可能性もあったのだが――。《「女性宮家」、政府に容認論》即位パレード「祝賀御列の儀」が執り行われた11月10日の朝、時事通信はそう報じた。政府内で「女性宮家」創設を容認する案が浮上しているというのだ。皇室ジャーナリストも驚いた様子で話す。「女性宮家は、女性皇族が宮家の当主となることを認め、結婚後も皇室に残れるようにする制度です。かねて安倍首相は、強硬な”男系維持派”として知られていました。女性宮家創設についても、『女性天皇容認につながるのでは』といった懸念から、これまでは極めて消極的だったのです」歴史学者で静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、女性宮家の創設は今後の皇室のために必要不可欠だと考えているという。「皇室には、天皇の国事行為以外にも多くの公的な行いがあります。そうした行いによって、皇室と国民の絆が強められるのです。それゆえ皇室には、天皇皇后だけではなく、ご公務を分担できる皇族の存在が不可欠です。愛子内親王をはじめとする女性皇族に、女性宮家の当主としてご結婚後も皇室にとどまっていただくことが、皇室の安定にとってたいへん重要なのです」政治部記者は、安倍政権も皇族数の減少に深刻な危機感を抱いていると語る。「もし女性宮家を認めなければ、次世代の皇室は悠仁さまお一人になってしまう可能性もあります。安倍政権としては“皇室の存亡を危うくさせた”という汚名だけは避けたいのです。女性・女系天皇の是非は先送りしつつも、女性宮家は容認せざるをえないとの意見は政権内部にも少なくないようです」ようやく女性宮家容認の動きが見えはじめたものの、宮内庁関係者は声を潜めて言う。「安倍政権は、皇位継承問題についての議論の開始を来年4月以降に先送りする方針です。女性天皇容認に賛成する野党との対立だけでなく、自民党内部でさえ意見集約ができていないことも課題となっています。このままでは女性宮家が制度化される前に、また女性皇族の方々が結婚し、皇室を離れてしまわれるのではないでしょうか」また11月16日付の『読売新聞』は、「女性皇族の方々は女性宮家創設には否定的だ」との政府筋の証言を掲載している。皇室に近い人物はこう語る。「眞子さまと佳子さまは、皇室に残って女性宮家の当主になろうというお気持ちはないと思われます。お二人ともご幼少のころから、結婚後は一般人として暮らすとお考えになってきたのです。秋篠宮さまや紀子さまも、そのように教え、お育てになってきました。眞子さまはできるだけ早く小室圭さんと結婚したいとお考えでしょう。佳子さまも、お忍びでのダンス発表会出演などプライベートでの活動が注目を集めています。皇族であるがゆえの制約から解き放たれたいとの思いは姉妹そろってお強いのです」現在の皇室には、未婚の内親王・女王は6方いらっしゃる。しかし、愛子さま以外はすでに20~30代。いつ結婚され、皇室を離れられることになってもおかしくない。さらに、前出の宮内庁関係者は言う。「かつて野田内閣で論点整理がなされた際に、女性宮家創設の対象は内親王に限られ、女王は対象外とされました。女性宮家が制度化されたとしても、当主となれるのは内親王に限られ、さらに眞子さまと佳子さまが拒否されれば、残るのは愛子さまだけです。悠仁さまとお二人だけで次世代の皇室を背負うことになる可能性も小さくありません」18歳となられる愛子さまの人生は、時の政権の皇位継承案に翻弄され続けるのだろうか――。前出の宮内庁関係者は、孤独を深める愛子さまの思いを推し量る。「愛子さまは最近も、両陛下とイギリスのアン王女夫妻のご懇談に同席され、英語で質問もなさったといいます。両陛下のご公務を間近でご覧になるだけではなく、ご自身も積極的に国際親善に関わられているのです。ご両親が新たな御代の天皇皇后として脚光を浴びるなか、愛子さまも皇族として、そして両陛下の一人娘としての自覚を強められています。計り知れないほどの重圧をお感じになりながらも”皇室に残る”という決意を固められているようです」
2019年11月28日皇居前広場で11月9日に開かれた、天皇陛下の即位を祝う「国民祭典」。天皇皇后両陛下は笑顔で祝福に応えられたが、長女の愛子さまもお忍びでいらっしゃっていたという。奉祝曲「Ray of Water」の演奏と嵐による歌唱に、雅子さまが涙を浮かべられる場面もあったこの日の国民祭典。皇居の正門付近から一部始終を見守っていたという愛子さまにとっても、忘れられない1日となったことだろう。この前週となる11月3日・4日には、愛子さまにとって高校最後の文化祭となる、学習院女子中・高等科「八重桜祭」が開催されていた。両陛下もいらっしゃったという。「3日の午後1時半ごろ、両陛下はいらっしゃいました。この日は午前中に皇居で文化勲章の親授式もあり、パレードや大嘗祭の準備などご多忙な中ですが、学校関係者と1時間以上もお話しになられていました。そのあと2時間ほど会場を回られ、家庭科教室では愛子さまの手芸作品をご覧になっていました」(学習院関係者)愛子さまはこの日、同級生の応援に使われたキラキラしたモールをつけた団扇を手にされて、にこやかにおしゃべりを楽しまれていたという。さらに4日も愛子さまはダンスを披露され、両陛下もご覧になったという。昨年の八重桜祭では同級生数人とダンスチームを結成され、初めてダンスを披露された。あまりの“愛子さま人気”に開演が30分遅れるほどのパニックとなったが、今年も会場は凄まじい熱気となった。「愛子さまのチーム『BLOOM』は、体育館のステージでの“大トリ”を務められました。在校生はもとより、保護者の人気もすごく、体育館の入口がごった返して収拾がつかないほどでした。メンバーとおそろいの衣装で登場された愛子さまは、洋楽の曲を3曲、Jポップを2曲の合計5曲でチアダンスを披露。両陛下もほほ笑みながら見守られていました」(前出・学習院関係者)愛子さまは出演者としてだけでなく、裏方としても文化祭に関わられていたという。「3日は作品展の受付係をされました。また、両日ともに美化委員としてゴミの分別回収なども担当されています」(宮内庁関係者)
2019年11月13日「過去を振り返ると8人の女性天皇が即位されていますが、一人として女系天皇はいらっしゃいません。男系・父系での皇位継承が行われてきました。2千数百年にわたって男系・父系で継承されてきたからこその天皇陛下です。この伝統を、ひとときの時代の価値観や判断で変えてしまっていいものでしょうか」そう語るのは、自由民主党の青山繁晴参議院議員。天皇陛下が即位を宣明された10月22日の「即位礼正殿の儀」。そこに参列された男性皇族はたったお二人、秋篠宮さまと、上皇陛下の弟で83歳の常陸宮さまだけだった。未成年のため参列されなかった悠仁さまを加えても、現在、皇位継承者はわずか3人しかいらっしゃらないのだ。男性皇族の減少が改めて印象付けられたその翌日の10月23日。青山議員が代表幹事を務める国会議員のグループ「日本の尊厳と国益を護る会」がある提言を発表し、注目を集めた。《旧宮家の男子について、了承いただける方には皇籍に復帰いただけるよう、また現皇族の養子か女性皇族の婿養子となられることがあり得るよう、皇室典範の改正または特例法の制定を行う》自民党の国会議員44人からなる「護る会」は、安定的な皇位継承策として、旧宮家の皇籍復帰を可能とするよう提言したのだ。いわゆる「旧宮家の男子」とは、戦後まもない’47年に皇籍離脱した11宮家の元皇族たちの男系子孫のこと。「護る会」は女性天皇・女系天皇に反対し、旧宮家の未婚男子に皇籍へ復帰してもらうことで、将来の皇位継承者を増やすべきだと提言したのだ。青山議員は、提言の狙いを次のように語る。「悠仁親王殿下の世代では、男系・父系の男子の皇族がお一人になってしまいます。しかし、政府機関による国会質問のための非公式な調査によれば、旧宮家には男系・父系で皇統につながる男子が、10代の方が5人、20代前半の方が2人いらっしゃるのです。ご本人の自由意思を尊重したうえで、この中から皇籍復帰していただければ、女性天皇や女系天皇を認めなくても、皇位継承を安定させることができます。男系維持が女性差別だと見なされないように、「護る会」では『男系・女系』ではなく『父系・母系』という言い方も用いています。現実的には、皇籍復帰した方の子や孫の世代から皇位継承権が付与されることになるでしょう。ご誕生から国民に見守られて成長されることになり、いまの皇族方と同じように国民に受け入れられるはずです」ただ、気になるのは《女性皇族の婿養子》という文言だ。現在、20代の女性皇族は秋篠宮家の長女・眞子さまと、次女・佳子さまのお二人。そして10代は愛子さまお一人だ。佳子さまが《結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》と述べられたこともあるように、皇族方も私たち国民と同じように、ご自身の意思でお相手を選びたいとお考えなのだ。しかし、この提言がもし採用されてしまえば、皇室の存続のために、たとえば愛子さまが旧宮家の男子と“婿養子”による結婚を強制されてしまう事態にならないだろうか?青山議員に見解を聞いた。「これはあくまで次の次の世代での提言です。また、どなたかを想定していません。旧宮家の男子が皇族復帰する方法として、養子と結婚がありうるという考え方のひとつを示したものです。古代などと違い現代では、皇族方であっても婚姻の自由は絶対的なものですから、ご本人の自由意思が優先されるべきだと考えます」あくまで、婚姻の自由は尊重されるべきだと語る青山議員。旧宮家の男子の皇籍復帰も、本人の意思を尊重することが前提だという。はたして、10代~20代前半で7人いるという旧宮家の男子のなかで、皇籍に復帰する意思のある人物はいるのだろうか。「旧宮家の方々と静かな環境でお会いしたり、ご本人の意思を確認したりすることは、皇室典範の改正などの法整備のあとに政府が行うべきと考えています。『護る会』としては一切、接触はしていません」(青山議員)だが、仮にこの提言を受けて法整備などが実現したとしても、旧宮家の男子に皇籍に復帰する意思のある人物がいなければ、皇位継承問題の解決にはつながらない。“婿養子”の案は、旧宮家の男子と女性皇族双方に結婚の意思がなければ実現せず、さらにハードルが高そうだ。
2019年11月12日天皇陛下の即位に伴う祝宴「饗宴の儀」は、10月22日から31日まで4回にわたり開かれ、万事つつがなく終了。雅子さまも笑顔でもてなされていた。しかし一連の儀式のさなかには、皇室の未来を左右するかもしれない重要な報道もあった。共同通信社による世論調査の結果が10月27日に報じられ、女性天皇を認めることへの賛成が81.9%に達したことが明らかとなった。反対はわずか13.5%だった。愛子さまのご成長とともに大きくなっている「愛子さまを天皇に」という期待の声――。ただ、愛子さまの人気が高まるにつれ、雅子さまの苦悩は深まってしまう状況にあるのだ。「政府は年内にも、皇位継承策を議論する有識者会議を設置する予定でしたが、来春以降への先送り案が浮上しています。愛子さまは結婚しても皇室に残られるのか、また、天皇となられる可能性はあるのか――。結論が先送りされれば、愛子さまの将来設計も定めることができません。雅子さまは一人の母として、愛子さまには自由に職業を選び、結婚も自らの意思で決めさせてあげたいというお気持ちもあるはずですが……」(前出・皇室担当記者)しかし宮内庁関係者によれば、雅子さまはすでに苦渋の決断をくだされているのだという。「天皇になる可能性が残されている以上、愛子さまには“天皇になる準備”も必要になる――。天皇陛下と雅子さまは、そうお考えになっています。そして、愛子さまへの“天皇教育”を始められているのです」10月11日、天皇陛下と雅子さまはイギリスのアン王女夫妻を赤坂御所に招き、お茶をともにされた。このご懇談には愛子さまも同席されたのだという。「約1時間のご懇談では、ラグビーW杯や東京オリンピック・パラリンピック、さらには即位の礼が話題に上りました。もちろん英語でのご懇談でしたが、愛子さまは熱心にお聞きになり、英語で王女夫妻に質問されることもあったそうです」(前出・宮内庁関係者)即位礼正殿の儀には未成年の愛子さまは出席されなかった。しかし愛子さまにとってこの日は、ご自身のお立場を自覚される重大な一日となったはずだと前出の皇室担当記者は言う。「愛子さまは前日に中間テストを終えられたばかりでしたが、その解放感とは無縁の一日であったことでしょう。早朝から赤坂御所と宮殿を往復される両陛下を愛子さまは欠かさず見送られ、またお出迎えもなさっていたのです。儀式は御所のテレビでご覧になりました。天皇陛下がなさった即位の宣明を、もしかすると将来は、愛子さまがされる可能性もあるのです。雅子さまが事前に“しっかり見ているように”とお伝えになっていたのかもしれません」現在、皇位継承順位1位は皇嗣の秋篠宮さま、2位は悠仁さまだ。紀子さまは悠仁さまとご一緒に全国各地を旅行され、自然・文化・歴史を学ぶ機会を作られてきた。標高3千メートルを超える槍ヶ岳への登山など、体力づくりまで考え、紀子さまなりに万全の“帝王教育”を悠仁さまになさってきたのだ。雅子さまも皇后としてご公務に取り組まれる傍ら、そうした教育までなさることになるのだろうか。静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「政治や行政に関わらない象徴天皇であっても、現代社会とその成り立ちについて体系的にきちんと学ぶ場があってもいいかと思います。しかし大切なのは天皇陛下のおそばで、天皇陛下のお考えや行いのあり方を身をもって学ぶことでしょう。すでに5月の御代替わり後の愛子さまは、帝王教育のさなかにあるともいえます」娘が天皇になるのかはわからない。それでも、将来の天皇としての教育を――。見えない未来に向かって、天皇ご一家は新たな一歩を踏み出されていた。
2019年11月05日お体への負担が心配されたなか、4回にわたる「饗宴の儀」を終えられた雅子さま。過密日程の中でも笑顔を絶やされなかったものの、その陰で母としての大きな苦悩を抱えられていた――。《各国元首のご健康と各国国民の幸福、世界の平和を切に祈ります》モーニング姿の天皇陛下が、駐日大使夫妻らを前にお言葉を述べられた。お隣に立たれた皇后雅子さまは、和服をお召しになっていた。10月31日、祝宴「饗宴の儀」が皇居で催された。即位を披露し祝福を受けられる儀式で、10月22日から4回にわたったが、この日が最終回となった。平成の即位の礼では、饗宴の儀は4日連続で計7回すべて着席形式で開かれたが、今回は皇族方の負担を考慮して回数を減らし、さらに後半の2回は立食形式へと簡素化された。「とはいえ、十二単で臨まれた『即位礼正殿の儀』を経て、さらに毎回数百人をおもてなしする饗宴の儀に臨まなければなりませんでした。宮内庁内部でも、雅子さまの体調を心配する声が上がっていたのです。しかし、雅子さまは4回にわたる饗宴の儀で、決して笑顔を絶やされませんでした。適応障害で苦しまれていたころには和服への苦手意識がおありだといわれてきましたが、最終日の和服姿はむしろ、皇后としての自信を感じさせるものでした」(宮内庁関係者)天皇陛下が国内外に即位を宣明され、雅子さまも令和の国際親善の幕開けに存在感を発揮された。ただ、一連の儀式のさなかには、皇室の未来を左右するかもしれない重要な報道もあった。共同通信社による世論調査の結果が10月27日に報じられ、女性天皇を認めることへの賛成が81.9%に達したことが明らかとなった。反対はわずか13.5%だった。また、母方だけが天皇の血筋を引く女系天皇への賛成は70.0%、反対は21.9%だった。近代皇室史を専門とする静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。「女性天皇を認める世論の高まりは、令和の天皇皇后と長女の愛子さまのお人柄や能力が、国民に広く支持されているゆえでしょう。国民の多くは、天皇のもとでお育ちになったお子さまで、立派なお人柄の方が天皇になるのがいいと考えているのです。世論調査を見る限り、ご本人の性別や、男系か女系かといった区別を、国民はあまり重視していないように思われます」現在、学習院女子高等科3年生で17歳の愛子さま。来年の4月には学習院大学へ進学されるとみられている。10月11日、天皇陛下と雅子さまはイギリスのアン王女夫妻を赤坂御所に招き、お茶をともにされたが、このご懇談には愛子さまも同席されたのだという。「まだ単独でのご公務は経験されていない愛子さまですが、大学生となられてからは活躍の場を広げられるはずです。来年の東京五輪は、皇室にとっては国際親善の舞台ともなります。愛子さまの高い語学力や、愛らしいお人柄は、さらに多くの国民を魅了することになるでしょう」(皇室担当記者)愛子さまのご成長とともに、「愛子さまを天皇に」という期待の声もさらに大きくなっていくのだろうか――。
2019年11月05日皇后雅子さまの物語を初めてドラマ化する「雅子さま物語」が、美村里江主演で放送されることが決定した。天皇陛下の即位をお祝いするパレード「祝賀御列の儀」が予定されている11月10日(日)、「陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語」を放送。番組では、皇室に嫁がれた雅子さまのこれまでを、実際のニュース映像を交えてドラマ化。外務省を退職し、皇室に入った雅子さまが直面された現実。お世継ぎへの期待が高まる中で体調を崩し、適応障害と診断され長い療養に入られた雅子さまの本当のお姿がドラマによって明らかになる。主演には、大河ドラマ「西郷どん」『カノン』に出演し、2018年に“ミムラ”から芸名を改めた美村さん。ドラマでは、雅子さまをご成婚当時から長年取材する雑誌「週刊チェイス」記者・栗島梓の24歳から50歳までを演じる。演じてみて、美村さんは「皇族と一般の国民との違いを感じさせつつ、同時に親しみやシンパシーを抱く視点。それが今回の栗島梓役の役割だと考え、出演が決まって1点だけ、“脚本内の敬語の徹底”をお願いました。もちろん皇族の方のお話だからということもありますが、私が演じる梓は雅子さまに尊敬の念があり、同性として憧れがあり、さらに記者でもあって言葉のプロでもあります。そういう役どころなので、いつも記事を書いているとそのような言葉遣いも身についていると思うんです。また、話をリードする梓の人物像にリアリティーを持たせることが物語の下支えと考えて、26年に及ぶ彼女の記者経験も大事に演じるよう気をつけました」と思いを明かす。また「先日の台風19号の爪痕は深く、それに伴い10月22日予定だった祝賀パレード延期のご判断があられたと思います。被災なさった皆様へのお見舞いの気持ちも込めて、この作品を少しでも多くの方が楽しんでくだされば幸甚です」と視聴者へメッセージを寄せている。そして、梓の上司で「週刊チェイス」デスク・八神真治を神保悟志、梓と現場で取材をするベテラン皇室カメラマン・杉崎省吾をデビット伊東が演じることも決定した。なお、番組では独自取材によって明らかになった天皇陛下の驚きのエピソードも一挙紹介。そしてトランプ大統領やメラニア夫人が賞賛した雅子さまの国際感覚、その“原点”ともいえるアメリカへ番組取材班が向かう。日曜THEリアル!「陛下と雅子さま 知られざる笑顔の物語」は11月10日(日)20時~フジテレビにて放送。(cinemacafe.net)
2019年10月31日天皇皇后両陛下は9月28、29日、茨城県を訪問された。両日とも、沿道には3万人以上の市民が集まり歓声を送った。雅子さまはこのご訪問の初日に、ロイヤルブルーのスーツをお召しになっていた。お召し列車が到着した勝田駅でそのお姿を見た30代の主婦は「雅子さまのスーツは茨城ブルーですね。茨城県の県章と同じ色です。本当に美智子さまと同じようなお心使いをされてくださっているんですね。本当に感激しました」と嬉しそうに話していた。「実は、雅子さまのロイヤルブルーにはもう一つの意味が込められています」そう語るのは学習院関係者。茨城ご訪問の初日9月28日には、愛子さまが参加された学習院女子中・高等科の運動会も行われていたのだ。「以前は愛子さまの学校行事があると、陛下がお一人で地方公務に臨まれ、雅子さまは行事にお出かけになることも多くありました。しかし、今年は雅子さまもご公務を優先されて、愛子さまにとって高校最後の運動会への参加は見送られたのです」(前出・学習院関係者)学年別に優勝を争う運動会において、愛子さまが見事な活躍をお見せになったのは午後の部の「ドリブル競争」だった。バスケットボールをドリブルしてシュートを決めた後、再びドリブルで戻ってきて、各学年20人ずつの選手がリレーをする競技だ。愛子さまが競技の副キャプテンとして登場すると、会場内に大歓声が沸き上がったという。学習院関係者が語る。「愛子さまはすごいスピードでドリブルをされて、シュートも一度でお決めになりました。そして、ドリブル競争で見事に1位となった高等科3年生は、最終的に総合優勝も果たしたのです。受験を控える生徒も多く、決して有利とはいえないなかでの優勝に、愛子さまは満面の笑みでした。茨城国体のニュース映像を拝見したのですが、雅子さまは鮮やかなブルーのスーツをお召しになっていました。実は、ブルーは高3のチームカラーで、保護者たちは『青い服を着て応援に行こう』と話し合っていたのです。ご観戦は叶いませんでしたが、雅子さまも愛子さまを応援されていたのでしょう。その母娘の絆の強さに胸を打たれました」雅子さまがご不在でも、しっかりとご自身の役目を全うできる愛子さまのご成長も、雅子さまを勇気づけ、ご公務に励まれる後押しとなっているはずだ。
2019年10月15日《学校の文化祭に秋篠宮様と悠仁さまが来てめっちゃびびった》そんな興奮のつぶやきが投稿された9月28日、秋篠宮さまと悠仁さまは東京都世田谷区の東京農業大学第一高校(農大一高)の文化祭を見学されていた。「紀子さまは、農大一高を悠仁さまの有力な進学先候補と考えていらっしゃるようです。悠仁さまが通われているお茶の水女子大学附属中学校は共学ですが、附属高校は女子校なのです。すなわち、悠仁さまは高校には内部進学できず、別の学校へ進学されなければなりません。東農大といえば、秋篠宮さまが’08年から客員教授を務め、毎年講義を行っています。さらに、紀子さまの実弟である川嶋舟さんも東農大の准教授を務めています。秋篠宮家にもっとも深い縁がある学校といっても過言ではないのです」(皇室担当記者)しかし、こうした見解に宮内庁関係者は首をかしげる。「東農大は日本で初めて設立された私立の農学校という伝統があります。ただ、箱根駅伝の応援で披露される“大根踊り”が有名であるように、皇族方が進学されるには庶民的すぎる気もいたします。そもそも秋篠宮さまと紀子さまは学習院大学の出身で、お二人の出会いも学習院のキャンパスでした。“縁”という意味では学習院に分があると思うのですが……」学習院関係者が、声を潜めて語る。「紀子さまが悠仁さまを学習院に進学させることは、まずないでしょう。学習院に関する“屈辱の記憶”がおありだからです」悠仁さまは’10年、お茶の水女子大学附属幼稚園にご入園。その際は「自主性を重んじる教育方針」「2年間の学習院幼稚園にはない3年間の一貫保育」が選択の理由とされていたが……。「学習院のOBやOGの間では『秋篠宮さまの学年は優秀ではないのに落第生がいない』と平気で吹聴する人もいるのです」(前出・学習院関係者)すなわち、秋篠宮さまより成績の低い生徒がいなかったために誰も落第させられなかった、という噂話が流れていたというのだ。さらに秋篠宮家への“冷遇”を指摘するのは皇室ジャーナリスト。「眞子さまや佳子さまの在学中、初等科や女子中・高等科の改修工事が続きました。これは、愛子さまを受け入れるための準備でした。古くて評判が悪かった女子部のプールまできれいになりました。愛子さまのご入学にあわせたタイミングでの改修でしたので、秋篠宮家としてはないがしろにされていると感じられたでしょう」眞子さまも佳子さまも、大学は国際基督教大学(ICU)を選ばれた。しかも佳子さまは、一度は進学した学習院大学文学部を中退してまで、ICUに入られた。「当時の教授の話によると、大学側にはほとんど相談もなく退学されたそうです。また、佳子さまが女子高等科に在学されていたころ、紀子さまが学校からの“呼び出し”を受けたことがあり、当時は保護者の間でも話題になりました。学校側にも理由があったのだと思いますが、紀子さまは学習院への心証を悪くされたようです」悠仁さまの進学は2年半後。紀子さまはそれまで、学習院以外の進路を探し続けられる――。
2019年10月10日乳がん手術から退院された翌日の9月11日、美智子さまは上皇陛下とともに赤坂御所へ向かわれた。紀子さまの53歳の誕生日を祝う夕食会に参加されたのだ。「夕食会には秋篠宮ご一家はもちろん、天皇皇后両陛下と愛子さま、黒田清子さん夫妻も参加したのです。清子さんは上皇陛下とともに、手術当日の美智子さまに付き添われました。また、天皇皇后両陛下や秋篠宮ご夫妻もお見舞いの言葉をお伝えになっていました。美智子さまはそうした“ご一家総出”のサポートへの感謝をお伝えになったことでしょう」(宮内庁関係者)ただ、退院翌日に夕食会に参加された理由はほかにもあるのではないか、と語るのは皇室担当記者。「国際親善でのご活躍など、天皇皇后両陛下に称賛が相次いでいるのとは対照的に、秋篠宮ご夫妻には、小室さん問題についての責任を問う厳しい声が上がっています。眞子さまは紀子さまに対して口を閉ざし、ご公務についての相談を除けばほとんどコミュニケーションがとれない状況が続いているそうです。小室さん問題に悩む紀子さまを少しでも労いたい、そして眞子さまとの親子仲を取り持ちたいというお気遣いから、夕食会に出席されたのかもしれません」(前出・皇室担当記者)お誕生日に際して紀子さまは、宮内記者会の質問に答える文書を発表された。眞子さまの結婚延期に関しては、推測で答えることを《控えたい》と、回答を避けられたかのように見える。しかし皇室ジャーナリストは、実はこのご回答には重要なメッセージが込められていると語る。「佳子さまの将来については、ご本人に《深く考え、歩んでいくことを期待しております》と綴られていますが、これは眞子さまの現状を念頭に置いたお言葉ではないでしょうか。眞子さまは“深く考えていない”ために小室さんと決別できずにいる、と紀子さまはお思いなのでしょう。そして《成長を支えてくださった方々にも喜んでいただけるよう》との一節は、誰よりも上皇陛下と美智子さまを思い描いて綴られたお言葉でしょう。優しく見守ってこられた上皇ご夫妻をこれ以上悲しませてはならないーー。それこそが眞子さまの“暴走”を憂慮する、紀子さまからの切実なメッセージなのです」美智子さまはこれまで、結婚については眞子さまの内心に触れる事柄であり、ご本人の決心を待つ以外ないと、辛抱強く眞子さまのお気持ちを尊重されてきた。しかし今年7月、本誌は美智子さまの知人からこんな話を聞いた。「美智子さまは、お孫さまのことが心配だとおっしゃっていました」知人は“お孫さま”が誰かは明言しなかったが、前出の皇室ジャーナリストは言う。「美智子さまは、眞子さまのことを気にかけていらっしゃるのでしょう。親しい知人や側近にさえも沈黙を守ってこられた美智子さまですが、このままでは事態が好転することはないと思い直されたのかもしれません」美智子さまは、’10年のお誕生日に際してこう述べられている。《東宮家、秋篠宮家の家族を私はこの上なく大切なものに思っており、その家族一人一人の平穏を心から祈っています》これは雅子さまの健康や愛子さまの登校不安を心配されてのご発言だが、“小室さん問題”はそれらに匹敵するご家族の危機といっていい。「病身をおしてまで夕食会に参加されたことは、ご家族の結束を何よりも大切にされてきた美智子さまの強い意志の表れでしょう。それは、小室さんを大事に思うあまりご両親に対して心を閉ざし続ける眞子さまにとって、美智子さまからの叱責にも等しいものだったに違いありません」(前出・皇室ジャーナリスト)ご家族勢ぞろいの夕食会がきっかけとなり、再び秋篠宮家が一つになる日は来るのだろうかーー。
2019年09月19日「今の愛子さまだよね!?めっちゃラッキーなんだけど!」若い女性の声が上がる。その視線先にあるバスの車窓からは、愛子さまがほほ笑んでいた。夏休みも終盤の『那須どうぶつ王国』園内で思いがけず天皇ご一家の姿を目にした人々は、興奮した様子を隠さなかった。ご静養のために8月19~28日の間、栃木県の那須御用邸に滞在された天皇ご一家。8月26日、同王国に足を運ばれた。あいにく小雨混じりの空模様だったが、愛子さまのお友だち5人とその保護者が合流して動物たちとの触れ合いを楽しまれたのだ。“プライベート”なお出かけにもかかわらず、愛子さまは王国内を歩きながら居合わせた人々に笑顔でお手振りされる“神対応”。80代の男性は愛子さまと握手をしたという。「緊張して何も話せませんでしたが、かわいらしく、とても賢そうなお顔をされていました」同王国の目玉イベントである「バードパフォーマンスショー」は、みんなで並んで観覧。上空から観覧席すれすれにワシやタカ、インコやミミズクが飛んでくると、愛子さまたちは「わー!」「すごく近い!」と歓声を上げて大喜び。そのままぶつかってきそうな迫力に、陛下と愛子さまがそろって頭を抱えられる場面もあった。客席から指名された小3の男の子の腕にタカをとまらせるパフォーマンスでは「これから〇〇くんの腕にタカの爪が食い込んでいくからね~」という司会の男性のブラックジョークに、愛子さまとご友人ばかりか、陛下と雅子さまからも笑い声が漏れた。こうして愛子さまは、高校最後となる夏休みをご友人たちと一緒に満喫されたのだった。
2019年09月06日「海で日焼けして、もう、一皮むけちゃったんです」歓迎する人々の間から「暑くて日焼けしますね」の声がかかると、愛子さまが明るくそうお答えになって、栃木県の那須塩原駅前には笑顔があふれた。天皇皇后両陛下と愛子さまが、ご静養のため那須御用邸に向かわれた8月19日のこと。愛子さまにとっては高校生活最後の夏休みだ。お迎えに来ていた高校3年生の高根沢ミクさんは、同級生同士の会話で盛り上がったと大感激。「陛下に『何年生ですか?』と声をかけていただき、『高3の受験生です』とお答えしたら、後ろにいらした愛子さまを『(学年が)一緒だよ』と呼んでくださったんです」すると愛子さまも「あっ、同級生」と歩み寄られて、試験の話題なども語り合われた。高根沢さんが「大学は社会学部を目指しています」と言うと、隣の雅子さまが愛子さまに「受験はないけどテストは近いわね」とおっしゃったという。「愛子さまはとても話しやすい方で、『私も8科目くらいテストがあります。お互い頑張りましょうね』と励ましてくださいました」8月22日には国立公園・那須平成の森をご一家で訪れ、2時間ほど散策されるなど、夏休みを満喫されている愛子さま。気になるその進路について、皇室担当記者が明かす。「これまで愛子さまは、陛下と同じ学習院大学文学部史学科への内部進学が有力とみられていましたが、実は、現在志望されているのは国際社会科学部のようなのです。4週間以上の海外研修への参加が卒業の条件になっており、英語教育にも力を入れている学部です。愛子さまの志望を知った同級生が殺到して、国際社会科学部の希望者が多くなっているといいます。愛子さまは、皇后となられてからの雅子さまの目覚ましいご活躍を間近でご覧になって、その姿に憧れ、皇室外交への意欲を抱かれているのかもしれません」
2019年08月29日8月25日、ブータンへのご旅行から帰国された悠仁さま。そのご表情は、今回の旅が充実したものであったことを物語っていた。付き添われた紀子さまも笑顔を見せられたが、このブータン旅行の陰には秋篠宮ご夫妻のとある心配があったと語るのは宮内庁関係者。「実は、最近になって悠仁さまは、秋篠宮ご夫妻に反発する姿勢を見せられるようになっていたのです。たとえばコンサートを鑑賞された際、休憩時間になった途端に悠仁さまが席を立ち、紀子さまの制止を振り切って歩きだされる場面がありました。紀子さまは慌てるように悠仁さまを追いかけていらっしゃったのです。こうした“まさかの行動”も見方によっては順調な成長の証しともいえますが、いまは悠仁さまの“第二次反抗期”かもしれません」秋篠宮家といえば、長女の眞子さまと次女の佳子さまも、秋篠宮ご夫妻への反発をあらわにされている。「小室圭さんとの結婚が延期となっている眞子さまは、いまだに秋篠宮ご夫妻と会話を避けていらっしゃるようです。佳子さまも、今年3月の文書で《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と記されたとおり、眞子さまの恋を応援されています。小室さんとの結婚を阻止したい秋篠宮ご夫妻は、頭を悩まされています」(前出・皇室担当記者)眞子さま・佳子さま姉妹と秋篠宮ご夫妻の対立は、悠仁さまにも影響することが懸念されると前出の宮内庁関係者は語る。「佳子さまは3月の文書で《私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています》と、ご自身の考えを綴られました。もちろん秋篠宮ご夫妻も、“婚姻の自由”は皇族であってもできる限り認められるべきとお考えです。ただ、悠仁さまの場合はそこまで割り切って考えることができない事情もあります。悠仁さまがご両親への反発から、眞子さまや佳子さまのお考えに近づいてしまうのは、避けなければならないことなのです」現在、皇位継承順位第2位である悠仁さまは、皇室典範が大幅に改正されない限り、将来は天皇となられる。「結婚すれば皇室を離れるお立場の眞子さまでさえ、お相手には“国民の祝福”がハードルとなりました。“将来の天皇”である悠仁さまのお妃となれば、なおさら国民の視線は厳しくなってしまいます。《一個人としての希望》《当人の気持ち》だけではご結婚は難しいということを、悠仁さまには納得していただく必要があるのです」一方で、元宮内庁職員で皇室ジャーナリストの山下晋司さんは、こう指摘する。「悠仁親王殿下のご結婚が難しくなるのは、現在の天皇陛下の次の世代ではただお一人の男系男子だからです。皇統は男系男子で継いでいくとされている現状では、悠仁親王殿下とお妃には男のお子さま誕生という周囲の期待が大きくのしかかります。お妃になる方にかかる精神的な負担は相当大きなものになります」悠仁さまの“天皇への道”は長く険しい――。困難を極めるお妃選びを成功させるためにも、親子の良好な関係は必要不可欠と言えるだろう。「悠仁さまが面会されたブータン国王夫妻は、ワンチュク国王が17歳のとき、なんと当時7歳だったジェツン王妃にプロポーズ。その14年後にめでたく結婚式を挙げました。秋篠宮ご夫妻も、悠仁さまには仲睦まじい国王夫妻のような幸せな結婚をさせてあげたいと思われたかもしれません」(前出・皇室担当記者)なんとしてもブータンご旅行での親子関係修復を……。そんな紀子さまの母心は“反抗期”の悠仁さまに届いたのだろうか――。
2019年08月28日《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事についてこう綴られていた。1年後に迫った東京五輪について、皇室ジャーナリストは雅子さまの活躍に期待を込める。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか。さらに雅子さまは、東京五輪で愛子さまの“国際ご公務デビュー”もお考えになっているそうです」愛子さまは現在、学習院女子高等科の3年生。来年4月には学習院大学に進学される見込みだ。これまでも雅子さまは、愛子さまが国際経験を積めるようにと心を配られてきた。「一昨年、東宮御所にデンマークやスウェーデンの王族が招かれたとき、愛子さまもご懇談に同席されたのです。愛子さまは通訳を介さず、英語で会話されました。陛下は、愛子さまの語学力はご自分以上だと話されているほどだそうです。東京五輪では、競技会場や赤坂御所、レセプションの場などで、皇族方が各国要人を接遇することになります。愛子さまが参加されることも十分に考えられます」(皇室担当記者)しかし、愛子さまが公の場で国際親善を担ったことはまだない。前出の皇室ジャーナリストは、その背景には3年前の“苦い経験”があると語る。「’16年の夏、雅子さまは長野県で開かれた『山の日』記念全国大会など、いくつかのご公務に愛子さまをお連れになりました。3年前の夏が愛子さまの国内でのご公務デビューだったのです。しかし、その秋から愛子さまは体調を崩し、一時は目に見えて“激やせ”されてしまいました。まだ中学3年生だった愛子さまには、プレッシャーが大きかったのかもしれません。それ以来、雅子さまは愛子さまのご公務への出席をセーブされてきました」それでも高校時代の3年間に数々の経験を積まれ、大きく成長されている愛子さま。「愛子さまは成績優秀なだけでなく、運動神経も抜群です。テニスではパワフルなフォアハンド、ソフトボールでは経験者の雅子さまも驚く速球をお投げになります。両陛下とご一緒にプロ野球の試合をご覧になったこともあり、スポーツ観戦もお好きです。東京五輪もたいへん楽しみにされているはずです」(宮内庁関係者)御代替わりを機に“天皇の一人娘”である愛子さまの存在感は日に日に増している。今回のご静養でも、伊豆急下田駅に到着されたのは夜9時ごろだったにもかかわらず大勢の市民が詰めかけ、「愛子さま!」と歓声が上がった。「眞子さまや佳子さまも大学進学を機に注目を集めましたが、来年の“愛子さまフィーバー”は、それをはるかに上回るものになるかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックでも、国際親善を担う愛子さまの活躍は、名誉総裁を務める天皇陛下にとって大きな支えになるはず――。それは愛子さまの強い願いでもあり、お母さまの期待に応えるために、愛子さまもその準備を進められていることでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)1年後の夏、愛子さまの笑顔が平和の祭典で咲き誇る――。
2019年08月12日猫さまを愛する者にはおなじみの”猫さまポーズ”を8つのタイプに分類し、あなたの月秘数で今週の運勢を占ニャいます!暑さで溶けちゃう、8月12日(月)~8月18日(日)までの運勢は?文・占い・章月綾乃 / 原作・イラスト・犬養ヒロ【猫さま占い】vol. 10あなたの月秘数を、猫さまの行動やしぐさで表した8つのタイプに分類して運勢を占います。※月秘数とは、数秘術にバリエーションを加えた猫さま占い独自の占術です。あなたの猫さまタイプは?まずは、あなたの猫さまタイプを調べましょう。タイプの出し方はこちら!あなたはどの猫さまタイプかにゃ?にゃんと幸運! ラッキー猫さまランキング!今週、8月12日(月)から8月18日(日)までの運勢はこちら。今週のラッキー猫さまはこちら!またたびを味わうぐらいの幸運週間です!1位 オヤジ座り猫さま百発百中、猫パンチ! 野生の本能が目覚めて、欲しい物を一発で仕留められそう。ココ! というタイミングで、仕掛けていけば、鮮やかに決まります。注目度も高まるため、おしゃれも夏仕様で! カラフル、キラキラ、大胆カッティングが、気分も運気もアゲるはず。旅は、午後にハイライトを。情報通の友人との交流、助言も有益。恋は、猫かわいがりを! 愛しているなら、なんでもOK! すべて許す、受け入れる姿勢が、本当の絆を生んでいきます。いつもなら、ひと言怒りたいシーンでも、ギュッとハグで! 出会い、デートは、ビーチへ。開運アドバイス………勝ちにこだわって。粘っていきましょう。ラッキーポイント……PVC【猫さま用語】猫パンチ:前足を使った攻撃。飼い主に向ける時は、かまってサイン。2位 のび猫さま運気上昇中! どこまでも、駆け上がっていけそう! 自分の信じる道、心が求めるものを追いかけて、一気に周囲に差をつけましょう。高い所に登ったら、降り方がわからなくなっちゃう? そんな心配は無用です。なぜなら、もう低地で暮らす必要がないからですよ! 自己ベストの書き換えも可能。上を目指して、GO!恋は、明暗クッキリ。一緒にいられないと感じたら、その思いが覆ることはなさそう。すぐに答えを出さなくてもいいのです。少しずつ、重心をズラしていきましょう。勉強会、体験会での出会い、デートは盛り上がります。開運アドバイス………海外カルチャー&アートに触れると、ひらめきが!ラッキーポイント……フラットサンダル【猫さま用語】降り方がわからない:猫さまあるある、体の造りが、降りることに向いていません3位 ふせ猫さまおねだり上手! やりたいこと、ほしいものがあるなら、じっと見つめる、そこを動かない、トントンする、この三段攻撃でうまくいきます。相手がわかってくれたら、初めてミィーと小さく鳴きましょう。しつこくねだる、主張するよりも、かわいいプレゼンが有効です。交渉、買い物も、首かしげで間を作ると、有利に展開しそう!恋は、もう少しわかりやすさが必要です。まばたきをする、スリスリする、ちょっと舐めてみるなど、思いはストレートに伝えましょう。愛する人の家族、友人をホメるのも大事。本音はノーサンキューでも、にこやかに!開運アドバイス………スケジュールに空きを作って。幸運が入ってくるはず!ラッキーポイント……スローフード【猫さま用語】トントン:前足を使って、飼い主をノックして呼ぶこと。かまってサイン。ミィー:小さく鳴くのは、自分に注意を向けたい心理の表れ。首かしげ:音の出どころ、または、状況を探っている様子。まばたき:猫がパチパチまばたきするのは、親愛の情の表れ。スリスリ:マーキングの一種。好きな人や物に体をこすりつけます舐める:親愛のサイン。好意を伝えるために、舐めます。4位 しっぽ巻き猫さま猫の手ならぬ、あなたの手、そして、知恵を借りたいという人が、次々に集まってきます。筋違い、畑違いの話も舞い込みますが、より好みせずに、気軽にサポートに回りましょう。すごく感謝されるし、あなた自身にとっても、よい経験、視野を広げるきっかけになるはず。乗り物の中での出会い、ひらめきに、未来を開くカギも!恋は、現状維持で。何かを決めるには、判断材料が足りません。進むも引くも、早まってはダメ。ときめきは、絶対に譲れない条件の確認のために生まれそう。何に萌えるか、しっかりつかんで! お見合いに良縁が。開運アドバイス………先入観はNG。迷った時は、後から浮かんだほうを選んで。ラッキーポイント……ハーネス、または、太いベルト【猫さま用語】猫の手:諺の「猫の手も借りたいほど忙しい」より。誰でもいいから手伝ってのニュアンスだが、猫さまの手には、肉球があり、ツメがあり、付加価値バッチリ!ハーネス:猫散歩の際、首輪とリードよりも推奨される胴輪。猫用は、体が柔らかくしなやかな猫が装着しても抜けにくい工夫がされています。5位 よこ座り猫さまほどよい、箱が見つかりそう。思い切って、中に入ってしまいましょう。居心地が良いし、のびのびできるし、やりたいことに集中できるし、超快適なはず! シーズンイベントは、大勢でウェーイですが、あえて背を向け、自分の世界に閉じこもってみると、収穫があります。狭くて、小さく、区切られた中で過ごしましょう。恋は、穏やかで、優しい時間に、豊かな心の交流が実現します。飾らないあなたが、愛されるはず。いつもなら、ひとりで満喫するお気に入りの休日に、愛する人を招待してみては? 新たに狙うなら、物知りな異性が刺激的です。開運アドバイス………メンテナンスのススメ。家電、小物、あなた自身、しっかりお手入れすると長持ち!ラッキーポイント……フラワープリント【猫さま用語】箱:狩りの時、穴に身を潜めていたから、遠い先祖の記憶で巣穴のような安心感があるから、体を何かにくっつけておくのが安心だから、諸説ありますが、猫は、箱が好きです。箱を見たら、入らずにはいれないのです。6位 まる猫さまニャンモナイトのススメ。あなたがやらなくても、誰かが代わりに頑張ってくれるみたい。お任せして、まんまるでぐっすり眠っていて大丈夫! ただし、行きたいニャー、やりたいニャーがある人は、「一緒に連れて行って」、「誘って」と、ちゃんと伝えること! でないと、起こしちゃかわいそうって、放置されちゃうことも!恋は、ギャップが大事。丸投げデートに見せて、愛する人が気に入りそうなプチギフトを用意しておく、お店を調べておく、予約をしておくなど、ひと工夫プラスして。相性がよいのは、不器用なタイプ。恋は盛り上がるはず。開運アドバイス………まとめ買い、大人買い、一気見など、ラッキーポイント……アイマスク【猫さま用語】ニャンモナイト:化石のアンモナイトに猫のニャンをかけた造語。まんまるく丸まって寝ている状態。ニャー:猫の鳴き声。装飾語。さまざまな欲求を伝えることも。7位 お座り猫さま猫さま度が、低下中。感度が鈍り、自分にとって何が幸せなのか、快適なのか、わからなくなってしまいそう。やりたくないのに我慢して続けたり、行きたくないのに出かけて、借りてきた猫になったり……。消耗しきって、ダウンする前に、ドタキャン、延期で調整を。お気に入りの場所、好きな人と過ごす時間で感覚を回復させて。恋は、ダメなあなたが愛されそう。世界で一番大事な人の前で、パーフェクトでいたい気持ちはわかりますが、頑張りすぎると、よそよそしくなり、距離が生まれます。不完全さも、愛してもらって。デートは、日本の夏を満喫!開運アドバイス………演技力UP! 聞いているフリ、忘れたフリで、丸く収めて。ラッキーポイント……フリンジ【猫さま用語】猫さま度:幸せ指数。あなたがあなたらしく過ごせる度合い。自由気まま、愛らしさなどの借りてきた猫:猫は、定住動物で、テリトリーを大事にします。見知らぬ場所に連れて行かれると、萎縮してしまうことも。今週の最下位、残念猫さまはこちら…顔を洗って頑張りましょう!8位 香箱猫さまツメを磨き過ぎて、ヘンなところにひっかかりそう。いつもなら、余裕ですり抜けられるシーンで、身動きがとれなくなってしまうかも? また、大事なバッグや服、人間関係にキズをつけてしまう恐れもあります。不本意でも丸くなり、ちょっと慎重に行動するといいみたい。デジタルデトックスは、心の解放に。温泉にも癒しが。愛は、サービス精神がカギ。ちょっとやり過ぎと感じるくらいがちょうどよいみたい。お世話をしたり、声をかけたり、マメに面倒を見てあげて。古い縁が再燃することも。グルメな異性、BBQの出会いにも期待して。開運アドバイス………節約ライフが楽しめそう。お金をかけない幸せを追求してみて!ラッキーポイント……ハーフレギンス【猫さま用語】ツメ:獲物を確実に仕留めるため、猫はツメを研ぐ修正があります。前足は、何かにこすりつけて磨ぎ、後ろ足は噛んで、整えます。たまに伸びすぎて、カーテンなどにひっかかってしまうことも!来週もお楽しみに~!章月綾乃占術研究家、心理テストクリエーター。アンアン猫さまグランプリ審査員を歴任。愛猫の黒猫2匹が人生のベース。犬養ヒロ漫画家・イラストレーター。犬猫鳥魚と暮らす動物好き。著書「カラス飼っちゃいました」/ぶんか社
2019年08月11日猛暑が続く令和元年の夏――。天皇陛下と雅子さま、愛子さまが、ご静養先の須崎御用邸から帰京されたのは8月5日だった。6日は広島、9日は長崎の原爆の日。15日は終戦の日だ。日本人にとって“忘れてはならない日”が続く。「昨年まではご静養先で黙祷されることも多かったのですが、陛下が即位された今年は、赤坂御所でお慎みになりたいというお気持ちがあったのかもしれません。天皇ご一家の責務として、国民とともに平和を祈る。そのご姿勢の表れなのだと思います」(宮内庁関係者)そして8月15日、天皇皇后両陛下は全国戦没者追悼式に初めて出席される。「8月末には、ご一家そろって那須御用邸で静養される予定です。ただ、もしかすると来年は、8月に御用邸に行かれることはないかもしれません。東京オリンピック・パラリンピックが開催されるからです」(前出・宮内庁関係者)来年7月24日が、東京で2度目の開催となるオリンピックの開会式だ。8月9日に閉幕すると、続いてパラリンピックが8月25日から始まることになっている。天皇陛下は、オリンピックとパラリンピック、両大会の名誉総裁を務められることが決まっている。「’64年の東京五輪は、当時4歳だった陛下も上皇ご夫妻とともにご観戦。国立競技場で観戦されたマラソンでは、優勝したエチオピアのアベベ選手、銅メダルを獲得した日本の円谷幸吉選手に一生懸命声援を送られました。それから半世紀あまりを経て、ご自身が名誉総裁として迎える2度目の東京五輪に、感慨もひとしおでしょう」(皇室担当記者)前回の東京パラリンピック開催にあたっては、美智子さまの働きかけが大きかったという。「当時の日本では、障害者スポーツはリハビリのためのもの、という認識でした。競技としては普及していなかったのです。美智子さまは知人からパラリンピックの意義をお聞きになり、福祉関係者に働きかけて東京大会実現に協力しました。翌’65年から全国身体障害者スポーツ大会(現・全国障害者スポーツ大会)が始まっていますが、これは上皇陛下の発案によるものです。平成になってから天皇陛下に引き継がれ、雅子さまも開会式に出席されてきました」(前出・皇室担当記者)昨年6月には、陛下がリオパラリンピックの女子マラソン銀メダリスト・道下美里さんを赤坂御用地に招待。視覚障害のある道下さんの伴走を陛下が務め、一緒にジョギングをされた。両陛下はパラアスリートとの親交を深めながら、障害者スポーツの普及に取り組まれてきたのだ。天皇陛下の即位から1年というタイミングで迎える東京五輪。雅子さまは昨年12月の誕生日に、東京五輪を始めとする行事について《日本と世界の交流や相互理解が深められていく機会となることを願っております》と記されている。「世界中の注目が日本に集まるだけではなく、各国から首脳や王族も来日します。国際親善という観点から見ても一大イベントです。雅子さまは、トランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりにより、世界から脚光を浴びています。“平和の祭典”である五輪において、雅子さまの存在が国々の“懸け橋”になるのではないでしょうか」(皇室ジャーナリスト)
2019年08月11日「お妃候補と報じられた女性たちも、雅子さまと同じくすでに50代になっています。実は、愛子さまの同級生のお母さまの中にも、かつてお妃候補だった方がいるのです」(皇室担当記者)今年5月の御代替わりで、雅子さまは皇后となられた。雅子さまが初めてお妃候補と報じられたのは’87年12月のこと。天皇陛下からのプロポーズ、ご成婚、愛子さまの誕生という喜ばしい出来事のかたわら、適応障害での長いご療養の日々もあった。その一方で、“雅子さまのライバルたち”も、それぞれ激動の半生を送っていたのだ――。’87年ごろ、お妃候補と報じられていた小林詔子さん。父は大手生命保険会社の専務(のちに社長)で、週刊誌報道では3姉妹そろって名前が挙がっていた。現在の職業は、なんと国会議員。’88年に学習院大学を卒業した直後、小学校の先輩で富士急行の御曹司・堀内光一郎氏と結婚。光一郎氏の父は富士急行社長を務め、自民党の衆議院議員として労働大臣や通産大臣を歴任した堀内光雄氏。光雄氏が’09年に政界を引退すると、後継者として白羽の矢が立ったのが義理の娘である詔子さんだったのだ。’12年の初当選から当選3回と、現在も衆議院議員を務める堀内詔子さんに本誌は取材を申し込んだが、秘書を通じて「畏れ多いことですので」との返事のみだった。実は詔子さんだけではなく、息子のMくんまで「佳子さまと交際している」と報じられたこともあった。だが『週刊新潮』の取材に対し詔子さんは「まったくない」ときっぱり否定。親子2代での“候補”報道に、困惑も大きかったのだろうか……。雅子さまはトランプ米大統領やマクロン仏大統領への接遇ぶりなどで世界から脚光を浴びているが、元お妃候補のなかにも世界的な実績を残している女性たちがいる。小学6年生で全日本学生音楽コンクール1位になり、お妃候補としても注目を集めていた瀬川祥子さんは、ヴァイオリニストとして活躍中。現在はパリ在住で、世界各地で演奏を披露している。姉・冬子さんとともにお妃候補に挙げられていた徳川直子さんは徳川宗家の分家の出身で、曾祖父は大正天皇に仕えた元侍従長という名家。直子さんは現在、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の研究員になっており、HPにもその名前が記載されている。’05年には小型超音速実験機「NEXST-1」の飛行実験を成功させた。東京―パリ間を6時間で結ぶマッハ2の飛行を想定した実験で、次世代超音速旅客機の開発に向けた大きな成果だったという。くしくも皇室と関わることになった元お妃候補も。10代のころから天才ハープ奏者として名を馳せた吉野直子さんは、’87年12月に上皇ご夫妻がコンサートを鑑賞されたことで、一躍候補に浮上した。現在も日本を代表するハーピストとして活躍を続け、今年2月の「天皇陛下在位30年記念式典」にも出演。ソプラノ歌手の鮫島有美子さんとともに、美智子さまが作曲された子守歌『おもひ子』を披露している。本誌が取材を申し込むと、マネージャーより「音楽のお話しでしたらさせていただきますが、お妃候補のことについては、何もお話しできません」との返答だった。’77年8月に『週刊新潮』が報じ“お妃候補第一号”と呼ばれた山崎妙子さんは、美術館の館長になっており、天皇陛下との“再会”も果たしていた。軽井沢で陛下とテニスでダブルスを組んでいたことが明らかとなり注目を集めた山崎さんだったが、東京藝術大学大学院在学中の’86年11月に結婚。日本美術史の博士号を取得した山崎さんは、’07年に山種証券創業者である祖父が設立した山種美術館の館長に。日本で初めての日本画専門の美術館として’66年に開館した山種美術館には、皇族方が鑑賞に足を運ばれることも多い。’12年11月には上皇ご夫妻がご訪問。さらに’15年1月には、天皇陛下と雅子さまがそろって展覧会に。かつてのお妃候補と雅子さまが顔を合わせるという、珍しい場面もあったのだ。
2019年08月09日「愛子さまが通われている学習院女子高等科では、約3割の生徒が学習院以外の大学を受験します。夏休み前に“外部受験”希望者のための説明会があったのですが、愛子さまは出席されていなかったのです」そう語る学習院関係者。すなわち、愛子さまは学習院大学に内部進学されることが確実になったのだ。「愛子さまがこれからの皇室で重要な役割を担われることは、間違いありません。そんな中で雅子さまは、愛子さまに『陛下と同じ経験を』と願われたのではないでしょうか」(宮内庁関係者)天皇陛下は学習院高等科を卒業後、学習院大学文学部史学科に進学された。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんはこう語る。「愛子さまは、初等科のころから歴史について深いご関心がおありです。藤原道長をテーマにした詳細なレポートを書かれたこともありました。尊敬されているお父さまと同じ史学科への進学も検討されているのかもしれませんね」(前出・皇室担当記者)陛下はさらに学習院大学大学院に進学、そしてイギリスのオックスフォード大学に留学されている。初めて学生寮で生活された陛下は、洗濯機に下着を詰め込みすぎて水を溢れさせたことも。イギリス伝統の酒場・パブにも通い、現地の人々と交流された。のちに陛下はこの留学を振り返り《自分でものを考え、決定し、そしてそれを行動に移すことができるようになったのではないか》と語られている。イギリスで自由で自立した生活を送られたことが、陛下にとって貴重な経験となったのだ。「両陛下とも長期海外留学の経験をお持ちです。最近でも国賓をもてなされた際に、語学力だけではなく他国の文化に精通されていることも、海外で好意的に報じられました。愛子さまが天皇陛下をお手本に2年ほどイギリスへ留学されれば、皇族としても、おひとりの女性としても、かけがえのない経験になると思います」(前出・渡邉さん)天皇陛下が卒業された学習院大、そしてイギリス留学へ……。雅子さまが願われた「陛下と同じ進路」をたどり、愛子さまは一段と成長されるはずだ――。
2019年08月02日現在、高校3年生の愛子さま。5月の御代替わりで“天皇の娘”となられたことは、学校生活にも影響を及ぼしているという。「5月以降は警備の人数も増えて、愛子さまは少し窮屈そうにされていると聞きます。休日には同級生とお出かけされることもあるそうですが、ご友人が愛子さまをお誘いする際には、警備態勢の準備のため、これまでより早く事前にお約束しないといけなくなったそうです」(学習院の保護者)愛子さまは2年生から文系の特別進学クラスに在籍されている。卒業後の進路にも注目が集まっているが、夏休み前、その進路が明らかとなる場面があったという。「学習院女子高等科では、約3割の生徒が学習院以外の大学を受験します。夏休み前に“外部受験”希望者のための説明会があったのですが、愛子さまは出席されていなかったのです」(学習院関係者)すなわち、愛子さまは学習院大へ進学される意志を最終的に固められたのだという。愛子さまの進学先候補としては、これまで東京大学、一橋大学、上智大学などが報じられてきた。また、秋篠宮家の眞子さまと佳子さまは国際基督教大学(ICU)に進学されており、近年は皇族であっても学習院大以外を選ぶケースは少なくない。「愛子さまは女子高等科の特別進学クラスにおいても優秀な成績を修められています。東大を狙うことも十分可能だとの評判で、難関私立大学への推薦を勝ち取ることもたやすいはず。内部進学ではもったいないという声も聞こえてくるほどです」(前出・学習院関係者)なぜ、東大などへの他大学への進学という選択肢を捨てて学習院大を選ぶ決断をされたのだろうか。前出の宮内庁関係者は言う。「偏差値で学校を選ぶよりも、落ち着いた環境で学問に取り組んでほしい――。そんな雅子さまのご希望があったのではないでしょうか」天皇陛下の即位直後の5月に報道各社が実施した世論調査では、女性天皇への賛成がいずれも8割近い割合となっている。「愛子さまを天皇に」と待望する国民の声は、高まる一方だ。11月の大嘗祭が終わり次第、国会での議論も本格化するとみられている。「雅子さまには、愛子さまの自由な進路選択を尊重されたいお気持ちもあったことでしょう。ただ、皇位継承の議論に皇族が加わることはできません。国会での議論と、国民の総意に委ねるしかないのです。しかし愛子さまがこれからの皇室で重要な役割を担われることは、間違いありません。そんな中で雅子さまは、愛子さまに『陛下と同じ経験を』と願われたのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)
2019年08月02日愛子さまの通う学習院女子高等科が夏休みに入って間もない、7月23日。ペルー、ボリビアご訪問から帰国されたばかりの眞子さまが、天皇皇后両陛下へのご挨拶のために赤坂御所を訪れた。宮内庁関係者は語る。「眞子さまは、両国の大統領から預かったメッセージを、両陛下にお伝えするために赤坂御所に来られました。異例のことですが、実はその場には愛子さまもいらっしゃいました。20分ほどかけて、眞子さまは南米での出来事をお話しになったそうです」愛子さまはちょうど夏休み前の地理の授業で、南米について学んでいたという。「眞子さまが語る現地でのエピソードに、愛子さまはたいへん興味を持たれていたと伺っています。侍従職は宮内記者たちには、愛子さまがいらした理由を『時間が合ったから』と説明していましたが、雅子さまが同席を提案されたのではないでしょうか。愛子さまも近い将来、同じように公務で海外訪問をされることになります。5回目の海外公式訪問を終えた眞子さまからの“特別レッスン”は、貴重な勉強の機会になったことでしょう」(宮内庁関係者)
2019年08月01日「上皇后さまから、つい先日お電話があり、お話をさせていただきました。いまは、お引っ越しのための整理がたいへんなのだそうです」そう話すのは、美智子さまと親交のある元絵本編集者の末盛千枝子さん。美智子さまからお電話があったのは7月上旬だったという。御代替わり後、体調が心配される美智子さま。6月上旬の検査で、不整脈や心臓の血液が一部逆流する症状が明らかとなった。心臓については経過観察となったが、美智子さまは6月に2回、手術を受けられた。白内障が悪化しており、6月16日に右目、23日に左目を手術されたのだ。末盛さんは術後の経過についてもお話を伺ったという。「手術からは10日ほどたっていましたが、上皇后さまは『もともと遠視気味でしたので、急にはよく見えるようにならないの。もう少し時間がかかりそう』とおっしゃっていました」宮内庁によれば、手術を担当した医師は「もう少し遅れれば難しい手術になった」と話したという。「実は、美智子さまが白内障と診断されたのは数年前。ここ1~2年でさらにご症状が進んでいましたが、両目の手術をすると3週間はご公務を離れなければならないため、御代替わりまで手術を延期されていたのです」(皇室担当記者)まだ“よく見えない”という美智子さまの目の状態が気がかりだが……。眼科手術を専門とする、愛知医科大学病院の瓶井資弘教授に話を聞いた。「症状が悪化して水晶体が真っ白に濁る『過熟白内障』になると、手術は難しくなります。さらに放置すれば、目の中で炎症が起きて失明する恐れもあるのです。ただ、日本では過熟白内障まで悪化する方はほとんどいません。美智子さまの場合は、推測になりますが、その手前の『成熟白内障』に近づきつつあったのではないかと思います。術後は視界がまぶしく感じられ、慣れるまでに1週間ほどかかることもあります。また、濁った水晶体に代えて単焦点のレンズを入れて遠くにピントを合わせた場合、本を読む際には老眼鏡が必要になります」美智子さまは、まだ術後の変化に慣れていない状況なのかもしれない。末盛さんによると、美智子さまはこんな話もされたそうだ。「上皇后さまは、平成の終わりからとてもお痩せになったように見えました。お聞きしたところ、やはりお痩せになっていたそうです。ただ、上皇后さまは『今は上皇陛下のお世話をすればいいだけだから、いいのよ』とも、お話しになっていました」
2019年07月11日秋篠宮家の長女・眞子さまは7月9日、ペルー・ボリビア訪問へと出発された。眞子さまと小室圭さんのご婚約内定当初の予定では、昨年11月に結婚式を挙げ、すでに皇室を離れて生活されているはずだったのだが……。「眞子さまは結婚延期を決断されたうえで、いまは皇族としての責務を果たそうと真摯に公務に臨まれています。今回のご訪問でも両国について専門家の説明を聞かれ、ご自身でもしっかりとお調べになって、式典でのお言葉を準備されたそうです」(皇室担当記者)宮内庁も公表していないが、実は天皇皇后両陛下との面会直前、眞子さまは上皇陛下と美智子さまのもとへもお訪ねになっていた。7月5日、午前中に皇居の賢所を参拝された眞子さまはいったん秋篠宮邸に戻り、午後1時過ぎ、乾門から再度皇居へと入られたのだ。「外国訪問にあたっては、上皇ご夫妻へご報告する決まりはありません。眞子さまから面会の要請があったとみて、間違いないでしょう」(宮内庁関係者)実は、本誌は美智子さまの知人から、こんな話を聞いたばかりだ。「美智子さまは、お孫さまのことが心配だとおっしゃっていました」知人は“お孫さま”がどなたを指すのかは明言しなかったが――。「美智子さまは、眞子さまのことを気にかけていらっしゃるのでしょう」と語るのは前出の宮内庁関係者。宮内庁は昨年5月、眞子さまのご結婚延期問題について《これまで両陛下は共に首尾一貫このことに関し一切発言を慎まれてこられました》と説明する異例の文書を発表。さらに同年7月にも《この問題に対する両陛下のご対応には、その後も全く変わりがありません。今も一貫して一切の発言を慎まれています》と、再度文書を発表した。「ご結婚問題については親しい知人や側近にさえも沈黙を守ってこられた美智子さまですが、このままでは事態は進展しないと覚悟されたのかもしれません。眞子さまはそんな美智子さまのお気持ちを知ってか知らでか、結婚への“根回し”に奔走されたのです」(前出・宮内庁関係者)はたして眞子さまの決意は、美智子さまに届いたのか……。
2019年07月10日後部座席の窓を開けて、報道陣に笑みを向けられた眞子さま。その表情には、並々ならぬ決意が秘められているように見えた――。眞子さまを乗せたお車が、半蔵門から皇居へと入ったのは、7月5日午前10時20分ごろだった。7月9日にペルー・ボリビア訪問へと旅立たれた眞子さまは、出発に先立って皇居の賢所を参拝されたのだ。日本人の移住120周年を記念してのご訪問は14日間にわたる。「交通インフラが十分とは言えない土地での非常に過密なスケジュールなのですが、昨年のブラジルご訪問に匹敵する大歓迎となることは間違いないでしょう」(皇室担当記者)賢所を参拝された眞子さまは、同日午後、赤坂御所をお訪ねになり、天皇皇后両陛下に挨拶された。「両陛下と眞子さまが3人だけで顔を合わせ、公式に懇談されるのは初めてのことです。これまでの皇室行事やお祝い事などの両家のご交流では、必ず秋篠宮さまと紀子さまも同席されていたからです」(宮内庁関係者)折しも秋篠宮ご夫妻はフィンランドご訪問中だった。“ご両親不在”のさなかに両陛下とのご面会となったのだが、眞子さまはいったいどのようなお話をされたのか――。「通常は皇族方が訪問についてご報告をし、両陛下が『どうぞお体に留意されて、お元気で行ってきてください』といったお言葉をかけるだけで終わりです。ただ、ご懇談は通例よりも時間がかかったようです。今回のご面会は眞子さまが小室さんとの結婚への決意を語られ、お許しをいただけるよう“直談判”するには絶好のチャンスだったのです」(前出・宮内庁関係者)雅子さまは、’17年12月9日、ご自身のお誕生日に際してのご感想でこう記されていた。《秋篠宮家の眞子内親王殿下のご婚約が内定し、喜ばしく思っております》《眞子様には、心からのお幸せをお祈りしております》雅子さまも、眞子さまと経緯は異なるものの“結婚延期”という経験をされている。「雅子さまは皇太子妃候補として注目され始めたときに、母方の祖父が水俣病を引き起こした企業・チッソの社長を務めていたことが問題視され、一度はお妃候補から外されているのです。しかし、ほかならぬ陛下が雅子さまを愛するまっすぐなお気持ちを貫かれ、お二人は結ばれました」(皇室ジャーナリスト)結婚に際して高いハードルに直面したという意味では、眞子さまの境遇は雅子さまと重なるのだ。「また眞子さまは、国際基督教大学(ICU)への進学を自ら決められ、海外留学にも2度行かれています。国際弁護士を目指す小室さんと結婚し、ご自身も海外で活躍したいという希望をお持ちなのではないでしょうか。外務省出身の雅子さまも、皇室で国際親善に携わることを夢見ていらっしゃいました。しかし“お世継ぎ問題”を理由に海外訪問が制限され、苦悩の日々を送られます。皇族であるがゆえに、希望するキャリアを歩めなかった雅子さまは、眞子さまのご失意にも共感されているはずです」しかし、眞子さまとのご結婚で最大のネックとなった小室家の金銭トラブルは未解決のままだ。「雅子さまは一人の女性としては、眞子さまの結婚を応援したいお気持ちがおありでしょう。しかし、小室さんは秋篠宮さまへの報告すら怠り、眞子さまもご両親との対話を拒否されています。今のままでは、内親王の味方にはなれない――。それが“皇后としての結論”だったのではないでしょうか」(前出・宮内庁関係者)眞子さまは「皇后の結論」をどう受け止められたのか――。
2019年07月10日