今年は、NHK連続テレビ小説『あさが来た』など話題のドラマに多数出演し、さらに注目が高まった瀬戸康史。舞台でも、『遠野物語・奇ッ怪其ノ参』で東北の青年を演じ、流暢な方言で観客を驚かせたばかりだ。その計り知れない力を、来年早々、また舞台で観ることができる。ケラリーノ・サンドロヴィッチ(以下KERA)作・演出の『陥没』がそれだ。KERAが手がける「昭和三部作」の完結編で、演劇界の才能たちと相まみえることになった瀬戸。その胸の内は、意欲であふれているようだ。舞台『陥没』チケット情報2009年の『東京月光魔曲』で昭和初期を、2010年の『黴菌』で昭和中期を描いたこのシリーズ。完結編は、昭和の東京オリンピックを控えた1962年頃が舞台となる。前2作を観ている瀬戸は、「僕もギリギリ昭和生まれの人間なんですけど(笑)」と前置きしながら、「KERAさんの描く昭和は面白かったです。最初はちょっと難しいのかなと思ったんですけど、複雑なドラマが描かれながら、でも、作品が投げかけているのはシンプルなメッセージなのかもしれないなってすごく感じるものがあって。だから今回も、昭和のオリンピックを描きながら今の時代と重なることも出てくるだろうし。オリンピックだって浮かれてはいられない人たちを描くらしいんですけど、長い目で見たら、むしろそちら側のほうにこそ幸せがあるんじゃないかなと僕は思ったりするので。そのなかでどんな役柄を演じることができるのか、楽しみしかないですね」KERAとの初タッグについては「KERAさんは芝居だけでなく音楽もやられていたり、表現者として尊敬できる人。刺激をもらいつつ、自分も表現者のひとりとして何ができるか、考えさせられる現場になりそう」と語る瀬戸。『遠野物語──』では実際に遠野まで足を運んで下準備をしたり、表現に取り組む姿勢は真摯だ。自身でも「真面目だとよく言われる」と苦笑しながら、「そこに面白さとか何かエッセンスが加えられればなと思うんです。とくに今回の出演者は、僕よりも舞台を踏んでる数が圧倒的に多い方ばかりですから。KERAさんやこの役者陣と一緒にやれることを自分自身が楽しみたい」と意気込む。確かに共演には、井上芳雄、小池栄子、生瀬勝久など手練れが揃う。「だからこそ、小細工はしないでいようと思います。変に芝居しようとすると僕は形だけになっちゃいそうな気がするので、毎回毎回その場でリアルに会話するしかない」ときっぱり。KERAにしか描けない昭和の世界でいかに生きるのか。役者・瀬戸康史の本領を期待したい。2017年2月4日(土)から26日(日)まで東京・Bunkamuraシアターコクーンでの公演の後、3月3日(金)から6日(月)まで大阪・森ノ宮ピロティホールでも上演。チケットぴあでは大阪公演のチケット先行抽選を実施中、12月12日(月)午前11時まで受付。東京公演はチケット一般発売中。取材・文:大内弓子
2016年12月08日歌舞伎俳優の市川海老蔵が7日、自身のブログを更新し、急死した芸能リポーター・武藤まき子さんへの感謝の思いを明かした。海老蔵は「武藤まき子さん」というタイトルで更新。「子供の頃からいらっしゃった、いつも歌舞伎座の楽屋やブラウン管の中に、朝ニュースを見て驚いた」と書き出し、「私の事を武藤さんが伝えることはよくあったけれど私が武藤さんの事を記事にするのは初めてです」とつづった。そして、「麻央さんを支える海老蔵も今年の顔」と、自身と乳がん闘病中の妻・小林麻央について書いた武藤さんの記事の見出しを記し、「遺稿になってしまった、、、」とコメント。「この見出し嬉しかったよ。誰にもわからない戦いを武藤さんは感じてくれてるのだなと、嬉しかった」と打ち明けた。さらに、「揚げ足取りのような記事が錯乱する中嬉しかった、しかし嬉しいものだけを、取り上げるわけにも行かぬ世知辛い世の中、あえてこのタイミングで感謝を述べます。ありがとうございます。嬉しい見出しを」と感謝した。
2016年12月07日俳優・瀬戸康史が、「チョーヤ梅酒 紀州」CMキャラクターに起用されることが14日、わかった。新CM「人と大地」編は14日より全国で放送される。瀬戸は、紀州うめ促進部に配属されたという設定で梅林を訪れる地方公務員を演じる。農家の人々と出会い、梅林の土が他と違うことを知り、良い梅の秘密を知っていくというドラマ仕立てのCMとなっている。30周年をむかえる同商品だが、歴代のイメージキャラクターはほとんど女性で、単独男性タレント起用は初となった。実際に撮影で紀州の梅林を訪れた瀬戸は、「すっごく気持ち良いです」と満足げな様子。CMに出演する本当の梅農家の人たちと談笑し、女性たちをうっとりさせていた。瀬戸は「梅酒好きの僕にとっては、日本一の梅産地、紀州に来ることができて、本当に楽しい撮影になりました」と、改めて喜びを語った。また、twitter限定で「チョーヤ梅酒 紀州」新CM記念プレゼントキャンペーンも開始。「チョーヤ梅酒 紀州」30周年を記念して、瀬戸の直筆サイン入りボトルを抽選で30名にプレゼントする。「紀州」歴代イメージキャラクター一覧高橋恵子、蟹江敬三&風吹ジュン、藤田朋子、松本明子、室井滋、渡辺満里奈、黒木瞳、村井国夫ファミリー、高畑淳子、夏菜、瀬戸康史
2016年10月14日8月8日(月)放送の「ネプリーグ」では、現在放送中のドラマ「HOPE~期待ゼロの新入社員~」から、「Hey! Say! JUMP」中島裕翔、瀬戸康史、山本美月、「ジャニーズWEST」桐山照史らが参戦する。今回の放送回で、中島さんを始めとする「日9『HOPE~期待ゼロの新入社員~』チーム」と戦うのは、「大御所チーム」。デヴィ夫人を始め、「ホンジャマカ」石塚英彦、「スッキリ!!」のリポーターとして活躍中の阿部祐二に、名倉潤と原田泰造と共に対決する。まず最初となるステージは、あらゆる分野から出題される2文字の穴埋めクイズに解答する「ネプレール」。初参戦の中島さんは、「(相手が大御所だろうと)関係なく勝ちに行く!」と気合十分! さらに、過去に100万円獲得経験のある瀬戸さんは「各番組で好成績を残している日9『HOPE』チームで、今回も100万円を獲って帰る!」と強気の発言。しかし、そんな若者たちに大御所チーム・デヴィ夫人は「あんな若い人たちには負けられない!」とすかさず一言。スピード勝負このゲーム、どちらが優勢となるのか…?次なるステージは 「林先生の漢字テストツアーズ」。「台本を読み込んでいるから漢字には強いはず!」と、日9チームに期待感が高まるなか、ドラマでは、“期待ゼロの新入社員”という設定の中島さんが、林先生も驚愕の漢字力を披露! そして、紅一点山本さんは、林先生厳選の難問Qに連続正解!? 雑誌「CanCam」でお馴染み、得意の“ちゅん顔”も炸裂する!そのほか、「パーセントバルーン」では瀬戸さんのとんでもない解答にスタッフまでもが凍りつく自体に…。そこへ大御所チームは、これまでの人生経験から解答をひねり出し、怒涛の反撃開始。ここでキーマンとなってくるのは、過去最大誤差の記録を持つデヴィ夫人。果たして苦手を克服することはできるのか? 今回も一筋縄ではいかないこの戦い。100万円獲得の宣言通り、「HOPE」チームは勝つことができるのか!?ドラマ「HOPE~期待ゼロの新入社員~」は、韓国の連続ドラマ「ミセン-未生-」を基に、日本の会社構造、社会背景に合わせてリメイクしたもの。囲碁のプロ棋士の夢に挫折し総合商社で働くこととなった主人公が、「高卒」「コネ」と言われながらも、ひたむきに仕事に向き合う姿を通して、働く様々な立場ので働く人間の物語を描く感動のヒューマンドラマだ。日9ドラマ「HOPE」チーム緊急参戦の「ネプリーグ」は8月8日(月)19時~フジテレビにて放送。(cinemacafe.net)
2016年08月07日俳優の瀬戸康史が、24日(19:00~20:54)に放送されるフジテレビ系バラエティ番組『幸せ追求バラエティ 金曜日の聞きたい女たち』(レギュラーは毎週金曜19:00~19:57)に出演し、"好きになってしまう"という女性の言動を告白する。同番組は、女性芸能人たちがスタジオに集まったイケてる男たちから、恋愛・人気職業のトレンド&裏話などを聞いて、学んでいくというもの。今回はゲストの瀬戸が、"こんな子がいたら絶対、好きになっちゃう"という女性の言動をVTRで紹介するが、スタジオの女性陣から想定外の反応が出る。また、瀬戸とともに、間宮祥太朗も妄想を披露。彼らが紹介するVTRの"最強女子"は、ホリプロスカウトキャラバンでグランプリを受賞した佐藤美希と、元AKB48の永尾まりやが演じる。このほか、女性芸能人のリアルな恋愛テクニックを、イケてる男たちが厳しい目でジャッジするコーナーも放送。貫地谷しほりや、浅田舞、渡辺直美らが自慢のテクニックを披露していく。
2016年06月23日7月より放送スタートする「Hey! Say! JUMP」中島裕翔主演「HOPE~期待ゼロの新入社員~」。この度本作の新たなキャストとして、遠藤憲一、瀬戸康史、「ジャニーズWEST」桐山照史 、山内圭哉、そして今回がゴールデンタイム放送の連続ドラマ初ヒロインとなる山本美月らが出演することが決定した。一ノ瀬歩は幼い頃に囲碁に出会い、日本棋院の院生となり、プロ棋士を夢見てそれからの時間すべてを囲碁に捧げてきた。高校を卒業した一ノ瀬は、大学へ進学せず、アルバイトをしながらプロ棋士を目指すも、もう一息のところで試験に落ち続ける日々。日本のプロ棋士採用試験には23歳未満の人しか受けられない、という年齢制限があるため、22歳になった一ノ瀬は、これが最後のチャンスと、不退転の決意で囲碁に励んでいた。しかしプロ棋士採用試験前日の夜、母親が過労で倒れ病院に緊急搬送されてしまい、一ノ瀬も試験に落ちてしまう。囲碁の道が閉ざされ、失意のままアルバイトに明け暮れる日々を過ごす一ノ瀬。その姿に胸を痛める母は知人に頼み、とある総合商社で最終段階をむかえている採用試験に一ノ瀬が受けられるようにする。試験内容は1か月のインターンシップ。母親の心中を察して、一ノ瀬はインターンとして働き始める。しかし総合商社だったため、英語はもちろん何か国語も話せて当たり前。特殊な貿易用語が飛び交う世界で、満足な社会経験も学歴もない一ノ瀬は、コピーの仕方すら分からず、打ちのめされるのだった。同期のインターンからは爪はじきにされ、上司からは早々に「戦力外」の烙印を押されてしまう。しかし、囲碁も無くなった自分が、ここで逃げたら、本当に何も無い人間になってしまう。と、戦うことを決意。そんな会社からは期待度0%の一ノ瀬は、なんとか組織の一員になろうと、ひたむきに仕事に向き合っていく――。本作は、2014年に韓国のケーブルテレビ局で放送され、韓国内で社会現象を巻き起こした連続ドラマ「ミセン-未生-」が原作。囲碁のプロ棋士の夢に挫折し総合商社で働くこととなった主人公が、「高卒」「コネ」と言われながらも、ひたむきに仕事に向き合う姿を通して、働く様々な立場ので働く人間の物語を描く感動のヒューマンドラマとなっている。そして今回、主人公・一ノ瀬歩役を演じる中島さんに続いて共演者が発表! まず、一ノ瀬が働く営業3課長の織田勇仁役として、「お義父さんと呼ばせて」ではコミカルな一面をみせ、話題となた遠藤さんが。織田は部下思いな仕事中毒者で、コワモテながら、部下にとっては太陽のような理想の上司。一方、仕事は優秀ながら直球勝負で上司にこびることなく、社内政治にも無頓着なため同期に比べて出世が遅れており、北風に吹かれているような状況だ。そして一ノ瀬の同期として、経歴、成績、容姿すべてが優秀な桐明真司役に瀬戸さん、お調子者で愛想が良い同期のムードメーカー・人見将吾役に桐山さん、唯一の女性同期・香月あかね役に山本さんが好演。織田の部下で一ノ瀬の良き理解者である安芸公介役に山内さんがそれぞれ決定した。「リメイクものをやる時はいつも見ないようにしているのですが…」と語るのは遠藤さん。台本の面白さに、原作の韓国ドラマも全話観てしまったほどハマったようだ。撮影はすでに始まっているようで「中島くんは演技に対してまっすぐでとても誠実。そしてチャーミング。悩み成長していく純粋な主人公一ノ瀬とオーバーラップします。チームの仲間も、自分が演じる織田課長も、一ノ瀬に影響を受け共に成長していく物語なので、ドラマに書かれている世界観にひたって全力で演じていきたいと思います」とコメントした。また、ヒロイン出演となった山本さんは「今回は男性キャストの方ばかりで、女性キャストの方が少なくて寂しいのですが(笑)、ドラマの役とは違って皆さんすごく優しくて、楽しい現場です!」と撮影の方も順調のようだ。さらに桐山さんは「僕自身はサラリーマン経験が無く、たまに標準語で発音が不安なところを裕翔に教えてもらうこともありますが(笑)、泣いて笑って壁にぶつかって泥まみれになって、そして成長していくサラリーマンの勇姿を素晴らしい共演者の方々とともに精いっぱい演じたいと思います」と意気込み、瀬戸さんは「経験する初めての挫折や、憤りや葛藤を丁寧に演じていきたいですし、悔しみながら他人を認めるということが彼にとっての成長のテーマであり見所です。このドラマは会社というところに限らず、学校生活やスポーツなどでも同様にそれぞれの社会に生きる皆さんに共感してもらえるようなドラマだと思います。ぜひ、ご覧ください!」とアピールしていた。ゴールデンタイム連ドラ初ヒロインの山本さんはじめ、現在注目度の高い俳優陣が集結した本作。また、主演の中島さんとは全員初共演となり、どんな競演が繰り広げられるのか、気になるところだ。「HOPE~期待ゼロの新入社員~」は7月、毎週日曜日21時~フジテレビにて放送予定。(cinemacafe.net)
2016年06月02日武藤工業は4月4日、ダブルヘッドとダブルLED-UVランプ搭載の高生産性モデルUVインクジェットプリンタ「VJ-1638UH」の販売を開始したと発表した。同製品はプリントヘッド2個を千鳥配列にし、左右にLED-UVランプを配置することにより最高作画速度22.7m2/hが可能となり、同社の既存機種「VJ-1626UH」と比較して2.4倍の高生産性を実現した。また、高速印刷に対応するためにインクパックカートリッジを8つに増やし、4色(C/M/Y/K)と6色(C/M/Y/K+白、バーニッシュ)の2種類のインク組み合わせを用意。4色インクとバーニッシュインクは220mlに加えて800mlの容量を選択することが可能となっている。VJ-1638UHの最大メディア幅は1625mmで、最大作画幅は1615mm。アルミ複合板、ダンボールなどのほか、塩ビや透明フィルムへの直接印刷に適しているとしている。本体セット価格(税別)は598万円(本体+RIP)となっている。
2016年04月05日俳優の瀬戸康史が25日放送のテレビ東京系「おはスタ」に約8年ぶりに出演。“恩師”の山ちゃんこと声優の山寺宏一と再会を果たし、感謝の気持ちをブログにつづった。現在放送中のNHK連続テレビ小説「あさが来た」に成澤泉役として出演するなど、俳優として大活躍の瀬戸さん。「おはスタ」にはデビューしてまだ間もない2006年9月から約2年半にわたってレギュラー出演していた。山寺さんが同番組を4月1日(金)をもって卒業することが決まったことから、今回、瀬戸さんはメモリアルゲストとして、当時共演していたお笑いコンビ・南海キャンディーズの2人と共にゲスト出演。当時と同じく、英語交じりのセリフとともに「ミラクルメガネ」も披露した。放送後にブログを更新し、「約8年ぶりのOHA~!当時同じレギュラーだった南海キャンディーズの山ちゃん、しずちゃんとも久しぶりに会ったな。山寺さんを囲んで昔話で盛り上がる。カメラリハーサルが終わり、7時からの本番10分前はこうして出演者たちが最近の近況などを報告し合う。当時と変わらない風景…そこでなぜか泣きそうになった(笑)」と感慨深げにふり返った。当時まだ18歳だった瀬戸さんは、上京したばかりで東京にも芸能の仕事にも慣れず、さらに「最強に人見知り」だったという。そんな瀬戸さんを励ましてくれたのが山寺さんで、「いつも1人で口数も少ない少年をあたたかく迎えてくれ、本番で何かあってもすぐにフォローしてくれ、プライベートではサシでご飯に誘ってくれ悩みを聞いてくれた。僕が番組を卒業してからも、出演する作品を見てくれたり、舞台に足を運んでくれたり、山寺さんのラジオに呼んでくださったり、何かと気にかけてくださる。僕も『おはスタ』を見て育った世代なので、あの山寺さんとこういう関係でいられてることが幸せだ」と、しみじみとつづった。この日の放送でも山寺さんとガッチリ握手した瀬戸さん。「もう山寺さんには感謝の言葉しかない。いつも、本当にありがとうございます」と感謝するとともに、「これからも役者の先輩として、そして友達として、仲良くしてください。恩師、山寺宏一さん。本当にお疲れさまでした」と労った。(花)
2016年03月25日●新幹線vs飛行機、東京=函館を舞台に時間・費用をジャッジ3月26日、北海道新幹線の新青森=新函館北斗間がいよいよ開業する。2015年3月14日に開業した北陸新幹線は旅客流動を2倍に増やし、その一方で東京=富山/金沢間の航空需要に大きな影響を与えたが、北海道新幹線は本州=道南の交通をどのように変えていくのだろうか?○業界勢力図が大きく変わることはない?新函館北斗までの新幹線は東京から1日10往復、他地点も含めると13往復が運行される。所要時間は4時間~4時間半だ。新幹線には「4時間の壁」と言われる、航空機とのすみ分けの境界線が存在する。運輸業界ではこれを超えると航空から旅客をシフトさせることは難しいとされており、函館はギリギリのところにあるわけだ。この「4時間の壁」を西に転じると、東京=広島がひとつの基軸となる。函館市内へは新函館北斗から在来線の乗り継ぎを使わねばならず、新幹線の実質的な移動時間は4時間半~5時間になる。一方、航空の場合、東京駅から函館駅までは約3時間半~4時間(JR+モノレール40分、羽田移動・待ち時間40分、飛行時間1時間20分、函館空港移動・待ち時間50分)と1時間程度短い。運航便数は航空が1日8便、新幹線が10便とほぼ拮抗(きっこう)しているので、時間だけで見ると少しは新幹線も航空需要を摘み取ることができそうだ。もうひとつの競争要素が運賃だが、北海道新幹線は青函トンネルの維持費などがあり、東京=函館間は2万2,690円に設定された。一方、航空側は3月現在の羽田=函館線を、JAL/ANAともに普通運賃3万7,890円、エア・ドゥは普通運賃3万1,590円に定めているが、1~3日前購入の割引運賃を使うと2万円前後となっている。事前に予定が立てられるなら、空港までのアクセス料金も踏まえても、運賃面では航空に軍配があがりそうだ。これらを見ると、函館における「航空から新幹線へのシフト」は小さいものにとどまると考えるのが妥当だろう。北海道に就航するエアライン数社の路線担当の話を聞いても、異口同音に「北海道新幹線開業によって何か手を打つ、ということは考えていない」とのことだった。○「一度は乗ってみたい」に応える片道商品しかし、旅行需要は所要時間と費用で自然に旅客数が決まるだけではなく、特に需要規模が幹線のように大きくない路線では、旅行会社の販売方針に左右される要素は少なくない。新規開業で最も旅行意欲を刺激され、「一度は乗ってみたい」「時間・費用に大差がなくなるなら試してみたい」という層は多くいるだろうから、旅行会社の商品設定も活発化する。最も可能性のあるのは「片道は新幹線」という商品設定だ。実際3月4日には、JALとJR東日本が片道使い商品での販売提携を行うことが発表された。と言っても、当面は両社が空港・駅で優位を持つ青森・三沢と函館を組み合わせた東京向け商品が多いようだが、道南の人々にとっても、これまでなかなか行きにくかった日光など南関東への旅行も増えるきっかけになるのではないか。夏のハイシーズンに向け、北海道新幹線は旅行会社にとっては格好の新商品として活用されるだろう。総需要のパイが拡大することで鉄道・航空双方にとってプラスの相乗効果がもたらされ、インバウンド旅客を含めた様々な魅力的ある旅行商品が開発されることに期待したい。このため、新函館北斗までの新幹線開通はすぐには大きな旅客流動の変化はもたらさないと思われるが、新幹線が札幌まで開通すればいろいろな変化が起こりうる。ただし、実現は2030年とも言われているので、現時点ではなかなか考察がしにくいように思われるが、航空と鉄道(新幹線)の間にある旅客流動の「分担率」も踏まえて見てみたい。●札幌開通で航空旅客は鉄道にシフトする?○本当の勝負は札幌開通後旅客流動の「分担率」とは、国土交通省が5年ごとに行うサンプリングに基づき、距離帯別分担率を調査・発表するもの。これを地点ごとにプロットすると、距離と分担率は比較的きれいな直線比例を示すのだが、この傾向は既存の新幹線と飛行機の競合を既に織り込んでいるため、15年来大きく変わっていない。1,000kmの東京=福岡間では航空の分担率が85%強、500kmの東京=大阪間では航空が15%強で、その間は100kmあたり10~12%ずつ勢力図が動くという具合だ。東京=札幌はその中でも、航空の分担率が平均的な回帰直線ライン(80%)より高い95%に達している。これは青函トンネルを越える在来線の時間コストが大きいためと考えられるので、本来の回帰データに近づくならば、北海道新幹線の札幌延伸により航空旅客の10~15%は鉄道にシフトする可能性がある。しかしながら、これら既存データにある新幹線の競争力は東海道・山陽新幹線の「多便数利便」が前提となっており、10分おきにのぞみが走るからこその数字となっていることを忘れてはならない。他方、北海道新幹線の将来の増便余地はどうかというと、ボトルネックとなる上野=大宮間の線路容量の関係で厳しい状況だ。東海道新幹線の時間あたり運航便数限界が「通過するポイント切り替えに4分かかるため1時間に15本」にも達している状況とは、大きく異なるのだ。また、整備新幹線区間の法的な速度制限(時速260km)や青函トンネル内のすれ違い速度制限(140km)などがあるため、運行距離を始発駅を出てから終着駅に到着するまでの時間で割った平均時速である「表定速度」を現状の最速204kmより大きく上げることも難しく、東京=札幌間の所要時間が5時間を超えてしまうことは避けがたい。これらを勘案すると、現状の条件のままでは航空からのシフトはよくて5%程度と見るのが妥当ではないだろうか。○動く余地がある道南=東北こうしてみると、北海道新幹線がもたらす交通流動への影響は過去の新幹線開業と比べても相対的にかなり低いものとなろう。しかし、東京駅から乗ったままで目的地に着く(移動中の楽しみ方の幅が格段に広がる)鉄道愛好者も少なからずいるし、それよりも短い区間の道南=東北間の流動は、札幌=仙台線や丘珠=函館線の航空旅客の大幅減など新幹線の料金・便数頻度次第では大きく動く可能性がある。ただ、現在設定されている新幹線料金は廃止される在来特急よりも20~30%高いとされ、割引切符も従来の在来特急より高くなるため、地域の人々が日常的に使おうとするインセンティブを喚起するのはさらなる手だてが必要だろう。○明暗が分かれるJR東日本とJR北海道想定座席利用率が低いということもあるが、JR北海道にとっては北海道新幹線の開業により年間の赤字が50億円増加するとの見方もあり、運行便数増加のための投資や割引運賃の拡大を行いにくい環境にある。大きな投資をすることなく、新幹線効果による需要増加のメリット(東京=新青森間)を享受できるJR東日本とは、くっきり明暗が分かれよう。実際、鉄道は航空と同様、収受した通し運賃を運行距離で案分するので、東京=函館間に乗車する旅客運賃の8割以上はJR東日本のものとなる。もともと事業運営が厳しいことを前提として、JR北海道・四国・九州各社に設定された経営安定基金の運用益が低金利で目減りし、親会社の鉄道建設・運輸施設整備支援機構に高金利で逆貸付を行っているものの、事業収支は悪化。その結果、帳尻を合わせるために安全投資が削られて大きな事故を引き起こした現実は記憶に新しい。低金利誘導による経済政策もまた国が行ってきたものであることから、北海道新幹線開業後の地域流動環境の整備については、再度の財政出動を含む抜本的な措置を再検討すべきではないか。かつて19人乗りの小型機を使って、道内の鉄道利便の悪い都市間を結ぼうとしたコミューター事業も、早々に高運賃とコスト倒れで破綻した。HAC(北海道エアコミューター)の経営維持も、綱渡りでJAL頼みの状態である。地方活性化、インバウンド需要の流動活性化という視点からも、不採算の生活路線への公的支援、地域を面でつなぐ「路線バス的コミューター」創設支援(空港使用料、施設家賃などを全て免除する等)など、単なる補助金行政とは違う創造的な行政施策が今後打ち出されることを期待したい。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2016年03月25日関空・伊丹空港、仙台空港のほかにも、次々と経営権を民間に売却する動きがある2016年は、「空港民営化元年」とも称されている。前半では先行する関空・伊丹と仙台の変化に触れたが、この後半ではこれから経営権売却のプロセスに入る高松空港、福岡空港、新千歳空港の民営化の行方を考察してみたい。○主導権で揺れる福岡先行する3空港のほか、2016年度以降に空港民営化と喧伝(けんでん)されているのは、高松、福岡、新千歳、広島、静岡、新潟の空港だ。しかし、今後の民営化の進展は空港により色々な思惑が交錯しており、複雑化する可能性がある。まず福岡だが、ここで焦点となるのは前福岡県知事の麻生渡氏が社長を務める空港ビル会社である。当初ビル会社は空港運営権の獲得に意欲満々で、ビル会社として入札に参加すると言明していた。これに国交省は反発し、「当事者である第三セクターがコンセッションに入札することは選定の公平性を損なう恐れがあるので認めない」との方針を打ち出した。「当事者による出来レース」の批判を排除しようとしたわけだ。一見透明性の高い制約を課したように思われるが、実情はそうではない。「県、市は応札企業に参加することはできないが、落札した企業に一定割合で出資することは可能」という落とし所が検討されており、これでは「県市が確実に勝ち馬に乗れる」方式になるだけだ。他方、地元の民間企業群にも積極的な動きがあり、福岡財界の中心である「七社会」、つまり九州電力、西鉄、JR九州といった中軸企業が「地元連合」を組織し入札しようしている。資金面で足りない部分を補う「外部プレーヤー」を加え、コンソーシアムを組む方式が有力と言われている。しかし、地元自治体や財界を敵に回しては事業運営が成功するはずもないので、外部参入者がどこまで主導権を握れるかは不透明であり、新運営権者が独自の経営で新たな空港運営を築くには制約を受ける可能性がある。○空港容量も課題また、福岡は容量が限界に達しつつあり、2016年夏ダイヤ以降はレベル3という最高格の混雑空港指定となった。2019年度末に誘導路の複線化、2025年度末平行滑走路の新設が計画されているが、滑走路間隔が狭いため空港容量は20%程度しか増えないとみられ、空港内のエプロン数の制約も拡大にブレーキをかける。より容量の増える志賀島沖新空港が議論されてきたが、地元の利害意識は空港よりもむしろ、新空港建設による天神地区の建築規制の緩和にあった。現在の平行滑走路計画ではこれの抜本改革は望めないが、「特区による建築制限の緩和」というウルトラCによって、一気に空港改良はより現実的、短期間なものにシフトチェンジしたのである。とはいえ、運営権者にとっては30~40年経っても空港容量が増えないのは経営上大きな問題だ。中期的な新規就航の受け皿としては、24時間運用が可能で容量に余裕のある北九州空港があり、空港間アクセスの改善が進むことを前提に北九州との一体運営もいずれ俎上に上るであろう。現在、北九州空港は赤字経営だが、福岡空港経営権売却スケジュールを阻害しないという前提のもと、福岡空港の容量等の制約でこぼれる需要の受け皿となることは可能である。福岡県、北九州市と十分な疎通を取りながら民間による「眠らぬ空港」のさらなる活用策が検討されることを期待したい。○高松は広島との連合で活路ありか福岡と相前後して民営化が検討される高松空港は、民間事業としての魅力は相対的に低い。事実、LCC(低ローコスト航空会社)の春秋航空日本が2015年10月より、成田=高松線から撤退した。同路線は中国インバウンドを牽引していたため、この撤退は大きな打撃となった。空港の発展性という点では潜在能力に乏しいと思われるが、ここは視点を広げて中四国広域観光圏をフルに活用することも手だろう。次に民営化が見込まれる広島空港とともに、インバウンド需要の強力な受け皿としても瀬戸内地域の空港連合を構築すれば、大きなポテンシャルがある。応札者の事業構想には、十分な工夫とソリューション提案力が求められるだろう。○新千歳は"同床異夢"状態残るは新千歳空港だ。現在言われているのは、「道内の国管理空港をひとまとめにした一括経営権売却」である。だがこれには紆余曲折が予想される。そもそも、滑走路増設予算と引き換えに経営権売却(民営化)を飲んだ福岡と違い、新千歳には経営権を売却し民間他社に移管するインセンティブがない。現在の運営会社である北海道空港会社は、土産物売上は全国ナンバーワンという旺盛な商業需要を背景に黒字経営を続けている。「道、国交省の関与を受けずにもっと自由に空港経営をしたい」という意欲はあっても、それを他者に売り渡そうという気はないだろう。その意味では国交省とは"同床異夢"の状態にあり、福岡のように「三セクは応札に参加できない」となれば、空港会社は国の新千歳空港民営化方針に抵抗することも予測される。また、北海道は道内コミューター会社(HAC)の経営問題も抱えており、一括民営化を転機としたリージョナル航空会社の再編も大きな課題だ。かつて民間による地域都市間コミューター輸送の試みもなされたが、小型機運航の非効率性の壁を克服できなかった。道内空港の民営化を論じるに当たっては、新千歳の収益を道内他空港への内部補助に転化するとかいう目先の方策ではなく、地域航空網の再整備という大きな視点で、大手航空会社(JAL・ANA)、地域型ハイブリッドエアライン(ADO)と地元支援によるオペレーションがどうかみ合い、成り立ち得るのかを議論すべきである。空港民営化元年、まだまだ各地の揺れ動く動向から目が離せない。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2016年03月14日この4月には関西・伊丹空港が民営化での経営を開始する。そのほか、2月には仙台空港が新経営権者の設立した新会社のもとで6月から空港運営を開始、その後も、高松空港、福岡空港が経営権売却のプロセスに入る。そのため、2016年は「空港民営化元年」とも言われている。"コンセッション"と呼ばれるこの経営構造の転換は、今後の空港運営にどのような変化と影響を及ぼすのだろうか。○関空・伊丹の新会社はどう動く?まず、関空・伊丹から見てみよう。4月にはオリックスとフランスのVINCIグループが関西・伊丹の経営を開始するため、3月末に現在の新関西空港(NKIAC)が行っている空港運営業務が、オリックスグループが設立した新会社(関西エアポート)に移管される。NKIACは会社としては存続するものの役割を大きく変え、新経営権者からの毎年490億円に上る料金の収受や国有地等の管理などを行うのみ。NKIACの社員は原則そのまま新会社に転籍し、現在の業務を続行することとなる。これだけでは、経営主体が変わっても関空・伊丹の空港運営には大きな変化がないように見える。新会社である関西エアポートは喫緊の課題としては、まず空港稼働の向上、すなわち新規就航や増便化の促進を挙げている。これは、他空港に先駆けて空港営業を推進してきた現在のNKIACの営業チームでの活動を継続強化しようというものだ。新会社はLCC(低コスト航空会社)誘致の象徴となる第3ターミナルの建設を着実に進めながら、経営移管後の事業運営を安定軌道に乗せることを最優先としていると思われる。○関空・伊丹に期待できる変化では、完全民営化による変化とはどのようなものがあり得るのか。利用者目線で見ると、まずは商業エリアの充実が考えられる。特に、免税エリアはNKIACが自社で仕入れから販売までを行ってきたが、海外の空港では大手免税業者に入札させ、売り場を任せることで30%を超える高い利益率を確保しているケースが多い。自社仕入れでは自分たちで仕入れの交渉や目利きを行わなければならない関係上、扱うブランドの数も限られ、管理コストも結構かかる。空港会社の利益を最大化するノウハウの観点から見てみると、専門免税事業者には及ばないというのが実情だ。4月以降、委託方式がどれだけ導入されるかはまだ分からないが、新しいブランドや海外での話題商品が増え、利用者の選択肢が広がっていくだろう。また、VINCIの海外空港運営のノウハウを活用した安価なグランドハンドリング会社の設立や、着陸料等の空港使用料の弾力化(思い切った新規就航路線への値引き・優遇策等)など、エアラインのコスト削減につながる施策が実行されることも期待できる。さらに、経営改善といえばNKIAC時代のコスト構造の改善も重要だ。特に同社が多く抱える関連会社は関空・伊丹の統合以前に設立されたものが多く、伊丹に関わる旧OAT(大阪空港ビル)の関連会社の役割は関空の関連会社と重複するものも多い。これらは完全民営化を機に、大胆な整理統合を含めた効率化を図ることが可能と思われる。○仙台は誘致の活性化へ一方の仙台空港の経営権移行形態は、よりシンプルとなるだろう。仙台空港ビルは2月より、新たに仙台空港の経営権を取得した東急グループと豊田通商、前田建設が設立した新会社「仙台国際空港」の所有となった。空港運営の移管は6月に行われることになっている。まず、空港ビル会社を新運営権者が100%購入した上で空港運営を引き継ぐ。すでに宮城県、仙台市、航空会社などのビル会社への出向者は親元に帰っており、新会社の仙台国際空港がビル経営を行いながら、6月からの空港経営のあり方を練り直している。仙台空港で期待されるのは、民間の柔軟で豊富な運動量によるエアライン誘致の活性化と商業施設の充実だろう。新会社の岩井卓也社長はすでに、「旅客数に連動する着陸料=エアラインの閑散期リスクの軽減」を検討していることを言明しており、新規就航会社・路線へのインセンティブをひねり出す新たな工夫が行われていると見られる。既存の料金決定プロセスにとらわれない、柔軟な機軸が打ち出されるものと思われる。また、経営移行後の事業運営が軌道に乗った後は、関空・伊丹、仙台の空港周辺開発において、コンセッショネアであるオリックス、東急グループのノウハウ導入により今後いろいろな新しい開発アイデアが飛び出すだろう。空港内外に貨物、物流、サービスなどの新事業が創出され、両空港の活性化が図られることを期待したい。○空港料金負担のあり方にも変化ありもうひとつ、民営化で変化が起きそうなのが旅客が支払う空港施設使用料だ。関空・伊丹、仙台での運用を意識したのか、国交省は旅客空港施設使用料(PSFC)のより柔軟な設定を認めることについて提起し、1月27日までパブリックコメントを募集し、現在、取りまとめを行っている。従来は新たに行った旅客向け施設の設備投資を回収するためのPSFC課金しか認められていなかった。しかし、今後は空港運営者が事業運営に要する費用の回収のため、柔軟にPSFCを徴収することが認められるという方針である。「単に増収を図るための旅客負担増」というだけではなかなか新設・増額は認められないとは思われるが、例えば、エアラインの着陸料負担を軽減するための財源としてPSFCを活用するなど、総合的な課金根拠があれば新たな制度変更は認められるべきものと思われる。新たなPSFCの設定は一時的には利用者に負担増を強いるものであり、単純に消費者保護を主張する層からの反発も予想される。しかし、今後の空港運営のあり方を考える際、従来のような空港事業者への課金で空港収支を埋めるという単純な構図は、理想的ではないように思われる。利用者によるPSFC負担を原資としてエアラインの着陸料負担を軽減し、エアライン側はさらに低価格運賃の商品を増やす。その上で新規就航・増便を行う。結果的に総旅客数が増加し、商業収入などが増加して空港運営が改善されるという、「三方一両得」の好循環を実現させるためにも、PSFCの柔軟な設定は必要だろう。当然、PSFCの運用に当たっては課金根拠・数値の透明性が求められる。関空・伊丹、仙台に続いて、2016年度以降、高松空港、福岡空港が経営権売却のプロセスに入る。また、これらに続く空港民営化と喧伝(けんでん)されているのは、北海道、広島、静岡、新潟の空港だ。しかし、今後の民営化の進展は空港によりいろいろな思惑が交錯しており、複雑化する可能性がある。これについては、また後半で考察したい。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2016年03月11日●ANAがホノルル線にA380を投入するメリットは?1月29日、ANAは中期経営計画を発表し、併せて2019年度からのA380の3機の導入を正式決定した。ホノルル線に集中投入するという。このタイミングでANAが国内航空会社初のA380導入に踏み切ったのは、事業計画上の必要性よりもANAが支援するスカイマークとの関係があると思われる。○理由を後から加えたA380導入ホノルル線への投入理由として、ちまたで言われているような"ホノルル線でのJALとのシェア格差是正""レジャー需要の取り込み"などは、筆者としてはどうしても「後から取って付けたもの」に見える。今頃中期計画でこのような新方針が出てくるくらいなら、これまでにとっくにやっているはずだからだ。レジャー路線の拡充ならアジアにもまだ需要のある地域はあるし、今の成田の発着枠の緩和状態を見れば、他の機材による増便でもいいのだ。それを、将来原油高になれば必ず重荷になる大型4発エンジン、需給調整の困難な超大型機、部品・設備面での不効率を承知の上での3機小ロット、というリスクの少なくないA380で行うのだ。自然な政策判断とは言いにくいだろう。「座席あたりのコストが15%改善する」との説明もあったが、確かに機材が大きく(座席数が多く)なれば固定費を薄めることができるだろう。しかし、「飛行機は大きい方がいい」とされた1980年代の右肩上がり経済成長の時代の米国航空会社の発想とは、今や大きな変化を遂げている。原油高や紛争・テロなどの突発的な事態に適応し、航空会社は多様な市場に対応するため、飛行機のサイズを慎重に判断するようになったことで、「大は小を兼ねる」というような考え方はすでに廃れている。○ホノルル路線に投入するメリット世界を見てみると、スロット制約下の高重要路線や超ラグジュリー路線を持つ一部の会社を除けば、A380を導入するエアラインは非常に限られており(2016年2月現在、運航会社は13社のみ)、追加発注も得られていない。早晩、エアバスはA380の製造中止に踏み切るのではという見方も業界では少なくない。これらを総合すると、今回の発表は2015年8月、スカイマークの債権者集会で支援会社となるためにエアバスに約束したとされる"手形"を正式なものに替える作業の仕上げ、と見るべきだろう。A380導入の経営へのインパクトを最小限に抑えられるのがホノルル路線だったということだ。筆者が読む"ホノルルを選ぶ本音の理由"はと言えば、「座席を埋めるのに必要な需要規模が存在する路線で、今回の供給増で発生する価格低下の影響を受けるのは最大シェアのJAL」「座席を埋めるには自社ツール・チャネルでは限界があるため旅行会社の活用が必要になり、WEB徹底志向方針で流れが変わった旅行会社との関係構築につながる」「特典マイル航空券の活用場所になる」といったところだろうか。○進まないスカイマークとの協業そうまでして手に入れたスカイマークの支援権ではあるが、2015年9月末のANA出資後の具体的な協業は進んでいない。その最たるものがコードシェアだ。2015年の再建開始段階では、両社とも「2016年冬ダイヤをめどに開始」としていたが、ここにきてスカイマークの佐山展生会長は、2016年冬からのコードシェアに否定的な見解を述べている。その理由として挙げているのは、「柔軟な運航事業に支障をきたす」や「事業の自由度がなくなり、独立が維持できなくなる」というものだが、具体的にどんな悪影響が発生すると懸念しているのか、筆者には疑問を感じるところがある。連載したスターフフライヤーの創業記「航空会社のつくりかた」にも書いたが、システムをANAが導入しているableに依存し、座席の25%を買い取ってもらうことが事業に悪影響を与えたとか、経営判断が縛られANAに従属的になるようなことは、事実としてなかった。ANAに座席を買い取ってもらうことで収入の下支えができ経営が安定するという当方のメリットは大きい一方、コードシェアによってANAが実質的に羽田からの新路線を開設できた効果があり、当方も十分なベネフィットを供与しているという「対等な関係」という意識を持てていた。また、経営戦略を練り判断をする上で、ANAからの支配的な影響は受けなかったと認識している。○システム連携のメリット経営上困るのは、営業施策を打つためにシステム変更が必要になる際、システム会社の作業順序が遅い方に回され、戦術実行が遅滞することがあったことなどである。とは言え、恣意(しい)的な遅延などが発覚すればそれこそ公正取引委員会に駆け込めば良い。システム移行期間の数カ月間の予約データの処理方法さえ準備できれば、これは十分に可能のように思われる。こう見てみると、スカイマークが「コードシェアによる地方路線を始めとするANAからの買い取り収入の下支え」を放棄してまで、「独立」という概念的な旗印に固執することが、果たして経営の安定や財務指標の改善につながっているのだろうか。筆者の過去の実体験からはその実効性に思うところがある。航空経営は月夜の晩ばかりではなく、移ろいやすい環境をどう乗り切るかが経営の責務だが、原油価格の上昇、経済の減速は突然やってくるのだ。目先の需要好調に強気になるのは分かるが、「独立」のためにシステム連携をしないことが将来リスクにならないと言えるのだろうか。まして、スカイマークはANAの支援を受けられたからこそ、迅速に再建の一歩を踏み出すことができたのである。「システムを依存すると経営の独立性が保(たも)てない」というのは、筆者からするとシステム屋の発想に思える。そうならないようにするのが経営者の役割だからだ。●スカイマーク支援におけるANAのメリットは?○航空会社の立場投資側としてのANAの利害がどうかを見てみよう。周知のように、今回のスカイマークへの投資は単なる該社への出資金30億円だけでない。混乱した運航・整備体制の正常化作業、そして、エアバス社やロールスロイス社への債権者集会投票への"見返り"であるA380の導入という多大な資金と労力を払い、将来の超大型機を維持する経営上のリスクも背負うことになった。反して得たものはというと、現時点では「スカイマークをJALやデルタなど競合他社に渡さなかった」という一種観念的なベネフィットに尽きるように思われる。何より、支援権を得る上での最大の眼目とされた羽田発着枠の部分的獲得(コードシェア)は全くできなかった。イントレピッド社への「法的拘束性のない」LOI発行などの半ば強引な手順も見られ、ドタバタの末にさして得るもののないまま膠着(こうちゃく)状態に陥った現状は、一連の経営施策が奏功しなかったと言わざるをえないだろう。○投資家の立場一方、インテグラルはどうだろうか。機関投資家の最終ゴールは高付加価値のエグジットである。その意味では、航空会社の経営改善は投資家の利害と一致するはずだ。しかし、インテグラルが持つ株保有率50.1%のエグジットはそう単純ではない。会社の収益性がいいことと"高く売れる"ことは、今回のケースでは必ずしも一致しないからだ。もちろん、エグジットの前段階に再び株式を公開する必要があるが、燃料費が格安なまま推移すれば当面安定的な収益計上を続けることは難しくはあるまい。IPOにこぎつけられれば「50.1%=経営権」を誰にどう売れば最大のリターンを得られるかは、インテグラルの裁量になる。現在の投資契約に一定の縛りはあるだろうが、最終的に「転売目当ての別の機関投資家」「航空事業を引き受けたい事業会社」「支援してきたANA」などに一括で売却する方が高く売れることは、株式価値に経営権という価値が加わるため当然だろう。その際に買い手側が「システム上、ANAに依存していることが将来の経営にとってのリスクと捉える」ことがあれば購入価格の低下につながりかねない(減額交渉の材料にもされる)と、売り手側は考えるだろう。ANAとしても、最後にどの競合相手の手に渡るか分からない環境では買収価格の高騰を覚悟せざるを得ないだろう。その場合、投資側の切り口からすると今のスカイマークが目先の収支改善より、「独立性」「経営の自由度」を掲げてシステム依存をしないという判断は、結果的にインテグラルを利するものと考えることもできる。なおこれは、外資や航空会社の出資制限問題はテクニカルに解決されるという前提でのことである。その意味で、今後ANAとの協業についてのスカイマークの方針がどのような議論を経て、どう決定されるのか、現状のまま様子を見るという実質的に策を講じないという判断も含め、それがどういう理由で同社の現下の経営上最善の方策と判断されるのか。筆者としては非常に興味深く、今後とも事態の展開を見守っていきたいところである。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2016年02月09日●日本では「航空運送事業許可=就航」にならないわけ2015年末、エアアジア・ジャパンは突然のCEO交代を発表した。航空業界には、「2016年春の就航を目指しているのに、オペレーションのプロである小田切義憲氏がいなくなって大丈夫なのか」と思った人も多いはずだ。果たしてエアアジアグループCEOのトニー・フェルナンデス氏の決断は吉と出るのか、"離陸"への課題を整理してみた。○日本ならではの"仮免許"を理解できず今回のCEO交代は、日本での開業準備が遅れ就航開始のめどが立たないことに業を煮やしたマレーシアのエアアジア本社が、「なぜAOC(航空運送事業許可)が出ているのに就航開始にこんなに手間取るのか」と航空局交渉を取り仕切っている小田切氏に激怒し、今回のトップ交代につながったと言われている。しかし、エアアジア本社は今の日本ではAOCが"仮免許"でしかないことをきちんと理解していなかったようだ。2014年7月に新生エアアジア・ジャパン設立当初、就航は2015年6月を予定していたが、AOCを取得できたのは2015年10月になってからである。アジア各国では「AOC=就航開始」という図式が出来上がっており、日本でもスカイマークのような新興航空会社が立ち上がった頃は同様の位置付けで、AOCが下りれば程なく就航を迎えられた。しかしその後、日本もLCC(低コスト航空会社)時代に入り、当局による事業審査の基準やプロセスに強度の変化が出てきた。日本でも新興航空会社が立ち上がった時代、つまり、「AOC=就航開始」となっていた時代は、LCCに対して行われたような「リスク管理のための安全弁や補強措置を要求しつつも経営が重たくなることには一定程度配慮する」というような比較的シンプルな審査承認ではなかった。つまり、機体メーカーのマニュアルを踏襲するだけでなく、"JCAB(航空局)コスト"とも言われた審査現場前線での非常に厳しい詰問をクリアしなくてはならなかった。LCC時代に入ってからはいったん、審査プロセスに緩和の変化が見られた。対象LCCであるピーチ・アビエーション(以下、ピーチ)、ジェットスター・ジャパン、エアアジア・ジャパンには全て、ANAまたはJALが生産体制面の支援をすることを言明し、整備・運航の折衝に長けた人材を送り込みもしていた。そのため当局としても、「大手の後押しがあるなら大丈夫だろう」という認識に立って行われたという側面がある。大手エアライン側からも、「今までのような仔細・厳格な審査が続けば就航に時間がかかりすぎ、LCCの経営に支障をきたす」との当局への働きかけがあったとも聞く。しかし、同じLCCでも春秋航空日本のように日本の大手が支援・関与しないケースについては、当局審査は以前の厳しさに立ち返ってきているように見え、AOCが"仮免許"の位置づけであることがより鮮明になってきた。大もとの事業許可(AOC)は、事業会社としての資金面・機材面の信頼性がある程度担保されれば早い段階で下りるのだが、いざ実運航に直結する規程・社内管理など細部の運用に関わる事項については、規程の様々な項目の折衝で厳しい審査の目が向けられるのだ。○実務審査に厳然と残る大きな壁以前から特に手ごわい審査とされているのは、「整備管理規程」と「運航管理規程」の審査だ。例えば、「運航整備士を本来必要ない地方基地の出発前点検にも配置する(させられる)のか」「整備会社への重整備外注にあたってどのような管理体制を敷くのか、それを実行できるスタッフはいるのか」「技術部長は大手の経験何年以上のものであることを条件にする(させられる)のか」「乗員の機種移行訓練では実機での飛行を最低何回行うのか」などといった、整備や運航の業務実施の細目に関する規程である。当局が「これならちゃんと安全に運航を行える」と認めてくれるまで交渉を詰めていかなければならず、航空会社にとっては大変な労力・スキル・交渉力を要するものだ。つまり、航空会社はできるだけコストをかけない方式にしたいと考え、当局は何かあった時に審査不備を指摘されないよう(何かが起こらないよう、と当局は言う)できるだけ確実・安全な方式を要求する。このせめぎ合いが少なくとも1年は続く。これを乗り切るためには、技術やオペレーションのエキスパートが必須なだけでなく、品質保証や安全審査というニッチだが航空会社の安全管理に必須の分野の熟練要員も必要なのだ。ここがそろわないと、いくらAOCがあっても就航のめどは立たない。現在のエアアジア・ジャパンが就航に必要な人材を確保できていなければ、審査は延々と続くことになる。トニー氏がここまで認識していたかといえば疑わしい。エアアジア・ジャパンがANAと合弁会社で日本市場に初上陸した際、会社設立から約1年後の2012年8月に就航を果たした。創業から就航までがスムーズに進んだのは、パートナーのANAが有する経験と当局への与信に助けられたものであることをトニー氏は自覚していなかったと思われる。エアアジア・ジャパンは小田切氏に代わって、スカイマークの前経営トップである井手隆司氏と有森正和氏を招聘(しょうへい)した。「航空の専門家を入れ経営体制を強化」としたエアアジア・ジャパンではあるが、当局の技術・運航部門との今後の許認可面の折衝がスムーズに進むか、まだ課題は多いように思われる。●就航までに必要な70億円の調達に親会社のエアアジアも課題あり○事業計画と資金に問題は?現在エアアジア・ジャパンは中部空港(セントレア)を拠点に、札幌/仙台/台北にA320を2機使用して運航するとしている。国内2路線は大手のほか、エアドゥやアイベックスエアラインズとも競合するし、台北は日本のLCC2社(ピーチ、バニラエア)が成田から就航する激戦地である。格安運賃で新規需要を創出するというLCC方式は当初は機能するだろうが、既存エアラインの半額以下、時に破格のバーゲン運賃を提供してまずは消費者の注目を得て知名度を上げていく手法を当初は取らざるをえず、採算は二の次となろう。この場合、問題は資金が持つかだ。エアアジア・ジャパン設立時の資本金は20億円だが、日本における新規航空会社設立の歴史を見ても、就航までに最低60億~70億円を集めることが必要だ。それは既存株主の増資で行うしかないが、親会社であるエアアジアの経営状況が良くない。直近期は辛うじて収支はトントン持ちこたえたが、実質は赤字でキャッシュフローは厳しいと言われる。ここにきて、各国でジョイントベンチャーを展開するエアアジアのビジネスモデルに陰りが見え、順調に伸びているタイ・エアアジア以外は長距離のエアアジア Xを含め業績が芳しくなくエアアジア本社に、どれだけ日本への増資余力があるのか注目される。エアアジア・ジャパンの主要株主である楽天への出資要請も行われているようだが、本国・マレーシアからの出資がない中では他社が応じるとは考えにくく、当面はエアアジア本社からの資金でつなぐと見るのが妥当な線と思われる。しかし、事業開始が遅れるほど機材のリース料(1機月額4,000万円超)、人件費(開業要員の250人がそろえば月額1億円)、乗員訓練費などが次々とキャッシュアウトしていく。加えて、開業できたとしても当面は赤字事業にならざるを得ないだろうから、資金繰りは早晩再び大きな問題となってエアアジア本社にのしかかる可能性が大きい。ただ、今は原油価格低落と円高局面という日本の航空業界にとっての僥倖(ぎょうこう)がある。井手・有森両氏が今後、"守備範囲"である資金調達でどのような手腕を発揮するのか見守りたいところだ。○中部でピーチの成功を再現できるのか一度、他社に目を移してみよう。国内LCCで成功を果たしているピーチを見てみると、早々にLCCターミナルを作り同社が関空をハブとして急速な拡大を行える環境を整えた関空運営会社の全社的支援体制、そして何より、その事業拡大を支え得た関西経済圏の"地力"という背景がある。LCCが成り立つには、東南アジア各国のLCCが拠点とする都市と同様、「安い運賃が提供されれば、その事業計画を支えるに足る新規需要が創出される」ことが不可欠なのである。同時に、昨今の航空の成長を支えるインバウンド旅客を惹きつける要素があるかも決め手になる。関空で言えば、京都だけではない関西の観光資源のことである。名古屋・中部圏にどれだけの新規需要が眠っているのか、また、エアアジア・ジャパンがそれを掘り起こせるのか。「LCCターミナルの建設」を言明したセントレアの支援、そして、中部経済圏の民力と吸引力が、エアアジア・ジャパンの浮沈を握っていると言えそうだ。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2016年01月22日●中東3社が深夜便を理想とする「中東マーケット」の構造中東の"昇り龍エアライン"のひとつ、カタール航空が2016年3月で関空=ドーハ線を運休することを発表した。これだけ見ると単なる一路線の休廃止にすぎないように思えるが、背景には中東エアラインに課された政府間の取り決めや、中東エアラインの事業モデルの特質がある。○中東マーケットは「乗継市場」関空線はカタール航空初となる日本路線で、2005年3月31日に就航した。その後、2010年4月に成田線、2014年6月には羽田線を就航。しかし、関空線は2016年1月12日より週5便に減便を経て3月31日に運休となる。なお、成田・羽田線は現状通り毎日運航を続ける。カタール航空に関しては2015年始めに、日本路線を撤退するとの情報が駆け巡った。業界では全面撤退はあり得ないとの見方が大勢であったし、ガセネタとする論調もあった。しかし、中東諸国の"ガルフ航空群"を見てみると、カタール航空が関西マーケットで苦戦していたことも事実であり、最後発のエティハド航空が中部空港で苦戦しているのも同様である。カタール航空は「商業上の理由」で関空線を休止するに至ったわけだが、これを読み解くにはまず、中東マーケットの特殊な事情を理解する必要がある。中東エアラインのすさまじい成長を支えているのは、実は中東地域の経済成長が主要因ではない。また、アジア、ヨーロッパからの中東への需要が急激に増えているわけでもない。中東各国が「デスティネーション」として繁栄するには、地政学上・宗教上の問題に複雑な要素を多く持ち、まだ観光地としては成熟度が低いという背景もある。ではなぜこんなに伸びるのか。一言で言えば中東マーケットは「乗継市場」だからである。○中東の自国の需要は2割程度エミレーツ航空の成長の源泉は、ドバイが旅行の目的地として繁栄しているからではない。UAEという資源大国の国力高揚をバックにつくられた巨大なドバイ空港と、急激な機材・乗員の拡張によって拡大された世界中への路線ネットワークが競争力の原点なのだ。中東各社は欧州=アジア/オセアニア、アジア=中東諸国/アフリカ/南米という旺盛な航空需要に対し、ドバイ、ドーハ、アブダビという基幹ハブ空港経由で安価で快適なエコノミーや高級そのもののプレミアムクラスのプロダクトを提供、既存各社の需要やその後の成長分をごっそりさらっていったのである。典型的な「ネットワークキャリア」と言えよう。それも、欧州や日本のフルサービスキャリアが「自国の需要を事業の基幹収入として据えながら、他国の乗継需要も摘み取る」というビジネスを志向していることに比べると、中東各社は「自国の需要は2割くらいしかないが、自国を経由していく出発地、目的地の需要を大量に摘み取ることでビジネスを成り立たせる」という特徴をもつという点で、大きな違いがある。欧州エアライン等が「他人の庭で商売をする」と中東エアラインを揶揄(やゆ)するのはこうした理由に基づく。○中東各社の理想は深夜便このような事情から、中東エアラインにとっての生命線は「コネクティビティ(乗継の利便性)」ということになる。アジア側の各国から自国のハブ空港に何十便が到着し、これらからの乗継客が2時間前後の乗り継ぎ時間でスムーズに欧州、アフリカ、そして南米に向かうというのが理想的だ。これを可能とするためには、「到着便の集中時間帯」と「出発便の集中時間帯」がうまくつながるように発着のダイヤを固めることが必要になる。この時間帯を「バンク(土手)」と言うが、バンクに集中した到着便をさばくためには十分な空港容量とターミナル(発着ゲート)が必要になるので、中東各社は広大な土地をさらに拡張して空港整備を行っているわけだ。そして、この時間帯に全部の便が着くようにアジア各地の出発時間を調整するのだが、日本線の大きな問題は両国の時差と成田空港の夜間発着制限である。各社の日本線の発着ダイヤ(2015年冬ダイヤ)を見てみると、少し奇妙なことに気付く。日本発中東行きの飛行時間が長いのだ。偏西風を考慮しても2時間半も往路の方が長くかかるのは不自然なのだが、これは意図的に設定されたものだ。それは、「中東のハブ空港に早く着きすぎない」ためなのである。各社の日本発は夜だが、飛行時間と時差の関係でどうしても中東着が早朝にならざるをえず、ハブ空港の出発のバンクである9~10時には早すぎる。そのため、巡航速度を落としたり迂回ルートを飛んだりして、ハブでの接続時間を適正に保つようにしている。これは日本路線全部に当てはまるが、中東各社にとっては実は「夜中24時前後」に日本を飛び立てるのが最も都合がいい時間帯と言える。これより早いと、前述の長時間飛行(燃料コストはばかにならない)をせざるを得ないし、遅いと旅客が空港に来るのが不便で需要にひびく。この意味で、成田空港の23時以降の発着制限(不慮の遅延などを考慮して22時前後には離陸しないと便が欠航するリスクがある)は、大変悩ましい問題なのである。2015年春にカタール航空の日本撤退報道が流れた際、「羽田発着時刻が遅すぎて不利だから」との見方もあったが、オペレーションに関して言うなら、地上交通利便さえ確保されるなら羽田空港の発着時間は致命的な問題ではないように思われる。●事実上の「関空・中部縛り」の撤回が成田・羽田路線にどう影響するか○暗黙の「関空・中部縛り」話をカタール航空の関空線運休に戻す。このような市場環境の中での運休は、カタール航空が言う通り「商業上の理由」だろう。中東各社は本来まず東京に乗り入れたかった。しかし、成田空港の発着枠の制約、日本側エアラインの中東乗り入れ予定がないなどの背景があり、国交省は各国にひとつの条件を課した。「成田空港に乗り入れるなら、同便数を関空か中部空港に運航すべし」という"関空・中部縛り"である。そこでカタール航空はまず、関空に就航した。中東エアラインは当初、これに大変苦しめられた。日本での外航のマーケティングはまだまだ旅行代理店に依存するところが大きく、自社ウェブサイトで簡単に席がさばけるというものではない。まして売る商品は中東だけではなく、ヨーロッパ、アフリカまでのネットワーク全体に散らばる都市であり、これら地点ごとに細かく予算が振られて達成を求められる。日本国内で一度に2つの都市で代理店、法人相手に営業を展開するのは大変だ。エミレーツ航空にしても当初は成田空港と中部空港に就航し、中部線ではビジネスクラス客には新幹線代をサービスするようなことまで行ったが結果が出ず、関空にシフトしてしまった。この"関空・中部縛り"は航空協定本文には出てこないが、「ROD(Record of Discussion)」すなわち議事録として記録され発効している。○残る中東2社はどう動くかカタール航空は当初、成田空港を21時台に出発し、関空を経由してドーハに向かう便で就航していた。「2地点を運航する」ことと「ハブ到着時間を適正に保つ」ことの一石二鳥を狙った。経由便では東京での競争力が弱く、その後に成田線を分離して関空と別々に運航、さらには羽田線を開設するという首都圏重視の戦略に転換した。しかし、一挙に供給量が3倍になったわけだから、関空線を持て余していたのは事実だろう。今回のカタール航空の関空運休は、この二国間の"関空・中部縛りが外れた"と見ることができ、当局の大きな姿勢の変化だと言えよう。これにより、エミレーツ航空の関空線、エティハド航空の中部線も運休が可能となった。しかし、両社がすぐにカタール航空に同調するかは予断を許さない。エミレーツ航空は関西=中東以遠マーケットでの競争が減り、カタール航空の顧客の取り込みが見込まれる。エティハド航空においても、中部線は中部=北京=アブダビの経由便であり、非常にタイトな状況にある北京首都空港のスロットを取得できているという政治的な事情もあるからだ。これを自ら放棄すると、今後の中国混雑空港での発着枠争奪戦に不利に働く可能性もある。○残る「成田縛り」の行方今後の流れとしては、世界の空が広く自由化に向かう中でこの種の"縛り"は存在意義を失っていくことになるだろう。現在、各社に最も影響が大きい縛りは"成田縛り"である。羽田空港からの国際線を就航する場合、「成田空港からの乗り換えは認めず、両方の路線を運航すべし」というものだ。これは各社が雪崩を打って成田空港から羽田空港にシフトするのを防ぐのが目的だが、米国各社にしてみれば日本をハブとして活用しようとすると、まだ羽田空港は使いづらい。発着枠が限られ十分なネットワークを構築できないからだ。デルタ航空が当局に20枠を要求したのもこのロジックによる。しかし、欧州路線は米国と違って日本をハブにするというロケーションになく、日本側の利便のよい羽田空港を使いやすい状況にある。このため、ANAはロンドン線を成田空港に就航していたヴァージンアトランティック航空とのコードシェアで、「両方で運航」として実質羽田空港にシフトさせたし(その後、ヴァージンが日本線を撤退したので、現在は羽田空港しか運航していない)、パリ線もさりげなく羽田空港に移している。当局とすれば成田空港の存在基盤が揺らぐことは、空港運営としても、また、今後2020年に向けて発着枠を増加させねばならない羽田空港の飛行経路見直し交渉(千葉県民の理解が不可欠)においても好ましくないと思っているはずである。現状、パリ同時多発テロの影響で需要が減っている欧州側エアラインからの成田・羽田空港のダブル運航緩和要求にどのように対処していくのか、慎重なかじ取りが求められるだろう。首都圏空港問題はまさにこれから、佳境を迎えると言える。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2015年12月08日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、関空での苦戦とブランディングの価値をテーマにお話した。最終回の今回は営業黒字化になるまで、そして、スターフライヤーを通じて実施してきたコラボレーションをまとめて紹介したい。○「おなか」の活用2006年3月の就航からの2年間は2ケタの赤字となったが、3年目に向けて黒字化への道筋はだんだんと見えてきていた。その中でずっとおぼろげに考えていたのは「空っぽのおなか」、すなわち客席下の貨物室だ。中小エアラインは貨物事業にはあまり興味がない。大手でさえ収益化するのが大変で、ここで余計な設備投資やコストをかけても収支改善の手助けにはなりにくいからだ。筆者が思っていたのは、「自分で貨物事業をすると手に余る。貨物室もひとつのコードシェアのツールと考え、コストをかけずにスペースを丸ごと売れないか」ということだった。しかし、航空貨物に長年の蓄積を持つフォワーダー相手にはなかなか交渉も大変なので、どこか適切な提携先がないかと相談しているうちに、福山通運が航空貨物に今後注力しようと考えているので話をつないでもいい、という紹介をいただいた。協業話はトントン拍子に進み、2008年3月に羽田=北九州線の貨物スペースを使って双方のメリットを追求するスキームができ上がった。現在は貨物販売をANA Cargoに委託しているが、貨物事業での福山通運との取り組みは年間数億円の確実な収入源として、会社を支えてくれたと思っている。今後どのような形態があり得るかは分からないが、中小やLCCが自分の「おなか」を自らの貨物事業として営業するのは難しいだろう。しかし、法人の社用貨物を何十社か確保し、「おまとめ」で即配サービスを提供するような会社にスペースを売るなどの工夫をすれば、充分成立すると考えている。航空事業はまだまだ奥が深い。○関空での最後の決断2008年度に入り、黒字化に向けて最後に残った課題が関空線だった。このままでは路線収益を採算に乗せるには長い時間がかかることは皆が感じており、毎月の取締役会で株主の社外取締役から「いったいどういう手を打つのか」と強い指摘を受けていた。取締役会は我々を含め、「何もしないのが一番悪い」という認識にあり、打つ手がなければ路線の廃止を考えざるを得ない。ここに至り、自力で短期間に事態を動かす力は不足していると言わざるを得なかった。結局、ANAとの共同運航(コードシェア)に踏み切ることにした。関空線は新規優遇枠ではないことから(当時、どの会社でも手を挙げれば関空枠は使えたのだが、結局我々だけが手を挙げた)、便当たりの買い取り座席数の制限がなかった。そのため、多くの席をコードシェアできることとなった。ただ、羽田空港においてスターフライヤー便は第一ターミナル発着、ANAは第二ターミナル発着と、北九州線と違って両社が違うターミナルからそれぞれ同じ路線を運航している。そのため、旅客の混乱やスポットの問題などがあってすぐには実現できなかった。実際にコードシェアに移行したのは2008年11月からであり、そのタイミングで関空のハンドリングも自社からANAに移管した。途端に関空線に「ネクタイ客(ビジネス利用者)」が増えたとの報告があったし、利用率も底上げされた。ANAにとっても関空便が一挙に増えたことで伊丹・新幹線旅客に対する競争力の強化はあったと思うが、それ以上にスターフライヤーが大阪地区の大手企業の出張需要を取り込むことができたのは事実である。やはり、ANAの「グローバルマイル」の威力とベネフィットに敏感な関西のビジネスパーソンの手ごわさを感じずにはいられない関空線の教訓であった。○スターフライヤーを支えてくれた方々への想い貨物事業とANAとの関空でのコードシェアで、2008年度はようやく事業は黒字化を見通せるところまできた。スターフライヤーが自立し、自分なりのアイデンティティーとブランドを持つようになった過程では本当にたくさんの方々のお世話になった。就航開始時に「機内のボーディング時に流す音楽をオリジナルでできないか」とのアイデアが出て、これはピアニストの岩代太郎さんに曲を書き下ろしていただいた。この「STAR ON THE HORISON」という曲、社内でも気難しくあまりブランディングに興味のなさそうなとある役員から、「キース・ジャレット風でとてもいい」と言われて驚いたことがある。その後、長きにわたってお客さまにも大変好評だった。機内オーディオではジャズ歌手の青木カレンさんにジャズプログラムのMCをお願いし、ご自身の曲も紹介していただいたのだが、これも大変人気があった。カレンさんとは我々ブランディンググループと家族に近いような感覚でお付き合いしてくださり、そのひとりの結婚披露パーティではサプライズで登場、1曲歌っていただいたりもした。社内では言っていなかったが、筆者はカレンさんの地元FM番組で「謎の旅人」として空、飛行機、旅にまつわることを掛け合いでしゃべらせていただいたりもした。後半はネタ切れに苦しんだが、1年間仕事と別世界の楽しい時間だった。また、いくつかの企画会社には国内外のブランドとのコラボを押し進めていただいた。HUGO BOSS、オーデマ・ピゲなどの海外ブランドをどのように連れてくるのか、彼らがなぜこんな新興航空会社と組んでくれるのか、不思議でもありうれしくもあった。ブランド構築に尽力いただいた松井龍哉氏、森岡弘氏からの紹介等もあって、日本の各界からも感性に優れた多くの企業に協業を受けていただき、「このような企業のセンスとインスピレーションに富んだ広報宣伝担当に見放されないよう、ぶれないブランドづくりをしなくては」という切迫感があったし、具体的な協業内容を詰める過程で、相手企業の感性やブランド意識に触れ、学ばせてもらったことも数多い。○初めての営業黒字化を機に退任こうして紆余曲折もあったが、2008年度はなんとか創業以来初めての営業黒字となった。2009年度以降の為替予約が円高で営業外損失を計上せざるを得ず、経常黒字はお預けとなったが、実質的に本業そのものを黒字にすることができて正直ほっとしたのも事実である。その後、2009年度の役員体制を決める過程で、今後の新規株式公開(IPO)等に関して株主や地元経済界との間で意見の食い違いがでてきた。堀社長との間も含めぎくしゃくした局面もあったが、結局創業時の経営陣が入れ替わり、新社長を迎えてIPOを目指すこととなった。堀氏ともども退任後は特別顧問として2009年度まで籍を置いたが、現役時代から参加していた国交省での羽田増枠に関する懇談会にはその後しばらく出席し、新興会社の育成、地方空港の活性化などについてスターフライヤーの主張を述べたりした。地元各界のご支援もあって無事に要望した数の発着枠をいただくことができ、羽田=福岡線開設の道筋もついた。限りある発着枠を各社の利害と現実の配便計画をにらみながら、コンマ以下の枠数単位で大手・中堅エアラインに振り分けた航空局の知恵と発想には、皆でほとほと感心したことを覚えている。これまで11回にわたってスターフライヤーの創業から事業開始前後のエピソードを紹介させていただいた。記憶から去っていることも多くあり、どれだけ正確に歴史を記載できたか分からないが、節々の出来事を少しでも臨場感をもって読者の方々に感じていただけたらと思う。無断で登場させてしまった方を含め、航空会社づくりという得難い経験を共有させていただいた皆さまに心からお礼を申し上げる。最後に、スターフライヤーがその持てるリソースとブランド価値を最大限に生かし、アジアの空に独自の存在感を刻むような発展を遂げてくれることを心から願い、終稿としたい。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年11月12日●なぜコードシェアは「1年後」なのか、導入路線におけるJALとの関係新経営陣によるスカイマークが船出して1カ月が経過した。「独立した第3極としての経営」を貫き、ANAの支援をうまくかませながら経営を安定軌道に乗せようという思惑が今後どのように具体化されるのか注目されるが、ここで再建と再建に関わる各社にとっての今後の課題・焦点を整理してみたい。○コードシェアにおける3つの論点すでに報道されているように、ANAによる運航・整備面の支援によってオペレーションを安定させ機材稼働の効率を高める、不採算路線の休廃止により収益性を向上させる等の施策は実行に移されている。当面の経営安定化への大きな問題はコードシェアだ。スカイマークの佐山展生会長は、コードシェアは諸準備作業を終えたら2016年冬ダイヤをめどに実施し、具体的内容は10月中旬にも発表するとしていたが、現時点での発表はなされていない。コードシェアをめぐる論点は、「どの路線でコードシェアをし、どれだけの座席を買うのか」「なぜ1年先の2016年冬ダイヤから開始なのか」「スカイマークはANAシステム(able)に乗り換えるのか」の3つを想定できるだろう。コードシェアに関しては、公正取引委員会の介在が大きくなる。路線選択において不利益を被るのはJALであり、コードシェア実施によってどれだけANA側が寡占的地位を築き、競争を阻害する危険性が生じるかが問題となる。これまでの報道では、ANAは「福岡/新千歳線は寡占度が大きくなりすぎるので難しく、その他の路線を検討する」と発言している。確かに、両路線でANAがスカイマーク便にコードを貼った場合、JAL:ANAの便数比率は羽田=福岡線が41%→32%、羽田=新千歳線が38%→32%に低下する。公取委もそのような指導を考え、実施しているようだ。しかし、他の路線は違うのだろうか。例えば中部=新千歳線では上記のJALの対ANA便数比率は42%→33%、羽田=鹿児島線では42%→35%と、状況は似たり寄ったりである。公取委が「寡占」と判断する対競争相手の便数シェアを設定しない限り、これらの路線間の共同運航の可否(独禁法抵触)判断はかなり恣意的なものとなる。JALが不服を申し立てない路線は非該当とはいえ、利用者には極めて分かりづらい。また、ANAが座席買い取りに難色を示す路線もあるだろう。茨城線などはスカイマークの「いま得」という余裕席が多い時に格安になる運賃だから乗る人もいるのであって、これにANAのコードシェア運賃を設定しても席を埋めるのは難しいと思われる。このように、両社間での利害調整は簡単にはいかないだろう。ANAにとっては、埋まりにくい路線の席を支援と割り切って買い取ったり、システム改修に多額の投資を行ったりすることには、株主への説明責任も生じる。○コードシェアの遅れはシステム開発が理由?コードシェアの問題は他社も巻き込んだものになるということはあるが、それでも疑問なのはその開始が1年後をめどにしていることである。開始時期が遅れるひとつの理由として、スカイマークのable導入の有無も関係しているのではないだろうか。もちろん、本当にableを導入するかは未定であり、ableとは違うシステムを導入することも十分考えられる。しかし、現実に本当に1年もコードシェア開始が遅れるとすれば、その理由はable導入に要する時間でしかないと筆者は考えている。スカイマークにとって、収入の下支えとなるANAによる一定座席数の買い取りの実施は早い方がいいのは明白だ。そのためのリードタイムを考えると、JALとフジドリームエアラインズ(FDA)が行っているように異なるシステム間での座席のやり取りを人的操作を介して行えば、比較的小規模の改修で済む。これを1年後というからには、スカイマークがableを導入することを前提に協議が進められているか、もしくは大規模なシステムの改修を予定していると推測できる。仮にableを導入する場合、スカイマークの予約システムは社内の運航・収入管理・乗員管理などのシステムと連携しているので、これらをableと連携させるには多くの工数と時間を要するのであろう。なお、ANAが支援している他の新興航空会社3社(エア・ドゥ、ソラシドエア、スターフライヤー)は、ableを使用しながら自ら経営している。最終的にableと自社システムのどちらがスカイマークの価値(株価)を高めるかで、割り切った判断をすることが合理的と言える。●現実味を帯び始めたANAのA380導入、無視できないインテグラルの狙い○ANAがA380導入を検討する理由一方、ANAにも厄介な問題が残っている。目先の問題は債権者集会でエアバスとリース会社CITを取り込んだ「約束」の実行だ。CITに今後の機材のリース(セール&リースバックの手法が有力)を分配することは難しくないが、問題はエアバスだ。「あり得ない」と思われていたANAのA380の導入が、業界で現実味をもって語られている。「3、4機のA380なら何とか使いこなせる」とANAの事業計画部門が判断したのか、ANA社内の「A380推進派」が「JALが追随できないことをすべき」と主張しているのか真相は不明だ。しかし、いかにANAとはいえ世界のエアラインが難儀しているA380(近々、製造を中止するのではという見方もある)を収益化ツールにすることは容易でなく、飛ばす路線の選択は難しいだろう。ボーイングのB747での運航をB777に小型化して収益性を確保した欧米線に投入するとは考えにくく、バンコクやホノルルといった多客路線の「おまとめ便」的な活用しか、筆者には思い浮かばない。A380数機に対する初期コストは決して小さくなく、また4発エンジンを背負う機体にとって、原油価格がいつまで低止まりしてくれるかも不透明だ。A380ではなく、使い勝手の広いA330を選ぶ可能性があるのかどうかは見えないが、A330はANAも積極運用しているB787と機材の位置づけが類似している。その意味では、この重複を嫌ってA380のような超大型機に向かうということなのかもしれない。○インテグラルの「株式の時価」以外の狙いそして、最後に残るANAの最大リスクは、投資ファンドであるインテグラルのエグジットだろう。50.1%の株保有率であるインテグラルがこの0.1%に最後までこだわったのは、実質的な経営支配などではなく、最後にエグジットする時に株式に与える「付加価値」だと思われる。スカイマークの再上場に成功した後、株価がどうなるかは市場に委ねるしかないが、単なる「株式の時価」とは別の価値が50.1%にはある。「経営支配権」に高い値を付け、売却するためだ。ANAとの投資契約においては当然、競合者への売却を認めないという制約条項はあるはずだ。しかし、世の機関投資家で「インテグラルから高値で買い取っても、しかるべき時期にスカイマークの経営権がほしいところに売り抜ける」と考えるものはいるだろう。その後に、例えばJALやデルタ、エアアジア、そしてANA等を集めてビッドさせるというものだ(出資比率制限に対し、技術的にクリアすることが可能という前提ではあるが)。このようなことまで想定して契約でインテグラルとその売却先を縛れているかどうかは分からないが、今後複雑な展開はあり得るだろう。このように、一段落したかに思えるスカイマーク再建はまだまだ波乱要素を含んでいる。コードシェア開始が1年ずれ込むとすれば、スカイマーク自身がその間にどれだけの業績を自力でたたき出せるかで、ANAとの力関係も変わってくるだろう。そういう意味では、ANAにしてみればスカイマークが急激な再建を果たすことは痛しかゆしであり、インテグラルとの利害がぶつかる局面もあり得る。今回の支援劇がANAにとって「高い買い物」となるのか、正念場は近いのではないだろうか。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2015年11月02日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、20億の赤字となった就航初年度について触れた。今回は関空で強いられた苦戦、そして社内からも疑問の声が上がったブランディングの価値をテーマにしたい。○苦戦が続く関空ANAとのコードシェアを開始した北九州線は期待通り安定した利用率を維持するようになったが、4号機の苦肉の活用策として2007年9月から開始した関空路線はたちまち苦戦に陥った。当初は6割程度の利用率があればやっていけると踏み、まずは金額に厳しい関西の人々に認知してもらうため「お値打ち価格」の7,000円台の運賃を設定した。大阪の人は「空港にバスで行くと、伊丹なら600円、関空は1,300円、しかも遠い。トータルで見て関空には行かんな」というのが一般的な感覚だ。「ゆったりした革張り座席」は選択の順位として下位にしかなく、伊丹空港と新幹線を相手にわずか1日1,200席に満たない座席を埋めるのは容易ではなかった。当初の「安いチケット」はそれなりに奏効し、7割前後の利用率を維持していたのだが、いかんせん7,000円台では採算が取れないし、これまで広めてきたブランディングの効果も生かせないことになってしまう。そこで3カ月ほど経ってからは徐々に運賃水準を上げていったのだが、さすがに関西の人々は金額に敏感で1万円に近くなると途端に利用が減り、認識の甘さを痛感させられた。○ANAからの出資受け入れこうして再び不測の事態に備えるため資金調達を続けなくてはならなかったが、コードシェアを開始したこともあり、ANAにも出資の打診を行った。社内には旧日本エアシステム(JAS)出身の役職員も多くおり、同業の航空会社からの出資受け入れには否定的な声もあったが、堀社長と慎重に協議した上で1億円程度の出資依頼を行うことにした。株主比率からすると1%程度であり役員等を受け入れるわけでもないので、十分経営の自主性・独立性は保たれることをANAとも確認できた。他方、通常業務での諸調整においては、システム変更等をANAにリクエストしても優先順位が高くない状況だったため、ある意味"薄い親戚関係になる"ことで少しでも解消できればという考えもあった。○ブランディングに対する社内からの声以前に触れたがブランディングに対しては内外からいろいろな声があった。社外とくにデザイン関係の方々からは、単にスターフライヤーがどうだというより「こういうところと組んでプロモーションを考えたら面白いのではないか」とのアイデアをたくさんいただいた。これらは別途少しご紹介させていただくが、「そういうことを考えてもらえるエアラインであることが大事」とデザインに関わる皆さんから言われたことが心にしみた。他方、地元からは「スタイリッシュとか言っても九州らしくはないし、地元の市民になじむものか疑問だ」「みんなにいいなと言ってもらえることが大事で、"東京のセンスある人々に何かを感じてもらうのがスターフライヤーのブランディング"というのはちょっと傲慢なのでは」などの声があった。社内でも「デザイナーと担当部署が密室でデザインを決めているのでは? 社内の団結、総意形成という意味ではいかがなものか」とか、「ブランディングにコストをかけ過ぎ」「その割に収益上の効果が薄いのでは」などの意見が出た。○ブランディングの価値とは? 意味とは?実際、ブランディング担当チームからは、「社内外の声に説明するにもブランド作りを考え、実行する業務に時間がかかりとても対応できない。どうしたらいいのか」との悲鳴も上がった。ここで筆者が出した指示はシンプルだった。「聞き流せ」。ブランディングはいろいろな意味で誤解される。「これでいくら稼ぐのか」という疑問は、ブランディングがすぐに収益を生むという考え方によるところだろう。これは間違った考え方で、マーケティングとは決定的に異なるものだと筆者は認識している。広告の効果は、よほど劇的な安値・品質・独自性を売りにできなければ、消費者の「どうせ売る側の手前味噌」という意識に埋没するだけだろう。「社内で支持されていない」という考え方もまた違うと認識している。ブランディングはCI(コーポレートアイデンティティ)ではない。社員がそろって「いいな」というブランディングの表現(告知、広告、行動)では本当に「インフルエンス」を持ち、多くの「流れに付いて行く派」をその気にさせる社会のオピニオンリーダーを引きつけることはできない。いろんな疑問や反対意見を無視することは適切でないし、「アンチ」を増やすことは避けたい。しかし、一つひとつそれらに説明・説得をしようとしてもこの問題はロジックでは解決できないもの、最後は好き嫌いでしかない。そういうものに時間をかけてやりあっても、分かってもらえることは無理だろう。まずは自分たちのブランドと言えるものができるまで突き進もう、と割り切った。ここがぶれるとブランディングも何をしたいのか分からなくなっていく。この筆者の考えは今も変わらないが、「どこにもないエアラインを創る」という命題がなければ、違うことをしていたのかもしれない。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年10月29日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、就航当日(2006年3月)の様子とともに、深夜便の低迷などの苦難に触れた。20億の赤字となった就航初年度、社内外の方々と様々な物議を交わしてきた中で特に記憶に残っているのが、今回お話しする内容である。○「九州エアライン」の提案2006年秋、スターフライヤーが利用率低迷との格闘を続けている時に、九州でもうひとつの動きがあった。2004年から産業再生機構の支援を受けていた宮崎県の地域航空会社、スカイネットアジア航空(SNA)の再建に一定のめどが立ったとして、再生機構が保有する40%強の株式を売却し、エグジットすることになったのだ。再生機構のSNA支援においてはANAが運航支援を行っており、予約システムもANAの「able」に切り替えていたことから、機構エグジット後もANAグループでの運営が行われるとの見方が圧倒的であった。その後の減資、政投銀による資本注入などの経営改善策が示されてはいたがSNAの経営は赤字が続いており、ANA以外が手を挙げることを業界では予測する者はほとんどいなかった。そんな中で我々に日本を代表する大企業からひとつの打診があった。「九州を地盤とする航空会社が2社あり、両方ともまだまだ成功に至っていない。今後両社が別々に経営を続けるよりも、将来を見据えて経営統合を目指すべきではないか」。当面の資金については準備できるとのことで、後は2社がどのように事業調和を図り、どのように経営効率化やサービス・ネットワークの拡充を図るかなど、今後のビジョンが描けるかによるという提案だった。これを受けて堀社長と何度も議論を重ねた結果、「両社が将来的に一体として経営する方が、九州にとっても日本の航空業界・利用者にとってもいいのではないか」との結論に至り、スポンサー企業ともども再生機構に出向き、デューディリジェンス資料の分析をしながら、独立系地域航空会社「九州エアライン」結成へのシナリオを書き始めたのだ。○「人のことを気にしている場合なのか」幻に終わった計画の詳細は省くが、機材統合を進めながら日本各都市と九州、九州域内、そして九州とアジアを結ぶ地域エアラインを目指し、スポンサーとともに日本に新たな航空業界地図を創っていこうという図案はでき上がった。なのだが、やはりこれはすんなりとは進まなかった。ことがことだけに社内で議論を広げる段階ではなかったが、主要株主にはある程度の了解をいただかないと、後で破談になっては相手に失礼である。だが、地元大株主は概して否定的だった。「まだ自身が自立できていない時に、人のことを気にしている場合なのか」と。しかし、九州全体の活性化という意味での地域貢献度は大きく、各自治体を巻き込んで航空事業を発展させるというシナリオは、粘り強く話していけば理解を得られるはずだと堀社長との意思統一はできていた。最後に「NO」を提示したのが、筆頭株主の米国機関投資家DCMと、次年度の資金確保に向けて出資交渉中だった国内機関投資家だ。機関投資家としては早期エグジットが必要だから、10年後に向けた九州活性化の長期戦略というものに価値を見いだしていなかった。「これに手を出せば、ANAと本格的に対立することになる。コードシェアもできなくなって、スターフライヤーは持つのか」という議論も出た。我々としては少しでも目先の収益改善が見えていれば、「資金をつなぎさえすれば将来の発展の絵柄は十二分に実現可能なもの。また、ANAとの協業可能性をつぶすものでもない」と両機関投資家を説得することもできたのだが、結局この時点での筆頭株主の強硬な反対を覆すことはできず、呼びかけてくださった企業に謝りに行かざるを得なかった。断腸の思い、というのを実感した。今、スカイマークの再建をめぐり「第三極」論が多く話題にのぼる。最近、堀氏とも本掲載の事実確認などで連絡を取る機会があるのだが、「このSNA案件だけは返す返すも残念だった。ひょっとしたら今の業界の絵柄を変えていたかもしれなかったのに」と語り合った。○4号機到着、資金繰りの苦労再びさて、2007年2月には羽田の次の増枠を見越してリースで調達した4号機が到着となる。この時点で増枠の根拠となる空港運用方式の改善は依然協議中で、実施のめどは立っていなかった。すぐに新基地を展開する体力はないので、しばらくの間は整備、訓練に投入しながら多客時の臨時便として使うしかない。4号機分のパイロットも確保できていたのでこの時期の地上待機は大変に痛く、キャッシュアウトに追い打ちをかけた。2006年後半から資金調達を再開し、2006年度後半に当面の経営リスクを踏まえてまた次年度以降の不測の事態に備えようと取り組んだ。その結果、大口機関投資家SBIはじめ、2007年2月末に14億円、3月末には地元からのさらなる増資と福岡県からの事業支援補助金10億円をいただくことができ、なんとか少しは落ち着いた気持ちで新年度に向かうこととなった。ANAとの共同運航もようやく合意に至り、2007年6月1日から開始した。顧客層は地元中心のスターフライヤーと首都圏に強いANAのすみ分けができていたので、当方の旅客数が減ることはなく、自社便の利用率は10ポイント以上好転した。しかし、このまま4機目の飛行機を寝かせ続けるわけにはいかない。新たに加入した企画担当役員もまじえて激論を交わした結果、国交省が設定した「関空特別枠」に挑戦することとなった。東京からの関空経由の国際線乗り継ぎ需要を増幅させたい行政の思惑に乗ったものだ。これで羽田=関空間を4往復でき、機材効率も稼げる。○吉本芸人との音楽コラボも関西~東京の需要はビジネスが中心であり、大手2社は伊丹に集約する方向は変わらなかった。そのため当局との話はすんなり進むのだが、問題はマーケット=収益性である。福岡しか地盤がなく、首都圏でもこれだけ知名度の低さに苦労しているのに、関西でやっていけるのか、皆が不安な中での決定だった。9月中旬から運航すべく準備を進めたのだが、ある意味全てにおいて時間も余裕もなく"付け焼き刃"だった。マーケティングにかけられる予算も乏しい中、"テレビ局幹部の学生時代の同級生に頼み、吉本興業の副社長にお会いしてコラボを提案させていただくことにした。吉本興業やよしもとクリエイティブ・エージェンシーの方々は珍しさもあってか、とても好意的に対応してくださった。その中では、ロンブー田村淳さんのビジュアルバンド「jealkb(ジュアルケービー)」との音楽コラボもあった。それでも関空路線を収益化するには何もかもが足りなかったが、これ以外にも関空や大阪府の方々とあれこれ悩み、知恵を絞り、支援を得る機会を持てたことは貴重な経験であり、思い出でもある。他方、この路線を自力でやっていくことがいかに難しいかを思い知らされることとなった。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年10月15日10月6日、エアアジア・ジャパンは航空運送事業許可(AOC)を取得し、2016年4月から3路線に就航すると発表した。これに呼応した形で、エアアジア・ジャパンのベースとなる中部国際空港は一時凍結していた第二ターミナルの建設方針を発表、ローコストキャリア(LCC)ターミナルとして機能させるとの報道があった(10月9日付け日経新聞など)。筆者は中部がここで投資を決断した一因は、9月中旬にバンコクで行われた国際会議にあったと考えている。そこで今回、これから動くエアアジア・ジャパンと中部、つまり、LCCと国内空港の関係を、この会議で議論されたことを踏まえて考察してみたい。○出遅れた成田・中部の対策現在の日本国内空港の成長を概観すると、羽田、関空、沖縄、新千歳、福岡などの国内基幹空港ではLCCの参入やインバウンド需要の拡大によって、出国者数がリーマンショック前の水準を回復している。その一方で、成田・中部はまだリーマン前には戻っていないのが現状だ。羽田にインバウンド需要が流れている成田はLCC専用の第3ターミナルを開業させて反転攻勢を狙うが、中部はなかなか抜本的な需要振興策を講じられていなかった。また、ANAの中部=羽田線開設など国際線拡充にとってむしろマイナスともなりうる動きもあり、中部はこのあたりで将来に向けた対策を打ち出す必要があったのだろう。ただ、ターミナルの容量という点では、中部は飽和状態に達しているわけではないので、LCCターミナルの建設は当面様子見のままではないかという見方が多かったことも事実である。ではなぜ、中部空港はここで投資を決断したのだろうか。その伏線は9月中旬にバンコクで行われた国際会議にあったと言えるだろう。○「空港運営の概念を変えてほしい」バンコクで9月中旬、CAPA(豪州の航空コンサルティング会社)主催の国際会議では、「アジアLCCが空港に求めるもの」がテーマであった。この会議の提唱者であるエアアジアのトニー・フェルナンデスCEOは、1時間にわたって熱弁を振るった。トニー氏が主張した「空港に分かってもらいたいこと」は以下のようなことである。1.LCCを収益化することは可能空港運営にはFSC(フルサービスキャリア)向けとLCC向けの2つのモデルがあり、この2つの異なる運営形態を両方とも収益化することは可能だ。LCCは絶え間なく成長し拡大していかねばならない。そのベースは「Simplicity」「Efficiency」「Technology」であり、これが低価格を支え、数のビジネス(Volume game)を制する糧となる。2.空港の理解と協力が必要このためには空港の理解と協力が必要だ。空港使用料とPSFC(旅客の施設使用料)を下げることが低価格を可能にし、多くの旅客増、ひいては地域の雇用増をもたらす。マレーシアのランカウイ島の空港は使用料を70%下げ、5年間で300万人の新たな旅客を生み出した。10ドル使用料が安いことが家族旅行にとっていかに大きいかを知るべきだ。3.コタキナバル国際空港は成功モデル我々はロンドンのガトウィック空港に独自ターミナル建設を検討しており、成功モデルであるマレーシアのコタキナバル国際空港のような運営を目指したい。LCCの旅客はボーディング・ブリッジなどのサービスよりも低価格というサービスを好むという現実を理解し、LCCの効率的オペレーションを支える施設を提供することで、空港はLCCとWin-Winの関係を築くべきだ。4.LCCが空港に求める4つのこと空港はFSC・LCC双方と良好な関係を作るべきだしそれが可能だ。EUの空港はアジアに比べてよりマーケティング志向であり、先を見た行動をとる(Proactive)ようだ。欧州のLCCであるライアンエアーもFSCであるブリティッシュ・エアウェイズも黒字だが、空港は双方と棲み分けながら運営している。LCCが望む空港やターミナルにおいては、「25分の折り返しを可能とするスポット」「安価な通信インフラ」「シンプルな施設(貨物施設は不要)」「安価な使用料」を提供し、FSC向けの空港では従来型の運営をすれば良い。これを混在させるべきではない。5.LCCはFSCのように複雑ではいけない(LCCの経営形態も進化しており、短・中距離の地点間輸送(Point to Point)から長距離、そして、乗継輸送もLCCがカバーするようになっている、という会議での議論を踏まえ)エアアジアXの旅客の80%がエアアジア各社に乗り継いでいる。FSCは多様なニーズに対して複雑さを抱えざるを得ず、LCCがこれと連携を行うとオペレーションが複雑になり、結果うまくいかない。これはFSCが行うLCCにも当てはまる。企業的組織経営ではダメで、経営者が信念によって引っ張る経営(Leader driven)でなくてはLCCは失敗する。6.東京近郊にLCC空港を日本では過去の思い出したくない経験を乗り越え、新たに事業を展開する。日本の空港は総じてインバウンド旅行客誘致に熱心であるが、自治体が(経済的支援等で)どれだけコミットできるかが重要だ。安倍晋三首相に「東京近郊にLCC空港をつくるべきだ」と言ったことがあるが、行政にも積極的な行動を期待したい。トニー氏の言葉をまとめると、LCCが就航する空港やターミナルの経営の主眼は従来と異なり、「航空会社から金を引き出すのではなく、旅客に金を使ってもらう」ものにすべきという主張であった。このバンコクの会議には中部の友添雅直社長も参加しており、会場でトニー氏と長時間話し合う姿も見られた。トニー氏が要望していることを今、日本で実践しているのは関空とピーチ・アビエーション(以下、ピーチ)だが、成田も後を追い始めた。この会議でのやりとりが、後に中部にLCCターミナルを決断させる最後の一押しになったとも考えられるだろう。○日本の空港でLCCが収支を上げにくい理由しかし、日本におけるLCCの現状はアジアにおける隆盛とはまだ趣を異にする。ひとつは収支だ。いまだピーチ以外は黒字を経験しておらず、バニラエアがようやく2015年度収支均衡を目指せるかどうか、ジェットスター・ジャパンに至っては3年間で270億円の赤字を累積している状況である。日本のLCCは公租公課、施設費、人件費(特にパイロット)は大手と大きな差がなく、座席キロ当たり費用7円台を達成しているピーチ以外は、本格的な低コスト構造が作り切れていない。その大きな要因は機材稼働である。各費用単価の削減をし尽くした後は、少しでも機材を長く飛ばして単位コストを下げるしかない。しかし、日本の地方空港には運用時間制限があるため、国内線機材は22時から7時まで寝てしまう。あらゆる切り詰めをしてターンアラウンド時間を短くしても、それが「あと1往復」の稼働増につながらないのだ。国際線で稼働を上げるにも、収支の見通しをつけるには時間がかかるし、就航地も限られる。○ローコストな第二空港の活用をもうひとつが空港だ。アジア各地は首都の近くにローコストな第二空港を持ち、LCCのハブ運航を可能としているため、大きな潜在需要を開拓できている。一方日本はといえば、距離・時間の制約から、安いという要素だけでは成田や茨城に東京・神奈川の需要を誘引することがまだ十分にできていない。LCCバスの拡充や鉄道アクセスの整備、航空乗継特別運賃など、今後さらなる工夫や充実を図る必要がある。また、日本の空港のほとんどは国・県の管理であり、国交省は着陸料等での差別的取り扱いを行わないよう指導している。民営である成田・中部・関西も国が事業計画の認可権をもつのでこれに従わざるを得ず、新規航空会社誘致に知恵を絞るにもなかなかネタが限られてしまうのが現状だ。エアアジア・ジャパンは2011年にANAと合弁で設立し、2012年8月に成田=新千歳線などに就航したが、業績不振や方向性の違いにより2013年に合弁を解消。同年に日本市場から撤退した。「日本事情」を3年間知り尽くした新生エアアジア・ジャパンが中部でどんなLCCとなるのか、同空港に就航する他の航空会社との公平性を維持しつつ空港がどのように地元LCCを育成していくのか、大きな興味を持って見守っていきたい。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。スターフライヤー創業時のはなしは「航空会社のつくりかた」を参照。
2015年10月15日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、「他にない」制服や機内サービスなどの選定に触れた。そして話は就航日に移る。○キャプテンの出発サインに感動就航日の2006年3月16日の羽田空港は曇り空。北九州空港は雨の寒空となった。羽田発の便の方が出発時刻が早いため、実質的にはこちらが初便になる。堀社長とは「月並みな就航式典はやめよう」と言っていたのだが、北九州側は地元であり市役所、産業界(商工会議所)などお世話になった関係者の方々も多いので、「皆さんとのテープカットをしないわけにはいかない」という社長判断となった。一方、羽田では初便で北九州に戻られる末吉興一・北九州市長を主賓とし、ご挨拶をいただいた後に、機体デザインなどを担当してくださったフラワーロボティクスのロボット「Posy」から花束贈呈、という式次第とした。筆者自身もこの時、初めて末吉市長にスターフライヤーの構想をプレゼンした20枚足らずの企画書を片手に、就航の挨拶をさせていただいた。就航前に使っていた機関投資家向けの企画書が50枚を超えていたことを考えると、「随分簡単な書類で説得にうかがったんだなぁ」といまさらながら冷や汗を感じたものだ。就航式典では参加者や報道陣からも大拍手。そして搭乗開始、離陸となった。最後の乗客がゲートを通過された後、スタッフたちと地上に降りて飛行機のランプアウト(ブリッジを離れること)を見送った。漆黒の機体が自走を始めた時、コックピットの窓からキャプテンが左手を握って掲げ「無事行ってくるぞ」と語りかけてきた。飛行機に手を振りながら、この2年間にあったいろいろなことが断片的に思い出され、大きな感動を覚えた。○凱旋する王監督と川崎選手を乗せる3月の2週間は初就航の話題性もあり、70%を優に超える利用率を保つことができた。首都圏での話題性や知名度の低さはいかんともし難かったが、3月24日に事件が起きた。野球のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝した日本代表が夜、成田に帰国し、記者会見を終えて羽田に移動した王貞治監督と川崎宗則選手が、翌日の練習に参加するためにスターフライヤーの深夜便で北九州に帰ってきたのだ。午前1時過ぎに到着した王監督を多くのファンが出迎えた光景は全国のテレビで報道され、「何で夜中の1時に飛行機が飛んでるんだ? 」「あの黒い飛行機は何? 」と、図らずもスターフライヤーの存在が全国に流れることになった。また、他のエアラインからも「視察」をいただいたようだ。ある大手会社のCAの方が搭乗レポートを書かれたことを知人から聞いたのだが、「機内の風景がとても同じエアバス機とは思えなかった」「行こうとしている道が我々とは違うようだ」など、ある意味ありがたい言葉があった。そんな中、「トイレだけは何の変哲もなく、妙にほっとする」とのコメントがあったそうで、ここに思いを馳せなかったことを非常に後悔したのも事実である。後日、メーカーとのタイアップで、高級な「黒いトイレットペーパー」を期間限定で装備し大変話題になったのだが、このことへの意地も少しあったかと思う。○ANAとのコードシェアの遅れが響く4月に入り、事業は厳しい状況となった。日中帯はまずまずの数値だったのだが、早朝深夜帯は予想に反し芳しくない状況で、利用率が低迷していた。地元タクシー会社と提携し、主要地域への1,000円タクシーを始めたり、早朝深夜便の割引率を上げたりと、地元企業へのいわゆる"ドブ板営業"もしていたのだが、事態はさほど好転しなかった。福岡側の需要はそれなりに掘り起こせていたものの、当初から懸念していた首都圏からの需要が全く伸びなかったのだ。最大の誤算はANAとのコードシェアの遅れだった。北九州はもともとJAL(旧JAS)の独占路線だったので、ANAにしてもコードシェアで直行便を開設できればネットワークや法人営業などの対抗上メリットがある。スターフライヤーにすれば、一定数の買い取りにより利用率の底上げが見込める(両社の顧客層が違うため)。つまりウインウインの効果が期待できたので、双方とも前向きに議論を進めていた。しかし、就航前のハイレベル交渉で、買い取り便、価格、座席数なので予想外のぶつかり合いが生じてしまい、相手の逆鱗にふれることとなったのである。我々の方の交渉者にも「元JALでやり合った相手に対し、臆することはない」というプライドのようなものがあったのかもしれない。すぐに仕切り直しも考えたが、しばらく冷却期間を置いて交渉を再開しようということになり、半年以上の遅れが確定的となった。○就航初年度は20億円を超える赤字に2006年度は後半も営業施策はあれこれ講じたものの深夜便が足を引っ張り続けたこともあり、11月には羽田着深夜便をやむなく減便で対応した。こうして2006年度は20億円を超える赤字となった。しかし堀社長とは、「ANAとのコードシェアは一方的に助けてもらうだけのものではなく、双方メリットが大きなため早晩実現できる。自社利用率が10~15%安定すれば営業・運賃施策の柔軟性も増し、収益化はできる」と踏んでいた。だが、新興会社にとっては損益計算書よりも現金が問題だ。2007年度を迎えるにあたってどこまで資本として集めたキャッシュが持つのか、悪条件を想定した計算に入らざるを得ず、新たな資金繰りを再開したのだ。そして、相前後して日本の航空業界の将来を動かすような事案が持ち上がった。しかし、これは幻と潰える。これはまた次回、お話したい。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年10月08日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、大手と戦うためのブランディングとして「デザインエアライン」に舵を切ったことに触れた。その後に続く2005年後半は、エアラインとしての基本的な資格である航空運送事業許可を取得するために、運航・整備部隊が苦闘した時期だった。○整備と運航の一元管理を計画新興航空会社に対する国土交通省航空局の審査は基本的に「性悪説」から入る。このような運航をするので大丈夫だ、と何度説明しても「本当にできるという材料を示せ」「何かあった時に対応できるのか」など、「できないだろう」という前提で話が始まることが多かった。この当局の疑念・懸念を払拭するだけの資料(マニュアル類がほとんど)や人物(例えば大手での確かな実績と局交渉経験がある人)が確保されていないと、なかなか申請準備書面を受け取ってもらえないのだ。そして、その中身も新興会社への不安や不信から、大手以上に慎重に安全に配慮していることを盛り込むよう要求されたりする。そのためマニュアルが保守化し、オペレーションの柔軟性が失われ、機材・乗員を効率的に稼働させることができなくなる。結果、コスト構造が悪化していくのだ。例えば、我々は整備と運航を一元的に管理運用する方が効率的と考えて、通常の会社では整備本部・運航本部と分けているものを技術本部としてひとつに括る組織としていた。また、整備の技術部門は欧州の航空会社の例にならい、「MRO」(整備受託会社: Maintenance, Repair & Overhaul)に全面的に任せる計画だった。そのため、コストは高いが技術力に定評のあるルフトハンザ・テクニーク社と契約した。ポーランドの中堅エアラインが同社に技術管理や品質保証などを全面委託し、自社の技術スタッフは10人以下でやっているという事例を日本で実践しようと考えたのと、有名なMROでないと当局の信用を得られず時間がかかると踏んだからだ。○「日本に前例がない」で棄却が、結果は悲惨なものとなった。「運航と整備を同じ本部で管理できるわけがない」「責任体制をきちんと分けておかないと不測の事故対応時に混乱が増幅する」など、当局から多くの疑念・指導が出され、結局翌2006年初頭に事業許可を受けるまでには別々の本部に再編成させられた。航空局は航空機安全課と運航課に分かれた運営であり、これを「一緒にした方が効率的」というスターフライヤーの組織論は、感情的にも受け入れられにくい論理だっただろう。また、MROへの技術委託については、「外部に委託するには、それを自社側でしっかり管理できる人間がいないと業務が正しく行われたか査定できない」との理由で認められず、技術管理の人間を急遽、大人数集めねばならなくなった。「自社で事細かに管理するコストが大きいし、新興会社だからこそ世界的に信頼されるMROに任せる」という、欧米で行われている方式は、「日本に前例がない」という理由で認められなかったのだ。○外国人副操縦士・整備士を採用できない理由審査・訓練を担当する日本人乗員以外は、スターフライヤーのパイロットの主力は外国人だった。税務問題などが複雑なので外人乗員の派遣会社を通じて採用するのだが、仲介会社を通すことでコストが上がることに加えもうひとつ問題があった。外国人パイロットへの就労ビザだ。法務省は機長資格のあるものにはビザを発行するが、副操縦士へは出さなかった。このため、外国人乗員は全て機長を採らざるを得なくなり、運航人件費が大手並みに上がってしまった。また、A320のFAA(米国連邦航空局)整備士免許を持っている外国人が社員の知人にいて、すぐに採用できないか当局に相談したところ、「日本の一等航空整備士の試験に通れば免許を出す」との返事。この何が問題かというと、日本での整備士試験の問題は日本語でしか作られないのだ。会社が英文の整備マニュアルを用意し、当局が英語で試験をしてくれれば済む話なのだが結果はノー。機長であればFAAの同機種のライセンスがあればシミュレータチェックで日本のライセンスがもらえるのに、である。結局、彼は採用できなかった。○人員規模は100人以上も膨張このように、新興会社には数多くの当局の制約が存在した。これが法や規則であれば進歩的な幹部に働きかけて是正していく道も描けるのだが、担当官の裁量・指導という形で制限が行われるので事態が難しくなる。この他にも様々な工夫を凝らそうとしたが認められず、羽田に多くのスタッフを置かざるを得なくなり、マニュアルもますます硬直化していった。その結果、当初計画で250人と計画した就航時の人員規模は100人以上も膨張するなど、当局による制約によって想定外のコストを抱えることとなった。○ユニークな試みも当局リスクで幻にこのような航空局のオペレーション実務の現場での緊張は、思わぬ余波も作った。実は、機内で必ず見る機内安全ビデオ(いわゆるセイフティ・デモ)には幻のバージョンが存在した。基本は当初機内に搭載した映像の流れのままなのだが、非常用装備品の使用要領や非常口の案内に登場するキャビンアテンダントに、機体デザインなどを担当してくださったフラワーロボティクス代表の松井龍哉氏の知己であったシンガー、ピチカート・ファイヴの野宮真貴さんを起用するという試みが提案され、撮影が進められた。彼女がライフベストの装着を案内するビデオは、話題性から普段はあまり真剣に見てもらえないデモ映像を乗客が見るようにし向ける画期的な試みと思っていた。しかし、社内で「芸能系の安全デモを作ると、航空局の窓口の人に与える印象、ひいては事業面許認可のスピードに及ぼすリスクがある」との声が出た。当時は「2006年3月16日」という新北九州空港の開港日があり、それに向けて事業許可の取得が間に合わなければ新興会社の経営に致命的な打撃が出るという状況だった。当局への影響に対する配慮として、このビデオは残念ながらお蔵入りとなった。なお、後に就航後北九州空港の空の日イベントで公開されたことはある。こうして就航への秒読みが始まり、2005年末には記念すべき初号機の受領へと進むのだが、就航準備にはまだまだ足りないことが山積していた。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年09月25日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、航空事業をはじめるにあたって必要な初期資金を60億円とし、なんとかそのめどが立つまでの話にふれた。その折に、北九州市役所からひとつの連絡があった。「そんなので大手と戦えるのか?」と。○ブランディングとの遭遇資金集めを本格的にスタートさせた2004年が暮れようとする頃、北九州市役所からあった連絡は以下のようなことだった。「末吉市長がスターフライヤーの知名度について心配されている。特に東京では全くニュースにもならない。こんな状態で大手と戦っていけるのか?」設立当初は必要資金確保のめども立っておらず、航空局との認可交渉をやり切る人材の確保も不十分だったので、正直、会社の認知拡大策まで考えをめぐらす余裕はなかったというのが実態だった。しかし、末吉興一・北九州市長の懸念はよく分かった。開港まで1年と少し、時間と知恵が足りないことはみな感じていた。当時、北九州市は「デザイン塾」を開催するなど、地元の文化資源を活用する取り組みに力を入れており、ブランド戦略に造詣のある方もおられた。この周辺からスターフライヤーの首都圏での認知を上げるには、そのコンセプトを統一したデザインのもと、感性とビジュアルに訴えることが必要という意見があり、我々に投げかけられたのであった。○「このデザインとなら心中できる」堀社長とじっくり相談し、ここは企画に乗り、デザインから会社を見せるという手法を採ろうと決断した。何より、「他のエアラインがやってない」ことだったからだ。こうして社長ともども、当時外部から参画してデザイン塾を進めていた方々とのミーティングに臨んだ。ここでお会いしたのが、ロボットデザイナーでフラワーロボティクス代表の松井龍哉氏と東京藝術大学の桂英史助教授だった。ブランドの持つ力、というおふたりの話には非常に説得力があったし、松井氏の代表作である精密・繊細なロボット「Posy」を見て、「このデザインとなら心中できる」と直感した。「エアラインのトータルデザインをまとめてお願いしたい」。堀社長から決めの一言が出て、ここに「デザインエアライン」の一歩を踏み出したのだった。○「世界のどこにもないと今言えるのは真っ黒だ」トータルデザインといっても対象物は多岐に亘り、簡単に全部を具体化できるものではない。まず、最も視覚に訴える機体デザインと会社のロゴを決め(これまで持っていたロゴはデザイナーさんに丁重におわびしてお蔵入りとなった)、そこから備品、広告、パブリシティーに展開しようということになり、我々からは盛り込むべきコンセプトだけを伝えた。「感動のあるエアライン」「他社とは違うエアライン」の2つだ。そこからは、フラワーロボティクスの人々には地獄の日々だったのではないか。機体デザイン、模型、設備備品への展開例を盛り込んだプレゼンテーションを作成するまでに世界中の千にも及ぶ機体デザインをくまなく調べ、案を絞り出してコンセプトの独自性を示さねばならない。3カ月を経て、「デザインコンシャス」「ラグジュアリー」「モダン」と3つの機体デザイン案が提示された。末吉市長にはお花畑のような「デザインコンシャス」案がいいと言われ、社内でもそれぞれが好き嫌いを述べ合ったが、こういうものは議論をしてまとまるようなものではない。最終的に堀社長が、「世界のどこにもないと今言えるのは真っ黒だ」と決断を下した。黒・白・シルバー(灰)を基調とした備品や航空券、アメニティーの展開も上品でスタイリッシュさを感じさせるものだった。その後、多くの国内外のブランド、有名企業からコラボの申し入れを受けることになる「スターフライヤーイメージ」が歩き出した。○「顔」をめぐるエアバス技術者との議論航空会社の象徴が固まり、事業コンセプト・機体デザイン・ロゴ・備品・広告と展開するためのブランディング戦略の全体像を発表するのだが、その前にもう一悶着あった。世界のエアラインが航空機を真っ黒に塗らない理由のひとつに「黒は太陽熱を吸収し、機体の温度が上がって計器の作動に影響が出る」との懸念があると言う人もいた。果たして、エアバス技術陣から高温誤作動リスクを避けるためレーダー・飛行計器が詰まる「レドーム」と呼ばれる航空機の「鼻」の部分は黒く着色しない方がいい、とのアドバイスが出てきた。しかし、これを飲めば機体デザインは鼻が白くふくらみ、とても間延びした顔になってしまう。「世界には日本よりずっと暑い地域に、濃紺を施した機体が飛んでいる。どこが違うのか」「いったん上空に上がれば気温は下がる。地上気温で計器に不具合が生じるような機体なのか」など厳しいやり取りがあり、エアバス側も入念な数値検査を繰り返した結果、何とか「セーフ」。現在の機体の「顔」に落ち着くことができた。○「マザーコメット(母なる彗星)」の衝撃2005年5月に行ったブランディング発表会では、デザインという切り口だけでなく、「どんなエアラインにしたいのか」という我々の想いを伝えることが重要だった。それが「マザーコメット(母なる彗星)」という基本コンセプトである。乗っていただいた乗客に「あ、この会社、いいな」とまず感じてもらえること。それが「他にないものだね」という感動につながり、それを世界中に振りまいていければ、との想いを表したコンセプトだ。松井氏が我々の想いと自らの考えを昇華しつくした上で提示いただいたものだと感じ、これを見た時は身内ながら正直感動した。しかし、ブランディングとはそんなたやすい代物ではない。制服、機内インテリア、サービス、広告など具体的なモノをどうするかとなると必ず好き嫌いの違いが表面化し、ディテールを作る過程では反対論は噴出するのだ。それも社内、地元、どこからでも。この平坦でない道のりについては後に触れたい。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年09月17日映画『合葬』のヒット祈願イベントが15日、東京・上野の寛永寺で行われ、キャストの柳楽優弥、瀬戸康史、岡山天音、門脇麦と小林達夫監督が出席した。26日から全国公開する本作は、杉浦日向子の同名漫画を実写化した青春時代劇。幕末の動乱期、将軍と江戸市中を守るためにに結成された"彰義隊"の若者たちは、急激な時代の変化に呑み込まれていく――というストーリーで、第39回モントリオール世界映画祭に正式招待された。劇中の衣装で登場したキャスト陣は、彰義隊と新政府軍が衝突した上野戦争の舞台、寛永寺でヒット祈願。撮影前に同所を訪れたという柳楽は、「撮影した後では気持ちが違う」と気を引き締め、瀬戸も、「当時の声が聞こえてきそう」とキリッとした表情。柳楽と瀬戸がW主演を務める本作だが、柳楽は、「瀬戸さんとW主演した作品が世界にいけてうれしい」と海外出品を喜び、「時代劇というより、青春の部分が強い。新しいことにチャレンジできた」と胸を張った。本作の撮影は、真夏の京都で行われ、柳楽が、「京都の街を3人で散歩しました」と楽しげに振り返ると、岡山は、「柳楽くんはイメージと違った。『クールなのかな?』と思ってたけど、ホテルで『やったー! 角部屋だ!』と叫んでた」とお茶目な一面を暴露。また、柳楽は許婚役を演じた門脇と、映画『闇金ウシジマくんPart2』で共演しており、「前回はストーカーしてるんですよ。あっ、余計なこと言っちゃいました?」と笑いを誘いつつ、「今回はしっかり濃い関係だった」と笑顔を見せていた。
2015年09月16日柳楽優弥と瀬戸康史をW主演に迎え、杉浦日向子の傑作漫画を実写映画化した『合葬』。激動の時代に翻弄される若者たちの青春を描いた本作は、第39回モントリオール世界映画祭「ワールド・コンペティション部門」にて、9月3日(現地時間)、記者会見とプレミア上映会が行われ、主演の瀬戸さんと小林達夫監督が参加。俳優デビュー10年目に初の海外映画祭となった瀬戸さんは、流暢なフランス語でスピーチを行い、カナダ・モントリオールの観客を沸かせた。幕末、将軍の警護のため有志により結成された「彰義隊」を舞台に、江戸から明治へ、時代に翻弄される若者たちの青春と生きざまを描く全く新しい時代劇として、海外からも熱い注目を集めている本作。モントリオール世界映画祭といえば、過去に、『おくりびと』(’06年/最優秀作品賞)、『わが母の記』(’11年/審査員特別大賞)、昨年は吉永小百合主演『ふしぎな岬の物語』が「審査員特別賞」「エキュメニカル賞」を、呉美保監督・綾野剛主演の『そこのみにて光輝く』が「最優秀監督賞」を受賞するなど、日本作品が高い評価を受けている国際映画祭。公式記者会見には、日本文化に興味を持つ世界各国の報道陣が集まり、小林監督と瀬戸さんが世界各国の記者からの質問に応じた。瀬戸さんは、本作への参加について、「映画での時代劇は初めてでした。『合葬』は日本人から観ても、新しい時代劇作品が出来たなと感じています。一方で、昔からある武士・サムライの精神が、いまを生きる僕たちに伝わる作品だとも思います」とコメント。本作に登場する若い侍については、「柳楽優弥さんが演じた極(きわむ)という人物は、皆が思う“THESAMURAI”で、自分の仕えている人のため、自分の志のために真直ぐに生きている人物。一方、僕が演じた柾之助(まさのすけ)は、現代人に一番近い考えを持っている人物かと思います。自分の居場所を探しながら、日々迷い、悩み…そういうところがいまを生きている僕らとの共通点だと思います」と語った。また、「日本映画の数々の時代劇の名作、なかでも溝口健二や黒沢明監督の作品は、自分が映画を志す上で大変影響を受けました」という小林監督は、「今回描いた、若者たちが知らない間に戦争に巻き込まれるという構図はどの国でもどの時代にも共通するテーマ。現代劇でこのテーマを描くと作家の主義主張やマニフェストとして作品がとらえられがちだが、時代劇で描くことによって世の中に何かを問うというよりも、寓話的、象徴的に見ていただけるのでは…」とその思いを明かした。その日の夜、行われたプレミア上映でも、昨今の日本ブームもあってか本作への注目度は高く、21時半と夜遅い上映時間にもかかわらず、20代の女性グループを含め老若男女たくさんの観客が詰めかけた。上映前、小林監督とともに登壇した瀬戸さんは、美しいグリーン色の着物姿で登場、観客からは大きな歓声がわき起こった。瀬戸さんは、初めて国際映画祭に参加したことへの感謝と、作品に描かれたテーマ“武士道”にからめた熱いメッセージを、完璧なフランス語で「激動の時代に生きた、名もない若い侍達の姿を描いた作品です。映画では侍が世の中から姿を消そうとしている時代に、彼らの日常や、迷い、悩みながらも志のために戦っている姿を描いています」と紹介。「侍は礼儀や作法を大切にし、忠誠心の強い、現代の我々日本の若者にとっても尊敬すべき精神をもっています。侍はいなくなってしまいましたが、現代を生きる僕らにも侍の心、“武士道”が残っています。私に宿っている“武士道”は、役者として、その一瞬一瞬に命をかけるという覚悟です。私にとって『合葬』は1シーン、1シーン、台詞一言、一言に命をかけて作った映画です」と力強く語ると、観客も大いに沸き、その発音は、通訳に「以前、フランス語を勉強していたのですか?」と聞かれるほど素晴らしいものだったという。プレミア上映では、エンドロールに入った途端、観客たちから自然に拍手が湧き起こり、全ての上映が終わった後、再び盛大な拍手に会場が包まれた。観客と一緒に映画を鑑賞していた小林監督と瀬戸さんが客席に向かって一礼し、会場を出ようとすると「素晴らしかった!」と次々に握手を求められ、劇場のロビーでも観客からの感想と質問が殺到。なかなか会場を去れない状態が約40分間続いたという。瀬戸さんは、そんな熱気の中、「映画が終わって拍手をいただけたことがとても嬉しい」と語った。なお、同プレミア上映の前には、瀬戸さんが粋な着物姿でモントリオールの街を散策。街角ではいたるところに、映画祭のバナーがあふれており、街をあげてのお祭りムードに、「昨夜は興奮してなかなか寝付けませんでした」と瀬戸さん。モントリオールを訪れる観光客なら必ず足を運ぶといわれる観光名所・ノートルダム聖堂の前で記念撮影。すると、聖堂の前のプラスダルム広場では、課外授業でモントリオールに訪れていたカナダ人の女子中学生にあっという間に取り囲まれ、写真撮影タイムに。「KIMONOが素敵!」「日本の俳優なの?かっこいい!!」と、瀬戸さんはカナダ人女性にも大人気の様子だったという。第39回モントリオール世界映画祭授賞式は、現地時間9月7日(日本時間8日)に行われる。『合葬』は9月26日(土)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:合葬 2015年9月26日より全国にて公開(C) 2015 杉浦日向子・MS.HS / 「合葬」製作委員会
2015年09月07日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、航空事業をはじめるにあたって必要な初期資金を60億円とし、出資要請で苦戦を強いられた話に触れた。スターフライヤー就航2年前の2004年と言えば長く苦しい資金集め、そして、機材の発注である。○個人投資家集めを中止資金集めの苦境はまだ続く。地元企業や機関投資家への資金集めに走り回る一方、地元の方々に少しでもスターフライヤーを知り、支援していただくために、個人からの投資も受けようという話が社内で出た。少額でも株主になってもらえば本人・知人が我々の飛行機にどんどん乗ってくれるのでは、との期待も強く、2004年秋に出資説明会を行うことにした。しかし想定外の事態が起こる。当日会場に人が集まり始めた頃、総務担当者が血相を変えて駆け込んできた。「今回の説明会は中止してください」。証券会社から注意があり、50人以上の多数の個人・法人に対して出資を勧誘すると、金融商品取引法の定めにより有価証券報告書の提出を義務づけられると知らされたのだ。ところが、駆け出しのスターフライヤーにはそれに足る資料を作成するスキルも経験者もいないので、「とても無理」というのが総務・経理担当の見解だった。当日の説明会会場で「やむを得ぬ事情により本日の説明会は中止します」と案内せざるを得なくなり、その後、広く個人への投資勧誘が行われることはなかった。この金商法の定めによる勧誘制限は企業への出資要請にも適用されるので、半年間に50社以上の企業に出資要請をすることができない。慎重にスケジュール表を書き、"空振り"を極力減らさないといけない、骨の折れる資金集めが続いた。○リース機発注にも資金がいる2004年のもうひとつのトピックスは機材の発注だろう。堀社長とは「新品の機材でいく」ことで合意していた。先発の新興エアライン各社が中古機でスタートし、思わぬ機材故障で遅延・欠航を連発していた事例が頭に残っていたし、中古機の品質の見極めは大変難しい。前の使用社エアラインがどんな整備をしていたか、隠れた不具合が残っていないかはよほどの大掛かりな点検をしないと分からないし、それを検証にいく時間も人間もない。他方、新造機は高い買い物だが、それだけにパイロット・CAの無償訓練、整備、部品のサポートなど新興エアラインには非常にありがたいサービスが受けられる。これはリース会社が購入した航空機でも同じで、購入者の権利を引き継げるのだ。それに何より故障の少なさが魅力で、我々が使おうとしていたB737やA320のような"成熟した"機材は故障リスクが非常に小さくなっているのだ。リース会社数社に「2006年3月に3機で就航」、つまり、「2005年末から2006年2月にかけて3機を納入できるか」を打診したところ、リース会社のGECASはB737でもA320でも用意できるという。他に納入可能なリース会社もあったので、これを対抗馬にGECASとの基本部分の条件を詰めていった。ポイントは「1)月額リース料、リース期間」「2)差入保証金(セキュリティデポジット)」「3)標準装備品、エアライン購入装備品、技術支援」「4)整備義務、返還時の機体・整備条件」の4つとした。1)と2)の金額の多寡は資金調達に大きく影響するし、そもそもリース会社が相手にしてくれるだけの手持ち資金があるか、強力なスポンサーがいるかでないと先に進めないのだ。経済条件を詰め終わり、GECASでいくことを決めると次に機材をボーイングにするかエアバスにするかの大詰めの選択に入る。○値引きの"二重払い"を要求ここでかねてから温めていた策を実行に移した。双日(ボーイングの代理店)とエアバス・ジャパンに、ひとつの要望を出したのだ。「当社が導入する機材に対して、メーカーから"クレジットメモ"を出すことを検討してもらえないか? 」。後にスターフライヤーの代名詞にもなった"業界の非常識"である。"クレジットメモ"とはメーカーが機体購入社に出す金券のようなもので、機体導入後にユーザーがメーカーから購入する有償訓練や部品、設備などの支払いに充当できる一種の値引きだ。通常メーカーは"購入者"であるリース会社には当然これを発行するのだが、リース会社から機体を借り受けるエアラインに対し、さらに上乗せして値引きを出すことなどあり得ない。言ってみれば"釣った魚にエサをやる"ようなものだからだ。しかし、今回は特殊な事情があった。日本におけるエアバス社の機体はANAのA320が運航されているだけで、過去JAS(日本エアシステム)に導入したA300は退役。その後の新規商戦でも、エアバスはボーイングに対して苦戦を強いられている。今回、スターフライヤーがリース機とはいえエアバス機を導入することで、日本での同社のプレゼンスが維持でき、今後につながる機会となる。そのためには"釣った魚"にでも投資するのでは、と考えたのだ。○両社とも、絶句ではボーイングはどうか。エアバスとは事情が全く違う。しかし、日本マーケットというオセロゲームの盤面を全占拠したい願望はあるはずだ。こうして両社と話し合ってみた。「両社とも、絶句」というのが最初の反応。当然だろう。しかし、スターフライヤーのビジネスプランとコンセプトを話すうちに、少しは「このエアラインは生き残るかも」と思ってもらえたかと思う。最終的には両社とも、我々の要求にそって対応いただけた。両社の技術力、安全性、経済性には遜色がなかったので、最終的には「他と違うことをする」という理念と、"数少ない顧客"である方が手厚いサポートが期待できる方に決めるという考えに落ち着いた。こうしてエアバスA320を選択したのが2004年10月。ようやく資本金も年内までの大きな目標としていた10億円を突破し(年末時点で12億2,000万円、53の株主)、長い一年が暮れた。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年09月03日武藤工業は9月1日、大型樹脂溶解積層方式3Dプリンタ「Value 3D Resinoid MR-5000(MR-5000)」を同日より発売すると発表した。「MR-5000」は、300℃の高温に耐えることができる新開発ヘッドを搭載することで、エンジニアリングプラスチック(エンプラ)での造形に対応。ACサーボモータによって制御することで、300mm/secで±15μmの精度を実現した。また、エンプラでの造形に対応するため特殊アルミ材を使用した造形テーブルは、最高150℃でも平面を維持し、100kgの荷重に耐えることができる。これら新開発ユニットを組み合わせたことで、従来のABSやエラストマー樹脂のほか、約300℃で吐出可能なナイロン、ポリカーボネートといったエンプラでの高速造形を実現した。さらに、新開発ヘッドの特性を活かして、マテリアルをヘッドごとに使い分けることで、樹脂の複合化などの検証も可能とした。「MR-5000」の最大造形サイズは500×500×500mmで価格は1000万円(税別)を予定しており、今後3年間で100台の販売を目標としている。
2015年09月01日堀高明代表取締役社長とともにスターフライヤーを立ち上げたひとりとして、スターフライヤー創業の歴史をここに記していこうと思う。前回、2003年12月に「株式会社スターフライヤー」の立ち上げを社会に宣言するまでの話に触れた。そしてここから、長く苦しい資金集めがスタートする。○資金集めの理想と現実航空事業をはじめるにあたって必要な初期資金は60億円とした。先発他社の事例を横目に事業計画を組み、開業までに行うべきことを網羅した数字でもあり、事業免許を当局から出してもらう上でも、出資者側が不安を持たずに意思決定できる上でも必要なレベルだと考えたのだった。最初の企画書では30億円を出資で残り半分を間接金融でまかなうとしていたのだが、これは早い内に無理と判明する。市役所のアレンジで都銀や地元地銀と話をしてみると、各行は異口同音に「資産の裏付けのないプロジェクトファイアンスをベンチャーに対して行うことは不可能」との返事。それならば、ということで航空会社時代の知己を通じ政府系の銀行とも話をしたが、なんと都銀・地銀以上に保守的で、リスクをカバーする担保や補償を厳しく求めてくる。たった1回の面談でこれでは融資を受けるのは絶望的なことが分かり、困り果てると同時に、「政府系銀行の仕事って何なんだろう。そんな確実の塊のような融資しか実行しないのであれば、銀行業務にいるのは猜疑心と計数の細かさだけじゃないか」と、なかば八つ当たりで思ったものだ。かくして、60億円を全額資本金で集めなくてはならなくなった。○地元の有力企業5社の出資が決まる話を初期の出資集めに戻そう。2003年末の記者会見で新航空会社設立をぶち上げたのはいいが、個々の地元企業との出資の打診などその時点では全くできておらず、各社の窓口への入り方も分からない。そこで、堀社長が地元財界のキーパーソンと言われていたゼンリンの会長にご指導を仰ぎ、主要企業が集う市の商工会議所三役会で事業説明と出資のお願いをさせていただいた。やや重苦しい場ではあったが北九州市長からの後押しもいただき、2004年3月に地元の有力企業5社(TOTO、安川電機、第一交通、ゼンリン、山口銀行)等から2億1,000万円の出資を得て始めての増資を実施した。やっと会社として動き出す骨格ができたわけである。そこで創立メンバーはいよいよ小倉に居を構え(皆、単身赴任であったが)、新小倉ビルの一室に本社事務所を開いて、昼夜を問わず北九州の人間関係、義理人情、芋焼酎の世界にどっぷり浸かり、「脱大手・独自モデルのエアライン」を目指して走り始めたのだった。この時点で、新北九州空港の開港・初便就航まで2年を切っていた。○新興各社の"失敗の理由"出資要請をするにはまず事業計画書を練り直さねばならなかった。いくらきれいごとの理想像を並べても、投資側からは「そんなにうまく行くわけがない。現にこれまでの新興エアラインは皆失敗しているではないか」と言われる。そこで新興各社の"失敗の理由"を調べて反面教師にし、我々はそれを繰り返さないというロジックで攻めることにした。スカイマーク、エアドゥ、スカイネットアジア航空とも創業者グループは航空業界出身ではない。これには業界の悪弊にとらわれないといういい面もある一方、やはり難しいことの方が多い。航空会社を始めるには航空局から事業免許の認可を受けるという、最初にして最大の関門がある。この折衝は想像を絶するストレスを伴うもので、特に相手が素人だと思うと局の指導・検証は熾烈を極め、非常に細かいものになる。「勉強して出直してこい」というわけだ。特に安全に関わる許認可においては、現場の担当官の心証を害するととんでもないことになる。この結果事業認可までの時間がかかってしまい、機材費・人件費などの固定費がどんどんかさんでいくのだ。また、現実の整備・運航体制を築く上で、当局に納得してもらうためどうしても大手の支援を仰ぐことになる。この委託費がかなり高額な価格になるため事業費が肥大化し、赤字体質になっていくのだ。「我々は航空のプロでありこういう轍(てつ)は踏まない」と宣言し、「単一路線で24時間運航」「革張りでゆったりした座席間隔」「大手より割安な運賃」という差別化要素を加え、何とか20ページの事業計画書が出来上がった。○地元企業の暖かさとは真逆の機関投資家地元への出資要請は、北九州市役所の片山憲一室長率いる企画政策室が我々の立ち上げを全面的に支援してくれた。まず市役所が連絡して玄関を開けてくれて、そこに我々が乗り込むという二人三脚方式をとったのでスムーズに面会ができ、これは本当にありがたかった。純粋な投資という側面以上に地元振興に協力するという大義があったためか、各社は暖かい気持ちで話を聞いてくれ、要請が空振りに終わるのは訪問企業の半分以下だったと記憶している。他方、首都圏での機関投資家への説明は全く様相が違った。はなから我々に懐疑的なスタンスで、事業計画がどうと言うよりも「事業がうまくいかなかった時に誰かが救ってくれるのか」がまずもっての関心事だった。市や地元企業が支えてくれるといってもそれが事業の成功を保証するわけではない、投資家としてリスクをとる決断をするには材料不足、という指摘がほとんどだった。「これはなにか大きなきっかけがないと先は厳しいな」というのが、経営陣に共通した認識となっていった。※本文に登場する人物の立場・肩書等は全て当時のもの○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年08月27日編集部から「スターフライヤー創業のエピソードを"履歴書"風に書けないか」との相談をいただき、どれだけ正確に思い出せるかやや自信がないものの何らかの参考になればと思い、これに取り組むことにした。関係者等には一部実名でご登場いただくが、全て当時の立場・肩書き等を使用していることをご了解いただきたいと思う(現職を調べて記載するのはとても無理だ)。またスターフライヤーおよび、この創業期をともにさせていただき特段お世話になった方々、すなわち、堀高明代表取締役社長(スターフライヤー)、片山憲一氏(北九州市局長、現在は北九州エアターミナル代表取締役社長)、松井龍哉代表取締役社長(フラワー・ロボティクス)にも事前にご相談し、連載開始についてご快諾をいただいたことにも厚くお礼申し上げる。○新聞すっぱ抜きから始まった北九州での生活2003年12月、堀氏とともに新しい航空会社設立に動いていた筆者のもとに、堀氏から一本の電話があった。「明日の朝刊1面で西日本新聞がスターフライヤー設立を記事にするので、明日の午後に記者会見する。すぐ北九州に来てくれ」。慌てて翌朝、福岡に飛んだ。小倉駅で待っていてくれた北九州市役所の方に連れられ、のちに本社が入る新小倉ビルにある経済記者クラブに滑り込んだ時には既に会見は始まっていた。ちょうど堀氏が事業理念などを説明しているところだったが、実のところ、その中身より異様とも言える会場の熱気のすごさの方が印象に残っている。北九州市が市政運営の柱のひとつに据えた新北九州空港の開港を何とか経済復興につなげたいとする、地元の期待が会場内の気温を押し上げていた。ここで正式に新航空会社「株式会社スターフライヤー」の立ち上げを社会に宣言し、長く苦しい資金集めがスタートしたのである。○6人の井戸端集会から始まった新会社設立「どこにもない新しいコンセプトの航空会社を作らないか」と堀氏に声をかけられたのが2002年春だった。堀氏とは昔、JAS(日本エアシステム)・ANAで空港権益を巡って角突き合わせたこともあった仲だったが、お互いに大手航空会社を出て別業界にいたこともあって時々会っていた。加えて、共通の知人で筆者の高校の同級生だった国交省部長が、堀氏に「新しい航空会社をやるなら武藤を一緒に誘ったらどうだ」と言ってくれたようだ。こうして東京・八丁堀の家賃10万円の安オフィスを借り、事業がスタートした。2002年秋、JASの知人が経営する鉄板焼き屋に集まったのは、堀氏のJAS・JALの知己4人。この6人がそれぞれの仕事をこなしながら、朝晩、休日を使ってエアライン立ち上げの準備をしていたのだが、堀氏との間でまず議論したのはビジネスモデルだった。「ジェットブルーのような会社にしよう」というのが2人すぐに一致したことだった。広めの座席ピッチ(間隔)とリアルタイムのシートTVで独自の差別化を図った米国の新興航空会社は、低価格・高サービスを武器に急成長していた。他方、日本の航空業界では2002~2004年にかけて新規エアラインが次々と実質破綻し、「新規航空会社は日本では成功しない」とささやかれていた。何としても大手寡占に風穴を開けたいとの強い思いがあったし、ジェットブルーはひとつの手本になるのではと感じていた。○神戸での挫折しかし、当初のもくろみは大きく外れる。今後、新規会社への羽田の発着枠配分は大手への配慮や各社バランスが先行し、新たな参入者には厳しいものがあると考えられた。そのため、「これからできる新空港を狙うしかない。空港維持のため新空港には厚めの配分があるはずだし、大手との競争でもスタートは互角だ」と読んだ。これからできる新空港で時期的に間に合い、かつ、我々が参入して需要があるのは神戸と北九州しかない。まずはまっさらの神戸に狙いを付け、わずか15ページの事業構想書を手に神戸市役所へのアプローチを始めた。2002年末、スターフライヤー設立の前には「神戸航空株式会社」という今からでは想像もつかないほどベタな名前にしていたのも、神戸への思い入れがあることを感じてもらいたいとの率直な意図だったが、神戸市の反応はさめていた。会議での「神戸空港に興味を持っていただくのは非常にありがたい」との助役の言葉が空虚に響く。事務方の対応も同様だ。その理由はすぐに分かった。神戸空港は管制上の制約と関空との関係から、「1日30便(往復)」の制限があるのだが、市としては空港ネットワークを拡充するにはまず大手2社に多く飛んでもらうことを第一に考えていた。つまり、新規会社に枠を割くと大手の枠がなくなり、他社誘致に支障を来す。余計なことはしてくれるな、との思いが本音だったわけだ。これ以上神戸に固執すると2006年の開業に間に合わないと判断し、2003年夏、既にJALが旧空港に就航している北九州での事業開始を目指す方向に舵(かじ)を切った。○ライト兄弟に立ち返って北九州へ北九州市長に企画書を持ち込んだのが2003年5月のことだったが、まさか神戸航空のままではだめだろうということで、社名をどうするかの議論になった。各自が好き勝手なことを言っていたが、夜中も飛び続けるエアラインなのだから「スター」を入れようとなり、堀氏が「ライト兄弟の進取の精神を受け継いだ会社にする」としてその飛行機フライヤー号の名前を付け、社名をスターフライヤーに変更した。なお、最初の社名であった神戸航空の創立記念日も、フライヤー号初飛行の日に合わせて12月17日であった。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年08月20日柳楽優弥&瀬戸康史がW主演を果たす『合葬』が、第39回モントリオール世界映画祭のワールド・コンペティション部門に正式出品されることが、このほど決定した。漫画雑誌「ガロ」に連載され、日本漫画家協会賞優秀賞を受賞した杉浦日向子の同名漫画を実写映画化する本作。NHKテレビ小説「まれ」に出演中の柳楽優弥と、今年デビュー10周年を迎えますますの飛躍を見せる瀬戸康史がW主演を果たし、ほかにも若手実力派の岡山天音や、『FOUJITA』の公開を控えるオダギリジョー、柳楽さんと同じく「まれ」出演中の門脇麦、「なぞの転校生」の桜井美南ら個性溢れる共演陣が勢ぞろいし、これまでの“時代劇”とは一線を画すリアルな青春群像を紡ぎ出していく。このほど本作の出品が決定したモントリオール世界映画祭は、カンヌ、ヴェネチア、ベルリンの世界三大映画祭に次ぐ北米最大規模の権威ある映画祭であり、近年立て続けに日本映画が受賞。今年すでに中村倫也主演の『星ガ丘ワンダーランド』の正式招待も決定し、“日本好き”として知られる本映画祭は大きな注目を集めている。そして、今回の正式出品を受けて柳楽さん、瀬戸さん、岡山さん、小林監督からコメントが届いている。■柳楽優弥今回このようなお知らせを聞く事が出来てとても光栄です。僕は舞台の稽古中の為、現地へ伺う事が出来ませんが、『合葬』に込められた想いがモントリオールの方々にどう感じて頂けるのか、とても楽しみです。■瀬戸康史小林監督、スタッフ、共演者の方々と共にリハーサルを重ね、短い期間でしたが昨年の暑い夏、妥協せず闘った作品が評価され、個人としては初の海外映画祭コンペの出品となったことを光栄に思います。まるで自身の目で見て、感じた幕末の人間模様や風俗をそのまま描いた、杉浦日向子さん原作の日本の時代劇映画が世界の沢山の方々に観ていただける機会を与えられて嬉しく思いますし、今作は僕ら日本人が観ても、“新しさ”を感じる時代劇で、海外の方々の反応が今からとても楽しみです。この映画から、亡くなった者、遺された者、それぞれの生き様を見届けてほしいと思います。■岡山天音『合葬』が、モントリオール世界映画祭に出品された事、とても嬉しく思います。日本の幕末という時代を生きた人間たちの、ありのままの生き様に国境を越えて寄り添ってもらえたら最高です。■小林達夫監督『合葬』のWorld Competition部門ノミネート、嬉しく思います。若者の置かれている状況に対する不安や、仲間同士の羨望や嫉妬といった感情から生まれるストーリーは、時代劇という枠にとらわれず普遍的な青春映画のテーマとして海外の方にも共感していただけることを願っています。尚、映画祭には、小林監督と瀬戸さんが出席予定。瀬戸さんの海外映画祭への参加は今回が初となり、海外でどのような注目を集めるのか大いに期待がかかる。『合葬』は9月26日(土)より新宿ピカデリーほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)
2015年08月12日●ANA支援案で想定されるメリット - 「A380」はあり得るのか迷走したスカイマーク再建問題は、8月5日の債権者集会でANA支援案が大差の勝利を収め決着した。今後は本筋の再建計画がどう策定され実行されるかに焦点が移るが、これまでの一連の動きを整理することで残る問題の所在を明らかにし、スカイマークの今後を見ていく上での視点を整理してみたい。○なぜ対抗案提出という異常事態になったのか債権者集会の結果を見てみると、ANAが支援するスカイマーク案への賛成は議決者174人中135.5人、議決権総額の60.25%となった。一方、デルタ航空が支援するイントレピッド案への賛成は債権者37.5人、債権総額は38.13%にとどまった。その前に、そもそもなぜこのように再生案が2つ並ぶ事態になったのだろうか。インテグラル、スカイマーク、ANAホールディングス、金融団の4社合意ですんなりまとまるかに見えた再建案が急転したのは、最大債権者と称する米・航空機リース会社のイントレピッド・アビエーションがANAから同社機材の引き受け拒否を受けたことが一因だろう。そこでイントレピッドはANA支援案に反対し、機材を活用できる別スポンサー探しを始めた。ここでの疑問は、なぜANA側と投資契約に合意しているインテグラルが、イントレピッドのスポンサーにも名を連ねたかということだ。しかも、もともとインテグラルは90億円の出資が限界としていたものを、暫定的とはいえ180億円を拠出するという対抗案となった。一連の経緯から、インテグラルが「ANAに支援されるより独立性の高い相手と組んで"第三極"として再建できる方がよい」との考えに立ち戻り、二股をかけた可能性が大きいと考えられる。スカイマーク経営陣においても破綻直前にANAから設備資材買取りを拒否され民事再生に至った経緯から、同種の思惑があったことが想像される。また、イントレピッドという日本の航空業界になじみの薄い会社が、単独でANAとの抗争にデルタを呼び入れてプロキシファイトに持ち込んだとも考えにくい。その周辺には、2017年3月末まで戦略投資を国交省から禁じられているJALの存在も絡めながら、中小航空会社の総ANA化を防ぎたい日本側からのアドバイスがあった可能性もある。実際、イントレピッドのANA案反対が明らかになった直後に、JAL大西賢会長が「共同運航での支援は可能」とのアドバルーンを揚げている。今回の争奪戦は、再建案の評価は弁済の多寡や再生の実効性という点よりも、経営権争奪ゲーム的な興味で見られてしまった点は否めない。水面下で多くのプレイヤーがそれぞれの利害・思惑で動いたことが、事態をより複雑にしたと言えるだろう。○各社がANA支援策を選んだ理由債権額による議決権争いでは、イントレピッドがエアバス、ロールスロイス、米・航空機リース会社のCITのうち1社でも取り込めば過半数を取れる状況にあった。他方、債権者数の過半を押さえるという点では、差入保証金など少額の債権を持つ日本の旅行会社などが多数あり、今後の商売を考えてもANAに乗る方が得策という事情からANAの圧倒的な優位は確実視されていた。これが「1勝1敗で仕切り直し」との大方の予想につながったわけだが、結果的にANAが外資3社を全て押さえたことをみると、各社に対し相応のコミットをしたものと思われる。外資各社の合意を取り付けるには、感覚論・人情論だけでは到底できないのが通例だ。一部報道では「A380の引き受け」という見方もあったが、これは最もあり得ない選択だと思われる。おそらく既購入機種(A320やA321)の追加購入か、A330の将来の導入を約束したのではなかろうか。A330は運航距離も長く、ANAグループの国際旅客便及び貨物便を担うエアージャパン、また、ANAホールディングスが100%支援するバニラエアによるハワイ・アジア向け観光路線での使用は十分あり得る。加えて、購入時にセールアンドリースバック方式でCITとのビジネスを新しく作ることもできる。●スカイマーク再建への最大の問題はインテグラルとANAの協調○デルタ案への懸念また、多くの債権者は今後スカイマークの早期再生、同社との取引継続を望んでおり、ANA支援案の方がそれを実現する可能性は高いと考えたのだろう。デルタが共同運航すると言っても自社便との乗継旅客しか搭乗者はいないわけだから、座席の固定買取りは行えず収入の下支え効果は薄い。その他、デルタが挙げた支援策も定性的なものばかりでデルタ側の日本での地盤拡大の色彩が強く、外資が第三極を支配することへの違和感・忌避感と相まって支持を得ることができなかったと思われる。加えてこれまでの報道では明らかでないが、デルタ案でピースが埋まっていない資金、すなわちインテグラル90億円+デルタ35億円(20%弱)では180億円に不足する残り50億円超の出し手を見つけられなかったのではないか。さらに、国交省が一貫してANA支援を後押しした状況も見られる。破綻前のスカイマークがJALとの共同運航を打ち出した際には、いち早く「8.10ペーパー(JAL再生への対応について)との関連で厳しく対応」との大臣談話が出た。そして、デルタ参入が明らかになった際には、「羽田枠を国内線から国際線に転用することは認められない」とデルタの将来の可能性を打ち消す発言もあった。これらは当然、官邸・与党の意向と無縁ではなく、「民主党政権の残した成果がJAL再建」というレッテルと、ANAのたくみな政界工作が生み出した帰結とも考えられるだろう。○再建に3社の思惑がぶつかる今回の決着を持ってスカイマーク再建は軌道に乗るのだろうか。最大の問題はインテグラルとANAの協調がずっと図られるかだが、独立第三極としての再生を世に示したいスカイマークの佐山展生会長と株主に本投資の説明責任を負うANA経営陣とは、今後、随所に思惑の違いが表面化することが考えられる。運賃政策、路線の開設や廃止、システム依存などにおいては必ずしも両社の利害は一致しないからだ。スカイマークが安売りや路線拡充を図ろうとすると、ANAは共同運航の買取り路線・席数を減らす等で自重を促すなどの展開もあり得る。他方、A330就航と地方路線拡大で膨らんだ生産規模に対し、雇用を全て維持したまま適正化することにも無理があり、現在のスカイマークのユニットコストは上昇していると見られる。そのため、さらなる路線の休廃止や組み替えもANA路線との利害調整をしながら行わざるを得まい。これらにおいて出身母体の異なる経営陣がどのように挙党一致の方針を立てていくのか、興味深いところである。また、中期的なゴールを考えても、インテグラルは5年をメドに株式を高値で再公開してエグジットしたいのに対し、ANAは国交省から再建の目途が立ったら関与を解消せよと言われている問題が残っているので、早い内にピカピカの会社にすることには魅力を感じていないはずだ。当事者間の思惑だけでなく、業界全体の活性化と利用者利便の向上を常に意識した世論のウォッチと、行政当局の競争環境づくりが強く求められるところだ。「同じボートに乗っているのだから信頼し合ってやっていく」と両社は言うが、今後は「ボートはどこに向かうのか」を両社で一致させねばならない。「さすがプロの投資家」「さすが航空業界の盟主」と言われるようなスカイマーク再建を成し遂げてくれることを期待したい。○筆者プロフィール: 武藤康史航空ビジネスアドバイザー。大手エアラインから独立してスターフライヤーを創業。30年以上におよぶ航空会社経験をもとに、業界の異端児とも呼ばれる独自の経営感覚で国内外のアビエーション関係のビジネス創造を手がける。「航空業界をより経営目線で知り、理解してもらう」ことを目指し、航空ビジネスのコメンテーターとしても活躍している。
2015年08月07日