ロンドン生まれのdesignsix は、モデルのKanocoさんとのコラボレーションも注目されている旬のアクセサリーブランド。本国では、ヴィクトリア&アルバート博物館やテートモダンなどのミュージアムショップにも並ぶロンドナーにも人気のブランドです。2月18日オープンの新宿ルミネ2店は、原宿のギャラリー併設のコンセプトショップ、グランスタ東京店、京都のカフェバー併設の standsix に続く4 店舗目。 ストリートを意識したショップのエントランスの壁面は、グラフィックウォールとしてトレンドを発信。新進クリエーターによるペイントやストリートファッション+ designsixアクセサリーの写真、日本の美意識がミックスされたPOPアートなどが、1年を通じて展開されます。ニューオープンのショップはストリートを意識して。ショップのシンボルカラーは鮮やかなdesignsixグリーン。エントランスの大きなグラフィックウォールが目をひきます。オープンを記念して、ネックレスをお買い上げのお客様に同色のギフトボックスをプレゼント!モデル【Kanoco】と designsix のコラボレーションシリーズ Pisara。 フィンランドで見た、枝から一粒の雫が落ちる瞬間を表現したピアス。 儚さと、みずみずしさを表現しています。【designsix meets Kanoco】ピアス/イヤリング 3,960円(税込)つけ襟のようなデザインが特徴的な LITTLE JADE ネックレス。シンプルな洋服にアクセントとして取り入れれば、たちまちおしゃれな印象に。 新宿ルミネ2では限定カラーのレインボーが登場! LITTLE JADE ネックレス 3,080円 (税込)心ときめくアクセサリーで、シンプルな装いをチャームアップdesignsixのアクセサリーは、手に取った瞬間に心が浮き立つものばかり。ビーズやレジン、天然石、パールやスパンコールなどのコレクションがあり、種類もアイテムも百花繚乱! きっと、お気に入りが見つかるはず。ママとキッズがシェアできる、ヘアアクセサリーも充実しています。ストーリーがありながらも、毎日気軽につけられるアイテム揃いです。ぽってりとした愛らしいフォルムが特徴の、NOVA シリーズのヘアゴム。 ヘアアクセサリーとしてはもちろん、手首につけたり、ポンポンのように重ね付けしてもキュート。ママとキッズにおすすめの人気のアイテム。NOVA HAIR RUBBER 1,100円(税込)レジン製のフラワーモチーフが可愛らしいGERA シリーズ。 甘さを抑えたソリッドなデザインはガーリーからストリートやモード な着こなしにも合わせやすいオールマイティーなデザインです。GERA リング 2,640円(税込)・GERA ピアス/イヤリング 2,860円(税込)花を買うようなリーズナブルなプライスも魅力のひとつ。designsixのアクセサリーは、どれも手の込んだデザインや厳選された素材でありながら、大人買いできるプライスがうれしい。花を買うような感覚で手に入るアクセサリーは、おしゃれの冒険心を刺激してくれます。贈る人も贈られた人も、ハッピーな気分になれるギフトとしてもおすすめです。古典的なジュエリーをモードに落とし込んだデザインのピアス/イヤリング。 色とりどりのビーズが煌めき、身につけるだけで華やかな気分に。 お揃いのリングとコーディネートしても素敵。GEM ピアス/イヤリング 3,410円(税込)designsixって、どんなブランド?2004年にMark Watson(マーク・ワトソン)と、Tracy Watson(トレーシー・ワトソン)夫妻により設立されたアクセサリーブランドです。大胆なデザインと繊細な色彩感覚を組み合わせたアーティステックなコレクションは、ヴィクトリア&アルバート博物館やテートモダンをはじめとしたロンドンの主要な文化施設で販売されています。日本では21世紀美術館、MoMA DESIGN STOREなどのミュージアムショップのほか、セレクトショップなどに並んでいます。スパンコールでできたフラワーモチーフが、束になったピアスとイヤリング。 動くたびにキラキラと揺れる、ドラマチックなデザインです。 写真は、お揃いのネックレスとのコーディネート。FLOWER FIELD ピアス/イヤリング 6,600円 (税込) FLOWER FIELD ネックレス 3,300円 (税込)designsixオリジナルの6ロゴ入りキャンディー。優しいミルクの味わいが美味。ルミネ新宿のオープン記念ノベルティとして、お買い上げいただいた方にプレゼント!(数量限定につき、無くなり次第終了)
2022年02月18日五輪“3連覇”ポーズをとる羽生結弦(日本スケート連盟公式Twitterより)2月4日に開会式が行われ、いよいよ北京五輪が開幕した。「フィギュアスケートは団体戦からスタートしましたが、羽生結弦選手は出場せず、8日にショートプログラム、10日にフリースケーティングが行われる個人戦にすべてを注ぎます」(スポーツ紙記者)羽生が団体戦に出場しなかった理由を、元フィギュアスケート選手の渡部絵美さんが分析する。「3連覇に向けて集中するためだと思います。試合会場の雰囲気や氷に慣れるために、1回でも多く本番のリンクで滑ることはとても重要ですが、羽生選手は冬季五輪出場も3度目のベテラン選手。なので、問題ないと判断したのでしょう」そして、ついに始まる個人戦の勝負の行方には、世界中からの熱い視線が注がれる。「北京は、ヨーロッパやアメリカの選手にとっては大きな時差があります。国内で練習していた日本の選手は時差の影響を受けづらく、その点では有利でしょう。日本の男子選手には、表彰台を独占してほしいですし、その可能性は十分あると思います」(渡部さん、以下同)それほどに、おのおのが仕上がっているのだという。■メダルに期待がかかる日本人選手フィギュアの日本代表では最年少、18歳の鍵山優真は、初の五輪出場だ。「父でコーチの正和さんは、1992年のアルベールビル五輪と1994年のリレハンメル五輪の2度、オリンピックに出場経験があるので、それを踏まえたリアルなアドバイスを受けているはず。初出場だからと意識しすぎず、普段どおりの演技をすれば、輝かしい結果になると思います。特に、4回転ジャンプは無理のない自然な姿勢で跳んでいて、世界的にも評価されています」宇野昌磨は、団体戦ショートプログラムに挑み、アメリカのネイサン・チェンに次ぐ高得点を記録した。「今シーズンは非常に安定しています。ステファン・ランビエールコーチが渡航前の検査でコロナ陽性になってしまい団体戦には不在でしたが、連携がよくできていて、ジャンプも好調。プレッシャーがある中でもしっかりまとめてくるでしょう」3連覇の期待がかかる羽生はどうか。「羽生選手は、その表現力が見どころ。4回転半に挑むことが注目されていますが、ひとつの技だけではなく、演技全体を通して、彼ならではの壮大な世界観を表現してくれると思います」2月3日、日本スケート連盟のTwitterに投稿された動画で、羽生は北京五輪についてこう語っている。「4A(4回転アクセル)も含めて、絶対に勝ちを獲りにいきたいなと思っています」昨年12月に行われた北京五輪代表の選考会『全日本選手権』まで、五輪については明言を避けてきた羽生。3連覇への決意を固めたのは、『全日本』優勝後、五輪代表のジャージに袖を通してからだという。その思いを後押しすべく動いたのが、地元の宮城県仙台市。450人を動員する予定だったパブリックビューイングこそ、コロナの影響で中止になったが、県内外から応援の声が届いたこともあり、市役所には応援看板が設置され、等身大パネルなどの展示が行われている。「羽生選手は前回大会で、男子フィギュアでは66年ぶりとなる2連覇の偉業を成し遂げられました。3連覇を目指して、これまで培った力を存分に発揮されますよう、仙台市民一同、応援しております」(仙台市スポーツ振興課担当者)■北京はあまり考えていなかったそして、宮城県登米市には、工業高校で教師をしていた羽生の祖父の同僚を中心に結成された『羽生結弦 ふ・る・さ・と応援団』がある。エールを送るのは、団長の春日了剛さんだ。「2014年のソチ五輪、2018年の平昌五輪では、近隣住民や結弦くんのおじいさんと面識のあった人が集まって応援をしました。3連覇を果たしたら、日本人としては前人未到の偉業ですし、世界的にも素晴らしいこと。叶えられるよう、心から応援しています」多くの人の思いが込められた3連覇。当の羽生は、最新のフィギュアスケート専門誌でこう語っていた。《五輪2連覇が子どものころから常に強く描いていた夢であり目標だったので、北京はあまり考えていなかった五輪となります。(中略)2連覇を強い覚悟でつかみとることができたからこそ、この五輪で、2連覇という実績を壊してしまわないかという怖さもあります》(『アイスジュエルズ』Vol.15)そんな危惧を抱く羽生を支えたのが“精神的な柱”だと語る父の存在だった。「結弦くんのお父さんは、仙台市の中学校で校長をしています。“スケートだけじゃなく勉強もしっかりやらないとダメ”と、常日ごろ言っていた厳格な方で、2020年度には教育に関する論文が県で入選したこともあります。ただ、スケートについてはお母さんがいちばん近くで支えていることもあり、お父さんが口出しをするようなことはありません。練習の送り迎えなどはしますが、一歩下がって見守っています」(羽生家の知人)前出の春日さんも続ける。「結弦くんのおじいさんは、律義で面倒見のいい親分肌でした。なので、結弦くんのお父さんもそれを受け継いでいる部分があるかもしれませんね」■校長の父親が語った「チャレンジ」そんな父が勤める中学校では、『全日本選手権』開催中に2学期の終業式が行われた。「終業式では、羽生校長から式辞が述べられました。“年齢を重ねると時間の体感が短くなる。3年生は受験を目前に控えて焦る気持ちになると思うが、時間は万人に等しく流れるので今を大切にして、冬休みはいろいろなことにチャレンジし、自分を磨く期間にしてほしい”という内容でした」(中学校の保護者)この思いは、羽生にも届いたに違いない。「羽生選手は、悩んだときには家族に相談をするといいます。それがきっかけで、気持ちが好転していくことも多いそう。北京五輪に向けて、4回転半の成功と3連覇のプレッシャーが彼にかかりますが、お父さんの“金言”を胸に、北京五輪に向けて演技を磨き続けたことでしょう」(スケート連盟関係者)“今がいちばんうまい”と自負を持って挑む羽生の集大成。その演技で、北京から世界中を魅了してほしい!渡部絵美◎元フィギュアスケート選手。日本代表として世界選手権などで活躍。2度の五輪出場経験があり、’80年のレークプラシッド五輪では6位入賞
2022年02月08日「12年間『Going! Sports&News』にレギュラー出演する上田晋也さんは、ロンドン、ソチ、リオ、平昌五輪と夏冬4大会連続で現地取材。今回の東京五輪でもスペシャルサポーターとして活躍が期待されましたが、7月24日にコロナ陽性が判明して出演できなくなりました。困り果てた日テレの窮地を救ってくれたのは、『Going~』で共演する亀梨和也さん(35)だったんです」(日本テレビ関係者)日本テレビは東京五輪期間中、特別中継態勢を組み放映。明石家さんま(66)、上田晋也(51)、有働由美子(52)、吉田沙保里(38)という“最強の布陣”で臨んだ。しかし、五輪開幕と同時に上田の新型コロナ感染が発覚――。「もともと亀梨さんは今回の五輪中継のメインメンバーではありませんでした。ただ、野球を中心に各界のアスリートとも親交が深い亀梨さんを局内で推す声があり、各競技会場に足を運び、アスリートの生の声を拾ってくる“現場レポーター”として五輪中継に参加していたんです」(前出・日本テレビ関係者)小学6年生時、軟式野球の世界大会にも出場した実力を持つ亀梨。本誌も、7月27日、横浜スタジアムで行われた米国とのソフトボール決勝戦で、意欲的に取材に臨む亀梨の姿を目撃している。待ち時間、彼は柔軟体操で体をほぐし、スタッフの緊張も和らげていた。前出の日本テレビ関係者は言う。「特に8月1日の出来事が忘れられません。日本テレビは朝から深夜までずっと五輪中継でした。重点的に放送を予定していた競技で予想外に日本人選手が敗退し、“目玉”がなく困り果てていたのです。唯一の期待はマスターズを制した松山英樹選手が出場する男子ゴルフの最終ラウンド。局としては、炎天下のゴルフレポートをタレントの方にはなかなか頼めない。でも亀梨さんは自ら志願して、全18ホール同行取材してくれたんです」残念ながら松山はメダル獲得とはならなかったが……。「この亀梨さんの金メダル級の“奮闘”に現場の士気が高まったのは事実。『亀梨さんとは末永くご一緒したい』と話すスポーツ局の関係者も多かったです」(別の日本テレビ関係者)8月9日、上田は日本テレビの五輪特番にVTR出演し、「オリンピック初日にコロナ発症しまして、関連番組すべて出られなくなりまして、日テレさんに“あいつ使えねーな”って言われているオリンピックキャスター上田晋也でございます」と苦笑いしていたが、亀梨の見事な“代役”ぶりに真っ青!?
2021年08月18日日本人選手の金メダルラッシュに沸き上がった東京五輪。アスリートの活躍はうれしい限りだが、今回の五輪についてまわるのは“お金”の問題。そこで本誌では、今回の五輪で話題になっている「あれ」の“お値段”を調査した。選手がSNSにおいしいとアップして評判の選手村の食事。テレビ中継で目にする、猛暑の中、選手が体に当てているアイシング用の氷。また、開会式でのパフォーマンスが話題となった“動くピクトグラム”の費用は次のとおり。【選手村の食事】2,824円/1食各国の選手たちに「オイシイ♪」と評判の選手村の食事。1日あたりの提供可能数はメインダイニングで4万5,000食、カジュアルダイニングで3,000食。和食、洋食、アジア、ベジタリアン向けなど700種類とメニューも充実。食堂を取り仕切るのは、社員食堂や学校の食堂を展開するエームサービス。約62億円の契約金を入村期間の提供可能食数で割ってみると約3,000円に。【ピクトグラム】3,258万7,500円競技をわかりやすくデザイン記号で伝えるピクトグラム。今大会ではアニメーションとなっており、開会式では競技紹介のパントマイムが話題をさらった。開会式を取り仕切る電通が入札でセリ落としたのは、ピクトグラムの使用料を他社に請求されることを防ぐのが狙いか。【1日の氷代】964万4,451円/日連日の猛暑のなか、ほてった体を氷で冷やすアスリートの姿も。選手村でのアイスバス(氷風呂)やアイシングに使われる氷の発注額は約7,844万円。飲用なども含め、競技会場で使用される氷の費用は約2億1,089万円。「大会終了までにブロック氷1キロ入りを40万4,000個用意しました」とは氷を納入する小久保製氷冷蔵の担当者。【ドローン パフォーマンス】1億131万円全体的に地味でショボいといわれた開会式で人々の度肝を抜いたドローンの演出。「平昌五輪のパクリ」という批判の声もあったが、スポンサーのインテルの技術協力によるもの。200台のパッケージで約1,100万円。開会式で1,842機が空を舞った費用は、推計1億131万円に!【選手村】1,057億円選手村の建設費は、ロンドン五輪で1,800億円、リオ五輪で880億円。ロンドンの選手村は民間に売却され、2,800戸の低所得者層向け賃貸住宅にした一方、東京の選手村は大会終了後、「晴海フラッグ」の高級分譲マンションに。【金メダルの原価】9万8,145円廃棄された電子機器から集められた金属で作られた今回のメダル(重さは金556グラム、銀550グラム、銅450グラム)。金メダルは銀製のメダルに6グラム以上の金メッキをしたもの。金・銀の相場と重さから、原価は9万8,145円と推計される。
2021年08月12日ついに東京オリンピックが開幕。五輪に向けて鍛錬を重ねた選手たちの奮闘を毎日テレビの前で見守っているというご家庭も多いと思います。そんな中、Twitterに投稿された子どもたちの独特すぎる五輪の楽しみ方が話題に!その発想の可愛さとシュールな写真に、吹き出してしまう人が続出しているようです(笑)。 子どもたちなりの「お・も・て・な・し」 3万RT、8万いいね(※7月下旬現在)がつくほどバズっているのが、2人の女の子ママ、うみのもずく(@bibouroku_2020)さんが投稿したこちらのツイート。子どもたちがテレビに写っている選手にヨーグルトを分けてあげている様子の写真なのですが、撮影タイミングがあまりにも神すぎて、まるで選手がヨーグルトを吹き出しちゃってるみたいな図に(笑)。優しくて可愛らしい子どもの発想にほっこりしつつも、画像を見るとつい笑っちゃうというカオスなツイートになっています(笑)。 時にはプールサイドの方にも うみのもずくさんいわく「選手の頑張っている姿が子どもたちの心に響いた」そうで、子どもたちなりに選手を気遣いながら、よりヨーグルトを食べてもらいやすいシーンを探したり、時にはプールサイドに控えている選手にも差し出したり。写真のインパクトには笑ってしまいますが、子どもたちの優しさが感じられる、素敵なエピソードですよね。 新型コロナの影響で1年延期された末、ようやく開幕した東京五輪。東京で行われる夏季オリンピックを見られるなんて、少なくともあと十数年はない貴重な機会です。子どもたちの心にも、きっと強く残るはず。ぜひ家族で、この貴重な五輪期間を楽しんでくださいね。
2021年07月27日いよいよ2021年7月23日の20時に開会式が行われる、東京五輪。当日の13時頃、開催を記念して航空自衛隊のアクロバット飛行チーム『ブルーインパルス』が都心でパフォーマンスを披露しました。東京都新宿区の国立競技場上空付近に到着した全6機の編隊は、青色や黄色、黒色、緑色、赤色のカラースモークで、青空に五輪マークを描いたのです。東京都千代田区の日比谷で撮影された、ブルーインパルスの姿がこちらです! #航空自衛隊 の #ブルーインパルス は、 #Tokyo2020 開会日に、東京都内上空での展示飛行を行いました✈︎✈︎✈︎写真はその様子です✨ pic.twitter.com/bIquomGgVn — 防衛省・自衛隊 (@ModJapan_jp) July 23, 2021 素晴らしい編成技術で、青空を飛び回るブルーインパルス。これまでもブルーインパルスは、いろいろな式典に出演したり、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)の最前線で闘う医療従事者に感謝の意を表したりと、曲技飛行を披露してきました。コロナウイルスが感染する中での開催ということもあり、不安視する人も多い今回の東京五輪。しかし、ブルーインパルスのパフォーマンスは見た人たちに笑顔を届けてくれたのではないでしょうか。[文・構成/grape編集部]
2021年07月23日東京五輪が開幕を目前に控えるなか、Twitter上では7月20日ごろから「#もううんざりだよ東京五輪」のハッシュタグを添えた呟きが広がっている。五輪開催を反対する意見もあれば、新型コロナの感染拡大や生活を不安視する声など様々だ。そんななか、脳科学者の茂木健一郎氏(58)が21日午前にツイートした“怒りの呟き”が物議を醸している。《このハッシュタグでつぶやいている、ごちゃごちゃうるさいノイジーマイノリティの方が、うんざり。勝手にやってなさい。ぼくたちはホスト国として東京オリンピック盛り上げます。まずは今日のソフトボールから!》五輪開催に不安を抱える人や反対する人を“声の大きな少数派”を指す「ノイジーマイノリティ」と括り、「#もううんざりだよ東京五輪」のハッシュタグを添えた茂木氏。続くツイートでは《このハッシュタグにのって、コロナ対策と五輪があたかも二者択一であるかのようなことを言うひとたちの非論理性と粗雑な思考にいちばん腹が立つ》と補足したものの、批判が殺到し“炎上騒動”となっている。《「ごちゃごちゃうるさいノイジーマイノリティの方」対「ぼくたち」茂木さん、意識的か無意識的か知らんけど、こうやって分断を煽るのはオリンピック精神に反するのでは?》《茂木先生、これはあんまりだわザルな水際対策、低いワクチン接種率、緊急事態宣言下での五輪開催……何ら有効な対策もなしで、私達の命と生活が脅かされる危機だから、怒ってる。ノイジーマイノリティのレッテル貼りで、当たり前の怒りの声を奪わないでほしい》《抗議の声にうんざりするのは自由だけど、世論調査を見ても「ノイジーマイノリティ」というのは明らかにおかしいでしょ。なぜこの言葉を使うんですかね。願望ですか?》■専門家の見解は「占い」「役立たず」とも……また茂木氏は政府分科会の尾身茂会長(72)が「8月1週目には東京都で感染者が3千人近く増加する」との見解を示した記事を引用し、《適当な数理モデルで占いみたいなことばかり言ってないで、とっとと医療体制のcontingency planを立てればいいのに》などと投稿。さらに《「専門家」の予想なんて、どうせトイモデルで当たらないんだから、メディアもいちいち報道する必要なし!それよりも、contingency planが重要。ずっと言っているのに、「専門家会議」は適当な予想と人々の行動変容のよびかけばかり。役立たず。うんざり》と、痛烈に批判した。専門家の分析を「占い」と呼び、「当たらない」「役立たず」と断じた茂木氏だが、果たして本当にそうだろうか。厚労省が6月30日に公開した京都大学などの研究資料によると、東京都の感染状況について《最も楽観的なシナリオでも7月中に1日の感染者報告数は1,000人を超え、その後2,000人程度まで増加しうる》と指摘していた。実際に7月14日以降、東京都では1,000人を超える感染者が報告され、21日には1,832人にまで達している。また朝日新聞社が17、18日に実施した世論調査によると、五輪開催について賛成は33%、反対は55%。また「安全・安心の大会」の実現には、「できる」との回答が21%、「できない」との回答は68%にのぼったという。「今大会では感染防止対策として、五輪関係者と一般市民が接触しないように『バブル方式』が採用されていますがすでに『機能していない』とも指摘されています。今月に入ってから、67人もの大会関係者の感染者が出ています。茂木さんの非難する『#もううんざりだよ東京五輪』を添えた投稿には、一方的に五輪反対を唱えるものばかりではありません。選手たちを応援しつつも、国民が安心できるような感染対策を講じていない政府や組織委員会のやり方に異議を唱えるコメントもあります。盛り上げたくても盛り上がれない人もいるのです」(スポーツ紙記者)144万人以上ものフォロワーを抱える茂木氏。自身のフォロワーにも五輪反対派がいる可能性は考えなかったのだろうかーー。
2021年07月22日「私は五輪とともに生きてきました。アスリートは、自国開催の五輪で金メダルを取ることを夢見ます。しかしなかなか巡り合うことはありません。今は、生まれた国で五輪を開催し、最高の舞台に整える幸せを感じ、やり遂げる使命を感じています」こう語ったのは東京五輪競技大会組織委員会の橋本聖子会長(56)だ。『日刊スポーツ』によると橋本会長は7月20日、国際オリンピック委員会の総会で冒頭のようにコメント。さらにコロナ禍のなかでの開催について「五輪の価値を問い直して発信できるきっかけになるのではないでしょうか。これを東京モデルとして新たなレガシーとしていきたい」と意気込んだという。‘64年の東京五輪開会式の5日前に生まれ、聖火にちなんで聖子と名付けられた橋本会長。のちにスピードスケートや自転車の選手となり、五輪には7度も出場。そのため“オリンピックの申し子”と呼ばれてきた。しかし優先すべきことは、自身の使命感ではなく「東京五輪の不安を国民から払拭すること」ではないだろうか。「空港検疫で、ウガンダ選手団の1人が陽性者だと判明。しかし濃厚接触者は隔離されず、同じバスで移動することに。そうして別の陽性者も出ることとなりました。6月、菅義偉首相(72)は羽田空港を視察し、水際対策を徹底するよう指示したものの『全然できていない』との指摘が自民党のなかからも聞こえてきます」(全国紙記者)東京五輪に関する問題は新型コロナだけではない。「東京は連日、猛暑日が続いています。そのためアメリカの『CNN』は『五輪史上最大級の猛暑』と報じました。ですが、東京都から提案されている暑さ対策は打ち水やアサガオを植えることなど、原始的なものばかり。またトライアスロンなどの競技が行われるお台場海浜公園の周辺水域では19年、基準の2倍以上もの大腸菌が検出されました。『トイレのような臭いだった』との報告もあり、約1億2,000万円もかけて覆砂を行うなどの対策を取りました。しかし、その効果を疑問視する専門家は後を絶ちません」(前出・全国紙記者)Twitterを見ると東京五輪について《五輪の失態、グダグダっぷり》《恥を世界に発信》と呆れ混じりのツイートも多く見られる。そんななか「やり遂げる使命を感じている」と語った橋本会長にネットでは厳しい声が相次いでいる。《自分一人でやり遂げろやそれもできずに使命とか言うな》《私は、五輪と共に生きていません五輪は4年に一度のスポーツイベントという感覚です》《あんたの使命なんか知らんがな。そんなにやりたけりゃ1人でやって下さい》《人の命より自分の個人的思い入れを上に置くわけね。アカンやろ》
2021年07月22日東京五輪の開会式で楽曲制作を担当するミュージシャンの小山田圭吾氏(52)。五輪開幕まで残すところ4日と迫っているが、小山田氏が90年代に音楽雑誌『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』で語った“いじめ告白”の余波が広がり続けている。組織委員会は7月14日、東京五輪の制作・演出に関わるクリエイターを発表。その内の一人に小山田氏が名を連ねていたことから、“いじめ告白”の内容がSNS上で拡散。相次ぐ批判を受けて小山田氏は16日に、約1,500文字に及ぶ謝罪文を発表。しかし騒動は収まらず、’94年に小山田氏のインタビューを掲載した「ロッキング・オン・ジャパン」も18日に声明を発表する事態となった。「小山田氏の起用が発表された直後から、SNSで過去の“いじめ告白”を問題視する声や辞任を求める声が続出しました。小山田さんのインタビュー記事は、障がい者とされる同級生らへの虐待行為を武勇伝かのように語る内容でした。90年代の当時でも、その凄惨な内容に嫌悪感を抱いた音楽ファンは数多くいました。今回の東京大会では、一人ひとりが互いに認め合う『多様性と調和』が基本的コンセプト。小山田さんの行いは、そのような理念に大きく反すると言えるでしょう」(音楽誌ライター)小山田氏の“いじめ告白”は瞬く間に情報番組でも取り上げられ、議論の対象となった。なかでも東京五輪に携わるのが、「小山田氏でなければならない理由の説明」を求める声も上がった。18日放送の『サンデー・ジャポン』(TBS系)に出演したメイプル超合金のカズレーザー(37)は、「(小山田氏の件について)知りませんでしたではなくて、知っても譲れないんですっていうことを説明しなければいけない」と主張。さらに現段階で「すでに音楽や演出は決まっているはず」とし、「(小山田氏が)辞任しても、別に組織としては成立するはず。辞任させることができないことを、丸川さんとかが説明すればいいだけのこと」と指摘した。さらに19日には加藤勝信官房長官(65)も、会見で「障害の有無に関わらず、いじめや虐待はあってはならない行為だ。政府として共生社会の実現に向けた取り組みを進めており、こうしたことに照らしても全く許されるものではない」と発言。小山田氏の処遇について適切な対応を組織委にもとめていた。■“知らぬ存ぜぬ”の丸川五輪相組織委員会の武藤敏郎事務総長(78)は17日の会見で、小山田氏について「現時点において十分に謝罪をして反省をして、倫理観を持って行動したいと言っている」とフォロー。組織委員会として「引き続き最後まで準備に尽力していだたきたい」と、小山田氏を続投させる意向を示したのだ。組織委員会が小山田氏を擁護するなか、東京五輪をサポートする立場である丸川珠代五輪相(50)の対応も問題視されている。小山田氏について報じられ始めた16日、丸川氏は会見で「まだ報道を確認していない」「組織委員会が対応されていると思うので、組織委に確認してください」と“知らぬ存ぜぬ”な対応をしたのだった。組織委員会と連携しているはずの丸川氏だが、小山田氏の件が問題になっていることについて「知らない」で済ませて良いのだろうか。「開幕が迫っているとはいえ、小山田氏の続投には批判の声が殺到しています。“五輪のサポート役”であるはずの丸川大臣は、完全にスルー状態です。IOCのバッハ会長とコーツ調整委員長の広島・長崎訪問についても、3日前にも関わらず『伺っていない』『橋本聖子会長に確認します』と受け流していました。その一方で、バッハ会長の歓迎会にはしっかり出席しているのです。丸川大臣は元アナウンサーでもあります。たとえ小山田氏の存在を知らなかったとしても、起用前に調べるなどして組織委員会に助言するといったこともできたのではないでしょうか。きっちり説明しないまま開幕に持ち込んでしまうと、いっそう批判を浴びることになるでしょう」(スポーツ紙記者)“都合の悪いことは知らんふり”とばかりに組織委員会に押し付ける丸川氏の対応に、五輪相としての存在意義を問う声が広がっている。《丸川ってなんの為にいる?知らぬ存ぜぬばかり。辞任して下さい》《何でもかんでも知らぬ存ぜぬで通るとでも思ってるんでしょうか?この方の勉強不足には辟易します》《丸川さんは、五輪担当大臣として何なら知ってるのだろう?承知していない、聞いていない、報告を受けていない(以下略)。いくら別の地平にいるからって、状況把握しようとせず、責任逃れが過ぎやしませんか》
2021年07月19日新国立競技場に掲げられる五輪の輪「お・も・て・な・し」滝沢クリステルのこの言葉で始まった、今回の東京五輪。想定外だった新型コロナウイルスの猛威によって開催自体の是非や開催方法について、開会式まで3週間を切った現在でも揺れている。「無観客も軸として考えていく必要がある」東京都の小池百合子知事が7月2日の会見で語ったように、近々の問題は、五輪の観客をどうするかが大きな争点となっている。有観客か無観客か――。比較対象となる大きなスポーツ大会が、現在ヨーロッパと南米で開催されている。「サッカーのヨーロッパ選手権『ユーロ2020』が1年遅れで、同じくサッカーの南米選手権『コパ・アメリカ』が現在開催されています。ユーロは11都市に開催地が分かれ、コパ・アメリカは共催する予定だったコロンビアとアルゼンチンが開催を返上し、“コロナは風邪”と公言するブラジルのボルソナロ大統領の判断により同地で開催されています。ユーロは有観客、コパ・アメリカは無観客です」(スポーツ紙記者)■有観客大会の影響が確実に出ている有観客と無観客、対照的な開催方式となっているが、やはりそこにはコロナの影響が大きく出ている。「有観客のユーロは、各地でそれぞれのコロナ対策をとっており、スタジアムの収容人数制限もバラバラです。8都市が収容人数の22%~45%を上限とし1万2000人〜2万2500人、ほか50%となる3万4000人までという制限を設けている都市もあれば、ハンガリーのスタジアムはほぼ満員となる6万人以上を容認しています。試合映像を見ると、今の日本の状況からすればビックリしてしまうほどにパンパンの“密”で大盛り上がり。ほとんどの観客はマスクを付けず、それどころか半裸になって叫んでいる人も珍しくない。サッカーへの思い入れが日本とは比較にならないほど“熱い”欧州の日常が戻ってきている様子が見られます。しかし、本当の日常が戻ってきているわけではなく、スコットランドではユーロに関係する感染者が累計2000人近くになるなど、やはりその影響は大きく出ています」(同・スポーツ紙記者)一方のブラジル開催で無観客にしているコパ・アメリカだが、選手とコーチ陣が集団感染するケースが続出。「国によっては、試合が成立しないのではと思わせるくらいの感染者数です。元ブラジル代表選手が皮肉を込めて “もうこれはサッカーの大会ではない。1人の感染者も出さなかったチームを勝ちにすればいいのでは”と発言しているほどです」(同・スポーツ紙記者)ヨーロッパやブラジルで起きているようなクラスターを見ていると、決して他人事とは思えなくなってくるが、果たして東京で起きないと言えるのか。東京五輪を有観客で行った場合のコロナ感染について、医師に話を聞いた。「結論から言って、観客を入れてもクラスターは起こらないと思います」そう話すのは、新潟大学名誉教授で医療統計の第一人者と呼ばれる医学博士の岡田正彦先生。「コロナの感染は、ほとんどの場合が飲食を介して感染者の唾液で感染します。席を1つ置きにして間隔を空ける、お酒や食べ物といった水分補給以外の飲食を禁止するといった対策をとることで、会場内で感染することはほぼないと思います。もちろん客席で大声を上げて、顔に唾液がかかるような環境では感染してしまいます。そのため、ヨーロッパの観客のように、密集してマスクを付けず、大声を出すようなことはしないという前提です。ただ、この1年、日本人は基本的にはまじめに感染予防を守ってきましたから、会場でそういった振る舞いをすることは少ないのではないかと思います」(岡田先生、以下同)■試合後に大騒ぎするサポーターただ、問題は会場だけではない。「ユーロの試合が行われた後に、会場の外でサポーターが大騒ぎしている映像を見ましたが、そういったことはもちろん、食事や飲み会に行くのも危険です。試合が終わったらまっすぐ帰宅する。クラスターを起こさないためにも、徹底してほしいですね」日本はワクチン接種が遅れており、欧米は進んでいると言われる。実際にユーロではマスクをつけない観客が多く、アメリカではマスクなしの音楽ライブなどが開催されだしている。ワクチンを接種していれば“ノーマスクでOK”なのか。「それは絶対ダメですね。ワクチンそのものが世間で言われているほど“効かない”という調査結果は、世界的に見ると実は多い。有効率95%とうたっていますが、実際にはこれよりもかなり低いと考えます。またワクチンを2回接種したとしても、有効期限はせいぜい3~6か月。日本はゆっくり接種が進んでいますが、2月くらいに接種した人はもう期限が切れているかもしれません。ワクチンを摂取しているか、していないかは、感染予防にはあまり影響しないと思います。ヨーロッパの大会で感染者が多くなってしまったのは、もともとの感染者が多いうえに、先ほど話した感染対策がまったくなされていないことが原因でしょう」岡田先生は、今取り沙汰されている“有観客か無観客か”よりも、はるかにリスクが高いことがあると指摘する。「今、日本ではプロ野球やJリーグなどでは観客を入れて開催していますが、感染源にはなっていません。国内の人が動くのであれば、きちんと対策を取っていれば、リスクがないとは言いませんが、それほど問題があるとは思いません。しかし、選手や大会関係者など合わせて海外から9万人が来日すると言われていますよね。その人数が入ってくること自体が恐ろしいですね。ニュースでもやっていますが、空港での検疫が心配です。今現在、最も厳しくした対応を見ても、まだ不十分だと私は考えます。外国から来日した人は最低限10日間は隔離するべきです。10日間隔離して症状がなくて、はじめて感染していないという安全性が担保されます。PCR検査の是非も問われていますが、4割ほどは見落としがあると言われています。検査で陰性だったから、すぐ自由に行動していいという話では決してありません」■東京五輪は“変異株の祭典”に五輪関係者が万単位で来日することによって、ありとあらゆる変異株が持ち込まれる可能性も……。「ものすごい数の外国人が狭い日本に来ることで“変異株の祭典”になってしまうんじゃないかという恐怖感があります。来日するのは基本的に選手と関係者ですが、9万人もいればユーロの観客のような対策を考えない不埒な人がなかにはいると十分想定できますので」東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は6月の会見で、選手や関係者、また報道陣を対象に、以下の考えを示した。「事前に了解を得て、入国の際に持参したスマートフォンのGPS機能をオンにしてもらう。常に監視するためではなく、GPSがオンになっているからきちんと自分の行動が証明できる」この対策については……。「GPSがあったとしても、“どこかに行った”とわかった時点で手遅れですので、十分な対策とはいえません」(岡田先生)このコロナ禍においては、「おもてなし」をしないことが、もっとも双方にとっていいおもてなしなのかも……。
2021年07月08日東京五輪・パラリンピックを巡る数々の“迷言”で、これまでも批判を浴びてきた丸川珠代五輪相(50)。またしても、丸川五輪相の発言が物議を醸している。6月23日、政府や組織委員会、競技会場がある自治体などの連絡協議会がオンラインで開かれた。各紙によると埼玉県の大野元裕知事(57)と千葉県の熊谷俊人知事(43)は、午後9時以降に開催される競技について無観客での開催を要請。知事たちの要請を受け、組織委員会は「まん延防止等重点措置」の期限である7月11日までに判断する方針を示したという。この件について24日、丸川五輪相は産経新聞の取材に応じ、「地域ごとに感染の状況が違う中で、国としても知事の判断の権限は非常に大きいと認識している」とコメント。その上で、「仮に知事がどうしても慎重な判断をせざるを得ないときには、最終的に国は受け止めるべきだと思っている」と発言したのだ。さらに続けて「仮に知事が人流の抑制が必要だと判断するときには無観客も検討しなければならないことは頭の中に置いている。基本的には観客を入れることとしているが、工夫できることがないか調整している」と述べたという。■「当事者意識、全くなし」「知事の判断」を全面的に押し出した丸川五輪相だが、誤解を招くことにはならないだろうか。全国紙記者が語る。「埼玉県ではバスケットボールやサッカー、千葉県ではフェンシングやテコンドーなど午後9時以降に予定されている試合もあります。いっぽう首都圏1都3県では感染症対策として、現在、イベントの開催時間は午後9時までです。そのため観客の有無以前に、五輪競技だけ時間制限を緩和することは『矛盾している』といった指摘もあがっています。しかしながら五輪に関する判断について、競技会場のある自治体の知事に決定権はありません。丸川大臣の説明ですと、『判断するのは知事』と責任を押し付けているように受け取られてもおかしくありません」“最終的な判断は知事に委ねる”とも言わんばかりの丸川五輪相の発言に、ネット上では「無責任」と存在意義を問う声が相次いでいる。《「判断」という表現が卑怯ですね。知事は要請する側で、判断するのはあなたでしょう?判断主体を知事であるかのように表現していては、丸川大臣あなたは何のためにいるのでしょうか?批判を受けない為に知事に責任を丸投げしてるようにしか、思えません》《夜間無観客は知事判断でできる…ってこの方は言ってるんですかね?ならば昼間無観客も知事判断できるんですかね?その権限を大臣が認めた、ということでいいんですかね?》《当事者意識、全くなし》また、丸川五輪相はコロナ禍で五輪を開催する意義について問われ、次のようにも述べたという。「アスリートがどれほどの努力を重ねてきたか、実際競技をしている姿を見ることを通じて、『これから社会を動かそう。自分たちの生活を、もう一度動かし始めよう』と思う勇気を分かち合う大会になれば素晴らしい」「社会」や「生活」を持ち出すのであれば、もっと寄り添う姿勢が必要なのではないだろうか。
2021年06月26日5/28に行われたW杯予選に続き、6月中旬まで各カテゴリーの日本代表戦が目白押し。過去に類を見ないペースで開催される試合は、いずれも世界の大舞台を目指す各代表チームにとって重要な意味を持つゲームとなる。なかでも注目は、東京五輪を控えたU-24日本代表だろう。3月に行われたU-24アルゼンチン代表との2連戦。初戦こそ完敗したものの、第2戦で攻守にアグレッシブな姿勢を見せてメダル候補と称される強豪を圧倒。五輪で「一番キレイなメダルを取りたい」と大目標を掲げるチームにとって、内容、結果とも大きな手応えを得る形となった。迎える6月シリーズ、森保一監督は今回の代表活動を「五輪に向けたメンバー選考の場であると同時に、オーバーエイジ(OA)と五輪世代の融合も考えたい」と説明。今回のOAには日本代表の守備を支える吉田麻也、酒井宏樹、遠藤航が招集され、五輪世代ながらフル代表でレギュラーとして活躍してきた冨安健洋も合流。選手選考を進めながら、一気に五輪モードに切り替わることになる。過去の大会でOAとの融合に苦しんだ記憶を糧に、スムーズな連携構築を図る構えだ。そして五輪世代の選手には、生き残りを懸けた厳しい戦いが待ち受ける。東京五輪の登録選手数はW杯の23よりも少ない18。3人のOAを除くと残された枠は15しかなく、今回はこの“狭き門”を巡る最終選考=苛烈なサバイバルの場になる。一方、日本代表はW杯アジア2次予選を含めた異例の5連戦に臨む。注目は9月からの最終予選に向けた選手層の底上げだ。代表チームが短期間に5試合を戦えるケースは珍しく、OA組がチームを離れるため、多くの選手にチャンスが巡ってくることになりそう。世界へとつながる道のりの険しさは歴史が証明しており、日本代表の総合力を引き上げる新戦力の台頭に期待が集まる。また、2011年女子W杯優勝、ロンドン五輪銀メダルの実績を持つなでしこジャパンも、東京五輪に向けた最終選考の2連戦を迎える。各カテゴリーの代表選手にとって、この6月シリーズはまさに運命の分岐点。輝く才能を見せ、未来への切符をつかむのは誰か。大舞台を目指す選手たちの覚悟が、いつも以上に代表のピッチを熱くさせるはずだ。東京五輪へ、そしてアジア最終予選へ。最終サバイバルに臨む選手の覚悟を見よ。日本代表(A代表)大迫勇也「ハンパない」トラップやポストプレーで代表の最前線に君臨するエースストライカー。まさに攻撃の要だ。日本代表(A代表)山根視来神出鬼没な動きでゴール前に飛び出す右サイドバック。日本代表の新たな武器となる予感が漂う。日本代表(A代表)冨安健洋堅守を誇るセリエAで活躍し、世界でも高く評価される若手有望株。今回から東京五輪世代へ戻って活動する。U-24日本代表久保建英日本サッカーの未来を担う才能。一瞬で局面を変える攻撃センスは見る者の心を捉えて離さない。U-24日本代表板倉 滉今季オランダリーグ全34 試合フル出場の快挙。3月にはU-24アルゼンチン代表から2ゴールの大活躍を見せた。なでしこジャパン(日本女子代表)岩渕真奈不動のエースへと成長した“リトル・マナ”。圧倒的なテクニックを武器に自国開催の五輪で頂点を目指す。information6/3・北海道SAMURAI BLUE(A代表) vs U-24日本※ジャマイカ代表との強化試合は中止となりました。6/5・福岡親善(U-24) vs U-24ガーナ6/7・大阪W予(A代表) vs タジキスタン6/10・広島親善(女子) vs ウクライナ6/11・兵庫KCC(A代表) vs セルビア6/12・愛知親善(U-24) vs ジャマイカ6/13・栃木親善(女子) vs メキシコ6/15・大阪W予(A代表) vs キルギス※KCC=キリンチャレンジカップ、W予=W杯アジア2次予選親善=国際親善試合(情報は6/1現在)※『anan』2021年6月9日号より。写真・JFA文・青山知雄(by anan編集部)
2021年06月02日テッドベーカー(Ted Baker)は“ロンドンの街”をイメージした、新ウィメンズウォッチ「フィッツロヴィア ブルーム(FITZROVIA BLOOM)」を2021年4月23日(金)よりテッドベーカーブティック、全国の百貨店・セレクトショップほかで発売する。“カラフルフラワー”が花開く新ウォッチテッドベーカーの新作は、カラフルなフラワーブーケが印象的な腕時計。ロンドンの街・フィッツロヴィアをイメージし、ピンクやホワイト、レッドなど色とりどりの花モチーフを文字盤やベルトに散りばめた。ラウンド型の文字盤には、テッドベーカーのブランドロゴをさりげなくオン。インデックスはシンプルなバーインデックスを起用し、アクセントにカラーサークルを添えた。ブラックのレザーベルトウォッチを選べばエレガントに、メタリックカラーベルトを選べば、アクセサリー感覚で華やかな手元を楽しむことができる。【詳細】テッドベーカー「フィッツロヴィア ブルーム」16,500円(税込)~19,800円(税込)発売日:2021年4月23日(金)取り扱い店舗:・テッドベーカーブティック・全国の百貨店・セレクトショップ・時計販売店・日本橋三越本店1階住所:東京都中央区日本橋室町1-4-1TEL:03-3274-8374
2021年04月12日2021年4月4日、競泳の池江璃花子(いけえ・りかこ)選手が、東京五輪の代表に内定しました。池江選手は100mバタフライ決勝で57秒77の記録を打ち出して優勝。また、400mメドレーリレーの派遣標準記録を突破しています。インタビュー中では感極まり、美しい涙を流した池江選手。代表の内定について、このようにコメントをしています。「57秒台が出るとは思わなかったし、リレーの派遣標準記録も切れると思わなかった。一番戻ってくるのが時間がかかる種目だと思っていた。優勝も狙っていなかったけど、何番でもここにいることに幸せを感じようと思った。仲間たちが全力で送り出してくれて、とても幸せ。本当にうれしかった。言葉にできない。ものすごく自信がついたレースだった」サンケイスポーツーより引用池江選手は2019年2月に、白血病であることを公表。当時、東京五輪は2020年に開催が予定されていたため、多くの人から惜しむ声が寄せられていました。五輪は多くのアスリートにとって、目標といえる大会です。池江選手は白血病の発覚に加え、東京五輪への出場が絶望的だったことに大きなショックを受けたことでしょう。つらい治療を乗り越えた後、リハビリや練習に励んできた池江選手。今回の内定に対し、多くの人から祝福する声が寄せられています。[文・構成/grape編集部]
2021年04月04日東京五輪・パラリンピック組織委員会は4月1日、『週刊文春』及び『文春オンライン』に掲載された、五輪の開閉会式の演出に関する記事について、厳重抗議したと発表した。同委員会は、内部資料を掲載して販売することは著作権の侵害にあたるとし、掲載誌回収やオンライン記事の全面削除、資料破棄などを求めている。『週刊文春』で報じられたのは、開閉会式制作チームのメンバーだった振付師のMIKIKO氏のチームがIOCにプレゼンした280ページに及ぶ内部資料(昨年4月6日付)。記事内では演出内容についての言及や、資料の一部画像が掲載されている。MIKIKO氏は当時、五輪開閉会式の演出担当の責任者を務めていた。同誌の報道によると、昨年4月にはIOCに開会式案のプレゼンも行っており、その企画は高い評価を得ていたという。しかし昨年5月、急遽責任者が佐々木宏氏(66)に変更となる。その後佐々木氏は、それまでのMIKIKO氏の企画案を無視し、IOCに新たな企画案のプレゼンを重ねた。しかし、それらの案はIOCに認められなかったため、佐々木氏はMIKIKO氏の案を切り貼りして作成した企画を提出していたという。佐々木氏は、女性芸能人の容姿侮蔑を理由に、3月18日に辞任している。組織委員会の抗議文書には《さらに、制作チームの当時のクリエイティブディレクターなど、内容を知りうる全ての関係者には、あらためて守秘義務の遵守徹底を求めてまいります》とMIKIKO氏を示唆するような表現も。MIKIKO氏は、文春の直撃を受けても「守秘義務からお答えできない」と報じられていた――。再び巻き込まれる形となったMIKIKO氏には、同情の声がSNS上で多く寄せられている。《MIKIKOさん、はた迷惑だろうな》《今回の暴露で、mikiko氏が傷ついてしまうことが一番心配》《何の罪もないMIKIKO先生の負担があるんじゃないかと心配になります…》さらに、今回の抗議声明をうけて五輪組織委員会への批判も高まるいっぽうだ。《おそらくは元々の案をそのままではないにせよ、切り貼りしたような案で進めているのでは》《ボツにしたんでしょ? なら公開してもいいじゃないのよ? 》《え?クビにした人のプランですよね》身から出た錆、と組織委員会に対する世間の視線は冷ややかだ。「不採用になった案を“勝手に公開していい”という機密保持契約はほとんどないでしょうから、情報の漏洩がに批判が集まるのは仕方ないでしょう。しかし、これだけの報道があった後『MIKIKOさんの企画案を一度ボツにしたにもかかわらず、やっぱりその案を切り貼りして開会式を行おうとしていたんだ』と、組織委員会の自分勝手な行動が推測されてしまった。火に油を注ぐ形になってしまいましたね」(社会部記者)この状況下、はたしてどのような開会式が開催されるのだろうか――。
2021年04月02日ヨーロッパでコロナ感染がまたもや拡大する中、L.A.まで来られない候補者のために、ロンドンとパリの会場が追加されることになるようだ。エミーやゴールデン・グローブの授賞式はヴァーチャルで行われたが、それらの視聴率が最悪だったこと、またL.A.で感染が急激に減っていることを受けて、オスカーのプロデューサーらは、ヴァーチャルではなく直接の参加を候補者らに要請した。しかし、たった一晩のイベントのために2週間の隔離を強いられるのは現実的でないという不満が出たため、新たにこのアイデアが出たようだ。具体的にどこが会場になるのかは、まだ交渉中であることもあり、明かされていない。L.A.では、従来の会場であるハリウッドのドルビーシアターも使われるものの、今年はダウンタウンのユニオン駅が主要な会場になる予定だ。文=猿渡由紀
2021年03月31日SAMURAI BLUEが日本のピッチに1年4か月ぶりに立つ。国際Aマッチとしては2011年8月以来となる日韓戦が本日キックオフを迎えるのだ。十年一昔と言うが、日韓戦の雰囲気もかなり変わって来た。3月24日、オンラインでの前日会見に臨んだ森保一監督は韓国を「お互いを高め合えるライバル、そしてアジアを引っ張っていく仲間」と評すとともに、現役時代の日韓戦を「私はコンプレックスや特別な気持ちを持たずに戦えた」と振り返った。さらに「まず試合をするにあたって勝利を目指すための準備をしたい。相手が韓国だから勝利を目指すのではなく、日本代表として活動する以上勝利を目指す。勝利という結果をサポーターに届け喜んでもらえるように、笑顔になってもらいたい。今日コンディションを確認し、明日ベストメンバーを送り出したい」とコメントした。森保一監督 (c)JFA指揮官は韓国代表のイメージについて、次のように口にした。「ダイナミックに激しく厳しくアグレッシブに戦うのがベース。攻撃ではGKからビルドアップしてチャンスを作る。守備では前線からプレッシャーをかける時、オーガナイズして制限をかけてボールを奪い、組織的に戦うというところが今の監督になってチームとして成熟してきている」では、ダイナミックでアグレッシブな韓国に対して日本はどう戦うのか。「韓国がダイナミックかつアグレッシブに戦うチームなら、日本はダイナミックかつ組織的に戦えるチーム。我々としては球際を激しく厳しく戦う。スタートから勇敢にアグレッシブに戦う姿勢が大事だと思っている。局面での攻防はかなり激しくなると思うが、個々の局面で上回ってほしい。それに攻撃でのサポートと守備でのカバー、個の能力を最大限に発揮しながら、組織的に戦いたい」選手の大半は韓国代表に特別な感情を持っていない。「日韓戦のイメージはあまりない。(2013年7月『EAFF 東アジアカップ』では出場していないので)あまり覚えていない。韓国は強いチーム、激しく来るので面白い試合になるんじゃないかなと思う」(大迫勇也)「僕自身、特別な気持ちはない。ただ周りから言われる。相手どうこうではなく、全力でやるためにいい準備をするだけ」(浅野拓磨)「僕の中でも日本のライバルと言えば、韓国というイメージが小さい頃からある。でも世代代表でもやったことがないので」(鎌田大地)「正直そこまで意識していない。久しぶりの代表活動で、少しメンバーが代わった中、どういうサッカーができるか。また自分自身成長した姿を見せないといけないと思っている。対韓国と言うより自分たちにフォーカスしている」(遠藤航)「なかなかないチャンス。逆に貴重。自分たちの立ち位置がわかる試合」(西川周作)もう少し熱を帯びたコメントを発した選手もいる。「色々な意味で注目度の高い一戦だと思うし、どういう状況であれ日韓戦は非常に重要だと理解している。A代表では初、アンダー世代とは全然重みが違うと思うので、内容よりも結果が大事な試合だと理解している」(南野拓実)「日本でやれるのでしっかり勝ちたい。(2017年12月の)『E-1』の時に(1-4で)負けたのが印象に残っている。リベンジしたい気持ちはある」(伊東純也)吉田麻也 (c)JFAそんな中、キャプテンであり、フィールドプレイヤー最年長でもある吉田麻也のコメントは他の選手とは一線を画していた。吉田は「日本代表で戦う以上、最も大切な試合だと思う。どの試合も代表戦は大事だが、それだけ韓国代表と戦うことは大切なことで、絶対に勝たなければいけない試合。僕だけではなくて韓国代表もそう思っているはず」とキッパリ。さらに「10年ぶりということで、当時は僕や権田(修一)選手が一番若かった。練習からいかにこの対戦が日本代表にとって大切なものか伝えていかなければいけないし、何よりプレーで示していきたい。個人的には『ロンドン五輪』(3位決定戦で0-2)で負けた時は本当に悔しかった。2度と韓国に負けたくないと思った。(前回の日韓戦の)札幌でのゲームは(2得点した)香川(真司)選手に勝たしてもらったようなもの。この10年韓国とやるのを楽しみにしてきた」と続けた。日韓戦の重要性を若い選手たちに説く必要性を吉田は語った。「正直、長く韓国戦をやっていなかったし、僕もバチバチに予選で戦っていない。僕らが日韓戦がいかに重要か伝えられたギリギリの世代。10年空いてしまい、そこを伝えられていないことに若干の危惧がある。まずひとつは負けられない、絶対に勝たなければいけない試合だということ。今の時代にそぐわないかもしれないが、昔は『足が折れても』とか『身体が壊れてもぶつかっていかなければいけない』『勝たなければいけない』という表現をよくしていた。だから、僕よりも下の世代にそういう表現で伝えるのが合っているのかはわからないが、キャリアの中で一番大事になる試合というのは意識してほしい」選手たちの韓国戦のとらえ方はそれぞれだが、今回のコロナ禍での代表活動に対する感謝の念を同じだった。監督、選手たちは異口同音に「このような大変な状況でサッカーができることを感謝し、勝利を届けたい」と誓った。韓国戦、モンゴル戦に臨む日本代表メンバーは以下の通り。【GK】1西川周作(浦和)、12権田修一(清水)、23前川黛也(神戸)※【DF】22吉田麻也(サンプドリア / イタリア)、19佐々木翔(広島)、2松原健(横浜FM)、13山根視来(川崎F)※、4畠中槙之輔(横浜FM)、20中谷進之介(名古屋)※、3小川諒也(F東京)※、16冨安健洋(ボローニャ / イタリア)【MF】8稲垣祥(名古屋)※、7江坂任(柏)※、6遠藤航(シュツットガルト / ドイツ)、14伊東純也(ヘンク / ベルギー)、10南野拓実(サウサンプトン / イングランド)、11古橋亨梧(神戸)、5守田英正(サンタ・クララ / ポルトガル)、17脇坂泰斗(川崎F)※、21川辺駿(広島)※、9鎌田大地(フランクフルト / ドイツ)【FW】15大迫勇也(ブレーメン / ドイツ)、18浅野拓磨(パルチザン / セルビア)※=日本代表初選出、名前の前の数字は背番号。来日した韓国代表のメンバーは以下の通り。【GK】キム・スンギュ(柏)、キム・ジンヒョン(C大阪)、チョ・ヒョヌ(蔚山現代)【DF】キム・ヨングォン(G大阪)、キム・ヨンビン(江原)、キム・テファン(蔚山現代)、パク・チュホ(水原)、パク・ジス(水原)、ウォン・ドゥジェ(蔚山現代)、ユン・ジョンギュ(ソウル)、ホン・チョル(蔚山現代)【MF】ナ・サンホ(ソウル)、ナム・テヒ(アル・サッド / カタール)、ユン・ビッカラム(蔚山現代)、イ・ガンイン(バレンシア / スペイン)、イ・ドンジュン(蔚山現代)、チョン・ウヨン(アル・サッド / カタール)、チョン・ウヨン(フライブルク / ドイツ)、ファン・ヒチャン(RBライプツィヒ / ドイツ)、イ・ジンヒョン(大田)、キム・インソン(蔚山現代)【FW】イ・ジョンヒョプ(慶南)、チョ・ヨンウク(ソウル)、チョ・ジェイワン(江原)『国際親善試合』日本代表×韓国代表は3月25日(木)・日産スタジアムにてキックオフ。3月30日(火)にはフクダ電子アリーナにて『FIFAワールドカップカタール2022アジア2次予選兼AFCアジアカップ中国2023予選』日本代表×モンゴル代表を開催。日韓戦の模様は日本テレビ系列、モンゴル戦はフジテレビ系列にて生中継。取材・文:碧山緒里摩(ぴあ)
2021年03月25日福原愛福原愛をめぐって、卓球のピンポン玉のように情報が乱れ飛んでいる。3月4日発売の『週刊文春』には“モラハラ夫”についての衝撃的な記事が掲載された。「福原さんが夫の江宏傑さんと離婚協議に入っていると報じられました。原因は、福原さんが夫から受けたモラハラだと伝えています。最初の出産のときにひどい言葉を吐かれ、日常的に強圧的な態度を取られていたとしています。“この売女!”と罵られたこともあると書かれていましたね。精神的に追い詰められて激ヤセしていたとも。義姉からも罵倒されるようになり、孤立無援になった福原さんが離婚を決意したというのです」(スポーツ紙記者)事実だとすれば逃げ出そうと考えたのもしかたがない。しかし、同日発売の『女性セブン』にはまったく異なる事情が記事になっていた。「福原さんがエリートサラリーマンの男性と不倫関係にあるというんです。2月下旬に2人が横浜でデートしていたことをスクープ。中華街や赤レンガ倉庫で仲睦まじくしている様子を撮影して、行動を詳しく伝えています。1日目は高級ホテル、2日目は福原さんの自宅に2人で泊まったとも。夫と子どもを台湾に残したまま、2泊3日で不倫デートを楽しんでいたということになりますね。知り合ったのは6、7年前で、今年に入ってから頻繁に連絡をとるようになったそうです」(前出・スポーツ紙記者)■“泣き虫愛ちゃん”の裏の顔幼いころから可愛らしさで人気になった福原だが、実力もついてきて、2000年には卓球の日本代表に選抜された。「2004年に初めてオリンピックに出場し、シングルスでベスト16まで勝ち進みます。世界卓球選手権やワールドカップでも活躍し、2012年のロンドン五輪では団体で銀メダル、2016年のリオ五輪でも団体で銅メダルを獲得しました」(卓球雑誌ライター)リオ五輪閉幕後に台湾の卓球選手・江と結婚。2017年に女児、2019年に男児を出産した。卓球選手としては2018年に引退している。「台湾では愛ちゃん人気が高く、江さんとの結婚は大きな注目を集めました。ふたりはラブラブ夫婦として現地メディアにも登場。好感度が高く、SNSでも幸せそうな写真をよくアップしていましたが、2020年になると更新が少なくなりました。夫婦仲を心配する声はありましたね」(前出・ライター)報道が相次ぎ、スポンサーはどう思っているのか。■「地元に帰ってきてほしい」“観光アンバサダー”を務めている出身地の仙台市に問い合わせた。「3月1日に契約期間が切れましたが、話し合って更新することになりました。その後、福原さんから連絡はありません。観光アンバサダーを辞めてもらうということは考えていませんよ。モラハラが本当ならかわいそうで……。地元に帰ってきてくれたらうれしいですね」福原のスポンサーとなっている複数の企業も、今のところ何も動きを見せていない。福原は3月4日に直筆の謝罪文を発表した。「《台湾にいる夫や子供、家族に対しても不安や心配を抱かせてしまい、真摯に反省しております》としながらも、《一緒の部屋に宿泊した事実はありません》と不倫行為は否定。ただ、《夫婦間で子供にとって何が一番なのか話し合っている》とも記していて、離婚が視野に入っていることを匂わせています。一方で、夫の江さんは“愛情は変わっていません”として良好な夫婦関係が続いていることを強調しています」(前出・スポーツ紙記者)真相はまだ明らかにはなっていないが、一流アスリートだった福原は、昔から“情熱的”だったことは確かなようだ。「彼女と話していて感じたのは、話をするときにとにかく距離が近かったということですかね。初対面でもすごくフランクに話してくれるので、男性はみんな“自分のこと好きなのかな?”と錯覚してしまうと思いますよ。笑顔がかわいくて人懐っこい性格だから、いざ誘われたら断れる男なんていないんじゃないですか」(福原の知人)福原は2008年にテニスプレーヤーの錦織圭との熱愛を報じられた。「原宿でデートしていたのを『フライデー』がスクープ。路チューの瞬間も撮られています。北京オリンピックで交際が始まりましたが、4か月で破局。このときに彼女が“肉食系”であることが知られるようになりました。好きになると一途で、周りが見えなくなるところがあるようです」(ワイドショーデスク)リオ五輪では、予選の時点から江と付き合っていることが明るみに出ていた。「江選手も出場していたので、卓球協会はピリピリ。記者会見では、男女の交際に関する質問はNGだというお達しが出ていました。錦織選手との報道があったときも、協会は報道陣に対して厳しく質問を制限していましたよ」(前出・ワイドショーデスク)■“代理店男子キラー”の異名報じられてはいないが、ほかにも福原が気持ちを動かされた男性はいたようだ。「結婚前はけっこうな恋愛体質で、福原さんのことを“直情型なタイプ”という人も。気に入った人がいると“前陣速攻”でアプローチしていたようです。特に広告代理店系の男性が彼女のお気に入りだったようで、積極的に声をかけていたと聞きます。“代理店キラー”なんて異名もあったほど」(夕刊紙記者)幼いころは卓球が好きすぎて、すぐに泣き顔になっていた福原。そのあふれる情熱は、今、どこに向かおうとしているのか……。
2021年03月08日マッキントッシュ ロンドン(MACKINTOSH LONDON)から、アレクサンドル ドゥ パリ(ALEXANDRE DE PARIS)とコラボレーションしたヘアアクセアリー&ブローチが登場。2021年3月中旬より、マッキントッシュ ロンドンの約30店舗などで、数量限定発売される。アレクサンドル ドゥ パリは、フランスの歴史あるヘアアクセサリーブランド。1970年代から職人による手作りを貫いており、ロイヤルファミリーやセレブリティにも愛用者が多い。マッキントッシュ ロンドンとのコラボレーションでは、マッキントッシュ ロンドンオリジナルのモノグラム柄“アンドリューパターン”を彫り込んだバレッタなどを展開。リボンやカメリアの花をモチーフにした、別注カラーのバレッタ&ブローチも揃う。ブラウンやオフホワイトをベースにしたクラシカルなカラーのヘアアクセアリーは、上品なヘアスタイルを演出してくれそう。【詳細】マッキントッシュ ロンドン×アレクサンドル ドゥ パリ発売時期:2021年3月中旬 ※数量限定発売販売店舗:全国百貨店「マッキントッシュ ロンドン」(ウィメンズ)売場約80店舗のうち限定約30店舗、ブランド公式オンラインサイト、三陽商会オンラインストア「サンヨー・アイストア」アイテム:バレッタ8種、ブローチ1種価格帯:13,200~29,700円(税込)【問い合わせ先】SANYO SHOKAI(カスタマーサポート)TEL:0120-340-460(フリーダイヤル)
2021年03月05日今夏に延期された東京五輪・パラリンピックまで残すところあと半年。未だ終息の兆しが見えないコロナ禍で開催も危ぶまれるなか、橋本聖子五輪相(56)の発言が非難を浴びている。26日に行われた衆議院予算委員会でのこと。立憲民主党の辻元清美議員(60)が予算に「Go To」事業の計上中止し、医療拡充に回すことなど政府のコロナ対策を追及。その流れで、橋本大臣は東京五輪の開催に必要な医療スタッフについて「1人5日間程度の勤務をお願いすることを前提に、大会期間中1万人程度の方に依頼をして医療スタッフ確保を図っている」と答弁した。いっぽうで橋本大臣は連日、医療従事者が新型コロナウイルス対応に追われている状況から「地域医療に支障が生じてしまってはいけない」とも述べ、「大会に協力する医療機関の負担軽減の検討も含め、準備を進める」とも語っていた。五輪開催中の医療スタッフ確保に自信をのぞかせた橋本大臣だが、状況は決してよくない。1月26日時点、東京では入院・療養調整中の人が5,540人、重症者数は148人と過去最多レベルを記録(ともに東京都のHPより)。医療体制は依然、逼迫しており、一部では“医療崩壊”を指摘する声も出ている。感染者数も東京で1,000人を下回る日はあるものの、予断を許さない状況であることに変わりはない。そんな希望の兆しが見えない状況下での、橋本大臣の発言にはSNS上から批判が相次いだ。《本気ですか?これ以上医療現場に負担をかけないで下さい。やめてください。》《絵に描いた餅の「1万人」だと思いますよ。1万人の動員力が本当にあったら、コロナ医療だってもうちょっとまともにできるでしょう。》
2021年01月27日英ロンドン・テムズ川沿いにそびえる要塞「ロンドン塔」から、“女王”が消えた。ロンドン塔では常にワタリガラスが数羽飼育されており、カラスの世話は「レイヴンマスター」という役職を与えられた衛兵が行う。カラスたちが全て去ってしまうと要塞も王国も滅びるという伝説がある。BBCによると、2007年に塔へやってきたメルリナという名のメスのカラスが数週間ほど姿を見せていないという。現在、ロンドン塔では7羽のカラスが飼育されているが、メルリナは群れの支配者として長く君臨し、カラスの女王として国民から親しまれていたという。「これほど不在が続いているということは、残念ですが亡くなってしなったのかもしれません。仲間のカラス、レイヴンマスター、塔のコミュニティにいる私たち皆、彼女を惜しんでいます」とスポークスパーソンはコメントしている。メルリナの空席を埋めるカラスを迎える予定は今のところないという。
2021年01月14日2020年11月5日、騎空士鮫ミン(@usa_akasa)さんが、Twitterに投稿した『いなり寿司』の写真が話題となっています。ロンドン流?『いなり寿司』の姿が話題投稿者さんはある日、イギリスの首都ロンドンでいなり寿司を発見!しかし、日本のいなり寿司とはちょっと違った姿をしていたといいます。その写真がこちら。これは、ロンドンの駅で売っていた、いなり寿司です。 pic.twitter.com/MMXEgzo6FS — 騎空士鮫ミン@蛇語 (@usa_akasa) November 5, 2020 油揚げをシャリに乗せ、さらにノリを巻くひと手間!いなり寿司ではなく、定番の寿司ネタ『たまご』を参考に作ってしまったのでは…と思ってしまいますね。※写真はイメージ投稿にはさまざまな声が寄せられています。・『魚を使わない寿司』とネットで検索して、出てきた画像を元に作っちゃったのかも。・頑張りは伝わる。間違っているけど!でも、海外で見かけたら思わず買っちゃいそう。・私は海外で、巻き寿司の具が油揚げだったものを食べたことがありますよ!投稿者さんによると、「味はそれなりにおいしかった」のだとか!油揚げの味付けも、きちんと甘く煮てあったそうです。「惜しい!」とツッコミを入れたくなってしまいますね。海外独自の発想で作られた新たな寿司に、日本の寿司職人も創作意欲を刺激される…かもしれません![文・構成/grape編集部]
2020年11月12日ロンドン映画祭が、現地時間18日に終了した。観客賞を受賞したのは、デンマーク映画『Another Round』。トマス・ヴィンターベア監督、マッツ・ミケルセン主演の今作は、コロナでキャンセルになったカンヌ映画祭でも上映される予定だった。トロント映画祭にも出品され、サンセバスチャン映画祭では主要キャストとヴィンターベアが受賞している。高校教師(ミケルセン)と友人が、仕事でのパフォーマンスを上げるためにあえて飲酒をしてみるという物語。日本でも公開が予定されている。ロンドン映画祭は、通常、審査員が賞を決めるが、コロナでヴァーチャルが併用された今年は、観客に投票してもらっている。文=猿渡由紀
2020年10月19日株式会社ウエニ貿易が日本総代理店を務める英国の腕時計ブランド「HENRY LONDON(ヘンリーロンドン)」は、ブラック×イエローゴールドで高級感あふれる『ウェストミンスター』シリーズと、ホワイト×ローズゴールドが手もとを華やかに彩る『ピムリコ』シリーズから2020年秋冬コレクションを10月9日より発売いたします。2020年秋冬コレクションの発売豊富なカラーバリエーションとヴィンテージ・ルックなデザインに定評のある英国の腕時計ブランド「ヘンリーロンドン」は、色ごとに分けられたシリーズにロンドンの地下鉄の駅名をつけ、現在では22駅分のシリーズを展開しています。そんな「ヘンリーロンドン」から、ロンドンの夜景を彷彿とさせる『ウェストミンスター』シリーズ、ロンドンの華やかな高級住宅街を思わせる『ピムリコ』シリーズのペアウォッチが10月9日より登場します。いずれのシリーズも39mmと34mmの2サイズ展開で、39mmはクロノグラフ、34mmはブランド初となるマルチファンクションを搭載したモデルです。商品概要■Westminster(ウェストミンスター シリーズ)ウェストミンスター宮殿やバッキンガム宮殿などロンドンの有名な歴史建築物が集中する地区に位置するウェストミンスター駅からインスピレーションを受けた『ウェストミンスター』シリーズ。美しいイエローゴールドケースとマットな質感のブラック文字盤の組み合わせはヴィンテージ感をもっとも楽しめるシリーズです。HL39-CS-0438 2万6,000円(税抜)HL34-MS-0440 2万6,000円(税抜)スペック:クォーツ、ステンレススチール、3気圧防水、クロノグラフ(HL39-CS-0438)、マルチファンクション(HL34-MS-0440)■Pimlico(ピムリコ シリーズ)格式ある19世紀の住宅が閑静な通りに並ぶ高級住宅地に位置するピムリコ駅から着想を得た『ピムリコ』シリーズは、清潔感のあるスタイルを表現するために、美しいホワイトダイヤルに温かみのあるローズゴールドケースを合わせることで新鮮且つモダンな印象に仕上げています。HL39-CS-0442 2万6,000円(税抜)HL34-MS-0444 2万6,000円(税抜)スペック:クォーツ、ステンレススチール、3気圧防水、クロノグラフ(HL39-CS-0442)、マルチファンクション(HL34-MS-0444)ヘンリーロンドンとは1:ヴィンテージルックなデザイン「ヘンリーロンドン」の第一の特徴は、アンティークウォッチのようなデザインを楽しめること。ドーム型のガラスやメッシュブレスといった、アンティーク時計のようなデザインが1万円台から手に入るのがブランドの魅力の1つです。2:多彩なカラーバリエーション「ヘンリーロンドン」はカラーバリエ―ションが豊富です。現在、日本国内では22色のバリエーションを展開。デザイナーがロンドンの街から着想した色を使っている為、カラーごとに分けられたシリーズには、ロンドンの地下鉄の駅名が付けられているのもユニークな点です。3:最大60文字まで刻印できるメッセージ「ヘンリーロンドン」の腕時計は、裏ぶたにお好きな言葉を最大で60文字まで刻印できます。日付やイニシャルなどではなく、メッセージを刻印できるので、大切にしている気持ちを相手に伝えることができます。心に残る贈り物にもぴったりなブランドです。公式ムービー株式会社ウエニ貿易時計、ファッション雑貨、フレグランス等のブランドを取り扱う専門商社です。海外ブランド品の輸入卸において業界ナンバーワンのシェア(※)を持っています。輸入卸として培ってきた実績とノウハウを礎に、日本正規代理店・オリジナルブランドの事業を拡大。ヴェルサーチェウォッチやヘンリーロンドンの日本総代理店を務める一方、メーカーとしてエンジェルハートやペッレ・モルビダを開発する等、幅広いビジネスモデルで多数のブランドを展開しています。※自社調べ企業プレスリリース詳細へ本記事に掲載しているプレスリリースは、株式会社PR TIMESから提供を受けた企業等のプレスリリースを原文のまま掲載しています。FASHION HEADLINEが、掲載している製品やサービスを推奨したり、プレスリリースの内容を保証したりするものではございません。掲載内容に関するお問い合わせは、株式会社PR TIMES()まで直接ご連絡ください。
2020年10月12日現在ヨーロッパ在住のファッションジャーナリスト、平野秀美さんのレポートです。今回はベルリンから仕事でロンドンへ行った時に遭遇した、ロンドンのコロナ対策についてレポートします。2020年9月24日からのルール変更が!イギリスではロックダウンはされませんでしたが、9月24日から、今まで夜中までオープンしていたバーやレストランは22時までの営業に変更、一度に会える人数は6人までと制限されました。また、引き続き駅構内やお店には消毒液が置いてあり、マスク着用は必須。ワンウェイ システムと言って、自由に店内を歩けるのではなく、お客さんが逆流しないように、一方通行のみで店内を歩くよう指定されているショップもありました。ベルリンとロンドンの違いに驚いたのは…私が滞在していたロンドンでは、前日の9月23日は夜中までバーがオープンしており、店内に入る際、お手洗いに行く際など、ドイツのベルリンでは必ずマスク着用を義務付けられていますが、ここロンドンでは義務付けられていませんでした。また一定の距離は保たれていますが、それでも密集しているとの印象が否めませんでした。着席して食事をしたり飲む場合は、QRコードを読み取り、自分の名前、電話番号などを記入する必要がある点は、ロンドンもベルリンも同じでした。どんな時マスク必須?!ロンドンに滞在していてマスクを着用するのは、基本的にお買い物をする、またバスや電車に乗る時。ただ、ほんの一部ですが、乗客はマスクをしていない人もいました。また、ベルリンでもそうですが、ここロンドンにもコロナ対策のマスクに反対している人たちもいるようです。タクシーは乗客3人まで!?今までは助手席にも座ることができましたが、9月24日以降は助手席には座ることはできません。そのため、一般サイズのタクシーの場合は、3人までしか乗車することができなくなりました。以前ロックダウンした頃の4月5月は、ロンドンのバスは運転手側の扉は空きませんでしたが、現在は開くようになっていました。会社に行かなくて良い!?7月以降、徐々に患者の発生数が少なくなり落ち着いてきた時は、一部の会社は職場をオープンにし、会社で仕事できるようにしていましたが、9月24日からは、会社に行かなくてもできる仕事はリモートになりました。私の複数の友人も、職場にようやく行けるようになった1週間後からまた自宅での仕事を命じられたようです。話題は早くもクリスマス!?既にイギリスのデパートではクリスマス特集を組むなど、クリスマスに向けて気持ちが高まっている中での今回のルール変更。6人までしか同時に集まることができないということは、イギリス人にとって最大のイベントであるクリスマスは、家族や親戚が一堂に会することができなくなります。大人数のご家族なら、一緒に住んでいないかぎり、集まることはルール上難しそうです。私の周りの話ではありますが、複数のイギリス人は、既にクリスマスの心配をしていました。クリスマスはイギリス人にとっては、とっても大切な家族の時間。その時期までに状況が良くなっていることを願っています。ロンドン市内にある空港にて私がロンドンからベルリンに向けて戻る際に使用した空港、シティー空港は、当日は私の便しか予定がありませんでした。小さな空港ではありますが、ロンドン市内に近いので、以前はもっと頻繁に飛行機が飛び交っていましたが、現在は1日数便しかないようです。電光掲示板を見た時は、あまりの便の少なさにショックを受けました。ヨーロッパでは日本以上に新型コロナの患者発生件数は増えていますが、国と国との国境が開いているため、休暇をとって海外にバケーションに行く人も多い印象です。ただし、国によって14日の待機が必要な場所や不要な場所など、情報は常にオンラインで更新されます。また、航空券を購入する際にも、注意点や搭乗前に提出すべき情報なども詳しく書かれています。個人個人が気をつけながら休暇や旅行をしているようです。航空会社も機内のサービス提供方法など変えて対応していました。少しでも早く、安全に収まって、自由に移動できるようになるとよいのですが。
2020年10月09日現在ロンドン在住のファッションジャーナリスト、平野秀美さんから、ロックダウンが徐々に解除されつつある6月のロンドンの様子が届きました。イギリスでは6月1日より徐々に人と会うことが許されてきていますが、完全にロックダウン解除というわけではないようです。そのため、中心街に人は戻りつつありますが、以前のロンドンとは比べものにならないほど、まだまだ人が少ない状況です。また、今後旅行に関しても許されますが、イギリスに入国してから14日間はアイソレーション( Isolation)をしなければならず、旅行業界は困難な状態が続きそうです。それでは、そんなロンドンの今をご紹介しましょう。まずは、ある変化が起きたウォールアートから。ステイポジティブ!NHSに感謝するロンドン観光地のイラストNHS (National Health Service) とは、イギリス政府が運営する国民保険サービスで、基本的に税収によって賄われており、支払い能力にかかわらずほぼ無料で利用可能です。もともと人材が少ないと言われているなか、このコロナ禍でNHSで働く人たちは国民のために休まず働いているヒーローとなっています。毎週木曜20時にはイギリス中で拍手をし、NHSへの感謝の気持ちを表しています。スーパーやホテルや宿、バスなど、ありとあらゆるサービスがこの期間にNHSへの優先時間を設けたり、割引きや無料で提供したりしていました。ウォールアートも、ロンドンの至るところでNHSへの感謝のコメントを見かけるようになりました。ステイストロング!みんなに勇気を与えるメッセージ最近のウォールアートでは、マスクをしているイラストを本当によく見かけます。またイラストだけではなく、添えてあるメッセージも、見る人々に勇気を与えてくれます。「Stay Strong」「Stay positive」など、今もなお自由な生活を制限されているイギリスですが、ひとりひとりに伝わる強いメッセージが印象的です。ゴリラズのキャラクターがインパクト大!イギリスを代表するミュージシャン『ゴリラズ 』( Gorillaz)のキャラクターがピースをするインパクトあるイラスト。街に人はそれほどいませんが、『ゴリラズ』ファンの私は思わず嬉しくなるウォールアート。Tシャツにメッセージが書かれており、今ではよく聞くIsolationという単語も使用されています。ロンドン中心地のリバプールストリート駅続いては、かつて毎日混雑していたリバプールストリート駅の様子です。ロンドンを訪れたことのある人であれば、一度は通っている可能性が高い、中心地の駅です。5月末の写真ではありますが、電光掲示板の時刻表を見ている人たちはまばら。床には2m範囲で立つようにと、丸いマークが描かれています。スターバックスの前にはしっかり2m間隔のマークが!こちらはスタバ前の道路です。撮影当時はオープンしておりませんでしたが、カフェの前で待つ人のために、チョークで書かれた2mの範囲のマーク。とてもわかりやすくてこういうのは助かりますよね。最後に…金融街も街は本当に人がいない!最後は、人通りのない金融街です。学校も再開するなど、以前の生活に向けての準備が少しずつ進められていますが、知り合いの勤める会社は、来年までオフィスはオープンしないと宣言していますし、弁護士事務所もメールでの対応で各自処理できているようです。これらのことから、以前の生活に少しずつ戻ることを楽しみにしているいっぽうで、今までとは異なる新しい社会生活も準備しているように感じます。もうしばらく続く我慢の先に、どんな日常が待っているのか、思いを馳せながら日々を過ごしたいと思います。
2020年06月11日この連載は……ロンドン在住のイラストレーター、クラーク志織さんが、現地での子育て事情をレポート。さまざまな人種やカルチャーが交差するロンドンでは、日本の育児の常識からは信じられないようなエピソードが!?そんな多様な子育て事情を知ることで、自分らしい子育てのヒントが見つかるかも!突然ですが、ロンドン子育てDiaryは今回をもちまして最終回になります。約3年間、本当にありがとうございました!連載が始まった時、まだまだ赤ちゃんだった息子も今や、歩き、しゃべり、ナーサリーに通い、文字の読み書きもちょっとずつできるようになりました。おおお、時の流れ!ロンドンに住み始めて8年ほどになりますが、親になったこの3年半は今までの人生の中でも一番「Thank You!!」を言った日々だったかもしれません。怖そうだったり、忙しそうだったり、冷たそうに見えていたロンドナー達は、実は皆とっても親切だった。席をゆずってくれたり、バギーを運ぶのを手伝ってくれたり、息子にとびきりの笑顔をくれたり、毎日毎日たくさんの優しさに触れました。自分とは異なる肌の色、服装、文化や言葉を持つ人々をついつい理解不能な未知の存在に捉えそうになりますが、そんな事はなかった。みんな子どもを見れば笑顔と優しさをくれるし、ただただ毎日笑顔で平和に暮らしたいと願う私と何も変わらない同じ人間同士でした。小さい頃の記憶は大人になるにつれて忘れてしまうかもしれません。けれど息子の心のどこかに、親や家族だけじゃなくて地域の人々に親切にしてもらった、そんな優しさの記憶は残り続けるといいなと思います。そしていつかその優しさを周りにもお返しできるような、素敵な人間に育っていってほしいなと思います。子育てが始まってもう3年、けれどまだ3年、色々と学んだし、これからもっともっと学ぶ事がたくさんあるのだろうな。頑張るぞ!皆様ともまたどこかでお会いできたらいいなと思います。3年間、本当にありがとうございました!クラーク志織
2020年06月11日この連載は……ロンドン在住のイラストレーター、クラーク志織さんが、現地での子育て事情をレポート。さまざまな人種やカルチャーが交差するロンドンでは、日本の育児の常識からは信じられないようなエピソードが!?そんな多様な子育て事情を知ることで、自分らしい子育てのヒントが見つかるかも!24時間ずっと息子と一緒のロックダウン生活。ナーサリーのある生活にすっかり慣れていたので、パワー有り余る三歳児を家の中だけで1日中飽きさせずにエンターテインする事が最初はとても大変だったけれど、最近はだんだん慣れてきました。もう罪悪感は捨てて動画タイムを毎日導入したり、息子が最近ハマっている塗り絵をたくさん用意したり、息子が集中して1人で遊んでくれる方法をいろいろ見つけ出し、その間に親はひと息できています。しかし、それ以外の時間は超全力で遊ぶ!日々、全身全霊の気合で恐竜を演じ、息子と恐竜ファイトをしています。本気でやると結構楽しい。
2020年05月28日ウーバーイーツの配達に向かう三宅諒選手(C)コモンズ22020年4月29日。ロンドン五輪フェンシング銀メダリストの三宅諒選手が、『note』(文章や写真、音楽、映像などさまざまな形態の作品を投稿できるウェブサービス)における自身のブログに《明日からバイトを始めます》というタイトルの記事を掲載し、話題となった。そこには「アルバイトを始めるいちばんの理由は他でもなく、お金がないからなんです」という切実な思いが綴(つづ)られ、お弁当などのデリバリーを行う『Uber Eats(ウーバーイーツ)』の配達員として働くことが記されていた。三宅選手と私は、慶應義塾大学の先輩・後輩という間柄。1か月ほど前、プライベートで“オンライン人狼”(言葉巧みに騙し合う、多人数参加型の推理ゲーム『人狼』のオンライン版)をして遊んだ。その数日後「メダリストがアルバイト開始」というニュースがネットを駆けめぐったため「もしかして一緒に遊んだ日も、本当はかなり悩んでいたのだろうか」などと勘ぐってしまい、連絡をしていいものか正直、わからなかった。しかし、そこから1か月近く経っても、日本では新型コロナの影響や五輪の中止について、スポーツ選手の声が聞こえる報道をあまり目にしない。しかし、三宅選手のことが海外で多く取り上げられていると聞き、しっかりと本人に話を伺う必要があると感じて連絡を取った。「アスリートファースト」がうたわれ東京五輪が1年延期されたが、これを受けて現役アスリートらはどのような事態に陥っているのか。三宅選手の現状や心境を、詳しく語ってもらった。■自らの意思でスポンサー支援をストップまず、彼がアルバイトを始めた本当の理由について「スポンサー支援を打ち切られたからだ」とミスリードをしている人も多いが、それは違う。三宅選手は、’12年ロンドン五輪フェンシング男子フルーレ団体で銀メダルを獲得し、東京五輪にも出場することを目指してトレーニングを積んでいた。しかし、選考の対象となる大事な試合が新型コロナで中止になってしまい、代表選手も決まらないまま、東京五輪の延期が決まった。この時期は「とにかく精神的にキツい。アスリートとして自分に何ができるのかと、毎日のように悶々(もんもん)としていた」(三宅選手・以下同)という。社会人アスリートの場合、会社に所属するか、自分でスポンサーを見つけるかという2パターンが多い。三宅選手は「’18年の結果がよかったので、東京五輪を目指せます」と自ら売り込み、’19年度から不動産会社、保険会社、ガス会社の3社を個人スポンサーとしてつけていた。しかし、三宅は今年1月の入金を最後に、スポンサーからの支援を断った。そもそも、フェンシング選手が活動するにあたっては、いくらくらいお金がかかるのだろうか。五輪代表をかけたレースは国内のみに止まらず、国際大会も多く開催される。五輪延期が決定した3月24日、三宅選手はツイッターに、日本フェンシング協会から届いた請求書の写真をアップした。イタリア、フランス、エジプトで試合や合宿などを行った費用が67万円を超えており《これは高い。 しばらく払い続けてるけど、これは気合入れないと続けられないな。 #自己負担 #突かれる心》という自身のコメントが添えられていた。「また、フェンシングの場合、競技費用として年間250〜300万円ほどかかります。生活費も含めると、競技を続けていくには最低でも年間500万円は必要ですね」この額を担保するためのスポンサーを自分で見つけなければいけないから大変だ。ただ、三宅選手は新型コロナで人々がさまざまな制限を設けられ、自分たちの活動拠点である練習施設も閉鎖されているなか、お金をもらい続けることに疑問を抱き始めたという。「この状況下で無責任に“もう1年ぶん出資してください”というのは企業にとってもよくないだろうし、自分にとっても、プレッシャーが大きすぎました。代表に選ばれるかも分からない、東京五輪が開催されるのかも分からない。“結果を出します”と売り込みにいったのにも関わらずこれでは申し訳ないと思い、スポンサー支援をいったん止めて、状況が明確になるまで更新を保留してもらうことにしました」もらい続けることもできただろうに(もったいない)、という声も多かったらしい。「 アルバイトを始めたのはお金がないから。東京五輪の開催が危ぶまれ、試合どころか練習すら満足にできず、自分にどれくらいの価値があるのかも示せない。でも、今も夢を叶(かな)えるため、そしてフェンシングを続けていくために精一杯、もがいてはいる。今後はそんな自分を買ってくれ、“等身大の君でいい”と応援してくれるスポンサーが新たに見つかったらうれしいな、という気持ちもある」という。■困っている選手が救われる社会に働き口にウーバーイーツを選んだのは「時間の自由が利くし、体力の低下を防ぎ、足腰を鍛えることにも繋がるから」。自転車を有酸素運動と捉えるのは、アスリートならではだと感じた。確かに新型コロナが拡大してから、黒字に緑色のロゴが入った大きなバッグを背負って、自転車で弁当を届けるウーバー配達員らの姿を以前より多く見かけるようになった。私も週に2回は利用している。昨今ではアルバイトの配達員が増えすぎて仕事の奪い合いになっており、1日にあまり多くは稼げない、という話をよく聞く。現在、三宅選手は週に3〜4日ほど配達員をしているという。剣を持って広い場所での練習ができないので、オンライン上でトレーナーから指示を受けながらの激しいトレーニングを週2回前後、行っており、その練習がない日には配達に出ているとのこと。三宅選手のもとにはSNSなどを通して、世界中の配達員たちから「俺もウーバーをやっている」という写真が届くという。一方で、「配送業をなめている」というメッセージがくることも。実際に配達をしても本人だとバレないのか聞いたところ「本名で登録し、顔写真も掲載していますが、まったく気づかれません。新型コロナの感染を防ぐために玄関先に置いておくケースも多いので、注文者とあまり顔も合わせないですし」ということだ。もしかして、あなたのお弁当を運ぶのが五輪選手かもしれないと思うとなんだか恐ろしい。三宅選手は「自分は今のところ、なんとか難を凌(しの)げているが、今後はアスリートにも“難民”が増えてくる可能性が高い」と危惧している。「スポンサーは1年契約であることが多いです。東京五輪が開催されるかわからないままの状況では、今後、契約が打ち切りになる選手も出ることが予想されます。非常事態とはいえ、文化や芸能・スポーツに対する国からの支援は、十分ではないと感じます。自分は競技歴が25年と長いほうですが、このご時世ではもっと若手の選手を含め、アスリートが自分の力で稼げるようになるのも大切です。さらには日本オリンピック協会がファンドを作ってアスリートを支援するなど、スポーツ選手のセカンドキャリアがもっと考えられる社会になればうれしいです。でも、好きで(競技を)続けているので、ある程度の苦難は仕方がないかな、と思う面もあります。ただ、今回は自分だけが運よく救われそうですが、ほかにも困っている選手がたくさんいるので、少しでも待遇が改善されればと願っています」人気のあるスポーツとないスポーツがあり、スポンサーがつきにくい競技があることは理解できる。しかし「アスリートファースト」を理由に延期したのだから、アスリートたちが少しでも安心できる環境を整えてもらえることを祈るばかりだ。メダリストがアルバイトで食いつなぐだなんて、やはり社会的な損失が大きいだろうし、現状に違和感を覚える。放映権などの利権争いや一部の人だけが儲かる五輪ビジネス。こんなご時世だからこそ、もっと選手のもとに還元される方策を考えたい。(取材・文/お笑いジャーナリスト・たかまつなな)※この記事は、私たかまつなな個人の発信です。所属する組織・勤務先とは一切関係ありません。問い合わせは、下記アドレスまでお願いします(infotaka7@gmail.com)【PROFILE】三宅諒(みやけ・りょう)◎フェンシング選手。千葉県市川市出身、慶應義塾大学文学部卒。’07年 世界ジュニア・カデ選手権男子フルーレ優勝、’12年 ロンドンオリンピックフェンシング男子フルーレ団体銀メダリスト。’14年 アジア大会男子フルーレ団体金メダリスト【INFORMATION】本件については、Youtube『たかまつななチャンネル』内の動画「なぜ、メダリストがウーバーイーツの配達員を?」でも話しています。リンクURL→
2020年05月26日普通の主婦だった高松さんが、ガールズケイリン復活の情報を得て競輪学校を受験したのは、なんと40代後半!いくつになってもチャレンジを忘れない姿勢はどうやって身についたのか―。引退後、選手会の指導訓練課で新人指導に取り組む撮影/伊藤和幸■ニックネームは鉄人(アイアンマン)誰ひとり観客のいない川崎競輪場で静かに耳を澄ますと、観覧席にこだまする怒号にも似た観客の聲が聞こえてくる。─兵(つわもの)どもが夢のあと残り1周半を告げる打鐘が鳴り響くと、選手たちは必死の形相で風を切ってバンクを駆ける。1周400メートルのすり鉢状のバンクを囲む競輪場は、さながら古代の円形闘技場コロッセウムのようだ。落車を恐れず激しく身体をぶつけ合った時代、競輪は格闘技とも言われ、この中で数々の名勝負が生まれた。そんな男の世界に2012年、半世紀ぶりにガールズケイリンが甦った。20代の選手が多い中、その一期生の中に規格外のモンスターがいた。高松美代子、当時50歳。いくら年齢制限なしのガールズケイリンとはいえ、闘志むき出しで突っ走る競輪は、瞬発力が問われる真剣勝負。高松の掟破りのチャレンジに同期の選手からつけられたニックネームは“鉄人(アイアンマン)”。しかし彼女は、昔から自転車レーサーを志していたわけではなかった。「サイクリング好きの主人に誘われて自転車に乗るようになったのは30代になってから。トライアスロンや300キロレースにも参加するうちにガールズケイリン復活の噂を耳にしました。競輪学校に受かれば、毎日好きなだけ自転車に乗れる。そんな魅力に惹かれて、試験を受けてみる気持ちになりました」そのとき、高松は48歳。家族も驚く無謀とも思える挑戦。しかし競輪の神様は、鉄人の背中を押す。─競輪選手を目指してからの毎日は、私の人生の中でいちばん輝いていたとき。そう呟く高松はガールズケイリン復活のシンボルとして、スポーツ界でも大きな注目を集める。しかしデビューの前も後も、高松の人生はチャレンジの連続だった。■泳ぎ続けた小学生時代ガールズケイリン復活の半世紀前。税務署に勤める父・赤坂福治と母・佳美の長女として、美代子は大阪府泉大津市に生まれた。「父の兄弟のうち2人が陸上競技で国体に行き、父も仕事の傍ら、野球チームの監督を務めるなど、ウチはスポーツ一家。ひとつ上の兄もゴルフで国体に行き個人3位の成績を収めています。小さいころは兄の後を追いかけ、野球にもくっついて行きました」小さいころ、身体が大きく活発だった美代子は、男勝りで芯が強かったと現在、岐阜で歯科医院を開業する兄・壽彦(58)は話す。「年子だったのでケンカばかり。駄菓子屋で売っているジュースの入ったガラス棒で頭を殴られ、出血。病院に行って縫ったこともありました」あふれるエネルギーをもて余していた美代子。堺にある私立賢明学院小学校に入学すると大きな出会いが訪れる。美代子は今も目を閉じると、海のように広いプールに綿菓子のような入道雲が鮮やかに浮かぶという。その光景を目にしたのは小学2年のころ。兄と一緒に初めて浜寺水練学校を訪れたときのことだった。「ハマスイは50メートルプールのほかに25メートルプールがいくつも連なりまるで海のように広い。その中で競泳4種目から古式泳法、さらにシンクロナイズドスイミングといった競技のほかにも、水上安全法、救急法なども教わりました。私は毎夏、40日間休まず朝から夕方まで、昼食を食べる時間も惜しんで泳ぎ続け、そのおかげでびっくりするほど真っ黒になりました」1906年、堺市浜寺に海水浴場と海泳練習場が開設された際、開校されたのが浜寺水練学校(通称ハマスイ)。ここから“シンクロ界の母”と呼ばれる井村雅代さんはじめ、数々のオリンピック選手が生まれている。「1時間半、立ち泳ぎをした後、クロールで1500メートルを泳がされる。そんなハードトレーニングも当たり前の毎日。小6のとき、40日間休まずハマスイに通ったおかげで体力がついたのか、秋の運動会で、念願のリレーの選手にも選ばれました。30代に入ってからトライアスロン、50代で競輪にも挑戦しましたが、このときの厳しい練習があったからこそやってこられたんだと思います」中学受験をしてプール学院中学・高校に進学後も、美代子は先生としてハマスイに残った。「ハマスイは、中学生になると指導する側にまわり、トレーニングを続けることができるんです。中1の夏休みに、4万円の謝礼をもらったときはうれしかったな」そのかいあって高1のとき「日本泳法」シニアの部で全国2位にも輝いた。その後、短大まで美代子は夏になると子どもたちと朝から晩までプールで泳ぐ生活を送ってきた。■夢破れ、新婚早々ハードな介護生活へその一方で高校時代は生徒会活動にも熱心に取り組んだ。高校1年と2年連続で学年代表を務めた彼女は、高校3年のとき生徒たちによる選挙で、生徒会長にも選ばれている。後に競輪学校でも生徒会長を務めることになる美代子。“鉄人”と呼ばれる鋼のメンタルとキャプテンシーは、高校生のころから養われていたに違いない。実はこのころ、美代子には将来叶えたい夢があった。「小学校2年生のとき、ドラマ『アテンションプリーズ』(TBS系)を見て、ひそかにキャビンアテンダントになる夢を抱いていました。短大に進学してからは、“CA一直線”でしたね」1970年の夏から放送されたドラマ『アテンションプリーズ』は、女優・紀比呂子演じる断トツ劣等生のヒロインが、キャビンアテンダントになる夢に向かって挫けず努力するスポ根ならぬ“職業根性ドラマ”。当時の女子たちを熱狂させ、このドラマに憧れてキャビンアテンダントを目指す女性も急増。社会現象にまでなっている。ところが現実は厳しかった。「全日空は二次選考、日本航空は最終選考までいきましたが、結局、外資系も含めて全滅。CAになることしか考えていませんでしたから狭き門とはいえ、ショックでした」就職浪人は許されなかった当時、美代子は母校・賢明学院で事務職として働きながら通信教育で教員免許を取得。小学校の先生になる決心を固める。そんな矢先、美代子の運命に新たな出会いが訪れる。夜は小さな英会話スクールでバイトしていた美代子。彼女の前に現れたのが、7歳年上の慶応大学出身の素敵な男性、高松繁男さん。「英会話スクールのクリスマスパーティーで紹介され、彼の背が高くて優しそうなところに惹かれ、付き合うことに。休みの日に彼の趣味のロードバイクを借りて、2人で奈良までサイクリングしたのも懐かしい思い出です」年の離れた相手との結婚に両親は反対していたものの、2人は夫が30歳になる1985年に結婚。美代子は大阪を離れ、東京・蒲田で夫の両親と同居することになる。「主人に『一緒に住んでくれる?』と言われ深く考えずに同居に踏み切ったものの、70代の義理の父は半身不随。夫の姉の協力のもと、交代でお風呂に入れるなど、戸惑うことばかりでした」何不自由なく育った美代子が、いきなり大正生まれの舅・姑と同居。戸惑いを覚えるのも無理はない。しかし、驚くのはまだ早かった。「ご飯をガスで炊き、炬燵は練炭で温める。しかも洗濯機は外置きだから、冬の洗濯はTシャツが凍るほど寒い。そして布巾はお古の服で縫ったお手製などなど、高松家はまるで子どものころに見たホームドラマの世界のようで、驚きの連続でした」実家に帰省した折、母・佳美にその話をしたところ一計を案じてくれた。「『お父さんがゴルフの景品でもらってきた。実家では使わないから』と理由をつけ、こっそり炊飯器を買ってもらい、ガスや蒸し器を使う生活からやっと解放されました。義理の母は嫁入り道具で持ってきた電子レンジを初めて見て『なにこれ!?』と目を丸くしていましたよ(笑)」義父の世話に明け暮れ、家にいることの多かった美代子の義母は、自分で切符も買えないような超アナログ人間。しかし、そんな義母との暮らしは、面白くもあった。「義母はにんじんの皮からねぎの青いところまで食材は全部使い切る。20代でおばあちゃんの知恵袋がすっかり身につきましたね」しかし子育てでは、姑と意見がぶつかることもあった。「結婚の翌年、長女・加奈を無事、出産。いよいよ教職に就こうと考えていた矢先、『繁男や子どものご飯が作れないようなら働いてもらっちゃ困る』と言われ、諦めました」しかし何があってもポジティブなのが、美代子の流儀。「嫁いでから、たまに実家で顔を合わせても僕には愚痴ひとつこぼさない。親の反対を押し切って結婚したので、弱音は吐きたくなかったんでしょうね」(兄の壽彦さん)■毎日欠かさず32キロ、ママチャリで爆走そんな中、美代子は泳ぐことだけは、やめなかった。「マタニティースイミングに通い2人目の娘・加帆が生まれてからも、週2回は義母に娘たちを見てもらい、2時間みっちり泳いでいました」美代子が常にポジティブでいられたのは、泳ぐことが源。このルーティンがなかったら、のちに芽生える自転車競技への夢も見ることはなかったかもしれない。美代子が毎日、自転車に乗るようになったのは、平成2年。4歳になった長女・加奈の小学校受験がきっかけだった。「評判のよかった幼稚園に通わせるために、電車移動だと回り道になることから、片道5キロの道のりを20分かけて幼稚園まで自転車に乗せて送り迎え。電車に比べてストレスもなく快適でした」と話すが、自転車に乗るのは姉・加奈だけではない。1人で家に置いておけない妹・加帆も前に乗せるのだから、3人の体重を合わせるとなんと100キロ近く。しかも電動自転車のないこの時代に、ママチャリでほぼ毎日20キロ。雨ニモマケズ、風ニモマケズ、送り迎えをしていたというのだから驚く。「走るコースを変えると、春には菜の花や桜。秋には秋桜や彼岸花など季節を感じられる。走っていて娘がセキセイインコを見つけて、しばらく飼ったこともありました」季節を愛でながら走る。これが1年や2年の間なら楽しめるかもしれないが、長女の卒園後、今度は次女を乗せて片道8キロ、2往復する日々が始まった。毎日欠かさず32キロ。この距離は、山手線を1周する距離だ。こうした生活が足かけ7年間続き、美代子のママチャリによる走行距離は、のべ4万キロ。これは驚くべきことに、地球1周分の距離に匹敵するという。「おかげさまで、2人とも志望校に合格できました。今から思うと、この送り迎えの時間が、私と娘たちの貴重なコミュニケーションの時間でもありましたね」2人の娘が小学校に上がると、余裕ができた美代子は地元の水泳教室で再び教えるようになる。そんなある日、「成人クラスの生徒さんから『トライアスロンはいいよ』とすすめられ、興味を持ったんです」20歳のころ、トライアスロンをやってみたいと思っていた美代子の心は疼いた。■300kmレース、途中で爆睡するも女子トップ「水泳はできる。次は走ってみようと思い立ち、休みの日には自転車で伴走する娘たちと多摩川土手のハーフ(20キロ)コースを走るようになりました」夫と自転車に乗って走るようになったのもこのころ。しかし、まさか自分が本格的にトライアスロンや自転車のロードレースにのめり込んでいくとは、このころはまだ思ってもみなかった。後に師匠と呼ぶことになる窪田公一さん(61)と出会ったのは、地元のスポーツクラブ。「クロールで何往復も休まず泳ぎ続ける女性がいて、しかもスピードが恐ろしく速いから、誰もそのレーンに入っていけない。もうおしまいかなと思ったら、仕上げにバタフライで30分、颯爽と泳いでいました」と20年ほど前の美代子との出会いを明かす窪田さん。サイクリングパンツの日焼けの痕がクッキリ残るカモシカのような脚を見て、「トライアスロン、やってますか?」と思わず声をかけた。「窪田さんも所属するサイクルショップのクラブチームを紹介してもらい、土日になると大井埠頭の周回コースをついて走るようになりました」窪田さんは高校・大学と自転車部に所属。アマチュアの大会で総合優勝を飾ったこともある本格的なロードレーサーだ。「当時の美代子さんは、サドルの正しい位置やペダルの踏み方もわかっていないくらいの初心者でしたが、ポテンシャルが半端なかった。行き先を告げずに蒲田から出発し、いきなり相模湖まで山あり谷ありの行程往復150キロを走りましたが、ギブアップすることなくついてきましたから」(窪田さん)それから美代子は、週末になると窪田さんたちと奥多摩1周150キロ、三崎往復160キロと、気がつけば毎週100キロ以上、自転車で走り込むようになっていた。「もともと水泳をやっていたから肺活量がある。走り方を覚えたらぐんぐん速くなり、一緒に走っても高松さん(ご主人)はついてこられなくなりましたね」(窪田さん)日進月歩。日に日にめざましい成長を遂げる姿を見た窪田さんは、本格的な練習を始めて半年足らずの美代子を日本で最も歴史のあるロングライドイベントに誘う。それは高尾山から相模湖畔を回り、塩尻峠を越え白馬を抜け糸魚川に至る「東京-糸魚川ファストラン」。不眠不休で300キロを走破する過酷なレースだが、美代子は夫の大反対を押し切って出場を決意する。「スタートは早朝の5時。家事や食事の支度に追われ、一睡もせずに出発した私は、およそ200キロ地点で猛烈な睡魔に襲われました」そのときの様子を窪田さんは鮮明に覚えている。「北アルプスの山々が聳える川沿いを走っていると、後ろから『もうダメです』という声が聞こえました。慌てて振り向くと、美代子さんは自動販売機でコーラを買い飲み干すと、そのまま仰向けに寝て20分間、爆睡。ピクリとも動きませんでした」(窪田さん)そうしたアクシデントに見舞われながらもおよそ11時間でゴールした美代子のタイムは女子選手の中でトップ。翌年は、タイムを30分以上縮め、気がつけば「東京-糸魚川ファストラン」8回優勝の快挙を達成したのである。「4連覇したころから、もう僕もついていけず、美代子さんは実業団のトップクラスの選手たちと練習していました」(窪田さん)自転車レースで“師匠越え”を果たした美代子。「日本スポーツマスターズ自転車競技大会」では、2006年から2010年まで5連覇を達成するなど、自転車競技で一目置かれる存在となっていく。しかも当時、彼女は念願叶って小学校の臨時教員の仕事にも熱心に取り組んでいた。「主に小学校の算数の授業を受け持った高松さんは、まじめで几帳面なしっかり者。態度の悪い子どもがいると担任の先生と相談しながら指導するなど熱い人でした。給食の時、牛乳にプロテインを入れて飲んでいたのを今でも覚えています」と小学校教諭の宮田千恵さんは、当時を振り返る。■50代を目前に最大級の挑戦ガールズケイリン復活の噂を耳にしたのは、川崎競輪場の愛好会に参加していたときのことだった。「ロードレースで勝つためには、最後の200メートルが勝負。そこで競輪選手の指導のもと、バンク練習に取り組むと効果はてきめん。バンバン勝てるようになりました。そんなとき、ガールズ復活を知り、挑戦したいという思いが募りました」かつて1949年から行われていた「女子競輪」は、人気の低迷により、1964年に廃止。ところが2012年ロンドン五輪から「女子ケイリン」が正式種目に採用されるのを機に「ガールズケイリン」も2012年7月に復活することが決まった。「家族もまさか合格するとは思っていなくて、驚いていました。長女に『これまで家事を完璧にやってくれた。お母さんの好きなことをやらせてあげたい』と言われたときは、うれしかった」と目を潤ませる美代子。師匠の窪田さんは、年齢的なことを考えても「やるなら今」と背中を押した。しかしご主人の胸中は複雑だったと当時を振り返る。「高松さんは当時、一部上場企業の部長。合格が発表されると会社中に知れ渡り、気まずい思いもしていたようです。競輪・イコール・ギャンブルのイメージがありましたから」(窪田さん)35人の合格者の平均年齢は、26歳。親子ほど年の離れた49歳を迎える美代子に10か月に及ぶ警察学校並みの厳しい寮生活が耐えられるのか。新たな試練が待っていた。「受かったときは、私もうれしかった。競輪学校の生徒会長にも選ばれ、選手宣誓する姿もテレビなどで紹介され、『脱落するなよ』と心の中で祈っていました」と兄・壽彦さんも当時の思いを口にする。「午前中は『スポーツ医学』『競輪の歴史』など学科の授業。午後からバンク練習や5キロサーキットを10周するなど過酷な練習が待っていました。みんなは『100万円もらっても2度と行きたくない』と言っていますが、私は家事から解放されて自転車だけに集中できる環境に満足していました」舅・姑のいる実家に嫁いで以来、家事や育児に追われる毎日を送ってきた美代子にとって、時間を自分のためだけに使えることに勝る喜びはなかった。そんな美代子を同期の篠崎新純選手は、驚きの目で見ていた。「10時に消灯しても高松さんは3時には起きて自習室で勉強。そして5時から朝練も欠かしません。どんぶりご飯もペロリと平らげる。まさに“鉄人”。年齢を感じさせませんでした」しかし美代子は内心焦っていた。長距離を走ることには長けていても、バンクを走る競輪はやはり別ものだった。「記録会の成績が貼り出されると下から数えたほうが早い。これまでの人生でそんな経験がなかっただけに惨めな思いも味わいました」卒業時の成績は、33人中19番目。「ここまできたら、やるしかない」という思いを胸に、美代子はプロの世界に足を踏み入れた。■注目のデビュー戦とヤジ2012年7月1日。平塚競輪場のスタンドは復活したガールズケイリンをひと目見ようと、大勢の観客が押し寄せ、スタート前からすでに大入り満員。その中には美代子の兄一家をはじめ、窪田師匠たち地元の応援団、さらに小学校の教員仲間も美代子の登場を今か今かと待ち構えていた。「いよいよ美代子さんの名前が呼ばれ、登場するまさにそのとき。敢闘門の段差に足を取られてひざをついてしまい、転倒扱い。仕切り直してレースは行われましたが美代子さんは6着に終わりました。『あの美代子さんでも緊張するんだね』と話したのを覚えています」(窪田さん)仕切り直しは、車券が売れなくなるから競輪界のタブー。当の美代子はやや不満げに、「ちょっとひざをついただけなのに転倒による“落車扱い”は納得できませんでした」と話す。注目のデビュー戦がまさかの展開。これが祟ったのか、なかなか勝つことのできない美代子。いつしかファンの間では、『高松美代子は、いつになったら勝てるのか』といったヤジが飛ぶように……。「競輪学校の後輩たちが入ってきたらもっと勝てなくなる。川崎競輪場で指導していただいていた師匠の三住博昭さんにも『年内中に1勝しろ』とハッパをかけられました」チャンスが巡ってきたのは、高松競輪場で行われたその年の最終レース。しかも12月27日の最終日とまさに崖っぷち。「バック(向こう正面)から踏み出したら4コーナーから突き抜けて、最後の最後に捲くって勝った。脚に余裕があると周りの状況がよく見え、位置取りや踏むタイミングもバッチリ。スタンドから『おめでとう』コールが起きたときは、泣きそうになったけど『私の競輪人生はこれから始まる』と思って自分自身を鼓舞しました」初勝利の喜びもつかの間、美代子は3日間のレースを1か月のうち、2回から3回戦う生活に身を置いた。しかしプロの水にも慣れてくると、美代子は地方遠征が待ち遠しくてたまらなくなっていた。レースの前後に各地のお城や観光地を訪ね、温泉に浸かり、名産品に舌つづみを打つ。「中でも松山がお気に入り。道後温泉に浸かり、鍋焼きうどんや鯛めしを食べ、松山城に行くのはお約束。レースの前日に金比羅宮の石段を上って筋肉痛になってしまったことも今となっては懐かしい思い出です」ともに旅したことのある同期の藍野美穂元選手は、「富山競輪の翌日、酒蔵巡りをしてお寿司を食べたり楽しい思い出がいっぱい。競輪学校のころ、成績がギリギリだった私を高松さんはいつも励ましてくれました。私も将来は、ああいうお母さんになりたいな」■スタミナも向上心も鉄人級レースを離れると同期の選手たちを温かく見守る母の顔を見せる美代子。だが、50歳を迎えた美代子に後はなかった。「レースが終わったら、高松さんは競輪場のビデオのある部屋に駆け込み、悔しそうに自分のレースを見直していました。それだけでは飽き足らず、開催指導員さんにアドバイスをもらい熱心にメモを取る姿が印象的で、私もそうやって勉強するようになりました」(同期の篠崎選手)レースがないときも、朝6時半から川崎競輪場で周回練習。7時から9時まで師匠・三住博昭グループのバイク練習をこなすと一時帰宅。午後からもトレーニングルームにこもって、ひとり黙々と練習に取り組んだ。そのかいあって2013年8月4日に、熊本競輪場で3勝目をマーク。これはガールズケイリンにおける最高齢勝利記録(51歳2か月)だ。しかし、この勝利を境に美代子はまったく勝てなくなってしまう。さすがの美代子も焦っていた。「2014年から男子同様、登録審査制度が導入され、レースにより得られるポイントにより、成績不振の選手は強制的に引退させられてしまうんです」だから、練習を1日でも休むのが怖い。 美代子の中で、そんな強迫観念にも似た思いが芽生えていた。だが、全盛期こそ、毎日200キロ走って脚力を鍛える競輪選手もいるが、体力の衰えを感じると選手はみな、練習方法を変える。ガールズケイリン界の“鉄人”にも変化が必要だったのかもしれない。2016年7月、そんな美代子をアクシデントが襲う。前橋のドーム競輪でもらい事故から落車。頭を打って救急車で病院に搬送された。「首の第一頸椎を2か所骨折。打ちどころが悪かったら、半身不随になる可能性もありました。これまでも何度か落車して入院したことがありましたが、これほどの事故は初めてのこと。しかも手術もできないので、じっと治るのを待つしかありません」大ケガをすると、怖くなって走れなくなる選手もいるのだが、美代子の頭を「引退」の2文字がよぎることはなかった。─何が何でも復帰する。「競輪選手になることを目指してからの毎日は私の人生の中でいちばん輝いていた日々。復帰を目指して練習を重ねて、もう1度、あの緊張感の中に戻りたい。そんな思いでいっぱいでした」■突然の別れ、そしてラストラン美代子は3か月休むとケガを押してレースに出場。「引退」を回避すると年明け2月のレースから本格復帰するためにハードな練習にも打ち込んだ。さらに、迎えた新年の年賀状にも「2020年の東京オリンピックまでは頑張る」とメッセージを添え再起に懸けていた。しかし復帰を目の前にした2017年2月、思いもよらぬ悲劇が美代子を待ち受けていた。「次女の結婚が決まり、両家の顔合わせを明日に控えた土曜日のことでした。練習から戻ると家の留守番電話に『主人危篤』のメッセージが何件も入っていました」この日、夫・繁男さんは羽田空港近くの天空橋のあたりまで自転車で出かけ、鳥居の袂でひと休みしていたところで倒れ、救急車で病院に運び込まれたという。「主人は毎朝、血圧を測りノートにつけるなど、健康にはとても気を遣っていました。ですから倒れたと言われてもまったく現実感がありませんでした」しかし、夫・繁男さんは翌日の昼過ぎ、意識が戻ることもなく息を引き取る。「死因すらわからず亡くなってしまった。人が死ぬのはこんなにあっけないんだ」現実感がないから、淡々と事実を受け入れるしかなかった美代子。その思いは娘たちも同じだった。しかし夫を亡くしたことで美代子の現役復帰に兄・壽彦が強く反対を唱える。「夫が亡くなり、もし私がまた事故にでもあって亡くなったら、子どもたちはどうするんだと、葬儀の日に言われました」夫・繁男さんが亡くなったことで急に死を身近に感じるようになった娘たちからも「引退」してほしいと言われ、美代子の心は揺らいだ。「引き際が大切。退く勇気を持ってほしい。このままやって引退に追い込まれるより、今なら山口百恵のように華々しくやめられると私は美代子に話しました」(兄・壽彦さん)確かに練習ができないまま、復帰して勝てるほど競輪は甘くはない。◇◇◇2017年3月26日。千葉競輪場で行われた第5レース。大勢の仲間たち、友人、家族の見守る中、美代子は54歳のラストランを飾った。「くしくも私の出走時間は、夫が息を引き取った12時41分。夫も見ていてくれたのかもしれませんね」生涯成績は323戦してわずか3勝。だが、この勝ち星こそ美代子にとっては遅れてやってきた青春の勲章に違いない。スタンドからも、「夢をありがとう」と叫ぶファンの声がこだました。「身体がボロボロになってやめる選手もいる中、無事に終われてよかった。勝負師の顔が今ではすっかり優しくなりました」(同期・藍野元選手)しかし美代子は、引退の翌々月から選手会の指導訓練課で競輪選手の新人研修を取り仕切るなど精力的に仕事に励んでいる。「産休問題など、ガールズケイリン特有の課題もあり、今も選手にとってはなくてはならない存在。生徒会長だったころのキャプテンシーをますます発揮してほしいですね」(同期・篠崎選手)2020年まで現役でいることはできなかったけれど、今も遅れてやってきた青春の真っただ中に美代子はいる。取材・文/島右近(しまうこん)放送作家、映像プロデューサー。文化・スポーツをはじめ幅広いジャンルで取材執筆。ドキュメンタリー番組に携わるうちに歴史に興味を抱き、『家康は関ヶ原で死んでいた』上梓。現在、忍者に関する書籍を執筆中。
2020年05月24日