第2弾がもうすぐ放送となる「松尾スズキと30分の女優」。この度、前作より吉田羊が出演した「吉田羊の乱」がYouTubeにて無料配信スタートした。松尾スズキが毎回ひとりの女優とがっぷり四つに組んで繰り広げる至極のWOWOWオリジナルオムニバスコントドラマ「松尾スズキと30分の女優」。第1弾には吉田さん 、多部未華子 、麻生久美子、黒木華が出演、観た人をやみつきにさせた。現在、WOWOWオンデマンドにて配信中の第1弾。全4話の中から今回、「吉田羊の乱」をYouTubeで期間限定配信。そして、3月放送の第2弾は、生田絵梨花、松本穂香、松雪泰子、天海祐希の4名が出演(放送順)。どんなコントを繰り広げるのか、注目だ。松尾スズキと30分の女優「吉田羊の乱」は4月4日(月)23時59分までWOWOWオフィシャルYouTubeチャンネルにて配信。「松尾スズキと30分の女優2」は3月13日(日)23時~WOWOWプライム・WOWOWオンデマンドにて放送&配信。※WOWOWオンデマンドでは全4話を一挙配信(cinemacafe.net)
2022年02月27日白井晃演出による、イタリアの現代演劇『住所まちがい』が9~10月、世田谷パブリックシアターにて翻訳上演されることが決定した。世田谷パブリックシアターでは海外の優れた戯曲を、その作品にふさわしい演出家に委嘱して上演してきた。りゅーとぴあ(新潟市民芸術文化会館)との共同主催企画として上演される本作は、ミラノ・ピッコロ座の座付作家ルイージ・ルナーリが1990年に発表した作品。現在までに世界20カ国以上で翻訳上演されているルナーリ自身の代表作ともいえるもので、今回が本邦初演となる。2022年4月より世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任する白井晃。白井は、ルナーリ作品には世田谷パブリックシアター主催公演『パードレ・ノーストロ―我らが父よ』(2002年、演出:佐藤信)に出演しており、上演時に作家が来日した際には意気投合し、ルナーリ本人から自身の作品を演出することを勧められていたという。そこでルナーリ作品に興味を持った白井が、今回ルナーリの代表作ともいえる『住所まちがい』に満を持して挑んだ。『住所まちがい』には中年の男性3人と女性1人の4人が登場する。登場人物はイタリアの伝統演劇『コメディア・デラルテ』の代表的なキャラクターをベースに、現代的なアレンジを加えた、いわば“現代の中産階級に属している誰か”を彷彿とさせる人々。そして自分の生存すら不確かな極限状況で展開される4人の奇妙な会話。本作は、それぞれの人生観が凝縮した会話の妙を楽しめる上質な喜劇である。同じ場所で遭遇し、混乱に巻き込まれる男性3人を演じるのは仲村トオル、田中哲司、渡辺いっけい。異なる目的で、同じ場所に鉢合わせることで起こる喜劇を、技巧派の3者がどのように創り上げるのか期待したい。そして物語の鍵を握る謎の女性役は草笛光子と朝海ひかるがダブルキャストで演じる。持ち味も世代も異なる、ふたりの名女優が男性3人をいかに翻弄するかにも注目だ。■上演情報りゅーとぴあ×世田谷パブリックシアター『住所まちがい -Three on the seesaw-』9~10月上演会場:世田谷パブリックシアター(※国内4都市ツアー公演あり)
2022年02月15日株式会社カブト(所在地:東京都港区、代表取締役:行木隆)のアスリート社員でビーチバレーボール選手の池田隼平(JUMPEI IKEDA)は、庄司憲右(KENSUKE SHOJI)選手とペアを結成し、世界を目指します。■背景株式会社カブトでは、ビーチバレーボールを日本でメジャースポーツにし、人々に夢や希望、元気を与えられる環境を構築するプロジェクトとして「KABTO beach volleyball project」を立ち上げました。その具体的なアクションとして、国際大会での上位進出を1つの目標として掲げています。この度、プロジェクトの目標及び想いを、共に2022年前期男子ビーチバレーボール日本代表※である池田隼平と庄司憲右選手で共有できたことによりペアを結成し、世界を目指すことになりました。池田・庄司ペア※ビーチバレーボールの「日本代表」とは、日本バレーボール協会(JVA)で選出された強化指定選手を指します。■選手プロフィール(1) 池田隼平池田順平出身地:熊本県阿蘇市経歴 :熊本県私立鎮西高等学校・法政大学卒2010年、2011年全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)2大会連続準優勝2010~2011 U-18 日本代表、2012~2013日本代表2012年 U-20 アジア選手権大会優勝【ビーチバレーボール日本代表歴】2018年前期、2019年前期・後期、2020年前期・後期、2021年後期、2022前期(2) 庄司憲右選手庄司憲右選手出身地:鳥取県境港市所属 :愛媛県競技力向上対策本部/湘南ベルマーレ経歴 :島根県立米子西高等学校・天理大学卒【ビーチバレーボール日本代表歴】2019年前期・後期、2021年前期・後期、2022年前期■今後の展開今年は9月に杭州で開催される国際大会出場を目指します。その後は、世界各地で開催されるワールドツアーやアジアツアー、ジャパンツアーを転戦し、国際大会のポイントを獲得していきます。最終的に、国際大会のランキングで上位獲得を目指しながら、プロジェクトを遂行していきます。■会社概要商号 : 株式会社カブト代表者 : 代表取締役 行木隆所在地 : 〒105-0003東京都港区西新橋3-24-10 ハリファックス御成門ビル2F設立 : 2000年7月事業内容: システム開発・販売事業、リスクマネジメント事業、コンサルティング事業資本金 : 4,550万円URL : 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年01月12日吉田鋼太郎主演「おいハンサム!!」が1月8日から放送開始。SNSでは吉田さんの演技に「吉田鋼太郎さん劇場」「父の昭和感が絶妙」など絶賛の声が上がったほかキャスト陣を賞賛する声も多数。「テンポとリズムがすごい好き」など演出も高く評価されている。本作は東海テレビ×日本映画放送が共同製作する“家族”と“食”のラブ&ファミリードラマ。伊藤理佐による“食”と“恋”を描いた人気コミック「おいピータン!!」&「おいおいピータン!!」を中核原作に、「渡る世間はオヤジばかり」「チューネン娘。」「あさって朝子さん」など伊藤氏の数ある人気コミックのモチーフを加え実写化した。昭和頑固親父の生き残りのような伊藤源太郎を吉田さんが演じるほか、伊藤家の三姉妹のうち、ある程度の外見の良さを求め元カレを捨てた長女・由香に木南晴夏。今は結婚して大阪で暮らしている次女・里香に佐久間由衣。漫画家志望の彼をいて1人暮らしをはじめた三女の美香に武田玲奈。家族をのんびり支える母親の千鶴にはMEGUMI。由香に捨てられた元カレで、源太郎の取引相手でもある大森利夫に浜野謙太。里香の夫で銀行員のミキヒロに桐山漣。ちょっとだらしない漫画家志望で美香の彼氏・ユウジに須藤蓮。また合コンで美香と出会うエリートサラリーマン・大倉学に高杉真宙。由香の不倫相手の竜也に久保田悠来。物の例えが古風な美香の同僚・シイナに野波麻帆。大森の会社の新入社員・山下に京典和玖といったキャストが出演。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。美香は1人暮らしをはじめユウジと半同棲状態になるが、ユウジが全力を込めた漫画を読んだ美香は「別れてください」と土下座。しかし美香と別れたくないユウジは「僕と別れると後悔するよ」と部屋に居座る。また高学歴な銀行員の夫と大阪で暮らす次女の里香も離婚寸前。不倫中の長女の由香も食事をしていると元カレ・大森が現れ…というのが1話のストーリー。酔っ払って帰ってきて千鶴の周囲をぐるぐる回り、スーツのまま布団に倒れ込むが、千鶴がタイガーマスクのセリフを口にすると突然起き上がる…。ラストでは由香の元カレとは知らず、飲んで意気投合した大森を自宅に招いてしまう…。“昭和おやじ”全開な源太郎を演じる吉田さんに「説明しすぎず不思議なテンポなのに面白い!吉田鋼太郎さん劇場だった」「吉田鋼太郎演じる父の昭和感が絶妙 中々面白いドラマだった」「吉田鋼太郎を愛でるドラマ」といった声が続出。また「吉田鋼太郎さんとMEGUMIさんが夫婦の時点で一定の期待はしてましたが、やっぱいい味出してました」「MEGUMI母さんのキャラが笑いを増幅させてて面白すぎる」「木南晴夏とハマケンのコンビだけでも観る価値あり」「内容も細かく丁寧に作られてる感じして最高のキャスト」など、豪華キャスト陣への賞賛も。「テンポよくて面白かった。キャストも豪華。毎週見る事にしよう」「おいハンサムめっちゃ面白いな。ドラマのテンポとリズムがすごい好き」「テンポと絶妙なセリフと独特の雰囲気がめちゃくちゃ楽しい」「淡々と笑えるというのはなかなか珍しいので、このテンポと熱量を今後もキープしてもらいたい」といった演出の良さについて触れたコメントも多数投稿されている。(笠緒)
2022年01月09日広島ホームテレビで毎週水曜日深夜に放送中の『カープ道』、今回は今年ブレイクした林晃汰選手を深掘りします。番組内容今年ブレイクしたカープ選手と言えば林晃汰選手。今回は『林晃汰論』と題して林晃汰選手の素顔や魅力をお伝えします。講師は智辯和歌山高校野球部OBでコーチそして部長として林晃汰選手を指導した古宮克人さん。現在は「BASEBALIFE」代表としてプロ野球選手の育成などに携わっています。出演者中島尚樹古宮克人さん(「BASEBALIFE」代表)touzitu235pr15.mp4 : カープを知らない、興味ない、乗っかりたい人必見のカープ学習番組【毎週水曜深夜放送中】番組ホームページはこちら▼ : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年11月16日圧倒的な強さから『霊長類最強女子』として知られる、元レスリング選手の吉田沙保里さん。現役引退後は、タレントや解説者など幅広く活躍しています。そんな吉田さんが投稿した何やら意味がありげな写真に、ネットがざわついでいるようです。吉田沙保里の投稿した写真に「まさか…!」の声2021年10月31日、吉田さんは自身のInstagramに複数枚の写真を投稿しました。投稿文には「Happy Halloween」という10月31日にちなんだメッセージと、「#happyday」「#ありがとう」「#20211031」というハッシュタグが。何気ない文章の投稿が話題になっている理由は、添付された写真にありました。※写真や動画は複数あります。スライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 吉田沙保里(@saori___yoshida)がシェアした投稿 写っているのは、吉田さんと思われる女性と、同年代に見える男性の姿。2人は一緒にブランコに乗ったり、手をつないだり、肩を組んだりと、とても親しい関係に見えます。そう、この写真と意味ありげな投稿文を見た人たちは「もしかして、吉田さんに恋人がいるのでは…!?」と予想したのです。吉田さんの投稿はまたたく間に話題になり、Instagramのコメント欄だけでなく、ネットのあちこちで反響が上がっています。・ま、まさか…近いうちにご結婚されるのでは…!?・素敵な方だし、おめでたい発表が近いうちに来たら嬉しい!・どんどん美人になってるもんね。写真見てニヤニヤしちゃった。テレビ番組で「好きな人とうまく話すことができない」といった悩みを明かすなど、かわいらしい一面も持つ吉田さん。『霊長類最強女子』として試合に挑む勇ましい姿とのギャップも、魅力の1つといえるでしょう。もしかすると、近いうちに何か発表があるのでしょうか…![文・構成/grape編集部]
2021年10月31日パルコ・プロデュース 2021『ジュリアス・シーザー』は、女性キャストたちだけで描かれるシェイクスピア劇。その見どころを吉田羊さんに聞きました。意外にも、シェイクスピア劇への出演は初めてだという吉田羊さん。「観客として観るシェイクスピアって難解で、途中でセリフを聞き逃すと置いていかれてしまうんですよね。役者としては、舞台上の俳優の胆力とパッションに圧倒されるのだけど、それをどう楽しんでいいかわからない。でも、今思えば、自分と関係のないものだと決めつけて、その魅力に向き合おうとしてこなかっただけなのかなと感じています」というのも、今回初タッグとなる森新太郎さんの演出を受けて、これまで抱いてきたシェイクスピア戯曲のイメージがガラッと変わったそう。「森さんは演出するうえで、英語の原典を引用されるんです。たとえば、同じ“自由”という言葉でも、自ら闘って得ていく“liberty”と人間がもともと持っている権利としての“freedom”では、ニュアンスが違いますよね。そういう言葉ひとつひとつを読み解いて、シェイクスピアが表現しようとする真意を理解して演じさせようとしてくださる。ひとつひとつに時間をかけるので、稽古が始まって10日ほどですが、まだ本読み段階(笑)。それでも、シェイクスピアで大事なのは言葉で、役者同士が言葉という武器を手に戦う作品ですから、着実に理解は深まっていると思います」森さんの稽古は声を荒げることなく淡々と快活に、でも何度も何度も何度も同じ場面を繰り返すスタイル。「98点では満足しない方なんですよね。だから100点が出るまで何度も繰り返すんです。でもそれって、役者を信頼してくれているからで、だからこっちも食らいついていけるんです。何より森さん自身がおもちゃを与えられた子供みたいに、誰より稽古を楽しんでいますから。あと、演出するときに用いる比喩の表現が本当に面白くて」そんな森さんからは、「役の感情に流されないように」ということも。「今回は、言葉を伝えることを重視しているため、感情を作るのは大事だけれど、流されずに言葉をしっかり相手に投げていく訓練をしています。これまで、『セリフを歌うな』というダメ出しはされてきましたが、今回は逆。言葉のリズムが音楽の旋律のようで、口にするうち自然に体に馴染んで気持ちよくなっていく。今まで感じたことがない体験です」舞台『ジュリアス・シーザー』は、共和制ローマの最高実力者・シーザーの暗殺を巡る権力闘争と愛憎の物語。吉田さんはシーザーの親友ながら、暗殺に力を貸すことになるブルータス役。なんと今作は、すべての役が女性キャストによって上演される。シェイクスピアの時代の上演スタイルを踏襲して全役男性で演じられることはときどきあるが、オールフィメールは珍しい試み。「最初こそ俺という一人称に違和感がありましたけど(笑)、戯曲の中の性別を固定するようなセリフは今回ほぼカットされていますし、性別を超えた人間の物語として観ていただけるんじゃないでしょうか。ジェンダーレスが声高に叫ばれる昨今ですが、根本にあるのは、性別で人間をはかるなってことだと思うんです。どんな感情も人間が等しく持つもので、性別によって区別されるものではない。この作品を通じて、そういうメッセージを発信できたらと思うし、そういう意味でまさに今やるにふさわしい作品ですよね」嫉妬や欲が渦巻く中で、ブルータスは「私利私欲がなくて、誠実だと誰もが評する人物」。「人望が厚く優しいけれど、ここぞというときに詰めが甘くて、その優しさが自分の首を絞めていく。そんな人間味のあるブルータスをお見せしたいと思っています」近年の吉田さんといえば、ジェーン・スーさんのエッセイをドラマ化した『生きるとか死ぬとか父親とか』や、異色の設定で話題を呼んだドラマ『きれいのくに』など、ひと癖ある作品に出演している印象が。「脚本、演出家、企画…判断基準はいろいろありますが、基本的にやりたいかやりたくないかの直感です。お芝居って心なので、自分が面白いと思って取り組めないと伝わってしまう。だからこそ心を大事に作品を選んでいきたいなと思うんです」ならば今回の舞台、出演を決めた最大のポイントはどこですか?「優先順位をつけるのは難しいですが、一番はPARCO劇場かな。選ばれた俳優しか出られない劇場のイメージ。長く小劇場で演劇をやってきて、あそこに呼ばれるようになりたいと奮闘してきたので、成功させるぞという思いで臨みます」共和制末期のローマ。次々と戦果を挙げ権力を増大化させていくシーザー(シルビア)の存在を危ぶんだキャシアス(松本)。ブルータス(吉田)を仲間に引き入れ、シーザーを暗殺する。その知らせを聞いたアントニー(松井)は…。10月10日(日)~31日(日)渋谷・PARCO劇場作/ウィリアム・シェイクスピア演出/森新太郎出演/吉田羊、松井玲奈、松本紀保、シルビア・グラブ、三田和代ほか全席指定1万1000円ほかパルコステージ TEL:03・3477・5858大阪、山形、福島、宮城、富山、愛知公演あり。よしだ・よう福岡県出身。舞台を中心に活動する中、2009 年の『returns』や‘11年の『国民の映画』などの三谷幸喜演出舞台に出演し注目を集める。最近の出演作にドラマ『恋する母たち』など。ブラウス¥75,900 スカート¥86,900ピアス¥26,400(以上sacai TEL:03・6418・5977)※『anan』2021年10月13日号より。写真・小笠原真紀スタイリスト・梅山弘子ヘア&メイク・井手真紗子インタビュー、文・望月リサ(by anan編集部)
2021年10月12日女優の茅島みずきと俳優の吉田鋼太郎が共演する、三菱重工業の新CM「カーボンニュートラル」編、「水素発電」編が5日より、日本テレビ系ニュース番組『news zero』(毎週月~木曜23:00~、金曜23:30~)で放送開始する。新CMは、今年1月から放送が始まった三菱パワーのCMに次ぐ第二弾。前回同様、茅島が主演を務め、吉田扮するフレンチブルドッグの“ブルくん”とともに、ユニークな掛け合いを通じて「カーボンニュートラル社会の実現」に向けた取り組み姿勢を伝える。■茅島みずきコメント前回出演させて頂いた三菱パワーさんのCMに続いて、今回は三菱重工さんのCMに出演できることになり、とても嬉しく思います。ブルくんは相変わらずのかわいさで、撮影もスムーズに進みました。ブルくんも2回目の撮影ということで段々慣れてきたのかなと思います。元気でかわいい子供達の表情も見どころです。カーボンニュートラルや水素発電といった地球に優しいキーワードをテーマに撮影を実施しました。ぜひご覧になってください。■吉田鋼太郎コメント約1年ぶりにブルくんの声で出演することができ大変嬉しいです。どんな声で演技をしていくか悩みましたが、前回よりも吉田鋼太郎らしさを出していく形で臨みました。結果、大好きなブルくんと一心同体になれたのではないかと思います。素敵な茅島さんとかわいいブルくんと改めて共演できましたし、地球がより良くなっていく未来を予感させるようなCMに仕上がっております。 是非お楽しみくださいませ。
2021年10月01日社会学者としてだけでなく、TV番組の司会やコメンテーター、小説家など、活躍の場を拡げ続ける古市憲寿さん。その軽やかなフットワークのヒントを教えていただきました。社会学者で小説家、TVのコメンテーターとしても活躍する古市さんが注目を浴びるきっかけとなったのは、ちょうど10年前、26歳で刊行した著書『絶望の国の幸福な若者たち』(巻末には俳優の佐藤健さんとの対談を収録!)だった。ただし本人の感覚としては、人生を決定付けたターニングポイントは、大学生時代まで遡る。「大学3年生の1年間、ノルウェーに留学したんです。そこで学んだことを元に卒業論文を書いていた頃、大学院進学を勧められ、社会学を本格的に専攻することになった。キャリア形成という意味でも大きなポイントでしたが、あの1年で生き方、考え方自体がかなり変わりました」もともと留学を決めた理由は、「単純に就活したくなかっただけ(笑)。それで一番ゆっくりできそうな国を選びました」しかし留学当初は、後悔することも多かったそう。「初めての一人暮らしだし食事もそんなに美味しくないしいつも天気が悪いし、友達もすぐにはできないし。勝手に思い描いていたキラキラの留学生活とのギャップで、最初の1か月は鬱々としていました。でも、この気持ちって、過度に自分に期待しているから生まれるんだよなと気が付いたんです。“自分はもっとうまくできるはず”とか考えて縮こまらないで、今の自分にできることをやれればいいし、日常の中で楽しいと感じられる小さなことを拾い集めていけばいい。今はもう、自分に期待しないと割り切っているので、どんな大舞台に見える場所でも緊張せずに済むし、トラブルが起こっても一人で抱え込まず、あっさりと人に頼れる。自分に期待しないって、結構いいことずくめだと思うんです(笑)」それは、自己否定とは異なる。むしろ、適切な自己肯定だ。「自分の足りないところや、コンプレックスに感じるところを認識するのは大事だと思うんです。というのも、それが変えられないものだなと分かったら、肯定するしかないじゃないですか。ある種の絶望から、楽観は始まるんですよね。例えば“何をやっても長続きしない”と思っている人は、楽観的な見方をすれば“好奇心が旺盛”ですよね。自分の淡泊な顔が気にくわなくても、実はそれって誰に対しても威圧感を与えない顔かもしれない。太っている人って、優しそうに見えたりしますよね。全ては解釈次第で、どんなコンプレックスも、見方を変えれば必ずいいことだと思えるようになる。別に“新しい自分”を目指さなくても、今の自分のままでも自分を肯定できるはずなんです」8月に出した新著の題名は『楽観論』だが、100%の楽観を目指せと説いているわけではない。大前提として悲観や「諦め」はありつつ、「それでも」自分自身や世の中に対していいところを探す。そんな柔軟なバランスを提案している。「自分の能力を活かせる場所は、この世界のどこかに必ずある。気付いていないだけで、“ここ”がそうかもしれない。こんな時代だからこそ、日常生活の中に少しの楽観を取り入れてみてほしいです」Noritoshi Furuichi1985年、東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。小説家として芥川賞に2度ノミネート。最新の著書は『楽観論』(新潮新書)。※『anan』2021年9月22日号より。写真・井手野下貴弘ヘア&メイク・堤 紗也香取材、文・吉田大助撮影協力・BACKGROUNDS FACTORY(by anan編集部)
2021年09月18日「僕は“勝手口”からこの世界に入った人間なので…(笑)」――。そう語るのはミュージシャンの牛尾憲輔。ソロユニット“agraph(アグラフ)”として活躍する一方、「LAMA」としてのバンド活動、「電気グルーヴ」のライブサポートやDJプレイなど、多方面で精力的に活動している。もうひとつ、牛尾さんの音楽活動の一面として、忘れてはならないのが“劇伴(げきばん)”と呼ばれる、映画やTVシリーズ作品の音楽の仕事。冒頭の「勝手口」発言は、この劇伴の仕事を指したもの。20代の頃から仕事として音楽に携わり、ソロアーティストとしても十数年のキャリアを誇る牛尾さんだが、劇伴を担当するようになったのはこの6~7年のこと。2014年のアニメシリーズ「ピンポン THE ANIMATION」を皮切りに、アニメーション映画『聲の形』、『リズと青い鳥』、さらに『麻雀放浪記2020』など、この6~7年ほどの間で次々と話題作の音楽を手がけてきた。昨年末にアニメ化が発表された「チェンソーマン」の音楽も担当しており先日、公開された音楽が入ったティザー映像も大きな話題を呼んだ。そんな牛尾さんが音楽をつけた最新の実写映画『子供はわかってあげない』が公開を迎えた。この機会に牛尾さんにインタビューを敢行。映画の世界で働く人々にその仕事について話を伺う【映画お仕事図鑑】連載第11回のテーマは「劇伴」!映画の音楽ってどうやって作るの? 普段の音楽活動との違い、その魅力は? たっぷりと話を聞いた。「ピンポン」で初めて担当した劇伴それまでの音楽活動とは「全く別物だった」――牛尾さんが最初に劇伴を担当されたのは2014年にフジテレビのノイタミナ枠で放送された「ピンポン THE ANIMATION」(湯浅政明監督)ですね?そうですね。メインで劇伴の全てを手掛けたのは「ピンポン」です。ただ、その前に知り合いのアーティストの方に「劇伴に参加してみないか?と声を掛けていただいて、ちょっとだけ参加したことありました。――「ピンポン」のオファーが来て、劇伴をご自身で手掛けることになったときの心境は?最初は不安でしたね。「できるのかな…?」と。そもそも劇伴というのは特殊な世界なので、ちゃんと劇伴のことを学ばないとできないと思っていましたし、僕はそれまで、基本的に自分のアーティスト活動しかしてこなかったので、白羽の矢を立てていただいたものの「僕(=音楽)がコケてしまったら、何百人という人が関わっている作品そのものにケチをつけてしまうことになるんじゃないか…?」とすごく緊張したこと覚えていますね。――アーティストとしてもともと劇伴に興味はおありでしたか?アーティストとしての活動の中で、テクノロジーをベースにした音楽を作っていたので、映像に音楽をつけるという部分で、技術的にトライしてみたいことはあるなという思いは持っていましたね。「こういう技術を使ってこういうことをやれば、きっとこんなことができるなぁ…」と挑戦してみたいという気持ちはありましたね。――実際「ピンポン」で劇伴を担当されてみていかがでしたか? それまでの音楽制作とはやはり違いましたか?全然違いましたね。とはいえ「ピンポン」の時にそれがきちんとできていたかどうかは怪しいですが…(苦笑)。とにかく全く別物でした。劇伴の場合、作った音楽を「これでOK」とジャッジするのが自分じゃないんですよね、それまでセルフプロデュースでクオリティを研ぎ澄ましていくということしかやってこなかったのですが、劇伴の場合「いかに作品にフィットするか?」ということが評価軸になるので、それはすごく新鮮だったし、そこで自分の足りない部分が見えてきたりもしました。――その後も京都アニメーション制作の映画『聲の形』、『リズと青い鳥』(いずれも山田尚子監督)など、次々と話題作の劇伴を担当されました。こうした活動を通じて、改めて感じた普段の音楽活動と劇伴の違い、劇伴ならではの面白さなどについて教えてください。先ほども言いましたが、これまでソロでアーティストとして活動してきて、単に自分の世界観とか自分のクオリティを研ぎ澄ますということであれば、自由に作れるんですよ。例えば、普段からダンスミュージックや電子音楽をベースにしていると、どうしても2のべき乗(※1,2,4,8,16…という2の累乗数)のリズムで作りたくなるんですね。でも映画ってそんなリズムとは関係ない。「このシーンは20秒と2コマ」と言われても、それは4小節にはならないわけです。音楽って時間軸をコントロールするものだと思いますが、映画の場合、音楽以外のものに主従関係の“主”があるわけで、それは普段の音楽活動とは全く違うものでしたね。そういう意味で、普段からのアーティスト活動も劇伴もどちらも「音楽」という言葉で表現されているけど、全く違う言葉で表さなくてはいけないものなんじゃないか? と思うくらい違うものだったし、それは発見であり、劇伴での経験から自分の活動へのフィードバックもあったし、すごく面白かったですね。――いま、ジャンルの話が少し出ましたが、agraphとしての活動でやられているのは電子音楽ですが、劇伴では作品に合わせて全く異なるジャンルの音楽を手掛けられています。牛尾さんが手掛けた複数の劇伴とagraphとして発表された作品を並べたとき、同じ人が作ったと知って、驚く人もいるのではないかと思います。いやぁ、そう感じていただけるのはすごく嬉しいです。最近、 “牛尾節”的な言い方をしてくださる人もいて、僕としてはそれはあんまり嬉しくないんですよね(苦笑)。賞味期限が短そうじゃないですか? 細く長くやりたいと思っているので…(笑)。それぞれの作品のジャンル的な違いについて、比喩的な言い方をしますと、真ん中に僕が音楽を手掛けてきた“作品”があるとして、僕が“作り手”の側にいて、作品を挟んで反対の側に“視聴者・観客”がいるとします。“視聴者・観客”側から見ますと、作品ごとに異なる様々なジャンルの音楽に見えると思うんですよ。「ピンポン」のようなテクノ系もあれば『聲の形』のような繊細なもの、今回の『子供はわかってあげない』のように、音楽というよりも映像に合った“音”が並んでいるような作品まで、様々な見え方がしていると思います。でも作り手の側の僕からしたら、制作のプロセスというのはほとんど一緒なんですよ。つまり、もともとの僕が音楽をやる上でのベースになっている“思想・哲学”みたいなものがあって、ほとんどの作品はそのフィルタを通って作られているんです。簡単に言葉にできないけど、ある哲学や思想が最初にあって、それをベースに個々の作品に寄り添いながら「こういう音楽にしよう」「こういうフレージングをして…」という感じでそれぞれの作品ごとの音楽を作っていく感じなんですね。そういう意味で、あんまりジャンルの違いで戸惑うようなことはないんです。同じスタートラインから始まって、4小節を「ドン! ドン! ドン!ド ン!」という強いリズムで均等に分割にすればテクノになるし、そうではなく、作品のゆっくりした雰囲気に合わせて、4小節を均等にではなく、例えば「ドン! ドーン…ドッ」というリズムにして有機的な音を組み合わせれば、また違ったジャンルの音楽になるんですね。創作の最初の一歩目に関しては、同じ部屋で同じコンピュータに向かって同じソフトを使ってやっているので、僕にとっては同じなんですね。ただ、作品ごとに向き合っていく“角度”が少しずつ違っていて、その角度の違いは最初の時点では1°とか2°くらいのすごく小さなものなんだけど、それが劇伴として観客・視聴者のみなさんに届く頃にはすごく大きな差になって見えてくるんですね。――いまおっしゃった「哲学・思想」というのは、担当する各作品のということではなく、あくまでも“牛尾さん自身が、音楽を作る上での”ということですね?そうです。おこがましい言い方ですが、それが例えば今回、沖田監督が僕を選んでくださった理由の部分でもあると思います。“作家性”と言い換えてもいいと思います。――その作家性と関連するかもしれませんが、これまで劇伴のオファーが届いたときに「え? この作風の監督が自分に音楽のオファーを?」と驚かれたことはありますか?ビックリすることはあります。それこそ今回の沖田監督の作品は以前から大好きで、『南極料理人』が公開されたのはちょうど大学生くらいだったかな? 世代的にもドンピシャで、お声がけいただいてすごく嬉しかったです。白石和彌監督(『麻雀放浪記2020』)もそうですね。僕は電気グルーヴとご一緒させていただいてきて、ピエール瀧さんからも白石監督について話を伺っていて「すごいな」と思っていたので、そういう監督からお声がけいただいたのはビックリしましたし、嬉しかったですし、面白いですよね。あえて全ての効果音をミュートして書き上げた、上白石萌歌と千葉雄大の車のシーン その意図は…?――アニメーション作品と実写作品で劇伴制作に違いはありますか?それはありますね。実写は基本的には“ピクチャーロック”と言われる、CGや色はまだ粗い状態だけど、基本的な画が出来上がっている「だいたいこういう映画ですよ」というのがわかる状態の映像が送られてきて、そこから劇伴の制作がスタートします。実写であれば、その段階で登場人物たちは動いているし、色も乗っているし、生音の効果音が乗っているんですね。でも、アニメーションだと、最初に頂く映像はバラバラだし、最後の最後……試写の前日くらいまで出来上がってなかったり、なんなら試写も回せない状態だったりするんですね。――なるほど、音楽をつける段階での映画そのものの完成度が実写とアニメでは全然違うんですね。加えてアニメの場合、当たり前ですけど、生の効果音がなくて、足音も衣擦れの音も、全てつけない限りは無音なんです。その差による違いはすごく大きいですね。影響を受ける部分も多いです。映画の中にセリフや環境音といったロゴス(=論理・意味)的なものが存在するときに、それを「支えるのか?」、「邪魔するのか?」、それとも「引くのか?」 ということをこちらでやらないといけないわけです。だから、元の映像に効果音があるかどうかというのはすごく大きいですね。例えば怒っている人が机を叩いた「ドンッ!」という音があったとして、実写であればピクチャーロックの段階でその音が既に存在していて、聞こえるわけです。なので、音楽をつける際に、その音にかぶらないようにしたりするんですけど、アニメの場合、その効果音が最後のダビングの段階まで鳴らないわけで、それはこちらが仕事をする上ではすごく難しいんですね。今回の『子供はわかってあげない』だと、美波(上白石萌歌)と明(千葉雄大)が、お父さん(豊川悦司)の家に向かう途中の車に乗ってるシーンで、まさにいまお話したような音楽の作り方をしています。僕のほうから沖田監督にお願いして、あのシーンの実景の音や車の音を全てカットしてもらったんです。というのは、僕があのシーンの曲を書いた時、効果音をミュートして、完全に画に合わせて書いたんですね。そうしたら“夏の予感”みたいな、すごくメロウな雰囲気の曲ができたので監督に「もしよかったら、これを聴いてみてくれませんか? 僕自身が効果音のない環境で画だけを見て書いたので」と説明して、それでOKをいただきました。――ここからさらに今回の『子供はわかってあげない』に即して劇伴制作についてお聞きしていきますが、その前に映画そのものについて、牛尾さんの感想をお聞かせいただけますか?もう沖田さんらしい“間”とかが、すごく面白くて…。沖田さんって本当にこういう奇跡みたいなフィルムを作るんですよね。先ほども言いましたが、音楽を作る上で、ある程度の映像をいただいた上で曲を作り始めているので、ずっと自宅のサブディスプレイに映像を流し続けてたんですけど、(細田)佳央太くんがすごくかわいくて好きになりましたね(笑)。「みんな! とにかく佳央太くんを見てくれ!」って思いました。「音が並んでいる」――“何も起こらない”のが魅力の沖田修一監督作品に寄り添ってできた劇伴――今回の劇伴に関して、先ほどのお話の中で「音が並んでいる」という表現をされていました。実際、映画を観ると、牛尾さんの制作された音楽だけでなく効果音やセリフも含めて、“音”がすごく印象的でした。今回の劇伴の制作の過程について振り返っていただけますか?今回の作品で最初に沖田さんと顔を合わせたのは……渋谷の焼肉屋だったはずなんだけど…(笑)、何を話したかなぁ? あぁ、たしか最初に「ハバネラ」の話があったんじゃなかったかな?――序盤の美波ともじくん(細田佳央太)の会話の中で、ゆったりしたリズムで流れる「ハバネラ」(※オペラ「カルメン」で歌われるアリア。本作の予告編でも使用)ですね。ということは、あの「ハバネラ」は監督の提案で?そうなんです。すごく申し訳なさそうな顔をしながら沖田さんが「すいません、牛尾さん。なぜか頭の中に『ハバネラ』が鳴り響いていまして…』って(笑)。こちらは「???」という感じだったんですけど(笑)、いま考えると、言っていただけてよかったなと思います。監督の話を聞いて「ハバネラ」バージョンと、そうじゃないバージョンを作ってみたんですけど、「ハバネラ」のメロディって聴けば誰でもわかる強いメロディだけど、ゆっくりにするとスカスカになるんですよ。音が落っこちてくるような感じというか…本来はすごくハーモニー豊かな曲なんですけど、それが一音、一音に寄っていく感じになるんですね。最初にゆっくりの「ハバネラ」を聴いた時、音が“密”ではなく“疎”になっていくのを感じて、それが大きな発見だったというか「これを劇伴全体を通してやってみようかな」と思いついたんですね。こういう言い方が正しいかわからないけど、それってすごく沖田作品に合う気がしたんです――「ハバネラ」によって、劇伴の方向性が決まったと?この映画、もちろん美波をはじめ、何人かにとっては、人生におけるすごく大きなことが起きる映画ではあるんですけど、とはいえ、それでも沖田監督の映画って何も起きないことが魅力なんですよね。相対的に、例えば宇宙大戦争的な作品と沖田作品を並べたとき、沖田作品って格段に“何も起きない”じゃないですか(笑)? そういう何も起きないけど、でも繊細で些細なことがすごく意味を持ってくる――そんな視点・視野を持っているんですよね今回の映画の中でも、お父さんと美波がご飯を食べている時、食べ物が飛んじゃって「ごめん」「いいよ」ってやりとりがあったんですけど、あれはアドリブなんですよね。でも、あそこにちゃんと視点があるっていうのは、沖田さんの作品ですごく大事なことだと思うんです。あの関係性を描いているってことは、あらすじに太字で書くべき重要なところなんじゃないかって(笑)。それくらい本当に一見すると何も起きてないような状態であっても、でも注目したものが繊細な動きで情感豊かなものになるっていうのは、僕が沖田さんの作品の中でも大好きな部分で、そこに向けて、さっきお話した自分の“哲学・思想”を発射させると、結果ああいう音楽になるのかな? と思います。――他に音楽に関して、沖田監督からリクエストなどはなかったんですか?そこまで大きなリクエストみたいなものはなかったと思います。ただ、こまごまと「ここはどうしましょうか?」という話はいろいろとしましたね。例えば、美波とお父さんが浜辺で歩いているロングショットのシーンとか。あのシーンの劇伴は果たして音なのか? それとも音楽なのか――? 僕自身、あれが曲なのかどうかもわからないんですけど、あれが「ありやなしや?」という話なんかはたくさんしましたね。ドラムの音だけが響き渡るクライマックスの“挑戦”――終盤の美波ともじくんの重要なシーンで、ドラムの音だけをバックにドラマが進んでいくところも印象的でした。冒頭で美波がもじくんと出会ったシーンでは、2人が屋上から校舎を降りてくるんですけど、あの終盤のシーンは、逆にのぼっていくんです。沖田さんからは「もう、しっちゃかめっちゃかでワケがわかんなくなっている美波でありたい」と言われて、それはどんな感じなのかな? とずっと考えていたんですが「フリージャズみたいな」という言葉を沖田さんからヒントとしてもらって、それならドラムで、リズムもだんだんメチャクチャになっていくような感じがいいかなと思いました。それで、冒頭で2人が降りてくるところのセリフのやりとりを使用して、“ダブ(※)”というんですけど、ワーッとエコーを重ねていく手法でやってみたいなと沖田さんに相談したら、最初は「うーん…」と考え込んでいたんですけど、最終的には「それでいきましょう」ということになりました。※リズムを強調してミキシングし、エコーなどのエフェクトを過剰に施し、原曲とは全く異なる作品に作り変えてしまう手法。――沖田監督は、牛尾さんのそうしたアイディアを積極的に取り入れていってくれたんですか?いや、笑顔で譲らないんですよ、沖田さんって(笑)。何より作品のことを第一に考えて、ダメな時はダメとハッキリと言うので、その中で僕は「こんなのどうですか?」「じゃあこれは?」と次々と球を投げるというのを繰り返していました。――改めて今回の劇伴において、本作ならではの新たな部分、いままでにない挑戦をした部分はどういったところですか?やはり、先ほどお話した、ドラムのソロでセリフがグルグル回るという終盤の部分ですね。ダビングステージという映画館のようなスタジオなんですけど、そこで実際の映像を流しながら、ミキシング・コンソールという機材を使って、その場でDJのように卓を演奏して、あのシーンの音楽を聴いてもらったんです。あれはセッションみたいですごく面白かったですね。――最後に牛尾さんが感じる劇伴の魅力、面白さについて教えてください。なんでしょうね? 勝手口からこの世界に入っておいて、その視点で好き勝手なこと言うと、他のちゃんと劇伴を学んで活躍されている作家さんたちに失礼ですけど……でも劇伴って楽しいなって思います。やってて楽しいですよ(笑)。ミュージシャンってつい手癖でやってしまったりするし、アーティスト活動をやってても、結局、いつも同じことの繰り返しになっている部分もあって悩むんですけど、劇伴って自分にない引き出しや忘れていた引き出しを引っ張り出さないといけなかったりするんです。さっき「フリージャズのような」という話が出ましたけど、僕自身は電子音楽畑の人間なので、ジャズは全く通ってないし、フリージャズなんてできないんですよ。でも、おそらく沖田さんが「フリージャズ」という言葉で表現したものは、本当のフリージャズじゃなくて、もっと衝動的な何かだったり、グチャグチャになっていく何かだったんだと思うんですよね。そこで、自分の引き出しの中にあるものをあれこれと組み合わせて、沖田さんの求めるものを狙って曲を作っていくんですけど、そういうことをしていると、今度はアーティスト活動のとき、それまでの自分では思いつかなかったようなことを思いついたりするんです。例えば普段の音楽活動でもドラムの打ち込みをすることはあるし、それで生っぽいものを表現したり、先ほども話に出た“ダブ”という手法でエコーを重ねるようなこともするけど、それらを組み合わせて何かを作るっていうことは、リクエストがないと自分には思いつかないですよね。そういう意味で、劇伴の制作が自分の中の面白い発見につながるなと感じています。僕のような者がお名前を出すのも本当におこがましいんですけど、武満徹(※)先生が、「ノヴェンバー・ステップス」という世紀の名曲を書かれる前に、その着想を得たのは劇伴だったそうです。それは『切腹』(1962年/小林正樹監督)という映画で、そこでオーケストレーションの中に邦楽器を取り入れたことで、そちらに意識が向いたということをおっしゃっていたのを以前、拝見しました。※ほぼ独学で音楽を学び、西洋音楽に東洋の伝統的な楽器や手法を取り入れるなどして、映画や舞台の劇伴から電子音楽、オーケストラまで幅広いジャンルで名曲を残した世界的作曲家。代表作に「ノヴェンバー・ステップス」など。1996年没。そうやって劇伴での経験を自分の作品にフィードバックして、そこからまた新しいものが生まれていくというのはすごくポジティブなスパイラルだなと思いますし、楽しいです。「劇伴と普段の音楽は全く別物」と言いましたが、とはいえ、そんなことを意識せず、楽しめる素敵なお仕事だなと感じています。(text:Naoki Kurozu)■関連作品:子供はわかってあげない 2021年8月20日より全国公開©2020「子供はわかってあげない」製作委員会©田島列島/講談社
2021年08月30日過去のいじめ問題がきっかけとなり、ミュージシャンの小山田圭吾さんが、東京五輪開会式の楽曲担当を辞任することが発表されました。同件は、小山田さんが、障害のある同級生などにいじめを行っていたことを明かした、1990年代のインタビュー内容が拡散されたというもの。小山田さんが楽曲を担当する東京五輪には、障がい者スポーツの大会であるパラリンピックもあり、かついじめの内容も度を越えたものだったことから、批判の声が殺到しています。古市憲寿「そもそも『いじめ』という言葉がよくない」2021年7月19日、社会学者の古市憲寿さんが自身のTwitterを更新。内容に反響が上がっています。フォロワーに小山田さんの件について聞かれた古市さんは、自身の考えをこう明かしました。「いじめ」に関する報道に思うことはずっと一緒で(これまで何度も発言したり書いてきています)、そもそも「いじめ」という言葉がよくないと思うんです。刑法における暴行罪や傷害罪に当たるなら刑事事件になるべきで、学校空間を聖域にするべきではありません。@poe1985ーより引用古市さんはそもそも『いじめ』という言葉がよくないとした上で、「学校空間を聖域にするべきではない」と指摘。また、問題なのは『いじめから時間が経過してしまった場合』とし、「すべての被害者がすぐに告発できるわけではない。言葉にできるまでに10年、20年かかることがある」と被害者の心に寄り添いました。続けて、古市さんはこう持論を展開しています。当事者の問題であること、日本は法治国家であること、の二点が重要だと思います。私刑は許されないわけですから、当事者が告発したい場合に、それを支援する制度や社会のあり方は大事です。だけどそれを、それこそ「いじめ」のような形で加害者を糾弾するのは反対です。@poe1985ーより引用最後に、「当事者が告発をしたい場合に、それを支援する制度や社会のあり方が大切」と持論をつづっています。投稿には、ネット上でさまざまな声が寄せられました。・「『いじめ』という言葉がよくない」というのは本当に共感。その言葉があることで、いじめの実情が曖昧になっている気はする。・当事者が告発できる社会の構築っていうのは少し難しいのかも。もちろん実現するのが理想だけど…。・開会式の作曲家としてふさわしくないという批判は仕方がないと思う。けど古市さんのいうように、私刑にしていい、というわけでもない。ネット上では賛否が分かれた、古市さんのいじめに対する持論。いじめに関する問題を他人事として済まさず、正しい方法によって少しでも傷付く人を減らす努力が必要でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年07月20日ジェーン・スーのエッセイを吉田羊主演でドラマ化した「生きるとか死ぬとか父親とか」が6月25日の放送で最終回を迎えた。劇中で吉田さん演じるトキコが口ずさむオープニング曲「ever since」に「もっと聴きたかった」など絶賛の声が送られている。ラジオパーソナリティー・コラムニスト・作詞家と多彩な顔を持ち、女性からの圧倒的な支持を集める“独身のカリスマ“ことジェーン・スーが、自身の家族の出来事と思い出を描いたリアルストーリーを映像化。吉田さんがジェーン・スーさん自身をモデルにした主人公を演じた本作。20年前、母をガンで亡くし一人の肉親となった父・哲也と一時は絶縁寸前までいったものの、いまでは時々外食しながら話をする関係になっている蒲原トキコに吉田さん。昔は破天荒な人生を歩んでいたが今ではすっかり丸くなった、どこか自由奔放で愛嬌のある父・哲也に國村隼。トキコがメインパーソナリティーを務めるラジオ番組「トッキーとヒトトキ」で、トキコと共にラジオを進行するアナウンサーの東七海に田中みな実。また20代の頃のトキコを松岡茉優が、トキコの母を富田靖子が演じた。そのほか岩崎う大(かもめんたる)、岩井勇気(ハライチ)、平子祐希(アルコ&ピース)、大友花恋、DJ松永らも出演した。※以下ネタバレを含む表現があります。ご注意ください。最終回ではトキコが父について綴ったエッセイ本が完成。そのことを告知したラジオの収録後、プロデューサーから昼間の帯番組をやらないかという打診を受けたトキコは、今までのように質問に向き合えなくなることや、リスナー層が変化することへの不安から返答を保留する。その後、本を渡すのを兼ねてトキコは哲也と亡くなった母の出刃包丁を研ぎに行く。そこで哲也はトキコに封筒を渡す。中には母が好きだった江戸の老舗が書かれた“申し次ぎ”で、トキコは今までバラバラだった家族が1つにまとまったと感じ、心の中で「我が家もようやく、父と母と娘の3人家族になれました」と天国の母に報告する…というラストだった。放送後のTwitterには「自分に置き換えて見ちゃって苦しいくらいのときもあったな…」「自分のことを振り返りつつ見てしまった」「家族との向き合い方を改めて考えさせてもらえた大切なドラマ」「色々考えるきっかけをくれるドラマでした。まだまだ続きが見たい」などの感想とともに、「吉田羊さんのアカペラが優しくて, ぐっと来る…」「吉田羊さん歌うまい~しかもアカペラで…」「思いがけない吉田羊さんの歌声もっと聴きたかったなぁー」など、劇中でトキコが口ずさんだオープニング曲「ever since」に絶賛の声が集まる。それとともに高橋優が手がけたこの主題歌にも「吉田羊歌上手いなぁ。そして、高橋優の作った歌も良い」「高橋優のOPの包み込む歌声がいい空気感を作ってた」「ドラマの内容にかなりシンクロしてて 刺さる刺さる」と、改めて多くのコメントが寄せられている。(笠緒)
2021年06月26日新国立劇場の吉田都舞踊芸術監督と、歌舞伎俳優、日本舞踊家の松本幸四郎との対談が実現した。吉田は6月5日(土)からの新国立劇場バレエ団『ライモンダ』の公演を、幸四郎は自らが構成・演出、さらに出演も務める第4回日本舞踊未来座の公演=祭(SAI)=『夢追う子』(6月4日(金)〜6日(日)、国立劇場小劇場にて開催、チケットは発売中)を控える。ともに多くのアーティストたちを率いる立場にいる二人だ。まずは日本舞踊の印象について、「踊り方の違いはあるけれど、伝統を大切にするという意味で通じる部分があると感じます」という吉田。幸四郎も「バレエはすごく繊細で、研ぎ澄まされた力強さがあると感じる。でも、古典を進化させ、時代に対応していくという点で共通しているなと思うんです」と、舞踊芸術に携わる者として思いを分かち合う。日本舞踊協会が2017年にスタートさせた未来座の舞台は、「いろんな題材、音楽、演出を取り入れることで、新たな日本舞踊を誕生させようという公演」と幸四郎。「とにかく、日本舞踊を得意技とする舞踊家がひたすら踊る、そのパワー、エネルギーを感じていただきたい」と熱を帯びる。多くの流派から47名もの舞踊家が一堂に会する、まさに“祭り”の舞台。演出を担う者として、「できているわけではないけれど、目指すところは、出演者が『いままででいちばんいい』と言われるような代表作、自信作にする」ことだという。これを受けて吉田も、「私も、皆が気持ちよく舞台に立てるよう環境を整えていきたい」。さらには、「大切にしたいのは、目指すところを明確にすることです。皆が同じ認識でいないと、注意をしても伝わらないと思うんです」と、演出家、指導者ならではの発言が飛び交った。吉田は現役時代、新国立劇場での『ライモンダ』初演(2004年)に主演しているだけに、ダンサーたちに伝えたいことは少なくない。貴族の娘ライモンダと十字軍の騎士ジャン・ド・ブリエンヌの恋物語を描く格調高い古典作品だが、「純粋に踊りを、またストーリー展開も楽しんでいただける。ルイザ(・スピナテッリ)さんの美術、衣裳の美しい色彩感覚が素晴らしく、私自身も観るのが楽しみなんです」とアピール。コロナ禍の中での活動が続くが、幸四郎の「持ち続けていれば夢は叶う!」という力強い声が、強く印象に残った。新国立劇場『ライモンダ』は、6月5日(土)〜13日(日)、新国立劇場オペラパレスにて。チケットは発売中。文:加藤智子
2021年05月20日音楽や映画などを中心としたエンタメ系のフリーライターとして活躍する吉田可奈さんは、仕事をしながら2人の姉弟を育てるパワフルなシングルマザー。しっかり者の姉 “みいちゃん”と知的障害を抱えた弟 “ぽんちゃん”との日々を綴ったエッセイ&マンガ『うちの子、へん?』(扶桑社刊)が今話題になっています。今回は、そんな吉田さんに、他の子との違いに気付いたきっかけや、障害を持つ子どもとの向き合い方についてお話を伺いました。 「他の子と比べて小さい」と気づいたのがきっかけだった-シングルマザーになったのは、いつ頃だったのでしょうか。 吉田さん:12年前ですね。23歳で結婚して、26歳で1人目を出産、29歳で2人目を出産したのですが、いろいろあって、2人目が産まれてすぐに離婚しました。 -子育てに対する不安はなかったんですか? 吉田さん:子育てに対する不安は、ほとんどなかったです。子どもは2人ともすごく育てやすかったし、それよりも夫婦関係のトラブルの方がしんどくて、それを取っ払ってからは、ものすごく気持ちがラクになりましたね。 -2人目の男の子“ぽんちゃん”がちょっと他の子と違うなと感じたのは1歳くらいだったそうですが、どんなことがきっかけだったのでしょうか。 吉田さん:4月生まれで1歳になってすぐに保育園に入ったんですけど、ある日、保育園のおばあちゃん先生に「あきらかに(他の子と比べて)小さいね」と言われたんです。たしかに、めちゃくちゃ小さかったんですよ。6kgにも満たないくらいで。それまではあまり気にしていなかったんですけど、「一度病院で診てもらった方がいいよ」というアドバイスをいただいて、その日の帰りにかかりつけの病院に行ったんです。そうしたら、「たしかに小さいね」と言われて。そこから医師の指示のもと、離乳食とミルクの他に漢方と栄養ドリンクをあげることになり、それで1年間変化がなければ大きい病院に行きましょう、と。 -それで変化がなかったので大きい病院に? 吉田さん:そうですね。1年経っても喋らないし、歩かないし、体重も増えないし……ということで、紹介状を書いてもらって、大きい都立の子ども病院に検査を受けに行くことになりました。 -その時、どんな心境でしたか? 吉田さん:それまでの1年間の中で「大丈夫、うちの子は違うだろう」という気持ちと、「もしかしたら障害を持っているのかもしれない」という気持ちが半々くらいあって、その狭間でずっとグラついていたので、不安というよりも白黒つけたいという気持ちの方がすごく強くなっていました。こればかりは、悩んでも仕方がないじゃないですか。障害があるのなら、そのように育てなければならないし。 ―病院ではどんな検査を受けたんですか? 吉田さん:遺伝子検査をはじめ、成長ホルモンがちゃんと出ているかを調べる内分泌検査とか、染色体検査、神経内科、眼科、耳鼻科など、1泊2日で本当にいろんな検査をしました。 -その時の結果で、障害があると判明したんですか? 吉田さん:それが、全部異常なしだったんですよ。あとは様子を見ましょうと言われて、うーんと思いながら帰りました。その後しばらく様子を見ていてもやっぱり言葉が出なかったので、今度はMRI検査を受けて。そうしたら、脳に言葉を司る神経みたいなのがあるんですけど、そこにちょっと問題が見つかったんです。通常、2〜3歳くらいになるとそこが開くらしいのですが、うちの子の場合は、それがまったく開いていない状態でした。最悪開かないまま人生を終えるかもしれないし、急に開く場合もあるらしく。そこでようやく、ぽんちゃんはしゃべれないタイプの子だということが発覚した感じでしたね。 「やれるだけのことはやってあげよう」と療育センターへ-ぽんちゃんは【表出性言語障害】だと著書に書かれていましたが、これはどういったものなのでしょうか? 吉田さん:病院で直接そう言われたわけではないんですけどね。しゃべれないということが分かって療育センター(※1)に通うことになり、まずはぽんちゃんの状態をお話しするじゃないですか。その時に、職員さんがメモしていたのがチラッと見えて、そこに【表出性言語障害】(※2)と書かれていたんです。それで、家に帰って調べてみたら「言葉が出ないけど相手の言うことは理解できて、リアクションはできる」と出てきて、それがまさにぽんちゃんの状態と一緒だったので、ああ、うちの子はそうなんだと。やっぱりショックではありました。 ※1療育センター…障害のある子どもが、作業療法士、理学療法士、言語聴覚士、臨床心理士、臨床発達心理士などの専門職から、それぞれに合った治療と教育を受けられる施設。※2表出性言語障害…言葉を理解しているが、言葉を使う能力が年齢の水準を下回る障害。 -話す練習をしたりしましたか? 吉田さん:もう、良いと言われているものは全部試しましたよ。それでも成果は得られず。周りにも「いっぱい話しかけてみたら?」とか「ここに通わせてみたら?」とか、最終的には「こういう宗教に入ってみたら?」とかいろいろ言われましたが、私自身、はなから(いろいろやらせても)無理だろうという気持ちがあって。割と早い段階から療育センターに通わせて訓練を受けていたので、プロに勝るものはないと思っていたんですよね。 -療育センターでは、どんな訓練を受けていたんですか? 吉田さん:療育センターでは、【ST】と【OT】(※3)という体力と言語の訓練を2歳から週1回ずつ受けていました。検査の結果を受けてすぐに通えることになったのは、以前から市役所に相談していたからなんですよ。中には、そこに通っている=障害児みたいになっちゃうのが嫌で、なかなか相談できず療育センターに入りづらくなってしまったというケースもあるみたいですけど、うちの場合は早い段階で見切りをつけて、やれるだけのことはやってあげようという考えだったので。 ※3STとOT…STは言語聴覚療法、OTは作業療法を指す。 ちゃんと障害を受け入れ理解することで不安がなくなった -著書の中で、子どもの障害を受け入れることを【障害受容】という言葉で語られていますが、認めたくないママさんは多いのでしょうか。 吉田さん:難しい問題ですよね。私の場合は、最初に出会ったのが知的を伴わない自閉症の男の子のママで、早い段階で障害受容できている方だったんですね。サークルを自分で作ったり、毎日すごく楽しそうに暮らしているのを見ていたので、あまり抵抗がなかったというか。うちの子が知的障害かもしれないということが分かった時も、すぐにそのママに電話して相談したんです。そうしたら「手帳をもらって逆手に取ろう」って言ってくれて(笑)。手帳があればディズニーランドとかも並ばなくて良いし、旅行も安く行けるよって明るく後押ししてくれたことで、変にマイナスに捉えずにいられたんだと思います。 -とはいえ、やはり先のことを考えると不安になることも多いと思うんです。そういった時の気持ちの持っていき方というか、どう考えて行動するのが良いと思いますか? 吉田さん:障害があるのなら、この子が一番生きやすい場所を与えてあげようと考えるのが良いのではないでしょうか。だってしょうがないじゃん、親がどう思われようと関係ないよねって。結局、そのママのお子さんは自分の持っているものを生かせる学校に進学できて、今ではめちゃくちゃ高偏差値の私立中学に通っています。それは、彼女が自分の子どもの障害や能力をちゃんと理解して、それが最大限に発揮できる環境を選んでいった結果だと思うんです。 -障害がある場合、普通の学校に入れるかどうかというのも悩みどころだと思うのですが。 吉田さん:たまに私のところにも、SNSのDMを通して相談が来たりします。【特別支援学校】(※4)と【特別支援学級】(※5)の違いを説明すると、支援学校は障害を持った子の自立支援をするための学校で、生活する上での基礎的なことを教育して、そのまま職業訓練を受けて就職するという流れなんですね。対して支援学級は、通常の学習教育が難しい生徒のための学級なので、軽度の障害、いわゆるグレーの子たちが通っているんです。どちらに通うのがいいのかは親が決めることなので、悩むところですよね。 ※4特別支援学校…障害の程度が比較的重い子供を対象として教育を行う学校(小・中学部)。※5特別支援学級…障害のある子供のために小・中学校に障害の種別ごとに置かれる少人数の学級。 -まずは何よりも、お子さんの障害を受け入れることが大事だと。 吉田さん:そう思います。あと、よく勘違いされてしまうのが、自閉症の人は何かの能力に特化しているというのをドラマとかでよく見るじゃないですか。あれって、障害がない人の一部が天才なように、障害がある人たちの中でも一部の天才の話であって、普通の自閉症の子は、何かに特化しているということはあまりないんですよ。だから、まずは将来的に自立できるような教育をちゃんと与えあげるのが一番大事なことなのではないでしょうか。 -大人になった時に困らないことの方が大切ということですね。 吉田さん:そうそう。親は先に死んでしまいますから。特別支援学校では、スーパーに行ってリンゴを1個買います、お釣りはこうやってもらいますみたいなところから教えてもらえるんですよ。障害を持った人が生きるための学校ですね。 子どもの障害を受け入れるまでの過程や、学校進学などの現実的な問題について明るく前向きに語っていただいた今回。次の記事では、障害を持つ子どもを育てることで経験した苦労や、シングルで育てるためのさまざまな工夫、実際に利用している行政支援などについてのお話を聞きました。次回もお楽しみに! <第2回につづく>※2021年4月19日 文中のSTとOTの説明が逆になっておりましたので修正いたしました。PROFILE:吉田可奈さんエンタメ系のフリーライターとして活動しているシングルマザー。13歳、10歳の子どもを子育て中。発達障害・知的障害の子どもに関する著書を出版している。
2021年04月16日「女性自身で『バレンタインジャンボはそのエリアのお城から見て恵方(南南東)の売り場が大吉』という記事を見たのですが、うちの売り場は有名な二条城から南南東なんです。これは縁起よしと、節分に恵方巻を食べました。すると1等3億円!大当たりでした」そう興奮気味に話すのは京都府「京都駅ビルチャンスセンター」の佐々木勉店長。売り場には、地元の壇王法林寺の黒い招き猫が置かれている。「これを置いてすぐにグリーンジャンボで1等5億円が出たまさに招福猫。今回の3億円は恵方と招き猫のダブル効果のおかげだと思っています」(佐々木店長)3月12日に抽せんが行われた今回のバレンタインジャンボの1等当せん売り場は次のとおり。■全国「バレンタインジャンボ宝くじ」1等当せん売り場【青森県】新七戸イオンチャンスセンター(上北郡七戸町荒熊内67-990)【千葉県】みずほ銀行本八幡支店(市川市八幡2-5-3)【東京都】みずほ銀行北沢支店(世田谷区北沢2-25-20)【神奈川県】みずほ銀行上大岡支店(横浜市港南区上大岡西1-6-1)【京都府】京都駅ビルチャンスセンター(京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町901)【大阪府】ドリームスクウェア天満橋(大阪市中央区天満橋京町1-1)【福岡県】西鉄福岡駅構内宝くじ売場(福岡市中央区天神2-11-3)【大分県】三重町チャンスセンター(豊後大野市三重町赤嶺992)【インターネット】宝くじ公式サイト(2本)さっそく1等当せん売り場の横顔を北から紹介していこう。町の名前に「七」が入っていることから「ラッキーセブンの町」として売り出し中の青森県七戸町「新七戸イオンチャンスセンター」では当せん金支払い開始日の翌日に1等の前賞5,000万円の当せん者が売り場に。「販売員が『この売り場から1等が出たんですよ』と世間話をしながら、その人が未開封で持参したくじを調べたら、大当たり。お客さんは一瞬固まり、青ざめて帰っていかれました」(神山亮店長)大阪府「ドリームスクウェア天満橋」では、販売員におめでたいことが続いていたとか。「昨年春から、販売員に立て続けに2人、お孫さんができて。売り場にもいいことがあるかなと話していたら、昨年11月にミニロト1等1,587万円。そして今回、とうとうジャンボ1等。慶事は続くというのは本当ですね」(販売担当・加藤毅さん)福岡県「西鉄福岡駅構内宝くじ売場」は、駅前の歩道に宝くじを売るパラソルが3つ並んでいることで、町の風物詩となっている。今回はその真ん中のパラソルの売り場から1等が出た。「戦後すぐからやっていて、私で3代目」という店主の宮原隆さんはこう話す。「じつはこれまで店頭でスクラッチを買って当てた人の最高は5枚買って100万円でした。それが先日、若い男のコが3枚買って100万円を当て、記録更新したばかり。これは運気が上がっているなと期待していたら3億円でした(笑)」大分県「三重町チャンスセンター」のある豊後大野市には一夜にして長者になったという夫婦の伝説が伝わっているという。「売り場の近くにその伝説で黄金が湧き出したという金亀ヶ渕があり、販売員はその御利益にあやかろうと何度もお参りに。その努力が報われました」(吉田晃憲店長)どの売り場も運気絶好調が招いた3億円。つぎのドリーム5億円も期待できそうだ。「女性自身」2021年4月20日号 掲載
2021年04月08日稲垣吾郎、吉田羊らが出演する、リアルと虚構が入り交じるまったく新しいドラマ、よるドラ「きれいのくに」のメインビジュアルが公開された。美容師の恵理(吉田さん)と税理士の宏之(平原テツ)は再婚同士の夫婦。気になることと言えば、わずかな容姿の衰えと、最近セックスレスなこと、そして子どもを持つことを諦めたことくらい。結婚生活に不満はまったくない…はずだった。しかし、謎の女(蓮佛美沙子)が宏之の前に現れ、夫婦は不可解で信じがたい出来事に遭遇する。同じ高校に通う誠也(青木柚)、凜(見上愛)、れいら(岡本夏美)、貴志(山脇辰哉)、中山(秋元龍太朗)は幼なじみ。仲は良いが、最近は異性や容姿を意識し、ときどきちょっとぎこちない。ごく普通の高校生だが、唯一違うのは、彼らの周囲の大人のほとんどが“同じ顔”をしている国に暮らしているということ。街を歩く大人はみんな同じ男(稲垣吾郎)と女(加藤ローサ)の顔をしているそんな世界で恋をする。ある日、凜と恵理は映画館で出会い――。好きな人の、好きな顔になりたい――。そんな容姿へのコンプレックスを物語の中心にすえ、ドラマではほとんどの大人が“同じ顔”をした斬新な世界が描かれていく。今回到着したのは、稲垣さん、吉田さん、蓮佛さんらメイン出演者の顔を分割して重ね合わせるという、新しいドラマを予感させるモノクロのビジュアル。さらに、NHKのサイトでは、映像制作の裏側や、何役も演じた稲垣さんのコメントを収録した5分動画も公開されている。よるドラ「きれいのくに」は4月12日より毎週月曜日22時45分~NHK総合にて放送(全8回)。(cinemacafe.net)
2021年04月02日大泉洋主演×吉田大八監督のタッグで贈る映画『騙し絵の牙』より、俳優だけでなく監督としても活動する池田エライザ、斎藤工、塚本晋也が吉田監督の撮影現場をふり返るコメントが到着。新たな場面写真も公開された。モデルや女優として活躍し、映画『夏、至るころ』の企画・原案・監督も務めた池田さんは、監督の現場での印象について「すごく紳士的でスマート」と言い、「『あともう少しこういうエッセンスを足して欲しい』とおっしゃるので、答えだけ渡されるわけではなく、『こうやってみてはどうだろう』と提案していただけるので、チャレンジングな感じが楽しいです」と語る。一方、『blank13』や移動映画館プロジェクト「cinema bird」など、多岐に渡る活動を行う斎藤さんは、外資ファンド代表役として本作に出演。「吉田大八というフィルムメーカーの大ファンとして、その一部になれたことがとても光栄です」と思いを述べ、吉田組は「すごくロジカルな繊細でとても大胆な現場」だったそうで、「僕の場合は、現場の空気感やノリみたいなものを、生モノだからといって優先して撮っていってしまうのですが、それってどこか無責任でもあって、準備したものと出来上がりの差が多く有るんですね。でも大八監督はその差はほとんど無いんじゃないかっていうくらい職人的な現場だと思います。さらに重箱の隅をつつくような内容じゃないところが面白いというか、とてもユーモアに富んでいて、遊びの利いた内容の裏側の緻密さというところにプロフェッショナルさを感じます」と監督の演出をふり返る。映画については「日本映画の強さが集合していると思いました。言葉です。日本語という言葉で展開していくものの緻密さみたいなもの。日本語で構成された秀逸な一枚の騙し絵というか。味付けがソースでもケチャップでもなく、醤油ベースであるという(笑)。今の時代だからこそ、より意味を持っていると思います」と話している。『鉄男』『KOTOKO』『野火』『斬、』など海外でも高い評価を得ている塚本さんは「吉田監督の映画だから出演させていただきたいというのは勿論あったんですけれど、自分の役がどうかの前に、脚本全体が面白かったので、とにかくこの映画に参加したいという思いがありました」と脚本が気に入ったそうで、今作では高野(松岡茉優)の父で本屋の主を演じているが「役も共感がすごくあって。僕が、本に頬ずりするほどの“本フェチ”といってもいいくらいの本好きなものですから、紙の質感がある本が、段々売れ行きが悪くなって、ネットの世界にどんどん移行していく、本が置き去りになっていくことに、心配とか、不安とか、懸念みたいなものがあったので、そのことを一本のドラマの中で解決していくような映画に思えました」と明かす。また「他の監督に呼んでいただいた時は、監督目線で全然行かない」という塚本さん。「『自分だったらこうするのになと思わないんですか?』と訊かれるんですが、全くそういう風には思わなくて、監督の個性を浴びに行くのが楽しみなんです。吉田監督は自分の中に一貫した強いビジョンがあって、そのことに良い意味で頑固で崩さないこだわりの強さを感じました。最初に脚本を読んだ時に、感情を豊かに分かりやすく出す演技モリモリ感で読んでいたんですけれど、(現場では)自分のシーンも意外に『あっさりやって』という感じだったんです(笑)。そのあっさりの中の日常のリアリティの雰囲気の中に情感をかもし出していくということが分かったので、そのことになるべく応えようとしていました」と吉田組での日々を回顧している。『騙し絵の牙』は3月26日(金)より全国にて公開。※塚本晋也の「塚」は正しくは旧字(cinemacafe.net)■関連作品:騙し絵の牙 2021年3月26日より全国にて公開©2020「騙し絵の牙」製作委員会
2021年03月20日彫刻家・名和晃平のインスタレーション『Metamorphosis Garden(変容の庭)』が、ギンザ シックスにて、2021年4月12日(月)から2022年4月までの期間で展示される。名和晃平は、京都芸術大学教授、創作プラットフォーム「サンドイッチ(Sandwich)」の主宰を務める彫刻家。彫刻の“表皮”に着目した作品を中心に創作しており、近年では建築やダンサーとの協業によるパフォーマンス作品も手掛けている。そんな名和晃平が新たに手掛けるインスタレーション作品『Metamorphosis Garden(変容の庭)』は、“生命と物質、その境界にある曖昧な存在が共存する世界”がテーマ。本作の展示場所となるギンザ シックスの中央吹き抜けには、不定形の島々と雫、生命の象徴としての“Ether”と“Trans-Deer”、アルミナとマイクロビーズの粒で覆われた彫刻群が登場。そこに振付家ダミアン・ジャレとの共作によるAR技術を用いたパフォーマンスを展開する。【詳細】名和晃平『Metamorphosis Garden(変容の庭)』展示期間:2021年4月12日(月)~2022年4月(予定)場所:ギンザ シックス 2階 中央吹き抜け住所:東京都中央区銀座6-10-1※ARは2021年4月末以降展開開始。
2021年03月04日SNSの普及にともない、昔の友人や連絡の途絶えた幼馴染などをインターネット上で見つけ、再び連絡をとりあうことができるようになりました。昔の友人とつながることは懐かしい話で盛り上がったり、現在の姿に驚いたりと、楽しいものですよね。古市憲寿「18年ぶりに話せた!実は大学の同級生で…」2021年2月9日、社会学者の古市憲寿さんがTwitterを更新。音声SNS『Clubhouse(クラブハウス)』で、18年ぶりに会話したある友人とのエピソードを明かし反響を呼んでいます。クラブハウスとは、自分でルーム作りそこに友人を招待して会話を楽しんだり、ルームに入って話を聞いたりすることができるサービス。驚きの声が多く寄せられた、投稿がこちらです。クラブハウスで水嶋ヒロくんと18年ぶりに話せた!実は大学の同級生で、入学当初に会っていたのを覚えていてくれた。あと昔、YouTubeの悪口を言ったのもばれていた— 古市憲寿 (@poe1985) February 9, 2021 なんと、古市さんと俳優の水嶋ヒロさんは、2003年に慶応義塾大学へ入学した『同級生』だといいます。音声での会話を楽しめるクラブハウスで、水嶋さんと久しぶりに会話した古市さん。投稿では、「昔水嶋さんのYouTubeチャンネルの悪口をいったことがバレていた」と冗談交じりに明かしました。きっと、水嶋さんが18年経った今でも自分のことを覚えていてくれたことを、嬉しく思ったことでしょう。ネット上では、古市さんと水嶋さんの意外な関係に、驚きの声が上がっています。・まさかすぎる2人でした…!どちらも好きなので、嬉しい!・覚えていてくれてよかったですね。意外な組み合わせだったのでビックリです!・古市さん、悪口はほどほどに!クラブハウスで聞いていましたが、とても楽しいやりとりでした。SNSを通じて、学生時代を振り返った古市さんと水嶋さん。同窓会などができない中でも、SNSを通じて懐かしい友人とやりとりをするだけで、ちょっとした同窓会気分を味わうことができるかもしれませんね![文・構成/grape編集部]
2021年02月10日2021年2月3日、俳優の吉田羊さんが誕生日を迎え、自身のInstagramを更新しました。吉田さんは「誕生日をどう過ごすかより、どんな心持ちで迎えたかを大切にしたい」と明かし、新たな1年への想いをつづりました。心穏やかに、お誕生日の朝を迎えた吉田羊です。年々、お誕生日をどう過ごすかよりもどんな心持ちで迎えることが出来たかが大切だなと思うようになってきました。穏やかに迎えられたなら、この一年を、自分なりに精一杯生きてきた証。よくやった、と褒めてあげてまた来年のお誕生日もそうあるよう、ひたむきに毎日を生きたいと思います。yoshidayoh_officialーより引用そんな文面とは裏腹に、吉田さんが投稿した写真はこれまでのイメージとは異なる『悪役』の姿。「ギャップに驚いた」「まさか吉田さんがこんなことまで…」といった声が上がった姿がこちらです!※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 吉田羊( ♀)Yoh Yoshida(@yoshidayoh_official)がシェアした投稿 インパクトが強すぎる…!これは、2021年3月に放送される特別番組『がんばれTEAMNACS』(WOWOW)内での一幕の衣装だといいます。吉田さんは「#悪役ラスボス#何で引き受けた?#全力で楽しかったけどね?」と自虐コメントを残しました。ファンからは「デヴィ夫人かと思いました」「かっこいいです」「挑戦への振り切り具合がすごい」などのコメントが寄せられています。吉田さんが演じる役の、幅の広さに驚きますね![文・構成/grape編集部]
2021年02月03日本日1月27日に発売された『FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号』では、中村憲剛氏とつながりが深い方々にインタビュー。誌面の都合で泣く泣くカットせざるを得なかった盟友・伊藤宏樹氏(現・川崎フロンターレ強化部)との対談の未公開部分を昨日に続き掲載。後編は長年、兄と弟のような関係で切磋琢磨してきたふたりが、印象に残っている試合やゴールについて語り合う。――印象に残っているゴールを教えてください。中村憲剛(以下、中村)「俺は2007年のナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)で、宏樹さんがアウトサイドに(巻いて)かけて、サイドネットに突き刺さったゴール。あれは、宏樹さんのゴールのなかでもすごく覚えてる」伊藤宏樹(以下、伊藤)「あれ?その試合に憲剛いたんだっけ?」中村「いましたよ」伊藤「いたか」中村「あれはいました(笑)」伊藤「憲剛はいつもカップ戦にあると、代表でいないイメージだったから」中村「あのときはいたんですよ、なぜか」伊藤「(チョン・)テセのゴール、アシストした?」中村「した、した。俺、意外と宏樹さんの生涯ゴールの半分ぐらいはアシストしていると思う。セットプレーも含めて」伊藤「少ないからな(笑)」中村「たぶん5点、6点くらいでしょ?そのうち3点ぐらいは俺がアシストしているよ」伊藤「もうちょっと(点は)多いわ!」――宏樹さんは憲剛さんのゴールで印象深いものはありますか?伊藤「ゴールでいうと、プロ1年目のアウグストからのボレー。まだ憲剛が26番のとき。引退セレモニーの『ThanksVTR』のなかでも流れていたけど」中村「あれね」伊藤「あとは、アシストは熊谷での大宮アルディージャ戦。ジュニーニョに出したロングスルーパス、かな」中村「それもう、だいたい世に出ているやつじゃないですか。……別のやつもらってもいいですか?(笑)」伊藤「じゃあ、やめようか?(笑)」中村「大丈夫、大丈夫、それでいい(笑)」伊藤「まだ、いっぱいあるけど、憲剛とジュニーニョの“翼くん・岬くんゴールデンコンビ”みたいに決めたやつも好きだけどね。あれはFC東京戦だっけ」中村「FC東京戦のやつね。あれもすごかった」伊藤「あれは本当にすごかった」中村「宏樹さん、ほとんど俺のゴールを後ろから見ているからね。確か、宏樹さんが俺と一番試合に出ていたんだよね?この間、誰かとその話をした覚えがある」伊藤「この間、タニ(谷口博之)が言っていたな」(写真左より)中村憲剛、伊藤宏樹――ふたりのなかで一番印象深い試合は?伊藤「ふたりのなかでか。俺が悲しかったのは、2004年に昇格して、2005年にいざ念願のJ1開幕戦を迎えた柏レイソル戦。憲剛が前日に熱を出して、いないという。あれは悲しかった」中村「それを挙げるのは、よくないなあ(苦笑)」伊藤「本当、そこを楽しみにめっちゃ(練習して)きていたのね。そしたら、前日のホテルで知らされて」中村「俺もそうだよ。飯を食って、部屋に戻ったらもう急に寒気がしちゃって」伊藤「39℃くらいあったよね?」中村「ああーってなった」伊藤「『何してんだよ!』と思った。あれが本当に残念だった」中村「現役最初のJ1の試合と最後のJ1の試合が柏戦で、両方とも行っていないという……(苦笑)」――なるほど。中村「実は2005年にJ1に昇格したときの試合日程が柏、続いて浦和レッズだったんです」伊藤「ああ」中村「しかもアウェイ柏、ホーム浦和で。それで、自分の現役最後のリーグ戦は、ホーム浦和、アウェイ柏!」伊藤「すごい偶然だね」中村「2020年のスケジュールが出たときにもう、ゾゾゾってなったよ。それで始まって、それで終わるの?という日程だったので。だからその2試合は絶対に出なきゃいけないって思ってた」伊藤「でも、最後、出ていないからちょうど良かったのかもしれないね(笑)」中村「というか、(伊藤が挙げた)一番悔しかった試合、印象に残っている試合に、俺がいないことが問題です(笑)」伊藤「印象に残っている試合……他は……」中村「何ですかね。もう、あり過ぎて…」伊藤「個人的にはあれかもしれない。俺の引退試合になった(2013年の)横浜F・マリノス戦。あの試合は憲剛がめっちゃめちゃパフォーマンスが良かったから。あれにはびっくりしましたよ」中村「俺ね、最初で最後だと思う。人のために頑張ったの」伊藤「結構、神がかっていた」中村「神がかっていましたね。『宏樹さんの等々力ラストゲームを負けて見送るわけには、絶対にダメだ』と思っていた」伊藤「しかも、相手は優勝のかかっていた大きな試合。大舞台ですよ」中村「あの試合は、もう本当に心震えましたね。それにこの人、引退すると言ったのが、その週の初めなんですよ。F・マリノス戦の週のオフの日に、電話がかかってきて、あり得ないよ、本当に」伊藤「(笑)」中村「それもあったから、俺は2カ月前に言ったんです。だって、さみしい。1週間前に言われて、気持ちの整理がつかないじゃないですか。だから自分は、引退するときは絶対に先に言いたいと思っていたんです。そうしたら、たまたまチームの調子も良くて言いやすかった。やっぱり、唐突なお別れになっちゃうのはダメだなというのは、宏樹さんから学びました(笑)」伊藤「あはは(笑)」中村「残される方はさみしいからね。俺、今回は去っていくほうの気持ちが初めてわかったけど、意外と去っていくほうは、さっぱりいけるんですよ」伊藤「うん」中村「ただ残された方は、キツいから」伊藤「俺の場合は、フロンターレだけで、憲剛の場合は背負っているものが違うから。俺はあれで良かったんだよ」中村「いやいや、そんなことないでしょ」伊藤「でも、改めて、憲剛のこの終わり方は本当にすごいよね。リーグ優勝を決めたことを考えても、最後に天皇杯決勝の舞台まで整ったことも含めて。普通のスポーツ選手では、なかなかできないことだと思います」取材・文:林遼平撮影:佐野美樹FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号川崎フロンターレとサッカー人生を歩んできた中村憲剛のバンディエラの矜持に迫ります。1万文字にもおよぶ本人のロングインタビューはもちろん、ピッチの外から見届けた天皇杯決勝のラストゲームにも密着。小林悠、家長昭博、大島僚太、谷口彰悟、登里亨平らチームメイト、恩師、クラブスタッフにもインタビュー。サッカー漫画『GIANT KILLING』の漫画家・ツジトモによる中村憲剛の描き下ろしイラストやスキマスイッチ・常田真太郎からのメッセージ、よき理解者である伊藤宏樹との対談も掲載。タイトル:FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号発行:ぴあ株式会社発売:2021年1月27日定価:1,500円(本体1,364円)判型:B5判・96ページAmazon: 楽天ブックス: 書店、ほかネット書店にて詳細はこちら:
2021年01月27日明日1月27日(水)に発売される『FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号』では、中村憲剛氏とつながりが深い方々にインタビュー。その企画のひとつとして行われた、かつてのチームメイトである伊藤宏樹氏(現・川崎フロンターレ強化部)との対談は関係性の深いふたりの歩みがわかる貴重なトークとなっている。今回、誌面の都合により、本誌ではカットせざるを得なかった未公開部分を特別に掲載。兄弟のように強い絆で結ばれたふたりのクロストークをお楽しみあれ。――ふたりがチームメイトだったときは、どんな話をすることが多かったのですか?中村憲剛(以下、中村)「本当にずっとしゃべっていたよね。だから、いつ、とかではなく常に、だよね」伊藤宏樹(以下、伊藤)「うん、何をしゃべっていたかが分からないくらいに(笑)」中村「アウェイのときに宿泊するホテルでも、普通に部屋に行って話していた。今はあり得ないけど、本当にずっとベッタリだった」伊藤「ね。でも、試合になれば、いつも喧嘩していた」中村「そうそう。ちなみに俺ら、仲良くはないんですよ?(笑)」伊藤「憲剛は俺しか文句を言える人がいないから、こっちにばっかり言ってくる」中村「みんな先輩だったから(笑)」伊藤「当時、ボランチなのに、まあ守備はしないし、ポジショニングはめちゃくちゃで(笑)。だからこっちも言うけど、でも、それがたまにいいチャンスになるし、(当時監督だった)関塚(隆)さんもそれを褒めるんですよ。それで憲剛は伸び伸びやっているから、こっちは(守備面などの)文句を言って、喧嘩をするわけです。そうしたら、だんだん憲剛が成長してくるにつれて、賢いから的確なことを言うんですよ。すると、こっちも言い返せなくなって、グーってなって、とりあえず『うるせえ!』となる(笑)。そういったやり取りが多かったかな。でも、昔はそんなことがおもしろかったけどね」中村「こっちとしても言い負かしているというか。この人ね、リアクションはそんなに多くないんですよ。我慢して、我慢して、最後に『うるせえ!』と言う。あとは『取れよ!』とか。まあまあな口を……」伊藤「そんな言い方ですよ。もう、昔は(笑)」中村「こっちも『宏樹っ!』とか、呼び捨てにしていて(笑)。だからシーズン最初のキャンプのときに、それをやると新加入(の選手)が『えっ?』ってなっていたよね(笑)。普段にしても好きなものや趣味も全部、違うからね。馴れ合うような仲の良さじゃない」伊藤「うん」――それなのにアウェイのホテルなどでも一緒にいられる理由とは?伊藤「何だろうね、あれ。バスや新幹線でも隣だったし」中村「居心地がいいから。何を言っても大丈夫という安心感。たぶん。失礼な後輩ですよ。今、思えば」伊藤「失礼極まりない後輩だよ(笑)」中村「極まりない(笑)。だけど、昔からのフロンターレのサポーターは結構、知っているよね」伊藤「ふたりのつながりで言うと、僕が(2013年に)引退するときに、憲剛は二人組(の練習相手)や隣に座る人がいなくなってさみしいんだろうなという話をしていたんだけど、この間、憲剛が引退するときに、(小林)悠が全く同じ話をしていたから『ああ、歴史っておもしろいな』というのは、個人的には思ったね」中村「だって大変だったよ。“宏樹ロス”……」伊藤「長くやったら、そうなるんですよ。やっぱり悠も憲剛と長く一緒にやって、そういう関係になった。それでまた、何年後かに悠が何を言うんだろう、というのは思います」中村「宏樹さんの引退VTRを、当時、妻とずっと見ていてふたりで泣いていましたもん(笑)」伊藤「あはは(笑)」中村「うう……いなくなるって……。だから結構、大変だった。2014年から悠がそういう存在になるまでは本当に。要は、宏樹さんがやっていた役割を俺がやって、俺がやっていたことを悠がやらなくてはいけなくなったから。本当はタサ(田坂祐介)だったんですけどね、俺のなかでは。宏樹さん、俺、タサで、いつも3人一緒だった。だから、つなげていこうと。だけど、あいつ(田坂)はドイツに行ってしまった(笑)」伊藤「そう」中村「だから、後継者を探さなきゃいけなくなってしまった。タサは今も仲がいいし、俺と宏樹さんみたいな感じだけど、でも、いなくなっちゃったから、当時は慌てましたよね」伊藤「あれは慌てたね(笑)」中村「せっかく宏樹さんがフロンターレの先輩から受け継いできたものを、俺もちゃんと受け継いで、それをタサにつないで、(その次は)悠と決めていたのに、いなくなったから結構大変だったよね」(写真左より)中村憲剛、伊藤宏樹――確かに、考えると中村選手と小林選手の間が、世代的にも少し空いている感じはあります。伊藤「年齢的にね」中村「タサやタニ(谷口博之)だったんだけど、間にいた選手は全員、菊地(光将)も横山(知伸)も移籍しやがった(笑)」伊藤「しやがったって(笑)」中村「だから俺が頑張んなきゃいけなかったんですよ。宏樹さんがいなくなって、いかに宏樹さんが、あらゆる日陰の仕事をやっていたかがわかったから」伊藤「それ、もうちょっと大きな声で言ったほうがいいよ(笑)」中村「(笑)。要は、俺と宏樹さんは“表と裏”ではないけど、俺が表面をやって、宏樹さんが裏面のマネージメントというかチームの雰囲気作りを含めて、いろいろなところに目を届かせてくれていたことに初めて気付いた」伊藤「俺らはチームキャプテン・ゲームキャプテンみたいな感じで別れていて、ふたり(の間)では『ふたりで一人前だな』みたいな自覚があった。お互いにないところを補いながらね。そういうのも含めて、僕が引退してからの憲剛には注目していましたけど、そこからの憲剛の歩みは成績にも出ていますけど、周りに伝えることを含めて後輩たちを育ててきたところがあるし、今のチームを作り上げるためにすごく貢献したと思います。本当にすごいと思いますよ」――“世代をつなげていく”話は、昔からそういうふうに話していたんですか?中村「昔からですね。『そこの木の“幹”をちゃんと太くしていかないと』という話はずっとしていた。だけど、自分ひとりではできないから、育つのを待つしかなかった」――宏樹さんは自身の引退後のことはどう考えていたんですか?伊藤「あまり考えてはいなかったですけど、自分の引退は関係なしに、ターニングポイントとしては、風間(八宏)さんが2012年に(川崎フロンターレに)来て、やるサッカーが明確になったことで、憲剛も楽しそうにしていた。そこを突き詰めたことが、今のこのスタイルになったところもあるし、そこについての心配はしていなかったです」中村「サッカー的なところはね」伊藤「うん」中村「振り返れば、最初は、サッカー自体も風間さんになって『大丈夫か?』みたいになっていた。でも、最初のサンフレッチェ広島戦で、俺のアシストから宏樹さんが先制点を取ったんですよ。不慣れな右SBで宏樹さんが珍しくいい動きをしていてさ」伊藤「あれ、面白いよね。本当に最初の試合で、みんな(従来の)ポジションと違うところをやっていて。ある意味、今までのフロンターレの概念みたいなものを壊して、一つでもいいプレーができればみたいな感じでやった試合だった。それで、あの得点が取れた」中村「あの1点は、今のフロンターレのベースの本当に第一歩になったから。あのゴールを俺と宏樹さんで取ったというのは、歴史的には非常に大きかったんじゃないかなと、改めて思いますけどね。……うれしそうだな、おい宏樹っ!(笑)」伊藤「『何で、お前があそこにいんねん!』みたいな感じだったんですけどね(笑)」中村「本当にそういうゴールだった。連戦がスタートするなか、風間さんになってからの新たな船出。『大丈夫かな、フロンターレ?』となっているときの1試合目。その試合はボッコボコにされるんですけど(笑)、それでもあの1点を俺と宏樹さんで取ったというのは『あ、これでやっていける』みたいな思いはありましたからね」(明日1月27日(水)7:00配信の未公開記事後編に続く)取材・文:林遼平撮影:佐野美樹FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号川崎フロンターレとサッカー人生を歩んできた中村憲剛のバンディエラの矜持に迫ります。1万文字にもおよぶ本人のロングインタビューはもちろん、ピッチの外から見届けた天皇杯決勝のラストゲームにも密着。小林悠、家長昭博、大島僚太、谷口彰悟、登里亨平らチームメイト、恩師、クラブスタッフにもインタビュー。サッカー漫画『GIANT KILLING』の漫画家・ツジトモによる中村憲剛の描き下ろしイラストやスキマスイッチ・常田真太郎からのメッセージ、よき理解者である伊藤宏樹との対談も掲載。タイトル:FOOTBALL PEOPLE 川崎フロンターレ 中村憲剛特集号発行:ぴあ株式会社発売:2021年1月27日定価:1,500円(本体1,364円)判型:B5判・96ページAmazon: 楽天ブックス: 書店、ほかネット書店にて詳細はこちら:
2021年01月26日川崎フロンターレひと筋18年の“クラブの象徴”、中村憲剛選手が現役引退を電撃発表したのは、大怪我から復帰し、40歳となる誕生日にゴールを決めた翌日。いま明かす胸の内とは……。無観客試合の味気なさ。コロナ禍で痛感したのは…。――シーズン中の引退会見は、我々が度肝を抜かれました。僕にとっては前々から思っていたことで、先輩である伊藤宏樹さん(現在、川崎フロンターレ強化部スタッフ)の引退も考えるきっかけのひとつになりました。宏樹さんは、僕が33歳の時に引退されたのですが、その発表をホーム最終戦の週初めにされたんです。僕たちは報告を受けて、気持ちを無理やり整理して試合に挑みました。結果は勝利こそしましたが天皇杯では負けてしまい、宏樹さんはドタバタしたまま退かれました。その様子を見て、チームメイトにも応援してくださる方々にも、お別れまでの気持ちの猶予みたいなものが必要だと思ったんです。また、今年改めてサポーターの存在の大きさを痛感したというのもありますね。無観客試合をスタジアムの上から観ていたのですが、何とも言えない味気なさを感じました。これまでサポーターがいて当たり前だったことが、実はそうではなかった。みなさんがいてこそエモーショナルな空間ができるのだと初めて思いました。ですから、ひとりでも多くの人に自分のプレーを見てもらいたい、そうじゃなかったら寂しいと思い、このタイミングでの発表となりました。――選手の方々の反応はみなさん同じだったそうですね。まずは絶句、次に「まだできるじゃないですか」の言葉でしたね。「そうだよね」や「おつかれさま」ではなく、そう言ってもらえるなんて、とても嬉しかったです。ただ、みんなが僕への思いもいろいろと話してくれたので、精神的にはこたえました(笑)。――中村選手も選手やクラブへの思いは相当あるでしょうね。僕は川崎フロンターレに拾ってもらったと思っています。最初はついていくのに必死でしたが、いつしか自分の立ち位置がわかるようになり、毎年すべてをクラブに捧げてきたつもりです。そこから、多くの人に「元気が出た」「勇気をもらえた」と言われるプレーヤーになれたのは、クラブおよび支えてくれたみなさんのおかげ。もう感謝しかないですし、これからはそれを還元していきたいです。なので、引退後もフロンターレを離れるつもりはありません。でも、クラブだけに携わるということでもなくて、まだ何も決まっていませんが、若い選手の育成や、Jリーグの普及活動もお手伝いしたいですし、ゲーム解説にも興味があります。今は指導者のライセンスを取っている最中で、将来的には監督も視野に。でもS級(最高位の指導者資格)を取るまでにあと3~4年はかかりますね。この仕組み、何とかしてくれませんか(笑)。って、これでは体がいくつあっても足りないですね。――ダメもとでお聞きします。現役復帰の可能性は、本当にもう1ミリもないのですか?本気で決断したことなので、それはないですね(笑)。自分を裏切ることになりますし、今はそのイメージは湧かないです。ともかく、これまで好きなサッカーを40歳まで続けたのは我ながらよくやったなと思います。そして、むしろここからだなと思っています。今まではいわば自分がメインで周囲を巻き込んでいましたが、これからはサポートや応援する側になりますから。自分なりにブランディングを考えていかなければいけない。でも、不安よりは期待のほうが勝っていますよ。第二の人生を思い切り楽しもうと思います。――とはいえ、現役生活はまだあります!(本誌発売日の)2日後は天皇杯の準決勝ですね。もちろん勝って、元日の決勝で優勝して引退できたら本当に幸せ。簡単ではないと思いますが、実現できたら、こんなに恵まれたサッカー選手はいないと思います。泣いても笑っても僕のラストになりますが、他の選手に余計なプレッシャーをかけたくないので、一選手として優勝を狙いにいきます。リーグ優勝も泣くかなと思ったら笑ってましたし、今回も笑って終えそうです。涙はきっと、グラウンドにひれ伏すほどに泣いたリーグ初優勝で枯れたのかな(笑)。なかむら・けんご1980年10月31日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ所属。ポジションMF。中央大学卒業後、同クラブ入団。幅広い視野と高度なテクニック、特にスルーパスが持ち味で、長年チームを牽引し3度のリーグ優勝に貢献、常勝軍団へと導いた。日本代表にも招集され活躍。2020年11月1日、今シーズン限りでの現役引退を表明。カメラマンがドリブルとシュートをいきなりリクエスト。「本当に怪我していたのかな、と思うくらい好調です。天皇杯は自分にとってラストの試合ですが、私情抜きに完全燃焼で頑張ります」。天皇杯準決勝は12月27日(日)、決勝は2021年1月1日(金)。クラブでは中村憲剛選手への感謝を込めて「One Four KENGO」プロモーションを実施中。※『anan』2020年12月30日‐2021年1月6日合併号より。写真・藤尾真琴インタビュー、文・伊藤順子(by anan編集部)
2021年01月01日地獄と天国を見た男。’19年から’20年にかけての中村憲剛選手を表すならば、これがしっくりくるかもしれない。選手生命を脅かすほどの大怪我からの復活、まさかの電撃引退表明、そしてリーグ優勝。記憶と記録に残る激動の現役ラストイヤーと、心に秘めていたある思いを中村選手に語っていただきました。――3度目となるリーグ優勝おめでとうございます!まずはこの一年を振り返っていかがでしたか。’19年11月、39歳を迎えた2日後の試合で、左膝前十字じん帯損傷という大怪我を負いました。手術を経てリハビリ中にコロナ禍となり、緊急事態宣言が出て練習場にも病院へも行けない日々が続いたのですが、周囲の方々のおかげで8月末には試合にも出られるようになったんです。その復帰戦や誕生日にゴールを決められただけでなく、クラブはJリーグ史上初の12連勝を遂げ、かつ史上最速で優勝することができました。その1か月前に現役引退を発表したのですが、思い描いていた以上の結果というかストーリーが生まれ、自分の想像を遥かに上回る素晴らしいシーズンになったと思います。――想像を超えていた、とは?妻以外は誰にも言わなかったのですが、実は35歳になった時に、40歳を迎えたら引退しようと決めていたんです。僕は計画的なほうではなくて、いつも目の前のことだけを考えて切り拓いてきたのですが、唯一未来を考えたのが引退だったんですね。自分が戦力として求められているうちに退きたいと、それだけは心に決めていたのですが、具体的な身の引き方は描けなくて。昨年10月にルヴァン杯で優勝した時点で、来年迎える引退に向けてどうやって終わっていくのだろうかと、漠然と考えていました。もちろんリーグ優勝は目標にありましたが、今シーズンの連勝や首位独走は想像できなかったですね。鬼木達監督や選手、スタッフの努力の賜物だと思います。――当然、怪我も想定外ですよね。全治7か月という、僕の選手生活で初めての大怪我でした。でも、予期せぬ出来事の一方で、これのおかげでラストまでの道は決まったとも思えたんです。そもそもサッカー選手を17年やってきた人間が、よりによって残り1年でここまでの大怪我なんてしないですよ。これは意味のあることなのだろうと。何が何でも克服し、復帰をしてプレーをみなさんに見せてからやめろと言われているのだと僕は受け止めました。とはいえ、早期に戻っても再断裂の危険があり、慎重に調整しながら進めました。今は痛みも全くなく、これまで通りに動けているので、プログラムを作ってくれたトレーナーや医師の方々に大変感謝しています。――焦りはなかったのですか?リハビリの時期がコロナ禍と重なり、自分だけじゃなく、Jリーグはおろか日本自体が止まっていたので、しんどかったですけれど、しゃあないと開き直れて、焦りはそこまで感じずに済みました。ただ、膝が思い通りに動かせなかったり、原因不明の痛みが出たりした時はすごく苦しい思いをしましたね。だから、妻にはしょっちゅう、「痛い」「無理」「もうやだ」と子どもみたいに弱音を吐いていました(笑)。妻は妻で、休校だった子どもたちの世話や食事作りで、言ってみればそれどころじゃなくて。毎回「そんなことを言ってもどうせやるんでしょ」と軽くあしらわれていましたけど、そのリアクションがありがたかったですね。――怪我がもたらしたものとは?大怪我は僕が唯一したことのない経験でした。というのは、35歳で40歳の年に引退すると決めてから、36歳でJリーグMVP初受賞、37歳でリーグ初優勝、38歳でリーグ連覇、ルヴァン杯初優勝と、立て続けにさまざまな経験を回収できていたので。これだけ並べると僕が“持っている”ように思われるかもしれませんが、大卒で入団した時は、クラブはJ2にいて、そこからJ1に上がれたものの、優勝まであと一歩の2位止まりで終わることが何度も続いていました。僕は、今の位置に辿り着くまで幾度も悔しい思いをしてきた人間で、近年得られた結果は、地道に鍛錬し積み重ねてきたクラブと自分へのご褒美だと思っています。だから、不謹慎かもしれませんが、この怪我によって、良くも悪くもすべての経験が揃って現役を終えられると。とはいえ、怪我については、そう捉えないと自分的に重すぎたことでもあって、終わりが決まっていたからこそポジティブに変換できたのだと思っています。怪我自体の痛みや辛さだけでなく、復帰する過程の苦しさ、試合に絡めない悔しさ。怪我を通して得た経験と湧き出たさまざまな感情は、今後指導者になるにしても、何にしても活かせるだろうし、説得力のある話ができると思っています。――では、現時点で夢がありながらもうまく進めていない人に対してアドバイスをするならば?中長期的なプランニングがあってこそですが、いま目の前のことをどれだけ頑張れるかが大事なのかなと。それを積み重ねた先に自分の望んでいた未来があるのだと思います。僕はそうやってきたから優勝という結果が出ましたが、努力しても報われないことや仕事なども多いと思います。それでも、努力してない人には絶対に何も転がってきません。自分なりにやったと思っても成果が出ていないのであれば、自分はまだ努力が足りないと思えるかどうかもポイントかな。そこに気づければ、足りない部分を補えて成長できるはずです。他人のせいにするのは簡単ですが何も残りません。僕も学生時代にそういうところがありましたが、結局選んだのは自分なのだから。努力している人に手は差し伸べられるという意味で、今を頑張ってほしいですね。絶対誰かが見てくれていますから。なかむら・けんご1980年10月31日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ所属。ポジションMF。中央大学卒業後、同クラブ入団。幅広い視野と高度なテクニック、特にスルーパスが持ち味で、長年チームを牽引し3度のリーグ優勝に貢献、常勝軍団へと導いた。日本代表にも招集され活躍。2020年11月1日、今シーズン限りでの現役引退を表明。カメラマンがドリブルとシュートをいきなりリクエスト。「本当に怪我していたのかな、と思うくらい好調です。天皇杯は自分にとってラストの試合ですが、私情抜きに完全燃焼で頑張ります」。天皇杯準決勝は12月27日(日)、決勝は2021年1月1日(金)。クラブでは中村憲剛選手への感謝を込めて「One Four KENGO」プロモーションを実施中。※『anan』2020年12月30日‐2021年1月6日合併号より。写真・藤尾真琴インタビュー、文・伊藤順子(by anan編集部)
2020年12月31日中村憲剛の偉大さはイベント名を見ても理解できる。12月21日に行われた引退セレモニーの正式名称は『おフロの恋人! LOTTE presents 中村憲剛引退セレモニー&優勝報告会』である。勝点83、26勝、88得点、得失点差57、2位に勝点18差、最少敗戦3試合などなど、記録尽くめで史上最速優勝を果たした川崎フロンターレの優勝報告会の前に、引退セレモニーと謳われているのだ。名前だけではない。2時間半ほどのプログラムの中で、鬼木達監督や谷口彰悟主将のあいさつなど優勝報告セレモニーは15分ほど。時間配分も大半は引退セレモニーが占めた。福田紀彦川崎市市長より市民栄誉賞が授与された (C)J.LEAGUE等々力陸上競技場に1万3000人を集めるなどセレモニーは異例の規模で行われたが、決して華美ではなかった。中村がどれだけクラブ・川崎市に愛され、中村がどれほどクラブ・川崎市に愛されていたかわかるあたたかいイベントであった。式はホームタウン活動で親交が深かった中原消防署や中原警察署、河川協力団体のとどろき水辺の楽校、フロンターレ算数ドリルで関わった川崎市立有馬小学校の関係者が感謝の言葉を並べてスタート。キングカズこと三浦知良をはじめ、川島永嗣、ジュニーニョなど盟友・戦友たちもビデオメッセージを送った。福田紀彦川崎市市長から市民栄誉賞が授与され、36名ものクラブOBも登壇した。さらに本人も登場。チームメイトからのメッセージ、家族からの花束贈呈、スキマスイッチ常田真太郎、SHISHAMOからのあいさつ、川崎市の小学生からの手作りシャーレのプレゼントなど、涙あり、笑いあり、感動ありのラインナップとなった。中村憲剛引退セレモニーに1万3000人が集った (C)J.LEAGUEエース・小林悠は涙ながらに「苦楽をともにした憲剛さんと初めて優勝した時を超える感動はこの先も絶対にない。一緒に抱き合って喜び合えたことが本当にうれしかった。憲剛さんがいなかったら、今の僕は絶対にないと断言できます。僕にとって大きな存在でした」と感謝の念を表した。長男・龍剛くんは「中村憲剛選手の18年間のサッカー人生は出来すぎでした。悲しい時も悔しい時もともに乗り越えてきた家族として、ありがとうと伝えたいです。引退、おめでとう。そして、ありがとう」と12歳とは思えぬクオリティの手紙を披露した。中村は集まったゆかりのある人々、チームメイト、クラブ関係者、そしてファン・サポーターに感謝の言葉を並べた。「みんながありがとうと言ってくれたけど、ありがとうと言いたいのは僕の方。何でもない大学生を拾ってくれたフロンターレには感謝しかありません。僕はフロンターレで学んだ。それは地域密着、『川崎市のみなさんを笑顔に、元気にする』こと。自分がただサッカーをやっていればいいという発想の人間だったら、ここまでプレイヤーとして続けられなかったと思うし、フロンターレもここまで大きくなることはなかったと思っている。本当にそういった意味でフロンターレに拾ってもらって心からよかったと思っているし、この18年間、本当に感謝の気持ちしかない。頼もしい後輩たちにフロンターレは任せて、僕は先のステージに進みたい。今日の景色は一生忘れません。本当に感謝しています。フロンターレ、最高です」胴上げの回数はもちろん背番号にちなみ14回 (C)J.LEAGUE場内一周では神輿にものった (C)J.LEAGUEチームメイトたちによって背番号と同じ14回を2セット胴上げされた中村は場内を一周。ファン・サポーターとの別れを惜しんだ。セレモニーを終えた後、中村は記者会見に登場し、「もう何だろ。すごいことが起きたんだなと。感情が揺さぶられて、心地よい疲労感で気持ちよかった。一生忘れられない光景がまたひとつ増えました。本当に引退するんだなと」と率直な感想を語った。さらに「夢見心地。今もフワっとしている。本当に感謝しかない。本当に幸せ者だなと。入れてくれたのもそうだし、ここまで大きく育ててくれたのもそう。僕も還元していかないといけない」と続けた。泣いたことを指摘されると、「泣かない方がおかしい(笑)。感情を揺さぶられすぎて、わけがわからなくなかった。みんなの思いがありがたすぎて。基本泣き虫だから、案の定泣きました」と頬を緩めた。チームを代表してメッセージを送る小林悠(川崎フロンターレ) (C)J.LEAGUE小林からのメッセージについて質問されと、「いつ泣くかなと見ていたが、あいつにしか話せない話をしてくれたので、僕も感極まった。僕の方こそ感謝している。彼が優勝させてくれたんで」と言い、龍剛くんの手紙について問われると、「息子の文章力の高さにちょっと引いた(笑)。彼が息子であることを僕は誇りに思う。もちろん妻もふたりの娘もそう。4人がいなければ、僕はここまでがんばれなかった。心の底から感謝している」と振り返った。サッカーを志す子どもたちへメッセージも送った。「僕自身足が遅かったり、体が小さかったりと劣等感を持っていた。劣等感を武器に変えることで道が切り開けて、40歳までやれた。可能性に蓋をせずに、毎日毎日トレーニングしていけば誰でも必ず道は開ける。受け入れてくれる素晴らしいクラブが川崎にはあると伝えたかった」次なる夢の日本代表監督について、コメントを求められると、「過程を経て、タイミングが合って初めてなれるもの。そうなるには本当に勝たないといけないし、評価されないといけない。自分から目指しますなんて軽々しく口にできないが、目指すのは自由」と口にした。大いなる目標の前に、目の前に迫った目標がある。もうひとつのタイトル『天皇杯』である。次なる戦いに向けて、中村は「今日は感情を揺さぶられすぎたので、今日は切り替えられない。明日トレーニングがある。明日からしっかり切り替えていきたい。みんなとサッカーできるのもあと10日。まず準決勝に向けてしっかり準備をして全力で向かっていきたい。(国立での決勝については)正直そこまで考えていない。相手のあることなので、勝てる保証はどこにもない。準決勝、等々力でやるのは最後。そこで全力を尽くすことしか考えていない」とキッパリ。中村憲剛の勇姿が見られるのも最大あと2試合 (C)J.LEAGUE中村憲剛は、そして川崎フロンターレは12月27日(日)・等々力陸上競技場での『天皇杯』準決勝でブラウブリッツ秋田×福山シティFCの勝者と対峙し、1月1日(金・祝)・国立競技場での『天皇杯』決勝を目指す。準決勝のチケットは予定枚数終了、決勝のチケットは12月26日(土)午前10時より一般発売。取材・文:碧山緒里摩(ぴあ)チケット情報
2020年12月22日NMB48・吉田朱里の発案で実現した音楽番組『MY PLAYLIST 7』が、23日より吉田の公式YouTubeチャンネルにて配信された。NMB48の楽曲の中から、推し曲7曲のプレイリストを“MY PLAYLIST 7”として発表する同番組。「もっともっと歌番組に出たい!」というNMB48の強い思いを吉田が形にし、「歌番組つくってみた」というタイトルでYouTubeに公開された。“毎週オンエア”されており“高視聴率で10年目”と、設定もしっかり練られている。司会を吉本新喜劇・川畑泰史が、アシスタントをメンバーの安田桃寧が務め、オリコン1位を獲得した24thシングル「恋なんかNo thank you!」の選抜メンバーと、派生ユニット・だんさぶる!、難波鉄砲隊其之九、Queentet、LAPIS ARCHが出演した。だんさぶる! からプレイリストを発表したのは、NMB48キャプテンの小嶋花梨。「HA!」は「NMB48が持っている大阪の強い女のイメージが出ていて、一番イキって踊れる」と紹介するも「私は埼玉出身ですけど」と明かす小嶋に「大阪ちゃうんかい!」と川端が鋭くツッコむ。NMB48・10周年企画のファン投票で選ばれた難波鉄砲隊其之九は、山本望叶がプレイリストを紹介するも、塩月希依音が「理由をたくさん書いたのに選ばれなかった」とクレームを入れる一幕も。吉田、渋谷凪咲、村瀬紗英が所属するQueentetは、村瀬がプレイリストを発表。「『儚い物語』はオリジナルメンバーじゃないけど、熱唱したくなります」という意見に、吉田も「あ~、わかる!」と共感。ただ吉田にとっては「一生やりたくないけど、好きな曲」に位置しているという発言も飛び出した。「一生やりたくない」理由は番組内で明かされている。LAPIS ARCHは、休日の1日というテーマで7曲を選んだという梅山恋和のプレイリストを。一番の推し曲「おNEWの上履き」の紹介では、小嶋が「曲中、恋和のジャンプがどんどん高くなって、最初は大の字だったのに、土になった」と、梅山の跳躍を絶賛。川畑とLAPIS ARCHの4人で実際にジャンプにも挑戦した。最後に登場した「恋なんかNo thank you!」の選抜メンバーからは、吉田がプレイリストを紹介。「夢に色がない理由」は「この曲を聴いて号泣しました」と歌詞についての思いを語り、21日より始まった吉田プロデュースの7期研究生公演「Will be idol」の最後の曲にも選んだことを明かした。吉田の卒業について小嶋は「朱里さんが卒業することで危機感もあるけど、メンバーそれぞれ頑張るしかないので、不安はありません」とコメント。白間美瑠も「あかりんが作ってくれた道は大きいです。私も最後の1期生として頑張りたい」と心境を語った。
2020年11月24日女優としてさまざまな作品で活躍する、吉田羊(よしだ・よう)さん。出演作品以外にも、過去に出演したバラエティ番組で、俳優の吉田鋼太郎さんを魅了したエピソードが明かされるなど、そのプライベートが話題になったこともあります。そんな吉田羊さんの彼氏に関する情報や、相手がジャニーズアイドルという噂などをご紹介します。吉田羊の彼氏と噂される人物は?これまでに、俳優の西島秀俊さんや劇作家・映画監督などで活躍する三谷幸喜さん、お笑いコンビ『ピース』の又吉直樹さんとの熱愛が噂されてきた吉田羊さん。しかし、どれも噂の域を超えず、決定打に欠けるものばかりでした。そんな中、2016年に大々的に報じられた熱愛相手が、ジャニーズのアイドルグループ『Hey! Say! JUMP』のメンバー、中島裕翔(なかじま・ゆうと)さんです。中島裕翔、吉田羊との熱愛報道に無言『SUITS/スーツ』で織田裕二と初共演し「勉強になった」中島裕翔さんは、『Hey! Say! JUMP』のメンバーとして活躍するかたわら俳優としても活動中。ドラマ『SUITS/スーツ』(フジテレビ系)やドラマ『HOPE~期待ゼロの新入社員~』(フジテレビ系)など、話題作への出演も目立ちます。\Happy Birthday!中島裕翔さん/本日8月10日は、我らが中島裕翔さんのお誕生日です㊗️㊗️㊗️おめでとうございます㊗️㊗️㊗️中島さんにとって素敵な1年になりますように…♡ #SUITS2 #ドラマスーツ #中島裕翔 #誕生日 #中島裕翔誕生祭 pic.twitter.com/NbvaSenY9E — 『SUITS/スーツ2』ご視聴ありがとうございました (@drama_suits) August 9, 2020 そんな中島裕翔さんが所属するジャニーズ事務所といえば『恋愛禁止』という厳密なルールこそないものの、恋愛ネタはご法度。また、吉田羊さんと中島裕翔さんの年齢が19歳差、ほぼ20歳という年の差でも話題を呼びました。週刊誌『週刊ポスト』が報じたところによると、中島裕翔さんが吉田羊さんの自宅に7連泊したといい、記事には2人が寄り添って歩く写真も掲載されています。なお、2人に共演経験はなく、記事によると出会いはバーとのこと。週刊誌では、同じバーのマスターを介して親交が深まり、交際に発展したと伝えています。吉田羊の熱愛報道にジャニーズ側の反応は?吉田羊さんと中島裕翔さんの熱愛が報じられた後、ジャニーズ事務所側は「仕事について相談に乗っていただいたことはあるようだ」としつつも「交際という事実はありません」と2人の関係を否定。吉田羊さん側の事務所もまた「役者の仲間の1人であり、交際はしていない」とコメントしました。一方で、出席するイベントなどで中島裕翔さんとの関係に関する質問を振られても、沈黙をつらぬき続けた吉田羊さん。しかし、熱愛が報じられた直後に出席した『日経ヘルス Presents ビューティーミューズ大賞2016』では、「基本的にはすべてが試練」「意味がある試練だと思っているので、しんどいですし、外に出られないこともありますけど、そこにきっと意味があると思っていれば、乗り越えられる」と意味深な発言をしたこともありました。『日経ヘルス Presents ビューティーミューズ大賞2016』出席時の吉田羊なお、この日のイベントではファンからの声援を受け涙するひと幕も。最後には「あなたを大事だと思っている人もきっと笑顔になると思いますので、日々笑顔で過ごしてください」という言葉も飛び出し、中島裕翔さんのことを思っての発言なのではないかと、噂になりました。吉田羊、ジャニーズの彼氏とのその後は?2016年に吉田羊さんと中島裕翔さんの熱愛報道が出た直後、しばらく2人の続報が出ることはありませんでした。一部では破局と見る動きも強まっていた中、2018年には久々に2人の関係に触れた記事が出ます。記事では、中島裕翔さんとの熱愛報道で吉田羊さんと事務所の社長との関係に溝ができたといい、独立準備と留学を予定していると伝えていました。しかし、後に吉田羊さん自身が留学の噂を否定。自身のインスタグラム上で「#嘘が本当のように報道される」とハッシュタグをつけて投稿しています。 この投稿をInstagramで見る 吉田羊( ♀)Yoh Yoshida(@yoshidayoh_official)がシェアした投稿 結局、吉田羊さんと中島裕翔さんが本当に熱愛関係にあったのかは本人たちがコメントを避けている以上分からないまま。しかし、中島裕翔さんが吉田羊さんの自宅に連泊し、決定打となる写真も撮影されているだけに、2人が親密な関係にあることは事実。今後、吉田羊さんが幸せな恋を手にすることを多くのファンが願っているに違いありません。[文・構成/grape編集部]
2020年11月13日2020年10月31日放送の、バラエティ番組『アナザースカイⅡ』(日本テレビ系)では『世界の学校スペシャル』というテーマのもと、これまでの放送を振り返りました。留学経験のある著名人の1人として、同番組にゲスト出演した社会学者の古市憲寿さんは、20歳の時にノルウェーのオスロ大学へ留学。2019年1月には、同番組の企画で母校であるオスロ大学を訪問しました。オスロ大学では子育てをしながら学ぶ生徒のため、敷地内に保育園が併設されていることを紹介。日本とノルウェーとの保育環境の違いについて、古市さんはこのように持論を展開しました。やっぱり日本って待機児童がすごい問題だったりとか、「少子化」っていう割には全然子供のためにいろんなことを行政がしてないなって感じて。だったらいっそ、国が義務教育みたいに幼稚園とか保育園に関しても整備してもいいんじゃないかっていう。小学校に待機児童っていないじゃないですか。だから同じようなことが、保育園とか幼稚園とかでもできるんじゃないかっていう。ノルウェーは義務教育とかじゃないですけど、望んだら1歳を超えたら多くの子供たちは保育園に通えるわけで。それが多分、子供たちの発育にもいい影響を及ぼしている。アナザースカイⅡーより引用古市さんが訪問した当時オスロ大学内の保育園には76人の子供が預けられており、8人の先生と12人のアシスタントが働いていました。厚生労働省によると、日本では、保育現場における保育者の人数は、以下のように定められています。【保育園】1~2歳児6人につき1人以上3歳児20人につき1人以上4~5歳児30人につき1人以上【幼稚園】児童35人につき1人以上古市さんは、オスロ大学内の保育園の保育者が多いことに驚いたといいます。また、その園では、子供の主体性に任せて遊ばせている光景を目の当たりにした古市さん。「日本と違い、保育者の数が多いからできること」と、ノルウェーの保育園の体制に感心していました。日本だと、おままごととかお遊戯とか、「みんなでこれしましょう」っていうことが多いと思うんですけど。(ノルウェーの保育園では)子供の主体性に任せているなと思います。多分、先生の数が多いからできると思うんですけどね。ノルウェーって、そんなに詰め込み教育じゃないんですけど、大学ランキングが高いのは、子供の頃に主体性を、子供に持たせてあげている。「何やりたい」とか「何したい」ってことを、みんなが主張するようにちゃんと環境を作ってあげるから。これが大人になってからもいいように働いているんじゃないかなぁって。アナザースカイⅡーより引用スタジオで、過去の自分の発言をVTRで見ていた古市さんは「僕、これ、好感度上がりますかね?」と笑いながらひと言。同番組のMCを俳優の広瀬アリスさんは「めちゃめちゃ上がりますね」「世の母親たちが『うんうん!』ってうなずいてると思う」と答えました。同番組の視聴者からはさまざまな声が上がっています。・本当に、古市さんの好感度ものすごく上がりました!素敵な考え方だと思います。・「小学校に待機児童はいない」という発言、本当にその通りだと思います。保育園、幼稚園の環境の改善をもっと進めてほしい。・保育士の待遇をもっと改善していく必要があると思う。「保育士として働きたい」って思える環境を作っていくことも大切ですね。日本では2019年10月1日から、3~5歳の保育料無償化をスタート。保育料無償化だけにとどまらず、さまざまな国のいいところを取り入れながら、保育環境の改善がもっと進むことを祈ります。[文・構成/grape編集部]
2020年10月31日吉田羊、永山絢斗、滝藤賢一、光石研、三浦友和らがレギュラー出演する連続ドラマW「コールドケース3 ~真実の扉~」より、ポスタービジュアルが公開。吉田さんからコメントも到着した。取調室を舞台に、吉田さん演じる女性刑事・石川百合をはじめとするお馴染みメンバーが並ぶこのビジュアルは、さらに強く深まった彼らの絆を感じさせつつも、百合が初めて斜めに構えている点に注目。吉田さんは、今回のポスターについて「これまでとは明らかに違う百合の変化を感じ取りました」と感想を述べ、「事実、今シリーズは百合にとって試練の多い、しかも彼女のアイデンティティに揺さぶりを掛けるエピソードが多く、これまでに体験したことのない感情が生まれる瞬間が多々ありました。また今回、自粛期間を挟んで半年間捜査一課メンバーと一緒に過ごした関係で、その絆の深まりもまた、このポスターから滲み出ているように思います」と太鼓判を押す。また「最高にカッコいいこのポスターを眺めながら、どうぞシリーズ開始を楽しみにお待ち下さいませ」と視聴者へメッセージを寄せた。さらに、本作のシーズン1とシーズン2の一挙放送も決定。新シリーズ放送開始直前の12月1日(火)を皮切りに過去シリーズが一気に楽しめる。連続ドラマW「コールドケース3 ~真実の扉~」は12月5日より毎週土曜日22時~WOWOWプライムにて放送(全10話/第1話無料放送)。(cinemacafe.net)
2020年10月29日・母親らしい服装をしろ。・同じ子を持つ母親として恥ずかしい。・胸元を出す母親はありえないだろ。2018年に娘さんを出産した、タレントやパーソナルトレーナーとして活躍する紅蘭さん。紅蘭さんが、セクシーな服装の写真をSNSに投稿するたびに「紅蘭さんみたいなかっこいいママになりたい!」という声が寄せられる一方で、「母親らしい格好をしろ」という非難の声も多数寄せられるそうです。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 View this post on Instagram A post shared by 紅蘭 (@kurankusakari) on Sep 18, 2020 at 2:58am PDT紅蘭さんは非難の声に対し、自身のInstagramで反論。その内容に多くの人が共感し話題となりました。「母親らしい格好をしろ」の声を一蹴!紅蘭の投稿に「スカッとした」の声古市憲寿、紅蘭の服装に対する持論に称賛の声2020年9月24日放送の、情報番組『とくダネ!』(フジテレビ系)では、紅蘭さんの服装に対する賛否の声について特集。紅蘭さんへの非難の声について、コメンテーターとして出演している、社会学者の古市憲寿さんは…。日本のお母さんってとにかく周りにいろんなことをいわれるんですよ。働いただけで「子供がかわいそう」とか、遊んでると「子供がかわいそう」とか…。だから、これもその一環だと思うんですけど、本来は別にどんな服を着ようとどんな髪型をしようと完全に個人の自由なので。それを他人が、とやかくいう問題じゃないのかなと僕は思いますね。とくダネ!ーより引用また、古市さんは『母親らしさ』について、「『○○らしい』とか『○○らしくない』って、本当に呪いだなと思う」とコメント。古市さんの意見に、視聴者からは称賛の声が上がりました。・本当にそう!母親になったって、その前に1人の女性です。他人がとやかく口を出すことじゃない。・古市さんのいうように『○○らしさ』って呪いだと思います。「男らしく生きろ」とか「女らしくない」とか、そういう考えはもう古い。・よくぞいってくれました!個人の『母親像』を世の女性に押し付けないで。『母親』といってもそれぞれに個性があり、好きなファッションや選ぶ服が違うのは、当たり前のこと。古市さんや紅蘭さんのような、『らしさ』に囚われない自由な考え方がもっと広まってほしいものですね。[文・構成/grape編集部]
2020年09月25日