アメリカの禅センターで暮らしていた頃、“禅”と書かれた特注の作務衣を着こなすイケメンゲイのレジデントが居ました。彼はのちにパンセクシャル(全性愛)の女性と恋に落ち、僧侶の道を志すことに。二元性を超えた空(くう)の世界に触れたいと、アメリカで禅修行に勤しむ人たちにLGBT(性的少数者)の人々が少なくないことは自然なのかもしれません。言葉を生業にしていたというアイデンティティなんてものは完全に崩壊し、危うい英語で立ち回り続けた丸裸同然の筆者・土居彩がアメリカ修行中にジェンダーについて考えました。取材、文・土居彩 看板写真・Yumiko Sushitani【マック・マインドフルネス時代の瞑想探し。「魂ナビ」が欲しい!】vol. 3モテモテだったイケメン雲水のアール。私がアメリカの禅センターで典座とともに料理を作りながら生活していたとき、アール(仮名)というイケメン・レジデントがいました。アールの生まれはドイツ。イギリスの名門大学院を卒業し、ロンドンにアート関連の会社を起業した彼は美術に特化したコンサルティング業務を生業としていました。彼が渡米して禅センターで修行生活をしていたのは、禅仏教関係の古美術に魅せられたため。プラクティスしながらその世界に触れ、学びたいと考えたのです。完璧なクイーンズ・イングリッシュを話し、ちょっとスパイシーな冗談を飛ばすアール。筋金入りのミニマリストな彼が持っている服といえば、「禅」と襟元に書かれた特注の黒い作務衣と着古されたコム・デ・ギャルソンのブラック・ジャケットのみ。只者ではないこだわりを見せ、キラキラ光る瞳にしなやかな肢体、くすんだ色の金髪には寝癖が……と、見た目もいいので当然モテます。ところが、禅センターで恋愛はご法度。特に最初の4か月間は断固禁止で、レジデントとして認められたあかつきに渡される分厚い文書のかなりのページにも「恋愛沙汰NG」というお達しが念入りに書かれています。とはいってもアールのことをちょっといいなと思っていた女性は私が知っているだけでも何人かいて、彼女たちは恋破れては涙していました。というのも、アールはゲイだったからです。ゲイの彼がパンセクシャルの女性に恋をした。このたびそんなアールが恋に落ちて結婚したのです。なんと相手は、女性! 美男美女で、就寝前には二人そろって小さな顔にウディ・アレンみたいな大きな丸メガネをかけ、笑っちゃうぐらいそっくり。パートナーのティ(仮名)は、パンセクシャル。彼女の前の恋人は女性で、その前は男性。ティにとって性別というのは付属的なものに過ぎず、相手に惹かれるかどうかの条件にはならないのだそうです。ちなみにバイセクシャルと混同されがちなパンセクシャルですが、バイセクシャルが「男性も女性も好き」とするのに対して、パンセクシャルは「相手の性別に囚われないで好き」となります。異性愛者の私ではありますが、ニンフのような人間離れした透明感と底なしの明るさを持つティの魅力には、ちょっとクラッとくることも。アールが落ちたのもわかります。そして僧侶になったアール。とはいえ男性以外とお付き合いをしたことが無かったアール自身もビックリな展開です。当然ティ以外に女性経験ゼロな彼は「日々女性器の奥深さを探究中だけど、すごいんだねぇ! 僕らに娘ができたら、“アヤ”って名づけるつもりなんだ」、ですって。アメリカ人のティと結婚したアールは現在グリーンカードを申請中。ロンドンの会社も閉鎖し、出家してよりディープなお坊さん修行に勤めています。神は男と女を作られた。アメリカにおけるLGBT(性的少数者)の人たちが、「神は男と女を作られた」とする旧約聖書を基にした教えではなく、男と女という二元性や、「私」という個の概念を超越したところに真理があるとするブッダの教えを積極的に学ぼうとするのは自然なことなのかもしれません。ところでアールのドラマティックな出来事はすべて、たった半年間で起こった話。当人を含めて誰も想像できないものでした。つまり私たちは、自分はこういう人間だと、どこか決めているところがありますが、変わるんです、実際は。アールのように。あらゆるものは変わるという般若心経の教え。そういえば私たちが一緒に禅センターの朝課で唱えていた摩訶般若心経も、あらゆるものには自性がなく、変化を続けることが存在の本質だと説いていました。毎朝唱え続けることで、気づかないうちにその教えがアールや私にも浸潤したのでしょうか。というのもアールほど極端な例ではありませんが、私もずいぶん変わりました。料理しない女が典座と料理を作り続けたら…。例えばアンアン編集者時代は素晴らしい料理家さんたちの料理ページの連載を担当しながら「私は料理をしない女」と豪語していました。太りたくなくて、食べることにもあまり興味がありませんでした。ところが退職してからは何の縁か、アメリカの禅センターで毎日三食30〜100人の人たちの料理を作ることになり、否応なく食べることの重要さをヒシヒシと痛感することになりました。結果として、今では料理は大切な日課になりました。先日も「食」とは「良い人」と書くと、接心でお世話になった福井県の天龍寺のご住職に教えていただき、日々それを実感しています。©星覚食べることを通じて、あらゆるものとの深いつながりを再認識し、さらには食べたものが3日もすれば、自分へと変化していく。そんな食の奥深さについて思うことは、また改めてこちらでお話したいと思います。ほかにも中目黒に住んで、最新ファッション・ショーや化粧品の新作発表会にお邪魔させていただいていた頃には、自分が望んでアメリカで2年間もホームレス生活をするなんて想像すらできませんでしたし。人は毎瞬変化するのです。食べたもの、取り入れた情報、出会った人、語り合った言葉、触れた土地……消費したり感じたもの全てがその人になっていきます。トランス女性禅教師のカイトリオナ・リード。さて1992年にティク・ナット・ハン師から禅仏教教師としての権限を授けられた、アメリカにおけるLGBT禅指導者のカイトリオナ・リードという人がいます。カイトリオナは、南カリフォルニアにあるマンザニタ・ヴィレッジ・リトリート・センターを設立し、持続可能な環境作り、非暴力、社会正義を促進することを目的としたヴィッパサナー瞑想と禅のプラクティスを教えています。今でこそ当たり前と言っても過言ではないLGBTQの仏教家ですが、男性だった彼女がトランス女性禅教師という道を選んだ1996年はそうではありませんでした。実際に弟子のひとりにも「あなたがトランス女性として生きることを選んだことにがっかりしました。だってあなたは私が出会った最も男性性と女性性が統合され、調和している男性だったからです」と言われたそうです。カイトリオナの勇気ある選択を誇りに感じながら、その弟子の心も少しわかります。というのも男性僧院長と女性信者のスキャンダルで問題になった禅センターやスピリチュアル・コミュニティは、アメリカで数か所あるからです。パワーとジェンダーがらみの問題は、たとえ精神修養の地だといっても、そこから完全に解放されてはいません。だからきっと私がレジデントとして暮らした禅センターでも、恋愛御法度という分厚い但し書きが渡されたのでしょう。丸裸でもなおしがみつく「私」というレッテル。日本で編集者だったなんて口が裂けてもいえない、訛りの強い英語に限られた語彙を擦り切れるまでリピートし続けてかろうじて意思の疎通がはかれる、丸裸同然の私っていったい何者なんだろう?そんなふうに日々何者でもない自分と向き合わざるを得なかった毎日の中で、アールとティ、センターの休日に山を降りて一緒に5リズム・ダンスに行ったゲイのダブリュー(仮名)と何か月も一緒に修行しながら生活したことは、丸裸同然でもなお、私が女性というカテゴリーに依然としてしがみついていることに気づかせてくれる体験でした。ある日会話のなかで、当然のように「まぁ、私は異性愛者だから」と私が言ったとき、ティが「どうしてそう言い切れるの?」と興味深そうに、ちょっと悪戯めいて微笑みながらたずねてきました。残念ながらそれに対する「今までそうだったし、これからも多分そうだから」という私の返答は、仏教の修行者としては全くクールではありませんでした。公案だったら老師から落とされているでしょう。だから私は、今日も坐っています。土居彩編集者。株式会社マガジンハウスに14年間勤め、anan編集部、Hanako編集部にて編集者として、広告部ではファッション誌Ginzaのマーケティング&広告営業を勤める。’15年8月〜’17年5月、カリフォルニア大学バークレー校心理学部にて、畏怖の念について研究するダチャー・ケトナー博士の研究室で学ぶ。’18年9月〜’19年1月、7月、ニュー・メキシコ州サンタフェにあるウパヤ禅センターに暮らしながら、ジョアン・ハリファックス師に師事。現在は、書道家・平和活動家、13世紀の道元禅師を初めて英訳し欧米に伝えた禅研究家の棚橋一晃氏の著書『Painting Peace(平和を描く)』(シャンバラ社)を翻訳中。恩人たちに支えられ続けながら、会社を辞めて渡米奮闘したドタバタな当時の様子を綴ったananweb連載『会社を辞めて、こうなった』も。
2019年10月02日ブランド小物と最新ファッションで武装していたアンアン編集者時代のキラキラ人生から一転。瞑想の奥深さに魅了されて魂の先生探しの旅へと繰り出し、会社を辞めて渡米した筆者・土居彩。アメリカ禅センターでの典座生活、認知症の恩人や先住民との暮らしに始まり、2年間ホームレスの経験もしたとか。そして4年半を経て帰国した彼女が、瞑想、スピリチュアリティ、心理学、新しい生き方をする人々から学ぶ本連載をスタートしました。第1話では、現在NYで人気のネイルサロン瞑想サービスを紐解きながら、試行錯誤しながら歩む彼女の等身大の瞑想の先生探しの旅についてお話します。取材、文・土居彩 看板写真・Yumiko Sushitani【マック・マインドフルネス時代の瞑想探し。「魂ナビ」が欲しい!】vol. 1NYのロハスなサロンでは、ネイルで瞑想。ニューヨークに3店舗あるヒップなネイルサロン サンデーズ。そのサックス・フィフス・アヴェニュー・ミッドタウン店では、各ネイルサービスに5ドルを追加すると、ヘッドフォンで誘導瞑想を聞くことが出来ます。6種類の瞑想は、サンデーズの創設者エイミー・リンと、NYにある瞑想スタジオの先駆けMNDFL(マインドフル)の瞑想教師ヴァレリー・オウラ(クンダリーニ・ヨガ瞑想教師)が特別デザインしたもの。6タイプのセッションは10-16分で、サロンがモットーとする、明晰さ、集中、感謝、グラウンディング(地に足つけて現実を生きる)、手放し、リラックスを目的としたもの。例えばグラウンディング瞑想では、「右の足の親指の先、かかと…。あなたは常に大地とつながり、サポートされています。ただ行うべきは、両足の下にしっかりとした基盤があることを思い出し、そこにつながることです」といった言葉が流れます。アメリカで物議を醸す、マック・マインドフルネスって?こうした手の届きやすく資本主義化された瞑想サービスのことを、McMindfulness(マック・マインドフルネス)と言って、サンフランシスコ州立大学のロナルド・パーサー教授が本を書きましたが、スピリチュアリティの商品化だと批判されることも少なくありません。私はアメリカの禅センターで典座と料理をしながら暮らしていましたが、そこでも間口が広くなるのは良いことだとか、倫理実践無しに瞑想だけを行うのはプラクティスの形骸化だ、とか。はたまた良い瞑想、悪い瞑想という区別性を超えた先に真の実践があるのでは、とか。賛否両論、あるいは賛否を超えた意見が活発に交わされていました。瞑想を毎日行うには、強い意志が必要です。忙しい生活のなかで、一見なんの生産性も無いような、ただ坐るということを何十分もやっていると、途方もない時間の無駄遣いをしているのではないかとバカらしくなるからです。私自身も禅センターを出た後は1日三度の坐禅が二度になりました。代わりに料理中に野菜を切る指の感覚に集中してみたり、レジ待ちに呼吸に意識を向けて見たりと、日常生活の細部をできるだけ大切にすることで瞑想的に過ごせないかと試行錯誤しています。そこで個人的には瞑想を行える場が広がることは良いことだと思っています。サンデーズの瞑想サービスも、顧客たちから「ネイル中だけが自分の時間なの」と繰り返し打ち明けられ、「では瞑想も同時に出来て、より平穏な気持ちになってもらえたら」とスタートしたのだそうです。私が瞑想を始めた理由は、眠れなかったから。さて、こちら連載第1話ではまず、私が瞑想を始めたきっかけからお話したいと思います。初めて瞑想と出合った当時の私は、出版社で女性誌の編集者をしていました。入稿明けで体はぐったりしているのに頭が興奮状態で眠れず、週末は逆にこんこんと眠り続けて寝溜め状態。慢性的な偏頭痛も抱えていました。食周りのページを担当していたこともあって、入社前に比べて体重が12キロも増えてしまいました。そこで「これではダメだ。運動でもしよう」とヨガを始め、ポーズと瞑想を就寝前の日課にしたことが始まりでした。その後、ヨガの教本『ヨーガ・スートラ』に出合い、インド哲学の奥深さにはまってインドを旅し、週末にはヨガのインストラクター養成講座にまで通い出したものだから、同僚にも「土居さんは一体どこへ向かっているの?」と訝しがられたっけ。さて私のように疲労回復のためだったり、またはストレス軽減やレジリエンスの向上、コンパッション(思いやりの心)を育んだり、無我の境地やワンネスの体験、世界平和など、瞑想を始める理由は人それぞれだと思います。けれどもその先に求めることは共通していて、それは「なぜ瞑想するのか」という点が一致する魂の先生との出会いだと思います。それは実際に会える人でもいいし、本や経典、インターネット動画などでも構わないと思います。私の場合は欧米にマインドフルネス瞑想を広めた、平和活動家で詩人でもあるお坊さんのティク・ナット・ハン師(愛称:タイ)でした。“DSC_1221a4r” by ghknsg548 is licensed under CC BY-NC-SA 2.0その出会いを辿る糸の先端は、一見関係ないような場所にありました。台湾茶藝館取材から、ティクナットハン師との出会い。それはanan編集者としての台湾出張で、茶藝館を取材したときのこと。オーナーの寡黙で品の良い老紳士にお茶の親しみ方を習うことになりました。記事を書くために聞きたいことが山ほどあるのに、「シーッ」と人差し指を唇の上にかざして沈黙を求められ、彼は優雅にお湯をあっちこっちの器に移し替えています。やっとこさお茶がはいったと手にしても、湯飲みの蓋の香りを嗅ぐことに始まり、なかなか飲ませてはもらえません。そんな様子で細部にわたって意識を目の前のお茶との体験に向けることになった結果、5分程度の時間が拡張したように感じたのです。「意識の向け方で、時間の観念は変わるんだ」、「言葉を重ねるよりも、体験することでわかる世界があるのか」と大変驚きました。当時離婚したばかりだった私にとって、それは革命的で強い癒しの発見でした。そして帰国後に次の特集のリサーチをしていたとき、彼の教えを参考図書の中で偶然目にします。それは「お茶を飲みながら過去の出来事を思い煩ったり未来のことを心配して意識が今ここに存在しないと、一杯のお茶を楽しむ機会を失いますよ」というタイの言葉の引用でした。そしてその翌年に彼が韓国で瞑想合宿をすることを知り、いてもたってもいられず、参加するに至ったのです。瞑想中に涙が止まらない。不眠を解消するためだったはずの瞑想が、タイとの初めてのマインドフルネス合宿で、なぜだか涙が止まらない。「いま、この瞬間」に集中するために坐禅したり、歩いたり、食事をしたりしながら自分の深部と根気よく対話し続けた結果、思考の流れがスローダウンし始めました。そして、ワークホリックやショッピング中毒という形をとって本音と向き合うことを避けてきたこと。隠れた悲しみや怒りが自分の中に在ることに気付かされました。あるときタイは「マインドフルネス瞑想を企業や軍人にも教えるべきですか?」とマック・マインドフルネスに疑問を感じる人に尋ねられました。それに対してタイは「マインドフルネスは道具ではありません。それは道です」と答えました。マインドフルネスは手段ではなく在り方。例えばナイフは野菜や果物を切って調理するために使うことも出来るし、殺人を犯すために利用することも出来ます。道具が持つアイデンティティは一見同じ結果を導くように見えても、用途によって変化します。つまり瞑想体験もその効果も、意図次第で異なるということ。そこで瞑想の道が深まるにつれて、それは『なぜ坐るのか』という冒険になっていきます。私は15年ほど瞑想を中心とした内省の旅を続けていますが、特にアメリカで生活していた4年半は、スピリチュアル・ショッピングだと揶揄されてしまいそうなほど、心惹かれた場所や先生のもとに手当たり次第に飛び込んでいきました。スピリチュアル・フリーランスでも、まぁいいじゃないか。それは、5箇所の曹洞宗の禅センター、テラヴァーダ仏教のタイ・フォレスト仏教寺院、心理学者で仏教実践者が設立した瞑想センター スピリット・ロック、ゴエンカ式のヴィパッサナー瞑想合宿センター、クンダリーニ・ヨガセンター、パラマハンサ・ヨガナンダのSPF、利他主義と幸福の関係を研究するバークレー大心理学部の研究室、人間性回復の震源地 エサレン研究所、フランスのプラム・ヴィレッジ、洞窟にも行きました。コミュニティとの相性も確かめたかったので、ボランティアをしたり働いたりしながら住み込みで学ぶことも多かったです。その結果、どこでもいつでも寝られるようになった今の私が瞑想する理由は、頭の中の小姑が「良い、ダメ」「好き、嫌い」とすぐに騒ぎ出すところがあるので、それと自分を同一視することから少し自由になり、なるべく愛、尊敬、関心を原動力にして、自分にも他の人にも優しくありたいからです。とても難しくて毎日が勉強ですが。現在の私の瞑想における先生は、先のティク・ナット・ハン師、レジデントとして暮らしたウパヤ禅センターのハリファックス老師、ヴィパッサナー瞑想のS.N.ゴエンカ師を始めとする、社会に関わる仏教(Engaged Buddhism)を提唱する人々を中心としています。でも「先生は彼らだけだ」とか「絶対に彼らは永遠に私の先生だ」と決めつけず、常にオープンでありたいと思っています。瞑想は、自分との出会いの旅。このように瞑想から始まる旅路やそれに紐づいた出会いには目を見張るものがあります。その最たるものは、自分の色々な側面との出会いだと思います。例えば東京の女性誌編集者時代はブランド品で武装していた私ですが、渡米して2年ほどホームレス状態になったこともあります。自分の本音に耳を傾けるプロセスは良いばかりではなく、思わず自分の醜さに触れるときもあります。瞑想で内観が深まると平穏な気持ちになるばかりではなく、落ち込んだり、がっかりするような経験もします。でもその冒険を通じて、一見矛盾するようですが少し自由に、自然な笑顔になれます。そこでこの連載では、「魂ナビ」が欲しい!と題して、私が実践していたり興味を持った瞑想法や、私の魂の先生たち、内観のためのエクササイズ、スピリチュアル実践の場、新しい生き方をする人たちなどについてお届けします。等身大の私が辿る道しるべに過ぎませんが、あなたのスピリチュアリティ探究のためのささやかなガイドの一つになれば幸いです。土居彩編集者。株式会社マガジンハウスに14年間勤め、anan編集部、Hanako編集部にて編集者として、広告部ではファッション誌Ginzaのマーケティング&広告営業を勤める。’15年8月〜’17年5月、カリフォルニア大学バークレー校心理学部にて、畏怖の念について研究するダチャー・ケトナー博士の研究室で学ぶ。’18年9月〜’19年1月、7月、ニュー・メキシコ州サンタフェにあるウパヤ禅センターに暮らしながら、ジョアン・ハリファックス師に師事。現在は、書道家・平和活動家、13世紀の道元禅師を初めて英訳し欧米に伝えた禅研究家の棚橋一晃氏の著書『Painting Peace(平和を描く)』(シャンバラ社)を翻訳中。
2019年09月23日サッカー界きってのイケメン・鹿島アントラーズの土居聖真選手にお話をうかがいました。近年、ご自身に起きた気持ちの変化やサポーター愛、ライバルや仲良しの選手についてなど、意外ともいえる素顔を公開します。女性の好みや男前ショットの数々も必見です!写真・黒川ひろみ 文・伊藤順子昔は「ダサい」と思われないよう必死でした常勝軍団・鹿島アントラーズを牽引する無敵のアタッカー・土居聖真選手。実力もさることながら、その美しすぎるルックスはJリーグNo.1との呼び声も高く、多くの人を虜にしています。取材当日も、シンプルなモノトーンコーデだからこそ、端正なお顔が映えまくりです!ーー2017年には、Jリーグの某イケメンランキングで見事1位になられました。「カッコいい!」と言われることは常だと思いますが、この言葉をどのように受け止めていらっしゃいますか?そういった言葉はありがたいことではありますが、もっと若い頃は、それを気にしすぎていて、周囲から「ダサい」と見られないように必死でした。ですが、ここ数年でオジサン化したのか(笑)、意識しなくなりましたね。そんなことを気にしている時間があったら、もっとやるべきことに使おうと思えるようになりました。ーー「ダサく見られないよう必死だった」とは具体的に?髪型、服装、それこそ歩き方や走り方まで気にしていましたね。プレーもプロになりたての頃は、コケることは恥、みたいな考えがありました。でも、年齢や経験を重ねるにつれ、がむしゃらにプレーするようになって、どんなにダサくても泥臭くても、いまのほうが自分にとっては気持ちがいいなと思えるようになったんです。ーーいい意味で肩の力が抜けたということでしょうか。ここ数年で変化を感じられているようですが、ほかにご自身で変わったと思えることはありますか。これでも人見知りが直りましたね。仲がいい人とはよく話せるのですが、僕、初対面の人には心をなかなか開けないんですよ。昔なんて、目を見て話すことができなかったくらい。でも、3年くらい前から、ようやく話せるようになったんです。例えば、洋服屋さんで服を選んでいたら、店員さんが話しかけてきますよね。かつての僕は、それがとても嫌で、話しかけられた時点で「いや……もう、大丈夫です」と店を出てしまっていたんです。本当はあの服ほしいのに~と思いながら(笑)。でも、いまの僕は、自ら店員さんに話しかけますよ。「こんな服がほしいんですけど……」や「こういうジャンルの服が多いのですがおすすめはありますか?」といったように。妻も「しゃべれるんだ」と驚いていますね。(笑)勝った喜びの裏に潜む、僕の気持ちは…ーー何がきっかけだったのでしょう。大人になると、人と接することは避けては通れない道じゃないですか。だから、年を取るにつれて、自分をうまく表現できるようになったんだと思います。それに、ある程度、自分に自信もついたのかなと。ーーピッチ上の土居選手を拝見する限りクールなイメージがあり、周囲の目を気にされていた過去も、店員さんに気さくに話しかける現在も、どちらも意外に思えます。クールとはよく言われますね。僕は超気分屋で、感情を表に出すことも多々ありますが、その裏で何事にも冷静であったりもします。その性格は、両親から受け継いだのだと思いますね。母はとても明るい人で、父は一見もの静かだけど心の内では何か秘めている人なんですよ。ーーちょっと理解が難しいので(笑)、具体的に教えてください。では、試合に勝ったとします。僕はもちろん嬉しくて、ワーッと感情を露わにするのですが、心の中で「今回勝っただけで、次負けたら意味がないだろ」と冷静に突っ込んでいる自分もいるわけです。何かしら毒づきたくなるというか。表向きの感情とは別の思いも密かに持ち合わせているよ、ということです。(笑)ーーなるほど、土居選手の真意は表情だけでは探れないのですね。でも、秘めた思いを考察するのも観戦の楽しみになります(笑)。では、観戦初心者のためにも、改めて土居選手の注目すべきプレーも教えてください。ドリブルなどボールを触っているところを見てほしいですね。僕は攻撃的な選手なので、サッカーの醍醐味であるゴールに絡むプレーが多いです。なので、ボールが僕に渡ったら、得点につながるかもしれない、という期待を持って見ていただきたいです。そして、見事点が決まったら、知らないお客さんと抱き合ったりハイタッチするのも楽しいと思います。そういった観客のみなさんの交流のかけ橋になれたらという思いも持ってプレーしています。去年から、サポーターとの距離が近くなったーースタジアムに行くと、得点シーンに限らず、サポーターによる応援がすごいですね。クラブごとにカラーや雰囲気が異なると思いますが、共通するのはゴールに近づくほど声援は大きくなり、得点に結びついたときに、スタジアムが一体になるというか、そこで初めて本当のスタジアムの姿を見られると思うので、ぜひ体感していただければと思います。90分ずっと応援し続けるリーグは、世界を見ても独特なので、ぜひJリーグの試合に足を運んでいただきたいですね。ーー鹿島アントラーズのサポーターのみなさんはどんな特徴があるのでしょうか。厳しくもあり、温かさもある、ツンデレな感じです(笑)。でも、去年から印象が少し変わってきたんですよ。以前は、負けたときほど当然ながら罵声や非難が多かったのですが、最近は調子がよくない時期でも、「頑張れよ!」と励ましの言葉を多くいただけるんです。昨年の夏、内容はいいのだけど勝てない試合が続いていたときも、多少のブーイングや厳しい声はありましたけれど、「次頑張ろうぜ」と僕らと一緒になって戦ってくれました。だから、昔より選手とサポーターの距離は近くなったと僕は思っていますね。ーー土居選手ご自身もサポーターのみなさんも、進化を遂げているわけですね。そもそも、プロサッカー選手になれた原動力は何でしょうか。数あるスポーツのなかでも、僕をサッカーへと導いてくれたのは、幼稚園の頃、園に教えにきてくれたサッカークラブの監督ですね。監督と出会わなかったら、僕はサッカーの面白さを知ることができずに違う世界にいたかもしれません。また、プロになれたのは、中学、高校のときのコーチ、長谷川祥之さんのおかげです。一つひとつの言葉に説得力があって、何がなんでもプロになりたいと思わせてくれたんですよね。極端な話「死ね」以外だったらどんな命令も従うと思います。(笑)ーー具体的なエピソードはありますか?左足をはく離骨折したときに、「ここで休んだらプロになれないよ」と言われて、試合に出ました。利き足ではなかったのがまだよかったのかもしれませんが、いま振り返るとよくやったなと思いますね。そのくらい長谷川さんの言葉は重みがありましたし、プロになりたい気持ちも強かったのだと思います。長谷川さんは現在鹿島のスカウト担当でもあり、いまでも僕に試合のダメ出しをしてくれます。大人になって注意されたり、怒られたりすることってそうそうないと思うので、とても感謝していますね。好きな食べ物でも、すぐに食べませんーー監督はそれだけ土居選手に期待していたのでしょうね。では、土居選手にとって負けたくない! と思うライバルは?ここ数年で「自分」だと思いました。以前はライバル心なんて持ってもメリットがないと思っていました。というのも、自分は気分屋で冷静なほかに、マイペースという一面もあって、誰かと競ったときに、自分の良さが消えてしまうと思ったからです。例えば、負けたくない選手を決めたとする。そいつと競ってそいつに寄せてしまう自分がいる、と。それはつまり、相手を目標にしてしまい、ライバルというより下手したら憧れに近いものになってしまうのではないか、と思うんですね。だから、ライバルは特にいなかったのですが、最近は自分への設定をどこまでできるかな、と思っています。ーーいまは何をどのように設定されているのですか?サッカーでも私生活でも、自然と「一歩引いてみる」自分がいますね。わかりやすくいうと、好きな食べ物がそこにあって、周囲に誰もいなくても「いただきまーす」とすぐ食べない、みたいな。もしかしたら、罠がどこかにあるんじゃないかと考えて、1回周りを見て状況を把握してから、食べてみるんです。サッカーにしても、いま突っ込もう! と直感で思っても、ちょっと待ってみる。そうすると、同時に相手も来ているから、衝突の危険があったとわかる。そのように、客観的に物事を見ることを自分に課しています。仲良しは三竿選手と内田選手。日本代表へは…ーーライバルはご自分とのことですが、仲良しの選手を教えてください。友達は少ないというか、けっこう選ぶほうですね。いまパッと浮かぶのは、三竿健斗選手です。もし、僕が女性だったら、健斗を夫にしたいくらい、考え方や価値観が似ていますね。彼も一歩引いて物事を見られるタイプで、それでいてポジティブなので、一緒にいて楽しいです。あと、先輩でいうと内田篤人選手と家族ぐるみで仲良くさせてもらっています。ーー三竿選手もこのあと取材させていただきますので、人柄をお聞きするのがいまから楽しみです。内田選手はどんな方ですか?気遣いの人ですね。顔はもちろん、中身もかなりイケメンです。何でもリードしてくれて、「そこの段差気をつけて!」や、焼肉に行ったら「火、気をつけて!」など、ほんの些細な事でも気にかけてくれます。気を遣う人って、少し近寄りがたくなるけれど、内田さんはそこにフランクさも加わるから、本当に完璧なんです。僕にとって父であり、兄であり、先輩であり、すべてを兼ね備えた惚れるしかない人ですね。ーー惚れるといえば、女性の好みのタイプを教えてください。優しくて気が利いて賢い人がいいですね。僕は、けっこう甘えるほうかもしれません。だから、甘えられるのは……ほどほどでお願いします(笑)。キュンとする女性のしぐさは、小さい子と話すときに、しゃがんで子どもと目線を合わせる人を見ると、いいなと思います。ーー甘えるタイプなんですね。多くの女性がとろけそうです! では、最後に、日本代表への思いをお聞かせください。プロになる前は、鹿島アントラーズでスタメンになれれば、すぐにでも代表になれると思っていました。でも、実際プロ入りして、こんなにも代表って遠い存在なのか、と痛感しています。特にここ数年は強く感じていますね。いま以上のものが必要なのかな、と思っています。引き続き結果を出すのもそうですし、結果以外のところでも、違いや個性を見せなければいけないと思っています。ーー言葉を選びながら、ひとつひとつ丁寧に応えてくれた土居選手。表の顔とは別の感情を抱いているとおっしゃりながらも、予定時間をオーバーしながらも向き合っていただいたお姿は、「実直」や「誠実」といった表現がぴったり。ベタ惚れされている内田選手と同様に、土居選手もまた外見だけでなく中身もイケメンなのだと確信しました。これからも、さらなる上へと昇っていく土居選手を応援し続けたいですね!
2019年08月24日女優の剛力彩芽が6日、東京・表参道ヒルズで行われたイヴ・サンローラン・ボーテ スペシャルイベント「VOLUPTE LAND」オープニングセレモニーに、オフショルダーの黒いドレスで登場した。3月7日~10日まで同所で開催される「VOLUPTE LAND(ヴォリュプテ ランド)」は、2013年の発売以来のヒット商品であるアイコンリップ「ヴォリュプテ」の魅力が詰まったイベント。ピンクと黒で彩られた会場で、新作「ヴォリュプテ プランプインカラー」の魅力を体験することができる。剛力は、胸元セクシーなオフショルダーの黒いドレス姿で登場。居合わせた買い物客たちから「きれい!」という声が上がった。そして、剛力は「黒がすごい好き」とファッションでも黒をよく取り入れると話した。この日は、新作の「ヴォリュプテ プランプインカラー」を使用したぷっくり唇をポイントにしたメイクアップを披露。「リップがポイントになるように、ツヤ感を出しながら品のあるヌーディな感じにメイクしてもらいました」と説明した。同イベントは“アミューズメントパーク”をテーマにしており、会場にはリップをモチーフにしたフォトスポットや回転するアトラクションが。剛力は「ワクワクします」とうれしそうに話し、「私も撮影して投稿したいと思います」と宣言した。
2019年03月06日グラビアアイドルの彩川ひなのが9日、東京・新宿の福家書店でカレンダー『彩川ひなの 2019年カレンダー』(発売中 2,500円税抜き 発売元:トライエックス)の発売記念イベントを行った。数々のアイドルグループに在籍しながらグラビア活動にも積極的で、Fカップバストに上からB85・W55・H82という抜群のプロポーションで"ハレンチボディー"と呼ばれて大人気の彩川ひなの。今回のカレンダーは、6月に都内で撮影され、キュートなショットとセクシーなショットを織り交ぜながら、彩川の魅力が詰まった内容となっている。クリスマスが近いということで、2年ぶりに着たというサンタコスで取材に応じた彩川は「今年も昨年に続いてカレンダーを出せて本当にうれしいです。2019年も365日、破廉恥ボディーが楽しめるカレンダーになりました。可愛いひなちゃんと大人なひなちゃんを交互に入れている感じなので、存分に私を楽しんでいただける内容です」とアピール。撮影エピソードについては「4~5月に載っているバルーン水着で撮影した時は、撮影するうちにどんどんバルーンが割れてハレンチになっちゃいました。割れた後はシークレットで(笑)」と明かした。さらに、「(バストが)相当暴れちゃいましたよ。結構ポロリしちゃって、『こらこら!』と抑えていました。2019年もバストが暴れていきます」とセクシーさも強調。お気に入りは7~8月に掲載された写真だといい、「カラーグローブ水着は、このために作ってもらいました。インパクトがすごいし、大人っぽいギャップが気に入っています」とその理由を説明した。また、もうすぐ終わる2018年を振り返り、「笑顔が多くなりましたね。ますます私が可愛くなった年でした。実はひな、歯を治したんです。だから今年は歯を出した写真が多くなって可愛くなっちゃいました」と自画自賛。年女の24歳となる来年については「猪突猛進でいきたいと思います。グラビアはもちろん、バラエティー番組にもっともっと出たいですね」と意欲を見せながら「出演したいのは『踊る!さんま御殿!!』(日本テレビ系)。さんまさんに可愛がってもらいたいです!」と明石家さんまにラブコールを送っていた。
2018年12月09日女優の上戸彩が21日、東京・丸の内のKITTEで行われた「WHITE KITTE」ライトアップセレモニーに出席した。同イベントは館内にいながら白銀の世界を体験できるクリスマスイベントで、まるで雪が積もったかのような真っ白な装飾が施された、屋内日本最大級の高さ約14.5メートルを誇るクリスマスツリーが登場。期間中の夜には、音楽と照明によるライトアッププログラムを2種類実施し、クリスマス雰囲気を盛り上げる。真っ白な背景に映える真っ赤なドレス姿で登場した上戸は「クリスマスといえば赤!」と声を弾ませ、背後にそびえる大きなツリーを見て「本物のもみの木とお聞きました。柔らかそうで、ちょっと揺らしたらグワンと落ちてきそうで、本物の雪みたいですね」とニッコリ。また、シークレットゲストとして登場した上戸は、観客が持っていた"ピースして"のうちわに反応してピースをしていたが、ふと何かに気付いた上戸は「"ピースして"ってうちわは、ほかの方に作ったうちわですか?」と観客に投げかけ、「なんだ、使い回しかあ…。チェッ(笑)。私が来ること知っていたのかなと思って、調子に乗ってピースしちゃいましたけど、わたし用のうちわではなかったです」と肩を落として笑いを誘った。クリスマスの思い出を聞かれると「子どもの頃はよく家でツリーを飾っていましたけど、この仕事をしてからは、クリスマスはあえて仕事を入れられるっていう(笑)。クリスマスにどこも行かせないっていうスケジュールでした」と愚痴をこぼしつつも、「クリスマスケーキをみんなで食べたりしていましたね。お仕事のときも女性誌(の撮影)とかだとシャンパンをくださったり、みんなで楽屋でジュースで乾杯しましたね。そういうことをして気分を上げていました」と笑顔を見せた。また、プレゼントをすることが好きという上戸は「お世話になっているスタッフの皆さんとかにお揃いのものを買ってプレゼントしたりしています。今年はどうしようかなあ」と目を輝かせ、逆にもらって嬉しかったクリスマスプレゼントを尋ねられると「中学の頃にもらったスミスのルーズソックス。それまで3足1000円とかの短めのルーズソックスしか持っていなかったのですが、そのときに初めてスミスのロングのルーズソックスを買ってもらったのをすごく覚えていて、穴が空いては自分で縫っていました」と回顧した。同イベントは12月25日(火)まで開催。
2018年11月22日NMB48の山本彩が、17日深夜(25:00~)に放送されるニッポン放送『NMB48山本彩のオールナイトニッポン』でパーソナリティを務める。27日にNMB48卒業コンサートを控える山本にとって、NMB48メンバーとして最後の『オールナイトニッポン』となる。27日は大阪城ホールでの『NMB48 8th Anniversary LIVE』があり、ライブ直後に大阪市内から生放送される。番組では、山本と同じ1期生の現役メンバー(川上礼奈・白間美瑠・吉田朱里)、そして、山本と交流が深い2期から4期のメンバー(谷川愛梨・太田夢莉・渋谷凪咲)が1時台と2時台に時間を分けてゲストに登場する。この他、NMB48のメンバーが問題を作った「クイズ!山本彩!!」コーナーも。さらに番組の最後にはリスナーとファンに感謝を込めて、山本による弾き語りで自身がセンターを務めた「365日の紙飛行機」が生演奏される予定だ。
2018年10月16日私筆者土居彩は “幸せとは?” と14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、まずは幸福心理学を学ぶためにアメリカへとやってきました。奇跡が重なってバークレー大の研究室で学ばせてもらったり、街の人々に助けられたり、日課の瞑想を続けながら3年が経過。さまざまな経緯を経て、住所を持たないホームレス生活を始めることを決断しました。そして一時帰国中に新しい価値観で働く人たち、逗子市『NPO法人ごかんたいそう』の代表理事 全田和也さん、淡路島で『ヒマラヤ水晶ひかりや』を営む片岡悠さんを訪ねてきたのです。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 721か月間の一時帰国中では、金沢市にある1泊約3千円のドーミトリーに滞在してアメリカに仏教を広めた立役者である鈴木大拙館を訪ねたり、ご縁をいただいて2年ほど暮らしていたカリフォルニア州 バークレー市ではかぶりもしなかった、スローフード活動の中心的存在のアリス・ウォータースさんと’95年から続く彼女の ”Edible Schoolyard(食べられる校庭)” を通じた教育活動について滋賀県で書いたりしていました。一時帰国は毎回楽しみでもあり、少し怖くもあります。というのも毎度少しずつ自分の感覚が変化していることを実感し、ビザが切れて帰国した場合に日本社会でやっていけるのだろうかと不安になるからです。とはいえ、アメリカで生活の基盤を築けているのかというとそうでもない。そこには私の甘さがあり、それを突きつけられるような気分になります。そこで私の持つ恐怖感を超えたフェーズで働いている日本の人たちに会ってきたのです。必要なお金を稼ぎながらも、それに消費されないような生き方をしている人たちです。海と緑に囲まれた淡路島で水晶販売。片岡悠(以下はるかちゃん)ちゃんは、4年ほど前から淡路島で旦那さんの片岡徹さんと息子のアウワくんの3人で暮らしています。はるかちゃんも旦那さんも都市部で育ったのですが、1年半のインド、オーストラリアのバックパッカー旅行を終えて淡路島に移住。 より今はヒマラヤ水晶の原石や精麻しめ飾り、国産精麻、シルク、ヘンプ紐などでひとつずつ丁寧に編んだマクラメ編みのネックレスなどを『ヒマラヤ水晶 ひかりや』として展示販売しながら生活しています。そんなはるかちゃんが介護福祉士から今の仕事に完全にシフトしたのは約3年前。 より©片岡悠はるかちゃん 小さい頃から水晶とか石が好きで。もちろん生活の糧を得る術ではあるんだけど、どちらかといえば水晶を丁寧に浄化してお守り作りごっこをしている感じかな(笑)。幼い時に自然としていた遊びがハートの声に忠実な表現かなと思うの。だから自然と情熱も注げる。 よりとはいえ、翌月の家賃が払えない! という緊急事態になったことも。 よりはるかちゃん 今の私のテーマは、信じること。勇気がいるんだけどそこを踏み込んだ時に新しい扉が開くのだと思います。実際ピンチのときにはいつも何かが救ってくれた。例えば経済的に大ピンチだったときに友だちに相談したら、「雑巾掛けがいいらしいよ」とアドバイスをくれて、さっそく水晶の周りをピカピカにしたの。すると、もうびっくりするぐらいのオーダー数が来て! 今月も生かさせていただいてありがとうございます、といつも感謝している。ーー今の生活は毎日が実験で、目の前の世界のメッセージを謎解きしながら行動に移しているという彼女。はるかちゃん とてもワクワクして楽しいけど、読み間違えたら本当にお金もなくなるし、生きていけなくなる。ピンチにはいつも勇気のいる決断が必要で。意を決し実行するとまたエネルギーが回って生きていける。道無き道をびびりながら一歩踏み出して、そしたら道があった! みたいな感じで日々実験しながら生きています。逗子の森で農園と共にある保育園。全田和也(まったかずや。以下じゃがさん)さんは、NPO法人ごかんたいそうの代表理事。2012年4月より逗子市披露山のふもとに『ごかんのいえ』という保育園、2015年4月からは披露山の森の中に『ごかんのもり』というパーマカルチャー農園を併設した保育園を開きました。©2018 NPO Gokantaiso.凸凹の更地を菜園教育の第一人者で、いまやじゃがさんの大親友となったパーマカルチャー安房(PAWA)代表のフィル・キャッシュマンさんをはじめとした仲間と手作りで自然と共生する暮らしの園を作り続けています (※以下『ごかん』とは、『ごかんのいえ』と『ごかんのもり』を含める)。写真は刈った草を積み上げて山を作ってトランポリンにしたり潜ったりして遊ぶ園児たちの様子。©2016 gokantaiso.じゃがさん 僕、経営の本とか読まないんですよ。そして、かなり身勝手な話ですが、ここ最近は、園児のことを自分の孫、そしてスタッフのことが子どものように思えてきて。だから「この子は共感力が強いことが素晴らしいけど、ややもすると、人を助ける時間が多くて自分の時間が少なくなっているんじゃないかな。自分の時間を大事にしてほしいな」と感じたら、岡本太郎さんの本『自分の中に毒を持て』を渡したりなんかして。思春期の娘に語るように『自分の時間を生きなきゃー』とかスタッフに言ったりします。だからある意味、鬱陶しいと思います(笑)。©増田茜というのも、例えばスタッフとの関係でいえば、僕は雇用契約上の関係だけで割り切れないし、『ごかん』を子どもたちやスタッフ、みんなが自尊心を誇れるような場にしたいんです。「誰の場所?」って聞かれたときにみんなそれぞれが「自分の場所」って言ってくれるのが理想で。それは、それぞれの個性を誇りながら表現できることが最終的には根の強い生態系になると信じているから。僕もその中のひとりとして、天真爛漫に自己表現をさせてね、って。だから一般的な会社や経営者の考え方からは外れてしまっていると思います。ーー自分のことをロジカルではないと言い切るじゃがさんだが、大学を卒業後に国の金融機関での勤務経験も。その後担当していた投資先のベンチャー企業に転職して地域の建物をリノベーションし新規事業のオペレーションなども行ってきた。さらには『ごかんのいえ』準備の途中で資金繰りが大変になったときは、広告代理店でも働いていたという。つまり論理や戦略的な予測を要求されるような職務を経てきたうえで、現在の経営方針に至っているのだ。じゃがさん いろいろな組織論とかもあると思いますが、僕はビジョンを持ったカオスがいいなって思うんです。もちろん個性があると喧嘩とかも起こって、進むスピードが遅かったりもするんですけど。でもなんか僕は同じような色の人ばかりのモノクロな場よりも、カラフルな社会のほうが全体として持続可能なたくましさを持つんじゃないかなって感じるんです。もちろん『ごかん』を作った当初は自分のやりたい世界観を表現しなきゃと必死だったので、ワンマンぽいところもあったと思います。人一倍表現欲も強いほうで、チャレンジしていきたい ”妄想” も尽きない。でもどちらかというと今はいろいろな人たちが予想外な動きをしているのを含めて自分の作品や表現となっているような感覚で。だから、こだわりもなくなってきました。もちろん変に遠慮するのもおかしいから一意見としては素直に発言しますが、だからといって僕の意見が絶対だとは思わないで欲しいし、みんなの意見をオープンに出し切ってほしいんです。©gokantaiso.ーーそして何ページにも渡る企画書を作ったり、クライアントありきでプロジェクトを進めるといったような論理的な戦略も立てないという。じゃがさん なんかそれって自分に言い訳しちゃっているような感じがして。むしろ初期衝動の『これがやりたい!』という熱量のほうが最終的には人に伝わるような気がするんですよ。この場所(ごかんのもり)も実は勝手に園児たちと遊びに入っていたんです。すごいいいところだなぁって。この自然の場にちょっとモダンな建物を建てて園児たちと自然と共生する暮らしができたらいいなと僕の妄想も広がっていって(笑)。そうなると根拠もお金も無いのに、やる前提で友だちとかスタッフに話していったんですよ。©gokantaiso.するとたまたま地主さんのことを知っている人がいたから、むりやり繋いでもらってご提案に行ったら『よく入って遊んでいましたよね』って言われて。すごく謝りました(笑)。結果、とても良い方でここを貸してくださって、いろいろ協力もしてくださることに。さらにその1か月後ぐらいに、資金的にも応援してくださる足長おじさんのような方も現れて。そのときは奇跡的なご縁が2か月の間に立て続けにやってきたので、少し怖くなって『こういうのってドラマでしか見たことがなくて、自分の人生で、いま目の前に起こっていることに現実味が無くて……。僕はだまされているんでしょうか? 』と思わずその人に聞いてしまいました(笑)。ーーこのように戦略的なレンズからではなく、予定不調和な奇跡の連続を通した場づくりを進めながら、日々まわりに生かされているんだと実感しているというじゃがさん。そして最近では、感謝というのは “される” よりも “する” ときのほうが何倍も心が満たされているという感覚が湧いているという。とはいえ、最後は誰かが助けてくれるから大丈夫という甘えの意識が生まれているというのでもない。保育料や月謝を極力抑えながら、いっぽうで、日々取り組む場の質を追求していくことを両立させるという道のりは正直険しい。一週間後の期限が迫りくる資金繰りで駆けずり回ることだってある。また『ごかんのもり』では東京まで働く人のために送迎バスも用意しているが、その経緯をたずねるとそれは全てが持ち出しからのスタートだった。© 2016 gokantaiso.じゃがさん 園が朝の7時半からなので、絶対に会社に間に合わない人がいるんです。その人たちが通えなくなるのは耐えられないなと思って。全然ロジカルじゃないんですよ(笑)。でも、そしたら北海道で中古のバスが見つかったんです。でも納車した初日、駐車場から出る際にいきなり、僕、ぶつけてしまって。園児たちを乗せるスライドドアのほうをガガガガガーッと大きく擦ってしまったもので、バスを待っていた保護者の方たちも不安そうにしてて。僕の運転が危なっかしいということもあって、今はシニアの経験豊富な方に運転をお願いしています。となると人件費はかかるけど、今のところバスの運賃はもらっていない。情熱で突き進んだ結果、金銭的に苦しむこともあります。でも後悔はないっていうか。義務感じゃなくて、心から自分がそうしたいと思ってやることが持続可能な運営の土台を作ったり、長い時間はかかったとしてもサポートしてくださる人たちの共感を積み重ねていけるのだと確信しているから。僕自身もすごくシビアなことが起こっても、しんどいけどどこかワクワクしている部分もあるんですよ。©今堀洋子上の写真は左から今回のご縁をつないでくれた保育士の増田茜さん、筆者、全田さん、園長でガーデナーである前田朋英さん(右)と『ごかんのもり』の前で。最後にじゃがさんの幸せとはなんだろう?じゃがさん 自分ひとりだけでおいしい三ツ星レストランのご飯食べるよりも、仲間と一緒に頬張るピザってすごくおいしいなって思うんです。それから一緒に話しているうちに落ち込んでいた人がいい表情をしたときは自分も幸せな気持ちになるし、スタッフのことを「最近、子どもができて、デレデレやんかー」と微笑ましく思ったり。なんかそういう感じを僕は求めているんだと思います。©gokantaiso.それが究極的には自分の生きている全てのような気もするし、そのせいかどんどん境界線が曖昧になってきているんですよ。所有とかお金とかの。奥さんはそれがちょっと怖いみたいですけど(笑)。みんながありのままで幸せであれる場を守りたい。だからベースとしてそれぞれが個性と自尊心を持てる場が存在することの大切さを痛感しています。僕は正直経営者的な意識はあまりないんですが、この場づくりが自分の生きる幸せだから無責任にはなれない。苦難の壁の矢面に立ちながら最後は大きな孤独とも向き合いながら決断をしています。保育士業界など全く畑違いのど素人から始めた僕の妄想と暴走にずっと辛抱強く付き合ってくれて、この場を一緒に具現化してくれたチームのみんな。彼らが「結婚したいな」とか「子どもを持ちたいな」とか「こんなテーマにチャレンジしたいな」と思ったとき、つまり5年10年先のことも考えて、彼らの生きがい、生活の保障や雇用環境の改善も常に目指しながら、サービスともビジネスとも違う第三の運営の場としての、子どもたちの暮らしの場を作っていきたいと思っています。SEE YOU!乳がんステージ4で起業した、N HEAD WEAR 中島ナオさんデザインの帽子を被って。もみあげや後頭部に毛があってもなくても気にならない。しっかりと、でも締め付けがなく温かく頭を包んでくれる。守られたような気分になるヘッドウェアは、かぶるとワクワクする! たとえ何かがそれを邪魔したとしても、毎日を楽しく過ごしてほしいというナオさんの願いとエネルギーが心と体に充満していく製品です。こちらのインタビュー記事は近日greenz.jpで掲載されるのでそちらもチェックしてもらえると嬉しいです。
2018年06月06日私筆者土居彩は14年間勤めたマガジンハウスを辞めて、まずは幸福心理学を学ぶためにアメリカへやってきました。英語も心理学もわからない私に奇跡が重なりバークレー大の研究室で学ばせていただいたり、街のさまざまな人に助けられ3年が経ちました。その大好きなバークレーを離れて、住所を持たない生活を始めることにしたんです。そのきっかけは大きくふたつあるのですが…...。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、こうなった。】vol. 71みなさんこんにちは!突然ですが、カリフォルニア大学バークレー校・心理学部で学ぶために長らく住んでいたカリフォルニア州のバークレー市を離れ、しばらく住所を持たない生活をします。ところで現在バークレーで住んでいる家は8人でシェアしています。ということもあってカルマを作らないために(笑)、次に私の部屋に住む人を責任持って決めてから出て行くことにしました。まずバークレー大の学生が利用するFacebookグループFree & For Saleで募集し(見よ、この私のテンションの高い投稿を! アメリカヴァージョンです笑)、すべてのやりとりを窓口となって行い(私の部屋は相場から考えると激安だったので、毎日何十通とFacebookメッセージが)オープンハウスをして一人ひとり面接し、契約まで立ち会って……。そしてついに次の入居者が決まりました! いい人が決まって、今はホッとしています。ハウスマネージャーもいまだかつてここまで徹底的にやってから退居する人がいなかったようで、「ものすごい、助かったよ!!」と笑顔で感謝され、最後に握手。どことなくクールでシャイな彼の笑顔を見たのは8か月間ここに住んでこれが初めてだったので、「やってよかったな」と心から思いましたね。自分の行き先はまだ決まらないけど、とりあえずは立つ鳥跡を濁さず!“ホームレス” を選んだワケ。さて大好きなバークレーを出て、住所を持たない生活をしてみようと決めたきっかけは、大きくふたつあります。ひとつめは、ヴィパッサナー瞑想合宿でボランティアをしたこと。12日間朝の5時半から夜10時まで80人分のご飯を作ってセッティングしたり、先生に食事を届けたり、合図の鐘を鳴らしたり、ダイニングホールやキッチンを掃除したり、生徒のみなさんのお問い合わせに答えたりしていました。男性と女性がわかれて奉仕するというルールがあるのですが、女性のキッチンサーバーは私ひとり。かなりの肉体労働だったので、肉体的にも精神的にも追い込まれました。ゴミ出しの合間に見る美しい風景にどれだけ救われたことか。©Tony Antonio Nateraとはいえ実は2日目の朝まではもうひとり女性サーバーがいたんです。彼女はメインディッシュを作るけれど、生徒さんが助けを求めてベルを鳴らしても一切応えない。皿洗い、ダイニングホールやキッチンの掃除といった後片付けはせずに、自室に帰ってしまう……という人で。キッチンマネージャーには愛想を振りまきますが、他の人たちを強い命令口調で、アゴで使うところもあって。5人の男性サーバーのうち3人に至っては「耐えられない」「気分がすぐれない」とキッチンに出てこなくなってしまったんです……。いまだかつてここまでの強烈キャラ、会ったことないよ!存在を含めて全否定される。そこで思い切って彼女に直接話してみました。心を込めて話せば、理解し合えるはず。「私ひとりでは力不足でできないから、できれば、後片付けを手伝ってくれないかな」と。すると大激怒されたのです。「私は奉仕の経験があなたよりもあるのよ! 今後バカなことを言ったり、質問したりするのもやめてちょうだい。私はキッチンでは聖なる沈黙を実践しているの。あなたの存在はその妨げになるのよ」と。ガーン、言った言葉だけじゃなくて存在を含めての全否定だよ。これからの10日間どうやっていこうかと思い悩んだ末、先生にインタビューの時間をもらいました。彼女の貴重な時間にわざわざ愚痴を聞いてもらいたいわけじゃないし、ありのままを正しく見るというヴィパッサナー瞑想を実践する人の前で自分を正当化するほどアホらしいこともありません。そこでゆっくり座って呼吸を整えてから、「どうやったら思いやりを持って働けるのか、そしてそれをどうヴィパッサナー瞑想に落とし込んで捉えたらいいのでしょうか?」とシンプルに質問します。自分の内面を整えると、世界が変わる。すると先生が言います。「山積みの仕事に追われて心がせわしなく落ち着かなかったり、人の心ない言葉や理不尽な態度に怒りや憤りを感じたりしたら、まずあなたの感覚を感じてみて。それは熱さ、冷たさ、硬さ、重さ、それとも麻痺した感じ? 今のあなたは実際にどう感じているの? 手と足は神経系が多く走っているから、感覚を捉えやすいと思うわ。そうやって感覚を研ぎ澄まし、加工したり抑圧せずに今そのままの感覚を受け入れていくとしだいに思考が洗われてきます。あなたの内側がクレンジングされていくと、おのずと外側の環境も癒されていきますよ」。大興奮して、「キッチンにいてもヴィパッサナー瞑想の実践なんですね! さっそくやってみます」というと先生がにっこりと微笑みます。「それからこれも大切。夜の慈悲の瞑想では、まずあなた自身に優しい気持ちを贈ってあげてね」と言われました。休憩時間を終えてキッチンに入り、「あの人またサボっている」と意地悪な感情が沸いたらそれを否定せずに受け止め、野菜を切る手の感覚に集中。「で、私なんで人生の瀬戸際にここでひたすら掃除しているんだろう?」と疑問を抱いたらそれを受け止めつつ、ほうきで床のごみを集めることだけに向き合ってみる。ティク・ナット・ハン師と過ごしたマインドフルネス瞑想合宿での実践を思い出します。そんなふうに過ごしているとマネージャーから彼女が合宿所を出て行ったことを知らされます。その後はより少ない人数になったことで、本当にみんなで助け合いました。助けられ続ける喜びと、その辛さ。実は女生徒さんのなかに塩を含んだものが一切食べられないという人がいて、彼女のためにスペシャル食も作っていたんです。いつものように彼女に食事を届けると、「ただでさえ忙しいあなたに余計な負担をかけてしまって、罪悪感を感じるわ」と言われてしまいました。「とんでもない! お役に立てるのは私の喜びなんですよ」と答えるけれど、彼女の心の痛みが伝わってきます。ただただ世話になることを受け入れるというのはとても有り難いいっぽうで、辛くもあるのです。会社を辞めてからそれを体験し続けてきたので、今はすごくよくわかります。実は彼女から食事の後の掃除を手伝いたいと何度か言われていたんです。でも生徒さんは瞑想に集中する必要があるので、お断りしていました。でもこの状況では何が正解なのかがわからない。そこでこのセンターに長らく住むという先生に相談してみることにしました。すると「彼女が心から手伝いたいというのなら、そうさせてあげなさい。昔センターは今ほど大きくなくて、普通の家のガレージだったんだよ。当時は奉仕する人間もすごく少なかったから、それこそこちらから頼んで生徒さんに手伝ってもらっていたんだ。だからそれが本当に彼女がしたいことなら、手伝ってもらいなさい」と。彼女がテーブルを拭きだすと、今度は無言で料理を一緒に片付けだす女性も現れて……。本当にいろんな人に助けてもらいました。女性側の先生をアシストする瞑想マネージャーのジェイも頻繁にキッチンに立ってくれました。歪んだモノの見方、誤解に気づく。今まで自分は人を頼るのが下手な人間だと思い込んでいたんです。頑張りすぎてしまうと。でもあるときテーブルを拭こうと清潔なクロスを取ったときに気がついたんです。「これをきちんと洗って乾燥機にかけて、畳んでここにおいてくれた人がいた。だから、私はこのクロスでテーブルを拭けるのだ」と。私の努力や頑張りは全て、必ず誰かの支えのもとで初めて成り立つことにようやく気がついたのです。ひとりぼっちで戦っている気分でいたとしても、何もひとりではできないのです。サポートを受けている自覚がなくても、生きるということは必ず誰かに助けられているということ。それを体験を通じて腹に落とした瞬間、言いようもない感謝の気持ちと、世界と自分に対する絶対的な信頼感が胸の奥から熱いエネルギーのような形で湧き上がってきて…。その力に圧倒され、もっと謙虚にならなければと思いました。そして自分が無意識に設定してきたコンフォートゾーン(自分が心地よいと思う領域)を超えたいと感じたのです。エネルギーヒーリングの世界。もうひとつのきっかけは、瞑想合宿から帰ってからのこと。バークレーの街を歩いているとどうしても気になる店があって入ってみたんです。『The Wisdom of Heart』という名前のお店で、ああいう経験を合宿でしたばかりだったので店名も気になって。中に入るとエンジェルカードやペルーの神木のパロサントを用いたお香、セージのスプレーなどが販売されています。するとオーナーらしき男性からまっすぐな目で「もしよかったら、これを受けに来なさい。初回は無料ですよ」と一枚のカードを渡されます。それはエネルギーヒーリングのセッションカード。©The Wisdom of Heart実はアンアンやハナコで編集者をしていた頃からエネルギーヒーリングやボディワークには興味があって、そういった特集を編集させてもらったり、さまざまな施術も受けてきました。けれどもアメリカに来てからはちょっと封印していたところがあって。ひとつは経済的な理由です。そして “スピリチュアル” とされるものの科学的な根拠をまずは学ばないと、広く深くは伝えられないはずだ、と意識的に遠ざけていたところもあります。そのうえヴィパッサナー瞑想を始めたことでプラクティスの方向性が異なる部分もあって中断せざるを得ないところもありました。©The Wisdom of Heartけれど、これも何かのご縁だとエミリオ(カードを渡してくれた男性。写真上)のセッションを受けてみたんです。彼はペルーのクランデロ(ラテンアメリカ土着の男性精神治療医、祈祷師)の末裔で、レイキ、エンジェルヒーリング、ビオマグネティスム、フラワーエッセンスなどさまざまなエネルギーワークも一緒に用いてヒーリングをしていきます。セッションの後で、これはすごいとわかりましたね。頭の中のザワザワが止んで、からっぽになるんです。ヴィパッサナー瞑想合宿8日目の夜にいつも抱くあの感じです。もっとわかりやすく言えば、夢の記憶がない朝、目覚めたばかりのちょっとまどろんでいるときのような感覚でしょうか。今の私は将来に対する不安でいっぱいなので、いつもどこかしら未来への漠然とした恐れとともにあります。ところがセッションの後はそれがスカッと飛ぶというか。抱えていた問題などがある意味どうでもよくなって、「なんとかなる」という世界と自分に対する絶対的な信頼感が増すんです。ちょっと危ないですか?(笑)。エミリオが言うには、自分は何も教えていないし、何も加えていない。ただ、私本来のエネルギーに戻るための手助けをしているだけだと。彼自身自分のことをヒーラーだとは捉えておらず、みんなそもそも自分自身を癒す力がある。自分は彼らのヒーリングの過程を助ける友達だよ、と。ではそれを踏まえると、そもそもの私は、根拠のない自信と好奇心が強い、ちょっとクレイジーな人間なのかもしれませんね、苦笑。「今後続けて行く場合はどれくらいの費用がかかるのですか」とたずねるとセッションは90分で$60〜100。その人の経済状態に合わせて一緒に決めていくのだそうです。非常に良心的な施術料です。それでも今の私には払えない。そこで「あなたのやっていることを考えるととても良心的な金額だと思います。すごいパワフルなのもわかる。今の私には難しいけれど、違った状況でいたら絶対に受けていたと思います」とお返事すると、エミリオは全部わかっている。「実は新しいヒーリングの技術もみなさんに届けたいと思っていて、その体験をして率直なフィードバックをくれる人が必要なんだ。週に二度、何度か受けてもらって、正直な感想や体験を教えてくれたら、研究の治験者のような形であなたに無料セッションをしばらく受けてもらいたいと思うのだけれど」と私が受け取りやすい形で助けることを申し出てくれたのです。私の答えは当然、イエス。そしてエミリオに「セッションで心をオープンにして、前に進むために自分を信じられるようになりたい」とリクエストしました。2度目のセッションの後でしょうか。「バークレーを出よう。旅に出よう」と強く思って、ハウスマネージャーに退去の意志を申し出ました。行き先も決まっていないのに、出るってどういうこと? 頭で考えてもわかりません。でもこれは瞑想中にも何度も思ったことと同じで、勇気が持てずに決められなかったこと。エミリオのセッション後には、その直感を信じてみようと強く思ったのです。直感を信じると、扉が開きだす。とはいえ「決めたはいいけど不安だな」と4度目のセッションを受けた後に「セッションルームを掃除させてもらえないか」と、恐縮するエミリオに頼み込みます。ギブアンドテイク信仰が染みついている私には、無償で与えてもらってばかりではエネルギーがうまく循環されない気がしたからです。すると掃除を終えて店を出た直後にエサレン研究所から連絡が。エサレン研究所とはスタンフォードの卒業生二人が始めたエッジィなスピリチュアルセンターで、雑誌ブルータスでCEOの方を取材させてもらったこともあるのですが、あいにくの天候不順で道路が閉鎖されており(太平洋を臨む崖の上にあるので)、当時訪ねることができず苦い思いをしました。振り返ればアンアン編集部に在籍していたころ、8年ほど前でしょうか。山川紘矢・亜希子ご夫妻に取材させていただいたときにも「あなたはエサレンに行ったほうがいいよ!」と言われたことがあったっけ。エサレン研究所へ。そこでバークレーを出ると決めてすぐ、働きながら1か月間住んで勉強するというプログラムがエサレンにあったので、志望動機エッセイなどのアプリケーションフォームを提出したのです。ところがエサレン側からの返事がこず、うなだれていました。それが無事に受け入れてもらえるとの連絡だったんです。そこでとりあえず1か月間は行き先が決定! あとは依然として真っ白ですが、笑。エサレン研究所で学ぶのは、生活のバタバタや人間関係のアレコレのなかでも体感覚を鋭くして体の声を聞きながらプレゼンス(存在感)を高め、自分の内側の声を聞く方法。驚くことに、これはエミリオから言われていた私の課題ズバリ。つまり「思考だけで人生をコントロールしようとする傾向があるね。体には独自の叡智があって、いつも私たちに語りかけているんだ。それを私たちは無視しがちだけど。だから肉体感覚ともっと繋がってみると驚くことが起きるよ! 体の声に注意を傾け、聞いて、対話し、感謝を示してみて」とずっと助言されていたのです。エミリオのエネルギーワーク中に、思考と感情のブロックが取り払われると、物質ではないもののはずなのに何か石のようなものが胸の真ん中から動いていく感覚がしたり、呼吸を用いて体のエネルギーを巡らせていくと、いつも冷たい手先足先がびっくりするほど熱くなっていくのを体感して、「すごい!」と感動していました。アメリカに来てから大学や研究機関の自然科学の世界では真理を追究するうえでの客観性の重要性を学び、計測、計算できるものだけを現実と認めると教わってきました。でも、それはあくまでも現実の一部。もしかしたら一番重要な部分ですらないのかもしれません。点が線になり始める。少しづつではありますがバラバラだった断片が繋がり始めました。バークレー大学では心理学の基礎と自分のなかに強いアカデミックコンプレックスがあったことを学びました。そしてUCSF Osher Center for Integrative Medicineという研究機関で体内感覚と感情の繋がりについての研究のお手伝いをしたきっかけで、ヴィパッサナー瞑想やマインドフルネス瞑想の世界により深く入りこんでいって。その結果、感覚を鋭くすると信念体系が変わって外側の現実も変わることを実体験。エミリオのエネルギーワークではその感覚をエネルギーレベルで捉えることを経験させてもらいました。次はそれをどう実生活に落とし込んでいくかをエサレン研究所で学んでいく……。まだまだいろんなことが起こりそうで、ワクワクします。もっと言えばマガジンハウスに採用してもらってアンアン編集部で働いていなければ、今ここでこんなふうにみなさんとお話することもできなかったでしょう。全ては意味があって、ベストなタイミングに必要なことが起こるのだなと強く思います。それにはいいことも一見悪いこともあります。今後住所も持たないし行き先もはっきりしない。正直不安です。でも不思議といずれ全てが繋がって全体になるときがくるのだと信頼しています。SEE YOU!©Tony Antonio NateraInformationエミリオさんの詳しいインタビューはOur Giftismでも!『The Wisdom of Heart』
2018年04月07日私筆者土居彩はアンアン編集者時代に14年間勤めたマガジンハウスを3年前に辞め、まずは幸福心理学を学ぶためにアメリカへとやってきました。奇跡が重なりバークレー大の研究室で学ばせてもらったり、街で暮らすさまざまな人々に助けてもらいながら"幸せ”について教わり続けています。さてアフルエンザとは、豊かさ(affluence)とインフルエンザのかばん語(混成語)で、”もっともっと欲しい病” のこと。私も心の穴を埋めるために物を買い続けていました。この病を癒やした結果、しだいにホンモノの喜びや本当の願いが見えてくるとか。その方法と私の体験をお伝えします。写真/文・土居彩【土居彩の会社を辞めて、サンフランシスコに住んだら、こうなった。】vol. 70“40歳独女”という言葉には、一定のイメージがあると思います。おそらくポジティブな印象よりも、同情を誘ったり、「痛いんだろうな……」と感じさせたりとネガティブなもののほうが多いんじゃないでしょうか。実際に私もそうでしたし、今でもまだこの言葉がタイトルに使われると正直少し嫌な気分になってしまいます。私がそうだったのは “こうあるべきだ” という世間一般の既成概念からズレているとダメだ、という考え方が自分のなかにあったからで。つまり「40歳の独身女性だったら、もっとちゃんと稼がなくちゃ」「パートナーがいないのは偏屈だから?」「親になったことの無い自分は未熟だ」など、人との比較のなかでしか自分という人間が誰なのか、何が自分にとって大事なことで、何が自分の幸せなのかがわからなかったからです。世間が考える幸せが自分の幸せのはずだと、そう信じ続けていたんです。アフルエンザ(Affluenza)という言葉があります。それは、豊かさ(affluence)とインフルエンザのかばん語で、”もっともっと“ と物質的な豊かさを執拗に追い求めて、使いすぎや負債、不安、無駄遣いに陥ってしまう社会的感染症のこと。ひらたく言えば、”もっともっと欲しい病” です。このアフルエンザには、物質的な豊かさが幸せの中心にあるいう考えが根底にあります。私は洋服やアクセサリーが好きです。といっても今持っている全ての衣服は10着ほどで、スタメンはこの布バッグとポシェット。スウェードのミニポシェットはBAGGUというカリフォルニア発のブランドのもので、どんな洋服ともよく合うのでとても気に入っていて、持つとハッピーな気分になります。日本で編集者をしていた頃は今とは全く違って、月に10着ぐらいは新しいものを買っていたのではないかと思います。装いに気を遣っていたのは服が単純に好きだったり、会社や雑誌のイメージを損なわないようにというプロ意識ももちろんありました。けれども、クローゼット一杯の高級衣服やバッグのなかにはタグがついたままで一度も着ていないものもあって、自分の心の底にある穴を埋めるためにオンラインショッピングで流行のものを買い続けていたというのも事実。お金を稼いで物を持つという成功概念に完全に囚われていたんです。振り返ってみれば、当時の私もアフルエンザにかかっていたのだなと思います。心理学者によると私たちがアフルエンザにかかってしまうのは快楽順応(hedonic adaptation)のせいだとか。つまり私たちは感覚的・生理的変化に適応するようにできているので、結婚、転職、異動、またはショッピングなどでいっときの幸せを感じたとしても、しだいにそれに慣れて幸福感も薄れ、気づけば当たり前になってしまうというのです。その結果、“もっと、もっと” と新しい刺激(快楽)を求め、永遠に幸せに到達できないゴールのないトレッドミルを漕ぎ続けることに。幸福心理学の権威である社会心理学者ソニア・リュボミアスキー教授は、この快楽順応には二人の犯人がいると考えています。ひとり目は上昇願望。ファストファッションの世界では一年は4シーズンではなく、52シーズンもあるのだといいます。つまり新しいアイテムを買っても1週間もすれば流行に遅れている気分にさせられてしまう仕組みになっていて、「もっともっと欲しい」気分に拍車がかかります。ガジェットなんかもそうですね。新しいバージョンがでると古いものはとたんに値段が下がって、やがて見向きもされなくなります。私の例を出すと、学生生活を送っていた昨年は認知症の女性の家に朝食のお世話と交換で居候させてもらっていました。庭への通路も兼ねた部屋だったので、プライバシーはほぼゼロ。いっぽうで今は家賃を払いながら7人のハウスメイトと一軒家で暮らしています。この部屋は、個室に鍵があるので入ってしまえば自分ひとりの世界。写真の家具はすべてスリフト・ストアという古着や家具を寄付で集めて再販し、収益を慈善事業にあてるという小売店で買いました。あやうくホームレス寸前だったので、部屋が見つかったときは天にも昇る気持ちでした。ところがバスルームに隣接しているために深夜、早朝に関わらず誰かがシャワーに入るたびに部屋が揺れるほどの騒音が。共同のバスルームは大惨事で、ハウスメイトのクマ柄のトランクスが脱ぎ捨てられていることもしばしばです(笑)。「あぁ、自分の清潔なバスルームがある、静かに集中して資料を読んだり文章が書ける部屋に越したい!」と切望しながらも、そういう場所に引っ越せたらまた何か新しい欲求が出てくるのだろうなと。「足るを知りなさい」と自喝しつつも、以前東京で暮らしていた頃の生活を懐かしんだりして。でも洋服の例で考えてみると、実際は多くのものがなくても案外平気なものです。そもそも洋服を減らすつもりは無かったのですが、部屋にあるのは80cmの収納スペースのみ。必要に迫られて減らし続けていくと、結果本当に着たいものがわかってきたり、朝の準備も格段にスピードアップ。今もこの部屋で暮らしながら、自分が譲れないポイントが何かを見つめ直しています。ちなみに家の話で言えば、家賃が恐ろしく高い私が住むベイエリアでは、こんな組み立て式の移動ハウス・Tiny House(タイニー・ハウス。小さな家)で暮らすミレニアル世代(1980〜2000年頃に生まれた人々)が現れ始めました。家賃のために働くばかりの生活から、少し働いて楽しめる人生を送ろうという新しい価値観の人たちが登場してきたのです。アフルエンザの二人目の犯人は、人と自分を比べること。このところ瞑想合宿で一緒になった女性からしばしば電話がかかってきて、“40歳を目前にした漠然とした不安”について延々と語られ、毎日の不満をぶちまけられるようになりました。このあいだも「就職先が決まったけど、最高とはいえない」という話だったので、「ひとまずおめでとう! 希望して転職したということだけど、前に働いていた場所と比べたらどうなの?」と聞くと、前よりは好条件だけど、歯科衛生士の自分は歯科医と比べるとみじめな状態だと。話題は変わって彼女のフィアンセのことになり、花束が家に飾ってあったのでサプライズ的な贈り物かと思って感激したら、「それは隣人のお葬式のために用意したものだよ」と言われ、「1か月ぶりの再会で、それって、酷くない? 別に何かギフトが欲しかったってワケじゃないけど」と、彼への不満が延々と……。30分以上愚痴を聞き続けた後、「まず仕事のことだけど。私は働くためのビザが無いから、アメリカでは就職できないの。だからアメリカで働けるあなたが羨ましいわ。私の今の生活費は貯金を崩しながら、あとはたまに書く原稿料でまかなっている。それから、お隣のお悔やみ用に花を用意する彼って素敵じゃない。というワケであなたの論理でいうと、私って最高にみじめってことになるって気づいていた? あなたよりも年上で、稼げず、パートナーもいない。確かに8人暮らしで、ヒドイ状態で暮らしている。ところがどっこい、今の私は幸せなの。これは自分でも予想外だったんだけど。伝えたいことを書いて、それを誰かが読んでくれるって素晴らしいことだから。あなたは何を一番大事にしているの?」とストレートに聞いたんです。彼女はしばらく無言になったあとに、「彼と旅行に行きたい」と一言。「だったら旅のプランを立てなきゃね!」と言って電話を切りました。実体験から「もっと〜でなくちゃ」という思考がなくなると、自分にとって本当に大事なものに段々と気づけるようになってくると感じます。でもそれは周りの人から見ると、うまくいっていない状態だったり、変わり者に見えるかもしれない。だから、そこは踏ん張りが必要です。なぜなら私の場合「でなくちゃ」が叶った先にあったのは、案外ホンモノの願いや本当にやるべきことじゃなかったりしたので、これからは自分の人生にしたいなと思うからです。「でなくちゃみこし」をワッショイ!ワッショイ!と担いでいた私にとってある意味、40歳になったことは緊張が解けるターニングポイントになりました。というのも昨年から今年にかけてでしょうか。ちょうど周囲の友人たちがラストスパートの出産ラッシュを迎えたんです。彼女たちを祝福し続けるうちに「もう子どもを持つ人生は私には無いかもな。親に孫の顔を見せてあげたかったし、私も欲しかったけど……。ま、それもアリかな」と自分なりの生き方を受け容れられるようになってきたのです。バークレーのスピリチュアルセンターでスワミ(インド哲学の先生)が「私たちの本質は、肉体でもなく思考でもなく感情でもない」と無償で教えてくれたり、サンフランシスコのコーヒーショップで作家のジェイに突然話しかけられて「本当の答えは外側ではなく、あなたの内側にある」と言われたときは、わかったようなわからないような状態でしたが、今はなるほどなと思います。とはいえ、心はどうしても揺れ動くものなので、頭ではわかっていても「今のままの自分でOK」といつも行動できるかどうかはまた別の話。だから今でもかなりバカな考えにトラップされることもあるけど、前よりはだいぶマシになったように感じます。だから、今実際になってみれば40歳独女っていうのも、そんなに悪いものじゃないですよ、フフフ。スワミのお話記事はこちらをどうぞ。作家ジェイのお話記事はこちらをどうぞ。アフルエンザ予防のためにと極端に走って消費活動全般がいけないこと、と一切のショッピングを断っていた時期もありましたが、それも自然な私じゃない。なにごともやりすぎは禁物です。だから今は本当に必要で、着ていて自分らしく幸せな気持ちでいられるものを少しずつ買い足しています。物を増やしすぎて身動きが取れなくならないように、ひとつ増やしたらひとつ手放すという作業を繰り返しながら。先日はもはや継ぎはぎだらけになるまで愛用していたYAECAのオックスフォードシャツが着るたびビリビリに破れてしまうので、ついにXiRENAというLAをベースにしたブランドのシャツと世代交代。日本の桜を思って、淡いピンク色を選びました。もうしばらくすれば、日本はいよいよ満開の桜でしょうか。みなさん、私のぶんまで楽しんでくださいね!SEE YOU!
2018年03月16日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま。ファッション・クリエイティブ・ディレクターの軍地彩弓です。最近、さすがに衰えを感じるのは鏡を見ている時。ほほの法令線、たるんだ輪郭。とほほ・・・。鏡を見ていると、やはり年齢と重力は正直だなーと思う日々です。私がよく疲れた時に駆け込むサロンがあります。仕事場に近く、さくっとマッサージをしてくれるところが気に入っています。先日もそこでマッサージを受ける時「ショルダー&ヘッドなら20分でできますよ」とおすすめされました。「特にヘッドマッサージは効きますよ」とのこと。マッサージを始めると大きく頭全体を包み込むように揉みほぐしてくれます。「かなり頭がこっていますね。お疲れがたまっているみたいですよ。頭皮が固くて、なかなか動かないので。ゆっくりほぐしていきますね。」頭の中は柔軟なつもりでしたが(笑)、頭皮が固いとは!「頭皮が固くなると、頭全体の血流が悪くなっていて、顔色もくすむんです」とのこと。最後には肩に溜まったリンパを流してもらって20分で終了。起き上がると、明らかに肩から頭が軽くなっているのです。すごい効果! そして、目尻がきりっと上がったような感覚になります。鏡を見せてもらうと明らかに目がぱっちりとしている印象。不思議な事に、目がぱっちりする事で、世界が明るくなりました。当たり前ですが、顔の延長に頭皮があります。むしろ、頭皮の中に顔があると言ってもいいくらい。その時はっきりしたことは、皮膚一枚でつながっている頭皮の健康がそのまま顔の健康につながっているということです。私たちはどうしても顔そのものに気を向けがちです。なぜなら頭皮は自分にも人にも見えない場所だから。だけど、顔を頭の一部と認知すると、ケアの方法も変わっていきます。この話を聞いてから、シャンプーをするとき、自分でも顔をマッサージするような気分で、ゆっくり頭皮をほぐすようになりました。 年齢と共に頭皮自体が薄くなると言われてます。若い頃の元気な髪も引き締まった顔も、実は顔の肌だけでない、頭皮の健康の賜物だったのですね。年齢を重ねて改めて知った頭皮の大切さ。きちんとつきあえば、ちゃんと効果があることも実感。仕事と子育てで忙しい日々の中でちょっとずつ自分を愛してあげる、丁寧に自分をメンテナンスすること。顔主義から頭皮主義へ。これも自分のシフトチェンジのひとつなんです。次回も、わたしの経験を元にしたファッションや美容にまつわるコラムを書いていきます。みなさん、ぜひ読んでくださいね。 必見!輝き続けるオトナ女子が注目する「自分に合ったヘアケア」とは?>>> [PR]アンファー株式会社
2017年01月11日ウーマンエキサイトをご覧のみなさま、はじめまして。ファッション・クリエイティブ・ディレクターの軍地彩弓です。軍地彩弓(ぐんじさゆみ)講談社「ViVi」でファッションライターとして活躍後、 雑誌「GLAMOROUS」の立ち上げに尽力。ファッション・ディレクター として新しいアラサーブームを巻き起こす。さらに「GQ JAPAN」 「VOGUE GIRL」の創刊と運営に携わる。2014年より「Numero TOKYO」 ディレクターに就任。同時に(株)「gumi-gumi」を立ち上げる。 フジテレビ系ドラマ「ファーストクラス」の衣装監修や、情報番組「直撃LIVEグッディ!」のコメンテーターなど活躍は多岐に渡る。私の元アシスタントのRちゃんは、お肌がつるつるで人気者です。20代前半、彼女のほっぺは、ぷるんと指をはじき返すほどの弾力でした。その彼女が27歳になったある日「昔みたいにもうぷるぷるじゃないんですよー」とつぶやきました。いつの頃だったでしょう。「お肌の曲がり角」という言葉が使われだしたのは。昭和の頃、それは25歳と言われていました。10代の頃の弾力があって、しわがなくて、くすみのない肌をピークとすれば20代はすでに曲がり角第一期なのかもしれません。それは35歳のある日でした。フランスのボルドーを旅して、ワイン&美食三昧して帰った数日後、鏡に写った自分を見て驚きました。「く、くびれがなくなっとる!」それまではいくら食べても、次の日にはけろっと元に戻っていたのに、この日を境にまったく戻らない。思えばこれが私の“加齢記念日”となりました。ホルモンのバランスが変わり、代謝が急に落ち、しかも日頃の運動不足も相まっておばさん体型まっしぐら。そして、それと同じ頃、髪にも変化を感じ始めました。ほとんど染めていなかった自慢の黒髪がなんだかぱさつく。シャンプーにこだわらなくても艶があった髪が、急にまとまりにくくなる。これも同じ35歳の頃だったと思います。髪はその人の印象を大きく左右します。肌や体型の変化は気付きやすく、クリームや服を変えることでごまかせます。しかし、髪の衰えはなかなか気付きません。艶のない毛先、生活感がある後れ毛、寂しい頭頂部などは、あなたを老けた印象にするのです。「加齢は対岸の火事ではない。」遠くにあると思っていた老化の岸辺が急に迫って来る。髪はそのバロメーターです。加齢とは、自分が20代の頃に描いていた理想の自分が変わり始めることです。精神年齢はいつまでたっても成長しないのに、体内の時計は無情にも「カチカチ」と秒針を進めていたことに気付くこと。仕事も恋もいろんなことに夢中だった20代を過ぎ、30代もそのまま行けると妙な自信があったのに、急に突きつけられる現実。若さという道具には期限があります。35歳は髪の曲がり角。それと同時に女の曲がり角。職場でもベテランと呼ばれだしたり、子育てで忙しい毎日を過ごされる人も。35歳からは、若さの看板をはずした自分の本当の価値が露呈してしまいます。うまくシフトチェンジできるかどうかが、これからの人生を左右するのです。次回は、わたしの経験を元にしたファッションや美容にまつわるコラムを書いていきます。みなさん、ぜひ読んでくださいね。 必見!輝き続けるオトナ女子が注目する「自分に合ったヘアケア」とは?>>> [PR]アンファー株式会社
2016年12月20日モデルの朝比奈彩が30日、東京・新宿の福家書店 新宿サブナード店で最新写真集『彩だらけ』(発売中 主婦の友社刊 2,484円税込)の発売記念イベントを行った。2015三愛水着イメージガールに選ばれて一躍注目を集めた朝比奈彩。現在はファッション誌『Ray』(主婦の友社)の専属モデルやバラエティーなど幅広い分野で活躍している。そんな彼女の記念すべき1st写真集は、7月にタイで撮影。水着姿はもちろん、現役モデルとしては極めてレアな下着姿を披露するなど、意欲に充ちた1冊となっている。黒のセクシーミニワンピ姿で自慢の美脚を報道陣の前で披露した朝比奈は「表紙がバニーちゃんだったので黒の衣装にしてみました」とファッション解説し、初めての写真集を手にしながら「やっと写真集が出せたなとホッとしています。1st写真集ということですごくこだわりました」と自信。内容については「どこをめくっても"彩だらけ"で、色んな表情が見られると思います」と紹介しつつ、初めて披露したというランジェリー姿は「23歳にもなって大人になったし、水着だけというか新しいことにチャレンジしたかったので今回はランジェリー姿になりました。やっぱり恥ずかしさはありましたが、カメラを向けてもらうと恥ずかしい気持ちもなくなりましたね」と胸を張った。好セールスを記録している同写真集は、発売日に重版が決定。「多くの方に見てもらえる機会が増えたのでうれしいです」と満面の笑顔を浮かべながら、今後の活動については「モデルを軸にしながらバラエティーやグラビアなど幅広く活躍できたらと思っています。いずれは演技とかにも挑戦したいので、そういう機会をいただけたらちゃんとできるようにレッスンを積み重ねて頑張っていきたいと思っています」と意欲を見せていた。
2016年10月30日母として妻として、仕事では責任ある立場として。朝から晩までフル稼働なはずなのに、なぜか魅力的に映る女性がいます。そんな気になるあのヒトの「きれいの裏舞台」に迫ります。第2回は、Instagramのフォロワーが10万人を超える、人気ダイエットアドバイザーの彩帆里さん。ご自身がマイナス20kgの産後ダイエットに成功した秘訣を惜しみなく紹介したところ、フォロワーが急増。半年足らずでダイエット界のトレンドリーダーになったシンデレラレディです。出産を経てなお美しさを保つ、彩帆里メソッドとは? 毎日のタイムテーブルと、忙しいママでもできるスキンケア、ボディケアを教えていただきました。本島彩帆里さん産後ダイエットで−20キロの減量に成功。 元エステティシャン、痩身サロン店長として施術やカウンセリングをし何百人ものダイエットのサポートを経験 結婚 出産をし、産後ダイエットで20Kgのダイエットに成功。体質改善をし、産前より痩せる 経験や知識を生かし、現在はダイエットアドバイザーとしてコラムや自身のInstagramで、ダイエットや美容、料理など情報を発信している。blog: Instagram: @saoooori89 twitter: @saoooori89 お子さん : 子供一人、息子(2歳) 運動など : 自宅でのマッサージや筋トレに加えて、ヨガやウォーキングも食生活 : 和食中心、バランスよく食べる。添加物などの加工品は避けている お悩み : ニキビ跡、太りやすい 2歳の男の子を育てながら、自宅でエステサロンを営む彩帆里さん。家事、育児、仕事をこなしながら美しいボディラインを維持しているのに、一日のスケジュールを見る限り、美容時間を贅沢に使っている感じでもありません。彩帆里さんによると、「スキンケアもボディケアも、続けることが大事。毎日当たり前にこなしている家事や育児のなかに美容メソッドを組み込ませていくと、特別な時間を作らなくてもじゅうぶんキレイになれる」のだそうです。■本島さんの一日(平日)7:00 : 起床8:00 : 朝ご飯などの支度や息子の保育園の準備、送り9:00 : 家事10:00 : 午前中は主に自宅エステサロン業務 ない時は朝ヨガ11:00 : 自宅サロン業務13:00 : 昼食 / コラム執筆や移動、打ち合わせ17:00 : 買い物、保育園お迎え18:00 : 夕食支度、夕食19:00 :お風呂 スキンケア マッサージ 子供と遊ぶ20:00 : こどもと遊ぶ時間21:00 : 子供に絵本をよんであげてから寝かしつけ22:00 : インスタやブログ更新 テレビをみる23:00 : 執筆作業や勉強、読書タイム1:00 : 就寝 たとえば、食事。彩帆里さんがマイナス20kgのダイエットに成功したのも食事の改善でした。食事制限ではなく、必要な栄養だけを選んで摂ると考えたら、ストレスなくヘルシーな食生活にシフトできたそうです。あわせてスキンケアも、必要な成分だけを取り込める、オーガニックコスメにこだわっています。なかでも使用頻度が高いオイル3点を教えていただきました。▼トリロジー ローズヒップオイル「生理前に必ずと言っていいほど肌荒れが起きるタイプなのですが、こちらを使い始めてからはだいぶおさまってくれるようになりました。女性ホルモンが乱れやすい生理前にはとくに欠かせないアイテム。オーガニックなので、お肌への負担を気にせず使えます」▼ポールシェリー リンパハーバルオイル「ボディケアに使っています。むくみやセルライトをほぐしたいときの強い味方。リンパの流れを高めてくれます。マッサージした後や、翌日の足のスッキリ感が気持ちいい! 入浴後のまだ湿った肌に数的たらし、保湿もかねて軽くマッサージしています」▼無印良品 スクワランオイル「フェイシャルマッサージ用に。顔のマッサージはよくするのでコスパも大事。できるだけ皮膚に負担がかからないよう、たっぷり使ってマッサージします。終わった後は、ホットタオルでおさえながらオイルを軽くオフ。肌なじみもいいです」本島さんに「育児中にできるエクササイズ」を教えていただきました!「子どもと遊ぶとき、バランスボールを使っています。子供は純粋に揺れるのが楽しいですし、私は遊ばせながらエクササイズができるので助かります。また、寝かしつけに時間がかかるときは、子どもの横で仰向けになり足を持ち上げて下ろす腹筋運動や、持ち上げたまま足を開いたり閉じたりする内ももを引き締めるトレーニングなどをしています。回数を決めず、その日の調子にあわせて辛くならない程度におこなうと、長く続けられると思います」・トリロジー ・ポールシェリー ・無印良品
2016年05月09日女優の上戸彩が5日、都内で行われた「ムンディファーマ イソジン新CM発表会」に出席した。製薬会社のムンディファーマは、イメージキャラクターに上戸彩を起用した新CM「やっぱりイソジン」編を4月11日から全国で放映。イソジンが導入された55年前の1961年にタイムスリップし、現在に至るまでの様々な時代の家庭で使用されたイソジンに納得しながら、「やっぱりイソジン!」と宣言する内容となっている。春らしいノースリーブのワンピース姿で登場した上戸は「清潔感第一ということで(笑)」と茶目っ気たっぷりでファッション解説。昔から世話になっているというスタッフと撮影したCM撮影について「リラックスして楽しく撮影することができました。CMでは色んな時代が出てくるんですけど、最初の昭和初期では坊主頭の男の子が京都から来てくれました。可愛らしくてお話もしてくれたのでいいスタートになりましたね。私の生まれた1985年のセットもあり、ブレイカーが丸見えだったりこんな洗濯機だったな~と思い出しながら楽しみました」と振り返った。また、自身の体調管理については「やっぱり大切にしていることは、食事でちゃんといいものを食べること。それに私は大きな扁桃腺持ちなので、具合が悪いと思ったら昔からイソジンを使っています。こういうところで言うとわざとらしくて嫌なんですけど、うがい薬はイソジンしか知らなくてずっとお世話になっていますよ。(イメージキャラクターに選ばれて)本当にご縁がありました」と話していた。
2016年04月05日4月27日に発売する、声優・内田彩の2ndライブを収録したBlu-ray『内田彩 2nd LIVE Blooming! ~咲き誇れみんな~』の映像を、ニコ生特番で先行公開することが決定した。放送日は4月6日20時から。同ライブは、2015年12月に有明コロシアムで開催され約7,000人を動員。そのライブ映像を収録したBlu-ray『内田彩 2nd LIVE Blooming! ~咲き誇れみんな~』の発売に先駆けて、4月6日20時よりニコ生特番で一部映像が先行公開される。特番は、内田彩自身が映像を見ながらライブを振り返る内容となっている。また、花の衣装に身を包む内田のジャケット写真も公開された。そして、ライブBlu-ray発売を記念して、購入者を対象としたイベントを東京と大阪にて開催することも決定。さらに、予約者限定の超先行上映イベントも都内で開催されるとのこと。イベントの詳細は公式サイトにて。○『内田彩 2nd LIVE Blooming! ~咲き誇れみんな~』リリース記念イベント開催日時:5月22日、13:00~ サイエンスホール5月22日、16:00~ サイエンスホール6月18日、16:00~ アニメイト大阪日本橋参加方法:対象店舗でBlu-rayを予約・購入時に先着でイベント参加券を配布参加券配布期間:4月2日(なくなり次第終了)参加券配布店舗:5月22日、13:00~ サイエンスホール:アニメイト池袋本店、アニメイト町田店、アニメイト渋谷店、アニメイト秋葉原店、アニメイト新宿店、アニメイト横浜店5月22日、16:00~ サイエンスホール:とらのあな秋葉原店B、とらのあな新宿店A、とらのあな池袋店A、AKIHABARAゲーマーズ本店、ゲーマーズ新宿店、ゲーマーズ池袋店6月18日、16:00~ アニメイト大阪日本橋、アニメイト大阪日本橋、アニメイト天王寺、アニメイト梅田、ゲーマーズなんば○『内田彩 2nd LIVE Blooming! ~咲き誇れみんな~』予約者先着 超先行チアリング上映会開催日時:4月15日、18:00開場 超超先行上映会4月20日、18:00開場 超先行上映会内容:超先行チアリング上映会(ペンライト使用可)参加方法:対象店舗でライブBlu-rayを購入後、先着で参加券配布(なくなり次第終了)参加券配布期間:2016年4月2日対象店舗:アニメイト池袋本店、アニメイト町田店、アニメイト渋谷店、アニメイト秋葉原店、アニメイト新宿店、アニメイト横浜店
2016年03月30日声優、アーティストとして活躍する内田彩の2ndライブの映像を収録したBlu-ray「内田彩 2nd LIVE Blooming! ~咲き誇れみんな~」が、2016年4月27日に発売することが決定した。価格は8,640円(税込)。同ライブは、2015年12月に有明コロシアムで開催され約7,000人を動員。バンド編成のパートではパワフルでロックなパフォーマンスを、本人のみのパートでは情緒豊かな表現力で、会場を沸かせたというステージの感動と興奮がBlu-rayとなってよみがえる。バラード、ロック、ダンスミュージックなど多彩な楽曲も歌いこなすパフォーマンスはもちろん、さまざまな衣装に身を包み登場する彼女の姿や、多彩なライブ演出も必見とのこと。なお、2016年2月に発売したコンセプトアルバム「Sweet Tears」と「Bitter Kiss」のリリースを記念し、全国のCDショップで行われた「ディスプレイコンテスト」では、「HMVイオンモール太田」が優勝。2016年4月24日には本人が同店(または近隣イベント会場)に訪問し、イベントを開催することが決まった。群馬出身の彼女にとって、地元での凱旋イベントとなる。
2016年03月02日彼の親からも好印象間違いないナチュラルヘアといえば、シンプルなのに可愛らしさや大人っぽさも兼ね揃えている「上戸彩風ヘア」。そこで今回は、今人気の「上戸彩風ヘア」をご紹介。■ 上戸彩風ヘア1 気取らない上品さが魅力。表面にレイヤーを入れたボブスタイル。スライドカットで動きと空気感を作ります。大きくしっかりかけたパーマでリラックス感を。カラーは10トーンのオークルベージュで柔らかさをプラス。大人の上品で可愛らしさのあるスタイルです。■ 上戸彩風ヘア2 分け目によって印象ががらりと変えられるワンレングスボブ。クールにもキュートにもカジュアルにもなれるのでいろんなファッションにもあわせやすいのも魅力です。カラーは艶を重視したダークブラウンです。■ 上戸彩風ヘア3 やや強めのランダムなカールで、いつものボブにスパイスを!前髪は流して大人らしさを残します。ウェットな質感でスタイリングすることで今年らしさがアップします。■ 上戸彩風ヘア4 やわらか、ナチュラル、フェミニンを兼ね揃えたスタイルです。全体的に毛先を32ミリのアイロンで毛先ワンカール巻きます。後はアイラインから上の毛束を少し取りアイロンを縦にいれ、ランダムに巻きます。■ 上戸彩風ヘア5 アゴしたから肩の間で重ためにカットした柔らかさと少しクールな両方の印象のでる 『 甘辛MIX ボブ 』です。どんなファッションにも自分に落とし込めるのですごく人気のあるスタイルです。■ 上戸彩風ヘア6 直毛の方は毛先ワンカールのパーマを、くせが気になる方はストレートに毛先にニュアンスをだすパーマをあわせれば再現が楽になります。こてで巻く方は32ミリで毛先ワンカール巻けばきまります、パーマの方は根元からドライし仕上げます。 ■ 上戸彩風ヘア7 顔周りにレイヤーの入ったミディアムレングスのボブです。自然に内巻きになるようにカットし、トップにレイヤーを入れ、軽さを出し重くなりすぎないようにしています。■ 上戸彩風ヘア8 人気のボブの長さのパーマスタイルは、ふんわりパーマで動きを出すのがポイント。立ち上げた前髪で大人っぽい表情に仕上げました。大人可愛さを目指す女性にオススメしたいスタイルです。■ 上戸彩風ヘア9 前髪なしのワンレンボブ大人っぽいおしゃれな感じになりたいひとに!透明感のあるダークカラーで落ち着いた雰囲気に。直毛の方は毛先にパーマをかけると楽になります。■ 上戸彩風ヘア10 黒髪や暗めでも◎セクシーエレガント大人フェミニンなかっこいい系モテ愛されボブ。厚みはあるのに重くない重軽質感。輪郭を隠す長めの顔周りの毛束で小顔効果あり。あなたもこの秋「上戸彩風」のナチュラルヘアで、彼の親にも気に入られる、好印象ヘアにしてみない?来週もお楽しみに。提供:ビューティーナビ編集部 ・美容室検索サイトビューティーナビ
2014年08月29日(画像はプレスリリースより)商品コンセプトに共感!キューサイの、食べるスムージー「Saiby(サイビー)」のPRアドバイザーに杉本彩さんが就任しました。杉本彩さんは、キューサイの販売する、「ケール青汁」を10年以上愛用していて、TVや雑誌で自身の健康法として紹介されていました。そこで、キューサイが杉本彩さんに「Saiby」を試食してもらったところ、「いつまでも若々しく美しく、スタイリッシュであり続けていただく」という、商品のコンセプトに共感され、PRアドバイザーに就任する運びとなりました。杉本彩さんは、「Saibyは可愛くておしゃれ、味も美味しく、7種類あるので、飽きずに食べれる、安心安全なものを口にすることがどれだけ大切かが、年を重ねていくと特に感じるようになり、体の中からケアして美しくなるのが大切だと思います。」と語っています。7色パックで販売「Saiby」は、48種類の果実や野菜の種子や皮の部分まで、可能なかぎりすりつぶして使用、水や添加物は一切入っていないので、30代から40代の美容や健康意識が高い女性から、支持を集めています。内容量は、90g入りが7パック入り、通常価格2,850円(税込み、送料込み)、初回お試し価格は1,900円(税込み、送料込み)となっています。【参考】・キューサイ株式会社プレスリリース/PRTIMES
2014年08月03日※画像は、杉本彩Beautyブログいくつになってもきれいな杉本彩さんも利用する美顔器タレントの杉本彩さんが、オフィシャルブログで自身がプロデュースした美顔器『ララ・ルーチュ』を紹介している。杉本彩さんが必要としている美顔器を作る為、販売会社であるキャネットに無理難題をぶつけながら作ってもらった、と言う絶大な美容効果を投稿している。杉本さんは、モデルやキャンペーンガールを務めたのち、女優としても才能を開花させた。そのほかにもスキンケアブランドやランジェリーブランドを立ち上げるなど、美容やファッションの分野でも活躍。そのスタイルの良さは、男性だけではなく女性からも羨望のまなざしで見られる。自宅でエステサロンと同じ効果を美顔器『ララ・ルーチュ』の効果を伝える為に、施術前と施術後のすっぴん顔も披露。仕事での移動をこなし寝不足の為、お疲れモードでクマも出来た施術前の顔が、施術後には肌の色も明るく、血行が良くなっている。エステサロンでしか味わう事が出来なかったようなコラーゲンやヒアルロン酸などの高分子成分の美容成分もしっかり馴染ませる事が出来る美顔器『ララ・ルーチュ』。エステサロンに行けば、時間もお金もかかってしまうが、自宅で同様のケアが出来れば、気軽に続ける事も可能になる。もちろん顔だけでなく、デコルテや首にも利用が出来る。【参考リンク】▼『ララ・ルーチュ』▼杉本彩Beautyブログ
2013年11月09日学会が贈る「E-ライン・ビューティフル大賞」を受賞女優としてCM・ドラマ・映画と、活躍を続ける剛力彩芽。最近ではCDデビューも果たし、さらに活動の場を拡大している。そんな剛力が23日、もっとも横顔の美しい女性に贈られる「2013年度 E-ライン・ビューティフル大賞」を受賞し、東京都内で行われた授賞式に登壇した。この「E-ライン・ビューティフル大賞」は、特定非営利活動法人の日本成人矯正歯科学会(JAAO)が、広く一般に矯正歯科治療に関する知識をもってもらうことなどを目的に、対外的アピールの一環として設け、1990年から授与している賞で、第1回はピンクレディーで知られる歌手のMIEが受賞している。ショートヘアですっきり横顔美人際立つ?!賞の選考には同学会を中心とした選考委員会があたり、歯並びの良い横顔の美しい日本女性であること、心身ともに健全で総合的なプロポーションもバランスがとれていること、幅広く活躍する著名人であることといった条件に該当する女性の中から、大賞を選出しているという。ちなみに、「E-ライン」とは、美しい横顔の基準としてアメリカの矯正歯科医、Dr.リケッツが提唱したもので、鼻の先端とあごの先端を結んだ線を指し、このラインからの唇の後退・突出の程度が横顔の美しさを決めるとされている。日本人女性の場合、上下の口唇がややE-ラインより内側にあるのが、理想的な美しさにみえるポイントという。今では、ショートカットスタイルがおなじみの剛力彩芽だが、かつては髪も長かった。転機は3年ほど前のドラマの撮影だったそうで、作品のためにばっさり切ったところ、横もすっきりよく見えるようになり、横顔がキレイとほめられることも多くなったという。過去には、彼女の事務所の先輩にあたる米倉涼子も受賞しているということもあって、この賞は欲しかった念願のものだったとか。剛力は自信につながると喜びを語り、いくつになってもナチュラルな横顔でいられるようにしたいとコメントした。【参考リンク】▼日本成人矯正歯科学会▼E-ライン・ビューティフル大賞▼剛力彩芽オフィシャルサイト超絶美肌の持ち主!韓国女優”チェ・ジウ”も虜のエイジングケアサプリとは?(6月16日)えっっ!!すべての酵素がダイエットに効くわけじゃない!?(6月15日)元の記事を読む
2013年06月25日彩は、同社が運営するサイト「彩(IRODORI)」にて、抱き枕、抱き枕カバー、オリジナルクッションのプリントサービスを提供している。プリント可能なものは、イラスト、写真、似顔絵。同サービスでは、イラストや写真を送るだけで、オリジナルデザインの枕や抱き枕、クッションを作ることができる。抱き枕は、等身大又は希望のサイズで製作可能。カバーのみの注文も受け付ける。デジタルデータから出力するので色数は自由。また、製版が不要で、水などにも強い「昇華転写」でプリントするため、洗っても色落ちしないという。印刷の種類は「片面印刷(裏面は印刷なしの白地)」、「両面印刷(裏面はベタのみ)」、「両面印刷(両面同じ絵柄、又は表、裏面が別柄)」から選ぶことができる。料金は、枕(63cm×43cmサイズ)が、片面印刷4,900円、両面印刷6,800円、中身2,500円、抱き枕(70cm×30cmサイズ~)が、片面印刷4,800円~、両面印刷が6,800円~、中身が3,500円~。似顔絵の場合は、別途似顔絵制作代(3,500円~)がかかるとのこと。同社では、長年オリジナルプリント専門のサイトを運営。2年ほど前に抱き枕・クッションプリントに特化した同サイトをオープンした。注文は、そのほとんどがラッピングサービス(500円)を併用したプレゼント用。特に、結婚式で新郎新婦へ渡すプレゼントとしての注文が多いという。また、抱き枕へのイラストプリントは、ほとんどが個人利用のとのこと。【拡大画像を含む完全版はこちら】
2013年03月19日世界的な人気を誇る「シルク・ドゥ・ソレイユ」のパフォーマンスを3Dで映画化した『シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語』のオフィシャルナビゲーターに上戸彩が就任!9月5日(水)に就任会見が都内劇場で行われた。人間の身体能力の限界に迫るパフォーマンスで多くの観客を魅了してきた「シルク・ドゥ・ソレイユ」。今回の映画版では『アバター』のジェームズ・キャメロンを製作に、そして『シュレック』、『ナルニア国物語』のアンドリュー・アダムソンを監督に迎え、ドキュメンタリーではなく、映画オリジナルとなるの物語が展開。未知の世界に迷い込んだひとりの女性の愛の物語が紡ぎ出される。上戸さんは実は、今回の映画化以前に生の舞台で「シルク・ドゥ・ソレイユ」を何度も見たことがあり、実際にバックステージを訪ねたこともあるそう。「舞台裏にお邪魔させていただいて、みなさんがトレーニングしている姿や舞台の仕掛けを見たりしました。ハシゴやジャグリングは実際にやらせていただいたりもしました」と明かす。そんな「シルク」を知り尽くした上戸さんだが、今回の映画について「興奮しました!私のように生の舞台を見たことがある人も、見たことがない人も興奮しっぱなしの映画です」と感想を語る。ずばりその魅力を尋ねると「全てです!」とニッコリ。「衣裳も一つ一つの演目にぴったりだし、みなさん、体が綺麗なので何を着ても似合うんですよ。音楽もオシャレで、アンティークな世界というか、おしゃれなカフェに遊びに来ちゃったような感覚になります」と細部にわたる魅力を語る。ジェームズ・キャメロンにアンドリュー・アダムソンというビッグネームのタッグが実現したが、上戸さんは「私なんか映画に出てないのに、ジェームズ監督と一緒に仕事をしたような気分になってますから(笑)」とおどけつつ、単に舞台をカメラで捉えたドキュメンタリーではなく、ラブストーリーとなっている点について「主人公の女性の目線で物語が進んでいくので見やすかったです。ロマンティックで女性なら誰もが憧れるストーリー。客席からは見られない角度でも撮っているのでスクリーンで観るからこその意味のある映画だと思います」と映画ならではの見どころを熱く語ってくれた。なお、本作は10月の第25回東京国際映画祭のオープニング作品として上映されることも決定!ジェームズ・キャメロンを始め、パフォーマーたちも来日する予定だという。上戸さんは「日本でみなさんと感動を味わえるのはナビゲーターとしては嬉しいです」と語り「グリーンカーペットでシルク・ドゥ・ソレイユのみなさんがショーを見せてくださるというので早く見てみたいです!」とナビゲーターというよりもひとりのファンとして目を輝かせていた。『シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語』は11月9日(金)より全国にて公開。■関連作品:シルク・ドゥ・ソレイユ 3D 彼方からの物語 2012年11月9日よりTOHOシネマズ 有楽座ほか全国にて公開© 2011 Cirque du Soleil Burlesco LLC. All Rights Reserved.
2012年09月05日上戸彩、「EXILE」リーダーのHIROと結婚へ!!12月31日、人気女優の上戸彩(26)が、かねてから噂のあった14人組ダンス&ボーカルユニット「EXILE」のリーダーを務めるHIRO(42)と結婚することが明らかになった。上戸は母親に結婚は春ごろと、報告しているが、契約企業14社を数えるCM女王だけに、新年度の4月を節目に婚姻届を提出する予定だという。HIROとの出会いは10年以上前二人の出会いは10年以上前にさかのぼり、上戸がデビュー前にHIROの知人がダンス指導したのが縁で知り合っており、一昨年夏からの正式交際2年近くでのゴールインとなる。所属事務所社長もHIROの真摯な態度に二人を認める上戸が母親にHIROを紹介したのは、一昨年夏に交際を始めてすぐ、母親は礼儀正しく謙虚で男らしいHIROをすぐに気にいり二人の交際を応援してきたという。また、上戸が結婚の意思をいち早く報告したのは所属事務所社長で、社長も交際が始まった時に挨拶に来たHIROの真摯な態度に感銘し交際を認めた。周囲の暖かい祝福に包まれて今春、16歳差のビッグカップルが誕生する。元の記事を読む
2012年01月02日上戸彩、HIROとの交際は順調!!26日、都内で行われた、「2011東名集中工事」の新CM記者発表会に上戸彩(26)が出席した。新CM記者発表会に出席した上戸は、報道陣から「(EXILEのHIROとの)交際は順調ですか?」との問いかけに、「ハイ、ありがとうございます」と微笑みながらしっかり答えたと言う。二人の交際は昨年夏から昨年の夏から交際が始まり、秋には熱愛が発覚した。発覚後の上戸は交際について無言を貫いてきたが、今回初めて公の場で認めたことになる。HIROサイドからは、今年1月の写真週刊誌でHIROのマンションから上戸が出入りしている所を掲載された時「しっかりとした報告が出来る環境が整いましたら、ご報告させていただきたいと思っています。その時まで温かく見守っていただけたらうれしいです」と、コメントし、二人の結婚が近いのでは?とささやかれて来た。(サンスポ・コムによる)二人の仕事は順調、次は結婚へ上戸は、フジTV系の主演ドラマ「絶対零度~特殊犯罪潜入捜査~」の撮影が9月終了。20日放送の最終回は平均視聴率16・3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と好調だった。EXILEリーダーのHIROも、25日、中国・北京国家体育場(通称・鳥の巣)で、日本、中国、韓国のアーティストによる音楽祭「三国演義‐中日韓風雲音楽祭」に出演し、海外初ライブを行い成功を収めた。来年からアジア諸国でCD発売を開始することも発表し、本格的にアジア進出へ大きく羽ばたく。二人の仕事が一段落着いた今、結婚に向かう可能性が大きくなっているのかもしれない。元の記事を読む
2011年09月28日杉本彩が4月に入籍していた!!モデルで女優の杉本彩(43)が31日、今年4月に、一般男性と結婚していたことをFAXで発表し、都内で会見を行った。杉本は自身のブログで、「13年間お付き合いしておりました、ビジネスパートナーでもある男性と結婚致しましたこと、ここにご報告させて頂きます」と報告した。今年の2月に結婚を決め、4月に入籍したが、東日本大震災が発生したことで、発表を控えたという。会見に姿を見せた杉本の指には、世界のセレブが愛用する「ブシュロン」のキャトルリングの結婚指輪が輝いていた。肉食女子や魔性の女と言われていた杉本らしく、サンケイスポーツによると、「13年前からビジネスパートナー。身をていして私を守ってくれる番犬みたいな人」「私がどれだけムチ打っても、離れなかった。耐えに耐えて一緒にいてくれた。」と、いつものフェロモンを振りまきながら、幸せ一杯の結婚報告をしたという。杉本彩が選んだ男性は?杉本の心をつかんだ男性は、関西出身で、離婚歴がある。15年前にVシネマの仕事で知り合い、後にビジネスパートナーとなる。正式離婚前から“親密”だった二人は、03年に杉本の離婚直後から同居して愛を育んでいたという。杉本はサンケイスポーツの取材では「愛とエロスとユーモアのある家庭を築きたい。」と話し、ますます磨きのかかったエロスの女王として活躍する。元の記事を読む
2011年09月02日上戸彩が日本語吹き替え版でアトム役の声を演じるフルCGアニメーション『ATOM』と、同じく上戸彩が出演中の人気CM、ソフトバンクモバイル“白戸家”シリーズのコラボレーションが実現!劇場マナーを呼びかけるCMとして、ワーナー・マイカルシネマズで上映されることになった。まず映し出されるのは『ATOM』の一場面。下界へと降りてきたアトムとそこに暮らす子供たちとのやり取りのセリフが、丸ごとCM用に入れ替えられている。少女・コーラがアトムに向かって「お前、誰かに声似てないか?」と問いかける。アトム(=上戸さん)は「だれだれ?」と尋ね返すが、それが「犬がしゃべるCM」、すなわちソフトバンクのCMの白戸家の娘・アヤ(もちろん上戸さん)であることが判明!アトムはちょっと不快そうな顔で「似てないよ」と否定するも、仲間からは「(ソフトバンクのサービスの)のりかえ割の説明してみろ」と迫られ、渋々ながらソフトバンクのCMのモノマネをさせられる、というもの。こちら、冒頭でもお伝えしたように劇場マナーの向上を呼びかけるCMとして制作されているのだが、どのようなオチになっているかは劇場でチェック!上戸さんはこのコラボレーションについて「アトムとアヤのどちらの声も演じるため、スイッチの切り替えが難しかったですね」とコメント。ちなみにこのCMは映画館限定の上映。よく映画を観に行くという上戸さんだが「このCMが流れると思うと少し恥ずかしいですね」とも。白戸家と言えば、大黒柱は言うまでもなく、しゃべるお父さん犬。このCMを見たら、お父さん犬は何て言うと思うか?という問いには「『(お前がアトムの声をやるなんて)まだ早い!』と言われると思います(笑)」と語った。こちらのCMは10月3日(土)より全国60のワーナー・マイカル・シネマズにて上映。『ATOM』は10月10日(土)より全国にて公開。■関連作品:ATOM 2009年10月10日より全国にて公開© 2009 Imagi Crystal LimitedOriginal Manga © Tezuka Productions Co., Ltd.■関連記事:上戸彩&役所広司も来場!『ATOM』ワールドプレミア試写会に5組10名様ご招待上戸彩、等身大以上アトムに驚愕『ATOM』アフレコ公開「甥っ子と一緒に観たい」コミコン『ATOM』にもうすっかり大人なフレディ・ハイモア&クリステン・ベル登場アトムの声に元気ハツラツ上戸彩!テンマ博士の役所広司とフルCGアニメで父子にフルCG版“アトム”の新ビジュアル解禁!テンマ博士&お茶の水博士も登場
2009年09月29日