2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮頸がんの手術のためおこなった全身麻酔で全身の震えと吐き気という副作用が2つ出ました。手術を終えた実感が湧いてきて…子宮頸がんの手術後1日目から歩行練習をおこなったとりだまりさん。上半身を起こすだけでも吐き気がありましたが、看護師さんから「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」と厳しい指導を受けました。歩行練習後、あまりのしんどさにようやく痛み止めを変更してもらうようにリクエストしました。すると一晩中我慢していた痛みがラクになり……。痛み止めの種類を変えてもらったら、びっくりするほど痛みを感じなくなりました。痛みがないって、なんて幸せなんだろう!苦痛が消えた反動で、気持ちがラクになり、周りを見渡す余裕も出ました。そして、ストレスも影響しているのか、自分の汗が獣のようなにおいになっていることにも気付いた私。点滴で入れている薬のにおいと、獣のような汗くささが相まって、「お願いだから、誰もそばに来ないで!」という状態に。そんなワイルドな香りを放ちつつ、2日目の夜がやって来ました。夜になって、ようやく手術をした実感が湧きました。もともと子どもを持ちたいという欲がほぼなかったので、がんになって子宮と卵巣を取ると言われたときも、「女性ホルモンが出なくなって、女らしくなくなったら嫌だなぁ」と、それくらいにしか考えていませんでした。ただ、実際に子宮と卵巣がなくなると、何とも言い表せない喪失感が……。「産まない」のと、「産めない」のは、同じことではないようです。「産まない」は自分の選択の結果だったりするけど、「産めない」は産むことも産まないことも、自分じゃ選べないってことだからなぁ。選べないと、なんだか希望を奪われたような気がしてしまう。初めから産む予定なんてなくても、「なんだかなぁ」と感じてしまうのです。とはいえ、時間は巻き戻せないし、おかげで私は今も生きていられるわけだし。ありがとう、というのは、ちょっと違う気がするけれど、子宮と卵巣、いなくなってしまったあなたたちのおかげで、私は今も生きてるよ。ー------------------------子宮と卵巣が自分の体からなくなったことを実感し、がんが判明してから初めて少しだけ泣いたと、どりだまりさん。喪失感を受け入れるのは、つらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術当日、「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡そうとすると、なぜか譲り合う母と夫。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかありませんでした。行けそうと思ったら強烈な吐き気が子宮頸がんの手術のためおこなった全身麻酔で副作用が2つ出たとりだまりさん。1つは「シバリング(shivering)」という震えが出ました。これは、麻酔から覚めた脳が、涼しい手術室で低下した体温を戻そうとして起こるそうです。もう1つは吐き気を起こす「PONV(ポンブ:postoperative nausea and vomiting)」という症状でした。手術後は、鈍い痛みを抱えながら夜を過ごしました。そして、翌日になると……。看護師さんに「違う痛め止めを使ってみます?」と言われるも、反射で「大丈夫です」と言ってしまった私。ずっと横になっていたから、腰まで痛くなってきました。そして午後からは、歩行練習をすることに。似たような手術をした同室の方たちは、あまり痛がる様子もなく、しっかり歩けていたのを見て「あ、これなら行けるな」と思っていたのですが……上半身を起こすだけで吐き気が!「でも、起きる!」「無理でも立つ!」「吐いても立つ!」歩行練習では「鬼になります」と宣言していた看護師さんが、本当に鬼のように厳しかったです。歩行練習後、しんどさで軽くキレた私は、「……痛み止め、替えてください!」とリクエストしました。そして違う痛み止めにしたら…効果てきめん。全然痛くなくなったのです。私の場合、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めは、ほとんど効果なかったみたいです。でも、ロキソニンを服用したら、30~40分後にはまったく痛みを感じなくなりました。めっちゃラク。周りの患者さんを見ていても、人によってさまざまで、「ロキソニンなんか、てんで効かないぜ!」という人もいれば、自分でボタンを押して注入するタイプの痛み止めがよく効いて「術後は痛くもかゆくもなかった」という人も。どんな痛み止めが効果的なのかは、試してみないとわからないこともあるようです。手術前に看護師さんが「痛みやつらさがあったら、我慢しないで教えてください!」と言っていたのは、痛み止めがうまく効いていない場合もあるからなんだな……と身をもって知りました。ちなみに、私が術後の痛みを我慢していたのは、「痛いといえば痛いけど、まぁ、耐えられないほどの痛みではない」という微妙な状態だったからです。激痛ってわけじゃないんだけれど、うずくように、どんよりジクジクと痛い、みたいな。痛み止めが効いているから、この程度の痛みなんだろうな、みたいな。あのまま耐えられたとは思うんですけれど、地味な痛みがなくなったら、それだけで本当にめちゃくちゃラクでした。「しなくていい我慢は、する必要はないんだなぁ」と今は心の底から思います。以降、私はさらに積極的に、どんどん弱音を吐くことにしたのでした。ー------------------------痛み止めを替えたら本当にラクになり、とりだまりさんは「一晩中我慢したのは何だったのか」と思ったそう。我慢せずに、つらさを伝えることも大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術前夜、麻酔科の先生から睡眠導入剤を出そうかと聞かれましたが、緊張していなかったため断りました。手術で子宮や卵巣を取るということは自分では変えることができないこと。いつもと変わらず、22時には爆睡しました。震えのほかにも全身麻酔の副作用が出て手術当日、「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡そうとすると、なぜか譲り合う母と夫。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかなかったとりだまりさん。そして、看護師さんから「眼鏡ケースを持ってきて」と言われていたのに、硬くてかさばるため布のポーチに入れて持っていったことで、ベテラン医師から若い医師が怒られることに。申し訳なさでいっぱいになってしまいました。その後、無事に子宮頸がんの手術をおこなったとりだまりさん。全身麻酔により一瞬で寝落ちした後、目が覚めると……。手術に関しては、「寝落ちした」→「起きたら終わっていた」という感じなので、体感としては、本当に一瞬。現代医学、バンザイです!ただ、私の場合は、全身麻酔の副作用である「シバリング(shivering)」という震えが出ました。これは、麻酔から覚めた脳が、涼しい手術室で低下した体温を戻そうとして起こるみたいです。若めの女性(手術時はギリギリAYA世代(※)でした)。普段お酒を飲まない人、乗り物酔いしやすい人などが、なりやすい傾向があるのだとか。※AYA世代とは、Adolescent and Young Adult(思春期・若年成人)の頭文字を取ったもので、主に思春期(15歳~)から30歳代までの世代を指しています。全身がガクガク震える経験は初めてだったので驚きましたが、布団をかけてもらったら、割とすぐに治まってホッとしました。その後、再び目覚めて、家族と話し始めると、今度は「うっ!」とくる吐き気が。これもやっぱり麻酔の副作用で、「PONV(ポンブ:postoperative nausea and vomiting)」という症状だそうです。PONVが起こる理由はいくつかあるようですが、今のところ防ぎようもないみたいですし。ならない人はまったく平気みたいなので、これから手術という方は「自分はならないといいな~」と気楽に構えているのがよいのではないでしょうか。実際に、後で患者仲間に聞いても、私の周りにPONVを経験した人はあまりいませんでした。まぁ、なったらなったで「これがPONV……」と思えれば、理由がわかってちょっと気分が落ち着くかもしれません。ー------------------------全身麻酔の副作用は初めての症状で、驚いたというとりだまりさん。症状が出る人、出ない人と、個人差もあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月27日私は夫と2人の子どもと暮らすアラフォー主婦です。今までいくつか病気を経験しているため、定期検査や健康診断は欠かさず受けています。体調不良といえば、時々便秘になるくらい。いたって健康だと思っていたのに、健診結果に要精密検査の文字が。いい機会だと思い前向きな気持ちで受けた検査で、まさかあんなに大変な経験をするなんて……。健康について改めて考えるきっかけになったエピソードを紹介します。健康診断の便潜血検査に引っかかり再検査に毎年健康診断を受けていた私。35歳のとき、便潜血検査の結果が陽性となり、初めて消化器内科で大腸カメラによる精密検査「大腸内視鏡検査」を受けることになりました。ショックな気持ちを抱きつつ、予約をするため病院に電話。すると、「まだお若いですね。便潜血検査の際、便秘気味でしたか?」と聞かれました。受付の方が言うには、便秘の場合、排便時の出血で陽性になることもあるのだとか。普段から時々便秘になることがある私は、その話を聞いて「大きな病気ではなく、便秘のせいかも」と、少し安心しました。とはいえ、万が一のことがあるかもしれません。早期発見のためにも、この機会にしっかり診てもらおうと予約を取りました。大腸内視鏡検査は前処理からトラブル多発数日たって、いよいよ検査当日。大腸内視鏡検査は朝から夕方近くまでかかるとあらかじめ聞いていたので、待ち時間は本でも読んで過ごそうと安易に考えていました。病院に到着し、検査の前処理をおこなう部屋に案内されると、周りはご年配の方ばかり。同世代の人は1人もいません。「自分は場違いなのかな?」と少し気まずく思っているところで、前処理についての説明が始まりました。説明の内容は、大腸内視鏡検査をする前処理として、大腸を空っぽにするために、これから腸管洗浄液2リットルを数時間かけて服用するというものでした。また、内服後のトイレの回数は5~10回くらいが目安とも。説明後、内服を始めた私の体にすぐに異変が起きました。洗浄液がどうしても飲めないのです。最初は洗浄液の飲みにくい味のせいかと思っていたのですが、そのうち吐き気が止まらなくなり……。結局、病院側の判断で、別の錠剤を服用することになりました。吐き気が落ち着いてきたと思った矢先、またしてもトラブルが! トイレは多くて10回程度と聞いていたのに、私の場合、15回も足を運ぶことになりました。看護師さんや周りの方から「若いのにえらいね~頑張っているね~」と励まされ、ありがたいやら恥ずかしいやら……。内視鏡検査を始める前の段階で、私はもうフラフラでした。一筋縄ではいかない!内視鏡検査でも大騒ぎやっとのことで大腸の準備も整い、内視鏡検査が受けられる状態になった私。いよいよ検査本番です。ところが、なんとここでもすんなりとはいきません。内視鏡検査を始めてすぐ、痛みに近い違和感がおなかに走ります。検査をしている先生の様子もおかしく「うーん……これでどうだ?」と何やら苦戦している模様。次第に痛みに耐えられなくなり、私は「痛いです~!」と声をあげてしまいました。先生も「そうだよね~」と言いながら、それでもうまくいきません。痛みと気持ち悪さに耐えながら、あとどのくらいかかるのだろうと考えていたとき、突然先生に「ごめん!」と謝られました。なんと、これからカメラを変えて検査をやり直すと言うのです。先生の話によると、私の大腸は細い上に長く、加えて体格が小柄なことから、通常より小さなカメラでないと検査できないのだとか。こんなに大騒ぎになっている人は他におらず、どうして私だけと泣きそうな気持ちになりましたが、カメラを変えて検査再開です。しかし、カメラを変えたことでラクに検査が進むということもなく、病室には相変わらず苦しむ私と奮闘する先生、励ます看護師さんの声が響きました。大腸内視鏡検査の結果はやっとのことで検査が終了。結果は異常なしで、やはり便秘のせいで排便時に出血し、潜血検査が陽性になったのだろうとのことでした。先生には「こんなに苦労することはめったにないんだけどね。今回は結果も大丈夫だったし、お互いつらいから5年は内視鏡検査を受けなくていいよ」と冗談めかして言われましたが、苦笑するしかなかった私……。検査前は、悪いものが見つからないかと不安でいっぱいでした。しかし実際は、前処理や検査が壮絶すぎて、不安を感じている余裕は皆無。終了直後は、結果が異常なしだったことより、検査がやっと終わったことに安堵したほどです。帰宅する途中で、ようやく検査結果が異常なしだったことに喜びが湧いたのを覚えています。まとめ持病の定期検査や健康診断をきちんと受け、体のことには気を付けているつもりだった私。しかし、普段あまり気に留めていなかった便秘をきっかけに、まさか自分がこんなに大変な経験をするとは考えもしませんでした。もし、便秘ではなかったら、再検査になることも、内視鏡検査で大変な思いをすることもなかったでしょう。健康診断の際、もう再検査にはなりたくありません。たかが便秘と甘く考えず、すぐに改善に取り組もうと心に誓い、健康について改めて考える出来事となりました。5年後、もしまた内視鏡検査を受けることになったときは、待ち時間に本を読んでいる余裕などはないこと覚悟して臨みたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/里村仁志先生(里村クリニック院長)消化器疾患が専門。2003年 獨協医科大学医学部卒業、2005年獨協医科大学第1外科、2016年さいたま赤十字病院外科を経て、現在に至る。イラスト/エェコ著者/結城 すみれ要領のいい夫とわが道をいく息子、ひょうきんな娘の4人家族。丁寧な暮らしに憧れるズボラ主婦です。数年ぶりに仕事を始め、てんやわんやな日々を送っている。
2024年03月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。その後、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。手術の前日、手術の説明書類を見ると「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、看護師からは手術の翌日には歩くように言われて驚きました。私のせいで若い先生が怒られて…手術前夜、緊張して眠れない人がいるそうで、麻酔科の先生から睡眠導入剤を出そうかと聞かれました。とりだまりさんは自分でも驚くほど緊張しておらず、断りました。手術で子宮や卵巣を取るということは自分では変えることができないこと。いつもと変わらず、22時には爆睡しました。そして、子宮頸がんの手術当日を迎えました。病院には、家族たちが来てくれました。いよいよ手術室に行くことになり……。いよいよ手術当日。やっぱりちょっと緊張します……。病院には、夫、父、母、妹、叔母が来てくれました。手術室に行く前、「眼鏡ケースを持ってね」と看護師さんに言われたのですが、硬くてかさばるため、小さく折りたためるポーチを眼鏡ケースとして持ってきた私。「眼鏡ケースがない」というと、看護師さんはなぜか非常に戸惑いまして……。「ないなら、仕方ない」ということで、とりあえずそのまま手術室へ向かうことになりました。「何かあった場合はこれに連絡があります」と看護師さんがPHSを渡すも、なぜか母と夫で譲り合おうとしていて……。命綱(?)であるPHSを目の前でたらい回しされたときは、笑うしかありませんでした。手術室では、昨夜「睡眠導入剤を出そうか?」と聞きに来てくれた麻酔科の先生がいました。麻酔を入れているときのやりとりでも、とてもやさしくしてくださって、安心と同時に意識がもうろうとしていったのですが……その後、先生のトゲトゲしい声が……!ということで、手術を受ける人は、眼鏡ケースは忘れちゃダメ! 絶対に!きっと先生はこうやって「手術室では、目についたどんな小さなリスクも排除すべき」ということを、後輩の先生たちに徹底的に教え込んでいくのでしょう。そして、私のようなボーっとした患者にも。だって、自分のせいで、他の人がめちゃくちゃ怒られるって、小心者の私にとっては恐怖しかない……。あのときの助手の先生、もしくは看護師さんには、申し訳なさでいっぱいです。もし次に手術をすることがあれば、絶対に眼鏡ケースは忘れません!本当にすみませんでした!ー------------------------眼鏡ケースの件は自分が悪いのだと言おうにも、麻酔で意識がなくなったと、とりだまりさん。小さなリスクも排除して、麻酔科の先生に守ってもらったのだと、感謝の気持ちでいっぱいとのことでした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年03月26日今年1月に腹部の手術を受けたことを公表していたキャサリン皇太子妃が、数日前にがんを患っていることをビデオメッセージで明かした。手術後の検査でがんが見つかり、医療チームから「予防的な化学療法が必要だ」とアドバイスを受け、現在治療の初期段階にあるという。がんという診断に「非常に大きなショック」を受けたと率直に語っている。「想像に難くないとは思いますが、これ(プライベートに病気と向き合い対応すること)には時間がかかりました。治療を受け始めるために、大きな手術から回復するのにも時間がかかりました。しかし最も大切なことは、ジョージ、ルイ、シャーロットに現状を適切に説明し、私は大丈夫であると伝えること。これにも時間を費やしました」と話した。キャサリン皇太子妃の告白に、世界中からお見舞いメッセージが届いている。中には著名人からも。キャサリン・ゼタ=ジョーンズは「あなたの強さと優美さは揺るぎないものです。あなたのことを思っています」とコメントを書き込んでいる。英王室を離脱したヘンリー王子&メーガン妃夫妻も、「The Hollywood Reporter」を通じて「ケイトと一家の健康と回復をお祈りしています。そして彼らが個人的に、安心してそうできるように願っています」と声明を発表した。(賀来比呂美)
2024年03月25日元プロ野球選手で2021年6月に大腸がんのため70歳で亡くなった大島康徳さんの妻・奈保美さんが23日に自身のアメブロを更新。検査の結果が出て手術が決定したことを報告した。この日、奈保美さんは「術前検査で引っかかり精密検査を受けることになったことは皆様にお伝えしておりましたが」と切り出し「最終的に手術が決定になりました」と報告。「血液検査で血栓を疑う数値が引っかかっていた」と述べ、その後のエコー検査で「血栓はどこにも無い!ということで婦人科の先生から手術を受けられる旨 伝えられました」と明かした。続けて「以前にもこの数値が高めに出たことがあり検査を受けた」と振り返り「下肢静脈瘤がありますし足が浮腫んでしまったこともあります」と説明。「あとはチョコレート嚢胞の血腫のようなものが反応した可能性があるかも」と述べつつ「これといったはっきりとした原因は分かりませんでした」と明かし「でも、手術するにあたって問題ない、とのことです」と補足した。また、医師からの電話に驚いたというも「却って、体の隅々まで診ていただけたことは安心に繋がった、と思い先生を信じて手術に臨むことにします」とコメント。「そうかぁ…いよいよ手術かぁ」と述べ「今頃になってようやくちゃんとそれを実感したり どこかふわふわした気持ちになったりしています。恐怖はありません。不思議な感覚です」と心境を明かした。最後に「早くご報告しなければいけなかったのに遅くなってしまい申し訳ありませんでした」とコメント。「皆様、おやすみなさい」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「応援しています!」「体力を付けて、手術に臨んで下さい!」「手術の成功、祈っています」などのコメントが寄せられている。
2024年03月24日乳がん検診の方法は、胸部超音波(エコー)検査とマンモグラフィー(乳腺・乳房専用のエックス線撮影)検査の2種類。マンモグラフィー検査は、乳房が圧迫されるため痛いとのうわさを聞いていました。30代は妊娠・出産時期と重なっていたこともあり、まだマンモグラフィー検査を受けなくてもいいかと思い、エコー検査で済ませてきました。しかし40歳の節目の年を迎え、ついにマンモグラフィー検査を受けてみた体験談を紹介します。「マンモ適齢期」になったと感じて決意私は、夫の会社の健康保険で配偶者が受けられる婦人科検診を毎年受けています。30代のうちは、近所に検診車が来てくれるので、乳がん検診はそこでエコー検査のみを受けていました。以前、エコー検査とマンモグラフィー検査のどちらが良いかをネットなどで調べた際に、「若いうちは乳腺が発達しているので、マンモグラフィー検査では乳腺の異常が見つかりづらい。エコー検査がおすすめ」と書いてあったからです。それに30代は、妊娠の可能性が常にありました。妊娠中や授乳中は、乳腺が発達するのでマンモグラフィー検査では結果がわかりづらいと聞いていたので、マンモグラフィー検査を受けても仕方ないと思っていました。30代最後の39歳。エコー検査にするかマンモグラフィー検査にするか、迷いました。しかし「痛いって聞くし、女性芸人さんがバラエティー番組でマンモグラフィー検査を体験していて、ものすごく痛そうだった……」という記憶がよぎり、結局、それまでと同じエコー検査を選択。そして40歳になり、2度の出産を経験して、もう妊娠の可能性も乳腺の発達もなさそうと判断し、ついにマンモグラフィー検査を受けることにしたのです。前半は痛くなかったけど後半は痛かった!検診車での婦人科検診ではマンモグラフィー検査は受けられないので、今年は健康診断専門の施設に行きました。行ってみると、マンモグラフィー検査はかなり大がかりな設備が必要だとわかりました。私は2方向からのマンモグラフィー検査をおこないました。撮影台の上に乳房を片方ずつ乗せ、透明な板で圧迫して乳房を薄く伸ばして撮影します。診療放射線技師は壁の向こうから操作しており、板がアームのように伸びてきて胸を挟む仕組みです。最初、横から胸を挟むときはやや強めにギュッと挟まれた感じでしたが「あれ? 痛くない」と拍子抜け。やっぱり個人差があるのかなと。ところが、検査後半の上下から挟む動きになった途端、「痛ぁああ! 胸をもぎ取られるみたい……!」と、激しい痛みを感じました。ギリギリと容赦なく、乳房を押しつぶしてきます。どうにか耐えることができたのは「その後の安心のためならここは我慢!」とポジティブに捉えていたからです。あとで改めてネットでマンモグラフィー検査について調べてみたところ、「エコー検査と比べると、しこりを作らないタイプの乳がんの発見に役立つ」とのことでした。後悔しないための健康診断を深く考えるきっかけに40代になり、「毎年健康診断を受けていて異常がなかったのに、ある日突然、病気が進行していた」という話を身近で聞くようになりました。また、私自身がフリーランスなので「自営業で定期的な健康診断を受けていなかった。そのため、いつの間にかちょっとした体調不良が大変なことになっていた」という話もよく聞きます。たとえ健康診断を受けていても病気の発生や進行の可能性はありますが、それでも、定期的に健康診断を受けることで早期発見の確率は格段に上がり、「ちゃんと受けていれば……」という後悔はしなくて済むと考えています。もし、胸部のエコー検査で見つかりづらい異常があっても、マンモグラフィー検査を加えることで二重のチェックになり、早期発見の可能性がさらに上がると思います。40代になった今、これまでより病気のリスクも上がってくるので自分の体を知るためにも、万が一のときに後悔しないためにもマンモグラフィー検査をしてよかったし、今後も継続していきたいと思います。検査結果は写真の通り「A」で問題なしでした。まとめ私は血縁者に乳がんの経験者がいないので、乳がん検診に関してこれまでそれほど重要視しておらず、「ラクなほうでいいや」と考えていました。しかし今回、マンモグラフィー検査には、エコー検査とは違うメリットがあることがわかりました。厚生労働省でも40歳以上の女性に対し、2年に1度、マンモグラフィーによる乳がん検診の受診をすすめているようです。私自身も今後もマンモグラフィー検査を受けたいと思っていますが、身体的負担(痛い……)や精神的負担(痛いのが怖い……)がすごいので、当面、「来年はエコー検査、再来年はマンモグラフィー検査」と交互に受診しようかなと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田あいみ先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/Spinof Design(40歳)グラフィックデザインを中心に、講師やライター業などをサービスの柱としている。美術大学を卒業後、デザイン制作会社や広告代理店、印刷所の勤務を経てフリーランスに。仕事と育児のほどほどの両立を心がけている。
2024年03月23日お笑いタレントのだいたひかるが6日に自身のアメブロを更新。子宮体がんの検査の際に医師から言われたことについてつづった。この日、だいたは「先生に言われて毎日飲んでいる物」というタイトルでブログを更新。「子宮体がんの検査を受けた時、その時の先生に…『長生きしたいなら骨に気をつけなさい』」と言われたといい「骨ケアを飲んでいます」と明かした。続けて「まだ必要なさそうな!?息子が…」とドリンクの瓶を手にした息子の動画を公開し「持ちやすいのか!?乾杯のおもちゃに」と述べ、ブログを締めくくった。
2024年03月08日「がん検診を受けましょう」。テレビなどでよく耳にすることもある言葉でした。受けたほうが良いとわかってはいても、なんとなく「自分は大丈夫」「忙しくて時間がない」といった理由で受診のタイミングを見失っていました。しかし、なんとなく受けたがん検診で病変が見つかり、手術まですることになってしまったのです。今回は私が体験した、検診から手術までのエピソードをお話しします。きっかけは節目の年の特定健康検査40歳になる年の春、厚みのある1通の封書が届きました。それは加入している健康保険組合からの「特定健康診査のお知らせ」でした。特定健康診査とは、40~74歳の人を対象とした、生活習慣病の予防や早期発見を目的とした健康診断のこと。「いろいろとガタが出てくるお年ごろだしなぁ……」なんてどこかひとごとのように思いながら冊子を開きました。読んでみると、この健康保険組合では健診は基本的に無料で、乳がん検診と子宮頸がん検診も初回は無料で受けられるとのこと。子宮頸がん検診は過去に数回受けたことがありましたが、乳がん検診は怖さもあり未受診のまま。いつかは受けないといけないと思っていたし、節目の年に良い機会かもしれない……と、前向きな気持ちで健診と2つのがん検診を受けることを決めました。オプションで受けた子宮頸がん検診特定健康診査は一般的な身体測定や血液検査、心電図検査などから始まり、胸部X線検査、オプションのがん検診へと進みます。健診バスの中に婦人科の診察台やマンモグラフィーの機械があることに興味を覚え、少し楽しい気持ちになりながらすべての健診を終えました。それから約1カ月後、健診結果が届きました。「まぁ何もないでしょ?」と思いながら読み進めると、赤文字で「要精密検査」の文字が。ドキッとして項目を見ると「子宮頸がんHSIL」と書かれています。すぐにスマートフォンで検索。そこには「高度病変」「中等度~高度異形成」「上皮内がんの疑い」という聞き慣れないながらも、何か大変なことになったと感じさせる文字が並んでいたのです。そもそも子宮頸がんとはHPV(ヒトパピローマウイルス)への感染から発症するがんで、HSIL(高度扁平上皮内病変)とは前がん状態、すなわちがんに進行する手前の状態のことを指すようです。つまり自分はがんの1歩手前の所にいる……この事実にしばしぼう然としました。すぐに夫に報告し、再検査を受けることに。「コルポスコープ診」を受けた結果はやはり「HSIL/高度異形成」という診断でした。高度異形成は治療の対象となるため、手術をすることが決まりました。疑問に感じていたのは、3年前の妊娠中に受けた検診では異常がなかったのに、そんなに急に進行するのか、ということ。これに対しては医師に「進行が早い場合もあるし、前回検査時に病変はあったものの、検査のために取った細胞にたまたま異常が見られなかったのかもしれない」と教えていただきました。軽度~高度異形成の状態からがんへは、数年から数十年という年月をかけて少しずつ進行するそうです。私の場合もいつHPVに感染したかはわかりませんが、ある程度時間をかけて病状が進んでいたと考えられます。この間、自覚症状はありませんでした。また、普段から生理周期はおおむね一定で、生理痛やPMSに悩むこともなかったため、まさかこういった病気になっているとは思ってもいませんでした。全身麻酔で手術~定期的な検診へ手術名は「子宮頸部円錐切除術」。2泊3日の入院で、全身麻酔をかけて子宮頚部を円錐型に切り取ることになりました。入院はお産のときにしか経験がなく、もちろん手術も初めて。病変部はきちんと取り切れるのだろうかという心配や、全身麻酔に一定のリスクが伴うことへの怖さがありました。また、子どもは私がいない状態で夜を過ごしたことは1度もありません。たった2晩とはいえ、子どものメンタルが気がかりでした。子どもには少し前から「この日はママは病院にお泊りだからいないよ」「パパと幼稚園に行こうね」など少しずつ教え、私がいないということを理解してもらうようにしていました。手術時間は約30分。緊張していたものの、麻酔のおかげで気が付いたときには手術は終わっていました。術後数時間は横になったままでしたが、出血や麻酔の後遺症などもなかったため、その後は食事をとったり子どもと電話で話したり、自由に過ごすことができました。術後の状態も良好で、翌日に無事退院。それから1カ月後、切除部分の病理検査の結果を聞くため再度病院へ。ここでも異常は見つからず、治療は完了となりました。今後は経過観察で定期的にチェックしていくことになっています。まとめ子宮頸がんは検診によって早期発見ができ、また予防ワクチンを受けることで唯一予防できるがんだそうです。実際私もがんになる手前で異常を見つけられたため、手術も比較的軽いもので済みました。もし検診を受けず知らないまま放置していたら、気付いたときには病気が進行し、命に関わることになっていたかもしれない……。そう思うと今回検診を受けてがんになる手前の状態で見つかったことは、まさに不幸中の幸いだったと言えます。今後再発しないとは限りませんが、定期的な検診を欠かさず、自身の体に向き合っていきたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/ふじたすずこ(40歳)推し(娘)への課金が止まらない。将来は夫と旅行三昧な日々を夢見るアラフォーママ。弦楽器が大好きで、次はチェロを弾けるようになりたいとレッスンを探索中。
2024年02月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞き、大変な手術であることがわかり不安を感じていました。ジタバタしたってしょうがない手術の前日、担当の看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたとりだまりさん。手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、手術の翌日には歩くように言われて驚きました。そして、手術の前日の夜、麻酔科の先生がやって来て……。手術前日は、先生や看護師さんの説明を受けるほかにも、へその掃除をしたり、アンダーヘアの処理をチェックしてもらったりと、何かとすることがありました。そして、以前出会ったがん友さんとも再会!同じような境遇の人と、バカ話をできるだけでも、ものすごく気持ちが軽くなります。手術の前日は絶食のため、のんびり過ごしていたら、麻酔科の先生がやって来ました。先生が言うには、手術の前日は緊張して眠れない人もいるらしいです。先生から眠剤(睡眠導入剤)を出そうか?と聞かれましたが、私は自分でも驚くほど緊張しておらず。「大丈夫です」と伝えました。「子宮と卵巣取るのに、なんの感傷もなかったのかよ」と今になると自分でも思うのですが、手術前日の私には、本当にあまりそういったものはありませんでした。がんになったことや、手術で子宮や卵巣を取るということは、私には変えることのできない物事でした。自分に変えられないことで、ジタバタしたってしょうがない。だったら、落ち着いて、どーんと構えていたい。自分にそう言い聞かせたていたのだと思います。だって、どうしようもないことは、心配してもどうしようもないし。心配してもどうしようもないから、心配しないことにしよう。よし!……という流れでへらへらしていたら、周りから「無理してない?」とかえって心配されました。そりゃ、してるよ。無理なんか。無理して何も感じないようにしていたから、感傷も感じないわけで。それでも、「まぁ、仕方ないしな!」とつぶやくと、不思議と受け入れられるというか、自然と足元が固まり、背筋がスッと伸びて、呼吸がラクになる気もするのでした。ー------------------------「仕方ない」という言葉は、腹が据わったいい言葉だと思うと、とりだまりさん。手術前に眠れない人もいれば、そうでない人もいて、本当に人それぞれなのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月28日2019年の2月にステージ4の舌がん(左舌扁平上皮がん)、4月に食道がんの手術を受けたタレントの堀ちえみが27日に自身のアメブロを更新。舌がんの手術から5年経過した診察で主治医から告げられたことを明かした。この日、堀は「午後からは3つの科の診察がありました」と診察のために病院を訪れたことを報告し「リウマチ科の診察では、今まで通りで変わりなく、お薬もそのままです」と現状を説明。「最近はあまり症状が出ていない」といい「本当にいい傾向にあります」と自身の近況を明かし「お薬が効いているのですね」とコメントした。続けて「皮膚科の診察でも、今まで通りのお薬をいただきました」と述べ「いよいよ耳鼻咽喉科の診察。耳鼻咽喉科の腫瘍外来です」と説明。「本日は舌がん術後まる5年の診察」だったといい「私の舌がんの手術のチームの責任者として、そして術後の経過観察なども、今まで診て下さった主治医の先生の診察でした」と明かした。また「先日の頭頸部MRIの検査の結果は、問題なし」と報告し「鼻からカメラを入れて喉の診察。そちらも全く問題なし」と説明。主治医からは「本日の経過観察を終えて特に問題ないので舌がんに関しては完治ということになります おめでとうございます」と言われたことを明かし「その言葉をお聞きした瞬間に、感謝の気持ちが込み上げ胸が熱くなりました」と感激した様子でつづった。さらに「次第に涙も込み上げてきます」と述べ、主治医に対し「ありがとうございました」と伝えたことを報告。「隣で聞いていた主人の嬉しそうな顔」と夫・尼子勝紀さんの様子を明かし「舌がん完治しました。これからの検査は検診という形で、自主的に受けていく形を取りましたが、経過観察は今日で卒業です」とつづった。最後に「リハビリもまだまだ続けます」と述べつつ「この5年もの長い期間、ご尽力いただきました皆々様に、心より御礼申し上げます」と感謝のコメント。「涙が溢れて止まりません。見守り続けて下さった皆様も、本当にありがとうございました」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「完治おめでとうございます」「本当に良かったですね」「全ての癌患者さんの希望です」「これからも応援しています」などのコメントが多数寄せられている。
2024年02月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。子宮頸がん手術のために、入院前にへその掃除とアンダーヘアの処理をおこないました。腹切って内臓取ってそんなすぐに?入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったとりだまりさん。「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。ですが、患部に近いリンパ節も取ると言われ、結構大変な手術であることがわかり、不安を感じていました。そして、手術の前日、担当してくれる看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたのですが……。手術の前日、担当の看護師さんからは、入院中の過ごし方の説明を受けました。そして、手術の翌日には歩いてもらうと言われ、ギョッとする私。だって、手術の説明書類を見ると、手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてある。もちろん、内視鏡手術ではありません。そんなに切って取った翌日に、歩けるのだろうか……?でもまぁ、看護師さんが歩くって言うのだから、大抵の人は普通に歩けるのでしょう。そんなふうに思っていたのです。事実、何の問題もなく歩ける患者さんも多いとのこと。ただ、私の場合は……これについては、別の機会にお話しします。さらに、看護師さんからは「痛かったりつらかったりしたら、我慢せずすぐに教えること」というアドバイスもいただきました。私はちょっとでも痛みがあると、すぐに鎮痛剤などを飲んでしまう苦痛が苦手なタイプなので、もちろんそうするつもりだったのですが……。実際のところ、なぜか看護師さんに痛みがあることをなかなか言えなかったのです。それについても、別の機会にお話ししますね。ー------------------------手術の翌日には歩きますと言われたときは、とてもびっくりしたというとりだまりさん。手術後は安静にするだけでなく、歩行も重要なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。がんは怖いけれど、がんをきっかけに大事な人や物に気付き、幸せを感じていました。不安を悟られないようにおどける自分子宮頸がん手術のために、入院することになり、どうしてもしておきたいことがったとりだまりさん。それは、へその掃除とアンダーヘアの処理。病院でしてくれるようですが、恥ずかしさから自分でおこないました。そして、入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったのですが……。子宮頸がん手術のために、夫の付き添いのもと、入院しました。病院の薬のにおいが本当に苦手な私。あのにおいを嗅ぐと、「私は病人」というひしひしと実感するからかもしれません。そして、手術前に先生のお話を聞くのも、不安しかありませんでした……。手術の前日に受けた説明では、腫瘍、子宮と卵巣、現在できている筋腫、そして患部に近いリンパ節も取ると言われました。先生の話を聞きながら「あれ? 結構大変な手術なんじゃ…?」「体にメスを入れるってやっぱり大事なんだな」とようやく実感した私。「いやいや、手術するのだから、大事なのは当たり前。自分のことなんだから、事前にもっと調べろよ!」と思われた方もいると思いますが、なんか怖くて、詳細を調べるのを無意識に避けていたんですよね。そのため「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。まさか、リンパ節なるものまで取らなければいけないとは……。ちなみに、「リンパ節」とは、「リンパ管」のと所々にある膨らみのこと。「リンパ管」とは、ざっくり言えば、体内の下水管です。体内に入り込んだウイルスや不要になった老廃物は、リンパ管の中を流れるリンパ液に乗って流れていきます。がん細胞も、リンパ液に乗って流れていくことがあるのだそうです。このとき、リンパ管の膨らみ部分である「リンパ節」も通るわけですが、実はここには、免疫力をつかさどる細胞「リンパ球」が豊富に存在します。リンパ球が、体にとって不要なものを、ここで濾過(ろか)してくれるわけです。しかし、残念ながら濾過しきれなかったがん細胞が、ここで増えてしまうと転移があるとのこと。そのため、子宮頸がん(ステージ1~3期)の手術では、がんの周りのリンパ節をリンパ管ごと切除する「リンパ節郭清(かくせい)」がおこなわれます。転移を防ぐためには、必要な手術なのでしょうが……。「そんな細かいところをちょこちょこいじって……だ、大丈夫ぶなんでしょうか」と不安でドギマギせずにいられませんでした。ー------------------------手術前日になり、自分が思っていたよりも大事だと実感したというとりだまりさん。手術前の説明を受けてから手術までの期間は、短いことがあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親や仕事関係者にがんを報告しました。仕事関係者の中には復帰まで「待つ」と言ってくれる人も多く、社会に戻れるか不安な中、勇気づけられました。病院でしてくれるようですが…子宮頸がんの判明から1カ月が過ぎたころ、目の前の景色が変わり出したとりだまりません。自分にとって大切な人たちがはっきり色濃く見えるようになりました。がんは怖いけれど、がんをきっかけに大事な人や物に気付き、治療の間、結構幸せだったと感じていたのです。その後、子宮頸がん手術のために、入院することになったとりだまりさん。入院前日にどうしてもしておきたいことがあったそうで……。入院の前日、私には、人様に内緒でやっておきたいセルフケアがありました。それは……へそ掃除。感染症予防のために、術前に病院でしてくれるらしいのですが、「すてきな看護師さんにそんなことさせられねぇ!」と思い、自分で掃除しました。へそ掃除は、数カ月に一度のペースでしかしないので、へそのごま(垢)が恥ずかしいくらいごっそり取れてスッキリ!そしてもう1つ……アンダーヘアの処理。これも病院でしてくれるそうなのですが、「すてきな看護師さんにそんなこと……」ということで、自分でしました。勢い余って、つい全部いっちゃったのですが、「別に全そりする必要はなかったのでは……?」と後で思いました。生えてくるときにチクチクしてちょっと痛かったので。どちらも自分でやらなくて、全然いいのです。でも……ワイルドなままの状態を見られるのは、何だかちょっと恥ずかしくて。「一応、手入れはしてるよ!」アピールをしてしまいました。とはいえ、アンダーヘアの全そりはやり過ぎました。看護師さんがしてくれる場合は、どの程度残してそるものなのか?どなたか、知っている方、ぜひ教えてください。ー------------------------アンダーヘアの処理を看護師さんがしてくれる場合、どの程度なのかはいまだに謎だと、とりだまりさん。病院でしてくれることでも、恥ずかしいから自分でしたいことはありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親や仕事関係者にがんを報告しました。ある書籍編集者からは秒で仕事を切られてショックを受けて……。目の前の景色が鮮やかに見えるように仕事関係者にがんの報告をするとあっさりと仕事を切られてしまったとりだまりさん。がんの治療が終わったとしても復帰する場所がないことをしんどいと思っていました。しかし、他の編集者に連絡するとやさしい言葉をかけてくれる人も多く、復帰を「待つ」と言ってくれた人たちがいたことで勇気づけられました。そして、がんの判明から1カ月過ぎたころから、目の前の景色が変わり出して……。子宮頸がんが判明して約1カ月過ぎたころから、なぜか世界の見え方が変わりました。私の場合は、世界が一気に鮮やかに見えるように。その鮮やかさと言ったら、まるで原始の森にいるみたい。なんというか、私にとって必要な物たちの色だけが、とてもとても濃いのです。「死ぬかも」という恐怖で、アドレナリンが出まくってのかな?そのせいか、感覚という感覚もやたらと過敏になりました。大切な物のそばにいるだけで「幸せでたまらん!」と興奮状態に至るようになって……。ナチュラルにラリっていたのでしょう。この後、治療がヘビーになるにつれて、この感覚はどんどん強くなっていきました。そして、実家には以前よりちょっとだけ多く帰るようになりました。仕事よりも、夫や小鳥や友人を優先するようになりました。それまで無趣味ゆえのワーカホリックだったのですが、趣味でもないのだから、仕事は最優先でやることじゃないな、と考えるようにもなりました。そして、今に至ります。要するにというか何というか、がんは怖いけれど、治療をしている間、私は結構幸せだったのです。その感覚は、今も続いています。ー------------------------不思議なことに、人混みにいても、とりだまりさんにとって大事な人だけがやたらとカラフルに見えるようになっていったそう。病気をきっかけに、自分にとって大事な人や物に気付くということがあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月24日タレントの上原さくらが20日に自身のアメブロを更新。子宮摘出に踏み切れない理由を明かした。この日、上原は「夕飯の写真撮ってなかった」と切り出し「別にたいした献立じゃないけど、写真を撮るほんの1分くらいの余裕もなかったなんて、今日はなんか調子悪いのかな」とコメント。「いや、悪いのかな?…じゃなくて、悪いんですけど」と述べ「来週、定期的に診てもらってる大学病院の婦人科外来の予約取りました」と報告した。続けて「ジエノゲスト飲んでるんだけど、ちょっとね この感じを閉経まで続けるのは鬱陶しい」とコメント。「最終手段で子宮摘出の方がよさそうって何度も思うんだけど」と述べつつ「1週間近く入院する事を考えると踏み切れず」と子宮摘出に踏み切れない理由を明かした。また「娘を夫に1週間も任せるのは流石に心配だし、不安だし、申し訳ない」といい「複雑な心境なんです」とコメント。「この前、片頭痛で3泊4日入院しましたが、その時娘は幼稚園で泣いてばかりいたと聞いた」と自身が入院中の娘の様子を明かし「来週お医者さんに診てもらって最善の方法を取りたいと思います」とつづった。最後に「ほんっと諸々の更年期症状辛い」と告白し「片頭痛の原因のひとつといわれてるし、私は子宮疾患のトリプルコンボなので」と説明。「ジエノゲスト飲んでも時々出血がすごくなる」といい「早く閉経して欲しい」と切実な様子でつづった。
2024年02月21日2019年の2月にステージ4の舌がん(左舌扁平上皮がん)、4月に食道がんの手術を受けたタレントの堀ちえみが18日に自身のアメブロを更新。舌がんになり辛かったことを告白した。この日、堀は「東美濃ふれあいセンター。本日は90分の講演でした」と報告し「本日もたくさんの皆様にお会いでき、とても嬉しかったです」とコメント。「話している最中でも、お一人お一人のお顔が、壇上からハッキリと拝見できました」と講演会での様子を明かし「感謝の気持ちでいっぱいです」とつづった。続けて「最後の質疑応答では、偶然同じ舌がんの患者の方が挙手され」と述べ「舌がんになって何が一番辛いですか」と質問されたことを説明。質問者について「私の術後半年後に手術されたそうで、ずっと後を追って、頑張って来てくださったそうです」と明かし「お互いに涙涙でした」とつづった。また「辛いと思えば全てが辛いですね。今でも」と舌がんになり辛かったことを告白しつつ「そんな自分のことを愛して、これからも生きていきましょう」とコメント。「お互いに素晴らしい人生を送りましょうね」と呼びかけ「皆様も最後まで御清聴いただきまして、ありがとうございました。心より感謝申し上げます」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「講演会お疲れ様でした」「涙しながら色々と考えさせられました」「いつか聞いてみたいです」などのコメントが寄せられている。
2024年02月20日子宮に癌が見つかった私を、手術の前日に尋ねてきた義母。お見舞いの言葉をかけてくれるのかと思いきや、信じられない発言をされ……? 無神経すぎる…初めて妊娠したとき、妊娠中の検診で癌が見つかりました。出産後すぐに手術をして子宮を取り除くことを決断した私。赤ちゃんは無事に出産することができ、あとは手術を受けるだけ。生まれてまもないわが子を置いての手術に不安でいっぱいの私を、入院前日に義母が尋ねてきてくれました。 しかし義母はその帰り際になんと、「孫ちゃんに兄弟が居たら良かったのにねぇ」と言ってきたのです! これから二度と子どもを授かれない体になる私に対する言葉としてはあまりに無神経だと感じ、この辛さをわかってもらえないことに腹立たしさと悲しさを感じました。 義母の発言に悪意があったのかはわかりませんが、私の気持ちに配慮せず無神経なことを言ってくるような人と今後仲良くできるとは思えず、今は当たり障りなく付き合っています。 作画/さくら著者:野菜 安子
2024年02月19日38歳から家族の介護が優先になり、自分の体調管理がおろそかに。40歳になると動悸や息切れが気になり始めました。プレ更年期だと思い、サプリメントを半年間服用するも回復しません。経血量も増えて体調も悪化するばかり。そんなとき受けた40歳の子宮頸がん検診をきっかけに、体調不調を医師に相談すると、「年齢的にも子宮体がん検査を」と提案が。人生初の子宮体がん検査を受けた結果をお伝えします。子宮体がん検査をすすめられる子宮体がん検査とは、子宮内の細胞を採る細胞診のことで、がんの疑いがないかを調べます。医師から「40歳以上は受けたほうが良い」と打診されました。子宮体がん検査は痛みがあると聞いたことがあります。予想外の検査だったため動揺はしましたが、嫌ともいうわけにはいきません。この日の私の検査は5種類で次のような順番でした。血液検査子宮体がん検診内診超音波エコー子宮頸がん検診まず内診室に入る前に貧血の確認のため血液検査をしました。血液検査が終わるとカーテンで仕切られた内診台へ案内されます。下着を脱いで、内診台に座ります。自動で内診台が動き脚も開きますが、この瞬間はとても嫌でした。子宮体がん検査で痛みが出やすい人とは私は出産経験がありません。医師の説明では、出産経験のない人は子宮口が狭いため痛みを感じやすいと説明がありました。案の定、医療器具のクスコが入った瞬間から激痛でした。強い痛みで体が拒絶し反り返ります。医師が「おしりを下げて! 下げて!」と声をかけますが、体が拒絶しておしりも下がりません。その間も器具は腟に入ったまま。痛いので自然と体に力が入ります。力が入るので余計に痛い。医師は、無言で腟から子宮内に細いブラシのような器具を挿入していきます。器具を子宮のかなり奥まで入れているのがわかります。ブラシのようなもので、おなかをこすった瞬間におなかに鈍痛が走りました。生理痛の痛みと似ていますが、内臓をかき回されているような感覚です。5周ほどおなかをかき回すと、検査は終わりました。初めての子宮体がん検査は、クスコの挿入時から激痛です。さらにおなかの痛みも強く二度と受けたくない検査になりました。子宮体がん検査の後に続く痛み私がトラウマになった理由は子宮体がん検査の痛みにあると思います。痛み止めの服用や麻酔はありません。我慢できる程度の痛みと認識されているのでしょう。私の場合は子宮体がん検査で強い痛みを経験したことで、次の検査にも支障が出たのです。子宮体がん検査の後は内診がありました。腟から指を入れて子宮や卵巣の腫れや、しこりなどを確認する検査です。医師に「違和感があるところはない?」と聞かれても、痛みと恐怖が優先して答えられません。脚も内側に閉じてしまい医師にあきれられました。次に腟超音波エコーです。子宮筋腫が見つかりました。「聞こえますか? 筋腫があるのでモニターを見てください」と促されますが、私は恐怖でモニターどころではありません。しかも、白黒のモニターでどれが筋腫なのかわかりませんでした。「はい、最後に子宮頸がん検査をするよ!」とブラシを使って細胞を採ります。体は拒絶反応で硬直し内診台の上で涙が出ました。ここまでの検査時間は10分程度です。検査直後は、軽い出血と痛みでしばらく動けません。ナプキンを持参しておらず、自転車で来たことにも後悔しました。おなかの痛みは2週間ほど続きました。1日中ツンツンした痛みのためつらかったです。子宮体がん検査の結果は1週間後に判明しましたが、今回は異常ありませんでした。まとめ子宮体がん検査は、クスコ挿入から子宮口にブラシを入れるときに強い痛みを感じました。痛みも持続性があるので、すべての検査が恐怖でした。今も内診室に入る検査は苦手です。1週間後に子宮体がん検査の結果を聞きに婦人科へ受診しました。「前回、強い痛みがあったので検査は嫌です」と医師に伝えました。医師は「え? 痛かった? ごめんね」と驚いていましたが、二度と受けたくない検査の1つになりました。次回の検査では、痛みと恐怖を克服できるように、医師と相談しながら受けたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/佐藤ゆみ(41歳)田んぼに囲まれたのどかな田舎で生活中。大の猫好きで二匹の猫と暮らしている。現在はWEBライターとして自由気ままな生活を満喫中。
2024年02月18日2022年の冬ごろに大学病院でMRI検査を受け、多発性粘膜下筋腫(複数の腫瘍があり特に出血しやすいタイプの子宮筋腫)と診断されてしまったカンノさん。子宮全摘を決意した彼女は、2023年4月に腹腔鏡手術を受けました。術後は体の痛みや疲れやすさを感じながらも、歩行練習などをしながら過ごし……ついに退院前日を迎えます。本作は5年弱の長きに渡る、著者・舘乃夕華(かんのゆうか)さんの闘病記録を描いた作品です。※子宮筋腫とは…良性の腫瘍であり、発生場所は子宮の内側(粘膜下筋腫)、子宮の筋肉の中(筋層内筋腫)、子宮の外側(漿膜下筋腫)とさまざまです。1つだけでなく複数できることも。主な症状は過多月経、生理痛、腰痛、頻尿、貧血など。超音波検査やMRIで診断可能で、治療法には薬物療法や手術療法があります。 も、持てない…!1週間の入院期間中にあったさまざまなドラマを思い返しながら、ついに退院前日を迎えたカンノさん。退院前診察で主治医から「問題なし」と判断され、予定通りに退院することとなったのですが……。 ※難病を患っているカンノさんの夫は福祉タクシー券を利用できます。この場合、交付された夫本人がタクシー券を利用しているため問題はありません。なお、福祉タクシー券の交付対象は、自治体によって異なります。 予定通りの日程で退院することになったカンノさん。ところが、術後の体では重たいボストンバッグを持ち上げるのもひと苦労だったそうです。長期入院を控えているときには、スーツケースを持って行くのが無難かもしれませんね。 その後、退院後のカンノさんが悩まされたのは「睡眠の浅さ」と「歩行のつらさ」、そして「出血」でした。お気に入りの枕と術後用に購入しておいた腹巻きのおかげで、睡眠の質は1カ月ほどで改善されたそうですが、歩きにくさや出血に関しては体の回復を待つしかなく、どちらも2カ月ほど不調に悩まされたそうです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 子宮全摘をおこなったカンノさん。ロボトミー支援下手術だったため通常の手術より出血量は少なく済んだものの、体内を切っていることには変わりありません。カンノさん本人も作中で語っていますが、動けるからといって無理に体を動かすと治りも遅くなってしまいます。働き者のカンノさんが「仕事に穴を開けたくない」と思う気持ちもよくわかりますが、もうしばらく安静にしておいたほうが、むしろ治りが早くなっていたかもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 舘乃夕華
2024年02月15日元サッカー日本代表でサッカー解説者の武田修宏が10日に自身のアメブロを更新。医師から勧められた検査を受けに病院へ足を運んだことを明かした。この日、武田は「PET検査」というタイトルでブログを更新し「茨城県つくばでPETがん検診」を受けに足を運んだことを報告。「年に一度健康診断を受けています」と明かしつつ「今年はドクターからPET検査を勧められました」と説明した。続けて「この歳になるとがんに罹患する仲間も多く予防で検査が大事ですね」とコメント。「結果は2週間後とのことでした」と自撮りショットを公開し、ブログを締めくくった。
2024年02月11日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたのです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。日頃から除雪をこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気がつかないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分は補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産そして、無事に出産。出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気づかなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:浦松あや1児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2024年02月04日48歳のときに手術した卵巣がん。ステージ1Cとの診断でしたが抗がん剤を勧められました。ステージ1なら抗がん剤は不要だと思っていたのですが……。ネットでいろいろ調べるも明るい情報は少なく、抗がん剤を使用するかについて、最終的に私が決断するまでの体験談です。不安と痛みの入院生活48歳になったばかりの1月、人間ドックで異常が認められ、病院で再検査をすると卵巣がんの可能性があると診断を受けました。早ければ早いほうがいいと、同年3月に卵巣がんの手術をおこないました。3月6日に入院し、17日に退院したので11日間の入院期間です。腹腔鏡で手術ができる昨今ですが、私の場合、診察を受けて子宮筋腫と卵巣がんの疑いがあるという説明のあった時点で、手術は開腹になると伝えられていました。しかも30cmの開腹とのこと。指をちょっとけがしただけでも痛いのに、30cmも切るなんてどれだけなんだろう!? と想像すらできない痛みに不安が増すばかりでした。実際、胃の辺りからおへその下10cmくらいまで一直線に切って、おへそも真っ二つ。おへそって切っても大丈夫なんだ!? という小さな驚きと、やはり信じられないくらいの痛みに少しずつ気がめいっていくのを自分でも感じていました。がんは治せる時代と言われており、卵巣がんでステージ3だった同僚からは「私でも治ったんだから大丈夫!」と励ましのエールをもらいましたが、多くの人ががんで命を落としているのも事実です。寝返りどころか少し体を動かすだけでもむせるほどの激痛に、体を動かすこと自体が怖くなり、行って帰ってくるだけで20分近くかかるトイレや、毎日歩かなければならない入院生活が憂うつに感じることも多かったです。2週間予定の入院が11日に短縮同時に驚いたのは、30cmもおなかを切って翌日には歩けるんだ!? ということでした。おなかには3本の管、背中には痛み止めの管、尿管にも管という状態でも翌日から歩くことで回復が違うそうです。約5年たった今でも、手術後初めてベッドから降りて床に足をつけたときの痛みは忘れられません。体全体に電気が走るような感じたことのない痛みで、痛みでむせるというのも初めての経験でした。そんな入院生活の中、退院のお知らせは突然でした。だいたい入院は2週間くらいと言われていたものの、こんな痛いのに2週間で退院なんてできるのか? リクライニングもない自宅のベッドでどうやって起き上がったらいいのか? など不安ばかりだったので、20日くらいの入院になるかな? と思っていたのですが、まさか11日間での退院とは。先生は「それだけ順調なんですよ!」と言ってくれますが、不安は拭えません。そして退院当日には、医師から病気の詳細や今後の治療方針の説明がありました。具体的な内容は下記のとおりです。卵巣がんの種類は類内膜がんと明細胞腺がんの混合タイプであることリンパへの転移はなく、ステージは1C期であることステージ1でも明細胞腺がんは抗がん剤が推奨されていること抗がん剤での副作用について卵巣がんは大きく分けて4種類あり、類内膜がんと明細胞腺がんはそのうちの2種です。類内膜がんは多くの場合、異型度(正常な細胞との異なり具合を示す度合い)が低く進行が遅いものが多く、明細胞腺がんは進行は遅いが化学療法は効きにくく、子宮内膜症を併存するものが多いという特徴があるそうです。そして、ステージ1とはがんが卵巣もしくは卵管にとどまっている状態とのことでした。そのステージ1に1Aから1Cまで大きく3つの分類があり、私は手術操作による被膜破綻(腫瘍を覆っている膜が破れること)があって、わずかでもがん細胞がおなかの中に残っている可能性があるため、1C期にあたるとのことでした。こうした内容を丁寧に説明してもらい、家族はステージ1であることに安堵(あんど)している様子でした。抗がん剤をやらないと決めるまで退院後、明細胞腺がんについて調べてみました。早期で見つかることが多いが、抗がん剤が効きにくく治しにくいがんであるとの評価が多く、気持ちが暗くなる内容がほとんどでした。息子は就職2年目で学生じゃなかったことは幸いでしたが、高齢の母を養うことも考えると、シングルマザーの私としては経済的にも早く仕事に復帰したかったです。息子の大学受験の際お金がかかり生命保険を解約したため、県民共済にしか加入しておらず医療費負担も心配でした。病気の不安でめいる気持ちが抗がん剤の副作用でさらに大きくなるのでは? という心配もあり、抗がん剤をやりたくない! という思いが強かったのです。また退院時の説明の際、がんの進行と共に増える物質を検査する「腫瘍マーカー」の数値も普通に戻っている今、抗がん剤をして効果の有無はどこで判断するのか? と尋ねたところ、先生は「いい質問ですね。それはないんです。判断する材料はないけど再発防止のためにやるということになります」との回答だったことも引っかかっていました。家族や先生は当然やってほしい、私としてはできればやりたくないという狭間で悩む日々でした。最終的には経済的・精神的な負担を理由に抗がん剤をしないという決断をしましたが、それを受け入れてくれた家族と先生には感謝しています。まとめ抗がん剤の使用の有無を決めるにあたり、おこなわずに健康に過ごしている! という人の情報がほとんどなく、機会があったら文章として残したいと思っていました。金銭的、精神的に余裕があれば私も抗がん剤をおこなっていたかもしれません。病気はいつやってくるかわからず、医師の言うとおりに治療したくてもできない人も少なくないでしょう。私もその1人です。ですが術後6年近くが経過し、今現在は元気です。術後5年が経過したときに、がん保険に入ることもできました。不安と背中合わせな部分もありますが、不安より安心の割合が新しい年を迎えるごとに増していく気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/sara(52歳)22歳で出産後、27歳で離婚。以降一人で仕事と子育てを両立してきたシングルマザー。ようやく子どもも就職し、安心した矢先に大病を患い現在経過観察中の身。忙しい仕事や家事、親の介護など日々のストレス発散は、大好きなお酒とKPOP。そんな趣味を、いつまでも楽しめるよう健康管理に努めている。
2024年02月02日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親にがんを報告すると泣かずにいてくれましたが、やはりショックを受けていたと実家に住む妹から聞きました。がんになってよかったと思えることもフリーランスのとりだまりさんは、子宮頸がんであることを懇意にしていた編集者に報告したところ、あっさり仕事を切られてしまいました。治療が終わったとしても、復帰する場所がないというのがしんどいと思っていたのですが……。他の編集者に連絡するとやさしい言葉をかけてくれる人も多くいたのです。しょっちゅう仕事をしていた方にあっさり仕事を切られてしまい、「このやりとりをあと何回続けるのか」と思いながら、仕事先の方たちに連絡をしました。ある程度覚悟していたのですが……。「とりあえず半年くらいは待てますから」「無事に治療が終わるのを待っています」「治療が長引くならそのとき相談しましょう!」など、やさしい言葉をかけてくださる方が多く、とてもうれしかったです。ある方からは、治療中も仕事を続けさせてくれるという、うれし過ぎる申し出もありました。でも、一体なぜ……? と思い尋ねてみたところ、その方も長期入院したことがあり、病気が治っても仕事がないかと思うとすごく不安だったという経験があったからとのこと。そのおかげで、実際に私は入院中も働くことができたのです。がんになったことは、本当に死ぬほど怖くて、震えるほど嫌なことです。それでも、実はがんになってよかったと思えることもたくさんあります。その1つが、「待つ」と言ってくれた人たちがいたこと。そのことに気付けたことです。元気だったら、なんということのないひと言ですが、社会に戻れるかどうかわからない自分にとって、思った以上に勇気づけられる言葉でした。特に、戻る場所のことまで考えてくれた彼女には、ただただ感謝しかありません。ほかにも、それぞれのやり方でサポートしてくれた友人がいて、その気づかいにもとても助けられました。------------------------「待つ」と言ってくれた人たちがいたことに気付けたことで、視界が大きく変わったと、とりだまりさん。治療を始めてからでないと、自分でもどうなるかわからない中、そういった言葉はとても励みになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。乳がん患者の女性と友だちになり、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。ただ、働けない期間のお金が気がかりでした。手術前から戦意喪失両親には、事前に子宮頸がんであることを伝えていましたが、直接話をするために実家に帰ったとりだまりさん。直接話をしたときは泣かずに聞いてくれました。ただ、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。そして、次は仕事関係の人たちに報告をすることになったのですが、地味にショックな出来事があり……。いつまで続くかのかわからないのが、がん治療。だからこそ困るのが、収入減(仕事)のことなのですが……。がんを治せずに死ぬのも怖い。生き残って、また仕事を始めるのもちょっとしんどい。このときはそんなふうに思っていました。だから、仕事関係の方に連絡するのがとても怖かったです。意を決して、当時懇意にしていた書籍編集者さんに報告したのですが……秒で切られました(笑)。仕事を切られるのはともかく、非常にあっさりなのがなんとも。まぁ、向こうにもいろいろ都合があるのでしょうが……。「治療が終わるまで、何年だって待ってますよ!」……という都合の良い答えを期待していたわけではありませんが(いや、ちょっとしてた)、残念ながら私は、編集さんが「数年待ってでも書いてもらいたいんです!」と思うような、実力派でも売れっ子ライターでもないので、恨むなら自分を恨むしかないのが、なんとも情けなく。ただ、うまい具合に治療を終えられたとしても、そのとき復帰する場所がないというのは、やはりなかなかしんどいものです。------------------------仕事をあっさりと切られたとき、とりだまりさんは「正直、終わったな……と思った」とのこと。がん治療とは直接関係ないことであっても、治療前から気に病むことことがあるのは、つらいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになり、弱音を吐けたことで不思議と気持ちが軽くなりました。がんの報告のため実家に帰ると…1カ月後に子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。入院準備で物をそろえる以外にもいろいろ調整が必要なことがありました。一番気がかりだったのは、収入のこと。フリーランスだったため、働けないと即、無収入となってしまうのです。そして、もう一つ気がかりだったのは、子宮頸がんであることを両親に告げること。気が重くなってしまって……。子宮頸がんであることを電話で両親に伝え、その後実家に会いに行くことにしました。私もアラフォー。高齢なので、あんま期待してなかったとも思いますが、さすがに両親に「孫を残せなくて……」と直で伝えたときはヘビーでした……。そんなこと娘に言われた両親のほうが、さらに重かったとは思いますが。娘に面と向かってがんだと告げられた、父と母の反応はそれぞれでしたが、泣かれなくてよかったな、と思いました。でもその後、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。いやー、やっぱそうですよね~。会っている間は淡々と、普通の挙動だった両親ですが、やっぱり無理してたんだなぁと。これはもう、「心配かけて申し訳ない」としか言えません。本来であれば、親がこっちに心配かけていい年代なのに。介護とか。あと妹。不甲斐ない姉でホントすみません……。病気になることで、自分の甲斐性のなさが、アリアリと浮き彫りになった1日でした。------------------------両親に自分ががんだと伝えるのは本当に気が重かったとりだまりさん。伝えるほうも、伝えられるほうもとてもつらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになって治療についていろいろ話を聞き、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。収入ないまま生き続けるのもヘビー…入院前に乳がん患者の女性と「がん友」になったとりだまりさん。「がん友」に弱音を吐けたことで、がんであるという事実は変わらないけれど、不思議と気持ちが軽くなりました。そして1カ月後、子宮頸がんの手術をおこなうことに。入院準備で物をそろえる以外にも調整が必要なことがあり……。自分が倒れれば、そこまで。働けなければ、即無収入。それがフリーランス。しかもわが家は夫婦ともにフリーランス。なので、夫婦といえども、簡単には相手に頼れません。なぜなら共倒れになるから。そのつもりで生きてきました。ただ、「治療費が足りなければ貸す」と夫に言われたときは、「よっしゃ、死んだら借り逃げできるな!」とも思いました(笑)。いざとなったら、借り逃げができる。それが夫婦(?)。そう思っているのは私だけかもしれませんが、夫に確かめるつもりはもちろんありません。「違う」って言われても困るから。この先も、そこはあいまいにしたまま生き抜こう。そう思う今日このごろです。ー------------------------フリーランスのため、働けない期間のお金のことが気がかりだったというとりだまりさん。手術だけでなく、手術後の生活やお金についても夫婦で話し合う必要があるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院手続きの際に乳がん患者の女性に出会い、抗がん剤治療について教えてもらいました。都合にいいとこだけ見て生きていけるタイプ乳がん患者の女性に、抗がん剤治療での吐き気を抑えてくれる薬があることや、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきたとりだまりさん。その女性とは仲良くなって、「がん友」になりました。乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんに、ウィッグについても教えてもらった私。もし抗がん剤をすることになっても、めっちゃいいウィッグを買うことにして、闘病の決意を固めました。そして、ウィッグへの気付き意外にも、さらにうれしい出来事が……。それは、がん告知を受けたその日に、とてもすてきながん友に出会えたことです。どうせハードな治療をするなら、せめてメンタル面くらいはラクラクのラクをしたいじゃないですか……。だって絶対、そこそこしんどいし。そんな私の怠け者マインドに、彼女の極上におおらかな感性は非常にしっくりきたのです。私も体毛が全部抜けたら、エステで全身脱毛したって思おう~。そう考えただけで、くだらな過ぎてちょっと楽しくなれたのでした。------------------------入院前からがん友だちができたことが、非常に心強かったと、とりだまりさん。がんである事実は変わらなくても、不思議と心が軽くなったそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月24日皆さんは、体の異変に悩んだ経験はありますか?今回は「胸の違和感に気づいた妊婦」にまつわる物語とその感想を紹介します。※この物語はフィクションです。イラスト:モナ・リザの戯言病院へ行くことに…夫と娘と義母と暮らす、妊娠中の主人公。ある日の入浴中、主人公は自分の胸に違和感を覚えます。「しこり!?」と不安を感じた主人公は、すぐに病院へ行くことに。出張先から帰ってきた夫に付き添ってもらい、病院で検査をすると…。医師から「検査の結果ですが、腫瘍が見つかりました」と告げられたのです。しかし腫瘍は、悪性のものではないとのこと。夫も安心して号泣出典:モナ・リザの戯言腫瘍が手術で取り除けるものだと知った夫は、安心して泣き出します。しこりがあると気づいたときは、思わず背筋が凍りましたが…。命に関わるものではないと聞いて、安心した主人公なのでした。読者の感想突然体の違和感に気づくと、病気を疑って不安になりますよね。妊娠中であればなおさら不安だと思いますが、悪性ではないという診断結果に安心しました。(20代/女性)主人公の体調が心配でしたが、手術で取り除けるものと聞いてホッとしました。夫も涙が出るほど、やはり心配だったことでしょう。問題なく手術が終わって、無事に出産の日を迎えてほしいですね。(40代/女性)※本文中の画像は投稿主様より掲載許諾をいただいています。※作者名含む記事内の情報は、記事作成時点でのものになります。※実際に募集した感想をもとに記事化しています。(Grapps編集部)
2024年01月20日