お笑いタレントのだいたひかるが6日に自身のアメブロを更新。子宮体がんの検査の際に医師から言われたことについてつづった。この日、だいたは「先生に言われて毎日飲んでいる物」というタイトルでブログを更新。「子宮体がんの検査を受けた時、その時の先生に…『長生きしたいなら骨に気をつけなさい』」と言われたといい「骨ケアを飲んでいます」と明かした。続けて「まだ必要なさそうな!?息子が…」とドリンクの瓶を手にした息子の動画を公開し「持ちやすいのか!?乾杯のおもちゃに」と述べ、ブログを締めくくった。
2024年03月08日「最初は違ったのに…」カップルの倦怠期を乗り越えるための”3つ”のこと出会った当初は新鮮な感情でいても、経過する時間とともによくも悪くも慣れが生じ、倦怠期に突入する…。これは、多くの恋人関係の通り道とも言えるでしょう。しかし、そんな倦怠期を見事に乗り越えて、より深い信頼関係を築けば、あなたの恋愛は長続きすること間違いなしです!今回は、恋愛のマンネリ化を実感したときの対処法をお伝えします。[nextpage title="P&` g00i0FR0b0Q00K"]コミュニケーションが少なくなったら…長い付き合いの中で話さなくてもわかり合える仲になり、会話が少なくなるのはよくあることかもしれません。新しいエピソードや話題をお互いに日々提供するのは難しく、共有する話も徐々に少なくなるもの。しかし「話さなくてもわかり合える」関係は、稀な存在かもしれません。だからこそ「もっと話をしたいな」と感じたときは、一緒に新しい趣味を見つけたり、新たな場所を訪れたりするとよいでしょう。一緒に新しい経験をすることで、会話のネタになります。相手に対してイライラが増えたら…恋は人を盲目にし、初めは理想通りと思っていた相手でも、時間が経つにつれて欠点が見えてくることがあります。そのようなときは問題を二人で話し合い、解決策を見つけることが重要です。そこで大切なのは、ただ不満をぶつけるのではなく、お互いが不快にならないように配慮すること。冷静に話し合い、2人で「満足」できる結果を目指しましょう。[nextpage title="P&` g0nN0nry_0k0d0D0f"]見た目に関心が薄れたら…2人でいるとき、見た目に気を遣うことが少なくなってきたら、注意が必要かもしれません。お互いが許せる範囲内ならいいですが、相手が許容できなくなると別れへの道を辿ってしまう場合も…。ときには相手の前で素敵に着飾り、いつもと違う雰囲気をまとい、新鮮味を生み出すことが大切です。パートナーへの理解と思いやり倦怠期を乗り越える重要なポイントは、相手を深く理解し思いやり、ときには新鮮さを意識すること。お互いがその心掛けを忘れなければ、2人だけの幸せな時間が続くでしょう。感情に振り回されることなく、安定した関係を作り上げられるといいですね。(愛カツ編集部)
2024年03月07日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞き、大変な手術であることがわかり不安を感じていました。ジタバタしたってしょうがない手術の前日、担当の看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたとりだまりさん。手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてあるのに、手術の翌日には歩くように言われて驚きました。そして、手術の前日の夜、麻酔科の先生がやって来て……。手術前日は、先生や看護師さんの説明を受けるほかにも、へその掃除をしたり、アンダーヘアの処理をチェックしてもらったりと、何かとすることがありました。そして、以前出会ったがん友さんとも再会!同じような境遇の人と、バカ話をできるだけでも、ものすごく気持ちが軽くなります。手術の前日は絶食のため、のんびり過ごしていたら、麻酔科の先生がやって来ました。先生が言うには、手術の前日は緊張して眠れない人もいるらしいです。先生から眠剤(睡眠導入剤)を出そうか?と聞かれましたが、私は自分でも驚くほど緊張しておらず。「大丈夫です」と伝えました。「子宮と卵巣取るのに、なんの感傷もなかったのかよ」と今になると自分でも思うのですが、手術前日の私には、本当にあまりそういったものはありませんでした。がんになったことや、手術で子宮や卵巣を取るということは、私には変えることのできない物事でした。自分に変えられないことで、ジタバタしたってしょうがない。だったら、落ち着いて、どーんと構えていたい。自分にそう言い聞かせたていたのだと思います。だって、どうしようもないことは、心配してもどうしようもないし。心配してもどうしようもないから、心配しないことにしよう。よし!……という流れでへらへらしていたら、周りから「無理してない?」とかえって心配されました。そりゃ、してるよ。無理なんか。無理して何も感じないようにしていたから、感傷も感じないわけで。それでも、「まぁ、仕方ないしな!」とつぶやくと、不思議と受け入れられるというか、自然と足元が固まり、背筋がスッと伸びて、呼吸がラクになる気もするのでした。ー------------------------「仕方ない」という言葉は、腹が据わったいい言葉だと思うと、とりだまりさん。手術前に眠れない人もいれば、そうでない人もいて、本当に人それぞれなのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月28日2019年の2月にステージ4の舌がん(左舌扁平上皮がん)、4月に食道がんの手術を受けたタレントの堀ちえみが27日に自身のアメブロを更新。舌がんの手術から5年経過した診察で主治医から告げられたことを明かした。この日、堀は「午後からは3つの科の診察がありました」と診察のために病院を訪れたことを報告し「リウマチ科の診察では、今まで通りで変わりなく、お薬もそのままです」と現状を説明。「最近はあまり症状が出ていない」といい「本当にいい傾向にあります」と自身の近況を明かし「お薬が効いているのですね」とコメントした。続けて「皮膚科の診察でも、今まで通りのお薬をいただきました」と述べ「いよいよ耳鼻咽喉科の診察。耳鼻咽喉科の腫瘍外来です」と説明。「本日は舌がん術後まる5年の診察」だったといい「私の舌がんの手術のチームの責任者として、そして術後の経過観察なども、今まで診て下さった主治医の先生の診察でした」と明かした。また「先日の頭頸部MRIの検査の結果は、問題なし」と報告し「鼻からカメラを入れて喉の診察。そちらも全く問題なし」と説明。主治医からは「本日の経過観察を終えて特に問題ないので舌がんに関しては完治ということになります おめでとうございます」と言われたことを明かし「その言葉をお聞きした瞬間に、感謝の気持ちが込み上げ胸が熱くなりました」と感激した様子でつづった。さらに「次第に涙も込み上げてきます」と述べ、主治医に対し「ありがとうございました」と伝えたことを報告。「隣で聞いていた主人の嬉しそうな顔」と夫・尼子勝紀さんの様子を明かし「舌がん完治しました。これからの検査は検診という形で、自主的に受けていく形を取りましたが、経過観察は今日で卒業です」とつづった。最後に「リハビリもまだまだ続けます」と述べつつ「この5年もの長い期間、ご尽力いただきました皆々様に、心より御礼申し上げます」と感謝のコメント。「涙が溢れて止まりません。見守り続けて下さった皆様も、本当にありがとうございました」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「完治おめでとうございます」「本当に良かったですね」「全ての癌患者さんの希望です」「これからも応援しています」などのコメントが多数寄せられている。
2024年02月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。子宮頸がん手術のために、入院前にへその掃除とアンダーヘアの処理をおこないました。腹切って内臓取ってそんなすぐに?入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったとりだまりさん。「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。ですが、患部に近いリンパ節も取ると言われ、結構大変な手術であることがわかり、不安を感じていました。そして、手術の前日、担当してくれる看護師さんから入院中の過ごし方の説明を受けたのですが……。手術の前日、担当の看護師さんからは、入院中の過ごし方の説明を受けました。そして、手術の翌日には歩いてもらうと言われ、ギョッとする私。だって、手術の説明書類を見ると、手術の説明書類を見ると、「おなかを15㎝ほど切開し、子宮、卵巣、卵管、リンパ節を摘出」と書いてある。もちろん、内視鏡手術ではありません。そんなに切って取った翌日に、歩けるのだろうか……?でもまぁ、看護師さんが歩くって言うのだから、大抵の人は普通に歩けるのでしょう。そんなふうに思っていたのです。事実、何の問題もなく歩ける患者さんも多いとのこと。ただ、私の場合は……これについては、別の機会にお話しします。さらに、看護師さんからは「痛かったりつらかったりしたら、我慢せずすぐに教えること」というアドバイスもいただきました。私はちょっとでも痛みがあると、すぐに鎮痛剤などを飲んでしまう苦痛が苦手なタイプなので、もちろんそうするつもりだったのですが……。実際のところ、なぜか看護師さんに痛みがあることをなかなか言えなかったのです。それについても、別の機会にお話ししますね。ー------------------------手術の翌日には歩きますと言われたときは、とてもびっくりしたというとりだまりさん。手術後は安静にするだけでなく、歩行も重要なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。がんは怖いけれど、がんをきっかけに大事な人や物に気付き、幸せを感じていました。不安を悟られないようにおどける自分子宮頸がん手術のために、入院することになり、どうしてもしておきたいことがったとりだまりさん。それは、へその掃除とアンダーヘアの処理。病院でしてくれるようですが、恥ずかしさから自分でおこないました。そして、入院後、医師から手術についての詳しい説明を聞くことになったのですが……。子宮頸がん手術のために、夫の付き添いのもと、入院しました。病院の薬のにおいが本当に苦手な私。あのにおいを嗅ぐと、「私は病人」というひしひしと実感するからかもしれません。そして、手術前に先生のお話を聞くのも、不安しかありませんでした……。手術の前日に受けた説明では、腫瘍、子宮と卵巣、現在できている筋腫、そして患部に近いリンパ節も取ると言われました。先生の話を聞きながら「あれ? 結構大変な手術なんじゃ…?」「体にメスを入れるってやっぱり大事なんだな」とようやく実感した私。「いやいや、手術するのだから、大事なのは当たり前。自分のことなんだから、事前にもっと調べろよ!」と思われた方もいると思いますが、なんか怖くて、詳細を調べるのを無意識に避けていたんですよね。そのため「子宮と卵巣と子宮筋腫をごそっと取って、終わりだろ」と自分勝手に思い込んでいました。まさか、リンパ節なるものまで取らなければいけないとは……。ちなみに、「リンパ節」とは、「リンパ管」のと所々にある膨らみのこと。「リンパ管」とは、ざっくり言えば、体内の下水管です。体内に入り込んだウイルスや不要になった老廃物は、リンパ管の中を流れるリンパ液に乗って流れていきます。がん細胞も、リンパ液に乗って流れていくことがあるのだそうです。このとき、リンパ管の膨らみ部分である「リンパ節」も通るわけですが、実はここには、免疫力をつかさどる細胞「リンパ球」が豊富に存在します。リンパ球が、体にとって不要なものを、ここで濾過(ろか)してくれるわけです。しかし、残念ながら濾過しきれなかったがん細胞が、ここで増えてしまうと転移があるとのこと。そのため、子宮頸がん(ステージ1~3期)の手術では、がんの周りのリンパ節をリンパ管ごと切除する「リンパ節郭清(かくせい)」がおこなわれます。転移を防ぐためには、必要な手術なのでしょうが……。「そんな細かいところをちょこちょこいじって……だ、大丈夫ぶなんでしょうか」と不安でドギマギせずにいられませんでした。ー------------------------手術前日になり、自分が思っていたよりも大事だと実感したというとりだまりさん。手術前の説明を受けてから手術までの期間は、短いことがあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親や仕事関係者にがんを報告しました。仕事関係者の中には復帰まで「待つ」と言ってくれる人も多く、社会に戻れるか不安な中、勇気づけられました。病院でしてくれるようですが…子宮頸がんの判明から1カ月が過ぎたころ、目の前の景色が変わり出したとりだまりません。自分にとって大切な人たちがはっきり色濃く見えるようになりました。がんは怖いけれど、がんをきっかけに大事な人や物に気付き、治療の間、結構幸せだったと感じていたのです。その後、子宮頸がん手術のために、入院することになったとりだまりさん。入院前日にどうしてもしておきたいことがあったそうで……。入院の前日、私には、人様に内緒でやっておきたいセルフケアがありました。それは……へそ掃除。感染症予防のために、術前に病院でしてくれるらしいのですが、「すてきな看護師さんにそんなことさせられねぇ!」と思い、自分で掃除しました。へそ掃除は、数カ月に一度のペースでしかしないので、へそのごま(垢)が恥ずかしいくらいごっそり取れてスッキリ!そしてもう1つ……アンダーヘアの処理。これも病院でしてくれるそうなのですが、「すてきな看護師さんにそんなこと……」ということで、自分でしました。勢い余って、つい全部いっちゃったのですが、「別に全そりする必要はなかったのでは……?」と後で思いました。生えてくるときにチクチクしてちょっと痛かったので。どちらも自分でやらなくて、全然いいのです。でも……ワイルドなままの状態を見られるのは、何だかちょっと恥ずかしくて。「一応、手入れはしてるよ!」アピールをしてしまいました。とはいえ、アンダーヘアの全そりはやり過ぎました。看護師さんがしてくれる場合は、どの程度残してそるものなのか?どなたか、知っている方、ぜひ教えてください。ー------------------------アンダーヘアの処理を看護師さんがしてくれる場合、どの程度なのかはいまだに謎だと、とりだまりさん。病院でしてくれることでも、恥ずかしいから自分でしたいことはありますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月25日辛い失恋も乗り越えられる♡ 3つの癒しのステップ失恋の痛みはなかなか癒えず、長い間辛い心境にあることも多いですよね。自分で立ち直ろうと思っても、何を始めたらいいのかわからず、困ってしまうことも多いかもしれません。そこで今回は、失恋の傷を癒すための3つのコツを紹介します。簡単にできる方法ばかりなので、新たな一歩を踏み出したいと思っている人はぜひお試しください。[nextpage title="Y1`K0nu00vR0Y0_00k"]ひたすら笑う!コメディ映画や動画に浸る失恋で辛いなら、映画やお笑いの動画を観るなど、自分を楽しませるために積極的に行動してみるとよいでしょう。自分を無理に笑わせることで、失恋の痛みを忘れてしまうことも。お菓子を食べながらリラックスした時間を作り、少しでも心に余裕を持つことを心がけてみてください。すべてを吐き出す!ノートに書き出す失恋後、さまざまな感情がこみ上げる事があります。そんなとき、できるだけネガティブな感情をノートに書き出してみてください。形にこだわらず、思うがままに書き出すことが、心の整理に繋がります。悲しみや苦しみだけでなく、元カレや元カノに対する感謝の気持ちも思い出して記述すると、心が落ち着くかもしれません。感情を紙に書き出すことで、自分自身の感情をしっかりと理解し、前進するための一歩を踏み出せるでしょう。[nextpage title="0]0W0f0S0n00000…"]自分に投資!自分磨きに励む失恋はとても辛い事ですが、同時に自分磨きのチャンスとも言えます。自分自身を改善し、新しい恋愛に向けていいスタートを切るため、自分磨きに没頭しましょう。ダイエットに取り組んだり、ファッションスタイルを敢えて変えてみたりすると、心の中から新たな気持ちと共に新たなあなたが生まれるかもしれません。失恋をきっかけに、自分自身を見つめ直すことは、新しい恋に臨むための自己投資になります。失恋は一時的な痛み失恋の痛みは思った以上に強いものですが、時間が経つと必ず治まります。試行錯誤し、自分のペースで失恋から立ち直って、魅力的な未来に向かって前進しましょう!(愛カツ編集部)
2024年02月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親や仕事関係者にがんを報告しました。ある書籍編集者からは秒で仕事を切られてショックを受けて……。目の前の景色が鮮やかに見えるように仕事関係者にがんの報告をするとあっさりと仕事を切られてしまったとりだまりさん。がんの治療が終わったとしても復帰する場所がないことをしんどいと思っていました。しかし、他の編集者に連絡するとやさしい言葉をかけてくれる人も多く、復帰を「待つ」と言ってくれた人たちがいたことで勇気づけられました。そして、がんの判明から1カ月過ぎたころから、目の前の景色が変わり出して……。子宮頸がんが判明して約1カ月過ぎたころから、なぜか世界の見え方が変わりました。私の場合は、世界が一気に鮮やかに見えるように。その鮮やかさと言ったら、まるで原始の森にいるみたい。なんというか、私にとって必要な物たちの色だけが、とてもとても濃いのです。「死ぬかも」という恐怖で、アドレナリンが出まくってのかな?そのせいか、感覚という感覚もやたらと過敏になりました。大切な物のそばにいるだけで「幸せでたまらん!」と興奮状態に至るようになって……。ナチュラルにラリっていたのでしょう。この後、治療がヘビーになるにつれて、この感覚はどんどん強くなっていきました。そして、実家には以前よりちょっとだけ多く帰るようになりました。仕事よりも、夫や小鳥や友人を優先するようになりました。それまで無趣味ゆえのワーカホリックだったのですが、趣味でもないのだから、仕事は最優先でやることじゃないな、と考えるようにもなりました。そして、今に至ります。要するにというか何というか、がんは怖いけれど、治療をしている間、私は結構幸せだったのです。その感覚は、今も続いています。ー------------------------不思議なことに、人混みにいても、とりだまりさんにとって大事な人だけがやたらとカラフルに見えるようになっていったそう。病気をきっかけに、自分にとって大事な人や物に気付くということがあるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年02月24日タレントの上原さくらが20日に自身のアメブロを更新。子宮摘出に踏み切れない理由を明かした。この日、上原は「夕飯の写真撮ってなかった」と切り出し「別にたいした献立じゃないけど、写真を撮るほんの1分くらいの余裕もなかったなんて、今日はなんか調子悪いのかな」とコメント。「いや、悪いのかな?…じゃなくて、悪いんですけど」と述べ「来週、定期的に診てもらってる大学病院の婦人科外来の予約取りました」と報告した。続けて「ジエノゲスト飲んでるんだけど、ちょっとね この感じを閉経まで続けるのは鬱陶しい」とコメント。「最終手段で子宮摘出の方がよさそうって何度も思うんだけど」と述べつつ「1週間近く入院する事を考えると踏み切れず」と子宮摘出に踏み切れない理由を明かした。また「娘を夫に1週間も任せるのは流石に心配だし、不安だし、申し訳ない」といい「複雑な心境なんです」とコメント。「この前、片頭痛で3泊4日入院しましたが、その時娘は幼稚園で泣いてばかりいたと聞いた」と自身が入院中の娘の様子を明かし「来週お医者さんに診てもらって最善の方法を取りたいと思います」とつづった。最後に「ほんっと諸々の更年期症状辛い」と告白し「片頭痛の原因のひとつといわれてるし、私は子宮疾患のトリプルコンボなので」と説明。「ジエノゲスト飲んでも時々出血がすごくなる」といい「早く閉経して欲しい」と切実な様子でつづった。
2024年02月21日2019年の2月にステージ4の舌がん(左舌扁平上皮がん)、4月に食道がんの手術を受けたタレントの堀ちえみが18日に自身のアメブロを更新。舌がんになり辛かったことを告白した。この日、堀は「東美濃ふれあいセンター。本日は90分の講演でした」と報告し「本日もたくさんの皆様にお会いでき、とても嬉しかったです」とコメント。「話している最中でも、お一人お一人のお顔が、壇上からハッキリと拝見できました」と講演会での様子を明かし「感謝の気持ちでいっぱいです」とつづった。続けて「最後の質疑応答では、偶然同じ舌がんの患者の方が挙手され」と述べ「舌がんになって何が一番辛いですか」と質問されたことを説明。質問者について「私の術後半年後に手術されたそうで、ずっと後を追って、頑張って来てくださったそうです」と明かし「お互いに涙涙でした」とつづった。また「辛いと思えば全てが辛いですね。今でも」と舌がんになり辛かったことを告白しつつ「そんな自分のことを愛して、これからも生きていきましょう」とコメント。「お互いに素晴らしい人生を送りましょうね」と呼びかけ「皆様も最後まで御清聴いただきまして、ありがとうございました。心より感謝申し上げます」とつづり、ブログを締めくくった。この投稿に読者からは「講演会お疲れ様でした」「涙しながら色々と考えさせられました」「いつか聞いてみたいです」などのコメントが寄せられている。
2024年02月20日子宮に癌が見つかった私を、手術の前日に尋ねてきた義母。お見舞いの言葉をかけてくれるのかと思いきや、信じられない発言をされ……? 無神経すぎる…初めて妊娠したとき、妊娠中の検診で癌が見つかりました。出産後すぐに手術をして子宮を取り除くことを決断した私。赤ちゃんは無事に出産することができ、あとは手術を受けるだけ。生まれてまもないわが子を置いての手術に不安でいっぱいの私を、入院前日に義母が尋ねてきてくれました。 しかし義母はその帰り際になんと、「孫ちゃんに兄弟が居たら良かったのにねぇ」と言ってきたのです! これから二度と子どもを授かれない体になる私に対する言葉としてはあまりに無神経だと感じ、この辛さをわかってもらえないことに腹立たしさと悲しさを感じました。 義母の発言に悪意があったのかはわかりませんが、私の気持ちに配慮せず無神経なことを言ってくるような人と今後仲良くできるとは思えず、今は当たり障りなく付き合っています。 作画/さくら著者:野菜 安子
2024年02月19日2022年の冬ごろに大学病院でMRI検査を受け、多発性粘膜下筋腫(複数の腫瘍があり特に出血しやすいタイプの子宮筋腫)と診断されてしまったカンノさん。子宮全摘を決意した彼女は、2023年4月に腹腔鏡手術を受けました。術後は体の痛みや疲れやすさを感じながらも、歩行練習などをしながら過ごし……ついに退院前日を迎えます。本作は5年弱の長きに渡る、著者・舘乃夕華(かんのゆうか)さんの闘病記録を描いた作品です。※子宮筋腫とは…良性の腫瘍であり、発生場所は子宮の内側(粘膜下筋腫)、子宮の筋肉の中(筋層内筋腫)、子宮の外側(漿膜下筋腫)とさまざまです。1つだけでなく複数できることも。主な症状は過多月経、生理痛、腰痛、頻尿、貧血など。超音波検査やMRIで診断可能で、治療法には薬物療法や手術療法があります。 も、持てない…!1週間の入院期間中にあったさまざまなドラマを思い返しながら、ついに退院前日を迎えたカンノさん。退院前診察で主治医から「問題なし」と判断され、予定通りに退院することとなったのですが……。 ※難病を患っているカンノさんの夫は福祉タクシー券を利用できます。この場合、交付された夫本人がタクシー券を利用しているため問題はありません。なお、福祉タクシー券の交付対象は、自治体によって異なります。 予定通りの日程で退院することになったカンノさん。ところが、術後の体では重たいボストンバッグを持ち上げるのもひと苦労だったそうです。長期入院を控えているときには、スーツケースを持って行くのが無難かもしれませんね。 その後、退院後のカンノさんが悩まされたのは「睡眠の浅さ」と「歩行のつらさ」、そして「出血」でした。お気に入りの枕と術後用に購入しておいた腹巻きのおかげで、睡眠の質は1カ月ほどで改善されたそうですが、歩きにくさや出血に関しては体の回復を待つしかなく、どちらも2カ月ほど不調に悩まされたそうです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 子宮全摘をおこなったカンノさん。ロボトミー支援下手術だったため通常の手術より出血量は少なく済んだものの、体内を切っていることには変わりありません。カンノさん本人も作中で語っていますが、動けるからといって無理に体を動かすと治りも遅くなってしまいます。働き者のカンノさんが「仕事に穴を開けたくない」と思う気持ちもよくわかりますが、もうしばらく安静にしておいたほうが、むしろ治りが早くなっていたかもしれませんね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師 松田玲子 ムーンカレンダー編集室では、女性の体を知って、毎月をもっとラクに快適に、女性の一生をサポートする記事を配信しています。すべての女性の毎日がもっとラクに楽しくなりますように! 著者:マンガ家・イラストレーター 舘乃夕華
2024年02月15日小さなときから体格のよかった私。深夜の仕事をしているせいか、生理周期も不順でした。芸能人の子宮がんや子宮筋腫などのニュースが続き、心配した私の母に受診をすすめられ、婦人科へ。診察の結果は、思いもよらないものでした。驚きの診察結果婦人科の病気がないか診てもらうために受診した婦人科でしたが、診察後、先生が言った言葉は「産科に行ってね」というものでした。 先生の言葉を聞いてびっくり! 妊娠していたのです。産科での診察の結果、推定妊娠37週ということでした。そのころは冬。日頃から除雪をこなしていたので、もっと安静にしているべきだったと、今となっては恐ろしく思います。 検査と手続きへ産科の先生は、「妊娠に気がつかないことも、ごく稀にあるからね。これからできること早急に済ませようね」と親身になってくださって、出産に向けていろいろなことを教えていただきました。 まず、必要な血液検査や血圧などの検査。今まで受けられなかった健診の足りない分は補えませんでしたが、2日おきくらいの頻度で病院に行きました。並行して彼との婚姻届けの提出や、職場の育休申請もおこないました。 そして、無事に出産そして、無事に出産。出産一時給付金の申請をしたのですが、赤ちゃんが生まれたのが休日と祝日にかぶってしまったため、かなりの金額がかかってしまいました。それでも周りの方々の支えがあって、検査も役所での手続きも職場の手続きも、しっかりとこなすことができました。 本当であれば、赤ちゃんの成長を感じながら日々を過ごし、出産を迎えたかったと感じますが、無事に生まれてきてくれて本当によかった。私が無事に赤ちゃんを産むことができたのは、赤ちゃんが頑張ってくれたからだと思っています。 私と同じように、ごく稀に長く妊娠に気づかなかったという方もいると思います。日ごろから自分の体に関心を持つことも大切だと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/imasaku監修/助産師 松田玲子著者:浦松あや1児の母。学校事務や保育士を経験したのち、産休を機に退職。現在はパート。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は編み物。
2024年02月04日破局の原因?「価値観のズレ」を乗り越える方法恋人との価値観の違いが原因で別れたことがある方もいるのではないでしょうか。そんな価値観の違いを乗り越える方法もあります。今回はそのアドバイスを紹介します。共通点を見つける相手と価値観が異なっているからといって、その違いばかりに焦点を当てるのはよくありません。相手がどのような環境で過ごしてきたかは関係なく、まずは共通する点を見つけることが大切でしょう。違う部分を認める恋人と同棲を始めた経験はありますか?そのときに、彼の知らなかった一面が見えて驚いたことがある方もいるかもしれませんね。しかし、皆それぞれ異なる人間であり、異なる経験や考え方を持っています。男女間の違いや文化の違いも当然あるでしょう。相手の価値観を受け入れるスタンスを持ち、お互いの意見を尊重することが大切です。価値観を共有する付き合い始めの理由が相手の見た目だけであった場合でも、内面の違いによって関係が崩れてしまうことがあります。しかし、話し合うことでお互いの考え方や価値観を共有することができれば、関係は修復される可能性があります。人は成長するものであり、変化するものでもあるため、コミュニケーションを通じて価値観のズレを解消していくことが重要です。価値観をすり合わせるのが大切もしも何か合わないことがある場合は、価値観の違いを理由に切り捨てず、原因を明確にしましょう。お互いを理解し合い、コミュニケーションを大切にすることで、乗り越えることができるかもしれません。(Grapps編集部)
2024年02月02日48歳のときに手術した卵巣がん。ステージ1Cとの診断でしたが抗がん剤を勧められました。ステージ1なら抗がん剤は不要だと思っていたのですが……。ネットでいろいろ調べるも明るい情報は少なく、抗がん剤を使用するかについて、最終的に私が決断するまでの体験談です。不安と痛みの入院生活48歳になったばかりの1月、人間ドックで異常が認められ、病院で再検査をすると卵巣がんの可能性があると診断を受けました。早ければ早いほうがいいと、同年3月に卵巣がんの手術をおこないました。3月6日に入院し、17日に退院したので11日間の入院期間です。腹腔鏡で手術ができる昨今ですが、私の場合、診察を受けて子宮筋腫と卵巣がんの疑いがあるという説明のあった時点で、手術は開腹になると伝えられていました。しかも30cmの開腹とのこと。指をちょっとけがしただけでも痛いのに、30cmも切るなんてどれだけなんだろう!? と想像すらできない痛みに不安が増すばかりでした。実際、胃の辺りからおへその下10cmくらいまで一直線に切って、おへそも真っ二つ。おへそって切っても大丈夫なんだ!? という小さな驚きと、やはり信じられないくらいの痛みに少しずつ気がめいっていくのを自分でも感じていました。がんは治せる時代と言われており、卵巣がんでステージ3だった同僚からは「私でも治ったんだから大丈夫!」と励ましのエールをもらいましたが、多くの人ががんで命を落としているのも事実です。寝返りどころか少し体を動かすだけでもむせるほどの激痛に、体を動かすこと自体が怖くなり、行って帰ってくるだけで20分近くかかるトイレや、毎日歩かなければならない入院生活が憂うつに感じることも多かったです。2週間予定の入院が11日に短縮同時に驚いたのは、30cmもおなかを切って翌日には歩けるんだ!? ということでした。おなかには3本の管、背中には痛み止めの管、尿管にも管という状態でも翌日から歩くことで回復が違うそうです。約5年たった今でも、手術後初めてベッドから降りて床に足をつけたときの痛みは忘れられません。体全体に電気が走るような感じたことのない痛みで、痛みでむせるというのも初めての経験でした。そんな入院生活の中、退院のお知らせは突然でした。だいたい入院は2週間くらいと言われていたものの、こんな痛いのに2週間で退院なんてできるのか? リクライニングもない自宅のベッドでどうやって起き上がったらいいのか? など不安ばかりだったので、20日くらいの入院になるかな? と思っていたのですが、まさか11日間での退院とは。先生は「それだけ順調なんですよ!」と言ってくれますが、不安は拭えません。そして退院当日には、医師から病気の詳細や今後の治療方針の説明がありました。具体的な内容は下記のとおりです。卵巣がんの種類は類内膜がんと明細胞腺がんの混合タイプであることリンパへの転移はなく、ステージは1C期であることステージ1でも明細胞腺がんは抗がん剤が推奨されていること抗がん剤での副作用について卵巣がんは大きく分けて4種類あり、類内膜がんと明細胞腺がんはそのうちの2種です。類内膜がんは多くの場合、異型度(正常な細胞との異なり具合を示す度合い)が低く進行が遅いものが多く、明細胞腺がんは進行は遅いが化学療法は効きにくく、子宮内膜症を併存するものが多いという特徴があるそうです。そして、ステージ1とはがんが卵巣もしくは卵管にとどまっている状態とのことでした。そのステージ1に1Aから1Cまで大きく3つの分類があり、私は手術操作による被膜破綻(腫瘍を覆っている膜が破れること)があって、わずかでもがん細胞がおなかの中に残っている可能性があるため、1C期にあたるとのことでした。こうした内容を丁寧に説明してもらい、家族はステージ1であることに安堵(あんど)している様子でした。抗がん剤をやらないと決めるまで退院後、明細胞腺がんについて調べてみました。早期で見つかることが多いが、抗がん剤が効きにくく治しにくいがんであるとの評価が多く、気持ちが暗くなる内容がほとんどでした。息子は就職2年目で学生じゃなかったことは幸いでしたが、高齢の母を養うことも考えると、シングルマザーの私としては経済的にも早く仕事に復帰したかったです。息子の大学受験の際お金がかかり生命保険を解約したため、県民共済にしか加入しておらず医療費負担も心配でした。病気の不安でめいる気持ちが抗がん剤の副作用でさらに大きくなるのでは? という心配もあり、抗がん剤をやりたくない! という思いが強かったのです。また退院時の説明の際、がんの進行と共に増える物質を検査する「腫瘍マーカー」の数値も普通に戻っている今、抗がん剤をして効果の有無はどこで判断するのか? と尋ねたところ、先生は「いい質問ですね。それはないんです。判断する材料はないけど再発防止のためにやるということになります」との回答だったことも引っかかっていました。家族や先生は当然やってほしい、私としてはできればやりたくないという狭間で悩む日々でした。最終的には経済的・精神的な負担を理由に抗がん剤をしないという決断をしましたが、それを受け入れてくれた家族と先生には感謝しています。まとめ抗がん剤の使用の有無を決めるにあたり、おこなわずに健康に過ごしている! という人の情報がほとんどなく、機会があったら文章として残したいと思っていました。金銭的、精神的に余裕があれば私も抗がん剤をおこなっていたかもしれません。病気はいつやってくるかわからず、医師の言うとおりに治療したくてもできない人も少なくないでしょう。私もその1人です。ですが術後6年近くが経過し、今現在は元気です。術後5年が経過したときに、がん保険に入ることもできました。不安と背中合わせな部分もありますが、不安より安心の割合が新しい年を迎えるごとに増していく気がします。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/sara(52歳)22歳で出産後、27歳で離婚。以降一人で仕事と子育てを両立してきたシングルマザー。ようやく子どもも就職し、安心した矢先に大病を患い現在経過観察中の身。忙しい仕事や家事、親の介護など日々のストレス発散は、大好きなお酒とKPOP。そんな趣味を、いつまでも楽しめるよう健康管理に努めている。
2024年02月02日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。両親にがんを報告すると泣かずにいてくれましたが、やはりショックを受けていたと実家に住む妹から聞きました。がんになってよかったと思えることもフリーランスのとりだまりさんは、子宮頸がんであることを懇意にしていた編集者に報告したところ、あっさり仕事を切られてしまいました。治療が終わったとしても、復帰する場所がないというのがしんどいと思っていたのですが……。他の編集者に連絡するとやさしい言葉をかけてくれる人も多くいたのです。しょっちゅう仕事をしていた方にあっさり仕事を切られてしまい、「このやりとりをあと何回続けるのか」と思いながら、仕事先の方たちに連絡をしました。ある程度覚悟していたのですが……。「とりあえず半年くらいは待てますから」「無事に治療が終わるのを待っています」「治療が長引くならそのとき相談しましょう!」など、やさしい言葉をかけてくださる方が多く、とてもうれしかったです。ある方からは、治療中も仕事を続けさせてくれるという、うれし過ぎる申し出もありました。でも、一体なぜ……? と思い尋ねてみたところ、その方も長期入院したことがあり、病気が治っても仕事がないかと思うとすごく不安だったという経験があったからとのこと。そのおかげで、実際に私は入院中も働くことができたのです。がんになったことは、本当に死ぬほど怖くて、震えるほど嫌なことです。それでも、実はがんになってよかったと思えることもたくさんあります。その1つが、「待つ」と言ってくれた人たちがいたこと。そのことに気付けたことです。元気だったら、なんということのないひと言ですが、社会に戻れるかどうかわからない自分にとって、思った以上に勇気づけられる言葉でした。特に、戻る場所のことまで考えてくれた彼女には、ただただ感謝しかありません。ほかにも、それぞれのやり方でサポートしてくれた友人がいて、その気づかいにもとても助けられました。------------------------「待つ」と言ってくれた人たちがいたことに気付けたことで、視界が大きく変わったと、とりだまりさん。治療を始めてからでないと、自分でもどうなるかわからない中、そういった言葉はとても励みになりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。乳がん患者の女性と友だちになり、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。ただ、働けない期間のお金が気がかりでした。手術前から戦意喪失両親には、事前に子宮頸がんであることを伝えていましたが、直接話をするために実家に帰ったとりだまりさん。直接話をしたときは泣かずに聞いてくれました。ただ、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。そして、次は仕事関係の人たちに報告をすることになったのですが、地味にショックな出来事があり……。いつまで続くかのかわからないのが、がん治療。だからこそ困るのが、収入減(仕事)のことなのですが……。がんを治せずに死ぬのも怖い。生き残って、また仕事を始めるのもちょっとしんどい。このときはそんなふうに思っていました。だから、仕事関係の方に連絡するのがとても怖かったです。意を決して、当時懇意にしていた書籍編集者さんに報告したのですが……秒で切られました(笑)。仕事を切られるのはともかく、非常にあっさりなのがなんとも。まぁ、向こうにもいろいろ都合があるのでしょうが……。「治療が終わるまで、何年だって待ってますよ!」……という都合の良い答えを期待していたわけではありませんが(いや、ちょっとしてた)、残念ながら私は、編集さんが「数年待ってでも書いてもらいたいんです!」と思うような、実力派でも売れっ子ライターでもないので、恨むなら自分を恨むしかないのが、なんとも情けなく。ただ、うまい具合に治療を終えられたとしても、そのとき復帰する場所がないというのは、やはりなかなかしんどいものです。------------------------仕事をあっさりと切られたとき、とりだまりさんは「正直、終わったな……と思った」とのこと。がん治療とは直接関係ないことであっても、治療前から気に病むことことがあるのは、つらいですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになり、弱音を吐けたことで不思議と気持ちが軽くなりました。がんの報告のため実家に帰ると…1カ月後に子宮頸がんの手術をおこなうことになったとりだまりさん。入院準備で物をそろえる以外にもいろいろ調整が必要なことがありました。一番気がかりだったのは、収入のこと。フリーランスだったため、働けないと即、無収入となってしまうのです。そして、もう一つ気がかりだったのは、子宮頸がんであることを両親に告げること。気が重くなってしまって……。子宮頸がんであることを電話で両親に伝え、その後実家に会いに行くことにしました。私もアラフォー。高齢なので、あんま期待してなかったとも思いますが、さすがに両親に「孫を残せなくて……」と直で伝えたときはヘビーでした……。そんなこと娘に言われた両親のほうが、さらに重かったとは思いますが。娘に面と向かってがんだと告げられた、父と母の反応はそれぞれでしたが、泣かれなくてよかったな、と思いました。でもその後、妹から聞いた話では、私の前ではそんなそぶりを見せなかった両親は、うなだれてお通夜のようだったとのこと……。いやー、やっぱそうですよね~。会っている間は淡々と、普通の挙動だった両親ですが、やっぱり無理してたんだなぁと。これはもう、「心配かけて申し訳ない」としか言えません。本来であれば、親がこっちに心配かけていい年代なのに。介護とか。あと妹。不甲斐ない姉でホントすみません……。病気になることで、自分の甲斐性のなさが、アリアリと浮き彫りになった1日でした。------------------------両親に自分ががんだと伝えるのは本当に気が重かったとりだまりさん。伝えるほうも、伝えられるほうもとてもつらいものですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。乳がん患者の女性と友だちになって治療についていろいろ話を聞き、抗がん剤治療に挑む覚悟ができました。収入ないまま生き続けるのもヘビー…入院前に乳がん患者の女性と「がん友」になったとりだまりさん。「がん友」に弱音を吐けたことで、がんであるという事実は変わらないけれど、不思議と気持ちが軽くなりました。そして1カ月後、子宮頸がんの手術をおこなうことに。入院準備で物をそろえる以外にも調整が必要なことがあり……。自分が倒れれば、そこまで。働けなければ、即無収入。それがフリーランス。しかもわが家は夫婦ともにフリーランス。なので、夫婦といえども、簡単には相手に頼れません。なぜなら共倒れになるから。そのつもりで生きてきました。ただ、「治療費が足りなければ貸す」と夫に言われたときは、「よっしゃ、死んだら借り逃げできるな!」とも思いました(笑)。いざとなったら、借り逃げができる。それが夫婦(?)。そう思っているのは私だけかもしれませんが、夫に確かめるつもりはもちろんありません。「違う」って言われても困るから。この先も、そこはあいまいにしたまま生き抜こう。そう思う今日このごろです。ー------------------------フリーランスのため、働けない期間のお金のことが気がかりだったというとりだまりさん。手術だけでなく、手術後の生活やお金についても夫婦で話し合う必要があるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定。入院手続きの際に乳がん患者の女性に出会い、抗がん剤治療について教えてもらいました。都合にいいとこだけ見て生きていけるタイプ乳がん患者の女性に、抗がん剤治療での吐き気を抑えてくれる薬があることや、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきたとりだまりさん。その女性とは仲良くなって、「がん友」になりました。乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんに、ウィッグについても教えてもらった私。もし抗がん剤をすることになっても、めっちゃいいウィッグを買うことにして、闘病の決意を固めました。そして、ウィッグへの気付き意外にも、さらにうれしい出来事が……。それは、がん告知を受けたその日に、とてもすてきながん友に出会えたことです。どうせハードな治療をするなら、せめてメンタル面くらいはラクラクのラクをしたいじゃないですか……。だって絶対、そこそこしんどいし。そんな私の怠け者マインドに、彼女の極上におおらかな感性は非常にしっくりきたのです。私も体毛が全部抜けたら、エステで全身脱毛したって思おう~。そう考えただけで、くだらな過ぎてちょっと楽しくなれたのでした。------------------------入院前からがん友だちができたことが、非常に心強かったと、とりだまりさん。がんである事実は変わらなくても、不思議と心が軽くなったそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2024年01月24日千葉大学発ベンチャー・柏の葉ゲノムクリニックは、「がんリキッドバイオプシー外来」を、千葉大学柏の葉キャンパスの診療所にて2024年2月より開始いたします。「がんリキッドバイオプシー」とは「がんリキッドバイオプシー」は、がんに由来するDNA/RNAや細胞を血液などの体液中から取り出して分析することにより、がんの早期発見やモニタリング、治療方針提示を行う検査の総称です。採血により体に大きな負担がなく検査を行えることから、世界的に盛んな研究が行われています。ゲノムクリニックはゲノム解析の領域で、がんのリスク判定および早期発見を目指し研究を続けてきました。今回、国内外から本領域に関わる検査を集め、「がんリキッドバイオプシー外来」として開始いたします。より多くの方々に受診していただくことで、がんの予後を改善することを目指しています。■受診方法1. ゲノムクリニックHPより予約を行っていただきます。2. 医師による問診後、最適な検査をご提案させていただきます。3. 採血を行い、検体を院内ラボまたは提携先ラボにて解析します。4. 結果レポートを対面またはオンライン診察により説明します。5. 必要に応じて、追加の検査や医療機関紹介などを行います。■受診できる対象者「がんの早期発見を希望する方」「がん治療中または再発モニタリング中の方」■クリニック概要名称: 柏の葉ゲノムクリニック所在地: 千葉県柏市若柴178-4, 148街区2KOIL608代表: 院長曽根原 弘樹設立: 2019年10月1日(出典元の情報/画像より一部抜粋)(最新情報や詳細は公式サイトをご確認ください)※出典:プレスリリース
2024年01月17日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。入院手続きをするときに乳がん患者の女性に出会い、勇気付けられました。がん治療に挑む覚悟ができたのは…入院手続きのときに出会った、乳がんで抗がん剤治療をした女性に抗がん剤治療についていろいろ教えてもらったとりだまりさん。抗がん剤治療での吐き気を抑えてくれる薬があることや、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきましたさらに、一番気になっていたことを詳しく聞いてみると……。すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんのお話を聞いて、私の中のがん治療への思い込みが次々と塗り替えられました。抗がん剤治療を受けてみないとわからないけれど、私が想像していたよりもずっと体を動かすことができるのだな、と。そしてついに、一番気になっていた髪の毛について聞いてみたら……。「それはもう見事にツルツルに。エステかよっていうくらい」と美女患者さん。抗がん剤治療でエステって一体……!?私は髪の毛が抜けることしか想像していなかったのですが、髪の毛だけでなく、全身の毛という毛が抜けるとのこと。ウィッグは慣れるととてもラクで、ナチュラルになじませるためには、それなりにお値段がかかるよう。でも、それでがん治療のつらさを乗り越えられるのであれば……。このときは「絶対に買おう」と決めたものの、後日、家族の猛反対に遭いました。「なぜ見栄のために、そんなに高いものを……」「数千円台からあるんでしょ? だったら、そういうのを何種類か買って楽しめば?」…………まぁ、そういう考え方もありますよね。でも、正直「うるせえ!」って思いました(笑)。だって治療するのは私だもん。自分で買うのだから文句はないでしょうが!とにかく、私はこの決心で、心置きなくがん治療に挑む覚悟ができたのでした。ー------------------------美女患者さんのリアルな話で、一番気がかりだった髪の毛についても前向きに考えられるようになったという、とりだまりさん。がん治療に挑む覚悟の固まり方は、人それぞれだと実感したそうです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月31日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、その後がんの専門病院で詳しい検査を受けるとがんが確定しました。子どもはいいらないと夫婦で決めていたものの、手術で子宮も卵巣もなくなることになり、子どもを持てなくなることの罪悪感が湧き上がってきて……。抗がん剤治療の不安が少し和らいで…入院手続きのときに、乳がんで抗がん剤治療をした美女から声をかけられたとりだまりさん。その女性に抗がん剤で髪が抜けるのかを質問してみました。すると、「見事に抜けるね! 今もヅラね」と教えてくれました。そのやさしく美しい姿にこれならがん治療もいけると感じました。さらにいろいろ話を聞いてみると……。入院手続きをしているときに、すでに乳がんで抗がん剤を体験したという美人患者さんにお会いしました。抗がん剤といえば、「とにかく吐きまくり」という印象だったのですが……。「多分吐かない。大丈夫」と言われてびっくり!中には薬が合わなかったり、薬の量が多かったりして吐く方もいるようですが、「今めっちゃいい吐き気止めあるから」とのこと。美女患者さんの場合は、ちょっとムカムカするかな? 程度だったらしいです。さらにこの後、私にとっては意外な事実が告げられました!思えば、私の身近でがんにかかったのは、高齢の祖父母だけ。年齢のことを考慮して、抗がん剤治療はしなかったので、今のがん治療がこんなに進んでいるとは少しも思いませんでした。「もしかして、がん治療をしながら仕事ができるかも?」それは、フリーランスの私にとっては、非常に希望の持てること。だって、休業補償がないし……。長期間休んだら、これまでのキャリアがすべて終わるような気がするし(これは気のせいでしたが)。まぁ、がん治療しているのに休めないという現実もどうかと思いますが、仕事が続けられるという事実は、いろんな意味で支えになります。もちろん、体は治療でそれなりに疲れているので、これまで通りというわけにはいかないのですが。それでも、治療を受けながら仕事をしている人がいるという事実を知り、非常に力が湧いてきました。ー------------------------想像していた抗がん剤治療とは全然違っていたと知り、驚いたというとりだまりさん。症状の出方やつらさは人によってそれぞれだと思いますが、がん治療中をしながら働いている方もいるのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月30日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けた結果、がんが確定しました。子宮全摘で、卵巣も切除したほうがよいと言われて……。手術はともかく抗がん剤が心配でがんの専門病院で受けた検査の結果、がんが確定したとりだまりさん。夫に電話で伝えると、冷静に聞いてくれて安心しました。子どもはいらないと何となく夫婦で決めていたものの、卵巣を切除することになったことで、産まないのと産めないのは似ているようにずいぶん違うことを感じました。とりだまりさんは、検査結果を聞いたその日に入院手続きをすることになり……。翌月に控えた手術のために、入院の手続きをすることになりました。私の場合、がんになったことは、割とあっさり受け止めることができました。けれど、ハゲるのはなかなか……(笑)。そんな私に、とってもうれしい出会いが訪れたのです!声をかけてくれた美女は、乳がんで抗がん剤を投与したとのこと。髪の毛のことについて聞くと、「見事に抜けるね! もうツルッツルに! あ、ちなみに今もヅラね」と教えてくれました。そのやさしく美しい姿に「これならイケんじゃね?! がん治療!」と感じたのです。ー------------------------不安な中、その女性に出会えたことはとてもうれしいことだったというとりだまりさん。経験者の話を聞いたり、姿を見ることは、自分が前向きに考えられるきっかけになるのかもしれませんね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月29日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けることに。検査結果が出るのは約1カ月後ですが、血液検査の結果はすぐに出て、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカー(がんなどの異常があると体内で増える特有の物質)の1つ「CEA」の値が基準値上限の3倍であることがわかりました。産めないと産まないのは違う…がんの専門病院で受けた検査の結果、がんが確定しました。ステージは「ⅠB1期」。ステージ1だとしたら軽いほうではないかと思ったら、ⅠB期でも「子宮全摘」が標準治療で、さらに子宮とつながっている卵巣にも転移の可能性がなくはないため、妊娠・出産を望まないのであれば、卵巣も切除したほうがよいと言われました。検査結果を伝えるため、家族である夫に電話をかけたのですが……。検査結果はクロ。子宮頸がんのIB1期でした。まずは夫に伝えなければと、「アウトでした…とりあえず手術」と電話で報告しました。「まぁ、なったもんはしょうがないからしっかり治そう」と、落ち着いて対応してくれた夫の存在が、とてもありがたかったです。ややホッとしたこともあり、このあと、思わず不安をこぼしてしまいました……。結婚前から「子どもはいらない」と何となく決めていたわが家。ですが、いざ自分の子宮も卵巣もなくなるとなると、子どもを持てなくなることへの罪悪感がほんのりと湧き上がってきました。なるほど、「産まない」のと「産めない」のは、似ているようで、ずいぶん違うんだな……と、このときはひしひしと感じたものです。それにしても、この段階で「ハゲたくない」とか言っている私って……。でも実際、手術よりも抗がん剤そのものよりも、このときの私はハゲるのが何よりも怖かった。だって、見栄っぱりだから。それがわかっていても、本当に本当に嫌だったんですよ~。ー------------------------何よりもハゲるのが怖く、「もし抗がん剤をやらなきゃいけなくなったら……」と考えると目の前が真っ暗になってしまったそう。治療を始めてみないとわからないことは、不安になりますよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月28日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で詳しい検査を受けることに。検査の前、今まで見過ごしてきた不正出血などの不調が思い出され、早く病院に行っていればと後悔して……。結果をひとりで受け止めると決めて病院へがん専門病院で、細胞の組織を採取して検査する組織診を受けたとりだまりさん。検査結果が出るのは数週間から1カ月後とのこと。血液検査の結果はすぐに出て、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカー(がんなどの異常があると体内で増える特有の物質)の1つ「CEA」の値が基準値上限の3倍であることがわかりました。1カ月、組織診の結果を聞きに病院に行くと……。がんの専門病院で、詳しい検査をして1カ月後……ひとりで結果を聞きに行きました。がんなのかどうか、ずっとモヤモヤしていてとてもキツく、まさにヘビの生殺し状態。病院では、泣いている人もいて「やっぱりひとりで受け止めるのはキツイ?」とも思ったのですが、私の場合は、まずはひとりで受け止めたかったのです。そして診察室に入ると「手術しよっか」と先生。覚悟していたこともあって、白黒ついたときは、ちょっとホッとしました。とはいえ、もちろん大ショック!手術前の先生の見立ては「ⅠB1期」。「つまり、ステージ1? だとしたら、軽いほうなんじゃ……」と初めは思っていました。簡単な手術で子宮頸部をちょこっと切るだけで済むんじゃないかな、って。ところが、日本だとI期・Ⅱ期の治療は外科手術が基本で、ⅠB期でも「子宮全摘」が標準治療だそう。さらに、子宮とつながっている卵巣にも転移の可能性がなくはないため、妊娠・出産を望まないのであれば、卵巣も切除したほうがよいとのことで……。うちはもともと子どもを持つ予定はなかったので、妊娠・出産は特に望んでいませんでした。それでも「卵巣切除? 女性ホルモンが出なくなる? 女性らしくなくなる?」と考えるのはかなり不安でした……。ただ、手術や治療が終わってみると、その点についてはさほど心配いりませんでした。今は、女性ホルモンを充填できるホルモンパッチがあるからです。ちなみに現在、手術を終えて5年以上がたちますが、同世代と比べて、肌や髪も「まぁ、経年劣化もあるので、こんなもんかな……」という程度の衰えで済んでいる気がします。ー------------------------卵巣まで切除するとは思っていなかったとりだまりさんは、「女でなくなる!?」とショックを受け、この先どう生きたらいいのか混乱したそう。予想外のことを受け止めるのは簡単ではないですよね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月27日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で再度検査を受けることになり……。検査の結果が出るのは数週間からひと月後大きながん専門病院に行くにあたり、今まで見過ごしてきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきたとりだまりさん。「ちょっと変だな」という自覚があっても、お金がない時期が長かったことで、なかなか病院に行く決心がつかなかったことを後悔しました。組織の一部を取って検査をすることになったのですが、強い痛みを感じて……。がんの専門病院で、細胞の組織をもう少し採取して検査する「組織診」を受けることになりました。細胞診検査の結果「がんかもしれない」となったら、子宮頸がんの場合は、続いて以下のような、より専門的な検査をするようです。・コルポスコピー観察(専用の拡大鏡で医師が観察)・組織診(がんが疑われる部分の一部を、鉗子で切除し、病理検査へ回す)・血液検査(腫瘍マーカーチェック)・内診・超音波検査・MRI(画像診断)・CT(画像診断)・PET-CT(画像診断)など。組織診では、鉗子で細胞をちょこっと削るため、人によっては痛みがあります。私はそこそこ痛かったのですが、平気な方も多いようです。どうしても怖い場合は、お願いすると麻酔をかけてくれることもあるようですが、「痛い!」と言っている間にすぐ終わるので、麻酔をかけるほどでもないのですよね……。このあたりは悩ましいところです。そして、組織診や画像検査の結果が出るのは、数週間からひと月後。患者はその間、もんもんとして結果を待つわけです。長いんですよね~、この、待っている間っていうのが……。ちなみに「腫瘍マーカー」とは、がんなどの異常があると体内で増える特有の物質のこと。私の場合は、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカーの1つ「CEA」の値が、基準値上限の3倍ほどでした。思わず「うわぁ……」と声が出ました。ー------------------------組織診のときに受けた血液検査で、腫瘍マーカーの1つの値が高かったとりだまりさん。しかし、組織診や画像検査の結果が出るのを待つしかなく、その間はとても長く感じたそう。検査を受けたらすぐに結果がわかるわけではないのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに食付き、婦人科を受診したとりだまりさん。がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになり……。何年も不正出血が続いていたのに…詳しい検査を受けるために、候補となった病院は3万円からの個室しかないセレブな病院とがん専門病院の2つ。セレブ病院は経済的に無理だったため、がん専門病院を選びました。がん専門病院では、患者さんが皆がんを患っているため、しんどいのは自分だけじゃないと思えてよかったそうです。大きな病院に行くにあたり、今まで見過ごしたきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきて……。大きな病院で検査を受けるにあたり、夫と「これを機にちゃんと診てもらおう」と話しました。とはいえ、痛くも何ともないので、「本当にがん?」とも思うのですが、くじ運は悪いほうな私は、裏を引きそうな気もして……。そうなると、「ここ何年も不正出血が続いていたな」「結構な頻尿だったな」など、これまでは何とも思っていなかった体の不調も気になってきました。当時は「疲れてるせいかなぁ」と漠然と思い込んでいたというか、変なことになっているんじゃないかとは、考えたくなかったのだと思います。さらに、「ちょっと変だな」という自覚はあっても、お金がない時期が長かったので、なかなか病院に行く決心がつかなかったというのもあります。後にして思うと、「お金がなくても、結構何とかなったのにな」と激しく後悔に襲われました。日本には、医療費が高額になった場合に一部を払い戻してくれる「高額療養費制度」というすごい制度がありますし、入院前に「限度額適用認定証」の申請を役所にしておくと、病院で自己負担限度額以上の支払いをしなくて済む仕組みもあります。いずれの場合も、自己負担限度額は収入に応じて変わってくるので、自分が加入している保険(国民健康保険なら役所、社会保険なら会社等)の担当者に相談すると良いそうです。ー------------------------ご自身の経験を踏まえ、「ちょっとでも変かな?と思ったら、ぜひ病院に行っときましょう!」ととりだまりさん。気になる症状があるときは、自己判断をせず、早めに受診できると良いですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。【天神先生からのアドバイス】頻尿だったのは、おそらく大きくなった子宮が膀胱を圧迫していたのだと考えます。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付いて、近所の婦人科を受診したとりだまりさん。すると「がんかも……」と医師に言われ……。がん専門病院を選んでみた結果専門の施設へ行き、がんの細胞診を受けたとりだまりさん。検査の結果、Class(クラス)Ⅲb、がんの可能性が高いことがわかりました。クラスとは腫瘍が悪性(がん)かどうかを判断するものだそうです。この後、より詳しい検査をするために、大きな病院に行くように言われて……。がんの細胞診の結果、がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになりました。候補に上がった2つの病院のうち1つは、3万円からの個室しかないセレブな病院だったため、「経済的に無理!」となり、もう1つの病院にしました。その病院はがん専門なので、患者さんも皆さんがんを患っています。不思議なことに、しんどいのは自分だけじゃないと思うと、何となく怖さが薄れてメンタル的にとてもラクになったので、結果的によかったと思いました。そして、病院選びで気を付けないと、と思ったことが1つ。総合病院の場合、婦人系のがんの患者さんと、出産を控えた方が、近くに配される可能性があること。「隣の病室からは、赤ちゃんの元気な泣き声や親族の『おめでとう!』の声が聞こえてくるのに、がんの手術で子どもを産めなくなってしまった自分って……」これは、子どもがいない女性にとっては、なかなかしんどいと思います。とはいえ、総合病院には良い点もたくさんあります。すでに子どもがいる方なら、上記のようなことがあってもさほど気にならないかもしれませんし、がんの他に持病を抱えている方なら、がんも持病もトータルで診てもらえるというメリットもあるでしょう。できるだけストレスなく過ごせるところを選べると良いですよね。ー------------------------がん専門病院を選んだことで、とりだまりさんは自分が「普通ゾーン」にいると思えて、安心したそう。自分ができるだけストレスを感じずにいられる病院選びが大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月24日