出産後、病院から帰ってきて赤ちゃんとウトウトし始めたママ。それもつかの間、眠気も覚めるような出来事が起こったそうです。夫と義母の喧嘩に巻き込まれてしまったママの体験談です。長男を出産すると「毎日手伝いに来る」と言ってくれた義母。それを夫がやんわり断るとまさかの事態に。退院したその日に、赤ちゃんではなく大人たちに振り回されるとは思っていませんでした。一番大変なのは私なのに……と悲しくなった体験談です。 退院するとすぐにやってきた義母長男を出産して退院すると、近くに住む義母がやってきました。「疲れたでしょ。少し休んでいいよ」と言ってくれたので、長男と寝室へ。 出産は問題なかったものの、骨盤はグラグラ、足はフラフラ。久しぶりに外へ出たせいか、とにかく疲れてしまっていたため、せっかくきてもらったのに申し訳ない気持ちもありましたが、夫もいるので大丈夫だろうと思いました。ちょうど長男も寝ていたので、すぐにウトウトしてしまいました。 だんだん大きくなる2人の話し声夢見心地のなか、夫と義母の話し声が遠くで聞こえていました。何を話しているのかはわからないくらいで、まるで子守歌のよう。少しずつ眠りが深くなるのを感じていると、だんだん2人の声が大きくなっていくのです。 それも楽しそうというより、言い争っている様子で、何だか嫌な予感がしてきました。義母と夫の関係は悪くはないのですが、たまに大喧嘩をしてしまうことも。「あんたは私を何だと思っているの!」という声でハッと目が覚めました。 喧嘩の原因は私?2人の声が聞こえる場所までこっそり移動すると、こんな会話が。「産後は大変なんだから、私が毎日来て手伝うって言ってるのに、何が気に食わないの?」「そういうことじゃなくてね。それは俺がやるから、大丈夫って言いたいの。お願いしたいことがあったらそのときに言うよ」 「あなたは仕事があるでしょ。女にしかわからないこともあるのよ。どうして〇〇ちゃん(私の名前)と私を引き離すようなことをするの? 私の何が悪いの?」「そんなこと言ってないよ。今のところは大丈夫だからって言いたいだけなんだよ」。毎日くると言った義母に対して夫が断り、怒らせてしまったようです。その声を聞いて私の背筋がサーッと凍りました。 仕方なく仲裁に私と義母はほどよい距離を取りながら、良い関係でいますが、たしかに毎日義母がくることに抵抗がありました。お願いするにも気をつかうし、家事が苦手な私を見せたくないという気持ちもありました。しばらく話を聞いていると、私のためと言いながら2人とも私をないがしろにしているような気分になり、とても悲しくなりました。無視して寝ようかとも思いましたが、それもできずに「どうしたの?」ととぼけて2人のところに。 私の顔を見ると2人はハッとした様子で「ごめんね。うるさかったよね」と。「〇〇ちゃんと赤ちゃんのために……と思ったら熱くなっちゃって」と義母も夫も反省した様子でした。それから3人でこれからのことを話し合い、義母には毎日夕食を持ってきてもらうことに。そして、夫の帰りが遅いので、私が入浴する間は長男のお世話もしてもらいました。 今となっては笑い話ですが、私よりも夫や義母のほうが「赤ちゃんが生まれたんだから、いろいろと頑張らなくちゃ!」と思ったようです。うれしい半面、あのときのハラハラ感を思い出すと複雑な気持ちです。1カ月ほど経つと義母に手伝ってもらうことに慣れ、義母とさらに仲良くなれ、家に来てもらうことを断らなくてよかったなと思っています。 作画/やましたともこ著者:更田未央子6歳と2歳の子を持つ母。看護師・保健師・養護教諭1種・FP3級の免許を取得。現在、高校生を対象とした学習塾の講師をしながら、FP2級を目指す。育児・教育・医療・金融・不動産について執筆中。
2021年02月27日現在5歳の息子は生まれたばかりのころ、とてもよく泣く子でした。8時間泣き続け、ずっと抱っこしていたという日も。やっと寝たと思っても、ベッドに置くと泣いてしまうことは日常茶飯事。泣き止まない息子に私もイライラしてしまう日々で、ある日の夜、私は息子にひどいことをしてしまいました。 泣き続ける息子息子が生後4カ月のころ、支援センターやお散歩などに連れていくと比較的機嫌が良いので、天気の良い日は外出するようにしていました。でも夕方帰宅したあと、息子はずっとグズグズ。家事をするときは常に抱っこひもで抱っこをしていました。 入浴後は午後7時くらいから3時間ほどまとめて寝ていたので、それが私にとって休憩できる唯一の時間。午後10時ごろには泣き始め、その後2時間起きに授乳をして息子を寝かせるということの繰り返しでした。 夫は激務のためワンオペ育児夫は激務で朝9時ごろに家を出て、午後11時すぎに帰宅という毎日。土日出勤や数日間の出張もある状況でした。息子とはたまの休みにしか会えないので、息子は夫に抱っこされても泣き止みません。 夫も困って「おっぱい飲みたいんじゃないの?」などと言って、私に抱かせようとしてきます。寝かしつけを夫に頼んでも、息子は泣き続け、結局は私が寝かせることに。育児を誰にも頼れないストレスでイライラが募るばかりでした。 寝ぐずりの息子にイライラある日の午後8時ごろ、息子が寝ている近くで私も寝ていたのですが、1時間も寝ていない息子が起きて泣いてしまいました。睡眠不足の私は、イライラしながら抱っこ。息子も眠いのに眠れないため、全然泣き止みません。私は気分を変えるため、布団に寝かせた状態で子守唄を歌うことにしました。 息子の両手を私がそれぞれ握って、少し躍らせるように動かしながら歌いましたが、足をばたつかせながら、ギャーギャー泣く息子。私は泣き声を聞いていることがつらくなり、歌うのをやめて思わず息子の両手を力いっぱい握ってしまったのです。 自己嫌悪で涙息子はびっくりしたのか一瞬泣くのをやめて、私の目を見ていましたが、その後さらに大泣きに。ハッとわれに帰り、自己嫌悪に陥った私。息子を抱きしめ「ごめんね」と謝りながら、一緒に泣いてしまいました。私はこのままでは息子にまた痛いことをしてしまうかもしれないと思い、夫に経緯を説明。 そして、私がひとりになれる時間を作ってもらうようにしました。私だけ別室で昼寝をしたり、カフェや本屋に出かけたりすると良い気分転換になり、イライラする頻度が減った気がしました。そして息子は成長につれ、夜中まとめて眠るようになり、私の精神も徐々に安定していきました。 手を全力で握ったあとの息子の表情や、くしゃっと潰れた手の感触は今でも脳裏に焼き付いています。もう二度と息子を痛い目に合わせてはいけないと心に誓った出来事でした。そして息子のためにも、自分のストレスを溜めないよう気を付けるようにしています。 監修/助産師REIKO著者:土田えり子2人の男児の母。元記者で、現在はフリーランスとして企業のリリース記事や、自身の子育て体験談などを執筆中。
2021年02月20日現在、夫の実家近くに住みながら、3人の子どもを育てています。夫には妹がおり、妹家族も近くに家を構えて住んでいて、同じくらいの子どもが3人います。いとこたちに会うと子どもたちは楽しそうに遊んでいますが、ふとしたときに義母の対応の違いが感じられて切なくなります。 旅行に誘われない妹家族の家は別に構えているものの、パパの仕事が忙しく帰りが遅いため、食事やお風呂などはすべて実家で済ませています。 そのため、ずっと一緒に住んでいるような感覚なのでしょう。連休には度々義母と妹家族で旅行に出かけており、わが家はまったく知らされません。もしかしたら妹家族が旅費を出していたりするのかもしれませんし、うちに気をつかってくれているのかもしれませんが、なんだかちょっぴり寂しい気持ちになります。 誕生日を忘れられる妹家族は義母とほぼ一緒に過ごしているため、子どもたちの誕生日も毎回一緒にお祝いしている模様。しかしわが子たちは3人目が生まれたころから誕生日については触れられなくなり、「おめでとう」とも言われなくなりました。 数年前に義父が亡くなり、孫が多くなり、義母も大変なんだろうとは思います。でも、「おめでとう」も言われなくなるのはやっぱり寂しいものがあり、その傍らで妹家族が一緒にお祝いしているのを知ると、なんだか差を感じてしまいます。 「うちの子は…」と言われる義母にとっては何気ないひと言なんだと思いますが、妹の子どものことを「うちの子たちは……」といつも言います。実の娘の子どもですし、ほぼ一緒に暮らしているようなものなので、そう言うのも不思議ではありません。 でも、「うちの子は」と聞くたびに、私や私の子どもたちはよそ者扱いされているような感覚になります。義実家近くに住んでもう8年になりますが、なかなか関係的な距離は縮まらず、私の足も遠のく一方です。 近いのになかなか足が向かない義実家ですが、行けば子どもたちはいとこたちと楽しそうに遊んでいますし、義母も子どもたちにやさしく接してくれるので特に問題はありません。義母の何気ないひと言や行動にちょっぴり切なくなることもありますが、適度な距離感で良い関係を保つほうがいいのかなと思うようにしています。 イラスト/ののぱ著者:沢田真紀子自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年02月16日助産師・国際ラクテーションコンサルタントの榎本さんが完全母乳についてお話ししてくれました。完全母乳のメリットとは何か、母乳の理想とは何かをまとめて解説! 母乳が赤ちゃんにとっていいことは多く知られています。ママのなかでは、完全母乳の方、さまざまな理由から育児用ミルクを足しての混合栄養や育児用ミルクのみで育児をされている方がいます。赤ちゃんにとって、完全母乳がベストなのでしょうか? 完全母乳とは?世界保健機関(WHO)では、科学的根拠に基づき、生まれ育つ国や家庭の経済的な環境にかかわらず、生後半年までは母乳だけ、そしてその後は栄養を補完する食べ物をあげながら2歳かそれ以上まで母乳育児を続けることを推奨しています。 “完全母乳”というのは、定義によっても変わりますが、本来の意味は、生まれてから一度も育児用ミルクを与えずに母乳だけで育てるということなります。産院では母乳分泌が増えてくるまで入院中に育児用ミルクを足していることが多いので、本来の意味の完全母乳で育児をされている方は少数であると思います。 完全母乳という言葉に、プレッシャーや焦りを感じてしまうママもいるかもしれませんが、そこだけを目指す必要はないかと思います。育児用ミルクを一切与えない栄養方法が最適ということではなく、ママと赤ちゃんにとって最適な栄養方法をみつけていくことが大切です。 母乳のメリットとは?母乳についてのメリットは多数知られていますが、ここでは母乳自体の成分に着目してみましょう。 産後直後や短期的なメリット初乳は、免疫物質(分泌型免疫グロブリンA)が豊富。最初に初乳を飲むことによって胃の粘膜の表面を覆い、細菌やウィルスの粘着・通過を防ぎ、感染防御機能を持つと言われています。 長期的なメリット・消化が良く、栄養の吸収も速やか。直接母乳であれば適温で飲みやすく、清潔です。搾母乳であっても、母乳中の白血球が雑菌の繁殖を抑えてくれます。 ・児の摂取カロリーの50%を占めるカロリー源として重要な脂肪は、児の脳の発達を促進し、児の成長に必要な脂溶性ビタミンの供給のサポートをしています。母乳の成分のうち、DHAなどの長鎖多価不飽和酸は、視機能が上昇し、認知能力が高くなると言われています。 ・母乳は低タンパクであるのに関わらず、豊富で適切な核酸を含んでいるため体重増加がいいと言われています。 ・母乳中のカルシウム、鉄、亜鉛は吸収率がよく、腸管に負担をかけずに必要量を摂取できます。 母乳自体の成分だけに着目すると、「母乳を飲んでいること」は児にとってメリットがあるのですが、完全母乳でなければいけないということはないと思います。育児用ミルクも母乳成分を研究してさまざまな成分を取り入れています。1番の違いはママの母乳はその赤ちゃんに合わせたオーダーメイドの栄養で、吸収率が高いと言われている点です。 母乳育児は細くても長く続けることが理想母乳だけで赤ちゃんを育てたい、母乳をできるだけ多く飲ませたいと思うママがいます。また、反対に完全母乳にできずに混合栄養になるのであれば、断乳したいという相談を受けることもあります。 1日に飲む母乳量が少なかったとしても、授乳期間が長ければ赤ちゃんが一生に飲む母乳の量が多くなり、母乳の恩恵を受けることができます。続けられる環境やママの心身の状態が整っているのであれば、母乳育児を細くても長く続けられるようにすることが理想です。 母乳育児は、一緒に支えてくれる家族の存在が必要です。相談できる助産師がそばにいればさらに心強いかもしれません。もちろん、母乳育児を続けていくことが困難であれば、今まで母乳育児をすることができたことを誇りに思って、これからの育児の自信へとつなげてほしいと思います。 完全母乳は1つの母乳育児の方法であって、母乳の分泌量、1日の授乳回数、授乳期間が違っても母乳育児に変わりはありません。1回でも母乳をあげれば母乳育児をしたことになります。完全ミルクであっても愛情は変わりませんし、栄養面では問題ありません。また、パパがママ同様に授乳ができるという点でのメリットもあります。赤ちゃんとママにとって、心身共に健康で笑顔で過ごせる最適な栄養方法を探していくことが大切です。 監修者・著者:助産師 国際ラクテーションコンサルタント・おむつなし育児アドバイザー 榎本美紀2001年に助産師免許取得後、杏林大学医学部付属病院・さいたま市立病院・順天堂大学練馬病院の勤務を経て、2013年に埼玉県さいたま市に訪問型の助産院「みき母乳相談室」を開業。病院勤務での経験を元に、母乳育児支援の国際ライセンスである国際ラクテーションコンサルタントとして、地域の母乳育児を支援。訪問時の相談は多岐にわたり、おむつなし育児アドバイザーとしてトイレトレーニングなどの相談も。一児の母。
2021年02月14日子どもが1歳のころ。離乳食は順調に進んでいたものの離乳はしていませんでした。特に夜中はおっぱい頼り。泣き出してもおっぱいさえあげればすぐに落ち着いてくれます。子どもが欲しがるうちはおっぱいをあげればいいと考えていました。一方、私は慢性的な寝不足で日中もボーッとしていて、昼寝が欠かせない状態。それでも今だけだと思い寝不足対策を取らないでいたら、事故を起こしてしまいました。 1歳を過ぎても離乳はせず事故が起きたのは子どもが1歳のころでした。離乳食をしっかり食べていて、食後のおっぱいはごくごく飲むというより触れたり口に含んだりするのが好きといった感じで、あまり必要がなさそうな様子。子どもは夜も2〜3回目を覚ましますが、おっぱいをあげれば落ち着いてすぐに眠りに戻っていきます。 本人がおっぱいを欲しがっているし、私もおっぱいの便利さと安心感を手放せず、積極的な離乳は考えられませんでした。今だけのことだし、本人が欲しがるうちはおっぱいをあげようと考えていました。 一瞬ウトウトしてしまい夜中に2〜3回目を覚ます子どもに毎晩付き合い、私は慢性的な寝不足状態。日中に子どもと一緒に昼寝をするのを日課にしていました。それでも1日中、頭はボーッとしていて集中力もありません。子どもと遊んでいてもウトウトしてしまうことが多々ありました。 それでも今だけのことだと思い、寝不足対策は何もしなかった私。ある日、私がウトウトしていると子どもの泣き声がし、一気に目が覚めました。子どもを見るとおでこから血が……! 転んで積み木の角にぶつけたようでした。 バンドエイドですみました泣きじゃくる子どもを抱いて、どうしたものか考えているうちに子どもは泣きやみ、遊びだしてしまいました。少し拍子抜けしたような気持ちで傷を見ると、血は止まっています。傷も浅そうです。 とりあえずバンドエイドの「キズパワーパッド」を貼って様子をみることに。しばらくしても変わった様子はないので、病院には行きませんでした。そして5日間、子どもに変わった様子はなく傷もきれいに治り、笑顔で遊んでいました。 当時、私は子どもの世話と家事に追われて自分のことは後回しにしがちでした。限られた期間のことだし、どうにかなるというおごりもあったと思います。「自分が万全ではないと子どもは守れない」。自分のケアと家族の世話のバランスをとりたいと考えるきっかけとなった一件でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※傷口が深い場合や、出血が止まらない場合、腫れ、膿などが見られる場合は病院を受診しましょう。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年02月03日現在2歳の娘を育てています。娘が生後3カ月のとき、私がトイレで動けなくなくなってしまうという事態が起こりました。原因は、私が自分の体調管理を怠ったばかりに悪化した「便秘」。悪化しすぎた便秘のせいで泣く娘のもとに駆けつけられず、本当に反省した出来事でした。 気づかなかった自分の便秘娘が生後3カ月のとき、夫も忙しく私はずっとワンオペの状態でした。初めての育児で手探り状態だったこともあり、常に自分のことより娘優先。そのため、そのときの私は自分の体に起こっていることにまったく気づきませんでした。 それは何かと言うと「便秘」。私は子どものころからひどい便秘でしたが、大人になってからは日々対策をして解消していました。しかし産後は自分の便秘対策に気を使う余裕がなくなり、日々の忙しさにかまけて、つい自分の排便がいつあったかなんて忘れていました。 トイレで動けない! 意識が遠くなって…ある日、無性におなかが痛くなり、娘をリビングに残してトイレに駆け込みました。そのときに「あれ? 私いつから出てない……?」と思い返すと、2週間近く便秘の状態だったことに気づきました。 それから数分でどんどんおなかが痛くなり、冷汗が出て指先が冷たくなっていき、意識も薄くなっていったのです。「やばいやばいやばい……!」。悪化する症状にどんどん焦りますが、夫は仕事、近くに住む義両親に連絡はつきません。娘の様子が見えるようにドアは開けていましたが、リビングでは娘が泣き始めてしまいました。 30分後に娘の顔をみて「ごめんね」泣く娘の声に動揺しましたが、意識もうろうの私はもうその場から動けません。「ごめんね……! ごめんね……!」とかすれた声で叫びました。これまで何度も同じ状況になったことがある私は知っていました。残された方法はもう、たまった便を出すことだけだと。 とにかく頑張っていきみ、30分後に便が出て一気に症状も改善しました。ヘロヘロの状態で娘のもとへ行くと、顔を真っ赤にして泣いている娘。抱きかかえて「ごめんね…!」と謝り、同時に何もなかったことに安堵しました。 例え娘が優先であっても、自分の体調管理を怠ってはいけないと心に刻んだ一件でした。もし娘が寝返りを始めた時期だったら、この間にうつぶせになって窒息していたかもしれません。そう考えると本当にゾッとします。これ以降、多少娘が泣いても自分の便秘対策はしっかりとするようになりました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2021年02月01日もともと私はよく食べるほうでしたが、妊娠によりその食欲はとどまることを知らず、第1子の妊娠では、食欲に負けて好きな物を好きなだけ食べた結果、22kgも増えてしまいました。そこから産後6カ月で、−25kgのダイエットに成功した体験談を紹介します。 妊娠中の食生活私はつわりもほとんどなかったため、妊娠期間を通して常に食欲がありました。1日3食の食事の他、夜中になれば菓子パンやお菓子をつまむこともよくありました。昼食後、シュークリームもよく食べました。 そんな生活を送っているうちに体重はみるみるうちに増加して、妊娠前は50kgだった体重が、出産直前には72kgにもなっていました。顔はまん丸になり、二の腕はパンパンになっていました。 産後の体重変化出産後、5kgは減っているだろうと思っていましたが、体重を測ってびっくり! 3kgしか減っていませんでした。完全母乳でしたが、産後3カ月経っても4kgしか減らず、焦りを感じ始めました。 そんなある日、赤ちゃんの湿疹が治らなくて病院に行くと、赤ちゃんに卵と乳アレルギーがあることが判明しました。そのため、「母乳をあげているからと言って極端に卵や乳製品を避ける必要はないけれど、バランスの良い食事を心がけるように」と医師から指示を受けました。 和食中心の食事を心がけた結果医師の指示を受けてからは、ケーキや菓子パンなどをやめ、和食中心の食事に変えました。 すると、今までわずかしか減らなかった体重がどんどん減っていき、産後6カ月の時点で、妊娠前の体重より3kg少ない47kgまで減っていました。25kgのダイエットに成功したのです。 今回は子どもの食物アレルギーがわかったことをきっかけに、私自身の食生活の見直しが必要となり、産後ダイエットの成功に繋がりました。成功を喜ぶ反面、妊娠中の体重管理をもっとしっかりするべきだったと反省もしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:松裏幸恵二男(二卵性の双子)一女の母。薬剤師として働きながら子育てをしている。自身の妊娠・出産・育児に関する体験談を中心に執筆中。
2021年01月25日私は5歳と2歳の娘たちを育てています。5年間子育てをしていますが、イヤイヤ期に突入した下の子と上の子の対応が大変で、ここ数カ月ほどが一番育児がつらいと感じ、現在、うつ状態になってしまっています。どのような症状が出ているのか、症状を良くするために何をおこなっているのかをお話ししたいと思います。 つらくなった原因下の子が2歳になりイヤイヤ期に突入する前は、上の子のペースで物事を進められました。しかし下の子に自我が芽生えてきてからは、何をするにも姉妹で意見が衝突して、時間がかかるように。例えば、1人が階段で帰りたいと言えばもう1人はエレベーターが良いと言い、次はエレベーターのボタンをどちらが押すかでもめるなど⋯⋯その繰り返しなのです。 「なるべく2人の意思を尊重してあげないと」と思い、1回で済むことも順番にやらせたり、諭したり、なだめたりと頑張っていたのですが、争いが減ることはなく私の神経だけがすり減っていきました。 私の体の変化特につらかったのが幼稚園の夏休み期間中です。2カ月弱の間、姉妹が四六時中一緒にいることでいざこざは絶えず、私のストレスもマックス! 仲良く楽しく過ごしたいのに、怒ってばかり。そんな自分に嫌気がさし、母親としての自信も喪失。そして、夏休みが明けたころ体調に変化を感じるようになってしまいました。 とにかく体が重く、何もしたくないし、すぐ涙が出るのです。家族のためにも元気に普段通りにしなくては、と気持ちを奮い立たせても、何かがおかしく、子どもたちと一緒の空間にいることさえしんどかったです。 心療内科と育児相談へそんな状態が1カ月ほど続いたので私は心療内科に行く決心を……。初診では何がつらいのか、どのような症状かを10分ほど医師と話し、安定剤が2週間分処方されました。そして2回目の受診で、あまりよくなっていないことから抗不安剤が追加されることに。薬の力を借りるとともに、育児の悩みや不安も聞いてもらいたいと思い、地域の子育て相談にも行ってみました。相談にのってくださった子育て支援者さんは真摯に話を聞いてくださり、母として頑張りすぎないためのコツをいろいろと教えてくれました。普段人には言えないような深く、暗い話を支援者さんたちとすることで、私は自分の気持ちを整理することができ、ストレス発散ができました。 体調がおかしいなと感じてから2カ月ほど経ちました。まだ本調子ではありませんが、どん底のときに比べるとかなり良い状態です。もうしばらく医療と地域の子育て支援者さん、そして家族の力を借りて本来の自分を取り戻していきたいです。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年01月24日5歳の双子の息子と3歳の娘の3兄妹を育てています。双子を出産後、寝不足が続き、ひたすらミルク、おむつ、抱っことめまぐるしく過ぎる日々のなか、自分の身なりはすべて後回しに。ラクさから、外出時以外ノーブラで過ごすようになりました。ただ、ノーブラで過ごした結果、大きな代償を払うことに……。そんな後悔が残ることになった失敗談をお伝えします。 産後の忙しさから、ブラを放棄…双子を出産後、日々の生活に追われ、寝不足が続く毎日でした。外出する余裕もなく、毎日家の中で過ごしました。 母乳は少量しか出ず、育児用ミルクを中心に育てていたので、母乳がしみ出してくることもありません。 妊娠からサイズの大きくなった胸に下着を着けることすら面倒くさく感じるようになり、ノーブラで過ごすことが増えていきました。真冬だったため、見た目でもわからないのでまったく気になりませんでした。締め付けもなく洗濯物も減るので、ラクだったのです。 母からの助言ももらったのに…あまりに自分の身なりを放置している私を心配し、「産後引き締めておかないと、胸もおなかも垂れちゃうかもよ?」と母から助言をもらったにもかかわらず、何もかも面倒に感じていた私はそのままノーブラ生活を続けていました。 しかし、双子が生後7カ月になってしっかり夜寝てくれるようになり、少し自分のことに目が向けられるようになったときにびっくり! 胸は垂れ、下っ腹はぽっこり。あまりに変わりきった体にショックを受けました。 産後、しっかり引き締めればよかった慌ててブラジャーや骨盤ベルトを毎日着けるようになりましたが、ぽっこり下っ腹は多少戻ったものの、胸は垂れたまま……。面倒くさがらず、しっかり引き締めをおこなえば、もう少し違う結果だったのではないかなと私はものすごく後悔しました。 その失敗から学び、3人目の産後は、ブラジャーも骨盤ベルトもしっかり着けました。すると、下っ腹のぽっこりは放置していた双子の産後より、ずっと早く戻った気がします。残念ながら、胸は垂れたままですが……。 初めての育児で気持ちに余裕がなくなり、さまざまなことに面倒くささを感じてしまうようになっていました。しかし、産後の引き締めは面倒くさいからと放棄していいものではありませんでした。垂れてしまった胸はいつ鏡を見ても残念な気分になります。今後も肌のケアなど後悔しないようにしたいと思います。 監修/助産師REIKO著者:桜田はな双子男児と女児1人の母。子育てやサブスク関係のライターとして活動中。
2021年01月23日現在1歳11カ月の娘をアメリカで育てています。娘を出産したとき、トルコ人の義母がはるばるトルコからアメリカまで産後の手伝いにきてくれたのですが、義母の娘へのある信じられない行動により激怒した私。文化の違いによる育児トラブル体験談をお話しします。 びっくり! 義母が娘の頭に○○を…娘の出産時、手伝いにきてくれたトルコ人の義母。娘が生後2週間ごろのある日、義母がリビングで寝ている娘の頭が寒くてかわいそうと言って、スカーフを娘の頭にかけているところを目撃しました。娘のことをかわいく思っての行動ということはわかるのですが、スカーフが顔にかかったり首に巻き付いたりといった事故が起こらないとも限りません。危険なのでそれはやめてくださいとお願いし、義母もにこにこして聞いていたので理解してもらえたと私は思っていました。 嫁姑バトル勃発!?しかし、その後も娘の頭にスカーフをかけ続ける義母。義母のかけたスカーフをそっと私がとるという静かな攻防を繰り返していたある日、事件が起こりました。リビングで寝ていた娘の泣き声が聞こえ、起きたかと思って様子を見に行くと、スカーフが娘の顔にかかり娘がもごもご言っています。私は悲鳴をあげながらダッシュで駆けつけて、娘の顔の上のスカーフを取り払いました。激怒した私は何が起こったかを義母に説明し、どうしてお願いしたのにスカーフをかけるのをやめてくれなかったのか、危険だと思わないのかと、すごい剣幕で義母に問いただしました。 話し合うことの大切さじっくりと話を聞いてみると、義母はやはり娘の頭が寒くてかわいそうだと思ったということと、トルコには外出時に赤ちゃんの顔にスカーフをかけるような風習があるため、特に危険だと思ってはいなかったということがわかりました。日本ではありえない行動でも、別の文化では当たり前ということがあるんだなと身をもって体験することに。ただし、私はやはり危険だと思うのでどうかやめてくださいと改めてきちんとお願いすると、今度は義母も理解してくれたようで、以後娘の頭にスカーフをかけることはなくなりました。 寒そうという理由で、新生児の娘の頭にスカーフをかけていたトルコ人の義母。初めて見たときはあり得ないと驚きましたが、文化の違いから出た行動でした。私は危険だと思うのでやめてほしいときちんとお願いすると理解してくれたので、文化が違っても結局大事なのはしっかりと話し合いお互いを理解しようとする気持ちだと思いました。 著者:玉木理恵1歳の女の子の母。アメリカ在住。翻訳家・ライターとして活動中。
2021年01月19日2021年1月19日、タレントの小倉優子さんはInstagramに、ある悩みを投稿。内容に心配や共感の声が上がりました。3人の息子の母親でもある、小倉さん。2020年7月に三男を出産してから数か月が経ち、産後の抜け毛に悩まされているといいます。今回、産後抜け毛が本当に凄いんです!!洗っている時の抜け毛の量、床の髪の毛の量に驚きます。自分で前髪の量を増やしたりしました。収録の時は、目立たないようにとメイクさんが頭皮にお粉をポンポンとしてくださるんです。長男、次男の時と比べて、抜け毛の量が本当に凄い。なので、抜け毛が目立つハーフアップをしなくなりました。髪型などでも工夫していきたいです。ogura_yuko_0826ーより引用※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 小倉優子 ☆ゆうこりん☆(@ogura_yuko_0826)がシェアした投稿 出産した女性は、ホルモンバランスの乱れや、出産や育児疲れによる心身のストレス、栄養不足など、さまざまな理由から抜け毛の症状が出ることがあります。思うように髪型がまとまらなくなり、悩む人も多いようです。投稿に対し、さまざまなコメントが寄せられました。・私も産後の抜け毛がひどいです。どんな髪型にしても目立ってしまうので、嫌ですよね。・抜け毛はよくある話だけど、タレントさんは大変でしょう。睡眠時間をたくさん取って、しっかり休んでくださいね。・産後はそんなこともあるのですね…。ストレスや疲労が重なっているかもしれないので、どうぞ頑張りすぎないでください。産後の抜け毛は大抵の場合、一時的なものなので、あまり気にしすぎないことが大切かもしれません。仕事と育児を両立しながら頑張る小倉さん。その姿に同じ悩みを持つ人は励まされたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年01月19日1人目は完母で育てた私ですが、2人目はあえて混合育児を選択しました。母乳の出もよかった私がなぜ混合育児を選んだのか? その理由と合わせて、私が感じた母乳と育児用ミルクのメリット・デメリットをお伝えします。 母乳良好で混合育児を選択した理由とは?1人目のときは母乳もよく出ていて、子どももよく飲んでくれていたので、迷わず完母を選択しました。しかし、母乳のみ、育児用ミルクのみのように、どちらかに限定してしまうと、やはりそれぞれにメリットとデメリットがありました。 そこで、2人目は母乳と育児用ミルク、どちらも与えられるようにしようと、混合育児を選択しました。その結果、場所や状況に合わせてどちらかを選択でき、育児の負担やストレスは1人目とはまったく違いました。 母乳育児のメリット・デメリットは?母乳育児は子どもが飲みたいときにすぐ飲ませてあげることができ、荷物も少なく済むので、外出時にはとてもラクです。そしてお金がかからないのでとても経済的だと感じています。 ですが、母乳育児はほかの人が授乳を代わることができません。体調を崩してしまって薬が必要な場合は病院に行き、母乳にも影響のない薬を処方してもらわなくてはならないことが、私にとって一番不便でした。 ミルク育児のメリット・デメリットは?ミルク育児の一番のメリットは、なんと言ってもママ以外の人に授乳を代わってもらえることだと思っています。頻繁におなかが空いてしまう低月齢の時期でも、時間ごとに担当を決めておけば、ママも少し落ち着いて睡眠をとることができます。 しかし、月齢が上がってくると1回の育児用ミルクの消費量も増えてくることから、経済的には負担が大きく、外出先にベビールームがない場合に備えてお湯を常備しておく必要があるため、荷物がかさばってしまうというデメリットも感じました。 母乳・育児用ミルク・混合のどれを選択するのかはママ次第です。私個人としては、ママが楽しく育児できることが赤ちゃんにとっても一番いい選択だと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:前田奈々自閉症の長男、次男の二児の母。自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2021年01月18日私は初めての出産の5日後、宿泊型の産後ケア事業を5日間利用しました。自治体が主催している事業で、提携助産院を利用したものです。その助産院は民家を利用して営まれていて、用意された個室は2階の和室でベランダつき。休みの日は夫も一緒に部屋で過ごすことができ、私はずっと赤ちゃんと寝て過ごしていました。主催者によって産後ケア事業もいろいろなスタイルがあると思いますが、私が利用してよかったと感じたことをお伝えします。 何も考えなくてもいい助産院にいる間は食事の上げ下げもしてもらえて、特別なプログラムはなく、日に1回だけ助産師さんが部屋まで来ておっぱいマッサージをしてくれました。もちろん呼べば常駐の助産師さんがすぐに来てくれますが、それ以外は放っておいてくれます。 初めての子育て、授乳もうまくいかない、夜もまとめて眠れないなど、そのときの私は心身ともに疲れきっていました。しかし助産院にいる間は私の世話や体調の心配までしてもらえて、私は赤ちゃんのお世話をして寝ているだけで良く、本当に助かりました。 すぐに相談できるおっぱいを飲んでくれない、ゲップも出してくれなくって、「どうしよう……」と困ったときに、すぐに助産師さんに相談できるという環境は大きな安心を与えてくれました。私は楽観的な性格だと思っていたのですが、出産後しばらくは不安感が強くなっていたように思います。 それでも助産院にいる間はスマホで調べまくって途方に暮れたり、自分だけで抱え込んでしまったりするようなことはありませんでした。困ったことがあっても「助産師さんに聞けば大丈夫」と、どうしたらいいかがわかっているだけで不安感はかなり軽くなっていたと思います。 「つらい」に共感してもらえる私ははじめ、授乳がスムーズにできませんでした。おっぱいが張って痛いぐらいなのに、赤ちゃんはうまくおっぱいを吸ってくれません。このまま赤ちゃんがおっぱいを飲めなかったら死んでしまうのではないかと、不安な気持ちになっていました。 しかし助産院に滞在中は助産師さんに助けを求めることができ、乳首を柔らかくするとか、体勢を変えてみるとか、授乳のアドバイスをその場でもらえます。そして何より「心配だったね、つらかったね」と声をかけてもらえたことが、わかってもらえた、一緒にいてくれる人がいると心強く感じました。 助産師さんが常にサポートしてくれ、赤ちゃんと自分のことに集中できました。産後ケア事業ではそんな環境に身を置くことができたのです。おかげで子どもを育てる体制の土台を作れたと感じています。さらに困ったら助産師さんに相談しようと思える心の拠り所ができたのも大きな収穫でした。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2021年01月10日彼氏がイケメンすぎて不安になる…という女性は意外なことに多いようです。どんなところが不安なのか、不安を解消するためにどんなことをしたらいいのかと、不安をこじらせて彼を疑う前に対処していきましょう。不安の原因は自信の無さ彼氏のことを信じているけれど、彼がイケメンだからこそ不安に感じる女性は少なくありません。彼がイケメンなために女性からアプローチされることの多さや、いつでも出会いが多そうなイメージから他の女性に気持ちが向いてしまうのではないか…という不安で仕方がなくなってしまうのです。また、どんなに自分を思ってくれているとわかっていても、その場の雰囲気で浮気をしてしまう可能性を心配する女性も少なくありません。しかし、結局のところ不安に思ってしまうのは、自分自身に自信がなく、彼をつなぎ留められていないのではないかという自分への不安があるのです。イケメンな彼氏に対する不安は彼氏ではなく、実は自分自身にあるのだと気づくことがまずは大切です。不安を解消するには?不安になった時の解消法は彼に何かしてもらうのではなく、自分自身だけで解決しなければいけない問題です。自分に集中することで不安は解消できるので、彼と過ごす時間を増やしたり、連絡を密にしようと躍起になる前に、まずは試してみてくださいね。・自分磨きの努力で自信をつける不安を解消する対策としてあげられるのは、自分自身を高めることです。自分に自信がないことは謙虚の証拠でもあるため、悪いことではありません。しかし、彼氏に不安としてぶつけることは良くないですよね。まずは、自分自身を磨いているという努力を実感することで、自信をつけていきましょう。没頭できる仕事や趣味に力を注いだり、ダイエットやファッションに力を入れるなど、外見と内面どちらからもアプローチをして努力することも対策のひとつです。・ポジティブ思考に切り替える自分自身に自信を持てないのは、発想力がネガティブな方向にいっているからという可能性もあります。そこで、ポジティブな思考に切り替えるように努力するのも不安を解消する方法。例えば、「彼がどうしてこんな自分を好きになってくれたか、わからない」と考えるよりも「自分で気づいていないだけで、私は彼が好きになってくれるほどの女性なんだ」と考えるほうがより建設的です。また、「周囲が彼を狙っているのではないか」と考えるより「周囲の人が反応するほどのイケメンな彼氏をもって幸せ」と考えを切り替えてみるといいでしょう。最初は不安が消えるまで時間がかかります。しかし、この考えに慣れてしまえば周囲がざわついていても気にせず、彼を大切にすることができますよ。不安からの束縛だけはNG人によっては束縛されることで愛されていると感じる人もいますが、多くの男性の場合は束縛されると逃げたくなります。また、尽くされすぎると重いと感じる男性も多いです。そのため、彼が趣味としていることや遊び、また仕事など彼のプライベートは尊重するようにしましょう。どうしても不安になった時は外見ではなく中身で大切に思っていることなど、相手が不快にならないようなポイントをあえて相手に告げて、お返しに言葉を返してもらう心理テクニック「返報の法則」を使って、自分に対する気持ちを確認をすることもできます。
2021年01月06日不妊治療に通い、35歳で妊娠! 私は初産が高齢出産だったので、産前産後に不安や悩みがありました。産前は気持ちの面での不安が大きかったのですが、体調は順調。しかし産後は体力の低下を実感したり、出産にともなう体の痛みに苦しんだり、悩むことが多かったです。 親友の助言もあり、不妊治療へ通うことに34歳と遅めの結婚だった私。新婚のうちは「まだまだ子どもはいいかな」と考えていましたが、同じ年の親友からの助言もあり、新婚旅行から帰ってきて妊活を意識するように。親友が不妊治療に通って2年後に妊娠した話を聞いて、私も不妊治療専門の病院へ検査に行ってみました。 検査してみると、多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)と診断されたので、早めに検査してよかったです。検査後すぐに不妊治療を開始しながら妊活をスタートしました。 高齢出産、出生前診断迷った結果…不妊治療は仕事と通院の両立が大変で、ラクではありませんでした。それでも不妊治療を開始して8カ月後に妊娠判定が! 妊娠時35歳で、高齢出産ということもあってなのか出生前診断についての説明を受けました。高齢出産になる私は受けたほうがいいか迷うように……。 夫婦で何度も話し合い、どんな結果が出ても産みたいと思ったので出生前診断は受けないと決意。また、妊娠高血圧や妊娠糖尿病について病院で気をつけるよう言われました。私はつわりで脂っぽいものは食べられず、甘いものなら食べられる状態。しかし、食べ過ぎに注意し、味付けや栄養バランスを考え過ごしていました。 私の場合、産前よりも産後がつらかった赤ちゃんが生まれてくるまで不安はあったものの妊娠期間は健康に過ごせていたので、私は産んだあとも順調に過ごせると思っていました。私の場合、帝王切開での出産にはなりましたが、無事元気な女の子を出産! しかし、産後は産前と違い、思ったように動けませんでした。 慣れない赤ちゃんのお世話に加え、脚の付け根やお尻に神経痛が襲い掛かりました。すがる思いで整骨院の産後骨盤矯正に通い、痛みは徐々に消えていくように。産後半年を過ぎると赤ちゃんのお世話のコツも少しずつつかめ、体力も戻ってきて、産後1年で産前のように動けるようになりました。 結婚が遅かったので仕方ないのですが、初産が高齢出産ということで不安が大きかったです。私の場合は、産前よりも産後の体力の低下や足腰・お尻の痛みがつらかったです。同じ年でも元気なママさんもいるので、日頃から運動して体力をつけておくのは大切だと改めて実感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2021年01月05日産後に急速に夫婦仲が悪化する現象を「産後クライシス」と言います。仲が良かった夫婦が、産後不仲になってしまうのはなぜなのか、ウーマンエキサイトに寄せられたアンケートから考えてみましょう。■「なんで寝ていられるの!?」変わらない夫に怒り多く寄せられたのが、子どもが生まれても、父親としての自覚を持たない夫のエピソードです。「離乳食を開始して間もなく、夫が自分の食べているチャーハンを子どもに食べさせようとしたので止めたら、『僕の子どもにご飯を食べさせて、何が悪い』と怒り、食べさせてしまった。すると、子どもの口や顔が腫れ、卵アレルギーを起こした」「東日本大震災の前日に出産し、ただでさえ産後のつらさと地震の怖さと子どもを守らないといけない使命感で押しつぶされそうだったのに、『子どもの夜泣きがうるさいから』と別室で寝られ、夫は今までと何も変わらないような生活を続け、私が体調を崩して仕事を休んでほしいとお願いしても休んでくれず、とうとう私は病気で入院した」「『育児は女のすること』と言い、子どもが泣いても、夫は隣で熟睡していました。夫に数分間みてもらったことはありますが、膝の上にのせて、ゲームをしていました」「夫は単身赴任で、娘が生まれてしばらく完全ワンオペでした。毎日娘の世話と寝不足との闘いで、精神状態はギリギリ。最初は毎日テレビ電話をしていた夫ですが、次第に回数が減り、たまにこちらからかけると、飲み会中だったり、趣味のサッカーをしていたり、自分はやりたい放題。離婚を考えました」「出産後、出生届の提出を夫に頼んだら、市役所が混んでいることに腹を立てたり、ひどいことをメールしてきてすごくショックだった。出産したばかりで不安定だったので、幸せな気持ちになれなかった。夫も大変だったんだと自分に言い聞かせているが、今もモヤモヤしていて、夫婦の亀裂になっていると思っている」出産を終えた女性の体は、疲れ切っていて、サポートが必要な場合もあります。そんな中で新生児のお世話をするのは、並大抵のことではありませんよね。もし初産であれば、初めてのことばかりで戸惑ってしまうでしょうし、2人目以降だとしたら、上の子のお世話もあって、目が回るような日々が過ぎていきます。そうした日々の中で、一番支えてほしい相手である夫の態度や行動に傷ついているママが多くいるようです。■「夫がバイキンに見える…」変わってしまった妻たち一方で、産後、妻が変わってしまったという夫からのコメントや、妻自身が自分の変化について認識したというコメントも寄せられていました。「ずっと旦那に対してイライラしていました。外から帰ってくる旦那がなぜかバイキンに見え…。いろんなことに余裕がなくなって爆発していました」「産後、主人のイビキと歯ぎしりが我慢できなくなり、イライラして同じ部屋で寝られなくなった。帰る前の電話も、子どもが起きてしまいそうでイライラするし、勝手に帰ってこられると玄関を開ける音にイライラ。主人の音が全部嫌」「第1子の産後、赤ちゃんが神聖な存在すぎて、洗濯はもちろん別なのですが、干すのでさえ、大人のものとは距離をあけて干していました。今思うとピリピリしすぎてたなと思いますが、そういうのが態度に出て、不穏な空気でした」「産後寝不足、初めての育児の緊張感、でも家事はちゃんとやらないとと気を張りすぎて、たぶんノイローゼでした。旦那がスマホを触ってるのも、テレビをみて笑うのも、都合のいい時だけ子どもをかわいいとあやすのも、イビキをかいて寝てるのも全てにイライラして私が毎日けんか腰。この人はいない方がいいと思いました」「妻が出産後、産後うつというかガルガル期に入り、それが一年弱続いた。モラハラと感じられるような罵声を浴びせられ続け、夫である自分が突発性難聴、自律神経失調症にまでなり、限界を感じ別居に至りました」妻たちが産後、心の余裕をなくしている実情が伝わってきます。子どもを守りたいと言う気持ちが強くあるがために、夫に対して攻撃的になっている様子もうかがえます。自分自身が変わったと認識している人もいましたが、夫たちからの悲痛なコメントをみていると、いかなる理由があっても、夫の人格自体を否定するような言葉を発してはいけないと、改めて感じます。■なぜ夫婦間でズレが生じる?ここまで、夫と妻のそれぞれの産後の様子について、みてきました。多くの場合には、どちらか一方だけに原因があるわけではなく、お互いの認識のズレが原因となっていることが多いように感じます。「子どもができて関係性が悪化した。妊娠による体と心の変化にお互い勉強不足だった。私はねぎらってもらえないことに不満を募らせ、夫は私の変化についていけず、私以上にイライラし私に当たった。 出産後も赤ちゃんのお世話は夫の仕事ではないと言われ、孤立した」「旦那も子どものことを考えて行動してくれるのですが、今してほしいことと、後でしてほしいことの優先順位にズレがあって私がイラッとしてしまったり機嫌が悪くなることがありました」妻は母性が強まって夫より子どもを優先させる、対する夫は父親になった自覚がなかなか芽生えにくい場合もあり、それに伴い育児への参加も少ない、そこにギャップが生まれてしまい、放っておくとその溝はどんどん深くなっていくように感じます。産後クライシスを迎えた夫婦は、それからどのように歩んでいくのでしょうか?後編に続く 【同じテーマの連載はこちら】 夫婦の危機 この連載の全話を見る >> 旦那も、地獄の新生児編 この連載の全話を見る >>
2021年01月05日私は娘が生後6カ月になるころまで完全母乳で育てていたのですが、母乳が突然出なくなってしまいました。そのときの、完母で育てたい気持ちがあったつらさと、慣れない育児用ミルクを使った授乳を、どうやって乗り越えたのかを紹介します。 突然母乳が出なくなった!私は、妊娠9カ月ごろから母乳が溢れ出てきてしまうほど母乳が出ていたので、「娘が生まれたら完母で育てる!」と決めていました。しかし、順調に進んでいた完母育児でしたが、娘が生後6カ月になるころいきなり母乳が出なくなってしまったのです。 最初は「一時的なものだろう……」と軽く考えていましたが、いくらおっぱいを吸わせても娘は泣いてしまいます。不思議に思って搾乳器で搾ってみたところ、全然母乳が出ていないことがわかりました。 毎晩泣いてしまった私はずっと決めていた完母で育てられないことがショックでしたが、娘の前で泣くわけにはいかないと思い、母乳が出ないなら仕方ないし育児用ミルク!と切り替えていました。しかし、今まで哺乳瓶をほとんど使ったことのない娘は、哺乳瓶では育児用ミルクをほとんど飲んでくれなかったのです。 そのため、ストローマグを利用して育児用ミルクを飲ませていました。しかし母乳育児に比べるとストローマグによる授乳は、授乳のたびにおこなう調乳やストローマグの消毒などがとても負担になってしまいました。特に夜の授乳は眠たいなか調乳をしなければならず、毎晩泣きながら授乳をしていました。 夫の助けで救われた!夜の調乳は大変でしたが、そのころの娘は夜の睡眠時間が長くなってきて、授乳の回数は多くて3回、少ないときは1回ほどで済んでいました。さらに、夫に母乳が出なくなったことを打ち明けると親身になって話を聞いてくれ、「夜の授乳は手伝うよ」と言ってくれたのです。 今まで夫は夜中に娘がどれだけ泣いても起きませんでしたが、それからは私よりも早く起きて調乳し、飲ませてくれるように……。私が感じていた夜中の調乳作業の負担を軽くしてくれて、とても救われました。 今では娘も1歳を過ぎ卒乳したため、母乳が出なくなり悔しさで毎晩泣いたこともいい思い出の1つです。また、完全母乳だけでなく完全ミルクも経験したことによって、どちらのメリット・デメリットも知る機会があったのはありがたいことだなと今では思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:橋本 楓0歳女児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年01月04日初めての育児で力が入ってしまい、完全母乳育児にこだわりすぎていた私。1カ月健診で娘の体重が増えていないことを指摘され、悲しい気持ちに……。その後、母乳育児相談室で受けた母乳マッサージや助産師さんのアドバイスによって、気持ちが軽くなれた体験をお伝えします。 少し早く生まれた娘出産予定日より2週間早く生まれた娘は、少し小さめで寝てばかりいました。出産した病院では決められた時間に授乳室に集まって授乳するのですが、授乳しようにもすぐ寝てしまい練習ができません。頑張って飲んでいるまわりの赤ちゃんたちを見て焦ってしまい、授乳時間が憂うつでした。 その病院の産婦人科では母乳育児を推奨していて、必要に応じて助産師さんと相談しながら育児用ミルクをあげるのですが、思うように体重が増えず、退院日は退院の許可をもらえるギリギリの体重でなんとか一緒に帰宅することができました。 体重が増えず、1カ月健診で要観察に 退院してからも、授乳時間はいつも闘いのようでした。完全母乳育児を理想としていた私は、育児用ミルクはできるだけ飲ませず、とにかくおっぱいを出るようにしなくては、飲めるようにしなくては、と必死だったように思います。娘の小さい口に合うような二プルを使ってみたり、赤ちゃん用の体重計をレンタルして授乳後毎回体重を量ったり……。 そうして迎えた1カ月健診の日。まず、入院中に仲良くなったママ友に再会して開口一番、「ちっちゃーい!」と言われてしまい、ショックを受けました。そして小児科の健診では、体重は退院後から350gほどしか増えておらず、翌月に再度受診するようにと、母子健康手帳には「要観察」のハンコが。 1カ月間、悩みながら必死に頑張ったつもりでいた私は、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになり、その後の助産師さんとの面談では大泣きしてしまいました。 母乳育児相談室の門を叩くそこで助産師さんから、桶谷式乳房管理法というものを紹介していただきました。母乳育児相談室という施設があり、そこで母乳育児に関する相談ができるとのことでした。予約を取り緊張しながら行ってみると……そこにいたのは、やさしいベテランの助産師さんたち。 悩みを聞きながら、おっぱいが出やすくなるマッサージをしてくださいました。痛いと聞いていたマッサージでしたが痛みを感じることはなく、終えたあとの授乳では娘が明らかにいつもよりよく飲んだのです! 驚きと喜びで、うれし泣きしてしまったことを覚えています。 生後4カ月で突然、哺乳びん拒否!それから、定期的に母乳育児相談室に通いました。授乳の姿勢や食事のアドバイスを受けたり、育児の悩みを聞いていただけて、とてもありがたかったです。娘はいつの間にか母乳をたくさん飲んでくれるようになり、育児用ミルクを飲ませることも減っていきました。 そして生後4カ月になったころ、娘が突然哺乳びんを拒否するようになったのです! 完全母乳育児を目指していたものの、混合もラクかな?なんて思い始めていた私は驚きましたが、体重も順調に増えていたので、育児用ミルクはそこで卒業となりました。そのあとも、母乳育児相談室には卒乳するまでお世話になりました。 その子に合った授乳の仕方があるということも今は理解できますが、あのころの私は意固地になっていたのだと思います。完全母乳育児にこだわりすぎて、成長させるという育児の基本を後回しにしていました。生まれてすぐの小さい娘に無理をさせてしまって申し訳なかったなという気持ちと、助産師さんからのアドバイスに感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:坂井香子おだやかな娘とわんぱくな息子の母。夫は別居中のため、完全ワンオペ育児奮闘中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2021年01月03日母乳育児は体形が戻りやすいと考え、出産後にいつかは体形が戻り、あわよくばやせるだろうと考えていたママさん。しかし、3人の出産で体脂肪は増えるばかり。体形、体重を戻すための産後ケアとして、骨盤ベルトを使用しストレッチ、主食量の見直しなどをおこなったそうです。 私は3歳の長男、2歳の長女、生後1カ月の次男と生活をする33歳の母親です。もともとスポーツが大好きで、学生時代は全力でソフトボールを楽しみました。大学を卒業後、スポーツから縁遠くなってしまい、3人の出産を経て得たのは揺れる肉……。今回は、そんな体形を何とかすべく奮闘している様子をお伝えします。 母乳育児で体重が減る予定が…!?長男を妊娠したとき、私の体形は身長168cm、体重87kgでした。かなり大きめなため、妊娠中は体重を増やさないようにと医師から指導されました。初めての妊娠に気を張った生活をしていたためか、体重をキープしたまま出産することができました。 長男は完全母乳での育児。母乳育児は体形が戻りやすいとの情報から、いつか体形が戻り、あわよくばやせるかも……と考えていましたが、長女と次男の妊娠・出産を経てさらに太っていってしまいました。 産後、筋肉がぜい肉に早変わり3人の出産を終えて気付いたことは、妊娠中に筋肉が落ち、ぜい肉に早変わりしてしまったということでした。スポーツを楽しんでいたときの体脂肪率は、自己ベストで12%。現在は、自分の目を疑うほどの数字が並び、体の約半分が脂肪であるとの結果でした。 一生懸命つけた筋肉は、妊娠・出産を経験した4年間という歳月をかけて脂身へと変わり果てていたのです。もちろん代謝も落ち、さらに体形が戻りにくい体へと変化していました。 本格的に産後のケアを開始!そんな状況に危機感を感じ、動ける体を取り戻すために食事の見直しと骨盤のケア、ストレッチを始めました。次男を妊娠したときに使用した骨盤ベルトを産後も着用し、骨盤をケアしながら、ストレッチを毎日継続しておこないました。 現在は、産後の経過を見ながら体を動かす準備をしています。骨盤ケアの成果が出てきたのか、2週間でヒップのサイズが2cmダウンしました! 食事では、無理のない程度に、主食の量を3分の2に減らすという方法を取り入れ、2週間で2kg減をキープ中です。 産後、思った以上に筋肉が落ちていたようで、ちょっと長めの買い物で足腰が疲れるという現状です。そんな状況を打破するために、有酸素運動を無理なくできるだけ長くおこなうことにしています。体形と体重の変化を楽しみに、産後のぶよぶよ体形とこれからも向き合っていきたいです! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ニシカタ監修/助産師REIKO著者:簗田智花4歳の長男、2歳の長女、1歳の次男との育児ライフを楽しむ34歳の母。現在は、仕事と家事、育児に奮闘中。ドライブ、スポーツ、スポーツ観戦が趣味のアクティブママ。
2020年12月31日私は現在2歳の娘を育てています。娘が生まれたばかりのときは、とにかく睡眠時間が欲しくて娘がいかに効率よく寝てくれるかが毎日の課題でした。そんなとき取り入れていたのが「EASY」というネントレ(ねんねトレーニング)方法でした。いくつかあるネントレのなかでも、どうして私がEASYを選んだのか? 娘の寝かしつけはどう変わったのかを紹介します。 ラクになりたくて始めたネントレ「EASY」娘が小さいときは、寝かしつけがすごく苦痛でした。ひたすら抱っこしても寝ないし、そもそも今眠いのかどうかすらわからない日々。そこでとにかくラクになる方法を調べ、娘が生後2カ月のときに行きついたのがネントレでした。 いくつかあるネントレ方法のなかで私が選んだのが、「EASY」というネントレ。これは日中に、Eat(授乳)→Activity(遊ぶ)→Sleep(寝る)→YourTime(ママの時間)のサイクルを繰り返して過ごす方法でした。 シンプルなEASYで少しラクになったEASYは、日中、4段階のサイクルを繰り返すだけのシンプルな方法です。朝8時に起きればそこからスタートしてOK。朝いつもより長めに寝ても、お風呂の時間がいつもと違っても、「まあいいか」で済みます。 細かくスケジュールの決まっているネントレよりも、ずっと気楽でした。特に産後しばらくは育児でヘトヘトだったので、ネントレにエネルギーを使わないことも大事な要素でした。 生後2・3カ月のころの1日の流れ実際、生後2・3カ月のころは次のような流れでした。朝6~7時ごろに起きて、授乳。そしてそこから娘を着替えさせたり、顔を拭いたり、娘の体を動かしたりしてとにかく寝させないようにします。 9時ごろ眠くなってきたかな?と思ったら抱っこして寝かしつけ。寝ている間に家事をするので、寝られるだけ寝かせ、起きた時間に合わせて11~12時ごろに授乳して、また寝させないよう遊びます。娘は授乳から2時間ほど経つと眠たくなったので、抱っこをして寝かしつけ。16時くらいまで寝て起きたら授乳し、18時にお風呂、19時には就寝という流れでした。 娘の欲求がわかりやすくなってラクにEASYで寝かしつけをしていると、以前ほど娘の欲求に私が振り回されていないことに気がつきました。それまでは泣くと、「眠い? おっぱい? どっち??」となっていましたが、「さっき授乳して、今遊んで、次はねんねだね」とすんなり進められるように。 しかも、おなかがいっぱいになって体を動かしたら当然子どもは眠たくなるもの。そのため、それまでよりも短い抱っこで寝てくれることが多くなりました。 ただひたすら繰り返すだけのネントレEASYでしたが、結果的に生活のリズムが生まれて娘の欲求がわかりやすくなりました。もちろんいくら抱っこしても寝ないときもありましたが、全体的に見れば寝かしつけの時間短縮は成功。私もちょっとラクができたかなと思います。 監修/助産師REIKO著者:水田 真理アレルギー持ちな娘の母で元理科の塾講師。子育てはできるだけ家にあるもので、娘と楽しめるように日々創意工夫を実践。
2020年12月20日産後は生理が再開するまで時間がかかると思っていた私。しかし実際は想像とはまったく違い、想定外のことがたくさん起きました。そんな私が体験した産後の生理についてご紹介します。 産後の生理について知らなすぎた私産前に参加した母親学級で、「産後は徐々に元の体に戻っていく」と聞いていました。産後の生理再開について個人差はあるものの、半年くらい生理は再開しないんだろうなと思い込んでいたのです。1カ月健診では産科の先生から「悪露の残りが少しあるけど特に問題ないから、少しずつ日常生活に戻していくように」との指示がありました。日常生活に戻るうえで夫婦生活についても話がありましたが、生理が始まらないということは排卵もされないと思っていた私は、何も考えずに1カ月健診後すぐに夫婦生活を再開。このときは後々、どんなことが起こるか考えてもいませんでした。 え? 悪露? それとも…?産後1カ月半で違和感を覚え、トイレに行くと出血がありました。1カ月健診で「悪露がまだ出るかもしれないが、そのうち治まる」と言われていたので、悪露がまだ出ているんだとばかり思っていました。しかし、2日目にはなんだか出血量も増えて下腹部や腰に痛みもあるような……。もしかして生理かも?と思っていたら、約4日で出血が止まりました。時期にして産後45日ほどのことです。産科の医師に念のために確認すると、「早い人だと産後1カ月ほどで再開する人もいる」とのこと。そう⋯⋯これが私の生理再開の合図だったのです。 生理が再開したということは?生理が再開したということは、周期が不安定だが排卵も再開していることが多いそうです。帝王切開での出産だったために、医師から次の妊娠までは1年くらいは空けるように言われていたこともあり、生理再開の相談をしたときも「くれぐれも妊娠しないように気をつけること」と言われました。 しかし! 産後の排卵周期の不安定さを甘く見ていたからなのか、産後5カ月ごろに2人目の妊娠が判明し、そのときすでに妊娠10週。産科の医師からはすごく怒られた記憶があります。 産後の生理の再開時期には個人差があるとは思っていましたが、まさかこんなに早く再開するなんて思ってもみませんでした。無知が故に妊娠し、第2子を妊娠できたことはとても幸せなことでしたが、産後の排卵や生理について勉強しておくべきだったと反省しました。 ※産後の性生活については、1カ月健診で問題なければ再開しても問題ありません。また、産後の生理再開には個人差があり、月経の前に排卵が起こるため、望まない妊娠を避けるためにも避妊が必要です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ののぱ監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年12月13日私は毒親に育てられた過去から、人間関係のもつれを慢性的に感じ、メンタルカウンセリングを受けています。しかしカウンセリングと聞くと「特別な人が受ける」というイメージが先行しているように思います。今回は「世の中の悩んでる人たちが、もっと気軽にプロに相談できるようになれればいいな」と感じるきっかけとなった体験談をお話しします。 慢性的な人間関係の悩みを抱えていた過去私は現在、3歳の長女と生後7カ月の次女を育てています。心の不調を自身で感じたきっかけは、長女を妊娠してからでした。それまで学生生活や仕事をおこなうなかで、「どうも人間関係がうまくいかない……」と悩む場面が多々ありましたが、それはすべて自分のせいだとずっと思い込んでいたのです。しかし、長女を妊娠してから自身の過去を振り返る機会が多くなり、だんだんと考えが変わっていきました。 アダルトチルドレンだったと気付いた私妊娠中から育児書を読むことが自然と多くなり、その中で「アダルトチルドレン」というワードが私の目に飛び込んできました。アダルトチルドレンとは、「親の過干渉や育児放棄、暴力などによって心に傷を抱えたまま大人になってしまった人」のことを指すそうです。私は幼少期から成人するまで、親から心身面で虐待を受けていました。その経験に関しても「私ができの悪い子だから暴力を受けていたんだ」と思っていましたが、アダルトチルドレン関連の本や、他の育児書を読み漁ることで「自分が悪かったのではなく、親の勝手な都合で暴力を受けていた」という事実にやっと気付いたのです。 負のスパイラルから抜け出したいそして長女を出産後、育児をこなしていく中でどうも長女に対して感情的に怒鳴ってしまうことがだんだんと増えてきたのです。「このままではまずい!」と決定的に感じたのは次女の出産後でした。次女が生まれたころ、長女は3歳にならないくらいで「親の言葉は理解できるけれど、まだまだ自分中心」な時期。出産後、余裕をなくしてしまった私は以前より感情的に長女に当たってしまいました。長女もどんどん情緒不安定になっていき、私も気持ちが滅入る……。まさに負のスパイラル状態です。「この状況から抜け出したい」と感じた私は、思い切ってメンタルカウンセリングを受けることにしました。 プロのカウンセラーに相談をした私私の場合は臨床心理士さんに話を聞いてもらえるようお願いしました。初回は自分の生い立ち、実親や祖父母のことなど3世代に渡って「どんな家庭環境だったか」ということを入念に聞かれました。 私の複雑な生い立ちや親から受けてきた暴力は恥ずかしくて友人などにとても話せなかったのですが、相手はプロだし、当然プライバシーも守られます。私は涙を交えながら自身の経験を語り、共感してもらえることで安心したのを覚えています。誰かが自分のつらかった過去をわかってくれたと思うだけで肩の荷がおりました。その後は定期的にカウンセリングをおこない、回を重ねるごとに私の情緒も安定を取り戻していきました。そして、不思議と娘に対して感情的になることが少なくなり、娘もだんだん笑顔が増えてきました。 プロのカウンセリングによって、ママ友や夫にも話せなかった心の内をやっと吐き出せました。カウンセラーはしっかりと私の気持ちを受け止め的確なアドバイスをしてくれます。現在、カウンセリングを受けて数カ月経ち、私の心は目に見えて回復しています。毒親に育てられた過去は消えなくとも、「人に話すことによって、気持ちの整理がつき前向きになれる」ことを体感しました。「本当に限界」となる前に、早めに対処することが大切だと痛感しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラストレーター/ライコミ監修/助産師 REIKO著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年12月07日私の初めての妊娠判明とほぼ同時に、夫の仕事の都合で転居が決まりました。季節は冬で転居先は豪雪地帯。夫と私は話し合い、私と子どもは雪が溶けてから移動するとことにしました。そして夫だけが先に転居し、私と子どもは実家で過ごすことに。いざ一緒に暮らし始めると、夫とうまくいかないことが出てきて……。はじめから家族一緒に生活していればと後悔しています。 家族より仕事優先な夫夫は結婚前から早出、残業が当たり前。業務を完遂することが最重要事項という働き方で、それは私が妊娠しても変わりませんでした。転居後も夫の仕事に対するスタンスは変わりません。 子どもが生まれたからには、なるべく家にいて私のサポートや子どもの世話をしてもらいたいという私の思いはなかなか理解してもらえませんでした。結果として家事も育児も私が負うところが多く、夫に対する不満がつのりました。 夜更かして朝、起きられない夫は仕事で遅くなると就寝時間を遅らせて、ゲームをしたりテレビを観たり、晩酌をしたりしていました。そうすると起床時間が遅くなります。必然的に朝の家事と子どもの面倒を私がひとりでみることに。 当時はまだ私は仕事をしておらず、「とりあえず夫を送り出せばいい」とがむしゃらになっていました。しかし夫がきちんと朝起きて、私が家事をしている間に子どもをみていてくれたらいいのにと不満を抱えていました。 休日もないがしろにされて夫は週末の休暇はきちんと取れていました。しかし自分の用事や友人との付き合いといって家をあけることが度々。家にいるときに子どもの面倒を頼むと「今やることがある」、一緒に散歩に行こうと誘えば「俺は行かない」と、私や子どものことは頭にないような対応。 環境が変わり、夫は慣れない仕事にストレスも多かったと思います。けれど私は夫に休みの日くらい子どもと関わったり、私のサポートをしたりしてほしいと考えていたので夫の行動は不愉快なものでした。 2人で話し合うことに同居して2カ月もすると私は夫の態度に耐えられなくなり、2人で話し合う機会を持つことに。私ひとりで子育てと家事のすべてはできないこと、夫が家にいてくれると心強く感じること、子どもと関わる時間を増やして仲良くなってほしいことを夫に伝えました。 夫は新しい職場で立場を確立し、安定した収入を確保することが責務であり、家族のためになると考えていた様子。お互いに家族を大切にしたいという考えは共通していたので、これからも話し合いながら一緒にやっていこうということに落ち着きました。 それ以降は夫も少しずつ態度を変えてくれ、今では私にとって頼もしい夫であり、子どもも大好きなお父さんです。ただ、はじめから一緒に転居、子育ての新生活をしていたらお互いに不満を抱える期間が短くて済んだのではないかと後悔しています。これからはその結果どうなるかまでイメージしてジャッジをしたいと思っています。 監修/助産師REIKO著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年12月04日2人目を出産し、生理が再開してみると最初は軽かったのにだんだんと重くなり……。ついには病院へ通うようになった私の体験談です。 出産前、私の生理はとてもラクでした月経周期が規則的で、生理痛が多少はあるものの、2日目に痛み止めを飲めば済む程度だった私。 友人が生理不順で婦人科に通っていることを聞いても、「大変そうだなぁ」と他人事のように感じていました。 初潮が早かったこともあり、どこか自分は「慣れている」と思っていた部分もあったように思います。年齢や体調によって生理の状況が変わっていくとも知らずに……。 漏れが怖くて出かけられない!私の生理が大きく変化したのは、次男の授乳が終わった2カ月後に生理が再開したときでした。最初は経血の量が少ない他には特に変わった点はなかったのですが、徐々に月経周期が乱れ始め、生理前にイライラするようになり、ついには大きなレバーのかたまりのような経血が出るように! どんなに大きな生理用ナプキンを使っていても1時間に数回取り替えなければならず、外出もままならない状態に。これはおかしいと婦人科に相談してみることにしました。 原因は“冷え”でした婦人科で検査をしてもらったところ、幸いなことに問題は見つかりませんでした。では、どうして生理が重たくなってしまったのか。 先生の見立てでは“冷え”が原因では、とのことでした。漢方薬を処方していただき、毎日服薬してみると、生理が徐々に落ち着いてきました。 さらには、それまで感じていた日中の眠気、体のだるさ、夜中に目が覚めるなどの細かな不調までもがラクに! 夜間授乳の習慣で、体のリズムが整わないのだろうと思っていたのですが、先生によると、どれもが冷えから来る症状だというお話でした。 こうして振り返ってみると、小さな不調も体からのサインだったのだなぁと思います。子どもの体調ばかりに気を取られてしまい、自分の体に目を向けていなかったことを反省。これからは自分の体のメンテナンスも心がけようと思いました。婦人科に通院するようになって、乳がんや子宮がんの検診も受けるようになったので、生理の変化は私にとって自分の体に目を向けるいい機会だったのかもしれません。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年12月04日第1子である長女を妊娠・出産したのは、私が20歳のときでした。周りの友人たちは、まだ独身ばかり。保育園のママたちは“怖い”というイメージがあり、仲良くなれず……。当時、私にはママ友と呼べる存在がいませんでした。 相談できる友人、同僚がいなかった私が20歳で第1子の妊娠・出産をした当時、周りの友人たちは、子どもはおろか結婚もしていませんでした。また、当時働いていた職場にも結婚している人や、子どもがいる人がいなかったのです。 私には実母がおらず、義理の母も遠方に住んでいるため、身近に妊娠や育児の相談をできる相手がいませんでした。育児でわからないことを聞くのは、もっぱら医師や保健師さん。もっと気軽に相談や話を聞いてくれる存在が欲しかったです。 他のママたちが怖く思えて避けるようにまだ若かった私は、他のママたちから良く思われないのではないかと思い、乳幼児健診や子どもが入園した保育園で、他のママたちとあまり接しないようにしていました。 また、“保育園のママたち=怖い”というイメージがあり、「ママ友なんて必要ない」と思っていたのです。そのため、第1子である長女が年長組(6歳)になるまで、保育園のママたちとはほとんど話したこともありませんでした。 先輩ママの助言を受け、ハッとした長女が6歳のとき、医療事務の資格を取るために職業訓練校に通ったのですが、そこで中学生の子どもを持つ女性と親しくなりました。その女性がいろいろと子どもの話をしてくれて、「子どもが小学校に入る前に、ママ友を作っておいたほうがいい」とアドバイスをくれたのです。 ママ友がいると情報共有や相談ができる他に子どもの友だち作りにも役立つと言われ、ハッとしました。自分のことばかりで、子どものことを考えていなかったと気がついたのです。 考えを改めママ友づくりに挑戦!「若いから良く思われない」と思い、他のママたちとの交流をもたないまま、6年が経過していました。今から間に合うのかと不安に思いながらも、まずは長女と仲のいい友だちのママたちに話しかけてみることに。 するとフレンドリーなママたちばかりで、年長組の1年間であっという間に仲良くなれました。家に呼んでもらったり一緒に出かけたりするようになり、私だけではなく、子どもにも友だちが増えたのです。こんなことなら、最初から変な壁を作らなければよかったと後悔しました。 今では「若いから……」と、自分で周りに壁を作っていたことを後悔しています。6年間ママ友がいませんでしたが、先輩ママの助言と長女の交友関係のおかげで、今ではたくさんのママ友がいます。育児の相談や愚痴、保育園や学校でわからないことなど、気軽に話したり聞いたりすることができます。ママ友がいなかった時期より、今のほうが子育てをより楽しめています。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 木村なち三児の母。現在4人目を妊娠中。パニック障害を抱えながらの妊娠・出産・育児の経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年11月30日頼れる親がそばにいてキャリアを積むことができた義母と、頼れる人もなく夫と二人三脚で育児をしている私の相性はよくありません。赤ちゃんを産む前から相性の悪さを感じていましたが、赤ちゃんが生まれたあとは余計イライラ……。義母に対して不満を抱いた出来事を紹介します。 産後すぐに「いつ働くの?」私は学生結婚で、若くて体力があるうちに結婚できたメリットを生かそうと22歳で妊娠、23歳で出産しました。そのため、正規雇用で働いた経験はありません。そのことを義母は良く思っていなかったようで、産後は何かにつけて「いつ働くの?」と聞いてきました。 私もその言葉に焦りを感じ、産後1カ月半で高校教師の仕事に就いたのですが、結局体を壊す羽目に。もっと私の体のことも考えてくれたら……と今でも恨めしく思ってしまいます。 催促の嵐! 「写真と動画ちょうだい」 多忙な仕事に就いた私は、子どもとの触れ合いと仕事との両立に四苦八苦する日々を過ごしていました。そんな私のもとに義母からよく連絡がきていたのですが、その内容のほとんどは「孫の写真と動画を送って」というもの。私は限られた時間のなかで、携帯のレンズ越しではなく、直接子どもと触れ合いたいのに……とイライラ。 私の気持ちを伝えても、「遠方にいて会えないから」と催促する義母。イライラが募って、結局着信拒否するまでに至りました。 子どもの写真を勝手にSNSにアップ義母からの電話を着信拒否したあと、過労で倒れて寝込んだ私。調子がいいときはネットサーフィンをして気を紛らわせていたのですが、あるとき義母のSNSを発見しました。 すると、許可もしていないのに私の息子の写真がアップされているではありませんか! これには怒り心頭で、すぐにすべての投稿を消すよう夫から義母に伝えてもらいました。あまりのメディアリテラシーのなさにガッカリすると同時に、今思い出してもイライラしてしまうほどの出来事でした。 遠方に住んでいても、とやかくうるさかった義母ですが、夫を介して連絡を取り合うようになって、ようやく少し落ち着きました。義母との距離を程よくとるということは、とても大切なことだと感じました。 イラスト/(c)chicchimama著者:鏡 環2歳の息子の母。現在第二子妊娠中。元高校教員。うつ病と闘いながら夫と二人三脚で育児に励む。
2020年11月30日出産を経験すると身体の至るところが変化して、以前にはなかった症状が突然あらわれたりすることが多々あります。中でも、産後に生理痛やPMSの症状が重くなった・軽くなったという話はSNSなどでもよく見かけます。今回は、「産後急にPMSがひどくなった」という事例に対して、その原因と改善策について産婦人科の医師に話を聞いてみました。症状が少しでも改善されますように……! 答えてくれたのは……よしかた産婦人科上原萌美先生日本産婦人科学会専門医。横浜市立大学産婦人科入局後、神奈川県内の病院にて勤務し、現在、よしかた産婦人科・よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック勤務。 産後、急にPMSがひどくなるのはなぜ?「PMSとは、生理前3~10日前からイライラ、怒りやすい、乳房痛、のぼせ、腹満感、下腹痛・腰痛、頭痛などが起こり、生理開始後によくなるものです。約5割のママにPMSがあるという報告があります。産後にPMSがひどくなるかたはよくいらっしゃいます。原因は分かっていませんが、PMSの重症度は環境(ストレスや生活習慣など)や体質によってかわると言われているので、産後にPMSがひどくなった原因は環境の変化なのかもしれません。また、産後はホルモンのせいで攻撃的になりやすいので、この影響もあるかもしれません」 反対に、産後にPMSが軽くなることはある?「産後にPMSが軽くなる方もいらっしゃいます。産後は環境が変化するので、ストレスが減ったり、生活習慣が改善したことでPMSも改善したのかもしれません」 一刻も早く抜け出したい!PMSの治療方法は?「PMSが重い、日常生活に支障がある場合は産婦人科を受診しましょう。症状を楽にする飲み薬もありますし、相談するだけでも気持ちが楽になることがあります。(授乳中に使用できる飲み薬もあります)PMSが比較的軽く、日常生活に支障がないという方は、以下のうち出来ることを試してみてはいかがでしょうか。・症状日記をつける生理周期のいつ頃に症状が出るか記録してみましょう。毎月のパターンが分かるだけでも気持ちが楽になることがあります。・定期的な運動をする定期的な運動を行うと、PMSが改善するという報告があります。運動の種類は、きつすぎない有酸素運動なら何でも良いです。例えばストレッチ、ヨガ、ピラティス、エアロビクス、散歩、いずれも効果があるようです。きつい運動は逆効果なのでやめたほうが良いでしょう。・ストレスケアをするストレスはPMSの大きな原因です。避けられるストレスは避け、楽しい時間やリラックスした時間を作るようにしましょう。例えば、深呼吸、笑う、アロマ、入浴、音楽なども良いでしょう。家族とのスキンシップや親しい人との楽しい会話でも、オキシトシンというホルモンが出てストレスが和らぎます。強いストレスが続くと脳がストレスに弱い状態へと変化し、さらにストレスがかかるという悪循環がおこるので、日頃からストレスケアをすることが大切です。・栄養バランスのとれた食事をとるバランスよくいろいろな食材をとりましょう。カルシウム、ビタミンB、マグネシウムなどを含むものをとると良いかもしれません。身体が辛い時はおかずを買ってきたり、誰かに作ってもらっても良いでしょう。・質の良い睡眠をとる質の良い睡眠のために、朝は太陽の光を浴び、夜は早めに寝ましょう。寝る前にパソコンやスマートフォンなど使用はなるべく避けてください。まとめて寝られない方は、短時間でも目をつぶって横になりましょう。もし可能なら、お子さんのお昼寝や夜の就寝時に一緒に寝ると良いでしょう。・家族に理解してもらうママがイライラしたり身体が辛くなるなのは、ホルモンの影響です。これを理解してもらうだけでママの気持ちが楽になることがあります」 「孤独」からくる育児ストレス「昔は大家族や地域とのつながりの中で育児をしてきましたが、現代は核家族が増え地域とのつながりも薄くなり、孤独な状況におかれるママが増えています。人間の脳、特にママの脳は、人とのつながりがあると安心しストレスが和らぎ、孤独な状況だと不安やストレスを感じるようになっていますので、人とのつながりを持ったり、人の助けを借りながら育児できると良いですね」 以上、産後のPMSの症状について解説してもらいました。産後に急に症状がひどくなったと感じたら、もしかしたら育児ストレスによるものかもしれません。自分の時間が取れずなかなか難しいとは思いますが、今回先生に提案していただいた改善策の中から、出来ることを少しずつ始めてみてはいかがでしょうか。 監修者:医師 よしかた産婦人科 上原萌美 先生日本産婦人科学会専門医。横浜市立大学医学部卒業、横浜市立大学産婦人科入局後、 神奈川県内の病院にて勤務し、現在、よしかた産婦人科・よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック勤務。
2020年11月29日息子が1歳5カ月になり、育児にようやく少し余裕が出てきたころに2人目の子どもを出産しました。産後はホルモンバランスの変化で精神的に不安定になっていたのですが、そんなときに私がパパに理解してもらいたいと思ったことをお伝えします。 産後のガルガル期産後すぐに新生児育児が始まり、睡眠不足の毎日で少しのことでイライラしていました。そのとき母から、「産後は“ガルガル期”という、赤ちゃんを守る本能からイライラしてしまう時期があるんだよ。それは仕方のないことだよ」と励ましてもらいました。しかし、パパは「ママはなんでいつもイライラしてるのだろう?」と思っていたようで、何度も衝突しました。産後の女性の心と体の変化をパパが事前に知ってくれていたら、このガルガル期に少しでも笑顔が増えたのではないかと思います。 上の子じゃなく下の子を!頻回授乳もあり、私は赤ちゃんにつきっきりになりました。しかし上の子もまだ1歳。授乳をしているとき上の子は口をギュッと結んで我慢しており、夜になるとその寝顔に「ごめんね」と謝り涙を流す毎日でした。パパは上の子とよく遊んでくれましたが、でもそうすることで上の子とママの間に溝ができていく気がしていました。赤ちゃんが泣いたとき、パパが上の子ではなく赤ちゃんのお世話を少し手伝ってくれたら、その間にママは安心して上の子と接することができるのにな……と思いました。 家事に完璧を求めないで!1歳と0歳の子どもがいる日々は、かわいい反面本当に大変です。子どもをみるので精一杯で、家の掃除が行き届かなかったり、ごはんも冷凍食品やレトルトを多用したりしていました。「家事ができていなくてごめんね」とパパに伝えると、「今はできなくて当たり前。毎日掃除しなくてもいいし、ごはんもコンビニや出前でもいいよ。それより子どもたちと笑顔で遊んでくれていれば俺はうれしいから」と言われ、この言葉に本当に救われました。 夫も仕事をしているので、もちろん家事や育児を全部担うわけにはいきません。でも、理解をしてくれるということが私の心にゆとりを持たせてくれたのです。 年子の育児で余裕がなくなっていた私も、パパの理解ある言葉で笑顔を取り戻し、今しかない赤ちゃん期間を大切に過ごさなきゃもったいないと気付くことができました。何よりもかわいい子どもたちのために、これからも笑顔と思いやりを絶やさないようにしたいと思います。 監修/助産師REIKOイラストレーター/みいの著者:松本のあ1歳男児と0歳女児の母。客室乗務員を現在育休中。年子育児の経験を多くの人に伝えるべく、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月29日過去に受けた親御さんからの暴力やネグレクトが心の傷となり、今現在も子育てに支障が出ているママ。どうやって過去のトラウマから脱出しようとしているのかをご紹介しています。 現在、2人の姉妹を育てている母親です。実は私自身が毒親の元で育ち、ネグレクトや暴力などを受けて育った経験がありました。そんな私が「どうしたら幼少期のつらかった経験を乗り越えられるか?」と日々もがいている様子をお伝えします。 自分の過去がフラッシュバック現在3歳の長女がちょうど1歳を過ぎたあたりから、「なんで言うことを聞いてくれないの?」と苛立つ機会が多くなりました。その際にいつも思い出すのは、私が物心ついたおそらく3歳ごろからはすでに始まっていた、実母の私に対する暴力行為です。 どうしてもフラッシュバックしてしまって、長女を叩いてしまいそうになる衝動を抑えることに必死な毎日でした。 子どもを叩きたくなったらどうするべきかつらい経験をしたからこそ、子どもたちに対して暴力行為によるしつけをおこないたくはありません。しかし、度々過去の出来事がフラッシュバックする自分を責めてしまう日々。こんなことはママ友などにも話せませんでした。「じゃあどうするか?」と次に考えたことは、行政や心療内科といったプロの方々に助けを求めることでした。 見守られていると実感すれば行動は変わる私自身の経験ですが、暴力行為は閉鎖的な空間だと起こりやすいと感じます。つまり「ママと子どもだけの孤独な関係や、地域など社会的なつながりなどから閉ざされた環境」だと、より自分自身の価値観が狭まってしまう気がします。だから私は「たくさんの人とつらかった自分の過去や気持ちを共有し、見守ってもらう」ことを選択しました。ただ、ママ友とは滅多に共有できることではないと考え、プロや行政に助けを求めることに。具体的には市の産後ヘルパーを活用したり、保健師の定期的な訪問をお願いしたり、臨床心理士によるカウンセリングを受けたりしました。 心の解毒法とは臨床心理士によるカウンセリングでは、徹底して私の話を聞き取ってくれました。ママ友や自身の親などには話せないことをプロの方に聞いていただき、「心の闇を誰かに直接話すことで少しラクになれる」ことを体感できました。傾聴してもらうことで、気持ちの整理がつき、問題解決の方向性などを自身で見つけ出せるようになりました。もちろん、メンタルの調子には波があり、良い日もあれば「怒鳴りすぎたな……」と反省する日もあります。しかし「どんな自分でも受け入れ認める」という業を達成すれば、少しずつ自身のトラウマも乗り越えられるのではないかと感じています。 私は現在「自身の心の解毒法」の一環として、心療内科や保健センターなどに見守っていただきながら日々を過ごしています。「すべては子どもたちの健やかな成長のために」と強く思いながら、あらゆる人々に助けを借りて「いろいろな人が私を心配してくれているんだ」と思うと、自然と抑制心が出て心にブレーキをかけることができています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/塩り監修/助産師REIKO 著者:山本加奈子2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月29日結婚をして、夫婦でライフプランを立て、計画的に子どもを授かるのが理想的かもしれませんが、必ずしもその通りにできるとは限りません。私は付き合って3年目の彼との間に子どもを授かりました。当時、私は20歳になったばかりで、彼もまだ大学生。そんな私の妊娠・出産エピソードをお伝えします。 社会人1年目の春に妊娠判明社会人になりたての6月、体のだるさと2週間ほどの生理の遅れに不安を覚え、妊娠検査薬を試すと陽性反応が出ました。 このとき、彼はまだ大学4年生。しかも喧嘩をして、あまり連絡を取っていない状態でした。まずは産婦人科へ行き、妊娠していることをしっかり確認。覚悟を決めて彼に妊娠したことを報告しました。たくさん話し合い、最後はおなかの赤ちゃんのおかげで仲直りして、子どもを産み育てることを2人で決めました。 想定外の妊娠に対する気持ち私も20歳になったばかり。働き始めて間もない私が母親になるというのは不安もありましたが、私の母も20歳で出産したので若い母親にあこがれもありました。また、私自身、子どもが大好きで保育士として働いていたこともあり、不安はすぐに消え去りました。 ひとりの時間がなくなり、なかなか遊べなくなるかもしれないとも考えましたが、子どもとの楽しい未来を想像すると、そんなことも気にならなくなりました。 ベビー用品はリサイクルショップなどを活用! 彼がまだ大学生なので経済的な不安はありましたが、私の場合、出産に関する入院費用は出産育児一時金から3万円ほどはみ出す程度に収まりました。 大きいベビー用品は、リサイクルショップやフリマアプリを活用。チャイルドシートは1,700円、ベビーラッグは300円など、非常に安く揃えることができました。児童手当で毎月15,000円から10,000円支給され、医療費も無料なので、ありがたいことに急なお金が必要になる場面もなく、なんとか平凡に暮らしていくことができました。 子どもは現在1歳になり、これまでの人生で今が一番幸せだと感じています。毎日が楽しくて仕方がありません。赤ちゃんが幸せを運んできてくれました。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/(c)chicchimama監修/助産師REIKO著者:白木あい男児の母。保育士・幼稚園教諭の資格を取得。保育士として勤務後、出産を機に退職し、専門知識や子育て経験をもとに記事執筆をおこなう。
2020年11月27日