「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。息子が入院していたこども病院では、入院している息子だけでなく、上の子を含めた家族のケアにも気を使ってくれました。息子の容態が安定してGCU(新生児治療回復室)に移った日、本来病棟内に入れない上の子たちとの面会(特別面会)についての説明があり、家族みんなで楽しみにしていたのですが……。 特別面会とは?感染防止の観点から、18歳未満の面会は原則禁止(18歳以上は患者の親と連れ添って1人まで面会可能)となっているGCU。しかし18歳未満のきょうだいがいて入院期間が長い場合などは特例措置として個室での面会が認められており、この面会は「特別面会」と呼ばれていました。 息子の場合はGCUに移った時点で容態が安定していたので、すぐに特別面会を手配してもらえることに。1週間後に予約してもらった特別面会を家族みんなで楽しみに待っていました。 インフルエンザでまさかの延期特別面会を予約して帰った土曜日、長女が熱を出しました。幸い月曜日には熱が下がったのですが、夕方ごろ幼稚園から「インフルエンザが流行っているため明日から学級閉鎖です」との電話が。「まさか娘も?」と思っていると、その夜に次女が発熱。病院で検査してみるとやはりインフルエンザでした。 家族全員インフルエンザの予防接種は打っており、娘たちも軽症で、私や夫にうつることもなかったのですが、こども病院と話し合った結果、特別面会は延期することになりました。 少し不安だった子どもたちの初対面上の娘たちの体調も整い、やっと特別面会をおこなえたのは息子が生後2カ月半を過ぎたころでした。念入りに手洗い消毒をし、マスクをつけて、ガウン代わりのスモックを着せられた娘たちは緊張の面持ち。看護師さんについて、家族みんなで息子のいる個室へ向かいます。 生まれてすぐのころと比べるとだいぶ身軽になったとはいえ、まだ鼻に人工呼吸器がついている息子。写真は見せていたものの、いわゆる「普通の赤ちゃん」ではない息子に娘たちがどう反応するか私は少しだけ心配でした。 離れていてもちゃんときょうだい「かわいい! 触ってもいい?」。長女がそう言いながらちゅうちょなく息子に手を伸ばしたときは本当にホッとしました。看護師さんから息子を抱っこさせてもらった長女は、私が「重いでしょ? 代わろうか?」と言ってもなかなか抱っこをやめず、緊張していた次女も息子の頭をわしわしと無遠慮に撫でまわしています。 そして、当の息子は初対面の姉たちを不思議そうにじっと見つめたまま、何をされても一切泣かずに1時間超の面会を終えました。 「医療的ケア児の息子を上の子たちが受け入れられないのではないか?」という私の不安は完全に杞憂(きゆう)に終わりました。ずっと会えなくても、初対面で打ち解けた子どもたちの姿に、きょうだいの絆の強さを感じた忘れられない出来事です。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2020年09月18日高校生のころから痔に悩まされてきた私。肛門の痛みにより日常生活に支障を感じた私は、婚約を機に思い切って手術をすることを決意! 手術後、痔のストレスから解放された私でしたが、出産をきっかけにまた痔が悪化して……。妊娠、出産を経て、再び痔になってしまった体験談をご紹介します。 もしや痔!? 初めて気づいた肛門のイボ私が高校生のときの話です。トイレでおしりをふいた際に、肛門からイボが1つ出ているのに気がつきました! 当時の状態は、排泄時、肛門にやや痛みを感じる程度。私は思春期であったこともあり、家族にすら相談せずに過ごしました……。 薬局でぬり薬を買うことすら恥ずかしく、ビオフェルミン錠剤を服用して便通をよくしようと努めたのです。 社会人になって悪化した痔…たまに肛門の痛みを感じるものの、痔との生活に慣れていった私。大学生時代、イボ痔であるもののさほど痛みはなく、私は肛門の悩みをあまり気にすることなく過ごすことができました。しかし、就職をきっかけに肛門の変化を感じ始めることに……。 デスクワークや飲み会が増えたことで肛門に負担をかけ、かゆみや痛みを感じるようになりました。肛門からの出血も増え、私は仕事に集中できず、日常生活に支障をきたすほどになったのです。 婚約を機に痔の手術を決意!そんななか、私はプロポーズを受けてうれしい気持ちでいっぱいに! しかし、いつか子どもが欲しいと希望していた私は、肛門の痛みにより出産に支障をきたすのではないかと悩みました。思い切ってパートナーに相談し、痔の治療をすることにしたのです。 私が通院した肛門科では週末に日帰り手術が可能で、担当医と相談のうえ「痔核結紮切除術(じかくけっさつせつじょじゅつ)」を受けることを決意! 手術後、痔に悩まされることがなく、快適な生活を送ることができました。 妊娠、出産を経て…またアレが!結婚後、初めての妊娠に喜び、痔の存在がすっかり過去のものに。しかし、出産後初の排泄時に、異変に気がつきました……。肛門に2つのイボ痔ができていたのです! 今までにないほどパンパンに膨れた痔。軽く痔に触れるだけで痛く、排泄時はあまりの肛門の痛みに涙が出ました。 産婦人科の担当医に相談したところ、妊娠・出産により痔ができることがあるとのこと。塗り薬を処方され、産後1カ月ほどはヒリヒリした肛門の痛みに耐えました。産後から3年が経過した現在、肛門の痛みはなく、しぼんだイボ痔がある状態です。 出産後、激しい肛門の痛みに苦しんだ私ですが、現在は普通の日常生活を送っています。産後、激しい肛門の痛みにどうなることかと思いましたが、塗り薬で痛みを緩和できました。痔が悪化しないように、バランスのとれた食生活や適度な運動、おしりを温めて血流をよくするなど……今は肛門に配慮して生活しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO著者:仲本まゆこ自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年09月17日生後8カ月の赤ちゃんの様子が、いつもと違ってぐったり。何度も吐くので病院を受診したところ、大腸の中に小腸が入り込んでいってしまう「腸重積(ちょうじゅうせき)」になっているということが判明しました。この病気の発症から回復までの体験談を紹介します。胃腸炎? 自宅で様子を見てしまった生後8カ月の息子。朝7時の授乳後、ミルクのような白っぽいものを吐き、なんとなく元気がありませんでした。でも熱もないし、便もいつも通り。吐いたあとは眠っていたので、そのまま寝かせました。外出自粛要請もあるなかで病院に行くよりは、家でゆっくり過ごしていれば良いだろうと考えたのです。 しばらくして起きると、嘔吐が止まらない。吐くものも黄色い液を吐くようになっていました。しかし私は「自分もつわりがひどかったときは黄色い液を吐いていたなあ」と思いながら、ついつい様子を見てしまったのです。 かかりつけ医から市立病院へ11時半ころに息子が吐いたときに、吐いたものが茶色っぽくなりました。まさか、血!? これはさすがにまずいとかかりつけ医に電話しました。実は2週間以内にも胃腸炎との見立てで受診しており、そのときはナウゼリンという坐薬を入れてすぐに治ったので、今回もそれで様子を見て午後診療で来るように言われたのですが……。 坐薬を入れても一向に症状が良くならず。午後イチでかかりつけ医を受診したものの、脱水症状が進んでいるために市立病院へ行くように言われました。 市立病院での処置市立病院では点滴で脱水症状の手当てをしてもらい、触診とレントゲン撮影をおこないました。レントゲンでは異常な影は写らず、触診によると腹部がやや硬いとのことで浣腸をしてもらったのですが、その後出てきた便がなんといちごジャムのような粘血便。 そこで腹部エコー検査をしたところ、小腸が大腸に入り込む「腸重積」と診断されました。造影剤を肛門から入れて小腸を押し戻す「高圧浣腸」という治療をしたのですが、2回おこなっても戻らず。これ以上の処置は腸管に負担がかかるとのことで、大きな病院に転院することになりました。 転院先での処置転院先での処置は、腸管破裂した場合に手術ができる状態にしての高圧浣腸。待ち時間が長く感じられました。やっと呼ばれると、息子はぐったりしていましたが、大腸の半分くらいまで入り込んでいた小腸は本来の位置に戻ったとのこと。 その日はもう夜遅くなってしまったので入院となり、私は帰宅しました。1日経って再検査したところ、まさかの再発。残念でしたが、しっかり治ることだけを祈りました。そしてその翌日の検査で完治と診断され、ようやく退院できました。 まずは息子が退院できてほっとしましたが、もっと早くかかりつけを受診していれば……とか、セカンドオピニオンとして健康相談ダイヤルなどに電話してもよかったかも……とも思いました。これからは「様子を見る」にしても、少しでも不安なら医療機関に相談するようにしたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO作画/はたこ著者:小林まり3男1女の母。元小学校教員。夫は土日出勤、出張も多いNPO職員。育児の大変さを実感しながらもコツをつかみ始めてきたところ。自身の経験を中心に執筆している。
2020年09月14日骨格や髪質など、身体の特徴は人それぞれ。田辺ヒカリ(@hikari_tanabe)さんの場合は、自分の血管の細さを採血や点滴のたびに感じるといいます。『血管の細い人あるある』ともいえる体験を漫画に描くと、同じタイプの人々から反響が上がりました。血管に針を刺す必要がある際、田辺さんは看護師を困らせがちで…。クリックすると画像を拡大しますクリックすると画像を拡大します血管が細い人にありがちなことを描きました。採血や点滴の際には看護師さんを困らせがちです。すみません。でも採血や点滴が一回で決まらない人って、けっこういるんじゃないでしょうか?どうですか? #コミックエッセイ #エッセイ漫画 #漫画が読めるハッシュタグ #刺入 #体験談 pic.twitter.com/JBInxGKv36 — 田辺ヒカリ (@hikari_tanabe) September 6, 2020 新人からベテラン、『刺入の鬼』と呼ばれる看護師、『ラスボス』と呼べる医師まで登場して、やっと点滴の針が田辺さんの血管に刺さりました。似た体験をしたことのある人は多く、「めちゃくちゃ分かる」と共感の声が相次いでいます。・「血管が細いです」という自己申告が欠かせないくらい、針が刺さらない。・採血の時、いつも看護師さんを全力で応援しています。・血管の細さに自信があるので、毎回刺入できる勇者を待っています。・「ここなら採血できる」と教えても、頑なに別の場所に針を刺されることも。なぜなの…。・カルテを見たら、「血管に難あり」と書かれていました。自分と看護師のため、できるなら血管を太くしたいです。また、少しでも血管に針が刺さりやすくなるよう、「事前に温める」などのアドバイスも寄せられていました。技術や器具の進化によって、細い血管にも1回で針が刺さることが当たり前の時代は来るのでしょうか。ラストに現れた医師のような技術力を持つ人に、感謝してもしきれませんね![文・構成/grape編集部]
2020年09月13日私には6歳の娘と1歳の息子がいます。1人目のときにはなく、2人目の妊娠で初めて経験したマイナートラブルの1つに「陰部静脈瘤」があります。静脈瘤ができた場所がデリケートゾーンなだけに、産婦人科の先生に相談するのも勇気がいった体験談をご紹介します。 妊娠9カ月でおまたがパンパンに妊娠9カ月を迎え、私のおなかは今にもはち切れそうなくらい大きくなり、当時は靴を履いたり、足の爪を切ったりといった自分の足元をよく見て作業することが難しくなっていました。 ある日いつものようにお風呂に入り、自分の体を洗っていたときのことです。おまたを洗おうと触れると、明らかにいつもと感触が違い、パンパンに腫れているようでした。ただ、患部を目視したくても、大きなおなかが邪魔をして見られません。自分自身の体のこともですが、おなかのなかの赤ちゃんに悪い影響がないのかすごく不安な気持ちになりました。 勇気を出して先生に相談特に痛みはなかったので日常生活に支障はありませんでしたが、2、3日経っても腫れは一向に引かず……。腫れているところがデリケートゾーンだったので、他人に話すことに恥ずかしさはありました。でも、「赤ちゃんに何かあっては困る!」と勇気を振り絞り、妊婦健診の際に腫れのことを先生へ相談してみることに。 内診台で診てもらった結果、腫れは大きなおなかで血管が圧迫されて血液循環が悪くなったことが原因でできた「陰部静脈瘤」との診断でした。心配していたおなかの赤ちゃんへの影響はないと聞けて、すごくホッとしたのを覚えています。 出産までのホームケア私は服薬など何か治療法があるのかも先生に伺いました。でも残念ながら効果てきめんな方法はなく、出産しておなかの圧迫がなくなれば自然に戻る人がほとんどとのことでした。ただ治すことは無理でも、これ以上悪化させないために3つのアドバイスをもらいました。 1つ目は、着圧ソックスを履くこと。2つ目は、同じ姿勢や体勢を続けず、足をよく動かすこと。3つ目は、足湯をすること。 3つとも、下半身の血液循環に効果的な方法だそうです。3つとも試したことがよかったのか、静脈瘤は引くことはありませんでしたが悪化もせず、無事に出産の日を迎えられました。 さらに静脈瘤へのケアで思わぬところにも効果が……! それはこむら返りです。夜中足が頻繁につっていましたが、アドバイスを実践後はほとんどなくなったのです。 幸いパンパンに腫れていたおまたも、出産後2週間もしないうちに腫れが引いて再発もありませんでした。赤ちゃんへ悪影響がないのか不安を抱えたまま出産を迎えるよりも、勇気を出して先生に相談してよかったと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:近藤あいこ6歳女児と1歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年09月12日思春期から強い生理痛と経血量の多さにずっと悩まされていた私。妊娠・出産を経て症状が軽くなると期待したものの、再開した生理のつらさはそのまま! そんな私の産後の生理痛治療についてお話しします。 思春期から大変だった生理私は、学生時代は生理痛がつらくて学校を休むことも多かったのですが、社会人になると仕事はなかなか休めないため、生理痛を和らげるために効き目の強い痛み止めを飲んだり、ピルを服用したりしていました。また経血の量も多いため、服を選んだり体を動かしたりすることにすら気をつかう状態でした。 産後は生理が軽くなると期待するが…結婚に伴い、ピルをやめて半年ほどで第一子を妊娠。産後は生理痛も軽くなり経血の量も減る人がいるという話を信じて、つらいつわりも何とか耐えました。その後出産し、復職目前の産後10カ月ほどで生理が再開したのですが、聞いていた話とは裏腹に約2年間忘れかけていたあの強い痛みや、大量の出血と再度戦うことを余儀なくされたのです。 第二子妊活と生理痛治療のジレンマ復職後1年はしっかり仕事に向き合いたかったのと、第二子はある程度の年齢差を開けたかったため、復職後最初の1年はピルを服薬していました。その後第二子を考え始めたタイミングで一旦服薬をやめたのですが、やめた途端にまた生理痛がひどくなり出血も大量に……。ピルを飲むと妊娠できない。でもやめると生理の症状がひどくなる、というジレンマに陥ってしまったのです。 治療を再開してよかったこと病気のおそれがあることも考え検査をしましたが、幸い大きな病気ではありませんでした。第二子のことも考えて期間を区切り、生理の治療に集中しましょうという医師のアドバイスのもと、ピルの服薬を再開。ピルを飲み始めてから1カ月ほど経つと、痛みや経血の量が少なくなるのを実感できました。生理痛で仕事を休むことや痛み止めを飲む回数も減り、経血の漏れを気にして服を選んだり行動を制限したりするストレスも減ったので、快適に過ごせる時間が増えてよかったと思います。 ピルによる治療は私にとっては快適に過ごすための良い方法でした。願わくば治療をやめた後すぐに第二子を授かれたら……と思いますが、今は治療に専念しつつ、再び赤ちゃんに会える日を心待ちにしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 監修/助産師REIKO著者:金岡莉緒1女の母。独身時代から住宅関連企業に勤務し、産休育休を経て時短勤務中。妊娠・出産・子育てに関する自らの経験を中心に執筆している。
2020年09月12日「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。 息子は、生後4カ月に渡りこども病院に入院していたのですが、こども病院では感染予防の観点から大人以外の面会は基本的に禁止されていました。息子の入院が2カ月を超えたころ、息子の状態が良くなってくると、上の子たちは一度も弟に会えないことに疑問を持ち始めていました。 息子の病気、どこまで説明する?当時、息子の姉にあたる長女と次女は4歳と2歳、息子の病気について理解するのは難しい年齢でした。そもそも横隔膜に穴が開いていたことで、肺が未発達になったという息子の病状は、大人に説明するにも難しいもの。 ただ、退院後も何らかの医療的ケアが必要となる見通しだった息子の病気を、上の子たちに少しでも伝えたいという思いがありました。私と夫は息子の動画や写真をこまめに見せながら、「息子は息をするのが大変なこと」「息するのをラクにするために機械が必要なこと」などを上の子たちに繰り返し説明しました。 どうして弟に会えないの?最初こそたくさんの管に繋がれている息子の写真に衝撃を受けていた上の子たちでしたが、生後1カ月で人工呼吸器が鼻につけるタイプのものに変わり、体の動きを制限する薬も減ってからは、「目、開けてる。かわいい」「声が出たね」など弟の存在を受け止めてくれるようになりました。 そして同時に「会いたい」「どうして会えないの?」と言った言葉も増えてきました。 ガラス越しの初対面上の子たちが会いたがっていることを看護師さんに相談すると、次の面会のときに息子のベッドの位置が窓際に変わっていました。「ここからなら、お姉ちゃんたちも息子くんの様子を見られます!」と看護師さんが教えてくれたので、慌てて娘たちを窓のところに連れてくるよう夫に連絡。 やがて、ガラス越しに上の子たちの顔が見えて、私は看護師さんに促されながら息子の顔が窓から見やすいように抱っこしました。息子の姿が見えると、上の子たちはガラス越しでも声が聞こえてくるくらいはしゃいでいて、看護師さんへの感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。 GCUへ移動、そして…鼻に取り付けるタイプの人工呼吸器でも呼吸が安定するようになり、体重も少し増え始めた息子はNICU(新生児特定集中治療室)からGCU(新生児治療回復室)に移動することになりました。 GCUも大人以外の面会は原則禁止でしたが、特別に区切られた個室があり、そこで大人以外を含めた家族みんなでの面会(特別面会)をおこなうことができるのです。「やっと弟に会えるよ」と上の子たちに話して、返ってきた笑顔は今でもよく覚えています。 何カ月も弟に会えないまま、毎日のように「弟のお見舞い」としてNICUの待合室で待つ日々は、上の子たちにとってすごく退屈だったろうと思います。そんななか、病院側が精一杯きょうだいのつながりを作るサポートをしてくれて本当にうれしかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2020年09月11日男の子ならではの体のトラブル体験談です。女性であるママにとって男の子は未知の存在。4歳の息子さんが訴えた体の異変は男の子ならではのもので、ママはとても戸惑ってしまったそうです。 三姉妹の真ん中として育った私にとって、男の子は未知の存在でした。そんな私が最初に産んだのは男の子! 元気いっぱいな長男に戸惑いながらも、男の子のかわいさを知っていきました。ところが長男が4歳になったころ、突然「おちんちんが痛い!」と言い始めたのです。 「おちんちん痛い!」と言いだした長男夫の帰りが遅いわが家では、私が4歳の長男・2歳の長女と一緒にお風呂に入っていました。はじめは私が体を洗ってあげていましたが、4歳になったころから長男は自分で体を洗うように……。最初はきちんと洗えているか心配で、私が仕上げに洗い直してあげていました。 しかし長男が自分で体を洗うことに慣れてくると、安心して任せっきりに。私はなんとなく洗えているんだろうな……と思っていました。ところがある日、長男が「おちんちん痛い!」と言い始めたのです。 性器の先端が赤く腫れあがり…!長男が「おちんちん痛い!」と訴えてすぐに、下着を脱がせて確認しました。すると、長男の性器の先端が赤く腫れあがっていたのです。男の子の性器が腫れるところを初めて見た私は驚き、あたふたするばかり……。 何科を受診すればいいのかもわからず、とりあえず近所の小児科に駆け込みました。 小児科に着くと、受診は小児科で大丈夫とのことでひと安心。そして、バイキンが入ったことによる亀頭包皮炎(きとうほうひえん)と診断されました。 小児科でアドバイスを受け…小児科では抗生剤と塗り薬が処方され、やさしく洗うようアドバイスを受けました。きちんと洗えていなかったり、汚れた手で性器を触ってしまうことが原因だそうです。 長男によると「きちんと洗っていないかも」とのことだったので、お風呂場でもっと見てあげていたらよかったなと後悔……。それから、男の子の性器トラブルについてきちんと知っておくべきだったと思いました。処方された薬のおかげで、腫れと痛みは数日で引きました。 長男の性器トラブルを体験して、異性親である私も男の子特有の病気・トラブルを理解しておく必要性を感じました。それから、同性親である夫のことをもっと頼ろうと思いました。性器についてわからないことがあったら、夫に相談してもいいと長男には伝えています。夫婦で協力し合っていこうと実感した出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/マメ美監修/助産師REIKO 著者:河津明香2男1女の母。旅行代理店勤務をしながらの育児を経て、フリーランスのライターへ転身。現在は発達障害の長男のサポートをおこないながら、旅行・育児・生活雑貨などの記事を中心に執筆。
2020年09月10日初めての妊娠・出産で何もわからず、SNSで先輩ママたちの出産体験談などを読んでいましたが、いざ自分に陣痛を体験してみると想像とはまったく違うものでした。しかし、先輩ママさんたちのアドバイスを聞いていたおかげでできたこともありました。陣痛から出産までの私の体験をお伝えします。 いつもと違ったおなかの痛み臨月に入ったあたりから、夜中の2時ごろに起きてトイレに行くのが日課になっていました。その日は夫が4時に家を出ないといけない日だったので、起きてソファで横になっているとおなかのあたりに違和感を覚えたのです。そのときは軽い生理痛のような痛さで、「もしかしたら今日生まれるのかな〜」と考えるほど余裕がありました。4時前から痛みの間隔を計り始めたのですが、このときはまだ6〜15分とバラバラ。まだ痛みに余裕がありましたが、家を出る夫に「もしかしたら、今日生まれるかもしれないよ」と伝えておきました。 弱いおなかの張りから陣痛へそこまで痛さを感じないときにシャワーを浴びて入院準備をし、腹ごしらえにとアイスクリームを食べておきました。これらは、先輩ママの出産エピソードを読んでいたからできたことで、シミュレーション通りでした。7時ごろに病院に電話をかけると、「初産なのでおなかの張りが5分間隔になって、ごはんが食べられなくなるほど痛くなったら来てくださいね」とのことでした。 いよいよ病院へ向かい、ついに出産!10時を過ぎると、一気に5〜7分間隔の陣痛が始まりました。10時40分過ぎに病院に電話をし、向かうことに。車は上下に揺れ、陣痛が来るととても苦しく、ジェットコースターに乗っているようでした。病院に着いたときには子宮口はすでに6cm開いており、しばらくして分娩台に移動して1時間ほどで赤ちゃんが生まれました。 出産体験エピソードは参考程度にしかならないかもしれませんが、してよかったこと・すべきことなどはとても役に立ちました。私の場合ですが、家から出発直前まで「まだ食べられるな」などと考えていました。早く行き過ぎても帰らされる場合があると聞いたことがあったので、ギリギリまで耐えていましたが、陣痛中の車移動はとてもつらかったです。次回は少し余裕を持って移動したいと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:やすだ おと一女の母。妊娠・出産・子育てに関する体験談や、自身の海外留学、旅行についての記事を中心に執筆。
2020年09月07日もうすぐ1歳の誕生日というある日、私の不注意で息子が手のひらに全治3カ月の大やけどを負ってしまいました。子どもの大やけどに直面したときの行動や対処法、その後の治療や経過とともに周りの反応や私自身の心境の変化をお伝えします。 今でも忘れられない、あのときの光景いつものように使用済みヘアアイロンをタオル掛けに吊るして収納しお化粧をしていると、火のついたように大泣きしだした息子。振り返るとヘアアイロンのすぐそばで明らかにいつもと様子が違う息子の姿がありました。 「まさか」と思い急いで手のひらを見ると、人差指、中指、一部手のひらが真っ赤になっていたのです。ヘアアイロンの電源を消したのはついさっき、設定していた温度は190度。血の気が引いた私でしたが、震える手で息子を抱えすぐに流水で冷やす処置を始めました。 ▲実際の写真 通院と看病の日々⋯流水で冷やしながら皮膚科に電話。すぐにきてくださいとのことで病院に向かい、緊急性が高かったため3時間待ちのところを優先して診察していただきました。診察の結果、熱傷の程度は中等度の深達性Ⅱ度でした。引きつれなどが生じるおそれもあると告げられ、頭が真っ白に……。そして、ガーゼと包帯を換え、薬を塗る毎日が始まりました。傷口を見るたびに後悔が襲いましたが、私にできることをするしかないと黙々と看病をしました。最初のころは心配で毎日通院し、落ち着いてからも週2〜3回診察に行く日々が2カ月続きました。 周りの反応、何を言われてもつらかった日々息子に痛い思いをさせてしまったこともつらかったですが、周りの反応に対してもナイーブになっていきました。夫をはじめ親族は「痛そう⋯⋯」と顔は歪めるものの、私に気をつかってあまり触れずにいてくれました。児童館では「うちの子なんて私の不注意であごの骨折ったのよ!」と励ましてくれるママさんもいましたが、そのやさしささえとてもつらかったです。あるときはすれ違いざま高齢者の方に、「あらやけど? やけどは親の不注意だよ」と言われることもありました。とても深く傷つきましたが、言われて当然のことをしたと思っています。 もう絶対に繰り返さないための危険対策!事故が起こってしまった原因は、私の心にありました。それは危ないと思ったものの放置したことです。向こうで遊んでいるし⋯…という甘い考えが招いた事態でした。事故後すぐに「日常で危ないと思っていること」をその対策と一緒に書き出し、夫と共有しました。想像できる最悪の事態は必ず起こると危惧すること、その不安材料を取り除くこと。意識の徹底により、そのやけどの事故から現在まではケガなく過ごせています。 事故から半年、すっかり治り、手も不自由なく使えているようです。私の不注意で痛い思いをさせてしまったことは後悔してもしきれませんが、母として成長できたとプラスに考えるようにしています。子どもが小さいうちは「想像できたら、それは起こる出来事」を合言葉に息子の安全を守っていきたいと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:高橋さちこ1歳男児の母。新卒で営業職に就き、妊娠を機に退職。その後就活・保活に成功し、現在は働きつつ妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年09月05日ベトナムのグエン・ドクさんが、日本ベトナム友好協会大阪府連合会にサージカルマスクを寄付。連合会を通してその一部を受け取った大阪府大阪市の北野病院が、2020年8月24日に喜びの投稿をしました。「ベトちゃんドクちゃん」と言えばある程度の年代の人はお分かりになると思いますが、今日はその「ドクちゃん」ことグエン・ドクさんより日本ベトナム友好協会大阪府連合会を通してサージカルマスク3,000枚のご寄付をいただきました! コロナなどの感染予防のため、大切に使わせていただきます! pic.twitter.com/HyacqJpEsZ — 北野病院@公式 (@kitano_koho) August 24, 2020 ドクさんは、ベトナム戦争で米軍が散布した『枯れ葉剤』の影響とみられる結合双生児として誕生。双子の兄のベトさんと下半身の一部がつながった状態であったため、日本では『ベトちゃんドクちゃん』の呼び名で広く認知されていました。1988年10月にベトナムのホーチミン市にある病院で分離手術が行われた際、日本側は器材や薬品を提供。また、分離手術で左足を失ったドクさんのために、義足も贈っています。2020年の春から新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)が流行していることから、恩返しの一環としてマスクを送ってくれたのでしょう。グエンさんの心遣いを受け、ネット上には感謝の声が数多く投稿されました。・とてもありがたいことです。涙が出てきました。・『ベトちゃんドクちゃん』、存じております。立派な人になられて…。・ドクさんのマスクが、医療従事者を始め多くの人の元に届きますように。・心意気が嬉しい。どうぞ長生きしてください。一時期、コロナウイルス感染の不安から人々がマスクを買い求め、店頭から消えたことも。各企業が量産体制を整え、異業種も製造を始めてから市場にマスクが出回るようになりましたが、まだ不安定感を拭えません。そんな中での寄付は、人々の心を温めたことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年09月02日息子の風邪がうつり、生後20日の娘が突然の発熱。あらゆる検査の結果からウイルス性髄膜炎と診断され、小児科に入院となったときの体験談です。今回は、診断されるまでの経過、入院中~退院後におこなった予防などもお伝えします。 初めての高熱…当然の入院3歳の息子が保育園で熱を出し、喉の赤みと鼻水の症状で夏風邪と診断され1週間。息子は完全に回復し、家族の誰もうつらなかったことにホッとしていたころのことです。 娘は数日後に1カ月健診を控えていました。娘を抱っこしていていつもより熱いと思い、熱を測ると40度近い熱。赤ちゃんは母親から免疫をもらっているから病気になることはほとんどないのではとどこかで思っていた私はびっくりしました。母乳の飲みも変わらず、おしっこも出ているし、咳や鼻水もありません。かかりつけ医の小児科に電話すると「今すぐ入院施設のある大きい小児科に行きなさい」と言われ、受診。 すぐにレントゲン・採血・腰からの髄液検査・点滴と次々と検査がおこなわれ、泣きわめくわが子は髄膜炎の疑いでその日のうちに入院になりました。その3日後、検査の結果から「ウイルス性髄膜炎」だと確定診断されました。 ママと2人の入院生活その日以来、病院での24時間付き添い生活が始まりました。娘は点滴と心電図モニターにつながれ、頻回の検温のたびに泣き、高熱の間は苦しいのかよく泣いていました。この病院ではママはあくまで付き添いなので、食事などは出ず、家族に持ってきてもらうかコンビニで済ませます。家族が面会にきたタイミングでお風呂を済ませ、あとは授乳か、おむつ交換か、ひたすら抱っこ。ただただかわいそうという気持ちと、早く良くなることを祈るばかりでした。 退院後も予防の日々やっと熱も下がり、炎症反応もなくなったのを確認し退院が決まりました。その際、医師から「予防接種を2回終える生後3カ月までは特に注意するように」と言われました。息子からの感染を予防するため、手洗い・うがい、保育園から戻ったらまず着替えをさせること、風邪の症状があるときには娘に近づけない、もしくは息子が触ったおもちゃなどは消毒するなどを徹底し、何とか最初の目標である生後3カ月を迎えました。もう入院させまいと常に病気には敏感になっていました。 兄妹のケアも忘れずに感染源が息子であったこと、その後も一番感染源となり得ることから、予防策をとると、さらにイヤイヤ言ったり、悲しそうな顔をする息子。幼いながらに、もっとママに甘えたいという思いが強かったのだと思います。病気中の娘も心配ですが、入院中の面会時は娘を家族に見てもらい息子と遊んだり、退院後も体調が悪いときには子ども2人を接触させないよう、ママである私が息子のそばにいる時間を意識的に作るようにしました。 新生児期であっても発熱することがあり、一見変わりなく見えても入院を伴うような病態になっていたことは、娘自身も家族にとっても大きな負担でした。早めのうちにかかりつけの小児科を決め、相談できる体制をとると共に、日頃からの対策も大事であることを学んだ体験でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:高橋ひな子2児の母。助産師・看護師・保健師の資格を持ち、病院勤務をしながら育児を満喫中。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する記事を執筆している。
2020年09月01日「多嚢胞性卵巣症候群(PCOS)」と診断され、不妊治療を開始しました。仕事と不妊治療の両立はとてもストレスがかかるものでしたが半年で妊娠確定、しかし……。 不妊治療の末、妊娠検査薬で陽性反応!私は結婚したのが34歳だったので、年齢的にすぐに妊娠できるか不安がありました。不妊治療をしていた友人の助言を受け、不妊検査を受けてみると「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。不妊の原因にもなる病気なので、そこから不妊治療を開始することに。 治療開始から半年、通院している私と受け身な夫との感覚の差にイライラし、仕事と不妊治療の両立に限界を感じていました。そんなときに妊娠検査薬で陽性反応が! 夫婦で手を取り合って喜びました。 喜んだのも束の間…妊娠検査薬で陽性反応が出たのでさっそく病院へ。ところがまだ妊娠4週目。胎嚢は確認できましたが、胎児心拍は妊娠6週目ころになってからとのこと。このときは何の不安もありませんでした。しかし、妊娠6週目になっても妊娠7週目になっても胎児心拍が確認できず……。 妊娠9週目まで様子を見てもらいましたが、残念ながら稽留流産と診断されました。喜びから1カ月も経たないうちに、地獄に突き落とされた気分でいっぱいに。痛みもまったくなく、なぜダメだったのか?ばかり考えて泣いて過ごす日々でした。 悲しみと不安だらけの掻爬手術次の妊娠を少しでも早く考えているなら、掻爬手術(そうはしゅじゅつ)をしたほうがよいと先生からすすめられました。悲しみと手術の不安で当日はボロボロ涙が出るばかり……。夫も心配してくれて仕事を休んで付き添ってくれました。 手術をする前は、痛さや怖さを想像して不安だらけ。しかし、麻酔で眠っているので痛さは感じず、いつ終わったかもわからないうちに終了していました。目が覚めたときには、病室のベッドの上。術後の痛みもあるのかと不安でしたが、特に痛みはなかったです。 子どもが欲しくてつらい不妊治療に通っていたので、流産を知ったときは絶望的でした。引き続き、不妊治療に通いながらも自分を責めて泣いて過ごす日々でしたが、掻爬手術から2カ月半後、新たな命が私のおなかに戻ってきてくれました。あの経験があったから、戻ってきてくれたわが子がより愛おしく大切にしたいと感じられるんだと感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:桜井りこ1女の母。服飾パタンナーを経て、現在は化粧品会社時短勤務。不妊治療からの妊娠。美容・コスメ・健康系と合わせ、自身の体験をもとに、妊娠・子育てに関するライターとしても活動中。
2020年08月30日1人目の出産のときは陣痛開始から4時間で生まれたため、医師から「2人目はもっと早く生まれるだろうから、陣痛が始まったらすぐに病院に来てください」と言われていました。そして、妊娠37週の妊婦健診に行くと子宮口がすでに開いており、陣痛の前触れもないまま即入院に! そんな慌ただしい入院~出産までのお話をご紹介します。 妊娠37週の妊婦健診で⋯妊娠37週0日に妊婦健診を受けました。お産の気配がするような自覚症状はなく、腹部エコーで赤ちゃんを見てもらうと「元気で特に問題ない」とのことでした。 「1人目の出産時、陣痛を感じて病院に着いたときにはすでに子宮口が7cm開いていたので、今回も子宮口が一気に開かないか気になっています」と医師に伝えました。すると、「自覚症状が特にないなら大丈夫だとは思うけれど、内診してみましょう」ということに。 子宮口が4cm開いていた!内診で子宮口の開きを見てもらうと、医師の表情が一転! 「子宮口がすでに4cm開いている。このまま陣痛が来れば一気にお産が進んで生まれるかもしれない。家から病院まで遠いし、病院外で生まれてしまうと大変です。このままの状態で家に帰すことはできません。今から入院して様子をみましょう」と言われました。 出産準備はしていたものの、出産予定日まであと3週間あったので、当然何も持って来ていませんでした。まさかの手ぶらのまま即入院になってしまったのです。 一時退院…しかし自宅には帰れず健診後そのまま病室に案内され、陣痛を待つことに。急な展開で一気に出産の現実味が湧き、期待と不安を抱きながら病室で過ごしました。しばらくしておなかが張ってきましたが、間隔がばらばらでそのまま遠のいてしまい……。 入院している必要がなくなったものの、自宅は遠くて混雑時は1時間かかるということもあり、結局自宅への許可はおりませんでした。陣痛時にすぐ病院に来られる範囲で待機しておくように言われ、病院から5分のところに住む妹の家で、次の健診までの1週間を過ごすことになったのでした。 妊娠38週妊婦健診後、再入院~出産退院後は正期産の時期に入っていたため特に安静指示はなく、通常の生活を送っていいとのことでした。妹の家では、いつ陣痛が来るか怖くて最低限の身の回りのことだけをしていました。しかし一向に陣痛が来る気配がないので、3日目からは1時間程度歩いたり、家事洗濯をしたりと、普通の生活を過ごしていました。 そして陣痛が来ないまま妊娠38週の健診になり、子宮口の開きは変わらず4cm。しかし、このとき1週間離れて暮らしていたため長女の精神面が不安定になってしまっていたのです。これ以上は離れて過ごせないため、内診で陣痛を促すことに。内診を受けた後30分ほどで一気に陣痛が来て、1時間半で無事出産しました。 まさか妊娠37週で自宅に帰れなくなるとは思ってもいませんでした。改めて、出産はいつ、何が起こるかわからないなと感じました。2人目の出産時は長女のこともありますし、何を優先すべきか判断がとても難しかったです。想定外のことが多々あった出産でしたが、無事に生まれてきてくれてやっと安心することができました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:福山あかね一男一女の母。元幼稚園教諭、元保育園勤務。第二子出産を機に退職。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月25日「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。 おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。 3人目を妊娠中、おなかの子が横隔膜ヘルニアと診断され、こども病院に転院することになった私。産後の処置をスムーズにおこなうため、普通の妊婦健診と併せてさまざまな検査がおこなわれました。これらの検査は妊婦健診の助成券が使えず、思いのほか痛い出費となりました。 胎児の状態を見るため、母体ごとMRIこども病院に転院してすぐ、おなかの子の横隔膜ヘルニアの程度(横隔膜に空いた穴からどれくらいの臓器が胸に脱出しているか)を確認するため、MRIの検査を受けることになりました。 もちろん、胎児だけ検査というわけにはいかないので、私ごとMRIに入り、検査を受けることになります。胎動が止まったタイミングでしか撮れないということで、検査はおよそ1時間にも及びました。 血液検査やエコーもやり直しそれまでも何度かこども病院でもエコーは受けていましたが、改めておなかの子に心臓の合併症がないか見るため、MRIのあとに念入りなエコーがおこなわれました。また、おなかの子は眠らせた状態で帝王切開での出産ということに決まったため、前の病院ですでにおこなっていた私の血液検査なども再度おこなうことに……。 待ち時間もかなり長く、検査自体も長時間に渡り、すべての検査を終えた私はぐったりしながら会計に向かいました。 検査で疲れ果てた私に衝撃の会計会計窓口に呼ばれほっとしたのもつかの間、その金額を見て絶句しました。普段、妊婦健診は高くても数千円なのに、今回の領収書には数万円の金額が記されていました。 先ほどのMRI、エコー、血液検査はいずれも胎児のためのものですが、この段階での検査自体は母体である成人女性の私におこなわれたもの。さらに、妊婦健診の内容とも外れることから、助成券を使うこともできず、3割負担の金額を支払わなければならなかったのです。 胎児の病気は意外とお金がかかる私の住む自治体では、新生児の医療費はかからないようになっていますが、妊婦に関しては胎児の状態がどうであろうと妊婦健診の助成券のみです。転院時の紹介状や、片道1時間以上かかるこども病院への交通費ももちろん出ません。 わが家の場合、上の子2人を預けて妊婦健診に向かうこともあったので、その一時保育料なども含めると、妊娠中はかなりのお金がかかりました。 子どもの医療費は自治体の補助があるという認識だった私にとって、胎児の病気による医療費は盲点でした。先天性疾患の子を持つと、産後も入院時の被服費(衣類持ち込み不可の病棟で用いるおむつなどの費用)やお見舞いの交通費など、さまざまな出費があります。出産による出費以外は医療費控除や高額療養費などを使えるほどではない金額でしたが、それでも毎月数万円の負担は地味にきついものがあったので、妊娠時から何かしら補助があると助かるなと思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2020年08月22日待ちに待ったわが子が誕生し、喜びも束の間、子どもの顔に“あざ”があると気づいたのは、生まれた翌日のことでした。子どもの顔にあざがあるなんて妊娠時には想像もしておらず、当時の私はとてもショックを受けました。ここでは、その後にあざを除去するために受けた、レーザー治療の体験をお伝えしていきます。 あざだと気づいたのは…出産して数時間後から母子同室だったため、娘の顔を「かわいいなぁ」と見ていたのですが、そのときまぶたの上の一部分が赤くなっていることに気づきました。生まれたばかりの赤ちゃんの肌は薄く、赤っぽく見えるのでそのせいだと思っていました。しかし翌日、医師から「まぶたが赤っぽくなっているのは生まれつきのあざ。1カ月健診のときにまた相談してみてください」と告げられたのです。 1カ月健診後、皮膚科を受診娘のまぶたのあざは1カ月健診を迎えるころになっても薄くなったり消えたりせず、むしろ少し赤みが増していました。1カ月健診では、医師から「お母さんが気になるようだったら早めにレーザー治療をしている皮膚科に相談してみてください」と言われ、母子健康手帳に「瞼(まぶた)に血管腫あり」と記入されました。 その後、子どものあざのレーザー治療を扱っているクリニックを受診したところ、「このあざは時間が経っても消えないあざなので、レーザー治療をおすすめします」との診断でした。そのため、娘は生後3カ月でレーザー治療を始めることになりました。 レーザー治療を受ける受診する医療機関によりますが、娘が受診したクリニックでは0歳からレーザー治療が可能でした。「生まれて数カ月の赤ちゃんの顔にレーザーを当てるなんて大丈夫なのだろうか」と心配しましたが、先生も看護師さんも幼い子どもの治療に慣れており、丁寧に説明してもらえたので安心して任せることができました。レーザー治療自体はゴムではじかれたくらいの痛みがあると説明され、塗り薬の麻酔薬を使用してもらいました。娘はレーザーを当てられたときは泣いていましたが、治療終了後はケロリとしており、帰宅後も機嫌が悪くなるということはなくてよかったです。 レーザー治療、その後 その後、経過を見ながら計三度のレーザー治療をおこないました。一度の治療で劇的に変化することはありませんでしたが、徐々に赤みが引いていきました。三度目のレーザーが終わった時点でかなり薄くなっていたので、「この先は少し時間を置いてから、また考えましょう」ということになり、現在2年が経過。あざはほとんどわからないほど、薄くなっています。 あざに気づいたときはとても不安な気持ちになりました。しかし過剰に心配せず早めに医師に相談し、適切な処置を施してもらえてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:幸村あゆ5歳と2歳の兄妹の母。販売職、事務職を経て現在は子育てをはじめとする様々なジャンルの記事を執筆。子ども服やママファッション、インテリア、整理収納を研究するのが趣味。
2020年08月21日私には6歳の娘がいます。娘がまだ1歳だったころ病気続きだったのは、ただ保育園の洗礼を受けているだけだと思っていました。しかし……。 保育園の強烈な洗礼娘は生後11カ月のときに保育園へ入園しました。入園当初は噂に聞いていた通り、本当に次から次へと病気のオンパレード。娘は不名誉なことに0歳児クラス9人のうち、お休みする回数ランキングでダントツのトップ。 私が仕事を突発的に休むことによってしわ寄せがいく職場の同僚にも、次から次に病気にかかって体重も減って少しやつれた娘にも、そして何も悪くないのに「本当にすみません。Aちゃんのお熱が……」と私に何度も謝りながらお迎えコールをくれる保育園の先生にも、本当に申し訳ない気持ちでした。 熱が下がらず血液検査娘が入園し、まもなく2カ月になる5月末でした。娘が風邪を引き、38~39度台の熱が6日続いても下がらず……。白血球数などに異常がないか、かかりつけの小児科で念のため血液検査を受けることに。 採血の結果、先生が心配していた白血球数には異常はなかったのですが、別の問題が……! 実は、娘は貧血だと判明したのです。本来11.0以上あるべきヘモグロビンの数値が娘は9.8。「かなり低い数値だから、今日からすぐに薬を飲んで!」と鉄剤のシロップを1カ月分処方されました。 言われてみれば思い当たることばかり貧血と指摘されて振り返ってみれば、思い当たる節がたくさん。私は、娘を生後2週間から完全母乳で育ててきました。元々私自身が貧血気味なこともあり、途中で育児用ミルクをあげようとしたのですが、母乳に慣れた娘は育児用ミルクを完全拒否! 生後5カ月で離乳食を開始してからも娘は母乳ばかり欲しがってしまい、離乳食がなかなか進まず本当に悩んでいました。 そのため、離乳食の栄養バランスは二の次で、娘が少しでも食べてくれる食材ばかりを与えていたのです。入園後も、園でも自宅でも食べる量があまり増えず、目安の量の半分くらいしか食べられていませんでした。 貧血が原因で病気続きだったのかも…鉄剤のシロップを内服させてから1カ月後に再検査をしたところ、ヘモグロビンの数値が基準値を上回る12.5まで上がっていたため、無事に鉄剤のシロップを卒業。そのとき先生から「貧血だと免疫力が低下するから、Aちゃんが病気にかかりやすかったのは、貧血も原因の1つだったかもしれない」と言われました。 私が勝手に保育園の洗礼と思い込んでいただけで、本当は保育園に入園する前から娘は貧血で、ずっとつらい思いをさせていたのかもしれないと思い、娘に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。 娘が貧血だと診断されたとき思い当たる節があまりに多く、娘に申し訳なくて胸が痛かったです。でも、1歳を過ぎて保育園にも入園済みでしたし、貧血だと気付けたからこそ思い切って少食の原因である母乳を卒業させる決意もできました。断乳後娘はそれまでとは見違えるように何でもよく食べる子になってくれたので、安心しました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:近藤あいこ6歳女児と1歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月20日「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患を抱えて生まれたお子さんを持つママの体験談をお届けする連載企画です。横隔膜ヘルニアとは、本来胸とおなかの臓器を隔てている横隔膜に生まれつき穴が開いており、その穴からおなかの中の臓器が胸の中に出てきて心臓や肺を圧迫してしまう病気。おなかの子が横隔膜ヘルニアであると診断された妊娠中から出産までのできごとやママが感じた不安、生まれたお子さんの様子やその後の治療についてご紹介していきます。 3人目の子を妊娠していたとき、私はおなかの子に「横隔膜ヘルニア」という先天性疾患があることを告げられました。ショックだったものの、その場ではそれほどうろたえることがなく、冷静に対応して看護師さんに驚かれたのを覚えています。今回はそんな私の当時の心境や、落ち込まずにいられた理由をご紹介します。 上の子の世話で精一杯息子の横隔膜ヘルニアが指摘された妊娠28週目の健診のとき、私は当時未就園児だった上の子2人をつれて病院に来ていました。病気を確認するための念入りなエコーや、転院の手続きなどで待ち時間が長かったため、上の子たちはかなり機嫌が悪く、私は正直その対応でいっぱいいっぱい……。 あまりおなかの子のことを考えると、帰りの運転もおぼつかない気がしたので、なるべく考えないようにして帰路につきました。 うれしかった夫の言葉家について、私は仕事中の夫に今日の健診についてLINEを送りました。すぐに夫から電話がかかってきて、詳しく説明していきます。病名は横隔膜ヘルニア、県立こども病院へ転院になること、そして、医師の態度から察するに軽い病気ではないことを伝えました。 夫は一つひとつ冷静に受け止めてくれて、「とりあえず健診の日は全部有給休暇をとる」という現実的な対応策だけを言ってきました。励ますでも慰めるでもないこの態度は、複雑な心境だった私にとって本当にありがたかったです 自分の病弱だった経験が強みに横隔膜ヘルニアである息子は設備の整っている県立こども病院で出産することになったのですが、実は私も子ども時代、難病指定の病気になって他県のこども病院に入院していました。 それ以外にも喘息やアレルギーなど常に何かしらの体調不良と共に大人になった私にとって、病気は絶望するものではなく、向き合って一緒に暮らしていくものという認識があります。病弱な自分だからこそ、すぐにおなかの子の病気と向き合う覚悟ができました。 検索魔になった私だったけどそれ以降、時間ができたらおなかの子の病気について調べるようになりました。しかし、病気に関する情報は少なく、次第に私が調べるのは一時保育やファミサポといった方面に。これがかえってよかったのだと思います。 一時保育やファミサポの手続きなどでおなかの子の病気について話すと、頭の中がどんどん整理されていきます。ひとりで抱え込まず、いろいろな人に話を聞いてもらえたことで、落ち着いた状態で残りの妊娠期間を過ごすことができました。 妊娠中期におなかの子の病気がわかり、うつうつとした妊娠期間になるかと思いきや、上の子の世話など良い意味で忙しく、病気のことを考え過ぎずに済みました。出産後は凄まじいストレスだったので、妊娠中を穏やかに過ごして心身ともに力を温存しておけたのはつくづくよかったと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:岩崎はるか2女1男の母。両実家とも遠方のためワンオペ育児中。先天異常の影響で肺が片方しかない医療ケア児を含む3人の子を育てた育児体験談のほか、大学院まで学んだ食についても執筆。
2020年08月17日私は、現在0歳の娘を育児中の31歳のママです。今、受ける人が増えていると言われている出生前診断。命の選別とも言われていますが、私たち夫婦には受けておきたい理由がありました。どのような気持ち、どのような流れで受けたかなどの体験談をお話しします。 夫は無精子症!?結婚して3年。なかなか子宝に恵まれなかった私たち夫婦。不妊クリニックで検査を受けても私に大きな原因はなく……まさかと思い、夫に検査を受けてもらったところ、無精子症が判明しました。睾丸に精子が本当にないか、手術も受けましたが、結果は生まれつき精子が作られない体であるとのこと。そして、私たち夫婦は第3者の精子提供を受けて妊娠を試みる「AID(非配偶者間人工授精)」によって子どもを授かることにしました。 本当に育てられるだろうか…夫婦で何度も何度も話し合った結果、私は精子提供を受け、そして妊娠しました。ただ、どんなに覚悟を決めたつもりでも、実際に生まれた子を私も夫もきちんと育てられるだろうか? 愛せるだろうか?という不安を拭いきることはできませんでした。 また、長い不妊治療で、精神的・経済的にも擦り減っていた私たち。この状況で、障害のある子がもし生まれたら、私たちは生まれた命に責任を持てるのだろうか?と不安もありました。このような理由から、私たち夫婦は出生前診断を受けることに決めたのです。 NIPTという検査私が受けたのは「NIPT(新型出生前診断)」という検査で、採血をし、2週間ほどで染色体異常であるダウン症などのトリソミーを判別することができるというものです。私が検査を受けた時期は妊娠12週のときでした。お医者様からは、「この検査で陽性だったとしても、確定ではないため、羊水検査をして再度本当にダウン症か、確かめる必要があります」という説明を受けました。同意書を書き、採血自体はあっという間に終わりました。とても簡単だった印象があります。 もし、陽性だったら…私たち夫婦は、もし、おなかの子がダウン症だった場合、中絶しようと決めていました。なぜならこれまでおこなってきた不妊治療費もかさみ、さらに私が不妊治療のため会社も辞めてしまったことから経済的にも苦しく、ダウン症の子を産み、経済的に十分な環境で育ててあげられないと思ったからでした。ですが当事者になって思うことは、本当はどのような子でも産みたい。でも、一時のこの気持ちで産んでしまって経済的・精神的に、本当にこの子の一生を幸せにできるだろうか?という感情のせめぎあいでした。担当医にも、ダウン症だった場合、中絶することを伝えましたが、結果が出るまでの2週間は本当に悩みました。そして、出た結果は陰性だったのです。 出生前診断を受けて感じたことは、産む・産まない、どちらの選択も間違いではない、ということでした。産むのも覚悟。そして中絶にも覚悟が必要でした。私たちは私たちなりに生まれてくる子どもを幸せにしたいと思い、診断を受けました。受けたことに後悔はなく、むしろ生まれてくる命について真剣に向き合えた期間だったと感じています。 ※人工妊娠中絶は、母体保護法により定められた適応条件を満たしている場合に限り、施行されます。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:四ノ宮りさ1児の母。夫の無精子症が判明し、第3者の精子提供を受けて妊娠を試みる「AID(非配偶者間人工授精)」によって子どもを授かる。自身の体験を元に、不妊・育児を中心に執筆中。
2020年08月17日赤ちゃんは誰でもハイハイすると思っていた私。おすわりは早かったものの、うつ伏せは苦手でなかなか動こうとしない娘は、座ったまま不思議な方法で移動するようになりました。すべてが初めてで手探り状態の育児のなか、「自分の子どもが周りとは違う」ということに悩み、気持ちが沈む日々でした。今回は、娘が生後9カ月でシャフリングベビーと診断されるまでの経緯や周囲の反応、そして当時の私の心境と葛藤をお伝えします。 わが子はシャフリングベビーかも?生後5カ月でおすわりができるようになった娘は、一方で生後7カ月を過ぎてもなかなか寝返りをしませんでした。ハイハイもする気配がなく心配していたら、いつの間にか座ったまま移動をするように。 持っていた育児書には、体の発達の順序が入れ替わったり、ハイハイをしなかったりする場合もあるとあり、赤ちゃんの成長は個人差が大きいと頭では理解していたつもりでした。しかし、実際にわが子が一般的な成長過程とは異なる現実を突きつけられると、冷静ではいられなくなるものです。 検索魔になって不安な日々当時は海外で出産・子育てをしていたので、日本語の育児書が入手困難な上に、子育て支援センターで気軽に相談にのってもらうような機会もありませんでした。それゆえ、情報収集は主にインターネットからでした。 知識は得られても、調べた情報が正しいものなのか判断が難しく、不安は拭えなかったことを覚えています。夫が赤ちゃんのころに同じ移動方法をしていたことを義母から聞いたあとは、遺伝かもしれないから仕方がないと自分に言い聞かせて過ごしていました。 好奇の目で見られることが耐え難い娘の独特な移動方法は好奇の目で見られ、次第に外で遊ばせるのがおっくうになりました。周囲の人がおもしろがる反応に対して、「恥ずかしい、隠したい」という気持ちになり、そのたびに自己嫌悪に陥りました。幸運にも否定的な言葉を言われたことはありません。 しかし、「動きがおもしろい」「珍しくてかわいい」というポジティブな意見をもらっても前向きになることは難しかったです。当事者でなければ、この苦悩はわからないと思い込み、表現しがたい負の感情に捉われていたのです。 小児科医に相談した結果を受けて…不安な気持ちが和らぐきっかけをくれたのは、娘の主治医です。9カ月健診のときに相談し、骨や筋肉、股関節を調べてもらいました。結果、シャフリングベビーという診断でしたが異常はなく、1歳健診まで様子を見ることになりました。 不安を感じたら「座って移動するのは彼女の個性で、医者の観点からはノーマルだから安心しなさい」という医師の言葉を思い出すように心がけました。私の考えを見透かしたように、立ち上がるのも遅い可能性が高いこと、フィジカルセラピーでの訓練も可能なことを説明してもらえたことも大きいです。結局、娘はハイハイしないまま1歳2カ月でつかまり立ちを始め、1歳4カ月でひとり歩きするようになりました。現在は4歳になり、健康に過ごしています。 当時は視野が狭くなり気が付かなかったけれど、皆それぞれ違う点で子育ての悩みを抱え、向き合っているのだと今ならわかります。専門家の意見を聞き、冷静に物事を見ることの大切さを実感しました。親身に寄り添い、そのことに気付かせてくれた小児科医には感謝の気持ちでいっぱいです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:新居はるみ1男1女の母。パートナーの転勤でアメリカ滞在中に2人の子どもを出産。自身の経験をもとに旅行、海外生活、子育て系の記事を中心に執筆。
2020年08月16日妊娠しているとは思いもせず、胃のむかつきや気分が悪い日が3日続いたので、また胃腸炎になったと思い込み薬を飲んでしまいました。しかし、夫が妊娠してるのではないかと気が付いてくれて、妊娠検査薬を使うとなんと陽性! 今回は、妊娠に気付くまでの体調の変化や妊娠判明までの様子についてお話しします。 普段、健康なのになぜか気分が悪くなり…年に1〜2回しか体調を崩さない私ですが、その日は通勤途中の電車で気分が悪くなり、体調の変化に戸惑いました。その日はなんとか出勤しましたが、1日中体調がすぐれなかったので早退することに……。 胃のあたりが気持ち悪かったので胃腸薬を飲んで寝ましたが、翌日も体調は悪いままで食欲もなくなっていきました。腹痛も起こってきたので胃腸炎だと思って受診しようと思いましたが、あまりのしんどさに病院へ行くことができませんでした。 夫が妊娠ではないかと気付いた 体調がすぐれないまま3日目に突入し、その日は仕事が休みだったので寝込んでいました。夫が友だちに「妻が体調を崩している」と伝えたところ、「妊娠ではないか」と言われ、念のために妊娠検査薬を使うことに。 すぐに夫は妊娠検査薬を買いに行き、試したところくっきりと陽性反応の線が出ました。妊娠と思っていなかったのでうれしかった反面、初めてのことでどうしたら良いか夫婦共にわからず、とりあえず近所の産婦人科を探しました。 産婦人科の検査で妊娠確定!翌日は日曜日でしたが、胃腸薬を飲んでいたことも不安だったので休日受診できる産婦人科を探しました。検査を受けたときは妊娠6週で、心音も確認でき一安心! 妊娠確定後は私の負担を軽くするために、夫婦で家事の分担や働き方について話し合い、夫が家事を半分負担することに。 仕事のほうも残業はせず、土日も休みをもらうことに決めました。上司にすぐに報告するか迷いましたが、体力仕事だったため事務作業に回してもらうようにお願いし、体への負担を減らしたのです。 私はこのことから妊活中に体調を崩したら、自己判断せずに妊娠の可能性を考えるべきだと思いました。妊娠検査薬で陽性が出たらまずは産婦人科を受診し、妊娠確定後は夫婦でこれからどのように生活していくか考えることが重要だと実感しました。妊娠が確定してから、夫と家事や仕事について話し合うことで、つわり期間中の体への負担を少なくできてよかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:sawawa著者:中道麻智子一児の母。管理栄養士として給食を作っている。管理栄養士の知識を生かした記事や、初めての妊娠・出産・育児で学んだことを中心に記事を執筆している。
2020年08月08日「子どもは3人欲しい」と結婚当初から夫と2人で話し合って決めていた家族計画でしたが、いざ3人目を授かることができたと思ったら、まさかの三つ子だったのです! 三つ子の妊娠判明で私が不安に思ったことや家族の反応、妊娠初期のできごとをお話しします。 エコーで確認すると3人分の心拍が!私が3人目を妊娠したのは長男が3歳、次男が1歳のときでした。そろそろ赤ちゃんの心拍が確認できるかな?なんて期待を胸に抱きながら、内診台でエコーを見ていると見覚えのある袋が2つ? その中には心拍のように動いて見えるのが3つ? 私が混乱していると、先生が「お母さん。赤ちゃん何人か見える?」と聞いてきました。先生と一緒に確認し、見事に3人の心拍を確認! パニックで笑うことしかできず、頭の中は真っ白で少しの間その場から動けませんでした。 子どもが5人になったら…先生からは、今通っている病院で三つ子は産めないために転院が必要なことや、早い週数から管理入院になることなど簡単にリスクの説明をしてもらって診察は終わりました。入院期間が長くなったときの長男・次男の生活や入院・出産費用、子どもが5人になって経済的に問題がないのか、夫や他の家族はなんて言うのだろうか……と考えてしまいました。そもそも三つ子を妊娠した私はどうなっていくんだろうと、とても不安になったのを憶えています。 夫の「なんとかなるよ」に救われる健診後、すぐさま夫に電話をかけました。ひと通り説明し終わると、動揺して言葉を詰まらせながらも「なんとかなるよ。頑張ろうね」と夫は言ってくれました。そのおかげで、まだ見ぬ不安よりも新しい命が宿ってくれたことを素直に喜ぼうと少し前を向けるようになりました。幸いにも他の家族も祝福してくれて、「いつでも手伝うからね」と背中を押してくれたのです。そしてなにより上の子たちがとても喜んでくれたことがうれしく、つらいつわりも乗り越えられました。 三つ子を授かるリスク転院先の病院で、夫も一緒に先生から「自然妊娠で三つ子を授かることは、宝くじの1等を当てるよりも難しいことだよ」と驚かれました。そしてこれから先、起こりうるリスクを詳しく教えてもらい、順調に過ごしても妊娠26週から管理入院になることや、三つ子の場合、子宮頚管縫縮術という子宮口が開いてこないようにする手術を妊娠14週くらいまでに受けることをすすめているとのこと。私も、後日その手術を受けました。 妊娠初期はつわりもめまいもひどく、いつもと同じように上の子たち2人と遊んであげられず、甘えさせてあげられませんでした。それでも、他の家族の手をたくさん借りてなんとか乗り越えることができ、本当に感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。病院・産院によって処置・対応は異なります。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:大木りさ5歳と3歳の兄弟と1歳の三つ子をもつ5児の母。現在は自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年08月03日子どもの病気については、自治体でもらった資料を読んでわかったつもりになっていました。けれど、それはあくまでもつもりであって、実際に子どもが熱を出し小児科にかかるようになると、迷うことが多くあったのです。わからないことがあると不安になり、冷静さを失います。私の迷いから、子どもにつらい思いをさせてしまったときの体験談です。 薬はまだ残っている子どもが1歳を過ぎたころから、熱を出すようになりました。1歳3カ月ごろ発熱で小児科にかかると、特に検査をすることもなく医師から「風邪でしょう」と言われ、5日分の薬を処方されました。 それまでは2日もすれば熱も下がったのですが、そのときは3日経っても熱が下がらず、子どももつらそう……。薬はまだ残っているし、水分も飲んでいる、だけど良くなってるようには見えない。心配と不安から冷静さを失ない、ただ、オロオロとしてその日を過ごしました。 血液検査を受ける初めの受診から4日目となる翌日の午前中、子どもの様子が変わらないので、小児科を再受診しました。そこで血液検査をすると、炎症の程度と白血球の数から細菌感染の可能性が大きいと告げられたのです。 そして違う薬が処方され、子どももその夜はぐっすり眠り、翌日には熱が下がって元気になっていました。熱が下がりひと安心したものの、「もっと早く再受診していればつらさを長引かせずにすんだのに」と、申し訳ない思いでいっぱいになりました。 自分なりのルールを決めました再受診の検査や薬の処方が変わった経験をきっかけに、医者から指示がなくても自分から聞くことをリスト化しました。 1.このあとたどるであろう経過の様子2.再受診が必要だと判断する目安3.保育園に行ってもよいと判断する目安 以上の3つです。病院がどんなに混んでいて医師が忙しそうであっても、子どもに必要以上に苦しい思いをさせないために、これだけは聞くようにしています。その甲斐あって、今では私も不安になる頻度が減り、再受診の遅さを悔やむことはなくなりました。 今は毎日元気に走り回っていますが、あのときのことを思い出すと頼りにならないお母さんでごめんね、と心の中で子どもに謝っています。一方で、自分なりの受診ルールを決める大切さも感じた出来事でした。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 先輩ママの体験談、いかがでしたか?「共感した」「私の場合はこうだった」など、ぜひベビーカレンダーサイトのコメント欄にご感想をお寄せください。また、ベビーカレンダーでは皆さんから募集した体験談を記事でご紹介させていただくことも。ベビーカレンダーに会員登録すると届くメルマガから、皆さんのオリジナル体験談をご応募ください。 著者:小原水月1児の母。管理栄養士免許取得。「健康が人生をわくわくさせる」をモットーに食と健康の分野でライターとして活動中。高齢出産後、生まれ育った都心を離れ夫の実家がある地方都市へ移住。義母と同居。
2020年08月03日私の娘は、口唇口蓋裂という先天異常を持って生まれてきました。今回は、今まで受けてきた治療と就学後の治療についてお伝えしたいと思います。 これまでの治療と現在の治療口唇口蓋裂の治療におけるメインの診療科は形成外科でした。生後5カ月ごろ、唇を閉じ、鼻の形を整える手術を受け、1歳過ぎに口蓋裂を閉じる手術を受けました。それから6歳の現在まで、半年から1年毎に定期的に受診しています。 歯茎の裂があり、上の歯並びが悪いため、4歳ごろから矯正歯科に毎月通っています。また、鼻にかかった話し方のため、耳鼻科での聴覚検査をしたあとに、毎週近所の学校で開催している言葉の教室に通っています。そして、中耳炎になりやすいため、耳鼻科も定期受診しています。 多くの場合、唇再形成の手術が必要娘の場合、口唇裂手術後、最初は唇が少し引きつっている様子でした。手術した部分はピンク色で、痕が少しわかる状態が2歳ごろまで続いていました。けれども、成長とともにきれいな形になってきており、よく見ると多少違いがわかりますが、周りの人からは「まったくわからない」とよく言われます。 多くの場合は、小学校入学前に唇の形を整える手術が必要になるそうです。ただ、娘の場合は幸い、「見た目に問題がないから手術は必要ない」と主治医の先生からお話がありました。 口蓋裂の状態に応じて、骨移植が必要口蓋裂手術は、両脇の皮を縫い合わせておこなわれるため、手術後に上あごに穴が開いてしまう場合があるそうです。そのような場合、その穴を塞ぐ手術が必要になります。 また、娘は歯茎にも裂があり、当初は「小学校中学年くらいに腰の骨を移植する手術が必要になるかもしれない」とのお話でした。ただ、成長とともに歯茎の裂がどんどん狭くなり、今は歯茎の隙間がなくなりました。そのため、手術は必要ないかもしれないと言われています。 娘の場合、口唇口蓋裂ではあるものの、ありがたいことに経過は順調です。今後も主治医の先生と相談しながら、できるだけ娘に負担がかからないよう治療していけたらと思っています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2020年07月25日出産前後に子どもをまつわる言動から起こりがちな義父母とのトラブル。妊娠中について見てきた前回に引き続き、今回は産後に義父母からかけられたつらい言動について、ウーマンエキサイトアンケートに寄せられたエピソードを元に、お伝えしていきたいと思います!■トラブルは病院で起きている?!「産後、義父母が病院に来ているタイミングで助産師さんが部屋に来て、なかなか出ないおっぱいをしぼってくれると言いました。そこには夫もいましたが、誰も義父に出ていくように言ってくれませんでした。私からも言いづらく、結局義父母がいるところでおっぱいをしぼってもらうハメになりました」「『出産当日は義母には病院に来ないでほしい』と言っていたのに、『生まれるまでここでついてるよ、義姉も来ると言ってたから』と、夫よりも早く産院に義母が現れました。現れた直後に私の目の前で夫から義母に電話があり、『来ないでほしいって言ってたよー』と。ブチ切れました」「第一子の出産時、陣痛で苦しく横になっていると義父母が病室に。私は義父母の手前キツい体を起こして椅子に座りました。苦しくて顔をしかめてる私に義母はどんどんくだらない話ばかりしてきました。そして最後に笑顔でこう言ったんです。『話して少しは気が紛れたでしょ』。マジでドン引きしました」「長男が産まれた時、帝王切開だったこともあり、動けずお風呂も入ってない状態にもかかわらず、連絡もなしに義父母が来た。一度、入院3日目くらいに『疲れてるので面会を控えてほしい』とお願いしたのに、その次の日にも『疲れてるみたいやけど大丈夫か?』と連絡なしに来た」出産したときの病院で、義父母の振る舞いにショックを受けたという声が多く寄せられていました。命がけで行う出産だからこそ、その時の義父母の行動が特にママたちの心に残ってしまうとも言えそうです。「赤ちゃんは私が見るから」産後のお世話にまつわるトラブル「妊娠中、義母が『産後は私が面倒をみたい』と言ってきた。遠方のためあまり会う機会がなく、義母の事を理解していなかった私は、せっかくの申し出だから受ける事にした。そしたら、義母は『私が赤ちゃんの面倒をみるから。そしたらあなたは家事できるでしょ?』と言ってきてすぐに帰ってもらった」「出産時、義母が15日ほど泊りがけで来た。産後の手伝いという名目だったが、実際にしてくれたのは母乳のあとのミルクをあげることだけ。食事の支度や掃除は全て私。せめて休む時間がほしくて『息子さんと日帰りのバス旅行でも』と提案したが、『手伝いに来ているんだから』という理由で拒否。ツラかった」「産後義母が手伝いに来てくれたのですが、『母乳にいいのが地鶏』と言って、キューキューに筋肉の引き締まったゆでただけで味のない地鶏肉を毎食どんぶりいっぱい出された。ゴムの塊みたいでかみ切れず食べられず、食欲も減り、母乳の出が悪いと『おかしいわね』とガシガシ乳をもまれ『母乳製造機』扱いで不愉快でした」「私は夫の実家の近くに住んでいます。そのため産後は義父母が頻回に訪問して来て大変でした。夜中は寝不足で昼間やっとの思いで寝ていても、突然ピンポーンとやってくるのです。寝ているフリをして無視すると、合鍵を使って勝手に入ってきました。私は気を使ってしまうのでさらに眠れず、イライラで本当に絶望の日々でした」産後すぐに始まる赤ちゃんのお世話に、それでなくとも疲れている最中に、義父母が自分勝手な行動をとってしまうと、ママは疲弊してしまうのも無理はなさそうです。精神的に追い込まれてしまう人も少なくないようですね。「母親失格です!」耳を疑うような驚き発言も「2人目出産後、2日目に病院へ連絡もなしに来た義父母。義母が出産後の私と初めて会って言った言葉は『〜〜さん、痩せなだめやなぁ〜』でした。前日に命がけで出産したのに」「産後、病院に来た義母。名前を自分たちが付けるものと思い込み、勝手に考えた名前を呼んでいた。生後1カ月、オムツかぶれができた息子を見て、親戚の前でわざと『母親失格です!』と怒鳴られた」「義母にとって、長男も次男も私にまったく似ていないそうです。『手の指が長いところだけはママに似たね』と何回も言います。『誰の子かわからないね。ママに全然似てないね!』と言っています。本当に不愉快です」「産後、隠れて息子に自分のおっぱいを飲ませようとしたり好き勝手する義母になんとか耐えていました。ある日、寝られずグズっていた息子が、泣き疲れてやっと寝たタイミングで、『抱っこさせて』と言われて断ったら、『前の彼女の方が良かった、仲良くしていた』と。以降、最低限のお付き合いのみです」「『泣いても抱くな! 抱き癖がつく!』が口癖の義母。助産師から『抱き癖は昔の話。今はたくさん抱いて』と言われ、私と夫から何度も話すが無視。1歳になり義実家を訪問して子が泣くと、『抱き癖のせいでこんな風に育っちゃったね。苦労するけど仕方ないね』と勝ち誇った笑みをされ、疎遠決定!」「産後、腰痛に悩み整体に通っていた頃、義母が4カ月の息子の面倒をみにうちにきてくれました。その時に『お母さんはおっぱい以外いらないから大丈夫よ!』と何気なく言われた言葉。でも傷つきました。おっぱいだけがお母さんなの?と」寄せられたエピソードの中には外見を批判したり、人格をも否定したりするような、ひどい発言が多くて、胸が締め付けられます。出産前までは、自分と相手だけだった義父母との関係。そこに子どもの存在が増えることで、関係性は少なからず変わってきますよね。そんな中で、価値観の違いが浮き彫りになる場合もあるのかもしれません。義父母とのトラブルをきっかけに、「連絡を取らなくなった」とか「距離を置いた」などというエピソードも多く見られました。義父母の言動が、大きな傷になることもあるため、場合によっては親子が健やかに暮らすために、離れることも必要な手段なのだと感じました。また、義父母自身には悪気がない発言も多いように思います。例えば、自分が望まないような話をされたら話題を変えたり、時にははっきりと拒否したりと、関係を続けながら、ちょうどいい付き合い方を模索することもできるといいかもしれません。自分がされたことを将来自分の子どもやそのパートナーにしないように、義父母を反面教師だと考え、お互いが心穏やかに過ごせるよう、相手の立場に立った発言、行動を心がけていきたいものですね。
2020年07月23日0歳の娘さんを育てながら、日常の絵日記をInstagramに投稿している、こもりな(komorina25)さん。娘さんが生後3週目の頃、身体のどこかから異臭がすることに気が付いたそうです。『生後3週間目の娘の耳から異臭がした時の話』異臭の原因は耳だということが分かりました。「お風呂の時に耳を拭けば、臭いも取れるかな」と考えていたのですが…。お風呂で耳を拭いてあげたものの…?インターネットで調べたところ、乳児の耳垢について「耳かきの必要はない」ということが分かり、ほっとした、こもりなさん。しかしその後、泣いたわけでもないのに耳がぬれていました。どうやら異臭の原因は、ただ耳垢が溜まっていたからというわけではないようです。病院で診てもらうと…?耳鼻科で診てもらった結果、耳の中で炎症が起き、かゆみや痛みを生じる『外耳炎』だということが判明。その後、娘さんは2週間ほどで完治し、15分ごとに起きることもなくなり寝付きもよくなったそうです。【ネットの声】・何ごともなく完治して本当によかった!・耳の中って傷付いているかどうか、見えないし分からないから掃除するのが怖いです。・うちの子の耳の臭いも確認しなきゃ。こもりなさんが異変に気が付いた後、すぐに病院で診てもらったので、娘さんは重症化することなく完治しました。少しでもおかしいなと思ったら、迷わず医師に診てもらうことが大切ですね。[文・構成/grape編集部]
2020年07月21日長女が生後6カ月を過ぎたころ、RSウイルス感染症にかかりました。わが子を看病するという初めての経験でバタバタと過ごし、しっかりとした予防をすることなく油断していたためか、夫婦そろって長女からウイルスをもらってしまったのです。どのような症状だったのか、そして体調を崩して大変だった体験談をお伝えします。 生後6カ月…初めての風邪!?長女が初めて体調を崩したのは、生後半年が過ぎた夏でした。いつもより明らかに多い鼻水に気付いたのは午後7時ごろ。夏なのに風邪を引かせてしまった!とかかりつけの小児科に電話したところ、「機嫌がよく、おっぱいも嫌がらずに飲んでいるなら、一晩様子を見て発熱などの症状が出てきたら翌朝受診してください」とのこと。 そして夜から朝にかけて鼻水の量は少しずつ増加し、鼻づまりや咳の症状も出始めたので、午前の診療時間に向かうことにしました。 RSウイルス感染症と診断されて診断はRSウイルス感染症でした。「夏なのに風邪を引かせてかわいそうなことをしてしまった」と思っていたのですが、小児科の先生に「もし発症があと1カ月早かったら、入院をすすめています」と言われ、事の重大さと重症化する可能性が少なくないことに気付かされました。 暑さのため外出もあまりしていなかったので、おそらくちょっと前に長女を連れて法事に出席したときに何らかの形で感染したのだろうと思いました。 長女に続いて大人も感染その後長女は重症化には至らず、自宅療養で無事に快復しました。しかし問題は私たち夫婦でした。RSウイルスのことをネットでいろいろ調べたところ、「大人はほとんど重症化しない」「大人は軽症で済む」という情報を見たせいか、看病するときも予防に対してはすっかり油断してしまったのです。 娘の体で増殖したウイルスはマスク程度では防げず、私も夫も2週間ほど長引く鼻風邪にかかってしまいました。もっとアルコール消毒などを積極的に取り入れていれば、大人への感染は防げたかもしれないなぁと反省しました。 今回は家族みんな軽い症状で済みましたが、感染症を防ぐことの重要性を改めて感じたできごとでした。また、RSウイルスは秋から冬にかけて流行すると言われていましたが、小児科の先生曰く近年は夏にも流行ることがあるそうです。当時0歳だった長女は今3歳で、幼稚園に通い始めました。集団生活が始まったので感染症対策により一層気を配ろうと思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト:sawawa著者:柴崎諒子2016年2月長女、2019年2月次女を出産。元雑誌編集部勤務で、企画・編集・営業・ライターを経験。現在は仕事をセーブしつつ子育て優先。妊娠・出産・子育てに関する記事を中心に執筆している。
2020年07月21日お風呂を洗っていた私のところにやってきた2歳の娘が、濡れた足で滑って転倒! お風呂場のあがり段に後頭部を強打してしまいました。急いで救急車を呼んで病院へ。救急車騒ぎから病院で手当てをしてもらうまでの体験を紹介します。 待って! 足が濡れてるから!平日の夕方、お風呂を洗っていた私のところへ娘がやってきました。聞いてほしいことがあったようで、浴室の中まで入ってきたのです。ひと通り私に話をして、満足そうに部屋へ戻ろうと、濡れた足でそのまま駆け出しました。「待って! 足が濡れてるから!」。私がそう思って止めようとしたのですが、一歩遅かった! 浴室前にバスマットを敷いていなかったので、娘は浴室から出たところで滑って転び、石のあがり段に後頭部をぶつけてしまったのです。「あちゃー! 遅かった……」。娘の後頭部には大きなたんこぶができてしまいました。 人生初の救急要請たんこぶができたので、冷してあげようと保冷剤を用意。保育士をしている私は、転倒時の処置は慣れていたのでここまでは慌てずに対応できました。しかし保冷剤を当て始めると、たんこぶだけでなく傷ができていたようで、少量ですが血が出てきたのです。「後頭部から出血! 大丈夫かな!?」。 突然怖くなってきた私は、冷すのも危ないような気がして、急いで救急車を呼びました。救急要請をするのは人生初。そばでは娘が大泣きしているけど特段処置をしてあげることもできず、救急隊が到着するまで心臓がバクバクしていました。 離れた地域の病院へ救急隊が到着すると、娘は怖がってさらに泣いてしまいました。私もどうしたら良いのかわからずオロオロ。救急隊の人が、「お母さん、落ち着いて」と声をかけてくれました。 怪我の状況を聞かれたので説明すると、幸い、娘は意識がしっかりしていたので緊急性は高くなかったようです。とりあえず病院で詳しく診て処置をしてもらうことに。搬送できる病院が近くになかったので、少し離れた地域の病院まで行くことになりました。 大事に至らずひと安心救急車に乗ると、最初は回転灯の光を怖がって泣いていた娘も、次第に冷静になってきて落ち着いた状態で病院に到着。病院では、レントゲン撮影をして頭部に異常がないか診てもらいました。結果、特に異常は見られず。 出血していたところもすでに止血していたので、消毒だけしてもらって帰宅しました。頭を打っているので、念のため24時間は安静にして様子を見るようにと医師から指示があり、翌日の保育園は休んだのですが、娘は何事もなかったかのように元気いっぱい。大事に至らずひと安心でした。 人生で初めて救急車を呼んで対応した体験は、ハラハラしてとても怖かったのですが、私にとって良い教訓になりました。子どもは突然の予測できない動きをすることもあるので、常に注意を払って安全に配慮しなければならないなと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:斎藤ますみ1児の母。保育士として働く傍ら、自身の出産・子育て経験をもとに、妊娠・出産・育児に関する記事を中心に執筆している。 著者・イラスト制作者:イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。普段は企業の広告漫画を主に描いております!インスタでは子育てエッセイ漫画やイラストをアップします。コメントやイイねしてくださるととても嬉しいです!
2020年07月20日2020年7月現在、新型コロナウイルス感染症(以下、コロナウイルス)のまん延により、日本経済は大きな打撃を受けています。減収・減益などの厳しい経営状況となっている企業は多く、従業員に対する夏のボーナスが減額されたりカットされたりしているのです。高須克弥院長「昨年並みにボーナス出すぞ」同月13日、『高須クリニック』の院長である高須克弥院長がTwitterを更新。東京女子医科大学病院で夏のボーナスがカットされ、多くの看護師らが退職を希望しているというネットニュースを取り上げ、次のような自身の考えをつづりました。僕の経営する高須病院には院長室も理事長室もない。理事長は給与返納して皆の給与に回している。昨年なみにボーナス出すぞ。スタッフは宝。人は石垣人は城@katsuyatakasuーより引用高須院長は、自身の病院に院長室や理事長室がないことを告白。さらに、理事長が給与を返納し、従業員の給与に回していることをつづります。そのうえで、コロナウイルス下にも関わらず「昨年並みにボーナスを出す」と明言しました。高須院長の投稿に対し、ネット上ではさまざまな反応が寄せられています。・素晴らしい!高須院長、さすがの行動力です。・高須院長の言葉に救われました。こんな経営者はなかなかいないと思います。・自分も小さな病院を経営しています。昨年と同様のボーナスを出しました。スタッフは大切にすべきですよね。日本では同月7月12日時点で、コロナウイルスの陽性者が390人を超えています。収束の兆しが見えない状況で、感染の危機にさらされながら、第一線で闘う医療従事者の心労は計り知れません。困難に陥った時こそ、高須院長がつづった「スタッフは宝」という言葉の意味を、今一度考える時だといえますね。[文・構成/grape編集部]
2020年07月14日わが家の娘は、1歳ごろに「水いぼ」を発症しました。皮膚科を受診して初めて水いぼであることを知りました。背中に広がった水いぼの処置は大変でした……。わが子の水いぼ体験談をお伝えします。 わが子の水いぼの症状最初に発見したのは、3mm程度の光沢のある湿疹でした。ただ、湿疹にしては大きいなと感じていました。よく見ると中央にくぼみがあります。 皮膚科で聞いた話では、くぼみの中にある白い芯のような部分に多くのウイルスが含まれているそうで、掻きむしってしまうとほかの部位に広がってしまうとのこと。医師の言う通りで、娘の場合も放置したことで広がってしまい、10個以上の水いぼができてしまいました。 治療はピンセットでの「摘除(てきじょ)」通院した皮膚科では、水いぼをピンセットで取る「摘除(てきじょ)」という治療をおこないました。 水いぼを摘み取る際には、当然ながら痛みがあります。泣きわめく娘を押さえつけての治療は、見ている側もつらい思いでした。放置した結果、10個以上も増やしてしまったことを悔やんで、自己嫌悪に陥りました。最近では麻酔のテープ剤を使用して、痛みを和らげる方法もあるそうです。 水いぼは取るべき?水いぼは取るべきなのか、皮膚科で聞いたところ、放置しても自然に治ることもあると聞きました。ただ、完治までには長期間かかり、その間にほかの人にうつしてしまうこともあるとのこと。実際に娘の水いぼも夫にうつってしまいました。 また、水いぼを掻き壊してほかの皮膚感染症にかかるリスクもあることを聞き、水いぼが少ないうちに取っておいたほうが安心かもしれないと私は感じました。 娘の水いぼはだんだん良くなっていきましたが、何度か再発することも。再発を防ぐために、タオルの共用をしない、適切なスキンケアをするなど、医師から教わった予防も心がけました。皮膚科に通院する日々が続きましたが、2歳を過ぎたころには再発することもなくなり、ホッとしています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:田中由惟一男一女の母。二人目の出産を機に食品会社を退職。現在は子育てのかたわら、記事執筆をおこなう。趣味はスポーツとピアノ、美味しいものを食べること。
2020年07月11日