やっと固まった、娘の不登校と向き合う決意出典 : 不登校の子どもや、障害のある子どもを育てていると、世間一般的な子育てをするだけではうまくいかず、悩んだり、選択を迫られたりする場面が多いと思います。自分の子育てに対する考え方を問われるようなこともあるかもしれません。私の娘は小2で不登校になり、小4でアスペルガー症候群と診断されました。娘を育てていく中では、「学校とどうやって付き合うか?」「勉強はどうするか?」「昼夜逆転、パソコン・ゲーム漬けをどうするか?」「発達障害の療育はしなくていいのか?」など悩むことばかりでした。問題とぶつかるたびに、主治医と相談したり、本やブログを読み漁ったり、相談機関にかかったり、親の会で話を聞いてもらったりと必死で手掛かりを求めました。ときには失敗して娘も自分も傷つきましたが、だんだんと「私はこういう考えで娘を育てていく」という気持ちが固まっていきました。私の考え方は、「学校も勉強も無理しなくていい。昼夜逆転でもいい。娘の心が元気であることを第一にして本人を信じて、任せて、待つ」です。発達障害については発達障害者相談センターで「今のままの育て方で問題ありませんよ」と言われたので、特別なことはしないでおこうと決めました。こうやって自分なりの考え方をしっかり持っていれば、迷わず娘を育てて行けると思っていました。しかしそれでも、周りの声や世間の常識、自分のなかに巣食っている価値観に、何度も迷い自分を見失いそうになったのです。そんなときにどうやって対処してきたのか、私の経験を書きたいと思います。私の育児は間違っているの…?周りの声に気持ちは揺れ動く出典 : 私が仕事をしていたときのことです。お昼休みはどうしても職場の人と話す機会が多いですよね。そこで子どもの話になったとき、私は嘘をつきとおすのも疲れるので「娘は学校に行ってないんですよ」と正直に話すわけです。すると、年上の先輩お母さんには、「のんきなお母ちゃんやねぇ」と言われ、高卒すぐの子には「学校だけは行っといた方がいいですよ」と言われ…周りからの言葉に、「私は怠慢なのかなぁ、もっと娘にとっていい方法を探さなくてはいけないのかなぁ」と心がかき乱されて、どっと疲れてしまったのです。そして、突然焦って塾を探したり、居場所を探したり、福祉サービスを探してみたりと、すっかり自分を見失ってしまいました。そのときだけではありません。例えばブログなどで、「不登校だったけど親がしっかり支えて学校に通えるようになった話」を読んだときや、新聞で引きこもりの記事を読んだとき。私の中の「子どもは学校へ行って就職して独立して一人前。それは親の義務。」という刷り込まれた価値観がムクムクと顔を出し、「本当に子どもに任せていて大丈夫なの?」「このまま引きこもりになったらどうするの?」と不安でいっぱいになってしまいます。そして「うちの子は簡単な計算もできないし、雑談もうまくできないし、家の中で好きにさせていたら本人のためにならないんじゃないのかな…。私が何もしないのは努力不足なのかな?」と自信がなくなってしまうのです。大事なことを思い出させてくれたのは、同じ悩みを持つ仲間たちだった出典 : そんな私に大事なことを思い出させてくれたのが不登校の親の会の仲間たちでした。「娘さんにはね、今は『世界は安心なところだ』ということを確認してもらうのが先ですよ。この前、編み物カフェにいったでしょ?それだけでもすごいことなんだから、できたねって一緒に喜んだらいいんです。無理に新しいことをしなくていい。」「娘さんは『ちゃんとやらなければいけない』と思い込んで、外に出られない状態なんだと思います。何かできた、気持ちよく体を動かせたとかいう『今はこれが気持ちいい』という体験を積み重ねていくことが大切なんですよ。」「勉強はいつでもできます。全然あせらなくていいんですよ。」そう言われて目が覚めました。私は何を焦っていたのだろうって。もう少しで、一番大切なことを見失ってしまうところでした。私たち親子にとって、いちばん大事なことは何だろう出典 : 親の会の仲間たちの言葉を聞いて、思い出したのです。娘が不登校になった当初、よく「死にたい」「私なんていない方がママが楽になる」といって泣いてばかりいました。だけど、私が娘が学校に行かないこと、勉強をしないことを受け入れて、「本人の力で立ち上がるまで待つ」と決めてからは、娘もすっかり落ち着いて家で楽しそうに過ごしていました。一番大切なことは、「生きていてよかった」と娘自身が思えること。そして、家で安心して心を休ませて、「楽しいな」と思えることが一つでも増えていくこと。それだけでいいんです。娘もこの春には中3になります。また私の心が揺れ動いてしまうこともあるでしょう。だけど、私たち親子に寄り添ってくれる親の会の仲間や教育相談の先生、支援者の方たちがいれば大丈夫だと確信しています。「お母さん、それでいいねんで。よくやってるよ」と言ってくれる人がそばにいてくれたら私は頑張ることができます。この記事を読んでくださっている方も、私のように心揺れ動きながら奮闘されているのかもしれません。しんどい育児を家族だけで乗り切っていくことは、とても難しいと私は感じています。つらい時にはためらうことなくSOSを出して、一人でも多く自分たちを応援し支えてくれる人たちとつながっていくことを願っています。
2017年02月10日フリースクールとは?出典 : フリースクールは法や制度などによって定められた学校でないため、その定義はさまざまですが、文部科学省は以下のように定義しています。「フリースクール(フリースペースを含む)」とは、不登校の子供を受け入れることを主な目的とする団体・施設を指す。つまりフリースクールは社会において「不登校の子どもたちの居場所」という役割を果たしています。それぞれの施設の運営は個人や民間の企業、NPO法人によって担われおり、様々な規模や形態のフリースクールが存在します。フリースクールは学校教育法上の公的な学校とは認められていないため、義務教育課程の子どもであれば、もともと通っていた小中学校に籍をおいたままフリースクールに通うことが通常です。フリースクールの最大の特徴としては・入学資格を設けていないこと・異なる年齢・年代の子どもが集まっていること・決まったプログラムやカリキュラムを持っていないことが挙げられます。授業内容は学校教科の学習ばかりではなく、他者との交流を行いながら自分の好きなことを自由に学ぶことができる場所であることが多いです。「もちつき大会」のような季節に合わせた行事を自分たちで企画したり、ハイキング、潮干狩りなどのレジャー活動、運動会、劇や合唱の発表会、料理、旅行などを行ったり、その活動内容は実に様々です。また、自由や個性を重んじながら、施設のスタッフやほかの子どもと接することのできるフリースクールは、不登校の子どもたちにとって社会との接点をもつ場所であり、ソーシャルスキルのトレーニングの場ともなっています。参考:フリースクールが担う不登校支援の可能性についてフリースクールは、1975年頃から増加していく不登校を背景に80年代半ばから徐々に市民の手で広がっていきました。1992年には国も「不登校は誰にでも起こりうること」という認識を示し、フリースクールに通う日数も学校の出席日数として認められる事例も増えていきました。今日、フリースクールは、2015年に行われた文部科学省の調査によって把握されているだけでも、北海道から沖縄まで全国474ヶ所が確認されています。出典:「小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査」その数を見てもわかるように、フリースクールは今や子どもが学び育つ場として必要不可欠な場となっています。また、不登校の子どもを預かるフリースクールは、子どもたち本人のみならず、彼らと24時間ともに過ごす保護者や家族の精神的疲労を軽減する役割も果たしています。2015年度現在、不登校児童生徒数は、小学校27,581 人、中学校98,428 人、小・ 中の合計では126,009 人にものぼります。その数は前年度と比べ3,112人も増加しており、 フリースクールのニーズは今後も増えていくと考えられます。出典:平成 27 年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」以上のように社会的なニーズはあるものの、社会におけるフリースクールへの理解や支援は未だ不十分といえます。以下で説明する出席認知と通学定期以外の公的支援はほとんどないため、運営の財源探しに苦心するフリースクールが多いようです。国も、フリースクールで学ぶ子どもや保護者への支援を検討しはじめています。フリースクールにはどんな子が通えるの?主として、何かしらの理由で学校に行っていない子どもが通います。理由は様々で、いじめに遭って学校に行くのが怖くなってしまった子や、学校生活にうまく馴染めない子、学校の授業についていくことが難しい子、受験競争のストレスで疲弊してしまった子などがいます。それぞれ、自分の目的に合った形態のフリースクールに通っています。また、上記のような例の中には広汎性発達障害(PDD)やADHDなど、発達障害のある子どももいます。広汎性発達障害やADHDの子どもは共同生活におけるコミュニケーションを苦手と感じることも少なくなく、発達障害のない子どもよりも不登校になる可能性が比較的高いと言われています。同じように学校に籍をおきながら通える形態として「サポート校」の存在があります。フリースクールが主に精神面のサポートを行い、広く不登校の子供たちを対象としているのに対して、サポート校は主に学習支援に軸足を置いており、学習塾という色合いが強いです。そのためサポート校の対象は高等学校通信教育を受けている者(高等学校における「通信制の課程」に在籍している者、または、中等教育学校の後期課程における「通信制の課程」に在籍している者)や高等学校卒業程度認定試験合格を目指す人に限られる傾向にあります。フリースクールへの出席は学校への出席日数として認定されるの?出典 : フリースクールに通う子どもの出席認定は、小・中学生については1992年から、高校生についても2009年から実施されています。フリースクールに通うことを在籍校の出席扱いとするかどうかは在籍校の校長先生の判断に委ねられ、校長先生がそのフリースクールが「不適切」だと判断しない限り出席扱いになります。児童の不登校の問題に関して、文部科学省は以下のような姿勢を示しています。不登校児童生徒の中には、教育支援センター(適応指導教室)やいわゆるフリースクールなど、学校外の施設において相談・指導を受けている者もおり、このような児童生徒の努力を学校として適切に評価し、学校復帰などの社会的自立を支援するため、小・中・高等学校の不登校児童生徒が学校外の機関で指導等を受ける場合について、一定要件を満たすとき校長は指導要録上「出席扱い」にできることとしている。日本国憲法では義務教育について以下のように示されています。憲法第26条第2項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」と規定されており、また、教育基本法第5条第1項に「国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。」一般的に義務教育といわれているものは、保護者が負っている「教育を受けさせる義務」(教育義務)によって子どもが受ける教育のことをさします。保護者は、児童を小中学校などに通学するように取り計らう「就学義務」という義務を負っています。一方、子どもには、基本的人権の一つである教育を受ける権利があります。しかし義務教育は「子どもが学校に行かなくてはいけない」という義務があるということは意味していません。フリースクールの費用はどのくらい?出典 : フリースクールは学校教育法上で公的に認められた学校ではないため、費用は自己負担となります。また、費用は施設によって金額差があります。平成27年3月に行われた文部科学省による調査では、1~3万円・3~5万円とする団体・施設がそれぞれ4割弱、平均額は約3万3千円でした。無料から5万円以上まで施設ごとに大きく異なり、入会金で10万円以上必要な場合もあります。1~3万円とする団体・施設が約3割で、平均額は約5万3千円です。出典:「小・中学校に通っていない義務教育段階の子供が通う民間の団体・施設に関する調査」現行の制度では、政府によるフリースクールへの助成はおこなわれていません。そのため、不登校の子どもが高校生である場合、保護者は在籍している高校とフリースクールの両方に学費を納めなければならず、経済的負担は少なくありません。今後、公的支援の導入によってフリースクールの費用が下がる可能性はありますが、現時点でははフリースクールを検討する上で家庭の経済状況の考慮も必要となります。フリースクール卒業後の進路は?学歴はどうなるの?出典 : フリースクールに通う子どもたちは、義務教育期間中はもともと通っていた学校に籍をおいたままフリースクールを利用することになります。在籍校の校長による許可が出ればフリースクールへの登校も義務教育上の出席日数として承認される場合もあり、卒業に必要な単位が出席日数単位を満たすことができれば、義務教育上の小中学校の卒業資格を得ることができます。籍をおいている高校の卒業資格については、高校卒業程度認定試験(高認)を取る、フリースクールと定時制高校や通信制高校を併用するなど、様々な方法で取得することができます。フリースクールを検討する際のポイントは?出典 : 不登校の子どもを支援する施設やサービスは数多く存在します。その中で、親子にとって最善の居場所はどこか?と悩みながら情報収集されているご家庭も多いかもしれません。ここでは、そんな不登校の子どもの居場所のひとつとしてフリースクールを検討する上で、どのようなことができるかを紹介します。フリースクールとひとことで言っても、授業内容や雰囲気はさまざまです。さまざまな施設の情報を集めるとよいでしょう。インターネット検索や資料請求によって各フリースクールの具体的な費用や概要について知ることができます。参考:発達ナビ > 地域情報 > フリースクール参考:NPO法人フリースクール全国ネットワーク実際に子どもをフリースクールに通わせていたり、通わせた経験がある保護者、あるいはフリースクールで働くスタッフの話をきくことで実情を知ることができます。参考:「登校拒否・不登校を考える全国ネットワーク」多くのフリースクールが、入学前の見学を歓迎しています。実際にフリースクールを訪れ、そこに通う子どもたちの様子を見たり、指導員の話を直接聞くことで雰囲気を知ることができます。また、お子さんにポジティヴな刺激を与えられる可能性もあります。まとめ出典 : フリースクールは主として不登校の子どものための居場所です。全国に約474ヶ所あり、規模や形式、提供する授業内容、費用などはそれぞれ異なります。公的な学校ではありませんが、在籍校の校長による許可が出ればフリースクールへの登校も義務教育上の出席日数として承認される場合もあります。社会からの理解は未だ不十分ではあるものの、フリースクールを必要とする人が多いことは確かで、今後公的支援の拡充がおこなわれる可能性も大いにあります。本人に合っているというのが大前提ですが、不登校の子どものためのさまざまな選択肢のひとつとして、フリースクールを検討してみてはいかがでしょうか。
2017年01月30日不登校児が家にいるということ。それは私にとって、息の詰まる時間でもありました出典 : 不登校になり、自宅で過ごす子どもたち。私の参加する親の会でもよく聞くのですが、彼らが自宅で過ごしていて辛かったことに「親がキレるのが怖かった」「親の機嫌が悪かったり、悲しまれたりした」という意見があるようです。こうした子どもたちが1番望んでいることは、親は親で勝手に幸せになってくれること。テレビを見て笑っている姿でもいい、楽しそうに過ごしてくれるのが嬉しいのだと、私は思うのです。そんな私も、娘が不登校になってからしばらくの間は、しょっちゅうキレていました。そのたびに泣く娘を見ながら「これではいけないのに…」と、情けない気持ちでいっぱいだったのです。私がどんなふうに、自分のイライラと向き合ってきたのか、ご紹介したいと思います。また娘を叱ってしまった…もう同じことを繰り返さないために考えたこと出典 : そんなある日のことです。私はまた些細なことで、娘にキレてしまいました。娘はポロポロと声も立てずに泣いています。もう、こんな光景を見たくない!と思った私は、いつもと違う行動をとることを決意しました。娘と話し合いながら、娘が泣くに至った出来事と自分のそのときの気持ちをメモ書きすることにしたのです。その時の出来事を時系列に書いていきます。()は私の気持ちです。①娘が夕飯を残した(悲しくなった)②娘に「後で食べる?」と聞いたら「いらん」と言った③1時間後、娘が「袋ラーメンあったっけ?」と探しに来た。自分では見つけられず、私が在宅仕事を中断して探してあげた(なんで夕飯は食べないのにラーメンは食べるの?腹が立った)④「ラーメン頼んだら作ってくれる?」と娘が言ったので、笑って「うん」と答えた。(こんな夜中に何で作らなあかんの。仕事中だったのに腹が立った。でも耐えなければと、あえて笑った)⑤「やっぱり冷凍スパゲティ食べる。気持ち悪いけど」と言われたとたん、ブチ切れした私。(前もスパゲティ食べてほとんど残して気分が悪くなったくせに。そしてまた私が残飯処理をしなければならないのか!キレた。)こうして文字に起こして、娘と話し合いながら自分の気持ちを丁寧に振り返ってみると、色々と見えてくるものがありました。イライラの爆発は、自分の感情に気づかなかったことが原因だった出典 : 娘に対し、突然怒りを爆発させてしまう私ですが、子どもの頃は「いつもニコニコしてるね」「癒されるわ」と言われてきました。だけど、心から笑っている訳ではなかったのです。むしろ「嬉しい、楽しい」という感情が湧くことはめったになく、どちらかというと「悔しい、腹が立つ」というマイナスの感情の方が感じやすい性質です。どういう表情をしたらいいのかわからないから、誰からも攻撃されないように笑顔を選んだだけなのです。今回気付いたことですが、「もうダメ」とキレるまでに、途中で何度も怒りを感じているはずなのに、自分では見えていないというか、心にフタがされているような感じがするのです。そうして怒りが心の中に積み重なり、何かのきっかけで溢れ出したときにキレてしまうのです。つまりキレたときには、すでに精神的には限界を迎えているのです。母親から怒られることに対し、娘はどう思っているのだろう出典 : 自分の気持ちを振り返った後、私は娘の正直な気持ちも確かめることにしました。私「怒られたら怖い?」娘「うん、そりゃ怒られるのは怖い。特にママ怒るとむちゃむちゃ怖いから。」私「他の人に怒られるのも怖い?」娘「怖いに決まってるやん。ママはその場では怒らないのに、後でいきなり一気に怒りをぶつけてくるからびっくりする。例えば私が掃除手伝えなかった時でも『いいよいいよ』って言ったのに、後で急に怒りだすから『え!?』ってなる。その場で怒っているなら言ってほしいし、本当の気持ちを話してほしい。今日なら、夕飯を残したときに『悲しかった』って話し合ったときに言ったやろ。それをその時に言ってほしい。そうしたらわかるし、びっくりしないし」そうした娘の言葉に、私のどういう行動に違和感を抱いていたのか、そしてどうして欲しいのかという気持ちが分かり、話し合って良かったと思いました。また、娘の言葉のおかげで自分のキレ方の癖に気づくことができたのです。イライラすることは誰にでもある。だからこそ、大切にしたいのは…出典 : 娘のおかげで自分のキレ方に気づいた私は、「とにかく我慢しないように心がけよう」と決めました。ちょっとムッとしたとき、「あれ、私怒ってる?それとも疲れてる?」と自分に問いかけるようにしたのです。そして、無理している自分に気づいたらできるだけ休むようにしました。合わせて、娘に正直に「いま機嫌が悪い」と申告するように。そうすると、娘もいろいろと推測して胸を傷めることが減ったようです。こうして私がキレることも、少しずつですが減っていきました。もしキレてしまっても、後で必ず娘に謝るようにしました。すると娘も、「ママも人間だもんね。しょうがないね」と許してくれるようになっていったのです。しんどい子育てをしていると、自分の感情を後回しにし、疲れを溜め込むことが多いと思います。ときには自分の気持ちに目を向け、自分に優しくしてあげる時間を持てたらいいですね。
2017年01月27日不登校にまつわるさまざまな不安、どう取り除く?出典 : 何らかの事情で学校に通えなくなった場合、様々な不安がお子さんにも保護者にも湧き上がってくることと思います。・学校に通わずに社会性は身につくのか・学校に通わずに友だちはできるのか・学校に通わずに勉強はどうなるのか・学校に通わずに将来はどうなるのかわが家の場合は子どもたちの不登校を前向きに捉え、「学校という環境が合っていないなら家で学べば良い」というスタンスで過ごしていますが、そんな私にも不安はあります。そこで、1つでも不安を取り除くことができれば、親も子も心に余裕ができるのではないかと考えてみました。すると、上記項目の中で解決できそうな項目が「学校に通わずに勉強はどうするのか」だったのです。「学校のお友だちは、どんどん先に進んでいるんだろうな。私は勉強しなくていいのかな?」と娘が不安を口にした時から、なんとかこの不安を払しょくしてあげたいと思っていました。「親子で勉強するとケンカになる」という話をよく耳にしていましたので、「国語と算数は教科書の内容を全てクリアできます」と説明のあった学研教室に通わせてみたりもしました。しかし、これでは他の教科がカバーできません。理科実験教室なども探してみましたが、なかなか良い場所が見つからず悩んでいました。先生から誘われた2学期のテスト。それは、友達と同じ範囲を勉強するチャンスだった出典 : そんな折、学校の先生から「みんなと同じ2学期のテストを受けてみませんか?」というお話をいただきました。(娘は不登校ですが籍は学校に置いています)娘と相談した結果、教科書を使って親子で勉強し、テストにチャレンジしてみることに。先生からテスト範囲を教えていただき、娘とともに教科書を開いてみました。一瞬、「本当に教えられるのかな?」とひるみますが、私が不安に思うと娘にも伝わってしまいますので、一緒に勉強をし直すつもりでどっしりと構えていました。初めに手をつけた算数は、小数点の計算や図形の問題、コンパスで円を描くなどの部分がテスト範囲に入っていました。娘はまだ小学3年生。落ち着いてゆっくりと向き合えば、まだついて行けそうな内容です。「へ~!これはこういうことだって!知ってた?」と聞いてみると、案外簡単なことがわかっていなかったり、逆にそんなことを知っていたの?と驚くことも出てきたり、わが子の思いがけない一面を発見でき楽しくなってきました。テストに向け、いざ勉強!使用教材と勉強手順は…出典 : 教科書をざっと確認した後で、テスト勉強に使えそうな問題集を書店で探すことにしました。学校へ通っていた頃には意識したことがありませんでしたが、いろいろな教材が並んでいるものですね。その中でわが家が選んだのは、「教科書ワーク」と「教科書ぴったりテスト」というものです。株式会社文理が、各教科書出版社の内容に準拠して作っているものなので、内容はもちろんぴったりと合っていますし、教科書の範囲に対応した目次がついていて、とても使いやすい問題集になっています。地区によって使用している教科書の出版社は教科ごとに異なりますので、お手に取る際はお子さまの教科書をしっかりとご確認ください。試行錯誤の末、わが家ではこのような手順で勉強を進めることにしました。① 問題集をいきなり解いて丸付けをし「わからない」部分を認識する② ①で認識した「わからない」部分を意識しながら教科書を読む③ 不正解だった問題に再度取り組む④ テストに取り組み「わからない」部分への理解度を確認する問題集は書き込む前に、あらかじめコピーを取っておくと、何度も挑戦できていいかもしれませんね。文理の教科書ドリル子どもと勉強をするとき、私が肝に銘じていること出典 : テストは児童の下校終了後に学校で受けさせてもらいました。結果はまだ返ってきていませんが、「学校の勉強についていけなくなる不安」を払しょくするために始めたことですので、「教科書でお友だちが習ったところは自分も勉強した」という満足感を得られたことで、目的は達成できたように思います。今回、親子で勉強をする上で強く意識していたことがあります。「理解が進まない場合、子どもに問題があるのではなく、伝える側に工夫の余地がある」ということです。これは以前の子育てからの教訓です。我が家は娘のほかにADHDの息子がいます。息子は聞いて理解することが苦手だったのですが、そのことに気付かなかった私は、口頭で何度説明しても理解できなかった息子に呆れ果てていました。その後、息子が「視覚優位(見て理解する力が優位)」だったことを知り、絵に描いて説明したとたん、できることがどんどん増えていきました。このとき、「伝え方を工夫するだけで、理解できることもある」と知り、息子を責め続けていたことを反省したのです。わが子を1番よく知っている立場だからこそ、できることがきっとある出典 : 誰かに何かを伝える時、自分が1番得意な方法で相手に伝えることが多いのではないかと思います。しかし、相手にとっては、それがベストな方法とは限らないのです。「どうしてわからないの!」という言葉は絶対に子どもに言うまいと決めていました。その代わり、子どもがつまずいた時には「この説明だったらどう?」「ちょっと違う方法で説明してみるね」と何通りかの方法で説明をしながら、子どもに合う方法を探っていくようにしました。先生でもない私が勉強を教えることができるのだろうか?という不安から始まったお勉強タイム。終わってみれば、共通の話題が増えたり、子どもが理解しやすい方法を見つけられたことで、生活の中にも活用できたりと、プラスの面が多かったように思います。同じような不安をお持ちの方がいらっしゃいましたら、まずは1教科からでもお子さんと一緒に勉強に取り組んでみてはいかがでしょうか?お子さんの特性をより深く知っている保護者の方だからこそ、もしかすると「世界でいちばんわかりやすい先生」になれるかもしれません。私もそれを目指して頑張ろうと思います!
2017年01月10日今、ようやく思える「自分の人生に意味があった」ということぼくは今まで、本当にたくさん人に迷惑をかけてきた。不登校だけじゃなく、周囲の迷惑になることもしてきた。でも、変わらず僕を心配し愛情を注いでくれる人達がいた。「あなたはあなたで大丈夫」「生きていてくれてありがとう」そう言ってくれる人がいた。同じ言葉を、今苦しんでいる子どもたちにも届けたい。想いを繋いでいきたい。講演ライブをはじめたばかりの頃、過去の経験を話すたびに胸が苦しくなって涙が溢れた。今でも涙が溢れてくることがある。それでも活動を続けたいと思うのは、「不登校について考え方が変わりました」と言ってくれたり、「死にたいと思っていたけど、生きていこうと思えました」と言ってくれる、子どもたちと出会えるから。自分の経験にも意味があったんやなって、思えるようになった。「逃げる」ことはときに、生きるために闘うことだと伝えたい出典 : 僕の不登校のきっかけになったのは、クラスメートの女の子へのいじめだった。そのいじめの対象だった女の子は16歳で自殺して亡くなった。あの時なにもできなかった自分をものすごく責めた。ぼくは逃げてしまったけど、彼女は我慢して我慢して、そして最後には命を絶った。今振り返っても、苦しくなる。彼女の死を僕は忘れない。今現在、あの時の彼女のように1人で踏ん張っている人がいたら、「一人ぼっちでどうにも出来ない時は、逃げていい」と伝えたい。「逃げる」ことはときに、生きるために闘うことだと伝えたい。いじめの話を学校でしていたとき、生徒さんの中で、倒れてしまい保健室に運ばれた女の子がいた。彼女は自分自身のいじめの経験がフラッシュバックして倒れた。講演を終えすぐに、彼女がいる別室にいくと過呼吸になって泣いていた。僕は彼女に、「生きていてくれてありがとう」と伝えながら、隣にいることしかできなかった。どうしてこの子がいじめにあわなくちゃいけないのか、とても苦しくなった。彼女は周囲に相談していじめから逃れることができた。後日、「生きていこうって思えました」という手紙を送ってくれた。僕たちは、経験を伝えることで誰かを傷つけたいとは思っていない。けれどあの頃の僕らのように、誰にも相談できず、未来も見えず真っ暗闇の中で今日を生きている人がいること。そんなみんなに僕らが元気な姿を見せることで伝えたい。「生きていればいつか、そんな日があったと笑える日が来るよ。大丈夫。」講演ライブも続けながら、今後は小さい子どもたちへむけて、絵本をつくってメッセージを伝えていきたいとも思っている。昔から絵本が好きだった。ことばじゃなくて、感覚で子どもたちに伝わっていくような絵本を作れたらいいなと思っています。親の笑顔は、何よりも大きな希望になる学校でも家でも、悩みはどこでもうまれるから、「不登校=家が過ごしやすい」ということではないと思う。学校にも家にも「居場所がない」と感じる子どもも沢山いる。僕の場合は、【不登校の親の会】という居場所があった。学校や年齢も関係のない、ごちゃまぜのコミュニテイの存在は、僕にとって大きな意味を持っていた。不登校を気にしないでいてくれる大人たちの存在も大きかった。「お前ら不登校か、それがどうした!キャンプいこうぜ!」みたいな、人の心にズケズケ入ってくる人達の存在も頼もしかった(笑)ただ、大人になるまで、自分の親と不登校についてじっくり向き合って話すことはなかった。今になってようやくわかること、あの当時親も苦しんでいたこと。僕らと同じかそれ以上に。親は今でも「幸せで笑っていてほしい」と言ってくれる。だけど僕はそれと同じくらい、「親にも幸せで笑っていてほしい」と願っている。苦しい時期、悩みの渦中にいた僕に、親は共感し泣いてくれた。そのことはとても嬉しかった。けれどそれ以上に僕を救ってくれたのは、親が笑ってくれた瞬間。今悩んでいる親御さんには、ぜひ自分の人生を大切に生きてほしい。まずは親御さん自身が「幸せだ」と思える人生を送って、笑顔を、幸せでいる姿をお子さんに見せてほしいと思っています。
2016年12月29日不登校の親の会で、仲間に出会う出典 : 誘われて参加するようになった【不登校の親の会】で出会ったのが、一緒にJERRY BEANSを始めることになる八田くんだ。八田くんや、ほかの不登校の仲間をみて、「自分だけじゃなかった」「同じように学校に行けない人がいるんだ」と知ることができた。八田くんは家が近所だった。出会ってすぐに仲良くなり、翌日からは毎日会うようになる。僕と双子の兄弟、八田くんの3人でいつも一緒にいた。それまで家に籠もりきりだったのが自分でも嘘のようだった。思い切り遊び、思い切りぶつかれる仲間みんなが学校へ行っている時間に、山で探検したり琵琶湖に釣りにいったり、山の中の公園で野球したり、と今までやりたかったことが溢れだした、本当に楽しい毎日。それでも常に、僕らの心の中にはうしろめたさがあった。だから、学校が終わる時間までには絶対帰っていたし、人に会わないようにと自然にそういう場所を選んだ。わざわざ言わなくても3人は同じ気持ちを共有していたんだと思う。当時の僕らは、コミュニケーションで相手に気を遣うことができなかった。嫌なことがあったらすぐに爆発していたし、穏やかだったのに、一瞬で顔色が変わって険悪になったり。空気を読むのがとても苦手だった。でも、共通の趣味である音楽を聴いている時や、楽器を合わせている時は、言葉がなくても自然と打ち解けていた。音楽にのめり込んだのは、親が背中を押してくれたから出典 : その頃、八田くんがギターを習っていて、それに憧れてみんなで音楽をやり始めた。楽器がほしいからと、新聞配達のアルバイトを始めたりもして。「仲間とバンド活動をする」ということが、僕たちの生活に希望を与えてくれた。夢中で楽しんでいる、その気持ちが親たちに伝わったのか、なんと自宅の部屋をスタジオみたいに改良してくれた!「のびのびできるものを見つけたんだから、思い切りやったらいい」、そう言って背中を押してくれた。不登校で困らせていたはずの親が喜んでくれた。そのことが嬉しくて嬉しくて必死で練習した。ある時、「自分はこれで生きていくんだ!」と決意した。自分にも存在価値がある、と思えるように自分なんて大嫌いで、存在価値もないと思っていたけれど、そんな考えを変えてくれたのは、自分と本気で向き合ってくれる周りの人たち。例えば、ずっと部屋から出られず、ご飯も食べられない時期に、リビングでご飯を食べただけで、本当に喜んでくれたり。そうやって1つひとつの小さな変化を喜んでもらえることで、「自分も生きていていいんやな」って思えるようになった。バンドを始めたら、どこから聞いたのか、同級生が文化祭の時期に「楽器を教えてほしい」と言って訪ねてきてくれたことがある。「ずっと学校行ってないのに、同級生が会いに来てくれた。褒めてくれた。」こんな嬉しい気持ちになったことはなかった。「僕らでも、何か出来る事が1つあれば、コミュニケーションしていけるんや」、「こうやって認めてもらえるんだな」と、少しずつ自信を持てるようにもなった。道徳の授業や特別授業の一貫として、生徒たちに過去の経験や未来への思いを伝えるという「講演ライブ」を行っている山崎さん。不登校に悩み苦しむ子どもたちやその親御さんに、いま伝えたいことを語っていただきました。
2016年12月22日不登校児は全国で11万人!もはや他人事ではありません出典 : 近年、不登校の子どもは小中学校だけで全国に11万人以上いると言われています。私の息子も現在中学2年生ですが、登校渋りがあり常に不登校と隣り合わせです。そこで、私が運営する発達障害児の保護者のコミュニティにて、不登校に関する勉強会を開くことにしました。講師は、定時制高校などで不登校から立ち直ろうとする生徒たちと、長年関わってこられた元教員の方です。私だけでなくみなさんの関心が高いテーマなのでしょう。参加者も多く充実した勉強会となりました。勉強会に集まった、あるママの発言です。「子どもが学校へ通えなくなる覚悟はできている。」この言葉を聞いた私は、「不安なのは私だけじゃない」と深く共感したのを覚えています。不登校の状況(内閣府成育環境)保護者が学ぶ「不登校の勉強会」、その内容とは?出典 : 勉強会での様子を1. 保護者からの質問2. 講師の先生からの回答この順番で、詳しくご紹介したいと思います。出典 : 保護者:「登校を再開しても、またすぐに休んでしまいます。そんな時どう対応したら良いのでしょう?」先生:「高校入学を機にやり直しを図る子どもたちを例にお話します。不登校からやり直しを図る子どもたちのほとんどが、『勉強をやり直したい』と言います。しかし、もともとは不登校だった子ども。2~3週間すると息切れして学校を休んでしまうケースが多いのです。息切れの原因は勉強だけではありません。コミュニケーションもストレスの原因の1つ。友達に何十通もメールを送り、返信が無いと『避けられている』と悩んでしまう子。友達ができたことが嬉しくて、衣類から文具までお友達と同じものを買い揃えてしまう子。一方的な正義感から、周囲への要求が大きすぎる子。生徒たちのアンケートによると、「学校へ来る支え」も「学校で苦労すること」も、どちらの原因も「友達」が圧倒的に多いのです。」出典 : 先生:「入学から数ヶ月は、『友達を作りたい』という意欲の大きさに比べ、それまでの経験不足からトラブルが発生しやすい時期で、不慣れなコミュニケーションから休んでしまうのは、むしろ必然と言えるのです。この、最初に休んだ時の大人の対応がとても重要で、ガッカリした素振りを見せず、『休めてよかったね』と声をかけてあげる事が大切です。心が疲れたら体は動きません。不登校の子が学校へ通えるためには、自分で自分の調子を掴み自分とうまく付き合えるようにしていかなくてはなりません。」息子にも、人にストレスを感じつつも関わりたい気持ちが見えます。そして限界を感じると時おり学校を休みます。押したり引いたりしてなんとか学校へ連れて行こうと頑張るよりも、「充電が切れちゃったね」「切り替え日だね」と、気持ちよく休ませたほうが回復も早い…そんな実感が私にもあります。出典 : 保護者:「同じような環境下でも、不登校になる子とならない子がいますが、その違いは何でしょうか?また、立ち直っていくポイントは何だと思いますか?」先生:「不登校になる子は『外からの評価』を気にし過ぎる傾向が強く、自分で自分をがんじがらめにした結果、不登校になるケースが多い。それは誰かに責められた経験の有無とは関係しないと思われます。そういう子どもたちは、環境を変えて高校に進学しても、『1度休むと通えなくなるのでは?』『単位を落としたら、もう通えない!』と、『オール オア ナッシング(0か100かの極端思考)』になってしまいがち。でも、不登校から立ち直る子を見ていると、何かができるようになったから学校に通える、という訳ではないのです。不登校から脱する鍵は、今のままの自分で良いと思える自己肯定です。その鍵を得るためには、『やらせる』とか『教え込む』のではなくて、自分から立ち直るまでとことん付き合ってくれる、そんな大人が必要なのです。」私もかつては「やらせよう」と頑張って登校渋りを悪化させてしまった経験があります。今は良い意味で諦め、良い意味で割り切っています。学校へ行けなくなっても死ぬわけじゃない…それくらいの大らかさの方が、実は上手く行く。根拠はありませんが、経験からそう思います。出典 : 保護者:「子どもではなく、不登校児を抱える親と関わる上でのアドバイスはありますか?」先生:「現代の親子関係は間違いが許されない雰囲気がある。(親の)無理は子どもに伝わる。無理はウソをつくことと同じで、親が失敗を恐れて頑張りすぎることは、必ずしも良い結果に結びつかないのです。不登校児の親は、すでに充分過ぎるほど頑張っています。良かれと思った激励やアドバイスも、実は重たく感じることもあるのです。」頑張り過ぎず失敗に大らかな子育て…このことは、スクールカウンセラーを始め、様々な講演会で聞いたお話でもあります。これは、発達障害児ママにも同じ事が言えるかもしれません。充分頑張っているけれど、上手く行かない。そんな時にホッとするのは、激励やアドバイスではなく「わかるよ」という共感の言葉かもしれません。出典 : 保護者:「最後に、不登校児やその保護者が進路を考える場合、どんな選択肢があるのでしょう?」先生:「不登校児の節目の1つである高校進学を例に考えてみましょう。高校には全日制の他に、定時制や通信制があります。それ以外にもフリースクールやチャレンジスクールなどがあります。ですが、これらの学校はあくまで不登校や中退の人がやり直せる学校であって、不登校や中退の人のための学校ではありません。入れる学校を選ぶのではなく、通える学校を選ぶことが重要なのです。」言われてみると当たり前の事ですが、登校に不安を持つ親子はともすると視野が狭くなり、見落としがちな視点ではないかと思います。「やり直す」ための様々な配慮は、全日制の高校に比べ遥かにあるけれど、卒業するためには最低限の日数でも通い続けなければならないことを忘れてはなりません。チャレンジスクールは、小・中学校での不登校や高校での中途退学を経験した生徒など、これまで能力や適性を十分に生かしきれなかった生徒が、自分の目標を見つけ、それに向かってチャレンジする学校です。(チャレンジスクール「夢をかなえる学校選び」)勉強会を終えて出典 : 来年は息子も高校受験です。デコボコの波が大きい息子は、できることとできないことの差がとても大きい子です。学校で不安定になったり、イライラが治まらないときは保健室へ行って落ち着く措置を取ってはいますが、息子は「学校へ行くだけでストレスを感じることがある」と言います。「不安の元が何か?言葉にできない」とも。親としてはどうしても、「できることを基準に考えたい」と思ってしまいます。ですが、私は心に固く決めています。「入れる学校ではなく、通える学校を探す」と。「通える」という基準で選択するって、何も高校だけではありません。進学や就労だけでなく、サークルや部活動、アルバイトなど、小さな選択に至るまで実は、この先ずっと大切にできる基準だと思います。
2016年12月17日悩ましい子どもへの性教育。他の家庭ではどうしてるの?出典 : 発達障害児の子育て、特に多感な思春期の頃というのは、いろいろ苦労されている方も多いと思います。その中でも親として悩ましいことの1つは、性教育についてではないでしょうか。そもそも子どもたちは、自分たちの性についてどう考えているのでしょうか?先日、発達障害の親の会で性教育について話し合う機会がありました。そこでは、発達障害や知的障害のある子どもに対し、どうやって「自分の身を守ること」「人を傷つけないこと」を教えるか?ということが話題になりました。私たち親の世代は小学校5年生頃に男女別に分けられ、スライドや映画を視た後に先生からの話を聞く、というのが性教育でした。なんだか通り一遍の話で本当に知りたいことはわからないという感じ。それがきっかけで友達同士でコソコソと情報交換し合って、徐々にいろんな知識を得ていくというパターンが典型的なものでしたね。しかし、アスペルガー症候群の診断が出ている娘は小2から不登校で、中2の現在まで学校には通っていません。これでは性教育を受ける機会もありませんし、発達障害を持った子どもたちは、友達同士でそういう情報交換をするのが苦手な傾向にあるように思います。親の会ではいろいろな情報や体験談を聞くことができましたが、「こうしたらいい」という明確な答えは出ませんでした。娘は性について、どこまで知っているのだろう出典 : 我が家の場合、小4で娘にパソコンを与えたときに「これで性についても知ることになるだろうな」という覚悟がありました。自由にネットの世界を楽しんでほしかったのでフィルタリングもしませんでしたし、プライバシーを尊重するために娘が何を見ているかということには一切関知しませんでした。ただ、「ネットに書いてあることが本当とは限らない」「女の子は被害に遭いやすい存在である」「ネットの中の人の性別や年齢は信じてはいけない」ということは最初に言い聞かせ、もし不安なことがあればすぐに相談することを約束していました。娘は自由にいろいろな情報を取り入れているようで、性についても「ああ、ひと通りのことはわかっちゃったみたいだな…」ということは何となく日頃の会話で理解できました。だけど、生理が始まったときなどは信頼できるサイトの情報をプリントアウトして私から渡したりしましたし、直接手当てのアドバイスもしました。そうしているうちに、自分の身体の変化が気になるときは直接相談してくれるようになったのです。「フィルタリングについてどう思う?」とあるとき聞いたら、「どんなことでも信じちゃう子にはいいかもしれないね」と言ってました。なんか大人な意見ですね。娘に直撃インタビューしてみることに出典 : そうは言っても、娘に正しい情報を伝えるためにはきちんと性教育をする機会が必要だなと感じていました。「そうだ!直接本人に聞けばいいのでは?」とあるときふと思って、娘にインタビューしてみました。私「性教育って学校でやるんだよね」娘「行ってないから知らん」私「じゃあ、誰から教えてほしい?」娘「親だけは絶対に嫌。ママ、おばあちゃんと性について話したい?」私「それは嫌すぎるな。じゃあ誰ならいい?」娘「人からは嫌。ちゃんとした知識が書かれた本で、生々しくないデザインのやつを読みたい」私「それは本棚に並べておけばいいのかな?」娘「嫌。だってマンガ読もうかなぁと思って本棚を見たら性教育の本が並んでるなんて、エロ本が本棚に交じってるみたいだから。別の部屋にある本棚に入れておいてくれたら読むよ」私「トイレに置いておくっていうのは?」(そういう意見をどこかで読んだのです)娘「トイレしながらそんな本読むなんて嫌」親からそんな話を聞きたくないというのは想定内でしたが、性教育の本が娘の中ではエロ本扱いということにビックリしました。目につくところにおいてほしくない、ましてや読んでるところを人に見られるなんて言語道断という娘に、「思春期の子どもというのは好奇心と恥じらいが混じり、難しいものだな」と感じました。さまざまな誘惑や犯罪に巻き込まれないよう、私の経験から知ってほしいこと出典 : 私が娘に望むことは、●自分は唯一の大切な存在であると知ること●自分を傷つけるものに対しては「No!」と意思表示できることです。そう確信しているのには理由があります。同じアスペルガーと診断を受けている私は自己肯定感が低く、自分のことが大切な存在だと意識したことがありませんでした。そして性被害に遭っても、なかなか「自分はひどいことをされたのだ」と意識できず、「私の勘違いなのかな?」と思っていました。その場でとっさに逃げられなかったり、その後も「考え過ぎなのかな…」と自分の考え方のせいにしたりし、その結果フラッシュバックに悩まされるようになったからです。娘には、私と同じ苦しみを味わってほしくはありません。子どもが自分の身を自分で守れるように。CAPのススメ出典 : フラッシュバックに悩んだとき、私が受けたのがCAPというプログラムでした。その内容は、●自分の大切さを知る●自分を守るためのにはどうしたらいいのかを知るというものです。それまで「自分を尊重する」ということを知らなかった私ですが、プログラムを受講後は「私は尊重されていいんだ」ということを知りました。人にはそれぞれ人権があり、自分を犠牲にしてまで周囲のために頑張らなくてもいいんだということを理解できるようになったのです。CAPには知的障害を持った子どもたちのためのプログラムもあります。もし、私が子どもの頃にこのプログラムに出会っていたら、性被害に遭ってもすぐ大人に相談できたと思います。また、逃げるための実践的な訓練もあるので、防げていた被害もあるでしょう。娘にもいずれ、また全ての子どもたちにもぜひ体験して欲しいな、と思っています。子どもワークショップでは、最初に「権利」(基本的人権)について学びます。「生きるために絶対に必要なもの」と説明します。さらにその中でも特に大切な“子どもの特別に大切な3つの権利「Safe(安心)、Strong(自信)、Free(自由)」“について学びます。大切な自分を守るための行動の選択肢は、「No(イヤという)」「Go(その場を離れる)」「Tell(誰かに話す)」です。自分は大切な存在と思う感覚(人権意識)があってこそ、「いや」と感じることができ、自分を守るための行動を選ぶことができるのです。
2016年12月16日娘の不登校で心労が重なり…批判的な世間の目に押しつぶされそうだった私出典 : 小2から不登校の娘は現在中学2年生で、アスペルガー症候群の診断が出ています。そしてシングルマザーである私にも、アスペルガー症候群の診断があります。娘は小2の2学期から徐々に学校を休み始めたました。それに対し、学校からの電話や訪問は毎日続き、2学期の終わりには付き添い登校もしましたが3学期から完全に行けなくなってしまいました。その間の心労で私は5キロ太り、「こんなに醜くなってどこへも行きたくない」と実家のトイレで1人ボロボロ涙を流しました。近所の人やママ友からは「学校には行かせなきゃダメよ」と会えばプレッシャーをかけられ、道端で大泣きしたこともあります。一方で娘はというと、登校しようとしても校舎を見ただけで「気持ち悪い、しんどい」と震え出します。精神的に限界がきているのがわかりましたが、放課後には勉強しないことを条件に登校することができていました。そんなとき提案された入院。日常から切り離されたことによる変化は出典 : そんなとき、娘の主治医から提案されたのが入院でした。「日常から離れてリラックスするために、親子で1週間入院しませんか?」と薦められたのです。疲れ切っていた私はさっそく手続きをし、親子2人で個室の入院生活を始めました。私は付き添いなので食事は出ませんが、ソファーベッドもあり、院内にはコンビニがあるので結構快適な入院生活でした。学校には「お見舞いは先生も生徒も一切お断りします」と言っておきましたし、主治医も休養目的ということでほとんど介入してこなかったので、日常から切り離され病院という場に守られ、親子共にゆっくりと過ごすことができたのです。娘もその生活が快適だったのか、1度も「退屈」とか「帰りたい」とは言いませんでした。私も日常生活の雑事や、学校、近所の目などから切り離され、すっかり安心して娘とリラックスできました。完全に不登校になった娘。2人きりの時間が辛くなった私はとうとう…出典 : しかしその後、小学3年生になった娘は、相変わらず学校に行くことができないままでした。この頃から夜眠れなくなり、「布団に一緒に入って」と言ったり「眠れない」と言って泣いたりする日が続くようになりました。「生きてるのに疲れた。引きこもりやし、ママとケンカばかりしてるし。不登校児かって大変やねんで。しんどいし、心許せる人としかよう会わんねん。家におっても時々しんどくなったり、お腹が痛くなる。」娘はそう言い、私が怒るたびに泣いていました。娘が不登校になり、家にいる時間が増えたとき、私は仕事を失った直後でした。2人きりで閉じこもり、娘の辛い気持ちをぶつけ続けられているうちに、私もだんだんと精神的に追い込まれていったのです。そして訪れた2度目の入院。苦渋の決断だったけれど、他に選択肢は無かった出典 : あまりに2人きりの生活が辛く、娘の主治医に「この頃本気ではないけれど、死にたいってよく考える」と打ち明けると、●一時保護を利用して娘と一度離れる●支援学校の訪問指導を受けるために入院するという2つの案を出されました。どんなに辛くても一時保護だけは嫌だった私は、訪問指導付きの入院を選んだのでした。入院してすぐに特別支援学校に転籍した娘。支援学校の先生が病室へやって来て、親から離れ勉強する日々が始まりました。残念ながら娘は先生と相性が合わず、2人っきりで勉強することをとても嫌がりました。「先生と勉強したら学校に連れ戻されるんやろ。」といって、身体は拒否感から体調不良が悪化、苦しむようになったのです。その様子を見ていて私も辛かったですが、もし先生の薦めに従わず家に2人きりだったら…虐待に走っていたか、自分が完全に壊れていたのではないかと、今でも思います。このときはその選択しかなかったのだと、今でも思っています。親子関係が煮詰まったとき。入院することで救われることもある出典 : 子どもにとって入院は賛否両論あるでしょうが、不登校だった娘にはいいこともありました。入院の最中、私と初めて引き離された娘は、看護師さんや同じ境遇の患者さんと出会い、私以外の人に頼ること、思い通りにならないときは気持ちの折り合いをつけることを学んだのです。最初は泣いて駄々をこねるだけだったのに、看護師さんの仕事を手伝ったり、ちょっとお姉さんの患者さんには上手に甘えたりと、私と2人だけの世界からちょっとだけ出て、たくましくなったように思います。私が所属する親の会でも、親御さんが精神的に追い詰められているケースをよく見かけます。私もうつ状態が続いた結果、希死念慮がひどくなり母子共にとても危険な状態に何回か陥りました。そんなとき、主治医の先生は入院を勧めてくれ、結果として私の精神状態も落ち着き、娘に危害を加えてしまうことを防げました。親子だけで関係が煮詰まってどうしようもなくなったり、親が疲れ果ててしまったとき、入院というのも1つの選択肢に入れてみてはいかがでしょうか。少し距離を置くことで関係が変わることもありますから。
2016年12月09日不登校の経験を、今の子どもたちにつなげたい僕は現在、JERRY BEANSというバンドの一員として、各地の学校を回り「講演ライブ」をしている。講演ライブとは、道徳の授業や特別授業の一貫などで学校に呼んでいただき、歌だけでなく僕たちの過去の経験や未来への思いを伝えるという、ライブと講演を合わせた活動だ。「過去の経験」というのは、メンバー3人ともが経験した、不登校のこと。バンドの中の役割でいうと、「想いを伝える役目」を担うことが多い。講演ライブでも、他の2人に見守ってもらいながら、生徒さんたちに気持ちを届けている。話すのが得意というわけではないけれど、「今、困っている子どもたちに、届けたい」という思いが強いので、続けていきたいと思っている。「ここから逃げ出したい…」同級生へのイジメを前に、何もできなかった自分僕が不登校だったのは、小学5年生から中学3年生までの間。高校には行っていない。きっかけは、小学5年生のときに見たクラスのいじめ。女の子をクラスみんなでいじめていて、そのストレスが一番大きかったんだと思う。いじめは突然始まった。女の子に向かって一人の男の子が、「歯並び悪いな~」と、酷い言葉を投げつけた。それを聞いたみんなは大笑い。その日からクラス全員が暗黙の了解のようにいじめを始めた。僕は怖くてどうすることもできなかった。その子は、僕がかつて入院をして学校を休んでいた時に、とても親切にしてくれた子だったんだ。「感謝してるのに、いじめをとめられない…」「自分が次の標的になったらどうしよう…」という恐怖から、何も出来ずにいた。そんな自分にストレスが溜まるばかり。クラスの友達が、女の子に聞こえるように悪口を言ったり、その子がケガするとあざ笑ったり…、人間の二面性を見たような気持ちになった。その現実にどう対処したら良いのかわからず、ただただ怖かった。怖い怖いと思いはじめたら、それが体の不調として現れだした。それでも、親や先生に悩んでいるとは言い出せないでいた。とにかく逃げ出したくて、学校に行く時間になると、ベットの下に隠れて怯えていた時期もあった。「逃げちゃいけない」、「行かなきゃいけない」という気持ちはあるのに、身体が動かない。そんな自分の状態が、自分でも理解できない。混乱していたのだと思う。一番つらかったのは、みんなの登校する姿を見ることだった。人との関わりの中で、じっくりと変化してきた不登校になり、学校に行けずに立ち止まっていた時期は、それでも僕にとってかけがえのない時間となった。人生の中で壁にぶつかった時、我慢して根性で乗り越えるのも、もちろん大事だと思う。だけど、「立ち止まること」も同じくらい大切だ。周囲の友達とは違った時間の流れの中で、自分らしく過ごせたことは、自分自身をちゃんと知るキッカケになった。本当に良かったと思う。と、いうのは大人になった今だから言えることだけど(笑)あの時の僕は、「自分は夢を見る価値もない人間だ」と思っていたし、「生きていても仕方ないし」という気持ちでいた。だけど、沢山の人に出会って、手を差し伸べてもらって…。人との関わりの中で、だんだんと感謝の気持ちを持てるようになり、「不登校」も僕の人生の大切な一部だったと受け止められるようになった。今、未来が見えなくて真っ暗な日々を過ごしている人たちも沢山いると思う。だけどいつか、その経験があなた自身にとって大切な時間だったと思える日がくるはず。僕はそう信じています。今この瞬間だって、あなたは1人きりじゃない。学校を休んでいたとき、家族に何とも言えない罪悪感を感じていたという山崎さん。そんなとき、山崎さんを救ったお母さんの一言がありました。
2016年12月08日小2から不登校の娘は現在中学2年生。漠然とした将来への不安に、つい出た言葉は…出典 : アスペルガー症候群の診断を受けている娘は小2から不登校になり、全く勉強しないまま中学2年生になりました。勉強することを頑なに拒否し、パソコンとゲームにのめり込む日々。それでも、何も考えていない訳ではなかったようで、小5の頃でしょうか…ある日、こんなことを呟いたのです。娘「私はブラック企業しか行くところがない…」それを聞いた私は答えました。私「高卒資格がないと就職は厳しいのが現実だよ」娘「働いてお金を稼げるようになりたいよ」私「ママの経験から、コンビニでバイトするのにも小学校卒業くらいの学力は必要だと思う。学校には行かなくても、高卒資格を取るにはいろいろな道があるから大丈夫よ」娘なりに、漠然とした将来への不安を感じていたようでした。その後中2になった娘は、「そろそろ勉強しようと思う」と言い出し、日記を書いたり九九を覚えたり、電子書籍として学習できる「デイジー教科書」を読んだりと、本当に勉強をし始めたのでした。そして、「高校へ行きたい。私は通信制高校で、あまり通わなくていいところに行きたい」と、現実的な希望を描き始めたのです。娘の変化に応えるように、紹介してもらった通信制高校。見学に行くと…出典 : そんな娘の様子を、中学の支援コーディネーターの先生に話したところ、「小学校からずっと不登校だった生徒が通っている学校があるんです。見学に行ってみませんか?」と誘われました。そして地元にある小さな塾のような学校に、担任の先生と見に行くことになったのです。そこはもともと本当に塾だったところで、今は通信制高校の技能連携校になっています。技能連携校というのは、通信制高校の分校のようなところで、通信制高校と技能連携校の両方に入学することで、技能連携校の方で卒業に必要な出席日数、レポート提出、試験をすべて済ませることができるそうです。私が見学したところはとてもアットホームな雰囲気で、小さな教室がいくつかあり、授業は昼から行われていました。制服もなく、生徒さんが好きなときに来て、自分のペースで学習している様子でした。出典 : 不登校だった生徒にも手厚く、1対1で小学校の勉強から教えてくれ、心配な必要出席日数も1年に6日なので安心したのを覚えています。学園長に詳しくお話を伺うと、自身のお子さんも不登校だったそうです。当時、手をあげて学校に無理に行かせようとしたらお子さんが家出し、探し回ったこと。父親である自分自身がいいお医者さんと出会い、それまでの考え方が180度変わったことなど、たくさんのエピソードを話して下さいました。学園長の話を聞いて、「ああ、ここだったら娘も安心して学べるな…」と手応えを感じ、自宅へ戻りました。通信制高校という新たな選択肢を前に、本音を話してくれた娘出典 : 家に帰って、娘が「どうだった?」と聞いてきたので、学校の様子と学園長の話を伝えました。すると娘はこう言ったのです。「そういうところだったら不登校の子も、毎日来ない子がいるのも最初からみんなわかってるやろ?だから『不登校』とか『あの子学校来ない』とかいろいろ言われなくて済むから良い。」「小学校はみんな行かなきゃいけないから来てる。だから行かないといろいろ言われる。だけど、その学校なら目的がはっきりした人が来るから、自分のペースで自分のやりたいようにできるからいいと思った」その言葉で、娘がどれだけ今まで傷ついてきたのかを思い知らされました。そして、学校という場所の本質を突いた言葉に、感心させられたのでした。親の会で知った、不登校児のさまざまな進路のかたち出典 : 娘の本音を聞いて、ふと親の会で聞いた話を思い出しました。不登校の親の会では、すでに義務教育が終わった子の親御さんが多いのですが、そこで高校進学後の話を聞くと、様々な道があることを知りました。以下は一例です。・親の希望で通信制高校に進学したけれど、スクーリングに通えずに休学中・5年遅れて高校に入学し、現在は大学に通っている・高校はやめたけれど、支援機関を通じて少しずつ働いている・自分でさっさと高校を決め、海外の大学を卒業した…通信制高校は、面接のみで入学できるところも多いので入学するのは簡単ですが、卒業するにはスクーリングができるかどうかがポイントだと感じました。学校やスクーリング会場に登校して、先生から直接指導を受けることをスクーリングといいます。通信制高校は「自学自習」が基本ですが、勉強する中でわからない部分が出てくることや、レポートをまとめようとしても、 どうしてもうまく書けないということもあるでしょう。そこで、そういった課題をスクーリングで先生と一緒に解決していくのです。子どもの進路、親はつい口出ししたくなるけれど…出典 : 本当はまだ家で休んでいたいけれど、どこにも所属しないのは不安だし、親の期待にも応えたい…という風に、自分の意思ではなく家族や世間の負い目を感じて進学した場合、つまづいてしまうことが多いようです。でも、自分の意志で立ち上がった子どもは、何年遅れても最後までやり遂げる傾向にあるようです。娘には、何年かかってもいいから、本当に自分がやりたいと思ったことを自分の意志で選んでほしいと思っています。中学を卒業したらすぐに高校に行かなくてはいけないわけではありません。これまで、自分のペースで歩いてきたのだから、これからも自分に納得できるよう、生きていってほしいな…と願っています。
2016年12月02日私が抱いていた不登校のイメージは、ネガティブなものだった出典 : 皆さんは「不登校」という言葉にどのようなイメージをお持ちでしょうか。私はとても暗いイメージを持っていました。人の目を気にし、暗い部屋でじっと息を殺して暮らしているような、そんな勝手な想像を漠然と抱いていました。しかし実際に子どもたちが「不登校」になり、家で過ごす様子を見ていると、その言葉のイメージとのギャップに戸惑いを覚えるようになりました。不登校の様子は以下の記事をご参照ください。子どもたちの様子に「不登校」という言葉は似合わない学校や幼稚園に行かなくなってから、子どもたちはとてもよく笑うようになりました。毎朝必死で登校し、疲れ果てて帰宅していた頃には1度も見たことのなかった、のびやかな笑顔です。こんなに明るい「不登校」があったのか!と、自分でも驚いています。現在2万5千人ほどいると言われる小学生の不登校児。もちろん、その家族の数だけさまざまな過ごし方がありますので、私が抱いていたイメージのようなご家庭もあるのかも知れませんが・・・。実態を知らずに勝手なイメージを抱き、それを固定させるのは本当によくないな、と自分に言い聞かせています。とにかく、とても明るく家で過ごしている子どもたち。私たちは、学校や幼稚園に行かずに家で過ごすことをマイナスイメージの強い「不登校」ではなく、ポジティブなイメージの「ホームスクール」と呼ぶことにしました。不登校児童生徒数の推移(文部科学省)それでも娘の不安は尽きないようで…出典 : 小学3年生の娘が学校に行かなくなって初めの半月ほどは、何も言わずにやりたいことをやらせてみました。読書が好きな娘は1日中本を読み、人目が気にならない時間帯に庭で遊び、自由を満喫していました。学校へのストレスが原因でチック症状がたくさん出ていたので、自由に過ごすことで少しでもそれが軽減されればと思っていたのです。そうしているうちに、娘が自分から「お勉強をしなくてもいいのかな?」「お友だちはどんどん先へ進んでいるのに」と言うようになりました。それならばと、国語・算数・理科・社会・音楽・図工・体育の7教科を毎日30分ずつ時間を決め、勉強することにしました。これは、元来自由時間を過ごすことが苦手な娘には、とても良いやり方でした。「何をしてもいいよ!」と言われると、何をすればいいのか決められず、ただただぼんやりとした時間が過ぎていき、娘自身もそれに焦りを覚えていたからです。30分ごとに鳴るアラームに合わせて予定表を確認し、「よし!次は社会だからあの本を読んでみよう!」「あ、次は体育だからDVDを観ながらダンスをするね!」とくるくる動き回る娘は、本当に楽しそうでした。ルールに厳しいアスペルガーの娘。「ホームスクール」は特性への対応を学ぶいい機会に出典 : ある日、図工の時間に「絵の具で絵を描きたいけどいい?」と尋ねられました。私「もちろん!それがホームスクールの醍醐味だからね!」娘「でも、絵の具を使ったら30分で終わらないと思うんだけど・・・」私「それだったら、予定を変更してみてもいいんじゃない?やりたいことが見つかったら、思い切りやったらいいよ。ここは学校じゃないから、絶対にスケジュール通りに動かないといけないことなんてないんだよ。臨機応変にね!」娘「わかった!」娘はその後の予定を2つキャンセルし、たっぷり1時間半、画用紙に向かって絵の具で絵を描き続けました。こうして、たとえ予定を立てていても、やりたいことが見つかった時には少しずつ予定を変更しながら毎日を過ごせるようになりました。出典 : 「急な予定変更に弱い」「決めたルールは頑なに守る」という特性を持つアスペルガーの娘ですが、これを機に「まあいいか!」と割り切れる瞬間が少しずつ増えてきたように思います。今はまだ、自分で決めたスケジュールの変更を許せるようになった段階。これが少しずつ広がって、他人の都合でスケジュール変更が行われた時も、怒ったり泣いたりせずに「まあいいか!」で乗り切れるようになってくれればいいな…と思います。時間を自由に使えるのも、ホームスクールならではの良さ出典 : そうこうしているうちに、「今日は1日絵を描いて過ごしたい」「今日は1人になって読書に専念したい」「今日はずっとアイロンビーズをやりたい」と言うようになり、いつの間にか30分区切りのスケジュールを立てることはなくなってきました。学校に行かなくなってすぐは、学校のお友だちに遅れないように、学校の進捗に合わせて勉強しておかなくては!という意気込みが私にも娘にもあったように思います。でも最近は、せっかく思い切ってレールを踏み外したのだから、学校の進捗にこだわることはなく、思い切り好きなことに没頭するほうが人生が豊かになるんじゃないかな?と思うようになりました。ただしテレビやゲームといった、誰かが作ったものを一方的に受け止めるようなものに時間を費やすのはもったいないので、ゲームは1日30分、テレビも決まった時間に親と一緒に観るようにしています。今は芸術の秋・読書の秋ということで、1日中LaQで何かを作ったり、本を見ながらひたすら新しいおりがみに挑戦したり、アイロンビーズであらゆるモチーフを作ったり、テーマを決めて図書館で借りた本をたくさん読んだり、同じ映画を何十回も観たり・・・。そんな風にしながら毎日を過ごしています。勉強もしないと!という気持ちは、漢字検定に挑戦したり、算盤や学研などの習いごとに通うことで解消するようにしています。まだまだわが家のホームスクールは始まったばかり。これからどんな風に変化していくのか、私自身の楽しみでもあります。 (ラキュー)ルールから外れて1番不安なのは子どもたち。だからこそ、楽しい時間を大切にしたい出典 : 不登校になって、どのように過ごせば良いのかわからない、というお声をよく耳にします。わが家では「子どもの笑顔が引き出せることかどうか」を最優先に考えています。その時にやりたいことが見つからなければ、「こんなのがあるけどやってみる?」「こんなイベントがあるけど行ってみる?」と声をかけ、子どもが興味を持ったものだけを一緒にやってみるようにしています。そうすることで、少しずつではありますが、子どもたちの世界を広げていくことができるのではないかと思います。そして、親子が一緒に没頭できる何かを見つけることができれば、喜びを共有できる瞬間や会話が増え、子どもは「この家にいていいんだ」「学校に行かなくても楽しんでいいんだ」「お母さんは私の気持ちを分かってくれるんだ」という安心感に包まれて過ごすことができるようになるのではないでしょうか。子どもだけに合わせるのではなく、親も一緒に楽しめる何かを見付けることができるといいですね。
2016年11月15日不登校のまま中学生になった娘。熱心なA先生の行動は娘に伝わらず…出典 : 小2から不登校の娘は現在中学2年生で、アスペルガー症候群の診断が出ています。小学生の頃からずっと不登校なので、中学へ入学するときには「登校するよう本人に促さないでほしい」「学校からの連絡は月に2回程度にしてほしい」などの依頼を、事前に私からお願いしていました。ところが入学してからすぐに、担任のA先生が自宅に訪ねてきました。30歳くらいの熱心な数学の先生で、毎日発行している手書きの学級通信や宿題のプリントを持参し、月に何度か私と1時間くらい話をして帰るようになりました。「学校に来てください」とは言わないものの、「何かきっかけがあったらいいんですけどね」「外出できましたか?」と、グッドニュースばかり期待する一方的な姿勢に、私はだんだん疲れてきました。また、クラスの子が書いてくれる連絡プリントに「待ってるよ!」「どうして来ないの?」という言葉があるのも気になりました。こちらは行く気がないのに、こうして毎日書いてもらう負担を考えると「そのうちクラスの子に不満が生まれるのでは?」と気がかりですし、娘に見せても心が重くなるだけだろうと考えると、正直気が進みませんでした。連絡プリントも最初は「生徒の教育のためですので」と言われたものの、なんとかお願いしてやっとやめてもらうことができました。娘はA先生が来ている間、寝室に閉じこもって出てきませんでした。そして、4月の終わり頃「もうA先生が家に来るのが辛い」と言ったのです。私は、「申し訳ありませんが、娘がA先生に来ないでほしいと言っているので、私が学校に行かせていただきます」と申し出ました。A先生は残念そうでしたが、その後は距離が遠ざかり、3ケ月に1度学校で話す程度になったのでした。その印象はまるでイノシシ!?言葉と態度でまっすぐぶつかってくれたB先生出典 : 娘が中1のとき、もう1人印象に残っている先生がいました。その先生は体育のB先生です。見た目も性格も豪快ですが、女性の先生です。新しく中学校に入学した生徒の中に、いまだ1度も学校に登校していない生徒がいる、ということで気にかけて頂いたようです。B先生は、学校で問題を起こしやすいやんちゃな子など、いろんな生徒をよく気にかけていました。私が学校で初めて会ったときも、「ああ、お母ちゃん、会えてよかった!りさ(娘)は元気?あの子だけ1回も会ってないから気になってるねん」と強烈な陽のパワーを感じさせてくれました。私は学校で会ったのか人や話したこと、帰ってからいつも娘に報告していました。その日、B先生の印象が強烈だったことを伝えましたが、娘の反応は「あ、そう」と薄いものでした。出典 : ところがその後、地元のお祭りで偶然B先生とお会いしたのです。B先生は私を見つけるなり、側にいるのが娘だとすぐ気付いたようでした。そしてすぐ駆け寄ってきてかと思うと「りさ~!やっと会えた!!」と満面の笑顔で娘をハグしてきたのです。娘はビックリしていましたが、まんざらもない様子でした。後に、「ママ、あの先生面白いな」とニコニコしていました。B先生は家庭の事情もあって娘が2年になるときに退職されました。その後も、私のスマホにはよくメッセージを送って下さり、私とお茶したり、そのついでに家に寄ってもらったりしていました。娘はそのたびにとても喜びましたが、B先生は長居もせず「今日は帰るわな」といつもさっと帰っていきました。娘は「B先生にまた会いたい」と今でも言っています。これだけ特定の先生と信頼関係を築けたのは初めてで、先生の本音丸出しの態度に安心したのかな…と思います。娘の抱いていた「先生」へのイメージが変わるきっかけになったのも、B先生のおかげかもしれません。そして中学2年生。B先生のおかげで少し先生と距離が近くなった娘は…出典 : 先生との関わりで、ほんの少しだけ「先生」というイメージに対して肯定的になっていた娘。中学2年生になり、担任の先生はC先生になりました。娘は中学2年生になるとき、学校にお願いして「個別の教育支援計画」を作って頂きました。その際、C先生にも同席してもらいました。C先生は静かでおとなしい先生でしたが、支援計画では一生懸命取り組んで下さいました。娘は、C先生が若い女性だったので親しみを持ったようです。たびたび学校に足を運び、満足そうな表情で帰ってくる私を見ていたのでしょうか。娘も担任が変わったのを機に、家庭訪問を受け入れるようになっていきました。今でも仲良しな担任のC先生。一緒に料理をしたのは、いい思い出に!Upload By ヨーコC先生ともなじんできたある日のことです。自宅に訪問に来てくれていた先生に「最近娘が料理にハマっているんです」と伝えると、「じゃあ、私と一緒に何か作ろうか?」とC先生のほうから提案してくれました。ラッキーなことに先生は家庭科の先生だったのです。それを聞いた娘は喜んで、たくさんある料理本をめくりながら、「あれがいい、これがいい」と盛り上がりました。その日、先生とパンを作ることを決めた娘。先生はレシピ本のコピーを持って帰りました。Upload By ヨーコお待ちかねの料理を作る日です。先生は家で1度予習して指導のポイントを考えてきてくれていました。粉をスプーンで測る方法、現在の時間から10分後は何分なのか計算する方法、弱火ってどれくらいか、火にかけるとき鍋の柄は自分が立つ方向と逆に向けることなどなど…。パン生地のこね方も丁寧に教えてもらい、娘の目は尊敬の色でいっぱいでした。そうして出来上がったパンは、みんなで頂きました。とてもおいしかったです。娘は先生に「学校の家庭科では、どんな料理してる?」と聞いていました。学校と同じメニューを家で作ろうか?と考えているようです。その後も、2か月に1回程度、先生から私あてで連絡が来るようになりました。そのたび、娘は「先生と料理楽しかった。またいっしょにやりたいなぁ。先生次いつ来るの?」と楽しそうに聞いてきます。不登校のままでも大丈夫。そう思えるようになってきたのは、先生方のおかげ出典 : 娘は、現在も不登校のままです。しかし、先生方の柔軟な対応や温かな姿勢により、信頼関係を結ぶことができつつあります。これは大きな変化であり、社会とのつながりにもなっています。こうして娘は、関わりが増えるたびだんだんと、先生に心を開くようになっていきました。不登校であっても、自分の学校があるというのは娘の心の支えになっていると、感じています。
2016年11月04日制服はいらない。娘なりの中学校入学準備出典 : 前回は不登校の娘と迎えた、小学校の卒業エピソードをご紹介しました。(以下、関連記事参照)今回はその合間にあった、中学校入学準備のエピソードからご紹介したいと思います。2学期の終わりの家庭訪問で、娘は担任から「小6の2学期に中学の制服採寸会がある」と聞かされました。「どうする、制服いる?」と私が聞くと、「先生、私の行く中学の名前を教えて」といってパソコンで検索をし始めました。そして、制服の画像を出してきて「これやったらいらんわ」といったのです。そして私に「体操服もいらん。またそのとき考えよう」と言いました。おそらくどんなデザインであろうと制服はいらなかったのでしょう。感覚過敏の彼女は、制服どころか普通の服装もままならない状態。制服は無理だろうと私も思っていました。そして娘は、自分なりに中学校との距離の取り方を既に考えていました。「入学式は行かない」、「中学生の間に1回くらい行ってみたい」と通学する意思がないことははっきりと言っていました。だから「制服はいらない」といったのだと思います。正直、制服姿が見たかった私ですが、彼女にとって制服は重荷になるだけだと思ったので、もし「学校に行きたい」ということがあればその時に購入したらいいと考え、一切買わないことにしたのでした。小学校を留年したいと言う娘。その真意は…出典 : 小6の3月のことです。娘がふと「小学校と中学校はだいぶ違うの?」と聞いてきました。「そうやね、だいぶ違うね。」と答えると、「小学校を卒業するの不安。留年できたらいいのに。」と言ったのです。ああ、中学校という新しい環境に入るのがとても不安なんだなと改めて感じました。最初は本人も、「どうせ通わないんだから、今までと何も変わらない」と言っていたのです。しかしだんだんと不安になってきたらしく、「中学校の先生ってどんな人だろう」など中学校のことをいろいろ聞いてくるようになりました。そして、「私はまだ小学生をクリアしていない」と言ったのです。小学校の勉強ができていない状態で、中学校に進学するのはとても怖かったようで、小学校をクリアしないと、中学校に行ってはダメだと思っているようでした。「中学へは行かない」と言っていても、心は乱れ思い悩んでいたのだな、と気付かされました。入学式当日、親子で感じた中学進学への未練出典 : あらかじめ中学校には「入学式には出席しません。学校に通う意志もありません。」と私から言ってありましたので、入学式はのんびり家で過ごそうと思っていました。でも娘は朝から熱が出て苦しそうにしています。私も頭がガンガン痛くなり、頭では切り替えたつもりでいましたが、やっぱり親子して入学式を心から追いやるのは難しいな、と感じました。結局この日は、2人して1日中寝込んで終わったのでした。不登校児にとって、進学時期はどういう心理になるのか?出典 : 娘と共に小学校卒業、そして中学校の入学を経て、ふと思い出した話があります。これは、中学校の教員から教育相談の相談員になった先生に聞いた話です。小6や中3といった、進学を控えた学年になると、急に勉強を始めてみたり、3日くらい頑張って学校に行ってみる不登校の子が、増えるそうです。「次は中学だ」、「次は高校だ」ということを意識すると、子ども自身も学校に行っていないことを気にしますし、なんとか「自分はやれる」ということを証明したくて、いろいろチャレンジしてみるのですね。子どものなかでは「進学したい」という気持ちもあります。「小学校は行けなかったけど中学こそ」「中学は行けなかったけど高校には行きたい」…こういう気持ちがあるのも、子どもの心の中では本当のことなんです。だけど、「人並みに進学したい」という気持ちの裏には、「でも行きたくない」という本心が隠れていることが多いです。そして、心のエネルギーがついてこないので、何日かは無理に行ってみたものの、やっぱりダメだったと落ち込んでしまうことが多いそうです。親は子どもの表面的な言葉や行動を見て、「やっとやる気になったのね」と期待するので、また行かなくなった我が子を前に、傷口に塩を塗りこむように責め立てることも多いのだとか。娘も、小5の終わりくらいから「学校って楽しそう」「学校へ行ってみようかな」という言動が目立ちました。けれど、放課後ちょっと学校に顔を出しただけでもダメージはひどく、先生の家庭訪問に合わせるように睡眠リズムが乱れ、当日には必ず寝ている状態でした。私はこの話を思い出し、娘の行動や気持ちにこうした変化があっても無理をさせずに済み、良かったと思っています。進学は子どもも不安。小6、中3といった時期は気を付けて出典 : 不登校の子どもは、進学を控えるととても不安定になります。人並みに進学したいという気持ち、でも行きたくないという気持ち、親や周りの期待に応えたい気持ちで揺れ動いています。1番苦しんでいるのは子どもだということを忘れず、進学を区切りに無理に次のステップに押しやるような言動は、やめてあげたいものですね。子どもたちが本当に動きたくなったときは、どれだけ親が止めても動き出します。それまでは親も辛いですが、子どもを「信じて、任せて、待つ」という気持ちを忘れないでいたいものです。
2016年10月21日いじめられていないけれど、学校に行けない子どもたち…この子たちは「頑張っていない」だけ?出典 : 我が家の3人の子どもたちは、みんなそれぞれに不登校を経験しています。そのうち2人は、「学校に行きたくない」と口にはしませんでしたが、そのメッセージが体調不良として現れました。学校に行く前、身体が熱っぽくなり、頭痛を訴えます。それでも学校に行かせようとすると玄関先で嘔吐したり…でも、休む事が決まると熱も下がります。頭痛も治り元気になります。私も何度も子どもたちに問いかけました。「学校で嫌な事があったの?先生が嫌?いじめられた?勉強が嫌?」子どもが不登校になった時期はそれぞれ違いますが、3人ともこの質問に首を横に振りこう言いました。「嫌な事があった訳じゃない。いじめもない。勉強が嫌な訳じゃない。」この子たちは怠けているのでしょうか?頑張ってないのでしょうか?サボろうとしているのでしょうか?自分の気持ちをうまく言葉にできない子どもたちもいる出典 : いじめられているわけでも、学校で嫌なことがあるわけでもなく学校に行けない子どもたち。このような子どもたちは、子ども自身も自分の気持ちに気付いていないこともあるようです。自分の中に何となくある「違和感」を観察して言語化することが、とても苦手な子どももいます。学校での様子が一見大丈夫そうに見えても、普通に難なく過ごしているように見えていても、実は気を常に張り詰めていて、疲れを溜め込んでいるかもしれません。この子どもたちの疲労感は凄いものなのです。親や学校の先生からみると怠けているように見えるかもしれない子どもたちも、実はとても頑張ってるんです。子どもは必死になって、今の状況と戦っています。そんな子どもたちと接するとき、学校の先生にお願いしたいこと出典 : そんな子どもたちの担任になった学校の先生に、お願いしたいことがあります。子どもと学校とのやり取りを記入しする連絡帳についてです。家庭への連絡は、連絡帳ではなく、他のノートに記入するか電話にてお願いしたいです。なぜなら連絡帳は、子どもが目を通すこともあるからです。そこに親へのメッセージである「早寝早起きさせてください。」「頑張るよう励ましの声かけお願いします。」などを書いてしまうと、子どもに影響があることは目に見えています。また、クラスメイトからの「早く元気になって学校に来てね!」「ゆっくり休んでね。学校で待ってるよ。」という励ましの言葉を届けることで、不登校の子どもは逆に負担に感じることもあります。病気や怪我で学校に行けない場合の励ましは力になりますが、不登校の子どもの場合はそうとは限らないということを忘れないでほしいです。たとえば、家庭訪問で先生が子どもと面談できたときには、ぜひ子どもと会えた喜びを伝えてあげてください。会う度に「学校においで!」と言ってくれる先生もいますが、その言葉が子どもの負担になっていることもあります。我が家でも実際に、先生からの「お前、頑張れよ。みんな待ってるよ。しっかりしろよ。」「学校に少しでもいいからおいで。みんな待ってるよ。」という言葉に子どもは拒否反応を示していました。こういった言葉が、これまで頑張ってきた子ども自身を否定してしまうこともあるのです。さらに、こういった言葉かけによって子どもは「先生と会えば学校に連れていかれる!」と思い、会うことすら拒否をするようになりかねません。出典 : それから、先生方からよく言われたのは「お子さんの生活リズムを整えるように」ということでした。先生から実際に「生活リズムを整えないから学校に行けないのでは?」と言われたこともありますが、本当にそうでしょうか?そもそも生活リズムが崩れる原因が、「学校に行きたくない。学校で過ごすのは不安。」という気持ちです。そんな不安により子どもが不眠になったり、夜なかなか寝付けないことに繋がっていると思います。もちろん親である私も早寝早起きさせる事には気を付けてはいました。しかしそれと同時に、不登校になる前から夜に寝付けず辛そうな子どもの様子も目の当たりにしています。子どもがたまに学校に行けたときには、子どもと会うことができて良かったこと、学校で起きた出来事や、楽しかったことなどを伝えてあげてください。「家でどんな風に過ごしていたの?朝はちゃんと起きれた?ご飯は食べてる?」というように、家庭での過ごし方を質問攻めしてしまうと、子どもは家で過ごしていたことに罪悪感を感じるようになるかもしれません。「笑顔で見守る」という支援を大切にしてほしい出典 : 我が家では、学校に行けないことや、自分が人と違うことを受け入れられずに子ども自身が苦しんでいました。学校を休むことで、心身の健康を取り戻す休養になることもあります。その場合は、笑顔で見守るという支援をお願いしたいです。これまで関わってくれた先生の多くが「生徒のために何かしたい。」と支援を申し出てくださいました。でも、焦って無理に解決策を見つけていくよりも、「見守ってるよ!」という風にあたたかく見守ってほしいのです。そこから子どもは自分を認められたことで安心し、自然と前に向くようになっていきます。これは、家庭療養してきた子どもを観察してわかったことです。自宅では穏やかに過ごして元気を取り戻した後、そこからもう1度周りとの関わりを持つよう前を向くためには、スモールステップの関わりが必要です。言葉を発信する前に、まず子どもの心身の状態を考慮していただき、子どもやその親御さん達の想いに寄り添ってもらえますよう、切に願います。
2016年10月20日学校生活を楽しんでいるかに見えた息子。ある日から登校を渋るように出典 : 学期が始まり2週間ほど経ったころ、アスペルガー症候群を持つ小学1年生の息子・ハルが、「学校へ行きたくない」と登校を渋りました。勉強も運動も得意で、コミュニケーション能力が高く友人が多い息子が、そんなことを言い出すのは、私にとって意外なこと。しかし、「夏休み明けに疲れが出て休みたがる子は多い。大抵の子はすぐにまた学校へ行きたがるから心配ない」というような話をどこかで聞いたことがあった私は、さして気にはしませんでした。ただ、何かしらの問題を抱えていて言い出せない、という可能性も危惧し、念のため理由を聞いてみることに。すると、「何かあったわけじゃない。でもうまく言えない」と言い、困ったような表情を浮かべました。同じアスペルガー症候群の私自身にもあることなのですが、自分の感情をすぐさま理解できなかったり、心の中にある思いを上手く言語化できないことが、息子にはしばしばあるのです。ですからここで無理に聞こうとしても、ますます困るのが目に見えているので、「整理がついたら教えてね」とだけ伝え、私は息子の要望を聞き入れ、欠席する旨を学校に連絡しました。3日後に学校から電話が。一方的に話を展開する先生についカーッときた私は…出典 : そんな調子で3日休んだとある週末、担任の先生から電話がかかってきました。先生「このままですと、息子さんは不登校になる危険がありますよ」私「危険?何が危険なんですか?しかも、たかだか3日で…」先生「きっとハルさんは“こう言えば学校を休める、嫌なことから逃げられる”ってパターンがわかってるんですよ。休み癖が付いてきてるんじゃないですか?」私「休みぐせ?何ですかそれ?息子は息子なりの理由があるのかもしれなくて、今は言葉にまとめられないと申し上げたじゃないですか!!」先生「だってそうとしか考えられませんよ、この状況は」冷静に話さなければならないのはわかっていましたが、息子なりに理由を整理しようとする姿を見ていた私。先生とのやり取りですっかり頭に血が上ってしまいました。結局その日は、状況の確認はおろか何の解決策も見出せず、水掛け論のまま終わってしまったのでした。ようやく出てきた本音。そこには、息子なりに学校と向き合おうとしている姿が出典 : しかし、土日を挟んだ週明け、息子は何事もなかったかのように学校へと向かいました。「やっぱり一時的なものだったのか…」と安心していたら、2日通ったその翌日、また登校を渋りだしたのです。これはやはりはっきりとした理由があるのだなと思い、「何か嫌なことがあるの?説明できる?」と再度質問してみたのです。ハル「授業中、早く終わった他の教室から、ザワザワした声が聞こえてくるのが辛い。不安になる」聴覚過敏を持つ息子は、小学校に上がる前から多人数の声がザワザワ響くのが大の苦手です。ハル「あとね、絵を描くのが辛い。先生は『こうやって描けばいい』って教えてくれるけど、それを描くのが辛くて怖い」アスペルガーならではの、セルフイメージの高さもあるのかもしれませんが、文字はともかく、絵に関しては同年代の子と同じように認識し、描画することに強いプレッシャーを感じているようでした。私「そっか…ところでさ、ハルはそういうのを学校の先生に言ってる?言えないのだとしたら、それはどうして?」ハル「だってさ、先生には正しいこと(先生が喜ぶこと、納得しやすいこと)を言わないと、先生が悲しむでしょ?」その言葉は息子が入学以来、何度も口にしてきたものでした。相手の期待を優先し、自分の辛さを抑え続けたら、疲れも溜まるし学校にも行きたくなくなるはずです。私「わかったよ。じゃあ私がそのことをE先生(発達障害専門医)に相談して、そこで聞いたことを学校の先生方に伝えてみる。そうすればハルの辛い気持ちが先生方にも伝わって、対策が見つかるかもしれないね」専門医からのアドバイスを踏まえ、改めて先生に状況を伝えるものの…出典 : 翌日私は、発達障害専門クリニックの先生に相談しに行きました。先生からは「行事はできれば部分参加、できなければ無理強いの必要はない。」とのアドバイスを頂き、それを息子自身の言葉と併せ、担任の先生に伝えることにしました。ところが、私が息子と同じ障害を持っていることが災いしたのか、「息子はこのように申しています」と伝えても、「それでハルさんはどう言っていますか?」「お母さんはそのようにおっしゃいますけど…」と、まるで私が勝手な代弁をしているかのように思われ、話が一向に進まなかったのです。これではらちがあかないと、主治医の先生の言葉を伝えました。すると今度は、「絵だって、“こういうふうに描きましょう”とお手本を見せれば上手にできるし、感覚過敏に関してもさほど辛いようには見えませんよ。そうやって嫌なものを避けさせて、学ぶ機会を失ってしまってもいいんですか?」と返ってきました。強いプレッシャーや感覚過敏に耐えていると息子が発言していたことは、全くと言っていいほど信じていない様子です。ただ、私も学校での姿を見ているわけではありません。とはいえ息子のことを疑いたくもないし…。このようなやりとりが連日続き、発達障害に関して普段は楽天的に捉えている私も、さすがに疲弊してしまいました。改めてこのことを、主治医の先生に相談すると「教育支援センターに相談し、学校との間に入ってもらうこと」を、勧められたのでした。実はこの問題は現在も相談中で、まだ解決していません。子どもの選択に親がどこまで介入すべきか?正解は無いけれど、大切にしたいのは出典 : その後10日ほど欠席をし、息子は学校に行き始めました。今でも楽しい日々の報告と合わせ、感覚過敏の辛さ等について私に話してくれますが、登校を拒否するまでには至っていません。しかし、このまま何事もなく学校に通い続けるのかといえば、それは私にも、息子自身にもわからないことです。とはいえ、息子が本当に辛い思いをしているのだとしたら、学校に行かなくても済む環境作りをしたいと思っています。でも、そもそも私は「学校なんかに行かなくてもいい!」と主張したい訳ではないのです。学校でしか学べないこと、できない体験はたくさんあります。それを親である私が奪う権利はありませんし、奪いたいとも思いません。しかし同時に、学校に行かなかったからこそ学べること、できる体験もあるように思えるのです。どちらが優れているのかなどは簡単に比べられるものではなく、私には判断できません。出典 : 以前コラムでもお伝えしましたが、息子自身、感覚過敏や環境の変化の辛さを堪えて行事等に参加すること、あるいは欠席すること、双方のメリットとデメリットを体験しています。このため、私はそれを元に自身で判断するように促してきました。メリットとデメリットの境目は息子の成長によって変わるかもしれませんし、体調や気分でも変化するかもしれません。何より息子の辛さは息子にしかわからないので、何かと難しいことがあるのですが…。学校には引き続き、努力で乗り越えられない辛さがあることを、ご理解いただけるように伝えていくつもりです。学校と支援センター、そして息子と私で協力し合いながら、息子にとって最善の判断、「これで良かった!」と思える選択ができるように、サポートしていきたいと思います。
2016年10月19日不登校児にとって、卒業間近というのはどういう心境になるのか?出典 : 卒業式が近付いたとき、不登校の子どもたちはどのような心境なのでしょうか。卒業式は小学校最後のイベントです。多少無理してでも子どもを参加させ、思い出を残してやりたい、と考える親御さんもいるかもしれません。でも、ちょっと考えてみて欲しいのです。無理に思い出を作ろうとして、卒業式自体が嫌な思い出になるかもしれないからです。小2から不登校の娘は、小6の8月から原因不明の体調不良を訴えるようになりました。私が出勤する時間になると「ママ、今日はしんどくて不安だから行かないで」と言うのです。毎回休むわけにはいきませんでしたが、「これはひどい」と感じたときには仕事を休むこともありました。明らかに精神的な面から来ているのは分かりましたが、なぜだろうと考えてみました。そして気づいたのは、昔から嫌なことをやらないといけないとき、辛い気持ちを我慢してるときに体調を崩していたこと。そして、夏休み前に先生に「宿題が欲しい」と言ってちょっとだけやっていたことを思い出しました。そうしたことから、中学進学を意識し、勉強に不安を抱えているのではないかと思いました。それを裏付けたのが娘が言った言葉です。「小学校を卒業するの不安。留年できたらいいのに。私は小学生をやりきっていない。」「小学校6年の教科書は置いておいて」「漢字くらい書けないとあかんから、小2くらいのドリル出してほしい。あんまり難しいのは心折れるから置かないで」不登校で約4年間は、一切勉強や学校生活を送っていないのに、小学校を卒業しなければいけない不安、中学校という未知の場所に進学する不安でいっぱいになっていたのです。娘の気持ちをよそに、卒業式への参加を促す学校。私たちが出した決断は…出典 : 不安定な日々は続き、卒業式が迫った1月「卒業式には参加できませんか?」と学校から何度も言われるようになりました。学校側としてはみんなと参加して欲しいようでした。無理なら後ろの方で目立たないように参加するか、みんなの式が終わってから、校長室で1人きりで卒業証書を受け取るか、という選択を迫られました。まず私は、娘にどうしたいか聞きました。「卒業式には出たくない。学校に取りに行けるかはわからない。」という答え。そこで、先生には「式には出席しません。卒業証書を取りに行くかどうかは、当日の本人の意思と体調に任せます。」とはっきり伝えておきました。卒業アルバムの撮影で気づいた、娘なりの卒業との向き合い方出典 : また、卒業アルバムに載るかどうかも一緒に確認し、決めることに。娘は「載りたい。私もあの学校の生徒なんだから」というので、学校の配慮で誰にも会わない時間に行って撮影し、あとで合成することにしました。でもその日の朝、一生懸命支度をしていたのですが吐き気がひどく、座ってもいられない状態に。「今日はやめておこう」と言う私に、「でも、写真屋さん来てくれるし、教室押さえてくれてるし…。迷惑かけたくない。」とぐずる娘に「気にしなくて大丈夫だから」と説得して休ませました。その日の夜、娘は悔しそうに話してくれました。「嫌やったわけじゃない。将来色々なことがあるから、こんな経験もしとかなと思ってん。それに、写真に残りたかったし。だけど、身体があんなになって悔しい。」そして後日、担任の先生とカメラマンが自宅に来てくれて、撮影をすることにしました。感覚過敏のある娘は着られる服が限られていて、自宅ではいつも同じ服ばかり着ています。このため、娘のお気に入りはいつもボロボロ。さすがにそれでアルバムの撮影は難しいので、着用できる服の中から1番きれいなものを選びました。一張羅のTシャツに半ズボンという、いつも通りだけどおめかしした娘。打ち合わせのときに「娘はこの服装しか受け付けないのです」と説明すると、「何とかします」と言ってもらえました。カメラマンもこういうケースに慣れているらしく、自然体で撮影に臨んでくれたおかげで、娘の飛び切りの笑顔を引き出すことができました。写真を撮ったあと、先生にアルバムに載せる一言メッセージを書いてと言われて書いたものがこれです。Upload By ヨーコどんな気持ちでこの言葉を書いたのかと思うと、涙が出そうになりました。体裁を保つことを優先する先生に娘は…出典 : 2月になり、担任が原稿用紙を持って自宅を訪れました。卒業文集を娘に書かせるためです。「書くことない」という娘に「何でもいいから」という先生。原稿用紙半分に、一生懸命書かれた文章を見て、先生は「うーん、これじゃちょっと量が少ないからパソコンで好きなことを打ってくれる?先生が鉛筆で原稿用紙に書くから」と言ったのです。その瞬間、この言い方はひどいと私は思いました。見栄えが悪くても、少ない学校の思い出から、娘が一生懸命考えた文章です。この時点で、娘の表情には失望が見えました。それでも本当の気持ちを隠し、先生の提案に向き合おうとする娘。私としては納得がいきませんでしたが、本人の意思を尊重し、それ以上介入はしませんでした。その後、パソコンで打った文章にいろいろ注文を付けられ、原稿用紙を埋めた先生は、満足気に帰っていきました。娘のぐったりとした様子を見ていると、「娘なりに一生懸命、先生の要望に応えようとしていたんだな」と思いました。私たち親子にとって、1つの区切りとなった卒業式出典 : 前日まで、学校へ行くつもりで準備していた娘。しかし、当日はやはり腹痛を起こし、とても外出できる様子ではありませんでした。学校へは私1人で行くことにしました。到着すると校長室に通され、校長先生から「まぁ、お母ちゃんが代理ってことで、残念やけどな」と卒業証書を読み上げられ、手渡されました。私は歴代の担任の先生に集まってもらい、いつか思い出が欲しくなったときのためにと、記念写真を撮ってもらいました。そして、校長室で先生方にスピーチをさせてもらいました。「うちの子は学校に行かないまま、卒業を迎えました。学校に通っていた日数は少なく、今も同年代の子どもたちが苦手です。彼女はそれでも、この学校のことが好きでした。6年生のときには何度か学校を見に行きたい、と言っていましたが、体が拒否するので叶うことはありませんでした。中学には行きたくないと言っていますので、制服も買っていません。それでいいと私は思っています。どんな手段でもいい、何らかの方法で教養を身に付けることができたらいい、と私は考えます。先生方には家庭訪問などで、大変お世話になり、ありがとうございました。私は、学校へ行かないという辛い選択を貫き通した我が子のことを、誇りに思っています。どうか、また娘のような子が現れたら、そのときは宜しくお願いします。」真剣に聞き入る先生もいれば、無表情の先生もいました。私の言葉がどこまで届いたのかはわかりませんが、私も親としての6年間の思いに、区切りを付けることができたような気がしました。出典 : 荷物いっぱいで帰ってきた私を迎え、卒業証書は見ようともせず、でき上がった文集にも見向きもしなかった娘。意図しないものを無理に書かされ、愛着も持てないのでしょうが、卒業式を終え、お仕事終わりました、という感じでした。式の様子を聞きもしなかったのが、あの子の気持ちなんだと思いました。その日の夜、ちょっとしたごちそうをデパ地下で買ってきて、2人でささやかに卒業のお祝いをしたのでした。こうして娘は、無事卒業式の日を終えました。その後の様子を見ていると、つきものが落ちたようなスッキリとした表情をしていて、しんどかったのがちょっと解放された様子が窺えました。不登校児にとって、卒業式とはどんな日なのか?親としてできること出典 : ご家庭やお子さんの状況によって、不登校児の卒業のあり方には、いろいろな考え方があるかと思います。しかし卒業式は、本人の意思を確認して学校に伝えておくこと、決して無理強いはしないことが大切だと思います。なぜなら、無理に思い出作りをすることで、子どもたちが傷付くかもしれないからです。卒業したことを肯定的に受け入れられず、葛藤している子もいるかもしれません。学校に行かないという選択で1番苦しんだのは本人であり「通っていないのに卒業なんて」と自分を責めている場合もあるからです。「学校は行くべきもの」ということは不登校児本人が、1番痛感しています。それができず、苦渋の決断として「行かないという選択をした」子どもたち。そんな子どもには、「ここまで行かないという選択をし、よく頑張ったね。」と卒業したことを労ってあげてみてはいかがでしょうか。
2016年10月14日中1から不登校になった息子出典 : 発達障害と目の障害があり、不安を強く感じると声が出せなくなることがある息子は、中学1年生のときから不登校になりました。不登校になってから月日がたち、息子は中学3年生になりました。息子の身体はいつの間にか大きくなり、私の背を越すほど成長していいきます。また、家で療養がゆっくりとできたこともあり、少しずつ笑顔を取り戻していきました。そして家の中で過ごす毎日に退屈さを感じてきたようで、よく「暇だ。何かすることない?」と聞いてくるようになりました。その言葉を聞いた私は、「そろそろ動きだす心の準備ができてきたのかも。」と感じました。そんなとき、息子の気持ちを聞き出してくれたのはかかりつけの病院の先生でした。先生は「将来は何がしてみたい?進学をどう考えてる?」と息子に聞き、選択肢を5つほど紙に書き出しました。・普通の高校に行く・支援学校の高校に行く・定時制の高校に行く・働く・ニートになるその選択肢を見て息子は「ニートにはならない。」「何かやらないといけないけど、何をしたら良いのか分からない。」と答えました。この頃の息子はまだまだ夢も希望も持てず、将来を考えるのが難しかったため、何をどうして良いのか分からないという状態でした。息子が一歩を踏み出すために、親ができることはなんだろう出典 : 「何かをやりたい。」と思い始めていた息子ですが、長い間不登校だったため、あらゆる経験も知識も少ない状態です。そんな息子が自分で決めていきなり何かを始めるのは難しいでしょう。そこで私は長年関わってくれていた心理士の先生からアドバイスをいただき、「少しづつ社会の情報を与えていく。そのなかから親が選択肢をあげて、導いていく。」という関わり方の基本を決めて、少しつづ世間とかかわるところから始めました。家庭内で行ったのは、テレビからの情報をうまく利用することでした。例えばタレントや、キャスターの仕事を指し「これも仕事なんだよ。」と声かけしていました。ニュースからも「世の中にはいろんな仕事ある。」というメッセージを伝えていきました。外出も無理のないところからスタートしました。近場のコンビニに行ったり、時にはコンサートに行ったりと、外出で関わる人から関連付けて、進学や将来の選択肢をできるだけ多く伝えていきました。そして息子の様子を見ていた私は、ある1つの考えにたどり着きました。「この子には、信頼の置ける人との関わりが必要。そして同じ障害のある人との関わりが大事。障害があっても生きていく道はたくさんあるんだと知ってもらうことが大切。」母としての素直な想いを、息子に伝える出典 : そのような考えに至ったときに私の頭に浮かんだのは、数年前に出会った、息子と同じ目の病気で全盲になった特別支援学校の先生のことでした。その先生は私の気付かない息子の気持ちを指摘してくれたり、見た目で判断せずひとりひとりの心に寄り添う支援が必要なことを息子が通う学校に伝えてくれたり、私の思いを聞いてくれたりと、ずっと私たち親子を支えてくださっていました。その先生がいる支援学校なら、この子は生きる力をつけていけるのでは?支援学校に見学に行き、先生方の子どもへの接し方を見ると、私の思いは確信に変わりました。そして私は考え抜いた末に、息子にその素直な気持ちを伝える事にしました。「お母さんのわがままだと思ってきいてくれる?お母さんはこの支援学校が素晴らしい場所だと思ってる。あなたがここで学んでくれたらお母さんは嬉しい。ここを卒業したら、自分の好きなように生きなさい。その時は全力で応援するから。その力を身につける為にもここで学んで欲しい。」支援学校へ入学した息子に、笑顔が戻ってきた出典 : 支援学校との個別面談なども通して、学校の雰囲気をつかんだ息子も、入学を決意しました。支援学校の入学式で入学者の名前を呼ばれたとき、息子は「はい!」と返事ができました。それだけで、「ここは息子が安心して過ごせる場所だ。」と安心しました。不安になると声を出せなくなる息子が式典の場で返事をできるほど、その学校はあたたかい雰囲気だったのです。その後、息子は寄宿舎にも入舎し、生活リズムも整ってきました。朝が起きられなかった息子が起きられるようになり、日常生活をする体力も取り戻していきました。私から離れたことで、自立への大きな一歩を踏み出すことができたと思います。そして何より、息子はよく笑うようになりました。その笑顔は、支援学校で「ひとりでできた!」ということを経験して生まれた自信の表れです。私だけで息子と関わろうとせずに、かかりつけの先生や心理士の先生方からのアドバイスをもとに息子を外に少しずつ連れ出して、息子に必要なものを見極められたこと、そして素晴らしい支援学校の先生方に出会えたことが、今の息子に成長する大きな転機になっていると思います。息子の晴れ晴れとした姿を見て、あの時、息子の背中を押して良かったと心から思っています。
2016年09月29日娘のために、パソコンを買おうと決意したのは出典 : 子どもがゲーム機器やパソコンに興味を持ち始めるのはいつ頃なのでしょうか?もし興味を持った時、そのまま買い与えていいのだろうか?怪しげなサイトの閲覧で、間違った情報を鵜呑みにしたら?心配事は尽きないと思いますが、我が家では娘が小4の時に購入を決めました。その経緯と娘の変化についてご紹介したいと思います。娘が産まれてからは、自宅でネットを使った仕事もしていた私。その影響からでしょうか、娘は小さな頃から「触っていい?」とパソコンに興味を持ちました。最初はキッズ用のサイトでゲームをしていた娘も、小4頃から動画サイトや、ネットゲームに惹かれ始めていきました。当時、家には私のパソコンしかありません。1台を2人で使うので、当然私の仕事の時間も減ります。また、パソコンの能力不足で画面が動かず、しょげている娘を見て、私は決めました。「パソコンがやりたいなら、思いっきりやらせてみよう。どうせなら満足できる機能を持ったパソコンで。」パソコンマニアだった私は、ハイスペックのパソコンが自分の自由に使えること、それがどれだけありがたく大切か、身に染みて知っていました。インターネットの楽しさを実感して欲しい半面、付きまとう不安出典 : どれだけ私がパソコン好きでも、子どもにパソコンを買い与えるときには、やはり不安がありました。娘は小2から不登校でしたから、もしパソコンにハマってしまったら、外との世界から完全に断絶されるのではないか?批判的な言葉に傷ついて、塞ぎこんでしまったらどうしよう…。どうしたら余計な心配をせず、娘が安心してパソコンを使えるのか?逐一監視する訳にもいきません。そこで私は、自分の経験から培ったインターネットとの付き合い方を、娘に伝えることにしました。私自身、パソコンにハマった頃に、痛い目を沢山見てきたからこその、対応策でした。母による、インターネットと上手に付き合うためのレクチャー出典 : 娘には、こんな話をしました。●ネットの中には子どもを狙う悪い人がたくさんいる●ネットには本当の名前、住所、学校名などは書いてはいけない●自分の写真や、住んでいる場所がわかるような写真は、ネットに載せない●相手のプロフィールは嘘かもしれない、ということをわかっておくように●ネットに流れている情報には、嘘も本当も、価値ある情報も、そうでないものも混ざっている。本当に知りたいことがあれば書籍をあたるようにそして、こんな約束をしました。●嫌な思いをしたり、変なことを書かれたりなど、何かあったらすぐにママに相談すること●新しいサービスを利用するときは、ママの許可を得ることそして考え抜いた末、フィルターもかけず、時間制限もせずに使わせることにしました。自分の判断で、1度思いっきりネットの海で泳いでみたらいいだろう、と思ったのです。こうして、娘のパソコンライフは始まったのでした。パソコンで何を見ているのだろう?つい調べたくなるけれど…出典 : 子どもがパソコンで何をしているか、気になりますよね。その気になれば、履歴を調べたり、トイレに立った隙に覗いたりすることはできます。けれど私は、絶対にしませんでした。全く興味が無いといえばウソになります。しかし、パソコンの中身は日記帳と同じだと思うのです。自分が何を発信し、どんな情報を見ているのか、親とはいえ、他人に見られるのは耐えがたいことでしょう。自分の安心のために、娘の人権を侵すのは、許されることではないと心に誓っていました。そのかわり、パソコンに向かっている時の娘の表情は、こまめにチェックしていました。ショックを受けたり、困ったりしたときには、表情を見ればすぐにわかります。ヘルプが必要な時に、それとなく手を差し伸べられるよう、見守っていました。不登校で塞ぎこみがちだった娘が、パソコンから得たもの出典 : 娘がパソコンから得たもの、その1番は笑顔です。学校に行けなくなってから塞ぎ込みがちだった娘が、画面を見ながら声を立てて笑っているのを見て、どれだけ嬉しかったことか。習っていないローマ字を覚えることができたのも、収穫でした。ローマ字の教科書とプリントアウトしたローマ字入力表を渡し、様子を見ると、1週間でローマ字をマスターしてしまったのです。入力もあっという間にブラインドタッチを習得。また、ネットゲームやツイッターなど、インターネット上で友達ができたのも、大きな変化の1つでした。しかし案の定、外の世界から断絶されていった娘。心配でカウンセラーに相談すると…出典 : こうした変化に嬉しく思いつつも、不安は残りました。娘はパソコンを楽しんでいるうちに、学校の友達と会うことや、外出がどんどんなくなり、案の定リアルな外との繋がりが断たれてしまう結果となったからです。私は娘のことで相談に乗ってもらっているカウンセラーへ、このことを話しました。すると、カウンセラーは「娘さんがパソコンで外と繋がっているのなら、今はそれで十分です。間接的でも、外の世界と繋がっているワケですから。」と言いました。この言葉は、私をホッとさせてくれました。その後も、ネットを通じてニュースを見たり、好きな料理のレシピを調べて作ってみたり、現実と繋がることも少しずつ増えていきました。音や映像に敏感で、テレビでニュースを見ることができない娘にとって、ネットは相性のいいメディアだったようです。とことん好きなことにハマる経験は、多くの学びを与えることも出典 : こうして思う存分、インターネットと付き合ってきた娘。今ではネットリテラシーにおいては完璧です。ネットのマナーに大変厳しく、個人情報の取り扱いや、著作権に気を配る子に育ちました。パソコンとの付き合いも、集中して張り付いていることもありますが、疲れたら適当に休憩をとりますし、パソコンに振り回されているのではなく、自分が主導になって付き合っているという感じです。私のやり方は、一般的には勧められるものではないでしょう。ですが、自分の体験と娘の状態を見ながら、常に真剣に考えてきたことが、良い結果を生んだのかなと、今は思っています。
2016年09月23日自信を失った子どもたちの居場所、そこでの子どもたちの変化出典 : 発達が気になる子や、イジメ、不登校などで自信を失っている子に、どうしたら自信を取り戻してもらえるのか?悩む親御さんは多いと思います。見守ることも1つの方法ですが、今回は、子ども達の可能性を広げる、様々な活動についてご紹介したいと思います。私の参加している親の会では、淀川キリスト教病院の医師、谷均史先生を迎え、ゆっくりお話する機会がありました。谷先生は奄美大島で、不登校や発達障害の子どもたちが集まる「おばぁの会」を支援しています。そこでの、子ども達の変化について教えてもらいました。会が発足した当初、たこ焼きパーティを企画したところ、とても盛り上がって人も集まるようになったそうです。ただ集まって食事をし、おしゃべりする場になったことで、子どもたちがイキイキし、それぞれ特技を発揮できるように。学校では集団行動になじめず、叱られて辛い気持ちを抱え、「死にたい」と言っていた子どもたちが、おばぁの会で自由に過ごすことで元気を取り戻していったそうです。先生に写真を見せてもらったのですが、子どもたちが思い思いのことを楽しみ、「安心して存在できる場があると、子どもってすごい力を出すんだなぁ」と感じました。様々な理由で学校にいけない子どもたちと、親たちが集まって、ごはんを食べよう!という『おばあの会』ができて五年。できた当時、大変な状況を抱えていたMITSUKIが知的障害者枠でバスケットボールの鹿児島県代表に選ばれました!よくここまで来ました!(谷均史)料理には、人と関わる楽しさがある出典 : 私の参加している親の会でも、おばぁの会のような活動をしているのか、聞いてみたところ、以前は料理教室をしていた時期があったそうです。そこで調理を教えてくれたA先生は、現在、障害者の料理教室をしています。A先生によると、重い障害がある人で、作業は一切手伝えなくても、その場にいるだけでニコニコとして、嬉しそうな表情を見たそう。それぞれの人が、自分のできることをして、全員で食べる。それだけでその場に、笑顔があふれるのだそうです。栄養士でもあり、ケースワーカーでもあるA先生から聞いて、印象に残っているのは、「お料理ってね、発達障害の方の訓練にもなるんですよ。いろいろな手順があって、どういう順番で取り組むか考えたり、材料を計ったり、手先も使いますし。やることがいっぱいあるから良いんです。そして何より、食べることは喜びで、人にも喜ばれるし達成感がある。それがいいところなんですよ。」という言葉でした。モノ作りは、子どもの自信につながることも出典 : 料理だけではありません。カバン作りなど、裁縫が趣味で、それが仕事に結びついた人もいます。引きこもっていたBさんは、裁縫が好きで作品を作っているうちに、注文が入るようになり、それで収入を得られるようになった方です。Bさんは最初、材料を全て母親に買ってきてもらっていたそうです。しかし、母親が選ぶものは、Bさんが思っていたイメージと全く違っていたそう。結局、自分で買いに行くようになり、そのつながりで、一緒に材料を選ぶお友達もできたのだとか。料理や裁縫に限りませんが、モノ作りというのは、人から評価を得たり、自己表現もできますし、子どもの自信につながるのではないか、と私は思います。娘がめずらしく興味を持ったモノ作り。しかし、そこに居た先生は…出典 : 不登校の娘が中1のときです。編み物カフェに誘うと「行ってみたい」と言い出しました。おばあちゃんに、カーネーションのコサージュを編もうと考えたようでした。しかしいざ行ってみると、編み物の先生は、娘が学校で嫌な思いをした先生に、外見がそっくりだったのです。最初は怖がって、おそるおそる聞いていた娘でしたが、何度「わからない」と聞いても、嫌な顔1つせずに教えてくれる先生に、安心できたようでした。家庭科の授業には出たことのない娘です。いろいろな編み方を駆使するコサージュ、果たして完成するのかどうか?心配でした。でも、集中力を発揮できたおかげで、みごと4時間で完成したのでした。生きる楽しさや自信は、好きなことで見つかるかもしれないUpload By ヨーコ帰り道に娘が言った言葉です。「編み物の先生は、私が何度聞いても怒らずに教えてくれた。すごく嬉しかった」学校で机に突っ伏していた姿を思い出すと、ちょっと泣きそうになりました。学校に行けないことで、自分を責め、自信を失っていた娘。少しでも何かに取組んで、自信を取り戻してほしいと願うのは、親の本音だと思います。そんなとき、娘が自分で「やってみたい」と言ってくれたことは、私にとって、とても嬉しいことだったのです。娘は「またあのカフェで編み物がしたい」と言っています。この頃には、料理にもチャレンジするようになりました。こうした体験を積み重ねて、生きる楽しさと力を身に付けてくれたら…と願っています。
2016年09月09日不登校の子どもと私が、卒業前に決めなければならなかったこと私の子どもは、中学1年生で不登校になりました。それから2年が経過し、中学3年生になったとき。進学についても落ち着いたと思った矢先、また決断を迫られる出来事がありました。それは、子どもの写真を卒業アルバムに載せるかどうか、そしてどうやって卒業式に参加するかです。また、アルバムに写真を載せるとしたらどう載せるのか、どこでどのようにして撮影するのかなども決めなければなりません。子どもとひとつずつ話し合い決める中で、本人も「自分は中学校を卒業するんだ」という心の準備もできてきたように思います。卒業までの道のりで、親子で悩んだ2つのこと先ずは卒業アルバムに写真を載せるかどうかを決めました。これは私の気持ちの方を優先させてもらいました。「今は必要と思わないかもしれないけど、いつか見たいと思った時の為に準備しておこう。」と子どもを説得したのです。少し強引だったかもしれませんが、子どもはすんなりと受け入れてくれました。写真を撮る場所は子どもが決め、学校に誰も居ない時間を見計らって校舎前で撮りました。私の思いを汲んでか、着たくなかったはずの制服を着ながらも、子どもは嫌がる事なく素直にカメラの前に立ってくれました。次はいよいよ卒業式についてです。学校からは、卒業式の参加の仕方について3つの方法が提案されました。1.通常通り、クラスメイトと共に参加する2.体育館後方から式を見下ろす形で参加する3.校長室で個別に卒業式授与を行う子どもには予測のつかない事は不安が強くなり、身体が動かなくなる特性があります。そのためなるべく学校から流れを聞いて資料にして、それぞれの参加の仕方について視覚的に分かりやすくしました。それを元に卒業式参加について、子どもと何度も話し合いました。悩みに悩んで、子どもは体育館後方から式を見下ろす形で「卒業式に参加する」と決めました。いよいよ卒業式に参加、でも…Upload By 多原美加卒業式は、体育館後方からクラスメイトを見下ろす形での参加にしました。私達が座る席には他にも、教室に入れない子が何人かいました。子どもは戸惑いながら椅子に座りました。式は粛々と行われました。クラスメイト達が頑張ってきた学校での成果が読み上げられ、私としては少し辛い卒業式でした。卒業証書授与の時には一人一人名前を呼ばれましたが、子どもは返事をすることはできませんでした。卒業式の後に待っていた、思いもよらない素敵な出来事Upload By 多原美加子どもは式ではうまく返事をできませんでしたが、式の後は素敵な出来事がたくさんありました。これまでの中学校生活で、子どもは特別支援学級に通っていましたが、交流級として通常学級の子どもたちと過ごすこともありました。卒業式の後はまず、その交流級での最後のホームルームです。子どもが交流級の教室に入るのを少し躊躇したので、私と先生が背中を押しました。クラスメイト達はその様子を驚いて見ていました。でも直ぐに察知したようで、他のお母さん方とともに暖かく見守ってくれました。最後の最後でクラスの机に全員がつき、そして全員揃っての集合写真を撮る事ができました。次に支援学級へ行き、お友達と過ごしました。とても暖かく楽しい時間でした。支援学級では卒業生が、ギターとキーボードと歌を使った記念コンサートを開きました。それは楽しく、私も心が熱くなりました。子どもは久しぶりにお友達に会ってとても恥ずかしかったようで、少し緊張していました。でも、とても楽しくすてきな時間を過ごしているようでした。時折見せる笑顔を手で隠していましたが、それでも楽しんでいるのが分かりました。それを見ていたら、私もとても幸せな気持ちになりました。そして最後に、学校からの帰り道では2人の同級生が声をかけてきました。「おい!多原!これやる!」と胸につけていた花のブローチを差し出しました。「元気で頑張れよ」と言い、帰っていきました。何だかじーんとしました。子どもは大事そうに、そのブローチを机の上に飾っています。卒業式で、私たち親子が得られたものこの一件で、子どもは、「勇気を出してやってみる」事の経験ができました。不安が強い子どもでしたけど、私も背中を押して良かったです。不登校の子どもが卒業式に参加するのは、とても勇気のいる事だったと思います。卒業式という節目に参加できたこと。お友達が暖かく迎えてくれたこと。それが何より嬉しかったです。
2016年08月07日子どもが不登校になった場合、学校との対応をどうするべきか悩む人もいることでしょう。勉強のフォローや行事の参加、給食の止め方など、わからないことがたくさんあります。私の実体験をもとに、担任の先生や学校、心療内科医との連携方法をお伝えします。■子どもと先生の伝言係に徹する不登校になったとき、休みの日や外では友だちと遊ぶけれど、平日は先生や友だちに会いたがらない子どもは多いと思います。私の子どもも、友だちや先生がプリントを持ってきてくれたのに会いたがりませんでした。そこで、先生にお願いしてプリントはポストに入れるようにしてもらいました。子どもが先生と話すのをいやがる時期には、電話も控えてもらいました。何かあれば、私が学校へ行って用事を済ませることも。学校行事も、先生や友だちから直接誘うのではなく、私を通して伝えるようにしました。先生とは、初めは電話でやりとりしていました。しかし、タイミングが合わなかったり、子どもがいる場で話しにくいこともあったりしたので、LINEでのやりとりに変更。良い方法ではあるものの、学校によっては特定の保護者とのSNSは禁じられている可能性もあります。事前に確認するといいでしょう。■心療内科医から説明してもらう先生とのやりとりで迷うのが、「どこまで介入してもらえばいいのか」ということ。子どもが学校の話題をいやがっているときは、先生からの接触も控えてほしいというのが本心です。しかし、先生も一生懸命なため、様子を伺う電話をくださいます。親も先生からの説得に気持ちが揺らいでしまうことも。子どもに「学校は行っても行かなくてもいいよ」と言ったのに、翌週には登校をほのめかすなど、あやふやな態度になってしまう場合もあります。とはいえ、先生に「電話しないでほしい」とはなかなか言えません。そんなときは、心療内科医に子どもの状態を診断してもらい、学校へ直接連絡してもらえると安心です(心療内科医とのかかわり方については こちら をごらんください)。我が家の場合、心療内科医から担任の先生に電話で説明してもらいました。学校との連絡をすべて遮断したおかげで、子どもの情緒も安定したようです。その後も学期はじめなどのタイミングで、先生に電話してもらいました。後日、担任の先生から、「子どもの状態を説明してもらうことで、かかわり方がわかって安心した」と聞きました。家庭と学校、心療内科医との連携はとても大切だと感じました。■先生との間でルールを決めておくといい学校を長期間休むと、気になるのが勉強です。塾だけでも行けるのならいいですが、それでも学校へ行けないと勉強もストップしてしまいがちです。我が家の場合は、子どもの状態が落ちついてから、先生が勉強を見る機会をつくってくださいました。週に1時間、放課後ほかの生徒たちが下校したあとの時間帯です。登校時は私も付きそい、勉強が終わるのを待って一緒に帰りました。給食は学校側の内部手続きがあるため、すぐには止められません。はじめは日割りで計算し、翌月からは月単位で確認しながら止めてもらう手続きをしました。学校には給食や行事など、事務的な手続きも意外と多いものです。そのつど先生と連絡を取り、来月も連絡しなければ給食は停止のまま、行事は3週間前までに出欠を連絡するなど、ルールを決めておくとお互いに楽です。学校や担任の先生によって、対処方法はさまざまです。しかし、子どもに無理強いすることなく、子どもを守りながら状況を改善できることはあります。今回は、その一例をご紹介しました。
2016年07月27日疲れ切った心を癒す夏休みUpload By ヨーコ子どもたちの大きな楽しみの1つ、夏休み。それは不登校の子どもにとっても同様です。娘は不登校になってからというもの、本当に疲れ切って、どうしようもなくなって、体も心も動かなくなっていきました。それは、ただ「学校に行きたくないから」という理由だけではありません。行けなくなったときにはもう、エネルギーはマイナス状態になっていました。そんな娘にとって、夏休みはエネルギーをたくさん貯め込むチャンスかも!と私は考えました。楽しい気持ちの貯金をたくさんさせてあげたい!Upload By ヨーコ普段は「自分だけサボっている」と引け目に感じていても、夏休みはみんなも休みなので安心して友達と遊ぶことができました。娘は小2で不登校になりましたが、小3まで夏休みは一生懸命友達と遊んでいました。それくらいの年ごろまでは、友達もまだ無邪気で付き合いやすく、屈託なく遊ぶことができたようです。友達付き合いに困難さを抱えていた娘ですが、やはり「心の中では1番友達を求めていた」のだな、と感じました。楽しく遊ぶ姿を見て、「学校は行けないのに遊びには行けるのね」「これだけ元気なら2学期からは学校に行けるよ」といった学校と結びつける言葉をつい言いそうになりますが、私は言わないようにしていました。その言葉を聞いたとたんに、元気になった心もしぼんでしまうと思ったからです。また、楽しい気持ちの貯金をたっぷりさせてあげたい気持もありました。母子でキャンプに行きましたUpload By ヨーコ子どもの様子を見て、行けそうなら家族でレジャーに出かけるのもおススメです。我が家は母と娘の2人で、親子キャンプに参加しました。同じ学校からの参加者もいませんし、青少年スタッフたちもプロフェッショナル、私たちは安心して参加できました。着いてすぐに事情を話し、いろいろと配慮してもらいました。さりげない声掛けで娘は他の子たちと仲良くなったり、夜は親同士の飲み会に私だけ参加したり、プログラムに疲れたら2人で部屋で寝ていたことも。親子ともにリフレッシュできました。宿題など学校との関わりは?Upload By ヨーコとはいえ、不登校になって初めての夏休みは遊んでばかりもいられませんでした。プールや登校日、そして大量の宿題と、学校のイベントは盛りだくさん。当時、「娘に無理をさせない」という私の意志を貫き通すことができず、引きずられるようにして登校していた娘。宿題はすでに勉強が追い付けなかったのでほとんどできませんでした。その結果、2学期から完全に学校に行けなくなってしまったのです。この教訓を活かし、娘が4年生の時から宿題を含め、私は一切お断りして自由に過ごせるようにしました。学校へは戻れなかったけれど、おかげで夏休みにおびえることはなくなりました。勉強はいつでも取り戻すことができますが、子どもにとっての夏休みという時間は2度と戻っては来ません。娘にはせっかくの夏休み、思いっきり楽しんでほしいと思っています。楽しめる年齢はあっという間に過ぎてしまいますから。学校に行くタイミングは見守りたいUpload By ヨーコ楽しかった夏休みがいざ明けても、私は「きっとすぐ学校には行けないだろうな」と考えていました。不登校に至るまでにすり減ったエネルギーは、そう簡単には回復しないと思ったからです。不登校によって自責の念を背負った娘には「学校にも行けなくても大丈夫」「あなたは生きているだけでいい」、「親はいつだって見守っている」と思いながら接していました。不登校児を抱えた親御さんの中には、2学期を節目と考える方もいるかもしれませんが、子どもにとって節目はそれぞれです。高校進学が節目になる子もいれば、もっと早い段階で戻る子もいるでしょう。その子にとってのタイミングは1人ひとり違うと私は考えています。大人の都合で急かしたりせず、子どもにとってベストなタイミングを暖かく見守りたいものです。Upload By ヨーコ子ども達と素敵な夏休みを過ごしましょう!いつか心閉ざす時期があっても、家族との楽しい思い出は「子どもの心を支え、家族を信じる力」につながると私は考えています。夏休みにためたエネルギーはきっと将来の力になると私は信じています。
2016年07月15日子どもは不登校になると、1日中ダラダラしたり、無気力になったりします。親はそれを見て、勉強が遅れたらどうしよう、大人になって人間関係が築けなくなるのでは? と不安を抱くものです。しかし、頭ごなしに叱りつけたり、原因を追究したりするのは逆効果です。不登校の子どもへのNGな声かけとその理由、親としての心構えについて体験を交えてお伝えします。■不登校の子どもにかけてはいけない言葉不登校になった子どもは、ダラダラとゲームをしたり朝起きられなくなったりします。親は不安になってさまざまな本を読み、インターネットで調べて解決策について勉強します。そして、責めたり無理強いしたりしてはいけないことを知ります。子どもにかけてはいけない言葉の代表例は、学校へ行きなさいどうして起きられないの?勉強が遅れるわよゲームばかりしてわかってはいるものの、学校へ行ってほしいのが本心です。その結果、「無理して学校へ行かなくていいのよ」と言う一方で、「1ヶ月だけ休んで、来月から行ってみようか?」。「そのままでいいのよ」と言いながら、「勉強は遅れないほうがいいわよね」と矛盾したことを無意識に口にしてしまいます。子どもは親の気持ちを敏感に感じとります。そして、「本当は早く学校へ行かせたいんだな」と見透かします。■子どもは自信を失い、不安でいっぱい子どもも本当は学校へ行きたいと思ってはいるものの、同時に行きたくない気持ちもあって葛藤しています。自分の気持ちが分離してわからない状態です。そんな自分をふがいなく思い、自信をなくしています。勉強の遅れを心配し、「友だちからどう思われているのだろう」という不安もあります。「どうせ自分はダメな人間なんだ」「みんなが普通にできることが自分にはできない」と卑下する気持ちもあります。そんなところへ親が勉強の遅れを心配したり、登校をうながしたりしたら、「やっぱりお母さんは自分の気持ちなんてわかってない!」という反発心ややるせなさ、悲しさ、怒りがわいてくるのです。■親が考え方を変えれば子どもは前に進める私はあるときから、子どもは学校へ行かなくても大丈夫だと思うようになりました。私自身がフリーランスになってから、高校を卒業していなくても社長として成功している人や、フリーランスとして才能を生かして生活している人に何人もめぐり会ったからです。もちろん学校でしか経験できないこともありますが、大人になってからちがう形で経験できることもあります。学校には行ったほうがいいけれど、私が一番に願うのは、子どもが将来ひとりで働いて食べていけること、精神的に安定して成長することです。まず親が「この子は学校へ行かなくても大丈夫」と心から信じること。そうしなければ、子どもにも伝わりません。子どもは自分の不登校を認め、現状を受けいれることで「いま何をするべきか」が見えてきます。目標を「学校へ行く」ことから、生活を改善することや好きなことを伸ばすなど、自分ができることへ変えましょう。達成するたびに自信が積みかさなり、やがて大きな目標達成にもつながります。「学校へ行けない」ことにこだわるのではなく、親子でできることを探してゆっくり成長することが一番大切だと私は思っています。子どもの不登校に悩んでいる方も、あせらず、見守ってください。
2016年06月18日子どもが学校へ行かないと親は不安になるものです。つい、あれこれ聞きだそうとしたり、アドバイスしたり、なんとか登校させようとしてしまいます。しかし、親があせるほど子どもは殻に閉じこもり、口を閉ざしてしまうもの。私が実際に心療内科の先生からいただいたアドバイスをヒントに、不登校の子どもにどう寄りそい、コミュニケーションをとればいいのかをお話しします。■子どもは親にただ理解してもらいたい「学校で何か嫌なことがあるの?」「どうして学校へ行かないの?」子どもの気持ちが知りたくて、ついそんな質問をしてしまいがちです。しかし、子どもは「責められている」としか受けとれないようです。子どもが親に求めているのは、いまの自分を受けとめて理解してもらうこと。子どもは自分が学校へ行けないことへの罪悪感や不安感を抱いています。心療内科の先生によると、理由を詮索するより、まずは子どもを安心させてあげることが先決だそうです。■子どもの気持ちを理解する方法まずは、お母さんが笑顔になることです。子どもに安心してもらうのが先で、気持ちを理解するのは次の段階です。お母さんがニコニコしていれば、それだけで子どもの気持ちは安らぎます。いくら「大丈夫よ」と言っても、こわい顔をしていたら、子どもは「怒られている」と受けとめてしまいます。私は鏡を見て笑顔をつくってから子どもと接するようにしました。そして、理由を詮索するのをやめて、「学校に行きなさい」と言わないようにしました。家は安心できる場所で、自分の居場所がここにあると思ってもらうためです。■共有するということ次に、子どもと一緒にいる時間を増やして、たくさん会話をするようにしました。私は家で仕事をしていましたが、仕事中は一人で部屋にこもるため、なかなか子どもと話す時間を持てませんでした。夕方6時以降はいっさい仕事をせずに、必ずリビングかキッチンにいるようにしました。子どもと100%向きあい、話を聞くためです。共有スペースで子どもと同じテレビを見て、たわいない会話をして、子どもが話しやすい雰囲気づくりを心がけました。すると、テレビの話題だけでなく、少しずつ不安やグチなども話してくれるようになったのです。安心できる場所としての基盤をつくり、親に十分受けいれられていると感じる体験を重ねることで、「自分は親に理解してもらっている」という改善への糸口をつくることができました。安心感を与えること、時間を共有することが大事。心療内科の先生に言われたとき、「そんなことわかっている」と思いましたが、頭でわかっていても全然できていませんでした。お母さんが笑顔で接し、無条件で受けとめ、ささいなことでも共感することがとても大事です。インターネット上で友だちができたことを打ちあけてくれたとき、「それはよかったね」と肯定したひとことで、子どもの顔がうれしそうに輝いたことを覚えています。これからも、心療内科の先生の言葉を忘れずに、子どもに寄りそいたいと思います。
2016年06月17日子どもは学校へ行って当たり前と思っていませんか? でも、もし突然子どもが「学校へ行きたくない」と言い出したら、あなたはどうしますか? 不登校は誰もが直面し得るもの。そのとき、親はどうすればいいのでしょうか?実際にわが家で起こった体験をもとに、前兆から不登校、そして再び学校へ行くようになるまでを振り返り、その時々の子どもとの接し方や、親としての気の持ち方についてお伝えします。■前兆は「お腹が痛い」わが家は共働きです。息子が0歳の頃から保育園に預け、私はフルタイムで働いていました。今思えば、前兆は保育園の頃からありました。息子はもともと集団に馴染めない性格で、1人でいるのが好き。とは言え、誰とでも別け隔てなく遊ぶこともできました。しかし、その反面、神経質なところもあり、何かあるとお腹が痛くなったり、微熱が出たり。そのため、たびたび会社にお迎え要請の電話がかかってきました。私はその都度、息子を病院に連れていっていましたが、そのうちに、「これは本当に体調が悪いのではなく、かまってほしいのだな」と気づき、それからは、そういうことのあった日は半日休むようにしました。働くお母さんがたぶん、みんなそうであるように、子どもと一緒にいる時間が少ない分、密度の濃いコミュニケーションを心がけるようにしていたのです。「お腹が痛い」は小学生になってからも、時々ありました。小学校1年生の後半からたびたび起こる息子の朝の腹痛。痛みに歪んだ顔で私を見上げ「お母さん、お腹いたい…」。病院も何ヶ所も行きました。いろんな検査もして、レントゲンも取りました。しかし、どれも「異常なし」。イベントや行事などのいつもと違うスケジュールには特に弱く、楽しみな気持ちと同時に、不安も大きくなってしまい、ドキドキが体の症状=腹痛として出てしまっていたのです。そのため、遠足や運動会は、いつも途中参加かお休みでした。 ■体の症状はSOSのサイン進級し、小学3年生になってからは、今度は「頭痛がひどい」と言い出し、神経内科にも行きました。起立性障害と診断されたことも…。そして、ついに頻繁に学校を休むようになりました。でも、学校からは「なんとか登校させてください」と言われ、プレッシャーがかかります。私も「学校だけは行かせなければいけない」と思っていたので、なだめすかして、なんとか登校させようとする日々。学校とも連携を取り、息子をあの手この手で説得しようとしました。息子も理屈ではわかってくれますが、やっぱり腹痛が起きてしまいます。むしろ、親がムキになればなるほど、病状は悪化する一方です。そして、子どもは親の期待に応えられない自分を責め始めます。そのうち、頭痛以外に、別の症状も現れ始めました。病院もいくつも変えました。けれど、なかなか良くなりませんでした。息子も登校したい意志はあるのに、朝になるとひどくお腹を壊すという、体と心が分離しているような状態。もう息子本人もコントロールできない、心の底からのSOSのサインでした。 ■やっと待望の心療内科へ小学5年生になったとき、都立総合小児病院に初めて行き、体の異常がないことを入院検査で確認し、3ヶ月予約待ちをして、やっと待望の心療内科にかかることができました。その頃には、息子の口からついに「学校に行かなきゃダメ?」という言葉が出ました。私も「嫌な体験をずっと繰り返すより、一度じっくりまとめて休ませたほうがよいのでは?」と思っていたので、ひとまず1ヶ月間休ませることにしました。その後、心療内科の先生と相談し、学校に関しては無理強いせずに、家でゆっくり治療に専念することになりました。まずは、「家は安全、家は本当の自分を出せる場所」という体験をさせ、そのあと少しずつ外(学校や社会)へ出ていくという手順が必要だったのです。先生から「1年~2年かかることは覚悟して、じっくり治療しましょう」と言われました。私は会社に相談し、勤務時間を減らしてもらい、週に一度は息子と一緒にカウンセリングに通いました。親の私がすることは、無条件で子どもを受け入れること。甘えてきたら「もう大きいんだから」と突き放さず、幼児から育てなおすくらいの気持ちで接すること。それが治療方針でした。同時に、学校を思い出すようなことも一切排除することになりました。心療内科の先生から学校に電話してもらい、直接本人に接しないように徹底してもらいました。経験豊富な専門家がついているおかげで、私も落ち着きを取り戻し、ときには不安を聞いてもらうこともありました。子どもの心が不安定なとき、親が慌てたり不安がったりすると、それが子どもにも伝わってしまいます。自分だけで解決しようとせず、心の専門家に介入してもらい、親自身の心を安定させることも大切です。 ■長い目で見守る、そして信じる自宅療養を始めてから最初の数ヶ月間は外にも出たがらず、ゲームばかりしていた息子でしたが、ゆっくりゆっくり休んだ後、やがて自分から生活のリズムを管理しだし、遅れを取り戻すように本を読んだり勉強をしたりするようになりました。その後は誘うと徐々に外に出るようになり、休日は一緒にランチを食べに行ったり、サイクリングに出かけたりしました。しばらくすると学校の友だちとも休日になら一緒に遊べるようになり、6年生の3学期は放課後に学校へ勉強をしに行けるようにもなりました。そして、卒業前何日かは登校もできるようになったのです。卒業1週間前には毎日、卒業式の練習に参加するまでになり、無事、卒業式に出られたのです。息子を見守ってくれた友だちや、学校の存在は、とてもありがたいものでした。こればかりは親だけではどうすることもできません。現在では何事もなかったかのように、元気に中学校に登校しています。新しい友だちもでき、部活動も楽しんでいます。■子どものことをわかっているつもりで、わかっていなかった息子が学校へ行かなかった1年半、私が主にしたことは、ただご飯を作って一緒に食べること。そして、息子の話をとことん聴くことだけでした。子どもは親にわかって欲しいのです。私は、息子のことをわかっているつもりで、何年もわかっていなかったのでしょう。小学校くらいなら1年~2年の勉強の遅れは、すぐに取り戻せます。けれども、心の問題を取り戻すには、たくさんの時間がかかります。親が悲観的にならずにゆったりと構えると、子どもの情緒も次第に落ち着いてくるようです。 ■子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら=私の体験から子どもが学校に行きたくないと言い出したら、原因探しをするよりも、まずは子どもの話をじっくり聴いてあげてください。問い詰めたり責めたりせずに、お母さんが子どもの心の逃げ場所になってあげてください。学校に行けなくなった息子のために私が意識してやったこと、それは「息子の気持ちに添う」ことです。学校に行きたくない原因は人それぞれ。単純なことではありません。逆にしないように注意していたのは、問い詰めたり、攻め立てたりすること。子どもが学校へ行かないと親も焦りますが、そこは我慢。子どもは家庭という絶対安心できる場から、ミリ単位で成長を始めるのです。親にできることは、子どもを信じて見守ること。何があっても親だけは味方だということを、心の底からわかってもらうこと。まずはそれが大切です。そしてもちろん、子どもを支える保護者にも支えが必要です。保護者の支えになるもの、それはプロの指導です。経験豊富なプロは、子どもだけではなく、保護者の心も支えてくれます。学校のスクールカウンセラーでもよいですし、信頼できる心療内科を探してもよいです。親が「この人は本当に信頼できる」というプロを探してください。「家庭の問題だから」と抱え込まず、適切にプロの助けを借りながら、子どもの成長を見守るのがベストだと、私は考えます。
2016年04月13日物事には多面的な見方があることを教えよう の続きです。子どもには物事を一面的に捉える傾向があり、それゆえに不登校になってしまうものです。大人のように見方を変えて捉えることができれば、不登校になるほど悩むこともないはず。そこで今回は、子どもに多面的な見方を教えるためのヒントをご紹介します。物事を多面的に捉える技術を手に入れるには子どもが物事を多面的に捉える技術を身につけるには、やはりきっかけが必要です。けれどもそれは、家庭の中で用意できることです。チャンスはたくさんありますので、子どもにとって身近なことを利用して教えていけばいいのです。たとえば、食べ物を例として見てみましょう。子どもは割合に好き嫌いが多いものですが、その一方、ふとしたきっかけで嫌いなものを食べられるようになることもあります。ある食べ方では苦手だったものが、別の調理方法を使ったりメニューを変えたりすればおいしく食べられる、といった経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。こうした発見は、子どもにとって物事を多面的に捉えることのいい例になります。あれほど苦手で食べられなかった食材が、この料理にしたらむしろおいしく食べられた、というのはかなりのインパクトを与えることだからです。その際に、物事を多面的に捉えることについて話してみれば、効果はさらに上がります。このような経験を豊富にしてきた子どもは、物事を多面的に捉えるための気づきをたくさん得ることができますので、ほかの点で何か問題が起きた時にそれを応用し、自分の中で問題を解決しやすくなります。一見嫌でたまらないことが起きた場合でも、その出来事について別の評価をするだけで感じ方を変えられることを知れば、どっぷりはまり込んで悩むこともなくなるはずです。多面的な捉え方を教えると、好き嫌いがなくなる!?食べ物の場合に大事になってくるのは、親が子どものためにできるだけ料理を手作りすることです。そしてその中で、子どもに好き嫌いが多いからといって、子どもの好きなものばかり作らないことも重要です。子どもが嫌いな食材があったとしても、いろんな料理法やメニューを試してみるのが大事なのです。そして、工夫次第で嫌いな物でもおいしく食べられるようになるのだということを、身をもって子どもに示すこともできます。このやり方にはうれしいおまけもついてきます。それは、子どもの好き嫌いが結果的に減るという効果です。嫌いなものが減れば健康にもいい効果がありますし、食事の楽しみも増すので、子どもはその点でも幸せを感じることができます。このように日常には些細な困難がたくさんあります。それらに出くわした時に、「避ける」という対処法を採るのではなく、「解決する」という対処法を採るように(採れるように)、親がサポートしていく姿勢が重要なのではないでしょうか。(子育ての達人)
2015年12月26日文部科学省によれば、平成25年度の小中学生の不登校は約12万人であり、前年度に比べると7,000人程度増加しています。さらに詳しく見ていくと、小学生の不登校は24,175人で、前年度比較で2,932人増加。中学生の場合は95,181人で、前年度比較で3,932人増加という結果になっています。このように不登校になってしまう子どもは増えてきていますが、自分の子どもが不登校に陥ってしまわないようにするためにはどんな点に注意すればいいのか、一緒に考えていきましょう。子どもの世界は狭い子どもが不登校になってしまうのは、大人に比べると子どもの生きている世界が「狭い」ことに起因すると考えられています。大人の場合、家庭以外にも幅広い人間関係を持っているものです。たとえば会社のほかにも、趣味に関する仲間、昔の友人関係、学校関係の知人、近所の人間関係、行きつけのお店など、その人間関係の種類は多岐にわたります。このため、TPOに応じて自分のキャラクターを変える機会も多いものです。会社では部下をよくまとめる上司、近所づきあいでは面倒見のいいお母さん、学校行事では子どもたちと一緒に楽しんで活動するお父さん、などといった具合です。これに対し、子どもの人間関係はぐっと幅が狭まります。家庭の人間関係のほかには、まずなんといっても学校、そしてそこにせいぜい塾などの習い事が含まれる程度でしょう。少し前であればここに近所の遊び相手としての子どもたち、というのが入ったものですが、近頃は少子化の進展によって子どもの数が減っているため、近所で学校における人間関係とまったく違った人間関係を構築することが、あまりできなくなってきています。就学前の子どもの世界のほとんどは家庭で成り立っています。子どもが大きくなって学校に行きだすと、学校における人間関係が重要性を増し始め、しばらくすると人間関係の中心が、家庭→学校での人間関係に取って代わるようになります。子どもたちにとって学校は、毎日相当の時間を過ごしている場所ですから、そこでの人間関係は必然的に濃密なものになり、ほかの世界をあまり知らない子どもにとっては、それがすべてといったことになりがちです。ですが、学校での人間関係というのは得てして不安定なもので、ほんのささいな出来事や行動によって、ある日突然まったく別の様相を見せ始めることがあります。皆さんもその昔、学校に通っていた頃の経験を思い出してみれば、うなずけるところがあるのではないでしょうか。そんな不安定な学校での人間関係をうまく乗り切るためには、どのようにするのがよいのでしょうか? 次回、その方法を紹介します。(子育ての達人)
2015年12月23日