元フィギュアスケート選手の織田信成さんが、2021年12月7日に自身のTwitterを更新。同日に誕生日を迎えた、フィギュアスケートで現役として活躍する羽生結弦選手へエールを送りました。織田信成から、羽生結弦へ縦読みエール!2013年に現役を引退するまで、国内外の数多くの大会に出場し、活躍していた織田さん。羽生選手は、10代の頃から活躍し始め、2人はかつて、ライバルとしてしのぎを削った仲でした。2021年12月7日に羽生選手は誕生日を迎え、27歳に。織田さんが引退したのは、それよりも若い26歳でのことです。まだまだ現役の第一線で活躍を続ける羽生選手に、織田さんはエールを送りました。ゆーても私も歳なのでスケートをつづけていく大変さもあるけどなんでもらっかんてきにとりあえず頑張る!でばなを挫かれる時もあるけどきもち次第で何とかなるさっ! #羽生結弦 — 織田信成 nobunari oda (@nobutaro1001) December 7, 2021 お分かりでしょうか。このメッセージを、縦読みすると、「ゆづならできる」と書かれているのです!もちろん、文章をすべて読んでも、羽生選手を応援している気持ちは伝わるでしょう。縦読みがあることで、なおのこと羽生選手に頑張ってもらいたい気持ちを届けたかったのかもしれませんね。織田さんが送ったメッセージに、感動の声が相次いで上がっています。・うるうると泣けてくる。・どれだけの想いが詰め込まれているかのか、よく伝わる…。・全文も縦読みも、素敵!27歳を迎え、成熟した羽生選手は、今後も自分なりの最高の演技を見せてくれるでしょう![文・構成/grape編集部]
2021年12月07日2021年11月29日「YJ STYLE」にて「ヨガインストラクター 角理恵さんのインタビュー」についての情報を公開しました。ヨガインストラクター 角理恵さん〜自分を大切にする〜風が自分の生きている価値に気づかせてくれたエクササイズとしてもファッションとしても今や多くの女性達に支持されているヨガ。そのヨガに14歳で出会い、すでにヨガ歴25年以上になるヨガインストラクター、角理恵さん。彼女は今、アーティストであるパートナーとともに、新たな挑戦をはじめている。大学で哲学を教える父の影響で、幼い頃から「生きる目的」などについて深く考えることが多かったという理恵さんが、現代に生きる日本の女性たち語るメッセージとは。普通の子供と自分は何か違うと感じていた大学で哲学を教える教授である父と国語教師だった母を両親にもち、厳格な家庭で育った理恵さんは、幼い頃からとても敏感な子供だった。「人の気持ちがわかりすぎて、人の影響を受けすぎてしまう子だったんです。クラスで少し孤立して寂しそうな女子とかがいると、その雰囲気を察してしまって、自ら声をかけずにはいられなかったんです」物心ついた頃から、常に人のために自分は何ができるのかを考えていて、自分よりも人を優先させがちだった。無邪気にはしゃぐ同年代の友達に囲まれ、表向きは明るくノーテンキな子供として振る舞いながら、実際には「生きる」ということについて深く考え込む、そんな子供だったらしい。「今でいうHSC(Highly Sensitive Child)、人一倍敏感で感受性や共感性が高い子供だったと思います。例えば、添加物が多くてカラダに悪そうな食べ物は、幼い頃からなんとなく違和感があって食べたくなかったですね。逆に大人はなぜそんなにカラダに悪いものを食べているんだろう・・・と疑問に思っていました」家庭では、幼い頃から日常的に社会問題や話題の本などについて議論する、そんな環境で育った。「逆に、深い話ができない同年代の子供よりも、大人と話す方が楽しく好きでしたね。その方が面白かったんです」10歳の時ドイツへ父親の仕事の関係で10歳の頃ドイツに滞在することになり、現地の小学校に通うことになった。地元高知からドイツへ。敏感な子供ならその環境の変化にストレスを感じてしまいそうだが、実際は違ったという。「敏感な子でしたが、一方で好奇心も旺盛だったので楽しめました。ドイツは、日本と全然教育方法が違いましたね。一人一人をしっかりみてくれるというか、それぞれの個性を認めてくれました。時間の流れもゆったりしていて、その子の個性を見つけて、その子のよさを活かすための教育だったと思います。自分の黒い髪をクラスメイトが褒めてくれたりして、短い期間でしたが、日本人としての誇りや自分への自信につながりました」しかし、ドイツから日本に帰国後、いじめや裏切りを経験する。そして、成長するにしたがって、家庭が息苦しく感じ始めてもいた。「家庭では、親に褒めてほしいと思ってたけど、そのハードルが高かったですね。うちの両親は感情表現が淡々としていることもあって、褒められた感が薄かった。(笑)今思うと自分でハードルを上げてたのかも。別に親としては、最終的に健康だったらよかったのかもだけど、自分で自分を苦しめていたのかもしれません。思春期にはいってからはよく反発してましたね」ヨガとの出会い中学時代、ダンスに興味を持ちモダンダンスを習い始めた。そこで出会ったのがヨガだ。「はじめは、ヨガとは知らずにやっていたんです。ダンスの終わりにクールダウンとしてダンスの先生がヨガをとりいれていて、それがすごく気分がよくリフレッシュできました」次第にヨガのなかでも呼吸や瞑想などにはまり、持ち前のストイックさで受験勉強に集中するための方法として呼吸法や瞑想法などをとりいれるようになった。そしてそれとともに成績も驚くほど上がっていった。関東の大学に進学し、卒業後は色々な経験をしてみたいと、さまざまな仕事にチャレンジしていたが、ある時、転機が訪れる。弟がウツになったのだ。大切な弟が苦しんでいる姿をみるのはつらく、自分が長年続けているヨガや瞑想で弟を癒やすことができるのではないかと思うように。また、仕事を転々とする中で、不調を訴える人や精神的なバランスを崩す人があまりにも多いと感じ、ヨガが彼らの役に立つのではないかと考え、ヨガのインストラクターになることを決意。しかし、実際なってみると、現実はそうスムーズにはいかなかった。ヨガインストラクターとして活躍する理恵さん「ある日弟に、自分が落ち込んだときはこういうふうに立ち直ったんだ、乗り越えてきたんだよ、という話をしたら言われたんです。『理恵と僕は違う。理恵にはできるかもだけど、僕にはできない』と。そう言われてハッとしました。自分の経験と重ね合わせて、こうすれば良くなるはず!と信じ切っていたけど、そうじゃなかった。私は弟をどうにか救いたいがために勝手な使命感で突っ走っていただけで、自分がやっていることは押し付けでしかないと。弟自身が自分の方法を見つけて乗り越えていくしかないんだと気づいたんです。実際に弟にヨガや瞑想を教えたことはなかったし、勧めるタイミングもありませんでした。ヨガは素晴らしいシステムだけど、結局、選択肢の一つでしかない。人はそれぞれ違うから、必要としていることも違うんですよね。そもそも、元気がない時ってヨガをしたくてもできないですよね。その当時ヨガは一般的な人にとって二の次で、フィットネス的要素も強く、思い描いていた活動とは程遠かったですね」幼少期/自分の生きる意味小学校高学年のとき、自宅のベランダでふと「なぜ自分は生きているんだろう」と考えていた彼女。その瞬間、風が吹いた。そして、その風によって「自分の価値」を感じたという。「風って、そこに木があれば木の葉をゆらしながらすりぬけていきますよね。そして私がいれば、私をすり抜けていく。私がそこに存在しているだけで、確実に風の流れを変えているんだって気づいたんです。自分はいてもいなくても同じ、と思っていても、風の流れは自分がそこにいるだけで確実に変わっている。見えない流れは私たちが想像し得ない形で伝播して、影響しあって、瞬間瞬間に変化しながら遠い国まで広がっていく。そんなイメージが駆け抜けました。目の前で起こっていることはほんの一部でしかないし、同じ瞬間はないんだって思いました。『私がいる世界』はこんなに面白いんだ!自分は生きてていいんだ、生きている価値があるんだと思ったんです」自分ルールを手放して、いい加減に、自分を大切に。「いい加減に、ゆるく生きる こと!人生をシリアスに捉えすぎない。そして、自分の世界から脱して、人と関わって欲しいです。真面目に生きてきた人ほど築いてきた自分ルールに没頭して、盲目的になりがち。日本の女性はみんな真面目で頑張りやさん。人に頼れず疲弊したり精神的に孤独になっていく女性が多いように感じます。自分でやってしまった方が楽、人に頼る気力さえない、頼り慣れてないからどう頼っていいのかわからない。それでも、自分の人生を動かせるのは自分だけ。あらゆる方法で人と関わって、いろんな世界を知ってほしいんです。『自分だけの世界』にいると最初は気楽かもしれないけど、だんだん味気なくなってきて、生きているのも辛くなってくる。世界は広い。いろんな人がいていろんな生き方が許されているんです。自分が思ってるほど、周りも自分も完璧じゃない。インドに行くと『うそでしょ!』というくらいみなさん自由な発想とユルさで生きています。ぐいっと人と関わっていくと、実は相手は頼ってくれるのを待っていた、とか、自分が思ってたよりあの人めちゃいい人じゃん!とかいい意味で予想を裏切られることって多々あるんですよね。今は直接会わなくても、海外にいかなくても繋がることができるツールがありますし。自分だけにフォーカスするのでもなく、他人のことばっかりを気にするのでもない、自分の好きなことをする時間を作ったり、爆笑できる動画を見るとか温泉に浸かるみたいに、ふと肩の力を抜く瞬間を増やして、ゆるく、時に強く、しなやかに生きてほしいと思います」幼い頃から、人間や社会、そして生き方について、深く見つめてきた彼女は今、アーティスト集団 ミラーボーラーズのディレクターである船木傑とともに、人や自然を結ぶ作品をテーマに、新たなアートワークにも挑戦を始めている。 アラフォーになった今、インド ラージャスターンの踊りと南インドの古典音楽に突如ハマり、単身インドへ。現地の暮らしや音楽、踊りを学んでいる。幼少の頃から好きだった踊ることや唄うことの喜びをあらためて感じているという。理恵さんとパートナーであるアーティスト集団「ミラーボーラーズ」のディレクター船木傑さん「いくつになっても、良いときもそうでないときも、目の前の人生を目一杯味わって、些細なことでもいいから、自分の琴線に触れるものがあればそれを無視しないで楽しんでいってほしいです。”感じること”は女性が得意なところですよね。一方、ヨガや瞑想がメジャーになって、アートやクリエイティビティなどに注目が集まっている今”感じること/Feel”が異常に重視される風潮があります。これからの時代は、感じることと同時に、しっかり情報収集して、いろんな考えを知って、その上で”自分で考えること/Think”を実践して欲しいです。これは想定外のことが起こったときにも役立ちますから。」彼女はこれからも、流れに身を委ねながら人生を楽しみ、その時の風を感じながらしなやかに生きていくに違いない。 女性には、多くの役割を求められる風潮がある。仕事も、家庭も、子育ても、そして老後もそれぞれに悩みは尽きない。しかし、ふと風が吹いた瞬間、自分がいることによって風の流れが変わったことに気づいて、少し肩のちからを抜いて、流れに身を委ねてみるのもいいかもしれない。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2021年11月29日離れて住む親と会えない人が続出したコロナ禍。介護認定を受けながらも、一人富山の自宅で暮らす母を持つ柴田理恵さんに、“遠距離介護”を成功させる秘訣を聞いた--。「コロナ前は、お正月とお盆、それから富山の伝統行事で9月に行われる『おわら風の盆』の年3回、母が一人で暮らす富山に帰省していました。けれど、今年はお正月以降、会えませんでしたね」そう話すのは92歳の母・須美子さんの遠距離介護をする、柴田理恵さん(62)。10月20日には、須美子さんとの思い出をつづった絵本『おかあさんありがとう』(ニコモ)を出版した。小学校教員だった須美子さん。もともとは、勝ち気で厳しい人だ。「お箸の持ち方などしつけのことは、あまり言われなかったのですが、私が『あれ買って』って泣くと、お母さんは『めんどくさいから泣くな!』とぴしゃり」実家が旅館の須美子さんは料理が苦手。晩ご飯は柴田さんと祖父が作っていたという。「あるとき学校の宿題がたくさんあって『今日はお手伝いできん』と言ったんです。そしたら母は『お手伝いもできんような人間は宿題なんかせんでいい!』って。学校の先生なのに(笑)」怖い母親だったが、優しい一面も。柴田さんが高校生のころ、小学校時代に須美子さんが担任だった男の子と同じクラスになった。「彼は早くにお母さんを亡くしていて、おばあちゃんと暮らしていました。あるときその子に『ばあちゃんが倒れて遠足の弁当を作れなかったときに、担任だったお前の母ちゃんが代わりに作ってきてくれたんだ。本当にうれしかった』って言われて。この話を聞いたときは、ちょっと泣いた(笑)」照れ笑いする柴田さんだが、お母さんの話をする際、目にはうっすらと涙が浮かんでいた。■母が洗濯物を出さない意外な理由そんな母・須美子さんの介護が始まったのは’17年10月のこと。柴田さんのもとに、須美子さんから「高熱が出た」と連絡が入った。「近くに住む従弟(いとこ)に母を病院に連れていってもらうと、腎盂炎(じんうえん)と診断され、入院することに。慌てて駆けつけ『お母さん、わかる?私だよ』と話しかけても、意識がもうろうとして『あ~あ~』と言うばかり。お医者さんから終末期医療に関する話もされ、そのときばかりはこのまま認知症になって亡くなるのかなと思いました」気丈な母の弱った姿は、さすがの柴田さんでもこたえたという。「しばらくして少し回復した母に、『お母さん!』って声をかけたら、私のことがわかったんです。それで『何か目標を持とう。何したい?お正月私に会いたいよね?』と聞いたら『会いたい』って。『正月一緒に酒飲みたいよね?』の質問には『飲みたい』と即答。だから『よし!酒飲めるように頑張ろう!』って励ましながら、リハビリをはじめました」入院した当初に受けた介護認定調査で要介護4と判定されていた須美子さん。しかし、必死の頑張りで、みるみるうちに回復。お正月には、一時帰宅してお酒を飲み、その後無事退院を果たした。当初、柴田さんは、須美子さんが再び一人暮らしをすることに不安を抱いていたという。「母に“東京に来て一緒に住む?”って聞きました。そしたら『友達もいるし、富山にいたい。それに、施設に入るとお茶や謡(うたい)の稽古ができなくなるから施設には入りたくない』って」確かに母の大切なものは、みんな富山にある。それを無理やり奪うのは、かわいそうだった。「雪が多くて危ないので、春までは施設に入所してもらって、その後から自宅での一人暮らしを再開しました。そんなうちに、要介護も1に下がったんです」須美子さんの一人暮らしを支えたのは、現地で生活を支援してくれるホームヘルパーやデイサービス、従弟などのサポートだ。だが、彼らにまかせっきりにせず、遠くからでも連携を取ることが、遠距離介護のポイントだと柴田さん。「母とは毎日電話をしていますが、ケアマネさんたちにも定期的に連絡をしています。『親がこういうふうに言ってるんですけど、どう思われますか?』って相談したり、逆に『ウチの親が何か困ったことはしてませんか?』と聞いたり」そうやって連絡を取り合っていると、あるとき「実は、須美子さんが服を全然着替えないんです」とケアマネジャーから報告を受けた。きれい好きの母が着替えないのはおかしいと思った柴田さんは、早速須美子さんに理由を聞いた。「母は私の従弟のお嫁さんに洗濯をしてもらっているのですが、“そのお嫁さんは子どもを2人育てていてとても忙しいのに、自分の分まで洗濯をしてもらうのが申し訳ない”って言うんです」その後柴田さんは、須美子さんに「お嫁さんが、私の洗濯の仕方が嫌だから洗濯物を出さないんじゃないかと、心配してたよ」と、遠慮なく洗濯物を出せるよう、間を取り持ったという。介護サービスを受けていると、ケアマネジャーやヘルパーが踏み込めない部分や、須美子さんも彼らに言いづらいことが出てくる。そういうときに、遠くにいる柴田さんが間に入ることで、円滑に物事が進むようになるのだ。■「覚悟があるなら母の意思を尊重したい」今年の春、須美子さんの腎臓の数値が悪化。入院の後、現在は弱った足腰を鍛えるために、一時的に介護施設で暮らしている。「たまに『家に帰りたい』とこぼすんです。だから母に『家に一人で帰って倒れて、誰にも発見されんで死んでも、それはあんたの責任だからね』ってくぎを刺したら『わかった』って。覚悟があるなら、お母さんの人生だから本人の意思を尊重したいと思っています」ただ、コロナ禍の今年は、年末年始の一時帰宅でさえ、ハードルが上がったという。「今は私がPCR検査で陰性でも、母と会って1カ月間は介護サービスを受けられなくなるんです。もちろん、施設にも戻れません」大雪の中、母を家に一人きりにしたくはない。しかし--。「本人は家に帰りたがっているし、もう92歳。来年会えるかどうかもわかりません。だから、今回も正月に家で会おうと思っています」家に帰るために、奮闘する須美子さんの姿に、柴田さんは感謝の思いを抱くことがあるという。「母がこう生きたいという目標を立てて、リハビリを頑張っているのを見ると、年をとってからの生き方を教えてくれてるんだなぁって、思うんです」教師だった須美子さんが柴田さんに、身をもって教えるのは、最期へと向かう生き方かもしれない。(取材・文:インタビューマン山下)
2021年11月12日絵本通販サイト「YOMO」を運営する株式会社ニコモから、作・柴田理恵さん、絵・塚本やすしさんの新作絵本「おかあさんありがとう」を発売いたします。厳しさの中にもやさしさがある。昭和の時代を代表するお母さん。柴田理恵さんのお母さんとの想い出を絵本にしました。絵・塚本やすしさんのパワフルな絵がぴったりの「おかあさん」をぜひご覧ください。この絵本はYOMOサイトのほかに、Amazon、e-hon、各書店でも販売予定です(書店での取り扱いは各書店へお問い合わせください)。おかあさんありがとう 表紙■作・柴田理恵さんメッセージ母はよく、私に絵本を読んでくれた。面倒くさい時は、勝手にお話を作った。それがホラーで、私は怖くて眠れなかった。台無し!それでも、何故か母の愛を感じていたい。お母さん、大丈夫。子供はあなたの背中を見て育ちます。■絵・塚本やすしさんメッセージ「柴田理恵さんが育てられた教育は正しく昭和にあった教育です。私も母親から同じような教育を受けました!(爆笑!!)とても懐かしい絵本になりました。」■著者プロフィール作・柴田理恵富山県出身。明治大学文学部演劇学科卒業。劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、1984年に久本雅美らとWAHAHA本舗を設立。バラエティ、テレビドラマ、映画、ラジオと多方面で活躍中。最近では劇団公演以外にも小劇場の舞台に精力的に出演している。主な出演作はバラエティ「女神のマルシェ」、ドラマ「ひよっこ」「続・最後から二番目の恋」、映画「化粧師」「来る」、舞台「喜劇売らいでか!」「雪まろげ」「わらいのまち」など多数。絵・塚本やすし『しんでくれた』(谷川俊太郎・詩/佼成出版社)で第25回けんぶち絵本の里大賞のびばからす賞、『やきざかなののろい』(ポプラ社)で第6回リブロ絵本大賞・第9回ようちえん絵本大賞。『戦争と平和を見つめる絵本 わたしの「やめて」』(自由と平和のための京大有志の会・文/朝日新聞出版)で第7回ようちえん絵本大賞など、受賞多数。主な絵本に『ぼくはほんやさんになる』(菊池壮一・作/ニコモ)、『つちのこをさがせ!』(新日本出版社)、『じごくわらしがくるぞ!』(マイクロマガジン社)、『このすしなあに』『とうめいにんげんのしょくじ』(ポプラ社)など多数。■書誌情報ページ数:32ページサイズ :H 257mm × W 182mm定価 :1,650円(税込)■絵本通販サイト「YOMO」とはプロ、アマ問わず、誰でもオリジナル絵本の投稿・試し読み・販売・購入が楽しめるサイトです。無料会員登録すると、各作品を一度ずつ全ページ試し読みできます。オンデマンド方式で印刷、製本し、お手元にお届けします。また、オリジナル絵本の投稿、販売を無料で行うことができます。データまたは原画で作品を投稿できます。サイトURL: ■会社概要社名 : 株式会社ニコモ所在地 : 東京都文京区湯島二丁目21番2号 湯島メディカルセンタービル5F代表者 : 犬養 岬太設立 : 2019年(平成31年)4月1日資本金 : 25百万円事業内容: 絵本事業URL : ■本件に関するお客様からのお問い合わせ先お問い合せフォーム: 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2021年10月15日女優でタレントの黒柳徹子、フィギュアスケート選手の羽生結弦が出演する、東和薬品の新CM「こころの笑顔、あしたの健康」編が、4日より放送される。新CMでは、同社が創業70年目の節目にスタートさせる新企業コミュニケーションのテーマを「変わらないこと」「変わること」として、黒柳が前者テーマを、羽生が後者テーマを伝える。CM放送に合わせ、黒柳と羽生が「こころの笑顔」にまつわるエピソードを明かすWEBムービー(2タイプ)も特設サイトにて公開されている。今回のCM撮影を振り返り、黒柳は「若い方が多かったので、どんなものが出来上がるのかとても楽しみです」とコメント。羽生は「まずはセリフをちゃんと覚えないといけなかったので、2、3日ぐらい頑張って鏡の前で練習してきました。あとは、アスリートとして何かを突き詰めるという作業はすごく好きなので、何を言えばいいのかとか、そもそも東和薬品さんは何を目指していて、どういう概念や理念を持っていらっしゃるのかとか、すごく勉強して今回の撮影に挑みました。声や表情で表現するのはプロではないですけど、自分としては一生懸命表現したつもりです」と、入念な準備をして撮影に臨んだことを明かした。また、お互いの印象を聞くと、黒柳は「私が紅白歌合戦の司会をした時、羽生結弦さんとたまたま舞台の袖で一緒になって、『僕、 徹子の部屋に出たいんです』と仰っていたんですけど、まだお会いできていませんね(CMは別々に撮影)。今度ぜひ出ていただきたいなと思います」と意気込み、「ああいう天才の方と、何か一緒にやるというのもラッキーなことですし、今回のCMであんなにすごい方と一緒になるなんて思ってもいなかったので、とても楽しみにしていました」と話した。一方の羽生は「一回だけお会いしたことがあって、その時はちゃんとお話はできなくて挨拶ぐらいだったんですけど、本当に普段から輝いていらっしゃるんだなという印象を持ったので、僕もアスリートとして黒柳さんのように、常に輝ける人になれたらいいなと思いました」と、黒柳の印象を語った。
2021年10月04日棋士の羽生善治九段、バイオリニストの高嶋ちさ子が、26日より放送されるサントリーウエルネス「DHA&EPA+セサミンEX」の新CM「細胞積木」編で初共演する。新CMでは、羽生九段と高嶋が精緻なCGで作られた細胞のモチーフを一つひとつ丁寧に積み上げていき、健康の土台を作っていく様子を表現。そして最後は、羽生九段がまるで将棋の王手のように細胞を積み上げる。また24日には、羽生九段と高嶋のインタビュームービーが、サントリー「DHAセサミン」ブランドサイトにて公開。「生きる」とは何かという問いに、羽生九段は「前の自分よりもさらに進歩していること」と回答。タイトルをさらにもう一つ獲得したいという思いも語っている。一方、高嶋は「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」という座右の銘を回答。がむしゃらに働いて、休みの時はスケジュールを目一杯入れて徹底的に遊ぶと明かしている。■羽生善治九段コメント健康は急には変わりません。日々の積み重ねが大事だと思っています。将棋で言えば「端歩の一手」のようにいつか必ず役に立つ、「DHA セサミン」という健康対策を始めていただきたいですね。■高嶋ちさ子コメント気合だけでは長い人生は乗り切れない。今のうちから健康の土台を固めなきゃ! 人生100年時代、65歳までは現役で後の35年は優雅に過ごしたい。ご自身の健康のためにも、出来ることは続けていただきたいです。
2021年06月24日昨年、公演延期となったWAHAHA(以下:ワハハ)本舗全体公演『王と花魁』全国ツアーの開催が決定。構成・演出の喰始、キャストの柴田理恵、久本雅美、梅垣義明に現在進行形の想いを尋ねた。ピリオドを打った『ラスト3~最終伝説~』から4年ぶりの全体公演となる本作。枠にとらわれることのない多彩なパフォーマンスで客席に全力の笑いを届ける。延期が決まっても喰は「中止は念頭になく絶対にリベンジしたかった」と語り、その言葉に柴田・久本・梅垣の3人も頷く。ワハハ本舗の特徴といえば、“過剰”ともいえる客席とのコミュニケーション。「ろくでなし」を歌って鼻から豆を飛ばし、「愛の讃歌」でステージを降り観客をハグしにかかる梅垣の芸に代表され、これを目当てに訪れる人も多い。しかしコロナ禍では“濃厚接触”。得意技を封じられた一同はどうやって客席を魅了するのか。そう聞くと、喰は「梅垣は今までお客さんをひどい目に遭わせてきたけど、今度は梅垣がひどい目に遭う番」とほくそ笑む。制限を逆手に取った笑いを追求する一方で、無観客配信を行った梅垣は画面の向こうにいる観客の反応がわからない心もとなさを経験した。「自分がいかにお客さんから助けられてきたか、コロナ禍で“観客の力”を実感しました」と語ると、喰は「今回のお客さんはおかしくても笑い転げるのは難しいから、マスク上でアピールしてもらう?」とその場でアイディアを出す。一度目の緊急事態宣言が明けてから、さまざまな舞台を観に行った柴田は「ワハハみたく底が抜けたような笑いって今見かけないよね」とひと言。「だからこそ我々がやる意義は大きいんじゃないかな」と万全の対策で観客を迎える覚悟を語る。久本も「私たちを待ってくださっているお客さんの存在を感じています」と続き、「その気持ちに応えて全力で“バカ”やる所存です!」と意気込んだ。最後に喰は「エンターテインメントは精神のワクチン。接種の無理強いはしません。でもワクチンを体に入れて心が軽くなるのであれば、ぜひお越しください」「我々も年齢を重ねましたから。いつまでもあると思うな、ワハハ本舗ですよ」と呼びかけ、インタビューを結んだ。なお、取材中に喰が思いついた案は「マスクdeエール」プロジェクトとして進行中だ。演劇人に対するメッセージを寄せたマスクの着用姿を写真・動画に収めてワハハ本舗に送ると応援動画として編集され、劇中や記者発表イベントにて上映されるという。BGMには『王と花魁』応援隊長・泉谷しげるが書き下ろしたオリジナル楽曲が予定されている。公演は10月28日(木)~31日(日)に東京・新宿文化センター 大ホールで行われたあと、11・12月に全国12会場を巡演する。取材・文:岡山朋代
2021年05月07日昨年12月24日からの全日本フィギュアスケート選手権。羽生結弦はそこで新プログラムを初披露し、圧巻の滑りに世界中が沸いた。この大会でのフリースケーティング、そしてメダリスト・オン・アイスの様子をあらためて振り返る。完全レポートの後編。フリースケーティング『天と地と』元の曲に他の要素を加え、構成したオリジナル。FSの新プログラム『天と地と』。最初の公式練習後に、「題材となるストーリーや伝えたいストーリーはあるが、そういうのに縛られず、観ていただいた方々の感覚や、それぞれの中にある背景に訴えかけられるものがあればいいと思う」と話していた。だが、12月26日の演技では、彼の思いが濃密な空気となって会場を覆い尽くしているような感覚さえ感じさせたほどの圧巻の演技を見せた。「自分自身、すごく思い入れがある」とまで言うこのプログラムは、戦国武将の上杉謙信の物語。コロナ禍にコーチ不在でひとりの練習をする中で、迷いも出て戦うことに疲れたとも思った。それでも競技としてのスケートが好きだとあらためて思った時、謙信の戦いへの考え方や美学、最終的には出家までした苦悩や価値観が、今の自分と似ているのではないかと思えたという。琵琶や琴の音色が印象的に響くその曲は、本来の大河ドラマのテーマ曲に他の部分の音を持ってきたり、違う曲を重ねたりして羽生自身が構成したオリジナル。そこには、謙信が武将として戦い続けながら出家するまでの、羽生自身がイメージした心のストーリーが流れている。「曲を聴けば感情は入るし、もちろん、振りの一つひとつにいろんな意味を込めています。ただ、その中でもジャンプを完成させないと、プログラム一連の流れとして伝わるものが伝わらなくなる。このプログラムというか、ここ5~6年のシーズンのプログラムに関しては、自分の動きや要素のどれひとつ欠けても、プログラムとして成り立たなくなっていると思うので…。だから何よりもジャンプを途切れさせないで、力みなくシームレスに跳べたことが、表現として完成させられた一番良かったところだと思います」強い思いを持ったプログラムの初披露。そこに懸ける思いの強さは、試合前から伝わっていた。午前の公式練習では曲かけでノーミスだっただけでなく、挑んだ4回転はすべて降りていた。そして直前の6分間練習でも、キレのある動きでジャンプはすべてきれいに決めた。本番でも最初の4回転ループと4回転サルコウを加点3.60点、4.16点のジャンプにして滑り出すと、後半も4回転トーループからの2本のコンビネーションジャンプとトリプルアクセルを余裕をもって決める、隙のない滑り。そしてすべてを終えると数秒間は天井を見上げ、そのあと厳しい表情のままで挨拶をした。「あの時は特に何かを考えていたわけではないけど、すごくいろんな方から力をもらったし、戦い抜けたなと思ってスーッと立っていた感じです。何かを見るというのではなく、むしろ自分を違うところから見ていたような感覚でした」大会前に、自分が大会に出てもいいのかと考えた葛藤は、試合後も残っていると口にした羽生は、こうも話した。「コロナ禍で僕が大変だったと思う気持ちは医療従事者の方々や、職を失って生活自体が苦しくなっている方々に比べたら、本当にちっぽけなことで。言ってみれば、僕がスケートをやれていること自体が本当に恵まれているんだなと思います。だから僕自身も苦しかったかもしれないけど、自分の演技が少しでも…。明日まで持たなくてその時だけでもいいし、終わってからの1秒だけでもいいから、少しでも生きる活力になったらいいなと思いました」そんな思いがあったからこそ、今回の全日本で、ノーミスの演技をするのは必須だと羽生は考えていたのだろう。自分に課したものを果たした安堵感が、明確に伝わってくる全日本だった。『天と地と』作曲・冨田 勲振り付け・シェイ=リーン・ボーン大河ドラマ『天と地と』のテーマ曲に、『新・平家物語』の琴の音を組み合わせた、4分10秒のオリジナル曲。スタートのポーズは、天と地と自分をイメージする。2020.12.25~26試合結果SP103.53FS215.83総合319.36(1位)メダリスト・オン・アイス『春よ、来い』『Let Me Entertain You』可憐さとダイナミック。ふたつの表情で会場を魅了。宇野昌磨が苦しさにもがいている姿を目にし、自身もGPファイナルではひとりで戦う経験をすることで、その難しさを痛切に感じていた、コーチ不在という状況。コロナ禍でそれを再び味わった10か月間の苦悩を、羽生はこう語った。「トレーニングや練習の方向はもちろん、振り付けを自分でしなければいけないというプレッシャーだったり、自分自身で自分をプロデュースしなければいけないプレッシャーはありました。そんな中では、自分のやっていることがすごく無駄に思える時もあった。そもそも4回転アクセルは跳べるのかとか…。入ってくる情報ではみんなすごく上手になっている。その中で何か、自分だけが取り残されているというか、ひとりだけで暗闇の底に落ちていくような感覚になった時期もありました」4回転アクセルの練習をすれば足も痛くなり、他のジャンプもどんどん崩れていくという、悪いスパイラルに陥った時もあった。勢いのある若い選手と自分を比較し、「これから自分は技術的にもどんどん落ちていくんだろうな」と考えてしまい、トリプルアクセルさえ跳べない時期もあった。10月末になってようやくコーチたちともメールなどで連絡を取るようになり、映像を送ってアドバイスをもらったりして、ようやく試合へ向けた練習を構築できるようになった。これまで様々な実績を積み上げてきた羽生結弦でさえ、そんなどん底に落ち込むことがあるのかと驚いたのが、正直な感想だった。そんな苦しい道を歩んできた羽生が果たした、5年ぶりの全日本選手権制覇。彼の演技から感じられた緊張感や圧迫感は、そんな過程があったからこそのものだったのだろう。彼自身が自らに背負わせていた、大きな責任感とプレッシャー。それから解き放たれた大会翌日のメダリスト・オン・アイスでは、2シーズン前から演じている『春よ、来い』を披露した。今回のコロナ禍であらためて痛感したのは、「自分たちがスケートをできるのは当たり前のことではない」という現実だった。それは2011年の東日本大震災でも経験した思いだ。「僕たちより苦しんでいる方々はいっぱいいるし、大変な方々もたくさんいる。そういう中で競技会の場を設けてもらい、最後まで戦い抜かせていただいたことに、申し訳ないというか、罪悪感も少しあります。でも自分が出場したことが、少しでも気持ちが変わるきっかけになってくれたらいいと思いました」『春よ、来い』はプログラム作りでも、「’17年ごろからやっと自分らしさが見えてきて自分の色が出てきた」と話していた羽生が、アイスショーのコラボレーションを機に、自ら選曲して作り上げた愛着を持つプログラムだ。演技後に羽生は「何よりもこの世の中に、一番伝えたいメッセージだったので。それで少しでも、心が温かくなるように演技をしたかった」と話した。彼が空中に撒きあげた氷片は、誰もが待ちわびる春の訪れへの願いだった。『春よ、来い』作曲・松任谷由実振り付け・デヴィッド・ウィルソン’18年ファンタジー・オン・アイス後半B公演で、ピアニストの清塚信也とのコラボレーション。彼自身が選曲して踊り、エキシビションプログラムにした。『Let Me Entertain You』作曲・ロビー・ウィリアムス振り付け・ジェフリー・バトルはにゅう・ゆづる1994年12月7日生まれ、宮城県出身。4歳からスケートを始める。’14年、’18年のオリンピックで2連覇を成し遂げ、昨年、四大陸選手権で初優勝し、男子で初のスーパースラムを達成。※『anan』2021年4月7日号より。写真・能登 直(a presto)取材、文・折山淑美(by anan編集部)
2021年04月05日グランプリシリーズをすべて欠場した今季、初めて挑む大会となった、12月の全日本選手権。羽生結弦はそこで新プログラムを初披露し、圧巻の滑りに世界中が沸いた。この大会での様子を、あらためて完全レポート。今回は前編をお送りする。公式練習久しぶりの実戦を前に気持ちの入った練習。昨年12月24日からの全日本フィギュアスケート選手権は、前季2月に行われた四大陸選手権以来の実戦のリンクとなった。SP前日の公式練習を終えた羽生結弦は、「久しぶりに複数人でリンクに乗って練習したので、まだ感覚はつかめないところもありましたが、ある意味それも新鮮で…。僕としては本当に久しぶりのことだったので、楽しい感覚もありました」と笑みを浮かべた。スケジュールの関係で7人で30分間の練習。体の動きには余裕があったが、混み合ったリンクで滑りづらいのか全力を出す様子はなかった。それでも、初披露となるFSの『天と地と』の曲かけでは、最初の4回転ループこそタイミングが合わずに1回転になったが、その後の4回転サルコウからはしっかり決めた。ステップも感情を込めて滑り、4回転トーループ+3回転トーループにつなげる。そこで曲かけは終わったが、そのまま4回転トーループからの3連続ジャンプとトリプルアクセルまで跳んだ。その後は4回転トーループで転倒するシーンもあったが、苦笑いを浮かべた表情も余裕があふれるものだった。そんな羽生も、この大会に出ることを決断するまでは迷いもあったという。「新型コロナに対しての自分の考えは、GPシリーズ欠場を決めた時と変わっていません。個人としては、感染につながるような行動はしたくないと。だから感染の第3波が来ている状態の中で、自分が出場していいかということにかなり葛藤がありました。でも世界選手権に向けてこの大会出場は必須ですし、僕自身の希望をつなぐためにも出させていただきました」この言葉は、彼の強い決意を感じさせるものだった。世界選手権開催も不透明な段階だったが、開催されれば来年の北京五輪の国別出場枠獲得がかかってくる。その重要な場を、自分の都合だけで回避するわけにはいかないという思い。彼の責任とプライドを感じた。そんな思いがあったからこそ、羽生はシーズン初戦で新プログラム初披露であったにもかかわらず、ノーミスの演技をしたいという思いは強かったのだろう。それは彼が口にしたジャンプ構成からも感じた。多くの興味は彼が実現したいと話している4回転アクセルに向けられるが、SPはサルコウとトーループの4回転を前半に入れ、最後はトリプルアクセル。そしてFSの4回転は前半のループとサルコウで、後半に連続ジャンプにしたトーループ2本を入れるものだった。のちに「いま確実に跳べるジャンプを選んで構成を決め、その練習を続けてきた」と話した。コロナ禍の中で葛藤しながら出場を選んだ大会だからこそ、自分が納得できる、現時点での完ぺきな演技を見せたい。それが自分の務めでもあると決意して臨んだ全日本だった。その気持ちは翌朝の公式練習にも表れていた。曲かけ最初のサルコウこそ途中でやめて2回転にしたが、それ以外の4回転はすべてきれいに決める、前日より気持ちの入った練習を見せていた。ショートプログラム『Let Me Entertain You』余裕ある滑りで魅せた4季ぶりのロックナンバー。「点数的にはいい演技だったとは言えないが、正直楽しむことができた」と話した、SP。羽生は手拍子を求めるしぐさも見せ、軽快で余裕のある滑りを見せた。観客とコネクトしたいと話していた『レッツ・ゴー・クレイジー』以来4季ぶりのロック『レット・ミー・エンターテイン・ユー』も、彼自身が観客とともに作り上げたいと考えているものだ。「正直、感染対策で場内の歓声が聞こえてこなかったのは残念でしたが、多分、テレビやネットで見ている方々は声を上げてくれているだろうなと感じたので、楽しみながらやらせてもらいました」この曲を今季使ったのには理由があった。最初は振り付けのジェフリー・バトル氏にピアノ曲を依頼したが、提示された中にシックリくるものがなかった。また、ニュースなどで世の中の状況を見ているうちに、明るい曲の方がいいのではないかと思うようになった。「観客の皆さんはこのようなつらい時期でもスケートを観てくださるのだから、そのなかで、ちょっと明るい話題になったらいいと思った」。ロックにすることを決めたのはそのためだ。その演技内容は羽生らしく、つなぎを含めて「いろんなものを加え、いわば、全部見どころにしようかとも思った」と笑顔で言うように、納得するまで自身のこだわりを入れようとする、思いの濃さも感じるものだった。「最初にステップが送られてきたが、音のとり方や手の振りはほとんど自分でアレンジしたものです。ジャンプに関しては一応『このタイミングでやりたい』と伝えて、ジェフがなんとなく踊っている映像が来たので、それを元にして、『自分のタイミングだったらこうかな』などと考えて振り付けをしました。ジャンプとの兼ね合いや、皆さんが観ていて呼吸できる場所、本当に心からノリきれるようにとか、そういう芸術性みたいなものもちょっと考えながら振りを入れました」最近では振り付けをしてもらうというより、互いを深く理解し合ったなか、共同作業で作るようになっているというバトル氏との関係。日本にいた今季は密接な連絡を取ることが難しかったため、羽生自身の意向の方が強い振り付けになっている。そんな経緯もあってか、初披露だった全日本では最初から最後まで楽しそうに滑る姿が印象的だった。ジャンプ構成は余裕を持ったもので、特に後半のトリプルアクセルは大きさもあり、GOE(出来栄え)加点では余裕を見せながらもキレのある踊りをしたステップシークエンスとともに、審判が4点と5点を並べた。約10か月ぶりの実戦だとは思えない、見事なノーミスの演技に思えた。だが得点は思いのほか伸びず、鍵山優真を4.93点上回る103.53点にとどまった。羽生自身はその原因をジャンプのGOE加点が低かったのだろうと分析していたが、のちに判明したのはトリプルアクセルのあとの“足替えシットスピン”が、規定の姿勢をとれておらず不成立で0点の評価になっていたからだった。いい流れを作れていたからこそ、ジャンプをすべて終えたあとのスピンは、気持ちが高揚しすぎたのだろう。翌日FSを終え、羽生はSPをこう振り返った。「あの演技は粗削りだったと思う。見せたい気持ちはあるけど、その中で『ジャンプが跳べた、ウェーイ』みたいな感じではなく、もっとスマートに…。イギリスのロックらしく、もっと余裕のあるイカしたものにしたいなと思いました」羽生結弦だからこそのこだわりだ。『Let Me Entertain You』作曲・ロビー・ウィリアムス振り付け・ジェフリー・バトル『Let’s Go Crazy』以来、自身3曲目のロックのプログラム。今回はスピンのミスはあったが、演技構成点も5項目すべてが9点台中盤と、伸びしろを残した演技だった。はにゅう・ゆづる1994年12月7日生まれ、宮城県出身。4歳からスケートを始める。’14年、’18年のオリンピックで2連覇を成し遂げ、昨年、四大陸選手権で初優勝し、男子で初のスーパースラムを達成。※『anan』2021年4月7日号より。写真・能登 直(a presto)取材、文・折山淑美(by anan編集部)
2021年04月04日2021年3月11日で、東日本大震災発生から10年が経ちます。この地震に見舞われ被災をした一人、フィギュアスケーターの羽生結弦選手。同日サンケイスポーツは、羽生選手が被災した人々へ向けてつづった『メッセージ』を公開しました。羽生結弦「でも、やっぱりいわせてください」震災から10年を経てもなお、故郷へ戻ることができない人や行方が分からない人も多くいます。仙台市の自宅が全壊し、自身も避難生活を経験したという羽生選手。さまざまな心の傷を負いながら、日々生きる人たちへこのようなメッセージを贈っています。最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。(中略)本当に、10年間、お疲れ様でした。10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。簡単には言えない言葉だとわかっています。言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。でも、やっぱり言わせてください。僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。頑張ってくださいあの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。本当に、ありがとうございます。僕も、頑張りますサンケイスポーツーより引用羽生選手は、復興に向けて懸命に生きてきた人々へ、簡単にはいえないことを理解しつつも、「頑張ってください。僕も、頑張ります」という言葉を改めて贈ったのです。震災だけではなく、世界という舞台でさまざまなプレッシャーや厳しい練習に耐えてきた羽生選手。誰よりも「頑張れ」の持つ力を知っている、羽生選手だからこそいえる言葉に、ネット上ではさまざまな声が上がっています。・電車の中で読んでいて、涙が出そうになりました。まだまだ復興の途中。一歩ずつですね。・あの時から「頑張れ」って言葉が嫌いでした。でも、羽生くんの「頑張れ」は何か違うものを感じますね。ありがとう。・羽生さんの頑張る姿に、どれだけの人が励まされたことか…。失ったものは元には戻らないけど、少しずつ前へ進んでいきたいと思えました。10年が経過してもなお、被災した人々は、あの時の傷跡と向き合いながら生きています。私たちがやるべきことは、震災の経験を風化させることなく、次の世代へ正しくつなげていくことだといえるでしょう。投稿全文はこちら何を言えばいいのか、伝えればいいのか、分かりません。あの日のことはすぐに思い出せます。この前の地震でも、思い出しました。10年も経ってしまったのかという思いと、確かに経ったなという実感があります。オリンピックというものを通して、フィギュアスケートというものを通して、被災地の皆さんとの交流を持てたことも、繋がりが持てたことも、笑顔や、葛藤や、苦しみを感じられたことも、心の中の宝物です。何ができるんだろう、何をしたらいいんだろう、何が自分の役割なんだろうそんなことを考えると胸が痛くなります。皆さんの力にもなりたいですけれど、あの日から始まった悲しみの日々は、一生消えることはなく、どんな言葉を出していいのかわからなくなります。でも、たくさん考えて気がついたことがあります。この痛みも、たくさんの方々の中にある傷も、今も消えることない悲しみや苦しみも…それがあるなら、なくなったものはないんだなと思いました。痛みは、傷を教えてくれるもので、傷があるのは、あの日が在った証明なのだなと思います。あの日以前の全てが、在ったことの証だと思います。忘れないでほしいという声も、忘れたいと思う人も、いろんな人がいると思います。僕は、忘れたくないですけれど、前を向いて歩いて、走ってきたと思っています。それと同時に、僕にはなくなったものはないですが、後ろをたくさん振り返って、立ち止まってきたなとも思います。立ち止まって、また痛みを感じて、苦しくなって、それでも日々を過ごしてきました。最近は、あの日がなかったらとは思わないようになりました。それだけ、今までいろんなことを経験して、積み上げてこれたと思っています。そう考えると、あの日から、たくさんの時間が経ったのだなと、実感します。こんな僕でもこうやって感じられるので、きっと皆さんは、想像を遥かに超えるほど、頑張ってきたのだと、頑張ったのだと思います。すごいなぁと、感動します。数えきれない悲しみと苦しみを、乗り越えてこられたのだと思います。幼稚な言葉でしか表現できないので、恥ずかしいのですが、本当にすごいなと思います。本当に、10年間、お疲れ様でした。10年という節目を迎えて、何かが急に変わるわけではないと思います。まだ、癒えない傷があると思います。街の傷も、心の傷も、痛む傷もあると思います。まだ、頑張らなくちゃいけないこともあると思います。簡単には言えない言葉だとわかっています。言われなくても頑張らなきゃいけないこともわかっています。でも、やっぱり言わせてください。僕は、この言葉に一番支えられてきた人間だと思うので、その言葉が持つ意味を、力を一番知っている人間だと思うので、言わせてください。頑張ってくださいあの日から、皆さんからたくさんの「頑張れ」をいただきました。本当に、ありがとうございます。僕も、頑張ります2021年3月羽生結弦サンケイスポーツーより引用[文・構成/grape編集部]
2021年03月11日2020年5月現在、日本では新型コロナウイルス感染症のまん延により、不要不急の外出自粛が呼びかけられています。公益財団法人日本スケート連盟は、Twitterを通して、同年4月21日から5月6日にかけて、フィギュアスケート選手やスピードスケート選手からのメッセージを配信。『#SkateForward明るい未来へ』というハッシュタグとともに、選手たちは思い思いの方法で自粛生活をする人たちに向けてエールを送っています。羽生結弦が自粛生活の人々へエールメッセージ配信の最終日である5月6日に登場したのは、フィギュアスケートの羽生結弦選手。動画の冒頭で「2011年3月11日から今までの、僕とプログラムたちの道のりです」と告げ、羽生選手は東日本大震災以降に見せてきたプログラムを披露しました。フィギュアスケート羽生結弦選手のメッセージをお届けいたします。3つのパートを続けてご覧ください。 #SkateForward明るい未来へ #フィギュアスケート #羽生結弦 #YuzuruHANYU pic.twitter.com/dLTCHA07Z5 — 公益財団法人日本スケート連盟 (@skatingjapan) 2020年5月6日 フィギュアスケート羽生結弦選手の動画2本目をお届けいたします。 #SkateForward明るい未来へ #フィギュアスケート #羽生結弦 #YuzuruHANYU pic.twitter.com/oDvYWZOSBn — 公益財団法人日本スケート連盟 (@skatingjapan) 2020年5月6日 フィギュアスケート羽生結弦選手の動画3本目をお届けいたします。 #SkateForward明るい未来へ #フィギュアスケート #羽生結弦 #YuzuruHANYU pic.twitter.com/jn1ULsxKAd — 公益財団法人日本スケート連盟 (@skatingjapan) 2020年5月6日 全身を使い、指先まで見せる丁寧な美しい所作で、当時のプログラムの演技を再現する羽生選手。東日本大震災を乗り越えてきた日本が直面した新たな危機に対し、自分なりの方法で多くの人に励ましのエールを送ったのでしょう。約5分間にわたる羽生選手渾身のパフォーマンスに、ネット上では感動する人が続出しました。・地上での演技も素晴らしい!・ありがとうございます。引き続き自粛生活を頑張れそうです。・心のこもった美しい演技を見て、胸がジーンとしました。・メッセージという域を超えて、もはや芸術作品…。室内にいてもなお、氷上を舞っているような羽生選手のパフォーマンスは、自粛生活でストレスや不安を感じている多くの人の心を癒したようです。自粛生活が終わり、また実際に氷の上で演技をする羽生選手の姿を見る機会が訪れる日が楽しみですね。[文・構成/grape編集部]
2020年05月07日3/11(水)発売のanan2192号「最先端の暮らし2020」の表紙にご登場いただいた、羽生結弦さんの撮影エピソードを紹介します。anan編集部伝説のプログラムで優勝を果たした四大陸選手権での姿が表紙に!毎年フィギュアシーズンになると、羽生選手の試合を追いながら、祈りつつ見守る日々が始まります。そして羽生選手を応援する皆さんの期待に応える今年らしい記事は何なのか、あーでもないこーでもないと模索する冬です。今季の羽生さんはSPもFSも、プログラムは昨年のものがベース。そして具体的なスケジュールが定まってくると、どうやら今季は試合数を多くこなすことになりそうだという見通しが明らかになってきました。そこで、今回、ananの記事は、“2019‐2020の軌跡”と題し、試合ごとにレポートするスタイルに決定。昨年までの試合写真を選びながら迎えた2月の頭、ビッグニュースが入ってきました。羽生選手が、四大陸でのプログラムをオリンピックのときのものに戻す、というのです。つまり、これまでの試合とは違う「バラード第1番」と「SEIMEI」の衣装を纏い滑る羽生結弦が、四大陸選手権に降臨する! ということなのです。であれば、その写真をぜひとも表紙にしたいものです!そこで、それまでの表紙候補をすべて白紙に戻し、四大陸の試合に絞って新たに選んだのが今回の表紙です。ファンの方はおわかりだと思いますが、実はこれ、試合本番のプログラムではなくエキシビション「ホープ&レガシー」でのショット。試合が終わり緊張から解き放たれた羽生さんの、すがすがしい笑顔が印象的です! 今回の記事は、四大陸の優勝を祝し、なんと32ページというボリューム。試合を追うスタイルにしたことで、羽生選手の今季の気持ちの流れが克明に浮かび上がる記事となりました。フォトグラファーの写真も本当に素晴らしく、(手前味噌ながら)ため息が出るほど美しい32ページに仕上がっています。四大陸選手権で優勝したことにより、男子史上初のスーパースラムという快挙を成し遂げた羽生さん。来週スタートする世界選手権でも、ご活躍をお祈りしております!(S)
2020年03月10日見るたびに、ため息が出そうになる羽生結弦(25)の優雅な立ち姿。だが、それは名伯楽の秘密のレッスンあってのものだった。「美姿勢をつくるエクササイズ」で、ゆづのように美しい姿勢を手に入れようーー。「結弦がつねに心がけているのが美しい姿勢です。ふだんの姿勢の悪さは、試合でのジャンプの出来にも大きく影響します。美姿勢を保つことも、彼の戦いなんです」そう語るのは、羽生結弦(25)が小学校2年生の時から、体のケアをしてきた元専属トレーナーの菊地晃さん(63)。2月7日、韓国・ソウルで行われる「四大陸フィギュアスケート選手権」で人類初の4回転半ジャンプに挑む羽生。なぜ姿勢がそれほどまでに大事なのか?「結弦のジャンプがほかの選手と違うのは、回転軸がぶれずに高速で回れること。そのためには、頭のてっぺんが糸で引っぱられているように背筋が伸び、骨盤が適度に前傾している美しい姿勢を維持しなければなりません。結弦のように、長い手足を持つ選手は本来軸がぶれやすい。でも、ふだんから正しい姿勢をとることで、試合の激しい動きの中でも、ほとんど意識せずに、軸を安定させられるのです」(菊地さん・以下同)日常からの“美姿勢”があの素晴らしい演技の秘密なのだ。“でも、私はゆづのようにアスリートでもないし、関係ないわ”と思ったそこのあなた、美姿勢は一般の人にとっても、生活を豊かにしてくれる大切なものだ。「背筋を伸ばすだけで見た目が10歳以上若く見えます。逆に姿勢が悪い状態が続くと、全身の血流が悪化し、肩こりや腰痛、疲労などさまざまな不調を招く。美しい姿勢は、体の外も内も美しくしてくれるのです」実際に羽生が行ってきたもののなかから、美姿勢をつくるのに役立つ運動を、“ゆづの思い出”と共に、菊地さんに教えてもらおう。美姿勢のためには、体幹の強化が欠かせない。■美しい姿勢を保つ「体幹アップ・スクワット」(1)壁を背にしてまっすぐ立つ。両足は肩幅に開き、頭、腰、かかとは壁につける。(2)息を吐きながら、壁を支えにひざが120度になるところまでゆっくり腰を下ろす。息を吸いながら元の体勢に戻す。1日10回を目安に。■体幹をしなやかにする「自転車こぎ腹筋」(1)あおむけになり、両手を後ろに組む。(2)息を吐きながら、自転車をこぐように両足を交互に伸ばしながら、ゆっくりと上げる。真上にきたところで、息継ぎをして、息を吐きながらゆっくりと下げる。5秒ほどで1セット。1日3回。「おなかの中心をコルセットのように取り囲んでいる腹横筋や、背骨を固定させる多裂筋など、体の深部にある筋肉を鍛えることで、背中が丸まるのを防げます。ジュニア時代の結弦が実践していたのが『体幹アップ・スクワット』と『自転車こぎ腹筋』のトレーニング。『きついよ!』と文句を言いながら、いつまでも続けていました」姿勢は、疲労や長時間座っていることなどでも、すぐに乱れる。そんなときは、次の運動が効果的。■頭を正しい位置に持っていく「姿勢矯正ストレッチ」(1)背筋を伸ばして椅子に座る。(2)頭を後ろに傾け、首を伸ばす。(3)首を伸ばしたまま、頭をひっぱり上げられるようにゆっくり立ち上がる。(4)ゆっくり首を戻す。立ったまま、ふたたび首を後ろに傾けて伸ばす。その状態で椅子に座り、首を戻す。この一連の動作を1日7回ほど行う。「試合会場に向かうバス移動だけで、姿勢が歪むことがあります。そのままでは演技のキレがなくなり、本来のパフォーマンスを十分発揮できません。ソチ五輪の本番前、結弦に姿勢の乱れがあったので、『姿勢矯正ストレッチ』をさせました。結弦は『なんで?』という顔をしていましたが『だまってやれ!』と(笑)。姿勢が悪くなると、首が本来の位置ではなく前に傾きます。そのため首の筋肉が硬くなります。そのコリを解消しながら、首を正しい位置に戻すのです」羽生の精神力の強さにも「美姿勢トレーニング」が生きていると、菊地さんはこう語る。「不安だったり、逆に意気込みすぎたりすると、骨盤が後ろに倒れてしまい姿勢の悪化を招きます。2連覇がかかった平昌五輪では、結弦の骨盤の位置が少しずれていました。本番前の結弦に指示したのが『菊地流腹筋』の運動です。本人もちょっとした体の異変を感じていたようで、黙々と続けていました」■骨盤の歪みを解消する「菊地流腹筋」(1)テーブルなどに手をつき、背筋が伸びるように、足をテーブルから離す。手の幅は肩幅に。(2)息を吐きながら、足を内側にねじりながら引き上げる。同時にひじを曲げる。息を吸いながら、最初の姿勢に戻る。右足と左足を交互に、計4回ほど行う。「体を大きくねじることで骨盤の位置が整い、背筋がスーッと伸びます。気管が広がり呼吸が深くなるリラックス効果もあり、自信をもって演技に臨めたのです」あんなジャンプはできないけれど、菊地さんの「エクササイズ」で、ゆづの美姿勢を手に入れよう。「女性自身」2020年2月18日号 掲載
2020年02月07日将棋棋士の羽生善治九段(49)が12月1日に、インスタグラムのアカウントを開設した。《2019年9月27日お誕生日の夜、蝋燭『フー』の瞬間。未公開ショット》とし、バースデーケーキのロウソクを目前にした羽生のオフショットが投稿された。そして《ゆっくり更新で返信等一切お応え出来ませんが、羽生善治の将棋男子(男性が正しいか…)の日常をお伝え出来たらと思います。どうぞ宜しくお願い致します》とつづられた。インスタではトレードマークの眼鏡をはずしてトレーニングする姿も公開。真剣勝負の表情がイメージ強い羽生なだけに、ファンからは歓喜の声が溢れた。フォロワーはすでに1万人を超えている。《ヨン様のような爽やかさ!!》《すてきな瞬間のお写真ありがとうございます!羽生先生を応援する場所が増えて嬉しいです!わーい》プロフィールに《羽生善治の日常の写真などを少しづつ発信。本人のことを代筆で書きます》とされているように、代筆者は妻の理恵さん。同日に理恵さんはTwitterを更新し、こう報告した。《羽生善治インスタ開設しました。羽生善治 お返事などは全く出来ませんが、季節折々の表情や言葉をお伝え出来たらと思います。 羽生ペットアカウントと共に、 よろしくお願い申し上げます》これまでも羽生の日常をTwitterでつづってきた理恵さん。3日にもTwitterを更新し、インスタグラムのアカウントを開設したきっかけについてこうつづった。《講演で稼ぐのsnsインスタより精進しろなど、負けると一定数直接も間接もネットでも言葉が刺さるが》と羽生が勝負に負けると心ない言葉を浴びせられ、気に病んでいたことを告白。いっぽうで、《将棋以外で自己顕示欲が微塵も無い夫》と羽生について記した。そして、《インスタも地方の病床のファンの方や直接イベントへ来られない方へ何か出来たらが発端。真剣勝負の顔は中継で届くのでイベントでの元気お裾分け袋みたいなおまけ》と明かした。また《いずれはストーリーやインスタライブで夫のメディアを通さない声で元気をお届け出来たらと考えていましたが、開設したインスタも多くのファンの方がもしご不快ならいつでも閉じます》とも意向を示した理恵さん。続けて、《今後様子を見て進めたいと思います。 (尚インスタは私が更新・代筆し本人は写真撮影位で完全更新はノータッチです)》とつづった。そんな羽生夫妻のファンへの気遣いに、温かな声が寄せられている。《将棋の普及も含めてSNSは、意味あると思います。羽生先生の将棋以外の色々を知ることが出来嬉しいと思う人がいる事は、将棋界の為でもあるのではないでしょうか 理恵さんの内助の功素敵ですよ》《インスタ、多くの人が「若い子がやるもので自分は…」と遠慮してたのを、「羽生先生の姿を見られるなら」とアカウントを作成する人が続出してますよ(自分もそうです) 不快に感じるなんてとんでもない、楽しみにしております》
2019年12月03日表現者としてさらなる高みを目指す羽生結弦。原点回帰、そして今季のビジョンを織り込んだ、新プログラムに迫ります。静かなピアノの曲は音も抑えて滑りたい。幼い頃から目標にしてきた、23歳での五輪制覇。それをディック・バトン(アメリカ)以来66年ぶりに果たす“連覇”という快挙とともに達成。そしてそれにより始められると思った、自分のための、新たなフィギュアスケートへの挑戦。自分が競技者として目覚め、世界を意識する気持ちを生み出してくれた憧れのスケーターふたりの、代表的なプログラムで使用された曲を使うと決めた。だからこそ、いま自分ができる最高の技術を入れ込んだプログラムにしたいという思いは強い。その表れが、SPでジャンプをすべて後半の初めまでに入れ、その後はスピンやステップを行う構成にしていることだ。昨年4月に自ら企画・参加したアイスショーの“コンティニューズ・ウィズ・ウィングス”で、羽生はジョニー・ウィアーの、体をかがめて足の間に手を入れて回転する彼の“パンケーキスピン”に衝撃を受けたと話していた。アイスショーではウィアーだけではなく、ステファン・ランビエールなどもスピンだけで感情を表現する技術の高さを見せている。そんなスピンとステップで表現する世界を、さらに際立たせようとする試みなのだろう。自身の世界最高得点を更新する110. 53点を出したGPシリーズロシア大会では「曲自体も序盤はゆったりしているので、その中の滑りではあまりエッジの音は立てたくないし、ゴリゴリとスケートを滑らせたくないので。そういった、何かジャンプにつながる部分の難しさみたいなものも感じながら滑っています」と話していた。それは彼が『バラード第1番ト短調』を滑るシーズンイン前の言葉と共通している。静かなピアノの調べで始まる曲だからこそ、スケーティングの音も極力抑えて静かに滑らなければいけないと思う、と話していたのだ。羽生がウィアーの滑りに憧れたと話した中のひとつに、彼のジャンプのランディングのスムーズさときれいな流れがある。静かな曲調の中で力を使わずにスムーズな“静”を感じさせるジャンプをし、曲が盛り上がる後半のスピンとステップで自らの感情を爆発させるようなプログラムを意識しているのだ。日本スケート連盟の小林芳子フィギュア強化部長は、シーズン初戦オータムクラシックの、羽生のSPのスピンが印象的だったという。「レベル4を取るためには今までと同じことをやればいいが、今季はその組み合わせを難しいものに変えていた。それでこれまでの彼には見られないミスをしたが、本人も自分のためにスケートをすると話していたように、楽しみながら新しいことに挑戦しているなと感じました」と話している。ほぼスコアに縛られず演技ができている。フリーで彼の挑戦の気持ちが表れているのが、後半に入れている4回転トウループ+トリプルアクセルだ。このコンビネーションは着氷した足では踏み切らないために“シークエンス”扱いとなり、得点は2つの基礎点を加算した8掛けになる。羽生はそれを入れようとした理由を「今はほぼスコアに縛られることなく演技ができているので。点数は関係なく、今の自分ができる最高のコンビネーションとなるとやっぱり4回転トウループからのトリプルアクセルになると思うから、やろうかなと思いました」と話す。自分が得意にしていて思い入れのあるトリプルアクセルを2本入れたいという強いこだわりもある。それを入れることによって、連続ジャンプで2回転トウループを入れる必要がなくなることにもこだわった。エフゲニー・プルシェンコが『ニジンスキーに捧ぐ』で見せていた重厚感のあるカリスマ性を意識し、演技時間が30秒短くなり演技に余裕が持てない中で、すべてのジャンプに難しい入り方や出方を織り込む。そして最後にトリプルアクセル2本を含めたコンビネーションジャンプを3連続で入れる、極めて難度の高い構成にした。その難しさを承知しながらも、自分ができうる最高難度に取り組もうとするのは、“皇帝”とも称されるプルシェンコのこれまでの功績に敬意を払ってのものだろう。そのプログラムを自分のものとして完成させることこそ、羽生が目指すものだ。はにゅう・ゆづる1994年12月7日生まれ、宮城県出身。4歳からスケートを始める。 2014年のソチオリンピックに続き、2018年平昌オリンピックで金メダルを獲得。五輪連覇は66年ぶりの記録。※『anan』2019年1月30日号より。写真・能登 直(a prest)取材、文・折山淑美(by anan編集部)
2019年01月27日昨年8月末、拠点であるトロントのリンクにジャージー姿の羽生結弦の姿があった。公開練習のリラックスした表情に接近。公開練習で、いい意味での力をもらっています。昨年8月30・31日にカナダ・トロントのクリケットクラブで行われた、羽生結弦の新シーズンへ向けての公開練習。クラブに入ってくる彼を数多くのカメラが迎え、ロッカールームから出てスケート靴を履く時も、間近までカメラが迫ってくる。そんな中で彼にとっての公開練習の意味を聞かれると、笑みを浮かべながらこう答えた。「ひとつには自分にとって締め切りというか、テスト的なところがありますね。人間って追われるものがないと、最終的には詰めることができないじゃないですか。そういう意味で公開練習というのは皆さんが期待して来てくれることだから、自分の中で『ここまでにある程度仕上げておかなきゃ』という、ある意味でのプレッシャーというか…。いい意味での力みたいなものをもらっています」羽生は平昌五輪の後で、「五輪というのは卒論みたいなものだ」と話していた。4年間の集大成。そのためにゼミに入って研究を積み重ね、積み重ねて結果を出すものだと。だが平昌ではケガでその期間がギュッと短くされてしまった。すべてがゼロになった状態から、またすべてを一から作り直すのが大変だったと苦笑していた。そんな状況でも大きな目標にしていた五輪連覇を果たした羽生。今季の公開練習では、五輪へ向かう気迫を心に秘めていた昨季とは違う、穏やかな表情を見せていた。そこで発表した新プログラムは、ショートはジョニー・ウィアーが’06年トリノ五輪の前にフリーで使っていた『秋によせて』。『Origin』と名付けたフリーは、エフゲニー・プルシェンコが旧採点法時代に芸術点ですべてのジャッジが満点の6.0点を付けた、伝説のプログラム『ニジンスキーに捧ぐ』で使用していた曲。共に幼い頃に憧れ、その演技に刺激を受けた尊敬する存在。ふたりには自身が企画・プロデュースしたアイスショー“コンティニューズ・ウィズ・ウィングス”に出演してもらった時に、使いたいという思いを伝え、快く了承してもらったという。「フリーはまだ自分が使ったことのないジャンルの曲。小さい頃からずっとやりたいと思いながらも、プルシェンコさんの代表的なプログラムだから自分が使うべきではないと我慢してきた曲です。彼の圧倒的なオーラだったり、ニジンスキーのポーズ、一つひとつの音に合わせている動きやジャンプなどに、ものすごく惹かれた記憶があります。ウィアーさんの『秋によせて』も、男性だからこそ出せる中性的な美しさは彼の一番の魅力だと思ったし、スピンでの手の使い方やジャンプのランディングの美しさに惹かれ、自分もこういうふうに滑りたいなと思った記憶があります」曲の中に、自分の色を入れ込みたいと思う。以前は自分の色というより、尊敬しているスケーターたちの様々な部分を受け取り、それをつなぎ合わせて自分になればいいと思っていた。だが昨シーズンあたりからは自分らしさ、色というのがやっと出せるようになったと思えてきた。だからこそふたりへのリスペクトを持ちながら、曲の中に自分の色を入れ込みたいと思うようになったというのだ。競技を続行しようと決断した彼の心の中には、4回転アクセルに挑戦し、跳びたいという強い気持ちもある。それが今の最大のモチベーションだと。だがそれとともに、新しいプログラムに自分の思いを込めて作り上げ、演じたいという気持ちもある。「プログラムに関しては何か、自分の好きなようにしちゃおうというのが一番ですね。もう素直に、自分の気持ちとか、童心の中にある夢というものを叶えてあげようという気持ちが、今はすごく強いので。だから今は、すごく子供に戻った感じです」羽生はこう言うと明るく笑った。大きく開放された心。彼はそれを存分に楽しもうとしているかのようだった。はにゅう・ゆづる1994年12月7日生まれ、宮城県出身。4歳からスケートを始める。 2014年のソチオリンピックに続き、2018年平昌オリンピックで金メダルを獲得。五輪連覇は66年ぶりの記録。※『anan』2019年1月30日号より。写真・能登 直(a prest)取材、文・折山淑美(by anan編集部)
2019年01月26日フィギュアスケートの羽生結弦選手が出演するロッテ「ホットガーナ」新WEB動画、「マフラー男子」編と「マドラー当たる」編が15日、公開された。ロッテは、この冬「ガーナミルクチョコレート」をより簡単に、いろいろなシチュエーションで楽しんでもらおうと新動画を制作。「マフラー男子」編では、白いセーターに真っ赤なマフラーを巻いた羽生選手が、ホットガーナを飲んでホッと一息。カメラ目線で、「お疲れ様です。はい、ホットガーナ」と優しい表情で甘く語りかける。「マドラー当たる」編では、「羽生選手マドラー」を使って「5、6からの~7回転!」と遊ぶ、無邪気な羽生選手の姿を見ることができる。羽生選手の競技中の様子を再現した「羽生選手マドラー」は、羽生選手自ら監修。ジャンプやスピンのポーズには細微の部分までこだわり、躍動感あふれる仕上がりに。ホットガーナをつくって画像をSNSで投稿すると、抽選で500人にこのマドラー3種セットが当たるキャンペーンも実施する。羽生選手は、撮影の打ち合わせで「羽生選手マドラー」の試作品を渡されると、「おお!衣装の細部までこだわっていますね!」と出来栄えに感心。そのままじっと真剣な目つきで指先や衣装の細部まで確認すると、「よし、僕が技の見本になります。さらに完璧なマドラーを作りましょう!」と自らスタッフへ提案し、「結弦だけに、ユヅれないんですよね(笑)」と、衣装を脱いで、記録用のカメラに向かってマドラーのポーズと同じ体勢を披露した。そして、指の向き、角度、足の高さなど、羽生選手のこだわりが細部まで表現されたマドラーが完成。羽生選手は「それぞれのマドラーによって、回した時の感覚が全然違うんです。(ホットガーナを混ぜる際に)いろいろな回し方を楽しんでいただきたいです!」と呼びかけている。
2018年11月15日秋風の心地よい10月中旬の夕方。都内の閑静な住宅地で、夫と一緒に2匹の愛犬を散歩させていた、柴田理恵(59)。実は、小さいほうの黒い1匹は富山で暮らす実母・須美子さん(89)から引き取った犬だった――。柴田が母の近況を明かしたのは、9月28日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)。「父が亡くなって2年経った昨年の秋、体の調子を崩してうちの母が半年くらい入院しちゃって。最初はね『お父さんが呼びに来たんだな』ってくらい、衰えてしまって。要介護4になってしまったんです……」そこで月に1度以上は母の元を訪ね、世話をしていたという柴田。そんななか、須美子さんに劇的な変化が訪れたという。「元気になって4月に退院して(中略)それで、要介護4から要介護1に戻ったんですよ!」“要介護4”とは、歩行や排泄が1人ではできない状態のことで、介護レベルは2番目に高い。それに比べて“要介護1”は身の回りのことはほとんど1人ででき、杖などの支えがあれば歩行も問題ない状態のことだ。つまり“寝たきり”に近かった須美子さんが、たった半年で歩けるようになったというのだ。この“奇跡の回復”はどのようにして叶ったのだろうか――。本誌は富山県内にある須美子さんの実家「宮田旅館」を訪れ、そこで働く親戚の女性から詳しい話を聞くことができた。「もともと持病のせいで頸椎が圧迫されていて、さらに犬の散歩中に転んで、あばら骨を折ってしまったんです。以来、“犬は危ないから”と、りーちゃん(理恵)が引き取ることに。それからはすぐ熱が出るようになって、腰も悪くなりました。寝たきりになり、本人も『もう死にたい』と……」だが、近所の総合病院に入院し、須美子さんはリハビリに一念発起。みるみるうちに回復し、隣の施設に移ったという。一時は「死にたい」と漏らすほど弱気になっていた須美子さんがかつての強さを取り戻したのは、娘からの“鬼のリハビリ指令”があった――。柴田は前出の『徹子の部屋』で須美子さんの入院当時の様子をこう明かしている。「母は教師の仕事をやめてからも、保育園とか小学校とかにお茶を教えに行ってたんですね。だから『じゃあ、目標を持とう!また子供たちにお茶を教えに行くんだよ。だから、元気になるんだ!』って言ったんです。やっぱり寝てると足が衰えるので、『歩く練習しなさい』『リハビリ行きなさい』『頑張れ、頑張れ!』ってやりました」要介護4の89歳にはスパルタすぎるとも思えるが、10年に出版された著書『台風かあちゃん』(潮出版社刊)をひも解くと、柴田と須美子さんだからこその愛のかたちが見えてくる。《理恵(田舎にいる高齢の親を)中には、「東京に呼ぼう」という連中もいるわけ。(中略)でも、うちは絶対に無理、というか、ダメだろうな、と。》《須美子そりゃ、あんたに「東京に来い」と言われても、行かないだろうね》親子といえども、2人はお互いの“自立”を大切にし、いままでずっとほどよい距離感を守ってきたのだろう。前出の親戚女性はそんな“鬼介護”の効果に驚いているという。「りーちゃんもよく帰ってきてくれたし、施設では料理をするなど退院後も自活できるようなリハビリをしてもらいました。いまは月に1度、自宅で歌謡を教える教室も再開しています。また子どもたちにお茶を教えたいともよく言っています」須美子さんが入院していた病院の系列施設で介護職を経験し、現在は介護コンサルタント会社「ねこの手」代表の伊藤亜記さんも、柴田の介護をこう絶賛する。「いまは“過介護”ではなく“自立支援”を目指す時代。昔は『危ないから料理はさせない』というのが常識でしたが、それでは生きる気力が失われてしまいます。家族が意気込み過ぎるのは、介護離職や介護うつなどの問題だけでなく、本人の症状の悪化を招きかねません。柴田さんのケースは、お母さんのやりたい気持ちを尊重してあげたことがよかったですね。肝心なのは“家族は愛を、介護はプロに”。介護する側が『なんでも自分がやらなきゃ!』と手を出すのではなく、本人にやらせてあげてそれを見守る愛情がもっとも重要です」富山での取材後、記者は1人で杖をついて散歩をしている須美子さんを目撃した。友人らしき女性と談笑し、楽しそうに2人でスーパーへ。すっかり元気になった須美子さんは、元通りの“自立した生活”を送っていた。『徹子の部屋』で「(母は)目標を持ってこれからも、きっと長生きする」と語っていた柴田。その笑顔は須美子さんがスーパーで見せた笑顔と瓜二つで、一点の曇りもなかった――。
2018年11月02日光文社主催の「第9回国民的美魔女コンテスト」最終選考会が19日、都内で行われ、神奈川県在住の梅本理恵さん(47歳)がグランプリに選ばれた。同コンテストは、年齢を感じさせない美しさを持つ女性の真の"美魔女"を発掘するために、2010年から光文社発行の雑誌『美ST』が主催するコンテスト。9回目を迎える今回は約1,000人が応募し、厳しい審査で選ばれたファイナリスト16人が最終選考に登場。自己PR、水着審査、ドレス審査に臨み、神奈川県在住の梅本理恵さんがグランプリに輝いた。グランプリに選ばれたのは、この日登壇した16人のファイナリストの中で、最年長の47歳である梅本さん。名前を呼ばれて思わず涙を流し「この度はグランプリに選んでいただきまして本当にありがとうございました。まさか自分がグランプリになれると思っていなかったので、今、本当に驚いています」と信じられない表情で、「このコンテストに挑戦することを隠していましたが、友達に話してからはたくさんの方が応援してくれました。こちらにいる15人のメンバーとも新しい出会いがあり、みんなで助け合ってここまで来ました。会場にいる家族、そして応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました」と感謝の言葉を口にした。梅本さんは夫と20歳で大学生の長男と神奈川に住む3人家族。この日も応援に駆けつけていたそうで、「平常心でいさせてくれて本当ありがとうと伝えたいです。毎日すごく緊張したり何かをしたいと思ってもチャレンジできない性格な私の背中を押してくれたり落ち着かてくれます。本当にありがたい存在です」と家族のサポートに感謝しつつ、「今日はキビキビ動こうと思っていましたが、おぼつかなかったりしてしまいました。そういうところを出すつもりはなかったんですけど、自然なところが出てしまったところですかね」と自分なりにグランプリとなった要因を分析。47歳でありがながら一際輝いていた美の秘訣については「プラス思考に生きていくことを心掛けていることと、60歳になってもはんなりした女性だと言われることを目標にしています。そして可愛らしさと上品さ、謙虚であることをすごく大事にしています」と明かしていた。そんな梅本さんは、準グランプリの橋爪美香さんとともに芸能事務所のオスカープロダクションに所属できる特典も。これまで芸能活動を一切なかったという梅本さんは「もし私が出来るのであれば、同世代の女性の方々に何かを発信していけたらと思っています」と抽象的ながらも意欲を見せていた。なお、グランプリ以外には、準グランプリに京都府在住の橋爪美香さん(40歳)、WEB賞に東京都在住のチダムバラム利美さん(41歳)、フェイスライン美魔女賞に東京都在住の渡辺こずえさん(37歳)、つるんとむき卵美魔女賞に東京都在住の福川明子さん(44歳)がそれぞれ選ばれた。
2018年09月20日5月25日13時、千葉県の幕張メッセ前にワンボックスカー車が止まった。出てきたのは、羽生結弦(23)。『Fantasy on Ice』に出演するため、開演5時間前に会場入りしたのだ。待っていたスタッフへ丁寧にお辞儀すると、羽生スマイルが飛び出す。その表情からは、どこか吹っ切れた様子がうかがえた――。 ショーでは平昌五輪以来となるトリプルアクセルを決め、完全復活をうかがわせた羽生。 「実はこの直前、羽生選手はひそかに1週間ほどトロントへ渡っていたそうです」 そう語るのは、羽生を知るフィギュア関係者だ。アイスショー直前にもかかわらず、わざわざカナダへと飛んだ羽生。理由は新シーズンのプログラムにあったという。 「これまで負傷した右足首のリハビリに専念してきた羽生選手ですが、経過は良好。ジャンプを跳んだ後には軽い痛みがあるようですが、次シーズンを戦う上で問題ないほどには回復してきています。そんななか、6月に国際スケート連盟が大幅なルール改正を行うと発表。そこで彼はトロントで拠点としているクリケットクラブを訪れ、次のプログラムについて打ち合わせを行ったそうです」(前出・フィギュア関係者) 新たなルールに対応すべく行われた極秘ミーティング。そこには、もう1つの目的があったようだ。 「羽生選手の母・由美子さんやオーサーコーチは、彼が“燃え尽き症候群”に陥ることを危惧しているんです。これまでは五輪連覇という目標があったからこそ、苦難を乗り越えることができました。しかしそれを達成した今、モチベーションを支えるものがなくなってしまった。だからコーチたちは『次のシーズンはまず、ユヅルの好きなように滑るべき』という方針を打ち出したそうです。その効果はてきめん。羽生選手は積極的なプランニングを出しているそうです」(別のフィギュア関係者) アイスショー後、次シーズンのプログラムについて「曲は決まっています」と語っていた羽生。早くも次のステージへ向かっているようだ。
2018年05月30日「くまのプーさん」を愛する羽生結弦選手や、「もぐたろう」紛失騒動で話題になった江口ともみさんなど、今、ぬいぐるみ愛を堂々とアピールする大人が急増中。それって変なの?いえいえ、もはや「ぬいぐるみは子どものもの」という考え方こそ古いんです。 「大人になったからといって無理にぬいぐるみと離れることは好ましくありません。『いつまでも一緒にいていいんだよ』と言いたいですね」 快獣ブースカ、リラックマ、くまモンといったキャラクターがズラリと鎮座する研究室でそう語るのは、法政大学教授の青木貞茂さん。ぬいぐるみを愛する大人が増加する背景を、青木さんはこう分析する。 「社会の変化に伴い、家庭も仕事も努力なくして安定はなく、生き抜いていくために常にバージョンアップが求められる時代。その中にあって、『ぬいぐるみ』は激流の中で自分をつなぎとめてくれる“心の錨”のような存在なんです。野球の大谷翔平さん、スケートの羽生結弦さんといったトップアスリートの方々がぬいぐるみ好きであることを公言し、アルピニストの野口健さんも自宅でくまモンと差し向かいで晩酌をしているとか。保証のない世界で闘う彼らが、ぬいぐるみに精神の安定を求め、癒しを得ていることはその典型例といえるでしょう」(青木さん・以下同) もちろん心のよりどころとなりうるものは、ほかにもある。しかしペットや人はケアが必要であり、亡くなってしまうことも。絶対的に自分を受け入れてくれる“守り神”的な存在として、ぬいぐるみは理想的だという。 また、日本では古来、長い年月を経た道具などに神が宿る「つくも神」という考え方が受け入れられてきた。 「“ぬいぐるみ愛”の根底にもこの思想が流れています。だから断捨離などといって、親がお子さんのぬいぐるみを勝手に捨ててしまうのは言語道断。自分も簡単に捨てられてしまう存在なのだと、とらえられかねない。どうしても処分したいなら、お焚き上げなどの儀式をしたほうがいいと思いますが、そもそもそこまでして捨てなければならないのでしょうか。大人になってもそばに置いておくことで、人に対しても慈しみの心が芽生える。ぬいぐるみを愛する心に、何も不都合はないのです」
2018年05月20日(写真:アフロ) ブライアン・オーサーコーチ(56)の愛弟子といえば、絶対王者・羽生結弦(23)。その師弟関係に今回、“女王”が加わることとなった。女子フィギュアのロシア代表選手、エフゲニア・メドベージェワ(18)だ。 平昌五輪では、金メダル候補ともいわれていたメドベージェワ。だが同じくロシア代表のアリーナ・ザギトワ(15)に敗れ、銀メダルという結果になっていた。そんな彼女がオーサー氏に師事し、カナダに渡るというのだ。 だがロシアとカナダは、フィギュアスケート界におけるライバル国。所属こそそのままだが、ロシア人選手が練習拠点をカナダに移すというのは“異例の事態”だ。なぜ彼女は“祖国を捨てる”ような決断を下したのか。一部ではエテリ・トゥトベリーゼコーチ(44)との確執が報じられているが、理由はそれだけではないようだ。 「メドベージェワさんは、羽生選手にとても熱を上げています。そして徐々に、その距離を縮めようとしているんです」(スポーツ紙記者) 実はコーチ変更の背景にも、羽生への思いが影響しているという。 「彼女は羽生さんのことを、出会う前からずっとチェックしていました。そして実力をつけると、国際大会でも出会うように。記念撮影をしてもらうなど地道なアピールのおかげで、今ではプレゼント交換もする仲になっています」(前出・スポーツ紙記者) 平昌五輪前、メドベージェワは羽生とゆかりの深い「晴明神社」を訪れていたという。また五輪でも、仲睦まじい姿が目撃されていた。 「平昌五輪のエキシビション前には、控え室で仲良くデュエットする姿も目撃されています。曲は、ディーンフジオカさんが歌うアニメ『ユーリ!!! on ICE』のテーマソング。2人は終始笑顔で、肩を揺らしながら歌い続けていたそうです」(フィギュア関係者) そして彼女は今回の移籍を機に、さらなる“野望”を秘めていた。 「彼女はトロントでの新居について、セキュリティのしっかりした“あるマンション”を希望しています。そこが実は、羽生選手と同じなのではと言われているんです。もしそうなれば、2人の仲もさらに近づくのではないでしょうか」(前出・フィギュア関係者)
2018年05月17日エンゼルスに移籍し、鮮烈な活躍ぶりが話題の大谷翔平(23)。今をときめくプロ野球界のスターだが、フィギュアスケート界のスター・羽生結弦(23)と多くの共通点があった! まず、大谷と羽生はともに94年生まれ。いわゆる“ゆとり世代”と呼ばれる若者だ。それまでの「横にならう集団教育」ではなく「個を重んじる教育」のなかで育った2人。それが現在の大活躍に繋がっているという。“尾木ママ”こと教育評論家の尾木直樹氏(71)は言う。 「ゆとり世代の2人に共通するのは、世間の常識や周囲の意見にとらわれないこと。自己分析力に長けていて、自分が正しいと思ったことを貫けるんです」 ゆとり世代の成功例といえる2人、父はともに“自立支援型教育”を重んじてきた。 「エディプス・コンプレックスという言葉があります。父親があまりに偉大だと、その壁を乗り越えられなくなるというものです。でも2人のお父さんは意見を押しつけず、自分でものごとを決めさせてきた。羽生選手のお父さんにお会いしたことがありますが、本当に控えめな方です。父は、後ろに控えていないとダメなんですよ」(尾木氏) フィジカルは母親がサポート。大谷も羽生も食が細く、食事に興味を持たない少年だった。 「大谷選手は少し箸をつけるだけで『あとどれくらい食べればいい?』というタイプだったそうです。それでも母・加代子さんは食事を作り続けました。いっぽう羽生選手も、5分で『ごちそうさま』と言うような少年でした。しかし母の由美さんは専門家にアドバイスをもらい、オリジナルの完食メニューを作っていました」(スポーツ紙記者) さらに2人は、ともに“お姉ちゃん子”だという。 「大谷選手の私服はお姉さんがコーディネートしているそうです。そして羽生選手が4歳でフィギュアスケートを始めたのも、お姉さんの影響。彼女が通うフィギュア教室についていき、そこで『僕もやりたい』と言い出したそうです」(前出・スポーツ紙記者) そんな2人を癒してくれる存在も共通していた。ぬいぐるみが大好きなのだ。羽生がいつもプーさんのぬいぐるみを持っていることは有名だが、実は大谷も母にもらった犬のぬいぐるみを愛用。高校で寮生活をしていた3年間、枕元に置いていっしょに寝ていたという。 「ブランケット症候群といわれる症状があります。ライナスの毛布とも言われ、特定のものを持つことで安心するというものです。勝負の世界で常にストレスにさらされている2人は、このぬいぐるみのおかげで精神を安定させているのでしょうね」(尾木氏) 試合に向けての気合の入れ方まで同じ。2人は神社に対する信仰心があついというのだ。 「大谷選手は横浜にある鶴ヶ峯稲荷神社に通っているそうです。羽生選手も京都の晴明神社や神戸の弓弦羽神社などを参拝しています」(前出・スポーツ紙記者) そして2人は東北出身で、東日本大震災を16歳で経験している。 「羽生選手は宮城県出身で、大谷選手は岩手県出身。2人とも当時は高校1年生でした。そんな大事な時期に被災したことで、競技を続ける意味について考えるようになった。被災地の代表という思いが、彼らを突き動かしているのです」(前出・スポーツ紙関係者)
2018年04月26日≪これなら負けない!≫ Twitterでこう意気込むのは、羽生結弦選手(23)のとあるファンだ。競技名は題して「#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」! 羽生は4月22日、地元・宮城県仙台市で祝賀パレートを開催。平昌オリンピックで金メダル獲得という偉業を成し遂げただけに、11万人もの人々が集まった。 羽生を乗せた車は、仙台市役所までの1.1キロを40分かけて進んだ。背伸びをして手を振り、時折沿道に向かい指をさすなどサービス精神旺盛。精いっぱい、声援に応えようとする姿がそこにはあった。 ファンも精いっぱいその姿を撮影しようと努力していた。羽生は一瞬で通り過ぎてしまう。今か今かと待ち構え、人をかき分けシャッターチャンスをファンは待っていた。 しかしすし詰め状態のなかで撮影したものに、ミスは当然多い。そこで失敗した写真をあえて披露しようとTwitterで企画されたのが「#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」だ。失敗した写真をアップし、それぞれがコメントを投稿するという。 たとえば興奮のあまりブレてしまい、背景しか撮れてないものにはこうだ。 ≪仙台の美しい風景をお楽しみください ≫≪杜の都≫≪本人不在≫ またせっかく羽生の姿を収めても、ブレてしまったものには≪涙でにじんだのよね、きっとそう≫と一言。遮るように謎の光が映りこんだものには≪このホヤホヤした光、たぶん私の魂(抜けた)≫とコメント。 さらに体の一部しか撮れなかったものには≪左手は写った≫≪な ぜ 顔 を 撮 ら な い の 私≫≪シャッター切る瞬間ことごとくお顔を伏せてしまう羽生さん≫とも。≪人違い≫と遠くにいる警備員らしきひとを撮影したものもある。 そんなファンの愛を改めて伝える「#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」に、「むしろ熱気が伝わる!」と絶賛の声があがっている。 ≪たとえそこに…羽生が写っていなくても…羽生愛が感じられさえすれば…それは…立派な羽生写真なのです…破棄しては…いけません…≫≪現地の狂乱がとても伝わってくるのと同時に、皆さんのことが愛しくてたまらなくなる。つまり面白い≫ 羽生に、この愛は届くのだろうか?
2018年04月24日(写真:アフロ) 4月13日、東京・調布市にある「武蔵野の森総合スポーツプラザ」で羽生結弦(23)のアイスショー『Continues‐with Wings‐』が行われた。9千人のファンを前に、平昌五輪以来47日ぶりに滑るサプライズを見せた羽生。だがその人気は、思わぬ余波も呼んでいた。 開演前から会場には長蛇の列が。お目当ては羽生関連グッズだという。先頭の女性客は、開演12時間前の午前6時から並んでいたとのこと。羽生人気のすさまじさがうかがえた。 さらに公演前の4月11日には、東京・日本橋にある高島屋で「羽生結弦展」が行われた。羽生自身の登場はないにもかかわらず、午前10時のオープンを前に2千人もの行列が! 「会場は8階でしたが、そこにたどりつくまで3時間かかりました。あまりの過酷さに、3回ほど気絶しそうになりました。それでも会場にたどり着くと、もう夢のよう!衣装の質感、刺繍の細やかさ。写真も、初めて見るものもあって。並んでいたときはみんな疲れた表情をしていましたが、最後は笑顔になっていましたね」(訪れたファン) 会場ではグッズ売り場も設置。限定商品の「コスチュームキューピー」(800円)と「キャンバスアート」(大2,500円、小1,500円)には、熾烈な争奪戦が巻き起こっていたという。 「売り場はもう人の山。このグッズを目当てに訪れた人もいたようですが、初日の14時時点でもう売り切れていました。『たった4時間で!?』と残念がる声も聞こえてきましたね。グッズ売り場にいた友人によると、怪しい人がいたみたいです。帽子を目深にかぶってマスクをした男性がいて、写真展には目もくれず売り場へダッシュ。さらにその日の夕方には、大量の限定品がネット上で転売されていたんです」(前出・訪れたファン) 実際、こうした転売はいたるところで横行。とあるフリマアプリでは、800円のキューピーが、なんと50倍の約4万円で売買! 「商品やレシートには『応援ありがとうございます』と印字されており、ゆづの温かい心遣いが感じられました。なのに転売するなんて、許せないです!」(前出・訪れたファン) 同じく11日には宮城県仙台市内にあるデパートなどで記念Tシャツ(2,500円)の販売が開始されていたが、こちらも大人気。売り場には、長蛇の列ができた。売り上げは22日に同市内で行われる金メダル祝賀パレードの費用に充てられるが、こちらも転売が横行。オークションサイトでは、倍の5千円で落札されていたという。
2018年04月20日(写真:アフロ) 最近、「いちゃつくメンズ」に萌え死にする大人女子たちが増えているという。たとえば、2月17日、平昌五輪男子フィギュアスケートで2連覇を達成した金メダリスト・羽生結弦選手(23)と銀メダルを獲得した宇野昌磨選手(20)の仲むつまじい姿はネット上でも話題になり“ゆづしょま萌え”と呼ばれるほど。 なぜ、世の女子たちは男同士のいちゃつく姿に萌えるのか。精神科医の髙木希奈先生に聞いてみた。 「女性たちが若い男子同士のスキンシップに萌えるのは、母性本能をくすぐられるからでしょう。誰にでも萌えるというわけではなく、羽生選手と宇野選手は、10年ぐらいの長い付き合いを経てきたからこその人間関係が動作や言葉からにじみ出てきて、またそこに引かれるのです。特に日本人は、一体感が生まれるグループの力や、苦楽を味わって成長してきたような苦労話が好きなので、そういう彼らが“濃い”スキンシップをはかるとグッとくるのでしょうね」(髙木先生) 人間関係を“深読み”して妄想をふくらませる。そのプロセスも「いちゃつくメンズ」を楽しむ作法と言える。 もちろん、いちゃつくのは若くて清潔感がある若い男性が前提条件なのは言うまでもない。多くの日本人に感動を与えた平昌五輪。男子フィギュアスケートの競技後のセレモニーで、羽生選手が宇野選手の頭を“なでなで”する姿は記憶に新しい。 さっそく翌朝、民放の報道番組で、その場面を司会者に突っ込まれると宇野選手は「いろんなところで(羽生に)面倒を見ていただいて。本当にありがたいのと、申し訳ない気持ちもあります」と恐縮するが、羽生選手は「弟分というよりもワンコに近いですね」と笑い合い、その姿に女子たちが悶絶した。 「表彰台に2人で上がることはこれまでもあって、’15年のGPファイナルでも3位で表彰台に上がった宇野選手が真ん中に立つ羽生選手の腕を組み、『結婚式かよ!』とテレビでも話題になりました。ふだんから仲よしなので、いちゃつく姿を見ているとホッとする。もうかわいくて仕方がないんです!」 こう力説するのはゆづファンの女性(60)。髙木先生は言う。 「大人の女性たちは日常生活のなかで、新しい人と出会うこと自体が少なくなってきているので、なかなかときめく機会がない。でも『いちゃつくメンズ』観賞なら、テレビやインターネットの動画など身近なツールでときめきを得ることができる。彼らに萌えるブームはまだまだ続くでしょう」 ときめくと、顔と心にハリが出てくるともいわれている。女子たちよ、もっと萌え、もっと若返ろう!
2018年04月01日右足首のケガのため、世界選手権を欠場した羽生結弦(23)。大会期間中の3月21日にはリハビリの一環として氷上に立っていたことが明らかになったが、あくまで感覚を失わないように滑る程度。本格的な練習再開のめどは立っていないという。 3月7日にスケート連盟が発表した羽生のケガの状況は「約2週間の安静と3カ月間のリハビリが必要」というもの。そんななか心配されているのが、羽生のアイスショー出演だ。 羽生は4月13日から行われるアイスショー『Continues〜With Wings〜』への出演がすでに決定しているが、滑るのではなくあくまでトークのみでの参加になるという。そうした“変則的な形”でもあえて出場する背景には、アイスショーを巡る“巨額の興行収入”が大きく影響しているようだ。 「このアイスショーは、1万人の観客を動員する一大イベント。3日間の開催で、4億円近いチケット収入が見込まれているんです。それだけではありません。グッズ販売やスポンサーからの後援料を含めると、総収入は7億円を超えるともいわれています」(広告代理店関係者) さらに羽生の“金メダル凱旋興行”は、これだけでは終わらない。今後7月まで、じつに多くのアイスショーが予定されているのだ。 「それらの興行収入を合計すると、60億円近い額になるといわれています。興行が成功すれば、かかわっている連盟の懐も潤います。そのため連盟は、羽生選手をできるだけ多くのショーに参加させようとしているんです。4月のアイスショーはトークのみの参加で済まされるかもしれませんが、羽生選手のリハビリが終わるとされているのは6月ごろ。無理な出演をさせられ、ケガが悪化しないと良いのですが……」(スポーツ紙記者) 「全治3カ月でもショーへ!」と望むスケート連盟からの“非情指令”。「60億円の重圧」を抱え、羽生の再出発は前途多難となりそうだ。
2018年03月30日3月11日、アパレルブランド「サマンサタバサ」が羽生結弦(23)のサイン入りスケート靴を850万1,000円で落札した。Yahoo!検索ワードランキング1位に「サマンサタバサ」がランクインするなど、話題になっている。 サマンサタバサは『東日本大地震チャリティーオークション』当日に「東日本大震災でなにか私たちにも出来ないか」とスタッフに有志で寄付を募った。結果、海外スタッフも含め約8,600口のチャリティが集まったという。 羽生のオークション商品は、羽生が実際に練習で使用したスケート靴にサインを入れたもの。一般社団法人「ウェブベルマーク協会」が、羽生から提供を受けオークションサイト「ヤフオク!」に出品した。 すると5日の出品当初から高額の入札が相次ぎ、一時は3,500万円を超える事態などにも発展。いたずらとみられる入札もあり、2度のやり直しを行っていた。落札金額から必要経費を除き、被災地の学校に備品や教材などを支援する際の費用にあてるという。 これに対しネットでは「スタッフの有志を募ってオークションに参加なんて素晴らしいことでしょう」「素敵ですちょうど娘がバック欲しがってたなぁ良い企業には惜しみなく」「落札者サマンサタバサの有志のみなさんだったとしって、そのあたかさと、多くの賛同してくださった社員の皆さんに感謝しかありません。ありがとうございます」「羽生くんの靴を落札してくれたのサマンサタバサだったの!?すごい!ありがとうございます!!」とサマンサタバサへの称賛の声が上がっている。
2018年03月12日2月28日の午前10時半、都内のホテルロビーから羽生結弦(23)が姿を見せた。かたわらには、母・由美さんの姿も。最後は、スタッフ総出でのお見送りとなった。「ありがとうございました!」と語った羽生。この日も王者は笑顔だった――。 男子フィギュアで66年ぶりの五輪連覇を成し遂げた羽生。26日に凱旋帰国すると、翌27日には午前中から帰国報告会に出席。文部科学省、スポーツ庁、外国人特派員協会、日本人記者クラブ、ANA本社へ移動するなど大忙しだった。3月2日には国民栄誉賞を授与する方向で最終調整に入ったことが報じられるなど、誰もが王者をほめたたえた。 そんななか注目されているのが、羽生のこれから。羽生は「4回転アクセルに挑戦したい」と語っているが、右足首の状態は思わしくない様子。27日には、当面は治療に専念すると明かしていた。3月19日からは世界選手権が行われるが、出場回避を示唆する報道も……。 「治療とかリハビリとか基礎は辛い。ただそういった辛い時期、苦しい時期を乗り越えて、次のことに向かって、前に進んでいけたら」 だが彼は早くも前に進み始めていた。ホテルを後にした羽生が向かった先は、都内の病院だった。都内にはナショナルトレーニングセンターがあるが、なぜこの病院を訪れたのか。 「スポーツ医療の分野が充実していることで有名なんです。各分野のエキスパートが集まっていて“細分化された治療”を受けることができます。羽生さんはA医師を頼ったそうです。海外キャリアもある敏腕医師で、スポーツ医療に造詣が深い方。仙台の病院でも役職についていたことがあるので、以前から交流があったのかもしれません」(医療関係者) 訪れたのは、午前の一般診療が終了した正午すぎ。院内にはまだ患者が残っていたが、羽生の姿に気づく人はいなかった。それもそのはず、羽生から“オーラ”が完全に消えていたのだ。そこにいたのは年相応の、どこにでもいる“普通の青年”のようだった……。 「羽生さんは今回、患部周辺の精密検査を行ったそうです。その後、今後のリハビリスケジュールなどを話し合っていたそうです。その話し合いのなかで、羽生さんは『可能ならば、やっぱり世界選手権に出場したい!』と訴えたそうです」(前出・医療関係者) 会見では終始、笑顔で振る舞っていた羽生。だがその胸の内ではやはり、けがへの不安を抱えていたのだ。医師との話し合いは、実に3時間にも及んでいた――。
2018年03月06日平昌五輪で金メダルを獲得し、男子フィギュアスケートで66年ぶりとなる2連覇の偉業を成し遂げた羽生結弦(23)。日本中から栄誉が贈られ、CM業界からは莫大なお金が集まり始めている。その人気は、過熱するいっぽうだ。 だが当の羽生自身が求めているのは「名誉」でも「お金」でもなく、まったく違うプロジェクトだった。羽生を知るフィギュア関係者が言う。 「羽生選手は、子供たちのための“基金”設立を目指しているんです――」 そう語るのは、羽生を知るフィギュア関係者だ。 「彼は以前から著書の印税や大会の報奨金をスケート関連施設などに寄付してきました。というのもフィギュアを続けるにはお金がかかりますし、施設も整備されているとは言えません。彼自身も東日本大震災を経験しており、そうした状況に苦しんできた1人でした。だから彼は『子供たちには自分のような思いを味わってほしくない。彼らの夢を支えたい』と訴えてきたんです。今回の2連覇で集まるお金も自分のために使うのではなく、その夢を実現させる資金にしたいと考えているようです」 “羽生基金”の具体的なプロジェクト内容。そのヒントは、羽生が小学生時代から憧れているエフゲニー・プルシェンコ(35)にあるという。 「昨年3月に引退したプルシェンコ選手ですが、直後の4月にモスクワ市内でスケート・スクールをオープンしました。そこで“才能はあるけれど両親から経済的支援を得られない子供たち”に対して、授業料無料でレッスンしているそうです。羽生選手はそうしたプルシェンコ選手の活動を“お手本”に、子供たちのためのスクール運営なども検討しているみたいです」(前出・フィギュア関係者) 羽生結弦が運営するスクールとなれば、大盛況となるは間違いなさそうだ。
2018年02月27日