「8年前に訪問させていただいたとき、仮設住宅やウッドテラスで被災されたみなさんとお話しさせていただいたことが、とても印象に残っています。その後、みなさんいかがかしらと思って過ごしてまいりましたが、ラグビーワールドカップの開催など嬉しいニュースもありました」3月4日、天皇皇后両陛下は岩手県の被災地をオンラインで訪問された。釜石市長との懇談で、雅子さまはこのように、8年前の訪問の思い出を語られた。両陛下は’13年11月、岩手県を1泊2日の日程で訪問されている。釜石市の仮設住宅で両陛下を出迎えた福士愛さん(26)も、雅子さまにお声をかけられた一人だ。釜石の海沿いにあった福士さんの自宅は、大津波で跡形もなく流された。雅子さまは、当時9カ月だった長男の優斗くんを抱いていた福士さんに近寄り「寒くないですか?大丈夫ですか?」とお声がけされた。さらに優斗くんについて「何カ月ですか?」「元気でお過ごしくださいね」と優しくおっしゃったという。そして陛下からも「仮設の暮らしはどうですか?」「大変ですよね」とのお言葉があったそうだ。福士さんの家族は、いまでは小学2年生になった優斗くんの下に弟と妹が増えて5人暮らしに。2年ほど前に仮設団地から県営災害住宅へと引っ越したという。「雅子さまは視線の高さを合わせ、ゆっくりと話しかけてくださいました。優斗には、両陛下がテレビに映ると『あなたも会ったことがあるんだよ』と伝えるのですが、いまはまだ、あまりわかっていないみたいですね(笑)今年で10年になりますが、東日本大震災のことを風化させてはいけないと思います。天皇陛下と雅子さまが長い間被災地のことを気にかけてくださっていることは本当にありがたく、心の支えになっています」天皇陛下も先日の会見で、2月に福島県沖でマグニチュード7を超える地震があったことを受けて、次のように述べられている。「未曽有の災害がもたらした被害の大きさが改めて思い起こされるとともに、東日本大震災については、過去のこととしてではなく、現在も続いていることとして考える必要があることを改めて感じました」地震発生のために延期されてしまったが、両陛下は岩手県だけでなく、福島県と宮城県にもオンライン訪問される予定となっている。天皇陛下と雅子さまはこれからも被災地に心を寄せ続けていかれるだろう。「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
2021年03月11日2021年3月9日、情報番組『バイキングMORE』(フジテレビ系)では、司会者を務める俳優の坂上忍さんが、お笑いコンビ『サンドウィッチマン』と東日本大震災の被災地を訪れる特集を放送。サンドウィッチマンの2人が被災地にあるメッセージを残しました。サンドウィッチマンが被災地にメッセージ番組で一行が訪れたのは、宮城県気仙沼市にある、震災の記憶と教訓を伝えるための施設『東日本大震災遺構・伝承館(以下、伝承館)』。ここでは、高さ12mを越える津波の被害を受けた『宮城県気仙沼向洋高校』の旧校舎を見学することができます。東北出身のサンドウィッチマンの2人にとって、この旧校舎は高校時代にラグビーの試合で遠征に来たこともある場所なのだそう。伝承館では訪れた人に、付箋に感想や応援の言葉を書いてもらっているとのことで、最後にサンドウィッチマンの2人も想いをつづっていました。これからも沢山の方を連れて来ます。東北魂サンドウィッチマン伊達バイキングMOREーより引用逃げようねまた会うためにサンドウィッチマン富澤たけしバイキングMOREーより引用「これは我々の使命」と語っていた、『サンドウィッチマン』の伊達みきおさん。2人のメッセージからは「多くの人に被災地に訪れてもらい、震災のことを知ってもらいたい」「震災の教訓を忘れない」という強い気持ちが表れていました。ネット上では、視聴者からさまざまな声が寄せられています。・サンドウィッチマンの言葉は、体験したからこその重みがあって、心に響きます。・涙が出てきた。震災の映像は見たくないけど、ちゃんと知らないといけないし、自分がどう生きていくのかを考えないといけない。・富澤さんのメッセージに号泣。とても短い文面なのに心に刺さった。伝承館の付箋のメッセージは2019年のオープン以来、1万件を超しているとのこと。震災から10年が経ったといえども、完全に復興をしているわけではなく、被災して大切な誰かを失った人たちの痛みが消えるわけでもありません。多くの人が被災地に想いを寄せ、震災の記憶を忘れずにつないでいくことが、大切でしょう。[文・構成/grape編集部]
2021年03月09日東日本大震災が発生してから今年で10年を迎える。2月10日、天皇皇后両陛下が岩手県、福島県、宮城県の被災地3県をオンラインでご訪問する計画が進められていると報じられた。被災地に心を寄せる陛下と雅子さまのご希望によるもので、新型コロナウイルス感染拡大の影響で現地への訪問が難しいなか、オンラインで復興状況の視察と被災者との懇談を行うことになる。2月16日に福島県をお見舞いされ、岩手県、宮城県と順次進められるという。陛下と雅子さまは、’11年6月に宮城県山元町の避難所をお見舞いされた。そして同年7月に福島県郡山市、翌8月には岩手県大船渡市を訪れた。その後も継続的に被災地を訪問されている。今年は年始の恒例行事である歌会始が延期となったが、これまで雅子さまは復興の願いを込めた歌を詠んでこられた。福島県の福島市土湯温泉町には、雅子さまの歌が刻まれた歌碑が’13年に建立されている。《春あさき林あゆめば仁田沼の岸辺に群れてみづばせう咲く》雅子さまがこの歌をお詠みになられたのは、’12年の歌会始。陛下と雅子さまは、’96年4月に土湯温泉町をご訪問されている。それを記念する行啓記念碑のとなりに、雅子さまの歌碑は建立された。「雅子さまは仁田沼に群生するミズバショウの光景を浮かべながら、被災地の人々に思いを馳せて詠まれました」(皇室担当記者)’19年3月には宮城県名取市の閖上地区にある「震災メモリアル公園」でも、雅子さまが詠まれた《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》の歌が刻まれた歌碑が建立された。雅子さまは’17年11月、陛下とご一緒に復興公営住宅「名取市閖上中央第一団地」で被災者と交流された。雅子さまはその時の気持ちを、’18年の歌会始でこの歌に込められたのだ。これまで体調不良などの理由から歌会始の欠席が続いていた雅子さまだが、令和初となる昨年の歌会始には17年ぶりにご出席。「望」というお題に、雅子さまは《災ひより立ち上がらむとする人に若きらの力希望もたらす》と詠まれた。「陛下と雅子さまは’19年12月末、台風19号で被災した宮城県と福島県をお見舞いされました。雅子さまは被災地で高校生などの若者が復旧作業に励む姿に感銘を受け、この歌をお詠みになられたのです。コロナ禍の現状では被災者と対面することは叶いませんが、それでも陛下と雅子さまは被災者とふれ合う方法を模索されてきました。すでに1月には、九州豪雨で被災した熊本県の被災地をオンラインで視察されています。震災や豪雨の被災地に心を寄せ、復興を願われてきた陛下と雅子さまのお気持ちは、画面越しでも被災者の心に届くでしょう」(前出・皇室担当記者)
2021年02月11日お笑いタレントの江頭2:50さんが、2020年11月6日に自身のYouTubeチャンネルに動画を投稿。会員制の倉庫型店舗『コストコ』でいわゆる『爆買い』をする様子を公開しました。コストコを利用するのは2度目で、およそ9年ぶりだという江頭さん。初めて江頭さんがコストコを訪れたのは、東日本大震災の際だったといいます。江頭2:50、東日本大震災での支援を振り返る多くの人にとって忘れられない日となった、2011年3月11日。マグニチュード9.0の地震が東北地方で発生した、東日本大震災です。建物の倒壊や地震後の大津波により、多くの地域で甚大な被害が発生しました。復興庁によると、死者はおよそ2万人、行方不明者は2500人を超えるといいます。そんな中、江頭さんはペーパータオルや飲料水、生理用品やオムツなどを購入し、2tトラックに限界まで詰め込み、福島県に自らの手で届けることに。当時を振り返り、江頭さんはこのようにコメントしました。20万!アコムで借りた!そしたらそれが、そこで働いていた娘(女の子)がTwitterで「エガちゃんが来たみたい」って流して、(情報がネットで)広まって…営業妨害だよ!エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用なんと江頭さんは、支援物資を購入するために貸金業者から20万円を借りていたといいます。続けて、支援物資を直接届けることにした理由について、このように明かしました。あれはNHKで「福島が今、老人ホームがやばい」って。救援物資が、トラックが福島に届かない。手前で帰ってしまうっていうので、そんな…ふざけんじゃねえ!そんなのトラック野郎じゃねえ!って思って。「俺しかいない!」って思って行ったんだよ。エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用その時は救援物資もトラックも、ガソリンも全部ない時。俺のツテを全部たどって、「トラックもタダで貸してやる。そんなことだったら」(といわれた)。あと、コストコも電話したら「うちの偉い人に代わりますから!」って。「じゃあ、持てる分だけ持って行ってください!」。ただお金は必要ですけど「(必要な物を)全部渡しますから」って!コストコいいところなんだよ!エガちゃんねる EGA-CHANNELーより引用協力してくれる人を探した結果、トラックを知人から借り、コストコで支援物資を大量に購入することができたのだとか。震災後は被災地だけでなく、全国各地で買い占めが起こっていました。そのため、江頭さんはコストコに相談した上で支援物資を購入したのでしょう。9年前の恩を返すために、今回はコストコで『爆買い』をすることになったといいます。江頭さんの人情の厚い性格に、多くの人が感謝するコメントを寄せました。・福島県民です。江頭さんの優しさでたくさんの人が救われました。心から感謝しています。・こういう恩返しの『爆買い』はいいね!江頭さんに恩返ししたい人もたくさんいると思いますよ。・お金を借りていたと知って感動しました。行動に移せる江頭さんは本当にすごい。2020年7月に九州地方が豪雨被害を受けた際は、100万円を寄付した江頭さん。動画で被災地の人に向けて「お前らは1人じゃないぞ!絶対に諦めるな!」と熱いエールを送りました。「ありがとう」「涙が出てきた」江頭2:50が豪雨被災地に100万円を寄付いわゆる『汚れキャラ』でも人気があるのは、心の美しさが多くの人に伝わっているからなのでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年11月07日新しい被災者支援の形ロッツ株式会社が展開する「カカオブローマ」事業部では、薬剤師が作るオーガニック「Bean to Bar」チョコレートで東日本大震災の被災者支援や障がい者雇用にも取り組むためクラウドファンディングに挑戦しています。同社は東日本大震災後、被災者の健康を守るため陸前高田市に薬局を開設し、医療介護事業をメインに取り組んできました。現在、新事業としてチョコレート工房「カカオブローマ」を設立し、薬剤師が作る健康に良いチョコレートを提供するためクラウドファンディングプラットフォームGoodMorningにて支援を呼びかけています。SDGsモデル事業として世界に発信カカオブローマの店舗は2020年12月17日、陸前高田の発酵パークCamocy(カモシー)内にオープンします。ここで提供されるオーガニック「Bean to Bar」チョコレートはカカオポリフェノール、テオブロミン、鉄分、マグネシウムなどカカオが持っている自然由来の栄養成分にこだわって作られたものです。世界初の薬剤師が作るチョコレートとして、添加物を一切入れず、美味しくて免疫アップにも繋がるものを目指しています。店舗ではカカオドリンク、カカオソフト、カカオケーキ、カカオサラダ、カカオブレッドもあり、オーガニックコーヒーやオーガニックティーと一緒に楽しむことができます。同事業は陸前高田で被災された高齢者や障がい者の雇用を促進し、持続可能な社会づくりにも貢献するSDGsモデル事業としても注目されてます。(画像はプレスリリースより)【参考】※valuepressロッツ株式会社のプレスリリース
2020年11月02日梅雨前線の影響による記録的な雨により、九州など広い地域に甚大な被害をもたらした『令和2年7月豪雨』。河川の氾濫や土砂崩れなどから孤立した被災者を救助するため、災害派遣要請された自衛隊が被災地に向かいました。連日の救助活動に続いて、大型災害廃棄物の撤去のほか、断水が起きている地域では給水や入浴支援なども行っています。自衛隊が地面に書かれたSOSに応えた後日?防衛省統合幕僚監部は、2020年7月5日に海上自衛隊第22航空群の救助活動を写真で公開。被災地である熊本県芦北町付近を捜索中、海上自衛隊第22航空群所属のヘリコプターがSOSの文字を視認したため、隊員を降ろして現場の状況確認に向かったそうです。民家の近くの地面には、このようなメッセージが書かれていました。 pic.twitter.com/FUugARJDwF — 防衛省統合幕僚監部 (@jointstaffpa) July 5, 2020 水と食料が必要なことを訴えているメッセージ。確認のため地上に降りた隊員が付近住民に話を聞くと、けが人などはいないとのことでした。その後、自衛隊は必要な物資を届けたのでしょう。同月8日に同じ場所の上空を通過する際、今度は感謝のメッセージがつづられていることに気が付いたのです。7月6日の被害状況偵察で「SOS」のメッセージを発見した地域においては、昨日(7.8)新たに「アリガトウ」のメッセージが描かれていました。一日でも早く平穏な日々を迎えられるようお祈りいたします。 #自衛隊 #海上自衛隊 #熊本大雨 #人命救助 #球磨川 pic.twitter.com/u2MqyAMbbh — 海上自衛隊 第22航空群 (@JMSDF_22aw) July 9, 2020 写真では文字が上下逆さまになっていますが、確かに「アリガトウ」と書かれていますね!投稿には3万件以上の『いいね』が寄せられています。・あのお宅、助かったのですね。よかった!・本気中の本気の「ありがとう」だわ。・道に書かれた自衛隊へのお手紙ですね。・粋なメッセージの伝え方。感謝の言葉は、きっと自衛隊員たちの心のエネルギーとなったことでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年07月15日2020年7月初め、梅雨前線の影響で九州地方を中心に甚大な被害をもたらした『令和2年7月豪雨』。同月14日、大分県出身者であるタレントの指原莉乃さんが、大分県に1千万円、被災地全体に対して1千万円を寄付したことが明らかになりました。豪雨被災地に寄付した指原莉乃その額に、驚きと感謝の声指原さんの行動に対し「素晴らしい」「九州の誇りだ」といった声が上がる一方で、一部の人からは「売名行為なのでは?」といった声も上がっています。指原莉乃が寄付について『らしさ全開のコメント』同日、指原さんは「偽善や売名だといわれても…」という書き出しで、次のようなコメントを投稿。偽善・売名だと言われても、私の行動で「もう少し踏ん張ろう」と思ってくれる被災された方が1人でもいたら、何か被災した場所・人の力になりたいと思ってくれる人が1人でもいたらなと思っています。額とかじゃなく、できる時にできる人ができる事を。一日も早く皆さんの笑顔が戻りますように。— 指原 莉乃 (@345__chan) July 14, 2020 指原さんは「1日も早く被災者に笑顔が戻ってほしい」という想いで、自らが寄付するという決断をしたのでしょう。続けて、振り込んだ際に抱いた正直な感想をつづりました。(個人的な事を言うと、流石に振り込むとき緊張したので、人間だなあと思いました)— 指原 莉乃 (@345__chan) July 14, 2020 2千万円という額の高さから、「さすがに振り込む時は緊張した」と本音をのぞかせた指原さん。素直さの伝わる投稿に、ネット上ではさまざまな反応が寄せられています。・最後の1文が指原さんらしくて、クスッとしました。・本当にありがとうございます。指原さんの行動によって救われる人は必ずいます。・懸命に稼いだお金を故郷のために使うなんて、かっこいいと思いますよ。・「売名」という人がいるなんて…。気にせず、ご自身の思ったように行動してください。指原さんの行動は、多くの人に影響を与えることでしょう。被災地の人々が笑顔を取り戻せる日が1日でも早く来てほしいと願わずにはいられませんね。[文・構成/grape編集部]
2020年07月15日2020年7月3日から、熊本県を中心に九州各地を襲った『令和2年7月豪雨』。梅雨前線の影響を受け、多くの地域で土砂災害や浸水被害などをもたらしました。同月14日、タレントの指原莉乃さんが、豪雨の被災地に対し、総額2千万円の寄付をしていたことが判明。産経ニュースによると、大分県に1千万円、被災地全体の支援として日本赤十字社に1千万円をそれぞれ寄付したといいます。関係者によると、地元の大分県に1千万円、被災地全体に向けて日本赤十字社に1千万円をそれぞれ寄付したという。産経ニュースーより引用指原さんといえば、大分県出身です。指原さんは豪雨の際に、被災者に対してTwitterを通して次のようなメッセージを送っていました。九州の豪雨、心配です。お住まいの皆さん、すでに気を付けてるとは思うんですが…気をつけてくださいね。雨の音が余計に心細くなりますよね。。(心配してくださってる方もいると思うんですが実家は大丈夫です。ありがとうございます)— 指原 莉乃 (@345__chan) July 6, 2020 報道に対し、ネット上では次のようなコメントが寄せられています。・素晴らしい行動力。惚れる。・えらすぎる。何もいわずに地元のために寄付していたんだ。・この若さで、自分のためでなく寄付としてお金を使う指原さんを尊敬する。同月12日時点で、被災地では清掃活動が本格的に行われ、自衛隊などによる行方不明者の捜索が行われています。指原さんの寄付は、被害に遭った多くの人々のために役立てられることでしょう。[文・構成/grape編集部]
2020年07月14日ミュージシャンの高橋優(36)が3月11日、関ジャニ∞・安田章大(35)からの被災者へのメッセージを紹介した。9年前、東日本大震災があった同日。今年は秋田県で震度4の地震が発生した。同県出身の高橋に安田が託したメッセージは大きな反響を呼んでいる。同日、Twitterで《今日地震があった秋田、そして被災した全ての皆さんへ》《安田章大くんからメッセージが届きました》と切り出した高橋。そして、安田からのメッセージをこう明かした。《みんなで連絡を取り合って 心が疲弊しないように こーゆー時こそ 人の輪で温もりを感じ 心の暖をとって欲しい。そんな風に思います》そして《不安だと思いますが、どうかご無事でありますように》と続き、四つ葉のクローバーの絵文字で結ばれている。「安田さんは高橋さんの音楽が好きで、メディアでその魅力についてたびたび語っています。いっぽう高橋さんは関ジャニ∞に楽曲提供をしたことがあるだけでなく、大倉忠義さん(34)とラジオのパーソナリティを務めています。そして、その番組に安田さんが出演したことも。阪神・淡路大震災を経験している安田さんは3月11日に地震の発生した秋田県など、被災者の方々を気遣い、親交のある高橋さんにメッセージを託したようです」(音楽関係者)高橋のツイートは8時間で1.1万ものリツイートと4万もの“いいね”を記録。さらに、こんな声が上がっている。《秋田と聞いて優さんをすぐ思い浮かべたのでしょうか……安くんらしい心安らぐメッセージですね 秋田の皆さま、優さんのご家族の皆さまが心身ともご無事でありますように》《震源地が近かったので、結構な衝撃でした おまけに3.11(T-T) かなり動揺しましたが、今は大丈夫です!ありがとうございます》《安くん。ありがとう 優さん ありがとう》
2020年03月12日東日本大震災から9年が経った。痛ましい記憶を風化させないことが課題となるなかで、皇室は被災者の心に寄り添い続けている。雅子さまも、天皇陛下とご一緒に、被災者のもとを繰り返し訪問されてきた。2017年11月には、東日本大震で甚大な津波被害に見舞われた宮城県・閖上地区へ。復興公営住宅「名取市閖上中央第一団地」の被災者と懇談された際には、一人ひとり丁寧にお声がけされたために、15分の予定が25分と大幅に延びてしまった。その後、団地から車で2分の東日本大震災慰霊碑に供花する際には、あるサプライズが。団地では動きやすいパンツスーツだった雅子さまが、慰霊碑の前に立たれた際にはお帽子をかぶり、スカート姿に着替えられていたのだ。そこには、限られた時間の中でも場にふさわしい装いを、という最大限の心遣いが表れていた。翌年の歌会始で、雅子さまは《あたらしき住まひに入りて閖上の人ら語れる希望のうれし》とこのときの喜びを詠んだ歌を披露された。この歌を刻まれた歌碑が、昨年3月に閖上地区の「震災メモリアル公園」に建立されている。「雅子さまは、過去の誕生日の際のご回答でも、折に触れて繰り返し《被災地に永く心を寄せていきたい》と東日本大震災の被災者を思いやられてきました。皇后となられても、そのお気持ちは変わっていません」(皇室担当記者)昨年12月、皇后として迎えられた初めての誕生日に際しても、《東日本大震災で被災した釜石市でこの大会の試合が行われたことも喜ばしいことでした》と岩手県・釜石鵜住居復興スタジアムで開催されたラグビーワールドカップの試合を振り返られた。時が経っても忘れない――。雅子さまの愛のメッセージが、被災者の心を照らし続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日東日本大震災発生から9年を迎えた。死者・行方不明者が1万8千人を超えた未曾有の大災害。当時、被災者を励ますため、上皇上皇后両陛下(当時は天皇皇后両陛下)はいち早く動かれた。震災発生から19日後には被災者が避難してきた東京武道館をご訪問。武道館の床に膝をつきながら一人ひとりに声をかけ、激励された。この日から、両陛下は7週間連続で福島・宮城・岩手の東北3県や茨城などの被災地へ。被災地に負担をかけないよう、すべて日帰りという過密スケジュールだった。その年、美智子さまの誕生日の際に公開された写真にも、被災地を励ます思いが込められていた。皇居でたたずむ両陛下のそばには、真っ白なハマギクの花が咲いていたのだ。この花は、1997年に両陛下がお泊りになった、岩手県大槌町にある「浪坂観光ホテル」から贈られたものだった。岩手県大槌町には22mもの津波が襲い、『浪坂観光ホテル』も営業停止に追い込まれた。両陛下へハマギクの苗を献上した社長の山崎龍太郎さんも、行方不明となってしまう。社長の弟・千代川茂さんは悲嘆に暮れていたが、美智子さまの誕生日写真を見て、「兄が贈った花を両陛下が大切に育ててくださっていた」と感激。ハマギクの花言葉でもある、“逆境に立ち向かう”精神で、ホテルの再建を決意した。そうして再建された「三陸花ホテルはまぎく」に、上皇陛下と美智子さまが宿泊されたのは2016年のことだった。平成最後の東日本大震災被災地の訪問は、2018年6月の福島県。震災後、両陛下が福島県を訪れるのはこれが6度目だった。「スパリゾートハワイアンズ」では、避難生活を送る被災者を元気づけるとともに“復興のシンボル”となったフラガールたちのダンスをご鑑賞。美智子さまは、1曲目の『花は咲く』のときに、“花は咲く”の歌詞に合わせるように、胸元に両手で小さな花を作られた。そのお姿を見たフラガールは、踊りながら涙がこぼれそうになったという。震災から時が経っても、被災者へ心を寄せられてきた美智子さま。癒しと労いのメッセージは、これからも被災地に希望の花を咲かせ続ける。「女性自身」2020年3月24・31日合併号 掲載
2020年03月11日お笑いコンビ・サンドウィッチマンの伊達みきおと富澤たけしが14日、それぞれのブログを通じ、台風19号の被災地支援に貢献したラグビー・カナダ代表とナミビア代表に感謝した。台風19号の影響により、13日に岩手・釜石鵜住居復興スタジアムで開催を予定していたナミビア-カナダ戦が中止に。カナダ代表は中止決定後の釜石でボランティア活動を行い、ナミビア代表はキャンプ地の宮古市を訪れて交流会を通してファンを励ました。14日、伊達は「甚大な被害が明るみになってきました。亡くなった方のご冥福をお祈り致します」とつづり、「地元・宮城県でも大きな被害があった。火曜日、宮城の被災地に行く予定」と報告。前夜にスコットランドを下した日本代表を称えつつ、「釜石で試合を予定していた選手達が、ボランティアで台風の被害があった場所のお手伝いをして下ったニュースを見た。これには、本当に心から感激しました。さすがラガーマン!何て素敵な事をして下さるんだ!試合は無かったけど、それと同じくらい釜石の人達には感動があったんじゃないかな。後に語り継がれる温かい出来事だと思います」と両代表に称賛の言葉を送った。同じく富澤も14日、「この度の台風の被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。日本全体がいつどこで自然災害にあってもおかしくない状態になってきてしまっている気がします。日頃から備えをしていかないといけませんね」と投稿し、「岩手の釜石でもナミビア対カナダの試合が中止になり、震災からこのワールドカップを開催するのを目標にがんばってきていたのを見ていたので凄くつらいと思います」と同情。「ナミビア代表選手は宮古市で市民とふれ合ったり、カナダ代表選手は釜石の台風被害に対してボランティア活動をしてくれたりしたそうです。試合が中止になって悔しい思いをしているのにありがたいですね」と感謝し、「いつかナミビアやカナダなど、試合が中止になってしまったチームを招いて特別にカップ戦を開催してくれたらなぁ、なんて思います」と期待を寄せている。
2019年10月14日ロックバンド・X JAPANのYOSHIKIが、台風15号により甚大な被害を受けた千葉県の被災者支援のため、自身の運営する米国非営利公益法人 501(c)(3)「YOSHIKI FOUNDATION AMERICA」を通じ、日本赤十字社に対し1000万円の寄付を行った。災害の発生後にはSNSにて「今アメリカにいます。先ほど、僕の故郷である館山をはじめ千葉県全域で、台風による大きな被害が出ていることを知りました。とても心配です。一日も早い復旧を心から祈っています」とメッセージ。YOSHIKIは今まで出身地に関してX(非公開)にしていたが、被災地への支援を募るために、故郷が千葉県館山市であるということを自らツイートした。今回の寄付については「自分は長年にわたって海外を拠点に活動していますが、故郷を思う気持ちは変わっていません。このような事しか出来なくてごめんなさい。少しでも力になれればと思い寄付をさせていただきました。心より復興を祈っています」とコメントしている。YOSHIKIは、先月8月にも自身の運営する米国非営利公益法人501(c)(3)「YOSHIKI FOUNDATION AMERICA」を通じ、「京都アニメーション」が開設した支援金の預かり専用口座へ1,000万円と、レオナルド・ディカプリオが立ち上げた米Earth Allianceによる「アマゾン熱帯雨林基金」に10万ドル(約1000万円)の寄付。また、2016年熊本震災の際には1,000万円、2017年アメリカで起きたハリケーン ハービーの被災者のためにグラミー賞を主催することで知られるレコーディング・アカデミーのチャリティ財団MusiCaresを通じて100,000ドル(約1,000万円)、2018年7月の「西日本豪雨災害」に1,000万円、同年9月の「北海道胆振東部地震」に1,000万円の寄付を行っている。そして、X JAPANとしても2015年に石巻のライブハウスにて行った東日本大震災復興ライブの収益金2,800万円を全額寄付している。そのほかにも、国内外問わず、日本赤十字、メイクアウィッシュ財団、米グラミーファンデーションや小児がんの子供たちを支援する米パブラブファンデーションなどへ継続的な支援を行っている。
2019年09月18日被災地で苦しむ人に寄り添いたい――。その思いを胸に、皇太子ご夫妻は岩手、宮城、福島の被災3県を3回ずつ訪問された。お二人は、とりわけ若い世代の活動に心を寄せられてきた。’13年からは、被災地の中高生約100人が参加した教育復興プロジェクト「OECD東北スクール」の活動を応援されていた。“運命の出会い”のきっかけとなったのが、福島県いわき市で被災し、’13年当時は高校2年生だった釣巻洋子さん(22)が雅子さまに宛てた手紙だった。釣巻さんが当時を振り返る。「私たちの活動を知っていただきたいという思いで書き綴った手紙でした。まさか私の手紙がきっかけで、本当にお会いできるなんて思ってもいませんでした」その手紙でOECD東北スクールの活動を知った雅子さまは、’13年8月に開かれた東京での発表会への訪問を強く希望され、皇太子さまとご一緒に出席された。そして、釣巻さんと面会を果たされた雅子さまは「お手紙ありがとうございました」と優しく語りかけられたのだ。「雅子さまからは、何か私たちを応援できることはないかと、真剣に考えてくださっているお気持ちを感じました。それまでの私は受け身な性格で、自分がやらなくても誰かがやってくれるだろうという考えがありました。でも、自分が一生懸命に行動を起こせば、雅子さまのようにしっかり受け止めてくれる方もいらっしゃると実感しました。今でも、その経験が支えになっています」(釣巻さん)このご交流は、釣巻さんにとって“人生を開く”出会いとなった。そして参加した中高生たちとの語らいは、雅子さまの胸にも深く刻まれたという。面会の翌年’14年8月には、プロジェクトの集大成として企画や資金調達まで生徒たちが担い、フランス・パリでの復興PRイベントを成功させた。皇太子ご夫妻は、’15年2月に生徒たちを東宮御所に招き懇談されている。OECD東北スクールの立ち上げから生徒たちの支援をしている福島大学副学長の三浦浩喜さんは、昨年に皇太子ご夫妻への活動報告書を提出したという。「報告書を届けてくださった方から『皇太子ご夫妻は生徒たちの活動に大きな関心をお持ちで、今回も報告書を熱心にご覧になって非常に喜んでおられた』とのお話を伺いました。これからも活動を続けていく励みになっています」釣巻さんが手紙を書いてから6年が経つ。震災時はいわき市の中学2年生だった釣巻さんは、現在は同志社大学の4年生だ。昨年、同志社大で開催された「世界学生環境サミット」で開催宣言もした。開催権を獲得するために各国の大学とのコンペを勝ち抜き、協賛金集めにも奔走したという。昔は“受け身”だった釣巻さんが、雅子さまとの出会いから成長し、学生チームを引っ張るリーダーとして活躍したのだ。雅子さまが皇后になられる日まで2カ月を切った。今度は釣巻さんが、雅子さまへの期待を語ってくれた。「若い世代が新たな挑戦をするために、その背中を押してくださる雅子さまのような方が次の皇后になられるのは、素晴らしいことだと思っています」次世代の若者たちからの大きな期待を背負い、雅子さまは「新皇后の決意」を新たにされる――。
2019年03月13日「悪天候が心配されるなか、ようやく愛媛県・広島県の被災地を訪問された天皇陛下と美智子さまでしたが、そのお顔には深い疲労がにじみ出ていました」そう語るのは宮内庁関係者。7月初旬に甚大な被害を引き起こした西日本豪雨。両陛下はお見舞いのため、2日間で3県を回られる予定だったが、3度も日程が延期された。皇室担当記者は言う。「当初、両陛下は9月13日に広島県と岡山県の被災地を訪問される予定だったのですが、天候不良で14日に延期されました。14日も天候がすぐれず、なんとか岡山県には足を運ばれましたが、広島県へは、20日に予定されていた愛媛県ご訪問と同日に行う方向で再調整されたのです。それは数時間のうちに3度も自衛隊のヘリコプターに搭乗される強行スケジュールでした」ところが予備日だった20日も天候に恵まれず、21日に延期……。「延期のたびに宮内庁の説明も二転三転して、パニックになっているようでした。このような混乱は、平成の行幸啓で初めてではないかと思います」(皇室ジャーナリスト)被災地ご訪問が延期の連続となったのはなぜなのか。前出の皇室担当記者はこう語る。「両陛下は、被災地にお泊りになったり、交通規制が必要となるお車での移動をなさったりすれば、地元の自治体や警察などに多大な負担をかけると心配されたのです。そういった負担を最小限にするため、ヘリを使って移動時間を短縮した日帰り訪問となりました」ただ、ヘリの飛行は天候に影響されやすい。結果的には秋雨前線が日本列島にかかる時季だったことが、大きなネックになってしまった。9月6日には北海道胆振東部地震も発生した。国民の苦難に心を痛め、被災者に寄り添い続けてきた両陛下。しかし平成最後の1年に、記録的な大災害が頻発することに――。皇室ジャーナリストの渡邉みどりさんも両陛下の体調を気遣う。「80歳を過ぎたおふたりにとっては、長距離の移動だけでも大変お疲れになるものなのです。さらに予定変更や延期は無意識でもストレスになります。今年の7月には陛下が脳貧血でお倒れになっています。それでも万が一、新たな災害が発生したならば、どんなにお忙しくても両陛下は被災地に向かわれるはずです。負担も大きいヘリ移動などがこれ以上続けば、陛下、そして美智子さまもお倒れになってしまわないかと心配しています」被災地激励には、美智子さまの知られざる“苦悶”が隠されていたのだ。
2018年09月27日今月4日、関西地方を台風21号が襲い、さらに6日には、北海道胆振東部地震が起こった。立て続けに甚大な被害をもたらした2つ災害。一日も早く、被災した人たちが穏やかな生活に戻れることを願いながら、今、私たちができることにはどんなものがあるのだろう。経済ジャーナリストの荻原博子さんが解説――。「ふるさと納税」を利用して、被災地に寄付ができます。これは、被災した自治体が、復興に活用する「支援金」となります。ただ被災した自治体は、寄付にかかる事務作業が負担になることがあります。そこで、寄付の受付けを代理で行う自治体があります。台風21号の被災地へは埼玉県深谷市が、北海道胆振東部地震は北海道白糠町と埼玉県深谷市が、被災地域全体への寄付を受け付けています。寄付金は被害状況などにより分配されるので、「○○町に」など寄付先の指定はできません。また、北海道厚真町への寄付を茨城県境町が代理で受け付けるなど、被災自治体ごとに、代理受付けを行っているところもあります。ほかにも、被災地で活動するボランティアやNPO法人などを支援したい方もいるでしょう。とはいえ、どの団体に送ればいいのか迷う場合は、赤い羽根共同募金を行う中央共同募金会の「災害ボランティア・NPO活動サポート募金」(通称ボラサポ)を利用するとよいでしょう。寄付金は中央共同募金会が、現地と調整してNPOなどに振り分けてくれます。寄付した方は、寄付金の受領書などを保管しておきましょう。確定申告などで、税金を減額できるものがあります。ふるさと納税は、収入などによって控除上限が決まっていますが、その範囲内であれば、通常どおり自己負担は2,000円。残りは全額控除されます。ただし、寄付を選べば返礼品は付きません。中央共同募金会などへの寄付は、寄付金控除により、税金を減らせます。ふるさと納税サイト「ふるさとチョイス」では、地震発生の翌日には2,000万円が、6日目には1億円を超える寄付が集まったといいます。災害直後にすばらしいと思います。
2018年09月21日今月4日、関西地方を台風21号が襲い、さらに6日には、北海道胆振東部地震が起こった。立て続けに甚大な被害をもたらした2つ災害。一日も早く、被災した人たちが穏やかな生活に戻れることを願いながら、今、私たちができることにはどんなものがあるのだろう。経済ジャーナリストの荻原博子さんが解説――。被災した方に直接、寄付を届ける「義援金」があります。日本赤十字社や地元新聞社などが受け付けています。義援金は、被災状況に応じて公平に分配するため、支給が遅くなりがちですが、寄付したお金はすべて、被災した方に配られます。最近では、たまったポイントを寄付することもできます。Tポイントや楽天スーパーポイントなどは、1ポイント1円として、1ポイント単位で寄付できます。また、多くのクレジットカードポイントも、ポイント交換と同様の手順で、寄付を選択できます。寄付した方は、寄付金の受領書などを保管しておきましょう。確定申告などで、税金を減額できるものがあります。日本赤十字社などへの寄付は、寄付金控除により、税金を減らせます。ポイントの寄付は税金を減らせませんが、折にふれ、小さな善意を送るのも大切だと思います。寄付とともに、被災地の産品を買う、少し落ち着いたら被災地に出向くなどして、息の長い支援を続けていきたいものです。
2018年09月21日2018年9月6日早朝に起きた北海道胆振東部地震。最大震度は北海道で初めての震度7という非常に大きいものでした。今年は台風による被害も多発しており、私たちもいつ自然災害に見舞われるかもしれません。そんなときに子どもを守れるのは親だけ。そのためにもいざというときの対処法を知っていることはとても重要です。そこで今回は、2011年の東日本大震災で被災したママたちの経験をもとに作られた、私がおすすめする防災本を2冊ご紹介したいと思います。 『被災ママに学ぶ ちいさな防災のアイディア40』(アベナオミ著/学研プラス) 宮城県在住のママイラストレーター、アベナオミさんによる防災&避難生活の心得集。震災時にあってよかったものや「3.11」以降も続けている防災術などについて紹介しています。 今回の北海道胆振東部地震でもそうだったように、地震が起きると停電や断水などが続くこともあります。そんなときどうやって明かりを確保するか、断水していてもできる調理の方法、冷蔵庫が使えなくなったときのためにストックしておきたい食材など、被災を経験したママならではの具体的なアドバイスが参考になります。コミックエッセイもまじえながら書いているので、子育ての合間にも気軽に読むことができますよ。 『被災ママ812人が作った子連れ防災実践ノート』(MAMA-PLUG著/KADOKAWA) 子どものいる家族にとって必要な備えを、子育てママの視点から実践しやすいようにまとめた1冊。書き込みができるノート形式になっていて、最後まで書き終えるころには必要な防災が備わっているという仕組みです。 大地震が起きると携帯電話が通じなくなり、交通も麻痺するため帰宅困難者になることも考えられます。もしも家族がみなバラバラの場所にいて連絡が取れなかったらどうするか話し合ったことはありますか?防災グッズだけでなく、そうした必要な備えについても書かれているので、どこから手をつけていいかわからない、家族にも防災の意識を高めてほしいという人は必見です。ぜひ家族といっしょに話し合いながら取り組んでみてください。 大地震はいつ起こるか予測ができません。それだけに日頃の備えがとても重要です。実際を被災したママたちの体験談からは学ぶべきことがいっぱい。家族みんなで防災について考えてみてはいかがでしょうか?著者:妹尾香雪女性誌・書籍・WEBなどで、女性のライフスタイルについて執筆。プライベートでは一児の母として子育ての真っ只中。ワーキングマザーとして自身の育児体験に基づいた記事を提供している。
2018年09月19日今週は防災週間。最近では、局地的な豪雨が増加傾向にあり、それによる川の氾濫や土砂崩れなどの災害も起きやすくなっています。そこで、いつ自然災害が起こってもおかしくない日本で、皆さんはどれくらい準備をしていますか?Q.もしもの大災害…あなたは準備をしている?1.している 10.3%2.少ししている 44.4%3.していない 45.0%4.その他 0.3%していないという人が45.0%ともっとも多い結果になりました。ついつい人ごとになってしまう防犯対策ですが、この機会にぜひ、家族全員が3日分過ごせる非常食と日用品の準備をしておきましょう。ここからは災害を身近に感じた人たちの体験談のご紹介です。■食料ばかりでなく燃料やトイレの準備も非常食にばかり準備することを考えてしまいますが、実際に被災された方々はストーブや毛布、カセットコンロ、懐中電灯などを重視しているようです。さらに忘れがちな、排泄の準備もしっかりしておきたいですね。「震災経験者として話させていただきます。あってよかったものは、ラジオ、長期保存ができる食品(カップ麺やチョコレート)、2リットルの水数本、毛布、ろうそくなどです。自家発電機がある家庭は良いと思います」(福島県 40代女性)「自分では完璧と思って準備していましたが、東日本大震災のときに全然役に立たなかった。以外と食料はなんとかなるので、懐中電灯、電池、カセットコンロ、燃料などを重視しています」(宮城県 30代女性)「いちばん辛かったのはトイレです。今は着火ストーブ、灯油、ガソリン、ガスコンロ、お風呂の残り湯(トイレタンクに入れる用)、乾麺、カップ麺、缶詰、チョコや飴、飲み水、茶葉、手巻き充電式携帯充電器は常備しています」(福島県 20代女性)■津波浸水予想地区や川の近くに住む人は海や川の近くに住んでいる人は、自宅だけでなく、高台に住んでいる人にお願いをして、食料や避難グッズを預けて置けるといいようです。「津波浸水予想区域に住んでいる方は、高台に住んでいる親戚や友人と相談して、自分が避難するときの食料や飲料を預けておくと良いと思います。私は車にも子どものジャンパーやひざ掛け、飲み物、食べ物を積んでいます。旅行に行くときも、飲み物とおやつはカバンに入れています」(宮城県 40代男性)■準備していても子どもを守ることで精一杯実際には小さな子どもがいたりすると、避難グッズまで持って逃げることは難しかったという人も。カードや電子マネー派という人も、自宅には現金を用意しておいた方が防災対策としてはいいようです。「思い返すと小さい子ども2人を抱きかかえ、外へ出ることが精一杯でした。荷物を取りに行きたくても、しがみついている子どもから離れることはできません。崩れる塀を見て、ただごとではないと気づき、どうしたらいいか考え始めました。幸い現金があったので買い物ができました。停電時はカードは使えません。それ以降、ある程度の現金はおろしておくようにしています。」(千葉県 40代女性)Q.もしもの大災害…あなたは準備をしている?アンケート回答数:8026件 ウーマンエキサイト×まちcomi調べ
2017年09月01日’11年3月11日の東日本大震災当日に被災地で生まれた子どもたちが、4月から小学校へ通う。本誌は、憧れだったランドセルを手に入学式を待ち望む、被災地で生まれた新小学1年生を取材した。 ■星山琉菜ちゃん(’11年3月11日18時49分・福島県双葉郡生まれ) 「このランドセルのお気に入りはねえ、ハートがいっぱいなとこ。ほら、見て見て、こんなとこにもハートだよ」 真新しいピンクのランドセルで、おしゃまなポーズを決めるのは、あの日、福島第一原発からわずか2キロという病院で産声をあげた琉菜ちゃん。余震が続くなかの帝王切開手術だった。翌朝、「原発が危ない!」との急報で、迫り来る放射能物質から逃れるように母・真弓さん(36)、父・晃一さん(39)と福島市内の病院へ避難。 「バスが揺れるたびおなかの傷に激痛が。ミルクが飲めず火がついたように泣く琉菜を抱っこして長時間の移動は本当につらかった」(真弓さん) その赤ちゃんが、この春からは小学生だ。「もうあれから6年ですね〜」としみじみ当時を振り返る両親。その視線の先には元気いっぱいの愛娘。「小学校入ったらね、足し算やりたい。私、お勉強大好きだからー」(琉菜ちゃん)。■大久保真弥くん(’11年3月11日23時44分・宮城県塩釜市生まれ) 「ランドセルに入れるものはね、ふでばこ!ノート!あとはお菓子かな?」と顔をクシャッとさせて笑う真弥くんは、ヤンチャ4人兄弟の3番目。洋服はお兄ちゃんのお下がりが多いけど、ランドセルだけはピッカピカだ。6年前のあのとき、母・真貴さん(35)は定期検診へ。いつもは車で行っていたが、あの日だけは運動のために歩いていた。真貴さんが振り返る。 「地震の後、真弥の兄たちがいる海沿いの家に走っていました。でも、不通だった携帯が鳴り、夫から“高台にいろ”と。車だったら、この子もろとも津波に流されていたかもしれません」 避難所で産気づき生まれた真弥くんが小学生に!そんな真弥くんからママにプレゼント。「この前、真弥からお兄ちゃんに代筆してもらった手紙をもらいました。“津波のときに守ってくれてありがとう”と書いていたんです」(真貴さん)。 ■大町云櫻くん(’11年3月11日16時04分・宮城県仙台市生まれ) 「オレ、小学校に上がるの嫌だな。だって先生怖そうだもん」と、少し不安顔の云櫻(いっさ)くん。だけど、新しいランドセルを背負うとうれしそうに駆けだした。 「分娩室で大きな揺れがきたときは“もう産むのやめる!”と叫んでいました。あの震災では友人を亡くしたし、そのあとも、物資不足や放射能など不安だらけ。今でも雪が降ると思い出してしまいます。でも“いっくん”の笑顔に支えられてきました」と母・左嘉絵さん(40)。お肉が大好きで「お肉以外で、好きなのはステーキと焼き肉!」と……、そんなおちゃめな云櫻くんの言動が、家族を笑顔にしてくれている。自動車が大好きで、見ただけで、メーカーと車種名まで答えられる。 「いっくんは、地震の日に生まれたことを知っているようで、“オレが生まれたときに、いっぱい人が死んだんでしょう”と話していました。だから、優しくて、人の気持ちがわかる人になろうねと話しました」(左嘉絵さん) 春にはピカピカの1年生の元気な声が、被災地から聞こえてくる。
2017年03月11日AKB48グループが4日、岩手・宮城・福島の東日本大震災被災地を訪問し、復興支援ライブなどを行った。同グループは、震災以降「誰かのために」プロジェクト立ち上げ、義援金の募集や定期的な被災地訪問活動といった復興支援活動を継続的に実施。この活動の63回目となる今回は、岩手・宮城・福島各県の被災地に、計47人が訪問した。各会場で行われるイベントの前には、メンバーが犠牲者への献花と1分間の黙とう。夕方からは、小学校や体育館などでライブ形式でのイベントを開催し、「ヘビーローテ ーション」「恋するフォーチュンクッキー」などのシングル曲や、震災復興応援ソング「掌が語ること」などを披露した。ライブの他には、各会場を電話でつないでメンバーがそれぞれの様子を報告し合ったり、じゃんけん大会でメンバーのサイン色紙をプレゼントしたりと、ファンとふれあい。終演後には、記念撮影会やハイタッチ会も行われ、宮城県では、イベント後に地元のラジオ番組の収録にメンバーが参加し、ライブの感想や震災復興支援活動への思いなどを報告した。なお、3月11日の震災発生当日には、AKB48、SKE48、NMB48、HKT48、NGT48が、各劇場やイベント会場で、復興支援特別公演を開催する(HKT48はAKB48劇場、NMB48は京セラドーム大阪で実施)。(C)AKS
2017年03月05日こんにちは。深沢真太郎です。ビジネスパーソンを数と論理に強くする「ビジネス数学」を提唱する、教育コンサルタントです。熊本地震において被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。1日も早い復興を心より祈っております。こういうときだからこそ、私は専門家として数学的に「支援」を考えてみたいと思います。■被災地のためにお金を使おう私の考える「支援」とは、「通常の生活ができている方は、やむを得ない事情のある方や一部の職業の方を除き、通常どおりの生活を続け、しっかり経済活動を行い、ほんの少しだけ被災地のためにお金を使う」ということです。「いますぐ被災地に行ってなにかしてあげたい!」「悲惨な状態のなか苦しんでいる人たちがいるのに、いつもどおりの生活をしていていいのか?」そういう気持ちは尊いものであり、なんら否定されるものではありません。しかし、ここでちょっと冷静になって数字で考えてみましょう。もっと具体的にいえば、「お金」というキーワードで考えてみるのです。はっきりいいますが、お金がなければ復興はできません。ものすごく簡単にいえば、私たちはみんなで協力して、被災地のためにたくさんお金をつくるべきです。いったいどういうことかご理解いただくために、とてもシンプルなモデルで説明します。たとえば、ここに地域Aと地域Bがあります。この場合、100人の住民によって生み出されるお金はご覧の通り19,000円です。地域A:[住民が使う金額]¥100×[住民の数]10=¥1,000地域B:[住民が使う金額]¥200×[住民の数]90=¥18,000合計¥19,000ここで、地域Aが被災したと仮定します。すると、人数は変わらないとしても、使うお金は減る(たとえば50円)ことでしょう。さらに、ここで極端に考えてみましょう。もし、被災しなかった地域Bの住人が全員、通常の経済活動を放棄し、「支援」という名のもとに地域Aに出向いてしまったら、どういうことが起こるでしょう?ご覧のとおり、この100人が生み出すお金は激減します。地域A:[住民が使う金額]¥50×[住民の数]100=¥5,000地域B:[住民が使う金額]¥200×[住民の数]0=¥0合計¥5,000そうではなく、大切なのは、地域Bの住人はこれまでどおりの経済活動を行い、そしてちょっとだけ被災地のためにお金を使うことなのです。■経済活動で支援をすべき理由現地の名産品や農作物を買うもよし、支援金でもよいでしょう。このモデルでいえば、90人がたった10円でもそのような消費をすれば、被災した地域Aのために生み出されたお金は500円と900円の合計1,400円。地域Aに生まれたお金は被災するより以前より増え、この100人全員で生み出したお金も増えているのです。地域A(Aのための消費):[住民が使う金額]¥50×[住民の数]10=¥500地域B(Aのための消費):[住民が使う金額]¥10×[住民の数]90=¥900地域B(いつもどおりの消費):[住民が使う金額]¥200×[住民の数]90=¥18,000合計¥19,400いつもどおりの経済活動+ほんの少しの気持ち。これが、私の考える「支援」です。繰り返しになりますが、「気持ち」だけでは復興はできません。お金がなければ復興は不可能なのです。私たちはみんなで協力して、被災地のためにたくさんお金をつくるべきです。このテーマに対してはいろんな考え方があり、立場や環境によって正解は異なるでしょう。しかし、刹那的な感情だけで突っ走るのではなく、ほんの少しでいいからこのように数学的に考えてみたうえで、ご自身がすべき「支援」をされてはいかがでしょうか。*余談ですが、私は東京の銀座にある熊本産のアンテナショップ、銀座熊本館に足を運びました。義援金も募っておりましたので、もしお考えにフィットするようでしたら、足をお運びになられてはいかがでしょう。(文/深沢真太郎) 【参考】※ビジネス数学の専門家深沢真太郎〜数字が苦手な人の救世主〜-YouTube※ビジネス数学ブログ※深沢真太郎(2015)『そもそも「論理的に考える」って何から始めればいいの?』日本実業出版社
2016年04月19日タレントのテリー伊藤(66)が17日、TBS系バラエティ番組『サンデー・ジャポン』(毎週日曜9:54~11:30)に出演し、熊本地震の被災者にエールを送った。番組では、倒壊した家屋や被害を受けた熊本城など、被災地の状況を紹介。救出活動の様子や、避難所に避難している人たちの声も伝えた。テリーは被災地の知り合いに連絡したことを明かし、「避難している場所は全然眠れない。余震、食料もない、トイレも劣悪な状況の中で、年配の方がたくさん我慢している」と過酷な状況を説明。そして、「避難している場所がいつまでいられるか、でも帰る場所がない。どう精神を維持するか…」と続けた。また、「若い子たちはみんな携帯とかやっている。それが電池がなくなっているから、心の支え…友人とのコミュニケーションもできないという状況にある」と若い世代の心情も思いやり、さらに、「こういう状況だからこそ凛として、人間らしく生きてほしい」とメッセージを送った。爆笑問題の2人も被災地を気遣い田中裕二は「現在も余震が続いていますから、注意していただきたい」、太田光は「余震の多さが…。収まってほしい」と願った。
2016年04月17日お笑いコンビ・コロコロチキチキペッパーズがゲストとして登場予定だった16日のJ1福岡ホームゲームが、熊本地震の影響で中止となった。2人もツイッターで報告し、被災地に向けてメッセージを送った。J1福岡は公式サイトで「地震による交通機関への影響と開催時におけるお客様の安全確保を最優先に考慮致しまして『開催中止』を決定いたしました」と、1時から本拠地レベルファイブスタジアムで予定していた名古屋戦の中止を発表した。これを受け、西野創人はツイッターで「本日はアビスパ福岡vs名古屋グランパス戦にゲストで呼んでいただいてましたが地震の影響で中止となりました」と報告し、「皆様、余震には充分お気をつけください」とメッセージ。ナダルも、西野のコメントをリツイートし、「九州の皆さん、少しでも皆さんに笑顔や勇気を届けられるように僕らもがんばります。皆さんの無事を祈っています」と被災地を思いやった。中止が決定した名古屋戦では、J1福岡・城後寿選手の30歳の誕生日を記念し、「城後DAY」と題して"30"にちなんだ企画を予定していた。その一つとして、城後選手の代名詞"キング"にかけ、「キングオブコント2015」の王者(キング)であるコロコロチキチキペッパーズがゲストとして登場する予定となっていた。
2016年04月16日熊本県出身のものまねタレント・コロッケ(56)が15日、オフィシャルブログを更新し、被災地を思いやった。周囲から心配の声が寄せられていたようで、まずはそのことを「みなさんから心配のコメントを頂き有難うございます」「本当にありがたく思っております」と感謝。「身内も友達も大丈夫です」と報告し、「連絡をあちこちしておりまして、ブログに載せるのが遅れましてすいません」と記した。また、「まだまだ余震も多いですし、安心できない状況です!!」としながら、「色々な方達が、熊本のために動いていただいてます」「心から感謝いたします」と支援者にもメッセージ。そして、「今回の地震で亡くなられた方々のご家族の方達もとても辛いと思います。心よりご冥福をお祈りいたします」と犠牲者に哀悼の意を表した。現地は依然として緊張状態が続いてることから、「これからもまだまだ何が起きるかわからない状況なのでみなさん、熊本のために色々とご協力宜しくお願いします」「今、日本という国が何が起きるかわからない状況ですね! どこで何があっても、お互いに協力し合って助け合いましょうね!」と呼びかけている。
2016年04月15日マグノリアベーカリー(MAGNOLIA BAKERY)が東日本大震災の被災地復興支援商品「ザ・ジャパン・カップケーキ」を発売した。昨年も販売された「ザ・ジャパン・カップケーキ」(480円)は、軽い食感のチョコレート生地をバニラバタークリームでアイシングし、フレッシュラズベリーをトッピングしたチャリティカップケーキ。カップケーキ1個につき100円を岩手県陸前高田市役所へ復興支援金として寄付する。昨年の義援金は、陸前高田市内の小学校の津波で流されたひな壇の購入費用にあてられた。なお、販売期間は3月31日までで、マグノリアベーカリー表参道店で購入できる。また、3月11日から15日まで国分寺マルイB1 食遊館、3月17日から30日まで東武百貨店 池袋店 B1F、3月23日から29日まで小田急百貨店 新宿店 B2Fシーズンスイーツでも販売を予定している。
2016年03月11日凸版印刷は11月18日、自治体の水害ハザードマップと連動したバーチャル・リアリティ(VR)映像により、居住地域の被災状況を仮想体験できるという防災訓練支援サービス「VRscope for ハザード」を開発したと発表した。自治体の防災イベントや小中学校の防災教育用途として、2015年11月下旬から提供を開始する。VRscopeは、スマートフォンに配信した360度パノラマの動画や静止画コンテンツを、同社が独自開発したという専用のビュワーにセットして鑑賞すると、立体感・臨場感のあるVRコンテンツを提供するもの。今回発表したサービスは、VRを用いた防災情報の可視化を研究する愛知工科大学工学部情報メディア学科の板宮朋基准教授の協力のもとで開発した。津波や高潮、豪雨などが発生した際に想定される水害を、実際の映像に重ねて見ることが可能。居住地域が被災した状況を仮想体験することで水害の被害レベルを実感でき、避難所の確認や避難ルートの検討などを促進するとしている。具体的には、ハザードマップに配置した専用マーカーをスマートフォンで読み込むことで、各地点のVR映像を表示。自治体のイベント会場や学校の他、自宅でも仮想体験が可能なため、家庭での防災意識の向上を図ることができるという。同社が提供するARアプリケーションである「AReader(エアリーダー)」がVRscope用コンテンツに対応したことで、コンテンツごとに個別アプリケーションを制作する必要が無く、360度パノラマの動画や静止画コンテンツへのアクセスが可能としている。コンテンツは同社が管理・運営するクラウド・サーバから提供するため、従来必要だった専用アプリの開発や個別の配信環境の構築が不要であり、導入負荷を大きく削減できるとのことだ。価格は、基本料金が60万円/年(登録地点は20地点まで)、VRコンテンツ制作が約100万円から。同社は同サービスを含めてVRscopeを用いたソリューションを拡販し、2017年度に約10億円の売上を目指す。
2015年11月19日ソフトバンクは8月14日、同社の携帯電話やブロードバンドサービスの利用料金に加えて、毎月10円を東日本大震災の被災地支援に寄付するオプションサービス「チャリティホワイト」による寄付の総額が10億円を超えたと発表した。このサービスは、顧客からの毎月10円の寄付に対しソフトバンクからも同額を拠出し、毎月合計20円を被災地の子ども支援に寄付するもので、寄付金総額10億円には同社からの拠出額も含まれている。募金プログラムの新たな仕組みを構築し、継続性という課題を解決している点や、寄付金の使途などを特設サイトで公開し、取り組みの成果を可視化している点などが評価され、2015年8月には第9回キッズデザイン賞「奨励賞 キッズデザイン協議会会長賞(復興支援デザイン部門)」(主催:キッズデザイン協議会 後援:経済産業省、消費者庁)を受賞。2011年8月1日に同オプションサービスの受付を開始以来、述べ約292万人から受けた寄付金は、あしなが育英会および社会福祉法人中央共同募金会(中央共同募金会)が、被災地の子ども支援に活用している。あしなが育英会は、同寄付金を活用して、2014年に心のケアセンター「レインボーハウス」を宮城県仙台市、石巻市、岩手県陸前高田市の3カ所に設立し、東日本大震災によって親を失った子どもたちが夢や目標を持って自立できるよう、「心のケアプログラム」や交流行事の開催などの活動を行っている。また、中央共同募金会は、復興支援活動約1,300件(被災者の避難先での活動を含む)や、東北3県(岩手、宮城、福島)での支え合い活動約2,000件を助成。具体的には、子どもたちの保養や学習支援、夏祭りなどの各地域でのイベントといった多くの活動を支援している。なお、「チャリティホワイト」が支援している活動の内容や顧客からの寄付金額は、チャリティホワイト活動報告特設サイトや「チャリティホワイト」公式Facebookページで定期的に告知されている。
2015年08月17日東日本大震災から4年半が経過し、震災前に近い生活に戻っている方も少なくないかもしれません。でも、被災地にとり残されたペットたちは、いまどうしているのでしょうか?福島県飯舘村を中心にボランティア活動を行っている『横浜わんニャンの会』代表、池田千代子さんに現状を伺いました。■600匹以上のペットたちが飼い主を待っている2015年8月現在、被災地にとり残されたペットたちは福島県飯舘村だけでも約600匹以上もいるそうです。ただし飯舘村を除く他地域において、現在野生化しているペットの正確な頭数を把握するのはほぼ不可能。また、飼い主を亡くしたペットたちは、仮設住宅に入れ連ないなど事情はさまざまです。「避難先から一時帰宅し、短い時間でもペットと触れ合える飼い主もいれば、選択の余地なく諦めざるを得ない飼い主もいます」と池田さん。しかも、給餌活動も容易ではありません。池田さんによると、各団体ごとにより給餌ポイント(活動拠点)を設けて手分けして活動しているものの、現地へ足を運べるのはせいぜい1週間に1度。その間、とり残されたペットたちは、空腹に耐えているのだそうです。いったい、どんな思いで人間を待っているのでしょうか……。さらにペットたちは、ボランティアによって避妊、去勢手術が行われるもすべての手術完了には至らず、2代目3代目と繁殖しているパターンも。まさに悲劇の連鎖です。■被災地のペットは私達の想像以上に過酷な状況下そして被災地のペットたちは、犬と猫で微妙に生活が異なります。犬たちはボランティアによってハウスが設置され、自由がきく長さを保てるリードにつけ替えられ、繋ぎ止めておけない猫たちは住み慣れた地で給餌ボランティアの訪問を待ち続けています。ただ冬場は雪に閉ざされるため、除雪をしてもすぐ雪は積もり、飲み水も凍る始末。犬や猫たちは、寒さに震えながらも冷たい氷を舐めて飢えをしのがなければならないのです。夏場も、毛皮のある犬や猫には過酷です。そこで池田さんたちは、暑さをしのげるようにハウスに屋根を取りつけたりしているそう。四季を問わずボランティア活動は続いているのです。被災地にとり残されたペットたちは、愛情を受けながらともに生活してきた過去があるだけに人間への不信感も薄く、ボランティアの訪問に体全体を使って喜びの表現を示すのだとか。すでに里親の元へ戻ったペットもいますが、それはほんのひと握り。廃墟と化した家屋や施設を住処にし、厳冬、猛暑のなかを彷徨い歩くペットたちも少なくないのです。しかも、人間がいなくなった土地は先住の野生動物たちの楽園と化しており、人間慣れしたペットたちと野生動物の生きる戦いも繰り広げられているそうです。■いまもペットや飼い主たちは苦しみ続けている人間に大事にされて生きてきたペットたちが、震災以降にサバイバルを強いられている。「彼らの生きる環境が、不幸である原因が、果たして彼らの罪によるものでしょうか」(『清川しっぽ村だより』より引用)ものいわぬペットたちはもちろん、家族同然で暮らしてきた犬や猫たちを手放さなければならなかった飼い主の苦痛はどれほどでしょうか。残されたペットたちも、昼夜を問わず飼い主を探し続け、いつか迎えに来てくれると信じていることでしょう。やせ細りながらも住み慣れた地を彷徨い、怪我をしながらも飢えと寒さ暑さに耐え続けるしかないペットたち。そうした現状が、いまなお途切れることなく存在しているのです。(文/池田モモ)【取材協力】※横浜わんニャンの会【参考】※清川しっぽ村(『横浜わんニャンの会』と『清川しっぽ村』は協力団体です)
2015年08月15日JALグループは4月25日にネパールで発生したマグニチュード7.8の大規模地震に対し、救難・復興支援者の輸送協力を無償で行うほか、緊急支援物資の無償輸送やJALチャリティ・マイルを実施することを発表した。無償航空券はNGOネットワークであるジャパン・プラットフォーム(以下、「JPF」)所属の日本国内の民間援助団体を対象に、今回の地震に対して救難・復興支援を行う人々に提供する。支援期間は4月30日~5月31日(日本出発日)で、対象路線はJALが運航する日本発着(成田、羽田、関西、中部の各空港)バンコク便、および成田発着デリー便。緊急支援物資の無償輸送も同じく4月30日~5月31日(日本出発日)の期間に実施する。輸送要件は、依頼主(荷主)および荷受人が営利を目的としない公的機関(官庁・大使館・地方自治体・国連機関など)であり、連絡先が明確であること。また、輸送品目は救援物資で、危険物・動物・制限品を含まず、1回あたりの支援物資の重量が1t以内であることなど。バンコク便は成田、羽田、関西、中部の各空港、デリー便は成田空港から搬入し、荷送先はバンコク・スワンナプーム国際空港または、デリー・インディラ・ガンディー国際空港となる。出発地および到着地での諸手続きや地上搬送手段は、依頼主にから手配が必要になる。なお、持ち込みから到着までの間は、1週間程度の猶予を必要としている。JALチャリティ・マイルは、JALマイレージバンク会員へマイルの寄付を呼びかけ、寄せられたマイル寄付相当額をJPFを通じて被災地での救難活動の支援に役立てられる。 3,000マイル(3,000円に相当)を1口で、JALホームページより受け付けている。受付期間は4月30日~5月31日。
2015年04月28日