今までパパとママの愛情を一心に受けてきたひとりっ子。急にお兄ちゃんお姉ちゃんになれと言われても簡単になれるわけはなく、気持ちの容量オーバーから赤ちゃんのように必死でダダをこねることが増えたり、手がかかるようになったりします。それがどの子にも形を変えて少なからずある「赤ちゃん返り」というもののようです。例えば女の子には小さな頃から母性本能があり、3歳くらいになると下の子を「かわいがろう」とする気持ちが芽生えます。また、ママの真似や人形ごっこの延長線でお世話をしたがります。わが家の場合は長女が6歳の時に次女が生まれました。もう6歳。だから赤ちゃん返りはなく「一緒に赤ちゃんのお世話しようね」という言葉で乗り越えられるものと思っていました。ところが、それまで次女の誕生を待ち望んでいたはずの長女が、出産する数日前に次女のことで初めて大泣きしました。きっかけは小さな話でした。その日は寒い夜だったのに長女が「毛布をかけたくない」とダダをこねていたのです。しかし、その言葉は表面的なもので、本当の気持ちがその奥に隠れていました。「今までずっとママと同じ毛布で寝てたのに、ママのお腹が大きくなったから別の毛布をかけるようにしていたの。寝袋みたいに自分の足を包んで、ママのお腹を蹴らないようにして気をつけていたんだよ。でも本当はずっと抱っこしてもらって寝たかった。『ママの毛布に入れて』って言いたかったけど、ずっと言えなかった」と長女が話してくれました。そんなことを言われた私は思わず泣いてしまいました。長女は産まれてくる赤ちゃんにママを取られてしまうのではないかという不安と、「出産でママが死んじゃうのではないか」という恐怖、「ママが入院している間、頑張らなければ」という気負い、お姉ちゃんと呼ばれることへの緊張で、最初は意味がわからないワガママから、だんだん一言ずつ本当の気持ちを話してくれたのです。本当の気持ちを話すことができて、泣き疲れて眠った長女の顔は、赤ん坊の頃の寝顔にそっくりでした。「お姉ちゃんと呼ばれるようになっても、赤ちゃんの頃と同じ甘えん坊でママっ子な娘なんだわ。もっと大事にしよう」と出産直前に肝に銘じたのでした。子供の本当の気持ちはいつもくだらないダダやワガママの裏側にこそ本当の気持ちが隠れていることが多く、どの「赤ちゃん返り」にも意味があるように思うのです。だからなるべくその本当の気持ちを一緒に探るべく、下の子にも時々「ちょっと待っててね」と伝えて上の子に時間を使うようにしています。「赤ちゃん返り」というより、子どもの心にはいつまでも赤ちゃんのように柔らかい部分があって、いくつになっても親に愛されていると感じ続けたいのかもしれませんね。
2014年06月27日