こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。筆者は東京の出身ですが22歳で就職と同時に兵庫県の神戸市に赴任しました。それからは山形県の山形市や栃木県の那須塩原市など、38歳で東京に戻ってくるまで東西の数か所に移り住んだ経験を持つ元・転勤族です。全ての土地に単身で赴任した経験から申しますと、できることならママやお子さんたちにもパパと一緒にいろんな土地の文化と親しんでいただけたらいいなと思います。ただ、その際ですが、知っておいた方がいい「西日本」と「東日本」の“常識の違い”というものがあるのも事実です。今回はそんなお話しをさせていただこうかと思います。●阪神地区に「きつねそば」や「たぬきうどん」は無い社会人になった自分がはじめて暮らした西日本の街・神戸では、お蕎麦屋さんに入って「きつねそば」を注文しても「お兄さん、そんなのは無いよ」と笑われました。同様に「たぬきうどん」もありません。あとで分かったことですが、神戸や大阪といった阪神地方では東京で言う「きつねうどん」のことを『きつね』の一言で表し、東京で言う「きつねそば」のことを『たぬき』の一言で表していたのです。東京で言う「たぬき○○」に該当する“天かすがのったそば・うどん”はそもそもお蕎麦屋さんのメニューには無いのが一般的で、これでは何の予備知識もなく赴任した筆者のような者が困惑するのも無理のないことでした。この例だけではなく、“食べ物”は西日本と東日本の違いを際立たせる分野です。代表的な例としては次のようなものを挙げることができます。・東京では人気のおでんダネ「ちくわぶ」は西日本ではあまり知られていない・お正月に食べるお餅、東日本では四角いのが一般的だが西日本では丸いのが普通・雛あられは東日本では砂糖でコーティングした甘い米菓子。西日本では丸いお煎餅。・長ネギは東日本では白ネギが一般的だが西日本では青ネギが普通・すき焼きは東日本では「鍋物」だが西日本では砂糖をまぶして焼く「焼肉」●文化や生活習慣の違いは慣れるしかない!食べ物の違いは東日本と西日本で大きく違うものがありますが、ただ今どきは自分の出身地の食べ物が食べたいと思えばネット通販もありますし、どうにだってなる時代になりました。それよりも文化や生活習慣の違いの方が実際に生活するうえでは重要で、これはもう慣れるしかないことばっかりだとも言えます。例えば以下のようなことです。・電源周波数が東日本は50Hzだが西日本は60Hz・エスカレーターの追い越し車線、東京は右側で大阪は左側・東日本では雪かきに使う大型の掘削用具がスコップで小型のがシャベル、西日本では逆・某大手ハンバーガーチェーンの呼び方、東日本は「マック」、西日本は「マクド」・東日本ではポリタンクの色が赤、西日本では青●「人」の“気質”の違いがいちばん興味深いさて、ここまで東と西の食べ物や慣習の違いについて見てきましたが、筆者がいちばん興味を持っていることは東日本と西日本の「人」の“気質”の違いです。みなさんは“朝ドラ”をみていて、東京局制作のドラマと大阪局制作のドラマとでは“随分と趣きが違うなあ”と思ったことはありませんか?筆者はこの点について次のようなことを感じています。・大阪局制作のドラマは姑が嫁を苛めるが東京局制作のドラマでそれはあまり見られない・大阪局制作のドラマは子役の子どもたちの演技が“わざとらしい”が東京のは“自然体”----------いかがでしょうか。これは「いい」とか「わるい」とかの問題ではなくて、“その方がその地域ではウケがよくなるのでマーケティング戦略としてそういった手法を採用する”という話しです。なので筆者から何かしらの「価値判断」をすることはいたしません。気質の違いということでは、これも筆者の印象ですが・東日本は個人主義的、西日本は集団主義的・東の人は落ち着いた色づかいを好み、西の人は比較的派手な色づかいを好む・東の芸人は自分からはけっして笑わないが、西の芸人は身内のネタで自分がゲラゲラ笑うなどの特徴が挙げられるかと思います。いずれにしても「郷に入っては郷に従え」です。何かの縁で赴くことになった土地での暮らしを満喫するには、その土地での“常識”をいったん丸ごと受け入れて、楽しんでしまうのが近道ではないかと思います。●参考文献『東日本と西日本』大野晋・宮本常一著、洋泉社MC新書(2006年)●ライター/鈴木かつよし●モデル/神山みき
2017年11月29日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。ママやパパのみなさんは、お子さんから「やりたい職業が何もない」と言われたらどうお感じになりますか?お子さんが小学生以下なら滅多にそういうことはないかもしれませんが、中学生・高校生になってくると現実に「進路を決めろと言われても、したい仕事がない」と相談される場合があります。けれどみなさん、中高生のお子さんにとって『したい仕事が見つからない』ことは別に不思議なことでも何でもなく、むしろ自然なことです。今回は、中高生の子どもから「やりたい職業が一つもない」と言われたらどう対応したらいいのか ということについて、ご一緒に考えてみましょう。●親の仕事を見れない?現代の子どもたちかつてのわが国では、子どもはいちばん身近な職業人である自分の親(特に父親)の仕事ぶりを身近で見ながら育ちました。そしてその姿に憧れ、自分も親と同じようになるのが当然と考えたものです。床屋さんの子は床屋に、豆腐屋さんの子は豆腐屋に、電器屋さんの子は電器屋に。開業医の子は開業医に、設計士の子は設計士に。それが普通のことでした。高度経済成長期の終焉とバブルの崩壊、さらに経済のグローバル化の進行とリーマンショックを経て、業種にかかわらず大規模に資本を投下してより効率的に経営しないとコスト競争に負け事業として成り立たない時代に入り、町の豆腐屋さんや電器屋さんは姿を消して行くようになりました。子どもにとってその仕事ぶりを身近で見ることができるのは医者をはじめとするごく限られた仕事だけになってしまったのです。医者に代表されるような専門性が高くて収入がいい職業の人を親として生まれた子は「将来は自分も医者になろう」とさほど思い悩むこともなく意思を固めることができるかもしれませんが、そうでない普通の中高生の子にとっては小学生時代のようにプロスポーツ選手やプロのミュージシャンになることがそう簡単ではないことに気づきつつあることも手伝って、「やりたい仕事なんてない」となっていくわけです。しかも、凡人は凡人らしくお勤め人になればいいかと思っても、正社員なら生活はしていけるけど生涯“社畜”の人生。やり甲斐を求めてフリーランスの道を行けば30代・40代になっても生活がままならない。こういった人生の“予後”が何となく見えてしまう 。今のわが国は多くの中高生の子どもたちにとってそんな時代なのです。●やりたいことが見つからない!の対処法普通の中高生の子どもにとって「やりたい仕事が見つからない」ことは至って自然で当たり前のことです。ママやパパはだからこそ、子どもたちがやりたい仕事を見つけたときにどんな方向にでも進むことができるように幅広く勉強しておくことを常日頃から奨めておくべきなのです。たとえば、ずっと数学嫌いだったお子さんが高校2年くらいになって突然に「将来、造園の仕事に就きたい」と思ったとします。造園の仕事の芸術的な要素に惹かれてのことかもしれませんが、あらゆるモノづくりの仕事には相応の数学的な素地が必要不可欠です。こんなとき、「中学校の数学をもっとちゃんとやっておけばよかった」と子どもが後悔することのないように、ママやパパは心がけるべき でしょう。●ママ・パパの経験談は最高の教科書子どもたちにとってママやパパは、その仕事してる姿を近くで見にくい時代になったとはいえ立派に大人になり親となった人間の最も身近な標本でもあるわけですね。中高生の子どもたちが現時点でやりたい仕事を見つけられていないからといって、自分から自分の可能性の芽を摘んでしまうような思考の方向へ誘導するようなことがあってはなりません 。中学生・高校生くらいの子どもたちの可能性は、まだまだ無限大に近いものがあります。立派に大人になり人の親となったママとパパから御自身の経験談を話してさしあげて、やりたい職業なんてそのうちに見つかるものだから今は幅広く勉強しておくことの大切さ に根拠づけをしてやってください。自分のことで恐縮ですが、筆者は敬愛していた父親の町工場を存続させたいという気持ちを強く持ちすぎたことがかえって仇になり、時代が必要としなくなった分野が見えなくなって若い頃、会社の経営に失敗した苦い経験を持っています。中高年になってから、もともと好きだったエッセイの執筆を収入源の一つにして、精神的に充実した生活を送れるようになりました。筆者の妻は大学の後輩でもありますが、女性がまだまだ活躍の場を与えてもらえない時代にいろいろな企業で派遣社員としてその実務能力を磨き、40代の後半に入ってから公的な機関の職員に採用されて、彼女が好きな江戸の文化や風俗にかんする知識を活かせる仕事に就きました。これもひとえに彼女が「いつかはやりたい仕事に出会えるはずだ」という思いを棄てなかったからだといえます。40代、50代になってからだって「思い」があれば人間は「やりたい職業」に出会えるのです。まだ10代の中学生や高校生は、漠然としたものであってもかまわないので“好き”を大事にし、今やるべき勉強をコツコツやってさえいれば、いつかはやりたい仕事に出会え、その道を歩いて行けるように必ずなります。お子さんから「やりたい職業が何もない」と言われたら、このようなお話しをしてあげるのはいかがでしょうか。●参考文献『非学歴エリート』安井元康・著、2014年、飛鳥新社●ライター/鈴木かつよし●モデル/REIKO
2017年11月27日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。最近、特に政治の話題を取り上げたようなときなどに、“ダブルスタンダード ”という言葉をよく耳にします。「大国の核の傘に守られながら反核を主張するのはダブルスタンダードではないのか」といった具合です。簡単に言うなら、自分も相手と同じようなことをしているのに相手には文句を言って自分のことは棚に上げる ような態度のこと。日本語で「二重規範」と訳されるこの概念、政治のことはともかくとして私たちの日常生活においてもそれに該当する例は数多く見られます。そして夫婦間や親子の間に限ってみてみると、ダブルスタンダードは必ずしも悪いことばかりでもないように筆者にはみえるのです。実例を挙げながら考えてまいりましょう。●一人暮らしを経験しなければ子どもの自立心は育たない、が60代以上の男性に多いような気がしますが、『子どもはある程度の年齢になったら親元を離れて一人暮らしを経験してみなければいけない。そうでないと自立心も身につかないし、親の有難みも分からない』と言う人がいます。筆者もそれはその通りだとは思います。しかし現実を見てみますと、「わが国の都市部で暮らす年収200万円以下の若者の約8割は親の実家に住んでいる」という動かしがたい実態があります(認定NPO法人ビッグイシュー基金『若者の住宅問題』より)。一人暮らしをしたくても、住居費負担が高すぎるので親元を出ることができないのです。親元を出られるのは社宅や独身寮が完備された企業の正社員として就職することができた子どもたちに限られます。ですからこのような精神論を説く人も、実際には「そうはいってもここを出たら暮らしていけないよな。まあ、どこか他の会社に正社員として転職できるまでは居たらいいさ、となるわけです。これはまぎれもなく“ダブルスタンダード”ではありますが、言いようによっては“暖かい親の愛情”でもあるわけです。このダブルスタンダートを「悪」と言い切ることが、みなさんは人としてできますでしょうか?●ママからパパへの小言はオーケーでもパパがママを“口撃”するのはNG次に、夫婦の間のダブルスタンダードについて、例を挙げてみてみましょう。世の旦那さまがたなら、ほとんどのかたが“ママからの小言”に辟易された経験 がおありかと思います。「あなたのイビキ、うるさすぎる。もう耐えられないわ。あっちの部屋で寝て!」「お腹出すぎ。キモチわるい。どうにかして」筆者などは妻からこのような小言を何度となく浴びせられてきました。その都度暗い気持ちにはなるのですが、だからといって反撃したりはしません。「ママだって、けっこうイビキうるさいよ」「ママこそ、結婚した頃と比べたらずいぶん成長しちゃったよね」こんなことを言ったとしてどうなるというのでしょうか。男女平等の原則からすれば、ママがパパに小言を言うならパパがママに同じような文句を言ってもいいのではないかという気もします。でも、実際の夫婦生活においてはほとんどの場合においてそれはNGです。これも、典型的なダブルスタンダードの例になるかと思いますが、これが”悪いこと”だとみなさんは思われますか?小言を言われても反撃しない旦那さまは素敵ですし、旦那さまが反撃しないのに小言を言いつづける奥さまも可愛らしい と筆者は思います。夫婦の間にも、ダブルスタンダードだからこそ上手くいくことがあるのです。●そもそもこの世はダブルスタンダードで溢れているいかがですか?こうして考えてみると夫婦や親子の間にあるダブルスタンダードは必ずしも悪いことばかりではない ことがお分かりいただけるかと思います。20世紀ドイツの経済学者であるマックス・ヴェーバーは、そもそも私たちが生きている資本主義の世の中は、禁欲的なキリスト教の新教徒たちが世俗的な日常生活の中で勤勉実直に働くことが神の意思に沿うことだと考えて懸命に働いた結果、利潤が生まれ資本が蓄積していって形成された、神の意思とは異質な「金銭至上主義」の社会であると指摘しています。筆者の専門分野ではありませんが司法における「情状酌量」の考え方も、「罪は罪だけれども同情できる点があるので刑罰は軽くする」といった、言いようによってはダブルスタンダードと言えなくもない概念ではないかと思います。つまり、そもそもこの世はダブルスタンダードで溢れているということです。その方が現実社会の運用がスムースに運ぶため、私たち自らがダブルスタンダードを有効に活用して、社会システムを回しているのです。世のママのみなさん。たまに飲んで帰って「二日酔いだろうが何だろうが俺は明日も家族のためにちゃんと働くぞ!」とくだまいている、家族迷惑なダブルスタンダード夫のことをどうぞ許してさしあげてくださいね。●参考リンク『若者の住宅問題』認定NPO法人ビッグイシュー基金、2014年12月()●参考文献『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ヴェーバー著、岩波文庫●ライター/鈴木かつよし
2017年11月21日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。「棚上げ」というと難しい問題にかんする意思決定を先延ばしするだけのようで、何となく“無責任”な印象を受けますよね。でも、実際の世の中にはあえて棚上げにすることによって関係者の良好な人間関係と面子が保たれている場合が多々あります。間もなく夫婦生活30年目を迎える筆者から、夫婦の間の問題であえて”棚上げ”にした方がいいことを具体的な例を挙げてお話ししたいと思います。●お互いの“実家”の悩みはあえて”棚上げ”に先ず第一に、夫婦の間の問題でもお互いの“実家”にかんする悩み事や不安については、無理して性急な結論を出さずに”棚上げ”にすることをおすすめいたします。田舎で代々続く地場産業の商売を営んでいるパパの御両親から「もうそろそろ郷里(くに)に帰ってきて店を継がないか?」と言われたとしても、そもそもその気がないから都会に出てきてサラリーマンになりママと出会って自分の家族も持つことができたパパにとっては、困ってしまいますよね。もちろんママにとっても同じ。子どもたちにとってはもっとカルチャー・ショックが大きい話でしょう。そうかといって年を取って気弱になっているおじいさん・おばあさんに「そんなことできるわけないだろう」と突き放すように言い切ってしまうのもちょっと……。こんなときは、課題に対する意思決定を”棚上げ”にするべきです。期限を定めずに、すごくいいアイデアが思いつくまで無期限に棚上げ することです。いいアイデアが浮かばずにズルズルと都会のサラリーマン生活が続いて行ったなら、それはそれで仕方ないし。そのうちにパパの勤務先の会社が傾いてヤバそうな気配になったならここぞとばかりにみんなで田舎の実家に移り商売の見習いを始めるのもよし。この態度こそ、ママと要らない喧嘩もせずに済むしそうかといって課題を無視するわけでもない、最も賢明な態度であろうかと思います。ママの実家の独身の弟が40代にさしかかってきたというのに定職に就かずバイト暮らし。ママの御両親から「どうしたもんかね」と相談されたとします。こんなときも、”棚上げ”にしましょう。働いてはいらっしゃるのだから、いいではありませんか。すぐにママの弟さんだって50代になり、定職に就いていたとしたって“定年退職”の年齢になります。ママの御両親にしても70代・80代になっていて、弟さんがそばにいてくれた方が何かと心強いでしょう。棚上げにすれば現状をこれ以上に悪化させることもありません 。<h3棚上げし、節約生活をしながら対策を練る次に、夫婦間の問題で”棚上げ”の効用を活かすべきなのは、経済面での諸問題においてです。「あなたのお給料、もうちょっと上がらないものかしら?」「ママのパートの方も、もう少し時給がいい仕事はないの?」こんなことを言い合ったところで何にもなりません。パパもママも家族のために毎日精一杯働いています。生活が楽でないのはパパやママの努力不足のせいではありません 。この四半世紀に目を当てれば経済規模で10傑に入る世界の主要国の中で唯一名目GDPの総額が減少しているわが国で暮らしているのですから、楽じゃないのは当たり前なのです。ですから、お金の問題で夫婦で愚痴をこぼし合うことは、一旦棚上げにいたしましょう。今はとにかく外食だったランチをお弁当持参に切り替え、間食を半分に減らし(ダイエットにも効果抜群ですよ!)、ストレスにならない程度の節約生活をしながら年度替わりなどの“時期”を待つことです。しかるべき時期さえ来ればパパにも”早出手当”が付く部署への異動のチャンスが来るかもしれませんし、ママの新しいパート勤務先として時給の高い外資系のストアーが近所にオープンするかもしれません。マイナス思考は棚上げにして、慌てずに時期を待ちましょう。●芥川賞作家も”棚上げ”をオススメお互いのことをよく解り合っているはずの夫婦の間でも、“お互いの実家にかんすること”と“経済面での諸問題”については、性急な答えを出そうとせずに問題を一旦「棚上げ」にして時期を待つことを、筆者は強くおすすめいたします。芥川賞作家の赤瀬川原平さんは「優柔不断術」という1999年の著作の中で、次のように言及しています。『日本人は様々な問題に遭遇したときに、すぐに解決しないで、時間というものを上手に利用して、棚上げしてきた。例えば、ひとまずこの問題は後で考えてみることにして…などと、会議でよく耳にすることがあるだろう』(赤瀬川原平・著「優柔不断術」より)----------いかがですか。さすがは前衛芸術家でもあった赤瀬川さん、ものの見方が違いますよね。今わたしたち日本人は、何かにつけて“白黒をつけたがる”傾向があるように思います。“決定を急ぎすぎている”ようにも見えます。重要な問題であればあるほど、「パパにとっては100点だけれどママにとっては0点」の回答ではなくて「パパにとってもママにとっても60点」の回答を求めるべきです。そのためにはしばらくの間“棚上げ”にして課題を放っておき、時間の手助けを借りてよりよい結論を模索する態度が必要なのではないでしょうか。●参考文献 『優柔不断術』赤瀬川原平・著(毎日新聞社)、1999年●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/香南・TOYO
2017年11月14日テキスタイルデザイナー・鈴木マサルの展覧会「鈴木マサルのテキスタイル展 - 目に見えるもの、すべて色柄 - 」が、2017年12月9日(土)から2018年1月14日(日)まで、福岡・三菱地所アルティアムで開催される。自身のブランド「オッタイピイヌ(OTTAIPNU)」に加え、マリメッコなど国内外のメーカーやブランドでもデザインを手がけている鈴木マサル。鮮やかで奥行きのある色彩、そしてユーモア溢れるモチーフとダイナミックな構図がもたらす不思議な世界観にファンも多く、2012年からは各地で展覧会を開催し、好評を博している。福岡では初開催となる本展では、展覧会タイトルにもある"目に見えるもの、すべて色柄”をテーマに、彼がこれまでに発表してきたテキスタイルや傘、ラグ、ファブリックパネルなど、約100点の作品を展示。四方の壁、床、空間の全てが、鈴木マサルの色と柄で埋め尽くされる。なお、会期序盤には、デザインジャーナリストの高橋美礼を聞き手に迎えたトークショー、テキスタイルでオリジナル缶バッジを作るワークショップが開催されるほか、併設ショップ内ではオッタイピイヌのアイテムや書籍も販売する。【開催概要】「鈴木マサルのテキスタイル展 - 目に見えるもの、すべて色柄 - 」開催期間:2017年12月9日(土)〜2018年1月14日(日)※12月31日(日)、1月1日(祝)は休館日会場時間:10:00〜20:00入場料:一般 400(300)円、学生 300(200)円、高校生以下 無料※( )内は前売り料金/チケットぴあ・10名以上の団体料金※アルティアムカード会員・三菱地所グループ CARD(イズムカード)会員無料※再入場可■トークショー日時:2017年12月16日(土)時間:開場 13:45〜、開演 14:00〜 およそ90分会場:セミナールームA(イムズ 10F)参加費:500円 ※入場料は別途定員数:60名(自由席・要予約)予約TEL:092-733-2050(アルティアム)※予約開始は12月1日(金)より■ワークショップ日時:2017年12月17日(日)受付時間:13:00〜15:00会場:会議室(イムズ 8F)講師:鈴木マサル参加費:1つ 800円 ※限定100個(無くなり次第終了)※混雑状況によって、整理券を配布する場合あり
2017年11月10日こんにちは。コラムニストで経済思想史家の鈴木かつよしです。筆者のもとにも「最近ニュースなどで時々聞く“こども保険”って何なのですか?」というご質問がしばしば寄せられます。パパ友の一人の40代男性などは「保険料を払っておけば子どもにお金がかかるときに助かるって話ですか?」とLINEで聞いてきました。彼がそう思うのも無理はなく、“保険”という以上は何か困った事態に遭遇したときに日ごろ払っていた保険料から給付を受けるといったものをイメージするのは当然です。ところが今話題になっている政府与党の小泉進次郎議員らが提唱している“こども保険”とは全然そういったものとは違いますので、分かりやすく説明する者がいないと変な誤解が蔓延してしまう怖れがあるかもしれませんね。そんなわけで今回は、経済学士の端くれである筆者から“こども保険”とは何かについて、お話しさせていただこうかと思います。●こども保険は社会保険料アップで児童手当を増額し幼児教育の実質的無償化を図る政策案2017年3月29日付の朝日新聞デジタルやNHKニュースなどによる報道を要約しますと、政府与党の若手議員グループによってその日提言された“こども保険”とは、『幼児教育無償化の財源を確保するために現在の社会保険料をアップして資金を集め、所得制限なしで現行の児童手当に一律月額5,000円~25,000円を上乗せして支給することにより実質的な幼児教育無償化を図ろうという主旨の政策案』です。政府与党内にある“教育国債”の案が今以上に国の財政規律を乱すおそれがあることを危惧したうえでの対案でもあります。子育て真っ最中のパパやママにとっては児童手当の支給額が増えることはありがたい話であることに間違いありませんが、しかしこの制度を”保険”と呼ぶにはちょっと違和感がありはしませんでしょうか?そうなんです、”保険”というのは“負担者”が将来的なリスクに備えて保険料を支払いつづけることによりリスクに直面したときに“受益者”となれる 。“負担”と“受益”の関係性がはっきりしている性格のものなのですね。国民健康保険料も国民年金保険料も失業保険料も保険料を払いつづけていれば給付が必要な事態となったときに受益する権利が発生します。ですから冒頭でご紹介したような筆者のパパ友にとっては”保険”と言えなくもない面もあるけれど、子育て中でない人や子どものいない人・子どもをもつ予定のない人たちにとってみれば”保険”とはいえません。この点にこそ、“こども保険”という概念が私たち一般の庶民にとって「分かりにくい」最大の理由があるのではないかと思います。●そもそも一般庶民は「幼児教育無償化」より「乳幼児と児童の保育の充実」を欲している次に、“こども保険”という概念を分かりにくくしている原因の一つとして、そもそも政府与党が少子化対策・子育て支援対策の柱として位置づけている政策案が一般の庶民の感覚とズレてしまっているという問題があろうかと思います。政府与党はこれらの政策における最重要課題は『幼児教育の無償化』であると折にふれて言いますが、果たしてそうでしょうか?私たち普通の庶民は子どもに年端もいかないうちから無料で外国語の英才教育を受けさせたいとか天才棋士が受けてきたような海外発の思考法を学ばせたいとか。そういったことはあまり考えておりません。私たちは、夫婦ともに外に働きに出なければとてもじゃないが子どもを育てるなんて無理な現実があるわが国で、安心して子どもを預けられる先を得るために半永久的に待機しなければならないという先進国というにはあまりに遅れた現状 を”当たり前”の状態に改善して欲しいだけなのです。●その他にもこれだけある“こども保険”の分かりにくさもっとも、少子化対策や子育て支援に社会全体でもっともっと予算を充てなければならないという根底的な部分では、小泉議員らの主張はまったく正しいと思います。そのための財源も財政規律を乱す国債の増発に頼らずにという点でも賛同できます。ただ、それはそうなのだけれど的な分かりにくさが“こども保険”には多く、列挙するなら下記の通りです。1.保険と呼ぶ以上は何らかのリスクに備えてのセーフティーネットでなければならないが、給付の対象として想定している「幼児教育の費用負担」はリスクではない。広く一般国民が求めているものでもない。2.幼児教育にかかる費用よりもはるかに負担の大きい「高等教育(大学)」の無償化の問題に手をつけずに就学前教育の無償化を優先するのは順番が間違っている。3.負担者と受益者が一致していない。社会全体で少子化や子育ての問題に向き合わなければならないというのであれば、「保険」ではなく「税」で賄うべきである。4.所得制限なしで給付が受けられるため、そもそも幼児教育にかかるお金になど困っていない富裕層までが受給することになる。5.子どものいない人や子どもを持つ予定のない人にとっては不公平さを感じざるをえない部分がある。では“こども保険”ではなく私たちはどんな方法で少子化と子育て支援に向き合うべきか?いかがでしたでしょうか。“こども保険”というものについて、少しイメージしていただけたでしょうか?こうして考えてみますと、“こども保険”という政策案にはまだまだ熟議を要する点が多く、少子化対策・子育て支援政策の対案としてもっと筋の良いものを政府与党に対して示す必要を筆者は感じます。ちなみに筆者が考える対案はおおむね次のようなものです。一少子化対策・子育て支援政策の軸足を幼児教育の無償化ではなく待機児童の完全解消と高等教育の無償化に置く。二そのための財源は“こども保険”ではなく税金の徴収方針の転換で賄う。具体的にはやはり相続税の強化が急務かと思います。わが国の現行の相続税制は控除額が多く、そこそこのお金や資産がある家に生まれた人がそうでない人に比べて恵まれすぎています。「社会全体で子育てを」というのであれば、相続税の控除額を削減して、先ずは生まれながらにして経済的に恵まれている人たちに協力をお願いするべきです。三二と同じ意味で、高額所得者の所得税の強化に理解を得る努力をすべきだと思います。「そんなに税金を取られるなら日本から出て行ってやる」といった言葉をあえて怖れず、そういった方々の内面にある公共心の高さに訴えてみるべきです。“こども保険”は現時点では少子化対策・子育て支援政策の一つのアイデアにすぎません。大切なことは、“もっと一般庶民が必要としている子育て支援政策”のアイデアを私たちの方からどんどん出していって政府与党に迫ることだと思います。子どもたちのより良い未来は上から与えられるものではありません。●参考リンク「“こども保険”子育て財源 誰が負担するのか?」(時論公論)|NHK●ライター/鈴木かつよし●モデル/福永桃子
2017年11月07日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。2016年3月に北海道新幹線の新青森駅━新函館北斗駅間が開業して、北海道の函館周辺エリアは東京から飛行機を使わなくてもわずか4時間で行ける身近な観光地になりました。大沼国定公園の雄大な自然と紅葉。異国情緒に溢れた函館の街並みと歴史的建造物。「トンネルを抜ければそこは北海道!」を実感できる“北海道新幹線で行く函館周辺の旅”は、パパもママもお子さんたちもきっと大満足されるはずです。今回は大沼湖の“キタキツネ”と“紅葉”。函館市内の“景観”と“グルメ”。このあたりに焦点を当てて、お話しさせていただこうと思います。●北海道に上陸したなら先ずは大沼公園へ!本州とは桁違いの自然を体感しましょう北海道新幹線で全長53kmの青函トンネルをおよそ25分かけて抜けますと、そこは“遥かなる大地”北海道です。車窓から見える風景も“内地”のそれとは趣きが違い、雄大です。せっかく飛行機ではなく新幹線で北海道に上陸したのですから、終点の新函館北斗駅に着いたら駅からわずか10kmほどのところに位置する大沼国定公園 に向かいましょう。いきなり北海道の大自然を体感できること請け合いです。大沼国定公園は函館市に隣接する七飯町にある北海道リゾートの発祥地です。駒ヶ岳の噴火によってできた126の小島が浮かぶ大沼湖を中心とした景勝地で、函館開港後は外国人も多く訪れるようになりました。●遊覧船に乗ったらレンタサイクルで大沼湖畔一周を運が良ければキタキツネに会えます。大沼公園に着いたら先ずは遊覧船に乗って大沼湖の湖面から周りの景色を楽しんでみてください。道産子のガイドさんによる大らかで最高に面白い説明を聞くことができます 。本当に、下手なお笑い芸人さんの話よりずっと面白いのでびっくりしますよ。遊覧船を降りたら何軒かあるレンタサイクルのお店で自転車を借りて、家族みんなで大沼湖畔一周サイクリングに挑戦しましょう。運が良ければ途中で野生のキタキツネと出会える可能性があります。筆者は初挑戦でとてもかわいいキツネさんに会うことができました(画像参照)。湖畔一周は14km程度ですので、小学校低学年のお子さんでも休みながら無理なく挑戦することができます。大沼公園ではキタキツネの他にも数々の野生動物や野鳥に出会うチャンス があります。エゾシカやカモシカ、オオワシやオオルリなどの美しい生き物たちも棲んでいますし、タカ科の猛禽類のトビなどは公園中のいたるところで悠然と滑空しています。●大沼公園の秋は道内有数の紅葉スポット大沼国定公園の秋は道内有数の紅葉スポットでもあり、JR大沼公園駅前の街路樹が黄色く染まった様子は絶景といわれています。また、画像は大沼湖の紅葉の様子ですが、これは筆者が撮影したものではなく、大沼公園駅すぐとなりの大沼観光案内所(大沼国際交流プラザ)の液晶ビジョンで上映されていた映像があまりにも幻想的で美しかったため、許可を得て撮影・紹介させていただいたものです。いかがですか?綺麗でしょう。●大自然を堪能したら函館市内の異国情緒に溢れた街並みとグルメを楽しみましょうさて、大沼公園で北海道でしか味わえない大自然を堪能したあとは、2日目は函館市内に移動して異国情緒に溢れた街並みとグルメを楽しみましょう。筆者は中学1年から大学2年までの8年間横浜の学校に通い、大学を卒業してからの20台前半を神戸で暮らしたため、貿易港の街に特有の異国情緒と自由な空気が大好きなのですが、函館の街の美しさは横浜や神戸を上回るほどだと思っています。画像はカトリック元町教会ですが函館の歴史的建造物は神戸の異人館よりも概して観光客向けの手が加わっていないような印象を受けます。そこがまた北海道のスケールの大きさでもあるのだろうと思います。●朝市のウニは“まんま”で。GLAYが愛したピエロの洋食屋さんはボリュームがヤバいいよいよグルメの件ですが、スペースの都合で2つだけ。画像は先ず函館朝市でその場で殻を割ってもらった生のウニ。海水の塩分がほんのり効いていますので醤油などの調味料は要りません。“まんま”でどうぞ。北海道グルメの基本は「素材そのものの味」です。調理方法は二の次と心得ましょう。次の画像はロックバンドGLAYのJIROさんが広めたことでも知られるピエロの看板の洋食屋さんのミートスパゲティー(店舗によっては扱いないお店もあります)。味が美味しいだけではありません。画像でお分かりいただけるようにボリュームがヤバく、北海道のグルメにはチマチマ・コセコセしたところが一切ありません。●名残惜しい方は帰りの新幹線の時間まで新函館北斗駅前の「ほっくる」で過ごしましょう駆け足でお話しさせていただきました。まだまだ名残惜しい方は帰りの新幹線の時間ぎりぎりまで、新函館北斗駅前のショッピング&フードエリア「ほっくる」(北斗市観光交流センター別館)で過ごしましょう。2017年3月にオープンしたこの施設は北海道とくに函館エリアの特産品やお土産を販売するお店やレストランで構成されており、最後の最後まで北海道と函館の魅力を堪能させてくれます。なお、画像がないため最後になりましたが、函館市内では是非“塩ラーメン”は召し上がってみてくださいね。ラーメン大好き人間の筆者が太鼓判を押します。美味しいです。●参考リンク:大沼国定公園|北海道環境生活部環境局生物多様性保全課()●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)
2017年10月24日こんにちは。コラムニストで経済思想史家の鈴木かつよしです。筆者が子どもだった昭和30年代から40年代は「勉強は苦手だけどスポーツだけは得意」という友だちがいっぱいいて、“勉強エリート”の子たちとはまた違う存在感と輝きを放っていました。しかし現在は、スポーツができる子は“アスリート”と呼ばれてエリートの一種とされますので、すべからくメジャーな存在になりました。今、ポテンシャルのある層として存在しているのは「勉強もスポーツもこれといって得意ではないけれどコミュ力だけは自信がある」という子どもたちではないでしょうか。このような子たちはその後お笑い芸人や地方議員として有名になったりする場合もあり、楽しみな面も多いのですが、一方で気をつけないと足元をすくわれてしまう「落とし穴」と隣り合わせにいるようにも見えます。今回は“コミュ力自慢”の子どものママのみなさんにぜひ注意して見守っていてほしい彼らの「適性」と「落とし穴」についてお話ししたいと思います。目次コミュ力自慢の子どもたちに“向いている”進路は?コミュ力自慢の子どもたちに共通する“落とし穴”コミュ力はもちろん大切だがもっと大切なのは譲れない“信念”●コミュ力自慢の子どもたちに“向いている”進路は?医師だ弁護士だ一級建築士だといったような“取得するためには相当の学力を要する職業”には最初から関心がなく、かといってプロスポーツの選手になるほど何かの運動競技に秀でているわけでもない。だけど“コミュ力”にだけは自信があって、「同窓会の幹事ならあいつに任せておけば間違いなく盛り上がれる」と定評を得ているような人がいます。本稿でいう“コミュ力自慢の子どもたち”です。筆者が自分自身の職業経験や、暮らしている地元での人間関係などからみて、こういった“コミュ力自慢の子どもたち”に向いている進路として次のようなものが挙げられます。◆消防士◆建設現場での技術者・作業者(大工・鳶・左官等含む)◆芸人・お笑い芸人◆接客業全般◆保育士◆地方議員◆飲食業・販売業の従業員ならびに経営者◆信用金庫職員◆地元放送局のアナウンサーざっとこういったところでしょうか。消防士さんや建設現場で作業する人は大きな声を出して仲間と連携をとることが不可欠ですし、以下のどの仕事をみても“コミュ力”がものをいう要素が大きく、コミュ力自慢のお子さんがこういった進路を目指したいという場合には、ママのみなさんにはぜひ背中を押してさしあげていただきたいと思います。●コミュ力自慢の子どもたちに共通する“落とし穴”コミュ力自慢の子どもたちのママのみなさんによく注意していただきたいのはむしろここからの話です。お子さんたちが目指しているような世界には経済社会学的にみるとある特徴があり、その点の認識が甘いと思わぬところで足元をすくわれる怖れがあるからです。どういうことでしょうか。わが国の地域経済の世界は強固な地縁・血縁で結ばれた共同体である場合が多く、大半のケースで“世襲”の後継者たちが地元経済圏にある個別企業を経営しています。こういう経営者やリーダーの人たちは概して面倒見がよく親切ですので、お子さんたちが現状にこれといった疑問を持たずに目の前の仕事に専念している限りにおいては彼らから可愛がられ、円滑な関係が期待できるでしょう。地域経済に限らず全国規模の経済界も体質的には大体同じです。『ヤンキー化する日本』の著者で精神科医の斉藤環先生はこの体質のことを“ヤンキー体質 ”という言葉で表現しています。斉藤先生によればわが国の経済社会は『統治する側とされる側が同じ体質』(ヤンキー体質といってもいいし、コミュ力第一主義といってもいい)であるため基本的に「安泰」な社会ではあるけれど、そのかわりに大きな発展もなく閉塞的な社会でもあると指摘しています。つまり、コミュ力自慢の子どもたちにとっての落とし穴は、いったん社会人になったあとで「もっと上の世界を目指したい」という気持ちに目覚めてしまったときに、日本の国内にはなかなかそれを受け入れてくれる体質がない ため苦労しがちである、ということなのです。具体的な例を挙げるなら実際にこのような話があります。『小学生の頃からコミュ力抜群だった同級生のSさんは専門学校を卒業した後、地元のC市で幅広い事業を営む地域有力企業であるK社という同族会社に就職。地元での顔を生かして30代で部長になった彼はサラリーマンに飽き足らずC市の市会議員選挙に立候補して見事に当選。C市では最年少の市会議員になりました。ところが議員になってからC市のエネルギー政策の遅れに気づいてしまったSさんは自然エネルギー化の推進を訴えて後援会長でもあったK社の3代目社長と対立。執拗ないじめと“村八分”に遭い、再選を期した市議選では落選してしまったのです』(30代女性/都内C市在住、主婦)Sさんがもし自然エネルギーの研究者との交流や研究内容そのものへの造詣、そして自然エネルギー化を願う市民との対話をもっと持っていたなら、再選されていたのかもしれません。筆者が地元C市に住む30代主婦の女性から聞いたこの話は、「ヤンキー的なコミュ力だけである程度まで出世した人は、より質の高いところを目指そうと思うとかつてヤンキー的な仲間だった人たちからの村八分に遭って失脚する怖れがある」という教訓を示しています。●コミュ力はもちろん大切だがもっと大切なのは譲れない“信念”今回の話を読まれて「息子にはコミュ力で上手く世間を渡って行ってくれればそれでいいわ」とお感じのママも多かろうと思います。筆者もそう思います。というよりも、コミュ力でもって市会議員にまでなられたSさんのような方はすごいと思いますし、それ以上の出世など望まなくてもいいのではないかとも思います。ですが、ママのみなさんに考えていただきたいことが一つだけあります。今の日本の社会、コミュ力だけで渡っていたらしまいには疲れ果て、おかしくなってしまう と思いませんか?コミュ力の根幹をなす要素の一つである「協調性」という能力はとても大切なものではありますが、『協調性だけを強調するカルチャーが、ムラ社会におけるいじめのロジックを補強している。一人だけ変わったことをするやつはいじめていいという話につながっている』(前出・斉藤環氏)という精神科医の見方もあるように、コミュ力頼み・協調性頼みでやや無理して繋がった人間関係においては、Sさんと後援会長でもあるK社の社長さんのようにいったん亀裂が入ってしまうと深刻です。Sさんは立派な大人ですから大丈夫でしょうが、もしまだ10代のお子さんがそんな状況にぶつかって悩んでいたなら、ママのみなさんはこう言ってさしあげてください。『協調性だとかコミュニケーション力だとかよりも、自分の信念を大切になさい 』と。その後30代主婦の女性から聞いた話ですが、Sさんは市議落選浪人中の間に再生可能エネルギーについて独学で猛勉強され、Sさんを支援するC市の市民の人たちの後押しもあり、次の市議選には満を持してリベンジの立候補をするそうです。ご自身の考えが必ずC市の市民の生活を豊かにするはずだというSさんの信念はきっと功を奏するはずだと筆者は信じて疑いません。繰り返しますがママのみなさん、お子さんが「人間関係の協調か、自分が正しいと思う信念か」で悩んでいたら、信念を大事にするようにおっしゃってください。親だけは絶対的に子どもの味方でいてやらなければいけません。参考文献:『ヤンキー化する日本』斉藤環・著(角川書店)2014年●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/SAYA、ゆみ
2017年10月17日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。大臣や国会議員による“失言”が後を絶たちません。精神科医で元衆議院議員の水島広子さんがその著書『国会議員を精神分析する』で述べているように“どうして民主主義国家のはずの日本で、よりによってこんなにおかしな人たちばかりが政治の世界に集まるのだろうか……”といった指摘は本当にあたっています。で、よく聴いてみると彼(彼女)らの“失言”といわれるものの実態は「心にもないことが何故か口を滑って出た」のではなく、「常日頃から心底そう思っているような本音がついつい出てしまった」ものばかりであることが分かります。そうだとするとどんなママたち・パパたちにも、職場や仲間の集まりでついつい失言をしてしまう怖れというのはあるわけで、今回はママやパパが気をつけるべき失言の3つのパターンについて考えてみたいと思います。●この人たちなら本音を喋っても解ってくれると思い込んだ結果の失言『私がよくやってしまうのは、職場の食堂で親しいパート仲間のママたちと社内の人間関係について話しているときに、同僚の直属上司や同僚と関わりの深い部署の人の悪口を“本音”で喋ってしまうというパターンの失言です。私の話しを“痛快だわ”と言って楽しんでくれる人は多いものの、一方で批判の対象とされた人を直属上司に持つ場合やその上司と職務上頻繁に関わらなければならないような場合、痛快だなどと言って一緒に大笑いしているわけにはいきません。そんなことも考えずにパート仲間なら共に働く戦友として本音で何を喋っても解ってくれるだろうと思い込むのはおおきな間違いでした』(40代女性/東京都在住、大規模小売店パート)こちらの40代女性は筆者のお知り合いの一人で、よく「本音」のご意見をおっしゃってくださる貴重な存在のかたです。たしかに「自分にとってはこき下ろしてスカッとしたい嫌な奴」であっても同僚にとっては「それでも同じ部署で働くパートナー」ですから、悪口を言われてけっしていい気持ちはしないものです。仲間になら何を話しても解ってもらえるだろう といった思い込みは、とんだ失言を招くよくあるパターンに当てはまるのです。●知らず知らず誰かを「見下している」ことに起因する失言『うちの課の課長は社内で“失言王”と呼ばれるほど失言が多い人です。本当ならとっくに役員になっていておかしくないような仕事のできる人なのですが、ことある度に失言をして、昇進が見送りになっています。見ていると、「女の子ははじめから当てにしていないから残業せずに帰っていいよ」とか「その仕事は契約社員のきみにはムリだろうから心配せんでいい」といったように、女性や非正規社員のことをそもそも“見下している”ところに失言の原因があるのです。多分ご本人は気づいていらっしゃらないのだろうと思われますが、知らず知らずのうちに人を見下していることから来る“本音”が失言となって口から出てしまうという悪しき例ですよね』(30代女性/神奈川県在住、医療機器メーカー勤務)こちらの女性もしばしば筆者のインタビューに協力してくださるかたですが、この課長さんのようなパターンに当てはまる人、いますよね。というよりも筆者の世代の男性にはこのタイプの失言癖のある人が悲しいかな少なくありません。悪い人ではないのかもしれませんが、根底にある“上から目線 ”に気づいて自覚し、直さない限り、ずっと“失言王”から卒業できないのではないでしょうか。●揺るぎない信念や信条を持っていて、折にふれてそれを語ってしまう失言『職場の同僚のK子さんは仕事がテキパキとよくできるうえに普段は物静かで素敵な女性です。ところがこのK子さん、「女性は一度は子どもを産まなければ絶対に駄目」という、ある意味で宗教的ともいえるような信念を持っていて、折にふれてそれを語ってしまいます。会議などでそれが始まってしまうと場が一気に「またいつもの失言かよ」という雰囲気になり、女性の列席者たちから猛反発が出て会議にならなくなってしまいます』(40代女性/東京都在住、出版社勤務)この話しをしてくださったかたは、出産経験のある女性からしても「こんな女性蔑視の差別的な発言はけっして許容できない」とおっしゃっています。この“揺るぎない信念・信条を語ってしまう”という失言のパターンは、政治家の失言には最も多いパターンだといえるでしょう。冒頭でご紹介した精神科医の水島広子さんは著書の『国会議員を精神分析する』の中で政治家に失言する人が多い理由の一つとして政治家の多くが“自己愛パーソナリティー”の持ち主であることを指摘しています。筆者は医師ではありませんので巷にあふれる失言の数々を精神医学的・心理学的に分析することはできませんが、インタビューに答えてくださったママのみなさんの貴重なお話しを筆者自信の社会経験などをもとに考察した結果、このような“失言の3パターン”に行き着きました。読者のみなさんはいかがお感じになられますでしょうか。いずれにしても『沈黙は金 』です。失言をしないようにするためには、余計なことは言わないように心がけるのが一番なのかもしれませんね。参考文献『国会議員を精神分析する』水島広子・著(朝日選書)●ライター/鈴木かつよし●モデル/赤松侑里
2017年10月12日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。筆者が日ごろ地域のボランティア活動などで交流のあるママたちとお話ししておりますと、結婚して何年も経つのに旦那さまのことを心の底から「カッコいい」と思っていらっしゃるかたにしばしばお目にかかります。奥さまからいつまでもそのように思われる“カッコいい旦那”さまにはいくつかの共通点があるように筆者には見えますので、今回は「ママたちから見た“カッコいい旦那”の特徴」と題して書かせていただきたいと思います。執筆にあたっては筆者の地元である都内C市でさまざまなボランティア活動に携わる30代から50代のママのみなさんから、貴重な参考意見を聞かせていただきました。目次カッコいい旦那の特徴1~伴侶のことを理解しており、共感することができる~カッコいい旦那の特徴2~子ども・高齢者・障がい者・女性に常にやさしい~カッコいい旦那の特徴3~倫理に反するような行為をしない~カッコいい旦那の特徴4~真面目で、昨日より少しでもよくなるために努力をする~●カッコいい旦那の特徴1~伴侶のことを理解しており、共感することができる~『私のように外で働くママにとっては、職場で溜まった人間関係のストレスを家に帰って吐き出すとき、旦那が自分の話を理解し、共感してくれるかどうかは死活問題です。旦那が理解してくれず共感もしてくれないようでは“救い”がありません。高校生の一人息子は母親の愚痴なんかにもとより関心ありませんし、その点うちの旦那は私とは趣味も食べ物の好みもかなり違いますが、私のことを誰よりも知っていて私の愚痴を、共感をもって聞いてくれるという点で、世界一のパートナーです。だいぶ白髪が増えお腹も出てきましたが、私にとっては他の誰よりもカッコいい男性です』(50代女性/都内C市在住/団体職員)よく芸能人の夫婦が離婚を発表する際の記者会見で「性格の不一致」と言いますが、あれは言葉の使い方としては間違っています。100人の人間がいれば100の性格があり、性格は一致などしないに決まっている からです。そうでなく、こちらの女性のように旦那さまと“感性”が一致し、お互いに“理解”し合うことさえできるならば、趣味や好みや性格の違いなど何の問題もありません。旦那さまはいつまでも“カッコいい”存在でありつづけるであろうと思います。●カッコいい旦那の特徴2~子ども・高齢者・障がい者・女性に常にやさしい~『夫はこれといってハンサムでもスマートでもなく収入が多いわけでもありませんが、相対的に弱い立場にある人にいつもやさしい人です。エレベーターにお年寄りや体の不自由な人が乗ろうとしていればちゃんと乗り終えるまでドアを開けておきますし、5歳の自分の娘がぐっすり眠っていれば抱っこしてでも電車では席を譲ります。また、一人で赤ちゃんを連れてベビーカーの開閉に困っているようなママを見かければ手伝ってあげますし、街頭で自立支援の雑誌を販売しているホームレスの人がいればおこづかいに余裕があるときなら必ず買って読むようにしているようです。私は夫のこういった姿にふれるときに、「本当にカッコいい人だな」と思います。もちろん私にもとてもやさしく、この人と結婚してよかったと心から思っています』(30代女性/都内C市在住/パート)こちらの30代女性のご意見に筆者は共感いたします。今は、有力者に“忖度(そんたく)”をして自らの保身をはかる“カッコわるい大人”が世の中にあふれるようになってしまいました。そんな中で、弱い立場の方の人たちにやさしくあれる人 は本当に素敵で、カッコいいと思います。●カッコいい旦那の特徴3~倫理に反するような行為をしない~『最近「セカンドパートナー」という言葉をよく耳にするのですが、あれって要するに“不倫”とさほど変わらないですよね。うちの旦那に「セカンドパートナーってどう思う?」って聞いたところ、「不倫と変わらないだろう」という答えが即座に返ってきて、「ああやっぱりうちの旦那はカッコいいわ」と思いました』(40代女性/都内C市在住/医療事務)こちらの40代女性のご指摘は、とても重要だと思います。そもそも“結婚”というものは(基本的には)男女が結ぶ“社会契約”のひとつですので、「倫理に反する行為をしない」という契約をお互いが順守することによって成り立っています。筆者の年齢になると分かってくるのですが、“セカンドパートナー”といったような美辞麗句で精神的な浮気をごまかすようなことをしていますと、人生に不具合が生じたときに力になってくれる最愛の人を失い、子どもたちも心が離れ、孤立するようになっていきます 。そのことが40代にして分かっていらっしゃるこちらの女性の旦那さまは、とてもカッコいい男性だと思います。●カッコいい旦那の特徴4~真面目で、昨日より少しでもよくなるために努力をする~『うちの夫は30歳のときにサラリーマンを辞めて父親の代からの家業である肉屋を継いだのですが、今どき個人商店は何をやっても採算が合わないため商店街の仲間のお店も大半がシャッターを閉めてしまった状況。夫も最初のうち「これほど厳しいとは思わなかった」と言い再びお勤めに出ることも考えたのですが、何度も何度も試行錯誤して完成させた牛肉コロッケが「とてもおいしい」と口コミで評判になり、今ではほぼ毎月黒字の安定した経営状態になり、息子の大学の初年度納付金も払ってやることができました。「昨日までよりも少しでもよくなれば」と真面目にコツコツ努力をつづける夫の姿は本当にカッコいいです』(40代女性/都内C市在住/精肉店自営)精肉店を営まれるこちらの女性の旦那さま、本当にカッコいい! これでは60代、70代になっても旦那さまにぞっこんですね。でも、旦那さまのそんな姿に惚れ惚れなさっているママもとっても素敵ですよ。----------ママたちから見た“カッコいい旦那”の姿は十人十色ではあるのでしょうが、今回あげたような4つの特徴は、ママたちの目に“カッコいい”と映る旦那さまであれば共通して持っているものではないかと思います。読者のみなさんの旦那さまは、いかがでしょうか?●ライター/鈴木かつよし●モデル/貴子(優くん、綾ちゃん)
2017年10月03日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。エコノミストによって想定される“程度の差”こそあれ、「必ずやってくることだけは間違いない」と言われているのが“東京オリンピックが終わった2020年秋以降の不景気 ”です。五輪特需の終了で雇用が減り、建築・不動産バブルが弾け、五輪までに目いっぱい世界に発信した“和のテイスト”商品が市場にあふれて飽和状態になります。今回、筆者は経済学士(慶大)の端くれとしてパパとママのみなさんに、「避けることのできない2020年からの不況にいかに備えたらいいのか」についてお話ししたいと思います。一緒に考えましょう。目次備え1:急激な雇用の減少に備え“手に職”をつけ磨いておく備え2:磨いた職人技もAIが奪おうとするなら、技術に人間的付加価値を加えましょう備え3:投資よりも貯蓄重視で堅実に●備え1:急激な雇用の減少に備え“手に職”をつけ磨いておく筆者がこの原稿を書いている2017年の9月現在、東京の周辺にはたしかに仕事はあります。その多くが非正規の仕事であることは別にしても、雇用がないよりは全然マシな状況であることは言うまでもありません。雇用があるのはそれもそのはずで、森記念財団・都市戦略研究所が試算した“東京五輪開催までに新たに生み出される延べ121万人の雇用”がいよいよその“宴もたけなわ”の状態になりつつあるからです。ほんの6~7年前はとにかく仕事そのものがなくて困っていた若い人たちも、今ならホテル・観光・不動産・建築・飲食・接客・交通・運送・和装・土産物など、どの分野であっても職に就くこと自体で困ることはありません。現政権の支持率のポイント数がピーク時の半分以下に下がった今でも、18歳から29歳までの若者の間でだけは68%の高水準を維持しています(6月3日・4日実施のJNN世論調査より)。この理由は、自分たちより6つ7つ年上の先輩たちと違って「自分たちは“就職だけはある”状況にいる」ことへの一定の評価に由来するものだろうと筆者は考えます。その雇用が、オリンピックの終了と同時に消える ことになるわけです。そしてさらにめぐりあわせの悪いことには、2020年は国民の4人に1人が45歳以上になる年だと言われています。主に若い人たちが就く“現場の仕事”が減ると同時に、45歳以上になってきたパパ・ママ世代の人たちが本来受け持つべき“管理職”のポストも奪い合い の状況になります。こういった状況に直面するのが明らかな2020年に備えて働くパパ・ママのみなさんが特に身につけておくべき能力は、統率力とか人を束ねる力といった空気をつかむようなものではありません。「英語と中国語でお客様とコミュニケーションができる」とか「物流倉庫のようなロジスティックなシステムのメンテナンスや設計ができる」などといったような、具体的に何かができる“腕前”であり、簡単に言うなら“手に職をつけておく”ということだろうと思うのです。●備え2:磨いた職人技もAIが奪おうとするなら、技術に人間的付加価値を加えましょうしかしながら、そうやってパパ・ママ世代が必死になって磨いてきたいろいろな分野における“技術”や“腕前”をも、人工知能(AI)がだんだんと凌駕する ようになってくる。2020年はそういう年だとも言われています。名人芸のように早く正確にレジを打つスーパー・パートのママの職人技も、2020年には相当程度まで電子式の自動レジに取って代わられていることでしょう。卸・小売業におけるカリスマ営業マンや販売員の仕事なども、膨大な量の情報を瞬時にディスプレイしてみせるAIにはいずれ敵わなくなり、奪われるであろうと言われています。そこでせっかく腕を磨いてこられたパパ・ママのみなさんへの筆者からの提言は、「磨いてきた職人技のような優れた技術に、さらに“人間的”な付加価値を加えて AIも追いつけないレベルにまで機能展開しましょう」というものです。レジの達人ママであれば、「自動レジなんてあたしにはムリ」と言う高齢者のお客様たちが、ホッとし安心するような気配りと話術を磨いて数少ない“人力レジ”の担当の座を死守しましょう。カリスマ営業マンのパパであれば、情報量の部分はむしろAIに任せてしまって「それでも私はこちらの商品を推す」的な感性と哲学で業績をさらに伸ばすことにチャレンジしてみてください。●備え3:投資よりも貯蓄重視で堅実にさて、そうはいっても“それでも抵抗しきれない”のが五輪終了後の2020年問題です。ここ最近のオリンピックは開催都市が大会終了後にほぼ“必ず”深刻な経済不況に陥っています。これは経済ジャーナリストの荻原博子さんが折に触れて指摘していることでもあるのですが、唯一の例外が1996年に開催された米国・アトランタでのオリンピックです。そのころの米国は1990年代のIT革命の真っ最中で“五輪後不況”の負の影響をカバーして余りあるほど“次の時代の基幹産業”が暴れまくり、米国経済を根っこのところから押し上げていたのです。残念ながら今のわが国にはそこまでパワフルな次世代産業も成長戦略も存在しません 。であるとするならば、2020年以降に必ずやって来る深刻な不況に備えてパパとママがやっておくべきことは何でしょうか。筆者は荻原さんが近著『10年後破綻する人、幸福な人』の中でおっしゃっていることにそのヒントがあるような気がしています。荻原さんはこの本を通して概ね次のようなことをおっしゃっています。・2020年秋以降の“東京五輪後不況”の到来は残念ながら不可避・そのとき、急激な雇用減で一時的に職を失うリスクは誰にでもある。現金の備えが大事である。・リスク回避の手段としての“投資”はあまり奨めない。このままデフレが続くにせよインフレになるにせよ、最も堅実なのは現金による貯蓄である。デフレが継続するのであればお金は現金で手元に持っておくのが一番得 であるし、現時点でわが国に近々ハイパーインフレが到来する確率は低い。・不動産は“投資”を目的には購入しないこと。東京五輪後のマンションなどの相場価格の暴落を想定すると、投資目的の不動産購入は一般の庶民が手を出すべき分野ではない。ざっとこんなところですが、いかがお感じになられますでしょうか。ちなみに筆者の場合は大筋において荻原さんと同意見です。パパ・ママ世代にはこれからも子どもを育てていく責任がありますから、荻原さんが警鐘を鳴らしているような点を心の片隅にとめて、必ずやってくる2020年秋以降の不景気に備えていただきたいと思います。【参考文献】・『10年後破綻する人、幸福な人』荻原博子・著●文/鈴木かつよし
2017年09月26日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。近年、40代後半から50代になっても「自分の親は元気だし、まだ当分のあいだは大丈夫だろう」みたいな安心感を持っているオトナが多くなったように見えます。国の中枢にあって行政に携わる人が 「今や人生90年、100年の時代。75歳くらいまでは現役で働いて、年金の支給開始もそのくらいからでいい」みたいな意見をマスメディアで発信するものですから、すっかり乗せられてその気にさせられている面もあるのでしょうか。実際には80歳が近づいてきた高齢者は実にさまざまな問題を抱えているというのが本当のところで、筆者のように、それまでとても健康だった両親が二人とも80代に入ってからの急激な衰えであっという間に亡くなっていく時間を共に過ごした者は、80歳が近づいてきた高齢者の場合はある日突然に何かが起きても不思議ではないことを知っています。今回は主に40代のパパ・ママ世代に向けて、ひと回り先輩にあたる筆者の世代(筆者自身と筆者の地元C市で暮らす50代の人たち)から“親の年齢が80歳に近づいてきたら持っておくべき心構え”について、僭越ですがアドバイスめいたことをお話しさせていただこうかと思います。●心構え1:自分の親だけは大丈夫と油断しないこと40代のパパ・ママ世代への最初のアドバイスは、認知症についてです。ここでは、筆者が暮らすC市の地域ボランティア仲間である50代半ばの会社員男性による助言をご紹介します。『自分の父親は70代の後半くらいから徐々に物忘れが目立つようになりましたが、病院で脳の画像を撮っても特に目立った委縮は認められず、日常生活も普通に送れていて体も丈夫だったので、90歳くらいまでは元気で生きていてくれるのだろうなと思っていました。今40代のみなさんがもし当時の私と同じような意識で毎日を過ごされているようでしたら、それは油断です。80歳を境にして、認知症は急激に進行する場合があります。父の場合は兄弟の死がきっかけでしたが、本人が大切にしてきたもの(人でも物でも、帰属している共同体でも)を失ったようなときが直接の引き金になる場合が多いので、十分に注意しておいていただきたいと思います』(50代男性/都内C市在住/会社員)この50代男性のお話は、40代パパ・ママ世代のみなさんにはぜひ心にとめておいていただきたいと思います。筆者の父親も80歳を過ぎて長年自分で切り盛りしてきた雑貨卸の商店を判断力の低下を理由に廃業してから、あっという間に認知症が進行して、それが誘因となって多臓器不全に陥りこの世を去りました。親の年齢が80歳に近づいてきたら、親にとっての“生きるモチベーション”は何なのか ということも、少しだけ考えるように心がけていただきたいと思います。●心構え2:家の中にも外にも“転ぶリスク”は常にある「転んだらおしまい」と心がける次にご紹介する40代パパ・ママ世代へのアドバイスは、中学校で養護教諭をなさっている50代前半の女性からのものです。『私の母は80歳を目前にして近所のスーパーへ行く途中で転び、大腿骨の頸部を骨折して入院しました。手術はいったんは成功したかのようにみえましたが、患部周辺の母の筋肉は普通の人よりも衰えが進んでいて、人工骨が何度も外れ、何日もかけて作った装具は母に拘束感を与え、せん妄を起こして幻覚を見るようになりました。長引く入院生活は全身に内科的な諸問題も引き起こすようになり、その後の経過はあまりにも悲しく思い出したくもありません。結局母は転んでから一度も退院することなく半年後に帰らぬ人となりました。40代のパパ・ママ世代のみなさんに申し上げたいことは、後期の高齢者ともなれば転ぶリスクは家の中にも外にもどこにでもあって、しかも母のように転倒イコール致命傷というケースもあるということです。親が80歳近くになってきたなら油断をせず、とにかく“転ばないこと”を心がけて生活するように注意してください』(50代女性/都内C市在住/中学校養護教諭)養護の先生のこのお話を聞いたとき、同じように転倒、骨折、手術の見込み違い、入院生活の長期化、全身の衰弱といった経過をたどって転んでからわずか4か月で81歳の生涯を閉じた母を見送った経験を持つ筆者は、涙が止まりませんでした。養護の先生や筆者のように親が転倒をきっかけに亡くなってしまう例もありますが、そこまでではなくても寝たきりになってしまうケースは数多くみられます。まだ小・中・高校生の子育て真っ最中の40代パパ・ママ世代にとってはいわゆる“ダブルケア”的な状態に陥るおそれ も十分に考えられます。高齢の親は「まだまだ元気」と安心せず、「転ぶことだけはさせない」くらいの気持ちで注意して見守ってさしあげてください。●心構え3:お金は孫のために使わないでいいから自分の生活費・医療費用に確保して最後にご紹介するのは妻のママ友でもあるC市内の植物園に勤務する50歳になられたばかりの女性の助言で、“お金”に関することです。『相続税対策に頭を悩ますほどの資産がある方なら別ですが、そんな域には到底至らないわれわれ一般の子育てママ・パパの場合、高齢になりつつある親には「お金を孫のためにそんなに使わないでいいから、自分の生活費や医療費のために余裕をもって確保しておいてね」と、常日頃から話すように心がけた方がいいと思います。今はなき実家の両親は生前、年金生活でけっして余裕があるわけではないのに姉の子どもたちやうちの子どもたちのために何だかんだとお金を出してくれたのですが、父が脳梗塞で、母が癌で病床に伏せるようになってからは桁の違うお金がかかるようになり、孫たちのためにばかりお金を使わせてしまったことが今となってはいくら後悔しても足りません』(50代女性/都内C市在住/団体職員)この女性のご意見も傾聴に値すると思います。筆者も母のときに経験しましたが、いったん病床に伏せてしまった高齢者にかかる医療費や介護費用は、それまでの日常生活ではありえなかったような桁の金額になります ので、孫たちのためにあんなにお金を使わないで自分のためにとっておいてくれたらと、本当に後悔するものです。----------高齢の親とその家族にまつわる諸問題については、東北大学特任教授の村田裕之先生が、2011年の著書である『親が70歳を過ぎたら読む本』の中で、わが国では初めて現役世代に向けた包括的な問題提起をされたように記憶しています。今はあれからさらに時代が進み、親が70歳どころか80歳を過ぎてもまだまだ安心しきっている現役のパパ・ママ世代の人が増えているように思います。筆者自身もそうでした。でも、人間であるかぎりいくら元気だった親でも終末期は必ずやってきます 。本稿が今40代でそろそろ80歳が近づいてきた親を持つパパ・ママ世代のみなさんにとって、「なるほど。そんなことも頭の片隅には置いておくか」と心にとめるきっかけになっていただければと思います。【参考文献】・『親が70歳を過ぎたら読む本』村田裕之・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/貴子(優くん、綾ちゃん)
2017年09月19日こんにちは。コラムニストで経済思想史家の鈴木かつよしです。2013年6月に“国立大学改革プラン”が閣議決定されたのを受けて、2014年8月に文部科学省から全国の国立大学に“人文社会科学系学部の廃止”が通達されてから3年が経ちました。国が率先して「大学は生産性を上げるための技術論を教えることに専念すべき」という考え方を示したことによって、わが国の大学は近年ますます“大手企業に就職するための専門学校”としての色合いを深めており、筆者が大学生であった約40年前のような“深い洞察力と広い視野を持った人間を育てる場所”のような役割は失ったように思います。ところで、そのように専門学校と同様の意図でもって行く大学は、貸与型奨学金という多額のローンを二十歳そこそこの時点から背負ってまで通う価値があるところなのでしょうか?何かの分野の専門的な技術を身につけたいのであれば、それこそ大学よりは学費の安い専門学校に通うか、あるいは衣食住を無償で提供してくれる親方のもとに弟子入りする方がよほどコスパがいいのではないでしょうか?今回は、大学進学に関して存在するさまざまな意見について、筆者同様これから大学進学の年齢をむかえる十代半ばの子どもを持つ都内C市在住のパパたちママたちに実際に聞いた話に言及しながら、“今の大学は多額の借金をしてまで行く価値があるのか?”という問題について一緒に考えてみたいと思います。●意見1:「自分は職人だが幅広い教養を求めて大学に行った。でも息子には求めない」最初に紹介するご意見は、筆者のパパ友でもある50代のガラス細工職人の男性のものです。『父親が従業員5~6人ほどの小さなガラス屋を経営していた私は、若いころからガラス製造を仕事にする気持ちは決まっていたのですが、高校生のときに親とは違う付加価値の高い創作ガラス工芸をやりたいと思うようになりました。その際、高校を卒業したらすぐにその道の大家に弟子入りする道もあったのですが、一介のガラス職人であっても政治経済や文化芸術について一家言を持った“大人の市民”として、自分の後輩や弟子たちに生き方についてのアドバイスができるような人物になりたいと思い、私立大学の経済学部に進んで西洋経済史を学びました。その選択は自分としては大正解で、妻や子や弟子たちにも恵まれ充実した人生を送ることができたと思っています。でも、いま高校生の一人息子に何が何でも大学へ行くことを希望しているかというと、正直そうでもありません。その理由なんですが、いま私たちが暮らしている社会は私たちのような一般市民にそこまでの知性や教養を求めていないように思えるからです。というよりもむしろ、私たちの若かったころと違い、いま世の中の指導的立場にある人たちは、「社会をよくするのは自分たちのような本物のエリート層がするから、一般の人たちはとにかく最大限の効率を求めてグローバル経済の時代の戦士としてもっぱら国や地域の成長・繁栄のために働いてほしい」と考えているように見えるのです』(50代男性/都内C市在住/ガラス細工職人・ガラス製品販売店経営)実はパパ友のこの意見、筆者も否定できないところがあります。筆者自身も小さな町工場経営者の子の分際でありながら、“近代国家の将来を担う誇り高き市民”のようなものにあこがれて大学に進んで学んだ者なのですが、ここ数年のわが国はそういったタイプの人間(あるいはそういったタイプの人間を目指している者)を“煙たがる”傾向があるように見えてならない のです。だとすると、人の子の親としては子どもがもっと“気楽”に生きられるように、“余計なことは考えない生き方”を選択するのを望む気持ちが生じます。つまり、“given”は“given”として疑問を持たずに受け入れて、手につけた職の腕前をひたすら磨いて安定した生活を手に入れることに専念して生きていってほしいと思う気持ちであり、大学で学ぶ哲学や文化、芸術は一般庶民の幸福にとってはむしろ邪魔になるという考え方です。●意見2:「大学卒の看護師だからといって得した覚えが一度もないし、大学は学費も高い」次に紹介するご意見は、筆者の妻のママ友である40代女性で総合病院勤務の看護師さんのものです。『娘が自分と同じ看護師を目指しているのですが、私は看護師になるのに大学へ行く必要はないと娘に言っています。理由は簡単で、私自身が大学卒の看護師なのですが、看護師になってこのかた大学卒だということで得したことなどただの一度もないということです。それに、大学は学費が高く専門学校であれば大学の約半分の費用で看護師になることができます。公立の専門学校ならもっと安い学費で看護師になれます。よく、大学卒の看護師の方が視野が広いとか人間的に幅があるとか言われますが、いまのわが国は人格的に立派な人が正当に評価されている社会だとは思えません。逆に姑息な人、他人のいいところを見ずに欠点ばかりを大声で指摘する人、有力者との縁故を手に入れた人ばかりがいい思いをしている社会ではないかと思います。そのような世の中で貸与型奨学金という多額の借金を抱えてまで大学卒の看護師になることに、どんな意味があるというのでしょうか。学費の安い専門学校で看護技術だけを学び、黙々と職務だけを遂行する。そういう生き方の方が“裏切られた感”に苛まされずにすむというものでしょう。少なくとも自分はそう思います』(40代女性/都内C市在住/看護師・総合病院勤務)このご意見にも、筆者はぐうの音も出ません。筆者自身も、大学を出たからといって何か他人様よりも得をしたという覚えがないからです。また“人格的に立派な人が正当に評価されない社会”というのもまさにその通りで、指導的立場にある人に「知性」や「教養」といったものは求めず、もっぱら「他者を言い負かす力」ばかりを求めるのが大多数の国民の感性であるのだとするならば、やはり大学なんかに行って知性や教養を身につける必要などはないのだろう と思うのです。筆者はこの看護師の女性の意見にかなりの部分で同意できます。●意見3:「あえて大学に行くのなら、人類共存への道標になるような哲学を学びに行くべき」最後に紹介するのはC市内で小児科クリニックを開業し、自身が中学生の男の子のパパでもある40代の医師の男性の意見です。『医学部のような特殊な学部は別にして、ほとんどの職業は大学ではなく専門学校で学んでも資格を取得することはできます。弁護士であろうが建築士であろうが本人にやる気と本気があるのなら、独学でもなれるというのが現実です。それでもあえて大学に行く意味はどこにあるのかと患者さんの親御さんに問われたとき、私の場合はこう答えています。「将来社会人として生きていくうえでの技術を学ぶためというのは当たり前だが、あえて大学に行く場合はその技術を人類が共存・共生していくうえでどのように使用するのがベターなのか。そういった人類共存への道標となるべき哲学のようなものを自分なりに構築する。そのために大学へ行くのですよ」と』(40代男性/都内C市在住/小児科医・小児科クリニック院長)今回のコラムに何かしらの結論めいたことを付記するのであれば、筆者はこの小児科医の男性がおっしゃっていることがそれにあたるのではないかと思います。今、世界ではどちらかというと“他者に対して攻撃的なリーダー”が支持を集める傾向がある ように見えますが、人類はそこからくる過ちをその都度克服して今日に至っています。その際に世界中の人々を我に返らせ勇気づけてきたのが、大学で自分の専門以外の隣接諸領域についても学んできた人格者たちでした。ナチス政権による迫害の中でも次の時代の価値観を模索し“生命への畏敬”の哲学を確立したドイツ人医師のアルベルト・シュヴァイツァーは名門ストラスブール大学で医学も哲学も神学も学んだ人です。また、ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英博士は名古屋大学の学生時代、恩師である坂田昌一教授から「科学者は科学者として学問を愛する以前に、まず人間として人間を愛さなければならない」と教えられ、坂田先生の持論であった「勉強だけでなく、社会的な問題も考えられるようにならないと、一人前の科学者ではない」「物理の問題が解けるなら、世界平和に向けた難題も解ける」といった教えを機会あるたびに私たちに発信してくださっています。つまるところ、あえて大学にまで行くのならこのような“哲学”まで学ぶ“本物のリーダー”を目指す気がなければあまり意味がないということだと思います。----------いかがでしたでしょうか。少子化の今日、大学へ行くことは当たり前のように思われているかもしれませんが、ときにはこんなふうに大学へ行くことの意義そのものについてパパ・ママ・子どもたちのみんなで考えてみるのもいいことなのではないでしょうか。【参考文献】・『月刊「住民と自治」』(2016年2月号)●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/ゆみ
2017年09月12日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。筆者には既に結婚して子どももいる長女より15歳も年下で、今まだ中学生の男の子がいます。娘のときも自分なりに頑張って育児に携わったつもりではあるのですが、息子に関しては「娘のとき以上に父親の自分が責任をもって子育てにかかわった方がいいのだろうなあ」と感じる今日このごろです。ではなぜそう感じるのでしょうか?それは、よく言われる「社会性や我慢のようなものは父親が教えるべきだ」といった理由からではありません。男の子特有の感性を、「身近にいる人間では男親である自分がいちばんよくわかってやれるのではないか」という理由からです。“男の子のプロ”を自認する保育学者の小崎恭弘先生の論説を参考にしながら、このことについて考えてみたいと思います。みなさんもご一緒に考えてみませんか?●男の子は“自分が興味をもった目の前にあるもの”が全て“習い事”や“お稽古事”が長続きするのは女の子でしょうか?男の子でしょうか?もちろん簡単に一般化することはできませんが、筆者の印象としては女の子の方が長続きするケースが多いようにみえます。男の子の場合、親がいくら押しつけてもそれが本人の興味とマッチしたものでなければ「暖簾に腕押し」です。一方で、ピアノの音色を本能的に「自分の音だ」と感じた男の子は、女の子にはあまり見られないような集中力でピアノにハマって行く傾向があるようにみえます。また、たまたまテレビで観た“ウルトラ・ヒーロー”の魅力に憑りつかれてしまった男の子なら、親に買ってもらったヒーロー図鑑や怪獣図鑑で数百種類に及ぶヒーローや怪獣の特徴をつぶさに説明できるようになったりします。つまり、男の子の場合は“自分が興味をもった、目の前にあるもの”が全て なのです。それ以外の物事は男の子にとってはどうでもよく、他人がどうだったとかこうだったとかいう話には一切関心がありません。“男の子の育児の専門家”として数多くの著書がある、保育士で大阪教育大学教育学部准教授の小崎恭弘先生は、男の子のこういった特徴について『男の子はオタク』であると表現されています。筆者が息子の子育てに関して妻まかせではなく自分が相応の責任感をもってあたらなければいけないと思う理由はまさに、男の子のこういった“オタク性”というか“マニアックさ”のようなものを理解したうえでかからないと、小崎先生も複数の著書の中で指摘しているように男の子が本来もっている“良さ”をつぶしてしまうのではないか と考えるからなのです。●早熟な子ばかりではないので、“男の子の純粋さ”を大切に育てるべきいま中学2年生の筆者の息子は、体が丈夫で弁が立ち要領もよかった15歳年上の姉と違い、先天性の身体的ハンディキャップを幾つか背負って生まれてきたこともあって、何事にも“奥手”な子です。スポーツやダンスのような“体を動かすこと”で身を立てるといった選択肢は最初からありませんでした。口下手でもあるため“コミュ力”はきわめて低く、不器用で“省エネ運転”ができない性格です。興味の対象は言いようによっては「幼い」感じで、動物全般や特撮映画などの分野に並外れた関心と探求心を示しますが、恋愛や人間関係、将来設計のようなものには一切興味がありません。つまり、好きなことは好きだけれど、興味のないことはあくまでも「どうでもいい」。前出の小崎先生はこういった言いようによっては“純粋”で“ストレート”なところも男の子に固有の性向 だとおっしゃっています。ただ、中2ともなると友達は必ずしも息子のような感じではなく、いつまでも好きなことばかりにうつつをぬかしているのは非現実的で、将来の安定を手に入れるための現実的努力にもうそろそろ時間を費やすべきだと考える子も少なくはないようです。そのように早熟で合理的なお子さんは素晴らしく、筆者などは羨ましいです。でも、うちの息子はその域に達するまでまだまだ何年も(もしかすると何十年も)かかりそうです。このように幼稚な息子が将来的に社会生活を営めるような技術やコミュ力を身につけようと思ったら、今目の前にある“興味のあること”をとことん追求することで、それに伴って派生する事柄についても学んで行くという方法をとるしかないのではありませんでしょうか。実は小崎先生も多くの著書の中で同様の趣旨のことをおっしゃっていて、男の子のオタク性と純粋さを理解し、尊重し、そのオタク道を究めながらどうしても習得せざるを得ない“他のこと”も学んで行くというのが、男の子が大人へと成長して行くうえでの正しいあり方ではないかと主張しているのです。その際に、男の子というものを肌で理解することができる父親が男の子の子育てには積極的に携わるべき だというのが筆者の考え方であり、著書を読む限り小崎先生の考え方でもあるように思うのです。●人と関わる力(コミュ力)は男の子の場合、得意分野を基にして磨いて行った方がいい今、世の中の風潮がどちらかというと“コミュ力最重視”になるなかで、男の子をもつパパやママは「うちの息子はコミュ力が低いので、大丈夫だろうか?」といった不安をお持ちだろうと思います。筆者もそうなので、よくわかります。でも、もともとコミュ力などに価値観をもっていない男の子たちにとっては、親がいくら心配したところでそんなことは“どこ吹く風”です。男の子がコミュ力というか“人と関わる力”を高めようと思ったなら、逆にいったんコミュニケーションなどといったものへの価値観を捨て去って、自分の得意分野を徹底的に磨くことから入った方がいいのではないか と思います。好きなこと以外には一切関心のない男の子に対して筆者が考えるパパがとるべき姿勢は、具体的に申し上げるならば、こういった感じです。(1)自分の好きなことを追究したいのであれば、多少は好きでないことも勉強する必要があることを説明してあげる。例えば動物の生態についてもっと深く追究したいのであれば外国語で書かれた研究論文を原語で読めなければ話にならないのだから、英語をはじめとする外国語も最低限は勉強する必要があることを教える。(2)また、自分の関心事について奥義をきわめるのであれば、その道の達人や先輩たちから助言をいただくことも必要です。そのためには最低限の礼儀や挨拶も必要。別に損得勘定で礼節を大事にするのではなく、マナーが身についていれば比較的苦労なく先達の協力がもらえることを教えてあげるといいでしょう。(3)今息子が好きでやっていることは別に将来の成功のためにやっているわけではないということを、まずパパが理解してあげること。そのうえで他の子や兄弟姉妹との比較ではなく、昨日の息子より一歩でも成長していたなら褒めてあげる こと。これらの点については小崎恭弘先生もその著書『思春期男子の育て方』の中で、“将来のこと”と“比較”が男の子に向き合う際のパパのNGワード・NG行動であるということを、明言されています。----------パパのみなさん、いかがでしょうか。これからも男の子の子育てを基本ママ任せになさいますか?今までよりはもうちょっとパパが子育てにかかわらなければいけないなとお思いになったのではないでしょうか。男の子は本質的に、“given”の部分から疑ってかかるところがあります。アインシュタインやホーキング博士のような偉大な研究者が男の子から出るのは、男子特有のこういった性向に由来する部分もあるのではないかと筆者は思っています。だとすれば、息子さんを孤立させずに一度“given”を疑って一緒に考えてあげるのは、パパの役目です。このコラムを読んでくださったパパのみなさんには、少しだけそんなことを意識していただけたならと願ってやみません。【参考文献】・『思春期男子の育て方』小崎恭弘・著・『うちの息子ってヘンですか? 男子育児のしんどさが解消される本』小崎恭弘・著・『図解 ウチの男子とパパの「??」がスッキリする本(“我が家の男たち”にお困りママへの処方箋)』小崎恭弘・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/前田彩(桃花ちゃん)
2017年09月05日スタイレムが、発売14年目を迎える今治謹製より、「千歳はんかち」シリーズを発表しました。「千歳はんかち」は日本で昔から受け継がれ、日々の暮らしに寄り添う美しい針仕事“模様刺し”の紋様を施した、今治謹製で初めてのタオルハンカチシリーズとなります。累計販売個数900万個を突破今治謹製シリーズは、スタイレムが日本有数の由緒あるタオルの町、今治と信頼関係を築き、確かな品質・高付加価値商品を展開し続けているブランドで、累計販売個数900万個を突破しています。(この9月に開催される第84回東京インターナショナルギフトショー秋2017(東京ビックサイト)には「900万回のありがとう」をテーマに出展します。※1)同シリーズは「木」に、気を配る・「気」持ちを伝えるという意味を込めた、格調高い木箱入りが人気です。結婚内祝い、出産内祝いで人気№1を獲得しています(※2)。※1ブース番号:東5-T44-31※2ゼクシィオンライン・たまひよの内祝いカタログ調べ- 千歳はんかち シリーズ -「千歳はんかち」シリーズは、公式通販ショップ「こだわりや」で販売されています。こだわりや-タオルバリエーション-様々な人の好みに合うよう5色5柄展開されているタオルハンカチには、針仕事の「模様刺し」モチーフが施されています。そのモチーフは日常の生活でよく目にする自然・物・花です。模様刺しは一針一針丁寧に刺し進める手仕事で、模様が長く繋がって行くことから、縁起が良いと好まれています。今治謹製公式HP
2017年09月05日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。“パパ料理”というと、“男の料理”と違って子どもの栄養バランスまでよく考えられたものをついつい期待してしまいがちです。もちろんそうであるに越したことはありませんが、 2人の子どもたちにパパ料理を作り続けてきた筆者としては、「子どもたちもママも笑顔になれるというだけでパパ料理の効用は大きい」と思っています。今回は筆者オリジナルの“笑顔になれる簡単パパ料理”を3つご紹介したいと思います。すべての料理に共通するポイントは、“タマネギ”を使っていることです。●(1)ハムチーズトースト・スライスオニオンのせ忙しい朝にもピッタリの簡単パパ料理で、しかもおいしい。最初にご紹介するのは一日の元気の源“ハムチーズトースト・スライスオニオンのせ”です。用意していただく材料はどこのご家庭にもあるものばかりで、・食パン(1枚)・トマトケチャップ(少々)・タマネギ(16分の1個)・ロースハム(1枚)・バターないしバター入りマーガリン(少々)・スライスチーズないしとろけるスライスチーズ(1枚)これだけあればじゅうぶんです。作り方もいたって簡単。まずは食パンに薄くバターかバター入りマーガリンを塗ります(マーガリン100%のものを塗るよりも、出来上がったときの味がおいしくなります)。そこにトマトケチャップ(少しで大丈夫)を塗り、その上にロースハムをのせます。そうしたら普通のスライスチーズかとろけるスライスチーズをかぶせ、その上に薄く切ったスライスオニオンをのせてオーブントースターで焼くだけです。このパパ料理のポイントは、食べやすいように極薄にスライスしたタマネギを使っていること です。ママが作るピザトーストではおそらくトマトが使われることが多いと思いますが、ここではパパらしくタマネギを用います。わが国は、庶民のあいだでタマネギが食されるようになってからの歴史が浅い(一般には明治期以降と言われています)こともあって、いわゆる「ネギ嫌い」という言葉も存在しますが、タマネギは栄養豊富な優れた野菜です。パパやママだけでなく子どもたちにとっても体にいい野菜なのです。パパとママは仕上げに少量のタバスコとコショウをふってもおいしいですよ。●(2)タマネギたっぷりチャーハン次にご紹介する簡単パパ料理は“タマネギたっぷりチャーハン”です。あくまでも“簡単”に作れることが重要ですので、スーパーで売っているごく一般的な“焼き豚チャーハンの素”を使用します(「五目チャーハンの素」や「かに玉チャーハンの素」は食物アレルギーがあるお子さんも多いので使わないことにします)。こういったチャーハンの素は多くのスーパーで1人前×3袋入で100円しない値段でPB商品が出ていますから、ご家庭に常にストックしておかれるといいでしょう。用意していただく材料は、・卵(1個)・ご飯250g(茶わん2杯分)・サラダ油(大さじ1杯)・タマネギ(8分の1個)・ポークウインナー(1本)ないしロースハム(1枚)・焼き豚チャーハンの素(1人前×1袋)こんなところで大丈夫です。作り方はざっと次の通り。まずフライパンにサラダ油を引いて熱し、ざっと溶いた卵を軽く炒めます。このときお好みで輪切りにしたポークウインナーかぶつ切りにしたロースハムを入れるとマッチ・ベターですが、外せないのがここでもタマネギです。ぶつ切りないしみじん切りにしたタマネギ を必ず加えてください。おいしさが格段に違ってきます。次にご飯を加え、中火で約1分炒めます。卵とご飯を切るように炒めていくのがコツです。最後にチャーハンの素を加えて中火で約1分30秒ほど炒めれば出来上がりです。ただしここで重要なポイントがひとつ。炒めあがったチャーハンはそのままお皿に盛らずに、パパのお茶わんを型枠にして半球形に固めてください。こうすることによって画像のような“ラーメン屋さんのチャーハン”の形になるわけですが、実は“パパ料理”としてはこのビジュアルがとても大事 。ママと違って“つまらないことにこだわるパパの性(さが)”といったようなものをお子さまに示してさしあげるよい機会だからです。●(3)醤油ラーメンにたっぷりのタマネギをのせるだけでできる“八王子風タマネギラーメン”さて、おしまいに。チャーハンとくればやっぱり食べたくなるのはラーメンですよね。パパ料理としてのラーメンということであれば、タマネギをたっぷりのせた“八王子風タマネギラーメン”です。作り方は超簡単。中細緬で醤油味の生ラーメンを硬めにゆでて、仕上げにみじん切りにしたタマネギを“これでもか”というほどたっぷりのせます。これだけでオーケー。体が芯から温まりお子さんたちの活力を引き出す逸品 の出来上がりです。----------いかがでしたでしょうか。今回ご紹介した“簡単パパ料理”はいずれも“料理”と呼べるようなシロモノではないかもしれません。けれども、今はもう1児の母親になっている娘にしても、今まだ中2の息子にしても、わたしが作ったこれらの料理を食べているときの顔が笑顔だった記憶しかないのです。同様に妻もです。妻が仕事で忙しく、逆に筆者の仕事が少なかったような時期には、わが家の子どもたちはわたしが作ったパパ料理を食べて育ちました。もちろん今回ご紹介したような簡単なものばかりではなく、かなり凝ったものもありますが、料理そのものの手のかかり方に関係なく子どもたちは笑顔であった と思います。そして食べながらその日あったことを聞き、明日のことを話す。それこそがパパ料理の本当の効用です。なお、パパ料理研究の第一人者である大正大学客員教授の滝村雅晴先生の著書などをあたっていただければ、もっともっとバリエーションに富んだパパ料理のレシピに出会っていただくことができますので、おわりに付け加えさせていただきます。【参考文献】・『ママと子どもに作ってあげたいパパごはん』滝村雅晴・著●ライター/鈴木かつよし
2017年08月29日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。幼児期から小学校低学年にかけての子どもたちの“命の重さに関する価値判断能力”の未熟さについては、これまでにも複数のパピマミライターの方々が取り上げてこられたかと思います。今回筆者は農学博士で帝京科学大学教授の花園誠先生がテーマとしている動物介在教育学から、子どもたちに“命の大切さ”と“命の多様性”を伝える方法について考えてみたいと思います。ご一緒に考えてみましょう。●現代では、野生の生き物とのつき合い方を親も子も知らない比較的最近のことですが、筆者はこのような光景に遭遇しました。自宅マンションの中庭にある小さな池にオタマジャクシがいっぱいいたのですが、就学前から低学年くらいの子どもたちが根こそぎ捕獲して、ビニール袋に入れて遊んでいたのです。通りかかった筆者は見かねて『オタマジャクシがカエルに成長して行くのを観察したいなら何匹か家に持って帰ってもいいけど、ちゃんと育てきるつもりがないのなら池に返すんだよ』と注意したのですが、その子たちはみなきょとんとして、わたしが何を言っているのかさえ理解できないでいる様子でした。しかも、数十m離れたところで話しに花を咲かせているママたちも、子どもたちがやっていることを咎める気配すらありません。あの感じだともしかしたら、ビニール袋に詰め込まれたオタマジャクシたちは育ててもらうどころかママたちに「気持ち悪い」と一蹴されて、捨てられてしまったかもしれません。筆者が暮らすC市は一歩足を延ばせば東京では珍しくなった野生動物が数多く生息する自然の宝庫ですが、中心部のライフスタイルは都心と同じで人工的です。おそらくあの子たちに悪気などは一切ないのでしょうが、自然と共存しているという実感のない都市部の環境しか知らずに育った親たちが、野生の生き物とのつき合い方を子どもに教えてやれない がゆえに目にした光景だったと言うことができなくもないのでしょう。●まずは“生き物たちと共存している”という意識を親が持つことわたしたち人間は野生の動物たちを支配しているのではけっしてありません。人間は野生の生き物たちと“共存”“共生”の関係にあります。オタマジャクシがいなくなってしまった土地にはカエルがいなくなりますから、カエルを探しに近くの川からアオダイショウがやってくることもなくなってしまいます。ヘビはママたちにとってはちょっと気持ちが悪いかもしれませんが、実はアオダイショウは性格がとてもおとなしいヘビで、人間に何の危害も加えません。それどころか、都市部で増えすぎているネズミを捕食しますので、人間の暮らしの衛生面にも大きな貢献 をしてくれているのです。こうして考えると人間はオタマジャクシともカエルともアオダイショウとも共存・共生しているわけで、まずそういったことが子どもたちに伝わらなければ「子どもに命の重さを伝える」といってもなかなか難しいものがあると思われます。●まず「あたたかい」「やわらかい」といった感性から入る“動物介在教育学”そこで今回ご紹介する“動物介在教育”ですが、これは帝京科学大学教授で農学博士の花園誠先生がわが国では第一人者として知られる学問分野です。まずは理屈よりも子どもたちに動物と触れ合ってもらい、そこで感じる感性から“いたわり”“慈しみ”“自分とは違う種への敬意”“寛容”といった現代の人間に求められている大切なものを育んで行こうといった主旨の研究領域です。花園先生によれば、就学前の小さな子どもたちにはまずハムスターやモルモット、ウサギといった小さくてかわいらしい哺乳類の小動物と触れ合ってもらうのがいいようです。彼らをなでたり抱っこしたりして感じる「あたたかい」「やわらかい」といった感覚は子どもたちがママとの触れ合いで感じてきた“ぬくもり” を思い起こさせ、このぬくもりをある日突然に感じることができなくなる悲しさについて考えるきっかけになる場合もあるとのこと。また先生は、小学校の中学年・高学年の子どもたちにはヘビやカメなどの爬虫類 に触れさせることを奨めています。「ヌルヌルしてて気持ち悪い」と感じる子どももいますが、彼らがわたしたち人間のすぐそばでそれこそ太古の昔から共に生きてきた事実は“命の多様性”を感じてもらうのにうってつけだといいます。自分たちとは種が違っても赤ちゃんヘビや赤ちゃんカメが必死にエサを食べようとする姿はけなげで愛らしく感じる子が多いようです。そして花園先生は、ウシやウマ、ヒツジといった農業や繊維工業などの産業にかかわる動物に触れることによって、人間と動物たちとの共生関係について学ぶことができるといいます。言葉だけで「命は大切だよ」「ママに二度とあえなくなったら悲しいでしょう」と教えるよりも、実際に生き物たちと触れ合いながらそういった会話の機会を設けることで、子どもたちに“命の大切さ”“命の多様性”を教えることができます。また、触れることで少なからずストレスを与えている動物たちのことを思いやり、動物の飼育環境や野生動物の生息環境について考えることができる人を育てることにつながると、花園先生は指摘します。●親子で一緒に爬虫類・両生類・魚類・鳥類・昆虫にも触れ合ってほしいさて、冒頭でお話ししたオタマジャクシを根こそぎ捕獲してしまった子どもたちのことに戻りますが、実は筆者はこれはこれであの子たちにとっては通るべき貴重な経験でもあった ことを否定しません。オタマジャクシたちはかわいそうでしたが、あの子たち自身ももう少し大きくなったときに必ず「あのときはオタマジャクシたちにかわいそうなことをした」と気づき、後悔するからです。こうしてほとんどの子は大人になってもっと大きな動物を猟奇的に殺傷したりしない真っ当な大人に成長して行くからです。ただ、そうはいっても、無意味な殺傷はできることならしない方がいいに決まっています。そこでまた花園先生の動物介在教育学の効用についてなのですが、花園先生は保育園や幼稚園、小学校の現場に生き物との触れ合い体験教室で出かけて行かれる際、パパもママも子どもたちと一緒になってわたしたちと同じ哺乳類以外の生き物たち (爬虫類・両生類・魚類・鳥類・昆虫等)に触れることも奨めているそうです。こういった動物たちをペットとして飼育しているパパやママならお分かりでしょうが、彼らが小さな体で一生懸命に生きている姿は本当に愛らしいものです。動物介在教育学に関心のあるかたは、花園誠先生の研究室のホームページなどをご覧になってみるのもよろしいかと思います。【参考文献】・『動物とふれあう仕事がしたい』花園誠・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/藤本順子(風悟くん)、ココア
2017年08月22日こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。2016年の2月に『保育園落ちた日本死ね!!!』と題した匿名のブログが大きな話題を呼んだことは、パピマミ読者のみなさんにとっても記憶に新しいことと思います。政府による少子化対策が始まってから四半世紀がたとうとしていますが、一向に成果が上がらないわが国の現実は、「何か根本的な部分で勘違いをしているんじゃないか?」と思ってしまうほど深刻です。助産婦さん向けの医療専門誌である『助産雑誌』では、2014年に「あなたが有効だと思う少子化対策とは?」という質問に対する回答の調査結果を誌面で発表しましたが、それによるとひと口に「少子化対策」といっても、正社員のママ・パパと非正社員のママ・パパとでは必ずしも同じ少子化対策を求めているわけではない ことが明らかになっています。筆者は、“非正規で働くママ・パパが本当に求めているもの”に目を向けない限り今後も大きな成果は期待できないであろうという理由から、今回は彼女(彼)たちの少子化対策への本音にスポットをあてて考えてみたいと思います。●本音その1……働く女性の多くが非正規なのに正社員しか産休育休の恩恵を受けられない月刊『助産雑誌』2014年3月号・4月号では、“少子化対策に対する声”のひとつとして、次のような“子どものいない既婚女性”の本音を紹介しています。**********『働く女性の多くが派遣・パートなどの非正規雇用にもかかわらず、正規雇用者のみしか産休育休の恩恵を受けられない。共働きしなければ子どもを育てるだけの十分な資金も得られないのに、妊娠したら辞めさせられてしまう』(女性/既婚、子どもなし/31~35歳/非正規雇用=派遣・契約社員)**********たしかに2017年6月27日に厚生労働省が発表した、平成28(2016)年版の『国民生活基礎調査の概況』によると、わが国の“働く女性”の57.8%は「非正規雇用」であることがわかっています。働いている女性の6割は正社員・正職員ではない のです。にもかかわらず、ほとんどの企業で産休や育休の制度は正社員ないしそれに準ずる人にしか適用されていないというのが現実です。これでは“片手落ち”どころか、政策・制度そのものが一部の働く女性しか視野に入れていないということになってしまいます。継続的に働く意思があり勤務態度にも問題ない人であれば、非正社員であっても有給休暇と同じように働く人の権利として産休や育休の制度が適用されるようにするべきです。それすらもできないというのであれば、そのような行政は「本気で子どもたちを育てようとする気や少子化を脱しようとする気がない」と言われても仕方がないのではありませんでしょうか。●本音その2……低すぎる非正社員の賃金で“子どもを大学に行かせられるのか”が不安!『助産雑誌』同号では次のような“子どもがいる非正規雇用のママ・パパ”の本音についても掲載しています。2つご紹介させていただきます。**********『子どもをもつか、もつ場合何人産むかを考えるとき、いちばんネックになるのは「大学に行かせられるか?」だと思うし、共働きする子もち夫婦の多くが「進学の費用を蓄えるため」に働いている気がする』(既婚/子どもあり/非正規雇用=パート・アルバイト)『教育費がいちばんきつい10代の子育てに金銭的支援が少ない。子育てして、自分の財布がさみしくなれば、老後が不安。今のシステムだと次世代が年金を支えるのだから、子育てしない人が得をする。不公平感がある』(女性/既婚、子どもあり/36~40歳/非正規雇用=派遣・契約社員)**********最初の方は性別非公開ですのでパパかもしれません。パパであるにせよママであるにせよ、非正規で働く人に支払われているわが国の企業・団体からの賃金が低すぎることは間違いなく、西欧諸国などで見られる“生活可能賃金”的な概念が完全に欠如している と筆者も思います。正社員のパパやママが必要と考える少子化対策と決定的に違う点は、「少なすぎる収入の問題をどうにかしてほしい」という点でしょう。フランスなどでは「非正社員は経営側の都合でいつでも解雇されるリスクを負っている」という理由から、非正社員の方が正社員よりも時給換算では高くなる賃金を受け取っています。わが国でそこまでの先進的な考え方を求めるのは難しいにしても、フルに働いても月収が10万円台半ばという非正社員に対する賃金の現実は、「非正規は子どもを持つな」と言っているのに等しいと思います。非正規雇用の人の最低時給を生活可能水準に引き上げるとか、給付型奨学金の制度や10代の子どもを持つ非・高収入世帯への現金給付の制度を拡充するといった抜本的な少子化対策を実行していかないことには、わが国の少子化傾向に歯止めをかけることはできないでしょう。●正規雇用の人たちの意見も聞いてみましょう同誌同号に掲載された数多くのママ・パパの“本音”のうち、終わりに正規雇用の人たちの意見もご紹介しておきましょう。**********『まずは待機児童をなんとかしてもらいたいです。私は都内在住で、子どもが1歳で仕事に復帰する際は、近所の保育園は公立・民間とも全滅で、5駅先の保育園まで半年かけて通っていました』(女性/既婚、子どもあり/41~45歳/正規雇用)『子どもは社会全体で育てると言う観念がない国である。「なぜ自分たちが払った税金から助成するのか納得できない」とよく言われる。社会全体がそういう空気であり、支援うんぬんではなくて、そこがいちばんネックであると感じている。義務教育の時点でそういうことを教育する必要性を感じる』(女性/既婚、子どもあり/31~35歳/正規雇用)**********いかがでしょう。何かお気づきになりませんでしょうか。少子化対策として待機児童問題の解消を切望しているのはむしろ正規雇用層の人たち であり、非正規雇用の人たちにとってはそれ以前に「絶対的に収入が少なすぎること」「子どもを持ちたくてもまっとうに育てていけるだけの賃金が得られていないこと」「今後もその希望がないこと」こそが何よりも問題なのだということが、正規雇用の人たちのお話を聞くことによって逆に浮き彫りになったのではないでしょうか。その意味では、二番目の女性のご意見も貴重です。「努力が足りないから非正規雇用から脱することができないのだ。自業自得である」的な見解がネット上などで一定の支持を得るわが国は、少なからず病んでいると筆者も思います。筆者の年齢になってくると、どんなに元気だった人にも等しく“老い”が訪れることが実感として感じられるようになってきます。そのときに世の中が極端な少子化傾向にあったのでは、自分たちが暮らす社会の将来に希望が見えません。しかるべき立場にある人が率先して「子どもは社会全体で育てるもの」という考え方を示すべきです。二番目の正規雇用の女性がおっしゃるように、それこそが根本的な少子化対策であるような気がします。【参考文献】・『助産雑誌(2014年3月号・4月号)』●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/KUMI(陸人くん、花音ちゃん)
2017年08月15日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。ママのみなさんとしてはあまり考えたくもないことだとは思いますが、ある日突然パパが“痴漢冤罪事件”の被疑者にされてしまったとしたら、どうなさいますか?テレビ番組でコメントしている弁護士の中にでさえ「本音を言えば、そういった修羅場に遭遇してしまったら走って逃げるのがベストかもしれない」などと発言する人がいるほど、この問題に冷静沈着に対処することは難しいと思われ、不幸にしてそういった事態に遭遇してしまうことを恐れる普通のサラリーマンパパにとっては、大問題といえます。そこで今回は、最近話題の“痴漢冤罪保険”はたとえ気がすすまなくてもパパに入らせておいた方がいいのかということについて、パパ・ママのみなさんと一緒に考えてみたいと思います。●弁護士に聞いた「本当にやっていないのなら、こうするべき」保険の話に入る前に、筆者の中学時代からの友人でもある弁護士のK氏(本人の希望により匿名とさせていただきます)に、「本当に痴漢行為をやっていないのなら、このようにするべきである」という最も重要な点を確認しておきましょう。『痴漢行為をはたらいていないのに不幸にして痴漢と間違われたり、あるいはまた金銭目的等でありもしない痴漢という犯罪をねつ造されたりした場合には、とにかく「わたしは痴漢をやっていない」と声に出して言い続けることです。とくに大事なことは駅員に対して「やっていない」とはっきり伝えることで、後々裁判となったときに「当初からやっていないと主張していた」旨を証言してもらうことができます。次に大事なことは家族に連絡することです。ひとたび駅事務室に連れていかれたらほどなく警察署へ連行されますので、家族には携帯電話で連絡して直接警察署に急行してもらいましょう。その際大切なのは、忘れずに印鑑を持ってきてもらうことです。警察署にある“身柄引受書”に家族が署名・捺印して捜査協力を誓約すれば、逃亡のおそれは少ないとして釈放され、在宅での捜査となる可能性があるからです』(50代男性/神奈川県在住/弁護士)このようにK氏によれば、痴漢行為をやっていないのに疑いをかけられてしまったときにするべきことはまず「やっていない」と言い続けること 、次に「家族を呼ぶ」こと 、だそうです。弁護士によるこの見解は、痴漢冤罪保険加入の意義をこのあと考えるうえで非常に重要な意味を持ってまいりますので、よく記憶しておきましょう。●“痴漢冤罪保険”をメインに打ち出した保険商品は今のところ存在しないさて、いよいよ今話題の“痴漢冤罪保険”について考えてみることにしましょう。ところでみなさんは、“痴漢冤罪保険”をメインに打ち出している保険商品が今のところ存在しないということをご存知でしょうか。いま報道などで話題になっているそれに該当する商品は、『ジャパン少額短期保険株式会社』がインターネットで直販している交通事故などの際の弁護士への相談費用を補償する月額590円の保険に、“契約者特典”として付いている『痴漢冤罪ヘルプコール』 のことを指しています。この“おまけ”目的の加入が大半だということで、この保険自体が“痴漢冤罪保険”であるかのように思われているというのが実際のところのようです。『痴漢冤罪ヘルプコール』の内容は、保険契約者が痴漢の疑いをかけられた際にスマホで通報すれば保険会社と提携している全国各地の弁護士に一斉に緊急メールが届き、通報者の位置情報から近くの弁護士が状況に応じたアドバイスを行うというものです(同様に『痴漢被害ヘルプコール』の特典も付いているようです)。2017年5月29日付の毎日新聞(電子版)によれば、痴漢を疑われた人が線路に逃走する事件が相次いだ5月に入って、それまでの10倍以上にあたる月数百件の契約件数になっているとのことです。事件発生後48時間以内の弁護士費用を保険会社が全額負担しますが、事件発生後すぐに弁護士が現場にかけつけるというわけではない ようです。サービスを利用できるのは保険期間中1回のみで、利用時間も平日の7時から10時ならびに17時から24時までに限定されています。つまり、最近マスメディアやWebメディアで話題になっている“痴漢冤罪保険”とは、痴漢の疑いをかけられてうろたえてしまっているときに「とにかく今どうしたらいいのか」を弁護士に相談することができる“ヘルプコール”のことだったのです。●ヘルプコールで弁護士が言うアドバイスは基本的にはK弁護士と同じようなことと、いうことは。『痴漢冤罪ヘルプコール』の特典が付いている保険に加入したからといって、いざ痴漢の疑いをかけられてしまったときに受けられるサービスの内容は、K弁護士から教わったような「やってないと言い続けること」「家族を呼ぶこと」といった最重要事項について改めて念を押されることだけ、ということになりはしませんでしょうか。それだけのサービスのために、毎月毎月590円を払い続けるというのも、どんなものなのでしょうか?一方で、痴漢と間違われて気が動転しているときに、以前何かで読んだ“あるべき行動”をその通りにとることができるのか。また、「わたしはやっていない。絶対に痴漢はやっていない」と言い続けても、それで本当に周囲の態度が軟化してくれるものなのか。結局はお金を払って弁護士と委任契約を結んで法的に闘っていくしかないのであれば、弁護士の知り合いなんていやしないし、初動の48時間の弁護士費用も負担してくれてそのまま提携弁護士に代理人を頼めるならば、安心料としては月590円は高くない 。そういう考え方もあるでしょう。●痴漢が憎むべき犯罪であることは言うまでもないが、一方で痴漢冤罪に遭ったらたまったものではない痴漢が被害者の心身を深く傷つける憎むべき犯罪であることは間違いなく、本当に痴漢行為をはたらいた犯人には罪を償い、反省してもらわなければなりません。一方で、本当にやっていないのに痴漢の疑いをかけられ住所も身元も言って逃げも隠れもしていないのに3週間も身柄拘束されたのでは、一市民、一サラリーマンとしてはたまったものではありません。その意味では、普段の生活で弁護士との接点など持っていない一般の市民が、不幸にしてそのような“たまったものじゃない”事態に遭遇してしまったときのための“安心料”として『痴漢冤罪ヘルプコール』付きの保険に加入しておくことは、あながち無意味ではない ように思います。パパがそのことを考えるにつけ不安で不安で眠れないというのであれば、ママもその気持ちはわかってさしあげて、月590円の保険に入られるのもいいのではないでしょうか。筆者といたしましては古典的な対策かもしれませんが、パパのみなさんが満員電車に乗る際にはバッグを前に抱え、両手ともつり革ないし手すりにつかまっていただくという痴漢被疑回避法をこれからも続けていただくしかないのではと思います。【参考リンク】・男を守る弁護士保険・女を守る弁護士保険 | ジャパン少額短期保険株式会社()●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/藤沢リキヤ
2017年08月08日こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。国立教育政策研究所生徒指導研究センターによれば、わが国の公立中学校ではそのおよそ90%にあたる学校で“職場体験”が実施されています。昔と比べて商工業を自営したり農林漁業に携わったりする家庭が少なくなったことで、 親や祖父母が働いている姿を目にする機会が減った今、職業について考えたり働くことの大変さと喜びを実際に感じたりすることができる貴重な学習活動です。筆者が暮らす東京都C市でも、地元のスーパーや商店、飲食店、病院、介護福祉事業所、図書館、保育園、理容・美容室、郵便局、警備会社などが毎年市立中学校の生徒たちを受け入れ、貴重な体験の場を提供してくださっています。ところで、今の時代にあって「こんな仕事も体験できないものか?」とパパやママが素朴に感じる職業もありはしませんでしょうか。C市在住のパパ・ママたちに実際に意見を聞いてみました。●子どもに体験させてみたい職業その1……盆栽職人『仕事で海外に出張する機会が多いのですが、海外での盆栽の人気と認知度は日本人が考えている度合いを遥かに超えており、国際交流の手段としても非常に発展性の高い仕事ではないかと感じています。欧米の多くの地域で「BONSAI」という言葉が通じます。一人前になるまでには大変な根気のいる仕事でしょうし、修行時代は収入も低いと思いますが、自分のようなサラリーマンには絶対に味わうことができない達成感と自己実現の実感を得ることのできる仕事ではないでしょうか。中学生の息子に、親方について盆栽園での仕事を体験させてみたいなあと思います』(40代男性/都内C市在住/商社勤務)実を申しますと、筆者の友人にも単身赴任先のイタリアで現地の盆栽教室に通っている人がいます。たしかにあの小さな鉢の中に自然の風景を再現するという“和”のテイストに溢れた独特の造形芸術は、海外の人たちとの交流を深めるうえでは最高の趣味 といえるのではないでしょうか。子どもが世界的な盆栽職人になって活躍する姿なんて想像しただけでうれしいですよね。●子どもに体験させてみたい職業その2……特殊造形・ミニチュア製作業『C市が“映画の街”として特撮映画と縁の深い土地柄であることから、市内にある世界的に有名な特殊造形製作プロダクションの存在を知りました。怪獣によって粉々に破壊されてしまう街のミニチュアなどを作る仕事ですが、リアルで温かみのある感じはどんなに技術が進化してもCGには出せない味わいがあります。聞くところによると、博物館などの文化施設のジオラマやイベント会場・住宅展示場などで使用されるミニチュアなど、この仕事の需要は相当に幅広いものがあるようです。造形物をつくるのが好きで美術部に入って頑張っている息子に、特殊造形製作プロダクションでの仕事をぜひ体験させてやりたいものだと思っています』(50代男性/都内C市在住/医療機器メーカー勤務)筆者もリアルタイムの“初代ウルトラマン世代”なので、忠実に作られたミニチュアの大阪城や熱海の街がウルトラマンとゴモラやギャンゴとの闘いで壊されてしまう様子を手に汗握って見守ったものでした。パパがおっしゃるように手作りのミニチュアやジオラマにはCGでは絶対に出せない“ぬくもり” のようなものがあると思います。●子どもに体験させてみたい職業その3……パン屋さんでの創作パンづくりの仕事『パン屋さん自体は娘が通う中学校の職場体験先にもあるのですが、体験する仕事内容は主に商品陳列と接客・販売のようで、“パンづくり”まで体験させてもらえるケースは少ないようです。高温になる機械を使った作業には危険が伴うでしょうし、大人でも相当な体力を要する仕事ということもあって、お店側が「中学生に製造の方までは体験させることはできない」というのが本音みたい。でも娘は「指導してくださる人の注意事項を厳守するので、創作パンづくりを体験させてほしい」と言っています。パンづくりは好きな子にとってはたとえ重労働でも苦にならない仕事ではないかと思います。ぜひ子どもたちに体験する機会を与えてやってほしいと思います』(30代女性/都内C市在住/百貨店アルバイト)パン屋さんの焼きたてパンって、大手系列のお店のものであれ、地元の街の小さな個人のお店のものであれ、作った人の“愛” みたいなものが何となく伝わってきませんか?筆者はそう感じます。厳重な安全指導の下であれば、ぜひとも子どもたちにパンづくりを体験させてやりたいものですね。●子どもに体験させてみたい職業その4……科捜研の研究員『人気のテレビドラマを見ていて、こんな面白そうな仕事に携われたら素敵だろうなと思いました。知的好奇心・探求心と社会的な正義感・使命感を両方満足させてくれる稀有な職業だと思います。娘は私と同じ薬剤師を目指していますが、私のような薬局勤務の薬剤師もいいけれどせっかく薬学の専門知識を身につけたのならこういった仕事に就いて社会貢献するのもいいのではないでしょうか。ただ、実際に科学捜査研究所の仕事を中学生に体験させるというのもセキュリティ上かなりハードルが高いことかなとも思うので、警察の仕事の一部門としてほんのさわりだけでも体験させてもらえたらと思います。中学生の子どもたちにとってはきっと“ワクワクするような”職場体験になることと思います』(40代女性/都内C市在住/薬剤師)科捜研の研究員の仕事は薬学の他にも法医学や心理学、物理学、生物学などさまざまな分野における大学院卒業レベルの専門知識 を必要とするもののようですね。何かの分野の勉強を好きでずっと続けてきたようなお子さんが、いよいよ社会人として世のため人のためにその専門知識を生かしたいと思ったときに、周囲の人からひとつの就職先案として投げかけてみるのもいいかもしれませんね。----------いかがでしたでしょうか。今回ご紹介した4つの意見は、筆者の中二の息子の同級生のみなさんのパパたち・ママたちから折に触れて聞いていた数々の声の中から、特に興味深かったお話をピックアップしたものです。今のパパたちママたちは一概に「子どもにはとにかく安定した仕事に就いてほしい」とか「できれば収入の高い仕事に就いてほしい」などと思っているわけではないことがよく分かります。また、よく「現代はチームで仕事をする時代であり、仕事をするうえで最も必要とされる能力はコミュニケーション能力である」と言う人がいます。それはそれでもっともなご意見ではありますが、当のパパたちママたちは子どもに「自分にしかない個性や能力を発揮できる仕事に就いてもらいたい」と切に願っているということも、今回のインタビューからよく分かりました。今回とりあげたような職業については村上龍さんの著書『新 13歳のハローワーク』でも解説されていますので、関心がおありのかたはそちらの方も参考になさってください。【参考文献】・『新 13歳のハローワーク』村上龍・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/REIKO(SORAくん、UTAくん)
2017年08月01日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。義務教育で何年間も英語を学ぶのに、日本人ほど英語が身につかない国民は他に例がないといわれます。しかし、仕事で否応なしに英語を使う必要性に迫られれば誰でも英語ができるようになることを考えると、ビジネスマンたちがどんな方法で英語を習得しているかを参考にすることには意味があるように思えます。ここでは、「ビジネス英語を習得する」ということではなく、「ビジネスの世界で使われてきた知恵を応用して英語が苦手なお子さんでも社会生活の場で実際に英語が使えるようになる」ための方法をご提案させていただきます。キーワードは“映画”と“歌”です。●英語が苦手な人でも英語を習得する方法1:英語圏の映画をとことん観るこれから紹介させていただく英語を習得する方法“その1”は、「英語圏の映画をとことん観る」という方法です。みなさんも“都市伝説”として聞かれたことがあるかもしれませんが、日本の総合商社では英語圏への海外赴任が決まると赴任前の3か月は「通常の仕事はしなくていいから英語の映画を一日中観てきなさい 」と上司から命令されるというお話があります。もちろん、それで“ビジネス英語”が習得できるほど甘くないのが現実で、映画を観ることの他にも体系だったその企業特有の英語教育プログラムが盛りだくさんに用意されています。ただ、英語圏の映画を観ることによって、実際の社会で行われているやりとりや言い回しがかなり身につくということは、筆者の経験からいっても事実です。筆者は1980年代の中ごろ英国の芳香雑貨商品の輸入業を始めるための準備を兼ねて、まだ正式な修士課程になる前の早稲田大学ビジネススクール(WBS)という学校に通っていた時期がありました。その学校には大手のゼネコンや広告代理店、各分野の専門商社、銀行・保険会社などなど日本を代表するような大企業から優秀な人たちが企業派遣の形で学びに来ていました。いずれ英語圏の国々に赴任する可能性が高い彼らにWBSの英語教師陣が言っていたことは、『いざ赴任が決まれば各企業でその業種・業態に応じた専門的な英語教育がある。今はとにかく英語圏で暮らす普通の人たちと不自由なくコミュニケーションできるようになっておくこと。そのためには英語の映画を飽きるほど観るのが一番いい 』ということでした。その教えを筆者自身は信じて実践し、おかげさまでその後商事会社を経営するようになってから仕入れに訪れた英国や米国、カナダといった国々では、WBSの学生時代とその後のおよそ10年間にむさぼり観た映画で覚えた言い回しがずい分と役に立ったという実感があります。それでは筆者が何度も何度も繰り返し観て劇中の台詞のほとんどを覚えてしまった、おススメの映画を3つご紹介しましょう。【バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)】1985年公開のアメリカ映画。全編を通して使われている英語に“クセ”がないため、一般的な英語の言い回しを身につけるにはおススメの映画です。【フォレスト・ガンプ/一期一会(Forrest Gump)】1994年公開のアメリカ映画。主人公のフォレストに知的障がいがあるということもあってゆっくりとした英語で話してくれるため、とても勉強になります。【追憶(The Way We Were)】1973年公開のアメリカ映画。マツコ・デラックスさんもこよなく愛するという切ないラブストーリー。「Never.」とか「I can’t.」といったシンプルな表現がいかに使えるかを教えてくれます。●英語が苦手な人でも英語が使えるようになる方法2:英語圏の歌をとことん聴く英語の習得方法“その2”。それは、「英語圏の歌をとことん聴く」という方法です。今から40年ほど前、筆者が高校生のときでした。林育男さんという塾で英語を教えている英語講師の方が『ビートルズで英語を学ぼう』という本を出版されました。ビートルズの楽曲から168曲を選んでその歌詞を文法的に解説するとともに英語独特の言い回しについて教えてくれる本で、当時「寝ても覚めてもビートルズ」で学校にもギターを抱えて通っていた筆者はこの本をそれこそボロボロになるまで読みました。それまで歌詞カードを読んでも今一つその曲の本当の意味がわからずにモヤモヤしていた筆者は、林さんの説明を読むことによって英語の歌詞の理解を格段に深めることができました。文法的なことよりも英語独特の言い回しについての解説が特に役立ったように思います。これによってビートルズの主だった楽曲のほとんどを英語で歌えるようになった筆者ではありましたが、筆者が横着して書物で得たような英語の言い回しに関する知識は、インターネットがある今の時代であれば「もっと深く意味を知りたい英語の楽曲」がありさえすれば、自分で調べてどんどん自分のものにすることがより容易に可能であろうかと思います。こうなってくると今度はビートルズ以外の英語の歌も、好きな曲でさえあれば何度か聴けば意味がわかるようになりました。カーペンターズもクイーンもビリー・ジョエルもボストンもスティーヴィー・ワンダーも、何を歌っているのかが理解できるようになり、特に好きな楽曲は何度も聴くことによってやはり歌えるようになったのです。英語を学ぶのに、自分が大好きな英語圏の歌手の歌をとことん聴き歌う ことは他のどんな方法よりも有効です。これは大手の総合商社に勤めていて、商社マン生活の大半をアメリカやオーストラリアといった英語圏で過ごした筆者の学生時代の親友から聞いた話ですが、やはり実際に現地に赴く3か月ほど前からは、専門的なビジネス用の英語教育プログラムの他には“カラオケで英語の歌を歌いまくる ”ことで『とにかく、英語に慣れ、親しむようにした』(50代・男性/会社相談役)ということです。----------いかがでしたでしょうか。今回のお話は、英語の成績が抜群でTOEICのスコアも高いお子さんには特に読んでいただく必要はございません。ただ、どちらかというと英語は苦手なのだけれど海外の映画や音楽は大好きなため、英語ができるようになったらもっと楽しいだろうなあと感じているようなお子さんには、ぜひパパ・ママのほうから読ませてさしあげてください。一つの参考にはなろうかと存じます。【参考文献】・『ビートルズで英語を学ぼう―168曲を楽しみながらバッチリ,マスター!!』林育男・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/倉本麻貴(和くん)
2017年07月25日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。クールビズの概念が登場してから10年以上が経ちましたが、いまだに「クールビズは難しい」と感じているパパはけっこう多いようです。たしかに涼しく、それでいてだらしなく見えないように装うにはそれなりの知識や知恵が必要ではありますよね。そんな知識も知恵も持ちあわせなかった20代前半のころの筆者は、赴任先の神戸で出会ったある紳士服メーカーの社長さんからわが国における“メンズファッションの神様”である石津謙介さん(VAN=ヴァンヂャケット創業者/1911-2005)の存在を教わりました。そして聞いた話やむさぼり読んだ石津さんやその弟子のくろすとしゆきさんの著書で“クールに装うための知恵”があることを学びました。ここでは「丈の短いパンツ」「ジャケットの腕まくり」「ボタンダウンシャツ」という3つの“石津アイデア”を参考にして、パパたちのクールビズを応援したいと思います。明日からでも旦那さまに実践していただいてはいかがでしょうか?●“アンクル丈”の原点は石津さん考案の“くるぶしが見える”『アイビー・スラックス』?本題に入る前に前置きをもうちょっとだけさせていただきますと、筆者は“神様”石津謙介さんとも“神様の一番弟子”くろすとしゆきさんとも直接の面識はないのですが、ある政府系政策投資銀行の営業として西宮市に本社兼工房があったDunmasters(ダンマスターズ)というトラッドの服飾メーカーの担当をしていました。デザイナーとしてVANの数多くの服を手掛けたくろすとしゆきさんは、このダンマスターズの仕事もしていたため、筆者はダンの社長さんを通してくろすさんや石津さんが常日頃話されていたようなメンズスタイル論を聞くという貴重な経験ができたわけです。政策投資銀行の営業担当者というのは融資先の会社の経営者に確かな“哲学”があるかどうかを判断することも大切な仕事でした。だから筆者はこのダンの社長さんが受け継いでいた『仕事着はしょせん、動きやすいことが第一である 』という石津謙介さんの洋服づくりの哲学を、感じることができたのかもしれません。そこで話を本題に戻します。2010年代に入ったくらいから、わが国の男性の夏のビジネス服のパンツの丈が、くるぶしが若干見える程度の短いものが主流になりつつあることは、パパのみなさんもお気づきですよね?これ実は、そもそも石津謙介さんが戦後アメリカ東部の大学生たちの服装を参考にしながらわが国独自のものとして考案した“アイビーリーグ・モデル”の服装における“アイビー・スラックス”のスタイルそのものなのです。石津さんが参考にした本家本元のアメリカン・トラッドである『Brooks Brothers(ブルックス・ブラザーズ)』や『J.Press(ジェイ・プレス)』ではさほど極端ではなかった短いパンツ丈を、石津さんはあえて“動きやすい”“働きやすい”くるぶしが見えるほどの短いものにして売り出したのです。この「言いようによってはツンツルテン」とも言える丈の短いパンツは、動きやすいうえに夏場はとても涼しく、今では通称「アンクル丈」とも呼ばれ、クールビズのパンツの定番 となっています。日本全国のパパのみなさん、クールビズのパンツは裾を引きずるような長い丈ではなく、やや短めに裾上げしてみてください。見た目にもきっと“キマって”見えるはずです。●TPOを間違わなければジャケットの袖は腕まくりで着たってOKTPO(ティーピーオー)という言葉がTime(時間)、Place(場所)、OccasionまたはOpportunity(場合ないし機会)の頭文字を取った石津謙介さんによる造語であることは広く知られています。著書を読むと石津さんはこのTPOという言葉で、『その場にふさわしい服装というものがあり、場にふさわしくない装いはするべきではない 』ということを伝えたかったようです。その一方で生前の写真を見ると石津さんは、VAN製のブレザーやジャケットの袖をたくし上げるようにして着こなしていることがわかります。見ようによっては「腕まくり」に近い写真も多く残っています。この事実は石津さんが、特に真夏の暑い環境下で働く人がジャケットの腕をまくってできるだけ涼しく仕事に携わることはむしろ「TPOに合致している」と考えていたことを示しているのだろうと思います。「上着を脱げばいいじゃないか」と言う人もいるでしょうが、それでは仕事の七つ道具をすぐには取り出せません。仕事着としてポケットが沢山あるジャケットは、身に着けていてこそ意味があるのです。パパのみなさんへの2つ目の“石津アイデア”は、「TPOさえ間違っていなければ、クールビズのジャケットは腕まくりで着てもOK」です。●インナーは汗をかいても形が崩れないボタンダウンシャツがベストパパのクールビズのための3つ目の石津アイデアは、ジャケットのインナーとして“ボタンダウンシャツ”を着用することです。現代は、石津謙介さんが生きた時代と違い、業種や職種によってはインナーにTシャツを着用してもけっしておかしくはないと思いますが、お客様商売や金融機関などでも許容される無難なクールビズ・インナーは、ボタンダウンのシャツ以外にはない でしょう。このボタンダウンシャツですが、もともとブルックス・ブラザーズが“ポロカラー・シャツ”という正式名称で「ポロ競技の際に着用しても襟がめくれないシャツ」として発売していたものを、石津さんらが日本の若者向けに苦労してアレンジし、素材を開発して定着させてきたものです。クールビズとして着る場合は何といっても「汗をかいても襟の形が崩れない」ことが最大の特長です。レギュラーカラーだと夏の暑い環境下で働いて汗をかけばどうしても崩れてしまいますが、ボタンダウンなら一日が終わるまで元の形のままでいてくれます。ただし一つだけ気をつけていただきたいことがあります。ボタンダウンのシャツは、仕事でフォーマルな場(冠婚葬祭、お祝い事など)に出席する際には着用しないでください。いくらクールビズとはいってもフォーマルではボタンダウンはNG です。これも石津さんやくろすさんの書物にはしっかり書いてあることですが、ボタンダウンのシャツはハーバード大学とかイエール大学といった米東部8校からなる“アイビーリーグ”出身者のエリート意識の象徴でもあるからです。だから「ボタンダウンは政敵をつくる」ということでハーバード出身のあのJ.F.ケネディ大統領でさえも公式の場ではけっして着用しませんでした。わたしたち日本人はそういったことには比較的無頓着ですが、それでもやはり東京六大学の出身者たちなどが好んで着るボタンダウンは公式の場では着ない方が無難です。真夏でも、取引先の創立記念パーティーのような場にはレギュラーカラーのシャツで行ってくださいね。フォーマルな場以外ではボタンダウンシャツの涼しさと機能性を最大限に活用して、快適なクールビズを実現しましょう。----------トラッド服メーカーのダンマスターズさんは、今はもうありません。筆者が営業で訪問するととても嬉しそうに石津さんやくろすさんのお話をしてくださった社長さんも、その後どうされたかは存じません。ただ、仕事で着る服にはルールがあり、ルールをわかったうえでならTPOに応じて着崩すことも許されるという“メンズファッションの神様”の「哲学」を教えてくださったことに、ただただ感謝申し上げるだけです。【参考文献】・『人間的なーかっこいい“貧乏人”の人生四毛作論』石津謙介・『アイビーの時代』くろすとしゆき・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/倉本麻貴(和くん)
2017年07月18日こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。今、地位のある立派な大人であるにもかかわらず“キレる”人が増えています。以前は“キレる”といったら幼児からせいぜい高校生くらいまでの子どもに特有の行為でしたが、今では通勤電車の中でも課長さん部長さん風の高そうなスーツを着た中高年がキレています。国会では大臣が、都道府県庁では知事が、職場では管理職がキレています。大人にキレる人が増えた理由については、さまざまなウェブサイトでも主に精神科医や脳科学者らによる自然科学的な分析がなされています。そういった考察はどれもある程度の納得がいくものに思えますが、ここでは筆者の専門分野である社会経済学的な視点から“地位も力もある立派な大人なのにキレる人が増えた理由”を考えます。そしてそこから、“キレるエラい人への対処法”と“理性のある、あるべき大人像”についてみなさんと一緒に考えてみたいと思います。●説明能力不足のストレスからキレていたのが、いつの間にかキレてウケる“キレ芸”に以前『週刊朝日』の対談で、社会経済学者で東京大学大学院教授の松原隆一郎先生と政治史学者で放送大学客員教授の御厨貴(みくりや・たかし)博士のお二人が、権力も地位も持っているのに“キレる”政治家が目立つようになったことについて触れ、彼らがキレてしまう理由について考察をしています。**********『自分が正しいと考えていることを上手に説明できないことがコンプレックスやストレスになっている人がキレやすい』(御厨貴、60代男性/放送大学客員教授、博士<学術>)『(本来はその人への評価を低下させるはずの)“キレる”言動がSNSの時代には(本音で語ることはいいことだのような)“盛り上がり”につながり、キレることを気にしなくなる。いわゆる“キレ芸”を意識的に利用するタイプが増えた』(松原隆一郎、60代男性/東京大学大学院教授、社会経済学者)<出典:『週刊朝日』2015年1月2日・1月9日合併号より>**********●指導的な立場にある人が堂々とキレているのだからキレていいという“開き直り”この松原・御厨両氏のような人文科学系学者による“キレる大人の有力者”に関する考察は、脳科学や精神分析を切り口とする自然科学的なアプローチよりも、ある意味で今の“キレるエラい人の増加”現象を解りやすく説明できているような気もします。大人の場合は損得勘定をしたたかに行ったうえで「自分よりもさらに上の指導的な立場にある人が世の中を思ってキレているのだから、キレることは悪いことではない。むしろキレて見せれば大衆受けするのでかえっていい くらいだ」のような自分に都合のよい“拡大解釈”と“開き直り”に走る傾向が、若い人たちよりも強いように思えるからです。2016年に全国の33の鉄道会社が発表した『鉄道係員に対する暴力行為の件数・発生状況について』の調査結果を見ますと、キレた乗客が鉄道係員に対してふるった暴力行為は2016年度には792件あった中で、23.7%にあたる188件が60代以上によるものです。その他19.3%にあたる153件は50代によるもの、17.7%にあたる140件は40代によるもので、なんと“キレた乗客による暴力事件”の60%以上は40代以上の中高年によって起きている ことがわかります。キレていたのは自制心が未発達で熱くなりやすい10代・20代・30代の青少年の人たちではなく、本来は冷静な判断力を持っているはずの立派な大人たちが“確信犯的”にキレていることを示してはいないでしょうか?●“キレるエラい人への対処法”は一にも二にも“無視”すること大人としては恥ずべきことであるはずの“キレる”行為を炎上商法的に逆利用しようとする狡い意図が中高年の中にあるのだとすれば、わたしたちが“キレるエラい人”に対して取るべき対処法は明らかではないでしょうか。一にも二にも“無視”すること です。キレるという行為は程度にかかわらず相手を威嚇し、相手の心を傷つけます。そのような手段を自分への注目を集めるために意図的に利用するなどといったことは、許されることではありません。わたしたちは、キレている大人のエラい人を見たら、とにかく一切かかわらず、反応を示さないで無視しましょう。みなさんの身近で、キレて誰かのことを口汚く罵っているような管理職や役員さんやコーチやセンセイを見たら、「哀しい人だ」とつぶやいてその人のそばを離れましょう。注目してあげることがいちばん彼らを図に乗らせることにつながります。----------いかがでしたでしょうか。つまるところは、キレて他人のことを罵ったり人格“口撃”したりしているようなエラい人のことを、わたしたちが「格好悪い!」と突き放す必要があるように思います。社会的に恵まれていない立場にある人たちが“本音”を話し大きな声を上げることは大事です。しかし、地位も力もある立派な大人が自制心なく本音ばかり打ち上げたり効果を計算したうえで“キレ芸”的にキレた態度をとることは、卑劣です。耳の痛い意見でもキレずに聞くことができて、どんなときでも“理”にかなった判断ができる。そんな「キレない大人こそが格好いいのだ」という“まっとうな感性”を、わたしたち一人ひとりが取り戻すことこそ大切なのではないか。そんな気がしてなりません。【参考文献】・『週刊朝日』2015年1月2日・1月9日合併号●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/倉本麻貴(和くん)
2017年07月04日こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。今世紀に入ってから行われたいくつかの信頼のおける意識調査で、中学生・高校生の「自己肯定感」や「将来に夢や希望があるか否か」を聞いた内容の国際比較研究の結果をみますと、わが国の中学生・高校生の子どもたちは概して「自分は駄目な人間だ」と思っており、なおかつ「将来に夢や希望など無い」と感じていることが明らかになっています。例えば2010年に『財団法人日本青少年研究所』が実施した調査では、「自分が価値のある人間だと思うか」という質問を米国・中国・韓国・日本の高校生にしたところ「全くそうだ」と答えた子は米国57.2%、中国42.2%、韓国20.2%なのに対して、日本はわずか7.5%という結果でした。また、2001年に『つくば大学留学生センター』で当時の遠藤誉教授が中心となって行った調査では「あなたは自分の将来に希望を持っていますか」という質問を中国・韓国・日本の中学3年生にした結果「大きな夢を持っている」と答えた子の割合は中国91%、韓国46%、日本29%だったのです。●中学生になった途端「現実を見ろ」と言われる社会そういえばわが国では、子どもが小学校を卒業するまでの間だけは“期間限定”で夢を語ることを許してもらえるのにもかかわらず、中学生になった途端に「現実を見なさい 」とか「本気でプロのミュージシャンになれるとか思ってるわけじゃないだろうな」などのように、大人から言われてしまう傾向があります。しかも、より注意深く見てみると幼児期から特定分野の“英才教育”を受けつづけて相応の年齢になってもまだ親の期待に応えつづけている子どもに関してだけは「オリンピックで金メダルを取りたい」とか「プロゴルファーになって賞金王を獲得したい」みたいな夢を語ることが許される。一方で“普通の庶民”の子どもが中学生になっても「俺、ユーチューバーになって動物の面白動画を制作して生活したいんだよね」などと言おうものなら「いつまでもバカなことばかり考えているんじゃない。いくつだと思っているんだ」と一蹴されてしまう。そんな傾向があるように見えるのです。●生命科学の進歩が行き過ぎた“DNA偏重”の思考傾向を生んでいるとすれば問題もうがった見方かもしれませんが、中学生・高校生の子どもが夢を持つことに対する大人たちの不寛容な態度は、わが国における今世紀に入ってからの生命科学分野の飛躍的な進歩と無関係でもなさそうな気がしてきます。とくに生命工学・遺伝子工学等の領域の研究が進んでいる今の日本では、「才能のない普通の子どもがいくら努力をしたところで無駄骨に終わってしまうぞ」といったような“親心”が、大人たちに「現実を見ろ」と言わせてしまっているようにも見えなくはないのです。でも、いくら親心からといってもまだ10代の少年・少女たちの純粋な“希望の芽 ”を摘んでしまったら、この国の未来は暗澹たるものになってしまわないでしょうか。体の小さかった筆者が中学校に入学してラグビー部の入部届を出したとき担任の先生は「鈴木君はお父様がラグビーの選手だったのですか?もしそうでないとしたら、その小さな体でラグビー部というのはいささか無理があるのではないかと思いますよ」と言いました。これはある意味で「鈴木君はラグビーに秀でたDNAを持っていないのだから、ラグビー選手として一流になりたいみたいな夢は持たない方が無難ですよ」と言われたようなものですね。もちろん筆者の血筋にラグビー選手などは一人もいません。ただ、あの楕円形のボールを使った激しい格闘技をどうしてもやってみたかっただけです。筆者はその気持ちだけで担任の先生の反対を押し切り、中3で目の病気を患うまではいつの日か国立競技場でプレーすることを夢見て左センターのポジションを死守していました。その選択と結果に、筆者はいささかの後悔の念も持っておりません。少年や少女の夢は、叶えばいいというものではないのです。叶わなくたって、それに向かって生き生きと過ごしていた日常があるという事実そのものに、計り知れないほどの価値があるのです。●パパとママが立ち向かうべき本当の相手は、世襲格差社会が生む“諦め感”労働経済学者で京都大学名誉教授の橘木俊詔(たちばなき・としあき)先生は、京都大学時代の弟子でもある経済学博士の参鍋篤司(さんなべ・あつし)先生との共著『世襲格差社会~機会は不平等なのか』(中公新書、2016年)を出版しています。その本の中で、今のわが国の経済社会全体に漂う重苦しい“不平等感”“機会の不均等感”の根底には、経済成長の終焉とともに進行した“職業間における人々の流動の停滞 ”と“世襲化を伴う格差社会 ”があると分析しています。この本を読んだとき筆者は、今「自分が価値のある人間とは思えない」「将来に夢だとか希望だとかは無い」と感じてしまっている中学生・高校生のお子さんをお持ちのパパとママにはぜひ、この“「世襲格差社会」が生む諦め感”という見えない敵に立ち向かっていただきたいものだと思いました。周りを見わたしてみれば、政治家となって自分が作りたい法律を次から次に作っているのは親も祖父も政治家だった“世襲”の国会議員ばかりですし、テレビの番組でしょっちゅう目にする人の中には“世襲”のタレント・芸能人がやたらと多いように思います。医師の世界も弁護士の世界も料理人の世界もプロスポーツの世界も同様で、そういった世界を眺めていると“恵まれた練習環境とDNA”を“世襲”している若者でなければ最初から夢や希望なんか持つなと言われているようで、暗い気分になってしまいます。プロの将棋指しの世界が新鮮に映るのは、彼らは親や祖父母から受け継いだ環境やDNAなんかに頼らず、小さな子どものころから人工知能を相手に正々堂々と将棋の実戦練習を積み重ねた結果、自分の力で夢を実現しているからだと思うのです。子どもの成長を阻害する敵に体を張って闘ってやることができるのは、つまるところはパパとママ(ならびにそれに準ずる保護者)しかいません。夢を持てている中学生が3割までいないというのが現実であるわたしたちのこの社会にあって、せめて子どもを持つパパとママだけには徹頭徹尾子どもたちの側に立って子どもたちの夢を応援する人であってほしい と思います。中学生や高校生の段階で「親や祖父母がアスリートでなければ、アスリートになるのは難しいよ」といった諦め感に支配されてしまっているお子さんを、パパとママだけは救ってやってください。「夢に向かって努力さえしていれば、きっと夢に近づくことはできる」と激励してやってください。親がミュージシャンではない中学生が「将来はミュージシャンになって世界中を演奏してまわりたい」と照れずに言える世の中を、子どもたちと一緒に作っていきたいものだと思います。【参考文献】・『世襲格差社会機会は不平等なのか』橘木俊詔・参鍋篤司(共著)【参考リンク】・高校生を取り巻く状況について | 文部科学省(PDF)()●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/REIKO(SORAくん、UTAくん)
2017年06月27日こんにちは。エッセイストで経済思想史家の鈴木かつよしです。数か月ほど前でしょうか、Twitterで「非正規社員はエレベーターの使用禁止」という会社があるとの投稿があり、話題になりました。するとその後、「うちの職場は非正規社員の社員食堂の利用が禁止されている」とか「非正規社員が役員クラスの人に挨拶すると管理職から怒られる」など、 明治期から戦前の身分制度を思わせるような話が相次いで投稿され、非正規社員に対して今わが国で起きている差別的な待遇がけっして珍しいものではないことが次第に明らかになってまいりました。そこで今回、筆者の周りで非正規社員として働いている人たちに、「実際にあった非正規社員差別」の例を聞くと同時に、その人たちが差別に負けないためにはどうしたらいいのか について考えてみました。理不尽な非正規社員差別を撲滅するために、ご一緒に考えてみませんか?●濡れ衣を着せる系の非正規社員差別は人として大問題筆者が聞き取りをすすめる中で意外なほど多かった非正規社員差別は、「濡れ衣を着せる」系の差別です。具体例を紹介しましょう。『個人情報が載った書類の紛失を、正社員の所属長によってアルバイトである自分のミスとして課長に報告された。本当は所属長による“うっかり忘れ”が原因だった』(30代男性、アルバイト)『「パッケージに破損がある商品を店頭に品出ししたのはパートのあんただろう」と朝礼の場でみんなの前で正社員のマネージャーから責められた。自分ではないと言ったら、「嘘をついてまで言い逃れしようとする。これだから非正規は困るんだ」と言われた』(40代女性、パート)このように立場の弱い非正規社員の人にミスの責任を押し付けたりありもしない濡れ衣を着せたりする ことは、正規だ非正規だを論じる以前に人として大問題です。その大問題が、わたしたちが思っているよりも高い頻度で日常的に起きているという感触が、聞き取りをすすめていく中で強くなった気がします。●職場の施設の利用を非正規社員にだけ不当に禁止することは法律に抵触する恐れがある「濡れ衣を着せる」系の差別以上に筆者が「多いな」と感じたのは、「正社員が自由に利用している職場の施設の利用を非正規社員にだけ不当に禁止する」という、「利用(使用)禁止」系の非正規社員差別です。下記のような事例を筆者は実際に聞き取りました。『自分の仕事場があるフロアのトイレを利用したら正社員の同僚から「派遣の人は上の階のトイレを使うのよ」と言われた。理由を聞いたら、「トイレでは派遣社員に聞かれていたら困る、正社員どうしの会話が交わされるので、派遣は正社員がほとんど利用しない上の階のトイレを使うことになってるのよ」ということだった』(20代女性、派遣社員)『無料の自動コーヒーサーバーをみんなが使っているので自分も使ったところ、「それは契約社員以上の人だけ飲んでいいの。パートさんは駄目なのよ」と注意された。パートだって同じ仕事に携わる仲間なのに、それはないんじゃないのと思った』(30代女性、パート)こういった「利用(使用)禁止」系の非正規社員差別ですが、筆者の学生時代以来の友人でもある弁護士のK氏(本人の希望で匿名とさせていただきます)に確認したところ、いずれのケースも『労働契約法20条』や『派遣法40条』等に抵触する恐れがある とのことでした。差別を被ったご本人たちにそれを伝えた結果、お二人とも勇気をもって会社のコンプライアンス室に相談し、その後トイレもコーヒーサーバーも利用できるようになったとのことでした。●経済学者が指摘する“今の日本企業の非正規社員差別は戦前回帰の『雇用身分社会』”説ところで、今のわが国の“働く現場”に存在するこのように不合理な「非正規社員差別」について、2015年の段階で一冊の本にまとめ、労働の現場から戦前のような“身分が固定化された社会”への回帰がはじまっている と指摘した経済学者がいます。関西大学名誉教授の森岡孝二先生がその人で、森岡先生は著書である『雇用身分社会』(岩波新書、2015年)の中で、戦後の民主主義社会においては「労働者階級」という言葉で一括りにできた“働く人たち”が1980年代半ば以降の雇用の規制緩和に伴って変質して行き、同じ階級の中に「正社員」「限定正社員」「契約社員」「パート」「アルバイト」「派遣社員」といった雇用形態の違いによる“身分”が生まれて行った ことを指摘しました。この『雇用身分』による収入や付き合う人、食べる物や旅行先、着る服などの違いは学歴による違いなどよりも遥かに歴然としており、なおかつそれは固定化していて、今では広く使われるようになった『格差社会』という言葉の本質はこの『雇用身分社会』であると論じているのです。森岡先生はこの著書の段階ですでに(場合によっては実際の会社名をあげて)派遣社員が社員食堂を使えない事例や正社員とパートでは使うトイレが違う事例などを紹介しながら、戦前の『女工哀史』にみられるような奴隷労働が実は今“ブラック企業”や“ブラックバイト”といった形で復活しつつある ことも指摘しています。●非正規社員差別撲滅には「当たり前のこと」が守られる世の中に戻す必要があるさて、今回のテーマである「非正規社員に対する差別を撲滅する方法」ですが、森岡先生は『雇用身分社会』の中で、「ディセント・ワーク」という概念を提唱して、雇用身分による差別の撲滅を訴えています。「ディセント・ワーク(decent work)とは、「まともな雇用」「良識ある雇用」という意味であり、すなわちそれが「まともな世の中」「良識ある社会」にわが国を戻すうえで必要不可欠だと述べているのです。森岡先生の論を筆者なりに咀嚼して申し上げるならば、具体的にはまず1,000円にすら届かないような非正規社員の人たちの時給を“まともな”時給に法律で改めることでしょう。非正規社員の人たちが1か月間フルで働いても10万円台前半の月収にしかならないような現状は、その事実そのものがすでに「政策による非正規社員差別」です。これでは「まともな生活」ができるわけがありませんし、正社員の人たちが非正規の人たちを自然と見下してしまう大きな原因の一つになってしまっているように思われます。勤務先のコンプライアンス室に訴えて設備を正社員と同じように利用できるようになった二人の実例もご紹介しましたが、20代・30代の若い非正規社員の彼らが少しでも“まともな働き方”を手に入れることができるように、筆者のようなディセント・ワークを享受してきた世代の者が彼らの勇気を後押ししてあげる ことも必要かと思います。「おかしいものはおかしい」と声を上げる彼ら自身の勇気も大切です。でも一人一人の小さな勇気ある行動をより大きなうねりにして制度を改良するところまで行かないと、非正規社員への差別を撲滅することまでは難しいような気がします。【参考文献】・『雇用身分社会』森岡孝二・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/香南
2017年06月20日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。筆者と妻は間もなく夫婦生活30年になります。自分がいわゆるサラリーマンではないので、“定年退職”というものはありませんが、体力的な理由からしても今後は仕事が“量”より“質”重視になっていくと考えられ、 リタイア男性同様、自宅にいる時間は増えてくることが予想されます。そんな夫が妻と良好な関係を続けていくうえでの鉄則とは何でしょうか?共通の趣味を持つことでしょうか?それも良いことですが、筆者は“妻の楽しみを理解すること”こそが第一であると思っています。実例を見ながら一緒に考えましょう。●妻には妻の育んできた世界がある30代の後半から50代の始めごろまで小さな個人企業を経営していた筆者は、収入面での浮き沈みがとても激しかったため、その谷間を埋めるために下の子が小学校に上がってからは妻が公的機関の職員となって働いてくれました。妻の仕事は江戸時代の文化や動植物に関する知識、造園技術や都市社会学への造詣が必要とされるため、妻は自らの楽しみのためにもそういった分野の勉強に積極的に励み、おかげで多くの知的な趣味を持つようになりました。能や狂言、浮世絵の鑑賞をはじめとして野鳥や植物の観察、市営農園での野菜づくりなど、妻は筆者があずかり知らない趣味の世界をたくさん持っています。そんな妻に、野球やラグビー観戦、国内外のフォークやロック音楽の鑑賞が趣味の筆者が「俺と一緒の趣味を楽しもうよ」などとしつこく迫ったら、彼女はうんざりしてしまう ことでしょう。妻には妻の育んできた世界があるのです。夫婦がたまたま共通の趣味に恵まれて一緒に楽しむことができればそれはそれで素晴らしいことではありますが、多くの場合、そううまくはいきません。そこで夫が肝に銘じておかなくてはならないことは、亭主風を吹かせて「共通の趣味を持とうぜ」などと主張することではなく、妻が妻の人生の中で培ってきた楽しみを“理解する”ということだろうと思います。●リタイア後に夫婦関係が「よくなった」と答えた男性には共通点がある朝日新聞、2017年4月9日付朝刊の『Reライフ』面の記事の中で、リタイア後に夫婦関係が「よくなった」と答えた男性には共通点があるように見えることを、具体的なインタビュー事例をあげて示唆しています。ざっと引用いたしますと、**********・時間ができ、余裕が生まれたのかよく話すようになった(神奈川県/65~69歳)・夫婦の会話が増え、お互いの考えを理解できるようになった(神奈川県/65~69歳)・接する時間が増えて、お互いをより理解できるようになった(青森県/65~69歳)・定年前より話をするようになった(東京都/60~64歳)・仕事最優先で生活していたが、定年後は妻にも配慮が出来るようになった(京都府/70~74歳)**********このようなかんじです。これを見ると、リタイア後に夫婦関係がよくなった男性には、“時間ができたことで妻と落ち着いて話すようになり、妻が大切にしているものや妻の楽しみなどが理解できるようになった” という共通点があることがわかるかと思います。●旅行はどんな夫婦にも共通の趣味になるので無理して共通の趣味を持とうとしないでいいまた同じ記事の中では、やはり“リタイア後に夫婦関係がよくなった”とする男性の体験談として、“旅行の効用”をあげたものも紹介しています。**********・(リタイア後は)一緒に旅行したり、手伝いではない家事をしたりできる(三重県/65~69歳)・自由な時間が出来た現在は、日常の夫婦間の会話のみならずお互いの趣味の自慢話が出来たり、旅行や車での近距離ドライブなどにお互いの貴重な時間を使えるようになれてとても関係が良くなった(千葉県/75~79歳)**********考えてみれば、肩肘張って「これからは夫婦共通の趣味を持つぞ」などと意気込まなくたって、旅行であればどんな夫婦にとっても共通の趣味になります よね。なぜなら、旅行はまず計画の段階で夫婦による話し合いや資料集めといった共同作業が必要となる。次に、列車やバス、船、飛行機といった乗り物に乗ることが、夫婦に日常では味わいにくい新鮮な風景と会話を提供してくれる。そして、住み慣れた家から遠く離れた旅館やホテル、民宿といった施設に一緒に宿泊することは、夫婦にこれまで歩いて来た道程を振り返る機会と「住み慣れた家へまた帰りたい。一緒に帰ろう」という気持ちを生じさせてくれるからです。旅行の効用を最大限に活用すれば、「無理をしてでも夫婦共通の趣味を持たなければ」といった精神的な焦りから解放されます。その分の気持ちの余裕を「妻の楽しみを理解する」「妻のライフスタイルを尊重する」という方向にもっていけばいいわけです。●“卒婚”のように大げさに考えなくても、妻の人格を尊重するだけでいいフリーライターの杉山由美子さんは、その著書である『卒婚のススメ 人生を変える新しい夫婦のカタチ』を通して、夫婦が結婚という形式は維持しながらもお互いに干渉しないという新しい夫婦のあり方を“卒婚”という造語を使って提唱されました。杉山さんの提案の中には、ご自身も実行された“別居婚”という形も“卒婚”の有力な一形態として入っていますが、筆者はそこまで大げさに考えなくても、わが国の一般的なリタイア後夫婦にとっては“卒婚”という概念の中にある「夫婦がお互いの人格を尊重する」という基本姿勢を再確認するだけで意義がある と思っています。とくに男性の場合、「なんだかんだ言ったって俺と一緒に過ごした方が女房も楽しいだろう」みたいな勘違いをしている人は相変わらず多いです。ただでさえ30年もこんな男と苦楽を共にしてくれたのですから、もう十分ではありませんか。奥様には奥様の世界があり、奥様には奥様の楽しみがあるのです。リタイア夫の鉄則とは“妻の楽しみを理解すること”です。そしてその態度は、“妻の人格を尊重する”だけで自然に養われてくるものだと思います。【参考文献】・『卒婚のススメ 人生を変える新しい夫婦のカタチ』杉山由美子・著●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/REIKO(SORAくん、UTAくん)
2017年06月13日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。直近(2015年)の国勢調査の結果で、わが国の“生涯未婚率”が男性で23.37%、女性で14.06%にのぼることがわかりました。生涯未婚率とは、50歳時点で一度も結婚したことがない人の割合を示す数字ですが、 男女ともに前回(2010年)と比べて3ポイント以上アップしており、“結婚しない人”の割合は急上昇しています。特に男性は4人に1人が生涯未婚の時代 に入ってきたわけですが、結婚していない30代後半から40代以上の男性というのは本当に魅力のない人ばかりなのでしょうか?未婚の女性にとっても気になる問題ですので、一緒に考えてみましょう。また、彼ら未婚男性たちが結婚できる方法についても考えてみたいと思います。●未婚男性急増の背景には雇用の不安定化と職場で女性から憧れられなくなったことがある30代後半から40代以上の未婚男性には、結婚したいという意思があり、なおかつ収入的にはかなり恵まれている方なのに結婚できない人も数多く見られます。その人たちについては後ほど考えますが、一般論として未婚男性が今急激に増えている事実には、筆者がみるところ2つの背景があるように思えます。1つ目は雇用の不安定化・非正規化の進行。2つ目は、雇用の不安定化に伴って、成人男性の主な出会いの場であるはずの職場において、未婚男性が未婚女性から憧れられなくなったこと、です。根拠を申し上げます。『国立社会保障・人口問題研究所』の「出生動向基本調査(独身者調査)」で、未婚の男性に「独身にとどまっている理由」を聞いたところ、「適当な相手にめぐり会わない」「まだ必要性を感じない」といった理由は25年も前の調査のころから上位に入っているのですが、ここ15年ほどの傾向では「結婚資金が足りない」「住居のめどが立たない」といった理由をあげる人がうなぎ上りに増えている のです。これは明らかに雇用の不安定化・非正規化と、未婚男性の低収入化によるものだと考えられます。そして雇用の不安定化・非正規化の進行と未婚男性の低収入化はある意味当然の帰結として、“職場で未婚女性から憧れや尊敬の目をもって見てもらえない”という状況を引き起こします。この事実を、結婚を希望する未婚男性たちは直視しなければいけない時代に入ってきているのです。●収入も高くルックスも悪くないのに結婚できない男性には何が欠けているのか?ただ、言うまでもないことではありますが、世の中には“結婚している”男性も大勢いらっしゃいます。彼らにとっても時代背景そのものは未婚男性たちと同じはずです。しかも、結婚する意思があるのに結婚できない男性の中には、収入の面では羨ましいくらい恵まれている人もいますし、すごくハンサムで背も高いイケメン男性も目立ちます。逆に、職業は非正規の仕事で収入もけっして高くないにもかかわらず結婚できた30代・40代の男性を筆者は何人も知っています。そういった“結婚できた”男性には共通の特長があり、(1)収入とか容姿といった外形的な魅力ではなく、“優しさ”のような内面的な魅力がある(2)地位やメンツなどのようなものよりもパートナーを守り抜くことを優先するという2点を持ちあわせているように見えるのです。このことは、収入も高くルックスも悪くないのに結婚できない男性には、“結婚できた”男性たちが持っている“何か”が欠けているのではないか ということを考えるうえでのヒントになりはしないでしょうか。もしそうだとすると、欠けているものは明らかです。彼らに欠けているものは、・人生で大切なものの優先順位意識(パートナーや愛する人の心の平穏よりも自分の社会的評価や仕事を優先してしまっている)・あなたが一番大切である、あなたと同じ時間を共にして生きたい等の具体的な表現(表現力の巧拙は問題ではない)といったものなのではないでしょうか。●結婚を希望する30代後半~40代以上の未婚男性が結婚できる方法は?ここまでの考察で、結婚を望む未婚男性が結婚できるようになるために一番重要なものは何かについては、だいたいその輪郭がはっきりしてきたのではないかと思います。ただ現実問題として、その一番重要な力を発揮する場面に至るうえで必要になってくる“コミュニケーション能力”の問題があります。多くの未婚男性の前に立ちはだかるのが、この「女性を楽しませ、笑わせる能力」「何気ない会話の中で一瞬、女性のハートを引き付ける能力」なのです。今の時代、婚活の機会を得たいと思えば結婚相談所もあれば相席居酒屋もあれば婚活パーティーのサービスも充実しています。でも、そういう場所で上手に立ち回れるような男性は、逆に言えばそういう場をさほど必要としないような人たちですので、概して婚活パーティーのような場所にはどちらかというと物静かでコミュニケーション下手の男性が集まってくる傾向があるのです。こういった諸々の現実を踏まえたうえで、“結婚を希望する30代後半~40代以上の未婚男性が結婚できる方法” をまとめてみましょう。(1)婚活パーティーのような場には積極的に参加するが、無理して“自分らしくないコミュ力”を発揮しようとしない。女性を楽しい気分にさせようという心がけは大切だが、あくまでも“自分らしい“ウィット”であること。プロのお笑い芸人のまねなどけっしてしないこと。(2)パーティー参加者の女性たちの話を偏見を持たずにきちんと聞くこと。そのうえで自分自身の第一印象は大事にすること。意外と思える女性と実は相性が良かったというケースはたくさんあります。(3)首尾よく“交際”に至った場合には、最初のデートのときからけっして自分を偽らずにさらけ出すこと。また、相手の女性のことを「好き」という気持ちがとても強いことを表現方法などにこだわらずに伝えること。(4)お互いに「結婚してもいいかな」という気持ちが強まってきたら、仕事のこと、収入のこと、家族のこと、趣味やライフワークのこと、今はこうだが将来的にはこうありたい等のことについて、偽ることなく話すこと。また、相手の女性が話すそういった内容のことについて、よく聞き、全てをいったん受け入れること。未婚男性が同じ職場や同じ地域の未婚女性たちから外形的な面で憧れられにくくなった現代、結婚に至るには“内面を好きになってもらう”ことが必要不可欠です。お互いの“内なる美しさ”を愛し合うようになれば、怖いものなど何もありません。そしてそうなれば、外形的なメンツなどもうどうでもよくなる ものです。「将来は二人で、子どもたちも一緒に、畑仕事をしながら里山暮らしをしよう。今の仕事はそのための資金稼ぎと割り切ろう」みたいな夢がお互いの口から語られるようになってきたなら、今が結婚のし時です。【参考リンク】・平成28年版 少子化社会対策白書 | 内閣府()●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/香南、TOYO
2017年06月06日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。筆者の友人の中にも40代でお子さんがいない既婚者の女性が何人かいらっしゃいますが、彼女たちは折に触れて異口同音に“老後の不安”を訴えています。夫婦ともに健康でさえあれば経済的にそれほど困ることはないかもしれないけれど、 万が一夫が病床に伏したり要介護の状態になったりしたら、子どもがいなくて金銭的・精神的・物理的に果たしてやって行けるのか? 心配事が絶えないようです。子どもがいない夫婦は老後に備えて何をしておけばいいのか。この問題を普通の庶民目線で、なおかつ主に一人残される確率が高い妻(女性)の側の視点に立って、一緒に考えてみましょう。●公的年金の保険料を滞納なく支払い、いくらでもいいので貯蓄を作る同じようなテーマを扱ったネット上のサイトを見てみますと、多くの場合はファイナンシャルプランナーのような“お金の専門家”の方が、「老後に備えて貯蓄は最低でも数千万円。子どもがいない夫婦の場合プラスアルファであと数千万円はほしいところ」などといったような記事を書かれています。間違いだとは申しませんが、働く人の4割が非正規雇用となった今のわが国では、そういった見解は一部の恵まれたご夫婦へのアドバイスにしかなりえないように思えます。むしろ筆者は経済的なことに関してであれば、(1)国民年金の人は大変でも年金保険料を滞納なく支払いつづける こと。(2)非正規でも社会保険に加入させてもらえる人は厚生年金に加入しておく こと(さきごろの法改正で月に一定時間以上勤務する人はパートやアルバイトでも社会保険に加入できるようになりました)。(3)金額にかかわらず可能な限りの貯蓄をしておく こと。以上の3点を、子どもがいないご夫婦には心がけていただきたいと思うのです。なぜならば、子どものいないご夫婦の場合は子どもがいる人たちのほとんどが直面する“公立でも最低1千万円”という「教育にかかる出費」がないため、この3点のようなことであればけっしてできないことではないからです。老後資金としての安定感では何だかんだ言っても公的年金にかなうものはありません。●趣味でもパート勤務でもいいので若い人たちとの接点を維持することを心がける経済的な問題以外で子どもがいないご夫婦に心がけておいていただきたいことの第一は、“若い人たちとの接点を維持すること ”です。人はみんな日常の暮らしの中の多くの場面で自分では気づかないくらい若い人たちや子どもたちに助けられながら生きています。ここでいう「助けられながら」というのには二重の意味があり、一つは「実際の生活の面で助けられて」ということ。もう一つは「励みとか心の支えという面で助けられて」ということです。50代後半の筆者であれば、パソコンやスマホを使いこなす上で職場の若い人たちや自分の子どもたちに随分教えてもらいましたし、また自分の子どもの存在というものは他に代わりうるものがないくらい、心の支えとなります。そしてまた、若い人たちとの接点がある人はたとえ自分に子どもがいなくてもあまり老け込んでいない印象があります。ただ、自分の子どもがいないご夫婦の場合、若い人たちとのコミュニケーションを持つといっても自分の子どもに対するのと同じようなわけにはいきません。彼らの手を物理的に煩わせるのではなく、瑞々しい感性と最新の情報を分けてもらえればありがたいといった程度の心づもりで付き合った方がいいでしょう。また、若い人たちとの接点を維持するためには、もちろん趣味のサークルや地域のボランティア活動などを通してでもいいのですが、パートやアルバイトの仕事を通してだと収入にもつながり一石二鳥 の面があります。●同じように子どものいない友人を積極的につくるようにし、役立つ情報を共有する夫婦二人で楽しく穏やかに生きてこられたとしても、いずれはパートナーに先立たれる日は来ます。男性と女性の平均寿命から考えれば、夫の方が先に旅立つケースの方が多数派でしょう。それまでは嬉しいことも腹が立つことも夫と二人で分かち合って生きてきたのが、分かち合う相手がいなくなります。この状態はある意味、ずっと「お一人」で生きてこられた独身女性と同様の状態です。評論家としても活躍している精神科医の香山リカさんは、著書の『老後がこわい』の中で、わが国のシニアシングル女性につきまとう永遠の悩みとして“住まい”と“医療”の問題をあげていますが、これはそっくりそのままパートナーに先立たれたあとの子どもがいない女性の問題でもあります。**********『持家のないシニアシングル女性の住まいに関して、「これだ」という回答はない』『医療や介護を本当に必要としている人くらい、あまり無理のない自己負担でそれを受けられるようにはできないものなのか』(香山リカ・著『老後がこわい』より引用)**********香山さんもおっしゃっていますが、子どもがいないシニアシングル女性にとってこれらの悩みは、『今からあれこれ心配したって、なるようにしかならない』(同著より)というのが本当のところなのだと思います。それでも、常に心がけておくとよいことはあります。それは、同じように子どものいない友人を積極的につくる ようにし、役立つ情報を共有するということです。自分一人きりで暮らし続けることに不安やリスクを感じるのであれば、同じような境遇の友達と一緒にNPOなどに相談して高齢者向けシェアハウス のようなところに入居するという道もあります。わが国では西欧や北欧の先進諸国と違って、高齢者福祉にまつわる諸問題の解決法を主に“家族の自助”に求める政策が採られてきたことは、香山リカさんも著書『老後がこわい』の中で指摘している通りです。そのような社会の中で子どものいないご夫婦が平穏な日常を過ごすために大切なものは、何よりも同様の立場の人たちとのネットワークではないでしょうか。ママ友の人たちがママ友どうしで情報共有をしているように、お子さんがいない人どうしでもそうするのがいいと思います。●パートナーに遺産の全額を引き継いでほしいなら遺言書を書いておくこと数年前のCNNの記事で、英国オープン大学が実施した夫婦関係の満足度に関する調査結果について書かれたものがありました。それによると、『子どものいない夫婦の方が、子どものいる夫婦に比べて、夫婦関係に対する満足度が高く、関係を保つことに努めている』という結果が出たそうです。筆者の親類にも、お互い70代後半になっても仲睦まじく頻繁に旅行を楽しんでいる夫婦がおりますが、見ていてもうらやましい気持ちになります。また仕事上の友人でもある冒頭でご紹介した40代の既婚女性たちも、旦那さまとのことになると本当にいつまでも恋人同士のような感じでお話しをされるのでとても微笑ましく、ついついこちらまで心が温まってしまうようです。最後に、子どものいないご夫婦のどちらかが高齢となり一生を共にしてくれたパートナーに(多少にかかわらず)資産の全額を引き継いでもらいたいと願う場合は、しかるべき遺言書を書いておくことを忘れないでください。ご自身に存命中の兄弟姉妹がいらっしゃる場合には、その兄弟姉妹の方も法定相続人となりますので、遺言書がないと遺産分割協議が必要となります 。注意しましょう。【参考文献】・『老後がこわい』香山リカ・著●ライター/鈴木かつよし●モデル/藤沢リキヤ、福永桃子
2017年05月30日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。以前よく耳にした「五月病」という言葉は、最近あまり聞かれなくなったような気がします。今の若い人たちは、せっかく正社員として就職できたのに五月病などといった甘いことを言わないのかもしれません。しかし、5月ごろになってくると「この毎日、どうも違うな」と思ってしまうこともあるようで、「1か月やそこらで憂鬱になっているようでどうする」という気持ちと「でも本当にこの仕事でいいのだろうか」という気持ちのあいだで揺れ動く若者の不安な心理は、昔も今も変わらないように思えます。筆者は35年間の職業生活の半分を“雇われて働く者”として、半分を“自由業・自営業者”として生きてきました。その筆者の経験から、5月の新社会人のみなさんに、みなさんの実際の毎日の生活の中で反すうしていただくとよい言葉 を贈りたいと思います。新社会人のお子さんを持つパパ・ママにも、子育てという日記の最後のページにはさんでおいていただければと存じます。●誰にでも“支配されずに生きる自由”があるが、それは“年中無休”の覚悟を伴う筆者に限らず“脱サラ”を経験したことのある人なら誰でも知っていることではありますが、会社勤めを辞めてしまえば、もう口うるさい上司もいなければ自分の陰口をひそひそ話す同僚もいません。しかし生活はしていかなければなりませんので、さしあたりネット・ショップを開店するにしてもクラウド・ワーキングで稼ぐにしても、自己管理を徹底して損益分岐点以上の収入を得なければすぐに行き詰まってしまいます。カレンダーが数週間先・数か月先まで真っ黒になるくらい次の仕事のスケジュールで埋め尽くされているようでなければ不安で不安でやっていられませんし、納品する商品の品質は100%自分が責任を持たなければなりません。つまり、新社会人のみなさんは今の会社に出勤するのが憂鬱で憂鬱でしょうがないのであれば、誰にでも会社を辞める自由があり組織や上司に支配されずに生きる自由があるのですが、それは即ち“年中無休”で何もかも自分ひとりで自己管理しながら生きていく生活の始まり を意味するということです。廃墟や廃線といった題材の写真で有名な写真家の丸田祥三さんは、今から15年も前に朝日新聞に寄稿されたエッセイの中で、大学を卒業後5年間勤めた会社を辞めたときの心境について次のように書いています。**********『眠れない夜とはお別れだ。もう会社の些事(さじ)を気に病む必要もない、と考えていた私を待っていたのは、自由になった途端に訪れた、一睡もできない夜だった。自由は、ゆっくり眠れる気楽な夜ではなく、一睡もできない苦しい夜を連れてきた』(丸田祥三/50代男性/写真家)・出典『会社を辞めた私から』2002年4月8日付「朝日新聞」夕刊文化欄掲載**********いかがでしょうか?丸田さんが言うように、自由を手に入れるということは面倒でも遅刻ぎりぎりでもとにかく出社さえしてしまえば毎月決まった日にきちんとお給料が振り込まれている今の生活とはさよならするということなのです。●お勤め人の仕事はいちいち“価値”を考えていたらできない。ただ“天職”と思えるか次に、みなさんが今「こんなつまらない仕事をするためにこの会社に入ったつもりはないんだけどな」と思っている日々の仕事ですが、そのようにあなたがやっている仕事の“価値”について考え始めたら、お勤め人の仕事というのはなかなかやっていられません。なぜならば、会社組織の一員として働くことは、人間の体でいう手なら手、足なら足といった一つの部位として働くということですので、そうそう“価値を感じられる面白いこと”ではもともとあり得ないのです。では、どのような心持ちで働くべきなのでしょうか。答えは、手なら手、足なら足といった自分に与えられた役割を“天職”と思って携わる ということです。面白いとかつまらないとかではなく、“仕事は天職”なのです。今、自分がなすべき売り込みなら売り込み、箱詰めなら箱詰め、組み立てなら組み立て、データ入力ならデータ入力、デッサンならデッサン、プログラミングならプログラミング。それを理屈でなく自分の天職と感じながら働くということです。そう感じることさえできればいわゆる“五月病”は克服することができますし、逆に与えられた仕事を天職と感じることができないのであれば、今の会社においてはあなたのスキルが飛躍的に向上していくことは期待しにくいかもしれません。20世紀ドイツの偉大な社会学者であり経済学者でもあるマックス・ウェーバー(1864~1920)は、1917年にミュンヘン大学で行った『職業としての学問』の講演の中で次のように述べています。**********『いまや学問はかつて見られなかったほど専門化が進んでいる。おそらくこの傾向はこれからもずっと続くだろう。私たちはもはや、ただ自分の専門領域に閉じこもることによってしか、学問上で何かを成し遂げることはできない。隣接領域の縄張りを侵すようなことは諦めなければならない』・出典『職業としての学問』マックス・ウェーバー(著)**********近代社会の構造を解明した100年前の天才的な社会学者が、自分が職業として選んだ学問という分野でさえ自分が直接的に携わっている分野の研究をただひたすら黙々と“天職”として追求することしかできないのだと言っているわけです。●そうはいっても入った会社が“ブラック企業”だった場合は我慢せずに辞めることさて、かつてのわが国であれば5月の新社会人のみなさんに贈る言葉はここまででよかったのかもしれませんが、今の時代はここで話を終えるわけにはまいりません。みなさんが入社した会社が運悪く“ブラック企業”だった場合について触れておかなければならないからです。たとえ誰もが名前を聞いたことがあるような有名企業でも、株式を上場しているような大企業であったとしても、従業員が苦痛と感じるような異常な長時間労働が行われていたり、コネ入社組には甘いのにその他の一般の新入社員に対してはセクハラやパワハラが日常的に行われているような会社に入ってしまったのだということが分かった場合は、我慢せずにすみやかに退職する方向で努力してください 。「天職と感じられるようになるまで頑張ろう」などと悠長なことを言っていてはなりません。あなたのお母様もお父様も、あなたを過労死させるために育ててきたわけではないのです。人権を無視した過度な支配に対しては、“逃げる”という方法で闘ってください。こうして考えると、筆者が新入社員だった35年前と比べて今の新社会人のみなさんは、より複雑で厳しい環境の中で日々生きていることが分かります。それでも「自由業で生きるなら年中無休の覚悟を」「職業は天職である」の2点については時代を超えた真実であると、筆者は先人たちの知恵と自分自身の経験から断言できます。ぜひ、反すうしてみていただければと思います。【参考文献】・『職業としての学問』マックス・ウェーバー(著)●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/ゆみ
2017年05月23日こんにちは。コラムニストの鈴木かつよしです。以前、筆者が雑貨や医薬部外品を取り扱う商事会社を経営していたとき、震災の被災者の方々にささやかでも自分にできることをしたいと思い、救援物資を送って大変喜んでいただいたことがあります。自分の商売の守備範囲で主に使い捨てカイロやウエットティッシュなどを送り感謝されたのですが、実はそれ以上に喜ばれた意外なモノがあります。今回は、巨大地震に備えて準備しておきたい意外なモノとその活用術についてご紹介させていただきます。●(1)布製ガムテープの使いみちの広さには驚き!自分としては瓦礫やガラス片などの散乱物の除去に使ってもらえればという気持ちで送った“布製のガムテープ”。これが、自分には想像のつかない用途で活躍してくれたことは驚きでした。あとで被災者の方からいただいた手紙によると、避難所で女性が着替えたいときなどに適当なボール紙や模造紙などを布テープで壁にとめて、即席の更衣室が作れる というのです。また、脱臼や亀裂骨折した腕や脚を医師に診てもらうまでの間、とりあえず固定する のにも布製ガムテープが大いに役立ったとのこと。貼ってもまた簡単にはがせるのが布製粘着テープの特長。救援物資の入った段ボール箱にいったん封をして保管する際に本来の用途で大活躍したのはもちろんのことですが、布テープの使いみちの広さには本当に驚かされました。●(2)断水で食器が洗えない状況下で役に立つポリエチレン製ラップ筆者が20代の数年間を過ごした神戸の街が阪神淡路大震災で壊滅的な被害を受けたとき、やはり甚大な被害をこうむった西宮市に住む旧友から頼まれて送ったのが台所で使うポリエチレン製のラップでした。旧友によれば、1月の寒い中で家が倒壊し避難所暮らしになった際に、ラップを体じゅうに巻き付けて防寒着がわりに したところ暖かく、とても助かったとのこと。しかもそれだけではなく、絆創膏がわりの止血用 に使える。それから、思わず「なるほど」と思ったのは水道が破壊されて水が使えない被災地の状況下で食器を小まめに洗うことはできません。でもラップがあればお皿にラップをかぶせた上から食べ物を盛り 、食べたらラップだけ換えて次の食事のときに使うということができますので衛生的です。さらに、ヒモやロープがないときには、ラップを用いて紙縒(こより)のように代用のヒモを作ることが可能です。このようにラップの活用範囲は非常に幅広く、布テープとともに備えておきたいモノであります。●(3)飲料水として備蓄しておいた水が意外な用途に使える?最後に、これは筆者が被災地に送ったというわけではなく、関東地方にお住まいの東日本大震災の被災者の方から聞いたペットボトル飲料水の意外な活用法のお話です。実際に巨大地震に見舞われたとなれば自分の自宅が倒壊しなかったにしても、ライフラインの復旧までには数日を要することが想定されます。水道が止まり、水洗トイレがその機能を果たせなくなった自宅で本震後の数日間を過ごす際、困るのはトイレの流す水ですね。『総務省消防庁』では、目安として1人1日3リットルとして3日分の飲料水の備蓄を推奨しています。これは4人家族で2リットル・ペットボトルが6本入り3ケース分に該当します。その方によれば、いっそのこと10ケース分の水を常時備蓄しておくと、トイレの流す水にもまず困ることはない ということでした。スーパーやドラッグストアーで探せば安いのであれば2リットル1本で60~70円台の水が売っていますので、10ケース分といっても全部で税込み4千円台程度の出費です。ぜひ、消防庁が推奨する量以上の備蓄をおすすめいたします。----------いかがでしたでしょうか。こういったお話は筆者が承知しているものにとどまらず、みなさんからも「こんなモノがこんな役に立つよ」といった情報がありましたらぜひお教えいただければと思います。わが国で暮らす以上、巨大地震に遭遇するリスクは誰にでもあります。みんなで共有いたしましょう。【参考リンク】・災害に対するご家庭での備え~これだけは準備しておこう!~ | 首相官邸ホームページ()●ライター/鈴木かつよし(エッセイスト)●モデル/福永桃子
2017年05月16日