「間寛平」について知りたいことや今話題の「間寛平」についての記事をチェック! (1/2)
●「褒めながら、傷つけないように芸を教えていかなければいけない」2022年に吉本新喜劇のゼネラルマネージャーに就任したお笑い芸人の間寛平。5月30日には大阪で舞台『盲目のお蕎麦剣士が巻き起こす新喜劇』、そして6月26日・27日には東京・新宿で「吉本新喜劇inルミネtheよしもと」公演が控えるなど精力的に活動を続けている。「これまで怒られてばかりの人生で、人を叱ったことがなかった」という寛平が、GM就任してからの3年間を振り返った。寛平は「とにかく面白いことをしようと頑張っている人間はどんどん吸いあげる」という思いで、若手を起用。そんな状況に中堅からベテランまで刺激を受けた。「来てくれたお客さんが楽しんでもらうことが一番」という寛平のポリシーのもと、自らが背中を見せるように「むちゃくちゃやりました」と笑う。すると「わぁ、こんなことすんねや」「こんなことまでやってもええんか」と若い世代の座員がリミッターを外した。「勢いが出てきましたね。何をやっても良いんです。ただ『お客さんを喜ばせろよ』ということは言いました」。元々、関西では高い人気を誇っていた吉本新喜劇。一方で「東京をはじめとして “吉本新喜劇”という名前は聞いたことがあっても、まだまだ観たことがある人は少ない。僕の望みは全国の人に知ってもらうこと。そのためには、まずは東京」と6月26・27日に新宿で行われる「吉本新喜劇inルミネtheよしもと」には強い思いがある。「以前、ルミネtheよしもとができた頃は、新喜劇も上演していたんです。でもいつの間にかやらなくなってしまった……。それが悔しくて。だからもう一度ここでやって、しっかりと新喜劇を見せていこうって。チケットも好評みたいで手応えは感じています」。実力がある人間はキャリア関係なく登用していく。人材を循環させていいものを作るという寛平GM。吉本新喜劇座員オーディションを5年ぶりに開催し、活きのいい新メンバーが17人も加わった。現メンバーに対しても大きな刺激となる若手座員だが、令和の今だからこその難しさもあるという。寛平は「僕らの時代は、とにかく怒られて育った。今でこそ結構座員に叱咤していますが、僕なんか、オギャーって生まれたときからおかんや親父に怒られて、この年になっても(明石家)さんまなんかにもいつも怒られて。でも今は怒らないといけない立場」と自身の変化を述べるが「でも今は怒って教えるって時代じゃないでしょ」と苦笑い。また、「昔はすぐ『この、アホウ』とか『お前、顔おもろいな』とか普通に言っていたけれど、全部ダメ。すぐ『パワハラや!』って言われる時代でしょ。会社からも『絶対にやめてください』って釘を刺されているんです」と語り、「でも優しく言っても分からんこともあるし、容姿をイジって笑いにすることもある。それでも今はとにかく褒めながら、傷つけないように芸を教えていかなければいけない。なんとかやっていますが、ほんまそこは悩みどころです」と胸の内を明かす。●舞台上ではプレイヤーとして大暴れ「まだまだむちゃくちゃやるで!」「とにかく吉本新喜劇を良くするために」という使命に溢れているという寛平。そのために自ら舞台に立って座員を鼓舞するが、プレイヤーとしては、昔から何一つ変わらないという。「舞台に上がったらGMとか関係ない。大暴れしてむちゃくちゃやる。アドリブも多い。台本通りなんてほとんどやらん(笑)。その場の感覚でどうやったら面白くなるのか……ただそれだけ」。寛平に引っ張られるように座員たちが躍動する。その勢いは確実に関西だけではなく、全国に広がりを見せている。企画もどんどんあげて、何でもチャレンジする。そんななか、5月30日にはピン芸人の濱田祐太郎主演の舞台『盲目のお蕎麦剣士が巻き起こす新喜劇』が、なんばグランド花月で開催される。「濱田くんはR-1グランプリで優勝したときから、うちの嫁が『あの子は頭ええで』と注目していたんです。そうしたらたまたま大阪マラソンで一緒になって。話をしていたら、うち(新喜劇)のレイチェルと仲がええっていうので『飯でもいこう』となって。そのとき嫁が『あんたみたいに頭のええ子、会社は何してんねん。このまま放っておいたらあかん!』って言い出して(笑)。そこで濱田くんと殺陣をやろうということになったんです」。そこから話が進み、盲目でありながら派手なアクションを行う舞台構成になった。寛平は「目が見えへんということは、セリフを覚えるのも大変。しかも殺陣をやる。映像ではなく舞台なので、カットを割るわけではないので、下手なことをしたら舞台から落ちて怪我をしてしまう。とんでもない努力をしたんです」と濱田の頑張りを称賛し、「舞台で目が見えへんのに殺陣をやるなんて、世界でただ一人ちゃうか?」と奇想天外な舞台になることを強調した。「吉本新喜劇は大阪、関西の宝や」と語った寛平。だからこそ「もっと全国の人に知ってほしい。子供からおじいちゃん、おばあちゃんまでみんなが笑える新喜劇を作っていきたい」と意気込み、「どんどん若手が出てきて、僕らみたいな古い人間を脅かす存在にならんとあかん。新しい風をどんどん吹かせて、もっと面白いものを作っていきます。まだまだ舞台の上でむちゃくちゃやるで! だから皆さんもぜひ劇場に足を運んで、生の笑いを体験してほしい。絶対に損はさせへんから!」と熱いメッセージを送ってくれた。■間寛平1949年7月20日生まれ、高知県宿毛市出身。1970年に吉本新喜劇に入団し研究生となる。1974に吉本新喜劇の座長に昇格。「アヘアヘ」「ア~メ~マ~」「かい~の」などヒットギャグを続々と放ち、関西で絶大な人気を獲得する。1989年に退団し、東京進出。2008年12月~2011年1月、ヨットとマラソンによる地球一周「アースマラソン」を完走。2013年より「淀川寛平マラソン」を開催。2022年2月に吉本新喜劇GMに就任。
2025年05月29日吉本新喜劇GMの間寛平が7日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、素振り150回に「体ガタガタ、ウヒハ。」と疲労困憊?「昨日、今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日はほんわかテレビのひと花咲かせ隊のロケでした、感動しますよ、ウヒハ。」と綴り、桜を背景に1枚の写真をアップした。なお、『ひと花咲かせ隊』とは、読売テレビのバラエティ番組「大阪ほんわかテレビ」の1つのコーナーであり、寛平自ら視聴者の願いごとや悩みごとを一緒に解決する企画である。ちなみに大阪ほんわかテレビは1993年6月6日に放送が開始され今年で32年を迎える長寿番組となっている。昨日、今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日はほんわかテレビのひと花咲かせ隊のロケでした、感動しますよ、ウヒハ。 pic.twitter.com/99v26YTw3Y — kanpei (@kanpeitter) April 7, 2025 この投稿にファンからは「ほんわかテレビ楽しみにしときますね!」「本当にひと花咲かせるといいですね」といったコメントが寄せられている。
2025年04月08日吉本新喜劇GMの間寛平が2日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、82歳芸人との慰労会に「楽しかった」と写真を公開!「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は忌野清志郎さんもお誕生日です、おめでとう~ウヒハ。」と綴り、寛平とともに笑顔で写る忌野清志郎との写真をアップした。忌野清志郎といえば、「雨あがりの夜空に」「スローバラード」など様々なヒット曲を世に送り出し、キング御ブロックの異名を持つ音楽界のカリスマ的存在だったが、今から16年前の2009年5月2日に病のため58歳という若さでこの世を去っている。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は忌野清志郎さんもお誕生日です、おめでとう❤️~ウヒハ。 pic.twitter.com/WhhiRErnwP — kanpei (@kanpeitter) April 2, 2025 この投稿にファンからは「お2人とも最高にステキな笑顔ですね」「懐かしいですねぇ~この2ショットも。」といったコメントが寄せられている。
2025年04月02日吉本新喜劇GMの間寛平が6日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、82歳芸人との慰労会に「楽しかった」と写真を公開!「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日はKIssFM「KIssMUSIC Presenter」にお世話になりました、楽しかったです、キャプは若ぶってしまいごめんね、ウヒハ。」と綴り、1枚の写真をアップ。これにはファンから「寛平さん若い!」と大絶賛を受けた。ちなみにKissFMは兵庫県神戸を拠点とするFMラジオ局で近畿2府4県で放送されており、兵庫県内では聴取率が高いことで知られている。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日はKIssFM「KIssMUSIC Presenter」にお世話になりました、楽しかったです、キャプは若ぶってしまいごめんね、ウヒハ。 pic.twitter.com/pRhtixUdnm — kanpei (@kanpeitter) March 6, 2025 この投稿にファンからは「本日のコーデもとても素敵でございますよ」「いつまでもお元気で我々を大爆笑させてください」といったコメントが寄せられている。
2025年03月07日吉本新喜劇GMの間寛平が6日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、松竹芸人特集に「三年分笑わせてもらいました」とご満悦「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は新喜劇記念日の1部でチャソチャソのギャグのやなぎ浩二座長さんのお疲れさん会を島田一の介さんとしました、楽しかったです、ウヒハ。」と綴り、1枚の写真をアップ。来月には83歳を迎えるやなぎ浩二は、今月2日に吉本新喜劇65周年記念ツアーの千秋楽イベントの第1部で初の座長を務め会場を大いに盛り上げた。ちなみにやなぎの持ちギャグは「ちゃっそ、ちゃっそ、ちゃっそ!」である。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は新喜劇記念日の1部でチャソチャソのギャグのやなぎ浩二座長さんのお疲れさん会を島田一の介さんとしました、楽しかったです、ウヒハ。 pic.twitter.com/3ank6AdOtU — kanpei (@kanpeitter) March 5, 2025 この投稿にファンからは「お疲れさま会もとても楽しそうですね」「やなぎさんの座長公演最高でした。終演後のめだかさんとの ツーショットも感動しました。」といったコメントが寄せられている。
2025年03月06日吉本新喜劇GMの間寛平が17日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、日本ハム監督の新庄に「考え方は一緒」と感銘を受ける「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は明石家電視台の収録でした、ゲストはバッテリィズでした、ウヒハ。」と綴り、1枚の写真をアップ。投稿された写真には、そのバッテリィズの他にMCの明石家さんま、レギュラーの村上ショージ、そして寛平の5人が楽屋で楽しそうにしている様子が伝わってくる。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は明石家電視台の収録でした、ゲストはバッテリィズでした、ウヒハ。 pic.twitter.com/60r5a9vImi — kanpei (@kanpeitter) February 17, 2025 この投稿にファンからは「バッテリィズ大活躍ですね」「エースくん嬉しそう!」といったコメントが寄せられている。
2025年02月18日お笑いコンビ・テンダラーの浜本広晃が15日、公式Xを更新。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、自身のロケ番組で「新喜劇の宣伝もさせてもらいました」とウヒハ。浜本広晃は公式Xで「今日から51歳さしてもうてます」と投稿し、笑顔で間寛平が写真を撮る様子を公開した。浜本は頭頂部とサイドだけ髪の毛が生えているユーモラスなカツラを被り、満面の笑みを浮かべている。この投稿には多くのいいねが集まり、「お誕生日おめでとうございます!」や「素敵な一年になりますように!」といったコメントが寄せられている。今日から51歳さしてもうてます pic.twitter.com/A2wPINmgwX — テンダラー浜本 (@hammer1974) February 15, 2025 浜本の誕生日を祝うファンからの温かいメッセージが多数届いており、彼の人柄と人気の高さが伺える。
2025年02月15日吉本新喜劇GMの間寛平が6日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、日本ハム監督の新庄に「考え方は一緒」と感銘を受ける「昨日、今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は寛平さんぽのロケで静岡に行ってました、3月8日に沼津でする新喜劇の宣伝もさせてもらいました、ウヒハ。」と綴り、2枚の写真をアップ。寛平さんぽとは、、静岡県のケーブルテレビ「トコチャン」で2018年11月から放送されており、間寛平とよしもと静岡県住みます芸人の富士彦が繰り広げる笑いと人情の旅バラエティ番組である。昨日、今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は寛平さんぽのロケで静岡に行ってました、3月8日に沼津でする新喜劇の宣伝もさせてもらいました、ウヒハ。 pic.twitter.com/1bO3c7gXrn — kanpei (@kanpeitter) February 6, 2025 この投稿にファンからは「ええ天気で良かったですね師匠」「沼津でも新喜劇やるのですね。楽しんで下さい」といったコメントが寄せられている。
2025年02月07日吉本新喜劇GMの間寛平が22日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、松竹芸人特集に「三年分笑わせてもらいました」とご満悦「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は熊本がいい~の、ロケでしたゲストは島田珠代で、大暴れして帰りました、店の人もビックリ、ウヒハ。」と綴り、1枚の写真をアップ。島田珠代は、高校在学中に『4時ですよーだ』などの素人参加コーナーに出演したのがきっかけで、17歳で吉本入り。そのため、NSC出身ではない異色の経歴を持つ。ちなみにNSC出身者では大阪6期生と同期となる。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は熊本がいい~の、ロケでしたゲストは島田珠代で、大暴れして帰りました、店の人もビックリ、ウヒハ。 pic.twitter.com/7AN0IR69gB — kanpei (@kanpeitter) January 22, 2025 この投稿にファンからは「皆さんポーズ決まっててすごく楽しそうですね」「寛平さんと珠ちゃんのWダンス?最高に面白いです(笑)」といったコメントが寄せられている。
2025年01月23日吉本新喜劇GMの間寛平が16日、Ⅹを更新した。【画像】吉本新喜劇GMの間寛平、55年前の成人式の写真に「僕の20歳の時どう~~」と問いかける「面白そう~」と綴った。これは吉本新喜劇とアクロスエンタテインメントの声優とのコラボ企画『とある神様に異世界転送させられた新喜劇座員が、オタク知識(スキル)を振りかざし、無双するみたいです。』に対してのコメント。新喜劇が異世界を救う?と題し、吉本新喜劇ファンも声優ファンもどちらも楽しめる新喜劇公演として、1月25日、26日で東京の草月ホールで開演予定だ。興味のある方は是非。面白そう~ — kanpei (@kanpeitter) January 15, 2025 この投稿にファンからは「いいね」が多く寄せられている。
2025年01月16日ファンキー加藤が15日、Xを更新した。【画像】ファンキー加藤 朝から”ファンキー”にトレーニング「寛平マラソン2024、無事に閉幕しました。今年も走って歌って笑って… めちゃくちゃ幸せな一日でした。ありがとう!おおきに!」と綴り、4枚の写真をアップ。寛平マラソンとは、2013年に吉本興業創業100周年・産経新聞社創刊80周年の記念事業としてスタート。今年は、12月14日(土)・15(日)の2日間にわたり、淀川河川公園及び淀川河川敷で開催され、多くの有名人も参加している。寛平マラソン2024、無事に閉幕しました。今年も走って歌って笑って… めちゃくちゃ幸せな一日でした。ありがとう!おおきに! #寛平マラソン pic.twitter.com/X0dKWgL7RB — ファンキー加藤 (@funky_kato1978) December 15, 2024 この投稿にファンからは「加藤さん、お疲れ様でした あったかくしてゆっくり 休んで下さいね」「年々パワーアップする加藤さんを楽しみにしています」といったコメントが寄せられている。
2024年12月15日間寛平が12日、Xを更新した。【画像】吉本GM 間寛平、島根・鳥取のツアー公演大成功に「皆さんのお陰で盛り上がりました」と恒例のウヒハで締める。「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は熊本がいい~ののロケでした、ゲストはパンチの2人でした、浜崎がボケまくりでした、放送は2025年1月7日、20時です、ウヒハ」と綴り、1枚の写真をアップ。ちなみにザ・パンチは、吉本興業に所属するお笑いコンビで過去には『M-1グランプリ2008』ファイナリストや『THE SECOND 〜漫才トーナメント〜2024』で準優勝をするなどの実績を持っている。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日は熊本がいい~ののロケでした、ゲストはパンチの2人でした、浜崎がボケまくりでした、放送は2025年1月7日、20時です、ウヒハ。 pic.twitter.com/e9sZ4ifRPR — kanpei (@kanpeitter) December 12, 2024 この投稿にファンからは「神さま^ ^は..別格です^ ^」「寛平さんとロケ行けて「ザ・パンチ」のお2人楽しそうですね」といったコメントが寄せられている。
2024年12月12日間寛平が9日、Xを更新した。【画像】吉本GM 間寛平、痩せすぎの石田靖とヘルニアの麒麟・田村に「2人ぴょょょん~~アへ」と嘆く。「昨日、今日と誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。鳥取、島根の新喜劇ツアーも皆さんのお陰で盛り上がりました、ウヒハ。」と綴り、2枚の写真をアップ。65周年を迎えた吉本新喜劇は、記念公演としてのツアーを今年3月からスタート。7日は島根、8日は鳥取と隣接県での開催を無事大成功に収めた。なお、記念公演は2025年4月まで予定されている。昨日、今日と誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。鳥取、島根の新喜劇ツアーも皆さんのお陰で盛り上がりました、ウヒハ。 pic.twitter.com/Jh6OylMcMs — kanpei (@kanpeitter) December 9, 2024 この投稿にファンからは「響ちゃんの地元ですね」「はぴば」といったコメントが寄せられている。
2024年12月09日間寛平が6日、Xを更新した。【画像】吉本GM 間寛平、高知公演で話題となったビスケットを大量ゲットし「ありがとうございます、ウヒハ」と感謝「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日はナイトスクープの収録でした、楽屋では石田靖は食べても太らへんねん、麒麟の田村はヘルニヤやねん、12月14、15日の淀川寛平マラソンどうするねん、2人ぴょょょん~~アへ。」と綴り、1枚の写真をアップ。なお、寛平マラソンとは、2013年に吉本興業創業100周年・産経新聞社創刊80周年の記念事業としてスタートしたイベントで毎年多くの著名人も参加している。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう。今日はナイトスクープの収録でした、楽屋では石田靖は食べても太らへんねん、麒麟の田村はヘルニヤやねん、12月14、15日の淀川寛平マラソンどうするねん、2人ぴょょょん~~アへ。 pic.twitter.com/m2Xs5ukbhC — kanpei (@kanpeitter) December 6, 2024 この投稿にファンからは「寛平さーんありがとうございまーす!」「食べても太らないのはちょっと羨ましいです ヘルニアは心配です」といったコメントが寄せられている。
2024年12月07日間寛平が1日、Xを更新した。【画像】吉本 間寛平が新喜劇ツアーを新潟で公演「ぼる塾が来てくれて嬉しい」と喜びの声「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデー。今日は僕の故郷の高知で新喜劇ツアー65周年公演をしました、会場の子供からお帰りと言ってもらい嬉しかったです、最高~~ウヒハ。」と綴り、1枚の写真をアップ。間寛平は、高知県宿毛市出身で高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京するも挫折。その2年後、吉本にて新喜劇メンバーの一員になった。なお、吉本の在籍期間は50年を超えている。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデー。今日は僕の故郷の高知で新喜劇ツアー65周年公演をしました、会場の子供からお帰りと言ってもらい嬉しかったです、最高~~ウヒハ。 pic.twitter.com/7UWhO4fKC3 — kanpei (@kanpeitter) December 1, 2024 この投稿にファンからは「寛平さん今日は面白すぎて涙が止まりませんでした~」「「おかえり〜」って言ってもらえるのとても嬉しいですよね」といったコメントが寄せられている。
2024年12月02日吉本のお笑い芸人 間寛平が23日、Xを更新した。【画像】間寛平、33年前に買った愛車の走行距離は33年で36,000キロ!?愛車愛が凄すぎる!「今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデー。今日は新喜劇ツアー新潟公演でした、新喜劇のゲストに水玉のケンが来てくれました、アキ嬉しそ~、僕はぼる塾が来てくれて嬉し~ウヒハ。」と綴り、2枚の写真をアップ。今年で75歳を迎え現在、ゼネラルマネージャーとして活躍中の間寛平。まだまだ、日本中を笑いで元気にする力は健在であり、今回の新潟公演も大成功に終わった。なお、お笑いトリオ・ぼる塾も応援に駆け付け寛平自身も嬉しいと喜びの声を上げた。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデー。今日は新喜劇ツアー新潟公演でした、新喜劇のゲストに水玉のケンが来てくれました、アキ嬉しそ~、僕はぼる塾が来てくれて嬉し~ウヒハ。 pic.twitter.com/jO2RZY15QB — kanpei (@kanpeitter) November 23, 2024 この投稿にファンからは「新潟公演楽しかったです。」「寛平GM、ありがとう。 また新潟公演をお願いします。」といったコメントが寄せられている。
2024年11月23日吉本のお笑い芸人 間寛平が20日、自身のXを更新した。【画像】間寛平、愛車NSXをピカピカに!ファンから祝福の声続々「おはようございます。今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデー。NSXの車検が終わりました、33年前に買ったんですが、36,000キロしか走っていません、今日はちょっと走ります、ウヒハ。」と綴り、自身が33年間、大事にしている愛車とともに写真をアップした。単純に計算すると1年間で約1,000キロ走行だが、写真からも愛車を大事にしている感が表れており、さらに投稿毎の今日お誕生日の方おめでとうございます。には「おめでとうツイート嬉しいです」とのコメントも見られた。おはようございます今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデー。NSXの車検が終わりました、33前に買ったんですが36000キロしか走ってません、今日はちょっと乗ります、ウヒハ。 pic.twitter.com/g91yUiRtOQ — kanpei (@kanpeitter) November 19, 2024 この投稿にファンからは「カッコいい!運転気をつけて、楽しんでくださいね!」「かっこいいですね。ご安全に、ウヒハ」といったコメントが寄せられている。
2024年11月20日元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日に肺がんと間質性肺炎のため死去したことが2日、明らかになった。これを受け、間寛平と桂小枝が同日、所属事務所を通じてコメントを発表した。間寛平は「上岡さんにはすごくかわいがっていただいたので、訃報を聞いてショックでした」と心境を吐露。「『探偵!ナイトスクープ』でも大変お世話になりました。個人的には38年前に初めてフルマラソンを走ったホノルルマラソンでタイムが3時間13分57秒やったんですけど、上岡さんからお祝いをいただき、封筒を覗いたら3万1千357円入ってました。アースマラソンではゴール地点のNGKにそっと出迎えに来てくれていました。本当に残念です」と悼んだ。桂小枝は「信じられません、上岡さんはパーフェクトな人で死なないと思ってました」と驚きを隠せず。「怒りの上岡と言われましたがボクは怒られた事がありません、何でも自由にやらせて頂きました、今の桂小枝があるのは上岡さんのお陰です」と感謝し、「上岡さんが引退される前に弱ってからでは遅いので形見分けを下さいってお願いすると楽屋暖簾を下さいました。中に手紙が入ってました。上岡さん、本当に有り難うございました。これからも見守って下さい」と偲んだ。
2023年06月02日●「舞台には真実があるんだな」評価してくれたファンに感謝吉本興業110周年を迎えた2022年に、吉本新喜劇の初のゼネラルマネージャー(GM)に就任した間寛平が打ち出した「吉本新喜劇座員総選挙」。約2カ月に渡る投票によって集められた票数は77万184票。その中から3万9,405票を集め、見事1位に輝いたのが「いぃよぉ~」のギャグで人気のアキだ。1位になった瞬間「やっとスタートラインに立てた」という思いが胸に去来したというアキが素直な胸の内を語った。間寛平がGMに就任し打ち出した「吉本新喜劇座員総選挙」。上位30名が10月10日に大阪・なんばグランド花月で開催される「吉本新喜劇まつり」(チケット完売/オンライン配信あり)に出演するという試みだ。スタート当初はさまざまな意見が飛び交ったという。アキは「新喜劇っていろいろな笑いで構成されていますよね。オープニングで、1人で持っていかなければいけない若手もいれば、急に暴れまわる人間もいる。いろいろな役目を担った野球チームみたいな集まりなので、それを1つのベクトルで順位を決めるということに異議を唱える人もいました」と企画が上がったときの内輪の反響を明かす。それでもアキは「寛平師匠が言っているように、お祭りでいい。ワイワイ盛り上がって30位に入れなくてもいいし、不正してもいい。それを全部笑いに変えるようなお祭りなんだ」と理解を示すと、一方で「こういうものが見たいんだ」という新喜劇へのリアルな期待の表れでもあるという認識を持っていたという。そんななか、見事アキは中間発表から1位の座を守った。会見の席では得票してくれた年齢層など分析された結果が発表され、いろいろなことが頭のなかを巡ったというが「パッと浮かんだのが『これでようやくスタートラインに立てた』という思いなんです」と胸の内を吐露する。その真意についてアキは「びっくりされるかもしれませんが、2014年に大阪の新喜劇に入団させてもらってから8年、毎週昼間にやっている新喜劇のテレビ放送に、ほとんど出たことなかった」と語ると「僕は8年間、ほぼ劇場と営業でやってきた。だからまさか自分が1位になるなんて夢にも思っていませんでした」と本当に驚いたという。しかし一方で「舞台には真実があるんだな」としみじみ語ると、しっかりと劇場に足を運んで自分の笑いを評価してくれたファンに感謝する。「僕は1つの舞台を大切にやってきました。人によっては一生に一度の観劇かもしれない。特に子供はいまゲームやらなんやら遊ぶことなんていっぱいあるじゃないですか。そんななか、貴重な時間を割いて新喜劇に来てくださった人には、本当にぎっしりと詰め込んだものを見せたいと思ってやっていました」。○■間寛平GM就任で180度変化「風通しがよくなりました」総選挙一つとっても、寛平がGMになったことで、新喜劇は「180度変わりましたね」とアキは断言する。「とにかく、偏った体制というか、しがらみみたいなものを排除して風通しがよくなりました。僕としては、すっちーと一緒にやることで化学反応が起こるかもしれませんし、小籔(千豊)くんともなんかやりたいという思いもあります。アキ曰く「やっぱり面白い奴、才能のある奴が残っていく。新喜劇でも絶対そうならないとあかんと思っていますし、お笑いというのは本来ピュアなものでなければいけない。そこには忖度などはあってはならない。そういう部分は寛平師匠がGMになってからはとてもフラットになった気がします」と変化を述べる。さらにアキは「僕もいろいろ悔しさはありましたが、それを恨みに変えるのではなく、自分自身の学びとして変換していくことで成長させてもらった」と振り返ると「だからこそ、今回こうして1位に選んでいただけたことで、スタートラインに立てたと思っているし、いろいろな人とコラボしていって、60年間人々に愛されてきた新喜劇という歴史を汚すことなく受け継いでいきたいと思っているんです」と熱い思いを語る。●座長公演に意気込み「伝統を意識しつつも、新しいものを」今回の総選挙の1位を記念して11月29日~12月5日まで、大阪・なんばグランド花月にて座長公演を行うことも発表された。アキは「僕自身が、新喜劇全体をどうのこうのというのはおこがましいですし、そんな考えは一切ないんです」と前置きすると「東京の劇場ルミネtheよしもとでの10年間を含め、ずっとやってきていることなのですが、新喜劇のなかにちょっとした泣きやダンス、殺陣、そして音楽要素などを入れて、総合的なエンターテインメントとしてしっかり見せる。観終わったあと、笑いはもちろんですが、なにか生きるうえで大切にしなければいけないことが、ジワっと感じられるような……そんな“アキ色”を出していきたいです」と意気込みを語る。さらに今後の吉本新喜劇についてアキは「自分が求めているのは、常に見たことがないもの、新しいもの」と語ると「台本のない新喜劇や無観客でやることも批判はありましたが、行動することで何かが変わるんです」と持論を展開。自身の座長公演も「しっかりと伝統を意識しつつも、新しいものを提示していきたい」と意気込む。○■世の中が落ちついたら再び水玉れっぷう隊としての活動も吉本新喜劇の未来を担うキーマンのアキだが、お笑いコンビ「水玉れっぷう隊」というコンビの一員でもある。「僕らはルミネtheよしもとがオープンするときに、大阪から東京に移ったのですが、最初は『水玉れっぷう隊』として漫才やコントをしながら、今田耕司さんや東野幸治さん、木村祐一さんらが座長を務める新喜劇に出させてもらったんです。そのうちに、だんだんと舞台の面白さを実感して、その流れで2014年に吉本新喜劇に入団させてもらいました」。吉本新喜劇に入団することは「転職するようなもの」と語ったアキ。これまでのキャリアもゼロから再スタートするような感覚だったという。そんななか「水玉れっぷう隊」は解散するという前提だった。「でも会社に話したら『別に仲が悪いわけではないのなら、解散という言葉を使わずにいればいい』というアドバイスをいただいたので、お言葉に甘えて残させてもらったという感じなんです」。コロナ禍になる前は、それぞれ違う道に進んだ「水玉れっぷう隊」も、相方のケンとは、月に一回程度トークライブを開催していたという。「完全に違う道に進んでいるからこそ、すごく化学反応があって面白いんですよね」と語ると、また世の中が落ち着いたら「2人でやっていきたいですね」とファンにとってはうれしい言葉を残してくれた。アキがこれまでライフワークとして行ってきた「Joy! Joy! エンタメ新喜劇」。今回の座長公演では「これまで積み重ねてきたことをしっかり踏襲しつつ、きっと期待に応えられるようなものにしていきたいです」と抱負を語ってくれた。■アキ1969年8月22日生まれ、大阪府出身。高校卒業後、東映太秦に所属し、スタントマンとして活動。1992年より吉本興業に所属し、ケンとお笑いコンビ・水玉れっぷう隊を結成。そして、2014年に吉本新喜劇に入団。アキのみ大阪所属となるが、その後もコンビを継続している。
2022年10月07日●競争することで「若い子の目の色が変わってきた」今年2月、吉本新喜劇のゼネラルマネージャー(GM)に就任した間寛平。そこから約半年経過したが、どんな活動を行い吉本新喜劇にどんな変化が生じてきているのだろうか――率直な胸の内を聞いた。○■総選挙で確信「面白い奴はきっと売れる」吉本新喜劇GM就任会見で寛平は「必ず大スターを作ります」と宣言。数々の改革案を提示した。そのなかでも大きな話題となったのが「吉本新喜劇座員総選挙」を行い、上位30名が「吉本新喜劇まつり2022」に出演するという試みだ。「総選挙はすごく盛り上がっていただいていますね。すでに30万票ぐらい投票がありますよね(7月末時点)。僕の順位がちょっと(中間発表で7位)……なのは残念ですが(笑)。でも新しい劇場を作ってもらって、若い子らもネタをやる場も増えてきたのはいいことだと思います」寛平GMの誕生から半年。これまでおっとりとしていた若手にとっても、総選挙という場ではっきりと順位が出ることで、意識も変わってきたという。「もともと出番がなかった若い子たちのなかには、面白いネタをたくさん作れる子はいる。でもやっぱり今の子らは競争意識がない。僕らのときは『絶対座長になってやる! 売れてやる!』みたいな思いが強い奴らばかりだったんだけれどね。だからまず僕がすべきだったのは『頑張らんとあかん』と気持ちに火をつけること。実際若い子の目の色が変わってきたなと感じています。まだまだ僕に直接相談することは難しいかもしれませんが、マネージャーには若手からたくさん相談が寄せられているそうです。確実に変わってきていますよ」大がかりな総選挙を行ったことで見えてきたこともたくさんあった。最も強く感じたのが「面白い」ということの尊さ。「現在の順位を見ていて感じたのは、アキ、辻本(茂雄)、すっちー、内場(勝則)と上位にいるのはみんな面白い奴ら。面白い奴はきっと売れるっていうのは確信しました」○■「ほかの芸人には負けん!」という気持ちから変化寛平自身、GMという大役を担いながらも、芸人として舞台に立つ。いわゆるプレイングマネージャー的な立場だが、芸人としての心持ちに変化はあるのだろうか――。「大きく変わりました。これまでは舞台に立つときは『絶対ほかの芸人には負けん!』と強気で臨んでいたのですが、いまは劇場で笑いが起こっていたらめちゃくちゃうれしいんですよ。やっぱり新喜劇全体を見るようになってから、以前は『こいつ腹立つなー』なんて思っていた奴も、みんなかわいく見える。早く売れてほしいとか、仕事が多くなったらいいなってね」自身の順位(中間発表で7位)についても「まったく気にならない」と笑い飛ばした寛平だったが、そこには複雑な心境も見え隠れする。「正直な胸の内を明かせば、ちょっとは気になりますよね。(寛平の息子でありミュージシャンの)慎太郎がライブやったりすると『ファンに(投票を)入れとってくれって言っといてくれ』なんて言ったりね(笑)。なんかちょっとガツガツしてきたかな。でもやっぱりアキや辻本とか上位のメンバーは面白いから。負けたくないのは川畑(泰史)とかかな(笑)」吉本新喜劇のGMという大役。寛平自身は、まさに青天の霹靂だったという。「本当に社長はようこんなこと考えましたよね。なんで僕をこんな立場にしたんだろうなって。僕は本当になにも考えない人間。『いくつになっても甘えん坊』ってわけわからんことやっているのが好きな人間ですからね。自分でも似合わんことやっているなと思っています」●新喜劇は“大阪の宝”「若い人に受け継いでいってほしい」○■「とにかく売れてほしい」賞レースへの参加も呼びかけ慣れない仕事で毎日がしんどいことばかりだという寛平。それでも自分に期待をしてくれるという吉本興業の思いは意気に感じている。「僕なんて本当に会社に迷惑かけまくっていましたからね。横山やすしさんという芸人さんご存じだと思いますが、あの人も破天荒な人でしたが、僕も争うぐらいひどかった(笑)。それぐらい無茶苦茶やっていたのに、吉本興業には大事にしてもらった。ここで恩返ししなければという気持ちでいっぱいなんです」寛平いわく「面白い子はいっぱいいる」という。だからこそ「とにかく売れてほしい」と切に願っている。そのためにはどんな道を通っても構わないという。「若い子には、『キングオブコント』でも『R-1グランプリ』でも、どんどん出てみたらいいと話しています。そこで売れたら新喜劇にも良い相乗効果が生まれるだろうしね。でも『新喜劇のために頼むぞ!』とは言っていますが、もし『キングオブコント』で決勝に行ったり優勝して、新喜劇じゃない道に進みたいと言ったら、それはそれでいいと思っているんです。やっぱり悔いが残らない人生にしてもらいたいですからね」“新喜劇愛”を通り越して“人間愛”にまで発展している寛平。それでもやっぱり吉本新喜劇の未来には大きな期待を持っている。「僕は新喜劇って大阪の宝だと思っているんです。60年以上ずっとやってきて、テレビを含めれば何億人という人が観てきたと思うんです。こんなすごい劇団があるんだから、やっぱり若い人に受け継いでいってほしいという思いはあります。僕も吉本入って53年になりますが、当時の先輩は皆さん亡くなってしまった。もういま新喜劇で残っている先輩は、やなぎ浩二や池乃めだか、末成映薫ぐらいかな。僕もゆくゆくは死ぬだろうし、歴史は続いていってほしいですよね」○■“第二の明石家さんま”は無理だけど「面白い人間を」また「大スターを作りたい」と話していた真意について問うと、ある大物芸人の名前を挙げる。「社長から『頼んだ』と言われたとき、僕は第二の明石家さんまを作ろうと思ったんです。舞台上でも、舞台を降りてもキャーキャー言われる存在をね。でもすぐに無理だとわかりました。あんな男は絶対に出てこない。やっぱり特別ですよね。さんまちゃんを目指そうとした瞬間、ほとんどの人間はつぶれてしまう。それだけ特別な存在ですね」明石家さんまのようなスターは無理でも、この半年間のGM経験で実感したのは「面白かったら売れていく」ということ。だからこそ「面白い人間を作らなければいけない」と使命感に燃えていた。■間寛平1949年7月20日生まれ、高知県宿毛市出身。1970年に吉本新喜劇に入団し研究生となる。1974に吉本新喜劇の座長に昇格。「アヘアヘ」「ア~メ~マ~」「かい~の」などヒットギャグを続々と放ち、関西で絶大な人気を獲得する。1989年に退団し、東京進出。2008年12月~2011年1月、ヨットとマラソンによる地球一周「アースマラソン」を完走。2013年より「淀川寛平マラソン」を開催。2022年2月に吉本新喜劇GMに就任。■吉本新喜劇座員総選挙10月10日に大阪・なんばグランド花月で開催される「吉本新喜劇まつり」に出場する座員を決める総選挙。一般7500円、小学生以下3500円、オンライン2000円。一般投票で選ばれた上位30人がまつりに参加できる。投票は8月23日23時59分まで。
2022年08月13日お笑い芸人の間寛平が3日、大阪・なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」の千穐楽弐回目公演に出演後、報道陣の取材に応じた。大木こだまひびき、天才ピアニストとともに取材に応じた寛平。千穐楽壱回目公演では、大木こだまひびき、博多華丸・大吉とともに口上を務め、渾身の「アメマ~!」を披露したが、「すごかったよ。あんなに『アメマ』がウケることない。『アメマ』スベるねん。あんなにウケるって」と喜びを語った。寛平は今年2月に吉本新喜劇のGMに就任。「伝説の一日」のすべての新喜劇に出演し、自身のギャグもふんだんに用いて笑いを届けている。手応えを聞かれると、「僕はむちゃくちゃやっているんですけど、それを若い子が見て、こんなことをやってもいいんやっていう感覚になっていっている。みんなすごいやる気が出てきて、セカンドシアターに集中し出した。セカンドシアターを盛り上げようと、自分らも頑張らなあかんという雰囲気になってきました。若手がやる気になっているのがすごくうれしいです」と若手の変化を明かした。4月1日に創業110周年を迎えた吉本興業は、日頃の感謝の気持ちを込めて、なんばグランド花月にて創業110周年特別公演「伝説の一日」を4月2日、3日に開催。110年間“笑い”を発信し続けてきた同社が、“オールよしもと”豪華ラインナップで、伝統の「笑い」と最新の「笑い」を届ける。同公演のオンライン配信チケットは4月10日まで販売(視聴は4月11日12時まで可能)。
2022年04月03日間寛平が3日、大阪・なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」の千穐楽弐回目公演に出演後、報道陣の取材に応じた。大木こだまひびき、天才ピアニストとともに取材に応じた寛平。満員の観客について「ギシギシやもんな」とうれしそうな表情を見せ、「お客さんあっての吉本興業だからありがたいです」と感謝した。また、大木こだまが「満員すぎて足が震えていました。それくらい緊張しました」と話すと、「膝悪いんちゃう!?」とツッコんで笑いを誘った。吉本新喜劇のGMに就任した寛平は、「伝説の一日」のすべての新喜劇に登場して笑いを届けているが、千穐楽壱回目公演では、大木こだまひびき、博多華丸・大吉とともに口上を務めた。口上では渾身の「アメマ~!」を披露し、爆笑を取った寛平。「すごかったよ。あんなに『アメマ』がウケることない。『アメマ』スベるねん。あんなにウケるって」と喜び、こだまも「爆笑でしたね」と振り返っていた。4月1日に創業110周年を迎えた吉本興業は、日頃の感謝の気持ちを込めて、なんばグランド花月にて創業110周年特別公演「伝説の一日」を4月2日、3日に開催。110年間“笑い”を発信し続けてきた同社が、“オールよしもと”豪華ラインナップで、伝統の「笑い」と最新の「笑い」を届ける。同公演のオンライン配信チケットは4月10日まで販売(視聴は4月11日12時まで可能)。
2022年04月03日お笑い芸人の間寛平が9日、都内で吉本新喜劇GM(ゼネラルマネージャー)就任発表会見を行い、意気込みを語った。新喜劇初のGMに就任した寛平は「吉本に入って今年で52年。去年50周年+1で全国を回ろうということで東京からスタートしたんです。そのときに社長が見に来てくださって『すごく面白い』と。ちょっと前の新喜劇をやっていたら、社長が『これや』と思ったんでしょう。嫁と一緒に会社に来てくれと。それが6月なんですけど、『GMをお願いしたい。若手も育ててほしい』と言われました」と経緯を説明。MCの未知やすえが「私、入ったとき寛平さんの座長組で始まったんですけど、何も教えてもらったことがない。なので、とても驚いています」とツッコむと、寛平は「確かに。今まで育てたことはありません。弟子に来た人間もほとんど育っていません」と笑いつつ、「『なんとか頑張ってやってもらえないですか』と言われて、僕もこの年ですから引退を考えていたときだったんですよ。でも僕でも必要なのかと。これだけ言ってもらえるんだったら頑張ってみようという気になって引き受けました」と語った。そして、「去年の6月から月に2回会議をして一生懸命頑張っている。任せてください、やります! 最近はずっと新喜劇を見ています。109人いてなかなか目が届かないんですけど、座長、リーダーに聞いて一生懸命勉強しています。必ず大スターを作っていきたいと思います。頑張ります!」と力強く宣言。「もしあれだったら僕のギャグを若手にあげます。いらん言うかもわからんけど」と話し、やすえが「いらんというか、できません」と指摘すると、寛平は「こすりつけるだけ」と言って「かい~の」のギャグを披露し笑いを誘った。また、今後の展望として「109人いますから、出たい思っても出られない子がいる。劇場を作りましょう。若い子が出られるような、もう1つ劇場を作りましょう」と新劇場の構想を明かし、「漫才劇場からみんな若い子が頑張って『M-1』じゃ『キングオブコント』じゃ出ていっている。新喜劇劇場を作ってあげたほうが若手の安らぎというか……。みんないっぱい悩んでいるから、ゆっくり会話をしようと。作ります!」と語った。間寛平は1849年7月20日、高知県生まれ。1970年吉本新喜劇へ入団し研究生となる。花紀京の付き人をしながら4年後の1974年に吉本新喜劇の座長に24歳の若さで昇格。「ア~メ~マ~」「アヘアヘ」「かい~の」などのギャグで人気爆発ののち、1978年に新喜劇の座員と結婚。1989年に退団し、東京に進出した。そして、2008年12月から2011年1月、ヨットとマラソンによる地球一周「アースマラソン」を完走。2021年には芸能生活50周年+1記念ツアー「いくつになってもあまえんぼう」を開催した。会見には、座長のすっちー、酒井藍も登壇。さらに、大勢の座員たちがZOOMで参加した。
2022年02月09日お笑いタレントの明石家さんまが6日、都内で開催された「間寛平 芸能生活50周年+1 記念ツアー『いくつになってあまえんぼう』」東京公演(2回目)にシークレットゲストとしてサプライズ登場した。昨年2020年に芸能生活50周年を迎えた間寛平。同ツアーは、寛平が座長を務める新喜劇と、寛平を慕う人気芸人たちによるネタで構成される寄席形式となっている。冒頭、寛平が51年間の芸能生活を詰め込んだ浪曲を披露。そして、かまいたち、千鳥、次長課長、中川家がゲスト出演し、それぞれネタを披露して笑いを誘った。その後、「間寛平座長新喜劇」を上演し、寛平をはじめ、内場勝則、辻本茂雄、未知やすえ、池乃めだからが「ハザマうどん」を舞台にした物語を展開。途中で、村上ショージが呼び込む形でさんまがサプライズ登場すると、会場からどよめきが起こった。ショージとさんまは旅役者役として参戦し、うどん屋の大将役の寛平と爆笑掛け合い。さんまは、寛平とショージに生き生きとツッコミを炸裂させ、笑いを誘った。さらに、ジミー大西も登場。さんまは予定していた出演時間を大幅に超え、30分も舞台に立って会場を盛り上げた。
2021年06月06日●「みんなに助けてもらって50年持ちました(笑)」「アヘアヘアヘアヘ…」「いくつになってもあまえんぼう」「ア~メマ!」「かい~の」など、数々の国民的ギャグを生み出してきたお笑い芸人・間寛平が、芸能生活51年目を迎えてなお精力的に活動している。デビュー後まもなく吉本新喜劇の座長に就任するという華々しいキャリアのスタートを切る一方で、先輩の借金の保証人やアメマバッジ負債による莫大な借金、阪神大震災による自宅全壊、地球一周企画「アースマラソン」途中のサンフランシスコでの前立腺がん治療、木から転落して肋骨9本骨折するなど、波乱万丈すぎる人生だ。それでも辛い顔を視聴者には一切見せなかった関西お笑い界のレジェンドは、半世紀以上のキャリアをどう受け止めているのか。間寛平は1970年に吉本新喜劇へ入団後、前述のギャグのヒットとともに吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を獲得する。1974年には吉本新喜劇の座長になり、バブル経済真っ只中の1989年に東京へ進出。それ以降の活躍は周知のとおりだ。本人はこれまでの軌跡を「ホンマにみんなのおかげやなあ、感謝、感謝です。それしかないもん。いろいろやってきたけれど、どれもみなさんに作り上げてもらったものやもん」と感謝する。そして数々の国民的ギャグは生み出そうとしてひねり出したものではなく、その多くが仲間のツッコミによって生まれたものだという。「『かい~の』はなんでできたん? て言うけど、新喜劇の本番中にちょっとかゆいなと思ったので、テーブルの角で体こすってたんです。それをたまたま池乃めだかちゃんに見つかった。『何してんの?』と言われた時に『かい~の』と言ったらドーン! とウケた。そういうもんなんです。そうやってみんなでツッコんでくれたりして、ここまでやってこられたと思うんですよ。みんなに助けてもらって50年持ちましたわ(笑)」。50年間でお笑いを辞めようと思ったことは、「まったくないです。めっちゃ幸せです(笑)」と一度もないと断言する一方で、適正については「わからないですねえ」と謙遜。お笑いがどうしてもやりたくて新喜劇に入ってきたわけじゃないから。自分にもできそうやな、やってみようかなという雰囲気で入り、それがどんどん面白くなっていった」と語る。20代前半は別の仕事をしており、交通事故で入院中に聴いたラジオの影響で、「なんとなくやってみようか」と思ったことがきっかけだった。「タイル張りの仕事では失敗で日々親方に怒られ、ちょうど仕事への意識が変わりつつあった時期だったかもしれない。それくらいなもんでした。見舞いに来た友人が誰か紹介してやると。だから今の若い子みたいにお笑いがどうしてもやりたい! で始まったんではないんです」。それでも24歳で吉本新喜劇の座長となるなど、キャリアの初期に早い成功を収めた。ただ、若手芸人のスターになるも、私生活では盟友の坂田利夫と安いラブホテルに寝泊まりするなど根なし草の状態で、「めちゃくちゃな生活だった」と当時の日々を述懐する。しかし26歳の頃、お笑いの仕事を強く意識しようと思う出来事が起こる。「先輩にダマされてすごく借金をしました。その先輩は逃げた。でも大好きな兄さんだったので、もしその先輩が『寛平、一緒に逃げよう』と言っていたら、逃げていたかもしれん。あれはギリギリのところでした。でももう今の嫁とも出会っていたんです。まだ結婚はしてないけど」。ギリギリの選択だった。しかし、人生の局面で選択肢を間違うことはなかったから今の間寛平があるのだ。「そうですね。ようついていけへんかったと思う。ばん兄さん。これはたまに思い出すんですよ。でもそのおかげで530万円を自分が払わなアカンことになったけれど(笑)」。それ以来、「お笑いに対しての姿勢が変わったというより、金を稼がな、というそれがまずあった」と言う寛平。この50年について「余裕などまったくなかった。無我夢中ですよ(笑)」と振り返り、「未だに余裕はない。今の若い子はエライですよ。子供もいるもん。何するかわからん連中ばっかりだから、余裕な感じでやっていたら負けてまう」とすべての仕事に全力で取り込んでいる。●ギャグのように「僕はずっと甘えていく」まだまだパワフルな寛平が、「間寛平 芸能生活50周年+1記念ツアー 『いくつになってもあまえんぼう』」を開催。5月30日の熊本公演を皮切りに全国10か所を巡り、笑いを届ける。その本質は「これが吉本新喜劇ですよ!」というもので、歌あり笑いありのライブツアー。コロナ収束を願う新曲「8、9、10の歌~BEAT THE CORONA(コロナに負けるな)~」(5月26日リリース)も披露する。「ちょっと落ち込んでいるから歌でも作って出そうかと。コロナ(5、6、7)で大変やから、その上をいく8、9、10でいいじゃないか」。そんな発想から生まれた、ユーモアあふれる楽曲だ。本人もコロナ禍では気持ちが落ち、武器を取られた感じだったという。「落ち込みますよ、そりゃ。芝居もロケも行かれへん。『探偵!ナイトスクープ』も全然ロケに行けてない。街ブラして『おっちゃん何してんの?』とか気軽にできないもの」。ただ、そんな中でも今回、劇場で舞台ができる。「一番の心配はお客さんやから、マスクして換気してね。この一年、劇場を開けたけれど、まったく問題なかったですよ」。公演のタイトルにもなっている「いくつになってもあまえんぼう」も、舞台では毎回のようにウケる鉄板のギャグだ。「これは僕がずっと甘えているから。自分の会社も作っているんですけど、あまえんぼうって名前ですよ」と誕生秘話を明かす。いくつになってもとは何歳までかと尋ねると、「死ぬまでです」と答え、「僕はずっと甘えていくんです。ただ、(終わり)は考えてはいますよ」とも。「吉本は大丈夫なんですよ。誰かいるんですよ。誰かが継ぐ。『行列のできる法律相談所』も紳助がいなくなったあと今田がやって続いている。吉本は兵隊がたくさんいてるから。さんまは辞めたらいけないと思いますね。若い子育てているから。『さんまのお笑い向上委員会』は、くすぶっているヤツに光を当てて、地下芸人を引き上げている。仕事も増える。あれはさんましかできない。ダウンタウンもね。よくやっているね」。もちろん、寛平の代わりもいない。唯一無二のレジェンドとして今後のさらなる活躍を期待したいが、「人は寛平ならやってくれると言いはるけど、今の子のみたいにいろいろできない。いやまあ、やるかなあ、なんかわけわからんことを(笑)」と明言は避けた。ただ、芸歴51年目のレジェンドには、負けられないライバルがいる。その壁を超えない限り、引退の二文字はなさそうだ。「以前、千鳥の大悟に(間寛平の芸で)『勉強せなアカンで!』と言ったところ、『僕ら、そんな芸はけっこうです』と言われました(笑)。なんでやと(笑)。ただ、世の中の流れと芸の流れもあるので、しょうがないこともある。若い子が出てきたら、どんどん好きなようにやりなさいと。そういう気持ちで、これからはいないといけない。そういうところではもう戦えないですよ。もう今は戦えるのはひとりだけ、坂田利夫。永遠のライバルよ、あれには勝てん(笑)」。■間寛平1949年7月20日生まれ。高知県宿毛市出身。1971年デビュー後、1974に吉本新喜劇の座長となり、「アヘアヘアヘアヘ…」「ア~メマ!」「かい~の」などヒットギャグを続々と放ち、若手スターとして関西で絶大な人気を獲得する。2008年、大阪のなんばグランド花月をスタートした地球一周企画「アースマラソン」では、2年1カ月、4万1000キロに及ぶ長い旅を終え、ランナーとしても人々に感動を与える。今年は、5月26日にCD「8、9、10の歌~BEAT THE CORONA(コロナに負けるな)~」をリリース。「間寛平 芸能生活50周年+1記念ツアー 『いくつになってもあまえんぼう』」も開催する。
2021年05月26日お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志が28日、自身のツイッター上で再び“大喜利”を展開し、話題を呼んでいる。自身がチェアマンを務めるフジテレビ系『IPPONグランプリ』風の大喜利をツイッター上で実施。この日は動物の写真をアップし、「写真で一言。」と回答を募集した。たむらけんじやトータルテンボスの大村朋宏、次長課長の河本準一、ロッチの中岡創一ら芸人たちも参加。かまいたちの山内健司は「おい!バナナぜんぶ腐ってたじゃねぇかよ!!!」と投稿し、松本が「お前ニセモンやろ!」と反応した。毎回松本の塩対応が話題になっている間寛平は「2匹目が僕」と投稿。これに対し、松本は「主人は今ちょっと手が離せなくて…私は素敵な答えだと思うのですが…また私のほうからも言っておきます」とかわした。再びの塩対応に、「かんぺいさん&松本さんのシリーズ好きです」「写真で一言はココまででワンセットですね」「寛平さんと松ちゃんのやりとりが楽しみになってきた自分がいる」「爆笑!!!」「嫁ーーー」「もうこの絡みが見たくて皆ウズウズしてる」「まさかの奥様」「終了の合図かぁー」などとファンは大喜び。ここまでが“ワンセット”になってきているようだ。
2020年04月28日お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(56)が4月15日、自身のTwitterを更新。「写真で一言」と投稿し、大喜利大会をスタート。なかでも、ロッチ・中岡創一(42)の回答が反響を呼んでいる。松本は、座っているゴリラがスマートフォンを耳に当てている画像とともに「写真で一言」とツイート。自身がチェアマンを務める人気バラエティー番組『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)のようにお題を投げた。同投稿は2万4,000件以上拡散され、フォロワーの間で大喜利大会が始まった。そこに中岡も参戦し、「おたくのタレントが反社の人と写ってる写真もってるんやけど、どうします~?」と回答した。同日、中岡の所属事務所のワタナベエンターテインメントは、今年初めに「中岡が反社会的勢力とみられる人物と写っている写真がある。週刊誌に持っていく」と脅迫する電話があったと公表。心当たりがないことから警察に相談し、容疑者が逮捕されたことを報告していた。これを踏まえたと思われる中岡のタイムリーな回答は、《うまい!旬な話をボケて》《明るい感じに持ってくるのがいいね》と大反響を呼び、松本も「IPPON!」と称賛している。ほかにも、たむらけんじ(46)の「昨日食べた生牡蠣あたったんかな?左腕がずっと真っ直ぐなんやけど」という回答には「0本!」とツッコみ、間寛平(70)の「今月の家賃もうええで~」には「10時で締切なんで。すいません」と返した松本。フォロワーから《ほんまにおもろすぎます》《松ちゃんらしくてええな!》といったコメントが寄せられている。
2020年04月16日泥棒一家の活躍を描く、話題のドラマ『ルパンの娘』(フジテレビ系・毎週木曜22時〜)。深田恭子演じる華の周りを彩る、個性的なキャラクターたちを直撃してきました!証券会社、裁判所勤務を経て、’10年、NSC入所。’16年、間寛平座長の劇団間座旗揚げ公演に出演。’18年公開の『カメラを止めるな!』で映画デビューし、一躍話題になったどんぐり(59)。本作が初連ドラ、初レギュラーだ。「うれしかったです。出演が決まったときに、ドッキリだと思いました。ほんまに私?って。初めての連続ドラマ撮影なので初歩的なことから教えていただきました。カメラマンの方が『どんぐりさん、1回で撮れるとは思っていないから大丈夫』と言ってくださり、皆さん優しくて、ほんまに支えていただいています」どんぐりは女優になったきっかけをこう話す。「大河ドラマで織田信長が50歳で死んでいったシーンが忘れられなくて。自分が50になって、このままでええんやろうかと。第二の人生だと思って興味あることを始めました」(どんぐり・以下同)芸名・どんぐりの由来は?「落語教室に通っていたときに生徒さんから『あんたの名前、考えた。原亭どんぐり』と。どんぐりだけいただきました」どんぐり演じるマツは、孫の華の恋の行方を応援する、伝説の鍵師だ。「打ち合わせのときに監督が『キャラクターを出してもらえればいい』とおっしゃいました。できあがったのを見ると私が『倒したで!』みたいに(アクションシーンが)できているのがうれしくて。ほんまにいいドラマに出していただいたと思っています。ちっさいけど、いろんな秘密を持っている役柄なんです。それがどんどんこれから明かされますよ」鍵師だけに、今後の物語のキーパーソンとなるマツにもご注目!
2019年09月08日『電波少年』シリーズや『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』など大ヒット企画を続々と手がけ、テレビ業界に新風を巻き込んだ日本テレビの名物プロデューサー、“T部長”こと土屋敏男氏。「今はまったくテレビに興味がない」と告白する彼が、次に世に放つのは3Dアバターを使った超新感覚のライブエンタテイメント『NO BORDER』(7月7日~9月16日、大坂・クールジャパンパーク SSホール)だ。「この歳になっておかしいんだけれど、僕は“安定する”っていうことがダメなんだよね。好奇心しかない(笑)。自分の見たことのないものが、まだまだ世界にはたくさんある。それを全部見たいし、見たことのないものを作るのが大好きなんです」という永遠の冒険者。「『NO BORDER』では、お客さんも巻き込んで一緒にワクワクドキドキしたい」と目を輝かせる土屋の、新たなチャレンジに迫る。――『NO BORDER』の会場では最新型3Dスキャナを使って、観客のアバターが生成されるとのこと。それがステージで踊る…というライブになるようですが、着想のきっかけはどのようなものだったのでしょうか。きっかけは、吉本興業の社長の大崎(洋)さんから「大阪に来る外国の人が楽しめるようなものを、なにか考えてくれないか」と言われたことですね。パッと思い浮かんだのが、「が~まるちょば」の存在。「が~まるちょば」となにかやりたいなって。言葉を使わない、ノンバーバルなものがいいと思ったので、パントマイムであらゆる表現ができる「が~まるちょば」にはぴったりだと思ったんです。――今回MCを担当される「が~まるちょば」さんのことを、一番最初に思いついたんですね。さらにその頃、「AR三兄弟」のラジオに呼ばれて、なにか一緒にやりたいという話になって。彼らから「見せたいものがある」と行って連れて行かれたのが、3Dスキャンのスタジオでした。見ていたらスキャンしたものが、画面上ですぐに歩いたり走ったりするんですよ。これはいいなあと思って、「ライブ会場にやってきたお客さんが、空港の金属探知機のようなゲートを通って、パシャッと撮影をする。それが5分後にライブステージに出る、みたいなことは可能なのか?」と考えたんです。――人脈をつないでいくことで、どんどんアイデアが膨らんでいったんですね。そうなんですよ。さらには当時ちょうど、トランプ大統領が「メキシコとの国境に壁を作る」なんて話をしていて。日本と中国の問題もいろいろ出てきた。なんだか自国主義で嫌だなあって思っていたんですが、でもそれって、政治経済の話ですよね。僕らはエンタテインメントをやっているので、文化やエンタテインメントの側から、他国の人たちに「日本って悪くないよね。隣の国と仲良くするって悪くないよね」と思ってもらうことはできるはず。世界各国の人と一緒に踊ったり、手をつなげたらいいなあと想像しているうちに、“NO BORDER”というコンセプトが降りてきたんです。――「が~まるちょば」は今年の4月からHIRO-PONさんおひとりで活躍されていますが、今回は「が~まるちょば」にとっても新たなチャレンジになりそうです。そう思います。企画を思いついて「こういうのやろうよ」って話したときは、2人だったんですけどね(笑)。2人の「が~まるちょば」ももちろんいいんだけれど、1人になった「が~まるちょば」には、「ちょうどいいじゃん」って思って。「仕事がなくなったとしても、『NO BORDER』は2カ月半やるイベントだから、毎日仕事あるよ。血反吐を吐くことになるかもしれないけど、俺も毎日付き合うからさ」と。――ステキな励まし方です!彼らはずっとアナログなやり方で表現をしていたんですが、今回はアバターを使ってなにができるかを考えたり、スクリーンの中の自分と絡んでみたり、「が~まるちょば」にとっても新たなエンタテイメントを作ることになるでしょうね。きっといろいろなチャレンジをして、これからさらに世界を驚かせてくれると思います。――誰も見たことのない、新たなエンタテインメントが誕生します。見たことのないものを具現化していく上で、もっとも大切なものとはなんでしょうか。妄想力だと思います。こんなことができたらステキだよな、面白いだろうな、と妄想すること。僕は昨年の5月にスキャンされている自分が画面上で踊っている姿を見て、これはいいぞ、おもしろいぞと思った。テクノロジーも進歩して、できること、やりたいこともどんどん増えているんですよ。――『電波少年』シリーズや『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』などで、テレビ業界に衝撃を与えた土屋さん。テレビの枠を超えた活動に力を入れるようになったのは、なぜでしょうか。基本的には、もうテレビはあまりやりたくないというか…。演出はしたいけれど、テレビはだいたいやったからなあ…。正直、今は地上波テレビにまったく興味がないんですよ(笑)。フィリピンの人が見るとか、アラブの人が見るとか、そういうテレビなら興味はあります。「タイでテレビを作れ」って言われたら、喜んで行くでしょうね。――今の日本のテレビは規制が厳しくなっているなど、そういった状況は関係していますか?まったくそういうことはないです。僕は“好奇心”しかないんですよ。好奇心だけで生きている。2008年から2011年にかけて間寛平さんと「アースマラソン」をやっていたときに、寛平さんと一緒にあちこち行ったんですね。例えばアメリカの中西部とかも、見たことのない坂や見たことのない貨物列車など、驚くような風景ばかりだった。「すごいなあ、世界にはまだまだ見たことのないものがたくさんあるな」と思った。となると僕は、そこに全部行きたいんですよ(笑)。やったことのないことをやるのが好きだし、見たことのないものを作るのも好き。やったことのないことをやると、まったく新しいアイデアにも出会える。『NO BORDER』の会場には1回につき250人のお客さんが入れますが、その人たちが「面白かったね」と顔を上気させている姿を想像すると、ドキドキするんです。その顔も、これまで見たことのない表情なんじゃないかって。――土屋さんの好奇心がたっぷり詰まったのが、今回の『NO BORDER』なんですね。お客さん250人を一緒に巻き込んで、ワクワクドキドキしたいですね。ステージに上がった自分のアバターがキレキレで踊っている姿を見るなんて、どんな気持ちになるんだろうと。会場には中国、韓国、アラブなど、いろいろな国の人が集まって、周囲の人と握手したり、ハイタッチしたくなったりするかもしれません。きっと温かい気持ちになるんじゃないかな。そうすることで、なんとなく“NO BORDER”な気持ちになって、国際社会も悪くないな、仲よくしようぜって思いながら帰ってくれたら最高だなと思います。■土屋敏男1956年9月30日生まれ。静岡県出身。1979年、日本テレビに入社。『電波少年」シリーズ、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』など数々のバラエティ番組を手がける。LIFE VIDEO社を立ち上げ“人生の映像化”を提案、1964 TOKYO VRでは過去の写真から記憶の街並みを最新テクノロジーで再現するなど、さまざまなプロジェクトに携わっている。
2019年06月23日全ての人が笑顔になる大会サンケイスポーツ(産経新聞社発行)では、「フジパンPresents淀川寛平マラソン2019」を2019年3月2日(土)と3日(日)、大阪・淀川河川公園特設コースで開催します。間寛平氏が発起人となり2013年から始まったチャリティーマラソン大会で、参加費のうち1人あたり100円が、東日本大震災、熊本地震、大阪北部地震、西日本豪雨の被災地支援と、淀川の環境保全のために寄付されます。吉本興業のお笑いタレントが参加予定同大会は、1日目にプレイベントとして豊かな自然と水の恵みあふれる淀川河川公園歩くウォークの部が開催あい、翌日にマラソンを行います。マラソンの部は、男女フルマラソン、男女10キロ、ファミリー3キロ、駅伝の4種目を行います。マラソンコースは、アップダウンが少ないのでフルマラソン初挑戦など経験の浅いランナーでも完走できるコースです。また、駅伝には、吉本芸人がチーム寛平として参加が予定されています。(画像はプレスリリースより)【参考】※産経新聞社のプレスリリース※淀川寛平マラソン2019公式サイト
2018年09月07日