住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に話題だったバラエティ番組の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’90年代”を振り返ってみましょうーー。「’80年代後半から’90年代にかけ、とんねるずはテレビ界を席巻しました。なかでも、フジテレビのバラエティ黄金期を支えたといっても過言ではないでしょう。とくに石橋貴明さんは、それまでの常識とはかけ離れた言動や行動をとる当時の若者、『新人類』(流行語)を象徴するような存在でした」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。石橋貴明と木梨憲武は、’82年に『お笑いスター誕生!!』の出演を機にデビュー。コンビ名も「とんねるず」とした。「本格的に売れたのは『夕やけニャンニャン』(’85~’87年)や『オールナイトフジ』(第2期’83~’91年、ともにフジテレビ系)に出演してから。観覧客を相手にノリで乱闘したり、若い女性アイドルにエッチな質問をしてみたり、目上の人にもズバズバモノを言ったりと、大人が顔をしかめるような新人類ぶりが若者の支持を集めました」番組の企画力にも目をみはるものがあった。「恋愛至上主義だったバブル時代に放送された『ねるとん紅鯨団』は秀逸。素人の性格と特徴を絶妙な言葉でスパッと言い当てる能力が高く、意中の女性に告白する男性出演者にとって、頼れる兄貴的な存在となっていました」■面白ければ“なんでもアリ”が学校の「笑い」を独占芸人の枠にとどまらず、歌手、俳優としても注目された。『情けねえ』(’91年)で日本歌謡大賞を受賞し、子どもたちの間で大人気となった『ガラガラヘビがやってくる』(’92年)はミリオンセラーを記録。マルチタレントの元祖であるビートたけしを彷彿とさせる存在に。さらに『とんねるずのみなさんのおかげです。』では、『仮面ライダー』や『北の国から』、トレンディドラマのパロディコントが人気に。若き日の松嶋菜々子が下ネタコントに登場したことなどは、今でも語り草だ。「女性タレントをきわどいコントに起用する手法は、その後のバラエティ番組へ影響を与えました。また、人気の芸能人ばかりでなく、世間的には無名の番組スタッフのモノマネをしたり、業界ネタや業界用語でちゃかしたりして笑いにする内輪ネタも、とんねるずが得意とするところ。悪ノリにも受け取られますが“楽しくなければテレビじゃない”という当時のフジテレビのノリがあったからこそ、成立したのかもしれません。舞台や営業で鍛えられた芸人とは異なり、“なんでもアリ”だったテレビによって成長したスターといえるでしょう」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年12月04日日韓男女グローバルオーディション「青春スター」から誕生したTOP7の初来日公演「日韓GFSC Charity Campaign 青春スター×15th Special KMF 2022」の東京2部公演が、10月8日にABEMA PPV ONLINE LIVEで配信。13人全員が集合した特別コラボは、まるでミュージカルと話題になっている。毎年秋、K-POP音楽祭として東京と札幌で定期的に開催され、かつて「BTS」も出演した新人K-POPアーティストの登竜門KMFと「青春スター」がタッグを組んで開催される同イベント。韓国ボーイズグループ初の日本人リーダーとなったカズタ率いる「n.SSign」(エヌサイン)をはじめ、計13人が集結。序盤、カズタさんが登場し「青春スター」の#2にてエンジェルミュージシャンたちを唸らせた、「2PM」の「My House」を披露すると、会場は黄色い歓声に包まれ、コメント欄でも「鳥肌が止まらない」「最高すぎる」「もう泣きそう」と感動の声が寄せられた。また、TOP7が全員集合し、「One Voice」「Another Day of Sun」をコラボレーションで披露すると、「画面が幸せ」「まじで天国」「青春スターの感動再び」「みんなでこれを作り上げてくれたと思うと感動しかない」と言った声が寄せられた。そして、特別企画「ABEMA生配信スペシャルトーク」が行われ、Twitterに寄せられた質問の中から「日本に来て、何が食べたいですか?」と尋ねられると、「n.SSign」の末っ子チャン・ヒウォンは「寿司が食べたいです」、シンガーソングライター派からデビューが決定したリュ・ジヒョンとボーカル派からデビューが決定したキム・テヒョンは「ラーメンが本当に食べたいです」と答える。また、「n.SSign」のメインボーカルユン・ドハが清水翔太の「花束の変わりにメロディーを」のワンフレーズを日本語で生歌唱する一幕も。さらに、とある歌詞をリズムに合わせて、前の人よりも高い音域で歌い、どこまで高音が出るかに挑戦する「クレオパトラゲーム」では、シンガーソングライター派とボーカル派だっただけあって驚異的な高音を披露し、最後のヒョン・シニョンまでバトンが渡り、大成功を収めた。そんな、本配信は11月7日(月)23時59分まで視聴が可能となっている。初の来日公演を終え、カズタさんは「めちゃくちゃ緊張していましたが皆さんの歓声で緊張がほぐれて“あ、俺かっこいいんだ”といつものナルシストを発揮できました」と感想を明かし、「僕たちはまだまだ日本で沢山の活動をしていくので期待していてください」とコメント。12月4日(日)&11日(日)に開催される「n.SSign × "n.CH WORLD Live 2022" in Japan」にて「n.SSign」の再来日も発表された。(cinemacafe.net)
2022年10月11日青春映画『恋人はアンバー』が、2022年11月3日(木・祝)より公開される。“ニセモノの恋人”を演じる2人を描く青春映画映画『恋人はアンバー』の舞台は、1995年、同性愛が違法でなくなってから2年後のアイルランド。同性愛者への差別や偏見が根強く残る田舎町で、男性に恋する男子高校生エディと、女性しか愛せない女子高生アンバーが、期間限定で“恋人”のフリをする。学校から⼀緒に帰ってみたり、エディの両親にアンバーを紹介して恋⼈であることをアピールしてみたり、2⼈が恋⼈のフリを始めると、そのニュースは学校中を駆け巡り、思惑通り公認のカップルに。クラスメイトからゲイやレズビアンだと疑惑を持たれることもめっきり減った卒業間近、アンバーの誘いで授業をサボって、都会のダブリンへ繰り出す2⼈。ゲーセンで仲睦まじい写真を撮り、クラブで酔いしれ、⾃分たちを知る⼈が誰もいない都会で、開放的な時間を⼼から楽しんだ。しかし後⽇再びダブリンを訪れた時、ある事件が起きてしまい、2 ⼈の間に埋められない溝ができてしまう…。セクシュアリティの悩みや差別、偏見といった社会的テーマを描きながら、チャーミングかつ爽やかなテイストで、若者2人の青春を映し出す。メインキャストにフィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー■エディ...フィン・オシェイ自身がゲイであることを受け⼊れられない⾼校⽣。⼥性とキスをしたことがないだけで「ゲイか︖」とからかわれるような保守的な⽥舎町で、周囲にセクシュアリティを隠したまま平穏に卒業するために、アンバーと“ニセモノの恋人”になる。高校卒業後については、「今のままでいい」と消極的。■アンバー...ローラ・ペティクルーレズビアンであることを隠している、エディのクラスメイト。趣味も性格も異なるが、“ニセモノの恋⼈”としてぶつかり合いながらも、悩みや夢、秘密を打ち明けるうちに、2人はかけがえのない存在に。消極的なエディに対し、アンバーは高校卒業後、町を出ようと考えている。賞レースでも話題に2020年に封切られた映画『恋人はアンバー』は、アイルランド版アカデミー賞と評される「アイリッシュ映画&テレビ賞」で8部⾨にノミネート、2部⾨で受賞。過去に、『セッション』でデイミアン・チャゼル、『ウィンド・リバー』でテイラー・シェリダン、『ライトハウス』でロバート・エガースらが評価された「カメリメージ映画祭」では、最優秀監督デビュー賞にもノミネートされ、話題を集めた。<映画『恋人はアンバー』あらすじ>同性愛者への差別や偏⾒が根強く残る⽥舎町で、⾃⾝がゲイであることを受け⼊れられない⾼校⽣・エディと、レズビアンであることを隠しているクラスメイトのアンバー。家族や同級⽣にセクシュアリティを悟られないように平穏に卒業を迎えるため、2 ⼈は“ニセモノの恋⼈”を演じることに︕︖ 性格も趣味も全く違う2⼈だったが、ぶつかり合いながらも、悩みや夢、秘密を打ち明けるうちに、唯⼀ありのままの⾃分をさらけ出せる、かけがえのない存在になっていく。しかし、⼀緒に訪れた都会・ダブリンで、特別な出会いを果たし、新しい世界に触れた2⼈は、“理想的”だったこの関係にも終わりが近づいていることに気づいてしまい…。【詳細】映画『恋人はアンバー』公開日:2022年11月3日(木・祝) TOHO シネマズ シャンテほか全国公開監督・脚本:デイヴィッド・フレイン出演:フィン・オシェイ、ローラ・ペティクルー、シャロン・ホーガン、バリー・ワード、シモーヌ・カービー原題:Dating Amber挿入歌:PULP「Mile End」、Brenda Lee「You Can Depend on Me」、U2「All I Want Is You」、GIRLPOOL「Cut Your Bangs」ほか2020年/アイルランド/92分/ビスタ/5.1ch
2022年09月16日「A24」が配給、実体験に基づく“暗黒時代”を笑い話として映画化した『Never Goin’Back』(2018年)が、邦題を『Never Goin’Back/ネバー・ゴーイン・バック』として12月より公開決定。メイン写真1点が解禁となった。高校を中退した親友同士のアンジェラとジェシーは、兄とその友人と4人で共同生活を送っているが、バイト三昧の日々でも、家賃を払うのがやっとの極貧生活を送っている。だが、ジェシーの誕生日に1週間のビーチリゾートのバカンスをプレゼントしたいアンジェラは、家賃代のお金で2人分の夢のチケットを購入する。不足分の家賃を稼ぐために無茶苦茶な追加シフトを入れるも、家に泥棒が入るわ、兄のせいで刑務所に入れられるわ、 誤って大麻入りクッキーを食べてハイになるわ、挙句の果てにバイトもクビになりそうに…。2人の追い求める憧れのバカンス、テキサスのリゾートビーチへ無事に辿り着くことは出来るのか!?監督オーガスティン・フリッゼルの実体験を笑い話として映画化2018年のサウス・バイ・サウスウエスト映画祭でゲームチェンジャー賞にノミネートされた本作。監督のオーガスティン・フリッゼルは、俳優としては15年以上ものキャリアがあるが、本作で長編映画監督デビューを果たした(続く2作目のフェリシティ・ジョーンズ主演『愛しい人から最後の手紙』は日本ではNetflix配信中)。テキサス州ダラスで育った彼女は、15歳で両親に捨てられたも同然となり、毎月の家賃の当てもなく、友人と一緒に困難な暮らしを送ってきたことから本作の着想を得ている。夫で、『グリーン・ナイト』『A GHOST STORY/ア・ゴースト・ストーリー』(ともにA24作品)監督のデヴィッド・ロウリーと出会い、短編映画を製作するようになり、あの暗黒時代を笑い話に変えようと本作を撮影したという。旬の若手俳優のW共演に注目主演はマイア・ミッチェルとカミラ・モローネ。マイアはディズニー・チャンネル・オリジナル・ムービーの『ティーン・ビーチ・ムービー』や、同時期に公開されたティモシー・シャラメ主演の『HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ』の出演などで注目を浴びる長いキャリアを持つオーストラリア出身の若手俳優。また、レオナルド・ディカプリオと交際報道が話題となったカミラは名優アル・パチーノの継娘で、「VOGUE」誌の表紙も飾ったモデルで、ブルース・ウィリス主演の『デス・ウィッシュ』などでも知られる。旬の若手俳優のW主演による、パワフルガールズムービーがついに日本に上陸する。『Never Goin’Back/ネバー・ゴーイン・バック』は12月、TOHOシネマズ シャンテほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:Never Goin’ Back/ネバー・ゴーイン・バック 2022年12月よりTOHOシネマズシャンテほか全国にて公開© 2018Muffed Up LLC. All Rights Reserved.
2022年09月08日日韓男女グローバルオーディション「青春スター」からデビューが決定したTOP7が出演する初来日公演「青春スターTOP7初来日公演! ~日韓GFSC Charity Campaign 青春スター × 15th Special KMF 2022~」の東京2部公演を、「ABEMA PPV ONLINE LIVE(アベマ ペイパービューオンラインライブ)」にて独占生配信。「n.SSign(エヌサイン)」のカズタからコメントが到着した。「青春スター」は、「ABEMA」にて放送された日韓男女グローバルオーディション。世界中から厳選された108人がK-POPアーティストを目指して奮闘する姿や、ステージパフォーマンスなど成長過程をリアルに放送。精鋭たちのなかからデビューするTOP7が決定すると、視聴者からは祝福の声があがり「早くみんなに会いたい!」「デビュー組には脱落したみんなの分まで頑張ってほしい」と言ったコメントが寄せられていた。このたび「ABEMA PPV ONLINE LIVE」にて独占生配信する「青春スターTOP7初来日公演!15th Special KMF 2022」は、毎年、秋にK-POP音楽祭として東京と札幌で定期的に開催され、かつて「BTS」「NCT 127」「NCT DREAM」なども出演した新人K-POPアーティストの登竜門「KMF」と「青春スター」がタッグを組んで開催するイベント。日本や韓国で、すでにデビューしているかのようなハイレベルなパフォーマンスが話題となり、韓国ボーイズグループ初の日本人リーダーとなった沖縄出身のカズタ率いる「n.SSign」をはじめ、実力派の計13名が大集結。その本公演を「ABEMA PPV ONLINE LIVE」で配信するにあたり、当日は「ABEMA生放送コーナー」を設置。TOP7のメンバーが、ゲームにチャレンジしたり、事前に視聴者から募集するメンバーへの質問やリクエストにステージ上で答えるなどの特別コンテンツを予定。TOP7に質問したいことや、リクエストは「青春スター」の公式Twitterにて募集中となっている。今回の初来日公演に向けて、「青春スター」内でも活躍した「n.SSign」のリーダー、カズタは「今回、僕がリーダーと言う役割を受け持つ事になりました。最初聞いた時は、僕にできるだろうか?と心配でプレッシャーが大きかったですが。メンバーのみんなが、僕を助けながら、しっかりついて来てくれるお陰で、僕にも自信がつきました」と明かし、「僕は本気でn.SSignの最初のスタートを日本で成功させたいと思っています」と語り、「僕たちもKMFのためにたくさん準備しているので、たくさんの応援をよろしくお願いします!」とエネルギッシュにコメント。「PRODUCE 101」シリーズの辛口トレーナー、元「SISTAR」のソユさんが「オーディションを見たなかで1番」「このレベルは初めて」と称賛したり、「もうプロ…」「天才?」とプロの先輩ミュージシャンや視聴者をうならせたTOP7たちの圧巻のステージに期待していて。出演者:青春スターTOP7■アイドル派(n.SSign):イ・ハンジュン、カズタ、チャン・ヒウォン、チョン・ソンユン、パク・ヒョン、ヤン・ジュニョク、ユン・ドハ■ボーカル派:キム・テヒョン、ヒョン・シニョン、ペク・ヒヨン■シンソン派:キム・ジョンハン、キム・プルム、リュ・ジヒョンABEMA PPV ONLINE LIVE「青春スターTOP7初来日公演!15th Special KMF 2022」は10月8日(土)18時30分(開場)/19時30分(開演)より独占生配信。(text:cinemacafe.net)
2022年09月08日自分はどんな人間なのか。どんなふうに生きていきたいのか。自我に目覚め、夢と希望を抱いて成長していく若者たちを描く青春ドラマ。こうした青春の物語は何も10代だけのものではなく、さまざまな経験を得たからこそ大人になって初めて知る本当の自分や、現実味を帯びる恋愛、夢や理想の形がある。いま放送・配信されているTVドラマや配信番組から、そんな作品をピックアップした。スタートアップ企業の成長ともリンク「ユニコーンに乗って」教育系スタートアップ企業「ドリームポニー」を立ち上げた女性CEO・成川佐奈(永野芽郁)を中心に、“畑違い”の銀行から転職してきた小鳥智志(西島秀俊)、ビジネスパートナーとして佐奈の一番近くで苦楽を共にしてきた須崎功(杉野遥亮)ら仲間たちが夢に向かって生きる姿と成長を描く火曜10時枠ドラマ。教育系アプリを開発する背景やスタートアップの裏側などを垣間見ることのできるお仕事ドラマでありつつ、「ドリームポニー」の理念に賛同して集まった個性豊かな社員たちとの友情や挫折を乗り越えていくプロセス、佐奈と功(小鳥も?)の恋愛での葛藤など、“大人の青春”ドラマとして見どころ盛りだくさん。天才エンジニア役を演じる坂東龍汰ら、群像劇を盛り上げるキャスト陣にも注目が集まっている。【第9話あらすじ】早智からドリームポニー買収を持ちかけられた佐奈は戸惑いを隠せない。功や栗木も同じ想いであることを確認し買収の話を断ることに。しかし早智の「もっと先の未来は想像できているか」という言葉にひっかかりを覚えてしまう。一方、功の父・征一(利重剛)の会社が顧客情報流出トラブルに見舞われる…。「ユニコーンに乗って」は毎週火曜22時~TBS系にて放送中。シリーズ初のルールで新展開が!?「オオカミちゃんとオオカミくんには騙されない」男女両方に「恋をしないオオカミくん」と「恋をしないオオカミちゃん」がそれぞれ1人以上潜んでいる、というシリーズ史上初ルールで早くも話題。集まった男女10人は、オオカミたちの甘い誘惑や嘘に惑わされることなく最高の恋をつかむことができるのか。さらに予測不可能になった、ひと筋縄ではいかない恋の駆け引きや人間関係が見どころとなる。今回のメンバーは「ちゃんと一人ひとりのキャラクターと自分の想いをはっきりと相手に伝えられるような能力・魅力を持っている」と飯豊さんが合同取材で語ったように、それぞれの個性が際立っているのも見どころ。共同作業であるオリジナルイルミネーションの制作を通じて心の距離が近づいていったとしても、本心は一体どうなのか。また、まさかのオオカミ同士のカップルもあり得るのか。迷いや不安だらけの大人の青春が幕を開ける。「オオカミちゃんとオオカミくんには騙されない」は毎週日曜22時~ABEMAにて放送中。ヨンウとの関わりで周囲も成長「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」現在、世界的なヒットとなっている韓国ドラマ「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」は、“韓国初の自閉スペクトラム症の弁護士”ウ・ヨンウ(パク・ウンビン)が1人前の大人として、また1人の弁護士として同僚や上司らと紆余曲折を経ながら成長していく姿を描く。ヨンウが弁護するのは、同性カップルや性被害に直面する知的障がい者から、犯罪に巻き込まれ我が子と離れざるを得ない母親、超学歴社会・競争社会を告発する者などさまざま。日本にも通じる現代社会の縮図のような困難を抱える者たちを弁護しながら、ヨンウ自身や法律事務所「ハンバダ」のチームたちがお互いとの関わりを通じて変わっていく姿、ヨンウとジュノ(カン・テオ)のときめきたっぷりの恋愛シーンも必見。「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」はNetflixにて配信中(全16話)。大人になった未来の自分と遭遇「ペーパーガールズ」全米ベストセラーのグラフィックノベルを実写化した本作は、少女たちの「ストレンジャー・シングス 未知の世界」であり、『パシフィック・リム』のようでもあるSF青春ストーリー。1988年、ハロウィン翌日に新聞配達をしていたエリン、マック、ティファニー、KJの4人は思いがけずタイムトラベルに巻き込まれ、1988年に帰ろうと奔走する。主人公となる4人の少女は、自尊心低めのアジア系のエリン、不良っぽく振る舞うマック、頭脳明晰なアフリカ系のティファニー、リッチな家庭育ちのユダヤ系のKJとルーツや境遇はバラバラ。大人になった自分たちの姿を知ってしまい、漠然とあった未来への憧れが砕かれながらも、初潮やセクシャリティの目覚めといった思春期とも対峙する姿は大人こそ魅了される。タイムトラベル先の80~90年代の懐かしい音楽も物語を彩る。「ペーパーガールズ」はAmazon Prime Videoにて独占配信中(全8話)。(text:cinemacafe.net)
2022年08月30日幼い頃に、友達とワクワクしながら遊んだ思い出はありますか。例えば、自分たちだけの秘密基地を作ったり、大人には内緒でこっそり遠出をしたり。そういった思い出は、大人になっても心に残っているでしょう。そんな懐かしさを感じる、押切蓮介(@rereibara)さんの漫画をご紹介します。作品に登場するのは、中学2年生の男の子たち。普段は、ゲームをして遊ぶ男の子たちですが、この日は、いつもとは違う遊び方をしたようです。男の子たちが下ったのは、川ではなく、用水路!道行く人に見守られながら、男の子たちは、ゲームでは味わえない、非日常感を楽しんだのです。さらに、用水路を下っていき…?夏にゴムボートで川下りした思い出 5/5 pic.twitter.com/LhumDuw9xZ — 押切蓮介 (@rereibara) August 21, 2022 目的地もなく、「ただなんとなくやってみる」という、勢いで行動できてしまうところが中学生らしいといえるでしょう。無事に『冒険』を終え、遠くまできた2人は満足した様子。もちろん、用水路をボートで下るのは危険なので、真似しないでくださいね!読者からは、「自分の子供時代を思い出した」という声が多く上がりました。・僕は『隣の県の役所まで、丸一日かけて歩いて行く』という、意味のないことをやっていました!懐かしいな。・私は友達と夜の学校に忍び込んでいました。夜中にプールで泳いだのがバレて、先生にも親にもめちゃくちゃ怒られた。・友達と公園で『ニンテンドーゲームボーイ』で遊んで、17時のサイレンが鳴ると帰宅していた小学生時代を鮮明に思い出した。あの頃は楽しかったな。・親になった今、自分の幼少期を思い出すと、我が子がとんでもない遊びをするのではないかと、ハラハラします…!時代は変わっても、子供たちは、ワクワクする遊び方を自分たちで見つけるもの。ちょっとした『冒険』はその後、子供たちが大人になっても心に残り続けるのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2022年08月23日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、夢中で遊んだゲームの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「大学生のころ、同級生たちはディスコで遊んでいましたが、私はファミコンに夢中になっていました。今でもスマホで面白そうなゲームを見つけると“やってみたいなぁ”と思うんですが、時間を忘れて夢中になってしまうし、どんどん課金してしまうだろうから、なかなか手が出せなくて(笑)」そう意外な一面を告白するのは、女優の麻生祐未(59)。’63年に大阪府で生まれ、長崎県の田舎町で育った彼女がゲーム好きになったのは「とにかく地味な性格で、おしゃべりも得意じゃなかったから」だと振り返る。「実家は市の中心部から離れた山の麓。最寄り駅の近くには牛とか馬とかがいて、バスは2時間に1~2本しか来ないような場所だったんです」高校では美術部に所属。大勢で遊ぶより、放課後、黙々と絵を描いているほうが性に合っていたという。当然、テレビに映る華やかな芸能界は別世界だった。「そもそも実家のあたりは映るチャンネルが少なく、ほとんどドラマを見た記憶がないんです。よく見ていたのは『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)のような歌番組くらいでした」そんな高校生活を終え、大学進学を機に上京。「自分が学びたいと思う先生がいる学校ばかりを受験して、合格したのが青山学院大学。田中康夫さんの小説『なんとなく、クリスタル』(’81年)の主人公が通っていたとされる学校です」東京随一の流行の発信地である青山での大学生活は、田舎育ちの彼女にとって驚きの連続だったという。「学校の制服しか持っていないような高校時代を過ごしていたので、ファッション誌からそのまま抜け出てきたように洗練された青学生は、異世界の住人のよう。とくに驚いたのは、授業が終わると、正門の前に男のコたちのカッコイイ車がずらりと並ぶ光景。しかも、女のコたちが慣れた様子でその車に乗り込んでいくんですね。“この先、東京でどうやって生きていけばいいんだろう”って、愕然としました」同級生に気おくれしつつも、クラシックやジャズのピアノが好きで、音楽に携わる裏方の仕事をしたいという夢を、しっかりと抱いていた。「今、私が所属している芸能プロダクションに、電話番などの雑用アルバイトとして雇ってもらったんです」■親指にコントローラーの十字キーの痕が大学の勉強とアルバイトに追われ、サークルに入る余裕はなし。世は女子大生ブームなのに、「地味な学生生活」を送っていたが、’83年に大きな転機が訪れる。アルバイト先の芸能プロダクションのすすめで受けたオーディションに合格し、映画『あいつとララバイ』(’83年)で女優デビューを飾った。さらにーー。「あるとき、アルバイト先で『そういえば君、女子大生だよね。明後日の夜、空いている?』と声をかけられたんです。深夜番組の『オールナイトフジ』(’83~’91年・フジテレビ系)に出ていた女子大生が、スキー旅行で何人かけがをしたため、出演者が足りなくなったということでした。とにかく『座っているだけでいい』と言われたんですが……」いざスタジオに入ると、司会の松本伊代の横に座り、簡単な原稿を読むことに。「学校で発表するのも緊張するタイプだから『生放送でやれるわけないです』と訴えたんですが、『読んでくれるだけでいいから』って。案の定、間違えるし、つっかえるしで散々でしたが、スタッフさんは『素人っぽさがウリだから』と、許してくれました」それから間もなく『オールナイトフジ』の司会者に抜擢され、そして’85年にはお昼の連続ドラマ『幸せさがし』(TBS系)で主演に選ばれた。「とにかく撮影時間が長くて、家に帰る暇もないくらい大変。3~4カ月ほど、緑山スタジオの仮眠室で生活していました」そのような事情もあり、大学で留年を重ねていたころ、ファミリーコンピュータ(ファミコン)の存在を知った。「大学とは別の、東京で仲よくなった友達がいたんですね。外食がそれほど好きじゃなかったので、お互いの家に行ってご飯を作ったり。そのコがゲームに詳しくて、ファミコンを持っていたんです」インベーダーゲームも含めて、ゲームをまったくやったことがなかった彼女がハマったのが、『スーパーマリオブラザーズ』(’85年)。「最初は下手でしたけど、上達してステージをクリアすればうれしいじゃないですか。つい指に力が入ってしまうので、親指にコントローラーの十字キーの痕がついたりしました(笑)」ロールプレーイングゲーム(RPG)の『ゼルダの伝説』(’86年)にも夢中になった。「“攻略本に頼るのは負けだ”と思いながらも、裏技を知りたいがために、結局は本に手を出してしまいました」3~4人の友人たちで集まってゲームを楽しむときは、マイコントローラーを持参。「ゲームをしながら食べられるように、ちょっとつまめるお総菜を持ち寄ったり、デリバリーのピザを頼んだり。それもすごく楽しい思い出です」その後も仕事は順調で、月9のトレンディドラマ『君が嘘をついた』(’88年・フジテレビ系)にも出演した。「私はちょっと老けて見えたのか、ドラマでは意地悪な先輩役が多かったですね(笑)。バブル期だったので、仕事では肩パッドが入ったブランドものの服を着るのですが、プライベートは相変わらず地味で古着が好きだったので、日常と役柄のギャップがだいぶありました」そんなオンとオフをしっかりと切り替えるには、ゲームに没頭するのが何よりだったそう。「とにかく友達とゲームをやると、頭が空っぽになり、時間を忘れて朝まで楽しめるんです。気持ちもリセットできるし、最高のストレス発散法でした」新人女優としての多忙な日々を乗り切れたのは、親しい友人らと、朝までゲームを楽しむ時間を過ごしたからなのだ。【PROFILE】麻生祐未’63年、大阪府生まれ。幼稚園から高校まで長崎県で過ごす。青山学院大学在学中の’83年に映画『あいつとララバイ』でデビュー。カネボウのキャンペーンガールとしても人気を博す。9月19日放送の『三屋清左衛門残日録6』(日本映画+時代劇4Kチャンネル)に出演
2022年08月20日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎週ドキドキしながら見たドラマの話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょうーー。■見ていてつらくなるほどリアルな日常が舞台’79年に放送がスタートした『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)は、その後、32年にわたり、断続的に第8シリーズまで制作された人気作品。ドラマは開始直後から高視聴率をマークし、撮影場所には出演者見たさに、女子中高生が押し寄せたという。番組からは数々のスターも輩出されたが、その筆頭格がたのきんトリオだ。「ある歌番組の中でトシちゃん(田原俊彦)が、武田鉄矢さんと電話で話す企画があったんです。人気絶頂のトシちゃんに、武田さんは『最近、歌番組で調子に乗っていないかスタッフに聞いてみたんだが、ちゃんと周りに気を使えているみたいだな。いいやつだな』と、本当の先生のようだったのが印象に残っています(笑)」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。いまだに“武田鉄矢=金八先生”というイメージが定着しているのも、ドラマにリアリティがあったからこそ。「『おれは男だ!』(’71~’72年・日本テレビ系)といった’70年代の学園ドラマは、全体的にコメディタッチで描かれることが多かった。困難にぶち当たっても、汗をかき、ときには“取っ組み合い”をして、情熱と根性で解決していました。一方、『金八先生』は、ごく普通の生徒の中に、問題行動があったり、貧困家庭だったりする子どもがいる、リアルな“中学の日常”が舞台。“力技”で問題が解決するわけではなく、『人という字は、人と人とが支え合ってできている』といった名言で知られるように、金八先生は必死でクラスを一つにまとめていきました」移り変わる時代に即したテーマが扱われているのも、大きな特徴。「校内暴力や非行、家庭不和、管理教育から性同一性障害まで、多岐にわたりました。第1シリーズでは杉田かおるさん演じる浅井雪乃が、15歳で妊娠、出産するストーリーが衝撃的でした。第2シリーズの見どころは、『腐ったミカンの方程式』『卒業式前の暴力』などの回で中心となった不良少年・加藤優。学校で問題行動を起こし、中島みゆきの『世情』が流れる中、手錠をかけられるシーンは忘れられません。とくにいじめのシーンなどは、見ていてつらいものがありました。こうした題材にも真正面から取り組む、原作・脚本を手がけた小山内美江子さんや制作スタッフの気概を感じさせられました。単なる学園ドラマではなく、ヒューマンドキュメンタリーに近い作品だったのではないでしょうか」【PROFILE】牛窪恵’68年、東京都生まれ。世代・トレンド評論家でマーケティングライターとして『ホンマでっか!?TV』フジテレビ系)など多数の番組で活躍
2022年06月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、支えになった音楽の話。活躍する同世代の女性と一緒に、“’80年代”を振り返ってみましょう――。■『君は天然色』は日本のポップスの夏の代表曲「大瀧詠一さんというと、若い方はドラマ『ラブジェネレーション』(’97年・フジテレビ系)の『幸せな結末』(’97年)を思い浮かべるかもしれませんが、’80年代に青春時代を過ごした人にとっては、やはりアルバム『A LONG VACATIONA』(’81年)の印象が強いのではないでしょうか」そう話すのは、世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(54)。同アルバムには『君は天然色』や『カナリア諸島にて』『さらばシベリア鉄道』など、今も歌い継がれる名曲が収録されている。「日本のポップスの冬の代表曲が山下達郎さんの『クリスマス・イブ』(’83年)なら、夏は『君は天然色』でしょう。現在まで多くのアーティストによって歌われ、CMにも何度も使われています」また、イラストレーターの永井博氏による、真夏のプールサイドを描いたリゾート感あふれるジャケットがおしゃれでカッコよく、“ジャケット買い”した人も多かったはず。「まさにインテリアになるデザインでした。当時を象徴するイラストレーターとして、永井さんをはじめ、わたせせいぞうさん、鈴木英人さんらの名が挙げられます」アメリカンポップスに衝撃を受けた大瀧詠一さんは’70年、バンド「はっぴいえんど」の一員としてデビューを果たした。「細野晴臣さん、松本隆さん、鈴木茂さんという、今思えばそうそうたる顔ぶれ。楽曲は洋楽からの影響をかなり感じさせました」はっぴいえんど解散後もソロで音楽活動を続け、最初のヒットとなったのが太田裕美が歌った『さらばシベリア鉄道』(’80年)だ。「’80年代は、さまざまなミュージシャンに楽曲を提供しました。松田聖子さんの『風立ちぬ』(’81年)も大瀧さんならではのリズム。森進一さんが歌った『冬のリヴィエラ』(’82年)は、演歌とポップスが融合し、新たなファン層の獲得にもつながったはずです」意外なところでは、『オレたちひょうきん族』(’81~’89年・フジテレビ系)から生まれたコミックソング『うなずきマーチ』(’82年)の作詞・作曲を手掛けている。一方、名曲『夢で逢えたら』(’76年)も、吉田美奈子の後、ラッツ&スター、薬師丸ひろ子など数多くのアーティストがカバー。「’13年、大瀧さんは突然、亡くなってしまいました。葬儀に参列された方によると、会場では『夢で逢えたら』が流れていたそうです」数々の名曲は、今でも私たちの心を揺さぶる。
2022年03月13日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になった映画の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「先日、『トップガン』(’86年)がテレビ放送されていたので、おじいちゃん、私たち夫婦、2人の子どもと一緒に見て、3世代で楽しめました。トム・クルーズを見て『この人、めちゃくちゃカッコいいね』と言う中1の娘に、なぜか私も誇らしく『そうでしょ!』って答えてしまいました」そう語るのは、女優で、日本RV協会でキャンピングカーアンバサダーを務める田中美奈子さん(54)。幼いころから芸能界への憧れを抱いていたという。「小学校低学年のときはパン屋さんになりたかったのに、テレビでピンク・レディーを見て衝撃を受け、“私も歌手になりたい!”と路線変更。友達と振りマネをして、テレビのちびっこモノマネ番組に応募したこともありました」’80年代になると、『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)で、松田聖子などアイドルたちがコントに挑戦する姿を目にするようになり、“あの番組に出たい”と芸能界への憧れが強くなった。「人を笑わせるのも大好きでした。だから、視聴者が芸を披露したり、ゲームに挑戦して賞金がもらえる『所ジョージのドバドバ大爆弾』(’79~’81年・テレビ東京)にも出演したかった。体操服を着た女の子がハードルを跳ぶヨーグルトのCMがあったのですが、クラスの子と一緒に、そのCMをコメディ風にしたネタを考えたりもしました。トイレットペーパーを芯になるまで誰が早く巻き取るか、競争するゲームが番組内にあったので、母に隠れながら練習したり」■アイドルになってお母さんに家を建ててあげたかっただが、なかなかテレビに出演する機会には恵まれなかった。「それでもクラスの子たちは私が芸能界に憧れていることを知っていたから、’84年に『ミスマガジン』に応募したときもすごく協力してくれて。みんなが知り合いにまで頼んで、最終的に1万通あまりの応援はがきが集まったのですが、グランプリは取れませんでした」手が届きそうでありながら、なかなか届かなかった芸能界。でも諦めることはなかった。「小4のときに両親が別居して、翌年に離婚。私はおばあちゃんに面倒を見てもらい、母は朝から晩まで働いていました。だから“アイドルになって、お母さんに家を建ててあげたい”という夢もあったんですね」高校時代は週に1回、千葉の学校からスクールバスと電車を乗り継ぎ、片道2時間かけて六本木まで歌のレッスンに通った。「いつも遅刻ギリギリで、六本木の芋洗坂を吐きそうになりながら全力疾走していたことを、今でも思い出します」音楽の趣味が洋楽になったのも、このころ。「母が再婚して、2番目の父ができたのですが、洋楽関連の仕事をしていて、コンサートのチケットをよく取ってくれたんです。当時はマイケル・ジャクソンやジャネット・ジャクソン、マドンナ、フィル・コリンズ、ワムなどが人気で、MTVも欠かさず見ていたし、来日コンサートがあれば、必ず行きました。カルチャー・クラブのボーイ・ジョージの色気のある声が好きで、『カーマは気まぐれ』(’83年)は、いま聴いても気持ちが上がります」映画も洋画を見に行くことが多かった。なかでも高校卒業の翌年に公開された『トップガン』は忘れられない作品だ。「確か錦糸町の映画館で見たと思います。とにかくはやりましたよね。男子はみんなMA-1を着て、レイバンのサングラスをして。トム・クルーズが映画で身につけていた軍の認識プレートは、私も持っていました。戦闘シーンの撮影はアメリカのサンディエゴで行われたそうですが、うちの夫が以前、その基地の近くに住んでいたんです。私も実際に現地まで行って、あの爆音を近くで聞いてみたい!と、いまだに思っています」映画音楽もまた魅力的だった。特にテーマ曲になっている、ケニー・ロギンスの『デンジャー・ゾーン』が好きだったという。「あの曲を聴くと、血が騒ぐというか、生命力が湧き上がってきて、“自分も何か大きなことができるんじゃないか”と思えるんです。『フラッシュダンス』(’83年)もそうですが、サクセスストーリーで、夢がありましたよね。当時の映画や音楽には特に、人の背中を押してくれるパワーがあったと思うんです」■イエイエガールズのオーディションはスタイル抜群の受験者ばかりおかげでレナウンのキャンペーンガールを務める「イエイエガールズ」のオーディションにも、前向きに取り組めたと田中さん。「前年まで『イエイエガールズ』はモデルさんが務めていて、身長も167センチ以上必要だったのですが、私が挑戦した年は歌手志望の女性も募っていて、身長制限がなかったんです。ところが選考会場に集まっていたのは、目がぱっちりで背が高く、スタイルのいい人ばかり。“それでも、絶対に受かる!”という意気込みで、オーディションに臨めました」こうして’87年、オーディションを初めて突破し、芸能界の舞台へ上がったのだった。それからはテレビドラマの仕事が徐々に入るようになり、中山美穂主演の『君の瞳に恋してる!』(’89年・フジテレビ系)など、話題の“月9”にも出演。多忙を極めるように。「ゴルフトーナメントの会場で優勝者に花束を渡すためだけに、ドラマの撮影現場からヘリで移動して、トンボ返りしたことも。『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(’89~’90年・テレビ朝日系)の撮影のとき、現場に入る車の中で、私があまりにもぐったりしているのを見た渡哲也さんが、心配して『誰だっ、美奈子をこんなにしたのは!今日は休ませる』と、撮影を中止にしてくれたこともありました」そして’89年には『涙の太陽』で念願の歌手デビュー。数々の人気ドラマへの出演もかなえた。こうして芸能界という夢の舞台で活躍するようになった田中さん。’00年代に入ったころ、当時の事務所スタッフのつながりで、デビュー前に勇気を与えてくれたトム・クルーズと食事をする機会が訪れたという。「おすしを食べるお誘いの電話があったのですが、仕事が重なっていて出られず……(涙)。ちょうどその時期、トム・クルーズは独身だったので“あのときご一緒していればなぁ”なんて妄想したりして(笑)」『トップガン』を見るたび、千載一遇のチャンスを逃がしたことを思い出すのだった。
2022年02月13日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、音楽と一緒に歩いた青春時代の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「高校生のときにウォークマンを買ってもらってからは、オリジナルテープ作りが楽しくて!できあがったテープは友達と貸し借りするのですが、どんな選曲をしているかでセンスも問われるので、かなり真剣でした」こう語るのは、女優の加藤貴子さん(51)。「’80年代、私は10代。まさに思春期を過ごした時代です。テレビにも映画にも雑誌にも、すべて勢いがあって、そこから得られるアイドルや音楽の情報はエネルギッシュで刺激的でした」そんな加藤さんが生まれ育ったのは、現在の静岡市清水区。「昔は“清水市”で、私の5歳上の姉は漫画家のさくらももこさんと高校時代、同級生。なので、『ちびまる子ちゃん』の世界そのまま。原っぱで夕方まで遊んでいると『ご飯だよー』という、母の大きな声が聞こえるような、のほほんとした田舎町が私の原風景です」小学生時代の楽しみは、土曜に『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)と『Gメン’75』(’75〜’82年・TBS系)を続けて見ること。「でも、『Gメン』の途中で眠くなって、全部見られないことがほとんど。夏休みや年末に親戚の家に遊びに行ったときは、ちょっとエッチな話題も多かった『テレビ三面記事ウィークエンダー』(’75〜’84年・日本テレビ系)の放送時間まで起きて、こっそり見たりしていました」■当時は学生鞄をお風呂に浸けて、ペラペラにするのがカッコよかった木曜の『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)も欠かさなかったが、夜9時から始まるため、後半は眠たくなった。「初めてアルバムを買ってもらったくらい寺尾聰さんの大ファンで、『ルビーの指環』(’81年)のリクエストはがきを書いたりもしたのですが、上位に来るので起きていられないんです。当時、わが家にはまだビデオデッキがなくて、音楽を録音するのは睡魔との闘いでもありました」テレビから録音すると、必ず雑音が入ってしまうもの。「急に好きな曲が流れ始めて、慌ててその辺にあったテープで録音したら、お姉ちゃんのもので、『なんで私のを使うの!』って怒られたこともありました」そんな失敗から、音楽はレコードから録音することに。「レコード針を落としたときのプツッていう音が好きで。にもかかわらず乱暴に置いてしまうものだから、針をすぐにダメにしていました。今はスマホで簡単に曲が聴けますが、当時は1曲を手元に残すために、すごく苦労して」小学校の高学年のころには、’80年代初頭に名古屋で火がついた「なめ猫」ブームが全国に広がり、原宿の「竹の子族」出身の沖田浩之さんがデビュー。管理教育への反発から、全国的に学校が荒れて、社会問題化した。「ドラマ化された『今日から俺は!!』(’18年・日本テレビ系)のような世界観が、カッコよかった時代。お風呂で湯船につかりながら、カバンをギュッと抱いて潰して、ペラペラにしたのを学校に持っていくのがはやりましたよね」中学時代も聴く音楽は、松田聖子やチェッカーズなど『ザ・ベストテン』に登場する曲がメイン。「卒業のタイミングで斉藤由貴さんの『卒業』(’85年)を聴いて、歌の世界を自分に置き換えてみたりもしました」■思い出たっぷりのカセットが、数年前まさかの事態にそして、高校合格のご褒美に買ってもらったのが、ポータブルカセットプレーヤーだ。「まわりの友達が持っていて、すごくうらやましかったんです。街を歩いたり、公園のベンチに座ったりしながら音楽を聴けることが、当時は本当に画期的で。学生服のポケットにウォークマンを入れて、音楽を聴きながら歩いている男子が、それだけでカッコよく見えたりもしました。私は高校まで通う電車の中で音楽が聴きたくて、それでソニーの白いウォークマンを買ってもらったんです」放課後、サッちゃんという仲のいい友達と、それぞれテープを持ち寄り、1台のウォークマンで、片方ずつイヤホンを使って聴いたりしたという。「そのサッちゃんに『こんなアルバムがあるんだよ』と勧められたのが、麗美さんの『“R”』(’84年)。麗美さんは松任谷正隆さんが手がけ、ユーミンも楽曲を提供してデビューした、沖縄出身のアーティストです。私は『My Sanctuary』(’86年)というアルバムの中の『Just Only You』という曲がとくに好きでした。この歌詞にあるような、夕陽がさす放課後の図書室で憧れの男子が読書している姿をそっと眺めるといった、いわば疑似恋愛をしながら、“これが青春だ”なんて満足していましたね(笑)。大好きな音楽をイヤホンで聴いていると、周囲から遮断されて、自分だけの世界に入り込める。それが心地よかったんです」高校時代は、ウォークマンで聴くためのオリジナルテープ作りにも没頭した。「バンドブームだったのでレベッカやBOOWYも入れましたし、『ベストヒットUSA』が人気で、満足に英語がわからないながら、マイケル・ジャクソンやマドンナの曲を集めて作ったりもしました。お気に入りの曲は、間違って上書きしないようにカセット上部のツメを折っておくのですが、どうしてもそのカセットに別の曲を録音したくなったときは、ツメの部分にテープを貼って使いました。いろんなカセットテープが発売されていたけど、私はスケルトンタイプでかわいい色のものが好きでしたね。曲名などを書き込んでカセットケースに入れる『インデックス』も、文房具屋さんによく買いに行っていました」時間をかけて選曲し、入れる順番に悩み、インデックスにまでこだわったオリジナルテープは、大切な宝物だ。しかしーー。「かわいいクッキーの缶に入れて、実家の倉庫に保管しておいたのですが、数年前、親に断捨離されていて……。愕然としました」だが、多感な時期にテープ作りで磨かれた個性は、体にしっかりと刻み込まれているはずだ。
2022年02月06日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に家族で盛り上がったクイズ番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「’88年に朝ドラ『ノンちゃんの夢』(NHK)でドラマデビューした後、民放初挑戦はフジテレビでした。『君の瞳に恋してる!』『愛しあってるかい!』(ともに’89年)など、トレンディドラマに出させてもらった関係で『なるほど!ザ・ワールド』(’81~’96年)には、番宣のため、何度か解答者として出演しました。一度は優勝して、発売されたばかりのハンディカムを賞品としてもらったんです」こう語るのは、女優の藤田朋子さん(56)。幼いころから演じることは大好きで、お遊戯会や学芸会を楽しみにしていた一方、アイドルよりもゴダイゴ好きの、ちょっと変わった女のコだったという。「ゴダイゴが音楽を担当していた『キタキツネ物語』(’78年)を学校の行事で見に行ったのが“出会い”。たまたまその日の夜、テレビをつけたら赤いチャイナ服を着たおじさんが『アチャー!』ってシャウトしているのを見て、すぐにファンになったんです」アイドル全盛期の’80年代初頭、藤田さんはゴダイゴの『OUR DECADE』(’79年)を聴き込んでいたという。「中学のクラスメートにはマッチやトシちゃんが好きなコが多かったけど、“ちょっと人とは違う”というのがカッコよく思えて、少し遠巻きに見ていた部分が、私にはあったんですよね(笑)」ゴダイゴへの強い思いから、プロデュースや作詞を手がけていた奈良橋陽子さんが主宰する英語塾の門をたたいた藤田さん。「中3だったのに、受験塾じゃなく、英語劇をする塾に通い始めたので、友達からはびっくりされました。“タケカワユキヒデさんに会えるかも”って、中学生ならではの勝手な妄想を膨らませていたんです」■オーディションにはことごとく落選、それでも開いた朝ドラヒロインへの道英語劇を通じて、藤田さんは演じることへの興味をますます深めていく。「『De☆View』(勁文社)という雑誌を見て、舞台や映画に出演できるオーディションを中心に受けました。でも、ことごとく落ちてしまったんです」当時“視聴率100%男”と言われていた萩本欽一の『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(’81~’83年・フジテレビ系)、『欽ちゃんのどこまでやるの!(欽どこ)』(’76~’86年・テレビ朝日系)、『欽ちゃんの週刊欽曜日』(’82~’85年・TBS系)を欠かさず見ていた。「それで日曜は欽ちゃんが司会の『スター誕生!』(’71~’83年・日本テレビ系)。とにかく欽ちゃんが大好きで『週刊欽曜日』の欽ちゃんバンドオーディションにも応募しました。落ちてしまったんですが、そのことを後に欽ちゃんにお話しすると『それはよかったね』と(笑)。落ちたからこそ、女優として大きな経験となる朝ドラにつながったんだという、欽ちゃんならではの、やさしい表現でした」オーディションには落ち続けたが、舞台に立ちたい思いは失われなかった。ただ、プロへのこだわりはそれほど持っておらず、ダメなら普通に就職して、社会人の演劇サークルに入ろうとも考えていたという。そんな藤田さんが大学時代、体育館で英語劇の稽古をしていたときのこと――。「2人1組になり、1人が体育館の端から端まで向かっていき、もう1人がそれを阻止する。阻止されずに向かい側の端までたどり着けたら、夢がかなうという設定のゲームをしたんです。私は役者になりたいという夢を描いて向かい側を目指したんですが、結局、たどり着けず、くやしくて泣いてしまって。それを奈良橋さんは『いいよ』と褒めてくださいました。役者への思いがそれほど大きかったことに、気づかされた出来事でした」ようやくオーディションで合格を射止めたのは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』。21歳のときだった。「公演の1年前に決まって、それからは有名無名問わずカンパニー全員が集められ、絆を強めたり、作品への造詣を深めたり、発声練習をして、どのように声帯を動かすのが医学的によいかといったことまで学びました。斉藤由貴ちゃんと私がいちばん若くて、みんながすごくかわいがってくれました」ミュージカル出演後、朝ドラ『ノンちゃんの夢』のヒロインに抜擢され、知名度は全国区に。「いえいえ、私自身はあんまり気づかれることもなかったんです。『愛しあってるかい!』では、陣内(孝則)さんや柳葉(敏郎)さん、キョンキョン(小泉今日子)などすごい人たちが一緒だったので、京都のお土産屋さんでのロケなど、人が集まりすぎてしまったこともありました。危ないので、裏口からこっそり1人ずつ出たのですが、私が乗ったタクシーの運転手さんは私にまったく気づかず、『前のタクシーに小泉今日子が乗っているんだよ』なんて教えてくれたぐらい(笑)」■レポーター業務に活きた語学力 英語で悪口を言う現地スタッフもお見通しこうしたトレンディドラマの番宣で、開始当初からよく見ていたクイズ番組『なるほど!ザ・ワールド』への出演もかなった。「司会の愛川(欽也)さんにくらいついて正解が出るまで何度も答えてしまったり、逆に愛川さんがヒントを出しすぎてしまったり(笑)。賞品が豪華だったので、みんな必死でした。愛川さんとは『渡る世間は鬼ばかり』(’90~’11年・TBS系)でも共演しました。『なるほど!ザ・ワールド』は、いつも気にかけてくださる大事な先輩との、出会いの場ともなったのです」’90年代には、同番組のレポーターの仕事も、藤田さんの元に舞い込んだ。「当時は女優さんが素を見せるのはタブーという考えが根強くて、レポーターの仕事を断っていた人もいっぱいいたそうです。私も悩んだんですが、ある先輩に『ダメならやめればいいし、とりあえずやってみたらいいんじゃないか』とアドバイスされて、挑戦してみることにしました」ほかの番組の海外ロケと重なり、3週間で21回も飛行機に乗って、世界を巡った。現地では英語劇で学んだ語学が生かされたという。「飛行機の遅延、ロストバゲージなどのトラブルに、スタッフと一緒に対応したり、英語がわからないと思って、私たちの悪口を言っている現地スタッフには『ちゃんとわかっているよ』と伝えたりもしました(笑)。女優とはまったく違う仕事でしたが、人間として成長できたというか、幅が広くなったと感じます。『なるほど!ザ・ワールド』は、“未経験でも、まずはやってみる”という、私の人生訓を与えてくれた番組でもあるんです」
2022年01月16日若さ、熱意、葛藤……ツウなあの人にとって青春って何だろう?ナルホドのセレクトから意外な一作まで。読めば、観れば、きっと誰かと“青春”したくなる、そんな偏愛作品について熱く語ってもらいました!ここでは、フリーアナウンサー・宇垣美里さんの“私の青春作品”に注目!フリーアナウンサー・宇垣美里さんの“青春作品”『スキップとローファー』思いがけないところから人間関係が広がっていく。私は漫画が大好きで、ジャンルを問わずさまざまな作品を楽しんでいるのですが、ここ最近は淡い恋愛だけでなく人と人とのつながりを描いた少女漫画が増えてきているように感じます。自分の青春時代を振り返ってみても、決して恋愛のことだけを考えていたわけではないし、実は中高生にとっては友達同士の人間関係の方が重要だったりしますよね。漫画の中で描かれている人間関係の築き方は、大人になった今でも学ぶべき点がたくさんあるんです。そんな中、特に心を掴まれたのが『スキップとローファー』。石川県の田舎から東京の進学校へ入学した主人公・みつみちゃんは、朴訥としていて一生懸命で、人と接する上で垣根があまりないタイプ。そういう彼女がクラスにいることによって、初めは雰囲気の違いから苦手意識を感じていた子たちも、「話してみたら気が合うじゃん!」って気づけたりして、思いがけないところから友情の輪が広がっていくんです。大人になったらわかるけど、「雰囲気が似てるから」や「趣味が同じだから」とかじゃない友達って、とても貴重じゃないですか。作中でも、みつみちゃんと同居するおばのナオちゃんが「誰かと本当の友達になれるチャンスってそうそうないのよ」と言っているシーンがあり、強く頷きました。出会いをきっかけに新しいことにチャレンジしたり、みんなにポジティブな変化が起こるのは、まさに人と出会えた時の醍醐味。それって一人っきりでは到達できないことだなと思います。中学生の頃に読んだ『ぼくは勉強ができない』も、同じく読んでいて世界が広がるストーリー。先生をはじめとする大人たちとの対話も心に残り、立場の違う人と関わることによって自分の気づきが増えるということを知りました。自分という存在がまだ固まりきっていないからこそ、いろんなことを柔軟に受け入れたり、大人が当たり前だと思ってしまうようなことにも「なんで?」と疑問を抱けたり。そういうピュアな姿勢には青春を感じますね。私自身も高校時代の友人とはとても仲が良くて、今でも頻繁に遊んでいます。それぞれが違う進路を選んでタイプの違う大人になりましたが、何者でもなかった頃に出会った子たちはいつ会っても居心地がいいなとしみじみ感じます。仕事では老若男女さまざまな方にお会いしますが、常に意識しているのは、相手に対してあまり先入観を持たないようにすること。初めは合わなさそうだと思っていた方と親しくなれたこともあるし、話してみないとわからないことも多いと思うんです。『スキップとローファー』高校入学を機に上京した、成績優秀だけどどこか天然な岩倉美津未。彼女のまっすぐな言動が、周囲の人の心に変化をもたらしていく。高松美咲/講談社1~6巻726円・748円©高松美咲/講談社『ぼくは勉強ができない』勉強は苦手だがサッカーが得意で女性にモテる、主人公の時田秀美。学校に居心地の悪さを感じる彼の大切なものはすべて、学校の外にある。クールな彼が、時に悩みながら躍動する青春小説。山田詠美/新潮文庫473円うがき・みさと1991年、兵庫県生まれ。フリーアナウンサー。『週刊SPA!』や『週刊文春』では趣味を生かした執筆も行っている。近著に『今日もマンガを読んでいる』(文藝春秋)などがある。※『anan』2022年1月12日号より。イラスト・アボット奥谷取材、文・大場桃果(by anan編集部)
2022年01月11日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったアイドルの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう--。「マッチさんのファンになったのは、『3年B組金八先生』(’79~’11年・TBS系)がきっかけだったと思います。主演の映画『ハイティーン・ブギ』(’82年)は前売券を買って、ちゃんと座って見られるように、朝早くに映画館に行って並んだのを覚えてます」そう語るのは、渡辺美奈代さん(52)。’80年代、アイドルのファンになるきっかけは、テレビが与えてくれた。「4つ上の姉が郷ひろみさん、西城秀樹さん、野口五郎さんの新御三家が好きで、よく一緒にテレビで見ていました。でも私にとっては少し大人すぎて、あまりときめかなくて。そんなときデビューしたのが、松田聖子さんやたのきんトリオさんで、すぐファンに。聖子ちゃんの『青い珊瑚礁』(’80年)やアルバム『Pineapple』(’82年)、マッチさんの『スニーカーぶる~す』(’80年)、『ギンギラギンにさりげなく』(’81年)など、レコードも何枚か買ってもらえましたが、やっぱり高価だったので、歌を聴くのは『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)や『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)でしたね」当時、アイドル雑誌のグラビアページを切り抜いては、透明の下敷きに挟んで学校に持っていったものだ。「アイドルグッズもはやっていて、私も黒地に金色の文字で『近藤真彦』と大きく書かれた鉛筆を持っていました。それが先生に見つかると『君の名前は近藤じゃないだろう』って怒られるんですね」■怖いもの知らずだった当時。水着審査で選んだのはビキニ!’82年には中森明菜や小泉今日子らがデビュー。アイドル全盛期が訪れていた。「なんせ愛知県の田舎育ちなので、そんな華やかな世界はテレビの中だけ。中学時代の生活の中心は、卓球部の厳しい部活動で、土日にも試合がありました。そこそこの選手だったんですよ(笑)」中3で引退すると、放課後の時間を持て余すように。だが、まだアルバイトもできない中学生。“何か習い事でもしたいな”と思っているとき、名古屋のタレント養成所の募集記事が目に入った。そこに合格してしばらくすると、養成所の社長から「これから東京に挨拶回りに行くから、一緒に行こう」と声をかけられたという。「社長には売り出したいコがいて、たぶん、その引立て役だったと思うのですが、訪問先で『おニャン子クラブがメンバーを募集しているので、チャレンジしてみませんか』とお誘いを受けたんです」部活に熱中していたので、おニャン子クラブも、出演していた『夕やけニャンニャン』(’85~’87年・フジテレビ系)も、まともに見たことがなかったという。「それでも番組内でのオーディションコーナーに出演するため、高校進学後、2週間ほど毎日のように東京へ通っていました。ただ歌やダンスのレッスン経験がほとんどなかったから、かなりひどいものだったと思います。水着審査もあってビキニを選んだんですが、いま振り返ると、すごい勇気!怖いもの知らずだったんでしょうね」■家から学校までカメラ小僧が待ち構えていた無事におニャン子クラブに合格し、愛知から上京して、芸能人が多く通う堀越高校に編入。生活は一変したという。「学校では所属事務所の送迎が禁止されていたので、歩いて通っていたんです。ファンには住んでいた家もバレていたから、家から学校まで、ずっとカメラ小僧が待ち構えていました(笑)。人が集まりすぎて身動きが取れなくなり、近くの商店街に助けを求めたこともありました。警察を呼んでくれるのですが、“身元引受人”である事務所の人に、警察署に迎えに来てもらう姿は、補導された少女みたいでした」番組で「ケンタッキーフライドチキンが好きだ」と話すとカーネル・サンダースの人形が、「不二家のケーキが好きだ」というとペコちゃんの人形が、家の前に置かれていたりもした。ときには身の危険を感じることもあったという。「いまと違ってオートロックもなかったし、住んでいた家は、玄関のドアに郵便ポストがついているタイプで。ふと玄関を見ると郵便受けの蓋が開いていて、誰かと目が合うなんてこともありました。蓋をバンダナで目隠しすると、翌朝、床にバンダナの燃えカスが落ちていたり……」熱狂的なファンがいたのは、それだけ多くの仕事をこなしていたから。あまりの忙しさのなか、鮮烈に覚えているのが、マッチとの“出会い”だったという。「マッチさんとは同じレコード会社で、幼いときは数枚しか持っていなかったレコードの、サンプル版とかを何枚ももらえたんです。そんなご縁もあり、私を担当してくれたディレクターさんがマッチさんの『愚か者』(’87年)を手がけていたこともあって、歌番組に出演したとき、ご挨拶する機会に恵まれたんです。『小学校、中学校から、ずっとファンです!』と話しかけたら『ありがとう』と言ってくれて、優しいお兄さんでしたね。ほんの短い時間でしたが、憧れの人のひと言が心に残って『私もがんばろう』と思えたんです」だからこそ、おニャン子クラブ解散後も迷いなく芸能界に踏みとどまり、新境地を切り開くこともできた。「あるとき事務所の人から“バラエティはどう?”って言われたんです。それでお歯黒をしたりして、挑戦してみたのですが、やっぱり抵抗があって……。しばらく考える時間をもらうことにしました」悩んだ末、コントに挑戦しようと決心できたのには、志村けんさんの存在が大きかったという。「『自由に楽しくやってくれれば、あとはほかの人が引き出してくれるから』とアドバイスをしてくれました。私との距離を近くするため、お歯黒のメークなども、志村さん自らやってくださったんです」’80年代の初めにテレビで見ていたスターたちが、美奈代さんを励まし、支えたのだった。
2021年12月19日カン・ハヌルとチョン・ウヒが共演、浪人生活を送る青年と古書店を営む女性が1通の手紙から心を通わす姿を通じ、青春の煌めきや切なさを丁寧に描いた心に染みわたるラブストーリー『雨とあなたの物語』。この度、韓国映画・ドラマ界をけん引し、カン・ハヌルとW主演を務めたチョン・ウヒのインタビューコメントがシネマカフェに到着した。2019年に韓国で地上波放送され最高視聴率23.8%を記録した大ヒットドラマ「椿の花咲く頃」や、パク・ソジュンとの共演映画『ミッドナイト・ランナー』で知られるカン・ハヌルと、『哭声/コクソン』『サニー 永遠の仲間たち』など映画のみならず、ドラマ「恋愛体質~30歳になれば大丈夫」で主演を務めたチョン・ウヒの共演で注目を集めている本作。さらにチョン・ウヒは、日本でも大ヒットした『スマホを落としただけなのに』の韓国リメイク作への出演が決定している。彼女は今回のオファーを決めた理由を、「私が過ごしてきた、経験してきた感性やあの頃を踏まえて『(登場人物たちの)青春時代を一度きちんと演じてみたい。自分が表現できればいいな』という思いが一番強かったように思います」と明かす。また、これまで自身が演じてきたキャラクターについて「私が今まで演じた役柄は、強い役が多かったのですが、ソヒという人物は、少し穏やかで日常的な部分を見せることができそうだったので、それが魅力的に思えました」と話す。初の単独主演映画『ハン・ゴンジュ17歳の涙』(2014)で壮絶な演技を見せ、青龍映画祭をはじめとする7つの映画祭で主演女優賞と新人賞を総なめにしたチョン・ウヒ。以後、多くの注目作に出演してきたが、最近では「恋愛体質~30歳になれば大丈夫」のジンジュ役を通して多くの視聴者の共感を得たことが記憶に新しい。「私が演じた人物にいつもたくさん共感してもらえるのは嬉しいです。演じることで、癒しにもなり、楽しみにもなり、いろいろな感情をお伝えすることができるのは素晴らしいと思うのですが、今回最も共感してもらえる役だと思っています。ソヒの温かい感情をたくさん感じていただければ嬉しいです」と語る。そして「作品ごと、キャラクターごとに共感できる部分は異なりますが、ソヒの場合は、誰もがそうであるように、家族に対して感じる大変さとか繰り返される退屈な日常とか、そういったことを感じる人が多いのではないでしょうか」と語り、「私もそうですし、そういったことを、ソヒを通して『あぁ、私もそうだな』と思ってもらえれば、共感や癒しになるのではないかと思いました」と、本作で演じたソヒへの共感を明かした。さらに、「『雨とあなたの物語』は出会うことと待つこと、そして縁についての物語です。多くの方に喜んでいただけると思います。こんな肌寒い季節にピッタリの温かいストーリーなので、たくさんの方々に見ていただければと思います」とアピール、映画館での上映に喜びのコメントを寄せている。『雨とあなたの物語』は12月17日(金)よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:雨とあなたの物語 2021年12月17日よりシネマート新宿、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて公開ⓒ 2021 KIDARI ENT, INC., SONY PICTURES ENTERTAINMENT KOREA INC. (BRANCH), AZIT FILM CORP., AZIT PICTURES CORP. ALL RIGHTS RESERVED
2021年12月15日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に夢中になったドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「医学部生だった’80年代は、必修科目も多く忙しかったけれど、他大学との交流やファッション、遊びにも夢中になりました。空き時間に渋谷に行けばパルコやマルイをウインドーショッピング。ファッションのバイブルともいえる『JJ』(光文社)のモデルだった賀来千香子さんが大好きで、その賀来さんが出演したドラマ『男女7人夏物語』(’86年・TBS系)は欠かさず見ていました」こう語るのは、コメンテーターとしても活躍する、内科医のおおたわ史絵さん(57)。高校時代、医大生だったころ、そして研修医として忙しく過ごした’80年代を振り返る。「“子どもはあまりテレビを見ないほうがいい”というのが母の教育方針だったのですが、『8時だョ!全員集合』(’69~’85年・TBS系)だけは、なぜか見せてもらえたんです」そんな小学校時代を過ごした、おおたわさんは、高校生になると、日曜夜に日本テレビで放送されていた海外ドラマに夢中になる。「テレビに厳しい母がお風呂に入る時間と重なっていたため、安心して見られたんです。『アメリカン・ヒーロー』や『チャーリーズ・エンジェル』『史上最強の美女バイオニック・ジェミー』など、好きな作品がたくさんありますね。ドラマの中で描かれる、プール付きの豪邸やかっこいい車、若者たちのパーティなど、豊かでキラキラした生活ぶりにあこがれて“いつか私もアメリカに行ってみたいなー”って夢を抱いていました」■鶴光さんの下品なラジオでおなかを抱えて笑ったテレビは見る時間が限られていたため、親から干渉されず、自分の部屋でこっそりと聞けるラジオが、至福の時間をくれたという。「『欽ドン!』もテレビ(’75~’87年・フジテレビ系)で見た記憶より、ラジオ(’72~’79年・ニッポン放送)で聞いていたときのほうがより印象に残っているし、とくに高校時代は(笑福亭)鶴光さんの『オールナイトニッポン』(’67年~・ニッポン放送)が鉄板でした。果てしなく下品で、おなかを抱えるくらい笑えて。番組の放送内容が書籍化されると、放課後に友達と一緒に読んで、Y談を楽しんだりもしました(笑)」その高校時代に打ち込んだのは、中学から始めたダンス。「ダンスの授業があって、顧問の先生がすごく熱心だったんです。創作ダンスに取り組み、衣装も生徒たちで作って、学内コンクールに参加したりしました」ただ、楽しみといえばそのくらいで、大学受験の勉強に追われる毎日。おおたわさんは父親が自宅で内科を開業していたこともあり、幼いころから“将来は医師になる”と決めていたという。「“親戚に医者と弁護士がいるといい”なんて言われていた時代で、そういった周囲の期待もあったから、ほかの道を考えたことはありませんでした」真摯に医学に向き合う父の姿からも、大きな影響を受けた。「すごく勤勉で努力家。朝の5時から起きて医学書を読んでいたり、夜中でも日曜でも『具合が悪い』と患者さんから電話がかかってくると、往診に出かけたりしていました。そんな父を見ていると、遊びたいし、怠けたいと思っている、こんな私に医者が務まるのかという不安もありました」だが父親は“人生の幅を広げるためにも、医学以外のことも経験すべき”と、さまざまなチャレンジを応援してくれた。「なんとか医大に進学できたのですが、真面目な女子が多い医科大学ということもあり、大学生活は決して華々しくはありませんでしたね(笑)。朝から夕方まで学校にいて、想像していたのとは真逆でした」■ナンパも経験!ディスコに通った大学生時代そんな大学生活のなかで印象に残っているのが、高校時代にドラマで見てあこがれたアメリカへの、短期留学だった。「大学2年時の夏休みを利用して、1カ月間、ホームステイしました。ホストファミリーがすごくお金持ちで、ロサンゼルスの郊外にあるプール付きの一軒家のほかに、ベニスビーチにコンテナハウスを持っていて、そこにも遊びに行きました。ホスト先には同年代のブロンドの女のコがいて、毎日、私を遊びに連れ出しては、たくさんのボーイフレンドを紹介してくれたんです」かつて夢見たアメリカ西海岸での生活を満喫した、おおたわさんが、大学4年のときに夢中になったのが『男女7人夏物語』だ。「主役の(明石家)さんまさんも魅力的でしたが、賀来千香子さん目当てでした。ドラマの脚本や設定も時代を象徴していて、男女がくっついたり離れたり、面倒くさいことをしているんですが、気持ちの揺れや不安、人に寄り添ってほしくなる気持ちなど、すごく細かく心情が描写されていて、共感できたんです」脇を固めた片岡鶴太郎の存在も大きかったという。「三枚目だけど、すごく友達思いの男性を好演。鶴太郎さんはこの後、主役を務めた単発ドラマ『季節はずれの海岸物語』(’88~’94年・フジテレビ系)も含めて、一気に“いい男感”が増してきたように思います」続編の『男女7人秋物語』(’87年・TBS系)での手塚理美のワンレングスヘアには、おおたわさんも影響を受けたという。「医学生時代は、ワンレン、ボディコンでディスコにも行きました」中高時代、ダンスが好きだったことから、踊るのが目的だったが、ナンパも経験。「どんな仕事かわからない、けれどもやたらと羽振りのいい男性陣に、ごちそうしてもらったり、みんなで湖畔のコテージへキャンプに連れて行ってもらったり(笑)。いったい、どこからお金が出ていたのかわかりませんが、男性にとって、女子大生のグループを呼べることがステータスだった時代なんでしょうね」医学部を卒業するとともに研修医となり、遊ぶ時間もない“暗黒時代”に。だが、バブル景気も手伝い、さまざまな経験ができた’80年代は、その後の人生に彩りを与えてくれたという。「“医者とはこうあるべき”などと小さくまとまらず、自分を型にはめない生き方ができている気がします。ラジオ番組に挑戦することもできたし、それがきっかけで『ホンマでっか!?TV』(’09年~・フジテレビ系)ではさんまさんとの共演もかないました。『男女7 人~』を見ていた当時は、夢にも思わなかったこと。今、矯正施設の受刑者への医療という、新たな医療活動に挑戦できているのも、さまざまな経験を積み重ねたからだと思います」
2021年12月12日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に踊りに行ったディスコの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう——。「最初はディスコで流行っていた『ヴィーナス』(’86年)を日本語でカバーするための“勉強”という名目だったんですが、しだいに楽しくなって(笑)。マハラジャのプリンがすごくおいしかったし、なによりゴージャスな店内の雰囲気が非日常でした」こう語るのは9月に『下町銀座』をリリースした、演歌歌手の長山洋子さん(53)。もの心ついたときから歌に囲まれ、触れ合っていたという。「とくに父が民謡好きで、仲間同士で集って趣味で楽しんでいました。最後はお酒の席になるんですが、幼かった私もいつも参加していたんです」民謡教室に通い、10歳からは津軽三味線も習い始めた。同時期に入会したのが、ビクター少年民謡会だ。「もちろん、民謡以外のポップスや歌謡曲も好きで、ピンク・レディーやキャンディーズ、山口百恵さんの歌をテレビで聴いたり、自分でもマネしたりしていました。『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)や『レッツゴーヤング』(’74〜’86年・NHK)は欠かさなかったし、ドラマではたのきんトリオが好きで『3年B組金八先生』(’79〜’11年・TBS系)も見ていました」もっとも印象に残っているドラマは、中学生のころに見た、山田太一脚本、古手川祐子、森昌子、田中裕子らが出演した『想い出づくり。』(’81年・TBS系)。「決して明るい内容ではなかったのですが、仕事や人生の壁にぶち当たった女性3人の、恋愛模様が描かれていました。思春期真っただ中の私には刺激的な内容で“大人の女性って、こんな恋愛をしているんだ”って、あこがれに近い思いも抱きました」■高校生の頃は“切なさ”や“哀愁”が理解できなかった……そんなごく普通の中学生活を送りながらも、“中学を卒業したらビクター少年民謡会も退会することに……。その先、どのように大好きな歌と関わっていけばいいのかな”と進路を考えていたとき、大きな転機を与えてくれたのが『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)だった。「出演者が早口言葉に挑戦したりしていた『少年少女合唱隊』のコーナーで、同じように民謡に挑戦する回が何度かあったんですね。そこに、私たちビクター少年民謡会の子どもたちが登場し、郷ひろみさんにコブシの回し方を教えたりしたんです。付き添いの母親たちも興奮していたし、私もミーハーだったので、ご一緒したタレントさんから、サインをもらっていたと思います」出演時、芸能事務所のスタッフに声をかけられたのが、歌手デビューのきっかけとなった。中学卒業後、芸能コースがある高校へ進学し、デビューの準備が始まった。「演歌も民謡と同じように考えていましたが、ぜんぜん別ものでした。民謡はギリギリのキーまで上げておなかから声を出しますが、演歌は“間”を作ったり、抑えて歌う部分もあります」技術的な練習はできるが、歌の世界観には人生経験も反映される。「市川昭介先生からは『もっと切なく』『もっと哀愁を出して』とアドバイスされるんですが、高校生の私には、“切なさ”とか“哀愁”とかが、なかなか理解できなくて……」1年半以上レッスンを受け、高2の春(’84年)には、阿久悠が手がけた『雪国』という曲でデビューすることまで決まっていた。「デモテープも作っていて、いつでもレコーディングできる状態。それなのにデビュー4カ月前に、『洋子に演歌は早い。まずはアイドルとしてデビューする』と、方針が変わってしまったんです。戸惑いはしましたが、あまりに忙しくて、悩む時間はまったくなかったですね」フィンランドで作られた原曲に、日本語の詞をつけたカバー曲を急きょ、レコーディング。「お人形さんのように、言われたとおりに動いて」、ようやくデビュー日に間に合わせたという。「新人賞の賞レースで、ミニスカート姿で同期のアイドルと並んでいるときは“演歌を歌うつもりだった私が、なんでここにいるのかな?”と疑問に思っていました」■芸能人は顔パスで…マハラジャ通いで鍛えられたリズム感とはいえ、忙しかったのはデビュー1年目だけ。2年目に入ると、あらたにデビューしたアイドルに注目が集まるように。「毎月初めにスケジュール表を渡されるんですが、2年目に入ると“うそでしょ、印刷し忘れてない?”って思うくらい、真っ白に。“これが現実か……。このままでは忘れられてしまう”って、血の気が引く思いでした」そんな時期に、ディスコから生まれたバナナラマのヒット曲『ヴィーナス』と出合い、日本語バージョンを「洋子に歌わせてみようか」ということになったという。「それまでディスコとは縁遠く、縦ノリで歌う経験もなかったため、事務所のスタッフから『勉強のつもりで、マハラジャに行って遊んでこい』と言われたんです。ディスコブームの中心地・マハラジャには、テレビや音楽業界の人たちが毎晩のようにこぞって通っていたんですね。いつ行っても行列ができていたんですが、芸能人は顔パスということで入れてもらえて。『あまりにもリズム感がない』と言われていましたが、ディスコにいるとガンガン音が聞こえて、いやでも洋楽のリズムが体に入ってきました」『ヴィーナス』はヒットし、自身初のオリコンベスト10入りを果たした。「昼間、マハラジャを貸し切りにしてイベントを開催したり、夜は『歌いにきました。踊ってください』とプロモーション。すごく忙しくなって“これで歌手として生き残れるかもしれない”って、ようやく自信が得られたんです」歌手ばかりでなく、女優としての活動を開始したのもこのころ。「’90年からは時代劇『三匹が斬る!』シリーズ(’87〜’95年・テレビ朝日系)に出演して、3年間、京都撮影所に通いながら、着物の着付けや所作を学びました」一方で、演歌の勉強も一からやり直し、’93年、『蜩—ひぐらし—』で、念願の演歌デビューを果たすことができた。「自分の描いていた道からだいぶ遠回りしましたが、今思うと一つのことだけを身につけるより、さまざまなジャンルを吸収したからこそ、現在の演歌歌手としての私があるんだと思います」マハラジャ通いも、演歌歌手になる夢をかなえるための、重要な勉強の一つだったのだ。
2021年11月29日北村匠海主演、黒島結菜、井上祐貴共演の青春映画『明け方の若者たち』より、青春の日々を切り取った場面写真が解禁となった。本作の原作はTwitterでの“妄想ツイート”が話題となり、10~20代から圧倒的な支持を獲得したウェブライター・カツセマサヒコの大ヒット青春恋愛小説。『君の膵臓をたべたい』『東京リベンジャーズ』の北村匠海が主人公の<僕>役を務め、2022年のNHK連続テレビ小説「ちむどんどん」でヒロインに抜擢された黒島結菜が<僕>の一目ぼれ相手である<彼女>を、「ウルトラマンタイガ」の井上祐貴が<僕>の同期で親友となる<尚人>を演じる。23歳の新進気鋭監督である松本花奈がメガホンをとり、2010年代の若者のリアリティ溢れる青春劇の映像化に挑戦した。このたび解禁された場面写真では、<僕>が布団の上で憂鬱そうな表情を浮かべ携帯電話を見つめる姿や<彼女>と肩を寄せ合う仲睦まじい様子、<僕>の会社の同期で親友の<尚人>の姿などを見ることができる。<僕>と<彼女>と<尚人>の3人で、高円寺の飲み屋で夢を語り合う、まさに“マジックアワー”のようなひと時を写した1枚も。緊張した様子で手を繋ぎ見つめ合う<僕>と<彼女>の姿からは、“沼のような5年間”の始まりを予感させ、<僕>と<尚人>が呆然とした表情で立ち尽くす、何が起こったのか気になるカットも。最後には、大人になった<僕>が“明け方”になんとも言えない表情で空を見上げる姿があり、<僕>が過ごす“沼のような5年間”の行く末が気になる場面写真となっている。北村さんは「映画に登場する、街や音楽が偶然にも僕の ''本物の青春 ''と重なっていて、もうニ度と帰ってこない人生のマジックアワーをまた味わえたような、切なくてじんわりあったかくて、笑ってるのか泣いてるのかよくわからないあの頃を、皆さんも思い出せるかもしれません」と、北村自身含め誰もが経験したであろう青春時代を思い出させる作品であることをアピールしている。大注目の実力派若手キャストと新進気鋭の監督が描く20代の青春譚に注目だ。『明け方の若者たち』は12月31日(金)より全国にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:明け方の若者たち 2021年12月31日より全国にて公開
2021年10月29日アカデミー賞で主演女優賞に輝いたジュリアン・ムーアと、同賞の外国語映画賞を受賞したセバスティアン・レリオ監督の豪華コンビで贈る『グロリア 永遠の青春』より、予告編と場面写真が解禁された。アメリカ、ロサンゼルス。アラフィフ女性のグロリア・ベルは、離婚や子育てを乗り越えて自由な日々を送っていたが、どこか満ち足りない寂しさを感じていた。そんなある夜、クラブでアーノルドという年配男性から声を掛けられた彼女は、同じく離婚経験をもつ紳士的な彼に興味を惹かれ、付き合うことに。詩を読み、哲学的な話題で盛り上がるなど知的にも洗練され、新たなパートナーとして理想的な相手に思えるアーノルド。しかし、グロリアはデート中に元妻や娘たちから電話が掛かってきた際、自分との関係を秘密にしていることが気にかかる――。ジュリアン・ムーアが、セバスティアン・レリオ監督の『グロリアの青春』に惚れ込みリメイクを熱望したことをきっかけに、レリオ監督自身がハリウッドの豪華キャストを迎えて生まれ変わらせた本作。離婚と子育てを乗り越えて、自由に生きる主人公のグロリアに訪れた“人生の春”を描いている。このたび解禁となった予告編は、ロサンゼルスのクラブで主人公のグロリア(ジュリアン・ムーア)が、自分と同じバツイチで子持ちのアーノルド(ジョン・タトゥーロ)と出会うシーンから始まる。デートを重ねるにつれて、ふたりは恋に落ちていくが、アーノルドを息子の誕生日パーティーに招待した際、前夫との仲睦まじい関係に深く嫉妬をされ距離が離れてしまう…。いくつになっても、仕事に、恋に、自由を謳歌するグロリアの魅力が詰まった予告編になっている。また併せて解禁された場面写真8点では、ラスベガスの高級ホテルを訪れるふたりの様子や、プールサイドで呆然と佇むグロリアの様子が切り取られている。『グロリア 永遠の青春』は12月3日(金)よりkino cinema横浜みなとみらい・立川高島屋S.C.館・天神ほか全国にて順次公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:グロリア 永遠の青春 2021年12月3日よりkino cinema横浜みなとみらい・立川髙島屋S.C.館・天神ほか全国にて公開© 2018 GLORIA FILM DISTRIBUTION, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
2021年10月26日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代、毎週楽しみにしていた歌番組の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょう――。「’80年代は、とにかくテレビ番組が面白くて、学校から帰ってから、ずっとつけっぱなし。とくに『ザ・ベストテン』(’78~’89年・TBS系)の日は、お風呂に入って晩ご飯を食べ、歯を磨き、宿題以外のその日にやるべきことを全部終わらせて、放送が始まるのを待っていました(笑)」こう語るのは島崎和歌子さん(48)。世代的に『ザ・ベストテン』で記憶に色濃く残るのは、山口百恵やキャンディーズより、松田聖子を筆頭とした’80年代アイドルだという。「当時はまだ小学校低学年。私はショートカットだったんですが、高校生くらいのお姉さんたちはみんな聖子ちゃんカットにしていて。あまりにもみんな同じ髪形だったから“大人になると、自然と聖子ちゃんカットみたいになるのかな”って思っていました」さまざまなアイドルが登場し、次々に新曲がリリースされていたから、覚えるのが大変だった。「『明星』の付録だった歌本『ヤンソン(Young Song)』 には楽譜が付いている曲もあったから、たて笛やピアニカで演奏してみたり。よっぽど大事にしていたみたいで、今でも実家に何冊か取ってあるんです」歌番組のときはラジカセをテレビの前に置いて、好きな曲を録音したのも“’80年代あるある”だ。「うまく録音できなかったときは、次の日に学校の友達からカセットテープを借りて、ダビングさせてもらうんだけど、ダビングにダビングを重ねたものになると、すごく音も悪くなって(笑)」■フミヤがしいたけって言ったことに大興奮島崎さんが小学校高学年になるとチェッカーズ旋風が巻き起こり、デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』(’83年)と『涙のリクエスト』『哀しくてジェラシー』(ともに’84年)の3曲が、ベスト10内に同時ランクインを果たした。「すごい快挙だったんでしょうけど、当時は子どもだったので“3曲も聴けてラッキー”くらいにしか思っていませんでした。『ザ・ベストテン』と同じくらい好きだった『ザ・トップテン』(’81~’86年・日本テレビ系)で、フミヤさんが大嫌いなしいたけを食べた後に『涙のリクエスト』を歌って、歌詞の一部を『さいごーのー、しいたーけー』と変えたものだから、客席から大歓声が上がったんです。私もテレビの前で『フミヤがしいたけって言ったよ!』って大コーフンしたのを、48歳になるのに、まだ覚えていますね」同時期に見たおニャン子クラブからは、ファッションの影響も。「メンバーがおそろいで着ていたセーラーズの洋服がすごく欲しくて。でも、高知ではなかなか手に入らず、近所のスーパーで“セーラーズっぽい”服を買ってもらったんです。すごくお気に入りで、中学の修学旅行にも着ていきました」田舎育ちの島崎さんにとって、キラキラした芸能の世界は、テレビの中だけに限られたもの。「おニャン子クラブって“隣のお姉さん”的なコンセプトだったと思うのですが、私にとっては、かなり遠い存在でした。だいたい当時のアイドルの“全国ツアー”って、札幌、東京、名古屋、大阪ときて、私のいる四国は飛ばして、福岡っていうパターンが多かったですもんね」だから中3のとき、「ロッテCMアイドルはキミだ!」のオーディションに応募はしたものの、受かるとは夢にも思っていなかった。「1年分のお菓子がもらえるとか、そのくらいの動機でしたね。まったく接点のなかった芸能界に、少し関われるかもしれないという思いもなくはなかったですが。友達と応募用紙を投函するとき、すごくドキドキして、でも、それだけで満足。後はすっかり忘れていたくらいです」ところが夏休みに入ると、書類審査を通過したとの電話連絡が。歌の審査があると聞き、ドラマ『毎度おさわがせします』(’85~’87年・TBS系)でブレークした中山美穂の『50/50』(’87年)を歌おうと、やはり『ザ・ベストテン』で録音して、練習した。「オーディション会場がアルタだったから、新宿のホテルに泊まったのですが、初めての東京で、高層ビルに圧倒されてしまい、どこにも観光に行けませんでした」結果は惜しくも準グランプリ。だが、帰る準備をしていたときに、事務所の社長がスカウトしてくれたという。「こんなチャンスはめったにありませんし、母も『娘はいずれ家を出ていってしまうもの。それが少し早くなった』と応援してくれました。まあ、まだ家を出たわけではなかったので、いまではいいネタになっているんですが(笑)」■テレビを見過ぎて「引きこもっている」と勘違いされるほど中学卒業を機に上京。寮で共同生活を送るようになったが、テレビ好きは収まらず--。「『笑っていいとも!』(’82~’14年・フジテレビ系)や、高知では当時放送していなかった『夜のヒットスタジオ』(’68~’90年・フジテレビ系)など、自分の部屋でテレビばかり見ていて、スタッフから“東京になじめず、ひきこもっているんじゃないのか”と心配されたほど」’89年1月に、荻野目洋子主演のドラマ『こまらせないで!』(フジテレビ系)で女優デビュー、5月にはシングル『弱っちゃうんだ』で歌手デビューを果たした島崎さん。アイドル路線を目指したが。「バンドブームの到来で、アイドルにとっては冬の時代。歌番組も減り、芸能界で生き残るためには、バラエティ番組に活路を見いだすしかなくて。若いコたちとカラオケに行くと『和歌子さん、歌、うまいっすね』なんて言われるんです。『だって私、歌手だよ、スマホで調べてみて』って言うと、『ホントだ。でも1曲も知らない』って」大好きだった『ザ・ベストテン』への出演はかなわず、路線変更も余儀なくされたが、だからこそ『ザ・ベストテン』のように豪華で、しかも生放送の『オールスター感謝祭』(’91年~・TBS系)と出合う幸運にも恵まれた。「初回からずっと総合司会を務めさせてもらって、今回の放送(10月9日)で、なんと30年!一緒にMCを務める今田(耕司)さんからは『島崎が80歳になっても“アンサーチェック”とか言ってたら、おもろいな』って。それを次の目標の一つにしています」
2021年10月11日乾ルカさんの『おまえなんかに会いたくない』は、同窓会をめぐる青春群像劇だ。同窓会SNSに不吉な書き込みが。卒業生たちが向き合う過去とは?「高校卒業から10年も経てば、みんな成長したり変わったりしているはず。その時、それぞれのなかで当時がどう映し出されているかにフォーカスを当ててみました」北海道の高校の同窓生たちの視点で綴られる本作。卒業から10年、校庭に埋めたタイムカプセルの開封を兼ねて同窓会を開く話が持ち上がり、元3年6組の面々はSNS上で盛り上がる。だがそこに、匿名のアカウントから、タイムカプセルには遺言墨で書かれたメッセージが入っているとの書き込みが。遺言墨とは不気味な都市伝説で…。「私が考えた架空の伝説です。それにまつわるエピソードをひとつひとつ考えるのは楽しかったです(笑)」それを機に、彼らは高校時代のいじめを思い出す。当時、教室内カーストを無視した行動をとったことで、村八分になった生徒がいたのだ。「教室内では、空気を読まないことが失態になる場合もある。私も高校時代、一生懸命に空気を読んでいました。いま思うとなんであそこまで気を使っていたのかと思いますが、当時は必死でした」当時の教室にはさまざまな立場の生徒がいた。燦然と君臨する女王、彼女と対等になりたがる存在、密かにカーストの上に憧れる女子、影の薄いまとめ役の男子、等々。「みんな、心のどこかで周囲から認められたい気持ちがあるんですよね。承認欲求はこの小説のセカンドテーマかもしれません」一方、分け隔てのない態度をとる女子生徒もいた。一見いい人だが、「ジョーカー的な超越キャラですが私にとっては同じクラスになりたくない人。彼女のような人は気に入った人には話しかけるけれど、気に入らない人には話しかけないところがある。私は話しかけられる自信がないんです」10年後、彼らはそれぞれどんな道を歩んでいるのか。物語はコロナ禍で一人一人の仕事や行動に影響が出る様子も盛り込まれる。そして同窓会の日、明かされる真実は―。「物語の最後の一言には、いろんな意味を込めました」と乾さん。自分に、周囲に、過去に向けたその言葉が突き刺さる。『おまえなんかに会いたくない』卒業から10年。北海道の白麗高校の元3年6組の面々は同窓会の知らせを受け取る。だが、SNSには匿名で不穏な書き込みが…。中央公論新社1760円いぬい・るか2006年「夏光」でオール讀物新人賞を受賞してデビュー。直木賞候補の『あの日にかえりたい』、大藪春彦賞候補の『メグル』、映像化された『てふてふ荘にようこそ』など著書多数。※『anan』2021年9月22日号より。写真・中島慶子(本)インタビュー、文・瀧井朝世(by anan編集部)
2021年09月21日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代に心を奪われたアイドルの話。活躍する同世代の女性と一緒に、‘80年代を振り返ってみましょう――。「少年隊が『仮面舞踏会』でデビューしたとき、3人ともバク転、バク宙ができ、マイクを投げてキャッチをするなど、今のキンプリ(King&Prince)の源流ともなるアクロバティックなパフォーマンスが圧巻でした」そう話すのは世代・トレンド評論家の牛窪恵さん(53)。錦織一清(ニッキ)、東山紀之(ヒガシ)、植草克秀(カッちゃん)の3人のキャラが、絶妙な組み合わせだったという。「ヒガシは冷静であまりしゃべらない王子様キャラ。踊りもシャープで、A型らしい真面目でストイックなタイプに見えます。カッちゃんはいじられキャラで、少し抜けたところが魅力。レーシングカートが趣味という男性的な部分もあり、ダンスはシャープなヒガシと対照的に、力強い。リーダーのニッキは器用で、つっこみもうまい。演技力も評価されており、テレビドラマの出演も多数ありますよね」ライブでは曲の合間のトークも評価が高かったという。「さだまさしさんや谷村新司さんのトーク力は有名ですが、10分以上もの間、観客を楽しませられるアイドルは貴重な存在でした。ファンの方々いわく、トークにも毎回、黄金パターンのようなものがあり、そこだけでも見る価値があったといいます」舞台で映えるのは、少年隊が早い時期からミュージカルで経験を積んでいたからでもあるだろう。「ミュージカル『PLAYZONE』(プレゾン)はデビュー翌年の’86年に始まり、毎年夏に30から50公演も行われていました。’07年夏には900公演を超え、’09年にジャニーズの後輩に引き継がれたのです」もちろん、歌のほうでも『デカメロン伝説』(’86年)、『ダイヤモンド・アイズ』(’86年)とヒットを連発。デビュー3年目の’87年、『君だけに』で、さらに新たな魅力が引き出されたという。「3人が向かい合い、指を鳴らしてリズムをとる導入部が印象的で、大人の男性を前面に出した“聴かせるバラード”。歌詞も大人向けの内容で、アイドルファンの年齢層をグッと上まで広げました」’80年代後期には、ヒガシが“しょうゆ顔”の代名詞に。「サーフィンブームもあり、日焼け肌も多く力強い印象の“ソース顔”が人気でしたが、時代の移り変わりとともに、ヒガシのようなシュッとしたあっさり顔が注目を集めるようになりました。海外からも“ジャパンビューティ”と評されるようになったのです」
2021年08月30日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代から追いかけているアーティストの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「私にとっての’80年代は、16歳で原付免許、18歳で四輪免許(普通自動車免許)、果てはA級ライセンスまで取得した“乗りもの命”の青春時代でした。そしてドライブ中、よく聴いていたのがユーミン。ずっとファンで、今年初めの舞台でも、ユーミンの新曲『ノートルダム』を歌わせてもらったくらいなんです」こう語るのは、女優の高島礼子さん(57)。ほかに渡辺真知子やオフコース、矢沢永吉も好きだったが、’80年代アイドルがこぞって出ていた歌番組やバラエティ番組を見る機会は、少なかったという。「父が厳しくて、とにかくテレビを見せてくれなかったんです。ただ“歴史の勉強にもなる”と、例外的に許してくれたのが、時代劇。家族が集まって『暴れん坊将軍』(’78〜’02年・テレビ朝日系)や『水戸黄門』(’64〜’19年・TBS系)をよく見ていました。『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)も『暴れん坊将軍』の裏番組だったので、ほとんど見られませんでしたね」当時の学校での話題は歌番組やバラエティ番組のことが中心。友達との会話についていくことができなかったはずだが。「私、すごく内向的で、自己主張しないタイプだったんです。それに、先輩と少し話しただけで『生意気』などと言われ、いじめられたりもしていて……。長いものに巻かれて、おとなしく、みんなの話題の中にも積極的には入っていかなかったですね。そんなこともあって、強くて自立している女性に憧れていた部分があります」■車の中が、自由になれる場所だった“乗りもの命”になったのも、自分らしく自由でありたかったからかもしれない。「実家は最寄り駅までバスに乗らなければ行けない場所にあったのですが、原付免許を取ってからは、スクーターで自由にどこにでも行けるようになって。うれしかったですね」自立したいという思いから、高校時代はアルバイトに励んだ。「ガソリンスタンドで働く女子高生って、そのころは珍しかったんじゃないですか。店長さんも驚いたと思うのですが、面接に母までついてきたことで、信頼してもらえたみたいです」誕生日から逆算して高3になってすぐ教習所に通いだし、18歳になると同時に普通自動車免許を取得した。「誕生日のプレゼントに、母が20万円の中古車を買ってくれたんです。スカイラインに憧れていたんですが、さすがに無理なので、最初の車は“小さなスカイライン”といわれた、日産のラングレーでした」家では個室がなかったぶん、車の中が自分だけの場所となった。「ずっといじめられていた自分が、すごく自由で楽になれるのが車でした。ドライブ中、風の音や波の音を聞くのも大好きですが、車は音楽を聴くにも最高の空間です」海まで車を走らせながら、サザンオールスターズに杉山清貴、そしてユーミンのアルバムを録音したカセットテープをかけた。「いちばん心に残っているのは、やっぱり『NO SIDE』(’84年)。今でもカラオケで歌うは、このころの曲が中心です」
2021年08月23日「私にとっての’80年代は、16歳で原付免許、18歳で四輪免許(普通自動車免許)、果てはA級ライセンスまで取得した“乗りもの命”の青春時代でした。そしてドライブ中、よく聴いていたのがユーミン。ずっとファンで、今年初めの舞台でも、ユーミンの新曲『ノートルダム』を歌わせてもらったくらいなんです」こう語るのは、女優の高島礼子さん(57)。ほかに渡辺真知子やオフコース、矢沢永吉も好きだったが、’80年代アイドルがこぞって出ていた歌番組やバラエティ番組を見る機会は、少なかったという。「父が厳しくて、とにかくテレビを見せてくれなかったんです。ただ“歴史の勉強にもなる”と、例外的に許してくれたのが、時代劇。家族が集まって『暴れん坊将軍』(’78〜’02年・テレビ朝日系)や『水戸黄門』(’64〜’19年・TBS系)をよく見ていました。『8時だョ!全員集合』(’69〜’85年・TBS系)も『暴れん坊将軍』の裏番組だったので、ほとんど見られませんでしたね」そんな高島さんにとって、当時、夏の風物詩ともなっていた、逗子マリーナでのユーミンのコンサートは1年に一度の楽しみだった。「毎年必ず、仲のいい友達数人と行くんですが、横浜の人間として、逗子にまで来てくれるユーミンを神のように思っていました。舞台演出もすごくゴージャスで、日常を忘れさせてくれる。帰り道、みんなであれこれ語り合うのも楽しい時間でした」■乗りもの愛が高じて、高校卒業後はアマチュアレーサーに高校を卒業後、いっそう“乗りもの”にのめり込んだ高島さんは、自動車関連会社に就職。「総務部総務課という、車とはほぼ関わらない部署でしたけど(笑)。並行してアマチュアレーサーとしての活動も始め、21歳のときに国内A級ライセンスを取りました。ただ、レースは夢中になればなるほど、お金が出ていく一方で……。世の中が好景気に沸き上がったバブル時代が、いちばん貧乏だったかもしれません」レースの資金稼ぎのために始めたキャンギャルがきっかけとなり、芸能事務所に所属し、’88年、女性のための転職雑誌『とらばーゆ』(リクルート)のCMに抜擢。その姿がテレビ局のプロデューサーや松平健の目に留まり、’89年、25歳のときに、父が見ることを許してくれた希少なテレビ番組『暴れん坊将軍』で、女優デビューを飾ることになる。「レースではどんなに頑張っても男性の腕力や気力、オタク度に勝てず、限界を感じていて。この先、どうやって生きていこうと考えていたところでした。厳格な父も本来なら芸能界入りに反対したのでしょうが、声をかけてくださったのが、あの“暴れん坊将軍”ですから。拍子抜けするほど賛成してくれました(笑)」以来、ドラマや映画、舞台など、多方面で活躍。8月20日からは、被爆した長崎・浦上天主堂のマリア像を軸に、平和への願いが描かれた映画『祈り—幻に長崎を想う刻—』が公開される。「映画は、お客さんが選んで、お金を払って、時間を作って、来てくださるもの。だからこそ、演じる側としては、瞬きひとつにも気持ちを込めたい。そう思えるのも、ユーミンの唯一無二のステージを、毎年、見てきたからかもしれません」
2021年08月23日自意識が渦巻く教室で、主人公になりたかった私たちへ。谷口菜津子さんによるコミック『教室の片隅で青春がはじまる』をご紹介します。「ラジオが好きで“学校あるある”を投稿するコーナーを聴いていたんですけど、痛々しい記憶が多いんですよね。恥ずかしい思い出でしかないんだけど、みんなと共有することで微笑ましくなったり、楽しい記憶になるのがいいなと思って。私も読む人が、過去の失敗や恥ずかしい記憶を優しく思い出せるマンガを描きたくなって、自意識が暴走していた高校時代の教室を舞台にしました」谷口菜津子さんの『教室の片隅で青春がはじまる』は、同じ教室で机を並べる女子高生のオムニバス。彼女たちはみな自分を特別視し、小説にしたらベストセラーになるような人生を送りたいと願い、信じてもいるけれど、それが難しいことも心のどこかでわかっている。たとえば有名になりたい吉田まりもは、ユーチューバーデビューをしても空回り。おまけに周りと合わせることができず、いつも浮いている。「私も浮いていた時期があったんですよね。いま思うと、あれはクスクス笑いじゃんみたいな(笑)。ほかにも周りで浮いていた人の気持ちを想像して、笑われがちだけどだんだん目が離せなくなってしまうようなキャラクターにしてみました」まりもの人生初の友達となるネルは、宇宙からの留学生。自分の星ではまったくモテず、地球だったら特別になれると信じてやって来たが、結局マスコット扱いされてしまう。「飼い猫が巨大化して、人間の恋人が欲しいと思ったらどうなるんだろう、と想像してできたキャラです」ほかに登場するのは、オタクであることを隠している美少女のニカ、SNSの裏アカで完璧な女子高生を演じるめぐみ、宇宙人と地球人のハーフでどちらにも属し切れないサイリ、存在価値を男で見出し、自分を空っぽだと感じるマイ。彼女たちは理想と現実の乖離に悩みながら、やがて自分らしさを見つけていく。「他人にはっきり教えてもらって変わるのではなく、他人と接することで変わるきっかけが見えたり、気づけるようにしたかったんです。実際今の自分がいるのは、いろんな出会いの積み重ねによるものだから、その一部を描きたいと思いました」恥ずかしい以外の何物でもなかったはずの過去の記憶が、大人になった自分を形作る、かけがえのない思い出へと変わることもあるのだ。「最後はとにかくみんな幸せになってくれ、と思いながら描きました。当時の私に対しても、やっぱり幸せになってほしかったんですよね」今よりずっと不器用で、窮屈だったあの頃の友や自分を、優しく抱きしめたくなるような作品だ。『教室の片隅で青春がはじまる』女子高生の自意識と友情をそれぞれの視点で描くオムニバス。「自分が思い込んでいたマンガの描き方を捨てて、自由帳的に描いた」という絵も必見!KADOKAWA924円©谷口菜津子/KADOKAWAたにぐち・なつこマンガ家。著書に『レトルト以上・ごちそう未満! スキマ飯』『彼女と彼氏の明るい未来』など。イラストも数多く手がける。※『anan』2021年8月11日‐18日合併号より。写真・中島慶子インタビュー、文・兵藤育子(by anan編集部)
2021年08月12日主演・柳楽優弥、有村架純、三浦春馬の豪華共演で、”日本の原爆研究”を背景に、時代に翻弄されながらも全力で駆け抜けた若者たちの等身大の姿を描いた青春グラフィティ『映画 太陽の子』ついに今週、 8月6日(金)に公開となる。太平洋戦争末期に存在した「F 研究」と呼ばれる“日本の原爆研究”。 その事実を基に、3人の若者たちの青春を描く本作の監督・脚本は『青天を衝け』など多くの話題作を手がける名手・黒崎博。彼が10年間大切に温め続けたこの企画に共鳴し、柳楽優弥、有村架純、三浦春馬、田中裕子、國村隼、イッセー尾形、山本晋也、そしてピーター・ストーメアが参加。音楽にはアカデミー賞(R)5部門ノミネートの『愛を読むひと』のニコ・ミューリー、サウンドデザインに『アリー / スター誕生』のマット・ヴォウレスと、ハリウッドスタッフが続々と参加。さらに主題歌を、製作陣の熱い想いを受け止めた福山雅治が担当し、心に沁みるバラード「彼方で」で物語を深く彩る。本作と同様、時代に翻弄されながらも懸命に生きる若者の姿を描いたという点で共通点があるのは、2016年に大ヒットした『この世界の片隅に』だ。18歳で嫁いだ主人公・すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして心豊かに生きる姿を描いた『この世界の片隅に』。実は『映画 太陽の子』も激動の時代の中、“若者たちの青春姿”が印象的だ。まず共通するのは戦争映画というと戦地での戦闘シーンや、空襲を受けるシーンなど、極限状態に追い込まれ暗く重たい描写が多いが、本作は幼馴染み3人が海に出かけるシーンや縁側で“未来”について語るシーンもあり、当時も今の私たちと何ら変わらない日常がそこにあったこと、そしてその日常がどれほど愛おしいものか、気づかせてくれる点である。また、『この世界の片隅に』で印象的なシーンの一つが料理のシーン。少ない配給の中、野草を使ったり、お米をかさ増しする炊き方を実践したりと、すずが様々な工夫を凝らしながら笑顔で食事を作る姿に、思わず胸がほっこりする和やかなシーンとなっている。同じように、日々の暮らしの営みを丁寧に描くことを大事にしていた『映画 太陽の子』。だからこそ、幼馴染みの世津と修の母・フミがばら寿司を作ったり、おにぎりを握ったりするシーンは、その一つ一つがどれくらいこの物語にとって大事か、スタッフもキャストも理解しており、特にフードコーディネーターの宮田清美は、当時の配給で何が手に入ったのか、白米と玄米との配合なども丹念にリサーチした。少ない食材で子どもたちのためにどこまで考えるか、当時の母親たちと同じように考え抜き工夫を凝らした料理のシーンは、心温まること間違いなしだ。さらに『この世界の片隅に』の主人公・すずの好きなものといえば、絵を描くこと。迷子になった時ですら道に絵を描いてしまうほどだが、戦時下でも好きなものに夢中になる姿や、すずの絵を通じて家族や姪っ子との関係を深める様子は、より一層、すずの存在を身近に感じることができる。一方、『映画 太陽の子』の主人公・修が夢中になってしまうものは“実験”。軍から新型兵器開発の極秘任務を受けた京都帝国大学の学生で、原子物理学を志す科学者である修は、周囲から「実験バカ」と呼ばれるほど情熱的に研究に没頭してしまう。その姿は狂気すら感じるが、修というキャラクターから目が離せずにはいられない。足早く『映画 太陽の子』を鑑賞した『この世界の片隅に』のプロデューサー・真木太郎も、本作で描かれている“日常”に注目。「戦時下という非日常のなかの日常。しかも大事な大事な青春期。だからこそ感じて欲しい日常の大切さ。そうでないと3人の主人公が報われない。ぜひ3人に寄り添ってください」とコメントを寄せている。『映画 太陽の子』8月6日(金)より公開
2021年08月03日住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう!わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にあこがれたアーティストの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。「私はハーフ(スウェーデンの父と、日本人の母)で、チビで、ブスで。しかもメークやファッションも独特で、クラスでは浮いた存在。スウェーデンでの小、中学校ではいじめられていて、学校は楽しくないところでした。そんな80’sでしたが、音楽やファッション、あこがれのアーティストが別世界に連れていってくれたから、私の脳内は幸せだったんです」こう語るのは、タレントで映画コメンテーターのLiLiCoさん(50)。18歳まで過ごした母国では、ヨーロッパ、アメリカ、そして日本の文化が刺激を与えてくれた。「定期的にスルメやのり、梅干しを送ってくれていた日本に住むおばあちゃんが、日本の雑誌やレコードも同包してくれて、そこから吸収していったんです」『およげ!たいやきくん』(’75年)のレコード、ハローキティやキキララといったサンリオのキャラクターが描かれたメモ帳や鉛筆削りなどを手にしたときは、心を躍らせた。「日本語が読めなかったので、誌名すらわかりませんでしたが、アイドル雑誌にはたぶん、時代的に中森明菜さんや河合奈保子さんが取り上げられていたと思います」母親がアイロンをかけながらいつも聴いていた『ルビーの指環』(’81年)も、いまだに覚えているという。「いまでも思い出すレコードは早見優さんの『渚のライオン』(’83年)。『日本人は英語ができない』と聞かされていたから、抜群にうまい早見優さんの英語の発音を聞いたときは“英語ができないって本当なの!?”って思ってしまいました。あとからハワイ育ちと知って、なるほどって納得したんですけど」スウェーデンの雑誌は薄いものが多いが、日本のアイドル雑誌は分厚くて見応えがあった。「きれいに印刷された写真もふんだんにあって、かわいいアイドルが起用されている広告を見るのも大好きでした」ヨーロッパカルチャーで影響を受けたのは、ドイツ出身のサンドラという歌手だ。「2〜3曲しかヒットしなかったんですが、ディスコに詳しい人なら知っているかもしれません。彼女の、シャツにベスト、ロングスカート、その上からダブルベルト、腕には太いバングルで、マニキュアはネオン・カラーという、’80年代ファッションをよくマネしていました。じつは今日も、そのころのファッションをモチーフにしているんですよ!」
2021年07月05日あいみょんの「青春と青春と青春」のMusic Videoが7月9日18時にYouTubeにてプレミア公開される。本楽曲は、2017年に発売した3rdシングル『君はロックを聴かない』のカップリング曲で、以前からファンの間では人気の高いナンバー。リリースから約4年が経った今年、キリンビール『淡麗グリーンラベル』CMソングへの抜擢に伴いMVが制作された。CMは7月1日より全国でオンエアされている。また、公開に先駆けて予告編のティザームービーがプレミア公開ページにて公開。映像では電車の車窓からの実景に加え、あいみょんが楽曲を弾き語る様子が描かれている。あいみょん「青春と青春と青春」OFFICIAL MV<アナログリリース情報>7inchレコード『君はロックを聴かない』6月30日(水) リリース ※完全生産限定盤価格:1,650円(税込)【収録曲】SIDE A:君はロックを聴かない(キリンビール『淡麗グリーンラベル』CMソング)SIDE B:青春と青春と青春(キリンビール『淡麗グリーンラベル』CMソング)<映像作品リリース情報>『AIMYON TOUR 2020 "ミート・ミート" IN SAITAMA SUPER ARENA』7月7日(水) リリース●初回限定盤Blu-ray:6,300円(税抜)DVD:5,500円(税抜)※DVD2枚組※特殊パッケージ仕様※豪華56Pフォトブックレット●通常盤Blu-ray:5,300円(税抜)DVD:4,500円(税抜)※DVD2枚組【収録内容】※Blu-ray / DVD共通■AIMYON TOUR 2020 "ミート・ミート" @さいたまスーパーアリーナ(2020.12.13)01. 黄昏にバカ話をしたあの日を思い出す時を02. ハルノヒ03. 満月の夜なら04. どうせ死ぬなら05. ふたりの世界06. シガレット07. マトリョーシカ08. 風のささやき09. 裸の心10. 憧れてきたんだ11. from 四階の角部屋12. ポプリの葉13. 二人だけの国14. チカ15. 朝陽16. 愛を伝えたいだとか17. マリーゴールド18. スーパーガール19. 真夏の夜の匂いがする20. マシマロ21. 夢追いベンガル22. 君はロックを聴かない23. 漂白24. さよならの今日に25. そんな風に生きている【特典映像】・OFF SHOT MOVIE「裏ミート見んと!」【先着購入者特典情報】Amazon.co.jp:A4サイズトートバックセブンネットショッピング:ステンレスミニボトル楽天ブックス:缶ミラー(絵柄A)楽天ブックス ファミリーマート受け取り限定:缶ミラー(絵柄B)応援店:A5サイズクリアファイル※特典は数に限りがございます。各所、無くなり次第、配布終了となります。※各特典に関する詳細は各店にご確認ください。■各店舗購入リンク:<リリース情報>あいみょん 11thシングル『愛を知るまでは / 桜が降る夜は』2021年5月26日(水) リリース価格:1,320円(税込)あいみょん『愛を知るまでは / 桜が降る夜は』ジャケット【収録曲】1. 愛を知るまでは(日本テレビ系土曜ドラマ『コントが始まる』主題歌)2 桜が降る夜は(ABEMA『恋とオオカミには騙されない』主題歌)3. ミニスカートとハイライト4. 愛を知るまでは(Instrumental)5. 桜が降る夜は(Instrumental)あいみょん「愛を知るまでは」MV【先着購入者特典】■各店舗:「愛を知るまでは / 桜が降る夜は オリジナルクリアファイル(A5サイズ)」『愛を知るまでは / 桜が降る夜は』先着購入者特典 オリジナルクリアファイル(A5サイズ)■Amazon.co.jp:メガジャケ(240mm×240mm)【ツアー会場特典】「愛を知るまでは / 桜が降る夜は オリジナルアートポスター(B3サイズ)」※『AIMYON 弾き語りTOUR 2021 “傷と悪魔と恋をした!”』各ツアー会場にて11thシングル『愛を知るまでは / 桜が降る夜は』を予約・購入した方が対象となります。『愛を知るまでは / 桜が降る夜は』ツアー会場特典 オリジナルアートポスター(B3サイズ)配信予約&CD予約リンク:<ライブ情報>『AIMYON 弾き語りTOUR 2021“傷と悪魔と恋をした!”』※終了分は割愛7月11日(日) 栃木・宇都宮市文化会館7月15日(木) 京都・ロームシアター京都・メインホール7月16日(金) 大阪・大阪城音楽堂7月25日(日) 沖縄・沖縄コンベンション劇場料金:6,500円(税込)※未就学児童入場不可ツアー特設サイト:関連リンクあいみょんオフィシャルサイトワーナーミュージック・ジャパンHP
2021年07月02日あいみょんの楽曲「君はロックを聴かない」「青春と青春と青春」のアナログレコードが、2021年6月30日(水)に発売。また「青春と青春と青春」が、7月1日(木)に放送開始するキリンビール「淡麗グリーンラベル」の新TVCM曲に起用される。あいみょん話題のCM曲「君はロックを聴かない」ABEMAオリジナル恋愛リアリティーショー『恋とオオカミには騙されない』の主題歌「桜が降る夜は」や、菅田将暉主演ドラマ『コントが始まる』の主題歌「愛を知るまでは」など、2021年も新曲のリリースが絶えないあいみょん。弾き語り全国ツアー「傷と悪魔と恋をした!」を開催中、中四国最大級の野外音楽フェス「モンスターバッシュ」にも出演予定と、ライブパフォーマンスも精力的に行っている。そんなあいみょんの「君はロックを聴かない」と「青春と青春と青春」がレコード化。この2曲はあいみょんの3rdシングルとして2017年8月にリリースされたものだが「君はロックを聴かない」がキリンビール「淡麗グリーンラベル」のCM曲として起用され、再び注目を集めている。「青春と青春と青春」も新CM曲にまた、「青春と青春と青春」も、7月1日(木)より放送開始する「淡麗グリーンラベル」新CMに起用。「淡麗グリーンラベル」のCM曲にあいみょんの楽曲が採用されるのは、「ハルノヒ」「マリーゴールド」「君はロックを聴かない」に次ぐ4曲目となる。TVCMには前作に引き続き、女優・広瀬アリスと共にあいみょん本人も出演。夏らしい世界観が特長の爽やかな楽曲「青春と青春と青春」を、“完全オリジナル”のアコースティックバージョンで披露する。「青春と青春と青春」MVを公開TVCMへの起用と合わせて「青春と青春と青春」のミュージックビデオも製作。7月9日(金)18時より公式YouTubeにて公開されるので、ファンは要チェックだ。【詳細】あいみょん「君はロックを聴かない/青春と青春と青春」完全生産限定盤発売日:2021年6月30日(水)価格:1,650円<収録曲>SIDE A:君はロックを聴かないSIDE B:青春と青春と青春■キリンビール「淡麗グリーンラベル」新TVCM放送開始:7月1日(木)出演:あいみょん、広瀬アリス
2021年06月26日