40代になり、こまめに運動しないと体重が落ちなくなりました。かといって、毎日外に出かけて運動するのは面倒です。そんなズボラな私が唯一続けられたのが、「カエル足ダイエット」でした。しかし、思わぬ落とし穴があったのです。毎日続けられたダイエットとはアラフォーになってから、何をしてもおなかやおしりのぜい肉が落ちないことに悩んでいました。とはいえ、毎日ジョギングをしたりヨガに通うのはおっくうで……。そんな気力も体力もない私は、自宅で気軽にできるYouTubeのダイエット動画を片っ端から試していきました。数あるダイエット動画を試した結果、毎日続けられておなかやおしり痩せに効果を感じたのが、カエル足ダイエットです。うつ伏せになって、足の裏を合わせて膝を開き、体を前後に動かすだけという手軽さも魅力でした。より高い効果を求めてカエル足ダイエットは、毎日1〜2回ほどおこないました。何度も体を前後させていると、次第に汗が出てくるようになりいい運動になりました。続けているうちに、カエル足ダイエットをより効率的におこないたいと思うようになり、より大きく足を開いたり、足を開くときにより勢いをつけたりと、動画で紹介されていること以外も試すようになりました。工夫をすればするほど、下半身の筋肉がついたという実感も。どんどんカエル足ダイエットが楽しくなってきました。調子に乗って勢いをつけたら…このように限界まで足を開き、「今日は3回やってみよう!」と回数も増やしておこなっていたある日、「ビキッ」という音が聞こえました。膝の関節に激痛が走って、膝に力が入らなくなってしまったのです。これはまずい……と運動をやめてしばらく安静にしていましたが、膝が抜けたような感覚が続きました。結局その違和感は1週間くらい続き、ダイエットどころか、家事や子どもの世話もおろそかになってしまいました。まとめダイエットの効果を高めたいと、運動負荷量を増したことで、膝を痛めてしまいました。膝は自然によくなりましたが、やはり何事もやり過ぎは禁物。勢いをつけて体を動かしたり、負荷をかけるのはよくないな……と感じた出来事でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/中野迷子結婚15年目、小学生と幼稚園の2児の母。大手外資系生命保険会社の総合職を退職後、出産を機に主婦に。現役時代は、省庁へのレポート作成業務・システム仕様書の作成などをおこなっていた。
2024年01月20日30歳ごろまでは低血圧。最高血圧は100以下、健康診断でも85~90くらい。出産しても体重が増えても100を超えることはなかったのが、40代に入り異変が起き始めました。ダイエットに失敗し、食べ盛りの子どもたちと一緒に味の濃いものを食べる生活。さらに夫のつまみまで。今考えるとこの食生活で血圧が上がらないわけがありませんでした。そんな私が高血圧を改善できた方法を紹介します。暴飲暴食の報いか、ついに最高血圧135!あれは41歳のとき、会社の健康診断でした。体重が増え、運動をしなくなり、やばいなと思っていたところ、血圧を測定すると最高血圧135! その数字を目の前にしても、「ああ、血圧を測る前ってドキドキするから上がるよね」とまだ自分の高血圧に気付かない私。翌年の健康診断では136。ここでついに「あ、私もしかして血圧高い?」と現実を認めるに至りました。その後、実家の血圧計で測ると140や150を普通にたたき出す事態に、やっとまずいと思い始めました。思えば、料理もしょっぱい中華の素や粉末のだしを多めにをぶわっとかける、肉はただ焼いて塩こしょうをかける、仕事から帰ってくるのが夜8時を過ぎるときは晩ごはんは9時、その時間からラーメンとか食べちゃう……。これで運動もしないで体に異常の出ないアラフィフはいない! と今さらながら後悔しかありません。夜食べるから朝と昼は軽めかといえばそうでもなく、朝は子どもとソーセージとか卵とかを白米とおいしくいただき、昼は冷食を詰めたお弁当。この食生活を30代から続けていたのに40歳を過ぎて血圧が爆上がりしたのは、やはり年を取ったことと、運動量が減って太っていたことが大きかったのかもしれません。そして両親、祖父が高血圧で脳梗塞家系だったことを思い出し、食生活を見直すことに決めました。薄味で満足できるおいしいだし顆粒だしや粉末だしでも、おいしくて減塩のものは今もたくさん出ています。ただ私の場合、目分量で入れるのため、粉末だと入れ過ぎてしまいやすいので、パックになっているおいしいだしを探しました。そんなとき、いただきもので手に入れたのが無添加のだしでした。おでんにしても味噌汁にしても風味があってものすごくおいしい! だしがおいしいと薄味でも満足できるので、時間のあるときに多めにだしを取って、煮物やおでんを作り置きし、余ったら冷凍しておいて、少しでもラクに続けられるようにしました。また、調味料を塩こしょうだけでなく、おいしいラー油や山椒、柚子こしょうなどいろいろな調味料や薬味をそろえると、さらに楽しく食べられました。それでもやっぱり食べたくなるのはピザやハンバーガーや醤油の効いた唐揚げ……。家族だって食べたいので子どもや夫に出すときに少しだけもらって満足するように!そして出勤のときにいつもより遠くに車を停めて、普段なら5分で歩けるところを15分かけて歩いたり、仕事中も意識して動き回るようにして毎日ちょっとずつ運動するよう心がけました。そうなると食事の際、薄味のものばかりで物足りないと思うこともあり、そんなときは作り置きしただしの効いた野菜スープにしょうがとラー油を入れて、たくさん食べるようにしていました。体重が減り、血圧も安定だしの効いた料理と、調味料や薬味を工夫して半年が過ぎました。調味料や薬味をそろえるのが楽しくなり、焼き魚にはレモンや柚子、ハンバーグには大根おろしポン酢添えなど、おいしく食べられる工夫にも慣れてきました。調味料や薬味の良いところは家族で食事する際に各自の好みで食べられるところ! 子どもたちはケチャップやソースを使うようにすると文句も出なくて安心でした。キムチ鍋を作るときも、自分でコチュジャンとキムチで味を調整して塩分を足し過ぎないようにしたり、最後に入れるラーメンは死ぬほど魅力的なんですけど、スープを吸い込んでいるので私はパスしたりと我慢もしました! 結果、血圧は上が120~110に安定してきました。病院に行こうかなとも考えたときもありますが、私の場合はちょっとした食生活の見直しで改善できたので今のところは行っていません。まとめ40歳を過ぎて、味の濃い食事と運動不足で見事に高血圧予備軍の仲間入りをしてしまいました。ただ、今回の高血圧が食生活を見直す良いきっかけになったようです。もう若くないし、高血圧、脳梗塞の家系だということを念頭に置いて、これからもだし、薄味、たまにはぜいたく! を心がけて今の血圧を保ちたいと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。イラスト/サトウユカ著者/まさみ(45歳)中学生と小学生の男の子を持ちフルタイムで働いている。昨年化粧品メーカーを辞め、別の業種に。慣れない仕事と化粧品業界のときと変わらない「女同士の上辺の関係」を生暖かく苦しみながら見つめる日々。帰れば子どもの送り迎えと家事に追われ、趣味だったスキンケアもできずカサカサな肌となる。
2024年01月20日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。40歳パート勤めのマイさんは、42歳で整体師の夫ユウトさんと中学2年生の娘アカリさんの3人で暮らしています。ユウトさんに不倫の証拠を突きつけたマイさん。ユウトさんは離婚だけはしたくないと懇願します。ユウトさんを信用できないマイさんは、再構築するためにある条件を出すことにしました。夫は火遊び相手の1人…マイさんは、ユウトさんが所属の整体師として転職することや、口座を預かること、スマホのパスワードを共有することを再構築の条件にしました。マイさんの毅然とした態度にユウトさんは焦っている様子。一方でマイさんがあの日、探偵事務所で目にしたのはユウトさんが不倫している証拠写真だけではありませんでした。探偵事務所で私が目にしたのは、ママ友の旦那さんと娘の担任が不倫している写真でした。娘の担任は、ユウト以外にも関係をもった保護者がいただけでなく、卒業生とも関係があったそう。つまり、ユウトは複数いる火遊び相手のひとりでしかなかったのです。そうとも知らずにユウトは浮かれて、私たちに深い傷を与えました。しばらくして娘の担任は、教育委員会のもと停職・減給処分が決まり、学校が休みの間に辞職。休み明けには担任変更のお知らせが届き、私は娘と2人でホッとしました。慰謝料は、弁護士さんを通じて無事に支払われることに。娘の元担任が今後も同じ過ちを犯さないよう、私はただ願うのでした。--------------アカリさんの担任がユウトさん以外の保護者とも関係を持っていたのは驚きでしたね。マイさんやアカリさんが受けた心の傷はすぐに癒えるものではありません。不倫する前の関係に戻ることは難しいかもしれませんが、ユウトさんには家族の信頼を取り戻す努力をしてほしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月18日私は30代の後半からシミができ始め、ファンデーションを厚く塗ったりコンシーラーで必死に隠したりしていました。しかし、なかなか隠せなくて嫌になり、クリニックでシミの治療をしようと決意。すると、なんとクリニックで「シミではなくイボ」という事実が判明したのです。今回は私が体験したイボの治療をご紹介します。何をしても顔のシミがなくならない!30代後半ころから顔にシミができ始めました。化粧で隠せるくらいのシミだったのでそんなに気にしていませんでしたが、40代になってからシミが濃くなり、鏡で自分の顔を見るのが嫌になっていきました。次第にファンデーションを厚く塗ったり、コンシーラーを付けたりしても完全にシミが隠せなくなっていったのです。化粧をしながらシミを見つめている時間が増え、「どうしてこのシミは隠せないの?」と思う日が続きました。そばかすのような小さなシミはファンデーションできれいに隠せるのに、直径1cmくらいのシミだけは隠せませんでした。隠せないならシミをなんとかするしかないと思い、シミに効果があると言われている美容液やクリームを試してみることに。美容液やクリームの値段は高いものが多いけれど、シミを薄くしたい一心で使い続けました。しかし、半年たってもシミの濃さは変わらず、落ち込む日々。年齢的にシミは仕方がないのだろうか……と諦めモードになりつつありました。シミではなくイボだった!?シミを気にしながらも毎日の家事や仕事、子どもの世話に追われていると、あるとき職場の1人から「ちょっと、シミ目立つよ」と言われました。その人とは仲良くしていたため、言いたいことはなんでも言い合える仲でしたが、気にしていたシミを指摘され、心に大きなダメージが……。このシミは自分の力ではどうすることもできないのに、これ以上何をしたらいいのだろうと悩みました。そしてある日、家でくつろぎながら雑誌を見ていたら、「シミにはレーザー治療」という文字が目に入ってきました。レーザー治療は知っていましたが、値段も高く、シミの治療でクリニックに行くことが恥ずかしく思えて敬遠していたのです。けれど、ずっと悩んでいるくらいなら一度行ってみようと決心し、ネットの口コミで評判の良いクリニックへ行ってみることにしました。クリニックに着いて、緊張しながらもシミの治療がしたいことを伝えました。呼ばれて診察室に入り、先生がルーペのようなものでシミを診ると「これはシミじゃなくてイボだね」と言うではありませんか。驚いて「えっ! イボ?」と思わず聞き返してしまったくらいです。説明を受けて「脂漏性角化症(しろうせいかくかしょう)」というイボだとわかり、このクリニックでの治療方法は凍結治療だと言われました。イボの治療には保険が適応されることもわかったので、凍結治療をお願いすることにしました。-196度の液体窒素でイボを凍結治療イボを取るためにおこなう凍結治療とは、細い綿棒のようなものを使って-196度の液体窒素でピンポイントでイボを凍結させる方法です。凍結した部分にかさぶたができ、それが自然に剥がれたらイボがなくなっているとのこと。1回の治療では取り切れないかもしれないので、その場合は2回3回と凍結治療をするかもしれないと説明を受けました。-196度の液体窒素で凍結させるときは火傷をするような感覚で、痛いと言えば痛いけれど、治療を受けながら先生と会話ができるくらい軽い痛みでした。直径1cmほどのイボを凍結するのに3分もかからず、あっという間に終わりました。治療当日からお風呂も入れるし、化粧もできる。気を付けることは日焼けをしないようにすることと、かさぶたをむりやり取らないこと。私は日焼けをしないように日焼け止めをしっかり塗り、治療した部分に絆創膏を貼りました。そして、色素沈着を防ぐためにビタミン剤を処方されたので、毎食後それを飲むことになりました。イボの治療をして顔が明るくなった!治療して4日ほどたつとかさぶたができ、さらに4日ほどしたらかさぶたが取れました。すると、ピンク色の肌が現れて一気に顔の色がワントーン明るくなった感じがしたのです。とにかく日焼けをしないように気を付け、治療の痕を保護していた絆創膏はかさぶたが取れてからも1週間ほど貼り続け、今ではピンク色だった肌も元の肌の色になりました。治療から1カ月以上たってもう1度クリニックで診察を受けましたが、1回の治療できれいになったので治療は終了です。治療したことで気持ちが軽くなり、表情も肌の色も明るくなったように思います。化粧をするとき、ファンデーションやコンシーラーを厚く塗る必要がなくなり、とてもラクになりました。朝の忙しい時間の短縮につながったこと、スッピンに自信を持てたことがうれしいです。思い切ってクリニックで診察を受けて本当によかったです。まとめイボは膨らんでいるイメージでしたが、私にできたイボは平らだったので、シミだと信じて疑わずにいました。クリニックで診察を受け、イボだとわかったときは驚きましたが、正しく治療ができ、きれいに取ることができてホッとしています。コンシーラーでも隠し切れなかったのは、シミではなくイボだったからかもしれません。治療したことで見た目も気持ちも若返って、毎日鏡を見る楽しみが増えました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/さちこ(43歳)夫、小5の双子の男の子、小2の男の子の5人家族。まだまだ手のかかる子どもに振り回されている。仕事と家事、子育てに毎日追われ疲れ気味だが、2匹の猫に癒されながらなんとか笑顔を忘れず過ごせている。
2024年01月18日40歳を目前にしたころから、私はある体の変化を感じていました。それは「疲れ」です。前日に体力を消耗することをしたわけではなく、思い当たる節がないのに、毎日、疲れていると感じるのです。そのため、外に出掛けていても「早く家に帰って休みたい」と思ってしまいます。そんな日々が続いていたある日の出来事です。エネルギーにあふれていた友人久しぶりに学生時代の友人から連絡があり、ランチをすることに。私は再会した友人を見て、「エネルギーにあふれているな」と思いました。友人は、育児、家事、仕事をこなしながら、趣味のスポーツも楽しんでいるとのこと。「忙しく過ごしているけれど、毎日が充実している」と話していました。その話を聞いた私は少しショックを受けてしまいました。いかに自分が毎日疲れと闘っていて、日々の生活を楽しめていないのかを、思い知らされたような気がしたからです。人生を楽しみたいと思うように当時、私にはこれといって夢中になれる趣味もなく、家事と育児をこなしているだけで、同じ毎日の繰り返し。刺激のない生活は、これからもずっと続くのだろうと思っていました。40歳を過ぎれば、人生なんてこんなものだろうと思い込んでいたのです。しかし、友人の話を聞いて、「私も変わりたい」と思うようになりました。生活が一変それから私は、バレーボールサークルに入ることに。学生時代に情熱的に取り組んでいたバレーボールを、もう一度やってみようと思ったのです。すると、毎日家族としか話をしなかった生活から、人前に出ることが多くなり、緊張感のある生活に変わりました。周りからも「変わったね!」「生き生きしているね!」と言われるように……! 今は、短期間のパートも始めて、毎日が充実していて、「人生が楽しい」と思えるようになりました。まとめあんなに毎日疲れていたのに、今では家事やパート、趣味のバレーボールに励む毎日です。これまでの悪い疲れが良い疲れに変わったのか、夜はぐっすりと眠り、朝も快適に目覚めることができます。このように、私が変わるきっかけをくれた、友人との再会に感謝しかありません。これからも、一度しかない人生を大いに楽しみたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/神崎 ハナ(41歳)2児の母。発達障がい児の育児に奮闘中。教職員や福祉の資格を持ち、育児や健康に関する記事を執筆中のライター。
2024年01月18日20代のころにはなかった口の中のネバつきや口臭を感じることはありませんか? 「もしかして……」と思っていたら、一番身近な存在の息子に「口が臭い!」と言われ、歯科医へ。ある2つの方法で根本的に解決することができました。息子に「口が臭い」と言われ…40歳を過ぎたころから、朝目覚めると口にネバつきを感じるように。しかも歯をちゃんと磨いているのに「ハァ~」とすると、なんとなく臭い。そう感じるようになってから、歯間ブラシを使って歯磨きした後には必ずマウスウオッシュで口の中を洗うようにしていました。でも、時間がたつと口の中がネバつき、においがすぐに戻ってしまいました。ある朝、寝ていると息子が近くに来たので顔を近づけて「ハァ~」とすると、「お母さん、口臭いよ~」と鼻を押さえて逃げて行くではありませんか。ショック過ぎる!!口臭の原因は歯ブラシでは取れないプラークあまりのショックにかかりつけの歯科医をすぐに予約。先生に相談すると、プラークがたまっていると言われ、歯の掃除をしてもらいました。プラークとは、歯磨きだけでは取りきれない食べかすに細菌が繁殖したもの。これを放っておくと虫歯や歯周病の原因にもなるんだとか。さらに加齢によって唾液の分泌が減り、口の中の自浄作用が働きにくくなって口臭が強くなるらしく、女性ホルモンの低下によっても唾液の分泌が低下することもあるそうです。そこで勧められたのが、デンタルフロスと口の中を水で洗浄する口腔洗浄器。もちろんデンタルフロスはその日から、口腔洗浄器はその夜にAmazonで「ポチッ!」としました。数日後、わが家の洗面台には「歯ブラシ」「歯間ブラシ」「デンタルフロス」「口腔洗浄器」「マウスウォッシュ」が勢ぞろいしたのでした。デンタルフロスは歯と歯の隙間に通し、食べかすや歯周プラークを取り除いています。初めは奥歯に通すのが難しかったですが、慣れてくると短時間でできるようになりました。口腔洗浄器では歯と歯茎の間の歯周ポケットにたまった汚れを水の勢いだけで除去し、これで歯を洗うと、表面がツルツルになることが舌の感触で実感できています。10日でネバつき、口のにおいが消えた!デンタルフロスと口腔洗浄器の効果が出始めたのは10日後くらいから。朝、歯を磨いてデンタルフロス口腔洗浄器を使うと、1日中、口の中がスッキリ過ごせます。また夜寝る前に口腔洗浄器を使うと、朝起きたときの「お母さん、口臭い」という息子の苦情もなくなりました。ちなみにこの口腔洗浄器は、歯医者さんが友人にプレゼントとして送るほどの優れものだと言っていました。まとめ40歳過ぎから気になり始めた口のネバつきとにおい。歯科医で歯の掃除をしてもらい、デンタルフロスや口腔洗浄器でケアすることで気にならなくなりました。これからケアを続けていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/川田悟司先生(川田歯科医院院長)川田歯科医院院長。咬み合わせ認定医。長年に渡り、咬合診査・診断をおこなう。著者/茂原 好子(43歳)8歳女児、6歳男児の母。出版社勤務を経て、出産を機に看護師資格を取得。病院に勤務したのち、看護師編集者に。
2024年01月18日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。40歳パート勤めのマイさんは、42歳で整体師の夫ユウトさんと中学2年生の娘アカリさんの3人で暮らしています。ユウトさんの不倫疑惑が浮上し、マイさんは探偵事務所へ調査を依頼しました。そして、アカリさんの担任と不倫するユウトさんの証拠写真を確認……。マイさんは、生徒の保護者に手を出した担任に憤りを感じていました。二度も不倫した夫がもう信じられない!ユウトさんへ再構築するための条件を出したマイさん。戸惑うユウトさんをあおるように、「条件を全部のめないなら離婚する!」とはっきり伝えるのでした。ユウトに提示した再構築の条件とは、”整体の仕事は個人ではなく所属に転職すること””お小遣い制にして口座を預かること””スマホのパスワードを共有すること” の3つです。条件を見たアカリは引いていましたが、私はここまでしないと再構築できないと考えたのです。ユウトは過去に、父親の不倫が原因で苦労してきたので離婚したくなかったのでしょう。アカリは父親であるユウトと距離を取るようになりましたが、私が離婚を選択しなかったことについては理解してくれているようです。ユウトを信用することはまだできませんが、金銭的な不安もあり、今すぐに離婚するべきではないと私は思いとどまりました。私の態度が変わったことで、ユウトは焦っているような気がします。 私はユウトに対して内心「ざまあみろっ!」という気持ちでいるのでした。--------------マイさんはユウトさんへの気持ちが離れてしまっているようですが、離婚を踏みとどまりました。再構築のための条件をユウトさんが受け入れたとはいえ、苦しい判断だったことでしょう。娘のアカリさんがマイさんの気持ちを理解してくれていることが、せめてもの救いですね。ようやくこの状況に焦り始めたユウトさんが、再構築に向けて条件をしっかり守ってくれることを願うばかりです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月17日演歌歌手の北山みつきが16日に自身のアメブロを更新。悩まされている40代後半で出た更年期障害の症状についてつづった。この日、北山は「更年期障害で悩まされている女性が多くいらっしゃいますね」と切り出し「私もその一人です」とコメント。「ちなみに女性だけではありませんよ」と述べ「男性も更年期障害になりますからね」とつづった。続けて、自身について「40代後半で前に結婚した方と折り合いが良くなく、完全放置されていた」といい「鬱病のような症状になりました」と告白。「最初は夫と音信不通」だったそうで「離婚したくても連絡が取れない。どこに住んでいるかもわからない」との状況だったことを説明した。また「だんだんこのまま私はどうなるんだ!?と不安に苛まれ、落ち込みが酷く考え込みが激しくなり」と明かし「くるみちゃんを飼うきっかけとなりました」と愛犬を飼い始めたことを報告。「それでもくるみちゃんと毎日死にたいと思っていた日々が続きました」と告白し「その後脳動脈瘤で入院」していたことを説明した。さらに「息も苦しくて元々狭心症もありました」と明かし「どこから更年期障害だったのか??正直分かりません」とコメント。「50代になって体の病気は落ちついた」というも「精神的なイラつきはありました」とつづった。最後に「一つ思うのは深く考え過ぎない事。気分転換をしたり、好きな事して自分で自分のご機嫌をとる」と自身の考えを述べ「私の場合は、くるみちゃんと毎日お洒落してお散歩してます」と説明。「長文になってしまったのでまた書きますね」と予告し「更年期障害の方頑張りましょう」と呼びかけ、ブログを締めくくった。
2024年01月17日私は夫と小学生の息子と3人で暮らす専業主婦です。自宅の近くには義母の家があり、息子がよく遊びに行っています。そんな面倒見のいい義母に、感謝する毎日です。息子に関心がない夫私の夫は、平日は仕事で帰宅が遅く、休日は接待ゴルフでほとんど家にいません。息子に寂しい思いをさせたくないと思い、「たまには早く帰って来てよ」と話したこともありました。すると、「仕事だから無理だ。その代わりに母さんが面倒見ているだろう」と言い、息子に関心がない様子でした。たしかに、夫が相手をしなくても、息子は義母と楽しく過ごしているので「仕方がない」と諦めました。息子はこの日も、「次の日曜日、おばあちゃんと一緒に畑のとうもろこしをとって食べるんだ」と楽しそうに話してくれました。息子が帰ってこない…息子が楽しみにしていた日曜日になりました。夫は朝早くから接待ゴルフへ。私は夕方まで1人でのんびりと過ごしていましたが、なかなか帰ってこない息子が心配になり、義母に連絡をしました。「今すぐ息子を迎えにいきますね!」「晴太今日は来てないわよ?」「え?」義母に電話をして詳細を確認しました。たしかに約束をしていたけれど、息子から「やっぱり行かない」と連絡があったみたいです。すぐに「息子がいなくなった」と夫に連絡をするも、夫から返事はありません。私がパニックになっていると義母が、「スマホのGPSで位置情報がわかるはずよ」と教えてくれました。位置情報を確認すると、息子は1駅先の住宅街にいることがわかりました。私は急いで息子がいる場所へ向かいました。1時間後、「息子は見つかったのか?」と夫から電話がありました。私は夫にこう言いました。「あなたの不倫相手とその人の赤ちゃんと一緒にいたよ」と。息子がいた場所は、夫の不倫相手の家だったのです。以前、息子は友だちと遊んでいたときに、夫が赤ちゃんを抱えた知らない女性と歩いているのを見たそうです。そしてこの日、義母の家に向かう途中でその女性を見かけて後をつけたそうです。夫は小さい息子に自分の不倫を知られてしまったことにショックを受けたようで、自分が不倫をしていたこと。その赤ちゃんが自分の子どもだということを認めました。そして、この日も接待ゴルフではなく、別の女性と会っていたことも。子どもを作っていただけでなく、複数の女性と不倫をしていたことがわかりました。息子と義母と過ごす日々その後、私たちは離婚し、私は夫に慰謝料と養育費をたっぷり請求しました。義母からは、「息子の不始末は母親である私に責任があります」と何度も頭を下げられました。しかし、私も息子もとてもお世話になった義母には今でも感謝していて、その気持ちはずっと変わりません。私は息子と一緒に家を出ましたが、義母とは定期的に会っています。それから夫がどうなったのかは知りませんが、私は時々義母を頼りながら、息子と楽しく暮らしています。息子には、大きくなっても今のように義母を大切にして、誰にでも親切にできる大人になってほしいと願っています。--------------勇気ある息子の行動で夫の裏切りの数々が明らかになり、離婚することができてよかったですね。義母との家族関係はなくなってしまいましたが、今まで以上に絆が強くなりましたね。著者/ウーマンカレンダー編集室/トーク系読者からの体験談をお届けします。
2024年01月16日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。40歳パート勤めのマイさんは、42歳で整体師の夫ユウトさんと中学2年生の娘アカリさんの3人で暮らしていました。アカリさんから、ユウトさんが不倫をしていると知らされたマイさん。実はユウトさんは10年前にも一度不倫しています。しかも、今度の不倫相手は娘の担任……! マイさんは怒りに震えたのでした。「生徒の保護者となんて」怒りの矛先は…ユウトさんの不倫の証拠を手に入れるために、マイさんは探偵事務所に調査を依頼します。探偵事務所の先生から「証拠がつかめたら、どうしたいですか?」と聞かれたマイさんは、離婚か再構築かの2択が脳裏をよぎりました。ところがそんなことを考える間もなく、不倫の動かぬ証拠が続々と出てきて……?私の目の前には、ユウトと娘の担任が不倫する様子をとらえた写真がいくつもありました。怒りと悲しみで体は震え、涙が止まりません。探偵事務所の先生は、夫にまだ気持ちがあるか私に聞いてきました。「女のほうが許せないんです……この人は娘の担任なんです!」私はユウトではなく、生徒の保護者と不倫をしている娘の担任が許せないと答えました。娘の担任に学校を辞めさせて慰謝料を請求したい、と私は探偵事務所の先生に訴えたのです。加えて、アカリを傷つけないように話を進めてほしい、とお願いすることに。「わかりました。まず、この証拠を活用して慰謝料請求ができます」探偵事務所の先生は私の気持ちを理解した上で、話を進めてくれるようです。学校には教育委員会を通じて報告し、適切な処分をしてもらい、周囲からウワサが立たないようにアカリに配慮することを伝えると言ってくれました。 私は今までの暗かった景色に、少し光が差し込んだような思いでした。--------------ユウトさんと娘の担任が不倫した証拠をつかんだマイさん。アカリさんを思い、生徒の保護者に手を出した教師が許せないと怒りが止まらないようです。 夫であるユウトさんの不倫でマイさん自身も深く傷付いているはず。それでも、娘のことを一番に考えるマイさんはやさしい母親ですね。探偵事務所の先生の協力を得ながら、マイさんが納得のいく方法で話が進むことを願うばかりです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月16日私は物を捨てるのが大の苦手。生まれてから40年以上、生粋の「片付けぎらい」です。結婚してからこれまでに計3回の引っ越しを経験しましたが、毎回、荷造りと片付けがストレスとなり、ひどい引っ越しブルーに。そんな私が本気で片付けについて考えたのは、母が亡くなったことがきっかけでした。げんなりするほど多い母の持ち物数年前、母が小脳梗塞(しょうのうこうそく)で倒れ、意識が戻らないまま病院で亡くなりました。四十九日を終えようやくひと息ついたころ、初めて「そろそろ荷物の整理をしなくては」と父と話しました。母は、ミニマリストとは対極にあるような生き方をしてきた人。新しい物好きで買い物好き。私も幼いころから常にさまざまな物に囲まれ、まるで物に守られるように育ってきたせいか、その環境が妙に落ち着きます。しかし、いざ「遺品整理」という目線で母の持ち物を見てみると、物の多さに改めてがく然としました。何か1つのカテゴリーに偏って物が多いというのではなく、服・かばん・靴・キッチングッズ・手芸道具・本などあらゆる物が多いのです。引き出しや扉を開くたびにげんなりする状態でした。「これはかなり時間がかかりそうだ」と覚悟しましたが、実家は自宅から在来線と新幹線を利用して片道4時間ほどかかるところ。片付けのためだけに頻繁に帰省することはできません。しばらくは正月や夏休みに帰省するたび遺品整理をすることになりそうだなと思いました。遺品整理を通して感じたこと実家には年に2回ほど帰省しており、1回につき4~5泊ほど滞在しています。しかし、子どもたちも一緒に帰省するので、滞在中ずっと片付けをしているわけにもいきません。集中して効率よく片付けられれば良いのですが、そもそも物を捨てるのが苦手な私。扱いやすいカテゴリーからと思って手を付けても、ちょっと進めては悩み、ちょっと進めては思い出にふけりと、なかなか進みません。さらに追い打ちをかけるように「寂しいからあまり捨てないでくれ」と父からのひと言。こちらは善意で片付けているのに! とつい喧嘩腰に。でも、帰省するたび母のたんすの引き出しに、新しい防虫剤が追加されているのは知っていました。父が入れていたのです。普段はひとりで暮らしている家から、母の存在を感じる物が急になくなってしまったら本当に寂しいのかもしれないと、また作業のスピードが遅くなりました。結果、現在も母の荷物は完全には片付いていません。この出来事を通じて私は周囲の人のためにも、自分の持ち物は自分が元気なうちにしっかり整理しておかなくては!と強く感じたのです。自分と家族のための片付け相変わらず片付けは得意ではないけれど、母が亡くなって遺品整理を経験した今、“自分と家族のため”を意識して少しずつ片付けに取り組むようにしています。物を捨てるのに迷ったときには、インテリアコーディネーターの友人の「片付けとは、自分の決めた生き方に必要な物かどうかを見極める作業。結果的に物がたくさん残っても、今の自分が快適な生活を送るのに必要であればすぐに捨てる必要はない」という言葉を思い出すようにしています。その考え方によって私にも少しばかりの心の余裕が生まれ、「今は必要だ」と感じるものを残す勇気と、「あまり必要でない」と感じるものを捨てる勇気が持てました。まだまだ片付けは苦手ではあるけれど、少しずつコツコツと進めていきたいと思います。それが、いつか来るお別れの際に、「大切な人の物を捨てなくてはならない悲しみ」や「整理の大変さ」を自分の大切な人たちに味わわせないで済むことにもつながっていくのかなと思うのです。まとめ数カ月前、“願わくば最後”となる引っ越しを終えました。4人家族の荷造りをするのは想像以上にストレスで、引っ越しが終わっても1カ月以上、必要最低限の段ボールしか開封していない状態に陥るほどでした。ただ今回の引っ越しは、常に母の遺品整理のことが念頭にあり、荷物を大量に処分する良い機会になりました。まだまだ荷物が多すぎるわが家ですし、子どもたちはこれからも物を増やし続けるのだろうと思います。でも、家族のライフステージの変化に合わせ、家族も巻き込みながらコツコツと片付けを続けていこうと思う今日このごろです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/山口がたこ著者/わくい(42歳)「人生やっぱわくわくしなくちゃ」をモットーに、漁港のある小さな港町で、子どもたちと全力で遊ぶ日々。
2024年01月14日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。夫と娘、3人暮らしの何げない平凡な日常が、ある日夫の不倫によって少しずつ崩れていく話。40歳でパート勤めのマイさんは、整体師の夫・ユウトさんと中学生の娘・アカリさんの3人で暮らしています。ある日、アカリさんに友だちから「担任とお父さんを整体院で見た」というメッセージが。アカリさんは真相を確かめるために整体院に行ったのですが、そこで父親とミナミ先生の不倫現場を目撃するのです!もし不倫が確定したら…娘の口から、ユウトさんの不倫を聞かされたマイさんはショックを受けます。実は、ユウトさんが不倫をするのは2度目。しかも、今回の不倫相手はアカリさんの担任の先生です。許せない気持ちでいっぱいの中、マイさんが向かった先は……?ユウトの不倫を知った私は、勢いのまま探偵事務所に電話。後日、私は緊張しながら探偵事務所を訪れます。探偵事務所の先生は、私の悲しい気持ちに寄り添い気づかってくれたので、思わず涙がこぼれそうでした。「不倫の証拠をつかめたら、どうしたいですか?」探偵事務所の先生からそう問われ、私はハッとさせられました。勢いのまま相談しにやってきましたが、もしユウトの不倫が確定すれば離婚か、再構築か、私は選択を迫られるのです。しかし落ち着いて決断する前に、私は不倫の動かぬ証拠を見ることになりました。--------------勢いのまま探偵事務所を訪れたマイさん。アカリさんの報告を受けたものの、どこかで不倫が事実だと思いたくなかったのかもしれません。しかし、離婚か再構築かを考える前に動かぬ証拠が出てきた様子。探偵事務所の先生を頼りながら、できる限り心の負担を軽くできるように話を進められると良いですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月14日育ってきた環境が違うから、常識も違うのが人間関係の難しさ。でも、許容範囲を超えたお付き合いはとてもつらくて、あるママ友と距離を置いた過去があります。ママ友付き合いについての体験談をお話しします。違和感を覚えたきっかけは…近所に住むママ友は顔が広くて頼りにしていたのですが、あるとき、「食材宅配サービスを一緒にしないか」と誘われました。1人だと配送料がかかるそうで、複数人で食材宅配をすることで配送料が安くなるのだそうです。「お試しだけでもいいから」との誘い文句に、気軽に「じゃあ」と受けました。食材宅配サービスはスーパーマーケットで買うよりは高いのですが、無農薬の野菜や膨張剤不使用のハム、低温殺菌の牛乳など、こだわりの食材が買えます。子どももおいしいと気に入っているようで満足していました。しかし、食材宅配のドライバーの人から「これ、例のアレです」とそのママ友にこっそり商品のようなものを渡しているのを横目で見てしまいました。そのときは、注文商品なのかとも思いましたが、1人だけおまけみたいなものをもらっているのに違和感がありました……。それは何なのかと、かなり不思議に思いました。ママ友が受け取ったアレって「紹介料」?後日、他のママ友と、その食材宅配の会話で盛り上がりました。「教えてもらって注文してみたら、こだわり食材が買えていいね!」といった他愛ない会話です。しかし、そこで発覚したのは、その食材宅配では新規紹介制度があるらしく、加入者の人数によって紹介料が入るそうです。1人あたりの紹介料は数千円のようですが、たくさん人数を紹介すれば、謝礼もその分もらえます。会話をしたママ友は利用していないみたいでしたが、私に紹介してくれたママ友はかなり有名だったようです。私に食材宅配をおすすめした奥さんは、なんと知らないお宅にまでも、インターフォンを鳴らして訪ね、広く営業活動をしていることで有名なのだそうです。「でも、食材が気に入っているなら続けてもいいと思うよ」と、会話をしたママ友は紹介料をもらっていたママ友をフォロー。知らなかった私も世間知らずでしたが、近隣への営業活動までしていたママ友にちょっと引きました。この会話で、前にドライバーに「例のアレ」と渡されたものは、私を紹介した分の謝礼なのではないかと思いました。違和感が増えていくママ友が取った行為食材宅配の違和感をきっかけに、自分の中で「そういえば」と思うことがいくつか浮かびました。それは、「子ども服を買うときに送料がかかるから、一緒におそろいで買おう」と言われたこと。一定額以上にしないと送料がかかってしまうためだそうで、子ども同士も仲がよかったため、結局、色違いで買ったことが複数回ありました。洋服だけでなく、学童用品の上靴も一緒に買いました。洋服などの代金はママ友へ現金で支払って、手間代としてちょっとしたお菓子も渡しています。深くは追及していませんが、クレジットカードで払ったらクレジットカードのポイントがもらえていて、通販サイトのポイントだって相手分として入っていて、それが1度だけでなく複数回。そして、そのママ友の性格からして、私だけでなく他の人にも声をかけているとしたら……。事実はわかりませんが、なんとなくそういったことをやっていそうだと、疑いの念が浮かんでしまいました。結局、食材宅配は、注文したい商品が他の食材宅配でないと手に入らないという理由をつけて、やめて他に変えました。まとめストレスを抱えて付き合うのはつらいのでママ友とは距離を置くようにして疎遠にさせてもらったのですが、この経験から人間関係は本当に難しいと思いました。これらのことがまったく気にならない人もいると思いますし、もちろん人間関係は「持ちつ持たれつ」でもあるのですが、自分の中で一度気になりだすと、どんな人でも自分の中で信頼感がなくなってのだということがわかった一件でした。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。イラスト/sawawa著者/Kumiko3(43歳)夫と小学生2人の4人家族。Webライター。子育てしながらの仕事は想像以上に大変。アラサーよりも疲れやすく、美容院では肩凝りを指摘され、夕方にはエネルギー切れ。白髪も生えてきて、毎日イライラするのはもしかして更年期!?それでも身だしなみは整えて、目指せナチュラル若見えキラキラ美人!
2024年01月14日遠近両用眼鏡を初めて作ったのは40代の半ば。現在2つ目ですが、それぞれ買うときはじっくり検討したにもかかわらず、なかなかうまく使いこなせていません。近くの物を見るときには眼鏡では見づらく、外している状況です。年齢とともに進むといわれている老眼ですが、眼鏡作りはなかなか難しいと感じています。焦点が合わない!見えづらい!20代の前半に仕事でパソコンを頻繁に使うようになってから近視になった私ですが、コンタクトレンズは使ったことがなく、ずっと眼鏡派でした。ただ、パソコンに向かっている時間が長い仕事なので、眼鏡が合わなくなることもしばしば。特に40代を過ぎてからは焦点がなかなか合わない見えづらさを感じて、45歳を前になんとなく眼鏡を買い替えに行きました。そのとき店員に言われたのは、老眼が少し入ってきているのではないかということ。そんなに自覚はなかったけれど、目の検査やレンズを合わせてみると、たしかに見やすいかも。そんな感じで初めて遠近両用眼鏡を作ることになりました。遠近両用の眼鏡は上下の幅があるものをそのころの眼鏡はフレームが細身のデザインのものが多く、私もそんなデザインがいいと思っていたので、このときに選んだのは上下の幅が2.5cmほどの縁ありの眼鏡でした。ただ、この2.5cmの幅に上部が近視用、下部が老眼用の仕様になったレンズを入れるのだから大変! 店員さんにも「ギリギリの大きさです、慣れるまで見えづらいかも」と言われてしまったけれど、実はフレームを選んでいるときは遠近にしようなんて思っていなかったから仕方がない。改めて選ぶのも面倒だったので結局それで作ってしまったんです!かけ始めたときは、そのときの目の状態に合わせて作ったのだからもちろん不便はありませんでした。ただ、やっぱりフレームが細いからなのか、慣れても見づらいんです。というか、近くを見るときは眼鏡を外したほうがよく見えたんです。そのため、この眼鏡はそんなに長く使うこともなく、次の眼鏡を作ることにしました。もしかして老眼じゃなかった??2回目は別の眼鏡屋で。今回は最初から遠近として作る覚悟をしていたので、フレームも上下が3.2cmの物を選びました。上部だけに縁があるシンプルなデザインの眼鏡です。前回、遠近両用眼鏡を作ったけれど、パソコンや本を見るときは眼鏡を外すことが多い現状を伝えました。老眼はあまり進んでいないんだろうということで、ほぼ度数は変わらない遠近両用眼鏡ができました。下にフレームがなく、レンズの幅も広くなったので、前回よりはずっと見やすいものでした。でも……かけ始めて数カ月。やっぱり眼鏡をかけないほうがパソコンや本、スマホは見やすく感じるように。う~ん、これは老眼が進んでいるのか、それとも実は老眼にはなっていなかったのか……? この眼鏡の使い方は正解なのか、さっぱりわかりません。ただ、一番困るのはかけたり外したりしていると、眼鏡をどこに置いたか忘れちゃうことなんです。それが一番の大問題。例えばスマホの置き忘れなら、電話をかけてみて音を出せばわかるときもありますが、眼鏡はそんなわけにもいかず。自分の行動を振り返り探しまくることが頻繁に。これからも目の状態は変わっていくと思うので、着け外しをしないために次にどんな眼鏡を作ればいいのか、結構悩ましい問題です。まとめ実は今使っている2代目の遠近両用眼鏡は、外しているときにうっかり踏んでしまいナイロンワイヤーが切れてしまいました。すぐに眼鏡屋に持っていったら無料で修理をしてくれましたが、やっぱりかけ外しが頻繁なのは不便です。そんなときに知り合いから聞いたのは、老眼部分を「度なし」にするといいよ、という話。知り合いいわく、裸眼で近くが不自由なく見えているなら、老眼部分を度なしにすれば外している=裸眼と同じことになり、見やすくなるらしいのです。その眼鏡ならパソコンや本、スマホを見るときもかけっぱなしで大丈夫そうなので、近々作ってみようと思っています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。著者/アキモト スズ(52歳)「年齢より若いね~」と言われたこともあったけど、今や白髪、老眼、集中力の低下に悩む私はまさに更年期ど真ん中。食事と運動とマッサージを中心に健康と若さのキープ法を日々考え中。
2024年01月14日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。夫と娘、3人暮らしの何げない平凡な日常が、ある日夫の不倫によって少しずつ崩れていく話。40歳でパート勤めのマイさんは、整体師の夫・ユウトさんと中学生の娘・アカリさんの3人で暮らしています。ユウトさんからのスキンシップが極端に減ったマイさんは、自分がユウトさんから女性として見られていないのではないかと悩んでいました。そんなある日、アカリさんに友だちから「担任が整体院にいる」との連絡が。アカリさんは、担任とお父さんとの関係が気になり始め……?また不倫…?10年前の悪夢が再び男子生徒をあからさまにえこひいきする担任のミナミ先生。アカリさんは、そのミナミ先生と自分の父親との関係を確かめるべく、お父さんが営む整体院へ行くことに。そこで、アカリさんはミナミ先生と父親の不倫現場を目撃したのでした。「デレデレして、チューしてた」アカリから、ユウトとミナミ先生がキスしていたことを聞いて、私は言葉を失います。しばらくひとりになるために、アカリを残し部屋にこもります。「また不倫!?」と私は涙が止まりません。実は10年前にもユウトは不倫をしたことがあったのです。当時、不倫に気が付いた私は、怒りのままにユウトを責めました。あのころはアカリも小さく、その場で別れさせたこともあり仕方なく許しましたが、今度の不倫相手はよりによってアカリの担任……。思い返せば、ユウトはミナミ先生のことをよく褒めていました。「許せない……!!」私は爆発しそうになる怒りを抑えながら、震える手でスマホを握り締めるのでした。--------------娘の口から夫の不倫報告を聞かされたマイさんは、相当ショックを受けたのではないでしょうか。アカリさんも母親に報告するのは、心苦しかったはず……。1度目は不倫を許したマイさんですが、このたびは黙っていられないようです。ユウトさんには、大切な家族を傷つけていることに早く気付いてもらいたいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月14日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。夫と娘、3人暮らしの何げない平凡な日常が、ある日夫の不倫によって少しずつ崩れていく話。40歳でパート勤めのマイさんは、整体師の夫・ユウトさんと中学生の娘・アカリさんの3人で暮らしています。夫婦のスキンシップを取りたいマイさんですが、ユウトさんは夜の営みをたびたび拒否。ある日、アカリさんの携帯にメッセージが届くのです。違うよね…?お父さん!ユウトさんがスキンシップをしなくなった原因は、妻である自分に魅力を感じなくなったからではないかとマイさんは考えていました。そんなある日、アカリさんは友だちから「アカリのパパの整体院にうちらの担任いたんだけど!」とメッセージを受け取ります。アカリの担任・ミナミ先生は、男子生徒から美人でかわいいと評判です。しかし、女子生徒からは”男子をえこひいきしている”と見えている様子。ミナミ先生のぶりっ子な態度に、アカリもアカリの友だちも納得していませんでした。そんなとき、アカリがふと思い出したのは「今日は、お得意さんが来るから遅くなる」という父親の言葉。アカリは心のモヤモヤを解消したい一心で、自分の父親のお得意様が誰なのか整体院を見張ることに。「ユウく〜ん」甘い声とともに、アカリの目に飛び込んだのはミナミ先生の姿でした! 父親が整体院で会っていたお得意様は、やはりミナミ先生だったのです。アカリが見ていると知らず、無情にもユウトとミナミ先生は整体院の中へ消えていくのでした。--------------未熟な中学生がひとりで、担任の先生とお父さんの関係を確かめに行くのは勇気が必要だったはず。それでも実行できたのは、アカリさんが父親のことを信じていたからでしょう。ミナミ先生が浮気相手だと知ったアカリさんのショックは計り知れません……。アカリさんには、一旦現場を離れて心の整理をしてほしいですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月13日昔から健康と体力だけは自信があった私。だから、年を重ねて体に不調が出ても病院のお世話になるのはやめよう、それが運命だと受け入れて静かに過ごそう、なんてぼんやり思っていました。そんな私を突然襲った激しい肩の痛み! 自分の体のことで悩み、試行錯誤する日が来るなんて思ってもいませんでした。肩の痛みは現在も進行中。かれこれ1年越しのお付き合いです。痛みで眠れない!腕と肩に何が起きている?最初は右腕のしびれから始まりました。右側ばかりを下にして眠る癖が原因かもしれない。いや、そもそも10カ月前に第2子を40歳で出産し、何も余裕がなかった日々の疲れがついに出たのかもと気にはなりながらも放置していました。そのうちにしびれの範囲がどんどん広がり、痛みを伴うように。気が付くと、ブラジャーのホックに手が届かない、Tシャツが脱げない、洗濯物が干せないなど、日常生活にも支障を来すほど肩が動かなくなっていました。また、痛みのために気分が悪くなり、眠れないこともしばしば。1カ月我慢してついに限界。近所には整形外科がなかったので、地元で評判の整体院へ駆け込みました。初耳!!「四十肩」って何?整体院では60分4,900円の全身コースの施術を受けながら整体師に肩や腕の状態を伝えると、四十肩、正式名は「肩関節周囲炎(かたかんせつしゅういえん)」の可能性が高いとのこと。病気と無縁だった私には、正直なじみのない言葉でした。整体師によると、加齢などにより肩周辺の筋肉や腱、靭帯などの組織に炎症を生じることが痛みの要因と考えられているそう。個人差はあるけれど完治までに1年ほどかかると言われ、意気消沈しました。でも、施術のおかげでその後数日間はうそのように痛みが取れ、久しぶりにぐっすり眠ることができました。が、常に子ども2人を抱えているこの肩は、1週間もしないうちに元通り。また眠れない日々が始まりました。毎週整体に通えれば良いのですが、1回4,900円はなかなかネック。そこで保険のきく接骨院を初受診してみました。低周波治療器とローリングマッサージ器による施術を初体験。初診料を除くと1回500円程度でお値段は魅力的でしたが、施術前と痛みが変わらず私には効果がありませんでした。その後、症状の緩和を求めて町の診療所を受診。整形外科専門医はいないものの鎮痛薬と温湿布をもらいました。そして整体院と診療所を併用することに決めました。ストレッチや痛みを軽減する寝方を実践薬とマッサージだけに頼る生活が長く続きましたが、整体師にすすめられ、痛みが少し弱まってきた段階で肩の動きを高めるストレッチを始めました。【ストレッチの方法】①水が入った500mlのペットボトルを肩の痛みがあるほうの手で持ち、円を描くように肩を回す。②両手を後ろ(背中側)に回しフェイスタオルを広げて持ち、肩の痛みのないほうの手でタオルを斜め上に引っ張り、痛みのある手を引き上げるようにする。毎日とはいきませんが、週に何回か続けているうちに徐々に肩の動きが回復してきたような感覚があります。また、「脇の下のくぼんだ部分に痛みを感じる箇所があるので、痛みが強いときはそこを押すと良い」と整体師からアドバイスをもらいました。100円ショップでお菓子作りなどに使う麺棒を購入し、痛む箇所を麺棒の先端で押しながら脇に挟んで寝ることもあります。まとめ整体師によると40代で症状が出れば「四十肩」、50代で出れば「五十肩」と呼ばれ、何度も繰り返す人もいるとか。そもそも病気と無縁だった私には、「肩の痛みと向き合い、なんとかして治してやる」といった気合いが皆無でした。それが今では、整体院と診療所をかけもちして自宅ではストレッチ、麺棒を脇に挟んで眠るなどしています。麺棒をいつかお菓子作りに使えるようになる日まで、自分にあったケア探しを続けていこうと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。イラスト/サトウユカ著者/わくい(42歳)「人生やっぱわくわくしなくちゃ」をモットーに、漁港のある小さな港町で、子どもたちと全力で遊ぶ日々。
2024年01月12日学生時代からの長い付き合いの友だちには、昔からある点において気になることがありました。それは「友だちの友だちはみんな友だち」という考えの持ち主であること。しかし、この考えが後に私に不信感を抱かせ、友だちと距離を置くきっかけとなりました。今回は、長年の友だちの信じられない行動によって友だちと距離を置いた体験談をお話しします。一緒に遊びに行くと常に知らない人が小学・中学と仲が良く、高校からは離れたものの、それでも定期的に会っていた友だちA。昔からAと遊ぶ約束をすると、遊ぶ約束をしていない別の友だちが来ていたりすることがよくありました。しかし、そのときは同じ小学、中学の友だちで私も知っていたため、特に気にせず一緒に遊んでいました。高校はAと進学先が別になったため、休みの日に一緒に買い物に行ったりお茶をしに行ったりすることが多かったのですが、そこでもAと2人で会うつもりで行くと、Aの高校の友だちが同席していた……ということがしばしばありました。Aの友だちが一緒に来ていることはもちろん事前に知らされておらず、その友だちも私が来ることを知らされていないようで、お互いを見て「え、誰?」という反応になることがしばしば起こりました。Aには、二人で約束しているときは知らない友だちを呼ぶのをやめてほしいと伝え、本人も「わかった!」と返事をしてくれたのですが、やはり知らない友だちを連れてくることがその後も度々ありました。本人いわく「私の友だちだから気が合うと思って!」と、まさに”友だちの友だちはみな友だち”主義で自分の友だちを連れてくるのだと言うのです。しかし実際に、Aが連れてきた友だちの中には気の合う人もおり、そしてAなしで遊びに行ったこともあったため、新しい友人が増えるのはいいことなのかな、と次第に気にしないようにしました。手土産のケーキの数が足りないお互いに大学進学、就職を経て、私も友だちを交えてAの友だちと一緒に合コンに行ったりする機会などが増えました。その後しばらくしてAが結婚し、結婚式ではこれまで会ったことのあるAの友だち一同が集合しましたが、どの人もある程度顔見知りだったため、結婚式や二次会も盛り上がり、知り合いが多いことはやはり悪くはないなと思ったのです。その後、Aが結婚式の手伝いのお礼に新居に遊びに来てほしいと声を掛けてきました。手土産にケーキを持って行こうと思ったものの、きっと私だけじゃないだろうな……2、3人くらいはまた誰か呼んでるんだろうなと、A夫妻と自分のにプラスして3つほど多めのケーキを購入し、新居を訪ねました。インターホンを押してAに玄関ドアを開けてもらうと、なんと玄関には「え、何人来てるの?!」と目を疑うほどの靴の数……。結婚式に呼ばなかった会社の同僚やその旦那さん、友だちなどを呼んだということで、7人ほどの靴が並んでいたのです! そして、その呼ばれていたAの友だちや同僚たちは、私が呼ばれていたことを知らされていなかったようで、「どちら様?」といったようなポカンとした表情で私を見てきました。さすがに手土産のケーキが足りなさ過ぎる……ということで、「予想外のゲストの数で全然ケーキの数足りないから、旦那さんと食べて」とこっそりAに渡しました。しかし、Aは私を紹介することもなく、「ケーキ持ってきてくれたけど数が足りないから、適当に食べて~!」と大っぴらにリビングのテーブルに置いたのです。いやいや、見ず知らずのあなたの友だちのために買ってきたんじゃないんだけど! しかも自分も食べたかったから、割といいお値段のお気に入りのケーキ屋さんで買ってきたのに! と、一気に意気消沈してしまい、その場にいてもまったく楽しめなくなってしまいました。友だちと距離を置くことにAの新居に招待されたものの、予想外の見知らぬ人たちに手土産を食べ尽くされてしまった一件以来、一度Aと距離を置くべきかと悩みました。Aの結婚後は、以前ほど会うことも減ったため、これを機に少し会う機会を減らそうと、お誘いがかかっても何かと理由をつけて、距離を置くことにしました。やがて私自身も結婚が決まりましたが、夫と私の意向で家族だけでこじんまり式を挙げたいということになったため、Aを結婚式には呼びませんでした。お互いに結婚し、Aは子どもが生まれたために会う機会もめっきり減り、連絡自体もあまり取らない状態になったのです。しかしある日、Aから「子どもに会ってほしいから家に遊びに来て」と久しぶりに連絡がありました。さすがに赤ちゃんに会いに来てと言われると、断るわけにはいかないと、お祝いを持ってAの家に向かいました。Aの家に到着すると、ベビーカーが3台ほど並んでいます。以前に感じた嫌な予感がまた蘇ってきて、玄関ドアを開けると、またまたAのものではない靴や子どもの靴が数足並んでいます。そしてAが「〇〇さんと△△さんと××さんも呼んだの!」と、私も知っている学生時代の友だちの名前を出し、リビングに子どもを連れた懐かしい顔ぶれが座っていました。私以外は全員子持ちでしたが、しかし呼ばれた同級生たちは、学生時代は特にAと仲がよかったわけでもないメンバーで……。Aによると、たまたま公園や子育てサロンで久しぶりに会い、私が来るからと声を掛けてみたとのことでしたが、さすがに話題は子どもの話ばかり。当時まだ子どもがいなかった私は、居心地の悪さから、1時間ほどして用事があるからとその場を後にしました。この出来事を機に、Aとは連絡を取るのをやめようと心に誓い、その後も何度かあった誘いはすべて断りました。Aは夫の仕事の関係で地元を離れ、その後は連絡もほぼなくなりました。まとめAとまだ付き合いのある友だちによると、引っ越し先でも多くのママ友ができ、ホームパーティーなどをよくしているとのことでした。しかし社交性はあるものの、若干八方美人ぶりや空気を読まない点などは、大丈夫なのかしら……と不安に思っています。仲が良いといえども、ある程度の配慮は必要だなとつくづく感じました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。マンガ/山口がたこ著者/IWON(46歳)小学生の母、夫は現在単身赴任中。会社員とWebライターをしている。高齢出産を経て、体調の変化や疲れなどさまざまなトラブルに直面し、若いころとは違うとつくづく感じる今日このごろ。普段はファッション、推し活、グルメなどの情報収集が趣味。
2024年01月12日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけBBA塾(ばばあじゅく)」。ある日、喉の出っ張りが気になった和田さん。耳鼻科→内科へ行っても原因がわからず……。総合病院へ行き、ようやく喉の出っ張りの原因は、甲状腺にできた腫瘍だということがわかりました。そして医師からは、「その大きさだと手術をして取る必要がある」と言われ、和田さんはとても不安になっていました。病名を聞いて思い出したこと医師から甲状腺腫瘍だと告げられたとき、すぐに母のことを思い出しました。実は、母も以前に甲状腺を全摘出していて……?甲状腺腫瘍と告げられたとき、私は頭が真っ白になりながらもすぐに母のことを思い出しました。実は、私の母も甲状腺腫瘍で甲状腺を全摘出していて、手術後に悪性腫瘍(がん)だったことがわかったのです。母のときは、私は励ます側でしたが、今回は自分が手術を受ける側。とても不安な気持ちになり、「こんなに心境が違うのか」と思いました。しかし、私が不安だと言ったらもっと不安になりそうな夫に、おできを取るくらいにしか思っていない子どもたち……。「自分がしっかりしないと!」と気持ちを切り替えて、入院までに自分ができることを淡々とこなしていきました。--------------同じ手術をした人が身内にいて、大丈夫だったことがわかっていても……不安になってしまう和田さんの気持ちがわかります。そして、和田さんの家族も心配し過ぎて動揺してしまったり、初めてのことでよく理解できなかったりしたのでしょうね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/和田 フミ江(46歳)イラストレーター・漫画家・二児の母。女偏差値43。極度の運動不足・シミ・シワ・白髪・腰痛・片頭痛などなど問題山積みで、ネタに困る気がしない。「ステキなおばあちゃん」を目標に、これから頑張りたい! 雑誌『フォアミセス』で「朝子のムジカ!!」連載中。
2024年01月12日毎日睡眠時間を確保して良い睡眠を取ろうと心がけているのに、寝つきが悪くて目が覚めてしまうことが……。若いときは一度眠れば朝までぐっすりだったのに、40代後半になってからは良い睡眠が取れずに常に睡眠不足状態。すると、子どもたちに対してもイライラしてしまうし、家事・育児・仕事がうまく回らずにストレスがたまるばかり。そこで若いときからの良くない生活習慣を変えようと試行錯誤した結果をお伝えします。入眠までに1時間以上もかかる!若いときと比べて入眠までの時間がすごく伸びました。若いときはベッドに横になればすぐに眠りにつけたのに、最近では30分〜1時間、ひどいときは2〜3時間たってしまうこともあります。さらに、入眠に時間がかかるだけでなく、夜中にも何度か目が覚めてしまい、朝起きても眠った気がしません。睡眠も細切れで眠りが浅いので頭が休まらず、疲れが取れないままです。睡眠不足で日中のイライラや疲労感がひどい睡眠不足は体の不調につながるので厄介なもの。疲れが取れないのでささいなことでイライラしてしまったり、子どもや家族への対応も悪くなるので反省する毎日です。また、仕事・家事・育児と毎日やることがたくさんあると、体力がついていきません。疲れが取れない、日常がうまく回らない負のループが続き、仕事や家事でミスをしてしまうこともあります。食生活の改善や運動で気持ちの良い睡眠が!若いときから脂っこいものが好きで食生活に偏りがありました。さらに、睡眠時間も不規則で夜遅くまで起きている日もあれば早く寝る日もあり、早く起きる日もあれば遅く起きる日もありました。運動はあまり好きではなく、仕事はデスクワークなので家事で動くくらいです。若いときはこのままでも健康でいられましたが、40代後半になるとそうはいきません。私には昔からお世話になっており、何か体の悩みがあると診てもらっている婦人科の先生がいます。当時、睡眠不足による体調不良や睡眠の悩みについても相談に乗ってもらっていました。かかりつけの婦人科の先生によると、更年期の女性の体は女性ホルモンが減り、ストレスがたまりやすい状態になるそうです。体を健康に保つには気・血・水など体の乱れを整えることが大事であり、より良い生活習慣を送るのが良いと言われました。ホットヨガを始め、寝る前には温かい飲み物を摂取気・血・水を整えるというのは漢方の考え方ですが、気は生命エネルギーであり元気の源と言われています。先生によると、気が乱れると肌のたるみや疲れやすさが増し、気を整えるには消化の良い食事と睡眠が大事だそうです。血は体中に栄養を届ける働きがあり、流れが悪いとイライラしやすくなります。そのため、体を温めるのが大事とのこと。水は血液以外の体液を指し、水分超過になると体のむくみや不調になるので、体の水分を整えるには運動して発汗させるのが良いそうです。私は先生に言われたとおりに、気・血・水を整えようと思い、今までのような良くない生活習慣を変えました。睡眠は決まった時間にし、食事は野菜たっぷりで消化に良くて体にやさしいバランスが良いものを取り入れました。また、血の巡りや水分バランスを整えるため、体を温めて発汗作用のあるホットヨガを始め、寝る前には温かい飲み物を飲むようにしました。これらの生活習慣改善で入眠時間が短くなり、朝まで目が覚めないなど睡眠の質が上がった気がします。まとめ睡眠の質は生活習慣に大きく関わるので、食事や運動など基本的なことから変えなければならないと思いました。若いころは何もしなくてもよく眠れましたが、アラフィフになると意識的に生活習慣を変えることが大事だとわかりました。ただ、毎日の生活で忙しいとバランスの取れた食事や運動を取り入れるのは難しいことだと思いました。しかし、朝昼晩のどれかで良いので野菜を取り入れる、週3~4回のホットヨガをおこなうなどできるところから始めてみることで疲れが取れやすくなったり、熟睡して睡眠が取れたり変化が見られました。よく眠れるようになったことでストレスが減り、日常生活にも余裕ができるようになりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。著者/AI(46歳)大学生の長男と長女、小学生の次男を育てる母。昔から海外旅行が好きで、得意な英語を活かして家庭教師とwebライターをやってをいる。最近の悩みは次男出産から減らなくなった体重。この先も太ったままでは嫌なので、最近ホットヨガを始めた。
2024年01月11日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。夫と娘、3人暮らしの何げない平凡な日常が、ある日夫の不倫によって少しずつ崩れていく話。40歳でパート勤めのマイさんは、整体師の夫・ユウトさんと中学生の娘・アカリさんの3人で暮らしています。夫婦のスキンシップを取りたいマイさんですが、ユウトさんは夜の営みをたびたび拒否。それどころか、マイさんの目を見て話そうともしません。うまくいかない夫婦関係に、マイさんはもどかしい気持ちでいました。先生はパパのお得意さんなの…!?夫婦のスキンシップを意識するマイさんですが、ユウトさんとは気持ちがすれ違うばかり。冷め切った関係を気にしながら会話をするも、話は盛り上がりません。そんなとき、マイさんはユウトさんとの過去を振り返るのでした。結婚当初は、ユウトのほうが積極的に私のことを求めてくれていました。ユウトからのスキンシップがなくなったので、私はもう女性として見られていないのかもしれません。整体師のユウトは女性からの指名も多く、普段から私よりも若くてきれいな女性と接しているはず。それに、アカリが通う学校のPTA活動をしているユウトは若いママたちの中で、チヤホヤされているようです……。「たまには私にだって笑いかけてほしい」私はそんな気持ちでいっぱいでした。ある日の夜、整体の営業時間が過ぎてもユウトは家に帰ってきません。アカリは父親の帰りが遅いことを気にしているようですが、お得意さん相手のときは、営業時間を過ぎて対応することもよくあります。ユウトから連絡はないものの、私には何の疑問もありませんでした。--------------仕事やPTA活動などで、マイさん以外の女性と接する機会の多いユウトさん。マイさんよりも若い女性とも交流があるとなれば、自分と比べられるかも……と、不安に感じる気持ちになるのもわかります。一方娘のアカリさんは、なんだか不穏な様子。夜遅くまで働く父親と担任である先生の関係が、整体師と客以上のものではないことを願うばかりです。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月11日40代になってから、自分の体や外見に変化を感じるようになりました。最近、30代と比べて特に変わったと感じることについてお話しします。生理前は当たり前私が最近気になる体の変化は、おならです。おならは1日に20〜3回ほど出るものだと以前、記事など読んだことがあります。そして、音が出たり、臭いのあるおならは1割ほどだとも書いてありました。私は以前から生理前になると、下腹部が痛くなり、おなかが張る感覚があるのですが、それと同時におならが出やすくなると感じていました。おならの回数が増えると生理が近いなと、生理が来る合図になっていました。今では日常的におならが…しかし、40代になってからは、生理前でもないのに日常的におならがたくさん出るようになりました。子どもたちの前でも、外を歩いていてもおならが出てしまうので、おなかのあたりに力を入れて、おしりの穴を締めるようにしながら生活するようにしています。それでも最近は、体に力を入れたときや、横になったとき、リラックスしているときにまでおならが出てしまうようになりました。おならは我慢するしかない?そのため、おならを我慢することも多くなったのですが、そうするとおならが腸の中でたまってしまい、おなかの下のあたりに痛みを感じることが増えました。しかし、我慢できる程度の痛みですし、おならがたまっているだけだとわかっているので、薬を飲んだりすることはありません。誰もいないところでおならをすれば、痛みはなくなり、人前でおならが出てしまうことはありません。しかし、今後どうなってしまうんだろうと考えるとヒヤヒヤします。まとめ人前でおならをしたくないのですが、おならを我慢し過ぎると下腹部が痛むので、対策に困っています。現状では、臭いが強い食べものを控えていますが、今後、あまりにも痛みがひどくなるようであれば、内科の受診も視野に入れています。イラスト/sawawa著者/さいとうみく(43歳)20代後半で長女を産み、その後5回の出産(うち1回は双子で出産)を経験。出産のたびに体の変化を感じながらも、誤魔化しながら子育てをしてきた結果、最近は身体のガタを感じ今後の子育てに不安を感じる40代。
2024年01月11日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけBBA塾(ばばあじゅく)」。ある日、喉の出っ張りが気になった和田さん。耳鼻科→内科へ行っても原因がわからず……。総合病院へ行き、ようやく喉の出っ張りの原因は、甲状腺にできた腫瘍だということがわかりました。そして医師からは、その腫瘍が大きくなっているため、手術をして取る必要があると言われました。喉の異変に気付けなかったのは…医師から「甲状腺に、にわとりの卵くらいの腫瘍ができている」と聞かされ、「そんなに大きなものが喉にできていたのに、なぜ、私も家族も気付かなかったのだろう」と思いました。思い返してみれば……。今思えば、夫も私も仕事が忙しく、2人の子どもは中学生と高校生になり、1日のほとんどの時間を、家族がバラバラに過ごすようになっていました。夕食のときだけは全員集まるものの、食べ終わったらすぐにスマホを見たりゲームをしたりして、それぞれが別のことをする毎日。以前と比べて、お互いの様子に気を配ることが減っていたのだと思います。自分では気付きそうなものですが、たまたま喉を触るまではまったく気が付きませんでした。自分自身の体の変化や健康について、ものすごく鈍感になっていたようです。--------------自分自身が忙しかったことや家族がそれぞれの時間を過ごすようになったことから、喉の異変に気付くのが遅くなってしまったようですね。自分自身で体をチェックしたり、家族で声を掛け合ったりして、健康と向き合う時間を作ることが大切ですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/和田 フミ江(46歳)イラストレーター・漫画家・二児の母。女偏差値43。極度の運動不足・シミ・シワ・白髪・腰痛・片頭痛などなど問題山積みで、ネタに困る気がしない。「ステキなおばあちゃん」を目標に、これから頑張りたい! 雑誌『フォアミセス』で「朝子のムジカ!!」連載中。
2024年01月11日40代になっても同年代に比べたらまだまだ若い気でいる私。更年期なんて自分には無関係な話だと興味もありませんでした。しかし45歳を過ぎると体に違和感を感じるようになりました。更年期症状といえば生理に異常が起こることだと認識していたので、突然始まった起床と同時に起こる手指のこわばりが更年期症状と関係があったとは思いもしませんでした。朝起きると指が曲がって伸ばせないある朝、いつも通りにベットから起き上がって、寝室のカーテンを開けようとカーテンに手を伸ばした瞬間にピリッとした痛みを両手の指に感じました。まるで低周波治療器の電流の刺激のような感覚でした。ゆっくりと指を伸ばすと指は開くことができるのですが、ピンと伸ばすことができません。こういう症状は高齢者でよく聞くのでまさか自分が? と不安な気持ちになり、何かの病気ではないかと心配になりました。これが更年期症状?ちょうどそのころ、勤めていたパートを辞めて次の仕事を探している最中でした。子どもも手がかからなくなり、日々の家事も手際よくできるようになっていたので時間的な余裕ができていました。もしかしたら仕事もせず、ゆったりと暮らす生活が更年期症状を招いているのではと思いました。そこで更年期症状とはどういったものがあるのか検索してみることにしました。原因について調べてみると…調べてみると、手指の関節の違和感や痛みなどの症状を訴える人の9割は女性で、そのほとんどが更年期の人だそうです。産後や授乳期にも見られることがあり、いずれも女性ホルモンのエストロゲンの減少が原因になっているとのこと。指が動きにくいという症状をそのまま放置しておくと、7〜10年かけて関節の変形が起こり、60代にはそのまま関節が固まってしまうとありました。これはすぐに対策せねばと、エストロゲンと似た作用をする大豆イソフラボンの代謝産物のエクオールのサプリを購入し、毎日飲み始めました。1年以上続けて飲んでいますが、手指のこわばりは一切なくなりました。まとめ毎日の生活は同じことの繰り返しで、子どもが大きくなるとさらに日々の暮らしにメリハリがなくなり、自分自身が老けているという感覚が薄れてきました。しかし確実に体は老いていて、更年期は生理がなくなるだけでなく、他の部分でも不調が表れるということを肝に銘じておかないといけないと思いました。気付いたときにすぐできる対策をするだけで、5年後、10年後の体調も変わってくると思うので、体をいたわるよう心掛けたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/駒形依子先生(こまがた医院院長)2007年東京女子医科大学卒業後、米沢市立病院、東京女子医科大学病院産婦人科、同院東洋医学研究所を経て、2018年1月こまがた医院開業。2021年9月より介護付有料老人ホームの嘱託医兼代表取締役専務に就任し現在に至る。著書に『子宮内膜症は自分で治せる(マキノ出版)』『子宮筋腫は自分で治せる(マキノ出版)』『膣の女子力(KADOKAWA)』『自律神経を逆手にとって子宮を元気にする本(PHP研究所)』がある。著者/大橋らむね小売業を中心に事務職や飲食店でパートとして勤務。体を動かすことが好きで、日々ウォーキングをおこなっている。
2024年01月11日サレ妻マユコさんのフォロワーさんが体験した、夫の不倫について描いたマンガ。夫と娘、3人暮らしの何げない平凡な日常が、ある日夫の不倫によって少しずつ崩れていく話。40歳でパート勤めのマイさんは、整体師の夫・ユウトさんと中学生の娘・アカリさんの3人で暮らしていました。家の中を漂う香りに違和感…ある日、マイさんはユウトさんより遅く自宅に帰りました。家事にだらしないユウトさんは、散らかった部屋を片づけることなく、横たわってテレビを見ています……。私が仕事から帰宅すると、玄関も廊下もぐちゃぐちゃに散らかっていました。先に帰宅していたユウトは、リビングでくつろぎながら「晩ごはんは済ませた」と言いますが、食べた後のキッチンは片付いていません。その光景を見た私は、ただただメンタルを削られるばかり。夜、アカリが眠りにつくころ。私はユウトにスキンシップを図ろうとそっと近づきますが、すぐに拒否されてしまいます……。気まずくなった私はとっさに話題を変え、自宅の香りがいつもと違うことをユウトに尋ねます。「今日PTAで香水キツイ人いたから、それかも」と、ユウトは私に背を向けながら答えます。ユウトとの冷めきった会話と何カ月もしていない夜の営みに、私は悩ましい気持ちになるのでした。--------------夫婦の一方がスキンシップを大切にしたいと考えていても、お互いの気持ちが合わなければ、すれ違うこともあるでしょう。マイさんも、相手の気持ちがわからず不安になっているようです。夫婦の溝を少しずつ埋めるために、マイさんとユウトさんがお互いの気持ちについて、話し合える機会があると良いですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。著者/サレ妻マユコ元サレ妻。自身の体験談コミックエッセイ『娘の水泳教室で不倫してた夫を捨てるまで』電子書籍発売中。”後悔しない離婚”をインスタグラムで発信中。Instagram:@mayuko_sare
2024年01月10日半年くらい前から、蚊のように小さな虫が何匹も目の前で飛んでいるように見え始めました。ずっと見えているわけではなかったのですが、明るい場所で特に見える感じがして、だんだん虫に見えるものの数が増えていったように思えました。しかし、実際には虫は飛んでおらず、友だちに相談したら眼科に行ったほうが良いと勧められ、眼科で診てもらうことにしたのです。視界にたくさんの小さな虫が見え始めた私の視界に小さな虫が何匹も見えるようになったのは半年くらい前で、42歳のときからです。家族に聞いても虫は飛んでいないし、実際に手を伸ばしてみてもやっぱり虫はいません。けれど、視線を違うところに向けても小さな虫は追ってくるし、目をこすっても消えることはありませんでした。ただ、1日中見えているわけではなく、明るい場所にいるとよく虫が見えるのです。蛍光灯などの明るい照明の下にいるときや、朝の日差しを浴びながら車を運転するとき、他にもテレビを見ているときによく見えていました。暗い場所では虫が見えなかったので、明るい場所にいるときだけ虫が見えるのだと思いました。しばらく小さな虫が見える症状は続きましたが、特に視力が落ちた感じもなかったので、眼科へも行かずに様子を見ることに。友だちに会ったときにこの虫が見える話をすると、「それ飛蚊症(ひぶんしょう)だよ、老化現象の1つなんだよ」と言われました。老化現象と言われショックでしたが、何か病気が隠れているかもしれないから念のため眼科に行ったほうが良いと勧められ、眼科へ行くことにしました。飛蚊症の診断を受けるも治療の必要なし!眼科へ行き小さな虫が見えることを伝えると、「飛蚊症だね、年齢は43歳か」と先生。年齢を言うということは、やはり友だちが言っていたように老化現象なのだと感じました。そこで先生から受けた説明では、目にはゼリー状の硝子体という部位があり、加齢などで成分が変化して萎縮することで液状になるそうです。そうすると硝子体が濁ってその影が網膜に映り、視野の中で黒い点のように見える症状を飛蚊症というとのこと。飛蚊症は年齢から来る場合と目に病気がある場合があり、年齢から来る場合は治療の必要がないそうです。そこで、年齢から来ている症状だと思われるけれど、病気がないことを確認するため検査をすることになりました。目に空気を当てる検査や器械をのぞき込んで映っている絵を見る検査、それに視力検査もしました。後日、瞳孔を開く目薬を使用して検査をすることになり、この検査をするとその後数時間はまぶしさから車の運転は危険とのことなので、夫に送迎を頼める日に検査の予約をしました。そして予約した日になり、夫の運転で眼科へ。待合室にいると看護師さんが目薬を差しに来てくれました。瞳が大きくなるまで30分以上待って検査室に入りました。検査後、診察室に呼ばれ、先生から目の病気はないと言われてホッとしました。私の飛蚊症は年齢から来るもので治療する必要はなく、そのうち慣れてくるとのことでした。だんだん小さな虫に気付かなくなった眼科では特に治療の必要もなく、そのうち目が慣れてくると言われましたが、症状を緩和するために何かできることはないかネットで調べてみました。調べてももちろん眼科で言われたように、年齢から来る生理的なもので何もする必要はないようでした。ただ、何もする必要はないのですが、私は目を疲れさせないためにスマートフォンでマンガを読んだり、遅くまで起きていたりすることをやめ、疲れ目に効くとされるサプリメントを飲むようにしました。いつごろから飛蚊症の症状を感じなくなったのかは自分でもわからないのですが、今ではほとんど症状がありません。テレビを見ているとたまに飛蚊症の症状が現れますが、以前のように症状が続くこともなく数秒で消え、小さな虫のようなものの数も少なくなりました。眼科で言われたように目が慣れてきたのでしょう。眼科でもらってきた飛蚊症の冊子にも「慣れれば特に問題はありません」とあったので、見えているけれど気付いていないのだと思います。目を疲れさせないようにしてきたことは効果があったのかわかりませんが、これからも続けていこうと思います。まとめ老化現象でさまざまな体の不調が現れることを実感しつつ、私は飛蚊症を知らなかったので、良い経験ができたと思うようにしています。今回は治療の必要がないものでしたが、今後は年齢からどんな病気になるかわかりません。健康でいるためにも、まずはバランスの取れた食事に気を付け、規則正しい生活を送ろうと思いました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/田辺直樹先生(田辺眼科クリニック院長)日本眼科学会認定専門医。札幌医科大学医学部卒業。名鉄病院、名古屋大学、知多市民病院で眼科医員、公立学校共済組合 東海中央病院で眼科医長を務めたのち、2004年に地元愛知県名古屋市にて、田辺眼科クリニックを開院。子どもからお年寄りまで幅広い目の悩みに対するきめ細かいケアに定評がある。イラスト/きびのあやとら著者/さちこ(43歳)夫、小5の双子の男の子、小2の男の子の5人家族。まだまだ手のかかる子どもに振り回されている。仕事と家事、子育てに毎日追われ疲れ気味だが、2匹の猫に癒されながらなんとか笑顔を忘れず過ごせている。
2024年01月10日私は夫と2人で暮らすアラフォーの主婦です。自宅の近くに義母が1人で住んでいるのですが、2年前にアルコール依存症になりました。それからは義母が心配で……毎日のように義母の家へ、様子を見に行っています。アルコール依存症の義母3年前に義父が他界し義母が1人暮らしをするようになってから、義母の生活はどんどん乱れていきました。大量の酒を買い込んで朝まで飲んだり、酒のつまみのような辛いものばかり食べていたり。家事もしないため、部屋の中は常に散らかっています。私が注意すると、「家に来ないでよ」と怒り、改善してくれません。家の中だけならまだしも、酔っぱらって道路に出て寝てしまうこともあります。近所の人に迷惑をかけることだけは避けたく、「何とかしないと」と思っていました。思い付いたある作戦時はたってお正月になり、義母の家に親戚一同が集まりました。義母の荒れた生活は親戚一同にも知れ渡っています。この日もお酒を飲み続ける義母に夫が注意するも、言うことを聞かず、「体を壊しても嫁が介護してくれるから」と開き直る始末。「冗談じゃない」と思った私は、帰宅した後、義母に連絡をしました。すると義母は、「私の介護は嫁のあなたがするべきでしょ?」「よっしゃ!任せてください!」「え?」私は義母に電話をかけて話を続けました。「近々おむつ替えの練習をしましょうね。そしてこれからは、介護用のレトルト食品を食べてください。きっと体にもいいはずです」と。すると義母は、「私に介護はいらないわ!」と慌てて電話を切りました。改善しようとする義母それから義母は、お酒の量を減らす努力をしているようで、以前のように問題を起こすことはなくなりました。夫が言うには、義母は私に注意されないように気を付けているとのこと。義母はあの電話の話が現実になることを、思った以上に嫌がっているようです(笑)。アルコール依存症になった義母を、「何とかしないと」とずっと悩んでいましたが、スムーズに解決できてよかったです。これからも、変わろうとしている義母をサポートしていきたいと思います。--------------義母のことをよく理解しているからこそ、思い付いた作戦でしたね。乱れた生活を、自ら変えるように導いてもらえた義母は、幸せ者ですね。著者/ウーマンカレンダー編集室40歳を過ぎて心と体の変化に戸惑い、悩むオトナ女子を応援するメディア「ウーマンカレンダー」の編集室です。オトナ女子がおこなっているコスパ良し!時短!ズボラでもできる!リアルなアンチエイジング情報をお届け。医師解説の記事も満載!
2024年01月10日床に座った状態で手を伸ばしたその瞬間、今まで経験したことのない激痛が腰に! ベッドから起き上がるたびの激痛、寝返りを打つにも痛みで思うように体を動かせず、体全体が硬直状態の日が7日ほど続きました。その後、整形外科で伝えられた診断結果に驚いた体験談を紹介します。手を伸ばした瞬間、腰に激痛が走る忘れもしない、私が40歳のときの元旦。新しい年が始まり清々しい気持ちと、今年もいい年でありますようにと願うような朝でした。前日から仕込んだおせち料理や、でき立ての湯気が立ったお雑煮を家族で囲んでいるときにそれは起こりました。私の席からは手が届かない位置にあるおせち料理を取ってもらうため、家族に小皿を渡そうと少し腰を浮かし、お皿を持った手を伸ばしたその瞬間です!これまでに聞いたことはあったけれど経験したことがなかった、まさに稲妻が走るような痛みが腰に走ったのです。あまりの痛みに声も出ず、浮かした腰を元に戻すこともできないほどの激痛。息をすることも忘れ、脂汗がにじみ出てくるのがわかりました。心配する家族の声が遠くに聞こえましたが、数cm程度でも動けばさらに激痛が走るということを直感的に感じ取っていたため、まずは呼吸を整え、痛みを感じないようにゆっくり少しずつ腰を下ろすのが精一杯でした。たったこれだけの動作に3分はかかったと記憶しています。慎重に慎重を重ね、やっと腰を下ろせたのですが、それで痛みが治まるわけではありません。ついさっきまで空腹だったのに腰の痛みで一気に食欲がなくなり、お雑煮はひと口も食べることができませんでした。元日から痛みで動けない日々が続き…痛みに耐えられず、自分のベッドに移動することに…。しかし私の部屋は2階で、十数段の階段を上っていかなければなりません。立ち上がること自体が恐ろしく、床をはうようにしながら食事の席を後にしました。「この体勢で階段を上り切れるのか?」と思いながらも、とにかく自分のベッドで横になりたいという一心で、階段1段1段もはうように上っていきました。深呼吸をしながら、急な動きをしないようにゆっくりゆっくり。このときばかりは、階段の手すりのありがたみが身に染みました。そして、最後の難関は床とベッドの段差でした。こんなときはいつもより高く感じます。まずは立ち上がる体勢を整えテーブルに手をつき、足の部分だけ立ち上がりました。腰は曲がったままの前かがみの体勢なので、自分の太ももを杖代わりにするように両手を置き、痛みを感じながら手の位置を少しずつおなか側に移動しながら上半身を伸ばし、何とかベッドに横たわることができたのは食事の席を離れてから5分後くらいでした。いつもなら30秒以内で移動できる距離です。それから数日間、寝返りはおろか、横になっていること自体がつらい日が続いたのです。初めの数日は痛みで食事はできず、トイレに行くにもとても勇気がいりました。その結果、動くと痛いので、なるべく水分をとりたくないという悪循環です。数日間は、「痛い、いたたた……」という言葉しか発していませんでした。ただのぎっくり腰ではなかった病名とは?結局、会社の仕事始めにも間に合わず、長いお正月休みをいただくことに…。元日の激痛から約7日後、なんとか立ち上がり、家族に整形外科に連れて行ってもらいました。エックス線検査後、診察室で医師に告げられた病名は脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)。背骨にある神経の通り道の脊柱管が狭くなってしまう病気です。私の場合は小学生のころから日常的に運動を続けていたことも原因の1つと言われ、「手術以外で治ることはないから、とりあえずはうまく付き合っていくしかないね」とのこと。翌日からコルセットを着けて出勤しましたが、初めて使うもので装着位置や締め具合がわからず、さらにデスクワークのため腰から背中、首が凝り固まり頭痛に悩まされる日が続きました。腰痛よりも頭痛がつらく、コルセットを外してしまう日も…。コルセットを外して歩いてみると、心も体もコルセットの支えに頼り切ってしまっていることに気が付き、痛みのある今は仕方ないけれど、将来的にこれではいけないなと感じました。2週間ほどで腰の痛みはなくなり、不安ではありましたがコルセットからも卒業することにしました。病院で診てもらったのは、この1回のみ。その後は腰に負担がかかる体勢や動きをしないように膝をうまく使うことや、ストレッチで腰周りをほぐし、冷やさないようにインナーやカイロを利用して注意しています。まとめ腰は文字通り、体の要であることを痛感した出来事でした。当時はつらい経験でしたが、自分の体のことを知ることができ、うまく付き合っていくコツがわかるようになったことは、今の私にとってはプラスなことだったと思います。今のところ40歳のときと同様の激痛は経験していませんが、2回ほど予防的にコルセットを使用しました。さらにストレッチや温めを積極的におこなうことで2回とも短期間で回復できたため、判断は間違っていなかったと思っています。今後の生活の中でも、自分の体の状態をしっかりと感じ取りながら、元気に過ごせる日を増やしていきたいと思います。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/中村光伸先生(光伸メディカルクリニック院長)整形外科医の知見から骨の仕組み、体の動かし方を活かした骨のトレーニングを提唱する骨の専門医。骨の強化と全身の機能回復を両立する「骨たたき」を考案。若々しい体を取り戻す「リバースエイジング」の専門家としてメディアにも多数出演。著書に『医者が考案した骨粗しょう症を防ぐ1分間骨たたき』『ひざたたき世界一かんたんな健康法』(アスコム)。イラスト/マメ美著者/バニラ(44歳)独身。病気を機に自分の体を大切にしてあげることを痛感。食事内容に気を付け、運動する機会を増やすよう奮闘中!
2024年01月10日40代に突入したころのことです。当時の私は2人目の子育てに追われながら仕事もしていて、万年寝不足。常にオーバーワークでした。ある朝、突然手首に痛みを感じ、続いて指の関節も腫れてきて、グーパーと開いたり閉じたりするのも痛いほどに。関節痛が膝や腰まで広がって、少しでも和らげたいとあることを始めてみたところ……。前ぶれもなく痛み出した関節初めて関節に痛みを感じたのは40代前半。朝起きたら、突然手首に痛みを感じ、「ひねったかな」と首をかしげていたら、昼ごろには症状は改善。日中子どもを抱っこしたり授乳したり、手を使うことが多かったので「使い過ぎかな」と思い気にせずにいたら、あくる日も同じ手首に痛みを感じたのです。祖母がリウマチを患っていたころ、痛い痛いと言っていたことをふと思い出し、「もしかしたら私もリウマチになってしまったのかな」と思うくらいでした。しばらく痛みが続いたため、リウマチを患っている友人に紹介してもらい、病院で診てもらったところ、「加齢に原因があるのかもしれないので、様子を見ましょう」とのことでした。加齢による関節痛は、高齢者になってからだと思い込んでいた私はびっくり。そこで関節の痛みの改善に何かできることはないかと自分なりに調べてみました。関節痛と更年期はたしかに関係しており、まず痛みのメカニズムとして、関節の表面を覆っている軟骨を構成するたんぱく質(コラーゲン)がすり減ることで、関節の痛みや腫れなどが生じるようでした。さらに、コラーゲンの合成に必要な、女性ホルモンの1つであるエストロゲンが更年期に突入すると急激に減少し、コラーゲンも減少するそうなのです。関節痛は、更年期の主な症状の1つとして挙げられる理由がやっとわかりました。関節痛が悪化。腰痛に悩まされる日々加齢と関係していることを先生に聞いてからも、手首の関節の痛みは続きました。しかし今度は、腰痛や膝痛に悩まされるように。昨年あたりからは、「よっこいしょ」と言って勢いをつけなければ立ち上がれないほど痛みを感じるようになっていき、「これはまずい」と本格的に思うようになりました。そんなとき、友人に腰痛について相談したところ、「バレエフィットネス」を紹介してくれました。これは、もともとバレリーナが練習前におこなうストレッチで、寝ながらおこなうストレッチが多く、体に痛みのある人も無理なく続けられるとのことでした。最初は体全体の緊張を緩めるようなストレッチをして、徐々にインナーマッスルを意識しつつ筋肉に働きかけ、可動域を広げていきます。ほとんどの動作をあぐらやマットの上に寝ながらおこなうため、狙った筋肉に刺激を与え、痛みのある箇所は調整しやすく、緩やかに少しずつ体を整えていくことができます。痛いところのある私には心地良く感じました。運動を続けることで腰痛や膝痛が軽減定期的にバレエフィットネスのトレーニングを続けました。3、4年前からマイペースに続けている早朝ランニングも継続していたところ、思えば腰、膝ともに痛みが和らいでいることに気付きました。洗濯物を拾い上げたりするときも、「よっこいしょ」と言うことが減っていたのです。調べてみたところ、血液の循環を良くして関節を温めることも関節痛の改善に効果がありました。カルシウムを摂取することも関節の痛みを和らげるようだったので、牛乳やチーズをとることを心がけました。また、入浴の際に湯船にゆっくりと浸かり、バレエフィットネスでもおこなう足指を1本ずつ開いたり、つま先から太ももの付け根までのマッサージをおこなうようにしていたら、膝痛に関しては膝をかばうことなく思い切り走れるところまで回復したのです。腰痛に関しては仕事柄、長時間同じ姿勢で座っていることが多いため、まだ痛みがあります。特に長時間同じ姿勢でいると、次の動作に入るとき体がガチガチに固まってなかなか動けません。そこで腰周りのこわばりについてバレエフィットネスのインストラクターに相談すると、以下のようなアドバイスをいただきました。「無理に動かすのではなく、体の緊張をほぐすためにまずは深呼吸して体に酸素を取り入れること」「少し伸びをして肩甲骨を動かしたり腰を回転させて、少しずつ動く準備をすること」「無理に立ち上がらず、痛かったら手で何かにつかまってもいい」。これらのアドバイスに従って、次の動作に入る前の「準備」と机などを支えにする「サポート」を心がけています。まとめ腰痛の原因は更年期だけではなく、さまざまな要因が重なって起きているのだと知りました。現在も、腰痛に関しては一進一退。良くなったり悪くなったりを繰り返していますが、まずはバレエフィットネスを続けることが腰痛緩和につながるかもしれないと期待しています。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/粒来 拓先生(よしかた産婦人科分院綱島女性クリニック院長)日本産科婦人科学会 専門医・指導医。日本女性医学学会 女性ヘルスケア認定医・指導医。日本女性心身医学会 認定医。患者一人ひとりの症状と考え方に寄り添い、サポートしている。イラスト/サトウユカ著者/みうママ(50歳)昨年閉経を迎えた更年期ママ。泣く、怒る、時々笑う。喜怒哀楽の激しさに拍車がかかる日々。思春期の娘VS更年期の母という戦いに明け暮れている。パパと息子の男性陣は戦々恐々。地雷があちこちに埋まっているファミリー。家族は夫、1男1女の4人家族。
2024年01月10日半年前、小鼻の周りのざらつきに気が付きました。そのうち、ざらつきがなくなると思い、こまめに洗顔するほかは放置。すると1週間後、小鼻の周りに吹き出物が。それをいじっていると白い膿が出てしまいました。鼻をよく見ると、毛穴が黒っぽく、何かが詰まっているよう。そこで毛穴パックを試してみたら、びっくりするほどの角栓が! それをきっかけに小鼻の周りのケアを始めて改善するまでの体験談です。小鼻の周りの吹き出物が気になるように私は肌がきれいなほうだったので、特別なスキンケアはなし。洗顔料を使って顔を洗い、化粧水や乳液を付ける程度で良いコンディションを保てていました。しかし、44歳のとき、小鼻の周りがざらついていることが気になるように。指で触ってみると、薄皮がぽろぽろと剥がれてしまいます。暖かくなる時期だったため、多く出た皮脂をきれいに洗顔できなくて吹き出物ができたのかなと気楽に考えました。そこでベタつきが気になったら洗顔するように心掛け、特別なことは何もせずに放置。すると1週間後、小鼻の周りに白い吹き出物が現れ、白く膨れ上がってしまいました。なんだか気持ち悪いな……と思い、指で触ってみると白い膿が! 小鼻の周りをよく見ると、それ以外にも小さな吹き出物があり、なんとも汚らしい状態。さらに鼻には黒いポツポツがあり「私の鼻ってこんなに汚かったっけ?」とかなりショックを受けました。 毛穴パックを使ったら角栓がごっそり!これまでスキンケアをするとき、顔全体が潤えば良いかなという程度の気持ちでした。小鼻の周りのような細かいパーツを気にしたこともなく……。鼻のあたりをじっくり観察してみると、毛穴が詰まっているような印象を持ちました。そこで私は、薄皮が剥がれたり吹き出物ができたりするのは、毛穴詰まりが原因であると推測。なんらかの毛穴ケアをする必要があると考えました。その時点では、どのようなスキンケアが良いのかわからなかったので、ひとまずドラッグストアに直行。スキンケア関連のコーナーを見渡し、シートタイプの毛穴パックを買ってみました。私はこれまで毛穴パックの経験はなし。説明書を見ながら鼻にシートを張り付け、3分後に剥がしてみると角栓がごっそり。それが理由かわかりませんが、小鼻の周りのざらつきや黒いポツポツはある程度解消されました。小鼻の周りのケアを続行中後日、スキンケアの方法を考えるために、毛穴に関する情報をネットで調べてみました。シートタイプの毛穴パックは角栓をすっきり取り去れるメリットがあるものの、肌が必要とする水分や油分を一緒に除去してしまうとのこと。また、シートタイプを使い過ぎると毛穴が緩くなり、皮脂や汚れが詰まりやすくなるそうです。そのため、私はシートタイプの毛穴パックは使わず、他の方法でスキンケアをすることにしました。また、特に大切なのは正しい洗顔方法を実践することだそうです。そこでそのサイトを参考に、手を清潔にする、洗顔料をしっかり泡立てる、泡を転がすように洗う、ぬるま湯でゆすぐ、タオルで水分を吸い取る、そして洗顔後は化粧水をしっかり塗る、これらのケアを毎日実践しました。忙しい日が続くと洗顔が大雑把になり、顔を水でさっと洗うだけになっていたと改めて反省。特別なことはせず、基本をしっかり押さえて洗顔することを心掛けています。まとめ小鼻の周りの吹き出物に気が付いてから半年。現在も、洗顔料をしっかりと泡立てて丁寧に顔を洗うようにしています。夏になると、ついつい洗顔を水で済ませがちですが、面倒だと思ってもできるだけぬるま湯を用意しています。その効果かどうかはわかりませんが、以前のように吹き出物が出る、薄皮が剥がれることはほとんどありません。毛穴の詰まりや黒ずみは、以前と比べると改善されました。今回の経験は、洗顔という基本的なスキンケアの大切さを改めて考える機会となりました。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。監修/黒田愛美先生(Zetith Beauty Clinic 医師)美容外科、美容皮膚科、予防医学(栄養療法)、アンチエイジング専門医。Zetith Beauty Clinic 、東京美容外科沖縄院にて勤務。トライアスロン日本代表の経歴を持ち、⾃分がアスリートであることも⽣かしつつ、美と健康のスペシャリストとして「中からと外からの美と健康」を信念に、外から(美容医療)だけでなく、中から(分子栄養学、予防医学)の美と健康の権威として多くの文化人、芸能人、アスリートからの信頼も厚い。著書に、「中田敦彦のYouTube大学」でも紹介された「アスリート医師が教える最強のアンチエイジング」(文藝春秋社)がある。著者/ひこすけ(45歳)仕事で海外と日本を行ったり来たりしているため生活が乱れがち。
2024年01月09日