2人の姉妹を育てているワーキングマザー。仕事育児家事の狭間でテンパりながら日々過ごしています。姉妹の成長記録を綴っている絵日記ブログ「ひよっこ一家備忘録」を描いています。
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■前回のあらすじ 授乳がうまくいかなかった私の前に突然、現れた助産師さんが指導してくださったら、何と次女の体重が増えました! そのため、この助産師さんと出会ったのも何かの縁だと思い、退院後にこの助産師さんがいる助産院の母乳外来に行ってみることに…。 こんにちは! 宝あり子です。 ■母乳外来に通ってみた 次女の授乳がうまくいかず、退院後に 母乳外来 に行ってみました。 母乳外来では最初に次女の体重測定と問診がありました。 問診では ・現在の授乳の回数 ・飲ませているミルクの量と回数 などを聞かれました。 そして次に母乳マッサージがありました。 自分では母乳が全然出ていないと思っていましたが、 こんなに母乳が出るなんて思っておらず、驚きました。 そして授乳の指導がありました。 授乳といっても授乳時の赤ちゃんの抱き方はいろいろあり、私もネットで調べて試してみましたが、どれもうまくいきませんでした。 助産師さんに指導していただきながら横抱き、縦抱き、脇抱き(フットボール抱き)など行いましたが、 なかなかうまくいかず 焦っていたら…。 ■知らなかった驚きの授乳方法 机にタオルを敷き、そこに赤ちゃんを寝かせて授乳する方法を教えてもらいました。 この授乳方法は知らなったので、最初は 「机に赤ちゃん寝かせるの!?」 と驚きました。 しかし、これが次女には一番飲みやすい体勢でした! この体勢は家で授乳するときにも腕が疲れないので良かったです。 テレビを見ながらの授乳は気分転換にもなりました。 ほかにもミルクの量のなども指導もしていただき、その後も定期的に母乳外来に通いました。 そして生後2カ月後半くらいから、ようやく授乳が軌道に乗りはじめました。 ■断乳を決意したとき その後はミルクと母乳の混合になり、次女は母乳を飲みながらでないと眠れない子になりました。 夜中に目が覚めると必ず母乳をほしがり泣くので、私も満足に眠れない状態がずっと続いていたまま次女出産から1年後に復職。 朝5時台に起きて7時前には家を出て子どもを連れて通勤ラッシュのバスに乗り保育園へ。 日中は仕事で 休む暇なし。 帰宅も19時近くになることも多く、そこから食事の支度をしたり子どもをお風呂に入れたりでドタバタ。 夜中も目が覚めた次女が母乳をほしがるので起こされて夜中に何度か授乳しました。 この生活が大変すぎたため、 断乳を決心 しました。 しかし、断乳もすんなりとはいかず苦戦。 復職する方は状況によっては復職前に断乳することも検討した方が良いかもしれません。 その後も保育園の転園や育児と仕事の両立に悩んだり、3歳の壁にあたったり、乳がんが見つかり休職したり、転職したり、紆余曲折をへて、現在に至ります。 4月にお子様が保育園に入園され復職されたみなさま、生活が一変して大変な時期かと思います。 どうか無理はせず、つらいときには周りに話を聞いてもらったり、助けを求めたりしてほしいです。 こちらの連載は今回で最終回です。 今までお読みいただきありがとうござました! ※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2024年04月28日■前回のあらすじ お産の進みが急激だったため、その反動で後陣痛がかなり強く起こり、痛み止めを飲んでも治らず、結局3日間ほど痛みに耐えることに。スピード出産だったため、夫が準備してくれたテニスボールを使ったり、ペットボトルで飲み物を飲んだりする暇もありませんでした。 こんにちは! 宝あり子です。 ■後陣痛が痛すぎた 分娩室でしばらく待機したのち病室へ戻ってきました。 陣痛がまだ続いている かのような痛みでつらかったです。 後陣痛は出産して子宮が元の大きさに戻ろうとして収縮する際に起こる痛み。 後陣痛が強く起こっていたため、先生の回診時おなかを確認するたびに…。 「子宮の戻りがいいね! 痛いけどこれは良いことだから!」と言うだけでした。 子宮が戻りが良くてよいことなのだと思いますが、とにかく痛くてつらかったです。 痛み止めを出してもらいましたが全然痛みは落ち着きませんでした。 ■新生児がかわいすぎて授乳室が天国だった しかし、そんな痛みを抱えながらも授乳の時間がやってきました。 新生児室に次女を迎えに行くと、 「宝ちゃんいらっしゃい! 宝ちゃんベビーかわいいね!」と助産師さんが優しく出迎えてくれました。 切迫早産入院で知り合いの助産師さんたちが多かったので、次女がおなかにいるときから見守ってくださった助産師さんたちが、生まれた次女のことをかわいがってくれてうれしかったです。 長女のときはうまく授乳ができず、だんだんと授乳の時間が怖くなってしまいましたが、次女のときは…。 上の子の時は初めての授乳、初めてのおむつ替えに悪戦苦闘。 新生児を愛でる余裕があまりありませんでした。 しかし、今回は二人目なので生まれたばかりの次女はもちろん、授乳室の新生児みんなかわいすぎて生まれたての赤ちゃんが見られる授乳の時間が毎回、楽しみでした。 そして、長女のときはうまく授乳ができませんでしたが、今回は…。 初授乳で吸いついてくれましたが、授乳後の体重は増えていなかったので母乳を飲めていない状況でした。 とはいえ、ミルクで元気に育ってくれた長女を見ているので今回は安心して「飲めなかったらミルクがあるし」と思うことができました。 しかし、 まさかの出来事 がありました。 ■母乳指導に来た助産師さんがすごかった 「そこのあなた! 赤ちゃんがまったく母乳飲めてないよ!」と病院の提携先の助産院から母乳指導に来た助産師さんに言われました。 「足を開いてドシっと構えて!」 「猫背になってるから姿勢を正して胸を張って!」 と矢継ぎ早に言われました。 さらに…。 次女の頭をグイグイ押してきて正直「この助産師さん怖い」と思いました。 しかし、助産師さんが授乳を手伝ってくれたあとに体重を計ったらなんと 体重が増えていました! これにはビックリ。 かなり厳しい助産師さんで授乳室の空気はピリっとしていましたが、その実力はすごかったです。 さらに、その助産師さんが「退院後、授乳でうまくいかなかったらお手伝いするからうちの助産院に来なさい」と言ってくれました。 長女の新生児期に「母乳のことで助産院に相談していたら何か違っていたのかな?」という気持ちが少しあったため、今回この助産師さんに出会ったのも 何かの縁 だと思い、退院後にこの助産師さんがいる助産院の母乳外来に行ってみました。 ※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2024年03月28日■前回のあらすじ 病院に到着してわずか15分で次女が誕生。次女の出産は陣痛の痛さに耐える時間は約15分ほどで短かったですが、その痛さは長女の出産時をはるかに上回る激痛でした。 こんにちは、宝あり子です。 ■出産後、放心状態に… あまりの激痛だったので出産しても生まれた次女に会えた喜びをすぐに感じることができず、しばらく放心状態でした。 のちに乳がんで全摘手術を経験しますが、術後の痛みも「 次女の出産時の痛みに比べれば このくらいの痛みなら全然耐えられる!」と思うくらい次女の出産は激痛でした(個人差があります)。 そして、助産師さんからは、「病院到着してから 15分での出産 は私が担当した中では1位だよ!」と言われました。 今までは病院到着から20分での出産が1位だったそうです。 あまりの急展開でもっと病院到着から出産まで長かったような気がしましたが、まさか15分とは驚きでした。 また、あまりの急展開で先生は出産に間に合わず、出産後に先生がやってきました。 先生がいなかったため会陰切開は行われず、残念ながら会陰は裂けてしまっていました。 ということで裂けてしまった会陰を先生が縫ってくれました。 縫合はそれなりに痛かったのですが、それ以上に痛かったのが…。 後陣痛でした。 ■激痛だった後陣痛 後陣痛は出産直前の陣痛の痛みと同じくらい痛くて、出産したのにまだ陣痛が続いているような感じでした。 実はおなかの中にもうひとりいて、まだ陣痛が続いているのかと思うくらいでした。 看護師さんいわく、後陣痛は初産婦より経産婦の方が痛いケースが多いそうです。 特に私はお産の進みが急激だったため、その反動で後陣痛がかなり強く起こっていたようです。 後陣痛は痛み止めを飲んでも治まらず、結局、3日間ほど痛みに耐えることになりました…。 ■立ち合い出産をしたパパの役割 長女の出産時は、私が陣痛に耐え、意識がもうろうとして苦しんでいた間、ずっと横でスマホをいじり続け、さらに食事に出かけるなど自由気ままに過ごして、私の一生の恨みを買った主人は今回…。 と、準備をしていました。 しかし、スピード出産でテニスボールもペットボトルで飲み物を飲む暇もありませんでした。 今回、出番なしかと思われましたが…。 後陣痛のあまりの痛さに何かにしがみつきたかったので、 日ごろの恨みも込めて腕を力いっぱい握ってやりました(笑)。 ※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2024年02月28日■前回のあらすじ あまりの激痛に分娩台に上ることができませんでしたが、助産師さんのサポートを得ることができず、何とか自力で分娩台の上に。そして、助産師さんが子宮口の開き具合をチェックしてもらうと、まさかの全開でした。 こんにちは、宝あり子です。 すでに子宮口全開していたことに驚きつつ、今まで経験したことがないくらい激しい痛み。 一刻も早く出産してこの痛みから解放されたい思いでいっぱいでした。 ■痛すぎて叫ぶことしかできない あまりの痛さに と叫び続けていました。 すると助産師さんに「声を出さないで。ゆっくり呼吸して」と注意されました。 しかし、ゆっくり呼吸しようと思っても痛すぎて無理でした。 そして、私が叫び続けていると分娩室の扉が開いて、もうひとり助産師さんがきました。 私が切迫早産入院中に特に仲が良かった助産師さんの田中さん(仮名)がきてくれたのです。 「あり子ちゃん、おかえりなさい」と温かく声をかけてくれたのですが…。 「田中さん、痛いー!!」と痛みを訴えることしかできませんでした。 とはいえ、仲の良い助産師さんがそばにいてくれるのは、とても心強かったです。 ■痛すぎて大パニック 激痛が続き、田中さんからも声を出さずにゆっくり呼吸するよう言われました。 それでもあまりに痛くて大パニックで 「痛い」 しか言えませんでした。 そのため…。 と酸素マスクがつけられました。 ■いきむように言われたけど… 「じゃあ次の陣痛でいきんでみましょう」と言われて、いきんだのですが…。 声を出さないでいきむよう言われました。 しかし、あまりの痛さでどうしても声がでてしまいました。 そして「はい、もういきまなくていいからね」 と言われた瞬間…。 次女が誕生しました。 病院に到着してから出産までの間、 なんと15分! 超スピード出産でした。 次女の出産は長女の出産をはるかに上回るくらい激痛でしたが、陣痛の痛みも病院に到着してから出産までの15分間だったので陣痛の時間は短すぎてビックリしました。 続きます。 ※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。 (1571/1000000)
2024年01月28日■前回のあらすじ 泣いている長女をおいて病院へ。出迎えてくれた助産師さんに案内され陣痛室へ移動をしている最中に、突然、歩けないほどの激痛に襲われました。慌てて助産師さんが車いすを持ってきてくれて、車いすで病院内を移動していたら破水! そして…。 こんにちは、宝あり子です。 ■着替えずに分娩室へ直行することに 車いすに乗って陣痛室に向かっている最中に破水したことを助産師さんに伝えたところ…。 病院到着時は 陣痛室 で着替えて子宮口が開くまで待機の流れでした。 しかし、急激な痛みと破水が起こったため、着替えずに 分娩室 に直行することになりました。 病院に着くまではいきみたいけれど痛みもない状態だったので、まさかこんな急展開になるとは思いませんでした。 「経産婦のお産の進みは早い」 と聞いたことがありましたが、本当に急展開でパニックでした。 そして、病院についてから急展開ですっかり忘れていましたが…。 「旦那さんは出産に立ち会いますか?」 助産師さんに出産の立ち会いについて聞かれました。 私は実家に里帰りしており、主人は自宅にいたので一緒に病院に来たわけではありませんでしたが、陣痛タクシーに乗る前に主人に連絡していて、主人も間もなく病院に到着する予定でした。 しかし、あまりの痛さでパニックになっていた私はこの痛みから逃れたいことで頭がいっぱい! 正直、出産の立ち会いについて考えるどころではありませんでした。 と丸投げしました。 ■激痛で自分では上がれない分娩台 分娩室につくと、車いすをおりて、分娩台に上がるように言われましたが…。 あまりの激痛に分娩台に上ることができませんでした。 助産師さんにサポートしてもらえることを期待しましたが…。 「今、上らないとこれからもっと痛くなるから! ますます上れなくなるよ!」 という言葉で 「これは自分で上らないといけないのか…!」 と腹をくくりました。 あまりの痛さでどうやって上ったか記憶はないですが、何とか自力で分娩台に上がりました。 ■子宮口がまさかの全開 助産師さんが子宮口の開き具合をチェックしてくれました。 するとまさかの…。 なんと子宮口全開でした。 病院についたときに起こったあの激痛は、子宮口が一気に開いたときの痛みだったのでしょうか…? 「痛みがないから」とあのままもう少し自宅待機をしていたら…。 陣痛タクシーで道に迷ってもう少し長くタクシーに乗っていたら…。 タクシーの中で破水したり、子宮口が全開になっていた可能性もあったと思うと怖かったです。 分娩台に上がった後も、当然ながら激しい痛みが続いており、そうこうしている間に主人が分娩室に入ってきました。 私は痛みでパニックになっていたので分かりませんでしたが、実は私が病院に到着した少し後に主人も到着して私が車いすで運ばれているときに、後ろからついてきていたそうです。 怒涛の展開でしたが、このとき病院に到着してまだ10分ほどしかたっていませんでした。 続きます。 ※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2023年12月28日■前回のあらすじ 陣痛計測アプリにより、10分間隔でおなかが張っていることが分かり、病院に電話。痛みがなかったため、自宅で待機するも、陣痛間隔アプリでおなかの張りが5分間隔になったタイミングで、慌てて陣痛タクシーを呼びました。 こんにちは、宝あり子です。 ■本能? 夜泣きをする娘 長女の夜泣き対応をしている私の父へ、陣痛が来たので病院へ行くことを伝えました。 実家に里帰り中、ほとんど夜泣きをしなかった長女が、なぜかこの日は夜泣きをしたのです。 長女は私の父と一緒に寝ていたので、私に陣痛が来たことを知らないはずですが、本能で察したのかもしれません。 ■陣痛タクシーがまさかの… 泣いている長女をおいて病院へ向かうのは、後ろ髪を引かれる思いでしたが、呼んでいた陣痛タクシーへ乗りました。 すると陣痛タクシーの運転手さんから予想外な事実が…。 基本はカーナビで運転手さんも運転してくださったのですが…。 ときどき道の確認がありました。 方向音痴で道案内が苦手な上、とにかくいきみたくてたまらない状況だったので、道を聞かれても、しどろもどろになってしまいました。 そんなハプニングもありつつ、無事病院に到着しました。 ◾️突然の歩けないほどの激痛 いきみたいけど痛みはないので、出迎えてくれた助産師さんに案内され陣痛室へ移動をしている最中に…。 突然、歩けないほどの激痛が! あまりの激痛で歩けなくなり、さらに目の前がチカチカして倒れそうになりました。 慌てて助産師さんが車いすを持ってきてくれました。 そして、車いすで病院内を移動して、陣痛室に向かっている最中に…。 破水していました。 長女を出産したときは、破水後に陣痛だったのですが、最初の破水は、尿漏れか破水か判断がつかないくらいチョロチョロと出ていました。 しかし、このときの破水は「破水した!」と分かるくらい下半身が一気にびしょ濡れになったのです。 続きます。 ※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2023年11月28日■前回のあらすじ 退院後、いつくるか分からない陣痛におびえつつ、長女と一緒に実家でお世話になることに。そして、38週6日目の夜中の2時頃におなかの張りを感じ、「陣痛チェックアプリ」を起動。10分間隔でおなかが張っていることが分かり…!? こんにちは、宝あり子です。 ■病院へ連絡 陣痛計測アプリにより、10分間隔でおなかが張っていることが分かったものの、痛みはまったくなし! 痛みがなく陣痛か判断ができなかったので病院へ電話し、10分間隔でおなかが張っていることを伝えました。 病院から確認されたのは痛みの有無でした。 さらに、おなかの張りはあるけれど痛みはまったくなかったので、これが陣痛なのか分からないことも伝えました。 病院からは「1時間後にまた電話をください」ということで、様子をみることに。 さてこのとき、私と娘は里帰り中で実家にいました。 娘は私とは別室で大好きなおじいちゃんと一緒に寝ていたのですが…。 娘もこの日はいつもとは違う何かが起こると本能で察したのでしょうか。 夜泣きが激しかったです。 しかし、私は娘の夜泣きは気になるものの… 「これは陣痛?」 「陣痛じゃない?」 とオロオロしていて、娘の夜泣き対応はおじいちゃんに任せてしまいました。 そして、痛みがないまま病院へ電話してから1時間が経過。 ■痛みはないのに“いきみたい” そろそろ病院に電話しようと思っていたところ、 突然いきみたくなってしまいました。 相変わらず痛みはないものの、陣痛間隔アプリでおなかの張りはこのとき5分間隔。 慌てて病院へ電話しました。 そして、「急にいきみたくなってしまった。でも痛みはない」と伝えたところ、すぐ病院へ来るよう指示が! 急いで事前登録していた陣痛タクシーを呼びました。 続きます。 ※この体験記に記載された症状は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明するものではありません。
2023年10月28日■前回のあらすじ 私の入院中は娘の面倒を見るため、遠方から義母が来てくれていましたが、退院を機に帰宅することに…。そのため、私は出産まで、娘と一緒に実家でお世話になりました。娘と過ごす時間に幸せを感じる私でしたが…。 こんにちは、宝あり子です。 ■退院しても産まれる気配のない第2子 切迫早産で36週まで退院ができなかったので、きっと退院したらすぐに出産でまた病院に戻るだろうと思っていました。 しかし…。 38週目に入りましたが、まだ産まれる気配はありませんでした。 長女は38週2日目で出産をしましたが、切迫早産で入院生活も経験した次女の妊娠期間は38週2日目を超えました。 切迫早産の入院生活は本当につらかったです。 でも、つらい入院生活を耐えたからこそ、こうして38週を過ぎてもおなかの中にいるのかな? そんなことを考えながら、退院後の日々を長女と一緒に実家でお世話になりながら過ごしました。 いつくるのか分からない陣痛におびえながら、残りわずかな長女ひとりっ子生活を続けていたのです。 そして、だんだんと思い出す、痛くてつらかった長女出産時のこと…。 以前、第2子出産を控えていた友人が、 「1人目の出産前は陣痛や出産がどんなものか分からなくて未知の不安があったけど、2人目の出産はあの壮絶な痛みを知っちゃってるから2人目出産前の方が私は怖い」 とおびえていたのを思い出しました。 私も友人と同じく、長女出産時の陣痛や出産のつらさを思い出して、第2子出産前の方が恐怖でいっぱいでした。 ■長女出産時のことを何度も思い出してしまい… あの痛みやつらさに耐えられるのか? しかも1カ月以上、切迫早産で寝たきり生活を過ごして体力も落ちている状況。 少し歩いてもフラフラするような体力の自分に出産できるのだろうか? 不安しかありませんでした。 そして、38週6日目の夜中の2時頃におなかの張りを感じて起きました。 痛みはまったくなかったのですが、定期的におなかの張りがくるので、「陣痛チェックアプリ」を起動。 すると10分間隔でおなかが張っていました。 ところが、全然、痛みはなし。 陣痛なのか、ただのおなかの張りなのか…。 続きます。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。 (1085/1000000)
2023年09月28日■前回のあらすじ つらかった切迫早産入院生活でしたが、36週に入り退院が決定。注射嫌いな私の点滴生活もついに終了しました。そして、お迎えなしでタクシーで自宅に帰ることに…。 こんにちは、宝あり子です。 ■娘がどんな反応をするかドキドキの退院 急な退院だったのでお迎えはなく、タクシーで自宅まで戻りました。 自宅では娘と義母が待っていてくれました。 娘は切迫早産入院中、私に対してよそよそしくなっていたので、自宅に私が戻ってきたときの娘の反応が気になっていました。 自宅に戻り、義母が出迎えてくれ、「ひよちゃん、ママが帰ってきたよ」と娘を呼んでくれました。 すると…。 満面の笑みで娘が出迎えてくれました! 入院してからは娘を抱きしめることもほぼできなかったので、久しぶりに娘を抱きしめることができました。 ■退院しても自宅安静 退院の喜びもつかの間…。 退院できたといってもまだ36週目。 自宅でも安静にするよう言われていました。 私の入院中は娘の面倒を見るため、遠方から義母が来てくれていましたが、私の退院にともない帰宅することに…。 そして、義母が帰宅したため、私と娘は出産まで私の実家でお世話になることになりました。 ■当たり前だと思っていた日常生活の幸せ 実家でも37週までは基本は寝たきり生活。 すると私が寝ている布団に娘が潜り込んできました。 産まれてからずっと一緒だった娘。 それが当たり前の日常生活だと思ってしまっていました。 しかし、突然の入院生活で、一緒にいられることがいかに幸せなことか…。 子どもの体温を感じながら寝られる幸せを感じました。 退院してからしばらくの間、一緒のお布団で寝るたび思わず目頭が熱くなりました。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年08月28日■前回のあらすじ 31週からはじまった切迫早産の入院生活。先生に退院予定日を聞きましたがハッキリしたことは言われませんでした。しかし、36週に入り、突然「明日退院」と告げられ…。 こんにちは、宝あり子です。 切迫早産の入院話もいよいよラスト。 ■慌てて退院準備 先生に「じゃあ明日退院しようか!」と突然言われて、うれしさよりも戸惑う気持ちが大きかったです。 なぜなら、この診察日の時刻は夕方で、退院は翌日の午前。 もうあまり時間がありませんでした。 まずは主人に明日迎えに来てもらえるか連絡をしました。 すると「そんな急には休めないから今週末退院じゃダメなの?」という返答がありました。 やはり急には休めないとのこと。 ダメ元で看護師さんに退院日をずらせないか聞いてみましたが…。 退院日は変えられませんでした。 ということで、ずっと寝たきり生活だったため、ひとりで帰れるか不安でしたが、 お迎えなしでタクシーを使って帰ることに。 そして、病室に戻り慌てて退院準備を始めました。 翌日、退院日の朝。 切迫早産入院中ずっと投与していた点滴の量が減らされました。 そしてNST(ノンストレステスト)でおなかに強い張りがこないかチェックがありました。 「もしおなかに強い張りがきたら…」 と不安でしたが、ウテメリンの量を減らしても、特におなかは張らず体調も変化はありませんでした。 こうして入院してからずっと24時間していた点滴が外されることになりました。 注射嫌いな私の点滴生活もついに終了です。 ■心残りがあった退院のあいさつ 退院の手続きが終わり、看護師さんたちに退院のあいさつをしました。 しかし、突然の退院だったのであいさつができない看護師さんもいたのが心残りでした。 看護師さんたちから「また出産のとき、待ってるね!」と言ってもらえたのは、うれしかったです。 切迫早産入院は本当につらかったですが、 看護師さんたちと仲良くなれたことは良かったと思っています。 看護師さんたちにあいさつをして、ヨタヨタしながら病院の廊下を歩きましたが、自分の力で歩くのが久しぶりすぎて、うまく歩けなかったです。 入院中は基本トイレに行くくらいしか歩かなかったし、診察で病院内を移動するときは車椅子でした。 ■久しぶりの外で… ほぼ寝たきり生活で足の力が弱まっていることを実感して、「こんなに体力が落ちてて出産できるのだろうか?」という不安も出てきました。 こうしてヨタヨタと歩きながら呼んでおいたタクシーのところまで歩いていきましたが、病院を出たときに…。 病院の外がとても眩しく感じて、空が青かったのを覚えています。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年07月28日■前回のあらすじ 24時間点滴生活で点滴をさせる場所がどんどんなくなっていき、とうとう利き手の手首に点滴をさすことに。しかし、痛みと出血により2日間でギブアップ。また、夜中に点滴が切れるとアラート音が鳴ることにも困っていました。 こんにちは、宝あり子です。 突然、妊娠31週で切迫早産入院となり、それからは心も体もつらい入院生活でした。 ■分からない退院予定日 入院になったときに退院予定日は伝えられなかったので、先生に退院予定日を聞きましたがハッキリしたことは言われませんでした。 そのため入院当初は「1、2週間で退院できるかな」と思っていました。 しかし…。 トイレ以外、基本寝たきり生活なのにおなかの赤ちゃんの位置は下がっていました。 「赤ちゃんが下の方にいるから、内診したら刺激で陣痛きそうだから、内診もできない」 と先生に言われていました。 入院してから1週間、2週間と過ぎていき…。 自分の状況では37週の正期産に入るまで退院はできない、と察しました。 37週に入るまで1日1日が長かったです。 そして、ついに36週に入り、入院中週に1回行われる妊婦健診がありました。 するとエコー検査で先生が…。 ずっと「下の方にいる」と言われていた赤ちゃんの位置がついに少し上がりました! ■入院中、知らなかった衝撃の事実 さらに先生は…。 「入院した当初は赤ちゃんの体重増えなくて心配してたけど、ようやく体重も増えてきた」と言いました。 入院中の妊婦健診では赤ちゃんの体重のことは言われませんでした。 また入院中、母子手帳は病院が保管。 私は赤ちゃんの体重が増えていなかったことを知りませんでした。 先生は入院して情緒不安定な妊婦には言えなかったそうです。 まさか赤ちゃんの体重が増えてなかったなんてショックでしたが、ようやく体重が増えてきたということには少し安心しました。 それから、先生が…。 突然「明日退院」と言いました。 このとき36週と2日目でした。 ずっと退院したくてたまらなかったけど、突然「明日退院」と言われたら、退院の準備もしていないので慌てふためいてしまいました。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年06月28日■前回のあらすじ 長女と一緒にいたくて、早く退院したくて、入院中メソメソしていた気持ちは吹っ切れました。しかし、24時間点滴生活で腕はボロボロになり…。 こんにちは、宝あり子です。 ■点滴が漏れた腕が痛い 点滴をさしていた血管がダメになってしまうと、点滴が漏れて腕が腫れました。 その腫れた腕があまりに痛くて、看護師さんに相談してみたところ…。 腫れた腕を冷やすと良いとのことだったので、主人に自宅から保冷剤を持ってきてもらい、病室の冷凍庫に常備しておきました。 そして、腫れた腕をこまめに冷やすようにしました。 それでも点滴が漏れて腫れた腕の痛みは、なかなか引きませんでした。 点滴が漏れるたびに新しい場所にさしなおしていくので、腕は点滴の痕だらけ。 点滴をさし直すときは、点滴の痕がある部分は避けていたので、点滴をさす場所が段々なくなっていきました。 そして…。 「させる場所がなかったから、今回はとりあえず右腕の手首にさしたよ。手首だからちょっと動かすだけでも針が動いて痛いかも…」と、ついに手首に点滴がさされました。 さされた瞬間から、すでに針を感じて痛かったです。 ■一番痛かった利き手の手首への点滴 入院中、腕のさまざまな場所に点滴しましたが、利き手の手首は看護師さんが言ったとおり、本当に痛かったです。 切迫早産の入院中は、トイレ以外に動くことができず、ベッドで本を読むか、ゲームをするか、携帯をいじることで時間をつぶしていました。 しかし、手首に点滴の針がささっていると、手首を動かすたびに痛みが出るため、ゲームなどができなくなってしまいました。 なるべく手を動かさないようにしていましたが、ご飯を食べるときはどうしても手を使う必要があり、針が動いて痛みが出ました。 そして、 ついに点滴の針がささっている部分が出血! 結局、点滴を手首に刺されて2日間耐えましたが、出血してあまりにつらかったので、違う場所にさし直してもらいました。 ■真夜中に鳴る点滴交換のアラート■ 24時間点滴は腕がボロボロになるだけでなく、夜中に点滴が切れるとアラート音が鳴ることにも困っていました。 夜中に点滴が切れるアラートが鳴ると…。 大部屋だったので同室の人を起こさないようにコソコソとナースコールをしました。 しかし、アラート音が大きく、おそらく同室の方も起きてしまったのではないかと思います。 同室の人は出産してすぐに退院するため、入れ替わりが激しく、新しい人が入院するたびに、 と伝えてはいたものの、いざ夜中に点滴交換になると申し訳なくて心苦しかったです。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年05月28日■前回のあらすじ 切迫早産入院中、さまざまなつらいことがありましたが、長女の変化についても悩みました。ママっ子だった長女がよそよそしくなってしまったのです。 こんにちは、宝あり子です。 ■診察中に言われた言葉 よそよそしくなってしまった長女のことが気になり、長女と一緒にいたくて、早く退院したくてたまりませんでした。 長女の写真や動画を見てはメソメソしていたある日の診察中に…。 我慢できなくなって、 先生に「退院したい」と言いました。 すると先生は「その気持ちも分かるけど…」。 そう言われてハッとしました。 ■赤ちゃんを守れるのは自分 長女のことは私がそばにいられなくても、パパやおじいちゃん、おばあちゃんが守ってくれる。 でも、おなかの赤ちゃんを守れるのは私だけ…。 おなかの赤ちゃんも心配だったけれど、長女のことばかり考えてしまっている自分にようやく気がつきました。 長女と一緒にいたくて、早く退院したくて、 メソメソしていた気持ちが吹っ切れた瞬間でした。 その翌週の診察時に先生と会うと…。 と言われました。 顔つきが先週までとは全然違ったそうです。 自分では気がつきませんでしたが、入院してからずっと気持ちも落ち込んでいて不安そうな顔をしていたみたいです。 こうして入院してから泣くことも多かった私ですが、ようやく気持ちが吹っ切れました。 ■24時間点滴でボロボロな腕 しかし、「私はおなかの子を守るため入院を頑張る!」と気持ちは吹っ切れても、24時間絶えず点滴を続けている腕はボロボロでした。 点滴をしていて血管に限界がくると、点滴が漏れてしまい腫れる腕。 点滴が漏れたら看護師さんを呼んで、新しい場所に点滴を刺しなおしてもらうの繰り返しでした。 腫れた腕はとても痛かったです。 せっかく入院を頑張ると思えた気持ちも、「やっぱり早く退院したい…!!」と、腕が痛むたびに思ってしまいました。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年04月28日■前回のあらすじ 切迫早産入院中に便秘が悪化して腹痛が起こり、つらい状況に! しかし、看護師さんに相談して何とか事なきを得たのだが…!? こんにちは、宝あり子です。 切迫早産入院中、点滴の副作用や24時間点滴の寝たきり生活、便秘の悪化など、さまざまなつらいことがありましたが、長女の変化についても悩みました。 ■長女がすぐに「帰ろう」と言い出した 長女はかなりのママっ子で、他人はもちろん、パパでも「嫌!」ってことが多々あり、私の切迫早産入院でしばらく離れることになり心配でした。 そんな長女は私が緊急入院になった翌日、お見舞いに来てくれたのですが、 私の顔を見た途端に泣き出してしまいました。 しかし、その後のお見舞いで長女の様子に変化が! 約1週間に1度、長女がお見舞いに来てくれるのですが…。 病室に来た途端わたしの顔もあまり見ず、 すぐに「帰ろう」と言い出しました。 長女がお見舞いに来てくれる日を楽しみにしている私にとってショックでした。 ■長女の様子を看護師さんに相談すると… 「突然、離れて暮らし始めたから怒ってるのかな?」 「私のこと嫌いになった?」 と、悩んでしまい、点滴の交換に来た看護師さんにそのことを話すと…。 なんと“ママの入院あるある”とのことでした。 ママが入院していて甘えちゃいけないと思って我慢する子、病院の雰囲気が怖い子など、ママ入院中によそよそしくなる子もいるそうです。 長女は知らない場所を怖がるので病院という場所も怖かっただろうし、母親が点滴につながれて動けない姿を見るのも幼い子にとって不安だっただろうなと思います。 ちなみにママっ子だった長女は私の入院中はすっかりパパっ子になり、パパと一緒に寝ていたそうで、 パパはデレデレでした。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年03月28日■前回のあらすじ 切迫早産の入院中に薬を一定の速度で投与し続ける「輸液ポンプ」を使用。しかし、そのポンプにはトイレの時間制限があり、さまざまなトラブルが起こりました。 こんにちは、宝あり子です。 トイレトラブルの中で困ったのが、24時間点滴をしていたときに使っていた輸液ポンプです。 この輸液ポンプはずっとコンセントさしっぱなしでフル充電していても、コンセントを外すと20分足らずでバッテリーが切れて、警告音が鳴り出します。 警告音がならないようにするためには、輸液ポンプのコンセントを外して、病室からトイレに行く時間、手を洗う時間、戻る時間なども含めて 20分以内に終わらせる必要があります。 そのため、時間を気にせずゆっくりトイレに籠ることができませんでした。 ■便秘が悪化して食欲不振になった そして、もともと妊娠中、便秘がちだった私の便秘はさらに悪化。 便秘が続き、ついに食欲もなくなりました。 寝たきり生活の中で食事やおやつの時間は毎回楽しみでしたが、便秘によりおなかが苦しくてあまり食べられなくなりました。 そしてついに…。 トイレで便秘と格闘していたある日、突然腹痛に襲われました。 あまりに痛くて目がチカチカして、脂汗も出ました。 「出さない限り、この腹痛が続くのでは?」と思い、しばらくトイレで葛藤していましたが…。 ■とうとう時間切れに 輸液ポンプの警告音が鳴り、時間切れ。 腹痛があり目もチカチカしていたので、トイレについていた非常時の呼び出しボタンを押せば良かったのですが、「忙しい看護師さんを便秘で呼ぶのは申し訳ない」と思い、フラフラしながら病室へ戻りました。 ■看護師さんに便秘のことを相談 病室に戻ってからも、しばらく腹痛が続いたので点滴交換のときに看護師さんに相談してみました。 すると…。 私は「便秘のことで忙しい看護師さんのお手をわずらわせてしまうのは…」と思い、ずっと相談せずにいましたが、 切迫早産の体でトイレで踏ん張っておなかに力を入れるのは良くないとのこと。 この後すぐに看護師さんが先生に相談してくださり、薬を処方されました。 その薬を飲んでいたら、便秘は無事解消しました。 もし便秘を我慢してしている妊婦さんがいたら、早めに先生に相談してみてくださいね。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年02月28日■前回のあらすじ 切迫早産入院中は退院するまでシャワー禁止でした。頭が洗えない状態が10日以上続くと不快感やかゆみが出て…。 こんにちは、宝あり子です。 前回は切迫早産入院中に辛かったことをお話しましたが、今回は切迫早産入院時に困ったトイレトラブルについてです。 ■頻尿が辛い! おなかの張り止め、ウテメリンの点滴を使いはじめたら、頻尿に悩まされました。 24時間点滴をしているので夜間もトイレに行きたくなり、夜中に何度も起きてトイレに行かなければならないのが辛かった! そんなトイレはさらに私を悩ませる問題がありました。 ■トイレに点滴台を入れにくい問題 私が入院していた病院のトイレは、個室内の広さが狭かったため点滴台がなかなか入りませんでした。 トイレの個室の入り口で必死に格闘しながらなんとか点滴台をトイレの個室に無理矢理、入れる日々。 そんなある日、おそらくほかの切迫早産で入院中であろう患者さんが 点滴台を個室のドアの前に出しているのを見て、衝撃を受けました。 これ以降は私も点滴台を個室のドアの前に出すようになりました。 余談ですが、この切迫早産入院から数年後、別の病院で乳がん治療で抗がん剤の点滴をしながらトイレに行ったら個室内の広さが大きいトイレだったので点滴台はすんなり入りました。 広いトイレはストレスフリーで感動しました(笑)。 しかし、トイレで困ったことはこれだけではありませんでした。 ■輸液ポンプのバッテリー問題 切迫早産入院中の点滴は24時間ずっと点滴です。 そのため薬を一定の速度で投与し続けるために「輸液ポンプ」を使用します。 この輸液ポンプはコンセントにつながっているため、トレイに行くときは毎回この輸液ポンプのコンセントを抜いてトイレに行っていました。 ですが、私はこの輸液ポンプが悩みの種でした。 私は妊娠中、便秘がひどくて入院中も便秘に悩まされていました。 そしてトイレにこもっていたら突然…。 音が鳴りだしパニック。 慌ててトイレ近くのナースステーションにかけ込みました。 私が便秘でトイレにこもっていたため、 輸液ポンプのバッテリーが切れかけて警告音が鳴ったのです。 コンセントをさせば警告音は止まるのですが、困ったことに私が使っていた輸液ポンプはコンセントから外すと20分もたたないうちに警告音が鳴り始めてしまうため、便秘で苦しいのにトイレにゆっくりこもることができませんでした。 これにより、もともと妊娠中便秘がちだった私の便秘はさらに悪化してしまい…。 続きます。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2023年01月28日こんにちは、宝あり子です。 ■前回のあらすじ 下の子の妊娠中に切迫早産で入院になり、病室で上の子の写真や動画を見ては泣き続け…。 切迫早産の入院生活はトイレ以外は基本的に寝ているように言われていました。 ということで、寝たきり切迫早産入院で大変だったことを書いていきます! 入院生活の中で小さなことも毎日積み重なっていくとかなりのストレスでした。 ■その1:退院までシャワー禁止! 退院するまでシャワーは禁止。 そのため1日1回、朝ホットタオルが渡されました。 最初の頃はホットタオルで我慢できたのですが、それが1週間2週間と続くと心が荒んでいき…。 体を拭きながら泣くこともありました。 ちなみにパジャマを着替えるときには24時間つけっぱなしの点滴を外さないといけないため、自分で着替えることができませんでした。 そのため、看護師さんを呼ぶのですが…。 「ごめんね、忙しくて…あとでいくね!」と、看護師さんはいつも忙しそうでした。 忙しそうな看護師さんを呼ぶのが申し訳なくて、自分で着替えもままならない状況が辛かったです。 ■その2:10日に1度の洗髪が辛い! シャワーは退院まで禁止。 その代わり洗髪がありました。 点滴の副作用で汗をかいたり、病室が暑くて汗をかいてしまうのにお風呂には入れません。 1週間くらいたつ頃には頭がかゆくてたまらなかったです。 洗髪したときは本当に心が洗われるようでした。 入院した当初、洗髪は1週間に1度の予定と言われていました。 そのため、次の洗髪日が待ち遠しくてワクワクしていました。 しかし、いざ洗髪日当日になると…。 こうして洗髪日は当初は1週間に1度の予定でしたが、その翌週以降は10日に1回洗髪できたらラッキーという状況になりました。 頭を洗えないのが10日以上続くと髪の毛がベトベトギトギトするし、かゆくて本当に辛かったです…!! ■その3:個室じゃないけど消灯を自分でするのが辛い! 病院では看護師さんが消灯時間になると電気を消してくれるというイメージがありました。 ですが、私が切迫早産で入院していたのは、個人病院だったからなのか看護師さんによる消灯はありませんでした。 とはいえ、消灯時間は決められているため、自分で消灯しなければならない状態でした。 何が困るかというと“病室の誰が消すか…”ということ。 私の病室には切迫早産の患者がいなかったので、同室のほかのベッドの方は出産してすぐに退院。 入れ替わりが激しかったので新しい人が入院するたびに、 病室の誰が消すか決めるのが面倒だったので、この病室にずっと入院している私が消灯していました。 消灯すること自体は別によいのですが、毎回新しく病室に入ってきた人に消灯の話をするのと、毎日消灯の時間に「電気消してもよいですか?」と同室の方たちに確認するのが地味に大変でした…。 なんだか病室の主みたいになっていました。 同室に切迫早産の方がいたら励まし合ったり、いろいろなお話ができたのですが、切迫早産仲間が同室にいなかったのは、さみしかったです…。 周りが出産してすぐ退院していくのが羨ましくてたまりませんでした。 続きます。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年12月28日■前回のあらすじ 突然の入院で頭が混乱している中、入院同意書の内容をしっかりと確認せずにサインをしてしまい…。 こんにちは、宝あり子です。 ■長女と離れて過ごす初めての夜 長女が生まれて以降、ずっと一緒でした。 隣で長女が寝ているのが当たり前だったので、はじめて離れて過ごすことになり涙が止まりませんでした。 写真や動画を見ながらずっと泣いていました。 次女出産時に長女と数日離れることはもちろん分かっていましたが、まさか出産前に長女と1ヵ月以上離れることになるとは思いもしませんでした。 突然の入院は私のメンタルに大打撃でした。 この後、次第に入院生活に慣れて気持ちが少しずつ落ち着いていきますが、長女の写真や動画を見ると泣いてしまう日々は、退院まで続きました。 一方、私が突然入院した当日、家では長女が私がよく着ていた部屋着を見て…。 「ママ…」と寂しそうにつぶやいていたそうです。 ■入院翌日、長女との再会 入院した翌日、長女と主人と私の母がお見舞いにきてくれました。 長女と私の母が待合室で待っているということで、私も主人に付き添われて待合室に向かいました。 私の部屋着をみて寂しそうに「ママ」とつぶやいていたものの、泣くことなく過ごせていたそうです。 主人から長女の様子を聞いて私は、「いつも私から離れなかったひよこが成長したね!」と、感じつつも、「私がいなくてももう大丈夫なんだな…」と少しだけ寂しくなりました。 待合室につき、長女に声をかけると…。 ■1歳の子どもが寂しくないはずがなかった… 私の顔をみた途端に長女が泣き出しました。 大人の私だって寂しくて泣いていました。 まだ1歳の長女が寂しくないはずがありません。 小さな体で必死に寂しさを我慢していたのかと思うと、私も涙が止まりませんでした。 長女を抱きしめて2人でわんわん泣きました。 切迫早産は基本的に寝ていなければならず、待合室での面会はしないよう看護師さんから言われました。 長女とは離れがたかったですが、病室へ戻りました。 入院中、上の子と離れていることが精神的につらかったです。 続きます。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年11月28日■前回のあらすじ 切迫早産で入院することになり、おなかの張りをおさえる点滴の投与がはじまりました。 こんにちは、宝あり子です。 ■注射嫌いの私が24時間の点滴生活 私は注射が嫌いです。 注射の針が刺さっていると思うだけでクラクラしてしまいます。 妊婦健診でときどき採血があるので、そのたびにヒーヒー言っていました。 そんな注射嫌いのわたしが点滴をすることになり…。 24時間の点滴生活が始まり、とてもショックでした。 ちなみにこの点滴生活でさらに注射嫌いに磨きがかかった私は、 「もう点滴生活は送りたくない…」 と思っていたのに、乳がん治療で抗がん剤を点滴を始めることになるのは、また数年後のお話…。 ■点滴「ウテメリン」の副作用 さて、そんな注射嫌いな私がウテメリンの点滴を開始して、しばらくすると点滴の副作用が出てきました。 身体が熱くて汗が止まらず、パジャマは汗でびしょびしょになりました。 さらに動悸も起こり苦しかったです。 とはいえ、最初は点滴の副作用なのか分からず、点滴交換にきた看護師さんに聞きました。 やはり点滴の副作用でした。 看護師さんいわく、しばらくすると身体が慣れて副作用も落ち着くとのことでした。 ですが、慣れるどころか手の震えも起こり始めました。 この手の震えの副作用は食事のときにお箸が持てなくて困りました。 なんとかお箸を持って必死に食べ進めていましたが、手に力を入れようとすると手がつってしまい、結局あまり食事ができませんでした。 身体の熱さ、汗、動悸、手の震えといった副作用は、点滴開始から3日ほどたち、ようやく落ち着きました。 入院から最初の3日間は副作用もあったし、突然の入院に心が追いつかず特につらかったです。 ■同意書にサインして残ったモヤモヤ 入院初日でまだ頭が混乱している上に点滴の副作用が始まり、つらかったときに入院の手続きに事務の方が部屋にやってきました。 そこには入院による部屋使用料、サービス料などで保険適用外の料金が一日ごとに8,000円かかる旨が記載されていました。 切迫早産の入院は正期産まで退院できず、長期になることが多いです。 私も1ヶ月ほど入院することを考えると高額に感じました。 しかし、サインするしか選択肢はないと思ったので、その場でわたしはサインをしてしまいました。 結局1ヵ月ちょっと入院して保険適用外の治療なども行い、 高額療養費制度を利用しても入院費は約1ヶ月で50万ほどかかりました。 切迫早産で入院した友人に話を聞いてもサービス料などはなく、ほかの病院ではこんなに入院費はかからなかったといいます。 私は大部屋を希望しており、個室を利用しておらず、通常であれば差額ベッド代はかからなかったはずで、サービス料というのもどんなサービスに料金がかかっているのか分からないままサインをしてしまいました。 しっかり確認して納得した上でサインをしなかったことに後悔しました。 こうしてわたしの切迫早産入院生活が始まりました。 続きます。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年10月28日■前回のあらすじ 病院で切迫早産と診断され、入院の準備をする暇なく緊急入院になり…。 こんにちは、宝あり子です。 突然、入院することになりパニック。 まずは入院することになったことを主人に伝えようと思いました。 ■自分の置かれた状況がまだ理解できていなかった そこで看護師さんに「家族に入院になったことを電話をしたい」とお願いしました。 すると…。 「病室でメールやメッセージアプリで連絡してください」と言われて驚きました。 ・電話もできない ・病室まで歩くこともできない 緊急入院と言われましたが、自分の状況がまだ完全には理解できておらず、これほどの事態とは思っていませんでした。 車いすで病室につくと、すぐにベッドに横になりました。 そして、病院へ到着したときにおこなったNST(ノンストレステスト)を再び行うため、おなかにセンサーをつけて赤ちゃんの心拍数と子宮収縮回数の確認が始まりました。 同時にウテメリンという、おなかの張りを抑える点滴の投与が始まりました。 ■徐々に増えていく点滴の量 こうしておなかの張りを確認しながら、点滴の量が増えていきました。 その量に不安になりながらも、その間にわたしは主人に連絡。 着替えや飲み物など入院グッズをお願いしました。 点滴投与からしばらくして、ようやくおなかの張りがおさまりました。 このときの点滴の量は【2A35】でした。 この量は私が退院する日まで減ることはありませんでした。 おなかの張りも落ち着き、しばらくすると主人が病室へ来ました。 ここで心配だったのが、長女のこと。 当時1歳だった長女。 この頃はまだ保育園にも通っておらず、私が自宅で育児をしていました。 私が入院中の間、誰が面倒を見るのか…。 主人が有休を取れたとしても数日。 私の両親はこの時期ドタバタしており、何週間も長女の面倒をみることは難しい。 主人の両親は遠方。 悩んだ末、主人の実家に連絡しました。 その結果、遠方に住んでいる義母がしばらくの間、こちらに来て滞在してくれることになりました。 続きます。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年09月28日■前回のあらすじ 妊娠31週目で突然の出血。病院に電話してすぐに来るように言われ…。 こんにちは、宝あり子です。 病院へ向かうためのタクシーがなかなか来なかったため、待つ時間も長く感じました。 やっとタクシーに乗ることができ、病院へ到着。 病院へ到着するとすぐにNST(ノンストレステスト)を行うため、看護師さんに診察室へ案内されました。 ■心拍数と子宮収縮数をチェック おなかにセンサーをつけ、赤ちゃんの心拍数と子宮収縮回数のチェック。 赤ちゃんの心音が聞こえて少し安心はしたものの、出血があったことに不安はぬぐえませんでした。 NSTが終わると、医師がやってきて今度は内診をすることに。 ■短くなっていた子宮頚管 医師にそう聞かれ、母が付き添ってくれていることを伝えました。 付き添いを確認された時点で、 何か良くないこと が起こっているのだと分かりました。 ■突然の緊急入院 そして母もやってきて、医師から説明がありました。 ・出血がある ・NSTの結果、子宮収縮が起きている ・内診の結果、子宮頚管が短くなっている 突然の 緊急入院 に頭は真っ白でした。 そして入院することになり心配だったのが長女のこと。 当時、長女は1歳だったので、日中、長女のめんどうを誰がみるのか…。 すぐに退院できるのか医師に確認しました。 切迫早産で妊娠37週の正期産に入るまで入院している方がいることも知っていましたが、自分もそうだとはすぐには理解することができませんでした。 ■帰宅はできない緊急入院 突然の入院になってしまったので、何も持っていませんでした。 そのため、入院の準備をしようと帰宅をしようとしましたが…。 「すぐに入院する必要があるので、家に戻ることもダメです」 と、病院から言われました。 こうして入院の準備ができないまま入院することになりました。 続きます。 ※この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。
2022年08月28日こんにちは、宝あり子です。 妊娠は奇跡。 出産も奇跡。 何が起こるか分からないからこそ、なるべく妊娠中は無理をしないようにと思っていました。 ■仕事と育児をしながらの妊娠期間は想像以上に大変だった しかし、第1子の妊娠中、仕事を休むことが難しく、おなかが張ることも多かったです。 第1子妊娠中の後期には切迫早産になりかけて、自宅安静の時期もありました。 そして第1子出産の翌年…。 第2子の妊娠。 当時、長女は1歳でした。 仕事をしながらの妊娠期間中もちろん大変でしたが、体力が必要な育児をしながらの妊娠期間も想像以上に大変でした。 そんな第2子の妊娠は、 心拍の確認ができた2日後になんと出血 。 しかし、このときは病院でおなかの子の無事が確認できて、切迫流産の診断もありませんでした。 その後は特に問題もなく、第2子を妊娠しながら育児に追われる日々でした。 自分が第1子妊娠中に切迫早産になりかけたこともすっかり忘れていました。 そして第2子妊娠31週で再び…。 ■出かけた先で突然の出血 出血があったのは長女と一緒に出かけていたときでした。 そのときは、たまたま私の父と母もいました。 パニックになりながらも震える手で病院へ電話。 休日だったので病院の緊急時の連絡先へ電話しました。 こうしてわたしは母に付き添ってもらい、病院へ行くことになりました。 まだ1歳で状況が理解できず、無邪気に手を振ってくれる長女。 産まれたときからずっと一緒だった長女。 まさかこの日からしばらく一緒に暮らせなくなるとは夢にも思いもしませんでした…。 「このとき、いっぱい抱きしめておけば…」 そう後悔するのは数時間後のことでした。 続きます。
2022年07月28日■前回のあらすじ 保活を始め、保育園入所希望の申し込みが終わったが… こんにちは、宝あり子です。 保育園への入所希望の申し込みが終わりましたが、0歳児クラスの途中入園に空きが出ないまま時は過ぎていきました。 保育園に入れないと復職できない。 でも 子どもともう少し一緒にいたい。 複雑な心境でした。 ■4月度入所希望の結果が届いたが… そしてついに4月度入所希望の結果が届きました。 申し込んだ保育園、すべて入所することができず、 待機児童 となりました。 わたしが長女を出産した当時(2015年)は1歳で保育園に入所できない場合、1歳6ヵ月まで育休を延長することができました。 こうして、わたしは育休を1歳6ヵ月まで延長することにしました。 ■復帰のタイミングついて 育休延長の手続きで会社へ行き、手続きが終了。 久しぶりに同じ部署だった上司と後輩と話すことができました。 現在の部署の状況や人の異動など、さまざまな話をしました。 すると後輩が…。 私の先輩は復職した数ヵ月に再び産休をとった際、周りから「また産休に入るなら復職しないで育休延長すればよかったのに」と、心ないことを言われていました。 この発言はとてもショックで、わたしの中でずっと引っかかっていました。 わたしも育休延長後に復職できたとして、またすぐ第2子の産休に入る可能性もある…。 もしそれで引継ぎなどで周囲に迷惑をかけてしまうのなら、2人目の産後に復職する方が迷惑を少しでも減らせるのだろうか? それはわたしも保育園へ入所ができず、育休を延長することになったときに少し考えました。 ■本来ならどのタイミングでも産休育休を取ることができるはずだが… 産休、育休は働く者の権利です。 本来ならば、どのタイミングであろうと取得することができます。 しかし、仕事、職場の人間関係などにより、産休育休のタイミングを考えざるをえない状況の人もいます。 今年(2022年)10月から育児休業制度は改正の予定です。 育休を分割して取得することができ、夫婦で育休を途中交代することもできます。 しかし、改正しても取得できなければ意味がありません。 やはり職場によってはまだ「育休が取得しづらい雰囲気がある」という話も耳にします。 幅広い世代で意識改革が進み、男性も女性も育休を取得するのが今以上に当たり前である世の中になることを願っています。
2022年06月28日■前回のあらすじ 0歳児より1歳児の方が保育園入園の倍率が高く、入園が難しいということを知りました。 こんにちは、宝あり子です。 ■保活を始めるため役所に相談へ まずは役所に相談へいきました。 認可保育園は 点数制 のため、点数が高いほど入園できる可能性があることを説明されました。 そして「来年度4月入園の申し込みが始まる1、2カ月前は見学者も多いため 予約が取れない園 もあります。早めに見学した方が良いかもしれないです」とアドバイスをいただきました。 ■当事者意識のない丸投げの「パパ」 ということで、さっそく保育園候補を探しました。 わたしもどうやって選べば良いか分からなかったので、自宅から徒歩圏内にあった全ての保育園を候補にしました。 そして保育園に電話をして予約。 見学できる曜日は「平日のみ見学可」「土曜日も見学可」など、保育園によって違いました。 土曜日も見学ができる保育園は、土曜日に見学予約をしました。 その理由は…。 無理矢理にでも主人を巻き込まないと、すべて私に任せっきりになる予感がしたからです。 最初の保育園見学は平日だったので、わたしと娘だけで見学へ。 ■保育園の見学に行き、増していく不安… 保育園へ見学に行くと、妊娠中の方もいました。 早くから保活している方を見て、焦りと不安が…。 そして妊娠中から見学している方もいる中で、保活を始めるのが遅かった自分自身への後悔。 そんな不安な気持ちや焦りを感じつつ、土曜日の見学には主人も行きました。 すべての保育園見学が終わり、申込書を記載。 書類の多さ。 すべて手書きで大変でした。 現在は保育園入園の申し込みはデータ入力になっているのでしょうか? ぜひ、そうなっていてほしいです…! 現在はコロナ渦なので、見学方法なども変わっているかもしれません。 自治体のホームページや役所などでご確認くださいね。 こうして今年度の途中の入園希望の申し込みを行い、来年度4月の入園申し込みが開始されたタイミングで、そちらにも申し込みをしました。 続きます。
2022年05月28日こんにちは、宝あり子です。 「保活」 それは子どもを保育園へ入れるための活動。 妊娠中から保活される方もいらっしゃいます。 しかし、わたしは妊娠中に保活することを思いつきませんでした。 ■「保活は大変」と聞いてはいたけど… 産後に保育園の申し込みが始まったら、保活を始めようと思っていました。 妊娠中に保育園について考えていたのは、 「3月が予定日だから、3月に出産した場合は、翌年の4月から復職かな」 ということと、 これだけでした。 テレビなどで「保活は大変」ということは知っていました。 しかし家の周りには保育園もいくつかあったので、保育園の数は多いし自分の地域は大丈夫だろうと思っていました。 そして、正直なところ赤ちゃんがまだ産まれていないのに、保活を始めることに ピンときていません でした。 “保活は早めに始めた方が良い” わたしが住んでいる地域も、それに該当する地域だったことを知ったのは出産後でした。 ■「早生まれ」は保活に不利!? わたしが保活に焦りだしたのは、同じく育休中の先輩と会ったときです。 当然ながら会話は「復職、保活について」になりました。 先輩からそう聞かれたので、 「3月生まれなので、ちょうど来年の4月から復職しようかと…」 と、考えていたことを話しました。 すると…。 ■早生まれの4月入園がむずかしい理由 「ひよこちゃん3月生まれだから、来年の4月入園だと1歳クラスだよね。1歳児クラスは地域によっては、倍率が高いみたいで…」 お恥ずかしながら、その知識さえ私にはありませんでした。 確かに先輩のおっしゃる通りです。 1歳児クラスは0歳児クラスから上がる子がほとんどなので、募集人数が0歳児クラスより 少ない です。 そして、わたしと同じように、子どもが1歳になったら復職を考える方もいらっしゃいます。 保育園激戦区では1歳児の4月入園はむずかしいから、0歳での入園のほうが入りやすい。 しかし早生まれは、0歳児での4月入園がむずかしい。 3月生まれの娘も保育園入園がむずかしいかもしれない、という事態に気づいて、ようやく焦りだしました。 こうしてわたしの保活がはじまりました。 続きます。
2022年04月28日■前回のあらすじ 人見知りな私が子育て支援センターデビューをしたものの、周りの会話についていけず…。 こんにちは、宝あり子です。 周りの会話についていくことができない。 しかし帰るタイミングも見つからない…。 じっとみんなの会話を聞いているだけの状態が続きました。 ■心がポッキリと折れ、子育て支援センターに行かなくなった 同じマンションの人たちが帰ろうとしていました。 慌てて、わたしも一緒に帰ろうと思い…。 同じマンションの人たちは先に帰宅。 同じマンションという話をしていたので、 一緒に帰れるのではないか と期待してしまいました。 メンタルが豆腐のように崩れやすい私は、この出来事に 心がポッキリ 。 こうして子どもが成長して遊べるようになるまでは、わたしは子育て支援センターに行かなくなりました。 まだ動けない赤ちゃんだから無理して子育て支援センターに行くこともない…と自分に言い聞かせました。 しかし、なんだか 寂しかった です。 主人は仕事から帰ってくるのも遅いので、自宅で赤ちゃんと2人きりの日々に 孤独 を感じることもありました。 人見知りなわたしだけかもしれませんが、育児がこんなに孤独を感じるものだとは思いませんでした。 ■育児ブログをきっかけに孤独を感じなくなった そんなときに、わたしは育児ブログをかきはじめました。 それがきっかけで、娘と同じ年頃の子どもを持つ方たちと交流することができました。 気がついたら孤独を感じなくなっていました。 SNSはわたしにとって 孤独感からの救い でした! 今でもリアルな 【ママ友はゼロ】 ですが…。 こうして自宅で孤独を感じることはなくなりました。 しかし、保育園や小学校の集まりで孤独を感じることは今でもあります(笑)。 でも無理して輪に入ろうとはもう思いません。 自分の性格上、余計に疲れるのはわかっているので焦ることはなくなりました。 でも誰とでも気軽に話せるような コミュニケーション力 はやっぱりほしかった(本音)!
2022年03月28日こんにちは、宝あり子です。 私は極度の 人見知り です。 1対1ならまだ何とか話せるのですが、あまり 知らない大勢の人 と話すのが苦手。 だからといって、ずっとひとりでいるのも寂しい…。 みんなで集まって楽しそうにしている。 「ママ友」 に憧れやうらやましさがありました。 だからこそ、ママ友という存在を「作りたい」という思いが、長女が産まれてからありました。 しかし、今は…。 こんな感じで開き直っています。 そんな、わたしが開き直るまでのお話です。 ■長女が生後4カ月の頃に子育て支援センターデビューをした 私は長女を出産して以降、 子育て支援センターデビュー をするか悩んでいました。 人見知りで話せるか不安…。 でも、子育てについて気軽に話せるママ友がほしかったのと、長女にお友だちを作ってあげたい気持ちがありました。 悩んだ末、長女が生後4カ月の頃に、近所の子育て支援センターに行ってみました。 入る前から緊張で心臓がバクバクでした。 しかし、勇気を出して入ってみたら、スタッフさんに声をかけられました。 「はじめてですか? お子さんは今、何カ月ですか?」 私が子どもの月齢を伝えると…。 「同じくらいの月齢の子はあそこに集まってますよ」 スタッフさんに案内されて行ってみると、そこにはちょうど長女と同じくらいの月齢で、まだハイハイが始まる前の赤ちゃんたちが集まっていました。 冒頭でお話ししたように、私はあまり 知らない大勢の人と話すのが苦手 です。 ■私以外は、みんな子育て支援センターの常連だった 緊張で汗がダラダラでしたが勇気を出して、ハイハイ前の赤ちゃんの集まりにいきました。 そこには6人ほどの赤ちゃんが寝転がっていました。 そして、赤ちゃんを囲むように親が集まっていました。 みんなフレンドリーに声をかけてくれました。 「今、何カ月?」 「どこら辺に住んでるの?」 緊張して自分から話しかけるのがむずかしかったので、話しかけてもらえて嬉しかったです。 私が住んでいるマンション名を話すと…。 なんと 同じマンション の方がいました。 「もしかすると友だちになれるかも?」 そんな気持ちがありましたが…。 みんな子育て支援センターの常連で、すでにわたし以外は知り合いの状態でした。 今回、子育て支援センターデビューだった私は、みんなが何の話をしているのか分からないことが多く、 話についていけませんでした。 しかし、帰るタイミングも見つからず、じっとみんなの会話を聞いているだけの状態が続きました。 次回に続きます。
2022年02月28日こんにちは、宝あり子です。 長女を出産のため、産休育休を取得していました。 そんな育休中のある日、主人からこう言われました。 ■夫の扶養に入れないと思い込んでいた私 仕事を辞めたわけではありません。 そして産休中は 出産手当金 、育休中は 育児休業給付金 が支給されるため、私は扶養に入れないと思いこんでいました。 そう! 思い込んでいたのです!! 産休・育休中の 主人の年末調整 で、配偶者控除や配偶者特別控除を受けられる場合があるんです。 (配偶者の所得によっては配偶者控除を受けることができないためご注意ください) 国税庁のホームページには【控除対象配偶者となる人の範囲】として、対象になる所得金額が載っています。 しかし、出産手当金と育児休業給付金は、所得金額に含まれないんです。 なぜなら、出産手当金は健康保険、育児休業給付金は雇用保険から支給されるからなんです。 私が産休育休中に配偶者控除が使えることを知ったのは、次女の育休が明けて 復職したあと でした。 長女のときも次女のときも、このことを知らずに過ごしてしまいました…。 ■年末調整で間に合わなくても確定申告で対応できる しかし、年末調整で間に合わなかった場合は 確定申告 で対応ができます! ちなみに還付申告は、通常の確定申告の提出期限内に提出しなくても大丈夫。 還付申告をする年分の翌年1月1日から5年間以内なら、通常の確定申告の期日に関係なく確定申告書を提出できるそうです。 私がこのことを知ったときは、まだ長女の産休から5年たっていなかったときでした。 こうして長女の時と次女のときの産休育休中の配偶者控除申請を行いました。 まとめて一気に確定申告をしたので、大変でした。 もし産休育休中に配偶者控除や配偶者特別控除をされていなかった方は、ご自身が 配偶者控除の対象になるか ぜひ確認してみてください。 もし対象となるようでしたら、5年以内でしたら間に合います!
2022年01月28日こんにちは、宝あり子です。 長女は生後4カ月を過ぎたころから 人見知り が始まりました。 ■長女の激しい人見知りが心配になった 親以外の顔を見ると大号泣。 主人でさえ長い時間一緒にいると泣かれてしまうくらい長女はママっ子でした。 「そんなにママが好きなのね!」と嬉しい気持ちもありました。 しかし同時に…。 「 こんなに人見知りが激しくてママっ子で大丈夫? 」 と、不安にもなりました。 生後4カ月頃から始まった人見知りとママっ子は、落ち着かず 1歳 を迎えました。 長女は私の父が遊びにくると、相変わらず顔を見るだけで大号泣でした。 早くから始まった人見知りが1歳を過ぎても続いていたので心配でした。 そんな中で長女に会うたびに泣かれていた私の父ですが、それでも諦めませんでした。 何度、泣かれても諦めず遊びにきて、やがて…。 ■すっかり、じぃじっ子になった長女 あんなにママっ子だった長女は、すっかり じぃじっ子 になっていました。 今では…。 夜、寝るときは私がそばにいないと寝なかった長女。 それが今では私がいなくてもお泊まりできるようになりました。 保育園のお泊まり会も喜んで行きました。 保育園のお泊まり会は私がソワソワしていました。 しかし、心配していたお泊まり会はとても楽しかったようで、たくさんお話をしてくれました。 成長とともに広がっていく 長女の世界 を感じるお泊まり会でした。 ちなみに赤ちゃんの頃、長女と対照的に全然、 人見知り がなかった次女。 しかし、現在…。 ものすごく ママっ子 です。 赤ちゃんの頃、人見知りが激しくても世界はゆっくり広がっていく。 赤ちゃんの頃は人見知りしなくて誰が抱っこしても大丈夫だったけど、だんだんとママっ子になっていく。 どんな成長をするのか、まったく予想がつかないのが、子育てですね!
2021年12月28日こんにちは、宝あり子です。 ■前回のあらすじ 母乳拒否が続く中で搾乳は続けていましたが、だんだんと搾乳にかける時間が減っていき…。 母乳拒否が続き、 直母で飲んでくれる可能性も低い のにこのまま搾乳を続けていくべきなのか否か。 悩んだまま娘が生後2カ月をむかえたある日、新生児訪問で助産師さんが家にきました。 助産師さんに今までのことを話し、 「このまま搾乳を続ける」 か 「粉ミルク一択にする」 か相談しました。 そして助産師さんに直母で授乳するときの様子を見てもらいました。 直母を拒否されたら、搾乳しておいた母乳を哺乳瓶で飲ませる。 搾乳の量が足りない分は粉ミルク。 と、授乳のルーチンを説明しました。 すると助産師さんは私の母乳が出るかチェックしてくれました。 助産師さんは少し悩んでいました。 そして申し訳なさそうに…。 そう告げました。 搾乳した母乳は哺乳瓶で飲むから、おそらく母乳自体が問題ではない。 でも、直母で飲ませようとすると嫌がる。 つまり長女の中では「哺乳瓶=食事」。 直母で飲まされそうになるのは、おなかが減っているのにごはん(哺乳瓶)を出してくれず、食事と無関係のものを出されているようなものなのかも…。 そう思ったら「それは直母で飲ませようとしても嫌がるよね」と納得できました。 悲しくないといえばうそですが、理由がわかり気持ちが軽くなりました。 そして助産師さんに 「ハッキリ言ってもらえてスッキリしました。直母でいつか飲んでくれることを期待して搾乳してましたが、これからはミルク一択にしようと思います」 と、わたしの率直な気持ちを話しました。 すると助産師さんが 「つらい思いをしながら搾乳を続けるより、ミルクでママの気持ちが楽になるならそっちの方がいいんじゃないかな」 と言ってくれました。 助産師さんのその言葉を聞いて、涙が止まりませんでした。 この日をきっかけに粉ミルク一択になりました。 「なんでおっぱい飲んでくれないの?」と悩むこともなくなり、気持ちが楽になりました。 そんな娘は元気に成長して今年、小学生になりました。 大きな病気をすることなく、今年は一度も病気にかからず、元気に日々、過ごしています! もしかしたら、私のように 母乳・混合・ミルク など、授乳方法で悩んでいる方もいらっしゃるかもしれません。 そんなときは、 “自分が笑顔で授乳できるのはどの方法なのか” 。 それを基準に考えるのも、ひとつの手かと思います!
2021年11月28日