私とオットの不妊の要因も判明し、さぁいよいよ本格的な治療へ進みます。って、とりあえず検査だけのつもりが、いつのまにか治療を進める話になっている…けれども子どもが欲しいというオットの気持ちを考えると「やりたくない!」と突っぱねることもできず…ゆらゆらしていました。ゆらゆらしたまま通院していました。何か事情がない限り、多くの人が考えることだと思うのですが私もそう思っていました。そこで自然に近い形の『タイミング療法』をやることにしました。自分でできる方法なので、妊娠したいなぁと思っている方なら、一度は試したことがあるのではないでしょうか。基礎体温やおりもの(経管粘液)の質などの変化から排卵日を予測し、適切なタイミングで性交を行ないます。自分でもできますが、病院だと超音波検査(卵胞の大きさを計測)や場合によっては血液検査や排卵誘発剤などを使いながらタイミングを計るので、かなり正確にタイミングが取ることができます。ドクターいわく、卵子と精子の寿命などから、排卵直前に性交し、精子をスタンバイさせるのが理想らしいです。まだまだ治療に前向きになれず鬱屈とした気持ちでいたので、卵胞チェックのためにクリニックへ向かう足取りも軽くはありませんでした。クリニックは繁華街にあり、結婚してから田舎に住むようになった私には魅力的なお店もたくさんあったのですが、ウィンドウショッピングをして帰る気にもなりませんでした。ある日の受診日、ドクターが言いました。いよいよか…ごくり。メールでオットに伝えました。『今日だって。』『了解。早く帰れるよう調整する。』夜、全ての準備は整い、私たちは寝室へ。そして、先生の指導どおりのタイミングで……ココロとカラダは繋がっているんだなぁと深く実感した出来事でした。私の体が全く反応しなかったのです。…カラッカラ(笑)。こんなことは人生で初めてでした。なんとかかんとか努力しようと頑張ったオットも最後には諦めました。こうして初めての不妊治療は「できずに終了」という結果に終わったのでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年07月12日精液検査の結果、オットが精子無力症と言われました。ドクターによると、精子の運動率が低い状態を精子無力症と言うそうです。オットの運動率は基準を大きく下回っていました。卵子に向かってまっすぐに泳いでいかねば妊娠に繋がらない運動性は「その場運動」だったり「緩慢」の欄に〇がついていました。この運動率を改善する方法は分かっていないそうです。ただし、精子のコンディションは日常のストレスや生活習慣によって日々するので、一度の検査だけでは判断せず、複数回検査をします。検査結果をオットに伝えるのにショックを与えたくありませんでした。どうしてか。その頃、オットと私との間には夫婦生活への欲求のズレがありました。オブラートに包みますが(笑)、朝早くから夜遅くまで仕事のオットに、私からの愛のボールは返球してもらえず、ボールかごの中に仕舞われることがよくありました。プレイボール! のかけ声がグラウンドに鳴り響かず、寂しさから夜中にお酒を飲んでしまう日々でした。そんな感じだったので、オットが検査結果にショックを受けたら、今以上に試合できなくなるのでは? と不安でした。どう言えばいいの…精子無力症だったことより、試合できなくなるんじゃないかとの不安のほうが正直大きく、私は軽くパニックになっていました。オットが帰宅しました。どうだった?ともちろん聞かれ…私は言いました。私も一応PCOSと診断されていたので、あくまで「両方に」というところを強調しました。オットは言いました「そっかぁ…」。大きくショックを受けている風でもなく、真摯に事実を受け止めていました。「原因も分かったことだし、治療がんばろうね。」男性はプライドが高い、ましてや生きる上で大切な部分の事、きっとショックを受けるだろう。そう思い込んでいたので、オットの様子は拍子抜けでもありました。「次の治療は何するの?」と前向きなオットにいろんな意味でホッした私でした。この記事を書くにあたり、オットに当時の気持ちを聞いてみました。ショックだったけど、数年妊娠していない事実があったからそんなこともあるかなぁと思っていたそうです。そして不妊治療しようと決めた時点で覚悟もしたと。だからショックだけど原因が分かって、次に進めるな。と思ったそうです。オットは、中途半端な気持ちで治療を開始した私とは違いました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年06月28日治療をする前は「精液検査」というと、病院の小さな部屋で採精しやすくなりそうな映像を再生しながら…というようなイメージが刷り込まれていたので「オットもこの病院のどこかで…ゴクリ」と妙な緊張をしていました(笑)。 が、実際は、日にちを指定され、当日の朝に自宅で採取したものをクリニックに持参するという方法でした。それを聞いて、オットも私も、ホッとしました。次回が精液検査という診察のお会計の時、採精用の容器を受け取りました。プラスチックの蓋付のコップでした。茶色の紙袋に入っていました。一見するとカフェで買ったアイスカフェラテ…みたいな…。街で小脇に抱えても気付かれなさそう…こらこら(笑)。当日の朝。オットは一人がいいと言うので、別の部屋で待ちました。しばらくしてオットが部屋から出てきました。おお! これが…妙な感動。いい大人ですから、まったく見たことがないと言うと嘘になりますが、こうしてわざわざ容器に採ったものをまじまじと見るのは初めてでした。オットは出勤し、私はクリニックへ向かいます。時間が経つと鮮度が落ちそう…と思うと焦りました。余談ですが、採取したばかりの時はトロリとしているのに、時間が経つとサラサラになっています。朝イチでクリニックに精液を提出し、検査を待つ間は近くのカフェでカフェラテを飲みました(笑)。診察室に呼ばれ、ドクターからの話を聞きます。「旦那さんの検査の結果ですが…」ドクターは『精液検査報告書』と書かれた用紙を差し出しました。ドクターの言葉とともに用紙の下の方に丸く囲まれた「精子無力症」の文字が目に入りました。ドクターはなおも続けます。「症状の程度でいうと、中等度~重度、ですね。」精子が無力…!? しかも重度…!? この日のこの結果を聞いたあと、ドクターとどんな話をしたか、思い出そうとしましたが思い出せません。ただ、「オットにどう言えばいい?」という想いがぐるぐると頭を回っていました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年06月14日不妊治療を進めるにあたり、必要な検査がいくつかありました。(採血によるホルモン検査・卵管の通過性を調べる検査・子宮を内視鏡でみるファイバースコープ・超音波検査など)月経周期に合わせて検査を行うので、一通り終わるまでに1か月半ほどかかりました。検査の結果、私は『多嚢胞性卵巣症候群(たのうほうせいらんそうしょうこうぐん)』だと言われました。初めて聞く言葉でした。PCOSとも表現されます。ドクターから、卵巣内の卵胞(卵子の入った袋)の発育が遅く、ある程度の大きさになっても排卵されず、複数の卵胞が卵巣内にたまってしまう疾患だと説明を受けました。月経異常・多毛・にきび・肥満などの症 状を伴うことがあるとのことです。排卵がされないままだと、卵巣の皮は段々と厚く硬くなり、ますます排卵しにくい状態になってしまうようです。毎月起こるはずの排卵がなんらかの原因でうまく行われない状態は排卵障害と呼ばれ、多多嚢胞性卵巣症候群もそのうちの一つです。若い女性の排卵障害では多くみられる疾患のようです。多嚢胞性卵巣症候群と診断された場合でも、程度には個人差があり、全ての特徴を持っている人もいれば、超音波での所見だけが異常(ネックレスサイン:複数の卵胞が繋がっているように見える)の人もいて、重症度はさまざまのようです。中にはスムーズに排卵できる人もおり、自覚症状がないため気付かず自然妊娠していたり、診察して初めて知るという人もいるようですが、どの人も排卵しにくいことは確かだそう。エコーで確認すると、確かに私の卵巣にもいくつかの卵胞がありました。後の診察でも確認していくのですが、私の場合は、毎回ではないけれど排卵はできているようでした。クリニックのドクター曰く、多嚢胞性卵巣自体は体質だそうです。説明を受けながら、あぁやっぱりね…と思っていました。原因があるから妊娠もしていないわけで。しかしながら、不妊症は原因が一つではなく、複数のこともあり、また最後まで原因が分からないということも多くあります。そして、男性側に原因があることもあります。ですので、女性の検査と共に、男性も検査を受けることは必要不可欠です。 私の通っていたクリニックでは必ず行う検査として『精液検査』がありました。オットもその検査を受けることになりました。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。)
2017年05月31日不妊治療クリニックの初診の日になりました。平日の午後だったので、一人ででかけました。繁華街のビル中にあるクリニックへは、我が家から車で1時間半かかります。ビルにある共同の小さなエレベーターで上がりました。上がっているのに、どんどん下に行くような気持ちでした。あぁ、とうとう来てしまった。初めに問診票を書き、その後ドクターから妊娠のメカニズムや今後の検査方法・治療方法などの説明を受けました。その後、子宮と卵巣の状態をチェックするために、診察台に上がりました。それまでテレビでしか見たことのなかった、カーテン越しに下半身を丸出しにするあの診察…。スカートと下着を脱ぎ椅子に座ると、看護師さんの「動きますね~」の声と同時にウィーンと開脚していく我が身。あぁ…その後、妊娠出産と頻繁にこの椅子に座りましたが、ずっと慣れることはなかったです…。毎回、心の中でひぇ~~! と叫びながら(笑)、自然と腰を上にずらしてあまり開脚しないような体勢を取ってしまうのですが、必ず看護師さんに「もう少し下がってください」と指摘を受けてしまうのでした。クリニックは、治療中の繊細な心にとても配慮しているのであろう気配りが行き届いていました。看護師さんも事務員さんもみなさん優しく丁寧で、通院中、心を傷つけるような言葉は何一つ言われたことはありませんでした。私の県に不妊専門のクリニックが少ないということもあるけれど、人気があるのが納得の病院でした。スタッフ皆さんは優しくも『妊娠できるよう頑張っていきましょう!』という雰囲気でした(不妊クリニックだから当たり前なのですが)。それだけに、自分の気持ちと周囲の気持ちのギャップに戸惑いました。気持ちと行動が矛盾している自分にも戸惑いました。下半身を露出して器具を入れられる妙な虚しさも手伝って、クリニックを出て車に戻ると我慢していた涙がこぼれました。泣きながら運転していると、偶然仲良しの友達を発見しました。仲良しだったのに長く会えずに、普通だったら「おおーい!」と声をかけてお茶でもするところですが、私は目をそらして彼女の横を通り過ぎたのです。泣き顔を見られたくはなかったし、その理由を妊婦の彼女に説明できる自信はそのときにはありませんでした。(※私が長男を妊娠するために不妊治療をしていたのは、2005年11月~2008年10月のことです。また、この体験記に記載された内容や治療法は、あくまでも筆者の感想であり治療を保証するものではありません。)
2017年05月17日こんにちは。コソダテフルな毎日のちゅいたんママです。長男小3ちゅんたん、次男年長ゆいたん、三男年少ほーちゃんの三兄弟の母です。3人とも違う施設で出産! 3人出産したことがある人の中でどのぐらいの割合いるのかはわかりませんが、実は私、3人とも出産した施設が違うんです。3つとも違うっていうのは少数派なんじゃないかな~? と思ってるのですがいかがでしょうか。3つそれぞれの施設に特色があったのですが、今回は三男を出産した助産院についてお話したいと思います。(すべて私自身の個人的な感覚に基づいての体験談ですのですべての方に当てはまることではありません)3人目を助産院にした理由助産院で出産というとどういうイメージが湧きますか?私には、なんとなくナチュラル派な人が選ぶような漠然としたイメージがありました。が、私が助産院を選んだ理由を単刀直入に言うと、ナチュラル派でもなんでもなく、分娩台で産むのはもうこりごりだ。と思ったんです。(え!)過去二度の出産でつくづく思ったんですが、あの格好、助産師さんやお医者さん側からしたら一番適した格好なのでしょうが、産む側からしたらものすごくキツくないですか? (私だけかな)それに、あの心音を確認するためのベルトっ! 赤ちゃんが苦しくないかどうかを確認するためにお腹にベルトをつけるのですが(正式名称がわからない)あれを付けたら基本的にあまりゴソゴソ動いてはいけなくて、ずっと仰向け、せめてやや横向きぐらいにしかなれないんです。(初産では20時間以上つけっばなしで本当に辛かったです…。)分娩台が嫌、あのベルトも嫌。仰向けしかできないのも嫌。これらの装置が赤ちゃんが無事に生まれてくるために用意してあるものだと分かってはいるのですが、嫌なもんは嫌!なんとも自分目線な理由で選んだわけです。助産院での出産は不安? ただやはり数的なものでいえば、圧倒的に病院(総合病院・個人病院)で産む方のほうが多いと思います。あえて助産院を選ばないその理由はおそらくこれだと思います。これ、おそらく誰かしらに言われるでしょうし、皆さんが最初に不安に思うことだと思います。うちの夫でさえも最初こう言いましたから。どうも誤解されているようなのですが、助産院には提携の病院があって、提携の病院と助産院とで検診を行います。助産院では医療行為はできないので、血液検査や詳しい検査などは提携病院で行って、検査結果を助産院と提携病院とで共有します。そして、出産時に万が一何かあれば即座に提携病院に搬送されます。しかも、何かありそうな場合はそもそも助産院では出産できません。順調に経過している場合のみ助産院で出産できます。私の出産した助産院では逆子の場合もできませんでした。過去の出産がどのようだったかも重要になるようで、初回に丁寧に聞かれました。初産だったらまた感覚も違ったかもしれませんが、三度目ということもあり、「もしも何かあったとしても助産師さんが的確迅速に判断して搬送してくれる」と信じて全く不安には思いませんでした。それに、とにかくいま、産科不足で産める場所もどんどんと縮小されていっています。そんな中、ハイリスクな妊婦さんにとっては大きな病院じゃないと産めませんし、どこで産もうかと選ぶ余地もありません。本当に必要としている人にベットを用意するためにも、私のような経過が順調な妊婦は大きな病院は避けようと思ったのです。助産院では自分に主導権がある出産!さて、病院と助産院、両方で出産した私が一番感じた違いを挙げるとすると、ズバリ、主導権の所在、だと思います。出産前に助産師さんに言われたのですが、「自分で産む」。まさにこの一言でした。今、私がどうしたいのかを最大限尊重してくれました。もちろん、子宮口の開き具合や心音の確認は助産師さんの指示に従いますが、「私はいまこうしていたい」を遠慮なく伝えました。歩きたい、壁を押したい、ちょっと一人になりたい、家族はまだ呼びたくない、主導権はまさに私。このときは3月上旬。やたらと寒くて…寒くて寒くて布団を山盛りかけてもらいました。あ、あと、周りのママたちに「助産院で生んだ」って伝えると、意外にもこの質問が多いです。分娩台じゃなければどこで産むの?どこ握ればいいの? えーーー。それはですね。布団の上で、枕のはしっこ掴んで生みました(笑)。念願の分娩台ではない出産私の場合は横向きが一番やりやすかったのですが、産む時のスタイルは助産院の場合は本当にひとそれぞれだと思います。旦那さんにしがみついたり、よつんばいになったり、フリースタイルです。これが念願の分娩台じゃない場所での出産!ちなみに助産院では病院のような針と糸をつかった会陰縫合を行えなえません。実際、私は過去二回とも容赦なくジョキジョキと切られましたが、今回の助産院での出産ではその必要がありませんでした。正直、思いましたね。「切らなくても産めた!できる限り切らないでほしかった!」って。自分がやりやすい方法で産んだせいか、産後の回復が驚異的に早かったです。ちなみに、底辺だったのは次男出産時でした。(軽くトラウマ…)結果的に助産院での出産は私にとって万々歳な結果となったのですが、ここだけの話、もしも選べるのなら無痛分娩を経験してみたかったです。(生活圏内に存在しなかった)助産院での出産。個人的には、人に相談されたら助産院をおすすめと言うと思います。
2017年05月11日国が違えばお産も違う?世界の妊婦健診・出産はどんなものなのか、日本と海外の両方で出産経験のあるママに体験談を聞きました。エコーは2回まで?システムも違う異国での健診はじめての妊娠はわくわくするものです。初回の健診は本当にドキドキ。海外での妊娠・出産となると、ドキドキだけでなく好奇心や不安も少しありますよね。日本では初期の経膣エコーで赤ちゃんの心音を調べますが、アメリカでのエコーは初回と20週の2回のみ。私はオーストラリアでの出産経験がありますが、オーストラリアでも問題がなければ2回、経膣エコーはありませんでした。その後日本で出産したときは、日本の4Dエコーがちょっとリアルすぎてびっくり。逆にオーストラリアで2回しか受けられなかった貴重なエコー写真が愛おしく感じられた記憶があります。妊娠中の体重については何も言われず、むしろ「アジア人はやせているから太った方がよい」と言われたのは、ドイツで第1子を出産したトモさん。日本では体重制限が厳しかったので、体重計にのる度にドキドキしたのだとか。ドイツでは健診は婦人科医に通い、出産は病院へ(助産院や自宅での出産も可能)。日本のように病院での出産予約は必要なく、出産の兆候が現れたら直接病院に向かい、その日、勤務している初対面の助産師と医師と出産を迎えるという仕組み。ドイツとロシアと日本の3カ国で妊娠の健診を受けたことがあるMagnolilyさんは、ドイツが一番時間をかけて丁寧に健診をしてくれたと感じました。逆に日本はあっさりとしていて不安に思うこともあったと言います。モスクワに駐在中に第2子を妊娠、唯一分娩施設が整ったセレブ御用達の私立病院で受診。担当医は指名制で、キャリアによって診察料が異なりました。そして驚くのは、全てが“前払い制”だということ。健診を受ける前に診察料を払い、エコーの前にエコー料を払って検査、血液検査も代金を払ってから採血をするという、とても面倒なシステム。しかも担当医には定期的にお酒やお菓子の手土産を持参しなければならなかったそうです。これはロシアでは当たり前の習慣なのだそう。アメリカでは健診に「遺伝子カウンセリング」の時間が組み込まれていました。専門家に家族の病歴を話し、採血をしてリスクを調べ、リスクが高いと判断された場合には任意で羊水検査も可能という流れになっていました。出産スタイルは自由に、夫の立会いも一般的“無痛分娩”が浸透しているアメリカにて、第1子は日本で自然分娩をしたことを伝えたシュー太さん。ドクターに「どうして?!何か宗教上の問題でもあるの?」と、真顔で驚かれたことが印象に残っています。1人目の出産が辛かったので2人目は無痛分娩に。出産も産後もとても楽に過ごせたそうです。南アフリカで双子を出産したゆきこさんは、私立病院にて帝王切開での出産となりました。「帝王切開なので夫は立ち会いに尻込みしていましたが、産科医が強く誘い手術室へ。産科医が赤ちゃんを取り出して夫に見せてくれたあと、頼みもしないのにおなかの中まで無理やり見せられたという“おまけ”がありました・・・笑」と、驚愕(がく)エピソードを語ってくれました。産むスタイルについては、ほぼ自由。オーストラリアでは妊婦さんが好きなスタイルで産むことができるよう、ベッドはもちろん、床用のマットや水中出産用のバスタブもありました。私は両ひざを床につけて出産したので、日本での3人目の出産では、自由なスタイルで出産させてくれる“産み場”を探すのに、とても苦労しました。(オーストラリア公立病院のLDR室)各国、夫の立ち会いは一般的。妻の横ではなく足元に立ち、赤ちゃんが出てくる様子を一部始終見守ることができます。ドイツ、トモさんのご主人は「足をおさえるのを手伝って」と言われ、お手伝い。日本でもオーストラリアのときのように私の足元にスタンバイしていた夫、いよいよというときに助産師さんに「お父さんそちらではなく、ママの頭の上で応援してください!」と言われ困惑、赤ちゃんが出てくるところを見られなかったし、へその緒も切らせてもらえなかった・・・と後日ぼやいていました。入院期間と産後の違い入院期間がとても短い海外。アメリカのシュー太さんは、なんと1泊で退院!「産後はすべて外来、子どもの健診で何度も小児科に通院しなければならず、日本のようにある程度入院して赤ちゃんの様子を見てもらえた方がよかった」と振り返ります。南アフリカのゆきこさんは、帝王切開の傷口もふさがらないうちに大量の鎮痛剤を処方され、2泊3日で帰宅。産後はメイドさんとベビーシッターさんを雇い、乗り切りったのだそう。ドイツは通常3日で退院。この国のすばらしい点は、退院後のシステム!妊娠中に産後ケアをお願いするヘバメ(助産師さん)を探して予約をします。産後すぐから自宅を訪問してくれて、母子の体のチェック、赤ちゃんのお世話の指導などを行ってくれるそう。その後は様子をみながら訪問回数が少しずつ減ってはいきますが、約2カ月間は通ってくれるのだとか。「日本のように入院中の指導はありませんが、自宅で赤ちゃんのお世話などを丁寧に教えてもらえ、精神的にも肉体的にも助かりました」と、このシステムを絶賛のトモさん。同じくドイツで出産経験のあるMagnolilyさんいわく、訪問がなくなった数カ月後でも、問題や相談ごとがあるときは電話するとまた来てくれ、これらの費用は全て保険でカバーされるということでした。多くが声をそろえていたのは“入院中の食事は日本が一番”。アメリカもオーストラリアも、決しておいしいとは言えない食事。ドイツでは朝と夜はドイツ定番の、パン・チーズ・ハム・フルーツなどの冷たい食事で、これでは全然足りない。トモさんはご主人の差し入れのおにぎりを楽しみにしていていました。私自身「何も知らなかったから海外で産めたのかも・・・」と、初めての妊娠・出産を思い返します。日本の基準を知らないまま、新しい環境ではじめての“妊娠”。「郷に入っては郷に従え」精神も助けとなり、ささいなことをあまり気にすることなく、文化や違いを素直に受け入れることができたのかも。そして海外での経験があったからこそ、日本の助産師さんのきめ細かな介助に感動し、日本の医療設備や技術の高さなどの“日本のよさ”と、“日本の恵まれた環境”を再認識することができたのかもしれません。<文・写真:フリーランス記者林未香>
2016年08月08日子どもを授かる喜びは男女同じですが、つわりや陣痛のすさまじさは実際に体験してみなければわからない感覚ですよね。女性歌人がみずみずしい感性と冷静な目線でとらえた妊娠と出産にまつわる短歌と、男性歌人が出産シーンをとらえた歌を紹介します。■健診、つわり、生殖医療にまつわる妊娠のうた「白鯨の棲みかとなりしわが胎の超音波画像(エコー)に黒く水が映れり」澤村斉美(『短歌往来』2015年10月号)健診のときに胎内を映す超音波機器のモニターをみている場面。作者にとって、まだ対面していないわが子は、人間というよりも白い鯨のようにロマンティックな生き物です。白鯨が黒い水に息づく様子を美しく詠いあげています。次に紹介する早川志織の作品は、妊娠を新しい詠いかたでチャレンジしています。「生殖医療の善悪をいう新聞はいつでも新聞の匂いしていて」早川志織(『クルミの中』)医学の進歩により、生殖医療を受けることで子どもを授かる女性は多くいます。一方で、子は自然に授かるものという考え方があります。どちらが正解だと白黒をつけられる問題ではありません。生殖医療にまつわる話題は誤解や論争をまねきやすいもの。ナイーブな問題をそのままうたうのではなく、嗅覚に訴えかけることによって迫力のある1首になりました。「医術だから、目をつむり針を受け入れる人工授精は十秒で終わる」早川志織(『クルミの中』)具体的な医療現場の臨場感を詠みこんでいます。時間にすると、たった10秒間のことですが、忘れられない体験であり、なまなましい感覚がつたわってきます。「みごもれば感官一途に尖りゆき柑橘の強き酸(さん)を欲せり」小島ゆかり(『水陽炎』)つわりのうた。妊娠すると味覚が変わったり、においに敏感になったりすることも。すっぱいものが欲しくなるのは感官器官がとがるから、という見立てに共感しました。■命の誕生をドラマチックにあらわす出産のうた「子を負える埴輪(はにわ)のおんなあたたかしかくおろかにていのち生みつぐ」山田あき(『山河無限』)スケールの大きさが魅力。母から受けついだ遺伝子を子に伝えていくさまを、「はにわ」にたとえるところに作者のゆたかな感性があらわれています。「海原にうしほ満つべし現身を揺り上げていま吾子生まれたり」小島ゆかり(『水陽炎』)女性のバイオリズムは月と海にたとえられます。月の引力と潮の満ち干きは深いかかわりがあります。満ちてきた潮がからだを揺りあげるように新しい生命が誕生した。宇宙と一体化するような出産の名歌といえるでしょう。「巻尺をもちて計れるその体、声だして指の数は数へる」大松達知(『ゆりかごのうた』)男性は冷静です。出産の余韻がさめない妻の横で、夫はわが子の体を観察していました。さりげないシーンですが、はっきりと男女の考え方のちがいがわかりますよね。「生まれたる日の体重の四ケタをアマゾンの暗証番号にせり」大松達知(『ゆりかごのうた』)うれしいという言葉を使っていませんが、出生時の体重をネットショッピングの暗証番号にするところに作者のよろこびがうかがえます。妊娠や出産をうたう作品はきれいなものだけではありません。作者の顔が見えるようなリアリティのあるうたや、現代の問題点を鋭く指摘する名歌も多いのです。人が人を産みだす過程は、それだけドラマチックで起伏に富んでいるのですね。
2016年05月28日日本では産後は1週間ほど入院するのがスタンダード。でも、アメリカは出産の当日や翌日に退院するって本当? こんなにも違うアメリカの出産事情を紹介します。■アメリカには「里帰り出産」なんて言葉はない日本には「里帰り出産」という文化があります。母体を休めるために産後1ヶ月ほどは実家で過ごし、ゆっくりと体を休めることができるのは非常にありがたいことですよね。しかし、アメリカにはこうした「里帰り出産」の文化はありません。基本的には夫が一緒にサポートするのがスタンダードです。妻の産後に育児休暇を数週間取るパターンが多く、夫婦で協力して育児をします。日本はどうしても育児や家事は「お母さんの仕事」という風潮がありますが、アメリカでは育児は夫婦の共同プロジェクト。産後を支えるのは実家のお母さんではなく、パートナーなのです。■とにかく入院期間が短い!自然分娩の場合でも、日本は出産後1週間ほど入院するのが普通。帝王切開の場合はさらに長く、10日以上入院するのも珍しくありません。けれども、アメリカはそんなに甘くない! 出産してから退院までの期間が非常に短いのです。自然分娩だと翌日退院は当たり前。帝王切開でも入院は4日間ほどです。そんなにすぐに退院したら、「赤ちゃんの検診はどうするの?」と思いますよね。通わないといけないのです。産後すぐに退院させられても、その2日後、1週間後など、赤ちゃんを連れて検診に訪れなければいけません。日本では入院中、授乳指導や沐浴指導など、まるで学校のように赤ちゃんのお世話の方法を学ぶことができます。アメリカではすぐに退院して日常生活に戻るため、自分の力で頑張るしかありません。■今もアメリカでは無痛分娩が主流?よくアメリカでは無痛分娩が当たり前だと思われがちですが、自然分娩で出産する女性も多くいます。しかし、無痛分娩を選択する女性は日本に比べると格段に多く、アメリカでは珍しくない出産方法です。無痛分娩を選ぶ理由は、やはり出産時の痛みや体力の消耗を減らしたいから。また、アメリカでは、出産後にすぐに職場復帰をする女性も珍しくありません。そのため、自然分娩での体力消耗をなるべく避けるような傾向があります。世界一といわれるほど医療費が高額な国、アメリカでは、出産にも非常にお金がかかります。入院が長引けば何百万もの請求になることを考えると、産んだらすぐに退院となる理由もわかりますよね。無痛分娩によって体への負担を減らし、すぐに退院できるようにするのも、無痛分娩が多い理由のひとつと言えます。里帰り出産や産後1週間の入院ケアなど、アメリカでの出産に比べると、日本は恵まれていると言えるでしょう。アメリカの出産はタフでないと乗り切れないのです。(フレシュラスともみ<フォークラス>)
2016年04月10日出産前は何度経験してもドキドキするものですが、初めてならなおさらです。陣痛や入院に備え、何を用意しておいたらいいのか、何が必要なのか、気になってアレコレ調べてしまうのではないでしょうか。そこで、出産時と入院時にこんなものが役に立ちましたという、先輩ママの体験談とアドバイスを紹介します。陣痛のときに用意しておくと便利なもの・テニスボール「腰やお尻が痛くてたまらなかったので、テニスボールを当てて、痛みを分散させていた。ボールがパンクするくらい押し当てた」テニスボールは、陣痛のいきみ逃しの定番とも言えるグッズ。プレママ向け雑誌にもよく取り上げられています。コメントにもあるように、陣痛で腰やお尻が痛むとき、痛みを感じる場所に押し当てると、いい感じに痛みを逃してくれます。ただし、痛みを感じる場所や程度には個人差があるので、なかには「せっかく用意したのに使わなかった」という人もいるようです。・妊婦さん用の食事や飲み物「病院食は通常メニューが出てくるので、あまり食べられなかった。でも、『体力勝負だから食べて』と言われて困った」たしかにお産は体力勝負。体力を使う上、長時間に及ぶことも多いので、事前にしっかりと食事をとっておくのがよいでしょう。とは言え、お産が進むにつれ、いわゆる普通の食事をとる余裕はなくなってきます。よく「おすすめ」と言われるのが、おにぎり、ゼリー飲料(パウチ型ゼリー)、クッキーなど。寝転がったままでも食べられるものがよいようです。また、「のどが渇く」という声も多いので、スポーツドリンクや水、お茶などの飲み物も多めに用意しておくとよいでしょう。・つき添いの家族用の食事「外に食べに行かれて、ひとり残されるのもつらい。おにぎりやパンなどを持ち込んで、ずっとそばにいてほしい」出産が長丁場になると、つき添う家族もお腹が空きます。「まだ生まれないだろう」と、病院の食堂や近くのレストランに食事をしに行った間に産気づいた、というケースも少なくないので、できれば家族の食事も用意しておくのがよさそうです。初産婦の出産平均時間は14時間~16時間と言われており、出産に立ち合うほうも体力勝負です。家族もよく寝て、よく食べておきましょう。・レッグウォーマー「のぼせて汗だくなのに、足は冷たくなってしまった。冷えるとお産の進みが悪いというので心配に」普段から冷えが気になる人は、特に準備しておいたほうがよいでしょう。出産直前に脱がせてもらえます。・鼻づまり防止グッズ「鼻呼吸があんなに大切だとは思わなかった。いびき防止テープやメントールグッズが欲しかった…」花粉の時期は特につらいもの。呼吸がラクになるグッズがあるとよさそうです。・ペットボトルのストローキャップ「大きく呼吸するので、とにかくのどが渇く。横になったまま飲めるよう、ストローキャップは必須」これがないとお産が乗り切れなかったかもしれない、と言う人は多いです。100円ショップでも購入できますが、ドラッグストアで売っているもう少ししっかりしたもののほうが使いやすかったという声もあります。いくつか試してみて、よさそうなものを持っていきましょう。出産後の入院中にあると便利なもの「今から産後のことなど考えられない!」と思うかもしれませんが、日本では産後約1週間は入院して、体力を回復するのが一般的。この期間をどう過ごすかは、とても大切です。・安眠グッズ「疲れているので眠いはずなのに、興奮やホルモンの変化で寝られなくて困った」「大部屋だったので、人の気配や廊下から聞こえる赤ちゃんの泣き声などが気になってしまい、眠れなかった」普段使い慣れている枕やホットアイマスク、耳栓、アロマオイルなどを持参した人もいるそう。病院にいる間は睡眠時間が確保できる貴重な期間ですから、しっかり眠っておきましょう。・着圧ソックス「足が象のようにむくんでしまい、つらかった」ということで、あわてて家族に買ってきてもらう人も多いよう。入院用の荷物に1足入れておくとよいでしょう。荷物は増えるけれど、気持ちが楽になればいいお産を前にすると、どれだけ準備しても不安はつきません。使わないかもしれないけれど、いざというときにあったら便利、安心なグッズたち。荷物は増えますが、少しでも気持ちが楽になればいいですね。出産まであと少し、頑張りましょう!(みさわ<フォークラス>)
2016年03月25日育児に遅れと混乱が生じてる !!
ムスメちゃんとオコメちゃん
うちの家族、個性の塊です
36歳で初めて子どもを授かった長谷川みはるさんは、妊娠6カ月目の妊婦健診で上の血圧が180を超えたことから、NICU(新生児集中治療管理室)のある大学病院へ緊急搬送となりました。その後、緊急帝王切開で501gの赤ちゃんを出産したみはるさん。今後赤ちゃんにさまざまな症状が現れる可能性もありますが、保育器の中で懸命に生きる姿に、みはるさん夫婦は一緒に乗り越えることを心に誓います。子どもの可能性ある未来が長く続くようにと願いながら、2人は赤ちゃんに「すず」と名付けました。翌日、出生届けを出すために病室を訪れた夫は……? みんなが応援しているよ!※NICU…「Neonatal Intensive Care Unit:新生児集中治療管理室」早産児や低出生体重児などハイリスクな赤ちゃんの治療やケアをする集中治療室 はじめは車椅子移動だったみはるさんも、体力が回復してきてNICUまで歩いて行けるように。また、母乳が出るように、看護師さんとマッサージを頑張ります。お見舞いに2人で訪れた義母と母も、小さい娘のことをかわいく思ってくれているようで、みはるさんは娘にみんなの声が届いている気がしてうれしく感じたのでした。 ◇ ◇ ◇ 小さいながらも懸命に生きるすずちゃん。 どんな形で生まれても、ママやパパにとってはもちろん、祖母にあたる母や義母にとっても、頑張って生まれてきてくれた赤ちゃんはかわいくて仕方ないものなのでしょうね。前途多難な道ではありますが、家族みんなからたっぷりの愛情をかけてもらえているようでよかったです。温かい家族の声に、すずちゃんもきっと元気をもらえたのではないでしょうか。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。著者:マンガ家・イラストレーター いもやまようみん
2024年05月05日現在3歳のこっちゃんは、この3年間とにかく泣いてばかり。夜泣き、着替え、歯磨き、入浴、お出かけなど、日常のあらゆる場面で大泣きするため、ママは毎日泣きセンサーに怯える日々でした。育児を楽しいと思えず、同年齢の子どもと比較してしまう自分にも嫌気がさし、自信を喪失してしまいます。それでも、日々こっちゃんと向き合い、育児に奮闘し、その先にあったのは?水が大嫌いなこっちゃんが、楽しくお風呂に入る様子を見て感動するママ。お風呂に浮かんだり、顔をつけたりと人が変わったかのようにお風呂を楽しむのでした。 そして、かんしゃくも驚くほど激減!朝からご機嫌で、感情のコントロールができるようになり機嫌の良い時間が増えていったのでした。そして、心の変化だけでなく見た目もスッキリしお姉さんらしくなりママは憑き物でも落ちたのかと思うほどの激変を感じるのでした一生分泣いたのかな? こっちゃんの変化はまだあり、動画と幼児向けテレビ番組が大好なこっちゃん。泣き止まず困ったときは頼りっぱなしだったのですが、視聴時間が激減し生活がリズムが整います。 他にも、長時間公園遊びができるようになり、歯磨きも就寝も泣かなくなりスムーズに1日を過ごせるようになります。遊びはというと、繊細で手が汚れることを嫌っていたこっちゃんですが、砂遊びも粘土もできるように。 食事も買い物もこれまでとは一変、出来ることが一気に増えるのでした。こっちゃんの成長に驚くあまり「あの3年間で一生分泣いたのかな?」とママが思うほどの激変を見せるのでした。 ◇◇◇ これまでの激しいイヤイヤやかんしゃくが嘘のように激減し生活ががらりと変わったこっちゃんとママ。今イヤイヤ期やかんしゃくに悩むママの希望になるのではないでしょうか? 成長とともに落ち着きを見せたこっちゃんのように、時間が解決してくれるのかもしれません。泣きじゃくるわが子をなだめるのは本当に大変なことですが、これも成長過程だと思い成長を見届けたいですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター はちこ
2024年05月05日この記事では、2024年4月に妊娠・出産を発表した芸能人や有名人をご紹介! 妊娠・出産時期が自分と近い芸能人や有名人には、なんとなく親近感がわくものですよね。有村智恵さん、鈴木サチなど、多方面でご活躍中の方々からおめでたいニュースが届きました。俳優・タレントなど、7名の出産のニュースをお届けします。 出産発表小玉百夏(30歳)俳優 ※夫は野津山幸宏(27歳)声優出産発表:2024年4月2日(1人目・男児)ブログ・SNS:X(@wonderfulbaseba)有村智恵(36歳)プロゴルファー 妊娠発表:2023年11月22日出産発表:2024年4月11日(双子・男児)ブログ・SNS:Instagram(@chiearimura)栗原ジャスティーン(35歳)ライフスタイルモデル ※夫は栗原 嵩(36歳)アメリカンフットボール選手出産日:2024年4月21日(2人目)ブログ・SNS:Instagram(@justinekurihara)鈴木サチ(44歳)モデル妊娠発表:2023年11月28日(5人目)出産日:2024年4月24日(男児・3,684g)ブログ・SNS:Instagram(@sachi_suzuki)てんちむ(30歳)タレント・モデル・YouTuber出産発表:2024年4月26日(1人目)ブログ・SNS:X(@tenchim_1119)パパになった芸能人・有名人亀田和毅(32歳)ボクシング元世界2階級王者 出産日:2024年4月2日(2人目・男児・3,150g)ブログ・SNS:Instagram(@tomokikameda)村上健志(43歳)お笑いコンビ・フルーツポンチ出産発表:2024年4月6日(1人目)気になる芸能人や有名人はリストの中にいましたか? 同じくらいの妊娠週数だったり、わが子と近い月齢の赤ちゃんが登場したりする芸能人のブログには、マタニティライフや子育てのヒントがあるかもしれません。家事や子育ての息抜きにチェックしてみてはいかがでしょうか。
2024年05月05日私の夫は弁護士で、義母の自慢の1つ。しかし、私たち夫婦は義母の言動に悩まされていました。義母には仕送りをしているのですが、それだけでなく、義母の請求書も送り付けられるのです……。収入のすべてを義母に吸い取られていました。私も仕事をしているので何とか生活していますが、これ以上義母に散財されるのは困っていました。けれども義母はまったく理解を示さず、夫が体調不良で寝込んでいるときでさえお金をせびりにくるのです。 自分が夫を産んだおかげで今いい生活ができているのだから、黙って言うことを聞きなさい。そう義母に言われましたが……。夫にはある秘密がありました……。お金は親子のコミュニケーション手段?夫が幼いころ、彼の両親は離婚。父親に引き取られた夫は、成人するまで母親に会ったことはなかったと言います。 義母いわく、やっとお互い自由に連絡が取れるようになったのだと。そして、私が金銭的なことに口を出すと、親子のコミュニケーションを邪魔するなと怒鳴ってきました。 また、夫の厚意で資金援助してもらっていると主張する義母ですが、正直それは事実ではありませんでした。タワマンを買っちゃった!?ある日義母から、写真が送られてきました。どうやらとあるタワマンの室内を写したものらしいのですが、なぜこんなものが私に送られてきたのか意味不明で……。義母曰く、来月からそこに住むようです。 気になって義母に連絡してみると、思いもしない返事が返ってきました。「息子が私にタワマン買ってくれるって」「息子は稼いでいるから貯金の桁も違うわ」「貯金? 0円ですけど」義母からの連絡に顔面蒼白の私。そもそもタワマンを勝手に購入して、その支払いを子どもに支払わせるつもりだなんて……。手付金は義母があちこちから借金して支払ったとのことでした。 夫との再会をいいように利用して、たかる義母にあきれ、「もう夫は義母の言うことなんて聞かない」と伝えました。夫の秘密義母は私の話を聞き、猛烈に怒り始め、家や会社に押しかけてでも払わせると義母は意気込みました。しかし数日後、慌てたように連絡してきて……。 じつは夫は職場を辞め、私たちは引っ越しをしていたのです。しかしこれは、すこし前からあらかじめ決まっていたことでした。というのも、母親が立場を利用してしつこく金銭を要求し、精神的にも追い詰めてきたことで、夫は心身のバランスを崩して退職せざるを得なかったのです。 しかし、今回思い切って義母ときっぱり縁を切ったことで、夫は回復の兆しを見せています。本当に良かったです。 あれから義母はタワマンに住めなくなったどころか、手付金さえ返金してもらえず、借金だけを背負うことになったようです。連絡はもう取り合っていませんから、今どこで何をしているかはわかりません。 過去に離ればなれになった母からお金を要求された夫の気持ちを考えるとやるせない気持ちになりますよね。そんな夫を支えてくれる妻がいてくれてよかったですね。これからは2人で支え合って幸せに過ごしてほしいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月05日娘が生まれてから、虫歯対策に気をつかっていた夫と私。ところがある日、外食で義祖母が自分の箸を娘に使おうとしたのです! 私はとっさに「やめてください」と言ったのですが、その後、まさかの展開に……。 親族で食事に行った先で…ある日、義祖母と義母、夫、1歳の娘と一緒に外食をすることに。私たち夫婦は虫歯対策として、娘には先に料理を取りわけ、自分たちの食べかけを娘が口にしないよう気をつけていました。ところが食事中、義祖母が自分が使っていた箸で娘に料理を取りわけたのです。私はとっさに「やめてください」と注意します。夫や義母は「大人の唾液がついた箸で子どもの口に入るものに触れると、虫歯リスクが上がるらしいんだよ」とフォローしてくれたのですが、義祖母は「娘ちゃんのためを思って取り分けてあげたのに……」としょんぼり。私は後日、説明もなく急に「やめてほしい」と言ってしまたことを謝ろうとしましたが、「会いたくないわ」と聞き入れてもらえませんでした。そんな状況のまま1年が経ち、法事で会う機会があったのですが、水に流してくれたのか義祖母はいつも通り気さくに話しかけてくれたのです。また、娘の食事は私たち夫婦に任せるよう気をつかってくれました。 小さな子の虫歯対策について詳しく知らなかった義祖母に突然「やめて」と言ったら、義母が傷つくのも無理はありません。とっさのこととは言え、あのとき義祖母の気持ちを考えず冷たく言ってしまったことを私はとても反省。日ごろから娘をかわいがってお世話をしてくれているので、何かお願いをする前にまずは感謝の気持ちを伝えることが大切だと学びました。また、食事会の前に虫歯対策について話しておくなど、事前に配慮することも大切ですよね。 ◇ ◇ ◇ 「大人との食器の共有で虫歯菌がうつるため、別々の食器を使ったほうがいい」ということはよく聞きますが、実は2023年に日本口腔衛生学会から「食器を共有し始める前の生後4カ月ごろから、母親の虫歯菌がすでにうつっていたという研究結果がある」「日頃のスキンシップでもうつる可能性があり、食器の共有を徹底的に避ける必要はない」「虫歯の要因を調べた日本の研究では、3歳児において親との食器共有と虫歯との関連性は認められなかった」という報告がありました。とはいえ、もし大人が虫歯になっている自覚がある場合は、子どもとの食器の共有は避けたほうがいいでしょう。 作画/ひのっしー著者:星野みさこ監修者:医師 川田 悟司 先生
2024年05月05日亮太さんは妻の麻耶さん、4歳の息子・和馬君の3人家族。亮太さんは、麻耶さんに対して不満があり、会社で寝泊まりして1週間になります。亮太さんが家を出ることになった理由とは……?何を伝えてもいつも屁理屈ばかりの麻耶さんに、亮太さんはいつしか「話し合うだけ無駄」と考えるように。しかも、麻耶さんは隠れて浮気をしているようです。そんなある日のこと。麻耶さんが浮気相手との電話に夢中になってしまったことで、和馬君が行方不明になる事件が発生。結局、和馬君はお隣さんが保護してくれていたためことなきを得ましたが、このことが原因で麻耶さんと激しく衝突したため亮太さんは本格的に離婚を考えるように。そんな矢先、亮太さんは社長からメンタルクリニックへの受診を促されます。どうも社長は、少し前から亮太さんの様子がおかしいことに気づいていた様子。胸の痛みや気分の落ち込みが、ストレス性のものではないかと言うのです。 社長の話を聞いて、たしかに原因不明の体調不良が続いていることに気づいた亮太さんは、メンタルクリニックに行くことを社長と約束します。 その夜、仕事帰りの亮太さんはごはんを買って帰ろうとコンビニに寄りますが……? そこにいたのは、和馬君と同じ幼稚園に通う凛ちゃんのママ 偶然、仕事帰りに凛ちゃんのママ・保奈美さんとコンビニで遭遇した亮太さんは、軽い世間話の中で保奈美さんが離婚していたことを知りました。 ついこの間、家族ぐるみで一緒にバーベキューをした矢先の出来事にとても驚く亮太さんですが、保奈美さんは大変ながらもどこかスッキリとした表情です。 そんな彼女の柔らかい雰囲気に、亮太さんも思い切って、自分が離婚を考えていることを話し始めるのでした。 誰かに話を聞いてもらえるだけでラクになることってありますよね。特にセンシティブな問題になるほど「誰にも相談できない」とひとりで抱え込んでしまうことは珍しいことではありませんが、自分の力だけで解決できそうにないときは、ほかの人に頼ってみるのも大切なこと。 自分の気持ちを話すことで、心のモヤモヤが晴れたり考えを整理できたりするきっかけになるかもしれません。 離婚した保奈美さんなら、亮太さんの気持ちを汲んだアドバイスをくれる可能性もあります。彼女の話から、何か解決への糸口が見つかるといいですね! 著者:マンガ家・イラストレーター くろねこ
2024年05月05日婚約者を奪われたあの日、私と妹は絶縁したはずでした。しかし、妹からは「結婚式をするから来てね!」と浮かれた連絡が。それからしばらく経って、今度は「やっぱりお姉ちゃんに婚約者を返してあげる!」との連絡がきて……?婚約者を妹に奪われたあの日から、私は妹を許せなくなっていました。しかし、妹は「たった2人の姉妹なんだから、婚約者を奪われたくらいで絶縁なんて……」と言って、私に連絡をしてくるのです。 しかも、「私と彼との結婚式の日取りがついに決まりました~!」「お姉ちゃんも招待するから来てね!」と妹。私は妹の結婚式には絶対に行かないと心に決めていたのですが……? 略奪の繰り返し数日後――。 会社の後輩から、「実は今月中に結婚することになったんです!」とうれしい報告が。妹の結婚式の連絡を受けたときとは感情が正反対で、思わず自分に苦笑してしまいました。 「昔、彼氏をとある女の子に略奪されたことがあったんですけど……」「なんとか再構築に成功して、結婚することになったんです!」 略奪で大変な思いをしたのは私も同じ。今後の自分のためにもなると思い、結婚にいたるまでの経緯を詳しく聞いていると、なんだか略奪女と私の妹が重なるような感じを覚えました。 そこで、「もしかして、その略奪した子って……」と妹の名前を出すと、「その子です!お姉さんだったんですか!?」と後輩は恐縮しきり。私自身も婚約者を略奪されたこと、私の婚約者と妹が近々結婚することを打ち明けると、「よかった……!じゃあもうこれで奪われる心配をしなくていいんですね……!本当はまだ不安だったんです……」と半泣きで喜んでいました。 後輩は、当時医学部に通っていた彼を妹に略奪されたそう。しかし、国家試験に落ちた途端に、妹はその彼を捨てたのだとか。その後、再会した後輩と彼は、喧嘩別れの原因が私の妹にあることに気づき、仲直りして復縁したとのことでした。 「彼も無事国家試験に受かって、今は医師として活躍しています」「でもその話を妹さんが聞きつけたって噂を聞いて……またちょっかい出されるんじゃないかと不安で不安で……」という後輩に、「いろいろ複雑だけど、結婚さえすればさすがの妹も落ち着くと思うわ」「本当、うちの馬鹿な妹がごめんなさいね」と私は頭を下げました。 婚約者を返却!?1カ月後――。 あれだけ連絡をするなと言っておいた妹から、何度も何度も着信が。いい加減にしてよ、と思いながら出ると、先月の電話よりもいちだんと興奮した声の妹が。 「私ね、お姉ちゃんに彼を返してあげようと思うの!」「だから、彼と復縁して結婚してもいいんだよ!」「は?」 まさに寝耳に水。そもそも、妹になびいた男にもう用はありません。 「前に付き合ってた元彼がね、今はお医者さんになってたの~!」「私はそっちとヨリを戻すから、お姉ちゃんの彼は返してあげる!」 私が元婚約者に興味はないといくら言っても、妹は「またまた~、内心はうれしいくせに」と話を聞いてくれません。それどころか、「お願いだから彼を引き取ってよ~!私は医者になった元彼と早くヨリを戻さないといけないんだから!」と高圧的な態度。 そこで、「あなたがヨリを戻したいと思っているお医者さんって……」と後輩から聞いた名前を出してみると、「なんでお姉ちゃんが知ってるの!?」とさすがの妹も驚いた様子でした。 「その人なら、ついこの間私の会社の後輩と結婚式を挙げたわよ」「後輩から全部聞いたわよ。あんたが卑怯な手口で彼氏さんを奪ってすぐにポイ捨てしたこと、そして医者になったと知った途端にまた狙い始めてたってこともね」 事実を突きつけると、妹は「信じらんない!あいつらヨリを戻すなんて!」と憤慨。「私の元婚約者だって有名企業のエリート営業マンじゃない、不満に思うことはないでしょう?」という私の言葉は、さらに妹をヒートアップさせてしまうのでした。 元婚約者の実態「私たち、今週末には結婚式を挙げる予定だったのに、彼から『結婚前に話がある』って昨日呼び出されて!」「『俺は貯金が0円で、浮気相手が現在進行形で5人もいる』って暴露してきたのよ!!」 妹を含めて6人と同時進行で付き合っていたなんて……。呆気に取られた私を置いて、妹は話し続けていました。 「私を入れて6人と付き合ってるから、そのデート代で給料は全部使いきっちゃうんだって」「結婚しても浮気相手たちと別れるつもりは一切ないって言いきったのよ!?」 元婚約者の真実の姿を知って、私はまだ言葉が出ませんでした。もしあのまま付き合い続けていたら……、妹に代わって貧乏くじを引かされていたのは私なのですから。 「別れたいって言ったら、『婚約破棄の慰謝料として500万円払え』って言われて……」「だから、婚約破棄じゃなくて新婦を変更しちゃえばいいと思ったのよ!お願い!お姉ちゃん!」 「もう私を巻き込まないで、私から婚約者を奪ったのはあんた自身なんだからそのツケはきっちり自分で払いなさい」とだけ告げて、私は電話を切りました。 その後――。 500万円を用意できなかった妹は、結局私の元婚約者とそのまま結婚。彼が浮気をしていたので、慰謝料を払う義務はもともとなかったように思いますが、請求され、妹は焦って信じてしまったのでしょう。もちろん、私は結婚式にも参列せず、お祝いも出しませんでした。略奪を知っている両親も、妹を援助する気は一切ないと明言していました。個人的には、貯金0円で浮気する元婚約者と、姉を裏切る妹はお似合いだと思っています。 一方、後輩はというと、「もう不安にならないように、自分に自信をつけたいから」と言って、自分磨きや資格取得に励んでいます。後輩が幸せに暮らすことを願いつつ、その姿に刺激を受けたので、私も近々新しいことに挑戦してみようと思っています。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月05日ゆりこは39歳のキャリアウーマン。今の職場に入社して、努力してキャリアを積み上げてきました。自由な人生を謳歌していたゆりこ。そこへ子持ちで時短勤務のけいこが入社してきます。子どもの体調不良で欠勤と早退を繰り返していたけいこに苛立っていたゆりこ。結局、けいこは退職してしまいます。妊娠をきっかけに結婚したゆりこ。つわりで会社を休む日々が続き、会社に居づらくなり落ち込みますが、その後無事に出産。保育園に息子を預けて、さっそく職場復帰したものの、早退や欠勤を繰り返していました。そんなある日、課長に呼び出され「一度退職して、パートにならないか」と提案されますが、ゆりこはこの提案を断固拒否します。ゆりこは自分の思いを課長にぶつけますが、子持ちにきつい職場の雰囲気を作ったのはゆりこだと課長に責められてしまいます。どうして私ばっかり… 自分の思いを訴えたゆりこでしたが、課長には理解してもらえませんでした。 このことを職場の後輩・湯田に相談したゆりこ。「湯田さんから私は今のままでいいって言ってくれない?」と頼みます。 それに対して、湯田が話し始めたのは、職場を辞めていったけいこのことでした。湯田は子持ちであるけいこの欠勤は仕方ないと最初は思っていたといいます。しかし、ゆりこの態度を見て考えを改めたとのこと……。 子持ちにどんな理由があろうと自分には関係ない、と湯田は話すのでした。 湯田に相談したものの、理解してもらえないゆりこ。それはゆりこがけいこに対して、ひどい態度をとってきたことがきっかけだったようです。 何事も、いざ自分がその立場にならないと相手の気持ちがわかりませんよね。ゆりこは子持ちになった今、けいこの気持ちが痛いほどわかるはずです。後悔しても時間はまき戻りませんが、子持ちも独身も誰もが気持ちよく働ける会社にしてほしいところ。 そのために、課長には子持ちと独身どちらの意見も聞いて、働き方を変えていってほしいですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 神谷もち
2024年05月05日保育士の中田馨さんが、保育園で見かけるママ同士の少し困ったやりとりについて教えてくれました。保育園のお迎えの際、あなたもこんな行動していませんか……?こんにちは! 保育士の中田馨です。今回は、保育園で先生が見かけるママ同士のやりとりの中で、少し配慮してもらえるとありがたいな、というお話。 私の保育園は、小規模なので保護者同士の送り迎えがあまり重ならないため、ママ同士の困ったやり取りはほぼないのですが、近くの保育園で見かけた光景や友人保育士から聞いたエピソードを交えてお話しします。 話しだしたら止まらないお迎えにきて、仲の良いママ友と会ったら話し込むママたちがいます。たいていが、話が始まると、子どもたちから目を離してしまいます。保育園は、保護者が迎えに来たら、その後の子どものことは保護者に託します。 保育園の中ならまだ保育士や他の保護者の目があるので、多少の安全は確保されますが、保育園の外だとどうでしょう? 実際、歩行者や自転車や車が横を通る中や、駐車場で子どもたちが追いかけっこをしている光景を見たことがあります。 ママ同士がお話することはよいのですが、まずは子どもの安全を確保してあげましょう。とはいえ、「話をするなら保育園の中で」というわけにもいかないので、子どもを自転車に乗せてお話をしながら歩いて帰ったり、公園に移動するなど、子どもの安全を守りつつお話していただけると保育士も安心できます。 毎回、保育士と話しこむ保育士と話しだしたら、なかなか止まらない保護者もいます。子どもの相談や家庭の事情の話から始まるので保育士も親身になり話を聞いているのですが、だんだん話がズレることもあります。そうすると「さて、どのタイミングでここから抜ければよいか」と悩んでしまいます。これが2人、3人の保護者との話しだとなおさら抜けづらいものです。もちろん保護者対応も大切な保育士の仕事の一つです。 しかし、子どもを安全に保育することが第一です。もし、その時間に担当の子どもがkケガでもしたら……! きっとその保育士は自分を責めると思います。もちろん、そのためにも「ごめんなさい、私、仕事に戻りますね」と言える勇気を私たちも持たなければいけないですね! もし、ママ友と保育士とで話しこんでいて、話がズレてきたな! と感じたら「先生、仕事に戻ってください!」と一声かけてくださったら、「ありがとうございます!」と気持ちよく保育士も仕事に戻れます。 一緒にお茶した帰りにお迎えに来る仲良しのママ友同士、仕事の休みや早帰りが一緒になって、お茶をしてからお迎えに来られることがあります。もちろん、ママ友とお茶すること自体は問題ありません。ママのリフレッシュタイムはとても大切ですのでできるときは、したほうがいいです。 保育士がモヤッとするのは、いつもと同じ時間にお迎えに来ることです。保育園が「仕事がお休みの日や早帰りの日は、16時30分までにお迎えに来てください」という決まりがあるところで、いつも通りの18時にお迎えに来ると「少し早めにお迎えに来てくれたら、子どもも喜ぶのにな……」と思ってしまいます。ママがそろってお迎えに来ると、余計に感じてしまいます。 保育園の決まりは守りつつ、その範囲内でリフレッシュの時間を取ってもらえると、他のご家庭からの不満も出にくいのかな? と思います。また、許可保育園の場合、会社帰りに寄り道してから子どもをお迎えに行くのはNGとなるので、気をつけましょう。 保育士や他の保護者のプライベートを詮索する例えば「先生、彼氏いるの?」とか「結婚はしないの?」など、保育士のプライベートが気になりいろいろと聞いてくる保護者がいます。聞かれて答えられないものもあるので「ヒミツです!」とかわすのがベターなのでしょうが、何度も聞いてくる方もいるので、思わず苦笑いしてしまったこともあります。 自分のことは、はぐらかせばいいし、知られてもそれほど問題ないのですが、もっと困ることは「○○ちゃんのママは……」という話が園内で始まったときです。 保育士がその話の中にいたら「噂話はやめましょう」という勇気を持たなければいけませんし、その場にいなくても「子どもも聞いているので、その辺でやめときましょうか」と言えるといいですね。しかしやっぱりその前に、保護者自身が保育士や他の保護者のプライベートを詮索しないようにしてほしいなと思います。 少しの配慮が、子どもの安全や心を守り、快適な保育園生活につながっていきます。ほんの少し心に止めてもらえると嬉しいです。 著者:保育士 一般社団法人 離乳食インストラクター協会 代表理事 中田家庭保育所施設長 中田馨
2024年05月05日私は夫の転勤先だったイギリスで長男を妊娠・出産しました。日本にいた私の母は、海外で初めての出産となった私を心配し、1カ月間イギリスの自宅へサポートしに来てくれることに。私は家事や初めての育児を母に手伝ってもらいうれしかったのですが、夫は母との慣れない同居生活にストレスがたまったようで……。唐突に始まった新生児と母との生活母がイギリスに到着した次の日に、私は長男を出産。イギリスでは出産翌日の退院が一般的で、翌日から生後1日目の新生児と、母との同居生活が始まりました。同居生活が1週間ほど経過したころ、明らかにイライラしている夫に気づいた私。 聞くと、夫は母との慣れない同居生活に気疲れしていました。また、長男にイギリス流のお世話をする私たちに対し、母が良かれと日本流のアドバイスをすることにも、強くストレスを感じていたとのこと。 実際私も、「このアドバイスは違うな」と思うことはありました。夫は我慢してくれていたのですが、私は長男のお世話による寝不足で疲れすぎていて、解決を先延ばしにしてしまったのでした。 無言で出ていった夫…同居から約2週間たった週末の朝、何気なく夫に育児用ミルクのあげ方をアドバイスしていた母。すると母に注意され明らかにムッとした様子の夫は、バタン!とドアを閉め、無言で家を出て行ってしまいました。私は夫の行動にショックを受けながらも、母に今まで夫が抱えていた気持ちを打ち明けることに。 母は「私も口を出しすぎかもと思っていたの、ごめんね」と理解してくれました。夫は夕方に「友人と出かけている。夜に帰る」とやっと連絡をくれ、20時ごろ落ち着いた様子で帰宅。 その後私たちは、母に「アドバイスはうれしいが、私たちはイギリスの方法で長男を育てたい」と伝えました。私たちの気持ちを尊重してくれた母は「イギリスの方法で一緒に頑張ろう」と言ってくれ、以降、母と私たちは穏やかな雰囲気で過ごすことができました。 私は初の出産や長男のお世話に気を取られ、プチ家出させるほど夫を追い詰めてしまいました。他人同然の私の母との同居に戸惑う夫への気遣いが足りなかったと反省しています。家族といえども、気持ちをしっかり言葉に出して伝えることの大切さを、改めて実感した出来事でした。 著者:濱田よし
2024年05月05日主人公・はるかさんは、フルタイムで働きながら3歳の娘・かのんちゃんを育てるワーママです。地元を離れて結婚したこともあり、近くに友だちがいないことが悩みのタネ……。そんなある日、地元の友人・りささんから電話がかかってきました。りささんは地元で就職・結婚し、かのんちゃんより1歳上の女の子・ゆずきちゃんを育てているママです。そんなりささんが夫の転勤ではるかさんの家の近くに引っ越してくることになったのですがーー。カフェで話そうと友人を誘うと… 誰も知り合いがいない土地に友人がいるという心強さ再確認する、はるかさんとりささん。早速休日に遊ぶ計画を立てはじめました。 りささんは、手作りのお弁当を持ち寄ってピクニックをしようと言いますが、金曜日は残業が多いはるかさんは、お弁当を用意する余裕がありません。 盛り上がっていた休日の約束でしたが、はるかさんは急に不安になったのでした。 お弁当を持ち寄ってシェアを提案されましたが、各自自分たちの分を持参すれば、はるかさんも無理をせずに済みます。お互いに負担がかからないようにして一緒に遊べると良いですね。 著者:マンガ家・イラストレーター 神谷もち
2024年05月05日1番上の子が小学校に上がる6歳のときのお話です。小学校の入学準備で、コップ入れや体操服入れや上靴入れや手提げバックなどを手作りで用意することになりました。失礼じゃない?そこに、裁縫が得意なお母さんがいらして、そちらのお母さんに「うちの子の分も作ってもらえないか?」と尋ねるお母さんがいらしてびっくりしました。裁縫上手なお母さんは「生地を用意してくれれば作りますよ」とおっしゃっていました。有料でなら分かりますが、善意ではさすがにできないと思いました。 ◇ ◇ ◇ こんなことを頼む人がいることにびっくりしましたが、いろんな人がいることを学びました。私は人の時間を奪うような頼み事はしないように気をつけたいと思いました。 作画/まげよ著者:加藤里美30代、16歳、14歳、13歳の三兄弟の母です。アパレルパート勤務。
2024年05月05日長男が保育園に通っていたときのことです。長男が喧嘩をしてしまったお友だちのママに、取り急ぎLINEで謝罪をしたところ、数日たっても返事が来ません。返信もしたくないぐらいに怒っているのだろうかと、私はとてもショックでした……。 お友だちとの喧嘩の謝罪保育園で長男と仲の良いお友だちがいたのですが、時々喧嘩に発展してしまうことがありました。その日は、お友だちの手を払ったときに自分の手が思い切りお友だちに当たってしまい、頬にうっすらとあざができてしまったとのこと。 もうお友だちは保育園から帰ってしまっていたので、「今度直接謝罪をさせてください。本当に申し訳なかった」という内容のLINEをママ宛にすぐに送りました。しかし、何日待っても返事はきません。私は、もしかして思ったよりお友だちのけががひどく、返事もしたくないのかなどと考えてしまい、とてもショックでまた心配でした。 既読スルーだった意外な理由数日後、お友だちのママにばったり会えたのですが、目が合うなりすぐ、「本当にごめんなさい!」と言われ、思ってもいなかった状況に驚いてしまいました。その後続けてLINEを返せなかった理由を話してくれました。 そのママは、昔から片頭痛がひどく、日によってはテレビや携帯の光で吐いてしまうほどで、私からLINEが届いた日のあたりは特につらくて、数日寝込んでいたとのこと。 それから日が経ってしまったので、直接謝ろうと思い、時間があるときに待ち伏せをしてくれていたそうです。お友だちのあざもすぐ治ったようで、私もようやく直接謝罪ができてほっとしました。 返信が来なくて心配でしたが、私が送ったLINEはお友だちのママに気を遣わせてしまっていたようです。不安な日々を送るくらいなら、保育園のお迎え時間などを合わせて直接会ったり、またはお手紙を書いて保育園のロッカーなどに入れておいたりすることもできたかなと、あとから気付きました。直接会って話すことの大切さも実感し、便利なLINEにばかり頼っていたことを反省した出来事でした。 著者:朝嶋 なみか
2024年05月05日女の子が遊んでいると、ワンコ達が女の子のもとにやってきました。ゴロゴロしているうちに、一緒にお昼寝がしたくなってきた女の子。ワンコ達をどんな風にお昼寝に誘うのかな? ご機嫌なユウちゃん♪ パパと一緒に遊んでいたユウちゃん。ニコニコでご機嫌ですね♪ サンがやってきたよすると、そこへサンがやってきました! 一緒にお昼寝がしたくなってきたのか、近づいてきたサンにお昼寝用の毛布を使って欲しいようです。 「サン、はいどうぞ〜」と、毛布をかけてあげようとしています♪ しかし、どうやらサンは毛布はいらなかったようで逃げられてしまいました…。このやりとりもユウちゃんは面白かったようで、ニッコニコです♡ 「楽しそう…」と眺めていたのは!?そこへ…どうやら、ユウちゃんとサンのやりとりを見ていた様子のゴン。 自ら、毛布を持ってユウちゃんのもとに参上です(笑)何かを訴えていますね♪ 一緒にお昼寝したいな♪ ユウちゃんのすぐそばに寝てみます♪毛布もしっかり持っていますよ! そして、ユウちゃんもトランポリンの上でお昼寝モードに… サンも来たよ! サンもユウちゃんの近くに再び来てくれました!みんなでお昼寝するのかな? やっぱり毛布をかけてあげたい!すると… やっぱり毛布をかけてあげたくなったユウちゃん。ムクっと立ち上がり、毛布の準備です♪ それを見ているサン…(笑) 一緒にねんねしよー♪ サンに「一緒にねんねしよ♪」と再び毛布をかけえあげるユウちゃん。どうしても毛布をかけてあげたいんですね♡ ちょっぴり毛布の気分ではなかったようなサン。でも、ユウちゃんの愛情はたっぷりと受け取ってくれましたよ♪ ゴンにも♡ 更に、ゴンにも毛布をかけてあげるようです♪ ゴンにも愛情たっぷりのハグ付きです♡ゴンとサンのことが大好きなのが、こちらにも伝わってきますね。 元々、毛布をかけてもらいたかったゴンは毛布にも大喜びです! みんなで仲良くお昼寝だ♪ 毛布もかけたし、みんなで一緒にお昼寝ができそうかな?たっぷり遊んだので、みんなでたくさんお昼寝ができそうだね♡ YouTube「ゴンとサン」では他にも癒される動画がたくさんアップされていますよ。 ユウちゃんとラブラドールレトリバーのゴンとサンはいつも仲良し!どの動画もとっても可愛いですよ。3姉妹の微笑ましいやりとりはぜひYouTube(@gontosan)でご覧くださいね。※赤ちゃんが動物と触れ合う際には、必ず近くで大人が見守るようにしましょう。 画像提供・協力/ゴンとサン
2024年05月05日私の娘は小学3年生。思春期なのか最近は妙に秘密主義……。私が何か尋ねても、言葉をにごしてさっといなくなってしまいます。私の古いタブレットや衣類、化粧品などがなくなることもしばしば。うまくやっているつもりですが、娘が持ち出していることはわかっています。 お年頃で大人の使うものに興味を持つ気持ちは理解できますが、一度娘に話を聞く必要がありそうです。娘をリビングに呼び、きちんと顔を突き合わせ話し合うことにしました。ブラジャーが欲しいワケいくら家族でも、持ち主に断りもなく私物を持ち出すのは問題ではないか。欲しいものがあるのならちゃんと相談するようにと伝えると、娘は素直に謝ってくれました。 しかしそのすぐ後、娘は意を決したようにブラジャーを買ってと言い出したのです。私は予想外のお願いに驚くばかり……。 娘はまだブラジャーをつけるほど体が発達していません。とはいえ、すでにクラスの友だちの中にはブラジャーをつけている子がいるのかもしれません。もしかしたらそのことでからかわれているのかも……と思うといたたまれなく、次の休みに娘と一緒に買い物に出かけました。 娘の隠しごと下着売り場に着くと、娘は大人用のブラジャーを持ってきて、それを買ってほしいと懇願しました。私はびっくりし、こんな大きいものは娘に合わないと言ったのですが、まったく引き下がりません。 大人サイズのブラジャーを娘が使うとは思えません。ものがものなので私が「買わない」と言い張ると、ついに娘が折れて衝撃の告白をしてきたのです。 娘の話を聞いた私は、その足で近所にある家を訪ねることにしました。そこは昔、私の幼馴染が住んでいた家。彼女とは小学校低学年まで仲良く過ごしていましたが、ある日お父さんが事故に遭って他界。それをきっかけに、全寮制の学校へ転校したと聞きました。 しかし、その家からは紛れもなく大人になった幼馴染が出てきたのでした。 幼馴染の秘密実は彼女は転校などしておらず、彼女のお母さんが娘を心配するあまり、彼女を外に出すのをやめたというのです。うっかり外に行かせて、お父さんと同じように事故に遭ってしまったら……。彼女のお母さんが心配する気持ちもわかります。しかし、これはあまりに極端です。 彼女はお母さんを拒むことはせず、この20年間ずっと引きこもり生活をしてきたのでした。それでも心のどこかで「このままではいけない」と思っていた彼女。お母さんの目を盗んでコンビニに出かけていたとき、娘と出会い親しくなったのだそうです。 時が小学生で止まっていた彼女は、娘に心を開き、いろいろな話をしてくれたよう。娘は彼女の境遇に同情し、できることは協力しようと考えて私の私物を持ち出していたのでした。子育てに心配はつきものでも…そこまで話を聞いたら、私も黙ってはいられません。行政のサポートをフル活用し、彼女の社会復帰を手助けしました。今は彼女の強い意志もあり、少しずつ社会復帰への道を歩んでいます。 娘が事故にでも遭ったら……。幼馴染のお母さんのように、不安に思うことは私にもあります。それでも私は娘を信頼し、彼女が自分の人生を歩いていく姿を温かく見守り続けたいと思っています。 子育てに心配はつきもの。成長に戸惑うこともあれば、不安になることもあるでしょう。しかし、いずれは子どもも大人になり親の手を離れます。その日まで、適切な距離で見守っていきたいですね。 著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月05日年長の4月から新たな場所で療育スタート!Upload By プクティわが家の長男は4歳(年中)の時に軽度の知的発達症(知的障害)と診断され、夏頃から療育を受けていました。診断後に転園した保育園には療育施設が併設されていましたが、そちらには空きがなかったので順番待ちをしつつ、もともと通っていた施設で療育を続けていました。新年度になったタイミングで、保育園併設の施設に空きが出たので、年長の4月から新たな療育がスタートしました。その療育施設では「生活クラス」という身の回りのことに関して集団で練習するクラスに入りました。療育は週に2回、朝10時からお昼ごはんをはさんで午後2時までです。療育がある日も、朝保育園に連れて行けばそのまま先生が療育のクラスへ連れていってくれるので、帰りも通常通り保育園に迎えに行くだけで良く、非常に助かりました。ただ、通い始めの最初の2ヶ月間だけは、親も一緒に通所しないといけないという決まりがありました。療育の時間を嫌がる長男。つい口を出したくなった時、先生が……Upload By プクティ親子通所が始まると、普段は私と2人きりで過ごす機会があまりないせいか、長男はとてもうれしそうでした。つい甘えたくなってしまうらしく、療育が始まると何度も私のところへ来ようとしました。その都度先生に止められては癇癪を起こす……ということを繰り返し、全く療育に集中できていないようでした。癇癪を起こす長男への対応に、先生が苦労している様子が伝わって、私は焦ってつい長男に声をかけてしまいました。Upload By プクティしかし、先生との信頼関係を築くためにも、私からは長男に声を掛けたり手を出したりせず見ていてほしいと言われ、私はただただ泣く長男を見ていることしかできず、心が痛みました。療育はなかなかハード……内容は?Upload By プクティ療育の内容は、朝の支度から始まり、朝の会、その後リズム体操などで身体を動かしたり、天気が良い日には散歩に出掛けて公園で遊んだり。帰ってきても分刻みのスケジュールで、私も一緒になって遊んだり先生方の準備を手伝ったりとなかなかハードでした。親子通所にて得たものUpload By プクティそんなハードな親子通所でしたが、嫌なことと葛藤しながらも先生と頑張る長男の姿や、野菜嫌いなのに給食を完食するなどの成長が見られたこと、先生方が子ども達に対して決して怒らず、できるまで何度でもあきらめず向き合う姿勢や、声の掛け方を学べたことなど、得たものは非常に多かったです!療育で学んだことを夫と共有することで、夫婦共に家庭での長男への向き合い方も変わってきて、療育に通う前より穏やかに過ごせるようになりました。2ヶ月間の親子通所は、長男にとってだけではなく、保護者である私にとっても、本当に貴重な体験でした。執筆/プクティ(監修:森先生より)「ついつい手を差し出したくなるのを、ぐっとこらえて見守る」というのは、口で言うのは簡単ですが、実はとっても難しいことですよね。お子さんを思うあまりに先回りして手伝ってあげたくなるのが親心ですが、そうしてしまうと結果的にお子さんの成長の機会を奪ってしまうことになりかねません。プクティさんのように、怒らず、あきらめずに辛抱強くお子さんに向き合えると大変素晴らしいですね。親がどんどん手伝ってしまうのではなく、お子さんが「自立した大人になる」ためのサポートをしていくことに徹することができると、お子さんもぐんぐん成長していきます。療育は適切な接し方も学べて、親としての成長も期待できるのです。前の記事はこちら(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。知的発達症知的障害の名称で呼ばれていましたが、現在は知的発達症と呼ばれるようになりました。論理的思考、問題解決、計画、抽象的思考、判断、などの知的能力の困難性、そのことによる生活面の適応困難によって特徴づけられます。程度に応じて軽度、中等度、重度に分類されます。
2024年05月05日息子が泣き出すと、わが家のパパはいつもママ任せにして「おっぱい欲しがってるよ!」と言っていました。しかし、あることをきっかけにパパの固定概念が崩れたのです。今回はそのときのことをお伝えします。 産後は疲れやすさと寝不足で体がクタクタ息子はとてもかわいくて、ずっと見ていても飽きません。しかし、産後の体はとても疲れやすく、自分でもコントロールができないほど心まで不安定になっていきました。 おむつ替えや授乳に抱っこ、前かがみの姿勢を1日に何度も繰り返し、腰も首もガチガチ。息子がやっと寝て「さぁ休もう」と思ったらまた泣いてしまう……の繰り返しでクタクタでした。 赤ちゃんが泣く理由はたくさんある!生後3カ月ごろ、赤ちゃんが泣く理由として「おなかが空いた」「おむつを替えてほしい」などがあることは、わが家の新米パパも理解していたようです。中でも、おっぱいを与えると高確率で泣きやむと思っていた夫は、息子が泣くたびに「おっぱいだって!」と言い、すぐに私に抱っこを交代させようとしていました。 立って抱っこしてほしいとか、他にも理由があることを伝えても、夫には「ママじゃないと泣きやまない」という固定概念があって困りました。 おばあちゃんが抱っこしたら泣き止んだ実母や義母が息子に会いに来たときのことです。実母や義母が大泣きしている息子を抱いて、少し揺れながら室内を歩いているとピタッと泣きやみ、気持ち良さそうに眠りについていました。 その様子を見た夫が「あ、泣きやんだ……」とひと言。ママ以外の人に抱っこされて泣きやむ息子を見て、「おっぱいだけが理由じゃないんだ……」と、やっと理解してくれたのです。 パパはイクメンに、息子はパパっ子になってくれた!「赤ちゃんは、ママのおっぱいのにおいに安心する」という話を聞いた夫は、「それなら俺のにおいにも慣れたら安心するかな?」と、冗談まじりにも積極的に関わりを持つようになってくれました。すると、意思表示をし始める月齢の時期には、息子のほうからパパを求めるようになっていったのです。 その後、息子は夫が帰宅すると、かすかに聞こえるドアの音にもすぐ反応して、玄関まで出迎えるようになりました。さらに、初めて覚えた言葉も「パパ」で、どんどんパパっ子になっていきました。 息子が泣いたとき、少し見ていることもできなかった夫がイクメンになったのは、「ママじゃなきゃダメ!」という固定概念にとれわれなくなったことがきっかけでした。 イラストレーター/ムチコ著者:高橋四葉4児の母。自然分娩2回、帝王切開2回を経験。現在子育てに奮闘しながら自身の体験をもとにした記事を執筆中。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月05日私は保育士をしています。年長さんのクラス担任をしていたとき、子どもたちに「先生のおなかには、赤ちゃんがいます」と伝えました。すると、ひとりの女の子から核心をついた言葉が返ってきて……。大笑いした出来事です。 妊娠を子どもたちに伝えると…「いま、先生のおなかには赤ちゃんがいます。2人目の赤ちゃんになります」と年長さんの子どもたちに伝えました。 すると、ひとりの女の子から「上の子どももまだ小さいのに大変じゃん。でも出産はできるだけ若いうちの方が良いみたいだからね〜」と言われました。 年長さんなのに、おばあちゃん?のような発言。まさかそんな言葉が返ってくるとは思わず、大笑いしました。 ◇ ◇ ◇ 子どもって周りの大人が話していることを、意外とよく聞いて覚えていますよね。言葉本来の意味はわからなくても、ニュアンスで何となく理解していることも。なるべくお手本になれるよう、言動には気をつけたいですね。 イラスト/あやこさん著者:こんりんご
2024年05月05日息子の制服のシャツをクリーニングに出した。日々洗濯はしているけれど、シャツの色が白ということもあってかどうしても細かいシミや家庭では落ちない汚れが気になる…、のでここはプロに頼むことにした。ご近所のクリーニング屋さんマダムからのありがたいお言葉です。小学生は汚して当たり前!特に袖の汚れなんか勉強を頑張ってる証拠なんだから!とおっしゃっていた。息子が小学生になってから幼稚園のときと違い、まぁ本当に手首周りが汚れる。新品のシャツも1日で袖がビンテージ。袖が汚れるから勉強のときは腕をまくってくれとお願いしても、本人が「嫌だ」と言ったらもうそこで望みは絶たれてしまうのがさ…、悲しい…。そんな袖汚れに心底うんざりしてたところに「小学生の袖汚れは勉強を頑張っている証拠!」と言ってもらえて、ちょっと息子のシャツ汚れに対する見方が変わった。ちなみにこのクリーニング屋さんのマダムもお子さんが小学生の時やはり制服の汚れに悩まされていたみたい。でも子育てがひと段落して、こうしてクリーニングに出された小さい制服を見ると「子どもも頑張ってるなぁ…」としみじみ思うようになったんだって。やっぱりいつなんどきも先輩ママの発言は心に刺さるザマス。
2024年05月05日娘が2歳になる春、私たち夫婦は家の購入を考え始めました。義父母にその報告をすると、信じられない申し出があったのです。義父母との距離感を考え直した体験談です。マイホームの購入を検討家の購入を考え始めたのは、娘が2歳になるころのこと。結婚して5年目、2人暮らしなら問題なく暮らしていた2DKのアパートも、娘が成長するにつれどんどん手狭になってきていました。「そろそろ一戸建ての購入を考えよう!」と夫婦の意見は一致しました。 私の両親は隣の市に住んでいて、将来的には通いで老後をサポートするつもりでした。私たちが家の購入を考えていることを伝えると、「○○(娘)のために、頑張れ!」と喜んでくれました。 そこまではよかったのですが、問題は県外に住む夫の両親です。夫は長男でしたが、私の地元に進学して就職、結婚し、拠点を移したのです。こちらで家を購入するとなると、「家やお墓はどうなる?」、「老後はどうするの?」という話も出ないとは限りません。 義父母のどちらかがひとりになったら、わが家に呼び寄せることもあるかもしれない。そんなことも考えてはいましたが、まだ2人は若いのでそこまで切羽詰まった問題ではないはず。義父母に「こちらで家を建てようと思っている」と伝えると、拍子抜けするほどあっさり賛成してくれました。 新居の計画を進めるなか、義父母が訪ねてきて…それからは、土地探し、住宅メーカー、展示場めぐりなど忙しい日々が続きました。ようやく住宅メーカーが決まり、家の設計相談にかかるころ、アパートに義父母が訪ねてきました。 「楽しみねぇ。素敵な家になるでしょうね。○○ちゃん、いいわねー。大きなおうちに住めるのねぇ」。 娘に猫なで声で語りかける義母。嫌な予感しかしませんでした。「まさか、今さら同居の申し出か!?」と内心、身構えた私。しかし、続く彼らの言葉は私の予想をはるかに超えたものだったのです。 「私たちは、いずれ今の家を二世帯にリフォームするつもりだった。君たちは、そのうちこちらに戻ってくると思っていたからね。しかし、君たちがこの地に家を建てるのなら、その意思を尊重するつもりだ」。 ゴクリと唾をのみ、続きを待ちます。 「実は今、義妹の結婚話が進んでいる。義妹は私たちと一緒に住んでもいいと言っている。だから、義妹夫婦のために二世帯住宅を準備するつもりだ」。 ずいぶん急展開だなと思いましたが、私たちに口を出す権利はありません。とうに家を出て独立しているわけだし……。そう思った直後、ついに信じられないひと言が。 「そこでだが、大おばあちゃんを君たちの家で同居させるわけにはいかないだろうか」。 「……はい?」。理解がなかなか追いつかない私に、話を続ける義父。 「祖母と同居というのは、義妹たちにとって重荷だろう。幸い、大おばあちゃんは君たちのことを気に入っている。そうしてくれれば、君たちの家の資金援助もできる限りのことをするよ」。 ちょっと待ってほしい。この人は何を言っているのだろう? どうして新居に祖母を引き取らないといけないの? すると、大きく頷く義母の顔が見えました。そこで私は悟ったのです。 義父母の思惑義母は大好きな娘と(その夫と)同居できるから、そりの合わない姑をこの機会に追い出したいのです。でもそれはあんまりというもの。決して義祖母が嫌いというわけではありませんが、私たちにお世話を頼むというのは筋違いです。 あまりに唐突な申し出に鼻白んだものの、かえって冷静になり、「無理です」「私には大おばあちゃんのお世話はできません」「別に援助はいりませんから」を繰り返し、お引き取り願いました。夫があまり驚いていないことも私には驚きでした。 夫は「ダメ元で言いだしただけだよ。あんまり気にするな」と言いましたが、「いや、気になるわ!」と内心思っていました。結局、新築したわが家には夫と私と娘で入居。義父母の二世帯住宅には、両親と若夫婦が入りました。義祖母は古いかつての家にそのままいます。 それ以来、私にとって義父母は怖い存在です。夫の嫁になら何を頼んでもいい。義祖母のお世話もしてもらおう。そんなふうに考えていることを知って本当に衝撃でした。夫の両親とはいえ、引き受けられることとそうでないことがあります。今後はその境界線を守りながら接していこうと思ったのでした。 著者:青山 桜中学生女子と小学生男子、2児の母。ひっそりと在宅ワークをしながら、育児、介護、日常エッセイを執筆。
2024年05月05日