自信を失った子どもたちの居場所、そこでの子どもたちの変化出典 : 発達が気になる子や、イジメ、不登校などで自信を失っている子に、どうしたら自信を取り戻してもらえるのか?悩む親御さんは多いと思います。見守ることも1つの方法ですが、今回は、子ども達の可能性を広げる、様々な活動についてご紹介したいと思います。私の参加している親の会では、淀川キリスト教病院の医師、谷均史先生を迎え、ゆっくりお話する機会がありました。谷先生は奄美大島で、不登校や発達障害の子どもたちが集まる「おばぁの会」を支援しています。そこでの、子ども達の変化について教えてもらいました。会が発足した当初、たこ焼きパーティを企画したところ、とても盛り上がって人も集まるようになったそうです。ただ集まって食事をし、おしゃべりする場になったことで、子どもたちがイキイキし、それぞれ特技を発揮できるように。学校では集団行動になじめず、叱られて辛い気持ちを抱え、「死にたい」と言っていた子どもたちが、おばぁの会で自由に過ごすことで元気を取り戻していったそうです。先生に写真を見せてもらったのですが、子どもたちが思い思いのことを楽しみ、「安心して存在できる場があると、子どもってすごい力を出すんだなぁ」と感じました。様々な理由で学校にいけない子どもたちと、親たちが集まって、ごはんを食べよう!という『おばあの会』ができて五年。できた当時、大変な状況を抱えていたMITSUKIが知的障害者枠でバスケットボールの鹿児島県代表に選ばれました!よくここまで来ました!(谷均史)料理には、人と関わる楽しさがある出典 : 私の参加している親の会でも、おばぁの会のような活動をしているのか、聞いてみたところ、以前は料理教室をしていた時期があったそうです。そこで調理を教えてくれたA先生は、現在、障害者の料理教室をしています。A先生によると、重い障害がある人で、作業は一切手伝えなくても、その場にいるだけでニコニコとして、嬉しそうな表情を見たそう。それぞれの人が、自分のできることをして、全員で食べる。それだけでその場に、笑顔があふれるのだそうです。栄養士でもあり、ケースワーカーでもあるA先生から聞いて、印象に残っているのは、「お料理ってね、発達障害の方の訓練にもなるんですよ。いろいろな手順があって、どういう順番で取り組むか考えたり、材料を計ったり、手先も使いますし。やることがいっぱいあるから良いんです。そして何より、食べることは喜びで、人にも喜ばれるし達成感がある。それがいいところなんですよ。」という言葉でした。モノ作りは、子どもの自信につながることも出典 : 料理だけではありません。カバン作りなど、裁縫が趣味で、それが仕事に結びついた人もいます。引きこもっていたBさんは、裁縫が好きで作品を作っているうちに、注文が入るようになり、それで収入を得られるようになった方です。Bさんは最初、材料を全て母親に買ってきてもらっていたそうです。しかし、母親が選ぶものは、Bさんが思っていたイメージと全く違っていたそう。結局、自分で買いに行くようになり、そのつながりで、一緒に材料を選ぶお友達もできたのだとか。料理や裁縫に限りませんが、モノ作りというのは、人から評価を得たり、自己表現もできますし、子どもの自信につながるのではないか、と私は思います。娘がめずらしく興味を持ったモノ作り。しかし、そこに居た先生は…出典 : 不登校の娘が中1のときです。編み物カフェに誘うと「行ってみたい」と言い出しました。おばあちゃんに、カーネーションのコサージュを編もうと考えたようでした。しかしいざ行ってみると、編み物の先生は、娘が学校で嫌な思いをした先生に、外見がそっくりだったのです。最初は怖がって、おそるおそる聞いていた娘でしたが、何度「わからない」と聞いても、嫌な顔1つせずに教えてくれる先生に、安心できたようでした。家庭科の授業には出たことのない娘です。いろいろな編み方を駆使するコサージュ、果たして完成するのかどうか?心配でした。でも、集中力を発揮できたおかげで、みごと4時間で完成したのでした。生きる楽しさや自信は、好きなことで見つかるかもしれないUpload By ヨーコ帰り道に娘が言った言葉です。「編み物の先生は、私が何度聞いても怒らずに教えてくれた。すごく嬉しかった」学校で机に突っ伏していた姿を思い出すと、ちょっと泣きそうになりました。学校に行けないことで、自分を責め、自信を失っていた娘。少しでも何かに取組んで、自信を取り戻してほしいと願うのは、親の本音だと思います。そんなとき、娘が自分で「やってみたい」と言ってくれたことは、私にとって、とても嬉しいことだったのです。娘は「またあのカフェで編み物がしたい」と言っています。この頃には、料理にもチャレンジするようになりました。こうした体験を積み重ねて、生きる楽しさと力を身に付けてくれたら…と願っています。
2016年09月09日不登校の子どもと私が、卒業前に決めなければならなかったこと私の子どもは、中学1年生で不登校になりました。それから2年が経過し、中学3年生になったとき。進学についても落ち着いたと思った矢先、また決断を迫られる出来事がありました。それは、子どもの写真を卒業アルバムに載せるかどうか、そしてどうやって卒業式に参加するかです。また、アルバムに写真を載せるとしたらどう載せるのか、どこでどのようにして撮影するのかなども決めなければなりません。子どもとひとつずつ話し合い決める中で、本人も「自分は中学校を卒業するんだ」という心の準備もできてきたように思います。卒業までの道のりで、親子で悩んだ2つのこと先ずは卒業アルバムに写真を載せるかどうかを決めました。これは私の気持ちの方を優先させてもらいました。「今は必要と思わないかもしれないけど、いつか見たいと思った時の為に準備しておこう。」と子どもを説得したのです。少し強引だったかもしれませんが、子どもはすんなりと受け入れてくれました。写真を撮る場所は子どもが決め、学校に誰も居ない時間を見計らって校舎前で撮りました。私の思いを汲んでか、着たくなかったはずの制服を着ながらも、子どもは嫌がる事なく素直にカメラの前に立ってくれました。次はいよいよ卒業式についてです。学校からは、卒業式の参加の仕方について3つの方法が提案されました。1.通常通り、クラスメイトと共に参加する2.体育館後方から式を見下ろす形で参加する3.校長室で個別に卒業式授与を行う子どもには予測のつかない事は不安が強くなり、身体が動かなくなる特性があります。そのためなるべく学校から流れを聞いて資料にして、それぞれの参加の仕方について視覚的に分かりやすくしました。それを元に卒業式参加について、子どもと何度も話し合いました。悩みに悩んで、子どもは体育館後方から式を見下ろす形で「卒業式に参加する」と決めました。いよいよ卒業式に参加、でも…Upload By 多原美加卒業式は、体育館後方からクラスメイトを見下ろす形での参加にしました。私達が座る席には他にも、教室に入れない子が何人かいました。子どもは戸惑いながら椅子に座りました。式は粛々と行われました。クラスメイト達が頑張ってきた学校での成果が読み上げられ、私としては少し辛い卒業式でした。卒業証書授与の時には一人一人名前を呼ばれましたが、子どもは返事をすることはできませんでした。卒業式の後に待っていた、思いもよらない素敵な出来事Upload By 多原美加子どもは式ではうまく返事をできませんでしたが、式の後は素敵な出来事がたくさんありました。これまでの中学校生活で、子どもは特別支援学級に通っていましたが、交流級として通常学級の子どもたちと過ごすこともありました。卒業式の後はまず、その交流級での最後のホームルームです。子どもが交流級の教室に入るのを少し躊躇したので、私と先生が背中を押しました。クラスメイト達はその様子を驚いて見ていました。でも直ぐに察知したようで、他のお母さん方とともに暖かく見守ってくれました。最後の最後でクラスの机に全員がつき、そして全員揃っての集合写真を撮る事ができました。次に支援学級へ行き、お友達と過ごしました。とても暖かく楽しい時間でした。支援学級では卒業生が、ギターとキーボードと歌を使った記念コンサートを開きました。それは楽しく、私も心が熱くなりました。子どもは久しぶりにお友達に会ってとても恥ずかしかったようで、少し緊張していました。でも、とても楽しくすてきな時間を過ごしているようでした。時折見せる笑顔を手で隠していましたが、それでも楽しんでいるのが分かりました。それを見ていたら、私もとても幸せな気持ちになりました。そして最後に、学校からの帰り道では2人の同級生が声をかけてきました。「おい!多原!これやる!」と胸につけていた花のブローチを差し出しました。「元気で頑張れよ」と言い、帰っていきました。何だかじーんとしました。子どもは大事そうに、そのブローチを机の上に飾っています。卒業式で、私たち親子が得られたものこの一件で、子どもは、「勇気を出してやってみる」事の経験ができました。不安が強い子どもでしたけど、私も背中を押して良かったです。不登校の子どもが卒業式に参加するのは、とても勇気のいる事だったと思います。卒業式という節目に参加できたこと。お友達が暖かく迎えてくれたこと。それが何より嬉しかったです。
2016年08月07日不信感でいっぱいの私が「親の会」とつながるまで出典 : 「親の会」という言葉を聞いたことはありますか?聞いたことはあるけれど、一体どんなところなのかはよくわからないという方も多いと思います。あるいは「気になるけど、つながる勇気が出ない」方もいるかもしれませんね。私もそうでした。私の娘は小学2年生の3学期から不登校。それまで、子育てで抱えていた不安な気持ちを共有できる場も無く、1人で抱え込んでしまった私はしばらく病院に通いつめたり入院したり、学校側の説得に心折れそうになったりと、辛い日々を過ごしていました。当時は誰かとつながりたいというより、「誰にも会いたくない」という気持ちが強かったように思います。娘が小4の頃、少しずつ状況が落ち着いてきましたが、学校関係のママ友とは話が合わなくなっていた私。ようやく少しずつですが、同じ悩みを持っている人とつながりたいと思うようになりました。最初はネットを使って親の会を探しましたが「何を聞かれるのだろう?」「どんな人がいるのだろう?」という不安から問い合わせるのが怖くなり、電話をかけることができませんでした。娘の不登校問題でこれまで学校と交渉を続けてきた私は、心身ともにヘトヘトだったのです。その頃にはすっかり学校不信、人間不信に。そんな中、偶然通っていたカフェの店長さんが親の会の世話人をしている人と知り合いだったことを耳にしました。こんなチャンスはめったにありません。信頼できる人の紹介なら安心できると思った私。ぜひ紹介してほしい!と世話人の方を紹介していただきました。その世話人の方を通じ、地域の交流会に参加することになったのです。不登校に悩んでいる家族は、私はひとりじゃなかった出典 : 会場は地元のコミュニティーセンターの会議室でした。常連という感じの人や、私と同じ初めての方もいて、開放的な雰囲気に安心しました。参加者の構成は、・不登校の子どもを持った保護者・世話人(親の会OB)・アドバイザーとして学校の先生(退職した先生・現役の先生)この3つでした。順番に自己紹介を兼ねて自分の子どもの近況や、このごろ悩んでいることなどを話していきます。子どもの学年ではうちが1番下で、中学、高校、高校をやめて引きこもっている子どもなどの話も次々と出てきました。基本的にみんな聞き入る姿勢ですが、アドバイザーの先生から「学校の反応はどう?」など質問やアドバイスをもらうこともでき、「わかる!うちもそうだったよ」、「すごい、頑張ったんだね」という温かい反応ばかり。そして自分の番になったとき、「ああ、こんなに無条件に私の話を受け入れてくれる場は初めてだ」と感じました。長い話になってしまったのに、みんな熱心に聞き入ってくれて、涙ぐんでくれる人までいて嬉しかったのを覚えています。「こんなに仲間がいたんだ。私はひとりじゃなかったんだ。」と思った瞬間でした。講演会やイベントなど、大人も子どもも交流できる場がたくさん出典 : 大人たちの交流会の間、子どもたちの交流会もあります。別室で集まってみんなでお菓子を食べたり好きな漫画の話をしたりと、見守りの先生がいる中で楽しそうに過ごしています。また、交流会では講師を招いて講演を開くこともあります。不登校の相談にのっている先生や、ご自身が不登校で今も仕事で壁にあたりながら頑張っている当事者、私たちと同じ親の体験談などいろいろな話を聞くことができます。私が参加している会は全国規模なので、都道府県単位の集まりのときには大学の先生などの講演もあります。飲み会やお茶会などもよく開かれていて、「同じ悩みを共有する仲間同士」みんなで気楽によく喋り大いに発散しています。登校拒否・不登校問題全国連絡会親の変化は子どもの変化につながっている出典 : これまで参加してきて、先輩の保護者からよく耳にしたことは、「子どもではなく『親が』変わった」「子どもと話が通じるようになった」「家の中の緊張感がなくなってきた」ということです。他の参加者と情報交換し、自分の気持ちも受け止めてもらえると親もどんどん変わるようです。受け止めてもらえることで親の不安も減り、それが子育てへの自信や安心感につながります。そんな親の変化を見て子どもも変わるんですね、きっと。ネットでも親の会は探すことができますし、新聞にも地域情報として載っています。事前申し込みはいらないところがほとんどですので、気が向いたら行ってみてはいかがでしょうか?お勧めです。
2016年08月01日子どもが不登校になった場合、学校との対応をどうするべきか悩む人もいることでしょう。勉強のフォローや行事の参加、給食の止め方など、わからないことがたくさんあります。私の実体験をもとに、担任の先生や学校、心療内科医との連携方法をお伝えします。■子どもと先生の伝言係に徹する不登校になったとき、休みの日や外では友だちと遊ぶけれど、平日は先生や友だちに会いたがらない子どもは多いと思います。私の子どもも、友だちや先生がプリントを持ってきてくれたのに会いたがりませんでした。そこで、先生にお願いしてプリントはポストに入れるようにしてもらいました。子どもが先生と話すのをいやがる時期には、電話も控えてもらいました。何かあれば、私が学校へ行って用事を済ませることも。学校行事も、先生や友だちから直接誘うのではなく、私を通して伝えるようにしました。先生とは、初めは電話でやりとりしていました。しかし、タイミングが合わなかったり、子どもがいる場で話しにくいこともあったりしたので、LINEでのやりとりに変更。良い方法ではあるものの、学校によっては特定の保護者とのSNSは禁じられている可能性もあります。事前に確認するといいでしょう。■心療内科医から説明してもらう先生とのやりとりで迷うのが、「どこまで介入してもらえばいいのか」ということ。子どもが学校の話題をいやがっているときは、先生からの接触も控えてほしいというのが本心です。しかし、先生も一生懸命なため、様子を伺う電話をくださいます。親も先生からの説得に気持ちが揺らいでしまうことも。子どもに「学校は行っても行かなくてもいいよ」と言ったのに、翌週には登校をほのめかすなど、あやふやな態度になってしまう場合もあります。とはいえ、先生に「電話しないでほしい」とはなかなか言えません。そんなときは、心療内科医に子どもの状態を診断してもらい、学校へ直接連絡してもらえると安心です(心療内科医とのかかわり方については こちら をごらんください)。我が家の場合、心療内科医から担任の先生に電話で説明してもらいました。学校との連絡をすべて遮断したおかげで、子どもの情緒も安定したようです。その後も学期はじめなどのタイミングで、先生に電話してもらいました。後日、担任の先生から、「子どもの状態を説明してもらうことで、かかわり方がわかって安心した」と聞きました。家庭と学校、心療内科医との連携はとても大切だと感じました。■先生との間でルールを決めておくといい学校を長期間休むと、気になるのが勉強です。塾だけでも行けるのならいいですが、それでも学校へ行けないと勉強もストップしてしまいがちです。我が家の場合は、子どもの状態が落ちついてから、先生が勉強を見る機会をつくってくださいました。週に1時間、放課後ほかの生徒たちが下校したあとの時間帯です。登校時は私も付きそい、勉強が終わるのを待って一緒に帰りました。給食は学校側の内部手続きがあるため、すぐには止められません。はじめは日割りで計算し、翌月からは月単位で確認しながら止めてもらう手続きをしました。学校には給食や行事など、事務的な手続きも意外と多いものです。そのつど先生と連絡を取り、来月も連絡しなければ給食は停止のまま、行事は3週間前までに出欠を連絡するなど、ルールを決めておくとお互いに楽です。学校や担任の先生によって、対処方法はさまざまです。しかし、子どもに無理強いすることなく、子どもを守りながら状況を改善できることはあります。今回は、その一例をご紹介しました。
2016年07月27日「学校に行かなくても、自分の道はみつけられる」−吉開拓人(高校生エンジニア)現役高校生でありながら、エンジニアとして「株式会社ウィンクル」というIT企業に勤務、「Gatebox」というホログラム映像を使ったコミュニケーションロボットの開発に携わり、数々のコンテストでの受賞経歴もある吉開さん。株式会社ウィンクルそんな吉開さんには、3年半ほどの不登校経験があります。「当時の経験が今の自分をつくっている」と力強く語る吉開さん。不登校になってから、エンジニアとして活動するまでの道のりをうかがってきました。「学校に行く意味がわからない」―小さな疑問からはじまった不登校時代Upload By 発達ナビ編集部編集部: 現役高校生でありながら、エンジニアとしても活躍されている吉開さんですが、不登校の時期があったとお聞きしました。そのときのきっかけは何だったんでしょうか?吉開さん: 何か大きなきっかけがあったわけではないのですが、一番の理由は学校の空気に窮屈さを感じていたことでしょうか。中学に上がると急に受験に向けた詰めこみ教育がはじまって「何のために勉強してるのかわからないなぁ」と悩み始めたんです。勉強やスポーツが特別出来る方じゃなかったので、気づいたらドラえもんの「のび太くん」状態になってましたね。あとは、中学生特有の人間関係というか、学校の中に流れるギクシャクした雰囲気も苦手でどんどん嫌気がさし始めたんです。編集部: 大きなきっかけがあったわけじゃなかったんですね。吉開さん: そうなんです。特にいじめがあったとか家庭環境が悪かったというわけではなかったですね。だけど、中学生になって半年経ったところで「1日、ちょっとずる休みしてもいいかな」って気持ちがもたげてきて。そこで学校をサボってみたんです。一度「えいっ」と休んじゃうと心のハードルが下がるんですよね。そのまま1日、また1日と休む日が増えて、気付いたら中学1年の秋頃から不登校になってました。出典 : 編集部: そこから始まったんですね。吉開さん:はい。16歳まで、約3年半ほど続きました。だから中学は最初の半年だけしか行ってないです。編集部: どんなことをして過ごしていたんですか?吉開さん: 最初はゲームばかりして過ごしていましたね。別にゲーム好きじゃなかったんですが、何がしたいのか思い浮かばなくて暇つぶしでやってました。その時は家からぜんぜん外に出なかったので、親以外との交流もほとんどありませんでしたね。編集部: ちなみに、そのときご両親との関係は?吉開さん: 不登校になってから、仲が悪くなりましたね。母は「休んだらいいんじゃない?」と言ってくれていたのですが、父は早く学校に行かせたいという気持ちが強かったみたいで。それが原因でよく喧嘩をしてました。「父のおかげでとことん好きなことに向き合うことができた」Upload By 発達ナビ編集部編集部: そんな中から、エンジニアを目指すようになったんですよね?吉開さん: はい。実は、エンジニアになったキッカケは、父の一言だったんです。編集部: あ、そうなんですか!吉開さん: そう(笑)不登校になってからの1年間、ずーっとゲームをしてたら、父が「そんなにゲームをやるなら、自分でつくってみれば?」って言ったんです。“ゲームをつくる”っていう言葉にすごく惹かれて、それを境にプログラミングの世界にどっぷりはまりました。編集部: お父様の一言が今につながってるなんて、すごいですね。吉開さん: ほんとですよね。父には今でもとても感謝してます。プログラミングを始めると言ってから、勉強に必要なものは惜し気なく与えてくれました。今までに専門書は60冊くらい買ってもらいました。編集部: 60冊!?Upload By 発達ナビ編集部吉開さん: 「プログラミングを始めるぞ!」と決意してからは、父が買ってくれた本を片手にずっとひとりで勉強していましたね。編集部:独学で勉強していたんですか?吉開さん: はい。ずっと独学。自分のペースで勉強していました。編集部: ネットの掲示板やコミュニティで交流しながら勉強、という事も特になく?吉開さん: そうですね。情報収集のためにエンジニアのコミュニティを利用することはありましたが、他のプログラマーとの交流はしませんでした。僕の場合は、周りに左右されず自分のペースで勉強を進めるのが合っていたんだと思います。編集部: まっすぐ好きなことに向かえる環境にいられたということですね。吉開さん: そうですね。そういう点でいうと、僕は不登校という環境を選べてよかったと思っています。自分のやりたいことを自分に合ったペースで探求できたのは、不登校になったおかげだとおもっています。もし学校にそのまま通っていたらエンジニアも目指してなかったかもしれませんね。編集部: お父様からのサポートや、ひとりで勉強できる環境…いろいろなことが重なってエンジニアとしての道につながっていったんですね。吉開さん: はい、その中でも父のサポートは大きかったですね。学校にいかなくても自分なりの道がみつけられたのは、僕がプログラミングだけに集中して取り組めるように環境を整えてくれたおかげだと思います。自分にぴったりの高校に出会い、学校に通いながらエンジニアの道へ出典 : 編集部: そのあと高校に進学されましたよね。高校へ行こうと思ったのはいつごろからなのでしょうか?吉開さん: 実は、高校に行く年齢になっても、まだ学校には行きたくない気持ちの方が強くて1年ほどのんびりしていました。だから僕、みんなより1年遅れて高校に入学してるんです。そのときは行きたいと思える高校がなかったんですよね。編集部: という事は、逆に言うと今の高校は吉開さん自身が「行きたい!」と思えた…?吉開さん: はい。行くならこの学校しかない!と思ってすぐ願書を出しました。正直、この高校に入学してから人生が変わりましたね。今通っている学校は、「プログラミングの授業が必修」という謳い文句に惹かれて入学を決めました。それに、通信制高校なので自由に使える時間が多いんですよ。学校側も、外で自由に活動することを推奨していました。編集部: 自分のやりたいことにマッチした学びができるというのは、素敵ですね。Upload By 発達ナビ編集部吉開さん: うちの高校は面白い人が多くて、企業でインターンしている人、エンジニアとして働いている人や学生団体をたちあげる人…いろいろな人がいますよ。高校に入ってから活動的な人たちと交流することも増えていって、そこからどんどん外でやっているイベントに顔を出すようになりました。いま働いている会社に出会ったのも、この時期に参加したイベントがきっかけだったので、高校に入ったことは大きな転機だったなぁと思います。編集部: なるほど。高校に入ってからの出会いが転機だったんですね。吉開さん: 本当に、不登校の時代からは考えられないくらい毎日がガラリと変わりました。あの頃とは真逆で、家にいる時間はほとんどなくて、必ず外に出て何かをやってますね。学校や仕事を通じて、自分が成長している実感があることが楽しくて仕方がないんです。周りの人たちも自分のやりたいことに向かって目的を持って行動しているから、その環境の中に身を置けて良かったと思っています。学校法人信学会 コードアカデミー高等学校これからの社会に必要なのは、子ども達それぞれにあったサポート体制をつくること出典 : 編集部: これから大学進学が待っていますね。大学生になってから挑戦したいことはありますか?吉開さん: 僕には大きな目標が2つあるんです。ひとつは、コンピュータサイエンスの技術を活かした、モノづくりのサポーターになること。もうひとつは、不登校だったり学校での生きづらさを感じている子どもたちのための、教育支援の仕組みをつくること。これまでの仕事を通じて、自分の技術で人をサポートできるようになりたいと思ったんです。モノづくり自体が楽しくして仕方がないので、「誰かのアイデアをどう実現できるのか」を考えて実行できる人になれたらいいなと。そのためにもっと技術を身につけていきたいです。子ども達の支援も、自分と同じような境遇の人たちをサポートするにはどういう仕組みが最適なのかを考えたいと思います。学校教育を変えるとなると難しいかもしれないけれど勉強カフェのような溜まり場や塾みたいなものを作っていけばいいかもしれない…というようにアイデアを練っていきたいと思ってます。編集部: 素晴らしい目標ですね。そんな吉開さんがこれまでを振り返って、今、同じように不登校を経験している人に何を伝えたいですか?吉開さん: 一旦不登校になると、なかなか戻れないというイメージって強いと思うんです。でも不登校になってみてわかったんですが、出来ないことってそんなにないんですね。僕の他にも同じような環境から自分のやりたいことを見つけて活躍している人はたくさんいます。とくに今やりたいことがないという人には、少しでも興味のあることにはどんどんチャレンジしてほしいです。三日坊主になってもいいので、興味をもったらまずやってみることです。僕の場合は、色々と経験することで本当に自分に向いていることが見えてきたので、思い切ってチャレンジしてみるというのはいいのかもしれません。Upload By 発達ナビ編集部吉開さん: それと、お父さんお母さんには、その子が思いっきりチャレンジできる環境をつくってもらいたいです。父が一生懸命に取り組めるような環境を整えてくれたから今の僕があると思っています。だから、興味を持ったものを学ぶためのサポートをしてもらえれば、安心して自分の道を突き進むことができるんじゃないかなぁと思うんですよね。編集部: 最後に、吉開さんの考える「これからの学校や社会で必要だと思うもの・変えていきたいもの」を教えてください。吉開さん: 今ある学校に適応できなかったら失敗、という、ひとつのレールに子どもを乗せていくような教育観が変わっていけばいいなと思っています。好きな事には夢中になって取り組めますし、仕事にできるくらい極められるようになると思うんです。そういうふうに、型にはまった勉強以外にも子どもたちそれぞれの好奇心や意欲を活かせる場所をつくってあげれば、自立して社会で活躍する人材が育っていくんじゃないかと考えているんです。だから、学校の中に生きづらさを感じている人がいたら、その人たちの悩みに寄り添いながら、それぞれの「なりたい・やりたい」を実現できるような体制作りが必要だと思っています。出典 : 吉開さんは終始、物腰柔らかな受け答えをしつつも、自分のなかで育てた価値観を真正面から伝えてくれました。会話の中で印象的だったのは、お父様への感謝の言葉が何度も出てきていたところ。「本人にあった支援は何か」を考え続けられてきたからこそ今の活躍があるのだと思わずにはいられません。「学校に行かない」という選択から、不登校である時期を「自分にあった生き方を探す時間」として向き合ってきた吉開さんだからこそこれからの社会に必要なサービスを生みだしてくれそうだと、そう思わせてくれるほどに芯をもった方でした。
2016年07月21日疲れ切った心を癒す夏休みUpload By ヨーコ子どもたちの大きな楽しみの1つ、夏休み。それは不登校の子どもにとっても同様です。娘は不登校になってからというもの、本当に疲れ切って、どうしようもなくなって、体も心も動かなくなっていきました。それは、ただ「学校に行きたくないから」という理由だけではありません。行けなくなったときにはもう、エネルギーはマイナス状態になっていました。そんな娘にとって、夏休みはエネルギーをたくさん貯め込むチャンスかも!と私は考えました。楽しい気持ちの貯金をたくさんさせてあげたい!Upload By ヨーコ普段は「自分だけサボっている」と引け目に感じていても、夏休みはみんなも休みなので安心して友達と遊ぶことができました。娘は小2で不登校になりましたが、小3まで夏休みは一生懸命友達と遊んでいました。それくらいの年ごろまでは、友達もまだ無邪気で付き合いやすく、屈託なく遊ぶことができたようです。友達付き合いに困難さを抱えていた娘ですが、やはり「心の中では1番友達を求めていた」のだな、と感じました。楽しく遊ぶ姿を見て、「学校は行けないのに遊びには行けるのね」「これだけ元気なら2学期からは学校に行けるよ」といった学校と結びつける言葉をつい言いそうになりますが、私は言わないようにしていました。その言葉を聞いたとたんに、元気になった心もしぼんでしまうと思ったからです。また、楽しい気持ちの貯金をたっぷりさせてあげたい気持もありました。母子でキャンプに行きましたUpload By ヨーコ子どもの様子を見て、行けそうなら家族でレジャーに出かけるのもおススメです。我が家は母と娘の2人で、親子キャンプに参加しました。同じ学校からの参加者もいませんし、青少年スタッフたちもプロフェッショナル、私たちは安心して参加できました。着いてすぐに事情を話し、いろいろと配慮してもらいました。さりげない声掛けで娘は他の子たちと仲良くなったり、夜は親同士の飲み会に私だけ参加したり、プログラムに疲れたら2人で部屋で寝ていたことも。親子ともにリフレッシュできました。宿題など学校との関わりは?Upload By ヨーコとはいえ、不登校になって初めての夏休みは遊んでばかりもいられませんでした。プールや登校日、そして大量の宿題と、学校のイベントは盛りだくさん。当時、「娘に無理をさせない」という私の意志を貫き通すことができず、引きずられるようにして登校していた娘。宿題はすでに勉強が追い付けなかったのでほとんどできませんでした。その結果、2学期から完全に学校に行けなくなってしまったのです。この教訓を活かし、娘が4年生の時から宿題を含め、私は一切お断りして自由に過ごせるようにしました。学校へは戻れなかったけれど、おかげで夏休みにおびえることはなくなりました。勉強はいつでも取り戻すことができますが、子どもにとっての夏休みという時間は2度と戻っては来ません。娘にはせっかくの夏休み、思いっきり楽しんでほしいと思っています。楽しめる年齢はあっという間に過ぎてしまいますから。学校に行くタイミングは見守りたいUpload By ヨーコ楽しかった夏休みがいざ明けても、私は「きっとすぐ学校には行けないだろうな」と考えていました。不登校に至るまでにすり減ったエネルギーは、そう簡単には回復しないと思ったからです。不登校によって自責の念を背負った娘には「学校にも行けなくても大丈夫」「あなたは生きているだけでいい」、「親はいつだって見守っている」と思いながら接していました。不登校児を抱えた親御さんの中には、2学期を節目と考える方もいるかもしれませんが、子どもにとって節目はそれぞれです。高校進学が節目になる子もいれば、もっと早い段階で戻る子もいるでしょう。その子にとってのタイミングは1人ひとり違うと私は考えています。大人の都合で急かしたりせず、子どもにとってベストなタイミングを暖かく見守りたいものです。Upload By ヨーコ子ども達と素敵な夏休みを過ごしましょう!いつか心閉ざす時期があっても、家族との楽しい思い出は「子どもの心を支え、家族を信じる力」につながると私は考えています。夏休みにためたエネルギーはきっと将来の力になると私は信じています。
2016年07月15日子どもは不登校になると、1日中ダラダラしたり、無気力になったりします。親はそれを見て、勉強が遅れたらどうしよう、大人になって人間関係が築けなくなるのでは? と不安を抱くものです。しかし、頭ごなしに叱りつけたり、原因を追究したりするのは逆効果です。不登校の子どもへのNGな声かけとその理由、親としての心構えについて体験を交えてお伝えします。■不登校の子どもにかけてはいけない言葉不登校になった子どもは、ダラダラとゲームをしたり朝起きられなくなったりします。親は不安になってさまざまな本を読み、インターネットで調べて解決策について勉強します。そして、責めたり無理強いしたりしてはいけないことを知ります。子どもにかけてはいけない言葉の代表例は、学校へ行きなさいどうして起きられないの?勉強が遅れるわよゲームばかりしてわかってはいるものの、学校へ行ってほしいのが本心です。その結果、「無理して学校へ行かなくていいのよ」と言う一方で、「1ヶ月だけ休んで、来月から行ってみようか?」。「そのままでいいのよ」と言いながら、「勉強は遅れないほうがいいわよね」と矛盾したことを無意識に口にしてしまいます。子どもは親の気持ちを敏感に感じとります。そして、「本当は早く学校へ行かせたいんだな」と見透かします。■子どもは自信を失い、不安でいっぱい子どもも本当は学校へ行きたいと思ってはいるものの、同時に行きたくない気持ちもあって葛藤しています。自分の気持ちが分離してわからない状態です。そんな自分をふがいなく思い、自信をなくしています。勉強の遅れを心配し、「友だちからどう思われているのだろう」という不安もあります。「どうせ自分はダメな人間なんだ」「みんなが普通にできることが自分にはできない」と卑下する気持ちもあります。そんなところへ親が勉強の遅れを心配したり、登校をうながしたりしたら、「やっぱりお母さんは自分の気持ちなんてわかってない!」という反発心ややるせなさ、悲しさ、怒りがわいてくるのです。■親が考え方を変えれば子どもは前に進める私はあるときから、子どもは学校へ行かなくても大丈夫だと思うようになりました。私自身がフリーランスになってから、高校を卒業していなくても社長として成功している人や、フリーランスとして才能を生かして生活している人に何人もめぐり会ったからです。もちろん学校でしか経験できないこともありますが、大人になってからちがう形で経験できることもあります。学校には行ったほうがいいけれど、私が一番に願うのは、子どもが将来ひとりで働いて食べていけること、精神的に安定して成長することです。まず親が「この子は学校へ行かなくても大丈夫」と心から信じること。そうしなければ、子どもにも伝わりません。子どもは自分の不登校を認め、現状を受けいれることで「いま何をするべきか」が見えてきます。目標を「学校へ行く」ことから、生活を改善することや好きなことを伸ばすなど、自分ができることへ変えましょう。達成するたびに自信が積みかさなり、やがて大きな目標達成にもつながります。「学校へ行けない」ことにこだわるのではなく、親子でできることを探してゆっくり成長することが一番大切だと私は思っています。子どもの不登校に悩んでいる方も、あせらず、見守ってください。
2016年06月18日子どもが学校へ行かないと親は不安になるものです。つい、あれこれ聞きだそうとしたり、アドバイスしたり、なんとか登校させようとしてしまいます。しかし、親があせるほど子どもは殻に閉じこもり、口を閉ざしてしまうもの。私が実際に心療内科の先生からいただいたアドバイスをヒントに、不登校の子どもにどう寄りそい、コミュニケーションをとればいいのかをお話しします。■子どもは親にただ理解してもらいたい「学校で何か嫌なことがあるの?」「どうして学校へ行かないの?」子どもの気持ちが知りたくて、ついそんな質問をしてしまいがちです。しかし、子どもは「責められている」としか受けとれないようです。子どもが親に求めているのは、いまの自分を受けとめて理解してもらうこと。子どもは自分が学校へ行けないことへの罪悪感や不安感を抱いています。心療内科の先生によると、理由を詮索するより、まずは子どもを安心させてあげることが先決だそうです。■子どもの気持ちを理解する方法まずは、お母さんが笑顔になることです。子どもに安心してもらうのが先で、気持ちを理解するのは次の段階です。お母さんがニコニコしていれば、それだけで子どもの気持ちは安らぎます。いくら「大丈夫よ」と言っても、こわい顔をしていたら、子どもは「怒られている」と受けとめてしまいます。私は鏡を見て笑顔をつくってから子どもと接するようにしました。そして、理由を詮索するのをやめて、「学校に行きなさい」と言わないようにしました。家は安心できる場所で、自分の居場所がここにあると思ってもらうためです。■共有するということ次に、子どもと一緒にいる時間を増やして、たくさん会話をするようにしました。私は家で仕事をしていましたが、仕事中は一人で部屋にこもるため、なかなか子どもと話す時間を持てませんでした。夕方6時以降はいっさい仕事をせずに、必ずリビングかキッチンにいるようにしました。子どもと100%向きあい、話を聞くためです。共有スペースで子どもと同じテレビを見て、たわいない会話をして、子どもが話しやすい雰囲気づくりを心がけました。すると、テレビの話題だけでなく、少しずつ不安やグチなども話してくれるようになったのです。安心できる場所としての基盤をつくり、親に十分受けいれられていると感じる体験を重ねることで、「自分は親に理解してもらっている」という改善への糸口をつくることができました。安心感を与えること、時間を共有することが大事。心療内科の先生に言われたとき、「そんなことわかっている」と思いましたが、頭でわかっていても全然できていませんでした。お母さんが笑顔で接し、無条件で受けとめ、ささいなことでも共感することがとても大事です。インターネット上で友だちができたことを打ちあけてくれたとき、「それはよかったね」と肯定したひとことで、子どもの顔がうれしそうに輝いたことを覚えています。これからも、心療内科の先生の言葉を忘れずに、子どもに寄りそいたいと思います。
2016年06月17日子どもは学校へ行って当たり前と思っていませんか? でも、もし突然子どもが「学校へ行きたくない」と言い出したら、あなたはどうしますか? 不登校は誰もが直面し得るもの。そのとき、親はどうすればいいのでしょうか?実際にわが家で起こった体験をもとに、前兆から不登校、そして再び学校へ行くようになるまでを振り返り、その時々の子どもとの接し方や、親としての気の持ち方についてお伝えします。■前兆は「お腹が痛い」わが家は共働きです。息子が0歳の頃から保育園に預け、私はフルタイムで働いていました。今思えば、前兆は保育園の頃からありました。息子はもともと集団に馴染めない性格で、1人でいるのが好き。とは言え、誰とでも別け隔てなく遊ぶこともできました。しかし、その反面、神経質なところもあり、何かあるとお腹が痛くなったり、微熱が出たり。そのため、たびたび会社にお迎え要請の電話がかかってきました。私はその都度、息子を病院に連れていっていましたが、そのうちに、「これは本当に体調が悪いのではなく、かまってほしいのだな」と気づき、それからは、そういうことのあった日は半日休むようにしました。働くお母さんがたぶん、みんなそうであるように、子どもと一緒にいる時間が少ない分、密度の濃いコミュニケーションを心がけるようにしていたのです。「お腹が痛い」は小学生になってからも、時々ありました。小学校1年生の後半からたびたび起こる息子の朝の腹痛。痛みに歪んだ顔で私を見上げ「お母さん、お腹いたい…」。病院も何ヶ所も行きました。いろんな検査もして、レントゲンも取りました。しかし、どれも「異常なし」。イベントや行事などのいつもと違うスケジュールには特に弱く、楽しみな気持ちと同時に、不安も大きくなってしまい、ドキドキが体の症状=腹痛として出てしまっていたのです。そのため、遠足や運動会は、いつも途中参加かお休みでした。 ■体の症状はSOSのサイン進級し、小学3年生になってからは、今度は「頭痛がひどい」と言い出し、神経内科にも行きました。起立性障害と診断されたことも…。そして、ついに頻繁に学校を休むようになりました。でも、学校からは「なんとか登校させてください」と言われ、プレッシャーがかかります。私も「学校だけは行かせなければいけない」と思っていたので、なだめすかして、なんとか登校させようとする日々。学校とも連携を取り、息子をあの手この手で説得しようとしました。息子も理屈ではわかってくれますが、やっぱり腹痛が起きてしまいます。むしろ、親がムキになればなるほど、病状は悪化する一方です。そして、子どもは親の期待に応えられない自分を責め始めます。そのうち、頭痛以外に、別の症状も現れ始めました。病院もいくつも変えました。けれど、なかなか良くなりませんでした。息子も登校したい意志はあるのに、朝になるとひどくお腹を壊すという、体と心が分離しているような状態。もう息子本人もコントロールできない、心の底からのSOSのサインでした。 ■やっと待望の心療内科へ小学5年生になったとき、都立総合小児病院に初めて行き、体の異常がないことを入院検査で確認し、3ヶ月予約待ちをして、やっと待望の心療内科にかかることができました。その頃には、息子の口からついに「学校に行かなきゃダメ?」という言葉が出ました。私も「嫌な体験をずっと繰り返すより、一度じっくりまとめて休ませたほうがよいのでは?」と思っていたので、ひとまず1ヶ月間休ませることにしました。その後、心療内科の先生と相談し、学校に関しては無理強いせずに、家でゆっくり治療に専念することになりました。まずは、「家は安全、家は本当の自分を出せる場所」という体験をさせ、そのあと少しずつ外(学校や社会)へ出ていくという手順が必要だったのです。先生から「1年~2年かかることは覚悟して、じっくり治療しましょう」と言われました。私は会社に相談し、勤務時間を減らしてもらい、週に一度は息子と一緒にカウンセリングに通いました。親の私がすることは、無条件で子どもを受け入れること。甘えてきたら「もう大きいんだから」と突き放さず、幼児から育てなおすくらいの気持ちで接すること。それが治療方針でした。同時に、学校を思い出すようなことも一切排除することになりました。心療内科の先生から学校に電話してもらい、直接本人に接しないように徹底してもらいました。経験豊富な専門家がついているおかげで、私も落ち着きを取り戻し、ときには不安を聞いてもらうこともありました。子どもの心が不安定なとき、親が慌てたり不安がったりすると、それが子どもにも伝わってしまいます。自分だけで解決しようとせず、心の専門家に介入してもらい、親自身の心を安定させることも大切です。 ■長い目で見守る、そして信じる自宅療養を始めてから最初の数ヶ月間は外にも出たがらず、ゲームばかりしていた息子でしたが、ゆっくりゆっくり休んだ後、やがて自分から生活のリズムを管理しだし、遅れを取り戻すように本を読んだり勉強をしたりするようになりました。その後は誘うと徐々に外に出るようになり、休日は一緒にランチを食べに行ったり、サイクリングに出かけたりしました。しばらくすると学校の友だちとも休日になら一緒に遊べるようになり、6年生の3学期は放課後に学校へ勉強をしに行けるようにもなりました。そして、卒業前何日かは登校もできるようになったのです。卒業1週間前には毎日、卒業式の練習に参加するまでになり、無事、卒業式に出られたのです。息子を見守ってくれた友だちや、学校の存在は、とてもありがたいものでした。こればかりは親だけではどうすることもできません。現在では何事もなかったかのように、元気に中学校に登校しています。新しい友だちもでき、部活動も楽しんでいます。■子どものことをわかっているつもりで、わかっていなかった息子が学校へ行かなかった1年半、私が主にしたことは、ただご飯を作って一緒に食べること。そして、息子の話をとことん聴くことだけでした。子どもは親にわかって欲しいのです。私は、息子のことをわかっているつもりで、何年もわかっていなかったのでしょう。小学校くらいなら1年~2年の勉強の遅れは、すぐに取り戻せます。けれども、心の問題を取り戻すには、たくさんの時間がかかります。親が悲観的にならずにゆったりと構えると、子どもの情緒も次第に落ち着いてくるようです。 ■子どもが「学校に行きたくない」と言い出したら=私の体験から子どもが学校に行きたくないと言い出したら、原因探しをするよりも、まずは子どもの話をじっくり聴いてあげてください。問い詰めたり責めたりせずに、お母さんが子どもの心の逃げ場所になってあげてください。学校に行けなくなった息子のために私が意識してやったこと、それは「息子の気持ちに添う」ことです。学校に行きたくない原因は人それぞれ。単純なことではありません。逆にしないように注意していたのは、問い詰めたり、攻め立てたりすること。子どもが学校へ行かないと親も焦りますが、そこは我慢。子どもは家庭という絶対安心できる場から、ミリ単位で成長を始めるのです。親にできることは、子どもを信じて見守ること。何があっても親だけは味方だということを、心の底からわかってもらうこと。まずはそれが大切です。そしてもちろん、子どもを支える保護者にも支えが必要です。保護者の支えになるもの、それはプロの指導です。経験豊富なプロは、子どもだけではなく、保護者の心も支えてくれます。学校のスクールカウンセラーでもよいですし、信頼できる心療内科を探してもよいです。親が「この人は本当に信頼できる」というプロを探してください。「家庭の問題だから」と抱え込まず、適切にプロの助けを借りながら、子どもの成長を見守るのがベストだと、私は考えます。
2016年04月13日物事には多面的な見方があることを教えよう の続きです。子どもには物事を一面的に捉える傾向があり、それゆえに不登校になってしまうものです。大人のように見方を変えて捉えることができれば、不登校になるほど悩むこともないはず。そこで今回は、子どもに多面的な見方を教えるためのヒントをご紹介します。物事を多面的に捉える技術を手に入れるには子どもが物事を多面的に捉える技術を身につけるには、やはりきっかけが必要です。けれどもそれは、家庭の中で用意できることです。チャンスはたくさんありますので、子どもにとって身近なことを利用して教えていけばいいのです。たとえば、食べ物を例として見てみましょう。子どもは割合に好き嫌いが多いものですが、その一方、ふとしたきっかけで嫌いなものを食べられるようになることもあります。ある食べ方では苦手だったものが、別の調理方法を使ったりメニューを変えたりすればおいしく食べられる、といった経験をしたことがある方も多いのではないでしょうか。こうした発見は、子どもにとって物事を多面的に捉えることのいい例になります。あれほど苦手で食べられなかった食材が、この料理にしたらむしろおいしく食べられた、というのはかなりのインパクトを与えることだからです。その際に、物事を多面的に捉えることについて話してみれば、効果はさらに上がります。このような経験を豊富にしてきた子どもは、物事を多面的に捉えるための気づきをたくさん得ることができますので、ほかの点で何か問題が起きた時にそれを応用し、自分の中で問題を解決しやすくなります。一見嫌でたまらないことが起きた場合でも、その出来事について別の評価をするだけで感じ方を変えられることを知れば、どっぷりはまり込んで悩むこともなくなるはずです。多面的な捉え方を教えると、好き嫌いがなくなる!?食べ物の場合に大事になってくるのは、親が子どものためにできるだけ料理を手作りすることです。そしてその中で、子どもに好き嫌いが多いからといって、子どもの好きなものばかり作らないことも重要です。子どもが嫌いな食材があったとしても、いろんな料理法やメニューを試してみるのが大事なのです。そして、工夫次第で嫌いな物でもおいしく食べられるようになるのだということを、身をもって子どもに示すこともできます。このやり方にはうれしいおまけもついてきます。それは、子どもの好き嫌いが結果的に減るという効果です。嫌いなものが減れば健康にもいい効果がありますし、食事の楽しみも増すので、子どもはその点でも幸せを感じることができます。このように日常には些細な困難がたくさんあります。それらに出くわした時に、「避ける」という対処法を採るのではなく、「解決する」という対処法を採るように(採れるように)、親がサポートしていく姿勢が重要なのではないでしょうか。(子育ての達人)
2015年12月26日なぜ子どもは不登校になるのか? の続きです。「子どもが不登校になってしまうのは、大人に比べると子どもの生きている世界が『狭い』ということに起因する」ことを前回ご紹介しました。今回は、そうした一見狭く見える世界も、見方を変えると道が開けることもある…ということについてお話しします。物事を多面的に捉えることが必要学校では、ものの言い方や友だちへの態度、ふとした弾みで取った行動などを契機として、それまで親しい友だちづきあいをしていた相手がこちらに敵意を向けてくる、などということは割合頻繁に起きる事柄です。大人にしてみれば、世界は何も学校だけでできているわけではないのだから、と思えるようなことでも、子どもにとっては学校での人間関係が自分の世界のほとんどを占めているわけですから、ものすごく大きな問題となって見えるわけです。ちょっとした行き違いで友だちにそっぽを向かれたり、学校で自分の居場所がなくなってしまったというように感じたりする子どもはいくらでもいます。そうなった時に、「もうどうにもならない」「一生嫌われた」「学校に行ってももう居場所がない」などと考え始め、最終的には不登校というかたちに行き着くことになるのです。大人であれば、よほどのことがない限り、そして、やり直そうという気持ちがある限り、どんな状態からでも挽回ができるということを理解しています。皆無とは言いませんが、「もうどうにもならない」ことなどほとんどありません。ところが、まだ未熟な子どもは物事を一面的にしか見ることができないため、そういう理解の仕方ができないと考えられています。極論すれば、・ある友だちに嫌われてしまったとしても、別の友だちを見つければすむことです。・クラス全員にそっぽを向かれたのであれば、1人で遊んでもいいでしょう。・何かで教師に怒られた場合でも、それ以後きちんとすることで見直してもらえばいいだけのことです。・最悪その学校でどうにもならない状態に陥ったとしても、そんなものはその学校を卒業するまでのことなのですから、学校には卒業まで我慢して通いつつ、学校以外のところで何か他のものを見つける努力をすればいいだけのことです。このように、大人がしているように物事を多面的に捉えるようにすれば、今以外の道がいくつも見えてきます。そうすれば、何も不登校になってしまうほど悩む必要は低減するはずです。しかし、子どもはこうした見方ができませんから、物事を一面的に捉えてそこにはまり込んでしまい、悩み過ぎた上に不登校になってしまうのです。せっかくのびやかに過ごすことのできる子ども時代を送っているはずなのに、これは大変もったいないことだと思います。そんなふうにならないためにも、物事を多面的に捉える技術をきちんと身につけておくことが大事になってきます。では、子どもに多面的な物事の捉え方を教えるには、どうするのがよいのでしょう? 次回ご紹介します。(子育ての達人)
2015年12月24日文部科学省によれば、平成25年度の小中学生の不登校は約12万人であり、前年度に比べると7,000人程度増加しています。さらに詳しく見ていくと、小学生の不登校は24,175人で、前年度比較で2,932人増加。中学生の場合は95,181人で、前年度比較で3,932人増加という結果になっています。このように不登校になってしまう子どもは増えてきていますが、自分の子どもが不登校に陥ってしまわないようにするためにはどんな点に注意すればいいのか、一緒に考えていきましょう。子どもの世界は狭い子どもが不登校になってしまうのは、大人に比べると子どもの生きている世界が「狭い」ことに起因すると考えられています。大人の場合、家庭以外にも幅広い人間関係を持っているものです。たとえば会社のほかにも、趣味に関する仲間、昔の友人関係、学校関係の知人、近所の人間関係、行きつけのお店など、その人間関係の種類は多岐にわたります。このため、TPOに応じて自分のキャラクターを変える機会も多いものです。会社では部下をよくまとめる上司、近所づきあいでは面倒見のいいお母さん、学校行事では子どもたちと一緒に楽しんで活動するお父さん、などといった具合です。これに対し、子どもの人間関係はぐっと幅が狭まります。家庭の人間関係のほかには、まずなんといっても学校、そしてそこにせいぜい塾などの習い事が含まれる程度でしょう。少し前であればここに近所の遊び相手としての子どもたち、というのが入ったものですが、近頃は少子化の進展によって子どもの数が減っているため、近所で学校における人間関係とまったく違った人間関係を構築することが、あまりできなくなってきています。就学前の子どもの世界のほとんどは家庭で成り立っています。子どもが大きくなって学校に行きだすと、学校における人間関係が重要性を増し始め、しばらくすると人間関係の中心が、家庭→学校での人間関係に取って代わるようになります。子どもたちにとって学校は、毎日相当の時間を過ごしている場所ですから、そこでの人間関係は必然的に濃密なものになり、ほかの世界をあまり知らない子どもにとっては、それがすべてといったことになりがちです。ですが、学校での人間関係というのは得てして不安定なもので、ほんのささいな出来事や行動によって、ある日突然まったく別の様相を見せ始めることがあります。皆さんもその昔、学校に通っていた頃の経験を思い出してみれば、うなずけるところがあるのではないでしょうか。そんな不安定な学校での人間関係をうまく乗り切るためには、どのようにするのがよいのでしょうか? 次回、その方法を紹介します。(子育ての達人)
2015年12月23日猫の手貸して~育児絵日記~
うちはモフモフ暮らし
めまぐるしいけど愛おしい、空回り母ちゃんの日々
チヒロさんは、夫の貴大と3歳の娘リコと暮らす専業主婦。新規分譲のマンションに引っ越し、仲の良いママ友もたくさんできて楽しい毎日を送っていました。そんなある日、夫の上司一家が引っ越してきます。上司一家も3人家族で、娘同士は同い年。いい関係が築けるだろうと思っていましたが、クセのある上司の妻に悩まされ、チヒロさんはとんでもないトラブルに巻き込まれていきます。誰かにうらまれてるんじゃない?チヒロさんの家には、たびたび頼んでもいない出前や荷物が着払いで届きます。とても困っているのですが、この犯人には心当たりがあります。それは……。 チヒロさんが嫌がらせをしてくる犯人に思い当たる人物は、吉田ナツミという女性。ナツミは同じマンションに住むママ友であり、夫の上司の妻でもありました。 立場上強くも言えないチヒロさんに対して、ナツミは「かわいそう。なんでだろうね」「誰かに恨まれているんじゃない?」などと、チヒロさんを煽るような態度をとってくるのです。 新築のマンションを購入して、幸せな生活を送っていたチヒロさん。夫の上司の妻という関係性のママ友というのは、ただでさえ付き合い方が難しいものですよね。それなのにトラブルに発展してしまうとは、考えただけで胃が痛くなります。同じマンションに住む人であればなるべく仲良くしたいものですが、みなさんはご近所の方とどのようにつきあっていますか?著者:マンガ家・イラストレーター ネギマヨ
2024年05月17日ヒカリさんは、結婚7年目で専業主婦。夫・晴彦と息子・リクとの3人で暮らしています。晴彦はヒカリさんに異常な執着心を持ち、常に自分の管理下におくため、ママ友や友人と付き合わないように言ったり、周囲に噓を吹聴しヒカリさんを孤立化させようとします。そんな中、晴彦がヒカリさんの友人・リツコと不倫をしていることが発覚します。晴彦とリツコが不倫していることを、共通の友人・ヒナはヒカリさんからとリツコから、それぞれに話を聞きます。 その後ヒナから「晴彦さんに呼ばれたから、離婚の証拠をつかむために会ってくる」と連絡が入ります。 晴彦は、帰宅してそうそうヒカリさんに向かって「ヒカリのお友だちは本当にそろいもそろってバカばかりだな」と言い、ヒナが不倫していた経験があること伝えます。 それを知ったヒカリさんは……。 大切な友人が… 晴彦に呼び出されたヒナは、自分の過去の不倫話を持ち出され、「不倫女の分際で、人様の関係に口出しできるわけないでしょ?」と言われ、責められなくなってしまいます。 晴彦はリツコから聞いた不倫話を元に、ヒナのことも追い詰めます。 自分の味方として信頼していたヒナが、過去に不倫をしていたことを晴彦から聞き、その話を自分だけ知らなかったことにショック受けるヒカリさん。 悲しんでいるヒカリさんを見て、晴彦は「俺はヒカリの悲しんでいる顔が一番好き」「この世で君を愛しているのは俺だけだよ」などの言葉を喜びながら口にします。 ヒカリさんはさらに洗脳されてしまい、晴彦がいなくなったら自分は……と考え始めます。親友のリツコに不倫をされた上、唯一の味方だと信じていたヒナの過去を知って、絶望するヒカリさん。 ついに、晴彦はヒナまで巻き込んで、全員を陥れていますね。ますます洗脳されてしまったヒカリさんが、早く晴彦から離れられることを祈るばかりです。著者:マンガ家・イラストレーター ネギマヨ
2024年05月17日Instagramにて育児マンガを投稿しているmostinさん。2014年生まれの男の子・もすちん/2018年生まれの女の子・ぷんちこ2人の育児に奮闘中です。ある日、mostinさんがスマホの写真を見ていると、息子が「見せて」と言ってきました。最初はキャッキャと笑いながら楽しんで見ていたのですが、途中から「これこっわ!」という声が聞こえてきて……!? 「めっちゃこわい」息子が怖がる写真を見てみると…? 「うーわ……これこっわ!」 「え?何が?」 「これめっちゃこわい……。こわすぎる……」 「だから何がよ」 「これ」 スマホの写真を見ると、そこにはmostinさんの姿が……! (キミがかぶれといったヤツゥー!!) 思わず心の中でツッコんでしまったのでした。 ◇◇◇ よりによって息子にフルーツキャップをかぶらされたときの写真を「怖い」と言われるだなんて……なんとも言えないですね。特段怖い写真でもなんでもないと思いましたが、もすんちん君の目には違って映っていたのかもしれません。 著者:マンガ家・イラストレーター mostin
2024年05月17日もうすぐ年中になる息子。自分で体を洗えるようになりたいと、お風呂場に意気揚々と向かう日々が続いていました。そんなあるとき、お風呂場のドアを開けた息子が「お風呂場からおばけの声が聞こえる」と言い出して……? 息子が聞いた声の正体は!?もうすぐ年中になる息子は最近、「自分で体を洗えるようになりたい!」と言うように。わが家は保育園から帰るとすぐにお風呂タイムなので、いつも入浴は夕方。私は帰宅後すぐにお湯を張り、湯船につかりながら体を洗う息子を見守っています。 しかしある日、息子が「お風呂からおばけの声がするから、今日は入りたくない!」と騒ぎ、なかなかお風呂に入りたがりません。私には見えないおばけの声が聞こえているの……? と背筋がゾクリ。どうしても息子がお風呂に入らないので、困り果てた私は勇気を出して、お風呂場に入り確認します。耳を澄ますと、息子が言うようにかすかに男の子の声が……! しかし、冷静になって聞いてみると、どうやらお隣から聞こえてくるようです。最近自宅の裏手に引っ越してきた小学生の兄弟が庭で遊んでいるようで、その話し声を、息子はおばけだと勘違いしていたのでした。翌日、息子とお隣さんへあいさつをしに行きおばけ騒動について伝えると、お母さんも兄弟も大笑いしてくれました。 今までお風呂場で声が聞こえたことがなかったので、怖がるのも納得。息子には、再び自分で体洗いに挑戦する平穏な日々が戻ってきました。息子の突然のホラー発言に、一時血の気が引いた出来事です。 作画/Pappayappa著者:桂ゆかり
2024年05月17日2015年生まれの娘と2018年生まれの息子を子育て中のあいぽんさんが描く育児マンガをご紹介! 今回は、あいぽんさんが運転しているときに子どもたちのきょうだいゲンカが勃発したときのエピソードをお届けします♪娘の保育園のお迎えに行った帰り道、車内に流す音楽で意見が対立し始めた子どもたち。次第にヒートアップしていく言い合いに、あいぽんの我慢の意図は限界を迎えてしまいます。そして、ついに「あーもう、やかましい!」と声を荒らげてしまって……!? ママがブチギレると、静まり返る車内。しかし… 「あんたたちに早く会いたくて、お仕事終わって急いで帰ってきたのにたかが車で流す音楽のことくらいでギャーギャーギャーギャー……」 しぃーーー……ん。 あいぽんさんがブチギレると、あんなに騒がしかった車内は一変!静まり返ってしまいました。 そんな中、ふと窓から空を見るとキレイな夕陽が……! 「見て、夕陽がめっちゃキレイ!!」 あいぽんさんが思わずつぶやくと、車内は和やかにな空気に変わりました。 (夕陽さんありがとう……) 思わず心の中でそうつぶやいたあいぽんさん。 家に着くと、娘の提案で夕陽を探しにいくことに。 「歩いて行けるところまでよ」 3人で夕陽を探していると、山へ沈んでいく夕陽を発見! 「きゃああああゆうひさんんん」 目を輝かせながら、キレイな夕陽に見とれる子どもたち。 夕陽を探し終えると3人で手を繋ぎ、仲良く家に帰って行ったのでした。 ◇◇◇ つい、子どもたちに言い過ぎてしまったあいぽんさんさんですが、このときは夕陽が助けてくれました。自然の美しさは年齢問わず、魅了するものがありますよね。ミニミニ探検隊としての夕陽捜索の任務も完了できてよかったです!著者:マンガ家・イラストレーター あいぽん2015年生まれの女の子、2018年生まれの男の子を育てる田舎のお母さんです。娘が生まれた時からゆるゆるとInstagramで子供との何気ない日常を絵日記で発信しています。日々の忙しさに追われ、記録に残していないと忘れてしまいそうなほど「なんでもない日々」を、できるだけ忘れたくないな、でも最近物忘れひどいな……そんな毎日です。
2024年05月17日2020年2月生まれの男の子・たろうくんのママ・てんてこまいさんが備忘録としてゆる〜く描く、親バカ全開!?な育児絵日記。3歳6カ月のころのたろうくん。「なぜなぜ期」ならぬ、「何で作られてるん?期」が到来中とのことで……。キャパオーバーで爆発する母 知識欲が豊富すぎるたろうくん。どんな状況でもてんてこまいさんに質問し続け、キャパシティをオーバーさせてしまうことも! 日中イライラしてしまい、夜、寝かしつけ中に自己嫌悪に陥るという経験をされた方は多いのではないでしょうか。 そんな大変な毎日の中、「妹のはなちゃんは、かか(母)のおなかで作られている」「たろうくんは、かわいいで作られている」と教えてくれたたろうくんは、最高の癒やしでもありますね♡ SNSのコメント欄には、「爆発するのわかる! たろうくんはかわいいの塊だね」「私も同じくなぜなぜ期の年子の親ですが、『この電車の名前は? この電車どこ通ってる? 何線? 何系?』と聞かれて毎日頭が爆発してます」「わが家の息子も絶賛イヤイヤ&なぜなぜ期で同じく爆発しちゃうときもあるけど、親子ともども成長してる!と思うようにして、なんとか過ごしています」など、同じ年頃の子どもを持つ保護者の方から共感の嵐! 育児はイライラする瞬間や癒やされる出来事が怒涛のように押し寄せてきます。たとえキャパオーバーになって爆発してしまうことがあったとしても、子どもへの愛はきちんと伝わっているはずです。 著者:マンガ家・イラストレーター てんてこまい
2024年05月17日親子でシェアできるコスメを紹介する『親子美容』が今月からスタート!今回はこの夏、思いっきり外遊びしたい親子の必需品『アネッサ』の日焼け止め乳液をご紹介します。赤ちゃんにも使えてSPF50+・PA++++とハイスペック!そのうえサラッと伸びてベトつかないので暑い日でも快適です。実際にライター島田が1歳になったばかりの娘といっしょに使ってみたので、ぜひ参考にしてくださいね。サラッとしているのにダラダラ流れないからスゴい!今回、娘とシェアするのは『アネッサ』「パーフェクトUV マイルドミルクNA」。言わずと知れた信頼のUVケアブランド、アネッサの敏感肌用日焼け止め用乳液です。・赤ちゃんから使える、ママにも子どもにもうれしい日焼け止め試したのは夕方のお出かけのときですが、日差しが強かったのでさっそく娘の腕に伸ばしてみました。サラリとなめらかなテクスチャーなのに肌にのせてもダラダラと流れることがなかったので、娘が少し動いても慌てることはありませんでしたよ。・1歳児が自分で塗れるほどスッとなめらか♡腕に塗ったテクスチャーが気になるのか自分で塗り始めた娘。1歳児の手でもなめらかに伸びて、肌にスーッと素早くなじみました。仕上げにママが塗り直しましたが、本当に肌なじみが良いので、首筋や関節などの塗りにくい部分にも、子どもが嫌がる前にサッとムラなく伸ばすことができます。普段は日焼け止めを嫌がる娘ですが、これはイヤイヤしませんでした。気になる白浮きや香りもなく、また肌がベトつくこともないので急いで手を洗いに行かなくてもOK。すぐに服やアウターを羽織れるのも高ポイントです。・塗布後はしっとりした肌にスキンケア成分が配合されているので塗布後はしっとりなめらかな肌に。私は顔と体に塗ったのですが、遊んでいるときにも終始潤いを感じたので、UV対策とスキンケアが同時にできているような感覚でした。また、汗をかいても流れ落ちることがなかったので、何度も塗り直す手間が要らないのも良かったです。テクスチャーもサラッとして重さを感じないので、これからのジメジメ湿度が高い時期のメイク下地にもいいと思いました。石けんで簡単に落とせるのも高ポイント!親子で使いたい日焼け止め汗や水遊びにも強いスーパーウォータープルーフなのに、石けんでオフできるのもママにうれしいポイント。SPF50+・PA++++と国内最強レベルのUVカット効果なのに、生後1カ月の赤ちゃんから使えるし、たっぷり入っているので家族全員で気兼ねなく使えるのも良いところ。この夏の良き相棒になってくれると思います。パーフェクトUVマイルドミルクNA(60mL)¥3,058【編集部調べ】お問い合わせ先資生堂お客さま窓口TEL:0120-81-4710お出かけのときにバッグにぜひ入れておきたい!これ一つあればUV対策はOK!ママもベビーもキッズも使えて、顔にも体にも塗れるから、バッグに一つ入れて持ち歩きたい♡手軽にしっかりケアできるので、親子のUVケアに必須のアイテムです!
2024年05月17日娘が生後7カ月になったころ、順調に進んでいると思っていた離乳食で、思わぬ事態になってしまい……。順調だと思っていた離乳食生後5カ月半から離乳食を開始した娘。食べることが大好きで、新しい食材も嫌がらずに一生懸命食べてくれるので、私も離乳食作りに気合が入りました。 娘が生後7カ月を過ぎたころ、順調に2回食へと進み、タンパク質もとれるようになってきていたので、少しずつ量を増やしてみることに。初めて食べる食材ではなかったため、軽い気持ちでその日の午後食の豆腐を3口ほど増やしました。 おいしそうに食べてくれる娘を見てほっこり。その後もご機嫌で遊んでいる娘を見て、私は「順調順調!」と思っていました。しかしその日の夕方、いつものように入浴後に授乳をした直後、娘が大量に嘔吐したのです。飲ませ過ぎたかなと思っていた私の目の前で、さらに2度目の嘔吐。娘はそれまで吐き戻しもほとんどなかったため、「これはおかしい」と思い急いで病院へ。 車で病院へ向かう間にも3度目の嘔吐をした娘。私は何もできない自分がもどかしく感じていました。 初めてのときは大丈夫だったのに…病院で診察をしてもらうと、大豆のアレルギーだろうとのこと。治療は大豆製品の食べる量をいったん減らし、そこから少量ずつ増やして体を慣らすしかないとのことでしたので、正確な検査はおこないませんでした。 まれに少しずつ量を増やしてもアレルギーの症状が出ることがあるそうですが、たいていは大きくなるにつれて克服できると医師から説明を受け、少し安心したことを覚えています。 この3日後、少量に減らしたきなこでも同じ症状が出現。そこからはさらに量を減らし、小さいスプーンの半さじ程度を2~3日おきに食べさせていました。そして、現在1歳3カ月になった娘は豆腐もきなこも克服し、元気にもりもり食べています! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/ななぎ著者:下川 美悠監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月17日かおりさんが娘・こはるを出産後、夫・いちろうはすぐに育休に入る予定でした。しかし、いちろうの手違いで先延ばしに。突然ワンオペ育児を任されたかおりさんは必死に子育てをしますが、いちろうは育児を甘く見ていて……。育休に入ったいちろうは、かおりさんからの信頼を挽回すべく“イクメン”として立ちまわります。しかし無知で空回りするいちろうに、かおりさんは3日間で育児ができる人間にすると決意。3日後に変化がなければ実家に帰ると宣言し、いちろうはこれを「余裕でしょ」と受け入れました。しかし忙しく予期せぬ事態の連続に、いちろうはイライラ。最大の難関である寝かしつけにつまずき、「無理ゲーじゃん!」と愚痴をこぼしました。 その自信はどこから!?夫が「寝かしつけのやり方を教えて」と頼み込んできたので、やってみせたところ……。 かおりさんは自分が習得した寝かしつけの方法をいちろうに伝授。ただし今回はたまたまうまくいっただけと釘を刺し、いちろうはいちろうなりのやり方を見つける必要があると伝えます。 しかしいちろうは「オッケ~♪」とまだ育児を甘くみている様子。かおりさんはいちろうが育児を学ぶ気があるのは感じつつも、幸先が不安になりました。 そしてようやく寝られると安心したとき、ふっと意識が遠のきます。失神しかけたかおりさんは、自分の限界がすぐそこまできていることに焦りを感じるのでした。 かおりさんが不眠不休でつかんだ寝かしつけのコツを、「簡単」とひと言で片づけるいちろうさん。簡単そうに見えても、その背景には少しでも休めるよう試行錯誤してきたかおりさんの努力があるはずです。 母親だって、誰もが育児は初めてのことだらけ。教えるのもひと苦労だということや、手とり足とり教えてもらえることのありがたみを、いちろうは今一度考えてみてほしいですね。 >>次の話著者:マンガ家・イラストレーター くまお
2024年05月17日はるかさんは、フルタイムで働きながら3歳の娘・かのんちゃんを育てるワーママです。初めてできたママ友は、近所に引っ越してきた地元の友人・りささん。しかし遊ぶたびに感じる価値観の違いに悩み始めました。それでも価値観は人それぞれ。“そういう人だ”と思って付き合うことを決意しました。そんな矢先、りささんの自宅へ招待され、再び価値観の違いにショックを受けます。人を招いたというのに家の中はぐちゃぐちゃ。一緒に食べようと持っていった手土産のケーキも、はるかさんには出さずにりささん親子だけが食べ始めました。 その上、ケーキを欲しがるかのんちゃんに、りささんは自分のフォークに食べかけのケーキをさし、食べさせようとしました。衛生的に受け入れられないはるかさんは、すかさず止めに入り、りささんと距離を置くことを決めたのですがーー。 価値観は人それぞれだけど… 電話の相手は共通の友人・ゆかりさん。以前、はるかさんがりささんの愚痴をこぼした相手です。しかし今回電話をかけてきたのは、りささんでした。 はるかさんがりささんの価値観を受け入れられなかったように、りささんもはるかさんの価値観を受け入れられなかったのです。 そしてまたゆかりさんも、ふたりの価値観の違いをおもしろがり、別の友人に愚痴をこぼすのでした。 持つべきものは友と言いますが、お互いに価値観の違いでこんなにストレスを抱えるのなら、程よい距離をとって付き合ったほうが良いのかもしれません。 古くからの友人だからといって我慢はせず、価値観が似ている人と出会って、新しい友人関係を築けると良いですね。著者:マンガ家・イラストレーター 神谷もち
2024年05月17日長女を妊娠中のときの話です。急に上の歯の根元が痛くなり、虫歯だと思い歯医者に行ったのですが、「虫歯はありません」と言われました。そんなことあるんだ…そんなはずはない、こんなに痛いのに、と訴えると、歯医者さんが「副鼻腔炎では? 耳鼻科に行ってみてください」とのこと。半信半疑で耳鼻科に行くと、副鼻腔炎だとの診断。実はその少し前に風邪をひいており、何度も鼻をかんでいたのですが、かみすぎで炎症を起こしたのだろうとのことでした。 痛みはそれからどんどん強くなったのですが、それから治るまでの1週間は本当にものすごい痛みでベッドの上から動くことができませんでした。本当につらい1週間でした。 ◇◇◇ それからというもの、鼻水が出ても決して強くかまないようになりました。やさしく「ふんっ」という程度です。子どもたちにも、ママはこんなに大変な思いをしたから副鼻腔炎は大変だよ、鼻は強くかまないでね!と言い聞かせています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 作画/まげよ著者:佐藤玲子40代、結婚17年目の専業主婦。夫・16歳の娘・15歳の娘と暮らしています。監修者・著者:助産師 松田玲子医療短期大学専攻科(助産学専攻)卒業後、大学附属病院NICU・産婦人科病棟勤務。 大学附属病院で助産師をしながら、私立大学大学院医療看護学研究科修士課程修了。その後、私立大学看護学部母性看護学助教を経て、現在ベビーカレンダーで医療系の記事執筆・監修に携わる。
2024年05月17日2024年4月に誕生した男の子の名前を大調査!全国的に強風が吹いた4月、天気の様子を表す名前が増加しました。4月生まれの男の子3,758の名前から、人気の名前ランキングTOP10を紹介します。 < 4月生まれ >人気の名前ランキングTOP10 男の子1位蓮(主なよみ:れん)2位颯真(主なよみ:そうま)3位颯太(主なよみ:そうた)4位悠真(主なよみ:ゆうま)4位琉生(主なよみ:るい)4位碧(主なよみ:あお)4位凪(主なよみ:なぎ)8位陽翔(主なよみ:はると)8位朝陽(主なよみ:あさひ)8位蒼空(主なよみ:そら) 天気にちなんだ名前に注目!4月生まれの男の子の名前ランキングTOP3は、1位「蓮(れん)」、2位「颯真(そうま)」、3位「颯太(そうた)」と、「颯」という漢字を用いた名前が人気でした。 「颯」は風がさっと吹くさまを意味し、春に激しく吹く風「春疾風(はるはやて)」という言葉もあることから、「はやて」ともよむ「颯」を用いた名前が増加したと推察されます。また、4月は全国的に強風が吹いた日もあったことから、お子さんが誕生した時の天気の様子を名付けに取り入れた親御さんも多いのかもしれません。 「颯真」は3月9位から4月2位へ、「颯太」は3月100位圏外から4月は3位へと大きくランクアップ。他にも、TOP100以内に20位「颯(そう)」、30位「一颯(いぶき)」、39位「千颯(ちはや)」、91位「颯斗(はやと)」と計6つの名前がランクインしました。 「ジェンダーレスネーム」が増加また、男女の性差を感じさせない「ジェンダーレスネーム」も近年人気が高まっています。男の子の名前ランキングTOP10には、1位「蓮」、4位「碧(あお)」・「凪(なぎ)」、8位「朝陽(あさひ)」・「蒼空(そら)」など計5つの「ジェンダーレスネーム」がランクインしていました。 photo:@haru03.22_swh さん(べビカレメイト)<調査概要>調査対象:株式会社ベビーカレンダーが企画・運営している「ファーストプレゼント」「おぎゃー写真館」「ベビーカレンダー全員プレゼント」のサービスを利用された方調査期間:2024年4月1日(月)〜2024年4月25日(木)調査件数:3,758件(男の子)※本調査内容を転載される場合は、出典が「株式会社ベビーカレンダー」であることを明記くださいますよう、お願いいたします。※()内は主なよみを表記
2024年05月17日Instagramにて育児マンガを投稿しているmostinさん。2014年生まれの男の子・もすちん/2018年生まれの女の子・ぷんちこ2人の育児に奮闘中です。今回は息子が作ったアンケートにmostinさんが回答したときのお話になります。ある日、「お母さんにアンケート作ってあげるわ」そう言ってアンケートを作り始めたもすんちん君。しかし、そのアンケートの内容がなかなか辛らつな内容で……? アンケートの内容を見た瞬間、ママはがく然としてしまい… 「料理は好きですか?」 「洗濯は好き?」「畳むのは?」 「頑張ってやっている?」 アンケートの質問内容を見たmostinさんは、思わず心がえぐられてしまいます。 (ここは正直に「いいえ」と書くべきか、いやでもショック受けるかなぁ……) 「ん----とね……ハイ!!!!」 頭を悩ませた結果、偽りの回答のほうに丸を付けたのでした。 ◇◇◇ 一瞬、本音の「いいえ」に丸を付けるか悩んだものの、"息子がショックを受けてしまうのでは?"と思い、「はい」に全部丸を付けたmostinさん。料理も洗濯も毎日おこなわなければならないとなると、本当に大変ですよね。毎日本当にお疲れ様です! 著者:マンガ家・イラストレーター mostin
2024年05月17日いちばん身近な存在であるがゆえに、うっとうしくて厄介で、でも大切で憎めないのが「家族」。こちらの連載では、編集部に寄せられた“愛おしい家族のおもしろエピソード”を、最上うみみさんがコミック化したものをご紹介していきます。記念すべき第1回は、ズボラでちょっぴり天然なお母さんが、美白を目指してスキンケアに力を入れはじめたお話です。父親に似て肌が白い主人公と姉を見ては「白くていいわね〜」とうらやみ、薬局に行っては美白グッズを買ってご機嫌にスキンケアをしていたのですが、逆に黒くなっていくので不思議に思っていたら…。美白のために美容に力を入れていたお母さんの顔は、どこか日焼けした肌に変わってしまっていたのです…! まさか、クレンジングオイルが日焼けオイル化していたから! お母さんは、天然な上に老眼…。それ、顔に塗って外出したら逆効果です! こんがり焼けて帰ってきたお母さんの無邪気な姿は、ついクスッと笑ってしまいます。イラスト/ 最上うみみ ※このお話は実話を元に編集しています。あなたの「愛すべき家族」のエピソード募集中!当たり前のように一緒に暮らしてるけど、この常識ってわが家の家族だけ? 小さい子どもって奇想天外なことするから面白い! ついクスッと笑ってしまうけど、私の自慢の家族。そんな読者から投稿された「愛すべき家族」のエピソードを4コマ漫画でご紹介。ぜひあなたもエピソードを投稿してみませんか?記事下の読者アンケートより投稿してください。
2024年05月17日ママ・Aやん、パパ・Pやん、長女・コチコーちゃん(4歳)と昨年末に誕生した次女・パタミちゃんが登場する、ハートフル育児マンガ。ゆる~い家族の日常に関西弁のツッコミが鋭く光る! パタミちゃんが寝返りできるようになり目が離せず、ゆっくりトイレにも行けない大変な日々……。そんなとき、まさかの救世主が!?HugMug読者のみなさまこんにちは!最近次女パタミがママ(私)をはっきり認識するようになり、姿が見えなくなると大声を出して『ママどこいった!!??』と言わんばかりに探し回っています……。成長が早すぎる。ゆっくりトイレにも行けない日々を過ごしています。そんな中、さらに寝返りを打つようになり気がつけばスフィンクスのポーズになっていることもしばしば。寝返りを何度も連続で打ちながら移動をし、「いつの間にそんな位置に……!??」ということも出てきました。だんだんと目が離せなくなってきています。(白目)そんななか、まさかの救世主が……!!!!長女はもうすぐ5歳の年中さんなのですが、想像以上にしっかりしていました。自分の子に自分の子の面倒を見させるのはなんとなく気が引けてしまっていたのですが、これからはトイレに行くときの数分ぐらいは頼ってもいいのでは? と気が変わりました。長女も次女もまんざらでもなさそうですし、クレヨンしんちゃんの年齢にもなったことだし。園の春の遠足では次女パタミが園児たちに代わるがわる次々に抱っこされているのを見て、お世話するのも楽しさのひとつなのだなぁと感じた作者なのであった。PROFILEAやんさん平成元年生まれ兵庫県出身。長女コチコーちゃん(2019年5月生まれ)の出産を機に会社員を辞め漫画家へ転身。2023年12月に次女パタミちゃんを出産し、現在は2児のママに。インスタグラム(@aandp1989)とライブドアブログ(Aやんのええやん!ブログ)にてほぼ毎日漫画を発信中。KADOKAWAより初書籍「ポンコツ3人家族こんな日常でもええやん!」も発売中!Instagram
2024年05月17日現在3歳のこっちゃんは、この3年間とにかく泣いてばかり。夜泣き、着替え、歯磨き、入浴、お出かけなど、日常のあらゆる場面で大泣きするため、ママは毎日泣きセンサーに怯える日々でした。育児を楽しいと思えず、同年齢の子どもと比較してしまう自分にも嫌気がさし、自信を喪失してしまいます。それでも、日々こっちゃんと向き合い、育児に奮闘し、その先にあったのは? お風呂を克服し、出来る遊びも増え成長を見せるこっちゃん。それだけでなく、泣き止まず困ったときは頼りっぱなしだった動画や幼児向け番組の視聴時間が激減し生活がリズムが整います。 食事も買い物もこれまでとは一変、グズることが一気に減りスムーズに過ごせるように。こっちゃんの成長に驚くあまりママが「あの3年間で一生分泣いたのかな?」と思うほどの激変を見せるのでした。最大の敵、夜泣きは……!? そして、最大の悩みであった夜泣きはというと、3歳になり徐々に回数も減りなき続けることもなく、よしよしするとまた眠りにつくようになったのです。そして3歳6カ月、長い夜泣き生活から解放されママは心からホッとするのでした。 急成長を遂げたこっちゃんを見て、これからも頼ってもらえる親でいたい、一緒に高めあっていける親子でいたいと思うのでした。 その後、穏やかな日々を送くるのかと思いきや、この後もかんしゃくに悩まされることに…。ママはこっちゃんのかんしゃくに立ち向かうのでした。 ◇◇◇ こっちゃんの壮絶なかんしゃく、夜泣きに真摯に向き合ったママは大変だっと思いますが本当にすごいことだと思います。そして、落ち着いたこっちゃんを見ることができてママだけでなく、みなさんも安心したのではないでしょうか?ここまで頑張ったママにエールを送ります!そして、まだまだ続くかんしゃくに負けず、穏やかな日々を過ごせるよう健闘を祈ります。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 著者:マンガ家・イラストレーター はちこ
2024年05月17日ダンスや徒競走、応援合戦……苦手要素が盛りだくさん!?みんなの運動会エピソード新緑が眩しいこの季節、もうすぐ運動会が行われるという園や学校も多いかと思います。発達障害や発達に特性があるお子さんにとっては、気が重くなる時期かもしれません。今回は、発達ナビ連載ライター陣や読者の皆さんにお寄せいただいた、お子さんの運動会にまつわるエピソードをご紹介します。海乃けだまさんの息子さんは、2歳半でASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。寝返りは10ヶ月、ひとり歩きは1歳5ヶ月と、赤ちゃんの時から運動発達がゆっくりだった息子さん。療育園で丁寧な支援を積み重ね、年長から幼稚園に転入しましたが、そこで同級生の運動発達との差を目の当たりに……。練習の段階から大変だった運動会、はたして本番はどうだったのでしょうか?星あかりさんのご長男・スバル君は3歳でASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。幼稚園に入園するまでは、特に不器用さを感じたことはなかったそうですが、幼稚園入園後から徐々に周囲の子どもたちとの差が目立ち始めました。年中の運動会では、苦手なダンスですっかり自信を失ってしまったスバル君。しかし1年後、年長の運動会でのダンスを乗り切るために、スバル君が自ら編み出した”秀逸すぎるスキル”とは?ASD(自閉スペクトラム症)のミミ君は、保育園の頃から運動会が苦手です。そんなミミ君も成長し、小学4年生の時には家で運動会のダンス練習をするまでに。練習の成果もあって、運動会本番は大成功!めでたしめでたし……と思ったら、運動会のあと、なぜかミミ君は大号泣!涙の理由は、いったい何だったのでしょうか?ネコ山さんの息子さんはADHD(注意欠如多動症)とASD(自閉スペクトラム症)の傾向があり、5歳で受診した児童精神科ではグレーゾーンといわれています。集団行動が苦手で口頭指示が通りにくいという息子さん。幼稚園の年少から年中の頃にかけての運動会での様子を教えていただきました。集団活動が苦手で、周りに合わせられない劣等感もあったという女の子。6歳でASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)と診断されました。人が多いなど普段と違う環境が苦手で聴覚過敏もあるため、運動会はできたら避けて通りたい行事NO.1!小学2年生の運動会の後から行き渋りが始まり、小学3年生の6月からは完全に学校へ行けなくなったそうです。不登校を続ける今、運動会への思いやおうちでの過ごし方なども教えていただきました。星河ばよさんのご長男は、発達障害グレーゾーンと言われています。3歳の時の保育園の運動会では、かけっこは走ったもののダンスはやらず……。星河さんは「緊張していたのかな?」とほほえましく見守っていました。しかしその運動会の約1ヶ月後、保育園の先生に発達の遅れを指摘され、療育センターに通うことに。その後、療育や保育園でさまざまな経験を積み重ね、着実に成長していったご長男の様子をご紹介いただきました。さいごに運動会の時期は、いつもと違う状況の中でストレスを感じてしまうお子さんも多いかもしれません。苦手なことを努力で乗り越えるだけではなく、工夫してうまくやり過ごしたり、時にはお休みしたりという経験も、きっとお子さんの成長の糧になっていることでしょう。もし運動会の本番で泣いてしまったとしても、月日が経てばいい思い出になるはず。お子さんの成長を楽しみに、温かい目で見守れるといいですね!(コラム内の障害名表記について)コラム内では、現在一般的に使用される障害名・疾患名で表記をしていますが、2013年に公開された米国精神医学会が作成する、精神疾患・精神障害の分類マニュアルDSM-5などをもとに、日本小児神経学会などでは「障害」という表記ではなく、「~症」と表現されるようになりました。現在は下記の表現になっています。神経発達症発達障害の名称で呼ばれていましたが、現在は神経発達症と呼ばれるようになりました。知的障害(知的発達症)、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如多動症)、コミュニケーション症群、LD・SLD(限局性学習症)、チック症群、DCD(発達性協調運動症)、常同運動症が含まれます。※発達障害者支援法において、発達障害の定義の中に知的発達症(知的能力障害)は含まれないため、神経発達症のほうが発達障害よりも広い概念になります。ASD(自閉スペクトラム症)自閉症、高機能自閉症、広汎性発達障害、アスペルガー(Asperger)症候群などのいろいろな名称で呼ばれていたものがまとめて表現されるようになりました。ASDはAutism Spectrum Disorderの略。ADHD(注意欠如多動症)注意欠陥・多動性障害の名称で呼ばれていましたが、現在はADHD、注意欠如多動症と呼ばれるようになりました。ADHDはAttention-Deficit Hyperactivity Disorderの略。ADHDはさらに、不注意優勢に存在するADHD、多動・衝動性優勢に存在するADHD、混合に存在するADHDと呼ばれるようになりました。今までの「ADHD~型」という表現はなくなりましたが、一部では現在も使われています。
2024年05月17日結婚4年目を迎えたころ、私は出産を控えていたのですが、なんと夫は娘が産まれる直前に仕事を辞めてしまいました。家計のためにも背に腹は代えられず、私はすぐにフルタイムで仕事復帰。家事や育児と、毎日忙しく過ごしていました。仕事を辞めた以上、家事や育児をある程度担当してくれると思っていましたが、夫は毎日ダラダラしているだけ。資産家の家庭に生まれたひとりっ子ということもあり、実家に顔を出せばいくらかお金がもらえるようで、本人はこのままでいいと思っているようです。突然の離婚さらに夫は、もっと身なりに気を使え、出産前の体型に戻せ、と毎日のように小言を言いますが、仕事と子育ての日々はとても忙しく、いちいち相手にできません。そのままスルーしていると、ある週末、派手な風貌の女性を家に連れてきて「今日から一緒に暮らすから出ていけ」と言ったのです。「ごめんね~夫くんもらうね~」夫の横でヘラヘラしている女性。私が限界ギリギリのところで働いている最中、夫は不倫していたのでした。 私は慰謝料を請求することと親権をもらうことを条件に離婚に同意。夫は慰謝料さえも義両親に払わせたようですが、娘との生活のためにありがたく受け取りました。 元夫と再会…!それからあっという間に5年の月日が経ち、春から娘は小学生。父親がいないことを寂しがる様子もなく明るく元気に過ごしていて、私の仕事も順調そのもの。毎日がとても充実していました。 休日はすこしオシャレをして母娘でお出掛けをするのですが、ある日のお出掛けで、最悪な人物に再会してしまったのです。 「久しぶり! 娘も大きくなったなぁ」声の主は元夫。隣には、離婚の原因となったあの女がいました。女は「今なにしてるの? どうせシンママで貧乏生活でしょ」と舐めるように私を見ます。 そこで娘が一言。「なにも知らないんだね。かわいそう〜」元夫は不思議そうな顔をしています。 シングルマザーの暮らしは?実は私たち、元夫が支払わない代わりに義両親から毎月多額の養育費をいただいているので、不自由はありません。義両親は、不倫して妻を捨てたうえに自分の子どもに対して責任を持たないバカ息子には、1円も遺産は残せないと言って、せっせとお金を使い始めているのです。頻繁にプレゼントをくれるので、今日私が持っているバッグや靴、洋服もすべてブランドもの。すでに夫婦で余生を過ごす高級老人ホームも手配済みで、体が動くうちにと毎月のようにファーストクラスで海外旅行にも行っているので、預金を使い切るのも時間の問題かもしれません。元夫と不倫相手の行く末は…「ウソだろ……!?」夫は話を聞いて絶句。すると、女が「私、聞いてない!」と怒りだし、その場で大喧嘩を始めてしまいました。これ以上巻き込まれたくなかったので、私たちはそっと退散したのでした。その後、2人がどうなったのかは知りませんが、遺産をアテにしていたはずなので、大変な思いをしているのではないでしょうか。私は、義両親の手厚いサポートのおかげですこし仕事をセーブできているので、育児にも仕事にも余裕を持てています。 これからも、娘との時間を大切にしながらゆっくり暮らしていくつもりです。 捕らぬ狸の皮算用とは、まさにこのこと。元夫は、生まれてからずっと恵まれた環境で育っていたので、それがいつしか当たり前だと思ってしまったようですね。 大人になったのだから、親に寄生するのではなく、家族を支えていけるような人間になってほしいものです。著者:ライター ベビーカレンダー編集部/ママトピ取材班
2024年05月17日