「出産 祝い」について知りたいことや今話題の「出産 祝い」についての記事をチェック! (41/69)
出産祝いは、自分では買わないけれどあったら便利だなというものが意外に重宝しました。冬に初産だった私がうれしかった出産祝いをご紹介します。 カサカサしがちな冬に必須の保湿アイテム 新生児のお世話は、ひたすら授乳とおむつ替えの日々。私はお世話の前後には手を洗うようにしていたので、手がカサカサになってしまい困っていました。そんな私に友人がプレゼントしてくれたのは、ちょっと高級なママの保湿グッズでした。赤ちゃんのお世話で荒れがちなお肌を守るためのハンドクリームやリップクリームなど、外出しづらい産後にプレゼントしてもらえてありがたかったです。しかも、ちょっと高級なので、使うたびにウキウキできる効果もありました。 ほっとひと息つく時間のおともに ハーブティーの詰め合わせのプレゼントも、冬出産の私にはうれしいプレゼントでした。冷え性の私は、体を温めるためになるべく温かいものを飲むようにしています。ハーブティーの詰め合わせは、選ぶ楽しさがあり、自分好みのハーブティーを探すティータイムが、育児中のちょっとしたぜいたく時間に。カフェインが入っていないものを選んでくれたので、寝る前や授乳の影響なども心配せずに飲めました。 用途いろいろ、大判おくるみ aden + anais (エイデンアンドアネイ)のスワドル(おくるみ)の存在を知らなかった私ですが、使い始めて虜になりました。 赤ちゃんをおひな巻き(※)する際に使うと、伸びが良いので縛りやすく、通気性が良いので赤ちゃんも巻かれたままスヤスヤ寝ていました。また、授乳する際には自分の首の後ろで結んで授乳ケープに変身したりと使い方がいくつもあり、おでかけの際には小さく畳んでバッグに入れて必ず持ち歩いていました。 (※)赤ちゃんが丸くなる姿勢でくるむ巻き方。おなかの中にいたときのような体勢でリラックスでき、安眠効果が期待できます。 こうして書いてみると、もらってうれしかった出産祝いはちょっと高級で日常使いできるものが私にはうれしいポイントだったようです。そして、赤ちゃんのためだけのものではなく、ママのことを考えているプレゼントに対して、その気持ちがうれしくて、より印象深くなっていると気がつきました。 監修/助産師REIKO 著者:ライター 横山まい三児の母。夫の転勤に伴い三人別々の県で出産し子育てをしている。転勤妻としての妊娠・出産・子育ての経験に基づき、体験談を中心に執筆している。
2020年11月29日ベビーカレンダー編集部がおすすめの「妊娠・出産・育児マンガ」をご紹介♪ Instagramでフォロワー7千人を超えるHYPかなこ(@hyp_kanako)さん。「出産レポ」、「産後レポ 入院編」に続いて、「産後レポ 自宅編」 をお届けします! 産後レポその5です!期待しないって、思っても言っちゃだめだ!と思いつつ、言ってしまいそうになります(笑)。特にこうじ氏にも禁句で、この言葉で相当数落ち込ませてます……反省。でも、期待しないことってラクですよね! こうじ氏も、私に仕事をさせることは期待してないようです。だから、できなかったときに責めないし、自分で対応できる! やってくれたらラッキー!くらいな。ってお互いわかってるのに、やっぱり期待しないって言葉は落ち込ませます。完結してるように見えますが、まだまだ揉めます! いまだに揉めてます! たぶんあと2~3年は揉める気がします!!! チビコーに対してお互いのために触れ合ってほしいので、そういう場面を作ろうと必死でした。なので、ミルクを作るなら「ドラマ見るからミルク作って」って覚悟して言ってくれたら作るし。ミルクを作る時間でミルクをあげて欲しかった。チビコーと触れ合ってほしかったって思っていました!準備や後片付けを自分でして、いいところはやってもらう!ってことありませんか?お風呂に入れてもらうけど、上がったあとのお世話はする。的な!ごはんをあげてもらうけど、後片付けはする。的な!でも、正直それだけでも助かるんですよね。まぁこれで「俺イクメンです!」って言い張られたらアウト―!!!ですが。 (※こうじ氏はそういうことは言わないのでご安心ください)。離乳食のこと⇒おおよそのタイムスケジュール⇒産後レポ自宅編の続きを描いていく予定です! 産後レポ、あとは何かなぁ……寝かしつけとか母乳のこととかかな~。HYPかなこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る HYPかなこ(@hyp_kanako)がシェアした投稿 - 2020年 9月月7日午前5時57分PDT 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター HYPかなこ2018.5生まれのチビコーと夫のこうじ氏、セキセイインコのうなぎの3人+1羽の家族です。WEB制作(私は画像と写真担当)などを夫婦でしてます。婦人科通いの干物→婚活→結婚→不妊治療→ギリギリ35歳で出産→2人目不妊治療中なコミュ障新米母です。
2020年11月27日2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! この連載では、キヨさんの妊娠から出産までの出来事と、子育ての様子をかわいいイラストとともに紹介します♪2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! 第64話、娘ちゃんが1歳ごろからハマりだした「ちゅぱ」の正体とは……!?こんにちは、キヨです! 1歳ごろからベッドの毛布を吸うようになった娘。毛布の代わりに薄手のブランケットを渡してみたら、これがどハマりしてしまい肌身離さず持ち歩くように! 調べてみると「ブランケット症候群」というもので、娘は常にブランケットの端っこを口に入れて吸っていたため、歯並びにも影響がありそうで少し不安でした。 とはいえブランケットがないと超不機嫌になりギャン泣き・落ち着かない・眠れない状態の娘……。かわいそうだったのでそのまま様子を見ることに。 ずっと持ち歩いているので衛生上良くないと思い、他のブランケットで代用してみましたが娘は気に入らず……。お気に入りのブランケットは某ドーナツ屋さんの福袋に入っていた非売品のため、フリマアプリで探して購入。さらに翌年の福袋にも同じブランケットが入っていたので、ブランケット欲しさに2つ買いました! あれから月日が経ち娘は2歳になって、「肌身離さず」というほどではなくなりました。朝起きたら寝室に放置されたブランケットを回収し、夜寝るときに洗濯したきれいなものを渡すようにしています。 日中はブランケットを求めてこなくなって、本当に自然に卒業するものなんだなぁ〜と思いました。 著者:イラストレーター キヨ2018年7月生まれの女の子の母。妊娠を機にデザイン会社を退職しフリーランスに。出産してから食べることが癒やし……。ゆるっと育児漫画、絵日記、イラストをツイッターで更新中!
2020年11月26日私は現在元気いっぱいの2歳の子どもを育てています。この子を出産するときは何日もかかる難産だったのですが、妊娠中に助産師さんから教えてもらった呼吸法が大活躍でした! 呼吸法を練習しておいてよかったと感じた私の体験談です。 産婦人科で開かれた勉強会妊娠中、定期健診を受けている産婦人科で勉強会があるということで、どんなことを教えてもらえるのかワクワクしながら出かけました。勉強会では産婦人科の先生や助産師さんが出産までに大切なことをたくさん教えてくれました。 そのなかでも私が1番勉強になったのは、出産時の「呼吸法」についてでした。出産時にゆっくり深く息を吸うことを意識すると、赤ちゃんも生まれるまでおなかの中で苦しくないということでとっても勉強になりました。 寝る前に意識して呼吸法を練習!出産時のゆったりとした呼吸法について、学んだ日からすぐに寝る前に取り組むようにしました。出産時の呼吸法で1番大切なポイントは、ママが急いで呼吸をせずにゆっくりと呼吸をすることだそう。 いざ出産のときになると陣痛の痛みから呼吸を深くすることができないということを聞いたので、ゆっくりとそして深く呼吸する練習をしました。慣れるまではゆっくりと呼吸をすることが難しかったのですが、少しずつじょうずにできるようになりました。練習しているうちに、いつしか呼吸の練習が寝る前の日課になっていました。 出産時に呼吸法が大活躍!そして迎えた出産日。微弱陣痛だった私はなかなか出産までたどり着くことができず、陣痛が来ているのに産むことができない状態でした。自然分娩で産む予定だったものの、母子ともに体力の限界がきたため急きょ帝王切開になり……結局3日くらいかかった出産。 おなかの赤ちゃんの健康が心配だったのですが、生まれてきた赤ちゃんはとても元気でした! 助産師さんの「ママがゆっくりと呼吸していたから難産でも無事に生まれたのよ! お疲れ様!」という言葉は今でもしっかりと覚えています。 妊娠中は体調の変化に悩まされることが多いですが、おなかの中にいる赤ちゃんと向き合う時間がたくさんありました。私は難産だったのですが、助けてくれたのが「呼吸法」でした。妊娠中に勉強会に積極的に参加していたおかげで、難産にも負けずにわが子を無事に出産することができて本当によかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産時の呼吸法&赤ちゃんの様子 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO著者:優木 のぞみ1児の母。元幼稚園教諭で子どもの成長を見守ることが大好き。障がい児保育も経験あり。現在はわが子との生活を楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆している。
2020年11月26日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第101話。出産祝いは自分で手配をしようと思った和田さん。実家の祖母と母と一緒に準備をし始めたのですが、なんだか思っていたのと違ってしまったようで……。自分が出産するまでわからなかったんですが、お祝いをいただくのはありがたい反面、内祝いの準備って大変ですよね。出産してまだ体調も整わないのに、お祝いのお返しを手配……。今まで気楽に内祝いを受け取っていたけれど、みんなこんな大変なことをしてくれてたんだ、とようやくわかりました。 私の実家は洋品店で、ギフト商品も扱っているため、内祝いの手配は自分たちですることにしたのですが……。 「ママならぬ日々」第101話 自分たちでやれば細かく対応できるし、余計なマージンが発生しない分、良い商品を選べる。そう思っていたんです。 ところが、これが想像以上にドタバタ。初産だったのでお祝いをあちこちからいただいていて、当然お返しする内祝いの数もたくさんありました。商品の入った箱がリビングに積み上げられ、せっせと包装する母、のしの宛名を毛筆で書き続ける祖母、発送作業をする私……と完全にお仕事モード。娘のお世話をしつつ、内祝いの準備をするのは、本当に大変でした。 この経験があったため、数年後2人目の子を出産したときは、よくあるオンラインのカタログギフトで全部手配したんですが、誰も反対しませんでした(笑)。母も祖母も実は大変だったんだと思います。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2020年11月26日結婚後すぐ、義理の実家に完全同居で生活していた私。何かにつけて義母は「ラクできていいわね〜」と言うばかり。産後すぐに私の顔を見るなり、「ラクでよかったわね」と言われ、怒りがこみ上げてきた私の体験談です。 ラクでいい? 同居嫁はラクじゃない!結婚してすぐに妊娠。それから夫の実家に同居していました。夫、義母、義祖母、私の4人での生活。快く受け入れていただき感謝していましたが、高頻度な親戚の出入りや、義母の姉夫婦が突然泊りに来たり、とにかく落ち着くことのない慌ただしい毎日。急に食事を作る量が増えたり、夜にお酒を飲み騒いだり、私の生活リズムやプライバシーはあってないようなものでした。 義妹は遠方で夫婦と子どもだけで生活していたので、何かと私と義妹を比較して「同居はいいわね〜手伝ってくれる人がたくさんいて」と高らかに笑うんです。全然ラクじゃないですよ!と言えるわけもなく、モヤモヤはどんどん増えていきました。 「ラクでいいね」はどんどん増える!おなかが大きくなるにつれ、思うように動かせなくなっていく体。お風呂掃除は義祖母が、トイレ掃除は義母が、と分担してやってくれました。実際代わりにやってもらえるのはとても助かりましたが、義母はまた私がラクをしていると言うんです。 身体的負担は減りましたが、「家事やらなくていいなんてラクね〜」と日々聞かされ、どんどんモヤモヤが増えていくばかり。夫に相談してみましたが、「俺に言う?」となかなか取り合ってもらえず、心苦しさと寂しさで、今にも潰れそうになっていました。 産後すぐにも「ラクでよかったね〜」妊娠37週目、陣痛が来ていることに気づかず過ごしていた私は、破水が起こるまで自宅にいました。夜中に破水してそのまま入院、病院到着から3時間で出産。産後すぐ会いに来てくれた義母は、到着から3時間で生まれたと聞くと、すかさず義妹と比較して「ラクに産めてよかったね〜」と、また私がラクをしたと言い始めたんです。 疲労困憊な私を目の前にして、「ラクをした」と言われるのはなんだか許せませんでした。義母も出産を経験しているのに、どうしてそんなことを言うんだ!と怒りがこみ上げ、なんとも言えない感情になってしまったんです。産後の里帰り中も、義理実家へ戻ったあともモヤモヤはおさまらず、義母との関係は一方的にギクシャクしていきました。 私の義母との付き合い方義理の実家へ戻ってからは、生活に支障のない程度に避けるようになりました。義母を見るとまた「ラクできて〜」と言われる気がして、顔すら見たくない状態に。しかし、同じ家で生活している以上、リビングでは会うことになります。それまでできていたなにげない会話もできなくなっていきました。見かねた夫がフォローしてくれていましたが、正直気休めにしかなりません。 義母にやめてほしいことはたくさんありましたが、ひとつだけ「ラクできていいね」と言うのだけやめてほしいと夫から伝えてもらい、「ラクできて〜」を減らすことに成功。それでも時々言われましたが、言われたときはサッと自室に逃げると決めて、少し義母と距離を置く生活へ変えていきました。 義母や義祖母が、私の至らないところを快く補ってくれていたのは事実です。調べたり教わったりしながら日々奮闘していましたが、完璧主義な義母には敵いませんでした。力不足でイラっとさせていたのかもしれません。 確かに同居嫁は、夫婦だけで生活している家庭に比べるとラクに見えるかもしれません。でも、何かにつけて義妹と比較され、出産すら「ラクしている」と言われるのはやっぱりつらかったです。 本当はラクじゃないんだ!とあのとき言うことができていたら、義母との関係が良くなっていたのかなとも思います。義母の性格、自分の性格に合ったおつきあいの距離が大切なんだと感じました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:島崎あゆみ二男一女、3人の子どもを抱えるシングルマザー。自身の妊娠・出産・育児の経験をもとにライターとして活動中。
2020年11月23日2020年6月に女の子のママになったみいの(@mi_inooooo)さん。出産方法は普通分娩と迷ったものの、無痛分娩で産むことを決意! 無痛分娩出産の記録をマンガでご紹介します。 出産のいきむ練習をして20分くらい経ったころ、先生が登場! ぐいっと穴を広げて、「今来ているので、いきんでください!」とみいのさんに指示を出しますが、思うようにいきめず……。出産まであとひと踏ん張りです! 先生とタイミングを合わせながら挑んだ出産。 そして、ついに赤ちゃん登場……!!! 無事に乗り越えることができて本当に良かったです!! 出産は無事に終わりましたが、お話はもう少し続きます。ぜひ最後までおたのしみください☆ みいのさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る み_いの(@mi_inooooo)がシェアした投稿 監修/助産師REIKO著者:イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。本業は会社員で、現在育休中です。副業として広告漫画家として活動してます。娘を生んでからのエッセイ漫画や、趣味イラストをアップします。よろしくお願いします!
2020年11月22日長女が生後10カ月のときに下の子の妊娠が判明しました。うれしい反面、まだ私にべったりの長女にさみしい思いをさせてしまわないか不安でもありました。お姉さんになる準備をしつつ、残り少ないひとりっ子の時間を満喫させながら、下の子を迎えたときのことをご紹介します。2人目を妊娠。当時、長女は生後10カ月長女出産後、夫と私は年が離れていることもあり、2人目を考えるなら、なるべく早くと思っていました。しかし、いざ2人目の妊娠がわかったときに、うれしい気持ちと同時に長女の気持ちを考えると複雑な気持ちにもなりました。 私にべったりの長女がやきもちをやいたり、さみしい思いをしてしまわないだろうか……。せっかく2人目ができたのに素直に喜べなかったことを、おなかの子にも申し訳なく思いました。 「お姉ちゃん」になる準備はするべきか?長女本人はわかっているのかわかりませんが、周りからは「お姉ちゃんになるんだね」と言われるようになりました。ですが、私と夫は「お姉ちゃんになるんだから、しっかりさせないと」というよりは、残り数カ月のひとりっ子の時間を満喫させてあげようと考えました。 そのころからお人形遊びやおままごとに興味を持ち始めていたので、赤ちゃんの存在を知ってもらおうと一緒にお人形のお世話をしながら遊んでいました。 想像以上に「お姉ちゃん」らしい長女に感激!そして迎えた出産。立ち会いOKの産院だったので、さっそく出産直後の赤ちゃんと長女を会わせることにしました。産後、私と赤ちゃんが突然家に帰るより、生まれたばかりの赤ちゃんを見せるほうがいいと思ったからです。長女は不思議そうに赤ちゃんを見ていました。 その後退院し、家に帰った私が赤ちゃんのおむつ替えなどをしていると、長女は「自分もしたい」とおむつを持ってきました。またある日は、赤ちゃんが泣いていると私を呼びにきてくれました。長女は、私の想像以上にしっかり「お姉ちゃん」になっていたのです。 年子だからまだ難しいだろうと思っていましたが、想像以上に赤ちゃんをすんなり受け入れた長女。下の子を自分より小さいものとして大事にしている姿に日々感激しています。 原案/深田ようこ作画/YUDAI9℃
2020年11月22日出産のときに痛い思いをするのは陣痛だけだと思っていた私。産後はかわいいわが子と対面し、穏やかに過ごすことを夢見ていました。しかし実際には、いつまでこんな痛みが続くんだ!?と泣きながら乗り越えた後陣痛の体験談をご紹介します。 陣痛の痛みから緊急帝王切開へ出産予定日よりずっと早く、妊娠33週4日で来てしまった陣痛。破水もしておらず心の準備はできていませんでしたが、いざ始まってしまったらやるしかない!という思いで陣痛の痛みに耐えていました。痛み逃しがうまくできずに吐いてしまったり、かなりつらかったのを覚えています。 いよいよ子宮口も全開大に近づいてきたときに、いきなり感染症の疑いがあるとのことで緊急帝王切開へ。出産後の検査で感染症ではないとわかったのですが、このときはこの陣痛の痛みから逃げられるならなんでもいい! 早くおなかを切ってくれ! なんて思っていました。 緊急帝王切開後に予想外の痛みが…緊急帝王切開後は、終わった……!という達成感と陣痛から逃げられた安心感しかありませんでした。「術後は少し痛むからね」という助産師さんからの話も、あの陣痛を耐えられたんだから大丈夫かなと呑気に考えていた私。しかし、麻酔が切れてくると、おなかを切った痛みとは別の痛みも襲ってきて困惑していました。 どんどん強まる痛み麻酔が完全に切れてどんどん強まる痛み。後陣痛について、妊娠が進むにつれて大きくなった子宮が妊娠前の大きさに戻るために収縮することで痛みが来ると助産師さんからは聞いていたものの、ここまで痛いとは予想外でした。痛み止めを打ってもらいましたが、次に痛み止めを打てる時間前には、また強い痛みが……。 この痛みが3日は続き、少し弱まってきたものの6日目まで続きました。母乳をあげるときは、子宮が収縮するからなのか耐えがたい痛みが襲ってきましたが、かわいい赤ちゃんを見てなんとか耐えた!という感じでした。 出産回数を重ねるにつれて1人目の出産でもとても痛かった後陣痛。しかし1人目の後陣痛なんてまだまだだったと思い知ったのは、2人目の出産時でした。3人目になるとそれより遥かに痛みが強く、よく助産師さんに弱音をはいていました。 とはいえ2人目、3人目ともなると痛み止めの効き方や時間もわかっていたので、なんとか後陣痛の痛みを耐えられた気がします。 出産に対する勉強不足だったこともあり、知らなかった後陣痛。帝王切開後の傷の痛みもあったため、壮絶な痛みを体験しました。出産時や産後の痛みに耐えて、なんとなく母は強しという言葉に近づけたかな?と思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:三上美咲3人の未就学児年子の母。営業職でほぼ不在の夫と5人暮らし。育児をはじめとするさまざまなジャンルについてライターとして活動中。育児については主に自身の体験談を元に執筆している。
2020年11月22日私には8歳・6歳・4歳・2歳の4人の子どもがおり、4人とも違う産院で出産しました。そのうち会陰切開したのは1人目のときだけです。下の子3人は会陰切開せずに出産し、裂傷ができた場合は縫うというものでした。個人的に一番痛かったのは、1人目のときでした。今となってはどれもいい思い出ですが、私の出産体験をお話しします。 1人目の出産、会陰切開あり1人目を出産した病院は、出産時は基本的に会陰切開をするという方針でした。初めての出産ということで、何の疑問もなく出産に臨みました。 陣痛の間隔が短くなり、子宮口が全開大すると、いよいよ分娩台へ。赤ちゃんの頭が出るという段階で「ザクザクッ」。もちろん麻酔もしていますし、陣痛のほうが痛いので平気でしたが、裁ちばさみで切られたような感覚で切開されました。無事に生まれた後、縫合して出産は終了しました。 抜糸までが地獄の痛み…無事生まれて感動と興奮が冷めやらないのも束の間、地獄のような痛みに襲われました。縫合した糸が引っ張られていたのか、結び目の所が痛くて痛くて、痛み止めを飲むほどでした。 普通に座ることもできず、ドーナツ座布団が必須。日に日に痛みが増していきました。この痛みは抜糸をすると嘘のようになくなりましたが、痛みに耐えた入院期間でした。 下の子3人は裂傷するも、痛くない2人目以降は、会陰切開のない産院でした。2人目の出産のときは、頭が出るときに確かに痛いと思ったら3カ所ほど裂傷しており、縫合してもらいました。 ただ、このときは体に吸収される糸で丁寧に縫ってもらったのか、産後の痛みはなく、用意していたドーナツ座布団も必要ないほどで、拍子抜けしたものです。3人目と4人目も切開なしの自然な分娩でしたが、3人目はちょこっと裂けて縫う程度で、4人目はかすり傷でした。 毎日の運動が功を奏したか4人全員の妊娠中、安定期に入ると毎日マタニティヨガやストレッチ、筋トレなどをして出産のために体を整えていました。そのなかに会陰の柔軟性を高めるポーズやバランスボールを使った体操もあったので、切開なしでも産めたのはそのおかげもあるのかなと思います。 また出産のための体力作りにもなるようにと、無理のない程度にできるだけ体を動かすようにしていたので、ラクに産めたのかもしれません。 4回の出産を経験して、もしかしたら1人目の縫われ方の影響があったのかもしれませんが、切開しないほうが痛くなかったので、私にとっては切開しないほうがラクでした。もし5回目があるのなら、マタニティヨガなどで会陰の柔軟性を高めたうえで、切開なしで産めたらいいなと個人的には思います。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO著者:やましたくるみ2男2女の母。結婚を機に田舎に移り住み、のんびり子育てを楽しみながら、自身の体験談を中心に執筆中。
2020年11月19日私は現在、2歳の息子と生後3カ月の娘を育てています。第一子、第二子ともに、妊娠中、義母との間に“あるトラブル”がありました。それは、子どもの名前についてでした。自分が話の中心にいないと嫌な義母義母との関係は良好ですが、夫は義母のことがあまり好きではないため疎遠です。半年に1度は会う義母。夫と私が話していても、自分のわからない話になると明らかに不機嫌に。そして、全然違う話に変えてしまい、私のわからない昔話などを始めます。 夫によると、昔からワガママで、自分の思い通りにならないと怒り出す義母だったようです。 妊娠報告後からしつこい提案私の妊娠がわかると、会うたびに、そしてメールの文末には必ず子どもの名前を提案してくるようになりました。私や夫と趣味が合えばまだ良いのですが、趣味の合わない名前ばかり……。 夫婦で「名前については候補があるので……」と言っても、結局名前が決まるまで義母の提案は継続。私もかなりストレスが溜まり、夫にも相談しましたが、「最後は自分たちで決めるのだから放っておいていいよ」と言われました。 名前が決まったとき、義母の反応は…その後、無事に出産! 義母から提案された名前を1つ候補に入れ、義母と夫で話し合い。最終的に夫婦で相談し、夫婦で考えた名前が決定しました。 私と夫それぞれから、義母にメールで報告。夫はメールや電話で義母から「決まった名前は知り合いにいるから」などやめるようにも言われたようですが、私には「おめでとう! 良い名前だね!」とメールが来ただけでした。 第二子でも…約二年後、私は第二子を妊娠しました。うれしい反面、また子どもの名前で義母と揉めるのは嫌だなと思いました。でも、性別が女の子とわかってからも、名前のことは何も言ってきませんでした。きっと義母は私たちの気持ちをわかってくれたのだと思い、安心していました。 ところが、義母は我慢できなくなったのか、出産が近づくとまた子どもの名前の候補が送られてくるようになりました。夫と話し合い、夫から義母へ「上の子のときから女の子だったらつけたいと思っていた名前をつける」と伝えたのですが、結局第二子のときも出生届を提出するまで、いろいろな子どもの名前の提案がありました。 あんなに悩んでストレスを抱えていたのに、今、義母はニコニコと夫婦で考えた子どもの名前を呼んでいます。孫のかわいさが勝ったようで、義母は子どもの名前のことについて何も言ってきません。子どもの名前をつけるのは一度きり。いろいろとありましたが、夫婦で話し合って素敵な名前を子どもにプレゼントできたと思っています。 原案/山本加奈子作画/YUDAI9℃
2020年11月18日「案ずるより産むが易し」という言葉もありますが、出産では予期しないハプニングに見舞われることもあります。初産で18時間半の陣痛に耐え、やっと分娩台に辿り着いた途端に遭遇した、なかなか経験できないような私の体験談をお伝えします。 隣は緊急事態!?初めての出産。想像を絶する陣痛に耐え、いよいよ分娩台へ! その瞬間、カーテン1枚隔てた隣の分娩室の様子がにわかに慌ただしくなりました。 隣からは、張りつめた緊張感がビシバシと伝わってきます。まもなく、緊急搬送されてきた妊婦さんが到着。産院の医師は全員、その妊婦さんの処置にあたり、ほかのすべてのお産が一時的にストップしたのです。トラブルのない妊婦の私はそのまま約2時間、分娩台で待機していました。 隣はドラマの「救命病棟24時」のような緊迫感隣の様子はまったく見えませんが、緊急搬送の妊婦さんは大パニックを起こしていて、何度も「私の赤ちゃんが! 赤ちゃんが!」と泣き叫び、そのたびに助産師さんに「しっかりしなさい! ママになるんでしょ!」と厳しく言われていました。 加えて、医師が指示を出す鋭い声や医療器具の音が重なり合い、まるでドラマの「救命病棟24時」のような状態に……。あまりに壮絶なやり取りで、自身の陣痛を忘れるほどでした。 お隣さんは母子ともに無事! よかった!隣から羊水を吸い出すゴーッという音が聞こえてきました。リアルな音が衝撃的で、完全に自分の陣痛を忘れました。間もなく、お隣さんが母子ともに無事出産を終えたことを知り、ホッとした途端に強烈な陣痛が……。 しかし、産院はストップしていたお産が再開されたことで忙しさのピーク! 「すみませーん! 痛いんですけどー!」と、ずっと医療スタッフを呼び続けました。その後、20分足らずで、私は無事に第一子を出産しました。 世のすべてのお母さんが、それぞれオリジナルの「出産ドラマ」を内に秘めています。そして、そんなことはなかったかのように、日々をパワフルに生きています。本当に「母は強し」ですね! ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 監修/助産師REIKO作画/和田フミ江著者:伊川 遥女の子と男の子の二児の母。家事や子育てのかたわら、自身の体験をもとに妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆中。趣味は読書、音楽、料理、ボルダリング、絵を描くこと。
2020年11月15日陣痛は痛かったですが、赤ちゃんに会えるうれしさのほうが強く、なんとか耐えられました。しかし出産時に会陰切開となったため、今度は産後の傷跡の痛みが待っていたのです。出産直後だけ痛いと思っていた私は、数週間ほど傷の痛みとたたかうことに……。会陰切開をして傷の痛みとたたかい、その後傷が回復するまでをお伝えします。出産時、会陰切開が必要に!陣痛が始まって病院に着いたときにはすでに子宮口が7cm開いていたため、慌ただしく出産の準備がおこなわれました。こんなにも一気に子宮口が開くと思っておらず、出産が近づく緊張と激しい痛みに自分を保つのに精一杯で、軽いパニック状態に。あまりの激痛にとにかく早く痛さから開放されたいという気持ちが一番でした。そこで、医師から「赤ちゃんが出やすくするために会陰切開をします」と告げられ……。「出産時に会陰切開をする場合がある」と事前に説明を受けていたので、心の準備はできていました。 会陰切開をし、いざ出産!医師からの「切りますね」の声とともに会陰切開をしました。一瞬チクリとしましたが、陣痛の痛みほうがまさっていて会陰切開の痛みはさほど感じず、医師からも「少し会陰切開をしましたが、裂けてはないので最小限で済みましたよ」とのこと。ひとまず出産を終えてホッとし、喜びに浸っていました。出産後の処置も終わって2~3時間経ったころ、次第におしりに違和感が……。出産時は緊張と興奮で高まっていた気持ちが落ち着き始め、次第に痛みへと変わっていったのです。 退院後も1カ月近く続いた痛み出産後から会陰切開の傷が痛み、ドーナツ型の穴あきクッションに座る毎日でした。入院中、同じ日に出産した人でも会陰切開をしていない人は普通に椅子に座ったり歩いたりしているのでびっくりしました。あとで経産婦の人に聞いた話では、会陰切開をしたのとしないのとでは出産後の痛みや傷の回復にかかる期間も異なるとのこと。産むまでのことしか考えておらず、出産後にこんなにも会陰切開の傷が痛いとは思いませんでした。それから1カ月近く違和感や痛みが続くことになったのです。 痛みの感じ方や長引き方は人それぞれと頭ではわかっていたつもりでしたが、実際に自分が経験することで、こうも違うのかと痛感しました。第二子のときには少しでも産後の痛みを軽減するために、会陰切開をしないで済むよう、妊娠後期から会陰マッサージしたりしました。その効果あってか、第二子は会陰切開をせずに出産し、第一子のときよりも出産後の痛みはなく、経過も順調で身動きがとりやすかったです。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー 原案/福山あかね作画/やましたともこ
2020年11月13日「無痛できない出産レポ」9話。無痛分娩ができなくなったぐら子さん。誘発剤で陣痛を起こし、いざ子宮口全開大! 何度もいきみますが、頭が大きくなかなか出ない!?いよいよ吸引分娩、というところで先生が「吸引分娩したことないの」とのまさかの発言。現場は騒然となり……? 「無痛できない出産レポ」9話 というわけで、渾身のいきみのあと無事生まれました!! さすが実母! 一番冷静でした。 まぁお股はかなり裂けましたが、無事生まれたのでオールオッケー! しかし更なるトラブルが……! もう少し続きます。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 お母さんの言葉に最後の力を振り絞っていきんだぐら子さん。 そして、無事こーくんが生まれました!! 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター ぐら子2歳、0歳の兄弟と夫と気ままに楽しく過ごす日々。イラストを描くこととチョコレートとお茶がこよなく好きです(//∇//)
2020年11月13日Instagramで大人気のニシカタさん(Instagram@c_nishikata)の育児エピソードをお届けします。 毎晩、今日あったことを振り絞って考えるニシカタさん。保育園ママから「わかります!」と共感の声が殺到した、その理由とは……?! 深夜の連絡帳タイム……。すっとネタが出るときもあれば、いくら絞り出そうとしても何も思いつかないときもある……。 そんなときは、いつのことかわからないけど、比較的最近起きた気がすることを書いています。ブログでは、健康面で連絡したいことがあるときだけ書く方や、イラストで埋める方など、いろんな方がいらっしゃいました!アナログでなくデジタルで出来たらもっと最高!ニシカタさんの最新マンガはInstagramやアメブロで更新中です。ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る ニシカタ(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2019年11月月25日午後7時52分PST著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2020年11月12日2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! この連載では、キヨさんの妊娠から出産までの出来事と、子育ての様子をかわいいイラストとともに紹介します♪2018年7月生まれの女の子の母、キヨさんのゆるっと笑える育児マンガ! 第63話、娘ちゃんが急に離乳食を食べなくなる期間にキヨさんがとった対処法は…… ?こんにちは、キヨです! 離乳食も進んできた生後10カ月ごろ、娘は基本的によく食べてくれるほうなのですが、1カ月に数日ほど“食べない期”がありました。 “食べない期”に突入すると、大好きなうどんも断固拒否! 用意したその他ごはんもすべてムダに……。 幸いバナナなどの果物は食べてくれたので、食べてくれない炭水化物やタンパク質を横目に「食べないものはしょうがないから果物だけでいいか…」と果物だけをあげていました。 離乳食期は作ったごはんがムダになってしまうときがあって、なかなかしんどいものでした。 著者:イラストレーター キヨ2018年7月生まれの女の子の母。妊娠を機にデザイン会社を退職しフリーランスに。出産してから食べることが癒やし……。ゆるっと育児漫画、絵日記、イラストをツイッターで更新中!
2020年11月12日いざ入院日、産院に向かう車の中でまだまだ私は夫に愚痴を吐いていました。「なんで女ばかり痛い目に合わないといけないのか」やら、「せめて産んだ後くらい男が全部面倒見てくれよ。あんたらの乳首はなんの為に退化しないんだよ」やら、「出産は昔から皆やってきた事だから大丈夫とか思ってんでしょ!昔からみんな出産は怖がってたんだよ!当たり前に産むと思うなよ!!」やら。今この場で言われても、もうどうしようもない事をグズグズ言っていると、夫が「そうだよねぇ。君今から複雑骨折させるけど頑張ってね、一応麻酔はするけど、効くか効かないかは個人差だから。って言われてるもんだよなぁ」と言われ全くその通りだとギャン泣きで産院に向かいました。(情緒が家出中)産院に到着し、すぐに処置室に呼ばれました。診察台に乗りバルーンを着けている時ですら、なぜ女ばかりこんなに痛い思いをしなければいけないのか?? 仕事もして家事もして出産の痛みも女がやって…、といろいろなものに腹を立てていたのが良かったのか、バルーン処置は全く痛みを感じませんでした。その後夜の9時まで夫と一緒に過ごしましたが陣痛が始まることもなく夫は産院を去り、いよいよ一人で過ごさなければいけず不安な夜を過ごしました。バルーンで子宮を開いてるので、地味にズーンとした痛みが時々あり、「このまま夫不在の中出産が始まるのでは…!?」と、一人ヒヤヒヤした夜でした。が、結局翌朝まで陣痛は起こらず、夫と8時に再合流。良かった~~~!!夜中に感じていた痛みは朝にはなくなっていました。そして陣痛室に移動するよう言われ、移動します。この時バルーンのおかげで子宮口は3cmまで開いていました。が、痛みは全くなし。1人目の時は3cmでだいぶヒーヒー言ってた記憶があったため「3cmも開いてるのに痛くないってどうゆうこと!? 」と一人で驚いていました。陣痛室のベッドに横たわると、突然現れた看護師長から研修生を立ち会わせて良いかと聞かれました。「未来の産科のためにぜひ!」と言われると断ることもできず…。許可すると2人の若い女性が私の出産に立ち会ってくれる事となりました。(最終的のこのお二人がかなり心強くサポートしてくれる事となる)まずは促進剤は使わず、バルーンの効果で自然に陣痛が起きるのを待ちましょうとのことで、足湯が出てきました。足…湯…だと?足湯をする事で血流が良くなり、陣痛が起きやすくなるそうです。「入浴剤2種類からお好きなの選べますよ!」と言われ好きな匂いをお湯に入れ足を温めます。研修生のお二人が足をマッサージしてくれるなど、1人目の出産時に体験した陣痛室の惨状とは全く違った対応に衝撃を受ける私。陣痛室にいるにも関わらず、夫と離れている間不安に押しつぶされないように爆買いしたコミックも読んで良いよと言われ、分娩台に乗りながらコミックを読みだす私。目の前にはTVもありニュースを見つつ漫画を読む陣痛室。何だここは実家で過ごす正月か!?足湯をして1時間が経過するも子宮口が3cmから開かないため、お股の間に湯たんぽを入れる事に。それも1時間近く試してみるも、あまり効果はなく「よし、促進剤入れてみようか」と先生。促進剤を入れて暫くすると、ケラケラと読んでいてコミックはさすがに読めなくなり、出産らしい雰囲気になっていったのでした。(でもコミックは分娩台の上にあった)次回ついに第二子出産! 続く!
2020年11月12日引っ越してきて1年、ご近所さんとはあいさつをするだけではなく、世間話も度々しながら仲良くするようにしていました。特にお隣に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんとは、私や夫だけではなく4歳の娘と2歳の息子も仲良くさせてもらっていました。しかし3人目を出産したとき、その方から驚きの出産祝いをいただいたのです。 妊娠中も気づかってくれたご近所さんわが家は1年前に戸建てに引っ越しました。その数カ月後に妊娠がわかったのですが、何かあったときのためにご近所さんには妊娠していることを報告しておきました。また、毎日あいさつするだけではなく、子どもたちもお世話になるだろうと思ってよく話すようにしていました。親切で気づかってくれる方が多く、とても助かります。 私が住んでいる場所はご年配の方が多く、家の前で子どもたちを遊ばせていると、わざわざ外に出て声をかけてくれたりします。面倒見のよいおじいちゃんやおばあちゃんが多く、うれしかったです。 私が臨月のときは「もうすぐ生まれるの?」「頑張ってね!」など声をかけてくれました。上の子どもたちもご近所さんにすぐに懐き、たまにお菓子をもらったりするようないい環境で暮らしています。 産後、帰宅した日にすぐに駆けつけてくれたやがて3人目を出産し退院すると、「赤ちゃんの声が聞こえたから」といってお隣に住んでいるおじいちゃん、おばあちゃんがきてくれました。「これからうるさくなってしまうかもしれませんが、今後ともよろしくお願いいたします」と私が言うと、出産祝いをくださったのです。 それはお金だったのですが、なんと中身が1万円! 親族でもないのにこんな金額をもらうとは思っていなかったので驚きました。「お返しはいいからね!」と言われたものの、さすがにそのままにはできないと思って後日菓子折りを持って伺いました。 ちょっと気疲れした「お返し」半返しだと逆に気を使われてしまうかなと思い、3,000円程度のお菓子を渡しました。「お返しはよかったのに!」と言われたものの、近所はご年配の方が多いので、私のことを話題に出されて変なことを言われても困る……という思いもあり、きちんとお返しをしました。 すると数日後、上の子どもたちにわざわざおもちゃを購入して持ってきてくれました。まさかそんな形でさらなるお返しをいただくと思っていなかったので、どうしよう……と対応に困ってしまいました。 さすがに何度もお互いにお返しをし合っているときりがないので、おもちゃをもらったときは「ありがとうございます」と子どもたちとお礼を言いに行って終わりにしました。こんな形で何度もご近所さんからお祝いをいただくとは思っていなかったので驚きました。本当にやさしい方ですしご近所付き合いは大切なので、今後も仲良くさせてもらおうと思っています。 監修/助産師REIKO著者:永田真結4歳の長女、2歳の長男、0歳の次女を持つ母。自身の妊娠、出産、育児に関する体験談を中心に記事を執筆している。
2020年11月09日2人目出産の際、おなかの中の赤ちゃんが妊娠38週で逆子になってしまいました。急きょ帝王切開になるかと思いきや、手術予定日当日の朝、奇跡的に赤ちゃんが頭位に戻ってくれたおかげで、最終的に自然分娩で出産することができました。出産を目前に控えた臨月のわずか1週間のうちに、逆子判明と逆子解消の両方を体験した、私の奇跡的な出産体験談をお伝えします。 妊娠38週で、まさかの逆子!妊娠38週に入り経過も順調だったので、あとはもう元気な赤ちゃんに会えるのを楽しみに待つばかりでした。しかし、妊婦健診に訪れた病院で先生から思いもよらない一言を聞かされます。 「あれ? 頭が下にないな。逆子になっちゃってるね」 驚くことに、出産予定日まであと10日と差し迫っているタイミングにもかかわらず、逆子になってしまったのです。自然分娩予定が急きょ、3日後に予定帝王切開手術を受けることになり、大慌てで心電図やレントゲン、血液検査を受けました。 逆子体操NG逆子と診断を受けてすぐ逆子体操をすべきかどうかも先生に伺いましたが、私の場合はすすめられませんでした。臨月に入ってから逆子体操をすることでお産が進みやすくなる傾向にあるそうです。 そして逆子のままお産を迎えてしまうと緊急帝王切開になり、普通の帝王切開手術よりもさらにリスクが上がってしまうので、逆子体操はせず、できるだけ安静にしているように説明を受けました。 前日はまだ逆子私の出産した病院では、予定帝王切開の場合は手術する日の前日に入院します。母体と赤ちゃんの健康状態を確認したり、前日の夜から飲食を中止したり、夫と一緒に手術について最終的な説明を受けて同意書を記入したりしました。この日のエコー検査では、残念ながら赤ちゃんはまだ逆子のまま。それでも先生から手術当日の朝も確認して、もしそのときに頭が下に戻っていたら、自然分娩にまた切り替えると説明を受けていたので、祈るような気持ちで一晩を過ごしました。 当日の朝、奇跡が! 帝王切開を受ける当日の朝、目が覚めるとそれまで恥骨のあたりで感じていた胎動が肋骨のあたりで感じられたことをはっきりと覚えています。これはもしかして……と期待を胸に診察を受けると、本当に赤ちゃんの頭が下にあり、逆子が直っていました。 通常は、逆子が戻ると陣痛を待って出産するために一時的に帰宅するそうですが、私の場合はまた逆子になるリスクがあったので、そのまま陣痛促進剤を使用して出産することに。先生から陣痛中もまた回ってしまうこともあると言われていたので、陣痛の痛みを耐えた上でさらにおなかを切られるなんて⋯⋯!とハラハラドキドキ。幸い陣痛中はもう一度逆子に戻ることなく、どうにか自然分娩で出産することができました。 「臨月でこんなにぐるぐる回る子は滅多にいない」と、病院の先生と助産師さんにも驚かれた私の赤ちゃん。今回の出産を通じて、逆子から頭位に自分で戻ってくれた赤ちゃんにも、直前まで戻ることを諦めずに待ってくださった病院の先生と助産師さんにも、心から感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 ◆関連動画出産ドキュメンタリー イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:山本加奈子5歳女児と0歳男児の2児の母。自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月09日公開と同時に大反響を呼んだ、命が誕生する奇跡の瞬間を追いかけたドキュメントタリー映像シリーズ。第1弾は「通常分娩」、第2弾は「計画無痛分娩」、第3弾は「予定帝王切開」現在3つの動画を合わせて320万視聴を超え、大反響を呼んでいます。動画を見た方からは「命が生まれる尊さを知った」「子どもが生まれたときのことを思い出して泣けた」など感動の声がたくさん届いています。通常分娩、無痛分娩、帝王切開、出産の形は違えども、いずれもひとつの命がこの世に生まれ、家族が生まれる瞬間は尊く、素敵なものだと感じていただけると思います。これから出産されるママの心の準備としてだけではなく、お子様のいる方にもぜひご覧になっていただけたらと思います。そして命の重さについて、家族の絆について見つめ直したり、より絆を深めるきっかけになりましたら幸いです。 命がけで出産に臨んだ全てを収録した通常分娩(シリーズ第1弾) 通常分娩編は、陣痛から出産、そして出産から1カ月半後の様子までを追いかけています。命が生まれることの尊さだけではなく、出産に命がけで臨む母親と、それを支える家族の姿、出産現場のリアルをお伝えしてます。出産後1カ月半経ったあとの新米パパとママの奮闘ぶりや、赤ちゃんの様子も必見です。家族が誕生する瞬間に感動の声が多く寄せられ、わずか1カ月で50万視聴を超えるなど、大反響を呼びました。 夫婦二人で乗り切った計画無痛分娩(シリーズ第2弾) 麻酔薬を用いて出産時の痛みを和らげる「無痛分娩」を選択したご夫婦に密着。妻を一生懸命サポート、生まれたときに思わず男泣きする姿に心を打たれた人たちも多かったよう。近年、日本でも無痛分娩を選択する方が徐々に増えてきています。 関心が高まっている一方で、「本当に痛くないのか」「デメリットはないのか」と不安を感じる方や、実際にどのような流れでお産が進むのか知らない、気になっている、という方も多いのではないでしょうか。この動画を見れば「無痛分娩」への詳しい理解にも繋がります。 日本初!医師監修の予定帝王切開(シリーズ第3弾) 小さな命を守るために予定帝王切開での出産を選んだ家族の物語です。赤ちゃんが誕生する瞬間の奇跡に涙したという声が多く聞かれました。実は今5人に1人が帝王切開で赤ちゃんを産んでいます。大げさにいえば、5人友達が集まればその中の1人は帝王切開の人がいるということに。つまり、自分が帝王切開になる可能性も高いということになります。妊娠を控えている方も、これから結婚して子どもを産む女性にも心づもりとして、ぜひ見ていただきたい動画です。 3作ともぜひご覧になっていただけたら嬉しいです。そして、感想をお聞かせください!
2020年11月07日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第96話。里帰り出産中の和田さん。週末、夫がやってきてお世話をしてくれたのはいいのですが……。和田さんはブチ切れ寸前!その理由とは?実家に里帰りしている私のもとに、週末夫がやって来ました。しかし、出産してからずっと赤ちゃんのお世話をしている私と、1〜2回おむつを交換しただけの夫とでは、すでに経験値や赤ちゃんに対する責任感に大きな違いが生まれてしまっていました……。「ママならぬ日々」第96話 この「2階からおふとん事件」は衝撃的だったので、今も私の心に強く残っています。最初に聞いたときは「え?なんで?」と思ったんですが、「それほどいっぱいいっぱいになってしまったということだったんだな」と、この後自分も同じようにブチ切れて、理解しました。その話はまた次回……! 監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2020年11月07日30代前半までは重い生理痛と、多めの経血、そしてPMSに悩まされていた私。でも、出産で、そんな私の生理がすごく変化しました。でも、それによって、新たに困ったことが出てきてしまったのです……。 生理痛も重め、経血量も多め。PMSとも診断されて…30代前半で第1子を出産するまで、とにかく毎回の生理が重かった私。 経血量も痛みも半端なく、仕事を休んで寝込むこともしばしば。27歳のころには婦人科でPMS(月経前症候群)と診断され、通院もしていました。 私の場合、PMS症状がわかりやすく、症状の重さで生理が来る日が9割方把握できるほど。 そのためいつも、ナプキンや痛み止などの受け入れ準備は万端! 「予想外に始まっちゃった~」ということは、ほぼありませんでした。 第1子を出産後、生理の様子が変わった! でも困った!その後、第1子を出産。産後1年ほどで生理が再開したのですが、あんなにひどかった生理痛が、薬が不要なくらいの軽さになり、PMSもほぼなくなりました! ただ、体はラクになったのですが、私の場合は困ったこともあったのです。 それは、PMSがなくなった分、いつ生理が始まるのかがまったくわからなくなったということ。そのため、「いきなり生理が始まった! だけどナプキンがない!」と薬局に駆け込んだり、はたまた「そろそろ来るかも……?」と思って、無駄に1週間ナプキンをつけてみたり。 生理痛やPMSはなくなったものの、経血量の多さは妊娠前と変わらずだったので、これには困ってしまいました。 第2子出産でさらに変化。大惨事が起こることもしばしばその後、第2子を出産すると、さらに生理痛が軽くなり、PMSは消え去りました。それでも経血量は変わらず、多いまま。なかなか、生理のタイミングをつかむことができないために、子どものお世話や寝かしつけでナプキンを交換するタイミングを逃して、大惨事になることもしばしば……。 今では生理が始まると、はじめの3日間は、昼夜を問わず「多い夜でも安心!」レベルのナプキンを愛用しています。 以前から、生理は、年齢や出産で変わるよと聞いていましたが、まさかこんなに変わるとは思いませんでした。私も、あんなに重い生理に悩まされていたのに、年を重ねたり、出産を経験することで変わっていきました。この先、閉経するその時まで、変化する「生理」と折り合いをつけつつ、自分の一部としてうまく付き合っていきたいと思っています。 監修/助産師REIKO---------文/ほりえあみさん
2020年11月06日Instagramで大人気のニシカタさん(Instagram@c_nishikata)の育児エピソードをお届けします。 夫がちょっとしたことでイライラしていたのを見て、「イライラしないでよね……」と思っていたニシカタさん。しかしそのあと……?! もうね~、たまに自分を客観視すると、本当に良くないなーと思うことが多々あって、その都度直したいなと思うもののなかなかうまくいかなくて。 とっさの対応って本能だから気持ちのブレーキ入れるのが難しいんですよね……。 本能が薄汚れてるんだな。 もう転生するしか……!!! ニシカタさんの最新マンガはInstagramやアメブロで更新中です。ぜひチェックしてみてくださいね。 この投稿をInstagramで見る ニシカタ(@c_nishikata)がシェアした投稿 - 2019年11月月15日午後3時54分PST著者:イラストレーター ニシカタ2018年1月、長女を出産。インスタで出産、産後、育児レポートマンガを更新し、人気に。ゲームと海外ドラマとデパ地下が好き。
2020年11月06日現在、2歳の女の子と生後10カ月の男の子を育てています。1人目の妊娠がわかったのは、私が19歳のときでした。10代で妊娠と出産を経験した私が感じた悩みやよかったこと、そして周りの反応についてご紹介します。 妊娠判明と親への報告「生理が1週間遅れている」。生理が遅れたことがなかった私は、すぐに妊娠していることに気が付きました。当時私は社会人1年目でひとり暮らしを始めたばかりでしたが、一瞬も迷うことなく産むことを決断しパートナーに報告。パートナーも迷うことなく産むことに賛成し、喜んでくれました。 その後2人で、実家を訪れて母に妊娠を報告。はじめは涙を流して反対していた母でしたが、何日もかけていかに真剣かを誠心誠意伝えると、「毎日ここに説得しにくるたびに、顔つきが母親になってきている。あなたが幸せになる道を選びなさい」と認めてくれました。 いざ出産!健診に通っていた個人病院では「若年妊婦でリスクがあるためここではお産はできない」と言われ、妊娠30週で転院し総合病院で出産することになりました。 妊娠40週5日の夕方に高位破水をし、陣痛がくる前から入院。夜中にいきなり3分間隔の陣痛が始まり、呼吸に集中すること3時間。 無事に3,800gの大きな女の子を出産しました。初めて娘を抱っこしたときの喜びと感動は、今でも鮮明に覚えています。 自分らしい子育て入院中は、「若いママだからと周りの偏見があるかもしれない。これだから若いママは⋯⋯と言われないように頑張らないと!」 と毎日気を張りながら過ごし、心が疲れていました。そんな私に、娘を取り上げてくださった助産師さんが「周りと比べないで、娘ちゃんの自慢のママになってね」と声をかけてくださいました。 「娘にとって自慢のママでいればいいんだ」と思うとパッと気持ちが晴れ、自分らしい子育てができるようになったのです。完璧を求めず、周りと比べない。何歳のママだろうが、初産ならみんなママ1年生!とポジティブに考えられるようになり、毎日楽しく子育てしています。 現在は2児の母になり、日中は子どもたちを保育園に預けて働いています。保育園でも職場でも、周囲のママたちは年齢関係なく同じママとして接してくれ、ママ友もできました。初対面の人から必ずと言ってよいほど、「いくつ? 若いよね?」と年齢を聞かれるので、会話のきっかけになるというのが若くして出産した強味だと思っています。 監修/助産師REIKO作画/ぐら子著者:伊藤あいり2歳の女の子と0歳の男の子の母。現在は、美容関係の営業職として働きながら、子育てに関する体験談を中心に執筆中。
2020年11月04日2020年4月に第一子のちっちゃんを出産し、ママになったふじこさん。今回は、ふじこさんがママになって感じたキャパシティについてのお話をご紹介します! このマンガを読んだママたちからは、「心が軽くなりました 」「すごく共感しました」などの声が続出しています。人それぞれ。今の自分のキャパシティは…? 出産して感じたこと……。 今まで何も気にせずできていたことが、娘が生まれてからできなくなった……。 「やりたいこと」と、「やらなきゃいけないこと」の板ばさみになって、なにもかも中途半端になって時間だけが過ぎていく……。出産して間もなくは特に、そういったフラストレーションをかなり感じてしまっていました……。 でもそれって、なにもかもを“ひとりで完璧にこなさなきゃいけない”って、どこかで頑張りすぎていたのかもしれない。 でも結局自分のキャパシティはすぐには変わらないわけで。 ……だったら、どこかで分散させるしかないんです! 一気にたくさん持とうとしなくていい。自分の持てる分だけでいい。疲れちゃったらひと休みすればいい。 ……最近になって、ようやくこんな考えが持てる余裕が生まれてきた気がします。(笑) まだまだうまく自分をコントロールするのが難しい日もあったりするけれど……。 これからも自分を労りながら、過ごしていきたいなと思います。キャパシティは人によってそれぞれ異なるほか、目に見えるわけではないので自分自身にしかわからないですよね。ふじこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ふじこ2020年4月に第一子出産。夫ゴマさんとちっちゃんと3人家族のリアルライフ。育児記録になります!
2020年11月04日私の祖母が他界したのは、息子が生まれる2週間前のことでした。いつもやさしくしてくれた祖母に、ひ孫の顔を見せてあげられなかったことの他に、もう1つ私には心残りなことがありました。 大好きな祖母は筆まめな人でした「元気にしていますか」。祖母からの手紙の書き出しには、いつもこう書いてありました。祖母は周囲への気配りがじょうずで、私のことを気づかいながらもこちらからの返信を求めるようなことはなく、「おばあちゃんのボケ防止だから、お返事はいいのよ」と言ってくれました。 私はその言葉に甘えて、電話したり遊びに行ったりはするものの、手紙を出すことはほとんどなく、妊娠してつわりが出始めてからは一度も書きませんでした。 元気だったのに…祖母との突然の別れ出産間近となり、私たち夫婦は子育てしやすい環境へ引っ越しをすることになりました。そのことを伝えると祖母は荷解きの手伝いを買って出てくれ、昼食まで用意してくれたのですが、まさかこのときの「きんぴら」が、最後の祖母の手料理になるとは……。 引っ越しから1週間ほどたち、祖母と同居する叔父から「祖母の具合が急に悪くなった」と知らされ、病院に運ばれたときにはすでに昏睡状態。祖母は二度と目を覚ますことはありませんでした。 祖母への最後の手紙すでに臨月を迎えていた私は、葬儀への参列は家族に止められてしまいました。せめて手紙だけでもと、たくさんの想いを込めて手紙を書きました。このときに感じた後悔は今でも忘れることができません。 それからというもの、私は手紙をたくさん書くようになりました。身近な人へのちょっとしたお礼のメールから、大好きな作家さんへのファンレターまで。手紙を書くうちに、祖母の気持ちがだんだんとわかるようになりました。大切な人にいつでも感謝を伝えられると思いがちですが、実際はそうではなく、相手と疎遠になったり、祖母のように突然亡くなることもあります。おそらく、祖母は自身が高齢なことを感じて、伝えられるうちにと私に手紙を書いてくれていたのだと思います。 育児で忙しいと友人と疎遠になることがあったのですが、祖母の手紙で得た教訓から、少し手があいたときになんてことのないメールを送ったりしています。字を書いたり、メールの文面を考えることで自分自身の息抜きにもなりました。これからも周囲の人への感謝の気持ちを忘れずに、手紙を書き続けていきたいと思っています。 監修/助産師REIKO著者:田丸あかね現在、小学校1年生と幼稚園年中の兄弟を子育て中。性格の違う子どもたちの成長を楽しみつつ、自身の体験をもとに、妊娠・出産・子育てに関する体験談を中心に執筆している。
2020年11月03日「無痛できない出産レポ 」1話。Instagramで人気のぐら子(@gura_gura07)さん、長男ゆーくんと次男こーくん兄弟のママです。2人目こーくんの出産で希望していた無痛分娩ができなかった、ぐら子さんの体験談をご紹介していきます。長男のときと同じように無痛分娩にすると決めたぐら子さん。説明を受けると、前回の出産とは流れが変更になっていて……? 「無痛できない出産レポ 」1話 そろそろこーくんの出産レポート描いておかないと忘れそうなので……。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 1人目ゆーくんのときとは無痛分娩の流れが変わり、自然に陣痛がくるのを待つことになったぐら子さん。 どうなることでしょうか?! 監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター ぐら子2歳、0歳の兄弟と夫と気ままに楽しく過ごす日々。イラストを描くこととチョコレートとお茶がこよなく好きです(//∇//)
2020年11月03日2020年6月に女の子のママになったみいの(@mi_inooooo)さん。出産方法については、以前から無痛分娩と決めていたものの、周囲に相談するとその気持ちは揺らいだそう。 しかし、悩んだ結果、無痛分娩を選択することになり……!? 出産についてはいろいろな考え方があるほか、とっても大事なことなので真剣に悩むし、迷いますよね。 それでもほかの人の意見を聞いたり、病院で説明を聞いたりしながら、出産方法について悩んだ結果……無痛分娩を選択したみいのさん。 さて、お話は少しずつ進展していきます。次回はどうなるのでしょうか………!? ぜひおたのしみに!!みいのさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ この投稿をInstagramで見る み_いの(@mi_inooooo)がシェアした投稿 - 2020年 9月月11日午前1時57分PDT 著者:イラストレーター みいの2020年6月に娘が生まれました。本業は会社員で、現在育休中です。副業として広告漫画家として活動してます。娘を生んでからのエッセイ漫画や、趣味イラストをアップします。よろしくお願いします!
2020年11月03日この記事では、無痛分娩を予定したところ、急きょ帝王切開に変更になってしまった先輩ママが、事前に出産についての知識を得ておくことの大切さを実感した体験談をお伝えします。 2人目出産の際、コロナ禍で立ち会い出産ができなかったことや、産後は遠方からの移動を考慮し、実家の助けなしで夫婦2人でお世話をしようと決めた私たち夫婦。そのため、できるだけお産に対する不安を払拭したく、無痛分娩を希望しました。しかし、想定外のことが次々に起こり、プチパニックになってしまった私の出産レポートをお伝えします。 コロナ禍での出産、無痛分娩を希望私が無痛分娩を希望した理由は大きく2つありました。1つ目は、コロナ禍で立ち会い出産不可だったので、痛みをひとりで乗り越えるのが不安であったため。 2つ目は、遠方からの移動を考慮し、実家の助けを借りずに夫婦2人で子どものお世話をすることにしたので、産後に体力を温存しておきたかったためです。 私のお世話になった産院では、無痛分娩は計画分娩でおこなわれていました。経産婦であることも考慮し、妊娠38週5日で計画・無痛分娩の手筈となりました。妊娠中はマイナートラブルはあるものの、大きな異常はなく順調に経過していたので、お産も順調に行くと思っていました。 入院当日は、子宮口を広げるためのバルーン留置や無痛分娩のための硬膜外麻酔のルート確保などの処置をしてもらい、陣痛促進剤の点滴が開始されました。通常であれば、陣痛促進剤とバルーンでお産が進み、陣痛の痛みが出てきたら硬膜外麻酔薬を入れてもらい、出産するという流れでした。 急きょ、帝王切開での分娩に!ところが、私の場合、陣痛促進剤とバルーンでは思ったようにお産が進みませんでした。子宮口がなかなか3cm以上開かないまま、破水してしまいました。破水すればお産が進むかと思いきや、高位破水でさほど進まなかったため、先生が人工破膜をしました。しかし、それでもお産は進まず、陣痛促進剤を使っているにも関わらず陣痛が遠のいていきました。 そして、破水しているため、子宮内の赤ちゃんの感染のリスクが高まると説明を受け、このままお産が進まなければ、帝王切開に切り替えたほうが良いと先生から説明を受けました。正直、私は無痛分娩の予習しかしておらず、突然帝王切開と言われ、「えーー!? 帝王切開!? おなか切るんでしょ? 痛いよね? 術後はどんな感じになるの?」とかなり動揺しました。でも、「おなかの赤ちゃんを無事に産んであげたい」と言う思いから、先生の説明通り、急きょ帝王切開での分娩に切り替えたのです。 術後は痛みとの戦い痛みにはめっぽう弱い私。(そのため、無痛分娩を選択したのですが)。急きょ、帝王切開となり、とても怖かったです。しかし、手術自体は30分程度で終わり、しっかり麻酔が効いていたので、もちろん痛くはなく、また、あっさり赤ちゃんが生まれてきたことに少し戸惑うほどでした。 しかし、本当の痛みと恐怖はここからでした。麻酔が切れ、傷口と後陣痛の痛みが出てきました。個人差はあるものの、これらの痛みはおおよそ術後3日目くらいまで続くと聞き、術後3日を目標に頑張って耐えました。点滴がはずれてからも、痛み止めをしばらく内服し、頓服薬として退院後にもいただきました。 そして、痛みがあるなか、スパルタ指導が加わりました。まずは歩行訓練! そして、トイレ(排泄)の練習! そして、授乳指導! 赤ちゃんのお世話! 第1子は自然分娩だったので、産んだあとは意外とスタスタ歩けた私ですが、今回は、痛みと麻酔の痺れが残っており、よろよろフラフラ。その一歩がつらい状態でした。産後に体力温存どころか、痛みとの闘い、授乳を含めた赤ちゃんのお世話で満身創痍となり、私はボロボロでした。 産後、妊娠高血圧症候群に悩まされ…妊娠中は比較的順調で血圧も一度も引っかかったことがありませんでしたが、さらに追い討ちをかけるように産後に妊娠高血圧症候群になってしまいました。また、術中の出血が多く、貧血にもなっていました。授乳していると、クラクラ〜と目の前がボヤけたり、立っているのが難しいときもありました。 そんなこんなで、退院後も安静指示をされ、当初は体力温存して簡単な家事はやろうと思っていたのですがまったくできず、 急きょ、行政と民間を通じて育児ヘルパーさんなど外注をするなどして、産後を過ごしました。 無痛分娩にかかる費用に帝王切開の費用が上乗せされ、かなりの高額になったのに加え、退院後の外注諸々にかかる費用もプラスされ、結果的に当初の予定よりかなりの出費になりました。後日いろいろ調べていくうちに、社会保険から高額療養費として、いくらか戻ってくること、会社の福利厚生から育児ヘルパー費用として、一部助成があることを知り、どちらも全額ではありませんが、少しでも戻ってくるお金があるとわかって安心しました。 今回の経験で、何があるかわからないのがお産だとつくづく感じました。想定外のことが起きても、落ち着いて、そのときベストだと思える選択ができるよう、知識や情報を仕入れておく重要性を痛感しました。もちろん、過度に心配する必要もないと思いますが、「知っている」のと「知らない」のとでは大きな違いがあると思いました。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 イラスト/sawawa監修/助産師REIKO著者:影山 照子4歳、0歳の姉妹の母です。現在は、産休・育休中を利用して妊娠・出産・子育てについて、体験談を中心に執筆中です。
2020年10月31日「ちょこの出産体験談」第6話。Instagramで人気のちょこ(@_choo_co)さん、不妊症と診断されてから出産するまでの体験談をご紹介します。ついに出産し、ホっとしたのも束の間、赤ちゃんはNICUへ。一度も抱くこともできないまま、赤ちゃんはNICUに運ばれ、その後状態について説明を受けることに。 「ちょこの出産体験談」第6話 新生児一過性多呼吸は早産や帝王切開の際によくあることなのですが、どちらも当てはまらない!! 本当に最後まで何があるかわからないのが出産ですね。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 「新生児一過性多呼吸」「肺炎」 次々に思いがけない赤ちゃんの病状を説明され、ショックを受けるちょこさんご夫婦でしたが、しばらくすれば退院できると聞き、ひと安心します。 ちょこさんのマンガは、このほかにもInstagramで更新されています。ぜひチェックしてみてくださいね♪ 監修/助産師REIKO 著者:イラストレーター ちょこ子育て世代から今大人気のインスタグラマー。女の子のママ。育児絵日記と産後のエピソードを描いています。
2020年10月30日私の愛すべき家族
育児に遅れと混乱が生じてる !!
こどもと見つけた小さな発見日誌