2015年11月9日 08:57
「31歳が分岐点」 - 法学部から映画の道へ進んだ監督・篠原哲雄さんの働き方
その出会いがひとつの運命ですね。
――助監督というのはどんなことをしていたんですか?
最初は見習い助監督だったので、半分は衣装部だったり、小道具もやったりしていました。だから、エキストラに演技をつけたりしていると、照明さんに「なんで演技をつけてるんだ?」と聞かれて、「いや僕、助監督なんですよ」なんてやりとりをしたりもしていました。
でも、この助監督の経験があったことで、映画というのは技術に基づいて作っていくもので、自分の観念だけではどうすることもできない、総合的な芸術なんだとわかりました。それに、監督というのは、ひとつひとつをジャッジする存在です。監督の判断が間違えば、その映画は間違っていくと思うし。助監督をしながらも、映画監督になるためには、自分なりのアプローチを磨いていかないといけないといけないなと思っていました。
――そして、助監督から映画監督になるわけですが、その決断をするときに、戸惑いはありませんでしたか?
助監督でそれなりに仕事ができる人は、仕事が途切れなくなるから、自分でそろそろつくるべきだという決断をしなければと思っていました。
僕は自主映画として撮った『草の上の仕事』という作品がある映画祭で評価されたので、ここをひとつのステップにしようという気持ちが芽生えました。