くらし情報『「31歳が分岐点」 - 法学部から映画の道へ進んだ監督・篠原哲雄さんの働き方』

2015年11月9日 08:57

「31歳が分岐点」 - 法学部から映画の道へ進んだ監督・篠原哲雄さんの働き方

そのころ、助監督時代の先輩が新作を撮るということで、助監督をしてくれないかと頼まれたんですけど「モントリオール映画祭に行くのですみません」と断ったら、それが一つの宣言になった。あいつはもう助監督をやらないんだという認識になったんですね。31歳のときのことでしたけど、それが分岐点になりました。

――それからは、自分の映画で生きていかないといけないわけですね

映画会社に企画を持ち込んで、いいところまでいったのですが、それは実現せず、その代わりに別の企画を打診されました。それが『月とキャベツ』という作品になっていくのですね。『草の上の仕事』からだいたい三年経っていたんですが、その間も大変でしたけど、何かきっかけはあるだろうと、怖いもの知らずなところはあったかもしれないですね。

○人の評価を受けて自分も変わっていくもの

――監督は、『月とキャベツ』のようなスタイルの作品を自分が撮ると考えていましたか?

僕はもともとロバート・デニーロの『タクシードライバー』が好きだったんで、ハードな社会的なメッセージの強い作品が好みだったんですね。でも、最初の作品のイメージというのはその後も影響しますよね。

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