くらし情報『67回目の訪朝へ。寺越友枝さん「国交なき国境を越えて」』

2018年8月26日 11:00

67回目の訪朝へ。寺越友枝さん「国交なき国境を越えて」

漁の手伝いをしたら、500円くらいはもらえる。だから私は、『はよ、漁に出てこい!』言うて、あの日も、まだ昼食のコロッケをほおばる武志を急かせて、漁に行かせてしもうた――」

警察や村の人々による捜索が続いたが見つからず、捜索はわずか1週間で打ち切りに。遺体も揚がらないまま葬儀が行われた。

「死んだかどうかもわからんのに葬式なんかしとうなかった。でも、小姑からは、『葬式をせにゃ、田植えもできん!』と怒鳴られた。けど、あきらめきれん。葬式が終わってもひとりで浜に出て捜し回った。警察や海上保安庁へも何度も行って、『なんでもっと捜してくれんのや。
うちが貧乏やからか!』と暴れたこともあった。まだ、“拉致”ちゅう言葉もなかった時代。生死だけでも知りたいと思うて、占い師に頼ったこともある。どの占い師からも『武志は死んどる』と言われたんや」

武志さんが失踪して23年目の’88年1月。友枝さんの母心を激しく揺さぶる事件が起こる。「武志の23回忌が終わったころ。いつまでも『武志、武志』言うていたらいかん。区切りをつけようと思うて、失踪後、海に浮かんでいた学生服を’87年の12月に処分した。
その1カ月後やった。

関連記事
新着くらしまとめ
もっと見る
記事配信社一覧
facebook
Facebook
Instagram
Instagram
X
X
YouTube
YouTube
上へ戻る
エキサイトのおすすめサービス

Copyright © 1997-2024 Excite Japan Co., LTD. All Rights Reserved.