V6解散、小室離婚で告白 パークマンサー農家転身の激動19年
「僕は全然、おもしろキャラじゃなかったんです。地元の富山でダンスをしていて、上京して。通っていたダンススクールの師匠がLDHの前の事務所を立ち上げて。師匠はHIROさん(51)の弟分で。それでHIROさんに師匠のモノマネをしたら、『すげー面白いじゃん!』って。
当時の僕は、ダンスのオーディションに落ちてばかりでした。でもHIROさんが笑ってくれたことで、『認められた!』と思って。居場所を見つけたんです。
ちょうどその頃『学校へ行こう!』のオーディションがあって、勢いで受けたら合格しました」
『学校へ行こう!』出演時を回想し、「当時は僕が出演すると、瞬間視聴率が5%も動いていたらしいです(笑)。地方営業とかしていたら、億プレイヤーになっていたと思います」とパークは話す。
しかし彼は『B-RAP』が終わると、俳優の道へ。
「月9に3年連続で出演しました。でも、セリフが5行とかなんですよ(笑)。他にもエキストラをしたり、劇団に入ったり。でも役者だけでは食っていけない。稽古して、バイトしてっていうのを11年間、繰り返していました」
すると、15年に転機が訪れた。
『学校へ行こう!』スペシャルで軟式globeが登場したところ、ネット上でバズったのだ。