「国境なき子どもたち」会長寺田朗子さん“8万人の子の母として”
(寺田さん)
謙虚で率直な人柄は多くの大人たちを、そして、子どもたちをも魅了する。
’46年5月16日、東京・渋谷で生まれた寺田さん。幼稚園から高校まで、女子校の名門・雙葉学園で学んだ。その後、フランス語の教師になろうと、東京外国語大学フランス語学科へ。超難関だった留学のための奨学金制度「サンケイスカラシップ」に合格し、大学3年の秋から1年間、フランスのグルノーブル大学へ留学を果たす。留学の年に開催されたグルノーブル冬季五輪の開会式で、コーラスグループの一員としてフランス国歌を歌い、日本選手団の通訳を務めた。
充実した留学生活を送り、’68年夏、帰国。帰国の翌年、大手メーカーに勤めていた5歳上の保信さん(現・寺田倉庫会長)と結婚する。
学生結婚だった。大学に籍を置いたまま、24歳で長男、26歳で次男を出産。28歳で大学を卒業し、同じ年の秋に長女を出産。
子育てが一段落すると、寺田さんは同窓会の手伝いを始めた。最初は雙葉の、やがては外語大の同窓会も手伝うことになり、しだいに人脈が広がり、それが新たな出会いを運んでくることになった。