「国境なき子どもたち」会長寺田朗子さん“8万人の子の母として”
「フランス語のできる人、いないかな。今度、フランスに本部があるNGOの人間が日本に支部を開設しに来るんだけど、手伝わないか?」
外語大の先輩から、そう声をかけられたのは’92年12月。寺田さんは46歳になっていた。「会うだけ、会ってみてよ」と言われ、先輩が経営する会社に出向くと、大柄なフランス人男性が待っていた。「国境なき医師団」の日本支部開設のため、パリから派遣された、40歳を超えたばかりのドミニク・レギュイエさん(65)だった。彼女はボランティアスタッフ第1号になった。
それから5年、ドミニクさんを事務局長に、数人のスタッフで活動を続けていた「国境なき医師団日本」は、’97年、法人格取得の準備を開始。翌年、初代会長の辞任に伴い、会長に推された寺田さんは軽い気持ちで引き受けた。
「実務はドミニクやスタッフがやってくれますし。1~2年で交代してもらおうなんて、思っていたんです」(寺田さん)
ところが、会長就任直後の’99年、「国境なき医師団」は28年間の人道援助活動が評価され、ノーベル平和賞を受賞し、事態は一変する。