2018年4月23日 16:00
90歳の現役弁護士 元気のヒミツはお能の「謡」と大好きなお肉
「生まれたばかりの赤ん坊を含め、子どもがごろごろおりますから、父は相当困っとったのでしょう。親戚の勧めで、夫を亡くしていた母の妹が、母が死んですぐ、私からしたら叔母が、新しい母になったんです」
継母には2人の子がいた。いとこたちが湯川さんの新しい姉と妹になった。
「新しい母はどこか冷たい感じがしたし、一つ違いの新しい妹は勝ち気で私とよくぶつかって。わがままいっぱいに育った私は、だんだん暗くなっていきました」
時を同じくして、日本も暗い時代に突入する。同年、日中戦争が勃発したのだ。
「大人も子どもも皆、日本が絶対勝つと信じてましたよ」
湯川さんが女学校に進学して間もなく、一家は中国・上海に移住。大都会の上海は、戦争景気に沸いていた。
しかし、日本の戦況悪化とともにバブル景気は衰退。日本は負け、湯川さんは家族とともに故郷・熊本に引き揚げた。
「戦争に負けたのはショックでしたが、アメリカさんのおかげで日本も男女共学が始まって。私は父に『東京の大学に行きたい』と宣言しました」