元タレントの上岡龍太郎さんが5月19日に肺がんと間質性肺炎のため死去したことが2日、明らかになった。これを受け、間寛平と桂小枝が同日、所属事務所を通じてコメントを発表した。間寛平は「上岡さんにはすごくかわいがっていただいたので、訃報を聞いてショックでした」と心境を吐露。「『探偵!ナイトスクープ』でも大変お世話になりました。個人的には38年前に初めてフルマラソンを走ったホノルルマラソンでタイムが3時間13分57秒やったんですけど、上岡さんからお祝いをいただき、封筒を覗いたら3万1千357円入ってました。アースマラソンではゴール地点のNGKにそっと出迎えに来てくれていました。本当に残念です」と悼んだ。桂小枝は「信じられません、上岡さんはパーフェクトな人で死なないと思ってました」と驚きを隠せず。「怒りの上岡と言われましたがボクは怒られた事がありません、何でも自由にやらせて頂きました、今の桂小枝があるのは上岡さんのお陰です」と感謝し、「上岡さんが引退される前に弱ってからでは遅いので形見分けを下さいってお願いすると楽屋暖簾を下さいました。中に手紙が入ってました。上岡さん、本当に有り難うございました。これからも見守って下さい」と偲んだ。
2023年06月02日●「舞台には真実があるんだな」評価してくれたファンに感謝吉本興業110周年を迎えた2022年に、吉本新喜劇の初のゼネラルマネージャー(GM)に就任した間寛平が打ち出した「吉本新喜劇座員総選挙」。約2カ月に渡る投票によって集められた票数は77万184票。その中から3万9,405票を集め、見事1位に輝いたのが「いぃよぉ~」のギャグで人気のアキだ。1位になった瞬間「やっとスタートラインに立てた」という思いが胸に去来したというアキが素直な胸の内を語った。間寛平がGMに就任し打ち出した「吉本新喜劇座員総選挙」。上位30名が10月10日に大阪・なんばグランド花月で開催される「吉本新喜劇まつり」(チケット完売/オンライン配信あり)に出演するという試みだ。スタート当初はさまざまな意見が飛び交ったという。アキは「新喜劇っていろいろな笑いで構成されていますよね。オープニングで、1人で持っていかなければいけない若手もいれば、急に暴れまわる人間もいる。いろいろな役目を担った野球チームみたいな集まりなので、それを1つのベクトルで順位を決めるということに異議を唱える人もいました」と企画が上がったときの内輪の反響を明かす。それでもアキは「寛平師匠が言っているように、お祭りでいい。ワイワイ盛り上がって30位に入れなくてもいいし、不正してもいい。それを全部笑いに変えるようなお祭りなんだ」と理解を示すと、一方で「こういうものが見たいんだ」という新喜劇へのリアルな期待の表れでもあるという認識を持っていたという。そんななか、見事アキは中間発表から1位の座を守った。会見の席では得票してくれた年齢層など分析された結果が発表され、いろいろなことが頭のなかを巡ったというが「パッと浮かんだのが『これでようやくスタートラインに立てた』という思いなんです」と胸の内を吐露する。その真意についてアキは「びっくりされるかもしれませんが、2014年に大阪の新喜劇に入団させてもらってから8年、毎週昼間にやっている新喜劇のテレビ放送に、ほとんど出たことなかった」と語ると「僕は8年間、ほぼ劇場と営業でやってきた。だからまさか自分が1位になるなんて夢にも思っていませんでした」と本当に驚いたという。しかし一方で「舞台には真実があるんだな」としみじみ語ると、しっかりと劇場に足を運んで自分の笑いを評価してくれたファンに感謝する。「僕は1つの舞台を大切にやってきました。人によっては一生に一度の観劇かもしれない。特に子供はいまゲームやらなんやら遊ぶことなんていっぱいあるじゃないですか。そんななか、貴重な時間を割いて新喜劇に来てくださった人には、本当にぎっしりと詰め込んだものを見せたいと思ってやっていました」。○■間寛平GM就任で180度変化「風通しがよくなりました」総選挙一つとっても、寛平がGMになったことで、新喜劇は「180度変わりましたね」とアキは断言する。「とにかく、偏った体制というか、しがらみみたいなものを排除して風通しがよくなりました。僕としては、すっちーと一緒にやることで化学反応が起こるかもしれませんし、小籔(千豊)くんともなんかやりたいという思いもあります。アキ曰く「やっぱり面白い奴、才能のある奴が残っていく。新喜劇でも絶対そうならないとあかんと思っていますし、お笑いというのは本来ピュアなものでなければいけない。そこには忖度などはあってはならない。そういう部分は寛平師匠がGMになってからはとてもフラットになった気がします」と変化を述べる。さらにアキは「僕もいろいろ悔しさはありましたが、それを恨みに変えるのではなく、自分自身の学びとして変換していくことで成長させてもらった」と振り返ると「だからこそ、今回こうして1位に選んでいただけたことで、スタートラインに立てたと思っているし、いろいろな人とコラボしていって、60年間人々に愛されてきた新喜劇という歴史を汚すことなく受け継いでいきたいと思っているんです」と熱い思いを語る。●座長公演に意気込み「伝統を意識しつつも、新しいものを」今回の総選挙の1位を記念して11月29日~12月5日まで、大阪・なんばグランド花月にて座長公演を行うことも発表された。アキは「僕自身が、新喜劇全体をどうのこうのというのはおこがましいですし、そんな考えは一切ないんです」と前置きすると「東京の劇場ルミネtheよしもとでの10年間を含め、ずっとやってきていることなのですが、新喜劇のなかにちょっとした泣きやダンス、殺陣、そして音楽要素などを入れて、総合的なエンターテインメントとしてしっかり見せる。観終わったあと、笑いはもちろんですが、なにか生きるうえで大切にしなければいけないことが、ジワっと感じられるような……そんな“アキ色”を出していきたいです」と意気込みを語る。さらに今後の吉本新喜劇についてアキは「自分が求めているのは、常に見たことがないもの、新しいもの」と語ると「台本のない新喜劇や無観客でやることも批判はありましたが、行動することで何かが変わるんです」と持論を展開。自身の座長公演も「しっかりと伝統を意識しつつも、新しいものを提示していきたい」と意気込む。○■世の中が落ちついたら再び水玉れっぷう隊としての活動も吉本新喜劇の未来を担うキーマンのアキだが、お笑いコンビ「水玉れっぷう隊」というコンビの一員でもある。「僕らはルミネtheよしもとがオープンするときに、大阪から東京に移ったのですが、最初は『水玉れっぷう隊』として漫才やコントをしながら、今田耕司さんや東野幸治さん、木村祐一さんらが座長を務める新喜劇に出させてもらったんです。そのうちに、だんだんと舞台の面白さを実感して、その流れで2014年に吉本新喜劇に入団させてもらいました」。吉本新喜劇に入団することは「転職するようなもの」と語ったアキ。これまでのキャリアもゼロから再スタートするような感覚だったという。そんななか「水玉れっぷう隊」は解散するという前提だった。「でも会社に話したら『別に仲が悪いわけではないのなら、解散という言葉を使わずにいればいい』というアドバイスをいただいたので、お言葉に甘えて残させてもらったという感じなんです」。コロナ禍になる前は、それぞれ違う道に進んだ「水玉れっぷう隊」も、相方のケンとは、月に一回程度トークライブを開催していたという。「完全に違う道に進んでいるからこそ、すごく化学反応があって面白いんですよね」と語ると、また世の中が落ち着いたら「2人でやっていきたいですね」とファンにとってはうれしい言葉を残してくれた。アキがこれまでライフワークとして行ってきた「Joy! Joy! エンタメ新喜劇」。今回の座長公演では「これまで積み重ねてきたことをしっかり踏襲しつつ、きっと期待に応えられるようなものにしていきたいです」と抱負を語ってくれた。■アキ1969年8月22日生まれ、大阪府出身。高校卒業後、東映太秦に所属し、スタントマンとして活動。1992年より吉本興業に所属し、ケンとお笑いコンビ・水玉れっぷう隊を結成。そして、2014年に吉本新喜劇に入団。アキのみ大阪所属となるが、その後もコンビを継続している。
2022年10月07日●競争することで「若い子の目の色が変わってきた」今年2月、吉本新喜劇のゼネラルマネージャー(GM)に就任した間寛平。そこから約半年経過したが、どんな活動を行い吉本新喜劇にどんな変化が生じてきているのだろうか――率直な胸の内を聞いた。○■総選挙で確信「面白い奴はきっと売れる」吉本新喜劇GM就任会見で寛平は「必ず大スターを作ります」と宣言。数々の改革案を提示した。そのなかでも大きな話題となったのが「吉本新喜劇座員総選挙」を行い、上位30名が「吉本新喜劇まつり2022」に出演するという試みだ。「総選挙はすごく盛り上がっていただいていますね。すでに30万票ぐらい投票がありますよね(7月末時点)。僕の順位がちょっと(中間発表で7位)……なのは残念ですが(笑)。でも新しい劇場を作ってもらって、若い子らもネタをやる場も増えてきたのはいいことだと思います」寛平GMの誕生から半年。これまでおっとりとしていた若手にとっても、総選挙という場ではっきりと順位が出ることで、意識も変わってきたという。「もともと出番がなかった若い子たちのなかには、面白いネタをたくさん作れる子はいる。でもやっぱり今の子らは競争意識がない。僕らのときは『絶対座長になってやる! 売れてやる!』みたいな思いが強い奴らばかりだったんだけれどね。だからまず僕がすべきだったのは『頑張らんとあかん』と気持ちに火をつけること。実際若い子の目の色が変わってきたなと感じています。まだまだ僕に直接相談することは難しいかもしれませんが、マネージャーには若手からたくさん相談が寄せられているそうです。確実に変わってきていますよ」大がかりな総選挙を行ったことで見えてきたこともたくさんあった。最も強く感じたのが「面白い」ということの尊さ。「現在の順位を見ていて感じたのは、アキ、辻本(茂雄)、すっちー、内場(勝則)と上位にいるのはみんな面白い奴ら。面白い奴はきっと売れるっていうのは確信しました」○■「ほかの芸人には負けん!」という気持ちから変化寛平自身、GMという大役を担いながらも、芸人として舞台に立つ。いわゆるプレイングマネージャー的な立場だが、芸人としての心持ちに変化はあるのだろうか――。「大きく変わりました。これまでは舞台に立つときは『絶対ほかの芸人には負けん!』と強気で臨んでいたのですが、いまは劇場で笑いが起こっていたらめちゃくちゃうれしいんですよ。やっぱり新喜劇全体を見るようになってから、以前は『こいつ腹立つなー』なんて思っていた奴も、みんなかわいく見える。早く売れてほしいとか、仕事が多くなったらいいなってね」自身の順位(中間発表で7位)についても「まったく気にならない」と笑い飛ばした寛平だったが、そこには複雑な心境も見え隠れする。「正直な胸の内を明かせば、ちょっとは気になりますよね。(寛平の息子でありミュージシャンの)慎太郎がライブやったりすると『ファンに(投票を)入れとってくれって言っといてくれ』なんて言ったりね(笑)。なんかちょっとガツガツしてきたかな。でもやっぱりアキや辻本とか上位のメンバーは面白いから。負けたくないのは川畑(泰史)とかかな(笑)」吉本新喜劇のGMという大役。寛平自身は、まさに青天の霹靂だったという。「本当に社長はようこんなこと考えましたよね。なんで僕をこんな立場にしたんだろうなって。僕は本当になにも考えない人間。『いくつになっても甘えん坊』ってわけわからんことやっているのが好きな人間ですからね。自分でも似合わんことやっているなと思っています」●新喜劇は“大阪の宝”「若い人に受け継いでいってほしい」○■「とにかく売れてほしい」賞レースへの参加も呼びかけ慣れない仕事で毎日がしんどいことばかりだという寛平。それでも自分に期待をしてくれるという吉本興業の思いは意気に感じている。「僕なんて本当に会社に迷惑かけまくっていましたからね。横山やすしさんという芸人さんご存じだと思いますが、あの人も破天荒な人でしたが、僕も争うぐらいひどかった(笑)。それぐらい無茶苦茶やっていたのに、吉本興業には大事にしてもらった。ここで恩返ししなければという気持ちでいっぱいなんです」寛平いわく「面白い子はいっぱいいる」という。だからこそ「とにかく売れてほしい」と切に願っている。そのためにはどんな道を通っても構わないという。「若い子には、『キングオブコント』でも『R-1グランプリ』でも、どんどん出てみたらいいと話しています。そこで売れたら新喜劇にも良い相乗効果が生まれるだろうしね。でも『新喜劇のために頼むぞ!』とは言っていますが、もし『キングオブコント』で決勝に行ったり優勝して、新喜劇じゃない道に進みたいと言ったら、それはそれでいいと思っているんです。やっぱり悔いが残らない人生にしてもらいたいですからね」“新喜劇愛”を通り越して“人間愛”にまで発展している寛平。それでもやっぱり吉本新喜劇の未来には大きな期待を持っている。「僕は新喜劇って大阪の宝だと思っているんです。60年以上ずっとやってきて、テレビを含めれば何億人という人が観てきたと思うんです。こんなすごい劇団があるんだから、やっぱり若い人に受け継いでいってほしいという思いはあります。僕も吉本入って53年になりますが、当時の先輩は皆さん亡くなってしまった。もういま新喜劇で残っている先輩は、やなぎ浩二や池乃めだか、末成映薫ぐらいかな。僕もゆくゆくは死ぬだろうし、歴史は続いていってほしいですよね」○■“第二の明石家さんま”は無理だけど「面白い人間を」また「大スターを作りたい」と話していた真意について問うと、ある大物芸人の名前を挙げる。「社長から『頼んだ』と言われたとき、僕は第二の明石家さんまを作ろうと思ったんです。舞台上でも、舞台を降りてもキャーキャー言われる存在をね。でもすぐに無理だとわかりました。あんな男は絶対に出てこない。やっぱり特別ですよね。さんまちゃんを目指そうとした瞬間、ほとんどの人間はつぶれてしまう。それだけ特別な存在ですね」明石家さんまのようなスターは無理でも、この半年間のGM経験で実感したのは「面白かったら売れていく」ということ。だからこそ「面白い人間を作らなければいけない」と使命感に燃えていた。■間寛平1949年7月20日生まれ、高知県宿毛市出身。1970年に吉本新喜劇に入団し研究生となる。1974に吉本新喜劇の座長に昇格。「アヘアヘ」「ア~メ~マ~」「かい~の」などヒットギャグを続々と放ち、関西で絶大な人気を獲得する。1989年に退団し、東京進出。2008年12月~2011年1月、ヨットとマラソンによる地球一周「アースマラソン」を完走。2013年より「淀川寛平マラソン」を開催。2022年2月に吉本新喜劇GMに就任。■吉本新喜劇座員総選挙10月10日に大阪・なんばグランド花月で開催される「吉本新喜劇まつり」に出場する座員を決める総選挙。一般7500円、小学生以下3500円、オンライン2000円。一般投票で選ばれた上位30人がまつりに参加できる。投票は8月23日23時59分まで。
2022年08月13日6月12日(日)、大阪・味園 ユニバースにて赤犬のライブイベント『赤犬・間慎太郎・間寛平&エメラルドスターズの「なに調子にのっとんねん」』が開催される。ゲストは間寛平&エメラルドスターズとシンガーソングライターの間慎太郎。歌と笑いのコンツェルトをお楽しみに。赤犬 チケット情報チケットは4月23日(土)より一般発売開始。一般発売に先駆け、4月18日(月)23:59までオフィシャルHP先行(抽選)受付中。
2022年04月13日お笑い芸人の間寛平が3日、大阪・なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」の千穐楽弐回目公演に出演後、報道陣の取材に応じた。大木こだまひびき、天才ピアニストとともに取材に応じた寛平。千穐楽壱回目公演では、大木こだまひびき、博多華丸・大吉とともに口上を務め、渾身の「アメマ~!」を披露したが、「すごかったよ。あんなに『アメマ』がウケることない。『アメマ』スベるねん。あんなにウケるって」と喜びを語った。寛平は今年2月に吉本新喜劇のGMに就任。「伝説の一日」のすべての新喜劇に出演し、自身のギャグもふんだんに用いて笑いを届けている。手応えを聞かれると、「僕はむちゃくちゃやっているんですけど、それを若い子が見て、こんなことをやってもいいんやっていう感覚になっていっている。みんなすごいやる気が出てきて、セカンドシアターに集中し出した。セカンドシアターを盛り上げようと、自分らも頑張らなあかんという雰囲気になってきました。若手がやる気になっているのがすごくうれしいです」と若手の変化を明かした。4月1日に創業110周年を迎えた吉本興業は、日頃の感謝の気持ちを込めて、なんばグランド花月にて創業110周年特別公演「伝説の一日」を4月2日、3日に開催。110年間“笑い”を発信し続けてきた同社が、“オールよしもと”豪華ラインナップで、伝統の「笑い」と最新の「笑い」を届ける。同公演のオンライン配信チケットは4月10日まで販売(視聴は4月11日12時まで可能)。
2022年04月03日間寛平が3日、大阪・なんばグランド花月で開催された吉本興業創業110周年特別公演「伝説の一日」の千穐楽弐回目公演に出演後、報道陣の取材に応じた。大木こだまひびき、天才ピアニストとともに取材に応じた寛平。満員の観客について「ギシギシやもんな」とうれしそうな表情を見せ、「お客さんあっての吉本興業だからありがたいです」と感謝した。また、大木こだまが「満員すぎて足が震えていました。それくらい緊張しました」と話すと、「膝悪いんちゃう!?」とツッコんで笑いを誘った。吉本新喜劇のGMに就任した寛平は、「伝説の一日」のすべての新喜劇に登場して笑いを届けているが、千穐楽壱回目公演では、大木こだまひびき、博多華丸・大吉とともに口上を務めた。口上では渾身の「アメマ~!」を披露し、爆笑を取った寛平。「すごかったよ。あんなに『アメマ』がウケることない。『アメマ』スベるねん。あんなにウケるって」と喜び、こだまも「爆笑でしたね」と振り返っていた。4月1日に創業110周年を迎えた吉本興業は、日頃の感謝の気持ちを込めて、なんばグランド花月にて創業110周年特別公演「伝説の一日」を4月2日、3日に開催。110年間“笑い”を発信し続けてきた同社が、“オールよしもと”豪華ラインナップで、伝統の「笑い」と最新の「笑い」を届ける。同公演のオンライン配信チケットは4月10日まで販売(視聴は4月11日12時まで可能)。
2022年04月03日お笑い芸人の間寛平が9日、都内で吉本新喜劇GM(ゼネラルマネージャー)就任発表会見を行い、意気込みを語った。新喜劇初のGMに就任した寛平は「吉本に入って今年で52年。去年50周年+1で全国を回ろうということで東京からスタートしたんです。そのときに社長が見に来てくださって『すごく面白い』と。ちょっと前の新喜劇をやっていたら、社長が『これや』と思ったんでしょう。嫁と一緒に会社に来てくれと。それが6月なんですけど、『GMをお願いしたい。若手も育ててほしい』と言われました」と経緯を説明。MCの未知やすえが「私、入ったとき寛平さんの座長組で始まったんですけど、何も教えてもらったことがない。なので、とても驚いています」とツッコむと、寛平は「確かに。今まで育てたことはありません。弟子に来た人間もほとんど育っていません」と笑いつつ、「『なんとか頑張ってやってもらえないですか』と言われて、僕もこの年ですから引退を考えていたときだったんですよ。でも僕でも必要なのかと。これだけ言ってもらえるんだったら頑張ってみようという気になって引き受けました」と語った。そして、「去年の6月から月に2回会議をして一生懸命頑張っている。任せてください、やります! 最近はずっと新喜劇を見ています。109人いてなかなか目が届かないんですけど、座長、リーダーに聞いて一生懸命勉強しています。必ず大スターを作っていきたいと思います。頑張ります!」と力強く宣言。「もしあれだったら僕のギャグを若手にあげます。いらん言うかもわからんけど」と話し、やすえが「いらんというか、できません」と指摘すると、寛平は「こすりつけるだけ」と言って「かい~の」のギャグを披露し笑いを誘った。また、今後の展望として「109人いますから、出たい思っても出られない子がいる。劇場を作りましょう。若い子が出られるような、もう1つ劇場を作りましょう」と新劇場の構想を明かし、「漫才劇場からみんな若い子が頑張って『M-1』じゃ『キングオブコント』じゃ出ていっている。新喜劇劇場を作ってあげたほうが若手の安らぎというか……。みんないっぱい悩んでいるから、ゆっくり会話をしようと。作ります!」と語った。間寛平は1849年7月20日、高知県生まれ。1970年吉本新喜劇へ入団し研究生となる。花紀京の付き人をしながら4年後の1974年に吉本新喜劇の座長に24歳の若さで昇格。「ア~メ~マ~」「アヘアヘ」「かい~の」などのギャグで人気爆発ののち、1978年に新喜劇の座員と結婚。1989年に退団し、東京に進出した。そして、2008年12月から2011年1月、ヨットとマラソンによる地球一周「アースマラソン」を完走。2021年には芸能生活50周年+1記念ツアー「いくつになってもあまえんぼう」を開催した。会見には、座長のすっちー、酒井藍も登壇。さらに、大勢の座員たちがZOOMで参加した。
2022年02月09日元NMB48の白間美瑠が12日、オフィシャルファンクラブ「白間ん家(しろまんち)」を開設した。今年8月31日、NMB48を最後の1期生として卒業した白間。この度、自身のインスタライブにてオフィシャルファンクラブ「白間ん家」の開設を発表した。ファンクラブでは、週に1度、本人がお酒を飲みながらファンと交流を図る生配信「居酒屋白間ん家」など、会員限定のコンテンツを発信していく。さらに、ファンミーティング「白間ん家Homeparty」を開催することも発表。同イベントは、2022年2月18日に大阪・なんばHatch、3月3日に東京・TSUTAYA O-EASTにて実施される。
2021年11月12日お笑いタレントの明石家さんまが6日、都内で開催された「間寛平 芸能生活50周年+1 記念ツアー『いくつになってあまえんぼう』」東京公演(2回目)にシークレットゲストとしてサプライズ登場した。昨年2020年に芸能生活50周年を迎えた間寛平。同ツアーは、寛平が座長を務める新喜劇と、寛平を慕う人気芸人たちによるネタで構成される寄席形式となっている。冒頭、寛平が51年間の芸能生活を詰め込んだ浪曲を披露。そして、かまいたち、千鳥、次長課長、中川家がゲスト出演し、それぞれネタを披露して笑いを誘った。その後、「間寛平座長新喜劇」を上演し、寛平をはじめ、内場勝則、辻本茂雄、未知やすえ、池乃めだからが「ハザマうどん」を舞台にした物語を展開。途中で、村上ショージが呼び込む形でさんまがサプライズ登場すると、会場からどよめきが起こった。ショージとさんまは旅役者役として参戦し、うどん屋の大将役の寛平と爆笑掛け合い。さんまは、寛平とショージに生き生きとツッコミを炸裂させ、笑いを誘った。さらに、ジミー大西も登場。さんまは予定していた出演時間を大幅に超え、30分も舞台に立って会場を盛り上げた。
2021年06月06日●「みんなに助けてもらって50年持ちました(笑)」「アヘアヘアヘアヘ…」「いくつになってもあまえんぼう」「ア~メマ!」「かい~の」など、数々の国民的ギャグを生み出してきたお笑い芸人・間寛平が、芸能生活51年目を迎えてなお精力的に活動している。デビュー後まもなく吉本新喜劇の座長に就任するという華々しいキャリアのスタートを切る一方で、先輩の借金の保証人やアメマバッジ負債による莫大な借金、阪神大震災による自宅全壊、地球一周企画「アースマラソン」途中のサンフランシスコでの前立腺がん治療、木から転落して肋骨9本骨折するなど、波乱万丈すぎる人生だ。それでも辛い顔を視聴者には一切見せなかった関西お笑い界のレジェンドは、半世紀以上のキャリアをどう受け止めているのか。間寛平は1970年に吉本新喜劇へ入団後、前述のギャグのヒットとともに吉本新喜劇のスターとして関西で絶大な人気を獲得する。1974年には吉本新喜劇の座長になり、バブル経済真っ只中の1989年に東京へ進出。それ以降の活躍は周知のとおりだ。本人はこれまでの軌跡を「ホンマにみんなのおかげやなあ、感謝、感謝です。それしかないもん。いろいろやってきたけれど、どれもみなさんに作り上げてもらったものやもん」と感謝する。そして数々の国民的ギャグは生み出そうとしてひねり出したものではなく、その多くが仲間のツッコミによって生まれたものだという。「『かい~の』はなんでできたん? て言うけど、新喜劇の本番中にちょっとかゆいなと思ったので、テーブルの角で体こすってたんです。それをたまたま池乃めだかちゃんに見つかった。『何してんの?』と言われた時に『かい~の』と言ったらドーン! とウケた。そういうもんなんです。そうやってみんなでツッコんでくれたりして、ここまでやってこられたと思うんですよ。みんなに助けてもらって50年持ちましたわ(笑)」。50年間でお笑いを辞めようと思ったことは、「まったくないです。めっちゃ幸せです(笑)」と一度もないと断言する一方で、適正については「わからないですねえ」と謙遜。お笑いがどうしてもやりたくて新喜劇に入ってきたわけじゃないから。自分にもできそうやな、やってみようかなという雰囲気で入り、それがどんどん面白くなっていった」と語る。20代前半は別の仕事をしており、交通事故で入院中に聴いたラジオの影響で、「なんとなくやってみようか」と思ったことがきっかけだった。「タイル張りの仕事では失敗で日々親方に怒られ、ちょうど仕事への意識が変わりつつあった時期だったかもしれない。それくらいなもんでした。見舞いに来た友人が誰か紹介してやると。だから今の若い子みたいにお笑いがどうしてもやりたい! で始まったんではないんです」。それでも24歳で吉本新喜劇の座長となるなど、キャリアの初期に早い成功を収めた。ただ、若手芸人のスターになるも、私生活では盟友の坂田利夫と安いラブホテルに寝泊まりするなど根なし草の状態で、「めちゃくちゃな生活だった」と当時の日々を述懐する。しかし26歳の頃、お笑いの仕事を強く意識しようと思う出来事が起こる。「先輩にダマされてすごく借金をしました。その先輩は逃げた。でも大好きな兄さんだったので、もしその先輩が『寛平、一緒に逃げよう』と言っていたら、逃げていたかもしれん。あれはギリギリのところでした。でももう今の嫁とも出会っていたんです。まだ結婚はしてないけど」。ギリギリの選択だった。しかし、人生の局面で選択肢を間違うことはなかったから今の間寛平があるのだ。「そうですね。ようついていけへんかったと思う。ばん兄さん。これはたまに思い出すんですよ。でもそのおかげで530万円を自分が払わなアカンことになったけれど(笑)」。それ以来、「お笑いに対しての姿勢が変わったというより、金を稼がな、というそれがまずあった」と言う寛平。この50年について「余裕などまったくなかった。無我夢中ですよ(笑)」と振り返り、「未だに余裕はない。今の若い子はエライですよ。子供もいるもん。何するかわからん連中ばっかりだから、余裕な感じでやっていたら負けてまう」とすべての仕事に全力で取り込んでいる。●ギャグのように「僕はずっと甘えていく」まだまだパワフルな寛平が、「間寛平 芸能生活50周年+1記念ツアー 『いくつになってもあまえんぼう』」を開催。5月30日の熊本公演を皮切りに全国10か所を巡り、笑いを届ける。その本質は「これが吉本新喜劇ですよ!」というもので、歌あり笑いありのライブツアー。コロナ収束を願う新曲「8、9、10の歌~BEAT THE CORONA(コロナに負けるな)~」(5月26日リリース)も披露する。「ちょっと落ち込んでいるから歌でも作って出そうかと。コロナ(5、6、7)で大変やから、その上をいく8、9、10でいいじゃないか」。そんな発想から生まれた、ユーモアあふれる楽曲だ。本人もコロナ禍では気持ちが落ち、武器を取られた感じだったという。「落ち込みますよ、そりゃ。芝居もロケも行かれへん。『探偵!ナイトスクープ』も全然ロケに行けてない。街ブラして『おっちゃん何してんの?』とか気軽にできないもの」。ただ、そんな中でも今回、劇場で舞台ができる。「一番の心配はお客さんやから、マスクして換気してね。この一年、劇場を開けたけれど、まったく問題なかったですよ」。公演のタイトルにもなっている「いくつになってもあまえんぼう」も、舞台では毎回のようにウケる鉄板のギャグだ。「これは僕がずっと甘えているから。自分の会社も作っているんですけど、あまえんぼうって名前ですよ」と誕生秘話を明かす。いくつになってもとは何歳までかと尋ねると、「死ぬまでです」と答え、「僕はずっと甘えていくんです。ただ、(終わり)は考えてはいますよ」とも。「吉本は大丈夫なんですよ。誰かいるんですよ。誰かが継ぐ。『行列のできる法律相談所』も紳助がいなくなったあと今田がやって続いている。吉本は兵隊がたくさんいてるから。さんまは辞めたらいけないと思いますね。若い子育てているから。『さんまのお笑い向上委員会』は、くすぶっているヤツに光を当てて、地下芸人を引き上げている。仕事も増える。あれはさんましかできない。ダウンタウンもね。よくやっているね」。もちろん、寛平の代わりもいない。唯一無二のレジェンドとして今後のさらなる活躍を期待したいが、「人は寛平ならやってくれると言いはるけど、今の子のみたいにいろいろできない。いやまあ、やるかなあ、なんかわけわからんことを(笑)」と明言は避けた。ただ、芸歴51年目のレジェンドには、負けられないライバルがいる。その壁を超えない限り、引退の二文字はなさそうだ。「以前、千鳥の大悟に(間寛平の芸で)『勉強せなアカンで!』と言ったところ、『僕ら、そんな芸はけっこうです』と言われました(笑)。なんでやと(笑)。ただ、世の中の流れと芸の流れもあるので、しょうがないこともある。若い子が出てきたら、どんどん好きなようにやりなさいと。そういう気持ちで、これからはいないといけない。そういうところではもう戦えないですよ。もう今は戦えるのはひとりだけ、坂田利夫。永遠のライバルよ、あれには勝てん(笑)」。■間寛平1949年7月20日生まれ。高知県宿毛市出身。1971年デビュー後、1974に吉本新喜劇の座長となり、「アヘアヘアヘアヘ…」「ア~メマ!」「かい~の」などヒットギャグを続々と放ち、若手スターとして関西で絶大な人気を獲得する。2008年、大阪のなんばグランド花月をスタートした地球一周企画「アースマラソン」では、2年1カ月、4万1000キロに及ぶ長い旅を終え、ランナーとしても人々に感動を与える。今年は、5月26日にCD「8、9、10の歌~BEAT THE CORONA(コロナに負けるな)~」をリリース。「間寛平 芸能生活50周年+1記念ツアー 『いくつになってもあまえんぼう』」も開催する。
2021年05月26日ショートボブショートヘアヘアスタイルショートボブショートヘアヘアスタイルナチュラルなショートカットスタイル。乾かした後にアイロンを巻いてもスタイリング剤つけても大丈夫です!ケートke-to.beautyhairショートボブショートヘアヘアスタイルを見るカットの際に男性の方からギザギザに切ってほしいとの事がよくありますが、毛束とは一体どのようなものなのか説明したいと思います。大まかにいうと、毛束は全体の毛の量が根本から生えている髪が一番先の毛先に向かって少なくなっていっている状態です。つまりギザギザに切らなくても、毛先の量が少なくなっていると毛束が出来ていきます。メンズ癖を生かすヘアースタイルツーブロックの位置や長さでくせ毛をパーマ風に。髪質が堅めの方もふんわりカットをしてあげると少し普段のお手入れが楽になるかもしれません。お気軽にご相談ください!ケートke-to.beautyhairメンズ癖を生かすヘアースタイルを見る髪の毛を切る時に引っ張り出している毛束がいつもの過ごしている状態に収まった時にどのように落ちるかで毛束は変わってきますが、そこは、髪質とかも関係があるので美容師さんたちの腕の見せ所なのかもしれませんよね。メンズ社会人の方でもおしゃれな髪型にメンズスタイル。ベリーショートスタイルをちょっとおしゃれな清潔感がある感じの髪型に。夏本番に向けて、少し短めに切ってもいいかもしれないですね。ケートke-to.beautyhairメンズ社会人の方でもおしゃれな髪型にを見る髪の毛の束間でも好みがあるのでギザギザに切る事も勿論ございます。waxつけた時に束間を出したいとかこうしたいというこだわりもご自身のヘアスタイル楽しみですものね。カウンセリングでご相談いただいてあなたに似合う扱いやすい髪を創れるようにケートでは全力で対応させていただきます。ミディアム風ショートボブ スタイルハネ感とフンワリ感でひし形シルエットを作っています。ロングからショートにしたい方が入りやすいスタイルです。表面にレイヤーが入っているので、おしゃれを楽しみたい方は特におすすめです。ケートke-to.beautyhairミディアム風ショートボブ スタイルを見る記事をご覧頂き有難うございました。カットのご相談お気軽にお申し付けください。皆さんのヘアライフに幸せが訪れますように この投稿をInstagramで見る KOJI (@kawai.koji1)がシェアした投稿 - 2020年 6月月26日午前12時17分PDT この投稿をInstagramで見る KOJI (@kawai.koji1)がシェアした投稿 - 2020年 6月月15日午後10時51分PDT この投稿をInstagramで見る KOJI (@kawai.koji1)がシェアした投稿 - 2020年 6月月6日午後8時40分PDT この投稿をInstagramで見る KOJI (@kawai.koji1)がシェアした投稿 - 2020年 5月月19日午前1時43分PDT ケート ke-to.beautyhair三軒茶屋美容室美容院ヘアサロン個室【二名様で入れるお部屋もございます。施術を二名様とも行わせていただける場合は、順番の施術となります。宜しくお願い致します】オーガニックカット、カラー、パーマ月曜日、火曜日、金曜日、土曜日、日曜日ヘッドスパのみ水曜日、木曜日ヘッドスパはヘッドスパ二ストMikaのみの対応になります。メニュー税抜カット5500円話が苦手な方は、必要以上お話なしサイレントカット5500円前髪カット1000円2ブロックのバリカンのみ1000円学生カット4000円小学6年生までキッズカット3000円オーガニックカラー7000円ショートリタッチカラー4500円ロングリタッチカラー5500円オーガニックパーマ7000円トリートメント3500円からクイックヘッドスパ5000円美髪ヘッドスパ10000円美髪+育毛ヘッドスパ13000円
2020年07月03日お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志が28日、自身のツイッター上で再び“大喜利”を展開し、話題を呼んでいる。自身がチェアマンを務めるフジテレビ系『IPPONグランプリ』風の大喜利をツイッター上で実施。この日は動物の写真をアップし、「写真で一言。」と回答を募集した。たむらけんじやトータルテンボスの大村朋宏、次長課長の河本準一、ロッチの中岡創一ら芸人たちも参加。かまいたちの山内健司は「おい!バナナぜんぶ腐ってたじゃねぇかよ!!!」と投稿し、松本が「お前ニセモンやろ!」と反応した。毎回松本の塩対応が話題になっている間寛平は「2匹目が僕」と投稿。これに対し、松本は「主人は今ちょっと手が離せなくて…私は素敵な答えだと思うのですが…また私のほうからも言っておきます」とかわした。再びの塩対応に、「かんぺいさん&松本さんのシリーズ好きです」「写真で一言はココまででワンセットですね」「寛平さんと松ちゃんのやりとりが楽しみになってきた自分がいる」「爆笑!!!」「嫁ーーー」「もうこの絡みが見たくて皆ウズウズしてる」「まさかの奥様」「終了の合図かぁー」などとファンは大喜び。ここまでが“ワンセット”になってきているようだ。
2020年04月28日お笑いコンビ・ダウンタウンの松本人志(56)が4月15日、自身のTwitterを更新。「写真で一言」と投稿し、大喜利大会をスタート。なかでも、ロッチ・中岡創一(42)の回答が反響を呼んでいる。松本は、座っているゴリラがスマートフォンを耳に当てている画像とともに「写真で一言」とツイート。自身がチェアマンを務める人気バラエティー番組『IPPONグランプリ』(フジテレビ系)のようにお題を投げた。同投稿は2万4,000件以上拡散され、フォロワーの間で大喜利大会が始まった。そこに中岡も参戦し、「おたくのタレントが反社の人と写ってる写真もってるんやけど、どうします~?」と回答した。同日、中岡の所属事務所のワタナベエンターテインメントは、今年初めに「中岡が反社会的勢力とみられる人物と写っている写真がある。週刊誌に持っていく」と脅迫する電話があったと公表。心当たりがないことから警察に相談し、容疑者が逮捕されたことを報告していた。これを踏まえたと思われる中岡のタイムリーな回答は、《うまい!旬な話をボケて》《明るい感じに持ってくるのがいいね》と大反響を呼び、松本も「IPPON!」と称賛している。ほかにも、たむらけんじ(46)の「昨日食べた生牡蠣あたったんかな?左腕がずっと真っ直ぐなんやけど」という回答には「0本!」とツッコみ、間寛平(70)の「今月の家賃もうええで~」には「10時で締切なんで。すいません」と返した松本。フォロワーから《ほんまにおもろすぎます》《松ちゃんらしくてええな!》といったコメントが寄せられている。
2020年04月16日泥棒一家の活躍を描く、話題のドラマ『ルパンの娘』(フジテレビ系・毎週木曜22時〜)。深田恭子演じる華の周りを彩る、個性的なキャラクターたちを直撃してきました!証券会社、裁判所勤務を経て、’10年、NSC入所。’16年、間寛平座長の劇団間座旗揚げ公演に出演。’18年公開の『カメラを止めるな!』で映画デビューし、一躍話題になったどんぐり(59)。本作が初連ドラ、初レギュラーだ。「うれしかったです。出演が決まったときに、ドッキリだと思いました。ほんまに私?って。初めての連続ドラマ撮影なので初歩的なことから教えていただきました。カメラマンの方が『どんぐりさん、1回で撮れるとは思っていないから大丈夫』と言ってくださり、皆さん優しくて、ほんまに支えていただいています」どんぐりは女優になったきっかけをこう話す。「大河ドラマで織田信長が50歳で死んでいったシーンが忘れられなくて。自分が50になって、このままでええんやろうかと。第二の人生だと思って興味あることを始めました」(どんぐり・以下同)芸名・どんぐりの由来は?「落語教室に通っていたときに生徒さんから『あんたの名前、考えた。原亭どんぐり』と。どんぐりだけいただきました」どんぐり演じるマツは、孫の華の恋の行方を応援する、伝説の鍵師だ。「打ち合わせのときに監督が『キャラクターを出してもらえればいい』とおっしゃいました。できあがったのを見ると私が『倒したで!』みたいに(アクションシーンが)できているのがうれしくて。ほんまにいいドラマに出していただいたと思っています。ちっさいけど、いろんな秘密を持っている役柄なんです。それがどんどんこれから明かされますよ」鍵師だけに、今後の物語のキーパーソンとなるマツにもご注目!
2019年09月08日『電波少年』シリーズや『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』など大ヒット企画を続々と手がけ、テレビ業界に新風を巻き込んだ日本テレビの名物プロデューサー、“T部長”こと土屋敏男氏。「今はまったくテレビに興味がない」と告白する彼が、次に世に放つのは3Dアバターを使った超新感覚のライブエンタテイメント『NO BORDER』(7月7日~9月16日、大坂・クールジャパンパーク SSホール)だ。「この歳になっておかしいんだけれど、僕は“安定する”っていうことがダメなんだよね。好奇心しかない(笑)。自分の見たことのないものが、まだまだ世界にはたくさんある。それを全部見たいし、見たことのないものを作るのが大好きなんです」という永遠の冒険者。「『NO BORDER』では、お客さんも巻き込んで一緒にワクワクドキドキしたい」と目を輝かせる土屋の、新たなチャレンジに迫る。――『NO BORDER』の会場では最新型3Dスキャナを使って、観客のアバターが生成されるとのこと。それがステージで踊る…というライブになるようですが、着想のきっかけはどのようなものだったのでしょうか。きっかけは、吉本興業の社長の大崎(洋)さんから「大阪に来る外国の人が楽しめるようなものを、なにか考えてくれないか」と言われたことですね。パッと思い浮かんだのが、「が~まるちょば」の存在。「が~まるちょば」となにかやりたいなって。言葉を使わない、ノンバーバルなものがいいと思ったので、パントマイムであらゆる表現ができる「が~まるちょば」にはぴったりだと思ったんです。――今回MCを担当される「が~まるちょば」さんのことを、一番最初に思いついたんですね。さらにその頃、「AR三兄弟」のラジオに呼ばれて、なにか一緒にやりたいという話になって。彼らから「見せたいものがある」と行って連れて行かれたのが、3Dスキャンのスタジオでした。見ていたらスキャンしたものが、画面上ですぐに歩いたり走ったりするんですよ。これはいいなあと思って、「ライブ会場にやってきたお客さんが、空港の金属探知機のようなゲートを通って、パシャッと撮影をする。それが5分後にライブステージに出る、みたいなことは可能なのか?」と考えたんです。――人脈をつないでいくことで、どんどんアイデアが膨らんでいったんですね。そうなんですよ。さらには当時ちょうど、トランプ大統領が「メキシコとの国境に壁を作る」なんて話をしていて。日本と中国の問題もいろいろ出てきた。なんだか自国主義で嫌だなあって思っていたんですが、でもそれって、政治経済の話ですよね。僕らはエンタテインメントをやっているので、文化やエンタテインメントの側から、他国の人たちに「日本って悪くないよね。隣の国と仲良くするって悪くないよね」と思ってもらうことはできるはず。世界各国の人と一緒に踊ったり、手をつなげたらいいなあと想像しているうちに、“NO BORDER”というコンセプトが降りてきたんです。――「が~まるちょば」は今年の4月からHIRO-PONさんおひとりで活躍されていますが、今回は「が~まるちょば」にとっても新たなチャレンジになりそうです。そう思います。企画を思いついて「こういうのやろうよ」って話したときは、2人だったんですけどね(笑)。2人の「が~まるちょば」ももちろんいいんだけれど、1人になった「が~まるちょば」には、「ちょうどいいじゃん」って思って。「仕事がなくなったとしても、『NO BORDER』は2カ月半やるイベントだから、毎日仕事あるよ。血反吐を吐くことになるかもしれないけど、俺も毎日付き合うからさ」と。――ステキな励まし方です!彼らはずっとアナログなやり方で表現をしていたんですが、今回はアバターを使ってなにができるかを考えたり、スクリーンの中の自分と絡んでみたり、「が~まるちょば」にとっても新たなエンタテイメントを作ることになるでしょうね。きっといろいろなチャレンジをして、これからさらに世界を驚かせてくれると思います。――誰も見たことのない、新たなエンタテインメントが誕生します。見たことのないものを具現化していく上で、もっとも大切なものとはなんでしょうか。妄想力だと思います。こんなことができたらステキだよな、面白いだろうな、と妄想すること。僕は昨年の5月にスキャンされている自分が画面上で踊っている姿を見て、これはいいぞ、おもしろいぞと思った。テクノロジーも進歩して、できること、やりたいこともどんどん増えているんですよ。――『電波少年』シリーズや『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』などで、テレビ業界に衝撃を与えた土屋さん。テレビの枠を超えた活動に力を入れるようになったのは、なぜでしょうか。基本的には、もうテレビはあまりやりたくないというか…。演出はしたいけれど、テレビはだいたいやったからなあ…。正直、今は地上波テレビにまったく興味がないんですよ(笑)。フィリピンの人が見るとか、アラブの人が見るとか、そういうテレビなら興味はあります。「タイでテレビを作れ」って言われたら、喜んで行くでしょうね。――今の日本のテレビは規制が厳しくなっているなど、そういった状況は関係していますか?まったくそういうことはないです。僕は“好奇心”しかないんですよ。好奇心だけで生きている。2008年から2011年にかけて間寛平さんと「アースマラソン」をやっていたときに、寛平さんと一緒にあちこち行ったんですね。例えばアメリカの中西部とかも、見たことのない坂や見たことのない貨物列車など、驚くような風景ばかりだった。「すごいなあ、世界にはまだまだ見たことのないものがたくさんあるな」と思った。となると僕は、そこに全部行きたいんですよ(笑)。やったことのないことをやるのが好きだし、見たことのないものを作るのも好き。やったことのないことをやると、まったく新しいアイデアにも出会える。『NO BORDER』の会場には1回につき250人のお客さんが入れますが、その人たちが「面白かったね」と顔を上気させている姿を想像すると、ドキドキするんです。その顔も、これまで見たことのない表情なんじゃないかって。――土屋さんの好奇心がたっぷり詰まったのが、今回の『NO BORDER』なんですね。お客さん250人を一緒に巻き込んで、ワクワクドキドキしたいですね。ステージに上がった自分のアバターがキレキレで踊っている姿を見るなんて、どんな気持ちになるんだろうと。会場には中国、韓国、アラブなど、いろいろな国の人が集まって、周囲の人と握手したり、ハイタッチしたくなったりするかもしれません。きっと温かい気持ちになるんじゃないかな。そうすることで、なんとなく“NO BORDER”な気持ちになって、国際社会も悪くないな、仲よくしようぜって思いながら帰ってくれたら最高だなと思います。■土屋敏男1956年9月30日生まれ。静岡県出身。1979年、日本テレビに入社。『電波少年」シリーズ、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』など数々のバラエティ番組を手がける。LIFE VIDEO社を立ち上げ“人生の映像化”を提案、1964 TOKYO VRでは過去の写真から記憶の街並みを最新テクノロジーで再現するなど、さまざまなプロジェクトに携わっている。
2019年06月23日全ての人が笑顔になる大会サンケイスポーツ(産経新聞社発行)では、「フジパンPresents淀川寛平マラソン2019」を2019年3月2日(土)と3日(日)、大阪・淀川河川公園特設コースで開催します。間寛平氏が発起人となり2013年から始まったチャリティーマラソン大会で、参加費のうち1人あたり100円が、東日本大震災、熊本地震、大阪北部地震、西日本豪雨の被災地支援と、淀川の環境保全のために寄付されます。吉本興業のお笑いタレントが参加予定同大会は、1日目にプレイベントとして豊かな自然と水の恵みあふれる淀川河川公園歩くウォークの部が開催あい、翌日にマラソンを行います。マラソンの部は、男女フルマラソン、男女10キロ、ファミリー3キロ、駅伝の4種目を行います。マラソンコースは、アップダウンが少ないのでフルマラソン初挑戦など経験の浅いランナーでも完走できるコースです。また、駅伝には、吉本芸人がチーム寛平として参加が予定されています。(画像はプレスリリースより)【参考】※産経新聞社のプレスリリース※淀川寛平マラソン2019公式サイト
2018年09月07日ダイニングバーの店主「ロンドンブーツ1号2号」田村亮と常連客の「ナインティナイン」岡村隆史が、有名人から“ここだけ”の話を引き出すシチュエーショントークバラエティー「おかべろ」。このたび、初の海外からのゲストとしてチャン・グンソクを迎えることが分かった。まず、「きょうは店の前に取り巻きがすごかった!」と驚く岡村さん。すると、店内にスーツに身を包んだ険しい顔の男性が登場する。「誰?」と戸惑う岡村さんと亮さんだったが、間もなくその男性がチャン・グンソクを店へと招き入れる。その強面の男性は、チャン・グンソクが日本に来るときに行動を共にするというSPであると分かり、2人もひと安心。1年のうち4か月ほど日本に滞在するというチャン・グンソク。日本を意識するようになったきっかけを尋ねられると、「ちょっと長くなるんですけど…」と、意外な理由を話し始める。中学生のころに、あの日本のスーパーアイドル「SMAP」が演技、歌、バラエティーと多方面で活躍している姿をテレビで見たという。「全部をこなせるエンターテイナーになりたかった」と言い、「SMAP」がきっかけで「“絶対に日本に行きたい!”と思った!」と告白。いまや韓国と日本でマルチに活躍しているが、両国の芸能界の違いについて「韓国ではマネージャーと24時間一緒にいるのも当たり前」と衝撃の事実を打ち明ける。現在のマネージャーは6年間一緒に過ごしていると言い、「僕の内緒やプライベートを全部知っているから、辞めたらダメです!」と断言。マネージャーに頭が上がらないようで、いつも「“会長”、お疲れさまでした!」などと挨拶し、丁寧に接していると話す。それを聞いた岡村さんは「うっとうしくない!?」と驚きを隠せない様子で、亮さんと揃って、よしもとのマネージャーとの違いを力説。「きょうなんて、1人で来て、1人で着替えて、弁当が4つあって…“こんな来ぉへんわ!”(と思った)」と嘆く場面も。さらにチャン・グンソクは、日本のお笑い特有の“ある行為”に衝撃を受けたエピソードを明かすほか、恋愛報道に対する芸能人の対応や女性の性格など、日本と韓国のさまざまな違いを披露する。そして、「料理は自信がある!」と豪語するチャン・グンソクが、岡村と亮のために特製プデチゲを作ることに。韓国料理に欠かせない唐辛子にもこだわりがある彼は、今回とっておきの辛味調味料を用意。辛味調味料を次々と鍋に入れていく彼を、ヒヤヒヤしながら見守る岡村さんと亮さん。さらに、トウガラシも持参するのだが…。チャン・グンソクもビックリの岡村と亮の反応とは…?プデチゲが出来上がると、チャン・グンソクが「焼酎を飲みたくなった!」と発言。すると岡村さんが、韓国で焼酎を飲む際のパフォーマンスについて話し始める。チャン・グンソクと共にその話で盛り上がるも、2人が話している内容が一切わからない亮は置いてけぼりに。スタッフが気を利かせて焼酎を用意したものの、思わぬハプニングに発展してしまう!?また、間寛平と村上ショージのロケ企画「秘伝ハンター! 隠し味を探し出せ!」では、神戸のスパゲティ専門店へ。ミートソースに入っている隠し味を当てようとする寛平さんだが、ちんぷんかんぷんのボケに店主がキレる!?今回も、笑いたっぷり、見どころたっぷりの30分となりそうだ。「おかべろ」は8月26日(土)14時24分~カンテレ、関西ローカルにて放送。(text:cinemacafe.net)
2017年08月25日タレントのヒロミが、きょう5日にスタートする関西テレビのトーク番組『おかべろ』(毎週土曜14:24~14:54、関西ローカル)にゲスト出演。芸能界から離れていた時期を「意外に楽だった」と振り返る。この番組は、テレビ局近くの飲食店へ収録の合間に訪れる有名人に、常連客のナインティナイン・岡村隆史と、店主のロンドンブーツ1号2号・田村亮が質問をぶつけていくというもの。初回ゲストとなるヒロミは、芸能界を離れて約10年間、ジムの経営者となっていたが、当時について「どうなっちゃうのかと思ったけど、意外に楽だった」と振り返り、再びテレビ出演を決めた意外なきっかけを明かす。また、アイドルだった松本伊代と結婚した経緯も告白。携帯電話もない当時は、タレント同士の関係を取り持つ人物が存在といい、知られざる芸能界の交流システムを暴露する。さらに、ヒロミが「松本伊代グイグイ来るな…」と驚いた、なれそめ話も紹介する。終盤には、田村が「面白い番組があるんですよ」と言ってバーのテレビをつけるコーナーも。すると、間寛平と村上ショージが"秘伝ハンター"となって、名店の絶品グルメの隠し味を探るというロケの様子が映し出される。
2016年11月05日お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が27日、関西テレビ系新番組『おかぺろ』(11月5日スタート 毎週土曜14:24~)初回収録に参加し、ロンドンブーツ1号2号の田村亮とともに取材に応じた。同番組は、田村が経営するTV局近くの飲食店という設定のシチュエーションで、常連客の岡村と店主の田村が番組収録の合間に訪れる著名人に質問をぶつけていくトークバラエティ。岡村にとって、カンテレ初のレギュラー番組となる。初回ゲストにはヒロミが訪れた。店の中という設定だが、田村は「いずれお酒の力を借りるときが出てくるだろうなとは本当に思ってます」と予想。「僕はお酒を飲んでいるときの方がようしゃべるようなので」と理由を語るが、岡村は「飲みすぎるとあれですから」と釘をさした。岡村は「(田村が)酒と間違えて、目の前にあるろうそくのろうを飲みだしたときに、カラテカの入江が『帰りましょうか』と」と、実際に飲みすぎた際のエピソードを披露。田村は「途中退場もありなのかなと思っています」と苦笑しながら頷いていた。また、もともと仲の良い2人だが、岡村は田村について「接しやすいんです。裏表ないというか。距離感も、『なんかおもろいこと言わな!』みたいなこともないですし」と良さを語る。先輩後輩というよりも「釣り仲間くらいの感じで接してる」と、2人の関係を説明した。一方田村は岡村のことを「すごい先輩で大スター」と思いつつも、「他の先輩とは違う距離感というのはあって、大スターの先輩が『接しやすい』と言ってくれてるのも嬉しかった」と関係を振り返る。しかし「今日ヒロミさんの話をきいて、ああこの人(岡村)スターじゃないんだな。スターっぽいこと全然せえへんな、と思いました」と、収録後に考えが変わったことを告白すると、岡村も「全然しない!」と力強く同意していた。番組には毎回VTRで間寛平と村上ショージが出演。間は「芸能人生初めての食レポのレギュラーなので気合入ってます! ショージとのコンビということで、どうなるかわかりませんが、がんばりますっ! 『のどちんこキュッキュッ!』」とコメントを寄せた。村上は「寛平さんと面白いものを見つけながら、視聴者の方が楽しめる番組にしていけたらと思います。新しいものを探しながら、頑張ります!」と意気込みを語った。
2016年10月28日NMB48からの卒業を発表している渡辺美優紀が、昨年4月より出演している読売テレビの情報バラエティー番組『大阪ほんわかテレビ』(毎週金曜 19:00~19:56 ※関西ローカル)を6月17日放送分で卒業。NMB48の後輩・須藤凜々花が新レギュラーに加わることとなり、このほど、大阪市内の同局で渡辺と須藤が会見を行った。この日は、渡辺が共演者の笑福亭仁鶴、間寛平、たむらけんじらに後任の渡辺を紹介する引き継ぎのシーンを収録。須藤へのアドバイスを求められた渡辺は「寛平師匠の隣に座ると、結構“スキンシップ”がある」とトーク中にボディタッチされていたことを暴露し、寛平をタジタジに。たむらを「最後の最後に、えらい爆弾放り込んできよった!」と慌てさせて爆笑をさらうなど、トークを盛り上げていた。会見でこの爆弾発言について聞かれた渡辺は「寛平師匠のスキンシップはなぜか嫌な気がしない」と語り、「これって寛平師匠のパワーだと思うんですけど、何をされても許してしまう。私にとってアイドルみたいな存在でした」とニッコリ。「たくさん笑えて本当に楽しかったです」と収録を振り返った。また、レギュラーのバトンを渡す須藤を「MNB48のライブMCでとても印象に残る言葉を言ってくれる。後輩の中では一番といっていいぐらい、私をワクワクさせてくれる存在」と絶賛。「いつも通りの凜々花の力を出して、番組をほんわかさせてほしいと思います」とエールを送った。さらに、NMB48の卒業を控えた現在の心境を「こうしてひとつひとつの仕事を終えて、みなさんとお別れするのは寂しいですが、これから自分にどんなことができるのかな?という期待やワクワク感もすごくある」と語った渡辺。「やりたいことがいっぱいある。それを全部やってやろう!と思っています」と卒業後の活動に大きな意欲を見せていた。そんな渡辺の後を受け、「恐れ多い…」と恐縮する須藤だが、「みるきー先輩はフワフワしたやさしい雰囲気ですが、私は哲学と麻雀が趣味なので、一風変わった角度から攻めていきたい」と個性派トークに意気込み十分。すでに寛平とは“麻雀”の約束しているそうで、「次回の収録からは、手積みの麻雀を楽屋に持ち込んでアタックしたいと思います!」と張り切っていた。
2016年06月14日お笑いタレントのたむらけんじが主催するイベント『EVEMON GP!(エブマン グランプリ)』が1日、大阪市浪速区の朝日劇場で行われ、若手お笑いトリオ・なにわスワンキーズが優勝を果たした。同イベントは、たむらが2014年11月より毎週月曜日に行ってきたお笑いライブ『EVEMON TKF!』のファイナル。「大阪にはまだまだ名前を知られていない若手がたくさんいる」をテーマに大阪の若手芸人が多数出演し、それぞれの個性をアピールするネタを披露してきた。その集大成となる今回の『GP』には、これまでの出演者の中から観客の投票により選ばれた15組が出場。今年の『R-1ぐらんぷり』ファイナリストのおいでやす小田をはじめ、関西の新人賞レース常連の女性コンビ・尼神インター、千原ジュニアが“ブレイクしそうな芸人”と期待を寄せたことなどからお笑いファンの注目を浴びているコンビ・大自然などが火花を散らした。そんななか、なにわスワンキーズは"大阪のゴミ収集車"に情熱を燃やすおかしな男たちを描いたコントで爆笑をさらい、最高点を獲得。事前に発表されていた優勝賞金「100万円」を贈られるかと思いきや、表彰式で主催者のたむらから意外な"ネタばれ"が。「今日は4月1日、エイプリルフールですよ?」と実際の賞金は半額の「50万円」であることが明かされた。だが若手にとっては大金だけに、3人は素直に大喜び。若手からのツッコミを期待していた様子のたむらだったが、「そら『100万ちゃうやん!』ってリアクション、とりにくいわな(笑)」と苦笑していた。なにわスワンキーズは2013年結成で、こじまラテ、仲西隼平、前田龍二の3人組。吉本若手の本拠地「よしもと漫才劇場」への出演をかけたオーディションなどで腕を磨く、まだ無名に近いトリオだが「この優勝を弾みに、『キングオブコント』に出たい」と意欲を。しかし賞金の分配を巡り、「50万円を3人で等分すると1人16万6000円で2000円余る。この2000円を3人でどう分けるかが…」と頭を抱える一幕も。見かねたたむらが「そんなんで揉めるんやったら、俺がもう1000円出すわ!」と太っ腹な提案をし、「言ってみるもんですね!」と3人をさらに喜ばせていた。なお、優勝賞金はたむらをはじめ、ベテラン芸人の間寛平、フリーアナウンサーの宮根誠司らのポケットマネー。宮根はイベントの冒頭に登場し、賞金の一部をたむらに手渡しするサプライズで会場を盛り上げた。
2016年04月02日沖縄県で開催中の「島ぜんぶでおーきな祭 第7回沖縄国際映画祭」で、今年初開催となる「コザゲート通りレッドカーペット」が28日に行われ、女優の夏菜や俳優の哀川翔、お笑いコンビ・チュートリアルの徳井義実、渡辺直美らが登場した。今年の沖縄国際映画祭では、宜野湾市と那覇市に加え、沖縄市のコザゲート通りでもレッドカーペットを開催。コザ・ミュージックタウンのステージまで180mのレッドカーペットが敷かれ、その両サイドに開催を待ちわびていた地元の人たちが詰めかけた。カーペットには、ガレッジセール、間寛平、しずるをはじめとするお笑いタレントや、上映作品の出演者・監督たちが集結。『田沼旅館の奇跡』の夏菜、『原宿デニール』の武田梨奈、『五つ星ツーリスト THE MOVIE~究極の京都旅、ご案内します!!~』の渡辺直美、高月彩良ら女性陣が色鮮やかなワンピース姿で登場し、華を添えた。また、『Zアイランド』の品川ヒロシ監督、主演の哀川翔、木村祐一、川島邦裕が姿を現すと「翔さ~ん!」という熱い声援が飛び交い、哀川はサインや握手などにじっくり対応。品川らも快く応じ、喜ばせた。さらに、『ナイトミュージアム:エジプト王の秘密』で日本語吹き替え版声優を務めたチュートリアルの徳井義実と渡辺直美が終盤で登場すると、再び大盛り上がり。2人とも声援に応えながらレッドカーペットを歩いた。そのほか、沖縄出身の女性ユニット・やなわらばー、沖縄の伝統芸能・エイサーの団体、全国から集まったゲストやゆるキャラたちも登場。にぎやかなカーペットとなった。
2015年03月28日11月26日(水)、六本木ヒルズ ヒルズアリーナ(東京・六本木)にて、アメリカンホーム医療・損害保険による“日本一周駅伝プロジェクト”「アメリカンホーム・ダイレクト みんなのMAEMUKI(まえむき)駅伝2014」のゴールイベントが開催。東ちづるさんや間寛平さんら、豪華メンバーが集結した。○間寛平さんをはじめ、豪華メンバーが多数参加会場へ応援に駆け付けたのは、アメリカンホームイメージキャラクターである東ちづるさんをはじめ、駅伝プロジェクトのメインキャラクターである間寛平さん、本プロジェクトに賛同した元サッカー日本代表の中山雅史さん。また、2010年の年末にガンが寛解、2011年にステージ復帰した、本プロジェクトのスペシャルサポーターでもあるキーボディストの都啓一さんや、それを支えてきた、妻でシンガーソングライターの久宝留理子さん、アメリカンホーム・ダイレクトのCMに出演している小澤真利奈さんも出席した。「アメリカンホーム・ダイレクト みんなの MAEMUKI 駅伝 2014」とは、病気・ケガ、災害などの困難に負けず、「MAEMUKI(まえむき)」に生きる人々を応援し、一般のランナーがたすきをつないで日本一周するプロジェクト。第3回目の今年は、5月14日に東京を出発し、全国47都道府県、約9200kmを、約1900人の一般ランナーや間寛平さん、中山雅史さんら著名人がたすきをつないで走った。同日開催されたイベントは、約6ヶ月間にわたり走行した、この駅伝のゴールを盛り上げるもの。雨が降る中、最終ランナーが会場に到着すると、盛大な拍手が起きた。同日の最終ランナーは、生まれつき聴覚障害を持ち、2013年に乳がんを宣告されたが、今年8月にようやく抗癌剤点滴を終えたという笈川敏子さん。2012年の「みんなのMAEMUKI駅伝」のランナーの思いをまとめた本『前を向いて走る。あなたの支えがあったから』(インフォレスト)に勇気をもらい、辛い治療にも耐えてきたという経験を持つ女性だ。笈川さんは、走り終えると「最初は、今まで走ってこられた方の思いが詰まったたすきを重く感じましたが、いまはそれをかけて走れたことを嬉しく感じます。まだまだ闘病中ですが、これからも『前へ、前へ』という気持ちで生きていきたいです」と語り、東さんは「(走っているとき)素敵な表情でした!」と、仲間の健闘を称えた。○「駅伝」に込められた熱い思いちなみに、トークセッションの中では、間さんは「僕もずっと前向きな気持ちでおらなあかんなと思う」と熱く語ったが、中山さんから「今日は雨もすごいですが、前向きな気持ちだから寒くないですよね?」と問われると、「どこが寒いん? 全然寒くない! 今日は25℃やと思えば良い」と、飄々とした態度に。「駅伝は素晴らしい。みんなに力を与えているこのイベントは4年、5年と続けていきたいですね」と思いを明かすも、最後は「あ~め~ほ~」と絶叫するなど、捉えどころのない様子で会場から笑いを誘っていた。
2014年11月28日映画『忌野清志郎ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコ―!!!〜』の“大江戸プレミア”が11月24日(木)に都内劇場で開催され、生前から清志郎さんと親交があり映画にも出演しているお笑い芸人の間寛平とその息子でミュージシャンの間慎太郎が出席。親子揃って清志郎さんの名曲「雨上がりの夜空に」を熱唱し、生前の思い出を明かした。斉藤和義に竹中直人、Chara、トータス松本、松たか子、「ゆず」など錚々たるメンバーが集結した本作。清志郎さんが3度にわたって行った伝説的ライヴ「ナニワ・サリバン・ショー」の映像を交えつつ、2011年のある日のとあるドラマを描き出す。熱唱を終えて寛平さんは「歌、下手やのに息子と一緒に歌って恥ずかしいですわ(笑)」と照れくさそう。慎太郎さんは「父親が合いの手を入れてくれたので歌いやすかったです」と笑顔を見せた。元々、清志郎さんと家が近所だったことで親交が始まったという寛平さん。「食事に行くとこが同じで、そこのおばちゃんに『清志郎さん好きだから会わして』って頼んだんです(笑)。『歌作ってくれへん?』って言ったら『いいよ』って言ってくれて、できたのが『ジャングル野郎』って曲。サハラ砂漠マラソンのときも、もう限界ってときにスタッフが『清志郎さんも応援してくれてるよ』ってビデオを見せてくれたんですが、それもライヴで客に『ダチがサハラ砂漠を走ってるから応援してやってくれ!』って言ってビデオに撮ってくれたんです。ロック界のキングなのに、何でこんなに優しいのかと思った」と感激のエピソードを披露。慎太郎さんは2007年にアルバムを発売した際、ある企画で清志郎さんにコメントをもらったそうで「体調崩されて退院したばかりだったんで難しいかなと思ってたら、『やるやる』と。清志郎さんのアイディアで花やしきで乗り物に乗りながら感想を語ってくださったんです。愛のある方でした」と思い出を語った。映画に関しては2人とも完成した作品をこれから初めて観るそうで、全く全貌が分からないとのこと。「通天閣のとこに行って、監督から『とりあえず走ってくれ』と言われて走っただけ。どうなってるのかさっぱり分からない(笑)」と寛平さんが言えば、慎太郎さんも「僕は『うどんを食べて』と言われただけです」。2人を含め、豪華な顔ぶれがどんな演技を見せ、どんな物語になっているのか楽しみなところだ。報道陣からは昨日、逝去したことが発表された立川談志についての質問も出たが、寛平さんがレギュラーで出演していたTVトーク番組「いつみても波瀾万丈」に立川さんがゲストで来場したことがあったそうで、「何て魅力のある方なんだと思い、教えてもらいたい、勉強させてもらいたいと感じた。一緒に飲みたかった」とその死を悼んだ。『忌野清志郎ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコ―!!!〜』は11月26日(土)より梅田ブルク7、新宿バルト9ほか全国にて公開。■関連作品:忌野清志郎ナニワ・サリバン・ショー 〜感度サイコ―!!!〜 2011年11月26日より新宿バルト9、梅田ブルク7ほか全国にて公開© 2011「忌野清志郎 ナニワ・サリバン・ショー〜感度サイコー!!!〜」製作委員会
2011年11月24日東日本大震災の被災地へのチャリティーを目的に開催されている第3回沖縄国際映画祭が無事閉幕。3月26日(土)、「Peace部門」で上映され、多くの観客から支持を得た映画『TSY』で主演した綾部祐二(ピース)と、同作にカメオ出演している相方の又吉直樹が単独インタビューに応じ、映画に込めた思いや、さまざまな質問に答えてくれた。コンビ結成から7年「ずっとこの世界で頑張っていたい」「ピース」は、綾部祐二と又吉直樹からなるお笑いコンビ。2010年にキングオブコントで準優勝してから、その人気に拍車がかかり、コンビとしてだけではなく、それぞれピンで出演するレギュラーのライヴなども多く行っている。本作の中川通成監督はTVのバラエティー番組出身。吉本から監督への依頼があり、「一生に一度、あるかないかのチャンス!」とばかりに、映画監督を引き受けたという。内容は監督が大好きだというアメリカ映画の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』とヤンキー映画を、足して2で割ったという単純明快な映画で、分かりやすく、誰でも楽しめる。イキがって親にも世間にも反抗している綾部さん扮する高校生が、ひょんなことからタイムスリップし、自分の人生を変えるために大奮闘するという青春ムービー。劇中、33歳の綾部さんは主人公である17歳のヤンキー高校生を演じたが、2人はいったいどんな高校生だったのだろうか?「僕はずっと野球一筋でしたね」と綾部さん。又吉さんは意外にも「サッカー少年でした」とスポーツマンだったことを告白。そんな2人だが、お笑い芸人になりたいと思う気持ちを持ち、養成所で同期で出会い、仲良くなってコンビを組むことに――。コンビ結成から7年が経ち、この先、10周年、20周年…に向けて快速中の2人。今後の抱負を聞いてみると、「いままで一生懸命やってきたつもり。いつか冠番組も持ちたいし、ずっとこの世界で頑張っていたい」と今後も走り続けることを約束した。又吉さんの変わった(?)夢とは…いま最も勢いのある若手芸人といわれ、すっかり人気者になっている2人だが、得たものも多いと思うが、無くしたものはないのだろうか?綾部さんは「僕は芸能人になりたくて、なりたくて、やっとなれたので、無くしたものなんかない。今後もずっと芸能人でい続けたい」ときっぱり。又吉さんの方はというと、すでに人気者になっているのに、「僕は、2週間でいいからみんなからキャー、キャー、言われてみたい。日本に来日したときのビートルズのように」となんとも無謀(?)な夢をあげた。でも、なんとなく“そうなんだ”と納得して聞いてしまうところが又吉さんの又吉さんたるゆえんだろうか。東日本大震災の被災者たちへの思いも聞いてみた。「大変だろうな…と、僕らが想像できる次元のことじゃないですよね」と心を痛める綾部さん。又吉さんも「怖かった。毎日、僕らに何ができるんやろう。何かできることからやろうと徐々に思うようになった…」と真剣な面持ちでふり返った。「僕らは幸いにもお笑い芸人をやらせてもらっていて、いまは笑いとは遠いところにいると思いますが、落ち着いたら、被災地へ行って笑いを提供できたら…」と真摯な表情で語った綾部さん。「一日も早くそんな日が来たら…」と、綾部さんの提案に大きくうなづいた又吉さん。被災者たちにエールを送りたいという2人の思いは同じだった。ダメダメ人生を送っている人も、この映画を観ると、「もしかしたら、自分の運命は変えられるのでは?」と希望が湧いてくる、ちょっぴり前向きになれる映画。今回の一番の見所はラストのアクションシーン。全力で取り組む綾部さんの姿がカッコイイ。共演している有田哲平(くりぃむしちゅー)さんの怪演も気になるが、又吉さんがどんなカメオ出演をしているのか、劇場公開が決定したら是非チェックしたいところだ。(photo/text:Sachiko Fukuzumi)特集「よしもと芸人が贈る!沖縄国際映画祭2011」■関連作品:第3回沖縄国際映画祭 [映画祭] 2011年3月18日よりカウントダウンイベント開始、22日から27日まで映画祭開催■関連記事:【沖縄国際映画祭】中谷美紀主演『阪急電車』が二冠受賞!「小さな幸せを届けたい」【沖縄国際映画祭】映画祭最終日に阿部寛が登場、チャリティ活動に参加【沖縄国際映画祭】ピース綾部、ヤンキー高校生役に挑んだ初主演映画をアピール!【沖縄国際映画祭】AKB48メンバーが、被災地に向けて懸命エール!【沖縄国際映画祭】間寛平が語るアースマラソンのエピソードは笑いがいっぱい!
2011年04月06日第3回沖縄国際映画祭で「特別上映作品沖縄プレゼンテーション」に選ばれた映画『天国からのエール』が、映画祭最終日の3月27日(日)に特別上映され、レッドカーペット、舞台挨拶に主人公を演じた阿部寛と熊澤誓人監督が登場した。同作は、「僕らの歌は弁当屋で生まれた・YELL」を原案に、不治の病と闘う仲宗根陽さんをモデルにした、沖縄の小さな弁当屋の主人・大城陽(阿部寛)が、高校生たちにバンドの練習場を提供するために作った音楽スタジオ“あじさい音楽村”を舞台に、陽と高校生たちの交流を描いた実話を映画化。“あじさい音楽村”がある沖縄県本部町で昨年10月から1か月強に及ぶオールロケを敢行して撮影が行われた。最初に阿部さんは、11日に起こった東日本大震災にふれ、震災の翌日から撮影のためにイタリアに行かねばならず、毎日テレビでニュースに釘付けになりながら心を痛めていたことを明かした。帰国し、「実際被災地へ行ってみないとわからないことがたくさんあるはず。これからは、被災された方々のために、出来ることを精いっぱいやりたいと思います」と被災地への思いを力強い口調で伝えた。映画のモデルとなった故・仲宗根さんは、昨年11月に闘病の末に亡くなっており、阿部さんは、「子供たちに全身でぶつかっていった人だと聞きました。自分ではなく、まず人のために何が出来るのか。そして『夢をあきらめるな』と言い続けたそうです。そんな実在した素晴らしい人物に少しでも近づけるように、仲宗根さんのお母さんや奥さんにお会いして、お話を伺い、日々葛藤しながら演じました」とふり返った。不治の病と闘いながらも若者たちに愛情込めて叱咤激励するという難役に挑んだ阿部さんの姿は多くの人の心を打つ。本作で長編監督デビューを果たした熊澤監督は、「沖縄の方々に一番早く観ていただけて、本当に嬉しい。多くの沖縄の方にも参加していただいて、いい雰囲気で撮影することが出来て幸せでした。楽しんで観てください」と頭を下げた。沖縄に住む若者たちを通し、生きることや夢を追いかけることの大切さを描いた、心にしみる作品。『天国からのエール』は10月公開。特集「よしもと芸人が贈る!沖縄国際映画祭2011」■関連作品:天国からのエール 2011年10月より全国にて公開© 2011『天国からのエール』製作委員会第3回沖縄国際映画祭 [映画祭] 2011年3月18日よりカウントダウンイベント開始、22日から27日まで映画祭開催■関連記事:【沖縄国際映画祭】ピース綾部、ヤンキー高校生役に挑んだ初主演映画をアピール!【沖縄国際映画祭】AKB48メンバーが、被災地に向けて懸命エール!【沖縄国際映画祭】間寛平が語るアースマラソンのエピソードは笑いがいっぱい!【沖縄国際映画祭】木村監督が涙を流し完成させた作品で、日本中に笑いとエールを贈るステレオポニー、映画主題歌で沖縄「あじさい音楽村」の恩師に恩返し!
2011年03月27日第3回沖縄国際映画祭の「Peace」部門出品映画『TSY』が3月26日(土)に上映され、17歳のヤンキー高校生役で主演した34歳の綾部祐二(ピース)と、共演者の福田沙紀、安達健太郎(カナリア)、黒瀬純(パンクブーブー)、中川通成監督がレッドカーペット、舞台挨拶に登壇した。本作は、ヤンキー高校生(綾部)が偶然タイムスリップした場所で、自分の運命を変えるために仲間たちと共に奮闘する青春ムービー。初めて沖縄国際映画祭に参加したという綾部さんと福田さんは「元気を届けられたらと思って参加したのに、明るく、元気な沖縄の人たちに逆にパワーをもらった」と揃って明かした。綾部さんは、映画について「主役をいただいて、ありがたく思っています。難しく考えなくていい映画です。観て元気になれるし、なんかホッとする映画です」と見どころを述べた。福田さんは「何も考えずに楽しめる映画です。テンポもよくて、笑える要素がいっぱい」とアピール。「芸人たちとの共演で待っている間が面白かった」とふり返り、楽しい現場だったことを伝えた。TBSのバラエティ番組の演出をしていたという中川監督は「誰が主役かわかんないくらい、みんなカッコイイんです」と初監督の本作を誇らしげにアピールした。綾部さんのヤンキー高校生ぶりと、迫力のアクションシーンに注目の本作。さらに、相方の又吉直樹のカメオ出演にびっくり!最後の最後のオチまで席を立たないことをすすめる。特集「よしもと芸人が贈る!沖縄国際映画祭2011」■関連作品:第3回沖縄国際映画祭 [映画祭] 2011年3月18日よりカウントダウンイベント開始、22日から27日まで映画祭開催■関連記事:【沖縄国際映画祭】映画祭最終日に阿部寛が登場、チャリティ活動に参加【沖縄国際映画祭】AKB48メンバーが、被災地に向けて懸命エール!【沖縄国際映画祭】間寛平が語るアースマラソンのエピソードは笑いがいっぱい!【沖縄国際映画祭】木村監督が涙を流し完成させた作品で、日本中に笑いとエールを贈る【沖縄国際映画祭】中谷美紀、涙をこらえ沖縄から被災地へエール!
2011年03月27日3月24日(木)、開催中の第3回沖縄国際映画祭で“アースマラソンの裏話を聞く『ラン アンド ラン』”のイベントが那覇市・桜坂劇場にて開催され、『ラン アンド ラン』の上映と、主演の間寛平とサバンナ・八木真澄&高橋茂雄を迎えたプレミアムトークショーが行われた。間さんが笑顔で登場すると、客席からは大きな歓声があがった。その声援に応え、間さんは「アヘアヘ」とおなじみのギャグを披露し会場に笑いを提供した。間さんがアースマラソン中に前立線がんを患ったことを聞き、心配していたという高橋さんだが、テレビで間さんが「前立線〜!!」と絶叫する姿を見て「(がんを患ったのは)ホンマかな?と思いました」と呆れ顔でコメント。「がんになんか負けていられない」と思ったという間さんは、治療の様子を“がんのモノマネ”で説明し、シリアスな話も笑いに変えて話し、「さすがお笑いのキング!」と会場から再び大きな声援を受けていた。上映作品について間さんは、「キャメル監督っていうのが、俺がアースマラソンに挑戦してることを知って撮らしてくれと言うから」と、アースマラソン中に撮影が急きょ決まったという驚きのエピソードを披露。撮影時は台本もないうえに、もちろん言葉も通じず、適当に(?)会話をしながら演技に臨んだことまで暴露した。呆れたサバンナは「お客さん今日はすごい映画、観に来ましたね…」と苦笑い。監督がイラン人だという話から「中東は怖いというイメージがあるけれど、18か国走ってきた中でイラン人が一番優しい!」と話した間さん。「マラソンしていると、バイクに乗っていけと言ってくれたり、家に泊まりに来いって言ってくれる人や差し入れをくれる人も多かった」という心温まるエピソードを披露し、会場は和やかな雰囲気に。そのとき、高橋さんが急に笑い出し「寛平さん、スタッフが舞台袖から監督の名前教えてくれたんですけど“カマル・タブリージー”って…」と注意したので、会場は大爆笑。監督の名前を間違えた間さんは、高橋さんに「一文字も合うてへんやん!」と突っ込まれていた。続いて、アースマラソンの写真をスライドショーで見ることに。間さんがマラソン中に出会った人々と撮った写真を見て、八木さんが「寛平さん、サルそのものじゃないですか」と感想を述べ、さらに、一緒に写っている人との関係を“サルと調教師”とまで言いだし、会場は再び大爆笑。終始、会場を沸かせたトークショーだが、最後は「東の方は大変なことになってますし、一刻も早い復興に向けて頑張ってほしいと思います。我々も一生懸命そのために頑張って、ちょっとでも役に立つことをしていきたいと思います」という間さんの真剣な言葉で締めくくられ、笑いが日本中に元気を与えると、チャリティーを目的に開催された沖縄国際映画祭にふさわしい“Laugh&Peace”なイベントとなった。第3回沖縄国際映画祭は3月18日(金)から27日(日)まで、沖縄県宜野湾市の沖縄コンベンションセンターをメイン会場に開催。特集「よしもと芸人が贈る!沖縄国際映画祭2011」■関連作品:第3回沖縄国際映画祭 [映画祭] 2011年3月18日よりカウントダウンイベント開始、22日から27日まで映画祭開催■関連記事:【沖縄国際映画祭】木村監督が涙を流し完成させた作品で、日本中に笑いとエールを贈る【沖縄国際映画祭】中谷美紀、涙をこらえ沖縄から被災地へエール!【沖縄国際映画祭】相武紗季、初の子持ち役で新たな境地が開けた!【沖縄国際映画祭】黒沢、鬼奴の彼氏いない歴に「映画の中だけでも恋愛しないと」【沖縄国際映画祭】私たちにも、できることがきっとある。吉本芸人が贈る映画祭開幕!
2011年03月25日沖縄・宜野湾市の沖縄コンベンションセンターほかを会場に、世界に通じるテーマ“Laugh&Peace”を伝える作品を上映し3月28日(日)に閉幕した第2回沖縄国際映画祭。第1回を上回る大盛況ぶりを、同映画祭の実行委員会(吉本興業ほか)が発表した数字からふり返った。会期は昨年の4日間からプレイベント期間も含めて9日間と2倍以上に延び、延べ来場者数は11万人から38万人と約3.5倍に。1日あたりの来場者数は2万7,500人から4万2,000人。主催の中心、吉本興業の目標だった「30〜50万人」を達成し、映画祭の認知度を広めて集客に成功した形だ。上映作品は国内外の新作、吉本所属のタレントの監督作を合わせて94本。そのうち賞の対象になる長編プログラム作品には150本の応募から選出した26本を上映した。昨年は賞を争うコンペティション部門に80本の応募があり8作品を選出。優れた作品の上映、もしくは新しい才能の発掘などの映画祭の機能も強化された。レッドカーペット・イベントで歩いたゲストは昨年の90人から194人と倍増。逆にカーペットの長さは250メートルから150メートルになった。期間中に出演した吉本所属の芸人数も昨年の169人から123人に減少。とはいえ、吉本以外の俳優、女優、監督が多数出演した。実行委員会ではそちらの数字の発表はしていない。取材媒体は100媒体350人。昨年の100媒体250人から人数は膨らんでおり、注目度も高まったようだ。同社の大崎洋社長は、オープニングセレモニーで「100回、200回と続けたい」と宣言し、クロージングでは「語呂がいいから100回、200回」とトボけながらも意欲的に取り組む姿勢を見せた。第3回の開催は決定しており、2011年3月19〜28日と1日期間延長の予定。今年、前回以上の盛況ぶりを見せただけに、イベント色の強い映画祭としてスケールアップが期待できそうだ。その一方、実行委員会の1社、パチンコメーカーの京楽産業の榎本善紀社長は打ち上げの席で「来年は妻と子供を連れてきます」と挨拶。昨年11月に入籍した愛妻で現在、第1子を妊娠中で今夏に出産予定の女優・伊東美咲を伴った、一家3人での参加を表明。負けじと(?)、吉本興業の社員、木本公敏氏も「来年は妻と子供を連れてきます」と愛妻で、現在第1子を妊娠中で、まもなく出産予定の元フジテレビのアナウンサーのタレント、内田恭子の同伴を予告。関係者を大いに喜ばせた。第3回は2人のミューズ降臨で、ますます大盛況となるか?(photo/text:Yoko Saito)沖縄国際映画祭現地レポート■関連作品:第2回沖縄国際映画祭 [映画祭] 2010年3月20日よりカウントダウンイベント開始、24日から28日まで映画祭開催■関連記事:「三池監督との勝負は五分五分」 哀川翔『ゼブラーマン』続編インタビュー in 沖縄【沖縄国際映画祭】黒沢かずこ主演『クロサワ映画』2冠!即興の歌で喜び表現【沖縄国際映画祭】キム兄、鈴木杏樹の天然トークに苦笑い【沖縄国際映画祭】ロバート秋山竜次、出演場面13秒の映画で舞台挨拶【沖縄国際映画祭】間寛平、イランから衛星中継でギャグ3連発
2010年04月01日昨日閉幕した第2回沖縄国際映画祭で主演映画『ゼブラーマンゼブラシティの逆襲』(三池崇史監督)が初披露された俳優、哀川翔が3月26日(木)、宜野湾市内のホテルでインタビューに応じ、同作に込めた思いを語った。冴えない小学校教師が、憧れていた「白黒つけるぜ」が決めゼリフの特撮TV番組のヒーロー“ゼブラーマン”に扮し宇宙生物と戦う姿を描いたアクションドラマの第2弾。第1弾は2004年に哀川さんの主演100本目として監督・三池崇史、脚本・宮藤官九郎とのコラボレーションで誕生し、シマウマをモチーフにした唯一無二の奇抜なヒーローぶりで人気を呼んだ。今回の続編は昨年の哀川さんの俳優デビュー25周年記念作。テーマの1つは「善と悪」で、象徴的に黒ゼブラ、白ゼブラが入り乱れた戦いが展開。自身は、自分の中の善と悪を“アニキ”の愛称に相応しい大人の心構えで上手くコントロールしている様子だ。「“悪”の部分って、日常をちゃんとしていくと出ないうちに終わっちゃう。多分、早寝早起きしていたら悪が出ずに終わるだろうと。だから早寝早起きして十何年経ちますけど、悪はほとんど出ていない。人間の中の善悪って51対49ぐらい、僅差で善が勝っているから仕事ができると思っている。それを早寝早起きにしたら悪が出ずに終わってしまう。そういうことじゃないかと思います。誰にでも悪の部分ってあると思うけど、それ出さなかったら普通に暮らしていけるんだなって」。続編といっても別作品を思わせるほどの過激な内容。撮影はワイヤーアクション中心で、全体の3分の2、延べ約200時間と前作以上にハードな内容をこなした。「三池監督が死ねばいいのに…なんて思ったりね(笑)。でも過酷な現場ほどいい作品ができる。過去の例で『あれキツかったな〜』っていうのがあると、いいのができているんですよ。だから『こりゃ、いいのができるぞ!』と思いながらやっていましたね」。劇中の強敵として新キャラクター、黒ゼブラ&ゼブラクイーン(仲里依紗)が登場。哀川さんは、本格アクション初挑戦となった仲さんを上手に“エスコート”して、見ごたえ十分の壮絶なバトルを展開した。「歌とか踊りと違って、殺陣は(人同士が)絡むじゃないですか。そこにはテクニック、秘技があるんですよ。これはみなさんにはお話することはできませんけど(笑)。相手が空回りしないやり方とかもあって、お互いに戦い合うシーンだから最大限に力を引き出したいじゃないですか。あそこには秘技25周年の集大成が出ていますよ(笑)」。三池監督とは本シリーズ以外にも映画『DEAD OR ALIVE』シリーズなどコラボが多く、好相性を活かして映画ファンを喜ばせてきた。「三池監督が『右に走れ!』と言えば、右に目一杯突き抜けることしか考えてない。現場に立ったらテーマは三池さんを笑わすこと。『クスッ』と笑い声が聞こえたら、よし!やり切った!シーンとしたらやべぇな、みたいな。監督が笑えばこっちの勝ちですよ。今回の勝負?うーん、五分五分かな(苦笑)。三池さん、走りまくってますよ、ひたすら俺は追いかけている。そんな感じですね」。さらなる続編の可能性については「『3』?ないです」とキッパリ言い切るが…。「あそこまでやりきっちゃってますから。クドカンも三池さんも『白黒つける、絶対決着をつけてやる』って感じで挑んでいますから。自分は前回から白黒つけて進んでいましたから自分の中では完全燃焼している訳です。多分ないでしょう、って前回も言っていました(笑)」。ところで、沖縄と本シリーズには意外な接点があったという。「沖縄は泡盛美味いし、泡盛とコラボしようかと言ってるんです。新里酒造っていうところに島旨(シマウマ)って泡盛があるのよ。工場まで行ったら、何じゃこれ?シマウマあるじゃん、みたいな。で、美味い。だからそれにコーヒー豆入れて、シマウマコーヒー焼酎作ろうぜ!って。結構美味しかったよ。ラベルがシマウマなのよ、飲んでみて」。昨年、25周年を迎え30周年、40周年…へ向けて全力疾走中。今後の抱負も「走る」ことだ。「とりあえず60(歳)までは走ろうと思っているんですね。一気に25年、26年来ましたから、あと10年、11年は走ろうと。60過ぎたら趣味に走ろうかなと、カブトムシ三昧、釣り三昧。沖縄には、どうしても獲りたいマルバネクワガタってのがいるんですよ。聞いたことない?おかしいな、そりゃ(笑)」。(photo/text:Yoko Saito)沖縄国際映画祭現地レポート■関連作品:ゼブラーマンゼブラシティの逆襲 2010年5月1日より全国にて公開© 2010「ゼブラーマン2 ゼブラシティの逆襲」製作委員会第2回沖縄国際映画祭 [映画祭] 2010年3月20日よりカウントダウンイベント開始、24日から28日まで映画祭開催■関連記事:【沖縄国際映画祭】黒沢かずこ主演『クロサワ映画』2冠!即興の歌で喜び表現【沖縄国際映画祭】キム兄、鈴木杏樹の天然トークに苦笑い【沖縄国際映画祭】ロバート秋山竜次、出演場面13秒の映画で舞台挨拶【沖縄国際映画祭】間寛平、イランから衛星中継でギャグ3連発【沖縄国際映画祭】ナベアツの晴れ舞台でケンコバ暴走挨拶
2010年03月29日