無意識のうちについやってしまう癖は誰にでもあるもの。ただし、見ている人によくない印象を与える癖は、できるだけ直したいですよね。自分の子どもであればなおのこと、早い段階で修正してあげたいと願うのは当然です。今回は、子どもの “困った癖” のなかで特に多い「指しゃぶり」「爪かみ」「鼻ほじり」について、解説していきます。「子どもの困った癖」の原因はストレス?愛情不足!?「こら、何度言ったらわかるの!」「汚いからやめなさい!」と、しょっちゅう叱っているにもかかわらず、繰り返される子どもの “困った癖” 。なかでも、不衛生に見える癖や、周りの人を不快にさせる癖は、たとえ子どもであっても厳しく注意するべきだと考えて当然でしょう。子育て中の母親向けメディア「あんふぁん」が2019年に実施したアンケートでは、「子どもの困った癖」の1位は「鼻ほじり」、2位は「爪かみ」、3位は「指しゃぶり」という結果でした。また、子育て情報誌「kodomoe」のアンケートでも同様に、これらの癖が上位にランクイン。「鼻をほじって、さらにそれを食べちゃう……」「もうかむところがなくなるまで爪をかんでしまう」「爪の周りの皮膚までかんでしまい、やめてと言っても効果なし」といった回答者の声からは、多くの親がこれらの癖に悩まされ、わが子のためにもどうにか改善してあげたい、と切実に願っていることが伝わります。そんな親たちをさらに追いつめるのは、「子どもが指しゃぶりをやめないのは親の愛情不足」「ストレスを感じているから爪をかむ」といった言葉の数々です。「指しゃぶり」「爪かみ」「鼻ほじり」をし続けるのは親のせいーー。そのような心無い言葉やネットの噂に傷つき、悩んでしまう親御さんにとって、子どもの癖は「絶対に解決しなければならない重大な問題」として重くのしかかっていることでしょう。しかし近年では、これらの癖の原因が「愛情不足」でも「ストレス」でもないことがわかっています。小児科医の秋山千枝子氏は次のように述べています。ひと昔前は『子どものクセはストレスが原因』と言われていたこともありました。でも、何が原因かは結局のところ分からないことが多いのです。ストレスがかかるとクセが強く出る、ということはありますが、決して『愛情が足りないせいだ』などと、ママが自分を責める必要はありません。(引用元:kodomoe web|爪かみ・指しゃぶり・鼻ほじり……気になる行為・行動子どもの“このクセ”大丈夫?)ただし、はっきりとした原因はわからなくても、子どもの身体的な成長過程において、これらの行動が出やすくなるという傾向はあるそう。次に詳しく見ていきましょう。子どもが「指しゃぶり」「爪かみ」「鼻ほじり」をする理由子どもの「困った癖」の原因のほとんどは、身体的に不快な状態を解消した経験がきっかけとなっています。つまり、「すっきりして気持ちよかったからまたやろう」と記憶に刻まれている快感を得ることが目的です。また、単純に「これをすると落ち着く」「何もすることがなくて退屈」など、大人が考えるほど深い理由がないことも。ここでは、専門家の意見をもとに「指しゃぶり」「爪かみ」「鼻ほじり」の原因を考えていきます。■子どもが指しゃぶりをする原因乳幼児の癖のなかで特に多いのが「指しゃぶり」です。エコーの画像からも、胎児の時点ですでに指しゃぶりをする姿が見られることが知られています。お茶の水女子大学名誉教授で小児科医の榊原洋一氏は「おそらく指をしゃぶる感覚が安心するのでは?」との見解を示しています。指をしゃぶっていると情緒が安定する、不安や緊張が緩和されるという面からも、無理にやめさせてしまうほうが悪影響である場合も。多くの専門家が「3歳頃までは特に禁止する必要はない」と回答しています。■子どもが爪かみをする原因小児科医の細部千晴氏は、爪かみの原因として「数本程度なら、爪をかむ感覚がおもしろいのかも」と論じています。最初のきっかけは、爪先がガタガタしているのが気になる、ささくれが引っかかるなど、ささいなことかもしれません。ただし、すべての爪を極限まで深くかむようであれば、イライラしていたり不安が強かったりする可能性もあるそう。毎日のスケジュールに無理がないか、友人関係や勉強面で悩んでいないかなど、子どもが過度にストレスを抱えていないか気にかけてあげるといいでしょう。■子どもが鼻をほじる原因単純に「鼻の中に鼻くそがあって、かゆいから指でほじる」ことが原因として考えられます。それだけなら誰もがすることですが、癖にまで発展してしまうのはどうしてでしょうか?横浜市立大学付属病院児童精神科の見解によると、「鼻くそが引っかかってとれず、やっとのことで取り出せた。そのときに感じた “すっきり” を、心のバランスをとるために体や心(脳)が必要として続けることになっている」のだそう。つまり、「以前体験した刺激や快感」を求めて同じ行動を繰り返すことが、癖につながっているというわけです。■ほかに考えられる原因「鼻ほじり」の別の原因として考えられるものに、「鼻になんらかの病気がある」ことが挙げられます。JCHO東京新宿メディカルセンターの石井正則氏によると、「癖を直すというより、まず鼻の病気を治すことを考えるべき」とのこと。鼻の病気とは、代表的なものとして風邪や花粉症、アレルギー性鼻炎、慢性副鼻腔炎などが挙げられます。これらの病気が治れば鼻をほじることもなくなるはずなので、病院に連れて行って様子を見てあげましょう。「指しゃぶり」が癖になるのも、しゃぶって皮膚が硬くなり、たこができて、たこが乾くと痛くてなめる……という悪循環によって引き起こされるケースが考えられます。心理的な要因よりも、このように鼻のなかや指に不調を抱えていることが癖につながっていると考えると、解決への糸口が見えてくるのではないでしょうか。「困った癖」を厳しく叱るのはNG!子どもの癖は一過性のものが多く、ほとんどはその時期のブームに過ぎません。「癖が出やすいのは、ほかにすることがないときが多い」と前出の秋山氏が指摘するように、手持ち無沙汰になっているときや退屈しのぎで出てしまう癖については、あまり深く悩む必要はないでしょう。しかし、「あまりにも長く続いている」「衛生面が心配」「お友だちから嫌がられそう」など、親御さん自身の心配やストレスにつながるようなら、すぐにでも改善したいですよね。まず、すべての癖に共通した対処法として「叱らずにほめること」が挙げられます。子ども本人は、親を困らせようとしてわざとやっているわけではありません。前出の榊原氏によると、「自分は悪いことをして叱られている」と思わせないことが大事なのだそう。そのうえで、「癖をしているときに叱るのではなく、しないでいたら『えらいね。指しゃぶりしてなかったね』というようにほめてあげて」とアドバイスしています。「我慢できたことをほめられた子どもは、我慢することに意味があると気づくようになります」と語るのは、東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり氏です。親からほめられることで、子どもの達成感は高まります。さらにその体験を経て、子どもは自信をもって「次も頑張ろう」と思えるようになるのです。叱りたい気持ちをぐっと抑えて、子どもを追いつめるような言葉をぶつけるのは避けましょう。■指しゃぶりへの対処法指しゃぶりで心配されるのが「歯並びが悪くなる」こと。歯科医が指摘しているのは、長い時間ずっとしゃぶり続けることと、寝ているあいだの指しゃぶりが、歯並びに影響を与えるという点です。それを避けるためにも、寝かしつけのときに子どもの手をにぎったり、絵本の読み聞かせをしたりして、指しゃぶりをしなくても安心できるようにするといいでしょう。また、物理的に指しゃぶりを避けられるアイテムに頼ってもいいですね。「チュチュ BYE BYEスキンクリーム」は、「子どもの指しゃぶりの回数が減った」「指しゃぶりをするときにためらうようになった」という使用者の声からもわかるように、子どもの指しゃぶり防止に効果を期待できる商品です。グリセリンやスクワランなどの肌を優しく潤わせる成分や、なめると苦味を感じる成分を配合しています。親子で楽しく指しゃぶりを卒業できると評判の「指しゃぶり卒業キット たこたこおにおにおんころぽい」は、子どもが自らの意思でやめようと決意できる工夫がほどこされています。指しゃぶりにまつわるミニ絵本と、そのおはなしに連動した指シールがセットになっており、視覚・感覚的に指しゃぶりを抑制する効果が期待できるでしょう。■爪かみへの対処法なかなか直らない癖に対して、「癖と置き換える “拮抗行動” を子どもに教える」ことをすすめるのは秋山氏です。拮抗行動とは、その動作をしているときには癖ができない動作のこと。特に決まりはありませんが、「1~2分間維持できる」「まわりの人から目立たない」「ほかの動作の妨げにならない」条件を満たしていることが好ましいでしょう。具体的には、爪をかみたくなったとき、手のひらに指先をぎゅっと握りこむなど、指を口元にもっていかないように意識させます。最初のうちはうまくいかないかもしれませんが、子どもにとってプレッシャーにならないように、粘り強く練習させるといいでしょう。口に入れると苦味を感じるマニキュアタイプの商品も、爪かみ防止には効果的です。爪噛み防止の苦ぁーいマニキュア「かむピタ」は、たくさんの使用者から「子どもが爪かみをやめられた!」と嬉しい声が続出するほど、爪かみ防止のベストセラー商品。人体に無害な植物由来の成分を配合していることからも、安心して使用できますね。■鼻ほじりへの対処法小さな子どものなかには、大人の反応がおもしろくてわざと鼻をほじる子もいるでしょう。その場合、過剰な反応は避けて、冷静に「人前ではやめようね」「かっこ悪いよ」と諭してあげてください。ほかに夢中になれることを見つけたり、指先を使った遊びに集中するよう促したりすれば、自然と鼻ほじりへの執着は薄れていくでしょう。ただし、前項で説明したように、鼻になんらかの異常がある可能性もあります。鼻水がたまると鼻くそができ、それをとろうとして鼻ほじりに発展するのであれば、上手に鼻をかむ方法を教えてあげて。何も出てこなくなれば、鼻をほじることはつまらないと感じてやめるようになるはずです。子どもの癖に悩んだら読みたい本最後に、子どもの困った癖の解消に役立つ本をご紹介します。癖の原因や、癖がやめられない子どもの気持ちに対する理解が深まることで、みなさんの悩みが少しでも軽くなりますように。◆『指しゃぶりにはわけがあるー正しい理解と適切な対応のために』新日本医師協会の会長を務める歯学博士・岩倉政城氏による、指しゃぶりへの適切な対処法を示した本著。さまざまな具体例をもとに、禁止したり強制したりせずに、指しゃぶりを改善へと導く方法を解説しています。いま現在、子どもの指しゃぶりに悩んでいる保護者にとって、心配や不安が軽減される一冊になるでしょう。◆『ゆびたこ』指しゃぶりがやめられない少女の親指には、立派な「たこ」ができてしまいました。もうすぐ1年生になるのに、指しゃぶりなんてはずかしい、このたこ消えないかなぁ……。すると突然、「指たこ」がしゃべりだした!「これからも、もっと指しゃぶりして、わいのこと大きくしてや〜」だなんて、ちょっと怖くてとびきり愉快なストーリーにぐいぐい引き込まれます。実際に「子どもの指しゃぶりに効果あり!」という感想も続出しているそう。◆『なっちゃうかもよ』子どもならではの「困った行為」を、叱らずにやめさせるのにぴったりのしつけ絵本です。「はなくそをほじると……」「はをみがかないと……」「おやゆびをしゃぶっていると……」、はたしてどうなってしまうのでしょうか?視覚的効果が高く、子どもでも理解しやすい内容になっています。「ついやってしまうこと」と「やってはいけないこと」が明確に示されているので、困った癖をスムーズに直す一助になるでしょう。***癖というものは、無理にやめさせようとすると逆に意識しすぎてやめづらくなることもあります。イライラして叱ったり、力で押さえつけたりするのは絶対にやめましょう。ほかのことに興味を向けさせるなど、癖が出る機会を自然に減らしていくのが理想ですが、なかなか直らないようなら、今回ご紹介した対処法を試してみてください。(参考)あんふぁんWeb|どうしたらいい?子どもの癖kodomoe web|爪かみ・指しゃぶり・鼻ほじり……気になる行為・行動子どもの“このクセ”大丈夫?NHK すくすく子育て情報|動画で見る!子どものクセ横浜市立大学付属病院・市民総合医療センター 児童精神科|親子のこころのとまり木|くせ(爪かみなど)について。小児科と小児歯科の保健検討委員会|指しゃぶりについての考え方いこーよ|子供はなぜ、よく鼻をほじる?止めさせる方法は?STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは“○○上手な親”だった!
2021年04月28日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第9のテーマ、遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(後編)をお届けします。9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)はこちら >>9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(後編)「自分は誰なのか」、すなわち「アイデンティティ」は、とても危険な概念でもあります。なぜなら、簡単に差別意識やナショナリズム、排外主義などに結びつくからです。特に、ごく狭い視野の中で、小さな世界だけの経験で生きている人は、「他者」「異邦人」が理解できず、ゆえに「怖ろしい」「危険」と感じ、ほとんど無意識に排除しようとします。人間は「わからない」ものは、幽霊から虫から、すべて「こわい」のです。でも、ごく広く旅をした人なら、「アイデンティティ」の捉え方も変わります。日本にいる間は「関西の人は苦手」「九州は怖い」などと感じている人も、遠く海外に旅に出て、現地で日本人に出会ったら、相手がどこ出身だろうと「仲間!」と感じられます。同じく、宇宙人の集団に囲まれたとき、地球の人間に出会えたなら、「仲間!」と思うはずです。広く旅をし、深く学んだ人は、「わからない」を「わかる」に変えていきます。更にそのプロセスで、「わからない」ものとのつきあいかたを身につけていきます。どんなに賢くても、どんなに多くを学んでも、全てを知り尽くすということはできないでしょう。ゆえに、この世界には常に「わからないもの」が残っているわけですが、そうした「わからないもの」も、いつか「わかるようになる」可能性があります。むやみに恐れたり排除したりするのではなく、「わからない」という状態を受け止め、「わかるかもしれない」道を探すのです。広い世界を旅し、深く学んだ人は、差別や排外主義的な観念に陥りにくくなります。「理解できる」と思える範囲が広く深くなるからです。「私は何者か」を、限りなく広い世界のなかで捉え直し続ける作業は、自分以外の人々を幸福にする力を授けてくれます。なぜなら、誰も排除されたり、差別されたりしたくないからです。人間は「自分だけが幸福ならそれでいい」とは、いかないのです。開きなおってそう思ってみても、心のどこかに罪悪感がうずきます。自分が誰かを、特に相手の行為とは関係なく「怖い、いやだ」と感じたとき、そう思われた相手は、多少なりとも傷つくのです。学ぶこと、旅することは、それ自体が本来、楽しい体験です。ですがさらにここで、第9ハウスのテーマとして、「なぜ学び、なぜ旅をするのか」という問題が出てくる気がします。この「なぜ」は、おそらく倫理や道徳といった、私たちが社会集団を作って暮らす上で欠かせない概念、「善」というものと結びついているのではないかとも思います。本稿のテーマである「幸福」について考えると、第9ハウス的「幸福」は、ただ自分一人の幸不幸に留まらないように思われます。「道徳的であろう」「善くあろう」とすることは、他者の存在が前提となっています。たいていは、「自分以外の誰かのために」、道徳的であろうとするのです。つまり、第9ハウスの「旅、学び、宗教、法律」というテーマには、「集団の中で生きるにあたり、いかに他者の幸福を大事にするか」という観念が組み込まれています。徳の高い人は、幸福なのです。そして、徳の高い人とは、他者に対して誠実に、真実に振る舞える人のことを意味します。「自分とは誰なのか」を探しに出かけたとき、究極には「自分は結局、善い人間であり、正しく生きようとしている人間だ」という答えにたどり着かなければならないはずです。もし「自分は弱く卑怯で、クズのような人間だ」という答えにたどり着いたとしたら、まだ旅が終わらないでしょう。そこから「では、どうすればいいのだ?」という問いが生まれてしまうからです。第9ハウス的な幸福とは、社会集団の中で生きる上で、より「善いもの」はなんなのかを探し当てる、ということに結びついている気がします。利他心、集団性、アイデンティティ。社会の中で何を「崇高なもの」とするか、そしてそこにどう到達するかということが、一つの大きなテーマとなっているのです。「古代の人類は、ある場所に住んで一定期間を過ぎると、その場所を捨てて別の場所に移動していくという生き方をしていたのだ」という記事を読んだことがあります。一つの場所に住み続けた後では、ゴミや排泄物などが蓄積されます。そのうち住環境が悪くなってくるので、その場所をあとにして移動していった、というのです。現代にも、似たようなことはあります。たとえば、ある土地や集団において、嫌な辛いことが起こると、私たちはその場所から遠く離れたところで「人生をやりなおす」ことができます。そこでは、自分自身というものを「生まれ変わらせる」ような体験をする人もいます。「長距離の移動」はこんなかたちでも、人間のアイデンティティと結びついています。第9ハウスは、ホロスコープの中でもっとも「広い世界」「遠い世界」を象徴しています。この世界がどんなに大きいか、ということは即ち、一人の人間がどんなにちっぽけか、を実感することに他なりません。その上で尚、何か高く善いものを求めて生きようとする人間の不思議な指向性が、第9ハウスという場所にぎゅっと詰まっている気がします。もし、科学技術が発達した遠い未来、「人間とは/私とは何か」が、完璧な形でわかってしまうような時代が来たら、人間はもはや、誰も旅をしなくなるかもしれません。星占いもまた「私とは何か」「人生とは何か」を問いかける道具となることがあります。ゆえに「自分とは何か」が判明するような時代が来たら、星占いも、消えてなくなるのかもしれません。>>次回もお楽しみに(2021年5月25日更新)
2021年04月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第9のテーマ、遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)をお届けします。■9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)これを書いているのは2021年3月ですが、「旅行」を考えるのがまだまだ難しい状況です。でも、今回のテーマ、星占いでの「第9ハウス」は、「旅と学びと宗教の部屋」なのです。どうしても「旅」を語らないわけにはいきません。いわゆる「コロナ禍」で、私たちは「不要不急の外出を避ける」ことを求められています。「楽しみのための旅行」は、不要不急の最たるものです。少なくとも今の社会で「旅」は、人間が生きていく上で、絶対必要なものではない、とされています。ですが、長い人間の歴史を考えると、「旅=長距離の移動」は、また別の意味合いを持って見えてきます。というのも、私たち「ホモ・サピエンス」は、アフリカに起源を持ち、そこから世界中に広がったのです。祖先の長旅の結果として、私たちは今ある場所に住んでいる、と言えます。もとい、人間がどこで発生してどう拡がったか、という問題には諸説あるようですが、とにかく大陸や海を越える「移動」は起こっていたのです。私たちの祖先が「旅をした」理由は、これまた諸説あるようです。食べものを求めてなのか、気候変動のためなのか、集団同士の闘争・戦争のためなのか、疫病から逃れるためなのか、etc,.とにかく人間はごく古い時代から、山を越え海を渡り、長い長い距離を超えて、今のように世界中に住まうようになりました。もし宇宙人が地球にやってきて、人間を長期的に観察したなら、「旅は人間の習性だ」と考えるでしょう。「フンコロガシはフンをまるめる」のと同じように、「人間は旅をする」のです。なぜ、現代を生きる私たちもまた、旅をするのでしょうか。異文化に触れ、しばしば不自由な思いをし、時には身を危険にさらしても、「どこか知らない世界に行ってみたい」と考えるのは、なぜなのでしょうか。第9ハウスの向かい側は、第3ハウスです。第3ハウスも、「旅と学び」がテーマになっています。ただ、第3ハウスはコミュニケーションやショートトリップなど、比較的「近距離・身近」な世界間の移動を担います。それに対して第9ハウスの移動は、宇宙旅行まで管轄するような、ごく遠くまでの旅です。第3ハウスの記事()で、私は大阪大学の仲野先生へのインタビューのエピソードをご紹介しました。「なぜ学ぶのか」「なぜ旅をするのか」という疑問に、仲野先生は「知ることが楽しいから」と応えられたのですが、さらに私が執拗に聞いていったとき、こう仰いました。「自分が生きてる世界を知りたい、っていうことでしょうね。世の中ってどんなもんか知りたい。好奇心でしょうね。それは、自分というものがどういうものが知りたい、ということでもあると思います。納得して死んでいきたい。」私たちは「自分がなんなのか」を知るために、常に外界に答えを求めます。自分が「何と同じ」で、「何と違う」か。その情報を集めることで、次第に「自分」の像をつくっていきます。友だちと遊ぶとき、しきりに「○○ちゃんと同じ!」「○○ちゃんは違う」というふうに、自分と他人の一致/相違点を探していく幼児をよく見かけます。親と自分が似ていることを無意識に確認し、そこで見つけた特徴が、自分のアイデンティティに組み込まれます。一方、親と全く違う性質を見つけたら、それもまた、自分自身の個性としてアイデンティティの部品となります。ある集団の中で「自分だけ違う」ことを痛烈に恐れるのは、大人になってからも続く傾向ではないかと思います。一方で「自分探し」をするために、あえてハデな格好をしてみたり、際立った行動を取ってみたりする人もいます。帰属意識と、差異を見いだして独立しようとする気持ち。その両者が複雑に絡み合って、「自分はこういう存在だ」という思いが形成されます。「自分がなんなのか」を知るためには、私たちは常に外部にコンタクトを取らねばなりません。よその家に遊びに行って初めて「自分の家とは違う文化」に出会います。自分が住む地域を離れて少し離れた場所に出かけたとき、新しい方言に出会い、自分の話し言葉の特殊性に驚かされます。さらに遠く海外に出ると、自分が日本人であるということを発見します。人類が宇宙旅行を夢見、宇宙人を探しに出かけたいと考えているのは、自分がどんな宇宙人と同じで、どんな宇宙人と違うかを知りたいからではないかと思います。つまり、「人間とは何か」が知りたいのです。今は地球上の動物との比較でしかわかりませんが、「他の星」の知的生命体と人間を比べたら、「人間ってこうなのか!」と、その時初めてわかることがあるはずです。私たちには「自分が誰かを知りたい」という願いがあります。「自分が何者なのか」がよくわからないとき、私たちはそれを必死に探そうとするだろうと思います。たとえば、親を「知る権利」ということが、昨今問題になっています。自分の産みの親が知りたい、という切なる思いは、否定できるものではないように思われます。第9ハウスのテーマに「宗教」があります。古い時代、庶民が旅に出る理由として、ごく一般的なのが宗教的な「巡礼の旅」でした。これだけでも、宗教と旅が密接に結びつくのは納得できます。さらに、いくつかの宗教は「人間とは何か」「わたしとは何か」に、ある程度の答えを与えてくれます。世界の創造神話にはじまり、その神を信仰する者だということ自体が「アイデンティティ」になり得るのです。「クリスチャン」「ムスリム」などの呼称が、即「わたしは何者か」という問いへの、ひとつの答えになります。遠く高い知恵に触れて、地上の自分のなんたるかを知る、ということは、「宇宙人に出会って、人間とは何かを(より深く)知る」ということと、わずかに通じるものがあるような気もします。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年4月25日更新)
2021年03月25日子どもにとって、親から向けられる言葉の影響力は計り知れません。わが子にはできるだけ、傷つけるような言葉をぶつけないようにしよう、と心がけてはいても、思い通りにいかずにイライラしたりカッとなったり……。今回は、「子どもに絶対言ってはいけない言葉」について解説し、子どもの自己肯定感を育むだけではなく、親のストレスも軽減される「効果的な声かけとほめ方」を紹介していきます。親の言葉が「子どもの人生の土台」をつくる「いつも穏やかな気持ちで子どもに接したいのに、カッとなるとつい厳しい言葉をぶつけてしまう」「自分の言葉が子どもの人生に悪影響を与えているのではないかと不安になる……」このような悩みを抱えている親御さんも多いのではないでしょうか。真剣にわが子と向き合っているからこそ、親はいつも悩み、不安を感じてしまうもの。「いまの親は思い込みに縛られていて、せっかく愛情があるのに空回りしていることが多い」と述べるのは、教育評論家の親野智可等先生です。みなさんも、ネットの情報やSNSなどを見ては、他人と比較して落ち込むこともあるはず。自分の育児法に自信がもてなくなると、子どもとの向き合い方までもわからなくなってしまいます。親もひとりの人間なので、思い通りにいかない子どもにイライラしたり、感情的になって怒鳴ったりすることもあるでしょう。しかし、親から言われ続けた言葉は、知らず知らずのうちに子どもの心に深く刻み込まれることも事実です。一般社団法人日本キッズコーチング協会理事長の竹内エリカさんによると「親の言葉は子どもにとって一種の暗示のようなもの」であり、「『あなたはできる』と言われて育った子は恐れずに挑戦する子になるなど、親の言葉が価値観の基礎になる」と指摘しています。逆に、親から「あなたって本当にダメな子ね」と言われ続けると、子どもの自己肯定感は育まれません。それどころか、チャレンジ精神が失われ、ちょっとした壁にぶつかるとすぐに諦めるような無気力さばかりが目立つようになるでしょう。このように、親からかけられた言葉が子どもの人格形成や、生きていくうえで身につけておきたい「自己肯定感」に強い影響を及ぼすことはよく知られています。親が子どもに “絶対に言ってはいけない” 言葉続いて、親が子どもに言ってはいけない言葉について、具体的に解説していきます。■子どもの存在そのものを否定する言葉「あんたなんて産まれてこなければよかったのに」「お前なんていないほうがいい」「捨ててしまいたい」これらの言葉は、どんな場合であっても決して言ってはいけません。もちろんほとんどの親は、このような言葉を発したことはないでしょう。しかし、ときに冗談や過剰な謙遜、周囲への照れなどから軽い気持ちで言ってしまうケースも。たとえ冗談でも、言われた子どもは心に深い傷を負うかもしれません。大人になって何かにチャレンジしようとしたとき、幼いころに親から存在を否定されたことを思い出し、「どうせ自分なんか」と一歩も踏み出せなくなってしまうこともあるので注意が必要です。■子どもの人格を否定する言葉「あなたって意地悪な子ね」「どうしていつも迷惑ばかりかけるの!」たとえばお友だちを叩いてしまったとき、「お友だちを叩くなんて乱暴な子ね!」と子どもの人格を責めるか、「お友だちを叩くのは悪いことだよ」と行動そのものに対して注意をするかで、受け取り方は大きく変わります。『子どもが一週間で変わる親の「この一言」』(三笠書房)の著者の波多野ミキさんは、「人格を否定されるようなことを言われ続けると、だんだんとネガティブになり、『自分はダメな子なんだ』と思うようになります」と警鐘を鳴らしています。あくまでも「子どもの行動そのもの」に目を向けて、人格を否定しないように気をつけて。■子どもの能力を否定する言葉「何度やってもできないなんてダメな子ね」「お前には無理だ」自分の能力を否定される言葉で叱られ続ける弊害について、前出の親野先生は次のように述べています。よく見られるのは、「ダメな自分は親から愛されないのではないか」という不安から、わざと心配させるような行動をとり、「こんなに心配してくれているから自分は愛されているんだ」という確認作業を行なうこと。また、子どもは自分が叱られながらも、親の口調や態度をよく観察しています。その結果、親の叱り方をまねするようになることも。弟や妹、友だちに対して、できないことをとがめるような口調で責めるようになる前に、親自身の叱り方を見直す必要があるでしょう。■兄弟・姉妹や他の子と比べる言葉「お兄ちゃんはできるのに……」「お友だちに負けないように頑張りなさい!」『叱りゼロ!「自分で動ける子」が育つ魔法の言いかえ』(青春出版社)の著者でプロコーチの田嶋英子さんは、「わが子とほかの子どもを比べてしまうのは、ちゃんと成長しているかどうか確かめて安心したいから」と説明しています。しかしたいていは “できている子” と比べてしまうため、結果的に不安が増してしまうことが多いそう。比べられて育った子は、劣等感が強くなり、自分に対してマイナスのイメージを抱くようになります。比べるなら過去のその子自身、つまり半年前や一年前の姿を思い出して、「ずいぶん成長したね」と前向きに考えるようにしましょう。伝えたいことは間違っていなくても、選ぶ言葉によって子どもの心を深く傷つけることがあります。親が発する言葉の重みや責任について、一度立ち止まって考えてみる必要がありそうですね。カッとなる前に押さえておきたい!叱り方のポイント2つ子どもの性格や家庭の方針によって叱り方はさまざまですが、状況に応じて即座に正しい声かけをするのは容易ではありません。カッとなってとっさに人格を否定するような言葉が出てしまうこともあるはずです。自分の言葉に後悔して落ち込まないように、「これだけは押さえておきたい叱り方のポイント」を覚えておきましょう。■子どもが自分から動けるような「具体的な提案」をするNG:「こんなに散らかして!なんで片づけないの!?」OK:「まだ遊びたいのかな?遊び終わったならおもちゃを箱にしまって、おやつにしようか」毎日毎日同じことを注意しているのに、いつまでたっても自分から動こうとしない、と悩んでいませんか?だからといって、ついイライラして感情のままに叱っても、状況は改善されません。前出の田嶋さんは、「子どものよい部分に目を向け、自己肯定感を高めながら、できていないところも直すことを心がけて」とアドバイスしています。「小さいおもちゃはこの箱に、大きいものはこの箱に入れようか」など、具体的に指示を出しながら促すとスムーズに行動できるようになるでしょう。■「私」を主語にすれば、子どもを責める口調になりにくいNG:「(あなたは)何回言ったらわかるの!」OK:「(私は)○○してくれると嬉しいな」子どもを叱るとき、無意識のうちに相手を責めるような口調になっていたら要注意。親業訓練協会の瀬川文子さんは、「子どもを叱るのは、たいてい子どもの行動に対して親が気に入らないとき。だから『どうしてそんなことをするの!』という表現になってしまう」と説明しています。これは「あなた」を主語にした叱り方であり、相手を責めるニュアンスが強く、責められたほうは言い訳や反発をしてしまうという悪循環を生むことも。子どもに注意するときは、「(私は)こうしてほしい」「(私は)こんな気持ちになった」と、「私」を主語にするようにするといいでしょう。「叱る回数」よりも「ほめる回数」を増やしてみませんか?子どもを叱りつけるたびに後悔し、自分を責めてしまいがちな親御さんは、「子どもをほめること」を意識して過ごすように心がけましょう。親御さんのストレスが軽減されるのはもちろん、お子さんの自己肯定感もぐんぐん上がりますよ。■子どもが失敗したときこそ、ほめるチャンスです!たとえば、お片づけを「していない」ことばかりに目が向いてしまうケースでは、お片づけを「してくれた」ときにしっかりとほめるようにします。その際には「きれいになって気持ちがいいね」「片づけてくれて助かるよ」と、感謝の気持ちもプラスしましょう。また、お子さんが何かに挑戦して失敗してしまったときも、ほめ言葉を伝えるチャンスです。結果だけに着目するのではなく、そのプロセスやがんばった姿を認めてあげることで、子どもの自信につながります。「親は子どもの『できる』『できない』に目を向けがちです」と苦言を呈するのは、東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり先生。がんばってもできなかったときは、「つらかったね」「次はきっとできるよ」「一緒にやってみようか」と励ましながらも、がんばったことをしっかりとほめてあげるといいでしょう。■ニコニコして子どもを見守るだけでも効果ありなかには「ほめるのが苦手」「どうやってほめればいいの?」と悩んでいる親御さんもいるのではないでしょうか。発達心理学が専門で恵泉女学園大学学長の大日向雅美先生は、「ほめることにテクニックはない」ときっぱり。ただし、「『何かができるから、いい子』というほめ方はしない方がいい」とアドバイスしています。「これができたからいい子だね」と条件つきでほめてしまうと、子どもは「次も親の期待に応えなければならない」とプレッシャーを感じてしまうそう。また、乳幼児教育学が専門で玉川大学大学院教授の大豆生田啓友先生は、「ほめ方には、『見守る』ことも含まれる」と述べています。子どもの様子を見て、「がんばっているんだな」とニコニコしながら見守ってあげることも、子ども自身が「自分は認められている」と感じることにつながるので、十分効果的だといえるでしょう。もっと具体的に「子どもをほめる基準」や「子どものほめ方」を知りたい方は、ヒューマンアカデミーの通信講座「ほめ育子どもコーチング講座」をおすすめします。子どもの長所を伸ばすだけでなく、親自身の成長も感じることができると注目されている「ほめ育」。しっかりと基礎から学ぶことで親子の絆が深まり、子どもの自己肯定感アップにもつながりますよ。***普段あまり意識していなくても、子どもにとって親の言葉は強い影響を及ぼします。今回ご紹介した「叱るときに注意したいこと」と「ほめるときのポイント」を覚えておけば、親子のコミュニケーションはより豊かになるでしょう。(参考)PHPファミリー|子どもの「性格の土台」は親の言葉がつくる東洋経済オンライン|親が子どもにうっかり授ける「裏の教育」PHPのびのび子育て 2021年3月特別増刊号,PHP研究所.STUDY HACKER こどもまなび☆ラボ|「私メッセージ」の叱り方で子どもが変わる!親は怒りではなく“第一次感情”に注目してNHK すくすく子育て情報|“ほめて育てる”とはいうけれど…ヒューマンアカデミーの通信講座 たのまな|ほめ育子どもコーチング講座(Basic)
2021年03月04日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)必要なものを、必要なだけ受けとる。リスクは最低限に抑える。いつも冷静に、自分の欲望に振り回されることなく、自分の損得をきちんと考えて行動する。こうした態度は確かに、大人として望ましい生き方です。ただ、ここには、ある視点が欠けています。それは、人間を生かしている「生命力」の視点です。幼い子が力の限り、長い時間泣き叫びます。じっとしていることができず、常に走り回っている子供がいます。若いときは何でも大笑いし、大興奮し、妄想を膨らませ、バカなことをたくさんしでかします。大人になってからも突如、自分の燃えるような衝動を抑えられない瞬間が訪れます。損をすると半ばわかっているのに自分の全てを賭けてしまう人がいます。ちょっとした好奇心から、違法なものに手を出してしまう人がいます。愛したものにのめり込み、没頭し、耽溺し、おぼれこんで生活が破綻する人もいます。明日早起きしなければならないとわかっているのに、深夜になってもゲームをやめられない、本を閉じられない、ドラマを見ずにいられない、といった経験に、心当たりはないでしょうか。カッとなって怒鳴り散らして後悔したり、勢いで告白してやっぱり後悔したり、職場で号泣して後悔したり、上司を殴りつけて後悔したり、といったことは、珍しいことではありますが、現実問題「よく見る光景」です。こんなふうに、私たちは自分で思う以上に、限りなく激しいエネルギーを生きています。若いときほどそれはむきだしに表れます。一方、大人になってうまく制御できるようになったと思えた瞬間、びっくりするような内なる荒波に飲み込まれてしまうことも、よくあるのです。人生の「出入り口」のリスクの問題は、私たちのこうした「生命力」に直結しています。なぜなら、外界との「出入り」が発生するのは、私たちが生きているためだからです。死んだら、呼吸も、食事も、すべての「出入り」が止まります。私たちは冷たくなり、もう、エネルギーの激しい燃焼と、それにともなう「出入り」は起こらないのです。もとい、人生にはもうひとつの「出口」があります。それは「出産・育児」です。自分の生命力は、自分という個体の中ではかならず終わりますが、新しい人間に燃え移って、継承されていきます。一人の人の人生から、もう一つ別の新しい人生が「放出される」のです。子供を生み育てることもまた、大きなリスクを引き受ける営為です。でも、私たちの内なる激しい生命力は、そのリスクを負って、命を次世代につなげていきます。こうして考えてみると、「幸福」とは、かなり複雑なものであることに気づかされます。というのも、多くの人が「しあわせになりたい」と願うとき、最初に念頭に置くのは、自分自身の幸福であるはずです。ですが、「自分の幸福とは何か」を考えていくと次第に、愛する人や子供の幸福が最大の条件となることは、珍しくありません。さらに、「幸福とは何か?」という問いの答えが「苦しみや悲しみが訪れないこと」となる場合もあります。これは、ここまで長々と述べてきた「ゲートの開閉」の問題です。喜びやゆたかさが私たちの生活に入ってくるとき、責任や義務、罪悪感などが一緒に流れ込んでしまうことも、よくあります。幸福は、自分一人だけの世界では、完結しないのです。私たちの人生は、常にいくつもの「出入り口・ゲート」によって、外界と繋がっています。ゆえに、私たち自身の幸福を考えるときはいつも、その出入り口から出入りするものに考えが及ぶのです。出入りするものは、完全にはコントロールできず、出入りの際には常にリスクが伴います。そのリスクが現実のものとなったとき、多くの人が自分を責めますし、他人が自分を責めてくることもあります。でも本当は、それを「責める」ことは、ナンセンスなのです。ゲートの開け閉めを失敗して、受け入れるべきではないものを受け入れてしまう経験を、ほとんど全ての人が持っているはずです。一方、ゲートの開け閉めの賭けに運良く勝っただけなのに、「自分は自力で成功したのだ」と信じ切っている人は、少なくありません。時限爆弾の青い線と赤い線のどちらを切るか、ノーヒントで決めなければならないような瞬間を、私たちは人生の中で、けっこうしばしば、経験しているのです。そこで爆弾をバクハツさせてしまったとして、その人の責任を問えるでしょうか。法的にはもちろん、そこがしばしば、問われます。裁判の場では、それこそが「争点」になります。でも、私たちが自分個人としての人生や幸福を考える場合は、どうでしょうか。あるいは、自分にとってごく大切な人の人生について考えるときは、どうでしょうか。かけがえのない大切な人が、赤か青か、間違ったほうを切ってしまったなら、私たちは基本的に、全力で相手をサポートしようと思うはずです。自分もまた、同じ目に遭わないとも限らないことが、わかるからです。幸福がもし、人間の心の中に生まれるものだとするなら、私たちが幸福になるにはまず、「ゲートの開け閉めの失敗について、自他を責めるのをやめる」ことが必要なのかもしれません。人生には、誰のせいでもないことが、たくさんあります。新型コロナウイルスに感染した人を責めるのがナンセンスであるのと同じように、そこで犯人捜しをするのは、無意味なのです。もちろん、たくさんの警告を受けながらも「自分だけは大丈夫」「このくらいは大丈夫だろう」といった無根拠な自信で行動し、感染してしまった人々に、医療従事者の方々などが苛立ちを感じるのは当然だと思います。ただ、失敗は誰にもあります。それをどのように反省し、他の人々への教訓とするかは、また別の問題と言えるでしょう。ひとつだけたしかなのは、「リスク管理」と、「失敗した人を直接的に非難する」こととは、別のことだという点です。世の中には、取り返しのつかない失敗というものも、存在します。人間は、そういう失敗を「する」のです。「絶対にやってはならない!」と声を上げるのも大切ですが、「そもそも、人間とは、そういうことをする生き物なのだ」というところから思考を始めるほうが、近道なのではないかと思うのです。いいことも悪いことも「誰のせいでもなく」起こります。そのことを引き受けてどう生きるか、ということが、第8ハウスの幸福のテーマなのではないかと、私は思っています。>>次回もお楽しみに(2021年3月25日更新)
2021年02月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」が11月から連載再開! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)人間のからだには様々な「門」「出入り口」があります。口や鼻の穴、目や耳、汗腺や尿道、肛門、膣など、私たちの身体にはたくさんの入り口や出口があって、外界と常になにかしら、やりとりしています。この「口」がふさがってしまうと、命が危険にさらされます。それに似て、生活・人生にも、様々な出入り口があります。たとえば「がま口」がそうです。お金が入ってくる口と、出て行く口です。性交によって「他者を受け入れる」ことも「ゲート」のテーマです。「入学」「入門」「入居」など、どこかに自分を丸ごと預けるような「入り口」もあります。一方、古来「脱出」「出奔」「脱獄」「家出」など、穏やかでない「出口」の使い方もあります。「コロナ禍」で私たちは、マスクで口を塞ぎ、ウイルスの出入りに常に気を配る状態になりました。出口や入り口は、出入りしてほしくないものが出入りしてしまう危険をはらんでいます。しっかり閉めておかなければ、望ましくないものが入ってきますし、中からどんどん大事なものが流出してしまう場合もあります。とはいえ、閉めっぱなしでは使えないのです。どんなにマスクをして気をつけていても、食事をするときには、マスクを外さなければなりません。マスク自体、呼気と吸気を通すように作られていなければ、私たちは窒息死してしまいます。星占いで用いる第8ハウスは、ホロスコープの「出入り口」のような場所です。その対岸の第2ハウスもまた、ゲートです。実際、古く第2ハウスは「ハデスの門」などと呼ばれました。金庫も財布もきちんと閉めておかなければなりませんが、開かなければ用をなしません。厳重に管理されなければならない「ゲート」のイメージは、古くから星占いの世界に刻み込まれていたようです。私たちの人生は、外界に向かって開かれなければなりません。でも、無防備に開かれっぱなしの状態では、容易に傷つけられ、大切なものを奪われてしまいます。人生の玄関、人生の裏口、人生のがま口。こうしたものを、危機感をもって管理する姿勢を、誰もが持っています。ただ、その危機感の「強弱」は、人によって振り幅が大きいものでもあります。警戒心の強い人もいれば、ユルユルの人もいるのです。また、経験によって、その管理運用の方針は大きく変わります。たとえば、子供の頃の経済的な環境は、大人になってからのその人の経済活動を大きく左右します。性的な問題で傷を負わされた人は、その後長く、「ゲートを閉ざした状態」になることは珍しくありません。外界に向かってデリケートな部分を「ひらいた」とき、私たちは傷を負うリスクを引き受けることになります。そして、実際に、傷を負ってしまうことがあるのです。これは、若いうちだけでなく、いくつになっても起こりえます。ゲートから何が入ってきて、何が出て行くのか。私たちは、ゲートの開け閉めだけはある程度自分でできますが、「門をたたいてくる相手」を、管理することはできません。どんな人に愛を告白されるのか、いつどんな人がオレオレ詐欺の電話をかけてくるのか、自分を口説いている相手は本気なのか遊びなのか、そうしたことを「コントロール」することはできないのです。「何が来るか」ということ自体は、制御不能なのです。私たちにできることはただ、「ゲートを開くかどうか」の判断だけです。オレオレ詐欺の被害に遭った人や、性犯罪の被害者などに「警戒が足りなかった」「やられるほうが悪い」という言葉を投げかける人がいます。「自分さえしっかりしていれば大丈夫」「他の人が引っかかっても、自分は冷静で賢いから、決して引っかからない」と考える人は、驚くほどたくさんいます。でも現実には、そうではありません。人生の「ゲート」を自ら開くとき、私たちは一様にリスクを負うのです。そして、人生の「ゲート」を開かないときも、私たちは人生のチャンスを逃し、ひとりぼっちで苦しみながら生きることになるリスクを負うのです。リスクは、どちらにも存在します。「ノーリスク」で生きることはできないのです。第8ハウスから「幸福」を考えたとき、まず「リスク」というテーマが浮かびます。自分の人生に何を容れ、何を拒絶するか、という判断がそこにあるからです。たとえば、親族からの莫大な遺産を、あえて「受けとらない」という判断をする人がいます。全額を寄付したり、誰かに譲ったりする人は、少なくありません。「受けとることによる、なんらかのリスク」を回避するための判断だったのでしょう。厳しい親の言うことを聞いて、恋愛を一切拒否して育ち、大人になった人がいます。既に十分いい大人になってしまってから、この人は親に「早く結婚しなさい」と言われ、激しい戸惑いと怒りを感じたそうです。一切のリスクを回避するために、「ゲート」を完全に閉ざして生きてきたため、それをどのように開けばいいのか、わからなくなってしまった、ということなのだと思います。ゲートの開き方は、経験によって学び取られなければならないのです。一方、育った環境からの影響で、自尊心が非常に低く、「何でも受け入れてしまう」という人もいます。人からの「求め」や人からの褒め言葉を、渇いた人が塩水を飲むように、ずっとごくごく飲み続けてしまうのです。渇きはおさまらず、心には痛みが蓄積していきます。ゲートが開きっぱなしで、「受け入れることのリスク」が一切回避されないまま、傷つき続けてしまう人は、決して少なくありません。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年2月25日更新)
2021年01月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(後編)をお届けします。▼ 7.「パートナーシップ」と幸福。(前編)はこちら■7.「パートナーシップ」と幸福。(後編)「私は結婚に向いていない」「結婚に興味がない」と言いつつ占いを求める人の言う「結婚」は、「世間的に言う結婚」のことだろうと思います。「世の中一般にイメージされるような『結婚』」「保険やハウスメーカーのCMに出てくるような、ステレオタイプの『結婚』とその役割概念」に、「興味がない」のでしょう。「自分に何らかの形で『合う』と思える誰かと、人生の一部を共有して、助け合って生きていく」ということなら、もしかしたら、「興味がある」と感じられるかもしれません。心の片隅にそうした関心、あるいは仮説があるからこそ、こうしたご質問を寄せられたのではないかと思うのです。もちろん、全ての方がそうだというわけではないと思います。ご相談にはそれぞれ、共通する部分がある一方で、まったく誰のものとも重ならない、とても深いものが含まれているからです。たとえば「同性愛でなくとも同性同士で結婚できる世の中になるべきだ」という考え方があります。これは、結婚制度というものを考える上で、とても大事な発想だと思います。パートナーシップとは、ただ、人が人と、協力し合って生きていくことです。そのことに、部外者が何の意見をはさめるものでしょうか。パートナーシップは、「創造」されねばならないのです。どこかにあるテンプレートに、無自覚に自分をはめ込むような「結婚」は、危険なのです。サイズも見ず、試着もせずに、かたい革靴を買うようなものです。パートナーを得ても、ちっとも幸福になれない人もいます。いわゆる「モラハラ」や「DV」「ワンオペ育児」など、パートナーによって不幸になる人も、たくさんいます。その一方で、パートナーと生きていることがなにより幸福だと感じる人もいます。この違いは、どこにあるのでしょうか。パートナーシップを結ぶことで幸福になるには、おそらく、いくつかの条件が必要なのだろうと思います。そして、その条件もまた、全ての人に当てはまるというものではないでしょう。「誰にでもぴったり合う靴」が存在しないのと同じです。ただ、こんなことを私は想定します。パートナーシップによって幸福になる条件のひとつ、それは、お互いの関係の中で、「缶詰が開く」体験があることです。人の心の中には、固く閉じている場所がたくさんあります。でも、閉じた場所の中に格納されたものは、そのままでは成長しないのです。ナカミが腐敗して膨張し、どうにもならなくなることもあります。そして、その「閉ざされた場所」「缶詰」を、一人で開けることは、なかなか難しいのです。ある人と出会い、生きる時間を共有する中で、その「缶詰」のようなものが開きます。中にはそもそも「隠しておきたかったもの」「触れたくなかったもの」が入っているので、ちょっと困った事態になる場合も、よくあります。自分一人では状況を収拾できず、出会えたその人に手をかしてもらうことになります。そのとき、幸福に向かうためのパートナーシップが結ばれます。白雪姫のガラスの棺が壊れる瞬間、鉢かづき姫のかぶった鉢が壊れる瞬間、シンデレラの片方の靴が脱げてしまう瞬間などは、まさに、「缶詰が開く」瞬間です。これらは初潮や破瓜のメタファーだと解釈されることも多いようです。でも、それ以外にも「バランスが崩れる」「缶詰がふくれてはじける」瞬間は、人生の中でたくさんあります。私たちが成長を重ね、他者と巡り会ったとき、なんらかのきっかけで、心の中で閉ざされていた部分が開かれます。それは一見、トラブルのように見えることもしばしばです。ですがその瞬間にこそ、奇跡のような「関わり」が生じ、新しい人格と関係性が生まれ出すのです。こうした体験は、人生の中でたった一度のことではなく、何度も繰り返されていくことなのではないでしょうか。「美女と野獣」で野獣の顔から王子の顔に変わる瞬間や、おやゆび姫が死にそうなツバメを介抱するくだりなどは、「一人では収拾できなくなった状況を、助けてもらう」体験に重なります。内なる弱さや醜さが現れ出ても、それに向き合ってくれる「誰か」が現れたとき、私たちは相手を初めて、「もう一つの自分の生命」として認識し始めるものなのかもしれません。そんなことは怖くてできない、と思われるでしょうか。でも、時々「心の機が熟す」と、そんなことが自然に起こる場合も、少なくないようです。>>次回もお楽しみに(2021年1月25日更新)
2020年12月25日子どもを「ほめること」と「叱ること」については、そのメリット・デメリットを理解している親御さんは多いでしょう。一方、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えることについては、あまり意識することはないかもしれません。しかし、親が子どもへの感謝の気持ちを言葉にすることで、子どもは自信をもってその先の人生を歩むことができるようになるのです。さらに「ありがとう」は、言われたほうはもちろん言ったほうにもよい影響を与え、ポジティブな人生を送るキーワードにもなります。今回は、「ありがとう」がもつ大きなパワーと、親が子に感謝の気持ちを伝えるメリットについて考えていきましょう。毎日何回「ありがとう」と言っていますか?子どもに対して、「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えるよりも、叱ったり注意したりすることのほうが圧倒的に多いご家庭は少なくないはず。考えてみれば、お手伝いをしてくれたときやプレゼントを渡してくれたときくらいしか、はっきりと子どもに「ありがとう」を伝える機会はないかもしれません。「親子なんだから」「夫婦なんだから」と、家族であることを理由に、改まって「ありがとう」と言うのが照れくさい人もいるでしょう。しかし、どんなに感謝の気持ちをもっていても、それを言葉にして伝えないことには意味がありません。夫婦間では、「ありがとう」の一言が円滑な関係を構築するのに一役買うことがよくあります。東京大学名誉教授で教育学者の汐見稔幸先生は、著書の中で「とくに男性は感謝の気持ちを表したり、人をほめたりするのが苦手であるからこそ、『ありがとう』は超えなくてはならないハードルなのです」と、「ありがとう」がいかに重要な言葉であるかを説いています。汐見先生によると、「妻が自分のためにしてくれたことに対して『ありがとう』と伝えることで、相手は『またがんばろう』と思えたり、お互いのことに興味や関心を向けるようになったりする。そして好循環が生まれ、コミュニケーションが深まる」とのこと。もちろん親子関係においても同様です。むしろ、日常的に親から子どもに感謝の気持ちを伝えるように心がけると、想像以上の「いい効果」が期待できることもわかっています。次に詳しく説明していきましょう。子どもの自己肯定感を上げる「ありがとう!」親の「ありがとう」の言葉は、子どもにどのようなよい影響を与えるのでしょうか。具体例を交えながら解説していきます。■「生まれてきてくれてありがとう」アドラー心理学カウンセリング指導者で上級教育カウンセラーの岩井俊憲さんは、「あなたがうちに生まれてきてくれて、お母さんは幸せだわ」「うちの子になってくれて、ありがとう」など、「かけがえのない存在」「必要とされている存在」というメッセージを伝えることで、子どもは自分自身を信頼できるようになると言います。自分の子どもに対して、親ならば「生まれてきてくれてありがとう」と思うのは当然です。ただし、口に出すのは気恥ずかしく、きちんと伝えたことがないという親御さんも多いはず。しかし、言葉にすることで、子どもは自分の存在を肯定し、自信を育むことができるのです。■「(お手伝いや片づけを)してくれてありがとう」お手伝いや片づけなど、子どもの行動に対して「ありがとう」「助かったよ」と声をかけると、子どもは自分が役に立てたことに喜びを感じます。東邦大学医学部名誉教授であり生物学者の有田秀穂先生によると、感謝されることで感じる温かい気持ちは、オキシトシンの分泌によって生まれるそう。オキシトシンは、ポジティブな気持ちになる効果があることもわかっています。発達臨床心理学を専門とする、東京都市大学教授の井戸ゆかり先生もまた、子どもの好意に対して親が「ありがとう」と表現することで、子ども自身の感謝の気持ちを育み、自己表現を豊かにし、人間関係を円滑にしていく強さを培うことにもつながると話しています。■「えらいね」のほめ言葉を「ありがとう」に変える日本キッズコーチング協会理事長で幼児教育家の竹内エリカさんは、「行動を評価する『えらいね』という言葉をかけられ続けた子どもは、評価ばかりを気にするようになり、その言葉を得るために行動を起こすようになる」と指摘します。子どもをほめるとき、つい「えらいね」と言ってしまいますが、それよりも「ありがとう」を伝えるように意識しましょう。すると子どもは、「誰かの役に立ちたい」という本能的欲求が満たされて、思いやりや貢献心のある人間へと成長するそうです。■「○○くんのおかげで助かったよ。ありがとう」『子育てハッピーアドバイス』シリーズの著者である精神科医の明橋大二先生は、「子どもの自己肯定感を育むのに、いちばん簡単で有効な言葉は『ありがとう』」だと話します。「ありがとう」はただのお礼の言葉ではなく、同時にその人の存在価値を認め、自己肯定感を高めてくれる言葉でもあります。「自分でも人の役に立てる」「自分は必要とされている」という実感こそが、生きる力にもつながるのです。■「早く準備をしてくれてありがとう。助かるよ」出かける前にモタモタして準備が進まない子どもがいれば、「早くして!」と注意したくなりますよね。しかし、前出の岩井俊憲さんによると、その気持ちを抑えて、まずは「○時までに出発したいから協力してね」と促すといいそう。そして、ちゃんと準備ができたら「○○ちゃんが早く準備をしてくれて助かったよ。ありがとうね」とお礼をしましょう。すると子どもは、「自分が協力したらお母さんはこんなに喜んでくれるんだ」と学び、自分から進んで準備するようになります。■「お母さんが忙しいのをわかって手伝ってくれたんだね。気づいてくれてありがとう」また岩井さんは、「優しく思いやりのある子に育ってほしいなら、子どもの『共感に基づく行動』に注目して感謝するといい」と述べています。たとえば、こちらからは頼んではいないのに、大変そうにしている親や困っている兄弟を見て、自分から手を差し伸べてくれたとき。「気づいてくれてありがとう」「弟が困っているの、お母さんも気づかなかったよ。助けてくれてありがとう」など、その行動を受け止めて、感謝の気持ちを言葉にするといいでしょう。「感謝の心」はポジティブな状態を生み出す誰に対しても感謝の気持ちをもち、素直に相手に伝えることは、簡単なようで意外と難しいですよね。なにより自分に余裕がないと、なかなか「ありがとう」の言葉も出てきません。しかし、「ありがとうの言葉」や「感謝の気持ち」が、いかに人生の充実度や幸福度を左右するのかを知れば、できるだけその気持ちを保ち続けていたいと思うはずです。「感謝の心をもっていると、妬み、憤り、後悔や落ち込みといった、私たちを幸福から遠ざける有害な感情を抱かなくなる」と述べるのは、カリフォルニア大学デービス校のポジティブ心理学者、ロバート・エモンズ教授。つまり、人生をより前向きに生きていくには、感謝の心をもち続けることが大切なのです。ペンシルベニア大学心理学部教授マーティン・セリグマン氏がうつ病患者に行なった実験では、「感謝の気持ちによって通常よりも幸福感が高まり、抑うつ状態が減った」という結果が導き出されました。また、心理学者のロバート・エモンズ氏とマイケル・マッカロー氏の調査では、不眠症の症状がある人たちに感謝の気持ちを書いた日記を書いてもらったところ、症状の改善や睡眠の質が向上するといった変化がみられたそう。さらには、ノースイースタン大学が中心となって行なった研究によると、感謝の気持ちは自制心を高める効果があるということがわかっています。これらの研究結果からも、感謝の気持ちは人間の幸福感を高め、人生の質向上に良い影響を与えることは明白だと言えるでしょう。感謝の気持ちをもつことが幸福感につながるというのは、大人の場合に限ったことではありません。筑波大学人間系教授の相川充先生が小学生を対象に行なった調査(2013年実施)では、子どもたちの感謝の気持ちが友人関係における好循環を作り出すことがわかりました。感謝の心をもち続けると、幸福感が得られる感謝の心は、ネガティブな感情を取り除き、人生をより豊かにし、幸福へと導いてくれる大きな力になります。さらに幸福感を得た人は、あらゆる面でよりよい結果が手に入りやすい状態になることから、感謝の心がもたらす好循環の連鎖は想像以上だと言えるでしょう。人間の幸せのメカニズムを科学的に明らかにする “幸福学” の第一人者であり、慶應義塾大学大学院教授の前野隆司先生は、次のように述べています。たとえば幸せな人は、自己肯定感が高い、仕事のパフォーマンスが高い、目標が明確、利他的、楽観的、多様な友達がいるなど、どんな人でも生かせる知見が蓄積されています。すでにある程度幸せな人も、ポジティブ心理学を学ぶことで、さらに幸せになれる時代がやってきたのです。(引用元:前野隆司(2017),『実践 ポジティブ心理学 幸せのサイエンス』, PHP新書.)前野先生によると、ポジティブ心理学とは「心が普通の状態にある人が、いまよりももっといい状態になって幸せになることのできる学問」だそう。従来の心理学が、病気や悩みなどネガティブな心理状態にフォーカスしていたのに対し、ポジティブ心理学は「普通の生活をさらに生き生きとしたよい状態にすること」を目指しているのです。深刻な悩みや不安を抱えているわけではなく、むしろ毎日を問題なく過ごしているーー。そのうえで、さらに心身の状態をレベルアップしたり、子どもとの関係をもっとよい方向へと深めていったりしたいと望む人にとってはうってつけの心理学が、このポジティブ心理学です。もっと深くポジティブ心理学について知りたい、親子のコミュニケーションにも役立てたい、という人は、ヒューマンアカデミーの「ポジティブ心理学資格取得講座」を受講してみるのもいいでしょう。オンラインで月々3,000円から始められるので、気軽にチャレンジできるのも嬉しいですね。親子で「ありがとう」を学べる絵本4冊最後に、お子さまと一緒に感謝の心を育める絵本を紹介します。どれも名作と呼ばれるものばかりです。親子で「ありがとう」の大切さを実感してくださいね。◆『ありがとう』いなかから遊びに来てくれたおばあちゃんから、手づくりのクッキーをもらったにゃんた。「本当はおもちゃが欲しかったのに……」という気持ちから、素直に「ありがとう」が言えません。子どもが「ありがとう」の本当の意味を考えるきっかけになる一冊です。◆『ありがとう』山へ出かけたりすの親子は、大好きなどんぐりをたくさん集めます。そのどんぐりは世代を超えて、おじいちゃんやおばあちゃんからつなげられたものでした。まさに、出版社からのコメントにあるように「自分ひとりでは生きてはいけない。自分を支えてくれる人たちの大切さを学べる絵本」です。◆『うまれてきてくれてありがとう』「生まれてきてくれてありがとう」と、子どもに直接言うのが照れくさいのなら、絵本を通して伝えてみましょう。優しく、心温まる世界を描いた本作に、「子どもに読み聞かせをしながら泣いてしまった」というお母さんが多いのもうなずけます。◆『どうぞのいす』30年以上愛され続けているロングセラー絵本であり、いまもなお小さな子どもたちの「思いやり」の心を育み続けている一冊。うさぎさんがつくった「どうぞのいす」をめぐって、次々と動物たちの優しさが連鎖していく様子は、子どもに「他者への思いやりと感謝」を教えるのにぴったりです。***そういえば最近、子どもに「ありがとう」って言えてないな……と感じているのなら、さっそく「ありがとう」と伝えてみませんか?あれこれ理由など考えずに、お片づけやお手伝いをしてくれた、約束を守ってくれた、今日も元気に過ごしてくれた、など小さなことに感謝して言葉にしてみましょう。(参考)汐見稔幸(2008),『夫婦力ー夫の「話し方」で夫婦はこんなに変わる』,岩崎書店.PHPのびのび子育て 2019年10月特別増刊号,PHP研究所.加藤紀子(2020),『子育てベスト100』,ダイヤモンド社.mamagirl|「ありがとう」は、人の役に立つ子どもを育てる魔法の言葉!マンガで楽しく、手軽に読める『子育てハッピーアドバイス』シリーズ|自己肯定感を育むのに、いちばん簡単で、有効な言葉は?ダイヤモンド・オンライン|「人に感謝できる子」の親がしている5大習慣HUFFPOST|The Surprising Benefit Of Writing A Gratitude Letter To My FatherPsychology Today|How Gratitude helps You Sleep at NightNortheasternUnivercity college of science|CAN GRATITUDE REDUCE COSTLY IMPATIENCE?モチベーション研究所|研究所第6回フォーラム「感謝するとwell-beingは高まるのか?」前野隆司(2017),『実践 ポジティブ心理学 幸せのサイエンス』,PHP新書.ヒューマンアカデミー|ポジティブ心理学取得講座
2020年12月23日初詣での混雑を避けるため、年内に参拝する「師走詣で」。2020年の干支は子(ねずみ)のため、ねずみにゆかりのある神社をお参りするのも運気アップに効果的だという。京都を中心に年間100件以上の神社ツアーでガイドを務める神社探究家の浜田浩太郎さんに、注目の「子神社」を解説してもらった。■ねずみは縁起のいい生き物?古来より干支のねずみは、五穀豊穣や商売繁盛の神で、多産であることから子孫繁栄を願う縁起のいい生き物です。火事や天変地異が起こる前に、安全なところへ移動する習性から、中国では「未来を知る神獣」としても崇められています。お伽噺「おむすびころりん」にもねずみが登場しますが、働き者のやさしいおじいさんとおばあさんには財宝を与えたことから、お金をもたらす財力の象徴とも言われています。■そもそも、ねずみにゆかりのある神社とは?ねずみにゆかりのある神社は、実は全国的には少ないんですよ。ねずみと関連する神様は、因幡の白兎で有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)です。大国主命は須佐之男命(スサノオノミコト)の娘を娶るために、3つの試練を与えられますが、2つの試練をクリアして、「野に放たれた鏑矢をとってくる」という最後の試練に挑んだ時、ねずみが現れ、洞穴に逃げるよう伝えてくれます。さらに、ねずみは鏑矢も探してきてくれたのです。そうした縁から、大国主命の像にねずみがよくみられるようになりました。大国主命をお祭りしている神社として、以下の6カ所をピックアップします。【日光二荒山神社】栃木県日光市二荒山(男体山)を御神体とし、古来より修験道の霊場として崇敬されてきた由緒ある神社。東照宮、輪王寺とともに、境内は「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。二荒山神社の主祭神・大己貴命(オオナムチノミコト)は大国主命の別名。子年の今年は境内に黄金に輝く“開運のねずみ像”が設置されている。【駒繁神社】東京都世田谷区1056年に前九年の役に出征する源頼義・義家父子が、この神社で祭られている「子の神=大国主命」に武運を祈ったとされている。奥州合戦に出征する源頼朝が、先祖の戦勝祈願を思い出し、愛馬(駒)を松に繋いで参拝したところから、駒繁神社と呼ばれるようになった。【気多大社】石川県羽昨市能登半島の付け根、日本海に面して鎮座する北陸の大社。祭神は大己貴命(=大国主命)で、出雲から船で能登に入り、国土を開拓して、守護神としてこの地に鎮まったと伝わる。中世・近世の間は歴代領主から手厚い保護を受けた。国の天然記念物の社叢(鎮守の森)「入らずの森」でも知られている。【大豊神社】京都市左京区平安時代初期に宇多天皇の病気平癒を祈って、藤原淑子が創建したと伝えられている。祭神として祭られている大国主命を守護するように、希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。1体は学問を象徴する巻物を持ち、もう1体は長寿を象徴する水玉を抱えている。【出雲大社】島根県出雲市日本神話などで創建の伝承が語られるほど由緒のある大社。祭神は大国主命。神有月(神無月=10月)には全国から八百万の神が集まり、神議が行われるとされる。縁結びの神・福の神としても名高く人気で、全国から参拝者が訪れる。ここでは多くの神社での作法・二拝二拍手一拝ではなく、二拝四拍手一拝で拝礼する。【大国主神社】大阪市浪速区敷津松之宮とも言われ、地元では「木津の大国さん」とも呼ばれ親しまれている。付近の町名(浪速区大国町)や駅名(大黒町駅)の由来にもなっている。主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と大国主命。打ち出の小槌と米俵を持った希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。“3密”を避けるためにも、縁起のいい生き物であるねずみの開運パワーにあやかるためにも、「師走詣で」に出かけてみては?
2020年12月21日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」が11月から連載再開! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(前編)をお届けします。■7.「パートナーシップ」と幸福。(前編)「私は結婚できますか」。占いの場で、もっともよく投げかけられる問いです。更に言えば、このバリエーションほんとうに多岐にわたります。「いつ結婚できますか」「あの人と結婚できますか」は当然ながら、最近はそれ以上に、こんな問いかけが目立ちます。「私は結婚に向いていないのですが、結婚すべきなのでしょうか」「私は結婚とは縁がありませんし、諦めていますが、このまま仕事で生きていくだけなのでしょうか」「恋愛をしたいとは思わないのですが、この先、一人なのも寂しい気がします」「結婚や恋愛に全く興味が持てません、これは問題がありますか」これらはみんな、結婚やパートナーシップと「自分」とのあいだに、ある距離を置いた問いかけです。特に「私は結婚に向いていない」「興味が持てない」という問いかけは、意味深です。というのも、もし本当に結婚に向いていなくて興味がないなら、なぜその「占いへの問いかけ」がなされたのでしょうか。もちろん、「周囲から結婚を勧められるが興味が持てない、どうしたらよいか?」という悩みもあるでしょう。でも、この悩みは、決して「周囲を黙らせるにはどうすればよいか」ではないのです。「周囲がこんなに言うのに、自分が結婚に興味を持たないのは、自分が間違っているのだろうか」という悩みになってしまうのです。世の中には生まれつき、恋愛感情を持たない人もいます。また、恋の感情はあっても、傷つくことを恐れて誰も愛そうとしない人もいます。その判断を責めることは、誰にもできません。一方、世の中には「恋愛感情」以外のもので結びついているパートナーシップもたくさんあります。たとえば、子供を持つために結婚する、子供を育てるためにパートナーシップを維持している、という人は、たくさんいます。「恋愛をしていなければ結婚できない」という風潮は、歴史的に見れば、ごく最近のものです。むしろ一昔前は、お見合い結婚が「ふつう」でした。恋愛して結婚をすることは、ちょっと「変わったこと」だったのです。一昔前の「夫婦」は、恋愛感情ではないもので結びつくことが前提でした。それは、信頼や尊敬、そして、生活を営む上での役割分担の了承、さらに「家業」や「家」を運営し継承していくという責任感、現代で言えばビジネスパートナー的な感覚も強かったはずです。自分とぴったり合った人間、一緒にいて限りなく楽しい人間、自分を全面的に肯定し、味方になってくれる人間。決して自分の邪魔をせず、迷惑もかけず、いつでも受け入れてくれる人間。その人の周りの人間関係が自分を傷つけず、経済的にも負担をかけてこない人間、そしてなにより、自分も好意を持てる人間。もしそんな完全な相手がいたなら、ほとんどの人が「一緒に暮らしてみたい」「一人でいるよりずっといい」と思うのではないかと思います。もちろん、現実問題、そううまくはいきません。「好き」と思う気持ちさえ、時間が経てば変わってしまうのが人間です。好きで結婚したはずなのに、いつのまにか長いことパートナーを毛嫌いして生きている人もいるほどです。「恋愛感情」はたいてい、4年程度で消えてしまうものだ、と言われています。「パートナー」という言葉自体が何を表しているのか、それは人によって、千差万別です。「恋愛をして結婚をする」ということと、「人生を共に生きるパートナーを得る」ということは、部分集合的にしか重ならないのではないか、という気がします。結婚という形をとらずにパートナーシップを結ぶ人たちも、最近は増えているようです。また、結婚していても一緒には暮らさない、というカップルもあります。一人で生きることは古来、決しておかしなことでも、めずらしいことでもありません。さらに、「性」は2つだけではない、ということは、昨今常識として浸透しつつあります。こう考えていくと、「パートナーを得る」「パートナーと生きる」ということは、世の中の「結婚」という形式に自分を当てはめていくようなこととは、大きく違うのだと思います。世の中で一般的に言われる「結婚」という枠組みに、むりやり自分を当てはめようとする必要はないはずなのです。親や親族が「結婚しろ」「なぜ早く結婚して子供を持たないのだ」と急かすとき、彼らは「世間的な結婚の枠組み」のイメージしか、抱いていません。でも、その枠組みに自分をムリヤリ押し込むようなことは、おかしな話です。「自分」は、彼らのものではないからです。自分は自分のものだからです。もちろん、社会的責任を思って「結婚」に身を投じる人もいるかもしれません。それは、その人自身の価値観で、尊重されるべきです。ただ、それを他人に強要したり、その価値観が「善」で、他は悪であると主張したりすることは、間違っているはずです。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2020年12月25日更新)
2020年11月25日前回 からのあらすじ(全6回)父親としての自覚を持って家族を支えるつもりだったのに、いつの間にか家に居場所がなくなったゆうすけは…ゆうすけとケンカしたせいで、ルイ起きちゃった…また、寝かしつけは最初からやり直しか…私は、赤ちゃんのお世話で自分がこんなに追い詰められると思ってませんでした…。自分のペースで食事や睡眠が取れないこと、赤ちゃんの命を守るプレッシャーにどんどん不安が膨らんでしまったこと、そして私が追い詰められているのに、ゆうすけは以前と変わってなく、なぜか気持ちがすれ違ってしまうこと…同じような思いをしている人は、たくさんいるようです。さらに、この時期に溝が深まり「夫なんて…いない方がまし」と諦めて、夫婦仲が冷え冷えと冷え切ってしまう夫婦も多いようです。出産後は「産後クライシス」という夫婦の危機が起こりやすい時期であることを知って欲しい…そして、夫婦でなぜすれ違ってしまうかを考えるキッカケになればと思います。 「夫婦の危機」連載 過去記事を見る休日遊びに出かける夫にモヤモヤ…私は24時間休めないのに…/産後クライシス(1)作画: tomekko
2020年05月25日「下町ロケット」「ノーサイド・ゲーム」などもはや“池井戸ドラマ”というひとつのジャンルをドラマ界に築いたともいえる人気作家・池井戸潤の小説を原作にしたドラマ。「池井戸潤原作の作品ならば必ず見る」という方も多いのでは?この春からは、同時に2作の新たな池井戸ドラマが放送!1本は残念ながら新型コロナウイルスの影響で放送開始が延期となってしまいましたが、池井戸ドラマというジャンルの確立のきっかけ、いや、TBSの日曜劇場に新たな路線を作ったといっても過言ではない大ヒットドラマの7年ぶりの続編となる「半沢直樹」。そして、もう1本が「空飛ぶタイヤ」(2009年)、「下町ロケット」(2011年)など、実はTBSの「半沢直樹」(2013年)以前から池井戸作品を連続ドラマ化し、高い評価を集めてきたWOWOWによる「鉄の骨」(4月18日より放送)です。ここではこの2作品の特徴や違いに触れつつ、それぞれの作品の魅力について紹介していきます。巨悪に立ち向かい“倍返し”に期待「半沢直樹」多くの人々の心を掴んで離さない池井戸ドラマの共通点として挙げられるのが「勧善懲悪」、「下剋上」といったキーワード。小さな町工場や存続の危機に陥った実業団スポーツチームなど、“弱小”とも言える立場の人々が巨大な悪や強力なライバル、不条理とも言えるような危機的な状況に立ち向かう姿に視聴者は感動を覚え、最後にガツンと悪を成敗し、勝利をつかみ取るさまに爽快さを感じてきました。前作の「半沢直樹」も、大手銀行に勤める主人公・半沢(堺雅人)と仲間たちが「倍返し!」を決めゼリフに、焦げついた5億円もの融資の回収、経営の傾いたホテルの再建に奔走するというストーリーであり、最終話で半沢が“ラスボス”の大和田常務(香川照之)の不正を暴き、土下座を迫るシーンは大きな話題を呼びました。続編では、前作のラストで子会社「セントラル証券」への出向を命じられた半沢の新たな戦いが描かれます。IT企業による1500億円規模の敵対的買収、そして航空会社の再建が本作の題材となるようですが、やはり視聴者が待ち望んでいるのは絶体絶命に陥った半沢が巨悪に立ち向かい、「倍返し」をするさまでしょう。元祖にして王道の池井戸ドラマがもたらす爽快感に期待が高まります。「正義とは何か?」を問う「鉄の骨」一方で、そんな池井戸作品の「勧善懲悪」というセオリーから外れた異色の作品と言えるのが「鉄の骨」です。建設業界における「談合」――公共事業や新たな施設の建設の際に行われる入札の金額を参加企業が事前に話し合い、落札業者を調整するという不正行為をテーマに扱っていますが、大きな特徴は主人公が、この不正に手を染める側の人間であるということ。神木隆之介演じる主人公・平太は中堅建設会社に勤める誠実な若手社員。そんな彼が、公共事業の受注などを担当する業務部への異動を命じられ、そこで建設業界全体で当然のごとく行われている談合の実態を目の当たりにし、自らもそこに関わっていくことになります。通常の池井戸ドラマであれば、正義に燃える主人公は、そんな業界に怒りを覚え、不正を暴いて…という展開になりそうですが、そうはならないのが本作の魅力。違法であり、不正であることは間違いないが、その一方で談合は雇用、業界全体を守るための“必要悪”。そんな大人たちの論理を前に平太は葛藤し、見る者に「正義とは何か?」と問いかけます。とはいえ、そんな重いテーマを描きつつも、熱い人間ドラマと爽快感、そして最後にはアッと驚くどんでん返しも待っており、「半沢直樹」同様にしっかりと「これぞ池井戸ドラマ!」と言える魅力が詰め込まれています。骨太の物語を支える実力派キャスト集結キャスティングは、「半沢直樹」「鉄の骨」いずれもオールスターキャストといえる陣容。「半沢直樹」では半沢役の堺雅人をはじめ、妻・花役の上戸彩、同期の親友・渡真利役の及川光博に“オネエ検事”で話題をさらった黒崎役の片岡愛之助、頭取・中野渡役の北大路欣也らが続投。前作で半沢に屈辱の土下座を迫られ、失脚した大和田は、原作シリーズではそれ以降は登場しませんが、前作での香川照之の熱演が大きな話題を呼んだこともあってか、こちらも続投!一体、どんな顔芸を見せてくれるのか楽しみです。「鉄の骨」も池井戸ドラマ初参加となる神木隆之介さんをはじめ、平太を業務部に引っ張った人物でもあるやり手の常務・尾形に内野聖陽、平太の彼女で銀行員の萌に土屋太鳳、萌の上司で相談相手でもあり、平太の恋のライバルともなる園田に向井理、建設業界のフィクサー役に柴田恭兵などWOWOWならではの骨太の物語を支えるべく実力派キャスト陣が顔を揃えます。また談合を捜査する東京地検特捜部の検事を、「半沢直樹」で半沢に倍返しされる支店長を演じた石丸幹二が演じるほか、同じく支店で半沢を妨害する上司を演じた宮川一朗太が、「鉄の骨」では平太の上司の業務部長を演じるなど、池井戸ドラマファンにとっては嬉しいキャスティングも!家から出られずストレスの溜まりやすい状況ですが、異なるタイプの池井戸ドラマで爽快感と深みを味わってみては?「鉄の骨」はWOWOWにて4月18日(土)より放送開始。「半沢直樹」はTBS系にて放送(※日程調整中)。(text:Naoki Kurozu)
2020年04月21日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(後編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(後編)「幸福」を考えたとき、まず始めに思い浮かぶのは、自分自身の心がほんわか満たされているようなイメージではないでしょうか。では、どんなときにそんな状態になるでしょうか。たとえば、「人のためにがんばって取り組んでいることを、『よくやっているね』『いつもありがとう』など、心から褒められ、感謝されたとき」、あたたかく充実した気持ちになるものではないでしょうか。でも、この喜びを「追求しすぎる」と、たいへんなことになります。たとえば「任務のためにムリやガマンをかさね、過労の果てに体を崩す」ということになってしまいます。どんな喜びも、依存の対象となることがあります。人に褒められる喜び、人に感謝される喜びもそうです。その喜びに依存しすぎると、心身の健康をすり減らしてまで働き、自分をダメにしてしまう結果につながります。「人のため」と「自分のため」のあいだを、私たちはゆらゆらとゆれ動きながら生きています。完全に自分のためだけに生きることも、完全に他人のためだけに生きることも、どちらも不可能です。おそらくそのあいだのどこかで、一番バランスのいいポイントを探して、私たちはあっちに振れ、こっちに振れと、試行錯誤を続けて生きていくのかもしれません。もとい、生まれたばかりのときや介護状態では「完全に人の世話になる」ことがありますし、子どもを育てるときや職場で一大事が起こったときなどは、「完全に自分を捧げる」ような場合もあるかもしれません。そうした極端な状態は、人生の全体を覆うのではなく、人生のひとつのシーンとして体験される場合がほとんどだろうと思います。働きすぎの状態が続き、大きく体調を崩してしばらく休み、生き方をガラッと変えた、という人のエピソードをしばしば見かけます。これはまさに、第6ハウス内での「幸福へのシフト」です。第6ハウスの対岸の12ハウスは「犠牲の部屋」ですが、第6ハウスは「管理の部屋」でもあります。自分が「毎日」をどのように配分して生きるか、ということは、自らある程度以上に管理できることです。もちろん、上記のように人生の局所では、管理や調整が全く不能になることもあるでしょう。ただ、そのあとで、あるいはその前に、「自分の生きる時間をどう配分するか」は、多少は考える余地があることが多いだろうと思います。生きるために働いているのに、その仕事のせいで死にそうになるのは、理不尽です。でも私たちの多くが、その理不尽の落とし穴に、かなり簡単に落ちます。そうならないためには、どうすればいいのか。「人から褒められ、感謝されること」に依存しすぎていないかどうか、確かめねばなりません。「人から叱られないために、嫌われないために行動する」ことも、行きすぎると同じ結果にたどりつきます。第6ハウス的な幸福は、「調整できる幸福」「工夫できる幸福」とも言えます。どの程度相手に与え、どの程度を自分に残しておくか、ということです。「自分のための自分」であることと「人のための自分」であることを両立させることも、幸福のための重要な条件です。働き方や仕事の内容を考えるとき、「何をするか」ではなく「何をしないか」が重要だ、という考え方があります。たとえば「テレビには出ない」と決めているミュージシャンがいます。「これは自分の仕事ではない」「これは自分の責任ではない」というふうに、日々の活動に「一線を引く」ことは、とても大事なことです。これは、第6ハウスのひとつのテーマだと思います。すなわち「何をするか」ではなく、「何をしないか」です。さらに、自分で決めたことが「やっぱり、何か違うぞ」と思えたなら、これを柔軟に変えることも大切です。第6ハウスは「調整の部屋」でもあります。つねに試行錯誤し、他者と調整しながら、お互いのニーズを満たして叶う幸福が、第6ハウスのテーマなのです。*********************~お知らせ~いつもご愛読いただき誠にありがとうございます。2020年2月~10月まで『石井ゆかりの幸福論』をお休みさせていただきます。楽しみにしてくださっていた読者のみなさま大変申し訳ありませんが、連載再開をお待ちください。よろしくお願い申し上げます。*********************プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2020年01月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第6のテーマ、自分の心身に必要なこと、必要とされること(前編)をお届けします。■6.自分の心身に必要なこと、必要とされること。(前編)「タイムスリップもの」のSFがお好きな方も多いでしょう。私も時々、自分が遠い過去の世界に飛ばされたとしたら…、と妄想するのですが、多分、生きていけない気がするのです。ある村にポンと放り出されたとして、そこにいる人々は私に「おまえはどこの誰か」「どこからきたのか」と尋ねるでしょう。運よく誰かに後見してもらえるようなことがなければ、怪しいヤツとして、村からはじき出されます。他の集落に向かっても、同じようなことが起こるでしょう。街に入るには旅券のようなものが要るかもしれません。後見者や旅券は、「縁」です。タイムスリップもののSFで、主人公は飛ばされた先で何かしら、運よく「縁」を手に入れます。運がなければ、縁なきものとして放り出され、餓死するしかないのです。「人間は社会的存在である」という言い方があります。血縁や地縁、身内としての愛情などの結び付きはその最たるものですが、仕事やお金を通して社会につながっている部分もあります。親として子を育てたり、親族の介護をしたりすることも、一つの「社会的結び付き」、つまり社会との「縁」と言えます。自分以外の人に対してなんらかの役割を得るとき、私たちは社会につながって、そこから、生きるための血流を受け取ることができる、というイメージです。社会で「役割」や「つながり」を得れば、その場所で暮らしていけます。それが得られないとき、タイムスリップで放り出されたときのごとく、私たちは路頭に迷います。「人の役に立ちたい」「必要とされたい」「責任を果たしたい」。これらは、多くの人が抱く気持ちです。単なる「願い」ではなく、生きていくための切実な心の叫び、と言ってもいいかもしれません。これらの願いが叶わないとき、私たちは社会との「縁」を失い、路頭に迷って、生きていけなくなるかもしれません。もとい、現代の日本では誰もが、憲法により「健康で文化的な、最低限度の生活」を保証されています。それでも、そうした制度に頼ることを恥じる人が少なくありません。実際「誰からも必要とされず、誰の役にも立っていない」という思いに傷ついて、死を選ぼうとする人さえいます。世の中から必要とされたい。他者の役に立ちたい。こうした思いから、私たちは社会に必要とされるべく(つまり仕事を獲得すべく)、ごく若いうちから勉強し、あるいは心身を鍛える努力を重ねます。「がんばる」ことは、この世界において、とても価値あることと見なされています。ですが、この「必要とされる」「役に立つ」ことを目指し、完遂した先には、何が待っているのでしょうか。ホロスコープで「役割・任務・就労条件」などを象徴するのが第6ハウスです。これは古くは「奴隷の部屋」でした。たとえば「逃亡した奴隷を探してほしい」などの依頼には、第6ハウスの様子を見たわけです。現代的には「就労関係」がここに当てはめられるのが面白いところです。また、「病気」もこの部屋の管轄で、現代的にも「健康状態」を見るときは、6ハウスを用います。「健康管理も仕事のうち」と言いますが、第6ハウスは継続的な労働の状態、ひいては生活のあり方や引き受けている任務の内容、任務のこなし方などを管轄しています。他者から自分に寄せられるニーズに応えることと、自分自身の心身のニーズに応えることは、強く結びついています。自分自身のニーズが満たされていなければ、他人のニーズに応えることができないからです。>>次回もお楽しみに(2020年1月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。公式モバイルサイト「石井ゆかりの星読み」
2019年12月25日星占いの記事やエッセイを執筆しているライター・石井ゆかりさんからのスペシャルメッセージを紹介します。大きく動く“スタート”の瞬間2020年が「ちょっと怖いな」という読者の方へ。こんにちは、石井ゆかりです。2020年という年について、すでにたくさんの方々の記事やコメントが、各所で紹介されています。そうした記事を読んだ方が、「2020年が怖くて仕方がない」とご感想を書かれているのを、某所で目にしました。2020年は山羊座・牡羊座というパワフルな星座に星が集い、年末にグレート・コンジャンクション(木星と土星の大会合)を迎える年でもあります。「星占い」は科学ではない以上、読み手によって様々な解釈があり、どれが正解でどれが間違いということもないのですが、2020年に関してはニュアンスの差こそあれ、「ハデな、大きな動きのある年である」という読み方は、共通しているのではないかと思います。「大きな動きがある」と聞いて、ワクワクする人もいれば、「何か恐ろしい変化が起こるのではないか」「今の平穏や安定した生活が失われるのではないか」と考える人もいます。日頃不安を感じやすい人や、不安定な状況で生活している人、感受性の鋭い、敏感な心の持ち主の人々は、どちらかといえば後者に傾きがちかもしれません。何か大変なことに巻き込まれたらどうしよう、という恐怖で足がすくんでしまう人も、少なくないはずです。ですが2020年の「動き」は、もしかすると、それほど「怖がる」必要はないのかもしれません。なぜなら、2020年にスポットライトが当たっているのは、主に「活動宮」と呼ばれる星座だからです。「活動宮(カーディナル・サイン)」は、自ら何かを始めようとする世界です。能動の世界、主体性の世界、自意識の世界、リーダーシップの世界なのです。ゆえに2020年は「自分から何かを始めたい」と思っている人には、ごく動きやすい年となるでしょう。一方「自分から何かを変えるのはいやだな」「現状維持に徹したい」という人は、「現状維持に徹するぞ!」という主体的な意志を持ち、そのために動いていけば、その目標を自分の手で達成できる年、という解釈もできると思うのです。問題なのは「だれかになんとかしてほしい」「自分では何もしなくても、うまくいくといいな」という姿勢かもしれません。もとい、それでも「だれか」をうまく選んでついていくことができれば、もしかすると、「なんとか」なるかもしれません(!)。年末の「グレート・コンジャンクション」は約20年おきに起こる現象で、前回は2000年、牡牛座での会合となりました。ですから、まずは単純に、1999年から2000年に皆さんに起こったことを思い返してみると、2020年の流れとリンクする部分もあるかもしれません。もちろん、「全く同じことが起こる」わけではありませんが、流れの中にある仕組みや起こる出来事の強度みたいなものが、どこか似ているのではないかと思うのです。ある星の形を「怖い」と感じる人は少なくありません。そういう方には、ぜひ、日記をつけていただきたいと思っています。この「日記」は、毎日のことを細ごま書くのではなく、目立った出来事やイベントがあったら、それをメモしておく、という程度の方が、星を読むには役に立ちます。占いの記事に「来週こんな星の配置があります」と書かれていたら、同じような配置の日を、過去に遡って探し、日記を読んでみます。そうすれば、過去に起こった「事例」を参考にして、「その時期起こりそうなこと」をちょっとは、想像できるのです。私たちはどんなに大変なことでも、人生の中でなんとか対処しています。ですから「自分は、そのことに対処できるだろうな」という心の準備も、多少は整うのです。私自身は、「日記」というほど立派なものではなく、ごく簡単な「年表」を作っています。引っ越しや本のリリース、病気、歯の治療など、自分にとって「これはちょっと大きなイベントだったな」と思えることを、箇条書きにメモしてあるのです。この「年表」をくってみますと、2000年は私にとって、何をかくそう星占いの活動をスタートさせた年でした。まだインターネット黎明期、「筋トレ」というWebサイトを立ち上げて発信を始めたのが、ちょうど2000年の春分の日だったのです。その時は完全に「趣味のサイト」で、まさか20年後にはその活動が仕事の中心になっているとは想像もしませんでした。星占いで言う「コンジャンクション」とは、星と星が空で近づき、スピードの速い星が遅い星を追い越していく現象です(あくまで、地球からそう見える、ということです)。私たちが最も頻繁に経験している「コンジャンクション」は、新月です。太陽と月が地球から見て同じ方向に位置するタイミングを「新月」と呼びます。星占いではこの新月のタイミングを物事の始まり、「スタート」のタイミングと考えます。では、木星と土星の重なりはどう考えられるでしょうか。これも実は、「物事の始まり」と解釈できるのです。私の「筋トレ」のスタートはまさにそのとおりなのですが、この「スタート」の解釈の厄介なところは、「始まりの段階では、その先どんな展開になるか、わからない」という点です。前述の通り私自身、20年前のグレート・コンジャンクションのタイミングでは、いずれアンアンのような有名な媒体に記事を書かせていただけるようになるとは、想像もしていなかったわけです。頼りない話ですが、少なくともあの時の私は、「ここから自分の大きな仕事が始まるな」なんて、占えませんでした(!)。もとい、2000年のグレート・コンジャンクションは牡牛座、2020年のそれは水瓶座で起こります。この星座の違いにも、実は重要な意味があります。この件は他の場所でも多くの方が書いていらっしゃるので、ここでは割愛します。ただ、「始まり」のスケールとしては、前回よりも今回の方が「大きい」イメージです。自分の人生において、何か大それたことを始められるようなタイミングなのです。夢を描いて夢を追い始める人もいれば、ふとしたキッカケでいきなり、夢の中に飛び込んでしまう人もいるでしょう。「人生何があるかわからない」の言葉通り、2020年は何か素敵なことが起こりそうな年だ、と思っていいと私は考えています。ただ、私のWebサイト立ち上げのように、「その先に何が起こるか」は、スタートの段階では、全くわからないかもしれません。そもそも、スタートというものは、そういうものなのではないでしょうか。面白いのは「スタート」の先に展開してゆくことであって、「スタート」の瞬間自体には、大して面白いこともない、ということだって、珍しくないのです。始まりは、「向こうからやってくる」場合もあれば、「こちらから仕掛けてゆく」場合もあります。2020年全体を見渡すと、どちらかといえば「こちらから仕掛けてゆく」スタイルの方が、フィットする感じがあります。これは、要求するのでもなく、ゴリオシするのでもなく、自分から道を選んで自分から歩き出す、というイメージの動きです。2017年の終わり頃から造ってきた道に、ようやく足を踏み出せる、という感じもあります。更に言えば、2020年の後半は、「戦いの時間」でもあります。私は幼い頃は少女マンガを読んで育ったクチなのですが、最近なぜか、少年マンガや青年マンガを読むようになりました。それらを読んでいてしみじみ驚くのが「戦闘シーン」の多さです。とにかく、戦いの場面が長くて多いのです。「ふふふ…そんなもので私に勝てると思うのか」「うおおおお!」どかーん!ばきーん!「なにぃ!」「トドメだ!」みたいなものが延々と繰り返されていくのが、最初は退屈で読み飛ばしていたのですが、今ではだんだん慣れてきました(!)。2020年の後半に強調されている「戦い」はもちろん、少年マンガの戦闘シーンのようなあからさまなものではないだろうと思うのですが、「あきらめないで、勝ち目のなさそうな強い相手に立ち向かっていく」ことには、何かしら意味があるのかもしれない、と考えている今日この頃です。いしい・ゆかりライター。星占いの記事やエッセイを執筆。近著に12星座別『星栞 2020年の星占い』(幻冬舎コミックス)ほか。※『anan』2019年12月25日号より。©Ko Hong-Wei/EyeEm(by anan編集部)
2019年12月21日台湾発ドリンクスタンド「ミルクシャ(Milksha)」の3号店を、2019年11月26日(火)に東京・世田谷の下高井戸にオープンする。原材料に強くこだわった高品質の“ナチュラル”なドリンクを提供する「ミルクシャ」。下高井戸店は、青山、恵比寿に続く3号店としてオープンする。本国の台湾同様、“ナチュラル”なドリンクにこだわり、自社牧場とテイストの近い提携先の牧場から仕入れた国産生乳100%の濃厚でフレッシュなミルクを使用。また、防腐剤、着色料、香料を一切使用しない、宝石のような見た目の自家製“白タピオカ”や、厳選された原材料を使用したドリンクを提供する。店頭には、もちもち食感の“白タピオカ”をふんだんに使用した「タピオカ特選紅茶ミルクティー」「プレミアムタピオカ黒糖ミルク」や、濃厚なミルクにこっくりとした甘さのタロイモをたっぷりブレンドした「大甲(たいこう)タロイモミルク」といった人気メニューが勢揃い。さらに、ミルクと上質な甘みの島根県出雲抹茶がマッチした「出雲抹茶ミルク」や、フランスのチョコレートブランド・「ヴァローナ」の滑らかなココアを使用した「ヴァローナココアミルク」、深みのある香りと上品な味わいが魅力の「高峰ウーロンミルクティー」など、冬におすすめのドリンクも販売する。また、下高井戸店オープンを記念して3日間限定で抽選会を開催。ドリンクのプラスチックカップ等をリサイクルして作った「ミルクシャ」特製のドリンクホルダーやトッピング無料など、7つのプレゼントを用意する。【詳細】ミルクシャ 下高井戸オープン日:2019年11月26日(火)住所:東京都世田谷区赤堤4-48-7 セイジョー下高井戸ビル 1階営業時間:10:00~21:00TEL:03-6379-2868■メニュー例・大甲(たいこう)タロイモミルク 680円+税・タピオカ特選紅茶ミルクティー 650円+税・プレミアムタピオカ黒糖ミルク 680円+税・出雲抹茶ミルク 650円+税・ヴァローナココアミルク 600円+税・高峰ウーロンミルクティー 550円+税※価格はすべてRサイズ。店頭ではSサイズも提供。
2019年11月28日「空飛ぶタイヤ」「下町ロケット」で知られる池井戸潤の「鉄の骨」が、神木隆之介主演でドラマ化決定。「精一杯頑張りますので、ぜひ見てください!」とメッセージを送るコメントも到着した。ストーリー中堅建設会社入社4年目の若手社員富島平太は、ある日突然、畑違いの「業務部」へ異動を命じられる。そこは公共事業などの大口案件の受注を担当する、「談合部」と揶揄される部署だった。くたびれた顔の部長や、粗野で男くさい先輩、泰然自若とした女先輩、切れ者で腹の底が見えない常務らと共に、2,000億円規模の公共工事の受注を目指す平太は、やがて談合を取り仕切る業界のフィクサーとの交流を深めていく中で、欲望やしがらみを目の当たりにする。談合は“必要悪”なのか。平太は「理想」と「現実」の間でもがきながらも会社の命運を握る仕事にやりがいを見出していく。一方、入札は大胆な技術革新に成功した平太たちがリードするが、そこに老練なライバル社の幹部たちが立ちはだかり、さらに大物政治家の官製談合を追う検察特捜部も動き出し、平太にも捜査の手が伸びる。果たして入札の行方は、そして会社と平太の運命は…。神木隆之介が中堅建設会社の若手社員役原作は、発行部数60万部を超える池井戸潤の「鉄の骨」。本作では、中堅建築会社の若手社員の奮闘する姿と共に、「談合」は“必要悪”かをテーマに迫力のある人物描写で描く。主演を務めるのは、『るろうに剣心』『フォルトゥナの瞳』などに出演、近年では初の舞台出演やMV初監督・プロデュースなど、多彩な才能を発揮する神木さん。演じるのは、中堅建設会社入社4年目の若手社員・富島平太。建設現場を愛する不器用で実直な彼は、現場から“談合の窓口”と呼ばれる業務部に異動し、公共事業の入札を巡る企業間の死闘や策略、そして談合の裏側を目の当たりにする。談合に後ろ向きだった平太は、やがてゼネコン幹部たちと渡り合う中で「談合は必要悪か、ただの保身か」日々苦悩。さらに、学生時代から付き合っている銀行員の恋人とも折り合いが悪くなり、公私ともに波乱が待ち受ける…。「繊細かつ時に刃の様な鋭さを持って」「あの池井戸潤さん作品に出させて頂くことを大変光栄に思っています」と本作への参加を喜んだ神木さんは、「とても人気のある作品で、ファンの方もたくさんいらっしゃると思うので、プレッシャーを感じていますが、それと同時に、どんなドラマになるのか今からとても楽しみです!」と心境を明かす。また、「建築業界の専門用語も多かったので、少し難しい印象も受けましたが、とても面白かったです!」と脚本の印象を語り、「社会の中で戦う主人公を、繊細かつ時に刃の様な鋭さを持って、演じられたらいいなと思っています。この小説のファンの方にも、少しでも認めてもらえるよう、精一杯頑張りますので、ぜひ見てください!」と視聴者へメッセージを寄せている。池井戸氏もまた「出演者の皆さんの迫真の演技に期待しています」と完成が楽しみだとコメントしている。連続ドラマW「鉄の骨」は2020年4月、毎週土曜日22時~WOWOWプライムにて放送予定(全5話/第1話無料放送)。(cinemacafe.net)
2019年11月20日星占いって好きですか?ロマンティックな感じがして憧れるとか、テレビで見かけたら、ついチェックするという人も多いのでは。でも、自分でも占えたらいいな、と本を読み始めものの、すぐに脳内が疑問符だらけになり閉じてしまった…なんて話を聞くことも。確かに覚えることが多いし、難しいですよね。その気持ちわかります。でも大丈夫!「私には無理…」と諦めかけている方にこそ読んでほしい星占いの本があるんです。■専門用語はほぼなし!易しい星占いそれは石井ゆかりさんの『月で読むあしたの星占い』(すみれ書房)。帯に《石井ゆかりが教える、いちばん易しい星占いのやり方》と書いてあるだけあって、超絶とっつきやすく、サクサク読み進められる1冊です。石井さんいわく「本物の『ジャングル』が本格的な占星術の世界で、『ジャングル・ジム』が本書の星占い」とのことなので、ビギナーさんも心配ご無用。サファリジャケットにブーツの重装備ではなく、Tシャツ&スニーカー姿で思う存分楽しめます。本の後半で少しハウスやホロスコープに触れていますが、そこまでは全くと言っていいほど専門用語は登場しません。易しい、そして優しい表現で毎日の星占いの「やり方」を説いているため、スッと頭に入ってくるんです。■12種類の「〇〇の日」とは?石井さんは「今日の月」が位置する星座で決まる12のテーマに、それぞれ「〇〇の日」という名前をつけました。--------------------------1.スタートの日2.お金の日3.メッセージの日4.家の日5.愛の日6.メンテナンスの日7.人に会う日8.プレゼントの日9.旅の日10.達成の日11.友だちの日12.ひみつの日--------------------------この「12種類の毎日」が2~3日ごとに切り替わりながら進み、1ヶ月でひとめぐりするのです。第1章は、星座別の12種類の「〇〇の日」を手帳やカレンダーに書き写し、「毎日の占い」の基本を作る章。筆者(射手座生まれ)もさっそく手帳に書き込むことにしました。とりあえず10月1日から31日まで記入したのですが、1日は「ひみつの日」。3日には「スタートの日」に移行し、6日は「お金の日」、8日は「メッセージの日」…。全ての「〇〇の日」を書いたら、それぞれについての詳しい解説を熟読します。例えば「スタートの日」は“目新しいことが多い日”で、何かしら変化が起こりやすいのだそう。解説を読んでは手帳をちら見して「この日はこんな日なのね!」とわくわく。「お金の日」とか「愛の日」とか、やっぱり気になっちゃって。■占いとの理想的な付き合い方?とはいえ、夜寝る前などに「“あした”はこういう日かぁ」と手帳を眺めはしたけれど、起こりそうな出来事を意識してスケジュールを立てたり、当日の朝「〇〇の日だから、こうしよう」と考えて行動したりはしませんでした。なのに、後で振り返ってみたら…あっ!と思いあたることが結構あったんです。例を挙げると…--------------------------◎お金の日気前がよくなって散財しやすいそうです。6日は電子レンジを買い替えて勢いづいたのか、気づいたらカルディで、普段は買わないちょっとお高めの冷凍食品を購入していました。◎人に会う日18日。いつもより早めに退社したところ、駅で高校時代の同級生とバッタリ再会。◎達成の日25日。やらなきゃと思いつつ、滞っていた原稿をなんとか仕上げて解放感に浸ることしばし。◎友だちの日27日「友だちの日」は昔からの友人と美術館へ。--------------------------まるで最初からそうと決まっていたかのような出来事が重なり、なんで?とびっくり。「こんな日」ということをなんとなく知っていて、それに該当する事柄に遭遇すると、ちょっと得した気分になりますね。学校の先生が「ここは大事だよ」と言っていたポイントを復習しておいたら、テストに出題された、みたいな。全面的に頼るわけではなく、転ばぬ先の杖として参考にするのって、占いとの理想的な付き合い方ではないでしょうか。■「自分で少し占えるようになる」とは?石井さんは本書の終わりのほうで、過去の日記を見ると、12種類の「〇〇の日」がめぐってきたとき、自分の身にどんなことが起こったのかを確認できると述べています。そのことは、今後を予測する上で大きなヒントになるとも。1ヶ月間、占いを試してみて、それは正にその通りだろうなと納得しました。「自分で少し占えるようになる」とは恐らく、起こっていることの意味を考え、その延長上にある将来の見通しを立てるのが上手になる、ということ。占いに振り回されるのではなく主体的に自分のリアルな日常を見つめ、そこに星占いをそっと添えるのは、とても素敵なことだと思います。占いによって視野を狭めるどころか、自身の物語が豊かな広がりを見せるでしょう。そんな気づきを与えてくれる『月で読むあしたの星占い』。読めば未来が、この先の人生が、今よりも楽しみになるかもしれません。プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年11月02日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第5のテーマ、愛と創造について(前編)をお届けします。■5.愛と創造について。(前編)星占いの「ハウス」に沿ってお題を決めて書いている本稿ですが、今回は「愛と創造」がテーマです。星占いで「第5ハウス」と言えば恋愛のハウス、ということになっています。恋愛は占いの場で、もっともよく話題にのぼるテーマです。多くの人が恋に悩み、愛に傷ついて、占いに手を伸ばします。一般に、人が「占いをしたい」と思うのは、「自分の力ではどうにもならないと思えること」に直面したときだろうと思います。「自分の力ではどうにもならないこと」、その最たるものが恋愛です。意中の相手の心を自分の思い通りにできたら、どんなにいいでしょうか。でも、そうはなりません。そうはならないからこそ、恋愛が素晴らしい、と言うこともできるかもしれません。もし、自分の意思で他人の気持ちを自由自在に変えられるならば、「人から愛される」ことは、そんなに貴重なことだとは思えないはずです。自分の思い通りにはならないはずの「他者の心」が、自分という存在を強く求めてくれる、というところに、愛の神秘、愛の奇跡的な感動が生まれるのだと思います。恋の前では、人はどこまでも無防備です。とても傷つきやすくなりますし、感情は揺れ動き 、ほかのことが手につかないくらい、感情に支配されてしまうこともあります。こうしたとき、「占いをしたい!」という気持ちになるのは、当たり前です。星占いで「恋愛を見てください」と言われたら、まず第5ハウスの状態(とそのルーラー※)を見るはずです(人にもよりますが)。でも、実はほかにもいくつか、見るべきところがあります。まず第7ハウス、次に金星、火星、そして第8ハウスや第11ハウスも見たりします。さらに月と太陽、土星、などと、まあ複合的にどんどん見ていくわけですが、特にこの5・7・8・11の4つのハウスは、それぞれ担当が分かれています。第5ハウスは「与える愛」、第7ハウスは「パートナーシップ、結婚」、第8ハウスは「性愛」、第11ハウスは「受け取る愛」をそれぞれ、検討できる場所なのです。第5ハウスが「愛と創造の部屋」であることが、これで少し、ピンときます。愛は愛でも、第5ハウスの愛は「愛する」愛なのです。自ら生み出す愛、行動する愛、注ぐ愛が、第5ハウスの愛です。「愛するだけが愛でしょうか?愛されるのを望むのは、ワガママなのでしょうか?」と時々、質問されます。「愛されたい」という願いは、本当に多くの人が胸に抱いている、切実な願いです。ワガママ、ということではないと思います。でも、これだけ多くの人が「愛されたい」と思っているならば、裏を返せば「愛することのできる人」こそが求められている存在だとも言えます。愛情深い人、愛することのできる人を、みんなが待ち望んでいるのです。ならば、「愛することができる人」こそが、「必要とされる人」なのではないでしょうか。占いの場で問われるのは、「私はあの人に愛されますか?」「私を愛してくれる人が現れますか?」が圧倒的に多いように思います。とにかく「自分の思い通りにならない・コントロールできない」のは、自分の心ではなく、自分以外の他人の心のほうなので、そういう問いが前に来ます。でも、本当にそうでしょうか。誰かを好きになる、愛する、ということは、どんなに努力しても、なかなか、できることではありません。もとい「頑張って好きになる」「相手のいいところを見つけようとする」ことは、できます。でも、「辛抱してつきあってみたら、相手がいい人だということはわかったし、仲良くもなったけれど、でもどうしても、愛情を持つことができない」というのは、よくあることです。こう考えると、「頑張ってもできない」「コントロールできない」のは、本当は「自ら愛すること」のほうなのかもしれません。何かを好きになること、夢中になること、愛すること。これは、とても大変なことです。※ルーラー:占星術では、12星座それぞれが「王様」のような惑星を持っています。それを支配星という呼び方のほか、ルーラー、守護星とも呼びます。>>次回もお楽しみに(11月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年10月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第4のテーマ「帰るべき場所」と幸福(前編)をお届けします。■4.「帰るべき場所」と幸福。(前編)「家」は、「帰るべき場所」です。私たちは自分の人生において、一体どこを目指しているのだろう、と考えると、この「家」という概念は、ひと味違ったイメージを帯びてきます。たとえば、人間が赤ん坊として生まれ、成長し、一人で世の中に出られるようになろうとし、世に出てなんとか社会的立場を獲得しようとし、多くの場合、自分なりの「成功」を目指して頑張ることになります。受験や就職、結婚や出産、昇進や独立など、人生の各段階において「目指すもの」はどんどん変わっていきます。5年前に目指したものと今目指しているもの、10年後に目指しているものは、たとえ同じ仕事をし、同じ立場にあったとしても、「完全に同じ」ではあり得ないでしょう。私たちは人生の中で、実に様々の細かいゴールを設定し続けます。そのゴールという点を、線で結ぶようにして生きている、と言えるかもしれません。では、そんな人生の物語は、最終的にどこにたどりつくのでしょうか。少なくとも星占いの世界では、それは「家」を扱う場所なのです。このコラムでは、星占いの「12ハウス」という技術を下敷きにして「幸福」について考えていますが、基本的に星占いの技術自体には触れないで稿を進めるつもりでした。「12ハウス」はあくまで、テーマ設定のためのヒントとして使うつもりだったのです。でも、この第4回、つまり「第4ハウス」を下敷きにする回について考えていたとき、どうしても他のハウスに触れたい気持ちになったので、少しその話をします(といっても、星占いの仕組みに全く興味がない・知識がない方でも、お楽しみいただける内容になっている、はずです!)。星占いの「第4ハウス」のテーマは、一般に「家」です。居場所、住処、家族、親、地元、などを司るのが第4ハウスとされています。ただ、第4ハウスにはこのほかに、ちょっと興味深い「担当分野」があるのです。それは、「死」「物事の最終的な結果」「本心」です。「死」は一般には第8ハウス、「結果」は第10ハウス、「本心」は(異論はありそうですが)第12ハウス的なテーマと言えそうです。「隠れた問題」というテーマも第4ハウスに関連づけられることがありますが、これも元々は第12ハウスマターです。つまり第4ハウスは、8、10、12ハウスという3つのハウスを分かち合っているようなところがあるわけです。特に第4ハウスが「死」と関連づけられたのはごく古い時代で、「第8ハウスが示すのは『周囲の人々の死』で、『自分自身の死』は第4ハウスで読む」という説もあります。成功を求め、愛を求め、仲間を求め、やりがいを求めて生きて生き続けた結果、最終的に到達する場所が、「死」です。死ぬ時にどんな気持ちでいるか、本当に欲しいものはなんだったのか、最後の瞬間、幸福でいられるか。第4ハウスが「家」であり「死」であり「最終的な結果」であり「本心」の場所である、ということが、こう考えると、とてもしっくりくるように感じられます。第4ハウスの「家」は、日々帰る場所であると同時に、人生という旅の最終的な「帰着点」でもあるわけです。以下は、以前noteに書いたコラムの一部を改稿したものです。「人生の終わり」が私たちにとってどんな意味を持つのか、ということについての、ある調査のお話です。*******************次の2つのシナリオを比べてみて下さい。“シナリオ1:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、30歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。シナリオ2:ジェンという女性がいる。ジェンには子どもがなく、独身で、35歳のある日、自動車事故で少しも苦しまずに即死する。彼女の30歳までの人生はとても幸せなもので、仕事や旅行を楽しみ、趣味もあり、友人もたくさんいた。が、30歳から35歳までの最後の5年間は、そこそこ楽しいが、30歳までほどではなかった。”さて、どちらが「より幸せな人生」でしょうか。この2つのシナリオは、心理学者エド・ディーナーによる実験の素材です。実験の被験者は、上の2つのシナリオを読み、以下の質問に答えました。“「ジェンの人生を全体として見たとき、どのくらい好ましく感じますか?」「ジェンが人生で経験した幸せまたは不幸せの総量はどの程度だと思いますか?」”シナリオ2は、シナリオ1に、「そこそこ楽しい5年間」を足しただけのものです。ゆえに、幸せの「総量」は、2つのシナリオで一致するはずです。ですがなんと、被験者の回答では、シナリオ2のほうで「幸せの総量」が大幅に減らされていたのです(!)。“少しばかり幸せでない5年間を付け加えただけで、まともな人たちがジェンの人生の評価を大幅に下げるとは思っていなかった。だが私はまちがっていた。大半の人が、この5年間のせいでジェンの人生は台無しになった、という直感的な判断を下したのである。-ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(ハヤカワノンフィクション文庫)より”*******************「最後の瞬間に、幸福でいられるかどうか」。このことは、多くの人にとって人生全体の価値を左右する、大問題であるらしいのです。多くのドラマや物語にも、そのことはよく表れています。たとえば前掲書では、オペラの『椿姫』が例に挙げられています。高級娼婦ヴィオレッタと青年貴族のアルフレードは恋に落ちますが、アルフレードの父はヴィオレッタに別れるよう要請し、ヴィオレッタは恋人を思って身を引きます。事情を知らないアルフレードは激怒しますが、最後には事情がわかり、彼女のもとに駆けつけます。ヴィオレッタは病で死の床にありましたが、死の直前に最愛の人に再会が叶ったのでした。この物語は「ハッピーエンド」であり、最後に恋人の腕の中で死んでいけたヴィオレッタの生涯は「幸福だった」と感じる人が多いのだと言います。ヴィオレッタの人生を冷静に客観的に考えると、全体としてはかなり辛いものだったろうと思われるのです。娼婦として不名誉を背負って生きざるを得ない苦労、最愛の人と引き裂かれる苦悩、若くして病に倒れた苦しみなど、あまりいいところがありません。ですが、この物語に触れた人の多くが、最後のただ一瞬の逢瀬によって、彼女の人生の全体が光に照らされ、「彼女は幸福だった」と感じるのです。このオペラの原作小説、小デュマの『椿姫』では、エンディングが大きく異なります。ヒロインの高級娼婦マルグリットと青年貴族アルマンがその仲を引き裂かれるまでは同じですが、アルマンはマルグリットの死に際に間に合わないのです。マルグリットの生きている間には誤解の解けぬまま、二人は死に別れてしまうのです。こちらはまったくの「バッド・エンド」です。死に際の一時間が幸福だったかどうか、それだけで物語全体の印象が大きく変わってしまうのです。これは「物語の印象」だけの問題ではないのかもしれません。私たちの多くが抱く「人生観」と直結しているのかもしれません。すなわち「死に際が幸福な人生こそが、真に幸福な人生と言える」という人生観です。※ヴィオレッタ(オペラ版)=マルグリット(原作小説版)アルフレード(オペラ版)=アルマン(原作小説版)>>次回:4. 「帰るべき場所」と幸福(後編)(9月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年08月25日小学4年生前後の子どもたちが直面しがちな「10歳の壁」。教育界ではよく知られた言葉なので、聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。劣等感が生じ、自己肯定感が低下する……といったマイナスのイメージの強い「10歳の壁」ですが、保護者がきちんとサポートしてあげれば、「飛躍のチャンス」になり得るものでもあります。今回は、「10歳の壁」にぶつかった子どもたちのための「挑戦する心を育む言葉かけ」をご紹介しましょう。「10歳の壁」とは「10歳の壁」は、「小4の壁」「9歳の壁」とも呼ばれています。9〜10歳頃の子どもが勉強面や心理面で壁にぶつかる現象を指した用語です。文部科学省は、小学校高学年の発達段階の特徴について、以下のように説明しています。9歳以降の小学校高学年の時期には、幼児期を離れ、物事をある程度対象化して認識することができるようになる。対象との間に距離をおいた分析ができるようになり、知的な活動においてもより分化した追求が可能となる。自分のことも客観的にとらえられるようになるが、一方、発達の個人差も顕著になる(いわゆる「9歳の壁」 ) 。身体も大きく成長し、自己肯定感を持ちはじめる時期であるが、反面、発達の個人差も大きく見られることから、自己に対する肯定的な意識を持てず、劣等感を持ちやすくなる時期でもある。(引用元:文部科学省|3.子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題)※太字による強調は編集部が施した引用の通り、9〜10歳頃の子どもたちは、大きな成長を遂げると同時に、自分の能力を客観的にとらえられるようになり、個人差も目立つようになっていきます。そのため、「お友だちは○○が上手にできるけど、自分はできない」などと自分と他者を比較してしまい、劣等感を抱きやすくなるのです。また、学習においてつまずきやすいのもこの時期。たとえば、低学年の頃は「りんごが4個あります。2個食べたら残りはいくつでしょう」といった具体的に状況をイメージできるような問題が中心です。しかし、小4頃からは、「がい数」「角度」といった、実体験に重ねづらく、イメージするのが難しい問題が増えていきます。子育て・教育の専門家の鈴木邦明氏によると、このように、学習内容が大きくレベルアップし、勉強面でつまづく経験が増えることも「10歳の壁」の要因のひとつなのだそう。「10歳の壁」は、悪いものではない一見厄介な存在に思える「10歳の壁」ですが、大きな成長の証であり、飛躍のチャンスでもあります。『子どもの「10歳の壁」とは何か?乗りこえるための発達心理学』の著者である、法政大学教授 渡辺弥生氏は、「自分はなんでもできる」という根拠のない万能感を抱いたままでは、社会にスムーズに適応できないと述べています。自分とお友だちを比較できるようになるからこそ、広い視野で物事をとらえたり、「もっと頑張ろう」と高みを目指したりできると言えるでしょう。また、同氏は、「10歳の壁」について内面が深化する時期とも述べています。たとえば、悲しい事故のニュースを目にして、会ったこともない人の心情に思いを馳せることができるようになったり、自分の内面を客観視して「僕はこういうところが良くないからなおそう」とコントロールできるようになるのがこの時期です。10歳の壁は一概に悪いものとは言えません。親は、子どもの成長をしっかりと見守り、過度に自己肯定感が損なわれないよう、導いてあげることが大切ですね。「10歳の壁」に負けずにチャレンジするための言葉かけでは、具体的にどのような言葉をかけてあげれば、「10歳の壁」に負けることなく飛躍できるでしょうか。子どもの自己肯定感を高め、やる気を引き出す言葉をご紹介します。×NG「何があったの?じゃあこうするべきだよ」○OK「疲れちゃったね。ゆっくり休もうね」お子さんが劣等感や自己否定感で悲しい思いをしているときに、「○○をするべき」と理詰めで教えても、より追い詰めてしまうことになりかねません。大人の目線で解決策を教えたくなる気持ちも分かりますが、気持ちに寄り添った言葉をかけ、お子さんを安心させてあげることが大切です。×NG「お姉ちゃんはいつも満点だったよ」○OK「前より10点も上がったね!」子どもをほかの兄弟やお友だちと比較するのは、子どもの自尊心を傷つけ、自己肯定感を下げることにつながります。家庭教育の専門家である田宮由美氏によると、このような場合には「前より上手になったね」と、過去の自分と比べることが大切だそう。×NG「だからダメだって言ったのに!」○OK「お母さんも小さいとき同じ失敗をしちゃったんだ」東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり氏によると、「失敗してもいい」(=たとえ何かあっても、お父さんとお母さんのところに行けば大丈夫)という安心感が子どもの挑戦心を高めるのだそう。子どもが失敗してしまったときには、自分の失敗談も話してあげることで、「失敗してもいいんだ」と失敗を恐れずにチャレンジする力が育っていきます。×NG「あなたが悪いよ。○○ちゃんに謝っておいで」○OK「お母さんだったらこうするかもしれないな」お友だちと揉め事があったとき、大人の目線で「あなたが悪いから謝ったほうがいい」と一方的に言うのは子どものためになりません。「こういうときには、謝ったり、話し合ったりすると仲直りできるかもしれないよ」「お母さんだったらこうするかもしれないな」と自分で考えさせる教え方をしましょう。渡辺弥生教授いわく、いじめなどの深刻な場合を除いて、自分で解決する経験をさせ、子どもの伸び代が増えるよう手助けするのが大切だそう。×NG「100点なんてすごい!」○OK「よく頑張ったね!」子どもがテストでいい点をとったときには、「○点なんてすごい!」と言ってしまいがちですが、このように結果だけを褒めるのはNGです。カウンセラーの福田由紀子氏によると、結果ばかりを褒められた子どもは「100点以外意味がない」と感じ、自分を否定するようになってしまうのだとか。結果ではなく、そこに至るまでの頑張りを褒めることで、努力が報われなかったときにも折れない子どもに育つのだそう。***「10歳の壁」は、決して悪いものではありません。親御さんが温かくサポートしてあげれば、成長のチャンスにもなり得るものです。「10歳の壁」を自己肯定感を下げる厄介な壁ととらえず、お子さんが大きく跳躍するための踏み台のようにとらえてみてはいかがでしょう。(参考)文部科学省|3.子どもの発達段階ごとの特徴と重視すべき課題All About|「10歳の壁」子供がぶつかる勉強の見えない壁への対策3つベネッセ教育情報サイト|「10歳の壁」この時期の子どもの内面に起こる変化や成長とは?【中編】ベネッセ 教育情報サイト|「10歳の壁」子どもを飛躍させるための保護者のサポートとは【後編】All About|子供の自己肯定感を低くする親のNG言動5つと高める方法こどもまなびラボ|「失敗を恐れない力」の育て方。子どもに「挑戦したい!」と思わせる、効果抜群な言葉かけこどもまなびラボ|「10歳の壁」ではなくて「10歳の飛躍」!親が我が子の10歳をもっと面白がるべき理由All About|ほめてるつもりでほめてない?NGな子どものほめ方
2019年08月19日何度注意しても同じ間違いを繰り返したり、悪ふざけをしたりする子どもに対して、「早く○○しなさい!」「なんでそんなことするの!」なんて言ってはいませんか?仕事や家事に追われていると、どうしても余裕がなくなってしまい、子どもに対してそのような言い方をしてしまいがちですよね。しかし、社会的に成功している人の多くは、子どもの頃に「○○しなさい!」と言われることがなく、「よく褒められていた」と言います。今回は、褒め言葉がもたらす子どもへの影響や、日常で使いたい「褒めワード」をご紹介しましょう。褒められて育った子どもは成績が伸びる!?子育てするにあたって、子どもを褒めることが大切だというのはよく言われていることですよね。しかし、ただ褒めればいいというわけではありません。子どもを伸ばす褒め方と、そうでない褒め方があるのです。子どもを伸ばすために大切なのは、“能力” ではなく “努力” を褒めることなのだそう。アメリカの心理学者であるキャロル・S・ドゥエック氏は、数百人の子どもたちを2つのグループに分けて、次のような実験をしました。子どもたちに難しい問題10問を出題して解かせ、1つのグループには「頭がいいね」と能力を褒め、もう1つのグループには「頑張ったんだね」と努力を褒めるというものです。その後、新たな問題に挑戦するかどうかについて子どもたちに聞いたところ、能力を褒められたグループは嫌がる子どもが多く、努力を褒められたグループは9割の子どもたちが喜んで挑戦したのだそう。能力を褒められたグループは、「もしいい点がとれなかったら、『頭がいい』状態ではなくなってしまう」と考えるようになってしまい、消極的になったのだといいます。さらに、子どもたちに簡単な問題を解かせたところ、能力を褒められたグループは成績が落ちただけでなく、そのうちの4割が自分の得点を聞かれた際に水増しして答えていたそうです。一方、努力を褒められたグループは成績が伸び、意欲的な姿勢がみられたとのこと。「頭がいいね」「天才だね」などと能力を褒めてしまうと、子どもの成長を止める可能性があるのです。努力そのものを褒めることが、子どもの成長にとって良い影響をもたらします。褒めることで生まれるさまざまな力保育士として15年以上、福祉施設、託児所、保育園など、さまざまな場面での保育業務に携わってきた市川由美子氏によると、褒めることによって以下のような効果が期待できるそうです。・チャレンジ精神が生まれる市川氏によると、子どもは褒められることで「自分は認められた」という気持ちになり、やる気が生まれるそう。また、失敗した際には、頑張ったことや挑戦した気持ちを褒めてもらえることで、もう一度トライしてみようという姿勢につながるといいます。・自己肯定感が生まれる市川氏いわく、親から褒められることは、子どもにとって大きなパワーになるそうです。どんなときでも親に「頑張ったね」と褒めてもらえた子どもは、親に愛されていると感じ、自分のことを大切にできる自己肯定感が育まれるそうです。子どもを成長させる褒めワード&NGワード「早くしなさい!」など、ついつい子どもに言いがちなNGワードは、以下のように成長につながる褒めワードへ変換してみましょう。×NG「やってみなきゃわからないよ」↓◎OK「そっか、不安だよね。こうすればできると思うよ!」(by 教育評論家・親野智可等氏)子どもが何かに対してネガティブになっているときの声かけです。親はついチャレンジさせることを優先してしまいがちですが、親野氏いわく、まずは子どもの不安な気持ちに寄り添ったうえで背中を押してあげることが重要なのだそう。 ×NG「ちゃんとやりなさい!」↓◎OK「(子どもと一緒に取り組みながら)ちゃんとやりなさい!」(by 「教育の鉄人」とも呼ばれるカリスマ教師・杉渕鐵良氏)炎天下で一緒に汗を流している人に言われる言葉と、日陰で涼んでいる人に言われる言葉では、受け取る意味が変わってくると杉渕氏は言います。ただ頭ごなしに怒っても、子どもに親の気持ちは伝わりません。しかし、子どもと一緒に取り組みながら伝えることで、言葉の重みが大きく変わるのです。 ×NG「頑張れ!」↓◎OK「よくチャレンジできたね!」(by 国際コーチ連盟プロフェッショナル認定コーチ・石川尚子氏)「頑張れ!」と命令形で応援するよりも、できたことを承認する声がけをすると、「自分はまだまだやれるんじゃないか」「もっとできるんじゃないか」と、未来に可能性を感じ、子どもが粘り強くなっていくのだそう。 ×NG「我慢しなさい!」↓◎OK「本当は遊びたかったんだよね」(by 東京都市大学人間科学部教授・井戸ゆかり氏)幼い子どもに無理に我慢させると、自発性が伸びなくなってしまうと井戸氏は言います。我慢することを強いるより、まずは子どもの気持ちに寄り添うことが大切です。我慢できたら「よくできたね!」「本当は遊びたかったのにね」と褒めてあげることで、子どもは我慢することの意味に気づいていきます。 ×NG「ミスがあったね」↓○OK「前回よりも成長したね!」(by ヴァイオリニスト・西谷国登氏)例えミスがあったとしても、ほんの少しでも成長しているところがあれば、子どもを褒めることが大切だと西谷氏は言います。「できなかったこと」よりも「できたこと」に目を向けて褒めることで、子どもの才能が伸びていくのだそう。***子どものさまざまな力を引き出す「褒め言葉」。普段の生活から意識して使い、子どもの可能性を伸ばしてあげましょう。文/田口 るい(参考)StudyHackerこどもまなび☆ラボ|子どもが大成していく「褒める」教育――我が子の才能を伸ばすために親がすべきことStudyHackerこどもまなび☆ラボ|「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは “○○上手な親” だった!StudyHackerこどもまなび☆ラボ|「ちゃんと宿題やりなさい!」に効果がない理由。子どもに“響く”声かけの方法とは?StudyHackerこどもまなび☆ラボ|「典型的ないい子」を育てるよりも大切な、伸ばしてやるべき子どもの「考える力」ベネッセ教育情報サイト|上手に子どもを褒めて、自信をつけてあげよう!ベネッセ教育情報サイト|自分に自信がない子[教えて!親野先生]ベネッセ教育情報サイト|「がんばれ!」と言うだけでは動けない子どもにかける言葉[やる気を引き出すコーチング]NEWSポストセブン|子供の学力を上げるには「能力」ではなく「努力」を褒める
2019年08月11日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、「石井ゆかりの幸福論」第3のテーマ“「知る」という幸福”の後編をお届けします。~ 3. 「知る」という幸福・後編~■生きるための知、純粋な知的好奇心私たちは社会生活を送り、自分を守るために、多くの知識や情報を必要とします。生活の基本を学び、世の中の仕組みを学び、仕事のやり方を学び、人との関わり方を学んで、私たちはやっと、この世界でなんとか生きられるようになります。これらは、幸福に生きるための「土台」のような学びです。さらにこの競争社会では、多くを知り、人を出し抜くようなアイデアを持つ者が勝利する、ということになっています。なにかを知らなければバカにされ、バカにされないために学ぶ、といった小競り合いがあちこちで起こっています。こうした競争の中で多くの人が疲れ、傷つき、人を信じられなくなって、孤独に陥っているようにも見えます。「学ぶ」ことは、この辺りまで来ると、幸福への道から大きく逸れています。一方で、私たちには「閉じられた箱の中に入っているものを、どうしても見たい」と感じるような「好奇心」が備わっています。「古代文明の謎」「古城の開かずの部屋」「この村の秘密」「徳川埋蔵金」などという言葉に、私たちは敏感に反応します。このときの「知りたい」という思いは、「マウントをとりたい」「ビジネスに役立てたい」などという思いとは関係がありません。純粋な楽しみのための読書、お気に入りの散歩道を歩く時間。その中にあるとき、私たちの魂は誰にも傷つけることのできない状態になっている、と悪魔は言います。そのような状態の魂は、誘惑も脅迫も受け付けないからです。仲野先生(※)は、「世界を知りたいと思うのは、その世界に生まれた自分自身を知りたいということでもあるだろう」とも言われました。自分が生きているとはどういうことか、死んだらどうなるのか、この世界はそもそも、なんなのか。私たちは「自分」について、よく知っているようで、肝心なことを知りません。それはまさに、大いなる謎です。自分自身と直接関係のある謎です。それを「知りたい」という思いを、誰もが心の片隅に抱えているのではないでしょうか。※仲野徹先生(大阪大学)『3. 「知る」という幸福・前編』にも登場誰にも命令も強制もされないのに、ちいさな子供が言葉を覚えるのは、なぜなのでしょうか。2つか3つの子が「これなあに?」「なんで?」ばかり繰り返すのは、なぜなのでしょうか。「ほめられたいから」ではないだろうと思います。「知りたい」という欲求は、私たちの中にもともと、食欲のように強く備わったものであるようです。どんなに食欲旺盛な人でも、お腹がいっぱいのときには、なにも食べたくないのが当然です。情報の大洪水のようなこの世の中で、私たちの「知りたい」という欲求は、お腹いっぱいなのにもっともっと食べさせられようとしているような、危機的な状況にあるのではないか、という気もします。なんでも読まなくちゃ、知らなくちゃ、と焦っているうちに好奇心自体が鈍磨し、摩滅してしまうとしたら、それは怖ろしいことです。最近の私は、悪魔が警戒する「純粋に自分を楽しませるためだけの読書、楽しみのためだけの散歩」を、もっと増やしたい、と思っています。C.S.ルイスの考えた「悪魔の意見」は、この点では、正しいような気がするのです。>>次回もお楽しみに(8月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年07月25日7月7日、日曜劇場「ノーサイド・ゲーム」(TBS系)の第1話が放送された。本ドラマは小説家・池井戸潤氏(56)の最新作が原作。放送後、主人公の君嶋隼人を演じる大泉洋(46)に《心のこもった演技は人の胸を打つね》と絶賛の声があがった。いっぽうで、主人公と対立する“悪役”の滝川常務を演じた上川隆也(54)にも絶賛の声が寄せられている。《悪役ぶり痺れます》《役者上川隆也の真髄を見せつけられた気がする》《上川さんの悪役最高 優しい口調だけど出世のために人を貶める邪悪な上司》池井戸氏の作品は、過去にも日曜劇場で「半沢直樹」(’13年)や「陸王」(’17年)などがドラマ化された。いずれも主人公が組織の中で奮闘し、苦境の中から成功をつかみとる逆転劇が特徴的。この「池井戸作品」に引き込まれるファンは多い。悪役も「池井戸作品」のドラマにとって重要な存在だ。たとえば、「半沢直樹」で悪役を演じた香川照之(53)は強烈なインパクトを残した。さまざまな顔芸や悪態をつき、最後には土下座で主人公に屈した。このように悪役はインパクトが強いほど、主人公が成功した時の反響も大きい。本ドラマで上川が演じる滝川常務は、皮肉を利かせて鼻先で相手をせせら笑うような冷徹上司。そんな上川は先月まで「執事 西園寺の名推理」(テレビ東京系)で、スマートな“善人”の執事を演じたばかりだ。それだけに上川のギャップに驚きの声があがった。《西園寺と滝川常務 同じ人が演じてるとは思えない》《“奥様の仰せのままに”の執事の時には感じられなかった色っぽさが炸裂》《滑舌の良い上川さんがわざと口をあまり開けずに喋ることで嫌な感じを強調してる》ドラマはスタートを切ったばかりだが、《上川さんの演技で大泉さんもより輝く、そう思いました》《もっともっと悪くなってほしい》と重要な役どころを担う上川に期待の声も。上川の悪役ぶりが、今後のドラマの行方を左右しそうだ。
2019年07月08日いよいよ夏本番!夏休みにキャンプを計画しているご家庭も多いのではないでしょうか?最近では、気軽にキャンプを体験できる施設も増えています。「今までやったことがないけれども、今年はチャレンジしてみようかな」と準備をはじめている方もいるようです。キャンプでは、自然と触れ合ったり、不測の事態に家族みんなで立ち向かったりと、日常では味わえない特別な体験が目白押しです。さらに、キャンプや自然体験をしたあとの子どもは、自己肯定感が高まるという研究結果も出ています。いいことづくめのキャンプです。さっそく、この夏家族で体験してみましょう!キャンプ体験は子どもの内面にどんな影響を与えるのか近ごろよく耳にするのが、「日本人の自己肯定感の低さ」です。もちろんそれは、本音と建前を使い分ける国民性ゆえに、アンケートでは控えめに答えてしまうことも理由として考えられます。しかし、東京都市大学人間学部教授の井戸ゆかり先生は、実際に最近の学生たちと接していると自己肯定感の低下が伝わってくるといいます。井戸先生は、その原因のひとつに「親が先回りしてしまうこと」を挙げています。子どもが何か問題にぶつかりそうになったとき、その問題の芽を事前につんでしまう親が増えてきているそう。本来ならば、成長過程において、自分で問題を解決することで達成感を感じ、周囲から褒められて認められることで自己肯定感が高まります。ですから、そのきっかけを奪うことは、自己肯定感を育むチャンスを逃していることにもなるのです。そこで、子どもの自己肯定感を高めるのにぴったりなのがキャンプです。過酷な自然環境では、思い通りにいかないことばかり。困難や不便さを排除して安全を保ち続けることは、ほぼ不可能ですよね。むしろ、とっさのハプニングに対応してこそ、キャンプの醍醐味ともいえるでしょう。キャンプ体験は、子どもに「自分でできる」という自信を与えられるのです。国立青少年教育振興機構の調査によれば、自然体験の経験が多いほど「今の自分が好き」「勉強は得意なほうだ」「自分らしさがある」など、自己肯定感が高いという結果が出たそうです。また同調査では、子どものころに積極的な自然体験をした人のほうが最終学歴が高いということもわかりました。さらに、信州大学の平野吉直教授によると、自然体験活動をたくさん行なった青少年は、課題解決能力や豊かな人間性など「生きる力」があるといいます。自然体験によって好奇心や探究心が刺激され、わからないことはそのままにせずに調べる、誰とでも協力し合える、相手の立場に立って物事を考えられる、というプラスの作用がはたらくのでしょう。刻々と変化する多様な刺激を同時に受けて、主体的な行動としてアウトプットすることで、「生きている」ことの喜びや楽しさを実感するというわけです。やっぱりキャンプは自己肯定感を高める!平成20年、ガールスカウトの事業に参加した少女たちを対象に実施した調査結果があります。それによると、活動前には低かった「自分を褒めてあげたいと思うことがある(自己受容感)」という項目が、活動後にはぐんと伸びたというのです。つまり、ガールスカウトの活動を通して、自分を受け入れる気持ちが高まることがわかりました。それ以外にも、「なりたい自分になれるように努力できる(自己実現力)」や「失敗を恐れずチャレンジできる(行動力)」「自分の考えをしっかり持てる(自己判断力)」「気分が落ち込んでいるとき、なぐさめてくれる友人がいる(友人関係構築力)」「自分を表すものを培うことができる(自己表現力)」など、自己肯定感を構成する8項目すべてにおいて、活動前にくらべて活動後の平均値が上がったのです。キャンプでは、仲間たちと一緒に同じ体験をすることで、多様性を受け入れたり自分の意見を伝えたりすることの大切さを学びます。そして、さまざまなアクシデントを自分たちの力で乗り越えられたとき、「やればできる」という自信につながり、達成感を得られるのです。野外での生活は、日頃の便利な生活とは比べものにならないくらい過酷です。その不便さに不満を感じるのではなく、困難な状況を克服するために努力することが成長につながり、自己肯定感を高めるきっかけにもなります。教育研究家の征矢里沙さんは、子どもに自然体験をさせるコツとして「親はなにも教えないこと」を提案しています。何よりも大切なのは、親が子どもと一緒に自然を見つめ、一緒に感動したり、子どもの感動に共感したりすることだそうです。自己肯定感を高めるには、「他者からの承認」が必要不可欠。その子のよいところをきちんと認め、しっかりと伝えることが、大人の大事な役割だといえるでしょう。“原体験” 満載のキャンプで地頭を鍛える!キャンプや自然体験による子どもへの好影響は、自己肯定感を上げることだけにとどまりません。尾木ママこと教育評論家の尾木直樹氏は、「自然のなかの原体験にこそ地頭を鍛えるカギがある」と述べています。そして、それを体験できるのが家族キャンプです。「地頭がいい」とは、脳科学的にいうと「HQ(人間力指数)」が高いということ。つまり、社会の中で生きていくための能力が高く、社会性や創造性、企画力、決断力などの能力に優れていて、相手の気持ちを汲んだ行動ができたり、諦めずに未来を切り拓く意志を持っていたりすることを意味します。その「HQ」を鍛えるのは、キャンプなどの自然体験です。「原体験」とは、土や木のぬくもりを感じたり、昆虫や動物を間近に見たり触れ合ったりと、五感をフルに使う体験を指します。8歳ごろまでに「原体験」の蓄積があると地頭を向上させるといわれているので、ぜひ就学前からキャンプに連れていってあげたいですね。人間の力ではどうにもできないことを体験すると、自然に対する恐怖や畏敬の念が生まれます。それにより、人間の小ささや限界を知ることができ、ありのままの自分を認めて受け入れられるようになるのです。自己肯定感や地頭力を上げるには、まずはその「体験」が必要だといえるでしょう。***自然の中での失敗や未知の経験は、自己肯定感を高めて地頭を鍛えます。予定通りにいかないことも含めて、キャンプでの体験は子どもにとって忘れられない貴重な思い出になるはずです。そして、親も一緒に困難を乗り越えて達成感を味わうことで、家族の絆もより強くなるでしょう。(参考)Study Hacker こどもまなび☆ラボ|あなたの子どもは大丈夫?絶対に見過ごしてはいけない「自己肯定感」低下のサインColeman|Coleman×体験の風をおこそう国立青少年教育振興機構|子供の頃の体験がはぐくむ力とその成果に関する調査研究社団法人 ガールスカウト日本連盟|少女の自己肯定感を高めるキャンプTOKYO GAS|ウチコト|【教育研究家に聞く】やる気・協調性・最終学歴に影響がある?!「自然体験」の効果とは?Study Hacker こどもまなび☆ラボ|かわいい子にはキャンプをさせよ。自然体験は「生きる力」を育ててくれる文部科学省|中央審議会ヒアリング資料「自然体験活動」の成果と意義(PDF)Coleman|尾木ママが語る 家族キャンプの“すごい力”
2019年07月05日コミュニケーション能力の重要性が声高に叫ばれるなかで、「うちの子は引っ込み思案で……」と悩んでいる親も多いかもしれません。でも、もしかしたらそういう「気がねする」子どもにしてしまっているのは親自身かもしれないのです。その可能性を指摘するのは、長年にわたって「気がね」を研究テーマとしてきた東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり先生。必要な場面ではしっかり自己主張できる子どもに育てるために、親はなにをするべきなのでしょうか。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)これからの時代に求められる適切なコミュニケーション能力日本人の特性のひとつとして、いいたいことをストレートにいわない、あるいはいえないということが挙げられます。これは、「他人に対して気を遣って自分が本当にしたいことをしないでいる」ということで、いわゆる「気がねする」ことです。「気がね」はわたしの研究テーマで、修士論文も博士論文もテーマは「気がね」でした。なぜかというと、わたし自身が気がねする子どもだったからです。自分でいうのも少し変ですが、子どもの頃のわたしはいわゆる一般的に見た優等生。それだけに、まわりの期待を強く感じてしまったり、ちょっと失敗をするだけで周囲の大人に驚かれたりしました。そういう経験の積み重ねによって、わたしは周囲の評価を怖がる、気がねする人間になってしまったのです。その後、海外で生活する機会があり、なぜ外国人はこんなにストレートにいいたいことを表現できるのかと感じたものです。一方で、この日本人の特性はあまりいいこととはとらえられない側面もありますが、「察する」ことが文化として根づいている日本の社会で円滑にコミュニケーションをするためには必要だという一面もあると思います。ただ、これからのグローバル社会を意識すれば、そうもいっていられないこともあります。外国人からすれば自分の意見をいわない日本人は「なにを考えているのかわからない」とも見られます。外国人たちと協働していかなければならないこれからの時代には、気がねすることなく、相手や場面に応じて適切に自己主張をしていくコミュニケーション能力を身につけることが求められるはずです。気がねする子どもにしてしまう「4つのNG」そもそもなぜ人は気がねするようになるのでしょうか。わたしは自分の研究を通じて、その要因は次の「4つのしつけ」にあると見ています。【子どもを気がねする人間にする4つのしつけ】(1)他人の目を気にするしつけ(2)他人と比較するしつけ(3)頭ごなしに叱るしつけ(4)禁止が多いしつけ(1)は、多くの親がやりがちかもしれませんが、「お父さんに叱られるよ」「先生にいいつけるよ」といったものです。静かにしなくてはいけない場所で子どもが騒いでいたら「静かにしていてね」といえば済む話です。でも、「お父さんに叱られるよ」といったいい方をしてしまうと、子どもは他人の目を気にするようになるのです。(2)は子どものきょうだいや友だちと比較するしつけです。「お兄ちゃんは1年生のときにはもっとしっかりしていたのに……」なんていわれると、子どもはまわりの評価を気にするようになります。(3)と(4)はわかりやすいかもしれませんね。やりたいことを全否定されたり禁止されたりすれば、子どもは自分の本心を親にも見せなくなってしまいます。子どもを気がねする人間にしないためには、まずはこれら「4つのしつけ」をしないように心がけること。それから、「待つ、任せる、見守る」という3つの姿勢を意識してほしいですね。子どもは子どもなりに自分で育っていく力を持っているものです。ですから、子どもがなにをするにも、まずは「待つ」。そして、「任せる」ことが大切です。とはいえ、放任では意味がありません。大怪我をするといった危険性がないか、あるいは子どもがSOSを発してサポートが必要になっていないかといったことを見落とさないため、「見守る」ことが大切になります。子どもの人生を決めるのは親ではないまた、親の価値観を優先しないようにすることも重要です。たとえば、子どもに「あの子とは遊んじゃいけません」なんてことをいってしまうことはありませんか?子ども自身はその子と遊びたいと思っているのに、本当の気持ちを無理に抑えつけているかもしれません。また、もう少し大きくなると、進路について親の価値観を優先してしまうということもありがちなケースです。子ども自身は小学校の同級生たちと一緒に公立中学に進みたいと思っていたのに、親が「子どもの将来のため」なんていって私立中学に進学させた――。子どもも納得していればよいのですが、そうでない場合、子どもは意欲をなくしたり、自分の気持ちを素直に話せなくなったりすることがあります。子どもの人生は子どものものであって、親のものではありません。親の勝手な価値観で子どもの人生を決めるのではなく、子どもと話し合いながら子どもの人生を一緒に考えていくスタンスが必要なのです。まずは、日頃から子どもが親になんでも話せる雰囲気をつくるよう心がけてほしいですね。そうするためにも親子の対話が大事になりますが、かといってなんでもかんでも聞き出そうとすればいいというものではありません。子どもも小学生くらいになれば、友だちと喧嘩するなど嫌な思いをすることもあります。それなのに、家に帰った途端に親から「今日はなにをしたの?」「宿題はないの?」「学校からのお手紙は?」なんて矢継ぎ早に聞かれれば、子どもも落ち着いて話をするどころではないと思うのです。まずは帰ってきた子どもにほっとひと息つかせてあげて、それからゆっくり会話を重ねる。家庭を子どもにとってのオアシスにしてあげてください。『保育の心理学 実践につなげる、子どもの発達理解』井戸ゆかり 編著/萌文書林(2019)■ 東京都市大学人間科学部教授・井戸ゆかり先生 インタビュー一覧第1回:あなたの子どもは大丈夫?絶対に見過ごしてはいけない「自己肯定感」低下のサイン第2回:「失敗を恐れない力」の育て方。子どもに「挑戦したい!」と思わせる、効果抜群な言葉かけ第3回:「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは“○○上手な親”だった!第4回:「先生に言いつけるよ」がダメな理由。自己主張できない子が育つ“4つのNGなしつけ”【プロフィール】井戸ゆかり(いど・ゆかり)東京都出身。東京都市大学人間科学部教授。専門は発達臨床心理学、保育学、児童学。学術博士。横浜市子育てサポート研修講師、渋谷区子ども・子育て会議会長などを務める。二児の母。著書に『子どもの「おそい・できない」にイライラしなくなる本』(PHP研究所)、『「気がね」する子どもたち-「よい子」からのSOS-』(萌文書林)、編著に『保育の心理学Ⅱ 演習で学ぶ、子ども理解と具体的援助』(萌文書林)』、監修書に『1さいのなあに? のびのび育つ! 親子ふれあい絵本』『2さいのなあに? 「知りたい」がいっぱい! であい絵本』(ともにPHP研究所)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月15日幼い子どもを抱える親の悩みのひとつに、公共の場で子どもが騒いでしまうということがあります。また、子どもが小学生くらいになれば、勉強やスポーツに辛抱強く取り組む子どもになってほしいと願うはずです。その悩みを解決し、願いをかなえる子どもの「我慢する力」はどうすれば育むことができるのでしょうか。発達臨床心理学、保育学、児童学を専門とする東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり先生に、アドバイスをしてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)「生理的な我慢」は強いるべきではない「我慢」にもいくつかの種類があります。ひとつは「自己抑制」という意味での我慢。これは、なにかいいたいことややりたいことがあっても、自分で判断をして「この場ではいわないほうがいい」「やらないほうがいい」と自分を抑えることです。そういう意味での我慢は社会生活を営むうえでとても大切なものですから、幼いときからさまざまな経験を通して徐々に教えていくとよいでしょう。一方で、とくに幼い子どもの場合は、「生理的な我慢」を強いるべきではありません。トイレに行きたくなってしまう排泄欲などはその代表的なものです。そういう我慢を無理にさせると健康にも害が及ぶことがあります。たとえば電車に長時間乗らなければならないときなどは、乗車前にトイレに行かせるとか途中でトイレ休憩を取るなど、親が工夫してあげる必要があります。それらの工夫は、子どもにとって必要なルールを覚える訓練にもなります。たとえば、幼稚園や保育所のなかには、お昼ご飯の前に子どもたち全員をトイレに行かせるというところもあります。これには、食事中にはなるべくトイレには行くべきではないというマナー、ルールを教えるという意味も込められているのです。生理的な我慢を強いるべきではないといっても、野放しにしてしまっては問題です。まずはきちんとルールを学ばせる。そのうえで、どうしても体の具合が悪いときなどは遠慮しないできちんと親や保育者に伝えるということを教えることが大切です。無理な我慢をさせないように親が工夫する先にお伝えした自己抑制という意味での我慢についても、あまり幼いときから無理に我慢させることは注意が必要です。というのも、子どもは幼稚園や保育所での集団生活を通じて、徐々に自己抑制を学んでいくからです。3歳児たちの入園式では、どの子どもも落ち着きがありません。でも、3年後の卒園式では、みんなが静かにできて見違えるほどに成長した姿を見せてくれるものです。そう考えれば、電車やレストランなど、静かにしていてほしい場所に幼い子どもを連れて行く場合には、親の側が工夫するべきではないでしょうか。3歳くらいまでの幼い子どもは、走ってはいけない場所や静かにしておかないといけない場所というものがそもそもわからないのですから、まずはそういう場所にはなるべく連れて行かないという選択をすることを考えてほしいですね。どうしても行かなければいけないというときなら、短時間で済ませることも選択肢となります。または、静かなレストランで食事をするならば、お父さんとお母さんのどちらかが子どもに絵本を読んであげるとか、子どもを抱いて外に連れ出してあげるというふうに、両親が交代で子どもを見るということもできますよね。片方が子どもを見ているあいだに、食事は済ませればいいのです。あるいは、いまならキッズスペースを設置しているような子どもを連れて行きやすいような工夫をしているお店もありますから、そういうところを選ぶことも検討すべきことです。そもそも、親の都合で幼い子どもに我慢をさせることはなるべく避けるべき。なぜなら、3歳くらいまでの幼い子どもに無理やり我慢をさせたり、「ダメ!」とむやみに禁止したりすると、自発性が伸びなくなるからです。そのくらいの子どもにはなるべく伸び伸びとできる環境を用意してあげるように意識してほしいですね。「褒める」ことが子どもを我慢強くするその後、子どもが成長して小学生くらいになれば、勉強やスポーツなどに一生懸命に取り組める我慢強い子どもになってほしいですよね。そういう子どもに育てるためのポイントは、やはり「褒める」こと。子どもが我慢強くなにかに取り組めたとしたら、「頑張ったね!」「よく我慢できたね!」と褒めてあげて、「本当は遊びたかったのにね」と子どもの気持ちに寄り添ってあげましょう。我慢できたことを褒められた子どもは、我慢することに意味があると気づくようになります。同時に、褒めることは子どもの達成感を高めることにもなります。なにかを成し遂げれば、子どものなかで達成感は生まれますが、親に褒められることがその達成感をさらに高めてくれる。その体験を経て、子どもは自信を持って「次も頑張ろう」と思えるようになります。親などまわりの大人が褒めてあげることの重要性は、子どもには自分で自分を褒めることが難しいという点にあります。大人であれば、自分を客観視して「今日は頑張ったから自分にご褒美をあげよう」ということもできます。でも、子どもにはそれが難しいのです。だからこそ、子どもが我慢強くなにかに取り組んだのなら、たくさん褒めてあげて、「頑張って我慢してよかった」と感じさせてあげてください。『保育の心理学 実践につなげる、子どもの発達理解』井戸ゆかり 編著/萌文書林(2019)■ 東京都市大学人間科学部教授・井戸ゆかり先生 インタビュー一覧第1回:あなたの子どもは大丈夫?絶対に見過ごしてはいけない「自己肯定感」低下のサイン第2回:「失敗を恐れない力」の育て方。子どもに「挑戦したい!」と思わせる、効果抜群な言葉かけ第3回:「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは“○○上手な親”だった!第4回:「先生に言いつけるよ」がダメな理由。自己主張できない子が育つ“4つのNGなしつけ”(※近日公開)【プロフィール】井戸ゆかり(いど・ゆかり)東京都出身。東京都市大学人間科学部教授。専門は発達臨床心理学、保育学、児童学。学術博士。横浜市子育てサポート研修講師、渋谷区子ども・子育て会議会長などを務める。二児の母。著書に『子どもの「おそい・できない」にイライラしなくなる本』(PHP研究所)、『「気がね」する子どもたち-「よい子」からのSOS-』(萌文書林)、編著に『保育の心理学Ⅱ 演習で学ぶ、子ども理解と具体的援助』(萌文書林)』、監修書に『1さいのなあに? のびのび育つ! 親子ふれあい絵本』『2さいのなあに? 「知りたい」がいっぱい! であい絵本』(ともにPHP研究所)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月14日結果はどうあれ、失敗を恐れずなにごとにも意欲的に挑戦できる人間になってほしいと親は子どもに願います。その願いをかなえるためのアドバイスをしてくれたのは、発達臨床心理学、保育学、児童学を専門とする東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり先生。井戸先生は「親が子どもの『安全基地』になり、子どもに『失敗してもいい』と思わせることが大切」だといいます。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)親が子どもの「安全基地」になる自己肯定感の低下に伴って、いまの子どもたちは挑戦意欲も失っているように感じます。自己肯定感が低ければ、「どうせ自分にはできない……」と思ってしまって、なにかに挑戦することができません。あるいは、自己肯定感が低いがために、まわりの目を気にすることも子どもが挑戦意欲を失う要因でしょう。友だちや親の前で失敗して恥ずかしい思いをしたくない――。その気持ちが、挑戦から子どもを遠ざけてしまうのです。逆にいえば、自己肯定感が高い子どもには挑戦意欲も備わっているといえます。自分に自信があり、「たとえ失敗してもいい」となにごとにも前向きに取り組むことになりますからね。その、「失敗してもいい」という気持ちを子どもに持たせてあげるには、親が子どもと信頼関係をしっかり築いておく必要があります。どういうことかというと、「失敗してもいい」という気持ちの裏には、なにか問題が起きても「お父さんとお母さんのところにいけば大丈夫」という思いがあるのです。これは、親子が強い信頼関係で結ばれていて、子どもが親を「安全基地」だと感じているということ。その安心感が子どもの挑戦意欲を高めるのです。ときにはおだて上手になって子どもに挑戦させる子どもの挑戦意欲を高めたいと思うのなら、日頃の親子の対話によって信頼関係を築くことがもっとも大切となります。もちろん、なにかに挑戦して子どもが失敗したときにも親がするべきことはあります。そこできちんと対応しておかないと、子どもが「次の挑戦」をしなくなってしまう可能性もありますからね。親がすべきこととは、子どもがどこでどうつまずいたかという分析をすること。たとえば、子どもが目玉焼きをつくろうとして失敗したのなら、そのプロセスを分析するのです。フライパンの熱し方や油の引き方、卵の入れ方はどうだったのか、火の加減や焼き時間は適切だったのか。そういった子どもが行ったプロセスを分析し、つまずいた箇所を発見できれば、そこだけを手伝ってあげればいい。そうすれば、失敗を乗り越えて成功体験を得ることができ、次の挑戦につなげることができます。気をつけてほしいのは、あくまで「失敗した部分」だけを手伝ってあげること。全部を親が手伝ってしまうと、子どもは「お母さんにやってもらえばいいや」と思ってしまって、挑戦しない子どもになってしまうからです。また、なにかがうまくいかなくて子どもが困っているときは、上手に「おだてる」ことも効果的でしょう。わたしが自分の子どもによく使ったのは「格好いいところ、見てみたいな」という言葉です。幼い子どもがうまく着替えができなくてまごまごしているなら、「格好良く着替えるところ、見せてほしいな!」というふうに声をかけるのです。そういう言葉で、子どもは途端にやる気を出します。それでうまく着替えられたら、「格好良かったね」「すてきだね!」というふうに、ちょっと「オーバーアクションかな」と思うくらい大げさに褒めてあげましょう。「格好いい」というと、男の子に向けての言葉のようですが、女の子にもこの言葉は有効であることが多いので、ぜひ使ってみてください。「親だってスーパーマンじゃない」と子どもに教えるそして、親御さんには「失敗してもいいんだ」ということを子どもに教えてあげることも強く意識してほしい。先にお伝えしましたが、親との信頼関係があって「失敗してもいい」と思える子どもはなにごとにも前向きに挑戦できます。もっといえば、失敗した経験がない子どもは、失敗を乗り越える経験もできないのですから、失敗経験がある子どもと比べて弱い人間になってしまいます。そういう意味では、失敗してもいいというより、「失敗する経験も大切」といったほうが正しいかもしれません。その意識を子どもに伝えるためには、きちんと子どもに挑戦させたうえで、ときには親御さん自身の失敗経験を教えてあげることもおすすめです。たとえば、食後の食器の片づけを子どもが手伝ってくれようとしたとします。共働き家庭が増えているいまの忙しい親なら、「子どもが失敗してお皿を割ったりしたら面倒だな」なんて思って、つい自分でやってしまおうとするかもしれません。それでも、まずはきちんと子どもに挑戦させてあげましょう。そして、子どもがお皿を割るなど失敗したときを「チャンス」ととらえるのです。そのとき、頭ごなしにお皿を割ったことを叱ったりしてはいけません。子どもは二度と自分からすすんでお手伝いをしようとは思わなくなるでしょう。そうではなくて、まずは「ケガしなかった?」と子どもを心配してあげる。それから、「お母さんも小さいときにお皿を割っちゃったの」というふうに自分の失敗談を話してあげるのです。子どもからすれば、お父さんやお母さんはなんでもできるスーパーマンのように見えています。でも、そのお父さんやお母さんも失敗したことがあると知れば、たとえ失敗しても挑戦を続けることで、「いつかお父さんやお母さんのような人間になれる」と失敗を恐れない力を得ていくはずです。『保育の心理学 実践につなげる、子どもの発達理解』井戸ゆかり 編著/萌文書林(2019)■ 東京都市大学人間科学部教授・井戸ゆかり先生 インタビュー一覧第1回:あなたの子どもは大丈夫?絶対に見過ごしてはいけない「自己肯定感」低下のサイン第2回:「失敗を恐れない力」の育て方。子どもに「挑戦したい!」と思わせる、効果抜群な言葉かけ第3回:「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは“○○上手な親”だった!(※近日公開)第4回:「先生に言いつけるよ」がダメな理由。自己主張できない子が育つ“4つのNGなしつけ”(※近日公開)【プロフィール】井戸ゆかり(いど・ゆかり)東京都出身。東京都市大学人間科学部教授。専門は発達臨床心理学、保育学、児童学。学術博士。横浜市子育てサポート研修講師、渋谷区子ども・子育て会議会長などを務める。二児の母。著書に『子どもの「おそい・できない」にイライラしなくなる本』(PHP研究所)、『「気がね」する子どもたち-「よい子」からのSOS-』(萌文書林)、編著に『保育の心理学Ⅱ 演習で学ぶ、子ども理解と具体的援助』(萌文書林)』、監修書に『1さいのなあに? のびのび育つ! 親子ふれあい絵本』『2さいのなあに? 「知りたい」がいっぱい! であい絵本』(ともにPHP研究所)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月13日現在の子ども教育の重要なキーワードとして、教育メディアでも頻繁に取り上げられる「自己肯定感」。日本人の場合、そもそも自己肯定感が低いことが問題ともされますが、その原因はどんなところにあるのでしょうか。お話を聞いたのは東京都市大学人間科学部教授の井戸ゆかり先生。二児の母でもある先生に、子どもの自己肯定感を高めるために親が果たすべき役割も含めて教えてもらいました。構成/岩川悟取材・文/清家茂樹写真/石塚雅人(インタビューカットのみ)子どもの自己肯定感を下げてしまう親の「先回り」日本人の自己肯定感は低いとよく指摘されます。それどころか、いまの子どもたち、若い人たちを見ていると、自己肯定感はさらに低くなっているように感じてしまいます。学生に自分の長所と短所をそれぞれ10個挙げるようにいってみても、すぐに挙がるのは圧倒的に短所のほう。一方、長所はなかなか挙がってきません。その要因のひとつとしては、謙虚であることを美徳とする日本の文化があるでしょう。本当は自分でいいところだと思っていても、それを口にすることがはばかられる。加えて、長所というからには、誰からもいいところだと思われるようなものでなければいけないという考え方もあるように思います。でも、長所というのはもっと身近なところ、日常生活のなかにでもあるもので、なにか大きなことを成し遂げたといったことでなくてもいいのです。でも、日本人の場合はやっぱり謙虚ですから……そういうふうに自分を見ることができない場合があるようですね。また、親が先回りしてしまうことも、いまの子どもたちの自己肯定感を下げている要因かもしれません。子どもがなにか問題にぶつかりそうになったら、その問題の芽を事前に摘んでしまう親が多いのです。その先回りを、親は子どものためだと思っています。でも、子どもは成長過程でさまざまな問題に直面し、解決するなかで自信を持つと同時に達成感を感じたり、周囲の人に認められる言葉かけをされたりすることで自己肯定感を高めていくわけです。そのきっかけを奪ってしまっては、子どもの自己肯定感が高まるわけもありません。自己肯定感の高低による子どものちがい自己肯定感の高低によって、子どもにはさまざまなちがいが表れます。自己肯定感が高い子どもは、自分に自信があるのでどんなことにも積極的に取り組むことができます。それから、自分のいいところも悪いところも含めて「いまの自分でいいんだ」という思いがあるので、気持ちにゆとりがあり、情緒が安定して他人にも優しくできます。しかし、自己肯定感が低い子どもは、人からどう見られているかという評価を気にして自分に自信を持てません。すると、友だちに対するジェラシーもあって、大人が見ていないところで友だちに対して意地悪をするといった問題行動を起こすこともあります。自己肯定感が低いというと、ただ自分に自信がないおとなしい子を想像するかもしれません。もちろん、そういうタイプの子どももいますが、自己肯定感が低い子どもであってもどこかで「認められたい」という気持ちがあり、それが友だちへの意地悪などゆがんだかたちで出てしまうこともあるのです。子どもに役割を与えて褒めるきっかけをつくるこれらの話を聞けば、あたりまえですが「自己肯定感が高い子どもに育ってもらいたい」と考えるのが親心でしょう。自己肯定感は、とくに小さい子ども同士の関係性のなかではなかなか育まれません。つまり、子どもの自己肯定感を育てるには周囲の大人、とくに親のかかわり方が重要になってくる。親はしっかりと子どもを観察する必要があるのですが、なかでも注意してほしいのは、「どうせ」という言葉です。だいたい4歳後半くらいから出てくる言葉ですが、子どもが「どうせできない」なんていいはじめたら要注意。「どうせ」という言葉が出たら、子どもを認めたり褒めたりするような言葉かけを増やす必要があると考えてください。あるいは、家のお手伝いなど役割を子どもに与えてあげることも効果的です。ポイントは、その子どもの力では「簡単ではないけどなんとかできる」という無理のないハードルの役割にすること。そして、そのお手伝いを子どもがしてくれたなら、「頑張ったね!」「すごいね!」「ありがとう!」とたくさん褒めてあげましょう。そうすることで、子どもは自己評価が上がり、自然と自己肯定感も高まっていきます。幼児期から小学校低学年くらいまでの子どもの自己肯定感は、親の言葉かけ次第で高くもなれば低くもなります。お手伝いなどの役割を子どもに与えることは、子どもに「自分は必要とされている」と自信を与えるとともに、親が言葉かけしやすい状況をつくる意味もあるのです。「自分の良さ」に目を向けることを教えるまた、親が子どもを見る「ものさし」を意識することも大切です。子どもは4歳頃から「あの子は足が速い」とか「この子は絵が上手」といったものさしで友だちと自分を比べるようになります。小学生になると勉強やテストもはじまるので、子ども自身もつい「できる・できない」のものさしで自分を見てしまうものです。でも、そのものさしのなかで育つと、できる子と自分を比べてしまう傾向が強まり、自己肯定感は高まりません。そこで親の出番です。誰もが万能ではないし、得意なことも苦手なこともあってあたりまえだということを子どもに教えてほしいのです。子どもにとって苦手なことがあれば、「一緒にやろうか」と手伝って達成感を味わわせてあげましょう。そして、なによりも「自分の良さ」に目を向けることを教えてあげてください。たとえば、図工の課題で工作をするにも要領がいい子はささっと終わらせてしまうのに、苦手な子、あるいは丁寧な子はどうしても時間がかかります。その子が居残りまでして作品をつくり上げて、しかもひとりできちんと片づけまでしたとしましょう。最後まで手を抜くことなく頑張れたこと、みんなで使う教室をきちんと片づけたことは間違いなくその子の「良さ」であるはずです。親としては、完成した作品の評価だけでなく、むしろ、完成するまでのプロセスをしっかり褒めて、「お母さんがちゃんと見ていてくれた」と子どもに思わせ、自信を持たせてあげてほしいと思うのです。『保育の心理学 実践につなげる、子どもの発達理解』井戸ゆかり 編著/萌文書林(2019)■ 東京都市大学人間科学部教授・井戸ゆかり先生 インタビュー一覧第1回:あなたの子どもは大丈夫?絶対に見過ごしてはいけない「自己肯定感」低下のサイン第2回:「失敗を恐れない力」の育て方。子どもに「挑戦したい!」と思わせる、効果抜群な言葉かけ(※近日公開)第3回:「辛抱強い子」を育てるヒント。「我慢する力」を伸ばすのは“○○上手な親”だった!(※近日公開)第4回:「先生に言いつけるよ」がダメな理由。自己主張できない子が育つ“4つのNGなしつけ”(※近日公開)【プロフィール】井戸ゆかり(いど・ゆかり)東京都出身。東京都市大学人間科学部教授。専門は発達臨床心理学、保育学、児童学。学術博士。横浜市子育てサポート研修講師、渋谷区子ども・子育て会議会長などを務める。二児の母。著書に『子どもの「おそい・できない」にイライラしなくなる本』(PHP研究所)、『「気がね」する子どもたち-「よい子」からのSOS-』(萌文書林)、編著に『保育の心理学Ⅱ 演習で学ぶ、子ども理解と具体的援助』(萌文書林)』、監修書に『1さいのなあに? のびのび育つ! 親子ふれあい絵本』『2さいのなあに? 「知りたい」がいっぱい! であい絵本』(ともにPHP研究所)などがある。【ライタープロフィール】清家茂樹(せいけ・しげき)1975年生まれ、愛媛県出身。出版社勤務を経て2012年に独立し、編集プロダクション・株式会社ESSを設立。ジャンルを問わずさまざまな雑誌・書籍の編集に携わる。
2019年06月12日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラムが登場! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、「石井ゆかりの幸福論」第2のテーマ「お金があれば、幸福になれるか?」についてお届けします。2.お金があれば、幸福になれるか?お金と幸福の関係は、もうあらゆるところで語り尽くされていて、今更私がここで何か付け加えることもないようにも思われます。ですが、「幸福」を語る上では、避けて通れないところでもあると思います。お金は、現代社会を生きていく上でどうしても必要なものです。お金がなければ生活できない、食べていけない、ということになります。キリストは「人は、パンのみにて生くるにあらず」と言ったそうです。そうなのです。「パンだけで生きていけるわけではない」のですから、「パンなし」では、やっぱり生きていけないのです。お金があれば幸福になれる、と考える人は少なくありません。お金がないときは特に「お金さえあれば!」と思えます。たくさんお金を持っている人でも「これでは足りない」と思い続けている、という話を聞きます。たとえば、20代の頃よりも30代のほうが給料は多くなったけれども、お金に対する心配はむしろ、強く大きくなった、という人がいます。持っているお金の多寡によらず、お金は「常に何となく足りない」ものなのかもしれません。「お金さえあれば幸せになれる」へのアンチテーゼも、古来、普遍的に語られ続けています。『ヴェニスの商人』や『クリスマス・キャロル』など、お金を持つ人々が決して幸福ではない、というハナシはずっと愛され続けています。サスペンスドラマなどでも、「根深い愛憎ゆえの凶行」と「金目当ての犯行」とは、おそらく同じくらいの割合なのではないでしょうか。他人に殺されるのはたいがい、お金持ちです。あまりハッピーではありません。最近では「ミニマリスト」「こんまりメソッド」など、物質的な条件に縛られないで生きることを模索する人々が増えてきているようにも思われます。生活の豊かさイコール、お金で買えるものをゆたかに持っていること、ではない、という考え方です。たくさんお金を稼いでも、時間が仕事で埋め尽くされて疲れ果て、日々に何の喜びも感じられないなら、それは幸福とは言えないでしょう。最低限の収入で営まれる真の幸福な生活とは何か、を考えるために、小屋に住んだり、できるだけお金を使わない生活を試みたりと、言わば「実験的生活」をしている人のルポルタージュをしばしば、みかけます。こう考えていくと、お金はとても妙なものです。なければ困るし、あっても困るのです。皆が欲しがるものなのに、悪いもののように言われるのです。お金持ちになりたい人がたくさんいる一方で、お金持ちは一般に悪党扱いされるのです。宗教的な考え方では、お金は大抵、悪とされます(で、寄付が求められます)。■お金と、危険と、死と。学校の授業で「お金とは社会を流れる血液のようなものである」と教わったことがあります。社会を生かし、財を動かし、新陳代謝を促すお金と血液の比喩は、さらりと納得できるものでした。しかし、最近別の意味で、この比喩に「なるほど」と思うこともあります。というのも、私たちは誰もが体の中に大量の血液を持っているのに、血液自体を目にすることは「非日常」なのです。いつでもここにあり、指先を温めているのに、それがちょっとでも表に出ると「さあ大変!手当てを!」となります。「血を見る」ことは、ゾッとするような怖いことなのです。昨年、海外でビルの上からお札を撒いた人がいて、ニュースになりました。お金を見ても「ゾッと怖くなる」ことは無いかもしれませんが、たとえば現金がその辺にポンと放り出されていたら、何となく落ち着かなくなります。「はやくしまったほうがいい」と感じるものではないでしょうか。この点でも、お金と血液は、ちょっと似ていると思うのです。私は、ディズニーランドのアトラクションの中で「カリブの海賊」がいちばん好きです。船に乗って眺めてゆく光景の中に、「洞窟の中で、金貨や財宝の山の上に座っているガイコツの海賊」というのがあります。おそらく飢えて死んでしまったのかなと思うのですが、それでも尚、彼は自分の戦利品である宝の山を守り続けています。あの光景は、滑稽でもあり、恐ろしくもあります。彼を見ると、悲しく切ない気持ちになることもあります。限りない満足と果てしない孤独、奪われることへの恐怖など、激しい感情が彼の中に渦巻いたことでしょう。その感情に窒息するかのようにして、彼は死んだのかもしれません。彼は幸福だったのでしょうか。もし「お金があれば幸福になれる」のであれば、彼ほど幸福な人間はいないでしょう。巨万の富の上に座って死んだのですから。そう思って見てみれば、確かに、幸福そうに見えないでもありません。でも、自分も彼のようになりたいかというと、そうは思えません。お金は、使えば消えてしまいます。でも、使わないでおいても、骸骨の守る金貨のように、意味をなさないのです。お金は、考えれば考えるほど、不思議なものです。■お金と、幸福と、「罪悪感」と。東日本大震災の時、普段とは違った光が、お金を照らし出しました。ひとつは「寄付」、もうひとつは「経済を回す」という言葉です。あの時は、多くの人が当たり前のように寄付をしました。海外からも寄付金が集まりました。被害を被った人々への共感、何とか助けたいという思いがそこに詰まっていたのは確かです。その一方で、「申し訳ない」という言葉を口にする人がいました。方や、全てを奪われて苦しんでいる人々がいる。その一方で、特に何も奪われなかった自分がいる。このことに「罪悪感を持った」人がいたのです。そこで、まるで負債を返済するかのような気持ちで、「寄付をした」という人がいました。寄付をすると、罪悪感が軽くなったのだそうです。勿論、被災地の人々は、被災しなかった人に罪悪感を持ってほしいなどと思わなかったはずです。でも、被災しなかった側では、自動的に罪悪感に苛まれた人がいたのです。そこでは、お金は確かに「正しいもの」として扱われていました。「経済を回す」という言葉もまた、多くの人が口にしたフレーズでした。これもまた、被災地ではない地域での言葉でした。大きな災害が起こったけれども、ほぼ普段通りの生活をし、普段通りに仕事をすることに、多くの人が違和感を持ったのです。「苦しんでいる人がたくさんいるのに、私たちは『普段通り』でいいのだろうか」。この問いの中で出てきた答えが、「普段通りに生活し、仕事をするということは、つまり世の中の経済活動をいつも通りに回していくことであり、間接的には被災地の人々の助けにもなるのだ」という考え方でした。「自分の生活・仕事」という狭い経済活動の範囲が、「世の中の経済」という視野へと、一気に拡大したのです。震災時、多くの人が「経済的な視野の広がり」を得たのではないかと私は想像します。お金はここでも「善」そのものでした。私たちは、幸福になろうとするとき、目に見えない他者への負債を抱えるものなのでしょうか。親が子どものためにお金を使うこと、介護のためにお金を使うことは、非難されることはほぼ、ありません。一方、自分のための贅沢は、人からもあれこれ言われますし、自分でも「これは贅沢かな」と罪悪感を抱かされたりします。他者のためにお金を使うことは善で、自分のためにお金を使うのは悪である、という考え方は、どうも「生きているということはそれ自体、なにかに・誰かに借りがある」というような考え方に繋がっているのかもしれません。「感謝」は、この世の中ではとても重要な思いとされています。「感謝を忘れないように生きています」「いちばん好きな言葉は『ありがとう』です」と言う人はたくさんいます。一方で、「ありがとう」が好きではない、という人もいます。お礼や感謝は「負債を精算したいという気持ち」に通じ、よそよそしく失礼な感じがする、というのです。昨年『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』という本が話題になりました。強く結びついた人間関係や共同体においては、「感謝の表現」は異質なものになることがあるようです。お金の問題が難しいのは、人が幸福になることや満たされることの土台に「善・悪」という概念が横たわっているからなのでしょうか。多くの人は満たされることを願っているわけですが、そのことが果たして「善いこと」なのかどうか、というところで、立ち止まらざるを得ないのかもしれません。「頑張った自分への御褒美」というフレーズがごく一般的に使われるわけですが、そもそも自分で自由にしてもいいお金であれば、好きに使っていいのです。「頑張った自分」というエクスキューズがどうして必要なのか。ここにもうっすらと、お金にまつわる倫理観のようなものの影が見えるのです。私たちが満たされることは、そんなに悪いことなのか。「過剰に満たされるのは善くない」という考え方もありますが、そこには自分の体や心を害する恐れがあるという意味の「良くない」に留まらないものが含まれています。私は個人的に、「そんなに申し訳ながる必要は、無いのではないか」と思っています。罪悪感というのは、確かに誠実で清らかな、人として正しい感情かもしれません。でも、本当に感じるべき罪悪感と、そうでもないものがあると思います。少なくとも「被災しなかったことへの罪悪感」は、私にはとてもよく理解できる感情なのですが、同時に、とても理不尽な感情でもある、と思えます。それは、被災した人々の苦悩への共感とは、別のものです。私たちはそんなにも、多くを「負って」しまうのか。満たされることに罪悪感を抱き、蕩尽する人々に嫌悪を感じる世の中は、なぜそうなっているのだろうか。幸福とお金の関係を考えると、どうしても私は、その疑問にたどりついてしまうのです。>>次回もお楽しみに(6月25日更新)プロフィール石井ゆかりライター。星占いの記事やエッセイなどを執筆、「12星座シリーズ」(WAVE出版)は120万部のベストセラーに。Twitterのフォロワー数は30万を越える。著書多数。
2019年05月25日