大腸がんで7月に亡くなった島田陽子さん(享年69)。逝去直後の騒動は落ち着きを見せているが、9月に開催予定と報じられたお別れ会は、いまだに行われていない。長年の知人が語る。「晩年はお金がないのにタワーマンションに住んで家賃を半年分も滞納。ポストはいつも督促状の山でした。裁判所からの呼出状もあったそうですが、当の本人は封すら切らずに知らぬ存ぜぬだったそうです。借金の額は聞いているだけでも1千万円を軽く超えるとか」家族とも縁が切れていたため一時は遺体の引き取り手もなく、渋谷区がドライアイスで保管する事態となっていたが、9月にようやく親族によって実母とともに納骨された。しかし、この墓が新たな金銭問題の火種になりつつある。「島田さんは’80年にアメリカのドラマ『将軍 SHOGUN』でゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞しました。このときにもらったトロフィーのレプリカを製作してお墓に建てようと、島田さんの事務所関係者たちが計画しているのです。しかし、この特注墓石には話題をつくってお金を集めるという意図が見え隠れします。事務所関係者は再三にわたって資金集めを画策していますが、うまくいかずお別れ会は2度も延期され、島田さんの友人たちからの不信感はかなり強いのです。債権者たちから“レプリカを建てるお金があるなら、まずは借金を返して”という声も上がっています」(前出・知人)本誌はこの“トロフィー墓碑”について所属事務所に問い合わせたが、回答は得られなかった。生前、「宇宙葬」を希望するなど型にはまらない考えを持っていた島田さんだが、ファンや友人らは、故人を偲ぶ機会が早期につくられることを望んでいるのではないだろうか。
2022年11月16日合同会社みどりや薬局(静岡県島田市中溝、代表社員:清水 雅之)は令和4年11月21日より島田市で開催される島田薬剤師会主催のお薬とスポーツを学ぶスタンプラリー「ドーピング妖怪を封印せよ!」に企画協力いたします。ドーピング妖怪を封印せよ!メインビジュアルこのスタンプラリーは静岡県島田市にある島田薬剤師会会員薬局にそれぞれドーピング妖怪スタンプヒントパネルと妖怪スタンプを設置し、薬局窓口で配布されるスタンプラリー台紙をもって市内にある薬局を巡りながら楽しく薬やアンチドーピングを学ぶ企画となっております。すべての妖怪スタンプを集めた方へはエコバッグや缶バッチなどのオリジナルグッズをプレゼントいたします。スタンプラリーを通じて地域の薬局、薬剤師に親しみを持っていただくと共にドーピングというスポーツにおけるルールを参考に日常的なお薬の正しい使い方について地域の皆様に考えていただくきっかけとなることを目的としたイベントです。●イベント実施期間2022年11月21日~2022年12月31日※景品が無くなり次第終了●スタンプ設置薬局について島田市内にある島田薬剤師会会員薬局(2022年11月現在)会員薬局については島田薬剤師会HPの会員薬局( )を参照●イベントお問い合わせ島田薬剤師会 TEL 0547-37-7760■ドーピング妖怪についてスポーツにおける世界共通のルールであるドーピング規則「WADA CODE」に定められているドーピング禁止物質をカテゴリー別に妖怪キャラクター化。使い方によって人の病気を治す事も出来ますが使い方を誤るとドーピング違反になったり、体調を悪化させたりする可能性があるドーピング禁止物質をわかりやすく広める目的で製作いたしました。■お薬とスポーツを学ぶスタンプラリー「ドーピング妖怪を封印せよ!」についてスポーツをする人もしない人も、ドーピング妖怪のスタンプラリーを楽しむ中でドーピングの事やお薬やサプリメントを正しく使う事について考えてもらえる内容となっております。「ドーピング妖怪を封印せよ!」の導入について 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月15日素敵なお姉さまを迎え、お話を伺う「乙女談義」。11月のゲストは、漫画家の一条ゆかりさん。ドラマティックな作風の背景にはいったい何がある?!第1回目をお届けします。小さい頃からデコラティブ。でもその理由は…。私は6人姉兄の末っ子、岡山の貧乏な家に生まれました。幼少時代、流行っていた舶来のバービーちゃんは高嶺の花で、なんとか買ってもらえたのはキューピーちゃん。しかしそれにまつわる小物は当然手が届きませんでした。当時は今と違っておとなしい子だったんですが(笑)、「貧乏だ」と言われることが怖かったのと、「持ってない」とは言いたくない見栄っ張りだったので、もらった端切れで、見様見真似でお洋服やお布団を作ったんです。無駄にリボンとフリルとレースを付けたものを。かわいくしたいというより、いろいろ付けたほうが粗が目立たないし、貧乏くさく見えないでしょ?もはや苦肉の策ですよ…。ところがなぜかその洋服やお布団をみんなが「かわいい!」と言うの。それを聞いて私は、ふふっとほくそ笑んでいました。そんな環境で育ったせいか、ないものは自分で作るし、創意工夫をするのは当たり前。ちなみに今は、畑で野菜を作ってます(笑)。実は、絵が“好き”だったわけではないんです。母の仕事の都合で、私は3歳で保育園に入りました。しかし2年目の途中で日々の変化のなさにがっかりし、登園拒否(笑)。結局家で一人で留守番をすることに。しかしおもちゃを買うお金もないため、妄想しかやれることがない。「お城の自分の部屋に天蓋付きのベッドがあって…」などの空想を、家の前の道で絵にしてたんです。毎日やっていたおかげで徐々に上手くなり、褒めてもらえるように。小学校に入ってからは、友だちからのリクエストでノートの端に絵を描くと、人が集まるようになりました。5年生のとき、ハガキに絵を描いて雑誌に送ったら、出すもの出すもの全部載るので、「私、この道でいけるんじゃ…?!」と野心が出た気がします(笑)。でも、絵が好き、とかではなかったです。絵を描くことで、それまで箸にも棒にもかからなかった〈私〉という存在に、気がついてもらえたんです。絵は私にとって、自分を初めて認めてもらえた、ありがたいものでした。いちじょう・ゆかり漫画家。1949年生まれ、岡山県出身。代表作に『デザイナー』『有閑倶楽部』『プライド』など。今年エッセイ集『不倫、それは峠の茶屋に似ているたるんだ心に一喝!!一条ゆかりの金言集』(すべて集英社)を発売。※『anan』2022年11月16日号より。写真・中島慶子(by anan編集部)
2022年11月12日国際派女優として知られた女優の島田陽子さん(享年69)が、がんのため亡くなってはや3カ月。逝去直後、「荼毘に付した」という報道が出たが、実は渋谷区が遺体を保管しており火葬されていなかったという事実を本誌は報じていた。「まだご遺体があるのに『荼毘に付した』という情報を出したのは島田さんの所属事務所だったそうです。メディアもまさか大女優の逝去に関して事務所関係者が事実と異なる情報を出すとは思わず、その通りに報じてしまったのです。ご遺体は2週間もドライアイスの中でしたが、8月上旬には火葬されました。晩年の島田さんは家族とは疎遠で、唯一の理解者だったお母様のお骨を自宅に大事に保管していましたが、9月になってやっとお母様と一緒に納骨されたそうです」(島田さんの知人)本誌は島田さんが納骨されたというお墓を訪ねた。都内一等地にある日蓮宗のお寺の墓地に島田さんはひっそりと眠っていた。墓石は本名の「中村家」と書かれ、島田さんの両親が生前に建てたものだった。墓石には両親の名前しか刻まれておらず、現状では誰もこれが島田陽子さんの墓だとは知る由もない。しかし、住職に確認すると確かに9月に納骨が済まされたそうだ。また、予定されていたお別れ会も未だ開かれないままだ。「当初は9月という話だったのが、『10月中には』『やっぱり11月に』とずれ込むばかり。一度は事実と異なる情報を出した事務所に関係者が不信を抱き、なかなか賛同者が集まらないのだそうです。また、生前の島田さんは宇宙葬を望み、契約書も交わしていました。宇宙葬というと壮大に聞こえますが、実際は遺骨の数グラムを小さなカプセルに入れて飛ばすことなんだそうです。それだけでも叶えてもらえれば故人の供養になると思うのですが…」(前出・知人)ファンが島田さんにお別れをいう機会は設けられるのか、そして宇宙に行きたいという島田さんの夢は叶うのか――。今後を見守りたい。
2022年10月26日福山ゆかりの先人とは広島県福山市では、「福山」というまちが誕生して400年を機に、本市出身又はゆかりの深い人物の功績を検証し、強度への誇りと愛着を育み、次代に継承していくため、「福山ゆかりの先人」29人を選定しました。福山ゆかりの先人備後表の功労者長谷川新右衛門福山藩初代藩主水野勝成備後地方俳諧の始祖野々口立圃塩田の開拓者本庄重政備陽六郡志の著者宮原直倁朱子学者・漢詩人・儒学者菅茶山「義倉」創設の中心人物河相周兵衛箏曲家・作曲家葛原勾当福山藩阿部家7代藩主阿部正弘日本三大絣「備後絣」の創始者富田久三郎啓蒙思想家・医師窪田次郎日本一の下駄生産地「松永」の立役者丸山茂助東京大学産婦人科初代日本人教授清水郁太郎「仁丹」の創始者・日本の広告王森下博建築家・建築学者武田五一社会教育家・思想家山本瀧之助医師・片山病の原因究明吉田龍蔵台湾農業の父・蓬莱米の父磯永吉建築家・建築学者藤井厚二箏曲「春の海」の作曲家宮城道雄郵便制度の確立に貢献・電源開発総裁藤井崇治劇作家小山祐士福山市のスポーツ界を牽引天野辰雄日本画家塩出英雄本田彗星の発見者本田實詩人・俳人木下夕爾戦後の地域経済の先導者小林政夫能楽シテ方喜多流職分大島久見日本を代表する工業デザイナー榮久庵憲司選定基準福山市の出身者又はゆかりの深い人物で、次のいずれかに該当する人物(物故者)を選定。ただし、既に顕彰を行っている「福山市名誉市民」は含まない。①本市の発展に大きく寄与し、かつ、今もなお敬愛されている人②歴史・文化、スポーツ、産業・経済、教育、まちづくり、政治・行政などの様々な分野の先駆者もしくはその振興に大きく寄与した人③その他、功績を後世に引き継いでいく必要が特に認められる人福山ゆかりの先人 - 福山市ホームページ : 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年08月31日逝去後に「遺体放置」という前代未聞の事態となってしまった島田陽子さん(享年69)。7月25日にがんで逝去するも家族が現れず、遺体は約2週間、渋谷区役所が管理していたという。「葬儀をして荼毘に付したといった報道が死亡直後に出たのですが、これは“虚偽情報”だと言われています。8月上旬にようやく火葬が終わり、遺骨はいま自宅に安置されているようです」(芸能関係者)しかし島田さんの元マネージャー・福島浩一朗氏は、未解決トラブルがまだ残されていると語る。「島田さんの遺作となった主演映画『エヴァーガーデン』の製作費のうちおよそ1千万円がプロデューサーでもある彼女の会社に入金されたのですが、ほかの出演者にギャラが支払われていないんです。だから私としては彼女の葬儀を盛大に執り行って、話題を作ったうえで遺作を世に出し、その収益で出演料を支払えればと考えているのですが……」荼毘に付された後も金銭問題がくすぶっているというより“炎上”している島田さん。なんとギャラとして支払うべきお金を“着服”してしまったという証言が……。彼女を知る映像プロデューサーもこう語る。「島田さんからは『ギャラをもらっていない』と聞きましたが、私が調べたところ製作費として約1千万円渡されていたのです。彼女は女優ですが、さまざまな企画で自ら動き、費用面の交渉まで行っていましたから」また島田さんは生前、キューバの革命家チェ・ゲバラを題材とした作品を撮るための製作費5千万円を集めるためにも奔走していたと同プロデューサーは明かす。「この映画は撮影に向けて動きだしたとスポーツ紙が報じていましたが、いったいどこから資金を調達したのでしょうか……」次々に浮上する島田さんの金銭疑惑。前出・福島氏はさらなる問題についても語った。「彼女は以前住んでいたタワマンの近くの駐車場に愛車を止めていましたが、借金の担保として手放しました。しかし亡くなった後も車は置かれたまま。だから駐車場代が発生し、いま12万円ほどになっているそうです。譲渡された相手が誰かわからず、駐車場を貸している方が困っています」晩節これほど困窮した有名女優がいただろうか。島田さんの友人はこう悔やむ。「島田さんがしみじみ言ってました。『年を取ってからお金がないと、すごくみじめですよ』って。それでもええカッコしいだから友達と食事に行っても全部払う。高級フレンチで35万円ごちそうしたとも言っていました。彼女はがん治療に『光免疫療法』という1クール330万円もかかる方法を選びましたが、その金策に悩み、治療開始が遅れてしまったんです」それでも福島氏はほほ笑んだ。「今ごろ本人は天国から僕らを見て笑っているかもしれませんね」トラブル続出でも愛され続けた女優だった――。
2022年08月23日7月25日に亡くなった女優の島田陽子さん(享年69)。さみしいことに、亡くなった後も実妹たちが遺体を引き取らなかったと本誌は8月2日発売号で報じたが、その直後、編集部に衝撃的な情報が寄せられた。「島田さんの遺体はまだ火葬されていません。渋谷区の施設に安置されたままなんです」電話の主は、島田さんの元マネージャー・福島浩一朗氏だった。「遺体は毎日ドライアイスを詰め替えて、保管していると区の担当者から聞いています。私が引き取ろうにも、渋谷区の場合は三親等以内の親族に限られているそうです。2人の妹のどちらかが私に委任してくれれば、渋谷区は私に遺体を渡すと。その後は、ハリウッド女優らしくきらびやかな葬儀をして送り出してやれたらと思っています。そんな話をケント・ギルバートさんにしたら『絶対に呼んでください』と言っていましたよ」福島氏は島田さんが生前、埼玉県にある長泉寺に墓地を購入していたと言う。住職にも話を聞いた。「島田さんがここにお墓を建てると決めたのは’20年2月のことです。墓石はまだありませんが、すでにお金はいただいています」本誌が渋谷区役所に確認したところ、福祉部管理課民生係の担当者は困惑しながらも「火葬はまだ行われていません」と認めた。8月5日時点でも2人の妹から福島氏に委任状は届いていない。今後、島田さんの遺体はどうなるのか。終活カウンセラー協会の代表理事・武藤頼胡さんによれば、今回のように遺体の引取り手がいないケースは日本全体でも増えているという。「病院で引取り手が見つからなかった遺体は自治体が管理します。第三者でも引き取れますが、委任状はあったほうがよいでしょう。腐敗等の問題で、火葬までの期間は決して長くはとれません。遺骨はしばらく保管されますが、その後合葬され無縁仏として埋葬されると、同じような遺骨と交ざってしまうので、島田さんの骨だけを返すことは難しくなるかもしれません」実は編集部には、さらに別の人物からも連絡があった。島田さんが出演したボイスドラマ『Romeo,Juliet』を演出・プロデュースした水野哲氏だ。9月から電子チケットサイト「ZAIKO」で販売される同作では、島田さんはジュリエットを演じたという。「『10代の役でも私はできる。ほかの人には決して負けませんよ』なんて言っていました。体調が悪くて録音が何度か中止になることもありましたが、『点滴を一日やれば楽になるから大丈夫』なんて女優魂を見せていましたね。やっぱり声はちょっと出にくかったり、苦しい感じもあったけど、セリフなんかしっかりしてて、今聞くとすごく感動しますね。国際女優の彼女の一面をちゃんと残せたというのは良かったです」晩年も演技で仕事関係者をも魅了し続けた島田さん。しかし、プライベートでは寂しげな姿も見せていたという。「お金があるように振る舞う場所ではめちゃくちゃ使っていました。フランス料理を豪勢に奢って振る舞うこともあれば、そうでない場所では実にお金がないという一面も見せます。ジュース代の小銭を財布から出すのに10円、20円を数えて『あるかな、あるかな』なんて不安そうなときがありました。妹さんと縁が切れて『きょうだいなんてそんなもの。私はもう全く一人になりました』とも言っていました。本当に変わった方でね、一言ではいえないですよ。サービス精神がありすぎて誤解されることもありましたが、優しい方であったことは確かです」(水野氏)そんな大女優の遺体の行き先が宙に浮いてしまっている事実に愕然とせざるをえない。元マネージャーにより供養される日は来るのだろうか。
2022年08月09日女優の島田陽子さんが、がんのため都内の病院で亡くなった(享年69)。彼女と長年親交があったという友人Aさんが悔やむ。「がんの告知は、遺作となってしまった映画『エヴァーガーデン』の撮影中のことでした。本人も悩んでいましたが、髪が抜けたら女優業に差し支えると、治療に踏み切れなかったんです。医師から手術するよう勧められていましたが、人工肛門になることもあってか拒否していました」突然の訃報に、映画プロデューサーも肩を落とした。「4月に一緒に福島へ行き“復興の映画を作りましょう”と話していたばかりでした……」8歳のときに熊本から上京し、中学1年生で「劇団若草」に入団した島田さん。’70年にドラマデビューすると、翌’71年放送のドラマ『続・氷点』(TBS系)で注目され、人気女優へと駆け上がっていく。’80年にはアメリカのテレビドラマ『将軍 SHOGUN』(米NBC)でヒロインを演じ、国際女優と呼ばれるなど幅広い活躍を見せた。その一方で、数々のスキャンダルを巻き起こした“恋多き女”でもあった。当時を知る芸能記者が振り返る。「’88年に故・内田裕也さんとの不倫が発覚。内田さんは妻・樹木希林さんとの離婚届を’81年に役所に提出していましたが、希林さんが離婚無効の訴訟を起こして勝訴。島田さんは内田さんと結婚できなかったと言われています」’96年に照明ディレクターだった夫と結婚するも’19年に離婚。また、仕事が激減し2億5千万円で購入した豪邸のローンを払えなくなったり、ヘアヌード写真集を出版するなど、常に話題を振りまいた女優であった。そんな彼女の訃報は、やはり“想定内”では済まなかった。報道後に突然、所属事務所からマスコミ各社に異例の内容のFAXが送られてきたのだ。《実のところ弊社は知人の報道の方からご一報戴き、亡くなられた事実を知ることとなりました》《闘病期間や入院の時期、大腸癌の発症時期など親族や近しい友人、葬儀におけるスケジュールなどに関する情報は皆無の状況にあります》では、島田さんの弔いはどのように行われたのだろう。前出の友人Aさんからも、決して安らかとは言えない状況が伝えられた。「島田さんは両親が亡くなっており、家族は妹2人だけなのですが、その彼女たちが遺体の引き取りを拒否したと聞き、驚きました。そのため遺体は区役所が管理していて、会えないとも……」親しい友人たちも弔うことのできない混乱の中、なんとか葬儀は行われたという。遺族が姿を見せない中で、その中心となったのは、島田さんが設立した映画製作会社のスタッフだった。窓口となった男性が葬儀の様子をこう話す。「密葬は私も含めて十数人で行いました。病院の方にも女優さんだからと配慮してもらって、ドレスを持ってきてご遺体に着させたんです。ただ、妹さんお2人とは連絡が取れず、葬儀に出席もされていないのは事実です。身元引受人は、生前の島田さんが一筆書いてお願いしていた方となりました。長年、彼女の面倒を見ていた方です。遺骨はいま、島田さんの自宅に祭壇を設けて安置してあります」芸能界で華々しく活躍しながら、その葬儀には家族の姿さえもなかった島田さん。なぜこのような孤独な最期となってしまったのか。前出とは別の、彼女と近しい友人Bさんが、真相を明かしてくれた。「陽子さんは3姉妹の長女。お父さんが亡くなった後は、自分が一家の大黒柱として家族を養うという気持ちが強かったそうです。デビュー以来ずっと順風満帆だった陽子さんですが、うまくいかなくなったのは内田裕也さんとの交際がきっかけで借金を背負うようになってから。そこから自転車操業になって、妹さんたちに無心することもあったそうです」金銭がもとで亀裂が生じていた姉妹関係が破綻したのは、母の病いがきっかけだという。「お母様は脳梗塞になり、車いす生活を余儀なくされていました。3姉妹持ち回りで世話をしようという約束でしたが、陽子さんは芸能活動もあるため、主に費用の面でバックアップするという話になっていました。しかし、借金の返済に追われ、ままならなくなってしまったそうなんです」それでも、2年ほど前に亡くなる最期まで母親の介護をしていたのは、島田さんだった。前出の友人Aさんは後悔まじりに話す。「この数年間はとても苦しかったと思います。妹と疎遠になり母を失い、『これで本当にひとりきりになってしまった』としみじみ言っていたことを思い出します。実は彼女には、ニューヨークのブロードウエーで『将軍 SHOGUN』に主演したリチャード・チェンバレンと二人芝居をするという企画もあったんです。さぞ無念だったでしょう」近年も女優として並々ならぬ意欲を見せていた島田陽子さん。天国でもやり残した夢を追い続けているに違いない。
2022年08月02日7月25日、女優の島田陽子さんが大腸がんによる多臓器不全のため、都内の病院で亡くなった。69歳だった。「サンスポ」によると、島田さんは亡くなる直前に主演映画『Evergarden(エヴァーガーデン)』の撮影を終えていたという。本作は島田さん自ら企画、プロデュースも手がけた作品だが、惜しくも遺作となった。撮影した横山浩之監督(61)は、年内公開の意向を示しているという。’71年にドラマ『続・氷点』のヒロイン役で注目を集め、映画『砂の器』(’74年)『犬神家の一族』(’76)などに出演し人気を博した島田さん。’80年にはアメリカの連続テレビドラマ『将軍 SHOGUN』に出演。主人公と恋に落ちるヒロインを演じ、その演技力が評価されゴールデン・グローブ賞テレビドラマ部門の最優秀女優賞を受賞。これを機に、“国際女優”として脚光を浴びた。輝かしい女優人生を歩むいっぽう、島田さんのプライベートは波乱万丈だった。NHK大河ドラマの急きょ降板騒動や金銭トラブルも何度か報じられている。’80年代には樹木希林さん(享年75)の夫でロック歌手の内田裕也さん(享年79)との不倫が発覚。これによって、内田さんと希林さんは離婚騒動にまで発展し、世間を騒がせることに。その後、内田さんと島田さんは関係に終止符を打っていた。そんな経緯はあったものの、島田さんの内田さんへの敬愛の念はなくなっていなかったようだ。内田さんが亡くなって約9カ月経った’19年12月、島田さんは本誌に登場し在りし日の思い出を語ってくれた。■「私が尊敬していたのはあの人の才能です」2人の出会いは、’88年公開の島田さん主演映画『花園の迷宮』での共演だった。本作にはオールヌードシーンがあり、島田さんは監督との話し合いを続けながらも葛藤していたという。そのような時、宿泊先のホテルのドアに内田さんからのメモが挟んであったといい、励ましの言葉がこう綴られていたという。《今、大変悩んでいらっしゃると思います。自分の意見をひと言言わせてください。裸になることで、あなたの品位は1ミリたりとも傷つきません》内田さんの優しさに背中を押された島田さんは、こう振り返っていた。「世間の内田さんのイメージとは真逆な、繊細で思いやりにあふれた文章でした。ようやく心を決め、私がスタジオに向かうと、雨の中、内田さんは傘もささずに私が来るのをじっと待っていてくれました」世間的にはロックンローラーとして型破りなイメージがあった内田さん。しかし、島田さんが知っている内田さんの性格は、正反対だったという。「内田さんは他人の目があるとロックンローラーを演じてしまいます。人からどう思われているか常に評価を気にして、日常を忘れにハワイに行っても、毎日、日本の新聞と週刊誌を買い込んでチェックしているような人でした」そんなギャップのある内田さんについて、島田さんはこう語った。「私が尊敬していたのはあの人の才能です」島田さんが内田さんと最後に再会したのは、’17年8月。都内のホテルのカフェで偶然会ったといい、その日の夜遅くに内田さんから電話がかかってきたという。「私といた8年間が内田さんが輝いていた人生のピークだったようで、『あの時代が懐かしい』と。『そうね、楽しかったわね』と私が言うと、『あの時期は自分は幸せでした』と。それが最後の言葉になりました」若かりし頃に内田さんと過ごした時間は、島田さんにとってかけがえのない思い出だった――。
2022年07月27日島田歌穂による体験型コンサート『Musical, Musical, Musical!!』の第3弾が、東京・名古屋・大阪の3カ所で開催されることが発表された。本公演は、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の世界ベストキャストに選ばれ、イギリス王室のエリザベス女王の前で歌を披露した島田が、「沢山の方にもっともっとミュージカルを好きになっていただきたい!」という想いを詰め込み、毎回会場のファンとともに感動の一体感に包まれるコンサート。昨年開催された第2弾では、ミュージカルに登場する世界の女性たちをテーマに、島田が指導した大阪芸術大学の卒業生とともに華麗なステージを披露したほか、コロナ禍における舞台芸術の難しさをミニミュージカルで紹介。最後は『レ・ミゼラブル』の代表曲「民衆の歌」の演奏にファンが足踏みや手拍子で参加し、舞台と客席の一体感を感じる瞬間となった。島田歌穂『Musical, Musical, Musical!!』vol.2 (C)iwaこの感動をもっと多くの方に伝えたいという想いから、初めて名古屋と大阪での開催も決定した今回は、普段はミュージカルにあまり馴染みのない方も楽しめる「ミュージカル映画」をテーマに、一度は耳にしたことがある名曲が、映画にまつわる少し“ため”になるエピソードをまじえながら披露される。またスペシャルゲストとして、東京会場にはミュージカル界の若きプリンス・海宝直人、名古屋・大阪会場には、元宝塚歌劇団トップスターの朝夏まなとが出演する。海宝直人朝夏まなとチケットは現在一般発売中。■島田歌穂 コメントミュージカルの魅力、楽しさを、ぎゅっと詰め込んでお届けする「Musical, Musical, Musical!!」。おかげさまで3回目を迎えさせていただきます。今回は“ミュージカル映画”がテーマです。素敵な名曲の数々とともに、このコンサートならではの特別なひとときを、たっぷりとお楽しみください!<公演情報>島田歌穂『Musical, Musical, Musical!!』vol.37月8日(金) 東京・Bunkamura オーチャードホール開場18:15 / 開演19:00スペシャルゲスト:海宝直人7月16日(土) 愛知・日本特殊陶業市民会館フォレストホール開場16:45 / 開演17:30スペシャルゲスト:朝夏まなと7月31日(日) 大阪・NHK大阪ホール開場16:45 / 開演17:30スペシャルゲスト:朝夏まなと音楽監督:島健構成・演出:下山啓振付:本間憲一 / 広崎うらん演奏:Shimaken & The Brilliant Notesスペシャルサポートメンバー:森内翔大 / 水田千聖 / 寺町有美子 / 仲西陸チケット購入リンク:
2022年06月22日1970年代に発売して以来、幅広い年代に親しまれている、三島食品株式会社のふりかけ『ゆかり』。紫色のパッケージが特徴であり、食欲をそそる赤しその香りが人気のロングセラー商品です。これまで『ゆかり』は、岩下食品株式会社の『岩下の新生姜』とコラボをしたり、ペン型容器になったり、飲料『爽やかに飲むゆかり』になったりと、話題になってきました。そして2022年…『ゆかり』の新たな姿が明らかになったのです!ふりかけ『ゆかり』『あかり』がカップ焼きそばに!?2022年6月15日に発表されたのは、『ゆかり』とエースコック株式会社のコラボレーション企画。エースコック株式会社といえば、『スーパーカップ』といったインスタントラーメンの製造を行う企業です。…そう、今回『ゆかり』がコラボするのは、インスタント麺!なんと、ふりかけがカップ焼きそばになるのです!発売されるのは、『三島のゆかり使用 塩焼そば』『三島のあかり使用 ピリ辛たらこ味焼そば』の2種類。三島食品株式会社の人気商品である『ゆかり』と『あかり』を使用した味わいを楽しむことができます!三島のゆかり使用 塩焼そばカツオのうまみをしっかりと利かせた、塩だれのタレが特徴。ごま油の風味が広がる、最後まで飽きのこない味わいです。かやくには、風味のいい赤しそと風味豊かなゴマ、彩りのいいネギが入っています!三島のあかり使用 ピリ辛たらこ味焼そば『あかり』は、まだらこをピリ辛に味付けしたふりかけ。かやくには、風味のいいたらこ加工品と、ネギが入っています。カツオのうまみが利いた醤油だれと、ピリ辛なたらこの風味が口に広がります。ふりかけは本来ご飯にかけて食べるものですが、麺と組み合わせるとどのような味わいになるのでしょうか。『推しふりかけ』の焼きそばを食べるもよし、両方買って食べ比べてみるもよし、ですよ!【三島のゆかり使用 塩焼そば/三島のあかり使用 ピリ辛たらこ味焼そば】発売日:2022年7月11日価格:214円(税抜)発売地区:全国[文・構成/grape編集部]
2022年06月16日健康サポート薬局である合同会社みどりや薬局(静岡県島田市中溝)はそれぞれ共に健康サポート薬局である株式会社南 みなみ薬局(静岡県島田市南町)、有限会社高橋調剤 高橋調剤薬局(静岡県島田市向島)などと共に2022年6月11日(土)に薬局間をオンラインで結び薬局へ訪れた地域の皆様に交流と認知症予防をはじめ健康増進に係る情報を提供するオンライン認知症カフェを開催いたしました。オンライン認知症カフェの様子(1)【島田市内の健康サポート薬局3薬局による相互連携活動の一環】合同会社みどりや薬局では2017年より島田市初の認知症カフェ「島田オレンジカフェ」(島田市中央町)にて開催しており、2020年の新型コロナウイルス流行以降も規模の縮小やオンラインにて開催をつづけておりました。特にオンラインによる認知症カフェは地域の方をはじめ行政など各方面からもご好評をいただいております。今回は地域の健康増進と認知症予防を推進するために当薬局を含む島田市内の健康サポート薬局が連携をとりながら様々な取り組みを実施していく活動の一環としてオンライン認知症カフェを実施いたしました。※健康サポート薬局とは?:厚生労働大臣が定める一定基準を満たしている薬局として、かかりつけ薬剤師・薬局の機能に加えて、市販薬や健康食品に関すること、介護や食事・栄養摂取に関することまで気軽に相談できる薬局のこと【行政と包括支援センターも参加】今回のオンライン認知症カフェには各健康サポート薬局が立地する地区を担当する包括支援センターと島田市の包括ケア推進課も参画し医療介護と行政が連携し地域のサポートを行います。【当日は各会場に地域の方々が】本認知症カフェはコロナ禍においても地域の健康予防、医療介護サポート、地域との繋がりを止めないための企画でもあり、当日は密を避けるために3つの各会場に3~4名が集まり各薬局がそれぞれ企画を持ち寄り開催いたしました。オンライン認知症カフェの様子(2)<開催概要>日時:2022年6月11日(土) 14時00分~15時00分会場:島田オレンジカフェ(みどりや薬局運営)(島田市中央町15-11)高橋調剤薬局(静岡県島田市向島町4535)みなみ薬局(静岡県島田市南2丁目4-4) 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年06月14日以前とは違う“新しい日常”が戻りつつあるなかで、「毎日の食事作り」は変わらぬルーティーン。思いがけない予定変更や時間に追われ、キッチンでバタバタと準備をして、うっかり失敗したり、後片付けが面倒になったり…と、食事作りにおける小さなストレスを感じている方も多いはず。実は「使いやすい道具」を取り入れることで、そんなプチストレスから一気に解放されることもあります。「取っ手のとれるティファール」はまさにそんな頼れるキッチン道具。2児のママでファッションライターの川口ゆかりさんは、10年以上も前から「取っ手のとれるティファール」を愛用し、家族に料理を作ってきました。多忙な日々でも使いやすい道具があったおかげで、「苦手だった料理」がいまや「いい気分転換」にもなっているといいます。一度使ったら手放せなくなり、近年は自宅のみならず、趣味のキャンプにも欠かせないという川口さんに、長年使い続ける理由を伺いました。また、「取っ手のとれるティファール」はこの秋リニューアルして、こびりつきにくさが格段にパワーアップしたばかり。新商品も体験していただきました。川口ゆかりさん プロフィールファッション雑誌でエディター・ライターとして活躍。プライベートでは小5の女の子と小3の男の子のママ。JSIA飾り巻き寿司1級インストラクター資格を取得し、不定期で飾り巻き寿司レッスンを開催。Instagram: @yucarikawaguchi 取っ手がとれるから、家でもキャンプでも活躍!結婚するまでは、実家暮らしだった川口さん。結婚を機に、まずは道具をそろえようと「取っ手のとれるティファール」をセットで購入したところ、その使い勝手の良さに驚いたそうです。「実際に使ってみると“取っ手がとれる”ということが、実はものすごく便利だと気づきました。買い替え時は、ほかのフライパンも検討しましたが、結局『取っ手のとれるティファール』に落ち着いて。もう10年以上、毎日使っています。コンロ下の引き出しのような“限られたスペース”にも、コンパクトに収納可能。「フライパンもソースパンも同じデザイン・色でそろえると、統一感が生まれるのもうれしいです」取っ手がとれるので調理中のコンロもすっきりするし、お皿のように重ねられるので収納も省スペースで済みます。自宅はもちろん、アウトドアで使うのにも便利で、キャンプには必ず持っていきますね」実は川口さんファミリーはキャンプが大好き。これまでに子連れで100回以上キャンプを楽しんでいるそうです。「キャンプの魅力は、自然のなかでリフレッシュできて、子どもも大人も楽しめること。最近はキャンプ道具も増えてきて、車への荷物の積み込みはまるでパズルのよう。いかにスペースを無駄なく使うかがポイントなんですが、『取っ手のとれるティファール』なら重ねるとコンパクトにまとまるので、車にも積みやすいんです。現地では、お皿感覚で料理をそのまま出せるので洗いものも減るし、キャンプアイテムとしても優秀なんですよ」取っ手がとれて重ねて収納できるから、ピクニックバスケットやカゴにもすっきり収納。車載時のストレスもゼロ!とにかく「外」が大好きで、 “ベランピング” も頻繁に楽しむという川口さん。ベランダでも「取っ手のとれるティファール」が活躍しています。「昔からよくベランダでごはんを食べるんです。子どもが小さいうちは外食もしづらかったし、子どもたちに『朝ごはん、ベランダで食べるよ』と言うと休みの朝も喜んで起きてくれたので。外出しづらいコロナ禍では、いい気分転換にもなりました」ベランピング時はパエリアも熱々のままベランダへ。おかわりも好きなタイミングで好きなだけ。食事中にママが席を立つ回数が減り、のんびり寛げます取っ手がとれるメリットは、調理中にも感じているそう。「3つのコンロを同時にすべて使って調理することが多いのですが、取っ手が熱くなったりジャマになったりしないよう配置を考えなくていいのでラクですね。朝食も卵を焼いたり、野菜を茹でたり、パパッと短時間で準備できます。慌ただしい朝にストレスを感じずに調理できるのは大きいんですよね。コンロまわりが見た目にもすっきりするので、気分よく調理できます」狭いコンロでの複数同時調理も、取っ手が外れることでかなりスムーズに。中が見えるガラスぶたは、調理の様子がわかって便利「夫の帰宅が遅いときは『シールリッド』(専用のプラスチック製蓋)でフタをして、味噌汁やおかずを冷蔵庫で保管しておくことも。保存容器に移す手間も不要で、余計な洗いものが減らせるのもいいですね。冷蔵庫のスペースも限られているので、取っ手がとれると収納しやすくて助かります」道具次第で、誰でも料理上手になれる!結婚するまでは実家暮らしで、撮影や取材に飛び回る日々。料理はほとんどしていなかったという川口さん。結婚を機に「取っ手のとれるティファール」を使って食事作りを始めてみると、大きな失敗もなく、どの料理もおいしく作れたといいます。今回リニューアルした「取っ手のとれるティファール」は、底面のIHデスクを最大限まで拡大し、熱伝導率がさらにパワーアップ!「料理にはなんとなく苦手意識があったのですが、道具次第で上手に作れることを痛感しましたね。実はいまだに薄焼き卵は『取っ手のとれるティファール』じゃないとうまく作れません(笑)。中華料理が大好きでよく作るのですが、餃子も焦げ付かないし、エビチリや酢豚も均一なとろみを付けられます。毎日かなり酷使していますが、使い始めの“こびりつきにくさ”が長く続くのも特長ですね。リニューアルした新商品は、こびりつきにくさがティファール史上最高になったということで、さらに長持ちしそうでうれしいです。子どもたちが大好きなハンバーグも熱伝導率がよいので焼きムラもなく、ふっくらジューシーに仕上がります。最近は娘も手伝ってくれるようになって一緒に作っていますが、『取っ手のとれるティファール』なら安心してチャレンジさせてあげられますね」取っ手の着脱が簡単! 熱々をそのまま食卓へできたての料理をそのままテーブルへ運ぶことも多い川口さん。取っ手の安定性と着脱のしやすさも気に入っている点だといいます。「シチューは簡単に作れて、娘が一番好きな料理なので、家でもキャンプでもよく作ります。かなり大量に作るので重さはありますが、取っ手がものすごく安定しているので、安心してテーブルへ運べます。片手で簡単に着脱できる取っ手。ティファール独自の3点固定システムで、抜群の安定感を実現。重い汁物でも安心して運ぶことができる。「キャンプでは、チャーハンやオムライスなどを大量に作ってフライパンのまま出すことも多いですね」「あと、オーブン使用OKなのでグラタン作りなどにも活躍しますね。コンロで調理したあと、そのままオーブンへ入れられるから時短にもなりますし、耐熱皿と違ってチーズの焦げ付きなども気になりません。洗うときも汚れがさっと落ちるので洗いやすいですね。取っ手がとれるのでお皿感覚で丸洗いできて、片付けもあっという間。キャンプのときも炊事場で洗いやすく、重ねて運べるので助かっています」毎日使うから“ストレスフリーな道具”を「やっぱり料理は道具選びが大事。毎日使うものなので、少しでもストレスを感じると結局使わなくなってしまいます。『取っ手のとれるティファール』は、これだけ毎日タフに使っているのに、こびりつきにくさがずっと続いているのもすごいと思いますし、片付けや収納までストレスフリーなのも魅力です。家で過ごす時間が増えたことで、料理が一種の気分転換になっていますね。そう思えるのは、もしかすると料理初心者のころから『取っ手のとれるティファール』のおかげで、調理や片付けのストレスをあまり感じずに、おいしい料理を作れてこれたからかなぁと。『取っ手のとれるティファール』は、料理初心者から料理が好きな人まで、誰もが使いやすい理想的な道具だと思いますね。もう10年以上使っていますが、これからもずっと愛用していくつもりです」 \こびりつきにくさが格段にアップ/取っ手のとれるティファール を見る ティファール史上最高の「こびりつきにくさ」と「耐久性」を実現!「インジニオ・ネオ IHマロンブラウン・アンリミテッド」<セット9 >フライパン22/26cm、ソースパン16/20cm、バタフライガラスぶた16/20cm、シールリッド16/20cm、専用取っ手(フィグ・ブラウン) 1本 ※IH・ガス火対応、食洗機OK川口さんが体験したのは、今年65周年を迎えたフランス生まれの世界ナンバーワン調理器具ブランド「ティファール」の取っ手のとれる「インジニオ・ネオ」新シリーズ。この秋、こびりつきにくさが格段にアップ、お知らせマークもさらにわかりやすくなり、リニューアルしました。 \こびりつきにくさが格段にアップ/取っ手のとれるティファール を見る ▼新次元の「耐久性」と「こびりつきにくさ」6層からなるチタン・アンリミテッドコーティングにより、こびりつきにくさが格段にアップ。さらに、今まで困難だった技術に成功し、金属へらなどによるダメージに対する耐久性も飛躍的に向上。コーティングの耐久性が高いから、使い始めのこびりつきにくさが驚くほど長続きします。▼「お知らせマーク」のデザインを一新!ティファールのフライパンの中央にある赤いマークは、適温を知らせるためにあるもの。今回のリニューアルでさらにデザインがわかりやすくなりました。砂時計の模様が消えたら適温の合図、調理スタートのサインです。今回の新モデルは、厚くて広い底面設計となり熱伝導率もさらにアップ! ムラなく調理ができる上に蓄熱力があるため冷めにくく、続けて調理をするときは時短にもなります。ティファール史上最高レベルの「こびりつきにくさ、耐久性、熱伝導率」により、毎日の“手軽においしいごはん作り”をしっかりサポートします。\おうちごはんレシピが満載!/ 取っ手のとれるティファールレシピ一覧 を見る [PR] ティファール 取材・文/古屋江美子 スタイリング/花沢理恵 撮影/林ひろし撮影協力/ジョイント(リーノ・エ・リーナ)Tel.03-3723-4270
2021年11月12日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第12のテーマ、「幸福」とは何か。(後編)をお届けします。12.「幸福」とは何か。(後編)私はかねてより、第12ハウスの象意について、個人的な仮説を抱いてきました。それは、「第6ハウスが雇用関係を象徴する。それは他人から自分への命令、または自分から他人への命令を意味する。であれば、その対岸にある第12ハウスとは、自分で自分に命令する場所、つまり、究極の『自由意志』の場所なのではないか」ということです。たとえば、義務を果たす(6ハウス)ことは他者との関係の中で起こりますが、「自己犠牲(12ハウス)」は、自分で自分に命じることによってだけ成立します。もといこの仮説は、かなりの暴論です。一般的な星占いの考え方の真逆をゆくもの、と言ってもいいかもしれません。6-12ハウスはあらゆる意味で「自由意志の制限」を意味する、という考え方のほうが「主流」のはずです。なぜ私がそこに全く逆の仮説を抱いたかといえば、「星占いにおける自由、人生における自由とは、一体何なのだろう?」と考え続けていて、まだその答えにたどり着いていないからなのかもしれません。ホロスコープにおける12のハウスの意味づけには、様々な根拠があると言われます。そのなかでも重視されるのが「アセンダント/第1ハウスからの位置関係」です。第1ハウスとの位置関係が「アスペクトするか否か」が大変重要なのです。伝統的占星術においては、第1ハウスとメジャーアスペクトの位置関係にならないハウス、すなわち2、6、8、12だけが、凶意を付与されています。これらは第1ハウスという「自己」からは「見えないところ」、つまり「コントロールの及ばない場所」なのです。それでも、第2ハウスは第1ハウスに隣接している分、まだ「見える」場所です。即ち「自分の手の中にあるもの、持っているもの」を示します。第12ハウスも第1ハウスに隣接していますが、これは「背後」です。普段は自分に見えない自分、振り返らなければ見えない自分を象徴している、と言えるのではないでしょうか。私たちの日常の行動の多くは、ほとんど無意識に発動しています。「どうやって歩いているか」をいちいち考えながら歩いていたら、たぶん転んでしまいます。自転車に乗るのも、私がこうしてキーボードを叩いているのも、ひとつひとつ意識に上らせて動作しているわけではありません。同様に、たとえば誰かが自分に怒鳴りつけてきたとき、無意識に固まって、何も言えなくなります。道端で二人の人が喧嘩しているのを見て、とっさに「怖い」と感じ、見て見ぬ振りをして急いで通り過ぎる、といったことも、やってしまいます。あとになって「あの時、言い返せばよかった!」「仲裁に入るか、警察を呼ぶかすればよかった!」などと思い返しても、間に合いません。それでも、なにか困難やトラブルに遭遇したとき、敢えて立ち止まり、怯える自分や面倒を避けたい自分と闘って、「自分の時間や労力を犠牲にしてでも、よいことをしよう」とおもえることがあるとすれば、これはすばらしい「自由意志」です。それをしたからなにか見返りがあるというわけではありません。ただ、自由な一人の人間として「そうしたい」と思い、自由に行動する権利を行使するだけなのです。損をするかもしれず、ケガをするかもしれず、「良かれと思ってやったのに、拒否される・失敗する」といったことになる可能性もあります。それでも、究極の自分の「自由の行使」として、私たちは時折、そうした行動を起こします。前述の通り、第12ハウスには古来、凶意がたくさん詰め込まれています。でも、そこには「苦悩」とか「隠遁」とか「海外追放」「犠牲」など、「おや?」と思わされるキーワードがところどころに現れます。ある人が12室を生きていて、「苦悩し、隠遁したり、海外追放になったりしている」とすれば、この人はいったい、どうしてそんなことになったのでしょうか。ただ単に「運悪く」そうなったのでしょうか。この人は何に悩み、どうして追放になったのでしょうか。「単に生きるのではなく、善く生きる」と言ったソクラテスのように、自説を曲げずに火刑に処されたジョルダノ・ブルーノのように、この人はもしかすると、限りない自由な意志を生きたのではないでしょうか。もちろん、人間は、自分の身に降りかかる災厄を避けるために、意志を隠したり曲げたりすることもできます。実際、現実の中では、多くの人がそうした選択をします。それは決して、悪いこととはいいきれません。家族の暮らしを守るために上司の理不尽な命令に従うとか、進学に有利な成績をつけてもらうために教師の理不尽な要求に応えるとか、そんなことはいくらでもあります。世の中は広い意味での権力の関係に支配されていて、だれも完全に自由になど生きられません。ただ、「自分の力ではあらがえない権力や圧力に屈した」という経験は、人の心の中に、深い傷を残します。でも、「自分がこれを選んで、自分の力でこれを成し遂げたのだ」という主体感、自己効力感は、あくまで「自由な意志」としか結びつかないはずです。外圧に負けて意見を変えたなら、主体感や自己効力感は著しく削がれるでしょう。本物の幸福がもし、「私が自分の意志で何事かをなしている」という条件を必要とするなら、「自分の意志に反して身を守った」記憶は、幸福感を減じるはずなのです。もしかすると「殺されても自分の意見を曲げない・捨てない」人はつまり、「殺されても自分の幸福を手放さない」人だった、ということになるのでしょうか。「私の出生図では、12ハウスに星が集まっているのですが、私は不幸なのでしょうか」というご質問を以前、頂いたことがあります。結論から言えば、そういう読み方にはならないと思います。アセンダント近くにある星は「上昇星」と言われ、フレッシュで強い状態にある、という考え方があります。また、12室に星を多く持つ人の中には、優れた政治家や医師など、「(原理的には)営利を目的としない仕事につく人々」が多く見られるという説もあります。「ギブアンドテイク」を度外視したような仕事、役割は、世の中にとてもたくさんあります。他に宗教家やアーティスト、教育者、社会運動家、思想家などもそうした要素を担っているだろうと思います。その人の中に何かしら自由な強い意志がなければ、担えない役割がたくさんあるのです。12室に星を集めている人は、その役割にハッキリした名前がついているかどうかは別として、そうした方向への道を選びやすいのかもしれません。そうした意志を持てる人たちは、幸福なのでしょうか。たとえば、雨の日に傷ついて倒れていた子猫を保護して、その子猫が息を吹き返して元気になっていくのを見るのが「幸福」だとするなら、きっと、第12ハウスの幸福とは、そうしたものなのではないかと私は想像しています。それは奇跡のような、ギフトのような、それでいて「受けとらなければ決して手に入らない」、神秘的な幸福なのだと思います。
2021年10月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第12のテーマ、「幸福」とは何か。(前編)をお届けします。12.「幸福」とは何か。(前編)第12ハウスのテーマから「幸福とは何か」を考えたとき、私は2つのことを思い浮かべました。ひとつは、「人間が最も大きな幸福を感じるのは、どんなときか」ということです。これは、このシリーズでも何度か書いたように思いますが、「心配事が解決したとき」「心待ちにしていた人が帰ってきたとき」「辛い病気が快癒したとき」「苦しみが終わり、安らぎが来たとき」なのではないかと私は考えています。何か辛いこと、悲しいこと、強い制限やガマンしている状態があって、それが「解除」されたとき、私たちは雨上がりの虹と青空を見上げるように、突き抜けるような「幸福だ!」という思いを味わいます。たとえば恋人に愛を伝えたり、生涯のパートナーとなってくれるようにプロポーズしたりする時でも、思いを伝える側は極度に緊張し、「もし受け入れてもらえなかったらどうしよう」という恐怖を感じます。申し出を受ける側も、それを期待している場合は特に「このまま相手が態度をハッキリさせなかったらどうしよう」という深い不安や孤独感を抱くものだろうと思います。こうした暗い疑念や不安が深ければ深いほど、「告白」が受け入れられたときの喜びが大きくなるものではないでしょうか。もうひとつは、「主体感」「自己効力感」というようなもののことです。「自分の力でやった」「自分の判断でやった」「自分の意志でやった」という手応えは、幸福の重要な条件ではないでしょうか。たとえば、自分が取り組んだゲームがうまく行ったときでも、それが全くの偶然でうまく行ったときと、自分自身の創意工夫、技術などでうまく行ったときとでは、喜びの質が異なります。「自分が頑張って成し遂げたのだ」「自分の力で出来たのだ」と感じる時、私たちはその喜びを受けとる「正当な権利を持っている」と思えます。たとえば、自分で首や脇の下を触ってもなんともないのに、他人が触ってくると「くすぐったい」と感じます。同じように同じ部位を触っても、「自分で触った」のと「他人が触った」ので感じ方が変わります。私たちは「自分がやったこと」と「他人がやったこと」を、こうした感覚レベルでさえ、細かく区別しています。苦しみが解決したとき。そして、自らの行動で良いことが起こったと感じたとき。この条件が「幸福」を生み出すのではないか、と私は想像しました。たとえば、保険会社やハウスメーカーの「幸福な家族」のイメージを思いえがいた時、「彼らは生まれつき裕福な家庭に生まれ、何の問題もなく育ち、特に挫折することもなく出会い、子供を持ち、みんな健康で、引き続き問題なく裕福に暮らし続けている」と考えると、なんとなく薄ら寒いような、リアリティのなさを感じてしまいます。もちろん、そういう家庭も存在するかもしれませんが、それが「幸福の究極の形」と言えるかというと、頷けない気持ちになります。一方でもし、その家族は実は、破産を乗り越えてもう一度再生した家族だったとか、家族の誰かが重病から回復したとか、そういった「苦労した過去」があったなら、「この人達は今現在の幸せの価値や意味を、誰よりも知っているのだろうな!」と想像したくなります。また、「ギフトを受けとる側と、ギフトを贈る側では、どちらが幸福か」というテーマがあります。ずっと欲しかったものや憧れていたもの、見た瞬間に気に入るようなものを「プレゼントされる」のは、確かに嬉しいものです。でも、自分が贈ったギフトを大喜びして受けとり、ずっと大事に愛用してくれている、といったことのほうが、喜びの「重み」は大きいのではないかという気がします。これは「自分の力でよいことが起こった」という喜びに属するはずです。「石井ゆかりの幸福論」という壮大なお題をいただいて、ホロスコープの「12のハウス」をそのまま章立てにして、ここまで「幸福」とは何かを考えてきたわけですが、最終章である「第12ハウス」は、現代的には「無意識、過去、秘密、自己犠牲」などを象徴する、とされます。ただ、古い時代の占星術では、このハウスはあまり良い象意を与えられていません。その解説には「悪い予兆、不運、自己破壊、奴隷、使用人、危険、外国、敵、隠れた敵、魔女、犠牲、国外追放、自己犠牲、幽閉、隠遁、恐れ、病」などというキーワードが並びます。どれも「幸福」のイメージからはほど遠い言葉たちです。実は、これらのキーワードには、第6ハウスと共通するものが少なくありません。第6ハウスは現代的には「雇用関係、仕事の状態、家事、健康」ですが、伝統的占星術では「使用人、奴隷、病気、敵、不運」などが当てはめられるのです。12室と6室は向かい合っていて「ポラリティ」で結ばれています。対岸のハウスはその意味合いにつながりがあり、あるいは「反転」しているのです。たとえば第1ハウスは「自己」で、第7ハウスは「他者、パートナー、相手」です。第3ハウスは「基礎的学習、兄弟姉妹、短い旅」、第9ハウスは「専門的な学問、遠い親戚、長旅」となります。「自分」の対義語は「他者・相手」、「近い」の対義語は「遠い」だとすると、向かい合ったハウスは対義語の関係になっている、と言えるかもしれません。第6ハウスと第12ハウスの意味合いが似ているのは、両者に割り当てられた惑星がともに「凶星(マレフィック)」、すなわち火星と土星だという点に関係があるのかもしれません。古い時代の星占いでは吉凶がかなりはっきりと語られる傾向があります。一方、現代的な占星術の世界では、「吉凶とはそもそも、なんなのだろう?」という掘り下げが行われますので、「幸運・不運」だけをバッサリ決めてしまうような考え方は、あまりしないように思われます。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年10月25日更新)
2021年09月25日音楽プロデューサー・島田昌典の還暦記念ライブ『LIVE from ”Great Studio” 2021 〜島田昌典 あざみ野サウンドの世界〜』が、11月3日にぴあアリーナMMで開催されることが決定した。数々のアーティストの楽曲プロデュースやアレンジを務め、日本の音楽シーンで欠かせない存在である島田が還暦を迎える誕生日当日に行われる本公演には、aiko、アンダーグラフ、JUNNA、高橋優、Chage、wacciらが出演。島田率いるGreat Bandの演奏とともに、当日だけのスペシャルアレンジで楽曲が披露される。チケットぴあでは、9月21日23時59分までチケット最速先行受付が行われている。■島田昌典 コメント2014年11月4日に自身の活動30周年として武道館にて<「Great Studio Live at BUDOKAN」〜バラスーシな奴らがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!〜>を開催させていただきました。いきものがかりさん、秦 基博さん、back numberさんの協力をいただき、我ながら感慨深い素晴らしいコンサートとなりました。終わってから皆で「次は還暦にやろう」などと言っていたのですが、実にあっという間にその時を迎えることになりました。あれから7年、その間にも新たなアーティストとの出会いがあり、たくさんの素敵な楽曲が生まれました。そこで還暦を目前にした僕自身、40年近くやってきた編曲プロデュース、自身の音楽を振り返りながら「Great Studio」から生み出されるエモーションと感謝の気持ちのすべてを、皆様の前で改めて披露させていただきたく思っております。主役のアーティスト、創った音を届けてくれるスタッフ、それを聴いてくださる方。その方々すべての存在があってこそ、今日まで僕は音楽を続けてくることができました。思えば、そのひとつひとつが、なんて幸せな巡り合わせだったことか。今回はそうした皆様への恩返し。マジックな1日を地元横浜のぴあアリーナで開催したく考えております。バックを固める面々は、いつも島田サウンドを一緒に創ってくれている素晴らしいミュージシャン達。彼らと共に、その日だけのスペシャルなアレンジ、演奏でお贈りいたします。コロナ禍でのコンサートは非常に厳しい状況ではありますが、音楽は聴いていただける方と時間を共有することによって、思いがけないマジックを生むと僕は感じています。先日もaikoさんのステージを拝見して、そう確信しました。感染対策を十二分にして開催したい所存です。どうぞよろしくお願いいたします。<公演情報>『LIVE from ”Great Studio” 2021 〜島田昌典 あざみ野サウンドの世界〜』11月3日(水・祝) ぴあアリーナMM開場 14:30 / 開演 16:00ゲスト:aiko / アンダーグラフ / JUNNA / 高橋優 / Chage / wacci / and more…※ゲストの出演時間はそれぞれ異なります。チケット:全席指定11,000円(税込)音楽監督:島田昌典演奏:Great BandPf:島田昌典 / Dr:神谷洵平 / Ba:須長和広 / Gt:佐々木“コジロー”貴之 / Gt:浜口高知 / Key:トオミ ヨウ / Per:朝倉真司 / Str:室屋光一郎ストリングス / Sax:庵原良司チケット最速先行受付:9月21日(火) 23:59まで受付URL:お問い合わせ:SOGO TOKYO03-3405-9999(平日12:00-13:00、16:00-17:00)イベント公式サイト:
2021年09月15日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第11のテーマ、「友」と「希望」。(後編)をお届けします。11.「友」と「希望」。(後編)私は自分が愛読する本の作者を、勝手に友だと感じています。でも、生身の彼らに会って友達になれるか、というと、絶対になれないだろうな!とも思います。人間は色々な部分でできていて、その部分のいくつかで友情を交わせれば、それでいいのではないでしょうか。毎日挨拶をするお店の店員さんも、家に帰れば全く違った表情をしているかもしれません。でも、その人の全てと友情を交わすのでなくとも、たった一瞬の積み重ねで、温かな細い糸が紡がれていく、ということで、十分だという気がするのです。夢も同じです。庭の花を育て、窓ガラスを拭き、食事を支度し、書類のブランクを埋め、ダンボールをまとめてしばり、といった具合に星屑のようにたくさんの日々の夢が散らばっていて、その小さな星屑を一つ一つ集めて、それで人生の道筋ができていく、ということではないかと思うのです。たった一つの巨星を追いかけつづけるような人生もあれば、星屑で出来た天の川を歩き続けるような人生もあるのだと思うのです。全ての瞬間の中に、11ハウスのテーマがきらめいている。そんな生き方ができれば、すばらしいだろうな、と思います。そしてそれは、けっして、それほど大それたことではないだろうとも思うのです。本稿のタイトルは「友」と「希望」としました。「希望」と「夢」は、似ているようで違います。「夢」はビジョンですが、「希望」には、絵面はありません。「希望」とは、「なにかはわからないけれど、なにかきっといいことがある」という信念のことだと思います。「夢」は持てなくとも、「希望」は持てます。「希望」は、人が生きていくためにどうしても必要な思いであり、他者と関わる時にも絶対に必要な合い印です。希望を失った人は、いわゆる「セルフ・ネグレクト」のような状態に陥ります。自他を破壊するような衝動、自分を放棄するような衝動に駆られます。絶望と孤独は密接につながっています。そこは、光の射さない、深い洞窟のような場所です。現代社会において、社会生活の大部分は「ルール」と「ビジネス」でできています。「仕事だからやる」「ルールだからやる」ということだらけです。仕事でもきまりでもないけれどもやる、という活動は、「個人的な趣味」と見なされがちです。11室のテーマは「友」と「夢、希望」で、これらはルールでもビジネスでもありません。ゆえに現代的な目には、これらは「個人的なテーマ」と映ります。でも、11ハウスは本来、プライベートな世界ではありません。この場所は世の中そのもの、社会そのものです。「一人の人間として、自由な気持ちのもとに社会参加する」ということは、特殊な活動と考えられがちです。でも、本来はもっと自然なことであり、多くの人が願い目指すことであり、もっと祝福された活動なのではないか、と思われます。たとえば日本では選挙の投票率がなかなか上がりませんが、投票行動は11ハウスのテーマと考えられます。もちろん、自分一人だけの利益を追求するために投票に行く人もいるかもしれませんが、多くの場合はどんな立場であれ「みんなが幸福になるためには、こんな状況はおかしい」「もっといい世の中にしたい」というビジョンを抱いて投票に臨むはずです。そこには希望があり、同じ社会を構成する他の人々との、友愛の感情があります。11ハウスの対岸には、5ハウスがあります。5ハウスは個人としての愛や歓びを象徴します。対する11ハウスは、自分を取り巻くこの世の中への愛や、社会的な喜びを象徴します。11ハウスの「公共性」のイメージが、両者の対比で際立ちます。人間は個人的にも、社会的にも、「自分さえよければいい」という具合にはいかないのだろうと思います。愛する人が、ひいては全世界の人が幸福になってくれなければ、自分自身も本当に幸福にはなれない。そういう思いが、この5ハウス-11ハウスのポラリティに示されているような気がするのです。>>次回もお楽しみに(2021年9月25日更新)
2021年08月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第11のテーマ、「友」と「希望」。(前編)をお届けします。11.「友」と「希望」。(前編)友達がたくさんいる人、夢を持っている人。この2種類の人々は、もしかすると現代社会でもっとも「肯定される人」なのかもしれません。「友達がいない」「自分が何をしたいのかわからない」と悩んでいる人は、現代社会にはたくさんいます。人間がかかりうる最も大きな病が孤独と絶望なのだとすれば、「友達と夢があればとりあえず大丈夫」と言えるのかもしれません。先日、ヘミングウェイの名作「老人と海」を再読していたのですが、たった一人で漁に出て行く老人サンチアゴには、少年マノーリンという友があり、大物を釣り上げようという夢があります。この2つの条件によりサンチアゴは、認知症の影を見せ始めていながらも、とても充実した人物に見えます。ホロスコープの12の「ハウス」のうち、第11ハウスは最も祝福されたハウスと言っていいかもしれません。そこには古く「友、希望、贈り物、才能、将来の夢」といったテーマが並べられ、大吉星である木星が、ここに位置するとき喜ぶ、とされています。人間が人生において望みうるもののうちもっとも大きなものが、この11室という場所に関連付けられています。どれもお金では買えないもの、「授かる」しかないものたちです。こう考えてみて、自分自身を振り返ると、「私には、仕事以外でマメに連絡を取り合うような相手はいないし、これを目指しているとはっきり言えるような夢もないな」と、苦笑したくなります。ただ、それで自分がとても恵まれない不幸な人間だと感じるか、と言えば、そうでもないように思われます。「夢」と言えば「人生を賭けるような夢!」のイメージが浮かびます。「友」と言えば「終生信頼し合い、支え合い、いつでも何でも相談できる親友」を想像したくなります。でも、もしかすると、「夢」や「友」は、そんなに大それたことでもないのかもしれません。たとえば「日々の夢」は、そんなに高く輝かしいものではなくて、ただ「今日やるべきこと」「やってしまいたいこと」程度のものなのかもしれません。しばしば仕事を引退した人たちが「やるべきことや通う場所がなくなると、一気に老いる」と語ります。「夢」は、ここから一歩でも二歩でも先に進んだ場所にいる自分のビジョンだと考えると、このことはしっくりきます。日々のタスクは、ごく小さな単位の「夢」なのです。「友」も、「ズッ友だよ!」というような「友」だけが友ではありません。日々挨拶する隣人や顔見知りのコンビニの店員さん、行きつけの店のスタッフなど、「知人」レベルでもうっすらとした親愛の情が存在するもので、それで十分「友」なのかもしれません。たとえば災害に見舞われたようなとき、そうした「顔見知り」とは、すぐに声をかけ合ったり、助け合ったりできるでしょう。外国で孤独を感じているとき、自国の人に出会うととても嬉しくなる、といったことがあります。人間同士の心の距離とはそんなもので、お互いをわずかにでも「知っている」と思えれば、それで十分なのかもしれません。純粋で、完璧で、絶対的な「友」「夢」というのは、たしかにそうしたものを持っている人もいますが、多くの場合は幻想なのではないでしょうか。更に言えば、人間は成長し、変容します。それとともに、夢も友も、変わっていくものです。11ハウスで力を持つとされる星は前述の通り、木星です。木星は、射手座と魚座の支配星です。両者は柔軟宮、変容を司る世界です。夢も友も、変化の中にあるのです。「永遠の友」は、もしかしたら、存在しないかもしれません。でも、「この瞬間の友」は、いつでも作り得ます。先日、ある人がこんな話をしていました。「子供を自転車に乗せて走っていたら、後ろから走ってくる人がいて、見れば脱げ落ちてしまった子供の靴をとどけてくれようとしていた」というのです。走ってきてくれた人は「この瞬間の友」です。その靴が落ちるのを見たのは、走ってきてくれた人だけではないかもしれません。同じように拾おうとして、先を越されたので立ち去った、という人もいるかもしれません。みんなが「その瞬間の友」です。もしあなたが今、この稿の中に共感できる部分を見いだして下さったなら、あなたは私の「この瞬間の友」です。でも、さらに成長を遂げた未来のあなたは、この稿を振り返って、とても幼稚で陳腐だと感じるかもしれません。友情は、変化していきます。とはいえ、たとえば幼い頃に読んだ絵本を愛する気持ちが終生変わらないなら、その絵本は、瞬間の友であったと同時に、永遠の友です。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年8月25日更新)
2021年07月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第10のテーマ、「自己実現」とはなにか。(後編)をお届けします。10.「自己実現」とはなにか。(後編)学業を修めて社会に出て、ひとつの仕事に就き、その仕事を定年まで続けて、引退後は晴耕雨読でのんびり暮らす。たとえばこのような人生を送った人には、第10ハウスのテーマ「キャリア、社会的立場」は、ごくわかりやすいものに思えるかもしれません。一方、様々な事情から社会的に複雑な道のりを歩んできた人、若いときに学びの機会が得られなかった人、結婚して仕事を辞めて家庭に入った人、「ヤングケアラー」のような立場に立たされ、ほとんど仕事を選べなかった人などの中には、「自己実現とは何か」というテーマの前で、怒りや痛みを抱きながら立ち尽くす思いをしている人が少なくありません。人に誇れるような社会的立場、収入がなければ、人生は失敗なのか。自分は幸福では無いのか。昨今では「承認欲求」という言葉が一般的になりました。「マウンティング」「キラキラ」といった言葉もよく見かけます。人から、社会的存在としてどう見えているかということを、だれもが気にしています。古い時代の第10ハウスのテーマに「評判」があります。社会的評判。人間が人生を賭けて目指す、最も高いところにあるものは、「社会的評判」なのでしょうか。社会的に評判がよければ、それこそが人生最大の幸福なのでしょうか。どんなに人からうらやましがられても、個人として幸福でなければ、なんにもならない。そう考える人もいます。パートナーや子供達から愛され、人から尊敬され、たくさんの友に囲まれることこそが人生の幸福であり、金や立場、名誉などはどれほどあっても意味がない、と語る人もいます。そうした話に耳を傾け、深く頷きながら、「そんな風に割り切れるのは、老人か宗教家だろうな」とシニカルに考える人がいます。「やりたいことをやるのが、一番だ」と言いきる人もいます。その「やりたいこと」がなんなのか、まるで解らずに、「やりたいことのない自分」を責めている人もいます。「やりたいこと」と言われて、ゲームをしたり遊びに行ったりすることを思い浮かべる人がいます。一方、「なんらかの活動をして社会的に名をなす」「儲かるビジネスをする」ことを「やりたいこと」と捉える人もいます。所属する組織の中で、どんどん地位を上げ、大きな権力を持とうとする人もいます。その権力をもって「世の中をよくしよう」と考えていたのに、いつか、権力を持って維持することだけが喜びとなっている人もいます。社会的に大きな力を持てば持つほど、それを失うことが怖くなり、自分の内側に閉じこもってしまう人がいます。自己実現とは、何なのでしょうか。社会的な成功や幸福とは、どんなものなのでしょうか。この問いへの答えは、たぶん、生きている人の数だけ存在するようにも思われます。私の知人に、生まれつきの重病と闘いながら生きた人がいます。その人は幼い頃「そう長くは生きられない」と言われながら、何度も危険な橋を渡りつつ、なんとか大人に成長しました。20代の頃、比較的病状が安定していたときに障害者採用で会社勤めをしましたが、数年で体調が悪化し、退職せざるを得ませんでした。病気のため、結婚したり子供を生んだりすることもありませんでした。退職した後、体調のよいときはボランティアをしたり、町内会の資料作成などの仕事を引き受けたりしました。老いた両親の体調が悪くなると、自分も辛い中で、なんとか面倒を見ました。たくさんの本を読み、映画を見、世の中のことを知ろうとしていました。病気のために足が悪くなっても、出かけるのが好きなお母さんを、色々な場所に連れ出しました。やがて病状が悪化し、50代の若さで亡くなりました。私たちは、自分の人生の全体を知ることはできません。いつも途中までしか解りません。もとい、死ぬ間際に「これが自分の人生だった」と総括することができる人もいるでしょう。ただ、私が知人の人生をこんなふうに短くまとめたようには、本人が捉えることは難しいのではないかという気がします。素晴らしい頭脳の持ち主だった知人が、「もし、病気がなかったら、どうだっただろう」と想像したくなることはありました。でも、病気のせいで知人の人生が「自己実現」を阻まれたのかというと、それはちょっと違うのでは無いかという気もするのです。もちろん、本人の思いと、他人の認識は全く異なります。知人自身は、自分の病を恨んでいたかもしれません。ただ、私から見れば、知人の人生は本当に力強く、ひたすら尊敬に値するものでしかありません。どんな有名人の人生、どんな成功者の人生とくらべても、知人の人生はなんらひけをとるものではありません。それどころか、私の目には、だれの人生よりもたちまさって感じられます。ドラッカーは「なにをもっておぼえられたいですか?」と問いかけました。たとえば自分が死んだ後で、自分のことを思いだしてくれた人が、「あの人はこんな人だった」と語るとして、それはどんな表現だったら満足か、というのです。「あの人は野球の名選手だった」「あの人は名監督だった」などと言われたい人もいるでしょう。「あの人は素晴らしい職人だった」「ユニークな芸術家だった」「多くの人の命を救った医師だった」などと言われる人もいるでしょう。「情熱的な営業マンだった」「誰よりも愛されたガイドだった」「最高の父親だった・母親だった」「かけがえのない親友だった・恋人だった」等と言われたい人もいるかもしれません。人の人生は一言でまとめられるようなものではありませんが、その人と関わった人には、なんらかの記憶と印象が残ります。私は知人の印象を、「誇り高く、強く、人間として限りなく尊敬できる人生を送った人だった」と記憶しています。第10ハウスがもし「評判」ならば、ドラッカーの問いは正鵠を射ています。「なにをもって記憶されたいか?」という問い、そしてそのあとには「そう記憶してもらえるような生き方をしているか?」と続きます。その答えこそが、第10ハウスの幸福の答え、なのだろうと思うのです。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年7月25日更新)
2021年06月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第10のテーマ、「自己実現」とはなにか。(前編)をお届けします。10.「自己実現」とはなにか。(前編)「私は今、子育て中なので、占いに『仕事』と書いてあっても、関係がありません。どのように読んだらよいでしょうか?」「今は仕事をしていないので、占いに『目標達成』『ミッションのスタート』『社会的立場やキャリア』などの表現が出てくると、自分のことではないと思ってしまいます」過去にこうしたご質問を、しばしば頂いてきました。「仕事」か、「家庭」か。現代ではかなり変化も出てきましたが、それでも尚、この命題が多くの女性の目の前に置かれる状況は、少なくとも日本の社会では、続いていると言わざるを得ません。星占いで用いる第10ハウスは、一般には「仕事」「キャリア」「職業」などを象徴するといわれます。実際、「私の適職は何ですか?」などのご質問があればまず、第10ハウスに注目する占い手が大半だと思われます。もちろん、それ「だけ」では回答できませんが、まず最初の一歩として第10ハウスの様子を見るのは王道です。雑誌の記事等で占いを執筆する上でも、第10ハウスに星が入れば「目標達成」「仕事が忙しくなる」「キャリアの転機」などと書くことになります。では、第10ハウスは本当に、「子育てや介護で、主に家庭の中のことを担っている人」には、「関係がない」のでしょうか。ホロスコープの円で、第1ハウス-第7ハウスカスプのライン、これは言わば「地平線」、あるいは「地面」です。ゆえに、第1ハウスから第6ハウスの半円は、「地面の下」です。一方、第7ハウスから第12ハウスは「地面の上」です。ホロスコープを読む上で、地面の下にあたるハウスは「内側の世界、プライベート、原点、個人」を象徴し、地面の上にあるハウスは「外界、他者、パブリック、世の中、集団」を象徴する、と大きく捉えることができます。もちろん、各ハウスの機能を細かく見ていけば、12ハウスのテーマには「隠遁」があったり、6ハウスは「義務、責任」だったりと、簡単に「プライベートか、おおやけのことか」というふうに割り切ることは難しいのですが、ハウスのイメージを掴む上では、「見えている空は外界で、見えない部分はインナースペース」と捉えると、だいぶ解りやすくなります。そう考えると、9、10、11ハウスあたりは、ホロスコープにおいて「もっとも広い場所」「最も遠い場所」です。一人の人間として生まれて、成長とともにどんどん行動範囲を拡大した結果、たどり着くのが9ハウスから11ハウスあたりというわけです。12ハウスになると、第1ハウス、つまり「スタートライン」が視野に入ります。私たちはぐるっと世界を巡って、最終的にはなんらかのかたちで、またもとの世界に戻ろうとするものなのかもしれません。人生において目指していく、一番遠い場所。人生でたどり着ける、一番高い場所。これが第10ハウスのイメージです。とするなら、たとえば幼い頃から「結婚して温かい家庭を作り、子供を育てる」ことを夢見ていた人は、第10ハウスは「自分が創り上げた家庭」であっておかしくありません。実は、古い時代のホロスコープ解釈では、第10ハウスのテーマとして「子供」が置かれていたこともあるのです。かつて、各種産業の家族経営や世襲が一般的だった時代には、家を継いでくれる確かな子供を持つことは、社会的使命に近いものでした。場合によっては、その人自身の社会的評判や地位に直結することだったのです。いまだに「家の跡継ぎを産み育てること」を子供に要請する人々は存在します。子供を育てることは、社会的なテーマだったのです。一方現代では「子供を持つことは、あくまでプライベートなこと」なのでしょうか。そう考えている人もたくさんいますが、本当は、そうではありません。もし本当に子育てが個人的生活だけに帰属するテーマであるなら、たとえば義務教育という考え方や子供のための各種施設、青少年を保護するための法律などは、存在しなくてもよいはずです。子供は未来の大人であり、社会の構成員です。どんなに親子が親しく深い愛情で結ばれていても、親と子供は別々の人間であり、子供には子供の社会的権利があります。子供もまた「他者」です。子供と関わるということは、個人としての情愛の問題だけに留まりません。それは、かつて以上に社会的な活動なのです。会社で同僚や上司や顧客と関わるのと同じように、社会的関わりという側面を多量に含んでいるはずです。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年6月25日更新)
2021年05月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第9のテーマ、遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(後編)をお届けします。9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)はこちら >>9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(後編)「自分は誰なのか」、すなわち「アイデンティティ」は、とても危険な概念でもあります。なぜなら、簡単に差別意識やナショナリズム、排外主義などに結びつくからです。特に、ごく狭い視野の中で、小さな世界だけの経験で生きている人は、「他者」「異邦人」が理解できず、ゆえに「怖ろしい」「危険」と感じ、ほとんど無意識に排除しようとします。人間は「わからない」ものは、幽霊から虫から、すべて「こわい」のです。でも、ごく広く旅をした人なら、「アイデンティティ」の捉え方も変わります。日本にいる間は「関西の人は苦手」「九州は怖い」などと感じている人も、遠く海外に旅に出て、現地で日本人に出会ったら、相手がどこ出身だろうと「仲間!」と感じられます。同じく、宇宙人の集団に囲まれたとき、地球の人間に出会えたなら、「仲間!」と思うはずです。広く旅をし、深く学んだ人は、「わからない」を「わかる」に変えていきます。更にそのプロセスで、「わからない」ものとのつきあいかたを身につけていきます。どんなに賢くても、どんなに多くを学んでも、全てを知り尽くすということはできないでしょう。ゆえに、この世界には常に「わからないもの」が残っているわけですが、そうした「わからないもの」も、いつか「わかるようになる」可能性があります。むやみに恐れたり排除したりするのではなく、「わからない」という状態を受け止め、「わかるかもしれない」道を探すのです。広い世界を旅し、深く学んだ人は、差別や排外主義的な観念に陥りにくくなります。「理解できる」と思える範囲が広く深くなるからです。「私は何者か」を、限りなく広い世界のなかで捉え直し続ける作業は、自分以外の人々を幸福にする力を授けてくれます。なぜなら、誰も排除されたり、差別されたりしたくないからです。人間は「自分だけが幸福ならそれでいい」とは、いかないのです。開きなおってそう思ってみても、心のどこかに罪悪感がうずきます。自分が誰かを、特に相手の行為とは関係なく「怖い、いやだ」と感じたとき、そう思われた相手は、多少なりとも傷つくのです。学ぶこと、旅することは、それ自体が本来、楽しい体験です。ですがさらにここで、第9ハウスのテーマとして、「なぜ学び、なぜ旅をするのか」という問題が出てくる気がします。この「なぜ」は、おそらく倫理や道徳といった、私たちが社会集団を作って暮らす上で欠かせない概念、「善」というものと結びついているのではないかとも思います。本稿のテーマである「幸福」について考えると、第9ハウス的「幸福」は、ただ自分一人の幸不幸に留まらないように思われます。「道徳的であろう」「善くあろう」とすることは、他者の存在が前提となっています。たいていは、「自分以外の誰かのために」、道徳的であろうとするのです。つまり、第9ハウスの「旅、学び、宗教、法律」というテーマには、「集団の中で生きるにあたり、いかに他者の幸福を大事にするか」という観念が組み込まれています。徳の高い人は、幸福なのです。そして、徳の高い人とは、他者に対して誠実に、真実に振る舞える人のことを意味します。「自分とは誰なのか」を探しに出かけたとき、究極には「自分は結局、善い人間であり、正しく生きようとしている人間だ」という答えにたどり着かなければならないはずです。もし「自分は弱く卑怯で、クズのような人間だ」という答えにたどり着いたとしたら、まだ旅が終わらないでしょう。そこから「では、どうすればいいのだ?」という問いが生まれてしまうからです。第9ハウス的な幸福とは、社会集団の中で生きる上で、より「善いもの」はなんなのかを探し当てる、ということに結びついている気がします。利他心、集団性、アイデンティティ。社会の中で何を「崇高なもの」とするか、そしてそこにどう到達するかということが、一つの大きなテーマとなっているのです。「古代の人類は、ある場所に住んで一定期間を過ぎると、その場所を捨てて別の場所に移動していくという生き方をしていたのだ」という記事を読んだことがあります。一つの場所に住み続けた後では、ゴミや排泄物などが蓄積されます。そのうち住環境が悪くなってくるので、その場所をあとにして移動していった、というのです。現代にも、似たようなことはあります。たとえば、ある土地や集団において、嫌な辛いことが起こると、私たちはその場所から遠く離れたところで「人生をやりなおす」ことができます。そこでは、自分自身というものを「生まれ変わらせる」ような体験をする人もいます。「長距離の移動」はこんなかたちでも、人間のアイデンティティと結びついています。第9ハウスは、ホロスコープの中でもっとも「広い世界」「遠い世界」を象徴しています。この世界がどんなに大きいか、ということは即ち、一人の人間がどんなにちっぽけか、を実感することに他なりません。その上で尚、何か高く善いものを求めて生きようとする人間の不思議な指向性が、第9ハウスという場所にぎゅっと詰まっている気がします。もし、科学技術が発達した遠い未来、「人間とは/私とは何か」が、完璧な形でわかってしまうような時代が来たら、人間はもはや、誰も旅をしなくなるかもしれません。星占いもまた「私とは何か」「人生とは何か」を問いかける道具となることがあります。ゆえに「自分とは何か」が判明するような時代が来たら、星占いも、消えてなくなるのかもしれません。>>次回もお楽しみに(2021年5月25日更新)
2021年04月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第9のテーマ、遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)をお届けします。■9.遠く仰ぎ見て「わたしとは何か」と問う。(前編)これを書いているのは2021年3月ですが、「旅行」を考えるのがまだまだ難しい状況です。でも、今回のテーマ、星占いでの「第9ハウス」は、「旅と学びと宗教の部屋」なのです。どうしても「旅」を語らないわけにはいきません。いわゆる「コロナ禍」で、私たちは「不要不急の外出を避ける」ことを求められています。「楽しみのための旅行」は、不要不急の最たるものです。少なくとも今の社会で「旅」は、人間が生きていく上で、絶対必要なものではない、とされています。ですが、長い人間の歴史を考えると、「旅=長距離の移動」は、また別の意味合いを持って見えてきます。というのも、私たち「ホモ・サピエンス」は、アフリカに起源を持ち、そこから世界中に広がったのです。祖先の長旅の結果として、私たちは今ある場所に住んでいる、と言えます。もとい、人間がどこで発生してどう拡がったか、という問題には諸説あるようですが、とにかく大陸や海を越える「移動」は起こっていたのです。私たちの祖先が「旅をした」理由は、これまた諸説あるようです。食べものを求めてなのか、気候変動のためなのか、集団同士の闘争・戦争のためなのか、疫病から逃れるためなのか、etc,.とにかく人間はごく古い時代から、山を越え海を渡り、長い長い距離を超えて、今のように世界中に住まうようになりました。もし宇宙人が地球にやってきて、人間を長期的に観察したなら、「旅は人間の習性だ」と考えるでしょう。「フンコロガシはフンをまるめる」のと同じように、「人間は旅をする」のです。なぜ、現代を生きる私たちもまた、旅をするのでしょうか。異文化に触れ、しばしば不自由な思いをし、時には身を危険にさらしても、「どこか知らない世界に行ってみたい」と考えるのは、なぜなのでしょうか。第9ハウスの向かい側は、第3ハウスです。第3ハウスも、「旅と学び」がテーマになっています。ただ、第3ハウスはコミュニケーションやショートトリップなど、比較的「近距離・身近」な世界間の移動を担います。それに対して第9ハウスの移動は、宇宙旅行まで管轄するような、ごく遠くまでの旅です。第3ハウスの記事()で、私は大阪大学の仲野先生へのインタビューのエピソードをご紹介しました。「なぜ学ぶのか」「なぜ旅をするのか」という疑問に、仲野先生は「知ることが楽しいから」と応えられたのですが、さらに私が執拗に聞いていったとき、こう仰いました。「自分が生きてる世界を知りたい、っていうことでしょうね。世の中ってどんなもんか知りたい。好奇心でしょうね。それは、自分というものがどういうものが知りたい、ということでもあると思います。納得して死んでいきたい。」私たちは「自分がなんなのか」を知るために、常に外界に答えを求めます。自分が「何と同じ」で、「何と違う」か。その情報を集めることで、次第に「自分」の像をつくっていきます。友だちと遊ぶとき、しきりに「○○ちゃんと同じ!」「○○ちゃんは違う」というふうに、自分と他人の一致/相違点を探していく幼児をよく見かけます。親と自分が似ていることを無意識に確認し、そこで見つけた特徴が、自分のアイデンティティに組み込まれます。一方、親と全く違う性質を見つけたら、それもまた、自分自身の個性としてアイデンティティの部品となります。ある集団の中で「自分だけ違う」ことを痛烈に恐れるのは、大人になってからも続く傾向ではないかと思います。一方で「自分探し」をするために、あえてハデな格好をしてみたり、際立った行動を取ってみたりする人もいます。帰属意識と、差異を見いだして独立しようとする気持ち。その両者が複雑に絡み合って、「自分はこういう存在だ」という思いが形成されます。「自分がなんなのか」を知るためには、私たちは常に外部にコンタクトを取らねばなりません。よその家に遊びに行って初めて「自分の家とは違う文化」に出会います。自分が住む地域を離れて少し離れた場所に出かけたとき、新しい方言に出会い、自分の話し言葉の特殊性に驚かされます。さらに遠く海外に出ると、自分が日本人であるということを発見します。人類が宇宙旅行を夢見、宇宙人を探しに出かけたいと考えているのは、自分がどんな宇宙人と同じで、どんな宇宙人と違うかを知りたいからではないかと思います。つまり、「人間とは何か」が知りたいのです。今は地球上の動物との比較でしかわかりませんが、「他の星」の知的生命体と人間を比べたら、「人間ってこうなのか!」と、その時初めてわかることがあるはずです。私たちには「自分が誰かを知りたい」という願いがあります。「自分が何者なのか」がよくわからないとき、私たちはそれを必死に探そうとするだろうと思います。たとえば、親を「知る権利」ということが、昨今問題になっています。自分の産みの親が知りたい、という切なる思いは、否定できるものではないように思われます。第9ハウスのテーマに「宗教」があります。古い時代、庶民が旅に出る理由として、ごく一般的なのが宗教的な「巡礼の旅」でした。これだけでも、宗教と旅が密接に結びつくのは納得できます。さらに、いくつかの宗教は「人間とは何か」「わたしとは何か」に、ある程度の答えを与えてくれます。世界の創造神話にはじまり、その神を信仰する者だということ自体が「アイデンティティ」になり得るのです。「クリスチャン」「ムスリム」などの呼称が、即「わたしは何者か」という問いへの、ひとつの答えになります。遠く高い知恵に触れて、地上の自分のなんたるかを知る、ということは、「宇宙人に出会って、人間とは何かを(より深く)知る」ということと、わずかに通じるものがあるような気もします。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年4月25日更新)
2021年03月25日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(後編)必要なものを、必要なだけ受けとる。リスクは最低限に抑える。いつも冷静に、自分の欲望に振り回されることなく、自分の損得をきちんと考えて行動する。こうした態度は確かに、大人として望ましい生き方です。ただ、ここには、ある視点が欠けています。それは、人間を生かしている「生命力」の視点です。幼い子が力の限り、長い時間泣き叫びます。じっとしていることができず、常に走り回っている子供がいます。若いときは何でも大笑いし、大興奮し、妄想を膨らませ、バカなことをたくさんしでかします。大人になってからも突如、自分の燃えるような衝動を抑えられない瞬間が訪れます。損をすると半ばわかっているのに自分の全てを賭けてしまう人がいます。ちょっとした好奇心から、違法なものに手を出してしまう人がいます。愛したものにのめり込み、没頭し、耽溺し、おぼれこんで生活が破綻する人もいます。明日早起きしなければならないとわかっているのに、深夜になってもゲームをやめられない、本を閉じられない、ドラマを見ずにいられない、といった経験に、心当たりはないでしょうか。カッとなって怒鳴り散らして後悔したり、勢いで告白してやっぱり後悔したり、職場で号泣して後悔したり、上司を殴りつけて後悔したり、といったことは、珍しいことではありますが、現実問題「よく見る光景」です。こんなふうに、私たちは自分で思う以上に、限りなく激しいエネルギーを生きています。若いときほどそれはむきだしに表れます。一方、大人になってうまく制御できるようになったと思えた瞬間、びっくりするような内なる荒波に飲み込まれてしまうことも、よくあるのです。人生の「出入り口」のリスクの問題は、私たちのこうした「生命力」に直結しています。なぜなら、外界との「出入り」が発生するのは、私たちが生きているためだからです。死んだら、呼吸も、食事も、すべての「出入り」が止まります。私たちは冷たくなり、もう、エネルギーの激しい燃焼と、それにともなう「出入り」は起こらないのです。もとい、人生にはもうひとつの「出口」があります。それは「出産・育児」です。自分の生命力は、自分という個体の中ではかならず終わりますが、新しい人間に燃え移って、継承されていきます。一人の人の人生から、もう一つ別の新しい人生が「放出される」のです。子供を生み育てることもまた、大きなリスクを引き受ける営為です。でも、私たちの内なる激しい生命力は、そのリスクを負って、命を次世代につなげていきます。こうして考えてみると、「幸福」とは、かなり複雑なものであることに気づかされます。というのも、多くの人が「しあわせになりたい」と願うとき、最初に念頭に置くのは、自分自身の幸福であるはずです。ですが、「自分の幸福とは何か」を考えていくと次第に、愛する人や子供の幸福が最大の条件となることは、珍しくありません。さらに、「幸福とは何か?」という問いの答えが「苦しみや悲しみが訪れないこと」となる場合もあります。これは、ここまで長々と述べてきた「ゲートの開閉」の問題です。喜びやゆたかさが私たちの生活に入ってくるとき、責任や義務、罪悪感などが一緒に流れ込んでしまうことも、よくあります。幸福は、自分一人だけの世界では、完結しないのです。私たちの人生は、常にいくつもの「出入り口・ゲート」によって、外界と繋がっています。ゆえに、私たち自身の幸福を考えるときはいつも、その出入り口から出入りするものに考えが及ぶのです。出入りするものは、完全にはコントロールできず、出入りの際には常にリスクが伴います。そのリスクが現実のものとなったとき、多くの人が自分を責めますし、他人が自分を責めてくることもあります。でも本当は、それを「責める」ことは、ナンセンスなのです。ゲートの開け閉めを失敗して、受け入れるべきではないものを受け入れてしまう経験を、ほとんど全ての人が持っているはずです。一方、ゲートの開け閉めの賭けに運良く勝っただけなのに、「自分は自力で成功したのだ」と信じ切っている人は、少なくありません。時限爆弾の青い線と赤い線のどちらを切るか、ノーヒントで決めなければならないような瞬間を、私たちは人生の中で、けっこうしばしば、経験しているのです。そこで爆弾をバクハツさせてしまったとして、その人の責任を問えるでしょうか。法的にはもちろん、そこがしばしば、問われます。裁判の場では、それこそが「争点」になります。でも、私たちが自分個人としての人生や幸福を考える場合は、どうでしょうか。あるいは、自分にとってごく大切な人の人生について考えるときは、どうでしょうか。かけがえのない大切な人が、赤か青か、間違ったほうを切ってしまったなら、私たちは基本的に、全力で相手をサポートしようと思うはずです。自分もまた、同じ目に遭わないとも限らないことが、わかるからです。幸福がもし、人間の心の中に生まれるものだとするなら、私たちが幸福になるにはまず、「ゲートの開け閉めの失敗について、自他を責めるのをやめる」ことが必要なのかもしれません。人生には、誰のせいでもないことが、たくさんあります。新型コロナウイルスに感染した人を責めるのがナンセンスであるのと同じように、そこで犯人捜しをするのは、無意味なのです。もちろん、たくさんの警告を受けながらも「自分だけは大丈夫」「このくらいは大丈夫だろう」といった無根拠な自信で行動し、感染してしまった人々に、医療従事者の方々などが苛立ちを感じるのは当然だと思います。ただ、失敗は誰にもあります。それをどのように反省し、他の人々への教訓とするかは、また別の問題と言えるでしょう。ひとつだけたしかなのは、「リスク管理」と、「失敗した人を直接的に非難する」こととは、別のことだという点です。世の中には、取り返しのつかない失敗というものも、存在します。人間は、そういう失敗を「する」のです。「絶対にやってはならない!」と声を上げるのも大切ですが、「そもそも、人間とは、そういうことをする生き物なのだ」というところから思考を始めるほうが、近道なのではないかと思うのです。いいことも悪いことも「誰のせいでもなく」起こります。そのことを引き受けてどう生きるか、ということが、第8ハウスの幸福のテーマなのではないかと、私は思っています。>>次回もお楽しみに(2021年3月25日更新)
2021年02月25日お笑いコンビ・雨上がり決死隊の宮迫博之が10日、自身の公式YouTubeチャンネル「宮迫ですッ!【宮迫博之】」で、島田紳助さんと電話でトークを繰り広げた。「【神回】島田紳助師匠が電話出演してくれました【ガチ】」と題して公開された動画で、宮迫が島田さんに電話をつないだ。そして「今、YouTubeの動画を回しているんですけど、お声の出演だけっていいですか」と聞くと、島田さんは「おう…別にええけど…(笑)」と快諾した。島田さんは最近の芸能界について、「(事務所を)辞められるようになったんやな。民主的になってきた。芸能界どんどん変わって、そうなっていったら、みんな辞めていくよな」と語ると、宮迫は「まあまあ僕が開いた記者会見あたりから、きっかけになってしまっているのかなっていうことに関しては、芸能界の方々に申し訳ないなとは思ってはいるんですけど」と話した。そして島田さんが「あとは義理を感じる会社やったか、感じひんかった会社かって、個人の感じの違いやもんね」と言うと、「僕は感じております。感じておりますので、何とかしたいなと今、もがいております」と宮迫。それに対して、島田さんは「でも吉本戻った方がええよ。戻ってから辞めんのやったら辞めたらええねん。なんか変な感じで辞めてるからよくないわ」とアドバイス。さらに島田さんは、自身については「辞めてからもいろいろ声かけていただくけど。ネット見てたら、『復帰を画策してる』みたいなの書いてあったけど、1ミリも戻ろうと思ったことないよな」と話していた。
2021年02月11日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」が11月から連載再開! 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。今回は、第8のテーマ、自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)をお届けします。■8.自分の人生は「自分だけのもの」なのか。(前編)人間のからだには様々な「門」「出入り口」があります。口や鼻の穴、目や耳、汗腺や尿道、肛門、膣など、私たちの身体にはたくさんの入り口や出口があって、外界と常になにかしら、やりとりしています。この「口」がふさがってしまうと、命が危険にさらされます。それに似て、生活・人生にも、様々な出入り口があります。たとえば「がま口」がそうです。お金が入ってくる口と、出て行く口です。性交によって「他者を受け入れる」ことも「ゲート」のテーマです。「入学」「入門」「入居」など、どこかに自分を丸ごと預けるような「入り口」もあります。一方、古来「脱出」「出奔」「脱獄」「家出」など、穏やかでない「出口」の使い方もあります。「コロナ禍」で私たちは、マスクで口を塞ぎ、ウイルスの出入りに常に気を配る状態になりました。出口や入り口は、出入りしてほしくないものが出入りしてしまう危険をはらんでいます。しっかり閉めておかなければ、望ましくないものが入ってきますし、中からどんどん大事なものが流出してしまう場合もあります。とはいえ、閉めっぱなしでは使えないのです。どんなにマスクをして気をつけていても、食事をするときには、マスクを外さなければなりません。マスク自体、呼気と吸気を通すように作られていなければ、私たちは窒息死してしまいます。星占いで用いる第8ハウスは、ホロスコープの「出入り口」のような場所です。その対岸の第2ハウスもまた、ゲートです。実際、古く第2ハウスは「ハデスの門」などと呼ばれました。金庫も財布もきちんと閉めておかなければなりませんが、開かなければ用をなしません。厳重に管理されなければならない「ゲート」のイメージは、古くから星占いの世界に刻み込まれていたようです。私たちの人生は、外界に向かって開かれなければなりません。でも、無防備に開かれっぱなしの状態では、容易に傷つけられ、大切なものを奪われてしまいます。人生の玄関、人生の裏口、人生のがま口。こうしたものを、危機感をもって管理する姿勢を、誰もが持っています。ただ、その危機感の「強弱」は、人によって振り幅が大きいものでもあります。警戒心の強い人もいれば、ユルユルの人もいるのです。また、経験によって、その管理運用の方針は大きく変わります。たとえば、子供の頃の経済的な環境は、大人になってからのその人の経済活動を大きく左右します。性的な問題で傷を負わされた人は、その後長く、「ゲートを閉ざした状態」になることは珍しくありません。外界に向かってデリケートな部分を「ひらいた」とき、私たちは傷を負うリスクを引き受けることになります。そして、実際に、傷を負ってしまうことがあるのです。これは、若いうちだけでなく、いくつになっても起こりえます。ゲートから何が入ってきて、何が出て行くのか。私たちは、ゲートの開け閉めだけはある程度自分でできますが、「門をたたいてくる相手」を、管理することはできません。どんな人に愛を告白されるのか、いつどんな人がオレオレ詐欺の電話をかけてくるのか、自分を口説いている相手は本気なのか遊びなのか、そうしたことを「コントロール」することはできないのです。「何が来るか」ということ自体は、制御不能なのです。私たちにできることはただ、「ゲートを開くかどうか」の判断だけです。オレオレ詐欺の被害に遭った人や、性犯罪の被害者などに「警戒が足りなかった」「やられるほうが悪い」という言葉を投げかける人がいます。「自分さえしっかりしていれば大丈夫」「他の人が引っかかっても、自分は冷静で賢いから、決して引っかからない」と考える人は、驚くほどたくさんいます。でも現実には、そうではありません。人生の「ゲート」を自ら開くとき、私たちは一様にリスクを負うのです。そして、人生の「ゲート」を開かないときも、私たちは人生のチャンスを逃し、ひとりぼっちで苦しみながら生きることになるリスクを負うのです。リスクは、どちらにも存在します。「ノーリスク」で生きることはできないのです。第8ハウスから「幸福」を考えたとき、まず「リスク」というテーマが浮かびます。自分の人生に何を容れ、何を拒絶するか、という判断がそこにあるからです。たとえば、親族からの莫大な遺産を、あえて「受けとらない」という判断をする人がいます。全額を寄付したり、誰かに譲ったりする人は、少なくありません。「受けとることによる、なんらかのリスク」を回避するための判断だったのでしょう。厳しい親の言うことを聞いて、恋愛を一切拒否して育ち、大人になった人がいます。既に十分いい大人になってしまってから、この人は親に「早く結婚しなさい」と言われ、激しい戸惑いと怒りを感じたそうです。一切のリスクを回避するために、「ゲート」を完全に閉ざして生きてきたため、それをどのように開けばいいのか、わからなくなってしまった、ということなのだと思います。ゲートの開き方は、経験によって学び取られなければならないのです。一方、育った環境からの影響で、自尊心が非常に低く、「何でも受け入れてしまう」という人もいます。人からの「求め」や人からの褒め言葉を、渇いた人が塩水を飲むように、ずっとごくごく飲み続けてしまうのです。渇きはおさまらず、心には痛みが蓄積していきます。ゲートが開きっぱなしで、「受け入れることのリスク」が一切回避されないまま、傷つき続けてしまう人は、決して少なくありません。……後編へ続きます。>>次回もお楽しみに(2021年2月25日更新)
2021年01月25日歌手で俳優の上地雄輔が5日、自身のYouTube公式チャンネル「上地雄輔の遊Tube」で島田紳助さんの引退直前のエピソードを初めて明かした。ゆかりのある人物の名前が書かれた札を箱の中から引き、エピソードを披露する企画。前回は松坂大輔投手についての秘話が語られていた。冒頭「島田紳助」と書かれた札を引き当てると「うわー!」と驚きながらも笑顔を見せ、「“お父ちゃん”ですね」と、いつものように島田さんを呼ぶ。出会いはフジテレビ系『クイズ! ヘキサゴン』。「おバカブームを作って頂き、『羞恥心』っていうグループで紅白に出させて頂いたりとか」ときっかけを挙げ、家に遊びに行ったり食事に連れて行ってもらったりと交流を深めていったことを思い浮かべる。そして、その人柄を「やっぱりあの人天才だから、未だに尊敬してるし大好きだし、何がすごいって、『説得させる力』があるんだよね」と評し、クイズで珍回答を出したときも笑いに変えて納得させる力があったと振り返った。島田さんは2011年8月に引退会見を開いたが、上地はその直前に島田さん宅を訪れ、慰留していた。「(引退を)止めたよ」「(これまで)しゃべってない」と切り出し、会見前の胸中を「嫌な予感がしたんだよ」と告白する上地。メールで「何かあったの?」と聞くと「大丈夫や、雄輔の気にすることやない」と返ってきたが、いつもと様子が違うことを察し、その後も返信がなかったことから島田さんの家に駆けつけた。「めちゃくちゃ嫌だったもん。自分が一緒に仕事したい、っていうのももちろんあるし、同じ仕事してるからこそ話せる内容とかテンションってあるじゃない。未だに大好きで会ったりするけど、少なからず、同じ世界にいてほしいっていうのがあったから、めちゃくちゃ悲しかったし……」と吐露しながら、「宝じゃん」と存在の大きさを噛み締める。上地にとっての島田さんは「礎ですね」。今回の動画では、「バラエティの俺を作ってくれた人」である恩人への思いが、最後まであふれていた。1日には上地のTwitterで2ショットを公開。「【SPゲスト】超大物ゲストがカメラマン!! 最強の一般の方が登場!!【上地雄輔】」という動画では正体が明かされていないものの、島田さんらしき人物がカメラマンを担当し、上地と息の合ったトークを繰り広げている。
2021年01月06日大人気のライター・石井ゆかりさんによる連載コラム「石井ゆかりの幸福論」。 占いを通して、数々の人生や幸せのあり方を見つめてきた石井さん自身の言葉で紡がれる「幸福論」をお楽しみください。前回に引き続き、第7のテーマ「パートナーシップ」と幸福。(後編)をお届けします。▼ 7.「パートナーシップ」と幸福。(前編)はこちら■7.「パートナーシップ」と幸福。(後編)「私は結婚に向いていない」「結婚に興味がない」と言いつつ占いを求める人の言う「結婚」は、「世間的に言う結婚」のことだろうと思います。「世の中一般にイメージされるような『結婚』」「保険やハウスメーカーのCMに出てくるような、ステレオタイプの『結婚』とその役割概念」に、「興味がない」のでしょう。「自分に何らかの形で『合う』と思える誰かと、人生の一部を共有して、助け合って生きていく」ということなら、もしかしたら、「興味がある」と感じられるかもしれません。心の片隅にそうした関心、あるいは仮説があるからこそ、こうしたご質問を寄せられたのではないかと思うのです。もちろん、全ての方がそうだというわけではないと思います。ご相談にはそれぞれ、共通する部分がある一方で、まったく誰のものとも重ならない、とても深いものが含まれているからです。たとえば「同性愛でなくとも同性同士で結婚できる世の中になるべきだ」という考え方があります。これは、結婚制度というものを考える上で、とても大事な発想だと思います。パートナーシップとは、ただ、人が人と、協力し合って生きていくことです。そのことに、部外者が何の意見をはさめるものでしょうか。パートナーシップは、「創造」されねばならないのです。どこかにあるテンプレートに、無自覚に自分をはめ込むような「結婚」は、危険なのです。サイズも見ず、試着もせずに、かたい革靴を買うようなものです。パートナーを得ても、ちっとも幸福になれない人もいます。いわゆる「モラハラ」や「DV」「ワンオペ育児」など、パートナーによって不幸になる人も、たくさんいます。その一方で、パートナーと生きていることがなにより幸福だと感じる人もいます。この違いは、どこにあるのでしょうか。パートナーシップを結ぶことで幸福になるには、おそらく、いくつかの条件が必要なのだろうと思います。そして、その条件もまた、全ての人に当てはまるというものではないでしょう。「誰にでもぴったり合う靴」が存在しないのと同じです。ただ、こんなことを私は想定します。パートナーシップによって幸福になる条件のひとつ、それは、お互いの関係の中で、「缶詰が開く」体験があることです。人の心の中には、固く閉じている場所がたくさんあります。でも、閉じた場所の中に格納されたものは、そのままでは成長しないのです。ナカミが腐敗して膨張し、どうにもならなくなることもあります。そして、その「閉ざされた場所」「缶詰」を、一人で開けることは、なかなか難しいのです。ある人と出会い、生きる時間を共有する中で、その「缶詰」のようなものが開きます。中にはそもそも「隠しておきたかったもの」「触れたくなかったもの」が入っているので、ちょっと困った事態になる場合も、よくあります。自分一人では状況を収拾できず、出会えたその人に手をかしてもらうことになります。そのとき、幸福に向かうためのパートナーシップが結ばれます。白雪姫のガラスの棺が壊れる瞬間、鉢かづき姫のかぶった鉢が壊れる瞬間、シンデレラの片方の靴が脱げてしまう瞬間などは、まさに、「缶詰が開く」瞬間です。これらは初潮や破瓜のメタファーだと解釈されることも多いようです。でも、それ以外にも「バランスが崩れる」「缶詰がふくれてはじける」瞬間は、人生の中でたくさんあります。私たちが成長を重ね、他者と巡り会ったとき、なんらかのきっかけで、心の中で閉ざされていた部分が開かれます。それは一見、トラブルのように見えることもしばしばです。ですがその瞬間にこそ、奇跡のような「関わり」が生じ、新しい人格と関係性が生まれ出すのです。こうした体験は、人生の中でたった一度のことではなく、何度も繰り返されていくことなのではないでしょうか。「美女と野獣」で野獣の顔から王子の顔に変わる瞬間や、おやゆび姫が死にそうなツバメを介抱するくだりなどは、「一人では収拾できなくなった状況を、助けてもらう」体験に重なります。内なる弱さや醜さが現れ出ても、それに向き合ってくれる「誰か」が現れたとき、私たちは相手を初めて、「もう一つの自分の生命」として認識し始めるものなのかもしれません。そんなことは怖くてできない、と思われるでしょうか。でも、時々「心の機が熟す」と、そんなことが自然に起こる場合も、少なくないようです。>>次回もお楽しみに(2021年1月25日更新)
2020年12月25日初詣での混雑を避けるため、年内に参拝する「師走詣で」。2020年の干支は子(ねずみ)のため、ねずみにゆかりのある神社をお参りするのも運気アップに効果的だという。京都を中心に年間100件以上の神社ツアーでガイドを務める神社探究家の浜田浩太郎さんに、注目の「子神社」を解説してもらった。■ねずみは縁起のいい生き物?古来より干支のねずみは、五穀豊穣や商売繁盛の神で、多産であることから子孫繁栄を願う縁起のいい生き物です。火事や天変地異が起こる前に、安全なところへ移動する習性から、中国では「未来を知る神獣」としても崇められています。お伽噺「おむすびころりん」にもねずみが登場しますが、働き者のやさしいおじいさんとおばあさんには財宝を与えたことから、お金をもたらす財力の象徴とも言われています。■そもそも、ねずみにゆかりのある神社とは?ねずみにゆかりのある神社は、実は全国的には少ないんですよ。ねずみと関連する神様は、因幡の白兎で有名な大国主命(オオクニヌシノミコト)です。大国主命は須佐之男命(スサノオノミコト)の娘を娶るために、3つの試練を与えられますが、2つの試練をクリアして、「野に放たれた鏑矢をとってくる」という最後の試練に挑んだ時、ねずみが現れ、洞穴に逃げるよう伝えてくれます。さらに、ねずみは鏑矢も探してきてくれたのです。そうした縁から、大国主命の像にねずみがよくみられるようになりました。大国主命をお祭りしている神社として、以下の6カ所をピックアップします。【日光二荒山神社】栃木県日光市二荒山(男体山)を御神体とし、古来より修験道の霊場として崇敬されてきた由緒ある神社。東照宮、輪王寺とともに、境内は「日光の社寺」として世界遺産に登録されている。二荒山神社の主祭神・大己貴命(オオナムチノミコト)は大国主命の別名。子年の今年は境内に黄金に輝く“開運のねずみ像”が設置されている。【駒繁神社】東京都世田谷区1056年に前九年の役に出征する源頼義・義家父子が、この神社で祭られている「子の神=大国主命」に武運を祈ったとされている。奥州合戦に出征する源頼朝が、先祖の戦勝祈願を思い出し、愛馬(駒)を松に繋いで参拝したところから、駒繁神社と呼ばれるようになった。【気多大社】石川県羽昨市能登半島の付け根、日本海に面して鎮座する北陸の大社。祭神は大己貴命(=大国主命)で、出雲から船で能登に入り、国土を開拓して、守護神としてこの地に鎮まったと伝わる。中世・近世の間は歴代領主から手厚い保護を受けた。国の天然記念物の社叢(鎮守の森)「入らずの森」でも知られている。【大豊神社】京都市左京区平安時代初期に宇多天皇の病気平癒を祈って、藤原淑子が創建したと伝えられている。祭神として祭られている大国主命を守護するように、希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。1体は学問を象徴する巻物を持ち、もう1体は長寿を象徴する水玉を抱えている。【出雲大社】島根県出雲市日本神話などで創建の伝承が語られるほど由緒のある大社。祭神は大国主命。神有月(神無月=10月)には全国から八百万の神が集まり、神議が行われるとされる。縁結びの神・福の神としても名高く人気で、全国から参拝者が訪れる。ここでは多くの神社での作法・二拝二拍手一拝ではなく、二拝四拍手一拝で拝礼する。【大国主神社】大阪市浪速区敷津松之宮とも言われ、地元では「木津の大国さん」とも呼ばれ親しまれている。付近の町名(浪速区大国町)や駅名(大黒町駅)の由来にもなっている。主祭神は素戔嗚尊(スサノオノミコト)と大国主命。打ち出の小槌と米俵を持った希少な“狛ねずみ”が2体鎮座している。“3密”を避けるためにも、縁起のいい生き物であるねずみの開運パワーにあやかるためにも、「師走詣で」に出かけてみては?
2020年12月21日お笑いコンビ・ココリコの遠藤章造が11日、自身の公式YouTubeチャンネル「ココリコ遠藤のヘンなカタチ」に公開した動画で、2011年に芸能界を引退した島田紳助さんと連絡を取り合ったことを明かした。「【ご報告】遠藤の動画を見て島田紳助さんから連絡がきました【上地雄輔コラボ】」と題して公開した動画で、遠藤はゲストとして招いた上地雄輔と対談。遠藤は10月16日に公開したYouTube動画の中で、紳助さんの著書『島田紳助100の言葉』(ヨシモトブックス)を愛読していると明かしており、「東野(幸治)さんから急にLINEが来て、『紳助さんが遠藤のYouTubeを見て喜んでたで。連絡してみたら?』ってきて。紳助さんの連絡先知らないから教えていただいて。ドキドキしながら紳助さんに連絡させていただいたんですよ」と振り返った。そして「紳助さんからすぐ返信いただいて。『元気でやってるか。頑張れよ。時間がもし合えば、飯でも行こうか』って。めっちゃありがたいやん」と感謝した。遠藤が「雄輔はいまだに紳助さんと会う?」と聞くと、上地は「はい。会いますよ。ほんとにたまにですけど、連絡もしてるし。いまだに面白い。すごい楽しい」と明かした。そして遠藤は「YouTubeやっててよかったなと。10年ぶりぐらいに紳助さんとコンタクト取れたことがYouTubeってすごいなって。本当にやってて良かった」としみじみと述べ、「来年は紳助さんと、もちろん公の場じゃなくて、プライベートで1回、雄輔交えてお食事したい」と願望を口にした。
2020年12月14日東京の新しい結界を形作るといわれる5つの神社。反時計回りにお参りすることで、悪運を除けて良縁を結ぶという、島田秀平さん流「逆さ詣で」のやり方とは?都内のパワースポットを結ぶことで円=縁が強まる!?「原宿の母」に才能を見出され「代々木の甥」の名を与えられた手相芸人の島田さんは、東京の神社の新しい巡り方を提唱している。「陰陽五行説に基づいて選ばれた『新東京五社』といわれる、東京大神宮・神田明神・水天宮・金刀比羅宮・日枝神社。この5社を地図上で繋ぐとできる円が、皇居、そして東京の新たな結界を形作っているといわれています。どこも近年パワースポットとして人気の場所ですが、よりパワーを強めるためにおすすめしたいのが、島田流・新東京五社逆さ詣で。時間に逆行するように反時計回りにお参りすることで“永遠・若返り”などの効果が。縁結びの神社である東京大神宮を拠点にスタートするのがいいでしょう。人が集う寺社にはパワーが集まり、その場所に行き人の流れを作ることで結界の力を強化するので、コロナ禍の日本を守るのに繋がることも期待できます」逆さ詣でを強化するポイントは?「午前中に寄り道せず一気に回ること。公共交通機関を使ってOK。天赦日、一粒万倍日などの吉日を選ぶのも。来年の初詣なら、そのふたつが重なる1月16日にさらなるご利益が」島田流・新東京五社逆さ詣で「スタート&ゴール地点のおすすめは、恋愛のパワースポットとして有名な東京大神宮。恋愛以外の縁結びにも強力なご利益が。ここの恋みくじは出会う相手の干支や星座まで細かく書いてあるので、恋に迷ったときの強い味方。日枝神社は江戸城の裏鬼門を守るため、江戸時代に現在の場所に移転。恋愛で相手との仲を深めたいときや、家庭円満などのご利益に霊験あらたかな神様です。金刀比羅宮は香川県にある金刀比羅宮の分社ですが、高層ビルと一体化している都会的な神社。夜はゴールドにライトアップされるなど“金”の気を強く感じるパワースポットです。水天宮は安産&子宝の神様。ここの子宝いぬを撫でると安産や子授け、成長のご利益が。人気アニメの聖地でもある神田明神は、商売繁盛や仕事運向上を願う参拝者が多く、大企業の重役などの初詣スポットとして賑わいます」木:東京大神宮東京都千代田区富士見2‐4‐1土:日枝神社東京都千代田区永田町2‐10‐5金:金刀比羅宮東京都港区虎ノ門1‐2‐7水:水天宮東京都中央区日本橋蛎殻町2‐4‐1火:神田明神東京都千代田区外神田2‐16‐2しまだ・しゅうへい2002年に「原宿の母」に弟子入りし、芸人の傍ら手相を学ぶ。現在は手相芸人としても活躍。新東京五社に触れた近著に『島田秀平のニッポン開運ライン』(神宮館)。※『anan』2020年12月16日号より。取材、文・さかいもゆる(by anan編集部)
2020年12月13日