2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付き、婦人科を受診したとりだまりさん。専門施設での細胞診でがんの可能性が高いことがわかり、がんの専門病院で再度検査を受けることになり……。検査の結果が出るのは数週間からひと月後大きながん専門病院に行くにあたり、今まで見過ごしてきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきたとりだまりさん。「ちょっと変だな」という自覚があっても、お金がない時期が長かったことで、なかなか病院に行く決心がつかなかったことを後悔しました。組織の一部を取って検査をすることになったのですが、強い痛みを感じて……。がんの専門病院で、細胞の組織をもう少し採取して検査する「組織診」を受けることになりました。細胞診検査の結果「がんかもしれない」となったら、子宮頸がんの場合は、続いて以下のような、より専門的な検査をするようです。・コルポスコピー観察(専用の拡大鏡で医師が観察)・組織診(がんが疑われる部分の一部を、鉗子で切除し、病理検査へ回す)・血液検査(腫瘍マーカーチェック)・内診・超音波検査・MRI(画像診断)・CT(画像診断)・PET-CT(画像診断)など。組織診では、鉗子で細胞をちょこっと削るため、人によっては痛みがあります。私はそこそこ痛かったのですが、平気な方も多いようです。どうしても怖い場合は、お願いすると麻酔をかけてくれることもあるようですが、「痛い!」と言っている間にすぐ終わるので、麻酔をかけるほどでもないのですよね……。このあたりは悩ましいところです。そして、組織診や画像検査の結果が出るのは、数週間からひと月後。患者はその間、もんもんとして結果を待つわけです。長いんですよね~、この、待っている間っていうのが……。ちなみに「腫瘍マーカー」とは、がんなどの異常があると体内で増える特有の物質のこと。私の場合は、子宮頸がんで使われる腫瘍マーカーの1つ「CEA」の値が、基準値上限の3倍ほどでした。思わず「うわぁ……」と声が出ました。ー------------------------組織診のときに受けた血液検査で、腫瘍マーカーの1つの値が高かったとりだまりさん。しかし、組織診や画像検査の結果が出るのを待つしかなく、その間はとても長く感じたそう。検査を受けたらすぐに結果がわかるわけではないのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月26日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに食付き、婦人科を受診したとりだまりさん。がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになり……。何年も不正出血が続いていたのに…詳しい検査を受けるために、候補となった病院は3万円からの個室しかないセレブな病院とがん専門病院の2つ。セレブ病院は経済的に無理だったため、がん専門病院を選びました。がん専門病院では、患者さんが皆がんを患っているため、しんどいのは自分だけじゃないと思えてよかったそうです。大きな病院に行くにあたり、今まで見過ごしたきたちょっとした不調がフラッシュバックしてきて……。大きな病院で検査を受けるにあたり、夫と「これを機にちゃんと診てもらおう」と話しました。とはいえ、痛くも何ともないので、「本当にがん?」とも思うのですが、くじ運は悪いほうな私は、裏を引きそうな気もして……。そうなると、「ここ何年も不正出血が続いていたな」「結構な頻尿だったな」など、これまでは何とも思っていなかった体の不調も気になってきました。当時は「疲れてるせいかなぁ」と漠然と思い込んでいたというか、変なことになっているんじゃないかとは、考えたくなかったのだと思います。さらに、「ちょっと変だな」という自覚はあっても、お金がない時期が長かったので、なかなか病院に行く決心がつかなかったというのもあります。後にして思うと、「お金がなくても、結構何とかなったのにな」と激しく後悔に襲われました。日本には、医療費が高額になった場合に一部を払い戻してくれる「高額療養費制度」というすごい制度がありますし、入院前に「限度額適用認定証」の申請を役所にしておくと、病院で自己負担限度額以上の支払いをしなくて済む仕組みもあります。いずれの場合も、自己負担限度額は収入に応じて変わってくるので、自分が加入している保険(国民健康保険なら役所、社会保険なら会社等)の担当者に相談すると良いそうです。ー------------------------ご自身の経験を踏まえ、「ちょっとでも変かな?と思ったら、ぜひ病院に行っときましょう!」ととりだまりさん。気になる症状があるときは、自己判断をせず、早めに受診できると良いですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。【天神先生からのアドバイス】頻尿だったのは、おそらく大きくなった子宮が膀胱を圧迫していたのだと考えます。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月25日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみが大きくなっていることに気付いて、近所の婦人科を受診したとりだまりさん。すると「がんかも……」と医師に言われ……。がん専門病院を選んでみた結果専門の施設へ行き、がんの細胞診を受けたとりだまりさん。検査の結果、Class(クラス)Ⅲb、がんの可能性が高いことがわかりました。クラスとは腫瘍が悪性(がん)かどうかを判断するものだそうです。この後、より詳しい検査をするために、大きな病院に行くように言われて……。がんの細胞診の結果、がんの可能性が高いことがわかり、さらに詳しい検査を受けるために、大きな病院を紹介してもらうことになりました。候補に上がった2つの病院のうち1つは、3万円からの個室しかないセレブな病院だったため、「経済的に無理!」となり、もう1つの病院にしました。その病院はがん専門なので、患者さんも皆さんがんを患っています。不思議なことに、しんどいのは自分だけじゃないと思うと、何となく怖さが薄れてメンタル的にとてもラクになったので、結果的によかったと思いました。そして、病院選びで気を付けないと、と思ったことが1つ。総合病院の場合、婦人系のがんの患者さんと、出産を控えた方が、近くに配される可能性があること。「隣の病室からは、赤ちゃんの元気な泣き声や親族の『おめでとう!』の声が聞こえてくるのに、がんの手術で子どもを産めなくなってしまった自分って……」これは、子どもがいない女性にとっては、なかなかしんどいと思います。とはいえ、総合病院には良い点もたくさんあります。すでに子どもがいる方なら、上記のようなことがあってもさほど気にならないかもしれませんし、がんの他に持病を抱えている方なら、がんも持病もトータルで診てもらえるというメリットもあるでしょう。できるだけストレスなく過ごせるところを選べると良いですよね。ー------------------------がん専門病院を選んだことで、とりだまりさんは自分が「普通ゾーン」にいると思えて、安心したそう。自分ができるだけストレスを感じずにいられる病院選びが大切なのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月24日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。おなかの膨らみは子宮筋腫の影響だろうと思い、婦人科を受診したとりだまりさん。しかし、「今すぐMRIを撮ってきて。がんかも……」と医師に言われて……。医師から検査結果を告げられて…おなかの膨らみが気付けば大きくなっていて、そろそろ婦人科で診てもらったほうが良いと思い、受診したとりだまりさん。医師からすぐにMRI検査を撮るように言われ、専門施設へ。検査結果について、医師から「出ちゃった」と告げられて……。細胞診の検査結果を見せられました。でも、「Class(クラス)Ⅲb」ってどういうこと!?早速詳しく検査をするために、専門施設へ行きました。私はずっとフリーランスで、社会人になってから健康診断すら受けたことがなく……恥ずかしながら、39歳にして生まれて初めてがんの細胞診を受けたのです。後日細胞診の検査結果を見せられたのですが、見方がわからず、早速「クラス」と「ステージ」が頭の中でごっちゃになりました。Class(クラス)Ⅲbってどういうこと!?もう結構がんが進んでいるってこと??だって、ドラマなんかでは「ステージ4」とか言ってるし。だから、がんと言えば「ステージ」でしょうが! と勝手に思い込んでいたのです。実際は、・「クラス」=腫瘍が悪性(がん)かどうかを判断・「ステージ」=がんが体内でどれくらい広がっているかを判断ということだそう。細胞診の検査結果によると、私はがん(悪性腫瘍)の可能性が高いとのこと。この後、別の検査でステージを診断します。普段は「無表情」「表情筋が死んでいる」と言われがちな私ですが、さすがにこのときは表情筋も引きつりました。ー------------------------先生は「クラス」と「ステージ」の違いを懸命に説明してくれましたが、動揺していたとりだまりさんの耳には、ほとんど入ってこなかったそうです。ステージの診断はどうなるのでしょうか。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月23日2015年に子宮頸がんが判明した、とりだまり まどさんの闘病体験を描いたマンガ。ある日、ジーンズのボタンが留まらず、おなかが出ていることに気付いたとりだまりさん。子宮筋腫があったため、そのせいかと思っていたのですが……。何かがボコッと飛び出しているジーンズをはこうとしたらボタンが留まらなかったとりだまりさん。そのとき、おなかがボコッと出ていることに気付いたものの、子宮筋腫のせいだと思い、特に気にすることもなく過ごしていました。その後、おなかのボコッが大きくなっていることが気になり、受診してみたところ……。今や日本では、2人に1人にががんになる時代とか。私も39歳のときにがんが見つかりました(2015年の出来事です)。自分の異常に気付いたきっかけは、ジーンズのボタンが留まらなかったこと。下腹部に何かがボコッと飛び出している感じで、子宮筋腫がある私はそのせいだと思っていたのです。以前受診したときに、医師から「子宮筋腫そのものは悪さをしないから」と聞き、自分に都合の良いように取って、定期的に検診をすることもなく過ごしていた私。時々不正出血があるなど、ちょこちょこ不調がありましたが、勝手に「子宮筋腫のせいだな」と自己判断しておりました。でも、そろそろ婦人科で診てもらったほうが良いな、と思い受診すると……。「あの……今すぐMRIを撮ってきて」「がんかも」はいっ!?まさに青天の霹靂(へきれき)でした。ー------------------------筋腫を診てくれた先生からは「でも、それが原因で他の病気になることがあるから放置せず経過観察しよう」と言われていたのですが、とりだまりさんは、定期的に病院に通うのが面倒で、不調があってもスルーしてしまったそう。異常に気付いたらすぐに受診したほうが良いのですね。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。監修/天神尚子先生(三鷹レディースクリニック院長)日本医科大学産婦人科入局後、派遣病院を経て、米国ローレンスリバモア国立研究所留学。その後、日本医科大学付属病院講師となり、平成7年5月から三楽病院勤務。日本医科大学付属病院客員講師、三楽病院産婦人科科長を務めた後、退職。2004年2月2日より、三鷹レディースクリニックを開業。著者/とりだまり まどフリーライター。39歳で子宮頸がん(ⅠB2期)が見つかり、子宮・卵巣摘出、薬物療法(抗がん剤・シスプラチン)と放射線治療を経験。治療体験を描いたブログ『今日のもイキイキと弱音を吐きます』をゆるゆると更新中。
2023年12月22日孫悟空を中心に、三蔵法師一行が天竺を目指す物語『西遊記』。1978年には堺正章主演でドラマ化され、一大ブームを巻き起こした。そしてこの度、『西遊記』が新たに令和版として堤幸彦の演出で舞台化されることが決定し、主役の孫悟空を片岡愛之助が演じる。そこで堤と愛之助に、本作にかける想いを訊いた。実は今回の舞台化、堤の念願の企画だったと言う。「数年前からぶつぶつ独り言のように、『西遊記』をやりたいと言い続けていたんです(笑)。それがこのようなかたちで舞台化するチャンスをいただき、大変ありがたいと思っています。さまざまなキャラクターが登場する『西遊記』は、単にその面白さだけでなく、人のおかしみ、さらには人間の産物である妖怪たちの面白み、悲しみ、切なさも描かれた作品。自分にとって非常にやりがいのある舞台になると思います」ドラマ版のファンだったという愛之助は、今回のオファーに…。「本当にビックリしました!子供のころに見ていた『西遊記』を、しかも映像でなく舞台でやるなんて。ただ演出が堤さんだと聞いた瞬間、これは出来るに決まっている、と(笑)。あの世界観を崩さず、それ以上のものを作れるのは堤さんしかいないと思います。今はその期待しかないですし、そこに孫悟空として参加させていただけることに、非常に幸せを感じております」同じく堤が大きな期待を寄せているのが、愛之助演じる孫悟空に対してだ。「歌舞伎というのは、江戸時代から多くの人を喜ばせるエンターテインメントの究極ですからね。そこに僕らはまだまだ及ばないわけで、やはり愛之助さんの力を借りたいなと。つまりLEDなど最新鋭のテクノロジーを使いつつ、役者さんたちの肉体を駆使した集団芸もふんだんに盛り込む。それは今まで僕がやってこなかったジャンルでもあると思いますし、ぜひ愛之助さんには頑張っていただきたいと思います」堤の熱いまなざしに苦笑いを浮かべつつも、やはり孫悟空というキャラクターは、役者にとって魅力あふれる役どころのよう。「切り込み隊長ですから、お師匠様に緊箍児(きんこじ)で締めつけられつつも、大暴れしたいなと思っております(笑)。孫悟空という役どころ自体、非常に傾(かぶ)いていると思うんです。そして最先端で面白い、いわゆるけったいなことをしている堤さんは、まさに傾(かぶ)き者。ゆえに想像を超えた舞台になると思いますので、ぜひご期待いただきたいと思います」取材・文:野上瑠美子
2023年08月24日■忍び寄るガンに気づかず過ごしていた日々漫画家のやよいかめさんの夫はいわゆる転勤族。愛知で4年過ごした後、2歳と0歳の子どもを抱えて岩手に引越し、7年経ってようやく落ち着いてきたころに、また福島への転勤になってしまったのです。最初に自覚症状があったのは冬だったこともあり、風邪と勘違いして病院へ行くのが遅れてしまったそう。このとき、すぐに受診しておけば良かったと今でも後悔していて、少しでも異常を感じたら早めに受診してほした方がいいと、作者のやよいかめさんは言います。■ただのポリープだと思っていたらガンだった引越しがひと段落して、耳鼻科に行ったのが春。2回目の受診で、鼻の中にポリープがあると言われ、大きな病院へ行くことをすすめられます。その検査ですら説明は恐怖だったそうです。しかし、本当の恐怖はここからでした。1週間後に検査の結果を聞きに行くとまさかの言葉が…「ポリープだと思っていたのに、まさかガンだったなんて…」いきなりの告知に時が止まった気がしたやよいかめさん。このあとすぐに夫に報告をし、子どもたちにどう伝えるかなどの話し合いや、治療の体験談などが始まります。やよいかめさんはどんなふうにガンを乗り越えたのでしょうか。こちらは投稿されたエピソードを元に2020年10月22日よりウーマンエキサイトで公開された漫画です。漫画に集まった読者からのコメントをご紹介します。■「子どもが小さいときに病気になった」 みんなの体験談は?コメントで一番多かったのが、自分もガンになったという告白でした。小さな子どもを抱えながらがんばるママたちの体験談をご紹介します。・子どもが小学入学したばかりと小学4年生の時に私に乳ガンが見つかりました。 何度検査しても判定が出ず、瘤のようにどんどん膨らむ胸が怖かったです。結局、手術になり、それでも見つからなかったので安心してたら、2週間後の検診で、やはり癌だと言われました。サラッと。「 風邪ですね」くらいの感覚で。 とにかく、子どものことしか考えられなかった。どうしようと思いながら、 医師の話を聞いていました。治るかわからない点滴の副作用と脱毛は本当にしんどかった。・3人子どもがいる母親です。 一番下の息子を産んで1ヶ月で、私に舌癌が発覚しました。 赤ちゃんを母親に預けての入院、産後でおっぱいも張るのに検査、治療のためおっぱいを止めないといけなかったり、なにより子どもたちがみんな小さかったので、会いたい気持ちと心配で毎日泣いていたのを思い出します。・子どもが産まれて1ヶ月が経ち、検診に行ったら卵巣嚢腫が見つかりました。息子は、母乳で育てると決めていましたが、手術前の検査で母乳をあげることはできず、膿腫も大きかったので、手術の日までに捻転にならないか心配でした。・15年程前、子どもたちが小学3年生・年長・年少のときに、嗅神経芽細胞腫になりました。抗がん剤、放射線、手術と一通りやりました。 2年ほど治療で入退院を繰り返し、10年を超える経過観察後、ようやく寛解となり現在に至っています。・子どもが10ヶ月になったときに、保育園に預けるため卒乳しました。ところが、半年たっても右乳だけ張り続けていたため、軽い乳腺炎だと思い揉みしだいたところ、乳首から茶色い乳がでてきました。マンモグラフィーを受けたところ、右乳房の画像が真っ白になっていました。医師から「乳癌の可能性があるから精密検査を受けるように」と大きな病院を紹介され、2週間後に結果を聞くと「右乳乳癌、ステージ0だけど全摘が必要」と言われました。初めてのがん検診から約3ヶ月後に、右胸の全摘手術と乳房再建を行いました。ところが、その後の病理検査では、ステージ3に上がってしまいました。急きょ抗がん剤治療と乳房再建の中止を迫られる状況に。現在、仕事は傷病休暇と休業を取得しながら、乳房再建は継続、抗がん剤治療は隔週で行っています。・私も同じように鼻詰まりで子どもと一緒に耳鼻科を受診したら、匂いの神経にガンができていました。上の子は年長、下の子はまだ1歳でした。ドン底につきおとされたような気持ちになりましたが、2人がいるから生きなきゃとやよいかめさんと同じ感情になりました。12時間もの手術、2週間の抗ガン剤と3ヶ月間毎日病院に放射線に通いましたが、子どもが「ママ頑張れ!」と応援してくれたこと。「娘のランドセル姿が見たい。息子がどんどん可愛くなる笑顔をこの先も見たい。絶対生きてやる!」という思いが活力につながりました。4年経っても検査で不調もなく元気に過ごしてます。このまま自分を大切に、家族みんなが元気でいられるよう信じて生きていきます。頑張れたのは周囲の助けがあったから病のママたちを救ってくれたのはやっぱり家族。ここからは、みんなの助けがあったからこそ頑張れたというコメントをご紹介します。・幸い実家・兄・姉も近くにいたので、助けてもらってなんとか乗り越えられたかな。その都度、とことん話しあったから乗り越えられたのかなと思います。・上の子ども2人は主人の両親に預け、下の乳児は実母に預けて、支えてもらいました。 抗がん剤治療と手術で2ヶ月間の入院でしたが、子どもたちを面会に連れてきてもらったり、外出許可が出たら主人も一緒に出かけたりして過ごしました。 そんなことがあったのも、もう14年前です。 転移もなく定期検診のみで経過しており、感謝です。・母が息子の写真を送ってくれたり、息子を連れて来てくれたのが励みになりました。・闘病中の事は正直あまり記憶になく、入院中私の世話をしてくれた両親と、子どもたちの世話をしてくれた義母には心配をかけたと思います。 子どもたちのためにも元気になろうと思って頑張りました。・子どもはまだ1歳。 抗がん剤投与直後から48時間は、私の汗や尿から濃度が高いまま排出されるので、乳幼児と触れないほうがいいと病院関係者から言われました。それに薬の副作用で一週間は、悪心・嘔吐・だるさなどで育児なんてできる状況にないです。そのため、子どもの世話は夫が全て担うことに。義実家の手助けや保育園にも事情を話し、土曜保育もお願いしながら乗り切っているところです。育児に家事にと忙しい毎日…ママたちに送られたメッセージもそして、子どもや夫のためにと頑張りすぎているママたちへ「もっと自分を大切にして」というメッセージも多くありました。子どもだってママが元気なことが一番うれしいはずですよね。・私の母の口癖は「あなたが元気じゃなきゃ家庭がまわらなくなるのよ!」です。私も昔は家族が元気でいてくれるのなら自分が犠牲になってもいいという考えでしたが、年齢を重ねるにつれ少しずつ出てくる体調の変化に「私が元気じゃなきゃ!」と思うようになりました。今は母の言葉を忘れず、家族のために自分の体にも気をつかうようにしています。・子どもや夫が元気ならそれでいいわけじゃなかった。自分がいなかったら、この家族の笑顔は見られないのだから、自分を大切にしようと心から思います。 産後にしんどい思いをしてる方、体調崩してなかなか治らない方は、たくさん手抜きをしたり、家族や友人に助けを求めてもいいと思います。病気になったほうがよほど周りは大変になってしまいますから。実際の闘病生活が描かれたやよいかめさんの作品を読むと、「今は忙しいし」「まだ症状が軽いから…」といって、病院に行くのが遅れてしまうと後々大変なことになる可能性が潜んでいると思い知らされます。少しでも体調がおかしいなと思ったら、ママも病院に行くことが大切ですね。▼漫画「鼻腔ガンになった話 」
2022年09月27日前回 のあらすじパニック障害になってしまったことを思い切って母に伝えることに!パニック障害になったことを母には伝えることができ、理解もしてもらえました。しかし遠くに住む友人たちにはどう伝えようか…と。もし友人がパニック障害について全く知らなかった場合は、なぜ帰省して会えないのか、という質問についてうまく説明できないなと思いました。ケガをしたわけでもなく、〇〇が調子悪くて〜という説明もできず、電車に乗れないから…と聞かされても普通の人からしても???と思われるだろうな…と。友人に言えなかったのは「気を使われたくない」という気持ちが大きかったからだと思います。私の友人たちは偏見などを持つタイプではないし、理解してもらえるとは思っていました。でも、私自身が気を使うタイプなので、病気の事で気を使ってもらったり、迷惑をかけるかもしれないと思うとしばらく言わない方がいい…また体調が良くなって元気になったら言えばいいや…と思っていました。遠方に越してからも定期的に誘ってもらえて嬉しかったのですが、仕事で忙しいと嘘をつきながら毎回断り続けていました。ただただ申し訳なさと、悲しさで毎回心が痛みました。友人には気を使われたくない。友人の中では元気な私がいる。はっきり言ってしまった方が楽だったのかもしれませんが、私は遠いところでも元気でやってるよ! 毎日楽しく笑ってるよ!と思われたかったのだと思います。…これについてはどう考えても仕方ないなと思います。毎回誘いを断っていたら、あちらも気を使ってじゃあ誘わない方がいいなーとなるのが当たり前だと思います。この件で友人たちが去っていくわけでもないですが、地元ではみんなで楽しくやってんだろうなー…と思うとすごく寂しかったです…。パニック障害と診断されても、自分で受け入れることができない。診断は受けたけど軽度の方だから私はすぐ治るんだ。どこにも行けないのも、友達に嘘をつき続けるのも今だけだ。そう信じつつも、心の奥では一生このままかも…と思う心が交差していて、この頃はひたすら何も考えたくない時期でした。次回に続く!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2021年02月20日前回 のあらすじパニック障害の私が「周りの人にしてもらって嬉しかった対応」とは…?パニック障害でなくても、精神疾患に罹った場合周りの人に話すかどうか、というのはためらう人が多いかと思います。私の場合は地元から引っ越し後に発症したため、知っているのは夫のみ。なのでパニック障害になってからも半年くらいは誰にも伝えずにいたのでした。ただでさえ、パニック障害になってしまったことだけでもショックなのに更に周りに理解もされず引かれるのみだったら…と思うと怖くてなかなか言えませんでした。母はとても明るくさっぱりした人物なのですが、そのさっぱりとした性格ゆえ時々悪気なくはっきりモノを言うことが今までも多く…。そして「昔は良かったわ~」などを言いがちで、古い考え方をするタイプなので、何を言われるか怖くてメンタル落ちてる今はとてもじゃないけど言えない…。と言う感じで、なかなか伝えられずにいました。しかし長い間実家に帰ってこない私に対して、どうしたのかと問い詰められ…これは逃げられないなと腹をくくり伝えました。告白したあとの静かな間が本当に長く感じられ、緊張して心臓が飛び跳ねていました…。しかし母は予想外にもあっさりと理解をしてくれました…!!母に対して失礼ながら、偏見の塊人間だなと思っていたのでこれには驚きました。これも全て母がテレビっ子だったおかげ…!テレビの言うことは全て信じ込む母です(笑)私も確かに以前はパニック障害なんてどんな病気かも知りませんでした。今は芸能人などの有名な方が公表してくれることによって、偏見が少しずつ減ってきているなと思っています。こんなことならもっと早くに話せば良かった…母よ…!!しかしやはり身内には話せても、友人はもっと話しにくい。どうするか葛藤しまくり、ひたすら悩む日々が続きました…。次回に続く!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2021年02月19日前回 のあらすじ早くパニック障害を治して子どもが欲しい…! 主治医の先生の答えは…乗り物に乗ること、遠い所へ行くことこれらができなくなってしまったことは、私の人生を大きく変えてしまいました。もちろん好きなだけ好きなところに行く、ということは金銭的にも難しいのですが、例えお金があったとしてもそれを実行することができない…もう私にはずっとこの狭い世界で生きていく人生しかないんだ…と。「一生治らなかったらどうしよう…」と思いながらも、少しの希望で少しだけ前を向くことができました。そう思わなければ絶望で壊れていたかもしれません…。パニック障害は主にこの「予期不安」で苦しめられているといってもよいです。要するに日常生活で「倒れたらどうしよう…」「外で発作起きても誰もいないし…」など、悪い事ばかり考えてしまい、発作を恐れて何もできなくなるのです。もし頑張ってチャレンジしたのに…予想通り外で発作に見舞われた場合、更に恐怖が増して外に出るのがますます怖くなる…そういった負のループで毎日苦しめられています…。パニック障害のきっかけは、ストレスなど色々あるとは思いますが、自分でも意図せずに恐怖を感じたりするこの現象は考え方や精神論でどうにかなるものじゃないなと思っています。「精神的に弱い人間がなってしまう」と思っている人もいるかもしれませんが、脳の誤作動や脳内神経伝達物質のバランスを崩すことが原因になっているようです。脳の病気…と考えるとそれはそれで怖いですが、「精神的に弱いのが原因なのかな…」と思い込んでいたので、少し救われた気持ちになりました。そして私も誤解していたことがあって…。これはその病気を知らないことからくる「あるある」かもしれませんが、「パニック障害」という名前から、いろいろな偏見や誤解をしてしまいがちですね…。リラックスしている時や、1人で考え事ができるような状況だと予期不安が出て不安になるので、逆にそれを全く感じる事ができない状況(本当の恐怖に襲われている場合)の時は発作は出ないのです。パニックとパニック障害はあくまで全く別物、と考えておくといいかもしれません。パニック映画などで出てくる「怪獣に追いかけられる」ようなことがあったら、パニック障害など吹っ飛んで全力で逃げると思います(笑)これは人によると思いますが、周りの人にしてもらって嬉しかったことは、たとえ何もできなくても本を読んだりネットで調べてくれることでした。タマオくんは本を読んでも「ああした方が良い、こうした方が良い」などのアドバイスをしなかったこともありがたかったです。パニック障害の患者の私は、そっとしておいてもらえる、もし外出先で倒れたら側にいてくれる、というだけで充分嬉しいなと思いました。これは治療や治るような病気だったら、私も全力で調べていたのだと思います。しかしこの時は何度も発作を起こした場面や、パニック障害になってからのことがフラッシュバックをしてどうしてもパニック障害について調べることができませんでした。知れば知るほど、意識をしてしまい余計に不安感が増す…それが怖くてあえて何も調べない、という方法を取りました。その時の私は、ただただ薬を飲んで時が経つのを待つ…それくらいしかできませんでした。次回に続く!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2021年02月18日前回 のあらすじパニック障害を発症する原因はいろいろあるようですが、私の場合は‥この二週間の間は、とにかく休むことが大事とのことで…とにかくのんびりダラダラ、穏やかな気持ちでなるべく過ごすことを心掛けました。休息をしたことで、発症時の全く動けない体はだいぶ良くなり、爆発しそうだった心臓も通常にもどりました。ありがたいことに私にはこうして理解のある配偶者がいてくれましたが、1人でパニック障害を抱えている人たちのことを考えました。外へ行くにも誰かが一緒でないと本当に不安になるので、助けがない人たちはどんなに苦労をしているのだろう…それを考えるととても辛い気持ちになりました…。抗うつ薬は今は一錠(25mg)を飲んでいたのですが、薬の増量をすることに。それを聞いて…そう、結婚前から思っていた事。「なるべく早く子どもが欲しい」しかし新婚早々、それが難しくなったことがずっと心の重しになっていました。でも子どもは焦ってでも、なるべく早く欲しい…!早くパニック障害を治して子どもが欲しい…!主治医の先生の答えは…半年…それは、人によっては長いと感じる時間ではないのかもしれないけれど、この時の私はやはり落ち込みました。もちろん苦しいパニック障害を治すことが先ですが、それと同時に子どもも欲しい…。もっと私が若く20代前半くらいだったらこんなに焦ることもなかったのだろうか…と思ったのですが、パニック障害の発症の時期と、子どもが欲しい時期が被ってしまいました。ですが、この時は「まあ薬飲んで寝てさっさと治そう!」くらいにしか思っていませんでした。しかし現実はそう甘くもなく…。今日は体調もいいから、外食にチャレンジしよう!→ご飯待ちの時に発作車なら買い物に行けそう!→ショッピングモール目前に発作この時は、目の前なのになぜ…? と自分でも理解ができないのと歯がゆい思いでかなり落ち込んでいました。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年11月16日前回 のあらすじ パニックの発作と闘う決心をして、心療内科でもらった薬で治療がスタートしたけれど‥パニック障害の原因はストレスや遺伝が関係していて、環境の変化、離別、孤独、虐待などなどのストレスで発症することが多いようです。脳内の不安の神経系の機能が関係しているので、脳の誤作動のようなのですが、これが!というハッキリとした原因もまだ分かってないようで、発症の原因はいろいろあるようです。私の場合は、やはり結婚による環境の変化と、東日本大震災、しっかりしないとと自らを追い込んだことが原因かなと思っています。色々なものが重なって大きなストレスを爆発させてしまったんでしょうね…。優しさのつもりで励ましてくれた夫のタマオくん。しかし私はその言葉に固まった…結婚前にタマオくんが発言したセリフをずっと気にしていて、結婚後は無職になるししばらくタマオくんのおうちでやっかいになるわけだし、これはタマオくんが否定していた専業主婦だ…!働かない後ろめたさもあって、その結果引っ越してすぐに仕事を探すという行動に移りました。子どもがいないのに働いてない、今の私は何の為にいるんだろう…この時は相当ネガティブになっていました。タマオくんは別に専業主婦批判をしていたわけではなく「子どもがいない間は働いた方がお金は貯まるし、何もしないともったいない」という意見を言っただけとのことで…それを私が「タマオくんは働かない女は嫌いなんだ…」と勝手に思い込んでしまったのでした。新婚当時はタマオくんに嫌われたくない&タマオくんに好かれたい! と思っていたため、頑張りすぎていたようです。(もちろん今はそんな気取らない、ゆるゆるの夫婦関係です笑)1人で知らない土地に来た寂しさを、忙しくすることで紛らわしていたのもあると思います。すぐに仕事をしたので会社で同僚はできたのですが、プライベートで遊ぶ友達はいないため結婚後は毎日孤独を感じていました。もちろんタマオくんは夫として側にいてくれますが、地元の友達のように気楽に遊べる友達が欲しい…いつもそれは思っていました。改めてお互いの悩みや思っていることをしっかり話し合うことが大事だなと痛感しました…すぐ暴走してタマオくんに相談する前になんでも行動に移してしまう癖も治そうと思いました。もちろん私がパニック障害になってしまった原因は特定できません。しかしもうなってしまっては後の祭り。過去の原因を探しても仕方ないので、あとは治るまで闘うべし!次回はまた病院でのお話です。女神先生にずっと考えていたアレを伝えることにしました…。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年11月15日前回 のあらすじついにパニック障害と診断された日のこと…いよいよ心療内科での治療がスタート!!主治医の女神先生から2つのお薬を提案されました。※この物語に登場する薬名は架空のものとなります。症状、処方薬は個人差があります。かかりつけ医にご相談くださいこれまで精神系の病気を経験したことがなかったので、抗うつ薬というのも、抗不安薬というのも初めて聞くものでした。以前の健康な時の私だったらこういった薬には偏見があり、飲むのをためらっていたかと思います…。しかしもう体も精神もギリギリの状態になっていたので、お薬が私を助けてくれる唯一の救世主のように感じ、頼もしい限りでした。これを飲めばきっと助かる…。これですぐに元の生活に戻れるんだ…。そう思っていました。来るときにパニック発作を起こしたこともあり、オサカナパワーをその場で飲むように言われました。本当に不安が取れるのかな…?と疑問に思いつつ、口にほおりこみました。抗うつ薬のマタタビーはゆっくり効果が現れてくるお薬なので、二週間毎日1錠を飲んで様子を見るようです。待合室で何時間も待っていてくれたタマオくん…本当にありがとう…!やはりパニック障害だったよ、と伝えてほっとしたような、少し悲しいようなそんな感じで二人で帰ろうとしました。すると…車に乗ろうとすると、急に視界がぐるんと回るような、ほわほわっとした感覚に…!!頭の中がほわほわクラクラっとするけど、決して気分が悪いわけでもない…でもなんだろうコレ!?さっきの頓服の影響なんだろうけど、こんな感じで大丈夫なの…??初めての感覚に急に不安になってしまいました。もちろんそれは先ほどの頓服オサカナパワーの効果だったのですが、初めて体験したものでつい焦ってしまいました。このほわほわっとした感じで不安を感じにくくなり、発作が出そうなときに飲むと効果があると言われました。ちなみにこのオサカナパワーは抗不安薬の中で相当弱い分類にあたるようで、弱いものなのにこの体感…!他のものはどれくらい効果があるのだろう…とふと気になってしまいました。私はお酒が飲めない体質で、お酒に楽しく酔う感覚は分かりませんが、気持ちよく酔っぱらったらこんな感じなのかな…?と思いました。個人差があるようですが、初めての抗不安薬を飲んだ私の感覚です。いやもう、当時の私からしたらパニックの発作はもう妖怪!何か見えないモンスターに血液を吸い取られて、殺されるのではないかというイメージでした。もちろん体験をしていないタマオくんからしたら「急に訪れる体調不良」ということで納得してもらいましたが、このモンスターに襲われる恐怖は体験した人しか分からないと思います…。とにかくあいつが来る…!と思うと怖くてたまりません…。でもこれだけ遠回りしてやっとたどり着いたパニック障害との闘い!頑張って討伐しようという目的ができて、少し前向きになりました。当時20代後半で新婚だった私。そして今から精神薬という薬を飲み始める私。自分なりに色々考えて、また女神先生に相談しようと心に決めました。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年11月14日■前回のあらすじ無事に手術が終了し、一安心。夜はゆっくり眠れるかと思いきや、突然吐き気で目が覚め…■吐き気が止まらない…なんとか眠れるようにはなったけれど、気持ち悪さはおさまらず…この辛さはしばらく続きます…。■悪心が続く中、放射線治療へ夫は出張が多い仕事なので、私の入院中は両方の母たちと予定を合わせて、出張を組んでいました。なので、私の退院が伸びたりするときっと迷惑をかけると思い、気合で治療へ向かいました。毎回助けてくれる看護師さんたちには本当に感謝です!次回に続きます。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。 【同じテーマの連載はこちら】 女性のがんとお金の話 この連載の全話を見る >> パニックにゃんこ この連載の全話を見る >> 長男の川崎病と職場の板挟みで大変だった話 この連載の全話を見る >>
2020年11月12日■前回のあらすじ新米先生に一抹の不安を覚えながら手術台に寝ると、ついに動脈に注射が打たれます。すると、あまりの痛さに衝撃が走ります…!■手術は順調に進み…先生によって、カテーテルを通すのにも上手い下手があることがわかりました。最初の腕の注射を乗り切ったらあとは痛くありませんでした!無事に終わって一安心!■安心して眠れる…そう思っていたが…!夫と義父にも無事に終わった報告をすることができ、美味しい夕飯も食べて安心して眠れる…そう思っていたのに、まさか急にこんなに気持ち悪くなるとは思いもせず…次回に続きます。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。 【同じテーマの連載はこちら】 女性のがんとお金の話 この連載の全話を見る >> パニックにゃんこ この連載の全話を見る >> 長男の川崎病と職場の板挟みで大変だった話 この連載の全話を見る >>
2020年11月11日■前回のあらすじ義両親が泊まりがけで子どもたちのお世話や私の手術の付き添いに来てくれました。いよいよ抗がん剤動脈注射の手術が始まります…!■執刀医は新米の先生!?…不安を少しでも取り除けるようにリラックスさせてくれる看護師さんたち。でも…どんな先生も最初は新米ということは理解しているのですが、自分の担当となるとやはり不安になってしまうのが患者心…■あまりの痛みに恐怖感が募る!ただでさえ痛いのに、追い打ちをかけるような他の先生の声かけ…「体重かけて!」には思わず「まだやるの!?」とツッコミ入れたくなりました…。次回に続きます。※この記事に記載された症状や治療法は、あくまでも筆者の体験談であり、症状を説明したり治療を保証したりするものではありません。気になる症状がある場合は医師にご相談ください。 【同じテーマの連載はこちら】 女性のがんとお金の話 この連載の全話を見る >> パニックにゃんこ この連載の全話を見る >> 長男の川崎病と職場の板挟みで大変だった話 この連載の全話を見る >>
2020年11月10日日本人の夫と日本で暮らしているアメリカ人のアイシャさん。実は32歳の時に乳がん(ステージ1)の診断を受けました。現在は完治しているそうですが、実際に闘病経験のあるアイシャさんがいつもは英会話を中心に配信しているYouTubeチャンネル『バイリンガルベイビーBilingual Baby』で当時のことを赤裸々に語っています。ピンクリボン月間である10月に、より多くの方に乳がんについて啓蒙をするため、ピンクのものを身に着け、今回のような活動を行っているそう。アイシャさんが乳がんを発見したきっかけは、毎年行う一般的な健康診断だったそう。検査をして、腫瘍が見つかり、悪性の可能性は低かったものの、夫のタカさんの後押しもあり、精密検査を行うことに。不安はありつつも、結果を聞きに病院へ行った2人に、「結果はよくなかった」とお医者さんが伝えます。その後は「今だからこそ語れることなんだろうな」と感じてしまう内容。そこから、2人の戦いが始まります。「人生で一番辛かった」と語るアイシャさん。さまざまな症状も現れ、身体的にきつかったのに加え、精神的な不安から夫婦の危機もあったそうです。お互いのことを気遣いながら、当時の事を話す2人の様子に聞き入ってしまいます。手術の2週間後に完治といわれたアイシャさん。その時の話がとても感動です。ぜひ動画をご覧ください。今でも、定期的に検査を受けているアイシャさん。早期に発見することがとても大切だと語っています。早期発見検診の重要性を改めて感じさせられます。[文/AnyMama(エニママ)・構成/grape編集部]
2020年10月29日前回 のあらすじ動悸とめまいがあまりにも酷くて、立ち上がる事すら困難に。もう助けてくれるのは心療内科しかないだろう…私だけではなく、健康な時は自分は大丈夫だという楽観的な考えが誰にでもあるのかもしれません。当時こころの病気といえば、うつ病の名前ぐらいしか知りませんでした。が、「自分はそういうタイプ=こころの病気になるタイプ」ではないと思っていて、症状が出ても、メンタルクリニック系の病院へ行くことに抵抗がありました。当時はこころの病気に理解がなかったのです。今はそんな偏見があったことをとても恥ずかしく思っています。この2週間の間、外出のための準備をしていたのですが、やはり当日は怖くて恐怖でつぶれそうでした。車で横たわり、外が見えないようにして祈りながら移動しました。病院も病院らしくない内装で、受診されている人たちも普通でした。(独り言を言っていたり、暴れたりするような人も来ているのかと偏見がありました…すみません…)また血の気が引きましたが、予約時間は気にせず休んでていいという言葉に救われました。問診の量が多くて本当に驚きました。病歴や、何故この病院にしたのか? そして性格判断テストのようなものがありました。選択肢も「はい」「どちらかというとそうである」「わからない」「どちらかというと違う」「いいえ」など細かかったです。そしていよいよ初めての心療内科の診察…!どんな感じなのか、何を聞かれるのか、そしてどんな病名がつくのか…ドキドキしながらドアを開けました。第一印象から本当に優しそうで癒される雰囲気を出していました。(以下、「女神先生」と呼ぶことにします(笑))女神先生がとても感じの良い先生だったので、気を張ることも無く穏やかに話すことができました。そしてついに診断が…ついに私は「パニック障害」と診断されました。頑張ってきた自分、どうしようもない日々、外へ出られなくなってしまった恐怖今までの辛かった日々が押し寄せるように頭にかけめぐり、泣いてしまいました。原因が分かって本当に良かった…これできっと治ることができるんだ…!しかし…ここからパニック障害との長い長い闘いが始まるとは、この時は全く想像してませんでした……次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年09月20日前回 のあらすじ何度も繰り返す不安と震えなどの体調不良。ついに大好きだった仕事も辞めることになり…体調不良で泣く泣く会社を辞めたのですが、荷物を取りに行くことに。この頃は出かける度に謎の動悸や震えに襲われるので、この時は外出がとても怖くて不安でした…化粧や着替えをしていつでも出れる状態になっても、家を出るまでにしばらくウダウダ悩んでましたが「今なら行ける!!」と気合で外に出たのですが…やはりだめでした…!バスに乗って椅子に座って1分も経たなかったと思います…。とにかくバスから降りたい! と途中下車したいくらいになったのですが…次の停留所で降ろしてもらいました。しばらく哀しい気持ちでベンチに座って休んでいましたが、バスから降りたら気分が悪いのもすぐ良くなりまた歩いて家に帰りました。この辺で「乗り物が特にダメなんだ」と完全に自覚していました。バスで10分くらいの場所にある会社に行って、荷物を取りに行き、お世話になった人たちに挨拶をする。たったそれだけの事がどうしてできないのだろう…と。最後の挨拶もろくに出来ない自分に心底落ち込みました。動悸とめまいがあまりにも酷くて立ち上がる事すら困難になりました…布団から出られず一日中横たわっていました。ご飯や飲み物はタマオくんが買ってきてくれて布団の横に置いていましたが、ほとんど食欲もなく食べることができませんでした。静かな部屋の中…心臓の動悸のせいで体が揺れるのを感じるくらいでした。もう助けてくれるのはきっと心療内科しかないだろう…ここまでになってようやく決意ができました数日寝込んでようやく少し動けるようになってきたので病院を探しました。予約の電話をかけることも大変で…驚きました。人と話すのは大好きなので、電話も好きでしたがそれすら怖くて震えるなんて…本当に不思議で仕方ありません。予約が取りにくいということはそれだけ他の人も不調を抱えているということ。勝手な仲間意識が芽生え、少しだけ勇気をもらいました。そう…!今現在乗り物怖い、外出怖い、体も動かないという状況でどう行けるのか…!2週間後に向けてどうにかしないと…と思い、また頑張ろうと思いました。じわじわ時間をかけて外出はできるようになりましたが、本当に近所数分の場所をウロウロするだけというレベル。本当に何もできない…この世は恐怖に満ちているこの時の私は、魔の森でずっと震えている何もできない子どものようでした…とにかく私の世界は一変してしまいました。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年09月19日前回 のあらすじ結婚式当日に血の気が引いてフラフラに。ほとんど記憶にないまま結婚式を終えたけど…出かける度に何度も繰り返す不安と震えなどの体調不良。この頃は明らかに自分の体がおかしいのは自覚していました。ただ動悸や震え、血の気が引くなどの症状で検索してもたくさんの病気がヒットします。何の病気か分からないので、何科の病院に行けばいいのかすらも分かりませんでした。ここでパニック障害も候補に上がったのですが、パニック症状の代表の症状とされる「死んでしまうのではないかと思う強い恐れ」が私には感じられなかったのです。まだハネムーンの事は諦められず、体調の事を考えて国内(沖縄)にする予定にしました。本やカタログなどを見て沖縄への夢を膨らましていきました。しかしまた会社のトイレで…普通にトイレに入っていただけなのにまた急に血の気が引く感覚!!慌ててトイレから出て、廊下で倒れ込んだところにちょうど同僚の方がいたので助けを求めました。もちろん会社内では私が倒れたということで、みんなが注目。しばらく休憩室で休むことになりました。この時ずっと肩を支えて心配してくれた上司や同僚の方…本当に感謝しております…「このまま病院で診てもらった方がいい」と言われ、仕事を抜けて病院へ行くことに。今までお腹の不調と言われていたので、胃腸内科を選びました。今思えば、ここで胃腸内科を選択したのも間違っていたのですが…「運動不足」が原因ではないかとのことで、良くなるまでこの病院に通う事にしました。その結果、更にパニック障害への診断が遅れることになりましたが、ここの病院で、バリウム検査や胃カメラ、心臓など他の内臓に問題がないか検査ができたのでそこは良かったと思います。さっそくこの日からタマオくんを巻き込んで足腰を鍛えるためにウォーキングをすることに!症状を早く治したいがために焦って運動をしました。ただこれも無理をして自分に負担をかけてしまい…もう出かける度、会社に行く度この症状が現れるようになりました。この時点で外に出ることが怖くなっていました。もちろんウォーキングどころではないので、運動も全て終了…もう会社に行きたいのに行けない状態、会社を休む罪悪感、病気への不安…どうにもならない状態にシクシク泣きました…私がしていた業務は他に担当している人がいないので、職場に迷惑をかけていました。残念でしたが急いで引継ぎを探してもらい会社を辞めました。自分の好きな仕事ができて、人間関係も良く、大好きな職場だったのにこんな終わりを迎えるなんて…本当に辛い選択でした。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年09月18日前回 のあらすじタマオくんの付き添いで病院へ。急いでタクシーに乗り込んでドアを閉めた瞬間!背筋が凍るような感覚に…ついに結婚式の日がやってきました(少し前に入籍済)結婚式は現在住んでいる場所ではなく、東京でやるため前日にちょっとお高めの良いホテルを予約。しかし親への手紙やビデオ製作が前日まで終わらずずっとホテルで作業をしました。折角の良いホテルを味わうこともなく、睡眠時間は2時間で当日を迎えるのでした…。それでも結婚式という高揚感で睡眠不足でも元気に式場へ。私のドレスアップやメイクがあるので私が先に式場へ入りました。え…また例のアレが…!?ドレスのリボンが苦しかったのか、それが引き金になったようで一気に血の気が引きました。あの新幹線と夜間病院で起きたのと同じような感覚と震えに襲われたのです!まさかこんな大事な日にーーーーーーーーーー!タマオくんに、支配人の方が状況を説明。本来なら少しだけバージンロードの歩き方などリハーサルをやる予定だったのですが、私は参加せずその間に横になることにしました…何でこんな時に…一生一度の晴れ舞台なのに…今までずっと準備で頑張ってきたのに…トイレで往復しながら頭の中は「今日はどうなるんだろう…」という不安でパニックでした。気分が悪い中でも頭の中は意外と冷静で、中止になったらお金は返ってこないことや招待した人たちのことなどを必死に考えていました。お医者さんを呼ぶのも…ということで、式場の方に下痢止めをもらいました。おかげで少し腹痛が収まったので立てるかどうかチャレンジ。ここで頑張らなければ全てが水の泡…。頑張れ私…!!自分に気合を入れポン子出動!!それでも結構グラグラしてましたが、「倒れるな倒れるな」と頭にずっと念じて教会まで向かいました。とにかく周りのスタッフやタマオくんが励ましてくれたのを覚えています一番楽しみにしていた教会はぼんやりとしか記憶にありません…。正直頭の中では「早く終われ…!」とばかり祈っていたような気がします。もちろん招待客たちはそんなことは全く知らなかったので、あの時私は必死に体内の自分と戦っていたことを後から聞いてびっくりしていました。この日は大女優になれたようです。結婚式をやったことについて後悔は全くないのですが、この時にパニック障害とわかっていたら回避できたのかなあ…と思うと少し悲しくなります。こうして、私の人生の一大イベントは終わったのです…次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年08月09日前回 のあらすじ新幹線を降りてからは激しい便意で歩くのも大変…駆け込んだ病院での診断はなんと…普段健康体で風邪すらほどんとひいたことがないタマオくんが夜突然の腹痛を訴え、タマオくんが苦しんでるということで私は大慌てで病院へ急いでタクシーを呼び私も乗り込んでドアを閉めました。しかし…ドアを閉めた瞬間一瞬背筋が凍るような感覚に…え? 新幹線でのあの悪夢が再び?!と一瞬焦りましたが、その悪寒もすぐ消えてくれたので気のせいだろうとホッとしました。実は心の奥底で「車降りたい…」と思ったのですが、悪寒が消えてくれたのでそのまま出発しました。しかし今考えるとやはり降りておけば…とタマオくんの点滴待ちの時にそれは起こりました…不思議なことにひたすら手足だけがガタガタ震え出したのです!この時の体調も気分も特に問題はありません。ただただ意味が分からずしばらく我慢していましたが、収まる様子もなく段々怖くなってきました…私今病院にいるよね…?ということで私も診てもらおう!体の震えをみているうちに「また帰りのタクシーで同じことが起きるんじゃないか?」という不安でいっぱいになりました。その不安も伝えたら、お医者さんは何か察したのか気分を落ち着かせる薬を打ってくれました。この時は何の薬かさっぱり分かりませんでしたが、薬の名前は憶えていたので今思うと、あれは精神安定剤だったんだ…と分かりますそしてついに心療内科の一言が私の耳に入りました。そう…この時のお医者さんは私の問診で「あ、これパニックだな」と感づいたので安定剤も打ったのだと思うし、とても良いお医者さんだったと思います。しかし…当時はまさか自分が…と、心療内科は自分には全く関係のないものだと思っていました。早めに行動して心療内科にも行っていれば…と今考えれば後悔もありますが、その時これだけの症状では検討すらもできませんでした。これから何度も同じような目に合って、ようやく心療内科への門を叩くことになりますが、それはもう少し先の話…次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年08月08日前回 のあらすじ地元から帰る新幹線で初めての発作を経験…新幹線の中の唐突な体調不良…1時間ほどしてやっと駅に着きました。たった1時間だったのですが、血の気が引いたり、激しい腹痛とたたかう1時間はとても長い時間に感じました…。降りる時は乗務員さんの「大丈夫ですか?」の心配してくれる一言がとても嬉しかったです。(ベッドを貸してくれたり、色々大騒ぎしたりとご迷惑をかけましたが、本当に感謝しかありません)そして連絡してあったタマオ君に迎えに来てもらうことに。早く家に帰りたい…そう思っていたのですが、歩く度に訪れる便意にはとてもじゃないけど勝てる気がせず…。このままでは無理だと判断して夜間やっている病院に連絡をして診てもらうことになりました。新幹線の中であれだけ出したのに…何故何度も腹痛と便意が訪れるのか…この時はさっぱり分かりませんでした診断は食あたり!確かにお腹が痛いときは血の気も下がることも今まであったし、きっとさっき飲み会で食べたものが悪かったんだ! 私はお酒が飲めないからその代わりに色々食べてたしな~。うんうん!なるほど!とこの時は食あたりと言う診断をまるっと信じてしまいました。初めての症状で、腹痛、下痢、血の気が引くとだけ伝えたら、そう診断されても仕方ないと思います。パニック障害の場合、初めての診断でパニック症状を疑われることは少ないかと思います。体は健康なのに、何度も何度も原因不明の症状を繰り返すことでやっと何かおかしい…? と病院に行って診断となる…というパターンが多いようです。この日帰宅したのは2時過ぎに…帰る頃には症状も落ち着いてきたのですが、心からどっぷりと疲れた日になりましたそして…休みが取りにくい会社だと思っていたので、ハネムーンは諦めていたのですが「大丈夫」と聞いて、すっかり浮かれる私。一度でいいからハワイに行ってみたい! と思い、ハワイへの夢がどんどん膨らみました。旅行記の本を買ったり、どこの旅行会社でお願いしようかなど、考えている間がワクワクして楽しかったです。しかし、そんなある日…なんと今度はタマオくんが体調を壊してしまいました…!!次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年08月07日前回 のあらすじ新しい生活がはじまり、体やココロの疲れがたまっていたところに、2011年のあの震災が起こって…新しい仕事は、内容も同僚も私には相性ピッタリでした。体力の無い私が週5のフルタイムなどできるのだろうか…と働く前は不安だったのですが、居心地の良い職場のおかげで毎日楽しく過ごせました。そして少しして地元の友達から改めて「結婚のお祝い飲みがしたい!」と言われ1カ月ぶりに地元へ。久々の友達とは恋愛話やオタ話で盛り上がり、やはり地元の昔からの友達は改めて大事だな…としみじみ…。楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。この日は一泊しようかどうか迷ったのですが、日帰りで帰ることに決めていました。「遠いと思ったけど新幹線なら、カバン一つで簡単に帰れるじゃーん!」と、遠方に引っ越した距離感を実感したくなかった…というのもあるのかなと今では思います。しかし、この後「やはり泊まれば良かった…」と大きく後悔することに…座席に座って一息入れた直後、急に訪れた血の気が引く感覚!! 頭の中の血の気は全て下がり、身体が揺れるくらいの動機と震え。この時は「貧血だ!」と思いました。普通の体調不良なら、座席をフラットにしてそのまま寝ていればいいと思うのですが、この時は「誰か助けて!誰か何とかしてほしい!」という気持ちでした。とにかく誰でもいいので助けて欲しいと思い、近くにいた駅員さんに助けを求めました。そしてすぐに駅員さんの仮眠室のような場所を貸していただけたのですが…今思うととっても迷惑だっただろうなと思いますが、この時の私は周りを気遣う余裕は全く持てなかったのです…この時寒気と共に、腹痛と下痢にも襲われました。出すものは出し切っても、お腹だけが痛みトイレへ…。横になっていれば収まるかと思ったのが、横になっていても全く収まる気配がありませんでした。腹痛と寒気…降りたくても降りられない新幹線の中。まさに地獄の道中でした…この日のできごとが、これから先も私を苦しめるパニック障害の始まりだとはこの時の私は知る由もありませんでした…。次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年07月09日前回 のあらすじ結婚のため、住み慣れた地を離れて新しい生活…さぁこれからという時にパニック障害を発症…!今振り返ると、全てを捨てて彼の家に転がり込んだ私には何もないと思い込んでいました。仕事もしてなければまだ籍を入れてなかったので、妻でもない…何かしないと、何か自分のできることを…と当時の私は見えない何かに「焦っていた」きっとそうだったんだろうな…と思いますそして、タイミングよく元々好きだったデザイン関係の職に就くことにできました。朝9時出社、18時退社週5勤務のフルタイムの毎日がスタートしましたタマオくんは私より遅い帰宅なので、夜のご飯は私の担当。フルタイムの仕事と家事、そして結婚式の準備。体はクッタクタでしたが、「忙しい自分は充実しているんだろう」と思い込んでいて…体やココロの疲れに…気がつけませんでした。そして…私が住んでいたタマオくんのおうちは福島県の隣の栃木県。そこまで被害は酷くなかったのは幸運でしたが…毎日のように続く余震原発への不安このことがパニック障害のきっかけになったとは言い切れませんが、日本中が不安になったあの大災害を体験したことで、精神的に大きなダメージを負ったのは事実だと思います。そして例の初めてのパニック発作の日が近づいてきます…次回に続く『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年07月08日はじめまして!現在7歳と2歳の子を持つ2児の母です。猫のポン子を主人公として、私の壮絶だったパニック障害のお話を描かせていただきます。時はさかのぼり、10年前…当時の彼氏(現旦那)のタマオくんとは訳あって、100キロほど離れた距離での遠距離恋愛でのお付き合いでした。付き合っている当時は、休日にタマオくんが私の家にくる形が多かったです。当時薄給だった私に気を使っていたからでしょう(移動は新幹線で交通費が高かった…)そんな生活を1年くらい続けたのち、結婚へ。正社員でもなかった私は、仕事を辞めあっさりと彼について行くことができました。タマオくんとの結婚に浮かれ、全てを捨てて住み慣れた地を離れるという事がどんなことか、この時の私は深く考えていなかったのだと思います…そして…初めてのパニック障害の発作が起こりました。次回に続きます漫画を通じてパニック障害とはどんな病気かを知ってもらえたらと思います!『パニック障害とは』理由もなく、動悸やめまい、発汗、窒息感、手足の震えといった発作が起こり、そして発作が繰り返されることで、発作に襲われることに対する不安を感じるようになり、毎日の生活に支障をきたすようになってしまう症状です。本記事はあくまで筆者の体験談であり、症状を説明したり、医学的・科学的な根拠を保証したりするものではありません。
2020年07月07日EXILE・TETSUYAの『コーヒー農園旅行記』が、17日からLDH JAPAN公式YouTubeチャンネル「LDH JAPANチャンネル」で公開されている。新型コロナウイルス感染拡大による外出自粛要請が続く中、「ライブを楽しみにしてくださっていたファンの方々、ご家庭で過ごす時間が多くなっている全国の子ども達や保護者の方々をはじめ、全国の皆さまにエンタテインメントの力で少しでも楽しんでもらえる時間を提供し、日々の不安を拭い去ることに貢献できたら」の思いから、過去の映像コンテンツを順次無料配信しているLDH JAPAN。『コーヒー農園旅行記』公開もその一環で、映像ではTETSUYAが2019年3月にコスタリカ共和国を訪れ、長年の夢であったコーヒー農園を視察。自身がプロデュースする「AMAZING COFFEE」で仕入れるコーヒー豆を約70種類から厳選し、それらをテイスティングする模様も収められている。LDH JAPANは今回の公開に合わせ、「しばらく続く“おうち時間”に、少しでも笑顔をお届けできたらと思いますので、順次公開予定の映像を、お楽しみに!」とコメント。TETSUYAもツイッターを通じ、ファンに向けて「わたくしのただの趣味をのぞいてください(笑)」とメッセージを送っている。
2020年04月18日昨年2月に閉店した東京・世田谷のテレビスタジオ・東京メディアシティ(TMC)内のカフェ「今昔庵(こんじゃくあん)」のマスター・福田起弘氏が、がん闘病中であることが分かった。旧店舗の閉店からちょうど1年となるきょう7日に新店舗をオープンする計画だったが、今春を目標に後ろ倒しするという。今昔庵のオーナー・井上博之氏と福田氏は、今昔庵の新天地でのオープン準備を進めていたが、昨年11月、福田氏が膀胱がんであることが判明。同12月に手術を行った。さらに、井上氏も心筋梗塞で倒れ、一時は再建の道を断念せざるを得ないと考えたが、福田氏は手術も成功して回復に向けて治療に励み、井上氏も普段の生活が送れるまで回復したことから、再び再建を決意したという。こうした事情により、きょう7日の新店オープンは間に合わなかったが、井上氏は「現在、止めていた準備を再開し、目標は春ですが、できればオリンピックの前までには、『今昔庵』の復活をお目にかけたいと思っております」としている。
2020年02月07日12月12日の朝日新聞朝刊に掲載された、小説『十二国記』シリーズ(新潮社)の全面広告がSNSで話題だ。『十二国記』は小野不由美によるファンタジー小説で、2019年10月12日に18年ぶりとなる書下ろし長編小説が発売された。シリーズ発行部数は累計で1,200万を突破。2019年12月4日には、Yahoo!検索大賞2019の【小説部門賞】を受賞した。今回の広告は、作品名にちなんで12月12日を『十二国記の日』として盛り上げ続けたファンへの感謝として企画されたもの。『十二国記』公式Twitterアカウントは《この新聞広告は、『「十二国記」の日』の名付け親であり、長年にわたり作品を支え続けてくださる皆様への感謝のしるしです》と説明している。誌面の内容は、新聞の販売地域によって4種類展開。それぞれに作中の主要人物のイラストと、ファンの感想が掲載されている。これに対し、Twitterでは「すべて集めたい」という声が続出。《朝日新聞、号外全部ゲット!「十二国記の日」満喫しております》《今朝の朝日新聞朝刊、出かけるついでに駅のキオスクで買った。店員さんが「あらあら今日は何だかいつも買わない人が買うわね~」と目を丸くしていた。 今日限りの十二国記特需です》《朝日新聞の朝刊、各地域の欲しい。 十二国記の全面広告載っているらしいから!どなたか、譲って下さいませんか?》フリマアプリ『メルカリ』には、該当誌面が100件ほど出品。一部300円~500円程度で取引されるなど、社会現象のようになっている。
2019年12月12日こんにちは、タマタマヨです。前回からの続きです!!絶対正産期になってから産みたい! と決意したものの、その決意はもろくも崩れ去る威力のイキミたい感が襲ってきました。助産師さんからもOKが出て、次の陣痛が来たらイキむことになりました! ここまできたらあとはふんばるだけだと、思いきや、↑陣痛中(イキむ)↓陣痛おさまる(休息)※この間はイキんでも出てこない出産とはこの繰り返し。ツルンと産む人と私は何が違うのか…ようやく、頭が挟まったままの感覚あり! ここまできたらゴールは近い?いつの間にか助産師さんが2人体制になっている!私はやれる! やれる!(自己暗示)もうね、おなかや腰の痛みはなくて(感じないだけ?)ただいきむだけ、ただただふんばるのみ。※会陰切開はしない病院です。※実際はネネが怖がらないようにサイレントでいきんでおります。心の中の叫びを再現しました。そして、あー、これこれ。100年分のウ◯コを排出した気分(スッキリ)ようやく、赤ちゃんをこの胸に抱ける!!さあおいで、ママの胸に! カマン! ベイビー!!つづく
2019年11月19日