Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。『ファーストペンギン!』(日本テレビ系水曜22時)を後半まで見続けてきて、この物語は仕事ドラマとして、とても誠実だと何度も感じてきた。そう思う理由は、おそらくこの物語の微妙に『薄曇り』な感じが、私たちが日々の仕事で感じる色合いに近いからではないかと思う。何せ主人公が一つ問題を解決しても、同時進行でまた別の問題が続いているし、何か一つ良い結果が得られても、社員は退職するし、めでたしめでたしにもならない。私たちの現実の仕事の日々もまた、スコンと抜けるように晴れることはほとんどなく、大抵気分は薄曇りか小雨で、どしゃ降りでないだけましだと思って働いている。終盤にさしかかった今回もまた、主人公・岩崎和佳(奈緒)とさんし船団丸の面々には、しとしとと困難の雨が降りかかっている。食い詰めたシングルマザーの和佳がたどり着いたのは、山口県のとある漁村、汐ヶ崎。魚のことは素人なのに、なぜか浜の活力になるような事業を興してほしいと漁師の片岡洋(堤真一)に頼まれ、和佳が考えついたのは混獲魚を中心に直接消費者に通販で届ける『お魚ボックス事業』だった。しかし、ごくシンプルなはずのそのアイデアは、これまで販路を握っていた漁協の強い反発を招き、和佳とさんし船団丸には次々と嫌がらせや困難がふりかかる。今回もまた、1千万円を越える網の修理代と漁師達の離反という二重の危機を抱えつつ、対外的には会社として体裁を保っていかねばならない和佳の苦闘と突き抜けぶりが相変わらずリアルだ。その一方で、和佳の存在がきっかけで漁師に本腰を入れ始めたたくみ(上村侑)と、和佳のママ友の山藤そよ(志田未来)の二人が、留守を守りながらトラブルの原因を突き止めるあたりは、着実に良い方に変化が起きていると実感してホッとする。仲買人の梨花(ファーストサマーウイカ)も、今では大手を振って和佳たちの力になってくれる。今作を通じて、当初は魚の知識もほとんどなかった、そして漁に出られるわけでもない和佳が、なぜ社長として漁師たちを束ねていけるのか、その理由がだんだんと見えてきた。それは彼女が、部下たちにとっての『薄曇り』の労働の日々の中で、いつか来る、抜けるような青空の瞬間、より良い未来を語れる能力を持っているからなのだ。浜の未来を語る明るい表情、水産の未来を語る力強い言葉。職能やカリスマ性以上に、希望のある未来を具体的に提示する力があっての社長、『長(おさ)』なのだと思う。その上で、どんな現場のトラブルにも「何とかするから!」と、やせ我慢を承知で立ち向かう。このドラマには、現代のリーダーシップとは何なのかという答えのかけらが、たくさん散りばめられている。今回、漁師たちの離反と、金融機関の貸しはがしという二つの大きな困難を乗り越えた和佳とさんし船団丸だったが、貸しはがしに対抗するためにビジネスコーディネーター・波佐間(小西遼生)の助力を得ることになる。一見頼りになる存在だが、果たして長期的に見たときに吉と出るかどうか。そして浜の外部から自分以上に頼りになる男性が入ってきたことで、居場所をなくしたように感じた片岡はひとり浜から姿を消してしまう。ドラマの当初から、社会の現状に危機感や罪悪感を持ちつつも、しがらみゆえに価値観も行動も変えづらい、片岡のような中年世代の困惑と、それでも半歩ずつの前進を物語は丁寧に描いてきた。社会に自分の居場所はあるのか、もう本当はどこからも必要とされてはいないのではないか。価値観が年単位でめまぐるしく変わっていく現代におけるミドルの痛みと困惑に物語は踏み込もうとしている。そして物語が前回から提示してきている、余裕のなさ故に漁の頻度を増やさざるをえず、それが結果的に水産資源の減少を招き、更に漁獲を減らし未来を先細りさせるという水産の苦境は、少子高齢化の悪循環にあえぐこの国の苦境の縮図のように見える。物語としての誠実さを維持しながら、抜けた青空のような未来を物語は見せられるかどうか。最終盤を見守りたい。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年11月25日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。人生で何か新しいことを始める時の労力は、それ自体は大変だけれども、重いものを力を込めてゆっくり転がすようで、試行錯誤の余地はある。しかし、それが上手く回りはじめて押す力が要らなくなった時、楽になる一方で思ってもないスピードで走り出す。急に転がりだしたそれが悪目立ちしてしまったり、途中にある何かを跳ね飛ばしたりするし、スピードの分、一手打つ手が遅いと手遅れになる。主人公・岩崎和佳(奈緒)が率いる『さんし船団丸』は、立ち上げの時期を過ぎて、いよいよそんな時期に来ているんだなと7話を見ながら思った。食い詰めたシングルマザーの和佳が一人息子を連れてやってきたのは、かつては水産業でにぎわった山口県のとある漁港、汐ヶ崎。今は漁獲量も減り魚の値段も上がらず、浜は不景気に寂れていく一方だ。そんな浜の未来を憂う中年の漁師・片岡洋(堤真一)は、和佳に浜を立て直せる事業を考えてほしいと依頼する。水産どころか魚の種類の知識もおぼつかない和佳が考えついたのは、従来の流通ルートを省き、消費者に新鮮な魚を直接届けるという至極単純なビジネスモデルだった。しかし、漁協を通さずに魚を売るというそのシンプルなアイデアは、水産業という保守的な業界に大きな波風を立てることになる。最初は地元漁協の圧力、次は同業漁師たちの嫉妬からくる村八分と、トラブルを何度も跳ね返してきたさんし船団丸だったが、今度は『地元の有力者の元議員』に目をつけられてしまう。その元議員・辰海を演じるのは泉谷しげる。昭和生まれ世代にとっては反骨のアイコンのような存在だが、今回は見事に老獪な保守政治家役にハマっている。長年政治家でいたということは、人心の陣取り合戦の機微に通じていることである。その狡猾さで辰海は船団丸の内部に人を送り込み、トラブルが起きるように仕向ける。折しも頼りの永沢(鈴木伸之)が退職し、売り上げも右肩上がりで人手不足のさんし船団丸は、就職を希望してきた三人の若者を迎え入れた。しかし、若い世代と長年漁師として浜で生きていた漁師たちの価値観の差はなかなか埋まらない。片岡が現場で板挟みになって苦慮するうちに、漁の最中に本来ありえない事故が起き、漁船はあわや転覆の危機に直面する。漁師の魂ともいうべき網の破損と引き換えに転覆を免れるが、それでも新入りを庇う片岡に愛想を尽かした漁師達は、片岡と新入りの小森だけを残して去ってしまうのだった。これまでは浜の中で何が起きているのかを丁寧に描いてきたが、終盤にさしかかる今回、この国の水産の苦しい現状と、その中で和佳たちのお魚ボックス事業がどんな立ち位置にあるのかが、徐々に広く目線を広げつつ分かりやすく描かれている。そもそもこのドラマは、実話を元に作られている。実在モデルの坪内知佳さんの半生記を読めば、ある程度ドラマとして作られた部分はあるものの、ほぼ物語の骨組みはそのままである(いや、ドラマも恐れ入るくらい次から次にいろんなことが起こります。のけぞる面白さなのでこちらもおすすめします)。つくづく実話もドラマも、最初は水産の素人で組織がかりでない、一人の女性が淡々と始めたからこそ偉大なる『蟻の一穴』たり得たのだろうと思う。最初の一歩が未来への希望と社会的使命に後押しされて『回り始めた』時に、成長痛のように軋みが生じる。そんな中、物語の当初はとかく事なかれ主義で逃げ腰だった片岡が、新入りの育成を含めて現場で懸命にリーダーであろうとする姿に胸が熱くなった。浜でさんし船団丸が村八分にされて悩む時に、和佳は社長として苦しさを隠して「だから何とかするって!」と言い切ろうとする。片岡もまた、同じように船の転覆の危機に矢継ぎ早に指示を出しながら「何とかするけえ」と絶叫する。苦難の時に人はその地金が出る。良いバディなんだな、と思う。疑念と怒りで分解してしまった、さんし船団丸はこの先どうなってしまうのか。このドラマ、ストーリーとしては中々に苦難のパートが長いし、しかも生々しい。しかしご都合主義的に勧善懲悪ですっきり解決しないのは、これが実話をモデルにした物語だからではないかと思っている。そこで現実に苦闘しながら前に進んだ人たちを思えば、物語の面白さとのバランスを取りつつも、簡単に甘い解決にたどり着かないことは、敬意だろうと思うのだ。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年11月18日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。自分ひとりで生きていくなら、多少収入が不安定でも生活環境が万全でなくても、好きな仕事でいいと思う。大人2人の人生でも、互いに好きな場所で好きな仕事を選びながら、寄り添って生きていける。でも大人が子供を育てていこうというとき、子供にとって良い条件を模索するのは自然なことだ。病気がちな息子のために自然の多い環境を求めること、あるいは、より便利な都会で安定した仕事につくこと。どの道を選ぶとしても、自分の中で繰り返し真剣に天秤に乗せてみるしかない。収入も、暮らしやすさも、生きがいも。食い詰めたシングルマザーが、とある漁村にやってきて、浜の衰退を憂う一人の漁師・片岡洋(堤真一)から、事業の展開を考えてほしいと頼まれる。漁業はおろか魚にすら詳しくなかった主人公・岩崎和佳(奈緒)は、その先入観のなさが幸いして、さんし船団丸の漁師達を引き連れて、混獲魚の直販という新たな事業に乗り出す。しかし漁協を通さないその事業は、漁協や他の漁師達の強い反発を呼び、事業展開は未だにトラブル含み。その上、当初から陰日向に和佳の助けになってくれた若手漁師の永沢(鈴木伸之)が、子供が出来たので漁師を辞めたいと言い出して和佳たちを動揺させる。折り返しの6話、和佳は永沢を引き留めるため、永沢の恋人であるアイナ(足立梨花)を納得させるべくテレビ出演を通じてさんし船団丸の将来性をアピールしようとする。しかしテレビに出るということが、さんし船団丸に不満を持つ他の漁師達を刺激してしまい、これまでも頻発していた嫌がらせはピークに達してしまう。漁師や社員の家族にまで嫌がらせが続き、和佳と片岡はテレビ出演を逆手に取り、嫌がらせの告発を決意する。今回、都会から地方にやってきて、一つ二つ新規事業を軌道に乗せたとしても、そこにある保守的な強い弾力に跳ね返される主人公の苦闘が生々しかった。これまで和佳や片岡に立ちはだかってきた漁協の組合長は、徐々に直販事業のメリットを認めて乗り気になってきたものの、他の漁協の手前、方針を変えられない。そこに住む一人一人は善良な常識人なのだとしても、それが組織や集団やテリトリーの単位になった時に、大きなうねりが起きて変革を押しつぶそうとする。そこで従来暮らしている人たちがいて、彼らには彼らの暮らしが続く以上、そう安易に外から来て問題解決なんかしないし、めでたしめでたしにはならないと淡々と言われているようだ。そんな船団丸の苦境に対し、和佳は表向きテレビで嫌がらせを告発するとアピールしつつ、最終的には矛を収めて漁協や他の漁師達との衝突を避ける。威嚇は功を奏して、ひどい嫌がらせはだんだんと収まり、船団丸には平穏が戻ってくるものの、テレビ出演を見ても永沢の恋人の気持ちは変わらず、永沢は船団丸からの退職を決意する。永沢が最後に漁師の仕事と船団丸への愛着を和佳に語りかける言葉は、誠実だけれども過去形で語られていて、その真摯さの分だけ余計に切なさが募った。地方の一次産業の場には、都会では得がたい素晴らしさが沢山あるけれども、その長所の表裏で、若い世代が家庭を営むにあたって選びづらい理由も同じくらいある。和佳にとって最初の理解者である永沢の退場とともに、そんなほろ苦さが残る回だった。しかし、和佳が永沢との縁をそれっきりに捉えずに、いつか家族で戻ってきてほしいと訴えかける言葉に光明がある。「わたしは、ずっとここにいるからね。いつ帰ってきてもいいんだからね」都会から食い詰めてふらりとやってきた一人の女が、そこを出て行く誰かへのはなむけとして私はここに根付くと宣言する。力強い言葉だった。それにしても、社外の敵に対してはファイティングポーズを取って「殴られっぱなしじゃないぞ」と示し、内部で漁師達の不満を逸らし、実際には外に対して拳を振るわず(振るえばあらゆることが破綻する)綱渡りをしながら組織を鼓舞していく。どんなに苦しくても「何とかするから」と部下を守り、ぶれない理想を語る。組織の長であるということは、本当に孤独であるなと思う。そんなふうに苦闘しながら成長するリーダーシップの物語としても、骨太な本作である。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年11月14日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。世の中の価値観が変わっていくとき、ほとんどその変化はグラデーションだ。どこに境目があったかは、その時は分からない。数年越しに振り返って、ああ、変わっていったんだなと思う。グラデーションは時間の流れにもあるし、世代間にもあるし、中央から周辺への地理的な条件もある。『ファーストペンギン!』(日本テレビ系水曜22時)は、一人のシングルマザーがとある漁村にやってきて、漁師達と変革をおこしていく物語だ。それは裏返せば、保守的な土地柄の人々が、時に拒否したり考え込んだりしながら、どのように新しい価値観を受け止めて、変化か現状維持かを判断する様を描いていく物語だ。食い詰めたシングルマザーの岩崎和佳(奈緒)が一人息子をつれてやってきた、山口県のとある漁村・汐ヶ崎。彼女は漁獲量が減り、漁師の収入も減り、寂れていく浜で何か新事業を興せないかと漁師の片岡洋(堤真一)から頼まれ、国の六次産業化プロジェクトの認可を得て鮮魚の直販『お魚ボックス事業』をスタートする。既得権益である漁協の妨害や、通販の作業に不慣れな漁師たちとのトラブルも乗り越えて、銀行からの融資で経営資金も潤沢に得た。しかし、ようやく直販事業が軌道に乗ったところで、思いもよらない人間関係のもつれが明らかになる。今まで、時折和佳にビジネスや漁師達との関係に助言をする琴平祐介(渡辺大知)という謎めいた青年が描かれていたが、今回、その琴平が片岡の息子だと明らかになる。息子は、死別した妻の連れ子で、職業は医者。和佳の息子を診察した縁で親交があることも判明する。祐介は過去に進学にあたって、片岡と互いを思いやるあまりに喧嘩別れしており、東京で片岡たちを案じて和佳に汐ヶ崎行きを勧めたり、間接的に直販事業の相談に乗っていたのだった。それ自体は今までの片岡の回想や琴平の事情ありげな描き方で予想はできたのだが、予想外はここからである。和佳との親密さを見て、結婚を勧めた片岡や漁師たちに、祐介は自分が同性愛者であることを明かす。その上で、この浜に戻って開業医になりたい、自分が性的マイノリティであることを触れ回ることはないけど、「隠すこともない」と言う祐介に、片岡は狼狽えてそれは迷惑だと言ってしまう。「そねえな…お前…東京なら、あれかもしれんけど、そねえな訳分からんもん、ここん持ち込まれても困るんちゃ」息子の生き方を理解したいと頭の半分では思いながらも、東京のような都会ならともかく、この地元ではそれは困ると、おろおろと言う片岡の言葉が生々しい。魚の流通にしても、現状を変えねば未来が暗い、でも今起きるデメリットを受け入れたくない。同様に、マイノリティへの理解にしても、理念の上ではわかっていても自分の身近な存在になると、理念より現実の不安が先に来る。この物語は、総論賛成・各論反対になってしまう人々の綺麗ごとと矛盾を、人情味ある物語の優しさの中で容赦なく斬ってくるのである。再び断絶しかけた片岡と祐介を繋いだのは、祐介のマイノリティとしての痛み多き人生を、父親として理解してあげてほしいと願う和佳の言葉だった。保守的な価値観で生きてきた男には、それが通じる言葉で、実感できる情愛で語りかけていく。年齢、性別、立場を超えて、パートナーとして成熟しつつある和佳と片岡の、この時の会話が印象深かった。この関係性の成熟もスイッチが切り替わるようなものではなく、幾つかの衝突と解決を経たグラデーションだったのだと思う。今週、もう一つの予想外は、ここまで和佳を支えてきた漁師の永沢(鈴木伸之)だった。その優しさと和佳への献身ぶりから、当然『相手候補』最有力に見えていたが、今週のラストでまさかの「船団丸を退職したい。子供が出来たようなので」と、他に恋人がいると伺わせる爆弾発言。やはり森下佳子の脚本は、「定型の展開に見せかけて曲者だ」と痛感する展開だった。これまでにこのドラマは、衰退する地方とシングルマザー(和佳)、生きづらさを抱えた若者(たくみ)、社会的マイノリティ(祐介)といった社会的な弱者の距離を丁寧に描いてきた。そして次は『選ぶ』若者が、よりよい未来の為にどこに住み、どんな仕事を選んで生きるのかを描くのではないかと思う。優しい人情派ドラマに見えて、やはり一筋縄ではない。後半もまだまだ船は揺れそうだ。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら[文・構成/grape編集部]
2022年11月04日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。起業した知人から聞いた、ずっと忘れられない言葉がある。「雇った社員が結婚したんだよ。聞いたとき、怖くて足が震えた。自分では、『会社、この先何年やってけるか分からない』って思ってて、もう泥沼みたいな経営で。それなのに『家庭を持つ』っていうんだもの。でも、その時は顔に出さず笑って『おめでとう』ってご祝儀出して。ますます自分は死ぬ気で会社やらなきゃって」同じように数年後、社員が家を買うと言ってきた時にも、本気かと腰を抜かしそうになったらしい。もちろん顔に出さず、励ましたと言っていた。生々しい話で、起業して会社をやっていくって本当に大変なことだと思った。片岡(堤真一)ら漁師たちから贈られた営業スーツを見つめて、65万円の自腹を決めた和佳(奈緒)の姿に、友人のそんな言葉を思い出していた。食い詰めたシングルマザー・和佳がやってきた、山口県のとある漁村・汐ヶ崎。漁獲が落ち、魚の消費量も落ち、寂れゆく故郷を憂う漁師の片岡から、和佳は「浜の建て直しが出来るような事業を考えてほしい」と頼まれる。経営の経験なし、魚の知識もなし。あるのは根性とフットワーク、そして息子たちが生きる未来によりよい社会を残したいという願いのみ。そんなヒロインが奮闘する『ファーストペンギン!』(日本テレビ系水曜22時)。和佳は漁協を通さずに鮮魚を直販で届ける『お魚ボックス事業』を始めるものの、既得権益を手放さない漁協の横槍や、漁師達からの反発で事業は一向に軌道に乗らない。いざ直販事業が始まると漁師達の魚の梱包は乱雑で、クレームとその対応で和佳と漁師達はまたしても空中分解寸前になってしまう。獲った魚がどんな料理になるのかを見せれば、漁師達のモチベーションが上がるかもしれないと、和佳は全員の旅費65万円を自腹で借金して、船団丸の面々を高級フレンチに連れて行く。今回、4話ではその『フレンチ出張』と同時進行で、船団丸の漁師・山中篤(梶原善)と、その息子たくみ(上村侑)のすれ違う親子関係が描かれる。昭和生まれの漁師らしく何ごとも深く考えない篤と、一度は就職したものの、東京暮らしが合わずに地元に帰ってきて根腐れしたような生活を送る息子のたくみ。物語は10年前の話だが、おそらく日本全国、今もどこにでもある親子のありようだと思う。若い世代はSNS等を通して、地元に戻ってからも選べたはずなのに選べなかった、あるいは選ばなかった人生を横目で見つづける。親の世代はそんな若い世代の焦燥を腫れ物のように持て余す。今回とりわけ、たくみに東京で何があったのかと問う、若手漁師の永沢(鈴木伸之)との会話が印象深かった。問いかける永沢に、特に何があったわけじゃないが、東京での生活ひとつひとつに疲れたのだとたくみは自嘲気味に応える。学歴や教養や社会常識、地元の暮らしで存分に得られなかったものが、都会での彼を疲弊させたのだと思う。さりとて帰ってきても、さびれゆく土地の、さびれるだけの理由がもう見えてしまっていて、やるせなさは行き場がない。地方で生きていく若者の焦燥や、それでも捨てられぬ愛着がよく描かれたエピソードだと思う。高級フランス料理店での魚料理を通じて、たくみは鮮魚ボックスへの和佳の情熱(彼女はそれを『ロマン』という言葉で表現する)と漁師たちの魚への誇りに触れ、浜での生き方に小さな希望を見出す。大きな転機があるわけではないが、ひとつひとつそこで生きる理由を見つけて、いつか誇りになっていく。それは土地の良いところも悪いところも見つめながら、地方都市で生まれて暮らしていく多くの人々へ、真心のこもった静かなエールに思えた。ここぞという時には強烈なリーダーシップを発揮する一方、時に説明の言葉が足りない和佳と、キレやすい荒くれ漁師たちをつないでいるのは、まだ若い漁師の永沢一希である。大きな体を縮めるように和佳の話を聞き、一晩中子供に寄り添って、時には親子喧嘩の仲裁に入って殴られる。しかも殴られても激することもない。そんな心優しい漁師に、劇団EXILEの鈴木伸之がぴたっとはまっている。鈴木伸之は、昨年の『恋です!~ヤンキーくんと白杖ガール』(日本テレビ系)でも、いかつい外見に反し、繊細で思いやりのある青年を好演していた。あの大柄な体からにじみ出るような優しさには不思議な説得力があり、これから物語の中でどんな役割を果たすのか、楽しみである。立ち上げの時期を経て、事業が順調に走り出すとき、仕入れや人件費、経費がかさみ始める。しかしもどかしいかな、それが収益に変わるのは大抵その少し後なのである。和佳と漁師たちにも、避けて通れないシビアな資金繰りの問題が降りかかろうとしている。倒れた自転車と何気なく渡したチラシは、この先どこに繋がってくるだろうか。幾つもの点を浮かべ、物語は中盤に入ろうとしている。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年10月28日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。漁協からの度重なる陰湿な嫌がらせにも、根も葉もない悪い噂話にも、心折れないヒロイン。だが、その心がポキッと折れたのは、仕事への評価ではなくて、「母親としてあんたどうなんだ」という仲間からの反則の一撃だった。「それを言っちゃあ、おしまいだろ」と思ったら案の定、ヒロインの和佳は漁師たちとの仕事をあきらめて去ってしまう。それはやはり仕事仲間としては、決して刺してはいけないところなのだ。「これはつらいな」と思わずため息が出る。でも確かにその時が物語の底、深い水底でつま先が触れた瞬間だった。あとは蹴って上がるのだ。とある寂れゆく漁村、汐ヶ崎にふらりと現れたシングルマザーが、ひとりの漁師と出会って浜の再建になるような事業を興してほしいと頼まれる。華奢で、経営の経験もなく、おまけにアジとサバの区別もつかない彼女。しかし、類い希な根性と行動力の持ち主だった。そんなヒロイン岩崎和佳(奈緒)と、さんし船団丸の漁師達の奮闘を描く『ファーストペンギン!』(日本テレビ系水曜22時)。その行動力で、和佳はこれまでタブーとされてきた、漁協を通さない魚の直販を始めるべく国の六次産業化プロジェクトの認可を得て、漁協からの嫌がらせをものともせず直販事業に突き進む。漁協とのしがらみや増える仕事に渋る漁師達を激励し、叱りつけ、何とか事業をスタートさせたものの、和佳のアイデアを潰したい漁協の組合長・杉浦(梅沢富美男)の陰湿な妨害工作はまだ続いていた。嘘の証言を録音したり、フェイク画像まで作って和佳の悪評を広めようとする組合長の憎らしい悪役ぶりも、相変わらず見事にブレがない。ヒロインにふりかかる試練がエグいほど、後半ジャンプアップして面白くなるのが脚本家・森下佳子のドラマで、それは演技だと分かっていても一瞬「本当に嫌いになりそう」と思わせるような敵役あっての効果である。そのラインすれすれの憎々しさを、NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』ではキムラ緑子が担ったが、今回は梅沢富美男が怪演している。さんし船団丸の口座から多額の預金を引き出して、目一杯おしゃれをして東京に出て行く和佳の行動を、漁師達は「会社の金を横領して遊び歩いているのでは」と怪しむが、それは東京の飲食店に魚を買ってもらうための必死の営業だった。何度も無理に食べ吐きしながら営業に回った和佳は倒れて病院に運ばれ、息子の進(石塚陸翔)を船団丸に預けたまま一晩帰れなくなってしまう。ここで漁師たちと和佳の間の不信感はピークに達する。漁師の片岡(堤真一)は和佳の母親としてのありようが酷すぎるのではないか、息子の進の物分かりがあまりにも良いのは、放置の結果の歪みではないのか、と和佳にとっては身に覚えのある『痛い一撃』を食らわせてしまうのである。興味深いのは、物分かりが良すぎる子供への忸怩(じくじ)たる思いが、どうやら片岡自身の過去に繋がっているような部分である。自分にその痛みの後悔があるから、和佳に対してもある意味的確にその武器を使ってしまったのではないか。片岡には病で死に別れた妻がおり、その妻には連れ子がいたということが物語の初回、漁師たちの話で明かされている。そして和佳には琴平(渡辺大知)という経営コンサルタントらしき青年が時折連絡をしてお魚ボックス事業に的確なアドバイスをしている。琴平は、和佳と進の親子に対して何らかの好意はあるようだが、その真意は見えない。その琴平が、今回のラストで汐ヶ崎の漁師たちについて直接見知っているふうなことを言いかけてやめた。そして、まだ和佳に対して何か隠している意図があるらしい。幾つもの点と点が浮かび上がっているが、それがどんな線を描くのかはわからない。中盤に向けての大きな楽しみの一つになりそうだ。こうして一度はさんし船団丸との縁を切ろうと決めた和佳だったが、和佳の献身的な営業の実情を知った漁師の面々が引き止めにやってくる。それでも振り切ろうとした和佳を引きとめたのは、いつも良い子すぎるくらい良い子である息子の進が初めて見せた怒りだった。漁師たちの訴えかけを無視して自転車をこぐ和佳に、進は初めて「ママのばか!」と怒り、驚いて自転車を止めた和佳は追いついてきた漁師たちと和解する。一度切れかけた糸が、繋がってまた撚りあう瞬間だった。しかし遡って考えると、普段は優しい幼い子を怒りに突き動かしたのは『楽しい漁師のおじちゃんたち』への思いやりだろう。それは一晩寄り添った永沢(鈴木伸之)の優しさや、ペンギンの鳴き声を真似て寂しさを紛らわせてくれた片岡の思いやり、そして母親の悪口を子供の目の前で言わなかった高志(吹越満)の気遣いといった、海の男たちの不器用な優しさが絡まりあって醸成されたものだ。つくづく人の縁は、単線ではなくて絡まりあってめぐるものだと思う。同じく森下佳子が脚本を担当した大河ドラマ『おんな城主直虎』(NHK)に、子を生まなかったことを揶揄された主人公が「あいにく子を持ったことはないもので。どの子も等しく我が子のように見えましてな」と返す名台詞がある。このセリフの味わい深さも、そして今作で繰り返される、長いものに巻かれないでも生きられる社会をという描写も、極上のエンタテインメントの中で「私たちは次の世代にどんな社会を残したいですか?」と問われているかのようだ。和佳と漁師たちの奮闘を見守りながら、その答えの一端だけでも見つけられるといいなと思っている。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年10月21日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。森下佳子脚本ドラマの序盤はつらい。何作品か見て分かっているけれども、『ファーストペンギン!』(日本テレビ系水曜22時)の2話、ヒロインをとことん追い詰める容赦なさにまたしても唸った。ヒロインが苦難を乗り越え、問題を解決して仲間を得て目的に進んでいく。そのストーリー自体エンターテインメントとして王道だが、森下脚本でのヒロインの苦難は他のそれよりも更に一段闇が深いと思う。NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』の時には、主人公・め以子が嫁いだ先の小姑の和枝が繰り出す『いけず』は、嫁いじめと言うには悪意が底知れなくて恐ろしかった。大河ドラマ『おんな城主直虎』の時も、ヒロインが領主になった当初はどこを向いても敵だらけで、頼りになるはずの幼なじみも敵方に離反しているように振る舞い、痛々しいことこの上なかった。2021年のテレビドラマ『天国と地獄〜サイコな2人』(TBS系)は男女の入れ替わりが物語の主軸だが、ヒロインは入れ替わった相手、つまり自分の姿をした相手から、意図的に食物アレルギー反応を仕組まれて死にかけてしまう。そして、今作「ファーストペンギン!」である。物語のスタートは、現在の10年前。ヒロインの岩崎和佳(奈緒)はシングルマザーとしてとある漁港に引っ越してくる。そして、ひょんなきっかけから、漁師の片岡洋(堤真一)と出会い、漁獲量が落ちてさびれていく浜を元気づけられるような事業を考えてほしいと頼まれる。折しも国が六次産業化プロジェクトを募集し始めた矢先で、水揚げされた魚を通販で直接販売する『お魚ボックス』の企画を見事に通すものの、彼女の前に立ちはだかったのは従来の販路を外そうとする企画を快く思わない漁協の組合長・杉浦久光(梅沢富美男)だった。一度は和佳の企画に賛成した片岡も、杉浦の圧力に負けて翻意してしまい、かくして和佳はハシゴを外され漁港の中で孤立してしまうのだった。とにかく、これでもかと和佳にふりかかる試練がえぐい。最初に依頼してきた片岡にハシゴを外されただけでも随分な話だが、その後どんなに漁師を鼓舞しようとしても無視され、自腹でお試し用の『お魚ボックス』を作って売ろうと奮闘しても魚を買えないように裏で仕組まれ、あまつさえ頼みの綱の六次産業化プロジェクトの認定さえも組合長の策略で取り消されそうになってしまう。しかもその理由が和佳がハニートラップで統括担当を脅迫したというひどい嘘なのだった。くじけない和佳のバイタリティもすさまじいが、実はその苦難の一つ一つに、そっと寄り添う人達がいる。とりわけ、周囲に対して大きな声をあげるわけではないけれど、土砂降りの中で傘をそっと差しだしてくれるような女性たちの助力が印象的だ。内緒で魚を売ってくれる女仲買人、解雇しても部屋からすぐに追い出さずに待ってくれる女将、逃げ回る役人に会えるように仕組んでくれるホステス、突然のトラブルの時にごく自然に子供を預かってくれるママ友、そして認定取り消しの動きにシグナルを出してくれる農水省の女性官僚。これは、確かにファーストペンギン・和佳の話だけれども、同時に、もしファーストペンギンたりうる特別な輝きの誰かに、(私自身含め)平凡に生きている人生で出会ったならば、どのように振る舞うかという話でもあると思う。すぐに大手を振ってついていくほどの勇気はなくても、転びかけたところに手を差し出し、気持ちがくじけた時にはそっと背中をさすってあげるような、今、出来ることで支えればいいということではないか。対して、このままでは寂れていく地域社会を維持できないと危機感を持ちながらも、既存のしがらみに絡めとられて動けない、漁師の片岡や中年男性たちの煮え切らなさは実にじれったい。その動きの鈍さ、現状ではまずいと思いながらも、暮らしを維持していかねばならない彼らの焦り。それらの矛盾は、今現実の社会を覆う閉塞感そのもののように見えるし、脚本は彼らのがんじがらめのしんどさを、今はじっと静かに見据えて描いている。2話を終えて、今のところは一難去って更に大きな一難といった具合で辛い展開が続くが、最初に書いたように、序盤の辛さは森下作品の大きな特徴である。中盤から終盤にかけて『その時』がくれば、まるで一気に咲きはじめる花のようにあらゆる登場人物が、そして序盤では到底好きになれそうになかった敵役までもが魅力的に変貌し、主人公が乗り越えてきた苦難一つ一つに意味があったのだと実感する。ドラマを見続ける楽しさが、そこには詰まっている。十年後の息子が語りかける優しいナレーションは、そこにたどり着くための地図なのだろう。まだリクライニングシートを倒してリラックスとはいかないけれど、物語は希望に向けて旅立った。揺れながらも力強く目的地を目指している。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら[文・構成/grape編集部]
2022年10月14日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年10月スタートのテレビドラマ『ファーストペンギン!』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。誰の人生にも「ここで飛び込めばいいんだろうな」と水面をのぞき込む瞬間がある。でも、ここで飛ばなきゃ死ぬというような特殊な状況(病気の治療や理不尽な暴力から逃げる時など)で無いかぎり、大概の人は飛び込む前にそのまま振り返って静かに元の暮らしに戻っていく。大人になればなっただけ、何かを得ようとしたら何かを失う覚悟が必要だと分かる。失うものも見えすぎる。それでも一握りの人間は水面に飛び込むのだけれど、彼らを飛び込ませる最後の『一押し』は何だろう。お金、名誉、それとも正義。結局、魚のいる海どころか管理されたプールにすら飛び込めない人生を送りそうな私は、『ファーストペンギン!』(日本テレビ系水曜22時)を見ながらそんなことを考える。まるで火花が散るようなヒロイン・和佳(のどか)の啖呵(たんか)を、のけぞりながら聞いている。物語の始まりは現在からおよそ10年前。子連れのシングルマザー岩崎和佳(奈緒)が、とある中国地方の漁村にやってくる。住み込みでホテルの仲居をしながら、副業として事務系の雑用を請け負うつもりでいたところに、和佳は宴席での思い切りのよさと機転を見込まれて、漁船団『さんし船団丸』の社長である片岡洋(堤真一)から、「寂れていく浜の建て直しに何か事業を興せないか」と相談を持ちかけられる。アジとサバの区別すらつかない自分に「なぜそんなこと」をと不審に思いながらも、浜で食べた獲れたての魚の美味しさに商機を見た和佳は、片岡や部下の漁師達とぶつかり合いながらも、農林水産省が推進する六次産業化プロジェクトの認定を得る。和佳の奮闘に浜の建て直しの光明を見て喜ぶ『さんし船団丸』の面々だったが、それは漁協という既得権益の牙城との激しい戦いの始まりでもあった。実は、このドラマは実在の人物、土地、企業をベースにしている。脚本は、温かみのある丁寧なストーリーに定評のある森下佳子。NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』(2014年)、大河ドラマ『おんな城主直虎』(2017年)、『義母と娘のブルース』(2018年TBS系)など、近年手堅いヒット作が続いており、とりわけ一風変わった史実や原作ものをドラマとして組み立てる手腕は随一である。今回、ビジネスの実話をどんなふうにエンターテインメントに組み立ててくれるのか期待が膨らむ。初回を見て痛感したのは、人物の描写や設定そのものが寂れた漁村だけではない、今のこの国の縮図だということだった。ヒロインの和佳は、我が子の為に未来によりよい社会を残したい。そのために矛盾や改めていかねばならない部分が見えているし、タフで行動力もある。しかし、若さと圧倒的な男社会の漁業で女性であるということ、そしてよそ者であるというハンデが彼女を阻む。和佳に浜の建て直しを依頼する片岡は、社会を支えるミドルとして地域社会を衰退させてしまった己の来し方を顧みて罪悪感に悩みつつ、年の分だけ絡みついたしがらみが改革の最初の一歩を阻む。結局、総論賛成各論反対の矛盾を体現してしまっている。『さんし船団丸』の若手漁師・永沢(鈴木伸之)は、和佳の奮闘には肯定的なようだ。しかしそれを言葉にして積極的に支援するまでにはまだ至らない。改革者を静かに見つめる若年層のマジョリティのような存在である。そして巨大な既得権益として、漁協の組合長である杉浦(梅沢富美男)が立ちはだかる。かつて生産者たちの心強い味方だった組織が、時代の経過とともに疲弊していると多くの人々が気づいているけれども、あまりにも社会に深く絡みついて、周囲も当事者たちも修繕することも断ち切ることもできなくなっている。ヒロインのジレンマもさながら、現状に強い問題意識を持ちながらも、しがらみで身動きが取れない『さんし船団丸』社長の片岡の描き方が興味深い。初回のラスト、組合長から漁協を通さない魚の直販に脅しをかけられたヒロインに、普通ここは味方して二人で『巨悪』に立ち向かうだろうと思いきや、片岡は組合長相手に尻尾を巻いて、和佳が掛けた『魚の直販』という梯子をあっさり外してしまうのである。このままではいけないとわかっているが、何から手をつけたらいいのか、義理や恩を損なわずに現状を変えていくにはどうしたらいいのか、下からは冷淡な目で見られ上からは押さえつけられて右往左往しているこの国のミドルの現状そのもののようだ。結果、和佳が悔し涙にまみれながら、まるで手負いの獣が暴れるような激しい啖呵を片岡と組合長に浴びせかけて、戦いの火ぶたが切って落とされる。和佳には、学生の頃に校則をめぐり正論を通そうとして、いざ教師と対峙するときには生徒は誰も味方をしてくれずに持論を撤回してしまった苦い過去があった。その傷は思い出に押し込められたように見えて、ずっと彼女の中で治らずに膿んでいた。その長く疼く痛みの人生を、そして長いものに巻かれたほうがいいような社会を、息子の世代に残していいものかという怒りと切迫が彼女を水に飛び込ませたのだと思う。勇気は、愛する誰かに誇れる自分でいたいという願いからやってくる。かくして最初のペンギンは水に飛び込んだ。後に誰か続くのか、ペンギンたちは天敵に食われずに突き進むのか。何せ森下脚本である。この先も上下左右に大揺れして一筋縄ではいかないだろう。ときめきと笑いと阿鼻叫喚の数か月が待っている。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年10月07日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。孤独からやってきた男は、ひとときの喧噪の後、再び孤独な暮らしに戻っていった。誰かと笑い、食べて暮らす楽しさを経験した分だけ、失った悲しみは避けられないけれども、痛みをまるごと抱え込んで生きる姿は、前より美しく、強くなったように見えた。罪の概念が壊れた殺人犯に対峙したとき、「悪魔を殺せるのは悪魔だけだ」と言って、自分自身もその境界線に足を踏みこんだけれども、結局彼は悪魔にはなれなかった。大切な人を殺されたかもしれない怒りで、暴力的に殺人犯を裁くことも出来たのだろうけれども、その間際に友人が大声で知らせた大切な人は生きているという言葉が、彼を紙一重で悪魔にしなかった。悪魔にはならず、愛する人は消えて、スプーン一杯分の思い出と耳かきひと匙分の願いが残った。『初恋の悪魔』は、失った痛みと孤独をなぞり続ける物語だった。変わり者の刑事・鹿浜鈴之介(林遣都)、うだつのあがらない警察署の総務課職員・馬淵悠日(仲野太賀)、皮肉屋の経理課職員・小鳥琉夏(柄本佑)、そして二重人格の生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)。うまく組織にハマれない4人が、勝手な『捜査会議』をきっかけに、少年連続殺人事件の謎に巻き込まれるというサスペンス・コメディ『初恋の悪魔』(日本テレビ系土曜22時)。最終回、少年連続殺人の犯人は、警察署長・雪松鳴人(伊藤英明)の息子の弓弦(菅生新樹)だったことが明かされる。雪松は警察官として息子の殺人を隠蔽しつづけ、そのために殺人と二つの冤罪をおこしてしまったのだった。雪松が息子の罪を告白する最中にも、ひっきりなしに鳴る弓弦からのメッセージの乾いた着信音が何ともおぞましい。まるで幼子のように、弓弦は父親に「どうしたらいいの」「まだ?」「早くきて」と短文で懇願し続ける。父親としての愛情ゆえにそれを無視できず、絶望する雪松に鈴之介がかけた「終わりませんよ。あなたが死刑になっても、そのメールは届きますよ。ずっと続くんですよ」という淡々とした言葉に慄然とさせられる。それを信じる人々にとって、何もかもを解決する親の愛のように解決と意思決定は序列の上から降りてくる。そこに疑いも間違いも、罪悪感も存在しない。そして枠組みから外れている人々への無関心が、錆になって思考を止めてしまう。理由など考えないまま、少年は最初に万能たる父親に指示された通りに、繰り返し殺した相手の靴を脱がせて捨てる。盲信と無関心は弱い人々を押しつぶし、大きな問題を先送りにして、いずれ手遅れにする。それはこの物語を終始貫いていた警告だったと思う。極上のエンターテインメントの中で深く静かにその描写を繰り返し、見ている私たちに訴えかけたその根気に、惜しみない賞賛を贈りたい。こうして事件はほろ苦く解決し、鈴之介と悠日の間で二つの人格を行き来していた星砂は刑事の星砂に戻る。解決後しばらく悠日と星砂は鈴之介の家に居候しているがおそらく悠日と星砂は蛇の星砂を失った鈴之介の喪失感を、鈴之介は事件が引き起こした暴力や兄の死で傷ついた2人を思いやって共に生活しているのだろうけれども、傷がある程度癒えたであろうタイミングで鈴之介は2人を突き放し、2人もまた踏ん切りをつけて鈴之介の家を出ていく。居候中は、食事は出されるまま、終日パジャマ、靴下は脱ぎっぱなしという緩さがリアルで可笑しい。テレビドラマ『カルテット』(TBS系)でも真紀の失踪した夫が脱ぎ散らした靴下が繰り返し描かれるが、坂元作品の中で脱ぎ散らした靴下は家庭のくつろぎや人の体温、気配を表象しているのかもしれない。切ないし寂しく見えるけれども、それは互いを思いやりながらも、依存はしない『風通しのいい』関係の当然の帰結なのだと思う。1人で淡々と暮らす日々の夜、鈴之介は最後に蛇の星砂と出会う。「これが最後になるから会いに来ました」と語る蛇の星砂は、鈴之介の夢だったのか、それとも星砂は本当に来たのか。解釈は見た人それぞれだと思うけれども、個人的には本当に星砂はやってきたのだと思いたい。自転車が倒れる音で振り向いて、そのまま小走りに駆けていく姿は蛇のほうの星砂に見えた。彼女は最後の時間でリサ(満島ひかり)に会い、そのあと本当の最後として鈴之介のところにやってきたのだと思いたい。大型犬に吠えられること、共同生活の朝はトイレが混んで困ること。日常の他愛もないこと、楽しいこと、愛しいことを語り合って言葉で残し、彼女は去った。言葉にすることは、流れゆく膨大な感情を切り取って残すことだ。死んだ兄に携帯越しに語りかけた悠日の言葉も、刑事の星砂が悠日に書いた手紙も、リサが刑事の星砂を通して蛇の星砂に語りかけた言葉も、誰しも別れ、何かを失う人生を生きていくための、小さな縁(よすが)だ。1人、2人の友人であっても、価値観を共にできる誰かがいれば、孤独の悪魔からは逃げられる。でも、そんな誰かが今はいなくても、慈しまれた記憶と言葉がスプーンひと匙あれば、きっと人は悪魔にならないでいられる。そして耳かきひと匙分の希望を抱いて、その時が来れば誰しもが誰かの『思い出のひと匙』になれるのだと思う。偏屈だが、常に切なさが全身に詰まった鈴之介を演じた林遣都、穏和だけれども情熱を秘めた包容力のある悠日を演じた仲野太賀、二つの人格をシームレスに往来する難役を2人分以上に魅力的に演じた松岡茉優、弱く見えるけれどもしなやかで、息詰まる展開の癒しになった小鳥琉夏を演じた柄本佑。メインの4人もバイプレーヤーもゲストも、終始『この人でなければできない』に満ちていて、素晴らしい見ごたえだった。今のご時世、これだけの複雑さを提示して、集中力を保って見なければ追えないドラマは、決して多数派のものではないのだろう。また、この稀代の名脚本家にとって、今のテレビドラマは媒体として制約が多すぎるのではないかと杞憂めいた思いもある。それでも、誰かの孤独な夜に、泣きたくても傍らに誰もいないようなその時に、この人の紡ぐ言葉が福音のように届くその可能性があるとしたら、やはりテレビドラマなのだろうと思う。この次に脚本家・坂元裕二が私たちにどんな未知の世界を切り開いて見せてくれるのか、もちろんそれも待ち遠しいけれども、今はもう少しこの『初恋の悪魔』の美しい余韻に浸っていたいと思う。人生の一里塚のような素晴らしい作品を、本当にありがとうございました。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年09月27日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。「君は知っているか。この世には知らない方が良かったことがある」鈴之介(林遣都)と悠日(仲野太賀)の最初の出会いのとき、鈴之介はそう言った。恋は(とりわけ失恋は)分かりやすく、その最たるものだ。世の中には頑張っても尽くしてもわめいても報われないことが存在すると身にしみたとき、人は確かに世の中の見方が変わる。そして、親であったり先輩や上司であったり、自分が盲目的に崇拝する相手が実は凡庸な人物であると、何かのきっかけで見抜いてしまうこと。凡庸ならまだいいけれども、社会的・倫理的に悪いところを見抜いてしまうことさえあって、それもまた人にとっては人生の境界線だと思う。でも『知らない方が良かったこと』という表現には、結局のところ人はそれを知って、それでも人生は続くというニュアンスがあらかじめ含まれている。『知らないほうがよかった』の後にあるのは、どんな人生だろうか。最終話まであと1話、『初恋の悪魔』(日本テレビ土曜22時)の9話を見ながら考えずにはいられなかった。優秀だが変人の刑事・鹿浜鈴之介、お人好しの元総務課職員・馬淵悠日、二重人格に揺れる生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)、そして図らずも三角関係になってしまった3人を繋ぐ経理課職員・小鳥琉夏(柄本佑)。警察組織の主流に乗れない4人は、勝手に自己流の『自宅捜査会議』を繰り返すうちに、5年前から続く少年連続殺人事件に巻き込まれてしまう。かつての依頼人の冤罪を確信して事件の調査を続けている元弁護士で、現在は作家の森園(安田顕)を加え、面々は連続殺人犯として警察署の署長である雪松鳴人(伊藤英明)への疑念を深めていく。思えば、第1話の事件(病院内の不審死)の被害者は十代の少年たち。第2話の事件(団地内の空白の殺人)は兄と弟のすれ違い。第3話の事件(万引きの未遂)は、内部の偽証。第4話の事件(世界英雄協会と名乗る動画)は、公権力を介さない私的な制裁。『自宅捜査会議』を行っていた前半のエピソードは、5~9話までの少年連続殺人事件にループするように繋がっている。前半と後半を貫いているのは、効率重視で拙速に結論を出そうとする多数派の流れが、ともすれば問題の根源を見逃し、更なる悪を蔓延させるという警告である。連続殺人の犯人だという確証を掴むために雪松を尾行する悠日と琉夏は、雪松の息子の弓弦が古い靴を廃棄しようとする現場を抑え、それがきっかけで連続殺人事件の真相を聞くことになる。息子の雪松弓弦を演じる菅生新樹(すごう・あらき)は、今や日本のエンタメを代表する俳優の1人である菅田将暉の実弟とのこと、確かに遠目には兄の面影を彷彿とさせるものがある。父の犯罪に巻き込まれた息子の悲痛さから一転して、おにぎりを口にしながら刃物を振るい、襲撃者に転じるさまは、見ていて恐怖で肌が粟立つようだった。『あの』菅田将暉の弟であるというあおりを、最大限に逆手に取った鮮烈な地上波作品デビューである。その大胆さ、覚悟。これからのキャリアが楽しみだ。それにしても、これが最初の頃の鈴之介ならば、ひとり猟奇犯罪の本を読み漁って、エキセントリックに研ぎ澄まされていた鈴之介なら、家族の犯罪を告発しているということを差し引いても、刃物のある部屋に事件がらみの青年を一人で放置したりしないのではないかと思ってしまう(5話で描かれたが、そもそも鈴之介の自宅には地下室もある)。おそらく星砂への想いと惑乱が、一連の事件の中でその判断の切れ味を狂わせたのだと思う。友人を得て、恋をして、それがきっかけで友人との関係が互いに微妙なものになり、もがくうちに彼らは最初に持っていた「マーヤーのヴェールを剥ぎ取る」ための第三の目を曇らせてしまう。そして、毛布を与え、温かな善意で差し出したおにぎりが、底知れぬ害意の呼び水になってしまう展開は、人の善を前提とする繋がりが、その居心地の良さで悪も同様に培養してしまう現実を反映しているようでやるせない。それでも、禁断の実の林檎を口にすることが無垢の喪失で、苦しみの始まりなら、せめて大切な人と上手に剥いて分かち合い、その記憶とともに生きて死にたい。その優しさが時に悪を引き入れる可能性があるとしても、居場所のない絶望する誰かのために、優しくてでたらめなお伽話を口にして、風の吹く夜を遠回りをして歩きたい。物語の最後に、私たちは何を見つけるだろうか。優しきマイノリティの4人それぞれに、風の吹く日が来てくれるといいなと願う。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年09月20日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。仕事絡みの知人が亡くなって通夜に行く。ご親族に挨拶をするけれども、その人について語れる思い出は多くないから、少し居心地が悪い。外に出て会葬のお礼状を読み、こんな人だったのかと驚く。書かれた趣味や家族への愛情は職場で見た印象とは随分違う。人ってやっぱり複雑なものだなと思う。スマホの手がかりから兄・馬淵朝陽(毎熊克哉)の意外な生前の姿を追っていく悠日(仲野太賀)の姿を見ていて、ふとそんな自分の最近のほろ苦い思いが浮かんでくる。悠日がスマートなエリートだと思っていた兄・朝陽は、『七転び八起き』という言葉を必死で抱きしめて生きていた。弱さも悩みも、悠日の知っている朝陽とは違っていた。脚本家・坂元裕二の紡ぐ言葉はフィクションの中からするっと這い出してきて、見ている私たちの人生に忍び込んでくる。一度箱に詰めた過去の感情が、軽妙なセリフや磨き抜かれた言葉が鍵になって不意に開く。最終章が始まる第8話は、そんな坂元脚本の醍醐味が詰まった回だった。凶悪事件マニアで変人の刑事・鹿浜鈴之介(林遣都)、兄の不審死を調べた結果、上司に疎まれ退職に追い込まれた総務課職員の悠日、生活安全課の刑事だが、二重人格でその不審死の真相の鍵を握る摘木星砂(松岡茉優)、警察署にいながら警察組織が嫌いな経理課の小鳥琉夏(柄本佑)。上下関係の堅固な組織の中にありながら、そこに馴染めないまま生きている4人が連続殺人事件の謎を追う『初恋の悪魔』(日本テレビ土曜22時)。刑事の星砂は悠日と、もう一人の人格の星砂は鈴之介と、それぞれに惹かれあっているため、3人は奇妙な三角関係になっていて、小鳥が飄々と立ち回って4人が空中分解しないように絶妙にバランスを取っている。坂元脚本といえば、テレビドラマ『カルテット』(2017年 TBS系)の3話の名セリフ「泣きながらご飯食べたことある人は生きていけます」が有名(今回、そのシーンと同じ定食屋らしき店が登場していた)だが、今作でも食事の場面は印象的で8話はとりわけそれが際立っていた。冒頭、鈴之介はいちごとマスカットのショートケーキを一つずつ買って帰り、まず星砂にどちらか好きな方を選んで食べてほしいと思っている(残った方を自分が食べるという目論見で、そんな無垢な浮かれ方が鹿浜鈴之介というキャラクターの何ともいえない魅力である)。「同じケーキを二つ買う」でも十分愛情表現として良いと思うが、あなたが楽しそうに選ぶ表情が見たいという高揚が恋の純度だと思う。結果として星砂も同じ二種類のケーキを買っていて鈴之介に選んでほしいと待っていたというオチで、キスよりもハグよりも、恋としてより深いものを示唆する描写はさすがである。この時、鈴之介がもう1人の星砂に対して、この先離れていても会えなくても、どこかで生きてほしいと願う言葉が切なくて印象深い。もう一つ、印象的なシーンは、星砂が悠日から渡されたカレーを食べる場面だった。鈴之介と惹かれあうもう1人の星砂がレンジで温めておいたカレーを、入れ替わりの直後になぜそこにカレーがあるのかよく分からないままに刑事の星砂は食べる。一口食べて、それは恋人が作った味だとすぐに気づいて涙が溢れてくる。食べ終えてから星砂はタッパーに貼られたメモで、悠日が自分を案じてくれていること、一緒にいられないならばとせめてもの思いでカレーを託したことを察して、悠日の元に帰ろうと雨の中を走り出す。「食べてください」は「生きてください」だと、そして理屈やどうしてよりも前にある無条件の愛おしさが満ちて溢れだす、胸にせまる美しい場面である。ロマンチックなラブストーリーとして、切れ味ある社会派のドラマとして、謎が混迷するサスペンスとして、自在に魅力を変えていくこの複雑なドラマを成立させるための根幹にして、かつ一番の難関は『ヒロインが記憶喪失を伴う二重人格』という設定だと思う。そこに揺るがないリアリティを得るために、松岡茉優の卓越した演技力が必須だったのだと改めて痛感する。宅配便を受け取りサインを書く。その瞬間に星砂の人格は入れ替わる。ためた間があるから、もしやと見ている私たちは固唾をのむわけだが、星砂が宅配業者に「あぁ」と短く低い声で答えるそのとき、その声のトーンだけで既に私たちはわかってしまう。これまで緻密に積み上げた松岡茉優の演技が、私たちを鳥肌が立つようなその瞬間に連れて行ってくれるのである。最終章の皮切りになるこの回で、初めて『初恋』というタイトルに絡む言葉が提示された。悠日の兄の朝陽が発したその言葉の意味は、崇拝であり盲信なのだろう。そこに連なる『悪魔』は、どんな姿をしているだろうか。おそらく多面的で、複雑で、やるせないものになるのだと思う。そんな複雑さごと私たちはこのドラマを愛している。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年09月13日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。時々、いくつも同時進行するSNS上の自分に疲弊する。トラブルが起きたらもちろんだし、トラブルがなくても理由のない倦怠感に襲われる。「もうこれ終わりにしたらどうなのかな、アカウントごと消して寂しくはなるだろうけど少しは救われる部分だってあるんじゃないかしら」ほとんどの人がおそらく、多少なりともそんな誘惑にかられたことがあると思う。アカウントごと消したら、それまでネットの空間にいた私の分身は、言葉のかけらは、声の切れ端は、どこに沈んでいくだろうと漠然と思う。その断片の中に『本当の自分』はどのくらい含まれているのだろう。社会と自分の境界線は案外脆くて複雑だ。何が『本当の自分』か。それを決めるのは投稿か思い出の数か、あるいはそこで生きるための執着か。2つの人格を彷徨う摘木星砂(松岡茉優)の手紙に、そんなことを考えていた。休職があけた変わり者の捜査一課の刑事・鹿浜鈴之介(林遣都)、穏和だが自己主張できない警察署の総務担当・馬淵悠日(仲野太賀)、優しいが目ざとくてちょっと面倒くさい経理担当の小鳥琉夏(柄本佑)、そして二重人格で2つの生活を彷徨う生活安全課の刑事・摘木星砂。組織からはみ出している4人は『自宅捜査会議』と称して、勝手に捜査一課の事件を推理するうちに、やがて5年前に起きた少年殺人事件にたどり着く。更にその事件は、悠日の兄で刑事だった馬淵朝陽(毎熊克哉)の3年前の殉職事故に加え、もう1人の星砂の恩人・淡野リサ(満島ひかり)が犯人として逮捕された殺人事件と一本の線で繋がっていた。そして今、更なる類似の殺人事件が発生し、過去と同様に不自然なほど証拠が揃いすぎている容疑者が浮かび上がる。このドラマの中で、主要部署の捜査一課は、権力と治安であり、社会の多数派を現すものとして描かれる。彼らは少しでも早く順当な落とし所を見つけ、そこに向けて効率よく事件を解決しようとするため、時折こぼれ落ちている、自分たちの仮説に相反する真実の欠片は見てみないふりをする。今回の殺人事件の容疑者は殺された青年の恋人だが、おそらく社会一般的に見てあざとすぎて無言のまま反感を買うタイプの女性である。見ていて薄ら寒くなるのは、容疑者の彼女にとっては無実になるかどうかの重要なアリバイを、容疑者の知人や店員が自分たちの不都合(未成年への飲酒を容認したという)を隠蔽するために迷わず黙殺する部分である。それを小鳥は「罪と罰が釣り合わないでしょ。嫌われるとは恐ろしかね」とあきれたように呟く。自分たちの価値観では好ましくない人間にも同じように生身の人生があって、その人生が軽いはずなどないのに、とても容易く人はそれを失念する。そんな社会の薄情さと、効率よく治安を保とうする権力が同調するとき、滑り落ちるように冤罪が起きて本当の犯人は見逃される。事件はドラマの中のことだけれども、私たちはその無責任さを薄めたものを日々どこかしらで見ている。そんな社会の『凡庸な悪』を、坂元裕二はそっと極上のエンターテイメントに差し込んでくる。今回、悠日は星砂の小さな仕草ひとつから、恋人だった星砂を諦めきれない想いがあふれ出て、激しい言葉でもう1人の星砂の存在を否定してしまう。その身体から出て行ってほしいと詰め寄ってしまう。それは、かつて婚約者からオープンマリッジ(他に恋愛関係を持ってもいい婚姻関係)を持ちかけられても、愛想笑いしながら承諾した物わかりの良すぎる男らしからぬ言動である。そして鈴之介は「この人に触るな、触るな。触らないでくれ」と毅然とした言葉で悠日を拒み、傷つくもう1人の星砂をひたすらに守ろうとする。それもまた、他人との関わりを諦めて、常に孤独を良しとして、恋愛は自分の人生にはいらないと割り切っていた男らしからぬ言動である。それぞれに友情と恋を得て、扉を開いて一歩を踏み出したからこそ、悠日と鈴之介は正面からぶつかりあってしまう。誰かが何かを失わねば決着のつかない3人の関係に胸がひりひりする。そして今回のラストで見つかる星砂の手紙は、その痛みに呼応するかのようだ。自身の存在が失われる覚悟とともに、星砂は手紙で悠日に語りかける。思い出は必要なものだ。でも慎ましくスプーン一杯くらいあればいい。それはホットドッグからはみ出すキャベツであり、シャツがまくれて見えるヘソであり、キスの直前に鳴るアラームであり、起き抜けに分けあう一杯の水であり、普段の暮らしの中のものだ。そんな特別でない、等身大の自分を覚えていてほしい。これは、愛おしい恋人への言葉であり、同時にすべての人の喪失の痛みに寄り添うものだ。喪失とすべての解決の予感をはらんで物語は最終盤に向かう。4人の友情と愛情がどのように着地するのか、しっかり見届けたいと思う。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年09月06日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。このドラマで、何気ないけれど、ふと目について覚えている場面がある。2話、鹿浜鈴之介(林遣都)の家でいつもの4人が大福を食べながら話すシーンだ。摘木星砂(松岡茉優)は、残った大福を持ち帰るためなのか、大事に紙に包んで手元に置く(結局は忘れて帰るが)。そういえば、星砂は馬淵悠日(仲野太賀)相手にも最初に会ったとき、「食べるものを持ってないか」と問いかけていた。どちらも食べることに対する切迫感が透けて見える。用心深いけれども、安心して受け取れる相手からは食べ物をもらって、その時食べられるだけ食べて、すっと離れるさまは誇り高い野良猫のようだ。誇り高く生きることと引き換えに、暮らしの基盤は脆いけれども、常に相手の本質を真っ直ぐに見据える星砂のまなざしは美しい。大福をみんなで食べた時に「おまえら、粉、こぼさずに食えねえのか」と、少年のように乱暴な言葉とともに、口の端に粉をつけて笑った顔も忘れがたく素敵だった。優秀だが変人の刑事課の刑事・鈴之介(林遣都)、真面目で優しいが平凡な警察署の総務担当・悠日(仲野太賀)、愚痴っぽいが友達想いで、一途に刑事課の新人刑事に片思いしている経理担当・小鳥琉夏(柄本佑)、そして二重人格により途切れる自分の記憶に悩む生活安全課の刑事・星砂(松岡茉優)。組織からはみ出して生きる4人が事件を追う『初恋の悪魔』(日本テレビ系土曜22時)。前回5話から、物語はおそらくストーリー全体の核になるだろう悠日の兄・馬淵朝陽(毎熊克哉)の3年前の殉職と、5年前の少年拉致殺害をめぐる謎に踏み込んでいる。更に今回、6話ではそれらの事件と星砂の二重人格の、別の人格が深く絡んでいるさまが提示される。正直、1~4話までは、いつもの坂元脚本と変わらずセリフもキレキレだし、コメディの部分もさすがの匙加減であるけれども、それでも物語がどこに向かっているのかは全く見えず、心許ない感じが消えなかった。だが、5話から6話にかけた怒濤の展開に、ここまでのばらばらに散りばめられたエピソードは、織り上げる前の『糸』の準備だったのだと痛感する。今回、鈴之介は『もう一人の星砂』と出会い、互いに心を寄せあって彼女の過去を知る。学生の頃に、心無いいたずらで傷ついた鈴之介の思い出に、真剣に怒る『もう一人の星砂』のしなやかな正義感と、つらい過去を語ろうとして中断する星砂に「途中でやめようとした話こそ、いちばん話したい話です」と気遣う鈴之介の、傷ついて生きてきた者特有の優しさが呼応する会話は、見ていてじわじわと熱量が上がっていくような見事さだった。刑事の星砂は、傷つきながらも綺麗ごとを抱えて誰かの居場所であろうとする悠日に惹かれていく。けれども、もう一人の星砂は、過去に『頭がよくて、正しくて、近道が好きな』人々(おそらく良識を振りかざす人々ということなのだろう)に、大切な人である淡野リサ(満島ひかり)との居場所を奪われた記憶から、綺麗ごとを語る悠日には警戒心を抱いて相容れない。今回のラストシーン、悠日を拒んで鈴之介の服の肩口を掴む『もう一人の星砂』の手に、見ている私たちも胸がぎゅっと痛む。これは、異形ゆえに傷ついてきたひとりと、凡庸ゆえに踏み付けにされてきたひとりと、転落の危機を持ちこたえながらぎりぎりで生きているひとりが、互いの欠けたところを補うように惹かれ合う恋の物語だ。坂元裕二の作品の魅力は、もちろん洒脱な言葉を選りすぐって磨かれたセリフ群ではあるけれども、更にそのセリフを対話としてふんだんに積み重ねた末に見えてくる『名づけられない関係』にあると思う。例えば、家出少女のたまり場と言えば一般的には不穏な響きしか残らないそれを、風の強い日に髪をなびかせてみんなで道草をして、ただ「おかえり」と「ただいま」を大切にして、それ以上を求めない風通しのよい何かに描きだすこと。例えば、男社会の横暴にしなやかに抗いながらレストランを営む女たちの繋がりを、単に職場の同僚という枠におさめずに豊かに鮮やかに描きだすこと。(テレビドラマ『問題のあるレストラン』2015年フジテレビ系)例えば、3回の結婚を経た女社長と夫たちの関係を、白黒ありがちな名前の感情にとどめずに、繊細なグラデーションの日々として描きだすこと。(テレビドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』2021年フジテレビ系)精緻に染めた感情の糸で、社会のいまを通して、未知の布を織りあげていく。彼が描き出す『今は』名前のない関係は、私たちが半歩先、いつか未来で見つける何かだと思う。今作ではどんな色の、そしてどんな手触りの布に、私たちは触れることが出来るだろうか。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年08月23日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。私たちはこの奇妙なドラマに足を踏み入れたその時、最終的にどこにたどり着くのかはよく分からないままに切符を買った。どんな景色の旅になるのか、まだ半分も分からないけれども、最終的にこれまでに見たことのない目的地にたどり着くのだという確かな予感はあった。しかし5話を見て怖くなった。果たして乗ったのは列車だと思っていたけれど、もっと過激ななにか、大きならせんを描き、激しく揺れ、時に水しぶきのかかるジェットコースターか何かだったのではないか。4話までの、牧歌的にカタコト揺れていた音は、ジェットコースターの長い長い最初の登り区間だったんじゃないか。同じドラマ、同じ登場人物。ひと繋ぎの同じレールの上で、私たちはいま、どちらが頭で足なのか分からなくなるような急降下と急上昇を味わっている。休職中の刑事の鹿浜鈴之介(林遣都)、警察署の総務担当・馬淵悠日(仲野太賀)、経理担当の小鳥琉夏(柄本佑)、生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)。警察署にいながら組織から少しずつはみ出している4人が織りなす不思議なミステリアス・コメディ『初恋の悪魔』(日本テレビ系土曜22時)。鈴之介は異端としての生きづらさを、悠日は平凡さゆえに下に見られる痛みを、小鳥は片思いの相手に振り向いてもらえない哀しみを、そして星砂は多重人格から来る不安定さにそれぞれ苦悩しながら4人は事件の解決を通して距離を縮めていく。5話、ストーリーはこれまでとはがらりと違う展開になり、鈴之介が暮らしている家に、鈴之介すら知らない地下室があること、その地下室をめぐる隣人・森園(安田顕)とのトラブルを通して鈴之介の過去が描かれる。これまで4人が事件を考察した『自宅捜査会議』では、最初に事件を俯瞰するために事件現場のジオラマを作成する。ジオラマで俯瞰されず表に出ない地下室の存在は、ひどく不穏で薄気味悪い。1年前、この家を鈴之介に譲ったのは椿静枝(山口果林)と名乗る老婦人だった。子供の頃から周囲になじめず、大人になって一層孤独感を深めていく鈴之介の心を唯一解きほぐしてくれたその恩人は、過去にブロック塀の倒壊事故で娘と孫を亡くし、その無念から倒壊事故に関わった人物の監禁事件を起こしていた。自分にとっては人生で唯一の恩人と思っていた人物が実は猟奇犯罪者であることを知って呆然とする鈴之介だが、同時に偏屈で人嫌いな自分と出会うことで静枝が救われたこと、安らかな気持ちで死んでいったことを知り、複雑な思いを噛みしめる。静枝は厭世観(えんせいかん)に沈むかつての鈴之介に語りかける。静枝「世の中を恨む悪魔になっちゃだめ」鈴之介「人間は苦手なんです」静枝「人は人。自分らしくいれば、いつかきっと未来の自分が褒めてくれる。僕を守ってくれてありがとう、って」悪魔というこのドラマのタイトルの半分が初めてここに現れる。自分が救われたと思っていたけれども、実際には自分が相手を救っていた。恋ではないけれども、マイナスとマイナスが掛け算してプラスに転じるような出会いだった。そしてこれは3話の居酒屋のシーンで星砂が悠日に語りかけた「誰かと出会ったとき、それが変わるんだよ。平凡な人を平凡だと思わない人が現れる。異常な人を異常な人だと思わない人が現れる。それが、人と人との出会いの…いい、美しいところなんじゃないか」というセリフにも繋がっていく。初回、医師が多忙すぎて患者が命の選択に晒される、2話、兄弟同士の格差が分断を起こす。3話、年金が足りなくて高齢者が横領に手を染める。物語が静かに浮かび上がらせるのが、この国で淡々と静かに進行しているあらゆる原因の見えづらい病巣だとすれば『悪魔』はその裂け目から生まれてくるものかもしれない。それならば悪魔を寸前で引き留めるもの、悪魔を引き戻すものは何か。ともにマイナスだとしても、マイナスとマイナスでプラスに転じるような出会い、星砂が悠日に語ったカテゴリやラベルにとらわれない会遇が、その鍵になるのだろうと思う。鈴之介の危機を残りの3人の機転で乗りきって、4人の絆はより深まったが、この回のラストで一気に物語は暗転する。悠日の不審死した兄の携帯をめぐって星砂は行方不明になり、もう1つの人格で鈴之介の前に現れて誘惑めいた言動を見せる。そして鈴之介の隣に住む作家の森園が、5年前に起きた監禁ののちに、遺体で発見された少年の殺人事件に関わった弁護士であるということも明らかになる。解決し距離を縮めたその直後、更なる猟奇と分断が螺旋のように加速する。まだ物語は、ようやく点が線になりはじめたばかりだ。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年08月16日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。「片思いはハラスメントの入り口だ。僕は彼女に片思いという暴力を振るってしまった」小鳥琉夏(柄本佑)は素数を拾い上げるように、自らの言葉と行動の一つ一つを用心深く見つめて検証する。だから、片思いは一種の暴力であると彼は言う。確かに片思いは強烈な熱量を伴うものだけれど、多くの人の人生に訪れるその熱量を、どうすれば想う相手を傷つけずに軟着陸させられるのか。あるいは愛情という名の創造的な感情に転化させられるのか。鹿浜鈴之介(林遣都)の言葉を借りるなら、誰しもがマイナスとマイナスを掛け算してプラスに転じられるような幸運に巡り会うわけではないし、同じく鈴之介のように失恋の予感を静かに内面に閉じ込められるはずもない。対極に見えて実は背中合わせの、片思いから連なる献身と暴力の境界線はどこにあるのか『初恋の悪魔』4話を見ながら考えていた。停職中のエキセントリックな刑事・鈴之介(林遣都)、警察署の総務部に勤める馬淵悠日(仲野太賀)、同じく経理担当の小鳥(柄本佑)、生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)。警察署で仕事をしているが、刑事課の事件には捜査権のないはみだし者の4人があくまで自主的に事件を推理する新感覚のサスペンス・コメディ『初恋の悪魔』(日本テレビ系土曜22時)。毎回発生する様々な事件は横糸、そして物語の縦糸は、3年前に起きた悠日の兄の不審死と、鈴之介の隣に住む奇妙な隣人・森園(安田顕)と鈴之介の関係である。4話の事件は、マナーやルールを守れない人物を矢で射て制裁を加え、犯人がその様子を配信して警察を挑発するという劇場型犯罪。片思いの相手である渚(佐久間由衣)が事件に絡んで負傷したことで、小鳥は怒りに駆られ、なんとしても犯人を捕まえようと躍起になる。しかし鈴之介は推理をする一方で、そんな小鳥の情熱も、犯人を捕まえようとする自分達の推理も一方的なもので、安っぽい正義感に捕らわれた今回の犯人と本質は同じものだと語り、徒労感を滲ませる。思えばこれまでも事件の解決に解放感はなく、いつも苦い。解決後の犯人のその後も殆ど描かれず、事件はあくまでも物語の一部、ピースのひとつに見える。物語の中で、事件は4人が自分の内面を見つめたり、開放したり、関係を結びなおすための『装置』である。そして今回の事件は、どんなに本人が正しく思っても、相手を見ない一方的な感情の発露は暴力であるという現実を浮かび上がらせる。一度は鈴之介の言葉に腹を立てて出て行った小鳥が、事件の結末を見届けて、やがて「しばらく頭を冷やす」とメールで詫びてきたのは、苦さの中での救いに見えた。そんな小鳥の片思いをめぐるほろ苦い顛末の中で、悠日と星砂は次第に距離を縮めていく。星砂は、自分の中にあるもう一つの人格の存在(彼女はその人格を『ヘビ女』と呼んでいる)で、常に不安に苛まれている。覚えのないものを買っている、覚えのない誰かとトラブルになっている、覚えのない怪我をする。しかし彼女の不安の本質は、そういう日常のトラブル以上に、より根源的な、自分の存在そのものに対する不安定さである。実は追随者なのはヘビ女の方ではなくて、自分の方なのではないか。その不安を彼女は荘子の説話『胡蝶の夢』になぞらえる。蝶になる夢を見た。しかし蝶もまた確かに自分だった。逆に蝶の夢を見ている自分の存在が夢なのではないか(これは鈴之介が口にする『マーヤーのヴェール』と並列する概念だと思う)。二重人格といえばひどく特殊な状況に感じるけれども、半歩引いて、例えばSNSで見せている自分と実生活の自分の乖離や、自分でコントロールできないほどに傷ついたメンタルの話だと考えたら、星砂のそれは私たちにとっても身近な感情に思える。そんな不安におびえる星砂を抱きしめて、悠日は語りかける。「僕が好きなのは、トマトが嫌いでエビフライが好きな人です。僕が、あなたを知っています。僕が知っている限り、あなたはいなくなりません。困ったら僕を見て下さい。僕が『あなたはあなた』だって言います。大丈夫。絶対いなくなりません。僕が知ってますから」相手に何かを『する』、あるいは『してあげたい』ではなく、「ちゃんと覚えています」と誓う悠日の言葉は、少し離れた距離から背中だけで、悠日が兄に語りかける電話を聞いていた星砂の姿にも重なる。この2人は、人に対する誠実さや優しさが似ているのだと思う。今ここで一つ一つ覚えていく自分の記憶の中の、大切な人の姿は何にも左右されないし、誰からも奪われない。それは片思いの一方的なベクトルが、暴力的でない何か、きっと愛と呼べるものに転化する瞬間なのだろう。嵐の夜、荒波をゆく船を導くコンパスのような言葉だと思った。前半の4話を終了して、まだ謎は点在したまま、うっすらと繋がりが見えるか見えないかの程度だ。4人の関係がこの先どのように変化していくのか、悠日の兄の死の謎、鈴之介の家と隣人に潜む謎は繋がっていくのか。多くの謎と、見守る私たちの気持ちを強烈に引きずったまま、物語は中盤に入る。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年08月09日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。「僕以外の世界中の人は、摘木さんのことが好きなんだろうなって、思うんだよ」どこにもたどり着けない片思いのやるせなさを表現するのに、これ以上簡潔で分かりやすい言葉があるだろうか。恋をしたら、閉じられていた自分の世界が一気に水平線の彼方まで広がる。でも同時に今まで自分を支えていた万能感や自信はぺしゃんこになって、ゴミみたいに感じられる。恋をしたら世界は広がり、同時に小さく縮む。それを一つのセリフで見事に切り取ってしまう、脚本家・坂元裕二のキャリア30年を経て、いまだ最前線の切れ味に脱帽するばかりである。警察署勤務、総務課の馬淵悠日(仲野太賀)、経理担当の小鳥琉夏(柄本佑)、停職中で凶悪犯罪マニアの刑事・鹿浜鈴之介(林遣都)、生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)。主流からどこかはみ出している4人が、あくまで『勝手に』事件を捜査する、風変わりなミステリアス・コメディ『初恋の悪魔』(日本テレビ系土曜22時)。3話目の事件は、とあるスーパーマーケットで繰り返される万引き疑惑である。生活安全課の刑事である星砂は、何度も万引きの現場を目撃して犯人を捕まえるものの、取り調べの段階になると、いつも盗んだはずの商品は見つからない。更に星砂には、時折自分の記憶が飛んで覚えのない行動を取っているという自覚と不安があり、果たして自分が見ている万引きの現場が現実なのかどうか次第に自信を失っていく。一度は星砂への恋心が見込みなしだと知って落胆し、更に万引きなど犯罪のうちに入らないという価値観もあって、推理を拒否する鈴之介だったが、ふとしたきっかけでそれを返上し星砂を手助けすべく4人で推理を始める。1話では小児病棟の少年たち。2話では持てる者と持たざる者としての格差のある兄弟。このドラマで事件を通して描かれてきたのは、弱者であり、マイノリティとして生きる人たちが、ぎりぎりの小さな声で訴える痛みである。2話では、「自分は人を勝たせて生きているから負けてもいいのだ」とお人よしの悠日は言う。しかし、優しさにつけ込む他人から無自覚に踏みつけられる痛みは、少しずつ悠日をむしばんでいる。そこにあるのは、平凡で優しくて、強いからこそ耐えてしまう人間の痛みだった。3話で語られるのは、常にエキセントリックで、傍若無人に見える鈴之介が語る痛みである。普通に人を(この場合を星砂を)好きになればいいのだと善意から諭す悠日に、鈴之介は諦めたようにこう返す。「君は人から気持ち悪いと言われたことはないだろ?馬淵くん。君は、優しい人だけど、そういうことを言ってはいけないよ。普通という言葉に恐れを抱き、おびえてしまう人間は存在するんだ。たとえどんなカテゴリーに入っても、そこでの僕は変わり者なんだ」初恋の悪魔ーより引用あの日、フォークダンスで差し出した手を気持ち悪いと拒否されはしないか怖かった。後で陰口をたたかれてはいないかと不安で怖かった。突然届いた異性からの手紙は、自分をからかおうとしている何かなんじゃないかと怖かった。怖くて近寄れないから、自分にはそれを欲しがる感情はないのだと心に言い聞かせる。孤独が好きなんじゃなくて、傷つくよりは孤独の方がまだましだと思っている。変わり者だから容易に周囲から踏み付けられはしないけど、忌避されてきた青年の人生が、その独白一つで視聴者の眼前にパノラマのように広がる。台詞に加えて、改めて『気持ち悪い男の人生』を体現する林遣都の演技が素晴らしい。もちろん容姿そのものは林遣都なのだから、言うまでもなく美しいのだけれども、怪しい隣人のゴミを漁るべく必死の形相で走る姿も、悠日と小鳥に身なりを整えてもらう間に憮然と立っている姿も、世間のほどほどから明らかに外れた感じが漂っていて可笑しかった。思えば『おっさんずラブ』(2018年テレビ朝日系)の牧を演じた時も、『スカーレット』(2019年NHK)の信作の時も、『姉ちゃんの恋人』(2020年フジテレビ系)の真人も、社会にうまく身の置き場を見つけられない青年を演じるとき、林遣都の演技の精度は更にもう一段上がる。この先の展開でも、坂元脚本の台詞の力を羽根にして、更なる高みに飛ぶのを見られるだろう。楽しみだ。星砂の助けになりたいと、みんなで解決した万引き事件の後味は悪かった。それでも礼を言いたいという星砂の来訪を、鈴之介は「事件を推理したのは自分のエゴであり、エゴに礼はいらない」と拒む。気持ち悪がられるかもしれないと怖れても、これが相手の好意に繋がらないかもしれないと分かっていても、大切な誰かに手を差し伸べたい気持ちをエゴだと割り切って一歩を踏み出す。傷つき、転がりながら生きていく人生だけど、それは救いに違いない。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年08月02日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。「言われなくても疲れてるよ」と、柄本佑が演じる小鳥琉夏は物憂げに言う。「お疲れ様」という仕事上の挨拶の言葉なんて、「お疲れ様」と返してさらっと流せばいいのに、いちいち律儀に「お気遣いいただくまでもなく私は既に疲れております」と表明して会話に逆毛を立てる。彼は、思いやりの出し殻みたいな言葉を流せない。きっと小鳥琉夏は、「レモンかけていいですか」と尋ねる言葉すら同調圧力の初歩だと異議を申し立てる家森諭高(TBS系『カルテット』2017年)や、「お土産なんていります?」と土産を買う時間の無駄を糾弾する中村慎森(フジテレビ系『大豆田とわ子と三人の元夫』2021年)と同じものが見える世界に生きている。それはきっとトゲだらけの蔓(つる)が繁る奥に、柔らかく繊細なバラが咲く世界だ。仲野太賀演じる悠日の生々しい独白警察署に勤めながらも、裏方として総務に従事している馬淵悠日(仲野太賀)、同じく経理の小鳥琉夏(柄本佑)、何か問題を起こして停職中の刑事・鹿浜鈴之介(林遣都)、生活安全課の刑事の摘木星砂(松岡茉優)。本来なら刑事課の事件には捜査権のない四人が集まって、何故か事件を解決しようとする不思議なミステリアスコメディ『初恋の悪魔』(日本テレビ系土曜22時)。しかしカテゴライズ出来ないドラマである。見始めたらずるずる引きずり込まれるような魅力に満ちているが、面白さを未見の誰かに説明するのは難しい。作中の端々で社会的だが、それらの描写は川面の泡のように浮かんではふつりと消えて、また浮かぶ。暗く閉じ込められた部分と、思わず吹き出すコメディの部分が入り交じって昇華する。ドラマごと簡単に括られること、安易な言葉で語られることを拒むように。第2話、はみだし者の4人が考察する事件は、とある団地に住む、かつて人気があったお笑いタレントの兄弟をめぐる殺人である。兄が殺され、弟に嫌疑がかかるが決定的な動機も手段も分からない。お笑いタレントとしては兄の方が人気があり、兄弟内で格差があった。刑事になる夢を諦めて、警察職員として生きている悠日は、3年前に殉職した優秀な刑事の兄と、親の期待に添えないまま生きている自分の立場の隔たりを思い、複雑な気持ちで事件に向かい合う。事件の真相を解き明かしたあと、悠日は夜の公園で星砂を相手に、淡々とこれまで誰にも語らなかった兄に対する自分の心情を打ち明ける。このセリフが、坂元脚本の真骨頂のような見事さであり、少し長いが引用する。欲しいものを手に入れた人と、手に入らなかった人がいて。一番欲しいものが手に入らなかった人は、もう…他になんっにも欲しくなくなってしまう。あ、僕はもう十分です。やあ、結構です結構です。僕はもうこれでいいんで。満足なんで。皆さんで楽しんでください。…顔はね。笑ってるんです。でもそんなの、上っ面で。心ん中じゃ、心の中では。俺を、笑うな。俺を、馬鹿にすんな。俺に、アドバイスすんな。俺に偉そうにすんな。もっと俺を尊敬しろ。いや、なんかそういうねえ、ひんまがったやつだから。兄は死んでしまったんだなあって。初恋の悪魔ーより引用「自分は勝たなくていい、人を勝たせてあげる人生でいいのだ」と笑い、達観して語っていた悠日の、言葉一つ一つから血が噴き出すような生々しい独白である。もしも何かで自尊心がずたずたになって、心が瀕死になってしまったら、それでも生きていくためには、自分が負けたんじゃない、負けを自分の意思で選んでいるのだと痛みから目を逸らして、自分に言い聞かせなければ生き延びられない。そうやって普段は踏みにじられる痛みから目を逸らして生きているけれど、ふとしたはずみに痛みが漏れ出す。その痛みを吐き出させるように少し離れた距離で背中を向けて、聞こえているのかいないのか、それでも悠日を見守っていると分かる星砂を演じる松岡茉優の物言わぬ横顔が、表情を殺した横顔がとても美しかった。坂元脚本の松岡茉優といえば、『問題のあるレストラン』(フジテレビ系2015年)での雨木千佳役が印象深い。孤独な境遇を飲み込み、泣きながら料理を作るシーンは名場面である。千佳のように感情を爆発させる役柄も、星砂のように感情を抑えて演じる役柄も、松岡茉優は独特の引力をもって演じる。1話目・2話目ともに、星砂の謎めいた複雑なキャラクターが何度も示唆されている。この先、万華鏡のようにどんなヒロインを魅せてくれるか楽しみである。余談だが、仲野太賀はNHK・BSの日曜日22時でも『拾われた男』で主人公を好演している。『初恋の悪魔』では松岡茉優を、『拾われた男』では伊藤沙莉を。それぞれに実力派女優を相手に、違う引き出しを開けたアクセル全開の演技が堪能できるので、それぞれに見比べてみるのも面白い。初回ではこの物語がすくい上げる階層と辺境の描写に唸ったが、2話目は内部にある『格差』の痛みを描写していた。これだけの細やかな物語を、週末にボタン一つ、チャンネルを合わせることで見られることを感謝したい。このドラマは複雑で、時に見る側に集中力を要求する作品ではあるけれど、作中に散りばめられた誠実な言葉はきっと見ているあなたの痛みに寄りそうだろう。これは、私の物語であり、あなたの物語でもある。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年07月26日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年7月スタートのテレビドラマ『初恋の悪魔』(日本テレビ系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。これは、厄介なものにひっかかっちゃったなあ。45分の第1話の後、率直な感想はこれである。見たが最後、夏が終わるまでこのむずむずするような、背中がチリチリ冷えるような、かつてこのドラマの脚本家が生み出した名作ドラマ『カルテット』(TBS系2017年)の言葉を借りれば『みぞみぞする』、不安定で魅力的な物語に繋がれたままなのだ。そう簡単に、安易な解答なんかくれないだろうなあ。わかりやすく面白い、一話ごとに解放感をスタンプカードみたいに押してもらえる、そんなドラマが主流の令和のいまだというのに、坂元裕二が書く脚本は最後の章、最後の一文まで読まねば物語を捉えられない複雑な文芸小説のようだ。そんな厄介なものと分かっていて、何故私は嬉々として土曜の22時にテレビの前に座るのか。当たり前だが、一義的には面白いからだ。そして坂元脚本のドラマは、それを見た人がこれから生きていく時間の中で、きっとキラキラと光る石に変わって記憶に残るからだ。停職中の問題行動ありの刑事・鹿浜鈴之介(林遣都)、冴えない警察の総務担当・馬淵悠日(仲野太賀)、同じく経理担当・小鳥琉夏(柄本佑)、生活安全課の刑事・摘木星砂(松岡茉優)。警察署内にいながらその事件の捜査をする権限のない、いわばはみ出し者四人が、勝手に事件を考察・解明していくうちに更に大きな運命に巻き込まれていく『初恋の悪魔』(日テレ系・土曜夜22時)。初回の『事件』は、病院内での少年の変死。状況としては飛び降り自殺の可能性が濃厚だが、同室の少年が「先生に殺された」と証言し、その後に危篤状態に陥ったことで事件は微妙に複雑なものになってしまった。自殺の路線で簡単に終わらせたい刑事課の中で、ただ一人、その流れに乗れない心優しい新人刑事・渚(佐久間由衣)の為に、4人は少年の転落死の謎を追う。おそらく登場人物の名刺代わりであろう初回を見ていて、層と辺境の物語なのだと思った。警察署に勤めながら総務課という地味な部署にいる悠日は、とかく下に見られがちで、辛くないのかと上司に問われ「負けてる人生って、誰かを勝たせてあげてる人生ですよね」と達観した返事をする。同じく経理課にいる琉夏は、362円の領収書の精算を適当に処理することが出来ず、刑事課の面々からは煙たがられている。スポーツチームにおけるレギュラーと控え選手のように、あるいは職業における営業担当と補助する事務のように、社長の業務を補佐する秘書のように、何かの成果のために、効率的に誰かを勝たせるために、誰かが補助の役割を担う。それは上下に伸びる層であり、中央と辺境でもある。確かに社会はそうやって成り立つのだけれども、琉夏が自らを辺境にある者として達観している悠日に言い放つ一言が印象的だ。「前向きなのは結構だが、社会を悪くする前向きもあるんだよ」こじゃれて飄々としたセリフ回しに潜む毒に、しびれる一言である。1人の少年の死をめぐる4人の考察は散々迷走し、時に真相の欠片を拾いながら丁寧に時間軸を追って、その真実を明らかにする(その迷走が、それぞれの個性をよく表していて興味深い)。事件の真相は、少年が恋していた、同じ病院に入院している少女の術中死が引き金となった自殺だった。1人の大物芸能人が救急車で運びこまれた結果、その手術に医者が駆りだされ、当初術中だった少女は放置されて死んでしまう。2人の少年は大人たちの中で命が選別されるさまを見ていた。片思いしていた少女を失った悲しみと、自分の大切な存在とそしてある意味自分たちもまた、選別された残酷なその場において『選ばれない』存在なのだと知った痛みに、少年は純粋さゆえに打ちのめされてしまう。歪みはいつも1番弱い人たちに押し寄せて彼らを押しつぶす。層は下層で潰れ、中央から辺境に向けてトラブルは押しやられる。そして、刑事の姿を見てすすり泣く医者の姿に、彼もまた本意ではなかったのだということや、せめてもう1人執刀出来る医者いなかったんだろうかとか、どうにも昨今の医療の現状を思い返してしまい、ほろ苦い気持ちになってしまうのだった。この回のラストで、兄を殉職で失った悠日も何かそのことで問題を抱えていること、鈴之介は星砂への執着を拗らせていること、その星砂は二重人格であるような示唆が一気に描かれる。主人公たち4人はもちろん、それ以外も初回にして登場人物に関する情報量はすさまじいが、そのほとんどがまだ浮遊したまま、互いの関連は見えてこない。このドラマを見はじめた私たちの手の中に、既に原石は渡された。その石を土曜日の22時に画面を見つめながら、手のひらの中で磨いていく。夏が終わり秋が訪れるその頃に、きっと私たちは名脚本家が紡いだ光る数々の言葉と、色あせない物語を手にしているはずだ。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年07月19日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。捜査一課長の犬飼(原田泰造)が不審死したとき、キリコは「私がここに来たせいで」と青ざめて言った。犯罪コーディネーターとして暴走しようとしている弟を止めたい一心で警察に協力を名乗り出たキリコ。一人の信頼できる刑事と協力しあって、それで解決した事件も何件かあったけれども、目立つその動きがキリコの弟・キリヒト(永山絢斗)の更なる犯罪を誘発もした。絡み合う価値観の中で何が最善で何が間違いだったのか。霧の中を飛び、時に落下し、這い上がり、問い続けた物語もいよいよ着地の時である。裏社会の犯罪コーディネーター・インビジブルとして生きてきた女、キリコ(柴咲コウ)と、実直で無骨者の刑事・志村貴文(高橋一生)。二人のバディを描く『インビジブル』(TBS系金曜22時)。先週のラストで、キリヒトと連携してインビジブルの凶悪化を招いている警察内の内通者『リーパー』の正体がついに監察官の猿渡紳一郎(桐谷健太)であると明らかになった。猿渡はキリコを庇おうとしたキリヒトを銃で殺害し、更にキリコと志村に一連の事件の濡れ衣を着せて捜査一課に捜査の指示を出す。なんといってもこの最終回、ドラマを盛り上げた一番の立役者は、代々の警察官一家に育ちながら素顔はサイコパスの凶悪犯罪者である、リーパーこと猿渡を演じた桐谷健太だろう。これまでも監察官として作品のトーンに絶妙に沈み込んだ演技は見応えがあったが、今回、一転して志村に執着する狂気を爆発させた演技に度肝を抜かれた視聴者は多かったと思う。もはや執着を超えて恋慕を感じるほどのサディスティックな表情は、いわゆる『兄貴キャラ』では到底収まりきれない、桐谷健太の俳優としてのこれからの大きな可能性を感じさせるものだった。結果としてキリコと志村は猿渡の罠を振り切り、その正体を暴いて逮捕することに成功する。その糸口となった同僚の磯ヶ谷(有岡大貴)と五十嵐(堀田茜)との会話で「俺たちは何を信じればいいんですか」と困惑する磯ヶ谷に、当前のように『俺を信じろ』とは言わず、「俺は自分の正義を信じてる。お前らは、どうだ」と静かに問いかける言葉が、志村貴文という刑事を、いやこの作品そのものを象徴しているようで印象深かった。そして、最後に自らの信念をかけ、キリコを挟んで対峙する志村と猿渡に決着をつけたのは、それまでずっと封じられてきた志村の射撃だった。これまでは志村の射撃は下手で危険だから所持が許されていないと噂されていたものが、実は上手すぎて躊躇がない分、激高しやすい志村の性格では危険だという理由で禁じられていたということが、オセロの白黒のように明らかになる。それは善悪、そして見えているものと見えていないものの鮮やかな逆転であり、『インビジブル』というタイトルにふさわしい仕掛けだった。端正な射撃シーンも素晴らしいが、個人的に高橋一生はこれまでの銃を使わない体当たりのアクションも非常に見応えがあったと思う。それは格闘として華やかな、形で目を惹くアクションシーンではなかったけれども、ストーリーの中で切れ目なく動きに入っていく独特のスピード感があった。昭和から刑事ドラマを見続けている知人は、その高橋一生のアクションを「古き良き時代の刑事ドラマのような、いい泥臭さのあるアクション」と称した。なるほどと思ったものである。きれいはきたない。きたないは、きれい。志村貴文という男の実直さが、サイコパスの連続殺人鬼を惹きつけ、同じように縋ってでも家族を救いたいと願った裏社会で生きる女を引き寄せ、幾つもの事件を巻き込んだ果てに、濁った霧の夜は晴れて一旦は終焉を迎える。失われた命もあるから、何が最善だったかはわからない。だからこそ、自分の正義を信じる気持ちがなければ、志村もキリコも前には進めないのだろう。ラストシーンで志村の横からキリコは姿を消しているが、これは物理的に距離が離れていても二人の信頼が変わらないことの暗喩(あんゆ)だと思いたい。恋をする前提でも、家族でもない異性のバディを描く仕事系のドラマは、次期のドラマにも数本見られ、この先しばらくトレンドになるのではないかと思う。そんな流れの中でも、刑事と犯罪者という異性バディは相当異色ではあるけれど、演者の熱演もあって、その信頼感には揺るぎないものがあった。楽しかった三ヶ月間の視聴に、心から感謝したい。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年06月21日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。犯罪者としても、警察官として捜査する立場としても、「『彼』は優秀だったのだろうな」と思う。警察がどう捜査するかを熟知しているから、犯罪者としてすり抜ける道が見える。犯罪者が、どんな心理で犯罪を行うかを知っているから、警察官として動機や逃げ道も見える。『reaper(リーパー)』という単語には、刈り取り機という意味、そこから転じて収穫者、更に死神(大鎌から転じたのだろうか)の意味があるという。『死神』と称されるほどの凶悪犯罪者の彼には、多少なりとも善悪の境界線での迷いはあったのだろうか。善悪というよりも、犯罪の快楽とそれらが誰にも認められない空しさを往還(おうかん)していたのかもしれない。警察内部にいる内通者は誰…捜査の為には荒っぽい捜査も躊躇しない無骨な刑事・志村貴文(高橋一生)と、その刑事の前に突然現れて警察への協力を申し出てきた裏社会の犯罪コーディネーター、インビジブルを名乗る女・キリコ(柴咲コウ)のバディを描く『インビジブル』(TBS系金曜22時)。物語はついに最後のクライマックスに突入した。キリコと志村は、真のインビジブルとしてより過激化して暴走するキリヒト(永山絢斗)を止めようと奔走するが、キリヒトの策略でキリコは連れ去られてしまう。更に、それまでに存在が匂わされていた警察内部の内通者の活動もあからさまになりつつある中、今回、第9話ではキリコと志村それぞれの『相手』との駆け引きが繰り広げられた。おそらく志村は、誰が警察内部の内通者なのか既に感づいていたのだと思う。事故で不審死した犬飼捜査一課長(原田泰造)の後頭部の傷、それを『やけど』と明言した監察官・猿渡紳一郎(桐谷健太)の言葉(第8話)と、その記載のない死体検案書が回想を伴って繰り返される場面がそれを暗示しているようだ。ドラマとして、内通者の存在が明言される前から、警察内部に内通者がいるという気配はあったものの、誰がそれなのかは見事なほどに分からなかった。犬飼を演じた原田泰造含め、酒向芳、山崎銀之丞、堀田茜、有岡大貴と、警察内部を演じた俳優みな、疑いだせばそう見える演技巧者揃いである(とりわけ酒向芳が演じる穏和な班長は、過去の同枠ドラマ『最愛』での怪演が視聴者の印象に強い分、ミスリードのおとりとして見事だった)。犯罪者として「リーパー」と呼ばれている内通者は、厳しくあたるように見せながらも、時には志村を案じ、時に助けの手を差し伸べてきた監察官の猿渡だった。猿渡がリーパーであると発覚する発端が、事故死した犬飼が執念で調べ続けていた、紙ベースで残された猿渡が未成年時の古い犯罪記録だという描写が興味深い。仮に警察官自身に関係する犯罪歴があったとしても、デジタルデータならば内部改ざんの可能性が高い。ならば紙データまで遡るという犬飼の執念は、執拗に犯罪を追う志村の刑事としての泥臭さに相通じるものだ。物語を通じてずっとデジタルで犯罪が依頼され、匿名のまま犯罪が行われ、データが集積されていく描写の中で、最後に紙の一枚、一文が見えない内通者をあぶり出したのである。猿渡は、志村のことを『おもちゃ』と称し、密かに弄ぶことを楽しんでいるのだとキリヒトはキリコに語る。それは、迷い自分の不甲斐なさに怒りながら生きていく、しかし、どんな泥の中でもある種の清廉さを失わない志村の生き方に対する歪んだ憧憬なのではないか。志村とキリコ。猿渡と、リーパーである猿渡を心の支えとしているキリヒト。それぞれ対称のように警察官と犯罪者、善悪の境目で手を伸ばしあう二組のバディはどんな結末を迎えるのだろうか。いよいよ次回、最終回である。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年06月14日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。世間からは価値を認められていない、極めて属人的で生産性も悪い、担い手の気概だけで細々とやっている家業を青年は継いだ。自分に仕事を教えてくれた親ももういないことだし、効率化なり自分なりのやりがいなりを足してこれからも頑張ってみようと思っている。家業だから、ただ一人の家族で仕事の重要性を理解してくれる姉と苦労も成果も分かち合って頑張っていこうと思っていたのに、その姉はなぜか自分のやり方を頭ごなしに全否定した上に自分を激しく糾弾する。どういうことだ。姉は何かに血迷っているのか、他人から悪い入れ知恵でもされているのではないか。かくして青年は必死に姉の説得を始める。「これからも一緒に家業をやっていこうよ」と。これだけなら、相続から派生する姉弟の不仲として世の中にありがちな、どっちもどっちの話に聞こえるけれど、それが反社会的な行為を家業として生きてきた家族の話なら話は別だ。まして、裏社会にあって犯罪を差配するような人間たちの話ならば、なおさらのこと。3年前に捜査中に後輩を殺害され、その犯人を追い続けている無骨者の刑事・志村貴文(高橋一生)と、その志村の前に現れ捜査協力を申し出てきた裏社会の犯罪コーディネーター・インビジブルを名乗る女・キリコ(柴咲コウ)のバディを描く『インビジブル』(TBS系金曜22時)。ここまでに、キリコは真のインビジブルである弟のキリヒト(永山絢斗)の凶悪化と暴走を止めようとして警察に協力を申し出たこと、一方、キリヒトは姉であるキリコを自分の元に取り戻そうと画策をしていること、警察内部にもキリヒトへの内通者が存在していることが描かれている。第8話ではキリヒトがキリコを自分の元に引き戻すべく、警視庁相手の公開殺人ショーという大胆かつ奇抜な手に出る。3年前に殺されてしまった後輩・安野(平埜生成)の妹である東子(大野いと)を人質に取られ、助けるべく奔走していた志村もまた、キリヒトの罠に捕まってしまう。東子か志村か、どちらを殺すか選べとキリヒトから無情な選択を迫られたキリコは、苦渋の末にどちらの命も救うべく、警察の保護を離れてキリヒトの元に戻ることを約束してしまう。この交渉の中で、志村がキリコ相手に「キリコ、俺を殺せと言え」と語りかけるシーンは、やはりNHK大河ドラマの『おんな城主直虎』の主人公・井伊直虎と、直虎を陰ながら支え続けて死んだ小野政次の悲劇を彷彿とさせる場面である。前回もレビューした通り、志村とキリコはこのドラマの中で一貫して恋愛感情を伴う関係ではないが、ここぞというときの互いの信頼にエモーショナルな火花が散る。【『インビジブル』感想7話】まなざしが支えるもの高橋一生という俳優の持つ誠実さと、柴咲コウという俳優の持つ無垢さが混ざり合って、華やかな化学変化を起こすかのようだ。結局、志村と東子の命を救うためにキリコは「さようなら。志村さん」という囁きのような別れの言葉を残して志村のもとを去り、志村はキリコが生活していた部屋でぼんやりと座り込んでいる。本来ならば(内通者が誰なのかの問題は残るとはいえ)志村にとっては、元の一匹狼の刑事に戻るだけのはずだが、心配する監察官の猿渡(桐谷健太)に声をかけられた志村は、キリコがそれでもキリヒトの暴走を止めたいと願っている真意を信じる言葉とともに、「キリコを取り戻す」と力強く宣言する。例えば、『キリコを助け出す』以上に「取り戻す」という、より明確な方向を伴う言葉の根底にある意思。それは、志村にとってキリコが魂の命綱で繋がったバディであり、今はもう自分の傍らにあるべき存在だと疑わないがゆえの言葉なのだと思う。志村は、弟の執着からキリコを取り戻せるだろうか。そして、キリコはかつて「あなたの目の前では死なない」と誓った彼女自身の言葉を守り通せるだろうか。異色のバディの、最後の戦いが始まる。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年06月07日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。ある程度年齢を重ねて社会の中で経験値を積むと、少しずつ世の中の善悪というのは入り混じっていて、ハサミで切り落とすように白黒はつかないのだと分かってくる。犯罪と合法の境界線のようなきわどい判断ではなくても、誰かにとっての善と、他の誰かにとっての悪は絡み合っていて、見る角度の違いでしかないことも多い。ただ、それを悟ったとしても、大半の人々は常識や一般的な善人としての領域に踏みとどまって生きていく。堕落せず、人を害さず、自分の判断に折り合いをつけて生きていく。それを分かつものは何か。そんなことを考えてしまった。3年前、家族同然だった後輩を捜査中に殺害されて以来、荒れた捜査でその犯人を捜し続ける刑事・志村貴文(高橋一生)の前に現れたのは、「インビジブル」と呼ばれ恐れられている裏社会の犯罪コーディネーター・キリコ(柴咲コウ)だった。だが、犯罪者の情報提供と引き換えに捜査の実動を求めてきた彼女は、実際にはインビジブルではなく、本当のインビジブルである弟のキリヒト(永山絢斗)の、犯罪コーディネーターとして過激化していく暴走を止めることが真の目的だった。キリコのその望みに呼応し、志村はキリヒトを止めるべく協力を申し出る。そんな異色のバディを描いてきた『インビジブル』(TBS系金曜22時)。ドラマは姉と弟の争い、そして警察内部の裏切りを巻き込みながらいよいよ終盤に向かっている。この回では、急成長するITベンチャー企業の社長の殺害依頼をめぐる、志村とキリコのクールな連携が存分に楽しめた。キリヒトが裏で糸を引いている殺人を社長の警護を通して止めようとする志村と、警察内部の内通者を密室に居ながらデータから洗い出そうとするキリコのやりとりは、時に携帯電話を通して、時に盗聴から逃れる為に小声で、抑えた声で淡々と交わされるけれども、その分だけ互いの信頼感がにじむ。ふと、志村は相変わらず無愛想ではあるけれども、あまり荒んだ表情を見せなくなったなと思う。志村とキリコの二人は、互いの能力と真摯さを信じあうバディではあるけれども、少なくとも今のところは恋愛関係ではない。大きな期待や依存を寄せ合うような湿った関係でもない。簡単には名前のつけられない信頼感、それで十分だと思う。高橋一生という俳優には、そんな乾いた信頼感のある役が不思議とよく似合う。特殊能力を持つ偏屈な漫画家を演じた時も(2020年・2021年『岸辺露伴は動かない』NHK)、猟奇殺人犯を装いながら決して本心を明かさない男を演じた時も(2021年『天国と地獄』TBS系)、理屈っぽいセクシュアルマイノリティを演じた時も(2022年『恋せぬふたり』NHK)、高橋一生が演じる男と、相対する女性との関係は恋愛にはならないけれども、高橋一生は恋愛しない関係こそをロマンチックに、きちんと体温の通ったものとして魅せる。今作でもその魅力は存分に発揮されていると思う。結局、志村とキリコはITベンチャー社長を殺害依頼から守り抜くことに成功するものの、命を救った社長も、殺人を依頼してきた同会社の役員も、どちらも到底潔白とは言えない履歴の持ち主であることを知り、志村は徒労感をにじませる。善悪の境界線が揺らぐ煩雑さにうんざりする志村に、キリコは「見極めるんでしょ?何が悪なのか。…あなたが見極めて」と、かつて志村が自分を励ます為にかけてくれた言葉を電話越しに返し、背中を押す。その言葉で、志村の瞳に力が戻るようで印象的だった。善悪が渾然とするこの社会で、投げやりにならず、流されず、諦めず、信じるものを追い求めるための分かれ道は何か。志村とキリコが交わす言葉に、それは自分を信じてくれる誰かのまなざしではないかと思った。約束や誓いほど堅固でなくてもいい、温かなまなざし。それを正面から見つめ返せる自分でありたいと思えることが、何かを諦めかける瞬間に自分を支える杖たり得るのではないか。善悪の境界線で時に転び、支え合いながら、この二人はどんな未来にたどり着くのか。最後まで見届けたいと思う。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年05月31日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。片方の男は、「悪事の依頼といえどビジネスだ。依頼が正当かどうか、誰が誰の死を望むのか。その理由も興味は無い。需要があるから僕のビジネスは成り立つ」と淡々と語る。もう片方の男は、「何が正義で何が悪かは俺が見極める」と、力強く言う。人の世で、善と悪は常に地続きだと悟っており、その複雑さに自分の意思を見失いかけて諦めようとする女に、それぞれの男は語りかける。犯罪者と刑事、語る言葉は正反対に見えるが、それはおそらく背中合わせになっている一つの価値観の表裏だ。どこまでも白黒のつかない人の世だとしても、生きている限り、人はどこかで踏み切らねばならない。数年前に同僚を何者かに殺害されてから、その真相を追うために荒っぽい捜査を厭わない無骨者の刑事・志村貴文(高橋一生)と、突如警察に捜査協力を申し出てきた裏社会の犯罪コーディネーター・インビジブルを名乗るキリコ(柴咲コウ)の異色のバディを描く『インビジブル』(TBS系金曜22時)。前回、本当のインビジブルはキリコではなく、彼女の弟のキリヒト(永山絢斗)であり、キリコは弟を探し出す為に「インビジブル」を名乗っていたことが明かされた。6話では、キリコとキリヒトの姉弟がなぜ「インビジブル」と名乗ることになったのか、なぜ二人が決裂したのか、そしてなぜキリコが志村の前に現れたのかが、ドクターと呼ばれる猟奇殺人者の事件をベースにしながら描かれた。そもそもキリコ・キリヒト、姉弟の父親が最初に「インビジブル」と呼ばれており、父親当人は犯罪を差配すること自体は必要悪であると捉えて仕事をしていたものの、後継として育てたはずの息子のキリヒトが想定以上に先鋭化してしまった。おそらく父親の中には、自分がコーディネーターとして手綱を引くことで裏社会であっても秩序が保たれるという信念があったのだろう。だが、過激化する息子と父は争い、父親の方が殺害されてしまった。残された娘、つまりキリコは弟に怒りを覚えながらも、より凶悪化する弟を止める手立てはないか探り、かつて父が敵ながらその捜査への執念を賞賛していた刑事の志村の手を借りることを思いつく(その過剰な正義感と執念が、裏社会からのコネクトを呼び寄せてしまうのも、いかにも本作らしい)。しかし、弟と育ちが繋がっている上に、現状も犯罪を通して駆け引きが続くならば、自分もまた悪事に荷担していることと同じではないかと投げやりになるキリコに、志村は力強く「正義も悪も自分で決めるのだ」と語りかける。「目の前にいる誰かが困っているなら助ける、だからお前が困っているならお前を助ける」と言い切る志村の中では、刑事の経験則として善悪の境界線を探る迷いの決着は、既についているのだろう。「(困っているなら)早く言えよ」と無愛想に言って、キリコの飲みさしの紅茶を勝手に飲んでしまう志村の無骨さに頬が緩む。飲んでしまった紅茶は、ふたりの一蓮托生のあかしかもしれない。改めて協力してキリヒトを追うことを決めた二人だが、最後にキリコは、警察内にインビジブル・キリヒトと内通している誰かがいることを志村に示唆する。前回、ハナカマキリという植物に擬態して獲物を狩るカマキリのことが語られ、それが犯罪者に擬態して獲物を捕らえるキリコの言動そのものであると志村は見抜くのだが、ハナカマキリは犯罪者側だけではなく警察内、善の側にも存在している。捜査一課、監察官、志村が所属している特命捜査対策班。いずれもくせ者ぞろい、演技巧者がそろった配役である。誰が内通者なのか、今のところ誰にも可能性があるように見える。凶悪犯罪者と警察内部、両方と戦いながら二人は望む未来を掴めるのか。物語は山場に入る。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年05月24日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。期待のない関係なら失望もない。いかに利用するかの駆け引きがあるだけだ。だが、互いに期待と信頼が生じ始めた時に、皮肉なことに相手の粗(あら)も見え始める。距離が縮まれば、見たくないものも目に入る。誤魔化しているところもわかる。そこが『知人以上』の最初の一線である。そこから引くか、踏み出すか。裏社会で恐れられている犯罪コーディネーターが、警察相手に協力者として指名したのは、数年前に目の前で後輩を殺されて以来、荒れた捜査を続けている無骨な刑事だった。そんな異色のバディが数々の事件に立ち向かう『インビジブル』(TBS系金曜日22時)、いよいよ中盤折り返しの5話目である。物語が始まった時から、ずっと微かな違和感があった。犯罪者たちから恐れられ、『インビジブル』と呼ばれている犯罪コーディネーターのキリコ(柴咲コウ)は確かにクレバーで、人をくったようなところがあり(志村をからかう「キレッキレじゃん」の表情の魅力的なこと)、犯罪の知識にも通じているけれども、どうも倫理観が真っ当なのである。それもまたキリコという人物の魅力に違いないのだが、本当に彼女がインビジブルなのか、あるいは彼女一人だけがインビジブルなのかは、おそらくこのドラマを楽しんでいる多くの人たちの頭の片隅に、ドラマの当初からあった疑問ではないかと思う。前回のラストで、主人公の刑事・志村貴文(高橋一生)の後輩・安野(平埜生成)が殺害された事件は、インビジブルの指示した犯罪であることが判明する。激高する志村相手に何も答えず、キリコは直後に姿を消してしまう。3年前の殺人の情報、キリコの見えない思惑、複雑な感情を抱えたまま志村はキリコを探す。その過程で志村はハッカーのラビアンローズ、通称ローズ(DAIGO)に、半ば無理矢理協力を求めるのだが、このローズのキャラクターが鮮烈でとてもいい。初回、第3話とハッカーとして少し登場していたローズだが、回を追うごとに『キャラ立ち』していくのが分かる。ジェンダーレスで派手で一見軽薄だけれども、知的好奇心に溢れている。志村が連れてきた警察の鑑識の近松(谷恭輔)に興味津々で絡みたがるが、ハッキングを始めれば知識と能力をフル稼働して仕事に没頭する。キャラクターの癖は強いが下品にならないのは、演じているDAIGO本人の持つ清潔感ゆえだと思う。この先の後半も繰り返し見たいキャラクターである。また今作では、志村を監視するキャリア監察官・猿渡紳一郎を演じる桐谷健太もまた、助演としてニュアンスのある演技を見せている。auのCMで、浦島太郎を元にした『浦ちゃん』での印象が強く、明朗な好青年のイメージで語られがちな桐谷だが、NHK連続テレビ小説『まんぷく』では敵か味方か判然としない胡散臭い男・世良勝夫を演じた。宮藤官九郎脚本の『俺の家の話』(2021年TBS系)では芸養子として主人公の家に引き取られて屈折した心情を押し殺して暮らしている青年・観山寿限無をと、内面を表に見せない複雑な役を作品のトーンに合わせて演じ分けている。今作の猿渡も真意はなかなか表に出さないが、常に志村に厳しくあたる言葉と裏腹に、無茶な捜査に走りがちな志村を案じている様子が垣間見える。その真意は志村に通じているやらいないやら、毎回絶妙なさじ加減なのが見ていて興味深い。奔走の果てに志村はキリコを見つけ合流する。そこで志村はキリコが桐島と名乗る誰かを追っていること、その為にインビジブルを装って警察に近づいたということを見抜く。そして今回の最後、二人の前に桐島つまり本来のインビジブルが現れる。本来のインビジブルであるキリヒトを演じるのは永山絢斗。登場のときから有無をいわせぬ暴力の気配をまとっているのはさすがである。更に、キリコとキリヒトが姉弟であることも明かされて5話目は終わる。ともにインビジブルを名乗る姉と弟の関係は、必ずしも良好ではなさそうである。ここまでにキリコは、志村相手に何かもの言いたげにしつつも自分の意図を語ることはなかったし、この回でも一度言いよどんで結局告げずにいる。それは弟のことまで告げてしまえば、志村を後戻りできない大きな危険に引き込むというためらいではなかったか。その一線を目の前に、志村は立ちすくむのか、踏み込むのか。物語は加速する。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年05月17日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。互いに大人同士であるならば、別に心の底から信用しているわけでもないけれど、ふと目の前の人の言動に小さな嘘を見つけたときに、背中がひやりとするような、なんとも言えない感覚がある。おそらく(自分も含め)大多数の人間は、自身で思うよりも、嘘というものに強い耐性がないのだと思う。過去に目の前で相棒だった後輩を殺されて、人生が変わってしまった刑事・志村貴文(高橋一生)の前に突然現れたのは、裏社会で犯罪のコーディネートを請け負う『インビジブル』と呼ばれる女・キリコ(柴咲コウ)だった。女は犯罪の情報と引き換えに、様々な事件解決のための実働役を引き受けるよう刑事に取引を持ちかける。そんな異色のバディを描くインビジブル(TBS系金曜22時)。4話では、いよいよ志村の過去の事件と現在のキリコの思惑が交錯する。今回、志村の後輩・安野(平埜生成)を殺した犯人と同じ特殊なナイフを持つ通り魔が現れ、同時期に窃盗団による名画の盗難が相次ぐ。無関係に見える二つの事件は繋がっていると教えられ、志村はキリコに連れられて闇オークションの会場に赴く。セレブリティに全く無縁な無骨者の志村が、キリコ相手に高価なタキシードをまとい、ぎこちなくマナーに悪戦苦闘する様子はロマンチックに、そしてユーモアに溢れていた。警察の作戦開始までの時間稼ぎの為に50億円を超えるオークションにおろおろしながら入札しつづける志村を、最後にキリコは「はい、おしまい。よく、できました」と囁いて制止する。志村の目をのぞき込みながらねぎらう艶のある声に、画面越しにでもぞくっとした。善悪の境界線を越えて、ごく自然に他者を『褒める』立場の人間であり、褒めるその行為一つで、相手に報われたような幸福感をもたらすことができると知らしめる。それがカリスマというものの一つの発現であるなら、柴咲コウという独特の神秘性をまとった俳優の、真骨頂のシーンだと思った。更に毎回工夫を凝らしてある、銃を持たない刑事・志村のバックヤードのアクションも、今回もまたジャケットプレイあり、皿投げありで楽しく見応えがある。この高揚感は、往年のジャッキー・チェンに代表される香港アクション映画の面白さだと思う。おそらく物語のトーンが暗くなるであろう後半でも是非継続して見てみたい。だが、絵画の盗難事件も無事終結、本来の目的の相手は逃したもののキリコと志村の信頼は更に深まったように見え、今回は楽しかったなと思っていた矢先、ラストの3分でストーリーは一気に暗転する。3年前、志村の後輩を殺害したと見られる通り魔殺人の容疑者が取り調べに応じ始め、3年前の殺人の依頼者がインビジブル、つまりキリコであると自供するのである。説明しろと、不信に揺れながら声を押し殺す志村と、ただ黙って見つめ返すキリコの場面で今回は終わる。信頼が揺らぎ、崩れようとする瞬間にこそ、これは信頼だったのだと改めて気づく。特殊なナイフを使う通り魔、キリコが手にした米国の犯罪者のリスト、記者である安野の妹の東子(大野いと)が撮影して手元に持つキリコの写真。キリコという人物の善悪自体とともに、果たして彼女は『本当に』インビジブルであるのか、そうだとして単独の存在であるのか、謎は広がっていくばかりだ。点と点を繋いでいる粗い編み目のようなそれは、果たしてこの先、志村貴文を絡め取る罠に変わるのか、あるいは落下をすくいとるセーフティーネットたりうるのか、まだ見えてこない。その編み目を満たすものが、信頼なのか利害なのかも。その答えは、これからである。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年05月10日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。『その人』に望む魅力とは何だろうと考える。洋菓子店に行くなら上質な甘味を。天ぷらの専門店に行くなら、からりと揚がった極上のエビやサクサクのかき揚げを私たちはごく当たり前に求めている。高橋一生という役者に私たちが求めているものはなにか。この変幻自在の俳優には、一見でそれと分かるような看板はかけられない。まるでどの国の料理がベースなのか想像もつかないが、何を頼んでも極上の一皿が現れる、路地裏にそっと開いた無国籍料理のレストランのようだ。だが一言で言い表せなくても、例えばそこに漂うスパイスの香り、シナモンであったりジンジャーであったり、高橋一生らしいと私たちが唸る何かの共通項、複雑な香りは確かにある。それは何だろうとこのドラマを見ながら考えていた。犯人逮捕の為なら違法な捜査も厭(いと)わない武闘派の刑事・志村貴文(高橋一生)と、インビジブルと呼ばれる闇社会の犯罪コーディネーター・キリコ(柴咲コウ)が、バディとなって見えざる犯罪者をあぶり出す『インビジブル』(TBS系金曜日22時)。2話では、少しずつ互いの信頼関係が強まる様子が描かれていた。今回の犯罪者は『調教師』と呼ばれる人物で、非行や家庭環境から行き場を無くした若者を取り込んで犯罪に追い込んだ上に、警察の捜査が及ぼうとすれば即座に殺して証拠を隠滅してしまう。キリコから情報を得て、志村が捜査に奔走するものの、志村自身の認識の甘さやタイミングのずれで、『調教師』に取り込まれた二人の若者を犠牲にしてしまう。このドラマで、高橋一生はこれまでにない激しいアクションシーンをいくつも演じているが、これまで捜査過程で問題ばかり起こしてきた志村は銃を持つことを許されていないという設定で、アクションは主に何かを振り回したり、椅子や家具で防御することがメインになっている。2話では武器として台所のフライパンを勢いよく振り回し、小麦粉で粉塵爆発を引き起こしてネイルガン(釘打ち銃)に対抗しており、常にアクションはキレまくってるが、同時にほんのりと可笑しみが漂っている。更に志村本人は常に眉間にしわを寄せ、一言一言の声音は荒んでいるけれども、どこか本来の甘さや生真面目さを隠しきれない瞬間があって、見ていてつい頬が緩んでしまう。そして今回の白眉は、やはり『調教師』の犯行を止められない上に志村との間に信頼関係が得られないことに落胆しつつ、紅茶を飲もうとするキリコを制して「調教師は必ず捕まえる。だからお前も力を貸せ」と目を見ながら語りかけるシーンだろう。キリコがカップを持とうとする手をそっと制する仕草に、「ああ、高橋一生の演技だな、それっぽいな」と思う。敵のように振る舞いながら幼なじみの領主を守る選択(NHKの大河ドラマ『おんな城主直虎』)も、レモンを搾ることに無造作になれない青年(TBS系のドラマ『カルテット』)も、面倒くさがりつつ怪異から編集者を守る漫画家(NHKのドラマ『岸辺露伴は動かない』)も、連続殺人犯に見せながら必死に着地点を探り続ける青年実業家(TBS系のドラマ『天国と地獄〜サイコな2人〜』)も、セクシュアルマイノリティとして人生を妥協せずに生きる青年(NHKの『恋せぬふたり』)も…。高橋一生の演技の魅力は『柔らかなその本音を包み隠す、面倒くささとの答え合わせ』にあると思う。複雑で分かりにくい分、更に目をこらして魅力的に見える。いったん捕らわれれば、その底深い魅力、本当に罪深いと思う。そして今回、インビジブルのキリコは、自らの偽名を中国人の名前で『聶小倩(シッ・シウシン)』と名乗っている。これは中国の古典短編集『聊斎志異(りょうさいしい)』に出てくる幽霊の女であり、悪い妖怪に捕らわれ、人の魂を吸い取る悪事に無理矢理荷担させられている悲しくも美しい幽霊である。幽霊の女は物語の中で、実直な男の真心と苦闘によって最後には解放される。『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』として映画化されたこの短い文芸作品は、『聊斎志異』の本編と映画で実はラストシーンが違う。もしもキリコ自身が選んで名乗っているこの偽名にインビジブル、つまりゴーストという意味以上の何かが込められているのなら、彼女はどんな道を選びたいのか、その道に志村貴文はどう絡んでいるのか。そんなことを感慨深く思う2話だった。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年04月26日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年4月スタートのテレビドラマ『インビジブル』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。『きれいはきたない、きたないはきれい。飛んでいこうよ、霧と汚れた空の中』。シェイクスピアのマクベス。三人の魔女が主人公のマクベスに語りかける、あまりにも有名なこの一節。TBS系で放送される金曜22時、重めのサスペンスに定評のあるこの枠で、新しく始まったドラマ『インビジブル』(主演・高橋一生)を見ながら上記の一節を思い浮かべていた。優秀な刑事が、同僚の事故や殉職を契機にアウトローに変貌して、法を無視した捜査を始める。周囲はそれをもてあます。これは『あるある』。そこに風変わりな(往々にして主人公の刑事とは性格が逆の)パートナーが現れる。どうやら主人公の過去の事件とも因縁がありそうだ。二人はいくつかの現在進行形の事件を解決しながら、過去の事件が動き出す。これも『あるある』。今作が違うのは、現れたパートナーが裏社会の周辺いやど真ん中、闇サイト等を通じて犯罪者を連携させ支援する『犯罪コーディネーター』という謎の存在であること。そしてインビジブルと称されるその犯罪コーディネーターは、年齢も来歴も一切不明で、中性的な容姿の女性であるということ。違法な捜査に微塵も躊躇のない暴力上等の刑事・志村貴文は、高橋一生。これまでインテリやソフトな役の印象が強いが、今回は荒んだ刑事の役にうまくハマっている。そしてインビジブルと称される犯罪コーディネーター・キリコには、柴咲コウ。性別も年齢も善悪も超えた謎めいた存在を体現するのに、これ以上の配役はないと思う。そしてこの二人といえば、やはりNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』(2017年)での共演を抜きには語れないだろう。強大な外敵に翻弄されながらも小さな領地と領民を知略で守り抜いた女領主と、月の光のように命をかけて彼女を支えた家老と。柴咲コウ演じる直虎が、高橋一生演じる小野政次を槍で突き刺して殺す場面は、名作揃いの大河ドラマの中でも屈指の名場面たり得ると思っている。その二人が再びバディとして共演する。柴咲コウが演じる奔放な女に、高橋一生演じる面倒くさい男が翻弄される。もう一度そんな二人が見られる。その一点だけでも、週末の夜の時間をこのチャンネルに捧げる価値があるというものである。ドラマの魅力を詰め込む『名刺』とも言うべき初回は、志村をめぐる警察の人間関係を整理して見せつつ、都心で起きた爆発事件とボランティア団体の寄付金詐欺をめぐる顛末(てんまつ)をテンポ良く描いていた。それまで見えていた善と悪が一瞬の種明かしでオセロのように入れ替わる驚きは、他のサスペンスにはないスリルだと思う。記憶に残るサスペンスドラマは、テンポの速さや、二番底のような衝撃、らせん状の謎の開示といったその作品独特の味わいがあるもので、今作のそれは転々と転がる善悪の価値観になるのかもしれない。キリコの助言と志村の奔走で事件は解決するが、善だと思っていたものが底深い悪で、かといって悪に見えていたものも決して潔白ではない。しかし、なんともいえない後味の苦さが、今、最前線で求められているエンタテインメントなのだと思う。今作は万人受けする勧善懲悪のシンプルな味わいよりも、複雑な後味をじっくり噛みしめたい人のためのドラマになるだろう。是非安易にわかりやすい結末よりも、見た後しばらく考え込んでしまうような、自らの善悪の境界線がぐらつくようなドラマを見せてほしいと思っている。今作のように、犯罪者がその知識を供与して主人公が捜査を行うフィクションの傑作といえばアメリカのスリラー映画『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターが思い浮かぶ。ハンニバル・レクターは人の肉を食らうが、『インビジブル』のキリコはその神秘的な魅力で見る者の魂を食う。美しく謎めいた魔女、キリコに手招きされて、私たちも主人公の志村貴文の目線で『きれい』と『きたない』の混じり合う、霧の空へと飛び立つのである。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年04月19日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年1月スタートのテレビドラマ『ファイトソング』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。「君を守りたい」っていっても、むしろ相手はずっと競技格闘技をやっていて心身共にタフだったりして、「寂しさを埋めたい」っていっても、むしろ幼いころから一緒にいる家族同然の友人たちに囲まれていて、いきいきと仕事をしていて…。そんなふうに自立して生きている誰かに恋をしたら、自分が相手にしてあげられることは何だろう。それでも、恋でなければダメですかというのは、このドラマを通じて最初から投げかけられていたものだと思う。最初は思い出作りと作曲のためだったけれども、その外枠がなくなったときに、物語は再度問いかける。それでも恋が必要ですか?2022年3月15日に大団円で最終回を迎えたファイトソング(TBS系火曜22時主演・清原果耶)。最終回は、花枝と春樹(間宮祥太朗)が二年ぶりに再会するところから始まる。慎吾(菊池風磨)も交えて三人が閉じ込められたエレベーターの中で花枝との再会を喜ぼうとする春樹だが、言葉足らずの果てに花枝を怒らせてしまう。改めて思う、怒る清原果耶は美しい。怒ったり、何かに疑問をもって考え込む表情は、いつも彼女にしか醸し出せない凜とした誇り高さに満ちている。そして、このドラマを通して、彼女は二十代前半の女性の数年間を数ヶ月刻みの微妙さをもって演じ分けていた。大学生の頃の怖いもの知らずの強さも、恋の取り組みを始める前の淀んだ気持ちも、春樹と出会ってからの感情に翻弄される切なさも、手術の後に人生の不条理を受け入れて生きるしなやかさも、全て細かく微調整しながら演じ分けていた。NHK連続テレビ小説『おかえりモネ』でも痛感したが、清原果耶の媚びのないヒロイン像と、生き方に迷っている男性のラブストーリーはすこぶる相性がいい。清原果耶は確かな演技力に加えて、演じる相手の魅力をも引き出す希有なヒロインである。そして、今まではどうしても『当て馬』ポジションの多かった間宮祥太朗の、満を持しての本命恋人役もまた予想以上に魅力的だった。整った濃いめの容姿だからこそ、どこか浮世離れしてふわふわした男性の役を演じると角がとれてギャップがときめきに化学変化するように思う。自分の頑なさを春樹に指摘され、いわゆる図星で怒った花枝と会うために、春樹は慎吾に助けを求める。慎吾は花枝への一生ものの片思いから振られた直後にもかかわらず、その痛みを胸に納めて二人が出会う機会を作る。失恋した慎吾が、凜(藤原さくら)に話した言葉「花枝が幸せになるっていうことは、俺も幸せになるっていうことなんだよな。花枝の幸せの中には、俺もいる。絶対」が印象的だ。無条件に人の幸せを願える人は、どうか無条件にその人を愛する人に出会ってほしい。いや、慎吾の場合はもう既に出会っているのだけれど。慎吾の尽力で花枝と会えた春樹は、花枝への想いを伝えるために精一杯の言葉を尽くす。「花枝が好きです。今までで、今日が一番好きです。明日はもっと好きになる自信があります」「そうだ恋ってこれだよなあ」と、心の底が熱くなるセリフである。未来をもっと良いものに出来るという内なる確信と、自分の感情に対する揺るぎない自信が恋だと思う。その確信が、強い光源となって相手の人生を照らす。家族あるいは家族のような存在があって、仕事のやりがいがあって、充実した日々があって、それでも、恋だけが生む光がある。それは未来がもっと素敵なものになるという希望、独特のまばゆい光である。こうして春樹と花枝は互いの気持ちを確かめ合い、物語は大団円となるけれども、それぞれの登場人物の迎えた着地も素敵だった。恋のドアに手をかけた慎吾と凜、絶体絶命の片思いから大逆転の迫(戸次重幸)、春樹の親友として良いときも悪いときも寄り添う薫(東啓介)。そして、長年の片思いを結局告げずに春樹のマネージャーとしての仕事を全うして旅立っていく弓子(栗山千明)もまた格好いいのである。人にはいろんな寄り添い方がある。そのどれも肯定して描く、懐の深いラストだった。ゆるやかに流れる会話や、日常の穏やかな描写が魅力的な岡田惠和の脚本だが、今作もいかにも恋愛ドラマらしい定型に沿った展開ではなくて、ふわりと広がっては縮んだり、さらさら流れては集まりと、柔らかな心地よいテイストのドラマになった。しかし優しいだけではなくて、岡田脚本には時に日常の裏に潜む暴力や不条理の描写がある。今作のそれは、花枝にふりかかる事故や病気の苦しみだったろうと思う。容赦なく奪うことがある、確かに生きることは時に無情だけれども、それでも人生は光があふれて美しい。改めてそう感じさせてくれる作品だった。今は恋に二の足を踏む人も、恋をしている人も、いろんな世代のいろんな人にこの物語が届いていたらいいなと思う。素敵な恋の物語をありがとうございました。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年03月18日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年1月スタートのテレビドラマ『ファイトソング』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。日常で手が触れていない物は、意外なほどに早く劣化してしまう。例えばアクセサリー。例えば食器。半年ぶりに取り出してみたら思っていたより随分くすんでいたり、埃が被ったりしていてがっかりしたというのは、よくある話だ。でも、ヒロインの花枝が手に取るそのぬいぐるみは、まだ日常の中にある。話しかけた言葉をオウム返しにしてくれるムササビのぬいぐるみは、今は耳が聞こえなくなった彼女の暮らしにはあまり意味を持たないように見えるけれども、ヒロインの手の届く範囲内で、毎日触れては戻されている。それは、思い出と現在進行形の想いの、境界線を往来しているかのようだ。病気で将来失聴するヒロイン木皿花枝(清原果耶)と、かつての一発屋で今は曲が作れないミュージシャン芦田春樹(間宮祥太朗)と、花枝に片思いし続けている幼なじみの夏川慎吾(菊池風磨)の三角関係を時にコミカルに、時にセンチメンタルに描いてきた『ファイトソング』(TBS系火曜22時)。あと最終回を1話残して終盤である。前回のラストで、思い出と曲作りのための恋を終わらせて、花枝は聴神経腫瘍の手術を受ける。そこから今回の冒頭で、ストーリーは一気に2年飛ぶ。淡々と始まるストーリーの中で、手術後に花枝の聴覚がどうなったかは明言されない。しかし、後ろから走ってくる自転車のベルに気づかずに走っている姿や、一瞬挟み込まれる音のないシーンで、やはり耳は聞こえなくなったのだと分かる。慎吾も、凜(藤原さくら)も、理髪店の迫(戸次重幸)も、養護施設長の直美(稲森いずみ)も、会話に花枝を交えると少しオーバーアクションになる。施設の子供たちも、電灯のスイッチや、スマホのアプリを駆使して花枝とコミュニケーションを取っている。耳の聞こえない存在をごく自然に包み込んで暮らしている様子が微笑ましい。ちなみに、漫才師を目指す慎吾の後輩二人、ヒデ(若林時英)と俊哉(窪塚愛流)のコミカルさは、同じ岡田惠和脚本のNHK連続テレビ小説『ひよっこ』の漫画家コンビを彷彿とさせる。どちらの作品でも、屈託がない賑やかなコンビは、物語をまろやかにする、ひとふりの隠し味のようだと思う。一方、春樹は花枝との別れのあと仕上げた曲で仕事が軌道にのり、今はミュージシャンとして充実した暮らしを送っている。直美から、「まだ芦田が好きか」と聞かれた花枝は、「会えば春樹は耳が聞こえない自分を哀れむだろうし、それはイヤだ」と真っ先に答える。関係の非対称を自分に許したくないと思うそのバランスは、自立のヒロイン・木皿花枝らしいのと同時に、彼女の中で春樹への気持ちがまだ枯れてはいないことを示唆しているようだ。一方、長年花枝への想いを冗談めかして口に出してはいなされてきた慎吾は、ついに本気の告白にこぎつける。スケッチブックに大きく書いた告白の文字は、消えない真剣さを花枝に伝えるものの、花枝から戻ってきた言葉は自分の長年の無神経さを詫びる言葉で、もうそれだけで成否は決しているのだった。詫びて泣く花枝に、慎吾がすかさず見せたスケッチブックには『これからも変わらずよろしくな』の文字で、『俺の恋人になってください』のページのあとに書かれたそれは、断られた時に花枝を傷つけないために準備されたものだった。一生涯の想いを告げる時にさえ、それが叶わなかったことを想定して、花枝を傷つけまいと周到な準備が出来る慎吾の細やかさに胸が痛む。慎吾は、養護施設の後輩たちの働く場を作りたいと小さな清掃業の会社を起業して切り盛りしている。きっと楽しいことより苦労がずっと多いだろうけれども、行き届いた良い仕事をするんだろうなと思った。春樹とはもう会わないつもりで暮らしていた花枝だが、今回のラストで、『ひょん』なきっかけで花枝の消息を探り当てた春樹とばったり会うことになってしまう。既に自分の障がいを春樹が知っていると気づいた花枝は、思わずその場を逃げ出す。もう枯れて終わった想いなら、生傷が開いたみたいにうろたえて全力で走って逃げないだろう。思い出のぬいぐるみは、まだ押し入れの片隅ではなく、彼女の日常の手元にある。かつて二人で探した恋の要素、『ひょん』なスタートと『心が動く瞬間』はもう既に揃っている。別れはもう、一度だけでいいから、どうか『幸せすぎ』まで二人がたどり着けるといいなと願う。しかし自立を尊び哀れみをよしとしない女と、言葉が足りない上に、最大の長所である歌という切り札を切れない男のコミュニケーションは果たしてかみ合うのだろうか。不憫と切なさが大渋滞するラブストーリー。次回、ついに最終回である。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年03月14日Twitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している、かな(@kanadorama)さん。2022年1月スタートのテレビドラマ『ファイトソング』(TBS系)の見どころを連載していきます。かなさんがこれまでに書いたコラムは、こちらから読めます。恋愛に本物と偽物という判定はありうるのか。そしてあるとしたら、互いの心のどこらへんに境界線があるのか。考えだすとよく分からなくなる。本物と偽物、と言うよりも、きっと誰かが愛おしくて、傷ついて、笑って泣いた質量の違いがあるだけで、またその容量だって個々人で違うだろう。そして、恋の渦中あるいは恋が終わった直後ではその熱や容量を、自分で客観的に捉えることは出来ないんじゃないかと思う。タフだけど不遇なヒロインと、優しいけれども冴えない男、一途だが空振りばかりの幼馴染の、行きつ戻りつの三角関係の恋を描いてきた『ファイトソング』(TBS系火曜22時主演・清原果耶)。ヒロイン・木皿花枝(清原果耶)の耳の手術の日が近づき、いよいよ花枝と春樹(間宮祥太朗)の恋の取り組みは8話目で終わる。花枝は耳が聞こえなくなる前に恋の思い出を、春樹は、曲を作るために心が動く体験を。その恋の形をした経験の終焉に、花枝は自分からお別れ会を提案する。その場で改めて春樹から「作曲のことは抜きにして別れたくない」と懇願されるが、花枝は自分の気持ちを「私はそこまでじゃないです」と断言し、恋に引きずられて何かを変えたくないと毅然と言い放って去ってしまう(春樹に対しても、視聴者側に対しても、未練や悲しみを見せずに立ち去る演技は実に清原果耶らしい硬質な美しさにあふれていた)。花枝は入院の準備を淡々と一人でこなし、幼い頃に自分を捨てた父親への想いにもきちんと決着をつける(耳が聞こえなくなる娘が生き別れた父親の声を記憶に残したいと、声だけを求めて友人の助けで電話越しに声を聴くというエピソードは、まるで美しい一本の映画のようだ)。手術の付き添いは頼んだとしても、頭部にメスを入れるような手術の準備を一人でこなすのはどれほどタフなことか(頼めばきっとみんなが手伝ってくれるはずだし、花枝もそれは分かっていると思うが)。相手の暮らしに介入せず顔を合わせないまま、一人残った肉親への感情にけりをつけるのがどれほど難しいことか。終わった恋の相手に、未練を残させないように淡々と切り捨てることが、どれだけ苦しいことか。それらは『聞こえている人生』に一つ一つ別れを告げるような、彼女なりの丁寧な整理に見えた。つくづく強いヒロインである。格闘家だから、不遇に負けないから強いのではなくて、孤独を恐れず、孤独と無理に闘わず、それに寄り添って生きられるから強い。手術のことを頑なに周囲に言い出せずにいた時には、強いというより硬いと思ったけれど、手術のことを大切な人たちに打ち明けて気持ちの窓を開いて、本当の意味で花枝は強くなったのだと思う。木皿花枝のヒロイン像は、これからの若い世代における自立と社会との関わりの、理想のひとつを体現しているのかもしれない。花枝は手術を受け、春樹は傷心の苦しみの中で曲を書き上げる。糸のような僅かな望みを掴むように、曲が出来たことを知らせにやってきた春樹の前に立ち塞がったのは慎吾(菊池風磨)で、「もう二度と花枝に関わらないで下さい」と春樹をぴしゃりと追い返すところで8話は終わる。これまではいつも愛嬌があって、恋敵であるはずの春樹に対しても甘いところがあった慎吾の、本気の拒絶には重みがあった。花枝と春樹のお別れ会の前、慎吾は春樹に花枝の隠し事について「踏み込んで聞け」と促したが、結局春樹はそれを聞けずじまいになった。相手が話したくないことは聞かないという春樹の優しさがそうさせたが、花枝からコミュニケーションの中でそれを引き出せなかったのも、今はそれまでの縁ということなのかもしれない。花枝と春樹は別れ、この回で時間は一気に二年とぶ。花枝の手術の結果はわからない。春樹の曲がどうなったかも、まだわからない。短い期間に乱高下した想いも、長い時間をかけてじわじわと上ったり下りたりしていく想いも、心が動いた分、位置エネルギーのように結局は何かの力になって自他の人生を動かし温めるものだと思う。2年を経た花枝と春樹の人生の中で、あの恋はどんな形、どんな温度になって残ったのか。次週が待ち遠しい。ドラマコラムの一覧はこちら[文・構成/grape編集部]かなTwitterを中心に注目ドラマの感想を独自の視点でつづり人気を博している。⇒ かなさんのコラムはこちら
2022年03月03日