2019年7月9日、くも膜下出血のためこの世を去ったジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川氏。この度、ファンからの熱い要望を受け、8月16日(金)より丸の内ピカデリーほかにて『映画 少年たち』の追悼上映を行うことが決定した。『映画 少年たち』は、ジャニー喜多川氏初となる映画の製作総指揮を務め、そして最後、唯一の製作総指揮作品となった。本作は、1969年に初演を迎えて以来、幾度も上演を重ねられてきたジャニー喜多川企画・構成・総合演出の舞台「少年たち」を初めて映像化した映画。本木克英監督がメガホンをとり、少年刑務所を舞台に東西のジャニーズJr.が勢揃いしたほか、「関ジャニ∞」横山裕、「A.B.C-Z」戸塚祥太らも参戦。そして本作では豪華絢爛なダンスシーンも見どころだ。映画は3月29日に初日を迎え、全国158館で上映し、約50万人を動員、北京国際映画祭のパノラマ部門に選出され特別上映もされた。また、本作は映画上映と共に当日誰が出演するかシークレットのライブパフォーマンス(実演)を組み合わせた「映画と実演」という取り組みを実行。「SixTONES」、「Snow Man」、「なにわ男子」、「HiHi Jets」ら総勢53名が実演に登場した。この度の追悼上映では、4月15日に丸の内ピカデリーで開催された「『映画 少年たち』映画と実演アンコール上映」時の実演映像付で上映する。『映画 少年たち』追悼上映は8月16日(金)より丸の内ピカデリーほかにて開催。※劇場や詳細は映画公式サイトにて(cinemacafe.net)■関連作品:映画 少年たち 2019年3月29日より全国にて公開©映画「少年たち」製作委員会
2019年07月30日『映画 少年たち』(3月29日公開)のジャニー喜多川さん追悼上映が行われることが30日、明らかになった。8月16日から東京・丸の内ピカデリーほかで上映される。同作はジャニーズの舞台”少年たち”シリーズを映画化。1965年から上演されていた舞台を2010年に大阪松竹座と日生劇場で復活させ、これまでにKis-My-Ft2、A.B.C-Z、ジャニーズWESTなど若手ジャニーズが出演している。映画版では2012年の少年刑務所を舞台に、対立する赤房のSixTONES、青房のSnow Man、そして彼らを傍観する黒房のなにわ男子・関西ジャニーズJr.を中心とした物語を展開する。製作総指揮を務めたジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川さんが9日にくも膜下出血のため亡くなったため、全国のファンから松竹に対し「ジャニーさんの思いの詰まった映画をもう一度観たい」「ジャニーさんの最後のメッセージをもう一度感じたい」など、再上映を望む声が数多く寄せられた。3月29日に初日を迎え、全国158館で上映。約50万人を動員し、「北京国際映画祭」のパノラマ部門に選出され特別上映を果たした同作。またサプライズ好きのジャニーさんらしく、映画上映と共に当日誰が出演するかシークレットのライブパフォーマンス(実演)を組み合わせた「映画と実演」という取り組みを実施。これは映画製作当初よりジャニーさんが思い描いていたプランだったという。8月16日からの追悼上映は、4月15日に丸の内ピカデリーで開催された「『映画 少年たち』 映画と実演アンコール上映」時の実演映像付きとなる。全国155館の映画館でライブビューイングされ、SixTONES、Snow Man、宮近海斗(Travis Japan)、なにわ男子、HiHi Jets、美 少年、7 MEN 侍、少年忍者、室龍太ら東西の人気ジャニーズJr.たち、総勢53名が登場した。また今後は、なにわ男子・関西ジャニーズJr.による舞台『少年たち青春の光に・・・』が8月に大阪松竹座、SixTONES・Snow Manによる舞台『少年たち To be!』が9月に日生劇場で上演される。
2019年07月30日「亡くなったジャニーさんのお別れ会が、9月上旬に開かれる予定です。当初は8月にも開かれる予定でしたが、延期されたのです。それは先日の“家族葬”に集まったメンバーだけでなく、長年のショービジネスでお世話になった大勢の方々や、ジャニーさんがかつて育て、いまはジャニーズを離れたタレントたちも広く集まれるような場にすることを検討しているためだと聞いています。そのため、慎重に準備を進めているそうです。もともと想定していた場所より大規模な会場に変更したようです」(音楽関係者)くも膜下出血のため亡くなった、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川さん(享年87)。12日の家族葬には所属タレント約150人が参列。故人を囲む“虹の祭壇”には、郷ひろみ(63)や田原俊彦(58)など、かつて所属した功労者たちの名前も掲げられていた。「9月のお別れ会はジャニーさんの“子供たち”が一堂に会するという芸能界史上、類を見ない壮大な会になるでしょう。がぜん、SMAPの再結集が現実味を帯びてきています」(前出・音楽関係者)16年末に解散したSMAP。中居正広(46)と木村拓哉(46)はジャニーズ事務所に残留。稲垣吾郎(45)、草なぎ剛(45)、香取慎吾(42)の3人は独立して「新しい地図」を設立。現在、映画や舞台、CM、ネットを中心に活動している。「お別れ会には木村さん、中居さんはもちろん、稲垣さん、草なぎさん、香取さんの3人も出席することになるでしょう。お別れ会は数時間にわたるようです。それぞれのスケジュールの都合もあるでしょうが、会に5人がそろう可能性はあります。もし別々に時間差での参加になったにせよ、ジャニーさんへの感謝は5人とも変わりません。同じ場に5人が集まることが、ジャニーさんの“遺志”に沿うことになるんです」(前出・音楽関係者)ジャニーさんはSMAP解散情報が飛び交った16年5月、悔しさをにじませ、こう熱弁していた。「僕は命に懸けても(解散させない)。SMAPはわが子と同じですから。彼らが僕を信じてる以上に、僕も彼らを信じていますから」ジャニーさんの切なる願いはかなわずSMAPは解散。その直後の17年1月、ジャニーさんは「僕は永遠にメンバーを後押し、バックアップ、応援していくつもりです」とコメントした。同年9月、稲垣、草なぎ、香取が退所時も「3人とも成長したなと思っているし、巣立っていくのはうれしい。前途には希望しか見えない。僕もできる限り応援します。独立しても関係が変わることはありません」と断言していた。それから2年弱でジャニーさんは天国へと旅立った。翌20日、東京五輪・パラリンピックの大会スタッフのユニホーム発表会に出席した香取は、訃報について初めて胸の内を明かした。「SMAPを生んでくれた方ですし、感謝しています。怒鳴られたり、怒られたことが今となっては全部身になっている。今の自分があるのもジャニーさんのおかげ」新しい地図の事務所関係者も本誌にこう語る。「ジャニーさんのお別れ会がまだ正式に発表されたわけではないので明確なお答えはできませんが、もし開催されるということなら、もちろん参加を検討できればと考えています」“前途には希望しか見えない”と断言していたジャニーさんの夢は、SMAPファンの願いでもある。
2019年07月30日稲垣吾郎(45)、草なぎ剛(45)、香取慎吾(42)の「新しい地図」3人は、ジャニーズ事務所創業者のジャニー喜多川さん(享年87)逝去10日後の7月19日、代理人を通じて連名でこう表した。《先週、ジャニーさんの家族葬が執り行われたとうかがっております。僕らは僕らのそれぞれの想いを込めて、今、自分たちのいる場所からお別れをさせていただきました。どんなときでも背中を押してくれたジャニーさん、ありがとうございました》こうしたコメントを受け、SMAPファンはお別れ会に向けてSNS等で一気に盛り上がっている。《お別れ会でのSMAP再結集~楽しみです。期待しています》《SMAP復活してほしい。ジャニーさんもそう望んでいる》「SMAPファンにとって、もうひとつの“追い風”が、元SMAP3人のテレビ出演を巡り、公正取引委員会がジャニーズ事務所に注意したという報道でした」(全国紙記者)緊急速報が流れたのは、7月17日夜8時59分だった。《元SMAP3人のTV出演に圧力の疑いジャニーズ事務所を注意公正取引委》NHKのニュース番組でトップニュースとしても報じられる前代未聞の事態に。その後、ジャニーズ事務所も各テレビ局も「圧力はない」と全面否定した。「この一報で、テレビ局は“身の潔白”を証明するためにも、今後、香取さん、草なぎさん、稲垣さんを番組に起用していくことになるでしょう」(テレビ局関係者)別のテレビ局関係者もこう証言。「当面は各局で“腹の探り合い”になりそうですね。まずは単発のバラエティやドラマから業界内や世間の反応を見たいといったところでしょう」ある制作関係者は、3人の地上波出演についてNHKが大きな鍵を握るのではないかと見ている。「各局のプライム帯ドラマの主役は2年ほど前に決まっているため、即座のドラマ主演は難しい。やはりバラエティからの地上波復活が現実的でしょう。今回、公正取引委員会の動きを報じたのもNHKですし、NHKが“圧力の噂”を払拭するために先陣を切る可能性は高いと思います。もともと『ブラタモリ』は草なぎさんがナレーションを務めていますしね」その草なぎをかねて起用すべく検討している局があるという。「関西テレビは、もともと『SMAP×SMAP』を制作していたこともあり、メンバーとの信頼関係が深い。特に草なぎさんは関テレ制作の『いいひと。』が連続ドラマ初主演作。『僕の生きる道』も人気となりました。実は『銭の戦争』(15年)『嘘の戦争』(17年)に続く“完結編”第3弾制作の話があり、今回の件で一気に話が進展する可能性が出てきました」(放送関係者)3人が地上波に本格復帰すれば“今後”への道も開けてくる、と前出のテレビ局関係者は力説する。「解散からの2年半で元SMAP5人も大きく成長しています。直接の共演ではないにせよ、局内で顔を合わせる機会が増えれば徐々に心もほぐれて“和解への道”につながっていくと思うんです」ジャニーさんへの深い敬愛は5人に共通していること。その原点に立ち返ることが、ジャニーさんへの“恩返し”につながる――。
2019年07月30日元SMAPの稲垣吾郎が29日、都内ホテルで行われた主演ミュージカル『君の輝く夜に~FREE TIME, SHOW TIME~』(8月30日~9月23日、東京・日本青年館ホール)のトークイベントに出席。くも膜下出血のため9日に亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんへの感謝の思いを語った。囲み取材でジャニーさんについて聞かれると、稲垣は「僕らの生みの親ですし、ジャニーさんがいなかったらこの世界に、ここに立っていない」と感謝。「エンターテインメントで数多くの方々に感動を届けることを、ジャニーさんも僕らに対して願っていると思うので、応えていくことができたら」と語り、「ゆっくり天国で休まれてほしいなと。そして、ずっとこれからも見守っていてほしいですね」と追悼した。また、一番の思い出を聞かれると「僕はグループの中でも一番怒られたんじゃないかな」と笑い、「怒っていただいてすごく成長できたし、一緒にいる時間も長かったので、しょっちゅう怒られていたのが思い出です。でも思い出はきりがないですね」としみじみ。「全部教えてくれたのがジャニーさんだったので、それは大切にしたいです」と語った。「お別れの会」については、「僕らも立場がありますから。出たいという気持ちはありますけど、思うことが、心が通じることが一番大切なことだと思う。近くにはいたいと思いますけど、気持ちのほうが大切。僕の気持ちは届いていると思いますので」と心境を明かし、「今後のことはわからないんですけど」と加えた。トークイベントには、共演の安寿ミラ、北村岳子、中島亜梨沙、演出の鈴木聡氏も登壇した。
2019年07月29日KAT-TUNの亀梨和也が、27日に放送されたラジオ番組『KAT-TUN 亀梨和也のHANG OUT』(FM NACK5/毎週土曜10:20~10:50)で、故・ジャニー喜多川さんや滝沢秀明氏への思いを打ち明けた。今年5月に放送された音楽番組『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)で、ジャニーズアイランド社長の滝沢秀明氏の演出のもと、自身のファーストソロシングル「Rain」を歌唱した亀梨。収録スタジオには、9日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さんも駆けつけていたことを明かし、「そのときは、ジャニーさんがまさかこういう形になるとは思ってなかったんですけど。CDデビュー組の現場に来ることは本当に珍しいんですが、来てくれましたね」としみじみ振り返った。また、演出を手掛けた滝沢氏について、「ジャニーズJr.という存在をグッと引き上げてくれた方」だと話した亀梨。滝沢氏とはジャニーズJr.時代から交流があり、「非常にお世話になったなという思いがあって。それこそ、自宅には何回もお泊りさせてもらいました。舞台のときなんかは、住み込みで通わせてもらってた時期もあって。そのときは、タッキーが洗濯もしてくれたり、ご飯もごちそうしてくれたり」というエピソードを披露しつつ、「滝沢くんとこういう形でお仕事ができるのは、有意義な時間だなと思います」と感慨深げ。さらに、ジャニーズの一員として、「僕としては、自分のパフォーマンスはもちろん、後輩のみんなと共有できるものを少しでも多く持ちたい。滝沢くんとの関係も、僕にできることが少しでもあれば」と語った亀梨は、最後に、「いつも言っているのは、ファンの方にどういう風に楽しんでもらえるか。僕らがエンターテインメントを提示するとか、意思を提示するとか。とにかく本当に広い範囲で、ジャニーズのエンターテインメントという部分を応援してくださっている方たちの存在に感謝しております」とリスナーやファンに向けてメッセージを送った。
2019年07月27日Sexy Zoneの佐藤勝利が、26日に放送されたラジオ番組『VICTORY ROADS』(bayfm/毎週金曜21:30~22:00)で、9日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さんとの思い出を語った。番組冒頭でリスナーに、「たくさんお便りをいただいて。ジャニーさんに代わってありがとうございます」と感謝した佐藤は、「僕をジャニーズのタレントにしてくれて、Sexy Zoneを作ってくれて、芸能界で活躍できるようにしてくれた人。出会ってからほぼ10年ですけど、一番は感謝ですね」とコメント。「あの人が好きだったので……」と言いながら、ザ・モンキーズの「Daydream Believer」を流した。「ジャニーさんは核みたいなもの、僕はこう思うよっていうのがすげーある。一方で、自分のやりたいことをすげー尊重してくれた。『ユーがやりたいことをやりなよ』って言ってくれる人でしたね」とジャニーさんについて語った佐藤。以前、自身がイギリス単独旅行をした際も、「すごい反対していた」そうだが、「最後は『行ってきなよ』って言ってくれる人だったな。やりたいことをやらせてくれる人だったな……」としみじみと振り返った。また、メンバーたちとは、「あんなにも愛される人はなかなかいない」と話していたそうで、「これからのジャニーズに入ってくる子たちに、ジャニーさんから教わった本当のジャニーズを、僕らが伝えていかなきゃなって。それが親孝行になるのかなって思いますね」と“ジャニーイズム”の継承にも意欲。最後は、「あの人に見せたかった景色もたくさんあるので、それを目指せるように。もちろん一番は、Sexy Zoneがファンのみんなに笑顔を届けられるように頑張っていきたいと思います」と心を新たにして、話題を締めくくった。
2019年07月27日アイドルグループ・V6の年上ユニット20th Century(トニセン)の坂本昌行、長野博、井ノ原快彦が27日、東京グローブ座で行われた主演舞台TWENTIETH TRIANGLE TOUR vol.2『カノトイハナサガモノラ』公開ゲネプロに登場し、取材に応じた。同作は「ソウル・ターミナル」と呼ばれるライブハウスのような空間を舞台に、サカモト、ナガノ、イノハラの3人が歌を歌いながら様々な想いを呼び起こしていく。御徒町凧が作・演出を務め、トニセンの楽曲や新曲を織り交ぜた新たな舞台表現に挑んだ。坂本は同作について「僕らトニセンの関係性がベースとなって、ストーリーになってるのかなってないのか、ライブなのかお芝居なのか、つかみどころのない作品ですけど、なんとなく来て体験してくれたら嬉しい」とアピールした。井ノ原は「3人でしかできないこと、他でできないことをやろうということで、ちょとやりすぎちゃった部分もあるかもしれない」と苦笑し、例として「長野くんがまっぷたつになったりとか」とマジック演出を挙げる。9日に亡くなったジャニー喜多川さんも「ああいうの大好きですから」と明かし、「僕らもデビュー当時、コンサートで絶対マジックをやらなきゃいけないと思ってたけど、どうやら、やらなくてもいいじゃないですか。『次のマジックどうする?』とか言って、毎回会議してて。人を驚かせたいということも根本にあるので」と振り返った。また「TWENTIETH TRIANGLE TOUR」という公演名を、ジャニーさんが決めてくれたエピソードを語る井ノ原。ジャニーさんに電話をすると話をそらされたというが「お願いしたら次の日に興奮して、『TTTだよ! TWENTIETH TRIANGLE TOURだよ! お客さんみんなにトライアングル配っちゃいなよ! あんなの1個1,000円くらいだよ』と言われて、『それが大変なんだよ』って話して。前回はなかったトライアングルの演出を入れたのもそういうところもあった」と説明した。ジャニーさんについて、井ノ原は「今頃、『ソウル・ターミナル』にいるんじゃないですか」と舞台の設定にかけ、「随分前から台本にあったので、今回こういうことになってつけたわけではなく『あえて変えることもないね』と言って」と説明。「ジャニーさんが寝てる時に、Jr.のいろんな子達が『8月8日にライブあるからきてね!』と言ってて、(ジャニーさんが)行けたらいいなあと思ってたんですけど、逆にこれでみんなのところに行けるようになったんじゃないかな。今日も僕らの初日で、今、新大久保の駅あたりでタピオカかなんか飲んでるんじゃないですかね。並ばないで済むし」と思いを馳せた。ジャニーさんとの1番の思い出を聞かれると、坂本は「やっぱり初対面。社長とはわからずに話をしていて。最後の最後に『社長はいつくるんですか?』という質問をしたら、『今度来るよ』と、明かさなかったんですよ。1カ月後に気づきました」と振り返る。長野もオーディションの時を挙げ、「『僕がジャニーです』と言われて、面接して、『じゃあ来週から来ちゃいなよ』。これ、受かったのかな? みたい感じで、とりあえず来週から行って。『この人がジャニーさんなんだ』と思いました」と語った。井ノ原は「小学生くらいの時から、週末はだいたい松岡(昌宏)とジャニーさんと3人で遊んでて、アイススケートとかボウリングとか、よく行きました。アイススケートは『20年ぶりだよ!』と言いながらやってまして。ジャニーさんが一生懸命滑ってて、また10分くらいして見たらお尻がすごい濡れてたから、相当こけたんだろうなと思って」と思い出話が止まらず。さらに「地元の大井町のヨーカドーの屋上にトランポリンがあって、『トランポリンやりたい』と言ったら連れてってくれて。20分100円だったんですけど、僕ら夢中にぴょんぴょん跳ねてたら、切れちゃったんですよ。『ジャニーさん100円入れて! 100円入れて!』と言ったら、『おお』とお金を入れてくれて、僕らも『早く早く!』って、社長に100円入れさせてた」とエピソードを披露。「いつも小銭いっぱい持ってましたからね。じゃらじゃらじゃらじゃらいっつも! Jr.の子達に、NHKで『お好み麺 D食べる?』と言ってました。小銭いっぱい持ってる印象ありますね」と明かした。今後の"TTT"活動については、「仲が良ければ」という井ノ原。「集められてやるのとはまた違うのでそこそこ仲良くないとできない。関係性が続いているうちは、ライフワークみたいな感じで続けていければいいと思います」と意欲を見せた。
2019年07月27日嵐の5人はそれぞれ恩人であるジャニーさんへの深い思いを明らかにしてきた。7月1日、ジャニーさんの緊急入院を公に初めて明かしたのは松本潤(35)だった。国民的アイドルへと成長した嵐。結成20年の節目に彼ら自身で出した結論が2020年末をもっての活動休止だった。「自分の嵐としての活動を終え、自由な生活をしてみたい」という大野智(38)の希望を、メンバーが受け入れたのだ。今年1月27日、嵐の活動休止電撃会見から3日後、ジャニーさんは取材陣に率直な心境を吐露した。「昔は嵐くらいの年齢で歌ったり踊ったりすると笑われたものです。物事には限界があるけど、止まっちゃったら、そこが限界になっちゃう。20年間、よく頑張ったなと。あと2年間頑張ってくれるだけで、すごくうれしいです。僕なんて、2年後にはいないかもしれないけど。僕はいつまでも嵐についていきます。2年でも、3年でも。しばらく休憩して、またやるっていうのは、いいと思います」数々の偉業を成し遂げてきた嵐。それは、嵐のメンバーがアイドルの限界を超え続けたことで積み上げてきた奇跡に違いなかった。「5人じゃないと嵐じゃない。ずっと5人で嵐の精神を守り続けて」というジャニーさんの思いは、遺命として嵐の心に生き続けている。「ジャニーさんはよくラスベガスのショーやマイケル・ジャクソンのビデオを関係者に示していました。松本さんも今、後輩たちを自宅に呼び、海外の最新舞台映像を見せています。ジャニーさんが培ったノウハウは、すでに松本さんにも色濃く受け継がれているんです。来年の嵐のデビュー記念日、11月3日には、ファンイベントを開催したいと5人で話しているそうです。松本さんの中には『ジャニーさんにも見てほしい!』というステージ計画がすでにあるとか。ファンもメンバーも心ひとつに、大野さんの新たな門出を祝う企画を考えていると聞いています」(音楽関係者)松本は嵐の活動休止を機に、海外の舞台芸術に触れ、自身の演出力を高めたいと意欲満々だという。「それは“活動を再開したときに必ず役立つから”だそうです。それぞれ英気を養った5人が再集結し、新生・嵐の姿を必ず見せてくれる日があると信じています」(前出・音楽関係者)5人のあくなき挑戦を、ジャニーさんは天国で見守っている――。
2019年07月24日7月19日、嵐の5人が「NHK東京2020オリンピック・パラリンピック放送スペシャルナビゲーター」として五輪関連番組『2020スタジアム』の会見に臨んだ。所属事務所社長・ジャニー喜多川さん(享年87)逝去後の初の公の場だった。リーダー・大野智(38)は逝去翌日にこんなお別れの言葉を贈っていた。《ジャニーさんと出会えたことで僕の人生は大きく変わりました。嵐をつくってくれてありがとう》嵐はジャニーさんがCDデビューさせた20世紀最後のアイドルグループ。99年9月、米国ハワイ州・ホノルル沖の客船上で結成会見。“生みの親”であるジャニーさんも同行していた。嵐は着実に人気と実力を伸ばし、07年4月に初の東京ドーム公演。同年のシングル『Love so sweet』がオリコン年間チャートトップ10入りする大ヒット。以降、男性アイドルの売上げ記録を次々と塗り替えていく。「嵐が国民的な人気となったのは5人のチームワークがあったからこそ。そういう意味では、リーダー・大野さんの役割は大きい。そもそも大野さんを嵐のメンバーとして“大抜擢”したのも、ジャニーさんでした」(前出・音楽関係者)テレビ局関係者もこう証言する。「大野くんはジャニーズに入ってまもなく、2年間ほど舞台出演のために京都に滞在していました。彼の歌唱力の高さを知っていたジャニーさんは、折を見て京都まで見に行っていたんです。ジャニーさんが嵐をデビューさせるにあたり、Jr.のトップだった松本くん、光る演技力を持った二宮くん、知性的な櫻井くん、愛されるキャラクターを持つ相葉くんという東京で活躍していた4人がまず浮かんだそうです。そこに“最後のピース”として白羽の矢をたてたのが大野さんでした」ただ、大野自身は当時、決して芸能活動に積極的ではなかった。『日経エンタテインメント!』09年11月号で赤裸々に語っている。《「辞める」って言ったのは、(デビュー前年の)98年。踊りを究めるために京都の舞台で仕事させてもらっていたんだけど、2年やって自分のなかで究まった感じがしたので、社長に電話したんです。「京都から戻ってきたよ。で、辞める」って。社長も「ああ、そう」ってすんなり言ったんですよ》「じゃあ、とりあえず来て」とジャニーさんに言われ、連れていかれたのが堂本光一(40)の舞台『MASK』の稽古場だったという。「社長は一言、『とりあえず踊っちゃって!』と。大野くんは勢いに押され思わず踊って参加したんです」(前出のテレビ局関係者)だが、大野は再び辞めると宣言。《舞台が終わって3カ月くらいは、仕事の電話がきても断って、ずっと家で絵を描いてた。で、ダラダラやってるのも嫌なんで、また社長に言ったんですよ、「辞める」って。そしたら、「じゃあ、ちょっとレコーディングを手伝ってくれない?」って言われたので、本当に最後の手伝いとして行きました》スタジオで再度、「とりあえず歌っちゃって!」と渡された紙には『嵐』という文字があり、『大野ソロパート』と書かれてあったという。《歌い終わったら「来週、ハワイ行く?」って。いろいろやったお手伝いのご褒美だと思いました》だが、そのハワイは、嵐のデビュー会見の場所だったのだ。《さすがにハワイまで行っちゃってるんで、そこでは辞めるって言えなかった(笑)》前出のテレビ局関係者も言う。「デビュー後、しばらくは爆発的な人気には至りませんでした。大野くんもまたリーダーとして試行錯誤しながらグループの団結力を高めていった感じでした。ツアー中には必ず1度は5人だけで集まって飲んで言いたいことを言い合う場を設けたそうです。その地道な意思疎通がファンの親近感を生み、幅広い人気につながったんです」だが、大野の心には3度、芸能界を離れたいという思いが芽生えた。「実は、結成10周年直前にも、大野くんがメンバーに『辞めたい』と打ち明けたことが。嵐としてやりたいことはやり切ったという“燃え尽き症候群”みたいになったそうですね」(前出・音楽関係者)ジャニーさんは優しく励まし、メンバーも必死に慰留して危機を乗り越え、20周年を迎える人気グループへと成長したのだ――。
2019年07月24日V6の三宅健が、22日に放送されたラジオ番組『三宅健のラヂオ』(bayfm/毎週月曜24:00~24:30)で、9日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さんについてコメントした。三宅は、ジャニーさんが亡くなる直前の病室の様子について、「倒れてから3週間の間に、全タレントがジャニーさんに会ってる。入れ代わり立ち代わり、先輩も後輩もJr.の子たちも、みんなが駆けつけた」と明かし、「それがある意味、“ジャニーさんの最高の演出”というか。先輩も後輩もなかなか交流することがないので、そういう場をみんなに作ってくれた。『ユーたち仲良くやってよ』って言われてる気がしましたね」としみじみ振り返った。「後輩たちとなるべく関わらないように、ジャニーズの人になるべく関わらないように生きてきたつもり」だという三宅は、そんな時間を過ごす中で心の変化があったそう。ジャニーズアイランド社長の滝沢秀明氏と、朝まで病室で過ごすことが数日間あり、「長い時間、病室にいると、普段は話さない子たちと交流することになるわけ。でも、それってすごく良いことなんじゃないかなって。そういう機会を3週間で与えてもらったんじゃないかな」と、“ジャニーさんの最高の演出”に感謝。また、後輩たちと病室で交流するなかで、ジャニーズJr.内のユニット・Snow Manの宮舘涼太らと連絡先を交換したことも打ち明け、「『ジャニーさんが、普段コミュニケーションを取らない僕たちをつなげてくれたのかもね』って、ヤツらに言っちゃったのがいけないんだけど……」と前置きしながら、「みんなが勇気を持って連絡先を聞いてきて。本当は交換したくなかったけど、何人か交換させられました。僕が悪いんだけど、言わなきゃよかった(笑)」と苦笑する場面も。最後は、ジャニーさんについて、「とにかく偉大な人で、まさに“キング・オブ・エンターテインメント”の人」だと話した三宅は、「今いる自分たちは、ジャニーさんが見つけてくれなきゃ、存在してない。見出してもらって、世の中に送り出してもらって、ファンの人たちと出会えた。自分たちにとって、人生の一部でもあるファンの人たちに出会わせてくれたジャニーさんに本当に感謝ですね。そういう意味で人との出会いは大切にしていきたいし、ファンの人たちとも縁があって出会ってるので大切にしたいなと思ってます」とファンに対する思いを交えて、話題を締めくくった。
2019年07月23日元SMAPの稲垣吾郎(45)、草なぎ剛(45)、香取慎吾(42)が7月19日、ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川さん(享年87)死去についてコメントを発表した。今月9日に解離性脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血のためこの世を去ったジャニー社長。3人は今月12日に都内で営まれた家族葬には参列しなかったが、「先週、ジャニーさんの家族葬が執り行われたと伺っております。僕らは、僕らのそれぞれの想いを込めて、今、自分達のいる場所からお別れをさせていただきました」と振り返った。続けて「どんな時でも背中を押してくれたジャニーさん、ありがとうございました。心からご冥福をお祈りします」と追悼した3人。訃報から10日、「ほかの元ジャニーズ事務所のタレントたちは続々と書面や自身のSNSでコメント。しかし普段は積極的にSNSで発信している3人が無言を貫いていたのです。そのためネット上では、3人のコメントを待ち望む声が続々と寄せられていました」(芸能記者)1991年にCDデビューし、国民的人気グループへと成長したSMAP。16年末に惜しまれつつ解散し、3人は翌17年6月にジャニーズ退所を発表。その際、ジャニー社長は異例の形で3人を送り出していた。「ジャニーさんは3人にエールを送り、SMAPについて『(S)すばらしい、(M)MEMORIES、(A)ありがとう、(P)POWER』と表現していました。この言葉に3人はいたく感動していたそうです。今回のコメントも、ジャニーさんへの恩返しだったのでしょう」(前出・芸能記者)
2019年07月20日7月19日放送の「ミュージックステーション」(テレビ朝日、金20時~)は、「ジャニーさんへの感謝を込めた90分拡大SP!」と題し、亀梨和也さん、Kis-My-Ft2、HiHi Jets、美 少年が出演しました。スタジオでは、近藤真彦さんからKing&Princeまで、ジャニーズ歴代デビュー組の秘蔵映像をジャニーさんとのエピソードと共に振り返り、各グループのファンも大喜び。は、デビュー前から人気の楽曲「祈り」と、デビュー曲「Everybody Go」を。亀梨さんは、自身が作詞をしジャニーさんも好きだったと言う「絆」、そして、ジャニーズJr.の村上真都ラウールさんと、道枝駿佑さんをバックにつけて「青春アミーゴ」を披露。HiHi Jetsと美 少年は、テレビ朝日夏の風物詩イベント「サマーステーション」のテーマ曲「おいで、Sunshine!」を歌いました。最後は出演していたジャニーズメンバー全員と、サプライズでジャニーズJr.のTravis Japan、Snow Man、SixTONESも合流し、ジャニーズJr.時代に誰もが歌ってきた定番曲「Can do! Can go!」、「明日に向かって」を披露しました。最後に全員集合して、亀梨さんの掛け声「せーのっ、J!」で締めると、後ろスクリーンにはジャニー喜多川さんがモットーにしていた「Show must go on!」の文字が。亀梨さんを中心として、まるでジャニーズの舞台を見ているような演出に感動するファンが続出しました。今だからこそ振り返りたい、見ごたえのあるジャニーズの総集編でした。ジャニーズにとって新しい時代の幕開けとなった今、今後事務所全体がどのような軌跡をたどるのか、ファンとしてもますます応援に力が入りますね。
2019年07月20日元SMAPの稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾が19日、くも膜下出血のため9日に亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを追悼するコメントを連名で発表した。3人は「先週、ジャニーさんの家族葬が執り行われたと伺っております。僕らは、僕らのそれぞれの想いを込めて、今、自分達のいる場所からお別れをさせていただきました」と伝え、「どんな時でも背中を押してくれたジャニーさん、ありがとうございました。心からご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。1991年にCDデビューし、数々の名曲を世に送り出したSMAPは、2016年末に解散。その後、稲垣、草なぎ、香取は2017年9月にジャニーズ事務所を退所し、「新しい地図」を立ち上げ活動している。
2019年07月19日Hey! Say! JUMPの山田涼介が、18日に放送されたラジオ番組『Hey! Say! 7 Ultra JUMP』(文化放送/毎週木曜24:05~24:30)で、9日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さん(享年87)への思いを涙ながらに語った。この日の収録は10日に行われ、山田は、「僕たちの生みの親であるジャニーさんがお亡くなりになりました。非常に悲しい気持ちと共に、やっぱりすごく寂しいんですよね。その中でファンのみなさまの温かいコメントを見ると……」とこらえきれず涙。続けて、「本当に愛されてたんだな、愛していただいてるんだなと、非常にうれしく思っています」と声をつまらせながらファンに感謝した。ジャニーさんについて、「社長という立場でありながら、親のような存在」だと語った山田。「ジャニーさん、長い間ご苦労さまでした。安心して天国でゆっくり休めるように、僕たち、息子たちは頑張っていきたいと思うので、温かく見守ってほしいなと思います」とメッセージを送り、「ジャニーさんは、僕たちタレントの一人ひとりの心の中で生き続けています。これまでと変わらない、これまで以上のエンターテインメントを、心の中で一緒に作りながら頑張っていきたい」と鼻をすすりながら言葉を絞り出した。最後は、「心が温かくなるようなたくさんのコメントを送ってくださり、本当にありがとうございます。多分、ジャニーさんも喜んでますし、昨日はタレントが集まっていましたけど、みんな同じ気持ちだったと思います」と改めてファンに感謝。「これからも最高のエンターテインメントを、ファンのみなさまにお届けできるように、今まで以上に僕たちは努力しなきゃいけない。これからも頑張っていきますので、ジャニーズをよろしくお願いいたします」と気を引き締めて話題を締めくくった。
2019年07月19日TOKIOの城島茂が、18日に放送されたラジオ番組『アッパレやってまーす!』(MBSラジオ/毎週木曜22:00~23:30)で、9日に亡くなったジャニーズ事務所代表取締役社長・ジャニー喜多川さん(享年87)について語った。番組冒頭で、城島は、「うちの事務所社長、ジャニー喜多川が亡くなりまして。倒れてから3週間色々ありましたけど、本当にありがとうございましたと、みなさまにここでお伝えしたくて。一通り、順調に滞りなくということで、今は一段落した状況です」と周囲への感謝とともに現状を報告。また、「ここまでテレビやニュースでみなさんに関心を持っていただいて報道されるというのは、ありがたい幸せやったなと、うちの社長も思ってると思います」と心境を語った。メディア露出を避け、裏方に徹したジャニーさん。「僕が事務所に入ったのは1986年なんですけど、そのあと20年くらいは、取材やインタビューに受け答えした記憶があんまりないんですよね。よっぽどのことがない限り、メディアに自らの言葉が出るっていうのはなくて」と振り返った城島は、「亡くなってから、うちのタレントが、ジャニーさんに対してのコメントで色んなエピソードを出してて。こんなことあったんやって」と、所属タレントたちの追悼コメントを見て、自身が知らなかった一面もあったことを吐露。なかでも、印象的だったエピソードが、元男闘呼組のメンバーで、一つ上の先輩でもある岡本健一のコメントだったという。岡本が17歳のときに亡くなった母親の通夜のあとに、「お父さんや健一くんに『あとは休んでて』と言って、社長が一人で一晩ずっと、線香とロウソクを絶やさなかった」そうで、「健一くんにはずっとかわいがってもらってましたけど、その話を僕は知らなくて……。『そんなエピソードがあったんや。そんな社長おるか?』ってビックリしました。感動しました」とタレント想いだったジャニーさんに、改めて尊敬の念を抱いた様子。最後は、「この場を借りて、オフィシャルでみなさんにお礼を言いたくて。これからも明るく、うちの事務所のタレント一同、頑張っていかなきゃなっていうことで、今後ともよろしくお願いいたします」と気持ちを新たにして、話題を締めくくっていた。
2019年07月19日お笑いコンビ・爆笑問題の太田光が、16日深夜に放送されたTBSラジオ『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』(毎週火曜25:00~27:00)で、ジャニーズのテーマパーク“ジャニーズランド”を提案した。番組では、13日に放送されたTBS系音楽特番『音楽の日』で行われた滝沢秀明氏プロデュースによるジャニーズJr.出演企画の話題に。「すごかったね」「Jr.の腹筋太鼓」と振り返り、太田が「タッキーなんか、俺ら子供の頃だよね。かわいくて、美少年で」と語ると、田中も「僕もジャニーズ史上最も美男子といえばタッキー」と断言した。また、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんの功績を称え、「すごい人だなと思う」と太田。ジャニーさんに招待してもらって観劇したKing & Princeの主演舞台『JOHNNYS’ King & Prince IsLAND』のすごさも改めて語った。その後、太田は「ジャニーズの話で何が言いたかったかっていうと、ディズニーランドみたいなのを、“ジャニーズランド”って作ったら絶対ウケるんじゃないかなと思って」と提案し、「ショーやアトラクションがある。しかもランドにいる人たちみんなジャニーズの若手で、それが案内したりしたら、相当世界中から来るんじゃないかなと思って、ああいうのやったらいいのに。余計なお世話なんだけど」と説明。田中も「相当だね!」と同調していた。
2019年07月17日歌手のASKA(61)が7月12日に「ジャニーさん」、そして「光GENJI」のタイトルでブログを更新。その内容に、ファンがざわついているという。ASKAといえば、1987年にデビューした光GENJIにデビュー曲「STAR LIGHT」を提供。同曲は大ヒットを記録し、グループは国民的アイドルとなった。そんなASKAは9日に亡くなったジャニー喜多川さんについて《ジャニーさんの「ジャニーズ」タレントに向ける愛情、情熱。そして、類い希なるプロデュース能力。僕(僕ら)は、「プロデュースとは?」を、学ばせて頂きました。心よりご冥福をお祈りいたします》と追悼した。さらに一昨年には光GENJIのメンバー全員が集まったところへ呼ばれ、《彼たちは「デビュー30年」を、機会に、1年だけ「光GENJI」で、ツアーを行いたいと。全楽曲を書いてくれないだろうかと》とオファーを受けていたと告白したのだ。快諾したASKAは7曲を製作。しかし、諸事情から再結成は実現しなかったという。「再結成が実現していれば、当時のファンたちが再び歓喜したはず。社会現象のような人気になっていたのではないでしょうか。自身のニューアルバムには、その7曲のうち1曲を収録しているとのこと。残り6曲が世に出るのかについても注目が集まっています」(音楽関係者)
2019年07月16日アイドルグループ・A.B.C-Zの橋本良亮、戸塚祥太、河合郁人、五関晃一、塚田僚一が16日、東京・台場の東京ジョイポリスで行われた「A.B.C-Z 5STARS FESTIVAL IN JOYPOLIS」の記者会見に出席した。東京・台場の屋内型テーマパ ーク「東京ジョイポリス」は、昨年アミューズメント施設とのコラボレーションが話題となったA.B.C-Zとの2年連続となるコラボイベントを7月16日~10月14日の期間に開催。人気アトラクションとのコラボやコラボメグッズの展開、さらには完全書き下ろしの新曲によるプレミアムデジタルライブなど、目玉企画が催される。2年連続のコラボ企画に河合が「夏のジョイポリスを盛り上げられるということで、僕もワクワクしています。来られる方もワクワクしていただけるように頑張りたいと思います」と意欲を見せ、戸塚も「こうして2年連続でジョイポリスさんを盛り上げられるということで、ジョイポリスのファンの方々、A.B.C-Zのファンの方々、お互いに良い感じで交わって盛り上げていけたらなと思っています」とコメント。昨年の期間中には甥っ子や姪っ子とともに同所を何度も訪れたという橋本も「2年連続でこういう場所でA.B.C-Zがコラボできて本当にありがたく思っています。去年もいっぱい盛り上がりましたが、今年は去年以上にA.B.C-Zがお台場を盛り上げていきたいと思います。お台場の夢の国はジョイポリスなんじゃないかなと思っています」とアピールした。同コラボ企画のテーマは"フェスティバル"。それにちなみ、「フェスティバルの思い出は?」という質問に、2000年頃にタイで開催されたパタヤミュージックフェスティバルに出演した際のエピドードとして「その時に早替えでローラープレートで次の曲で滑ることになり、その前にギリギリで早替えだったんです。時間がなくて出なければいけないとなった時に、ローラープレートを締めるのを忘れて中のインソール履きが残ってそれで滑りました。現地の方は『何だ? そんなパフォーマンス見たことない!』という感じで『うぉ~!』と盛り上がっていましたね」と塚田。続けて「本当にジャニーさんの教えとして失敗しても顔に出すなとずっと言われていました。そういうことが繋がったなと今は思いますね」と7月9日に亡くなったジャニー喜多川氏との思い出を明かしていた。
2019年07月16日ニッポン放送の開局65周年記念特番『ニッポン放送開局記念日スペシャル 「おかげさまで65周年 “あなたとROCK&GO!”」』が、開局記念日当日の15日(5:00~21:50)に生放送された。9時台にはお笑い芸人・萩本欽一が、ニッポン放送『欽ちゃんのドンといってみよう!』(1972年~1979年)から大人気テレビ番組「欽ドン」につながったエピソードを披露。10時台のゲストには、落語家・笑福亭鶴光が登場し、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の話題などを語った。さらには、『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』(毎週月曜~金曜 11:30~)のパーソナリティ・高田文夫も生登場した。13時台は『ラジオ・チャリティ・ミュージックソン』を特集。1975年に初代パーソナリティを務めた萩本欽一の当時の音源や、2011年にパーソナリティを務めた音楽デュオ・ゆずの有楽町駅前での生演奏の模様がオンエアされた。また、2006年、2014年にパーソナリティを務めた上戸彩は「本当に私がみなさんから元気とパワーをもらう24時間でした」と振り返り、「ラジオ・チャリティ・ミュージックソンがこれからもずーっと続いていきますように」と語った。15時台には、松任谷由実がゲスト生出演。「オールナイトニッポン」を1988年4月から1999年3月まで11年間担当し、女性パーソナリティの最長記録を持つ松任谷が、ラジオから生まれた名曲「瞳を閉じて」が誕生した経緯などについて語ったほか、過去に放送された『松任谷由実のオールナイトニッポン』のダイジェスト版が放送された。17時台は、2016年から4年連続で新春の長時間特番を担当したお笑いコンビ・三四郎が登場。長時間番組の秘けつを聞かれると、小宮浩信は「抜くところは抜く。そうしないともたない(笑)」と語り、「10年後も新春特番を担当でしたい」と意気込んだ。19時台には、ジャニー喜多川さんに哀悼の意を表して、ジャニーズ特集を放送。ニッポン放送の初ジャニーズ番組『ジャニーズ・ジャンプ』最終回(昭和42年11月)の音源が放送され、リスナーからは光GENJI、中居正広、Kinki Kids、V6、Kis-My-Ft2などさまざまなジャニーズのパーソナリティが担当した番組の思い出が続々と寄せられた。20時台には火曜の「オールナイトニッポン0(ZERO)」を担当するCreepy Nutsが登場。DJ松永は「ラジオってリスナーに寄り添わなきゃいけないのに、(パーソナリティの)ラインナップがちょっとスターすぎてリスナーがビビっちゃってるから。実際、ニッポン放送のイベントに駆り出されまくってる、スケジュールがすぐ抑えられる俺らみたいな便利屋が、1週間に1回いないとダメなんすよ」と熱弁した。最後のゲストとして、水曜の「オールナイトニッポン0(ZERO)」を担当するテレビ東京プロデューサーの佐久間宣行が登場。リスナーからいつの間にか「船長」と呼ばれるようになり、酔っぱらったリスナーから駅で「船長!」と抱き着かれたことなど、パーソナリティとリスナーの距離の近さに驚いたエピソードを披露した。そして、テレビとラジオの魅力について問われると、それぞれの特性について「テレビが面白いと人気が出る。ラジオが面白いと好きになる」と語った。また15日には、ニッポン放送地下2階のイマジンスタジオにて、ニッポン放送グッズ展が開催された。このグッズ展では、ニッポン放送の過去のタイムテーブルやノベルティグッズ、放送機材が展示され、1000人を超えるリスナーが来場した。
2019年07月16日お笑いタレントの明石家さんまが、13日に放送されたMBSラジオの番組『ヤングタウン土曜日』(毎週土曜22:00~)で、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんとの思い出を語った。さんまは26歳のときに、あまりにもギャラが安かったことから吉本興業に不満を抱き、「辞めたい」と思ったそう。その頃に、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)の現場でジャニーさんに会ったという。「ジャニーさんがメイク室にいらっしゃって。『ジャニーさん、ジャニーズに入れてもらえませんかね』って言ったら、忘れもしない。あれが最初で最後ですからね、面と向かってしゃべったの。回る椅子に座っていて振り向きざまに『YOUはダメ!』って」とそのときの様子を説明。「芸人で“YOU”って言われたのは俺1人だと思う」と言い、「それが30何年か前だから、ジャニーさんは50前後だったんですよ。若かった」と振り返った。また、さんまがニューヨークに毎年行っていた頃、ジャニーさんもブロードウェイを勉強しにニューヨークを訪れていて、ジャニーさんからペントハウスに誘われたことがあったという。「『ぜひ来てほしい。招待したい』って言われたんだけど行く勇気がなくて」と話した。そして、「これからジャニーズはまだまだ不滅」とさんま。ジャニーズ事務所のタレントたちについて「ちゃんと伝統を守って途切れないからな。川崎麻世頼りのときがあって大変やなと思ったら、たのきん、少年隊、シブがき隊、SMAP、嵐と出てきて、いまはキンプリやからな」と話し、お気に入りのKing & Prince・平野紫耀のモノマネも披露した。
2019年07月14日ジャニーズ事務所は12日、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんの家族葬を執り行い、公式サイトにて同日、報告した。事務所は「本日、2019年7月12日、弊社代表取締役社長ジャニー喜多川の家族葬を、ジャニーが大好きだったジャニーズアイランドの稽古場におきまして、滞りなく執り行いましたことをご報告申し上げます」と報告。「ジャニーは、自身の子供のような存在でございますタレント達と最後のお別れをいたしました」と伝えた。そして、「この度の家族葬は、これまで数多くのステージをプロデュースしてまいりましたジャニーにとって自身が上がる初めてのステージとなりました。だれよりもエンターテイナーである者にとってふさわしいステージとなるよう、忙しい子供達が時間を縫って、会場の設営から運営に至るまで、できる限り自分達の手で作ることにこだわりました」と説明。司会を担当した国分太一(TOKIO)と井ノ原快彦(V6)は、式次第は守りながら、ジャニーを明るく笑顔で送り出すように努め、また、ジャニーさんへの感謝の気持ちを東山紀之(少年隊)、高橋優斗(HiHi Jets)、堂本光一(KinKi Kids)とつなぎ、最後に近藤真彦がその思いをつづったという。「これまでジャニーはタレント達の活躍をいつもステージの下から見守ってまいりましたが、最後に、その姿をステージの下から約150名のタレント達が見届けました。ジャニーの最後は優しく、心が温かくなるステージとなりました」と伝え、「ジャニーは、最後の最後まで人を育て続けたプロデューサーでございました。そして、これからもジャニーの意思を受け継ぎながら、成長し続けることができるよう、皆で精進してまいります」とつづった。なお、「これまでお世話になりました皆様にお別れいただく機会につきましては、決定次第、ご案内申し上げます」としている。
2019年07月12日7月12日放送の「あさイチ」(NHK、8時15分〜)に、嵐の松本潤さんが出演しました。ジャニーさんの死後、嵐メンバーとして初のテレビ生出演となり、その発言に注目が集まっていました。番組では、嵐のコンサート映像を振り返ると共に、松本さんがジャニーズ事務所入所のきっかけを語る場面も。ふたつ上の姉の影響でKinKi KidsやV6を知り、自分で履歴書を送ったという松本さん。ジャニーさんから電話が来て、レッスンに参加することになったというエピソードを紹介しました。松本さんは、改めてジャニーさんへ「エンタメの僕を作ってくれたのはジャニーさん」と語り、「『こういうことやりたい』と言ったことに『ノー』とは言わない。基本的に褒めて育てようとする」というジャニーさんの教育方針を振り返りました。また松本さんの母が、ジャニーさんが亡くなってから語ったエピソードとして、「ジャニーさんは『親御さんがどれくらい心配してるか僕は想像できないけれど、心配してると思うので』と、夜遅くなったり、合宿所に泊まるときは毎回親に電話していた」という逸話も披露。最後、ジャニーズに入ってよかったかという質問には、「もちろんです!」と力強く答えました。本日、都内でジャニー喜多川さんの家族葬が行われることが発表されています。
2019年07月12日アイドルグループ・TOKIOの城島茂と松岡昌宏が12日、都内で行われた「ふくしまプライド。」新CM発表会に登場した。福島県では、東日本大震災以降、県産農林水産物の魅力や安全性について情報発信の取り組みを行っており、2012年よりCMキャラクターにTOKIOを起用している。新CM「もも」編、「夏野菜」編が13日から首都圏、関西、北海道、福島県内でOAされる予定だ。内堀雅雄 福島県知事は、発表会が始まる前に「はじめに、ジャニーさんへの思いをお話しさせてください」と一言。「TOKIOの皆さんは、震災前から、そして震災後も福島県の人々、そして福島の農産物に熱い思いを持ってずっと私たちを応援し続けてくれました。このTOKIOさんを育て、そしてこうした活動に理解を示して応援を続けていただいたジャニーさんが亡くなられました。ジャニーさんのご逝去に接し、改めて心からお悔やみの思いを申し上げたいと思います」と追悼の言葉を述べた。桃を持って登場した城島は「今年も福島で19年目となる田植えをやってきました。メンバー総出で、ずっとお世話になってる福島の農家の皆さんと一緒にしたんですけど、今年もいい米ができるんじゃないかなと。福島の気候と福島の風に吹かれながら楽しく過ごしています。普段は都内で、またはロケでいろんな全国各地を回っておりますが、福島に出向きますと、帰ってきたなという気持ちもありながら過ごしております」と滑らかに語る。この城島の言葉に、松岡は「よくもまあ、噛まずにすらすらと。ジャニーさんも喜んでると思います」としみじみ。城島は「がんばってるよ、ジャニーさん」と天を見上げながら伝えていた。会見終了後、ジャニー喜多川さんへの思いを聞かれた松岡は「僕らがこういう風にお仕事させていただくことが、うちのジャニーへの何よりの供養。僕らはこれからもジャニーさんに教えてもらったことを貫きたいと思っています」と瞳を潤ませる。城島も「自分たちジャニーズのタレント一同、社長に見出されたおかげでこの場所にいるものですから。恩返しというのは、単純でありきたりな言葉かもしれないですけど、笑顔で頑張っていくことが、ジャニーズの、アイドルの使命じゃないかなと。これまで応援していただいた全タレント、みんな思ってると思います」と涙をにじませながら答える。「いろんなエンタテインメントの思いとか、何を届ければいいのかとか、考えながら頑張っていきたい」と今後に思いを馳せた。タレント・ジャニーズJr.が集合する家族葬が本日執り行われるが、松岡は「明るく笑って。しんみりしたのは苦手だと思うので。笑顔で送り出したいなと思います」と心境を明かす。城島は「なかなかジャニーズの子供達、タレント一同が集まることはないですから、最後の最後にジャニーさん、粋な演出といいますか。最高の舞台をくれたんじゃないかな」と笑顔に。「楽しいと行ったら普通は不謹慎でしょうけど、社長の子供達らしく、みんなでいい時間を過ごせたらと思っています。それが何よりの供養かなと思っております」と真摯に語った。
2019年07月12日「博多華丸・大吉」とNHKアナウンサー・近江友里恵が司会を務める「あさイチ」の7月12日放送回に「嵐」松本潤がゲスト出演。コンサートの演出も手がけてきた松本さんのこだわりや、先日逝去したジャニー喜多川氏との思い出などを語った。今年20周年を迎えた「嵐」、番組では国立競技場や東京ドームなどこれまでのライブ映像を紹介。コンサートの演出は松本さんが全般にわたって手がけているそうで、斬新な演出を生み出すために松本さんは数多くの舞台を見たりヨーロッパの建築物までも参考にしているとか。松本さんは、元々演出をやりたいと思っていたわけではなく、裏でどう人が動いてるのか観察してるうちに気付いたら演出する側にまわっていたと“演出家”になっていった経緯を振り返り、いまではコンサートの各メンバーのソロパート以外は基本演出を担当、「僕ががっつりやり始めてからは、彼がやってるから任せようという信頼関係のもと成り立ってる」とメンバーとの関係性についても話してくれた。これに対し視聴者からは「嵐のコンサート演出凄い これはファン喜ぶわ~」「コンサートの「プロデューサー」「演出家」としての話に集中してて面白い」「演者なのに演出家みが出ちゃう松本潤、演潤」「舞台演出センスに目をみはる」などの声が上がる。また番組ではコンサート前に行っている“ルーティーン”についても紹介。今回のツアーでは必ず豚しゃぶを食べてから会場内でトレーニング、ストレッチ、発声練習をこなし、それからメイクや着替えへと移りスタンバイするという松本さん。以前はステーキを食べていたが、お腹に残ることから豚しゃぶに行きついたそうで、これにも「ライブ前の松本さんのルーティン、身体のことよく考えてある」などのコメントが寄せられる。そしてトークが9日に逝去したジャニー喜多川氏との思い出へと移ると「いろんなことを教わったと思うし、エンタメの僕を作ったのはジャニーさんだと思ってます」とジャニー氏への感謝の言葉を口にした松本さん。続けて昔、仕事が遅くなり合宿所に泊まることになると、必ずジャニー氏が松本さんの母に電話をしていたというエピソードを紹介。メンバーの家族へのケアまで自身で行っていたジャニー氏の優しさを振り返っていた。松本さんが主演を務めるドラマ「永遠のニシパ ~北海道と名付けた男 松浦武四郎~」は7月15日(月・祝)19:30~NHK総合で放送。BS4Kでも別途放送予定。(笠緒)
2019年07月12日お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史が11日深夜、ニッポン放送『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』(毎週木曜25:00~)に出演。9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんのエピソードを語った。岡村は冒頭、「ジャニーさんがお亡くなりになられて、僕らもすごくジャニーズ事務所の方々とお仕事もずっとしてきましたし…」と語り出し、「国分(太一)なんかとはずっとレギュラーで『ゴチ』出ていただいて、SMAPやらとも絡ませていただいた時ありましたが、ちゃんとジャニーさんにお会いして挨拶したことが実はなくて。『この人がジャニーさんなんやろうなあ』くらいの感じでしか知らないんですよ」と話した。そして、『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ)で、岡村がジャニーズJr.としてSMAPのライブに乱入したときの話に。「一緒にジャニーズJr.と踊ることになったので、その時、京都でジャニーズが劇場を作ったのかな。そこにJr.の子たちが行っていて」と振り返り、「タッキー&翼がいる中で、ほかのJr.の子が次から次に来るんですよ。奥の方でドーンとJr.の子らを押してる男性がいたんですよ。どんどん押すわけ。その押してんのがジャニーさんやってん」と明かした。さらに、「ちょっとでもゴールデンの番組、スペシャルに出してあげようっていう、たぶん『YOU、行っちゃいなよ』っていう感じで、どんどんカメラの前にいろんな人を立たせてあげててんなあっていう。それがジャニーさんやったっていう記憶しかなくてですね」と岡村。「いろいろ仕事をした中でも、最初で最後やったかもしれない。それ以外で会うことはほとんどなかったと思いますね」と語った。その後、改めて「とりあえずはゆっくり休んでいただけたら。僕は吉本興業なんですけど、ジャニーズJr.にもいたよってくらいのつもりでいますので」と追悼。「今でもテンション上げようと思ったときは、トシちゃん、マッチ、少年隊、シブがき隊、光GENJIくらいまでは聞くようにしていますから、それくらいすごいスーパースターを育てた方ということですから。ご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。
2019年07月12日テレビ東京の佐久間宣行プロデューサーが、10日深夜に放送されたニッポン放送『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』にて、アイドルグループ・TOKIOの松岡昌宏について語った。9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんの話題から、佐久間氏は「ジャニーズの皆さんと『トーキョーライブ』(2014年~15年)っていう生放送のラジオみたいな番組をやった」と振り返り、「嵐とかと仕事するようになったんだけど、みんなめちゃくちゃ礼儀正しい」と明かした。続けて「ジャニーさんにまつわる話で一番好きなのは、ジュニアの子に『僕は10、あなたに渡します。1返してくれればいい。その1は、あいさつでもいいですよ』っていうのがあって。その通りに、とにかくトップの人も、みんなあいさつすごいんだよね。ちゃんとするんだよね」と語った。そして松岡とは、「たまに飲み行ったりすることがあった」とのことで、「松岡さんはスタッフが何人いても、何人で飲んでても、どんなときでも、どういうふうにしようとしても、先に金払っちゃうっていう。そんな高いところは行かないんだけど、松岡さんも好きじゃないし。でも、絶対に払わせないという、異常な、異常なぐらいのこだわりっていうのがある」と話していた。
2019年07月12日ジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんが亡くなったと7月9日に発表された。死因は解離性脳動脈瘤破裂による“くも膜下出血”。87歳だった。各メディアによるとジャニーズ事務所はジャニーさんについて「私達に最後まで言い続けていたことは、自身の意思を受け継いでくれるタレントを絶え間なく育成し、そのタレントと社員が、エンターテイメントを通じて世界中の皆様に幸せをお届けすることこそが、ジャニーズグループとして決して変わることのない思いであるということです」と明かし、「ジャニーの願いが届きますよう、タレントとスタッフ一丸となり、精進してまいりますので、何卒ご指導賜れますと幸甚に存じます」とコメントしているという。62年に最初のグループ「ジャニーズ」を芸能界デビューさせたジャニーさん。以降、数々のアーティスト達を輩出してきた。ギネスには「最も多くのコンサートをプロデュースした」「最も多くのNo.1シングルをプロデュースした」「最も多くの音楽チャート1位獲得アーティストを生み出した」人物として、3分野で登録されている。またオリコンによるとジャニーズ事務所の作品は74年9月にリリースされた郷ひろみ(63)の楽曲「よろしく哀愁」を皮切りに、現在までにシングル439作品が1位を獲得。累積総売上枚数は1億4821万以上だという。日本のエンターテイメント界の礎を築いたジャニーさんの死は国内のみならず、世界各国でも報道された。アメリカのBillboardはweb版で「日本の音楽産業でもっとも影響力を持つ人物」と紹介し、イギリスのBBCはジャニーズについて「男性アイドル市場を独占する日本でもっとも影響力のある事務所」とつづっている。また日本のカルチャーに関心の高いインドネシアでも国営アンタラ通信がその死を伝えている。TOKIOの国分太一(44)は10日、「ビビット」(TBS系)に出演。ジャニーさんを特集したVTRを見ながら涙を流し、「ジャニーさんの顔を見た時は全然涙出なかったんですけどね。こうやってVTRで振り返るとジャニーさんのすごさも改めて感じることができて」と話した。また東山紀之(52)も同日、「グッド!モーニング」(テレビ朝日系)に出演しジャニーさんについて「やはり父親ですよね、僕らにとっては」「僕らはその精神を受け継いで、これからも明るく楽しくやっていくっていうのが基本だと思っています」と語った。同日の夜には近藤真彦(54)や木村拓哉(46)、嵐を筆頭にジャニーズのタレントたちが追悼コメントを発表した。元KAT-TUNの赤西仁(35)もTwitterを更新し「Johnny」という追悼ソングを動画で投稿。「あなたとの出会いで今のボクがここに在ります」とつづられており、投稿は6時間ほどで5.7万回のリツイートと17万回近い“いいね”を記録した。ジャニーさんの死を悼むのは、ジャニーズタレントだけではない。DA PUMPのISSA(40)は9日にTwitterを更新し《ジャニー喜多川様のご冥福を心よりお祈り致します》と言葉少なにコメントを発表した。またw-inds.の橘慶太(33)は10日、Twitterにこうつづっている。《素敵なグループを数多く生み出し、僕は沢山の影響を受けました。ジャニーさんがいらっしゃらなかった 僕は歌って踊る事を始めていなかったかも知れません。今いるダンスボーカルグループは皆んなそうだと思います。ジャニー喜多川様のご冥福を心よりお祈り致します》(原文ママ)多くの人々に影響を与えてきたジャニーさん。Twitterではハッシュタグ「#ジャニーさんありがとう」がトレンド入りし、その偉大さを讃える声が上がっている。《本当に偉大な人。ジャニーズ好きになって、結婚して子供ができても好きな人追っかけることが出来て…そんな場を作ってくれたジャニーさんには感謝でいっぱいです》《ジャニーさんって本当に偉大な人だ 私達に沢山の幸せをありがとう!ジャニストに出会わせてくれてたくさんのジャニーズに出会わせてくれてありがとう!!》《たくさんの感謝を伝えたい。偉大なるジャニーさん、ゆっくりお休みください》27年前、本誌に登場した際「私が何かをすることが大事ではなく、次の世代が若い世代につなげていくのです」と語っていたジャニーさん。その思いはあらゆる枠を越えてつながっていくだろう。
2019年07月11日7月11日~8月4日(7月16日・23日・30日は休演)に東京・渋谷の東急シアターオーブで公演されるリンカーン・センターシアタープロダクション ミュージカル『王様と私』の囲み取材が10日、同所で行われ、渡辺謙が共演者のケリー・オハラ、演出のバートレット・シャーとともに登場した。同舞台は『サウンド・オブ・ミュージック』で知られるリチャード・ロジャース(作曲)&オスカー・ハマースタインⅡ(作詞・脚本)の名匠コンビが手掛けたミュージカル黄金期の傑作。2015年にアメリカでリバイバル上演され、アンナ役のケリー・オハラが同年のトニー賞ミュージカル部門の最優秀主演女優賞を受賞、王様役の渡辺が日本人初の最優秀主演男優賞にノミネートされるなど、ブロードウェイで大きな話題を集めた。昨年は同じキャストでイギリス・ロンドンで公演。今回日本で行われる特別公演で、再び渡辺とケリー・オハラの競演が見られる。ニューヨーク、ロンドンに続き、日本での公演となった渡辺は「日本で公演する時の僕の一番の条件は、ケリー・オハラを日本のお客さん見せて上げたい、というのが一番でした。まずそれが実現してうれしいです。ニューヨーク、ロンドで深めながら作ってきたカンパニーを日本のお客さんに届けられるということは、このカンパニーをケリーと2人で引っ張ってきた誇りのようなものを感じます」と自信。同舞台で渡辺と何度もステージで共演してきたケリー・オハラも「このミュージカルを渡辺さんの母国でやりたいと思っていました。渡辺さんとの仕事は、私の人生の中でベストなコラボだと思っています。彼の母国でできることは本当にうれしく思っていますし、皆様の期待に添えるように楽しみにしています」と笑顔を見せた。前日には日本の芸能界を牽引してきたジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長がくも膜下出血のため死去。それについて問われた渡辺は「お会いしたこともないしお仕事もご一緒したことはありませんが」としつつ、「日本のエンターテイメントの中で、海外の空気をいち早く日本に輸入された方ですよね。ミュージカルや舞台など、エンターテイメントの作り方もそうだし、すごく革新的で時代を先取りするプロデュース能力があった方でした。お仕事やお話をしてみたかったなという思いはありました」とコメント。続けて「同じエンターテイメントにいる人間としてその意志を継ぎながら、色んな形で日本のエンターテイメントの底を上げていきたいなと思いますね」と意欲を見せ、「一時代を築いたという意味で、これからも人材を発掘できるように頑張っていただき、その意志を繋いでいただけたらと思います」と期待を寄せていた。
2019年07月11日歌手で俳優の山下智久が10日、自身のインスタグラムを更新し、9日にくも膜下出血のため亡くなったジャニーズ事務所の代表取締役社長・ジャニー喜多川さんを悼んだ。山下は「偉大なる世界一のプロデューサーへ」と書き出し、「溢れる愛情をありがとうございました。少年時代。夏休み1ヶ月間、アメリカに連れて行ってくれた事、初めてみた景色、人、ファッション、音楽、全てが新しくて、今でも鮮明に覚えています。毎朝僕らをプールで遊ばせてくれて、お腹が空いたらステーキ焼いてくれて、夜は色んなエンターテイメントのショーに連れて行ってくれた事、凄く楽しかった」と回顧。「子供で頭が柔らかい時に沢山ホンモノを見なさい。そして、いつかポケットに手を突っ込んでただ歌ってるだけでお客さんを喜ばせられるようなスターになりなさい。そう言って貰えた事忘れていません」とつづり、「まだまだ未熟だけど、もっともっと沢山の人を喜ばせる事が出来るような人になれるよう、ジャニーさんに教えてもらった事、忘れずに、より一層頑張って行きます」と決意を新たにした。そして、「ずっと気付かなかったけど、子供時代に色んな世界を見せてくれた事、教えてくれた事、全てが今の僕の源です。僕の人生、僕の家族、僕の大切なファンのみんな。ジャニーさんのおかげで幸せです」と伝え、「まだまだ新しい世界を追い求めていきます。ゆっくり休んで下さい」とメッセージ。「僕らの人生のプロデューサーが皆さんに忘れないでいてもらえるように願っています」と締めくくった。
2019年07月11日