『宇宙塾』主宰・元日本テレビディレクター矢追純一さんディレクターとしてバラエティー番組を制作し続け、次々に高視聴率をたたき出してきた、矢追純一(86歳)。51歳で日本テレビを退職してからもフリーとして活躍。今日でもUFO、超能力の第一人者として活動を続けているが、「自分はただ流れに身を任せただけ」と笑い、飄々(ひょうひょう)と語る。しかし、その半生は波乱に満ちていた―。常識では説明できない“超常現象”この記事の読者は圧倒的に女性が多いです─と伝えると、矢追純一は「なるほどね」と相づちを打ち、こう述べた。「女性にはね、説明がつかない超能力的な素質があるんですよ。生まれつき宇宙そのものを持っているというのかな。男性は何でも論理的に考えるから弁が立つけれども、物事は言葉だけで理解しようとすると本質を見失います。その点、女性は言葉にできないことまで感じ取れる。そもそも子どもを産めるのは、目の前で起こるあらゆるものを受け入れる包容力があるからで、物事の本質を見る力は男性よりも女性のほうが優れているように僕は思いますよ」常識では説明できない不思議な世界─いわゆる“超常現象”に興味を抱いたことがある人なら『矢追純一』の名前は聞いたことがあるだろう。齢86。現在の矢追の活動を追って、2つのセミナーに足を運んだ。1つ目は、2022年1月22日の『開星塾―ADVANCE』(夢源樹主催)。矢追は対談のゲストとして登壇。ホストを務める高野誠鮮さん(66歳)は、石川県羽咋市の臨時職員だった1984年に「UFOでまちづくり」を仕掛け、’96年には総工費52億円をかけた宇宙科学博物館『コスモアイル羽咋』の構想を実現させた人物。対談は、高野さんのこのひと言で始まった。「ご存じだろうとは思いますが、矢追さんは日本におけるUFOや超能力のテーマに先鞭をつけ、切り拓いてきた草分け的な存在です。歴史に残る人だと僕は思っています」UFO問題の対談に興味を持つのは男性が多いだろう……、という予想は当たっていなかった。定員70名の会場は老若男女で埋まっていた。2つ目は、矢追自身が主宰する『宇宙塾』。2月26日の「自由コース」も参加者のほぼ半数が女性だった。宇宙塾の運営を担当する小川正喜さん(53歳)に聞くと、2015年ごろから女性の塾生が増え始めたという。もしかすると、東日本大震災のような人間の力が及ばない現象─矢追の話になぞらえれば「言葉だけでは本質を説明しきれない出来事」を多くの日本人が体験したことも一因だろうか?続けて問うと、小川さんも同じような印象を抱いていた。「たしかにそれもありますね。実際に福島から宇宙塾に参加された方もいて、震災を伝えるメディアは都合のいいところだけを切り取って、被災者の現実を伝えてくれないという声も聞きました」風評被害などは、その典型だろう。考えてみれば、私たちが暮らす世の中は見えないものに動かされている。例えば、世界中を混乱に陥れた新型コロナウイルス。あるいは、社会のインフラとなったインターネットもそうだ。開星塾の参加者の1人は、こんな思いを口にした。「ネットにはフェイクニュースがあふれ、何がホントで、何がウソか、わからなくなっていますよね。僕は学生時代から矢追さんのラジオを聴いていて、当時は信じられないような話がたくさんありましたけれども、最近になって全部それがホントだったとわかってきました」(グーガさん=仮名・55歳)ちょうど1年前、4月27日にアメリカ国防総省は3本のUFO映像を公開した。さらに同年6月25日には、軍が把握しているUFO目撃情報に関する公式な見解として、「地球の外から来た可能性を排除しない」と結論づけた。この件について、高野さんは開星塾の対談でこう話した。「アメリカ政府は1969年12月をもって、宇宙人の存在を示すUFO情報は1つもないという理由で、UFOの調査から手を引くと発表しました。ところが今回、“完全否定”から一転して“可能性”にまで言及した。これでUFO問題は、一気に百歩も前進したと私は思っています」“UFO”の3文字は、日本人なら迷わず「ユーフォー」と読むだろう。この呼び方を、カップ焼きそばやピンク・レディーの歌で知った人もいるかもしれないが、軍事用語のUnidentified Flying Object(未確認飛行物体)を、1960年代に自らが手がけた日本テレビの番組の中で初めて「ユーフォー」と呼んだのが矢追だった。以来、UFO情報は人々の好奇心を大いに刺激し、放送された矢追の企画は高視聴率をたたき出した。自らも番組に出演し、秘密情報を次から次へと紹介する矢追自身も“UFOディレクター”として一躍有名人となった。ホントかウソかは問題じゃない科学の常識を超えたUFOの存在は、子どもたちに「夢」を与えた。一方で、アカデミズムなどの大人の世界からは「オカルト」的なものとして徹底的に無視されてきた。しかし、いまやUFO情報は国家の安全保障の観点から排除できない「事実」になりつつあるというのがUFO研究者たちの見方だ。開星塾の対談で矢追の口から淡々と語られるUFO情報も、「これから何かが起こる」と予感させるものだった。「2013年のダボス会議でロシアのメドベージェフ首相が、宇宙人に関する秘密を公開しようとアメリカのオバマ大統領に迫り、共同発表できなければロシア単独で暴露すると公言しました。メドベージェフ首相の発言はプーチン大統領の意向と見ていいので、ひょっとすると早晩それが実現するかもしれません」単刀直入に矢追に聞いてみた。宇宙人がUFOに乗って地球に来ているというのはホントなのか?「ホントか、ウソかは、僕にとってたいした問題ではなくてね。地球の常識では説明できない現象が“ある”ということが重要なんです。そもそも僕はUFOだけに興味があるわけではない。いままでUFO問題を追いかけてきたのも“成り行き”なんですよ」さらに、成り行きで生きてきた自らの人生を、矢追はこう言い切った。「仕事がなくなったことも、お金に困ったこともありません。僕が人生で思ったことは、ほとんど実現しています。人生はね、“こうありたい”という目標さえ決めておけば、思ったとおりになるんですよ」実は、矢追こそが宇宙人なのではないか?そんな噂もかつては囁かれ、『宇宙人』は矢追の渾名にもなった。矢追自身も1991年に『宇宙人・矢追純一の「地球人」へのメッセージ』という本を書いている。念のため「矢追さんは宇宙人ですか?」と確認すると、「戸籍はちゃんとありますから日本人だし、地球人ですよ」と本人も笑った。が、矢追の過去は人間離れしたエピソードに事欠かない。「自分が生きてここにいると気がついたのは、7歳くらいのときなんです。両手をポケットに突っ込んで歩いていたら、雪道ですべって顔面から凍った地面にぶつかった。そこから僕の人生の記憶は始まっているんです」矢追は1935年に満州国の新京で生まれた。しかし、幼いころの記憶はほとんど残っていないという。「僕には思い出というものがないんです。終わったことはどんどん記憶から消えていくので、常に“いま”しか見えていない。過去を懐かしむような情緒的な感情がないという意味では、僕は人間らしさに欠けているんでしょうね」自著『真・ヤオイズム』などには、満州での体験が活写されている。が、それらの記憶は「妹から聞いた話だったりします」と話す。矢追には2人の妹がいる。4歳離れた長妹の千草さんと、6歳離れた次妹の三恵さん。2012年に三恵さんが著した『もやし』という自分史がある。そこには兄である矢追が共有しているはずの故郷・満州での思い出が生々しく記されていた。例えば─、《鼻水もツララになるマイナス二十度の町中で着物を片手にかけて、片言の中国語で売り歩いた》矢追の生い立ちはまさに波瀾万丈だ。両親と妹たちとの5人家族は、新京の日本人居住区で暮らしていた。父の又三郎さんは満州国建設省の役人で、政府の建造物の設計にも携わった。三恵さんの本には《父が自分で設計施工した、当時珍しいコンクリート造の白亜の洋館に一家幸せに暮らしていた》とある。豪邸には何人もの使用人が住み込む裕福な暮らしぶり。だが、兄の幼少期は病弱で、しかも《対人恐怖症で今で言う引きこもりだった》と綴られていた。10歳の少年が衣類や家財を売り歩く大黒柱の父が急逝したのは、矢追が9歳のときだった。その翌年、戦争が終結。満州国は一夜にして消滅し、矢追一家の生活は一変する。白亜の豪邸は使用人だった中国人たちに乗っ取られ、家族は住む場所を失った。路頭に放り出された家族を支えたのは母の清子さんだった。新京、奉天、大連と居を転じながら、幼い3人の子どもたちに教えたのは自立して生きる術。満州国の紙幣では米一粒も買えない。清子さんは自分の着物を矢追に持たせ、「売ってきなさい」と命じた。昨日まで引きこもっていた10歳の少年が、言葉の通じない米兵やソ連兵、果ては日本人を目の敵にする中国人を相手に、母の衣類や家財を売り歩く。それが、なぜか、売れた。高価な着物だけでなく、使い古しの絵葉書までが使えるお金にかわった。満州での体験を、矢追の口から直接聞いたことがある人もいる。プライベートで20年近い付き合いがあり、2021年から矢追の仕事のマネージメントを担当している河原邦博さん(57歳)はこう話す。「2人で食事をしたり、お酒を飲んだりしているときに、ふと昔の話をされることがあったんですが、もう私の想像をはるかに超えていて、そんな壮絶な体験を、なぜ彼はこんなにも淡々と語れるのだろう、と。そういうところは宇宙人みたいですよ(笑)」例えば、無法地帯となった満州では犯罪も茶飯事。矢追が友達と道端に座っていると、ソ連兵が日本人の住居を襲って家財を盗み、トラックで逃げていく。素行不良のソ連兵を取り締まるのは同胞のGPU(ソ連の秘密警察)。サイレンを鳴らし、ピストルを乱射しながらGPUのサイドカーが逃げるトラックを追う。まるで映画の一幕。カーチェイスの末にトラックは矢追の目前で横転。血だらけではい出すソ連兵。歩み寄るGPUの将校。銃声。頭を撃たれたソ連兵は即死。おい、いまの、見たか!興奮しながら横にいる友達に目をやると、流れ弾に当たって息絶えていた─。こんなエピソードが『真・ヤオイズム』には克明に描かれている。人間の“死”と隣り合わせの日常に身を置きながら、矢追は“生きる”ことの本質を体感した。「自分の命も含めてあらゆるものへの執着が消えたのが12歳のときでした。執着心がなくなれば人間は不安や恐怖も感じなくなります。自分が歩んできた過去に縛られることもないし、これから訪れる未来を思い煩うこともない。いま、この瞬間だけに集中して僕は生きてきたんです」前出の高野さんは日蓮宗の僧侶でもあるが、矢追のイメージを「仙人みたいな人」と述べていた。矢追の生き方は、極限の精神状態に至った者だけが知る境地のような気もしてくる。だが、矢追本人が抱く実感はいたってシンプルだった。「たしかに浮世離れはしているんでしょうけれども、仙人というより、動物ですよ。将来どうなるんだろうとか、動物は考えない。意識にあるのは“いま”という現実だけです。僕も動物と同じように、何のビジョンも持たずに、ただ生きているだけなんです」ビジョンは「展望」や「理想像」などと訳される。頭の中で未来を予測し、行動する前に計画を立てる能力は、動物よりも脳が発達した人間ならではの知性だろう。しかし、知性と引き換えに人間は原始的な生命の源泉─知識や情報に支配されることのない生きる力─をおろそかにしてしまっているのかもしれない。「考えたことはなかったけれども、そうなのかな。僕としては“勘”で動いているだけなんですけれどもね(笑)」引きこもりだったひ弱な少年は、自らの勘に従い、目の前で起こるあらゆるものを受け止めた。終戦から2年後、矢追はどんな現実も「楽しい」と言える人間に変わっていた。「3階くらいの高さの階段を上って下をのぞき込むと、数え切れないほどの人がズラーッと並んで雑魚寝をしていた。その光景は覚えているんですよ」12歳の矢追が見たのは貨物船の船底の様子だった。1947年12月、矢追一家は大連の港から引き揚げ船に乗り、佐世保港に到着。そこから父の親戚がいる奈良県へと向かったが、母の清子さんには親戚を頼って生活するつもりはなかった。ほどなく一家は東京に移り住む。妹2人を育てる暮らしところが、満州での心労で清子さんは心臓弁膜症を患い、入院。3人の子どもは病院の母のベッドの下に寝泊まりし、そこから学校へ通った。母の退院後は、国が建てた世田谷区の母子寮(現在の母子生活支援施設)に入ることができた。《六畳ひと間に一畳ほどの台所がついていて、トイレ、風呂は共同だった》と三恵さんの本にはある。矢追は中学生になっていた。「僕がまともに学校に通った記憶は、中学校の3年間しかないんです」と記憶をたぐり寄せるが、同級生たちの日常とは少し違った。家で勉強していると、母に叱られた。本を読んでいると、取り上げられて捨てられた。学校できちんと勉強していればテストで100点取れて当たり前。学校から帰ってきたら、外に出て身体を鍛えなさい─。自立して生きるための母の教育は、矢追をたくましく成長させた。病弱だった肉体は頑健になり、授業だけで100点を取れる驚異的な集中力が身についた。そして高校進学。2つの理由で矢追は神田にある電機学園高等学校を受験した。1つは卒業してすぐに飯が食えること。もう1つは、特待生試験に合格すれば入学金も学費も免除になるという条件。人並み外れた集中力を発揮し、矢追は試験に合格。そこからの記憶は、もっぱら学び舎の外での体験だった。「渋谷に出て、地下鉄の銀座線に乗って、神田では降りずに終点の浅草まで行くんです。一日に映画を3本も4本も見たりして、毎日浅草をうろついていましたね」高校2年の春。自らの意志で成した自立とは違う意味で、矢追の人生には自立のときが訪れる。母の清子さんが48歳の若さで他界。三恵さんの本には《母の遺言には、「親戚を頼らずに三人で生活するように」とあった》と記されている。だが、3人の兄妹は未成年。保護者がいなければ孤児院(現在の児童養護施設)に送られる。親戚が集まり話し合いが持たれ、矢追と三恵さんは世田谷の親戚に、千草さんは長野県の叔母に預けられることになった。母亡き後の人生を、どう歩むか?実業高校の卒業生には就職先がいくらでもあった。ところが矢追の選択は大学受験。しかも中央大学法学部という超難関に挑んだ。“常識”で考えれば無謀でしかない。その進路を矢追は“勘”で決めた。そして合格。「人生で思ったことはほとんど実現しています」という矢追の話は、決して“未確認”な情報ではない。大学生になった矢追は、三恵さんを連れてアパートを借り、長野にいる千草さんも呼び寄せた。母の遺言どおり、親戚を頼らずに3人で生活するために。それにはお金がいる。高校時代からやっていたアルバイトは3つに増えた。日中は建設会社の事務や現場の雑用。夕方からは日比谷にある市政会館でエレベーターボーイ。夜になると生演奏がある銀座のクラブでバンドボーイとして働いた。深夜、クラブが閉店するとジャズバンドのメンバーが遊びに連れて行ってくれた。飯は食えるし、こっそり酒も飲めたが、寝る間がない。それでも矢追は必ず帰宅していたことが、三恵さんの文章から伝わってくる。《兄が毎日百円置いていってくれる》という朝の点描。中学校に通う次妹に食費を渡してからアルバイトに出かけるのが大学時代の矢追の日課だった。《みかん箱の倍もあるような木箱で、Hi-Fiの大きなスピーカーを作ってくれた。この音響機器はわが家でただひとつの『家具』だった》という一文もある。まだテレビが贅沢品の時代。安いラジオでも立派な再生装置につなげば高音質で聴ける。矢追が高校で電気技術の基礎を習得していた証だろう。兄の手作りスピーカーは2人の妹にとって、狭い部屋を劇場に変える魔法の箱だった。長兄としての自覚、責任、苦労、愛情……。それらの言葉で表す感情を、矢追は当時の記憶にとどめていない。「たぶん、放っておいて気になるのが嫌だったのかな。お金やモノを与えて、これで妹は大丈夫だなと安心して遊び回っていたんでしょうね」記憶にあるのは「楽しかった」という印象だけ。恋人もできた。一方で、同世代の友人は少なかった。大学にはほとんど行かなかったからだ。授業で教わる内容は、本を読めばわかった。だったらアルバイトをしながら遊び回っていたほうがいい。楽しい大学生活は4年生になっても続いた。いまを楽しく生きる矢追は、将来を考えた就職活動もしなかった。しなくても幸運のほうから矢追に近づいてくる。映画会社から「俳優にならないか」と声をかけられたこともあった。「映画は好きでしたけれども、役者をやる気は全然なくて。むしろ監督とか、作る側に興味はありました」夏のある日、市政会館のエレベーターでよく見かける紳士が話しかけてきた。就職は決まったの?「まだです」と答えると、日本テレビの見学に誘われた。紳士は同局の著作権課の課長だった。法科の名門に通う学生はダイヤの原石に見えたのかもしれない。後日、社屋の見学に訪れた矢追に、紳士は感想を求めた。ここで働いてみたいか?「はい」と返事をすると、入社試験を受けることになった。いまも、当時も、キー局への就職は狭き門である。しかし、矢追が思ったことは実現する。試験から数日後、家には合格通知が届いていた。テレビ局に入って、すぐに楽しい仕事が待っていたわけではない。配属は演出部。出勤初日からドラマの制作に携わるが、映画で目の肥えていた矢追には、黎明期のテレビドラマは好奇心を満たすものではなかった。「歌謡番組だの、寄席の中継だの、いろんなことをやらされたけれども、みんなおもしろくなかった。もう、辞めようかなと思っていたら、イレブンが始まったんです」1965年11月。型破りな娯楽番組が誕生した。『11PM』だ。硬派なネタからお色気まで、自由な企画で勝負ができる深夜の解放区。「プロデューサーをつかまえて、イレブンに入れてくださいと、自ら志願したんです。自分の人生で、自分の意志を発揮したのは、その時が初めてだったかな(笑)」何でもやれたが、何をやるかは決めていなかった。アイデアの発端は偶然の出合い。たまたま入った書店で『空飛ぶ円盤』と書かれた本が目に入る。何だろう?立ち読みすると、宇宙人が地球に来ていると書いてある。おもしろい。そして閃いた。「空を見せてやろう」高度成長の真っただ中にあった日本の大人たちはモーレツに働いていた。欧米から“エコノミックアニマル”と揶揄されたその姿は、矢追にはうつむいて視野狭窄になっているように見えた。未来に抱くのは期待感のみ視聴者が空を見上げる企画に、空飛ぶ円盤は格好の題材。屋上にカメラを配置し、夜空の飛行物体を探して実況中継する。本邦初のUFO番組が放送されたのは1968年のことだ。本番中にUFOは現れなかったが、視聴者の反響は大きかった。「また、やれ」と、プロデューサーの業務命令が下る。成り行きで、矢追は次のUFO番組を企画する。深夜枠の11PMだけでなく、1970年代にはゴールデンタイムの『木曜スペシャル』でも矢追の企画は放映された。超能力者のユリ・ゲラーを日本に呼び、生放送でスプーン曲げをやらせたのも矢追だった。超常現象番組にとって、矢追はディレクターであると同時にプレゼンターだった。自ら出演した理由は「人件費が節約できるから」だったが、映画会社の目にも留まったルックスと、感情を表に出さないクールな口調とに、視聴者はドキドキしながら未知なる世界へといざなわれた。そんな番組を作れるのは矢追だけだった。前出の高野さんも若いころにテレビの前に釘付けになり、多大な影響を受けた1人である。「衝撃的だったのは、UFO事件に遭遇した本人が再現映像に出てくることです。超常現象がブームになって、研究家を自称する人もたくさん出てきましたが、多くは現地にも行かない文献主義者でした。現場主義者でジャーナリストの矢追さんに追いつける人は、当時は世界中を探しても見つかりませんでしたよ」再現VTRに役者を使わず本人を登場させる手法には、人件費の節約だけでなく、実は矢追の勘も働いていた。「証言が事実なら何度でも躊躇なく再現をやってみせてくれます。作り話だったら、不自然になるから見抜けるんですね。ただ、再現してくれたことがホントかウソかは、僕が判定する問題ではない。その人が信じているものは、その人にとっては事実です。人間はね、誰もが同じ世界を見ているわけではないんです」番組の台本はほとんど白紙。何が起こるかわからない。楽しさを追求するエンターテイメントでありながら、起こったことをそのまま切り取るドキュメンタリータッチの番組には、まさに矢追の人生観そのものが投影されていた。「計画どおりにやろうとすれば、つまらないものしかできません。僕の番組には結論がないんですよ。これから起こることが現実だし、その現実も、次の瞬間には変わっているかもしれない。人生と一緒です。わからない未来に対して、こうだろうと予測し、こうあるべきだと決めつけて、妄想した未来に執着するから、計画どおりにならない現実に不安や恐怖を抱くんです。だけど、いまだけに集中して生きていれば、未来に対して抱くのは期待感しかないんですよ」UFO番組を手掛けてから約20年後。矢追に訪れた未来は「退職」という道だった。1986年9月。51歳で日本テレビを退社。そのきっかけとなった出来事の1つが社内の新入社員歓迎会だった。余興で中堅ディレクターがコントを演じる。内容は現場でこき使われるADの悲哀。仕事の厳しさを伝えるための誇張した演出。これを見ていた幹部が激怒、そして新入社員たちに詫びた。キミたちは管理職になるエリートだ、現場であくせく働くために採用されたのではない……。テレビ業界は成熟し、番組制作会社の台頭でキー局の社員にはマネージメント能力が求められるようになっていた。現場は管理され、自由奔放な番組作りはどんどんできなくなっていく。その現実を受け止め、矢追は思った。「僕には管理職は務まらない、会社の期待には応えられそうにないな、と。それも勘です。ここはもう自分のいるべき場所ではないと思いました」迷わず辞表を提出。名物ディレクターの辞意を会社は全力で慰留したが、矢追に未練はなかった。そして、辞めた後の計画もなかった。「田舎の鄙(ひな)びた温泉地でしばらく遊んでいようと思ったんだけれども、3日で飽きちゃったんです(笑)」東京に戻ってくると、さまざまなオファーが待ち構えていた。確実に視聴率を稼げる矢追を業界が放っておくわけがない。わが身の明日を成り行きに任せる矢追も頼まれた仕事は断らない。番組制作会社と組んでUFOディレクターは再始動した。立場はフリー。テレビ番組制作以外の仕事も引き受けた。1987年には『(財)地球環境財団』の設立発起人となり、財団の理事として各方面で環境問題について語る機会も増えた。あの矢追純一が環境問題?驚いた人もいた。が、当時の著書に残した“地球人へのメッセージ”には、家電リサイクルやレジ袋の有料化といったアイデアが、法整備される以前に提言されている。地球の“いま”を受け止める矢追には、人間が成すべきことの本質も見えていた。趣味を活かして事業も興している。銀座のクラブで毎晩のようにジャズの生演奏を聴いていた矢追は、CDの音質に物足りなさを感じていた。「こうありたい」と願えば、必要な情報は向こうからやってくる。音源をデジタル化してもライブ感を損なわない技術と出合い、音響装置の製造会社『イマジェックス』を設立。開発した機器には、かつて2人の妹のために作った魔法の箱と同じ思いが込められていた。「いまでも僕のラジオ番組ではイマジェックスの機器でジャズを流しているんですよ。だけど、見ている世界と一緒で、“いい音”っていうのも人によって違うのでね。音響業界は僕の事業に興味を示さなかったです」地球環境財団もイマジェックスも後に解散し、いまはもうない。世の中が矢追に求めたのは、やはりUFO問題の先駆者という役割だった。UFO番組不動のトップランナー1990年代に入ると映画『ゴジラvsキングギドラ』(1991年公開)の出演依頼がくる。役どころは“UFOに詳しい矢追純一”。ゴジラはフィクションだが、矢追は映画の中でも実在のUFOディレクターだった。1990年11月には、石川県羽咋市で『宇宙とUFO国際シンポジウム』が開催。米ソの宇宙飛行士が来日し、開催国の海部俊樹首相が公式メッセージを寄せた国際会議は世界中から注目を集めた。実現させたのは高野さん。そして、シンポジウムに日本代表として登壇したのが矢追だった。「矢追さんのほかにはいませんでしたよ、この会議で日本……、というより世界を代表して話ができる人物は。世界中で制作されるUFOコンテンツは、みんな矢追さんの番組をお手本にしていたんですから」(高野さん)UFO番組は世界中のテレビ局で作られるようになっていた。UFOの事案が発生するたびに海外の取材班は先駆者の矢追に意見を求めてくる。必然的に矢追の元には世界中の最新情報が集まった。一方で、日本では矢追の手を借りずにUFO番組を作る人たちも出てきた。そこには構成作家として放送業界に関わった高野さんもいた。「矢追さんと現場でばったり会ったときに、オレの目の前をチョロチョロするなと怒られたこともありました」と高野さんは苦笑するが、UFO番組を作る次世代のライバルたちにとって、矢追は不動のトップランナーであり続けた。2009年8月には、本物の宇宙船を展示しているコスモアイル羽咋の名誉館長に就任。このとき矢追は74歳。就任を要請した高野さんは、この時期に矢追の意外な一面を見ている。「有名な女優さんが孤独死したニュースを聞いて、『僕もあんなふうに死ぬのかな』と、ポツリと言われたことがあったんです。私は矢追さんらしくないなと思いながらも、一瞬“人間・矢追純一”を見たような気がしました」一般の人は、矢追のどんな私生活を想像するだろうか。マネージャーの河原さんは、「仕事とプライベートは分けておられるようですね」と言いながらも、古くからの友人として仕事を離れたときの矢追の姿も見知っている。「数年前まで大みそかは矢追さんの自宅で一緒に蕎麦を食べて年越しするのが恒例でした。私からすると矢追さんは父親の世代で、大先輩であり、よきメンター(影響力を持つ人)なんですが、常に1人の人間として対等に接してくれます。時々、生き方や考え方について話してくれることはありますけれども、普段は食べ物のことだったり、大好きな温泉のことだったり、たわいない会話ばかりです。プライベートでUFOや超能力の話を聞いたことはほとんどないし、仕事やお金に関しても細かいことは一切口にしない。本当に“欲”というものがない人なんだなと感じます」宇宙塾の運営をサポートする小川さんも、10年ほど前に家族で熱海の温泉に招待されたことがあった。自分の孫の年ごろに当たる小川さんの子どもとも、矢追は楽しそうに話していたという。アットホームな雰囲気の中でくつろぐ、そんな当たり前の時間が、矢追には非日常なのかもしれない。矢追は25歳で結婚したが、長くは続かずに離婚した。以後、家庭は持たず、いまもひとり暮らし。浅慮を承知で矢追に質問してみた。“孤独”は感じませんか?「僕には家族という概念が希薄でね、母親の死もショックではなかったし、1人でいて寂しいと感じたこともない。人間は1人で生まれてきて、1人で死んでいく。それが現実ですから、むしろ孤独でいることが自然なんです。人とのつながりの中でしか幸せを感じられないのだとしたら、そっちのほうが現実離れした考えだと僕は思います」どんな状況にあっても“いま”を楽しみ、幸せを感じることができる─そんな自立した生き方を多くの人たちに身につけてもらうために、矢追は宇宙塾を主宰している。取材で訪れた「自由コース」は誰でも参加できる入門編。会場で矢追はこう切り出した。「今日は秘密の話も用意しています。だけど、この塾で僕がしゃべるのはみなさんが退屈しないためのサービスなので、興味がない人は寝ていてもかまいません」塾生はボーッと座っているだけでいい。矢追が伝えるのは人間が生きていることの本質。言葉で教えるわけではない。矢追は温泉にたとえる。効能のある湯に浸かるだけで身体も心も癒される。それが宇宙塾という“場”であり、“効果”なのだという。会場には、すでに宇宙塾の全コースを修了した人たちの姿もあった。卒業生が母校を訪れるように、多くの元塾生が気軽に矢追に会いに来る。Tさん(男性・62歳)は、「間違いなく言えるのは宇宙塾に来てから人生が変わったことです。もちろん、いい方向に」と話した。15年前に塾を卒業したSさん(女性・39歳)は、2歳下の妹と一緒に訪れていた。「学生時代に自分のやりたいことを書いたメモが出てきたんです。世界遺産に行きたいとか、好きな作家に会いたいとか……。そういう夢が、宇宙塾に来てからいつの間にかみんな実現していました」元塾生たちの証言は、矢追と同じ生き方が誰にでもまねできることを物語っている。だが、見える世界は人によって違う。宇宙塾で起こる現実を信じられない人には、矢追の考え方や生き方こそが超常現象に感じられることだろう。宇宙塾では自由に矢追に質問ができる。折しも世界情勢はロシアのウクライナ侵攻が始まった時期。自らも戦禍を生き延びた体験を持つ矢追は、この現実をどう考えているのか?平和を願い、戦乱に巻き込まれた人々を案じながらも、個人の生き方に対する矢追の答えは明快だった。「いろいろな情報に右往左往せず、どういう自分でありたいのかを忘れずにいることが大事であってね。流れに逆らってジタバタすれば溺れるけれども、流れに身を任せていればラクに遠くまで行けます。どんなに大きな変化に遭遇しても、自分は宇宙という大きな流れの中で生かされていると自覚して、自然体でいればいいんです」苦しい“いま”を耐えれば、楽しい未来が待っているわけではない。“いま”を楽しめる人間に、期待どおりの未来が訪れるのだと矢追は言う。そして、自身の未来に期待を込めて、矢追はこう話した。「僕も人間ですから、いつかは死にます。だけど、あと何年生きられるかとか、そういうことに心を煩わされたことはありません。“いま”を大切に生きていれば、自分の人生が終わる瞬間さえも楽しく迎えられると、僕にはわかっているのでね─」〈取材・文/伴田薫撮影/北村史成、佐藤靖彦〉はんだ・かおる ●ノンフィクションライター。人物、プロジェクトを中心に取材・執筆。『炎を見ろ赤き城の伝説』が中3国語教科書(光村図書・平成18~23年度)に掲載。著書に『下町ボブスレー世界へ、終わりなき挑戦』
2022年05月07日今年のゴールデンウィークは最大10連休。そんな長期休暇に観たい恋愛ドラマを紹介していきたい。「彼とオオカミちゃんには騙されない」まずはABEMAの恋愛番組から「オオカミ」シリーズの最新作「彼とオオカミちゃんには騙されない」。今シーズンは2年ぶりに女性側に恋をしない“オオカミ”が潜むオオカミちゃんシリーズが復活。さらに今回初めて導入された新ルールでは、男子メンバーの中から選ばれた1名の“彼”にオオカミちゃんの正体が告知され、オオカミちゃんの秘密を最終告白が終了するまで守り抜くというあまりに責任重大な使命を託される。もしもオオカミちゃんの秘密を明かしてしまえば、“彼”はその時点で失格となる。この「彼」ルールの導入により、恋愛心理戦はさらに加速し、考察もこれまでのシーズン以上に白熱している。そして今シーズン、多くの視聴者のハートを鷲掴みにしているのがレオ(松本怜生)からゆなへの真っ直ぐで一途な想いだろう。ゆながサスケ(SASUKE)を誘った月LINEで何があったのか、どんな会話が交わされたのか、そろそろ明かされる頃だろうか。視聴者からのオオカミちゃん投票の結果、脱落してしまったまゆ(北澤舞悠)が復活できるのかどうかと合わせて、この四角関係の行方を見守りたい。「恋愛ドラマな恋がしたい~Kiss me like a princess~」続いて、同じくABEMAの恋愛番組で楽しみなのが「恋愛ドラマな恋がしたい~Kiss me like a princess~」。“恋愛ドラマの共演をきっかけに恋は生まれるのか?”をテーマに、若手俳優が毎話キスシーンのあるドラマの撮影をしながら、そのリアルな恋愛模様も追いかける。今作でも引き続きドラマパートのストーリーを公募して、脚本化。「おとぎ話」がテーマということで、また女性の憧れがギュッと詰まったキスシーンが見られそうだ。今シーズン初導入の気になるルールは、男性メンバーと女性メンバー別々の共同生活。男女が顔を合わせられるのは稽古やオーディション、ドラマ撮影などの限られた時間という制約付き。制約やハードルがある方が、恋は燃えやすいと言うが、メンバーたちはどうやって距離を縮め、自分の想いを伝えアプローチしていくのか。さらに、ドラマのオーディションにも新しいルールが盛り込まれているようで、豪華出演者によるこれまでとは一味違う「ドラ恋」劇場が堪能できそう。放送開始の5月15日(日)がいまから楽しみだ。「恋なんて、本気でやってどうするの?」連ドラからは「恋なんて、本気でやってどうするの?」(カンテレ・フジテレビ系)。仕事と趣味に生き、恋愛不要論者のヒロイン・純(広瀬アリス)と、刹那的恋愛主義者、つまり“本気の恋愛”不要論者の柊磨(松村北斗)という“傷つきたくない者同士”のお試し恋愛が幕を開けた。広瀬アリスさん演じる等身大のヒロインは視聴者が自分自身を投影しやすく、また松村北斗さん扮するその恋の相手・柊磨のスマートで女性が欲しい言葉をサラッと言えてしまう様は憎いほど魅力的だ。そしてまた恋愛に本気になれない柊磨側が抱える心の内を松村さんがどんな憂いを持ってして表現してくれるのかも必見だ。純だけでなく、籠の鳥のように守られているが刺激もなく、夫からも対等には見られていない夫婦生活に不満を抱える専業主婦・響子(西野七瀬)や、恋愛に心かき乱されたくないからこそ、互いに綺麗な都合の良いところしか見せ合わない相手との不倫関係に甘んじているアリサ(飯豊まりえ)に訪れる新たな恋の予感にも期待が高まる。第3話あらすじ大津(戸塚純貴)に気持ちを見透かされ、初体験に失敗した純(広瀬アリス)は、勢いにまかせて柊磨(松村北斗)の部屋を訪ね、「やってやろうじゃない、お試し恋愛!」と息巻く。シャワーを浴びて半裸の柊磨とベッドに並んで座った純は…。翌朝、目を覚ました純は、柊磨を訪ねてきた意外な人物と鉢合わせ、柊磨の思わぬ一面を知ることに。会社では、島(星田英利)から展示会に出すデザイン案の模型が上がってくるが、めぐみ(安藤ニコ)の斬新なアイディアに比べ、自分の案は型通りでオリジナリティーに欠けると、納得がいかない純。結局、時間がないなか、もう一度考えて新しい案を出そうと決意する。そんななか、柊磨から突然デートに誘われた純は、アリサ(飯豊まりえ)と克巳(岡山天音)を巻き込んでダブルデートをすることに。柊磨のエスコートに、「恋なんていらない」という思いとは裏腹にドキドキとキュンが止まらない純。そんなダブルデートが純の仕事にも思わぬ影響をもたらす…。一方、夫との間に不協和音が生じ始めた響子(西野七瀬)は、ひょんなことからサリューで要(藤木直人)と二人になり――。「やんごとなき一族」また、同じくthe王道な恋愛ものという訳ではないものの、その確立された世界観がクセになるのが「やんごとなき一族」(フジテレビ系)。主人公・佐都(土屋太鳳)への深山健太(松下洸平)からのプロポーズで幕開けし、ほのぼのとした多幸感に包まれた第1話前半から打って変わって、物語は早くも全く異なる様相を呈する。健太の実家である400年以上続く由緒正しき名家・深山家の愛憎渦巻くドロドロな内情をこれでもかというほど見せつけられるが、その中にあっても純粋に相手を想い合う佐都と健太の健気さは唯一の救いだろう。これまで恋に奥手だったり、成就しない恋心を抱えた役どころが多かった松下洸平さんの幸せいっぱいで積極的な愛情表現の数々に、多くの人が心射抜かれてしまうのではないだろうか。裕福ではなくとも両親から沢山の愛情を受けて育った佐都と、お金に群がる人間の醜さばかり突きつけられ“普通の家族”に憧れを抱く健太は、深山家の魑魅魍魎な人間関係に飲み込まれず、“彼ららしさ”を貫けるのか、見ものだ。映画『哀愁しんでれら』ではスマートな王子様と結婚したはずが、悲惨な運命を辿る小春役を熱演した土屋さんはこの苦難をどうやって乗り越えるのか。気になった作品はこの機会に過去放送分も含め見直してみるのをおすすめしたい。(佳香(かこ))
2022年04月29日テレビを設置する際、近年人気になってきたのが”テレビスタンド”テレビ台と違いスペースを有効活用することができ、スマートでおしゃれなお部屋を演出することができます。今回はタンスのゲンのデザイン性にこだわったおすすめのテレビスタンドを3商品ご紹介します。個性的なオリジナルデザイン タンスのゲンのテレビスタンド3選✅支柱はヴィンテージ感漂うパイン無垢材✅無骨なデザインのスチール脚✅65型まで取り付け可能商品はこちら当店オリジナル!天然木テレビスタンド✅震度7試験クリア✅HDDやルーターの収納が可能なホルダー付き✅和室にも合わせやすいデザイン性のあるテレビスタンド商品はこちら組み替えて形が変わる!天然木テレビスタンド✅無垢材×スチールの異素材デザイン✅和室にも合わせやすいデザイン性のあるテレビスタンド✅65v型まで取り付け可能商品はこちら家具・インテリア×ECの老舗タンスのゲンなら欲しいアイテムが見つかります!タンスのゲンでは家具・寝具・インテリア・アウトドア用品・キッズ、ベビー用品等様々なジャンルの商品を取り扱っているので是非一度チェックしてみてください!今後もタンスのゲンのおすすめ商品をご紹介していきます。タンスのゲン本店ストアページ
2022年04月19日映画クレヨンしんちゃん最新作『もののけニンジャ珍風伝』の公開を記念し、昨年公開された『謎メキ!花の天カス学園』が4月17日に地上波初放送される。また、映画公開にちなんだスペシャル放送「オラは誰の子?忍者の子!?SP」も23日に放送する。『謎メキ!花の天カス学園』は、全寮制の超エリート学校で巻き起こる難事件にしんのすけたち“カスカベ防衛隊”のお馴染みのメンバーが挑むシリーズ史上初の“本格(風)学園ミステリー”。先読み不可能な物語や風間くんとしんのすけの友情など、これまでにない設定が話題を呼んだ。そして、最新作『もののけニンジャ珍風伝』は《しんのすけは野原家の子じゃなかった!?》という衝撃の事実からはじまるストーリー。「赤ちゃんの名前を考えるゾ」23日に放送される映画公開にちなんだスペシャルでは、野原家のアイドル・ひまわりの誕生秘話を描く1996年放送の「赤ちゃんの名前を考えるゾ」、忍者ごっこをするしんのすけたちのもとへやって来た園長が、《忍者の師匠》となって皆を修行させてしまう2004年放送の「忍者でござるゾ」と、過去の傑作から2つのエピソードをお届けする。「忍者でござるゾ」ちなみに映画最新作は、原作にもある“しんのすけの生まれた日の模様”つまり「しんのすけ」という名前がどのように名付けられたのか、というシーンで始まるのだが、その様子がアニメでは「赤ちゃんの名前を考えるゾ」の回で描かれているという。映画最新作と深い繋がりがある見逃せないエピソードだ。また、スペシャルでは最新映画冒頭映像も初公開される。しんのすけがどのように生まれて名付けられたのか、そして、そこに隠された衝撃の真実(?)を垣間見ることのできる映像となっており、こちらも注目したい。『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』は4月17日(日)午前10時よりテレビ朝日系にて放送(※一部地域を除く)。クレヨンしんちゃん「オラは誰の子?忍者の子!?SP」は4月23日(土)午後4時30分~5時00分よりテレビ朝日系にて放送。『映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝』は4月22日(金)より全国東宝系にて公開。(text:cinemacafe.net)■関連作品:映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園 2021年7月30日より全国東宝系にて公開©臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK 2021映画クレヨンしんちゃん もののけニンジャ珍風伝 2022年4月22日より全国東宝系にて公開©臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日・ADK2022
2022年04月15日自然災害は地震など突然起きるものもあれば、ある程度、事前に予測できるものもあります。大雨や竜巻などは、天気予報で情報を知ることによって、被害を最小限に食い止められるでしょう。自宅に竜巻が接近!すると気象予報士が?アメリカのニュース番組で起きた出来事が話題になっています。2022年3月31日、ワシントンDCにあるテレビ局『NBC4 Washington』に勤務する気象予報士のダグ・カンメラーさんは、生放送で天気予報を伝えていました。実はこの時、番組が放送されている地域に竜巻警報が出されていました。その情報を伝え始めたダグさんは、あることに気付きます。竜巻が接近している地域が、彼の自宅のすぐそばだったのです。今、この竜巻の進路を綿密に追跡していますが…私の家の真上を通過するようです。@nbcwashingtonーより引用(和訳)ダグさんは竜巻の進路について視聴者に話しながら、自分のスマートフォンを手に取り、自宅に電話。そして電話に出た息子のケントンくんに、「竜巻警報が出ているんだ。今すぐにキャリーと一緒に地下室に行ってくれ」と伝えたのです。 #Working4You When a tornado warning sounded last night, Storm Team4 Chief Meteorologist @dougkammerer was working to keep you informed and safe — just like his own family. pic.twitter.com/xZZrDOWCC6 — NBC4 Washington (@nbcwashington) April 1, 2022 ダグさんは電話を切ると、視聴者に「私は私の子供たちに警告しなければなりません。子供たちが今、何をしているか知っています。おそらくオンラインゲームをしていて、この天気予報は見ていません」と説明しました。しっかりと竜巻の情報を伝えながら、冷静な対応で家族を守ろうとした彼の行動は、視聴者から称賛の声が上がっています。・見事なマルチタスクだ。気象予報士としても父親としても素晴らしい。・あなたに今月の『最優秀父親賞』を贈る!・父親にとって、家族を守ることより大事な仕事なんてないよね。海外メディア『TODAY』によると、番組の放送時、竜巻はダグさんの自宅のすぐ近くまで接近していて、家にいたのは2人の子供たちだけだったのだそう。しかし生放送中だったため、彼は一瞬どうするべきか悩んだ後で、自宅に電話をかけたといいます。「子供たちを守らなければと思った」というダグさん。幸い自宅に被害はなく、家族も無事だったとのこと。視聴者の身の安全と同じように、家族の安全も大切です。気象予報士としてのプロ意識と、家族を守ろうとする父親の役割を同時にこなしたダグさんは、働く親の鏡といえるでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年04月11日竹中直人、山田孝之、齊藤工が共同監督を務めた『ゾッキ』『裏ゾッキ』の続編「∞ゾッキ シリーズ」の製作が決定。4月3日(日)よりBSデジタル放送「BSJapanext」で先行放送が開始される。孤高の天才と称される人気漫画家、大橋裕之の幻の初期作品集「ゾッキ A」「ゾッキ B」に収録された珠玉の作品たちを、日本を代表する俳優であり、クリエイターとしても活躍する、竹中直人、山田孝之、齊藤工の3人が共同監督を務め、一本の長編映画としてまとめ上げた映画『ゾッキ』、その裏側をドキュメンタリーとして描いた映画『裏ゾッキ』の公開から約1年。本作はその続編として、地域ごとに展開する、ドラマ・ドキュメンタリー・旅番組を融合した全12回のシリーズ。映画『ゾッキ』でも監督を務めた竹中監督、山田監督、齊藤監督がドラマシリーズでも再度監督を務め、竹中監督は昨年新たに出版された「ゾッキ C」より、愛の書店員が歪んだ社会に睨みをきかす「平田さん」、山田監督は「ゾッキ B」より、謎の見張り台から何かを監視する男の一時を切り取った作品「見張り台」、齊藤監督は「ゾッキ C」より、郊外のホームセンターの中で想いが行きかう男と女の姿を描く「シーン1」を制作する。映画『ゾッキ』また、映画『ゾッキ』は愛知県の蒲郡市で生まれたが、「∞ゾッキ シリーズ」では、蒲郡市、豊橋市、豊田市の地域連携で撮影。2021年度愛知県観光文化大使にも任命された3監督が再び愛知県を作品制作という形で盛り上げる。さらに、ドラマパートとあわせて、“市民が主役”の製作の裏側を追ったドキュメンタリー『裏ゾッキ』続編や、ロケ地域の魅力を紹介する「旅ゾッキ」の制作も決定。『裏ゾッキ』では、映画『ゾッキ』にも出演していた松井玲奈がナレーションを担当。また、「旅ゾッキ」では、松井さん、鈴木福が旅人を務め、地域の魅力を発信していく。第1回は、映画『ゾッキ』が誕生するに至った経緯を原作者の大橋裕之、監督を務めた竹中さん、山田さん、齊藤さんのインタビューを通して紐解き、製作秘話に迫る。 5月には撮影地域でのイベント上映会、その後7月よりAmazon Prime Videoほか配信スタートが決定しており、順次世界に発信されることとなる。■竹中直人(監督)コメント『ゾッキ C』、大橋さんは再びすごいものを描いてしまった…! と感動してしまいました。全ての物語が素晴らしかったです。その中の「平田さん」という物語を監督します。あまりにも理想的なキャスティングになりました!最高の「平田さん」ができそうな気配を感じています。「∞ゾッキ」いよいよ始まります、楽しみにしていてくださいね!■山田孝之(監督)コメント「ゾッキ、またやりたいですよね」という話があった中で、次やるのであれば「見張り台」しかないと思っていました。この中で起きていることはシンプルなのですが、良い台詞が沢山あって、これは少し形を変えた映像というもので、多くの人々にこのストーリーを、ここで生きる人たちの発言や気持ちや状況等を伝えなくてはいけないんだという気持ちです。全力で前回の100倍くらい愛知県の皆さんに助けてもらいながら、「はい、OK!」とやりたいと思います!■齊藤工(監督)コメント竹中・山田両監督や脚本の倉持さんと共に、原作大橋裕之さんのお膝元愛知県にて『ゾッキ』と言うひとつの世界線を感覚共有しながら共作させて頂いた経緯が、今回功をそうするのではないかと勝手に思っています。個人的には、最も地味で、最も愛おしいエピソードを新たに実写にさせて頂く予定です。混沌とした今と言う時代にこそ、『ゾッキ』の持つ無限の可能性が、このプロジェクトで示せたら幸いです。「∞ゾッキ シリーズ」は、4月3日(日)よりBSデジタル放送「BSJapanext」で先行放送開始。7月よりAmazon Prime Videoほかにて配信開始。(text:cinemacafe.net)■関連作品:ゾッキ 2021年4月2日より全国にて公開©2020「ゾッキ」製作委員会裏ゾッキ 2021年5月14日より公開©2020「裏ゾッキ」製作委員会
2022年03月30日2022年3月26日、料理研究家の土井善晴さんが出演する、料理番組『おかずのクッキング』(テレビ朝日系)が、最終回を迎えました。同番組は、48年にわたって愛されてきた長寿番組です。1974年に放送が開始された当初、料理研究家の土井勝先生が担当していた、同番組。1988年に、土井善晴先生へとバトンタッチされ、2022年まで長年愛されてきました。一般的に、長寿番組の最終回はしんみりしてしまうもの。しかし、最終回を視聴した人々からは、このような声が上がっています。「土井先生、視聴者を置いてけぼりにしていて笑った!」土井善晴「簡単にできませんで!こんなん!」この日、同番組の内容は『春の一汁一菜スペシャル』。基本に立ち返り、定番の『だし巻き卵』のほか、『せりの菜飯』『筍のお吸いもの』の3品を紹介しました。土井先生が視聴者を置いてけぼりにしたのは、だし巻き卵を作るシーン。土井先生は、素人には真似できそうにない、華麗な手さばきで卵をひっくり返していったのです!プロの技を視聴者に見せつけながら、土井先生はこのように語っています。どうでしょう、これ、柔らかそうでしょう!簡単にできませんで、こんなん!やれるもんならやってみてください!ほんまにできへんから。おかずのクッキングーより引用まるで、視聴者への挑戦状かのようなセリフに笑ってしまいますね!同番組に一緒に出演していた、堂真理子アナウンサーは、だし巻き卵の完成後「はー!あっという間でした」と思わず拍手。土井先生は、「卵を返す時、鍋をコンロの上で振るのではなく、何もない場所で、下から上に大きく振り上げることがうまく返すコツ」と紹介していました。また、「時々やっていれば出来るのが、人間のすごいところなんですよ」ともコメントしています。土井善晴先生から、番組最後にメッセージ番組の最終回でも、土井先生は『一汁一菜』の献立を完成させた、土井先生。番組の最後では、「34年間務めてきたけれど、最近ようやく、カメラに笑いかけられるようになった」と振り返っています。また視聴者に対しては、このようなメッセージを語りました。『一汁一菜』で、みなさんがとにかくね、元気になって幸せになって、家族っていう単位でね、まぁ、『豊かな社会』というか、『自分たちの豊かさ』を作ってほしい。料理して、食べる…というところにね、本当の幸せがあると思います。誰でもできますから、ね。そして、料理する人を大切にしてください。どうも、ありがとうございました。おかずのクッキングーより引用『おかずのクッキング』の最終回を見た人たちからは、このような声が上がっています。・最終回で、視聴者に挑戦状を叩きつけるとは…!さすが土井先生!大好き!・先生の手さばき、すごくかっこよかったです!そして最後のメッセージで号泣。やっぱり、終わってほしくないよー!・今まで「適当にやっても大丈夫」ということが多かったのに、最終回で「やれるもんならやってみて」とは!めちゃくちゃ笑った!先生、お疲れ様でした!・番組が終わるの、本当にさびしいです。でも、最後の挑戦状、しかと受け取りました!これからも楽しみながら料理を続けようと思います。土井先生が34年間に渡り、視聴者に伝え続けてきた、「一汁一菜でいい」「適当でも大丈夫」などの言葉は、この先も多くの人の心を支え続けることでしょう![文・構成/grape編集部]
2022年03月27日2022年3月22日に放送されたトークバラエティ番組『徹子の部屋』『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、俳優の反町隆史さんが出演。同番組で語った内容に、反響が上がっています。反町隆史「本当に感謝しかない」反町さんといえば、2000年に放送が開始されたテレビドラマ『相棒』シリーズに出演。2015年10月放送の『season14』第1話から、俳優の水谷豊さん演じる杉下右京の相棒、冠城亘役を演じていました。そして、2022年3月23日放送の『相棒 Season20』最終話で、反町さんは同シリーズを卒業。歴代最多である125回の出演を果たした気持ちを、「言葉にならない感じがある。あとは、水谷さんが喜んでくれた」と明かしています。水谷豊から、反町隆史への手紙『ソリ』と呼ばれたり、一緒にゴルフに行ったりと、水谷さんとは公私ともに仲がよい様子の反町さん。番組の終盤、司会者の黒柳徹子さんが「水谷さんからの手紙を預かっている」と伝えると、反町さんは、口元に手をあてて驚いていました。黒柳さんが読み上げた、水谷さんの手紙の内容がこちらです。反町様、どんな相棒でしたか。撮影期間7か月、毎年始まる前はしばらく戻ってこられない遠洋漁業にでも出るような気持ちになります。長い時間一緒にいると、相手の日々の状態も分かってくるものですが、ソリは、身体も、そして精神も、タフな相棒でした。一番思い出に残っているエピソードは、2人の娘さんを留学させるべきかどうか、娘さんにどうしてあげたらいいのか、悩んでいる時に垣間見せた、人として、父親としてのソリの顔がとても印象的でした。北海道ロケ、スタッフたちも一緒に何日か宿の温泉に入った時のこと。ソリから「身体にいいから」と、温泉と水風呂を交互に2回入るようにとのオーダーがあったのですが、北海道の水のなんと冷たいこと。3日目に「水風呂2回入りましたか?」とソリに聞かれて「もちろん!」と答えましたが、実は1回しか入っていませんでした。他愛のない時間のなんと楽しかったことか。徹子の部屋ーより引用「『相棒』の撮影が始まる時は、いつも遠洋漁業に出るような気持ち」という、水谷さん。特に思い出に残っている、北海道のエピソードを明かしていました。また、水谷さんは、卒業について、今後の反町さんについての想いを次のようにつづっています。相棒で7年付き合ったからこそいえることですが、ソリが選んだ道は、それがいかなる道であろうと賛成です。人生、仕事、これまで積み重ねてきたことが、役者として発揮できるのは50歳からだと思います。ちょうどソリの今の年代です。これまで近くでいろいろなソリを見てきたからこそいえるのですが、この先相棒の冠城亘とも違う、魅力的な役者、反町隆史を見られることをとても楽しみにしています。終わってみれば、やはり長かったような、あっという間のような7日間でした。ソリ、サンキュー!徹子の部屋ーより引用想いが込もった水谷さんの手紙を聞きながら、感極まった様子で、目からあふれる涙を何度もハンカチで拭った反町さん。手紙の内容を聞いた反町さんは、水谷さんへの想いを、次のように語りました。そうですね。愛情を7年間いただいたので、また、役者としてももちろんそうですけど、人間としても十分教えていただいたので、主演俳優としての在り方、そこも僕の中で初めて見れたので。20代の時の自分と30代の時の自分っていうのは、主演をやるのに必死で、周りが見れなかったりとか、自分自身のことしか考えられなかったこともあったし。ただこれはやっぱり水谷さんが、「主演俳優はこういう風に人と接するんだな」とか、「こういう風な仕事をするんだなって」いうのは、僕の中で初めて見た光景だったので。全部全部、自分には新鮮にうつりましたし、またこの7年間、学ばせていただいて、本当に感謝しかないです。徹子の部屋ーより引用反町さんは、長い俳優人生の中で「主演俳優としての在り方を初めて見た」と、水谷さんの立ち振る舞いに感銘を受けたのだとか。「この7年間、学ばせていただいて、本当に感謝しかないです」と、水谷さんへの感謝の気持ちを明かしていました。放送を見たファンたちからは、さまざまな声が上がっています。・水谷さんの手紙でポロポロ泣いた。最高の相棒ですね。・一番好きな相棒。反町さん、本当にお疲れさまでした。・感動して涙が。本当に公私ともに仲がよかったんだな。これからはプライベートで楽しく過ごしてほしい。反町さんと水谷さんがともに過ごした7年間は、互いを認め合い、支え合ってきた、かけがえのない時間だったのでしょう。卒業しても、最高の相棒には変わりない…そう思わせてくれる2人のエピソードに、多くの人が胸を打たれました。[文・構成/grape編集部]
2022年03月24日2000年に放送を開始した、テレビドラマ『相棒』(テレビ朝日系)シリーズ。水谷豊さん演じる杉下右京の相棒を務める、冠城亘役の反町隆史さんは、2015年10月放送の『season14』第1話で初登場しました。約7年間、水谷さんの相棒を務めた反町さんは、2022年3月をもって『相棒』シリーズを卒業します。反町隆史のクランクアップ!水谷豊と力強いハグ2022年3月16日、『相棒』のTwitterアカウントが、水谷さんと反町さんのツーショットを投稿。反町さんがすべてのシーンを撮り終え、クランクアップを迎えたことをファンへ報告しました。ラストシーン撮影後、2人は力強いハグを交わしたようです。【 #相棒 クランクアップ✨】 #反町隆史 さん卒業「今日ほど水谷さんの顔を 見られなかった日はありません」7年という長きにわたり右京と共に数々の事件に挑んだ亘。彼のラストエピソードでありseason20の最終回SP前篇『冠城亘最後の事件』が今夜、幕を開ける。 #aibou #冠城亘ありがとう pic.twitter.com/CrJapHYHuc — 相棒 (@AibouNow) March 15, 2022 また、ラストシーン撮影後には、反町さんのクランクアップを祝うセレモニーが開催されました。セレモニーで、反町さんは『相棒』への想いをこのように語っています。その後、開催されたセレモニーで仲間からはなむけの言葉をもらった反町は「今日は“ついにこの日が来たな“という気持ちで朝を迎えました。最初の1年目は無我夢中でした。2年目も夢中でした。3年目、少し慣れてきました。そして4年目、5年目と続く中、皆さんと一緒に長くあり続ける冠城亘でいたいなと思うようになり、僕の中で“歴代最多出演の相棒”をひとつの目標としてやってきました」と目に光るものを浮かべてあいさつ。「冠城亘として立っていることが精一杯だった日もありましたが、水谷さんとたくさんの犯人と向き合い、たくさんの過酷な撮影に取り組み、7年間、無事完走できたことを本当にうれしく思っています。ただ、今日ほど水谷さんの顔を見られなかった日はありません。来シーズンから新しい相棒、そして新しい世界が広がる作品を一視聴者として応援していきたいと思います」と相棒チームに感謝した。サンケイスポーツーより引用また、水谷さんは、反町さんへ7年間の感謝を、途中、声を詰まらせながら伝えたそうです。セレモニー中、反町を隣で見守っていた水谷は「毎年7カ月間、日々撮影に向かうのはとても過酷。いろいろな気持ちを乗り越えて7年間、相棒として横にいてくれたソリに感謝しています」と愛称で呼び、途中で声を詰まらせる場面も。卒業という決断を下した後輩に「人間は岐路に立たされることがあります。『相棒』に残るか、卒業するか…。僕はどちらの道を選んでも俳優として理解できるし、人としてその道を尊重できると思っていました。それはやはりこれだけ長く一緒にやって来たことへの信頼と友情があるからこそです。その思いをこめて、ソリ、本当にありがとう」と愛情たっぷりのエールを送った。最後に2人は再度がっちりと握手を交わしていた。サンケイスポーツーより引用反町さんが無事、クランクアップを迎えたことに「ありがとう」「泣いてしまう」などの声が上がっています。・とうとう最後…。早いよ!7年間、毎回楽しみにしていました。大好きです、本当にありがとう!・写真を見て、涙がこぼれました。お互いに信頼し合っていたことがすごく伝わってきます。・クランクアップおめでとう!卒業はさびしいけど、これも反町さんが選択したことなんだよね。これからも応援しています。・7年間あっという間でしたね。最後まで、ファンとして見届けます。最終回、きっと泣いてしまうだろうな。『相棒 Season20』は、2022年3月16日に、最終回スペシャル前篇『冠城亘最後の事件―仇敵』が放送。同月23日に最終回を迎えます。反町さんが演じる冠城亘を、最後まで見届けたいですね![文・構成/grape編集部]
2022年03月16日主に昼から夕方や、深夜から朝方の時間帯にかけて放送されている、テレビの通販番組。商品の魅力を伝えるため、観客の驚く声が入ったり、出演者がオーバーに感動したり…ほかのテレビ番組と比べると独特の盛り上げ方がありますよね。通販番組を見たことがある人なら、番組終了間際にこんなセリフを聞いたことはあるのではないでしょうか。「今から30分間だけ、オペレーターを増員!お電話お待ちしております!」商品の魅力を存分に伝えきった後、司会者が告げるお決まりのセリフです。しかし、多くの視聴者はこう思っているかもしれません。「30分間だけオペレーターを増員するなんて…。そんなことある?」と。友達に、前職の内容を聞くと…?イチキ游子(@ichikiyuko)さんがTwitterに投稿した、友人とのエピソードをご紹介します。コールセンターで働いていたという友人がいる、イチキさん。その友人に、「具体的にどんな仕事だったの?」と聞いてみました。友人「えっと、テレビの通販番組で…」イチキさん「ほお?」友人「番組放送後、30分間だけ…」イチキさん「…まさか…!」友人「増員するオペレーターでした」イチキさん「実在!!!」前職コールセンターだったという若い女子にふとどんな仕事内容だったのか尋ねたところ友「えっとテレビの通販番組で…」私「ほお?」友「放送後30分間だけ…」私「…まさか…!」友「増員するオペレーターでした」私「!!!実在!!!」— イチキ游子 (@ichikiyuko) March 7, 2022 投稿には、12万件以上の『いいね』が寄せられ、その数から、多くの人が『30分間だけ増員するオペレーター』の存在を疑っていたことが分かります。また、「増員するオペレーターをやったことがある」という人からのコメントなども寄せられました。・経験者です。その30分間、本当にすごい量の電話がかかってくるんですよ。「通販番組を見ている人ってこんなにいるんだ」って、逆にびっくり。・1日で複数の番組のオペレーターを行います。なので、1日に30分間だけ働いているわけではないよ!・セクハラまがいのイタズラ電話をしてくる人も多いのです…。・森の中で、ツチノコを発見したかのような気持ち。なぜか、ちょっと嬉しい。多くの人がその存在を疑っていた『30分間だけ増員するオペレーター』。世の中には、「そんな仕事あるの!?」と驚くような、面白い職種の人がまだまだいるのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2022年03月10日文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞の話題沸騰の演劇漫画「ダブル」が千葉雄大、永山絢斗のW主演でWOWOWで実写ドラマ化されることが決定し、特報映像が解禁となった。原作は「わたしの宇宙」や「潜熱」などの野田彩子による同名漫画(「ふらっとヒーローズ」連載中)。演劇、役者の世界を描いた異色の漫画として話題を呼び、2020年には第23回文化庁メディア芸術祭マンガ部門で優秀賞を受賞した。ファンの間でも実写化が期待されていた作品であり、この度満を持しての連続ドラマ化となる。主人公は、天性の才能を持った俳優と、彼の才能をいち早く見出し世に送り出そうと支える“代役”俳優の2人。天性の魅力と秘めた才能を次第に開花させていく宝田多家良(たからだ たから)役に千葉雄大。自身も「世界一の俳優になりたい」という夢を抱きながら、多家良の才能に惚れ込み、演劇のいろはを教え生活も支えるもう一人の主人公・鴨島友仁(かもしま ゆうじん)役に永山絢斗。年齢も同じで誕生日も2日違いという同世代でありながら本作で初共演となる2人が“ダブル”主演として、緊張感のある共依存関係の役者2人を演じる。監督は、『十三人の刺客』、『シン・ゴジラ』などに助監督として参加、三池崇史、庵野秀明、樋口真嗣などに師事し、本作が連続ドラマ初チーフ監督となる新鋭・中川和博。脚本は、『恋せぬふたり』『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』の吉田恵里香が務める。プロデューサー、監督、脚本、主演と30代のクリエーターが集結し、この世代にしか作れない“ヒリヒリとした熱い人間ドラマ”を描き出す。さらに、原作と同様にドラマにも、下北沢の街、スズナリ劇場など演劇ファンも必見のロケーションが登場。このたび公開された特報映像では、彼らが舞台に立つ姿や葛藤する様子が映し出され、物語の世界観が垣間見える内容となっている。追加キャストなど今後の情報に注目したい。■千葉雄大(宝田多家良役)コメント白羽の矢が風に流れて僕のもとへ。演るからには精一杯出しきります。友仁さん役の絢斗くんは同い年で誕生日も2日違い。僕たちなりのダブルをたのしみにしていただけたらと思います。いい現場です。■永山絢斗(鴨島友仁役)コメント宝田多家良と鴨島友仁。二人の関係が微笑ましくて切なくて、この物語のファンになりました。他の登場人物もそれぞれとても魅力的で、それを演じる役者さんも自分の好きな方ばかりですし、同世代の役者さんとW主演の作品をやってみたいと思っていたので、今回同い年の千葉雄大くんと共演できるのも嬉しい限りです。『現在と未来が希望に輝いていたあの過去はどこに消えたんだ』三人姉妹の劇中台詞が友仁の心情にモノローグの様にかかったり、イマジナリー友仁として多家良の前に現れたりと、このドラマならではの効果的なシーンが随所にあり、観ていただける方にきっと楽しんでもらえる作品になると思います。舞台経験のあまりない自分が劇団員の役をやらせてもらうのは大変恐縮ですが、友仁を通して色々な発見を出来るように最後まで楽しみながら向き合います。WOWOWオリジナルドラマ「ダブル」(全10話)は6月4日(土)22時30分~放送・配信開始。(text:cinemacafe.net)
2022年03月03日「笑点」新メンバー、桂宮治撮影/北村史成開始から55年、日本屈指の演芸バラエティー番組『笑点』。“大喜利”の新メンバーに抜擢されたのは、桂宮治。メンバーの平均年齢をぐっと若返らせ、新風を吹き込んでいるが、意外なその素顔とは?「僕の人生どうなっちゃうんだ?」新メンバー入り、おめでとうございます!「ありがとうございます。めでたいのかどうか、よくわからないですけど(苦笑)」ちょ、ちょっと、どうしたんですか?「一般の方からすれば宝くじに当たったぐらいビッグなことですよね。“やったー!”って跳び上がるイメージだと思うんですけど。最初に聞いたときにはドッキリだと思ったし、そうじゃないとプロデューサーに言われ、“ええっ!? マジか?ヤバくないか?できるのか?僕の人生どうなっちゃうんだ?”と。喜びよりも、不安とプレッシャーと恐怖のほうが何百倍も大きかったです」舞台上では明るく元気印な宮治だが、実はネガティブな性格だそうで。「人生にはバランスがある、というか。いいことがあったら必ず同じくらい悪いことがあると思っているので。メンバー入りは出来事として大きすぎるので、ちょっとやそっとのマイナスではかき消されない。だから、交通事故に遭うんじゃないかとか、乗っている飛行機が落ちるんじゃないかとか。もう、初登場の放送(1月23日)まで生きた心地がしませんでした」若草色の色紋付に鳥肌が立った初登場の回は前週より4.8ポイントアップの16%(世帯)、翌週も17.7%と好視聴率をマーク。SNSなどには“番組がさらに明るく面白くなった” “桂宮治、初戦から大活躍で好印象”など、ポジティブでウェルカムな声ばかり。「“よかった~”と。もう泣きたくなるぐらいでした。でも次の収録が近づいてくると日に日に胃が痛いし、もしスベったらすごい叩かれるんだろうなと思うと……もう、ヤダ。辞めたいよ(笑)」なんて言いつつ、先輩師匠たちをしっかりイジり倒し、笑いをさらう。この日、初めて袖を通したという色紋付は若草色。「『笑点』のスタッフさんは箝口令の度合いがひどすぎるんですよ。“僕、本人なので教えてくださいよ”って言っても“レインボー”とか言われるし(笑)。今日、楽屋に一式置かれていて。開けてみたら“この色か!”と。鳥肌が立ちました」桂歌丸さんが回答者時代に着ていた若草色の復活は、約15年ぶり。「またプレッシャーと恐怖が襲ってきて、着たくないとすら思いました(笑)。“ミスター笑点”と呼ばれた歌丸師匠のイメージを引き継ぐなんて無理なことで。まだ何十年かかるかわかりませんが、“この色は大外で明るく元気に騒いでいる宮治の色”と思ってもらえる日が来るように、一生懸命頑張るだけですね」謝っても許してくれないのはアノ人だけ収録を重ね、だんだん慣れてきたかと尋ねると、「たぶん、一生慣れないですよ。横にいらっしゃる先輩師匠方は、僕が前座で入ったころからのスーパー売れっ子真打ち、大看板の方ばかり。入りたての前座なんて口もきけない、雲の上の存在ですから。慣れるわけがないんですよ。ただ師匠方は“板の上に上がったら上下関係はないから、思い切って来てね”と言ってくださる。初収録前にはみなさん、わざわざ電話をくださって。(三遊亭)好楽師匠だけは酔っぱらってましたけど(笑)」そんな他メンバーをイジるのは、やはり勇気がいる。「だけど、二の足を踏んでいるところが見ている人に伝わってしまったら面白くない。下が上にパーン!ってツッコむから面白いわけで。だから“好楽師匠、つまんない”と言う。そして“よせよ~”というパッケージみたいなものをきちんと見せる。もちろん、あとから楽屋で“すみませーん”って謝って。師匠方は“いいの、いいの”と笑ってくれる。本当にやさしくて、ファミリーなんですよね。謝っても許してくれないのは山田(隆夫)さんだけ(笑)」腹黒、天然、エロオヤジ……その中でどんなキャラを?三遊亭円楽の腹黒、林家木久扇の天然、三遊亭小遊三のエロオヤジ……。キャラ立ったメンバーたちの中で、どんなキャラクターを確立させたい?「まだ発表前、(春風亭)昇太師匠から“おまえはそのまま、今までどおり頑張ってやっていけば大丈夫。それで選ばれてるんだから。キャラとか作ろうと思うんじゃないよ。今の宮治のままでやっていけば、そのうちキャラは絶対にできるから”と言っていただいて。そもそも、僕がこの場所にいられるのは昇太師匠のおかげ。一門でも、弟子でもないのにずっと目をかけてくださって。だから、信じてやるしかない。変にキャラ付けした回答をしたりせず。師匠方との化学反応でじわじわ決まることだと思うので。それができるまで、いつもどおり一生懸命やっていきたいです」俳優養成所、トップセールスマンをへて『オレたちひょうきん族』よりもドリフ派。吉幾三の座長公演などにも足を運んだ少年時代。舞台上での泣き笑いに心をつかまれ、高校卒業後は俳優養成所へ。「人と呼吸を合わせるのは得意じゃないし、向いてなかった(笑)。ただ楽しいし、やることないから、バイトしながら続けていただけで」養成所の先輩に紹介された化粧品販売で手腕を発揮。サラリーマンの平均年収を大きく上回るトップセールスマンに。「でも僕はネガティブなので“一生この仕事を続けられるのか?”と思っていました」迷いの森の中、後に妻となる2歳上の明日香さんから“貧乏でも、やりたい仕事を一生懸命やってるほうが幸せだよ”と背中を押され、披露宴で“会社辞めます”と宣言。桂伸治に弟子入りしたのは31歳のときだ。売れない時代の借金も、明日香さんの昼夜を問わぬ労働によってさくっと返済されたそう。「ウチのカミさんには一生、足向けられないですよ。僕が喜んでるときは喜ばないし、僕が落ち込んでるときは一緒に落ち込まずに平常心でいてくれる。今があるのは、もちろんカミさんのおかげですから」11歳と9歳の愛娘、6歳の愛息を持つ。趣味は適度な飲酒、子育て、家族と戸越銀座を散歩すること。愛妻家で子煩悩でもある。「僕、高座では明るいんですけど、普段はけっこう暗い顔して歩いているので。街で見かけたときに“あれ、印象違うんだけど?”って思われるかもしれませんが、それは僕の地の部分なので……許してください!」宮治がつまらなければ落語がつまらない、にやはり、落語家になったからにはいつかは『笑点』に、という気持ちが?「これね、“落語家あるある”で。親戚縁者から“早く『笑点』に出られるようになるといいね”って言われるんですけど、全員が目指してるわけじゃないんですよ(笑)。ただ、僕は学校公演が好きで、離島の小学校にも行ったりしますが、落語をまったく知らない子でも『笑点』は知っている」“笑点=大喜利メンバー=落語家”というイメージはどうしてもある。だからこそ、「笑点メンバーになった僕の高座が面白くなければ、“笑点=落語家=宮治がつまらない=落語がつまらない”と思われちゃう。一生懸命大喜利をやって、視聴者に喜んでもらうのは当たり前。それは大前提なんですけど、今まで以上に落語に熱を入れて。ものすごく面白いものを、これから常に提供し続けないといけない。身を引き締め、もっと頑張らなきゃいけないという気持ちが強いです」【プロフィール】かつら・みやじ。’76年10月7日生まれ。’08年、桂伸治に弟子入り。’21年2月、落語芸術協会の落語家としては春風亭昇太以来、29年ぶりとなる5人抜きで抜擢真打ちに。若手ユニット『成金』メンバー、『笑点 特大号』(BS日テレ)の“若手大喜利”元メンバー『笑点』毎週日曜午後5時30分~(日本テレビ系全国ネット)放送中
2022年02月20日藤井隆50年以上続く人気長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送テレビ)の4月からの新司会者が、桂文枝からお笑いタレントの藤井隆に、アシスタントが山瀬まみからタレントの井上咲楽にバトンタッチされることが発表された。文枝は1971年の放送開始以来、山瀬は1997年から、長年にわたりお茶の間に親しまれ、「同一司会者によるトーク番組の最長放送」としてギネス世界記録にも認定されている。■いまなぜ「藤井隆」なのか52年目を迎える番組の新しい顔として抜擢された藤井隆。そんななか、藤井隆の“知り合い”で“歌手兼モデル兼俳優兼ジャーナリスト”、ゼロ年代に『Matthew’s Best Hit TV』(テレビ朝日系)が放送され人気を博したマシュー南が、“緊急来日”。ポッドキャスト番組『Matthew’s Matthew マシュー南の部屋の中のマシュー』をスタートさせ、第1回のゲストが活動休止中の松浦亜弥だったことも話題を集めた。さらには東野幸治の「ライト東野」とタッグを組み、「あらびき芸人」たちを次々さばき、はるな愛やハリウッドザコシショウ、ガリガリガリクソンらを輩出した「あらびき団」も、ゴールデン特番として復活した。ここにきてにわかに訪れた「藤井隆の波」。いま、なぜ藤井隆なのか。「ほかの芸人さんたちが時代に合わせていく中、藤井さんの場合は逆に、やっと時代が合ってきた、ということだと思います。彼のやっていることや姿勢は、基本的に昔と変わっていません」というのは、人気バラエティーなどを手掛ける放送作家。今のお笑いの流れとして藤井隆は「ちょうどいい」と、続ける。「基本的にすごく物腰が柔らかくて優しいのですが、いきなりズバッと切り込むところがあったり。昔から“いい人の中にある狂気性”のようなものが、バランスよく存在していているんです」現在の“流れ”とはあちこちで言われる「やさしい笑い」「人を傷つけない笑い」のことだ。もはや芸人ではなく名MCとして活躍する、『ヒルナンデス!』(日テレ系)のウッチャンナンチャン・南原清隆、『ひるおび!』(TBS系)のホンジャマカ・恵俊彰など、優しさや物腰の柔らかさが好感度を得ている昨今。「そこに、さらに面白さを求められて抜擢されたのが『ラヴィット!』(TBS系)の麒麟・川島(明)さんですよね。好感度だけでなく面白さを兼ね揃えている部分では、藤井さんのバランスとも重なる気がします」(同前)■YES /NOマクラはどうなる!?情報番組とは異なるが『新婚さんいらっしゃい』に抜擢された藤井隆には「ドンピシャの人選」「“椅子コケ”しても違和感なし」「今から楽しみ」「藤井さんなら見たい」など、巷では早くも評価されている。「高感度の高さや知名度、そして奥さんである乙葉さんとの夫婦のイメージもいい。クセの強い素人の新婚さんをさばくのが番組の肝ですが、『あらびき団』でクセの強い芸人を、笑いに導いた藤井さんですから間違いないでしょう。まさにぴったりの人選だと思います」と、テレビ局関係者も太鼓判を押す。では、50年以上続く歴史のある番組なだけに、引き継ぐことへのプレッシャーや大きな変化はあるのだろうか。「ほとんど変えずにやると、それは単なる“代役”にしかなりません。新アシスタントの井上咲楽さん同様、これからも長く愛される番組作りを意識していくはずです。これまでの桂文枝さんの空気も生かしつつも、新しさを見せることも求められると思いますよ」(同前)とはいえ、『新婚さん』ファンの視聴者には、どうしても変えてほしくない場面もあるはずだ。「例えば『水戸黄門』で演じる人が変わっても、必ず印籠は出す。それと同じで『新婚さん』も、オープニングの“いらっしゃ〜い”や、景品選びやタワシにYES/NOマクラなど、守っていかないといけない部分はありますよね。ただ、桂文枝さんが椅子から転げ落ちる名場面は、藤井さんオリジナルになるかもしれませんよ(笑)」(同前)4月からの新たな『新婚さん』の幕開けが楽しみだ。〈取材・文/渋谷恭太郎〉
2022年02月04日コロナへの感染が発表された(時計回りに)亀梨和也、ディーン・フジオカ、小島瑠璃子、佐々木希、霜降り明星「テレビ局もラジオ局も、オミクロン株をナメていたということですよ。もちろん対策は取っている。しかしそれをあざ笑うかのように感染力が上回ったということです」このところ相次ぐ芸能人のコロナウィルス感染について、テレビ局編成関係者は、淡々とそう伝える。ナイツの塙宣之、落語家の春風亭昇太、林家たい平、オードリーは春日俊彰に続いて若林正恭、ピコ太郎の古坂大魔王、霜降り明星のふたりにバイキングの小峠英二、KAT-TUN・亀梨和也、俳優のディーン・フジオカ、タレントの小島瑠璃子、そして女優の佐々木希……芸能人の感染のニュースが日常になっている。■マスクをしてニュースを読んだアナウンサーもテレビやラジオのスタジオには、アクリル板が設置され、隣の人との安全性を担保する役目を担っている。番組のロケに出るタレントは一様に、マスクを着用しているのに、なぜスタジオ出演者はマスクをしないのか、という疑問が頭をかすめる。「近くに他人がいなければOK、という暗黙の取り決めがテレビの収録現場にはあります。実際、マスクをして収録しようとしたことはあるのですが、見た目で表情がわからない、それに聞き取りにくい。聞き取りにくさを解消するために大声でしゃべってもらうと、本末転倒になる。よって、マスクなし、が当たり前になっているのです」と、マスクなしの背景を情報番組のデスクは明かす。昨年、コロナ禍で緊急事態宣言が出た際、テレビ東京が司会者やコメンテーターにマスクを着用させたことがあった。「経済番組で大江麻理子アナらがマスクをしてニュースを読んでいました。緊急事態宣言が終わったタイミングで外していましたが、慎重さを求めるならマスクを外さず続けることもできた。なぜ外したかというと、やはり視聴者からの聞き取りにくさの指摘があった、と聞きました。番組として確固たる信念があれば、その後の緊急事態宣言の際にもマスクをするところですが、それをしなかった」(スポーツ紙放送担当記者)コロナ禍の収録スタジオは、扉が開け放たれ、フロアーには大きな扇風機が置かれ、テレビ局もラジオ局も極力喚起には気を使っている。しかし決定的な欠点が……。「ほとんどのスタジオには、窓がない。あってもはめ込み式で開かない。換気に配慮しても、密室に近い環境で芸能人は収録を余儀なくされている。感染者が出ても不思議じゃないわけです。リモート出演を増やしても、スタジオに誰もいないと、番組が成立しません。頭の痛い時期が当面、続くと思いますよ」(前出・スポーツ紙記者)もはや誰がかかっても不思議ではないオミクロン株の猛威。スタジオ収録だけでなく、ドラマの撮影現場、映画のロケ現場の関係者もひやひや状態で「運を天に任せるしかない」(制作スタッフ)という。非科学的なそんな祈りも笑えないほど、事態は深刻の一途だ。〈取材・文/薮入うらら〉
2022年01月25日テレビの生放送では、予期せぬハプニングはつきものです。このほど、ブラジルの番組で起きた出来事が話題になっています。「我慢できなくて」笑い出したリポーターテレビ局『TV Globo』のリポーターをしているフェルナンダ・ルブナさんが、生放送の番組で中継をしていた時のことです。新型コロナウイルスワクチンの接種状況などについて伝えていた彼女が突然、笑い始めます。面白い内容の話ではないのに、なぜか笑いがこらえきれない様子のフェルナンダさん。その理由は…カメラが引いた時に分かりました。 View this post on Instagram A post shared by Fernanda Rouvenat (@fernandarouvenat) これは、耐えらえない…!フェルナンダさんの足元に、子犬がまとわりついているではありませんか。「このかわいさには我慢ができませんでした!」という彼女は子犬を無視することができず、リポートを中断。その様子をカメラがとらえると、スタジオのキャスターたちもたまらず笑顔になりました。また視聴者からも、笑いと温かいコメントが寄せられています。・生放送のこの様子を見て、大笑いしちゃったわ!・かわいい子犬!こういうハプニングって最高。・あなたの自然なリアクションがすごく好感が持てるよ。ちなみに、この子犬の名前はエスペランサといい、ちゃんと飼い主がいるそうです。散歩中に、フェルナンダさんを見つけて駆け寄って来たようですね。屋外でのリポートならではのほっこりするハプニングに、多くの人が笑顔になりました。[文・構成/grape編集部]
2022年01月12日「交差点で信号待ちをしていたら、突然、目の前に世界的なスターが現れた!」アメリカで、そんな夢のような出来事が実際に起こりました。場所はロサンゼルスの普通の交差点。たくさんの車や歩行者が通行しています。信号が赤になり、車が止まったその直後、横断歩道に登場したのは…!韓国の人気グループ、『BTS』!!実は、これはアメリカのテレビ番組『The Late Late Show with James Corden』の企画。交差点で信号待ちをしている人たちを相手に、有名な歌手や俳優が、歌やミュージカルを披露するという人気コーナーです。『BTS』は、ヒット曲『Butter』『Permission to Dance』『Dynamite』を全力で歌い踊りました。アメリカでも絶大な人気を誇る『BTS』が目の前に登場すると、信号待ちの車に乗っていた人たちはびっくり!たまらず一緒に踊り出す人もいて、『クロスウォーク・コンサート(横断歩道コンサート)』は大成功しました。この動画は公開から2日で780万回再生され、大絶賛されています。・素晴らしいパフォーマンスだ!この場所にいた人たちがうらやましい。・最初から最後まで笑いっぱなしだったよ!彼らはレジェンドだね。・才能あふれるアーティストの『BTS』が、コメディもできるなんて知らなかった。[ #오늘의방탄 ][특종] #방탄소년단 이 길거리에 깜짝 출연?!———————— ================== A R M Y ================== #BTS #BTSCrosswalk #LateLateShow pic.twitter.com/wAfHbNMiAY — BTS_official (@bts_bighit) December 17, 2021 普段は何万人ものファンの前でパフォーマンスをしている『BTS』。たとえステージが交差点でも一切手を抜くことなく、見事な歌とダンスを披露するところはさすが世界的な人気グループです。またかっこよさに加えて、メンバーのコメディセンスやノリのよさも、多くの人たちにとって印象的だったよう。偶然にこの場所を通りかかって、赤信号で止まった人たちは本当にラッキーでしたね![文・構成/grape編集部]
2021年12月20日Mr.マリックかつて注目を集めた有名人に「ブレイク中、何を思っていたか?」を語ってもらうインタビュー。当事者だから見えた景色、聞こえてきた声、当時は言えなかった本音とは? 第33回は’80年代後半に「キテます! 」の決めゼリフで超魔術ブームを巻き起こしたMr.マリック。“ハンドパワー”でも治せなかった病と悩みとは――。バブル経済で日本中がイケイケだった’80年代後半に突如現れ、“超魔術”ブームを巻き起こしたMr.マリック。本格的にマジックを始めたキッカケは運命的な2つの出会いだった。「中学2年生のときに東海地区のテレビにも出ていた天才マジック少年が、僕のクラスに転校してきたんです。河原の小石を投げて、空中で消してしまうような大人顔負けの技術を持っていた子だったのですが、たまたま隣の席になって。それで休み時間になると、マジックを教えてもらうように」クラスメイトが簡単なマジックにも苦戦する中、なぜかマリックだけはすぐに次々と技を習得していった。「もともと素質があったんですかね。その男の子も僕を気に入ってくれて、アシスタントのようにマジックのイベントなどに連れていってくれるようになりました」別々の高校に進学したことでマジック少年とは疎遠になり始めたころ、近所の歯科医院にマジック業界でも有名な歯科医がインターンで赴任してきたという。「沢浩さんという有名なアマチュアマジシャンの方が、僕がよく見に行っていたマジックサークルにいたんです。話をしたところ、今度インターンで行く歯科医院が実家の近所ということがわかって、そこから毎日のように通って教わるようになりました」沢は歯科医だけあり、専門的な機械で作った道具を使う創作マジックで知られていた。そんな彼から、ノウハウを学ぶことに。「マジックの基礎を中学で学び、高校でオリジナリティの大切さを学びました。地元での偶然的な出会いが大きな財産になりましたね」しかしプロになれるとは思っていなかったこともあり、高校卒業後は瞬間湯沸かし器で知られるメーカーに就職。「新入社員は現場に出て、無言で黙々と作業をさせられるんです。そんな生活の息抜きだったのが、名古屋のデパートで行われていたマジック道具の実演販売を見ること。毎週のように通っていたら、ディーラーさんと仲よくなって。ある日、“販売員に空きが出るから、興味があるならやってみない?”と声をかけられて。退屈な日々を過ごしていたこともあり、二つ返事で転職しました」実演販売を始めると、再びマジック熱が高まりプロの世界に興味を持ち始める。「プロになるには、当時のマジック界を牽引していた初代の引田天功さんに会うしかないなと。それで天功さんが主宰していた『ハトの会』に顔を出しているうちに、自宅に遊びに行けることになったんです。プロで食えるようになりたいと相談したら、“一流になる気がないなら、みじめになるだけ”と言われてしまって……。一流になるにはどうすればいいかと考えた結果、世界大会で優勝することだろうと思い至り、マジック大会に片っ端から参加しました」東海地区での優勝を皮切りにとんとん拍子で日本代表になったマリック。21歳で世界大会で優勝するも、そこで大きな挫折を経験することに。「マジック大会の後、世界中のプロが集まるショーを見たら、アマチュアの僕たちとレベルが違いすぎて、井の中の蛙だったことに気づいたんです。帰国後は実演販売の会社も辞めて、フリーターのような生活を送っていましたね」実家のある岐阜県でフラフラし始めて1年がたったころ、実演販売を行う会社から再び声がかかる。「手品グッズだけでは儲からないからと、CMで話題になっていた謎の生物・シーモンキーを扱うことになり、東京での販売員を探していたんです。お金も尽きていたので、住む場所のアテもないまま上京し、実演販売の仕事を再開することに」シーモンキーと一緒に新しいマジック道具も販売し始めると、こちらも飛ぶように売れたという。■専門店『マリック』をオープン「実演販売と平行して30代のときにマジックグッズ専門店をオープンしました。そのときの名前がマジックショップ『マリック』。20代のときから個人レッスンをするときにはそう名乗っていたのですが、公に使ったのはこのときからです」ショップに『新春かくし芸大会』(フジテレビ系)のスタッフが小道具を買いに来た縁で、テレビの世界に足を踏み入れる。「道具を買いに来たスタッフの方に“直接、タレントに指導してくれないか”と頼まれて、テレビ局でタレントさんに教えるようになったんです。でもタレントさんはマジックのプロではないから、全然できないんですよ。“私がやったほうが何倍もすごいマジックができますよ”と提案したところ、“無名な人がやっても意味がない”と相手にしてもらえなくて。それなら自分の名前を売るしかないなと」名前を売るために目をつけたのがホテルでのショー。ホテルに自ら売り込みに行くと、ショー専門の事務所を紹介してもらい、有名ホテルチェーンでショーをやらせてもらえることになった。「大阪のホテルでショーをしたところ、それを見たテレビ大阪の方に番組に呼んでもらったんです。そのときにテレビは画面内でマジックが完結しないとダメだということを学びました。手がフレームアウトしちゃうと、映っていないところでマジックのネタを仕込んでいると視聴者に思われてしまいますからね」そして東京・浅草のホテルでショーを見た日本テレビのスタッフに誘われ、人気深夜番組『11PM』に出演したところ、一躍注目を集める。■決めゼリフは偶然誕生「大阪の番組では“超能力マジック”と紹介されていたので、視聴者的にはどっちつかずに見えたんでしょうね。『11PM』のスタッフに“黙っていたら超能力ですね”と言われたことから、“超不思議現象”と言ってマジックを披露したところ大ウケ。その後、木曜スペシャルで“超魔術”と名付けられ、見せ方や紹介する言葉の大切さを実感しました」馬券を的中させたり、パチスロ台で7の絵柄をそろえてフィーバーさせるといったテレビ的なマジックショーを次々に披露したところ話題を呼び、大ブームに。「お店と協力して、あとは絵柄をそろえるだけの状態にしたところで“ハンドパワーです”と言ってそろえていました。だからパチスロファンにはすぐに見破れたようで、“あんなのインチキだ!”といったクレームの電話もかかってきたみたいです。とはいえ、インパクトも大きかったようでどんどん盛り上がっていきました。当時はグレーゾーンが許された時代でしたが、今なら絶対に無理でしょうね……(苦笑)」『ハンドパワー』や『キテます!』といった決めゼリフも、偶然から生まれたものだったと振り返る。「マジックショーでお客さんをステージにあげたところ、“この不思議な力はハンドパワーですか?”と言われ、便利な言葉だなと使わせてもらいました。それで“ハンドパワーです”と言いながらマジックを披露した際、別のお客さんが“ハンドパワーがキテます!”と言ったので、それも使わせてもらうことに(笑)。結局、自分が頭で考えたものより自然なリアクションなどから発せられた言葉のほうが、キャッチ―なものが生まれるんですよね」売れっ子になって3年ほどたったとき、ストレスから顔面麻痺になってしまう。「次々に新ネタを作らないといけないストレスが身体に出てしまったみたいです。最初は顔の右側の神経が切れたのですが、治り始めたと思った矢先に今度は左側の神経が切れて……。病院に行っても“いつ完治するかはわからない”と言われてしまいましたが、番組の収録は休めない。だから本当に症状が酷いときはスタッフに話せる状態ではないということを明かして、ほぼ無言で収録を乗り切ったこともありましたね。神経麻痺でまばたきができないから、セロテープでまぶたを閉じさせたりしていたのですが、もともと大きなサングラスをしていたこともあり、なんとかマスコミにもバレずにすみました。当時はマジックのネタだけでなく、病気のことも隠している状態でしたね」決まっていた収録をこなしたあとは仕事をセーブ。顔面麻痺がバレづらい、薄暗い会員制のバーでショーを再開させると、そこで新たな出会いを果たす。■テリー伊藤との出会い「そのバーにテリー伊藤さんが来ていたんです。“最近テレビで見かけないけど、バラエティーに興味ある?”と誘われ、当時若者に人気だったテレ東系の『浅草橋ヤング洋品店』に出演することになりました」人気企画『中華大戦争』などでブレイクした周富徳・周富輝兄弟など番組発のスターとともに、マジックとは関係のないロケに挑戦。「マジック以外のバラエティーはやったことがないから、最初は何もできなかったですね。そんな僕を見かねてか、テリーさんが“テレビに出るならバカにならなきゃダメだよ!”とアドバイスをしてくれました。それで苦手な歌に挑戦したところ、喜んでもらえて。完璧なものを見せることだけが、視聴者を楽しませることではないんだなと、身をもって痛感しました」これまでにない形でテレビに出るようになったところ、今度は日本テレビの有名プロデューサーから声がかかる。「笑福亭鶴瓶さんが司会を務めていた『投稿!特ホウ王国』という番組で、Mr.マリックを逆さから読んだ栗間太澄(くりま・たすみ)という謎の郵便局員というキャラクターで出ることに。決めゼリフは“手力です!”だったり、セルフパロディをしたことがウケて、テレビの依頼がまた増えるように。顔面麻痺でテレビから消えそうになっていたところ、違うジャンルの人たちから声をかけてもらったことで、復活できるとは思っていませんでした」一度は消えかけた彼に芸能界で大事なことを聞くと、言葉を噛みしめ、こう答えた。「とにかく飽きられないことですね。僕の場合はバラエティー番組に出て、これまでとはまったく違うギャップを見せたからこそ、超魔術を知らない若い世代にもウケて、知ってもらえた。もし、自分にはバラエティーは無理だからとテリーさんの誘いを断っていたら、テレビの世界では淘汰されていたでしょうね」現在はYouTubeでチャンネルを開設。ときにはネタ明かし動画も公開するほか、依頼があればネタ番組にも積極的に出演する。「僕らの世代は初代・引田天功さんに憧れてマジシャンを目指す人も多かったですが、今の世代は特定のマジシャンに憧れる人は少ないように感じます。だからいろいろなことに挑戦して、“マジシャンになりたい!”という人を増やすことが自分の使命なのかなと。今はYouTubeなどでマジックのネタは簡単に見つかるけど、自分のモノとして習得するのはまた別。若い世代に自分が持っているノウハウを伝えていくためにも、次世代のマジシャンの発掘や育成に力を入れていきたいと思っています。そして、人気タレントに負けないスター性のあるマジシャンが育ってくれたらうれしいですね」
2021年12月19日取り巻きに囲まれながら車に乗り込むGACKT(2014年)『週刊文春』が報じたGACKTの不倫疑惑。お相手とされる会社経営者A氏の妻・B子さんは元々GACKTのファンで、昨年の彼の誕生日にインスタグラムでメッセージ送ったことをきっかけに連絡を取り合うようになったという。そして今年の夏に関係を持つことに。その密会から2か月後にA氏は妻の不貞を知ることになる。B子さんの携帯には、彼女の実姉に対しGACKTの自宅から実況中継していた痕跡やGACKTの自宅の写真が残っていたというのだ。これまで、いろいろな女性との交際情報が出ているが、相手が人妻というのは初めてのこと。『文春』によるとA氏は激怒、「法的手段も辞さない」と言っていることから、これは大きな騒動になるのではないかと思われたのだが……。■GACKTは“取材拒否”報道が出てから数週間が過ぎても、その間後追い記事は数えるほど。新しい情報が出てくることもなく、テレビやスポーツ紙はスルー状態だ。ほぼほぼ鎮火したと言っていいだろう。テレビやスポーツ紙が週刊誌の記事を取り上げなかったり扱わなかったりするときの、理由の1つに事務所の圧力かメディアサイドの忖度が考えられる。しかし、実際に番組制作の最前線に立つ情報番組のディレクターに話を聞けば、今回はそのような話はなかったという。「GACKTさんは不倫というイメージがあまりないので、そのギャップから数字(視聴率)が取れると思い、放送のラインナップに上げました。ただ、どのワイドショーもただ週刊誌の記事をそのまま放送で流すわけではなく、独自に取材をします。『文春』さんはGACKTさんサイドに何も話を聞けていなかったので、それで彼に取材を申し込んだのです」確かに記事には、《所属事務所に事実関係について問うも「担当者が不在」として締め切りまでに回答がなかった》としか記されていない。先のディレクターが話を続ける。「ですが、GACKTさんの事務所からはなんの音沙汰もなかったんです。“ノーコメント”というリアクションもなく、対応してくれなかったということです。だからといって、『文春』さんに証言しているAさんの話だけでやるわけにはいきません。不倫疑惑のお相手が芸能人ならそちらにも取材ができるのですが、一般女性ならそうもいかない。それで扱うのを断念したんです」■テレビ局が信用しないものまた『文春砲』“第二弾”が放たれることもなく、A氏がGACKTを提訴したという話もない。もし提訴しているのなら、きっとすでに記事になっているはずだろう。……結果、『GACKT人妻不倫』報道は大きな広がりを見せることがなく、人々の記憶から消えようとしている。普通の芸能事務所ならまずありえないが、今回のように徹頭徹尾“取材を無視する”というかたちをとれば、情報番組等で報じることはできないのかもしれない。報道鎮火の新たな手法といったところであろうか。しかし、その策が今後、悪い流れを生む可能性も大いにあるのだという。「大手はもちろんですが、いわゆる中小の芸能事務所でも問い合わせについて全くの無視を貫くことはそうありません。週刊誌さんの“問い合わせ”に関しては担当者不在とすることもあると聞きますが。キャスティングする局側としては、連絡がつかないというのが一番信用ができない。こういうことが続くと“今後はオファーしない”ということにも発展しかねません」(キー局局員)もちろん、GACKTもテレビを主戦場にしているわけではないだろうが、芸能人である以上、上記のような意見は無視できないだろう。不倫疑惑報道の前から、GACKTは体調不良ということになっており、無期限休業中のために映画『翔んで埼玉』の続編の撮影は中止になっている。こちらとは連絡が取れているのだろうか。雲隠れの代償やいかに。<芸能ジャーナリスト・佐々木博之> ◎元フライデー記者。現在も週刊誌等で取材活動を続けており、テレビ・ラジオ番組などでコメンテーターとしても活躍中。
2021年12月07日新庄剛志電撃就任以来、話題を振りまき続けているプロ野球・北海道日本ハムファイターズの新監督……いや“BIGBOSS”新庄剛志。主力選手による暴行事件に成績不振と明るい話題がなかったチームに早速“神風”を吹かせている。「去年に比べてファンクラブの新規入会者数が8倍に増えているんです。それだけみんな、期待しているんですよ」(スポーツ紙記者)11月30日、そのファンの前に就任後初めて姿を現した新庄。ファイターズの本拠地・札幌ドームで行われたファン感謝イベントに“時価1億円”という真っ白なイタリア製スーパーカーに乗って登場し、選手たちを差し置いてファンの視線を独り占めにした。「それどころか、北海道中の視線を集めまくりですよ!」と、興奮ぎみに話すのは北海道のメディア関係者。「このイベントのもようが地元テレビ局の特番として生中継されたんです。就任後、初めてファンの前に姿を見せたということもあって、平均視聴率は16%超え!これはこの局が今年制作した全番組の中で最高記録なんですよ。番組後半のお笑いコンビ『EXIT』さんたちとのトークコーナーでは、瞬間最高視聴率19・8%を叩き出したんですから!球団関係者もホクホクでしょうねぇ。もうこの時点で、新庄さんを監督にした価値がありましたもん」■「ギャラが高い」ことで有名だった“持ってる”男を、キー局が放っておくわけがない。新庄のもとには出演オファーが殺到中。直近、公表されているだけでも『しゃべくり007』(日本テレビ系)、『アウト×デラックス』(フジテレビ系)、正月恒例番組『芸能人格付けチェック』(テレビ朝日系)……と、人気バラエティー番組に相次いで出演する。だがそうなると、どうしても気になるのが、出演料問題。新庄といえば、とにかく“ギャラが高い”ことで業界内では有名だった。「2006年に選手を引退した直後も、いろんな番組やイベントから引っ張りダコだったんですが、当時ギャラは“1分でも1時間でも、出演したら500万円”と言われていましたからね。“さすがに払えない”と泣く泣くオファーを引っ込めた番組もあったほど」(番組制作会社関係者)ところが!「今回は“ギャラはいくらでもいい。そのかわりファイターズの宣伝がたくさんできる内容にしてほしい”と。どの番組も、当時よりかなり安いギャラで出演をOKしているみたいですよ。『しゃべくり007』なんて、番組初回放送のゲストが新庄さんだったという縁もあるからか“今回はたったの50万円らしい”なんて噂も出たくらい」(同・番組制作会社関係者)新庄の所属事務所に確認すると「さすがにそれはありえない」と苦笑いするが、「お金で選んでいないのは本当ですよ。実際、地元局のファイターズ特番なんて出演料“0円”。数万円の謝礼……“お車代”も受け取らなかったそうで。局側も“本当によろしいんでしょうか?”と恐縮しきりでした。“まずはファイターズを知ってもらう”と、客寄せパンダに徹しているんでしょうね」(前出・メディア関係者)BIGBOSSから、まだまだ目が離せなそう。
2021年12月06日二宮和也主演、有村架純共演の新春スペシャルドラマ「潜水艦カッペリーニ号の冒険」がフジテレビで放送されることが決定し、キャストや監督らのコメントが届いた。本作は、第二次世界大戦中に運命的な出会いを果たした、厳格な日本海軍軍人と陽気なイタリア人たちの国境を超えた友情と恋の物語。メガホンを取るホイチョイ・プロダクションズの馬場康夫が「一気に引き込まれた」という実話に着想を得て、数々のヒットCMを世に放つトップクリエイターの澤本嘉光が脚本を執筆。構想から25年の時を経て、このたび、CG技術を駆使した壮大なスケールで映像化が実現した。主人公の厳格な日本海軍少佐・速水洋平(はやみ・ようへい)を演じる二宮さん。国民的アイドルグループ「嵐」での活動休止後、今作が初のドラマ出演作となり、フジテレビドラマへの出演は2016年放送の「坊っちゃん」以来6年ぶり、テレビドラマには「ブラックペアン」(TBS系、2018年)以来4年ぶりの出演となる。速水の妹・早季子(さきこ)を演じる有村さんは、今年は大ヒットを記録した主演映画『花束みたいな恋をした』やドラマ「コントが始まる」(日本テレビ系)などの話題作に立て続けに出演。今夏に公開された映画版『太陽の子』では、第二次世界大戦末期、時代に翻弄(ほんろう)されながらもひたむきに生きる若者を等身大で演じ、深い感動を呼んだ。今作では戦時下でも希望を失わない心優しい小学校教員を演じ、児童たちの健やかな成長を温かく見守る。2人は、二宮さん主演ドラマ「弱くても勝てます~青志先生とへっぽこ高校球児の野望~」(日本テレビ系、2014年)以来8年ぶり2度目のドラマ共演となる。2017年には第68回NHK紅白歌合戦でそれぞれ白組司会、紅組司会を務め、息のピッタリ合った進行が好評を博した。そんな2人が仲良し兄妹を演じるとあって、波長が合った共演シーンも楽しみだ。今作がテレビドラマ初演出となる馬場康夫監督は、映画『私をスキーに連れてって』(1987年)で初監督。以降、『彼女が水着にきがえたら』(1989年)、『波の数だけ抱きしめて』(1991年)で大ヒットを収め、当時の若者が憧れるライフスタイルを提示した。その後も『メッセンジャー』(1999年)、『バブルへGO!!タイムマシンはドラム式』(2007年)を監督するほか、書籍や映像制作に携わる。今回、『バブルへGO!!タイムマシンはドラム式』以来15年ぶりにメガホンを取る。脚本はCMプランナーとして数々のヒットCMを手掛け、カンヌ国際広告祭をはじめとした海外の広告賞を数々受賞している澤本嘉光。原作も手掛けた映画『犬と私の10の約束』(2008年)で脚本を執筆、さらに妻夫木聡主演の映画『ジャッジ!』(2014年)、広瀬すず主演映画『一度死んでみた』(2020年)の脚本を務めるなど脚本家としても活躍している。テレビドラマの脚本を務めるのは本作が初となる。二宮和也(速水洋平役)コメント◆台本を読んだ時の感想「戦時中のお話なのですが、人間と人間のいろいろなものを感じる話だと思いました」◆撮影をふり返って「イタリア人の方々とお芝居したことがなかったので新鮮でした」◆有村さんとの共演について「お芝居は何年も機会がなかったのですが、バラエティー番組などでご一緒する機会がありましたので、自然と懐かしさはなかったです」◆視聴者の皆様へのメッセージ「是非、人間模様を楽しんでいただきたいなと思います。戦争というものよりも、そんな最中(さなか)にこんな人間がいたのか、というところを感じていただけたらと思います」有村架純(早季子役)コメント◆台本を読んだ時の感想「実際に存在したイタリア、ドイツ、日本と渡り歩いた潜水艦を舞台に、イタリア人兵士たちと日本人の間に繰り広げられる物語を全体的にポップに描いていて読みやすく、ある種漫画を読んでいるような、そんな印象を受けました。しかしながら、当時の時代の中にある理不尽さや時代が持つ狂気も感じられるので、メッセージ性のある台本だと思いました」◆撮影をふり返って「イタリア兵士を演じられた役者さんがイタリア出身の方々で、現場にはイタリア語が飛び交っていました。とても新鮮でしたし、皆さん明るく陽気で、現場に行く度に元気をいただけたことを覚えています」◆二宮さんとの共演について「作品では久しぶりにご一緒させて頂きましたが、変わらない二宮さんがそこにいてくださり、安心して現場にいることができました。以前とは少し話せることも変わって、個人的に時間の流れを感じ、感慨深かったです」◆視聴者の皆様へのメッセージ「その時代にある社会情勢などは調べなければわからないことも、こうして作品に携わらせていただくことで学ぶことが多いといつも感じます。是非皆様もご覧になって、少しでも何かを得ることができたらうれしいです」馬場康夫監督コメント◆ドラマ化のきっかけ「25年以上前のことですが、私のイタリア人の友人からこの潜水艦の話を聞きました。その話がとても面白くて。潜水艦で潜っている間に敵と味方がひっくり返っちゃったなんて、“そんなことあったの!?”と一気に引き込まれました。しかも、食べて、歌って、恋して、人生を謳歌(おうか)する国民性のイタリア人が、よりにもよって大日本帝国海軍という厳しい世界に放り込まれてしまったというのも皮肉ですよね。そこからさまざまな方に取材し、アベーレのモデルになった方の奥様の話も聞きました。第二次世界大戦中のイタリア人がどういう生き方をして、何を考えていたのか。取材を重ねるたびに、“これはドラマになる”と確信しましたし、なにより実話がベースになっていることがこのドラマの最大の魅力になっていると思います」◆二宮さんについて「ひと言でいうと、彼はプロですね。とても頭がいい人だし、撮影中、“ここってこうするのはどうでしょうか”と提案をいただき採用したシーンもあります。二宮さんがイタリア語のセリフを言うシーンがあるのですが、すごく上手で。何よりイタリア人がビックリしていましたから(笑)。かなりの長ゼリフでしたが、完璧な発音とエロキューション(発声法)で、通訳のイタリア人たちが“完璧だよ”と感心していました。お世辞抜きで鳥肌ものです。イタリアの歌を歌唱するシーンも素晴らしいので楽しみにしていただきたいですね」◆今作の見どころについて「第二次世界大戦の途中でイタリアと日本が敵対する国同士になったという事実は案外知られていないかもしれませんし、そんな状況下での、イタリア人と日本人の交流をテーマに描く作品はあまりないのではないでしょうか。イタリア語のセリフもありますし、イタリア人のキャストも多く出てきますので、全編を通じてイタリアのカラーが出ています。そして、日本人の規律正しさや清潔さなど、海外の目を通じて日本の良さを発見する作品でもありますので、来年のお正月、たくさんの方に見ていただけたらうれしいです」狩野雄太(企画・フジテレビ編成部)コメント「“こんな実話があったなんて!”と、まず驚きました。この実話を発見した馬場監督の圧倒的な熱量とアイデアがどれも面白く、また澤本さんがウイットに富んだ脚本に仕立ててくださいました。“人と人が分かりあう事”、“心を通わせる事のかけがえのなさ”を中心にしながら、一部脚色を加えて制作をさせて頂くことになりました。主人公の速水は表面上は堅物の軍人ですが、イタリア人達と出会い共に過ごしていく事で、自分自身で押さえつけていた本当の内面が露わになっていきます。そんな速水を確かな演技力と表現力、そしてユーモアさも兼ね備える二宮さんに演じて頂き、スタッフ一同大変光栄に思っております。また、有村さんには、柔和な中に芯がある早季子をしなやかに、そして凛々(りり)しく演じて頂き、キャラクターに命を吹き込んで下さいました。二宮さんとのシーンも抜群の掛け合いで本当の兄妹のように見えますし、イタリア人との恋の行方にもご注目頂ければと思います」「潜水艦カッペリーニ号の冒険」は2022年1月3日(月)21時~フジテレビにて放送。(text:cinemacafe.net)
2021年11月17日大ヒットクライムサスペンス〈分析班〉シリーズのユニバース作品 連続ドラマW「邪神の天秤 公安分析班」より、オールキャストと特報が解禁となった。本作は、2015年「石の繭」、2016年「水晶の鼓動」、2019年「蝶の力学」と過去に3回WOWOW連続ドラマWとして映像化された警視庁捜査一課の犯罪捜査を描く本格クライムサスペンス<殺人分析班>の新シリーズ。原作の人気キャラクター投票で1位を獲得したこともある鷹野秀昭が主人公となり、新たな猟奇殺人事件と公安チームの活躍を描いていく。鷹野を青木崇高、鷹野と共に捜査をする「作業班」の氷室沙也香役を松雪泰子が演じる。新たに解禁となったキャスト陣は、捜査を指揮するリーダー佐久間一弘役に筒井道隆。全ての公安分析班の行動を把握している佐久間は、インテリジェンス捜査のブレインとして采配を振るう。徳重聡演じる警部補・能見義則は「視察班」で、追尾のスペシャリスト。車両、自転車、徒歩で無線機を使用して追尾する。小市慢太郎演じる巡査部長・国枝周造は「指導班」で、公安での長いキャリアを生かし、安全かつ効果的に作業が行われるよう指導する。巡査部長・溝口晴人役は福山翔大が演じる。班で最年少の溝口は「IT担当」で、SNS、WEB などから犯行に関わる情報を集める。 今回、事件現場に遺留品として残された石板のヒエログリフや天秤から、犯人はエジプト神話を引用していることが分かり、鷹野をはじめ佐久間班は捜査を進めていく。ほかにも捜査一課時代の関係者で、今回の事件で鷹野が情報協力者エスとして運営する男・赤崎亮治役を奥野瑛太、その赤崎の婚約者で、危険な捜査に関わっていることを不審に思い鷹野を問い詰める宮内仁美役を瀧内公美が演じる。また、「殺人分析班」シリーズの警視庁捜査一課のお馴染みのキャラクターも登場。捜査一課十一係の係長・早瀬泰之役を渡辺いっけいが、課長・神谷太一役を段田安則など、事件の解決を巡って公安部と刑事部が対立する局面も描かれる。更に、前作「蝶の力学 殺人分析班」で鷹野の元・相棒の姉であり監察医だった相羽町子も登場。強烈な印象を残した町子を菊地凛子が再び演じる。また併せて特報も解禁となった。2015年「石の繭」、2016年「水晶の鼓動」、2019年「蝶の力学」と、殺人分析班シリーズの過去作の映像が断片的にたたみかけるように切り替わり、新たな舞台、新たな事件が展開される本作「邪神の天秤」の映像に行き着く。「真実はいずれ明らかにされます」と捜査一課で培った経験で真実の追及に突き進む鷹野と「公安には公安のやり方がある」と公安独自の手法で捜査する氷室。鷹野が感じた「違和感」とは?秘密主義が蔓延る公安で、鷹野は氷室と共に難事件の解決の糸口をつかめるのか?スリリングな展開に期待が高まる。連続ドラマW「邪神の天秤 公安分析班」(全10話)は2022年2月13日(日)より、毎週日曜午後10時放送・配信。(text:cinemacafe.net)
2021年11月10日ジャガーさん「ひとり一人のお客さまが安心してご利用できるよう、みなさまのご協力をお願いします」千葉県市川市のJR本八幡駅では、こんな構内アナウンスが朝、昼、夕方と1日に3回ほど流れている。この声の主は千葉県を中心に活躍していたロックミュージシャンのJAGUAR(ジャガー)さんだ。■地球から故郷の星に“帰還”彼は1980年代から地元のチバテレビで番組枠5分を買いとって『HELLO JAGUAR』という自身の音楽番組を放送。近年は『月曜から夜ふかし』(日本テレビ系)に異色のご当地ミュージシャンとして取り上げられて人気を博す。さらに映画『翔んで埼玉』に伝説の千葉県人役として出演するなど、活動の幅を広げていた。ところが10月4日、ジャガーさんの所属事務所が突然、次のような発表をした。《令和3年、JAGUAR星人のJAGUARが、大好きな地球よりJAGUAR星に帰還いたしました。ここに地球でのご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます。帰還の具体的な時期と理由に関しましては、JAGUARの意思により非公表とさせていただいております。地球での音楽活動、タレント活動、全ての活動において、皆様からの沢山の愛をいただけましたことを、心より感謝申し上げます》ジャガーさんには、世を忍ぶ仮の姿があった。それは洋服のお直し店など手広くビジネスを展開する実業家の顔であり、地元ではそちらのほうでもちょっとした有名人だった。そのため、事務所の発表後、地元・市川市の住民の間でさまざまな憶測が飛び交っている。ある住民は、「地元ではジャガーさんはタレント活動や仕事から引退しただけという意見と、亡くなったという意見に分かれています」別の住民は、「ここ半年ぐらいは、ほとんど見かけなくなってしまったし……」■実業家としての側面ジャガーさんは、50年近く前にこの市川市の地に降り立ち、住居兼店舗の戸建てから洋服のお直し店の事業をスタートさせた。「1階がお直し1号店と、駐車場でね。木造なのに電動式のシャッターで、中から黄色のフェアレディZや外車が出てきていたよ。2階にジャガーさんが住んでいたんだけど、空や星を見るのが好きみたいで、天井がガラス張りだったみたい(笑)」(近所の主婦)当時は町内会の集まりにもよく参加していたジャガーさん。前出の近所の住民はこう話す。「気さくな人でしたよ。ま、基本は無口でおとなしい人なんだけどね。僕の亡くなった父親が生きていれば、今年で85歳になるんだけど、その父親が“あんな格好をしているけど、ジャガーさんは俺の少し下なんだから”と言っていました。だから、80歳前後じゃないかな……」実業家だが、見た目はロックミュージシャンそのもの。「ロン毛の金髪、黄色やピンクのパンタロンみたいなものをよく履いていましたね。父親も実業家としては彼を認めていましたが、なにしろ風変わりでしたから僕には“近づいちゃダメな人”って言っていましたね(笑)」(同・住民)80年代にジャガーさんがテレビに出演するようになったとき、最初は彼だとは気づかなかったという。「友人に“お前の家の近くに住んでいるあの人だよ”と言われて、やっとわかったぐらいだった。だってテレビの中ではヘビメタみたいなメイクをしていたから。一度、ライブを見に行ったら、歌は吉田拓郎のようで意外でした(笑)」(同・住民)そんな中、別の近隣住民からこんな声が。「2、3か月前の暑い日の午後3時ぐらいだったかな。ジャガーさんが女性に抱きかかえられるようにして、足を引きずって歩いていた。かなり具合が悪そうだったよ」この話が本当であれば、容態が気になるところ……。所属事務所に確認すると、「絶対にあり得ません。それはまったくのウソです」と全面否定だった。25年ほど前、地下1階、地上4階建てのビルを建設したジャガーさん。「1階はかつてライブハウス。2階で美容室も経営していた。本来は3階建てだったんだけど、その上にガラス張りの部屋を造ってね、ジャガーさんはそこに住んでいました。やっぱり空や星を見るのが好きだったんでしょうね」(前出・近所の主婦)星空を見上げて、JAGUAR星を探してみたくなった。
2021年10月18日傷ついた人の心にそっと寄り添う、ドラマ『スナック キズツキ』で、ママ・トウコを演じる原田知世さん。原田さんの役への寄り添い方とは。仕事先で、恋人から、家族から向けられた何気ないひと言に、小さく傷つく。誰にも身に覚えのある経験だけど、そんな傷ついた人が辿り着く、アルコールのない小さなスナックがある。お客たちはそこで溜め込んだ心の澱を浄化し、また日常へと戻っていく。そんな益田ミリさんの人気コミック『スナック キズツキ』がドラマに。「シンプルなお話ですけれど、読んでいてあたたかいものが伝わってくる作品ですよね。これが映像化されて、命を吹き込まれた登場人物たちが動きだすとどうなるんだろうと想像したら、とても面白そうで楽しみになりました」とは、スナック キズツキのママ・トウコを演じる原田知世さん。この人物、一風変わったキャラクター。お客が吐き出す悩みや愚痴を受け止め、慰めるでも励ますでもなく、歌に合いの手を入れたり演奏したり、踊ったり。気づけば、客たちのぎゅっと縮こまった心がゆる~く解きほぐされていく。「最初に原作を読んだときは、自分が演じる姿がなかなか想像できなかったんです。言葉遣いも結構ぶっきらぼうなので、どう言ったらいいかとか。たとえば、来店した人にまず『うち、アルコールないけど』って言うんですけど、もし私が初めてのお店でそう言われたら怯んじゃうと思うんです。それでもスナック キズツキには、お客さんをあたたかく受け入れる感じだったり、来た人が肌で感じる居心地のよさがあるんですよね。そこをどう見せたらいいかなと考えたとき、個性の強いキャラクターとして作り込むのではなく、自然に役と向き合うことで見えてくる気がしました。ただ、普段の私とも違うので、セリフひと言ひと言のニュアンスに気をつけながら演じていくうち、だんだん見えてきたというか…。撮影初日、昭和のスナックを思わせるセットに入ったら、へんに緊張もなくスッと馴染めたんです」この作品が魅力的なのは、誰かが一方的に傷つけたり傷つけられたりするのではないところ。何かに傷ついた人も、別のどこかで無自覚に誰かを傷つけている。そんな当たり前だけれど、見落としてしまいがちなリアルを、丁寧にすくい想像させてくれる。「誰しもが、どちらも経験していると思うんです。自分の人生だから自分が主人公であるべきで、主観的になってしまうのは仕方のない当たり前のことではあります。でも、どこかで誰かと関わるときに、相手の立場だったり想いみたいなものも想像して振る舞わなきゃと考えさせられます。この作品では、1話ごとに年代も性別も違ういろいろな人が店を訪れますけれど、多分誰かに共感したり、身近な人に重ねたりできると思うんです。それぞれは知らない同士だけれど、じつは思わぬところで繋がっていて、最終話まで見たときに全体像が見えてくるという展開の面白さもあります。ご覧になりながら、トウコさんという存在というか空気感みたいなものに触れて、ホッとしたり、癒されたりしてもらえたらいいですね」作品についてどこか楽しげに、丁寧に語りながら、ふと「トウコさんのスナックに、私も行ってみたいなって思います」と言ってフフフと笑った原田さん。「もし行けたら、ダンスしたいです。体を動かすことって、ガチガチになっていたものがポンて外れるというか、解き放たれる感覚がありますよね。ひとりで『さあ踊って』と言われたらやれないかもしれないけれど、トウコさんは、解き放つためのお手伝いを全力でやってくれるし、一緒に楽しんでくれる人。そういう人に導かれたら踊っちゃう気がします(笑)」視聴者としては、原田さんがママを務めるスナックならばぜひ訪れてみたい、と思うのだけど…。「トウコさんは魔法使いのようにいろんなものを出してきますよね。私にはそこまでのことはできないと思いますけど、一緒にカラオケを歌ったり、一緒に踊ったりはできますよ。相手が心を開いてくれたら、私、結構思い切って飛躍できるタイプだと思いますから」予想外の言葉に「ノリノリで?」と尋ねると「はい」といたずらっぽい笑顔で返された。可憐な雰囲気の中に、お茶目な一面も覗かせる。かわいらしい人、と言ったら失礼だろうか。「この作品ではずっと受け身の芝居で、トウコさん自身が自分を語ることはないんです。でも多分彼女も、すごく頑張ったり、心が折れそうになったり、悲しみもあったり、いろいろな経験をしてきたはずで。そして今、ちゃんと自分自身で地に足を着けて生きられている。飄々としていてユーモアのセンスもあって、心がとても健康的ないい大人だと思います」ドラマ24『スナック キズツキ』傷ついたものだけがたどり着ける店“スナック キズツキ”。オズオズと扉を開けた客をママがいざなう世界とは……!?毎週金曜24時12分~(テレビ東京系)放送中。【主演】原田知世【原作】益田ミリ『スナック キズツキ』(マガジンハウス)【監督】筧昌也、湯浅弘章【脚本】佐藤久美子、今西祐子©『スナック キズツキ』製作委員会はらだ・ともよ1967年11月28日生まれ、長崎県出身。’83年に映画『時をかける少女』でスクリーンデビュー。一昨年に出演したドラマ『あなたの番です』も大きな話題に。今年12月には『あなたの番です 劇場版』も公開に。Vネックニット¥58,000ギャザースカート¥55,000(共にhumoresque TEL:03・6452・6255)ネックレス¥153,000左手薬指のリング¥49,000左手小指のリング¥21,000右手のリング¥15,000(以上MAISON RUBUS. TEL:03・6427・9917)靴はスタイリスト私物※『anan』2021年10月20日号より。写真・彦坂栄治(まきうらオフィス)スタイリスト、ヘア&メイク・藤川智美(Figue)(by anan編集部)
2021年10月18日木村拓哉「あれだけ事前の宣伝にも力を注いだ。原作の人気といい、キャスティングの豪華さといい失敗の許されない作品。ヒットにかける木村拓哉の必死な姿勢を感じましたね」映画配給関係者がそう指摘するのは、17日に公開された映画『マスカレード・ナイト』。週末の観客動員数を伝える映画興行ランキングで、初登場1位に踊り出た。俳優の木村拓哉(48)がホテルスタッフに扮する刑事を演じ、原作はベストセラー作家の東野圭吾氏。全国356館で封切られ、初日の興行収入は前作『マスカレード・ホテル』(2019年)に比べ107%増という幸先のいいスタートを切った。「フジテレビ製作の映画ですが、テレビ局の枠を飛び越えて、他局も宣伝にひと役買ったというか、駆り出されたというか」そう苦笑いで明かすのは情報番組デスクだ。情報番組が取り扱ったのはもちろん、「TBSの『ニンゲン観察バラエティ モニタリング』などバラエティー番組にも木村さんが出演し、映画の宣伝の尺が取られていました。他局の製作物件は基本、取り扱いを嫌がるのものですが、木村さんは別格。バラエティー番組に出演してもらえるならオッケー、という方針です。例えば『相棒』だったらそのタイトルを自局に乗せるのは編成NGになりますが、『マスカレード~』はその点、オッケーでした」■ジェンダーへの配慮もバラエティー番組に出演するほかにも雑誌の表紙を飾ったりインタビューを受けたり、「木村さんの作品にかける必死な思いがわかるほど、宣伝に協力的でした。映画専門誌はもちろん、ファッション誌や男性週刊誌など30近いメディアにインタビューが掲載されましからね。加えてテレビ出演。ほかの仕事を縫ってでても、座長としての責任を果たした感じです」(前出・映画配給関係者)撮影はほとんど東宝スタジオで行われたが、そこでも木村の配慮が示されたという。「通常、撮影現場には多くの出演者が差し入れをしますが、コロナ禍の今、食べ物の差し入れは遠慮してもらっています。木村さんは、空気清浄機、消毒液、それに映画を象徴するベネチアンマスクをデザインした特性マスクを、スタッフ全員に差し入れたのです。『メルカリ禁止だからね』と冗談が交わされるほど貴重なマスクですからね。みんな大喜びでしたよ」(前出・映画配給関係者)そんな木村の気遣いに加え、前出・情報番組デスクは、世の中の変化を敏感に感じ取っている木村の姿を伝える。「メディアの紹介記事も、パンフレットには普通に『ホテルマン』と書かれているんですが、木村さんは違った。ジェンダーに配慮して、『ホテルスタッフ』と表現するんです。もともと『ホテルマン』は現場より管理職より上の立場の人に通用する言葉のようで、そのあたりを木村さんが気にして使っていたら、結構アンテナを張っているなという感じがしましたね」木村を中心に長澤まさみや小日向文世、石黒賢、沢村一樹、木村佳乃、麻生久美子、高岡早紀らこれ以上ない豪華な座組、初日に向けて木村の過去作品(映画&ドラマ)の度重なる放送、民放各社の宣伝協力体制は、木村拓哉でなければ成立しない。常に1位のプレッシャーを受け、それにつぶされないエンタメ提供者であり続ける木村拓哉という存在。映画評論家筋の、決して手放しで絶賛しない評価も、木村拓哉の前では無力だ。〈取材・文/薮入うらら〉
2021年09月22日手越祐也元NEWSの手越祐也(33)の発言が、芸能関係者の関心を集めている。そこには、同情に近い感情も混じっている。つい先日、ウェブサイト『AERA dot.』に掲載された【手越祐也に単独インタビュー「テレビ無料でもでますよ」】というタイトルの記事が、関心のもとになっている。2020年6月、結果的に謹慎処分の解けないうちにジャニーズ事務所を退所した。「言ってみれば世話になったジャニーズに対し、ケツをまくったようなものです。退所4日後には都内で緊急会見を開き、自分の夢などを自信たっぷりに語っていました。独演会のような会見でしたね」と振り返るのは芸能リポーター。退所と同時に開設したYouTube「手越祐也チャンネル」は、登録者数161万人という人気チャンネルになっているが……。「YouTubeで儲かってはいるのでしょうが、手越の場合は持ち出しが多い。YouTubeの番組作りでも金がかかりますし、彼はデジタルシングルをリリースしミュージックビオも作っていますので、スタジオ代やミュージシャンのギャラ、撮影費やスタイリスト代、メイク代など、ジャニーズ事務所にいたころには一切心配する必要のなかった芸能活動に不可欠な基礎的出費も、今は手越の稼ぎにのしかかっていますからね」(前出・芸能リポーター)■テレビに「無料で出る」は可能なのかファンクラブも開設し、ファンの取り囲みにも抜かりがないが、アリーナクラスのコンサートやテレビ出演をメインに人気アイドルとして君臨した「生粋の目立ちたがり屋の芸能人」(前出・芸能リポーター)の手越にとって、現状に対するじくじたる思いもあるようだ。それが透けて見えたのが、芸能関係者の同情を集めている『AERA dot.』のインタビュー記事なのである。「そこで手越は、独立して以来一度も、民放キー局からのオファーはありません、と打ち明けているのです。それは事実なのだから致し方ないとしても、テレビ出演について『無料でも出ますよ』って懇願している。ちょっとねぇ、何というか“売り込み感”がにじみ出ているというか。聞きたくなかったですね。テレビに出ていなくても経営的には困ってないと明かしていまから、独立後も金銭的には問題ないのでしょうが、やはりテレビが恋しいのかと同情しましたね」(スポーツ紙元ジャニーズ担当記者)テレビに『無料でも出る』。そんなことが実現可能なのか。手越が、退所後の緊急会見で「自分の人生を変えた番組」と感謝していた日テレ系バラエティー『世界の果てまでイッテQ!』の番組関係者に聞いてみた。「出演依頼することは100%ないでしょうね。手越さんは退社後の会見でも『イッテQ!』に対して『ノーギャラでも出たい』って言ってくれていたんです。それだけ思い入れのある番組だったということはありがたいのですが、今のスタッフは手越さんに対し、そんな思い入れを持っていないと思いますよ」民放キー局からオファーは届かないが、ユーチューバーとして一定の成功を収め、音楽活動も手を抜いていない「男・手越祐也」(by手越)。それでもテレビに恋々としてしまう発言に、スポットライトを浴び続けたアイドルとしての、何とも微妙なもの寂しさを感じてしまうのはなぜだろうか。〈取材・文/薮入うらら〉
2021年09月17日朝岡聡撮影/山田智絵テレビが今より話題の中心だった時代、ニュースやワイドショーの時間の「顔」は、みんなの関心ごとでもありましたーー。時代の変遷や衝撃、ワクワクを伝えてくれたあの人は、今、どうしているの?現在、コンサート・ソムリエとしても活躍中の朝岡聡さん。その根底には、先輩たちとの出会い、経験が影響していてーー。朝岡聡(あさおか・さとし)1959年、神奈川県出身。慶應義塾大学卒業後、テレビ朝日に入社。『ニュースステーション』の初代スポーツキャスターを務め、スポーツ番組でも活躍。1995年フリーに。コンサート・ソムリエとして、クラシックコンサートの企画構成や司会も行う。近著は『恋とはどんなものかしら 歌劇(オペラ)的恋愛のカタチ』(東京新聞刊)。■テレビの仕事が減ったことが“きっかけ”に 『ニュースステーション』の、元気いっぱいなスポーツキャスターだった印象が強い朝岡聡さん。しかし、実は運動は苦手で、学生時代からクラシック音楽への造詣が深かったという。「35歳でフリーになりましたが、40歳を過ぎたときにテレビの仕事が減ってきたんです。せっかく時間ができたので、好きな音楽をヨーロッパに聴きに行きたいと考え、『音楽の友』という雑誌で連載させてもらうことに。毎月1回、ヨーロッパに行ってオペラを見て、名物を食べ、観光名所へ行って、自分で写真を撮り、原稿を書くという仕事をしました。それが音楽留学のようになって知識も増え、音楽の世界をメインのフィールドにすることに決めたのです。有名な曲を聴いてもらう前に僕がわかりやすく解説をする。そういうスタイルで司会を始め、今はコンサート・ソムリエとして、司会だけでなく企画も行っています」知らない人には敷居が高いオペラやクラシックのコンサートだが、始まる前に朝岡さんが身近な題材やたとえを交えて解説してくれるので、楽しく聴くことができると好評だ。「オペラやクラシックは退屈だと思ってしまう人も多いのですが、楽曲が作られた背景や、『ここでこんな音が鳴ります』といったことを伝えると、が然興味を持って聴いていただけます。お客様に『また聴きに行きたい!』と思ってもらえるようなコンサートにすることが僕の仕事。アナウンサーとして培ってきた話術を生かし、大好きな音楽を紹介できるので、天職だと思っています。絶対に楽しんでいただけますので、ぜひみなさんもいらしてください」息子である朝岡周さんもサックス奏者として活躍している。「小さいころからコンサートに連れていっていたので、音楽に触れる機会は多かったのでしょう。僕の背中を見て、好きなことをして生きていいんだと学んで、音楽の道に進んだのだと思います」朝岡さんがアナウンサーになったのは、『ザ・ベストテン』や『ぴったしカン・カン』を見て、久米宏さんのような司会者に憧れ、クイズやバラエティー番組をやりたかったからだそう。「もちろん希望がすぐに叶うわけではなく、最初の配属はプロレスの実況番組でした。古舘伊知郎さんのかばん持ちを1年やって、アナウンサーのいろはを叩き込まれました。自分で取材をして、自分の言葉でしゃべるスポーツ実況に原稿はありません。そのときの経験が、今のコンサートの司会にも生きています。若いときに古舘さん、ニュースステーションの久米さんという名人に接することができて本当によかったと思っています」取材・文/紀和静
2021年08月23日松永二三男撮影/近藤陽介テレビが今より話題の中心だった時代、ニュースやワイドショーの時間の「顔」は、みんなの関心ごとでもありましたーー。時代の変遷や衝撃、ワクワクを伝えてくれたあの人は、今、どうしているの?ワイドショー『ルックルックこんにちは』メイン司会を勤めていた松永二三男さんを取材。今だから話せる、当時のとっておきの話もうかがいました!松永二三男(まつなが・ふみお)1951年、新潟県出身。明治大学卒業後、日本テレビに入社。プロレス中継やソウルオリンピックの実況、ワイドショー『ルックルックこんにちは』メイン司会などを担当。60歳で定年退職後、フリーとなり、淑徳大学人文学部表現学科教授を4年間務める。■本当にいい人、いい場所に恵まれてきた日本テレビのアナウンサーとして、『全日本プロレス中継』、『NNNきょうの出来事』、『ルックルックこんにちは』などを担当されてきた松永二三男さん。「僕はワイドショーの司会がやりたくて、日本テレビに入社したんです。ちょうど長嶋茂雄さんが現役を引退した年でした。事件も芸能界もスポーツも好きで、それが全部できるのはワイドショー。だから、ルックルックの司会に決まったときはうれしかったです。毎日2時間の生放送で、制作スタッフも100人くらいいて、丁寧に番組を作っていました。人情、夢、宿命や誇りがまざりあった『女ののど自慢』は名物コーナーでした。僕が番組を担当して4年目に視聴率20%を取ったこともあるのですが、『これからは女性の時代だ』という局の方針で司会は交代することに。ルックルックは司会者として20年は続けたかったので今でも心残りです」 『NNNきょうの出来事』では、ジャーナリストの櫻井よしこさんとの思い出も多い。「僕はスポーツ担当で、櫻井さんがニュースをやっていました。ゲストの中畑清さんにスポーツの美学を熱く語ってもらったりして楽しかったですね。櫻井さんはいつもニュースのフロアからスポーツのフロアへ下りてきて、『よろしくお願いします』とスタッフに声をかけるんです。上の立場の人ほど現場に気を遣う……、これは櫻井さんから学ばせてもらいました」1988年のソウルオリンピックでは、日本の金メダルはわずかに4個だけだったが、そのうち2個の実況を担当した。「現地取材を担当した長嶋茂雄さんに同行したりもしていました。水泳の鈴木大地、柔道の斉藤仁両選手が金メダルをとったことが話題になりましたが、私が実況を担当したレスリングの小林孝至、佐藤満両選手も見事金メダルをとりました。あれから33年ですが、小林、佐藤との付き合いは今も続いているんです」フリーにならず、定年まで勤め上げたのには次のような理由があった。「ルックルックの司会がなくなったときはちょうど50歳でした。フリーになるならそこだったと思いますが、子どもの教育費や家のローンもあり、あと10年続けていればなんとかなる計算だったので、サラリーマン人生を選びました。定年後は、ラジオのDJをやった後、ビートたけしさんの実兄である明治大学教授の北野大さんから声をかけていただいて、淑徳大学で放送表現の授業を4年間担当。これまでの人生は本当にいい人、いい場所に恵まれてきたと思っています。僕から日本テレビを取ったら僕はほとんど存在がないくらいです。今回、久々に取材を受けて、またやる気が出てきたので、仕事へのお声がけお待ちしています!」取材・文/紀和静
2021年08月23日松下賢次撮影/山田智絵テレビが今より話題の中心だった時代、ニュースやワイドショーの時間の「顔」は、みんなの関心ごとでもありましたーー。時代の変遷や衝撃、ワクワクを伝えてくれたあの人は、今、どうしているの?スポーツ実況のスペシャリストで『ザ・ベストテン』の司会者としても活躍した、松下賢次さんにお話をうかがいました。松下賢次(まつした・けんじ)1953年、東京都出身。慶應義塾大学卒業後、TBSに入社。35年間アナウンス部に所属し、野球、ゴルフ、サッカー、陸上などスポーツ実況を中心に担当。『ザ・ベストテン』など音楽番組の司会も行う。定年後はフリーとなり、イベントの司会や講演を行う。■「スポーツ実況は年齢とともに難しくなる仕事」ゴルフのマスターズの実況を13回行うなど、スポーツ実況のスペシャリストとして活躍されてきた松下賢次さん。学生時代から落語に親しんできただけあって、その流暢かつウイットに富んだ話術で視聴者の心をつかんできた。「僕がゴルフの実況をやっていたときは、日本人がメジャーで優勝するのは夢であって現実ではないという感じでした。でも、松山英樹選手にとって優勝は夢ではなく、目標だった。メジャーリーグの大谷翔平選手もそうです。骨格も日本人離れしていて、世界というより宇宙を目指している感じがします。テニスの大坂なおみ選手もそうですが、日本人が当たり前のように世界ナンバーワンになる時代が来たことは感慨深いですね」長年、スポーツの世界にいたが、音楽番組『ザ・ベストテン』の司会に抜擢され、黒柳徹子さんとコンビを組むことに。「夕方のニュース番組のスポーツコーナーを担当しているとき、最後はダジャレで締めていたんです。『甲子園は今日どれくらい入っているでしょうか?アルプス一万弱』といった具合に、です。すると視聴率がアップして、NHKを逆転してしまうという事態に。それを見た『ザ・ベストテン』のディレクターが僕を気に入ってくれ、久米宏さんがベストテンを降板する際に、僕をピンチヒッターに指名しました。その後、レギュラー司会者となり、3年ほど番組を担当。当時はアナウンス部もスポーツ局も僕がベストテンをやることに大反対でしたが、1時間の生番組はスポーツと同じですし、やってみることに決めたんです。何よりも黒柳徹子さんとご一緒できたのは財産になりました。彼女の頭の回転スピードについていくのが仕事でしたね。ベストテンの中継はハプニングが多く、スリルがあったことも忘れられません」53歳でアナウンス部から経営企画部へ異動になったが、フリーにはならず定年までTBSで勤め上げることにした。「実はフリーのスポーツ実況の仕事はギャラが安いんです(笑)。まだ子どもも養っていかなければいけなかったし、定年まで残ってから、フリーになりました。ただ、僕は人の名前がすぐに出てこなくなったら、スポーツ実況はするものではないなと考えています。ですから今、マスターズの実況ができますかと言われたら断りますよ(笑)」現在は講演会やイベントの司会の仕事が中心だという松下さん。「コロナ禍で講演会もリモートになりました。反応が伝わってこないので、ウケているのかわからないので寂しいです。早くみなさんの顔を実際に見ながらお話しできる日が来るのを楽しみにしています」取材・文/紀和静
2021年08月22日寺田理恵子撮影/近藤陽介テレビが今より話題の中心だった時代、ニュースやワイドショーの時間の「顔」は、みんなの関心ごとでもありましたーー。時代の変遷や衝撃、ワクワクを伝えてくれたあの人は、今、どうしているの?還暦を迎えた寺田理恵子さんの今を取材しました。寺田理恵子(てらだ・りえこ)1961年、東京都出身。聖心女子大学卒業後、フジテレビに入社。結婚を機に退社しフリーになるも離婚。再婚後に引退したが、死別し復帰。フリーアナとして活躍するほか、認知症サポーターとして朗読ボランティアや教室を開催。9月に『「毎日音読」で人生を変える―活力が出る・若くなる・美しくなる』(さくら舎刊)を刊行予定。■夫と死別、仕事を探すも難航7月に還暦を迎えた寺田理恵子さん。「高齢者のお仲間に入れていただくと、60歳は若いと言われます(笑)。60代という新しいスタートラインに立てて、これからが楽しみです」フジテレビ時代は『オレたち!ひょうきん族』の“2代目ひょうきんアナ”として人気だったが、5年で寿退社した。「その後フリーとなり仕事を続けるも、レギュラー番組を持っていると、『子どもの入学式だから休みます』というわけにはいきません。子どもの成長を見届けていきたいという思いがあり、何度か、レギュラー番組を自ら降板しました」しかし、結婚から9年で離婚し、その後、再婚して仕事は引退することに。ところが51歳のときに夫とは死別してしまう。「お風呂場で倒れてそのまま亡くなったので、心の準備もなく、しばらくはうつのような状態でした。でも、収入が途絶えて、子どもを養っていかないといけないので、仕事を探したんです。アナウンサーの仕事は14年もブランクがあり、とても復帰できるとは思えなかったので、興味のあった介護の仕事をしようと思いました。でも、ことごとく採用されず、やっと採用されたのは事務職。ここでもパソコンが使えず、自分のスキルのなさを悟りました。そんなとき、以前、お仕事を一緒にしていた生島ヒロシさんが声をかけてくださり、もう一度、アナウンサーの仕事をすることになったのです」現在は、「心とからだ磨きの朗読」を主宰し、声に出して文字を読むことの大切さを伝えている。「文字を読むというのは、実はとても奥が深いんです。そのときの自分の気持ちが声に出てしまうので、同じ文章でも人によって読み方が異なります。私は毎日、新聞を声に出して読んでいるのですが、ぜひみなさんもやってみてください。声を出すと脳を刺激して認知症予防にもなりますし、口を開けることで口角が上がって、お顔のたるみ防止にもつながります。腹式呼吸で声を出すので、姿勢もよくなり、お腹もへっこみますよ。9月には『「毎日音読」で人生を変える─活力が出る・若くなる・美しくなる』という音読本も出版し、音読のすばらしさを広めていきたいと思っています」認知症サポーターとして朗読ボランティアも行っている寺田さん。「私の母は認知症を10年患って亡くなりました。あのとき、もっと認知症について学んでおけばよかったと思うことが多く、これからも朗読の力で認知症の方に寄り添っていければと考えています」(取材・文/紀和静)
2021年08月22日露木茂撮影/山田智絵テレビが今より話題の中心だった時代、ニュースやワイドショーの時間の「顔」は、みんなの関心ごとでもありましたーー。時代の変遷や衝撃、ワクワクを伝えてくれたあの人は、今、どうしているの?今だから話せる、当時のとっておきの話もうかがいました! 露木茂(つゆき・しげる)1940年、東京都出身。早稲田大学卒業後、フジテレビに入社。以来38年間、報道番組、音楽番組、バラエティー番組のMCなどで活躍。2002年4月よりフリーとなり、『おはよう!グッデイ』(TBS系)メインキャスターを務める。■番組はスタッフが楽しみながら作らないと「講演やステージの司会がコロナ禍で中止になり、昨年から家にいることが増えました」と語る、露木茂さん。「朝、食事が終わると新聞を複数紙、すみからすみまで読み、それからネットのニュースを見て、気になるものがあればクリックして詳しく見ます。けれど、新聞に比べると深みがなく、物足りない感じは否めません。そして、テレビのニュース番組もあんまりぴりっとしませんね。方向性が定まらず、迷っている時代という印象です。3月に『とくダネ!』の小倉智昭くんが引退したのも象徴的な出来事でした。スタッフも登場する人も世代が変わって、若くなっていると感じます」元日本テレビのアナウンサー・徳光和夫さんとは学生時代からの親友で40年来の仲だが、今年に入ってある誤解を指摘したことがあるという。「『女子アナ』という言葉を作ったのは僕だと徳光が言うのですが、僕はこの言葉は嫌いなので、ラジオ番組で訂正してもらいました。フジテレビ時代、確かに女性アナウンサーの才能を開花させるため、ニュース番組だけではなく、バラエティーや音楽番組などにも登場させることを推進しました。しかし週刊誌のグラビアに登場するようなことを期待していたわけではなく、それぞれの性格に合った番組で頂上を目指していけばいいと考えただけです。僕自身、報道がやりたい、ニュースがやりたいと思っていながらワイドショーに配属され、その中でひとつずつ自分のやりたい仕事の幅を広げていったという経験がありました。女性アナウンサーもきっかけさえつくれば、才能が花開くのではと思ったのです」徳光さんとはテレビ論を交わすことはないが、言わなくても通じるものがある。「仕事がない平日の午後、徳光はBSプレミアムの映画を見ていると言っていました。僕もまったく同じで、お互いそこまでしか言わないんです。『ほかに見るものがないだろ?』と言ってしまったらおしまいなので(笑)。僕は75歳でレギュラーはやめることに決めて番組をすべて降り、今はゲストで出るスタンスです。でも、番組に出ても、スタッフが楽しみながら作っているのを見たことがない。やっぱりスタッフが楽しみながら作らないと、面白い番組はできないと思います。それに比べると、YouTuberたちのほうが面白がって番組を作っているのではないでしょうか」80歳を過ぎても変わらない美声で、元気に仕事を続ける露木さん。「声にハリがなくなったり、滑舌が悪くなったら仕事はやめると決めていますが、まだ大丈夫なうちは、認知症防止もかねて仕事はしていきますよ」取材・文/紀和静
2021年08月18日