(左から)瀧川鯉斗、原田龍二すべてを脱ぎ捨て、世間の荒波と戦う全裸俳優・原田龍二。自らの過ちと対峙して前に進む彼の目には、今も静かな闘志が宿る。そして今回、原田と拳で語り合うのは昨年、真打に昇進した落語家・瀧川鯉斗。かつて名古屋の暴走族総長として名を馳せた彼が、落語家を志したきっかけに迫る─。◆◆◆■暴力に頼った時代「常に命の危険があった」原田今日は楽しみにしてました!鯉斗さんの過去は、そのへんの中途半端なヤンチャ者とはレベルが違うと聞きまして。瀧川たしかに昔は“超”ヤンキーって呼ばれてましたね(笑)。僕も原田さんとの対談を楽しみにしていました。原田表のテーマは反省ですが、濃厚な人生を生きている方に人生観を聞くという裏テーマもあるんですよ。ちなみに、反省という言葉からは何を連想しますか?瀧川やっぱり、10代のころにおイタをしていたことを思い出しますね。今は落語家として言葉の表現を知りましたが、当時は暴力で人を傷つけて怒りを表現していたのは、本当に申し訳ないです。原田とはいえ、自分自身も痛い目に遭ったでしょう?瀧川遭いました!暴走族時代に100対100の抗争が起きて、最終的に総長同士でタイマンを張ったんですよ。そのときに、頭を12針縫う大ケガをしました。原田12針!瀧川相手が金属バットを持っていたので、それでやられちゃいましたね。原田鯉斗さんはなにか武器を持っていたんですか?瀧川いえ、素手でした。僕が持っていたのは財布だけです(笑)。原田卑怯な相手だ!でも、そのとき死んでいてもおかしくなかったですね。瀧川はい、命は大事です。あのころは、バイクで暴走行為もしていたので、常に命の危険がありましたね。原田当時を知っている仲間たちは、今の鯉斗さんを見て驚いてるんじゃないですか?瀧川驚いてます!瀧川鯉昇師匠に弟子入りしてすぐのころ地元に帰ったときに「総長、今何してるんスか?」と聞かれて、ICレコーダーに録音した師匠の落語を聞かせたんですよ。みんな真剣に最後の“下げ”まで聞いてひと言「総長、俺には無理です!」と言われました(笑)。原田アハハ!総長の背中を追うつもりだったのかな。瀧川落語家を目指す後輩はいませんでしたが、僕の周りのヤンチャなやつらも落語を聞くようになりました。原田鯉斗さんが落語に触れるきっかけになったんですね。■更生した2人、共通点は“母への思い”瀧川そうですね。実は僕、三遊亭小遊三師匠にもすごくかわいがっていただいていて、前座のころはカバン持ちをしていたんです。僕の地元の名古屋公演にも連れていってくれて、高座にも上げてくれました。昔の仲間が、僕の晴れ舞台を見にきてくれたんです。ときには、信号無視で警察に捕まりながら駆けつけてくれました。ただ、小遊三師匠は「鯉斗がいるから、女性の黄色い声援が上がると思ったのに、どす黒い声援が聞こえてきた」と残念がってましたね(笑)。原田熱いですね!瀧川いまだに熱いやつらです。僕らはヤンチャはするけど、縦社会なので上を敬うんですよ。僕が落語家になって下っ端として「座布団返し」や「太鼓」をやってるのを見て、シンパシーを感じてくれたのかもしれないですね。原田やっぱり気になるのが、アウトローな世界にいた鯉斗さんと落語の出会いですよ。落語家になったきっかけを教えてください。瀧川まず、18歳のときに総長を引退したんです。ふと「このままだと母親を悲しませるだけだ」と感じて、すぐに引退を決意しました。原田すごくわかる!実は僕も、昔はただの不良だったんですよ。瀧川そうだったんですか!原田それこそケンカもしたし、いろんなことをやらかしていたので、母には心配かけ通しでした。でも、20歳前後で事務所にスカウトされて、いいきっかけだと思って仕事を始めました。瀧川おお……!原田さんと僕が同世代だったら、仲間になって一緒にケンカをしてたと思います!原田もちろんだよ!(笑)僕自身は、芸能界にまったく興味がなかったから、はじまりはただ親を安心させるためでしたね。それが今でも続いているから、運命だったのかもしれないです。総長引退後はまず何をしたんですか?瀧川すぐに上京して、バイト情報誌に載っていたレストランでコックのバイトを始めました。そのころ、僕は役者を目指していたんですよ。しかも、たまたまバイト先のレストランのオーナーが元ミュージシャンで、芸能の仕事に理解がある人で、いろいろと協力してもらいました。原田すごい偶然ですね!瀧川そうなんです。そのお店では、年に2回、鯉昇師匠が独演会を開いていて、「役者になりたいなら、落語は見ておけ」とオーナーに言われて、初めて落語を見ました。それまでは落語のらの字も知らなかったです。そのとき、師匠が高座にかけていたのは人情噺の「芝浜」。そのあまりの素晴らしさに感動して、打ち上げで弟子入りを志願したんです。原田その日のうちに志願したんですか!師匠もびっくりされたでしょう。瀧川びっくりしてましたね。でも、師匠は突っぱねるでもなく「落語家の仕事場は寄席だから、まずは寄席に行って落語を見てきなさい」と言ってくれて新宿末廣亭に通いました。何度も寄席に行って瀧川鯉昇師匠に弟子入りしたい、とお願いに行ったら「明日から来い」と。師匠に扉を開けてもらいましたね。■“総長”としての自分に足りなかったもの原田いろんな師匠の落語を見ても、瀧川鯉昇師匠以外に考えられなかった?瀧川考えられなかったですね。初めて師匠の落語を聞いたとき、落語を愛して、大事にしている気持ちが伝わってきたんです。そして何より、18歳の若造をひとりの人間として扱ってくれたのは、今も心に残っています。原田芸の素晴らしさと、人間性に惚れたんですね。瀧川そうですね。だって、僕がヤンキーだったころは大人はみんなまともに話を聞いてくれませんでしたからね。でも、師匠はしっかり向き合ってくれて、本当にうれしかった。東京のお父さんです。原田ちなみに、師匠ははみ出した経験は?瀧川師匠は不良ではないですね。ただ……酒絡みでは、よくはみ出してます(笑)。原田なるほど(笑)。でも、分け隔てなく人に接するのは難しいですよね。器の大きさを感じます。瀧川うちの師匠は、僕の個性を尊重してくれるんです。僕が真打になるときに、師匠は「弟子には全員、個性がある。僕は個性を大切にして育てるから、お前に合った落語の表現を教えてきたんだよ」と師匠が話してくれました。僕は昔、信頼と思いやりを持って仲間とつるんではいましたが、“人を育てる”ことはできていなかったな、と師匠の言葉で思い知らされましたね。人としてすごいです。原田鯉斗さん自身も、いろんな修羅場をくぐり抜けてきたから、人を見る目は厳しいと思います。運命の出会いだったんですね。瀧川本当に僕みたいなやつが弟子になったら大変ですよ。違う師匠に弟子入りしていたら前座でやめて故郷に帰っていたと思います。「待ってたぞ!」と言わんばかりに、友達から僕の名前が書かれたヘルメットを渡される、そんな未来が見えます(笑)。原田そうだよね(笑)。人との出会いは人生を左右しますよ。個性を大切にして、これからも輝いてください!瀧川ありがとうございます!【本日の、反省】暴走族の元総長、という強烈な個性を持っている落語家は、これからの時代、特に貴重ですよね。いろいろな経験をしているので、落語にも説得力があるだろうし、バックボーンを知っているほうが彼の高座を楽しめる気がします。一方で、師匠に出会っていなければ命を落としていたかもしれない世界にいたのはたしかです。瀧川鯉昇師匠と鯉斗さんは、出会うべくして出会ったふたりなのかも。今度、彼の落語を聞いてみたいです!《取材・文/大貫未来(清談社)》はらだ・りゅうじ…1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、YouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!たきがわ・こいと…1984年、愛知県出身。中学生のころから反抗期が始まり、高校に入ってすぐに地元の暴走族の十二代目総長を務めた。18歳で総長を引退し、上京後に初めて見た瀧川鯉昇の落語に惚れ込んで弟子入り。2009年に二ツ目、2019年には“令和初の真打”に昇進して話題になった。
2020年09月05日(左から)中田宏、原田龍二お茶の間の人気者から、一転。文春砲が見事に当たり、急降下の展開になってしまった原田龍二。ただひたすら反省をし続ける彼が、同じく世間を騒がせた有名人と語り合う!第13回は、前横浜市長の中田宏。世の中をもっとよくしたいという熱い思いは今でも変わらない!原田の心にも飛び火したようで──。全裸俳優の原田龍二は、酷暑に負けない熱さですべてに全力投球。そして、自ら犯してしまった過ちを胸に刻んで前に進んでいる。今回、原田が手合わせするのは、前横浜市長であり、現在はコメンテーターや政治系ユーチューバーとして活動する中田宏。突如の辞任で世間を騒がせた彼だが、横浜市長時代には前代未聞の濡れ衣を着せられたことがあったという。そんな彼が、いま見ている景色とは──。◆◆◆■中田の反省点とは……原田はじめまして!今日はよろしくお願いします。中田よろしくお願いします!実は僕は政治家でして、横浜市長などをやってました。原田存じ上げております(笑)。この対談は、僕が昨年起こした女性スキャンダルが発端になってまして、反省というテーマでいろんな方とお話をして、生きる力を学ぶという企画なんです。中田女性問題を起こして、その後、力強く生きている、というくくりではなく?原田女性問題じゃなくて大丈夫です……!中田よかった!僕は、「中田の愛人」を名乗る見知らぬ女性に横浜市庁舎で会見を開かれました。濡れ衣を着せられただけなので、女性問題には疎くて(笑)。原田濡れ衣のパンチが強い!当時は、どのように乗り越えたんですか?中田僕の場合は、週刊誌にウソばかり書かれたので、精神的なダメージはあまりなかったんです。私の足を引っ張るための反抗勢力の捏造だ、とすぐにわかったので。原田なぜ陥れられてしまったんでしょう。中田僕は、横浜市長になってからバッサバッサと利権を切りまくっちゃったんですよ。それまで利権で甘い汁を吸っていた連中から利益を取り上げたから、恨みを買ってしまったんです。急速に改革路線を推し進めたので、反抗勢力側は誹謗中傷捏造と、あの手この手で僕をぶっつぶそうとしたということですね。原田そうだったんですね。「政治の世界は足の引っ張り合い」という言葉をよく聞くんですけど、中田さんの場合もまさにそれですよね。恨みを買わずに、改革はできないんでしょうか?中田誰からも恨まれずに改革をするのはありえないですね。ひとつ次善策があるとすれば、なるべく広く理解を求めて味方を作ること。僕はそこが甘かった。多勢に無勢ではなく、多勢に多勢で挑んでいたら、また違う方向に進んだかもしれないです。反省という意味だと、味方作りが足りなかったことかな。■政治は“自分の暮らし”原田日本国民の生活を豊かにするために政党とかの垣根をなくして「みんなで日本をいい国にしよう」と考えたら、足を引っ張り合ってる場合じゃないと思うんですけど、難しいんですかね?中田例えば、100人以下のコミュニティーなら一致団結できると思う。でも、一都市、一国ともなるとモノの考え方は多様化する。ましてや、自分の利益を守ろうとする人のパワーはすさまじいので、なかなか「みんなで国をよくする」という考えではまとまらないのが現状です。原田国会には、志と教養がある人々が集まってるのに、その英知が活かされていないのが不思議なんですよね。新型コロナや大規模災害など、いろいろな事象が起きているなかで“人の暮らしが豊かになる”とはどういうことかを考えて、政治に関心を持つようになりました。中田そう言ってもらえるとすごくうれしい!政治は難しい、興味がないと感じている人が多いんですけど、それは違います。政治は“自分の暮らし”であり、自分ごとなんです。原田そうなんですよ!中田もっと多くの人が社会に関心を払って目を光らせていれば、政治家は間違いなく手を抜けなくなります。ところが、今の日本は、政治に関心を持っていない人が多い。投票率低いでしょ。だからムダに思える利権がスルスルと入り込んでいるのはたしかです。利権が温存されているのは、私たち国民の目が厳しくないから。原田中田さんが、政治家を志したきっかけについてもお聞きしたいです。中田僕は政治家の家系ではなくて、普通のサラリーマン家庭で育ちました。ただ、世の中に対してたくさんの疑問を抱いていたので、それらの疑問を解決したくて、政治の道に進んだんです。原田具体的には、どんな疑問を感じていたんですか?中田いちばん最初に感じたのは高校生のころ。駅の周辺に放置自転車がたくさん置いてあるのを見て「どうしてこんな状況になるんだ」と不思議でしょうがなかったんです。原田「駐輪禁止」の貼り紙があってもおかまいなしですね。中田そう。放置自転車問題は、自然現象でもなんでもなくて、人が決めたルールと人の振る舞いの結果でしょ。“なるほど、社会は誰かがルールを決めているんだ”という当たり前のことに気づいて、やがて、政治に関心を持つようになりました。■YouTubeで伝える「政治」原田たしかに、放置自転車問題は、神様が作ったものでもなんでもないですよね。中田さんのように世の中に疑問を抱ける人は、選ばれた人だと思います。僕は放置自転車を見てイヤな気持ちになっても、すぐ忘れてしまうから「じゃあ俺が街を変える!」とは、なかなかなれないんですよね。中田いやいや、原田さんのように関心を持つことが大事です。だから、関心を持ってもらうために、YouTubeで「中田宏チャンネル」という無料動画を上げ、日本や世界情勢を解説してます。原田動画拝見しました!すごくわかりやすかったです。中田僕の見解を押しつけるのではなく、なるべくわかりやすく伝えるように心がけています。今度、原田さんの疑問にもお答えします!原田ありがとうございます!原田最近、「豊かな生活を送る方法」を子どもたちにどう伝えていくべきかについて、考えているんですよ。例えば、学校の授業では、普段出会えないようなおもしろい人生を歩んできた人が子どもたちに話をする機会を設けられないものかな、とか。そうすれば、子どもたちがいろんな価値観に触れられると思うんです。中田たしかに、社会の仕組みとして子どもたちに考える機会を与えるのは重要です。その一方で、親自身もわが子にいろんな価値観を伝えていく責任もありますよね。原田まずは自分の周りと。中田僕は横浜で子どもを育てたんだけど、都市は、お金を払えばたいていのものが手に入るきわめて人工的な街です。そこで、子どもに“何もない大変さ”を知ってもらうために毎年、夏休みに子どもたちを連れて「四国八十八か所」を巡っていました。行き帰りの飛行機以外は、1200キロすべて歩きました。原田すごいですね!お子さんたちに文句を言われませんでした?中田小学4年生くらいにスタートしたから、文句は言わなかったね。八十八の寺を巡って納経帳に御朱印をもらうという流れが「スタンプラリー」みたいで楽しめたのかもしれない(笑)。お遍路は僕のやり方だけど、いろんな価値観や道徳心を子どもに伝えていくのは、親の重要な役目だと思いますね。原田なるほど。実は僕、毎晩、近所のゴミ拾いを日課にしているんです。家の前の公園や、小さい子が遊ぶ砂場のゴミを拾って、自宅に持ち帰って捨てています。僕の行動を見ていたからか、うちの子どもたちはゴミをそのまま放置しないし、ポイ捨てなんて絶対にしません。もしかしたら、少なからず僕の道徳心が伝わっているのかもしれないですね。中田素晴らしい!僕は横浜市長のときにゴミの分別の仕組みを導入しました。以前、全国のゴミ事情を研究したことがあるのですが、ゴミの分別が多い地域はポイ捨てが少ないことがわかりました。幼いころからゴミの分別に親しんでいたら、成長してもポイ捨てしなくなる。原田家は、親の姿を見せることで善の循環につながってるんですね。いやー、今日は本当にいい対談だなあ。あと3回くらいやりたいよ!原田アハハ!■本日の反省原田中田さんはいろんな知識もあるし、すごくクレバーですよね。視野が広くて多面的に物事をとらえていて、とても勉強になりました。人が豊かに生きるヒントも教えてもらいましたね。今は人々と政治をつなげるお仕事をしているけど、もう1度、政治の中心に行ってかき混ぜてほしい!過去に経験された苦い思い出もあると思いますが、再び政界に戻られたら、中田さんの味方になって応援します。今日は熱い思いに触れられて大収穫でした!PROFILE●原田龍二(はらだ・りゅうじ)●1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、期間限定でYouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!PROFILE●中田宏(なかだ・ひろし)●1964年、神奈川県生まれ。青山学院大学経済学部を卒業後、松下政経塾入塾。1993年、旧神奈川1区で衆議院議員に初当選、通算4期務める。2002年に政令市最年少で横浜市長に就任し、行財政改革を推進し約1兆円の債務を縮減する。2009年に退任。現在は、青山学院大学客員教授を務める。座右の銘は「先憂後楽」、趣味は『男はつらいよ』鑑賞。(取材・文/大貫未来(清談社))
2020年08月29日原田龍二、宮崎謙介芸能界という荒波に全裸で立ち向かう漢・原田龍二。そんな彼が、“文春砲”に当たったのは令和元年初夏のこと。そして、今回の対談相手の宮崎謙介もまた、かつて文春砲の標的となり、衆議院議員を辞職、国民への謝罪会見も行った。“他人とは思えない”共通点を持つふたりが今、言葉を交わす!■番組での不倫イジリは「本当に嫌でした」原田宮崎さんには、ラジオのゲストにも来てもらって、ご縁がありますよね。宮崎そうですね。実は、陰で原田さんのことを“アニキ”って呼んでます!原田うれしいなー!(笑)この連載のテーマは反省なんですけど、先日、僕の不祥事は報道から1年たちました。宮崎おめでとうございます!まだ1年ですか!原田めでたくはないけど(苦笑)、1年たっても反省は続きますね。一生、反省です。―宮崎さんはいかがですか?宮崎僕は4年半ほどたちましたが、年を経るごとに反省すべき事象の見え方が変わっているのを感じます。原田たしかに、自分が立っている場所は変化しますよね。宮崎実は私、こう見えて2年間くらいふさぎ込んでいた時期があったんです。でも、3年目あたりから、自分の罪と向き合えていないことに気がついて、もう1度火の中に飛び込もう、と思ってテレビに出始めたんですよ。どの番組に出てもイジられるし、お叱りを受けるんですけど、以前はそういう場に行くのが本当にイヤでした……。■宮崎「『ガキ使』で前向きになれました」原田わかります。僕も(司会を務めている)『5時に夢中!』(TOKYOMX)で、自分のスキャンダル記事を読み上げましたから……。それに、2年間も期間があいてしまうと、余計に出づらくなりますよね。宮崎そうなんです。特に初めのころは、夫婦で番組に呼ばれていたので、嫁は上がり、私は下がるという構図。当たり前なんですけど、その構図で逆ギレしなきゃいけないパターンもあって、精神的にツラい時期もありました。でも、何回も斬られにいくうちに、世間のみなさんの反応も変わってくるんですよね。スタッフさんも最近は「申し訳ない」という空気になってきて、気持ち的にもラクになりました。最近は、すべてを受け止めて「あのことがあってよかった」と思えるようになりました。もちろん、いいことだとは思ってないですけどね。原田宮崎さんは達観してますよね。僕も、スキャンダルを起こさない人生よりも、今の人生のほうが充実していると思うんですよ。宮崎わかります。開き直っているわけじゃないけど、過去の過ちがあったからこそ、今の自分がいる。一生忘れられない反省材料があるからこそ、これからの人生が楽しみになりました。原田僕も同じ気持ちです!宮崎それこそ、昨年の大みそかに原田さんと出させていただいた『笑ってはいけない 青春ハイスクール24時』(日本テレビ系)なんて、何もなかったら呼ばれませんからね(笑)。放送後には、いろんな反響やコメントをたくさんもらって、さらに前向きになれました。原田アハハ!あのシーンの、宮崎ご夫妻の存在感は半端じゃなかったですよ!どんなコメントが来たんですか?宮崎友達から、「最高!」「まさかあそこで出てくるとは!」っていうメッセージが、50件くらい届きました。録画してあとで見ているのか、数日間にわたって送られてきましたね(笑)。原田ご友人たちにとっても、かなりのインパクトだったんですね。宮崎さんとは撮影の日が初対面で、僕は当日の衣装のままご挨拶に行きました。宮崎そうそう、感動しました!本番はものすごく緊張して、2行だけのセリフを手にメモしたんですけど、汗でにじんで読めませんでした(笑)。■“妻に助けられた”という共通点原田人と人の間にセリフをはさむほうが緊張すると思いますよ。僕なんて小道具の磁石を忘れて前に出て、何食わぬ顔で取りに戻りましたからね(笑)。宮崎最高でした。原田さんと(共演した)袴田吉彦さんという、二大巨頭のすさまじさを肌で感じましたよ。実は、一昨年に所属事務所が「(出演の)営業をかけましょうか?」といってくれていたんですけど、そのときは精神的に前向きになれず、お断りしてたんです。原田そうだったんですか!宮崎でも、この1年でいろんな人に斬られまくったことで気持ちも変化して、参加させてもらいました。原田さんと共演できたタイミングも含めると、本当に巡りあわせですよね。原田本当にご縁ですね。そして僕らには、もうひとつ、“妻に助けられた”という共通点がありますよね。宮崎それは大きいです。原田奥様の金子恵美さんとは、あの収録でお会いしただけですが、テレビで拝見したり、周りの人から聞くにつけ、とてもステキな女性ですね。宮崎ありがとうございます!原田うちのカミさんもよくできた人間で、こんな僕でも捨てられずに、今も家族と過ごせている。本当にひとり身じゃなくてよかったなと思っています。まあ、ひとりだったら不倫にならないんですけど。宮崎そうですね(笑)。たしかに私自身も、復帰して立ち直る過程で、家族の存在は本当に支えになりましたね。ただ、彼女のなかでは相当葛藤があったと思います。選挙には出馬しなければならないし、地元を預かっている立場で私の不祥事が発覚したんです。支援者のほぼ100%が「離婚しろ、離婚しないと応援しない」と言ってきていたんですよ。彼女はそれを突っぱねて「私の中には、離婚という文字はありません」と言って、戦ってくれました。原田ロックですね!金子さんはとても強い女性ですよね。女性は本当に強い。■主夫のモデルを提示していきたい宮崎私も、なんでここまで戦ってくれるんだろうと不思議でした。どうやら、スキャンダルが発覚したときの私の“初動”がよかったらしいんですよ。私は文春が記事を事務所に送ってくる前に不穏な空気を察知して、まず最初に妻に話をしてから、記事が出るまでの1週間で各方面に対応しました。沈まずに前向きに行動していたのが、彼女に響いたようです。原田もしかしたら、金子さんは宮崎さんの人間性や、エネルギーに惹かれているのかもしれないですね。宮崎どうなんでしょうね。妻がインタビューを受けると、決まって「謙介さんのどこがよかったんですか?」と、聞かれるんですよ。そのときどきでニュアンスは違うんですけど、彼女は「何があっても乗り越えていける生命力を感じる」と言ってました。原田生きる力は、授かりものでもありますからね。僕も宮崎さんから生命力を感じます。僕も、人より根性があると思っているので、これからは“失敗をした人間のモデル”として、みなさんに元気を届けたい。全力で仕事をして世間の人に笑ってもらって「原田龍二も元気にやれてるんだな」と思ってもらえれば、それでOK。たくさんの人に迷惑をかけてしまったけど、謝罪の気持ちを込めて、これからの仕事ぶりで返していきたいです。宮崎そうですね。私も今後は主夫であることを打ち出して、夫や父のモデルを提示していく予定です。主夫といっても専業主夫になるのではなくて、家庭中心の生活にシフトしています。原田素晴らしいですね!宮崎きっかけは息子です。4歳の息子が日々成長していく姿を見逃したくないので、家庭第一に切り替えました。保育園から幼稚園に切り替えて、私が送り迎えと、お弁当作りを担当しています。仕事は午前中に詰め込んだり、どうしても無理なときは妻と交代でお迎えしてます。原田4歳は本当に可愛いですよね!その愛は、きっとお子さんに伝わっていると思いますよ。宮崎そうなんです。毎日、可愛さが更新されてます!伝わってるといいなあ。【本日の、反省】宮崎さんから「不倫騒動後の初動のよさ」というお話がありましたが、彼はいま自分がどう発言すべきか、どう行動すべきかが見えている方ですよね。自分が歩むべき人生を選べる人なので、センスのよさを感じました。今は政治の世界から身を引いているけど、エリートコースしか知らない人よりも酸いも甘いも心得ている宮崎さんなら、もっとたくさんの人に寄り添えるはず。政治家としての宮崎さんをもう1度見てみたいですよね。《取材・文/大貫未来(清談社)》はらだ・りゅうじ…1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、期間限定でYouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!みやざき・けんすけ…1981年1月、東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、日本生命保険相互会社、ITベンチャーを経て、’07年に東大・京大生に特化した就職支援事業の株式会社ネオトラディションを設立。’12年に31歳で衆議院議員に立候補、小選挙区で当選し、衆議院議員を2期務める。日本中を巻き込んだ騒動後、’16年に辞職し、8infinity株式会社を設立。現在はメディアでも活躍中。
2020年08月08日(写真左から)原田龍二、田村亮人生の景色が一変するほどのスキャンダルを起こしてから、約1年。全裸俳優・原田龍二は、今日も自らの過ちと向き合い続けている。そして昨年、くしくも原田と同時期に“闇営業問題”で世間の耳目を集めたのがロンドンブーツ1号2号の田村亮、その人だ。同年代のふたりが反省をテーマに、この1年を振り返る──。■周りに騒がれると、本人は冷静でいられなくなっちゃう原田亮くん、お久しぶり!田村お久しぶりです!今日は本当に楽しみにしてたんですよ。原田僕も楽しみにしてました。亮くんとは1歳違いで、プロレス好きという共通点があるから、また一緒に仕事ができてうれしいよ。ただ、この連載のテーマは“反省”なんだよね……。田村去年はお互いにいろいろありすぎましたからね……。本当にいろんな人に迷惑をかけてしまいました。原田僕はもともと、世間のニュースに興味がないんだけど、僕自身がその中心になってからは、もっと気にならなくなったかな。もう、この1年は自分自身と向き合い続けてるよ。田村わかります。今もいろいろなスキャンダルが出てるけど「騒がないであげて!」って思うようになりました。周りに騒がれると、本人は冷静でいられなくなっちゃうんですよね。原田そうだよね。亮くんは1月から仕事に復帰してるけど、謹慎中はどんなふうに過ごしていたの?田村謹慎直後の3か月間は、プライベートでは一切外に出ませんでした。当時、足の小指を骨折していたので、通院以外はずっと家にいましたね。家の周辺にはマスコミが張っていて、奥さんや子どもたちが「怪しい人がいる」と報告してくれて、その日は病院にも行かなかった。もし僕が私用で外に出て週刊誌に撮られたら、迷惑をかけた人たちはイラッとするやろなと思うと、外出する気になれませんでしたね。原田徹底してるね。田村でも、家族にはすごく気を遣わせてしまったと思います。本当にずっと家にいたから、息子2人はしんどかったんやないかな。親として子どもにどう接したらいいかもわからなくなっちゃいました。例えば、「勉強しろ」って叱るにしても「こんな俺が子どもを叱っていいのか……?」と、迷ってばかり。あのころは、ずーっと何かしら考えていたけど、あまり記憶がないんですよ。原田たしかに、僕も記憶があいまいな部分はあるな。ただ、まずはカミさんを安心させなきゃと思って、ふたりの時間を大切にしたかな。優しい言葉をかけ続けるのではなく、一緒に散歩に出たり、いろんな話をしたり……今では「あのときがいちばん思いやりがあった」なんて言われちゃってるんだけどね(笑)。田村すごいなあ。僕は自分のことでいっぱいいっぱいで奥さんを大事にできてなかったと思います。むしろ、奥さんに気を遣わせてしまった。原田いや、僕と亮くんでは犯したことの種類が違うから、対応も違うよ!田村なるほど、それもそうですね(笑)。当時は、自分が犯したことに対する世間の意見を全部受け止めようと思って、報道やネットニュース、SNSに至るまですべて見てました。みんな言いたい放題で「ちゃうんやけどな〜」と思うこともあれば、なかには正論もあって、かなり勉強になりました。原田僕は、報道やSNSは一切見なかったな。人の意見を気にして一喜一憂したくないし、怒っている人全員に説明して歩くわけにもいかないからね。特に僕はスキャンダルの内容上、家族と向き合うのが最優先だったから。田村たしかに、世間や周囲との向き合い方は内容によって変わりますね。■骨折を2回続けてしたのはさすがに…田村基本的に家からは出なかったんですけど、謹慎と同時に特殊詐欺の啓発活動を始めたんです。デイサービスに行って、お年寄りに特殊詐欺の危険性についてお話しする、という活動です。原田おお、すごくいいね!田村ひっそりやりたかったんですけど、7月に初めて行ったときは記者につけられていて結局、報道されちゃいました。しかも、1回目の活動直後に、予想外のことが起きて、小指の完治が確定する前日に、同じ足の薬指が折れたんですよ。原田ええ!?何があったの!?田村家のソファの脚に引っかけました。実は、小指も同じ理由で折ったんですよ。病院の先生も「笑ってはいけないんですけど、小指はきれいにくっつきましたが、薬指は折れてますね」と、笑いをこらえてました。原田そんなことあるんだね……。田村小指が完治したあとに活動の回数を増やす予定だったので、サポートをしてくれる人にも迷惑をかけてしまって……。落ちるときはとことん落ちるんやな、と思いましたね。普段は興味ないんですけど、このときばかりは“お祓い”に行きました。いろんなことが重なって、メンタルがどん底まで落ちましたね。原田たしかに、そういうことが続くと落ちるよね。ちなみに、謹慎中は(田村)淳くんとは話をしたの?田村ときどき家に来てくれました。淳は「お前いいかげん外に出ろ。俺が今日ここに来ても、記者は1人もいなかったぞ」と、何度も説得してくれたので、9月の終わりに久々に近所のスーパーに買い物に出たんです。原田淳くんが背中を押してくれたんだ。田村近所といっても、誰にも会いたくないから、少し遠くのスーパーまで歩きました。奥さんに料理を作ってあげよう、と思って食材を選んでいたら店内がざわつきはじめて、パッと後ろを振り返ると『ヒルナンデス!』のロケで、陣内智則さんとSHELLYが来ていたんですよ。原田マジで!?田村マジです。騒動後に初めて私用で外出したらそんな目に遭ったので、また出たくなくなりました。でも、9月の終わりには薬指も完治して啓発活動に行くようになって、近所でのランニングを始めたら気持ちも変化してきましたね。原田僕も仕事が減って以降、毎日走るようになった!とにかく動いてないと、おかしくなっちゃいそうだったから……。田村わかります。身体を動かすと、気持ち的に前向きになれますよね。何より、啓発活動で出会ったお年寄りから「あんたは大丈夫!」と背中を叩いてもらったら、どんどん気持ちがラクになりました。お年寄りからの言葉はすごく励みになりましたね。原田人生の先輩の言葉には、重みがあるよね。■淳がいたから仕事を続ける決心がついた原田今日、話を聞いて思ったけど、淳くんがいてくれて本当によかったね。田村そうですね。今回の件がなかったら、今もこんなに淳と話をする機会がなかったかもしれないです。淳に「仕事を続けたいの?」と聞かれたときに「その気持ちはある」と答えて、自分の気持ちを再認識できました。今の状況と向き合って全力で復帰に取り組まないと、迷惑をかけた人に対して申し訳ない。全力でやった結果、メシが食えなかったら、それは僕の責任やから。それに、謹慎中の薬指骨折や『ヒルナンデス!』ロケ遭遇なんて、トークのネタになりそうな出来事が続いたので「まだこの世界にいていいってことかな」なんて勝手に思ってます。今後の目標は、息子たちには「親父、楽しそうだな」と思われることです。原田同感!うちの息子も僕を軽蔑してるかもしれないけど、どん底から這い上がる姿を見せて「親父すげえな」って見直してくれるチャンスだと思ってるよ。田村そうそう!僕は「仕事がないのに、お父さん楽しそう」って思ってもらいたいです。カッコいい背中は見せられそうにないから(笑)。原田楽しそうに過ごしていれば、いずれ“カッコいい親父の背中”になると思うよ!【本日の、反省】亮くんは、もともとすごく好きな芸人さんのひとり。久々にひざを突き合わせて話をしたけど、やっぱりまじめで不器用な“愛される人”でした。もしも亮くんが本当にダメな人だったら、相方の淳くんも手を差しのべていなかったかもしれない。きっと、ふたりはお互いを理解して長い時間をかけて信頼関係を築いていたからこそ、今回も手を取り合えたんじゃないでしょうか。これからロンドンブーツ1号2号はより輝いていくと思います!たむら・りょう1972年1月8日 生まれ。大阪府高槻市出身。’93年に「ロンドンブーツ 1号2号」を結成。テレビ、ラジオなどを中心に数々のレギュラー番組を持ち人気を博す。現在のレギュラー番組はEX『ロンドンハーツ』、MBSラジオ『オレたちゴチャ・まぜっ!〜集まれヤンヤン』、釣りビジョン『勝手に番組ジャック』、BS12『MBの俺のドラ1』、TOKYO MX『あたり前じゃねぇからな!TV』、渋谷クロスFM『ロンブー亮とSHIBUYAを学ぶ』など。はらだ・りゅうじ1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、期間限定でYouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!取材・文/大貫未来(清談社)
2020年07月25日永瀬正敏と原田知世が、大森立嗣監督作『星の子』に出演することが決定。主演・芦田愛菜の両親役を演じる永瀬さん、原田さんの2人も登場する特報映像と場面写真も到着した。永瀬さんと原田さんは、同じ1983年にスクリーンデビュー。夫婦役では『紙屋悦子の青春』以来、実に14年ぶり、2度目の共演。本作では、芦田さん演じる中学3年生の少女ちひろの成長を愛情たっぷりに見守る一方、かつて病弱だったちひろを救った“水”と、その水を販売する“あやしい宗教”を深く信じてしまう両親役を演じる。そのせいで家が日に日に貧乏になり、またフリーマーケットで買ったお揃いの緑ジャージしか着なくなる…。永瀬さんは「信じる事の“純粋さ”と、ある意味“狂気”を家族と言うかけがえのないものの中でどう表現していくのか?大森立嗣監督の真っ向からのチャレンジを芦田愛菜さん、原田知世さん方と共に、旅出来た事はとても光栄でした」と今作への参加をふり返り、原田さんとの共演については「“信じるものがばっちり一致している夫婦”の役でしたが、知世さんの演技を見て、感情がパッと浮かび上がるような感覚があり、だいぶリードしてもらった気がします」と抜群のコンビネーションを発揮した様子。原田さんは「今まで演じたことのない新しい役でした。ほかの人から見るとちょっと奇妙に見えたりする部分もあるのですが、子供を深く愛していて、夫婦が同じ方向を見て共に手を取って歩んでいる」と自身の役柄について語り、「成長していく娘との一つ一つのシーンを演じていく中で、愛おしさが溢れ、同じ思いで娘を見つめる父、永瀬正敏さんの穏やかな温もりに支えられながら、ラストシーンを迎えることが出来ました。この作品に参加できたことをとてもしあわせに思います」とコメントしている。一方、芦田さんは「お二人とも本当の両親みたいにあたたかく接してくださり、待ち時間にもたくさんお話ができてとても嬉しかったです」と2人との共演について語っている。到着した映像では、思春期を思い悩み、ひとり遠くを見つめたり、何かから逃げるように街を駆け抜けたりするちひろの様子や、ジャージを着て頭にタオルを乗せ、水を掛け合う両親の姿が切り取られている。さらに、「私、この水飲むと風邪引かないんです」と先生に語るちひろのセリフからは、あやしい宗教を深く信じている両親に対する複雑な感情が垣間見える。『星の子』は10月、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)■関連作品:星の子 2020年10月、全国にて公開予定©2020「星の子」製作委員会
2020年07月21日映画『すばらしき世界』が、2021年2月11日(木・祝)に全国公開される。西川美和監督最新作、直木賞作家・佐木隆三の小説「身分帳」が原案『蛇イチゴ』『ゆれる』など、これまでオリジナルにこだわり続けてきた映画監督・西川美和。『すばらしき世界』は、西川にとって、キャリア初となる小説を基に製作にした濃密な人間ドラマだ。原案となるのは、小説「復讐するは我にあり」で直木賞を受賞した佐木隆三が、1990年に刊行した「身分帳」。映画では、舞台を約35年後に移し、現代の物語としてリアルに映し出す。小説「身分帳」とはー人生の大半を獄中で暮らした男には、戸籍がなかった。出所して改めて日常社会と向かい合い、純粋な魂の持ち主であるこの人物はどう生きたか。彼に代ってその数奇な“身分帳”(刑務所内の個人記録)を精緻に構成して、鮮烈な文学作品に結実させた労作。主演は役所広司ストーリーの主人公は、人生の大半を刑務所で過ごし、社会から“置いてけぼり”を食らいながらもまっすぐ過ぎる三上という男。演じるのは、日本を代表する名優・役所広司だ。2018年公開の主演映画『孤狼の血』では、『Shall we ダンス?』『うなぎ』に続き、自身3度目の日本アカデミー賞・最優秀主演男優賞受賞。圧巻の演技力で、国内外から高い評価評価を受ける役所は、『すばらしき世界』について下記のようにコメント。役所広司コメント三上という得体のしれない男の役を頂きました。面白さと難しさを感じました。今日撮影したシーンを明日撮るシーンの手掛かりにしながら、最後までこの男はどんな人間なんだろう?と自分に問いかけていました。人生のほとんどを刑務所の中で過ごした男が出所してから見た私たちの世界は、本当にすばらしい世界なんだろうか?タイトルの『すばらしき世界』をお客様がどのように感じるのか?楽しみです。脇を固める豪華キャスト陣作品のカギを握るキャストにも、名実ともに豪華な面々が勢揃い。三上が自らテレビ局へ送った、刑務所内の個人台帳である「身分帳」を手にするテレビディレクターは、『タロウのバカ』『泣く子はいねぇが』出演の仲野太賀。また、三上が更生してゆく様子をテレビ番組にしようと、獲物を狙うように近づくテレビプロデューサーは、『コンフィデンスマンJP プリンセス編』『MOTHER マザー』など、立て続けに出演作の公開を控える女優・長澤まさみが務める。その他、橋爪功や梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、安田成美らが名を連ねる。第45回トロント国際映画祭正式出品なお映画『すばらしき世界』は、北米最大の国際映画祭である「トロント国際映画祭」正式出品が決定。西川監督作品の中で本映画祭への出品は3作品連続の快挙となる。ストーリー下町の片隅で暮らす短気ですぐカッとなる三上は、強面の見た目に反して、優しくて真っ直ぐすぎて困っている人を放っておけない男。しかし彼は、人生の大半を刑務所で暮らした元殺人犯だった。一度社会のレールを外れるも何とか再生しようと悪戦苦闘する三上に、若手テレビマンの津乃田と吉澤がすり寄りネタにしようと目論むが…。三上の過去と今を追ううちに、逆に思いもよらないものを目撃していく―。【詳細】『すばらしき世界』公開日:2021年2月11日(木・祝)監督:西川美和脚本:西川美和出演:役所広司、仲野太賀、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、長澤まさみ、安田成美原案:佐木隆三著「身分帳」(講談社文庫刊)配給:ワーナー・ブラザース映画
2020年07月11日佐木隆三の小説「身分帳」を原案に、西川美和監督がメガホンをとる映画のタイトルが、このほど『すばらしき世界』に決定。役所広司、仲野太賀、長澤まさみらキャストも明らかになった。「今度こそ、まっとうに生きる!」13年の刑期を終えた三上を待っていたのは、目まぐるしく変化する想像もつかない世界だった。三上に近づき、彼の姿を面白おかしく番組にしようする2人の若手テレビマン。まっすぐ過ぎるが故にトラブルばかりの元・殺人犯が、いつしか彼らの人生を変えてしまう――!?これまで、一貫してオリジナルにこだわり続けた西川監督が、初めて実在の人物をモデルとした小説を基に、その舞台を約35年後の現代に置き換え、徹底した取材を通じて脚本・映画化に挑む。本作の主演を務めるのは名優・役所広司。人生の大半を刑務所で過ごし、まっすぐ過ぎる性格とどこか憎めない魅力で周囲の人々と繋がっていく三上役を演じる。「いつか西川監督作品に参加したいと思っていました」と語る役所さんは、今回の役どころについて「得体のしれない男の役」と語り、「今日撮影したシーンを明日撮るシーンの手掛かりにしながら、最後までこの男はどんな人間なんだろう?と自分に問いかけていました」と難しさを感じていたという。また、三上がテレビ局へ送った刑務所内の個人台帳「身分帳」を手にするテレビディレクターを仲野太賀。三上が更生していく様子をテレビ番組にしようと近づくテレビプロデューサーを長澤まさみ。ほかにも、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、安田成美ら豪華キャストが揃っている。「約30年前の小説ですが、これほど『人間と世間』を面白く描いた物語が埋もれていたとは、と映画化を決意しました」と語った西川監督は、「主人公に役所広司さんを迎え、その男のやり直しの日々を現代に置き換えました。生々しくも温かい物語性と、役所さんの凄まじい人間的魅力に引っ張られ、濃密な人間ドラマが仕上がったと思います」と完成へ自信をみせている。『すばらしき世界』は2021年春、全国にて公開予定。(cinemacafe.net)
2020年07月08日(左から)原田龍二、貴闘力コロナ禍で多くの人々が不安を抱えている昨今。全力俳優・原田龍二は、「自粛期間のおかげで、あらためて世の中や自分を見つめ直すことができた」と語る。今回、そんな原田と言葉を交わすゲストは、大相撲元関脇の貴闘力だ。栄華と苦悩の道をひた走ってきた元力士の目に映る景色とは─。◆◆◆■“ゴミ以下だ”と言われ、月の給料は1万円原田今日はよろしくお願いします。僕自身、相撲が大好きで、貴闘力さんの現役時代はもちろん、プロレスの試合も拝見していました。お会いできてうれしいです!貴闘力プロレスも見てくれたんだ(笑)。もちろん、原田さんのことは知ってるけど、若々しいから40代前半だと思ったら、俺と年が近いんですね。原田はい。貴闘力さんよりも少し年下の49歳です。この連載のテーマは“反省”ですが、今日はぜひ、厳しい世界で関脇に上りつめるまでのお話もお聞きしたいです。貴闘力俺の相撲人生は小学校6年のときに先代の貴ノ花親方のところに転がり込んだのが始まり。体験入門で少し部屋に置いてもらって、中学を卒業してすぐに、藤島部屋に入門したんですよ。現役引退後は大鵬部屋付きの親方になって部屋を継ぎました。力士としては、王道をずっと走らせてもらえたから、すごく勉強になりましたよ。原田親方が入門された当時の相撲部屋は、とても厳しいイメージがあるんですけど、どんな生活だったんですか?貴闘力今だったらパワハラで訴えられるけど、入門すると、まず親方に「ゴミ以下だ」と言われて、相応の扱いを受けるんですよ。30人の若い衆が、50畳くらいの部屋で布団を並べて共同生活。ひとりがインフルエンザにかかったら、同室の力士全員がインフルエンザになるような劣悪ぶりだったね。しかも、月の給料は1万円だけ。原田月1万円ですか!?貴闘力そう。食事と部屋だけは確保されてるけど、自分の給料は1万円だから、新品のパンツを買うのも躊躇する金額ですよね(笑)。原田それがイヤなら、強くなって大部屋を出るしかないってことですよね。生活の中でハングリー精神を育むんだ。貴闘力そうそう。金がないからギャンブルもできないし、練習をするしかない。当時は「腕が1センチ太くなった」とか「来週は焼き肉をおごってもらえる」とか、小さな幸せを拾いながら過ごしてました。原田とても前向きですね。■勝ちさえすれば嫌われてもいい貴闘力下っ端は大変だけど、関取になって勝てば給料が月100万円になるから、部屋を出てアパートを借りられる。生活を変えるには、強くなるしかないんです。原田逆に、負け続けると番付が落ちてしまう。本当に実力の世界ですよね。貴闘力本当にまれだけど、大関が序二段まで落ちることもあります。厳しい師匠だと序二段に落ちた瞬間に個室を追い出されて、大部屋の便所掃除からスタート。ただ、悔しさのぶんだけ、番付が上がったときは本当にうれしい。俺も親方をやらせてもらっていたときは「叱咤激励」という気持ちで、若い衆には厳しく接してましたよ。原田親方という立場も難儀ですよね。甘えさせるわけにもいかないし……。貴闘力まあ、本人に実力があるのはわかっているから、信じられました。そこで悔しがれるやつは、のし上がりますよ。原田親方時代のお話も出ましたが、現役を引退する際の“潔さ”も印象的でした。貴闘力横綱以外は、自分で引き際を決められるのが相撲のいいところだと思います。野球やサッカーのように、戦力外通告されることもないし、監督に嫌われてレギュラーをはずされることもない。相撲は土俵の上で勝ちさえすれば、嫌われようが好かれようが上に上がれる。俺はそういう戦いが好きだから“相撲は天職”だと思ってました。原田普通の人なら、プレッシャーに押しつぶされてしまいそう。力だけでなく精神的な強さもないと、生き残れないですよね。貴闘力でもやっぱり、人間だから、いろいろやらかすじゃないですか。食欲、睡眠欲、性欲とあるなかで、俺はギャンブル欲が強くて大変なことになったしね。原田たしかに、僕も欲に負けてしまいました……。貴闘力さんがギャンブルに入れ込んだ理由のひとつは、力士としてのストレスも関係していたんですかね?貴闘力原田さんも実感したと思うけど、“欲”って怖いよね。ストレスもあったかもしれないけど、ギャンブル依存症という病気になってしまったんですよ。病気でもなければ、5億や10億なんて金額にはならない。毎日のように高利貸しに追い込みをかけられていたころは必死に逃げ回って、ほかでお金を借りて返さなきゃならないような状況。地獄の苦しみでした。原田若い衆時代とはまったく違う苦しみですね……。僕はギャンブルはやらないんですけど、この仕事そのものがギャンブルだと思ってるんですよ。貴闘力そうだよね。ただでさえ俳優で食べていけるのはひと握りなのに、仕事がなくなったら、収入もなくなる。今の仕事は何歳からやってるんですか?原田22歳でデビューしたので、だいたい30年近く、この世界にいますね。今まで、仕事がまったくないという時期もなく過ごしているので、本当に感謝してます。貴闘力30年は長いね。俺は相撲から離れてしまったけどどんな仕事もコツコツ続けるのは大変ですよ。今は焼き肉店を経営してるんだけど、まじめに働いているからコロナ禍で営業時間が減ってもある程度は国も助成してくれるので、なんとか耐えられる。変わらずお金には困ってるけど、必死に逃げ回ってたころに比べたら幸せなもんだよ。■借金連続人生は“名字”が原因?原田壮絶な経験を乗り越えて、そう言えるのが本当にすごいですよ!人によっては首を吊ってしまうこともあるじゃないですか。貴闘力いろんな人に迷惑をかけたから、胸を張って乗り越えたとは言えないなあ。でも、失敗だけは何度もしてるから、そのたびに学んで立ち上がるしかないです。原田たしかに失敗から学べないと、そのまま谷底に落ちてしまいますよね。貴闘力いま生業にしている焼き肉店も試行錯誤の連続。一時期は焼き肉店を17店舗経営してたんですよ。原田17店舗はすごいですね!貴闘力でも、ひとりではすべての店を管理できないと感じて店舗数を減らしました。チェーン店のようにマニュアル化できれば広げられるけど、それができなければ、ひとりでは無理ですね。それで今は、店を広げたときの借金に苦しんでます(笑)。たぶん、俺の金借り人生は名字が原因だと思う。原田え?名字ですか?貴闘力俺の名字は「鎌刈」と書くんだけど漢字を分解すると「金」へんを取っても、つくりの「兼」を取っても、訓読みをすると「カネカリ」になるんだよ。原田本当だ!貴闘力自己流の姓名判断だけど、なかなか信憑性があるでしょ。残念ながら、金を借りる天才なんですよ(笑)。原田いろんな意味で、お金との縁が深いんですね。貴闘力原田さんのお仕事も、コロナの影響がすごく出てますよね?原田仕事はだいぶキャンセルになりましたね。自宅で過ごす時間が増えたけど「自分は家族と家にいることができる」と、前向きに考えています。家賃が払えなくて追い出される人もいますからね……。今はネガティブな言葉を使わず、ポジティブに過ごすのがテーマになっています。貴闘力そうそう。マイナスなことばかり考えていてもおもしろくない。俺の若い衆時代じゃないけど、最悪な状況のなかから、小さな楽しみや幸せを見つけて生きていくしかないんだよな。原田過酷な経験をされてる貴闘力さんが言うと、言葉の重みが違いますね……!【本日の、反省】貴闘力さんは厳しい世界を生き抜いてこられた人だから、自分のなかにゆるぎない“武器”があると感じました。聞いたかぎりでは相撲部屋の生活は相当な過酷さだったし、当時の経験が土台にあるからこそ、さまざまな失敗から学んで、苦境から立ち直ることができたのかもしれない。本当の強さを持っていて、なおかつ、その武器をひけらかさない不動の存在ですよね。僕も前向きに生きることを心がけているので、今日の対談はとても勉強になりました!《取材・文/大貫未来(清談社)》たかとうりき・ただしげ◎1967年、兵庫県生まれ。元大相撲力士。2000年3月場所に史上初の幕尻優勝を達成し、2002年9月場所を最後に現役を引退。その後、年寄・16代大嶽を襲名し、大鵬部屋の親方となる。2010年に親方を退き、「焼肉本店ドラゴ」を開店。現在は、経営者として店を切り盛りしながら、引退した力士の再就職も支援するなど、幅広く活動している。ドラゴ横綱通り店/はらだ・りゅうじ◎1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、期間限定でYouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!
2020年06月27日(左から)原田龍二、桐山漣俳優・原田龍二に文春砲が命中してから1年がたった。それでも彼は「年月は関係ない。これからも自分の過ちと向き合うのみ」と語り、自らを鼓舞し続けている。そして今回、原田とともに人生を振り返るのは『仮面ライダーW』で主人公のひとりを演じた、若手人気俳優の桐山漣。気鋭の若手俳優と全裸俳優、異色の俳優対談が実現した。■「“結果さえ出せればいい”なんて思っていました」原田はじめまして!僕のこと知ってる?桐山もちろん知ってますよ!今日は、よろしくお願いします!原田実は、この連載初の俳優ゲストが桐山くんなんですよ。同業同士という意味でも楽しみにしてました。桐山そうなんですね!光栄です。原田ただ、この連載のテーマは“反省”なんだよね……。僕にはぬぐい去れない反省材料があるんだけど、桐山くんにはないでしょ!?どうして来ちゃったの?桐山アハハ!いやいや、反省ばかりですよ。今日はぜひ、人生の先輩に教えを乞いたいと思って来ました。原田僕が教えられることなんて何もないよ(笑)。実は、ある俳優さんから「桐山くんはすごくカッコいいコだよ」っていう話を聞いたことがあったんだよね。しかも、その“カッコいい”は、容姿だけじゃなく内面を含めた言葉だったので、今日は桐山くんが醸し出す“カッコよさ”に迫りたいです。桐山そんな裏情報があったんですね(笑)。原田ちなみに、この世界に入ったきっかけは?桐山僕はずっと音楽が好きで、高校時代はバンドでベースを弾いていたんです。もともと人前に立つことが好きでミュージシャンを目指していました。でも、グループで曲を作ったり、みんなでライブをしたりする作業に向いてないと感じてバンドを抜けたんです。それから「新しいことを始めよう」と思って、人前に立つという共通点がある、役者を目指したのがきっかけですね。ただ、当時は芝居はひとりでやるものと思い込んでいました。原田自分の将来のビジョンを見据えて、向き合いながら道を切り開いてきたんだね。桐山たしかに“自分のやりたいこと”はよく見えているかもしれないです。ただ、当時の「お芝居はひとりでもできる」という考えは違っていましたね。これは僕の人生の反省点でもあります。原田と、いうと?桐山20代前半でこの世界に入らせてもらって、当時は「結果さえ出せればいい」なんて思っていたんです。監督や周囲の人とあまりコミュニケーションをとらず、淡々と仕事をしていたんです。でも、いろいろな現場を経験していくうちに、ひとりで作品を作ることはできないことを知りました。原田そうだね。作品は、お互いに歩み寄って全員で作るものだよね。桐山おっしゃるとおりです。今は監督としっかり話し合って作品に取り組んでいます。バンドでは共同作業は向いてないと感じたけど、今はもっとたくさんの人と関わりながら仕事をしている。本当は人と一緒に作品を作るのが好きなのかもしれないです。原田これまでの経験をしっかり自分に活かしているんだね。一見、関係なさそうに思える経験が仕事につながることもあるし。実は僕、子どものころからゴリラが大好きなんだけど……。桐山ゴ、ゴリラですか!?原田うん。好きな理由は特にないんだけど、動物園に行ったら、まずゴリラを見に行くくらい大好き。そして何の因果か、ある番組の企画でジャングルにマウンテンゴリラを探しに行くことになったんだよ。それぞれが明確につながっているわけじゃないけど、少なからず僕のゴリラ好きが影響して、ご縁をいただけたのかもしれない。桐山くんが過去にバンド活動をしていたことも、今のお芝居の血や肉になってるんじゃないかな。桐山いきなりゴリラが出てきてびっくりしました(笑)。たしかに、自分では気づきにくいけど、これまでの人生が今の自分を形成してるのはたしかですよね。■「原田さんて本当に“丸裸”ですよね」桐山今日、原田さんにお会いするのをすごく楽しみにしていたんですけど、大先輩だし怖い人だったらどうしよう、という気持ちもあったんです。原田そうなの!?最近は、怖そうって言われないから新鮮だなあ。桐山でも、すごくフランクに接していただいてうれしいです。実は、年末に放送される『笑ってはいけないシリーズ』が大好きで、毎年「原田さんいつ出るのかな」って思いながら見ています。原田アハハ!今日を機に、ただの“おもしろいおじさん”だと思ってもらえたらうれしいな。桐山原田さんって、本当に丸裸じゃないですか。服を着てないという意味じゃなくて、内面もさらけ出しているような気がして、本当にカッコいいです。原田桐山くんだって、仕事だったらやると思うよ!桐山たしかに、仕事だと割り切ることはできるけど、精神的な面で原田さんの域に達することはできない気がするんですよね。原田なんだか照れますね。でも、そう言ってもらうと「あの仕事を引き受けてよかったな」って思うんだよね。オファーが来たときに「これをやったら絶対に自分も楽しいし、見た人も“おもしろい”と思ってくれるはず!」というイメージをして仕事を受けたからポジティブな感想をもらうと、その都度、報われるよ。桐山原田さんは男性のファンも多いですよね。それはきっと、おもしろさの先に“カッコよさ”を感じてるからだと思います。原田周囲の印象が一気に変わる仕事だったから、そのぶんインパクトも大きいですよね。桐山くんはアクションもやっているからわかると思うけど、ハードな仕事は印象深く残るでしょ?桐山そうですね。原田自分を変えるほどの仕事は、見ている人にとっても強い印象を与えると思う。映画『八甲田山』で、高倉健さんが雪の中を真っ白になって進んでいくシーンが脳裏に焼きついてるのも、現場の過酷さを物語ってるからだと思う。それが、僕の場合は年末の裸だったという……(笑)。■イメージを変える難しさに悩む桐山原田さんが全力なのが伝わってくるから、見ている人も楽しめるんですよね。原田さんもおっしゃってたように僕も“おもしろい人”って思われたい願望があって。コミカルな役を演じて「おもしろかった」って感想をいただくのもうれしいんですけど、役を離れた個人を見てほしい、と感じるようになりました。でも、なかなか周りの目が気になっちゃって、自分を出しにくいジレンマも抱えています。原田僕たちは人に見られる仕事だから、大切なことなんだけどね。桐山くんはいま何歳?桐山35歳です。原田たしかに僕も、その年齢のころは違う自分を見てほしいと思っていた気がする。桐山そうなんです。定着したイメージを変える難しさに悩んでいます。原田仕事は巡りあわせだから、自分のイメージを変える仕事にいつ出会えるかわからないよね。僕の場合はいつ何時どんなオファーでも受けるぞ、という心構えはしているかな。ちなみに、桐山くんは友達や身近な人に「かわいい」って言われることはある?桐山ときどきありますね。友人があるインタビューで「桐山は天然」と言っていて、それが意外な意見だったので興味深かったですね。原田天然というのは、いい意味で“スキ”があるってことだよね。天然な部分やかわいい一面を出していくと、新しいチャンスが来るかもしれない。極端な話だけど、桐山くんが「丸腰刑事」をしたらみんなギョッとするし、男性のファンもつくかも(笑)。桐山第2の原田龍二ですね……!そうすると、スキャンダルも起こさないと。原田スキャンダルは起こしちゃダメ!(笑)【本日の、反省】連載初の同業者との対談だったので「僕が彼と同じ年齢のころどうだったかな」と考えながらお話ししました。役者としてがんばっている一方で、違う一面も見てほしいという思いは、僕にもあったのでよくわかります。でも今日話してみて、とてもまじめで素直な桐山くんの魅力を感じました。これからも真摯に仕事に取り組んでいけば、たくさんの人にかわいがってもらえると思う。いつか自分にしかできない役に出会えるんじゃないかな。今度、現場で一緒に仕事がしたいです!《取材・文/大貫未来(清談社)》はらだ・りゅうじ◎1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。現在、期間限定でYouTubeチャンネル「原田龍二の湯〜チューブ!」を配信中!きりやま・れん◎1985年、神奈川県生まれ。2006年から俳優活動をスタート、2009年『仮面ライダーW』では左翔太郎役で主役に抜擢。近年ではNTV『俺のスカート、どこ行った?』、NHK『これは経費で落ちません!』ほか、先日最終回を迎えたNHKのよるドラ『いいね!光源氏くん』では、光源氏のライバル・中将を演じ注目を博す。
2020年06月21日「産後の肥立ちは重要」と昔から言われていますが、私自身、身をもってそう感じた経験があります。そんな時期に別のある病気にも悩まされました。産後1年目、私が「原田病」を発症してしまったときの体験談を紹介します。 朝起きたら目の前が真っ白難産で長女を出産後、長女がNICUへ入院していたため、多少無理をして病院に通っていました。そのため、産後の肥立ちが悪い状態が半年ほど続き、体調にも影響が。産後の肥立ちの大切さを実感しました。 そんな産後の体調不良も、だいぶ回復してきたときのこと。出産から約1年が経ったある日、後頭部が今までにないくらいにガンガンと痛くなりました。 しばらく痛みが続いたので横になり、そのまま夜を迎えました。ところが翌朝、起きたときに、目の前が霧がかかったように真っ白になっていたのです。見えるのはほんの一部という状態でした。 目が見えにくい状態での子育て初めてのことで驚きましたが、一次的なものですぐに落ち着くだろうと思いました。ところが、翌朝になっても変わらぬまま……。 眼科へ行くと総合病院を紹介され、その結果、「原田病」と診断されました。自己免疫疾患の一種で、目の網膜を免疫が攻撃している状況とのことでした。 点眼治療でしたが、目が見えない状態での子育てには厳しいものがありました。子どもの顔もきちんと見えず、家事も大変だったので、実家にお世話になって治療することにしました。 3カ月で症状が落ち着いてきた治療中は、度が強いメガネを作り、それをかけて過ごしました。また、外では日の光でさらに目の前が真っ白になってしまうので、できるだけ外出は控えることに。病院へ行くときはサングラスをかけて家族に手を引いてもらいました。 制限されることはなかったのですが、目が見えない生活は非常に大変だと痛感。症状のピークは発症から1カ月後くらいで、徐々に症状も落ち着き、だんだんと目が見えるようになっていきました。そして、3カ月後くらいには問題なく日常生活を送れるようになったのです。 幸い、目が見えにくいだけで、産後の体調は回復してきた状態だったので、なんとか乗り越えることができました。突然、こんな病気に悩まされることになるなんて……。あのとき、サポートしてくれた家族には感謝しています。 ※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。 監修/助産師REIKO 著者:石原みどり知的障害を持つ子どもと口唇口蓋裂を持つ子どもの母。波乱万丈で大変なこともあるが、子どもたちと幸せいっぱいに生活している。経験を踏まえ、子育てに関する情報を発信中。
2020年05月09日女優の原田夏希(はらだ・なつき)さんが2019年9月に第2子を出産していたことが、2020年4月30日に明らかになりました。原田夏希、第2子を出産していた!2004年の連続テレビ小説『わかば』(NHK)でヒロインを演じ、女優として活躍の幅を広げた原田夏希さん。2016年6月に同年代の医師との結婚を発表し、2017年1月に第1子の妊娠を発表。同年6月には無事、第1子を出産したことを発表しています。原田夏希の現在は?高校の同級生・小野友樹との2ショットに「スゴイ!」そして2019年9月に、第2子を出産していたことが分かりました。サンケイスポーツの取材によると、原田夏希さんは「2人の子供を抱えて大変なことも多いですが、ふとした瞬間に幸せな気持ちになるので毎日がとても充実しています」と語り、幸せいっぱいの様子を見せたといいます。子供の性別や誕生日は非公表とのことですが、かわいいお子さんであることは間違いありませんね。女優だけでなく、ファッション誌『VERY』のレギュラーモデルとしても活躍している原田夏希さん。今後の活躍にも注目です![文・構成/grape編集部]
2020年05月01日ミスタードーナツから、原田治とコラボレーションした「ミスド×原田治 エコバッグ」が登場。2020年4月24日(金)より、数量限定で発売される。「ミスド×原田治 エコバッグ」は、ミスタードーナツ事業創業50周年を記念して誕生したもの。ミスタードーナツがこれまで展開してきたグッズの中でも、ファンから人気の高かった原田治のイラストを採用している。サイズは、ミスタードーナツの持ち帰り用ボックスが2つ入る大きさで、使用した後はコンパクトに折りたたむことが可能。カラーバリエーションは、女の子を描いたレッドと、男の子を描いたブルーの2種類を取り揃える。価格はエコバッグ単品で590円(税込)、好きな商品と合わせて購入すると490円(税込)となる。鎧塚俊彦と宇治茶専門店「祇園辻利」と3社共同開発したドーナツ「抹茶の、頂シリーズ」や、人気パイを復活させた「リバイバルパイ」など、ミスタードーナツの新作メニューと合わせてチェックしてみては。【詳細】「ミスド×原田治 エコバッグ」販売期間:2020年4月24日(金)~ ※なくなり次第終了対象ショップ:ミスタードーナツ全店(一部ショップを除く)※店舗により営業時間の変更・休店している場合がある。販売方法:・エコバッグ単品購入 590円(税込)・好きな商品とエコバッグを購入 490円(税込)※ドーナツポップ単品は対象外。※1回の会計でエコバッグを490円で購入できるのは1個のみ。2個目以降は、単品価格の590円。カラー:レッド、ブルー※エコバッグ購入者で楽天ポイントカードもしくはdポイントカードにポイントを貯めるもしくはポイントを使用された人にエコバッグ1個購入で50ポイントプレゼントするキャンペーンも実施。最長2021年3月31日(水)まで。【問い合わせ先】ミスタードーナツお客さまセンターTEL:0120-112-020
2020年04月26日(左から)カルーセル麻紀、原田龍二お茶の間の人気者から、一転。文春砲が見事に当たり、急降下の展開になってしまった原田龍二。ただひたすら反省をし続ける彼が、同じく世間を騒がせた有名人と語り合う!第7回はニューハーフタレント、性転換、戸籍の性別改変など、さまざまなパイオニアであるカルーセル麻紀。芸能界のキーパーソンでもあり、数奇な人生を経験してきた彼女に、原田は太刀打ちできるのか……。「自分にしか見えない景色を見たい」──。熱い思いを抱く漢・原田龍二(49)。いま彼が見据えているのは、自身の過ちを反省した先に見える、新しい景色だ。すべてをさらけ出して先に進む原田が、人生の荒波にもまれて強く生きる人々と言葉を交わす本企画。今回のゲストはニューハーフタレントのパイオニア、カルーセル麻紀。自分だけの道を切り開いてきた彼女は、原田に何を語る?◆◆◆原田小さいころから拝見していた麻紀さんにお会いできて光栄です!麻紀私もお会いしたかったー!ドラマでよくお見かけしてて、男性としてとてもステキだと思ってたの。週刊誌の記事も読んだけど、車でセックスなんて全然たいしたことないわよ。私なんて飛行機で男とヤったことあるんだから!原田さすがですね!冒頭からすごい話になっちゃったな(苦笑)。麻紀さんもご存じのとおり、昨年報道された僕の不祥事がきっかけで、この企画が始まったんですよ。麻紀私も若いころは、よく週刊誌に追われたわ。市川猿之助(現・猿翁)さんに気に入られて東京中、遊び歩いたり、ストリップ劇場の日劇ミュージック・ホールのオーディションを受けさせてもらったり、いろいろ世話を焼いてくれたの。でも当時、猿之助さんの奥さんだった浜木綿子さんが「主人はカルーセル麻紀というオカマと不倫してる」って言いふらしたの。原田それからどうしたんですか?麻紀とりあえず遠くに逃げたわ。鹿児島にあった「エンパイア」という有名なキャバレーで1か月間、歌手やホステスをして雲隠れ。全然バレなかったの。原田まさに逃避行ですね……。僕の場合は麻紀さんほど壮絶ではありませんが、自分の過ちを反省して先に進むために、反省や後悔をテーマにして対談してるんです。ただ、麻紀さんの生き方と“後悔や反省”という言葉があまり結びつかなくて……。麻紀そうね。自分の人生に後悔はしてない。若いころは「生まれ変わるなら普通の男、普通の女、どちらかがいい」と思ったこともあったけど、77歳になった今は、もう1度生まれ変わるなら私がいいと思っています。原田はっきりとそう言える人はなかなかいないですよ。生きざまがロックンロール!麻紀自分ではわからないけど、私は自分のしたいことだけしてきただけ。本当に楽しい人生だったと思う。■小学生のころから違和感原田麻紀さんは、いつごろから現在の道を意識していたんですか?麻紀小学生のころから自分の性別に違和感があって、大人になったら芸者か女郎になりたいと思ってた。一人称も「僕」や「俺」と言えなくて、ずっと「私」って呼んでいたくらい。当時は北海道の釧路市という田舎に住んでいたし、今よりももっと理解がない時代だったから、みんな私のことを「(女の)なりかけ」って呼んでましたね。特に小学生って周りと違う子をいじめるじゃない?そういうときは、学校の番長に守ってもらったわ。陰では番長にキスされたり、胸を触られたりしたけど(笑)。原田でも、当時はそれが生き残る術だったんですね。麻紀そうね。無理して男っぽく振る舞うことはなかったけど、男の子が好きだとは、誰にも言えなかった。自分の中の違和感にモヤモヤしていたころに出会ったのが歌手の丸山明宏(現・美輪明宏)さん。美輪さんを見たとき「こんな生き方があるんだ!」と感動して、ゲイボーイになる決意をしたの。それから、15歳で高校を中退して家出。東京行きの列車に乗っている最中に見つかって、窓から飛び降りたわ。原田映画のワンシーンみたいですね!麻紀それだけ本気だったの。札幌にゲイバーがあることを知って、東京行きの列車を降りて「ベラミ」という札幌のクラブで働かせてもらった。入店したその日から、ステージで踊っていたわ。原田怒濤の展開で、ついていくのがやっとなんですけど、麻紀さんはすごく肝が据わっていると感じました。麻紀怖いものを知らなかったのよね。好奇心のほうが勝っていたから、何事も躊躇しなかった。19歳のときに、髭が生えてきたことに悩んでいたら、お店の先輩が「タマを取ればいいのよ」とアドバイスしてくれて、病院へ行ってすぐに去勢した。女性ホルモンの注射も打って、やれることは何でも試したわ。モロッコでの性転換手術もそうね。手術の怖さよりも「男の身体になる」ことのほうがイヤだったの。原田麻紀さんはお若いころからオンリーワンの道を歩いてきたんですね。芸能界の仕事はいつから始めたんです?麻紀私は今でも芸能界に入った覚えはないの。カルーセル麻紀の魂は日劇にあって、ストリッパーとして踊るのが仕事。劇場で稼いでいたから、ラジオや映画でもらったギャラなんて気にしたこともなかったわ(笑)。原田帰る場所は、劇場だったんですね。麻紀そうなの。あとは、週刊誌のグラビアも大切だった。下着の跡が残らないようにブラジャーやショーツははかず、いつでも裸になれるようにしていたんです。原田麻紀さんは本当にプロフェッショナルですね……!麻紀でも、そのぶんテレビやラジオはどうでもよかったから、不愉快なことがあったら本番中に帰ってたの(笑)。レギュラー番組を持っても夏のバカンスは絶対に行ったし、私が戸籍を変えた理由も、海外に行く機会がたくさんあったからなの。原田どういうことですか?麻紀特にアメリカ圏は私たちのような存在に厳しい時代があって、20歳のときにハワイに行こうとしたら、ビザがおりなかった。大使館に行ったら別室で裸にされて、いろいろ身体を調べられてね……。精神科に行って診断書を出してもらって、やっと1週間のハワイ滞在許可が出たの。さすがの私も、裸にされたときは泣きましたよ。■浮名を流した芸能人原田僕もジャングルの奥地や未開の山岳民族とか世界の危険地帯に行くのが好きなんです。同じ“過酷”でも、麻紀さんと僕はまったく違う世界の歩き方ですね。麻紀ホンネでは戸籍の性別なんてどうでもいいんだけど、海外に行くことを考えると女のほうが断然ラクね。原田麻紀さんといえば、芸能界でもさまざまなビッグネームと浮名を流していた印象があります。麻紀そうねえ。本当にいろんな男と遊びましたよ。最近お亡くなりになったお辰(梅宮辰夫さん)と文ちゃん(菅原文太さん)は、私を取り合ってたもの。札幌の仕事で全員がかち合ったことがあって、修羅場だったわ。原田それはすごい構図ですね……!麻紀力が強かったお辰が私を勝ち取ったの。でも、文ちゃんもいい男だったわ。原田きっと天国でも「麻紀はいい女だったな」なんて、梅宮さんと菅原さんが思い出話をしてると思いますよ!麻紀そうだといいけどね(笑)。阪神の野球選手の間で、私がアゲマンだという噂が広まったときも大変だった。「明日は天王山だから男にしてくれ」とか、ヤクザは「博打で勝ちたいから麻紀さんの下の毛が欲しい」とか、連日、大盛況!原田まるで御神木ですね!すごいご利益だ……。お話を聞けば聞くほど、麻紀さんはオンリーワンですね。男、女、カルーセル麻紀、みたいに新しい性別を確立してると思います!麻紀アハハ!そうかもしれないわね。原田さんとはすごくしゃべりやすくて、他人の気がしない。ステキな時間をどうもありがとう。原田僕も麻紀さんとお話しして“他人と違う道を歩きたい”と、より強く思いました。ありがとうございました!■本日の、反省本当に濃厚なお話ばかりでした。きっと麻紀さんは、いろいろな悔しい思いもつらい経験もしてきているはずなのに、それでも「また自分に生まれたい」とおっしゃっていたのがすごく印象的でしたね。麻紀さんのお言葉を聞いて、自分はどうだろうと考えたとき「俺も俺に生まれたいな」と思いました。これまでの失敗も反省も全部ひっくるめて、また俺に生まれたい。新しい自分の一面を知るきっかけになりました。PROFILE●かるーせる・まき●1942年、北海道生まれ。15歳で札幌の「クラブ・ベラミ」で働きはじめ、その後、大阪「カルーゼル」など、全国の有名クラブを席巻する。以降、舞台や映画、ラジオやテレビで幅広く活躍し、1972年にモロッコで性転換手術を受けて話題に。2004年には戸籍上も女性となった。業界のパイオニアのひとりであり、生ける伝説。■取材・文/大貫未来(清談社)■
2020年04月04日(写真左から)ジェームス三木、原田龍二人生に反省はつきもの。昨年、世間をにぎわせた俳優・原田龍二もまた、自らの過ちと向き合いながら、猛省の日々を過ごしている。そんな原田が、波瀾万丈(はらんばんじょう)な人生を送る人々と言葉を交わす『週刊女性』の人気対談企画、『全裸俳優・原田龍二の「人生、反省。」』。第6回のお相手は脚本家のジェームス三木、その人だ。数々の浮名を流した重鎮・ジェームス三木との濃厚な時間。ドラマ顔負けの茨道を歩んできた、彼にしか語れない“男の生き方”とは!?■名刺には「脚本・演出・喫煙」原田小学生のころに、堺正章さんの『西遊記』を夢中になって見ていたので今日、ジェームス三木先生とお会いするのをとても楽しみにしていました!三木『西遊記』か!あれは楽しい仕事だったなあ。原田くんはいま何歳?原田今年50歳になります。三木僕は85だから……35歳下か。そんなに下か!原田そうなんです。そこで今日は、ジェームス先生の元気の源をお聞きしたくて馳せ参じました。三木元気の源ねえ。50歳のときに脳腫瘍(のうしゅよう)の大手術をして死ななかったのは、その後の人生にも影響してると思うよ。病気をしたあとのほうが元気かもしれない。原田病気がきっかけになったんですね。病気の後に、何か生活で変えたことはありますか?三木いや、特に大きくは変えてないよ。健康面では、ちゃんと薬を飲んで、歯科医に行ってる。最近、量は減ったけど、酒は飲むしタバコも吸うんだよ。原田たしかに、先生の名刺に「脚本・演出・喫煙」って書いてある!喫煙も仕事のうちなんですね。三木原田くんはタバコを吸うのかい?原田はい、吸います。三木おお、それはよかった。タバコはいい。理容師さんも「タバコを吸ってる人はハゲない」って言ってたんだから。原田そうなんですか!?初耳です。先生は食べるのもお好きなんですか?三木そりゃ好きだわなあ。妻と一緒に外食するのも楽しい。料理店にふたりで行って仲居さんなんかが料理を運んできて「前菜です」と言うと、妻はいつも「私は後妻です!」と言うんだよ。おもしろいだろ。原田うまいですねえ(笑)。三木前妻とは、泥沼離婚をしたから大変だったよ。前妻が1992年に出版した『仮面夫婦』という本の中で、僕が170人以上の女性と関係を持ったことを暴露されて、その本が15万部も売れちゃってさ。連日、事務所にはレポーターが押し寄せてたよ。ここ、ここの事務所だよ。原田壮絶ですね……。当時、奥様に気づかれてるな、という感覚はあったんですか?三木そりゃ気づくだろうな(笑)。黙って自宅を訪ねてきたりして、今で言う“匂わせ”をしていた女性もいるからね。原田170人以上ですからね……。三木当時は本当にどん底だった。もう一生、脚本は書けないかと、腹を括(くく)ったよ。それが57歳くらいだったから、思い起こせば、50代は本当にいろんなことがあった。原田脳腫瘍に『独眼竜政宗』の大ヒット、泥沼離婚……。人生の山場が全部50代に集約されてますね。三木泥沼離婚の渦中で、業界に干されていた僕に、NHKの川口幹夫会長(当時)が『八代将軍吉宗』の脚本を依頼してくれたんだ。でも、当初は「人間性に問題がある人に脚本を担当させるな」という抗議もたくさんあったとか。それでも、川口会長は「今回の件は、刑事事件ではなく、家庭の事情。ジェームス三木さんには脚本家として期待しています」と励ましてくれたんだよ。原田男気がありますね!すごくカッコいい。■女性は低い声の男にしびれるんだな原田先生はもともと、歌手をしていたんですよね。三木俳優座に入って役者を目指していたこともあるけど、アルバイトが忙しくて落第したからあきらめたんだ。20歳のときにテイチクレコードの歌手コンクールで合格して、13年間、歌手をしてた。ディック・ミネさんの前座をしたり、横浜のナイトクラブで歌ったりして生活をしていたけど、鳴かず飛ばずだったね。でもね、原田くん、歌手はすごく女にモテるんだよ。原田またいきなりですね!三木歌手としては売れなかったけど、出待ちの女の子はたくさんいてね。女性は低い男の声にしびれるんだな。原田くんは声も低いし男前だから、スキャンダルがあっても、女性が誘いにくるんじゃないか?原田いやいや、もう誰も寄ってこないですよ(笑)。三木そうかい。あんまりまじめになるとつまらん男になるから、気をつけるんだよ。原田アハハ(苦笑)。歌手時代、先生はどんな歌をうたっていたんですか?三木英語の歌や、楽器が弾ける友達と『前科二犯のブルース』っていういい曲を作ってたね。(歌う三木)原田すごい……!先生の歌を聴いて失神した女性もいたんじゃないですか?三木歌手時代はモテたけど、失神はしてなかったなあ(笑)。30代に入って限界を感じて、ほかのことをやろうと『月刊シナリオ』のコンクールに応募したんだ。それで『アダムの星』という作品が入選したのが転機だな。その後は、わりとトントン拍子に脚本家になったかもしれない。原田俳優、歌手、脚本や小説……と、さまざまな芸術に携わってきたんですね。■帰り際に「次は口説くぞ」が効く三木僕は「芸術には国境も国籍もない」というのが信条でね。特に歌は言葉が通じなくても伝わるから、すごくいいよ。芸術と、あともうひとつ、国境も国籍もないものがあるんだよ。原田なんですか?三木セックス。どこの国でも、セックスだけはなくならないだろう。もちろん、人間以外の動物も子孫を残すためにセックスをしているから、国籍どころじゃない。どんな生物も営んでいる行為なんだよ。にもかかわらず、今の日本はセックスについてまじめに語らないよね。原田そうですね。神聖化しすぎてフタをしているかもしれません。三木しかも最近の男は「セクハラ」と言われるのが怖くて女性を口説けなくなってるそうじゃないか。原田そうですね。僕は別の理由で、もう女性を口説けないですけど……。三木原田くんは僕から見たらまじめな男なんだけどな。原田くんは別として、セクハラが怖くて女性を口説けないという男性にもアドバイスがあるんだよ。例えば、1回目のデートでは女性を口説かず、帰り際に「次は口説くぞ」と宣言して別れるんだよ。そう言われれば、口説かれたくない女性は次のデートには行かなければいいし、セクハラと訴えられることもないと思うんだよな。原田なんだかドラマのワンシーンみたいですね。先生もそう言って今の奥さんを口説き落としたんですか?三木いや、僕は言ったことないんだよ。最近考えたから。原田ないんですか!(笑)三木惜しいことをしたよね。使ってみたかった。今の妻は、僕が講師をしていたシナリオ学校の生徒だったんだ。原田先生と生徒として出会ったんですね。じゃあ個人授業で仲を深めて……?三木個人授業もしてないよ(笑)。ちょうど、離婚騒動で大変だったときに知り合ったから、僕を気の毒に思ったのかもしれないな。原田お優しいんですね。三木優しいんだろうな。でも、もう子どもはつくれないよ(笑)。原田夫婦関係の形はそれだけじゃないですから!先ほどの奥さんとのエピソードを聞いて、ご夫婦の仲のよさが伝わってきましたよ。三木今じゃ、完全に尻に敷かれてるよ。僕の味方はもう愛するネコしかいない……。原田また、ご冗談を。三木僕と同じ50歳で人生の岐路を迎えた原田くんには、縁を感じるよ。若いころの自分を見てるようだ。新しい芸名でジェームス原田ってのはどうだ?原田うれしいです!今日は、先生の闘魂をしかと受け取りました。末はジェームス原田を名乗れるように、これからも精進します!【本日の、反省】ジェームス先生は、85歳の今も男としての色気をきちんとまとっている、すべてを超越した存在でした。男としての理想像を持っているから軸がまったくブレない。いろいろな経験を通して反省と奮起を繰り返してきたからこそ、言葉に説得力がある。でも“男はこうあるべき”という考えを押しつけるわけではない、優しさを感じました。女性関係で追従はできませんが、男としてジェームス原田になれるよう、がんばります!《取材・文/大貫未来(清談社)》ジェームス・みき◎1935年、旧満州奉天(瀋陽)生まれ。小学生のときに大阪府に引き揚げ、高校を中退後、劇団俳優座養成所に入る。その後、テイチク新人コンクールに合格し、歌手として活躍。’67年に「月刊シナリオ」コンクールに入選し、野村芳太郎監督に師事し、本格的に脚本家の道へ。大河ドラマ『独眼竜政宗』など、数々のヒット作品を手がける。はらだ・りゅうじ◎1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。
2020年03月28日2011年にこの世を去った名優・原田芳雄の足跡をたどる「特集上映原田芳雄生誕80年」が渋谷のユーロスペースで開催される。原田芳雄は1940年東京都生まれ。俳優座の劇団員時代の1967年にテレビドラマでデビューし、翌年に石原慎太郎が原作・脚本を担当した『復讐の歌が聞こえる』で映画デビュー。今回の特集でも上映される1970年の『反逆のメロディー』で人気を博し、以後は藤田敏八、若松孝二、鈴木清順、森崎東ら多くの監督の作品に出演し、圧倒的な存在感と観る者をくぎ付けにする演技で多くのファンを獲得した。活躍の場は映画だけでなく、ドラマや音楽など多岐に渡っており、バラエティ番組で趣味の鉄道について熱く語る姿も見られた。精悍でワイルドなルックス、鋭い眼光、豪快に見えて細部までこだわり抜かれた演技は大きなスクリーンで堪能できるスケールの大きなもの。残念ながら2011年に病でこの世を去ったが、彼が遺した作品はいまも多くの映画ファンを魅了し続けている。今回の特集は、原田芳雄の夫人にして彼が設立した俳優事務所の社長でもある原田章代に、映画評論家の山根貞男が聞いた書籍『俳優 原田芳雄』の刊行を記念したもので、10作品を上映。1980年の名作『ツィゴイネルワイゼン』や、若松孝二監督の重厚なアクション『われに撃つ用意あり』、最後の映画出演作『大鹿村騒動記』などが上映される。また会期中にはゲストによるトークイベントも予定されており、22日(日)には阪本順治監督と妻夫木聡が登壇。以降も石橋蓮司、桃井かおり、勝村政信が登壇し、映画上映後にトークイベントを開催する。特集上映原田芳雄生誕80年『反逆のメロディー』(監督:沢田幸弘)『無宿人御子神の丈吉牙は引き裂いた』(監督:池広一夫)『赤い鳥逃げた?』(監督:藤田敏八)『ツィゴイネルワイゼン』(監督:鈴木清順)『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』(監督:森崎東)『出張』(監督:沖島勲)『浪人街』(監督:黒木和雄)『われに撃つ用意あり』(監督:若松孝二)『大鹿村騒動記』(監督:阪本順治)『火の魚バリアフリー劇場版』(監督:黒崎博)2月22日(土)から28日(土)まで渋谷・ユーロスペースで開催
2020年02月22日全裸俳優・原田龍二の「人生、反省。」仕事にもプライベートにも裸で全力投球する漢として人気を博す俳優・原田龍二(49)。しかし、2019年に女性スキャンダルが発覚してしまい、現在はさまざまなメディアで禊の旅路を歩んでいる。そんな原田が、“人生”について、さまざまな人々と言葉を交わす本企画。第4回のお相手は、日本人史上初の世界3階級制覇を成し遂げた元プロボクサー・亀田興毅(33)だ。全裸俳優と浪速乃闘拳が人生と反省、そして家族への思いを語り尽くす!■早くからセルフマネジメントしていた亀田原田この対談は、人生の失敗や反省がテーマなんですよ。亀田あんまり細かい事情を知らないんですけど、何かあったんですか?原田実は、女性関係で不祥事を起こしてしまいまして……。亀田そうだったんですか!?知らんかった!でも『週刊女性』は女性がたくさん読むわけですよね?そこに登場を決めるなんて根性あるなあ!原田しかも連載だからね(苦笑)。もう前を向いてなんでもやるしかない、という気持ちで毎回、臨んでます。僕には明確な反省材料があるんだけど、世界チャンピオンとして成功した亀田くんには、あまり失敗や反省というイメージがないんですよ。亀田いやあ、常に反省です。「あのときああしておけば」っていう考えは、よくよぎります。でも、過去の失敗があったからこそ今の自分があるので、若いうちにいろいろ経験できてよかったです。原田たしかに、失敗のまま終わらせるのも、それをバネにして躍進するのも本人次第なんですよね。僕自身も、失敗を成功の布石にしていくつもりです。亀田わかります。失敗は終わりじゃないですよね。俺の場合は、選手として試合に出るだけじゃなくて、20代前半で事務所の社長になって試合会場を借りたり、チケット販売、スポンサー営業、集客をするためのプロモーションなどをやっていたので、昔はいろいろな失敗をしました。原田すべて自分でセッティングしていたんですね。■国民的ヒールを作りあげた父・史郎亀田過去の経験があるから、弟たちに対しても「もっとこうしたらいいのに」と思うことはあります。でも、自分の考えを無理に押しつけるのはいい結果にならないと気がついて。弟たちの人生にレールを敷くのは簡単だけど、本人が「やりたい」と思わないと続かないですからね。原田そういう意味では、お父さんの亀田史郎さんは「世界チャンピオン」というレールをしっかり敷いて厳しく子育てされてた印象があります。亀田親父は「お前らはボクシングの世界チャンピオンになるんや。それだけに集中しろ」と言って子どもたちの前に絶対的なレールを敷いてくれて、自分はその上を走っただけという感覚です。昔はイヤなこともたくさんありましたけど、結果的に世界チャンピオンにもなれて今の仕事にもつながっているわけなので親父には感謝しかないです。原田亀田一家の登場は、ボクシングを知らない人にとってもセンセーショナルな出来事でしたよ。ヒールな立ち回りで、実力も伴うボクサーでしたからね。プロデビューの会見はインパクトありましたからね!亀田実は、プロデビューの記者会見のパフォーマンスは、親父が考えた演出だったんですよ。もともとの性格はすごい人見知りなので、恥ずかしいし、人前でしゃべれるわけないやん!って思ってました。会見の前日は緊張して眠れなかったです(笑)。原田すごく堂々としてましたよ!練習したんですか?亀田家で猛練習しました。過激なセリフを言って、雑誌を破いて、記者からの質問も想定して回答も考えました。実は、親父はすごく過保護なんですよ。なんでも先回りしてやってくれるんです。原田お父さんにはプロデューサーの才能があるんですね。亀田そうなんでしょうね。「まずは多くの人に顔を知られないと意味がない」という方針で、親父は早い段階から「ヒール路線」で考えてました。たしかに、いい子よりも嫌われ者のほうが目立ちますからね。■「環境を整えるのが親の役目」原田おもしろい!そして、お父さんの計算どおりに世間に注目されて、すべてが話題になる存在になった。亀田そのぶん、いろいろなバッシングの的にもなりましたけどね。世間の批判を受けて謝罪会見をしたこともあります。リングの上で反則をして減点もされて、個人的にはリング上で裁きを受けたつもりだったけど、自分たちの家族の発言を不快に感じた人もいたから、謝るしかないな、と。でも、無名の選手だったら、あれほどの騒ぎにはならなかったと思います。原田それでも、世界チャンピオンになる実力を持っていたのは事実だし、本当にすごいですよ。世間はヒールの選手が活躍するのが悔しかったのかもしれないね。亀田でも、マスコミにネガティブな記事を書かれて「亀田家=トラブルメーカー」というイメージが定着してますからね。ホンマに当時のイメージが根強くて、いまだに「イメージと違っていい人ですね!」って初対面の人に言われるんですけど、それはそうやろ、と。普段から子ども抱きながらメンチ切ってたらおかしいでしょ(笑)。原田ハハハ!亀田悪いイメージを変えようとも思わないけど、だからこそマスメディアの力は怖いな、と思います。原田亀田くんは、お子さんにもボクシングをしてもらいたい希望はあるんですか?亀田ボクシングをやらせるつもりはないですね。でも、親の気持ちを押しつけるわけにはいかないので、本人に強い覚悟があればやってもいいと思います。でもやっぱり、ボクシングは命を落とす可能性もある過酷なスポーツにもかかわらずそれほど稼げるわけでもない。もっとほかの道でお金を稼ぐほうが効率的だと思います。原田命がけですからね。子育てで意識していることはありますか?亀田子どもがいろいろな経験ができる環境を整えるのが親の役目だと思っています。自分で自由に決断して、生きていく力を身につけてほしいですね。失敗も反省もたくさんしてほしい。親父とは少し違う子育てだと思います。原田しっかりしてますね。僕には息子と娘がいるんだけど、小さいころから外で遊ばせて、木登りもさせましたね。妻は子どもたちに勉強しなさいって言ってるけど、僕は体力づくりが大切だと思ってるんですよ。亀田それはいいですね。うちも公園に連れていったときは、ある程度自由に遊ばせて「危ないからやめなさい」とは言わないようにしてます。■親になって初めて気づく父のスゴさ原田たしかに、子どもの行動を制限すると何も経験できないもんね。自分が父親という立場になって、お父さんへの気持ちに変化はありましたか?亀田自分が子育てを始めて「親父のようにはなれない」と、親父のスゴさを再認識しましたね。両親は早いうちに離婚して、親父は4人の子どもをひとりで育てたんです。仕事に行って自分たちの食事を作ってボクシングの練習もして、寝るときも一緒。土日はみんなで釣りに行ったり、友達を集めてキックボールの大会を開いたり四六時中、自分たちといました。自分にはできない。原田すごいね!亀田当時の親父は30代なので、自分も同じ年代になって子どもがいますけど、子どもにすべての時間を使うのは正直、無理ですよ。原田本当にすべてを注いで、お子さんたちを育て上げたんですね。亀田極端な例だとは思うけど、自分には親父のような子育てはできないし、しないと思う。もちろん、思春期は反抗したくなったこともあったけど、子どもたちに全力で愛情を注ぐ親父を見てきましたからね。一生かけて恩返しします。原田お父さんの愛情がしっかり伝わったからこそ、勝ち取れた世界チャンピオンだったんですね。そんな逸話が隠されていたとは。反省することないじゃないですか!本日の、反省亀田くんとは過去の仕事でご一緒したこともありましたが、腰を据えて話すのは初めてでした。現役時代の亀田くんのファイトスタイルは世間が叩くには格好の標的になってしまったけど、その中でも彼を支えていたのはお父さんや家族の深い愛情だった、というお話が聞けて興味深かったですね。それでいて、親子関係を冷静に分析する目も持っていて、すごく芯が通った素晴らしい青年。さすが世界チャンピオンです。とても楽しかったです!はらだ・りゅうじ1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。かめだ・こうき1986年、大阪府生まれ。11歳からボクシングを始める。17歳の誕生日にプロデビュー。現役時代は、日本人史上初の世界3階級制覇を成し遂げつつ、過激なパフォーマンスでも世間の耳目を集めた。2015年に現役を退き、メディアで活躍しながらボクシングの普及に尽力する。取材・文/大貫未来(清談社)
2020年01月31日全裸俳優・原田龍二の「人生、反省。」─全裸で自らと対峙する漢、原田龍二。飾らない彼の姿が多くの視聴者から支持を集めていた矢先、ひとつの過ちを犯してしまう。そんな原田が自身に喝を入れるべく、さまざまな人と語り合う本企画。第3回のゲストは、参議院議員の鈴木宗男だ。波瀾万丈な人生を歩む鈴木が原田に語る“人生論”とは!■鈴木宗男、人生3つの“坂”鈴木原田さんといえば俳優で活躍されてるイメージしかないんだけど、何かあったの!?まあ、私が知らないってことはたいした不祥事じゃないよ!原田実は昨年、女性関係で不祥事を起こして、多くの人に迷惑をかけてしまったんです。そこで、人生の先輩方に喝を入れていただこうと、鈴木先生のもとに馳せ参じました。鈴木なるほど。そりゃこんな男前だもの、モテるわな!いまおいくつですか?原田48歳です。鈴木まだまだ若いですね。人生は上り坂もあれば下り坂もあります。そしてもうひとつ“まさか”という坂があるんですよ。私は北海道足寄町の農家に生まれ、中学生のころには政治家を志していました。大学入学と同時に中川一郎先生と出会い、35歳のときに衆議院議員に初当選して、49歳で国務大臣、50歳で内閣官房副長官。ずっと休みなく働きづめの生活で、政治家として出世コースを邁進していたんです。しかし、政治の世界の権力闘争に巻き込まれたのが、人生の大きな“まさか”。原田確かに、当時、鈴木先生は国民の注目の的でしたからね。鈴木自分の信念を貫いた結果、刑務所まで行きましたからね。私も原田さんの10分の1でも男前だったら、世間から叩かれなかったかもしれませんが、この顔ですからね(笑)。ただ、どんなことがあっても、私はずっと「絶対に諦めない、生きていれば逆転もある!」と自分に言い聞かせてるんですよ。■あえて“顔を見せない”励まし方原田鈴木先生ほどの苦汁をなめてはいませんが、僕も自分自身を叱咤激励するように心がけています。鈴木私からしたら、不倫できるなんてうらやましい話だけど、勝新太郎さんの時代ならともかく、今はすごく厳しいからね。奥さんは怒ってる?原田怒ってはいましたが、妻はとても寛大な女性なので離婚せずにすんでいます。妻には本当に感謝しかないです。鈴木それは奥さんに感謝しないとね。私が今も生き延びていられるのも、家族や友人のおかげですから。原田やはり、ご家族が支えになったんですか?鈴木女房は常に凛としている女性でね。私が逮捕されるときも「とにかくあなたは戦いなさい。私たちのことは心配ないから」と言って送り出してくれました。彼女はずっと強い覚悟を持って政治家の妻を務めてくれています。実は、私が勾留されているとき、女房は1度も面会に来なかったんです。原田えっ!1度もですか?鈴木それが夫婦の絆なんですよ。彼女は私が情に脆いことを知っているから「家族の顔を見たらほだされてしまい、検察とも妥協してしまうかもしれない。ならば、顔を見せずに励まそう」というのが、女房の考えでしたから。原田もしかして、お子さんにも会えず……?鈴木はい。私が逮捕された当時、15歳の貴子はカナダに留学していました。日本の外にいて情報が得られない状況で父親が逮捕されたなんて、娘が精神的に不安定になるかもしれない。それが心配だったんです。原田わかります。僕も自分の不祥事によって子どもたちに精神的な負担をかけてしまったことが、本当に申し訳なく感じているので……。鈴木検察も私の弱みにつけ込もうと「娘さんが帰国してるそうですね。特別に娘さんに面会してもいいですよ」と揺さぶりをかけてきたんです。私も娘に会いたかったので、女房にお願いしたのですが、面会させてもらえませんでしたね。原田最愛の娘に会わせないことが、夫を守る術だと。鬼の決断ですね……。鈴木それこそが、女房なりの思いやりだったんですよ。原田それでは、娘さんとはまったく交流できなかったんですか?鈴木実は、私が勾留されている間、毎日、議員会館に娘からのFAXが届いたんです。「私のことは心配しないでください。お父さんは自分の歩いた人生を絶対に否定しないでください。お父さんほど公のために働いた人はいません」という内容でね。本当に勇気をもらいましたね。原田どれくらいの間、勾留されていたんですか?鈴木437日。衆議院議員としては戦後最長です。原田すごいですね!!鈴木でも今では、戦ってよかったと思ってるんですよ。私が戦い続けたことで「この事件はおかしいぞ」と、世間の見方が少しずつ変化していったんです。何事もブレずにいると、誰かが認めてくれるんですよね。■収監中に起きた転機原田さまざまな苦難を乗り越えて、政界への復帰を果たしているのは本当にすごいですよね。刑務所に収監中から今後のことを考えていらしたんですか?鈴木実は、私が収監されている最中に政界へのカムバックを強く志す出来事があったんです。それは2011年3月11日に発生した「東日本大震災」。その日私は、栃木県喜連川にある刑務所で業務を行っていました。栃木は震度6だったのですが、今まで体験したどの地震よりも強い揺れでしたね。翌日にはリアルタイムでテレビを見ることが許されました。そこに映っていたのは、大きな津波に流される人々の姿。お母さんが一生懸命、子どもに手をのばしても、津波によってふたりが引きはがされる……。なんてひどいことだと涙が出てね。原田(涙をこらえる)鈴木ここにいては何もできない。どうにか刑務所を早く出て、みなさんの力にならねば、と思ってから一気に吹っ切れたのを覚えています。東日本大震災は私のターニングポイントのひとつです。原田鈴木先生の人生には、ターニングポイントが何度も訪れているんですね。鈴木ターニングポイントはほかにもありますよ。まずひとつは、私が秘書をしていた中川一郎先生が亡くなられたとき。次が逮捕されたときで、もうひとつが保釈された直後に胃がんが見つかったとき。2年ぶりに検査をしたら、スキルス性胃がんでステージ3という診断が出ましてね。翌月には選挙を控えていたので出馬するつもりでしたが、娘に止められて諦めました。手術直後、主治医に「がんの転移はない」と言われ、女房はとても喜んでいました。一方の私は「それなら、選挙に出ておけばよかった」と呟いてしまい、女房にピシャッと叩かれたらしいんですよ。私は麻酔で朦朧としていて覚えてないんですけどね(笑)。原田ハハハ(笑)!鈴木ただ、がんになったことが一概に悲劇とは言い切れないんですよ。権力闘争に負けた鈴木宗男が、今度は病気に追い打ちをかけられたという同情の声が聞こえるようになったんです。原田ゆるぎない信念が周囲に伝わったんですね。鈴木その後2回もがんが見つかりましたけどね。でも、なんとかなっちゃった(笑)。私は逮捕や病を経験して、気がついたことが3つあります。ひとつは、自分の信念を貫き通せば、誰かが見てくれること。ふたつ目は、家族や友人、応援してくれる人の大切さ。最後は“目に見えない力に生かされている”という感謝の気持ちを持つこと。お天道さまは努力している人を見てますからね。原田さんも「原田がんばれ」と言ってくれる人を大切にしていれば、きっとこれからも心配いりませんよ!原田先生の人生には、かなわないですが……。素晴らしいアドバイス、ありがとうございます!本日の、反省鈴木先生の経験からくる言葉のひとつひとつに深みと重みがあり、心にしみ渡ってきました。人間力がある鈴木先生だからこそ、想像を絶する苦難を乗り越えられたように思います。負の試練が与えられてマイナスに落ちる人もいれば、自分の力でプラスにもっていける人もいる。鈴木先生は間違いなく後者ですよね。何より、自分だけをよりどころにせず家族や友人への感謝を忘れない姿勢は本当に素晴らしいです。ファンになりました!はらだ・りゅうじ1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。すずき・むねお1948年、北海道生まれ。1970年に拓殖大学政経学部卒業。在学中から中川一郎衆議院議員の秘書を務め、1983年に衆議院議員初当選を果たし、さまざまな公務に尽力するも、2003年にあっせん収賄罪で逮捕されて世間をにぎわせた。2019年に参議院議員当選し、9年ぶりに国政復帰。北方領土問題に精力的に取り組む。長女は鈴木貴子衆議院議員。取材・文/大貫未来(清談社)
2020年01月26日全裸俳優・原田龍二の「人生、反省。」生きる営みすべてに全力を注ぐ俳優・原田龍二。近年はすべてを脱ぎ捨てる全裸俳優として人気を集めていた。そんな矢先、女性スキャンダルが発覚し、別の意味でお茶の間をにぎわすことに。自らの過ちと向き合うため、原田が人生の先輩と“反省”をテーマに語り合う対談企画。今回のお相手は、ロックンロールバンド・横浜銀蝿40thの嵐(Dr)と翔(Vo)のおふたりだ。’80年代、若者の代弁者として鮮烈なデビューを飾り、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て、今年デビュー40周年を迎えた彼らと熱く語り尽くす!■『ガキ使』で湧いた親近感原田お会いするのは初めてなんですけど、横浜銀蝿といえばアウトローのバイブルですから!男の憧れですよ。嵐俺はテレビが大好きなんで、原田君が出てる番組をいっぱい見てるんだよ。「相棒」の陣川公平いいよなあ!原田まさか嵐さんから「陣川」というワードが出てくるなんて!翔俺も年末の『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』で全裸になってる原田君を見たときに腹抱えたよ!すごいインパクト。それまでは高身長のイケメンっていう感じだったからさ、あの勇姿を見たとき「絶対に俺たちと同じ不良じゃん!」って思ってさ。親近感が湧いたなあ。原田僕は完全にはみ出し者ですからね(苦笑)。翔そもそも、なんで裸になったの?原田いちばん大きなきっかけは20代のころに出演したドキュメンタリー番組なんですよ。そのとき、アジアの山奥に住む山岳民族やジャングルに住む裸族にお世話になっているうちに、言葉が通じない相手には身も心もさらけ出さなければ交流できないと気づいたんです。もちろん、現地では裸にもなったし。それから、30代以降になると日本の旅番組に呼ばれるようになって、僕は「温泉に失礼だから」という理由で、入湯時にタオルを巻かずに入るんですよ。その様子を見た『ガキ使』のスタッフさんから、出演のオファーをいただいたんです。翔なるほど、そこで裸につながるわけね!業界は違うけど、言葉がわからなくても心をさらけ出せば通じ合えるのは音楽にも共通するかもな。昔、ロサンゼルスでレコーディングしたときは、英語が話せなくても問題なかったし。でも、すごくいいグルーヴだったときに「グッド!」って言ったら、みんながちょっと不満そうな顔をしたんだよ。原田どうしてですか?翔なんでも、英語で「GOOD」は「まあまあ」みたいな意味らしくてさ。通訳の人に「どれくらいいいんですか?アメージング?」って聞き返されたの。そういうニュアンスの違いって、その国に行かないとわからないよな。原田そうなんですよ!モンゴルの遊牧民と交流したときは「モンゴルでは、馬に乗れないと家族として受け入れられない」と言われて、一生懸命、馬に乗る練習をして、別れ際に家族の証として1頭の馬をプレゼントしてもらいました。■苦境にいるときの景色は違って見える翔ワイルドだね!嵐さんも若いころはよく旅してたよね。仲間と一緒に1台の車であてもなく旅してたじゃん。嵐あれは、パチンコの旅。パチンコで勝って、どこまで行けるか仲間と試した。静岡、名古屋、京都の先あたりまで行ったかな。パチンコが盛んな土地に泊まるんだよな(笑)。翔俺は中学生だったからさ、嵐さんに「兄貴、いつ帰ってくるの?」って聞いたら「わからねえ!」って言われたの。カッコいいー!って思ったよ(笑)。原田すごいですね!嵐でもさ、戻ってくる途中の長野で車がぶっ壊れちゃってさ。途方に暮れたけど、そのときに見た松本城がすごくきれいだったなあ。原田沁みちゃいますよね!翔沁みる!苦境にいるときに見る景色は違って見えるよな。俺も失敗してるクチだから、すごくわかるよ。今日のテーマは“反省”で「原田に喝を入れてください!」って言われたけど、俺には冗談でも原田君に喝を入れる資格なんてないわけよ。嵐不倫だっけ?やっちゃったもんはしかたねえよ!原田いやいや、たくさんの人にご迷惑をおかけしたのでしかたなくはないです……。翔そう。嵐さんはロックンローラーだから気にしないかもしれないけど、俺たちは人に見られる仕事を選んだわけだから反省しなくちゃ。特に俺は、覚せい剤で逮捕されちゃったから、偉そうなことは言えないよ。今日、原田君に会えるのはうれしかったけど、テーマに抵抗があったんだよな(苦笑)。嵐ハハハ!翔でもさ、事実は変えられないから一生、十字架を背負っていかなきゃならない。でも、そのままずっと小さくなってても何も変わらないじゃんか。原田そうなんですよね。僕が失敗したところまでが人生じゃなくて、これからも人生は続きますから。もちろん深く反省はしていますが、僕は今後、この不祥事の“傷”を強みに変えるしかない。これからは、傷がない人生ではたどり着けなかった場所を見つけられるような気がしています。死ぬときに「いろんなことがあったけど楽しい人生だったな」と言える人生を送るのが目標です。■「メンバーを裏切りたくない」翔うん。人生、山あり谷ありっていうけど、俺は一生、上り坂。失敗しても、自分の足で登っていくしかないんだよな。俺みたいに逮捕されたり、原田君みたいに不倫がバレたりしたら、自殺を考える人もいるかもしれないけど、俺は死のうとは思わなかったよ。原田僕も思わなかったです。もちろん、妻や子どもたちを巻き込んでしまった現実を突きつけられたときは、恥ずかしさと同時に「この世から消えてしまいたい」という感情を抱きました。もうあんな気持ちは2度と味わいたくない。だったら、もう2度と遊ばなければいいだけの話なんですよね。もう誘惑が多い場所には行かないです。嵐悟りを開いたんだな。翔俺も、繁華街に出ないようにしようとか、好きなものに打ち込もうとか、いろいろと意識的にしていることはたくさんある。君が家族に対してそう感じたように、俺はメンバーに対して「裏切りたくない」って思うようになったよ。原田やっぱりメンバーのみなさんは、翔さんの支えになっているんですね。翔もちろん。俺の失敗が横浜銀蝿の活動に支障をきたしたときも、メンバーは何も気にしないんだよな。最高の仲間が「じゃあ、そのハードルを乗り越えればいいじゃん」って言ってくれるから、俺も臆せずに頑張れるよ。原田グループならではのよさですね。いいなあ。嵐俺は、そんなメンバーをまとめるのに苦労してるんだけどね(笑)。■遂に原田がロッカー認定翔何より、横浜銀蝿のデビュー40周年でJohnnyがカムバックして、またオリジナルメンバーでツアーができるのは本当にうれしい。この前、ある音楽フェスに出たときにドラマの『今日から俺は!!』の主題歌だった「男の勲章」を演奏したんだよ。すると、俺よりも50歳も下の子どもたちが集まってきて、劇中で話題になったダンスの振りを踊るわけ。驚いたよ。俺たちは解散もしたけどさ、35周年、40周年と再結成してやめずに続けてきたからこそ、そんなおもしろいシーンが見られたんだと思う。まあ俺は、子どもたちのお母さんに釘づけだったけど(笑)。嵐ハハハ!翔嵐さんも脳梗塞を経験してさ、リハビリしてドラム叩いて……ずっと戦ってるんだよね。嵐さんが元気なうちに、もう一発かましたいな。嵐また1年、頑張ります(笑)。原田僕は、昔からずっと心に怒りや反骨精神を持っているんです。ロックのルーツも反骨精神ですよね。翔そうだね。原田だから今は、自分の失敗や悔しさ、自分への怒りを原動力に「どこまでもやってやろう!」って思ってます。翔認定しましょう、原田君はロックンローラーです!原田ありがとうございます!■本日の、反省僕が人生で初めてロックンロールに触れたのは、間違いなく横浜銀蝿の『ツッパリハイスクールロックンロール』ですからね。おふたりとも直接お会いできて感無量です。すごくオーラがあるし、やっぱり言葉の重みが違いますよ。翔さんが自らの失敗とちゃんと向き合って、音楽に昇華しているのも伝わってきました。嵐さんは生きざまがロック。仲間がいることの心強さを感じました。ロックンローラーに認定してもらえて本当にうれしい! 誰かウィキペディアに書き込んでくれないかな。はらだ・りゅうじ1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。横浜銀蝿40th1980年デビューの横浜銀蝿の40周年を機に期間限定で再結成したロックンロールバンド。メンバーは嵐(Dr)、翔(Vo)、Johnny(Gt)、TAKU(Ba)。シングル『横須賀Baby』、アルバム『ぶっちぎり』でデビュー。2年後には日本武道館コンサートを成功させ、日本レコード大賞特別賞を受賞し、日本中を銀蝿旋風に巻き込んだ。活動期間は3年だが、今もなお多くのロックンロールファンに愛されている。今回は実の兄弟でもある嵐と翔が登場。横浜銀蝿40thコンサートツアー2020〜It’s Only Rock’n Roll集会 完全復活 Johnny All Right!〜3月7日(土)横浜市教育会館3月22日(日)Zepp Sapporo3月28日(土)Zepp Namba3月29日(日)Zepp Nagoya5月3日(日・祝)KT Zepp Yokohama5月6日(水・振休)Zepp Fukuoka5月16日(土)Zepp Tokyo詳細は公式HP:取材・文/大貫未来(清談社)
2020年01月19日全裸俳優・原田龍二の「人生、反省。」時代劇から刑事もの、ラブストーリーまで幅広く演じる俳優・原田龍二。さらに近年では、旅番組で全裸になって温泉に入る“温泉俳優”として注目を浴び、バラエティー番組では潔く全裸を披露して話題をさらった。八面六臂(はちめんろっぴ)の活躍を見せていた2019年6月。『週刊文春』の文春砲に狙い撃ちされ、スキャンダルでもお茶の間をにぎわすことに……。現在、反省の旅路を歩いている彼が、今、言葉を交わしたい人と対談をする不定期連載企画。第1回の対談相手は、元サッカー日本代表の前園真聖。彼もまた、過去に辛酸を嘗(な)めた経験の持ち主だ。番組での共演経験もあり、気のおけない関係でもあるふたりが“人生”と“反省”について熱く語り合う!■“反省”が共通点のふたり原田前園さんとは、旅番組で一緒にしまなみ海道をサイクリングした思い出があるんですよね。もちろん、現役時代のプレーも拝見していたし、サッカー選手を目指している息子から「サインをもらってきて」とお願いされたのも、後にも先にも前園さんだけなんですよ。今もしっかり飾ってあります。前園ありがとうございます!番組でご一緒したとき、原田さんにはとても気さくに接していただいて、すごく居心地がよかったのを覚えています。僕は人見知りな面があって、仕事で共演した人と仲よくなることはあまりないんですが、原田さんとは連絡先も交換してもらいました。勝手に「芸能界のアニキ」だと思ってます!原田それはうれしいですね。僕も、前園さんとまたお話ができるのをすごく楽しみにしてたんです。ただ、この連載のテーマは“人生の反省”なんですよ。前園はい……。ご存じの方も多いと思うのですが、以前、お酒がらみで大きな失敗をしていますから……(※2013年に泥酔しタクシー運転手に暴行。しばらく活動を自粛していた)。ずっと反省はし続けていますね。ただ、今は下を向かずに前を見て進んでいこう、という気持ちが強いですね。原田僕も同じ。僕は女性関係のスキャンダルでたくさんの人に迷惑をかけてしまいましたが、これからは反省の気持ちを強いバネにして、さらに上に行こうとポジティブにとらえるようにしています。■「行きたくない」自分を支えるのは自分だけ前園そうなんですよね。僕の場合、もう1度やり直そうと前向きになれたのは、サッカーをしていたおかげだと思っています。サッカーは、ゴールを決めるよりも、ミスやうまくいかないことが連続するスポーツなんです。でも、ミスが怖くてボールをもらわずにいたら監督もチームメートも認めてくれませんから、自らボールを受け取ってドリブルをしなければ、先には進めない。これは、人生で大きな失敗をしたときにも共通していると感じて「ドリブルに失敗したなら、またゼロからスタートすればいい」と切り替えられましたね。原田素晴らしいな。前園さんがストイックに自分自身と向き合えたのは、スポーツマンだからだと思いますよ。前園たしかに、サッカー人生を経験していない自分が同じ騒動を起こしてしまったら、もっと弱気になっていたと思います。原田そういう意味でいえば、自分を成長させてくれたのは“旅”ですね。旅先では、心を裸にしていないと相手も心を開いてくれないんです。特に地方に行って芸能人然としていると、「あの人は芸能人だから」と、地元の人は萎縮してしまうんですよね。旅は自分の肩書すべてを取り払って、ひとりの人間として人や景色とどう向き合うか、を試される場でもある。旅での出会いは、心を研磨してくれるんですよね。前園なるほど。僕が原田さんとお仕事したときに、いい意味で“素”でいられたのは、原田さんが裸の心で接してくれたからかもしれないですね。原田そう言ってもらえるとうれしいですね。どん底まで落ちた僕に、励ましの言葉をかけてくれる人もいて、ありがたいとは思うのですが、それと同時に「自分を支えられるのは自分しかいないな」と強く感じたんです。自分への自尊心が1%でも残っているなら、自ら火をつけるしかない。不祥事以降、自分自身に「おまえ、頑張れ!」と喝を入れるようになりましたね。いろいろな番組に呼んでもらいましたが、絶対にいじられるので、ホンネは「行きたくない」なんですよ(笑)。前園じゃあ、スキャンダル発覚後に僕が出演している番組に来ていただいたときも、不安だったんですか?原田もちろん、声をかけていただけるのはありがたいですが、正直、行きたくはなかったですね(苦笑)。それでも自分を鼓舞して出演しました。結局、僕を応援できるのは僕自身なんですよね。■前園の暴行に「なんで?」の原田前園僕も原田さんと近い感覚があります。すべてを失ったとき、自分の周りからたくさんの人が去っていきました。身近な人だけでなく、街中で「応援してます」とか「一緒に写真撮ってください」とか声をかけてくれた人も来なくなって、その存在のありがたさを痛感したんです。いつの間にか感謝の気持ちが薄れて“当たり前”だと思っていたことは、まったく当たり前ではなかったんですよね。そのとき初めて「自分を変えなければ、本当にダメになるぞ」と、自分自身に本気でダメ出しができたと思います。原田実は僕、前園さんの騒動のとき「なんでこんなに大ごとになってるんだろう?」って疑問に思っていたんですよ。前園いやいや、いろんな人にご迷惑をおかけしましたから、疑問もなにもないですよ!原田でも、僕なんか高校時代に何人殴ったかわからないですよ!当時はやるかやられるかの環境にいたので応戦しないわけにいかないし。ケンカでできた傷痕が、顔にまだいくつか残ってるんですよ。前園ええ!?原田僕みたいにちょっと変わった人生を歩んでいると、いろいろなことが起きるんでしょうね。前園なんだかすごい話になりましたね……。■モンブランのように生きたい原田その後、仕事の考え方や姿勢に変化はありましたか?前園どんな仕事も本当にありがたいので、ひとつひとつ楽しく真剣に取り組むようになりましたね。原田僕もそうです。以前お仕事したときから、前園さんとは何か近しいものを感じていたんですよ。不祥事を起こす前から一生懸命仕事をしていたつもりなんだけど、以前とは一生懸命の“質”が変わったように感じてるんです。スキャンダルがあったから、あったおかげで、仕事がとても尊いものに感じられるようになった。実は、前園さんと僕にはもうひとつ“甘い物好き”という共通点があるんですよ。前園原田さんも甘い物お好きなんですか!?原田はい!子どものころから大好きで。特にあんこ。前園あ〜、和菓子いいですよね!僕もあんこ大好きです。和菓子だったらおはぎ、洋菓子だったら断然プリンとモンブランですね。原田僕も洋菓子だとモンブランがいちばん好きです!モンブランってみんな好きだけど、スタンダードではないじゃないですか。そういう、ちょっと王道からはずれているところが自分の立ち位置と重なるんですよね。モンブラン原田に改名したいくらい。前園ハハハ!すごいですね!原田モンブランのように生きたい。最終的に、なんだかよくわからない話になってしまいましたが、今日もすごく楽しかったなあ。また一緒に仕事したいですね。前園さんは温泉好きですか?前園好きです!原田それならやっぱり、前園さんとは温泉ロケがしたいな。秘湯に行きましょう。前園ぜひ!原田さんが豪快に全裸で温泉に入っていくのも見てみたいし。それから夜は、座敷わらしがいる旅館に泊まって……。原田言うことなしのフルコースですね。前園さんと裸の付き合いができるのが楽しみですよ!■本日の、反省前園さんはとてもまじめでストイックな方なので、やっぱり失敗と向き合う方法もディープですよね。くしくも、このような形で対談ができたのも、ご縁だと思います。僕は業界の友人があまりいないのですが、前園さんは連絡先を交換している数少ない友人のひとり。特に長い時間を一緒に過ごしたい、と思える人にはなかなか出会えませんが、前園さんとなら楽しい空間を共有できるはず。座敷わらし・温泉・スイーツ巡りツアー、実現したいですね!はらだ・りゅうじ1970年、東京都生まれ。第3回ジュノン・スーパーボーイ・コンテストで準グランプリを受賞後、トレンディードラマから時代劇などさまざまな作品に出演。現在は俳優業にとどまらず、バラエティーや旅番組に多く出演し、活躍の幅を広げる。芸能界きっての温泉通、座敷わらしなどのUMA探索好きとしても知られている。まえぞの・まさきよ1973年、鹿児島県生まれ。Jリーグ・横浜フリューゲルスに入団。海外クラブでのプレーを経て2005年に現役を引退。’09年にはビーチサッカー日本代表に抜擢され現役復帰。現在は、主宰するサッカークラブでサッカーの楽しさを伝えながら、メディアで活躍中。取材・文/大貫未来(清談社)
2020年01月13日原田龍二「年末年始にほとんど休みがないほど、原田さんは仕事に追われているそうですよ」(芸能プロ関係者)原田龍二(49)が『週刊文春』に複数の女性ファンとの不倫を報じられたのは、5月末。自身のインスタグラムを通じて出会ったファンと接触し、愛車である四輪駆動の車中で事におよんだことから“4WD不倫”と呼ばれた。■“マスオさん”は降板「報道のあった翌日、原田さんは緊急の謝罪会見を開きました。そこで、過去の浮気も含めて、どんな質問にも赤裸々に答えました。それこそ“裸一貫で出直す”と誓いました」(テレビ誌ライター)結果、準レギュラーだった旅番組が休止に。9月に出演予定だった舞台『サザエさん』も降板した。「マスオさん役だったので、イメージとかけ離れすぎてNGになったそうですが、しかたないですよね(笑)。旅番組のほうは一般人と触れ合うロケだったため、制作側が原田さんを気遣った一時的な対処。今は復活しています」(同・テレビ誌ライター)不倫スキャンダル後も原田の仕事は減ることなく、トーク番組などの仕事は、逆に増えていったという。「雑誌の撮影で、喫茶店にある会議室で原田さんに裸になってもらうようお願いをしたところ、彼は迷うことなく素っ裸になったようで……。一緒に仕事をしていて気持ちがいいんですよね」(雑誌編集者)バツグンのスタッフ受けで、『5時に夢中!』(TOKYO MX)やラジオのレギュラー番組は軒並み継続。さらに、原田がビキニパンツ一丁で青汁をガブ飲みする健康食品のCMも続投が決定。12月20日からは新作CMも放送されている。不祥事を起こしたタレントをCMに起用し続けることにリスクを感じなかったのか?スポンサーの山本漢方製薬に問い合わせると、山本整社長が直々に答えてくれた。「継続起用にはたいへん悩みましたが、いつも弊社が望む100%以上の努力をしてくれる原田龍二さんに引き続きお願いしようと思いました」■原田本人の気持ちは?CM続投について原田の事務所にも問い合わせると、原田本人が答えてくれた。─CMが継続されることが決まったときの気持ちは?「不思議でした。信じられない気持ちと同時に、スポンサー様に感謝の気持ちが湧きました」─今年を漢字一文字で表すと?「『業』でしょうか。生まれ持った自分ならではの『運命』や意味のある必然について、日ごろから考えているので」来年は不倫という“業”に翻弄されることはないように。
2019年12月30日原田知世が明日11月17日、東大阪市文化創造館 Dream House 大ホールで「原田知世『L’Heure Bleue』リリース・ツアー2019」の公演2日目を行う。女優として人気ドラマ『あなたの番です』(日本テレビ系)で主演を務め、注目を浴びた原田知世。彼女は歌手としても昨年末に4年半ぶりのアルバム『L’Heure Bleue』をリリース、1月に一夜限りのライブを披露していた。「原田知世『L’Heure Bleue』リリース・ツアー2019」は数多くの再演の声を受けて実現したツアーだ。演奏は原田をはじめ、ギター・伊藤ゴロー、ピアノ・佐藤浩一、ベース・鳥越啓介、ドラムス・みどりん、パーカッション・角銅真実、ヴァイオリン・伊藤彩、納富彩歌、ヴィオラ・三木章子、チェロにロビン・デュプイという豪華な布陣となっている。すでに広島公演を終え、残すところは本日と東京での千秋楽。ぜひ歌手としての原田の世界観に触れ、素敵な時間を過ごしてほしい。■公演情報「原田知世『L’Heure Bleue』リリース・ツアー2019」11月17日(日)開演17:00東大阪市文化創造館 Dream House 大ホール11月19日(火)開演19:00Bunkamura オーチャードホール
2019年11月16日『ゆれる』『ディア・ドクター』『永い言い訳』など、デビュー以来、オリジナル脚本による作品を発表し続けてきた映画監督・西川美和が、作家・佐木隆三の「身分帳」を原案とした作品を手掛けることが分かった。オリジナル脚本のみならず、小説においても直木賞候補に名を連ねるなど、文学界・映画界から熱い視線を送られている西川美和監督が、自ら映画化権の交渉をしてまで挑戦したいと考えた小説「身分帳」。今村昌平監督が1979年に映画化した『復讐するは我にあり』の原作者として広く知られ、実際に起きた犯罪をテーマに小説やルポルタージュを数多く発表してきた作家・佐木隆三が、1991年度第2回伊藤整文学賞を受賞したこの小説は、人生の大半を獄中で暮らした実在する男性がモデル。出所して改めて戻ってきた日常社会に苦労を重ねながらも必死で向き合って生きる、純粋な魂の持ち主の人生を精緻に描いた傑作。今回、本作を映画化するにあたり西川監督は、社会の温かさと冷たさと両面に触れながら少しずつ進んでいく主人公の奮闘に強く惹かれたといい、「佐木隆三さんが書かれた小説は約30年前の日本を舞台にしていますが、もしも今の時代に主人公が出所してきたら、人々はどのように受け止め、彼にはどのような生活が待っているのでしょうか。現在の実情を取材して再検証し、この物語をもう一度届け直したいと考えています」とコメント。自ら手掛けた脚本の中で、原案小説の主人公を現在の社会システムや、いまの日本という日常の中に立ち上がらせ、普遍的な人間ドラマを鋭く深く描き起こしていく。映画のタイトルは未定となっており、10月より製作を開始。公開は2021年を予定している。原案小説「身分帳」は電子書籍版が講談社より配信中。(text:cinemacafe.net)
2019年10月18日明るく元気なイメージとは裏腹に、独特の穏やかなキャラで周りを和ませる原田泰造さん。そんな彼が熱くなるのがサウナとテレビのこと。止まらない、熱い愛を語ります!サウナを出て休憩しているおじさんを見て、“大人だな”って憧れていました。口を大きくあけた笑顔や共演者とはしゃぐ姿など、テレビでは、にぎやかなイメージのある原田泰造さん。でも、取材場所に現れたのは、ほんわかとした雰囲気を漂わせた、穏やかで優しそうな大人の男性。カメラマンの「カッコいいですね~」という言葉に照れ笑いしながら、「ありがとうございます」と返す姿が印象的だ。そんな原田さんが、「普段の俺と変わらない役です」と話すのは、ドラマ『サ道』の主人公・ナカタアツロウ。伝説のサウナー(サウナ好きのこと)を追って、全国を旅する男である。――原田さん自身、無類のサウナ好きだと伺いました。ドラマの原作であるタナカカツキさんの漫画『サ道』はご存じでしたか?原田:サウナに行くとタナカさんの漫画のポスターが貼ってあって。よく目にしていたし、実際に漫画を読んでサウナの入り方が変わりました。それまではサウナ水風呂サウナ水風呂、だったのが、途中で休むことを取り入れるようになった。だから、オファーが来た時は嬉しかった~。まず、『サ道』がドラマになること自体が嬉しかったし、それに出られることも嬉しかった。撮っているあいだも、いろいろなサウナ施設に行けて嬉しかったし、プレッシャーとかを感じる前に、嬉しかった!――気持ちが伝わってきました(笑)。自分と同じサウナ好きの役は、いかがでしたか?原田:漫画のキャラクターに近づけようと思えば思うほど、あんまりいつもの俺と変わらないなと。役作りとかはなく、普段のままです。――そんな普段の原田さんは、どんな人なのでしょうか。原田:とにかく、しゃべらない。サウナと映画館に行って、あとは家で引きこもっている感じです。だから、会話をするチャンスがないですね。家にいても、奥さんの話をずっと聞いてる感じだし。しゃべるより、人の話を聞くほうが面白いの。多分、自分が無だからだと思う。思想とか何も持っていないし。ワイドショーのコメンテーターがいろいろしゃべっているのを見ると、すごいなって思うよ。――観た映画のことを話したりもしないですか?原田:別に話さなくていいの。どうやら、共感するポイントが人と違うみたいで。口コミを見て、あまり評価がよくない作品に迷いながら行くと、すごく面白かったりするからね。なんであんなにボロクソ言うんだろうなって思うよ。――原田さんの思うサウナの魅力とは、どんなところでしょう。原田:毎日、思っていることだけど、体を温めて、汗をかいて、体を冷やして休むっていうのが、ただただ気持ちいい。運動して汗をかいて、シャワーを浴びるのが気持ちいいのと同じ。服を着て汗をかくと不快だけど、裸だから最高です。――実は私、サウナが得意ではなく…。熱い場所が苦手なんです。原田:あ、(名倉)潤ちゃんと一緒!「ミイラになる」って言うんだよね(笑)。20歳の頃、地元のサウナに行ったのが始まりだったかな。でも、当時は、サウナ上がりに休憩室でごはんを食べながらテレビを見ているおじさんに憧れて行っていた部分が大きいと思う。“タバコを吸ってみたい”“お酒を飲んでみたい”と同じ感覚で、行ったことのない場所に行くのが楽しかった。大人になった気がしたね。――作中、サウナで究極のリラックス状態を味わうことを表現した「ととのう」という言葉が登場しますが、ご経験はありますか?原田:多分、これだろうなというのはあるけど、漫画のように「ととのったー!」というパキーンとしたものじゃなく、俺のはウニョ~ンって感じ。ドラマでは、ドゥオ~ンという感じに表現されていて、そのほうが近いかな。きっと、人それぞれ違うんだろうね。――今作は、共演者にもサウナ好きの方が多かったそうですね。原田:偶然さん役の三宅(弘城)さんとは、以前、本当に偶然、サウナで会ったことがあって。撮影中、“前も同じことがあったな~”って思っていました。しかも、その日の撮影後に行ったサウナでも、偶然会ったからね(笑)。地方でのロケ終わりには、スタッフさんも含め、みんなとサウナで会って、みんなで熱波を浴びて、すごく楽しかった。――その時、みなさんで話したりしますか?原田:すっごい熱いから、しゃべれないの。“何が楽しいんだろう?”って思うくらい熱い(笑)。俺は目を開けて、熱波を感じてます。男同士は無言が多いかもね。杉並区にある「秀の湯」ってところは、おじさん同士がよくしゃべってるんだけど、それは珍しいと思う。そう、一昨日、笹塚にあるサウナに行ったら、俺が入った時は浴場に3人いるだけでサウナには誰もいなかったの。なのに、体を温めて、水風呂に入って外気浴をして、もう1セット行こうとサウナに入ったら、まさかの満室。この怖さわかる?夜中の0時過ぎてるんだよ!?で、少し席をズレてもらって、人がいっぱいいる中で汗をかく。たまに肌が当たってヌルンとして、「すいません」と言ったり…。その世界は、不思議だけど面白いよ。――サウナといえばフィンランドが有名です。原田:行ってみたいけど、ちょっと怖いかな。小屋みたいなサウナに入って、湖に飛び込んだりするから、おっかない。水中に生き物がいたりしたら、嫌じゃない?(笑)はらだ・たいぞう1970年3月24日生まれ、東京都出身。1993年にネプチューンを結成。『しゃべくり007』『ネプリーグ』などに出演。また、『アウトレイジ 最終章』(2017年)などの映画や、NHK大河ドラマ『龍馬伝』(‘10年)、NHK連続テレビ小説『ごちそうさん』(’13年)に出演するなど、俳優としても活躍中。全国のサウナー必読の同名漫画(講談社モーニングKC刊)が原作のドラマ『サ道』。原田さん演じる主人公のナカタアツロウ、中年サラリーマンの偶然さん(三宅弘城)、経営コンサルタントのイケメン蒸し男(磯村勇斗)というレギュラーメンバー3名のサウナトークで物語が展開。毎週金曜深夜0:52~、テレビ東京ほか。※『anan』2019年8月7日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・重信 綾(by anan編集部)
2019年08月02日原田龍二「1度、お受けしたお仕事ですので……」5月末、『週刊文春』で複数の女性ファンとの不倫が報じられた原田龍二は、謝罪会見で記事内容を全面的に認めた。冒頭の言葉は、その会見の翌々日に彼が文藝春秋社を訪れたときのものだ。「不倫が報じられる前に、『週刊文春』からグラビア撮影とインタビュー取材の依頼を受けていたんです。普通なら断りますよね。“なんて律義なんだ”と業界では話題です」(芸能プロ関係者)■業界からは意外な声も自身のインスタグラムを通じてファンと接触。2人で食事もせず、ホテルも利用せず、愛車で近くの公園に直行して車中で事におよぶ“節約不倫”で、世の女性から大バッシングを受けた原田だが、「ファンからメッセージが来て、それに答えただけだからそこまで悪くない」(バラエティー番組スタッフ)「一緒に仕事をした人はわかると思うんですけど、彼はすごくいい人。この騒動も“いい人”だからこそ巻き込まれたわけで、嫌いにはなれない」(ドラマ制作スタッフ)業界内での原田の評判は、不倫スキャンダル後もなぜか落ちていない。9月公演の舞台『サザエさん』の降板や、準レギュラーの旅番組の休止など不倫騒動の影響もちらほらあったが、『5時に夢中!』(TOKYO MX)やラジオのレギュラー番組は継続。「一昨年にグラビアアイドルとの不倫が報じられた袴田吉彦さんも、スキャンダル後にテレビの露出が増えました。彼もスタッフ受けがよかったんです」(テレビ局関係者)■「降板の話はまったく」そこで、仕事の状況について所属事務所に聞いてみた。─レギュラー番組の制作側から降板の話はあった?「何も言われずに、そのまま継続させてもらいました。『5時に夢中!』は、謝罪会見と同日に原田が出演した放送の視聴率がいちばんよかったらしいですね。まぁこういう話題で注目が集まってしまうのもアレなんですが……」『サザエさん』の降板は、「それはちょっと難しかったですね。やっぱりマスオさん役なので、原田の今のイメージではしかたがないかと」旅番組も休止となったが、「今、ちょっとペンディング状態です。というのも、一般の方たちと触れ合う企画なので、制作側に気を遣っていただいているというか……。それでも、先方からは降板の話はまったく出ていません」新規の仕事のオファーも減っていないという。「おかげさまで、スタジオで収録するバラエティー番組はいくつかいただいています。映画やドラマも何本かいただいて、スケジュール的に出演できるものを検討中です」6月19日、ネット番組の生放送で太宰治の代表作『人間失格』を朗読する原田。スタッフからは“失格”の烙印は押されていないようだ。
2019年06月18日女優の藤原紀香が7日、オフィシャルブログを通じ、主演舞台『サザエさん』で共演予定だった俳優・原田龍二が降板したことについて、一部報道を「フェイクニュース」として完全否定した。原田は、5月30日発売の『週刊文春』で自家用4WD車内での不倫が報じられたことを受け、会見を開いて謝罪。『サザエさん』主催のフジテレビジョンと明治座は、原田に代わって葛山信吾がマスオ役を務めることを報告し、「主催者として作品と役柄の持つイメージにそぐわないと判断し、所属事務所と協議の上」で降板を決定したという。藤原は「お伝えしたいこと」と題した7日のブログで、「この度の一連のことで原田龍二さんが降板となってしまいしたが、ある報道で、私が原田さんとはもうお芝居をしたくないとか、そのことで降板させたというような、事実ではない内容のことが書かれており、とても悲しく、残念に思いました」と落胆。「フェイクニュースが溢れている世の中、普段は面白おかしく嘘を9割書かれていても、これまで自身は、あはは と受け流していましたが、今回の件は心無い憶測の記事で、人を傷つけることになりかねないと感じたので、私の気持ちをここで伝えさせていただきます」と記事投稿の真意を伝えた。その上で、「まことしやかに書かれた憶測でしかない私の言葉や行動を、原田さんやご家族、ファンの方が目にしたらどんなに不快な気持ちになるか…共演者の感情で、人の進退を左右することはあってはならないことだと思いますし、もし私が本人なら、少なからずこの状況のなかそうなんだ…と信じてしまうかもしれません」とし、「事実、原田さんとは初めての共演で、発表された時からお芝居を合わせることが楽しみでなりませんでした。一連のニュースを知り、このままマスオさんが続投できるのか、いったいどうなるのかと、日々不安で、心が騒いでいましたが、役者側は 決定を待つしかありません。主催者側から降板の連絡があった時、これまでマスオさんは原田さんだといろんなイメージもしていましたし、心に穴が空いたような感じでした…」と吐露する。「その数日後、葛山信吾さんがマスオさんに決定したと聞いて、以前の楽しかった夫婦役のことを思い出し、とてもご縁を感じましたし、また舞台に向けて、よし頑張ろう!!!と気持ちを新たにしました」と現在の心境を正直につづる藤原。「こんな次第なので、これ以上、無責任で心がない残念なニュースが流れることのないよう、よろしくお願いします」と呼びかけ、「原田さんとはまたご一緒できる機会があればと思っております」「人生いろいろです」「私もがんばります」と結んでいる。藤原がブログを開設しているアメブロには、記事内にハッシュタグを付けることができ、藤原は「#藤原紀香」「#サザエさん」「#マスオさん」「#秘密の奥さん」「#共演者」のほか、「#残念なニュース」「#フェイクニュース」と追記し、ここでも強い否定の意志を表明している。
2019年06月07日俳優の原田龍二が5日、自身が水曜パーソナリティを務めるニッポン放送『DAYS』(毎週月曜~木曜 13:00~16:00)で、不倫騒動を謝罪した。5月30日発売の『週刊文春』で自家用4WD車内での不倫が報じられた原田。番組冒頭、「聞いてくださっている皆さま、スポンサーをはじめ関係各所の皆様、この度は僕自身の、本当に軽率な行動によって、多大なご心配ご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ありませんでした」と声を震わせながら謝罪。続けて「僕の思いを少しでもお伝えできたらと思います」とあいさつした。番組パートナーの東島衣里アナは「たまったもんじゃないですよ、原田さん! 泣いてるんじゃないですよ! この気まずさ、どうします?」と原田に振り、「たしかにアウトだと思いました。擁護はしません」とした。その上で、「ただ、番組のチームの1人として、言葉が適切かどうかわかりませんけど、心配の気持ちがあったのも正直なところです」と伝えた。原田は5月31日の記者会見の後、自宅に帰ったといい、「妻と子どもに『本当に申し訳なかった』と謝ったんですが、妻は『一生許さない』と。その前に、メールのやり取りで息子から『お母さんを悲しませるなんて、僕は絶対に許さない』と」と振り返った。続けて「今まで一生懸命して…一生懸命仕事するお父さんを……見てて尊敬してたのに。僕は許さないという怒りのメールをもらって」と涙で途切れながら話した。そして「言葉で言うのは簡単なので、妻と子どもには、これからのお父さんの行動を見ててくれということを伝えました」と明かした。
2019年06月05日原田龍二複数のファン女性との“車内不倫”を『週刊文春』に報じられた原田龍二が、時間も内容も“無制限”の釈明会見を行った。原田は報じられた内容を全て認めたうえで、「妻と2人の子供に悲しくつらい思いをさせてしまったことを深く反省しております」と謝罪した。「会見では、どんな質問にも答えると言った通り、かなり際どい、突っ込んだ内容の質問にも正直に答えていましたが、中には『そこまで聞くか?』というものもありました」(スポーツ紙記者)原田には2001年に結婚した妻との間に高校2年の長男と中学1年の長女がいる。今回の報道を受けて、妻からは「バカ」「原田、アウト!」とたしなめられたという。「『アウト』は原田が出演していた『笑ってはいけない』シリーズ(日本テレビ系)の罰ゲームのフレーズです。奥さんはそれに絡めたのでしょうが、多感な2人の子どもたちは、理解しがたいでしょうね。原田は『今後の行動を見てほしい。信頼を取り戻したい』と謝罪したそうですが……」(同前)原田の“車内”不倫の「セコさ」から、引き合いに出されるのが“アパ不倫”が話題になった袴田吉彦だ。「袴田は不倫が発覚してから離婚、しばらくするとバラエティー番組などで、自ら“アパ不倫”をネタにしていますが、原田の場合はどうでしょう。会見の前には、金曜MCを務める情報番組『5時に夢中』(TOKYO MX)に出演し、冒頭から謝罪しました。その前にも、義妹である松本明子も『家族会議をしました』と一家で話し合ったことを明かし、家族の仲の良さを強調していました」(女性誌記者)原田も、潔く謝罪したことで『袴田化』するのではと見る向きもあるが、「それは、あくまで芸能界でのこと。家庭では、特に子どもたちは、そう簡単に心の壁を破ってはくれないのでは」と話すのは、別のスポーツ紙記者だ。「NHKは5月31日に放送予定だった原田の出演番組『にっぽん ぐるり えぇトコ』の内容を変更しました。原田の場合、罪を犯したというわけではありませんが、車内での情事ということで、NHKも差し替えたのでしょう。それだけでもコトの重大さを物語っています」原田は離婚や自宅を追い出されるようなことは今のところない、と話しているが、子どもたちの信頼を取り戻すには、「一生アウト」を覚悟するぐらいの時間を要すかもしれない。<取材・文/小窪誠子>
2019年06月04日「帰ってくれ!」そんな怒号が響きわたった。不倫騒動の渦中にある原田龍二(48)の実父だ。さいたま市内にある古民家カフェ。看板には「原田龍二の父の店」と誇らしげに書かれている。記者が声をかけると、奥のカウンター越しに実父が不機嫌そうな声で「何ですか」と答えた。そこで「原田さんの件でお話をうかがいたいのですが……」と伝えたところ、冒頭のように激高。そこには、自慢の息子に対する憤りがあふれているようだった――。『週刊文春』6月6日号で複数の女性ファンとの不倫が報じられた原田。記事によると、彼はインスタグラムを通じて女性ファンと接触。呼び出した女性を愛車で駅まで迎えに行くと、そのまま近くの公園に直行。ライトやエンジンを消し、車内で事に及んでいたという。そして行為を10分ほどで終えると、すぐに女性を駅まで送って別れたというのだ。原田はこうしたマイカー内での不倫を、別のファンとも行っていたという。記事では“車内で何をしていたのか”という直撃取材に対して、彼は「……してはいけないことです」と不倫の事実を認めていた。すると、彼がとった“女性への雑な扱い”に世間から批判が殺到。原田は5月31日、会見を開くことになった。会見の冒頭で深々と頭を下げ謝罪した原田。そして続けて「妻と2人の子供につらい思いをさせたこと、深く反省しております」と語っていた。「原田さんと奥さま(45)が結婚したのは、01年のこと。翌年には長男(16)が生まれ、06年に長女(13)が誕生しました。奥さまは元女優で、10年間もの交際を経てゴールインしました。彼は、そんな昔から支え続けてくれた“糟糠の妻”を裏切っていたのです」(芸能関係者)子供たちはあきれ顔のようで、原田は「息子からは『ママにこんな悲しい思いをさせて許さない』というメールが来ました。娘からは『何やってんの?』と……」と情けなさそうに語った。ただいっぽうで、妻から「原田、アウト!」と冗談まじりに言われたとも告白。そして「励ましのつもりだったのかわかりませんが……」と妻への感謝を口にしていた。だが妻が許してくれたとはいえ、決して円満解決したわけではない。記者会見の前、原田は家族会議を開いていたという。参加者は原田夫妻、そして実弟で俳優の本宮泰風(47)と妻でタレントの松本明子(53)。そして原田の実母の5人だ。「原田さんの謝罪に対して本宮さんと松本さんは『大丈夫』と言ってくれたのですが、お母さんは泣き崩れたそうです。お母さんは原田さんを幼いころから塾に通わせるなどしてきた教育熱心な方。その息子が世間を騒がせたことに心を痛めているのでしょう」(前出・芸能関係者)そんな実母を泣かせた原田に怒りをあらわにしたのが、冒頭の実父だった。そこには、“理由”があったという。「原田さんのお父さんは厳格な人です。男として曲がったことが大嫌いな、昔かたぎの“鬼父”でした。そんなお父さんは原田さんに1つの“家訓”を言い聞かせてきました。それは『人に迷惑をかけるな』というものです。しかし原田さんは今回、周囲の人たちに多大なる迷惑をかけてしまいました。そのことが、どうしても許せなかったようです。ふだんはお店でも、原田さんのことをうれしそうに話すこともあったといいます。しかし騒動以降、お父さんはふさぎ込んでしまっているとも聞きました」(別の芸能関係者)実際、記者が質問しても「話すことはない!」と言う父。そこで最後に「家族会議が行われたそうですね?」と聞いてみたところ、しかめっ面になって「帰れ!」と怒鳴ったのだ。店の看板で宣言するほど息子を誇らしく思っていた父。だからこそ今回の失態には、ことさら“裏切られた”という思いが大きいようだった――。
2019年06月04日「『太陽にほえろ!』のメンバーも、裕次郎さん、松田優作さん、地井武男さん……。何人かがすでに亡くなっています。その分まで、私が元気で生きなきゃって」そう話すのは、女優・長谷直美さん(63)。伝説のテレビドラマ『太陽にほえろ!』シリーズに“マミー刑事”こと令子役で出演したほか、『俺たちの朝』など多くの人気作品に登場している彼女だが、映画『悪い女はよく稼ぐ』(6月8日公開)でキャリア45年目にして、初の主演を務める。この作品は、監督をはじめ『太陽にほえろ!』の元スタッフや出演者たちが大勢関わっているということで話題のサスペンスフルなアクション。NYから帰国した詐欺師の水嶋忍(長谷)が同業の原田美和(熊切あさ美)と組み、大がかりな詐欺を仕掛けていく――。一時期、女優を“休業”していた長谷さんの今日までの道のりは、壮絶なものがあった。39歳で出産・結婚を機に引退。フランス・パリで子育てに専念していたが、15年で結婚生活が破綻する。そして、当時15歳だった長女・寧さん(23)が「父親と同居」を選んだことで、長谷さんはひとりぼっちになってしまう。「愕然としましたね。出産してからその日まで、『子どものことを何から何までやってきたのは私だ』という思いがありました。学校の送り迎えはもちろん、私も一緒にフランス語を習得しながら全教科を勉強していたので、2倍の時間がかかります。算数には公文式も加えて、かなり厳しい姿勢で机に向かわせていました。私としては娘が“言葉の違い”で勉強が遅れてしまったり、イジメにあったりしないようにと心配だったのですが、今思えば、損な役回りだったと思います」そのかいあって、寧さんは小・中学校でクラスのトップの成績となり、クラス委員も務めた。「でも父親は気楽な立場。娘に、ただ甘い顔をして、何でも買い与えるような人でした。15歳の娘にとっては、父との暮らしのほうが“楽しい”と映ったんでしょう。私は『いつかはわかるときが来るから』と言っただけで、それ以上、弁明はしませんでした……」アクションもできるアクティブな女優として活躍してきた長谷さんは、「言葉より行動」で、最愛の娘に伝えようと思った。「そのために自分の仕事を究めなければと思いました。現地で女優をするなら英語の習得が必須。私はロンドンに渡り、演劇学校で英語と芝居を学ぶことにしたんです」舞台で古典劇を演じることができる国家資格「レベル8」を取得して、’12年に帰国した長谷さん。同年10月に舞台演劇で女優復帰を果たしている。「娘に行動で見せる」という信念を着実に実践していた矢先の同年11月、バラエティ番組の企画で受診した人間ドックで、大腸がんが見つかる。「PET検査で腫瘍が見つかり、内視鏡で調べてもらうと3センチ大の大腸がん。幸いステージ1の初期のものだったので、内視鏡で焼き切る手術ですみました」このとき長谷さんは、海を隔てて元夫と暮らしている娘には「心配をかけてはいけない」と、手術が終わるまで黙っていた。術後の経過が「良好」とわかってからがんのことを伝えると、寧さんは、電話の向こうでしばらく絶句していたという。「それ以来、毎日電話をかけてきましたね。『ママ、今日大丈夫?』とか。それはすごく心配してくれていました」翌’13年4月には『警視庁南平班~七人の刑事~』で22年ぶりにテレビドラマにも復帰。しかし、’16年9月、寧さんから、突然の“悪い知らせ”が届く。「日本時間の真夜中にかかってきた電話で、娘はひどく取り乱していました。父親がその朝、突然死をしたというんです。クルマで仕事に出かけて、運転中に心臓出血を起こしたと……。私は娘が心配で、そして不憫で、翌朝にはフランス行きの飛行機に乗っていました」離婚したときに自分ではなく父親を選んだ娘――。もしかすると彼女は、母親に甘えることを遠慮していたかもしれない。だが、ここで長谷さんは、“強い母”としてすぐに行動に出たのだった。だからこそ、ちょっとずつ、母と娘の雪解けが進んでいる、今はそんな段階だ。「今回の映画については、娘はまだ予告編しか見ていないんですが、初めて言われましたよ、『ママ、カッコいい!』って。なんか、やっと認めてくれたのかなと思うとうれしかったですね。闘病中でも続けてきた私の女優という仕事を、遠く離れて暮らす娘が理解してくれたと――。娘はフランスの大学の医学部にいるため、社会に出るまであと3年ほどかかりますが、『将来は薬剤師になりたい』という目標は定まったようです」
2019年06月02日「『太陽にほえろ!』の“ゴリさん”こと竜雷太さん(79)。当時は、近寄りがたい雰囲気を醸し出していて怖かったんですが、今回の撮影ではとってもおだやか。『直美、久しぶりだなぁ、元気か?』と、ニコニコ顔で迎えてくれました。一方、DJ役・西山浩司くん(58)は、かつてのコミカルなイメージとちょっと違って、なかなかシブい性格俳優になっていた(笑)。あれから30年以上たったいま、こうして再び映画で共演できたのが、何よりうれしい。みんな元気でいるからこそですね」満面の笑みを浮かべて話すのは、女優・長谷直美さん(63)。伝説のテレビドラマ『太陽にほえろ!』シリーズに“マミー刑事”こと令子役で出演したほか、『俺たちの朝』など多くの人気作品に登場している彼女だが、映画『悪い女はよく稼ぐ』(6月8日公開)でキャリア45年目にして、初の主演を務める。一時期、女優を“休業”していた長谷さんの今日までの道のりは、壮絶なものがあった。39歳で出産・結婚を機に引退。フランス・パリで子育てに専念していたが、15年で結婚生活が破綻する。そして、当時15歳だった長女・寧さん(23)が「父親と同居」を選んだことで、長谷さんはひとりぼっちになってしまう。追い打ちをかけるように、3年後に大腸がんが見つかって――。「『太陽にほえろ!』のメンバーも、裕次郎さん、松田優作さん、地井武男さん……。何人かがすでに亡くなっています。その分まで、私が元気で生きなきゃって」’56年に東京都で生まれた長谷さん。「芸能界の同期デビューは、浅野ゆう子さん、戸田恵子さん、風吹ジュンさんなどがいます。ただ、私はクルマ好きで、競技に出場できるA級ライセンスも取得していましたので、いただくお仕事には運転シーンがある“アクションもの”が多かったですね」中学3年生のとき、15歳でミス・エールフランスコンテストに入賞。その後にスカウトされ、芸能界入りを決意。「歌手としては18歳でレコードデビューし、シングル3枚、アルバム1枚を出していますが、思い出深いのは女優業のほう。『大追跡』という、ちょっと変わった刑事モノでも、女性刑事でクルマを乗り回す刑事役を演じました」『太陽にほえろ!』シリーズは’77年、21歳のときから令子役で出演し、ロッキーこと岩城刑事(木之元亮)と結婚して2児の母となり、後に、マミー刑事として活躍するアクティブな女性像を演じた。映画『悪い女はよく稼ぐ』は、監督をはじめ『太陽にほえろ!』の元スタッフや出演者たちが大勢関わっているということで話題のサスペンスフルなアクション。NYから帰国した詐欺師の水嶋忍(長谷)が同業の原田美和(熊切あさ美)と組み、大がかりな詐欺を仕掛けていく――。「還暦を過ぎて初めての主演。見てほしいのは、年を重ねてもまだ、できる、頑張れるという姿勢ですね。女の人生100年時代ですから、まだまだこれからです!」
2019年06月01日