イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第94話。マタニティ・ブルーズ真っ只中、身も心もボロボロの和田さんの心を救ってくれたひと言とは?昼夜を問わず続く新生児お世話ルーティーンに、身も心もヘトヘトになってきたころ。私を救ってくれたのは母でも夫でもない、意外な人物でした。 「ママならぬ日々」第94話 絶妙なタイミングで、今、同じように新生児育児を頑張っている子からのメッセージ。しかも、共感しかない内容。本当にありがたかったです。自分だけ、自分の子だけ大変なんじゃないか? そんな思い込みにとらわれそうになっていたのが、「自分だけが大変なんじゃない。今、あの子も頑張っているんだ」と思えるようになりました。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月31日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第93話。育児がつらい、でもそのひと言がいえない理由とは……。里帰りはしたものの、毎日続く夜のワンオペ育児。ある夜やっとの思いで晩ごはんを食べようとしたところ、娘の泣き声が聞こえてきて……。 「ママならぬ日々」第93話 つらい気持ちを抱えながらも、誰かに「つらい」「疲れた」と言うことができませんでした。多分心のどこかで、「みんな大変なんだよ」「それでもみんな乗り切ってきたんだよ」と励まされるのを恐れていた気がします。だって、そう言われてしまうと、「みんなができていることができない私は、だめな母親だ」と思ってしまうからです。だからなるべく平気なフリをして、毎日を過ごしていましたが、この夜は追い詰められた気持ちになってしまいました。 そんな私を救ってくれたのは意外な人物でした……。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月30日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第92話。頑張って産んだかわいいはずのわが子に怯えるようなってしまい……。根がくそまじめな私。赤ちゃんのお世話も、ひたすら素直に真正面からこなしていました。実家に里帰りはしていたものの、夜はほぼ赤ちゃんと2人きりの生活。仕事で疲れている母に頼ることもできず、日に日に睡眠不足と疲労が溜まっていき……。 「ママならぬ日々」第92話 ハナの泣き声が聞こえた瞬間、全身がこわばって心臓がドキドキしました。あんなに頑張って産んだ、何よりも大切なわが子のはずなのに「こわい」と思い、そう思う自分を認めたくない気持ちでいっぱいになりました。いつの間にか、マタニティブルーズになっていたんだと思います。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月29日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第91話。夜中のお世話に疲れ果てた和田さんが、夜な夜なとった不思議行動とは?夜になっても頻繁に泣く娘。毎日のように赤ちゃんを抱きながら迎える朝。ヘトヘトになりながらも、なんとか乗り切ろうと必死で頑張る私は……。 「ママならぬ日々」第91話 このときは、たまたま2Lペットボトルがあったので、このような状態になってしまいました。夜中は本当にマラソンをし続けているような気持ちだったのを覚えています。(※ずっと文化部だった私は、「なんか運動部っぽい?」と思っていたんですが、別に運動部の人がコレをやっているのを見たわけではありません・笑) でも何も片手で無理矢理飲まなくても、いったん赤ちゃんを寝かせてお茶を飲めばいいだけの話。泣くわが子をなんとかしなくてはと頭がいっぱいいっぱいになっていたのが、今はよくわかります……(涙) 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月28日娘が脳症になったとき8話。おなかの風邪らしき症状から一転、娘が脳症だったことが判明した和田さん。治療が始まりましたが……。長女ハナが急性脳症になっていること、障がいが残る可能性があることを知らされ、夫も私も目の前が真っ暗になりました。なんとか自宅に帰ったものの、これからどうすればいいのか、まったくわかりませんでした。 娘が脳症になったとき #8 私たちはなぜか障がい児教育に携わっている友人に連絡しました。今こんなことをしている場合ではないとわかっていても、この先どうすればいいのかわからず、藁にもすがる思いでした。彼女は仕事が終わったばかりだったのにもかかわらず、私のただならぬ様子に気がついたのか、すぐに駆けつけてくれました。自分の教え子たちの様子、親御さんの生活、どうやって子どもたちが成長し、なにが大変なのかなど、いろいろ教えてくれました。第三者にハナの話をしたことで、夫も私も少し冷静になることができました。 友人が帰ったあとは夫婦でネットであれこれ調べまくりました。脳症の子が元気になった場合はあるのか、障がいが残った場合どうすればいいのか、などなど。元気になった子、重い後遺症が残った子、亡くなってしまった子……いろいろな子がいました。 私たちはなんとか安心したかったのだと思います。でも、どれだけ調べても、胸の中に重い塊があって、ちっともラクにはなりませんでした。 「まだわからないよね」「元気になった子もいるんだもんね」「明日はハナの好きな絵本を持っていってみよう」などと夫婦で励まし合い、とにかくハナの看病を頑張ることを決めました。翌日、夫は会社に看護休暇を申請。義母はしばらくうちに滞在してくれることになり、夫・私・義母3交代でのハナの24時間看護が始まったのでした。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月27日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第90話。終わりが見えない夜中の寝かしつけに、身も心も疲れ切ってしまい……。里帰りはしたものの、ほぼ娘と2人きりという生活がスタート。娘の新生児期、何が一番つらかったかといえば、間違いなくこう断言できます。「夜が一番つらかった!!」 「ママならぬ日々」第90話 それまでも夜更かしして朝日を拝んだことは何度もありましたが、娘の新生児期ほどではないと思います。空が白み、鳥がチュンチュン鳴き始めて、娘が眠った隙に崩れるように布団に倒れ込む毎日でした。 仕事で疲れている母に助けを求めるわけにもいかず、ひとりでなんとかするしかない、それが当たり前だ、と思い込んでいた気がします。入院中も経験した、この「人に助けを求められない性格」がふたたび自分を追い詰めていくとは思っていませんでした……。 夜の話はもう少し続きます。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月27日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第89話。里帰りした和田さんですが、思い描いていた里帰りと違ったようで……?やっとのことで実家に帰り、ホッとひと息。これから1カ月、母のそばでゆっくり赤ちゃんのお世話ができる。そう思っていたのですが……。 「ママならぬ日々」第89話 私の母はものすごく働き者。(そして娘である私はグータラに……)当時、日中は自営業の小売店を切り盛りし、夜は旅館でバイトするというWワーク状態でした。 そのためなんでもかんでも親に手伝ってもらうわけにはいかず、母のスケジュールに合わせて食事したり入浴したりする生活。ごはんを作ってもらえるのと、自分の入浴中に娘をみてもらえるのは本当に助かりましたが、ほとんどの時間は赤ちゃんと2人きりという、ちょっと変わった里帰り生活が始まりました。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月26日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第88話。実家に向かう車の中で和田さんが思わずプチぎれしたこととは……?退院後は実家に移動して1カ月お世話になる予定でした。高速道路を使って1時間の距離。いつもならノンストップであっという間です。でも新生児連れだとそうもいかなくて……。 「ママならぬ日々」第88話 泣きわめくわが子。「かわいそうだからチャイルドシートから下ろして抱っこしなさい」と言う母とのバトル。パーキングエリアで人目を避けながらの授乳。時間をかけて実家に到着した時にはヘトヘトになっていました(涙)。 兎にも角にも実家に到着! 産院にいたときよりはゆっくりできるだろう、と心のどこかで期待していたのですが、そんなにうまくはいかないのでした……。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月25日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第87話。退院日にテンパった和田さんが義父母やきょうだいにやっちゃったこととは……?退院日、なぜか親きょうだいが産院の外に大集合! 「ママならぬ日々」第87話 夫に取り付けておいてもらったチャイルドシートに娘を寝かせようとしたところ、付け方がわからずモタモタ。説明書を見ながら試行錯誤する夫と、いつ赤ちゃんが泣きだすかとずっとハラハラする私。そしてついに娘が泣き出してしまいました。私はもういても立ってもいられず、とにかく早く実家に移動しなくては!と頭の中はそれ一色。夫を急かして、母を乗せ、そそくさと出発してしまいました。 あとで落ち着いて考えてみたら、せっかく3時間もかけて会いに来てくれた義両親や、わざわざ来てくれたきょうだいたちに申し訳ないことをしてしまったと反省……。しかし、この謎のテンパリ状態は、このあとも続いてしまうのでした。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月24日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第86話。退院日、集まってくれたご両親やきょうだい。でも、和田さんはなぜかハラハラ。その理由は……?いよいよ退院の日がやってきました。ただ退院するだけ……と思いきや、朝から最後の診察、入院費用の精算、荷物の整理、自分や赤ちゃんの身支度、とやることは盛りだくさん! しかも親やきょうだいが来てくれることになっていたので、そちらの待ち合わせ時間も気になり、大忙しでした。 「ママならぬ日々」第86話 授乳ペースは多少できてきたものの、まだまだ不規則。赤ちゃんがおっぱいを欲しがって泣き出す前に移動したい、とずっと残り時間の計算をしていました。しかし、私以外の人はそんなことはまったく気にしておらず、のんびりお祝いムード。内心「写真とかどうでもいいから、早く移動させてくれ〜!」と思っていました。 今思えば、そんなに焦ることはなかったんですが、産後すぐだったせいか、赤ちゃんにとって初めての外出・移動だったせいか、赤ちゃんのコンディションにものすごく神経質になっていた気がします……。 監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月23日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第85話。退院時に着ようと持参した服が着られない! 結果選んだのは……!?前回、退院日のベビー服について触れました。では、私は何を着たかというと……。 「ママならぬ日々」第85話 約3kgの子を産み、羊水やら胎盤やら出したはずなのに、まさかの「1kg減」!!体重計を二度見してしまいました。 私の出産した産院は三度の食事に加え、おやつ、夜食と食べ物をたくさん提供してくることで有名。食べきれない分は夫の食事になったりしたので助かりましたが、それを差し引いても普段より多く食べたり飲んだりしていました。バテないように、母乳がよく出るようにと、変な使命感に駆られていた気がします。 そんなわけで体型も体重もほぼ変わらなかったため、産前の服は着られず、退院日にはマタニティウェアを着ることにしました……(涙)。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月22日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第84話。いよいよ退院間近の和田さんを悩ませた、あることとは……?24時間マラソンのようにお世話していたら、あっという間に退院日が近づいてきました。夫に来てもらい、退院手続きをして、実家に里帰りするだけの予定だったのですが……。 「ママならぬ日々」第84話 なぜかみんな来ると言い出して、一大イベントのような様相になってきてしまったんです!院内に集合するわけではなく、外の駐車場で待っていてくれるとのこと。ただただ退院するだけなのに、なんでこんなことに〜??という感じでした。 とりあえず最初に「ど、どうしよう」と思ったのは赤ちゃんに着せる服!母からは手編みの白いニットドレス、義母からも手編みのカラフルなニットワンピースとおくるみ、義祖母からはレース地のベビードレスのセットを、それぞれ出産前にいただいていました。どれも、いかにも特別な日に着せる感じのドレスだったので、退院の日にぴったりでありがたかったんですが、まさか3着も集まってしまうとは……(涙)!「いったいどれを着せれば全員に角が立たないんだ……!?」と悩みました。監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月21日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第83話。和田さんが入院中に持って行って一切、使わなかったある物とは?前々回、入院中必要になった物について描きました。逆に「コレはいらなかった!」という物もあります。それがこちらです。 「ママならぬ日々」第83話 出産直後は頭の回路がショートしたみたいになっていて、いつもしないような間違いを連発していました。押して開けるドアを一生懸命引いて、ドアに鍵がかかってしまったと看護師さんに言ってみたり、歯磨きのあとでなぜかお茶で口をすすいでしまったり。その後は昼も夜も赤ちゃんのお世話。おっぱいマッサージを欠かさず、よく食べ、時間が少しでもできれば眠り、何かハードなスポーツの強化合宿のような感じ。 「赤ちゃんが寝ている間のちょっとしたスキマ時間に読もう♪」そう思って持ってきた文庫本ですが、私の場合「赤ちゃんが寝ている時間」=「私が寝ている時間」だったので、そんなスキマ時間など存在しませんでした(笑)。結局、本は一度も手に取られることなく、トランクの片隅で邪魔になっていただけ。ホント、私にはいらない物だった〜! 監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月20日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第82話。産院に来てくれる義父母や友人、夫……。うれしい半面、帰ったあとに思わず叫んでしまう、あることとは??出産後、産院に家族や友だちが会いに来てくれることがありますよね。私が出産したときも、家族や近くに住んでいる友だちがお見舞いに来てくれました。(※コロナ禍前のお話です。) 「ママならぬ日々」第82話 私以外の誰かに抱かれているときの娘の大人しさと言ったら……!周りがうるさくても、抱き方がじょうずじゃなくても、一度も泣かなかったと思います。みんな「おとなしい子だね」とか「育てやすそうだね」と口々に言って帰るんですが、帰ったあとは泣いたりグズったり。娘は今も外面のいい子で、私にだけ当たることが多いんですが、そういえば新生児のころからそうだったな、と気づきました。 娘よ、お母さんにもやさしくしてくれ〜〜(涙)!監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月19日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第81話。入院生活で必要になってしまって困った物があるよう……!?産後の入院生活で「これがなくて困った!」という物はありますか?入院準備はしっかりしていたつもりだった私。でも予想外に必要になった物があり、買いに行けないので焦りました。それは……。 「ママならぬ日々」第81話 悪露対策の産褥パッド(お産パッド)は産院で用意してもらえる物のほかに、自分でも用意してありました。でも思っていた以上に消耗が早く、すぐなくなってしまいました。そのあとは夜用ナプキンを使いたかったのですが、私のいた産院には売店がなく、入院中の身では買いに行くこともできないので焦りました。 困って夫に相談したものの、「え、それはさすがにちょっと……」と断られることを予想していました。が、ためらうことなくドラッグストアへ行って、すぐにどでかい夜用ナプキン2個パックを買ってきてくれたのでびっくり! 「ちゃんと協力してくれるんだな」と夫を見直しました。 ちなみに、つい最近夜用ナプキンが切れたので同じ調子で夫に頼んだら、「やだよ!!」とバッサリ断られました。うーん、やっぱりあのときは特別だったのか……。監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月18日人気マンガ家・イラストレーターの和田フミ江さんがステキなおばあちゃんを目指すマンガ連載「ときめけBBA塾(ばばあじゅく)」第108話。腕の痛みが四十肩だと思いたくなかった和田さん。痛みが取れず、ついに受診したところ……。★前回:「若いころは嫌だったのに…」気付けば、おばさんあるあるを地で行くようになって… #ときめけBBA塾 107103話でも描いたのですが、昨年末から右腕を左や後ろに大きく動かすと、痛みを感じるようになりました。家族には「四十肩だ!」「いや、五十肩だ!」と言われましたが、「違う! 腕だし、上には上がるもん!」と否定し続けていた私。やっと先日病院へ行き、レントゲンも撮って診察してもらったところ……。立派な四十肩でした。もしかしたらほかの病気の可能性もあるのでは、と思っていた自分が恥ずかしい……。「加齢」を突きつけられた気がしました。しかも、私は安静にしてなるべく動かさないよう気をつかっていたのに、「よく動かすようにしてください」と、まったく逆のことを指示される始末。眠れないほど痛む場合は注射を打ったりするようですが、私の場合はそこまでではなかったので、念のため痛み止めをもらったくらいで診察が終わりました。まだまだ痛みがあり、ちょっとした動きでもん絶することもあるので、なかなか厄介です。早く治ると良いなあ。※記事の内容は公開当時の情報であり、現在と異なる場合があります。記事の内容は個人の感想です。※本記事の内容は、必ずしもすべての状況にあてはまるとは限りません。必要に応じて医師や専門家に相談するなど、ご自身の責任と判断によって適切なご対応をお願いいたします。著者/和田 フミ江(46歳)イラストレーター・漫画家・二児の母。女偏差値43。極度の運動不足・シミ・シワ・白髪・腰痛・片頭痛などなど問題山積みで、ネタに困る気がしない。「ステキなおばあちゃん」を目標に、これから頑張ります!
2022年03月17日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第80話。一緒に入院中のママ仲間が和田さんに対してマウンティング……!? その内容とは?私が出産した産院は完全個室だったので、入院中のほかのママたちと顔を合わせるのは、シャワールームにいるときや、産院で企画しているお茶会や食事会、授乳や沐浴の指導のときだけでした。でも、同じ新生児のお世話を頑張っている者同士、集まる機会があればいろいろと相談したり励まし合ったりしていたのですが……。 「ママならぬ日々」第80話 このママは本当に悪意なく、赤ちゃんがよく寝てくれることを言っただけだったと思います。が、睡眠不足でささくれだった心の私は、ちょっとイラッ。同時に「2〜3時間寝てくれるなんて、なんてうらやましいんだ!!」と激しく思いました。 「新生児があまり寝てくれない」なんて、長い長い子育て生活のなかではほんの一瞬の悩み。当時もそれは頭ではわかっていたんですが、赤ちゃんのタイムスケジュールに自分の全生活がしばられていたので、「なんでうちの子は1時間しか寝ないんだろう?」と周りと比べてしまっていました。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月17日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第79話。ようやく母子同室になった和田さんが、娘につい感じてしまったイライラとは……!?出産当日の夜は、病院の配慮で母子別室。2日目は、私のおっぱいトラブルで母子別室。3日目になって、ようやく母子同室での夜を迎えたのですが……。 「ママならぬ日々」第79話 とにかく眠かった……!!授乳しながら時計をにらみ、このあと何分寝られるかよく計算していました。授乳もまだスムーズにいかないし、娘はおっぱいを飲んだらうんちをするので、おむつチェンジでまた起きて泣いたりするし、自分自身の悪露やおっぱいのケアもあるし、なんだかんだと睡眠時間が削られてつらかったです(涙)。監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月16日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第78話。ちゃんと「お母さん」できていないと感じ落ち込んだ和田さんが、次にとった行動とは!?ひとりベッドでめそめそ泣いた翌朝。気持ちを落ち着けるために今日はひとりでゆっくり……なんてことはもちろんなく。朝から待ったなしで再び赤ちゃんのお世話が始まりました。 「ママならぬ日々」第78話 検温や回診で助産師さんや看護師さんがくるたび、つかまえて質問攻め。「そんなの気にしなくてもいいんじゃね?」みたいなこまか〜い質問までアレコレ聞いていた気がします。でも、みなさん呆れたりせずすごく丁寧に教えてくださったので、本当に助かりました! 私は、「もう母親になったのだから、なんでも自分でやらねばならない」と必要以上に思い込んでしまっていたんだと思います。だれかに助けを求めるのが下手で、してはいけないことのように感じていました。このときは「どんどん質問して教えてもらおう!」と思えたんですが、退院後もまた人に頼ることができずに、いっぱいいっぱいになってしまうことが何度もありました。(それはまたいずれ……) まだまだお世話マラソン生活は続きます。監修/助産師REIKO 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月15日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第77話。夜中に助産師さんがやってきたあと、和田さんが思わず落ち込んだこととは!?母子同室スタート初日。深夜になって、おっぱいをあげてもおむつを替えても泣き止まなくなってしまった娘。原因がわからず、もしかしたら何か体調が悪いのではないかと怖くなりました。結局ナースコールして助産師さんにきてもらったところ……。 「ママならぬ日々」第77話 実は、おっぱいの吸わせ方が浅く、乳首が傷だらけになっていました。でも、初めてのことなので、この痛みを乗り越えると落ち着くのかと思い、必死に耐えて授乳し続けていたんです。おっぱいがうまく吸えない娘はギャン泣き、ちゃんと授乳できていると思っていた私は訳がわからず右往左往していたのでした。 初日も不安なまま夜を過ごしましたが、この夜は自分が情けなくて泣きました。赤ちゃんを産んだら「お母さん」になるけど、いきなりお母さんとしてのアレコレができるわけではないんですよね。よく考えてみれば当たり前なんですが、そのギャップに打ちのめされてヘコんでしまいました。 そんな新米ママを助けるために助産師さんや看護師さんがいるわけですが、ためらわずどんどん助けを求めればいいということに、このときはまだ気づいていませんでした。監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月14日娘が脳症だったことをボロボロになった夫に泣きながら言われた和田さん。「おなかの風邪」だったはずの病名が「急性脳症」に変わって…。検査の結果、髄液に問題はなく、脳波がゆるやかになっていることから、ハナは急性脳症と診断されました。 娘が脳症になったとき #7 悪い夢を見ているようでした。歌ったり踊ったりするのが好きなハナが、それができなくなるかもしれないなんて、考えたこともありませんでした。元気に生まれたら、ずっと元気に育つのだと、当然のように思っていました。現実が受け入れられず、口から出るのは「なんで?」「ひどい」ばかり。どうしたらいいのかわかりませんでした。 今後の治療としては、ステロイド、抗生物質、脳浮腫に効く薬、抗けいれん剤を投与して症状の回復を待つ、と医師から説明されました。ステロイドなんて、肌に塗るだけだって気をつかう物質を投与するの?と驚きましたが、ステロイドを急性期に大量投与すると良くなるケースが多いとのことでした(ステロイドパルス療法)。 駆けつけてくれていた義両親。義父は仕事のため自宅へ帰り、義母はハナに付き添ってくれることに。私たち夫婦は二女ハッパを連れて自宅に帰りました。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月13日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第76話。いよいよ母子同室生活がスタート!張り切ってお世話していた和田さんですが……!?授乳&おむつ替え指導のあとは、入院室に戻って母子同室生活がスタートしました。やっと赤ちゃんといっしょにいられると思ってうれしく、張り切っていたのですが……。 「ママならぬ日々」第76話 おっぱいをあげても、おむつを替えても、抱き上げても、寝てくれず泣いているわが子。教わったとおりにちゃんとやっていたはずなのに泣き止んでくれず、何が悪いのかさっぱりわからなくて、本当にこのときは困り果てました。 自分も出産で疲れていて眠いし、お股の傷は痛いし、深夜ひとりで途方に暮れて、結局看護師さんに助けを求めることにしました。監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月13日イラストレーター和田フミ江さんの「ママならぬ日々」第75話。出産翌日、わが子に授乳をしていたら、想像をはるかに超える吸引力に、和田さんの胸が……!?出産したら突然始まる「お母さん」生活!まだ体はボロボロ、頭もボーッとしている状態にも関わらず、出産翌日はまず授乳&おむつ替え指導を受けました。 「ママならぬ日々」第75話 初産なので当たり前ですが、赤ちゃんにおっぱいを吸われたことがなかったので、娘がちゃんと乳首に食らいついたときは「すごい! ちゃんとここをくわえるってわかってるんだ!」と感動しました。しかしその感動も束の間、思った以上の吸いっぷりにびっくり。おっぱいが痛くて声が出そうになりました。 授乳指導の方に痛くない吸わせ方を教えてもらったものの、コツがうまくつかめないまま、赤ちゃんにげっぷをさせて、おむつの替え方を教わって終了。赤ちゃんを連れたまま入院室へもどって本格的な母子同室が始まり、張り切っていたのですが……。監修/助産師REIKO著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月12日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。埼玉の夫の実家に居候して約1週間。義母の疲労が目立ってきました。慣れない息子一家(私たち)との生活が、頑張り屋の義母の負担になっているように見受けられました。 夫の会社は震災で建物自体が立ち入り禁止になっており休業中。私も仕事を休んでいたのですぐに帰る必要はなかったのですが、義実家への負担を減らすためにも、そろそろ茨城の自宅へ帰ることにしました。これから私にできること 余震によるダメージや火災、泥棒などの心配もしていましたが、自宅は無事でした。水道の漏水が見つかって数万円の出費があったものの、大ごとにはならずに済みました。そして今度は、まだ被災地で困っている人たちのために自分にできることはないのか、考え始めました。 ここまでが2011年当時に私が描いた漫画です。 あれから、10年。復興へ向けての支援をどれだけできてきただろかと、自問せずにはいられません。また、自分の漫画を読み返し、いろいろなことを忘れていることに驚きました。 今の私にできること。そしてこれからの私にできること。あの時の気持ちと体験を忘れることなく、自分にできる備えや支援を真剣に考えること。それが私にとって一番必要なことだと、今、強く思っています。 震災から10年を振り返って、自分は何ができたかを自問自答された和田さん。10年たった今もなお、大変な思いをされている方もいる、そしてこれからも震災は起こる、そのことを胸に私たち一人ひとりも今一度しっかりと受け止め考え、自分ができることをおこなうことが大切だと痛感しました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月11日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。食料がなくて冷凍庫にある物で何とか耐えている母、水をもらうために何時間も並んでいる妊婦の友だち、私の大切な人たちが食料や水に困りながらも、黙々と頑張っていました。 原発事故の収束の見通しは立たず、いつ何があってもおかしくない状態。自分で助けに行くことはできない。「助けて」と言いたいけど、誰に言えばいいのかわからない。そんな追い詰められた気持ちが続いていました。 避難したのに、気持ちは落ち込みがちに… 私の故郷は海が近いので津波の被害がありました。実家は海から少し離れているものの、ほんの数百離れたところまで海水が押し寄せたそうです。 住めなくなった家や施設があったり、景観が変わってしまったり。見慣れたはずの場所が、まったく違う場所のようになって、テレビに映っていました。 このころSNSには心ない中傷やデマ、憶測もたくさんあふれていて、誰かを傷つけたりパニックを引き起こしたりすることもよくありました。でももしツイッターなどのSNSがなかったら、そしてたくさんの人が拡散してくれなかったら、福島県、茨城県の困っている人たちの声は届かなかったかもしれない、と個人的には感じていました。 原発事故収束のため日夜必死で頑張ってくれていた方々、まだ高速道路はあちこちガタガタで、鉄道も復旧しないなか、物資の輸送を再開してくれた物流関係の方々、本当にたくさんの人の並々ならぬ努力のおかげで、一番深刻な局面を乗り切ることができたんだと、今改めて思います。 自分にできることを探して動き始めた和田さん。前に向かって和田さんが感じ、決意したこととは…。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月10日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。ガタガタの高速道路を高速バスで走って上野につき、そこから電車に乗って埼玉にある夫の実家へ移動しました。 避難生活で感じたことは? 義実家についてすぐ、夫は病院を受診し、薬を手に入れることができました。 一見普段通りの生活を送っているように見える義実家でしたが、原発事故の影響による計画停電で不便な思いをしていました。1日2回計画停電が実施されると合計8時間の停電。水道に電気ポンプを使用していたため、その間は水道も使えなくなってしまいます。停電の間は店舗が閉まるため買い物の時間も限られ、仕事もできなくなります。食事のときはロウソクを点灯。被害が少ない地域でも普段通りに暮らせているというわけではないことを、このとき知りました。 私の実家は津波の被害もあった地域。当時予断を許さない深刻な状況だった福島原発からも近く、また母は手をけがしていたため、とにかく心配でした。 思い返すと、10年前のあのときは本当にたくさんの人が「私の大変さなんて大したことはない」と言って、じっと不便さに耐えていました。それだけ東北地方沿岸部の被害が凄まじかったからだと思います。パニックにならず、大人も子どももきちんと列に並び、協力しあう日本の様子は、当時海外のニュースでも取り上げられていました。 もちろんパニックになっている人もいたし、理不尽なことや、腹立たしいこともたくさんあったけれど、あのとき必死に頑張っていたたくさんの人たちの態度は、本当に誇るべきものだったと、今でも思います。 夫の実家で生活し始めた和田さんですが、実家の状況を聞いて和田さんの心に異変が…。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月09日歌手の和田アキ子、女優の米倉涼子が8日、東京・銀座のBVLGARIで行われた「『BVLGARI AVRORA AWARDS 2022』国際女性デー 発表記者会見」に出席した。ブルガリ ジャパンが2016年から毎年発表している「BVLGARI AVRORA AWARDS」は、今もっとも輝く女性たちとその取組みを讃えて支援するというもの。それに先駆け、国際女性デーにちなんで行われた同アワードの記者会見に2022年度受賞者の米倉涼子、2021年度の和田アキ子、2018年度推薦者の林陽子氏(弁護士)が登壇し、国際女性デーに因んで女性にまつわるトークディスカッションが行われた。イベントには胸元と背中がガッツリと空いたセクシーな衣装で登場した米倉。コロナ禍ということもあって、和田とは久々の再会となったが、冒頭から「ごめんなさい。和田さんとはお久しぶりなのでとても緊張しています(笑)」と固くなると、和田が「ここで緊張って言わないでよ(笑)。昔良く飲んでましたから(笑)」と苦笑いする場面も。続けて写真家・操上和美氏の推薦で今年度最初の受賞者となった米倉は「率直にうれしいです。いつも走り続けて独自のオーラを持った尊敬している操上さんに推薦されたことを誇らしく思うしありがたく思っています」と感謝の言葉。昨年度に受賞した和田は「輝いている女性に贈るのは良いんですが、私に贈るのは遅かったなと」と笑いを誘うも「選ばれてすごくうれしかったです。日本だけじゃなく中国やアジアにも広まっていることはすごく素敵ですよ。去年の授賞式にもう1回、10年後に受賞したいと言いましたが、5年後ぐらいに是非受賞したいですね」と2度目の受賞に意欲を見せた。ジャンルは異なるものの、今や芸能界でベテランの域に達する和田と米倉。次にチャレンジしたいことを問われた和田が「今年の10月でデビュー55周目に入ります。そのためにも今日はこの後ボイストレーニングに行きますし、目標を持って上に上がりたいですから、毎日がチャレンジです」と飽くなき向上心を持ち続けているという。一方の米倉も「今年はまたニューヨークに行くことが実現できると思うので、それに向かって頑張りたいと思います。それと後は進んでいることがありますので、それに向かって一歩ずつ頑張って行きたいですね」と目を輝かせていた。
2022年03月08日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。夫の持病の薬が切れたことをきっかけに、茨城から夫の実家のある埼玉に避難することを決めた私たち。というのも、ネットで高速バスについての情報を得たばかりでした。 避難することを決めるも複雑な気持ちに…出発の前夜は落ち込みました。実家の家族や友だちを残して避難すること。夫の実家まで無事たどり着けるかわからないこと。いつ戻ってこられるのか、元の生活に戻れるのかわからないこと。余震や原発の状況。いろんな不安がありすぎて、自分でも何にヘコんでいるのかよくわからないなあ、と思いながら荷造りをしました。 このときは、まるで違う世界に突然来てしまったような衝撃で、しばらく呆然と雑踏を見つめてしまいました。被災地以外の場所では、計画停電などの不便はあるとはいえ、普段と変わらずに生活できている。そのギャップを目の当たりにして、何とも言えない気持ちになりました。 あれから10年。今送れている「普通の生活」が、決して当たり前のものではないことを忘れてはいけない。あのときの自分の気持ちを思い出して、改めてそう思いました。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月08日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。おふろの残り湯、友だちからもらった井戸水、かろうじて買うことができたペットボトルの水……。水道が復旧する気配はなく、あちこちからかき集めたわずかな水でやりくりするなか、ふいに夫が重大なことに気がつきました。 一難去ってまた一難 食料の確保はすぐに難しくなりました。一日中自転車であちこちかけまわっても、手に入るのは子どもが食べられないような激辛ラーメンや甘いジュースなど。たまたま炊き出しをやっているところを見つけて、列に並んだこともありましたが、並んでいる人数分しかもらえず、また紙皿なので、家族全員分の食事を持ち帰ることはできませんでした。 そんななか、予想外の物資がわが家に到着しました。 食料と水の問題が一応、解決した途端、新たな問題が発生。「一難去ってまた一難」がエンドレスに続いている感じでした……。いつも優柔不断な私ですが、このときはすぐに避難することを決断しました。というのも、前日にある情報を入手していたのです。 ※この漫画は、2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載されたものを、再編集・加筆しています。 著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月07日ベビーカレンダーでも人気のマンガ家の和田さんは当時茨城県で、小さいお子さん2人を子育て中でした。これは、和田さん一家が体験した震災の記録です。震災直後、物流がストップし、他県の親族から物資を送ってもらうことができなくなってしまいました。電気は復旧したものの、水道は止まったまま。少し離れた場所に給水車が来ていると聞いて向かったのですが……。 近所で家事が発生!? 水がなかなか手に入らず、途方に暮れていたところ…… 友人からもらった井戸水は、一滴も無駄にしないよう、大切に大切に使った覚えがあります。あれから10年、今はジャージャー雑に使ってしまっている水道水。当時の私が見たら、きっと怒るだろうなあ……とふと思います。 ※2011年に「本当にあった笑える話」(ぶんか社)掲載された漫画を、再編集・加筆したものになります。著者:マンガ家・イラストレーター 和田フミ江姉妹の母。趣味はゲームと旅行と美味しいものを食べること。
2022年03月06日