ダウンタウンの松本人志(53)が6月25日放送の「ワイドナショー」(フジテレビ系)に出演し、22日夜に亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)について言及。麻央さんは14年10月に乳がんの告知を受けて闘病中だった。 これまで同番組を通じて麻央さんの容態を案じてきた松本。麻央さんが闘病のさなかに開設したブログについても、「麻央さんのブログはよくニュースになっていた。すごく明るく、でもそればっかりやなくて、つらいときはつらいときで正直にブログに載せていて……」と、振り返った。 続けて松本は、「ああ、なんとか乗り越えてほしいなと思っていたんですけどね。本当、こういう人を“美しい人”というんじゃないですかね……」と、麻央さんの健闘をたたえた。松本は、麻央さんの夫である市川海老蔵(39)の会見の映像を見ながら目を潤ませ、ときおり指で涙を拭うような所作も見せていた。 いっぽう、この日出演していたHKT48の指原莉乃(24)は、麻央さんの訃報に対する報道のあり方に言及。麻央さん夫妻の自宅前を帰宅途中に通りかかった際、公表前にもかかわらず報道陣がいたと明かし、「身内が亡くなったかもしれないという状況で、なぜそこまで執着して……」と、苦言を呈した。 指原のこの苦言に対し、芸能リポーターの長谷川まさ子(54)は、「マスコミが事実確認をとるため、夜通し家の前にいる状況になってしまったことは確か」と、補足した。
2017年06月25日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が、乳がん闘病中だった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)を亡くしたことを明らかにした会見から一夜明けた24日、ブログを更新。麻央さんがいない悲しみをしたためながらも、「私は2人に恩を何十倍にもしてかえします」と子どもたちを支える決意をつづった。 「かなしささみしさがより現実的になっていく朝です」と心境を吐露した海老蔵。「今日から少しづつですが、おにぎりつくり40の手習い?今日からパパママもやります」と父として覚悟を記した。 続けて更新した記事では、長女・麗禾ちゃん(5)、長男・勸玄くん(4)と相撲をとる写真を公開。「とても辛いです。そんな時子供達の笑顔が皆を救ってくれる」と悲しみのなかでも気丈に振舞う子供たちに支えられていることを明かした。 つづけて「しかし2人にはお母さんがいません。これから2人には大きな心の戦いが待っています。2人の笑顔で救われていますが、私は2人に恩を何十倍にもしてかえします。そう決めました」と決意を新たにした。 そして「まおの思い元気になったらこうありたい!という気持ちを私も引き継ぎ。生きます。私では力不足ですが、私はまおの生きたかった行いたかった事をしていきます。まおと私は共に生きます。私の中にいつもある。そう思ってます。いついつまでも」と愛妻・麻央さんへの思いをつづった。 麻央さんは在宅治療中だった22日に容態が急変。同日夜に家族に見守られる中、息を引き取った。海老蔵は23日午後に会見を行い、報道陣に向けて「息を引き取る瞬間、『愛してる』と言って、本当にそのまま旅立ちました」と語った。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(3)――子供さんへの言葉で印象に残っていることは?心残りだったと思います。2人のことについては、どうすればいいんだろうと考えても、答えは出なかったことだと思います。ですから、いろんなことがあり、今回も子供たちが出演したり、7月にせがれが出るんですけど、見に来ることを1つの目標として、いろんなものを作ったんですけど。でも、きっと見ていると思うんでね。心配で心配でしょうがないんじゃないでしょうか。――海老蔵さんに託されたことは?多すぎて言葉に出せないですね。このあとも舞台もありますし、来月も舞台ありますし子供の舞台もありますし、勸玄の稽古、麗禾の成長のことも考えますし、5歳と4歳ですから、これからお母さんという存在が彼女や彼には非常に重要な存在なわけではないですか。それを失った。僕は代わりにはなれないですけど、できる限りのことをやっていこうと思っています。――麻央さんからよく聞いた言葉で思い出される言葉はありますか?やはり、言葉というか、お姉さまの麻耶さんが調子悪くなったとき、私が舞台で非常に疲れたときも、彼女自身はもっと重い病にかかっている、麻央の方が大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ、言葉ということではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち…これがね、一番大きかったですね。――どんな奥さんでしたか?わかりませんね。僕を変えた奥さんなんじゃないですかね。――プロポーズのときに「来世も、その来世も」と。そのつもりです。その話もしました。僕が愛想を尽かされないように頑張らないといけない。――改めて今、麻央さんに伝えたいことは?まだ、昨日の今日なので、こういところも聞いていると思うんで、全部聞いていると思うんで、言うことは言わなくても伝わると思うんで。「いつも想ってる」ということですよね。(最後のあいさつ)麻央のブログや麻央の存在で励まされた方々がいらっしゃるということで、今回のこのような形もとらせていただいた。実際そういうことがなければ、このようなことをご報告する自体が形としてはどうかと思います。ですがそういう多くの麻央のことを応援してくださった方、また、麻央と共に戦っている方々、昨日先に旅立ちましたけど、ずっと麻央はきっと皆さんの側にもいると思うので。本当にいろいろ、ありがとうございました。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(2)――闘病の中で、笑顔、勇気、愛情を忘れずに闘ってこられた。おっしゃる通り、本当に笑顔と勇気と愛情、そして、決してブレない自分、そして、どんな状況でも相手のことを思う気持ち…愛ですよね。そういう力が最後までブレず、一昨日まで笑顔で話していて、昨日はちょっと調子が悪かったので。我々家族も急にそういう風になってしまったので、とまどった部分も多かったです。――お亡くなりになって麻央さんにどんな言葉を送ったか。この世にある、ありとあらゆる言葉を耳元で話していました。――麻央さんはどんな存在か。とにかく私を、どんな部分も、どこまでも愛してくれていた存在。できれば、ずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女にはもっと幸せにもっと楽しく、家族やお友達やご家族…麻耶さんやお父さまやお母さまといて、そして私が役者として成長する過程をずっと見守ってもらいたかった存在です。――麗禾ちゃんと勸玄くんの様子は?麗禾は昨日はずっと麻央の側を離れませんでした。そして彼女の横でずっと寝ると言って、寝てました。認識はしていると思いますね。勸玄はまだ、わかっているんですけど、わかっていないところもあって。今日の朝も麻央の横になっているところに、2人が麻央の顔を触ったり足をさすったり手を握ったり、そういうところを見ると、私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと…子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました。勸玄はまだ、わかってますけどわかってないと思います――奥様からから学んだことは?元気になったら彼女は自分が歩んできた過程の病、乳がんやそれに伴う病に対して、自分が治ったらああしたい、こうしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいと一生懸命闘病しました。それでブログも始めました。マスコミさんのおかげで公になって、ある意味、ありがたかったと思います。それでブログを始めて同じ病の人たちや苦しんでいる方々と苦しみや喜びを分かり合う姿は、私からするとなんか、人ではないというか、何というんですかね…すごい人だなと。言い方おかしいですけど、とにかく総合的に教わったこと、そしてまた、今後も教わり続けることは、愛なんだと思います。――思い出す麻央さんの表情は?全部です。始めて会った時の彼女から今日の朝まで全部ですね。――笑顔が多い?そうですね。多かったと思います。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が23日、都内で東京・渋谷のBunkamura シアターコクーンで開催中の自主公演の合間に会見を行い、妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が乳がん闘病の末、22日に亡くなったことを報告。約400人の報道陣の前で、麻央さんの最期の様子や麻央さんへの思いを、涙を流しながら語った。以下、会見での一問一答(1)(冒頭のあいさつ)わざわざご報告をするようなことではないかもしれませんが、今朝、家の前にも多くのマスコミの方がいらっしゃいました。ご報告するということも一つの義務なのかと思いました。昨日夜に妻・麻央が旅立ちました。それによりいろいろとございます中で、家族の時間や、家族でしなくてはならないこと、家族で話すべきこと…そういった中で思った以上にみなさまに伝わったのが早かったということで、急きょこのように時間をつくっていただいたのは、多くの方にご迷惑のかからないように、そしてブログや、アナウンサー時代から妻のことを応援してくださった方々にご報告ということで、このような時間を設けさせていただきました。――麻央さんの最期はどのように看取られたのか。私は昨日も舞台で、それまで麻耶さんと麻央のお母さんが看病していました。私は昨日、舞台が終わった後にここで別の撮影がございまして、そのあとにロビーで別の稽古がありまして、そのときにお母様からLINEが来ていたんですけど僕は見る事ができませんでした。1時間半ほど遅れて見た内容が、「具合が悪い」と。「お医者様も来ていて、家族を呼んだ方がいい」というような内容で、私も慌てて急いで家に帰ったわけです。帰りますと、麻央はまだこの世にいてくれて、本当にたまたまなんですけど、私が妻の前に座って呼吸が苦しそうだったので大丈夫かなと。一昨日までしゃべれたんですけど昨日はずっとしゃべれずにいたので、これは不思議な話ですけど、息を引き取る瞬間、私は見ていました。その時、不思議なんですけども「愛してる」と言って…彼女がその一言を言って…泣いちゃいますよね(泣き笑い)、その一言。「愛してる」と言って、それでそのまま旅立ちました。「る」が聞こえるか聞こえなかったか、ちょっとわからなかったんですけど、「愛してる」と言って旅立ったのがちょっと…。なんというんでしょうか、こんなに愛されていたのはよくわかっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていたことに…。なんともいえませんね。すいません。どうしても昨日の今日で、何も準備もできていなくて、お見苦しいところをご覧入れて。――最期ご自宅で送ってあげることができたのは良かったと思いますか?それはとても良かったと思います。お母様もお父様も、私も、麻耶さんも、子供たちもずっとそばにいられたのですごく良かったなと。私は父を病院で亡くしているので…病院の時とは違い、家族の中で、家族と共に一緒にいられた時間は、本当にかけがえのない時間を過ごせたと思います。――お子さんも含めてご家族で送ることができた?そうですね。子供たちも見ていました。
2017年06月24日歌舞伎俳優の市川海老蔵が(39)が24日朝、自身のブログを更新。妻でフリーアナウンサーの小林麻央さん(去年34)が22日に亡くなったことを報告した会見から一夜明け、今の心境を打ち明けた。「おはようございます」というタイトルで更新した海老蔵は、「かなしささみしさがより現実的になっていく朝です」と悲しみを吐露。「おはようございます。皆様。今日も素敵な一日をお過ごしくださいませ」とつづった。その後、「少しでも長くママのそばに」というタイトルでも更新し、「まおのところへ部屋は寒いのですが、布団をかぶり少しでも長くママのそばにいたいと」と麻央さんの近くで布団をかぶって横になっている長女・麗禾ちゃんの写真を掲載した。それでも、続いての投稿では、「ぶれずに」と題してトレーニングしている自身の写真をアップし、「今日も二回公演トレーニングします」とコメント。きょうも「第四回 自主公演 ABKAI 2017~石川五右衛門 外伝~」の舞台に立つ。海老蔵は23日の会見で、涙ながらに麻央さんの死を報告。「『愛している』と言ってそのまま旅立ちました」と最期の言葉を明かし、子供たちの様子や麻央さんへの思いなどを語った。
2017年06月24日フリーアナウンサーの小林麻央さん(享年34)が22日に亡くなったことを受け、所属事務所セント・フォースの代表取締役・久保地美晴氏が23日、公式サイトを通じてコメントを発表した。同氏は、「昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました」と報告。「いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした」と生前の麻央さんを偲ぶ。「アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせて頂いたのは、本当に幸せでした」と回顧し、「病を公表してからの皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当に有難うございました」と周囲の支えに感謝した。以下、全文。○所属事務所コメント皆様へ平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申しあげます。弊社所属の小林麻央さんは、昨年6月の病の公表以降も、ご家族の身を尽くされたご看病のもと、懸命に病と闘って来られましたが、昨日22日、誠に残念ながら逝去されました。いつも周囲のスタッフや出演者の方々に温かい心配りを忘れない、そして自然と周りを笑顔にする、本当に心優しいお人柄でした。アナウンサーとしての活動は7年余りでしたが、皆様に愛され、たくさんの素晴らしいお仕事に恵まれ、充実した時間を送られたと思います。また、そのような時間を共に過ごさせて頂いたのは、本当に幸せでした。また、病を公表してからの皆様の温かい励ましのお言葉、改めて本当に有難うございました。皆様におかれましては、どうぞご家族の御心情をお察し頂き、今はどうか静かに見守って頂けますよう、心よりお願い申し上げます。平成29年6月23日株式会社セント・フォース代表取締役久保地美晴
2017年06月23日ものまねメイクで人気のタレント・ざわちんが23日、自身のブログを更新し、22日に34歳で死去したフリーアナウンサーの小林麻央さんの優しさに感激したエピソードを明かし、感謝の思いをつづった。ざわちんは「小林麻央さんがお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈り致します」と追悼。「小林麻央さんとは直接お会いできなかったのですが、実は大変お世話になったことがあります」と切り出し、2014年に海老蔵からブログを通して本人のものまねメイクのリクエストを受け、12月6日の海老蔵の誕生日にプレゼント代わりにものまねメイクを公開しようとしたときのエピソードを書き出した。その際、「目元を似せれてもあのヘアは厳しい」と悩み、麻央さんと以前から知り合いだったというマネージャーが麻央さんに相談。すると、「ご丁寧に海老の家紋のある海老蔵さんの手ぬぐいをわざわざ二枚も送ってきて戴きました」と、麻央さんから海老蔵の手ぬぐいが届いたという。ざわちんは「麻央さんから送って戴いた手ぬぐいで頭をおおって、市川海老蔵さん風ものまねメイクが完成したのです」と振り返り、「その時、本当に優しい方だな、今度お会いしたときにお礼を言わないと、思っていました」とつづった。続けて、「麻央さんからマネージャーを通して海老蔵さんの歌舞伎もお誘い戴いていたのですが、スケジュール合わず行けず、お礼を言うことができませんでした」と明かし、「麻央さん、お礼の言葉が遅くなりました。本当に本当にありがとうございました」と感謝。「海老蔵さんのものまねメイクは麻央さんから戴いた手ぬぐいがあったからこそ完成できましたよ」と話しかけるように記し、「常にまわりのことを考えて気配りされるお優しさが心にしみました。あらためて小林麻央さんのご冥福を心からお祈り致します」と悼んだ。
2017年06月23日本日6月23日(金)、乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーで歌舞伎役者・市川海老蔵の妻の小林麻央さんが、亡くなったことが報じられた。この度日本テレビでは、小林さん死去の一報を受け、26日(月)に緊急特番「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」を放送することが分かった。昨年乳がんを公表し、闘病を続けてきた小林さん。海老蔵さんの妻として、2人の子どもの母として、そしてキャスターとして世の中の人たちに多くの勇気を与えてくれた。番組では、小林さんがその34年の生涯を通じて、何を伝えようとしてきたのか。これまでの日本テレビの取材、そして新たな取材を加えて、彼女の強さ、そして優しさを描くという。26日(月)は、スタジオから生放送。「NEWS ZERO」のメインキャスター・村尾信尚を始め、ラルフ鈴木アナウンサー、鈴江奈々アナウンサーらが出演する。「小林麻央さん追悼番組~優しく強く生きた34年~」は6月26日(月)21時~日本テレビ系29局ネットにて放送。(cinemacafe.net)
2017年06月23日フリーアナウンサー・小林麻央さん(享年34)の訃報を受け、演出家の宮本亜門氏(59)が23日、FAXで追悼コメントを寄せた。宮本は、麻央さんの夫で歌舞伎俳優・市川海老蔵の自主公演『ABKAI(えびかい)』の演出(2013年8月・2015年6月)を手掛けた。麻央さんとはその時に会ったという。「麻央さんは怒涛の最終舞台稽古の時も、最後列の一番端の席に座り、まるで観音様のような温かい眼差しで、海老蔵さんや皆を見守っていました」と在りし日の姿を回顧。「余りに優しい穏やかなに満ちて、それはそれは全てが美しい方でした。どうぞ安らかに。これからもご家族を見守ってあげてください」と願い、「海老蔵さんとともに、良い作品を精一杯作らせていただきます」と誓った。
2017年06月23日歌手の平原綾香(33)が23日、自身のブログを更新。22日に34歳で死去したフリーアナウンサーの小林麻央さんを追悼した。平原は「小林麻央さん本当に大好きでした」と書き出し、「いろんな思い出があって1つ1つが かけがえのない瞬間だったと今 かみしめています」と悲しみをつづった。そして、「麻央さんと長岡花火の復興祈願花火 フェニックスを取材して一緒に泣いたこと」「麻耶さんと一緒にコンサートに来てくださったこと」「麻央さんのリクエストで結婚披露宴とコンサートを生中継で繋いでJupiter を歌わせていただいたこと」「お着物姿で、事務所までご挨拶に来てくださったこと」と一つ一つ大切に振り返った平原。「思い出のすべてが宝物です」とつづった。そして、「ご家族の方々のお気持ちを思うと何も言えませんけれど 麻央さんはこれからもずっと私たちの中にいます」と記し、「麻央さん本当に 本当にありがとうございましたこれからもずっと大好きです昔 麻央さんからいただいたモコモコのパーカー今でも 大切に着ていますどうか ずっと見守っていてください」と天国の麻央さんへメッセージを送った。
2017年06月23日歌手の大塚愛(34)が23日、自身のツイッターを更新。22日に34歳で死去したフリーアナウンサーの小林麻央さんを追悼した。2005年にDVDドラマ『東京フレンズ』で麻央さんと共演した大塚は、「ショックが大きくて、悲しくて、涙が次から次へと溢れてきます」とつらい胸中を吐露した。そして、「同じ年に生まれ、同じ年に子どもを出産し、写真を送りあった嬉しさから、彼女の闘病中のたくましさから、私の中の彼女はこれからも消えることはありません」とつづり、「彼女と出会えたことを、心から感謝します」と麻央さんへの思いを告白。最後に「麻央ちゃん、またね」と呼びかけた。
2017年06月23日タレントの薬丸裕英が23日、自身のブログを更新。乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日に34歳で死去したことを受けて、コメントを発表した。薬丸は「麻央さん どうぞ安らかに。」というタイトルで更新。「小林麻央さんのご逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申し上げます。あまりにも早すぎる…辛く… 悲しいです… 」と早すぎる死を悼んだ。また、23日に行われた夫で歌舞伎俳優・市川海老蔵の会見を見て、「麻央さんが海老蔵さんに最後に伝えた言葉が 『愛してる』 最後の最後まで素敵な女性でした。そして、海老蔵さんの夫、父親としてご家族を支えながらの役者魂と強靭な意志に心打たれました」と感銘を受けたという。さらに、「小林麻耶さんの姉妹愛と献身的なサポートにも強い感銘を受けました」とフジテレビ系『バイキング』で共演している麻央さんの姉でフリーアナウンサーの小林麻耶についても記し、「心よりご冥福をお祈りします」と締めくくった。
2017年06月23日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が23日、都内で会見し、乳がん闘病中だった妻でフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日に自宅で死去したことを報告。麻央さんから教わったものは「愛」であり、「今後も教わり続ける」と話した。34歳だった。涙ながらに麻央さんの死を報告し、「『愛している』と言ってそのまま旅立ちました」と最期の言葉を明かした海老蔵。闘病生活を振り返り、「笑顔と勇気と愛情、決してブレない自分、そして、どんな状況でも相手のことを思う気持ち…愛ですよね。そういう力が最後までブレず、一昨日まで笑顔で話していて。昨日はちょっと調子が悪かったので」と麻央さんの"愛"について語った。そして、麻央さんの存在を「とにかく私を、どんな部分も、どこまでも愛してくれていた存在」と表現。「できればずっと一緒にいて、私の方が先に逝って、彼女にはもっと幸せに、もっと楽しく、家族やお友達といて、そして私が役者として成長する家庭をずっと見守ってもらいたかった存在です」と無念さをにじませた。また、「自分が治ったら、ああしたいこうしたい、多くの人の救いになれる存在になりたいと、一生懸命闘病しました。それでブログも始めました」と麻央の思いを伝え、「ブログを始めて同じ病の人たちや苦しんでいる方々と苦しみや喜びを分かち合う姿は、人ではないというか…すごい人だなと」としみじみ。「とにかく総合的に教わったこと、今後も教わり続けることは、"愛"なんだと思います」と話した。さらに、心に残っている言葉を聞かれると「お姉さんの麻耶さんが調子悪くなったとき、私が舞台で疲れたときも、彼女はもっと重い病にかかっていて麻央の方が大変なのに、自分よりも相手のことを心配する優しさ。言葉ということではなくて、どこまでも自分よりも相手のことを思う気持ち…これは一番大きかったですね」と海老蔵。「僕を変えた奥さんなんじゃないですかね」と、大きすぎる麻央さんの存在について語った。
2017年06月23日アイドルグループ・嵐の櫻井翔が、日本テレビ系ニュース番組『NEWS ZERO』で共演していたフリーアナウンサー・小林麻央さんの訃報を受け、23日、都内で取材に応じ、何度も涙をぬぐいながら「悔しい…」と惜しんだ。櫻井は「ただただ、ただただ残念な気持ちがありますけど…」と言いかけたところで、涙をこらえきれず、言葉が続かない。再び語り始め、「小林麻央さんは『NEWS ZERO』の初回の時から、およそ3年半ご一緒させていただいておりました。『NEWS ZERO』という番組は、本当に温かい番組ですので、出演者・スタッフ含めて"ZEROファミリー"と呼んでいます」と紹介したが、ここでまた、25秒にわたって言葉が出なくなってしまった。その間、大きなため息もついて悔しさをにじませた櫻井。「まさにファミリーなので…家族を失ったような気持ちでいっぱいです」と、現在の心境を絞り出した。そして、「キャスターの村尾(信尚)さんをはじめ、出演者全員、およびスタッフ一同で、手書きでメッセージを送っていまして、少しでも良くなるように…願っていたところでしたので」と話したが、その思いがついにかなわなかったことに、最後は「悔しい…」と、やりきれない気持ちを吐露した。
2017年06月23日乳がんで闘病中だったフリーアナウンサーで、歌舞伎役者・市川海老蔵の妻の小林麻央さんが亡くなったことを受け6月23日(金)、麻央さんと「NEWS ZERO」(日本テレビ)で共演していた櫻井翔が報道陣の取材に応じた。突然の訃報に櫻井さんは「悔しいです…」と涙を見せた。スーツ姿で報道陣の前に姿を見せた櫻井さんはうつむき、肩を震わせながら「ただただ、残念な気持ちです」と語った。「小林麻央さんとは『NEWS ZERO』の初回からおよそ3年半、ご一緒しました。出演者もスタッフも“ZEROファミリー”というくらい温かい番組で…」とまさに”家族”のような思いで共に番組に携わってきたとふり返る。麻央さんの闘病中には、番組のスタッフ、出演者一同で「手書きのメッセージを送った」という。「少しでも良くなるようにと願っていたところだったのですが…」と語ったが、願いはかなわず、「悔しいですね…」と声を絞り出すようにやるせない思いを口にした。(text:cinemacafe.net)
2017年06月23日乳がん闘病中だったフリーアナウンサーの小林麻央さんが22日、死去した。34歳だった。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が23日、都内で会見を開き、「昨日夜に妻・麻央が旅立ちました」と最愛の妻の死を涙ながらに報告し、「『愛してる』と言ってそのまま旅立ちました」と最期の言葉を明かした。昨年6月9日に海老蔵が会見を開き、1年8カ月にわたって進行性の乳がんで闘病していることを公表。同年9月1日に、麻央さんは新ブログ「KOKORO.」を立ち上げ、「力強く人生を歩んだ女性でありたいから子供たちにとって強い母でありたいからブログという手段で陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」とブログ開設を決意した思いを告白した。その後、がんが見つかるまでの経緯や、闘病生活や病状、日々の出来事などをブログを通じて発信し、多くの人に勇気や感動を与えてきた麻央さん。入退院を繰り返して治療を受け、今年1月に放射線治療を終えて退院したが、4月に再入院し、5月29日に退院して在宅医療に切り替えた。ブログは6月20日を最後に更新が途絶え、ファンから心配の声があがっていた。麻央さんは上智大学中に芸能活動をスタートさせ、その後、ニュース番組『NEWS ZERO』のサブキャスターなどとして活躍。2010年3月3日には海老蔵さんと結婚し、翌11年に長女の麗禾ちゃん、13年に長男の勸玄くんを出産した。
2017年06月23日乳がん闘病中だったフリーアナウンサー・小林麻央さんが亡くなったことが23日、報じられた。34歳だった。夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)は、この日も舞台に出演。ブログで近況を発信している。海老蔵は今朝、「人生で一番泣いた日です」と告白したが、その後、「いつもと変わらぬ」と題して更新。「楽屋、どんな事があろうと、舞台。役者になるとはそういう事なのかもしれません」と、この日行われる「第四回 自主公演 ABKAI 2017~石川五右衛門 外伝~」についてつづった。さらに、「今日も二回公演」と題したブログでは、舞台の化粧をした自身の写真をアップし、「いってきます」とコメント。続く「みんなで、がんばってます」と題したブログでは、準備している共演者たちの写真をアップし、「みんなでがんばってます」と記した。
2017年06月23日23日、歌舞伎俳優、市川海老蔵(39)の妻で、フリーアナウンサーの小林麻央さん(34)が、22日夜、都内の自宅で死去したとスポーツ紙が報じた。小林麻央さんは14年10月、乳がんの告知を受けて闘病中で、21日容態が急変したという。 海老蔵はこの日朝、ブログを更新し、朝6時から普段と変わらない様子をブログで投稿。しかし、本日4度目の更新となる「2017/06/23」と題した投稿には、「人生で一番ないた日です。」とつづり「マスコミの方々もお察してください」などと呼びかけていた。現在、多くのアクセスのせいか海老蔵のブログは表示されない状態となっている。 SNSやYahoo!検索ワードには小林麻央さん、麻央ちゃんが1、2位を占め「嘘でしょ…信じられない」「若すぎる…ショックだ」「闘病生活お疲れ様でした」「「本当に本当に素敵な方でした。ご冥福をお祈りします。」など悲しみの声が広がっている。 また、海老蔵は23日午後2時30分より、公演先の東京・渋谷シアターコクーンで会見を行う予定だという。
2017年06月23日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が23日、自身のブログを更新し、「人生で一番泣いた日です」と打ち明けた。また、同日14時30分から都内で会見を行うことも明らかになった。妻の小林麻央が乳がん闘病中の海老蔵は、今朝、「2017/06/23」というタイトルでブログを更新し、「人生で一番泣いた日です」と告白。「マスコミの方々もお察しください。改めてご報告させていただきますので、近隣の方々のご迷惑になるのでひとまずおかえりくださいませ、宜しくお願い致します」とつづった。その後、「なるべく」と題して更新されたブログでは、植物に水をあげている写真を添えて、「虹、なるべくいつも通りに過ごします」と記している。
2017年06月23日80年にプロ入りするや一躍人気女流棋士となり、女優や作家としても活躍してきた林葉直子(49)。94年に突然の休養を宣言すると、95年にヘアヌード写真集出版と豊胸手術告白、98年に中原誠十六世名人との不倫発覚、06年に自己破産など波乱万丈な人生を送ってきた。 そんな彼女が3年前の14年2月、『遺言―最後の食卓』を出版。そこで重度の肝硬変を患っていると告白した。それでも福岡県で実母と暮らし、療養生活をブログに更新し続けてきた。そんななか、今年1月25日を最後に約半年間もブログ更新がストップ。そのためコメント欄には、ファンからの心配する声があふれていた。 そこで本誌は近況を取材すべく、林葉に連絡。すると「ブログが止まっていたのはパソコンに向かうのが辛かったから。でも、元気です。実は肝硬変の度合いを表すグレードが重度のCから軽症のAになったんです」と驚くほどの回復ぶりを語ってくれた。 林葉によると「がんでいえばステージ4から2になったようなもの」とのこと。肝臓は一度悪くなると治療が困難だと言われてきたが、それでも食生活を見直すことで回復してきた林葉。そして闘病中には“悲しい別れ”も。愛した男性が、天国へと旅立っていたのだ。 「彼は化粧品会社の社長で、私と同じくお酒が大好きな人でした。4年ほど前までお付き合いしていたのですが、なんとなく疎遠になってしまって。そんなとき、彼が入院してしまったんです。その後も闘病を続けていましたが、昨年8月に帰らぬ人となりました。55歳でした。悲しみは、たしかにゼロではありません。でも結婚して子どもがいたならば、もっと辛かったはずです。それがせめてもの救いかもしれませんね……」 そんな経験をしながらも、常に前を向いて生きてきた林葉。元気になった今、世間のことにも目が向くようになっている。 「がん闘病中の小林麻央さん(34)のことはとても心配です。病気でお薬を飲んでいると、どんどん痩せていくもの。彼女は気丈にされていますが、闘病生活はものすごく大変だと思います。でも『移植しなかったら1年もたない』と医者に言われてガリガリだった私が、食生活を改善したことで今や近所のスーパーへ買い物に行けるほどになっている。そういう奇跡って、本当に起きるんです。そのことは彼女にも伝えたいなと思いますね」 林葉はかみしめるようにそう語ると、最後に記者に向かって力強く続けた。 「なかには、患者の気持ちを考えないことを平気で言ってしまう医者もいます。『余命はこれくらいです』とか『移植しないと無理ですよ』とか言われると、私は『そんなの勝手に決めないで!』と思ってしまった。それでも私は生きています。通院は特にしていなくて、何かあったときに行くだけ。あとは、肝硬変の薬を飲んでいるくらいです。利尿作用はまだうまく働いていませんが、それも以前よりよくなっています。全然、大丈夫ですよ」 そう林葉は笑っていた。笑う門には福来る。それがまさに現実になっているようだ――。
2017年06月23日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)の夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が22日、ブログを更新。麻央の在宅治療を「日々の戦い」と記した。 海老蔵は「まおは日々戦っています。支える側の家族も懸命に戦い日常を何事もないかのように過ごしながら家の中でひたすら戦っています」と家族一丸となって病と向き合っていることをつづった。 「必ず光明がさすとひらすら信じて支える」と続け、「もう何年たったのか、日々の戦い、病とは恐ろしいものです」と心情を吐露。「よくなってほしい、、ただそれだけ」と願いを込めた。 読者たちからは「毎日祈ってます」「キセキを必ず起こしましょう!」と応援のメッセージが寄せられ、海老蔵も『多くの祈りをありがとうございます』というタイトルで改めてブログを更新。 読者に向けて「本当に嬉しいですし、ありがたいです」と感謝を述べ「わたしたわたしとしておこたらず稽古。こういう時だからこそ、より厳しく、より深く己に喝を私が役者として良くなる事を誰よりもまおがよろこぶから、私はやる」と決意を記した。
2017年06月22日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が20日、ブログを更新し、毎朝オレンジジュースを飲んでいると近況を明かした。 5月末に退院をし、在宅治療中の麻央は20日、『オレンジジュース』という記事で「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます。正確には自分では絞る力がないので、母が起きてきて、絞ってくれるのを心待ちにしています」とジュースと酸素吸入器を付けた笑顔の自撮りを公開した。 以前、口内炎が痛むとブログにつづっていた麻央だが、「口内炎の痛さより、オレンジの甘酸っぱさが勝る最高な美味しさ!朝から笑顔になれます」と明るくコメントし「皆様にも。今日笑顔になれることがありますように」と読者に語りかけた。 読者からは「今日は顔色が良さそうですね」「笑顔が本当に素敵!」とコメントが寄せられている。
2017年06月20日歌舞伎俳優の市川海老蔵が16日、自身のブログを更新し、乳がん闘病中の妻・小林麻央への思いをつづった。海老蔵は、「タオルの下にまおの足」と麻央の足が写り込んだ写真を公開し、「今日は家に私いまーす。出かけたとしても公園かな」とコメント。そして、「一緒に過ごす事がこんなにも幸せと思える人と会えてよかった」と麻央との出会いに感謝し、「私はまおの存在でなにか変わったのかもしれませんね」と自身の変化について言及した。この投稿に、「夫婦愛素敵です!」「運命の人に巡り会えたのですね」「素敵なご夫婦お互いに労わりあうことの大切さを学ばせていただいたいます」「二人の夫婦の形、永遠のリスペクトです」「必然の出会いですよ」「素敵な言葉すぎて泣けました」などを感動の声が寄せられている。
2017年06月17日歌舞伎俳優の市川海老蔵(39)が16日、ブログを更新。妻で乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)の存在の大きさを改めて実感したことを明かした。 海老蔵は「タオルの下にまおの足」と足元の写真を投稿。現在、麻央は在宅治療中とあって「今日は家に私いまーす。出かけたとしても公園かな」と忙しいスケジュールの合間をぬって、自宅で妻を支えている様子。 さらには「一緒に過ごす事がこんなにも幸せと思える人と会えてよかった」と麻央との出会いに感謝し「私はまおの存在でなにか変わったのかもしれませんね」と心境をつづった。 ファンたちも「海老蔵さん変わりましたよ!」「優しい表情になったと思います」と結婚後の海老蔵に変化を感じている様子。また「麻央さんを想う本物の愛に涙が溢れました」「運命の女神さまですね」と感動のコメントが寄せられている。
2017年06月16日《1日1日の心と記録をここに残す気持ちで書いています》 6月9日、小林麻央(34)はブログにこう綴った。夫の市川海老蔵(39)が緊急会見を開き、麻央が乳がんであることを明かしてから1年。2人は薄氷を踏むような日々を過ごしてきた。市川家に親しい知人は麻央の病状をこう明かす。 「5月29日に退院なさって自宅で家族に見守られながら闘病生活を続けています。顎への転移で、今は口を動かすと痛みがある状態なので、会話もiPadを使った“筆談”でするときがあるそうです。子どもたちに話しかけられても直接言葉で返せないのが辛いようです」 麻央の母親や、姉の小林麻耶(37)らが交代で付きっきりの看護を続けている。海老蔵もまた成田屋宗家として忙しい日々を過ごすいっぽうで、家では看護に力を注いでいる。 「毎日出かける前に、麻央さんの様子をテレビ電話で医師に診察してもらうことが日課となっています。麻央さんは酸素チューブを使っているので、機器の使い方とかも勉強しています。海老蔵さんは『よくなるよとか、ガンバレとかいう言葉を軽々しく使えないのが辛い』と漏らしていました」(前出・知人) 6月9日~6月25日まで海老蔵は自主公演『ABKAI2017石川五右衛門外伝』に出演しているが、そこに長男の勸玄くん(4)と麗禾ちゃん(5)が出演する。さらに7月3日から東京・歌舞伎座で始まる『七月大歌舞伎』で、勸玄くんは史上最年少で“宙乗り”に挑戦する。その決定の裏には、子供たちの母への愛があったと語るのは梨園関係者だ。 「松竹から勸玄くんを『七月大歌舞伎』に出さないかと提案があったそうです。当初、麻央さんは勸玄くんの出演に反対していました。少しでも一緒にいたいと思いもあったのだと思います。でも強硬に『出る!』と言い張ったのは、勸玄くん自身。あまりに懇願するから、麻央さんが折れたそうです」 公演中の7月21日に、麻央は35歳の誕生日を迎える。 「去年の誕生日は入院していて、お見舞いすらかないませんでした。だから、今年こそはみんなでお祝いしたいと、勸玄くんは麻央さんの誕生日をたいへん楽しみにしているんです。宙乗りは麻央さんへのエールの意味があるのでしょう。それに応えるように、麻央さんの当面の目標は『勸玄くんの宙乗りを観に行くこと』になりました」(前出・梨園関係者) 勸玄くんの決断はさらに思わぬ事態をもたらした。弟に触発されて麗禾ちゃんも舞台に立ちたいと言い出したのだ。 「自分もママにいいところを見せたいと思ったのでしょう。でも、『七月大歌舞伎』で上演される演目は歌舞伎界のしきたりで女の子は出られない。じゃあ今月から始まる『ABKAI』に出そうという話になりました。すると、勸玄くんがこっちにも出たいと言い出した(笑)。結局ふたりで出ることになったそうです」(前出・知人) 「ママにいい所を見せたい!」 そんな微笑ましい“意地の張り合い”に麻央は力づけられたに違いない。
2017年06月15日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が13日、「子供の強さ」というタイトルでブログを更新し、長女の麗禾ちゃんと長男の勸玄くんについてつづった。麻央は「小さな子供の心って本当に純粋だと思います。何の先入観や経験、知識からも私の状況を測ったりしないのです」と書き出し、「ただ、ママは今はずっと体調が悪くて、ただあとは、ママは元気になるだけ。だから今の状況も、『今はそう』と受け止めてくれています」とつづった。そして、麗禾ちゃんとの2ショット写真を掲載し、「痛みのシートに、私がやりたい!と代わりに真剣に書きこんでみたり、車椅子も、ママの大切な乗り物として、迎えてくれたり」とエピソードを披露。また、花が飾り付けされた車いすを見つめる勸玄くんの写真もアップし、「飾り付けで、華やかにしてくれたり、(最初、誰がしてくれているのか分からなくて、かんかんだと発覚しました)」と明かした。さらに、「優しさとともに、この状況さえ、色々な楽しいアイデアで受け止めてくれています。皆んなのおかげです。本当に皆様のおかげです」と感謝。「子供の強さは、本当に強いです」と締めくくった。
2017年06月14日歌舞伎俳優の市川海老蔵が12日、自身のブログを更新し、乳がん闘病中の妻・小林麻央の病と戦う姿に"生きる力"を感じるとつづった。海老蔵は「今日はまおと病院へいってました」と一緒に病院に行ったことを報告。「日々戦っている妻本当に言葉ではあらわせない、強さというか信念というか、愛なのか、そういう生きる力を感じます」と病と戦う妻をたたえた。海老蔵は7日に行われた「第36回ベスト・ファーザー イエローリボン賞」の授賞式後の囲み取材で、「私は支える側。最大限のバックアップをやっていくことが、彼女にとって一番の回復への近道」と自身の役割を語り、「在宅はなかなか大変。いざ何かあった時に…さまざまなことを準備するのが家族の責任なので、緊張感があります」と在宅医療の大変さも告白。また、8日に生出演したNHK朝の情報番組『あさイチ』では、「基本的に愛してるんでしょうね」「魂のところで惹かれるものがたぶんあって、すごい顔して寝ていようが、どんな形になっていようが、かわいらしいなって日々思うので、これ不思議ですね」と麻央への愛を語り、ネット上で感動の声があがっていた。
2017年06月12日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央が9日、自身のブログを更新。1年前のがん公表を振り返るとともに、ブログへの思いを明かした。1年前のこの日、夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵が、麻央が進行性のがんを患っていると報じられたことを受けて記者会見を開き、乳がんであることを公表。麻央は「6月9日。1年前の今日は、私の病気が、突然、公になり、困惑、不安、湧き出てしまう残念な気持ちに包まれていました。そんな中、主人が会見をしてくれて、家族皆の気持ちが落ち着いていったのを今でも思い出します」と振り返った。また、「人生は不思議なもので、何かの大きな力によって、不意に、舵をとられることで、それが望んでいなかったことでも、結果的に、新しい道を開けることがあるということを学びました」と麻央。「私は、舵をとられて、その後隠れて隠れて真っ暗になったので、新しく舵を 取り返しました。それが、ブログでした。今の私の道を作ってくれたブログです」と、昨年9月1日に開設したブログについて記した。そして、「この舵取り事件(笑)は、私の人生において、大きな出来事です」と振り返り、「皆さまとつながり、本当に励まされていました。いつも。ありがとうございます」と感謝。「私も、、、陰ながら、皆さまのコメントを拝読し、祈ったり、応援したり、共感したりさせて頂いてきました。届いていますか??」と呼びかけ、「更新できない日もありますが、1日1日の心と記録をここに残す気持ちで書いています。これからもどうぞよろしくお願い致します」とつづった。
2017年06月10日乳がん闘病中のフリーアナウンサー・小林麻央(34)が9日、ブログを更新。1年前のこの日、報道を受け夫の市川海老蔵(39)が記者会見を開いたことに触れ、「家族皆の気持ちが落ち着いていったのを今でも思い出します」と当時を振り返った。 『6月9日。』というタイトルで更新された記事で、「1年前の今日は、私の病気が、突然、公になり、困惑、不安、湧き出してしまう残念な気持ちに包まれていました」と一部朝刊で乳がんが報じられた当時の心境をつづり、「でも、人生は不思議なもので、何かの大きな力によって、不意に、舵をとられることで、それが望んでいなかったことでも、結果的に、新しい道を開けることがあるということを学びました」とこれまでの日々を振り返った。 意図せず報道されたことで、当初は「隠れて隠れて真っ暗になった」という麻央だが、昨年9月1日にブログを開設し、心機一転。一連の出来事について「この舵取り事件(笑)は、私の人生において、大きな出来事です」とコメントした。 「皆さまとつながり、本当に励まされていました。いつも。ありがとうございます。私も、、、陰ながら皆さまのコメントを拝読し、祈ったり、応援したり、共感したり、させて頂きました。届いていますか??」と読者に呼びかけ、「更新できない日もありますが、1日1日の心と記録をここに残す気持ちで書いています。これからもどうぞよろしくお願い致します」と今の心境をつづった。
2017年06月09日