「島田秀平」について知りたいことや今話題の「島田秀平」についての記事をチェック! (1/5)
歌手・タレントのmisonoが26日に自身のアメブロを更新。島田紳助さんの誕生日会でパフォーマンスを披露したことを明かした。この日、misonoは「島田紳助さんの誕生日会でmisonoが披露した『TOMORROW/ANNIE』を、YOKARO-MONとYouTubeで歌ってみました」と報告し「セットリストに必ず入れるようにしている曲なのですが!YOKARO-MONがアレンジをして下さった、アカペラversionもメチャクチャ良い感じ」と曲について紹介。「YOKARO-MONが最強すぎて、最高の出来で鳥肌がたちました!原キーで男性なのに凄い…」とコメントした。また、島田さんの誕生日会について「今までみたいに『客席に居てお祝いをする側』じゃなくて、2025年は島田紳助さんがプロデュースをして下さって『名曲メドレー』をやらせていただきました」と報告。パフォーマンスについては「トップバッターで、misono&フライングペンギン&TOZYさんが3人でパフォーマンスをして!RYOEIさんが、ソロでショータイムをシメて下さった」と説明した。最後に「主役である島田紳助さんがMCだったから…ただただ楽しくて嬉しくて幸せな空間でした」とつづった。
2025年04月27日モーニング娘。’25の牧野真莉愛(24)が5日、自身のインスタグラムを更新。吉本新喜劇の島田珠代(54)のギャグ「パンティーテックス」を本人と披露する様子を公開した。牧野は、ハートマークの絵文字で挟んだ「島田珠代様」のコメントとともに動画を投稿。「いいんですか!めっちゃうれしい」と喜ぶ牧野に、島田が「念願の真莉愛ちゃんと『パンティーテックス』踊らせてもらいます」と宣言。2人で全力の「パンティーテックス」を披露した。牧野は3月27日に発売されたハロー!プロジェクトの1年を総括するグラビアムック『Hello!Project BEST SHOT!! vol.27』(ワニブックス)で表紙と巻頭を飾った。同誌で表紙を飾るのは4年連続。同誌だけのために撮り下ろした最新水着ショットを披露しており、「ビジュアルクイーン」としての存在感を見せつけた。この投稿に「スタイルとキレ良すぎて格好良くすら見える」「キレが凄い」「全力すぎる真莉愛ちゃん」「最強コラボーーー!!」といったコメントが寄せられた。
2025年04月10日芸人で怪談YouTuberのガンジー横須賀が2日、自身のXを更新した。【画像】ナナフシギの大赤見ノヴ、”不機嫌顔”の島田秀平とパシンペロンはやぶさとの3ショットを公開!「ナナフシギさんチャンネル開設して5周年 おめでとう御座います㊗️」と綴り、1枚の写真をアップ。お笑いコンビで怪談師のナナフシギの運営するYouTubeチャンネル、通称『ナナチャン』が、チャンネル開設5周年を迎えたということで、祝福のコメントと共に、ナナフシギの大赤見ノヴと吉田猛々が記念ケーキに頬を寄せるオフショットを公開した。ナナフシギの二人と、チャンネルプロデューサーの関口ケントの似顔絵が描かれたケーキは、親交のあるタレントで怪談師の松嶋初音から贈られたようだ。(ナナフシギチャンネル公式Xにて、「ケーキを持って駆けつけてくださいました」と投稿)チャンネル開設5周年を祝う生放送では、ガンジー横須賀も生出演し直接祝福したようだが、せっかくいい写真があったということで改めて祝福したのだろう。「めでてぇ朝だ!!おはゆぅぅございます!!」と、朝の挨拶と共に締め括った。ナナフシギさんチャンネル開設して5周年おめでとう御座います㊗️めでてぇ朝だ!!おはゆぅぅございます!! pic.twitter.com/sBEu3hncGK — ガンジー横須賀 (@gangyyokosuka) April 1, 2025 この投稿にはファンから「素敵な5周年でした、おめでとうございました‼️㊗️」「生配信に来てくれてありがとう」など、祝福の声や、生配信に出演してくれたことへの感謝のほか、500を超えるいいねが寄せられている。
2025年04月03日元プロ野球選手の福田秀平が21日、自身のインスタグラムを更新。【画像】福田秀平がド軍戦士と再会!「プエルトリコで1,2番を打ってた…」「デニスとご飯に行ってきました。」と綴り、写真をアップした。広島東洋カープ・福岡ソフトバンクホークなどで活躍したデニス・サファテと食事に行ったことを報告した。写真には、福田とサファテのツーショット写真や大きな骨つきステーキを移す動画などを投稿。「ホークス時代の話、そして、日本の野球やアメリカの野球の話など、あっという間の時間でした。」と綴り、日本とアメリカの野球感やホークス時代の話をするなど充実した時間を過ごしたことを報告した。 この投稿をInstagramで見る 福田秀平(@fukudashuhei7)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「英語話せる?w」「泣くーーーえもっちー最高な2人ー」などのコメントが寄せられていた。
2025年03月21日女性アイドルグループ・Sweet Alleyの島田菜津美が12日、自身のXを更新した。【画像】「低身長な女の子好きですか?」超人気アイドル上目遣いのあざとすぎる写真を公開!「152cm 彼女候補にどうですか?」と綴り、1枚の写真をアップ。自身の写ったオフショットを更新した。白いニットにグレーのスカートを見にまとい、髪をふわっと巻いた島田の姿が。上目遣いでこちらを見つめるあざとい姿に、ファンからは「彼女からになって下さい」との反応が。152cm 彼女候補にどうですか? pic.twitter.com/JLxY9vqiGb — 島田 菜津美@0323名古屋ワンマン(Sweet Alley) (@Natsumi_SwAl) March 11, 2025 この投稿にファンからは「候補じゃなく彼女でお願いします」「お嫁さん枠はダメですか?」「僕でよければ」といったコメントが寄せられている。
2025年03月12日元プロ野球選手の福田秀平が8日、自身のインスタグラムを更新。【画像】元プロ野球選手の記者が同級生と2ショットを公開!「まだまだ応援させて」「プエルトリコのチームで1.2番を打ってた友人に久々会えました。キケにとって良い一年になる事を願ってます。」と綴り、複数枚の写真を投稿。以前から親交のあったドジャースのエンリケ・ヘルナンデスとの再会を喜んでいる様子の福田。"キケ"の愛称で親しまれるヘルナンデス。今季の更なる飛躍に期待がかかる。 この投稿をInstagramで見る 福田秀平(@fukudashuhei7)がシェアした投稿 この投稿にファンからは多くのいいねが寄せられている。
2025年03月08日元プロ野球選手の福田秀平が20日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】福田秀平が引退記念グッズを公開!「素敵な宝物ですね」「ベースボールユナイテッドからオファーして頂きドバイに行ってきました。」と綴り、複数枚の写真をアップした。中東や南アジアを拠点とするプロ野球リーグからオファーを受け、ドバイへ行ったと報告。「ベースボール未開拓の地で生まれたリーグビジネスの一端に触れ、本当に貴重な経験をさせて頂きました。」と綴り、NPBとは違った感覚に触れて貴重な時間を過ごしたと綴った。最後に「このご縁は間違いなく、僕の大きな財産となり、今後の自身の活動の糧にしていきます。」と綴り、野球を通してさまざまな活動に生かしていくことを語った。 この投稿をInstagramで見る 福田秀平(@fukudashuhei7)がシェアした投稿 この投稿には、ファンが反応し、たくさんの「いいね」が送られていた。
2025年02月20日アイドルグループ・Sweet Alleyの島田菜津美が26日、自身のXを更新した。【画像】「デートしませんか?」島田菜津美の黒ワンピショットにファン悶絶!!「低身長な女の子好きですか?」と綴り、1枚の写真をアップ。写真には、グレーのパーカーにスカートを身にまとい、フードを被る島田。頭に両手を添え、上目遣いをする姿に「好き」という旨のコメントが殺到。低身長な女の子好きですか? pic.twitter.com/f4nTcrRF9E — 島田 菜津美@0323名古屋ワンマン(Sweet Alley) (@Natsumi_SwAl) January 25, 2025 この投稿にファンからは「カジュアルも似合うんだよな〜」「低身長ななっちゃんが好きです」といったコメントが寄せられている。
2025年01月26日「彗星♩dropTune°」メンバー、モデル・タレントの島田キラリが22日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】「スタイルが良すぎましたね…!」元アイドルの美女フルート奏者、メガ美脚の”わがまま・ショット”に大反響!島田キラリは「然な眉毛の描き方動画」と綴り、最新のメイクアップ動画を公開した。また「どのメイクも濃すぎず薄すぎずが大事です」と、百貨店の美容部員も感心して不思議ではない”コツ”を綴る。女性向けのメイクムービーではあるが、男性ファンも彼女のキュートさに思わずコメントをしてしまったようだ。 この投稿をInstagramで見る 島田キラリ(きららん)(@kiraran___12)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「おでこかわちー(,,>᎑<,,)♡」「キラリちゃんスッピン可愛い❤」といったコメントが寄せられている。
2025年01月23日アイドルグループ・Sweet Alleyの島田菜津美が22日、自身のXを更新した。【動画】「鏡餅」SWEET STEADY音井結衣の“雪かけムービー”が「可愛すぎる」と話題に!「デートしませんか?」と綴り、1枚の写真をアップ。写真には、黒いワンピースを見にまとい正面を見つめる島田の姿が。大胆なお誘いに、ファンからは「します!」との返事が相次いでいる。デートしませんか? pic.twitter.com/oY6itH1SOr — 島田 菜津美@0323名古屋ワンマン(Sweet Alley) (@Natsumi_SwAl) January 21, 2025 この投稿にファンからは「この1枚凄くいい(・∀・)」「行きましょう☺️」といったコメントが寄せられている。
2025年01月22日元AKB48の島田晴香が31日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】「アップにしないでください」元AKB48 藤江れいなが”アホ毛”ショットを投稿!?ファン「可愛いから大丈夫」「2024年、自分より大切な存在が誕生した年」と綴り、1枚の写真をアップ。ディズニーシーの噴水の前で撮影された写真には、島田と最愛のベビちゃんが写っている。最後には「今年以上に周りの人を笑顔に幸せにする年にしたい」とも綴った。 この投稿をInstagramで見る Haruka Shimada 島田晴香(@shimadadesu_official)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「良いお年を」「しまごん今年も1年お疲れ様☺️」といったコメントが寄せられている。
2024年12月31日東京・中目黒のスターバックス リザーブ ロースタリー 東京が、京都・島田耕園人形工房と再びコラボレーション。干支や縁起物をモチーフにした御所人形「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」が、2024年12月13日(金)に発売される。スターバックス×京都老舗・島田耕園人形工房の御所人形日本各地に根付く伝統的なモノづくりの魅力を、スターバックス リザーブ ロースタリー 東京ならではの視点から発信する特別なグッズ「ジモト メイド プラス」シリーズ。安政6(1859)年創業の老舗・島田耕園人形工房とのコラボレーションによって制作された御所人形(※1)は、毎年発売を待ち望むファンも多い、ロースタリー 東京の年末の風物詩のひとつとなっている。※1 御所人形(ごしょにんぎょう)かわいらしい幼児の姿の姿をモチーフにした、日本の伝統的な人形。そのルーツは平安時代にまで遡り、疫病を祓うための等身大の人形から、身代わりに災厄を引き受ける「ひとがた」へと転化し、子の無事を願う御所人形へと派生した。「JIMOTO Made+ 東山 干支置物巳」今回のラインナップの中で特に注目したいのは、2025年の干支である“巳(へび)”をモチーフにした干支置物だ。島田耕園人形工房が御所人形で表現してきたふっくらとした曲線美を強調することで、巳の凛々しい表情に愛らしさをプラス。カラーは金、白、黒の3色で、本体にはロースタリー 東京のシンボルである星のマークが描かれている。「JIMOTO Made+ 東山 干支土鈴巳」また、巳をかたどった土鈴(どれい)もラインナップ。古来より魔除けや縁起物として親しまれている土鈴は、家庭の安全と幸せな時間を願うお守りのような存在。ぷっくりとしたフォルムの福巳を振れば、コロコロと優しく心地よい音色が響く。毎年恒例の「招き猫」はトラ猫になって登場また、毎年恒例となっている「招き猫」シリーズは、愛らしいトラ猫になって登場。商売繁盛の縁起物として有名な「招き猫」を迎え入れて、心機一転新たな1年をスタートしてみては。商品情報「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」販売期間:2024年12月13日(金)~無くなり次第終了※2024年12月13日(金)から2024年12月31日(火)の期間中、1人1商品につき1点まで、以降1人1商品につき10点まで購入可能。販売店舗:スターバックス リザーブ ロースタリー 東京(東京都目黒区青葉台2-19-23)価格例:・「JIMOTO Made+ 東山 干支置物巳 金/白/黒」各1,600円・「JIMOTO Made+ 東山 干支土鈴巳 白/金」各4,900円・「JIMOTO Made+ 東山 小御所人形福玉」4,700円・「JIMOTO Made+ 東山 招き猫トラ」55,000円
2024年12月12日元プロ野球選手の福田秀平が3日までに、自身のインスタグラムを更新。【画像】人気女優・山下美月がかっこよすぎる"帯刀"ショット公開が話題に「12月1日、静岡県草薙総合運動場の屋内運動場で静岡市内の小学生50人を対象に野球教室を行いました。」と綴り、複数枚の写真を投稿した。ソフトバンク時代の同僚である川崎宗則、杉内俊哉と共に笑顔で指導にあたった様子の福田。今後の彼の活躍からも目が離せない。 この投稿をInstagramで見る 福田秀平(@fukudashuhei7)がシェアした投稿 この投稿にファンからは多くのいいねが寄せられている。
2024年12月03日元プロ野球選手の福田秀平が6日までに、自身のインスタグラムを更新。【画像】球団マスコットからも労いの言葉。SB和田毅、電撃引退!!「和田さん、22年間本当にお疲れ様でした。僕のプロ初スタメン。和田さんがピッチャーの時に僕がセンターで転倒してしまい、それで点が入って和田さんが降板しました。後日、和田さんにお食事に誘って頂き、初めから上手くいく人なんていない!練習するしかない!と、温かいお言葉を頂きました。」と綴り、現役引退を発表した和田毅との思い出を語った。「僕にとって尊敬する先輩と、最後に筑後で対戦できた事は一生忘れません。和田さんと出会えて、たくさんの事を学ばせて頂きました!尊敬と感謝の気持ちでいっぱいです。本当にお疲れ様でした。」と感謝の気持ちを述べた福田。今後の共演にも期待したい。 この投稿をInstagramで見る 福田秀平(@fukudashuhei7)がシェアした投稿 この投稿にファンからは多くのいいねが寄せられている。
2024年11月06日フィギュアスケーターの島田高志郎が4日、自身のインスタグラムを更新した。【画像】「全員が最高の仲間だ!!」フィギュア宇野昌磨 あの大人気アニメの主人公を熱演!島田は「沢山の温かいメッセージをありがとうございます。私の競技生活にとっても記憶に残る瞬間となりました。」と綴り、複数枚の写真をアップ。フランス大会の男子シングルで、2位に入り、シリーズで初めて表彰台となった。続けて、「次は全日本選手権!最高の演技を目指して頑張ります」と綴り、投稿を締めくくった。 この投稿をInstagramで見る Koshiro SHIMADA(@koshiro.shimada)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「本当におめでとうございます全日本も応援しています!」「表彰台おめでとうございます素敵な演技でしたステファンの涙が全てを語っているのかな…と感じました」といった多くの祝福のコメントが寄せられている。
2024年11月05日元ソフトバンクの福田秀平が3日、自身のインスタグラムを更新した【画像】今季限りで引退を発表した福田秀平がプロ野球生活への思いを語る元ソフトバンクの福田秀平が3日、自身のインスタグラムを更新。「引退試合をして頂きました。」と綴ると共に画像をアップした。先月の28日に引退試合が行われ、多くの関係者が集まっていた。続けて投稿には、チーム、ファン、関係者、そして自身が19歳のときに他界した父親と懸命に育ててくれた母親に対する感謝の気持ちが溢れる文章が書かれていた。 この投稿をInstagramで見る 福田秀平(@fukudashuhei7)がシェアした投稿 この投稿にファンからは「福田選手、本当にお疲れ様でした。」「これからの第二の人生も頑張って」とコメントが届いた。
2024年10月04日今年3月1日に65周年を迎えた吉本新喜劇の看板女優として活躍している島田珠代。7月7日にスタートした全国ツアーの初日に七夕の願い事を聞かれ、交際中の57歳の内科医・ひろしと「3度目の結婚ができますように」と短冊に書いたことを明かすなど、恋も順調の様子だ。島田にインタビューし、16歳の娘・璃子さん、ひろしとの3人での生活について話を聞いた。恋人のひろしとはバーで出会ったという。「ひろしは常連でいつも1人で来ていて、私はお姉ちゃんみたいにしてもらっている女子ボートレーサーの高橋淳美さんと一緒に行って、最初は離れた席でしたが、常連さんがどんどん来て席を詰めていったら、ひろしの隣になったんです。そこで話が盛り上がって、ママさんから『ひろしはええ子やで』『連絡先交換しときーや』と言われて電話番号を交換し、2人で会うようになりました」どこに惹かれたか尋ねると、「全部です。頭のいい方で、全然怒らなくてスマートで、無感情な感じで、好きなタイプなんです。何でも受け止めてくれて、私がガチャガチャ言っていると、『わかりました。そのことは謝ります』とか言ってくれて」とおのろけ全開。より仕事を頑張れるパワーになっているそうで、「今日仕事が終わったらひろしとお酒飲みながらゆっくりしゃべれる時間が待っていると思うと、舞台で爆発できます」と語る。再婚のタイミングについては娘が高校を卒業してからと話していたが、娘も応援してくれているという。「娘は『いずれ私も独り立ちするだろうし、その時にママがイライラしないように、殿方はいたほうがいい。ひろしは置いておきなさい』と言ってくれています(笑)」すでに現在、ほぼ3人で生活している。「ひろしは病院勤めで、コロナ禍でもあるので、何かあった時のために自分のマンションを残していますが、ほとんど毎日うちに来ていて、私よりもひろしのほうが娘と仲がいいくらいです」娘の璃子さんとは、離れ離れに暮らしていた時期があった島田。元夫ががん発覚後に実家のある名古屋へ戻り、当時3歳だった璃子さんも連れていったのだ。そして元夫が他界した後、島田は中学生になった璃子さんと大阪で再び暮らすことに。最初はなかなか溝が埋まらなかったという親子関係だが、少しずつ修復することができたそうで、「徐々に親子の絆ができるんだなと感じています」としみじみと語る。○ひろしは穏やかな性格「娘もなついている」今は、ひろしを含め、3人でいい関係が築けているそうで、娘と大ゲンカをした時にひろしが間に入ってくれることもあるという。「ひろしはとにかく穏やかなので娘もなついています。私と娘がケンカしていると、ひろしが娘をかばい、私とひろしがケンカしていたら、娘は『ひろしがかわいそう』って言うんです(笑)。ひろしのおかげもあってすごくいいトライアングルができています」ひろしへの愛もあふれる島田だが、一番は娘だときっぱり。「やっぱり娘ですよね。娘がいるから頑張らないとと思いますし、娘のためなら、ひろしと別れなきゃいけないってなったら別れますし、娘がすべて。娘って宇宙ですね」と母の顔を見せる。大阪で行われたサイン会に娘が来場してくれたエピソードも披露。「SNSで『サイン会に行きます』という人が1人だったので、やばいと思って、『璃子ちゃん、本を買って並んでほしい』と電話したら、『わかった。すぐ行く』と言って来てくれて。そして、始まる前にLINEが来て、『ママ大丈夫、列をなしてるよ。私は安心したので帰らせてもらいます』って。すごく優しいんです」5月10日の島田の誕生日に娘からもらったプレゼントも見せてくれた。島田へのメッセージとともに、「何も言わずにひろしの愚痴を聞くよの券」「なんでもおごってあげるよの券」など、さまざまな手書きの券が一式になったもので、「うれしすぎて『璃子ちゃんありがとう』ってアンサーを書いちゃいました」と満面の笑みを見せる。そして、「娘は私のことを友達か年の離れたお姉ちゃんぐらいに思っていると思いますが、このままでいいかなと。家でも私がギャグとかしてしまって、娘も大笑いして、お母さんという感じではないですが、友達みたいな関係でずっといられたらなと思います」と語る島田。娘、ひろしとの日々でパワーを蓄えつつ、これからも新喜劇のステージに全力投球で挑み続ける。■島田珠代1970年5月10日生まれ、大阪府出身。高校在学中に『4時ですよ~だ』の一般人参加コーナーに出演したことをきっかけに1988年に吉本興業に入り活動を開始。吉本新喜劇の代表的女優として活躍。“パンティーテックス”などの持ちネタで知られる。現在、吉本新喜劇65周年記念ツアーが開催中で、来年3月30日の北海道公演まで全65公演以上が予定されている。
2024年08月13日●笑いで築いてきた人間関係「面白いことをすると友達ができて」17歳で吉本興業に加入し、その後、吉本新喜劇の看板女優として活躍し続けている島田珠代。ゼネラルマネージャー(GM)の間寛平から吉本新喜劇の65周年を盛り上げる“顔”にも任命され、現在開催中の全国ツアーに全力を注いでいる。芸歴36年も「常に若手の気持ちでステージに立っている」と語る島田。吉本に入った経緯から、パワフルな芸風が生まれたきっかけ、吉本新喜劇への熱い思いを聞いた。今年3月1日に65周年を迎え、7月7日より65周年記念ツアーを開催中の吉本新喜劇。その顔に任命された島田は「座員で一番顔の横幅が大きいということで選ばれたという風にも聞いていますが、選んでもらってすごくうれしかったです」と喜びつつ、「いつも『私なんて』というマインドがあり、舞台で『私を見てよ!』という感じでやってきたので、顔でいいのか自信がないです」と吐露する。吉本新喜劇の看板女優として長年活躍しているも、常に若手の気持ちで舞台に立っているという。「いつも『まだまだ』という気持ちで挑んでいて、常にハッパをかけている状態に。若手だと思うことでどんどん向上心が湧きますし、ずっと初心を忘れないように心がけています」そして、本来は「すごく寂しがり屋」だと言い、だからこそ、「私がいることを知ってほしいという思いがあり、ステージでは『私を見て!』という感じで爆発してしまう。そういう芸風になったのだと思います」と自身の芸風について分析する。ひょうきんな性格は子供時代から変わらず。ただ、幼稚園時代は外ではほとんどしゃべらない子で、外でも明るいキャラクターに変わったのは小学生の途中からだったという。「4歳から書道を習っていたのですが、小学2年生の頃から書道の授業が始まって、先生が私の書いた字をみんなに見せて『島田のこの字は手本や! こんなすごい字を書く子はおらんぞ!』と褒めてくれて、そこからクラスの人気者に。家でやっていたギャグを外でもするようになって、『こんなに活発な子だったの!?』みたいな感じで3年生以降はクラスの中心でした」大阪出身ということもあり、「面白い人が一番偉くて強い」という考えが根付いているそうで、「新しい学年になってクラスが変わると、いつギャグをやろうか考えて。面白いことをすると友達ができて、私という存在を認めてくれるんだと思っていたので、常に先生のモノマネや一発ギャグを考えて学校でやっていました」と振り返ると、「笑いがいろいろつなげてくれました」と感謝する。○「舞台に立っているときが一番私らしい、生きていると思える瞬間」とはいえ、笑いを職業にするとは考えてなかったという島田。転機となったのが、『4時ですよ~だ』の一般人参加コーナーに友達が応募したこと。同コーナーで2回優勝し、吉本の社員から心斎橋筋2丁目劇場のレギュラー出演権を獲得できるオーディションを受けないかと声をかけてもらい、見事レギュラーに。そこから遊びでやっていた笑いが仕事に変わっていった。2丁目劇場は当時、お笑いブームで東野幸治や今田耕司が大人気。観客は女子高生ばかりで、男性芸人たちに交じって笑いを取るために「女を捨てなあかん!」と覚悟を決めたという。「女子高生ばかりで東野さんや今田さんにキャーキャー黄色い声が飛んでいて、そこに女の子が加わると、『あの子、東野さんや今田さんと関わりたいからお笑い目指したのかな』と言う人もいて、これはもう男にならなあかんわと。女の子はこんなことできないみたいなハチャメチャな動きをしていたら、女の子からバレンタインデーに何個もチョコレートをもらうようになりました」その後、新喜劇に入団し、2丁目劇場からなんばグランド花月(NGK)が拠点になると、観客が子供から年配まで幅広い層に。すると、2丁目劇場で爆笑を取っていたネタを披露しても、ぽかんとされて笑いが起きず。先輩の浅香あき恵から「新喜劇はお笑いだけどお芝居なの。3枚目の子はかわいくすればするほどツッコミの人がツッコんでくれてウケるよ」とアドバイスをもらい、かわいく振る舞うようにすると、「気持ち悪い!」とツッコまれてウケるようになっていったという。そこから自分らしさも出していき、かわいく振る舞いつつ、ハチャメチャな動きで笑いを取る今の芸風を確立。「パンティーテックス」など大人気のギャグも生まれた。芸歴36年。お笑いや新喜劇から離れたいと思ったことは「ない」ときっぱり。「子供と離れて暮らしていた時期もあったんですけど、新喜劇で暴れている時だけはつらいことを忘れられて、本当にこの仕事でよかったなと。舞台に立っているときが一番私らしい、生きていると思える瞬間です」と語る。そして、自分もつらい時期を経験したことで、「私みたいに心が落ちている人も見に来ているかもしれないと思い、私の仕事は落ちた人を上げる仕事だから、とにかく一生懸命ステージで頑張ろうと改めて思いました」と元気を届けたいという思いがさらに強くなったという。●「新喜劇という船が渋まないように」 65周年ツアーも全力投球今後の抱負を尋ねると、「新喜劇という大きな船が沈まないように頑張っていきたい」と意気込む。「新喜劇は本当に心地よくて、みんないい人ばかりなんです。私たちの前の先輩も、次に船に乗り込んでくる人たちのために、沈まないように頑張ってくれて続いているので、私もこの船を75周年、85周年、95周年とつないでいけるように頑張ります」7月7日の東京公演で幕を開けた65周年記念ツアーは、来年3月30日の北海道公演まで全65公演以上が予定されているが、島田は初日から全力投球でステージに立った。「自分のコーナーで2リットルくらい汗をかきました(笑)。お客さんからたくさん拍手があって、大きな声で笑ってくれて、『楽しみにしていたよ』『新喜劇愛してるよ』というオーラがすごく伝わってきたので、こっちがボロボロになってもいいから笑いを届けたいという思いで、関節が外れるくらい変な動きをしました」65周年記念ツアーを通して、新喜劇が浸透していない地域にも魅力を届けていきたいと考えている。「東北など新喜劇にあまり馴染みのない地域にも行くので、新喜劇よくわからんわと思っている人たちにも入り込んでもらえるようにアピールしていけたら。もちろん西の人たちにも今まで以上に楽しいものをお届けして、つらいことや悩み事がある人たちも嫌なことを忘れて帰ってもらえたらいいなと思います」個人としての野望も聞いてみると、「東京のお仕事もいっぱいやってみたい」と意欲。「夢ですけど、スズナリ劇場(ザ・スズナリ)や本多劇場で、新喜劇ではない笑わすお芝居をやってみたいなという憧れがあります。あと、『A-Studio+』に出たいです。(笑福亭)鶴瓶師匠と娘がしゃべっている写真を見て、『これ娘の後ろ姿!』って言いたいです(笑)。そして鶴瓶師匠に私ってどんな人か語ってほしい! 夢ですね」と笑顔で語る。最後にファンへのメッセージを求めると、「私はライブを見に来てくれたお客さんを幸せにするために生きているようなものなので、皆さんをいっぱい笑わせて、悩み事も忘れさせて、笑顔にさせて、そういう魔法がかけられたらいいなと思っています。見に来てくださった方が、こんな子もいるんだから今の私の悩み事なんてちっぽけだわと思ってもらえることが私の活躍なので、そう思ってもらえるように、関節が外れるほど常に頑張りたいと思います」と熱い思いを語ってくれた。■島田珠代1970年5月10日生まれ、大阪府出身。高校在学中に『4時ですよ~だ』の一般人参加コーナーに出演したことをきっかけに1988年に吉本興業に入り活動を開始。吉本新喜劇の代表的女優として活躍。“パンティーテックス”などの持ちネタで知られる。現在、吉本新喜劇65周年記念ツアーが開催中で、来年3月30日の北海道公演まで全65公演以上が予定されている。
2024年08月12日「大ウソつきですから、手相なんて見てるヤツ。手相見てるんなら、マジで正面向いてゴミでも拾えよ!目の前に落ちてるゴミ拾えよ!人の手のひらばっか見やがって…」2月25日、ラジオ番組『SUNDAY NIGHT DREAMER』(JFN系)に出演した有吉弘行(49)はそう言ってまた、吠えていた。「有吉さんはかねて占いなどを一切認めず、大嫌いだと公言しています。この日は、リスナーからの投稿で、島田秀平さん(46)について聞かれた有吉さんは突如ヒートアップ。『二重運命線』や『覇王線』を“非常に珍しい強運の線”としている島田さんに対し、『ハッキリ言って、島田のやっている占いの番組見ると、二重運命線と覇王線はいわゆる定番です!絶対出ます!!』と切り捨て、手相占いに猛烈に噛みついたんです」(演芸関係者)有吉の、島田に対する怒りは今回に限ったことではない。いまから7年前の5月、『有吉弘行のダレトク!?』(フジテレビ系)では本人を前にブチまけている。「VTRで島田さんが出てくるやいなや、『出たよ~、コガネムシ!』と言い放ち、《芸能人からも圧倒的な支持》と紹介されると、『俺は支持してないぞ!』とイジり出しました。スタジオに島田さんが登場すると『いいなぁお前は、手のシワ見ていい加減なこと言ってりゃ、金が入ってきて!』と強烈にツッこんでいました。島田さんは『あなただけです、手相を手のシワって言うのは!』と切り返すも、2人の話がかみ合うことことはありませんでした。その後も有吉さんは島田さんを時々自分の番組のゲストに呼ぶこともありますが、『島田くんは“ザ・インチキ”』など、彼を“罵倒”する構図は変わりません」(前出・演芸関係者)有吉はなぜ、手相などの占いを一切認めようとしないのか。そのヒントは4年前に出演した番組に隠されていた――。「20年8月8日に放送された『有吉反省会』(日本テレビ系)に出演した本仮屋リイナさんが《なんでもかんでも占いで決めないと気が済まない》ことを反省しにきた回のことです。有吉さんは“この世で一番嫌いなのは占い”と断言し、『自分の人生を決められたくない』『占い師を全滅させてやろうと思っている』などと挑発的な発言を繰り返しました。その一連の発言を聞いた後、“見届け人”の博多大吉さんが『この圧のかけ方は…あのころの上岡龍太郎さんだ!』と驚いたのです」(前出・演芸関係者)■「上岡さんにお世話になっておりました」上岡龍太郎さんといえば、「漫画トリオ」やテレビ・ラジオの司会者として一時代を築いた人物。知性ある“毒舌”を武器に、レギュラー番組を10本以上抱えていた超売れっ子だったが、全盛期の00年に58歳で芸能界を引退した。「上岡さんは特に占いや非科学的なものに手厳しかったことで有名です。上岡さんは幼少期、がんを患っていた実母のもとに霊媒師や霊能者を自称する人たちが押し寄せるも、誰も病気を治すことはできなかったことからオカルト嫌いになったといわれています。ある番組では上岡さんが占い師に『私は今からあなたを素手で殴るか、灰皿で殴るか、どっちで殴ると思う?』と問いかけ、占い師が『あなたはそういう人ではありません』と答えると『そういうことする人じゃ!』と殴ったといった逸話は度々伝えられています」(芸能関係者)実は上岡さんは、有吉の“師匠”でもある。昨年6月、肺がんと間質性肺炎のため亡くなった上岡さんの訃報に対し、有吉は自らのラジオ番組でこう語っている。「上岡さん亡くなりまして残念でしたけども。81歳ということでございました。私が最も尊敬するという上岡さんでございましたけども…。(自分が)この世界入ったきっかけも、上岡さんと(島田)紳助さんの番組『EXテレビ』(日本テレビ系)ということで、上岡さんにお世話になっておりましたのでね。非常に残念ということでしょうか」前出の演芸関係者は続ける。「有吉さんが話していた“芸能界入りのきっかけ”は、人気番組『EXテレビ』で93年に行われた『オール巨人公開弟子面接』のことです。上岡さん、紳助さん、オール巨人さん、西川のりおさんの4人の面接官が弟子志望者1人と対峙する企画でした。当時18歳の有吉さんは敬語で話をしていたものの、生意気な態度をとったことで逆に面白がられ、見事に採用。オール巨人さんの弟子となったのです。結果的に8カ月で破門となりますが、有吉さんは当時を振り返って『圧迫面接そのもの』だったと苦笑いしています。なかでも有吉さんは上岡さんの話芸や人間性、そして全盛期に潔く辞めた芸人としてのブレない生き方を心から尊敬していたそうです。“占い嫌い”は、上岡さんに影響されてのことだと思います」『紅白』司会後もブレない有吉の発言を、上岡さんは天国で笑っているはずだ――。
2024年02月27日スターバックス リザーブ ロースタリー 東京から、京都・島田耕園人形工房とのコラボレーションによる干支や縁起物の御所人形「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」が登場。2023年12月13日(水)に発売される。京都の老舗・島田耕園人形工房とコラボした御所人形日本各地に根付く伝統的なモノづくりの情熱を、スターバックス リザーブ ロースタリー 東京を拠点に発信する特別なグッズシリーズ「ジモト メイド プラス」。安政6(1859)年に創業以降した島田耕園人形工房とのコラボレーションによる御所人形(※)は、例年年末の発売を待ち望むファンも多い、ロースタリー 東京の風物詩のひとつだ。※御所人形(ごしょにんぎょう)かわいらしい幼児の姿の姿をモチーフにした、日本の伝統的な人形。そのルーツは平安時代にまで遡り、疫病を祓うための等身大の人形から、身代わりに災厄を引き受ける「ひとがた」へと転化し、子の無事を願う御所人形へと派生した。「JIMOTO Made+ 東山 干支置物辰」2024年の干支である辰のモチーフは、コロンとした愛らしいフォルムと凛々しい表情が特長の干支置物として登場。腰にはロースタリー 東京のシンボルである星のマークが描かれている。「JIMOTO Made+ 東山 干支土鈴福龍」また、同じく辰をモチーフにした土鈴もラインナップ。魔除けや縁起物として歴史のある土鈴は、古くから家庭の安全と幸せな時間を願うお守りのような存在。ぷっくりとしたフォルムの福龍が奏でる心地よい音色が、新年の到来をつげる。亀を持つ御所人形、プラチナ箔の招き猫このほか、不老長寿の象徴でもある亀を手にした御所人形「JIMOTO Made+ 東山 御所人形亀持ち」、商売繁盛の縁起物として愛される招き猫をプラチナ箔で彩色した特別な一品「JIMOTO Made+ 東山 招き猫白金」など、様々な縁起物が展開される。商品情報「ジモト メイド プラス 東山」発売日:2023年12月13日(水)※2023年12月13日(水)から31日(日)までの期間中は1人1商品につき1点まで、以降1人1商品につき10点まで購入可能。販売店舗:スターバックス リザーブ ロースタリー 東京
2023年12月10日●新選組リアン加入で「昨日までとは全く違う生活に」元タレントの島田紳助さんがプロデューサーを務め、2009年にシングル「男道」でCDデビューを果たしたアイドルグループ・新選組リアン。紳助さん司会の人気番組にも多数出演し、その存在はお茶の間にも広く浸透したが、2014年にグループを解散した。華々しいデビューと活躍から急転直下、紳助さんの芸能界引退、グループの解散という激動の5年を、2代目リーダーで現在は歌手やタレントとして活動している関義哉が振り返る。(前後編インタビューの前編)○■新選組リアンとしてデビュー――関さんは、2009年に『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)で行われたオーディションに合格して、新選組リアンとしてデビューされました。デビュー後の反響はいかがでしたか?反響はめちゃくちゃありましたね。僕は当時大学2年生で、タレント活動をやっていたわけでもなく、卒業後は普通に就職するつもりだったのですが、オーディションを受ける運びになり、新選組リアンとして活動することが決まって。次の日から、街や電車で「新選組リアンの方ですよね! 握手してください!」と声をかけられる、昨日までとは全く違う生活になりました。これは結構な衝撃というか、ちょっと変な感じでした。――生活が一変したんですね。もともと関西の大学に通っていたと思うのですが、デビュー後はそのまま関西に?オーディションに合格してすぐに上京することになって、メンバーとの寮生活が始まりました。最初のうちは半分東京で仕事、もう半分は地元で大学に行く生活だったんですけど、仕事が忙しくなって、なかなか地元に帰れなくなってしまって。なので、出席が必須ではなくて、テストで単位を取れる授業を選択して、テスト期間中だけ地元に戻っていました。その期間は毎日8時間ぐらい勉強しましたね。あのときが、自分の人生で一番勉強したんじゃないかな。多分、受験勉強よりも追い込んでやっていたので、めっちゃしんどかったです……。――そうですよね……。デビューしたときから、大学は卒業しようと決めていたんですか?そうですね。自分も大学は卒業しておきたいと思ってましたし、親との約束でもあったので。新選組リアンのオーディションに申し込んだのは、親なんですけど(笑)。「何年かかってもいいから、大学は卒業しなさいよ」と言われていて、その約束を果たしたいという思いもありましたし、僕自身、中途半端なことが嫌いな性格なので、大学は卒業しようと決めていました。○■これが下積みってやつか――東京の生活はいかがでしたか?デビューしてすぐの頃は、ほとんど仕事場と寮を行き来するだけの生活でした。寮では、4畳ぐらいの部屋に3人で寝てて、そこに1人1個キャリーケースを置くんですよ。メンバーみんな、関西から上京してきてるので。寮は駅から歩いて30分くらいかかるところにあって、コンビニも近所に1軒だけ。そのコンビニへ行くにも歩いて20分くらいかかるんです。仕事場から帰ってくる場所としては、東京のきらびやかなイメージと逆の生活というか、「これが下積みってやつか」と感じてましたね。いま思えば、当時の事務所の社長が僕らのことを考えて、あえてそうしてくれていたのかもしれません。――デビューが華やかだったからこそ、いろいろと制限のある生活は良い面もたくさんありそうです。その後、寮を出て、自由な時間を作れるようになったと思うのですが、番組の共演者の方たちとプライベートでの交流はありましたか?サバンナの八木さんにはすごくお世話になっていました。『紳助社長のプロデュース大作戦!』(TBS系)で共演させていただいて、寮を出てから一人暮らししていた家が近所だと分かって。それから多いときは週4くらいで飲みにいかせていただいたり、八木さんが当時からサウナがお好きだったので、サウナに連れていっていただいたり。八木さんは、なかやまきんに君さんとも仲が良くて、3人でトレーニングもさせてもらっていました。僕だけ全然、筋肉なかったんですけど(笑)。――そうなのですね(笑)。八木さんとは今でも?僕が関西に戻って、住んでいるところも離れてしまったので、最近はなかなかお会いできていなくて……。でも、僕が結婚するときに報告の連絡をさせていただいたら、メッセージビデオを撮って、送ってくださって! めちゃくちゃうれしかったですね。●島田紳助さんから授かった金言とは○■紳助さんの金言を今でも大切に――わざわざビデオメッセージまで! いかに仲が良かったか、お二人の当時の関係性がうかがえます。番組を見ていると、紳助さんも共演者の方たちと食事されていた印象があるのですが、新選組リアンの皆さんもプライベートで食事に行かれていたんですか?僕たちも行かせていただいていました。めちゃくちゃ優しいですし、やっぱりずっと面白いんですよ。プライベートでもオフがないといいますか、本当に天才な方なんだなっていう印象でした。――紳助さんといえば、数々の名言も残されています。紳助さんから授かった金言があれば、教えていただきたいです。本当にたくさんあるんですけど、僕が今でも大切にしているのは「人生を彩る、絵の具を集める」という言葉です。人生という絵を描くためには、経験という絵の具が必要で、素敵な絵には明るい色だけじゃなくて、暗い色も入っているように、人生も楽しい経験だけじゃなくて、つらい経験があったほうが豊かなものになる、というふうにおっしゃっていたのを聞いて、すごく励まされて。つらいことや悲しいことがあっても、それも自分の人生において必要な経験として受け止められるようになって、すごく前向きになることができたんですよね。紳助さんはこれを、いま僕が話したよりも何千倍もうまく話されていたんですけど(笑)。○■紳助さんの引退発表に驚き――いやいや! 関さんが紳助さんの言葉を大切にされていることが伝わってきました。紳助さんプロデュースのもと、音楽活動にテレビ番組出演と活躍していた新選組リアンですが、紳助さんが突然、芸能界を引退することになります。紳助さんが会見を開かれた当日、僕たちはライブがあったんですけど、そのライブの直前に、事務所の社長から紳助さんのことを聞かされました。びっくりしましたし、めちゃくちゃ不安でしたね。――紳助さん全面プロデュースということで、グループの存続も危ぶまれたのでは?そうですね。やっぱり将来のことも考えましたし、めちゃくちゃ迷いました。でも、メンバーとも話し合いをして、まだ自分たちでもできることがあるんじゃないかと。それで、もう一回頑張ってみようと決めて、グループを続けることにしました。紳助さんが引退された影響はやっぱり大きくて、仕事も減りましたし、それにともなってライブに来てくれるファンの方も減っていくのを肌で感じていたのですが、それまでは紳助さんが全部作ってくださっていた楽曲を、自分たちで作ってみようとなって、それがきっかけで僕は作詞作曲をはじめて、振り付けもやるようになって。それが自立するためのいい経験になって、今の自分の活動にもつながっているなと思います。グループとしても、紳助さんが引退されてから3年半ほど自分たちのプロデュースで活動を続けて、その頃にはメンバーそれぞれに新しい夢ができていたので、一人ひとりの活動に注力してその夢を叶えるために、グループでの活動を一度止めることを全員で決めました。――その後、紳助さんとは連絡をとられましたか?紳助さんが引退されて結構時間が経ってからなんですけど、僕が大阪に行ったタイミングでお会いさせていただく機会があって、「頑張りや。応援するしな」というふうに言っていただきました。■プロフィール関義哉1989年4月7日生まれ。京都府出身。2009年、滋賀大学在学中に、日本テレビ系バラエティ番組『人生が変わる1分間の深イイ話』から誕生したアイドルユニット・新選組リアンのメンバーとしてデビューを果たした。2014年、新選組リアン解散後、自身の兄と弟の3人による兄弟ユニット「イーワイエス」としての音楽活動をスタート。現在はソロアーティストとしての活動に加え、ゴルフインストラクター、ライブ配信アプリ「17LIVE」のライバーとしても活動している。2023年10月21日、京都・GRACE HALLにて、メジャーデビュー14周年ワンマンライブを開催。同ライブは、関のライブに初来場の場合、入場無料となる。
2023年09月19日“国際派女優”とも“お騒がせ女優”とも呼ばれながら、昨年7月にその波乱万丈な生涯を閉じた女優・島田陽子さん(享年69)。晩年、彼女のマネージャーを務めていた福島浩一朗氏がこの度、沖縄県の尖閣神社の社務所長に転身した。故郷の埼玉県から石垣島に単身移住し、第二の人生を送っている。東シナ海を行き来する船舶の安全を願って尖閣諸島の魚釣島に尖閣神社が建立されたのは’00年のこと。ところが’04年3月、魚釣島に不法上陸した中国人活動家によって破壊される事件が発生。その後、壊された祠を持ち帰り、有志らの尽力によって’19年に現在の地に移設・再建された。今年の2月18日には3年ぶりとなる例大祭が盛大に執り行われたばかりだ。芸能マネージャーから宮守になった理由を福島氏はこう語る。「僕は、地元の本庄市長選に立候補した昨年1月に島田さんのマネージャーを辞めました。選挙は惨敗だったのですが、投票日の二日後に石原慎太郎元東京都知事が亡くなられて……。石原さんといえば都知事時代に尖閣諸島を都で購入すると表明して、国有化に導いた尖閣諸島に大変な功績があった人ですから、運命を感じてしまいました。尖閣神社は’19年の再建から社務所はずっと無人だったんですよ。台湾有事が叫ばれる中、誰かが守らなくてはいけない。そこで、自分がやろうと手を挙げたわけです」市長選に続いて、尖閣神社の宮守に“立候補”したというわけだ。現在は境内にある社務所に住み込みで暮らしているという福島氏。無人だったため社務所内は手つかずの荒れ放題で、ガスも通っていなかったためカセットコンロで調理をしているという。それでも元芸能マネージャーらしく、早くも商才を発揮しているようだ。「島に移住して神社を守るといっても、自分の生活費は稼がなくてはなりません。そこで思いついたのが『旭日ダルマ』(大3000円、小2000円)という神社限定の縁起達磨です。同じデザインの『御朱印帳』(初穂料込み4000円)も開発しました。例大祭ではありがたいことに、ダルマを一人で40個買っていかれた方もおられました」有人になったことで「御朱印を受けられるようになった」といった喜びの声も聞こえ、石垣島のパワースポットとして観光客の間でも話題になり始めている。最後に、女優のマネージメントと神社のマネージメント、どちらが大変かと聞いてみると…。「そりゃあ、島田陽子ですよ、全く面倒くさいもの(笑)。島田さんと僕とスポンサーの3者ですべて話がついた後に、マネージャーの僕の知らないところで島田さんが勝手にスポンサーにギャラを釣り上げようとする、なんてこともありましたね。それでもまあ、愛すべき人でした。今となってはすべてが懐かしいですね」そう笑みをこぼしながら、沖縄の地で故人を偲んだ。
2023年02月24日2023年は卯年。新年を迎えるにあたって、どのような年となるのか、またどのように過ごしていけば運気が上がるのかが、気になっている人は多いでしょう。手相占い師の島田秀平さんは、YouTubeチャンネル『島田秀平のお開運巡り』で、2023年について解説しています。島田秀平が教える「2023年はどんな年?」2023年の干支(えと)は、十干(じっかん)と十二支の組み合わせで『癸卯(みずのとう)』。それぞれの字について、島田さんは次のように説明しています。癸:終わりと始まり。種子。卯:植物が茂る、春の訪れを表す。どんどん新しいことが始まる。点を入れると『卵』に通じる字でもある。両方の漢字から見えてくるのは、『癸卯』は何か新しく始めるのに向いている年だということ。そこから島田さんは、2023年の過ごし方について、このようにまとめました。卯年というのは、まさに「ホップ・ステップ・ジャンプ」の「ホップ」。まさに何かを生み出すのがとても大事になってくる年なんですね。ぜひみなさん、癸の卯・2023年は、何か習いごとをするとか、資格を取るとか。ぜひそういうふうに使っていただきたいと思うんですね。島田秀平のお開運巡りーより引用島田さんのおすすめは2つ。1つ目は今の仕事に役立ちそうなこと。2つ目は、自分自身がリフレッシュできる、楽しい趣味を作っておくことだそうです。動画には、2023年に新しい1歩を踏み出そうと考えていた人たちから、感謝の声が多数寄せられました。・2023年を明るい気分で迎えられそうです!・よい年となるよう、頑張ります。・まさに、資格の勉強がしたかったので、がぜんやる気が湧いてきた。・すごくためになりました。意識して過ごしていきたいです!あなたも、自分自身のために、2023年の過ごし方を計画してみてはいかがでしょうか![文・構成/grape編集部]
2022年12月31日下関市を電子雑誌・動画・紙冊子でPR、島田秀平さんの連載ではオリジナルの最強開運旅を紹介株式会社ブランジスタメディアは、表紙におのののかさんを迎え、山口県下関市と提携し、同市の特集を掲載した電子雑誌「月刊 旅色」2023年1月号を本日公開しました。「月刊 旅色」2023年1月号おのののかさんがナビゲートする「コバルトブルーの風がふわり心ゆるむ下関トリップ」 電子雑誌「月刊 旅色」2023年1月号は、山口県下関市と提携し、同市の観光PRなどを目的とした特集を掲載。おのののかさんが巡るだけで元気が出る下関市の旅へ出かけました。また、電子雑誌を紙冊子にしたパンフレットを制作し、1月末より配布予定です。本州最西端の下関市は、「大陸の玄関口」として古くから人や物が行き交う交流都市として栄えました。日本有数の漁獲高を誇るフグやアンコウなどを水揚げするグルメタウンでもあり、角島大橋や火の山公園の絶景を見ようと、多くの観光客が訪れます。角島大橋を訪れたおのさんは、その海の青さを「衝撃の青さ」と評し、「街なかもおしゃれなお店がすごく多くて、明るくて元気な街」と印象を語りました。また、市立しものせき水族館海響館では、撮影に同行していたお子さんとの記念撮影も。かわいいお子さんとのお写真はぜひ本誌でご覧ください。旅好きにおすすめの旅程を聞く連載「あの人の旅プラン」は、タレントの島田秀平さんの後編。宮崎県高千穂を巡る、最強の開運旅をプランニングしてもらいました。「月刊 旅色」1月号表紙:おのののかさん■ 巻頭グラビア・インタビュー/おのののかさん 結婚・出産を経て本誌に再登場してくれたおのののかさんに、下関市を巡った感想や普段の旅についてインタビュー。家族が増えて、旅のスタイルは大きく変化したと言います。アクティブな旅が好きだというおのさんが「お気に入りの場所になりました」と語るほどハマった場所とは?そこでおのさんが撮影した写真も掲載しています。「月刊 旅色」1月号インタビュー:おのののかさん「月刊 旅色」1月号インタビュー:おのののかさん■ 1泊2日のRefresh Trip / 下関市(山口県) おのさんは、まずホタルの里として名高い豊田町の「道の駅 蛍街道西ノ市」へ。名物の梨を使ったスイーツやお土産に目を輝かせました。そして紺碧の海を求めて角島へ。夜は川棚温泉に癒され、名物の瓦そばに舌鼓を。2日目は絶景を求めて「火の山展望公園」へ。それから、唐戸市場周辺の海沿いエリアを散策。下関の豊かな海の恵みに触れていました。おのさんと一緒に旅をしているようなスペシャルムービーを公開中です。「月刊 旅色」1月号下関トリップ:おのののかさん「月刊 旅色」1月号下関トリップ:おのののかさんおのののかさんの旅ムービー ■ あの人の旅プラン / 島田秀平さん(後編) 「月刊 旅色」1月号連載:島田秀平さん「月刊 旅色」1月号連載:島田秀平さん■ 「あれ食べに行こう」からはじまる旅 タベサキハレの日は、そうだ、すき焼きにしよう 「月刊 旅色」1月号連載:タベサキ(すきやき)「月刊 旅色」1月号連載:タベサキ(すきやき)次号、2023年2月号(1月25日公開)の表紙は、二階堂ふみさんです。<株式会社ブランジスタメディア会社概要>URL: 本社所在地:〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町20-4ネクシィーズスクエアビル代表者:代表取締役社長井上秀嗣事業内容:電子雑誌出版・電子広告株式会社ブランジスタメディアは、株式会社ブランジスタ(東証上場6176)のグループ企業です。 詳細はこちら プレスリリース提供元:NEWSCAST
2022年12月26日大腸がんによる多臓器不全のため、7月25日に69歳で死去した女優・島田陽子さん。『続・氷点』『犬神家の一族』などで楚々とした演技を披露し、お嬢様役をやらせれば右に出るものはいないと言われた昭和を代表する女優の一人だった。’80年には米ドラマ『将軍 SHOGUN』で日本人女優として初のゴールデングローブ賞主演女優賞を受賞。「国際派女優」と呼ばれるも、キャリアの後半は歌手の故・内田裕也さんとの壮絶な不倫愛などでお騒がせ女優としての評判が定着してしまった。晩年は身寄りのない生活で、亡くなった直後に所属事務所が「近親者のみで荼毘に付された」と発表したが、本誌が渋谷区に取材したところ、引き取り手の遺族が現れないため遺体がまだ存在していたことが判明した。約2週間もドライアイスの中で保管されていたという。「ご遺体がまだ残っているのに所属事務所が火葬したと発表したのは前代未聞のことでした。島田さんが代表を務める個人事務所のような会社で、スタッフには芸能界の仕事に長けている人が少なかったそうです。それで今回の騒動をまねいてしまいまったのかもしれません」(島田さんの知人)結局、島田さんの遺体は渋谷区により火葬された。無縁仏として合葬されてしまうところだったが、お骨に関しては事務所関係者によって引き取ることができ、先に亡くなっていた実母とともに、9月に都内のお墓に納骨された。所属事務所は「ゴールデングローブ賞のトロフィーのレプリカをお墓に設置するタイミングでお別れ会を開きたい」と発表していたが、10月頃に本誌がお墓を訪れた際にはまだ墓石に名前も刻まれていない状態だった。しかし、11月末になってついにトロフィーのレプリカがお墓に設置された。墓石には真新しい文字で刻まれた島田さんの戒名も確認できた。「大女優にしてはいささかこぢんまりとしたトロフィーですが、多額の借金を残したまま天国に旅立ってしまったので仕方ないのかもしれませんね。いまだにファンのためのお別れ会は開かれぬままですが、俳優ら仕事関係者によるお別れ会は全国各地で行われました。これでようやく御本人も眠りにつけることでしょう」(前出・島田さんの知人)昭和の大女優にふさわしい波乱万丈の人生だったーー。
2022年12月09日東京・中目黒のスターバックス リザーブ ロースタリー 東京から、京都・島田耕園人形工房とのコラボレーションによる新作グッズ「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」が登場。2022年12月13日(火)に発売される。スターバックス「ジモト メイド プラス」第3弾その土地独自の産業や素材を取り入れた商品を、スターバックス(Starbucks)の“地元店舗のみ”で販売する「ジモト メイド(JIMOTO made)」。そのコンセプトをさらに発展させた「ジモト メイド プラス」は、日本各地のモノづくりに向き合う情熱を広く伝えるべく、スターバックス リザーブ ロースタリー 東京を拠点に発信する特別なグッズシリーズだ。京都・島田耕園人形工房とコラボした御所人形第3弾となる今回は、毎年12月に干支や縁起物の御所人形でコラボレーションしている、京都市東山区の島田耕園人形工房と再タッグ。和様美の粋を尽くした伝統的人形を創りつづける、老舗ならではの御所人形が展開される。※1 御所人形(ごしょにんぎょう)かわいらしい幼児の姿の姿をモチーフにした、日本の伝統的な人形。そのルーツは平安時代にまで遡り、疫病を祓うための等身大の人形から、身代わりに災厄を引き受ける「ひとがた」へと転化。そして、子の無事を願う御所人形へと派生した。アイコンのサイレンを表現した御所人形たとえば「人魚」は、スターバックスのロゴで用いているサイレンを伝統の技法で表現した御所人形。色彩豊かで御所人形らしいぷっくりとした顔つきの人形の衣装には、日本古来の文様「蛇の目」や「菱」をデザイン。人魚の尾のようにも見える足元は、スターバックスをイメージしたグリーンの袴だ。白鯨や招き猫、うさぎのモチーフもこのほか、スターバックスの名前の由来に繋がるハーマン・メルヴィルの名作小説『白鯨』をイメージした「白鯨」、存在感ある本金箔貼りがラグジュアリーな輝きを放つ「招き猫金」、2023年の干支である「卯(うさぎ)」をモチーフにした白と黒の土鈴セット「干支土鈴セット うさぎのお願い」など、数量限定品を含む全12種類が用意されている。商品情報「ジモト メイド プラス(JIMOTO Made +) 東山」販売期間:2022年12月13日(火)~ 無くなり次第終了※2022年12月13日(火)から2022年12月31日(土)までは、1人1商品につき1点まで。以降は、1人1商品につき10点まで購入可。販売店舗:スターバックス リザーブ ロースタリー 東京、スターバックス オンラインストア
2022年12月09日大腸がんで7月に亡くなった島田陽子さん(享年69)。逝去直後の騒動は落ち着きを見せているが、9月に開催予定と報じられたお別れ会は、いまだに行われていない。長年の知人が語る。「晩年はお金がないのにタワーマンションに住んで家賃を半年分も滞納。ポストはいつも督促状の山でした。裁判所からの呼出状もあったそうですが、当の本人は封すら切らずに知らぬ存ぜぬだったそうです。借金の額は聞いているだけでも1千万円を軽く超えるとか」家族とも縁が切れていたため一時は遺体の引き取り手もなく、渋谷区がドライアイスで保管する事態となっていたが、9月にようやく親族によって実母とともに納骨された。しかし、この墓が新たな金銭問題の火種になりつつある。「島田さんは’80年にアメリカのドラマ『将軍 SHOGUN』でゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞しました。このときにもらったトロフィーのレプリカを製作してお墓に建てようと、島田さんの事務所関係者たちが計画しているのです。しかし、この特注墓石には話題をつくってお金を集めるという意図が見え隠れします。事務所関係者は再三にわたって資金集めを画策していますが、うまくいかずお別れ会は2度も延期され、島田さんの友人たちからの不信感はかなり強いのです。債権者たちから“レプリカを建てるお金があるなら、まずは借金を返して”という声も上がっています」(前出・知人)本誌はこの“トロフィー墓碑”について所属事務所に問い合わせたが、回答は得られなかった。生前、「宇宙葬」を希望するなど型にはまらない考えを持っていた島田さんだが、ファンや友人らは、故人を偲ぶ機会が早期につくられることを望んでいるのではないだろうか。
2022年11月16日合同会社みどりや薬局(静岡県島田市中溝、代表社員:清水 雅之)は令和4年11月21日より島田市で開催される島田薬剤師会主催のお薬とスポーツを学ぶスタンプラリー「ドーピング妖怪を封印せよ!」に企画協力いたします。ドーピング妖怪を封印せよ!メインビジュアルこのスタンプラリーは静岡県島田市にある島田薬剤師会会員薬局にそれぞれドーピング妖怪スタンプヒントパネルと妖怪スタンプを設置し、薬局窓口で配布されるスタンプラリー台紙をもって市内にある薬局を巡りながら楽しく薬やアンチドーピングを学ぶ企画となっております。すべての妖怪スタンプを集めた方へはエコバッグや缶バッチなどのオリジナルグッズをプレゼントいたします。スタンプラリーを通じて地域の薬局、薬剤師に親しみを持っていただくと共にドーピングというスポーツにおけるルールを参考に日常的なお薬の正しい使い方について地域の皆様に考えていただくきっかけとなることを目的としたイベントです。●イベント実施期間2022年11月21日~2022年12月31日※景品が無くなり次第終了●スタンプ設置薬局について島田市内にある島田薬剤師会会員薬局(2022年11月現在)会員薬局については島田薬剤師会HPの会員薬局( )を参照●イベントお問い合わせ島田薬剤師会 TEL 0547-37-7760■ドーピング妖怪についてスポーツにおける世界共通のルールであるドーピング規則「WADA CODE」に定められているドーピング禁止物質をカテゴリー別に妖怪キャラクター化。使い方によって人の病気を治す事も出来ますが使い方を誤るとドーピング違反になったり、体調を悪化させたりする可能性があるドーピング禁止物質をわかりやすく広める目的で製作いたしました。■お薬とスポーツを学ぶスタンプラリー「ドーピング妖怪を封印せよ!」についてスポーツをする人もしない人も、ドーピング妖怪のスタンプラリーを楽しむ中でドーピングの事やお薬やサプリメントを正しく使う事について考えてもらえる内容となっております。「ドーピング妖怪を封印せよ!」の導入について 詳細はこちら プレスリリース提供元:@Press
2022年11月15日国際派女優として知られた女優の島田陽子さん(享年69)が、がんのため亡くなってはや3カ月。逝去直後、「荼毘に付した」という報道が出たが、実は渋谷区が遺体を保管しており火葬されていなかったという事実を本誌は報じていた。「まだご遺体があるのに『荼毘に付した』という情報を出したのは島田さんの所属事務所だったそうです。メディアもまさか大女優の逝去に関して事務所関係者が事実と異なる情報を出すとは思わず、その通りに報じてしまったのです。ご遺体は2週間もドライアイスの中でしたが、8月上旬には火葬されました。晩年の島田さんは家族とは疎遠で、唯一の理解者だったお母様のお骨を自宅に大事に保管していましたが、9月になってやっとお母様と一緒に納骨されたそうです」(島田さんの知人)本誌は島田さんが納骨されたというお墓を訪ねた。都内一等地にある日蓮宗のお寺の墓地に島田さんはひっそりと眠っていた。墓石は本名の「中村家」と書かれ、島田さんの両親が生前に建てたものだった。墓石には両親の名前しか刻まれておらず、現状では誰もこれが島田陽子さんの墓だとは知る由もない。しかし、住職に確認すると確かに9月に納骨が済まされたそうだ。また、予定されていたお別れ会も未だ開かれないままだ。「当初は9月という話だったのが、『10月中には』『やっぱり11月に』とずれ込むばかり。一度は事実と異なる情報を出した事務所に関係者が不信を抱き、なかなか賛同者が集まらないのだそうです。また、生前の島田さんは宇宙葬を望み、契約書も交わしていました。宇宙葬というと壮大に聞こえますが、実際は遺骨の数グラムを小さなカプセルに入れて飛ばすことなんだそうです。それだけでも叶えてもらえれば故人の供養になると思うのですが…」(前出・知人)ファンが島田さんにお別れをいう機会は設けられるのか、そして宇宙に行きたいという島田さんの夢は叶うのか――。今後を見守りたい。
2022年10月26日映画『“それ”がいる森』(9月30日公開)の公開直前イベントが31日に都内で行われ、相葉雅紀、松本穂香、尾形貴弘(パンサー)、 島田秀平が登場した。同作は中田秀夫監督によるオリジナルホラー。田舎町でひとり農家を営む田中淳一(相葉雅紀)は、元妻・爽子(江口のりこ)と東京で暮らす小学生の息子の一也(上原剣心)が、突然ひとりで訪ねて来たのをきっかけに、しばらく一緒に暮らすことになる。ちょうどその頃から、近くの森では不可解な怪奇現象が立て続けに発生し、淳一が住む町でも住民の不審死や失踪事件が相次いでいた。そんな矢先、淳一と一也も偶然得体の知れない“それ”を目撃してしまう。イベントではキャスト陣が考えてきた「ホラー川柳」を島田がジャッジするということで、相葉は「二人部屋 会話の相手は 三人目」という川柳を披露する。「櫻井(翔)くんと2人部屋だったんですけど、僕がシャワーに入っている時に、櫻井くんがすごい話しかけてくるんですよ。『今、頭洗ってるから! 後で聞くから!』と言ってもずっと聞き取れない声で話かけてきて、『わかったわかった』と言いながら、終わって外に出て『何?』と聞いたら『えっ、何もしゃべってないよ?』と言われて。何に話しかけられたんだろう? みたいなことがイタリアのホテルでありました」と状況を説明した。尾形は「イタリア人、イタリア語だからわかんなかったんだ!」とボケながら驚き、相葉は「それも心霊ロケで、嵐って昔、心霊スポットを巡らされてたんですよね。イタリアでミイラを見るというロケで、その時にあったんです」とさらに語る。島田が「もしかしたら連れて帰って来ちゃったんじゃないですか?」と尋ねると、相葉は「ありえますよね。最近はめっぽうなくなりましたけど、当時は本当にいろんなことがあったんで、その時はもしかしたら連れて来ちゃったのかもしれない」と振り返っていた。また、松本は「地下怖い ホラー映画の 見過ぎです」とかわいらしい川柳で、「ホラー映画で地下室って出てくるじゃないですか。絶対行っちゃダメなのに絶対行くじゃないですか。だから行くな行くな! って言いながら見ちゃう」と苦笑。尾形は「テレビ消え 犬娘鳴き出す マイホーム」と、心霊現象を川柳にしたため「リフォームして霊の通り道を潰しちゃったんじゃないかと霊媒師に言われた」と明かすも、島田は「まず電気屋さんに行って欲しい」とツッコミを入れる。最後に島田が「この短い文の中で一気に情景が浮かんで鳥肌が立ってしまったところで、相葉さん」とホラー川柳の1位を発表した。
2022年09月20日