黒澤明監督の名作映画『生きる』をリメイクした映画『生きる LIVING』が、2023年3月31日(金)に公開される。黒澤明『生きる』イギリスを舞台にリメイク1952年に公開された映画『生きる』は、還暦直前に余命半年を告げられた役人が、人生を見つめなおす姿を描いた黒澤明監督の代表作。リメイク版の映画『生きる LIVING』では、第二次世界大戦後のイギリスを舞台にストーリーを展開する。『生きる LIVING』の主人公、ウィリアムズは、仕事一筋で空虚で無意味な毎日を送る中、余命幾ばくも無いことを宣告される。最期を知り、残された日々を大切に過ごしたい……、そう願うようになるウィリアムズ。それまでの自分の人生を振り返り、「生きることなく、人生を終えたくない」と静かに、しかし心の中は懸命に、熱く生きることを選んだウィリアムズの姿を描き出す。劇中には、黒澤明の『生きる』に登場する名シーンを彷彿させる、誰もいない公園での“ブランコ”シーンも。観るものの心に光を灯すような、感動の物語が紡がれる。ノーベル賞作家カズオ・イシグロが再構築リメイク版の脚本を手掛けたのは、小説『わたしを離さないで』などで知られるノーベル賞作家カズオ・イシグロ。監督はオリヴァー・ハーマナスが務める。ビル・ナイが主演主演は、『ラブ・アクチュアリー』『ナターシャの歌に』などで知られ、ジョニー・デップ製作・主演作品『MINAMATA−ミナマタ−』への出演も記憶にあたらしいビル・ナイ。仕事に明け暮れていた中、“余命半年”と告げられる主人公・ウィリアムズを演じる。その他、Netflix作品「セックス・エデュケーション」のエイミー・ルー・ウッド、『パーティで女の子に話しかけるには』のアレックス・シャープ、トム・バークなどが出演する。■主人公ウィリアムズ…ビル・ナイ公務員として空虚な日々を送っていたが、ある日「余命半年」であると宣告される。余命宣告を受け、自分の人生を見つめ直す。■マーガレット…エイミー・ルー・ウッドウィリアムズのもとでかつて働いていた同僚。第80回ゴールデン・グローブ賞、主演男優賞にノミネート第80回ゴールデン・グローブ賞にて、主演のビル・ナイが主演男優賞(ドラマ部門)にノミネート。すでに世界の映画祭で上映され、オスカー候補とも言われる映画『生きる LIVING』の、今後の展開も要チェックだ。〈映画『生きる LIVING』あらすじ〉1953年。第二次世界大戦後、いまだ復興途上のロンドン。公務員のウィリアムズは、今日も同じ列車の同じ車両で通勤する。ピン・ストライプ背広に身を包み、山高帽を目深に被ったいわゆる“お堅い”英国紳士だ。役所の市民課に勤める彼は、部下に煙たがられながら事務処理に追われる毎日。家では孤独を感じ、自分の人生を空虚で無意味なものだと感じていた。そんなある日、彼は医者から癌であることを宣告され、余命半年であることを知る―。彼は歯車でしかなかった日々に別れを告げ、自分の人生を見つめ直し始める。手遅れになる前に充実した人生を手に入れようと。仕事を放棄し、海辺のリゾートで酒を飲みバカ騒ぎをしてみるが、なんだかしっくりこない。病魔は彼の身体を蝕んでいく…。ロンドンに戻った彼は、かつて彼の下で働いていたマーガレットに再会する。今の彼女は社会で自分の力を試そうとバイタリティに溢れていた。そんな彼女に惹かれ、ささやかな時間を過ごすうちに、彼はまるで啓示を受けたかのように新しい一歩を踏み出すことを決意。その一歩は、やがて無関心だったまわりの人々をも変えることになる―。【詳細】映画『生きる LIVING』公開時期:2023年3月31日(金)出演:ビル・ナイ、エイミー・ルー・ウッド、アレックス・シャープ、トム・バーク原作:黒澤明監督作品『生きる』監督:オリヴァー・ハーマナス脚本:カズオ・イシグロ音楽:エミリー・レヴィネイズ・ファルーシュ製作:Number 9 Films
2021年12月19日「まだまだその辺にいるような気がして、亡くなった実感が今でも湧いてきません」こう語るのは原田純一さん。40年間にわたって八千草薫さん(享年88)のマネージャーを務めた人物だ。’19年10月24日に八千草さんが天国に旅立ってから丸2年。思慮深く、つつましい性格で多くの共演俳優から慕われた八千草さんだが、三回忌法要もしめやかに行われたようだ。「法要はごくごく少人数で行いました。時節柄、食事もせず、お坊さんに来てもらってお経をあげてもらいました」(原田さん)16歳で宝塚歌劇団に入団し、“永遠のマドンナ”として70年以上にわたる女優生活を送った八千草さん。’57年には19歳年上の映画監督・谷口千吉さんと結ばれるが、谷口さんは’07年に帰らぬ人に。その数年後、80歳を過ぎたころに八千草さんはある決断をする。“人生の終わり”を見据え、遺言書を書き始めたのだ。一度は断念したというが、晩年に八千草さんは手記でこうつづっている。《最近になって改めて決心して、遺言状をちゃんと作成しました。独り身なので、身支度を整えておかないと周りの人に迷惑をかけることになってしまうでしょう。それだけは絶対に避けたかったのです》(『文藝春秋』’19年8月号)“人に迷惑をかけたくない”、その一心で始めた八千草さんの終活。晩年に出版したエッセイ『まあまあふうふう。』でも《自分でも呆れるくらい、ものを捨てないんです》とつづっていたように、身の回り品を大切にしていた。自分の死後の思い出の品々のことも考え、生前から託す準備をしていたと、原田さんは明かす。■ペットは生前から引き取り先を「彼女は“形見分け”として、友人や知人一人ひとりに相談していました。彼女のお洋服やバッグ、アクセサリー。家のソファやテーブルといった家具もですね。もう皆さんにお渡しできたのですが、人数が多すぎて整理だけで1年半かかりました(笑)」夫の死後、一人で生活する八千草さんを支えた“家族”が、シェットランド・シープドッグのヴェルディと元野良猫のフィオリだ。ヴェルディは八千草さんにとって12匹目の愛犬となるなど、動物に愛情を注ぎ続けた彼女は、2匹の“その後”もきちんと見据え、生前から引取り先を決めていた。「ヴェルディとフィオリはそれぞれ彼女がペットを通じて仲よくなった一般の友人に託しました」順調に生前整理を進めていた八千草さんだったが、一つだけかなわなかった願いが。それは夫との思い出が詰まった東京都世田谷区にある自宅だ。’66年から亡くなるまで住み続けた“終の棲家”への思い入れは相当なものだったようだ。「非常に家が好きな方で、最後まで“死んだあとも家を残したい”と言っていました。でも残すとなると、相続税なども大変なことになる。彼女も税理士やいろんな方と話をした結果、本人も納得して“誰かに迷惑をかけてもしょうがないからお願いします”と残すことを諦めていました」結局、遺言状に“家を遺す”と書かれることはなく、土地は八千草さんの遠戚2人と所属事務所社長の3人に3等分する形で遺贈。そして、昨年9月に不動産会社に売却され、自宅はすでに取り壊されている。家を遺すことはかなわなかったが、実は有名人に売却するという話もあったという。「何人かの女優さんや映画監督が家を欲しいと名乗り出てこられました。女優さんの名前は秘密にさせてください(笑)」■専門家は「お手本のような終活」ペットから自宅まできれいに生前整理を終えていた八千草さん。終活カウンセラー協会で代表理事を務める武藤頼胡さんは「お手本のような終活」と絶賛する。「死んだ後に自分はこの世にいないので、終活は独りよがりになってはいけない。残された人がどう思うかが非常に大事なんです。その点、迷惑をかけないやり方で生前に整理をしていた八千草さんは本当にすごいと思います」武藤さんは八千草さんをお手本にしたうえで、“迷惑をかけない終活”で大切な3カ条を指摘する。1つ目は自分の死後も生きるペットについて。「最近ではペット信託サービスもありますが、親しい人に引き取ってもらったほうがうれしいですよね。ですから、まず“何かあったときにお願いね”と頼めるペット仲間を作ることです」2点目は八千草さんも苦心した自宅の遺贈について。生前に価値を把握しておくことが肝要だそう。「不動産を残したいという人は多いのですが、売れるかどうかわからないし、かえって迷惑になることもあります。ですから、いち早く自分の土地にどれくらい価値があるのかを知っておくといいでしょう。専門家に依頼しなくても、毎年7月に国税庁が発表する路線価や固定資産税から土地の評価額を計算することもできます。もめないためにもまず“知る”ことが大切です」最後に何よりも、生前から“対話”を重ねることが重要だと、武藤さんは説く。「遺言書も大切ですが、まず子供や友人など引き継ぐ人ときちんと話をして、自分の思いを伝えておくことです。八千草さんはペットや形見分けにしても引き継ぐ人のことを常に考え、みんなが納得いくように話をしていた。これはなかなかできることではありません」八千草さんが遺したペットの近況について原田さんは笑いながら言う。「ペットを引き取った方からたまに写真が送られてくるのですが、2匹とも元気です。八千草は今、自分で作った谷口先生のお墓で夫婦一緒にひっそりと眠っています」八千草さんの美しい人生の仕舞い方は“指針”となってこれからも多くの人を導いていくーー。
2021年10月27日ゲストが、お酒を手に赤裸々なトークを展開するバラエティ番組『人志松本の酒のツマミになる話』(フジテレビ系)。2021年10月15日の放送では、お笑いコンビ『麒麟』の川島明さんが妻と出会った時のエピソードを披露。ネットで「すごい」と話題になっています。番組には、モデルやタレントとして活躍している、谷まりあさんがゲスト出演。「ディズニープリンセスのような運命的な出会いに憧れる」と明かしました。その上で「今までに運命の出会いがあったか」と共演者に問いかけます。話を振られた川島さんは、妻と出会ったのは、新宿にある、お酒が飲める飲食店だったと話し始め…。川島明の運命的な出会いとは川島さんが、5人の後輩と飲んでいた時のこと。女性が1人で来店し、定食を食べていたそうです。「めっちゃきれいな人やな」と思った川島さんが、チラチラと見ていると、いかつい男性が現れて、女性を口説き始めたのだとか。その後の展開を、川島さんは、このように語っています。「5人おるし、ちょっと行くか」って。「なんですか?(女性は)僕の友達なんですけど」って(男性に話しかけて)、助けに行ったんですよ。なんかあっても、絶対数では勝てると思って。ほんで奥さんが「あ、そうなんです」って(話に)乗って。人志松本の酒のツマミになる話ーより引用その後、男性は物いいたげな様子で立ち去ったそうです。川島さんが、改めて女性に声をかけたところ、その場で連絡先を交換する流れになったといいます。なお、当時、お笑いタレントとして活動していた川島さんを、女性は知らなかった様子。このエピソードを聞いた共演者一同は「えーっ!」「運命じゃないですか!」と大盛り上がり。谷さんも「ドラマみたい!」「スペシャル運命!」と太鼓判を押しました。番組の視聴者からも、驚きの声が寄せられています。・川島さん夫婦、マジで大運命!・本当に運命の出会いで、すごい。・もう漫画じゃん。強面の男性の登場や、仲間の協力によって生まれた、川島さんの運命的な出会い。運命を信じていれば、いつか思わぬところで、ドラマチックな出会いを体験できるかもしれませんね。[文・構成/grape編集部]
2021年10月22日2021年10月7日、作曲家の、すぎやまこういちさんが亡くなったことが分かりました。90歳でした。『ザ・ピーナッツ』の『恋のフーガ』や『ヴィレッジ・シンガーズ』の『亜麻色の髪の乙女』といったポップスだけでなく、ゲーム『ドラゴンクエスト』の楽曲でも有名なすぎやまさん。同日、『ドラゴンクエスト』シリーズのウェブサイトは、長年にわたって同シリーズを支え続けたすぎやまさんに感謝の意を表しました。『ドラゴンクエスト』堀井雄二&鳥山明がコメント『ドラゴンクエスト』シリーズのウェブサイトでは、ゲームデザイナーである堀井雄二さんと、キャラクターデザインを務める漫画家の鳥山明さんのコメントを掲載。500曲を超える同シリーズの楽曲を生み出したすぎやまさんに、別れと感謝のメッセージを述べました。堀井雄二コメントすぎやま先生の、あまりに突然な訃報を聞き本当に残念でなりません。ドラゴンクエストを作って35年、その世界に、すぎやま先生は音楽という命をずっと吹き込んできてくださいました。先生には本当に素晴らしい楽曲をいっぱい書いていただきました。これからもドラクエは、先生の音楽とともにあります。ユーザーの皆さんの心の中に先生は生き続けるはずです。すぎやま先生長い間本当にありがとうございました。ドラクエ・パラダイス(ドラパラ)ドラゴンクエスト公式サイトーより引用鳥山明コメントすぎやま先生の訃報を聞き、驚いています。つい数年前にお会いした時の印象からもいい意味で、永遠の命を持つ魔法使いのように思っていました。ドラゴンクエストのイメージは、当時からゲームが大好きでいらした、すぎやま先生の素晴らしく印象的な数々の名曲によって決定付けられた。と言っても過言ではありません。長くご一緒に仕事をさせていただいて本当に光栄でした!心よりご冥福をお祈りいたします。ドラクエ・パラダイス(ドラパラ)ドラゴンクエスト公式サイトーより引用1986年に『ドラゴンクエスト』が発売されて以来、数々の作品を生み出してきた3人。よりよいゲームを生み出すため、きっと切磋琢磨したはず。だからこそ、『ドラゴンクエスト』シリーズは世界中の多くの人から愛され続けているのでしょう。絆を感じるコメントに、同シリーズのファンからは「泣いてしまった」「すぎやまさん、本当にありがとうございました」といった声が上がっています。すぎやまさんの楽曲は今後もゲームの中で残り続け、さらに多くの人を楽しませてくれると信じてやみません。[文・構成/grape編集部]
2021年10月07日俳優の小林薫、女優の山田杏奈が、日本マクドナルドの新CM「月見バーガー・濃厚とろ〜り月見『父編』」(7日〜)、「月見マックシェイク・月見パイ『娘編』」(7日〜) 、「月見マックシェイク・月見パイ・月見マックフルーリー『娘篇』」(14日〜)に出演する。新CMは、絢香が歌う楽曲「三日月」にのせて、遠く離れて暮らす父親と娘が思い合い、月を通じてつながることに喜びを感じる姿が描かれ、父親役を小林、娘役を山田が演じる。「父編」では父親が「無理をするなよ」と娘を心配し、「娘編」では娘が「私がいないとさみしいでしょ」と少しからかうように父親を気遣っている。また、本日1日より、マクドナルド公式YouTubeチャンネルにて、小林と山田が出演するSpecial 月見 Movie「父と娘編」も公開中。
2021年09月01日7月18日~25日まで紀伊國屋ホールにて開催されたラッパ屋「コメンテーターズ」東京公演。この度、本作を観劇したフリーアナウンサーの笠井信輔と、劇団ラッパ屋主催の鈴木聡による対談映像が公開された。本作は、面白半分にYouTubeを始めた親父が人気となり、ワイドショーのコメンテーターに抜擢される珍騒動を描いた作品。笠井は日頃からラッパ屋を応援しており、今回の対談が実現した。映像では笠井が本作の魅力と、ワイドショーの裏側を語る。「コメンテーターズ」を観劇した人も、まだ観ていない人も楽しめる内容となっているので、ぜひチェックしてほしい。なお、ラッパ屋「コメンテーターズ」は 7月31日(土)まで配信で観劇可能。 視聴券の購入は7月31日10:00まで、視聴は7月31日12:00までとなる。 詳しくはラッパ屋HPまで。★フリーアナウンサー・笠井信輔&ラッパ屋主宰・鈴木聡 対談映像【公演概要】ラッパ屋 第46回公演「コメンテーターズ」7月18日(日)~25日(日) @紀伊國屋ホール脚本・演出:鈴木聡音楽・演奏:佐山こうた出演:おかやまはじめ俵木藤汰木村靖司 / 弘中麻紀岩橋道子ともさと衣大草理乙子谷川清美(演劇集団円)瓜生和成(小松台東)北村岳子中野順一朗浦川拓海青野竜平(新宿公社)黒須洋嗣佐山こうた / 宇納佑熊川隆一武藤直樹公式HP:
2021年07月29日1989年に発表されて以来、多くの人に愛されてきた北村薫さんのミステリー小説「円紫さんと私」シリーズ。物語の語り手である文学部の大学生〈私〉と、落語家の春桜亭円紫(しゅんおうていえんし)による鮮やかな謎解きを楽しめるのだが、その第1作『空飛ぶ馬』が、タナカミホさんの手でマンガとして新たに生まれ変わった。日常こそ不可解でスリリング。マンガで蘇る記念碑的ミステリー。「担当編集さんと新連載の相談をしていて、原作ものだったら日常系のミステリーが私の作風に合うのでは、と提案してくださったのがこの作品でした。読んでみたら30年も前の作品とは思えないほど、今と通じるような心理描写が素晴らしくて。心理だけでなく情景も、光と影の印象的なシーンが絵として浮かび、ぜひマンガにしてみたいと思いました」本作を「日常系ミステリー」と称しているのは、推理小説でありながら人が一切死なないから。日常のふとした場面で違和感を覚えたり、疑問に思ったこと、もっと言えば多くの人は不思議に思ったとしても「まあいっか」と流してしまいそうなことから物語が立ち上がってくる。たとえば、まったく知らない人や出来事を夢で見てしまう「織部の霊」、喫茶店で紅茶に砂糖を入れ続ける女性たちを目撃する「砂糖合戦」、幼稚園の園庭に設置された木馬が一晩だけ消えてしまう「空飛ぶ馬」など。謎を探ることで〈私〉は時に、見たくない現実とも向き合うことに。「20歳手前の〈私〉ちゃんが、謎解きを通して成長していく過程を一話ずつ丁寧に描きたいと思いました。自分も身に覚えがあるのですが、10代の頃って大人は“ちゃんとした人”というイメージがあるじゃないですか。だけど利己的だったり自分を守るのに必死だったりして、現実的な姿が見えてくると、こんなもんかと思ってしまう。〈私〉ちゃんの場合は大人に対する失望が、女性性の嫌悪として表れるのです」原作ファンが多いだけでもプレッシャーだろうが、シリーズの装画を一貫して手がけてきたのは、多くのマンガ家にとっても憧れの存在といえる高野文子さん。そんななかでタナカさんは、円紫さんと〈私〉が生き生きと動く、美しくもどこか切ない深淵な世界観を創り上げている。「小説とマンガでは構成の文脈が違うので、マンガ用に再構築していかないと読者が飽きてしまうのでは、という意識がありました。原作にある複合的なテーマの見せ方は難しかったですが、マンガ流の構成を考えていくところにオリジナリティを出せる楽しさがありました。『マンガが面白かったから、原作を読んでみよう』と言っていただけると、すごく嬉しいですね」原作 北村 薫、漫画 タナカミホ『空飛ぶ馬』本格推理小説であり、女性が大人になっていく成長を描いた青春物語でもある、北村薫のデビュー作をマンガ化。日常の光と影を捉え、静かな感動へと導く5編。リイド社990円タナカミホ/リイド社タナカミホマンガ家。講談社『ITAN』にて第5回スーパーキャラクターコミック大賞、優秀賞を受賞してデビュー。『いないボクは蛍町にいる』(全2巻)発売中。※『anan』2021年7月7日号より。写真・中島慶子インタビュー、文・兵藤育子(by anan編集部)
2021年07月04日フリーアナウンサーの笠井信輔が28日、都内で行われたハリウッド映画『ゴジラvsコング』(7月2日公開)ジャパンプレミアイベントに出席。俳優の小栗旬を「小倉さん」と呼び間違える場面があった。イベントには、本作でハリウッドデビューを飾った小栗旬、日本語吹替版で声優を務めた芦田愛菜、爆笑問題・田中裕二、尾上松也、笠井信輔が出席。笠井アナが進行を務めた。フジテレビ系『とくダネ!』で小倉智昭氏と長年共演していた笠井アナは、小栗に話を聞くときに「演出家は、小倉さんに…小栗さんに対して」と呼び間違え。田中がすかさず、「小倉さんは、何十年も言い過ぎたしょ。小倉さんじゃないから!」とツッコミを入れ、笠井アナが「普通、流していいところなんですよ」と言うと、田中は「あまりにも面白かったから」と笑った。本作は、『GODZILLA ゴジラ』(2014)より展開してきた、ハリウッド版『ゴジラ』と『キングコング:髑髏島の巨神』(2017)の世界観がクロスオーバーする「モンスター・ヴァース」シリーズの第4弾。2大モンスターの“破壊神”ゴジラと“守護神”コングが激突する。
2021年06月28日俳優の仲里依紗さんが、2021年5月15日に放送されたバラエティ番組『あざとくて何が悪いの?』(テレビ朝日系)に出演。同じく俳優で夫の、中尾明慶さんとの結婚秘話を明かしました。仲さんは、同年4月18日に中尾さんと結婚8周年を記念して食事に行ったことをInstagramで報告しています。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る 仲里依紗 RIISA NAKA(@riisa1018naka)がシェアした投稿 ケンカをしながらも、仲むつまじい姿は「理想の夫婦」と呼ばれることも。しかし、そんな仲さんですが「好きな人はできたことがない」といいます。中尾さんと結婚した経緯をこのように明かしました。なんか好きとか「ウェー…」みたいな感じで。「ウケるんだけど~」っていっちゃって、延長で結婚してますね。あざとくて何が悪いの?ーより引用好きという恋愛感情ではなく、中尾さんとは波長があうため、結婚を決めたという仲さん。自分自身でも「なんでだろう」と、コメントしていました。また、出演者の田中みな実さんから「好きっていわないんですか」と問われた仲さん。中尾さんに「好きなの?」と聞くと、返答は…。「なーに!好きだよ!?」みたいな感じで、「ウケる!」みたいな感じ。あざとくて何が悪いの?ーより引用照れながらも、「好き」と答えてくれるという中尾さん。それでも、すぐに「ウケる!」と、2人ならではの軽い雰囲気に包まれるようです。ネット上では、仲さんと中尾さんの関係に憧れる声も寄せられていました。・仲さんたちみたいな結婚が、一番理想的なのかも。・『仲のいい友達』という感覚で結婚できるのは、いいな。毎日が楽しそう!・結婚するのに『好き』という感情だけではなくて、仲さんみたいな考え方も必要だと思う!結婚の決め手は人それぞれ。恋愛感情だけではなく、波長や価値観が合う人と結婚するのも1つの選択肢です。仲さんと中尾さんの結婚の考え方やとらえ方も、「理想の夫婦」と呼ばれる理由なのでしょうね。[文・構成/grape編集部]
2021年05月16日フリーアナウンサーの笠井信輔が24日、オフィシャルブログを更新し、念願の「病室にWi-Fi開設」に向けた前進を報告した。悪性リンパ腫で4カ月半の入院生活を経験した笠井アナ。コロナ禍で見舞いに来てもらうことができなかったが、それを救ったのがインターネット環境で、SNSやYouTubeなどでコミュニケーションを取ることで、孤独感が解消された。しかし、入院患者が病室でフリーWi-Fiを利用できる病院はまだまだ限られていることから、「#病室WiFi協議会」で仲間たちとともに「病室にWi-Fiを」と訴えてきた笠井アナ。その声が届き、国(厚生労働省)の補正予算で病室にWi-Fiを設置するための補助金が付くことになった。ブログでは23日に、賛同した議員(三原じゅん子厚労副大臣、坂本哲志孤独・孤立化担当大臣、大西健介議員、今枝宗一郎議員)に挨拶に行った様子や、記者会見を行ったことを報告。「今回の会見は、病室のWi-Fi予算がついたと言う“目標達成会見”ではありません。この補助金は、病院が申請しないとお金が下りないのです。病院側の申請には色々と高いハードルがあることもわかりました。そうした中で、『ぜひとも患者用Wi-Fi開設のための補助金の申請をしてください』と病院の皆さんにお願いする記者会見でした」と説明し、質疑応答を含めて1時間という充実の会見になったことを明かした。笠井アナは「この一歩で、コロナ禍の病室で孤独になっている患者さんが一人でも多くそこから抜け出せますようにと思っています。もちろん、ここがゴールではありません。私たち#病室WiFi協議会がやるべき事はまだまだあります」と、決意を新たにしている。
2021年04月24日●体は絶好調「『逃走中』に出て証明したい(笑)」血液のがん・悪性リンパ腫から復帰を果たしたフリーアナウンサーの笠井信輔。6日、警視庁神田警察署の一日署長に就任し、交通安全を呼びかけるパレードを行うと、商店街の人たちから次々に「元気になってよかったね!」と声をかけられ、「幸せな気持ちにしていただきました」と語る。がん細胞がなくなる「完全寛解」から10カ月が経過し、体調は極めて良好だというが、今も心配をかけられることに、本人は歯がゆい気持ちもある様子。そんな現在の心境や、憧れだったという警察官への思い、そして同じ悪性リンパ腫からの「寛解」を発表した私立恵比寿中学・安本彩花との交流秘話などを、健康を裏付けるマシンガントークで語ってくれた――。○■がんになって「悪いことばかりじゃない」「小学生のときに作文で『おまわりさんになりたい』と書いたのを明確に覚えているんです」という笠井アナ。その後アナウンサーになったものの、警官への憧れは消えておらず、宇津井健の主演ドラマ『長生き競争!』(08年)で交番の警官役を演じた際は「本当にうれしくて!」と振り返る。そして、今回は一日警察署長ということで、ドラマと違い本物の制服を着ることに感慨無量の様子。「私が局アナ時代に、軽部(真一)さんが一日署長やってるんですよ。それがうらやましくてねぇ(笑)。俺には来ないかなぁと思ってたんですけど、フリーになったタイミングでお話を頂いて。また聞くところによると、神田警察署が去年移転してリニューアルしたばかりで、私もがんを乗り越えて新しくスタートを切ったという兼ね合いもあったようでして。だから、がんになって『うれしい』ということはないんですけど、『悪いことばかりじゃないな』という思いに今回も達しています」と捉えた。一日警察署長の仕事として、神田すずらん通りをパレードして交通安全を呼びかけたが、その際に入院中、千羽鶴を贈って応援してくれた母娘が駆けつけてくれたそう。ほかにも、多くの人から「復帰してよかったですね」「おめでとうございます」と次々に声をかけられ、「私が交通安全を訴えるほうなのに、皆さんに幸せな気持ちにしていただいて。こうやって“お練り”ができたことで街の皆さんと触れ合うことができて、自分としては感動が増すうれしい体験でした」と充実の表情を見せた。○■基礎疾患によるコロナ重症化の心配なし昨年6月に「完全寛解」し、現在は2カ月に1回のペースで経過観察をしているそうだが、「がんが消えてる状況が続いていて、治療も薬の服用も一切してない状況なんです」といい、体調も「非常に良いです」とアピール。コロナ対策も、「普通の人と同じように暮らしていいし、現状では感染しても基礎疾患によって重症化することはないと言われています」とのことだ。それほど健康なだけに、「本当に大丈夫なんで、それは強く言いたいんです。心配してくださるのはとてもありがたいんですけど…。どうすれば“大丈夫”って証明できるのかなと思うくらい。だから、本当は『逃走中』とか出て、ガンガン走りたいんですよ(笑)。そしたら、『この人もう大丈夫だな』と思ってもらえるのかなっていう気持ちがあって、この前も『逃走中』をやってたので『出たいな』と思いながら見てました(笑)」と、体がうずいたことを明かす。●本当に失望されてるだろうなと思って…奇しくも前日の5日に、アイドルグループ・私立恵比寿中学の安本彩花が悪性リンパ腫からの寛解を発表し、4日には白血病から復活した競泳の池江璃花子選手が東京オリンピックの切符をつかんだばかり。特に安本とは、彼女の悪性リンパ腫公表後からLINEでやり取りをしていたこともあり、喜びもひとしおの様子だ。「僕の後に悪性リンパ腫を公表されたので、これはもう大変だろうと思ってたんです。私なんて50歳を超えてましたから、ある種の覚悟みたいなものはありましたけど、彼女はこれからの人ですから。そんなときに悪性リンパ腫になられて、本当に失望されてるだろうなと思って、事務所を通じて手紙を出したらお返事が来て、交流が始まったんです」これをきっかけにLINEで連絡をするようになったが、「彼女に伝えたのは、ショックを受けているということだったので、『自分もステージ4まで行って寛解してるから、希望を捨てないで』ということ。あとは、彼女がSNSで発信することをとても悩んでいたんです。(悪性リンパ腫を)発表した後、全く(SNSで)声を上げてなかったので、ファンの方もとても心配してるから、自分が頑張ってると思って、調子がいいと思ってるんだったら、それを1回は発信したほうがいいんじゃないか、というアドバイスを差し上げたんです」という。それを受けて安本は今年1月15日、「悪性リンパ腫仲間の笠井アナからも励ましのご連絡頂き久しぶりにインスタアップしてみることにしました!」と、約2カ月半ぶりに投稿。笠井アナは「それでファンの方々がすごい喜んでらして、良かったなと思いましたね。そのたくさんの声を受けて、安本さんも励みになったんじゃないかな」と目を細めた。一方で、橋田壽賀子さんが「急性リンパ腫」で亡くなったニュースもあり、「やっぱりがんっていうのは、困難な現実もあるんだと思いました」と実感。それでも、安本や池江選手の復活に、「希望を捨てずに頑張っているといいことがあるんだなと改めて思いました。自分もこうやって戻ってこれて、ご褒美のように一日警察署長をさせていただいているので」と、改めて喜びを噛み締めていた。
2021年04月07日フリーアナウンサーの笠井信輔が6日、警視庁神田警察署の一日警察署長に就任し、神田すずらん通り商店街で交通安全を訴えた。小学生の頃、“将来は警察官になりたい”と作文に書いていたという笠井アナは「本当に感慨無量でございます」と第一声。「私は、血液のがんである悪性リンパ腫から完全寛解となりまして、新たな生命を頂いたということになります」と報告しながら、一日署長を務める神田警察署が昨年12月に庁舎を移転したことにかけ、「私も同じように生まれ変わりましたので、同じ生まれ変わった者同士、交通安全を皆さんに訴えていきたいと思っております」と意気込んだ。その後、ともに一日警察署長を務める「2020ミス・ユニバ-ス・プレリミナリー東京」の飯田桃子さんらとともに、すずらん通りを練り歩いてパレード。2016年に当時小学1年生で交通事故により亡くなった高田謙真くんが育てていたことから、母親の香さんが交通安全のシンボルにと願う「朝顔」の種を商店街の人々に配りながら歩くと、笠井アナが「元気になってよかったね!」と声をかられける様子がたびたび見られた。さらに笠井アナは、大学時代のゼミの先生にも遭遇。先生は偶然通りかかったそうで、予想外すぎる形での約20年ぶりという再会に、笠井アナも「うれしかったです!」と興奮していた。
2021年04月06日小栗旬がハリウッドデビューを飾ることでも話題の映画『ゴジラvsコング』に笠井信輔アナウンサーが日本語吹き替え版のゲスト声優として出演することが明らかになった。3月24日を皮切りに中国、メキシコ、オーストラリア、インドなどでいち早く公開となった38の国と地域の全てで週末興行収入ランキング第1位を獲得し、合計興行収入1.2億ドル(約132億円)のヒットを記録。IMAXの興行収入は891スクリーンで1250万ドル(約13.8億円)となり、海外興行収入全体の約10%を占め、2019年12月以降のハリウッド映画のIMAX週末興行収入としては最高の成績となっている本作。日本での公開も近づいてくる中、今回新たに、笠井アナウンサーが特務機関モナーク指揮官のギラーミン(ランス・レディック)の日本語吹き替えを務めることが決定。笠井アナウンサーは、『ゴジラ2000 ミレニアム』(‘99)、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(’00)、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(’01)、『ゴジラ×メカゴジラ』(’02)と、ゴジラシリーズ4作(ゴジラから逃げ惑う役で本人以外は分からない役や、会社に無断で出演して、アナウンサー生命を賭け逃げているだけの役も含む)に出演してきた熱狂的な「ゴジラ」ファン。実写吹き替え声優は今回が初めてとなる笠井アナウンサーは「演じるにあたって、本当に悩みました。事前に、コピー禁止の警告表記の入った粗い本編映像を頂いていて、全編を見てギラーミンの役作りをするべきと思ったのですが、長年のゴジラファンとしては、この粗い映像で全編見てよいのか?台本を読んで文字だけで内容を知って良いのか?と悩みました。結果、ギラーミンの登場シーンだけに絞りました!他は何も知りません!だから役作りはございません!(笑)アダム・ウィンガード監督には謝らなければなりませんね。でも、大きなスクリーンでゴジラを観たいんです!(笑)」と熱い思いを語っている。『ゴジラvsコング』は5月14日(金)より全国にて公開。(cinemacafe.net)■関連作品:ゴジラvsコング 2021年5月14日より全国にて公開© 2021WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. & LEGENDARY PICTURES PRODUCTIONS LLC.
2021年04月01日5月14日(金)に公開となる映画『ゴジラvsコング』の日本語吹き替え版に、自他ともに認める熱狂的なゴジラファンであるフリーアナウンサー・笠井信輔がゲスト声優として出演することが分かった。ワーナー・ブラザース、レジェンダリー・ピクチャーズ、東宝が提携し、2014年公開の『GODZILLA ゴジラ』から展開してきた、ハリウッド版『ゴジラ』シリーズと『キングコング:髑髏島の巨神』がクロスオーバーする「モンスター・ヴァース」シリーズ。その第3弾となる『ゴジラキング・オブ・モンスターズ』は、2019年5月31日に全世界同時公開され、これぞゴジラ!という迫力の怪獣バトルで全世界を熱狂させた。そして、待望のシリーズ最新作となる『ゴジラvsコング』では映画史上で最も象徴的な怪獣たち、威厳あるゴジラと強大なコングが激突。かつて日本で制作された1962年公開『キングコング対ゴジラ』以来となる夢のマッチメイクが再び実現した。既に公開されている中国、メキシコ、オーストラリア、インドなど38の国と地域の全てで週末興行収入ランキング第1位を獲得。合計興行収入は1.2億ドル(約132億円)と大ヒットを記録し、2019年12月以降のハリウッド映画のIMAX週末興行収入としては最高の成績を収め、日本公開が待望されている。ゲスト参加が決定した笠井は過去『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)、『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)、『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)、『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)と、ゴジラシリーズに4作(ゴジラから逃げ惑う役で本人以外は分からない役や、会社に無断で出演しアナウンサー生命を賭け、ただ逃げているだけの役も含む)に出演した経歴を持つ。これが認められたのかは定かではないが、今回が自身初の実写の吹き替え声優チャレンジとなる。彼が演じるのは本作のアダム・ウィンガード監督が『キングコング』(1976年)の監督ジョン・ギラーミンから名前を取ったという特務機関モナークの指揮官・ギラーミン(ランス・レディック)。演技についてはかなり悩んだ様子で、役作りをするため事前に台本を全て読み、資料用の画質が粗い映像も全て観るべきとは分かっているものの「ゴジラファンとしては大きなスクリーンでゴジラを観たい」という気持ちを優先し、監督への謝罪の気持ちを抱きながらも必要最小限の情報で収録に臨んだという。台本にない設定を教えてもらいつつテイクを重ね、役を作り上げた笠井のハリウッドデビュー(?)と熱演をぜひ劇場で見届けてほしい。<笠井信輔(ギラーミン役)コメント>これまでに、ゴジラ映画に4本出演していて、渡辺謙さんに「先輩!」と言って頂いたこともあるのですが(笑)、まさか自分にハリウッド版のゴジラから声がかかるとは、最高です!こうして、ハリウッド版にも出演して日米両方の作品に参加したとなると、一流になった気分です(笑)。こういう事を言うと、先輩の軽部真一アナウンサーから、「お前は勘違いをしている。吹き替えとしての出演だろう!」と怒られるんでしょうね(笑)。いつも「端っこの役で出ていただけなのに、謙さんにゴジラ作品に4本も出演したと言うな!』と言われていますから(笑)。でも、それでも今作の出演は素晴らしいことで家族もとても喜んでくれました。こんなに幸せなことはありません。実写の吹き替えは初めてで、特務機関モナークの指揮官ギラーミン役を演じるにあたって、本当に悩みました。事前に、コピー禁止の警告表記の入った粗い本編映像を頂いていて、全編を見てギラーミンの役作りをするべきと思ったのですが、長年のゴジラファンとしては、この粗い映像で全編見てよいのか?台本を読んで文字だけで内容を知って良いのか?と悩みました。結果、ギラーミンの登場シーンだけに絞りました!他は何も知りません!だから役作りはございません!(笑)アダム・ウ ィンガード 監督には 謝らなければなりませんね。でも、大きなスクリーンでゴジラを観たいんです(笑)。実際にアフレコ時には、吹き替え演出の方に台本には載っていない元政治家という設定を教えてもらい、単なる軍人ではなくもっと政治家らしい側面も盛り込んでいきましょう!とこだわって演出して頂き、一緒にキャラクターを作り上げていきました。どこまで演出に応えられたかは心配ですが、頑張りましたねと言って頂けたので良かったと思っています。このご時世で、あまり外に出かけられない、人と交流できないとストレスを抱えている方が多いと思いますが、『ゴジラvsコング』は、映画館で二大怪獣のバトルを通して、大迫力の体験が出来ますので、日頃のストレスを発散出来ると思います。公開するその日を楽しみに待って、皆さんも一緒に楽しみましょう!『ゴジラvsコング』5月14日(金)公開
2021年04月01日相手を翻弄するドリブルにファインゴール。華麗なテクニックで、皆を虜にさせる…。Jリーグのニューヒーロー、川崎フロンターレの三笘薫選手の素顔とは。難しいプレーを簡単そうに見せる選手に“色気”を感じます。午後まで雨が残るとの予報に反して、昼前には陽光が差した撮影日のように、予想は“いい意味で裏切られる”ことがある。三笘選手の昨季の活躍がまさにそれだ。「試合に出続ける」を目標に掲げたルーキーイヤー。蓋を開ければスーパープレーで度々会場を沸かせ、13得点(新人最多タイ記録)に12アシスト(リーグ最多数)とMVP級の活躍。クラブを優勝に導いた立役者の一人に。「充実したシーズンでしたが、満足した試合はひとつもないですね。たとえ得点に結びついても、そのプレーが実力かどうかは自分で判断しています。周りの評価や期待が気になる時期もありましたが、コンディション維持に集中することが結果につながると思うので、毎試合の反省点を練習に落とし込んで次に活かす。それを積み重ねていくしかないと思っています。武器であるドリブルや、パスの精度をもっと高めて、“どうやってるの?”と不思議に思われるようなプレーを見せたいですね」間近で見るほどに揺らぎのない強い眼差しは眩しく、謙虚さと強い意志が紡ぎ出す言葉の端々からは、プロ2年目の23歳とは思えない自信と風格さえも感じさせる。そこに、別次元のドリブルを繰り出すプレーだけじゃない、三笘選手だけの“色気”、人を惹きつける輝きがある。「そう言っていただけるのは嬉しいですが、僕自身は全くないと思っています(笑)。色気を感じるのは、いやらしいプレーをする選手かな。クラブで言うなら家長昭博選手。フィジカルが強くて、難しいプレーを簡単そうに見せるのもうまいし、スペースの取り方、味方を鼓舞するところでもいろいろと引き出しが多くて勉強になります。ビジュアルもカッコいいですしね。普段の僕は、あまりしゃべらないほうで、いじるでもなくいじられるでもなく、そのやり取りを端っこで見ているような悪いタイプ(笑)。休日は、部屋で好きな音楽を流しながらゆっくり過ごすことが多くて、あとはサッカーの動画や映画を観たり…。目的を持って生活したいとは思いますが、プライベートは地味な毎日を送っていますね(笑)」さらに、気になる恋愛面のことを尋ねると…。「何でも言い合えて、尊敬や刺激もし合える関係性が理想です。とはいえ基本的に女性を前にすると緊張するので、アプローチするとしても一気に仕掛けず、様子を窺いながら徐々に間合いを詰めていきます(笑)。僕のアピールポイントといえば聞き上手。ずっと話を聞いていられるし、共感もできるからそこが魅力と思ってくれたらいいのですが、どちらかというと鈍感で、相手の変化に気づけないんですよ。サッカーでは自信を持っている“状況判断”に失敗して、試合に負けています(笑)。攻める(=気づく)ことがなかなかできないので、相手に合わせてディフェンスするしかないですね。サッカーの練習同様に、反省しながら修正していきたいです(笑)」くしゃっと笑いながら少し自信なさそうに語る、誠実で好青年な一面も。精悍で自信あふれるプレーとのギャップもまた、三笘選手ならではの色気といえそう。今季も開幕戦から大活躍。加速する煌めきに目が離せない。みとま・かおる1997年5月20日生まれ、神奈川県出身。筑波大学卒。ポジションはMF。2020シーズンJリーグベストイレブン。「今年は“2年目のジンクス”なんて言われないような活躍をしてみせます!」。©KAWASAKI FRONTALEシャツ¥14,600パンツ¥19,700(共にA│Xアルマーニ エクスチェンジ/ジョルジオ アルマーニ ジャパン TEL:03・6274・7070)※『anan』2021年3月31日号より。写真・岡本 俊(まきうらオフィス)スタイリスト・中根美和子取材、文・伊藤順子(by anan編集部)
2021年03月27日2021年3月24日、柔道選手として活躍した古賀稔彦さんが亡くなり、悲しむ声が相次ぎました。柔道金メダリスト・古賀稔彦さんが逝去『平成の三四郎』の旅立ちに惜しむ声サンケイスポーツによると、古賀さんの死因はがん。しかし、古賀さんは母親に対しても自分の病名を明かさず、周囲に「まあまあ元気」と笑顔を見せていたといいます。母親へ病気を明かさなかった古賀さん笠井アナの考えに反響同月25日、悪性リンパ腫を患った経験のある、フリーアナウンサーの笠井信輔さんがブログを更新。古賀さんが病名を母親へ隠していたことについて、「古賀さんの気持ちが、私にはよく分かります」とし、自身の思いをつづりました。古賀さんのこのお気持ちが、私にはよくわかります私も両親に「がん」と言う病名を伝えることには勇気がいりましたし、「ステージ4」という診断については、退院するまで隠していました笠井信輔オフィシャルブログーより引用でも、思うのですいろいろながんがあって、いろいろなタイプがあって、いろいろな患者さんがいるそれぞれが、それぞれにあきらめない耐えるべきところは耐え、笑うとこは笑って、それぞれの難局を乗り越えていく…古賀さんもきっと、強く、凛々しく、自分らしく全力で生きられたのだと思います自分らしく、生き抜いていらしたのだと…笠井信輔オフィシャルブログーより引用笠井さんは自身の経験も踏まえて、母親へ病気を明かさなかった古賀さんの気持ちを、「さまざまな考え方がある。古賀さんは最後まで自分らしく生きられたのだと思う」と推測したのです。命にかかわる病気を伝えることは、自分を想ってくれる大切な人にこそ、難しいことです。笠井さんの投稿には、さまざまな声が寄せられました。・突然の訃報に、お母さまの気持ちを思うと涙が止まりません。でも「親に悲しい思いをさせたくない」という気持ちも痛いほど分かります。・実際にがんを経験した笠井さんの言葉は、スッと心に刺さります。最後まで古賀さんは自分を貫き通したのかもしれませんね。・私も、母へ病気を伝えられていません。でも後悔はしていないです。最後まで強く、自分らしく生きようと思います。日本中に勇気や感動を与え、さまざまな人の背中を押してきた古賀さん。心の中には、笠井さんの推測した思いがあったのかもしれません。心よりご冥福をお祈りいたします。[文・構成/grape編集部]
2021年03月25日俳優の中尾明慶が先月30日、スピードワゴン・井戸田潤のYouTube公式チャンネル『ハンバーグ師匠チャンネル』に出演。動画「【本音】マブダチの中尾明慶くんと、お酒を飲みながら腹を割って色々話してみたら…【聞き上手師匠】」内で、バラエティ番組に出演することへの葛藤を打ち明けた。テレビのバラエティ番組にはもちろん、同チャンネルにもたびたび登場し、バラエティ力の高さを発揮している中尾。井戸田に、「中尾くんて、バラエティ対応がエグいよね。めちゃめちゃ上手いよね。ロケが終わるたびに、みんなで絶賛してんのよ。さすがだなって。中尾くんがいて、本当に助かりましたよって」と称賛されると、「本当ですか? 僕も思います。助けたなって(笑)」と照れ笑い。一方で、親しいプロデューサーから、「バラエティに出過ぎ」とアドバイスされることもあるそうで、「自分でも思ったこともあるんで。俳優業をやる上で、それってどうなのかな? と思った葛藤はありましたよ。でも好きだし、楽しいから……」と、正直な気持ちを吐露。ドラマや映画の番宣で、「出なきゃいけないときもある」と言いつつ、「バラエティ番組にちょっとでも出たことがあると、MCの人が優しくしてくれることもあって。話を振ってくれたり。だからやっぱり良いこともある」と話していた。
2021年02月09日俳優の中尾明慶が5日、YouTube公式チャンネル『中尾明慶のきつねさーん』で、映画化もされたTBS系大ヒットドラマ『ROOKIES(ルーキーズ)』を回顧し、共演した佐藤隆太について語った。「【まさかのあの人から】ウーバーイーツしながら変な質問に答えるよ」と題した今回の動画では、1月6日に自身のインスタグラムで募集した“変な質問”に中尾が次々回答。「630番目に好きな食べ物は?」や「前歯は何センチですか?」など、一風変わった質問は1,000件以上集まったという。動画の冒頭から「とびきりスペシャルな人からも質問来てる」「これは皆嬉しいと思う」と予告していた中尾だが、後半にその相手が『ROOKIES』で共演した佐藤であることを明かした。そんな佐藤から寄せられた質問は「湿布を貼る時に聞いている曲ベスト5を教えて下さいっ!!」。これには中尾も「バカだね、隆太くんバカだよ。隆太くん面白いわ」とつぶやき、耐えきれないかのように声を上げて笑う。先日、佐藤の舞台を見に行った中尾。「すごく素敵な話で。今こういう時期だから会えないけどね。遠目で隆太くんに会えた」と話し、「一緒に1つの作品を作った人が頑張ってるっていうのはすごいなぁって思うし、刺激にもなるし、俺も頑張ろうとも思う」と感慨深げ。そして質問に戻り「ベスト5って……これはもう、1本ですよ」と歌い出したのは『ROOKIES』の主題歌、GReeeeNの「キセキ」。当時の佐藤と、さらに桐谷健太の記憶を辿り、「あのとき、隆太くんとか健太くんとか……29とか30くらい? 今の俺くらいじゃん。俺は9個とか10個とか下で。あんな生意気な奴がいたのかと思うと本当に……」と溜めて「『隆太くんごめんなさい』としか思えない」と頭を下げた。最後に「そういう話したいな」と吐露し、佐藤へ「待ってます。隆太くん、待ってます」と熱烈なオファーを送った。
2021年02月07日俳優の中尾明慶が先月30日、スピードワゴン・井戸田潤のYouTube公式チャンネル『ハンバーグ師匠チャンネル』にゲスト出演。「【本音】マブダチの中尾明慶くんと、お酒を飲みながら腹を割って色々話してみたら…【聞き上手師匠】」と題された動画内で、自身のチャンネルに対する思いを語った。YouTube公式チャンネル『中尾明慶のきつねさーん』で、プライベート感あふれる動画を公開している中尾。井戸田に、チャンネル開設の理由を聞かれると、「ドラマや映画でお芝居してても、なかなか観てる人と近くなるというか、より近いファンになってもらえる機会が少なくて。そういう人が欲しかったです。純粋に、より近いファンが欲しくて始めました」と、熱い思いを吐露した。また、「映画や舞台をやっても、人を呼ぶって難しいじゃないですか。テレビドラマでどんなに有名になっても、舞台やりますって言ったときに、人が来てくれないっていうのも見えてた」と話し、自身のYouTubeをきっかけに、「(ドラマや映画、舞台を)観てみようかなっていう人が、一人でも増えたらいいな」という、役者としての思いも打ち明けた。さらに、「結構、真面目なところで始めたんですよ。芸能界も含めて、やっぱりこの先、どうなっていくのか分からないじゃないですか。お芝居ができる環境がいつまであるかも分かんないし」と、真剣な表情で語った中尾。そういった考えから、「自分で生み出せる力を勉強したい」といい、「全部、自分でやろうと思ったものがやれる。YouTubeはそれが面白いです」と、笑顔で話していた。
2021年02月05日身内を装って電話をかけ、さまざまな口実で金銭をだまし取ろうとする『オレオレ詐欺』。警察庁によると、2020年1月~6月のオレオレ詐欺を含む特殊詐欺の認知件数は約6900件、合計被害額は約129億円にのぼるといいます。知り合いを装い「携帯をなくした」という電話をかけ、電話番号が変わったと思い込ませた後に、再度電話をかけ「お金が必要になった」といって金銭をだましとる手口もあるようです。笠井信輔「ばーか、俺がシンスケだよ!」元フジテレビアナウンサー、笠井信輔さんは2021年1月18日、Instagramでオレオレ詐欺らしき怪しい電話がかかってきたことを明かしました。自宅に突然かかってきた1本の電話。相手の男性は「あのさあ、電話かかってこなかった?」と話し始めたそうです。「あのさあ、電話かかってこなかった?」やや低い長男のような声しかし、自信が持てずに聞き返しました「かかってこないけど、どなた?」「……シンスケだけど」(信輔!! オレじゃんか!)「シンスケなの?」「そうだよ」「どうしたの?」「携帯電話なくしちゃってさあ、多分、交番から連絡があると思うけど、よろしくね」shinsuke.kasaiーより引用男性は笠井さんの名前と同じ『シンスケ』と名乗っていたそうです。オレオレ詐欺を疑い始めた笠井さんは「ばーか、俺が信輔だよ!」といって切ろうかと思いますが…。そこで私は、「わかったけど、何番の携帯電話をなくしたの?」セオリー通りに相手に個人情報を確認するために詰め寄ってみるとオ「いつものやつだよ」私「え?でも2台持ってるじゃん」(ホントは1台しか持ってないけど…)(中略)オ「わからない。なくしたから」私「いつも教えてくれるじゃない」そう優しく言った瞬間、ーーーツーツーツー…突然電話は切れたのでしたshinsuke.kasaiーより引用笠井さんは、携帯を2台持っていることにして「あなたが失くしたのは、どっちの携帯か」と問いつめます。すると男性は嘘がバレたと思い焦ったのか、突然電話を切ったのでした。詐欺の電話や自分の知らないところで個人情報が流出しているのは、本当に怖いもの。投稿の最後に笠井さんは「みなさん、詐欺には本当に気を付けてください!」と注意を呼びかけました。【ネットの声】・怖かったことでしょう…。高齢の両親がいるので、こんな危ない電話があることを伝えたいと思います。・笠井さんの返し方が冷静で、とても勉強になります。身近な話なので気を付けようと思いました!・まさか本人へのオレオレ詐欺とは…。笠井さんの対応力、さすがですね!オレオレ詐欺などの被害を防ぐため「迷惑電話防止機器を利用する、事前に家族の合い言葉を決めておく」「個人情報や暗証番号を安易に教えない」などの対策を徹底したいものですね。[文・構成/grape編集部]
2021年01月20日ごめんね、病気になっちゃった。切ない顔で妻にそう告げた笠井信輔さん(57)。フリーアナウンサーになり、一層仕事へやる気が満ちていた時期だった。そんな夫を励まし続けた妻の茅原ますみさん(56)は元テレビ東京のアナウンサー。二人は、いわば同期のアナウンサーなのだ。「じゃ、セカンドオピニオンを受けて」笠井さんからがんを告げられたとき、泣きだすんじゃないかという夫の予想を裏切り、ますみさんが最初に発したのが、このひと言だった。彼女は、夫の憔悴ぶりを鮮明に記憶している。「私は病気より、夫の様子が本当にかわいそうで。あれだけフリーになって張り切って、まあ、息巻いてた人が、なんだか灰になったような、うなだれた姿でした」正式な病名は、「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」。予後の悪いタイプで、通常より一段高い抗がん剤治療を行うことも告げられていた。当初から「夫は治る」と信じていたますみさんだったが、PET検査(画像診断)の結果に愕然とする。「思わず、お医者さんに『どこががんですか』と尋ねていました。もう全身が光っていたんです。大丈夫と思っていたけれど、このときばかりは死が頭を過りました。ただ、先生が『悪性リンパ腫は数じゃない。抗がん剤がどれだけ効くかが大事』と話すのを聞いて、じゃ、やっぱり、きちんと治療をすれば大丈夫なんだと思い直すことができたんです」19日、『とくダネ!』(フジテレビ系)で病気を公表した笠井さんは、その日のうちに都内の病院に入院。いったんは死を考えたことを否定しなかった。「子供のころからしゃべる仕事がしたくて、運よくやりたい仕事もできて、まあ、『これでよし』と、自分を納得させようとした時期もありました。でも、すぐに『それじゃいけない』と思うんです。2つだけ、大きな心残りがありました」1つは、やっぱり仕事。そして、もう1つ。「その冬、三男をスキーに連れていく約束を果たせていなかった。末っ子の三男は、自分からどこかへ行きたいとか言ってくるタイプじゃなかったので、これ、やらないで死ねない、家族を置いて僕は逝けないんだと、思い直すことができたんです」〈髪の毛が抜け始める〉(6日)〈29年間、はずしたことのない結婚指輪をはずす。指のむくみがひどくて〉(15日)〈シャワー中に倒れる〉(16日)年が明け20年1月になると、笠井さんのブログには抗がん剤治療による副作用の様子が連日、報告されるようになる。5日間連続投与を6回という過酷な治療で、その後も副作用は続き、眉毛まで抜け落ち、体重も3日で5kg急減するなどした。「笠井さぁーん!」そんななか、病状が比較的落ち着いている日の夜間の面会時間になると、病室にますみさんの元気な声が響いた。「花柄の服を着て、わざとガラガラと大きな音をさせて戸を開け、声かけも『だいじょうぶ?』じゃなく、『だいじょうぶよね!』。医学的な治療に関しては、夫婦ともにお医者さまやスタッフを信頼していましたから、私の役目は彼の大変な入院生活を明るくかき回すといいますか、元気を照射して、免疫力を高めることだと」しかし病状は一進一退で、息子たちが家族のグループラインで笑える動画などを父に送っても、既読にすらならない日もあった。そんなとき、ますみさんが自分と家族にかける言葉があった。「必ず来週は元気になってるんだから」突然、出てきた言葉ではない。「働きながらの子育てで、呪文のように自分に言い聞かせてきた言葉でした。笠井にも、このことを話しました。本当につらいときは返事も来ません。でも、わかって闘ってくれていると信じてました。だって、いちばんつらいのは彼なんですから」6月4日、笠井さんのがんは完全寛解。ますみさんは、今後の夫婦の生活プランをこう語った。「これから、夫には、家族でも誰に対しても、また仕事や食べることだって、ただクリアしていくのではなく、一つ一つ愛でながら接していってほしいと思っています。私自身、夫の病気を通じて気付いたことがあります。自分一人で抱え込まないこと。『お母さん、もうムリ』で、ときには弱さを見せていいんですね。わが家も、それでかえって子供たちの自立がありました。今後は、こうして学んだことを、次の世代に還元していきたいです」「女性自身」2020年12月1日・8日合併号 掲載
2020年11月30日小林薫が吉田茂、浅野忠信が白洲次郎を演じるほか、宮沢りえ、柄本明、松重豊、佐野史郎、石橋蓮司ら豪華キャストが集結した映画『日本独立』。この度、本作の予告編が到着した。本作は、吉田と白洲の“日本独立”への思いを軸に、新憲法制定にまつわる熱い日々をスリリングに描く人間ドラマ。白洲次郎が終戦したことを妻(宮沢りえ)から知らされるシーンから始まる今回の予告編では、日本独立を願い、吉田と白洲の2人が本音で激論を交わすシーンが登場。勝目のない現実に直面しながらも、可能性を追求し戦う白洲に対し、吉田は「従うふりして早く独立することだ」と冷静に諭すも、白洲は「いい加減にしろ!」と声を荒げる――男たちの熱い思いが垣間見える映像だ。ほかにも、国務大臣・松本烝治(柄本さん)、内閣総理大臣・幣原喜重郎(石橋さん)、元内閣総理大臣・近衛文麿(松重さん)らの姿も確認することができる。なお、ナレーションは奥田瑛二が担当している。『日本独立』は12月18日(金)よりTOHOシネマズシャンテほか全国にて順次公開。(cinemacafe.net)■関連作品:日本独立 2020年12⽉18日よりTOHOシネマズ シャンテほか全国にて順次公開©2020「⽇本独⽴」製作委員会
2020年11月10日京都発の老舗お香専門店「薫玉堂」の新店舗が、2020年11月20日(金)に開業する心斎橋パルコ内にオープンする。創業426年、日本最古のお香専門店「薫玉堂」が心斎橋パルコに「薫玉堂」は、1594年に京都西本願寺前で創業以来、426年に渡って“香り”を作り続けてきた、日本最古の御香調進所、お香の専門店。現在は、京都の時間や季節、情景などをテーマに、古都の様々な表情を感じられるような香りをメインに提案している。今回直営4号店としてオープンする心斎橋パルコ店は、“こころを癒す香りを誂える”をコンセプトに、好きな香りを選んで詰め合わせることが出来る線香をはじめ、キャンドルやバスソルト、ハンドクリーム、石鹸といったアイテムを展開。長い年月をかけて熟成した香木や、漢方や食用にも使われる桂皮などの天然香料を使用した、バリエーション豊富な香りを揃える。中でも代表的な商品となるのが、古くから伝わる調香レシピと現代の香りを掛け合わせて再現した“京都の香り”を楽しめる、線香や印香、香袋のシリーズ。線香からは、心斎橋パルコ限定商品として、心斎橋の賑わいを縁取る“銀杏並木”をイメージした香りの「線香心斎橋1622」も登場する。また、店頭では自分だけの香りを調合できる「香袋ワークショップ」を開催。ハーブやお香の原料を自らの手で調合し、オリジナルの香袋を作ることが出来る。【詳細】薫玉堂 心斎橋パルコ店オープン日:2020年11月20日(金)営業時間:10:00~20:00住所:大阪府大阪市中央区心斎橋筋1-8-3TEL:06-6252-6667<商品価格例>紙箱線香 1,500円+税、印香 5個入 1,500円+税/8個入 2,500円+税、香袋 800円+税、キャンドル 5,000円+税、フレグランスオイル 2,800円+税、ディフューザーセット 5,000円+税、エアフレッシュナー 1,800円+税、ロングマッチ 1,200円+税、ハンドクリーム 3,000円+税、石けん 2,600円+税、桐箱線香 2,500円+税~6,000円+税、塗香 白檀 600円+税/老山白檀 1,200円+税、塗香入 3,600円+税、塗香袋 2,000円+税<香袋ワークショップ>所要時間:30分程度費用:2,000円+税
2020年10月25日黒澤明監督の『生きる』(1952年)が、『Living』(原題)としてイギリスでリメイクされることになった。「The Hollywood Reporter」などが伝えた。監督は、2011年に『Beauty』(原題)でカンヌ国際映画祭のクィア・パルムを受賞したオリヴァー・ハーマナス、脚本は日系イギリス人小説家で、ブッカー賞とノーベル文学賞の受賞者カズオ・イシグロ(「わたしを離さないで」)に決定。イシグロ氏は「私たちの多くは毎日長い時間、机やパソコンの画面の前に固定される生活を強いられています。新型コロナウイルスが発生してからはなおさらです。そんななか、全体像を見ようとすると、自分のがんばりがどれだけ役に立っているか可視化できず、悩んでいる人もいます。そういった人たちの心に響く物語になると信じています」と語っている。『キャロル』のプロデューサーコンビのスティーヴン・ウーリー&エリザベス・カールセンが製作を行い、「黒澤プロダクション」も関わる。主演は『ラブ・アクチュアリー』で英国アカデミー助演男優賞、『ナターシャの歌に』でゴールデングローブ主演男優賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)を受賞したビル・ナイが務める。共演者にはNetflixの「セックス・エデュケーション」でエイミー役を演じているエイミー・ルー・ウッドが決まっているという。『Living』の舞台は1952年のロンドンで、主人公は第二次世界大戦後に公務員として働くウィリアム。机の上に山積みになっている書類仕事を目の前にしながら、彼は病により余命わずかだと悟る。死を目前としたウィリアムは、単調な人生に意味を見出だす冒険を始めるのだった。『Living』は来春、イギリスで撮影開始予定。(Hiromi Kaku)
2020年10月16日アイドルグループ・嵐の櫻井翔が出演する、アフラック「櫻井翔の取材ノート」CM シリーズ最新作「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがんになった時の不安」編、「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがん治療の選択肢」編が10月5日より全国でオンエアされる。同CMは、がん経験者のリアルな声を聞き、がん保険について語り合う「櫻井翔の取材ノート」CMシリーズ最新作で、公式YouTubeチャンネル上では28日より配信される。ゲストとして登場したフリーアナウンサーの笠井信輔は、昨年、独立してフリーになった直後にがん(悪性リンパ腫)が発覚し、4カ月の闘病生活の後、無事に回復し今年4月に退院した。今回は櫻井がタブレット画面越しのリモートインタビューを行う形で進行する。笠井が「『絶対に帰ってきます』って宣言したんです」と力強い言葉で語るシーンから始まる、新CM「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがんになった時の不安」編。「がんの診断は、フリーになった直後でしたよね...」と問い掛ける櫻井に対し、笠井はフリーになった当時のことに思いをはせながら、「家族もいるのに、ちょっとやめてよっていう感じでしたね」と答える。「仕事も全部キャンセルですか?」と訊ねる櫻井に、笠井が「はい。でも保険に入ってましてね」と返すと、櫻井は「備えてたんですね」と感じ入り、笠井は「たまたま、なんですけれども」と謙遜しつつ「でも父親としての責任も果たせました」と語る。「櫻井さんの取材ノート 笠井さんがん治療の選択肢」編では、櫻井がタブレット画面越しの笠井に、「抗がん剤の治療で、4カ月入院されたそうですね」と問い掛け、笠井は「えぇ。入院中に、世界が一変していました」と入院当時のことを振り返る。新型コロナウイルス対策として、マスクを二重にして着けている退院当時の笠井の様子もインサートされ、「なんとしても生き抜いてやるって。治療を選ぶときもしっかりと妻と先生の話を聞きました」と心境を表す。自身も報道番組でキャスターを務める櫻井は、先輩である笠井へのインタビューをとても楽しみにしていたらしく、「番組のスタッフの方々も、僕たちが共演することをすごく喜んでいました!」と笑顔で明かす。一方の笠井は、撮影前に監督から「櫻井さんとのやり取りのちょっとした間、自然な会話を撮りたいので、カメラはずっと回しながら撮影します」という指示を受け、「あ、そうなんですね。CMって全部、ワンカットずつ撮影するのかと思っていました」と驚く。実は今回が人生初のCM撮影で「全てが初めての経験なので、分からないことだらけです」と、画面越しの櫻井さんやスタッフにはにかみながら打ち明けていた。また、ファーストカットで櫻井のインタビューに答えている最中、緊張のせいか、セリフが飛んでしまい、思わず笑いがこみ上げてきてしまった笠井。「すみません、もう一回お願いします」と周囲に申し出ると、すかさず櫻井が「大丈夫です!」と応じる。さらに、笠井の「父親としての責任は果たせました」というコメントのシーンでは、笠井が「ちょっと白々しくなっちゃったかな(笑)」と演技を止めると、画面越しの櫻井がほほえみ「そんなことないと思いますけど(笑)」と和やかな雰囲気に。そんな櫻井とのやり取りで、自然と肩の力が抜けた笠井は、わずかな休憩やセッティングの合間も、熱心にセリフの練習に没頭。テイクを重ねるごとに、口調や表情、仕草もさまになってきて、櫻井とスムーズな掛け合いを展開した。フリーになった直後のタイミングでがんを経験し、入院生活を余儀なくされた笠井。櫻井が「今回CM出演することになって、ご家族の反応はどうでしたか?」と尋ねると、笠井は「実はCMのお話をいただく前から三男が『お父さんアフラックからCMの話が来たりして』なんて言っていたんですが、本当になったと喜んでいました」と明かした。
2020年09月28日俳優として活躍している中尾明慶(なかお・あきよし)さん。その明るいキャラクターと高い演技力で、多くの人から支持されています。そんな中尾明慶さんのインスタグラムについて、さまざまな情報をご紹介します!中尾明慶のインスタに投稿された、仲里依紗や息子との写真が素敵!中尾明慶さんは2013年に、女優の仲里依紗(なか・りいさ)さんと結婚しました。2010年公開の映画『時をかける少女』での共演をきっかけに出会った、中尾明慶さんと仲里依紗さん。その後、2012年放送のドラマ『つるかめ助産院~南の島から~』(NHK総合)で再共演し、クランクアップ後の同年10月から本格的に交際をスタートさせたといいます。結婚を発表した当時、仲里依紗さんは妊娠3か月でした。そして、2013年10月に、第1子となる男の子が誕生。中尾明慶さんはブログで、「最高の宝物ができました」と喜びをつづっていました。中尾明慶さんのインスタグラムには、仲里依紗さんや息子との写真が数多く投稿されており、幸せな結婚生活を送っていることがうかがえます。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2020年 6月月30日午前5時00分PDT この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2019年10月月18日午前7時27分PDT この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2019年 6月月30日午前5時14分PDT この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2020年 6月月6日午前8時01分PDT この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2020年 1月月3日午前4時05分PST この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2019年12月月25日午前5時46分PST写真を見たファンからは、次のようなコメントが寄せられました。・素敵なファミリー!・2人を見ていると、こっちも幸せな気持ちになれます。・一番好きな夫婦!中尾明慶、インスタで息子の誕生日をディズニーでお祝いしたことを報告中尾明慶さんが、2019年10月4日にインスタグラムを更新。息子が6歳の誕生日を迎えたことを報告しました。中尾明慶さんと仲里依紗さんは、息子の6歳の誕生日を東京ディズニーシーと東京ディズニーランドでお祝いしたといいます。この日、中尾明慶さんは、仲里依紗さんと息子との写真を投稿。※画像は複数あります。左右にスライドしてご確認ください。 この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2019年10月月4日午前2時11分PDTその中で、息子の成長についてこのようにつづっていました。本日10月4日は我が子の6歳の誕生日です。いやぁ、、、本当に早い!ここまで大きな怪我や病気もなく、育ってくれてありがとう。0歳の頃を思い返すと6歳なんてほど遠いと思ってましたね、、、こんな日が来るなんて。お祝いに東京ディズニーシーとランドに行き、タートルトーク?でまさかの当たってしまい、何も面白い返しが出来ず、照れてしまい、芸能人として致命的な結果を残しました。クラッシュ「子供からこれ何?これどういうこと?って聞かれたことはない?」的な質問。中尾「え?あ、まぁ、えっとありますね、、、」致命的な返し。そんな中隣の息子はしっかりと答え、その姿に涙が出てきた、、、これからも素直に一生懸命に育ってください。ママんもいつもお疲れ様!!!akiyoshi0630nakaoーより引用この投稿を見たファンからは、次のようなコメントが寄せられています。・息子さんの成長が楽しみですね!お誕生日おめでとうございます。・息子さん、こんな素敵なパパとママに囲まれて幸せいっぱいですね!・ずっと憧れの家族です。中尾明慶のインスタは魅力的な投稿ばかり!中尾明慶さんのインスタグラムには、ほかにも魅力的な写真が多数投稿されており、更新を楽しみにしているファンも多いようです。 この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2020年 8月月17日午前12時26分PDT この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2020年 8月月7日午前5時20分PDT この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2020年 6月月18日午後9時01分PDT この投稿をInstagramで見る AKIYOSHI NAKAO 中尾 明慶(@akiyoshi0630nakao)がシェアした投稿 - 2020年 1月月6日午前3時39分PST仕事もプライベートも順調な様子の中尾明慶さん。これからの活躍も応援しています!中尾明慶と妻・仲里依紗、息子の3ショットが話題に!夫婦の合言葉がヤバい…仲里依紗と中尾明慶はケンカ中でも仲よし?不倫に関する考えかたがスゴい[文・構成/grape編集部]
2020年09月18日パパ友同士である俳優・中尾明慶さんと歌舞伎役者の市川海老蔵さん。そんな2人のリアルな子育てトークがYoutubeチャンネル『中尾明慶のきつねさーん』にアップされています。テーマは『子供の教育について』。Youtubeだからこそ話せる子育て論中尾明慶さんが、日々の子育ての悩みを市川海老蔵さんに聞いていくという、こちらの動画。歌舞伎役者として、父親として、そしてYoutuberとして活躍する海老蔵さんならではの子育て論がふんだんに散りばめられています。中尾さんは動画内で「子供が継続して物事をやり遂げるモチベーション維持の仕方」を海老蔵さんに尋ねています。生まれながらにして歌舞伎役者という、途中で投げ出すことのできない道が決まっていた海老蔵さんの答えはさすがのひと言です。ほかにも父親としての威厳の保ち方や、娘が恋人を連れてきた場合など、ほかでは聞くことのできない話が繰り広げられます。プライベートなパパの顔を多く見せてくれるこちらの動画。パパのみならず、ママも子育てのヒントがつかめるかもしれませんね。[文/AnyMama(エニママ)・構成/grape編集部]
2020年09月14日フリーアナウンサーの笠井信輔が30日、オンラインで開催されている『血液がんフォーラム2020』に登壇し、自身の悪性リンパ腫の体験を語った。昨年9月末にフジテレビを退社し、フリーアナウンサーとして活動を開始したわずか2カ月後に、血液のがんである「悪性リンパ腫」が判明した笠井アナ。告知の瞬間は「なんで俺が? なんで今?」と絶望したと振り返る。しかし、その後の入院生活は「絶対に負けるもんか」という気持ちだったそう。その理由の1つは「主治医の先生が私の病気を完全に掌握しているという自信に満ちていたこと」、もう1つは「妻です」と明かす。「妻は、僕ががんと報告した瞬間から、とにかく『大丈夫よ、治るわよ』と言ってくれました。結婚して30年、ハツラツとした人なんですが、実は精神的にもろい人で、泣き虫なんです。でも、私ががんになってから、泣き言や弱音、泣き顔、涙、一切見せずに、私の前では『大丈夫、治るから』と言ってくれるので、それに助けられました」この講演中には、自身に寄せられた通院患者の体験談を思い出して涙する場面があるなど、自身も「泣き虫」だという笠井アナは「妻は自分が泣いてしまうと、私が一緒に巻き込まれて泣いてしまうパターンになるというのを、よく分かっていたんだと思います」と推測。その妻の前で1回だけ泣いたことがあったが、「そこで泣いてもしょうがない」と言われ、それから涙を見せることはなかったそうだ。4カ月半の入院で感じたのは「今の医学、血液がんの治療法は、本当に進んでるなと思いました」。抗がん剤治療で、倦怠感、手のしびれ、味覚障害、食欲不振、不眠、口内炎といった症状があり、特に食欲不振は「1日何も食べなくても平気」というほどだったが、「最も一般的な副作用である吐き気が、ほとんどなかったんです。抗がん剤の前に飲む吐き気止め、点滴が見事に効きました」という。ここから、「食べることが闘いだ」とスローガンを掲げ、食欲不振の中でも、とにかく食べる努力をしたそう。その理由は、がんを患って痩せてしまい、「悲壮感が漂う顔貌(かおかたち)になってしまうと、タレントとして難しくなってしまうかもしれない」という危機感からで、「そのためには、絶対に痩せないようにしよう」と決意したそうだ。一時は7kg減まで痩せてしまったこともあったそうだが、退院時には目標である5kg減にまで戻し、「そこは自分で自分を褒めてあげたいと思ったところです」と胸を張った。今年4月30日に退院し、6月に「完全寛解」、8月にはレギュラー番組『男おばさん!!』(CS・フジテレビTWO)でスタジオ収録の復帰を果たした笠井アナ。「40代後半からは仕事一辺倒だったんですけど、がんになって『少し歩みを止めてみなさい』と神からの啓示を受けた気がしました。家族との会話とか、一緒に過ごす“何でもない時間”が増えて、『こういうのが普通の幸せなんだな』と感じることが増えたんです。がんになって良かったとは決して思いませんが、がんで家族の再構築ができたり、得たものはとても多いので、悲観ばかりはしておりません」と前向きに語った。この『血液がんフォーラム2020』では、笠井アナは16時15分からの「クロージングセッション」にも登壇する。
2020年08月30日●「もう死んでしまうのかな…」と思った時期もCS・フジテレビTWOの番組『男おばさん!!』(22日10:30~10:50放送分)の収録で、約8カ月ぶりのスタジオ収録復帰を果たしたフリーアナウンサーの笠井信輔。血液のがんである悪性リンパ腫のステージ4という宣告に「死んでしまうのかな…」と絶望を感じたこともあったというが、今回の収録では、盟友の軽部真一アナウンサーとブランクを感じさせないトークを繰り広げた。こうして完全復活を遂げた笠井アナが、今後の活動の柱の1つと考えて取り組んでいくのが、がんについて伝えていく仕事だ。その決意の背景には、どんな思いがあるのか。闘病生活を通して感じたことなどを含め、話を聞いた――。○■1回目の抗がん剤治療で見えた希望――約8カ月ぶりのスタジオ収録復帰となりましたが、感想はいかがですか?みんなは「早かったね」と言ってくれるんですけど、私にとってはとても長い8カ月でした。たしかに当初、「復帰まで1年かかるかもしれない」という話もありましたので、それからすると早かったんですけど、実際に治療して療養生活を送ってきたこの期間というは、自分にとって山あり谷ありだったものですから、非常に長く感じて、ようやくここまで来ることができたなという感じです。一方で、こういった形で戻れたことに非常に感謝しています。当初は「ステージ4で全身にがんが散らばっている」と言われて、「もう死んでしまうのかな…」と、ちょっと絶望的な時期もあったんですけれども、先生や家族の支えもありまして、前向きになることができました。とは言っても、「テレビにはもう復帰できないかも…」という思いも、どこかにあったんです。――それはなぜでしょうか?「がん」というイメージの中で、ものすごく痩せてしまう方もいらっしゃいますから、見てるだけで痛々しい状況にもなってしまう可能性もあるので、生きていても画面での仕事復帰は無理かなと思ったりもしました。その場合は、もう執筆活動に専念するしかないなと。でも、非常に薬が合い、先生や看護師のみなさんのおかげもあってここまで戻れたので、本当に幸せに思っています。――テレビ復帰できるかもしれないと手応えを感じたのは、なにがきっかけだったのですか?最初の抗がん剤の治療が終わったのが1月上旬だったんですけど、そこで非常に効果的な治療の結果が出たんですよ。私は排尿障害がひどくて、入院時には普通にトイレに行けず、おむつもしていました。腰痛もひどい中で生活していたんですけど、5日間24時間連続投与という抗がん剤治療の1回目が終わったところで、その排尿障害がほとんどなくなったんです。まだ、がんはたくさん残っていたんですが、尿管に影響していたがんが極めて効果的に消えていったということで、排尿に関する痛みや苦しみがかなり軽減されたので、そこで「もしかしたらいけるかもしれない」と思いました。――前向きになっていけたんですね。とにかく常に前向きでいようというのは、自分の中で決めていました。何があってもこんなところで負けていられないという気持ちがありましたので。東日本大震災を取材したときに、「引き算の縁と足し算の縁」という経験を得たんです。人間は悪いことが起きると、人との縁が切れて、仕事も減って、どうしても「引き算」のことばかり考えてしまうんですけど、その結果生まれてくる縁というのが絶対あるんですね。今回の私の場合で言うと、それは病院の先生や看護師さん、もっと言うと、インスタグラムや、がんになって始めたブログによってつながったフォロワーの皆さんもそうです。そういった新たな縁を取り込んで、自分の拠り所として前向きに進んでいこうという思いが、とても強く出ました。○■闘病で起こった家族と自分の意識変化それから、私ががんになったことで、子供たちが随分変わったんです。男三人兄弟で家の手伝いなんてほとんどしない連中だったんですけど(笑)、ある日、三男が卵焼きを作って病室に持って来てくれたんですよ。私の母のところに行って、作り方を教わってきて。――笠井さんの“おふくろの味”を再現してくれたんですね。そうなんです。ちょっと甘い味なんですけどね。それから家でもご飯を作ってくれるようになったんですよ。人間、危機が訪れると変わるんですよね。そういうことを1つ1つ貯金して、自分のエネルギーにしていくという考え方で過ごしていました。抗がん剤治療は非常につらいんですけど、そればかり言ってるんじゃなくて、新しい環境における新しい出会いというのをどんどん自分のエネルギーにしていかなきゃいけないというつもりでいましたね。――息子さんの変化のお話がありましたが、笠井さん自身の変化は何かありましたか?一番大きかったのは、最初は長期入院に絶望して「入院しなきゃダメですか? 何カ月で退院できますか?」なんてことばかり言ってたんですけど、がん治療においては、通院のほうが大変なんだなと気づいたことです。特に悪性リンパ腫の場合は、通院しながら抗がん剤を打って、家庭生活や仕事に戻る人がとても多いんです。私は程度が悪かったものですから、抗がん剤の中身も量もきつくて多いものだったので入院となりましたけど、通院しながら抗がん剤を打って、副作用のきつい身体で家庭生活に入ったり社会生活に戻っていくというのはとても大変だと想像できます。でも私は、寝ていれば看護師さんが面倒を見てくれるし、問題があれば先生が診てくれる。こんなに恵まれた環境はないなと、気持ちが切り替わりましたね。●「危ういもの」だったSNSに感じた“光”――通院治療の大変さは、どのように知ったのですか?ブログに多いときは1,500~2,000くらいにコメントを頂いて、1日時間があるので全部目を通すんですけど、その中にいかに通院で苦労しているかということを書いてくれる方がいるんです。コメントを見て一番は驚いたのは、こんなにがん関係者が多いんだということ。「自分はがんでした」「今がん治療してます」「家族ががんです」「知り合いががんです」…と、がんにまつわるコメントが山のように来るんです。こんなにみんながんで苦しんでいたり、あるいはがんと共に生きているんだと分かったことで、どんどん自分の気持ちが安らいでいくような気持ちになりました。自分は、がんになる人は特別だと思ってたので、特別なところに来てしまったのかと思っていたんですけど、今や2人に1人ががんになると言われていますから、実は五分五分なんですよね。こうして、ブログとかインスタグラムなどでいろんながん経験者の方を知って思ったのは、自分が体験しているがん患者のほうが一般的で、がんになっていない人のほうが「良かったね」って思うようになるくらい、がんが身近になっているということ。がんを毛嫌いしても始まらないし、絶望したり、悲しむのではなく、どうやって共に生きていくか、闘っていくかということに気持ちを切り替えることができたのは、一番良かったことです。――SNSでのコメントに、勇気づけられたんですね。本当にそうでした。私を励まそうというものと同じくらい、自分の経験を真剣に書いてくれるんですよ。抗がん剤の副作用って人によって出方が全然違うので、普通にネットとか調べていると悪い情報ばっかり入ってくるんです、そのほうがアクセス数も増えますからね。そういうところだけを見ていると不安にしかならないんですけど、なんの損得もない人たちから「自分はこうでした」「笠井さんこうだといいですね」「もし私と同じような症状だったらこれが効果的ですよ」とか、そういうアドバイスを頂けるんです。ネット上でのつながりというものを、我々マスコミでは「危ういもの」として取り上げることが多いのですが、私は今回、SNSの光と影の“光”の方を強く感じました。相手の方の名前はハンドルネームしか分かりませんけど、こういう支え、絆、つながりが、とても自分の中で大きな財産になりました。あと、私はどなたにもコメントを返さないと決めていたんです。この人に返して、あの人に返さないというのは申し訳ないし、体調によって全部に返せないということがあるので。それで驚いたのは、コメントで悩みを打ち明けてくれる人がいるのですが、別の人が励ましているんですよ。そうすると、悩んでいた人がお礼を言うんです。――笠井さんのブログやSNSのコメント欄で、コミュニティができているんですね。もう感動しちゃって! そこに私の存在はもうないんですけど、それでいいんですよ。とても素敵なことだなと思うし、「自分にはこんな良いコメントが返せたかな?」とも思ったりして(笑)。でも、SNSにはどうしたって落とし穴があるから、なかなかテレビではこういった良さというのを取り上げてきていないので、今、自分のがんとSNSの経験を本に書いているんです。秋から冬にかけて出せればと思って鋭意執筆中なんですが、この自宅療養中はほとんどこれを書く時間に充てていました。○■二度聞きした「完全寛解」――6月4日に、主治医の先生から「完全寛解」(かんぜんかんかい)と言われたそうですが、この言葉は初めて聞きました。私もそうでした。血液のがんの場合、相当長い期間をかけないと「完治」にはならないので、がん細胞がなくなる「寛解」という状況からそれを維持していくというのが典型なんです。だから、先生から「寛解です」と言われると思ったら「完全寛解です」という言葉だったので、私も妻も聞き返しましたよ、「完全寛解ってなんですか!?」って。普段から、そんなに人を喜ばせようとする先生じゃないんですから。――クールな感じの先生なんですか?そうそう、シビアにがん細胞と向き合う先生で、あんまり調子のいいことや、なだめるようなことを、根拠もなく言う方じゃないんです。その先生が「完全寛解」と言うので、改めて聞いてみたら、「データ上で見て、がん細胞が少しあっても問題ないという場合は『部分寛解』と言うんだけど、笠井さんの身体には全くないので、『完全寛解』なんです」とおっしゃるので、もうそれはうれしかったですよ。今は1カ月に1回、白血球の数値を見るために通院しています。●リモートワークは弱者を救う――スタジオ収録の前は、自宅からリモート出演されていましたよね。これは時代に救われたなと思いましたね。コロナという状況の中でリモートワークが一般化して、ネット回線でテレビ出演やラジオ出演ができるようになったのは、私にとってはとても大きな出来事でした。自宅療養の2カ月間は、基本的に家から出ないということになっていたので、仕事なんて一切できないと思っていました。そしたら、リモートワークという仕事の形が出てきて、世の中に浸透して、必ずしも職場に行かなくても仕事ができるという新しい社会のシステムに助けられました。リモートワークは、感染を防ぐとか、仕事の効率を上げるとか、そういった目的で普及が進んでると思うのですが、我々がんサバイバーと言われる人間から見ると、これは“弱者のツール”だと思いました。家から出られない人、抗がん剤治療受けている人、病弱であったり精神的に外に出ることができない人たちが、リモートによって仕事しやすい環境がどんどん生まれている。今まではリモートで仕事をしていれば「なんでリモートなんだよ」って見られていましたけど、今は「進んでる」と一段上に見られますからね。つまり弱者が対等に、それ以上の立場で社会に出ていくことができるツールとして、リモートワークは非常に良いシステムだなと思いました。そういう意味で、コロナというのは我々の仕事にとって良いことは1つもないんですけど、副産物として、我々弱者を救ってくれるシステムが構築されつつあるのです。――今回のスタジオ収録の様子を拝見しましたが、絶好調でしたね(笑)リモートによって、テレビの本格復帰へのリハビリができたんですが、むしろリモートのほうがトークは難しいですからね。ハードルの高いことをやってから今回、『男おばさん!!』で軽部さんと一緒にやらせていただいたことで、生のトークがどれだけ楽しく、どれだけ心躍るものであるかということを再認識しました。――フジテレビにも久々に来られて、アナウンス室には寄られたのですか?はい、みんな「おかえりなさい」と喜んでくれて、やっぱり後輩たちはかわいいですね。古巣はいいなと思いました。それから来た時間がちょうど『とくダネ!』が終わる頃だったので、小倉(智昭)さんにあいさつに行ったんですけど、なんだかわけもなく会った瞬間に泣いちゃって。小倉さんには最初にがんのことを相談しましたし、膀胱がんを全摘したがんの先輩ですしね。――20年のお付き合いですもんね。でも、『とくダネ!』の他の担当アナウンサーより、私と小倉さんの距離は離れているんですよ。みんなは一緒にコンサート行ったりとかしてるんですけど、私はあんまりそういうことは一緒にしない(笑)。だけど、一大事が起きると、小倉さんをまず頼る。そういう20年間だったので、ちょっと親子関係に近いかもしれないですね。近すぎるとちょっと鬱陶(うっとう)しいけど、どうしてもそばにいてくれないと困る人(笑)それが小倉さんだから、会った瞬間に泣き崩れてしまったのかもしれないです。そんなことになるとは思わなかったんですけど、小倉さんを喜ばせなきゃと行って、気づいたら泣いていました(笑)○■神様から「今度はがんのこともやりなさい」――スタジオ復帰でフリーアナウンサーとして再スタートということになるかと思いますが、今後の展望をお聞かせください。去年フリーになって最初の2カ月間、本当に様々な仕事をやらせていただいたので、その状況に戻していきたいというのが1つです。もう1つは、これからはがんというものを自分の活動の1つの柱にしたいと思ってるんです。本の執筆のほかに、まずは「オンコロ」というがん情報サイトで、自分がインタビューアーとしてがん患者が気になることを専門家の先生にお聞きする動画を始めました。それから、8月29・30日にキャンサーネットジャパンというNPO法人が主催する「血液がんフォーラム」というオンラインのシンポジウムに参加します。自分の経験をがんで悩んでる人や、これからがんと闘っていく人たちの何か助けになるような活動がしたいと思っているので、そういったところにはできる限り参加していきたいと思います。自分ががんになった意味はそこにあるんじゃないかと思ってるんです。これまで10年、東日本大震災の各地域と取材を通じていまだに交流して、毎年いろんなことをやってきましたけど、これからは何をするかというときに、神様から「今度はがんのこともやりなさい」と思し召しがあったと思って。がんサバイバーは、人の経験にも興味があるんですよ。なので、がん経験者の仲間の皆さんに関心を持っていただける部分もあるのではないかと思っています。――活動の幅が広がっていきますね。専門家になろうとしているわけではなくて、これまで伝える仕事をしてきたという経験から、がんにまつわるいろんなことを伝えていく活動というのは、自分にとってこれから重要にしていかなきゃならないなと。単に「がんが治ってよかったね」で済ませちゃいけないなと、自分では思っています。●笠井信輔1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学卒業後、87年フジテレビジョンに入社し、『おはよう!ナイスデイ』『タイム3』『今夜は好奇心!』『THE WEEK』『FNNニュース555ザ・ヒューマン』『とくダネ!』『男おばさん!!』『バイキング』など、報道・情報番組を中心に担当。19年9月で同局を退社し、フリーアナウンサーとして活動するが、同年12月に悪性リンパ腫が判明し、療養へ。今年4月に退院し、自宅療養を経て、8月22日放送のCS・フジテレビTWO『男おばさん!!』でスタジオ収録に復帰した。がん情報サイト「オンコロ」でインタビュー動画『笠井信輔のこんなの聞いてもいいですか』や、NPO法人キャンサーネットジャパンが主催する『血液がんフォーラム』(8月30日)に参加し、秋~冬には書籍を出版予定で、自身の闘病経験を伝える活動も行っていく。
2020年08月21日デザイナーの皆川明が、その前身となる「ミナ」を立ち上げたのは1995年。活動25周年を迎えた今年、兵庫県立美術館で『ミナ ペルホネン/皆川明つづく』が7⽉3⽇(金)から11⽉8⽇(⽇)まで行われる。同展は、過去最大規模のミナ ペルホネン展となり、今年の2月まで東京都現代美術館で開催されていた展覧会の巡回展。関西の美術館では初の開催となる。流行に左右されず、長年着用できる普遍的な価値を持つ「特別な日常服」をコンセプトに、皆川明が立ち上げたミナ ペルホネン。展覧会会場では、これまでの創作活動を余すところなく鑑賞できる。例えば、ミナ ペルホネンを代表する刺繍柄「tambourine(タンバリン)」に焦点を当て、一つのデザインが生地となり、さらに洋服やさまざまなプロダクトに展開されるさまを知ることができる展示は、とても魅力的だ。生地からデザインして洋服に仕立てることが、ミナ ペルホネンのものづくりの特徴であろう。皆川明、田中景子やインハウスデザイナーによる、生地のためのデザイン画が会場に並ぶ。また、これまで25年分、400着以上の洋服を一堂に集めた「森」の部屋も圧巻だ。現代美術家・藤井光による、ミナ ペルホネンの服を着ている人の「日常」を映し出した映像作品や、その創作活動の根幹にある、ものづくりの哲学やアイデアを紹介するコーナーも興味深い。さらに皆川明個人の活動にもスポットを当て、新聞連載のために描いた挿画もまとめて見ることができる。新型コロナウイルス感染拡大防止対策として、観覧は「日時指定による事前予約制」となっている。マスクを着用していない場合、入館できないこともあるので、各自でマスクの着用をお願いしたい。トークなどのイベントは、オンライン配信される。詳しくは兵庫県立美術館のウェブサイトを参照してほしい。【関連リンク】兵庫県立美術館( )本展東京会場「森」セクション撮影:吉次史成“tambourine” 2005-06→AW“sky flower” 2012-13→AW 原画photo:Yurie Nagashima“one day” 原画 2018-19→AWphoto: sono (bean)“pur” 2018-19→AWphoto: Mitsuo Okamoto“symphony “ 2019-20→AWphoto: sono (bean)
2020年07月02日