「最近の西山さんは周囲に『もう疲れた……』と漏らしていました。早乙女さんは仕事人間で育児に積極的なタイプではありませんでした。彼女は仕事に育児に家事と孤軍奮闘する日々で、心身ともに限界だったようです」(西山の知人)6月26日に早乙女太一(27)との離婚を発表した西山茉希(33)。2人は13年6月に結婚。同年10月に長女(5)、16年に次女(3)が誕生したが、結婚生活に6年間でピリオドを打った。結婚前から“波瀾万丈”な2人ではあった。12年5月、本誌は早乙女の“路上DV騒動”をスクープ。深夜、早乙女が路上で激高し、地面に押し倒された西山は泣いてその場を立ち去ったのだ。後日、早乙女は謝罪会見を開き同棲していることを告白。翌年4月に2人は結婚と妊娠を発表した。近年、西山は出演番組で“元夫のグチ”をこぼすことも多かった。テレビ局関係者の談。「西山さんは『食材とか生活用品は全部自分で買っている』と夫婦の財布が別々と公言。『うるさく言うと、理解されずにけんかになるのが嫌』とも話していました。長女出産後、早乙女さんが公演日と偽って1人で遊園地に行っていた日は大げんかの末、『出産後、初めてしっかり泣いた』と暴露。今春の番組でも、会食に行くと何時に帰るかわからない早乙女さんに対して『私よく考えたけど、あなたのこと何も知らないわ』と突き放したと話していました」夫妻の知人も言う。「昨秋、友人俳優の誕生会でも彼は朝まで飲み明かしていましたね。そのまま仕事に行き、帰宅したのは夜だったといいます。彼は在宅の日も子供の面倒よりゲームに熱中。彼女が仕事で留守にする日も、彼の母親を呼んで子守りを任せ飲みに行ってしまうことがあり、彼女は悩んでいました。父親になっても自分のやりたいことが最優先の夫と言い争うようになり、離婚を決めたそうです」だが、早乙女の知人は、彼の心情をこう代弁する。「実は早乙女さんは15年に解散した『劇団朱雀』の復活が悲願で、自分の稼ぎの多くをそこに投資し全力で動いていました。今秋、復活公演がかなった矢先の離婚でした。生活費すべてを奥さんが出していたわけではありません。家長として家賃は彼が出していると聞いています。ただ、このご時世、父親として家族ともっと密にコミュニケーションをとるべきでしたね……」離婚発表の書面で2人は《大切な子供達の笑顔を、父親と母親として守っていきます》とコメント。シングルマザーとして茨の再出発となる西山だが、離婚後の今も同居を続けているという。「子供たちがまだ小さいので生活環境をすぐに変えることは避け、当面は“パートナー”として一緒に生活するようです」(西山の知人)自宅“居座り”で早乙女に「父親の自覚」は芽生えるか――。
2019年07月02日西山茉希(33)と早乙女太一(27)が6月26日に離婚を発表した。2人は13年6月に結婚し同年10月に長女が、16年4月に次女が誕生していた。各メディアによると親権は西山が持つという。早乙女のホームページで連名のコメントを発表し、「6月26日に離婚したことをご報告させていただきます」とつづった2人。また「今後は、夫婦という形ではなく、パートナーとして、変わらずお互いに尊重し合い、協力し合いながら、2人の間に生まれてくれた大切な子供達の笑顔を、父親と母親として守っていきます」と明かしている。結婚前から波乱万丈だった。12年5月、本誌は早乙女の“DV騒動”をスクープ。深夜に早乙女が路上で激高し、西山の体を突き飛ばす様子を目撃していた。「俺はお前といっしょになりたいんだよ!」と早乙女が迫ると、西山は「いつもそう。もう別れよ」と切り返す。すると早乙女は再び突き飛ばし、ガードレールにめり込んだ西山はアスファルトへ打ち付けられた。西山が起き上がったところ、その喉元をつかみガードレールに叩きつけた早乙女。「こんなんで別れたら、俺は絶対、お前を許さない!絶対に別れねぇ!!」と叫ぶと、西山は泣きながらタクシーで去っていった。本誌がその“DV現場”を報じたところ、早乙女はブログで「人として男として失格してしまいました」と謝罪。さらに会見を開き「もう2度としない」と話し、西山と仲直りし同棲していることも明かしていた。13年1月には破局報道があり、西山も当時参加したイベントで「いまはもう一緒には住んでいません」と明言。しかし同年4月に結婚と妊娠を発表した。14年5月には長女誕生から7カ月経った一家が東京ディズニーランドを楽しむ姿もキャッチ。早乙女が荷物片手にベビーカーを押すなど、甲斐甲斐しく尽くしていた。しかし近年、テレビで西山が早乙女の愚痴を漏らすこともしばしばあった。15年1月の「今夜くらべてみました」(日本テレビ系)に出演した西山は、早乙女が何も言わずひとりで遊園地に遊びに行っていたと暴露。大ゲンカとなり「子ども産んで初めてぐらいしっかり泣きました」と明かしていた。また今年3月には、西山が「チマタの噺」(テレビ東京系)に出演。早乙女の不可解な言動に触れ、「私よく考えたけど、あなたのこと何にも知らないわ」と思わず漏らしてしまったというエピソードも明かしていた。昨年8月には「踊る!さんま御殿!!」(日本テレビ系)に出演し、早乙女が家事に協力してくれないがあまり「協力しろやって思う」とも語っていた西山。今月26日には「週刊文春デジタル」が育児や家事の負担が自身に偏っていたため、「ワンオペ育児も限界!」と西山が早乙女への不信感をあらわにしていたと報じている。6歳差の2人の選んだ、6回目の結婚記念日目前での離婚。シングルマザーとなった西山に、ネットでは《西山茉希ちゃんは、娘ちゃん思いで頑張りやさんのイメージで好き》《子供達と幸せになって欲しいな。これからも応援する!》《お子さんのことも考えてのことだったら、これからいいことがあるといいなと思った》といったエールが上がっている。
2019年06月28日俳優の早乙女太一(27)とモデルの西山茉希(33)が26日、離婚した。それぞれの公式サイトで発表した。2人は連名で「この度、私たち早乙女太一と西山茉希は、6月26日に離婚したことをご報告させていただきます」と報告。「事実より先に今朝の報道が出てしまったことには困惑しておりますが、突然の事にご心配をおかけした皆様へ、心よりお詫び申し上げます」とつづった。そして、「今後は、夫婦という形ではなく、パートナーとして、変わらずお互いに尊重し合い、協力し合いながら、2人の間に生まれてくれた大切な子供達の笑顔を、父親と母親として守っていきます」とし、「これまで、私たち夫婦を応援して下さった皆様には心から感謝しております。これからもそれぞれの場で努力し、精進して参りますので、温かく見守って頂けたら幸いです」と呼びかけた。2人は2013年6月に結婚し、同年10月に第1子女児、2016年4月に第2子女児が誕生した。
2019年06月26日5月17日、モデルの西山茉希(33)が自身のインスタグラムに“千切れた千円札”の写真を投稿。2枚目と3枚目には長女(5)か次女(3)と思われる写真をアップしており、《見つかってやばそうな顔してた人が犯人》と綴った。どうやらまだ幼い娘が千円札を破るイタズラをしてしまったようだが、その後の西山の対処法が話題を呼んでいる。《#お金に対しての行動は説明する#そしたら次はみんなのプラス造り#ふーと呼吸を整えて『お守りをつくろう』#ちびパンさん(娘のこと)にペンを持たせた#描いていいよと任せた#真ん中に家族4人の名前が描かれた千円札#ちぎられて使えなくなった千円札1,000円が失われて1,000円で生まれたママの御守り(中略)千円札のままだったらお財布からいなくなっちゃってたけど、御守りになったからこれからずっと一緒だ》ただ叱りつけるのではなく、千切られて使えなくなった千円札をお守りに変身させるというアイディアにはフォロワーたちから絶賛の声が。《私はきっと咄嗟に怒ってしまいます。素敵なアイディア!》《新品に変えられるけどお守りでも良きですねその発想最高です》半面、“お札に落書きさせるのはどうか”という声も出ている。《みんなで使うお札にお守りといえども、字を書くことに賛成できません。違法にはなりませんが、正しいお金の扱い方ではない気がします》《紙幣に宅が来をさせてお守りにするというのはいい事だとは思わないです。悪気がなくてちぎれてしまったお金は銀行で謝って替えてもらう事を見せることが大事じゃないですか》だが《#怒ることは誰にだってできる大事なのはそこからの変換》と西山がつづっているように、娘への愛情がこもった教育法であることは間違いなさそうだ。
2019年05月19日ジェラート ピケ(gelato pique)とさくらももこによるルームウェアが登場。2019年3月15日(金)より発売される。ジェラート ピケと『ちびまる子ちゃん』などで知られる漫画家・さくらももこのスペシャルコレクションでは、さくらももこの原画をプリントしたTシャツ、ドレス、カーディガン、ブランケット、ハンドタオルなどを展開。真っ白なTシャツには、輝く星空を舞うまる子と、星、魚たちをプリント。パステルイエローのカーディガンには同様のプリントをタグにのせている。ペールピンクのドレスには、大木の下で物語の1ページ目を開いたまる子とコジコジの姿を配して。どこか不思議で温かみのある原画が、柔らかなカラーのルームウェアに溶け込んでいる。1991年発行のベストセラーエッセイ『もものかんづめ』の表紙イラストを具現化した、「もものかんづめハンドタオル」も登場。缶の中には桃をイメージしたピンク色の今治タオルを詰め込んだ。©さくらプロダクション【詳細】ジェラート ピケ さくらももこ スペシャルコレクション~Memorial Contents by GELATO PIQUE~発売日:2019年3月15日(金)アイテム例:・プリントTシャツ 4,400円+税・プリントドレス 5,000円+税・カーディガン 6,400円+税・ブランケット 4,800円+税・もものかんづめハンドタオル 1,800円+税【問い合わせ先】ジェラート ピケ ルミネエスト新宿店(東京都新宿区新宿3-38-1 ルミネエスト新宿/B2F)TEL:03-6457-8217ジェラート ピケ 阪急うめだ本店(大阪府大阪市北区角田街8-7 阪急うめだ本店/3F)TEL:06-6313-0375
2019年03月17日薬局でアイライナーを買う時に「こちらの札をレジにお持ちください」システムだったので、それを店員さんに渡したところ「こちらのモテライナーでお間違えございませんか?」と大声で確認されて赤面した西山です。隣にいた女子高生「あのおばさん、まだモテたいのかよ!ウケるー!」という心の声が聞こえてきそうでした。フローフシさん(そのアイライナーを出している会社です)、ネーミングをもう少し考えて欲しかったよ。まあ、でも商品は絶好調でありまして、おかげで梅沢富美男センセイばりの流し目も決まるってわけです。その流し目を使って先日、20代の男友達と焼肉を食べに行きました。私が店を選ぶということで、まあ20代だったら肉食っておけば間違いないだろ!という昭和な考えで焼肉にしたのですが、結果、私の方が食べるということに。この焼肉というのは、オーダー、焼き方、食べ方全てにおいて人格が出るものだと思っています。相手のことを知りたかったら焼肉へ行け。北方謙三センセイの「ソープに行け」に匹敵するかもしれません。まずはオーダーなのですが、日本で焼肉といったら牛肉なのですから、そこで豚トロとか頼まれるとびっくりなんですよね。以前、バレエスタジオの打ち上げで「焼肉を食べよう!」ということで焼肉屋に行ったのですが、一緒に行った20代の子が「サムギョプサル食べたーい」と言い出して、他の子も「いいね!いいね!」となって、おばさん驚愕。サムギョプサルは焼肉ではないのでは…。しかしそこでとやかく言って、うるさいおばはんだと思われてもイヤなので「いいね!いいね!」と言ってしまった私。またそんなことになったら困るので、今回は私がちゃちゃっと決めてタン塩、ハラミ、カルビと王道コース。しかし、ここで問題発生。タン塩を2枚焼いたところで、彼がタレのカルビを網にのせたのですよね。私は思わず「××くん、自由だね」とぽつり。気を遣って焼いてくれた彼に、ひどい言いよう。だったら自分で焼けよって話です、はい。その後も網を変えた1秒後に肉をのせた彼に「ちょっと待って!まだだから!」と声を荒げるおばはん。これ、完全に焼肉を選んだ私のミスだわな。でも、彼は彼でおばばと焼肉を食べてはいけないと学んだことでしょう。みなさんも、異性と焼肉を食べに行く時は要注意なのであります。
2019年03月02日少し前の話ですが、年末年始を私はポーランドで過ごしました。一番の目的は大晦日にアウシュビッツ強制収容所に行くことで、それはそれは貴重な時間を過ごすことができました。そこで私は一人の青年と出会いました。29歳の彼も一人旅だったので、博物館などが全て閉まっている元日は昼からビールを飲み、翌日も朝から一緒にクラクフの街をまわりました。出会ったばかりの人とあれほどずっと一緒にいられたのは「旅先だから」の一言につきますが、まあ大晦日に一人でアウシュビッツに行くという人間同士だから心が向いている方は一緒だったのでしょう。私たちは真面目な話をたくさんしました。戦争のこと、仕事のこと、家族のこと。彼はまだ20代だというのに、すごくしっかりした考えを持っていて、適当人間の私などは感心しっぱなしでありました。クラクフ最後の夜、教会で行われたコンサートを見た帰り道で、絵葉書を買うために私たちはお土産屋さんに寄りました。私が旅先では必ず絵葉書を出すという話をした時、彼は「いいですね。早速真似します」と言い、即実行。若さゆえの素直さだなあ。いいなあ、29歳。その店を出た私たちに「すみません!」と日本語で声がかかりました。振り返ると、そこには可愛いらしいお嬢さんがおりまして「これ、違います?落としはったんじゃないかなって」と愛くるしい京都弁で、拾ったお札を青年に向かって差し出していました。突然のことに戸惑いながらも、彼はそのお札を「ありがとうございます」と受け取ったのですが、その時の彼の顔が、それまで私と一緒にいた時にはまったく見せなかった表情だったんですよね。可愛い女の子を前にした普通の男の子としての一面。しっかりしていて大人だと勝手に思っていたけれど、同世代の子と一緒にいる時の彼はこんな感じなのだろうなあ。彼よりだいぶ年上の私にはその顔は引き出せなかったなあ。そう思ったら、クラクフの凍てつく夜気のせいもあり鼻の奥がつんとなりました。翌日、私は帰国の途に着くためタクシーで空港へ。雪がちらつくどこか物哀しい景色をぼんやりと眺めていた時のことです。信号待ちで止まった車の目の前に突如現れたどデカイBon Joviの看板。それは7月に行われるワルシャワ公演のお知らせでした。じっとそれを見る私に、運転手のおっちゃんが「Bon Joviが好きなのか?」と尋ねてきました。「すごいファンではないけど、少し前に日本でコンサートがあったから行ったよ」と答えると「わお!」と笑顔になり、何やら自分のスマホをいじり始めました。そしてスマホから流れてきたのは泣く子も黙る名曲『Livin’ On A Prayer』。ポーランドの古都クラクフで、まさかのBon Jovi。しかしそこはされどBon Jovi。そこから、おっちゃんと私の大合唱が始まりました。「おーおっ!りーびおなぷれいや!」私のノリノリぶりにおっちゃんは「こんな陽気な日本人に会ったのは初めてだ」とご満悦。もし私が29歳だったらBon Joviを歌うことはなかったでしょう。そしておっちゃんの笑顔を見ることもなかったでしょう。うん、これでいいのだ。年齢を嘆いている場合ではない。41歳には41歳の生き方があるのだから。It’s My Life! あらやだ!最後のしめまでBon Jovi!
2019年02月16日Grapps読者のみなさま、新年あけましておめでとうございます!年末年始はゆっくりできましたか?シングルの方は、次の恋に向けてしっかり充電できましたか?「今年こそは」と言うのはもう100回目ですが、それでも使います。今年こそは恋をしたい。何が何でも恋をしたい。全てを犠牲にしてでも恋をしたい。いや、それは言い過ぎだ。貯金と睡眠時間と買ったばかりのバーキンは死守したい。うん。それ以外であれば犠牲もやむを得ない。今年はそれぐらいの覚悟をもって挑もうと思います。昨年を振り返ると、恋に対する貪欲さが私には足りませんでした。そもそも40歳の私に出会いの場がたくさんあるはずないのに、友人に「バツイチだけど、いい人いるよ。50歳。紹介しようか?」と言われて「うーん、バツイチかあ…。50歳かあ…。今回は遠慮しておく」と断ってしまうという身の程知らず。ヒュー・ジャックマンみたいな50歳が来るかもしれないのにねえ。(絶対に来ない)まずは会ってみることが大切だというのはわかっているのですが、会った瞬間にアリ・ナシ判定が出てしまう私としては、紹介というのは何とも心苦しい。私のナシ判定は、どんなことがあろうと覆らないので、ピンとこなければそれでおしまい。しかし、会ってすぐに「ピンとこなかったので帰ります」と踵を返すわけにもいきません。さらに地獄なのは、相手だけが私のことを気に入ってしまうというパティーン。友人の手前、邪見にも扱えないしね。なので、人を介さない出会いが望ましいのです。そんな世の中うまくいかないよー、とお思いのあなた!私は先日、山手線でミラクルな出会いの場に遭遇しましたよ。帰宅ラッシュでそこそこ混んでいた車内でのことです。遠藤周作著『女の一生』を読みながら難しい顔をしていた私の耳に「すみません!ひっかかっちゃいました!」という声が飛び込んできました。目を向けると、そこには焦った様子の大学生風の男の子と女の子。よく見ると、彼が背負っていたリュックの金具が女の子のニットにひっかかっていたのです。男の子が取ろうとするも、なかなかうまくいきません。女の子が「あの私…、次で降りるんですけど…」と言うと、男の子が「あ!僕もです!」と答えました。二人は顔を見合わせてはにかんだように笑い、「同じ駅で良かったですね」とひっかかったまま恵比寿駅で降りて行きました。私はその様子を見て思いました。リブニットなんて着てる場合じゃねえ!メッシュだ、メッシュ!金具にひっかかりやすいメッシュ着るぞ!2019年の西山繭子は、この貪欲さで恋に邁進していきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします!
2019年01月19日そろそろ2018年も終わりですね。そしてあと数ヵ月もすると平成という時代にも幕がおります。私は昭和生まれですが、青春の全ては平成の中にありました。平成元年は中学受験のために一生懸命勉強していました。夜11時過ぎに帰宅することもしばしば。あの時、雨の日も雪の日も、いつも駅に迎えに来てくれた母のことを思うと、もっと「ありがとう」って伝えておくべきだったなあと思います…。あ、お母さんまだ死んでなかった。そして平成二年、私のこの歪んだ性格が作り上げられる一番の要因となった女子校に入学します。チーマーとかパー券とかブルセラとか、女子高生を誘惑する危険なものが東京の街にはたくさんありました。私は当時、スーパー可愛い女子高生だったので、そういった危険分子が寄ってきやすかったように思います。もちろんちょっと悪い男の子と遊ぶこともあったし、クラブに行くこともあったけど、根が小心者なので先輩が怖くて辞められず、中高6年間は学内でも一番厳しいバトントワリング部に所属していました。そうかといって部活に青春をかけていたのかと言えば、それはまったくなくて、バトンの関東大会にバトンを忘れて行くという前代未聞のことをやらかしたりしていました。その頃の恋愛事情は少女漫画の憧れに毛が生えたみたいなもので、告白したらもう飽きちゃって終わりみたいなそんな感じ。爽やかな制服デートの思い出なんて、全然ないなあ。あの時はとにかく大人びた自分でいることに必死で、年上の(といっても20代前半の若造)スポーツ選手やお笑い芸人と遊んだりして、今考えるともったいないことをしたなあと思います。先月行ったマライア・キャリーのコンサートでは、懐かしの曲が始まるたび当時の記憶が走馬灯のように頭をかけめぐり、このまま死んでしまうのではないかと思うほどでした。ああ、そんな平成が終わっていく。ひとりぼっちのまま終わっていく。先日、年下の知人女性が入籍をしました。お相手は婚活パーティーで知り合った人で、彼女いわく「もう好きとかくだらない感情はどうでも良くて、お互い【結婚】という目的が一緒だったから結婚した」とのことでした。その時の投げやりな物言いが心にひっかかり、素直におめでとうと言えない自分がいました。バツイチの彼女は私よりもずっと大人で、結婚に対して現実的な考えがあるのでしょう。それでも何だか悲しかったなあ。好きって感情は、くだらなくないよ。そのことを焼き鳥屋のカウンターで私の恋愛マイスターである伊集院静氏に話すと「君の言う通りだと思うよ。結婚というのは、惚れぬいて惚れぬいて、それでするものだ」と昭和感ハンパないお言葉。異論もありましょうが、やっぱり私もそう思うのです。きちんと惚れぬきたい。ただ、惚れぬいて惚れぬいて3回も結婚している父って何だかすごいなあと思います。ではでは、みなさま!今年もご愛読ありがとうございました!2019年もGrapps読者のみなさま、そして何よりも私に!たくさんの幸せが舞い込みますように!
2019年01月05日年齢を重ねるごとにブランド物の高価なバッグに興味がなくなり、最近はもっぱらエコバッグばかりです。パリの百貨店『ボン・マルシェ』の物、サンフランシスコのレコード屋『Amoeba』の物、クロアチア観光局でもらった物、Bruno Marsのノベリティなどなど何枚もあるのですが、その中で一番のお気に入りはNYの老舗本屋『ストランド・ブック・ストア』の物です。お土産としても有名なので、持っている方も多いと思います。店では色んなデザインの物が売られているのですが、私の愛用している物はバッグの全面に映画監督ジョン・ウォーターズの格言がプリントされています。『If you go home with somebody,& They don’t have books, Don’t fuck them』訳すと「家に本がないような男と寝てはならない」となります。ああ!素晴らしい言葉!このバッグをレジに持って行った時、店員のおじさんは私の目を見て「よし」といった風に大きく頷きました。今では電車に乗っていると、ほとんどの人がスマホと睨めっこで、なかなか本を手にしている人を見かけません。そんな中で読書をしている男性は、3割増しで素敵にうつります。何を読んでいるのかなと思わず覗き込んでしまう。先日は高校生の男の子が夏目漱石『こころ』を読んでいて、おばさん感激。どういう育て方をしたらあんな風になるんだろうなあ。私の甥っ子なんてサッカーの本しか読んでいないよ。そういえば昔、サッカースペイン代表のインタビューで『好きな本は?』という質問に『マラドーナの自伝』『ジダンの自伝』『ペレの自伝』という予想通りの答えがばんばん返ってくる中、フアン・マタは『ノルウェイの森』と答えていました。胸キュン。しかし、私の経験上でこれまでに家に本棚があるという男性はなかなおりませんでした。あったとしても漫画がずらりとかで、がっかりするばかり。そんな中、20代後半に一緒にいた電気、水道をしょっちゅう止められる貧乏な彼氏の本棚はとても魅力的でした。当時、小説を書き始めたばかりの私に「西山さんの文章を読んでみたけど、長嶋有とか好きだと思うよ」とブックオフの値札が貼ったままの文庫本を手渡してくれました。保坂和志や阿部和重などなど、彼を通して好きになった作家は数知れず。結局、彼とは寒い冬が越せずにお別れしてしまいましたが、唯一文学的な話ができる人でありました。次に出会う人は、またそんな風に本の話ができる人が良いなあと思いながら、例のエコバッグを持ち歩いている私なのでありますが、先日山手線の中でそのバッグを見て話しかけてきた男性がいました。インド系外国人と思わしき彼は「あいはぶあぶっく」と私の横で微笑みを浮かべて囁いてきたのです。「あぶっく」って、1冊じゃないか…。理想の男性に出会うのは、なかなか難しいようです。
2018年12月22日先週は仕事が終わってから同じ男と3回も夕食を共にしていたのですが、それが父親というのは、もう非常にマズい事態だなと思います。父も少しマズいと思ったのか、3回目に会った時には居合わせた知人に「何か良縁がございましたら」なんて申しておりました。そういった場合、みなさん親子の手前「こんなにお綺麗なのだから、いくらでもお相手なんていらっしゃいますでしょう?」とおっしゃいますが、私が「いやー、もう40歳なもんで。ポリポリ」となると、少し表情が変わります。「あら、まあ!お若く見えるのね」しかしどんなに若く見えようと、結局のところ人格も子宮も40歳ですから、やはり良縁というのは難しい。20代のうちに自ら良縁を望んでいればなあ。いや、違う。一度望んだことはあったぞ。それも父親に。そう、それは私がまだ20代のピチピチしていた頃、父に親交のある松井秀喜さんを紹介して欲しいと頼んだことがありました。しかし、その時の答えが「松井くんは球界の宝だから、君みたいな女には紹介しない」でした。すごい言われようだな、娘。その当時は「チッ」と思っていましたが、数年前、実際に松井さんにお会いしてみて、気軽に紹介してくれなんて言った自分に大反省なのでありました。待ち合わせをしたNYの街角、時間ぴったりに現れた松井さんは、物凄いオーラを放ちながらも「はじめまして。松井です」と気さくに挨拶をしてくれました。スーパースターを目の前にして、私は「あああ!ど、ど、どうも!はじまして、西山繭子です!えーっとですね、まず、こ、こ、これが父からの預かりものでして」とあたふた。松井さんが「昨日ちょうど見ていたDVDに繭子さんが出られていたので、びっくりしちゃいました。『鍵のかかった部屋』っていうドラマです」と気を遣ってくださっているというのに、とにかく任務を遂行することで頭がいっぱいの私は「あ、そうですか!で、次にですね、これとこれとこれにサインをいただけますか?あ、これもだ」とボールやらキャップやらを次々に渡していく始末。そんな私に松井さんは嫌な顔一つせず、サラサラとサインを書いていきます。途中、街行くニューヨーカーからかけられる「マツーイ」という声にも、軽やかに顔を向けて応えます。私は、途中から冗談ではなく「あれ?私、今、神様といるのかもしれない」と思いました。あの時、父が私を紹介しなくて本当に良かった。もちろん紹介されたところで、松井さんが見向くはずもないのだが、神様と生活するなんて私には考えられない。
2018年12月09日これまでTVドラマの中で数々の名台詞が生まれていますが、その中でも私たちの世代で「カンチ!セックスしよう!」はあまりにも有名です。その『東京ラブストーリー』が27年の時を経て、ただいま再放送中。このコラムが更新される日には最終回が放送予定のはず。ネットでは若者たちが「ツッコミどころ満載すぎて、ありえない」と言っていますが、携帯電話もSNSもないんだから仕方ないじゃない!良き時代ですよ!と私は完全に年寄りサイドの意見です。まあ、私用で会社に電話をかけすぎだとは思うけど。再放送が始まって最初の方は懐かしいなあと胸をきゅんきゅんさせながら見ていたのですが、物語が進んでいくうちに私は重大な事実に気づいてしまったのです。それは第7話の放送でリカが言った台詞で確実なものになりました。リカはカンチに会社を休んで彼の実家の愛媛に行こうと誘います。「そんなの無理だよ」と言うカンチにリカは「私はカンチに無理して欲しいの」と言いました。ああ、やっぱり!私がうまく恋愛をできないのは、無意識のうちに「恋愛とは赤名リカのようにするものである」が刷り込まれ、そしてそれを実行しているからなんだ!リカが夜中にカンチに電話をかけます。「もしもーし!あれ、寝てた?」迷惑そうなカンチにお構いなしで話を続けるリカ。こ、これ…、私じゃん…。「24時間好きって言ってて!仕事してても、友だちと遊んでてもカンチの心全部で好きって言ってて!」すごい勝手…、これも、私だ…。「私はカンチが全部だよ!」すごい重い…、完全に私だ…。実際に私は元カレに言われたことがあるのです。「繭子ちゃんって、リアル赤名リカだよね」と。その当時は、完全に誉め言葉だと思っていたのですが、今こうしてドラマを見ていると、赤名リカから鈴木保奈美さんの可愛さを奪ったら何も残らないじゃないかというぐらいヤバい女だということに気づきました。「無理しないでいいからね」と世間一般の優しい彼女が声をかける中、「私はカンチに無理して欲しいの」と堂々と言うリカ。すごくわかる。私は、相手が無理をしてくれることが愛情だって思っているから。例え寝ていても私のことが好きだったら夜中に電話がかかってきても嬉しいはずだから。24時間好きって言ってくれるのが恋人だと思っているから。あー、いかりや長介さんの「だめだこりゃ」の声がどこからか聞こえてきます。でも今さら、軌道修正なんてできないよ。トホホだよ。(これも赤名リカの台詞)となると、これはもう「赤名リカみたいな女を探している」という男性と出会うしかありません。読者の皆様のまわりにもそんな男性がいらっしゃいましたら、ぜひご一報を!夜の公園で大声で「セックスしよ!」と叫んで通報されるかもしれませんが、それでも良いという方がいらっしゃいましたら、ぜひご一報を!
2018年10月18日9月15日(土)のフジテレビ系「土曜プレミアム」では、先日逝去した漫画家のさくらももこさんを追悼して『映画ちびまる子ちゃんイタリアから来た少年』をノーカット地上波初放送する。8月15日に乳がんのため53歳で亡くなったさくらももこさん。彼女が自身の幼少期を反映させて描いた代表作「ちびまる子ちゃん」は1990年にテレビアニメ化。瞬く間に超高視聴率番組となり、主題歌「おどるポンポコリン」も大ヒットを記録。現在まで放送が続く長寿番組となった。そんな「ちびまる子ちゃん」の23年ぶりとなる劇場版となった本作。世界の5か国からやってきた子どもたち。花輪くんのお願いで、みんなの家に外国の子どもたちがホームステイすることになったからさあ大変!まる子の家にはイタリアからやって来たアンドレアが来ることに。学校での授業に参加したり、週末には清水の町を飛び出して、みんなで大阪や京都へと出かけたりと楽しい日々を過ごすまる子たち。一緒に行ったお祭りでは「また会えますように」とそれぞれお願い事をする2人。そんな楽しい日々にもいよいよお別れのときが――というストーリー。原作・脚本をさくらももこさん自ら担当、まる子役のTARAKOはじめ、おじいちゃん役の島田敏、お父さん役の屋良有作、お母さん役の一龍斎貞友、おばあちゃん役の佐々木優子、ナレーションのキートン山田らお馴染みの声優陣と、2016年にさくらさんと同じ乳がんで亡くなった水谷優子さんがお姉ちゃん役を演じている。またゲスト声優として「花晴れ」『虹色デイズ』などヒット作を連発、『覚悟はいいかそこの女子。』の公開も控える中川大志をはじめ、大河ドラマ「西郷どん」などの劇団ひとり、振付師のほか連続テレビ小説 「半分、青い。」などに出演もしているパパイヤ鈴木、『SUNNY 強い気持ち・強い愛』もヒット中の渡辺直美、『バイオハザードザ・ファイナル』のローラなども顔を揃えている。またテレビ版の主題歌だった「おどるポンポコリン」を映画スペシャルバージョンとして大原櫻子が担当。大原さんは挿入歌「キミを忘れないよ」も手掛けている。普段の「ちびまる子ちゃん」では見られない映画ならではの笑って泣けるストーリー「土曜プレミアム」『映画ちびまる子ちゃんイタリアから来た少年』は9月15日(土)21:00~フジテレビ系でノーカット地上波初放送。(笠緒)■関連作品:映画ちびまる子ちゃんイタリアから来た少年 2015年12月23日より全国にて公開© 2015さくらプロダクション/フジテレビジョン日本アニメーション東宝博報堂DYメディアパートナーズFNS27社
2018年09月15日9月2日に放映されたアニメ『ちびまる子ちゃん』の視聴率は14.3%を記録したという(関東地区、ビデオリサーチ調べ)。漫画家・さくらももこさん(享年53)の逝去を受けて内容を変更し、番組の最後には追悼メッセージも放送された。さくらさんは7年前から乳がん闘病をしていたというが、公表はせず、ごくごく親しい知人にしか知らせていなかった。出版社『ヒカルランド』社長の石井健資さん(63)もその1人だ。さくらさんと石井さんの交流は18年にも及ぶ。’00年当時、徳間書店に勤務していた石井さんが手がけたチリの小説『アミ小さな宇宙人』をさくらさんが絶賛し、なんと「表紙を私が描いてあげる」という申し出があったのだ。石井さんは言う。「さくらさんは宇宙や精神世界、そして死後の世界に関する、たくさんの本を読んでいて、知識も豊富でした。私の会社でもスピリチュアル分野の本を出版していますが、私なんかよりずっと詳しいのです。自宅ではパワーの集まるというピラミッド形の帽子を見せていただいたこともあります」’10年3月に石井さんが徳間書店を退社し、自分で会社を立ち上げることを打ち明けると、すぐに会社のロゴも描いてくれたのだ。「まるちゃんのお父さんのヒロシさんも酒好きキャラとして描かれていますが、さくら先生ご本人もお酒が大好きな方でした。特に出身地の静岡県の日本酒がお好みで、ご自宅にはたくさんの銘柄がそろっていたのです」“何事にも真摯で丁寧”というのが、さくらさん流だった。「たとえばサインを描くのも、まるちゃんやコジコジなどキャラクターを入れて、1枚に20分とか30分とか、納得できるまで、丁寧に時間をかけるのです。『納得できないことはしたくない』というのは先生の性分だったと思います。だから乳がんという病気についても、ものすごく調べていらっしゃいました。『私は、いつ死んでもいいの』なんて冗談めかして言っていましたが、治療についても自分で責任を持たれたかったのでしょう」さくらさんは、病院や医師についても丁寧なリサーチの後に選んでいたという。石井さんが続ける。「治療法についても姿勢は同様で、切除手術は受けても、抗がん剤は使わないとご自分で決めていらしたのです。その代わり、民間療法や自然療法でも良いものがあると聞けば、全国各地に飛んでいきました。四国での治療には私も何度か同行したこともあります。『バイオレゾナンス』というドイツ発祥の治療法です」バイオレゾナンスとは、専門の機械により、症状にあわせた周波数の波動を受けることで、自然治癒力や生命力を高めるという治療法だ。「治療で地方に行くといっても、さくら先生の場合、悲壮感はありませんでした。その土地土地で、温泉や食事を楽しんでいたのです。もともとお料理は得意ですが、食事療法も詳しかったですね。そういった努力の成果で、私も先生が、がんを克服されたと聞いていましたので、今回の訃報に接したときには、とても残念に思いました……」最後まで自分流を貫き通したさくらさん。その分身である“まるちゃん”は、これからもみんなに愛され続ける。
2018年09月04日モデル・女優として活躍する山田優とその親友・西山茉希が8月31日(金)今夜オンエアのフジテレビ系「ダウンタウンなう」に出演。山田さんと夫・小栗旬の“夫婦の真相”が赤裸々告白されるほか、人気アーティスト「HY」の仲宗根泉もゲスト出演する。3人は「ダウンタウン」浜田雅功、松本人志に坂上忍を加えた3人が、豪華ゲストたちとお酒を飲みながら本音で語り合う人気の企画「本音でハシゴ酒」に出演。3人の飲み仲間として「AKB48」峯岸みなみとモデル・藤田ニコルも出演する。山田さんといえば雑誌「CanCam」専属モデルとしてブレイク、当時は同世代を中心として絶大な人気を誇り、同時に女優として「華麗なる一族」や「貧乏男子 ボンビーメン」「正義の味方」などに出演。「貧乏男子」で共演した小栗さんと2012年に結婚、2児の母としての顔も持つ。そして西山さんも「CanCam」モデルとして注目を集めると、「検事・鬼島平八郎」「リバウンド」などで女優としても活動。俳優の早乙女太一と2013年に結婚、2児の母として子育てと共にモデル活動にも邁進している。今回は結婚7年目を迎えた山田さんが小栗さんとの出会いからプロポーズ、さらには結婚前に「もう無理」と別れていたという衝撃事実まで赤裸々告白。そこに親友の西山さんが合流、山田・小栗夫妻の素顔や修羅場を暴露する。また“恋愛の神様”として人気の「HY」仲宗根泉は、バンドメンバーや親友・青山テルマからその“超恋愛体質”っぷりを暴露され、過去のダメ男に怒りを爆発させる。今回のゲストの山田さんは9月1日(土)から上演されるミュージカル「シティ・オブ・エンジェルズ」に出演。1940年代後半のハリウッドを舞台に、ハードボイルドのシナリオを描くためにハリウッドへやってきた脚本家が執筆に四苦八苦する中でシナリオの世界と現実に起こる出来事に混乱し、様々な事件が巻き起こるというもので、山田孝之、渡辺麻友、瀬奈じゅん、木南晴夏、佐藤二朗らも出演。仲宗根さんの「HY」は、ファン投票で選ばれた楽曲を中心にセレクトされた名曲をセルフカバーしたセルフカバーベストアルバム「STORY~HY BEST~」が好評発売中。「ダウンタウンなう」は8月31日(金)21:55~フジテレビ系でオンエア。(笠緒)
2018年08月31日フジテレビ系アニメ『ちびまる子ちゃん』の原作者として知られる漫画家・さくらももこさんが15日に亡くなったことを受け、さくらさんがかつてパーソナリティーを務めていたニッポン放送のラジオ番組『さくらももこのオールナイトニッポン』の番組音声が28日、『長谷川幸洋のOK!Cozy up!』(毎週月~金6:00~8:00)内で放送された。同番組は、ラジオ配信サービス・radikoのタイムフリー機能で放送1週間後まで聴くことができる。さくらさんは1991年10月から1992年9月末までの1年間、『オールナイトニッポン』でのレギュラーパーソナリティーを毎週月曜深夜1時から3時までの2時間担当していた。突然の訃報に、ニッポン放送は社内に残るアーカイブより1992年9月7日分を放送。なお、この日の『OK!Cozy up!』はレギュラーパーソナリティの飯田浩司アナウンサーが夏休みのため、ジャーナリストの長谷川幸洋氏が担当した。放送されたのは、「番組オープニングのタイトルコール」と「次週の放送に向けた番組告知」。タイトルコールでは、「さくらももこのオールナイトニッポン!」という掛け声と共におなじみのテーマソング「ビタースウィートサンバ」が流れた。一方の番組告知は、「自分に似た人」というテーマでリスナーからの投稿を呼び掛けたもの。さくらさんが「自分に似た人」として歌手のイルカを挙げ、「私はイルカさんに似ていて驚いた」というエピソードを披露した。この音声が放送されて以降、ニッポン放送の各番組にはリスナーからの悲しみの声やメール、FAXが続々と寄せられているという。続いての生放送『垣花正あなたとハッピー!』(月~金8:00~11:30)でも早すぎる死を惜しむ声が紹介された。
2018年08月28日音楽フェス「SOUL CAMP」が、今年は伊勢丹新宿店本館にて開催される。会期は9月12日から17日まで。「SOUL CAMP」は2015年より開催されている、海外のブラックミュージックを代表する豪華アーティストのライブや、ストリートペインティング、フードサービスが人気を集めている音楽フェス。今年は「SOUL CAMP 2018 @ISETAN」として伊勢丹新宿店で、アーティストやDJによるライブ、グラフィックアーティストによるライブペインティングに加え、フェスファッション、フェス飯などが展開される。会期初日の12日と、週末15、16日には、会場内のステージにてアーティストやDJによるライブパフォーマンスを開催。DJライブの行われるステージエリアでは、12日にBUDAMUNK、15日にDJ IZOH、MURO、DJ SARASA、DJ NOBU a.k.a. BOMBRUSH! 、DJ KOCO a.k.a. SHIMOKITA、DJ MITSU THE BEATSのパフォーマンスが、16日にDJ HAJIME、DJ HASEBE、DJ WATARAI、DJ YANATAKE、Mr.BEATS a.k.a. DJ CELORY、DJ KOMORI、BULLのパフォーマンスが予定されている。MUROさらに見どころとなるのが、総勢9名のグラフィックアーティストによるライブペインティング。12日には、アーティストとしてアトモスの主催する「atmos con」へも出演した西山茉希、MUROや卍LINE a.k.a. 窪塚洋介などのアートワークを手がけるNOVOLを始め、ESOW、“YOHAKU”洋伯、LY、Hirottonが参加予定。15日には水曜日のカンパネラなどのジャケットを手がける上岡拓也、香取慎吾が発足させたプロジェクト「NAKAMA de ART」へ参加したことも記憶に新しいHideyuki Katsumataや、TM Paintが参加する。西山茉希食欲を満たすフェス飯には、オーナー横町健が都内に4店舗を展開するanea cafeが、このイベントのためにプロデュースした限定メニューが登場。濃厚チリビーンズとドイツ産のソーセージを挟んでチーズをトッピングしたビールと相性抜群のホットドッグや、ふわとろ仕上げの同店人気のオムビーフストロガノフ、12種のスパイスをブレンドしたカリッと食感がたまらないフライドチキンがラインアップする。「ふわとろ卵のオムビーフストロガノフ」税込1,080円 / 1人前他にも、グッズエリアで展開されるアトランタ出身3人組ラップグループ・ミーゴス(MIGOS)から、2018年春に発売されたニュー・アルバム「カルチャーII」のオフィシャルマーチコレクションが登場。日本新発売のTシャツ2型やパーカやキャップなど全14型が発売される他、音楽レーベル兼レコードショップ・ジャジースポート(JAZZY SPORT)、初日にライブを行うブダモンク(BUDAMUNK)、2017-18年秋冬にローンチしたブランド・ノーネーム(no_name)とのコラボレーションによる伊勢丹新宿店限定アイテムも展開される。出演アーティストの詳細やタイムテーブル、グッズやフードなどの情報は伊勢丹新宿店Webガイド()にて公開中。合わせてチェックを。【イベント情報】SOUL CAMP 2018 @ISETAN会期:9月12日~9月17日(最終日は18:00終了)会場:伊勢丹新宿店本館6階=催物場最終更新: 8月28日
2018年08月28日漫画「ちびまる子ちゃん」の作者・さくらももこさんが乳がんにより、8月15日に亡くなっていたと報じられた。53歳だった。「漫画家になりたい!」とずっと夢見ていたというさくらさん。高校3年生の夏に書いた作文が評価されたことで、エッセイのような漫画を描こうと決意したという。「84年に漫画家デビューして以降、漫画以外の分野でも大活躍。『もものかんづめ』に代表されるエッセイ集3部作は、すべてミリオンセラーとなりました。さらに自身で作詞を手がけた『ちびまる子ちゃん』のテーマソング『おどるポンポコリン』は、160万枚以上の大ヒット。さくらさんはまさに、平成という時代の寵児となりました」(出版関係者)そんなさくらさんは、一人息子・さくらめろんを溺愛していたという。めろんは、94年に誕生。8歳のときにさくらさんとの共著「おばけの手」を出版しており、ファンにとっても馴染み深い存在だ。「さくらさんはエッセイのなかで、めろんさんの独特な感性についてたびたび綴っていました。またブログでもめろんさんの誕生日や、社会人記念をお祝いする様子を報告。その親子愛をファンは微笑ましく見守っていたんです。それだけに若くしてさくらさんを亡くしためろんさんの気持ちを考えると苦しくなります。ファンの間でも心配の声があがっています……」(さくらさんのファン)母を亡くした傷心は計り知れないーー。
2018年08月28日国民的マンガ・アニメ「ちびまる子ちゃん」の作者、さくらももこさんが、8月15日に乳がんのため亡くなったことが明らかになった。享年53。さくらさんの公式ブログで「さくらプロダクション」が発表した。「ちびまる子ちゃん」は、「まるちゃん」の愛称で親しまれてきた主人公、さくらももこの物語。1990年のテレビ放送開始以来、まるちゃんの声を務めてきた声優のTARAKOさんは「『ご冥福を』とか言えないです。ただただ、頭の中がぐちゃぐちゃです、はい」と沈痛。「優子ちゃんに会ったらよろしくです」と、2016年に同じく乳がんで亡くなり、それまでまるちゃんのお姉ちゃん役を演じていた水谷優子さんについても触れた。今後も「今は、ただ先生の分身でもある小学3年生の子に、嘘のない命を吹き込み続けることしかできない」とまるちゃんのイメージを守り続けていくことを誓い、「ももこ先生は『ありがとう』しかない恩人です」と追悼文を締めくくった。日本のみならず、海外でも放送されてきた「ちびまる子ちゃん」の作者の死に、多くのファンが打ちひしがれている。さくらさんの訃報は、海外のアニメサイトや「Newsweek」誌などでも伝えられた。台湾で実写ドラマ化され、花輪クン役のジロー(汪東城)も「miss u」とインスタグラムに投稿。またツイッターでは「Marukoを見て育ってきたの。おじいちゃんの家にみんなで集まって、テレビを囲むっていう楽しいひとときを、これからも思い出させてくれると思うわ」、「遺した作品を通して彼女は永遠に生き続ける」、「安らかに眠ってください。ぼくは正直、乗り越えられるか分からない。大好きだったよ!」など、海外ファンからもさくらさんへの追悼ツイートがあふれている。(Hiromi Kaku)■関連作品:リズと青い鳥 2018年4月21日より全国にて公開© 武田綾乃・宝島社/『響け!』製作委員会
2018年08月28日ロングセラーの定番スキンケアアイテムスキンケアクリーム『ニベアクリーム』は、日本での発売50周年を記念して、人気漫画家のさくらももこさんによるイラストを添えた限定デザイン品を発売する。ドイツで誕生した『ニベアクリーム』は日本でも1968年に発売され、「スキンケア」という言葉を広めるきっかけとなった。特に家族全員で使えるやさしい処方や、全身に使えるという使いやすさが高く評価され、日本での出荷個数は累積2億個を超える大ヒットアイテムに。最近では「誰にでも買える低価格なのに、顔のスキンケアにも効果が高い」と話題になったほか、青色に白いロゴが入った丸い缶のパッケージをアクセサリー入れなどに再利用する「青缶リメイク」が流行。若い世代からも支持される存在となっている。癒やし系デザインでお祝い毎年秋にはその年限定のデザイン品を発売している『ニベアクリーム』だが、日本発売50周年という今年は長年「家族」を描き世代を超えて愛されているさくらももこさんを抜擢。NIVEAブランドのキーワードである「まもりたい」を表現するような、独創的かつあたたかいイラストで、アニバーサリーイヤーに花を添える。さくらももこさんのデザイン品は、大缶(169g)・中缶(56g)・チューブ(50g)の3種類にて、9月8日より発売される。(画像はプレスリリースより)(C)M.S【参考】※プレスリリース
2018年08月05日日本は残念ながらベスト16で敗退してしまいましたね。予選リーグは一試合も見ていなかったのですが、ベルギー戦は3時に起床して観戦しました。日本が2点リードした時にはマイスイートフレンチボーイフレンドのオスカルから「Woooh Japan!」とメールがきて私も「Unbelievable!」と返信したのですが、最終的にはGoogle翻訳を使って「C’est dommage.(残念です)」と送り、向こうからは「それは残酷だ」という微妙な日本語メールがきました。以前、彼から「よく寝ろ」というメールがきたこともあるので翻訳アプリというのは信頼できません。でも、こうしてメールができるきっかけになるW杯ってやはり素晴らしいものですね。4年前のブラジルW杯の時、とあるサッカー番組のゲストに呼ばれ、そこで「試合観戦時は母親、もしくは彼女目線で見てみる」と言ったところ、司会の勝村政信さんに「病院に行って下さい」と言われてしまったのですが、今回のW杯でもそれは変わらず。例えばフランス代表の若きエース、エムバペを見ながら「生まれた時はあんなに身体が弱かったのに、立派になって…」と母親っぽいことをつぶやいてみたりします。ちなみにエムバペが幼少期に身体が弱かったかどうかは知りません。でもやっぱり楽しいのは彼女目線。調子が悪い選手を見て「昨日、電話でケンカしちゃったせいかなあ…」と考えてみたり、ゴールをした後のパフォーマンスを「あ!私と約束したポーズだ!」と思い込んでみたり。うん、やっぱり病院に行った方が良いのかもしれない。でも自分の恋人がW杯で活躍するなんて、女として最高だろうなと思います。南アフリカW杯、優勝したスペインのGKのカシージャスが試合後にインタビューを受けました。インタビューをするのは恋人のサラ。「今の気持ちは?」「とても嬉しいです」そんな普通のやり取りを始めますが、カシージャスは仕事を続けようとするサラを遮り、彼女を抱き寄せキスをしました。この動画の再生回数のうち、1万回は私です。何度見ても胸キュン!とある占いサイトの2018下半期の星座別恋愛運ランキング、私のみずがめ座が最下位だろうが、そんなことにはめげません。もう少し続くW杯期間中、選手の彼女目線で幸せのイメージトレーニングをして、現実の幸せを掴みたいと思います!
2018年07月28日W杯が始まりましたね!夜な夜なイケメンチェックに勤しむために寝不足気味の西山繭子です。私の一番は、もちろんダビド・シルバです。彼といつ何時出会っても良いようにスペイン語学校に通い、当時彼がいたバレンシアへの旅を画策していたところ、シルバはマンチェスター・シティに移籍。ああ、じゃあそっちにってことでマンチェスターに短期留学をしました。我ながら、すばらしき行動力。まあ当然ながらマンチェスターで偶然シルバに会えることはなく、結局のところオスカルというフランス人青年と仲良くなって帰国したんですけどね。そのオスカルも大のサッカー好きということで、W杯が始まってからは頻繁にメールをしています。しかし私が「一人でW杯を見にフランスに行ってから、もう20年かあ」と言うと「僕は子どもだったから、あまりよく覚えていな…。ああ!でも、もちろんフランスが優勝したのは嬉しかったよ!」と気を遣うオスカル。20歳の私が自分で稼いだお金で異国の地を一人旅している時に、オスカルはその異国の幼稚園でフランスパンをしゃぶっていたわけですから、仕方がないですね。今回のロシアW杯では現役時代を知っている選手が監督になっていたりもします。デンマークGKのシュマイケルなんて「まだ現役なの!?」と思ったら、息子でした。ひえー。こうして歳をとっていくのだなあ。先日も25歳の男の子に「西山さんは、今までいつが一番楽しかったですか?」と訊かれ、こいつ何で今だって思ってないんだよと不服に感じつつも「今も昔もそれぞれ楽しいよ」と大人の返答をしました。そう、それなりに楽しいことがたくさんある。さすがに若い頃と比べて体力がなくなり、昨日もがっつり鍼治療を受けていましたが、W杯でイケメンにときめく恋心は衰えておりません。私にとって、このW杯イヤーというのは、いつも人生の転機になるようなことが起こる年なのです。2018年の上半期も終わろうとしていますが、下半期に期待!ヴィッセル神戸に移籍したイニエスタに近づき、シルバを紹介してもらうのもありだな、などと40歳になっても小学生並みにポジティブな妄想ができる私にはまだ未来があるのです。
2018年07月14日ガラス作家、西山芳浩氏の個展開催決定! 石川県・金沢市にてガラスを制作される西山芳浩氏。 宙吹き、そして自身で作製した型にはめて成型する型吹きを駆使し、尽きることのない創作意欲で多種多様な作品を世に送り出している、非常に人気の高いガラス作家です。 今回の個展では、洗練さを増し磨きをかけた定番作品から新作まで、豊富なバリエーションでお楽しみいただけます。 作品だけじゃない楽しみ方 今回は、作品を見るだけではなく、こちらの画面でガラス作品がどのように作られていくのか、製作風景をご覧ください。 あの美しい作品が、こうやって出来上がっていくのか・・とワクワクしてしまいますね。 夏の風物詩を感じに行こう こちらの個展は、7月7日(土)〜16日(月・祝)の開催。また、14日(土)からはWEB SHOPでも個展開催です。 場所:BLOOM&BRANCH AOYAMA / 〒107-0062 東京都港区南青山5-10-5 第1九曜ビル101TEL:03-6892-2014営業時間:11時〜20時/BLOOM&BRANCH AOYAMA ぜひ、平成最後の夏、夏の風物詩とも呼ばれる西山芳浩氏の作品を楽しまれてみませんか?
2018年07月05日私は中高大10年間を女子校で過ごしました。仲良しの同級生たちとは12歳からの付き合いで、お互いのあんなことやこんなこと、何でも知っている関係。一番気の置けない仲間であります。それぞれ仕事を頑張っていたり、子どもがいたりで頻繁には会えませんが年に数回は集まっています。先日も今年初の会合がありました。今回のメンバーは総勢12名で、そのうち独身は6名。世間では40歳女性の独身の割合は19%だそうです。それに比べると、この会合の独身率50%という数値はもう致命的。しかも全員彼氏すらいない。あ、でも40歳独身で彼氏がいる方が珍しいのかもしれませんね。しかし今回驚いたのは、私以外のみんながマッチングアプリなるものを使っていることでした。ネットで誰かと知り合うということは、どんな呼称であろうと私にとっては『出会い系』であり、犯罪の温床というイメージしかないのです。それをみんなが普通に使って、しかも実際にデートまでしているというのだから、もう繭子びっくり。では実際に使ってみてどうかと尋ねたところ、45歳というわりには老けているなと思ったら本当は54歳だったとか、待ち合わせに指定された店をネットで調べたら『コスパ抜群!』と書いてあった上に割り勘だったとか、実はうつ病だという長文メールが送られてきたりとか、何だか良い話は一つも聞こえてこない。それでも、みんな次こそはという希望をもって、そのアプリで自分に合う相手を探しているそうです。それと同時に結婚相談所に登録したり、街コンに参加したりとみんなは結婚するための努力を怠っていない。それに比べて私は「恋したーい、結婚したーい」と言っているだけで何の努力もしていないではないか。ああ、これは本格的にまずいぞ。でも友だちが結婚相談所で「デブとハゲだったら、どっちがいいですか?」と訊かれ「どっちもイヤです」と言ったところ「そのお考えでは無理です。もう40歳ですから」と厳しく諭されたと知って、心底恐ろしくなりました。私の結婚相手って、もうデブかハゲの二択なの?みんなに「でも私の周りにデブでもハゲでもない独身男子もいるけどなあ」と言うと「その人たち、40代のばばあには興味ないから」と釘をさされしょんぼり。厳しい現実を突きつけられたアラフォーの会でありました。しかしその夜、パリにいるフランス人青年オスカル(26歳)から「Hey, My sweetie Mayuko」とメールが届き、やっぱりまだまだ甘い恋がしたいと思ってしまう40歳なのでありました。Written by 西山繭子
2018年06月10日先日、エド・シーランのコンサートに行ってきました。たった一人で、そしてギター1本で観客を総立ちにさせる天才、エド・シーラン。武道館でバンドをしたがえないコンサートを観たのって初めてです。いやはや、感動。私はコンサートに行くとだいたい感極まって泣いてしまいます。安定の情緒不安定。今回も『Shape of you』という曲で号泣してしまいまいした。なぜなら、この曲はマンチェスターのクラブでオスカル(知らない人はバックナンバー読んでちょ)と踊りまくった思い出の曲だからです。ただ、それを思い出して泣いたわけではなく、その大好きな思い出の曲を目の前でエド・シーランが歌っていることが幸せすぎて泣いたのです。歌にはそれだけの大きな力があります。そして記憶を鮮やかに呼び起こす力もあります。例えばCHEMISTRYの『PIECES OF A DREAM』を聴くと、三宿の交差点の手前で、運転していた彼がブチ切れて車から降り、助手席に置き去りにされた私が後ろから鳴り響くクラクションに焦りながら運転席に移動して、馬鹿デカいレンジローバーを死にそうになりながら運転して帰ったことを思い出します。その時、カーステレオにこのCDが入っていて、延々とリピートされていたのです。「ハンパ~な夢の、ひと欠片が~」とひたすら耳にしながら必死に運転した思い出。ただ喧嘩の理由はまったく憶えていません。はたまたZIGGYの『GLORIA』を聴くと、スイスの高速道路をドライブ中、オービスにひっかかりテンションがた落ちの彼に対して「ねえ!今撮られた写真、欲しい!スイス警察に言ってもらえないの?だって、旅行の記念になるじゃん!」と言って、さらにテンションを下げたことを思い出します。曲調とはうってかわって、車の外は雪景色でありました。いやー、歌の力って偉大だわ。今回のエド・シーランのコンサートで私の目の前に若いカップルがおりました。2人は『Thinking out loud』でぐっと肩を寄せ合いました。彼氏が彼女の耳元で何かを囁き、彼女は嬉しそうに彼の首筋に顔を埋めました。ああ、2人にとってこの曲が思い出になるんだなあ。結婚式とかでかけちゃったりするんだろうな。なんて素敵なんだろう。でも、ちょっと待って。若いからその前にきっと別れるよね。うん、そうだよ。そうそう幸せになんてなれないから。世の中、そんなに甘くないから。てか、そういうの家でやってくれない?2人がくっつくからエドが見えづらいんですけど?ああ!こんなことを考えているうちは恋の神様がやって来ない!気をつけなければ。私もいつか誰かとエド・シーランの『Perfect』を思い出ソングにしたいものであります。
2018年05月10日前回のコラムでも書きましたが、一つの恋みたいなものが終わりめっぽう暇になった私。1週間のうち少なくとも7日は家にいるようになりました。うん、毎日だな。先日はテレビでやっていた『昨日の夜は』という20年以上前の恋愛映画を観ました。『ゴースト』に引き続き、デミ・ムーア祭りです。元旦那のブルース・ウィルスもナカトミビルの中で喜んでいることでしょう。ネタが古くてわからない人はごめんなさい。この映画はワンナイト・ラブから始まった男女の物語です。今、これを書くためにワンナイト・ラブなんて言葉はもう使わないのか?とネット検索したところ、アメリカでは今じゃハーフナイト・ラブの時代だそうです。さすがアメリカ、トランプが大統領に選ばれる国。この映画、船が沈没したりバスが暴走したりといった大きな事件は起きません。すごく普通なのです。その普通さにおける男女のリアルさたるや!昔の映画ですが、男と女ってのはずっと同じことを繰り返しているのですね。一夜だけの関係で終わらせるつもりが、恋に落ちた2人。ラブラブもマックスモードに。すると、ここで出てくるのがやっぱり「一緒に暮らそう」なのです。私はこれまで同棲したことがありません。したいと思ったことはありますよ。でも「一緒に住みたいなあ」と言うと、みんな「え!?」みたいな反応になり、なんだかんだで断られるというパターン。私の友人にすぐに同棲をする人がいるのですが、彼いわく「だって、好きだったらずっと一緒にいたくなっちゃうじゃん」らしい。ってことは、みんな私のことをそんなに好きじゃなかったということなのだろうか…。深く考えるのはよそう。映画の中で同棲を始めた2人、まずはお互いの荷物の多さにうんざり。もうこのシーンを見ただけで、私には無理だなと思いました。私は物に執着がありません。だから物をたくさん持っている人と一緒に暮らしたら息苦しくなってしまう。案の定、映画の中で2人は喧嘩。でもセックスして仲直り。そりゃ同棲してたらしまくるよね。同棲の醍醐味ってそれしかないもんね。(たぶん間違ってる)この映画、公開当時は激しいベッドシーンで話題になったそうです。でも、それがまた喧嘩の原因になってしまう。もともとワンナイト・ラブから始まった2人なので、お互いが「自分の時みたいに、すぐ誰とでも寝るんだろ」と常に疑心暗鬼。ヤらせなかったらヤらせないで「俺(私)のこと好きじゃないの?」ってなるし、ヤらせたらヤらせたで「そうやって誰とでもするの?」ってなるし、もうどっちやねん!面倒くさいわ!Grapps読者の皆さんより少し、いやだいぶ年上の私からアドバイスをしますと、よく耳にする名言と一緒で『やった後悔より、やらなかった後悔』ですよ。何だか良いこと言っている風になってますけど、下世話な話だということをお忘れなく!
2018年04月24日前回のコラムを読んでくれた女友達からメールがありました。「××くんと離れちゃったの?こんなに優しくて美人の繭子さんを理解できないなんて、どこに目がついてるのかね⁉さっさと忘れましょう!」私はサバサバ系とは真逆の人間である根っからのジメジメ系なので、連絡を断ってからも未練がましく彼のSNSを毎日チェック。「ここ誰と行ったんだろう?」「これ誰に撮ってもらったんだろう?」うんうん、我ながら安定のジメジメ系。しかし彼女からのメールで、ここで立ち止まっている場合じゃないわなと目が覚めました。ああ、持つべきものは女友達。ちなみに彼女は独身アラフィフです。類は友を呼びまくる。しかしこの数ヵ月、彼いわく「付き合ってない」とのことでしたが、お互いの家が近いということもあり、何だかんだ週2、3回は会っていたので、いきなり暇になりました。もともと一人でいる時間が好きなので、寂しいといった感情はないのですが、とにかく暇。もちろん時間はいくらでも有効に使えます。しかし、ここしばらく風来坊な彼のためにいつでもスタンバイOKな都合のイイ女だったので、ちょっと自分だけのためにだらだらしようと怠けております。昨夜は仕事が終わって帰宅してから、ノンアルコールビールを飲みながら『ゴーストニューヨークの幻』を観ました。大ヒット映画ですが、ちゃんと観たのは初めてです。姉に「あの陶芸のシーン、男の方がまだ死んでない時なんだよ」と報告すると「え!そうなの!?」と驚いていました。私同様、映画を観ずに同じ勘違いをしている人が世界に1万人はいると思います。しかしまあ、当時のデミ・ムーアの可愛さたるや!完全に感化された私は、次のバレエのコンクールが終わったら、ゴースト時代のデミ・ムーア風ショート・カットにしようと思っています。そして陶芸を始めます。うん、一人になって夢は広がるばかり。ああ、もうここまできたら彼のSNSを見ても心が揺れたりしないはず!うん、絶対に大丈夫!陶芸始めるし!とか言いつつ実際のところ、ただ単に見たいだけ。だってジメジメ系ですから!(開き直る)新しく更新していた写真は、鏡の前に佇む彼の姿。どうやら新しい洋服を買ったらしい。ハッシュタグには『♯たった一つの世界観♯自分らしさ♯かぶらない』とありました。すごいな、読んでるこっちが赤面するわ。そしてお洒落に疎い私は聞いたこともないブランドだったのでネットで調べたみたところ、彼が購入したコートは20万円以上するシロモノで、EXILEのみなさんも愛用しているものでした。全然かぶってるじゃん!冷静に考えれば考えるほど、彼のどこが良かったのかわからなくなります。♯でもそれが♯恋ってやつ♯なのですねWritten by 西山繭子
2018年04月08日本日の東京の最高気温は18度のぽかぽか陽気。近所の梅も綺麗に咲いていて、春はもうすぐそこといった感じですが、西山繭子の恋模様は真冬どころか氷河期の真っ只中であります。なぜなら、この連載でも何度か登場した(第七十回目参照)町工場の優柔不断な社長みたいな人にとうとう愛想をつかされてしまったからです。彼と知り合ったのは半年ほど前でしょうか。私は好きになったら猪突猛進、一心不乱の狂喜乱舞なので「付き合おうよ!付き合おうよ!」とぐいぐいおしていたのですが、ここでも書いたように彼は「不安要素が多すぎるから、もう少し様子を見たい」と言って拒んでいました。考えたら、この時点でありえないですよね。私のことを本当に好きだったら『彼女』として独占したいと思うわけで。でも私は一度好きになったら、その人がどんなに性格が悪かろうと、浮気しようと、貧乏だろうと、嫌いになることができないので、しばらく辛い日々が続いておりました。まず彼は、私からの電話には絶対に出ませんでした。彼からの連絡を待つしかないので、会えるのは彼がふと気が向いた時。一度「ちゃんと予定を決めて会おうよ」と言うと「俺、予定とか決めるの好きじゃない人間なんだよね」とさらり。どんな人間よ、それ。私の誕生日には「その日は地元から友だちが来るから、前日にでも軽くメシ行こうよ」と言っていました。さすがに私の40歳の誕生日を「軽く」祝われたらたまらんなと思ったので、お断りしました。さすがにまずいと思ったのか「今度、お祝いしなきゃね」と言うので、私が「じゃあ、行ったことがないから、××に行ってみたい」と激安居酒屋の名前を挙げると「そんなところでいいの?」と彼は笑いました。でも結局、そんなところさえ連れて行ってくれませんでした。彼は38歳ですが、定職についていません。それなのに家の一部屋はクローゼット代わりにしていて、ブランド物の服や靴がずらり。100万円以上するエルメスのバッグを見た時には、何だか背筋が凍りつきました。人に買ってもらっていても、自分で買っていても、どちらにしてもドン引きだなと。ここまで読んで「彼のどこが良かったの?」と思う読者の方がほとんどでありましょう。私だって、そう思いますよ!しかもこんな男にフラれてるし!フラれた理由は「西山さんは性格が悪すぎる」だそうです。確かに、それは否定できない。彼といるとイライラすることが多くて、悪態をつきまくっていました。彼に対して優しくできなかったってことは、私も彼のことを本当に好きじゃなかったのかなとも思います。久しぶりの恋っぽい雰囲気にしがみついていただけなのかもしれませんね。Written by 西山繭子
2018年03月22日滋賀県東近江市の湖東記念病院で’03年5月、72歳の男性患者Tさんが死亡。看護助手をしていた西山美香さん(38)が取調べ中に自白し逮捕された。美香さんは拘置所に入ってから一転、犯行を否認。獄中からの手紙で両親に訴え続けた。無罪を勝ち取るため、裁判・再審請求で負け続けてもあきらめなかった。 獄中の美香さんと両親との手紙のやりとりは350通余り。美香さんが両親に宛てた手紙には、両親への気遣いと、冤罪で自由を奪われた苦しい胸のうちが綴られている。 《私は殺ろしていません。これだけは胸を張って言えることです》 《お父さんやお母さんが外で一生けんめい無罪をうったえてくれているので私もここで一生けんめいがんばります》 《私は自分が無罪でなにもやっていないことをまげようとは思っていません》(以下《》内は美香さんの手紙) ’17年8月24日、午前10時。和歌山刑務所。懲役12年、勾留されてからの1年を含め13年ぶりに美香さんは出所した。しかし、出所してもなお、西山親子の闘いは続く。昨年12月、裁判のやり直しを求める再審請求が大阪高裁で認められたが、検察が、これを不服として特別抗告。再審の行方は不透明だからだ。 ’03年5月22日未明。美香さんが当時、看護助手として勤めていた湖東記念病院に入院中の男性患者Tさん(当時72)が、心肺停止の状態で発見された。Tさんは植物状態で人工呼吸器を着けていたが、発見した看護師のAさんは、「人工呼吸器のチューブが外れていた」と報告。 警察は、この日当直だった看護師のAさんや、看護助手の美香さんが、「チューブが外れれば鳴るはずのアラームに気づかなかった」“業務上過失致死”の疑いで、事情聴取を進めていった。 取調べの途中で、看護師Aさんは、「チューブは外れていたかどうかわからない」と供述を変えた。 しかし、取調べを担当していたY刑事は、「(チューブは外れていて)アラームは鳴っていたはずだ」と、看護師や美香さんらに、強引な取調べを重ねた。のちに獄中から弁護士に宛てた美香さんの手紙にはこう綴られている。 《なっていいひん(いない)もん(を)なったとは言えんと抵抗しましたが(Y刑事が)机をバンとしたりイスをけるマネをしたり……》 事件から1年後の’04年5月、美香さんは、「アラームは鳴っていた」と供述を変えてしまう。すると、Y刑事の態度がコロッと変わった。 《(鳴っていたと言ったら)急に優しくなって、Y刑事のプライベートなこととかいろいろ聞いて私のことを信用していろんな話も聞いてくれてすごくうれしかった》 刑事は美香さんが、幼いころから優秀な兄にコンプレックスを持っていたことを知ると、「西山さんは、むしろかしこいコ」などと言葉巧みに美香さんの気をひき、意に沿う供述を引き出そうとした。 供述心理学者の鑑定で人に迎合しやすい傾向があるとされた美香さんは、Y刑事に優しくされて舞い上がり、好意を寄せてしまう。 しかし、「アラームは鳴っていた」という美香さんの供述のせいで、看護師Aさんへの取調べが厳しさを増したことを知った美香さんは、「私のせいだ……」と自らを責めた。 なんとか供述を取り消してもらおうと、「実は鳴っていません」と書いた手紙を警察署に持っていったが、取り合ってもらえない。 「(アラームが鳴っていたのなら)チューブが外れていたはず」と、問うY刑事に、「私がチューブを抜きました」と“自白”をしてしまったのだ。 「病院の待遇に不満を持った美香さんが、病院を困らせてやろうと、入院患者Tさんの人工呼吸器のチューブを外した」というストーリーが出来上がった。 ’04年7月6日、美香さんは殺人罪で大津警察署に逮捕される。27日、殺人罪で起訴。’04年9月、第1回公判開始。美香さんは容疑を否認。「Y刑事に好意を持ち、気に入られようとウソの自白をした」と無罪を主張した。 しかし、’05年11月、大津地裁は懲役12年の判決。控訴するも、’06年10月大阪高裁は、棄却。残るは、最高裁への上告だけだったが、美香さんの訴えが最高裁に届くことはなかった。「捜査段階の自白は自発的で信用できる」として、’07年9月、最高裁は上告を棄却。懲役12年が確定したのだ。 このころ美香さんは、「やってないのに、なんで刑務所におらんとアカンのや!」と、ホチキスの針を飲んで自殺を図ったり、頭を刑務所の壁に打ち付けたりして自暴自棄になることもあった。 《最後まであきらめずに闘いたいけど、もう上告までいったらこの先戦えることはないと思います。(中略)私は人との接し方がわからないし、自分に自信がありません。すぐに涙がでるし……(後略)》 美香さんの無実の罪を晴らすまで、両親はあきらめるわけにはいかなかった。すぐに新たな弁護士を探し、’10年9月、裁判のやり直しを求める再審請求を行った。だが、懸命に闘う西山親子の前に、突きつけられる現実は厳しいものだった。 ’11年、3月30日、大津地裁第1次再審請求棄却。5月23日、大阪高裁即時抗告棄却。8月24日、最高裁特別抗告棄却。 《早くお父さんとお母さんと一緒にご飯が食べたいです》 《このごろすごく家が恋しく思って泣けてきます》 美香さんの両親は、第2次再審請求に向けて力になってくれる弁護士を探し始めた。しかし、自白を覆すための弁護を引き受けてくれる弁護士は、なかなか見つからない。最後に訪ねたのが、現在、弁護団長を務める元裁判官の井戸謙一氏だった。井戸弁護士は、当時をこう振り返る。 「私も最初はむずかしいと思いました。でも、記録を読み込むと、警察の捜査に都合がいいように、供述を変えさせられていた。美香さんは“無実”だという確信を持つようになりました。だからお引き受けしたんです」(井戸弁護士) 井戸弁護士という心強い味方を得て行われた第2次再審請求。新証拠として提出したのが、「死亡した患者Tさんは“自然死”だった」という専門家の意見書だった。 「平常時は、血中のカリウム濃度は3.4~5.1ミリモル/リットルあるのですが、亡くなったTさんの死後の解剖記録によると、1.5ミリモル/リットルと異常に低く、致死性不整脈による“自然死”だった可能性が出てきたのです」(井戸弁護士) そもそも、“事件”ですらなかった――。しかし、再審への扉はなかなか開かない。’15年9月、第2次再審請求は大津地裁で棄却。美香さんらは大阪高裁に即時抗告。美香さんは’17年8月24日、罪が晴れないまま満期出所。 そうして迎えた大阪高裁での審判の日。手応えは感じていた。高裁の裁判官が、「患者Tさんの死因が“自然死”だったという詳しい証拠を提出するように」と事前に求めていたからだ。 出所から5カ月たった昨年12月20日。美香さんは決定を聞くために、ひとりで大阪高裁に向かった。「アカンかったら3回目の再審請求をしたらいいんや」と、不安を打ち消すように、そう自分に言い聞かせた。 “本件について再審を開始する” 通知を受け取った美香さんは、反射的に「えっ!ほんまに?」と声を上げた。勝ち取ることが困難な再審決定。そんな“開かずの扉”が開いた瞬間だった。美香さんは、その場に泣き崩れた。 無罪が出たら、美香さんにはやりたいことがたくさんある。 「調理の仕事に就きたいんです。食べるのが好きだから、将来は自分の店も持ちたい。それに、お世話になった人たちへの恩返し。中学時代の先生や支える会の人たち。私は井戸先生に救ってもらったから、井戸先生が弁護をしている原発事故で苦しんでる子どもたちの支援もしたい」(美香さん)
2018年02月11日’17年8月24日、午前10時。和歌山刑務所前。白髪の交じった髪をひとつに結び、格子柄のスーツを着た西山美香さん(38)を、晩夏の太陽がじりじりと照らしつけていた。 懲役12年、勾留されてからの1年を含め13年ぶりの出所。美香さんは緊張した面持ちで、父・輝男さん(75)と、車いすに乗った母・令子さん(67)とともに、裏門を出た。 門の外で待たせていたタクシーに乗り込むと、足の悪い令子さんは、涙ながらに「ホンマよかったなぁ」と、娘に語りかけるのが精いっぱいだった。 「出所できたのは、ほんとうにうれしいです。でも、まだ罪は背負ったまま。無罪を勝ち取るまでがんばります」 タクシーで向かった集会で、支援者にそう謝意を述べた美香さん。しっかりした話しぶりにほっとして見守る輝男さんと令子さん。両親の額に刻まれたシワには、娘の大事な時間が“冤罪”によって奪われた悔しさが刻み込まれていた。無罪を勝ち取るまでこれから長く続く苦悩を思ってか、2人に笑顔はなかった。 滋賀県東近江市の湖東記念病院で’03年5月、72歳の男性患者が死亡。看護助手をしていた美香さんが取調べ中に自白し逮捕された。美香さんは拘置所に入ってから一転、犯行を否認。獄中からの手紙で両親に訴え続けた。 《お父さんやお母さんが外で一生けんめい無罪をうったえてくれているので私もここで一生けんめいがんばります》 《私は自分が無罪でなにもやっていないことをまげようとは思っていません》 獄中から美香さんが両親に宛てた手紙には、両親への気遣いと、冤罪で自由を奪われた苦しい胸のうちが綴られていた。西山親子は、無罪を勝ち取るため、裁判・再審請求で負け続けてもあきらめなかった。 しかし、出所してもなお、西山親子の闘いは続く。昨年12月、裁判のやり直しを求める再審請求が大阪高裁で認められたが、検察が、これを不服として特別抗告。再審の行方は不透明だからだ。 美香さんの逮捕は、家族にとって地獄の始まりだった。 「美香が逮捕されたと聞いて、もう頭が真っ白になりました。まさか、信じられない。あの子は、そんなことできる子やないんです。どうやって助けたらいいのか。そればかり考えていました」(令子さん) ’04年7月6日、美香さんは殺人罪で大津警察署に逮捕される。27日、殺人罪で起訴。’04年9月、第1回公判開始。美香さんは容疑を否認。「刑事に好意を持ち、気に入られようとウソの自白をした」と無罪を主張した。 しかし、’05年11月、大津地裁は懲役12年の判決。控訴するも、’06年10月大阪高裁は、棄却。残るは、最高裁への上告だけだった。このころ、美香さんと輝男さんは、大事な約束を交わしていた。 「美香とは早くから相談してました。何回棄却されても最後まで闘おう、と。『やった』と認めたら、早く出られることもあるらしいですけど、美香は『私は無実や、それを曲げようとは思わない』と。私も、そんなまちがったことはすすめなかったんです」(輝男さん) 裁判を闘うには、多額の弁護士費用がかかる。すでに年金生活に入っていた輝男さんにとって、そのお金を工面することは容易ではなかった。それでも「娘の無実を証明してなんとか早く出してやりたい」という一心で、何度も弁護士のところに相談に行った。 だが、こうした西山親子の訴えが最高裁に届くことはなかった。「捜査段階の自白は自発的で信用できる」として、’07年9月、最高裁は上告を棄却。懲役12年が確定したのだ。美香さんの無実の罪を晴らすまで、両親はあきらめるわけにはいかなかった。すぐに新たな弁護士を探し、’10年9月、裁判のやり直しを求める再審請求を行った。 このころ、両親の疲労はピークに達していた。力尽きたかのように令子さんが脳梗塞で倒れる。病院に運ばれた令子さんは右半身がまひし、言葉も十分に話せなくなった。輝男さんは、病気のことを美香さんに言うと心配すると思い、なかなか告げられなかったという。 「美香の面会に行っても、『お母さんは用事があるから』と」(輝男さん) しかし、いつまでも隠し通せるものではなかった。お母さんは脳梗塞だ、と伝えると美香さんは、「こんなことになったのは、私のせいや……」とうろたえ、刑務所の作業も手に付かない状態になる。 「いまでも美香は、私がこんな体になったのは自分のせいやと言うんです。誰のせいでもないのに……」(令子さん) 令子さんは、美香さんにそんな気持ちを伝えたい一心で、動くほうの左手で、美香さんに手紙を書いた。 「よく読めなかったんですけど。それを見たとき、生きててくれただけよかった。私も負けていられへん、って思ったんです」(美香さん) 娘のためにも、ここでくたばるわけにはいかん――。令子さんは、つらいリハビリに耐え、1年あまりで言葉を取り戻し、まひが残る右手で文字も書けるようになった。だが、懸命に闘う西山親子の前に、突きつけられる現実は厳しいものだった。 ’11年、3月30日、大津地裁第1次再審請求棄却。5月23日、大阪高裁即時抗告棄却。8月24日、最高裁特別抗告棄却。 輝男さんは、「最後まで闘おう」と誓った美香さんとの約束を果たすため、第2次再審請求に向けて力になってくれる弁護士を探し始めた。しかし、自白を覆すための弁護を引き受けてくれる弁護士は、なかなか見つからない。最後に訪ねたのが、現在、弁護団長を務める元裁判官の井戸謙一氏だった。井戸弁護士は、当時をこう振り返る。 「私も最初はむずかしいと思いました。でも、記録を読み込むと、警察の捜査に都合がいいように、供述を変えさせられていた。美香さんは“無実”だという確信を持つようになりました。だからお引き受けしたんです」(井戸弁護士) 井戸弁護士という心強い味方を得て行われた第2次再審請求。しかし、再審への扉はなかなか開かない。’15年9月、第2次再審請求は大津地裁で棄却。美香さんらは大阪高裁に即時抗告。美香さんは’17年8月24日、罪が晴れないまま満期出所した。 そうして迎えた昨年12月20日、大阪高裁での審判の日。“本件について再審を開始する”という通知を受け取った美香さんは、その場に泣き崩れた。勝ち取ることが困難な再審決定。そんな“開かずの扉”が開いた瞬間だった。再審決定の通知を聞いた両親の心境はどうだったのか。 「ビックリしました。うれしかったですけどダメやったらまた、お父さんがどれほど怒るかわからへんと思ったら、そっちの方が心配でした」(令子さん) 両親の願いはたったひとつ。一日も早く“無罪”が確定し、美香さんが幸せになってくれることだ。 「私らも、これから年をとっていくし、いつまで生きていられるかわかりません。だから、美香を支えてくれる人が見つかればいいなと思ってるんです」(令子さん) そして、輝男さんもこう語る。 「ふつうに結婚して主婦になってほしい。ただそれだけです。罪を晴らさんとむずかしいかもしれへんけど……」(輝男さん) 娘の花嫁姿を見たい。両親の希望も膨らむが、たとえ、最高裁で再審が再び認められたとしても、無罪を勝ち取るまでの道のりは気の遠くなるような長さだ。 しかし、13年間“冤罪”と闘い続けた西山親子の止まっていた時間は“無罪”という名のゴールに向けて確実に動きだしている。
2018年02月11日