【『不適切にもほどがある!』感想 初回】宮藤官九郎は決して守りに入らない
脚本は、四半世紀近くこの国のエンタテインメントの辺境を開拓してきた宮藤官九郎である。
始まりは1986年(昭和61年)、主人公は中学の体育教師で、妻と死別後ひとりで娘を育ててきた小川市郎(阿部サダヲ)。昭和の体育教師という設定を裏切ることなく、周囲への言動は粗雑かつ生徒への指導はスパルタである。
その小川市郎が、突如2024年へとタイムスリップしてしまう。
現代に張り巡らされたコンプライアンスと配慮の網をことごとくぶち破り、小川の言動はあちこちで騒動を巻き起こす。
一方、同時にひと組の親子が逆に2024年から1986年にタイムスリップしてきていた。
社会学者の向坂サカエ(吉田羊)と、その息子の中学生のキヨシ(坂元愛登)である。
キヨシは小川の娘・純子(河合優実)に一目惚れしてしまい、未来への帰還を拒む。
果たして小川は元の時代に戻れるのか、そして向坂親子はどうやって過去にやってきたのか。抱腹絶倒のジェネレーションギャップドラマが始まる。
近年、宮藤官九郎は『得体の知れないもの』や『閉じられたもの』に向き合って、それらを見つめるように作品を描いてきた。
テレビドラマ『ゆとりですがなにか』(2016年日本テレビ系)