「上の子は“ママに会いたい”と」無痛分娩“医療ミス”の悲痛
15時58分に千惠さんは意識不明に陥った。16時1分にクリニック側は消防署に救急搬送を要請したが、救急車がすべて出払っていたという。
老木院長は胎児を帝王切開で取り出すことを想定して手術室に千惠さんを移し心臓マッサージを行った。さらに酸素を充満させたバッグで酸素マスクに2回換気したが、酸素が漏れたのか、うまくいかなかった。このため院長は気管内挿管を試みたが、これもうまくいかなかった。気管内挿管とは、チューブを気管に入れて肺に酸素を送る蘇生術である。
その後、院長は帝王切開で胎児を取り出し、胎児は無事だった。16時38分、救急隊が到着し、千惠さんは最寄りの救急病院に運ばれ、直ちに気管内挿管を施され、自発呼吸が戻った。
だが呼吸停止状態が長かったことから、脳幹が損傷し、10日後に亡くなった。
千惠さんの遺体は司法解剖に回された。安東さんによると、「1月10日に搬送先の病院で会ったとき、老木院長は“申し訳ない”と頭を下げたが、1月30日にクリニックを訪ねたときは“最高の医療を尽くした”と自分を正当化していた」という。
金沢大学医学部で医療事故の調査・研究・教育をしている小川和宏准教授は、千惠さんのケースを詳細に分析し、問題点を大きく2つ指摘している。